敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトに来てくれんかのう
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── '
2011年(主日A年) 10月16日 年間第29主日
イザ 45:1〜6 Iテサ 1:1〜5b マタ 22:15〜21
「わたしは、祈りの度に、 ・・・・・ あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」(Iテサ vv.2-3)
ミサの “ことばの典礼” で朗読される聖書のテキストを、聖伝と聖書という背景から抜き出して、自分たちが生きている世界の政治や社会の問題にそのまま当てはめようとする傾向が、多くの人に見られます。
司祭や牧師たちの多くも、まるでそれが当たり前のように、聖書を材料にして自分が工夫した “現代人の歩み方” を説教しています。
毒にも薬にもならないそんな説教に、信者はすっかり馴らされて来たのではないでしょうか。
先ず 「信仰によって働き」 とは、使徒たちから伝えられたキリストの福音という土台の上に(Iコリ 3:10-17)、神の国の到来を待ち望む共同体を造り上げることを指しています(Iテサ 1:9-10)。
「希望を持って忍耐している」 根拠は、教会が福音を通して神の招きを受け(Iテサ 2:12)、教会の中に神のことばが 「現に働いている」(Iテサ 2:13)からです。
「愛のために労苦し」 とは、教会の中で信者が “主の言葉に基づいて ・・・・・ 互いに励まし合っている”(Iテサ 4:15-18)ことに外なりません。 (つづき)
教会は、ただ一度成し遂げられたキリストの永遠の贖い(ヘブ 9:12)を根拠に存在しているだけではなくて、復活して神の右に上げられたイエスがその体である教会の頭として、今もその御業を継続しておられる(エフェ 1:20-23)のです。
それは “時が満ちるに及んで完成される”(エフェ 1:10)終末的な “新しい時”(ロマ 13:11、IIコリ 5:17)に属しています。
この教会はこの世に存在していますが、この世には属していません(ヨハ 18:36)。
だからと言ってこの世に対して責任がない訳ではなく(ロマ 13:5-7)、ただ “この世の有様は過ぎ去る”(Iコリ 7:31)ことを知っているのです。
“わたしたちの本国は天にあります。”(フィリ 3:20)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より _,. -‐、────- 、
/ ノ_,. -‐ 、 \
/ r‐'´`ヽ、 \
/,.ノ´ ̄  ̄ ヽ
/
/ i
| __ _ _ .......,,,,,,,, i
亅 .......,,,...::. |
|::.  ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ...,,,,,,...::::.. │
|.:::.. __ 老 __ |
|`'´,r,:;:;:;:;:;:、 r;:;:;:;:;:;...,, / |r-、
/ ̄ノ ̄ ̄ \ / ̄r====ヾヽ / //ヽ i
l | _,.. =- 、 ヽ__i .::.._,. -- 、_ | / lヽ ノ |
{ ヨ ̄ ̄ ̄ `ヽ 〔,r 、! .:.. ̄ ̄ ̄ メ ̄ ;、、.:.ノ
i ヽィ' `ー‐‐'´ ..:. ヽヾヽ::,,,,,,;:::'´エヽ  ̄` / ト..: .)
ヽ|_ _r:. .:. .:::...,、、, `,/T` i/ /
h ̄ ̄.:.! ヽ:... ::.'´ ヽ- ̄ ̄ |__ノ
i.::::::::.゙ ヽ, / `ヽ h
!.::::;; ト、 ヽ=_- '´ イ.:.| / ,
ヽ.:::. ;,.¨! 、'_;__;__;__,..=-イ.:/ / / !
^、.:. ヽ! l丁│ i ソノ ′ ,' 亅
ヽ.:. ;  ̄ ̄ ̄ ̄ / / /トr‐‐- 、
ネ ヾ ̄_____,,,... '゙ / | ヽ、_ `ヽ、
_,.r 、´ ̄ ,i、  ̄ ̄ r' } / ト ヽ
* -ヽ、 '´ヽ、 〕 、... .:.:.:.:/ hn │|ヽ
3X_ x Y Xy /! 〔ヽ..::: : : : : : :.:.: ,.. '゙ //‖ i ヽ、\
癶弋ヽ亠-勹'八_yヽ ` ー─‐‐ '" i l / ノ ├ 、__
┼ヽ‐- 、`ヽY Y´!ヽ 丶 ノ '´ ト、├--r 、 >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
老クリスチャン 降臨
!:l:::::::/ ̄|::::::::::// ̄|:::从:: |:::::|::::::::::rヘ
┏┓ ┏━━┓ .ノ:|::::/ ___レヘ:::::/ ___V ';::|:::::|::::::::::|:::::.i ┏┓┏┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ !:::{从rテ示 ∨ rテ示7 V::::::|::::::::/::: :: | ┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━━/:::::::::リ ヒソ ヒソ /::::::/::::::/:::::::|━━━━┓┃┃┃┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┃ |:::::::: ′ ,___, /:::::::「`)イ::::::::: :::| ┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┗┛┃┃┗━━━|:::::::小、 ヽ _ン /:::::::::r'━|::::::::::::|━━━━┛┗┛┗┛
┃┃ ┃┃ |∧:::| l::> .. .イ::::::::::/ |:::::::::::::| ┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ l| V !:::::::::|rュr勹 フ::::/V |::::::::::::| ┗┛┗┛
|:::::/ん)´ /:/ン勹ぅ- 、│:::::::::::|
|::/ r')ヘ んr'´ノ´ ヽ ::::::::::::|
l;' / `⌒´ ( {、 |:::::::::::::| >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
老クリスチャン 降臨
∧∧∧∧λ∧∧∧∧∧∧∧∧λ∧∧∧∧∧∧∧∧λ∧∧∧
<老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!! >
∨∨∨∨∨∀∨∨∨∨∨∨∨∀∨∨∨∨∨∨∨∨∀∨∨∨∨
、 、 、 、 、
/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
/ / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧
\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトに来てくれんかのう
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── '
o__ノ
|| コ彡
|| ロ彡
|| .ッ彡
ドゾ〜 || ケ彡 ∬ ∫ ∬ ∬ ∫ ∬
∧_∧ ∬ ||80 彡 ∬ ∫ ∬ ∬ ∫ ∬
(´・ω・`) θθ.||円 彡. _,,、、,,,_,_ _,,、、,,,_,_ _,,、、,,,_,_
┌┴―┴──┐||""" ,r';;'::゛':::`::;''tr';;'::゛':::`::;''tr,';;'::゛':::`::;''t
|コロケ │|| .'r、;:´∀`:;; .'r;´´∀`;;r' .'r、;:´∀`;;r'
|売ってまつ .||| i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<イオン>21日から「台風コロッケ」 通常より5割増し
10/20(金) 18:15配信
◇台風18号上陸前に「完売」例から台風21号で実施へ
大手スーパーのイオンリテールは20日、台風21号の接近が予想される四国と本州の「イオン」で、
台風の進路予想にあわせて、21日から順次、店舗で販売するコロッケを通常より5割多く用意する
と発表した。
過去にネット上で「台風が来る前にコロッケを買い込んだ」との書き込みが盛り上がり、
9月の台風18号上陸前には、実際にイオンの一部店舗でコロッケが完売。
「台風が来る前に、すべての顧客にコロッケを届けたい」として緊急販売することになった。
揚げる量を5割増やすのは、イオングループのプライベートブランド「トップバリュ コロッケ」。
時間がたってもザクザク感を失わない「トップバリュ ザクうまコロッケ」(税抜き98円)などを勧めている。
24日までの実施を予定。四国・本州のイオンは約400店舗あるが、台風の進路予想にあわせて
実施する店舗を決めるため、店舗ごとに実施日が異なる。また、台風の影響を受けない店舗でも
「一部便乗する場合がある」という。【増田博樹/統合デジタル取材センター】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171020-00000043-mai-bus_all
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
/ ヽ________/ ヽ
/ \ ハフハフ
/ ,,=''~ |_____| ~''=,, λ
./ | ,.、,、,..、..| λ
| ヽ ;'`;、、:、.;/ ̄ ̄ ''=,,_|
| U\'、;:; ..: ,イ ''-,,
ヽ、  ̄ ̄υヽ ヽ、
/ ヽ ヽ
/ ヽ |
| ヽ / ,,..,,_
,. -''"´ `゙''-、
,." `ヽ
l l
l__ 、、、_ } { _、、、 __.l
{l〈 ヽ., --)-(-=- _ノ 〉!}
ヾ|  ̄ノ  ̄ |シ
l (、{,___,},.) l
l\ `ニ´ /:l
ヽ / ー \ /
\ /
_ノ '-====-'ヽ
/ r⌒)==i|||, ( (
./ / / ._|i||__,)_ ) ,__
ヽ、__,/. .{ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄::::::}
i .ヽ @@@@ ::::::ノ
‐―‐―┴―‐ ヽ、,,,,,,,,,,,,,,;;;;;;;/ ―――
└──┘
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトのほうが面白いんじゃ
