南海ホークス20
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
【前スレ】
南海ホークス19
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1579781561/ >>1
野村乙也
948神様仏様名無し様2017/04/02(日) 14:25:21.02ID:q1z0NM5L
昔は南海ファンの多くはセリーグは巨人ファンだったけど
それは何か根拠がある?
949神様仏様名無し様2017/04/02(日) 14:54:53.10ID:5CNILa1H
南海と巨人は対立の歴史だから全くそんな事実はない
・1948 別所引き抜き事件
・1949 三原ポカリ事件
・1958 長嶋横取り事件
・1959 杉浦一人で巨人を4タテ
その他、巨人と何回やっても勝てない南海と揶揄される
950神様仏様名無し様2017/04/02(日) 15:34:52.10ID:NtM1YA3v
1961の円城寺事件もな
951神様仏様名無し様2017/04/02(日) 17:36:15.78ID:ux0fjxw6
>>948
またお前かよ。
952神様仏様名無し様2017/04/02(日) 18:59:15.44ID:mBZsOMZD
なんで毎回いちいち構うの?
例のダニ(上記で言うところの948)が現れても相手にせず
下記のスレに コピペして(晒してやって)下さい
【アンチ】巨人・悪の歴史【虚塵】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1377597552/l50 生涯一捕手
監督を歴任するようになってからはあまり聞かれなくなったノムのフレーズ https://afnews.exblog.jp/960449/
清原のヘルメット 35年の歴史
清原ヘルメット秘話、とてつもない歴史があった…
5月11日のオリックス戦で山口から頭部死球を受けた際、ヘルメットの塗装がはがれ落ち、いまだに西武時代のものを使用していたことが判明した。
これは西武入団時に自分に合ったものがなく、用具係が倉庫から探し出してきたものがジャストフィット。それが元西武選手の野村克也氏のものだったことはよく知られている。
清原は頭部死球後も補修して使用しているが、このヘルメットには、まださかのぼれる、とてつもない歴史があった。
60センチを超える頭の持ち主だった野村氏は、当時の日本製では合うものはなかった。
「昔のは鍋にひさしをつけたみたいで格好悪かった」と振り返る。そんな時、「日米野球でSFジャイアンツが来日して、ちょうどいいのがあった。用具係に“全日程が終わったらワシにくれ”と頼んだんや」と野村氏は明かした。
この証言に基づいて本紙が調べると、確かに1970年3月25日に、南海は大阪球場でSFジャイアンツと対戦し9−0と快勝している。
「黒に緑を塗って、またロッテの黒。そして西武の水色と塗り替えて使っとったんや」。少なくとも35年の歴史がある一品だという。
しかも、話はこれだけでは終わらない。 70年の日米野球では、清原が尊敬してやまないバリー・ボンズの実父ボビー・ボンズがSFジャイアンツの選手としてプレーしていた。さらに父ボンズは右打ちで、頭が大きかった。
となると、野村氏が譲り受けたヘルメットは、父ボンズのものだった可能性が極めて高い。
耳のピアス、バットはボンズのまね。その上、ヘルメットまでボンズ譲りとなれば、パワーが宿らないわけがない。
野村は兼任監督時代試合後宿舎に向かう帰りのバスで反省会という名目の選手個人の吊し上げを公然と行っていた
特に完封負けを喫した時の野手への攻撃は辛辣を極めた
広瀬球を全く見てない塁に出るより自分が打つしか考えてない
門田どんな時でもホームランしか狙ってないなぜあそこで大振りした
しかし自分もノーヒットに終わったことに対する言及は一切なし
ノムやんも打てんかったやんと広瀬は心の中でいつも突っ込んでたという >>9
この話は有名だけどヘルメットって耐用年数ないの? 清原は山口から頭部死球を受けてなぜすぐ立ち上がれたのか
村田真一もアドレナリンが出まくって起き上がりはしたが脳が揺れてすぐ昏倒したが
やはりその頃から薬か >>11
死球直撃とか、大きな衝撃が加わらない分には大丈夫なんじゃなかろうか。
アメフトのヘルメットなんかは毎年取り替えないと危険なようだが ※途中で送信してしまいました
だから頭部直撃後も使ってたのは危険だったと思う 新井は既に南海で理想的な2番打者として開花してたよね しかしその新井を終わっていた山口と交換してしまった。 藤本ニャンコがもし猫に噛まれるというアクシデントに見舞われていなかったら、
知名度は2/3くらいだった?
今でも阪神で頑張ってるそうで何より ニャンコの呼び名の由来を知っている人なんて
まず、いないと思うぞw
藤本は、清原に第1号打たれたピッチャー
で知名度があがった チームが負けてるのにプロ入り初ホームランにおおはしゃぎした清原は後でコーチにたっぷり油を絞られたらしい
一方松井はこれも高津からプロ入り初ホームランを放ったが負け試合のためニコリともせず淡々とベースを回った
この時からこの二人には差があったのかもしれない 「にゃんこ藤本」って顔が猫に似てるからだとずっと思ったてたなガキの頃
真相をインターネッツという便利なもので初めて知ったのも懐かしい思い出・・ 子供のころ、こんな不細工な顔なのになんで15勝もしてるんだ!
という我ながら理不尽で失礼な理由で藤本の顔が忘れられなくなった俺。 シャープな加藤と馬力の修二
どちらを贔屓にするかはその人の属性によるところが大きいかも >>19
理由が選手名鑑に書いてあったのを見た時にはビックリしたわw
子供心にも「投手が猫なんか触るなよ」とは思ったが とんねるずの石橋はカッコいいのになんでニャンコはブサイクなんだ? 昔の軟投派技巧派投手で今の野球で通用しそうなのは誰だろ
東尾ですら厳しいのではないか
危険球ルールで生命線のインサイド攻めが封じられ
球威はノムさんが遅すぎて素手で取ってしまおうと思ったほどない >>29
阪急〜オリックスにいた星野伸か、ヤクルトにいた安田あたりなら 藤本も、良い時はそれなりの球威があったから
勝てたと思うんだが >>29
お前、トンビが制球力無くてぶつけてたと思ってたのか? シュート(2シーム)とスライダー持ちで完投能力があり
しかも針の穴通すコントロールがある投手とか今東尾いたら年俸4億くらいいけるやろ
今のルールなら頭ギリギリぶつけない所に投げればいいわけだし、
またそのピンポイントの能力があるんだから >>34
東尾はわざと内角に一球も投げずに完投勝ちした事もある しかしわざと当てる意味ってあるのか?
藤浪みたいにどうしようもないならまだしもそいつは塁に出るから、ピンチ作ってるし、失点したら責任問題だし、球数も増えるし、防御率とか記録にも関わる >>38
デービス騒動後上田監督から口撃を受けた後の阪急戦かな
阪急の選手はあの事件で全員インサイドを意識し過ぎてて
一球も投げてこないからいつか来るいつか来ると待っているうちに外だけでやられた
野村は東尾を引き合いに出してスライクゾーンを広げる投球術として
スライダー投手はへなちょこでもいいからシュートを覚えるよう推奨していた >>20
王が715号を打った時みたく両手を広げて一周していたな >>39
デービスの件の後に文句つけてきた上田監督だって味方の投手に
「ぶつけろ」
の指示出してるだろ!と東尾は言ってたな。
味方がそれでぶつけられてるのにこっちだけ黙ってられるか、って。
ただ東尾は相手のケガしない所、
ベルトとか背中の肉の所とかに狙ってぶつけるとも言ってた あえて頭をピンポイントで狙った東尾
利き腕とは逆の左腕に強烈なピッチャー返しを狙い打った落合
なんだかなぁ凄いんだけどね・・ 東尾が言うには
きわどいボールは、1試合に1回限定だそうだ
それ以上やると
相手を挑発してしまうから逆効果だって言ってた 大阪球場での南海戦で満塁でわざと顔のあたりに投げて
避けたバットに当てて投ゴロ併殺打にしたことあったよな>トンビ ノムの腹心だった高畠がヤクルト時代に袖を分けたのは何故?
やっぱりサッチー案件? 永田が鶴岡にこだわったのもよくわかるわ
三原の大洋、水原の東映を間近で見てるからな
やっぱり野球は監督の能力との認識なんだろ >>49
やっぱりそうじゃね?
もし、サッチーがでしゃばってきた頃に蔭山さんが存命だったとしても
「野球より女をとる」ノムは、蔭山さんと疎遠になった気がする。 復刻ユニフォームやるんやったら、
西武ブルーと南海緑もやって欲しいな。
太平洋ピンクと南海緑も。 南海電鉄も読売と仲良くして、
セリーグに行った方が今も健在やったん違う?
その辺、阪神賢いと思うわ。
パリーグの電鉄リーグ構想、正直関西に4球団はきついで。 阪神との大阪キタミナミダービー?も盛り上がっただろな >>51
青年監督ブームだったけど
流行に乗じて蔭山やめさせてまで野村を監督にしたんかな 第一次黄金期の選手(鶴岡以外)で監督になったのは飯田だけで、すぐ選手から離反され無能のレッテル貼られて解任されてる。
この世代は後に近鉄監督になった岡本を除けば指導者向きではないと評価されてるのかな。
飯田はサンケイの監督もやったがさんざんな成績に終わった >>58
巨人じゃないけど、
南海obでスター選手でいいんやったら、
柚木さんは?法政でスター選手やで。 >>56
南海は学閥が無くて大ナタ振るえるから可能性アリ
主力選手で早大出は蔭山ぐらいか? >>57
名前が大阪タイガースでも、甲子園は大阪キタなんかにないぞ。 宅和さんは監督の目はなかったのかね
野村さんの確か同期だよね
そのほか森中 森下とか >>64
御堂筋シリーズて言われたんやから
ごちゃごちゃ言うても世間はそういう反応やぞ >>63
野村さんは89年ヤクルト監督受ける前(有藤監督の後)とか
98年ヤクルト退任後(山本エカ児の前)とか
再三ロッテ監督要請を受けたが悉く断ったと言われておる
・・・たぶんロッテの本社ファンひっくるめてのゴタゴタ体質を知ってたから 断ったのは金田さんに対する恩義が強いだろう
ごたごた体質なら阪神の方がファンも含めてひどい >南海は学閥が無くて
そのかわり鶴岡時代は
大卒&縁故同郷至上主義だったけどなw
>>65
宅和は55年の日シリでKOされて
鶴岡に見限られた
それでなくとも非大卒だから有り得ない
森中森下も同じく >>69途中で送信してしまった
続き
飯田徳さんが非大卒で監督になったのは黄金期のスターだったのと鶴岡の縁戚だったのが大きいでしょ
後の広瀬は鶴岡の同郷だし
ブレイザーを挟んで大卒の穴吹杉浦
まぁノムが監督になった事に
鶴岡は面白くなかっただろうなw >>69
宅和は見限られたというより登板過多でぶっ壊れていたんじゃないの?
私生活でも良いウワサは無かったようだし
あと鶴岡が現場にいた時代は、まだ各球団とも大卒監督が当たり前で、逆に高卒(中等学校含む)はごくごく僅か 阪神は梅田がベースであって、球場が甲子園にあるだけで大阪のチームでしょう。電鉄本社も福島区やなかったかな?
そんなこと言ったら阪急だって球場は西北やん。 >>74
阪神は本社が尼崎にあった時代もあったらしいけど、
尼崎は兵庫県とはいっても大阪市との関係が強かった(市外局番も大阪市と同じ06)。 甲子園の西宮もそうだが神戸の須磨辺りまでは旧摂津の国だからな
大まかに言えば大阪都市圏に属する
野村が兼任監督を受諾して鶴岡に一応挨拶に言ったらお前監督ってのはどういうものかわかってるのかと掴みかかられそうな剣幕で怒鳴られたらしい
鶴岡は自分を男にしてくれた杉浦を先ず監督にさせたかったのだろうな
野村は監督就任でそれまで良好だった杉浦との関係もおかしくなったと述懐する
現役引退したいと言い出し俺が辞めさせたみたいだから頑張って俺を支えてくれと慰留して続行させたが杉浦にはもうその気力も残ってなかった
監督になっても選手時代と同じ感覚で接してくる広瀬にも他の選手の見た目もあるから威厳を持って接したらこれもおかしくなった 「何が三冠王や。ちゃんちゃらおかしいで。南海に貢献したのは杉浦一人や」 なんで、阪神が大阪の球団ではないと認めたくない輩がいるんだろう?野球協約の保護地域規定に明白に阪神は兵庫県の球団と書いてあるんだが?しかも阪神人気に貢献したサンテレビやデイリースポーツも兵庫県の企業なんだが >>74
馬鹿?それじゃあ大阪に本社がある日本ハムも大阪の球団なんだ? >>78
鶴岡の言う通りだな
三冠王はその後王や落合らによって幾度も達成され今後もリーグを代表するスラッガーによっていつでも出現可能な記録
だが日本シリーズ四連投四連勝四完投は今後永久に現れないと断言できる
>>79
阪神が甲子園プロ野球開催時に走らせる臨時列車のほとんどが梅田方面で三宮方面はほとんど考慮されていない
つまり大阪側からやって来るファンによって阪神は支えられている >>77
鶴岡は一方で野村を蔭山に次ぐ第2候補と考えていたとも(ベースボールマガジン)、
飯田の後任の候補の一人だった考えていたとも(南海ホークスがあったころ)後年の書籍では書かれているけど、
就任当時の野村本人に対する態度を見ると真意がわからないな。 >>79-80
そういえば、大阪球場が完成するまで南海も甲子園を使っていたらしいが。 阪神は京セラドームが準本拠みたいなものだし
狭い範囲でどちらがって拘ってるのはアホらしすぎる >>83
それはまだフランチャイズ制がないころだな。
>>84
大阪府で主催試合やるにはオリックスの許可がいるんだけどな。本拠地なのに他球団の許可が必要なんておかしいだろ。 >>81
これからもどうぞ、兵庫県の球団をよろしくお願いします🤲 つうか1970年代まで大阪の人は阪神ではなく、南海ファンばかりだったんだけどな。その頃までは巨人戦でも甲子園はガラガラだった。阪神人気が出てきたのはサンテレビが試合終了まで生中継やり始めてから。 呉キャンプは森沢ホテル使ってた。
呉なんて何もないのに門田やドカベンは休日、何してたんだろ。 阪神を兵庫県だけの独占球団として規定しようとするのが反発を招いているのをまだわからないのか
その思考は阪神本社がびっくりするぞ関西圏を代表する愛されるチームと謳っているのに
阪神は甲子園をホームにしたのが賢明な判断だったな
大阪神戸双方から客が来やすい
阪神電車の運賃収入にも確実に貢献する
その意味では藤井寺もいい球場だったな
パ・リーグとは言え休日主催の時はは近鉄も臨時列車を用意するぐらい盛況であり近鉄の経営に寄与していた
ドームなんかを本拠したばっかりに野球客輸送収入が途絶え高い使用料も相まって球団消滅
せめて阪神なんば線の開業まで待てなかったか >>6
別にええやん。ここ野村シンパしかおらんし。
マスゴミに踊らされてる情弱という点で讀賣や阪神ファンと何ら変わらんよw >>89
藤井寺なんて球場最後の試合なのに全然客来ないくらい見放されてたとこだろ >>91
南海ファンは公私混同事件で南海崩壊への引き金を引いた野村きらいだよ 野村が死装束をヤクルトに選んだと言うことはまあそういうことだな 愛憎入り交じるって表現がこれほど的確な人間もいないだろ
逆にヤクルト時代は幸せな事しか無かったんだからまぁそうなるわな 兼任監督時代は鶴岡への思慕の思いはとうに消えていたが代わりに自分に全面の信頼を寄せてくれた川勝オーナーに対する忠誠心は非常に高かった
ホークスを強くしてオーナーに恩返しすることに野村はひたすら燃えていた
江夏が阪神と比較し南海を軽侮する発言をうっかりした時野村は凄まじい剣幕でぶちギレた
江夏が野村に真剣に叱られたのは不可解な四球で八百長を疑われたのとこの時のたった2回だけ
野村がホークスを心から愛していたのは間違いない
それだけに解任で負った心の傷は深かった >>49
90年の夏にサッチーから面罵されたと何かに書いてあった。 阪急ブレーブスと阪神タイガースは大阪の球団やと思うわ。但し、北大阪の。
南大阪は南海ホークス近鉄バファローズで。
たぶんね。ガンバは北大阪、セレッソも南大阪。 北摂のええとこのチームが阪急
尼崎を代表とする阪神間のがらの悪い下町のチームがタイガース
河内の言葉のえげつないこれもがらの悪いチームが近鉄
泉州のだんじりの豪放磊落のチームが南海 ちゃちゃいれマンデーやケンミンショウのようなステレオタイプありがとう
ところで野村がヤクルトで優勝した時に
鶴岡が何かのインタビューで野村の良いところを聞かれて
「自分を養ってくれている野球に感謝を忘れないところ」と
答えたのは鶴岡さんらしくかつこの時点で野村さんを
決してdisっていないところが意外でした 鶴岡は野村の高校時代の恩師の熱心な手紙と母子家庭で苦労してる身の上に心動かされ野村を採った
テストで遠投を不正合格させてもらった下りも全て裏で鶴岡の差し金があってのこそ
野村をレギュラーに大抜擢したのも野村の野球に対するひたむきな姿勢を評価したため
見るとこはちゃんと見てる
伊達に昭和の名監督と呼ばれてるわけではない >>94
リアルで野村嫌いな南海ファンなんて見た事無いけど。
その自称南海ファンはどこのファンだろね。 好き嫌いの二極論では割り切れないほど複雑でしょ南海ファンの野村への感情は 昭和30年40年の鶴岡南海全盛期は泉州人ほぼ南海ファン違うの?
泉州の人間がわざわざ大阪湾対岸の甲子園まで足運ぶと思えへんけどけどなぁ。
阪神なんば線の何もない時代やし。
まぁ甲子園の巨人戦は別かしらんけど >>104
こういうゼロか1かでしか考えられない脳はゆとり
ダイエー時代すら知らんガキよ 野村は江夏と柏原を道連れにしただけでもクソだからな
常日頃言う人間教育のできた人間なら辞めるのは自分だけでいいと江夏と柏原を説得してチームに戻したはず
野村が憎悪してた鶴岡なら同じ立場であればきっとそうしてたんだよな 野村はとにかく沙知代を悪く言った者達に対して、とことん泥を塗りたくってやろうと言う魂胆だったんだろう 野村が人格だの人間論だのをうるさく言い出したのはヤクルト監督で成功してからだな
それまでは野球は実力の世界と割り切った考え方だった気がする
長髪だの髭だのは昔から毛嫌いしてたが
まあ真の人格者はこういう当たり前のことをいちいちとやかく言わない
全くの無言で自らの態度と姿勢でのみ模範として示す
鶴岡や西本が一選手に向けて社会人としての常識なんていちいち問うような真似をするはずがない
湯口事件を起こした川上もこういうのが好きだったが自分が非人格者であることを割り切った上でのカムフラージュに過ぎない
沈黙は金雄弁は銀嘘つきは鉄屑 ミッチーサッチー騒動の時にあれだけぶっ叩いたメディアがコロッと変わるんだから不思議なもんだ
近年の夫婦愛アピールは悍ましい限りだった 野村は、南海ホークスは鶴岡が作って鶴岡が潰したと発言した事がある。 サッチーは子供の野球チームでも怒鳴ってた映像がある。
あれを南海でもやっていたと思うと。。。
江本は選手代表で直訴したら、阪神に出されるし、ひどい時代だ。 でも、ノムさんをなんばパークスには飾ってほしい。実績はすごいし、功労者であることは事実。
ここでも、サッチーの意向みたいだから、克則次第だ。
別スレにあるようなノムさんをディスりたくない。
鶴岡さんは広島県人なので口が悪いし、確かにえこひいきもあったろう。
総合的には素晴らしい人なので、和解してほしい。
このままでは、川上>鶴岡(大阪の悪役)のイメージが払拭できないし。 サッチーの意向もあるだろうけど野村自身がお断りだろ 数年前、九州でやってた巨人vsホークスのOB戦出てたけどね。始めは江本しか近づかなったらしいけど。
ヤクルト監督の実績よりも、南海の選手実績でしょ。あの戦力で監督としても優勝1回あるし。 >>114
怒鳴るだけじゃなく
手も出してたやん
自分のガキに手を上げないくせに他人の子供に手を出すなんて言語道断
どう贔屓目で見てもクソBBA カツノリも母親にシバかれてたと著書に書いてたぞ
カツノリの身体が大きくなって腕力で勝てる年頃になると
フライパン持ち出してきたと書いてある そりゃ南海はOBはほとんど死んでるし
ダイエーは誰も知らんわけだし >>122
広岡
「最後に、先日行われたヤクルトの球団創立50周年記念試合で、
私には招待状すら来なかった。OB戦の開催の是非がどうこうではなく、
筋道が通っていない。チームが最下位に沈むのも当然だ。私を誰だと思っているんですか?」 かたや球団の黒歴史でOB選手から腫物扱いかたや球団のレジェンド扱いでOB選手から慕われている
そりあヤクルトユニフォームで葬ってくれと遺言する訳だ
https://full-count.jp/2019/07/11/post437174/2/ >>116
鶴岡なんか全然素晴らしくない
川上は人間性云々を云われるが
川上は真面目に頑張る人間には
暖かかったと黒江らが語っていた
鶴岡の様な好き嫌い依怙贔屓はなかった >>49
高畠「野村さんは昔とは変わってしまった…」
野村「アレ(高畠の退団)は飼い犬に手を噛まれたようなものだ。」 高畠は野村の付録でロッテに来たけど
その後落合、高沢、西村と大打者タイトルホルダーを何人も育てて
確立した自分のやり方に自信があったから
野村と合わなくなってたのでは
変わってたのは打撃コーチとして実績を築いてた高畠の方 10年ぶりに現場復帰して一度失墜した己の名声を高めないとって鼻息荒かった野村と、
その間ずっと現場に身を置き既に指導者としての名声を得ていた高畠
お互い立ち位置の変化がそのまま人間関係にも変化を及ぼした感じ >>128
ここは南海スレでは?
川上の与那嶺や廣岡に対する態度はひどいと思うぞ。
監督としての茂雄や王に対しても。 今月の文藝春秋、克則のインタビューは載っていたが沙知代にフライパンで殴られたことがある
との事 >>133
横からだが
南海スレだから鶴岡や野村マンセーしなきゃアカンのかw 鶴岡親分は南海において神聖にして犯すべからず存在
野村はどうでもいいというか裏切り者だろう南海崩壊の元凶
何が南海は鶴岡が作って鶴岡が壊しただ
親分が築き上げた名門球団をメチャクチャにしたのは他ならぬ野村だからな
川勝オーナーが野村を甘やかせ過ぎて自分が全知全能の南海の神だと勘違いさせた
でなきゃ嫁ですらない不倫相手の愛人をチーム内にずかずかと土足で立ち入らす真似などできるわけもない
ひたすら解任されたと恨み言ばかり言って自分にも非があったと認めすらしないで逝ってしまった 結局野村を中心になんだよな
だから野村がいなくなってからの話はほとんどされない
穴吹時代とかブレイザー時代とかあれはあれで語りがいがある 野村が主力になる前の南海も黄金期なのにほとんど話題にならない 久保寺の不慮の死の話とか新井をはじめとする補弱トレードの話とか門田がアキレス腱切って戸板で運ばれた話とか色々あるにはあるが
陰鬱で気が滅入る内容ではある >>120
港東ムースは南海時代の比ではないレベルでサチヨ伝説がありそう
とにかくサチヨの言いたい放題やりたい放題だったらしい
>>131
高畠の指導で結果を残した選手が感謝を口にするとノムの機嫌が悪くなったという話がある >>135
鶴岡に関してはそう
神聖不可侵の存在
野村は逆
南海の黒歴史として封印すべき存在
なんばパークスでの扱いの様に >>135
別にマンセーじゃない
川上(過大評価)
鶴岡(過少評価)
野村の実績(南海>ヤクルト他)
以上、個人の意見だが。 高畠はヤクルトをやめた後当時田淵が監督のダイエーに移ってたんだよな。
この時期は元監督の広瀬もコーチで戻っていたかと。 >>142
野村の南海での実績はスパイ野球によるものだから価値はない >>142
お前が川上嫌いなだけだろ
川上は野村なんか比べものがない存在
晩年は今ならV9時代のような野球はしないと言っていた
時代に合わせて革新する器量の持ち主
キャンプの練習でリラックスさせるためBGMを流すようになったのも川上が始めた 亡くなってから頭のおかしなのが紛れ込んで来るの何とかならないのかね。 野村アンチは野村嘘スレでオナニーしてろよ。
鬱陶しいからこっちに来んな 野村アンチって不思議だよなー
次から次へと、野村の全く聞いたこともない新情報が出てくるんだよな
しかも、どれもソースなし 「野村話」はもう、オナカイッパイという感じでもういいが
マスコミは「野村語り」が好きだな。
ヤクルト監督以前からマスコミは「野村語り」が好きだったのか? 野村沙知代みたいな正真正銘悪人でも
バラエティでいじられるとちょっと実はいい人のイメージもつくのが怖い 野村アンチは住み分けできないんだよなぁ
嘘スレで同じ意見を持つ人間同士で分かりあってればいいのに
わざわざ南海スレや思い出語るスレにまで乗り込んでくる 野村はヤクルトのチームカラーのおかげで、良い意味で変身した。 たまにはあまり話題にならない選手の話題もしてみようぜ(提案)
中谷とか戸川とか野母とか堀込とか樋口とか >>40
ヤクルト監督時代の野村はかなり執拗な内角攻めをさせていた。
西村とか川崎みたく球威のある投手にも厳しい内角攻めをさせ
長嶋巨人とよく乱闘になってたな。
ヤクルト時代のノムは、もう南海カラーはカケラも残っていなかった。
本人も自分が現役を過ごした古巣に思い入れはあっても未練はなかっただろう。
>>137
最後の優勝だった1973年の日本シリーズ巨人-南海が、数年前にG+で流れてたが
一塁ベースコーチが古葉、三塁コーチがブレイザーだし、野球頭脳では最先端だったかもな。
それでもV9巨人相手には緒戦を取った後4連敗で終わった。
門田博が高橋一が投げる瞬間に、両足をベースよりに移動させて外角カーブを読み切ってる様子が
はっきり映し出されてる。だが、カーブが内角高めに来て、慌てて強振したが一塁ゴロ、ゲッツーになった。 >>157
オチャラケ・フジTVのイメージに上手く乗っかったな。
暗いボヤキが軽妙な漫才芸、落語芸みたいになってしまった。 近鉄って球団経営しようと思ったんやろ?
