南海ホークス24
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
南海ホークス23
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1595312563/ >>1
誰じゃボケ、南海と無関係な画像貼ったんわ。
まぁ、綺麗けど。 >>4
娘さんは当時のテニス界では可愛いほうだった 大阪だと南海が日本シリーズに出た時はいつも10チャンネルで見ていた印象
なぜ結びつきの強かった4チャンネルの毎日放送であまり見ることが無かったのだろうか >>10
当時毎日放送が属していたNET系列は、フルネットが1桁台で、
クロスネットを含めても系列局が少なかったのが影響したと思われ。 1973年の日本シリーズの映像ってあんま流れないよな
前後の日本シリーズはあるのに >>12
一時期つべに後楽園の第3戦(?)の断片がアップされたけどすぐに消された 1試合丸々は残っていないが、1960年代前半のキネコやV9時代の中継映像が日テレにあってジータスでも流れた
でもジータス含めてCSチャンネルは以前ほど過去の番組を放送しなくなったな 73年の日本シリーズは悪太郎やろ
やはりプレーオフがそれより面白い
最高の短期決戦 ちょっと違うけど。当時、こんなのTVで流れるから巨人ファンが増える
https://www.youtube.com/watch?v=om_4mG2cMLg&list=PLVs8KIyueUjXp44BIq9HzqFc6NdBVdBx1&index=6
https://www.youtube.com/watch?v=oBBSP0U_ZzA&list=PLVs8KIyueUjXp44BIq9HzqFc6NdBVdBx1&index=7 >>4
近鉄が86年優勝してたら、
優勝監督として語り継がれるのにな。 >>12
フィルターが掛かってて視辛いけど、当時のニュース映画で
第5戦のダイジェスト
https://youtu.be/EUK25PFBzcQ ボロボロの状態でV9を達成したとはいえ、第2戦からあっさり4タテするんだからね
富田はザマアミロと思っただろう 富田も勿体ない逸材やなの。地元南海に入って
活躍しても追い出されたらなぁ。
人格的に問題あるんか?よう分からへんけど。 巨人でも長嶋に嫌われて放出されている>富田
江夏もそうだがあの時代にジプシーになっちゃう選手は人格に問題があることが多い 富田の完成系って近年の内野だと誰あたりになるの???
05年の今岡クラスの成績を望めた?? 完成形て何?出てる数字が全てじゃないの。
そもそも何でそこで今岡の名前が出てくるのか意味不明。数年打っただけで通算は富田と同レベルだろ。 >>18 ありがとう。
ノムの横に古葉が映ってた。門田も痩せてたな。
笑ったのは、電光掲示板の9連ぱ。当時は覇が書けない。 >>26
米田に対してカネやんは至極真っ当な
御仁だなと思った アンカー間違い失礼しました
誤>>26
正>>24 富田がいたころは門田はやせていて
二番か六番を打っていたことがある
古葉が七番だったか いい打線だった まあ田淵、山本浩二、富田の3人のうち、プロ入り当初は守備と走塁の人で
バッティングは一番期待されていなかった山本浩二が、
ゴールデングラブ賞の回数、盗塁数、通算打率、本塁打数と全てで
他の2人を上回るとはね。 ガタイと練習態度みたら山本が富田を超えるのは全く納得できるけどね。 富田も今岡も野村に関わったばかりに成績が伸び悩んだ 打撃を期待してとった大橋穣が守備の人になったりもするから
ただ今でも史上最高の守備力のショートとして名前が挙がる 大橋以前に打力のあるショートって
豊田泰光を筆頭に意外と居たんだよな
南海でも小池が22HR打ったり
広岡が新人で15HR
二人とも大卒実働14年と13年で
通算100HR達成してるし
後の守備の人山下大輔も100HR達成者
宇野や池山が台頭する以前は
藤田平が豊田に次いで200HR越え >>24
やっぱこの人が実績の割に殆ど指導者やれなかった理由がわかるな、、、。
この人は杉浦や尾崎行雄なんかについてはどう思ってんのかな。この人の理論だと、鍛え方が悪かったり、「挑戦力」が無かったから肩を壊すということだけど。
あと、自分に出来ることは他人もできるはず、って考えもヤバすぎやなw >>37
吉田阪神のコーチは、フジ・カンテレでの吉田との関係でなった様な感じだったな。 >>38
1985年に阪神の投手陣を建て直したのは米田の手腕だと言われている
ただ権藤の「肩は消耗品」という思想はプロ野球ニュースの解説者時代も
「ある程度の投げ込みは必要だ」と否定的だった >>34
野村監督は4番は出会いとか言ってるが南海の時は門田・ドラフトでも目玉の富田
取れてるし、阪神の時は井口ほどではないが今岡を前監督時の取れてるし。
ただ単に育成が下手なだけ。 高橋由もヤクルト行ってたら悲惨なことになってかも
しれない悲劇扱いされるが、開花は翌年の若松監督まで待たないとあれだったかも
そもそもヤクルト入り報道自体がフジサンケイのでっち上げなわけだが >>39
権藤と米田はプロ野球ニュースで面識があったな。 >>41
米田の意見のほうが嫌い
権藤は投げ込みじたいを否定してるのではないんだよ。 エースレベルなら
肩痛いから投げたくないといっても首脳陣は受け入れるしかし若手だと
落とされるから言えない。
そうやって故障して消えていくのは惜しいからあえてこちらから投げ込みは
強制しない。 自主的な投げ込みなら否定しないと言ってる 富田はあのまま南海に残っていれば、2割8分、20本くらい打てる好打者になっていた
三塁には藤原を入れて、富田は二塁に回せば、かなり内野は充実していた 野村って見る目ないだろう。 普通に
藤原って近大の時ショートだっけ?? それなら富田サード 藤原セカンド 無能な野村を兼任監督にしたから南海が崩壊
さっさとトレードすべきだった 無理して南海ファンの振りして書き込まなくてもいいのに。どうせ内容で頭おかしいのがバレるのに。 高田繁に似た優男だけど、富田は短気で喧嘩早かったらしい
大沢でさえ手を焼いたからセゲオやノムでは無理 >>24
皆川コーチは西本と和解のゴルフなんてやって評判悪かったけど巨人時代は
堀内時代に比べて防御率良化してるから悪いコーチとも言えないんだよね。
それとも堀内が論外すぎて話にならないとか 南海時代富田を干した挙句に追放
門田をアベレージバッターに無理やり改造しようとする
阪神時代はご存知今岡問題
楽天ではリンデン問題
やっぱり野村って無能じゃん >>51
無能というのもあるがようは自分のために勝つことしか考えてない 落合野村って基本選手を見る目がない。 野村の理想のWBCメンバー
とか見ると国際大会とか知らないのが見え見えだし。
長嶋のほうが見る目ある勝つ能力はあれだが 当時はノムのワンマンチーム。
それ自体は悪くないけど、その後でサチヨが… 長嶋は選手を見る目があるというか能力を見抜く眼力は球界でも随一じゃね
ネクストバッターサークルで王の打席のスイングを見るだけで打つか打たないかわかったというし
監督時代も自軍の投手を打たれそうな予感を誰よりも早く察知できたらしいガチの話で >>55
長嶋は国際大会のGMとかになればよかった。 実際アテネのメンバーは
よかったからね。
長嶋のジャパンイチオシは小久保体制から浅村だったからね。 長嶋さんは江川とのトレード フロント主導で小林出したけど本音は新浦出したかった。
阪神は小林か新浦だった
79年オフに門田のトレード要求したが青田氏はアキレス腱やった門田なんて
だめだと言った。 しかし長嶋はだから出す可能性あるんですと言った
そうしたらDH天然芝の大阪球場とはいえホームラン王
後楽園の人工芝だとだめだった可能性高いが >>57
BBM社の複数のトレード関係の本に出た話だと、
南海側は「30本以上打つ門田が欲しいのなら、交換要員に15勝級の投手を2人用意しろ」と言って突っぱねたというが。 野村の選手を見る目の無さについてはヤクルトチーフスカウトが散々デイスってるしな >>57
サンスポだと加藤初+福島捕手で濃厚だった。
青田氏は門田の件に関しては長嶋さんに謝罪してた、長嶋の見る目に
我々が付いていけないんだと解説 青田の言うことはコロコロ変わるので全く信用できない。
藤田で優勝した1年目、トマソンのことをお荷物呼ばわりしてディスってたが、
10数年後に、「あの年はトマソンの存在が大きかった」
と真逆のことを言い出してコケそうになったわ >>59
立教時代に杉浦と接点があった片岡宏雄か。 >>61
ならお前は時間経ってから考えが変わる事は無いんだな?
そう言うことやぞ >>63
は?何で俺と関係あるんだよ?俺は野球評論家じゃねえしw
「野球評論家は自分の発言に責任もて」
そう言うとやぞ >>62
普通の先輩後輩だろ。
立教閥長嶋シンパで功績は一茂取った事くらい。 野村さんが弱点ないというロッテに1位で入った平沢は全然試合出てない。
井口監督は安田は我慢してるけど。 野村さんが監督なら村上は起用されてない
野村さんもだけど森さんも選手見る目ない。 西武の森末期のドラフトは野手に関しては
小粒ばかりでひどい
捕手監督は試合を読む力は凄いんだろうが選手見る目ってない人が多いな
なんとなく育成はマイナーリーグがやってくれるMLBに捕手監督が多い理由がわかる アキレス腱を切った門田が巨人に行ったら、守備力は張本よりはマシだろうけど、足の疲労で打力は大したことはなかっただろうな。 キャッチャー出身の人間は、人の失敗が気になるタイプの人が多いのかもね。
現役時代からピッチャーが打たれたり負けると監督やコーチから怒られる
という経験をずっとしていると、ミスや場当たり的なプレーをする選手を
許せなくなるのかもしれない。
そうなると、ミスが多い若手を育てるよりも既存のメンバーをほぼ固定で使う戦い方を選ぶだろうね。 後年の野村はONコンプのせいか全て自分の手柄にしてしまうクセ
特にクイックモーションで福本の足を封じたという1973年のプレーオフだって5試合5盗塁(最終第5戦は3盗塁)
野村は出塁させない以外に福本を封じる術は無かった
福本殺しの第一人者はV9時代の森だろうし、クイックモーションという言葉は1960年代前半からある >>65
古田獲得という大成功がある
野村に任せていたら古田は眼鏡をかけてるからと回避していた >>68
同じ若手でも小技タイプ野手や即戦力投手は重宝する傾向。
捕手出身こそ侍ジャパンの監督か稲葉のような人が監督するならヘッドコーチとか
良いと思う。 素材の状態で将来性を見抜くのは相当難しいことたけどな
それ専任のプロのスカウトだって四苦八苦しながら全国回りまくってモノになるのはごくわずかという世界
野村はその分野では不得手だったかもしれないが既に実績のあるもう終わったかという選手たちを何人も再生してきたじゃないか
まあアンチにかかればこれも野村とノムシンが盛ってるだけと糞味噌にケチをつけるんだろうが >>70
古田を野村のいるチームに入れたのが成功であって、
片岡に素材を見抜く目があるなら立命の時に指名しろっての。 >>69
無いよ、嘘つかないように。
クイックモーションは野村が始めた、と言い出したのは当の福本からなのでそこも勘違いしないように。 クイックモーションと言うよりは佐藤道郎のすり足クイックだよな くぃっく
https://www.youtube.com/watch?v=h24ZAUBuJIQ
すりあしくいっく
https://www.youtube.com/watch?v=TWudzuN3-OE
南海の伝統は、強豪(西鉄、東映、阪急)が圧倒的な選手の力で攻めてくるのを、
ワンポイントリリーフや、400フィート打線、スーパーピッチャーなど工夫で乗り切る。 >>73
片岡本人が証言してるんだが?
眼鏡をかけてる捕手なんて使えんだろ?と古田の指名をしぶる野村を説得してヤクルトに入れたのはこの私!野村に選手を見抜く目なんてありませんよwって 野村ドラフト介入唯一の成功例として挙げられている稲葉についても片岡が言うには真相は全然違う
スカウトが気づいていなかった様に野村が言うがあんな良い打者がリストから漏れてる訳あるか!ちゃんとリストアップしていた!との事 南海時代は新井も野村自身で観戦して指名を推したんだったな。 野村のよくインタビューで弱いチームに縁があった言うてるけど
ヤクルト阪神楽天 弱い 分かる。
西武ロッテ 弱い?
西武は黄金期前夜で強く無いし、
少し金田ロッテは強かったけど暗黒期も近いし分からなくないか。
野村が1954年にテスト入団
その年は2位南海90勝
以前は51、52、53年パリーグ3連覇
55年は99勝しパリーグ制覇
ヘェ〜南海弱いなぁ。(白目) 野村が公にする南海のイメージは鶴岡時代がすっ飛んでる
これは間違いない >>74
嘘つくなって言われても、数は少ないが当時の週ベはもちろん報知やスポニチにも書いてあるんだが
巨人のベロビーチキャンプ以降からか?
まあ>>74みたいに元選手の談話を鵜呑みにするような奴は、こっちが出典元を示してもわざわざリサーチするほどの行動力は無いだろうなw 野村は杉浦の血行障害にはあまり触れずにシンカーが悪いと連呼する ノムの晩年は電波芸者なんだから、ほぼネタが多い。
マスコミがちやほやするんで、受けそうな言葉を吐いてただけ。
ヤクルト監督が全盛期のように言われるが、
南海の兼任監督のほうが難易度は高いし、頭使ってた。
ドラフトが始まり、巨人の圧倒的な人気だったし。
余った選手をかき集めて編成するしかなかった、
また、当時グレーだったサイン盗みや故意死球、ぼやきもフル活用して。 >>83
クイックモーションと言う言葉が
1960年代前半の週べやスポニチに現在と同じ用法で使用されてるなら謝ってやるよ。
国会図書館のコピーでも何でもいいからソース持ってこい。 クイックモーションと言う言葉が野村発祥では無いのは自身で言ってる事。
今のクイックの原型を佐藤道郎が作ったが正しい。
ダイナマイト打線の様に言葉の名付け親がわかれば面白いけどね、どう考えても、和製英語だし。 >>72
富田とか門田ネタを聞いてると育成もうまいとも思えない。 アマチュア監督は
あまり野村ヤクルトに行かせたくなかったという話もあったとかないとか
横浜高校の渡辺監督はヤクルトに松坂を行かせたくなかった >>90
ヤクルトに行かせたく無かったのが退任した野村のせいって、
野村の責任範囲でかいな。大物だからか。
立命は古田指名回避の影響で阪神出禁だったけどな。 >>88
ソース出したてもお前みたいノムシンは自分で調べないからヤダ 野村のせいかは別にして一時期のドラフトでヤクルトが不人気だったのは事実
ノムも散々愚痴ってた
死んだ後になってプロだけでなくアマチュア関係者まで教え子に野村さんの教えを受けさせたかったなんて言ってて草生える >>93
特に95年いこうかな。 ヤクルトがドラフト候補生に人気なかったのは
あの時は横浜のほうがドラフト候補には人気あった。 ドラフト候補生からヤクルトが不人気になったのはFA制開始以降でしょ。
広沢を振り出しに相次ぐ選手流出がFA選手の引き止めに消極的=ケチな球団とみられて敬遠され出し、逆指名制ドラフトでも逆指名対象外の高卒中心の獲得で、
大卒&社会人の候補には敬遠されがちとなった。 あとは特に投手の故障率の高さかな
キャンプ中の食事面等も含めた練習環境の劣悪さがアマ側にも知れ渡ったのが大きいかと
でもって、さらに厄介なことに、この点についてはいまだにろくに改善されてない 野村個人スレで話すべき内容ばっかじゃん
死んでから半年以上経ってんのに野村野村野村でもううんざり
野村はホークスメモリアルと同様南海球団史から抹消すべき存在だわ
もうテンプレに野村禁止って貼っとけ で其方は何が話せるの?
例えば百万ドル内野陣の時代とか。
俺も親父から名ショートの木塚忠助が佐賀・唐津の木塚花火の親方の息子とか聞いているけど。 >>71
そういう選手なら、野村もネチネチ小言を言う回数も少ないだろうし。
野村はマイナス思考の人だから、当時のスワローズなら
土橋みたいな自分の立場をわきまえて最低限の仕事をする人
を優先したくなる気持ちはわかる。 野村ヤクルトの話をしたいなら、そのスレたてればいいじゃん。
メンバー的には池山ですら小心者の小粒だったのだから、薄いよ。
昭和48年の南海ノムのメンバーはハチャメチャ。
ベテラン広瀬を筆頭にノムのゆうことはあまり聞かん。
門田、江本、江夏、もっともノム自身も愛人に付け込まれとったが… 言う事聞かない門田のイメージが強過ぎて、
池山にもそのイメージで大振り批判したら
素直に大振りやめて小さくまとまってしまった、
好きにさせたら良かったみたいな事を晩年言ってた気がする。 >>101
主力選手が監督をやっていた野村の言うことを聞かないというのは、
当時のチーム内でも実質鶴岡の院政という共通認識があったのかね?
それとも、単に野村に人望がなく主力選手たちと気が合わなかっただけか? ノムは最期まで小池兼司に恨まれていたらしい
南海の同僚でもプレーイングマネージャー時代にプレーした選手はノムに対する印象は違うのだろう 鶴岡院政というよりも、逐一、鶴岡さんに相談する輩が多かったのでは。
その時点で、他球団にいた岡本や杉浦が良い例で、岡本なんぞは昭和48年の
阪神コーチ時代、阪神巨人の優勝決める試合の先発を鶴岡さんに相談している。
野村が人望がないというより、江本、門田は誰の言うこともきかないし、
やりたい放題。ただ野村もやりたい放題。優勝したから一時的に結束した。それはそれでいいと思うけど。
ちなみに、池山を楽天のコーチに呼んだのは野村だよ。あまり無理して呼ばないのに。 先輩同僚は皆自分に相談せず旧親分に相談にいく
その一方で後輩達は全く言うことを聞かない
かろうじて自分を立ててくれるのは江夏と柏原だけ
これなら精神を病んでサッチーに依存するのも仕方ないな >>105
そういうエピソードを見ると鶴岡は球界の父親的な存在が半端なかったんやね。
川上はまさに首領って存在だが鶴岡はもっと抱擁感があるというか 「ナニが親分だよ」と言った男もおる
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/05/19/___split_89/index_3.php
もっとも、三浦は変わり者だけどね。扱いにくい選手。
鶴岡さんは人がいいので頼まれるといやと言えなかったり、譲ったりするところがある。別所引き抜かれたのとか、長島や中西を横取りされたとか、まあ欲張りでないところがいいところでもあるけど。
三原と比べればがめつくはないし、腹黒くもない。 会社とよく似ていて
先代がいた時の子分のうちだれかが出世したら
かつての同僚はやはりしらけるものだ
出世した人間も気を使ったりうっとうしかったりな 選手兼監督がいるチームは、監督にとっても選手たちにとっても
人間関係の構築は大変だと思うよ。
選手たちからすれば、時には一緒に監督やフロントに対する愚痴・悪口を
叩いていた同僚が監督になるわけで、今度は以前一緒に悪口を言っていた人の
顔色を伺ったり、その人からの評価を気にしつつ指示に従うわけだし。
監督になった人からしても
「こいつらは以前オレと一緒に監督の悪口を言っていた。今はオレの悪口を言っているかも」
なんて疑ったりしてね。
個人的には、球界の監督と選手の関係も企業の上司と部下の関係もある程度の距離は必要。
その上で、期待している役割や評価基準を明確にして割り切った関係を築く方が
お互いやりやすいと思う。 俺は野村信者ではないが、南海ファンなので言わせてもらうが、
当時30代の兼任監督で唯一の成功例と思うよ。
あのメンバー、貧乏球団、ドラフト制導入後で阪急に1回と言っても勝ったんだから。頭を使わざるを得なかったし、ほんと余裕はなかった。
古田、谷繁の兼任ぶりをみても、作戦の工夫や移籍&トレードもやってたし。
江本も言ってるように、南海時代の野村をもっと評価すべきだし、今を思えば
面白かった。
少し話はそれるが、古葉、江夏、松原、佐野あたりが広島に流れて、日本一V2を
とるんだから、あながち間違ってはいない。関係ないけどノムが鉄拳奮った高橋里もね。 >>112
そもそも野村を監督する必要性が全くなかったわけ
岡本二軍監督の昇格でも青年監督なら引退表明してた杉浦でも良かった
野村が監督になった事で野村自身含めていろんな人間が傷ついた >>113
せやな。たぶん、蔭山の急逝によって計画が狂った、
かつ球団の人気に陰りが見えていたし、
当時流行という意味もあり安直に野村に依頼したとしか思えない。
それまで鶴岡に丸投げしてて、合理的な経営判断が出来なかったフロントが全ての元凶だろうな。 野村が兼任監督に就任した少し前まで、西鉄の中西、近鉄の小玉が兼任監督をしていたし、
それほどめずらしいことではなかった。また、南海の鶴岡、毎日の若林、別当、高橋の笠原など
10数年前までは兼任監督はよく見られた。だから、南海は野村に兼任監督をさせることを
楽観視していたのではないか?
兼任監督としては成功を収める一方で、野村がこれほど苦しんで、南海ホークスの運命まで
変えてしまことを想像もしていなかったに違いない。 >>115
小玉なんか一年でクビだし最下位だし大失敗じゃん
結果的に監督なったばかりに2000本打てなかったわけだし
中西も監督になってからほとんど試合出なくなった
キャッチャーで4番の野村にやらせるというのはリスクが高すぎるし、そもそも南海は監督できる人材は豊富にいた
10数年前の兼任監督は人材がいなかったからで、1970年当時とは全く状況が違う 表現は悪いけど、野村は鶴岡さんがいなくなって、重しが取れたわけだから
唯一無二になりすぎた。
また、なまじ、侍・広瀬と比べて悪知恵が働くんで、独裁傾向になった。
プラス、オーナーの猫かわいがり。
預言者じゃないが、鶴岡さんの「何が三冠王じゃ、」の伏線は当たってたかもね。 阪神も吉田を飛び越して村山を兼任監督にしたもんだから球団内がギクシャクしたからな >>117
バカフロントが兼任監督にしなければよかったじゃん。
野村を選ぶ必然性が全く見当たらない。正捕手で四番を監督まで兼任させてまともな未来が描けないことくらい、小学生でも分かりそうだけどなあ、、、。
構造的な要因やんけ。
情けない。 >>119
鶴岡監督に全てを任せっきりだった球団としては、チームの顔になっていた野村に全てを委ねる以外の選択肢は思い付かなかったのだろうね。 最初は蔭山を後継者にしようとしていたし、次は飯田を起用した。
だから、当初はふつうに知名度のあるOBを監督にする方針だったと思う。
だが、ふたり続けて挫折したため、経営陣が迷走したんだと思う。
南海の場合、鶴岡が兼任監督としてスタートした前例があったから、大丈夫と思ったのだろう。 >>123
骨の髄までアンチ野村のスポニチの言う事がどこまで信用できるの? 蔭山の後は
俺的には生え抜きobで初期のエースやった
柚木さんは?
親分と同郷、大学と同じでエリートコース歩んでるはずやけど。
影薄いよな、左腕で名投手やのに。 >>125
男前。
スカウトとして確か門田獲得したよな? 外部招聘も考えてはいたといっても、中日の監督だった西沢は十二指腸潰瘍で辞任し
体調面で不安があったから監督候補から外れたはず。そうなると残るは青田だけど
外様呼ぶのにそこまで抵抗あったのか? 呉閥やね。微妙。藤村兄弟に近いし。
親分のいいところは、広島閥から距離を置いてたとこなんだが…
石本さん、浜崎さん、儂人、岩本義行。広岡、張本など結構面倒な人が多いよ。
悪気はないが口が悪いし、文句ばかり言う。 何にしろここで野村を無理やり監督にさせたのは致命的なミス 同時に阪神も吉田差し置いて村山を兼任監督させてのも数年後のこと考えたらあまりにも致命的な判断ミス なので、蔭山やったんやが…
興行的にも兼任青年監督もはやっとたし。
杉浦に先にやらせても、頑固やしな。
結局は、鶴岡さんが、強力すぎた。ぜいたくな悩みだけど。
南海黄金時代の近鉄、阪急はボロボロ。西鉄は凋落。
ついでに、故郷の広島は万年Bクラス。
そんな西日本の中で、唯一強かった(阪神もある程度ね、巨人のお陰もある) 野村の兼任監督就任が世紀の悪手、運営の判断ミスなのは言うまでもないが、その前に飯田を繋ぎにしてるのも理解不能。産経監督で全く結果出てなかったし。そこまでして大物OBに拘るのが無策振りを象徴してる。
蔭山のアクシデントは勿論誰にとっても想定外だし、計画が狂ったのは事実だけど、だからといって非合理的な判断が許される言い訳にはならないでしょ。 以前出たBBMの監督特集の蔭山騒動の記事では、
鶴岡が蔭山を第1候補、野村を選手兼任やむなしの第2候補に考えていたと書かれていたな。
また「南海ホークスがあったころ」でも鶴岡が飯田の後の監督候補に考えていたのが、
就任時期が早まったと書かれているなど、上記のスポニチ(大阪?)の記事とは違う見解になっている。
いずれも実際に現物を所持している。 仮に蔭山生きてて野村も離婚とかなく安泰な人生過ごしてたとしても、
一般社会における野村の知名度は米田哲也に毛が生えた程度だっただろう
南海でのゴタゴタが回り回って90年代の「名将・野村」像を作ったんだから本人もあれでよかったと思う >>134
退団の経緯で球団と遺恨が残ってしまった
同じような経緯のあった飯田は人が良くて監督として戻ってきたけどね >>135
飯田が「人がよい」ってのは「仏のとくさん」由来なら間違いだぞw
あれは別のプロ野球選手のあだ名を同じ「とくさん」だから知らない記者が間違ってつけただけ。
「仏のトクさん」は元々は中日の原田督三のあだ名。 主力選手は10年選手制度があったんで、ほぼほぼいなくなった。
姥捨て山みたく。
移籍先の金銭条件を鶴岡さんが交渉した選手もいたらしい。
どこまで、金がないんや、南海は。 >>132
スポニチは野村訃報を無視するぐらい
骨の髄までアンチノムだから
野村関係は眉に唾をつけて読む必要あり >>138
東京本社は大阪ほどアンチではない。
web版は大阪本社がソースと思われるものも混ざっているが。
もっとも母体の毎日新聞が、どちらかといえば高級紙だった旧東京日日と
大衆紙だった旧大阪毎日で別物っぽい面もあるから
スポニチもその影響を受けている感がある。 スポニチもしつこくね?