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── ' 2005年(主日A年) 10月23日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5〜10 マタ 22:34〜40
寡婦や孤児と並んで寄留者を同胞と同じように愛せよという律法の命令には、「あなた達もエジプトの国で寄留者であった」(申 10:19)、
「あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない」(申 5:15)という理由が付いていました。
彼ら寡婦や孤児が贖われた民に属しており、あるいはその民の中に生活しているということが前提とされていたのです。
「あなたの神である主を愛しなさい」 「隣人を自分のように愛しなさい」 という聖句の前提になっているものは、「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」(使 20:28)であることを、現代のキリスト者は再発見しなければなりません。
「御言葉」(Iテサ v.6) 「主の言葉」(Iテサ v.8) とは、使徒パウロが 「私たちの福音」(Iテサ v.5) と言っているもののことです。
この福音が 「力と、聖霊と、強い確信とによって」(Iテサ v.5)テサロニケの町に伝えられて行ったとき、これを受け入れた人々は
「偶像から離れて神に立ち帰り、 ・・・・・ (来るべき怒りから私たちを救ってくださる)御子が天から来られるのを待ち望むようになった」(Iテサ vv.9-10)と書かれています。 (つづき)
聖書を自ら読もうとしない多くの人々は、それが永遠の真理である格言や理念を集めた教訓集であるという先入観に陥っています。
そのような人々にとっては、「御言葉」(Iテサ v.6) 「主の言葉」(Iテサ v.8) とは単なる普遍的な “教えの集成” のように思えるに違いありません。
しかし、「信仰の創始者また完成者であるイエス」(ヘブ 12:2)は、再び私たちが福音を聞き、神の国の相続人である教会、すなわち “キリストの体” を造り上げる(エフェ 4:12)生きた石(Iペト 2:5)となるために、
聖書を通し、感謝の祭儀を通して、今朝も語っておられるのです。
聞いている耳は幸いです(マタ 13:16)。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
老クリスチャン 降臨
.' : : :/ : /: : : : : : / v : : : : l : |斗-: : ヽ: : : : ヘ
┏┓ ┏━━┓ |: : :/ : /| : : :― x ∨: : :∧ | ∨: : :ハ: : : : :ハ. ┏━┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ |: :/ : /: | : : : : / ` |: : :/ j/- ∨: : :l: : : : : :| ┃ ┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━━r┴、/:ヽ| : : : / |: :/ 示旡アV : :|: :|ヽ: : |━━━┓┃ ┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┃ | | : :│: : /|. | / ト::爿/ ハ: :|: :| ',: :| ┃┃ ┃
┗┓┏┛┗┛┃┃┗━━━'vーく ,x┤: / :|三≧x j/ 込;リ { : | ∧ | ∨━━━┛┗━┛
┃┃ ┃┃ / ヽ. | /: :│ ,/ ' .:・} : |/ i/ ┏━┓
┗┛ ┗┛. | /⌒}:Y : :ヘ:.:.:. ー'ーr' /: : |. ┗━┛
{ /´}_ム: : :≧r 、 .. _ ー ' .. </: : : |
737 :老クリスチャン:2017/10/26(木) 18:57:02.28 ID:GcHaAzJx
>>732 聖職者によって解釈が極端に違うということのないカトリック ・ ・ ・
>>733 神父さんによって説教の中身が180°違うなんてのは日常茶飯事だよ。
どちらの書き込みが実際の体験に基づいた発言であるか、皆さん見分けられますか?
>>733 (カトリックでは)実際に各自がどう考えるかは自由だし、実際に考え方の幅はものすごく広い。
自由なのではなくて、大多数の司祭も、そして殆どの信徒も、カトリック教会の公式な教え(受け継いで来た信仰の遺産)に無知なだけです。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1501848606/737 どちらの書き込みが実際の体験に基づいた発言であるか、
皆さん見分けられますか?
l__ 、、、_ } { _、、、 __.l
{l〈 ヽ., --)-(-=- _ノ 〉!}
ヾ|  ̄ノ  ̄ |シ
l (、{,___,},.) l >>350
>> 733 (カトリックでは)実際に各自がどう考えるかは自由だし、実際に考え方の幅はものすごく広い。
,.r‐く: : : : -二ニニー_‐-=__ ',
l /l |ヽヽ、 .,,,,,,,,,,,,,、`老''ーミ l
l /7ノ `ヾ、_二ニ二、 ,,, ,'
___',ゝ1ィ , ,' -tッ.、 `i .,.......'ミ;l、___∧,、 ____________
 ̄ ̄>- ,' -l ‐ _ , ' ,'γ-t=、,' ヽ  ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-┬ 'l l ゝ- ‐.ァ '´ i, `''`:. /
l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 自由なのではなくて、
l ',', ,' , ´`ー-'! c, '
l ',ヽ ! 'ゝ-===、 / 大多数の司祭も、そして殆どの信徒も、
l ', \ ``ーァ゛/
l ヽ \ `゙ ´/ カトリック教会の公式な教え(受け継いで来た信仰の遺産)に
l ヽ、 >‐---イ
無知なだけです。
>>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトを見れば、すべて解決じゃての
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── '
2008年(主日A年) 10月26日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5〜10 マタ 22:34〜40
使徒パウロはテサロニケの町で、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」 と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」 と、福音を語りました(使 17:3)。
そして、「力と、聖霊と、強い確信とによって」(Iテサ v.5)御言葉を受け入れたテサロニケの信者たちは、「偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり」(Iテサ v.9)、更にまた、御子の再臨を待ち望むようになりました(Iテサ v.10)。
この 「わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたイエス」(ロマ 4:25)を信じる信仰によって、
テサロニケの信者たちは生活し、同じ信仰に生きる仲間たちへの愛のために労苦し、キリスト再臨への希望を持って忍耐していました(Iテサ vv.3,8)。
このような人々の間で、 “神を愛し、隣人を愛する” ということが、どのような意味で理解されていたかを私たちは聖書から学ばなければなりません。 (つづき)
聖書を読んだことも学んだこともない人たちが口にする、ただの道徳訓としての “敬神愛人” が、キリスト教文化の標語のように思われて、既に久しい時が経ちました。
そして多くのキリスト教信者も、実際それに何の違和感も抱いていないように見えるのです。
しかし、「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか」(エフェ 1:18)を悟ることなしに、
原始教会の人々が抱いていた “神を愛し、隣人を愛する” という信仰と倫理を、私たちが共有することは出来ないのです。
神を愛し、隣人を愛しているテサロニケの信者たちへの、使徒パウロの激励の言葉は次のようなものでした。
「そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。」(Iテサ 3:13)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>354-355
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ カトリック教会のミサで、後半の感謝の典礼で主の祈りを唱和した後に、司祭が 「教会に平和を願う祈り」 を唱えると、会衆はこれに 「アーメン」 と応えます。
この祈りの中に、「わたしたちの罪ではなく教会の信仰を顧み ・ ・ 」 という言葉があります。
「信仰」 について議論している皆さんの中で、この 「教会の信仰」 を自覚的に理解している人は少ないのではないでしょうか。
私の WebSite にある下記の小論をご紹介します。 ぜひご参照ください。
http://www.kuwaei2000.com/2ch.html
→ 信仰宣言とカテキズム >>357 >>354-355 >>347-348 >>336-337 >>327
老クリスチャン 降臨
, -ァ \
∠/ / -──‐‐ヽ ヽ 〉/}__
/ / ム. -───‐-ヽ Viイム7
┏┓ ┏━━┓ / / / f !__i l. | L__|_. l K.|〈// . ┏┓┏┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ レ1 /l. | lイ±リl| iトlム仕ミ| ト_j|| . ┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏||| ゝ1!())Vレ:.(()}| |トーソ━━┓┃┃┃┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┃ゝ! | ',: ̄ ..::,:.  ̄ / | |ヽ\. ┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┗┛┃┃┗━ | ヽ:::::::t_ァ .:/ i | ト、ヽ ヽ」.━┛┗┛┗┛
┃┃ ┃┃ |.l! | | 丶、::_:// //イ ヽヽ」 ┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ |ハ ゝト、トゞ |:::/ /≦.ト、iハ_j ┗┛┗┛ ,.r‐く: : : : -二ニニー_‐-=__ ',
l /l |ヽヽ、 .,,,,,,,,,,,,,、`老''ーミ l