言っちゃ悪いけど、パールスの状況見て、
球団経営に関してはやる気なさ過ぎやろ。
佐伯オーナーの道楽に過ぎないな。
南海でさえ最初の頃は球団経営上手く行ってたのに、名門チームで。 >>159
門田が球種を読んで足を移動させて打つのって
もう晩年のロッテ戦で抑え牛島の映像で見たことある
投げる瞬間フォークを読んで二歩前に出て落ちる前を捕らえてHR
すげーと感心感動したが
そんな昔からやってたのか・・・ 話題にならない選手
堀井親子・小泉・井上登・林・外山・渡会とか 近鉄は花園もあるしラグビーに力入れてたんだが京阪を除く関西大手私鉄がみんな野球興業やってるから乗り遅れまいと参入したんかな
近鉄はパルケ・エスパーニャをはじめとするバブル投資がほとんど裏目に出て火の車になったからなあ
もうちょっと踏ん張ってたらパ・リーグの隆盛でバファローズも観客動員も大幅に増えてたろうに
オリックスより近鉄に愛着を持ってるファンはいまだに多いし 南海黄金時代に暗黒近鉄パールスファンいたん?
絶対ガラガラやろ藤井寺、日生は。 シュートと言えば野村の実質的な打撃の師匠山内のシュート打ちはまさに芸術的だった
晩年でも平松のカミソリシュートをものの見事にレフトに弾き返していたわ
野村は山内を参考にしてたわりにシュートを打つのはあまり得意ではなかった
稲尾のシュートを投げる時の癖を見抜いて一時打てたがフォームを変えられてまた全く打てなくなった
稲尾に会うたびにお前はスライダーちゃうホンマはシュートピッチャーやとキレていた YouTubeで南海ホークス50年の上ってるの観たけど、なぜか無関係の西鉄の紹介もあったわ、
中西太とか出てたわ。
まぁ、南海のライバルやけど。 宅和とか祓川 渡辺泰輔など
短期間に活躍して去って行った選手も多いな 木村保や林は投手としてダメになってから野手に転向したらしいな >>176
中日にトレードした長谷川と寺田が怪しまれた
長谷川は事故死 寺田は引退後球界を去る
トレード先の中日監督濃人渉も
ロッテ時代その筋との交遊で疑惑 >>176
佐藤公博。鶴岡末期〜飯田時代の中継ぎ投手 >>177
木村はサヨナラ満塁本塁打を記録したその試合では同点となる代打本塁打も打っていて全打点を叩き出している
打たれた投手はいずれも東映の土橋
林は初期のあぶさんに左の代打で出ていたが、登録はスイッチヒッターだった >>179
西本阪急で育ち盛りの若手Pなのに放出されていたから
西本御大からも早いうちに怪しまれたのかもしれない >>145
今じゃ考えられないけど、他の球団もみんなやってた。
広岡が80年代広島市民球場に訪れた時、「まだセンターから双眼鏡で覗いているのか」
と言ってたらしい 星野秀孝も結構忘れられているな
野村時代に西岡とのトレードで来て貴重な左腕としてそこそこ戦力となったが
広瀬時代になり調子が上がらずそのまま引退 >>169
昭和34年 南海(1位)858,869人 近鉄(6位)503,880人
昭和35年 南海(2位)701,417人 近鉄(6位)321,110人
昭和36年 南海(1位)897,060人 近鉄(6位)320,800人
昭和37年 南海(2位)628,877人 近鉄(6位)417,000人
昭和38年 南海(2位)727,468人 近鉄(4位)628,550人
昭和39年 南海(1位)646,235人 近鉄(6位)321,075人
昭和40年 南海(1位)556,811人 近鉄(6位)214,850人
昭和41年 南海(1位)572,371人 近鉄(6位)224,300人 テレ東のスポーツニュースを見てたら、いわき高校野球部監督の名前が木村保だった。
もちろん同姓同名の別人だが。 >>186
当時の大阪球場の収容人数と南海の本拠地試合数はわからんけど
ずっとぱっと見ガラガラじゃないの?
平均で7000人ぐらいは見た目としても多いの?
あとこれ実数なの? >>186
鶴岡親分時代は17シーズン連続で2位以上という強さだったが
昭和30年代の80万人台というのは、当時の人口動態と高度成長期前という
時代背景を考えれば相当の観客動員だと思う。
在来線の強みは関西私鉄の共通だが、やっぱ南海は頭一つ抜けてたんじゃ。
>>188
大阪球場は、この時代くらいまで実数発表だったはず。
昭和30年代は西鉄戦という黄金カードがあって、西鉄戦に限って大阪球場は
ほとんどが満員。「ある大阪の女」(1962年 監督:須川栄三 主演:団令子)という
90分のテレビ・ドラマが「日本映画チャンネル」で放送されたことがあるが、この作品に
大阪球場の南海-西鉄戦のハイライトが2分くらい入っている。どの試合も超満員。
西鉄のキャップがNLではなくL一文字だったので、多分、川崎徳次が監督だった時代。 大阪という人が多い場所
難波という立地
優勝争いしてるチーム
ナイターが中心
それでも1万人ぐらいなのは多いんかね
西鉄戦は満員でも東京とか東映相手だとイマイチだろ >>191
今の基準でモノ言ったら、セ・リーグだって巨人戦以外は悲惨な時代。
今は削除されたが、1972年、甲子園の阪神-広島戦で江夏 vs 山本浩二の
対戦映像があったが、甲子園は通常のアルプス・スタンド閉鎖だけでなく
外野席もガラガラで客がいなかった。
器が大きい分、観衆1万以下の甲子園は閑古鳥以上のガラガラさを感じる。
それでも巨人戦という、当時は年間13試合の超満員確実になるカードがあるから
充分に食っていけた。大阪球場の西鉄 vs 南海は、巨人V9の昭和40年代には
西鉄の凋落でライバル不在、ガラガラになってた。
ドキュメント 南海ホークス 野村克也氏 南海ホークス解任劇
https://www.youtube.com/watch?v=gEqwbuU9Osc
これ見て思ったが、南海は最後の優勝(1973年)から15年後に身売り、移転。
西鉄も最後の優勝(1963年)から15年後に身売り、移転なんだな。 >>184
あのクラスでも左腕不足の南海では重宝された
そもそもマッシーを干してトレードに出さなかったらね 近鉄は優勝して3年後に球団合併消滅
ダイエーは日本一の2年後に身売りだからな
どちらも保有企業の本業が不振で球団を維持できなくなったという事情ではあるが
パ・リーグのいや日本プロ野球界全体の未曾有の危機であった >>82
親分本人も1951年まで4番兼任の監督で相当苦労し、又その間に幼児の娘さんを南海電車の線路に立ち入る事故で亡くしたり、その時付き添っていた親分の
母親もその心労から翌年亡くなりと心労も重なったりという経験からの発言だったろうけど、ノムさんにその辺が理解してもらえなかったって事でしょうね。
ノムさんは親分の1番のお気に入りは広瀬だったと事あるごとに発言しているけど、これ又「鶴岡親分に近い」とノムさんから言われた杉浦さんに依ると、
広瀬は親分の1番の怒られ役だったとの事で、鶴岡本人は「野村は一見大人しいように見えて意外と大胆で叩けば伸びる性格と観て、広瀬と同じように
扱った積もりだったが、実は叩くといじけてしまうタイプだと気付いたんだが、その時には既にどうにもならん所までなってしまっていた。」と仰っていた様ですね。 >>192
その動画に出てる国貞が、杉浦、野村、木村とかに引退後
「ゴリ(国貞)は親分にいちばん可愛がられたよな」
「オレら4連投とかして優勝してよくやったとは言われても、ゴリみたいに褒められたことは一回もないで」と
散々言われて、まさかあんな大スターに嫉妬されてるなんて思わなったと驚いてるな。
鶴岡と国貞は同郷ひいき感もあったんじゃないかと、つべの書き込みにもあるし。 木村でなく三浦やな
大沢は現役時代はひどいやつだったらしいからね >>195
師匠の鶴岡と同じ失敗を野村も阪神でやってるのがなんとも言えんな
褒めて伸ばすタイプの今岡を叱ってつぶかけると言う >>196
広島県人は口が悪いし、不器用。近所の出身は柚木、藤村兄弟、廣岡、国貞他多数。
大下、三村の広商コンビ。張本、福富、広瀬、山本浩くらいまでは何らかの接点あり。 >>199
あれは今岡にもコミュニケーション他で問題があったからな。
指導者になった今は野村を許さないままとしても言われた事の何割かは理解してるだろな >>202
逝去時の今岡のコメントを見ると、さほど否定的ではなさそうな。
「教えてもらったことは今後、指導者として活かしていきたい」
ロッテの今岡真訪2軍監督は11日、阪神時代に監督だった野村克也氏の死去を惜しんだ。
球団を通じて、「突然の訃報にとても驚いています。現役時代に野球の事を色々と勉強させていただきました。教えてもらったことは今後、指導者として活かしていきたいと思っています。心からご冥福をお祈り申し上げます」とコメントした。
今岡2軍監督は96年ドラフト1位で阪神入り。99年から3年間阪神監督を務めた野村さんのもとでプレーした。
https://full-count.jp/2020/02/11/post686571/ 末期の大阪球場ならガラガラだったしコロナがあっても問題なくやれたんじゃないかw 野村は今岡をマスゴミを使ってイジメみたい陰湿な叩き方してたから気に入らんな
そのわりに新庄はあまあまで好きなようにやらせてたし
自分は鶴岡の依怙贔屓の犠牲者だと散々批判してたくせに
自分も結局同じことやってるからな
親に虐待された子供は自分が親になったら同じことを繰り返すを地でいってる 野村阪神。F1セブンと平成の新少年隊。これもスベッタ。
依怙贔屓しようにも…、新庄はマスコミ受けのみだし。手の打ちようがない。長いMTGも空振り。
星野阪神優勝の土台は作ってないよ。矢野、赤星くらいじゃないか。後は沈没。 野村にとっての今岡は同属嫌悪だろw
新庄は「お前どこを打ちたい」って聞いたら「4番!」って天真爛漫に答えて
そうさせたら打ったし楽だったんじゃないの まーた湧いてきた
野村の話すると最近いつもこうだな 今岡については新ネタじゃない
むしろかなり手垢がついたネタだろ 手垢はいいけど阪神のそれも最近の今岡なんて
このスレではどうでもいい話題だろ
いい加減他所でやれよ 伊原が言うように他人が努力して成し遂げた結果をあたかも自分の手柄のように誇張して吹聴するのが野村のやり口だからな
こと野村に関する悪行を沙知代が悪い沙知代が野村にそう仕向けたとみる擁護を見かけるが
同情の余地は一切ない
コイツらは似た者同士だから惹かれあったに過ぎない 伊原がそんなこと言ってたかな?
片岡元スカウトは古田獲得についてそんな感じの事を言ってるけど? >>10
あー昔から同じだったのね
個人攻撃ばかり http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200312-01&from=ynews
このシリーズ面白いな
評判が悪い濃人クビにして監督かGMを鶴岡にしたい永田と
優勝監督クビにしたくない中村の対立 >>203
教科書通りのコメントw
いっそ干されたほうがマシなぐらいグチグチ言われたからな 野村解任騒動の時、野村の肝煎りでヘッドコーチになった以上は
ブレイザーはホークスを去らざるをえなかっただろうけど
監督のオファーを受けた時はホークスへのわだかまりは無かったのかな。
仮にビジネスライクに割り切っていたとしても、広瀬時代の三年間で
すっかり弱体化したチームを本当に立て直す自信もあったのだろうか。 鶴岡親分にぶっ飛ばされて解任されたはずなのに
何でその4年後に、子分にしていたヘッドコーチの外国人が監督になれたの? 川勝オーナーは野村マンセーだったので、考え方を戻そうとしたのだろうが、いかんせん弱すぎw >>216
濃人渉(広陵)門前眞佐人、白石勝巳・岩本義行
石本監督ー鶴岡親分(広商)・灰山・浜崎兄弟 ※甲子園夏春連覇
藤村兄弟(呉港)・柚木 ※川上(熊本工)を甲子園で撃破し優勝
以上、全部、同時期の顔見知り、濃い。 南海時代の沙知代の介入した実態を具体的に語っている関係者っているの? 広瀬が反野村の筆頭だったのかな
天然でチーム内の権力闘争には全く興味なさそうな人だが野村に不満を持つ選手たちに担ぎ上げられる御輿には丁度よさそう
門田もいつも小言ばかり言われる野村が煙たくて広瀬に懐いていたからな >>223
ミッチー・サッチーの時に
南海時代に野村のマネージャーだった杉浦という人(「あぶさん」にも登場したことがある)
がワイドショーでサッチーの悪行について語ってた。
ちなみにこの杉浦さんは元木が少年野球やってた頃の監督で
元木がダイエーを拒否したときに後見人として悪く言われていた。(実際にはそんなことはなかったらしい)。 広瀬が反野村とか たしかに後年はそうだけど
仲の良かった新入社員同士がいつしか家族できて管理職になって
微妙な関係になるのはよくあることだ ブレイザーが監督になった時に野村は「あいつは名コーチだが監督には向かない」と危惧していたらしいが
案の定成績が低迷したまま球団と補強方針を巡って対立して2年で辞任。
その後はNPBで指導者になる事は無かった。
ブレイザーは当て馬を使うのが好きで相手投手によって片平と山本雅を使い分けしていたが
これでレギュラーから陥落した片平が不満の塊になって西武とのトレードが成立したら喜んで出ていった 広瀬と野村は野球観も正反対
職人気質だけに野村の場合によってはスパイまがいも辞さない知略野球とはとことん性に合わなかった
野村の有名な広瀬は球種を教えてやっても逆に打てないエピソードも広瀬なりの野村への反発だったらしい
野球とは正々堂々男の勝負であるべきだという考え方だった 広瀬は世間では地味だが、野村、福本他、色んな人が「天才」と言っている。
テスト生あがりで、鶴さんからは怒られ役(聞いてなかったらしいけど)
ちなみに広島カープも合格だが、無名高校なので誘われず。
鶴さん「大したピッチャーとちゃうで。法政に行かせとけ」だが、広商コネクションで南海入団。陸上で早稲田、順天堂大からも誘われてたらしい。
配球を読んで打つなんてことは卑怯だと思ってた。
勝敗が決まった試合では盗塁はせず、打率稼ぎをするセフティバントもあまりしなかった。セゲオと一緒で監督には向いてないし、自分でもそう言ってる。今は故郷の広島に引っ込んでる。
南海は派閥はなく、当時、野村vs野村以外。残念ながらサチヨのせい。 >>230
広瀬は長嶋と同じ系列なんだろうね
長嶋は資金豊富で誰もが入団したがる巨人の監督だからまだ何とかなったが
貧乏で誰も入りたがらない70年代後半以降の南海の監督じゃそりゃ上手く行かんわ このスレはノムさんの批判は厳禁ですが、
広瀬さんや鶴岡さんは悪くいっても大丈夫なんでしょうか? 別に厳禁じゃないし、批判も良いのでは。みんな万能じゃねえし。
鶴さんは、言葉が少なかったので、誤解も多かった。たまの一言が毒舌(野村の一件とか)
詰めもあまく短期決戦が苦手だし、お人好しなんで長嶋、廣岡ほか多くいいところを巨人に持っていかれた。
でも、尊敬してますよ。川上みたいに「神&タブー」感はないし。
日シリで1回でも川上に勝ってれば…、世間の評価もかわったはず。 世間の評価、っていうけどそんな評価の対象にすらなってないのでは?
昔は知らんけど 鶴さん、通算1773勝は歴代1位。ちなみに2位はノムさん1565勝、あと208勝だったね。ひそかに狙ってたと思う。
世間は野村、星野が慕ってたのは川上なので。南海自体が丸ごと地味な展開に。 克則の堀越高校時代の監督が、元広商監督の桑原というのも因果なものだったな。 >>226
元木騒動のときに
おーっ ひょっとしてあぶにコーラに見せかけてコークハイ飲ませたり
球団事務所で 宗右衛門町のトルコにええ子入ったそうやで
とか口走ってた胡散臭いことこの上ないオッサンか
杉浦正胤っていうのかと >>237
例のトルコの場面はクソ笑ったなw
南海ノムを知ったのはあぶさんからだけど、ヤク監督以後のノムとは違いまくりで驚いたし、描かれなかったサッチー関連のドロドロも後に知って驚く 動画で昔の南海ホークス選手名鑑を見たが「南海のドラフト外」なんて入っても何もいいこと
なさそう(笑)。南海のドラフト外なんかだったら近大とか龍谷大、社会人の神戸大丸やニコニコ堂のほうが
ましなくらいだと思った。
ただ歌舞伎役者の幼馴染の北田?って南海のドラフト外はアメフトで成功したようだが。 >>237
コスギさんはノム専属のマネージャーで、現場に於ける総目付きだった
ノムの前妻に対するサチヨの電話攻撃をミッチーサッチー騒動の時にテレビで涙ながら語っていたな
>>228
片平(と黒田)にしてみたら良いトレードだったね
性格的に西武の水が合ったし、日本一も経験できたしGG賞も獲れた
週ベか何かに奥様が出てて、すんげえ美人でビビった記憶あり >>237
宗右衛門町のトルコというところに時代を感じる >>229
そもそもシンキングベースボールが正しいわけでもなんでもないからな >>236
桑原の法政大時代
2年先輩:山本 泰(鶴さんの息子、PLで優勝監督)
1年先輩:田淵幸一、山本浩二、富田勝、山中正竹、
同期:江本孟紀、黒田正宏、堀井和人 野村プレマネ時代はトレード巧者、以降は理解不能のトレードが多かったね
何で片平やら新井を出したのか この辺、ブレイザーや穴吹じゃないかな、年代的に。
黒田含め、関西出身の良い選手を放出してた。しかも、同じリーグに。信じられん。 >>244
「南海のトレードは補強じゃなくて補弱や!」だね 片平、新井、門田、柏原
なんだかんだ野村の元で次の若手は育ってたんだよな 途中送信すいません
2人とも主力として優勝に大貢献、方やホークス側の交換相手は山村以外全滅というのが
何ともはや… 晩年の西鉄〜太平洋〜クラウンライターあたりもひどかったけど…
若菜、真弓、竹ノ内、吉岡、基
ここも、センターラインや首位打者放出 福岡のライオンズから所沢のライオンズに生まれ変わらせるためには、損得勘定抜きに無理矢理人を入れ替えるしかない。 >>251
西武、阪神間のトレードは両者にとっていいトレードだったね 南海→ソフバン
西鉄→西武
20年くらいかかるのか…
そういやぁ、ORIXも入ってるな地獄モードに。途中で合併するし >>252
そりゃあそこは八百長ウイルスが蔓延してたし
人間を入れ替えなかったらそれこそ敗退行為だわ 西武もダイエーも血の入れ替えしないと勝てないんだろうな。根本おそるべし やっぱ黒い霧事件からですよね。鶴岡親分でもパの地盤沈下は防げなかった。
しかし、池永(西鉄)はもったいないことをしたね。200勝は堅かったのに。 万年Bクラスのチームの体質改善は
選手入れ替えが手っ取り早くて効果的だからね
根本はライオンズとホークスでそれをやったし
三原も日本ハムでフライヤーズの主力を次々に放出した 大きな人の入れ替えは結果が出ないと責められるから大変。
事実根本も広島ではそれで解任された ほんとですか? ただの成績不振では?
監督采配苦手なんで。 日本で唯一成功したGMだな根本は
というか日本人にGM職は不向き
日本人は義理人情が絡むからビジネスライクになりにくい 球界ではゼネラルマネージャーと言えば根本陸夫が語られることが多いが、
編成や契約金などの細やかなバランスにも関わった鶴岡は、松木謙治郎・三原脩と共に実質的GMの先駆 元ネタは鶴岡一人のwikiです。ちなみに下記も
鶴岡は頃から各地区に常駐のスカウトを置き、
各地の有力選手を積極的に獲得しようと考えた〜(中略)〜
これらはプロ野球最初のスカウト制度の確立ともいわれる。
でも、お人よしなんで、結構横取りされてたけど。Wikiみてね。 ノムが兼任監督だった時はトレードとかについては実権を握っていたようだけどノム追放後は誰が編成の実権を握ってたんだろ? 広島県民のカープ人気凄いけど、
ミスタータイガース藤村とミスターホークス鶴岡は地元カープやなくて、共に大阪の球団やね。 >>269
当時、カープがなかったのが定説だが。
2人とも呉出身。
ちなみに廣岡も呉で、呉三津田ー早稲田ー巨人と書いとる。
浜崎兄弟も呉。阪急?45歳でプレーイング・マネージャーで有名。
これに、高校や大学もあるので、魑魅魍魎。奥が深い。 西本御大の時の阪急と近鉄はそこまで大規模な血の入れ替えはなかったよな
負け犬根性の染み付いた選手を時には鉄拳を振るいながらも愛情深く接し
コツコツと意思改革させ常勝軍団を作り上げる手腕
これこそ監督冥利に尽きる仕事だよな
野村は途中解任の憂き目に合わなければ果たして阪神と楽天でそれができたか 西本さんは近鉄の時は土井正博を放り出したよ
永淵や服部もね 南海に来た佐々木宏一郎もかな 土井は守備がもうダメだったからトレード決めたけどそのちょっと後にDH制採用されたんだっけ
土井はそれで移籍後すぐにホームラン王
西本さんもあれは大失敗トレードだと述懐してた >>269
張本は東映フライヤーズ
ギータは今のホークス
色々逃しとるな広島も。
ただ、張本は松田オーナと喧嘩しそうだし、ギータはフォーム変えられて未だ2軍かも。 広岡はコーチとして広島の若手の守備力向上に貢献
そこで自信を付け指導者としての道を歩みヤクルト西武の監督となり優勝
広岡はカープの選手はみな素直で真面目に練習するのでいずれ強豪チームに成長すると予想していた 廣岡は川上哲に正論言うからな、すごい。
唯一、頭上がらんかったのは、鶴岡さんだけらしい。入団断ったんで。あと軍隊出身だし。
工藤、秋山、伊東は監督として成功してるし。若松、辻も野村ではなく廣岡筋。
>>277 追加
村田(兆)ロッテ
岩本 南海・東映 元祖トリプルスリー
蓑田 阪急・巨人 トリプルスリー
パリーグ多いな、ついてない。 >>275-276
後年の土井は不自然に二塁打が少なくて
真面目に走塁してなかったんじゃないかと指摘されている >>280
土井に関してはバランスの取れない交換相手などから考えて
先ず放出することが優先だったのではないかと思われ。
チームを強くするためにはいない方がいい選手と判断されたか。
失敗だったというコメントも額面通りには取らない方がよさそう。 >>281
交換相手の柳田豊はけっこう活躍したので
結果的には上手いトレードだったと思う >>280
一言で言うと、意識が低い選手なのは否定できんわな >>229
>野球とは正々堂々男の勝負であるべきだという考え方だった
いかにも無防備、無警戒な日本的島国野球観だな。
まぁ、そういう道場野球を好むのが日本人の大半だし、それこそ飛鳥時代から
日本は源氏陸軍国粋派が国の主力として動いてて、平氏海軍国際派は優秀な為政者であっても
いつも隅に追いやられてるのは歴史を見ればわかる。
源平以前も、国際派の渡来人だった蘇我一族と、海外といえば朝鮮半島の百済までしか目が行かない
中大兄皇子(後の天智天皇)の時代から対立してるしな。 凡才が天才に勝とうと、海外からの輸入思想である合理的なやり方は、例えクセ盗みレベルでも
源氏陸軍国粋派が烈火のごとく怒りまくって叩きまくる。個人で相手のクセを盗むのはいいが、
全員で共有してやってはダメだとか、「管理野球」はつまらないとかさ。
結局、毎日の雑巾がけできっちり手入れされた鎖国道場で、何のアクシデントもイレギュラーもない状態で
技を競うい合う、てのが日本人の好みの原点なんだな。人工芝やドームが減らないのも、維持費の問題以上に
「キレイに技を競い合う」原理主義が強いからだろう。屋外でのイレギュラーや理不尽さを含めた野戦を
日本人はとことん嫌う。ひたすら隔離された安全空間の確保にこだわってるから、正々堂々なんて気安に口に出すのさ。 柳田は阪急に相性良かったからってのが決め手らしいね
あの当時は強豪阪急に勝たずして優勝はなかったから
それにしても土井をよく同一リーグにトレードに出したな
>>281の見解が正しいと思うけど >>235
アメリカ式の合理的な野球、いわゆるLA移転後の広い球場に合わせたドジャース野球を
川上は巨人で浸透させたが、この管理システムがあったからこそ、王、長嶋という両雄が
並び立つことができた。
それまでは両雄並び立たずでチームの全盛期に必ず両雄のどちらかが出て行った。
中西-豊田、村山-小山とか。
長嶋、王の両雄が現役時代に並び立ったことが、革命的な出来事だったと言ってたな。
鶴岡親分のヤクザに通じる義理、仁義、人情では、どうしたって感情論の方が優先する。
そんなよく言えば情緒的、悪く言えば人の好き嫌いが露骨に前面に出る鶴岡野球の下で過ごし、
監督になってからはブレイザーを招いて頭脳野球を展開した野村が、江夏、柏原らに慕われたのも、
何か不思議な感じだ。 メジャーは合理的野球と言うけど今回のサイン盗みのパッシングは強烈だ
根底にはやはり男と男の真剣勝負があるでしょう
藤川にストレートだけで来いと言った清原のようにそれを履き違えてる輩は論外だけど
野村は今のメジャーの問題をどう思ってたのだろう
ちょうどその渦中でなくなってしまったが
勝つためにはあらゆる手段を尽くすのが正解と言うのだろうか >>282
テレビで初めて見たとき
こいつアタマおかしいんとちゃうかとおもた ぴよよ〜ん >>286
阪急をカモにしてた柳田
打線の核(30本塁打が計算できる)として土井が欲しかった太平洋
目的は違えどWin-Winなトレードだったと思う 阪急は大エースのアンダースロー投手を擁しておきながら
アンダースローやサイドスローの投手には弱かったという >>273
3つもチーム建て直してそうまで言われる星野 >>288
>藤川にストレートだけで来いと言った清原のようにそれを履き違えてる輩は論外
その履き違えを支持する連中の声が圧倒的に大きい。特にマスコミ・フィルターを通すと。
いつぞやの日本シリーズで山井の完全試合狙いか、あくまで確実な完勝を狙うのかで
大揉めになったこともあったが。
今のアストロズのスパイ問題も、機械的なシステムを利用しての球種盗みが問題になってて
目視やビデオ研究でのクセ盗み、サイン解読までは踏み込まれていない。
そういや広島が古葉監督時代に2連覇した時も、広島は打ち過ぎる!古葉は南海時代に
野村のやり方を学んでるから、それをスパイに応用してる!広島の選手は急所にサインを
伝達する機械をつけている!全球種教えてくれなくてもいい、カーブだけ教えてくれという選手もいる!