いつまで憎んでんのよって思う
何十年もまえの遺恨を スポニチデスクと記事を書いてる個人が
同じ野村嫌いとは限らんけどな
ましてや東京スポニチは
40以下の人間は鶴岡も会った事ないし南海と既にない 南海側は福岡移転のときもなんばパークス開場のときも野村側に宥和的姿勢見せてるのに、
野村はいつもそれを裏切ってきたからな パークスできて程なくしてからドキュメンタリー番組で野村がパークス訪れてるのみた記憶あるわ
ホームベースあとのところでこれを残してくれたのは感謝してるみたいなこといってた気がする ノムの南海ネタはほぼ「イタイ話」でしかない。
選手&監督の実績は悪くないのに。
許せんのは、直近のマスコミが、野球より女性を取った野村監督、これを美談として報道してること。
当時からの南海ファンにとっては、大スキャンダルだし、後日、球団も消滅してしまうんだから。
せめて晩年ノムの口から、南海時代が一番楽しかった、と言ってほしかった。
(江本はそう言ってるけど。) >>146
よく分からんけど
難波バークスじゃなくホークス全体の歴史を振り返る展示として
福岡ドームに王の博物館の横とかに作ればいいだけじゃん
そこに野村も鶴岡も王も入れればいい
サッチーも野村も山本もいない今拒否する奴はいないだろ >>148
本人が一番楽しかったのはヤクルト時代と言ってるし
実際心から楽しそうなヤクルトOB戦の画像と
自業自得とは言えつまらなそうにしてる南海巨人OB戦の画像を見たらな(江本が声をかけるまでベンチで完全に孤立していたと言う話だし)
https://hochi.news/articles/20190711-OHT1T50261.html
https://asagei.biz/excerpt/13995?amp=1&all=1
2年前、春キャンプの真っ最中に、巨人OBとホークスOBの試合があったんです。ノムさんは監督。でもベンチに座っていても、旧南海の人間は誰も近寄らない。OB戦なんて、だいたい和気あいあいとしたもんですけど、雰囲気が悪かった。
しかたなく僕が横に座って話していたら、ベンチの端のほうにいる南海OBの連中を指さして、「おい江本、あいつら俺にあいさつに来んなあ」「そら来ませんよ、監督。嫌われとるもん」そしたら、「そやな」と笑ってました。本人、わかってるんですね(笑)。 https://bunshun.jp/articles/-/33790?device=smartphone&page=2
南海が野球人生の始まりだが、追い出される形になり、嫌な思いもたくさんした。阪神の監督をやったことは大失敗。楽天も最後はいい終わり方ができなかったが、ヤクルトはいい思い出しかない。最期はやはりヤクルトのユニフォームを着て旅立ち、あの世から野球を見守りたい。
で実際ヤクルトユニフォームであの世に旅立った 本人が望んだのならしゃーない
棺には南海、阪神、楽天の帽子を入れてくれたものと願う >>151
同じタイプでも森とは違うな
昔からOB戦があると必ず参加して今もわざわざハワイから来る
世間が思っているほど長嶋とは仲が悪くないのかも 森は現役時代から西武監督までほぼ常勝(79年ヤクルトのみ例外)だったのに
ベイスを引き受けて短期間で滅茶苦茶にしてから回顧話を披露する以外はNPBから干されたからな。
何だかんだで寂しいんだろ ノムは阪神で大失敗した後シダックスと楽天で名誉挽回できて良かったな ホークスob戦のベンチが気まずい空気、
やっぱり同じホークスでも福岡と大阪では全然雰囲気違うもん。
ブレーブスバファローズよりマシか。
はよホークスob会統合したらええのに。
ライオンズも福岡と埼玉統合してさぁ。 >>151
サッチーが現場介入していたころ、江本はすでにタイガースに移籍していたから
野村が解任されたころの惨状を噂ベースでしか知らないのかもね。
野村はそういった過去があるだけに、未だに当時のチームメイトたちとの
溝を埋めることができないのかも。 江本も野村になんとかしてくれって直訴しに行って阪神へ干された当本人だよ >>159
全然違う
江本はサッチーの介入に文句を野村に言いに行った
そしたらトレード
サッチーも野村もいない今こそその辺の話詳しくして欲しいけどな >>159
物事は時系列で書こうぜ
江本、西岡、藤原が抗議しに行って前者二人が出されたんだから この時代のノムは独裁者、記憶も本人の都合のいいように覚えている。
この虚言癖は、マスコミ向けなのか晩年まで続くね。
稲葉は俺が初めて見初めて、とった。とか。近鉄のほうが先なのに。 >>161-162
江本がタイガースにトレードされたのは1975年のオフ、
野村が解任されたのは1977年のオフですが、江本がトレードされる前からも
サッチーの現場介入は目に余るレベルだったのですね。
だとしたら、そんなザマを少なくとも3年間放置させていたホークスのフロントは
その間何をしていたのという話になると思いますが。
江本は当時のことを水に流したのかもしれませんが、当時野村に冷遇された選手とかは
OB戦に顔を出した野村に「今更どの面下げてきたんだ」と不快感を感じたかもしれないですね。
と考えると、野村がOB戦で浮いていたのも理解できます。 そうなるとなんばパークスでの野村黒歴史扱いも当然だな >>164
野村やサッチーが生きていた頃はその辺なかなか言いにくいが
南海の特集かなんかでその辺のことを当事者でもあった
江本、広瀬、柏原、藤原、佐藤、門田、新井が死ぬ前に語って欲しいけどな
イマイチ真相がなんなのかよくわからずあまりにも謎なんだよ
野村も介入を認めてたわけじゃないし もっとたくさんいるぞ、生き証人は。
西岡、島野、古葉、国貞、江夏、富田、山内、黒田 桜井、定岡、河埜とかも
定岡なんてエラーした試合の帰りのバスの中で激怒した沙知代からピンタを食らうとか
嘘か真かとんでもエピソードがあるくらいだし 世間でいう、若社長が愛人を連れてきて会社運営に口出したらまずいでしょ。
南海の場合は野村がサチヨ連れてきて、
試合に口出したからオカシイなった。
鶴岡派やなくても、普通のリーマンでも
不信感抱くよなを 江本とかの尽力は認めるがここまでOBやらファンから嫌悪感を持たれてる以上なんばパークスに野村関係の展示はする必要はない
またお互い不愉快な思いをするだけだから巨人南海OB戦に呼ぶべきでも無かったな 当時の選手たちにとっての沙知代は例えるなら
映画「メジャーリーグ」の悪徳女オーナーみたいなもんだったのかな
それともまた違うか 現場でデカい顔をしてウザがられる女房
オノ・ヨーコ、サッチー、馬場元子 >>167
島野は既に故人なんたが
高橋里志は存命? >>166
江本は一昨年出した本、野球はバカは死なずで書いてるよ沙知代の介入 >>175
江本76年以降は知らないからな
記者が取材レベルでいろんな人に聞いて回ってほしい
今が最後のチャンスだと思う
実際にどこまでのことがあったのか
オーナーの判断として解任やむなしなのか、柏原はなぜあーいう行動を取ったのか 江夏はそんなもん(沙知代夫人のチーム介入)無かったと証言
ただし殿堂板阪神スレによると江夏の話は全く当てにならんという事らしいw >>172
オノがいなければレノンはパッとしないままヘロインでもっと早死にしていた。
オノはレノンの資産管理もしっかりしてたから浪費を免れた >>166
確かに真相を知りたいですが、当時を知る人たちも今更
死者を鞭打つような行為はできないと考えているのかもしれない。
>>171
あの悪徳女はオーナーだったけど、サッチーは監督の嫁で単なる部外者だからね。
何の責任もない外部の人間が職場にずけずけと入り込むのを抑えられない夫の野村や
フロントの当事者意識のなさが信じがたい。 昭恵さんとどちらが罪深いかな
こういう勘違い女って昔から居るよ 昭恵さんは強欲ということで目立ってるわけではないからな。
沙知代と同じカテゴリーに入れるのは若干無理な部分もある。 >>184
それは山内一弘のことだろ?
南海の山内と言ったら山内新一だろうがks >>182
しかも内縁の妻ではなく本当に愛人だったから洒落にならん >>180
自他ともに認める鶴岡派の筆頭でトレードで南海を出された国貞氏なら特に色々話すこともありそうだが今更故人の悪口をテレビでの前で話してもと考えそうでもある
野村死去の際は阪神時代確執のあった外国人選手のメイでさえ当たり障りのないコメントだったし >>178
仮に江夏がサッチーの行動を
選手を叱咤激励するもの、サッチーにああだこうだ
言われる奴は言われるなりの行動をしてる
と思ってるとしたら彼の視点では「しょうもない介入などない」
となるだろな。あくまで江夏の視点では >>185
いや単純に無関心なだけだろ南海は。その事件知ってる社員なんて今はいないし >>154
それはない。
長嶋の方が嫌ってる。
後任監督に森の動きがあったときに全力で阻止したのが長嶋。 >>180
>フロントの当事者意識
三顧の礼で外部から招聘した
オーナーの川勝に忖度して
何も言えなかったとか
仮に報告してもノムを信頼支持しているから笑って取り合わなかったとか
一喝されたとかだったりしてw
最期までノムを庇った挙げ句
その後も俺の目の黒い間はホークスは売らん‼
と豪語していた御仁だしな >>188 国貞は鶴岡さんもいなくなったんで、広島に帰りたかっただけ、その替わりが古葉だったわけで。
キャラが野村と真逆でお調子者だったので合わなかったのは事実。
古葉はノムと同じで暗いというか寡黙。野村とはウマが合ったし、シンキングベースボールを学んだ。 今更知りたい事なんてある?
もう既に語られてる事以外出てこないでしょ。
江本佐藤門田辺りは全部知ってる上に隠す必要も無い。語った以上の事も無いってだけ。 >>192
数年に渡って野村とサッチーの球団私物化を許したあげく、
最終的に「野球を取るか女性を取るか」の選択を野村に迫り
サッチーをとった野村を解雇して自分は何もなしか。
いやはや優秀なオーナー様だこと。 >>188
メイからしたら今さら僅かな日本時代の監督についてコメントを求められても困っただろ >>164
78年から監督をやらされた広瀬さんは1972年に110試合出ていたものの広瀬さんは南海最後の優勝だった1973年から40,65,52,27,50と出場試合数が激減。
著書の中で「(当時は愛人だった夫人が)球場へ出入りするなどしたことも、私は快く思っていなかった。
以心伝心というものか、彼女も私が嫌いだったと思う。
選手起用にまで口出したかどうかは知らないが、私の出番は確実に減っていった」と記しているとのこと。
広瀬監督時代の『あぶさん』を読むとシーズンオフの内容は水島の希望的観測がスゴイ。
>>191
紙面でも1998年から就任内定って出てたもんなあ
茂雄の反対突っぱねてでも森監督にした方が良かったと思うけど サチヨの立ち振る舞いは
港東ムース見りゃ、一目瞭然。オーナーだったらしいがw
『お前は落ちこぼれだ』と子供に言ったり、高い遠征費や人的援助など親にも負担をしいた。金銭面もグレーで後の国税スキャンダルを予見させる。
野球愛がないんで長続きしない。 茂雄よりも広岡が猛反対して潰れたと聞いていたが?
森の巨人監督 >>194
藤原と広瀬は特にサッチーには最後まで嫌悪感を示してのもなぜそこまで嫌うのかと
あと野村解任の報道が出た時に
その理由が公私混同と言われた時に柏原と江夏と高畠以外誰一人無反応だったのもな
やっぱり疑問に残るんだよ 今更知りたい事なんてある?
もう既に語られてる事以外出てこないでしょ。
江本佐藤門田辺りは全部知ってる上に隠す必要も無い。語った以上の事も無いってだけ。 >>197
森濃厚と書いたのはスポニチだっけ?? 日経夕刊にも出てたね。 変になってすいません
>200
公私混同は有った。
広瀬は特に元々仲が良く、友達が変わってしまった要因、諸悪の根源としか思えない嫁に対して嫌悪感がある。
目新しい事無しで説明出来ると思うけど。 >>200
高畠ばかり言われてるけど同じくコーチだった山本忠男は
高畠に先駆けて辞任表明し阪急に移籍
あとは佐藤道と河埜も、野村に追随して退団しようとしていたと
江夏が衣笠との対談本で暴露している
藤原も嫁の一件がなければ、野村と共にしていたかもしれないと述懐している
その中でも佐藤は、ロッテ稲尾に野村の仲介で首脳陣入りしているし
その後も関係は続いていたようだ >>202
あと朝日新聞にも載ってたよ。
一時政権の解任のこともあってか、なかなか切れなかったんだろうけどねぇ。
あれだけ大金ぶっこんで補強という名の一塁手&鈍足コレクションのバランスの悪さで勝てると思う方が甘いけど、
おかげで92〜93の連覇を除いて一年おきにヤクルトが優勝したり、横浜の優勝なんてのもあって球界の為にはよかったかも。 そういえば南海がダイエーに譲渡された88年オフ、山内孝徳と中畑清のトレード話がほぼ決まりかけたが、山内が地元福岡を選び断っておじゃんになったという話は驚いた。 中畑のトレード話って合計いくつになるんだろうなw
打てて鈍重でははない守備上手いファースト、
って現代野球なら争奪戦になるだろうね 人気も待遇もずっといいだろうがAクラスが当たり前のチームじゃ
埋没するかもしれない。って判断じゃないかね 左打ちが多くなった今はファーストの守備って重要だけど
右が多かった時代はそれがサードだったのよね >>207
巨人は山内孝徳が欲しかったらしく1987年にもこんな話があった
https://news.livedoor.com/article/detail/14014150/
87年オフには南海のエース山内孝徳と斎藤+鴻野淳基のトレードがほぼ合意しかけるも、
巨人の絶対的エース江川卓の突然の現役引退により白紙に。 >>208
中畑と山内は85年のオフが最初。 その時に思ったのは清原を1位指名する
つもりだったのではと思う。
86年に落合とのトレード話もあった。
レギュラーとる前、西武創設期に東尾とのトレード話もあったね >>212
当時巨人には若き日の吉村と駒田がいたから
中畑を放出しても穴は埋まる。むしろ投手が取れれば戦力UP。
って計算もあったんだと思う >>208
中畑が王さんのことを記者の前で「ワン公」呼ばわりしたテープが存在するとかで記事になっていたことを90年以降になって知った。
西武時代の田尾とのトレード話も目にしたことがある。
原以外なら出すと言った落合とのトレードを胡坐かかずに中畑込みで成立させればよかったのにと思うこともある。
王さんも長嶋派の選手が多くてやりづらかっただろうなぁ。
特に最終年は補強が蓑田のみ、クロマティの骨折、その後釜に据えた栄村と吉村の激突、3位の責任を取って辞任という名の解任で気の毒だった。
南海のスレで話がそれてごめんね
南海最後のドラフト1位〜6位(吉田豊彦、若井、柳田聖人、大道、吉永、村田)全員が一時は脚光浴びたってのがスゴイね。 >>211
見落としていて亀レスでm(_ _)m
85年に12勝したあと2シーズン低迷したけど88年は斉藤も中継ぎで結構いい活躍したんだよね。で翌年開花で20勝。
山孝孝さんも昨年だったかホークス戦の解説で「僕の頃は打線の援護もなかったし、守備を見ても羨ましい。こんなバックだったらもっと勝てたのに。」と話していた。
巨人に行ったらもう少し勝ち星もついただろうし評価もされただろうなあ。
南海の斎藤雅樹ってのも見てみたかったな。
深緑のユニフォームも似合いそうだし。 >>164
70 野村兼任監督就任。沙知代が原宿で野村に接触
71 愛人関係開始、野村の性格が変わり始め、選手らとの関係が徐々にギクシャクする
72 野村が西宮の本宅に帰らなくなり、広瀬が野村を諫めるが、逆に沙知代の讒言で広瀬が野村に憎まれ、その直後の試合でマッシー村上を代打に出される
73 前期優勝→日シリ進出。カツノリ誕生
74 カツノリ認知。沙知代がカツノリを連れて後楽園や難波のバックネット裏で騒ぐ。長髪嫌いの沙知代が江本の髪を切らせる
75 ユニフォームの権利問題が発覚し、シーズン中に新山社長が大沢に「今年中に野村があの女を切れないようなら来年から頼む」と依頼。オフにはブチ切れた選手達が野村に沙知代排除を直訴するが失敗。これを見た球団が野村を巨人にトレードしようとし巨人も野村も同意したが長嶋の反対で流れる
76 直訴した江本・西岡が粛清トレード、門田と藤原の放出は川勝オーナーに止められて失敗。沙知代が江夏を取り込む
77 沙知代が選手の家族にも直接圧力をかけ始め、選手達が森本代表に直訴。野村が球団側の最後通告を黙殺し沙知代の行為を野放しにし続けたためシーズン終了を待たずに解任 江夏と柏原はヤクルトに出してれば戦力ダウンしなくて済んだのにと思う
安田と大杉が手に入ったんだし 巨人ファンとしては江夏を金銭で広島とかふざけるなと思ったよ 皮肉なことに、ノムのやりたかったThinking Baseballを古葉が実践しカープ黄金時代を築く。松原、佐野、高橋里、渡辺秀、金田、萩原あたりも拾い、再生工場も引き継いだ。
ノムの采配はオーソドックスで、古葉との共通性が多い。
日本人の主砲2〜3名、チャンスに強い外国人打者、堅実な守備と安定した中継ぎ・抑え、他球団のベテラン選手の再利用など。
90年代のヤクルトはまさにそうだった。 >>216
ルボで一冊の本としてまとめてほしいな
具体的な流れを後世に残すためにも
流石に女を取るか野球を取るかで女をとったの美談になってるのはおかしい
いまそういう認識が多いんだろ? >>220
個人的に全然美談に思わないが
どう思うかなんて個人の主観じゃないの?
他人の感想が気に入らないから本を出したい、
それに賛同してくれるライターがいるといいね。 フジの追悼番組で南海クビになったことを
仕事よりもサッチーを取った純愛みたいに美談みたいに紹介してたなw フジの追悼番組は野村の追悼よりもサッチーの悪行を紹介していく方が
メインだっただろうw >>208
中畑は現役時代からファーストをサードのように守る選手と言われるように
ファーストにしては広い守備範囲が特徴だった。
藤田監督がのちに、足首が悪い原ではなく中畑をサードにして原をファーストか外野
にしたほうがよかったとコメントしていたのを覚えている。
>>216
野村とサッチーに関する時系列ありがとうございます。
これは推測だけど、4番キャッチャー兼監督というマルチタスクの上に
ベテラン選手たちは鶴岡に顔を向けているという環境でストレスを溜めていたときに
サッチーに出会い、野村は馬が合ったサッチーに洗脳されていったのかな。
サッチーからすれば、野球バカで愚痴が多い野村みたいな人間はいいカモだっただろう。 久保寺が亡くなってから藤本博が成長するまで三塁がずっと穴だったから、
トレードが成立してたら中畑を使うという青写真もあったと思う。藤本が成長したら
また一塁にコンバートして。 久保寺の訃報も 南海のもしも〇〇でなかったらの一つやな
優れた内野陣の伝統はあのころ途絶えたように思う
別所 円城寺 蔭山 野村 久保寺 >>219
広島とのトレードは南海以外失敗おおいような気がする。 成功したのは
大下くらいかな
佐伯・江夏・加藤英・水谷実・金石・高橋直も西武いって復活 >>220
かつて石もて追われた人間とはいえ、死人に鞭打つようなマネは無いにしても、ああいう風な話に仕立てるのは気持ち悪かった
ミッチーサッチー、さらに学歴詐称や脱税のころ、過去にまつわるキッツイ内容の記事が週刊誌に載ってるよ
ケニーや実弟に暴露本まで書かれたし 野村、古葉ラインで、江夏ももらえたし、松原は金城と交換だったが、日シリで
活躍したんで、結果として日本一になったんで大きかった。
ブレイザーはHC1年だけだったが、古葉としては満足したらしい。
広島はオーナーが決めてしまうので、大型トレードはうまくない。
地元出身の佐伯出して、内田以外撃沈
江夏が出ていくのは仕方ないにしても、高橋直を選んだり、
よしひこの代わりの高沢で活躍せずなど。 >>216
うわ、めちゃくちゃだな
広瀬の代打にマッシー村上ってすげーな
野球を冒涜してる それ広瀬じゃなかったら恨みつらみ後年まで書かれてそうだな その割には2000打った1973年あたりにすでに引退決するつもりだったのに
お前が必要なんやとずっと口説いたりよくわからんな
広瀬も優勝含めてやり残してた事もないしとっくに心離れてたんだろ >>231
マッシーは貴重な左打ちで打撃も良かったから、たびたび代打で起用されていたが、それでも広瀬のプライドに障るわな
そのマッシーも起用法を巡って干されトレードに出されるという結果に
>>233
杉浦も本当は1969年限りで退くつもりが、新監督に「いま辞められたらワシと何かあったか疑われるやないか」と説得されたとか 広瀬は広瀬で今日は調子が悪いと思ったら打率下がるから代打出してくれと野村に平気で直言する男だしな
野村が監督になっても選手時代のノムやん呼びがなかなか直らなかった
若手選手からの人望もあったから野村にとってはとかく煙たい存在だっただろう
広瀬も鶴岡時代はフォアザチームの手本のような男だったのにな
個人成績を出さなきゃ給料が上がらんと野村時代になっていろいろ箍が外れてきた >>235
広瀬ほどの選手が、10年選手制度で、移籍もせず、薄給で我慢。
球団の評価があまりにも低いんで、鶴岡さんも南海に見切りをつけ、東京行きを
決断したという話もある。
野村は監督のギャラと合わせて億は超えてたという。その辺でも軋轢が…。 広瀬の方にも非はあって、普通は監督に対して一選手が起用法について
勝手に今日は休むわとかここで代えてくれとか言わないぞ。
長嶋同様、天然な性格と言われてたけど、同僚という考え方じゃなく
上司と部下って意識が無さすぎたのはさすがにまずい。 >>237
だからさっさと引退したかったんだろ?
なんで野村は使う気もなかったのに引き止めたの! ノムって肩弱い弱い言われてる割には盗塁阻止率は言うほど悪くないよな
まあそれだけ機会が多かったのかもしれんが >>238
球団サイドは区切りの600盗塁で一儲けしようと考えてた。
(野村の600号本塁打カウントダウンと合わせて)
野村自身は右の代打要員がいなくなるからと引き留めてた。 野村は広瀬の選手としての能力には惚れ込んでたからねえ
南海監督時代広瀬をもっと上手く使えば良かったと後悔めいたことも言っている
だから阪神監督時代新庄を見て広瀬と同じ匂いを感じ
今度は気分よく仕事をさせるため思う存分自由にやらせた 新庄と一緒にされたら困るね。
福本にとって「広瀬さんは神様や」といわしめた人物。
記録の為の盗塁はしなかった男。もっと評価されてもいいと思う。 ちなみに日本人メジャー初安打はマッシーさん
本人曰く凄い当たり損ないだったらしいw 広瀬も新庄も身体能力が共に化け物だからな
野村はこういう育成ではどうしょうもない天賦の才に弱いんで特にこれを評価する
広瀬は助走もなしで背丈ぐらいある塀にびょんと飛び乗れたというがどういう瞬発力してるのだろうか
猫の血が流れているとしか考えられない >>245
ドラゴン危機一発のブルース・リーかよw 広瀬はどこまでほんとかわからんが、
ノムに配球を読むことを勧められたが拒否。
投手の癖を盗んで盗塁も拒否。
試合の趨勢が決まってからの盗塁も拒否。打撃も。
「何でもデータ、データでは野球選手の本能は鈍磨するのではないか。」
最終的には感性というのが持論 データ無視も新庄と同じだな
残した成績は全然違うがw
41 名前:神様仏様名無し様 :2020/08/31(月) 19:14:23.94 ID:NnNi5TGJ
新庄剛志1993
僕はスコアラーの方が持ってきてくれるデータ、全然見ないんです。
チャンスでたまに狙い球指示されますけど。
だって失投を見逃したくありませんからね。
オマリー(新庄について問われ 頭を指さしながら)Empty!
しっかしスコアラーのデータとかビデオ見るやつが
いないって、どんなチームなんやw
桧山も30いくつで糞成績続いて何度も言われてようやくやろ。
出たとこ勝負とヤマカン決めつけばっかりか。
槙原 若い頃の桧山はフォークを投げとけばいい、楽な打者だった。
中村藤田、吉田野村に心から同情する。内外全てがアホで芋の子洗うような世界。
諸々知ると毅然としてるのは無理やったと思うわ。 広瀬登板の試合
1970年10月14日 南海-阪急 25回戦 大阪球場
http://2689web.com/1970/HB/HB25.html
2回も投げたんだな・・・
広瀬の代打に村上雅
1972年8月15日 南海-ロッテ 18回戦 大阪球場
http://2689web.com/1972/HO/HO18.html >>249
打たせただけでその後投げてないのね。
あと1-7から1点差まで追い上げられてるのに完投させたロッテもすごいな
おそらく1点差になった時点で走者がいなくなってたとかそういう理由だと思うが >>248
最後は代打の神様と持ち上げられていたが、若い頃は成績がショボいのに文句ばかり垂れててて嫌われてたな
よく4番平塚が暗黒の象徴とされるが、4番桧山もそれに該当するレベルだった >>217
>>218
77年オフに安田と大杉が流出していたら78年のヤクルト優勝は絶対に有り得なかった
巨人ファンからすりゃその展開が一番望ましかっただろうな
>>234
マッシーは松井優典の代打で出た時には打点を挙げてるからね。ただ広瀬と松井では打者としてのレベルが天と地の差(広瀬>>…>>村上>松井)
野村は根本に鈴木葉留彦を代打に出されたのが屈辱だったから引退したと言っているが、この時広瀬の屈辱感たるやそんなもんの比じゃなかっただろう >>251
その桧山はスコアラーのデータの
活かし方を教えてくれて選手生命を伸ばしてくれたとと野村を心酔してる数少ない阪神の選手
桧山の証言によると野村が指導するまで
スコアラーのデータ
を参考にするのは和田だけだったそうな
それじゃあ勝てんわな 和田も野村に右打ちの意図を訊かれても何も答えれなかったり
ケースバッティングを叩き込もうとしても僕には僕の野球があると拒否したりで
結局匙を投げられた
阪神で唯一まともな野手とみられた和田ですらこの有り様だからチーム状況は推して諮るべき 空撮みたら
大阪球場のレフト側のファールの客席のすぐ横に電車が走ってるけどボールが飛んで危なくなかったの?
ホームランのスタンド越えはなかなかないけど
あそこならよく届くだろ レフトファウルゾーン側のスタンドはかなり高いフェンスがあるな
外野スタンドもレフトの方が段が多くて高い 広瀬は新庄のような目立ちたがりのタレントでない
と言って、榎本のような打撃職人でもない
おおざっぱで鶴岡さんからも叱られ役。
フォアザチームの人。フォアザ鶴岡かな。
ショートもすぐ後輩に譲るし。
でも巨人にいたらただの代走要員とか干されとった可能性が大きい。 野村の時代の南海の投手は代打強打者ぞろい
マッシーも林も外山も
一方で代打専門は東映から来た晩年の青野修三と
ヤクルトからの野次将軍大塚くらいしか思いつかない
山本雅は代打屋というよりレギュラーとれずにその位置という
感じだった気がする 南海での代打はたいしたことないし・・・ イヤな男だよ野村は
功名心が強くて陰湿で、しかもバカ女の言いなり >>255
その部分は従来のスタンドを削って線路を増設する用地に充てたから
かなり高い金網を設置してたはず 杉浦や広瀬の引退を慰留したのも俺のせいだと思われるのが嫌という自分の体面を守りたい
器の小ささを露呈するだけのことだったな
野村の小心のお陰で二人の人生も狂ってしまった
杉浦は投手コーチとして南海に残り末期状態のボロチームを引き受けて身売りの悲劇に直面することなくもっと早く監督になれただろうし
広瀬も夢であったアメリカへの野球留学を果たし本場のベースボールを学んで多くの財産を日本に持ち帰っただろう
広瀬は日米野球でも走塁だけならメジャーでも通用するどころかトップクラスレベルだと向こうの選手にも絶賛されてたからな
野村がガタガタにし投打の主力江夏柏原を道連れにした勝てるはずのないチームの監督をひっかぶされてか輝かしい野球経歴に傷がついた >>252
79年以降は江夏のほうが活躍したが78に関しては江夏は安田の代わりをできたかな
リリーフと先発で起用は異なるが。 広岡と衝突なんてことになって分解したかも
江夏にしても山本浩二と衣笠とはいわんがせめて水谷とか池谷あたりは要求しろよと
思った
当時の巨人ファン
巨人が門田を要求したら15勝投手要求ってなんなんだと思うわ。
巨人ってパリーグにトレード申し込むと足元見られることが多い >>257
広瀬が巨人に行ったら補欠とかそんなわけないだろうが
ベースランニングで広瀬がホームインする頃に柴田はまだ三本間の真ん中を走ってるぐらいの技量の差があるのに
天然の性格だからチームから浮くかもしれんが同じタイプの長嶋を使いこなしていた川上さんなら広瀬を生かせていたと思うよ 長島はああみえて、宿舎に帰っても練習(素振り)するからね。
広瀬は、窮屈になったら、やめるかトレードを志願すると思うよ。
元々が同郷の縁で南海に入った選手。欲はないし。
鶴岡さんに叱られるのと違い、川上や牧野に怒られるのは納得せんだろうね。 >>262
掛布と成立しかかった門田の見返りならエース級要求するのは当然 よくわからんのだけど
江夏と柏原が抜けたぐらいでそんなにダメージなの?
野村は選手としては完全に落ち目だったし
他の主力選手はほぼ残ってた
78年あそこまで勝てなくなった最大の理由はなんなの?
広瀬のマネジメントが悪かったの?
無理にシンキングベースボールを否定しようとしたからそれが選手の意識としてチームがバラバラになったのか?