l /7ノ `ヾ、_二ニ二、 ,,, ,'
___',ゝ1ィ , ,' -tッ.、 `i .,.......'ミ;l、___∧,、 ____________
 ̄ ̄>- ,' -l ‐ _ , ' ,'γ-t=、,' ヽ  ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-┬ 'l l ゝ- ‐.ァ '´ i, `''`:. /
l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
l ',', ,' , ´`ー-'! c, '
l ',ヽ ! 'ゝ-===、 / (マタ v.40)
l ', \ ``ーァ゛/
l ヽ \ `゙ ´/
l ヽ、 >‐---イ 2014年(主日A年) 10月26日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5c〜10 マタ 22:34〜40
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」(マタ v.36)
日本語の翻訳聖書が一貫して、旧約聖書のトーラーおよび新約聖書のνόμοςを “律法” と翻訳して、世間における各種の法律一般から区別しようとして来たことに注目しましょう。
と言うのは、残念なことに殆どのキリスト信者が旧約聖書における律法についても、新約聖書が述べている新しい掟(Ἐντολή)やキリストの律法(νόμος)についても、その独自の意味を知らないでいるからです。
しばしば誤解されて来たように、それは一般社会における正義や道徳の規範とは次元の異なるものであります。
ですからこれをそのまま世界に通用する法律のように考えたり、場合によってはこの世の法律に対抗するより高度な指針であると解釈するのは、聖書そのものの本来の主張ではないのです。
旧約聖書におけるトーラーとは、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出 20:2)、「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である」(申 7:6)という前提に立ってイスラエルの民に与えられたものでありました。
ですからこの前提を知らないで、あるいはこの前提から切り離して、いわゆる一般論として 「どの掟が最も重要でしょうか」 と尋ねるのは、見当外れなことなのです。 (つづき)
同様に教会はキリストの血によって贖われ、罪を赦された者たちの共同体であって、そのような神の国の相続者である新しいイスラエルのために、「互いに愛し合いなさい」 という “新しい掟”(ヨハ 13:34)が与えられているのです。
ところがこの前提を無視して、聖書を一般教養書のように自らも読み、他人にも “良いことがたくさん書いてある本” として推薦している中に、いつの間にか現代の教会は “信仰” という骨格を失ったただの文化団体のようなものに形骸化してしまいました。
“神である主を愛し、隣人を愛する” ということが、私たちが主日毎にささげるミサの体験そのものでないとしたら、それは私たち一人一人がクリスチャンであるとは名ばかりで、“ただの人” “肉の人”(Iコリ 3:3)に過ぎないということです。
福音書というものの成立の背景が、初代教会のカテケージスであって、「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい」(Iペト 2:5)という奨めのために編集されたということを理解しましょう。
主が私たち信者一人一人を憐れんで、“キリストの体を造り上げていく”(エフェ 4:12)情熱を、もう一度与えてくださいますように。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>360-361 >>357 >>354-355 >>347-348 >>336-337
老クリスチャン 降臨
┏┓ ┏━━┓┏━┓┏┓┏━━┓┏━━┓ }: :/}イ: : /_」∠i/ ∨_}、:.:.:. : : i:. : : : :!:.:.:.{`〈 }: :\\ ┏┓┏┓┏┓
┏┛┗┓┗━┓┃┗━┛┃┃┃┏┓┃┃┏┓┃ W: : !: ::{ ,ィ=ミ、 ` ヽ{`\ : : :i::. : : :.|:.:.:ハ \: : :\:┃┃┃┃┃┃
┗┓┏┛ ┃┃┏━┓┃┃┃┗┛┃┗┛┃┃┏i|: : : }: :ハ fトィ} ィ=ミ、: !:.:. : :|/ ━\ノ: :}: : ::┃┃┃┃┃┃
┏┛┗┓┏┓┃┃┗━┛┃┃┃┏┓┃ ┃┃┃|i: : : :ヽ{ }. ゞり }トtィ} 〉}:.:. : : :!' }: : ハ:.:.┃┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛┃ ┏┛┃┗┛┃┃ ┃┃┗|:i : : : : ト{//// ' ゞ-' .|:.:.: : : i ━━ //┛}:. ┗┛┗┛┗┛
┃┃ ┗┓┏┛┏━┛┏┛ ┃┃ ┏┛┃ |:i : : : : ! ヽ マ⌒, ////r_!:.:. : : :| /′ /: :.┏┓┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ ┗━━┛ ┗┛ ┗━┛ |ハ: : : : | > 、 `´_ ,. r< ,イ:.:.:. :.i | /:./┗┛┗┛┗┛ > >>360-361 >>357 >>354-355 >>347-348 >>336-337
,.r‐く: : : : -二ニニー_‐-=__ ',
l /l |ヽヽ、 .,,,,,,,,,,,,,、`老''ーミ l
l /7ノ `ヾ、_二ニ二、 ,,, ,'
___',ゝ1ィ , ,' -tッ.、 `i .,.......'ミ;l、___∧,、 ____________
 ̄ ̄>- ,' -l ‐ _ , ' ,'γ-t=、,' ヽ  ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-┬ 'l l ゝ- ‐.ァ '´ i, `''`:. /
l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 「安心しなさい。 わたしだ。 恐れることはない。」
l ',', ,' , ´`ー-'! c, '
l ',ヽ ! 'ゝ-===、 /
l ', \ ``ーァ゛/
l ヽ \ `゙ ´/
l ヽ、 >‐---イ マタイによる福音書 14章 27節 \ / \ /
X / ̄ ̄ ̄\ X
/ ∩ / _ノ ヽ、 \ / ∩
/ ( ⊂) | ( ●)(● ) | / ( ⊂) ____
| |.| (__人__) | | |. /⌒ ⌒\
トニィ'| `⌒´ | トニィ' /( ●) (● ) \
| | } | / :::⌒(__人__)⌒::::: \
\ ヽ } \ | |r┬-| |
\ ヽ ノ \\_ `ー'´ _/
ン ゝ ''''''/>ー、_ ン ゝ ''''''/>ー、_
/ イ( / / \ / イ( / / \
/ | Y | / 入 \ / | Y | / 入 \
( | :、 | / / ヽ、 l ( | :、 | / / ヽ、 l
j | : | / ィ | | j | : | / ィ | |
_/ 7_,/ 7 ./ ̄ ̄ ̄ / / ̄ ̄///// __/ ̄/ ._ノ ̄/ ./ ̄/
/_ ___ __/ / ./二/ / /  ̄ ̄ ̄ / /  ̄ ̄ ̄ / /___.  ̄/ / ̄ / / ゙ー-;
./__/_/ / /__,--, / . ̄_7 / ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ____/ /  ̄/ / ./ /ー--'゙
/__.ノ. /___ノ /__ノ /__,,.ノ /__/ ./_/
老クリスチャン 降臨 __ __
/ ̄ ̄ ̄ / ./'''7'''7////
 ̄ / / _ノ ̄/ /  ̄ ̄ ̄ / / /i | /  ̄ ̄ ̄ /
_ ノ / /__ /  ̄ ̄ ̄ ̄ _ノ / i i__  ̄ ̄ ̄ ̄
/____,./ /__/ /__,/ ゝ、__|
>>360-361 >>357 >>354-355 >>347-348 >>336-337 >>360
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
/ ::::::::::: )
i ::::::::: _)
!:::::::::: /| | 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
(|::::::::::::::: ∩! ,ヽ
\::::::::::::: ,/ | ー ノ
/ :::::::::::::::: | i j  ̄ ̄ ̄|
| ::::::::::::: ゝ__/____i
| :::::::::: / /
(__(__ ヽ⌒⌒⌒ヽ
/ ,_/ __ノ /
`ー' `ー' / はい、はい、・・・ そうですか、 はい >>360-361 >>357 >>354-355 >>347-348 >>336-337
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトを見れば、すべて解決じゃての
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── ' 2002年(主日A年) 11月3日 年間第31主日
マラ 1:14〜2:10 Iテサ 2:7〜13 マタ 23:1〜12
使徒パウロはテサロニケの教会の人々が、彼の伝えたキリストの福音を神のことばとして受け入れたことを、大いに感謝しました。
福音は力と聖霊と強い確信とによって(Iテサ 1:5)、テサロニケの信徒たちの中に働いていました(Iテサ v.13)。
彼らは偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになった(Iテサ 1:9)ばかりでなく、更にまた、御子キリストが終末の日に天から来られるのを待ち望むようになりました(Iテサ 1:10)。
「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。
御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」(Iテサ vv.11-12)
私たち教会は、この使徒たちが伝えた福音を再び聞くこと、受け入れること(Iテサ v.13)、これを信仰生活のよりどころとすること(Iコリ 15:1)を今朝呼びかけられています。
しかしこのことは、福音を語る者にとっても聞く者にとっても、共に 「激しい苦闘の中で」(Iテサ 2:2)なされねばならないことを歴史は教えています。
そして歴史は私たちにとって、現在を写す鏡の役割りを果たします。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>368