なんて、当時の週刊ベースボールが大々的に特集組んだこともあった。
真偽は知らんが、日本の野球ファンの最大派閥である長嶋巨人ファンに向けた忖度商売だったんだろうw デフォでセンターから双眼鏡でのぞいとったぞ。市民球場は。
200発打線。懐かしい。
この辺微妙で当時は勝つためならナンデモヤッテタ。飛ぶボールとか。
毎年やったりやられたり。乱数表。くぃっくもーしょん(ノムが発明と言ってたが、肩が衰えたので仕方なく、投手を詰めて)
それでも勝てんのだから。野球は面白い。 >>294
キヨはあほです。
そんなことしてるから、オールスターが全然詰まんなくなった(消化試合)
昔は緊張感があった。江夏の10三振狙いとか、赤ヘルせんぷーとか 未だに語り草になるイチローの登板とかな
アンチからはだからノムはクズなんだ!って未だに叩かれてるが >>263
大沢はハムで義理人情の球団常務だったんじゃねーの
大沢を引っ張ってきたのが球団社長だった三原脩だし さあて、そろそろホークスの話題に戻りましょうか
山内三兄弟について語りたい(笑 >>298
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200317-00000002-baseballo-base
またこの連載で申し訳ないが
もともとは野村自身が広瀬をファンサービスで登板させたり
島本の二刀流を後押ししたりして
いろいろ盛り上がることを試してたんだよな オールスターのイチロー登板、松井に配慮して代打に高津監督、今思えば名場面ですよね( ノД`)… 松井は野村にお前嫌だろと訊かれて僕は構いませんと答えたらしいが
野村によるとなぜか松井が嫌がったことになってるらしい
松井のプライドを考えるなら右で打たせるとかやりようはいくらでもあったはず ああ95年のオールスターね
あれから25年も経つのか… 松井の弾丸ライナーホームランを生で見たことがあるがマジで化け物だった
ギータも筒香も確かに凄いが松井には遠く及ばないな
張本によれば日本野球史上最も長距離打者としての資質を持っていたのは清原でなく松井らしい
自分の打撃理論を受け入れていたらメジャーでもホームラン王
王の記録も余裕で超えていたとか >>306
96年じゃないのか
仰木がイチロー出して野村が拒否したんだから
前年優勝監督の2人 鶴岡さんも百万ドルのとかフィート打線とか
足の速いのばかり並べたり
必ずしも根性だけではないと思う
野村阪神のエフワンなんとかもよく似た発想だ
南海衰退期の60番トリオや山内トリオや台湾助っ人よりは良い
ところで鶴岡さんは国貞を可愛がっていたが日本シリーズで
広岡にスライディングをしてこっぴどく怒られ
謝ってこいと言われ腑に落ちなかったと言っている 松井のプライドを感がるならそれこそ打席に立たせないことが最善の選択でしょう
松井を右打席にっていうのは、オールスターだろうと真剣勝負という野村の考えにはそぐわない
特に日に当たらない時代のパリーグで育ったんだから 鶴岡さんにとっては南海の選手は家族でみな子供のようなもの
他所さんにオイタを働いたらまず謝ってこいという発想だろう
野村をはじめ南海の選手はみな鶴岡さんは他軍のチームの選手は褒めても自軍の選手はまず褒めたことがないと証言する
鶴岡さんは野村に散々厳しいことを言ってたが愛情は確かにあったんじゃないかな >>310
国貞、広瀬…怒られ役(お調子者でよく役目をわかってた。酒飲んだら忘れるし)
野村…怒られ役(根に持ち、ずっと恨んでた)
杉浦…まじめでおとなしいので怒らなかった
杉浦夫人は、「ある時、お風呂に入っていて右腕が真っ白になった。
もう血が通わなくなっていた。私が主人に野球のことで口を出したのはその時が初めてです。
『どうして監督さんに、もう投げられないかもしれませんって言わないの?』と聞いたら怒鳴られた。『バカヤロー!こういう体になっても投げるのがエースなんだ!』って」
俺はこのエピソードでいつも泣いてる。 >>313
鶴岡が野村になんでお前が監督なんや!お前なんて優勝になんも貢献しとらん!真に貢献したんは杉浦や!って言い放ったのも宜なるかな
野村の前に杉浦が監督やっていればどうなったんだろ? あの温厚な杉浦が野村が鶴岡さんの葬儀に来なかったことを怒ったと言うが
おそらく自分の死期も近いことを感じそれまでに野村に会いたかったんだろうな
親分の思い出話ついでに今までのわだかまりを解きたかったのだろう あの三冠王否定発言は蔭山さんが急死した直後のこと
鶴岡さんも自分の責任を感じさして強くない酒をあおり神経が弱りきってきた
そこに監督再就任要請で主将野村をはじめとする広瀬杉浦らがやって来た
何で今来るんだと鶴岡さんの機嫌も相当悪かっただろうな
選手たちにとっても早く後任を決めてしまわないとチームが分解するしそれは鶴岡さんしかいないから必死だったんだろうが
そこで何かのきっかけで鶴岡さんの積もり積もった感情が一気に爆発してしまったのだろう
不幸な話だよ 鶴岡さんにとっては杉浦は誰よりも特別な存在だった
日本シリーズで巨人に勝つためにはそれしかなかったとはいえ杉浦に四連投を強いたことに負い目があった
何よりも長嶋が巨人に裏切ったにも関わらず自分についてきてくれて
どんな酷使も何ひとつ文句も言わず耐えてくれた杉浦への感謝の気持ちは格別のものがあったろう
だがその頃すでに杉浦はボロボロでチームを代表するのが野村になっていた
鶴岡さんは自分のためにこんなに尽くしてくれた杉浦の悲しい姿が不憫でたまらなかった
杉浦に何か報いたかったんだろうな
おそらく監督にさせたかったんだろうな 野村の思い込み。残念。
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201811280012-spnavi
あの時の巨人に勝つには杉浦の4連投しかなかった。稲尾だってそうだし。当時の短期決戦の常道。
野村はヤクルトで伊藤智に同じようなことをしたのに(しかもレギュラーシーズン中) 杉浦
「ワイは隠し子作った!それはええねん!だがお前ら選手が同じ事したら殴る!」 >>322
どっちかと言うとそういう酷使は岡林の方じゃね? 伊藤智の怪我が長引いたのは本人のミスもあるからなぁ
オフに肘の炎症が治っていきなり全力投球して肩を脱臼した
それでもその後、抑えとして復活したり若松時代にもローテで投げてる
岡林も一度は復活したのに2人もそういう努力は語られず
結局野村の被害者としてしか扱われないのは不憫やね もう気力体力ともに限界が来ていた杉浦を先に引退させて監督にして脂の乗り切ってた野村を選手に専念させていたほうが
鶴岡さんも納得してまだまだ選手としてやる気満々だった野村も納得、末期状態の南海と違いまだまだ戦力のある南海を引き継ぐ杉浦さんも納得と四方丸く収まってた様な気がする
今更言っても仕方ないが >>320
まあ日本シリーズに弱い野村には不満があっただろうな
>>322
伊藤の投げ方では遅かれ早かれ故障してた 広岡の指摘通り本人は望まぬ形だろうだが野村は鶴岡の正統後継者だな
やってることが非常によく似ている
動画サイトにかなりの昔の鶴岡が野村を叱ってる音声が残ってるんだが
それも野村の叱り方にそっくりなんだよ
野村は鶴岡以外に仕えた監督が飯田とカネやんと根本しかいないし
彼らは監督としてはお世辞にも実績を残したとは言えない(カネやんは一応ロッテで1回日本一があるが)
鶴岡しか参考にする人がいなかったんだろうな 川上を信奉しとったが…接点はなかったのだろうか?
シゲオ巨人の時に野村トレード話があって、シゲオが拒否ったのが笑える。
鶴岡、大沢…精神野球
広岡、落合…体で覚えさせる
野村、森…頭中心
星野…体罰と政治 三原→仰木の系譜もあるよ
今の工藤監督の手本は明らかに広岡
「プロ野球選手である前に社会人としてきちんとすべき」とか
選手の食事管理とか 川上とは冨田山内福士トレードの時直接会談
どれだけ成績を残し監督になっても半人前扱いをやめない鶴岡に対し
川上は自分を同じ一軍の将として対等の立場でものを話し腹を割って語り合ったことで感銘を受ける
川上は会談の場に次期監督候補だから勉強のためと長嶋を同席させ
巨人は後継者教育もしっかりできてると野村をさらに感心させた
野村は元々巨人ファンというより川上の大ファンだった ありがとうございます。
う〜ん。隣の芝生は青く見えるのかな。
川上が広岡や与那嶺にした仕打ち、投手をことごとく潰したこと、セリーグのクリーンアップを引き抜いてたことには気づいてないのか。
森の性格が悪くなったことは川上に起因していると思うが… 追加、
シゲオや王貞治を首にするのも良いが、方法がね… >>331
ナベQもそうなのかな
放任主義に見えて中身は厳しかったそうだが >>333
川上さんの腹の中は読めないな
恐ろしく優秀で冷徹で、リアリストというのは分かるんだけど
得体の知れないものを感じる 野村は鶴岡から受けた仕打ちは死ぬまで恨み続けたが
川上のやった様々な悪行は指揮官は時には非情に徹しなければ務まらないと全面擁護
実際野村が川上の下で選手やってたら絶対衝突してたと思われる
森みたいに辛抱強くないし 野村が鶴岡から説教の動画、画はなかったけど「呉の空気」を感じた。
俺は仕事で呉によく行くからわかる。
あと説教を聞いて「はい・・はい・・」と返す野村がちょっと女性的だと感じた。 南海の野村杉浦広瀬の三悪人って拍子抜けする。全員常識人で普段は大人しそうだし
東映の連中や西鉄の豊田河村若生らと較べたら威圧感全く無いし 野村は川上の淡口は親孝行だから名選手になる珍解説もさすが川上さんと誉めそやすぐらいだからな
これが鶴岡の発言ならオカルトだの精神野球の権化だのボロクソにこき下ろしてただろう
鶴岡も川上も指揮能力はぶっちゃけ同じようなもの
ただ鶴岡はお人好しで甘さがあったが川上は悪人でずる賢かった
それだけの差だ V9巨人もドロドロした話では南海に負けていない
川上と広岡との確執は川上が捕れる球しか捕ってくれなくて
ちょっとそれると広岡の悪送球にされてしまう
それで広岡が「あんな酷いファーストで野球ができるか!」とキレた事が原因だとか
巨人が次から次へとアマの有望捕手を獲得するんだが
森は手段を選ばずライバルを潰した
長嶋はそんな森が大嫌いでコーチとして使う事を拒否したとか よっさんもあまりにも捕球から送球が速すぎてファーストの遠井さんが間に合わずセカンドの鎌田さんを経由したという逸話がある
名遊撃手はそういう苦労がつきもんなんやな >>336
そうなんだよね。川上は「巨人の星」で神格化されてるが、誰を信じていたのか不明。
鶴岡は分かりやすい。広島県人。出身の法政大、杉浦、大沢の立教ルート、蔭山の早稲田など。
九州ノンプロもコネがあった。
へまも多く、人間味がある。巨人に別所引き抜かれ、広岡、長島を横取りされ。山本一義は池田勇人登場だもんね。
日シリの采配も微妙だし、ついてない。でも日本一2回、これ立派だと思うが。 テツさんはハリー以上に守備なんてどうでもよくて自分の打撃しか考えてない
チームの勝利より自分の個人成績が大事って人やったからね
まあ巨人はそれでも強かったが
それが監督になるとあのエゴイストの塊がチームワーク至上主義になるから面白いもんや >>347
星野仙一について
「あれほど練習しなかった選手も珍しかった
まともに練習していたら200勝していたはずや
それが監督になったら「練習、練習」と言っている」と板東英二が書いていた
そういう話は選手間にも伝わっているのか落合も星野について
似たような事を言っていた ノムだってあれだけ選手の私生活にうるさいのに嫁さんはサッチーだし >>341
広瀬は何となく分かるw
夜遊びが好きそう
三悪人と言えば、江夏江本門田の二代目のイメージが強すぎるw 川勝オーナーがノムをお気に入りだったんよ
あと太さんサイちゃん村山さんと青年兼任監督ブームってのがあってな もう現役として限界だった杉浦を先に引退させて監督にしてまだまだ選手としてバリバリやりたかったノムはしばらく選手のままにしとけば良かったな
ところでなんで川勝オーナーはノムを可愛がったんだろ?本人も自認する様に可愛げのない性格で風采も上がらないなおかつ後年の様な話術も無いしの無い無い尽くしなのに 杉浦も現役のまま監督兼任にして青年監督ブームに乗れば良かったのに 杉浦は監督時代しか知らないが
こんな白髪の爺さんしかなり手がないのかとの印象しかない >>353
稲尾(この人は兼任ではない)と野村は周囲の状況的にやらざるを得なかったけど
村山の場合はは前任の後藤監督が1年やったばかりなのを
鶴岡監督招聘をフロントがぶち上げて後藤監督を居づらくした挙句
鶴岡氏からも断られ、青年監督ブームに乗って人気の村山を監督にし
ライバルの吉田を退団させたといういかにも阪神らしいやり方だった。
その村山も数年後ごたごたの挙句、指揮権返上→引退・退団というように後味の悪い辞め方してるが。 >>348
坂東は星野と高木守の間を泳いでた
高木守のラジオを聞いたが、彼がやっぱりMr.ドラゴンズ。
ほとんどしゃべらないが、面白かった。 >>355
広瀬によると若い頃はおおらかで面倒見のいい良き兄貴分みたいな性格だった
それなりに人間的魅力もあったんだろう
それが蔭山の死や鶴岡さんとの軋轢や前妻との不和でだんだん心が荒んでいき
サッチーとの出会いがとどめになってあのようなネチネチとしつこいドス黒い性格になった
旧鶴岡派から何度も反乱をおこされたことから猜疑心も強くなり選手ロッカーに盗聴器が仕掛けられてるという噂もあった
それでも江本ら若手投手から慕われるような一面もあったんだがな
監督後半はオーナーの寵愛を受けていることを傘に少しばかり残ってた自制心も失い
何でもやりたい放題そこにサッチーも絡んで解任の流れはここにいる者にとってはご承知の通りだろう
一人の男にあまりにも権力を集中させることにおこった悲劇ではあるな
同じ立場でも鶴岡さんは戦前のしっかりした教育を受け軍隊で一部隊を率いた経験があるから道を踏み外すことはなかったが >>358
稲尾はなぜか兼任じゃなかったんだよな
黒い霧事件の建て直しで半ば強引に監督をやらされたが
池永や永易が抜けてスカスカの投手陣を埋めるのに兼任の方が都合よさそうに思えたが
杉浦みたいな力投タイプじゃない稲尾なら短いイニングならまだまだ投げれそうだったしな
おかげで東尾ら未熟な若手投手陣が10失点でも完投するような晒し投げ状態に陥っていた 東尾には悪いが黒い霧事件がもう少し後なら
染まっていたタイプかと
広岡には疑われ激怒したらしいが 杉浦の引退時に南海は21を永久欠番にするつもりだったのか
なんでならなかったんだろ >>361
中西が兼任監督で失敗したからと球団が稲尾の現役続行願いを却下した >>363
あんま、落合のことは好きじゃないけど
「杉浦さんのいない名球会なんておかしい」は至極正しいと思う 稲尾は川上に一括されたそうだ
怒るだけじゃなくて「投手がいなくて困っているだろう」という理由で高橋明、田中章をトレードしている
稲尾さんが川上G監督から教わった「指揮官の心構え」
https://www.sanspo.com/baseball/news/20200122/tig20012205000014-n1.html 考えてみりゃ、名球会は金ヤンが作り、自爆した組織だよね
https://web.archive.org/web/20100109012900/http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20091204/bbl0912041624005-n2.htm >>366
大の長嶋信者だった落合が川上野球を手本にして風貌まで晩年の川上さんそっくりになったのはこういういきさつがあったのか
落合は稲尾の愛弟子だもんな
川上さんは本当にわからない
悪い話もよく耳にするがいい話もいっぱいあるし
光と闇をあわせ持つ本当の野球界のドンなんだな 川上
長島解任も、
「肥後もっこす」という言葉ですべて許される
鶴岡
軍隊野球、銭が落ちてる、野村事件など、ややネガな評判 川上と言えば「この人本当に名監督だったのかなあ?」と思わせる野球解説 V9っていうのがほんとに基地外じみてるわ
ある意味、達成させた偉業そのものより、その意識というのか
普通だったらV3、V4位で慢心して手綱が緩くなっても仕方ないのではないか
いくら稀代大打者王長島がいて戦力的に図抜けていたとしてもね 歯がたたん。
https://ja.wikipedia.org/wiki/V9_(%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%84)
3勝しとるチームがおらん。
哲打倒に執念を燃やす、与那嶺か広岡じゃないと勝てんのじゃないか。 稲尾、杉浦並みのスーパーピッチャーか、
75年山口高志
79年江夏、浩司&衣笠
85年阪神の打線
98年大魔神佐々木
以上などかなあ、勝てるとしたら 川上さんの解説といったら淡口の話かな
結構真理を突いてるんじゃないの?
淡口は大選手とまではいかないまでも巨人近鉄の巧打者として末永く活躍したし
親孝行な選手は早く親を楽にさせたいから一生懸命練習も試合も取り組むだろ
川上アンチというか野村アンチがこれをやたら引き合いに出すけど >>375
意外と忘れられる「田中マークン(楽天)22勝0敗 2013」 野村の南海入団の経緯について、野村の近著では大体以下のように書いてあるよね。
@巨人ファンだったが各球団の選手層を調べ上げ、一番レギュラーが近そうな南海を野村自身で選んだから
A峰山高校野球部部長が鶴岡監督に手紙送ってPRしてくれたから
Bテスト時にテスト監督者の計らいで遠投を規定より5m前から投げられたから
@はだいたいどれにも記述あるけど、何故かAとかBはあったりなかったり細部変わってたりしてるし、@(野村自身の選択)とA(第三者の選択)が矛盾してて不思議だなと思ってた。
基本的には野村の合理的な判断と偶然が左右して奇跡的に入団できたというような筋だけど、野村が三冠王獲ったくらいに書かれた峰山高校野球部部長の著書読んだら、まったく違う内容だったわ。 野村の南海入団の経緯について、野村の近著では大体以下のように書いてあるよね。
1)巨人ファンだったが各球団の選手層を調べ上げ、一番レギュラーが近そうな南海を野村自身で選んだから
2)峰山高校野球部部長が鶴岡監督に手紙送ってPRしてくれたから
3)テスト時にテスト監督者の計らいで遠投を規定より5m前から投げられたから
1)はだいたいどれにも記述あるけど、何故か2)とか3)はあったりなかったり細部変わってたりしてるし、1(野村自身の選択)と2(第三者の選択)が矛盾してて不思議だなと思ってた。
基本的には野村の合理的な判断と偶然が左右して奇跡的に入団できたというような筋だけど、野村が三冠王獲ったくらいに書かれた峰山高校野球部部長の著書読んだら、まったく違う内容だったわ。 野村自身は、高校時代もプロに行きたかった気持ちはあったけど、峰山高校野球部からルートがあった社会人野球鐘紡淀川が一番現実的な選択肢だったぽい。
後見人的な立場であった野球部部長から見ても野球上手いし、同僚であった体育教師からも野村の運動能力は太鼓判押されていたから、
野球部部長がはやとちりして、各球団監督に手紙送って、当時GM的な立場も兼ねていた鶴岡が、高2の野村のプレーを西京極で見てその場で南海入団の口約束してしまったらしい。
その口約束知らない野村は高3時に巨人のテスト受けようとしたけど、過去の経緯もあり、改めて部長より鶴岡に連絡、入団の運びになったみたいね。
たぶん、テストは形式的なもの。そもそもいくらカベ要因だからって当日のテストだけちょこっと見て判断出来るものじゃないし。
ここから見えてくるのは、貧苦の生い立ちとはいえいい意味で発想は普通の高校球児である野村と、それを支えてくれた野球部部長、および鶴岡の慧眼やね(さすがに三冠王になるとは思ってなかっただろうけど)。 傾きそうな生家で育ち兄が大学をあきらめてようやく高校進学が叶った環境だったわけだから
鐘紡入社でも十分な立身出世ではあったろうな プロで捕手層が薄いのは南海と広島だ、
って兄が調べてくれたんじゃなかったっけ? >>384
それは近著では野村が調べたことになってるけど、そもそも高2の夏に鶴岡と部長のコネができてるんだよね。
お兄さんはそもそもプロ野球に行かせたかったわけではなさそう。峰山高→鐘紡のルートの考案者でもあるし。 >>385
「私の履歴書」からえらい変わったな…
ノムの書くことなんてそんなん当たり前だが ノムは沙知代と出会ってから精神的不安定になってしまったのだよ
何せ信じられるのはサッチーだけだったからなw 鶴岡さんは、全国あちこちに出没し、唾をつけてた。
なので、たぶん、紹介者に対して口約束&社交辞令も多い
即戦力でない場合は、
「法政でも行かせとけ」が口癖。例、山本浩二、広瀬 湯上谷が九州三菱のコーチになったね
加藤伸一親子がいるところ >>372
そうなんだよね
長嶋、王以外は並みやからね >>389
野村の場合は野村側(野球部長)から能動的なアプローチがあった上での口約束だから、無碍に断れなかったんだろうね。
まあ、何が言いたいかっていうと、貧困から這い上がった努力、実績を否定するつもりは毛頭無いけど、巷で言われている入団エピソードは結構脚色されてそう。
少なくとも高校時代、橋にも棒にもかからない選手ではなく鶴岡が見てても高2の時点でカベとはいえ素質見出せたんだろうし、テスト自体も形式的なものだったんだろう。
も一個気になってる、1年目オフにクビ宣告で南海電車に飛び込む宣言エピソードも、1965年の野村初めての著書では何故か、
2年目オフだったことになってるんだよなあ。2年目オフって有名なハワイキャンプの直前で、そんなクビ寸前の選手が戦力外されるとは思えないし、当時まだ10年前のエピソードで記憶違いとも思えない。なんらかの意図が介在してそう。
しかし、仮に1年目としても、いったん会社としてクビ宣告決めた選手に対して、一選手の請願だけで会社決定を覆すかなあ。嘘だとは思わんけど、気にはなっている。 >>392
×戦力外されるとは思えないし
○ハワイに呼ばれるとは思えないし 月見草の唄では、
「野村は実は2年目にも整理対象になっていた
そこからの急転直下のハワイキャンプ行きだから、編成面で何か動きあったのかも」って
森下が語ってる記述がある >>303
そういうのって、全キャリアを不人気パ・リーグで過ごした人間に共通する流れなんだろうな。
巨人V9時代は、オールスターでは絶対に負けるな!という気概がパ側にはあったが
その一方で甲子園アイドル太田幸司の育成も、オールスターでやってた気がする。
おぼろげな記憶ながら、太田(近鉄)-野村(南海)のバッテリーは、ガキの視点から見ても
実力面でのギャップが凄かった。鈴木(近鉄)-野村(南海)になると、すげーと思ってた。 >>372
浪花節の演歌野球の中に、急に南蛮渡来の最新野球が入ってきて、ずっと誰も対抗できなかったイメイージ。
V10を止めたのが巨人OBの与那嶺、日本シリーズを制したのが巨人OBの金田だったのが象徴的。
しかも巨人本体の衰えでやっと止まった感もあった。次の黄金期を築いたのが広島出身の上田阪急で
野村南海と金やんロッテが対抗馬だったが、南海は野村の衰えと退団、劇薬金やんは調子の波が激しかった。 >>392
野村は盛ってるというか、落語の域に達してる。
どこまで本当なんだか。
やっぱすごいのは鶴岡親分の行動力。遠征先で必ず、地元の有力選手を探しとった。
ほとんど、他チームに取られてたけど(笑)
結局金なのかな。最後に巨人に持っていかれるのは…。 連続すまん
当時南海は人気チーム
テスト生は3~400人毎回、うけてた。コネはあって、広商出身で親分に近い人の推薦は入団させてた。
それが、広瀬であったりしたのも事実。各地方にスカウト網じゃないけどコネクションを作ったのも親分。
他のチームにすぐにまねされたけど。
まねされないこととして唯一な、実は鶴岡親分の最大の実績はボーイズリーグだったりするかも。 結局野村の本ってやっぱほとんど嘘で塗り固められてるのが真実ってわけか
他人の手柄も全部自分が手柄にして独り占めしてしまうってあの数少ない子飼いの江本にすら言われてる始末だし
だから同じ貉の嘘で塗り固めたサッチーと結ばれたのはある意味必然だわ 富田は現役14年で、2回最下位を経験したが、1回目は南海2リーグ制初、2回目は巨人唯一の最下位。 >>394
当時の野球界だったかベースボールマガジンだったかにハワイキャンプ直前に若手主体でおこなったミニキャンプの記事がある
そこでは鶴岡が取材に来た記者に向けてわざわざ野村にフリーバッティングを命じて「筒井敬三の後釜の一人で、ハワイでは小辻や`島と競わせる」と紹介していた
手元に無いので記憶がアヤフヤだが、その記事を見た時はクビ寸前やカベ専門の捕手とは思えない待遇で、それまでの事実と異なるからビックリした >>401
2年目って1軍出場こそなかったけど、2軍で打率2位だったんよな。
高卒捕手2年目でそこまで打てて首にする必然性全くないよなあ。
ということは、1年目はともかく、2年目は既に打撃を見込まれてたのが事実かもしれないな。 野球選手の著書なんて9割ゴーストライターだからセーフ
と言いたいところだが、ノムは自分で執筆してるだろうな >>400
南海、巨人、日本ハム、中日
みんな富田がやめた次の年に優勝している >>402
今の感覚だとそうだが昔の
「あわや解雇になりかけた選手」
って案外そういうのが多い >>404
富田の交換相手だった
井上弘昭(広- 中- 公- 西)は
移ったチームでその年か翌年に優勝w 富田は、知人の結婚式に出席するのに
鞄の中にグルグル巻きにしまっていた服を着て、出席したそうだ
このだらしなさには
さすがの田淵も呆れていたとか 富田は高田繁と似たスマートな雰囲気の選手だが、中身は気の短いファイターなんだよね…日ハム時代は大沢ですら手を焼いたとか
後年のたけしのスポーツ大将で殿が遠慮しているというかちょっとビビっていた >>408
野村だったら自他ともに認める育ちの悪さがあるからそれくらい常識外れでもわからんでもないが富田は一応大卒だろ?なんでそこまで常識が無かったんだろ? >>404
中日が優勝したのは現役最後の年
一軍出場はなかったけど >>403
なわけない
自分でかける野球選手とか滅多にいない
当たり前だが
みな編集がインタビューしたのをまとめている どっかの雑誌で仁志が自分で頑張って書いてたが明らかに文が下手で構成も分かりづらかった 富田はその後警備会社を設立して成功させてんだろ
一般常識を知らないだらしない野球馬鹿にはできない芸当だ
よっぽど周りの人間に恵まれたのか >>404-405
富田は、巨人V9の最後のシーズンにいちばん貢献したラッキー・ボーイでもあった。
長嶋が阪神戦でサード・ゴロを取り損なって指を骨折。代役のサード富田がGT決戦で
江夏から同点の3ランを打って勢いづき、結果は10-10の引き分け。
川上はこれでV9を確信したと思ったとか何とか。
富田はあれでキャリアの運を全部使い果たしたのかもしれない。元々は阪神ファンだっけ?
日本シリーズでも長嶋が一塁ベースコーチやってた巨人に、南海は第2戦以降
歯が立たなかった。富田の代わりに来た山内が20勝して大ブレークしたが、日シリでは
地味過ぎて江本、佐藤道より目立たなかった。松原(福士)は広島でブレークした感じ。 https://k.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=525346
まんだらけオークションに出てた日ハム時代の富田の野球カード。
背ネームがなかった時の日ハムは、背番号がデカくてインパクトがある。
ビジターは白字で見づらかったが、ホーム用は見やすかっただろうな。 スポーツ大将で出てたから野球選手で富田と菅原だけは知ってた
当時は江川や原さえ知らなかったが 当時は強かった興国か
浪商 大鉄 明星 北陽とともに強いチームだった >>412
広岡は自分で書いてたらしい
昔自慢してた 田淵はご存知の通り巨人と相思相愛で阪神の交渉権が決まった後も
巨人が阪神に三角トレードを持ち掛けたりした
三羽烏で希望通りの球団に入れたのは山本浩二だった >>419
興國と大鉄は去年決勝で対決してたな。サッカーだが >>406 皆川睦雄
入団後最初の2年間は白星に恵まれず、自由契約も覚悟したが、
山本(鶴岡)の「皆川はプロで生きて行こうと努力しているし、まじめにやっている。
来シーズン辺りは活躍するはずだ。ワシが保障するから給料は倍にしてやれ」
の一言で解雇どころか給料倍額を言い渡され奮起 鶴岡は皆川だけじゃなく野村もレギュラー定着まではどれだけ打てなくてもひたすら我慢した
新聞でこんな奴をレギュラーになれるかと叩かれても野村はいずれ打つと必死で庇った
鶴岡はこの二人の素質だけでなく野球に対するひたむきさを買っていた
杉浦や穴吹のような大学時代で既に出来上がってた完成品でなくこの二人こそ鶴岡が真に育てた選手と言えよう
しかし野村によると鶴岡は自分達に冷たかったという
野村が不思議に思うのもある意味うなずける >>425
このスレにいる人間だったら百も承知だろうが、
鶴岡と野村が合うわけない
軍隊式根性野球の鶴岡、論理的データ野球の野村では遅かれ早かれ衝突してただけの事
どっちが悪かったっていう気はさらさらない
皆川は知らんが、広瀬は可愛がられてたって話はよく聞くな >>426
データ野球云々は単に鶴岡へのアンチテーゼだろ
鶴岡との関係がおかしくなる前の昭和30年代もデータ野球標榜してたか?
その証拠にゲンコツ野球の西本や勘に頼る三原、詰将棋を見てるかのようなセオリーの川上が好きなんだし スコアラー導入したのも鶴岡さんだぜ。
スカウト網もそうだし。
親父の言うことは聞かずに、隣の芝は青く見える典型的なパターン。
川上にあこがれるのも、森から聞いているだけでしょ。
川上が森にした仕打ちも凄いよ。毎年捕手とってくるんだから。そのたび森の性格は悪くなり陰謀追い落としをするような性格に森はなってしもた。
ノムはほっとらかしで、恵まれてたと思うよ。黒田くらいじゃん。こいつも性格悪いけど。 野村は鶴岡さんの告別式には来なかったが後日鶴岡邸に挨拶に訪れている
そこでも泰さんに私はあなたのお父さんに嫌われてました
なぜ私を嫌ったのでしょうかと訊ねたらしい
本気で嫌われた原因がわからなかったみたいだな
俺は鶴岡さんがそこまで野村を嫌ってたわけではないと思うけどな
ただ杉浦や広瀬らとは愛情の差はあった
人間には我が子でも兄弟で愛情の差があるもんだからな
野村は俺が一番鶴岡門下で成功したんだから俺が一番愛されるべきだと頭から思ってたのかもな 後日鶴岡邸に訪れたってのは本当の話なの?
息子の泰氏と話をしたってのは野村の著書にあったのは覚えてるが 野村の承認欲求の深さは、常人の理解を超えた正に底無しだったんじゃね? 母子家庭で育ったからこそ野球での父親と言ってもよい鶴岡に認めて欲しかったのかもねえ >>430
野村が嫌われてたのではなく単にそう思い込んでただけじゃないの?
鶴岡自身も著書で野村について肯定的に言及して
解任時の発言も自分の勘違いと謝罪されたといっている
あとはスポニチと南海の取り巻き連中が野村を近寄れなくした話
真相はそう言う事だろ
その証拠に広瀬も杉浦も一度も褒められたことがない
要するに野村は自分は褒められなかったという僻みっぽい性格ってのを拗らせだけの話 >>419
浪商--張本尾崎大熊住友高田(牛島&香川)
大鉄--土井正博福本
北陽--井上弘昭長崎(岡田)
60-70年代に輩出した出身者が
こんな処かな ()は80年代
興国は富田以外は誰? 野村と鶴岡の確執はどっかの動画にもあったけどほんとにボタンのかけ違いだろうな。野村自身が母子家庭で父親とのコミュニケーションを知らなかったことが大きいかもしれんね。
しかし、彼が貧困の出自でなく、高校の恩師が鶴岡との接点を作ってくれなかったら、そもそもプロになれているかもあやしいし、なれててもここまでの大選手にはなってないだろうね。 ノムは最後までサッチーの洗脳が解けなかった、というか甘えてたんだな、野球しかでけんし。サッチーはノムに金目で近づき、全てを吸い尽くしたな。
マスコミの夫婦愛の取り扱いはおかしい。やはり、団とカツノリの遺産相続の話がさっそく勃発。
カツノリのプロ入りも明らかにおかしい。コネがひどすぎる。カツノリがたまたま世渡り上手なんで生き残っとるが。
鶴岡さんは、息子をプロに入れさせなかった。同じ法政の江本が言うには結構素質があったらしいが…。巨人柴田と一緒に甲子園、法政三羽烏の1年上で黄金時代なのにだ。 >>438
それに加えて、435氏も触れているように、
周囲の取り巻き(鶴岡=前述のスポニチと反野村の選手など、野村=後の後妻など)との関係や、
本人それぞれの性格も、関係をこじらせた面もあったんだろうな。 >>440
こんな形でプロ入りすれば嫌われたりしそうなものなのに
色んなチームで働いているカツノリは余程人に好かれるコミュ力の持ち主なのか 阪神に移籍してきた当初は腫物扱いだったが新庄のおかげで
チームメイトと仲良くなれたそうな 泰さんも親父さんにプロ野球選手の夢をことごとく阻止されたから
反発で母方の姓を名乗っていたな
息子に対する態度でも鶴岡さんと野村は対照的である
公私混同を平然とやってのける野村とそれに厳しくケジメをつける鶴岡さん >>かばうわけではないが、カツノリ母親に似ず良い子だし、いつも崖っぷちの契約更改だったはず。
一茂に隠れるように、存在を消してた。早めの引退&2軍コーチが多いのも、彼なりの戦略だと思う。
ただ、今年は楽天1軍コーチになっちゃったんで、成績が悪ければ詰め腹を切らされるのは間違いない。
少しきついかな、あの編成では。 しかしサッチーは野球に関係のない部外者が
かなり大きなところでプロ野球の歴史や多くの人間の歴史を変えた稀有な例だな
サッチーがいなかったら
南海解任はなく江夏も柏原もそのままだし南海も身売りは避けられなくても全然違う形になってた
野村続投で星野も阪神に来ず金本も阪神に来ないからずいぶん変わってた 黒い霧事件や江川事件に匹敵。色んな人の人生を変え、球団一つ機能不全にしたもんね。
鶴岡さん筆頭に、穴吹、広瀬、杉浦の野球人生も評価下がるし。
南海はいずれ売り飛ばしたが、ノムの精神構造がまともだったらダイエー九州でそこそこやっとったよ。
ただ、江本や江夏のサクセスもなかったろうが。。。 弱体化する南海を横目で見ながら「ザマァ見ろ」だったらしいからね >>449
江夏と柏原が移籍先で活躍したのも痛快だっただろうね
江夏は広島でも抑えの切り札になって優勝に貢献
柏原も日本ハムの四番打者だからな その後、ずっとチームは低迷
結局、南海では
11年間、Aクラスに上がることが一度もなく、身売り
ダイエーホークスもあわせると
20年間、野村の呪いが続いたことになる 強かった鶴岡政権最後期から観客動員に翳りが見え始めてたから
野村政権が継続して上位安定たまに優勝があったとして維持はどうだったろう
その分選手の人件費も高騰するわけで
鉄道会社はその性質上宣伝効果は限定されてるし
何より観客を鉄道で運んで運賃収入を稼げなければならないのにそこが弱いとな >>447
サッチーがいなくても、精神的重圧により遅かれ早かれ誰か似たような人に依存してたんじゃないかな。
前妻との家庭関係だけでなく、4番捕手でプレイングマネージャーという重圧も相当メンタルに来てたと思う。
となると、良くも悪くも鶴岡支配を許してて、鶴岡以後の青写真を明確に描けないまま、野村にプレイングマネージャーを依頼せざるをえなかった南海フロント自体が南海崩壊の最も大きな要因の様な気がするな。 蔭山が無事に南海の監督になって
鶴岡が予定どおり優待→オリオンズの監督になってたなら野村PMもなかなか実現しないままだったかな
鶴岡なら榎本もうまく使いこなせて東京スタジアム倒産もなく・・・と想像は尽きない 野村はPlaying Managerの時は、ブレイザーに丸投げだった。逆に、古田や谷繁がPM監督失敗したのも、丸投げできんかったことによるぞ。しかものその上、ID野球もどきとか、スパイ活動もしとったんでそこそこ強いよ。当時の阪急に勝ったんだから。 >>456
ごめん。つまり、Playing Managerは土台、無理なのよ。それを野村は知ってたから、分業してた。古田みたいに全部やろうとすると、そりゃできないし、失敗する。
確かに、野村は性格が悪い。自分の打撃とリードに集中したいのでブレイザーに委託してた。でも結果的には合理的だし、うまくいってた。 村山も監督になって性格が変わって江夏と対立するようになったからな
で金田についた
ミスターだって選手は異口同音に別人にって怖かったと言ってる
監督になるということはそう言うことなんだろ 話題作り以外の意味はなさそうだな
お飾り松井秀喜監督、実質の指揮は落合博満ヘッドコーチとかいいな 選手兼任ではないけど、
バレーボール日本代表でも、中垣内が一応監督だけど、ブランが実質采配という状態だったな。 >>446
克則は三木と一蓮托生だと思う。三木が監督の間は残れるが切られれば一緒にクビ ノムと鶴岡親分って、ノムの解任後に会ったことあるんかな? 冷徹だと言われる川上だが、滝や相羽といったベンチウォーマーが「おい、テツ」と呼んでも冗談で済ませてくれる器量はあったからな
柴田に向かって「あなたが噛んだ小指が痛い」と歌ってみせたり、ベロビーチキャンプの時は家庭を持つ選手のために日本へ手紙を書いたり >>463
星野が奥さんへ誕生日に花束送ったのと一緒(要は川上のパクリ、川上は多分外人のパクリ) ヤクルト以降のノムのイメージであぶさんの南海ノムを知って当時のサッチー関連のドロドロ知ると二重の衝撃を受けるな その相羽って、富田と山内新、松原のトレードとは別口の金銭トレードで同時期に巨人から
加入してるけれど、どうして一緒のトレードじゃなかったんだろ? >>396
>浪花節の演歌野球
まさしく西本阪急がそれだったんだよな
投げて打って走って守ればってところに作戦策略を持ち込んだ川上野球に手も足も出なかった
ヨネカジ山田足立 福本加藤長池と主力メンバーは遜色なかった…
むしろ上だったにも関わらずね 哲の強運は、1961年vs南海日シリ、寺田の落球。続く円城寺。
南海は、ここでとどめをささんと。日シリ無敗伝説の始まり。
このころ南海は常勝軍団と言われとったが、三原西鉄、水原東映、大毎もなんだかんだ強かったし、
大変だったと思う。鶴岡さんにと手、三原、水原はセリーグからきたんでいい迷惑だった。相性悪いし。 スタンカの1球の判定がどうのこうのより
寺田と小池がちゃんとやってれば終わりだっただろ
って、いつも思う 鶴岡さんの「私の履歴書に」、夜夢に出てくると言わしめたからなあ。
寺田、円城寺は引退が早まったらしい。でも小池は後の阪神日シリで活躍。 みんな川上巨人が9連覇してる言うけど、
61年南海と63年西鉄入れたら11回優勝日本一してるやろ。 1955年のシーズン凄いよな。シーズン99勝するし2位西鉄も90勝とか頭おかしいやろ。
選手権は巨人と4度の対決で1敗から3連勝で4連敗とかやし。
56年も首位西鉄と2位南海96勝やんな?確か?
ホークスは巨人に忖度してるとしか 対南海相手になると燃えたんだろうが
日シリは別所にことごとくやられているからな ライオンズなんか元巨人の人間が本家倒すのに。
三原、広岡、森。 >>474,477
大映や東映もお忘れなく。
セだって大洋があわや100敗の最低勝率記録をマークしたお陰で、巨人が7割以上の勝率で突っ走った訳だし、両リーグとも上位3チームと下位チームとの
格差が甚だしかった。 >>241
花博前に大阪から無くなったからねトルコ(ソープ) >>478
鶴岡南海の黄金期は
下位チームのお蔭とも云えるなw
三原西鉄初優勝後は三原在任中に
2回しか優勝出来なかったし >>471
寺田も小池もイージーな打球ではないが、寺田は風のせいか知らんが目測を誤っているんだよな
だから両足がやや飛び上がった無理な捕球体制だった >>474
南海 99勝41敗
西鉄 90勝50敗
毎日 85勝55敗
阪急 80勝60敗
近鉄 60勝80敗
大映 53勝87敗
東映 51勝89敗
トンボ 42勝98敗
4位阪急と5位近鉄に大きな壁が・・ >>473
なので、哲との初対決1961年で叩いとけば、川上の名声はそこまでとどろかんかったし、
65年の巨人V1の対決もどうなったか。
鶴岡さん、最後の年の予定だったんで気合入ってなかった?スタンカが不調。
レギュラーシーズンのマジック62はすごすぎ。ノム3冠王、広瀬盗塁王だし。 しかし鶴岡の南海における存在って、プロ野球史上異質だよな。
あきらかに一選手、一監督、一GMの域を超えてる。
王長嶋なんかは超スーパースターだったかもしれないが、あくまでも一選手、一監督の範疇。
鶴岡御大は球団運営側でも無いのになんでフィクサー的な存在になってしまったんだろう。 東京六大学閥に加えて、スポーツ界並びに関西の財界並びに反社にも大きな力を持つとされる広島出身者閥に依る賜物だろう。
又、鶴岡親分の場合、父親が山口県の周防大島(屋代島)出身だった関係から長州閥とも接点があった模様。
岸元総理の側近からオリオンズ→ライオンズの経歴で一見鶴岡親分と無関係そうな坂井保之氏も、鶴岡親分に「長州訛りの広島弁(坂井氏曰く)」
でご指導頂いたりと結構可愛がられたそうな。 又、鶴岡親分が監督就任当時、終戦直後で明治生まれのエリート指導層は次々と公職追放されるかその恐怖に脅える状況で、働き盛りの大正世代も多数戦死者を出したり、
シベリア等の外地で抑留等の足止めを喰らっていたりで、生き残った大正世代の一人である鶴岡親分に掛かる負担も監督業のみならず選手の獲得や育成・サポート、果ては
集客・営業等の球団運営に至るまでと極めて多大だったが、そんな状況下で最高の結果を残し一番の成功者となった。
そら親分より年長の経営トップから末端のヒラに至るまで頭が上がらなくなるでしょ。 戦後の日本は1901年から1923年生まれによって運営されてきたって感じだな。 鶴岡さんは、パリーグ&西日本の周旋屋みたいな感じかな。みんなが相談に行ってた(川上と違って)
ただ、良かったのか悪かったのか不明だが、東に行かなかったよね。チャンスはあったけど。めんどくさかったのかな。
マスコミ操作もしないし、お金にもきれい。口数が少ないんで誤解は多いけど。
意外なのはボーイズリーグ創設で、今の大阪の子供の野球、プロ野球に経験者多いのは
最大の貢献かな。これなきゃ、サッカーに抜かれてると思うよ。 山際康之の「八百長リーグ」以外で戦前の南海の八百長疑惑に言及してる本ある?
「八百長リーグ」に書いてあること面白いし、事実なんだろうけど、あくまでも状況証拠による推測か昔の雑誌の証言がベースだから、
一次証拠ベースの論述読みたいが難しいかな。 2年前、春キャンプの真っ最中に、巨人OBとホークスOBの試合があったんです。
ノムさんは監督。でもベンチに座っていても、旧南海の人間は誰も近寄らない。
OB戦なんて、だいたい和気あいあいとしたもんですけど、雰囲気が悪かった。
そのあと、僕がわざと大きな声で、「おおい、あいさつせん言うて監督が怒っとるぞ!」
と言ったら、何人かが寄ってきた。そしたらノムさんもうれしそうでね。かわいいじゃないですか。
南海とはモメにモメて、今や「ヤクルトの野村」のイメージが強いけど、OB戦のことや、
対談で南海時代の思い出を話す姿を見てると、「南海の野村」に戻りたかったんじゃないかな。
https://asagei.biz/excerpt/13995 最近唐沢版白い巨塔を見直したがまさに親分、ノムさんの関係と同じやなと
あれって当人同士しか分からん感情なんでしょうね
一般社会でもよくある話ですわな >>488
1917年(大正4年)のロシア革命=ソ連成立の報で、大正デモクラシーで社会が盛り上がってた時代、
当時20歳前後のモボ(モダンボーイ)やモガ(モダンガール)が、マルクス・ボーイ、エンゲルス・ガールに変わり、
陸海軍の軍人にまで影響を及ぼして、マルクス中尉なんてのが大量発生したらしいな。
鶴岡御大は1916年(大正5年)生まれだから、青年期までは日本社会の極左ムードの中にあったが
職業野球の世界に入ってからは、適者生存の競争社会を興行、見世物として成立させる側になった。
大正生まれの職業野球選手は、初のプロ野球選手であると同時に、20世紀初頭の夢想社会から離れて
現実社会の生存競争で鍛えられた第一世代だっただろうな。 >>491
昭和20年代30年代だったら詳細ではないが、書かれていることがある
ただ「八百長リーグ」は元選手が週刊誌に書いた告白文を大元のソースにしたのは大変無理がある内容だったうえ、元選手が週刊誌に書いた経緯や背景を全く考慮していない
そもそも元選手が南海に入団する前から八百長工作の粛正がおこなわれている >>490
東京オリオンズかサンケイスワローズかどちらかの監督になるはずだったんだっけ。 福岡のホークスはサダハルが監督辞めても、
絶大な権力を握ってるから。
大阪時代は鶴岡親分が退任しても絶大な権力はあったやろ、ノムが辞めたのもそれやし。 ただ王は寝業師じゃないから難しいわな
近年のドラフトとか見ても正攻法しか出来てない >>487
サンケイの社長には見下されてたんだよな
野球芸人と思われていたんだろう
芸人は賤業だと思われていた 水野は野球大好きだぞ
生まれ変わったら監督か指揮者か艦長になりたいな人でそれで燕を買ったんだし >>497
鶴岡の退任後は口は全く出さなかったそうだ
ノムさんの鶴岡元老発言はほぼ被害妄想にすぎない
鶴岡本人よりもその取り巻きが仕掛けたとは言えるが 今でも監督や選手に敬意を表するオーナー自体未だに少ないだろ
マジで孫ぐらいじやね?
三木谷に至っては試合中にFAXで作戦指示したり
代打やリリーフ指示やスタメン指示するぐらい
現場を馬鹿にしてるし 親野村だと思っていたオーナーに裏切られて辞めさせられる事になった
→オーナーに影響を与え得る力を持った人物が裏で動いている
→鶴岡親分以外に考えられない
という事なんだろうな
実際には野村周辺の問題(主にサッチー絡み)が度を過ぎていて
オーナーも庇いきれなくなったというところなんだろう
あの状態で野村を守ったとしてもチームはいずれ崩壊するだろうし 野村の被害妄想解任会見聞いた鶴岡の第一声「なんのことだか意味わからない」
だったらしいな まったく心あたりなかったらしい 鶴岡の晩年、どこかのOBみたいに頻繁に現場に足を運び口うるさく選手に指示するとか
球団に関わってた印象はまるでなかったからな
むしろ邪魔にならないように一線を越えないようにしていた感じ >>503
松園のように巨人ファンを公言してるオーナーもいたしな
オーナー室に広岡を呼びつけて、
何故勝った!巨人あってのヤクルト、巨人あってのセリーグ、巨人あってのプロ野球じゃないか!
とカミナリを落としたという話もあるし >>503
本当のオーナーなんだから別にいいでしょうよ。
それが雇われオーナーなら問題あるが >>506
H岡さんのことですか。広島県呉市の出身ですよ。ご近所。海軍と陸軍関係。
「営倉に入れとけ!」 >>504
いっそ二人でレコードでも出せば良かったのかもな
来たかノムさん、待ってたドンとかそういうので 親分が一番高く評価していた杉浦が野村より先に監督になった場合はどうだったんだろ?
采配とかはともかく選手獲得とかには協力してくれたんだろうか? >>511
のちに杉浦が監督になったときはまだ鶴岡健在だったが、特になにか協力があったことはなかった >>507
事実なら
その場で無表情にバット振り回して ガン!ボカ!ドカ!ガツ! やってほしかったな >>495
そうだよな。あの本って一部の証言や日記をすごく引き伸ばした本だよね。
柳なんちゃらなんてどうでもいいから、もっと岩本義行あたりに突っ込んでほしかった。 ゼルダの伝説のcm出てた遠野舞子の爺さんか岩本って 美能幸三氏と広岡はわずか7歳違い。
狭い呉の街だから幼い時から面識ありそう。
当然、野村克也あたりとも面識はあったろうな。
美能氏もヤクザだったとはいえ親は教師で広岡の呉三津田高のライバル高校の呉宮原高出身。広島ではだれでも知ってる冠婚葬祭業の大社長になった。
だが南海の宿舎はクレイトンベイではなく森沢ホテルだ。クレイトンベイはそのころまだなかった。 美能の二代目の薮内は呉出身で南海の選手だった
野村とかのやや下かな >>513
ヤクルト監督就任時 「ヤクルトなんか飲まずに野球しろ」
西武監督就任時「買い物なんか行かずに野球しろ」
ロッテGM就任時「ガムなんか噛まずに野球しろ」 呉凄いな。
海軍基地あって
藤村、鶴岡、柚木、広岡とかスター選手多すぎ。 >>519
今の広島県はカープ洗脳ゴリ押しすぎやな。 別所って神戸出身やのに
地元阪神と阪急は指名しないのか。
西宮の方が堺の中百舌鳥球場より近いやろ >>514
加えて野球賭博の八百長は戦前戦中で終わったように結んでいるのはおかしい
戦後の1リーグ時代はさらに横行していたんだからね…
岩本某について補足すると、
戦後は各球団幹部が八百長選手のブラックリストを作って獲得を見送るよう示し合わせたそうだ
だから柳某が都市対抗で活躍してプロ復帰の噂が出ても実現しなかったのはそのせい
そのリストには岩本某の名前もあったが、某球場の建設に関係する某大物有力者の口添えで復帰できたという その岩本が指揮した近鉄で反ヤオの大エース鈴木が育ったのは皮肉だな 岩本義行。広島県三次市出身。広陵>明治>南海>太陽>東映>近鉄
東映フライヤーズの選手兼任監督。渾名はアンちゃん
当時の選手は毒島章一、土橋正幸、山本八郎、そして同郷の後輩、張本とある。
リアルGTO。すごいメンバー。毒島はのちに根本の腹心。 >>485
裏社会にも通じてたからやで
ヤクザと五分に渡り歩けるからこそ親分の異名が持てる >>519
浜崎真二(最年長記録)、国貞(鶴岡さんのお気に入り)
https://matome.naver.jp/odai/2140988559076332701
浜崎さんが鶴岡さんに黒田(博樹の父)を押し付けた話は下記wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/浜崎真二
毒舌ランキング
浜崎>広岡>鶴岡 >>527
訂正、すまソ
鶴岡さんが、広商先輩の浜崎さんに押し付けた >>503
その二人は現在のコロナ騒動を利用して、悪どい金儲けやろうとしてるから信用できん。
南鮮からの発注に乗っかってやがるしな。 鶴岡さん、893はあまり関係ないと思うよ。親教育者だし。
広岡さんもね。あの辺、文教地区だし。
ハリーところは渋い。広島市段原なんで。石本さん、高津、福富、木庭スカウト、モーリー・ロバートソン >>532
モーリーは比治山の上のアメリカの広島放射能研究施設だからリアル「「あしたのジョー」の泪橋」的な段原とは違うだろ。段原=ヘドロ、どぶ川のイメージ。
高津の家も段原ではなく広島駅南の大通りだから張本らとは違うな。 >>522
ほんとそれよ。八百長があったこと以上に、戦前に処分された人が戦後にしれっと復帰してることがより深刻な問題だし、
その点に関して全く言及ないのが不思議。文中に実名で出て来てて処分された人で、戦後復帰してる人複数いるからビックリした。 岩本義之さんは長寿すぎて(たしか95歳くらいだったか?)デッドした時の翌日の
広島・中国新聞ですら扱いは小さかった記憶がある。
長嶋茂雄も95歳くらいまで生きて知る人が少なくなってて、そういう扱いになりそう。 三次に隠居しとったからね。しかし東映のメンバーはアパッチ野球団みたい。キャラ濃い。
監督岩本、リーダー毒島ですよ。隠居しとったからね。しかし東映のメンバーはアパッチ野球団みたい。キャラ濃い。
監督岩本、リーダー毒島ですよ。魚屋土橋、ケンカはち、張本、岩本辞めた後だけど大杉勝男、白仁天 毒島の荒くれ者エピソードなんて聞いたことがない
名前の荒々しさだけで決め付けてないか? >>538
根元の下で西武スカウト時代には「球界の寝技師」 >>535
そういうケースは戦前からあった…例えばセネタース監督の苅田久徳が、実力のある八百長選手を断首してもすぐさま他球団に拾われていたそうだ
幾ら大金を積んでもプロ野球のスカウトに首を横に振るアマチュア選手が多かったから、そうせざるを得なかった
だからスター選手だった岩本某や真田某が犯した罪が「黒い霧事件」と大きく差があるのは、その当時に於けるプロ野球の社会的地位や背景が全く異なるからだ
ヤクザな商売に身を投じ、戦中戦後の明日をも知らぬ日々のなか、計らずも自ら落とし穴に入り込んでしまった選手たちに一種のシンパシーを感じる 河埜(弟)くらいまでか、ノムの顔見知りは。九州にいるとは、知らんかった。 俺は野村の現役はリアルタイムでは知らないな。
本格的に南海ファンになったのは83年。だから6シーズンしか南海は知らない
83年は門田がホームラン王になって山内和宏が最多勝と5位だったけど明るい話題も多かったな。 西武に意外な健闘をしたのが83年
勝利のガッツポーズを見るのがムカつくと広岡監督に言わしめた穴吹監督 1983年はロッテは球団史上初の最下位で
当時の12球団すべてが最下位を経験したことになったシーズンなんだな。
翌84年にはロッテは2位に上がってるから本格的に弱くなるのはその後ということなんだけど。 野村がヤクルトの監督になった経緯は?
あの時ミスターが第一候補じゃなかったの?
ミスターが断ったとしても
テレ朝とフジサンケイでなんの接点もなく
優勝監督とは言えそこまでの実績もなくチームカラーと全く合わなさそうな野村起用ってなんで?
それこそ若松監督でもよかった >>551
接点が無いどころかヤクルト戦の中継しまくってたやろテレ朝 江夏は著書で南海の試合中に試合中寝てたら
他の選手に影響があるからそんな態度するかと広瀬に怒られたって
広瀬のことは好きな先輩であるがあれは許せないと非難してたな >>553
先輩からヤオの誘いや脅迫を受けても毅然と断った話を本人がしてただろ 良くも悪くも
鶴岡親分は南海ホークスの天皇やな。
鶴岡「ホークスはワシが育てた」 東京のGMになってれば色々変わってたな
後任監督が急死するとか、GMになるつもりがたまたま東京が優勝して流れたとか
本当に運命とは残酷 >>559
親会社がパリーグワーストの経営難だから資金力は乏しいし、口出し大好きで短気なラッパと衝突して早々とクビのコースだと思う 江夏は天才、お坊ちゃんだから
常人と感覚が違うんです >>558
天皇ならほかの球団に行こうとせんやろ。
別所は引き抜かれずに済んだし、飯田や木塚も移籍せんかった。金がないんよ。 オファー聞いて年俸の高さにビビったってんだからどんだけ南海は低賃金だったんだ? A級10年選手制度
大沢親分移籍、広瀬に対しては難癖付け値切り。 野村とサッチーの馴れ初めって、青山の野村行きつけの中華屋で偶然出会ったってことなってるけど、これ信憑性どうなんかな。
出逢うまでサッチーは野村のこと全く知らず、中華料理店から、自宅にいた野球少年のダンに電話で問い合わせたエピソードも大体書いてあるけど、
わざわざサッチーは金目当ててで近づいたんではないですよと強調している感あって不自然笑
ここらへんの実際の経緯ってサッチーの実弟とかケニーの著書に載ってる? ノムとサチヨの共通の知人を介してじゃなかったか?
暴露本を買い直そうと思ったら高値がついててorz
>>561
根本的に江夏は自分の意に沿わない人には辛辣
早い話がワガママ 落合は元木にスパイク履かせたりヒモ結ばせたりさせていたのは有名だが、江夏も若い選手にさせていた 落合や清原と一筋縄ではいかない奴らの世話役をしてたモッキーナは大変だな。 >>523
「その岩本」は「あの岩本」じゃねえよ馬鹿 >>570
岩本義行が鈴木の1年目の監督で、小玉明利・三原脩を挟んで岩本尭という流れだな。 プロ野球史として西鉄南海だけじゃなく
忘れられがちな東映、東京、近鉄なんかも野村にもっと語って欲しかった 江夏はリリーフ投手のパイオニアで毎試合登板待機のため
体調管理を始めいろんな調整法を自己流で試行錯誤していて切迫してない状況の試合中の仮眠もその一貫だったんだろう
広瀬の言い分ももっともだが頭ごなしで言われたら江夏もカチンと来る
新しい野球に対する理解のなさそこが広瀬の監督としての能力の欠如を意味したか
元木はルーキー時代の松井の運転手兼付き人みたいなこともやらされてた
松井に自分のバットを折られても元木大介のかまあいいやなんてことも言われてた
甲子園の花形である3個先輩の自分が松井にそういう扱いにされても平然と笑ってられるのが元木の凄さだな
アイツはいいコーチになるよ >>573
徹夜麻雀とか女遊びで寝てたんだろw
21球の前日も麻雀で一睡もしてなかったからヨレヨレの投球だった。
あんなもん本人も言ってるが打たれて負けても全然おかしくない、
近鉄が緊張しまくってただけ。
シャブで逮捕されてもすんなりと解説者に復帰。
悪運強すぎるんだよ。 野村みたいな癖の強い人は関西では相手とぶつかるが東京みたいな、ある意味、人とは
距離を取る土地柄のほうが合ってる。ヤクルト、フジサンケイあたりの軽いカルチャー下では
野村の個性はむしろ面白がられてた。 広瀬こそがそれまでの機動力野球に変革をもたらした革命的パイオニアであったんだがな
ただ一兵士としては最高の戦士であったが指揮官としては絶望的に不向きだった
対極的な存在の野村の成功で野球人として必要以上に低い評価をされてるきらいがある
本人はそういうの気にする人じゃないけど
でも野村は晩年前の絶縁状態だった広瀬に対しても選手としては最高の評価を与えている
監督になっても選手時代と同じ感覚で接してくる広瀬に腹が立って色々あったみたいだが
ベテランとしての経験を生かせる広瀬をもっと活用すべきだったと後悔していた 確か、野村はヤクルトに来た早々、同好会みたいに和気あいあいでびっくりしたといっていたような。
潤三がじいさんになってからだから仕方ないか。広沢、池山放牧状態。 江夏が元祖リリーフ専任というのが広まって久しいが、なぜすぐ前の佐藤道郎は無視されてるんだろ。
さらに遡れば現役末期の杉浦もリリーフ主体だったし、55年には戸川一郎という元祖抑えみたいな投手が活躍していた。
他球団だと荒巻(晩年)・板東・宮田・小谷・権藤正利(阪神時代)・鈴木孝・竜など
江夏より遥か前から活躍している(ほぼ)抑え専任投手はそこそこいる 江夏クラスのエースが完全に抑え専門に転向するのは珍しかっただけで
エースが抑えをやることや抑え専門は別に珍しくもなんともなかった
山内新一が先発連続記録を持ってるように当時の南海は弱い癖に役割分担だけは徹底してた >>576
広瀬は、侍だからね。試合の形勢が決まっていた場合、数稼ぎの盗塁はしないし、打率稼ぎのヒットも打たん。
長島並みの天才だけど、不器用で、監督は無理矢理やらされたと言ってた。 広瀬はリードがめちゃくちゃ広かったな
塁間の三分の一くらいリードを取ってるじゃないかというくらいリードを取って
でも抜群の反射神経で牽制で刺されることがほとんどない
福本によると広瀬は投手のモーションを盗む盗まない関わらず本能だけで走ってたという
それで盗塁成功率生涯九割近くだろう
化け物としか言いようがない >>559
そのロッテが野村を拾うわけだからな
ロッテが拾ってなかったら引退で、ある意味南海一筋で真っ当できた ロッテに行ってから野村の衰えはさらに顕著になった
南海一筋と兼任監督として張りつめてた糸がぷっつり切れたのだろうか
無名のちょっと脚の速い程度の選手にも走られ放題で送球も二塁の届くのがやっとのこと
南海ファンからもロッテのキャッチャーどっかで見たことあるけど思い出されん
ウチの監督(広瀬)でも余裕で盗塁できるどとヤジられまくっていた >>583
そこまでして「生涯一捕手」にこだわるならなんで引退しなかったんだろ。
野村は能天気に身体能力だけでバッティングするタイプじゃないから、DHや一塁ならもっと現役やれたんじゃないのかな。 古田ですら30後半から急激に衰えたからな
阿部も一塁コンバート
キャッチャーはそれだけ過酷なポジション
谷繁は晩年でもそこそこのパフォーマンスを出せていたが
野村はまだ無名の二軍時代にファースト転向を指示されてもなおキャッチャーに拘ったのは
やはり好きだったとしか言いようがない
レギュラーになりやすいために南海に行ったといってもポジションに拘らなければ選択肢は広がったし >>585
野村が南海2年目にファースト転向指示されても捕手に拘ったのは、単にレギュラーになりたいためじゃなかったっけ。
本人は不動のファースト飯田のお株を奪えるとは思って無かったみたいよ。
後年捕手が好きになってたとして、それなら尚更衰えた姿までプレーするかね。 野村はロッテ時代はカネやんの走れ走れトレーニングで足腰がボロボロになってパフォーマンスが落ちたと言ってたな
野村は走ること自体は否定してないけど若手はともかく自分のような40回った年寄選手は回復が間に合わなくて身体を痛めるだけだってさ
一時は監督まで登りつめた男が若手に混じってグランドを延々と駆け回る姿はさぞ悲哀に満ちていただろう >>578
リリーフ専門の元祖が戸川らしいな。
つまり大嫌いな鶴岡がパイオニアw >>551
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1110/kiji/K20111019001852270.html
最有力が長嶋、次に若松と田淵、最後に野村
野村自身は当時の講演や解説の生活に満足してたようで
それを捨ててまで全くなる気はなかった
失敗するのは目に見えてたわけだからな
あと杉浦の後任にダイエーが野村にオファーしてる
それが断って田淵がこっちに収まる レアなロッテ時代のノムさんの映像がYouTubeに挙がってるね あの革命発言も元々なかなか家から帰ろうとしない江夏を適当にあしらう言葉だからな
ブレイザーからメジャーでリリーフ投手がサイヤング取ったという話をたまたま聞きかじっていて
たまたまそういう話を江夏に振ったら急に江夏が目の色輝かして突然納得して俺これからリリーフやるとなったらしい >>581
広瀬は天性のバネがあったので、陸上競技でも素質があった。
記録には興味なく、勝負所のみ本気で打ち、走る。
打撃練習をした年はあわや4割。ただその後、腱鞘炎。残念。
>>586
ノムは自分のことはちゃんとマーケティングしてて、
入団前、捕手が手薄なのは、南海と広島。ここなら入団できる。
常に、ライバルは蹴落とす(森ほどじゃないけど) 左腕の血行障害。酷使しすぎて3イニングぐらいしか持たない。 >>592
上の方にもあったけどその野村の入団前自己マーケティングも眉唾ものなんだよなあ。
恩師の著書(昭和42年刊)によると、高2の夏に既に鶴岡が野村のプレー見て口約束だが、入団約束してるし、当初巨人ファンの野村は巨人のテスト受けようとしたけど、鶴岡の口約束もあり南海受験を進めたと書いてある。
プロ行かない場合は当時定番だった峰山高校→鐘紡のルート想定して、その後のプロ野球入りを目指してみたいよ。 当時のプロ野球の捕手のレベルは低く歴史に残るのは衰えた土井垣くらいで
あとはどこもただの太った的がでかいだけの肩のよわいデブがマスクかぶってたと言われてるな 2リーグ分立時の捕手としては、土井垣以外にも
門前真佐人・徳網茂など、阪神に在籍した経験のある人物の名前を聞く感じがする。
門前は土井垣が残るとみて分立時に大洋に移籍して、その後出身地の広島に移って監督まで務め、
退団後は解説者や広島ホームテレビの社員、雑誌「カープファン」発刊への関与など色々やっていたらしい。
徳網は毎日に入団予定が、土井垣が加入したために阪神に入団。
最初はリード面が甘さがあったけどmその後本人の努力もあって信頼を得たことを
松木謙治郎が自著「大阪タイガース球団史」で評していた。 その中で最もレギュラーに近そうなのは南海と広島だ、と実兄が調べてくれたというエピは
兄と仲違いしてからスルーしてるな野村は >>575
地方都市の人はよく言えば世話好き、
悪く言えばうざったいお節介なんだよね。
野村も田舎者だが地方都市のその感覚はいかにも合わなかったのは想像にかたくない。
ある程度距離をとって接する関東に最初から来てたらかなり違ってたかもね。 >>595
ほとんど、自分を美化する方向に走るからね。どれがほんとだか…
とにかく鶴岡さんはまめで、時間に空きがあったら地方回っとったし、あらゆるコネ
もつかおうとしてたよね 嘘を付き過ぎてどれがほんとかわからなくなってそう野村夫妻 >>602
最初はあの鶴岡がホントに見に来たんかなと思ったけど、南海の資金不足で有名選手を他球団に取られる中、実際彼自身でスカウティング活動してたし、予定さえ空いていれば西京極での京都大会だったらそんなにおかしな話ではないよね。
大学断念して高校に行かせてくれたお兄さん、鶴岡とのコネ作ってくれた恩師、そして鶴岡自身の慧眼、これどれが欠けても後年の野村なかっただろうね。かなり周りの人に恵まれてるよな。
それでも尚、そんな恩人と縁を切ってまでサッチーに走ったのはホント良くわからん。 >>599
広島を選らばなかったのは当時の広島は経営的にも貧乏で、給料の遅配も起こりえる状況
(広島の経営が安定化したのは東洋工業・今のマツダが資本参加してから)
だったのを危惧していたのかも。貧乏生活から脱出するためにプロ野球選手を志すも
所属チームも貧乏では意味が無いと。それに南海は野村の地元の網野にも比較的近かったし。 野村解任後はなぜ広瀬だったんだろう?
杉浦は候補に挙がらなかったのかな >>606
断ったんだよ。年長の広瀬に顔立てて。また、近鉄のコーチでもあったから。
だから近鉄コーチもやめたよね、同時期。大沢親分もそうだけど、みんな忖度のし過ぎ。鶴さんのかわいがってた広瀬に1回監督をやらせる。
ノムだけさ。ただ恨んでたの。大人げないよね。 穴吹の昇格なら状況は多少は違ってたんかね
広瀬はアメリカに留学するつもりで全く監督をやる気はその時点では無かった それに南海の体質上、外部から監督を招聘しないチームだったのも
人選の選択肢を狭める原因だったな。 監督になる順番が違っていたら違った結果になったとはあまり思わないが、
結果的に野村が南海監督を退任して退団した時のバタバタに皆振り回されたようにも思える >>580
広瀬は相手が手強い程燃えるが逆に相手が格下だとやる気がなくなるというか闘争心がわかなくなるタイプ
大差がついた試合で炎上してるピッチャーをたたみかけて打つということができない
俺がさらに打ったらあの投手がクビになるんじゃないかと心配するような性格の優しさがあった
監督としてダメだったのはそういう淡白な性質もあったんだろうな
その広瀬の性格を受け継いだのが門田 杉浦の監督就任は、チームがいつかまた優勝を狙えるチームに
舞い戻る時が来るまで取っておくはずだったみたいな記事を見たことがある
結局それよりも先に球団が青息吐息の状態になり、身売りする前に
監督をさせておこうとなり、結果南海最後の監督となってしまったが 不動産としてよそにうるには絶好のタイミングだったが
自前の土地のままだからなあ 企業として判断したんだろうね
バブルの時はいろんな再開発案件が持ち込まれるからな >>600
心臓も悪くて、マウンドで倒れたこともあったんだっけ?
で、酒とタバコどっちか断てと言われて酒を断ってたんだけど
自分が飲みたくても飲めない酒を遠慮なしにグビグビ飲みまくる広岡にキレたのが痛風発言だったか 江夏は金田正泰とよっさんは全否定だが野球の考え方に関したら広岡のことを認めているからな
痛風発言も江夏自身も健康管理や食事制限に興味があってそれについて広岡と話していたらつい口が滑ったらしい
江夏もせっかく西武に来たから広岡野球を勉強しようという意欲はあった
本当は西本監督の下で野球をやりたかったらしいが近鉄を辞めてどこの監督もならなかったからな 江夏の広岡への評価は時期によってブレがある
一時期は自分も悪かったあの人の野球への情熱は凄いと兜を脱ぐ発言も目立ったが
最近はまたボロクソに言う路線になりつつある
もっともそれは広岡に限らず、かつて私淑した野村、金田、村山らに対してもそう
俺が尊敬する人間なんだから、こういう人間でなくてはいけないみたいな
そういう過度な思い込みがあるんだろうな 吉田義男の背中に向けて球をおもいっきり投げつけてやった
とか、いくら嫌いでもキチガイやな >>618
江夏が最後まで慕ったのは
江藤慎一くらいか
江藤も亡くなる前の最晩年
江夏のみ野球人と面会をしていた 古葉とも21球でリリーフ用意されたことで険悪になったんだっけ
同点になったケースを想定してと言われりゃ誰しも納得しそうなもんだけど
ほんと気難しい男だよな
野村はよくこんな奴を操縦できたもんだよ
よっさんはケチなことを除けば人としてあまり悪い評判は聞かんし
そんなよっさんでもコイツは扱いきれんと手放したくなるぐらいの問題児だってことだ 南海時代、明らかなボール球で押し出し四球を出した江夏に
野村は、江夏ほどのコントロールを持ったピッチャーがおかしいと不信に思い
当時、黒い霧事件が球界を揺るがしていた背景もあって
「八百長やっているんじゃないだろうな?」と、思ったことをそのまま言葉に出した
すると江夏は「随分と言いにくいことをいいますね・・・」と言い
その後、故障をずっと隠して投げ続けていたことを話し出したらしい >>621
翌年のオープン戦であの時のことはどうしても許せないと思い
ブルペンで投げてるにもかかわらずピッチャー交代にも登板拒否。出て欲しかったら謝れといって古葉が走ってきて平謝りしたってのも
著書で嬉々として語ってる
色々おかしいよ でも江夏ってなぜか捕手にはあんまり文句を付けない感がある。阪神時代に
田淵に対して「捕球の際にミットを動かすな、ボールと判定されかねんから」と
注文を付けたことがあり、田淵より2番手捕手だった辻恭彦(ダンプ辻)とバッテリーを組むのを好んでた。
他は日本ハムへ移籍してまだ若手捕手だった大宮を鍛え上げたくらいか 60年代の南海ユニフォームかっこよすぎ。
福岡ドーム時代のダイエーも良かったが、ソフトバンクはクソダサいわ。 >>625
ソフトバンクの黒ビジターださすぎ。
softbankだけやで。ビジターはFUKUOKAだけの方がええわ西鉄みたいに。 >>626日本プロスポーツの宿命やな、
スポンサー問題は。 九州に連れて行かれはしたがダイエーにはなんか感謝がある
南海時代に待遇面で苦労した選手にもいろいろ報いてくれたし
中内オーナーも情熱があったしな
ただ杉浦に対する扱いだけはこれはないと思ったが
ただもうソフトバンクになると一片も愛着がわかない
もう完全に違うホークスになったんだなと痛感
確かに強いんだけどね 孫オーナーも情熱はあるとは思うけどね
やっぱり別物になったんだとは思う
身売りから福岡移転初期のダイエーホークスは南海ホークスの続き、
ソフトバンクホークスになって暫くの間は後期ダイエーの続きというイメージがある
時期的には王監督で南海と決別し、王監督の退任でダイエーと決別したように思う 大阪のミナミエリアをホームグランドにするパ・リーグの新しいチームができて心から応援したいと切に思う
オリックスはなんか違うし馴染めない
やはり所詮神戸から来たチームで大阪の匂いが薄い
阪神なんてさらさら応援する気などない
近鉄の存命中はかつてライバルチームという意識がありまだホークスに愛着があるから乗り換える気など到底しなかった
今から思えばバファローズはバファローズで魅力があるチームだし現在存在してたらファンになってしまいそうだが >>613
鶴さん直系だからね。欲がないというか、人が好い。選手としてもっと評価されていいのに。
ひと癖ふた癖もある野村、福本、門田が尊敬しているんで、すごいね。現代じゃ矯正されるかもしれんが。 >>632 情報ありがとう
サッチーの「世の中に偉い人なんかいない」がモットーというが、
だからといって、あまり知らない人を「あんた」と言っていいのだろうか?
ましてや、年長者を。マスコミにとりあげられると美談になるので怖い。
ノムは何も知らなくて幸せだったけど、俺の大好きな南海は消滅。
むろん彼女だけのせいでなく、電鉄本社のケチぶりや大阪財界が見捨てたのもあるけど。今のソフバンは九州のチーム。まったく違うよね。 一匹狼にも江夏みたいな構ってちゃんタイプと門田のような一才構うなタイプがいるな >>633
南海の身売りは、鉄道会社が野球チームを持つ意味が薄れたこと、関空開港に伴う難波の再開発の必要性があったことが要因だから、
野村解任無かったり、南海が80年代強かったとしても遅かれ早かれ身売りには直面してたと思うよ。 うん。身売りは仕方ないけど、せめて大阪市内に残ってれば。百歩譲って堺かな。
なんか、ORIXは違うよね。神戸でいいんじゃないかと思う。
実際、イチローも神戸じゃないので戻らないし、もうORIXに愛着はないと言ってた。 >>622
話が綺麗事に改変されてる。
押し出しじゃなくて暴投だよ。
それも変化球が抜けてワンバンになったとかじゃなくて、
真っ直ぐなのにとんでもない球だったので後逸し失点した。
コントロールのいい江夏がやるわけないと野村が詰め寄ったんだよ。
江夏は最初は笑ってかわしてたが、
野村が真剣に怒り疑ってるので真顔になって否定した。
(ソースは小学館から発売された「野村ノート」)
>>600
リリーフにさせたのもこの事件がきっかけでは?
リリーフならいつ登板するかわからない、
当時は先発が好調なら完投で出番ない日もある。
予告先発のない時代、先発日を知っている組織と前もって話しがついてれば・・・ 球界の重鎮は鶴岡親分が亡くなってから西本御大がなって御大が亡くなってからノムさんがなった、次は誰になるんだろ? >>640
正確には関西野球界の重鎮かな
東のドンが川上で西のドンが鶴岡
鶴岡親分は川上みたいな野心はないけど慕う周りに押し上げられた感じ
だから関西の球団で新たに就任した監督は鶴岡さんに挨拶に行く風習があって
野村が阪神に来た時にどうなるかと注目されたことがある
結局野村は来なかったらしいが(そりゃそうだろう)
鶴岡さんも気を悪くするわけでもなくむしろほっとしたという
ノムが挨拶に来たらワシはどうしたらいいもんかいのと困惑した様子だったからな
鶴岡さんは野村の野球の手腕はそれなりに評価してきたが阪神は難しいんじゃないかと危惧していた
結果は案の定だったが >>628
全く逆だろうよ。生卵事件があってからダイエーは大阪のファンを切り捨てた
(まあこれは大阪のファンの自業自得だが)
それがソフトバンクになってから、大阪時代の歴史も尊重しようという風潮に変わり
関西で南海復刻ユニもやるようになった
2014年の大阪クラシックは、当初オリックスは予定してなかったのが
ビジターのソフトバンクの方から「やりませんか?」と働きかけて実現した >>628
せめてチームロゴだけでも元に戻してほしい
メジャーリーグはチームロゴ変えないからね
ソフトバンクのユニフォームはダサすぎる 南海来た江夏のころなら、黒い霧が球界を揺るがし終わってないのかな。 ダイエーは大阪府下にもまだたくさん店舗があったしホークス応援セールもしょっちゅうやってて
チームは福岡に行ったけどホークスをまだ身近に感じる安心感があった
ダイエーは球団を九州に根付かせるための企業努力もしっかりやって
今やパ・リーグ随一巨人や阪神に負けない人気チームにした
その功績は否定できないな
ソフトバンクは救済してくれた立場だけど後乗りでおいしいとこを持ってった感はどうしてもある 末期の南海なんて選手が一番行きたくない球団だったのに
今は一番金払いはいいし、巨人阪神に並んで人気球団になったな
隔世の感がある >>647
ロッテじゃなくて?
それはそうと立石隠し球の時のセンターの投げ方が凄いな草野球みたい >>648
そのロッテと巨人でFA選手獲得を争ってロッテが勝つ時代になったからな
一昔前なら考えられない 近鉄でしょ。つーか、南海、ロッテ、近鉄、阪急。弱くなったらパリーグには誰も行きたがらない。かといって、日ハムも微妙。結局西武だけ? 一流プレイヤーの最終目的がメジャーになったってのも大きいんだろうな巨人ブランドの崩壊は
むしろレベルの高いパ・リーグで切磋琢磨した方が向こうで通用しやすいからな 南海ファンは阪神嫌いな人多いんかな?
ファンが嫌いなんか、球団が嫌いなんかどっち?
まぁ、関西のマスゴミが異常やね。 >>652
俺はパは南海、セは阪神のスタンスだったけど周りの南海ファンは阪神と言うかセ・リーグ嫌いが多い印象 両方じゃね
ファンは野球が好きでもないただ騒ぎたいだけの馬鹿もしくはアンチ東京をただ阪神に重ねてるだけ
チームも選手も半人前のくせにマスゴミやタニマチに甘やかされて気骨のあるのが少ない
ほぼテンプレ的回答だけど >>652
関西マスゴミが一番嫌い
スポニチなんて最近阪神押し酷いよな
今日も1面高橋遥人
アホらしい〜 >>645
阪神は黒い繋がりのある江夏を厄介払いしたんだろうな。 江夏に時計を贈った人物もただのチンピラじゃなくて
後の山口組四代目竹中組長という超大物だったからな
竹中個人は野球賭博には興味はなく江夏の奪三振記録の表彰のつもりだったそうだが アホくさw
当時の関西のヤクザで野球賭博をシノギにしてない組なんかねえよ 戦後復興期に食糧が無い理由でドサ周りせざるを得なかったのが運の尽きか
あれで地元の顔役(893)に無茶苦茶譲歩して頭を下げるか、美空ひばりパパのような大物に仲介してもらったり V9時代のセパのリーグの実力差ってどれくらいだったんだろ?
今やパの方が圧倒的に強いし昔から「実力のパ」なんて言葉があったけど、実際は巨人に9連覇されてるからな
ただし巨人が抜きん出てただけでリーグ全体のレベルとはまた違うと思うし
例えば昭和40年代に野村や広瀬がFAで巨人に行ってたらパと同じような活躍が出来ただろうか 当時の日本シリーズ見る限りでは
南海も阪急も守備がボロボロ
あと際どい判定が不利になって怒る怒る 広瀬は間違いなく通用したんじゃね
週ベかなんかの特集の柴田との走力比較でも圧倒的な差を付けてたし
トップスピードから全く勢いが落ちずそのままダイナミックなスライディングは他に比類がない
日米野球で向こうの選手もヒロセは間違いなくメジャーで通用すると評価された
野村もオールスター日本シリーズでは王をほとんど抑え込んだと自負している
もちろん長期戦となると王も対応してくるが
巨人には確かに九連覇を許したが負け惜しみじゃないが川上巨人が短期戦の采配戦い方が滅法上手かっただけで
シーズン制では西本阪急なら十分対抗できたと思うよ 巨人に2人が移籍したら、
野村は多分、森に嫌がらせを受け、外野転向か代打専門。数年後に移籍。
この頃の巨人は、セリーグの4番打者を中心に引き抜いて、格差を広げてた。
広瀬は活躍する可能性は大だが、川上・牧野とは合わない。移籍するとしたら広島くらい
パリーグで活躍した選手はどのくらいセで通用するかというと、
大杉、張本、基、真弓、若菜、落合など曲者は活躍
でも、加藤英、高沢などスマートな打者はNG。移籍先が広島だからか… >>662
そういう妄想が積み重なって
「実力のパ」
って言葉が生まれたんだろうな >>614
川勝オーナーも杉浦だけに恥をかかすわけはいかないと末期の金のない中でも工面して
メジャーで実績のあるバリバリの外国人ど >>614
川勝オーナーも杉浦だけに恥をかかすわけはいかないと末期の金のない中でも工面して
メジャーで実績のあるバリバリの外国人バナザードを連れてきたんだよね
額面通りの活躍をしてくれたけど田渕と喧嘩して辞めちゃった
ほんと田淵時代は余計だった 江本は南海から阪神に移籍して
「阪神の野球は甘い野球だな」と思ったそうだ
サインプレーとか細かい点で南海より遥かに遅れていたそうだ
もっとも阪神がアレだっただけで巨人なら南海に引けを取らなかったのかもしれないけどね >>494
ある意味ゆとり世代と境遇が被るな
青年期までの戦争犯罪追及や軽チャー路線、野島伸司ドラマに代表されるような極左ムードから震災後の現実モードへと切り替わってバブル期とバブル崩壊後の余韻の夢想社会から離れて現実社会の生存競争で鍛えられていく所が。 >>669
阪神は細かい野球を導入しようとすると川藤みたいなめんどくさいobや関西マスゴミがそんな野球は阪神の野球やない!
と外野から邪魔するイメージ >>670
世代的にゆとりより前の新人類世代あたりから第2次ベビーブーマーあたりかな
まぁベビーブーマー世代は競争過多で社会に出る頃には需要減で食いあいになってむしろ右傾化していったが メジャーも試合時間短縮でワンポイントリリーフ禁止か
どうせNPBも追従するんだろな
野村が生きてたら大激怒だな 野村って今どきの老人にしてはボケがまわるの早かったよな
結構前からTVでも質問とかなり乖離した受け答えしてたし ここ10年は福岡ホークス黄金時代。
暗黒時代から応援してきたファンからしたら嬉しいやろな。
カープも一緒か。 >>677
山一抗争で射殺された奴だよ。Vシネマとかで散々モデルになって出てくる。
伝記も複数出ていて、野球賭博についてかなりヤバいエピソードがあったわ >>679
むしろここ数年が異常過ぎたな。
ただ県内から見れば、今年もコロナ禍前は入場券の購入でズムスタに列ができていたし、
この時期になると「○○もカープを応援しています」のCMがやたら流れるなど
完全に盛り下がってはいない感もある。 よく広島行くんだけど、ネコも杓子もカープ応援!みたいな空気がほんとキモい笑
カーラジオつけてもカープ、そこらへんの店にもカープ、TVでもカープ、、、 竹中組長が殺された江坂のマンション仕事で行ったことある
その時を知ってる住民に話を聞いたけど
竹中は子分の車で逃げたけど(その後病院に搬送され出血多量で死亡)
同行してたNo.2とNo.3はほとんど即死で顔もぐちゃぐちゃで脳奬が玄関一面に飛び散ってたらしい
住民もほとんど入れ替わってて事故物件と知らずに入居してくる人も多いってさ >>665
阪神は球団創設以来巨人の犬だったから。 >>676
門田が監督やってたときは少しだけ気にしたが、いつの間にかチームごと消えてた と思って調べたらチームまだあった
小池兼司が名誉監督
中日にいた森田がコーチやってんのかよ いうても広瀬さん、数年前まではNHK広島で桑子アナウンサーとコンビを組み「がんばれ!カープ!」とかやってたけどな。
広島はかつて薮内(元南海)VS竹野(元阪神 今の守屋総裁の親分だった)のヤクザ幹部対決があったな。 >>689
広瀬は、全国ネットに出ていた頃よりもかなり饒舌になっていたな。 >>685
No.3じゃないよ
直参ではあったけど >>685
竹中って身体に墨一つ入れてなくって、
毎朝、若衆と一緒に事務所の掃除やゴミ出しして、昼食も皆で揃って一緒のものを食べてたとか
そういうちょっと変わった逸話があったりもするよね >>682
江夏に時計渡したのはそっちじゃなくて最近まで生きてた弟の方じゃね? しかし山口組は組長と筆頭若頭のタマ取られたんだろ
戦争でいえば総大将と参謀総長が同時に討ち取られたようなもんで負け戦だよな
なぜ一和会は降伏したんだろう 竹野博士 元阪神捕手
矢沢 元巨人捕手
山根 元横浜捕手
なんで捕手はヤクザになるのか… >>699
南海OBの大物893薮内威佐夫は外野手やけどな
>>698
最初は一和有利だったが山広の優柔不断と菱のブランド力に負けた 竹中は嫁や子がいるとヤクザがこの世に未練を残すと生涯独身を通したが
内縁の妻がかなりやり手で野球賭博をいっさい仕切ってたらしい
竹中組のシノギはほとんど賭博
江夏との線が結び付いたんじゃねえの
そんで江夏リリーフ転向の本当の理由と かつての南海で野球界に居るのは誰が居ますかね
高柳 立石・・・ NPBでなければ河埜、定岡、藤田、山内和宏、加藤伸一等多数 野村は広瀬を長嶋と並ぶ天才と評したが広瀬本人は違うと否定するんだよな
長嶋は完全に無心で来た球に反応して打つが広瀬は広瀬なりに考えて打席に入っていた
球種を教えて貰って打つのは卑怯だと思ったから野村の教えをやんわりと拒絶する意味で球種がわかれば逆に打てんと
でも足に関しては紛れもなく天才
あの福本が広瀬さんが記録だけ狙って盗塁してたら1500ぐらい狙えたと言う >>704
眼前にある機械で調べてみよう、って思考にならないのかねコイツ >>703
竹中の伝記に「八百長するつもりが失敗して金を返しに来た投手がいた」
というエピソードが載ってたな。その投手って・・・ 広瀬が極端に記録に淡白だったのは逆に何か裏があるんじゃないかと思ってしまう。
プロなんだからやはり数字にこだわるべきで、そういう意味では技量はともかく意識はプロになりきれていなかったのかな 手を延ばしてやっと届くような段に、少し助走をつけただけで飛び乗って腰掛けるとか可能なんかいな >>710
団体スポーツなら記録よりもチームの勝利だろ >>700
竹中はトップの山広が腰抜けなのを熟知していたから一和会全体を舐めきっていた
ワシを狙う奴なぞ誰もおらんと愛人宅に大した護衛もつけずNo.2とのこのこ出向くという大ポカをやらかした
ノムの言う組織はリーダーの力量で決まるという類いの妄想を信じてて油断したんだろうな
上が無能でもしっかりした下がちゃんと仕事する例など無数にあるというのに
長嶋巨人なんてその典型だろう 野村は自分で月見草とかいいつつ、なんだかんだで野球界でもトップクラスの一般知名度だと思う。
現役時代や南海解任とかの醜聞騒動知らない40代以降の人気は王や長嶋を超えてると思う。
そう思うと自身で意図したかはともかくとして自己プロデュース能力は長けてるよね。 パリーグで何をやっても目立たないのを悟ったので、テレ朝、ヤクルト(フジTV)など東京の球団やメディアをうまく活用した。
人生の総仕上げで、阪神に挑戦するも大失敗。基本的にはここまでかな。
あとはサッチー脱税・経歴詐称、楽天で少し持ち直すも解任。晩年はTBSみたいな。
でも他のパの選手と比べると恵まれてると思う。 本人が吹聴していた。駆け引きもあるが。当時はマスコミを使って、相変わらずなお人だと思っていたが…
今思うと、2位で契約更改しないのもおかしいのでは?
次、ブラウンだよ、実績ねえし。(本当は三村だったらしいが、体調面で…)
夏くらいには、野村ではない事は決まってたらしいがね。 >>716
事実上の解任なのは三木谷他当時の楽天フロントも当時は認めていたぞ
某有力選手からもうそろそろ引退させたら?と訴えがありその要望を組んだと認めていた
後から円満退団!って強調しだしたけど 楽天の契約延長の意思が無かったってことなら仰る通りだが、
期間が決まっている監督という役職に対して、期間満了のタイミングで
解任という言葉を使うのはどちらにせよ不適当 >>703
野村が「黒い霧のことは墓場まで持って行く」と言ってたのはもしかして?((( ;゚Д゚))) >>713
この日も宅見が中山若頭に助言して初めて竹中組長に同行したんよな
それでも竹中は護衛車付けるのは嫌がった >>721
竹中は山本広が求心力がないのを見越して一和会は自壊して菱の代門に戻ってくると踏んで全面抗争をするつもりはなかった
それを強硬に義絶状を叩きつけるように焚き付けたのが宅見
どちらにせよ宅見が裏で噛んでるのは間違いない この場合、言葉としては確かに解任て言葉はそぐわないが
任期で揉めて野村に舌鋒を向けられた楽天が
意趣返しで敢えて解任て言葉を使った
もっとも楽天も内部では野村退任で一直線していたわけではなく
球団代表の米田が存続派で、結果次第では続投もあり得ると野村に粉をかけた
ところがオーナーの三木谷と球団社長の島田が結果関係なく09年限りと強弁して結局野村は退団
だからあの時の野村は、話が違う、裏切られたと憤っていた
後任にブラウンを選んだ理由に具体性がなかったのも
とにかく野村を辞めさせたかったという球団の真意の裏返し >>722
あの義絶状の内容酷いよね
さすがに温厚な山広でもキレるよ
いくら宅見が作ったとはいえ最終的にOKする竹中はアホ >>723
そこまでして追い出して
かつ追い出した後もかなり疎遠だったにも関わらず
死んだ途端擦り寄って急に球団の功労者扱いしだした楽天フロント
ある意味完全無視の南海よりも見苦しい 竹中は警察が大嫌いでガチで警察を敵にまわしていたのが
あっさりと暗殺されちゃった一因なんだって話を読んだ
警察も竹中を本気で警備してくれなかったんだとか
五代目の渡辺は警察との対立を避ける人だったので長くやっていけた
山広については映像がけっこう残っているが予備知識が無かったら
ヤクザだと思えない人だね
外見も喋り方も地方の政治家みたいな人 竹中は六法を丸暗記するぐらい刑法に通じててやたら捜査令状を要求するんで警察もやりにくかったんだろうな
竹中の愛人宅もそして竹中がそこへ数日おきに通ってることも警察は把握
一和のヒットマンが知人名義でマンションの一室を借り受けてることもおそらく把握
山一をさらに相争わせ両陣営を疲弊させることを目的にしてたかもしれん >>726
追い出したのは
金がかかりすぎたから
各地の最高級ホテル全額とか移動は全部ファーストクラスとか球団に要求いたんだろ?夫婦分を 楽天と野村は最初から祖語があった
トライアウトで再生できそうな選手を3人4人と見つけてほしい
→実際にそれだけの数の選手を野村が見繕ったら枠の関係で1人じゃないとダメとか
就任後は講演料の半分は球団に納めろとかな
新興球団で球界の常識を知らないからこその楽天のフラフラした要求だったが、
野村の性格を考えたら面子を潰してきた球団に対する遠慮は必要ないってことだったんだろう 野村も南海の最後は二位だったよね
優勝一回やけどほぼAクラスやったな 野村南海は阪急、近鉄以外の球団にはそこそこ強かった 野村政権時代は
東映西鉄の下位チームから身売り後も星を稼げていたからな
ロッテには最後の3年のみ勝ち越し
阪急近鉄に勝てなかったのは
スパイ野球を妨害されていた部分も
あったかもなw 西本阪急黄金時代だった。ロッテも選手が良かった。
その中で検討してたと思うけど、野村南海はAクラス常連。
お家騒動や身売りな感じになると、東映、西鉄のように急激にBクラス常連になってしまうのが当時のパリーグ。世の中から注目もされてなかったし。
なので、野村退団騒ぎで一挙に急降下。その後のロッテもそうだし。 ロッテが負け越した時は
外国人がハズレばかりや
カネやんとラフィーバーや木樽成田らとの確執でプチ内紛状態だったな >>714-715
流石に長嶋よりは下だと思うがその次位の知名度だからな>野村
むしろ世渡りは上手いよ
暗黒時代のパで現役時代を過ごしたのにこんなに有名なんだからな
同世代の大打者でも榎本喜八、江藤慎一は引退したら過去の人だったし
土井正博はあれだけの実績があってコーチにしかなれずだもの 土井は>>280で指摘されてるように怠慢走塁だし、
学生時代から球場での売り子バイトを子分に命令してやらせていただの 性格もよろしくない 土井正博はコーチで近年迄
球界に残れていたのは根本親分や当時の西武総帥堤のおかげだろうよw
あと金満堤西武で清原や稼頭央ら
誰が手掛けても並以上にはなる逸材に恵まれてたしな >>738
そんな暗黒パの不人気チームだったホークスやロッテが今やFA戦線であの巨人との争奪戦に勝ったりドラフトで是非入りたいと言われる人気球団に
東映の後継球団のハムも今は人気チームだしな 南海で最後に年間勝率一位になったのって1966年なんだな
1973年は実質3位だし、33年も優勝から遠かったんだなあ パはオリックス以外はフランチャイズが根付いてる。
やっぱ、球場の問題はあるが、神戸から移転すべきでなかった。
向いてるかどうかは疑問だが、イチロー、野茂、田口あたりが指導者になればある程度注目されると思うし。
楽天は仙台のファンはいいのだが、オーナーとGMが微妙。平石の解任は疑問だし。 1970のスタメン
広瀬 門田 富田 野村 ジョーンズ 小泉 古葉 小池
門田が二番打っていたんだな
まだ足が速かった なかなかすごい打線 今ならジョーンズはもっと評価されているだろうな
あの当時は打率至上主義で三振=糞の評価で損をした >>742
米田哲也とか、おっさんかコアな野球ファン以外殆ど知らないだろうし、、、 >>750
当時の外人選手は長打のある選手は打率が低いって選手が多かった印象
打率も良かったのはアルトマンくらいだろうか
70年代後半になるとリー、マニエルなどが登場して変わって来るけど >>747
神戸も無理やろ。地元のサンテレビとデイリースポーツも阪神命なのに。 >>750
むしろされねえよ
あんな守備が雑なやつ オリックスは地元感が全くないよね。なんでだろ。
大阪はボーイズリーグ、高校野球が盛んなのに。
みんな阪神か。じゃあ、いっそう東京に行くしかないな、ビジネス的には。
その時に球団の亡くなった痛みがわかると思うけど。
もっとも、影響なかったりして(笑) 球団増やす前にオリックスみたいな存在意義の無い球団をまだ球団が無い地方へ飛ばすのが先決だよね。
首都圏は読売、近畿圏は阪神だけでいい。 野村解任前のチームも魅力いっぱいだったな。
ホプキンスが加入し、藤原、門田。
なにより若手が多く未来は明るいはずだった。
新井、柏原、定岡、河埜、藤田学・・・。 >>758
南海は近畿において阪神のポジションを取れなかった時点で身売りの運命。
そうおもうとパリーグの時点で大阪での未来はなかったかもしれん。 >>723
ブラウンの監督就任は当時フロント入りしていた元広島監督の三村敏之との関係らしい。
もし対象不良がなければ、三村が監督を務める可能性もあったと聞いた事がある。
三村は仙台で客死する事になるが。 >>752
ダウンタウンであったな
二位なんて誰も知らない説
まさに当てはまるわ
一位金田は圧倒的知名度で訃報記事も新聞一面でテレビも大々的に報じたが
二位米田は最終面に2行ほども記事でテレビも一切報じないだろ 米田は活躍時期がパ暗黒時代に重なったのも不運だった
80年代にも活躍していた鈴木啓示や山田久志はまだ知られているんだが >>755
指標どころか出塁率や長打率すら見ないお爺ちゃんですか? >>758
三 藤原
中 新井
左 門田
一 柏原
DH メイ
右 片平
二 河埜
遊 定岡
捕 野村 >>765
もし野村が解雇されてなければ78年はどんなオーダーになってたって事?
まだ4番野村で行ってただろうな
早めに監督に専任して後継捕手を育ててもらったほうが良かったかも知れんが >>763
米田は全盛期は普通に西本の阪急黄金時代と完全に被ってる
むしろ長嶋の現役よりもこっち側
V9の相手投手でそれなりにテレビで見る機会もあったし、
名前を出すタイミングはあった
引退後もコーチや評論家やプロ野球ニュースやってたのに
なぜか昔話が好きな野村もほとんど話題にしなかったな
あんまり印象になかったのかね >>720
怖い、怖すぎる
>>723
野村という人は本当に不思議な人で、
あれだけ解任後にマスコミの前で楽天フロントへの不満をぶちまけてたのに、
実際の通告の場では「ああそうですか」みたいに大人しく聞いてたらしい。
家に帰ってからサッチーにどやされたのか? 野村の性格ってほんと陰湿だよな
嫌いじゃないけど、どうしてここまでひん曲がってしまったのか >>579
ブレイザー、与那嶺、シュルツ(?)の外人首脳陣の時も役割分担はハッキリしてて
山内孝なんかは、意外性がない、窮屈だと平然とメディアに不満をブチ撒けてたな。
こいつも反合理主義の塊みたいな根性論投手だったし。
>>629
福岡でも、王の入団でミニ東京化したと感じた西鉄原理主義の親父世代が離れた。
今の九州人の40〜50代はテレビ巨人世代なんで、王は福岡の宝!と担いでるが。 >>766
野村の退団と入れ替わるように南海入りした村上之宏が、野村と組んでたら
どんな投手になったかな、という想像はする。キャンプでは「君は村上を見たか?」が
報道陣の間で流行っていたとか。
西武時代の野村は、キャンプで藤村雅人というドラフト外で入団した投手と面会した時
藤村の親父が、自分の中学時代の同級生だと聞いて「あいつの息子とチームメートに
なるとは…」と、意識しないようにしてた自分の年齢を嫌でも思い知ったとか。
>>767
米田と稲尾は同学年なんだな。
見た目は稲尾が若くキャリアは米田が若いイメージだったのは、阪急黄金期と
西鉄凋落期が重なってたせいもある。杉浦が二学年上か。 >>768
今になって楽天最後のミーティングがYouTubeで公開されてるがノムさんミーティングで泣いてたな 村上はバリバリの鶴岡派
メジャーで一応結果出したのに戻ってきたのも鶴岡の言葉があったから 大沢親分、鶴岡宅にて
メジャーリーグへの移籍の相談に先に来ていた村上に「こんな冷たいチームに義理立てする必要はない」と言って鶴岡と口論
一言多い男 >>773
マッシー本人が認めている
相羽とともに阪神へトレード(相手は和田ブーと野上)されてから日ハムで復活
その時の監督が大沢という皮肉めいたもの >>777
仲が悪いというよりは盲従しないってことじゃなかろうか >>777
オリオンズに放出される事が決まって頭に血が上っていたからでしょ。
従来から球団が10年選手ボーナスを出さないのがデフォだった(100万ドル内野陣を軸にした機動力野球から長打力を全面に出した400フィート打線へと転換した
理由の一つでもある)が鶴岡親分なりの故の苦肉の策だった訳だが。 大沢のWikiのこの記述は笑った
> また野村克也の著書によると、南海時代その態度が多くのチームメイトの怒りを買うことが多く「大沢を殴る会」なるものが裏で結成されたという。
温厚な杉浦忠でさえも「あの人を殴ってやる」と言って、野村が必死で止めたという。
ただしその態度が監督としての手腕に生かされたことは評価していた。 その温厚な杉浦が三悪人の一人とかスケールダウンもいいところ
悪人なら悪人らしい人選をしないと 大沢は選手としてあの程度の実績で
ロッテの監督になり、その後日本ハムの主みたいになったんだから
人望なり野球理論なり何かしらはあったんだろうな。 >>777
仲は悪くないよ。
大沢はただの湘南出身のやんちゃな兄貴。つい口が滑っちゃう。
それは誰に対しても同じで、敵も多いが、裏はない(全く考えてない)
マッシー時は、南海から選手からスコアラーに降格させられそうになったのを
鶴岡さんにオリオンズのコーチを紹介してもらい、お別れの挨拶で鶴岡さん宅を訪問。
興奮状態にあった。南海の悪口を言う気持ちもわかる。ただ、それを新人の前に言うかねという問題。 >>784 訂正 鶴岡さんが当時のフィクサー青木一三にお願いし、「選手」として
オリオンズに大沢を潜り込ませた。1年で引退した。その後コーチへ、そして濃人と交代で監督昇進。
この辺誰かに教えていただきたいところです。
オリオンズ(永田オーナー)に鶴岡さんは結構助言してて、西本さんを監督に推薦してたりするので。
また濃人さんとは明らかに広島シンジケートでつながってるはず。 >>785
ロッテで濃人から監督交代したのは71年7月13日(オールスター直前)西宮での阪急戦で
放棄試合を行った責任の詰め腹を切らせる形で後日になる23日に二軍監督だった大沢と入れ替えた。
(濃人が二軍監督に降格)
この頃永田ラッパが本業の大映再建に専念するためオーナー職を中村(後の福岡野球・ライオンズ)に
譲ってて、その中村が西宮に来ててオーナー指令で放棄試合を仕掛けたとも。 ありがとうございます。
中村長芳ですか…。めんどくさい人ですね。福岡野球につながると。
濃人は怪人というか、神出鬼没なのでよくわかりません。
彼らに比べると、鶴岡さんはずっと南海だし、変な仕掛けはしない人ですね。
大沢親分にしても、結局対巨人日本シリーズでの勝利の際、守備で三原に感心され、
後に、日ハム監督につながるわけだし。奥が深い、その頃のパリーグは。 ところでお前らさ、コロナで日本が絶滅する危機だと言うのに
よく昔の南海の話で盛り上がってられるな。俺は今、絶望感でいっぱいだぞ
本当ならセンバツを観に甲子園へ行ってたとこなのに家でゴロゴロだ。
仕事も失う可能性100%だし昔の南海なんてどうでもいいって感じだ。 >>781
特に遊び人だった杉浦野村広瀬を総称しての三悪人だからね
田舎育ちの野村広瀬に夜の遊びを教えたのも大体杉浦
大学時代から歓待を受けていた立場だから 中村長芳はライオンズの身売り先を探して
見つからないとなると自ら福岡野球を設立して引き受けたり
福岡野球最後の年には江川を強行指名したり
西武に身売りして福岡財界を顔面蒼白にさせたり色々を話題を作る人
(坂井に言わせると「中村さんは岸信介の秘書だった人ですよ
派閥の長ですらない船田中の指図なんて聞くわけがない」そうだ) 杉浦の四連投で巨人を破った日本一の祝賀会中なぜか鶴岡と杉浦がその場を抜けて
電鉄本社の偉いさんたちと四人で麻雀を打っていたらしい
大沢がこんな時に何してんですかと鶴岡を強引に場に連れ戻したらしいがその時鶴岡はすごく嫌な顔をしてたってさ
鶴岡にまともに直言できるのは南海の選手でで大沢ぐらいしかいなかったから煙たがられるのはわかるが
これはどう考えても大沢の言い分が正しいだろう
杉浦と二人だけで喜びを分かちあいたかった時間が欲しかったかもしれんが
何で麻雀? 酒よりもマージャンが大好き。勝ってたから機嫌悪いとか。
その頃はデフォでマージャン野郎多かったよ。宴会も深い時間に球団幹部から誘われたんでしょ。
徹マンがデフォルトで、特に酒の飲めん江夏は毎晩。昼に起きて、ベンチでも寝てた。 杉浦はシンカーさえ覚えなけりゃ200勝どころかもっと勝てたと野村は言ってるね
シンカーのせいで持ち味のストレートの球威が落ちたと
でも山田は球威の衰えた選手時代中盤からシンカーを覚えてさらに投手としての完成度が増した
二人は何が違ったのか?
それともまた野村が結果からモノを言ってるだけかな
野村は自分を大きく見せるためによく話を作るからね 野村は高津には潮崎みたいなシンカーを覚えろと強制したようだが
力の落ちた引退間際のベテラン投手や選手生命を断たれるぐらいの怪我明けの投手にはひたすらシュートを覚えろと力説してたな
堀内の野村再生工場でもネタにされてた
野村の投手の理想像はおそらく稲尾で
稲尾のシュートに苦しめられてたからこそ来たか発想か
野村は稲尾が大好きなのか伊藤や田中のスライダーも稲尾みたいだと惚れ込んでいた
自分がワンバン処理が苦手だったからかスプリット系変化球を得意とする投手はあまり評価しない傾向がある >>794
山田も直球の威力が落ちるからと足立にシンカー習得を禁止されてた 低めワンバンになるボールのサインを出していた野村が 杉浦は投げすぎて怪我をして意識を変えざるを得なかった
山田は王に打たれて意識を変えざるを得なかった
身体が無事だったか否かの差は大きい ノム逝ってから南海スレが盛り上がって、
19から20って早いな。大物が逝くと話も尽きないね。 審判の三浦真一郎が腰高に構える捕手は真ん中低めのキャッチングポイントが判らないので、
上手い下手以前に全部ボール球にすると言っていた。田淵のことだが 野村が著書で書いていたのがスライダーを覚えると打者を楽に打ち取れるようになるが
楽に打ち取れるスライダーに頼っていると速球の球威が落ちてきて
結果的には寿命が短くなる なんとなくわかる
マエケンなんかがそんな感じだね
元々真っ直ぐが良かったからこそスライダーが活きてたのに
NPB時代後半ぐらいはスライダーに頼りすぎてそこまで圧倒的な投手というわけでもなくなった
でも東尾ぐらい抜群のコントロールを持っていたら例外なんだろうな
元から球威で抑える気なんてないもんな 東尾は危険球を効果的に使うからな
落合には報復されてから使わないクズだけど 上の方で米田の話あったけど、こういうインタビュー見るとただの根性論オッサンだな。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201906270001194.html
実績だけだとコーチや監督歴任してもいいと思うんだが、それは成績が地味とか、歴代2位とかではなく、こういうところなんかな。自分が出来たから他人も出来るっていうのは暴論以外のなんでも無い。
やっぱり、指導者として名を残したり、指導者でなくても野球界で生き残って行くためには、当然だが思考の合理性は必要なんだろうね。
金田だって健康管理とか合理的な考えだったりするし、野村は言うまでも無いし、鶴岡だって本当に精神論者ならスコアラーの導入なんて他に先んじてするわけないし。 小山のじいさんも好投してるピッチャーを球数が多かったり勝ちパターン継投で交代させても何で完投させへんねんと激怒する
クサも監督就任当初は清々しいばかりの根性論者だったな今はマシだけど
投手に限らず名選手が指導者になると陥りやすい罠ではあるよ
俺ができるからお前らもやれは よく考えたら
20世紀以降200勝2000本自宅選手って
なぜあんまりコーチしてないよね
人が多くなったというのもあるが
昔はみんな二軍や臨時コーチまで含めると張本や門田も一度はコーチはしてた
してないのは榎本と平松と衣笠ぐらいだろ
古田も退団後はやってない
佐々木野茂はじめ新井や前田、あたりもやってない 選手としての才能と、選手を育成・登用・活用する才能は別個という認識が浸透したからでしょうね。
又、嘗ては(あたかも終身雇用制を模したかのような)現役時代の論功恩賞で引退後即一軍監督に昇進という流れが球界全体に根強く存在したけど、
今では余程の大選手でも、まずはコーチや二軍監督で適性をみるのが一般的になった事や、選手の方も高額年俸だったりで、今や中間管理職色が
強くなった監督就任を昇進とも栄誉とも思わなくなった(巨人監督就任時〜辞任時までの高橋由伸の態度とか(w))のも大きいんでしょう。 >>806
阪神・オリックスのコーチがいずれも長続きしなかったのはこういう面が影響したのかな?
あと、西本聖がオリックス時代に揉めたコーチって、
米田と山口高志(二軍も含めればコルボーン・外木場義郎も)の中の誰だったのかも気になってしまった。
>>807
鈴木は監督退任後に色々思うところがあった様で、スポーツ紙に連載した回顧を見ると反省ばかりが目に立ったし、
解説も精神論一辺倒ではなくなった感じがする。
>>808
野茂は近鉄時代の同僚だった大石大二郎が監督の時のオリックスで
テクニカルディレクターをやったけど、批判的立場だった後任のどんでんに斬られた。
その後野村謙二郎が監督の時の広島で臨時コーチをやったな。 >>530
「ネトウヨ」てのは在チョン語だぞ?わかってんのか?
日本語しか話せないニセ日本人の在チョン本体なのか、
チョン流に入れあげてバカチョン化した元日本人の糞パヨク(笑)か知らんが、
言葉には気をつけな、パヨ・ジジイw >>813
そもそもこんなギャラリー必要か?
現行球団ならともかく、身売り元の親会社だし要らないでしょ。 >>813
人が良いカツノリなら頼まれたら展示を許すかもなんて話があったがそれ以前の問題だな
もう二度と展示を頼む気にないって >>814
運営についてはもう南海ではなく、現球団運営会社の福岡ソフトバンクホークスの
マーケティング部門がやった方がいいのでは、とは思った。 野村は山内えびせんのマネ
門田は野村の鏡でヒント
落合は土肥の打撃をヒント >>816
俺もそう思うよ。
ああいう場で必要なのは客観的情報であって、野村と南海の遺恨なんて見る人には関係ないよね。
野村抜きに南海語れないし、野村の情報無しでは南海ホークスギャラリーとは言えないよ。
客観的展示が出来ないなら常設すべきで無いと思うけどなあ。 今の南海電鉄に当時の遺恨をリアルタイムで経験してる人なんてほとんどいないだろうし
いたとしてもこんな窓口を担当しているはずもない
「どうでもいい」ってのが本音だろうな >>807
小山さんが完投にうるさいのはエース級だけだよ
エースたる投手は行けるときは一人で投げきってリリーフ投手を休養させるレベルが求められるという考えから
ヘロヘロになってるヘボピッチャーの場合はもう打たれるから替えろと解説でも平気で言う
米田も小山がコーチだった時はベテランだったから投球間隔とかいろいろ配慮してもらえたと言っている ただ1985年の阪神優勝の時に投手陣を建て直したのは米田コーチの手腕だと言われている
米田はプロ野球ニュースに出ていた頃も
「権藤コーチは投手の肩は消耗品と言う思想だが私はある程度の投げ込みは必要だと思う」と
言っていた >>820
だからこそ廃止した方がいいじゃね?もしくはソフトバンク管轄でヤフオクで展示でもいいのでは。
あんなところにコストかけてても意味ないでしょ。 >>822
そういえば、プロ野球ニュースでは、権藤が東海テレビで米田がカンテレの解説者だったな。
テレビ新広島のローカルにも森永勝也とのダブル解説で出ていた。 >>747
神戸でアカンかったやん
イチローブームで一時的に観客増えただけ
阪神がちょうど暗黒期だったし
ダイエーが行ってても無理やったと思うで
福岡に移転して良かった
近鉄は潰れるしオリックスは相変わらず人気出んし >>825
でも他に場所なくね?
金沢ホームで北陸サンダーバーズとか?w >>825
前後見ると、オリックスの話では?
オリックスは大阪ドームのイメージが無いのは確かだと思うし、
ロッテみたいに、場所に根付く努力はしてない。
いつまでも、旧近鉄、オリックスか否かでもめてるんだったら、
別に大阪にホームが無くてもよいかも。 バファローズという名前を変える(=捨てる)ならおkでは?
大阪でも新潟でも四国でも静岡でもどこでも
「生まれ変わりました。この街(県)に根付いて頑張ります」とかね >>816
>>819
近鉄がファンからのこういったメモリアル施設の要望については
「オリックスさんに言って下さい」的な回答をするとどこかで見た
南海や阪急がやってるのになんか薄情だなあと思ったけど、
それも一理あるってことですかいな 近鉄は権利関係の大半もオリックスに譲っているみたいだし、
社史でも簡単に球団保有の事実があった事を書いているだけだからな…
公式ホームページのポスターギャラリーを見ても、
旧バファローズやOSK日本歌劇団に関連したものがなかったから、
一切手を引いたという感じがありありで。 >>830
OB会に来る奴が少なくて解散w
これが一番笑ったわ 金村が実際そんなこと言って揶揄してたけど
結局鈴木一人への感情でOB会に出ないなら
古巣への愛情はその程度のものだったんだろうなとしか思わんかった >>832
30年以上前の板東英二の本に書いてあったけど
ずっと昔からOB同士の仲が悪かったらしいよ。
当時立食パーティーが恒例だったんだけど
一度他球団に倣って泊りがけにしたら
「数時間のパーティーなら我慢できるけど、あんな連中と旅行なんて嫌だ」と
皆が考え、参加申し込みが全くなかったらしい。 こりゃ、ほんと、まずいね。西本さん、仰木さんに申し訳ない。
つーか、関根、根本も所属してたし。
南海より、生きてる選手多いでしょ。野茂、阿波野、梨田、土井正博だって。 >>827
>>828
昔の、西武ライイオンズの様に、過去の歴史とは無関係な立ち位置でやり直せば良いのでは??
今風のニアンスで楽天みたいに。 近鉄バファローズ スレ9 960で盛り上がってんな。
しかし、貧乏ネタと事件ネタ多いな。レギュラーシーズンと日シリネタがあまり無い。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1497368332/ >>834
巨人のOB会が熱海の温泉で一泊してたのを真似したんだろうな。 >>834
年寄りOBだけでなく若手OBの仲も微妙
楽天時代に岩隈が音頭とって決起集会をしたら中村紀がそれに茶々をいれたので会が白けて解散した事があったらしい
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/34972/ オリックスバファローズ地方移転したら
京セラのパリーグ試合なくなるで、
大阪のホークスファンも困るのし関西在住のパリーグファンも困るよ。
ますます阪神1強やで困るわ、しかも関西マスゴミの阪神ゴリ押しうざいし。 杉浦はシンカーで投手生命を縮めたが野村の持論だが
そういえば皆川もノムの言うところのカットボールまあ昔からあったマッスラの類いだが
それを習得して30勝を上げはしたものの翌年から急激に成績を落とし数年後引退
そのことについてはほとんど言及しない
古参の南海ファンでこの辺の事情に詳しい人はいますか?
大きな怪我でもしたのかな? 閑話休題
大阪球場の係員の人(入場券のモギリ)はとても無愛想だった
幼少期のおいどんは、余りいい印象は無かったです >>842
皆川は30勝した翌年にオープン戦でバントしようとしたところ
ボールを指に受けて骨折して離脱
復帰してからもコントロールが戻らなかった >>840
関西のちなオリだが、ちゃんと球団を強くしてくれる企業に身売りしてくれるなら
地方に移転してもそこで地元民に愛されるなら全然それで構わん
阪急〜オリックスの球団史とSKYとベルたそさえ継いでくれればそれでいい >>843
その係員も昼食に醤油を薄めたキャベツとジャガイモの欠片の煮付けを喰わされてて気持ちが荒んでいたのかも
訃報スレ
ttp://n2ch.net/r/-/meikyu/1580654869/?id=MJtyOJpU&guid=ON
↓
ttp://n2ch.net/r/-/meikyu/1583495223/?id=CzoKw1Y0&guid=ON
また湧いてきてるみたいねw >>844
なるほどありがとうございます
兼任監督になった時頼みの杉浦がもうボロボロで他の投手で一番頼りになってくれそうな皆川もそうなってたのは
野村にとってはとても大きな痛手だっただろうね
野村再生工場の歴史はこの時から始まるのか 飯田さんから引き継いだ1970の四本柱は
西岡 皆川 三浦 渡辺泰輔 たまに村上も >>841
福岡に西部ガスあるから
西部ライオンズで
南海部品の南海ホークスええな >>840>>845
どちらも分かるんだよなあ・・・ ORIXは今年3位以内に入れなかったらResetやね。AJ入ったし。
西村が監督の意味も分からん。年棒が安いだけやろ。
このままじゃ阪神の姉妹球団、しかもすこし劣化版。 皆川が最多勝獲ったのって68年だけなのか、それで通算200章超えかつ、南海の大エース感ないって、
50年、60年代の南海はどんだけ投手層厚かったんだw 誰からも慕われていた志村と嫌われ者の野村を一緒にするな 有名人の死に誰もかれも同調すると思うなよ スレ違い 南海ファンの一部とか南海関係者の一部には嫌われてただろうけど、
全国民単位で見た場合の絶対的な支持数では旧南海関係者で比較できないほどダントツのトップだろうな、野村w >>805
こういうのって、いかにもネットで野球を知りました、みたいな奴だなw
80年代は、阪急の水谷がロッテ土屋に頭部死球、阪急蓑田が日ハム田中富雄から
頭部死球を受けて、水谷は翌年引退、蓑田は規定打席に二度と到達することなくキャリアを終えたが
そういうのを見たことが一回もないんだろうw
南海も山内孝が85年に伊東の顔面にぶつけて鼻骨骨折、全治三週間の大ケガを負わせたが
10日で復帰した伊東に代打で決勝タイムリー打たれて、二度と伊東に内角攻めしなくなった
なんて事案もあったがなw
プロ野球ニュースの企画で、女子プロゴルファーと現役選手が組んでペア対戦なんてやってたが
その死球のオフに山内-伊東の仲直りゴルフなんてやってたわ。どうせテメエの知らない時代だろw
>>859
言っちゃなんだが、世間での知名度が野村>>>>>>南海になってしまってるのは事実だな。
ほどのコア層でないと南海ユニさえ知らない層が圧倒的。あの筆記体のHawksロゴは、阪神とは違う意味で
大都会・大阪を象徴してた感もあったのにさ。 >>854
川勝とて雇われオーナーだったから、
オーナー権限での資金の球団への積極注入は難しかっただろうな。 >>863
その後で散々指摘されてるだろw
ちゃんとスレ読めよ >>862
そのくせ「生きてるうちはホークスは売らない」
とか抜かして選手は酷い条件下に置かれてたんだから
最低のオーナーだった そうかね
企業の論理であっさり球団売る方が
何の愛着なく酷いと思うけどな
小林などはそれを南海のあとのどさくさでやるんだから恐ろしや >>855
今頃野村が鶴岡親分に叱られてるように志村も長介に叱られてるんかな? >>867
なんとなく似てるな
大抜擢で大恩人だけど
途中で確執ができて
最後は結局感謝しかないと表明して逝った >>843
西宮球場は昭和50年代から愛想良かったわ
甲子園もクソやったなあ >>859
野村の事は阪神ファンと巨人ファンと楽天ファンも嫌ってるぞ >>866
愛着でダラダラ残すだけ残して選手は普通車
そりゃ選手会長から抗議されるわ >>868
?野村が最期に鶴岡に感謝とか言ったの? 志村と野村は全然違うよな
志村も確かにいかりやと諍いあったけど、鶴岡と野村のそれとは別物 志村は芸人としては俺は長さんを超えたって思ってたみたいだから
本格的に役者業にチャレンジしようとした理由も、
名実共に長さんを超えるためだったんじゃないかなと 川勝オーナーの「俺の目が黒いうちは売らん」ってのも確かに無責任やなw
死んだ後のことは知らんってことだし、一個人の裁量でなんとか首が繋がっている状況っていうのを認めてることになるな。 ダイエーホークスビジターの緑ジャンパーカッコいいなぁ。明らかに南海色やな。
オレンジホーム用もかっこいいけど。
ダイエーホークスの書体とロゴかっこいい。
ソフトバンク強いのも認めるものの、
ダサすぎやし、ユニフォームもロゴも社会人野球みたいで企業名全面に出し過ぎ。 皆川さん地元の米沢で家族と高校時代のチームメイトたちとの団らんを山形のテレビ局に取材されてる動画が残ってるが
東北人らしい素朴で篤実な人柄がよく表れてるな
あの毒気の強いノムとも南海時代の仲間はみんな縁切りしていたにも関わらず自分だけ唯一交流できてた理由も何となくわかる気がする
この人でも巨人投手コーチ時代の評判はよくなく西本とぶつかってたのがにわかに信じられない
西本が一方的に偏屈をこじらせてただけではないかと思う >>878
球に気持ちが籠ってないから今のはボールにしたって審判に言われて
怒るどころか、それに感銘を受けちゃうような男だぞ
誰かに何かを教えられるタイプではなさそう。 広瀬もだけど絶対的に指導者に向いてないタイプだなw >>877
むしろ社会人野球みたいにビシッとその会社のコーポレートカラーでまとめてあればいいんだよな。
楽天なんかはそれが出来てるけど、SBはなんか中途半端。
オリなんかも最初は新しく作った球団の色をコーポレートカラーにする気合だったのに
いつからか変な腐ったような色のユニフォームになっちまった 西本とは水と油だったが桑田には感謝されてたな >皆川 https://www.asagei.com/excerpt/36573
>名球会に入っておられるような歴代の先輩方に言われ
これって皆川睦雄のことじゃないか?