75年巨人が勝てなかったのと通じるものがあるが 近畿グレートリング
当時外野手だった堀井数男氏が「うちはなぜか不思議なくらい米兵に人気があった。スタンドから大声でグレートリング連呼した後で大笑いしていた。」
GIの中で女性器の隠語だったんだよな。
山本(のちの鶴岡)監督が「わしらは非常にええニックネームだと思うとったのに、とんでもない意味を持ってるとはまるっきり知らなんや。
電車の車輪、チームの輪という意味でつけたのに。」
翌年(昭和22年)近畿日本鉄道から分離して元の南海鉄道に戻り、ホークスになったと。 >>266
その真逆。よき鶴岡時代に回帰を目指した。
ドン・ブラッシンゲームも退任し、普通の野球に戻る。
選手の故障も多かった。
野村が選手をやりくりで集めていたせいもあり、いきなり選手から監督と言っても広瀬では無理。1選手としては素晴らしいけど、走塁コーチ位から始めないと。
事実、後年、ダイエーで佐々木誠とか育ててるし。
選手の格、人気からいって、監督就任は仕方ないかもしれないけど、せめてヘッドコーチ位からやらせてあげないと、かわいそう。
このころ関西ではいい監督はいなかったね。西本、上田はふさがってたし。
79年くらいから、因縁の広岡、上田が退任してたけど。 >>268
多分、統合したままやったら、
近鉄高野線、近鉄和歌山線になってたやろな笑
球団も近鉄ホークスで
本拠地は藤井寺か中百舌鳥かな?
難波はどうやろな?
当然パールスバファローズ生まれてない。
そもそも近鉄が球団を持つのがあかんかったな。 近鉄がプロ野球に参入したのは上手くやればラグビーよりは儲かるだろうという
かなりいい加減な理由だったからな
西日本・西鉄みたく戦前に球団があったわけでもなければ
大洋みたくもともと社会人チームを抱えてたわけでもない >>247
書かれていることが事実に近いとしたら、広瀬にいきなり監督を任せること自体
相当な悪手じゃないの?
身体能力が高くて自分の感性で大抵のプレーをこなせた選手が
自分よりセンスや身体能力が劣る選手の側に立って方針とか立てられないでしょ。 >>272
今となれば誰もがわかっている悪手
でもこんな火中の栗を拾いに行くような人も他におらず、広瀬は貧乏籤を引いた形になった 監督要請関連の広瀬の談話は今も昔もブレてない
73年の優勝を節目に引退したかったが小池共々球団に却下され続けた
野村が解任された年にそれが急に通り不思議だったが、
引退後はアメリカに渡ってメジャーの野球を勉強しようと話を進めてる最中に要請された
この2つは就任直後の談話でも数年前に出した著書でも述べている
野村の方も、監督就任直後は長く現役を続けて欲しいと声をかけたが
2人の仲が冷え込むと引退してもらおうと画策したが球団に却下された
球団内部にも割と早い段階から、野村放逐を画策している一派がいたってことだと思う >>247
>>272
広瀬は監督一年目の78年オフの週ベのインタビューで
ブレイザーのシンキングベースボールという考え方自体は良かったのだが
それがどんどん間違った方向(サイン盗み偏重主義)に流れていったことが問題だったと言っており
阪急のような基礎がしっかり出来上がったチームが補助的にそういう物を使うなら良いのかも知れないがとも言っている
ちなみに広瀬は「サイン盗み」は全否定していたが、相手の身体動作を自ら見取る「癖盗み」は否定していない
広瀬自身はいつも相手の眼の動きを追っていたといい(野球という競技の性質上、プレイ中の視線だけは誤魔化せないという理由)
相手の投球リズムを判断材料にしていた福本に対して「それでは危ない」と言っていたともいう(実際に71〜72の日シリで堀内に対策された)
なお「サイン盗みは盗塁の役には立たない」というのは広瀬だけでなく福本も同様の見解を述べている 広瀬はちょっと前のNHKラジオの特番に電話出演していたけど
全く老いぼれていない感じで電話の受け答えもテキパキ応えていて80オーバーとは思えない印象だったが
73年プレーオフでの効果的だったホームランのことや他の逸話についてまるで覚えていないのが
いかにも広瀬って感じだった 堀井数男は監督の話は無かったのかな?
南海一筋だったし67年までコーチをやってたからチームをよく知っているし采配も飯田や広瀬よりはましそうだし
何より野村がおとなしく従うだろうし 広瀬と野村って80年代は名球会でしょっちゅう顔を合わせてたとおもうが普通に話してたのか?
皆川含めて >>278
ノムは当時講演会と港東ムースの仕事ばかりで名球会の会合とかには殆ど出てなかったらしい
それで長嶋に出てこいと説教されたのだと
ノムと広瀬の本格的な雪解けはノムが楽天の監督になってからだな
それより鶴岡親分との会話があったのかどうか気になるわ
ヤクルトや阪神の監督してるときにキャンプの視察やらで来とるはずやろ >>280
普通に名球会で一緒にハワイに行ってる映像何回も見たけどな >>275 75年「クリーン・ベースボール」を標榜したのが、セゲオ巨人。
当時、若かったんで気づかんかったが、いろんな意味もあったのね。失敗したけど。
川上はセゲオの引退数年前から、トレードの下交渉臨席など、帝王学を授けたつもりだったが、ふたを開けると、コーチ布陣など、川上案を無視。後の解任につながる。読売・日テレ中心にじわじわ長島更迭の雰囲気作ってたな。
一方、南海は、ノムの一件で爆発。Aクラス常連からBクラス常連へ。
それまで良いイメージだった球団が、一挙に没落。こんなの珍しい。
イチローがいなくなったオリックスと直近の中日くらいか。 77年10月6日以降代理監督を務めた穴吹さんをそのまま就任で、広瀬さんは外野守備走塁コーチ、もしくは兼任選手でも良かったのな。
カープへ行った江夏も金銭じゃなくて交換相手要求すればよかったのに・・・何なら柏原とセットで
柏原とハム小田&杉田とのトレードはどうしても損した感が否めない。
江夏と柏原はノムさんと行動を共にしたかったそうだけど、南海もその条件は呑めないと強制的にハムへ。
ロッテから良い見返りって考えはなかったのかな? 広瀬は人を恨んで根に持つようなタイプじゃないからな
不仲時代でも野村とも会えば普通に会話は交わすぐらいはするだろう
そもそも広瀬はサッチーが大嫌いなのとあと野球観が野村とまるっきり正反対だから齟齬をきたしただけで
人としてのノムやんは好きで尊敬もしていると語っている >>281
そういえば昔は定期的に名球会の特集番組があったな
おっさん達がはっちゃけてる映像にどれだけ需要があったか知らんが >>283
広島相手だったら、水谷+投手くらいはもらえてたな。
後年、水谷は守備が苦手なんで、古葉はDHのあるパに水谷のために阪急に出したからね。
南海はよっぽど焦って出したかったのかな。
ただ、そうなると広島のV2も微妙だったかもしれない。 >>283
ベーマガ社のトレード関連本数種に出た話だと、
ロッテからは柏原・江夏と4人の選手(名前は具体的に出ていなかった)の話があったが、
南海側が「向こうは二線級4人だろ。そんなんと商売になるか!こっちを甘く見てる」と拒んだとか。 >>275
>サイン盗みは盗塁の役には立たない
門田の引退後のインタビュー記事で
『スパイ野球を拒否して監督やサッチーに睨まれたが受け入れてた奴等はやがて打てなくなって消えていったから己を貫いて正解だったetc. 』を思い出した >>266
南海が急に勝てなくなったのは
選手の流出よりも急激な野球の変化に選手が追いつかなかったから
長嶋巨人の一年目や権藤→森の横浜と同じ
そういう意味ではなんの準備もない広瀬にやらせたフロントの致命的な人選ミス。
上にもあるように穴吹監督で良かった
一応スター監督なんだし
その後ずっと低迷したのはフロントが金がなくなった事に尽きるな。弱くなるのは必然 >>285
ほんと昔は異常だったな、名球会のオッサンがゴルフしたり、
商品をかけてジャンケン大会なんかを1時間もテレビで垂れ流してたんだから。
今こんなの企画したら企画書の段階でビリビリに破られてゴミ箱行きだわ。
あの時代の人は、地上波で巨人阪神戦が見られなくなる時代が来るとは夢にも思ってなかっただろうな・・ >>288
ワールドシリーズ制覇には役に立つようだけどね >>266 弱くなったのもそうだが、南海のイメージが格段に悪くなったし、
パリーグ全体の足も引っ張った。
この後、南海とロッテだけ低空飛行を続ける。悔しかったなあ。 誰もが知ってるレベルのスター選手が揃って退団し居なくなったら、
そりゃ速攻で見向きもされなくなるしな。
円満退団とはいえ、イチローが退団したオリックスもそうだった。 一挙にチーム力が低下、及びイメージ的に魅力が無くなっちゃうよね。
南海はプラス野村スキャンダルで、鶴岡さんのイメージを毀損したし。
楽天でもマスコミ使って同じようなことしてたけど、なので同情しなかったんだが。
後でオーナー三木谷のやり方見てると、ノムに同情したよ。 どのみち関空が泉州沖に決定し南海がアクセスを担うと決まった以上なんばのあの土地は明け渡さざるを得なかったわけで
下手にチームが強くて人気もあれば南海本社も大いに弱ってただろうよ
ホークス末期がああだったからこそ南海も後腐れなくダイエーに譲渡する決心もついたんだし もし球団オーナー川勝が健在だったら
どこまで身売りを渋りゴネてたんだろうなw 野村南海は盗む前に阪急の盗み対策をしなければいけなかったからな、やり返してたら互いの盗み対策で野球がまともに進まなくなったのでパリーグでは70年代で廃れた。
何故かセリーグでは80年代に遅れて流行ったらしいけど。 広岡が広島か中日に「まだそんなことやってるのか」とセンターから球種を盗んでいる球団を諫めたという話を言聞いたことがある。 南海は関空島引き換えにホークス身売りやな。
近鉄はハルカス引き換えにバファローズ犠牲に。 >>288
78年の南海、10年の楽天。どっちも禁断症状でボロボロに
ヤクルトは予め数年前から田口が準備を進めていて脱却に成功したけど
>>299
広島だね たとえ南海身売りでも大阪で存続という話はなかったのかね
田村駒のような会社でもええから >>266
>>269
広瀬が監督職に向いていなかったのはあるかもしれないが、
そもそも監督職をお飾りか集客ツールのように安直に捉えている
人たちがフロント内にいることが癌ですわ。
今まで選手視点でしか見ていなかった人にいきなり選手たちを管理しろ、
コーチたちを管理しろ、彼らを管理するときの評価軸を持て
と言うのは無理がありすぎる。 広瀬、杉浦の監督就任はイメージダウンになったし、結局南海がしょぼい球団になっちまった。
それぞれ頑固だけどコーチとして指導者としての資質はあったし、実績も残したけど、監督実績ばかりが目立ってしまう。
一方、ノムは南海のスキャンダルをねぐって、名将気取り。
南海での苦労がヤクルトで活かされたことをアピールしなかった。
せめて、死ぬ前くらい回顧してほしかったが。 >>298-299
江本が阪神に行って「南海に比べて遅れていて甘い野球だな」と思ったそうだ
サインもグーチョキパーみたいな単純サインだったとか >>305
ノムが監督に就任した時点でもスコアラーのデータを活用してるのは和田だけだったという選手の証言があるくらいだし
それ以前ならデータなにそれ美味しいの?の世界だろw >>302
それが一番あり得ない選択肢だろ
阪神帝国の大阪で >>305
藤村以来、選手個々の能力をアピールして人気があった球団だからな。
同じ在版でも、南海とは違うよね。巨人戦さえ頑張ればいいもん。
阪神が人気出たのもV9の頃の巨人のおかげ。
逆に南海の人気に陰りが出始めたのもV9巨人に勝てなかったからだが。 >>304
野村が南海監督時代語るのは
vs福本
73年のプレーオフ
江夏のトレード
だけだもんな
あとは一切触れない >>301
野村時代の楽天でストライクゾーンを81分割して投球分析して
投手にレクチャーしてるってのを一場のドキュメントだかでやってたな
古田も里崎も内外と高め低め、4分割で十分だって言ってるのに >>309
あとは、入団エピで遠投をごまかして入団、入団1年目のオフの、首になりそう事件。
南海電車に飛び込む、といったやつ。
これネタだと思うんだけどな、ここまでくると。
日本シリーズとか触れんな、活躍しとらんからかな?? 円城寺球審の話しをもっと聞きたかったな
まああれはノム自身が、「自分の技術不足」と認めてるからそれ以上語ることがないのかもしれんが 技術不足じゃないでしょ
立って喜ぶのが早すぎて円城寺が手をあげなかったかもって話だろ。
実際にそんな言い訳を使われてるんだろうけど
単に読売贔屓しただけで間違い無い。
のちの阪急に対するセ審判の嫌がらせを見ても。 ハワイキャンプに連れてってもらって門限破りで鶴岡監督から正座からの平手打ちを食らい
俺はもうクビだと落胆してからの唯一の収穫は野村だという新聞記事を見て歓喜狂乱になった話は講演でいつもしてたはず
一度しか誉められなかったからこそそれが鮮明になるから俺は選手を褒めないという持論のセットで
ってよくみたら兼任監督時代の話か
それは確かにそうだな
基本思い出したくもない過去だもんな 電鉄上層部の話「杉浦君を監督にという声は内外問わず多かったんだが、どん底のチームを再建するにはアクの強い指揮官でなければという意見が多かった。
杉浦君はジェントルマンだからというわけです。親会社も球団も野生派を望んでいたわけですが、失敗に終わった。
皆、杉浦君の真の姿を知らなかった。それが南海の債権を遅らせてしまった。」
杉浦忠監督「フレッシュなチーム作りがしたい。若さと希望にあふれたチームを作りたいねぇ。」
信念を曲げずにエースにすべく西川を起用し続けた。
穴吹監督が計画しても実現できなかった若返り策を積極的に行ったのは昭和61年のことである。 ハワイキャンプなんて金満球団みたいだなぁ
昭和30年代の話ですごいな >>308
V9じゃなく川上巨人かと
川上監督就任時辺り迄の巨人は
世代交替期で王も完全覚醒前
頼りになる打者が
長嶋くらいで必ずしも磐石では無く
61年は最後中日濃人のヘボ采配に救われてのリーグ優勝
日シリも下馬評は南海有利だったのに
一年生監督川上に負け最後まで川上に屈した鶴岡親分w >>317
その時期が最も南海電鉄がブイブイ言わしてた頃だし
そこからは転落するけど >>317
普段ケチだからね。また、ハワイは広島県&山口健人が多いのよ。
>>318
どうも舐めてたのか、59年1回日本一になったからか勝利に対する
執念がなかったんだよね。
おっしゃる通り、濃い人の怪人ぶりがいかんなく発揮。
ヘッド挌に鶴岡さんの恩師?石本さんもいた中日。
巨人より1勝多いのに2位。
濃い人は九州閥優遇といわれてたが、ご本人はバリバリの広島県人なんだよ、広陵だけど。
名古屋を荒らしてんだよな、このころは。 >>314
https://bunshun.jp/articles/-/33790?device=smartphone&page=2
南海が野球人生の始まりだが、追い出される形になり、嫌な思いもたくさんした。阪神の監督をやったことは大失敗。楽天も最後はいい終わり方ができなかったが、ヤクルトはいい思い出しかない。最期はやはりヤクルトのユニフォームを着て旅立ち、あの世から野球を見守りたい。 >>320
濃人中日はお家騒動が勃発して落ちて行ったんだったな。権藤酷使の他に
江藤(濃人派)と森徹らとの対立もあって、南海もトレード候補として間接的に関与することに
この時中日から南海に来たのが井上登だった。 >>322
えこひいきが露骨なんだよね。
このあと、オリオンズでもやらかしてる。
でも、権藤、江藤、古葉、吉田勝を育てたんで
謎の人なんだよ、晩年はカープを応援しとったし。
当時の鶴岡さんの周りは、困った同郷の人が多く、ひとり鶴岡さんがクールだった。
監督としての実績もぴか一だし。
石本、藤村富、浜崎、岩本、濃い人、若手のハリー、広岡
我を通す人がおおかった。 >>322
南海の寺田の処遇と
中日濃人派の利害が一致した感の
トレードだったなw
石本翁を介して鶴岡とは同世代で面識もあったろうし >>280
野村と広瀬は阪神監督時代にはもう雪解けしてるぞ >>305
江本が「吉田さんに柴田猛にサインを全部盗まれてますよと言っても全然対策しなかった」と言ってるからな
尤もセのサイン盗みのピークは90年代だが
>>320
所謂「濃人一家」はノンプロの日鉄二瀬(福岡県)監督時代の選手で構成されてたからね 濃人は正捕手の吉沢をあっさり放出する愚行
経験ゼロの江藤がおっとり刀で務めるなど木俣が台頭するまで捕手に悩まされた 門田はインタビューに来た栗山(現日ハム監督)を恫喝するような変人だからな。
引退まで面倒を見たダイエーも指導者にする気は全く無かったんだろな。
仮に監督になっていれば有藤みたいな無様な成績になってた可能性が高い >>324 寺田は日鉄二瀬だし、鶴岡さんが日シリでの落球を引きずっている寺田を
濃人に託した形になった。
石本さんは同世代と言うより、広商での監督と選手の関係だから教え子ですね。
日本刀での刃渡り、地獄のノックで有名。広商の優勝監督。
あまりにもスパルタなんで、鶴岡さんはうまく距離を置いてた。阪神に入らなかったとこ見ると。
プロでも阪神で優勝したり、何球団も監督してる。広島カープ創設でNHKでドラマにもなってた。
美談として扱われたけど、一旦放逐されたんだよね、カープを。
そこからもすごくて、西鉄三原と組んだり、濃人を中日で助けたり。
結局、カープを優勝させたのが濃人の教え子の古葉。古葉は南海での経験が役立ったらしい。なぜか野村とも気が合って、南海のHCか監督の目もあったとのこと。 門田はABCの解説者だった時、
レーティング中には自社向けでなく、RCCやCBCまたはSF向けの裏送りに出た時があった。
自社向けの解説者に阪神OBを優先した上、タレントや自社のトラキチアナをゲストに出していたからか。 張本や佐々木と同じ
解説聴いてても「あ、こりゃ無理」ってわかる それでも南海が残っていれば一回ぐらいは監督できたかも知れないが 門田も草と同じことになるのでは?
上田、仰木、大沢あたりに、うまく立ち回れば、ヘッドくらいにはなれたはずだが…。そんなタイプでもないしな。 草レベルで済めばいい方
鬼平みたくなる可能性すらある 門田は監督というよりも
打撃コーチも無理
バッターの特性見極めずに門田みたいなバッティングさせると殆どのバッターがおかしくなる
だから臨時コーチすら厳しい
江夏や江本は仮にコーチさせたら自分を押し付けずに
比較的常識持ってるんだけどなぁ >>328
江藤は元々捕手だった
中日入りして打撃を活かす為に一塁転向したんだが森徹や井上登の主軸に吉沢まで放出して再びマスクを被る羽目にw
森徹と井上を放出した見返りの寺田長谷川半田で使えたのは半田のみ
南海入りした井上の方が成績は良かった様なw 何気に野村-江夏のバッテリーって、
お互い全盛期ならプロ野球史上最強のバッテリーかもしれんな >>341
江夏は野村のリードに対して現役時代から嫌悪感を示してた
著者でも南海の現役時代のとあるリードからその人間性を吉田並みに批判してる
江夏は野村のことを呼ぶときにムース、カッコ付きの「ノムさん」、監督でもないのに「野村監督」といちいちカッコをつけて呼んでて、
なんとなく野村にさん付けはしたくなかったんだろうね 門田の理論は門田だからこそ実践できて、他人がやろうとしてもかえって調子を崩すはず。
ある意味で榎本喜八の理論に似てると思う。 >>343
喜八は奇行、何言ってるか理解できなかったらしい。
門田は強引な理論を押し付け、教えながら切れそうやな。 >>342
マウンドで投げてる時に配球なんて細々と考えてられるかいなと
江本と意気投合して野村にぶつくさ言う割に、実際にはきめ細かな配球を考えた
投球をするのが江夏の面倒臭いところやね 野村は江本にど真ん中ストレートのサイン作った程度にはアバウトだと思うが
ヤクルト以降のイメージで細かく考えすぎのイメージでも付けられてしまったのか >>330
古葉は森永の監督就任で請われて広島に復帰。結果的に73年オフという最高のタイミングで南海を出ることができた
沙知代に盲従して諂う古葉なんて全く想像出来ないからな >>302
元気だったころのダイエーが
どこのお店でも若貴軍団〜〜〜♪の歌を
店内で流してたから、大阪だけどホークスがずっと
遠くに行ってしまった感覚が和らいだな。 ホークスには3軍があって育成選手が何人もいる。
ダメ元で門田にコーチさせたら化けるのが出るかも。 >>351
古葉の回顧録。この頃の南海はまともだったのかな。
というか、広島は全く緻密な野球をやってなかったのが良くわかる。
翌年(73年)は1軍コーチを務めました。その時にチームが取り組んでいたのは、少しのミスも許さない「緻密な野球」でした。
例えば捕手が投手に出すサインは二塁手と遊撃手も確認。打球方向を予測し、守る位置を変えます。さらに捕手は打者の動きを見て狙い球を探る。打者も過去のデータから配球を読みます。画期的な野球でした。 >>322
井上登というと東海圏在住の人だとCBCの解説者のイメージがあるかな?
晩年はローカル主体だったけど、80年代初めまでは対巨人の全国中継にも出ていた。 >>354
川上牧野V9野球の猿真似を
野村ブレイザーが編み出したと
喧伝w
クイックモーション然り >>356
古葉が本気でそう思っとったんだから、しゃあない(下記リンク)
広島の監督も根本だったしw
セリーグで、それだけ巨人が抜けた存在だったのも事実だが。
牧野はドジャース戦法でしょ。それ自体は新しくないし。
https://web.archive.org/web/20130602191140/http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/ikite/ik130308.html >>355
井上登は愛知県出身
旧くからのファンには54年中日日本一レギュラーで濃人旋風の犠牲者
東海地区球界の大御所で
初代中日OB会長の杉浦清が他界するまで永くCBC解説者を務めていたな
杉浦 井上 板東英二の布陣で杉浦他界後は近藤貞雄 井上 高木 木俣らで(板東はタレントとして人気が出て外れた) 門田の打撃を体現するには1キロ超えのバットを
高速スイングしないといけないからなぁ… >>356
川上牧野って何か新しい野球始めたの?
しつこいバントのイメージしかない。
普通のパリーグファンの間では新しい視点の野球を持ち込んだのは
阪急スペンサーと南海ブレイザーって認識だと思うけど。 >>362
『ドジャースの戦法』(54原著、57和訳)の理論の導入は、巨人では水原の頃から既に始まっていて川上はそれを継承した
スペンサー(64来日)とブレイザー(67来日)によってパに同書の記述の具体的実践法がもたらされたのは確かだが(特にサイン盗みについて) >>362
どっちだって元はアメリカからなんだから同じだろw やっぱり門田って良くも悪くも野球が好きなおっちゃんだな。
でもそれじゃ組織の中で、ましてや指導する側とかにはなれんかな。
要はサラリーマンなわけだし 門田は下記リンク見る限り普通のおっちゃんだけど。
典型的な脱サラ→蕎麦屋、大失敗みたいな人だった、当時のインタビューは
https://www.youtube.com/watch?v=Yver1_25q0c&t=180s >>310
その81分割をアマチュア野球指導者となった元プロ野球選手が高校球児に指導してるからなぁ ドジャース戦法凄いの?
当のブルックリンドジャースはリーグ優勝は何度もしてるのに、ワールドシリーズ1回しか制覇してないんだよな。
ロサンゼルス移転してリーグ&WSは何度も制覇し黄金時代迎えたけど。
短期決戦弱い、ブルックリン時代は。
何となく南海とブルックリンと被るな。
逆にジャイアンツはニューヨーク時代はリーグとWS何度か制覇したけど、サンフランシスコ移転後、リーグ優勝も減っていった。 そもそもドジャースの戦法って本自体が長らく(日本の某猛虎球団の様な)ネタチームだったドジャースを真の強豪チームへと脱皮する為の監督・コーチ向けの手引書
として書かれたものらしく、本の前書きにもドジャースの戦法と聞くと(ドジャースのお家芸の)凡失・珍プレーでも紹介すると皆さんは思われるかもしれないが、これは
至って真面目な野球の指導書であり・・・・・・という趣旨の事が書かれていたっけ。
何せ読んだのが随分昔なので一語一句まで覚えてはいないけど。 つまり中々ワールドチャンピオンになれなかったドジャース自身に依るヤンキース(ツープラトン制とか打順の組み方とか)やジャイアンツ&カージナルス(フォーメーション
プレーとかスパイ野球対策とか)といった名門チームの戦法の研究並びに考察といった趣の本で、だからこそ日本の各監督もこの本に注目・研究の対象としたのだろう。 ちなみに似たような試みは長期低迷していた1990年頃のヤンキースでも行われていて、ヤンキース自身がファームの選手強化マニュアルを作成し、ヤンキース傘下チームの
各監督・コーチがそのマニュアルに基づき若手選手指導を行い、後の1990年代後半の黄金期へと繋がった。
その手法を日ハムやソフトバンク、少し遅れて巨人等がお手本にして、チーム力の維持並びに強化に役立てているという。
連投になっちゃったけど(汗)。 日本は60年代ののドジャース戦法で止まっていてバントばかりしていた
ここ3年くらいで変わりつつある 今のMLBみたいな飛ぶボール全盛の時代だと、門田みたいな思考は歓迎されるのかな?
個人的には、試合の状況に関係なく長打狙いというやり方がどのような打者にも徹底されると
それに合わない選手の大勢出てきて悲惨な成績で終わる選手も増えると思うが。 >>370
まぁ、阪神は1リーグで4回優勝してるし
巨人と阪神はまだ対等に渡り歩いてたやろ。
2リーグ後でセントラルなってから、
いい選手おるし、優勝狙えるチームやのに、
自らのお家芸で自滅して行くアホ球団に成り下がった。
もうお笑い球団やね。
ドケチ南海電鉄の下で黄金時代築けたよな。
東の巨人、西の南海。 (アキレス腱断裂後の)門田はさすがにフライボール革命後でも
打順の中に1人置くのが限界でしょう・・・
まさに打つだけの特化した選手だし >>370
巨人のように、ほっといても有力選手が来る状態じゃなかった。
巨人に別所を引き抜かれた後は、鶴岡さんが地縁や全国飛び回って、選手かき集めた。結局、水原巨人にずっと勝てなかったのも、選手が東京行って緊張するのも原因。スーパーピッチャーの杉浦が出てきて、やっと一矢を報いたが…。 門田、30歳までに150本もホームラン打って無かったんだな
それで通算567本は凄すぎる いくら門田でも全打席HR狙いはしないである程度はチーム打撃をしてただろ フライボールも流行り過ぎると対策されて
トレンドが入れ替わるだけだと思う 通算本塁打数2位と3位を輩出してるのは凄いよ
ついでに1位もホークスという
括りでいえば堂々たる関係者だしなw >>381
フライボール革命と言っても、飛ぶボール使用ありきだからなあ。
メジャーリーグではここ数年飛ぶボール使用がばれたみたいだし。 大洋ホエールズにも門田って投手いたけど
あちらは細身の投手だったから同じ門田でも
偉い違うもんだなあって思ってた >>379
8+31+14+18+27+19+22+25
1977年(29歳のシーズン終了時)までに164本打ってる >>385
3割20前後で典型的な中距離打者だよな
なんだかんだ言って野村の言いつけは守ってる 激白 門田博光「関西パ・リーグ漢塾」
オッサンには、よう小言を言われましたワ。
https://friday.kodansha.co.jp/article/2862
「オッサンこそ悪人だ」と失笑
一番、南海が面白かった頃かも。ノムの個性がよくでてる。 >>385
しかも他球団に比べたら飛ばない球使ってた南海所属だからなぁ
阪急や違反球使う近鉄ならもっと伸びてたかもしれん >>387 濃人のキックはひどいなw
足がよう上がっているw >>387,389
一瞬カネヤンキックかとオモタw
中村オーナーの指示で放棄試合をさせられたり、又、中村オーナー自身も後に引き受けたライオンズでオリオンズとの遺恨演出に関わった一人なので、
このハイキックもマスコミの注目を集める為のパフォーマンスだったのかも。 >>383
MLBのことだから、数年もしないうちにこっそり元のボールにすりかえ
フライボール自体もなかったことにやりかねない。
そうすると求められる人材も新陳代謝できるので、結果的に
おこぼれに預かれる人の絶対数も増えるし、得できる代理人や選手も増える。 >>390広島出身なのに金鯱軍・中日で暴れ、ロッテでも何かとヤラカス。監督→2軍監督→スコアラー。
ここは南海スレだけど、意外と縁があるのよ、南海に。
降格の後は大沢が監督だし、鶴岡さんと共通の師匠が石本先生。
また、鶴岡さんは南海監督引退の後、東京にお世話になる予定だった。
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200526-02&from=ynews 野村って4番は出会いといいながら門田にアベレージを強要するわ富田は干すわ
意味わからん。 本当にこの監督が名将なんか??