老クリスチャン 降臨 .{ / , , ヽ ヽ \/
./ 〃 li l } l ヽ ヽ
.〃 li l い _ _ l j l li い
┏┓ ┏━━┓ .{{__{{_{_,.ヒ´___トノ、!__}}__ }_} ┏┓┏┓┏┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ .//l | ,ィ'てミ ,ィ'てト、| l l ┃┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━━// il ! ヽいリ いリ ' | い━━━━━┓┃┃┃┃┃┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┃ .// リ ム `´ 、 `´ ム ヽ ヽ. ┃┃┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┗┛┃┃┗━━// / ム.厶 ,rv─‐v、 んハ ヽ.\.━━━┛┗┛┗┛┗┛
┃┃ ┃┃ ..// / /,ノ 7-ュヽ.{ }.ィチく \い. \ \. ┏┓┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ ..// / / { { / 〉、`7エT´/ \ ヽ ト、ヽ \ ┗┛┗┛┗┛
// / / ハ ' ' / j l 〈 ヽ / \ \ ヽ >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
__
/ヽ /\ キリッ
/ (ー −)\
( (_人_) )
ノ `-' ヽ
(_つ _つ >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
i / ⌒ ⌒ ヽ )
!゙ (・ )` ´( ・) i/
| (__人_) |
\ `ー' /
/ ヽ
439 :老クリスチャン:2017/10/31(火) 19:31:13.12 ID:BvFcdkE+
【福音の学び @】
キリストを伝える使命を受けた者(教導職と信徒のすべて)は、先ず、「キリストを知ることのすばらしさ」 を求めなければなりません。
「キリストを得、キリストの内にいる者」 となるため、「すべてを塵あくたと見なし」、
「キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達し」(フィリ 3:8-11)なければなりません。
キリストの愛に燃える知識から、「キリストを告げ知らせ」(Iコリ 1:23)、「福音を告げ」(Iコリ 9:16)、他の人々をキリスト・イエスへの信仰に導きたいという願望が生じるのです。
同時に、この信仰をますますよく知る必要を感じます。
(カトリック教会のカテキズム 428,429 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/439
455 :老クリスチャン:2017/11/01(水) 16:51:15.97 ID:401J3wYn
【福音の学び @ への解説】
カトリック教会のカテキズム 426-429 は、その表題に 「カテケージスの中心はキリストである」 と掲げています。
私のささやかな体験によれば、普通のクリスチャンの多くはただ観念的に、信仰による救いか?それとも行いによる救いか?、あるいは行いを伴う信仰によって救われるというのが正しいのか?と、言い争ってきたように見えます。
しかし、“ではあなたは現在、何によって救われているのですか” ・ ・ と真正面から問われると、実はみなさんあまり自分のことについては本気で考えていなくて、びっくりするか、あるいは怒りだしたりするのです。
あなたは本当に救われていますか?と問われて不安になる人もいます。 かと思えば、カトリック教会で洗礼と
堅信の秘跡を受けた信徒に、あなたは救われていますかとは失敬な物言いだと反撃する人もいます。
いちばん大切なことは、ここで取り上げている 「信仰」 とは、イエス・キリストへの信仰であるということです。
それはイエス・キリストの受肉と死、復活、召天という歴史上の出来事を通して、父なる神が現された啓示(救いの出来事/福音)への信仰です。
カテケージスの目的は、このキリストにおける啓示(キリストの福音)を理解し、信じて 「死者の中からの復活に達する」 ことができるように、信徒を教育することです。
そんなに難しいことは理解しなくても、ただイエス様を拝んでいれば、神は愛であるから、結局はみんな救っていただける ・ ・ というのは、「教会が公に言い表している信仰」(ヘブ 4:14)とは全く相容れないもの、「塵あくた」(フィリ 3:8)に過ぎません。
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/455 | ____ / 老 :::::::::::::::\
| | /━━ ━━ :::::::::::::::| いいかな?
| | |‐=*ニ,> <,ニ*=‐ ::::::::::::::|
| | | (__人__丿
440 :老クリスチャン:2017/10/31(火) 19:32:36.02 ID:BvFcdkE+
【福音の学び A】
神はイエスのうちに人間を救われる救済史全体を集約なさいました。
イエスの名はキリスト者の祈りの中心的な役割を果たしています。
あらゆる典礼上の祈りは、「わたしたちの主イエス・キリストによって」 ということばで結ばれます。
アヴェ・マリアの祈りは、「ご胎内の御子イエスも祝福されています」 のことばが頂点になっています。
教会の初期に出来た様々な信条は、当初から、イエスに 「主」 という神の称号を与えています。
これは、父である神に固有の 「力と誉れと栄光」 がイエスのものであるという主張に他なりません(ロマ 9:5、テト 2:13、黙 5:13)。
(カトリック教会のカテキズム 430,435,449 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/440
470 :老クリスチャン:2017/11/02(木) 17:58:49.88 ID:cefL5Ysi
【福音の学び A への解説】
「イエスキリストは主である」(フィリ 2:11)というお題目を唱えるという以上に、この “主” という信仰宣言の言葉を信徒一人ひとりが体験的に理解し、表明することが大切です。
私たちは聖書から、そのような活き活きとした信仰を学ぶことが出来ます。
「 ・ ・ ・ すなわち、至るところでわたしたちの “主” イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。
イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの “主” であります。」(Iコリ 1:2)
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ロマ 4:25)
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの “主” イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 ・ ・ 神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(ロマ 5:1-2)
「わたしたちの本国は天にあります。 そこから “主” イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリ 3:20)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/470
481 :老クリスチャン:2017/11/03(金) 17:13:20.08 ID:Ioc5/lRE
【福音の学び B】
他に例を見ない 「神の御子の受肉」 という事実から導き出される唯一の結論は、イエス・キリストが真に神のままで、真に人となられたということです。
主は神のひとり子、・ ・ ・ まことの神よりのまことの神、・ ・ ・ おとめマリアよりからだを受け、人となられました。(ニケア・コンスタンチノープル信条)
教会は最初の数世紀の間、この信仰の真理を歪めた異端に対してこれを擁護し、その内容を明確にしなければなりませんでした。
信条がキリストの生涯に関して述べているのは、ただ受肉(受胎と誕生)と過越の神秘(受難、十字架刑、死、埋葬、死者のもとに下ったこと、復活、昇天)についてです。
しかし、イエスの受肉と過越に関する信仰箇条は、キリストの地上の生活のすべてを解明します。
「イエスが行い、また教え始めてから、・ ・ ・ 天に上げられた日までのすべてのこと」(使 1:1-2)は、降誕と過越との神秘に照らして見なければなりません。
(カトリック教会のカテキズム 464,512 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/481
482 :老クリスチャン:2017/11/03(金) 17:14:06.02 ID:Ioc5/lRE
【福音の学び B への解説】
教会の信仰は、イエス・キリストの受肉と死、復活、召天という歴史上の出来事に基礎をおいています。
この歴史から切り離して抽象的に “信仰というもの” を考える人にとっては、“救い” もただの心の中だけ(気分だけ)のものになってしまいます。
世の中にはキリストが神の子であることが信じられない、復活も召天も、そしてキリストの再臨と来たるべき神の国の約束も幻想であると思っている人々がいます。
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」(Iコリ 15:17)
「(神は)罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。」(ロマ 8:3)
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。」(ガラ 3:13)
「わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。」(主の祈り/副文)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/482 > >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトを見れば、すべて解決じゃての
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── '
,,..,,_
, -''"´ `゙''-、 ,, -‐ 、
,." `ヽ /' ヽ
l 老 l / i
l__ 、、、_ } { _、、、 __ l/ ...........i ハッハッハッハッ
{l〈 ヽ., --)-(-=-_ノ / ..:::::::::::::::|
ヾ|  ̄ノ  ̄ / ..::::::::::::::::::l まだまだ終わらんよ!