巨人の投手コーチで名球会なんて、皆川睦雄以外に見当たらない >>883
当時の投手コーチは一軍が皆川で二軍が高橋一三と関本四十四か。
注目度No.1の桑田のフォーム矯正なんてことを出きるのは立場とか考えると皆川で間違いないだろうな。
皆川は堀内を切ったあと王が名球会繋がりで呼んだコーチで権限もかなり与えられていた。 皆川の他に岡本も野村との関係が続いていたと聞いた事がある。 >>883
2年目は皆川を無視したのか
大したタマだな、桑田って >>883
視察とかで来るでしょ、金田とか別所とか
で、あれこれ口を出す
ハリーも松井にスリ足にしろって、そしたら4割打てるって再三言ってたし
そういや巨人生え抜きで200勝したのって堀内だけなんだよね、確か >>887
阪神時代のノムも阪神OBの勝手な指導に悩まされたそうだな
しかも指導だけでなくあんな猛虎魂のない奴の言う事なんできかんでもええ!って内紛煽ってたと言う話 >>887
巨人生え抜きの200勝なら、その前に中尾碩志がいるけど、
侍ジャイアンツの黒サングラスの人か、湯口事件の当事者というイメージしかないw
18番のエースの始祖となると、中尾や若林忠志かその後の藤田元司かは解釈が分かれるところだが。
中尾の湯口に対する行為は鬼の武宮にも自著で批判されていた。 >>887
張本は正式に臨時コーチを請われて指導したんであって
勝手に口出したわけではないぞ。
しかも松井は張本の指導を無視してたし。
ついでにいうと片岡のYouTubeで
桑田は「色んなピッチングコーチやOBとかが”プロはこうじゃなきゃダメだ”と言ってきた」と語ってるから
OBが誰かは分からんが、皆川が注文を付けたのはほぼ間違いないだろう。 >>886
実際にOBの進言で役に立ったのは宮田さん。
これがきっかけで桑田は2年目からブレイク。
片岡のYouTubeの桑田出演回見たらわかるよ。 皆川も野村と同じく全く無名の存在だったけど真面目に野球に取り組んでる所とダイヤの原石のような素材を鶴岡さんに見いだされ
一軍に抜擢され最初は結果がでなくても辛抱強く使ってもらいついに開花した選手
鶴岡さんが本当に手塩をかけて育てた選手ってこういう皆川や野村のことだろう
普通の監督にとってはこういう選手は誰より可愛いし自分の手柄だと自慢したくなるだろう
でも野村は鶴岡さんは高卒出の自分たちに冷たかったと言う
俺もこれが不思議でたまらないんだ
俺は鶴岡さん本人に会ったことないが伝え聞く話だと大変な人情家で選手にとってはただの監督というより父親のような存在だったらしい
叱るときは猛烈に厳しかったことを野村は自分は愛されてないと勘違いしたとしか思えない 張本はつまり長嶋の指導は間違っていたと言ってるのか
巨人OBのくせによくそんな畏れ多いことが言えるもんだ
松井のことはそんなに詳しくないがルーキーの頃は同じ大物の清原に比べても明らかに粗の多い穴だらけの打者だった
プロの変化球についていけなかったんじゃないかな
それがホークスと日本シリーズでやった頃は松井一人にボコボコに打たれたからな
城島もお手上げ状態だった
よくこんな恐ろしいバッターに育てたもんだと感心した
張本は自分の指導ならもっとすごくなったと言うのか 城島は若田部が打たれた時だったかな
もう振らないボールがミットに収まると思った瞬間に急にバットが出てきてホームランにされたと言ってたな
当時のパ・リーグにはそんな奴はいなかったから城島には強烈な印象が残ったらしい 皆川って2桁勝利して150イニング前後投げてるのに完投ゼロの年があるんだな。
当時としてはかなり珍しかっただろな 皆川は西日本出身者が多い南海には珍しい東北出身で言葉の問題でチームに馴染むのに時間がかかった
引退後の経歴からも鶴岡一家とは一定の距離を置いておりある種の疎外感もあったのかもしれない
でも言葉は大阪が長かったら東北訛りの混じったちょっと変な関西弁を喋っていた 岡本さんと野村さんとは一応高卒で京都府生まれ
野村さんが監督の時、一時二軍監督もしていたはず >>894
前の人も書いてるようにに4割打てたって言ってるよ
NPBでずっといたら王のホームラン記録を抜きアメリカに行ったとしてもメジャーでもホームラン王になったと
長距離打者としての素質は松井が歴代ピカイチらしい
確かにスイングの迫力や強靭な下半身による体重移動を使ったボールを遠くに飛ばすパワーは他に類を見ないね
昔の打者で言えばおそらく野村が真似したくても身体能力が足らずに挫折した中西太が一番近いと思う 長嶋がプロに入って一番最初にびびったのはカネやんじゃなく太さんのスイングなんたよね
西鉄のオープン戦中西さんの空振りしたビュンって音がサードを守ってる自分にも聞こえてきてプロには恐ろしいのがいると初めて知った
名門ジャイアンツに入ったけどその中でも自分より上の奴はいなさそうだと天狗になりかけたらしいけど 中西は故障続きで58年限りで4番を降りたが、スタメンを守り続けたら通算成績もタイトル数も全く変わっただろうな。
59年以降に野村や山内や張本らが獲得したタイトルのいくつかは中西が持っていっただろうし、2000本安打にも到達しただろう 川上は選手も監督も申し分ないけど、
人間性は糞やろ。美化されすぎ、9連覇含んだ11連続日本一やけど、現代だったら大変な事になるんと違う?軍隊時代の行動みてると最低。
中尾も生え抜き200勝名投手だけど、
湯口の体罰と川上の暴言は最悪。
中尾はあの騒動後、急死ってメンタル弱すぎ。
鶴岡親分は好き嫌い激しく、短期決戦は弱いけど、人間性は全然マシだろ。部下に慕われてだけでも。西本御大も部下に慕われてるし。
ゴミ売りの連中は犯罪者ばかりやんけ、現在進行形で。 >>902
なんぼ野球人としては尊敬出来ても、川上の人間性としてはダメやろ、現代社会に置いては。 >>892
杉浦が羨むほど鶴岡に一番かわいがられてた国貞泰汎は高卒だからなぁ
結局、鶴岡の方も野村の実力は認めていたものの、野球観の違いや闘志を剥き出しにするタイプじゃないのが気に食わなかったんじゃないかな? >>892
鶴岡との仲が悪くなったのが野村の言う通りお正月の挨拶に行って賑やかに宴会やってるのに上がれとも言われず玄関先で挨拶されたのがきっかけだったとすれば鶴岡の方が悪いだろ
そんな事されれば野村でなくても捻くれる すべての鶴岡さんに対する野村の言動はひがみ根性というか、すぐ傷つくというか、変な推測も入り、よくわからない。
鶴岡さんは、聖人じゃないんだから、ある程度気は使うものの、複雑なことはあまり考えてなく、接してたのではないか。
鶴岡に国貞が一番かわいがられたらしいが、当の国貞は当時のOBにそう言われてびっくりしていた。いじられキャラなのとお調子者なので、鶴岡さんがいじりやすかっただけではないか。もちろん同郷でキャラがわかっているのもあるが。
おとなしい人にはそう接し、明るい人にはそう接しているだけだと思う。 野村は鶴岡に期待しすぎたんじゃないの。
父性を求めてたというか。
あくまでも野球の監督なんだから実力通りに起用してもらっていたらそれでいいと思うんだが。 なんつうかその頃から自分だけが特別、
って思考だったのね あと野村がシーズンではバカスカ打つけど日本シリーズでは思うような結果を残せなかったギャップも鶴岡は不満だったんじゃないかと個人的には思う >>910
シーズンも打つけど、一流投手には弱かったみたいだな。
「お前はヘボピッチャーからはよう打つのう」と言われてたらしい。
シーズントータルで成績残すタイプ。 野村を最強打者に挙げる選手って記憶にない
当時のパではだいたい大杉張本榎本スペンサー長池 まあ4番だからね。チャンスに凡退じゃ言われても仕方ない。
鶴岡さんは口数少ないし、ほめないし、たまに広島弁で言われるとキツイちゃきつい。広瀬や国貞、柚木は同郷だしニュアンスを理解できるけどね。 あ、野村をかばってるわけじゃないですよ。皆川がどう考えてたかは不明ですが、
野村は南海の中では高い給料をもらってたし、球界の大スターなんで、言われても仕方ないのでは。 ノムのひがみ根性も分からないでも無いんだけど鶴岡からの「何が三冠王や。何が本塁打王や。杉浦のおかげや」ってのはあんまりな言い方だと思う
そう言わせるだけの余計なことをノムが言ったのかもしれないけど、このくだりをノムが語るドキュメンタリー見る限りでは本当に理不尽に叱られて納得いかない子供みたいな顔してたからね 野村は自分で言ってるとおりデータを積み上げて投手の傾向を読んで打つしかないタイプだったので
データがあまりないセの投手は打てなかったって事らしい
若松みたいに速球を待っていて変化球に即時対応できるタイプが羨ましかったそうだ >>908
同じく父親のいなかった江夏もそうだな
だからって
選手にたて続けに殴られるような人物に父性を求めたのは間違ってるとしか
しかも呼び方が「叔父貴」って いろいろ倒錯しとるなあ >>917
それも違う。
殴られるように江夏がけしかけたんだよ。
金田はそんな酷い人間ではなかった。
当時の阪神選手、球団職員が証言している。 鶴岡さんが野村さんをたしなめる音声データどこかにアップされてけど、
そんなにひどくなかったよ。
「きみらなあ、もっときちんとせんとあかんで」みたいな。
じいさんが叱るでもなく、まさにたしなめる感じ。 >>918
金田の場合トラブルは江夏だけじゃないし 金田の場合
結果的に村山から実権を奪った形になってしまい
村山派の藤井とかに恨みを買っちゃったからなぁ
完全に派閥争い
田淵、上田、藤田あたりは別に金田になんの悪い印象もない
掛布は金田に感謝すらしてる
江夏が一時期金田についたのは村山が監督になって
その態度や言動改めろよ、もう特別扱いはできないと言われて
カチンときて確執ができて離れたから
江夏は自分が権藤の行為や自分の役割をあたかも美談にしてるけど最低の行為だよ
江夏が俺は阪神にとって特別な存在だと思ってたそうだが
南海に出されるのはそれなりに理由があったんだよ
明らかに孤立してた >金田はそんな酷い人間ではなかった
球界どころか阪神から完全に抹殺されたあたり
そんな、ってのがどのへんのレベルか・・・ 元々、村山監督と江夏らの対立が激しかったので
緩衝材としてOBで人望がある(と思われていた)金田がヘッドコーチになったという経緯があるからな。
人格的にひどいと思われていたらそもそも招聘されてないだろう。
結局反村山が金田HCのもとに集結し村山が指揮権返上→引退となると、
今度は村山への同情からか金田にヘイトが集まるという感じで
結局のところ誰がやってもこの当時の阪神を掌握するのは無理だったと思うわ。 >>923
金田って藤村と並ぶ二リーグ分裂で残った功労者だよな
成績も大したもんだし阪神球団として何かしら敬意は表してほしいわ
江夏が嫌いなのはわかったが、あまりにも報われてない >>908
監督が聖人君子である必要はないけど、選手によって対応が明らかに違う人や
評価基準に一貫性がない人だと、選手としては信頼しづらいよね。 鶴岡について杉浦も広瀬も異口同音に言われるのは
褒められた記憶がないってこと
野村だけ拗らせのは鶴岡の問題と言うよりも野村側の性格が大きい
江夏も江本も恩に感じてるけど野村の人間性には否定的
江夏は最近の著書でその人間性をボロカスに書いてる 江夏は一昨年くらいのテレビ大阪中継での解説中に野村の身内贔屓をサラッと批判してたな 鶴岡さんは、ほめないんだって。息子のプロ入りも妨害したくらいだから…
「営倉にいれとけ」
「法政に行かせとけ」
「グランドにじぇにが落ちちょる」
「自分で考えろ」
悪気はまったくないと思う。誰にでもそうだし、ある意味公平。 >>900
ミスターは自分が選ぶオールタイムベストナインに中西太を選んでるね >>925
報われないような事をしたのだから自業自得
野村と南海の関係と同じ >>925
そうは言っても金田は阪神球団史最大のお家騒動と言われた
藤村排斥事件の中心人物だったからな >>927
>野村だけ拗らせのは鶴岡の問題と言うよりも野村側の性格が大きい
さすがにそこは決めつけることはできないでしょ。
杉浦たちも、マスコミに取り上げられなかっただけで言いたいことは色々あったかもしれない。
まあ、野村がサッチーの現場介入を事実上野放しにしたことを考えると
自分や身内には甘い野村の欠点が見えてくるが。 >>933
あれ何回読んでも意味不明な事件だが
別に金田云々じゃなく阪神球団の体質の問題じゃないの? 敵作りすぎて現役時代まで腐されてるよな野村
長嶋シンパライターが現役時代見てもないのに叩きだしたのが90年代以降
上の方にも一流は打ってないだの南海ファンじゃなさそうなのが真に受けて書いてるし >>936
南海ファンから嫌われる原因を作ったのが自分自身だからどうしようもないわな
全肯定できるのって所属した球団の中じゃヤクルトファンだけだろう 勝手に南海ファンが嫌ってる事にするなよ
メディアに出る南海ファンで野村が嫌いなんて見たことないぞ 野村克也 日本シリーズ通算成績
33試合 .230(128-28) 5本塁打 17打点
(一応)当時パ最強のスラッガーの一人だったのにこの体たらく
出塁率も低いしこりゃ評価されませんわ >>939
ファンからも元選手からも慕われてるから本人もヤクルトユニで葬られるのを望んでいる
実際側から見てもつまらなそうだった南海巨人OB戦(江本によるとベンチでも冷たい空気が流れていてノムがいじけていたみたいだし)と比べてヤクルトOB戦はいきいきとして楽しそうだった >>943
そりゃダイエー以降は全く関係ないし
南海時代はほとんど死んでるし
同じホークスでも全然別
野村は王のことを同じチームの監督をしてた人という認識は全くないだろう ホークスと野村の和解の儀式としての意味合いしかない試合 >>938
直接ノムに言われたわけじゃないよね。あくまで座学。
ノムが偉そうに人間学とか言ってるが、ノム自身が野球しか知らないと言ってる。
そして、サッチーなしでは生きていけないと言ってるんだから、この時点でNG。
サッチーの土台で語られるんだったら、南海OBの人が浮かばれない。
川勝オーナー、鶴岡親分、大沢、杉浦。とにかく美談は許せないね。 >>946
南海チーム側のあの空気の悪さはなんなん?
読売に失礼ではと思えるくらいだった >>949
そこに大沢入れられると説得力無くなるなぁ
大沢自身鶴岡に放逐されて、打倒南海を志した人物なんだから >>949
選手にはデータの読み方と活用方法、相手の観察方法とかだけ教えれば十分だけどね。
野村自身が偏屈な人間なのだから、粋がって人間学とか教えたって意味ないわな。 4週間足らずでもう950レス突破とか
スレ早すぎんよー 殿堂板でこんなに早いのは珍しいな
前スレはノムさんが亡くなったから早かったけど今スレは更に加速してる
まさかの南海スレオーバーシュート 大沢は南海の同僚にはことごとく嫌われていたな
その一点では野村も国貞も広瀬も杉浦も一枚岩で団結していた
大沢はある意味巨人ではお呼びがなかった森みたいなものかな お客さん多いんやろ
明らかに普段来てない層らしき書き込みが多すぎ 大沢移籍は10年選手制度でひっかかっただけでしょ。南海が選手としては金払いたくなかっただけ。あの成績じゃスカウトになれといわれたのも致し方ない。
結局鶴岡さんの口利きでオリオンズに選手として行ったわけだし。 たいした実績がないのにおいしいポジションで生き残り
同世代からは嫌われている
プロレス界で言えば木村健悟みたいだな>大沢 >>956
巨人で言うなら
鶴岡派=川上派
野村派=長嶋派
大沢派=広岡派
って感じか? 野村の言うことだけを鵜呑みにしてるガキがやたら書き込んでるね >>960
藤浪の件でどこへ行っても阪神は叩かれてるからな
唯一自分たちが下に見ることのできる野村を叩いてウサを晴らしてるんだろ >>846の奴だろうよw
訃報スレとここやノム関連スレで
暴れてるみたいだなw 南海に派閥はないって。
鶴岡さんは、お人よしで、金のない雇われワンマン社長。
選手が三原監督に殴られたり、巨人に別所を引き抜かれたり。
10年選手は給料の高いほかの球団を世話したり
とれそうだった、長島、広岡、山本一義、長池を土壇場でとれなかったり。
一人目の奥さん、娘さん、後を託そうとした蔭山に先に逝かれたり。
誰もが認める大スターの野村に愛人とともにかき回されたり。
でも、やりくりしながらパリーグでAクラスを維持してた。
言い訳もせんし、監督引退後は完全に隠居。
ボーイズリーグを創設し、今の大阪の高校野球全盛の基礎をつくる。 鶴岡や野村ならともかく大沢があの程度の実績で野球界に居座れたのは凄いわ
皮肉でなく 山本哲士も野村・森・広岡に批判的だった。
この人の批判は興行的視点・娯楽性の有無・ファンサービスなどの面からだったが。
ただこの面では野村よりも後2者に当てはまる気がする。
>>966
上田利治の場合は大沢以上に選手での実績は少なかったけど、
この人の場合は指導者としての資質を見込まれて早期にコーチになっているから多少違うかな?
日本ハムでは常務時代に土橋の後任に上田を推薦したけど、
本社から断られたとインタビューで語っていた。
上田に関しては大社オーナーが大沢の後任に据えているから、
おそらく上田に反対したのはオーナー以外の幹部だと思うが。 >>967
工藤の横の人もそんな感じだな
大学ナンバーワン捕手のふれこみで相当期待したんだけどね
まあ あのごりっぱ球団の監督はさすがにないだろうが >>970
元東京芸大客員教授、元信州大教授。
ベイスターズのファンで、野球文化学会の立ち上げにも関わったとか。 興行面で野村が悪く言われる筋合いは無いな。
長嶋の自チーム良ければそれでいいのどこらへんが興行重視なのか聞いてみたいわ。 そりゃ他人のチーム構ってやる義理は無いだろw
南海が近鉄や阪急のために何かするか? >>971
山本哲士ってのは、草野進と同じレベルの鎖国ポエマーだからな。
明治時代の朝日新聞がアメリカ産の野球を、いくら「ズル賢い詐欺的なスポーツ」と叩いても
大学野球人気が落ちない、観客も超満員なもんだから、鎖国的な道場野球に改変した高校野球を
立ち上げた流れを無視って、単なる表層だけのアメリカ被れで優勝監督を叩きまくってるチンケな連中。
川上→広岡→森の源流はドジャース式の防衛型+機動力野球だが、山本とか草野の感性は
「エンターテイメント」を身勝手で独善的な解釈で捻じ曲げて吹聴しまくってるだけ。
漫画のような魔球を使わない、基本に忠実なだけの野球はつまらないと言ってるに等しい。
それこそ、初期のプロ野球で見聞きする武勇伝(笑)、いわゆる二日酔いでもホームラン打っただの、
呑んべえが完全試合しただの、そんなモンを現実に強要してる原始人みたいな連中よ。 最終年のファースト河埜ってなかなか酷いよな
それだけ内野が人材難だった証でもあるんだが 蔭山が監督全う(70年代後半まで)→野村へ移譲、だったら野村も変なプレッシャーからサッチーに走らなく野村政権が80年代後半まで続いてて、
南海はそこそこ強かったかも知れんね。でも当時のパリーグの構造上の問題もあるし、難波再開発もあったから身売りは避けられなかったろうな。
野村は南海身売りと同時に身を引き、好好爺然とした解説者となるも、国民的な知名度は山田久志とか稲尾和久レベルだったんだろうなと思う。 そういや山田も稲尾も解説としては何もインパクト無かったな。
2人ともリーグの枠を超越した知名度のある選手だったが 蔭山はやる前からゴタゴタしてたから飯田徳治ばりの成績で短命に終わったと思う 鶴岡さん時代は中日とのトレードが多いな
何か意外な感じがする
野村さん時代は主に巨人・広島・阪神かな・・・
のちに行くスワローズからは代打の大塚くらいしか思いつかない >>982
濃人、石本の広島県人閥では?特に石本は広商。 野村のシンキング・ベースボールには、当然ブレイザーの合理的な思考が反映されてるが
ブレイザーのMLBキャリアは、STL→SFG→CIN→WSA→KCAと転々としてる中で
いちばん長くレギュラーだったのが1956〜1959のSTLカージナルス時代。
1958年には日米野球で来日しているが、この時のグラブ捌きに広岡が感銘を受けたとあるな。
ブレイザーがレギュラー二塁手だった頃のカージナルスは、大スターのスタン・ミュージアルが35歳から39歳まで。
この期間でも打点王や首位打者になる活躍だったが、他チームに与える脅威は徐々に低下し、弱体投手陣も相まって
チームも4位、2位、5位、7位(ナ8球団制、ア・ナで16球団制の時代)で、勝率5割越えも1度だけ。
ブレイザーは1959年を最後にSFGに移籍したが、この時のトレード相手が後に阪急に入るダリル・スペンサー。
https://www.baseball-almanac.com/players/trades.php?p=spencda01
https://www.baseball-almanac.com/players/trades.php?p=blasido01
なぜかwikiには載ってないのな。
ブレイザーのカージナルス最終シーズンに、若手のカート・フラッドやボブ・ギブソンが昇格している。 ブレイザーもスペンサーも、MLBでは当時から常識になってるデータの蓄積やクセ盗み、
激しいスライディング、守備でも臨機応変なポジショニングなどを、そのまま日本で再現したら、
南海、阪急でチーム改革が起きた。
巨人のドジャース式トータル・ベースボールは、川上が監督になった1961年のベロビーチ・キャンプ仕込み。
南海、阪急はブレイザー(1967年加入)、スペンサー(1964年加入)のプレー・スタイルを真似てチーム内に
革命を起こしたが、時期的には巨人の方がアメリカ式トータル・チーム・プレーを早く導入した。
ただ川上もドジャース式のチーム・プレーをチームに浸透させるまで4年かかったと
Numberの西鉄特集で公言していて、その期間は日本一、4位、日本一、3位と波が激しい。
いちばん苦労したのが「情報の共有」。
グラブ捌きや右撃ちの極意を掴んでいるベテランは、そのスキルを積極的にチームに浸透させよ
という指令に、当時のベテランが猛反発。
「教えて欲しけりゃ金持ってこい」という、個人主義が当たり前だった空気を払拭するのに苦労したらしい。 それに対し
「王の一本足や長嶋のスタイルは、真似ようったって誰もができるものじゃない」
「お前が自分の財産と固執するスキルも同じで、誰もが簡単にできて、越えられるものじゃない」
「それなら、スキルや情報を公開し、チームで共有すればチームは底上げされ、勝てる確率が上がり、
優勝すれば給料も上がる」と、粘り強く説得し続け、どうしても言うことを聞かない選手はトレードに出し、
個人スキルとチーム・プレーの質を同時に極限まで上げよ、という考えに「洗脳」するまで4年かかったとか。
最後まで洗脳されなかったのが長嶋と王。ONの対極が広岡、森。
広岡、森も人間的には川上と合わなかったが、アメリカ式チーム・プレーの学習にはとことん貪欲だったらしい。 王は知らんけど長島は西本のパクリ。
一回スパルタしただけだけど。
西本阪急近鉄はそのレベルを毎年やってたのにマスゴミ的には長島さん凄いだからな。 西本がチームを作っていく様はリアルタイムでは見てないが、その弟子の上田がハムの監督になった時にみるみる打のチームに作り替えたのを見て、ああ西本もこんな感じでチームを作ったんだなと思った >>992
だから日本シリーズ勝てなかったのか
(第一次は) 徹底的な猛練習を課して選手たちをボトムアップさせるというシンプルな方法だから
確かに西本方式と言えるっちゃ言えるな >>987
>「教えて欲しけりゃ金持ってこい」という、個人主義が当たり前だった空気
>>971に出てる山本哲士や、うさん臭いヒゲ面・玉木もその類のポエマーだな。
野球をひたすら「投手vs打者」の1対1対決でしか見られない鎖国道場ポエマー。
村山vs長嶋、江夏vs王を1対1の剣道、柔道、古来の武者修行者同士の対決に被せるだけで
9人vs9人のチーム・スポーツの側面を絶対に認めない、見る能力がない、源氏陸軍国粋派を
島国でこじらせた引きこもり野郎。個人的にはスポーツ・パヨクと呼んでるわ、あいつら。
あいつらが「メジャーでは〜」という時は、自分にとって都合がいい部分のつまみ食いだけ。
それも並か、並以下でしかない中途半端な大リーガーの受け売りばっか。
日本は練習が長過ぎるとか、生真面目過ぎてつまらないとか、くだらない御託ばっかだわ。
ああいうのを「プロのアマチュアリズム」「プロのド素人」と言うんだよ。
ブレイザーやスペンサーもMLBでのスタッツだけ見れば並だが、それでも当時の日本プロ野球では
圧倒的に先進的で秀でた技術を持っていて、なおかつチーム・プレーヤーとして一流だった。
山本や玉木みたいなセ・リーグ人間(笑)は、そんな部分は絶対見てないはずさ。 西本さんが、羽田あたりを殴りながら打撃を教えていたとかは聞いたことあるけど。しかも手取り足取り。
広岡は鉄拳なしで、守備を石毛、辻を手本を見せながら手取り足取りというのも聞いたことある。
セゲオはどうかな?立教砂押監督方式ではないでしょうか?
ただの長時間スパルタが地獄の伊東キャンプ。
形とかキャッチフレーズではいるのも良くやる手。松井4番千日計画など。
松井への教え方も丁寧というより、感覚とかで教えていたような気が…
何より伝説は、不振の掛布に電話越しで「バット振ってみ」「うん、いいねぇ」じゃないだろうか。 このスレッドは1000を超えました。
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