高橋由伸獲得失敗したときは文句たれるし。 いじめやね。可愛がりというやつか、>>387 みると。
門田だから切り抜けたけど。。。富田は血の気が多いから、何かやらかしたかもしれんな。殴るとか。
でも、森のほうが性格悪いで…。現役時代、控えのキャッチャー全部潰しとる。
ただ、とるほうもとるほうで、森に刺激を与えるためとか言って。
川上の性格は悪いよ。そのせいで、本当に森はもっと性格が悪くなった。 >>392
スコアラーじゃなくて
スカウト部長
田中由郎をモノにならなきゃ腹を斬ると嘯き強行指名してモノに成らず数年後退団する羽目にw
カネやんも逆らえずにゴリ推しを認めさせるとは
あとラッバ永田の葬儀に当時の主力選手が参列するも優勝時に自分より先に胴上げされたのを根に持って参列しなかったとか >>395 そうですね。78年なんだな。並行して、広島テレビの解説をやってたとは最近知ったよ。村山とコンビで出演してた。
ロッテは78年野村に監督断られたり、81年なぜか重光オーナーが鶴岡さんに相談して、山本一義を監督に抜擢したり、なんか節操がないというか不思議な球団。今もだけど。 プロの世界に「節操」とかいう言葉を使う方がどうかしてるわ >>393
高橋由伸獲得はアンチ野村が神の様に崇めてる
片岡チーフスカウトが絶対獲得できると太鼓判を押していたからな
その片岡の方が野村よりよっぽど高橋の悪口言ってるでw
それに野村は晩年になって山崎と意気投合
あの山崎がプロ生活で唯一胴上げしたい指導者だったとベタ惚れしてる >>398
高橋由伸は巨人だと思ってた。理由日刊スポーツが当時9月に巨人逆指名と
1面で報じてる嘘だと思うなら国会図書館でも行って調べてほしい
そうしたらサンケイスポーツというかフジサンケイが巨人ネガキャンして
巨人にはいかないとか当時の早稲田閥を批判したりしだした ヤクルトは当時高橋について「うちは成田離婚されたようなもんだな」と言っていた
高橋本人も本心はヤクルトに行きたかったらしいが色々な事情で巨人になった
高橋は松井がライバル意識を燃やした程の天才だったけど
ケガに弱いガラスの天才でもあった 野村克也=山倉に自分の後継者になってくれ。 南海拒否
評論家になり山倉のリード批判、自分が指導すれば変わったということかな
外角のワンパターンリードは長嶋巨人の指導者が悪いということ?? 巨人って桑田の問題もだけど早稲田と相性悪いな。 早稲田の有望選手来ないし
桑田は早慶戦に憧れてたのかな?? もしそうなら桑田は慶応受験してれば
隠せて清原1位で外れたら桑田・取れたら2位桑田とかできたかもしれない >>400
高橋の親父がバブル期に土地転がしに失敗して10億余の借金を抱えてたからな
ヤクルト側は借金は全額こっちで払うってやるって条件で逆指名内定にこぎ着けてたが
巨人が焦げ付かせた当該不動産群をバブル期の評価額(約60億)で買い上げて逆転 >>396 >>397
ロッテの話はいいよ。南海スレなんだから。 大阪球場跡もバブル崩壊で結局10年以上再開発しなかったな >>406
身売り前から解体&難波駅前からの本拠地移転だけは決まってたのに
まさかその後10年も球場設備が残ることになるとはなぁ
球場として使ってたのは移転後2年くらいだったが ホークス身売り直後の計画ではこうなる予定だったからな
バブルが弾けて全部ご破算
https://www.eonet.ne.jp/~building-pc/images/nanba300.JPG >>406
でも住宅展示場になったおかげで
気楽にグランド跡に入れて楽しかった
宮部みゆきの火車のトリックにも使ってもらえたしw ロッテ時代の野村って大阪球場で南海ファンはどういう反応だったの?
西武時代も >>404
高橋にもう一度チャンスを与えてヤクルト監督はどうだろうか >>393
野村は生前ID野球の先駆者として知性派扱いされていたけど、
実際は理性より好き嫌いが勝ってしまうタイプだし
対等な立場でのコミュニケーションが苦手な人だよ。
スワローズ時代は、古田を除いて主力選手が比較的温厚なタイプが多かったことも
野村にとってやりやすかっただろうな。 それは江本も自著で書いてて
俺が来た時のノムさんは理論とパッションが両立した理想の指揮官だった、って >>411 無理筋。必然性が全くない。
>>413 サチヨ洗脳前の野村は、優秀な青年監督だよ、中西、江藤、稲尾、村山など他の連中に比べて。また、金田なんかよりはね。意地悪だけど、そんなのはプロでは当たり前。クリーンじゃないベースボールw
江本、江夏、門田が配下にいて普通の指導者じゃつとまらないよ。 その3人をなんだかんだで操縦できたのも専任選手時代の実績があるからだろうな
やっぱり監督にも実績は必要だわ
説得力が違う >>415 俺はノムシンじゃないが、三冠王だし、リーグを代表する捕手だからね。
そのころの南海は、広瀬もいたし、福本いわく「広瀬さんは神や」と言ってたくらいだから、広瀬に対しては、門田ですら、一目置いてたらしい。
落合は「杉浦さんのいない名球会はおかしい」など、南海にはBig Nameがいたと思うけど。
しょせん、パリーグなんで埋もれ気味だが。 >>412
95年あたりに某パリーグチームが控えの野口をトレードで要求したらあいつバカだから
とか散々文句言ってたらしい。 馬鹿なら出してくださいよといったけど交渉決裂
結局98年だかに野口は日ハムに行く エモもそうだけどその時期の野村としばらく経てからの野村が
あまりにも変わってしまったんで失望した人が多いんよね >>418
新浦とは大違いな。 新浦は巨人時代生意気だったらしいが韓国行って帰って
来てから態度が良くなったそうだ著書にも書かれてた 野村にとっては時代も良かった。
90年代のプロ野球人気絶頂期に久しぶりに舞い戻った監督業で結果を出した。
もはや時代の寵児だったしこうなれば多少失望する者がいても無敵。
一度ついたハクは多少阪神でコケたくらいでは剥がれない。
そのコケた分も楽天でそこそこやれて挽回できてある程度
「終わり良ければ全てよし」にできた。
その頃には自分が起こした不祥事もリアルで見てた人はほぼいなくなってたしね >>389
キックしているのは代走専門の飯島秀雄
南海戦の本塁突入で乱闘が起こったとき、直接は無関係なのに大暴れして寺岡孝にケガを負わせた ノムさんと言えば「大卒や社会人でのキャッチャーはいらん。高卒を俺が育てる。」
片岡スカウト「指名すると約束してるんだから古田に行ってもらわなきゃ困る。」
ドラフトでノムさんが押し切って約束を反故にしたら球界の宝も誕生しなかったし、飯田や中西の使い回しでチームもあそこまでいけなかったろうな・・・。 >>421 同じタイプの広岡もロッテでこけ、森は横浜でこけハワイで隠居。ラッキーやな。 >>413
少なくとも南海時代前半までは自分は打撃指導は上手くないというのを自覚していて
沼沢・古葉・高畠といったコーチ陣に「責任は俺が持つから存分にやれ」と任せるだけの度量はあった
「エースと四番は育てられない」とか言い出したのは阪神時代から
実際南海では高卒生え抜きの西岡を自らの手で受けながらきちんとエースに育て上げている
>>417
95年まではポスト古田としてきちんと育成され出番も相応に与えられてたからな
カツノリ入団で扱いが一変し97年に野口がフロントに他球団へのトレードを直訴
その時は慰留されたが翌年に脱税で捕まった宮本が出場停止になったんで城石との交換で日ハムに移籍
>>418
広瀬とか小池とか、もともと野村と親しく家族ぐるみの付き合いをしていた人間ほど野村を正気に戻そうとして直言し
その為に沙知代に讒言されて憎まれ絶交状態になっていったという >>417
なんか嘘くさい
トレード候補なら高く売れる様に思ってもない高評価
をして駆け引きする御仁だろうに いやあ、野村ほど分かり易い野球バカはいない。
だって、サッチーの言うことを聞いて実施した件が見え見え。
10勝投手の江本のトレード
西岡、島野の放逐
カツノリ入団と登用
ほんま、結構露骨なんだが、長島親子が目立つのであまり問題にはならなかった。
プロで通用しないんだったら、入れなきゃいいのに。
先日お亡くなりになった鶴岡さんの息子さんは、法大で実力もあったのに、プロ入りを止められノンプロ、何故かPLの監督になり全国制覇。 つまり長嶋一茂ほどの能力も無いと判断したのでは?
(時代の順は逆だけど) >>421
阪神を辞めた時は多少評価が落ちたなんてもんじゃなくてドン底だったぞ
スポニチなんて憎っくき野村をこれで球界から無事
追放できた!ってお祭り騒ぎのコラムを書いてたぐらいだ
それこそ森みたいに事実上プロ球界から
追放状態になってもおかしくないくらいの
それが再評価されだしたのは星野とシダックスの
おかげ 星野は何の関係も無いと思うけど、
嫁の脱税で自身にも捜査が入りホントにお金の事何もわかってないのが表に出たからね。
当時の週刊誌ネタだと野村本人名義の資産は無かったそうで。
何だか同情されたのと、シダックス監督を嬉々として受けたので金より野球的な姿勢が割と好意的に捉えられたのかも。 1983年西武日本一直後の番組
進行役が野村。ゲストが田淵、江夏、衣笠なんだけど今と違って落ち着き、話し方が30代後半で充分大人。
セーブの数がそこそこあっても江夏の「17ゲーム離されたシーズンでつまらないシーズン」今の選手のように簡単に喜ばないところがいいわ
ノムさんの衣笠に対して「この記録は普通のタイトルと違って病気しないっいう条件が・・・」と、連続試合出場を褒め称えるのもいいな >>425
城石にとってもこのトレードはプラスだったかも。
その後ヤクルト・日本ハムの両球団での指導者の道に進んだし。 >>432
イチローにいわせると連続試合出場なんて意味のない記録
それを自慢していた野村なんて笑止という事らしいがな >>434
もっとも、イチローはヤンキース以降は常時出場できない補欠だったわけでw >>426
ロッテでGMしてたHさんが城石とのトレードの時に野口についてコメントしてた
野村の弟子 高津も三木もいまいちだね。 >>429
一口にスポニチと言っても大阪と東京じゃ全然違ったけどな
大阪では反沙知代派の急先鋒吉見健明(南海担当時代に沙知代の悪行の数々を最初に報道)が糾弾コラムを書いてたが
東京ではTBSの影響が強く逆に沙知代の取り巻きが提灯記事を書いてる >>437
名前忘れたけど女のスポニチ記者があることないことボロクソに書いていたのは覚えてる
野村退任後チームの内紛の仕掛け人は実は私と嘘かまことかわからんが自慢げに書いていた >>436
ロッテとのトレード話だったのか
結構いい捕手だったけどな
しかしハムも大島からヒルマンになるタイミングで野口、下柳(大島の下で不調だったけど)、中村放出で坪井、山田、伊達とあまり使えないの獲るし
ヒルマンになったら田中幸雄は控えにするし井出も出すし・・・
王さんが嫌って放出したダイエーもだけど日ハムも2000年以降不調の下柳を再生できず放出したのはもったいないことしたと思う >>437
母体の毎日新聞ですら、かつては大毎(大阪毎日)系と東日(東京日日)系で別物っぽかったからな。 >>439
暗黒阪神を支えた坪井と山田を使えない奴とバッサリ切られると悲しくなる
実際使えなかったとしても ホークスob戦って
野村にとっても気まずいやろな多分。
ヤクルトob戦の方が居心地良かったんちゃう? 野村は打撃ではポジションを脅かされる選手は無かったな
あえていえば高橋博かな
たしかロッテで再会するんやな >>442
実際ベンチで誰も近寄らなくてぼっち状態になっていたので江本が話し相手になってあげた
ヤクルトOB戦での生き生きとしたノムさんと好対照 >>441
スマン・・・坪井に関しては拙い守備を見たり、東京ドーム最後のシーズンのみレギュラーで翌年から出場数が減っていったこともあって
ただ新庄がハムに入った理由に坪井がいたこともあるんよね
下柳にしても環境が変わったからこそ活躍で来たっていうのもあるだろうしね
ただ、野口を出す必要あったのかなと
ノムさんとゆかりのある選手とはいえ南海スレで<(_ _)> >>427
人間教育とか偉そうなことを言っていても自分や身内には甘い
ということを周囲にも気づかれているから、
スワローズ以外では人心掌握ができなかったのだろう。
>>442
さすがに野村もサッチーの件でチームを崩壊させた過去があるから、
OB戦に参加してもほとんど相手にされないということはわかっていたのでは? >>427
江本は山本泰について「カーブ打ちが上手くてプロでも通用したんじゃないかと思っている」と
書いていたな
広沢が「二軍どまりの選手は変化球についていけていない」と言っていたが
カーブ打ちが上手いってことは打撃センスが良いって事だからな >>442
ホークスOB戦にて
https://asagei.biz/excerpt/13995?all=1
2年前、春キャンプの真っ最中に、巨人OBとホークスOBの試合があったんです。ノムさんは監督。でもベンチに座っていても、旧南海の人間は誰も近寄らない。OB戦なんて、だいたい和気あいあいとしたもんですけど、雰囲気が悪かった。
しかたなく僕が横に座って話していたら、ベンチの端のほうにいる南海OBの連中を指さして、「おい江本、あいつら俺にあいさつに来んなあ」「そら来ませんよ、監督。嫌われとるもん」そしたら、「そやな」と笑ってました。本人、わかってるんですね(笑)。
一方でヤクルトOB戦でのこの笑顔
https://images.app.goo.gl/novxNWap8T7HqS8v8
いくら自分が悪いとは言えヤクルトユニフォームで
葬ってくれと遺言残すのは当然だな
https://bunshun.jp/articles/-/33790?device=smartphone&page=2
南海が野球人生の始まりだが、追い出される形になり、嫌な思いもたくさんした。阪神の監督をやったことは大失敗。楽天も最後はいい終わり方ができなかったが、ヤクルトはいい思い出しかない。最期はやはりヤクルトのユニフォームを着て旅立ち、あの世から野球を見守りたい。 南海OBもそうだけど、城島がノムに挨拶したかどうかが気になるわw 江本は昔から毒舌で売っているけど、野球観みたいなのはオーソドックスというか保守的であまり極端な主張はしなかったよな。
科学的トレーニングなどいわゆる現代野球については完全否定はしないが盲信しない立場だったような。
好き嫌いはあれ、40年も野球解説の第一線にいるのは評価されて良いと思う 江本は突然引退して野球評論家になった直後、本がベストセラーになり、タレントとしても
大人気だった。一過性のブームに終わることなく、人気が今も続いているのはすごいことだ。
国会議員にもなったし、元プロ野球選手のセカンドキャリアとしては最高の人生を歩んでいる。 江本の心残りはコーチとかになれなかった事らしい
ノムさんが呼んでくれたらどこでも駆けつけたのにとは本人の弁 江本は野村の一番の愛弟子というべき存在だが全面的に野村に盲従する信者ではないからコーチになっても伊原みたくぶつかってすぐ辞めてるだろな
阪神監督時代の野村の采配にも真っ向から批判し本人ともやりあったと言ってるぐらいだからねえ >>452 453
隠し子もいるし、色物とみられがちだが、意外と正義感は強い。父親が警官だからか?
野村評も極めて冷静
「ヤクルトのときは、たまたま若くて良い選手が入って来て、もともといた選手と歯車が合ったから優勝できた。阪神や楽天では残念なことに、その“たまたま”がやって来なかった」 要するに江本は野村は無能と言いたいわけか
なるほどよくわかった 実際選手を見る目なし
指導力は自慢するほどはない
人格はご存知の通り最低
やっぱり南海の歴史から抹消されるのは当然と言えるドクズの最低監督だな
というか日本のプロ野球の歴史からも
抹消されるべき 無能というニュアンスではないと思います。
タイミングも大事であると。
ヤクルトではそういう出会いやタイミングで自分の目指す野球とマッチしたら相乗効果が出て優勝という結果を生んだ。
阪神はそういう環境がまず無かった。楽天は発展途上であった。
という事では?
監督無能ならいくらマチュアとは言え一年でシダックスを準優勝まで持っていかないと思いますが。 >>458
そんなんとも若干違う。
「野村さんがいなかったらいまの自分は完全に存在していない」
「やはり野村監督の野球理論はしっかりしていました。試合3時間前にミーティングをやって、1番打者から順に『ストライクだったら次は?もしボールだったら?』とやるんです。マウンドに立てばデータを忘れることもあるけど、『これだけ準備してきたんだ』というピッチングに集中できる」
また、難易度の高い選手を管理してた南海時代の野村を評価してた 巨人ホークスob戦で梶田って人誰やねん?
金やんよりも最高齢やろ。 ノムさんより4つ上の岡本さんとか
元気の方が元気やな。 >>447
ヤクルトでも高畠事件をはじめとする沙知代絡みのトラブル続きで人心掌握なんて出来ていなかった
目上の者が来てボロが出るのが怖くて、野村派お手盛りの昨年7月のOB戦ではとにかく広岡を出席させないように図ったし
昨年の10月に金田が亡くなってなければ今年1月のOB会にも押しかけられなかったろう
>>451
野村が周囲からも見える場で鶴岡に所謂「公開説教」をされていたのは60年(25歳)まで
結婚して家庭を持った翌61年からは、野村を別室に呼び出しての一対一の説教しかしないように対応を変えている
そもそもメインの怒鳴られ役は広瀬・国貞といった広島弁のニュアンスを解するネイティブスピーカーだったし
>>460
シダックスは野村就任前からキューバの元五輪代表選手を主砲に据えていた強豪チームで、99年には日本選手権で優勝している 一応結果も出してる野村に対して、人生で何の成果も出せないのが野村アンチ 南海はグダグダにした挙げ句追放
一見成功したように見えるヤクルトの成功は選手のおかげなのは野村の忠臣である江本でさえ認める事実で
野村個人の指導育成能力は低いことは片岡や広岡等が酷評してる事で判明してる
阪神でも優秀な選手の能力を見抜くことができず腐らせていたと岡田が証言してる
楽天でも野村野球なるものが既に時代遅れの産物になっていたことはこれまた野村の忠臣橋上が証言
と言う訳でやっぱり野村は指導者としては無能 野村が選んだ歴代ベストナイン
https://www.youtube.com/watch?v=4dSEfIbWZ5k&t=719s
南海ファンにとって嬉しいショートに名手木塚さんがいた…の発言有、
結局、ゴールデンの全国ネットだしTV的に広岡を選ぶところが渋い。
同郷の吉田でないのも、嫉妬があり分かり易い。 >>471
京都市内の吉田と日本海側の野村が同郷なわけないだろw
丹後地方の人間に京都と同郷意識ある人なんかいねえよ >>463
59年の所謂「御堂筋の凱歌」のメンバーも過半数が鬼籍に入ったが(穴吹・森下・大沢・野村・杉浦)、最年長の杉山光平が90超えて存命なんだよな
球界に残った岡本と広瀬はここ十年の間に自伝的な本を出しているけど、杉山と寺田は引退後程なくして球界を離れて商売を始めているからな >>471
吉田みたいな名選手が入れない名球会の基準に疑問を投げかけるくらいには野村は吉田に敬意を持ってたよ。 懐かしテレビ板の昔のプロ野球中継スレより。
1979年10月8日の広島ホームテレビの広島対阪神。解説がABCから派遣の、元南海の皆川睦雄。
https://i.imgur.com/q3EDTCF.jpg >>472
分かってねえな。野村は嫉妬心とひがみ根性をバネに生きた男。
いくら南海で優勝したり3冠王とっても、関西マスコミは阪神のほうを上に扱う。
京都は京都でも裏日本であることは野村も十分意識してたよ。 野村がかなり嫉妬深い人間なのはわかるけど、
よっさんにはそんな感情なかったと思うけどな
数年前にテレビで共演した時も仲良さそうだったし
江夏のトレードのやり取りも含めて関係は終始良好だったと思う >>472
確かに丹波・丹後と山城は実質別物だなwww
大阪でも摂津・浪速・河内・和泉で、
兵庫県も日本海側と瀬戸内で印象が違うし。 >>478
兵庫で言えば豊岡市の人間が神戸市の人間を同郷扱いにするわけないからなw
方言も気候も風土も全く違うし >>466
広岡は野村が死んだ後のインタビューでボロクソにけなす様な空気の読めない奴だからな
そりあ野村の実質生前葬のヤクルトOB戦には呼ばれんわ >>481
関西のスポーツ紙でドケチ陰湿根暗とボロクソに書かれた人だけどなw
とはいえ関西スポーツ紙からボロクソに書かれなかったのは記者を籠絡した星野ぐらいなもんだろうけど 現役時代をリアルタイムで見たことないですが映像で見たらとんでもない守備をしてますね
取ってからの送球の速さったらない
高木守道もそうですが彼らが現代野球で修練を積んでいたら今でも守備で天下を獲ってますね
メジャーも大金を積んで獲得を狙うレベル >>482
タバコの話とかも嘘というか誇張して書かれたみたいだね。
藤田、吉田と阪神OBでも関西スポーツ紙にやられた人間は割と野村に同情的だった。
記者にまで贈り物した星野が上手なんだな。 南海時代の野村監督は、選手を育成するというよりも、今いる選手の能力をいかに最大限に
引き出すかに主眼があったと思う。二線級の投手や一度ダメになった投手でも、自分の指導と
リードで生かしていくというものだった。
「新人を鍛えて、一線級に育てていく」というものではなかったのだろう。
兼任監督で、自分が野手と打線の中心という制約が大きかったと思う。 >>483
守道にバックトスを伝授したのはカールトン半田
川上V9巨人が確立する前の昭和30年代までは南海が間違いなく日本の野球の最先端だった
星野も北京の大惨敗でマスゴミにフルボッコされて日本はイジメ国家と泣きを入れたぐらいだし結果が全てじゃね
よっさんも85年は文字通り神様扱いだったからね よっさん監督時の傘差したろうか?(傘を差してあげようか?)→傘で刺したろうか?のエピソードから関西マスコミの陰湿さが分かろうもの。
南海ホークスと全く無縁の話なので詳細は省くけど。 >>485
それはヤクルト時代もそうだったよ。 だから即戦力投手をドラフトで要求しまくったし
阪神時代のF1セブンで高校生取ろうとしたら俺をやめさせようとしてるとか
発言するし
こんな人が監督できるなんてメジャーでは考えられないと思ったよ。
北京五輪負けたのはこういう落合やら岡田みたいなのが多くてスケールの大きい選手
がいなかったことが原因 球界全体の問題。 星野の責任とかでなく
確かに今与田とか佐々岡とか高津とか采配をとかく馬鹿にされるが高校生取ろうが
文句言わないしスケール大きい若手を使おうするから個人的には嫌いでない 球界的にも野村・岡田。落合なんていらんだろう。 阪神も岡田復帰したら大山とカ
まだ駄目になりそう。
野村や森は選手を育成できないとHさんが批判がする「 >>485
野手は捕手こそ仕上がらなかったが、内外野は門田・桜井・藤原・片平と順当に生え抜きがポジションを取って行ってるし、別段素材が悪かったわけではない
高齢化が進んでいて入れ替えが急務だった投手陣も先発の核の西岡と抑えの佐藤道は自前でしっかり用意したうえで、トレード組(江本・山内新・松原)を活用しローテーションを形成
少なくとも73年までは(門田のように合う合わないはあるにせよ)将来を見据えた育成観はあった >>478
京都は洛中>京都市内>京都市以外の旧山城国>丹波>丹後というヒエラルキーがあるからな
洛中生まれのムッシュと丹後生まれのノムさんとの間に同郷意識なんてあるわけない 野村云々とは別にそういうチーム作りはGMが考えることであって現場指揮官の監督の責任じゃないだろ
ありとあらゆることに口を出した(出さざるおえなかった)鶴岡式が特例なんであって 南海はパリーグでも唯一と言っていいほどお家騒動が起きなかった。
鶴岡さんがずっと監督してたからね。巨人ですら、三原排斥とかあったし。
蔭山さんの件はあったけど、そのまま野村はほぼ全権委任の形で引き継いだんで、
ヤクルトの時と違い、トレードとか自由にできた。
それだけ、選手としての実績もあったんで、誰も文句を言えんし、鶴岡さんも院政など引いていなかった証拠だね。
結構、富田ほかドラ1放出してるし、好き勝手やってた感じ。
しかし、そううまくはいかない。最後に大スキャンダルは皆さんの知ってる顛末へ。 >>492
ざるおえない、って書き方するのはゆとりだけ
ガキが知ったかで書き込むなよ 無能でクズで自己中心
ほんとろくでもないゴミの様な存在だな
日本球界の歴史から黒歴史として抹消すべき存在だな 高卒使わないとダメとか
ドラ1トレードに出したらダメとか
それこそ意味不明。
実力有れば高卒1年目から使うしトレードはプラスになれば成功だろ。 阪神のドラフト戦略特に暗黒時代のそれがめちゃくちゃだったのは別に野村のせいじゃないし
育成能力があるからともかくないのになんでこの選手この順位で取る?って事がしょっちゅうだったし >>486
何しろ日米野球の時に尾張スコアラーがドジャースのオルストン監督に自ら作成した打ったカウントやコース・球種まで詳細に記したスコアブックを見せたら、
ウチでもここまではやってない、これはチームにとって貴重な資料なので大事にしなさいと激励されたとメジャーよりも先んじていた面もあった程で。
そういう先進性が野村の野球観にも大きく影響を与えたのは間違いないだろうね。 ブレイザーと確執のあった片平をトレードに出すのに見返りはもう少し戦力になる人を獲れなかったんだろうか?