l (、{,___,},.) / ..::::::::::::::::::::!
l \ `ニ´ / .::::::::::::::::::::/
ヽ / ー \/ .:::::::::::::::::::/
\ / .:::::::::::::::::::/
. ‐'"´ `'‐,r''"~ .:::::::::::::::::/
/,. -‐‐- 、 l′ ..:::::::::::::/|
:,' / !.:::::::/:i..:..l
r 、 / !::::::::::: i..:..i
l .......`:i i !:::::::::: ゙、:.i
! ::::::::::/ i i:::::::::: ヽ:i
.! ::::::::/ i .....i::::::::::: ヽ
.ヽ ::::::| `、 `、 .....::::::::::::l:::::::::::: `,
/ \:::l. `、 ヽ::::::::::::::::::::l::::::::::: /'''ー─----、
`ヽ `、 .::::\:::::::::::::::|::::::::: /,, ,. ‐;''""
老クリスチャンが来るおまじない
_ _∩
( ゚∀゚)彡
⊂l⌒⊂彡
(_) ) ☆
(((_)☆ 2011年(主日A年) 10月30日 年間第31主日
マラ 1:14b〜2:2b,8-10 Iテサ 2:7〜13 マタ 23:1〜12
「わたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。」(マラ v.14)
かつて宗教改革時代にルターが “万人祭司” を強調したために、これがまるでプロテスタントの主張ででもあるかのように誤解されて来ました。
しかし、先に述べたように教会憲章は、これを “信徒の共通司祭職” という言葉で再確認しました(Iペト 2:9、黙 1:6 参照)。
「祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。 彼こそ万軍の主の使者である」(マラ 2:7)という栄誉が、自覚と教養のある信者にも与えられる可能性があるのに、
実際にはしばしば教会で奉仕する無自覚な信者が 「教えによって多くの人をつまずかせ、レビとの契約を破棄してしまった」(マラ v.8)のを、私たちは見て来ました。
すべての司祭が、必ずしも知的なレベルや学識において信徒に勝っている訳ではないので、信徒や奉仕者のそのような逸脱を適切に処理出来ないでいることを、決して非難してはなりません。
彼らは学問や知識に特に優れているから司祭になったのではなくて、イエス・キリストによって小羊の牧者となるために召されたから司祭になったのです。
叙階の秘跡はその人に “消えない霊印” を与えたのです(カトリック教会のカテキズム p.481)。
高ぶるのではなくてへりくだり、しかも自ら熱心に “使徒的伝承” を学ぶ “神に仕える祭司”(黙 1:6)として、主が私たち信者一人一人を育ててくださいますように。
どうか間違った人間的熱心によって、自分が教会の “困った君” になることから、主が私たちを守ってくださいますように。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>383
/: : : : :|: : : :.ト: : : : : : \:\:ヽ
/: : : : :|: : !:/:ハ| \: : | : : :\:ヽ:|
老クリスチャン /:|: : : : :|:.ハ/:/: :| \!: : : : : \!
/イ:|: : |:_/|:|ノハ: :| / ヽ: : : i: : |
降臨 {:ハ:|: : |:/_孑≧ ヘ:! ,イう示ヽ\:|_:.ヽ
|:|: :ハ!〈 うオ 弋ソノ f トリ
|ハ: :|∧ 弋ソ 、 //// /ノ/
┏┓ ┏━━┓ ヾ:ト ヘ/// _ , '< ┏┓┏┓┏┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ <ヘ f/ ̄ | /:7:.ト > ┃┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━━━━━━ ./:/ `>ゝ - 'イ ‐'´|: | . ━━━━━┓ ┃┃┃┃┃┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┃ _/:/_/∧i  ̄ ト 、 |: | .┃ ┃┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┗┛┃┃┗━━━━━ .∧ー―| ヘ\ /| ヘミミト 、━━━━┛ ┗┛┗┛┗┛
┃┃ ┃┃ / i | ∨|Y 「T| i ∧ ┏┓┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ ...∠⌒つ / | | \/ └┘| / i .┗┛┗┛┗┛
/ /⌒>、 / |ー―Lwww》=《wwN く |
| / / / 7 ! / <イ∧ ト> ヽ {
L / ∧ _ //_ |d:| -‐ } ヘ
7> _∧ / } '´ {:! | || / ヘ
|:.:.| / ヘ / | } | ∧ ヽ、 >>383 >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323 >>316-317
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> <
> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
> <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
、 、 、 、 、
/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
/ / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧
\\( )\\( )\\( )\\( )\\( )
>>383 >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトに来てくれんかのう
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── '
486 :老クリスチャン:2017/11/04(土) 17:56:19.08 ID:vh3YDHJE
【福音の学び C】
「公現」(マタ 2:1-12)は、イエスがイスラエルのメシア、神の御子、世の救い主であることを表すものです。
周辺の異教徒たちを代表する 「占星術の学者たち」 は、ユダヤ人の王を拝むためにやって来ました。
この訪問は、異教徒がユダヤ人に目を向け、彼らから旧約聖書に記されたメシアについての約束を受け入れない限り、イエスを見出し、彼を神の御子、世の救い主として礼拝できないことを示しています。
「公現」 は、数多くの異教徒が信仰によりアブラハムの子孫となり(ガラ 3:26-29)、約束された栄光にあずかる(ロマ 4:13〜5:2)ことを表しているのです。
キリストの福音によって、「秘められた計画」 が啓示されました(ロマ 16:25)。 それは、異邦人が福音によってイエス・キリストにおいて、約束の神の国をユダヤ人と一緒に受け継ぐ者になるということです(エフェ 3:6 参照)。
(カトリック教会のカテキズム 528 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/486
487 :老クリスチャン:2017/11/04(土) 17:57:08.14 ID:vh3YDHJE
【福音の学び C への解説】
すでにかなり早い時期から、西欧キリスト教世界では、自分たちキリスト者が “異邦人” であるという自覚を失って、教会こそが福音の真理と恩恵を全世界に分け与える聖なる民であると、思い上がるようになりました。
そして、教会は自らが異邦人であることを見失った代償として、イスラエルに約束されていた神の国を受け継ぐという “秘められた計画” を理解出来なくなりました。
私たち教会は、「福音によって ・ ・ (神の国を)ユダヤ人と 一緒に受け継ぐ」 のだという、エフェ 3:3-6 のテキストを理解するためには、もう一度自らが異邦人であること、与える側ではなくて受ける側にあるということを思い起こさなければなりません。
それが聖書の語っている “秘められた計画” なのです。
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/487 >>383 >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトのほうが面白いんじゃ
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── ' >>383 >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323
\ │ /
,r y ⌒ヽ / ̄\
⌒Y ⌒ )、 ─( ゚ ∀ ゚ )─
Y⌒ヽ \_/
、___冫: : : : : : :-''" / │ \
ノ ^ ー- ''
494 :老クリスチャン:2017/11/06(月) 16:43:03.39 ID:9swVoahZ
【福音の学び D】
イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられました。
イエスはご自分の洗礼において、その死と復活とを先取りされました。
キリスト者は洗礼の秘跡によって、このイエスに結ばれます。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死に与る者となります。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです(ロマ 6:1-11)。
(カトリック教会のカテキズム 535-537 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/494
495 :老クリスチャン:2017/11/06(月) 16:45:24.95 ID:9swVoahZ
【福音の学び D への解説】
罪のない神の子が、なぜヨハネから “罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼” を受けたのかは、原始教会においても論争されたようです。
一方には、イエスは神の子であるから罪を犯していない(はずだ)という主張がありました(ヘブ 4:15、Iペト 2:22以下)。
他方には、「自らその身にわたしたちの罪を担ってくださった」(Iペト 2:24)ことが、決して単なるお芝居ではなかったという、真剣な主張がありました。
それが、「御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り ・ ・ 」(ロマ 8:3)、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって ・ ・ 」(ガラ 3:13)などという弁明です。
「イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった ・ ・ ・ 神はこのイエスを復活させられた」(使 2:24,32)という証言は、
「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れた」(Iヨハ 3:8)などと共に逆説的に、「陰府に下り」 という使徒信条の用語の背景をなしているように思われます。
2chで以前に(かなり不真面目に)非難されていた “十字架蛇説?” も、新約聖書そのものに起源があるのです。
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/495 >>383 >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323
,<¨ \ ≡≡≡==--
ww \ ゝ ≡≡≡==--
_,._リ^ヮ^ ノル ≡≡≡==--
,ィ゙・ ic | ≡≡≡==--
~゙j ,,`ニ=U、,__ ≡≡≡==--
i (','_'_'_',,ソヲヶ ≡≡≡==--
`ー,ッ-t,r‐'゙´ ≡≡≡==--
ポポー
501 :老クリスチャン:2017/11/07(火) 11:28:05.45 ID:By5fRH7B
【福音の学び E】
十字架の死と復活というキリストの過越の神秘は、原始教会以来代々に亘って歴史の教会が世界に告げ知らせて来た「福音」 の核心を成しています。
「(キリストは)御自身の血によって、ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブ 9:12)
神の救いの計画は、キリストの献げられたこの唯一の献げ物によって、実現されました(ヘブ 10:12-14,18 参照)。
「わたしたちの過越キリストは、世の罪を取り除かれたまことのいけにえの小羊、ご自分の死をもってわたしたちの死を打ち砕き、復活をもってわたしたちにいのちをお与えになりました。」(復活徹夜際と復活節中の叙唱)
(カトリック教会のカテキズム 571 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/501
502 :老クリスチャン:2017/11/07(火) 11:29:25.75 ID:By5fRH7B
【福音の学び E への解説】
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、 ・ ・ ・ キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと ・ ・ 」(Iコリ 15:3-4)
「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。」(ロマ 1:2-4)
「キリストは ・ ・ ・ 御自身の血によって、ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブ 9:12)
「われわれの救い主は、渡される夜、最後の晩餐において、御からだと御血による聖体のいけにえを制定された。 それによって、十字架のいけにえを再臨のときまで世々に永続させ、 ・ ・ 教会に、御自分の死と復活の記念 ・ ・ を託された。」(典礼憲章 17)
「十字架上のいけにえと、ミサにおけるその秘跡的再現は、奉献のしかたを除けば同一のものである ・ ・ 」(ローマ・ミサ典礼書の総則/暫定版 2)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/502
504 :老クリスチャン:2017/11/07(火) 14:44:23.81 ID:By5fRH7B
>>503
あなたのような論理を主張する人も、たくさんいます。
自分が理解できる論理に対応しない聖書の記述を、拒否したり、そんなことを言っているはずはないと否定する人たちです。
立派な主張なのですが、それでは学問としては失格です。
新約聖書はその成立から言って、キリスト教信仰の原初的 “記録群” であって、出来上がった教義学教科書などでは全くありません。
その著者たちや集められた各種伝承の一つ一つが、皆同じことを述べているはずだと思い込んでしまうと、もはや歴史的批評的神学と対話することが出来なくなります。
現代の思考や論理に合致する(させることが出来る)部分だけを受け入れるのは、聖書に耳を傾けることではなくて、聖書を食材の一部として利用して現代流の創作料理を作るようなものです。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/503-504
538 :老クリスチャン:2017/11/07(火) 18:13:13.07 ID:By5fRH7B
>>505 整合性という角度でお聞きしました。 お時間がある時で、けっこうです。
2chではときどき、すごいジャブの応酬が繰り広げられますが、ほとんど議論が咬み合っているのを見たことがありません。
今日も、その虚しいジャブ応酬が ・ ・ ・ >>508 >>512 >>518 >>531 etc.
現代では牧師にせよ信徒にせよ、ある教派に所属しているからその教派の教義に拘束されるというようなことは、実際にはなくなったと思います。
そうではなくて個人が(信者であるなしに関係なく)、どこかで聞きかじっただけの(消化不良の)教義や聖書解釈に拘ってみたり、大真面目に反論したりしているだけです。
下記の書き込みで、「教会教義学の婢であった聖書神学に独立宣言を促した」 と、“近代聖書神学の由来” を表現したが、そのように2chのいろいろな論者の解釈や主張によっては学問としての聖書神学は縛られないのです。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1509622760/29
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/505- >>383 >>368 >>347-348 >>336-337 >>327 >>321-323
,<¨ \ ≡≡≡==--
ww \ ゝ ≡≡≡==--
_,._リ^ヮ^ ノル ≡≡≡==--
*老クリスチャン氏降臨*
なぜ姦淫してはならないのですか?
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1503953697/279
279 :老クリスチャン:2017/11/07(火) 11:53:42.41 ID:By5fRH7B
現代の日本語で 「姦淫」 という言葉を、みなさんは自分ではどう理解していらっしゃいますか?
聖書で同じ言葉が使われている場合にも、おそらく場所によって意味がかなり違います。
申命記5章の十戒の中で、18節の 「姦淫してはならない」 と 21節の 「あなたの隣人の妻を欲してはならない」 が区別されている理由を、考えてみたことはありますか?
老クリスチャン 生誕400年
┏━━┓┏┳┓ ┏┓ ┏┓ .┏┓ . ┏┳┓
┃┏┓┃┃┃┃ ┏┛┃┏┓ ┃┃ .┃┃ ..┃┃┃
┃┗┛┃┗┻┛┏┛┏┛┃┃ ┃┃┏━━━┓┃┗━┓┗┻┛
┃┏┓┃ .┗┫┃ ┃┃ ┃┃┗━━━┛┃┏━┛
┗┛┃┃ .┃┃ ┃┃ ┃┃ .┃┃
┗┛ . ┗┛ ┗┛ ┗┛ .┗┛
老クリスチャン
,.r‐く: : : : -二ニニー_‐-=__ ',
l /l |ヽヽ、 .,,,,,,,,,,,,,、`老''ーミ l
l /7ノ `ヾ、_二ニ二、 ,,, ,'
___',ゝ1ィ , ,' -tッ.、 `i .,.......'ミ;l、___∧,、 ____________
 ̄ ̄>- ,' -l ‐ _ , ' ,'γ-t=、,' ヽ  ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-┬ 'l l ゝ- ‐.ァ '´ i, `''`:. /
l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 「安心しなさい。 わたしだ。 恐れることはない。」
l ',', ,' , ´`ー-'! c, '
l ',ヽ ! 'ゝ-===、 /
l ', \ ``ーァ゛/
l ヽ \ `゙ ´/
l ヽ、 >‐---イ
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> <
> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
> <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
、 、 、 、 、
/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
/ / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧
\\( )\\( )\\( )\\( )\\( )
572 :老クリスチャン:2017/11/08(水) 10:15:59.92 ID:gVn5BHfq
【福音の学び F】
福音書の叙述に見られるように、イエスの裁判は歴史的には複雑な出来事でした。
事件の当事者たち個人個人の罪がどうであろうとも、イエスの死の責任をエルサレムのユダヤ人全体に帰すことは出来ません。
ましてや、「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタ 27:25)と全群衆が叫んだからといって、イエスの死の責任をあらゆる時代の、あらゆる場所のユダヤ人にまで及ぼすことは出来ません。
「教会は神の新しい民であるとはいえ、あたかも聖書から結論づけられるかのように、ユダヤ人は神から見捨てられた者としても呪われた者としても紹介されることがあってはならない。」(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言 4)
(カトリック教会のカテキズム 597 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/572
573 :老クリスチャン:2017/11/08(水) 10:16:43.33 ID:gVn5BHfq
【福音の学び F への解説】
新約聖書を文字通りに解釈するということに起因する近代の最大の悲劇に、反ユダヤ主義があります。