根本さんの強い要望なら一軍レギュラー級を一人でいいから獲るべきだった 長嶋は肺病持ちで線が細くプロの練習に絶対ついていけないと酷評された篠塚を編成スタッフの大反対を押し切って取った
監督復帰一年目の必勝を義務づけられたドラフトでも誰もが即戦力で後にNPB史上最高のスライダーを操る伊藤を推す中
松井の将来性に賭け競合をものともせず残りくじで引き当てた
そういや野村に関してはてんでそんな話はでないな
そりゃ古田の素質を最初から見抜いていたと嘘をつきたくなるわな 野村はドラフト会場でも古田のことを「大卒や社会人出の捕手はいらん。高卒といる奴の中から俺が育てる。」と言ったからなあ
片岡さんが「約束しているからそれは困る」と食い下がらなかったら90年代のセントラルの盛り上がりはなかった。 野村時代のドラフトだと、箕島の島本(2代目コーちゃん)を指名し、
「南海は人気がイマイチだから、島本で動員アップを期待してる」と言って
育成しようとしてたのが有名か。最初は二刀流をやらせようとしたけれど、
投手としては早々に見切りを付けられて打者一本で育てようとはしてた。 まあ、ノム時代のドラフトは普通かな。
山本功、蓑田。山倉あたりも指名してるし、
http://pospelove.com/draft-hawks.htm
新井、片平、柏原、池内、黒田は他球団に行って活躍してる >>486
1950年代のパリーグは鶴岡と三原の死闘の中で数々の戦術理論が生み出されていった
鶴岡の先発を打者一巡したところで全く違うタイプの投手に代える継投(オープナー)への対抗策として三原が当て馬(偵察メンバー)を考案し
飯田・岡本・蔭山・木塚・森下に加え鶴岡自身も盗塁してくる南海の強烈な足攻を食い止めるために三原がクイックモーションを西鉄投手陣に仕込み
三原が二番に強打者の豊田を置く流線形打線を組んで南海の牙城を崩せば鶴岡も野村を核とする長打型の400フィート打線に組み変えて返り討ちにするという具合 無名で指名リストに無かったけど野村が指名させたといわれてるのは稲葉だけど
これはヤクルトスカウトの片岡が異論を述べてるな
近鉄の先輩スカウトから稲葉はうちが上位で指名するからと情報があったから
近鉄が指名しなかった時のおさえとしてリスト下位にしていたら野村が上位で押し込んだ
後で近鉄の先輩から仁義を考えろと怒られたと
後上でF1セブンドラフト叩いてるがあれ指名した選手のうちほとんどが一軍戦力となった阪神では稀に見る大成功ドラフト
当時は高校生至上主義のファンからボコボコに叩かれた社会人中心のドラフトだったけど 小川邦和(元巨人→米マイナー→広島→ロッテコーチなど)は、
何かの本で第1次時代の長嶋の方が野村より育成が上だったと言っていたな。 >>508
阪神のドラフトは酷評された時の方がいい結果出るからなw
大山然り近本然り
スレチなのでこのへんで >>487
>よっさん監督時の傘差したろうか?(傘を差してあげようか?)→
違うぞ。「差してあげようか」なんて言ってない。
負けが込んで進退が噂されてた時に、
カメラマンのフラッシュ焚かれて、
「まぶしいな、傘でも差したろうかな」と言ったんだよ。
それがどっかの媒体に「傘で刺したろうか」「吉田、殺人未遂!」
と書かれたという恐ろしい話。 三原さんは鶴岡さんにとっては一番のライバルかも知れないな
鶴岡さんの終わりごろには三原さんが近鉄を押し上げたし・・・ >>508
稲葉は早くから目をつけていた近鉄とヤクルトの争奪戦で、ヤクルトの編成部は宮本と共に逆指名での獲得を計画していたが
野村が一位に沙知代の強い意向で北川哲也をねじ込んだため(北川はロッテ入りで話がまとまっていたところに強攻して逆指名させた)稲葉に逆指名を使えなくなり
稲葉はヤクルト退団後に「ドラフトではてっきり近鉄に指名されるものだと思っていた」と話している
ところがここで稲葉を諦めきれなかった担当スカウトの小川に「何かのついででいいですからどうか一度生で見て下さい」と頼まれて、カツノリが出てた明治−法政戦で稲葉を見た野村が「やっぱり稲葉を獲れ」と言い出す
最終的に稲葉は非逆指名最上位の三位で指名することになったため、ヤクルトのスカウト部長の片岡が近鉄のスカウト部長の河西俊雄(一リーグ時代の南海の主力選手)に「ウチは三位で稲葉に行くことになりました。稲葉を獲るなら二位まででお願いします」と断りを入れた(三位指名はヤクルト→近鉄の順)
これが野村以外の当事者が語るあの年のドラフトの流れ。上位指名すると伝えたのはヤクルト側で(この状況で近鉄側が断りを入れる必要無し)、この件については古田の時と違って自分に不始末が無いから片岡の主張もブレていなかったはずだが
近鉄はヤクルトが逆指名しなかった時点で稲葉を下位で囲み込めたと思い、中川に二位逆指名を使い嘉勢に一位指名を約束してしまっていたと言われているが実情は不明
これの元ネタは、偶々日米野球のTV中継でプレーを見た法政の新井鐘律(宏昌)に惚れ込んで二位指名したら大当たりした(74年ドラフト)という南海時代のエピソードで
平成以降に古田・稲葉・赤星といった、自分のせいで危うく指名漏れしたり他所に獲られそうだったが大活躍した選手にコピーペーストしている >>507
三原さんはいつも鶴岡南海を邪魔しとったからね。
それだけ、巨人に復讐したかったんだろうけど。
巨人時代の「ポカリ事件」、別所の引き抜き。
大下、中西のスカウト業者を使って獲得。
南海のスカウトを尾行させて稲尾なども獲得。
投手コーチに鶴岡さんの広商の恩師、石本さんを招聘。
でも結局、西鉄で黄金時代を作るけど、自分で福岡を離れたけど。 ここまでどころか最初から要らないよ。
>509
読売の人間はみんなそういう事いうけど、
要は伊東キャンプを指すんでしょ?
あれは西本さんのモノマネで、阪急は毎年やるレベルだったからね。読売ってだけで持ち上げすぎだよ。 >>516
藤本定義監督、三原脩選手兼助監督の茂林寺の特訓では?
広島の練習が長くてきついのが有名だけど、
意外にも、根本が始めたらしい。
南海はたくさん採って、競争させてた。
もしくは、有力選手の鶴岡さん自身のスカウト、
少数精鋭の特訓は、大学野球とか高校野球でのやり方。
限られた選手でやらざるを得ない方法。
長島は立教時代、砂押監督から地獄のノックを受けたらしいけど。
その砂押氏は立教の時、練習厳しすぎて大沢らの直訴により退任。
国鉄でも監督として通用せず退任。 結局南海スレは鶴岡さんがいかに偉大な人物であったかと一方で野村がどんだけクズで嘘つきのゴミの様な人間であったのループだからな 巨大戦力を持ちながら常勝ではなくカンピューター野球と揶揄された長嶋巨人だが優勝はどれも劇的
94の10.8決戦と96のメイクドラマそして2000の江藤満塁二岡決勝ホーマーのサヨナラ優勝
長嶋はもって生まれた華があり野球の神から祝福された運命がありいわば太陽
野村は結局その光をお裾分けしてもらって輝けた月でしかない
月見草とはよく自分の本分を理解してたということか >>517
根本関根コンビは猛練習で基礎を徹底的に練り上げるスタイル
鶴岡は一軍レギュラーメンバー以外にも試合の場を作ろうと、51年に子会社の南海土建にノンプロチームを結成させて選手を送り込んだが、ノンプロ側からの苦情で一年限りで廃止
(南海の他に西日本も山陽電鉄のノンプロチームに二軍選手を預かってもらったりしていた)
「それならきちんと二軍の連中が実戦経験を積める場を作って下さいよ」という鶴岡の訴えで翌年にファームリーグが結成され、それが正式に野球機構に組み込まれてウエスタンリーグになる
南海土建方式がそのまま許されていたら、野村や広瀬らテスト生組は南海土建の社員として採用される形式だったかもしれない 野村は小粒な選手の育成はうまい。 ヤクルトの時成功したのはそれ。
捕手監督は育成って下手なのが多い、むしろ矢野は馬鹿にされるけどよく大山をあそこまでにした
完成されたチームを勝たせるのは捕手監督がうまい。
育成が必要なら野手監督が良い >>519
野村さんをそう言うのもどうかとは思うが、その手のアンチを生んだのも野村さん自身にも責任の一端はあるとは思う。
鶴岡親分に対する反発心にサッチーに仕込まれたと思われる虚栄心が加わった為か、鶴岡野球そのものを古臭い軍隊式の野球と全面否定を繰り返し、
それが晩年になるほど酷くなっていたからねえ(溜息)。
>>520とも関連するけど、自らを「月見草=月」と例えたのは、意識下に選手に対して又、各界の著名人等に対しても「太陽」の如く振る舞った鶴岡親分に
対する監督としての己のコンプレックスという要素もあったのかも知れんとも思う・・・・・・って何処か鶴岡親分にも似た風貌の某組三代目の評伝で
「鶴田浩二、美空ひばり等の大物芸能人を相手に太陽の如く振る舞う親分が裏社会でカリスマ化するのに・・・」って記述を見掛けて思い至ったに過ぎないけど。 三原御大が福岡に残ってたら、
西鉄が黒い霧に巻き込まれてないよな多分。 >>524
見切りが早いのが三原さんの最大の長所且つ最大の欠点とは、巨人で三原を助監督兼任として使った藤本定義さんの指摘で。
水原さんと比較して「水原は例え不利だと分かってても最後の最後までねちっこくやるが、三原はあっさり投げてしまう所がある。それは三原の聡明さの裏返しでも
あるが・・・・」と。
三原も今の王ホークス会長の様に残ろうと思えば出来ない事も無かった様にも思うが、西鉄が選手補強にカネをかけない(かけられない)経営状況になったのと、
球団内や親会社筋に「もう三原さんじゃ無くても勝てる」という雰囲気になったのを見てとって3連敗4連勝を置き土産に西鉄を去ろうとした(オーナー立っての
必死の引き止めで1年だけ先延ばしにしたが結局は退団した)。 藤本さんだったかなぁ、そんな三原と水原の性格の違いは大地主の末っ子として何不自由なく育った三原と、幼少期に両親が離婚し、後に父親が入り婿再婚した事から
竹原姓(だったっけ?)から水原姓に代わったりと、やや複雑な家庭環境だった水原という境遇の違いが影響しているのでは無いかとの指摘もあったけどな。 三原さんは西鉄監督在任中から大洋入団を画策しとった。
黒い霧の匂いを嗅げば、すぐ逃げ出すよ。
一方、鶴岡さんは、最初に八百長疑惑の選手を排除、893の多かった呉出身だからかな。それでも、呉で獲得した選手は1名、893がいた。
関西、名古屋は大相撲でもばくちをはる人間が多い。
プロが見たらすぐわかるらしい。
野村も墓場まで持っていく話がたくさんあると言ってた。 南海スレは結局こんなに鶴岡さんは偉かった!それに引き換え野村はこんなにクズだった話のオンパレードだな
南海崩壊劇の主役だから仕方ないとは言え
未だにこんなにファンから憎まれている以上南海記念館への展示なんて到底無理! 野村は最後のやめ方はドクズではあったが、
南海球団の歴史には欠かせない名選手でもある >>528
鶴岡さんのすべてを礼賛してるわけでは無い。
水原巨人にずっと負けっぱなし、三原西鉄にも50年代4回優勝されるなど
大スターを並べたチームには、何故か勝てなかった。
やっと、杉浦で巨人に勝ったけど、三原西鉄の稲尾というスーパーピッチャー論を
まねて、勝利した。ただ、杉浦は短命に終わり、このトーナメント式の考えは
今では通用はしない(当時は普通だったけど)
あと、川上巨人に勝てなかったのも痛い。1回でも破ってれば、あんなに巨人が増長してなかったのに。
鶴岡さん、杉浦は大学で東京での経験があったけど、他の選手達はほとんど東京にのまれてたのかな。
土壇場でエラーしたり。 野村関係なしに関西大手五社で一番企業体力のない南海がいつまでも球団を維持できるわけないだろうに
自前の百貨店もない系列の建設会社が欠陥マンション建てて火の車になってるクソ鉄道会社だっつうのに
泉州冲に空港ができるという幸運があってなんとか生き延びることができたが
コロナで関空が閑古鳥鳴いている今経営危機に陥るのも時間の問題 >>520
月見草も生涯一捕手も実質ネーミングは草柳太蔵でしょ。
それにしてもサッチーは本当に謎の人物。
草柳と引き合わせたのもヤクルトもどういう人脈のパイプがあったのか >>534 意外かもしれないが、背も小さいし、プロでやっていく自信がなかった。
実は極度の緊張するタイプで、阪急時代、試合前いつも緊張しおなかを壊していたらしい。外見からは全くそう見えないが。
広瀬の後輩の大竹高校出身だが、野球強豪校でなく、普通の県立。
広瀬も家族からは進学を勧められていた。
ちなみにカープファンだが、広島の指名はなかった。
村田兆、張本もそうだが、カープの広島出身は少ない。 >>529
と、いうかチームが好きか個人が好きかの違いかと >>537
んな訳ない。どうみても南海ファンじゃない亡くなってから居座ってるお客さんだろ。
元々野村叩いてた南海ファンはこのスレにいてたけどその人は書き方でわかるよ。 >>526
水原って突然円裕に名前を変えてるけど
あれはなんなんだろ
特にウィキにも説明ないし 非南海ファンのただの野村アンチはすぐにヤクルト阪神時代の話を持ち出してくるから分かりやすいよ
すぐにNGにすればいいだけ
こんな奴らに鶴岡さんや杉浦広瀬らが野村叩きのためのダシに使われるのは本当に腹が立つ
お前らが南海の何がわかるって言うんだ >>539
俺も昔気になって古い文献まで辿ったんだけど、ハッキリ書かれている文章が見当たらなかったんだけど、只、当時の水原監督の置かれた状況についての話は出て来たんよね。
前年リーグ優勝を逃し、シーズンオフに野球雑誌での巨人現役選手を集めたと称する座談会で(酒の勢いも手伝ったとされるが)痛烈な水原監督に対する批判・暴言一色の
糾弾集会と化した様がそのまま掲載され、表向きは監督・選手共に反省すべきは反省して・・・とお咎め無しとなったものの、実際はフロントが密かに藤本定義氏に監督復帰
を打診した事、その打診に対して藤本氏が「俺にオミズの首を切れってのか!」と激怒して復帰話が壊れた事で、辛うじて首が繋がったという情報を水原監督は掴んでいて、
今年も日本一を逃すと確実に首だと自覚していた。
そうで、屈辱塗れに終わった前年からの心機一転の意味で改名したものと思われます。 わりと改名する人は多いね ゲン担ぎか
大沢や森下も >>533
http://corgi.2chblog.jp/archives/39961798.html
広岡がBBMで解説している。
皮肉屋ではあるがディスているばかりではない。
ただ、鶴岡さんには頭が上がらない。
同郷で学生時代からお世話になったのに、南海入りを断ったので。
婚約者が大阪を嫌がったらしいが…。 >>543
別のところではなんでヤクルトOB戦に野村を呼んで俺を呼ばない!俺を誰だと思ってるんだ!って激怒した文章書いていたけどなw
要するに俺より格下の野村を呼んで俺様の様な偉大なOBを呼ばないとはヤクルトは腐ってる!と言いたかったようだ 広岡が南海に入っていたら、「百万ドルの内野」の一角になっていたんだな
引退後は蔭山とともに、野球理論に優れた指導者になっていただろう
鶴岡監督に気に入られて、円満な野球人生になっていたかも知れない
蔭山の急逝を受けて、広岡が監督になっていた可能性がある しかし広岡ほど落ちぶれっぷりの上下差が激しい奴もいないな
超一流指導者から解説者への見事なサクセスストーリーから
現在は三流スポーツ紙にも仕事は無く五流雑誌(のようなもの)で吠えてるだけ。
しかも書いてる内容がトンチンカン
コロナ禍のうちに死んだ方がいいんじゃないか >>545
そもそも広岡が南海の幹部候補生になっていたら蔭山が急死することはなかったでしょ
西本阪急のヘッドコーチ就任が決まっていて、鶴岡と共に退団したいと申し入れたのを慰留されて監督になったのに
フロントがサンケイや巨人の露骨な選手引き抜き工作に対してきちんと手を打たなかったからあんなことになった >>546
ああいう爺さんは中々くたばらないよw
何度も死んだ目に遭いながら生き返った様な御方だから。
数年前、脳梗塞を患って評論の第一線から外れた恰好らしいけど、治療と摂生で元気を取り戻してからはご覧の通り。
又、今の5〜60歳台(終戦直後の一時期を除いて概ねこの世代が各企業の上層部にあたる)が、広岡西武や野村ヤクルト辺りに感化された
(信者もアンチも含め)世代だから、その辺から多作の著書を誇った野村の後釜として期待されているフシも。
鶴岡-広岡、川上-野村だったらどうなったろうか興味はあるけど、前者は関係良好となったかもしれんが、川上の森に対する扱いを観るに
野村はやっぱりボヤキっぱなしでサッチーみたいな女性にまんまと取り込まれて・・・・・・のオチしかみえないw 野村は三原西本川上に幻想を抱きすぎだよな
実際川上や三原は性悪で僻みっぽい野村とは合うわけないし、西本は鶴岡と同じタイプの監督
結局隣の芝生は青いだけ >>545
広岡は巨人に入って川上にいじめられたからこそ
ああなってしまった。
鶴岡さんの下でも、同じ早稲田の先輩蔭山の邪魔はしないよ。
ヤクルト荒川にも従ってたくらいだから。
多分、野村とけんかして国鉄、東映、東京あたりに自分で出てたろう。
それよりも、鶴岡さんの東京は見てみたかった。
ゴリゴリの法政閥だが、同郷の濃人さんとどう折り合いをつけるのか
見てみたかった。また、70年は日本一になったと思うよ。
与那嶺がコーチでいるんだったら。哲憎しだからね。広岡もいたら面白い。 >>550
鶴岡がオリオンズに行ってたら
濃人とはともかく稀代のトラブルメーカー青木一三との激突は避けられなかったでしょ
この年からドラフトが始まったとはいえ鶴岡は「総監督」タイプの指揮官だし
永田ラッパにもそれだけの裁量権は要求していたはず
まぁその場合は市岡中で二遊間を組んでいた同級生の蔭山を頼って
青木が南海に来たかもしれない 鶴岡は産経か東京のどちらかと云われていたけど、
永田雅一が逝去した際に、東京に行くつもりだったと明かしたな。 広岡は大兄弟の末っ子で長兄とは二十近く離れてたそうだが年の離れた兄弟は愛らしいものだからその長兄からよく可愛がられた
川上はその長兄と風貌や雰囲気がよく似ていたらしく広岡は川上に個人的に強い親しみを感じ
巨人入り後すぐ川上に近づき仲良くなろうとした
川上も懐いてくる広岡に悪い気はしなかったが大先輩である自分に慣れ慣れし過ぎると感じはじめ
スランプ脱出のため夜通し素振りをしている時にテツさん精が出るねと広岡に軽口を叩かれついに川上はぶちギレて以降広岡を無視明らかに避けるようになった
広岡にしてみれば後輩が先輩にそんな口の聞き方をするのは失礼だとその場で怒ってくれたら良かったのにとのことだが
川上はそういう人間ではなかったからな
これも不幸なボタンの掛け違え 鶴岡御大が同一リーグに行くということは
西本さんと同じようにそのチームでの扱いが
嫌になってきたということかな
俺は産経だと思っていた >>553
>>555
サンケイで鶴岡獲得に熱心だったのは球団社長の友田でオーナーの水野は不熱心
ただ友田の目的も鶴岡をダシに強豪南海から野村らを引っこ抜いて手っ取り早く戦力を強化しようというもの
(これが蔭山の酷い心労の原因になった)
それに対して永田は「鶴岡一人」という人間を欲しがってた
そんな訳で最初は「同じパでやると次の監督がやり辛いだろうからセに行こうと思う」と言っていた鶴岡も
翻意して永田の下でやろうと考えるに至ったらしい そこまで東京に行き永田に世話になることを覚悟していたんだったら鶴岡さんはホークスのというか南海への情念はもう冷めていたんだろうな
だから監督辞任後球団とは距離をおき望めば院政を敷き影響力を行使できた立場にありながら全くそれもなかった
慕う元部下たちからいろいろ相談を受けることはあったようだが
身売り後のインタビューで福岡移転は決して悪いことではない(当時は金満企業だったダイエーのバックアップによる補強で)ホークスが強くなるからと非常に冷静に捉えていたことが印象的だった >>557自分の給料はともかく、杉浦、広瀬クラスの年棒が頭打ちになってきたからね。
渋チンの南海に限界を感じてた。
阪神がGMの権限を与えてくれるならやったろうが、そういう球団体質でないことも分かってた。
あとタニマチがひどいのも。
永田は癖はあるが、東京スタジアムを私財で作るなど、野球愛があった。
個々の戦力も充実してたし。 鶴岡さんが野村を連れてアトムズに移籍していれば、どんなチームになっただろうか?
野村の運命は大きく変わって、選手に専念できるし、サッチーとの出会いもなかった
昭和55年までヤクルトで一捕手としてプレーした後、ヤクルトで監督か? >>559 wikiによると、
宿泊先の原宿のホテルに程近い行きつけの高級中華料理店を訪れた際に、沙知代と相席になり一緒に食事を取りながら談笑した。これが二人の出会いであるという
これが事実とすると、事前に調査した待ち伏せじゃないか?
俺は被害者だと思うよ。一番の被害者は南海と港南ムースの保護者達だけど。 >>559
サンケイ側の皮算用と言うか妄想が実現した場合の66年のオーダーはこのような感じ
8広瀬4国貞6豊田2野村9ジャクソン5徳武3小淵7丸山1森中
(鶴岡監督、飯田ヘッド、岡本打撃コーチ、中原投手コーチ)
ただこのオーダーが実現したとしても、水野が溺愛する豊田と野村・広瀬ら鶴岡一家との衝突は不可避だろう
史実でも66年の飯田監督と豊田の対立で水野が豊田に肩入れし、67年には飯田が途中休養に追い込まれ同年限りで退団している
鶴岡がサンケイを避けたとされる理由にはこの水野と豊田の関係もあったかもしれない
貧乏籤を引かされた格好になった飯田は68年に鶴岡に呼び戻されて南海のヘッドに就任したが
69年に監督になったら大黒柱の野村の大怪我が原因で最下位に転落するという不運に見舞われて一年限りで退任した 飯田が監督を辞任した際、サンケイは岡本・中原を退団させたが、
これは新監督の別所毅彦が自由にやりやすいようにとの配慮からだったとか。
岡本も飯田と一緒に南海に復帰したけど、
サンケイ側は岡本と中原の能力を惜しんでいて
岡本にフジテレビも解説者のポストを用意していた。
(徳永嘉男『ヤクルトスワローズ球団史』より)。 >>562
92年の徳永『ヤクルトスワローズ球団史』では、80年の徳永『スワローズ激動の歩み』に詳細に書かれていた
飯田・中原と豊田の対立に関する部分がばっさりカットされているのでその辺の事情が不鮮明になっている
あと岡本も中原もフジサンケイグループの解説者手形で南海から引き抜かれていたが
中原は手形を突き返して朝日放送で解説者になった(その後三原近鉄、上田阪急でコーチをやり80年に広瀬に請われて南海復帰) >>554
隔離スレに戻れキチガイ
誰も広岡なんか興味無いここは南海スレだボケ >>563
岡本は阪神コーチの後、フジテレビ・関西テレビの解説者になってフジサンケイへの義理を果たしたな。
特に1975年は吉田義男の阪神監督就任で全国中継への出番が多かった。 >>560
野村とサッチーを引き合わせたのは双方と面識がある森昌彦だったという噂も。
間も無く「あんな女をノムさんに紹介すべきじゃなかった」と森は後悔したというが。
只、この噂、どうやら野村監督解任騒動の頃に関西マスコミ界に出回っていた噂が出所らしく真偽は甚だ不明だが。 森の新人捕手潰しを考えると「野村を潰せば俺が球界No.1捕手になる」と
仕組んだように見えてしまう >>559
少なくとも、別所は雇われてないな。
でも、別所が監督になり、4,5,6位だから無能ぶりが証明できてよかったのかも。
引き抜き事件が清算された感じだ。私利私欲で南海を去ったのだから。 野村野球はNPB日本でしか通用しない野球、星野のように代表監督なくてよかったわ。
北京五輪負けたのは野村・岡田。落合の野球が主流で原の野球が下に見られてたから。
星野のも悪いしその部類だけど 森監督は石破と似た雰囲気だな。
広岡は合気道の達人らしいな。 >>561
豊田と国貞の二遊間なんて
試合中にケンカしそうだなw
小淵なら内野はどこでも守れそうだから二塁に廻して国貞三塁徳武一塁でも
良さげかw >>569
野球頭脳の高い人間は野球の真髄はディフェンスつまり点をやらない野球が最後は勝つということに気付いてしまう
野村と落合は球界屈指の頭脳の持ち主であり日本球史に残る大打者でもある
打撃の奥深さを知り尽くしてた故にかえって打者を育成することができなかったのかもしれない 野村がアトムズに移籍して昭和55年の引退まで正捕手を続けたら、大矢・八重樫は
出て来れなかったことになる
ヤクルトは捕手が育たず、野村の引退後の捕手に苦労していただろう
そして、監督就任後の野村が古田を育てて、ようやく捕手が安定する >>571
豊田は66年に肘を傷めて長期欠場してから一塁にコンバートされてる。
67年以降は衰えもあってその一塁のレギュラーも失って最後の2年(68〜69年)は
代打で起用されることが多かった。 >>572
岡田彰布は原監督について点取りに来る野球で自分と落合さんとは真逆と言ってた。
原も大砲を育成してるかというとそうではない
ただ点を取りに来る野球をするから脅威らしい。
国際大会で星野がこけたのは1点を守る野球だから野村とか落合があのときやたら
持ち上げられてたがたぶんあの2人でも無理。
権藤とか原のような点を取りに行く監督が国際大会は合う。 小久保とか稲葉のような
経験浅い奴でもそこそこ勝てる 山本浩二ジャパンなんて台湾に負けそうになった、稲葉ジャパンは台湾なんて相手の
本拠地でぼろ勝ちした 上に出てたyoutubeで岡本伊三美がサンケイのコーチ時代に
「(右)投手が(右)打者にシュート投げないんですわ。なんでかな〜思って聞いたら三遊間が豊田と徳武だから、って」
っていう話してて大笑いしたわ
味方が敵なんだからな >>574
三原さんや、荒川さんの早大カルテットはどうなってたんだろう。
となると、78年の広岡さんの優勝もないかも。 そう言えば88年の今日、もう身売りが決定した後
大阪球場の西武戦を観に行ったな。門田がホームラン打ったが4対2で負けた
試合中に署名の用紙が回ってきて署名した記憶がある。
あと8回にバナザードがストライクの判定に暴言吐いて退場になったな 南海出身の大沢親分が古田を裏切った理由を「鳥目って噂があってなぁ・・・惜しいことした」
イチローの指名を約束しておきながら回避(その年の不ドラフト1位上田、2位片岡、3位徳田、4位島崎)
田村藤夫がいる中で古田を機能させることが出来たとも思えないし、特に打撃面はあそこまでは育たなかっただろうし、イチローにしたって衝突して使いこなせなかったと思う。 >>578
岡本は、フジテレビ・関西テレビでは
その豊田とプロ野球ニュースで関わることになるんだよな。
ABCの解説者時代には、テレ朝の全国中継で
そのサンケイ時代の教え子だった武上と一緒に出た事があった。
東京ドームの日本ハム戦だったけど、その中継はたまたま見ていた。 >>574
野村が45歳まで正捕手をやり続けるなんてことは全く有り得ない。66年に他球団に行っても遅くとも40歳頃までには普通に次世代にバトンタッチしていたはず
史実ですら衰えが隠せなくなってきた74年(39歳)には監督業専念に向けて柴田猛に正捕手を任せる準備に取り掛かっている
江本曰く「この時に柴田さんが大怪我しなかったら、76年からは柴田さんが正捕手になって野村さんは采配に専念していただろう」と(75年に通算600本塁打達成)
サンケイ・ヤクルトに野村が行ったとしても、当然「ポスト野村」として加藤俊夫・大矢・八重樫のような野村より一回り以上若い捕手は獲得する。その教育係が野村になるだけのこと
あと古田はプロ入りの時点で超一流の守備技術を持っていた育てるまでも無い即戦力。不安視されていた打撃ですら自力でコツを掴んで二年目に首位打者を獲っちゃうような異次元の化物 >>583
1位で西村を指名したあとで「キャッチャーはいらない。俺が育てる。」と言った野村。
片岡さんがドラフト会場に同行してなかったらと思うとぞっとする。 >>584
片岡が同行してなくても特に問題は無い
球団社長(相馬)も編成部(根来)も事前の最終会議で予定通り古田を指名すると決めていて
ドラフト当日にはもうどれだけゴネても覆るような状況じゃなかったから まーた野村のヤクルト話かよ
野村の楽しかったという栄光時代とのことだが結局は長嶋の陰対立軸としての存在でしかないんだよ >>585
片岡はその場で「約束してんだからそれは困る」って必死に食い下がり、説得するのが大変だったって言ってたぞ。 ヤクルト野村はもういいよ。当時の当初は初の東京、久々の現場なんだから、雇われだよ。偉い人には文句言えんし、阪神の時も。
野村スレでやるべき。
南海時代の兼任野村監督なら良いが。 >>581
古田は片岡か何かのyoutubeで
「今北海道に行った球団に指名を裏切られた」
ってほぼ名指しで言ってたなw >>581
大沢って野球人は過大評価にも程があるなw
もし大社と三原が居なかったら
今だと金村ポジだったんじゃw >>590
でも立命に古田指名回避の件で出禁くらったのは阪神だよね >>554
川上が広岡に陰湿なイジメをしたというが元の発端はこれか
こんなの川上がキレて当然じゃん
むしろよくイジメぐらいで済んだな
軍隊時代に丹波哲郎が受けたというリンチをくらってもおかしくなかったぞ
しかし若い頃の広岡はこんなアホだったのか >>591
正直、晩年に「親分」とマスコミに持ち上げられるのには違和感があった いいんじゃねえの。鶴岡さんだって「親分」に違和感あったよ。
そういう人じゃないし、スパルタでもなかった。 鶴岡さんは神戸にある某広域指定暴力団の大親分である三代目にもってる雰囲気やオーラがそっくりなんだよなこれが >>596
鶴岡御大ならプロ野球の監督にならなくてもひとかどの人物にはなっていたでしょう
ヤクザの親分になってても違和感ない、器的に 戦後から相次ぐ抗争で警察の暴力団対策が強まる70年代までは普通に地方巡業はヤクザが取り仕切っていたからな
鶴岡親分はそこで地方のヤクザを相手に渡り合ってたわけで
だから極道関係にも顔が利いたし賭博絡みの八百長にも敏感だった 鶴岡野球は軍隊式で実際に本人も復員してるから、後の古葉や星野が甘く見えるくらいに厳しく怖かったんじゃないかと思う。
一番の被害者だったからこそ野村が監督就任時に「軍隊野球からの脱却」を挙げたんだろな 石毛のYouTube見たけど
江夏はどうしても野村のことをさん付けしたくないんだな
吉田も野村はあくまでも呼び捨て 江夏は西武でも身の回りの世話を若手投手にやらせる悪癖が直ってなかったんだな
なべQや工藤をパシリにしてんだもんな
南海時代は広瀬が見るに見かねて注意して口論になったそうだが >>602 精神野球やね。体力と根性で切り抜ける。
鶴岡さん自身は、学生時代、石本さんからはにげまわっとたらしいけど。
野村的には根性より、技術や頭で考えるほうに向いた。当時のコーチは数も少なかったし、技術は先輩から盗めという時代だった。
ちなみに、広商では
石本が徹底したスパルタ教育で精神野球を説いた。
石本が「根性を養え」とやった日本刀の刃渡りはいまや伝説的でさえある。
石本は二代目阪神監督、彼のノックの雨で育ったひとりにご存知鶴岡一人(南海監督)。のちの大選手、名監督も、アダ名が「オニ」の石本にしかられ、グラウンドを逃げ回ったそうだ。 >>604
日ハムでもやってて嫌われてた。
広島時代は知らんけど、広島だけやってないとは思えんな。 >>606 大野には鉄拳というのは本人が語っとった 広島出身の野球人が少し頭イッてるのは今も変わらんな。
もはや遺伝子レベル 意外なのは、広島の12球団一の猛練習を始めたのは、根本らしいけどね。
しかも、広島カープは広島出身は少ない。九州が多い。 >>604
そういう意味でも「阪神部屋」というニックネームはうまいこと名は体を表してるなw >>604
それでぶんむくれた江夏を沙知代が取り込んで手下にする、と
まぁ懲役前の江夏なんて沙知代からりゃ赤子の手をひねるようなチョロさだっただろうけど >>612 結局、鶴岡さんと同じことをやっている野村。
「もう50年か......わしらが見てきたのは東京に行ってからの柔らかいノムさんやなくて、もっとダイレクトに喜怒哀楽を出してた頃の激しいノムさん。あの当時を一番知っていて、あの人に一番厳しくされたのはオレやろうな。あの人はピッチャーには優しくて野手にはきつかったんやけど、オレにはとくにや。
ある時、野村が門田にボソッとこう言ったという。「○○におまえと同じように言ったら潰れる。飴をぶらつかせて働かせるのも大変なんや。わかるやろ?」と。 野村は山倉を後継者として指名して拒否された。
巨人ファンからすれば山倉なんて良い捕手なんてとても思えないし
野村さんはこんな捕手を取ろうとする時点てみる目なしだわ。
山倉の困ったら外角なんて馬鹿でもできるぞ 原4番の前に捕手山倉に物足らなさを感じてたわ。 中尾とか伊東と比較して
中尾とか梨田みたいに肩が特別良いわけでないしキャッチングもよいイメージ無いし
しかも山倉が長嶋政権の時にバッテリーコーチってそれは勝てないと思うわ 鶴岡賛美のターンが終わったので野村叩きのターンが始まる
南海スレはこれの繰り返し 野村は山倉指名後に名古屋の実家まで飛び山倉を説得しようとしたが、山倉はほとんど顔も出さず
野村は「あの時の山倉の態度は許せん。今もサングラスしてベンチに入ってる」と憤ってた。
山倉は中山勝正若頭と顔が似てた。 山倉見てると学歴と野球脳が結びつかないことを証明するわ それとも山倉のリードを指導した人(誰かは知らん)が無能だったのかな 山倉に似ていると言えばチェッカーズのギタリストだろう
以前にも書いたかもだけど1986年にバースがインタビューで
「巨人には山倉がいるから良い。刺せる肩を持ったいい捕手だよ。」と言っていた
阪神の捕手が酷過ぎて良く見えたのかもしれんけど 野村克也が今ヤクルトの監督だったら、いろいろ「ややこしい」山田哲人を指導できたかな?この世代に「自分のことだけ考えるな!全力疾走、打球を手を抜かず追え!」とか怒れるかな? 野村さんは有田と中尾に関してはどう評価したのかな???
個人的には有田中尾の強気リードが大好きだったから 竹中組長と中山若頭が撃たれたマンションに仕事で行ったことあるわ
営業先の住民が当時を振り返ってくれたがホールが血の海になって撃たれた頭の辺りは赤色じゃなくて一面ピンクの物質が飛び散っていてそれが脳だったらしい >>612
門田の話は面白いな
身売りしてなかったら一度は監督してたんやろな >>624
今のヤクルトのベンチは山田の、ご機嫌をうかがいながら(腫れ物に触る)プレーしてる感じなので山田の退団はヤクルトが変わるチャンスかもしれないな。
あれがおるとチームから、ひたむきさが失われる。よーないわ。あの選手。 野村は似たような腫れ物の江夏を心服させたんだからああゆうのは得意なタイプじゃね
あの傲岸不遜を絵に描いたような張本も巨人に来て長嶋に平手打ち喰らってもこの人に一生ついていくと誓ったぐらいだからな
この手合いは真剣に自分を叱ってくれる人間が必要なんだよ 野村は似たような腫れ物の江夏を心服させたんだからああゆうのは得意なタイプじゃね
あの傲岸不遜を絵に描いたような張本も巨人に来て長嶋に平手打ち喰らってもこの人に一生ついていくと誓ったぐらいだからな
この手合いは真剣に自分を叱ってくれる人間が必要なんだよ 野村「やまだ〜〜〜ワシと一緒に野球界に革命を起こさんか?(ニヤリ)」
山田「革命????ワクワク」
なんてなったんかなw >>628
へえー山田ってそんな感じの選手なの?
好青年って印象だったけど >>614
逆に言えば73年以前の野村は他人がいない所ではなんだかんだで門田にもフォローはしてたってこと
「昔は男気があった」「昔は人情味があった」と言われてたのはそういうとこだろう
>>632
沙知代のバター犬の与太を真に受けなさんな 出世してすぐの若いころはまだ
部下のこと考えていろいろ気を遣ったろ!って思うけど、しんどい責任を
担うことが長くなると、どいつもこいつも自分の事しか考えんとクソが!
で独断が強くなるのはよくある事 清原も野村の元に来たら持って生まれた大器を思う存分発揮できたのではないか
あの燃える男長嶋でも清原には遠慮してほとんど指導しなかった
野村は入団当初から清原の逆方向に打つ巧さを器用過ぎてこれでは逆に大成しないのでないかと危惧していた >>635
無理だと思う。 野村では大砲育成は無理。
むしろ王さんが監督してた巨人に行くべきだった。 王さんに厳しく指導してもらえばよかった 野村克也が一から山倉を育成したらどうなってたかな?? >>636 う〜ん、微妙。森の放任、堤に遠慮で清原がダメになったのは分かるが。
清原が理解できないのでは、才能だけで打ってたんで。
清原は努力するかな? 中日藤王、巨人大森パターンになったかも。 PL時代はそこまで内角を苦にしていなかったな清原は
PL時代の清原を完全に抑え込めたピッチャーは智男だけだったな
清原は本物の速いストレートに弱かったかもしれない
真っ向勝負にこだわった野茂や伊良部のみえみえのストレートは痛打してたが 清原は王にについていけるとは思えん。
https://www.youtube.com/watch?v=A9kVJJ68Tms
長島の言ってることは分からんが、王がうまくサポートしてる >>636
「行くべきだった」って言ってるけど、どのみちくじ引きだし。
投手力が落ちていて次世代エースが必要な時期で中畑と原がいる状況下で桑田を指名したのは讀賣にとって正解。
才能あっても練習嫌いの性格なんだから>>639がいうとおり。
寧ろ南海がくじ引いて入団にこぎつけていたら、観客動員にもプラスで門田のスイングに圧倒されて多少は刺激受けたかと『タラレバの期待』をしてしまいがちだが、
清原は巨人、阪神、中日以外は日本生命に行く気でいたっていうから口説き落とせなかったんだろうなあ。 長嶋が巨人入団してなかったら、王が巨人の
長男坊で第2次王政権誕生してたやろな。
そうしたら長嶋が南海ダイエー監督かな?
妄想でゴメン。
王は巨人obで充分飯食えるはずやのに、
福岡の弱小球団選んで、もしホークス監督で失敗して、無能って叩かれるのを百の承知でわざわざ自分でリスクを背負ったんやから凄いな。
まぁ根本陸男が説得もあったけど。
さすが、868本打った化け物は違うな。
生卵事件でも鋼のメンタルやし。 野村時代ではやはり1970の打線がいいな
広瀬 門田 富田 野村 ジョーンズ 小泉 古葉 小池 大手私鉄では営業距離が非常に短い阪神がデカイつらしている。ならば南海も生き残れ
たのでは?と今も思う。 近鉄は大阪ドーム作った段階で、このキャパのデカイ球場
を常時満杯にするのは困難、いずれ近鉄は行き詰る。日生球場の観客を増やすことで
満足すべきなんだ。と思っていた >>647
まぁ、マスコミの読売がセントラルな時点、
運命は決まってもうたな。
阪神電鉄は衰退前の神戸と大阪を運んでるし、
客も多いやろ?
南海は大阪南部、和歌山市内、高野山だけで
キツイやろ。
余談、1リーグ前巨人軍がまだ読売が親会社じゃない時代に吉本興業、阪神電鉄が東京巨人軍の
株主やで(笑)
もう、その時点でタイガース、吉本、巨人軍は
洗脳の構図が出来上がってなぁ(笑) 藤井寺でも休日の西武との首位攻防戦に限れば満員近く客は入っていた
難波は再開発のため明け渡さざるを得なくても堺辺りに球場を作ればまだ踏ん張れたはず 今なら梅田の再開発だったかな。田村駒も大昔狙ってたけど。
でも、鶴岡さんがいないと無理か。時代とは言え、大阪スタヂアム建設は奇跡だな、当時は。 古田も野村のことはいろいろ思うところあるだろうけど、それでも大人として感謝してるところは感謝してるからな
死んでも、死んでからもずっと南海と鶴岡を恨み続けた野村は陰湿極まりない そこらへんは山本昌が星野仙一に対してと同じだな。
この腐れ外道がとは思ってはいるが環境を与えてくれたのは事実だし
それについては感謝している >>637
山倉が南海に指名されたのは73年オフのドラフト。つまり野村が完全に堕ちたのと同時期
柏原みたいに沙知代に非常に気に入られればともかく、そうでなければやはり潰れてただろうな
野村の目論見としては自分の9歳下の柴田で数年繋いでその間に山倉を育て上げるつもりだったんだろう。入団拒否されたけど >>651
野村は、妬みと「かまってちゃん」だったのか。
父親がいなかったのも影響しているのかも。
これ見よがしに川上や森に近づいてたし。
とにかく性格はよくないな。 >>654
野村の実母と実兄や葉上照澄・清水義一(野村兄弟の高校時代の恩師)の両師ら
ちゃんとした大人が周りに居て叱ってくれていた60年代まではそこまででもなかった
その頃はまだ「妬み」を「実力を鍛えてエリートに勝つ」というプラスのエネルギーに昇華できていた 南海
84年 定岡アキレス腱断裂
85年 久保寺
ほんと呪われてると子供心にも感じたわ >>657
翌年は池之上まで怪我して内野に穴が開きまくる
そりゃ85年86年はビリになるわなぁ… 1985年オフにタダ同然で放出した新井が1986年以降の近鉄で不動のレギュラーにってのもあった >>654
かまってちゃんつうか寂しがり屋の側面があった事は松沼の兄やんが証言している。
西武で一人寂しそうだったので、まだ新人ながら社会人経験豊富な兄やんが勉強も兼ねて一度飲みに誘ったら、
以降は野村の方からちょくちょく飲みに誘われる様になったそうで。
兄やん以外にそんな関係だった人は全く居なかった様で、兄やんを相手にしている時が一番楽しそうだったらしい。 野村は好リードで松沼を新人王に仕立てた
カウント2−3からボール球を要求する異次元のリードだったと記憶している 今、稲葉篤紀の嫁の醜聞話がネットに上がってるけど
このスレ見てるからああ歴史は繰り返してるのかくらいしか思わん >>649-650
ノム解任後はチーム自体も
西本幸雄いない頃の近鉄状態に陥ったから球場だけ新築しても無理じゃ 南海の経営規模って阪急に吸収される前の阪神と大差ないのにな
あの経営規模、しかも当時のパでよく球団運営できたものだ
逆にいえば阪神は巨人人気のセに所属できたという幸運を最大限活かした訳だが >>662 稲葉妻「毛虫みたいな血が流れてるんじゃない?」と暴言
さちよの南海や港東ムースのの方がすごいわな、確かに。 >>664
青木一三だけしか言ってなくて、全く裏が取れてないが
川勝存命中にホークスを来島船渠に売る計画があった、らしい >>662
稲葉嫁も不倫→略奪愛らしいな
>>660
田淵とか山崎とかほかにも外様の大物がいたのになあ
野村と田淵の関係はどうだったんだろ
江夏とすら良好だった田淵だから
あまり問題なかったような気はするが バブル期の西武は不動産(コクド)マネーでほんとブイブイ言わせていたな >>667
稲葉は不倫したのほ事実だが別の女性だよ不倫発覚したの02年くらいだよ
今の奥さんは10歳くらい年下のはず
野村は田淵のこと馬鹿にしてたよ。 >>666
青木は川勝がダイエーとも接触していたと証言していたな。 >>660
寂しがり屋で僻みっぽい、そのうえ人の好き嫌いが激しく自己承認欲求が強いというね。
サッチーみたいな人に利用されまくったのもわかる気がする。 野村罵倒のターンに入ったので
これからしばらく野村罵倒が続き
それに飽きたらそれに比べて鶴岡さんはえらかつた
話になりそれに飽きたらまた野村罵倒になるのか南海スレ >>672
戦前の弱小期並びに昭和53年以降の暗黒期の話には全く食い付かん癖にw
久保寺の急死の話とかも出て来ているんだけどな。 久保寺雄二の死因って記事読むとインフルエンザ脳症っぽいよね 正月三が日終わってすぐの訃報だったから衝撃的だったわ
しかもやけに生々しい訃報記事だったんだよなぁ
「寝室から同選手の苦しむ声が聴こえ」などと書かれていた記憶がある >>674
それに伴うショック死(公式発表では心不全)みたいなもんだったんだろうか?
あまりにも唐突過ぎて正直悲しみの感情すらおきなかったのを覚えている。
とにかく信じられなかった。同姓同名の他人の間違いじゃないの?と。 サンスポでは「ポックリ病」が1面だった記憶がある。 MBSラジオのGoGoホークスのオープニングがいきなり久保寺の満塁ホームランの実況で
何事だと思ったら訃報だったからびっくりしたわ 阪急戦での久保寺の逆転本塁打見たわ
懐かしい思い出 久保寺の訃報で思い出すのはオリックス小瀬
俊足好打の選手で彼が順調に育ってたら今の中日大島みたいな選手になってたんじゃないかな 近鉄は、西本以前に三原の時に八百長体質の改善をやっていたんだっけ。三原は、その後の日本ハムの球団社長の時にも八百長体質の改善のために色々とトレードを行っていたんだね。 久保寺が死んだ直後に12球団対抗駅伝で優勝したのがOAされたんだっけ?
芸能人が亡くなったり不祥事を起こした後に、「この番組は〇月○○日に収録されたものです」って
テロップが流れることはままあるけど
プロ野球選手の出演する番組でそういうことは今後起こらないだろうな、ってか起こってはならない 大沢は三原の浄化で優勝の土台が出来たようなものなのに
大社社長には筆舌に尽くし難いほど感謝していたが三原についてはあまり語ってないのは何故なんだろ?
ライバル大学だったからか? >>671
ヤクルト時代、セゲオに口撃(プロレス的な意味合いで)しまくり、調子に乗って身内の悪口を言ったらガチギレされて口すら聞いてもらえなくなった
セゲオのことをネチネチ言いつつ、そのことを後悔していたから、やっぱり寂しがり屋なんだろう 野村の口撃は好きの裏返し
本当に嫌いなものは話題すらしないつまり三流は無視
天性の構ってちゃんで本当はお前のことが好きなんだ気付いてくれよというアピール
晩年に至るまでの鶴岡さんや南海への口撃も案外その線だろう
大阪球場跡地のパークスに赴いた時の心の底からの寂しげな表情
収録には漏れていたが握手を求める大阪のファンに南海の野村です長い間ご無沙汰したが帰ってきましたと挨拶した
恨みは恨みとしてまた別の感情がホークスにはあった 20年くらい昔に「外人獲得名人」と言われたヤクルトの中島編成は実は元「南海の通訳」 杉山って実は音信不通なの?
杉浦・鶴岡・野村の訃報にもコメントが無かったし >>694
だからソース出せキチガイ
近鉄のは過去の記事にあるが日ハムにはねえんだよボケ 病気と言えば85年は畠山も水疱瘡になってんだよな
前年規定に達してこれでローテが一枚埋まったかと思ったら離脱で
その後に怪我して打者転向 3 新井
4 門田
5 河埜
これじゃ当時の超投高打低パで勝つのは厳しいよな >>692
この人の名スカウトって自称だよね。
上の外人編成は本当の凄腕だけど。 >>697
外人もナイマン・ドイル・デビット・ハモンドとか
ハズレでは無いんだけど破壊力に欠ける面々だったしな…
>>699
逆だ。スカウトの方が色々と問題はあるが本物(若松・尾花・古田・高津etcを発掘)で
外人編成の方が当たり外人を全部自分が連れて来たと言ってただけ(巨人がまんまと騙された)
ちなみに73年に中島をペピトーンの通訳としてヤクルト球団社長の佐藤に斡旋したのは沙知代 >>700
大ハズレのダニー・ケイ・グッドウィンも
忘れてはならない
俺は彼からサインをもらった 80年の
3 片平
4 メイ
5 門田
6 岡本
の左クインテットは結構迫力があった 迫力はなくはなかったけど相対的に見るとね・・・
しかも下位打線が、おお、もう・・・な人ばっかだったし 数少ない大物打ちの片平を口減らしに放出する南海フロント >>705
不動のクリーンアップだったのに左右病のブレイザーがレギュラーから外して本人がやる気なくして移籍志願した ところで、1980年代前半に高とか李といった台湾人選手を獲得した目的は何なの?
当時の台湾はまだアマチュアだったから即戦力というほどでもなかっただろうし。 >>709
どう見ても、ってどう見てもわかる映像が無いのだが >>712
バックネット裏からの中継をキネコ化した映像を見たことがあるが、まあボール寄りのビミョーなコース
次も同じコースへ放って見事に読み打ちされている 中京高時代「謹慎3回」の吉村には期待してたが。
遊び人になってなきゃいいが・・。 >>714
>バックネット裏からの中継をキネコ化した映像
そんな検証あったんだ!
まるで昔のワールドカップ決勝でイングランドのバーに当たって下に落ちた
シュートがあれは入ってたのかとかやってるのみたいですね
過去のリクエストやVAR無い時代のを検証してみたら面白そうだけど
殆どが誤審でしたになっちゃうんだろうなぁ >>603
江夏が最近出した「大投手」という本で野村のことを野村のおっさんって言ってた
現役時代印象に残った監督は藤本定義、村山実、野村の3人を挙げている >>716
検証とかそんな類いの番組じゃなくて、巨人の歴史的シーンを流すだけの雨傘番組だった
youtubeにうpされていたが、いつの間にか削除されていた >>717
バースは村山の事を野球人生で最低の監督と酷評していたが
江夏はどう言っていたんだろう >>719
最初は兄貴、江夏が成績を上げるようになるとライバル。
でも、客観的に考えると、ただの意地悪な気性の激しい先輩だよねw 江夏は次第に村山に反発するようになっていったが
ただ一つ「貯金しろ」という教えだけはちゃんと聞いたようだ
でもなきゃとっくに野垂れ死んでたかもしれん >>717
江夏が野村を形容する時は
おっさん、ムース、ノム、野村克也、野村監督、カッコ付きの「ノムさん」だな
絶対に野村さんとは言わない
広岡や金田正泰については最近は広岡さんや金田さんと言うようになってる 江夏の南海時代って阪神時代の「やじろべえ」みたいな体格?
それとも広島時代以降のような「スモートリ」体格? 南海ホークスのファンクラブってどういう特典があったのでしょうか?
子供対象だけでなく大人対象のファンクラブもあったのでしょうか
詳しい方教えてください 南海は巨人にとって目の敵。
江夏をただで広島に渡すなんてふざけた行為しやがって >>727
水谷とか池谷くらい要求してほしかった。
巨人が門田を要求したら15勝投手要求って・・・・・
パリーグって巨人がトレード申し込むと強気に商売してくるよね 落合要求したら
中日には牛島 巨人には斎藤槙原って
前田幸長要求したら
中日は仁村で成立 巨人は緒方で不成立 原は津田が首を振ると必ず真っ直ぐが来るのがバレバレですよと達川に注意したという
それだけ津田と正々堂々と男の勝負がしたいという気持ちが強かったのだ
後に原は津田の剛球を全力スイングし手首が砕けたが原はそのことに対し全く後悔はないと言う
それに引き換え野村のセコい野球と志の低さ
なぜ稲尾が対決したパの強打者榎本山内張本らの凄さを語るのに野村の名を一切語らないのかが一目瞭然
広瀬が門田に野村の教えに従ってたらお前はしょうもないバッターで終わるぞと諭した理由もここにある 強打者と抑え投手のトレードは強打者を出す側にとってまったく割りに合わないよな
今の価値基準だと落合に釣り合う交換要員は小松+牛島(or大島康徳)だよな >>730
覚醒前の北別府か高橋慶彦が取れていたらなあ
あの二人は流石に出せんか
江夏ほどの選手を金銭で放出いうのが、南海の懐事情の厳しさを如実に表してたよな今思えば >>730
覚醒前の北別府か高橋慶彦が取れていたらなあ
あの二人は流石に出せんか
江夏ほどの選手を金銭で放出いうのが、南海の懐事情の厳しさを如実に表してたよな今思えば >>717
この本で江夏は杉浦より皆川の方が上と言っている
高卒の大卒への劣等感丸出しである >>737
わかりやすい奴やな。
西本さんを優勝監督にしたかったと偽善かましとった。
西本さんのことを名将という人の多くは、上から目線か偽善者やな。 >>738
江夏は別れた嫁さんが「あの人はかっこつける人」と言ってたのが全てだな。 野球に限らずプロでやる人間がそうでなかったらダメだ >>740
アッタマ悪い奴。そういう意味じゃないから。
「かっこつける」のと「本当にカッコいい」のは全く別物。
清原と同じで自分に酔ってるだけ。 富田は実際に放出したが広瀬も放出要員だった
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd29ae7975f642b1e4e2c61df2a64e6847ee2af1
これが就任を渋る野村への口説き文句だった。強化資金にケチ球団としては珍しく、2億円を用意。
鶴岡一人監督末期にあった現場とフロントの確執は消えたかに思えた(ほんとに2億円使ったかは不明)。
しかし、それからわずか2年で早くも不協和音が起こっていた。
71年オフ、野村は野手の広瀬叔功、富田勝クラスを放出しても投手陣を強化してくれ、とフロントにリクエスト。
しかし、それは野村が知らないところですべて消された。 >>732
こういう原みたいのが本当にかっこいいんだよ。
江夏のは後付けのごたくばかり 江夏の21球は自作自演の要素もある
先頭バッター出さなきゃいいじゃんみたいな。
水沼の功績もあるのに、手柄はほぼ独り占め。
西本さんは「(水沼)四郎にやられたな。」とちゃんと評価していた。
石渡は水沼の中央大の後輩だったので、癖を読んでたのも大きいのに。 >>744
その記事のヤフコメで、野村が晩年も冨田を悪しざまに罵ってたと書かれてたが、
冨田は具体的に何かやらかしたの? 俺が最後に観た南海の勝利は大阪球場の日本ハム戦
門田が2ホーマー打って8回に5点取って大逆転。 野村が南海時代の仲間からハブられてるのも当然だな
江本が言うには誰も近寄らなかったらしいがw >>746
水沼が石渡に「スクイズするんか?」とささやいてプレッシャーかけてたんだよな。
水沼の功績の方が大きいわ。 こんな便所の落書きでも評価してくれるなら水沼も本望だろう
多分まだ生きてるだろうし >>751
お前喧嘩売ってんのか?
これだけ証言が出てるのに水沼を評価しない理由言ってみろや 野球実況板の、甲斐へのリード非難は激しい
ホークスの伝統かな 江本「最近はリードリード言い過ぎ
はっきり言って球が凄けりゃどんな配球でも打ち取れる」 >>744
そして東映から移籍してきた当時通算0勝5敗という酷い成績だった江本が
南海でローテーション投手としてリーグ優勝にも貢献するのだから
世の中何がおこるかわからないもの。 >>744
前年から沙知代との不倫が始まってて、この頃(71年オフ)は豊中に沙知代を囲い始めた時期
ここから野村の被害妄想が加速していき、性格がこれまでと別人になって孤立していく
まぁ孤立させないと洗脳できんからな
>>747
とにかく遠慮が無く言いたいことを言う
出された先の巨人でも長嶋とモメて大沢日ハムへ
>>758
通算成績と言ってもドラフト外で入団しての一年目の数字だがな
土橋投手コーチはローテに入れるつもりで育ててた江本を出されてかなり不満だったようだ 週ベネット版の回顧特集によると72年時点で南海電鉄と大阪スタジアムと野村政権の間がギクシャクしていたみたいだな。
まだ沙知代が本格的に介入する前からこれだからなあ >>760
川勝は南海三大事故後の混乱沈静化と経営立て直しの為に68年に外から送り込まれて来たばかりで
南海グループ内にはそれを快く思わない集団は幾らでもあっただろうからな >>756
野村理論より木俣の捕手論のほうが好きだが山倉の困ったらアウトローは
逃げのリードで大嫌い。 これが有田の真ん中でも気迫こもった球なら
打たれないというリードなら何も言わない
いったいこんな糞リードを山倉に教えたのは誰なんだろう。 内角攻めをしない江川と、困ったら外角の山倉
これが上手くマッチングしてしまったからな
第一次藤田の頃 江川の球だと内角攻めをしなくても打ち取れるんだよね
野村も「江川の球だとどんな配球でも打ち取れてしまう
捕手はただのキャッチングマシーンになってしまい
捕手の喜びを感じさせてくれない投手なのだ」と書いている そもそも南海電鉄クラスの会社が球団経営することに無理があったんでしょ。
加えて不人気のパリーグ。
そんな中でも夢見れただけでも成功だと思うで。 南大阪〜和歌山の産業衰退(主に繊維業や機械製造業など)も原因だろ
都市間連絡といっても阪急や阪神のような大阪から京都や神戸といった別の大都市でもなく
和歌山(一部は徳島への四国連絡も)とか観光路線の高野山とかじゃな・・・ 野村さんは山倉を酷評してたのは知ってるが
有田と中尾の強気リードに関しては野村さんはどう評価してたのかな???
槙原なんかは山倉でなく有田と組んで開花・斎藤雅は中尾と組んで開花。
投手王国
山倉の指導受けた村田から阿部と投手崩壊して巨人 >>725
子ども向けファンクラブ「少年ホークスの会」の
特典
会員証の発行
その年によって特製南海帽や特製カバン等のグッズのプレゼント
大阪球場内野席年間15試合無料観戦
さやま遊園地、みさき公園の無料入場券10枚綴りプレゼント
二軍選手の指導による野球教室(中モズ球場)
サイン会(高島屋ホールか大阪球場場外馬券売場)
ファン感謝デーでの運動会やゲームに優先参加
自分の記憶ではこんな感じ
大人向けのファンクラブは確か南海珠友会、自分は入会したことがないので特典はわかりません 野村兼任監督の野球は、投手陣の手薄さ、打線の弱さなどチームの弱点を乗り越えるための
苦肉の策なのだと思う。
一方、野村のリード・作戦力、打力が突出してしまい、野村のワンマン体制になってしまった。
その野村が球団を追われると、弱いチームだけが残って、一挙に転落した。 >>762
堀内かな。
山倉が入団したらキャンプで同部屋でリードを徹底的に教育されたらしい。
新人捕手で開幕スタメンだからね。 >>732
原は津田の癖が広島ベンチも容易に気付けるほど顕著なら今教えても大した損でないと思ったんかね。82年だと消化試合なしの僅差で優勝逃したから巨人としてはかなり痛いことだが >>769
野村は監督の年棒込みで1億円以上もらってたからな。
残額でチームを編成する場合、給料高いやつを出さなきゃいけない。
あの戦力でよく優勝できたと思う。前後期制だからもあるが、阪急に勝てる要素はほぼゼロだった。
まあ、落合GMよりはましだけど。 原は優しすぎるし詰めが甘い
日本シリーズも東尾のブラッシュボールにもんどりうって転倒
怒って威嚇すればいいのにそのまま打席に入り案の定スライダーに踏み込めずあえなく三振
指標上は原はチャンスに弱いどころかむしろ強く決勝打も多いのだが本当のここぞという勝負所ではあまり打てなかった
まあ現役時代の反省を生かし今の監督の原がいるのだが しかし現役を引退したがってた広瀬を慰留してたのは当の野村本人なのに毎年トレード要員候補に名を連ねてたのはこれはいかに
要はトレードの駒として広瀬を確保していたということなのか
さすがに話がまとまって放出されてたらさすがのお人好しの広瀬もキレてたろうな
険悪になっても悪いのはあのオバハン(沙知代)でワシはノムやんが嫌いになったわけじゃないとある意味野村を庇っていたのに
トレードなら後の交遊関係の復活もなかっただろう >770
うちの父親は当時有田と中尾がトレードで来た時に巨人がまともなチームに
なって困るじゃないかと加入を嘆いてた。
落合は中尾が巨人行くと聞いて来期のうちは大変だと嘆いていたな 野村は南海監督時代8年も監督やっときながら優勝たった1回だからな
しかも前期後期制の恩恵受けまくり
Aクラスの常連であったのも事実だが
77年の解任も沙知代のことだけじゃなくて普通に監督としての実力を見限られたのもあっただろう >>774
駒だよね。わざと生かしてたんだな、高値で売るために。
広島以外や釣り合いの取れない選手だったら大げんかだったろうな。
国貞もそれに近いのかな。古葉は活躍できなかったけど。 >>776
鶴岡が退任したころは、すでにホークスはダメだったのだろう。
野村の8年間は、野村兼任監督の必死の延命だったのではないか?
野村解任後、ホークスはダイエー時代も含めて20年連続Bクラス、最下位の常連になる。
優勝回数は1回だけだったが、野村南海はパリーグの強豪、名門チームというブランドがまだあった。
強打者の兼任監督が率いるチームというだけで、ものすごく格好よく見えた。 もう会社は傾いてたし延命措置はそれしか無かったんだろ
その生命維持総体を自分から破壊したのもノムというのが皮肉やわ 野村と例のバカ嫁が南海を崩壊させた面はあるだろうけど、
野村が解任された1977年の数年前から内在していた問題を
数年間放置していたオーナーを始めとするフロント連中のダメさ加減も
南海を崩壊させた一因じゃないかね? 叩き上げの強豪西本阪急
監督は無能でも良い選手を集めたロッテ
凋落気味の元常勝南海といった感じだったぞ、野村南海は。
この後、近鉄、日ハム、西武に抜かれるんだよな79年以降 >>772
前後期制の場合、手札の乏しいチームは後期に出涸らしになる覚悟で前期で全力を出し尽くすってのは有効な策
81年の根本西武も同じような作戦をやったし(ただし西武はロッテに競り負けて二位)
>>774
この時点ではまだ野村は完全に堕ちてはいないからな
対富田はともかく、広瀬には辛うじて旧情が歯止めになっている部分があっただろうし
タイミング的には沙知代を斬り捨てるよう忠告してマッシー村上を代打に送られた72年のオフに
富田と同時にセに放出されててもおかしくはなかったんだが
>>782
それはそうだろう
ヤクルトの佐藤と桑原、楽天の三木谷、そして阪神の全て。隙を作るから沙知代に侵入されてチームを蝕まれる >>765
阪急に吸収される前の阪神が人気の割にシブチンだったのも親会社の規模の問題だったんだろう
南海と阪急に吸収される前の阪神は同レベルの企業規模だったからね 野村監督時の南海は鉄道分野だけでも1500ボルト昇圧に難波駅の大改良に高野線の橋本までの複線化と金のかかる事業を山ほど抱えていた
三大事故がなければ泉北高速や地下鉄谷町線の天王寺から先も自己資金で建設する予定だったからな
そして極めつけは関空だろ
よくぞ88年までもったなというのが率直な感想 トレード先が巨人なら大人しく退団してくれたかね。場合によっちゃ1対2交換ぐらいで体裁付けたろうが 今年はカンサイクラシックはないんですかね?
寂しい限り >>784
あと、野村夫婦をTV局がおだててたよな。
学歴詐称、脱税で馬脚をあらわしたが… 野村は選手として終わるべきだったな
監督にしたのは間違い
するとしても引退してから >>792
むしろ、79年からのロッテの監督やってほしかった。
川崎球場元年だし、落合と確執も見たかったな。 >>766
南海電鉄は関東で言うと東武伊勢崎線みたいなものか。
沿線の人口伸び悩みや産業停滞といった点において。 >>791
93年夏頃からTBSが沙知代を持ち上げる特集を流し始め、この年のヤクルト日本一に乗じて他局にも一気に進出
そこでワイドショー好きやミーハー層の心をガッチリ掴んで、今日の所謂「野村信者」共が形成された
マスコミの寵児になった沙知代はTVや自著・野村名義の本を通じて南海ホークスに関する捏造話をじゃんじゃん流布していくことになる
>>792
皮肉にも69年に野村の大怪我が原因で最下位に転落してしまったことで繋ぎの飯田監督が退任せざるを得なくなり
翌年から準備期間も無いまま兼任で監督に就任するハメになってしまったという 天王寺支線も廃線して梅田への延線も断念
その名残が汐見橋線て言われてたな >>772
「死んだふり優勝」とか言われてるがあれは結果論だよ。
実際阪急には勝てる見込みがなかったのに、
何故勝てたかは阪急がプレーオフの前に5番打者の森本が、
上田コーチに反抗して謹慎処分になってのが大きい。
森本は長池よりもずっと勝負強い打者だったんだよ。
長池はどちらかといえばシーズントータルで数字を残す選手。
シリーズとかの大舞台には弱かった(ちょっと「野村に似てる) >>796
阪神なんば線が開通してから、ちょっとだけ乗客数増えてるらしいけどね>汐見橋線 大阪市交通局が堺筋線建設を計画したとき、南海と直通運転するのか。
それとも、阪急と直通運転するのか、などの話しで苦悩していた事が
本に書いてあった。 >>799
南海線と直通するとなると、やっぱ天下茶屋で接続することになるんだろうな
工事ついでに釜ヶ崎をクリアランスすればよかったのに >>796
天王寺駅がらみだと戦時国有化で買収したばかりの南海山手線(旧阪和電気鉄道)を巻き上げられてるし
ツいてないというか間が悪いというかそういうエピソードが多いな 天王寺支線は新今宮で乗り換えできるようになった時点でお役御免だったからな
あの今星野リゾートのホテル建ててる空地に新大阪スタジアムが作られていたならな
アスセス立地は難波に負けてないし京セラもここならもっと便利だったのに 野村がいなかったから後何回か優勝回数増えていたいた上にもっと人気が出て身売りする必要なくなっていたにいたに違いない >>797
結局、西本さんに阪急を辞める引導を渡してしまった。 1976年の日本シリーズで巨人に勝つ決勝打を打ったのは森本だったんだよね
中日へのトレードが内定していたんで上田監督は複雑な心境だったそうだが 全線廃止から25年「都会の廃線」南海天王寺支線はいま わずかに残る痕跡をたどる(写真35枚)
https://trafficnews.jp/post/82273 >>805
それなんだよな。
結局西本さんは上田の顔立てて森本のプレーオフ出場停止処分にしたんだが、
そのお陰で惨敗の責任取らされるような形で監督辞めて後任が上田なんだから。
まさか上田の策略だったとかはあり得ないが、
決戦前にあんなゴタゴタがあったらチームの士気はダダ下がりになるわな。 野村さんのインサイドワークって山倉みたいに逃げのリードだったの
それとも有田のような強気リードだったの?? 考えてみれば昭和のパリーグって南海に限らず図々しいわな。 今と違って
企業努力もしないでドラフトで均衡にしろだなFAは嫌だの。
巨人のいうことをもっと早くやってたら今の野球界は良くなってたと思うけどな
結局FAなんて海外スポーツなら当たり前だし 西武は別としても他は球場インフラは当時でもドミニカとかベネズエラのウインターリーグ
並の汚さだとかいうし。 まだ3Aの球場がましだとか言うし 西宮球場はマシだったんじゃね?
インフラ面って親会社の収益力が如実に表れる部分だと思う 擁護するつもりはないがあの当時のパリーグ見てたら江川事件を起こしたく
なるわと思うよ・・・巨人 あの当時の球団格差を見て「同じプロ球団だから区別するな」は無理があるよな
藤波のトレード拒否、定岡のトレード拒否、江川事件、小池のロッテ指名による落胆 セリーグも広島球場とか名古屋球場とかオンボロだったけどな >>814
努力してきたアマ選手ほど酷い目に遭わされるしな
それより前はいわば評価入札だったのに >>812
西宮は競輪場としても使ってたこと知らんの?グラウンド荒れてマシなわけがないだろ >>806
何か他人事でトレードが決まったみたいな言い方だが、
コーチ時代から反抗を繰り返していた問題児森本を自分が追い出しただけじゃん 上田主導なのか、フロンド主導だのかは不明だけど、
選手に配慮して森本・戸田らへのトレード通告は日本シリーズ終了後に行ったとか。
中日側から情報を得た記者が来た時も「選手に伝えてから書いてくれ」と頼んだという
。 阪急のそのトレードは結果的に成功だった訳だから
南海の「補弱」トレードとは大違いだよな >>819
あの当時は今と違ってプロ野球上がりのフロント幹部なんかいなかった時代。
80年代西武の根本管理部長登用から変わっていったの。
だから絶対にフロント主導なわけがないんだよ。 >>819
そのトレードで来たのが稲葉、島谷だったっけ
大成功だったな 野村克也で気に入らなないのはヤクルトとか阪神の監督してるときに
巨人は金でとって気に入らないとかこういう発言がNPBの発展を
遅らせた。
むしろ長嶋茂雄はサッカーとかから人気奪うためには年俸高騰とか容認
しろ派だったからね・
野村とか野球時代しか見れてないんだよね 野村に親殺されたのかどうかしらんが、気持ち悪い粘着質の気違いがいるな
こんな気違いを育てた親の顔が見てみたいわ >>825
ダン野村かケニー野村の関係者じゃないの?(棒)。
どーでも良いわ。 野村に南海殺されたからな
親を殺されたのと同じだろ >>810
FAが間違いなのでは無くて、同時にゴリ押しした逆指名ドラフトが最大の間違いだったよ。
そもそも入団時には自由に球団を選べないから・・・・というのがFA制導入に際してのメジャーでの理由付けだったのを、逆指名ドラフトとセットで導入した
ってのが永遠の黄金時代を目論む巨人のゴリ押しなのは明らかだった訳で。
ま、根本軍師率いるホークスにまんまと制度を利用され、巨人の目論見が松井の流出に依って完全に裏目と出たのはザマァとしか言い様が無いが(w)。 >>821
大映〜大毎〜ロッテ初期の永田ラッパや、
広島の松田一族の様に人事面で自ら影響力を持つオーナーは例外だろうな。
命名権時代のロッテは、永田とスカウトから幹部になった青木一三の主導と思われるような人事があった。
西鉄は中西兼任監督就任時に前監督の川崎徳次を球団常務にしたことがあったけど、長続きしなかった。
阪神は奥井成一のように選手出身者をフロントに入れるのも早かったが、
ほぼ素人の電鉄系幹部に実権があるような感じだった。
巨人はほぼ川上が監督兼GMみたいなものだったらしいが。
西本は最初フロント入りする予定だったのが、近鉄監督になったんだよな。 連投・長文スマン。
手元にあった「日本プロ野球トレード大鑑・1936→2001」の上田のインタビューによると、
大抵は、ドラフトや若手の育成状況を見てシーズン途中からフロントと頻繁に話し合っていたとか。
1976年オフの中日とのトレードは、与那嶺監督から戸田善紀が欲しいと早くから申し入れがあり、
上田も島谷金二が欲しかったから、交渉しているうちにどんどん話が膨らんで、
稲葉光雄・大隅正人と森本潔・大石弥太郎・小松健二まで加わって監督同士でまとまり、
そのあとフロントとの話し合いで日本シリーズ前に決まったとあったから、この場合は現場主導だったがわかるな。
通告したら、森本はさっぱりした性格で「新しく生きる道で頑張ります」と言ってくれてほっとしたと、
戸田にも「与那嶺監督に誘われていくんだから自信を持って…」と伝えたら気持ちよく了解してもらえた、
と語っていた。
同時に南海のダイエー売却時に門田を獲得した時の事も回想していた。
打線強化のために何としても門田が欲しかったので、杉浦に直接連絡を取ると「出す」と回答を得て
当時の近藤社長と宮内オーナーの了承を得て、調査していると
門田と近鉄の間に感情的な対立が生じている事を掴んで、杉浦と度々連絡を取って
ある日の深夜1時に杉浦が「投手が欲しい」と連絡、白井孝幸・原田賢治の両投手と
内田強捕手との3:1で纏まったとか。 >>829
日ハムは球団を買収した74年から三原脩が球団社長になって取り仕切ってる
組織内での力関係を考えると根本よりこっちの方が掣肘が少なかった 鶴岡・藤本定・水原といった大監督は、人事面でも権限を持ったから、
金勘定を優先するフロントとは軋轢が出たという話も聞くな。
水原は大川オーナーに解任されたし。 >>831
三原さんは情熱がなかったのか。中西監督解任くらいまで。
日ハムは大沢に丸投げの部分もあった。江夏のトレードなど。 >>832
と言うか、ドラフト制以前の監督はまず何よりも選手を集められるコネクションがあることが第一で
名門校・名門実業団出身でなければなることが出来なかった
逆に言えば濃人や砂押みたいに采配がアレでも、ノンプロでの人脈が分厚ければ監督に据えられた その後くらいからそういう能力の無い
いわば脳筋監督が増えて行ったのね >>833
張本放出の頃までは三原さんが主導していたのは間違いないかと。
監督に就任したばかりの大沢は「幾ら何でもチーム唯一となった看板選手まで放出するのはあり得ねえ!(怒)」と
張本放出に大反対で、張本の希望も汲んだ形で移籍先が巨人に決まってからも、最後の最後まで抵抗したという。
只、以降は大社オーナーと大沢監督が非常にウマが合った事や、三原自身の糖尿病悪化もあって、三原も社長から
代表→相談役と徐々に第一線から退く形となった模様。
大沢監督就任以降で三原が存在感を発揮したのは、江川問題の際に12球団代表会議の席で江川の巨人入団に最後まで反対し、
「そんなに江川が欲しけりゃ開幕直前かそれ以降にでも阪神にトレードを持ち掛ければ良いじゃないですか(笑)。」と
巨人と金子コミッショナーを挑発し、金子コミッショナーを「そんな三角トレード紛いのやり口は断じて許さない!」と激怒
させた辺りかな? >>828
松井が一人抜けただけで巨人あれだけボロボロになるのは思いもよらなかった
確かに日本球界最強のスラッガーであったがペタジーニやローズ小久保らで穴は完全に埋まっていたからな
松井はただの主砲以上の存在だったということだろうな
巨人戦の地上波中継がなくなったのもこの頃か >>836
なんでそこで怒ったんだろうか?
最も合理的な解決法なのに >>834
そういや、元々、水原監督&土橋の東映色を排除するまでは熱心だったよな。
地縁(四国)で引き受けたのもあったし。 >>834
そういや、元々、水原監督&土橋の東映色を排除するまでは熱心だったよな。
地縁(四国)で引き受けたのもあったし。 >>808
西本さんはオーナー以外の
球団上層にはウケが悪かったからな
逆に上田は当時の球団社長兼代表の渓間とツーカーの仲で広島でもハムでも球団首脳と巧く立ち回ったのが長く監督をやれる一因でもあった もし半沢直樹的展開なら・・
上田がわざと森本を挑発してキレさせる
↓
森本謹慎、チームに動揺が走りプレーオフ惨敗
↓
全ては上田とフロントが仕組んだ西本降ろしだった スレチすまんけど、
近畿日本鉄道って会社的に
路線も合併合併で路線系統も違うし、
鉄道版M&Aで大きくなった企業やろ?
多分やけど佐伯オーナーが花園に球場建設しなかったのは
奈良線と大阪線の大阪電気軌道と南大阪、吉野線系統の大阪鉄道とでは違うからでは?
大阪電気軌道はラグビー部と花園球技場
大阪鉄道は藤井寺球場で違うしな。 >>843
南海電鉄も
南海鉄道と高野太師鉄道と合併。
南海線は大浜球場と
高野線は中百舌鳥球場やけど、
大浜球場何で潰ぶしたんや?
まぁ、後々専売公社の跡地に難波球場出来たから良かったけど。 >>842
ありえない話じゃない。
上田は非常に読みが鋭い。失敗は少ない。リーマンでも成功しただろう。
根本、広岡が来るので、広島監督根本との確執を仕掛け広島退団。
関西に帰り鶴岡さんに師事(近鉄のコーチの内定をもらう)
山内の推薦で阪急入り。
ただ頭、良すぎるから予定外なことが起きると、怒りが収まらない。
日シリのヤクルト戦の大杉のHRがいい例。
以降はメっきり勝負弱くなった。
というよりも、あの西本阪急のメンバーと対戦相手に恵まれただけだったのかも。 >>838
例の「強い要望」を出して間も無い頃の金子コミッショナーがべーマガに書いた手記だったか、三原日ハム代表がそんな反論をしてきた事を明るみにした上で
怒りをぶちまけているんけど、完全に感情的になってて内容が支離滅裂というか(w
大体三原君はそんな性格だから云々とルールを悪用したかの様なやり口に激怒しながらも、そもそもの原因となった「空白の一日」についての言及が「私も
巨人には大いに怒っているんだ」の一言で済ませていたり。
「その上でもし春季キャンプやオープン戦を経験した後の移籍だと移籍前の球団でのサインプレイとか内情とかを知った上での移籍となり・・・」と強い要望を
出した経緯を色々言い訳していたが、それを読みながら、この人はコミッショナーにはまるで向かない御方だなあとw
結局、強い要望は形の上では撤回され、小林は春季キャンプ中に阪神移籍、江川は開幕直前に巨人移籍且つ開幕から2ヶ月の謹慎といみじくも三原代表が
主張した反論にかなり近い形での事態収拾となっているのね。
>>842,845
西本さんが上田について「どうにも攻略出来ない投手が居て、さてどうしたものかと悩んでいたら、「女抱かせましょうや。それしか無い。」と提案してくる
面白いヤツだったよ。」と言っていた位だし、その程度の謀略は仕掛け兼ねないかと。 >>843-844
その後花園や堺市は、自治体がわで建設・誘致しようとしていたな。
結局藤井寺のナイター設備完成や、南海のダイエーへの売却と福岡への移転で、
実現しなかったけど。 >>837
戦力以上にチームリーダーとしての影響力が大きかったんだろうね
清原軍団がデカい面するようになったのも、松井がいなくなってからだし
由伸がリーダーの器じゃないのは当時から知れ渡ってたのに、なんで監督にしたんだか >>846
結局、巨人には甘々。
我々南海ファンにとっては、別所引き抜き以来巨人びいきは変わってないなみたいな。
とにかく、巨人は特別だったし、当時のセはみんな巨人に依存。放映権料もあったし。 江川問題で巨人が「連盟を脱退する」という話が出たとき、ヤクルトは「うちもいっしょに脱退する」
と言い始めた。巨人戦あってこそ興行が成り立つと考えられていた。
そのことが金子コミッショナーが江川の巨人入団を許容することにつながった。
南海もそうだが、特にパリーグの球団が経営面で脆弱で、興行として成り立ってないことは
大きな問題だった。 >>850
ヤクルトは「オーナーが巨人ファンの球団」と批判されていたからね
ただしヤクルトは選手に優しい球団でもあった
中畑が中心になって労働組合を結成する時も
当初はヤクルト選手会だけは「うちには必要ない」と不参加を表明した位だった >>851
それは松園が参加するなって命令したから。そもそもヤクルト本社に労働組合が無かったからな
所謂松園の「ファミリー主義」ってのは「会社が福利厚生を全部積極的に請け負うからその代わりに争議はするな」って考えだし
この時ヤクルトの選手会長の角富士夫が本社から渡されたペーパーを丸読みして
「おもてうらいったい」って言っちゃって散々ネタにされた >当初はヤクルト選手会だけは「うちには必要ない」と不参加を表明した位
まああれは松園オーナーのファミリー主義以上にヤクルト自体の反左翼=反労組という企業体質に依る
(そもそもサンケイから反左翼反労組繋がりで球団を譲られた様なもんだし)所も大きかったけどなw
長崎のヤクルト取扱業者に過ぎなかった松園氏が、地域単位で構成された取扱業者の緩やかな連合組織という形態だったヤクルトを
現在の企業組織にした際に、サンケイ総帥の水野成夫の盟友と言われた南喜一を本社会長に立てたって経緯があった(つまり松園氏が
ヤクルト本社の実質の創業者とも言えるが)んよね。 >>850
これはヤクルトだけでなく前オーナーで株主のフジサンケイもその方針だったからな。とにかく巨人戦の放映権料でが全てという発想
そのために駒沢の代替地として使用を許されてた東映を押し退けて神宮を本拠地にしたんだから
サンケイとの対立で出て行ったガチンコの金田は常に「巨人がパリーグに行くべき!」と言っていた
V9時代は阪神・サンケイ・大洋は観客動員の2/3を巨人戦に依存していたわけでな >>853
それは明確に違う。ヤクルト本社の創業者は永松昇。南をクロレラ事業の為に招聘したのも永松
松園は出身は長崎五島だが営業地は八王子。社内クーデターで創業者の永松を追い出してヤクルトの君主になった >>855
訂正有り難うm(_ _)m
にわかにインターネッツで調べたらヤクルトを追われた後、再起を期して新たな食品事業を始めたりで忘れ去られた存在となっていた(事実上の
タブー化?)のね。 >>856
その辺のタブーが崩れたのは最近だからね。98年のデリバティブ事件以降ダノンの介入を受けるようになった為に
ここ十年弱くらいでようやく過去の実情についても言及できるようになってきたという
>>849
ぶっちゃけ昭和後期における南海球団と阪神球団の格差は
巨人に扶養されていたか否かが原因のほぼ全てだからなぁ… 昭和の野球界ってよくこんな環境で出来たよね。 それを平気で強要してた球団側の
せいで今人気落ちてる。 ファンもFA反対だドラフト撤廃反対だ年俸高騰だめとか昭和の人間自体の考えが
よくわからんかった小学生時代。 >>859
ぜ〜んぶ、巨人中心に決めてたから。
今はマーチャンダイジングとかあるけど、巨人戦だのみのセリーグ。
ドラフト制度も逆指名とか意味不明で数年おきに代わるし…
2000年代初頭の1リーグ10球団構想の時、中日までが賛成。広島のオーナーはナベツネの言いなり。
在京セはもちろん、阪神はもちろん賛成だった。今考えるとおそろしい。 >>855
松園って企業人と云うより
ブローカー 総会屋 山師みたいな雰囲気を感じるから何か納得 >>860
囲碁も将棋も今や伝統格式のあるはずの名人が最高の地位ではなく読売の棋聖や竜王が最高の地位だ
読売は自分さえ良ければ他はどうでも良いのだ Nツベ「選手の分際で(球界再編を)考えんでもよろしい。」
(巨人が球界の盟主なんだから、逆らうな。巨人抜きでやっていけんだろ。
しょうがないから1リーグにしてやるよ)
そうこうするうちに、巨人戦の地上波無くなってやんの。
いまや、DAZN頼みに…。 自分さえ良ければ、っていうがそれは世間で野球人気があるって大前提でのものだしね
それが無い今は現場(原監督以下フロント)は頑張ってるけど
しょせんそこ止まりなのは読売新聞というリアルな民間企業にとって
旨味が無いのを察知しているから以外に無い
それでもDAZNが破格な額を提示するあたりまだかつての看板は
多少は生きてるんかもね >>862
その辺については読売も可愛そうな所もあって、長らく朝日、毎日や、産経&中日etcのブロック紙連合(つまりは共同通信繋がり)の妨害を受けたり、
各地方紙と友好関係が築けなかった事もあって、独力で全国販売網を築き上げるしか無かったという遺恨も絡んでいたりするんよね。
これは日本テレビについても同様で、民放初のテレビ局でありながらネットワーク形成でTBSはおろかフジにまで先を越され、平成になって長らく
ネットワーク形成に大きく出遅れていたテレ朝とほぼ同時期にやはり読売自身の積極関与でようやく全国ネットワークが確立という。
ま、警察官僚上がりの大正力の唯我独尊な体質と旧報知→読売と販売畑で過ごした務台の何かと攻撃的な体質が、そんな事態を招いたとの評もあるが・・・・。
>>864
去年の巨人の優勝決定試合が県域独立局のテレビ神奈川のみのローカル放送だもんな・・・・・・、関東の地上波で言えば今や東京MXのホークス戦、チバテレの
ロッテ戦、テレ玉の西武戦と土・日のデーゲーム主体の巨人戦よりも俄然放送機会が多かったりと今や逆転している。
ま、球団若しくは親会社が放送枠を買い取っての放送だったりと、各局が主催球団側に放映権料を支払っていた当時とはだいぶ様相が違うけどね。 そもそも玉蹴りに力入れてたのが読売なんだよな
結果的に玉蹴りはアカヒに持っていかれ失敗し
巨人戦という虎の子のコンテンツの価値を毀損する結果になった
ほんと馬鹿だと思う >>866
ただアカヒはリーグのスポンサーなだけでクラブチームを持ってるわけじゃないからな
今年のJERAみたいなもの
読売は嫌いだが、野球と違い世界を相手にするスポーツに対しても
大昔から基礎を作っていた正力には素直に敬服するわ 髪と口髭を伸ばしてた時の江本は俳優の立川光貴に似てる だが玉蹴りの国内リーグがぱっとしないのは読売不在なのがある
サッカーにも野球界における巨人のようなスター選手をかき集めたヒールになるべき初期のヴェルディのようなビッグクラブが必要だった
内実はチームは読売の犬だとしてもファンはアンチジャイアンツで結託し盛り上がれる要素がJリーグにはまるでない
ナベツネを追放した川淵は生涯後悔し続けることになるだろう そう、読売はいっとき高校サッカーに興味をもって、高校野球にならぶ大イベントにし
ようと画策していた。そのあと毎日が選抜高校野球の主催に情熱を失った時期があった。
主催おりるならうちが主催やりますよ。と、読売がしゃしゃり出たのは言うまでもない 高校サッカーの主催を毎日からパクるなど
読売は田舎新聞だから毎日や朝日に対して横入りするしか無かったからね。邪道のプロ野球始めたり。
毎日と比べて朝日が目立つのは高校野球くらいだけど。 >>863
地上波中継を減らしたのは他ならぬナベツネ。 >>870
>ファンはアンチジャイアンツで結託し盛り上がれる要素
いや、これが団塊の世代より後の世代には無いから無理っしょ
ファンにその精神が無くなったからこそ現状のプロ野球人気があるわけで
今のファンは「敵と結託する」なんてまっぴら御免だ 進駐軍なんか無視して1リーグのままにしときゃなぁ…
実力での東西対決は南海対読売だったのに でも、巨人はあらゆる手を使ってくるよ。
監督のポカリとか、エース引き抜きとか。
今と違って、西日本は雰囲気で巨人に圧倒されてた。
結局、巨人破るのに59年までかかったんだから。 巨人対阪神やホークス対ライオンズといった対抗意識は若いファンには希薄だと思う 皆川も36歳ぐらいでまだまだやれてたと思うがなぜか野村就任後すぐにあっさり引退
ピッチャーがいないと嘆いていたにもか変わらず野村も広瀬とは違って承認
この辺もなんかあったんかね
当然野村の元でコーチすることもなかった >>875
1リーグ制が続いていれば、巨人・南海戦が最大の人気カードになり、南海は関西を代表する
人気球団として繁栄していた可能性がある
一方、1リーグ制なら新球団の加盟は少なく、毎日が加盟しなかった可能性が高いので、
阪神のダイナマイト打線は後数年続いて、阪神も人気球団となっていた >>808
去年の日本シリーズ直前に巨人の走塁コーチの鈴木が突然スキャンダル報道で辞任したけど、
かなり有能なコーチだったから選手は動揺したらしいな。
あれがなかったら1勝もできずに惨敗することはなかったと思う、
まあ勝てたとは思えないが、負けるにしても善戦してただろうな >>881
2リーグ制はGHQの意向だから仕方ないよ。 江夏が驚くほど人間的に丸くなってるな。
かつては矢吹丈のように「俺には孤独がよく似合う」とやってたのに。 >>855
人気が今ほどなかった川口春奈が5年前にヤクルトのCMに抜擢されたのは、いまだ松園氏の
影響が残ってる証拠。川口も長崎・五島列島出身。
ただ中島編成を南海からヤクルトに斡旋したのが若き日のSATTYと知り驚いた。
政治力をまったく持ってない職人気質の野村克也を補完する意味でも政治力のあるSATTYはまさに
お似合いの夫婦だったんだなと。 川口春奈は山田哲人と出来なかった・・・・・。
サッシー指名もその影響かな?? 川口春奈は筋肉質が好きなのかな??? 村上と合わせたほうが落ちてたかな 松園社長と角川春樹は大物右翼の雰囲気。
関根さんと根本さんは大物総会屋の雰囲気。 年上の呼び方は存外な江夏も現役選手には敬意を払って全員君付け
プレイにも基本称賛で辛口な批評をあまりすることはない
ただ藤浪には例外で石毛との対談ではかなり手厳しいことを言ってるな
それだけ藤浪に期待してるってことだろうな
今は中継ぎに活路を見出だそうとしてるがあれだけ甲子園を騒がせた男がセットアッパーってなあ デーブ大久保のYOUTUBE内の江夏は「優しい、おじいちゃん」
大阪空港でパンチパーマ&サングラスで森コーチを恫喝してた江夏とは別人のようだ。渡辺久信が高校出たての頃、ブルペンで江夏にタオル渡してた映像見てたがいまだ渡辺は江夏相手にはビビりまくってるらしい。 反野村思想で固められてるこのスレでは若手をパシリで使うスパイクの紐を結ばせる疲れた身体を揉ませるだののパワハラ野郎というのが江夏の見識だが
実は若手が生けるレジェンド投手だった江夏にピッチングの教えを乞うために進んで江夏の身の回りの世話をしたことを知らない
野村が野球頭脳が投手でぶっちぎりナンバーワンと認めたのが江夏
いつクビになってもおかしくなかった大野を球界最高峰のサウスポーに仕立てあげたのも江夏の手腕 >>878
皆川は31勝を挙げた翌年の69年のオープン戦で打席に立ち走者を進めようとバントするも
失敗し右の人差し指を骨折し、そこから元の感覚を取り戻せず一気に衰えた。 >>892
>江夏にピッチングの教えを乞うために進んで江夏の身の回りの世話をしたことを知らない
具体的に誰か言ってみ >>893
こういう話見るとセが低レベルなのも痛感できるな >>894
教えを乞うかどうかはわからんが、
なべQと工藤が江夏のお世話をしてた証言はある。
ようつべの石毛TVかデーブかな。 >>896
アホらしいそんなことかよw
彼らは江夏と関係なく実績挙げた投手 >>892
このスレが反野村だって?
スレ違いの罵倒を続けて、隔離スレに行けと言っても移動しない頭のおかしいアンチが粘着してるだけだろ >>887
その通りっす。
サッシーは長崎・壱岐の方の出身だけど。
ま、あちらの島も仕手師から戦前は電力王(軍部と対立し電力業界から追放される)、戦後、復活後は電力界の重鎮にまで上り詰めた松永安左エ門やら、
レオパレス21の創業家・深山一族(創業は東京・中野で高利貸兼土地ブローカーとして)やらと松園氏に負けず劣らずの「豪傑」を生んでいるが。 長崎の川口春奈は熊本の村上を合わせたほうが付き合えたのかな >>878
引退したのは野村の2年目(71年)終了時で、ちょうど沙知代に唆された野村が広瀬の放出を球団に最初に要求した時期と重なるが
皆川はこれ以後一切ホークスにも野村にも関与せず、吉田・王・仰木の下でそれぞれ2〜3年投手コーチをやった以外はずっと解説者稼業
広瀬・小池らが野村を諫めて沙知代に憎悪されメディアで激しく誹謗中傷されまくったのに対して、すっぱり見切った皆川はそれを完全に免れた
>>886
松園家は2020年時点でも依然としてヤクルト本社の大株主ではあるからな。信託口を除けば第四位(2.13%。筆頭株主のダノンが6.61%)
まぁ確かに沙知代との不倫が無ければ野村がヤクルトへ行く目は無かったな。身綺麗なまま偉大な「ミスター・ホークス」として引退し美しく人生を終えていただろう
77年の南海追放直後に沙知代が江夏と柏原を引き連れてヤクルトへ乗り込もうと図り、球団社長間では2対2のトレードが合意に至っていたが
安田が「出されるなら引退する」と拒んだ為に流れ(安田は翌年の山崎裕之とのトレードも同様に拒否)、安田・大杉の流出を免れたヤクルトは78年に無事に初優勝することができた
ヤクルト入りに失敗した後は金田の引きで三人でロッテに行こうとしたがこれも失敗し、ロッテ(野村)・広島(江夏)・柏原(日ハム)の三分割になったのは皆様御存知の通り >>902
皆川の葬儀には野村も出席したんだよな。
南海関係者の葬儀に出たのはこの時ぐらいかな?
皆川の解説者家業はずっとABCだったと思う。 71年当時の記事によると皆川は「練習しても燃える物が無くなったから引退する」という旨の発言をしてる。
野村は翌年も戦力と考えていたらしく愕然としていたそうな 南海時代の江夏の付き人やってたのは藤田学池ノ上辺りか
しかしいくらセでブイブイいわしてた大投手江夏とはいえ阪神から来た外様がいきなり若手投手をアゴで使う身分にはなれんよな
若手の方が江夏に近づいたが正しいんじゃないか? >>905
そもそも若手の側が師事する為に自発的に江夏に御用聞きして雑用をやってたんなら
広瀬が江夏を注意する理由がないわ >>902
移籍なんてまず個人間合意を確認してから球団間合意にしなきゃトラブるに決まってんのに
何をやってたんかね南海とヤクルトは 昔のトレードというのは「追い出す」「追い出される」などといった感情的なものもかなりあったようだから今思い返すと明らかに不均等なものや意味不明なものも多かった
最近はお互いの戦力を補強し合うという本来の主旨に沿ったトレードが定着してきているようだが >>905
阪神の江夏、天下の江夏やで
俺だったらごますりまくって子分にしてもらうw 定岡(アイドルの方)が肘を痛めている時に
「トレードするから近鉄に手術代出してもらうよ」
って言われてブチ切れて引退したと去年くらいに暴露してたな
それ以降くらいからいきなり通告はほぼ無くなったらしい >>909
馬鹿丸出しw
人使いの荒さ聞いてるから誰も自分から寄る奴なんていないよ
それでもパシリを無理矢理指名する
日ハムでの実態 江夏は広島時代、練習中にキャッチボールをする相手がいなかったらしい。
誰もが江夏を嫌って、相手をしようとしなかった。
見かねたコーチが相手をしようとしたところ、衣笠が自分が相手をすると申し出た。
ここまでチームメイトから嫌われたのは、単に不器用な性格だけではなく、横柄に
若手を付き人扱いする態度も影響したのだろうか? >>907
何やってるも何も選手にお伺いしてからでないとトレード交渉出来ないなんて有り得ないでしょ。 デーブがYoutubeで言ってたが巨人トレードの際に根本から
「中尾が首を縦に振らなかったら悪いがこの話なかったことにしてくれ」
と言われたらしいね
この安田のも含めて数多の消えたトレードがあったんだろうな >>915
大野は江夏がいつも訳わからんとこでキレるんでどこに怒りスイッチがあるか不明で正直怖くてついていけんと思ったそうな
だが現役生活晩年に近づくにつれこういうことだったのかと合点がいったそうだ
江夏のキャッチボール理論はオカルトじみてるが案外理にかなったものかもしれない
江夏は話を聞くと意外に考え方は柔軟だしただの老害ではないな
薬がなければコーチとして有能だったかもしれない >>916
柏原でギリかな、コーチとして。
ウィキみても「解任」の表現多いな。
高畠も最後にノムに嫉妬され切れられるし。 絶対に日本シリーズに出るんだ
まさか大阪で見られるなんて
巨人ありがとう >>892
野村のせいで南海が崩壊したんだから
反野村なのは当たり前 >>892
大野は古葉の命令で嫌々めんどう見ただけだろ。
美談になってるが、大野は自分で努力したことのほうが
多いよ。 >>914
森が中尾は欲しくなかったという話が、当時の夕刊紙か何かで書かれていたな。 >>910
定岡が83年5月末から急に滅多打ち食らう様になったのは肘痛が原因なのかね
にしては現役最終年にブルペン起用とは言えそれまで記録した事がなかった140km台を度々記録してたからなぁ
ほんとかいな >>916
江夏は野村と同類で、野球に関しては感性が鋭いが
それ以外に関してはダメ人間にしてかまってちゃん体質のように思える。
もっとも江夏は構ってもらえないからと言って他人を非難することはあまりないが。 >>924
野村は選手には野球馬鹿になるな一般常識を身に付けろと常日頃口酸っぱく言っていたが
当の本人がとんでもない野球馬鹿だったというオチだからな
野球以外に何も興味なくて実生活も沙知代に任せきりだから飛行機や新幹線のチケットの取り方もわからなかった
シダックスの監督をやる70近くになるまで
選手もお前が言うなとずっと思っていただろう >>924
野村は選手には野球馬鹿になるな一般常識を身に付けろと常日頃口酸っぱく言っていたが
当の本人がとんでもない野球馬鹿だったというオチだからな
野球以外に何も興味なくて実生活も沙知代に任せきりだから飛行機や新幹線のチケットの取り方もわからなかった
シダックスの監督をやる70近くになるまで
選手もお前が言うなとずっと思っていただろう 江夏相手にヤジったりマウンドに突進する勇気のある若い選手はいなかったな。
前橋工業の番長・渡辺も水戸商の番・大久保も江夏相手ではペコペコだ。
東尾相手に新人時代の大石大が「帽子とって謝れ!」とやってたし鈴木啓示相手に新人・工藤が
「おじさん!おじさん!」と野次りまくってたらしい。
工藤は江夏相手でも臆さずに飯を食い荒らしてたらしい。 >>923
エモヤンの本には定岡の球は癖球で球速を上げたおかげで素直になって打ちやすく
なったと書かれてた。 それでも小松みたいに150キロ出るならわかるけど
かえってうちごろになったって >>922
谷繁でぶつかり、FA中日へ。
そして無能であることがばれてしまった横浜森監督。
木庭が採り、大矢が育てたのも気に食わなかったらしいが。 >>916
は?
大野は肘痛めてるとき江夏とキャッチボールやったら、
江夏が「いい加減なキャッチボールやるな!」
と激怒してボコッボコにしたんだぞ?
これって後で大野の親に謝ったぐらい酷い制裁だったのに。
こんなのが有能? >>924
アホか?
江夏ほど構ってちゃんはおらんわw
日本シリーズでブルペンで他の投手に肩作らせたら翌年まで根にもって古葉に因縁つけたり、
ハムで節目の記録を誰も祝わなかったらふてくされて文句垂れるとか究極の構ってちゃんだろうがよボケ >>929
大矢明彦が本に書いていたが巨人ファンから
「斎藤明夫って全然球は凄くないのに何で巨人の選手は打てないんですか?」と聞かれて
「打席に立たないと分からないと思うが斎藤の球は凄まじく打ちにくいのだ」と答えたそうだ
速度の数値だけ高くてもタイミングを合わせやすい球は打たれるってのはよく言われるね 南海電鉄は大手私鉄なのに、昭和末期は選手に対する待遇が悪かったのには
驚いた。 >>932
追加。今でも言ってる。
衣笠とのマウンドでの会話が美談になっているが
そんなことで腹立てるか?人間が小さい。
手柄も水沼の分も独り占め。
挙句の果てに、後年、西本さんの下に行って優勝させたかっただと。
上から目線も過ぎるな。 >>934
大手私鉄と言ってもコクド傘下だった西武とは比較するのもおこがましい程差があったから 78年にブレイザーヘッドが広島にいたが大野の重心低いフォームを評価して
なかったようだね。 外国人の投手コーチらしい
外国人は川口の投げ方好きそう >>934
こんな短い文章なのにバカさ加減が満載ってのもなかなか無いな 昭和の選手って人間小さいの多いよね。 自分勝手というか。
こういうやつらが野球界の発展を阻害してきたんだろうな >>934,936
西武と南海は営業キロや意外にパッとしない沿線のふいんき等も含めて似たような規模だけど、西武は不動産部門で全国展開している
国土計画(コクド)が莫大な利益を上げていて、グループの設立経緯や収益構造からも国土計画の方が義明系グループの中核と見做されていた位。
さらに長らく同族経営だった事よりグループ全体の利益が義明に集まる構造となってて、バブル期には義明が世界一の大富豪に躍り出た位で。
旅客輸送でチマチマ稼ぐ南海とは収益構造からしてまるで違っていた。
ま、そんな西武並びに義明もバブル崩壊後、全てが引っ繰り返ってしまった訳だが。 後、南海電鉄では労働組合が非常に力を持っていて球団運営にもしばしば嘴を入れていた話はこのスレでもしばしば指摘されているけど、西武はその手の労働組合が
事実上存在しない(所謂「御用組合」的な従業員組合は存在している)という違いも、グループ=義明の収益を親会社労組等の横槍を受ける事なくチーム強化等の資金に
注ぎ込む事が出来たという点で意外と忘れてはいけない要素かも知れん。 このスレでは野村と江夏はほんとボロカスに叩かれるよなあ
まあ南海にとったら裏切者で身売りの元凶だもんなあ
でも柏原はなぜか悪く言う奴はいない >>945
柏原は南海時代はまだ若手で
沙知代に寵愛されていたとは言え本人が何かまずいことをしでかしてた訳じゃないからな
コーチになってから阪神で色々とやらかしているが >>937
大野はメジャーで評価されてエンジェルスからオファーが来たそうだよ
年齢的な問題で諦めたけど
もし実現してたら村上に次ぐ日本人メジャー第2号だった 高畠も刀根山籠城の一人のはずだが
あまり何も言われないな
六番を打っていたこともあったのにな >>948
高畠はマトモだった頃の野村に受けた恩義に義理立てしての参加で沙知代への忠誠心は皆無
ヤクルトでは90年に南海のように現場介入しようとした沙知代を止めた為に讒言されて一年限りで退団に追い込まれている
そんなわけで旧南海の面々も高畠には同情的で
91年には鶴岡の斡旋で広瀬・権藤と共にダイエーのコーチになって田淵と黒田の尻拭いをしている >>949 結局、鶴岡さんかいな。田淵以外はまともやね。ダイエーコーチ。 >>949
平和台時代のダイエーホークスの関係者が南海勢が占めてたのに、ドーム移転してから段々と
南海排除で西武関係者がホークスを支配していったな。
今の黄金時代を築いたわけか。極めつけはお飾りの巨人の主砲。 ホークスは某合併球団より比べたら環境に恵まれてるけど、南海とは かけ離れたホークスになったよな。
福岡は西鉄(西武)の地なのは分かるが
ライオンズ支部と化したホークス。 >>950
斡旋って?
親分って初期のダイエーホークスにまで影響力
あったんか?
もう流石にダイエーが西武化したら
鶴岡親分でも影響力は無やろ? >>951
根本招聘が転換点となった恰好やね。
当初は杉浦-坂井にその役目を担わせようとしていたけど平和台時代の4年間で中々5割&Aクラス到達出来ない現状と、何より西武がバブル崩壊で
根本を抱えられなくなった(内部調査で多額の裏金が発覚し、それが問題視され出したらしい)状況もあって、中内-義明のトップ会談で根本招聘が
決まったと。 >>952
鶴岡にコーチの斡旋を依頼したのは法政(鶴岡も田淵も黒田も法政OB)
田淵一年目が絶望的な酷さだったのでこれでは沽券に関わると鶴岡に助けを求めた
西武化は>>953にあるように92年オフの根本招聘が転機 >>952 そりゃ、わしが聞いとるんよ、>>949に。 >>955
杉浦氏じゃないか?
もっとも、彼も鶴岡氏に相談してたかもしれんが。
岡本氏が阪神のコーチになるのも、なってからも鶴岡氏に相談してたからね。
山本一義なんて同じ球団で世話をしたこともないにもかかわらず、ロッテの監督に推薦したとか。
長池あたりもそうなのか?今じゃ考えられないほど顔が広いな。 >>945
球団を私物化した野村夫婦は裏切りものかもしれないが、身売りの元凶まではいかないだろ。
江夏や柏原は単に野村に心酔していたのか、それとも南海という組織に愛想をつかしていたのか
当時のことはよくわからないけど。 根本招聘による西武化に加えて、生卵事件で南海排除が強まったな。
ソフトバンクになってから、また南海を回顧するようになったけど。 野村の事件があろうがなかろうが川勝オーナーが死んだらすぐ身売りされてただろ >>958
ソフバンに関しては何かもう九州のチームになってしまったし、思い入れは無い。
民族浄化は完了かな。
王会長、元西武の連中、九州の人々な感じで入れ替わった。
せめて、南海臭のする、広瀬や門田が役員でも入っていれば別だけどね。 ライオンズは東尾が福岡と埼玉の歴史を繋ぐ存在となったけど、
ホークスの場合、そうした立場の大物OBが希薄だな。 旧阪急近鉄のことを思うと南海ファンは全然幸せだと思うけどな
チームが新天地にしっかり根付いて強いんだから
オリックスはどうしてああなった 阪急は南海と同様に戦前からある古参球団なのに、昭和30年代の後半までずっと弱かった。
南海と比べて打線が弱く、スター選手がほとんどいない。
同じころ、南海は「百万ドルの内野」などスター選手がそろっていた
なぜこれほどの差がついたのか? ノムさんが何かで当時の阪急について語っていたのが
とにかくチームの雰囲気が暗いと言うことらしい
オールスター等でヨネカジがベンチで一緒になったりしてもまったく喋らない、暗い >>963
ただ、40年代以降は西本監督で、長池、福本、山田、足立、加藤英、ヨネカジなど。
あまた、スターがいますよ、南海よりも。
長池なんて永久欠番の話もあったくらい。
もっとも、長池は南海希望だったんだがね。
ドラフトのせいで阪急へ。
子供の名前に鶴岡さんから一字もらってるし、引退後もコーチ職をなぜか口きいてもらってる。 南海がパの名門たりた所以は全て鶴岡さんに尽きるんじゃない
チーム作りのプランニングもそうだし人脈も豊富でスター選手はもちろんのこと
多忙ながら自ら積極的に地方も回ってスカウティングで無名の逸材も多く発掘してる
人心掌握術も長け親分のためなら命も惜しくないと選手たちからも誰よりも慕われた(野村ら一部の例外は除いて)
鶴岡野球のバックグラウンドのグランドにゼニが落ちてる理念に金のない南海本社がついていけなくなることで限界が来たが >>964
当然ハリーのタオルを取るような行為に加担することもなかったんだろうなあ >>965
福本山田は全国区の看板スターだけど他はちょっとね・・・ 前にもこんな話したような気もするけど、福本山田をもっと前面に押し出してアピールすれば
阪急ももっと人気が出たと思うんだけどねえ
西本さんも上田さんもそういうのを好むタイプではなかったとはいえ >>971
それを言うなら南海広瀬さんでしょ。
身体能力はピカ一だったし。
福本いわく「広瀬さんは神様やで」
キャラとしても、野武士ど真ん中。
配球読まないし、山は張らないし、来た球を打つ。
余計な記録狙いの盗塁はしない。
まあ監督には向いてないけどね。運悪し。 >>829
西本は後任に上田を推して
自らはフロントでバックアップするつもりだったが実は裏で球団社長と上田の間で全て事が決まっていて
西本は何ら権限の無いお飾りにされるのが分かって急遽退団オファーのあった近鉄へ >>969
ここほどボロクソに言われてないぞ
晩年のノムはマスコミからは好々爺として扱われていたからな >>974
そういうのは芸スポとかの知識浅い奴の反応
この板、野村スレとかもっとボロクソじゃん
江夏にしてもそうだがマスコミがヨイショしてる浅い情報じゃここは通用しないわ >>974 一人二人、アンチ野村はいるけど、
他の書き込みは、功罪を意外ときっちり評価してる。
アンチ・ノムのスレはあちこち建っとるし。
なんだかんだ言っても、捕手で三冠王だし、性格が悪いのは
デフォとして、フラットにみてるけどね。
鶴岡さんにしても、確かにすごいけど、ここの住人はビバ鶴岡さんじゃないよ。
結局、人がいいのか、詰めが甘いのか、水原巨人に1回しか勝てんかったし、
哲には勝てんかったな。1回でも哲を潰しときゃ
もっと名将だったんだが。 >>956
山本一義は広島商→法大と完全な鶴岡の後輩
>>961
東尾は福岡で9年、所沢で10年と、両方で同程度の期間エースを張ったからな
ホークスは野手だが佐々木誠が放出されていなければそういう立場になったかも知れないが…
南海末期に続けて二桁勝ってた藤本修二は福岡へ行った途端に故障してしまった
>>967
一番は南海がいち早く八百長対策に成功したことだろう
鶴岡が復員直後の46年に兼任監督に就任すると即座に自らの手で粛清しまくって浄化した
一方の阪急は本格的な対策開始は西本監督が62年に就任してからで黒い霧には間に合ったが数年かかってる >>977 少し長いが、下記は山本一義の手記(中国新聞より)
春の甲子園大会の時には、鶴岡さんの計らいで南海の本拠、難波球場で練習させてもらったこともありましたし。
高校3年春の甲子園大会で、難波球場を練習に使わせてもらった時には「山本君、本塁打を多く打てばプロが騒ぐぞ」と声を掛けてくださいました。
私が法政大で1年からレギュラーになったら喜んで、南海が上京するたびに古いバットを10本ばかり縄で束ね、「これを使え」と持って来てくださいました。
そんな鶴岡さんにほれ込んで、私はひそかに南海入りを決意していました。契約金も破格で、広島よりも高額でした。
(中略、池田勇人通産大臣(同年7月、首相に就任)が直接、広島入団を勧められ、迷う、広島に決定)
返事をする前、鶴岡さんにおわびの電話をしました。どんなに叱られても仕方がないと覚悟して。
ところが、鶴岡さんはこう言われました。「俺でも、もし古里にプロのチームがあったら入っていた。古里を思うおまえの心意気がうれしい。カープを頼む」。
涙があふれて止まりませんでした。生まれて初めてでした。
えっ、「カープを頼む」かい。南海ファンとしては複雑。
長池に対してもコツコツ面倒見て、最後ドラフトにやられた。
鶴岡さんは、町内会のオヤジ気質なんかな。ボーイズリーグとか。
しかし、実の息子には厳しかったらしいが。 どうでもいいが
この前久しぶりに和歌山行ったら町の寂れっぷりにびっくりしたわ。
南海和歌山駅なんて昔は高島屋がくっついてたのに、今じゃ市営図書館・・・・
駅前なんて全然人通りがないし、こりゃ南海が苦しいのもわかるわ・・・ >>978
宇高勲に先に南海が目を付けていた稲尾らをごっそり持っていかれたり、巨人に長嶋を横から攫われたりしたのも
そういう良くも悪くも鷹揚な気質を見透かされていた故かも知れん
その宇高が65年には今度はサンケイのスカウトとして暗躍し結果的に南海に致命打を喰らわすわけだが 30年前までは市駅(南海)と和駅(JR)は利用客は共に2万人ほどでほぼ互角だったが
現在は和駅は現状維持だが市駅7千人程度で半分以下に減ってるからなあ
市駅は高島屋が撤退したが和駅は近鉄百貨店と天王寺ミオの支店も一応まだある
南海の和歌山は四国への連絡口としての機能もあったんだが明石海峡大橋でごっそり客が取られたのも痛かったなあ
あと和歌山自体も住金の縮小で街そのものの活気が減ったね 憶測で悪いが
生卵事件以前から南海勢排除してたやろ。
根本就任あたりから南海勢排除してカズ山本も佐々木を切って、西武勢来て勝てない&巨人軍の次男坊が監督やったから生卵の奴らブチギレて
発狂したんちゃう?
だからといって生卵事件起こすのはなぁ....。
確か根本陸夫に同好会レベル言われたんちゃう?
おたくら(南海)は要りませんよって事ですわ。
まぁ、血の入れ替えは必須やね。
確かにフロントが南海勢では勝てんわな。
阪神も生え抜き負広吉田から外部の野村星野みたいに血の入れ替え必要って事やな。 球団は南海色無くなったが評論家や店を
そのまま九州でやっている人は多いのでは
チャイとか桜井とか ドカベンもそのまま居ついたよね >>983
そらヒロシとか岸川、カズも
自宅、仕事は九州やけど >>981
南海ってさびれた路線がやたら多いけど
昔は大きな工場地帯と本線をつなげてたとか、
その和歌山みたいに海を渡る拠点とつながってたとかけど
今は新しい選択肢に客を奪われ・・・・
ってのばっかりだね >>980 三原西鉄は南海スカウト網を尾行に近い形で張っていた。
そしていざとなったら、監督自ら出馬し親族を篭絡。
稲尾なんて獲得しといてバッティングピッチャー。
それを矯正し抜擢したのが鶴岡さんの師匠石本さん(なぜか西鉄の投手コーチだった)
三原さんはほんと人の嫌がることをやる天才やな。
同じようなことを、鶴岡さんもしていたけど、最後はひとがいいのか
そこまでがめつくいかんでもいいかという常識が働いたのかな。
池永とか、深追いせんかったし。 >>975
>江夏にしてもそうだがマスコミがヨイショしてる浅い情報じゃここは通用しないわ
うおおおおおお
玄人さんカッケーwww
ネットでイキリっすか >>987
ただ池永に関しては、鶴岡が自らその素行を見て
「どれだけ能力があってもアイツだけは要らん!」と途中で撤退しているからな
八百長対策のエキスパート鶴岡には危険性が見えていたってことだろう >>989 ノムも八百長関係は何か知ってたらしいが、
「墓場まで持って行く」と言って、実際持って行ったな。
在阪球団、中日は怪しかったし、実際摘発された。
さすがにあの三原も辟易してたみたい近鉄時代。 >>988
お前が情弱のアホなだけだろ。
マスコミはどうしても野村や江夏の記事を書くときは本人に忖度した綺麗事の内容になってします。
ネットに書き込まないタイプの人でもその辺はわかってるよ。
詳しく調べれば調べるほど両者とも自己中な性格がモロわかりなエピソードが続出するから。 >綺麗事の内容になってします。
訂正
綺麗事の内容になってしまう。 >>981
和歌山市は大阪市や堺市への通勤圏としての需要を作ることはできなかったのですか?
滋賀の大津も大阪への通勤圏となっていることを考えると、
決して不可能にも思えないのですが。 >>986
汐見橋線なんかがその最たるものだよね
元々紀州の木材を運搬するために敷設された路線で、駅は基本的に貨物向けの作りになってる
だから木津川駅みたいなホンマモンの秘境駅が出来上がっちゃったりする
街の方向と完全に背を向けちゃってるからね… このスレッドは1000を超えました。
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