歴史の教会は、聖書に保存されている1世紀末あるいは2世紀初め頃の教会の反ユダヤ主義的偏見に、気づかずに汚染されてきたのです。
当時、既存のユダヤ教徒に抵抗するには未だ少数者であったキリスト者側は、彼らの初期の伝承を反ユダヤ主義的な色合いで語ることによって、結束しようとしました。
そして遂にヨハネ福音書で、それが頂点に達したのでした(ヨハ 8:44)。
現代の進歩した歴史的批評的研究を無視しては、今日の聖書解釈は最早成り立たないということを、教会の指導者や説教者、また教養ある信徒たちの多くは学ぶ必要があります。
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/573 2010年(主日C/A年) 11月7日 年間第32主日
IIマカ 7:1〜14 IIテサ 2:16〜3:5 ルカ 20:27〜38
ニケア・コンスタンチノープル信条で “死者の復活” と書かれている部分が、使徒信条では “からだの復活” となっています。
この用語法は、“肉の復活” ではないという神学的な主張に基づいているのです。
それは初代キリスト教の宣教を、ギリシア的・プラトン的な霊魂不滅信仰から区別する明確な表象なのです。
西欧人でも日本人でも、人は肉体的に死んでも、そのまま引き続き霊の世界で生きているという考えに馴染んで来ました。
墓の中でか、霊の世界でか、はたまた天国でか、その同じ人が生き続けているという理解です。
当然、復活と言うことがあるとすれば、それはその人の生涯の “続き” ないし “第二幕” であって、“七人ともその女を妻にした”(ルカ v.33)という過去を背負っているわけです。 それが “肉の復活” です。
「この世」(ルカ v.34)と 「次の世(来るべき世)」(ルカ v.35)との間には全き断絶があるのです。
それは “続き” でも “第二幕” でもありません。
「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」(21:27)というような表現も、この断絶の象徴以外の何ものでもありません。
“天上の体と地上の体”、“自然の命の体と霊の体”、“土からできた人と天に属する人” という使徒パウロの対比(Iコリ 15:35-49)の意味を理解する人だけが、“からだの復活” という用語の神学的主張を受け入れることが出来るようになるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>405 >>383 >>368 >>360-361 >>357 >>354-355 >>347-348
老クリスチャン 降臨 /: : //: : / : : /: :/: : : ノ: : |: : !ヽ: : ヽ ヽ ヽ
/: : : /: : /: :/: : /: : /: :i ∧: : :|: :ヽ! } /\ヽ
! i : : !: :/: :/: : /: : /ィ: : /: : ヽ: :!: : : ! Y_ ヽヽ
┏┓ ┏━━┓ ! i : : !: :/: :/: : /: : /ィ: : /: : ヽ: :!: : : ! Y_ ヽヽ ┏┓┏┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ .!: :| : : !/、_/_/ _ィ//: : /∧: : : : !: : : : } | `ヽ、 ヽ! ┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━━━ ! ハ: : |./> ̄/ ノ :入〈 !: : : : l: : : :! /!━━`ヽ! ━━┓┃┃┃┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┃ |〉、ヽ ! ゙ミミ三、 // `〈__! : : /: : : :イ: :!. ┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┗┛┃┃┗━━━━ | 「ヽ!`ゝ::: ミ、、_ 〉へ : : :ノ :|: :|━━━━━━┛┗┛┗┛
┃┃ ┃┃ | | ヽヽ :::: l ::: `゙゙=ミ/: :/:/ /: ! : ! ┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ | | ヽ \ !ーァ ::: /:// /: : |: :| ┗┛┗┛
! .\ \ `´ ,イ⌒ア^〉 /| : : !: :!
/| }-、,-、__}>r-ァ´ ̄ / / /: :! : : |: :!
/: ! >-、_ 7―、`/ ノ /: : :! : : ヽ:|
/ : : / /\ /==Y〈`-"⌒ヽ< / : : : |: : : : :ヽ
582 :老クリスチャン:2017/11/09(木) 11:28:00.61 ID:6TYo+oBk
【福音の学び G】
洗礼は、罪の赦しの第一の主要な秘跡です。
洗礼は私たちを、「わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたイエス」(ロマ 4:25)に結合させ、「わたしたちも新しい命に生きる」(ロマ 6:4)ようにするからです。
洗礼は、信仰の秘跡です。
しかし信仰は、信者共同体を必要とします。
一人ひとりの信者が信仰を持つことが出来るのは、教会の信仰があってのことです。
「カトリック儀式書/成人のキリスト教入信式」 では、その第一段階の入門式で、司式者は 「あなたは教会に何を求めますか」 と尋ね、求道者は 「信仰を求めます」 と答えることになっています。
そしてさらに、「信仰によって何が与えられますか」 「永遠のいのちが与えられます」 という問答が続きます。
(カトリック教会のカテキズム 977,1253,168 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/582
583 :老クリスチャン:2017/11/09(木) 11:29:21.03 ID:6TYo+oBk
【福音の学び G への解説】
一部のプロテスタントの教派の中に、人は信仰によって救われるのであって、洗礼は救いの前提ではないという主張をする人々がいます。
その根拠は、彼らの(いわば自己流の)聖書解釈にあります。
「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を知らせるためであり ・ ・ 」(Iコリ 1:17)
はっきり言って、これは屁理屈に過ぎませんが、専門的な知識のない信者が議論しても迷路に迷い込むだけですから、避けたほうがよいでしょう。
「キリスト教入信の秘跡である洗礼、堅信、聖体の三つの秘跡が、キリスト者の生活全体の土台となります。」(カテキズム 1212)
カトリック(あるいは正統的な)教会は、一貫してそのように教えてきました。
この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は(歴史の)教会にはありません。(Iコリ 11:16 参照)
キリスト教
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486274984/583 >>405 >>383 >>368 >>360-361 >>357 >>354-355 >>347-348
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトに来てくれんかのう
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── ' 2011年(主日A/B年) 11月6日 年間第32主日
知 6:12〜16 Iテサ 4:13〜18 マタ 25:1〜13
「真夜中に “花婿だ。 迎えに出なさい” と叫ぶ声がした。」(マタ v.6)
新約聖書で “到来” を意味するパルーシア(παρουσία)という言葉は、キリストが見える姿で世の終わりに来られる日を指して用いられています(Iテサ 2:19,3:13,4:15,5:23 参照)。
それは “イエス・キリストが現れるとき”(啓示=αποκάλυψις)のことで、その日には最終的にすべてが明らかになるでしょう(ロマ 2:16、Iコリ 13:12 参照)。
イエスはこの花婿の到来の譬え話で、御自分の再臨の日のことを教えておられます。
その日が来るまでは、十人のおとめたちは皆 “ともにミサをささげる信者たち” でありました。
教会で行われる行事にも参加して一緒に食事し、一緒に神父様の教えを受けたのです(ルカ 13:26)。
しかし、だれでも人は疲れれば “皆眠気がさして眠り込む”(マタ v.5)のです。
「目を覚ましていなさい」(マタ 24:42)とは信仰の事柄であって、肉体のことではありません。
極度の不眠の行を守り、極端な断食を重ねることで、天国への道を開く功績を獲得出来るというような修道院的修徳を、この譬え話から導き出すのは間違っています。
「そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。」(マタ v.7) (つづき)
そのとき、愚かな五人のおとめたちに明らかになったことは、彼女たちのともし火が消えそうになっているということでした。
まさか、キリストが世の終わりに来られるというパルーシア(παρουσία)を、彼女たちは全く予想していなかったのです。
それまではずっと、だれもかれもが皆同じように、善良なカトリック信者だったことを思うと、これはあまりにも悲惨な 「泣きわめいて歯ぎしりする」(ルカ 13:28)結末であるに違いありません。
しかし神は何も弁解なさらないのです。
「はっきり言っておく。 わたしはお前たちを知らない。」
私たちは今年も、教会が終末の日に心を向ける典礼暦の最後の三主日に至りました。
教会が公に言い表している信仰をしっかり保つ(ヘブ 4:14)ことの大切さを思い起こすことは、この期節の恵みです。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって(終わりの日の)神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」(ロマ 5:8-9)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より あたかも自分が敬虔なクリスチャンであると思い上がっている老クリさん
が現れていますね。
老クリさんが、人と喧嘩をしないのは、平和な心や相手を赦す心があっての
ことではなく、自分を「敬虔なクリスチャン」であったり「義人」を演じるため
に喧嘩をしないだけでしょ?ズレてるんだよなあ。
隠しているその手を見せてみろよ。
https://www.youtube.com/watch?v=OoXc0ZBXEx8 猜疑心が多いのが女性の宗教関係者だろうね。
神を信じるかは 主人を愛すことに他ならないから、まあ、義にたける男子も、
敬虔なクリスチャンもいいんだけど、たとえば中年
クリスチャンは 喧嘩をしないわけじゃなく、
戦争に忙しく、復讐心にたけていて、ズレてはいない。
老人は多かれ少なからずれるものだよ。世間からはな。尊敬されて。 >>412-413 >>405 >>383 >>368 >>360-361 >>357 >>354-355
老クリスチャン 降臨
`Y´ ./ / / / / / ! ! ! . ', *
* / ! / ヤT TTメ、 /| ! ! ! ',
_!_ |/ | / / z≠ニミx ! /!ヤTト、 ! | _人_
! __{|/| ! ./|〈 ト.んイ} / / ,=ミ | | ! | `Y´
_!_ ./ ii\∩|/ | Vこソ んr{ V! / /
┏┓ ┏━━┓ ! ; / /^V! | | ::::::`¨` Vリ 个! / /レ ┏┓┏┓
┏┛┗┓ ┃┏┓┃ / / 弋r| | , 、__ ’::`¨:: ! |く|/ ┃┃┃┃
┗┓┏┛ ┃┗┛┃┏━━./ /━━━ヽ!. | ! ア 人 ヽ━━━┓ ┃┃┃┃
┏┛┗┓ ┃┏┓┃┃ / / !. |>、 ヽ / , ィ ∧. ', ┃ ┃┃┃┃
┗┓┏┛ ┗┛┃┃┗━ / /━━━━━ ! | | \ _, イ ! ./ ! ! ━━┛ ┗┛┗┛
┃┃ ┃┃ / / __ '、 .|_| ` ´{ ___ |/ ! ! ┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ / /\/ 厶二二ミ斥V r彡⌒ー`つ_ ! !. ┗┛┗┛
/ / /\ !―――、 \\` ー、 /⊂二>ミつ 入| | >>412-413 >>405 >>383 >>368 >>360-361 >>357 >>354-355
_____
/ \
/ 老 ヽ
/ ヽ
│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトのほうが面白いんじゃ
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ |
f''| 丶__'_゚"ハ 丶"゚_'_,イ |T
ト| | |ノ
|:| (!___,! |:|
!:| __/_ _ヽ__ l:リ http://www.kuwaei2000.com
\  ̄ /
' ー── ' 2011年(主日A/B年) 11月6日 年間第32主日
知 6:12〜16 Iテサ 4:13〜18 マタ 25:1〜13
「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。」(Iテサ v.16)
キリストが世の終わりに来られるパルーシア(παρουσία)は、キリストの栄光が見える形で現れる日です(マタ 16:21,24:30)。
イエスも原始教会の使徒たちも、このことを語るときにはいつも、伝統的なユダヤ教の黙示文学的表現を用いました。
「わたしたちは ・・・・・ 救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。 神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いに与らせるように定められたのです。」(Iテサ 5:8-9)
しかし私たちは、福音によって語られたこのキリストの栄光を、今は土の器に納めているようにして持っています。
それはただ信仰によってだけ、主の方に向き直ることによってだけ悟ることが出来るものです(IIコリ 3:14-16,4:3-4,6-7)。
この期節に教会は悔い改めて、使徒パウロとともに宣言します。
「主イエスを復活させた神が、イエスとともにわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」(IIコリ 4:14)と。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>419 >>412-413 >>405 >>383 >>368 >>360-361 >>357
老クリスチャン 降臨
_.. - ,ニ-冖 ⌒ 冖-ニ - _
/ ノ´,. .‐.: : : ̄: :、:‐. 、`ヽ \
/ //: :./: : : : : : :l: : : :.\ヽ \
┏┓ ┏━━┓ < ヽ/: : : :/: : : : : : /: :.l: : :、: : :ヽ/ > ┏━┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ 丶、/: : : ::/: : : : ::::〃:/:.|:: : :.l: : : :.', / ┃ ┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━━━ l:l: :-:、l.: :::::::://://:∧:::._;l:-!: l:.|.━━━━━┓┃ ┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┃ ,l:l: : : ::|><__/ ' / '_,. へ:.|: l: :|::!l. ┃┃ ┃
┗┓┏┛┗┛┃┃┗━━━ l:.|:|: : : ::lz=ュ ′ z=ュ.リ:://:.| ━━━━┛┗━┛
┃┃ ┃┃ l: :Nヽ: : :ヽ ' /:://: : :.l ┏━┓
┗┛ ┗┛ l: : /il ヽ、ヽヽ /二ヽ / '// ̄`ヽ ┗━┛
l: / il li、`` | | /' li:. ヽ
l:/ il li `丶、ヽ-- ,' ィ .il li::. ヽ
,/ il.※.li ,.ィ`不ヽ、 il.※.li::::::.. ヽ >>419 >>412-413 >>405 >>383 >>368 >>360-361 >>357
∧_,,∧ 老栗 チャッチャッチャッ♪
. /\. (`・ω・´) /ヽ
| 老 ⊂ ⊃ 老 | 老栗 チャッチャッチャッ♪
ヽ/ / く \ /
(ノ⌒ヽ)
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> <
> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
> <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
、 、 、 、 、
/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
/ / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧
\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) >>419
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ 【信仰の話 -1-】
キリスト教のお話しをします。
キリスト教を伝えようとしたり、あるいはキリスト教を学ぼうとするとき、私はそれを次のように言い換えてみたいと思います。
私たちが伝えなければならない、あるいは学ばなければならないのは 「キリストの福音」 である、と。
この 「キリストの福音」 とは、根本的には、個人の神学や哲学である以前に、先ず 「教会の宣教」 の内容であって、教会はその誕生の時から今日に至るまで、「福音の宣教」 をその使命として歩んで来ました。
それは、聖書を通して私たちに届けられた 「神からの知らせ」、「イエス・キリストによる救いの知らせ」 であります。
「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」(IIコリ 5:19)
「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」(コロ 1:19-20) 【信仰の話 -2-】
ここで 「和解」、「平和」 の主体は神であって、その対象とされているのが 「世」、「人々」、「万物」 であることに注目しましょう。
キリストの福音とは、「神」 と 「世、人々、そして万物」 の間の 「和解、平和」 の知らせなのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハ 3:16)
以上から明らかなように、「キリストの福音」 は救済史(神による救いの歴史)の目標であり完成であって、それは終末の神の国到来によって完結するのです。
「わたしたちの本国は天にあります。 そこから主イエス・キリストが救い主としてこられるのを、わたしたちは待っています。」(フィリ 3:20)
「死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。 アーメン。」(信条) 【信仰の話 -3-】
「キリストの福音」 は、その本来の性格から、この世の一つの真理や道徳、社会規範や世界政治の目標とは、区別されなければなりません。
教会は昔も今も、多くの善き業や奉仕をこの世に対して行って来ました。
また教会は、この世の平和のために、あるいはこの世の改善と進歩のためにも、多くの貢献を果たして来ました。
しかしそれらは、教会の第一の使命である 「福音の宣教」 に付随する行為であって、決してそれらがそのまま 「福音」 ではないのです。
「あなたの神である主を愛しなさい」 が第一であって、それを抜きにして 「隣人を自分のように愛しなさい」 が福音なのではありません。
あくまでも、それは第二の掟なのです(マコ 12:29-31)。 【信仰の話 -4-】
この 「福音の宣教」 は、本質的に、神から 「教会にゆだねられた」 ものであることを理解する必要があります。
私たち一人一人が福音を信じ、福音に生きるのは、教会という交わりに於いてであることを、使徒信条は 「聖徒の交わりを信じます」 という言葉で宣言して来ました。
初代教会は 「交わり」 という言葉で、彼らのミサ(礼拝)を表現しました。
「わたしたちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」(Iヨハ 1:3)
「ミサの祭儀は、・・・・・ 全教会にとっても、地方教会にとっても、また信者一人ひとりにとっても、キリスト者の生活全体の中心である。
・・・・・ そして、他の聖なる行為とキリスト者の生活のすべての行いはミサに結ばれ、ミサから流れ出、ミサに向かって秩序づけられている。」(ミサ総則 1) ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ____
/c c c\//
/ c c /V
/ ̄ ̄\ c /- |
/Φ Φ\/- /
| o ‥ o | -/
\__(__人__)__/ ̄
人 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています