南海ホークス12 [無断転載禁止]©2ch.net
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なんか末期南海の貧乏ネタ見てると
当時FA制度が無くて幸いだったはず・・・
当時FAあったら何年位連続で最下位になっていたんだろ
・チームに担架が用意されてない
・選手寮がボロボロ
・石鹸は自前で用意
・選手の食堂のおかずが、キャベツ炒め
マジで今のブラック企業の方がマシに見える
当時ブラック企業大賞があったら何年連続で大賞とれるんだろ 金満になったソフトバンクを見ると複雑だ
金のないチームのほうが応援したくなるけどな 身売り寸前の頃は、新人の契約金が利息なしローン払いだったのは本当ですか? >>6
水島先生がマンガでネタにしてたよ>契約金分割払い
ドラフトで高校生のみ指名しても
15年(本指名) 現戦力に余裕があり、将来性を重視した素晴らしいドラフト
82年 よっぽど契約金がないんだな
と正反対の評価だったね、と書こうとしたら6位の森田芳彦(鹿児島鉄道管理局→ロッテ)
は入団拒否で、結果として入団者が全員高校生だっただけだったのか。
ちょっと勘違いしてた。 >>7
森田はのちにロッテに入ったぐらいだから南海拒否は別に選り好みでなく
当時何かしがらみがあったんだろうな
しかし、例のFOREVERとやら
せっかくわざわざ八重洲BCに行ったのに検索機にも入ってない
アマも楽天も在庫なし
BM社やる気あんのか、ってか発売延期? 森田ってロス五輪出てたから、その関係かもね。
結局は高校、社会人の先輩である西村がいて鹿児島でキャンプやってたロッテが
しっくりきたか。 80年代後半ロッテも状態が悪く
90年ドラフト1位の小池投手に逃げられる
南海はこのスレで語られる様に名門のイメージがありそこまで露骨な事はなく
門田選手は阪急の下位指名を断り翌年南海上位指名で入団 【巨人との因縁・およびその悪辣ぶり】
01 49年の別所引き抜き(因縁・悪辣)
02 51年〜53年、55年に日本シリーズで対戦して4度とも敗北
「南海が巨人に勝つのは難解」 「何回挑んでも巨人に勝てない南海」と揶揄される(因縁)
03 61年、円城寺 あれがボールか 秋の空(因縁)
04 65年〜73年の巨人V9時代に、最初とその次と一番最後を献上してしまう(因縁)
05 78年の空白の一日(悪辣)
06 85年の清原裏切り・桑田指名でPLと早稲田のパイプを絶つ(悪辣)
07 93年からのFA金満補強(悪辣)
08 2000年のON対決で敗北(因縁)
09 ナベツネ(悪辣)
こんなチームをホークスと兼任で応援するわけがない
南海ファンはセリーグは巨人ファンって抜かしてる奴の人間性を疑う
もし奴がまたここに来たら相手にしないでココへ誘導してください。
例→>>**
>>14
といった感じでお願いします。 こうゆう感じでお願いします(ズレたw)
↓
>>**
>>14 93年からのFA金漫補強が悪辣というならまさにホークスがそうなんだが ホークスと阪神の場合は、弱い時代が長かったから悪辣とは言い難い
でも、あの頃の巨人は強いくせに無駄に他チームの4番バッターを獲りまくって
バランスの悪いチームだった。
そんな金満欲張り巨人軍を、南海OBのノムさん率いるヤクルトが倒してくれて(95、97年)
野球界の平和を守ったのは特筆に値する。 >>17
いやいやいや、どういう理屈やねんw
昔のアカが言ってた「アメリカの核は汚い核だが、ソ連の核はきれいな核」
と一緒じゃねーかw 週ベには3日発売と書かれてるが、南海本は出て無いんだな。 まだかいな
明日天牛行こうと思ったのに
今日難波のジュンク堂立ち寄らなくてよかった >>17
このスレの住人が全員今のホークスを応援してるわけじゃないぞ
むしろあまりの金漫ぶりに「読売や阪神と同類になった」と毛嫌いしてる奴も多い
俺は金のあるチームがバンバン補強するのは当たり前だと思ってるけどな 俺は今のソフトバンクは南海とは全く違うチームになった感じがする
ダイエーの時は応援してたがソフトバンクになってから徐々に冷めてきた
今ではプロ野球はあまり観てない。南海復刻のときは観に行ったが。 俺は逆でダイエーは嫌だった
ホークスファンやめて野村ヤクルトを応援していた
ソフトバンクの金満は嫌だが南海を復刻する度量はいいとおもう 社風というか南海色が強かったのは
平和台時代までだわな。 ダイエー初代ユニ発表見たときがっかりした思いでがある。
村田善と佐々木の 第一印象はパッチとかの肌着に見えたな
めっちゃダサかった >>21-22
ソフトバンクの監督は巨人V9時代の主力選手だった王、西武黄金時代の主力選手だった秋山と工藤で
西武と巨人のイイとこ取りみたいなところがあるけど、巨人の悪い部分も取っちゃったな。
>>23
「巨人のやり方は、ある意味では正しい。お金の沢山あるところに人は集まる。」ってノムさん言ってたな。
>>25-26
あれは本当にショックだった(苦笑)
南海末期のダークグリーンのユニホームがあまりにもカッコよかっただけに…。 佐々木は0のダイエーユニは発表でだけホーム用を着て、すぐ3に変えたな。 >>25
村田じゃなくて加藤伸一だろ
テレビのインタビューで、ドカベンに「香川さんでもちゃんと着られますよ」って言ってた >南海末期のダークグリーンのユニホームがあまりにもカッコよかっただけに
えええ・・・あの草野球チームみたいのが?
今年復刻したやつならまだしも 好みは人それぞれ。
80年に縦縞ユニ採用して1年で廃止にして81年からまたライトグリーンのやつに
戻した過去があるにもかかわらず、なんでまた縦縞にしようと思ったんだろうなw あんなダサいユニホームを4年も着用するとはな(ガッチャマンヘルメット共々w)
俺は今でもホークスのチームカラーを黄色から緑(ライトグリーンじゃなくてダークグリーン)
に戻してほしいと思ってるよ。 チームカラー緑は好かったな、
でもダイエー自体のカラーがオレンジ色だから、ややこしかった。 南海ファンの存在を意識してか、
スタジアムジャンパーのビジター用(なぜかホームとビジターの2種類作ってた)は
緑色にしてたよな サッカーネタだけど
サンフレッチェって同じく金無いのに強かった
鶴岡時代の南海髣髴とさせるな
強かった頃の南海って
鶴岡や野村のマネジメント能力で
資金力の無さをカバーしていたし 鶴岡時代は鶴岡の人脈を駆使したスカウト活動と
大枚はたいての有望選手を青田買いだろ
穴吹は有名だし、渡辺にも自由競争時代最高額の5000万払ってるし
金がないのに強かったってのとは違うと思う
「鶴岡野球は金がかかる」という一部フロントからの評価が
鶴岡が65年に一度退団を決めた理由でもあるし >>35
じゃなくて、ダイエーのカラーが緑とオレンジだからじゃないか? 浪商の尾崎は獲りにいかなかったの?
東映なんかよりは南海の方が地元でよかったのに。 尾崎は中退してだから
東映がうまく手に入れた感じだ >>37
南海の象徴たる杉浦さんもその路線だったしね
親会社の南海電鉄が実績もないのにこんな金払ってられるかで緊縮してったのが正しいかと思う >>35>>38
南海の色(ビジターになる関西のファンへの配慮)と
ダイエーのセカンドカラーの両方に掛けたと聞いた事があるな。
確かに一時期ダイエーの屋上看板はオレンジと緑の両方があった。
南海電鉄本社は関空が出来る時に電通の入れ知恵で緑を捨ててしまったが。 貧乏球団と言われるが時代の変遷があるからな
戦後すぐはまだ鉄道産業は勢いがあったからね
杉浦さんやブキさんが入った時代と
香川が球場できつねうどん食べていた時代は明らかに違う 戦後から40年代初めにかけては球団のあまりの強さに屋台骨が追いつけなかった感がある
南海は戦災+組織解体+戦後再出発の過程で裕福だった戦前にあった全てのものを失ってしまった >>37
しかも大卒の有名処が大半だから
カネも掛かるわなw
大卒以外は飯田岡本広瀬国貞ら子飼い以外には
冷淡だったのがノムとの確執の元凶だし
三原 水原と比べて一枚下な感もある とどめを刺したのは本業の鉄道での三大事故と、野村の公私混同問題の2つだったと思う。 強かったはずが貧乏暗黒の代名詞
なんか中日が南海の通ったレールを通過しているような
しかしこういうのが何回も起きるってNPBの構造に問題あるとしか思えないわ スレチやけど、
中日新聞っていう地方紙がプロ野球球団持つのは
限界が来てるっていうか、
そういう時代じゃないんやろうなあ今は
親会社自体が斜陽やと思うよ 南海も「もう鉄道が球団の時代じゃない」そう言われたけど親会社はやはり時代にあわせて変えていかないとならないのだろうか
そうなると食べることが裏切らない食品球団以外は時代に応じ身売りや合併で泣かないとならなくなるのは仕方ないのかな 親譲りの世間知らずで損ばかりしているが、阪急近鉄南海って関西の大手鉄道が球団を維持できなくなった理由が分からない。
沿線に住んでる人はその電車に乗るしかないのに。
不動産やら何やらもあるだろうけど、広島なんか広島電鉄の天下じゃないかと思う 親会社の出向がフロントだから大してやる気なかったからだろ 参入時は球団を持つと儲かると言われてたからな
儲けられないなら撤退もやむなし
むしろ黒い霧が起きた70年台も球団を保有し続けたことが凄い
西鉄東映が相次いで身売りした際には、1リーグ化も考えたようだが 戦後に起きたセパ分裂前はプロ野球はほんの一時期だが儲かってたんだよ
それで我も我もと参入が起きそうになったけど既存球団は
やっとこさ儲かるようになったプロ野球に他所を入れて分け前を減らしたくないわけだ
そんなところに事実上日本プロ野球を動かしてた読売新聞内部の権力闘争やら
複雑な事情が色々重なりすぎて結局セパという2リーグの道を歩むことになった
で、いざプロ野球チームを持ってみると話と違うじゃないか
客は思ったより入らないし不足する選手と契約するときに足元を見られてお金はやたらとかかるしと。
実際西日本新聞なんかは発足した年の夏には西鉄との合併を決断し一年限りで球団運営から撤退してる 鉄道会社が球団を持てなくなった理由
少子化で乗降客数が減ったので鉄道の売り上げは基本頭打ち
沿線開発という小林一三モデルもすでに昭和の時代で一応終わり
運賃値上げは旧運輸省の認可が必要だが、「球団持っているから
経営苦しいので運賃あげてくれ」は通用しない。
役人に「球団売ってから申請したら?」と言われる
阪神のみ球団単体黒字と主催ゲームの定期以外の乗車賃で球団維持 注意点として少子化する前すでに鉄道の売上は頭打ちになってた
他はその通り >>50
広電は1960年代の共同経営時代に、カープに資本参加して役員を派遣していたな。 っていうか鉄道会社における鉄道事業ってのは、ある意味ブランドみたいなもので
それ以外の事業における収入がどれだけ上手く運ぶか、で会社は左右されるんだけど
なぜかは知らんが関西の電鉄会社はこれが下手。
近鉄なんかどんだけ金ドブに捨ててるのか分からん。 >>54
>沿線開発という小林一三モデルもすでに昭和の時代で一応終わり
堤義明はうまくやってたんじゃないですかね? >>60
全然ダメ
資金的に乏しく、阪急のように多角的でなかった為、
他のグループが沿線の不動産開発するぐらいダメダメ >>59
近鉄は不採算路線も多いので
鉄道事業以外もそんなに採算は良くなかった。
関西では飛びぬけて阪急が良かったんだよ。
阪急が宅地開発のモデルを作ったと言っていいほど 堤がすごすぎたんだよな
だからこそ野球でもみんな虐められての憂き目になるわけだが 近鉄は二府四県に跨る日本最大の私鉄になった結果
また多くの不採算路線も抱え込むことになった
元々は伊勢志摩へ観光客を運ぶ鉄道会社だからね 近鉄はデパートで潤ったんと違うの?
南海は小売業は無関心みたいだね。 近鉄=東武+西武
阪神=京急
阪急=小田急+東急
京阪=京王
南海=京成 首都圏と京阪神圏じゃニュータウン開発の規模が違いすぎるんだよ・・・
ただでさえ小さいパイなのに近鉄・南海は地域的にハズレだし。
だからこそ関空が起死回生の、まさに社運を賭けた事業になったのよね。
他に無いんだから。 南海は戦前、帝塚山・諏訪ノ森・羽衣・大美野(北野田)といった
優良住宅街を開発したが戦後はさやまニュータウンまで長い間
大した開発はしていないな >>70
今では信じられない話だがかつての南紀、白浜は国内旅行地として大きな地位を占め
中でも新婚旅行ブームでは熱海、宮崎と並んでまず名前が挙がる存在だった
なのでかつて走っていた南海なんばー国鉄紀勢本線直通列車の貢献は大きかった
しかし1970年代半ばに差し掛かるとこのブームも一段落ついて旅行先も海外が増え
南海が使ってた車両の陳腐化も目立ち遂には直通列車そのものが廃止に至る
(直通列車は乗車料金以外に特別料金を徴収したにも関わらず車両の冷房は廃止されるまでついてなかった)
時代の移り変わりという他ないね >>37>>45
2リーグ分裂後昭和41年まで南海は全シーズン優勝か2位のどちらかという圧倒的な
強さだったんだけど、それはやっぱり金に物を言わせて有力選手の補強を続けた
ことによるのが大きいだろ。そうじゃなきゃなかなかそこまで勝ち続けることは
できないよ。
ドラフト制度導入以前で戦力に偏りがあった時代でもあり、強いチームは常勝、
近鉄のようなダメチームはずっと最下位、とはっきりしていたのもあるけど。
鶴岡親分の全国人脈を使った情報網で有力アマ選手に手をつけ、オーナーとのパイプ、
さらに高島屋の後援会からも結構な金を引っ張ることができたらしい。
資金力で強化したチームが勝つ、と言う構図は今のソフトバンクも同じ、プロスポーツは
戦力補強次第ってことになるのは昔も変わらないんだけど。 きのくに号って電車があったな
難波駅の8番線に停まってた 國鐵のキハ55をベースにした車両だったからな。デッキ寄りにあった。 きのくに号の思い出と言えば
初めて大阪球場でナイター観た帰りに
午後10時40分ごろにきのくに号の回送が停まってたな
あれは西武戦で門田がホームラン打って勝った試合 >>80
本屋で立ち読みしたけど薄くて写真も過去のムック本の使い回し多くてちょっとなーと思った。ノム門田さんのDVDは見たいけど・・ 南海電車といえば、思い出すのは垢抜けない濃い緑の車両
でも、この車両が走っていたころはホークスは強かったんだよなあ 89年にダイエーになってから大阪球場へ3度行ったが
あのときは試合よりもなんか寂しかったな。
去年までの本拠地を近鉄に奪われた感じがしてな。
南海がなくなったことで近鉄に乗り替えたファンも多かったしな >>76
自分は地方から上京した口だけど、高島屋や大丸は東京の百貨店って思ってる人、多いんじゃないかな?
東京駅と新宿にガツーンとあるわけだから ハマスタって他球場とかぶる広告が結構あるんだよな
リョービ、フジテレビ、パロマとか
そして高島屋 >>86
大阪球場ができた当時からスコアボードの真下は高島屋の広告。
バックスクリーンのシャープ、センター最深部のフェンスの雪印アイスクリームに
その横のナショナルパナソニックなんかも昭和30年代の南海黄金時代から
身売りの最終年までずっと広告スポンサーが変わらんかったな。 大丸は東京駅以外で見たことが無いから、
なんでこんなのが東京駅にデンと構えてるのだろう?
と思った。 >>91
今でも付き合いのある茨城出身と横浜出身の友達は西日本なんか眼中になかったよ。
上京して日本=関東と思ってるのにたくさん出会ったよ。
野球に興味ない人は地理に疎いね。
高校野球も見て野球選手名鑑で出身地調べてると、ガキでも自然に地理感覚が出てくる 高島屋はずっと南海ホークスの後援会長だったな
ところで南海グループでずっと黒字と思われるのは
住之江競艇に場所貸している住之江興業くらいか >>95
言葉の使い方がおかしくて、何が言いたいのかわからん。
もっと文章力を身につけて、読んでる人間に意味が分かるように書けよ。 >>68
かつての南海は関西私鉄の中では珍しい貨物輸送の盛んな鉄道だったが
自動車化とか沿線産業の変化で衰退していって80年代に貨物列車そのものが廃止に
大阪キタ乗り入れ案は大阪市に却下される(地下路線梅田延伸案)
相互乗り入れでさらに北を目指そうとするも阪急に取られる(堺筋線)
関空はそんな南海の天佑で正にこれしかない、だったんでしょうな 南海ホークスは無くなりましたが
南海そばは不滅です トヨタカローラ南海も南海部品も南海キャンディーズも不滅です
たぶん資本は関係ない 電車内や駅構内に南海応援のポスターなど掲示物ってあった? >>102
毎月南海ニュースっていう広報誌にホークスニュースを挟んだ奴を各駅で配布していた 愛媛の日テレ系列局は南海放送
(ニュースはなんかいニュース)
ノムは松山移転を提案していたらしいがそうなると面白かったな >>104
愛媛の来島どっくの総帥だった坪内寿夫がプロ野球誘致に興味を示してた事が
あったと聞いたことがある。そこに脈ありと感じてたのかも。 南海電鉄自体、四国号を走らせるくらいだからな
といっても、連絡船は徳島だけだけどな 南海電鉄自体は大丈夫なんか?
どこかの電鉄と合併みたいにならなければいいが・・。 >>83
自分は1964〜1965年の2年間 (小学校低学年時代)、諏訪ノ森に住んでいまして
緑の古い電車によく乗っておりました
残念なのは、その頃は全くプロ野球に興味がなかったこと 南海電鉄はまあまあ経営上向いてるよ
大阪自体が観光地になってきて、関空からナンバの
ラピートや空港急行に乗客が増えている
それと高野山も妙に人気だがこちらは独占的な輸送
あとはなにわ筋線で勝負だがなかなかこれは進まない 対和歌山輸送と四国連絡は手詰まり感あるけど
それはライバル阪和線もそうだし時代の流れだね 和歌山自体がもうやばいんだよな
いい材料がなにもない
特にカレー事件と二階のせいで県のイメージがもう最悪 >>112
和歌山県は野村解任前後に
ミカンの売り上げにも影響を及ぼした
有田市コレラ大流行があったな 地理的に大阪名古屋をU字に回る盲腸位置だから和歌山南部沖に新大陸ができない限りは永遠に発展できない
あんな行き止まりな県は47あるうち和歌山ぐらい >>112
今やってる朝ドラ「あさが来た」で、
宮崎あおいの姑の萬田久子(元々大阪の名家だったのが夜逃げした)が
「なんで和歌山なんか行かなあかんねん!絶対行かへん!」
と言ってたw明治時代の話だけど 野村門田の対談DVD見た。
1時間位あってそれなりに良かった。
今度は3悪人の対談見てみたい。 >>117
それ自分も先日入手してワクワクしながら見始めたんだが
ノムなんざどうだっていいけど門田さんの老いっぷりが見てらんなくってなあ
なんかもううちの親父みたいになってて見るにしのびなくディスプレイだけオフにしてしまった
バースやハンセンなんかはあまり変わらないのにさびしいわ 門田は元々怪しいダイエットしてた上に
(ゆでたまごだとかグレープフルーツだとか)
大病患ったからしょうがないわ。
それを差し引いても老け顔だったけどね。白髪も多かったし。 カドちゃん、辞めたあと昼間っからビールよしとけば良かったのに... 老け顔と云えば
南海で引退した同世代の加藤秀司も
数年前のBBM社阪急史ムック本の対談インタビューで
先輩の長池より老けててびっくりぽんだった
そういえば加藤の引退前後に長池は
南海で打撃コーチしていたな
杉浦監督時代か エカもファンクラブに入るくらいの南海ファンだったのに
こっちは指名までされて入団拒否 子供時代にファンだったのと高校生・大学生となった時に入りたい球団かどうかは別物 逆指名で巨人に行った上原浩治だって
たしか元々は阪神ファンだったんじゃなかったかな >>125
エカって山本功児のことね
三田法政巨人ロッテと全く縁遠いようで
南海とあんな縁があるなんて思いもよらなかったよ エカは何年か前に東スポに連載してた自伝的コラムに書いてたけど、
家が南海の選手が立ち寄る、パンとかジュースとか売るお店をやってて、
普通に合宿所の風呂に入れてもらったり球場にタダで入れてもらったりしてたらしい。
もし南海入ったら更に左打者が増えてたなw エカは南海に入団しても野村派としてロッテに行く運命だったろうな。 >>126
本人だけでなく、親族や学校関係やタニマチなどとの関係もあるからな。
そういう連中としては、契約金からの分け前やテレビ等の露出が多い、人気や財力のある球団を望む罠wwww
古田も元は阪急ファンだったけど、中嶋がいた事でのレギュラー取りへの不安から、
オリックスを遠慮していたな。 長池は南海に入ってたら
あれだけの打者になってたかは
疑問だわな
富田の二の舞 >>131
まあ入団交渉に野村も顔出したのにその上で拒否してるんだけどね
反野村派の人間が、野村を責める材料にしてそうだ >>115
住金の撤退が和歌山にとって決定打だっただろ。あれから沈みっぱなし。
市長が次々に代わって方針がころころ変わり、企業誘致とかの具体策を
煮詰められなかったのも没落要因と聞くけど。 後、元木はダイエー拒否したけど南海だったら入団してたって言ってたな。 元木の言うことなんてあてにならん・・・が
上宮高校の元木というだけで
ミナミでタニマチにちやほやされただろうな >>114
千葉は?
千葉に行く人間は確実に千葉が目的地だと思うが >>136-137
ジュニアホークスにいて、南海関係者とも縁があったから、
全くの出まかせとも言い切れないところがあるな。
余談だけど、小学4・5年の頃に王と面会して以来、巨人に憧れるようになったとも
本人や母親が雑誌やテレビ等で言っていた。
そういう経緯があるから、
根本や王がいたダイエーが指名したなら入っていたかもとみる向きもあるが。 藤原満 「僕は少年時代は西鉄のファンで、敵だった南海が憎かったんですよ」w >>130
俺、中百舌鳥の近くに住んでるんだけど中百舌鳥駅の近くの
踏切に山本商店とか書いてる昔ながらの雑貨店?みたいなのが
あるんだがあれが、山本さんの実家なのか? 定岡、河埜が1対1でトレードだったら、面白かったな。
あとは若菜が入団したら、香川は一塁に回せたかもしれない。 南海本のDVD視たが、富田はだらしなかったようだな。ロッカーは整頓しないし、アンダーシャツは汚れたのを数日着ても平気だったとか‥ >>138
千葉は太平洋航路があるし化学工場が盛んだしTDLや成田山がある つーか次の大都市への経路が違う
大阪名古屋の本ルートは京都滋賀岐阜の東海道、サブルートは三重奈良のルートで和歌山は回りすぎ
一時期のリニアの長野回り案なみの馬鹿馬鹿しい手間になる
千葉は地理的には似てるが震災までは東京の次の大都市、仙台間で栃木福島ルートのサブルート、水戸いわき経由の常磐幹線をなしていた
どっちかといえば長崎に似て、あちらはチョンしか来ないと言われてもアジアの玄関はでかい… 富田さんは豪快そのもの
カバンの中にクシャクシャに丸めて入れていたスーツとワイシャツを着て
知人の結婚式に出席、ということもあった それ豪快って言わんだろう
単なるずぼらか、常識がないだけ >>148
でもこの人大阪で警備会社経営して成功させただろ。
単にズボラなわけじゃなく商売の才覚があった。
野球以外に取り柄がなく辞めたら第二の人生に行き詰る元選手も
少なくない中、セカンドキャリアも成功者と言える存在だよ。 まあそういう話聞くと野村にトレード出されたのも納得いく話
野村は対照的にそういう面では几帳面だったからな 富田は球界に残る気が無かったのか
残れなかったのか
どちらなんだろうか? 大阪球場のライトスタンドで巨人の法被を着てた奴多かったよな?
どうせなら応援歌も巨人のヒッティングマーチ流せばよかったのにな
門田の時に原のエイトマンとか、デビッドの時にクロマティの応援歌を流したら面白かったよ。 >>141
そうですよ
俺は生まれ育ち今も新金岡だけど店の雰囲気は昔からそのまんまずっと変わってない >>148
実家が893らしくて大沢すらビビった話あるね 読売巨人軍80周年特別企画 CS初! ジャイアンツ 『日本シリーズ』栄光の軌跡 
1973年 巨人vs南海
1月1日(金) 11:30〜13:30 日テレG+
去年の再放送 西岡三四郎の華麗なフォームを見たいなあ
少しトルネードっぽいやつ >>155
それって、後楽園の第3〜5戦の映像しか無いんですか?
門田が堀内から打ったホームランは流れるんだろうか? 初戦は藤原が緊張で顔面蒼白になりながらも、
殊勲の逆転打で勝ったんだっけ? 高田は阿倍野出身だからな
かつて阿倍野は近鉄より南海ファン多かった
「平野線の沿線とか特にそうだ」と橋詰功の話 昔は強くてけっこう人気もあったから
普通に大阪人の南海ファンっていたんだよね 阪急がキタに本拠地球場があって北部大阪にファームの球場
南海がミナミに球場があり、南部大阪または和歌山にファームの球場
大阪南北対決を前面に打ち出していれば、もう少しましだった 高田はしかも「野村克也の大ファン」だったが今は大嫌いらしい。 野村は日ハム監督時代の高田に辛かったからな
「巨人の選手らしく横綱相撲を好むが、今のハムにはその戦い方は合わない」とか
書いていた 反対に南海ファンなのに他球団に行った選手っている?
近鉄の村田辰は南海ファンで入りたかったらしいね あ、言い方おかしかった。南海に入りたかったのに他球団に行った選手です >>167,168
何と言っても長池徳二だろうな。 あと広島の山本浩二も高校卒業したら南海という話があったらしいから(大学行き勧められてポシャる)
まぁ行きたかったと言って差し支えないのかな? 稲尾もだな
父親が地元近くの球団が良いと言ったことで西鉄入り 南海は名選手がに逃げられてる
長嶋も南海に入る予定だったが親の反対があったそうだ。
やっぱ親の厳命には逆らえないのかな。 長島は金に転んだんじゃない?
鶴岡監督は柴田にも唾つけてたんだよね。
江川が「九州は遠い」って言った時は新幹線が博多まで行ってたけど、長島や柴田の時代は新幹線自体なかったんだから
今と比較にならないくらい関東関西は距離があったんだろうね。
杉浦は愛知出身だったから大阪でもOKってなったのかな。 杉浦さんって鶴岡の関係者の立教OBが甲子園の予選で審判をやった際に
「これは甲子園に出られたら逸材として注目されてしまう」
と思って不利な判定をして負けさせてまで南海に入れようとしたんでしょ? 鶴岡さん法政だし
下級生の時、合宿所を脱出して中日に入れてもらえないか頼みに行ったし 山本功児も南海沿線のどっかで、チーム関係者が自宅に出入りしてたらしい。 >>151
富田は中日で引退してテレビ東京の解説をやりながら事業に走った。少し後に星野が中日監督になる時「俺は事業を
やるから野球への未練はもう無い」と言ってコーチを固辞していた。 もし中日が杉浦を獲ってたら、権藤権藤雨権藤はなかったんだろうな >>167>>168
山本一義と池永正明も南海を希望していた。
山本は政治家の横やり、池永は親の意向でそれぞれ南海に入団しなかった。
>>172>>173
巨人が長嶋の母親に大阪は東京より遙かに遠いいと吹き込んだ。
千葉の田舎で生活していた母親に「東京でも遠いいのにもっと遠いい
大阪に私を置いて行ってしまうのか。」と言われて長嶋は巨人入りを考えた。
もちろん、契約金のこともある。南海が栄養費は契約金の前渡しと言い
その額を引くと言い出したので、巨人がそこにつけこみ「契約金の前渡し
ならその分をうちで払えば良いだろう。」と倍にして南海に払ったと言われる。
この件について、両球団ともに栄養費と裏金について否定しているので
真相はどうかわからないが仁志、二岡のときに同様の噂があったからまんざら
ウソでないかももしれない。 プロ野球選手はプロ野球オタではない、まずそこが重要
中学高校と野球やってればプロ野球見る暇もないし、観戦専門の奴に比べれば
特定球団に対しての思い入れなんて乏しい 昔は鶴岡監督がスカウトとして活発に動いてたから、良さそうな選手はほとんど声を掛けられていた
それを見て他チームも「鶴岡さんが注目する選手なら間違いない」と
獲得競争に参戦
その後は契約金の上積み競争で球団が決まるという流れ
稲尾とか池永とか長嶋とか「声を掛けた」程度でどの選手も南海ファン扱いするのは厚かましいよ つーか、鶴岡さん当時の有力アマ選手には軒並み声かけてたからな
中西太ですら南海ファンだったことになりかねんぞw 「南海ファンだけど」って前提が抜けて、
南海入りしかけたけど結局他球団入りした選手って話の流れになっちゃったからね 広島の山本一義も法大=鶴岡の定番コースで
南海入りするつもりだったとか ごめん!
あわてて既出の話をダブりで書いちまった・・・ 高卒でプロ入りしたいって言ってきたけど
今は実力が足りないから大学で野球勉強してこいと送り出した
後に阪急に入団する長池はこれだった 大学行けは体のいい断りだったと思うが・・
山本浩二は確か投手で南海のテスト受けたと思う まあ長池が尋ねたときはドラフト制度前だったから
大学で良さそうなら途中退学から入団もあったかもしれないねえ >>186
発想としては後に根本陸夫さんが選手確保の一環として行なった囲い込みと同じで、
「二軍に数年留まる位なら、(自分の息の掛かった)大学で実戦経験を積んだ方が」
って事かと。
只、今から観ると多分に選手個人の義理や恩義を当てにした手法だったのが、巨人
始め他球団の付け入る隙となったとも言えようかと。 >>179
政治家の横槍は
広島地盤の池田か派閥の御仁かな
>>182
林俊彦と高校でバッテリー組んだ
木俣に目を付けて大学中退させて獲ろうと画策したら
中日にさらわれたが木俣が南海ファンだったって
話は聞いた事はないなw
因みに木俣の背番号23の前任者はあの寺田w >>191
山本一義に関してはそのとおり。中国新聞の記事にあった。
木俣は鶴岡に勧誘されて、大学を中退し南海入りを決心した。
南海ファンかどうかはともかく、鶴岡にあこがれて入団した選手は
結構いるのでは。
穴吹は巨人にあこがれていたが鶴岡の勧誘で南海入りを決めたと言っている。
各球団から注目される前とのことだ。
池永も鶴岡にあこがれて南海に入団したかったと言っていたし、鶴岡の選手の
口説き方は天才だったのではと思う。
ただ、王、田淵、江川、原と入団前に巨人ファンであることを名言している
選手もいるから南海ファンでそのまま入団した選手もいる気がする。 野球の世界はある意味企業以上に学歴社会。
六大学は企業の七帝大並の扱い
そのうえ実績あればカリスマとなる 長池も山本一義も常勝南海でプレーしたかったんだろうか。
当時は阪急もカープも弱小球団だものねえ。
山本一義は当時の監督と喧嘩したり荒川道場の門を叩いたり意外な一面もあった。 >>196
長池は鶴岡の葬儀の時に南海より阪急に入ってよかったのでは。と問われて
青田さんのおかげで打者として成功できた。西本さんの下で優勝もできた。
タイトルも取れMVPにも選ばれた。
だけど鶴岡さんといっしょに野球をやりたかった。と言っているから南海で
プレーしたかったのではないか。
もっとも、南海から栄養費をもらっていたことに対する義理かもしれないが。 長池は仮に南海に入ったとしても
ノムに干されるか守備がアレだとかケチつけられて
トレードされてたかもなw
もっとも青田氏がいたからあれだけのスラッガーになったわけで
元々中距離打者だった長池をノムやコーチが
育成出来たとは思えん
大学後輩の富田みたくなってたか 結果論だが富田では無く、予定通り有藤を指名しておけば良かったのに‥‥ 富田は阪神に入っていたとしたら、掛布にポジション取られて、放出だっただろうな。 4年ほど前に長池のトークショーに参加した。
ノムとの思い出でヤクルト監督時代、春季キャンプに臨時打撃コーチとして呼んでくれてとても嬉かったとの事。 現役の時に敵ながら自分のバッティングを認めてくれていたみたいで「ウチの若いもんにシッカリ教えたってくれ」と言われ光栄に感じたって。 毎年メンバーがユニ着用でテレビカメラ回させて初詣に行ってた? >>202
西本阪急では成果を上げてたし。長嶋巨人のヘッド兼打撃コーチになり伊東秋季キャンプで中畑らを指導したが、その直後に
週刊誌に暴力団との交際やら野球賭博の仕組みやらをベラベラ喋ってキャンプインを待たずに辞任。中畑や篠塚らを見れば
指導の効果はあったかと思う。 青田氏は
優勝請負人とも呼ばれていたね
阪神阪急でヘッドコーチで優勝したから
特に阪急は青田氏が居なかったらあの時点での
優勝は無かったと思う 野球賭博のハンデ師という疑いだったな
ハンデつけるのはかなり難しいから
野球はかなり知識もカンもあったのだろう 柏原の自主トレ姿を見て「あいつは大成せん。田舎に帰させろ」と口にして
野村の不興を買ってたな >青田
中西を持ち上げつつ野村を「狭い球場でホームラン稼いだせこいバッターや」と
こきおろしてたし、あんまり好きじゃなかったんだろう
野村も野村で、賭博疑惑ある野球人は軽蔑する性質だしな
三浦が良い例 野村は鶴岡に対する恨み方を見ても思い込みが激しいからな。
野村の敗退行疑惑なんて単なる思い込みだろうね。
鶴岡のように実際に賭博疑惑の選手を自分で調べて解雇したという話は
聞かないしね。 三浦は黒い霧事件で処分を受けた選手なんだから思い込みもクソもない
その三浦に自分の方針に異を唱えられた野村は激怒して、
三浦を任意引退扱いにして球界から追い出そうとした
まさしく自分で処分を下した事例だよ
同郷の稲尾がとりなすことで結局三浦は太平洋への移籍が決まったが、
移籍先でも自分の起用法を巡って稲尾と衝突してたな G+の1973年日本シリーズ視たが、南海のエラー特集のような試合だった。ただ、第4戦と第5戦だけだったから、第3戦の門田の本塁打は視れずに残念。 オレも視た。
ゲストの福本の話が適当過ぎて笑えた。 負けた試合なんだから当たり前だがみんなすごく守備が雑に見える
あと巨人有利の判定がすごい 雑誌で見た誰かのインタビューで、
「二日酔いで出てたジョーンズがエラーしまくって・・・」
とこぼしてたな。 >>212
福本今と一緒(笑) て言うか星野も田淵も基本喋り方なんて変わらないのですね 巨人は赤のプロテクター、レガースをチーム内で使い回していたのに対し、野村兼任監督は緑のプロテクター、レガースだった。そこだけは、南海が先を行っていたんだな。 >>213
プロ野球全体では守備力は今のほうが上だな。 昭和の巨人対パの日本シリーズはやっぱ面白いな。
阪急戦で今坂団長が客席で喧嘩してるシーンとかカットしないで放送されてて感動した 南海ホークスファンの芸人はそこそこいたみたいだけど
レツゴー3匹の3人はそれぞれ贔屓のチームはありましたか? 南海ホークスFOREVER、プロ野球1970年代、プロ野球1980年代、3冊ともに定岡の写真が同じ。 >>181
西鉄のスカウトが談話で言ってたな。
素人でどんな選手がいいのかわからなくて
結論は「鶴岡監督が目をつけてる選手がいい選手」
さすがに注意されたが、
「天下の鶴岡さんが目つけてんだからそりゃ取り行きますよ」
と言い返したら笑って流したとか
ネタもとは西日本シティ銀行のサイトの西鉄ライオンズ特集 >>181
長嶋は大阪球場の立地の良さとか吹きまくって、
杉浦を南海に誘ったそうだが
それで杉浦が南海に決めたら
本人はその後巨人に鞍替えしたらしい ノムさんを解任した後、南海の後任監督はもう少し何とかならなかったのか?
せめて監督コーチ歴のある人とか(誰も引き受けないっぽいけど)
最後の手段として鶴岡親分が復帰するとか 広瀬 → 生え抜き抜擢
ブレイザー → かつてのヘッドコーチで他球団監督を経て復帰
穴吹 → 二軍監督から昇格人事
杉浦 → 他球団コーチ経験者 ノムさんの後に穴吹監督だったら幾らかはマシだったろうか
広瀬監督と言うのは最悪の選択のようにも思えるけど
もはやその程度の差は大した意味も無かったのか 広瀬監督の選択は南海崩落へと導いてしまった最悪の出来事だよ
長嶋以上の感ピューターの持ち主 広瀬さんは飛行機嫌いで現役時代は鉄道移動にさせてもらっていたが
監督就任後は我慢して飛行機に乗るようになったというのを著書で見た
選手の乗った飛行機が墜落して自分だけ生き残ったりしたら表に出られなくなるとか
男気を感じさせる話だが鉄道だって事故は起こるんだけどね ノムさん、解任されなかったら自分の後継捕手を誰にするか
考えていたのかな。柴田を後継者にするのを失敗してから
その辺事はもう放棄してたようにも見えるし。
袴田や山倉(高校時代に入団拒否されてるけど)辺りを
指名してとか思ってたのか。 もしも77年以降もノムさんが選手兼任監督やってたら78年は阪急と優勝争い、
正史よりも1年早い79年に3000試合出場、正史では未達成の3000本安打を80年に達成して
日本シリーズでは広島と対戦して、南海一筋27年で現役引退してたかもしれんな。 金村義明の野球漫談 2016年1月11日
南海ホークスファンのオモロイ話
https://youtu.be/5ImpGKYaACA#t=60m06s >>229
南海電車がやたらと事故を起こしていた時代があったとか >>234
その頃中曽根が南海に球団売却を迫ったらしいな。
この時期に川勝が招かれて現場の再建に動いたし、野球でも野村をバックアップしたが。
その後中曽根は国鉄分割に動いた。 昭和42年から43年に起こった南海3大事故かね
球界では黒い霧事件が起こったばかりの頃で
チームだと野村が兼任監督に据わり杉浦広瀬が引退を仄めかし
国貞は反乱を起こす
この時の混乱は凄まじかったろうな 南海ファンの特徴
1、正直言って弱い南海しか知らない
2、一番印象的な選手は門田
3、大阪球場ではいつでもライトスタンドで応援していた
4、会社を辞めた経験がある
5、強い人間とはやはり喧嘩腕力で勝る人間を言うと思う
6、万引きやレイプは勇気ある行動だと思う
7、一番好きだったアニメはドラゴンボール
8、パチンコと競馬なら競馬の方が好きだ
9、女子中学生の裸を見たい
10、今でもガラケーを使っている
全部あてはまるだろ? 親会社不祥事とチームの世代交代端境期が重なって
ノムスキャンダルや別所事件以上に
ドロドロだったんかなぁ?
その時期に南海を離れた岡本森下堀込の3人は
移転先で良い仕事をしたね
森下って南海では内野レギュラ―張った
功労者なのに鶴岡には疎まれてた感が有るけど
実際はどうだったの?
堀込と共に中日コーチの印象が強いのと
両人の選手全盛期は物心付く前だったんで 国鉄が球団を手放したのも
三河島や鶴見の大事故が影響したようですね。 電鉄会社は運輸省が許認可権を握っているからな。
さて、森下だけでなく鶴岡親分は高卒には厳しいんだよ
高卒で可愛がられたのは同郷の国貞と広瀬くらいかな >>240
高卒ってより大卒以外に厳しい
ノムがあんな歪んだ性分になったのも
好き嫌いの激しい鶴岡がその一因でもあると思うわ
広島県出身の監督は
濃人渉や広岡と選手の好き嫌いが激しいのばかりだなw
国貞広瀬は広島出身だから目を掛けられたが
あと非大卒選手で気に入られたのは姻戚関係だった飯田徳治と岡本伊佐美くらいかね 南海ファンの重鎮だった桂春団治師匠、亡くなられたそうです・・・ >>241
鶴岡と社会人野球出身選手との関係はあまり語られないな。
学卒入団だと大卒>高卒だった事はよく語られるが。 今週の週ベに拡張前の大阪球場の写真出てるな。
フェンスも後楽園タイプではない高さが同じの時代。 野村も大卒選手は嫌いと公言するが、教え子には割と大卒も多い
江本とか鶴岡と同じ法政卒なのに再生選手第一号
もっとも、江本からは大卒選手特有のエリート臭が
一切なかったから不思議でもないが いや、そうではなく社会人からドラフト外入団で這い上がった選手なのでエリート臭がないという意味 穴吹さんが一番そういう好き嫌いとかなかった気がするな >>247
江本といえば法政同期の山中正竹がノムの下に来たらどうだったんだろうね
六大学通算最多勝記録を持っているが
「自分なんか江川に較べたら駄馬」と言ってはばからないお人柄だから >>245
社会人でも大卒かそれ以外で扱いは違ったでしょうね
最も鶴岡と同時代だと大学経由の社会人出身って
南海に居たっけか?
他球団だと若林別当西本杉下と大御所が居たが
>>247
ノムは大卒もだが所謂野球エリート=スター選手が嫌いなんだろうな
鶴岡はその逆
>>251
黒田正宏も江本と大学同期だったな >>228
長嶋が天性の勘だけで野球をしているというのはイメージだけのウソ。
最初の巨人監督時代にコーチだった杉下茂さんが、ミーティングで過去の
対戦データや配球をすごく細かく覚えているのに驚いたと述懐していた。
データはもちろん重視するが、やたらに野球が細かくなりすぎるのを嫌ったと
いうのがホントのところだろ。
選手対選手、体を張った力と力の勝負こそが野球の醍醐味という考え方の人。
いろいろ批判される采配もあったけど。 >>256
スコアラーの記録と照合するんだからおかしけりゃバレるだろ。
大選手や名監督なんてのは例外なく野球に関する記憶力は凄いもんだ。
勘だけでプレーしてプロで記録残せるわけないんだから。 阪急は、山田・福本・加藤を始めとして高卒社会人経由で活躍
と言う選手が多かったように思える。その後も簑田・弓岡・藤田・福良とか
やっぱりチームカラーというものがあるのかな。 阪急の選手は山田・長池・藤井・蓑田・星野以外は
やたら野球がうまい近所のおっさんのような顔
代表的には佐藤・今井雄・山口高・足立・加藤英・福本 微妙にオヤジ臭(=加齢臭)・マンダム臭がして、人は良いけど幼児にほおすりすりすると、幼児が大声出して泣き出して「ぼく御免よ〜(´・ω・`)」と困惑顔であやすのが常の
古典的なおっさんの姿がピタリと嵌まるな>阪急の選手達 そして、そう言う「大人の」集団である阪急に
70年代以降、南海は勝てないってイメージだった 今回のSMAP騒動、77年の南海みたいだなw
野村監督を慕っていたブレイザーヘッドコーチ、高畠打撃コーチ、江夏、柏原の4人が退団。
門田はチームに残留。
飯島マネージャーを慕っていた中居、稲垣、草なぎ、香取の4人が独立。
キムタクは事務所に残留。 渦中では無言を貫いた
サッチーに対して露骨に棘を生やすことは無かったが
「男の世界に入ってくるな」という思いはあったようだ
野村と仲が悪いと言われた時期もあるが、二人がいざこざを起こしたのは
あくまで野球観の違いレベルだね
だから二人とも、お互い当時の思い出を楽しげに話したりもする 人間性は真逆だろうね。解説や著書、評論を見る限り。 門田は鏡に映った野村のスイングを見て開花したとか
野球そのものでは野球観の違いはあれ大打者としての野村に尊敬はあったと思う
ただ、おばはんがエラーした定岡兄に試合後ビンタしたりしてるのに
黙っている野村を見て嫌になったんだろうな
ヤクルトの選手や東京のマスコミはよくこんなおばはんを
たてまつったものだ >>266
>定岡兄に試合後ビンタしたりしてるのに黙っている野村
これはひどい 46 神様仏様名無し様 sage 2016/01/14(木) 00:16:07.22 ID:nAreLcMF
>>44
サッチーみたいなやつはいつまでも長生きするのに星野妻や王妻あたりは早く亡くなるんだからな 野村の前妻の件とか、南海時代は割とデタラメ記事も多いが
サッチーがアレすぎるせいでどれもこれも信憑性増すんだよなぁ >>266
広瀬も、野村と和解後も沙知代については批判しているからな。
>>270
伊東信義やケニー野村といった親族までも批判暴露本を書いている段階で…
前夫を供養したのも沙知代の父だというからな。
浅香光代は野村克也にも批判の矛先を向けていたが、
浅香が長嶋ファンだったというのもある。
>>271
少年野球の告発報道では、本当は沙知代の行為を止めない
野村克也も番組で批判するつもりだったが、
テレビ局から止められたと関係者が週刊誌で言っていたな。 >>266
>ヤクルトの選手や東京のマスコミはよくこんなおばはんを
>たてまつったものだ
そりゃ南海ホークスが良くも悪くも大阪「地方区」の球団だったからでしょうな。
在阪マスコミは皆知っていた事だけど、全国的には球団の意向に依る理不尽
解任としてしか伝わらなかった(ノムさんが東京に居を改め、在京マスコミと近く
なったのも一因かと)からね。
沙知代の大阪時代の行いを伝えていたのは、甲子園に本拠を持つ鹿砦社や
その会社と付き合いがある噂真等といった言わばミニコミ系(インディーズ系
マスコミとも言えるかと。無論ブラックジャーナリストの類いも含む。)位だった。 阪神以外は大阪マスコミから冷遇されていたのがレールウェイズだけど悪い話が注目されるのも少なかったのがコレだよな 広瀬「彼女がベンチ入りしてから僕の出場試合数が減った。」
野村「彼女は野球を知らない。彼女は標的にされた。」
ノムさん=ジョンレノン
サチヨ=オノヨーコ
広瀬=ポールマッカートニー どっちにも言い分はあるんだろうけど、チーム内の対立と言うか
軋轢みたいな物が限界に達してたって事なのかな、77年は。
野村解任でそう言う物は無くなったけど
南海ホークスに二度と強さは戻って来なかった・・・ 少なくとも就任直後の69年オフ(国貞放出)、72年オフ(三浦放出)、
75年オフ(門田と大喧嘩)とそれまでに造反劇は3回あったからね >>244
諸口あきらは福岡県の出身でもともとはライオンズファンだったんだけどね
『オールナイトニッポン』 のパーソナリティーをやっていた1970年代の中期には
番組内で 「我が太平洋クラブライオンズ!」 を連呼してた ノムさんみたいな強烈な毒を持った人には
同じくらい濃い毒を持ったサッチーの様な
女性でないと上手く行かんのかもね >>279
いまでは出身県のチームになったホークスは応援してるのかな? >>281
そういう人は結構いるみたいだな。
かつて無視・妨害した結果、身売り時に移転したという経緯もあって、
その轍を踏まないためにも、
どこが前身であっても地元本拠の球団を応援すると言っていた人がいたし。
>>279
諸口に関しては元々は南海ファンで、ライオンズに関しては営業ファンだったという話も。 >>280
ノムさんは幼き頃に父親が戦争で戦死して
貧困を漬け込まれて苛められて
人間不信に陥りそうになったらしく
どっかの本で見たうろ覚えだが母親しか信用出来なかったようで
…
まあノムはサッチーは母親に似てるかららしいと言ってた… 避けて通れ無いだろうが、南海関連の話となると、必ずサチヨが出て来る。ホント不愉快な存在だな。 ノムは男より女のほうが偉い
っというのが根本にあるみたいだな >>284
昭和40年以降は特にノム=南海ホークスみたいなものだしなあ
その監督兼任選手に一番その時期に影響を与えた女がサッチーで
どうしようもないわ 父親を早くに亡くしたせいなのか、ノムさんは父性的な物への
コンプレックスが強くあったんじゃなかろうか
敬愛するにしても、反発するにしても、結局今でも
鶴岡親分の影響からノムさんは逃れていないように思う
西本監督との戦いにも、そう言う面があったかも >>284
功労者の野村を悪く言いたくないからか、いちいち沙知代の話を持ち出してくる奴はいい加減うざいわ
鶴岡監督を引き合いに出すのも同様
純粋に野村の話をしてくれ 蔭山監督急死の時には、野村は強く鶴岡復帰を訴えていたらしいね。それなのに… >>289
ここは南海スレであってノム信者スレでもアンチノム信者スレでもない 蔭山に監督就任お祝いの挨拶をしたのが野村だけというのがな・・・
信憑性が薄いと言われるこの出来事だが、
早稲田で蔭山の後輩にあたる、野村時代に打撃コーチとして入閣した
沼沢も同様の証言を残している
同時に蔭山が、「頼れるのは野村だけや」とこぼしたとも 戦後以来ほぼ20年間鶴岡ホークスだったわけだからな 野村は蔭山が上層部から無理難題を突き付けられて、
自殺したということにしたいらしい。
最後に会った時に用があって予定を訊きだすと本来は忙しいはずが
スケジュール表は真っ白で「野村、もう俺には無理や」と言ったとか。
本当かどうかしらんけどね。
野村は野村で対人関係に関して異常に被害者意識が強いからね。 >>296
野村の人生辿れば、この件がそういう人格になってしまった発端とも言えるからなぁ
まあ適当なこと言う人間だし、だからこそ反証意見もよく見られるが
蔭山急死事件に関してはそういう意見が見当たらない
それどころか関係者は一様に口を噤んでる
野村の被害妄想で片づけられる話なら、他の件同様相反する意見が出てるんじゃない 蔭山さんの奥さんもそう思ってるからでしょ
ノムだけが言ってる事なら間違いなく批判されてる >>297
そこは適当にぼかしてる。多分確証がないから。
成績、采配、選手起用に関してフロントが口をはさんで板挟み状態になって、
服薬自殺したくなるくらい苦しんでいたことにしたいんだろ。 野村の証言を疑うから何か明確な理由があるのかと思ったら、ただの思い込みじゃないか
そんなぼんやりふんわりな推測二回も言わなくていいよ 蔭山さんは神経が細やかな人で睡眠薬を飲まないと寝られなかった
鶴岡さんがやめて自分がやることになって過大なプレッシャーが
あったことは容易に想像できる。
神経質な人でなくても常勝鶴岡さんの後を引き受けるのはしんどい
睡眠薬を飲みすぎたのが原因と言われるが事故か自殺かはわからない
鶴岡さんはいずれにせよ部下を死なせてしまったので再び指揮を
とらざるをえなくなった
野村はいずれにせよ蔭山さんの死を鶴岡さんのせいだと溝を深くした 野村いわく鶴岡監督の采配に関して戦略的指示は皆無に等しく典型的な精神主義で、
自分が初めて科学的采配を導入したと主張しているが、どう思う? 南海ホークスと言うチームは、結局、鶴岡親分が作って
その影響から最後まで脱皮する事が出来なかったチーム
って言えるのかな 鶴岡さんが監督を辞任する意向を固めたのは監督としての金銭待遇への不満もあるけど
当時所属してた選手への待遇、新人獲得のための労力負担などの複合要因だったと言われてる
蔭山新監督はそれまで鶴岡さんがこなしてた仕事を全部やらなきゃいけなくない上に
鶴岡さんを慕う選手たちをなんとか宥めてチームを一つにしないといけない
それは新人監督にとってあまりにも大きい負担だった
で、周囲や関係者が気づいた時にはすでに手遅れ こうして読んでると鶴岡がご本尊のカルト宗教みたいな異常球団なんだな南海は 南海ホークスと言うチームは鶴岡親分が一人で
現場監督、GM、スカウト、コーチの領域まで
何でもかんでもやっちゃってたわけで
こういうカリスマみたいな人の跡を継ぐのは余程でないと
身も心ももたないっていうのを蔭山さんが最悪の形で
証明してしまったわけだね。
さしものノムさんも監督を続けていく内に
段々と暗黒面に落ちて行ったのも何か分かるような・・・ >>308
今のマンチェスターユナイテッドがそれだな。
長期政権だった全権監督が去った後は迷走に迷走。
カネがあるのが南海と違うかもしれんが。 同じようなベクトルの指導者に見える西本監督と鶴岡監督の違いは
西本監督の場合は、あくまで現場の監督としての立ち位置で
全力を尽くすのに専念している事か
だからこそ阪急は上田監督に替わっても強さは失われなかったし
鶴岡さんはパの他のチームに移ってホークスと戦うのを嫌がったのに対し
西本さんは近鉄に自らを売り込んで、自分の愛弟子達と対決する道を選んだ 国会図書館で65年に一度勇退した時の週べを読んだけど、
この時は金がかかる鶴岡野球に嫌気が差したフロントが
鶴岡を退団に追い込んだって論調だった
というか昔の週べって結構踏み込んだこと書いてるんだね 1965年頃といえばドラフト制度が始まるか始まらないかの時期だな
ルールが無かった頃としては一番契約金が高くついたときだし
鶴岡さんを親会社が疎ましく思うのもまあわからんでもない 再任時に「ワシを金持ちにさせん気か?」
鶴岡監督の年棒は低かったの? 鶴岡監督は当時のオリオンズともう一球団(失念した)がオファーをかけていて
当然給料は南海よりもかなり高い金額であとは東京に出向いて契約書にハンコ押すだけの段階だった
当時は監督の地位は低くてライオンズを率いた三原監督が西鉄を辞めた理由も
何度優勝させても上がらない監督の給料と三原流の選手補強は金がかかりすぎると嫌味を言われまくったからで
鶴岡さんに限らず当時の野球界の監督の扱いってそんなものだったようです
大洋は三原さんを引き抜くにあたって西鉄よりも高い給料を払ったのですが
やはりその後は揉めて……だしね >>275
ノムさんとレノンw
どっちもこどものころ父親がいなくて
母親とは病気やなんかでなかなか会えなくて
後年
周りから何だあの女といわれるのにのめりこんでしまった >>315
三原は助監督の生え抜きの人間の方が
給料高いことに嫌気さしてたこともあったらしいな
本当は三連覇の最後の年に大洋に移籍する手はずだったようだが
まさかの逆転優勝で話が一度流れたとか
大洋側の人間の回想で見た 杉浦さんや長嶋を入れるために養育費を出したり
その先輩の大沢をとったり
穴吹に破格の金をだしたりとけっこう鶴岡さんはやっていたな 球団経営は南海電鉄にとって、最初から最後まで持ち出しの道楽? >>317
穴吹を獲った頃はマネーゲームに勝てる余裕があったんだろうが、
身売り寸前に一億以上のバナザードを獲得したり金があるのかないのかよくわからなかった。
同時期に山本浩二がカープの監督になった時に
「破格の助っ人獲得」
って来日したヤングが年俸5000万だった。 バナザードは文字通り最後に打ち上げた大花火ってところ(資金的にね) 円高だったから、ドル換算だと意外とお得だったのかもな >>317
初耳だが当時の助監督っていうと三塁手の宮崎要かな?
彼は三原監督が来るまでの監督で来てからは選手兼任になったので
選手の給料と合わせると三原さんよりも高くなったのかもしれない
50年頃は2リーグ分裂直後、選手獲得合戦の熱が激しかった時代だから
引き止めでかなり上乗せされる、中心選手の選手兼任監督なら
その実力以上の金額をもらってた可能性は高いと思います >>320
渡辺泰輔の契約金が5000万だったな
山崎裕之と並んで自由獲得競争時代の契約金最高額
山1つと300坪の一等地を買ってもまだ余ったらしい >>323
川崎徳次だったかなぁ
この人西鉄時代の印象強かったけど実は
南海にもいたんだね >>324
そう西川のノーノーに加えてこれは本当に優勝かもという夢を持たせてくれた
ところがチームが開幕早々大コケでああやっぱりとなったものの
実力・個性のほかににそうした思い入れもあり、今でも一番好きな外人選手だ >>326
西鉄オーナーのお気に入りで、球団の編成会議等に三原監督を差し置いて出席
したり(当時の球団社長曰く「川崎が居ると、オーナーが「そうかそうか。・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ヨチヨチ
と金をポンポン出してくれるんだよ。」との事。)、そもそも三原監督招聘からして川崎
の提案で、三原監督との最初の契約は川崎と取り交わしたりと、役員待遇(今で言え
ばGM扱いの待遇と言えるかと)だった事から来るんだけどね。
只、実際に選手補強等の実務を取り仕切っていた三原監督からすれば、単に本社から
金を引っ張ってくる程度の役割の川崎が球団内の立場も待遇も上というのは確かに
納得いかなかったかもしれないねえ。 >>327
それでもあの年は、7連敗スタートながら、9月頭までは3位、5割圏内にいた。しかし、身売りが決まると、ガタガタと崩れた。 >>328
川崎徳次さんは西鉄球団にとっては三原さん同等か、それ以上の功労者だからねえ
2リーグ分裂騒動時、プロ球団を持とうとしたがプロ選手を集めるノウハウがない西鉄が
相談した相手というのが当時巨人でエース投手だった川崎さん
他球団所属の現役選手に協力を求めるなんて今からすると信じられないけど
これはもう時代が時代としか言いようがないね
西鉄への入団斡旋は上手くいかず(巨人幹部が川崎さんが動きまわってるのを知ってブロックした)
困り果てた川崎さんは当初本人に移籍する意思はなかったものの
最終的に巨人から西鉄に「地元球団へ凱旋する」という名目で移籍した 南海時代の川崎徳次
1940年 1勝4敗 防御率 1.31
1941年 12勝16敗 防御率1.25
1942年 15勝17敗 防御率1.29
2月15日に西鉄ライオンズのDVDが出る
1956年に巨人を破って初の日本一になってから今年で60年
西日本鉄道 (西鉄) と九州朝日放送 (KBC) 所蔵の貴重な映像集
南海も初の日本一から60周年の2019年あたりに出してほしいね 川崎さんの語るところによると戦後プロ野球界に戻るとき南海からもオファー受けてたそうな
しかし本人が断って巨人入り
決めた理由は言葉を濁してたけど >>331
巨人に移籍後は20勝台もマークしてるな >>325
渡辺の契約金いつの間にか高くなっているな。
当時の報知新聞の報道では推定3500万円になっている。
渡辺は巨人と争ったが最後は鶴岡のカリスマ性で南海入団が決まった。
南海は鶴岡の下でプレイしたい池永と世間知らずの尾崎も安い契約金で
入団させるつもりで、実現寸前までいったが西鉄が予想しない契約金を
出したので計画はつぶれた。
尾崎はともかく、池永が南海に入団していたら後のパリーグも変わってい
たろうね。 南海池永→黒い霧には無縁→でもサチヨ騒動には巻き込まれる→結局どこかに移籍 暗黒時代の南海ホークスのユニフォームも
ソフトバンクの選手が着ると強そうに見えるしね 西武と話をつけて西鉄を扱ったほうが地元の人はよっぽど喜ぶだろうにな >>340
中年以上はともかく若い人達はどうだろうな?
福岡を離れて40年近く経つし、ライオンズが福岡の球団だったと言っても「へぇーそう」
位の感覚じゃ 福岡のドーム球場には王の記念館みたいなのがあるけど、
福岡の野球全体を扱ったほうがよっぽど良いと思うんだよね
ただ、プロ野球の仕組み上、そうしづらいのは分かるけど >>336
埼玉のライオンズに移籍してたりしたかもね >>340-341
西武が堤時代に福岡系を遠ざける態度をとっていたから、
それに反発して離れた層もいるし、
一方中村オーナー時代に地元球団を無視しすぎた反省として
「現在の地元球団」を盛り立てようと考えている人もいたりと、
高齢層も必ずしもライオンズに対してこだわりがない人もいるからな。
それに西鉄側も黒い霧のダメージで一時期球団保有を黒歴史化していたからな。
西武は現オーナーになってからは、西鉄時代も球団史として扱うようになったけど。 >>340
西武がドームに来た時に西鉄ユニでやればいいだろ
西鉄が許可するかしないかはわからないけどw
んでホークスが南海ユニでやるとw
どっちがホームだかビジターだかわけわからないw 明石家電視台の録画見た
阪急の今坂団長の「香川、日ハムへ行け、選手やのうて商品としてや」
言った人は亡くなったってさんまが言ってたけどそれ、ヤクルトの団長じゃない? >>346
何回も言うけどそれ島田紳助のネタで言った人は後楽園球場の名もない客 福岡人だけど大阪球場で観戦してみたかったなぁ
なんか観客と選手の距離が近そうでいいなぁ
ドームと違って開放的だし 今年は、オリックスとの大阪クラッシックで無くて良いから、南海のユニフォームを復刻してもらいたい。出来れば、70〜71年のユニフォームを見たい。 >>349
神戸で土日の試合があるから、阪急vs南海ユニフォームやって欲しいね
ほっともっと(グリーンスタジアム)神戸の球場開きは昭和63年のリアル阪急vs南海だったし 野郎に打たれたホームラン全部返してほしいよ
藤本修二が開幕第2戦で打たれて完封逃したやつとか
山内孝が向いてない抑えで打たれたサヨナラとか そんなことを言い出したら江夏のセーブ記録なんかも全部返上しなきゃいけないわけで 中学の時に清原ファンの女の子がクラスに数人いた。
南海戦で清原がホームラン打った翌日に「昨日清原めっちゃかっこよかった」などと言ってた。
俺は「清原鬱陶しいよ。西武より南海応援しろよ」などと言って応戦してた。
偶然、1人の女の子と大阪球場で会ったこともあった。その子は中でも相当熱心な清原ファンだった。
3塁側からは女性ファンの黄色い声で1塁側からは野太い声で清原への野次が入り混じってた。
その女の子は今どんな心境なのだろう?結婚して2児の母になってることは10年近く前に聞いた。
南海ファンからしたら清原は憎かったけどあのときの清原は輝いていたな。
そのような光景がいくつも昨日から頭を過っている 清原って岸和田出身にも関わらず「南海は指名するな」とほざいたんだよな。
「西武のときはまとも。讀賣に行っておかしくなった」という
声が多いが、高校当時から、その性格は推して知るべきだろ。 吉田豊彦に
「君は3位の(2位だっけ)予定だったから契約金は3位分ね」
って言い放った球団に指名してほしいと思う奴いると思う? パ指名だったらニッセイに行くとか言ってた
プロ選手としてのキャリアとしてはまったくの回り道だったろうけど
一流企業で3年間やってたら多少なりともまともな感覚は身についたかも >>357
あの当時の南海だよ?
神奈川県出身ながら横浜に行きたがらないのと同じだよ そもそも末期南海を自ら志望する選手なんて当時いないかと
畠山も家族は大反対で本人が強く希望しなければ南海入り無かったし 清原が西武一筋で、なおかつケガがなかったら門田の567本とノムさんの657本は抜かれてたかもしれんな 西武にいたときの生活続けてたら巨人に移籍した現実よりも早く潰れて
最後はトレード放出されてそうだがな 元木も「南海のままだった入団していた」という発言をしていたらしいが。 清原はプロ入り時の打撃コーチが
賭博王の土井正博だったのが運のツキだったかもなw
秋山岸川佐々木誠鈴木尚福浦らをモノにした
長池だったらどうだったろうか?
長池の西武コーチ時代土井もコーチで在籍被ってた年があったな
清原プロ入り時は長池は南海に移ってたが 福岡ソフトバンクだったら清原はのびのびプレーしてかつたくさん儲けられたんだろうな >>358
その吉田豊彦を高校時代に指導したのが内川聖一の親父
で、吉田の南海入りで内川家は南海ファンになった 長池はコーチとしては旅がらすだったな
これはと思う選手を無事育てきったら退団してた >>353
仰ってる、グリーンスタジアムでの阪急vs南海は、公式戦初試合でしたね。
杮落しは、阪神vs阪急のオープン戦でした。
定期戦だったかは不明ですが・・・ >>370
>杮落し
「こけら落し」です。
スイマセン。 清原も巨人ファンならパリーグは南海ファンである可能性が高いんだけどな >>366
賭博王て
麻雀や花札に金賭けないでやってる奴が
この世に何人居てると思ってんだよ。
それに土井が
そんなに悪評高人物なら、西武が何回もコーチの依頼する訳ないだろ。
ましてや土井とキヨの堕落なんて何の関係もないし
長池にコーチを受けてても 結果同じ事しとるわ。 >>366
つうかそんな土井が3年で去った事が彼の増長に繋がった様な感じも。 土井は86と87は1軍だったが88からは2軍コーチだった >>368
あ、だから幼少期の内川の写真で南海のユニ風パジャマ着てたのかw
その後ノンプロ経由でホークスに入ることになるけど、
よくまあ当時そんなの着る子供がいるなあと思ったがそういう縁があったのね。納得。 >>378
清原が23年間かぶってたヘルメットは
野村が27年間かぶってたお下がりなんだよな
頭部に死球を受けた時に色が剥がれて南海の緑色が出てきたって語ってた 南海じゃなくて、西武のブルーが出てきたんやろ。
確か清原が巨人の時の話し >>381
西武在籍最後の年か、その一年前に>>380が起きて、その際に西武職員が
「実は彼の頭に合うサイズのヘルメットが無くて、野村克也さんが南海時代から
被っていたヘルメットを使用したんですよ。」と述べていた。
野村克也さんの時も西武から用意されたヘルメットが頭に合わず、南海時代から
使っていたヘルメットを西武のヘルメットに塗装して使用したって話。 西武球場の倉庫に放置してあったやつがピッタリだったらしいね。 清原が86年に南海戦でよく打ってた時に
「僕は南海沿線に住んでたから」と言ってたことがあったが
JR阪和線の沿線だよな。 >>386
ドラフト拒否したやつか
今は銚子で干物屋やってるよ 南海ホークスFOREVERの野村門田セットのサイン色紙が当選しました。とても嬉しい。 南海ホークスOB
2016年度プロ野球コーチングスタッフ
福岡ソフトバンク
大道典良(一軍打撃コーチ)
藤本博史(二軍打撃コーチ)
小川史(二軍外野守備走塁コーチ)
佐々木誠(三軍打撃コーチ)
東北楽天
立石充男(二軍内野守備走塁コーチ)
中日
高柳秀樹(二軍打撃コーチ)
昨年に比べ随分と減りました >>391
正直大道と藤本博って何指導するんやろ。 >>392
大道は狙い球(配球読み癖見抜き)と流し打ちだろな 青井要の不良伝説って昔ちらと聞いたけど実話かな?
南海時代は出番が皆無なのになぜかクビにならず
田淵ダイエーになってなぜか見出されて3年くらい一軍にいたよな >>391
>福岡ソフトバンク
孫オーナーは野村が楽天の監督時に監督通算1500勝達成したときに祝電送ったんだよな 野村監督最後の年に、米谷と言う選手が終盤よく使われていた
ちっとも打てないしそんなに若くもなかったし
何で使われていたのかよく分からない選手だった 米谷って大洋でしたかね?そこそこ打撃は良かったような気がします
西鉄からの柳田利夫とよく似た使われ方だと思います 間違ってました。近大の捕手の米谷ですね
柳田も大毎でしたね。ごめんなさい ところでみんなは南海沿線に住んでるのか?
鉄道球団でありがちなのは南海電車に愛着があってファンになったとかが多いぞ。 >>400
諏訪森。
当時は広瀬さんや穴吹さんが近所だった。 ファールで粘ると
「♪お前の根性と一緒や、曲がってる」があったな
内野席の応援団だった。
外野席の応援団が出来たのは87年からで結局は2年だけだったな。 88年4月3日、東京ドーム開場記念のトーナメント大会の決勝(G−L)の後に南海−近鉄の練習試合があった。
南海の応援団らしきハッピの兄ちゃんが「今日は吹石選手の引退試合でありまーす!」とやらかした。
関西に住んだ事が無かったんでこの手のヤジにはたまげたが、吹石選手の本当の「引退試合」には兄ちゃんタマげた
だろうなw
試合は南海が2点リードだったのに9回2死で羽田がルーキー吉田豊彦から同点2ランでドロー。羽田さん、シーズン
最後の打席でも打ってたら良かったのにね。 >>409
あの時期そんな試合あったんだ!ドームへ慣れるためも兼ねてたんだろうな。
しかし書き込み内容が面白すぎるわw >>404
それは解任前後の頃ですかね。
大阪市内のマンション→西宮市→戸根山なんかな?
杉浦さんは、上野芝の前は、阿倍野区の北畠あたりの筈。
鶴岡監督も、帝塚山→堺て感じかな。 野村さんのマンションは、西区辺りらしいけど、当時都会のマンションて、
お洒落というか、かなりいい住環境よねえ。
司馬遼太郎と同じフロアとかって逸話がある。 昔、畠山が羽衣のマンションに住んでるとか聞いたことあった。
あと、藤原満を高野線の車内で見たことあるがヤクザみたいだったな。 >>413
沙知代との関係が始まった頃には家を出ていたから、
その時に構えたのが件の豊中市内のマンションやね
前妻と一緒に住んでいた西宮の一軒家は、離婚が成立した時に
慰謝料込みで前妻に譲ってる >>416
試合後「あぶ、わしのリンカーンコンチネンタルに乗っていかんか」
「いえ、親からもらった足がありますから」
「(ガク)ほななにか、わしに西宮市苦楽園**まで歩けぬかすんか!」
なんてくだりを思い出したな
当然当時は名鑑同様番地まで明確に書かれてたはずだがさすがに覚えてない あの騒動の時は江夏も柏原も同じマンションで、3人で「籠城」してたもんな >>416
そうか、沙知代氏と出会って、刀根山に移ったんですかね。
自宅と思しき場でインタビュー受けてる、モノクロの映像みたことあるけど、
踏切の音が聞こえてたから、その西宮の一軒家だったんかな・・・
近いし、阪神の村山さんと親しかったといいますね。 皆川さんは巨人のコーチまでやった。
同時に入団した桑田を可愛がる一方で西本と大ゲンカ。 皆川さんは野村さんと高卒たたき上げで苦労して這い上がり
それでも謙虚だっただろ
皆川さんと同じように桑田とは違って這い上がってきて力もあるのに
勘違いしている西本が許せなかったんだ 選手時代の皆川は東北訛りを気にしてあまりチームに溶け込めなかった
言葉や伝え方の勉強を怠ったことがコーチとして実績を残せなかった理由ではないかと
友人関係にあった野村は推測してたね 皆川さんが亡くなったときのノムさんの
スポーツ紙に載っていた弔辞は良かったな
友情あふれるという感じだった 名球会入りの時もそうだったけど・・・ 皆川は広瀬と決別し杉浦と決別した野村が唯一心を許せる南海OBだったのかもね 皆川はプロ同期じゃなかったっけ?
新人王の宅和も
広瀬は一期下
ノムが鶴岡親分を嫌う?様になっていったのは
皆川や宅和 野手の森下ら
非大卒選手に冷淡だったのも大きいのかな?
非大卒でも岡本や広瀬国貞ら子飼いや同郷出身は
贔屓するなど好き嫌いが激しいみたいだし 野村「大沢が他球団で監督になったときは驚いた。そんな器だとは思えなかったから」 皆川みたいに巨人と阪神の両方でコーチした人って珍しくないかな
他にもいるのかな >>432
両チームで監督した人(藤本定義)もいらっしゃるし。 【私の失敗(4)】
江本孟紀、野村監督に文句…煙たがられ阪神へ移籍
http://www.sanspo.com/baseball/news/20160205/npb16020511000001-n1.html?obtp_src=www.sanspo.com
あのトレードがなければ、野球人生は変わっていたはずよ。
南海(現ソフトバンク)時代の1975年12月に開催された選手会コンペ。ゴルフをしない野村克也監督が、表彰式
に賞品持参で駆けつけてくれた。野村さんの背番号にあやかった『19位賞』の賞品は真っ赤なドレス。19位はこの
エモトで、壇上で授与されて席に戻ろうとしたとき、「ちょっと残っておけ」と耳打ちされた。別室に行くと…。
「旅に出ろや」。阪神・江夏豊とのトレード通告だった。阪神・吉田義男監督から「江夏はアンタ(野村監督)やない
と扱えない」と持ちかけられたという。「ついては、江夏は大物やから、そっちも大物をくれと言われてな。江本の名前
を出したら、納得してくれてな」。
“ノムラのささやき”を真に受けてOKしたところ、後日あららとなった。発表されたのは、阪神から江夏と望月充、
南海から江本、長谷川勉、池内豊、島野育夫さんの2対4。複数トレードなら、俺でなくてもよかったのでは? 思い過ごしかもしれないが、野村さんにとって、俺は煙たい存在だったのではないかな。その1カ月前、
チーム内に「ノムさんに、モノ申せ!」の声が高まった。73年は日本シリーズに出場したが、74年は3位、
75年は5位。じり貧の成績に危機感が充満していた。そこで俺と藤原満、西岡三四郎の3人が選ばれ、
野村さんと直談判した。
「あなたは選手兼任監督でしょう。もっと引っ張ってください。公私とも模範でいてください」。若い頃の
野村さんは現在の「理論派」「大御所」の顔と違い兄貴分タイプで、野球のことから私生活のことまで言い
たい放題だった。
今だから明かすよ。大阪球場内に冷暖房完備の電話交換室があって、俺はそこを休憩所代わりにしていた
。女性交換士とだべっていると、「誰それから野村さんに、こんな電話がありましたよ」なんて“情報”が入る。
携帯電話もメールもない時代。プライベートも丸わかりだった。だから細かい言動まで列挙して、批判してしま
ったんだ。
振り返れば、72年に東映(現日本ハム)から南海へ移籍し、独身寮に入ってほどなく、野村さんから「他の
選手に悪影響を及ぼすから」と寮を追い出された。一滴も酒を飲めない俺がいまだに「大酒飲み」と思われて
いることを考えると、当初からイメージが悪かったのかな。これも思い過ごしかもしれないけどね。
ともかく、監督の不評を買わなければ…。そしてトレードを断っていれば…。南海での4年間は中身の濃い
プロ生活だっただけに、もっと勝ち星も増えていたと思う。『ベンチがアホやから事件』もなかったわけだからね。 >>438
とんでもない電話交換手だな>人の会話を漏洩 >>439
大学時代も、後輩から嫌われてたんだっけか >>439
昔から親分肌のべらんめえ口調で、鶴岡に対しても不躾な態度とってたそうだから
そこから不興を買ってたらしい
実際に監督の立場になったらその性格が上手く作用した 1951年最多勝投手の江藤正が亡くなったみたいだ。 江藤が在籍した前後の時期の南海は
中谷・野村・服部・戸川・宅和ら一時的にエース格になるけど
2、3年でダメになる投手が多かったな。
柚木は比較的長持ちしたけど。
江藤は貴重な高橋ユニオンズ在籍者でもある 一升瓶抱えて寝てた伝説がある柏原は寮にいて下戸のエモが追い出されたのかw >>445
シベリアで痛めつけられながら息が長かったとはあらためて敬服するな >>445
その「一時的にエース格になるけど2、3年でダメになる投手」について
文春文庫の『プロ野球ヒーロー伝説』って本で「チェーンエース」という名前である程度詳しく紹介されてた記憶がある
別所〜杉浦の間に短命のエースが何人もいたってことで 木村保が酷使で潰されなければ
パリーグの歴史は変わっていただろな >>448
文春文庫
無くしちゃったから再販して欲しいw
numberと連繋してた記憶
豪打 助っ人 攻守走の伝説シリーズ
ヒーロー伝説は表紙と共に権藤博が
トップで取り上げられてたな チェーンエース・・・か
野村ヤクルトもそういうことがあったけど次々出てきて
チームは良い成績を残していたな
川崎 西村 岡林 荒木 田畑 内藤 伊藤智仁 加藤とか
長くいたのは石井久と高津くらいで・・・ 門田頑固伝説。月間本塁打記録を更新したとき、東京の記者にはあまりしゃべらなかった。理由は「東京の記者は普段は見向きもしない癖に、記録を作ると、こっちの迷惑も考えないで押し寄せる」。皆さんの知ってる伝説はありますか? 学園前の焼肉屋「かんてき屋」に現役当時はよく行っていた 門田は家族の問題もいろいろあったからな
家族思いだよ
難波なら学園前から電車で通勤できるからね トリプル山内
山内和って中日にトレードされた記憶あるけど
中日の誰とトレードしたんだっけ?
ダイエーになってからだったかな? >>457
オリックスの神戸移転で通勤距離が長くなる事や、
子供の進学で単身赴任が可能になったという環境の変化で、
ホークス復帰を決めたと当時報じられていたな(漏れは読売でその記事を見た)。
また「ダイエー戦ではヒットを打っても心から喜べなかった」とも。 >>458
杉本正と高島覚。
1990年のシーズン途中で、すでにダイエー。 >>459
>また「ダイエー戦ではヒットを打っても心から喜べなかった」とも。
ダイエー戦でホームラン打ってダイエーファンから
「なんばしよっとかー!?」とヤジられて、それを「難波のショッカー!!」と
聞き間違えていたと聞いたことがあるw 門田が福岡行き拒否したのは、
杉浦との仲が悪かったからじゃなかった? >>460
ありがとう。杉本だったか
中日が田尾を放出して大石と一緒に西武から獲得した選手だね 杉本は星野に干されかけてたとか、
山内は地元が浜松なので少年時代からDファンだったらしい。 >>462
南海末期の門田は毎年年俸で揉めてたから
ホークスそのものに嫌気がさしてたんだと思う
ダイエーになって羽振り良いのを見て福岡移籍もいいかなと思い直したのでは
下衆い書き方だけど彼らは給料もらって野球する立場だからね
実際家族の通学問題はあったにせよ金銭面を考えずに語ることはできないかと 確か87年オフの契約更改でようやく5000万を超えたと記憶してる。(3割30本を久々に達成した年)
他球団では落合(中日)や東尾(西武)が1億な頃ね。 9月に首位と4ゲーム差にまで迫った87年のオフは契約更改保留が続発した >>467
身売りした理由の一つに高い年棒は出せないこともあったらしいよ
実際身売りの話はもっと前からあったそうだけど 84年から4800→4800→4300→4000→6200。門田の推定年俸。84年は、日本人で15位以内だったはず。87年の4000の頃は、近鉄の大石や大洋の高木豊より安かったし、掛布の半分程度。 ちなみに>>454の月間最多は西武の杉本正から打った満塁本塁打。
チームも9対4で勝って勝利投手は山内新一。 新一のような寡黙なエースはいいな
同じくらいの勝利数の星野仙一と比べればよくわかる 税込の年俸で推定されてた人と、税引き後の手取り額で推定されてた人がいて
門田は後者の方でゴニョゴニョ 門田が本塁打数の歴代三位にまで登り詰めるとは誰も思わなかった。 門田はロッテの牛島のフォ-クが落ちる前に打つために打席の前方まで歩いてから打って本塁打したな。門田のプロ生活での悔いは「1試合3本塁打出来なかった」ことだそうです >>474
新一さん感じいいよね。
3勝18敗だったかな?こんな珍しい記録もあるし。 >>479
15の負け越し・・
防御率はどうだったんだろ・・ 山内新一の1978年なら3勝16敗では?
野村騒動で主力が抜けた広瀬南海の元年
当然ですがリーグ最多敗戦という不名誉な数字です
この年は防御率4.91、25試合登板、先発25、154イニング、被安打190でした >>481
当時をリアルで見てたけど、今の時代ならシーズン途中で二軍行き確実な成績なのに、ローテーションからも外れないって凄い時代だわ。
この年に日ハムからトレードでやって来た杉田も酷い成績なのに1年間ローテーション守りました。(笑) 山内はあれだけの実績がありながら引退後は球界からサッと身を引いたな
未練がなかったのか声がかからなかったのか
南海のエースとして長く活躍した投手だから、
後者だとは思えないが‥‥ 78年レッズが来日した際、甲子園での全日本メンバーに森口が入っている(登坂せず)。自分は、中継ぎで炎上している森口しか知らないから、どうしても信じられ無い。 そういうので選ばれて投げないってふつう無いだろ・・・
急にどっか痛めた? >>486
翌日の大阪球場での、南海・近鉄・巨人連合軍の試合では投げている。78年は、藤田学が16勝してるが、全日本、連合軍の試合ともに、ベンチ入りすらしていない。森口は、その代役だったような気がする。 金城の阪急キラー、森口のハムキラー
阪急はアンダースローのエースを擁しておきながらアンダースローに弱かったな 山内新一で思い出したんだが、当時の近鉄で鈴木が登板する時の捕手は梨田ではなく必ず有田だったってのは皆さん御存知だと思いますが、山内新一が登板する時の捕手は必ず黒田でした。
後にドカベン香川が入団しても山内新一と黒田のコンビは続きました。 レッズ対南海近鉄巨人を観戦しました。
先発は新人王を獲得した村上之宏で、その速球にレッズ監督は大リーグでも通用すると絶賛したと翌日のスポーツ新聞にありました。
この試合は河埜兄弟が二遊間を組んで話題になりました。
村上は日ハム古屋(現阪神二軍コーチ) との新人王争いに勝ちましたが、その後は鳴かず飛ばずでしたね
長文と連投スマソ 81年ロイヤルズが来日した際、南海から全日本入りしたのは藤田学だけ。指名打者を使わないからか、門田は外れている。当時の全日本の四番は山本浩二だが、門田はその前後を打つべき打者。この年の門田なら、2試合で5〜6打席立っていたら、ホームラン1本は打っただろう。 藤田学はロッテの三井と同じで素質も期待も高いが
けがに泣いたね >>487
そのときは近鉄ファンは巨人の選手が出てきたらブーイングで
南海ファンは巨人の選手が出てきたら拍手と言う変な光景があったのでは? 金城のフォームはすごいな 手の上がり方が・・・
アンダースローだが速球派だった よく三振を取っていたな >>483
42勝77敗11引き分け勝率353
先発➡山内新一、佐藤ミチ、藤田、森口、杉田、村上之
中継ぎ➡佐々木、星野、平沢、村上之
抑え➡金城、村上之
フル回転の村上之宏は5勝8敗3Sで新人王に。
山内新一は3勝16敗、藤田は16勝だが11敗。
阪急の176本塁打に対して78本、199盗塁に対して79盗塁、3割打者はメイひとり。
南海の歴史上最低のシーズンでした。 >>497
借金35・・・
90年の田渕ホークス並みの酷さだ チーム
首位打者 メイ.312>佐々木.273
本塁打王 門田、片平15<岸川20
盗塁 河埜15<佐々木19
最多勝 藤田16>村田、山内孝7
最多敗 山内新16>村田15
防御率 藤田2.87>井上4.70
最多セーブ 村上之、金城3<ゴセージ8
どっちもどっちだが貧打の度合いは78、倒壊の度合いは90が酷いのかな ダイエーになった途端にテレビ中継(サンテレビ)が増えた >>499
村田と山内がたった7勝とは・・
豊彦はそれ以外か・・
後に貴重な中継ぎになった
巨人からトレードで来た吉田修司がまだ居ない頃か・・ 79年、80年は、飛ぶボールの影響で、南海も極度の打高投低。藤田学の故障離脱が痛く、80年は村上、森口がサンドバッグ状態ながら、ローテから外せ無かったし、佐々木宏一郎や上田次郎が先発してたぐらいの投手陣だったからね。 弱い時代に金城が二年連続で最優秀救援のタイトルを獲ったのは
天晴れでした。 >>502
近鉄が2連覇した時だね
暗黒時代のホークス投手陣はよくフルボッコにされたもんだね 80年の門田メイ片平岡本の左クリーンアップは中々の迫力だった
その中で期待の岡本圭右がいいところまで行って失速してしまったのが残念 岡本もいい素質持ってたけどイマイチ開花できなかったな。
4,5年くらい続けて半レギュラーみたいだった。 >>491
インタビューで
「俺がドカを指名してたみたいな事を書かれて腹が立った。冗談じゃない。打線が弱いからだよ。捕手としては嫌だった」
ってズバリ言ってたな。香川が死ぬ1,2年くらい前。 ははは…香川はチームメイトからしても扱いづらい選手だったんだなあって… 解説者時代の野村の本によると香川は
「〜さん、そこに置いてある俺のグラブ取ってよ」とか先輩に言ってたそうな
悪意はないのだろうが、あれではどうしても不興を買ってしまうと書かれてたな 背番号0の立石氏が80年代に
隠し玉を成功させて『プロ野球 珍プレー 好プレー』で大賞を取ったことがありました
覚えているホークスファン居ますか? >>508
週ベに「正捕手の矜持」とかいう記事がホークスのページに載ってたのにw
エース孝徳は香川、って理由に >>499
投壊は79から81のほうが酷くね?
チーム防御率5点台 >>511
覚えてるよ
今年から楽天の2軍コーチやね
コーチとして5球団目、指導力があるんやろね >>514
立石氏嬉しそうにしてましたね
バナザードのバットが飛んでって
バナザードが自分でバットを拾いに行って
その時のビビってたピッチャーが大賞を取ったこともありましたねw >>506
一塁手か外野手で、左投手先発ならベンチ。片平、山本雅、高柳、山村、山本和あたりと併用。結局は、抜きん出たものが無かったんだと思う。 岡本って同時期に阪急の岡本一光もブレイクしかけた印象がある。 >>508
そんなキツい言い方だったか?
クイックや牽制が得意だから上の意向で組まされてて
香川のバッティングは確かに魅力だけど
投手としては点とってもらうよりまず自分がとられないことを考えるからと
かなり気を使った言い方だったような記憶があるが 香川はベストナインの83年に、ゴールデングラブ賞0票という、珍記録を作った。おそらく、今後二度と無いだろう。
それだけ、守備がお粗末だったんだろう。対する吉田博之も、リードに問題ありと言われていた。 吉田は吉田でオリックスからトレード移籍してきた内田にあっさりレギュラーを追い落とされたからな ブーマーにタックルされて吹っ飛ばされても
ボールを落とさなかった内田はガチ!! >>519
規定打席に達してないのだから本来はベストナインもおこがましいくらいだよ。 >>519
この年のパリーグの捕手はよっぽど成績がひどかったのかな。
該当者なしでも良かったのでは。 >>517
3打席か3試合連続ホームラン?
パ・リーグアワーで見てたわ >>522
優勝チームの規定打席未満の捕手の受賞は、ちょこちょこある。規定打席403に対し、香川は363で、3割1分3厘。もう少し守備がましなら、異論の声も少なかったんだろうが。 83年の捕手で規定打席に到達したのはハムの大宮だけで、123試合 417打席.230 8本塁打。
ゴールデングラブ賞は近鉄の梨田で111試合357打席.268 8本塁打。
但し有田が77試合220打席.232 17本塁打で、近鉄は正捕手二人制という印象。
優勝した西武は大石、伊東、黒田が日替わりで正捕手不在。
そうなると捕手としてはずば抜けた打力と人気を誇るドカベンに票が集まるのは、やむを得ない所か。
特にセリーグ担当の記者はパリーグをあまり知らないだろうし。 >>521
阪急時代もバークレオにフライングクロスチョップ食らってたよなあ
あれドカちゃんにやってたらどんな結果になってたのか見たかった
「ゲッザファッカウェイ このブタ野郎!!」とかのセリフつきで >>519
香川がベストナイン捕手に選ばれたときプロ野球ニュース解説者の豊田泰光が
苦笑いしながら「香川ってキャッチャーでしたっけ?」と皮肉のコメントw ポジションの違いや、様々な要素があるとはいえ、香川がベストナインを受賞したのに、翌年の河埜が外野手で次点だったのは、なんともやりきれない。 >>510
ただ、ノムさんはドカベンの打撃センスやスター性を評価もしていた。
自分が指導すれば、捕手としてももっとレベルアップさせてやれるのに
と思っていたかもね。 ドカベンはオールスターの頃まで首位打者争いをしていたよね。
規定打席未満なのは何故だろう。 ホームのクロスプレーで、もう8割方アウトのタイミングなんだけど
西武の秋山が突っ込んできて、香川がブロックしてアウト。
秋山も半分諦めた感じで、怪我しないようにやさしくスライディングしたら
香川の上に座る感じになっちゃって、そのシーンを撮ったカットがもはやギャグだったw
香川ももういないし、捕手のブロックももう出来なくなっちゃった。 >>531
確か腱鞘炎のせいだったはず
体型に似合わずバットコントロールが巧くて器用な面もあったけど
手首への負担も大きかったのかも 西武戦での香川と言えば88年に満塁から代打で決勝タイムリー打った試合があったな。
ラジオ聴いてた記憶がある。その前に立花がハーフスイングを巡って退場した試合だ。
ラジオ越しに西武の抗議シーンの時に南海ファンからの野次がいっぱい聞こえた。 しかしそれ以降の西武外国人は当たりが多い
だからこその黄金期ともいえるが
根本人脈は外国人ルートにも精通していたのかな 乱闘を止めに入った時に
ディアスにふっ飛ばされた小柄な小川さん
背番号1 関西で南海最後の試合は「行ってまいります」の翌日の藤井寺。
西武に優勝させたくない南海ファンは「西武を倒せ!」の声援だった。
まさか近鉄に勝たせたいと思いながらその試合観てたのかな?
俺は西武の結果はどうあれ南海を応援してたけど。 ドカベンの三塁起用は徹底して欲しかった。
あれが最後のチャンスだったように感じる。 とはいえドカベンの三塁挑戦は本人の数字が伴わなかったからね 故久保寺、山村、博史、若井…
藤原さん無理に引退させたバチがあたったのか、最後までサードが埋まることはなかったな >>540
88年は若井が開幕早々エラーを重ねて自信喪失。一塁の藤本博を三塁に回し、河埜を一塁。一塁に藤本、三塁に河埜の方が無難そうだが、藤本を育てたかったんだろうね。 >>541
若井はイップスになってしまっていたのかな
あの頃はそんな考え方自体野球界に無かったけど 堀込基明は地味な数字の割にベストナインになってるけど
どんなタイプ、もしくは何が特長の選手だったの? 南海の末期はベストナインとかもあまりなかったからな
それでも83年は門田がホームラン王で山内和が最多勝、門田と香川がベストナインと明るい話題が多い年だったな >>545
オールスターも野村退団後は、せいぜい3〜4人。そんな中、藤原、門田、山本和が最優秀選手に輝いた時は嬉しかった。
ただ、近鉄移籍後に新井が初出場と知った時は、なんか哀しくなったのを覚えている。 穴吹監督一年目の83年は『儲かる野球』のスローガンと
西武戦に善戦した事でも話題になりましたね。 広岡監督が穴吹監督のガッツポーズを見るとが非常にむかつくと言っていたのが印象的だったな 広岡は意外と穴吹を評価していたからな
低迷の時代に相手してくれたのはなぜか辛口の広岡だった
六大学組だからかも・・・ 広岡は育成できる監督を評価する傾向にある
西本御大のことも敬ってた 逆に三原や仰木のような用兵・戦術中心の監督への評価はいまいちだったな。 この時期になると大阪球場の阪神とのオープン戦をよく観に行ったな
阪神が嫌いだし当時は交流戦もないからオープン戦ならではの面白さがあった。
85年からは甲子園での阪神との日本シリーズでレフトスタンドを南海ファンで埋まるのを夢見ていた。
03年は半分願いはかなったけど甲子園では全敗したし南海ファンはレフトスタンドのほんの一角しかいなかったから
結局俺の願いはかなわなかった。 広岡の見方は、会社の経営者としては正しい見方だろうね
その時だけの利益を上げずに将来も見通すというやり方
しかし、プロ野球は一年一年勝負だからな、監督はつらいね
だからこそ、良い投手を酷使してしまうのだろうけどな >>549
釣りだとしたらヨーヨー釣りより地味だが 84年オールスターのファン投票で、門田が外野手2位で選ばれている。前年までは、かすりもしなかったのに、何故この年急に票を集めたのか? >>555
前年の83年に本塁打王のタイトルを獲得したからでは?
あとこの年のオールスターは江川の8連続奪三振が有名だけど、
幸か不幸か門田はこの時打席に立たなかった。 門田ってああいう投手には人一倍燃えるタイプだし、代打でもいいから出てほしかった >>557
門田は江川降板後、最初の打者福本の代打で、鈴木孝政からセンター前ヒットを放ち、代走高沢と交代。
江川8連続奪三振の8人目は、投手の代打クルーズで、次が阻止した一番打者大石。最初から、投手にクルーズ、福本に門田と代打の順番が決まっていたをだと思う。 長島一茂の新人時代のオ-プン戦で三塁手の一茂に門田がセ-フティ-バントしたときは球場が沸いたなぁ。門田いわく「たまにはファンサービスしなきゃ」 怪我復帰後の門田はHRばかり狙っていたイメージがあるけど
チームバッティングもちゃんとやってた(まあ当たり前) 「スクイズだ スクイズだ なんと門田がスクイズだ〜」
なんてシーンが某マンガで二度もあった
たしかに現実にあれば見てみたいシーンではあるがなあ 「はみだし刑事情熱系」で平泉成が演じてた役名が杉浦克也 >>561
マンガだからね。実際に球場で観戦した試合で、門田のスクイズが決勝点になったとしたら、あまり嬉しくない。相手投手が、パ・リーグ四天王なら、なおさら面白く無い。横綱同士の一番で、変化相撲を見せられた気分になる。 ロッテの荘投手がタイミングを外すために投げたスロ-ボ-ルにタイミングが合わずに凄いフルスイングの空振りで尻餅ついたんだが、その日一番球場が沸いた。門田って空振りでも銭の取れる選手なんだよな ブレーブス時代にセーフティーバントの構えをして驚かれていたな 近鉄戦だったかで一度門田のセーフティーバンドを見た。
そのあとナイマンのホームランが出た。 門田とか、後のガッツ小笠原とかは空振りしても
空振りとった投手の方がそれにビビることが少なくなかったしね。
ストライクとった方が有利になったのに、逆にそれで腕が縮こまっちゃう。 三浦清弘氏死去(元プロ野球南海投手)
時事通信 3月27日(日)18時24分配信
三浦 清弘氏(みうら・きよひろ=元プロ野球南海投手)27日午前4時30分、
肺炎のため大阪市内の病院で死去、77歳。大分県出身。
葬儀は家族葬で行う。喪主は長男の太士(ふとし)さん。後日お別れの会を開く予定。
大分・別府鶴見丘高を経て、1957年に南海(現ソフトバンク)入団。
プロ19年で553試合に登板し、132勝104敗、防御率3.09の成績。65年に最優秀防御率のタイトルを獲得した。 いい投手だったけど敗退のうわさがありトレードだったかな
杉浦・皆川・森中・三浦・・・
三番手・四番手までがしっかりしているチームは優勝できる 斉藤学、池之上格、景浦安武、立石充男、山田勉の応援歌を知っている方いらっしゃいませんか? ソフトバンクホークスは三浦が亡くなったのに喪章付けてないな。 >>515
あれって、わざとなんだな。
野球には不文律っていうルールに無いお鉄の掟があるなんて全く知らんかっよ… >>573
ホークスOBでなおかつ、福岡の球団(太平洋クラブ)でもプレー経験ありといっても
今のファンにとったは誰?の一言で片付けられるんだろうな >>576
野村は今でも三浦を嫌っているのかな?
72年のローテ投手陣から渡辺が家業の都合で引退してコマが足りないのに
それでも三浦を追い出したぐらいだからな >>577
全盛期が鶴岡の時代だし、野村が気にいらなかったとは思う。
ただ、野村はトレードに私情ははさまない主義だから三浦の限界
を感じていたのでは。
気に入らないからトレードしたと言われている国貞、富田も真の理由は
ミスが多く、細かい野球に適さない。腰に故障を抱えており、ずっと
戦力にはできない。という事みたいだからね。 三浦が退団することになったのは、野村への不満を
投手陣を代表して三浦が具申したせい
言うこと聞かない選手は放出されても仕方ないという見方も出来るね
富田のトレードは結果的には成功だったけど、広瀬曰く
成立した時チーム内の動揺は大きかったらしい
鶴岡親分の後輩、しかもドラ1選手を放出するという行為を、
野村の専横と捉えた選手も少なくなかったとか 門田が2年目に3番を任された時、前年に3番を打った富田の数字を強く意識したらしい。引退後の二人の数字を見たら、信じられないことに聞こえる。 残念なことに俺が知ってる南海時代の名選手は門田だけだ。
野村は既に引退してたし。強いときなど全く知らない。4位すら1度だけ。 柳田が13試合連続四球で1968年の野村を超える球団記録。
日本記録は現会長の18試合。
シーズン四球も同じく現会長の158だがこのままいくと軽く超えてしまうペース。 今日、広島VS中日の試合をしている呉ニ河球場って確か南海が春季キャンプに使ってた球場のはず。
テレビで見てたら古めかしい感じの球場で、解体されずに今までよく残ってたな〜と思った キャンプも金がないなら呉に行かずにずっと中百舌鳥でやればよかったのにな。
呉なんて大阪と気候は変わらないよ。
沖縄、鹿児島、宮崎、高知の南国でないと暖かくない。
当時は巨人がグアム、西武がハワイ、近鉄がサイパン、中日がオーストラリアの海外キャンプだったな。 鶴岡親分の実家の近所だかららじゃないの?
ウィキで調べると同じ町内からたくさん野球選手が出てるんだね >>584
いっそのこと大阪球場でやりゃ良かったな。 >>584
和歌山は?
南海電鉄で簡単かつ安上がり >>584
広瀬が監督の頃に高知の大方でキャンプをやった事があった。 その頃は在阪4球団全て高知県でキャンプをしていたな
南海 大方
阪急 高知
近鉄 宿毛(すくも)
阪神 安芸(あき)
そのおかげで普通なら絶対に読めない地名を覚えたわ >>585
広島の地元紙・中国新聞は南海のキャンプ情報の報道など皆無・・・ 日ハムが千葉の鴨川だったり大洋も静岡だったり昔はキャンプ地も割と近場なところもあったな >>593
南海最晩年だけどキャンプ見に行ったら結構見物がいて、なぜか湯上谷が若い女の子の黄色い声援を受けてたよ >>595
色白でスラッとしていて「センスの塊」と呼ばれていたからな
細かい顔の造作については不問にされていた感がある >>594
福岡時代のライオンズも近場の島原でキャンプ >>593
支那新聞は、長年カープ以外は適当な扱いだったからなwwww
カープだと二軍の試合まで載せるぐらいだが。
おまけに論調は左翼だしwwwwww 古い時代には南海ホークスと広島カープは親戚のような
親密な関係だったそうだけどね
お互いのトレードもよくやっていたし
広島県出身の鶴岡親分の存在が大きかったのかな >>599
南海末期までその影か残っていたな。
ダイエー売却後徐々に疎遠になった気がする。 確かに。ダイエーになってトレードそのものは激増したけどなぜかカープとはあまり無かった。
完全試合のシーンで必ず映る(けど鈴木康二郎みたいに知名度は無い)御船くらいかな? >>600
「友情トレード」とかいうクソ気味の悪いフレーズで結構な数の選手が移ってきた
カープ黄金時代の余韻で、誰かモノになってくれればと期待をかけたものだが
本村、松林、小川、榊原…どいつもサッパリだったな
田淵前の森脇、永田、山中、伊藤についても似たり寄ったり 古くは田中尊が広島に移籍してから正捕手に
野村古葉ルートが出来てからはそのパイプがより太くなったな
金城福士のトレードはお互いが「ノムさんじゃなきゃ出さない」「古葉相手だから出した」と
言ってたくらい >>602
77年以降も野村が在籍してたら80年の日シリで対決してたかもしれんな
(79年は門田がアキレス腱断裂で長期離脱してたから優勝は無理だったと思うけど) いつも思うのだけどアキレスけん断裂ってどれくらい安静にしてないとダメなんだろ?
門田は2月にやって9月には戦列に復帰してたよな。
84年の定岡は5月にやってその年は復帰できなかった。 >>608
森下整鎮の平均値をサンプルにしてみては 部分断裂か完全断裂かにもよるけれど、だいたい半年が目安なのでは?
サッカーの世界でもアキレス腱の断裂はたいてい全治6ヶ月くらいだし 大洋の遠藤は87年の終盤にアキレスけん断裂して
翌年の春のキャンプでは完全に治ってた。
原は部分断裂だったから2か月ほどで復帰してた。 門田がアキレス腱をやった同時期に中日の谷沢もアキレス腱を痛めて
長期戦線離脱してたけど、谷沢の場合は断裂してなくて
アキレス腱付近にできてた米粒大の軟骨が折れてて破片が腱に干渉してたそうだ。
その後は日本酒マッサージなどで復活したが、当時の門田はこれも試したのかな? 門田の様にいっそのこと断裂した方がよっぽどマシで 、谷沢のアキレス腱のケガの方がたちが悪くて治療が大変だったらしい
アキレス腱で思い出したけど、1978年のシーズン途中に退団したピアースに代わり入団したトーランって外人がいて、俊足好打の前評判 だったが過去にアキレス腱を2回断裂していて全然打てない走れないで、解説の岡本伊三美もボロクソ言うとった トーランのバッティングフォームはすごくユニークだったな
グリップを高い位置まで上げて、引き付けるタイミングでストーンと低い位置まで下げる
よくあんなフォームで打てるなと思ったもんだ ピアースも凄いオープンスタンスで
竹之内みたいな変則フォームの類だと思ったw 御堂筋パレードの年の選手名鑑がつべに上がってるけど
そこでシリーズを観戦する力道山の姿がチラッと映ってたな 山本功(ニセこうじ)が亡くなったけどドラ3で南海を蹴っているんだな
佐藤道とか門田が入ってきたころ
巨人に行ったから出番はあまりなかったが
当時の南海ならジョーンズと併用でその後は中心だった可能性もあるね
たしか、実家は南海ファンだったという話を聞いたことがある 当時は進学内定選手も取り敢えず指名してたからね、法政に決まってたら難しいだろう。 エカはファンクラブに入会していたほどの南海ファン
指名された時は誰もが入団確実だと思っていたが、
見識を広めたいという理由で入団を拒否した 実家は中百舌鳥でパン屋をやってて、南海の合宿所にも近い縁もあって
子供の頃から当時のホークスの選手に可愛がられてたと。
ノムさんや杉浦さん、皆川さんや穴吹さんらとも面識があった。 兄貴も野球やっていて自分よりも上手かったけど六大学で挫折してしまったから六大学とはどんなレベルか試したくなったと昔週べで読んだ記憶がある。 すごいよな。選手と一緒に球場の風呂に入ってたというんだから。
こういっちゃなんだが、思いっ切り野村騒動に巻き込まれてただろうから
他球団でよかっただろうな。
監督としても再評価されたし。 山本一が南海に入団していたとしてもあっさり放出されそうとも思う 進学先が法大ということでノムさんにあらぬ疑いをかけられる
可能性もあったかも。 南海と近かったからこそむしろ遠慮なく自分の道を行くことができ
出番に恵まれなかったとはいえ巨人に入ったからこそ名を知られることができ
ロッテに行ったからこそ地道に実績を積み上げて監督にまで登りつめることができ
早すぎるとはいえ先が短かったからこそ息子が思い切ってプロに飛び込んでくれた
なんとも味わい深い野球人生というか人生そのものであるな なんか近藤唯先生が描くエピソードのような話だな
「南海の二軍があった中百舌鳥でパン屋の息子として生まれ、
当然のごとくホークス子供の会に入り、当時の一流選手に可愛がられて
南海から指名された男がいた。しかし、男の人生なんか何が起こるかわからない
巨人に入団し、世界の王の控えをやり、中畑に敗れ、
ロッテに出た男が、そこで監督をやり、大阪球場で野次られるとは・・・」
なむなむ 色盲の人は広島カープと南海ホークスは同じように見えてたんじゃないかなあ? >>623
どちらにしろロッテに行く宿命だったと。
合掌。 プロ野球選手会による2016年度の平均年俸調査結果
ホークスがジャイアンツを抜いて首位の座に・・・ 高田繁も南海沿線で明治卒業時に指名を望んだが、巨人が指名。 高田もそうなのか 浪商だったね
うちの近所では阪急の住友平もそうだと聞いた 両投げのやつおったやろ
あとはバックネットの広告 フクスケ
MBSがローカルで中継してた 末期南海では珍しいかもしれんが
立浪が熱烈に入団を希望していたな。
もしも入団していればどうなっていたか。
身売り・福岡移転は確実かもしれんが立浪本人の黒い交際も無かったかもしれない たっつが黒い交際なんかしとるわけないやろ
ただの根拠のない噂や >>638
熱烈に希望っていうより
高評価で熱心にアプローチかけてくれたから本人もその気になっていたってとこじゃない
おれ明治だけど星野は本当嫌いだわ
あと週ベの「南海の隠し玉は深瀬だ!」なんていい加減な憶測記事が変に記憶に残るw >>637
キャンプを見に行ったら近田の右投げは素人でもぎこちないフォームだったよ >>636
浪商で同期だった大熊は近大中退で阪急入りして
後に住友と同僚になったが
大熊って東京出身だったのよな ソフトバンクも一度でいいから京セラドームで優勝決めてほしいな
そしたら南海が戻って来た感覚になる 門田の愛弟子、DeNA倉本が開花して3割打ってて嬉しい。
まぁ当初のフルスイング打法とは別の方向に行ってしまったが。
それでもまずはプロで通用する方が大事や。 >>644
そういえば今年は大阪クラシックやらないんだろうか?
ググっても全然情報が入ってこないんだが…
もしやるんなら70年〜71年のホーム用ユニホーム着てプレーしてほしい!始球式は佐藤道郎で。
来年は77年(野村最終年)モデルのユニホームで江夏に始球式やってほしい!
あと、ラッキー7で流れる南海ホークスの歌は合唱団verを流してもらいたいと思ってる。 佐藤道郎はおそらく体力なさそう
西岡三四郎でお願いします >>647
ちなオリですが、残念ながら今年は大阪クラシックやらないそうです。
>>644
去年は本当に惜しかったですね。
M2で京セラでホークスが勝って、1時間待機したけどハムも勝って京セラでの胴上げが無くなったんだよね。
で、現在オリックスは1980年から36年連続本拠地で胴上げをされていないという謎の記録を更新中ですw ソフトバンクもポストシーズン以外は本拠地で胴上げされてないな >>649
江本は一昨年にやってほしかった
この年のホークスは72年〜76年のユニホーム着てプレーしてたから 村田兆治みたいに鍛え続けている人は南海にはいなさそう
まあ、あの人は例外だろうけど・・・ >>652
野村派はお呼びでないのかな。
所で野村派のメンバーは野村、江本、江夏、柏原、高畠、片平、新井でfa? 一応佐藤も
稲尾がロッテの監督就任した時に、その伝手で投手コーチになってるし
藤原も野村時代のことは楽しく話すけど
さすがに野村派には入れられん 江本はCSプロ野球ニュースで、自分もホークスOBなのに現球団は扱いが醜いとか言ってたし、
ユニフォーム云々で集客するのは本質的じゃないとも。
まあ、いざ自身にオファーが来たら受けそうだけど。
野村派、コーチ陣だと柴田、松井、黒田の控え捕手出身者 野村派と云われる人は、みんな他球団との結びつきが強くなっている気がする、 始球式に近田を左右で投げさせる
始打で渡会純男がでてきたと思ったら偵察メンバーで
交代がつげられ王天上がでてきたらウケると思う 野村を慕っていた人でも、その後のあまりの変貌に離れた人も少なくないしね。 今日のサンテレビ中日阪神戦は福本と黒田のダブル解説だった
アナ「御二人は同学年なんだそうですね?」
黒田「同学年と言ってもレベルが違う、こっちは世界の福本だもん」
福本が「いや〜この人にはよく殺されましたよ〜」
と言うので謙遜か御世辞かと思ってたら
アナ「黒田さんは南海時代の1980年に1試合にナント3回も福本さんの盗塁を阻止したことがあるんですね、福本さん覚えてます?」
福本「覚えてますよ!何で成功できないのか不思議でしたよ」
アナ「黒田さんは覚えてます?」
黒田「もちろん!僕の数少ない勲章ですよ(笑)」
当時ドップリと南海に浸かってたけどこ、このエピソードは知らんかった
OBの昔話はエエもんです 佐藤道郎、稲尾ロッテの後なぜか星野中日で投手コーチやってた
>>659
高畠か それこそ稲尾ロッテの縁じゃない?落合在籍時と重なるよ 高畠が六番打っていたころ応援していたが
先発したり出てこなかったりだったな
岡本圭右みたいな感じだった 稲尾監督、佐藤コーチ、落合選手の三人が首脳会談してたんだよね。
稲尾さんの落合の寵愛ぶりは凄い。 高畠もロッテで長くコーチやってた
稲尾の時もコーチだった
愛甲がロッテで良かった理由の一つとして
高畠さんに指導を受けたからと言ってたな 高畠の教え子は藤原を皮切りに、落合、西村、高沢、水上、
田口、小久保、アリアス、サブロー、福浦
中西や山内と共に指導した選手もいるけどな 昨日のぷいぷい、銀シャリが寺町商店街めぐり 京屋スポーツで、去年の大阪クラシックユニもどき?全面に妖怪の文字 外国人お土産と大将のコメント。ちなみに
大将は顔撮影拒否。 南海存命中に2chのたかせんがあったら面白かっただろうな 近鉄→うしせん
阪急→ゆうせん
ロッテ→オリせん
大洋→くじらせん
たかせんは毎日反省会 今みたいにBSCSで全試合中継がない時代
10時前にテレビでやってたプロ野球速報で南海の試合結果を知るのが日課だった
巨人戦中継での途中経過で南海リードしててもプロ野球速報で結果みると逆転負けしてて凹む事が多かった MBSラジオのGoGoホークスを聞いて今日の先発を知り、ダイナミックナイターの阪神戦で途中経過を集中的に聞くのが日課やったな
時たま憎っくき近鉄バファローズナイターを聞かざるを得なかったこともあったけどw ちなみに久保寺の訃報を知ったのもシーズンオフ中のGoGoホークスだったな ttp://i.imgur.com/T0HOuV5.jpg 昭和50年代に南海ファンの知り合いいたけどみんなからバカにされてたね むしろ俺は弱いチームをも愛せる男だと軽く優越感にひたっていたフシがあるな
そういう点はバカにされてもしかたないかもしれんw 概ね同意だが、南海ファンなんて人に言えなかったろ。
親にさえ言えなかったぜ。 >>677
そもそも親父が南海ファンだったから問題なし
ただ黄金期のファンだったから「なんであんな弱なったんや」としきりに嘆いていた
それを見て「ケッ俗物が」とか内心毒づいたりしてもう最悪w >>678
南海ホークスを馬鹿にしてるとしか思えない。 >>680
>「なんであんな弱なったんや」
・野村を解任したから
・野村を慕ってた江夏と柏原も移籍したから 野村は後年「僕は女房が原因で監督を2度クビになりましたから」と語ってるから
そうなんだろうね チャイは野村から広瀬に変わって野球が全く変わって現場が混乱したと言ってた。
間違いなく80年代初めまでは影響あっただろう 噂されるような野村時代のデータ破棄まではなかったと思うが
(既にデータ野球時代になっていたし)
戦力は大幅ダウンするし指揮作戦系統は混乱するし
迷走したのも無理はないだろうな。
南海も広瀬時代の低迷で見限って支援を大幅に減らした 破棄したと言えるはスパイ野球だろうね
広瀬は蛇蝎のごとく嫌ってたし
さすがにデータまでは捨てなかったと思うが、
野村亡き後の首脳陣が上手くデータを活用した野球を
出来ていたとは思えないな
その後のブレイザーも選手に意識改革を促す監督ではあったが、
その選手を信じてか采配そのものは消極的だった印象がある >>688
門田も打席でのスパイ野球を拒否して
ノムに睨まれたが続けてた連中は
結果消えていったから我を通して良かったと
引退後のインタビュー記事にあったな 川勝オーナーは80年に野村が現役引退した時にでも野村邸を訪ねて
「頼む!戻って来てくれ!」「南海を再建してくれ!」
「その代わり、奥さんはベンチに入れないでくれ!」って頼みに行くべきだった
野村が監督として復帰すれば、阪神の監督を退任したブレイザーもヘッドコーチとして復帰
広島に行った江夏も「野村さんが戻るんなら僕も」と南海に復帰
もしこれが実現してれば81年の日シリは南海対巨人になってたかも? いやいやいや・・・
あらゆる可能性を尽くして再度野村が監督になれたとしても
そんな奇跡を起こす力は持っていないから・・・ ファンブックの復刻とか無理なんかなぁ。
もう南海グッズはいらんから >>694
穴吹監督が一軍昇格するオフだったと記憶している >>696
いちゃもんつけるつもりはないが
指導者に対して「一軍昇格」という言い方にはやや違和感あるな
特に穴吹さんなんて二軍監督が天職のような人だったし 山本氏の実家とされる大坂中百舌鳥の
商店がずっとシャッター閉まったままなんだが・・
もう廃業されたんかな?
近所だからしょっちゅう通るんだがまさか、プロ野球選手の
実家だとは思わんかったわw
なかもず球場の存在は知ってたけど >>688
週べのインタビューで広瀬が
「阪急とか選手が力あるチームはやっても問題ないが
南海は選手がそこまでではないからああいうのに頼るとダメになる」
とか言ってたの過去の週べの記事取り上げてるサイトで見た 鶴岡門下生らしい意見ではある
鶴岡親分もデータを閲覧し活用するのは采配を振るう首脳陣だけに
限定していたそうだからな
それを蔭山コーチに任せていたわけだが、
データの実用性に気付いた野村と後に蜜月関係に ttp://blog.goo.ne.jp/grussgod/e/0389cc610ca48031cbb50b226394abe2
ちなみに元記事 週べ47ページでノムさん久々の鶴岡批判(三原・水原と鶴岡の比較) 野村も、鶴岡に対しては尊敬する部分とと批判的な視とが入り混じっているからな。
鶴岡殿村といえば、NHK広島局の中国ブロック中継が、
広島対ヤクルトで解説が鶴岡というのがあったが、
野村の采配についても個人的な感情は抜きにして、公平に解説していたな。 どうも誤変換が多くてスマソ。
鶴岡殿村→鶴岡と野村 NPO誇大広告ハローワーク指導員じゃちょうバイトレベル
ハドソン川汚染水道水ゲーム情報サイト
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノックの刑)
練馬区公私混同騒動
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題(クラブビジネス使用クラス記者 鶴岡勇退以降、69年・70年〜71年・72年〜76年・77年・78年〜79年・80年
81年〜83年(78年〜79年と同タイプ)・84年〜88年と、ユニホーム変わりすぎだろw
他球団のユニホーム事情はよく知らんが 77年(野村最終年)の、袖に緑・赤・黄のラインが入ったユニホームが
個人的に気に入ってる
来年の大阪クラシックはこのユニホームでプレーしてほしい
始球式は江夏で! ユニフォームはやたらと変えるもんじゃないと思うよ。
巨人も阪神も昔のままのほうがいいよ。
ヤンキースは大昔から変わってないんだし。 阪神は輝流ユニフォームのほうがいいな。
デザイナーがやらかしたけど。 >>706
公平に解説するは当たり前。
他人の悪口をテレビや新聞で言いふらしたり
著作に書き残す人間のほうが珍しい。 予算の都合で実現はしなかったが、野村は日拓の七色ユニフォームのような
あらゆるデザインのユニフォームを12種類考案しとっかえひっかえして
注目を浴びようという案を練っていた
といっても、沙知代のペットマークの件があるからきな臭くもある話なんだが ダイエーになって球団歌が変わったけど
雰囲気がかなり違う感じだったな 蔭山似の歌丸が勇退したことで笑点から緑色が消えてしまった…
>>717
「いざゆけ若鷹軍団」の事?
それとも、「ダイヤモンドの鷹」の事? ダイエーになっても平和台時代はまだ南海色が強かったな ダイエーのロゴマークも一時期はオレンジと緑だったし
ビジター用のジャンバーの色も緑だったな >>720
緑のジャンパーはダイエーのセカンドカラーである事と
旧南海からの人がの多いビジターのファンへの配慮とが言われていたな。 >>715
昔のローカル系は酷かったぞ
相手チームとか特に敬意の無いくさしが当たり前 >>721
吸収したユニードが緑だったから
両方使ってるのかと思ってた >>722
広島でも濃人渉は、
ただのカープファンのオッサンの雑談みたいな解説だったww >>724
達川とかも昔は結構きつかったらしいな
福岡も若菜とか基とか藤本とか結構ひどかった気が
スカパーとかで全国放送するようになってから
どこも抑えるようになってる気がする。 >>725
全国ネットだとまともで、ローカルだと毒が強いという人はよくいたな。
南海の話に戻れば、
南海OBの解説者では鶴岡・野村は別格だけど、
それ以外で全国ネットの機会あったとすれば、フジ・関テレ時代の岡本かな? 岡本さんは温和なしゃべりなので
内容はともかくそういう風に聞こえなかった NHKBSの新井宏昌のジェントルな語り口調を見習ってほしいね ttp://s.webry.info/sp/zenkyoji.at.webry.info/201605/article_28.html
中西太と岡本さんの対談があったよう
月給3000円寮費3000円てどこのタコ部屋だよw 阪神小山も新人の時
寮費払うと給料無くなるから通勤だったと
書かれてたな 小山はプロ入り時の年俸が6万円、同年南海に入団した野村は8万4000円
ただしその翌年には最低保証年俸が18万に設定され貧乏な若手は大助かりだったとか 太平洋クラブ時代のライオンズは
合同食事を廃止して代わりにミールクーポンと称した食事代を支給していたが
薄給の若手はこれを生活費や娯楽に回していたらしい。
75年頃で1人1日6000円程だから貧乏球団にしては意外と多く払っていた 昨日のソフトバンク対巨人戦でマジック点灯の話になって
実況アナが過去のマジック点灯最短記録は1965年の南海ホークスで
7月6日の時点でマジック62を点灯させたと説明してた ノムさんはファンキー加藤のことをどう思ってんだろ? 1975年度野村克也通算600号本塁打 投手が日本ハム 外人左腕レイ の映像有りませんか。 >>735
6月が16勝1敗で、マジック点灯した時点で49勝9敗。今年のソフトバンクも強いが、65年の南海は桁外れ。ただ、後半は失速して88勝49敗。 1965年は三浦が最優秀防御率もとってるしな。
良い投手だった。 もうあれだな。
関西のソフトバンクファンも南海時代を知らなくて
ダイエーで強くなってからのファンのほうが多いな 関東では近鉄や阪急のホームゲームはたまに放映あったが
南海は激レアだったから一番印象薄い。 時代だわなぁ
若い人達のファンの方が多いし、その年代はダイエー時代に生まれたりしてるしな >>743
>南海は激レアだったから
南海が毎年のように優勝してメディアも多く取り上げていた「いい時代」を
知るオールドファンは寂しい思いをしたことだろうなあ 今のホークスはV4時代の上田阪急や森時代の西武並みに
憎たらしいぐらいに強すぎる。
南海の歴史的に考えると65年シーズン並みのチートぶりな感じか? 憎たらしいぐらいに強いのは晩年の南海の恨みが晴れていい
ただ、上田阪急や森西武に比べると勝ちがパターン化されていないのでさらによい
個人的には今のホークス投手陣はあまり凄いとは思わない
打撃は控えでも他の球団で十分レギュラーと思う >>599
昨年は野村の因縁を回収した、次は鶴岡広瀬か… ソフトバンクも応援はしてるが勝っても特にうれしいわけではないな
南海の時は勝つとうれしかったしハイテンションで学校へ行ってたけどな 今のソフトバンクの強さは他球団から主力引き抜いての相対的な強さだからなー
それこそ一昔前の巨人と変わらんっていう
他所の主力を買い漁って他所は弱くなってこっちは厚みがあれば
最低でもAクラスは当たり前なわけで そうかね?主力の柳田・松田・長谷川は生え抜きで
よその主力って内川・中田くらいじゃないの?
吉村なんて代打程度しか出てこないし 細川、鶴岡、サファテ、退団済みだけど李大浩
ここらは何れも同一リーグからの主力引き抜き サファテは西武じゃパッとしなかったな。
その前の広島時代の印象が強いが。
そういえば、昔の広島は南海の他に西鉄ともトレードをよくやっていたな。 サファテがパッとしなかったのは広島2年目だよ
起用法に不満抱えてメンタルおかしかった >>755
結局は資金力だよね。寮の食事にしても、トレーニングルームにしても、全て費用がかかる。 まぁ、南海が所有してる限り現代でもそれは無かったろうな。 電鉄は土地を持っているからもう少し工夫ができていたらとは思う 今年は大阪クラシック無いらしいよ>>650
もっとも今年やったとしても、バファローズがあまりに弱すぎて近鉄ファンが気の毒になるなw >>759
南海はあまり土地を持ってなかった。
沿線開発も他の不動産会社が開発するほど >>755
毎年の様に電鉄の組合から球団を何とかして現場にカネを廻せ、と突き上げを喰ってたからな。当然親分もその折衝場に居合わせてたから、御察しの通り。 はぁ?
なんで本社の労使交渉に親分が同席せにゃならんのだ? もし今年も70,80年代クラシックやってたら近鉄が南海にボコられるという史実と真逆の絵がw 今年実施がないのは瀬戸山の意向や、
現場が阪急系中心になったのも影響しているかな? それはあるかもね。
単に復刻企画がお腹いっぱい(近鉄復刻は5年連続やった)ってのもあるだろうが
その代わり、今年のサードユニは昔の阪急を思わせる赤白ラインのユニで、
サードユニ専用の帽子は70年代の阪急と近鉄の帽子にそっくりのデザインになっている。 >>737
サンクス♪見たことある映像数秒と全くおなじでした
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サンクス♪見たことある映像数秒と全くおなじでした
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あとヘルニアかなんかじゃなかったかな
シュルツがダメになったのと同じ奴
それで復活にかけて獲得したんだから西武は見る目あったね 広瀬は2年前くらいに福本のブログで一緒に写真に映ってたな
さすがにもうヨボヨボのお爺ちゃんになってた >>765
50,60年代クラシックなら名門南海がピストル打線近鉄を子供扱いと史実通りの展開が
(´・ω・`) 今年は広島が25年ぶりに優勝しそうだが、
日本シリーズがホークスVSカープになったら
ホークスが日シリで対戦するセのチームは5球団目となり
いよいよ残りはDeNAだけになる 日本シリーズで対戦した球団数
巨人…7(H10、L9、Bs8、F3、M1、Bu1、E1)
西武…6(G9、D4、S3、C2、T1、DB1)
ロッテ…5(D2、R1、DB1、G1、T1)
ソフトバンク…4(G10、T3、D2、S1)
中日…4(L4、F2、H2、M2)
ヤクルト…4(L3、Bs2、Bu1、H1)
オリックス…3(G8、C2、S2)
広島…3(Bu2、Bs2、L2)
日本ハム…3(G3、D2、T1)
阪神…3(H3、L1、M1)
近鉄…3(C2、G1、S1)
DeNA…2(M1、L1)
楽天…1(G1)
松竹…1(M1) >>782
なんでそんなもん貼ってんの?
誤爆ですか? >>777-778
77年の野村解任、79年の門田アキレス腱断裂。この2つがなかったら
79、80年に対戦してたかも? 反野村一派の中には、南海に球団を手放してほしいって
考えてる人間もいたんじゃないかな
野村退団後は川勝オーナーの意地だけで続いてるような空気もあった >>785
野村解任のときは知らないが82年には身売りの噂があったらしいよ 川勝オーナーも実は生前から身売りする考えがあったとなにかで読んだ気がするが
来島どっくとかだったかな
あやふやだけど 90年の大阪球場での近鉄戦。
ダイエーが大敗して最下位を独走してた時。
大阪球場は近鉄の物になったのかと寂しくなった記憶がある >>788
青木一三の著書に書かれていた事だな。
ただ、坪内寿夫(来島どっくのオーナー)はセリーグ8球団構想に興味を示していたためか、
この話に乗らなかったとも書かれていた。
同時期に川勝は中内功にも接触していたというが。 今朝の「土曜もアサデス」のスポーツコーナーで
81年オールスターゲーム出場時の藤原の映像が! 今月のスポニチの我が道は村上雅則
明日から南海時代の話が出てくる 藤井寺でボロ負け状態の最終回、隠し持ってた太鼓ペットを持ち出してヤケクソ応援開始の南海応援団。
負け試合を見た帰り、選手球団の悪口を言ってると斜め前に怖い顔した〇〇が座ってた南海電車内。
投手交代を告げる杉浦監督に「お前が投げアホ〜!」と
お決まりの罵声を浴びせる南海ファン。
阪急に快勝した日
江夏柏原を従え、上機嫌でファンのサインに応じ颯爽とリンカーンに乗り込み帰って行った野村監督。
いつもニヤニヤしながらサインしてくれた門田。
南海電車の車輪の音が良く聞こえた大阪球場平日ナイター。
大阪球場の三倍位汚かった日生球場のトイレ。
当時は凄く豪華に感じた西宮球場。
三塁〜ホームに滑り込んだその足で、バッグネットに向かって歩き、ヤジってたファンを恫喝してた近鉄平野。
送迎バスがない為、地下鉄で大阪球場入りしてたクラウンの選手。
清原にキャーキャー騒いでる女子達にエゲつないヤジを飛ばしてた南海帽を被ったオッサン。
包帯添え木をしてる手でサインしてくれた片平。
親指のない手でサインしてくれたメイ。
デーゲーム終了後、長蛇の列のファン全員にサインしてた松田コーチ。 両山内は今の時代なら1軍にも上がれないな
球威がなさすぎる 南海ホークス 選手名鑑 年俸 一覧 1980年
監督・コーチ
70 広瀬叔功 監督 1400万円
71 横溝桂 コーチ 900万円
72 鈴木孝雄 コーチ 650万円
73 小池兼司 コーチ 650万円
76 宮本洋二郎 コーチ 600万円
81 新山隆史 コーチ 720万円
80 穴吹義雄 2軍監督 1080万
79 和田徹 コーチ 540万円
82 林俊広 コーチ 540万円
85 元田昌義 コーチ 600万円
86 醍醐恒雄 コーチ 480万円
87 中原宏 コーチ 720万円
78 田村征男 コーチ 540万円
75 阪田隆 コーチ 420万円
投手
11 星野秀孝 400万円
13 藤田達也 240万円
14 田村政雄 440万円
15 上田次朗 800万円
16 杉田久雄 620万円
18 村上之宏 450万円
20 山内新一 1300万円
21 金城基泰 1440万円
22 森口益光 760万円
24 名取和彦 400万円
26 藤田学 1080万円
31 水谷茂雄 240万円
32 佐々木宏一郎 720万円
34 平沢隆好 380万円
38 永山勝 300万円
40 三浦政基 480万円
45 藤沢哲也 260万円
47 上坂嘉彦 240万円
48 高木孝治 360万円
51 竹内和憲 210万円
52 竹口昭憲 220万円
53 大石弥太郎 600万円
55 松浦正 350万円
56 貝塚博次 265万円
60 大坪幸夫 240万円
捕手
2 香川伸行 240万円
5 伊藤勲 1000万円
10 中出謙二 330万円
35 吉田博之 280万円
39 黒田正宏 580万円
43 岩木哲 320万円
61 羽田広伸 200万円
内野手
1 桜井輝秀 720万円
3 定岡智秋 740万円
7 藤原満 1800万円
8 河埜敬幸 1000万円
9 小田義人 650万円
25 片平晋作 1180万円
29 阪本敏三 500万円 コーチ兼任
33 久保寺雄二 480万円
36 池之上格 400万円
41 立石充男 280万円
46 山本昭良 200万円
49 相片裕二 280万円
57 宮崎弘教 280万円
58 鐘井裕治 250万円
59 永安清己 220万円
外野手
6 新井宏昌 1080万円
17 K・メイ 2400万円
23 高柳秀樹 330万円
27 岡本圭右 420万円
28 山本雅夫 400万円
37 中塚昌尚 290万円
42 王天上 800万円
44 門田博光 1300万円
50 堀井和人 450万円
54 上野克二 240万円
62 中野誠吾 290万円
63 神田大輔 200万円 改めて見ると隔世の感があるな。
当時は1,000万プレイヤーが一流の時代だから。 >>798 投手の竹内と竹口
ドラフト時から区別し難い氏名が印象に残っている。
高校名も似ていた記憶だったが、今調べたらそうでもないね。 >>797
孝徳なんかはプロにすらなれんな
あんなショボい球でエースだったなんて信じられん 孝徳は容姿や投球スタイルが大洋の斉藤明夫に似てたな。
斉藤より気迫その他が不足していたが >>798
アキレス腱断裂でシーズン棒に振ったとは云え
門田と藤原の年俸差が有り過ぎな感
あと移籍組の伊藤勲と阪本は
前球団までの年俸格差がそのまま出てる感
阪本って移籍前なら藤原より選手として格上だったのに
この時代は大物以外は生え抜きと外様の年俸格差が
結構ある感 山内孝徳って、いろんな奴らにシレっと「球威はなかったが、何々‥」
みたいな酷い言われかたをされていたな。田尾、田淵、高代、金村‥ まぁそこに続くのは「シュートでエグる強気のピッチングで・・・」が定番。
でもバックのザル内野のエラーでキレてボッコボコ・・・も定番。 最近の 「西鉄バス」 は、運転士がホークス鷹の祭典ユニを
着用して福岡市内を走行している・・・ 柳田はカープファンだと公言してるから
FA権取得したら広島に移籍するかもしれんな 南海って一軍の超高給取り以外は
親会社の幹部社員の方が高給だったってマジ? 野球で食っていくのは一種のギャンブルのようなものだからな。 だからスター選手は社長令嬢と結婚することが多かったのね。 つーか、今でも数千万もらえるプレイヤーになるには一軍定着は必須条件だからな
万年二軍では一千万プレイヤーにすらなれない
育成契約が存在する今のほうが親会社の幹部よりも低い給料の選手は相対的に増えてる >>798の推定年俸見てると
南海って査定がケチと主観で決めてるのか?と
思いたくなるなw
藤原と門田の年俸なんて他球団なら逆だろw
あと阪本が実績の割に安過ぎるな
藤原より通算成績も格も上なのに
阪急で相当年俸ケチられてたんかな? >>803
阪本の全盛期ってこれより(80年)10年ほど前やしね。年俸が年々ダウンして、コーチ兼任として置いてもらってる感じじゃない? 上田の800万円も同じ理由? 阪本は南海に移籍する前年すでにめっきり衰えが数字に現れてるからまあこんなものかと
ついでに南海に来る前の所属チームは近鉄で阪急じゃない 阪本は阪急〜東映では成績は安定していたのに
各球団の事情でたらい回しにされるうちに成績が低下していった
不運そのものの選手 南海では対左の代打や指名打者が主だったか
ガキの頃は「誰やこのオッサン?」と思ったものだが
改めて見るとご立派な成績だな 阪本で印象に残ってるのは伝説の近鉄平野の涙のバックホームの時に打ったセンター前ヒットだな
しかも、かつての師匠の西本監督の目の前で 阪本と大橋はびっくりしたトレードだったが
互いに成功した 南海は末期ですがね
それにしても大橋穣の守備はうまかったな 南海での阪本は晩年だったが結構チャンスに強くなかなかしぶといバッティングをしてたイメージがあるな 西本御大の著書では、繋ぎに徹する阪本の姿勢はスペンサーに評価されていて
阪急初優勝の時も「サカモトが陰のMVPだ」と絶賛したそうな
後に大熊が福本とのコンビで名を挙げたけど、阪本がそういう気風を
作ってたのかな >>819
同時期に東映と南海で江本孟紀と高橋博士のトレードがあったな。 >>824
黒田の親父が南海OBって事も知らんのか
有名な話やで >>821
阪急時代の阪本は二番が多かったな
東映移籍してからそれまで六番辺りが多かった
大熊が二番定着 77年ユニホームの野村サイン入りと江夏サイン入りが予約受付開始!
詳しくは週ベ111ページを参照! 山内みたいな球威の全くない、とりあえず制球力がありそうな、
でも実は四球がでそうになるとド真ん中に放り投げるだけの奴を抑えにするクレージー田淵
あの起用以上の衝撃はいまだにない 井上裕のはリリーフのままだったら潰れるから
先発転向するよくあるパターンでしょ 中西とか牛島見てるとリリーバーの先発再転向って選手生命を絶つトドメの一撃にしか見えないんだよなぁ・・・ 小松、郭源治、武田は成功例でしょ
あとは近年の摂津も 阪神山本や佐々岡は先発と抑えを行ったり来たりだが長く活躍した ホークスではノーヒットノーランをやったピッチャーが戦後出てないんだよな
これは12球団ワースト記録だよ 柚木、宅和、杉浦、皆川、森中
ここらの大投手を数多く有していてもか
打ち取るイメージが強い皆川はあれだけど豪腕杉浦が
ノーヒッターを経験してないのは意外だな 野村もノーヒットノーランまたは完全試合が出来なかった事を悔いているという発言をしていたな 阪急の戸田にノーヒットノーランをくらった試合を
ラジオ大阪で聞いていた
戸田に妙に弱かった >>840
戸田はその年のオフに稲葉光雄との交換で中日にトレードされたな。
スランプの泥沼に在った稲葉は阪急で見事に復活を遂げただけにな。 野村・南海がプレーオフで阪急に勝ってリーグ優勝したときの試合
(せめて地元だけでも) ちゃんとテレビ放送してくれたのかな? >>798
星野秀孝は中日時代の勝ち星(5勝)よりも南海時代が倍近く(9勝/通算14勝)上回ってるな
引退後は名古屋に戻ってるし、同じく中日勢の戸田や稲葉も最終的には名古屋を終の住処にしてる訳か >>842
テレビで観た記憶があるから中継していたと思う 弱小時代を懐古できるのは、その後、強豪に復活したのもあるんだろうな。今のソフトバンクを応援するしないに関わらず。 >>798
しかし、南海は初期から身売りまで、選手の年俸の低さは変ってないね。
こういう点は「南海ホークスがあったころ」で指摘されてないけど。
当時のファンは選手の年俸の低さをどう思っていたのかな。 >>846
上で書かれてた
親会社の社員の方が高給ってのも
冗談に思えんわなw
あと査定基準も
藤原より門田の方が低年俸って
他球団じゃ有り得んだろ 野村時代はシンキングベースボールに則った査定だったそうだから
それで開眼した藤原が、野村の方針に逆らいまくってた門田よりも
年俸が高いのはその辺が理由なのかもね >>848
あーなるほどな
あと藤原か完全レギュラー定着したのって
リーグ優勝年前後で
サッチーがチーム介入し始めた辺りだから
ノムに忠実な藤原が気に入られ
サッチーにも不快感を露にしていた
門田は当然夫妻の覚えは悪くなるな 国貞からも広島の方が待遇が良かったと言われるぐらいだからな。
広島は確かに創業期は困窮して石本秀一監督が金策に走り回っていたぐらいだったが、
財界共同経営を経て東洋工業(当時は松田家の経営)に事実上資本が一本化されてからは
資金面・経営面も安定していたという事情もあるのかも。 何年か後に巨人から広島に行った萩原も巨人よりよっぽど高待遇だったと述懐してる。 南海ホークス ナンバ栄光と哀しみの故郷 (追憶の球団) 単行本 – 2014/6
広瀬 叔功 (著)
迂闊にも発売されてるの知らんかったわ。
読んだ人いる?面白かった?
マニア好みのディープな裏話満載なら嬉しいけどなあ PLなのに〜守備がダメ〜
替え歌とはいえ酷い応援歌だw ホークスは11日のオリックス戦で公式戦通算10000試合に到達。
阪神、オリックス、中日、巨人に続いて5球団目。
初試合は1938年8月27日の巨人戦(後楽園)。
通算成績は5064勝4572敗364分。
http://npb.jp/bis/teams/yearly_h.html >>50
少子高齢化、人件費高騰、公共の乗り物なので値上げしにくい
>>42
近鉄、京阪、阪神、南海全て車体のデザイン変えたけど南海が一番悪いわ
あのよくわからん色に青とオレンジって…
京阪が良いと思う >>858
南海のあの車体デザインは電通が絡んでいるらしい。 南海はそれまでの色が見ると陰鬱になるような色だったからなぁ・・・
サザンに使われてた電車はまだ爽やかだったけど、問題は普通の車両よ。 高野線にシルバートレインが出てきたときはよかったぞ
踏切で見たらローリングストーンズを口ずさんだものだ ステンレス製の6000系って1台も廃車が無いまま半世紀以上走ってる 堺市民だが
物心ついたころから南海バスのあの濃い緑色はなんかかっこ悪いという
イメージ。
白とオレンジに変わってからはだいぶイメージが良くなったような あの電車の色と南海ホークス最終バージョンのユニフォームは似たイメージだった。
>>860
サザンは紫にしなくてもよかったよなあ。
ただ、あの緑と白は「こうや」こそ似合う気もする。 ステンレスカーも海沿いを走る本線に配備した方がいいのにと思ってたわ >>866
本線は事故が多かったから、修理の容易な鋼製にしたという話があるな。
あと高野線よりも大量に製造するためのコストとの兼ね合いも。
なんだか鉄道スレみたいになってしまった。スマソ。
そういえば、身売りがなければ、ホークスの大浜球場への移転も検討されていたらしい。 70年代以降の親会社や和歌山都市圏や沿線の繊維産業の没落と
ホークスの低迷は無関係ではあるまい。
むしろ77年まで乏しい戦力なのに概ねAクラスを維持した野村の手腕が光る。
同じ赤字球団でも阪急や近鉄よりはグループに占める率が高いからそれだけ苦しかっただろうし。
80年代の高野線の住宅開発が成功しなかったら南海も今頃苦境に立たされていたのかも 小池百合子の選挙活動の緑色が
一時の南海のユニフォームの色に似ていたが
うれしくもなんともなかった NPBで長い間緑を使ったユニが無かったのは、晩年の緑ユニ南海の
「弱い、不人気、貧乏」のイメージがあまりにも強かったためらしいが、
最近楽天ヤクルト西武日ハムと企画ユニで緑を使う球団が増えてきて
ヤクルトはついに今年からビジターユニに緑が(差し色だが)採用された
ようやく球界に緑ユニブームが来てるね >>852
図書館にあったから読んだ
裏話は忘れた 広瀬の本は案の定というか、野村への言及が多かったな
讃えるところは讃えて、不満があったところはズバッと書いてる
後は鶴岡時代を懐かしんでる内容もあった
自分が監督してた頃の話は少なかったな
村上が新人王獲ったことくらいしか良い思い出が無い
みたいなこと書いてた 村上は他に該当者がいないのとお情けでの新人王だろな。
翌年から一軍半に落ちて数年で球界から姿を消した >>873
多に該当者がいないどころか日ハム古屋(現阪神二軍コーチ)と争って僅差で村上が新人王を獲得したんやで
下馬評では古屋が新人王確実と言われてただけに意外やったわ 栄光時代じゃなくて70〜80年時代の南海の内情も本にして欲しいな。需要多いと思うが >>875
そこはあぶさんが担ってるんじゃないかなあ
漫画だけどね 初期のあぶさんで
打撃投手とかマネージャーとかビデオ係とかの話があったな
古本屋で買って読んだが面白かった 打撃投手が西村軍曹
マネージャーが鈴木ロクさん
ビデオが誠さん
このうち連載中にビデオの誠さんが亡くなってしまった
漫画で高畠打撃コーチとノムさんが生前撮影した
打撃フォームの映像を見て涙ぐむシーンがあったな 小久保「そうでしょうね。南海時代からのファンだと思います。
緑のユニホームを着ていた人が多かったです」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49450?page=4 >>879
南海身売り直前に2000安打達成の為に
移籍した加藤秀爺と高柳がその中日で
共に落合派閥の幹部コーチw 野村と広瀬、杉浦の仲を裂いたサッチー
キムタクと4人の仲を裂いた工藤静香 不仲になった後も野村は現役時代の杉浦を褒め続けたらしいな。
そもそも69年で引退するつもりだった杉浦の現役を伸ばさせたのは野村だし 鶴岡さん、ヤクルトにいかないでください!
↓
鶴岡に弾き飛ばされた、野球に政治があるとは
↓
本人がヤクルトへ 杉浦さん よく堺の翁橋とかで飲んでたな
家が上野芝だからか >>886
それは鶴岡派だった杉浦氏が辞めると
俺がクビにしたとか勘繰られるから
せめて1年待ってくれとノムが頼んで引き留めたって有名な話じゃん そんなこと言い出したら、野村の監督就任が発表された翌日に
引退を願い出た杉浦の行動にも不可解なものがあるぞ
それがきっかけで、野村は杉浦と距離を置き始めるわけだし >>887
鶴岡さんの監督就任が噂された時期には、まだヤクルト球団はなかったはず。
当時はサンケイ(現ヤクルト)か東京(現ロッテ)のどちらに行くかが話題に
なってたが、蔭山さんの急死がなければどっちの監督になってたんだろうか。 >>891
サンケイが本命だったとは言われてますな
同じパ・リーグだと自分が育てた南海と対戦せねばならずそれはやり難いと感じてたからだそうで サンケイだと指導者としての晩節汚してそうだなぁ
ちょうどドラフトが導入されて、得意の人脈もフル活用できなくなっていっただろうし サンケイだとカネやん移籍・豊田故障のショックがまだ尾を引いていた時期だから
71年に監督を引き受けた三原より更に苦労を強いられただろうな。
ジャクソン・ロバーツ・武上・福富・松岡らもまだいなかったし 鶴岡にせよ三原にせよ「黒い」選手の調査を求められたことには変わらないんだろうな 福富はすでに一軍に定着しているし、ジャクソンは入団が決まっていた。 ジャクソンは66年来日だが
入団決まってたのか
福富はドラフト施行前最終組の65年入団だが
65年入団組は各球団主力クラスや息長く球界に残ったり
知名度の高い御仁結構多いな
投手だと成田高橋一三池永 野手は大杉衣笠山崎裕之が筆頭格か
他にも土井末次江尻新治池田中沢ら ボクシングの元世界王者・井岡弘樹は、元々は野球少年で南海ホークス友の会会員 南海ホークスもそうだが、南海電車も80年代の車両が懐かしいな
20000系のこうや号やディーゼルのきのくに号など。
ラピートなんて南海電車って感じがしないよ >>889-890
その引退を伝えたら野村に引き留められて1年延ばした話は、
杉浦自身も「いつみても波瀾万丈」で言っていたな。 門田のアキレス腱断裂は練習中にジャンプした時に「ブチーン!」と切れたようだけど
その前に足の調子おかしかったみたいだな。アキレス腱断裂のときは前兆ってあるのだろうか?
一般人でも普通に歩けるまで2か月近くはかかるようだな。 佐藤道郎は77年に2桁勝ったのに翌年の不振でいきなり放出されたんだな。
いくら野村派と目されていたにしても急すぎだよな。
大洋に行ったら調整法で首脳陣と対立したり肩を痛めたり派閥争いにうんざりしたりで
わずか2年で引退に踏み切ったな 別当の管理野球が合わなかったのと怪我のダブルパンチで一気に劣化
佐藤は広瀬と反りが合わなかったって話もある 江夏がストッパーの準備で試合序盤に横になってたら文句つけたのも広瀬らしいね。 あのエピソードは江夏本人も認めてる通りだよ
当時の日本球界はリリーフ専任投手への理解がなかった
独自調整してたところチーム内で浮いた存在になり長老だった広瀬が代表して注意した >>909
稲尾監督時代のロッテでコーチを務めて落合と接点ができたんだな。 >>908
当時の雑誌の記事によると、佐藤ミチは宿舎の食堂でビールを飲んでいたところ
大洋・別当監督にそれをとがめられて、やる気を失ったとか書かれていた
佐藤ミチは漫画 「あぶさん」 では主要な登場人物だったけなぁ あぶさんでは前夫人・アンジェラ浅丘の名前がよく出ていたな。
その後仲根かすみの母親と再婚したが。 佐藤道郎はホークスのコーチやってほしかった
藤田学、杉本、斉藤学という無能が長くやっているのに >>913
宿舎じゃなくって「球場の食堂で」に一瞬空見した
そりゃ慶應メガネの前でまずいだろと
作中じゃうさんくさい関西弁しゃべらされてたね
「あぶさん」の場合ことばは基本的に「所属球団主義」なんだが
大洋移籍当初でのオープン戦でも「ほんまかいな あぶさん?」とか
引退後アンジェラの店や東京12チャンネルにおさまってやっと東京弁に戻された 穴吹義雄スレがないので、彼をモデルにした映画「あなた買います」監督の松山善三死去age >>919
マンガの典型的なパターン。新巨人の星だと、田淵や掛布も関西弁。 >>920
「あなた買います」について穴吹は「あの作品で自分に当てはまるのは故郷で金
のバラマキがあったことと4年秋の東都大学リーグ終了後に入団する球団を発表
すると発言したことだけ。後見人も彼女もいないし、兄弟と断絶などしていない。
スカウトだった原作者が経験した複数の出来事をひとつにまとめて造った話。」
と言っている。
穴吹は南海入団について、学生時代に巨人に入団したくて関係者に伝えたところ
来たのが東映だけだったので断った。その後、鶴岡監督が自らスカウトに来て
「ワシといっしょに優勝をめざそう。」と言われて南海入りを決めた。
ただ、学校やリーグ関係者に気を使って発表しなかっただけとのこと。
それにしても鶴岡の口説きは凄い、鶴岡が口説いて入団しなかったのは長嶋くらい
だろう。まあ、長嶋は人の恩義より金なんだろうと思う。 >>923
広岡達朗
山本一義
柴田勲
いくらでもおるよ >>920
「あなた買います」の監督は小林正樹。
松山善三は脚色担当として参加してはいるが、監督ではない。 >>923
他に鶴岡の口説きを拒否したのは、藤原真もいたな。
その後サンケイに入団したが、日本ハムでの引退後は球界に残らなかった。 みんなはダイエーになった直後の時
オリックスへ移籍した門田を応援する気になった?
俺は福岡でヤジられてたけど門田は応援してた。
オリックスに負けるのならせめて門田に打たれてほしかった。
その年の9月のGS神戸のオリックス戦を観に行ったが
最終回に門田が三振してダイエー側のスタンドから大きな拍手が起こった >>927
門田は別格
南海最後のスター
そこで拍手してたのは、ダイエーになってからの俄かじゃないか なんだかんだ言っても、門田がホークスに戻ってきてくれた時は嬉しかったよ >>927
門田が抜けたら、ホークスに何の魅力も感じ無かった。それに、ダイエーになり露骨な南海色排除にウンザリした。それに、あのユニフォームにはガッカリした。
門田がオリックスに行った2年間は、オリックスを応援した。 両山内はフラフラしながら何年も2桁勝利を重ねていたのに
何でダイエーになった途端に全く駄目になったんだろな。
山内孝は大不調の末に不向きの抑えに飛ばされ、最後はお情け気味に100勝して即引退だったし
山内和は89年は9勝したが翌年はからっきしで中日に飛ばされて100勝寸前で解雇された。
加齢や田淵が不仲の人を同室にした以外にも理由はありそうだけど 門田
南海とダイエーは別の球団
ダイエー入団は金のためって発言 門田がオリックスの時のオールスターだったかで
南海時代のヒッティングマーチが鳴ってた。あれはなんか嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだった
♪打て〜 それゆけ 門田 右に左に ホームラン
打て〜 それゆけ 門田 めざせ60本 >>930
ダイエーの南海色排除は、生卵事件以降加速したな。
ソフトバンクになってからは、グッズ販売などの商業的な事情もあるとは思うけど、逆に南海をリスペクトしている感が。
>>933
一方でオリックス時代にダイエー戦でヒットを打っても心から喜べなかったとも言っていたな。
復帰時の記事に載っていた。 最近のメディアの取り扱い方からオリ時代の脱臼のインパクトがあまりに強烈だから
門田=元オリックスの印象のほうが強くなってしまっているのが寂しいな 88年は門田さんの大復活と悲劇的な幕引きでいちばん思い入れのあるシーズンだった
それだけに翌年は門田さんの健在を喜びつつもあまり正面からは見ないようにしていたかな
チーム自体の刷新と後半の大健闘も楽しかったし
それなのにその次の年
まあさらにその次の年に門田さんが帰ってくると聞いてまたファンが続けられると思ったさ 「閉店間際野球」に門田がいたらAクラスあったんじゃ・・・と思ってしまった 今日のオリックスは門田が2年間在籍した時のユニフォームだぞ
今ではオリックスブレーブスなんて言われてもなんかピンとこないけどな 野村が42歳で南海退団、45歳で現役引退
門田が40歳で南海退団、44歳で現役引退
小久保が41歳で現役引退
松中も41歳で現役引退
ホークスの歴代4番バッターで40過ぎまで現役だった選手が
4人もいるって凄いな >>930
>あのユニフォームにはガッカリした
「香川さん、スリムに見えますよ」って言ったのは佐々木だったかな あのヘルメットとユニで走る香川はギャグ以外の何物でもなかったな。
あの年、香川はニュースで見ただけでも三塁打狙って憤死するシーンを2回は見たw
逆に佐々木は野球選手だけど全く太らなかったな。
金本みたいないくら食ってもダメな体質なのだろう。 佐々木も阪神時代には中年体型になってたような
あの佐々木も腹が出る年になったかとちょっとショック受けた記憶がある 9月15日の広島対巨人(NHKラジオ第一中国ブロック)で、広瀬が久々に解説。
らじるらじるが9月から広島局も配信対象に。 >>944
その1つはダイエーになってからでオリックス戦だ。
レフト前ヒット打って門田がトンネルしたシーンだろ?
関西の旧南海応援団はどんな心境だったかな。
「やったーやったーまたやったー門田がやったーまたやったー近鉄電車ではよ帰れ!」とヤジったのだろうか? 平和台ならば「新幹線で早よ帰れ♪」コールだろうよ
関西の応援感覚が博多でも受け入れられたか否かは定かじゃないが
新幹線の箇所を当時はウェストひかりやグランドひかりに替えてもピッタシだった 「近鉄電車ではよ帰れ」は最初は関西限定だったが関東でも90年以降は使われるようになって
「西武電車ではよ帰れ」といつだったか言ってた記憶がある。 アホの加藤はわかるがなぜ横田真之がアホの横田だったのか謎だ >>949
クラウンVS阪急で、加藤秀司の打席の時に
あほー あほー あほーの加藤 とか、やってたみたい
KBCラジオの中継でアナウンサーが、ヤジそのままを解説してた >>951
猪木にあこがれて小学生から筋トレ始めたとか
入団から二年連続三割でも現状維持であっさり判押したとか
軽いバカエピソードは聞いたことがあるが…
たまたまマーチに「アホの横田」を乗せやすかっただけかと推測 門田のアキレス腱断裂の時はKBCラジオの21時台の短いニュース番組で知った >>954
まぁ当時の博多では(悪い表現だが)軽い扱いだったわな。
当然大阪では扱いも、云わば連日連夜独占状態だった「阪神=小林繁」を押し退けてたし。 >>955
ググってみたら1979年(昭54)2月16日だった
前年の秋はライオンズ身売りと空白の1日で大騒ぎだった
小林繁と0勝の江川じゃ釣り合わないだろうって思ってた >>956 そうですかの〜
小林繁、好きな選手だったけど
大騒動起こしたといえ不世出の逸材に、一時の一エースじゃなあ・・
プラス西本ぐらいでもいいと思ってましたぜ。 ゴーゴーホークスと言えば初期はフリーアナで現オフィスキーワード社長の上田彰、そして宅和本司、横山由美子
井上光央アナも担当してたっけ
後に南海ホークス広報担当となるスポーツニッポンの永井正義も担当してたね
久保寺訃報の第一報を知ったのはこの番組だったよ
正月のOAで久保寺の満塁ホームランを打ったときの実況がいきなりOPで流れて
ただ事ではないことが起こったのを察知した記憶がある >>957
小林が抜けた巨人は2位から5位に落ちたし
なんて言うかな江川事件で巨人はなりふりかまわないやり方で、風格を無くしてしまったし、あれだけの逸材を潰してしまったと思う
ドラフトボイコットしなければ落合も指名予定だった >>957
騒動の当時脂汗流しながら奔走していた関係者が
実働9年130勝ちょっとで終わると知ったらアワ吹いてひっくり返るでしょうな
江川とてなんぼ凄いタマ持ってても結果として「一時の一エース」だったのは同じ でも、江川騒動の時のドラフト会議(巨人が欠席したやつ)では
南海も江川を指名してるんだよな。(他にロッテや近鉄も)
くじ引きで阪神が交渉権をゲットしたけど。もし南海が当たりくじを引いてたら・・・ >>962
120パーセント入団拒否。阪神は小林と交換で手を打ったが、南海は定岡弟か金銭だったかも? 金ないし、金銭トレードだよね。あるいは、スポンサーか 確か身売りが正式に決定したのは今頃だったな。
そして身売り反対の署名をしに大阪球場の阪急戦を観に行ったよ 俺もその試合を観に行ってたわ
後ろに座ってた小山乃里子の「南海さん、お気の毒〜♪」みたいな態度が気になったけど
あの時はまさか自分のところも身売りされるとは思っても見なかっただろうな 今坂団長「お前ら〜!頑張るんやで〜!」
まさか同じ年に阪急も身売りするとはな そして今やホークスは12球団屈指の強豪人気チームとなり
片やオリックスは12球団屈指の弱小不人気チームに落ち果てたというね チームの強弱はともかく人気でいえばオリックスは健闘してるほうだな 地元関西マスコミでの注目度は、阪神9割2分に対して檻丑0割8分 オリックスは金はあるはずなのにフロントがどうしようもないバカだからな 小山乃里子はファンをやめたそうだ。
今坂団長はしばらく陰で見ていたけど、復刻企画では始球式に登場したな。
さすがに今の球場のスタイルではああいうネタ的野次もやりにくくなったが。 小山乃里子は球団以上に阪急ブランドのファンって感じだったからな
オリックスには何の思い入れも無かったんだろう でもさ、オリックスには正直嫉妬すら感じるね
関西で唯一残ったパ・リーグのチームとファンの声援という一体となる意識
かつて南海ホークスを応援していた人ほど今のオリックスを応援したくなるんじゃないかな
俺はそうだね 身売りだけならまだしも移転、それもかつてのライバルチームの本拠地への移転だもんね。
「そんなもの数十年前の話じゃないか!」って言われても、四十路を超えれば二十年前なんか昨日のように感じるしね。 >>976
俺はあの時は中学3年だったし西鉄の時代など知らないからあまりピンとこなかったけどな
オールドファンにしてみればやりきれなかっただろうな >>977
おいらは高一くらいだったかな?
その当時は十年とか言ったら凄い時間だと思うけど、四十路超えたら大したことないよね。
今になればオールドファンの気持ちもよくわかるわね。 加えて、西鉄の大物OBがホークスを西鉄の後継扱いした事に、
西鉄系の西武ファンと南海系のダイエー〜ソフトバンクファンが違和感を感じたという話が
他スレも含めて度々出ているな。
もっとも、それら西鉄OBは、福岡時代のOB等を排除した態度を取った
堤一派への抵抗という意味もあったんだろうけど、
それら身売りや移転を経ても応援しているというファンへの配慮に欠けた感は否めない。
ただ、西鉄スレにも出ていたけど、
ライオンズ系のファンでも、今まで水や空気みたいに存在が当たり前だと思っていた
地元の球団を失って、なくなって初めて大切なものだったと気づいて、
あえてホークスに転向して応援しているというファンもいるし、
そういう意味で「後継」として扱う向きがあったことを考えると
移転・身売りなど複雑な経緯をたどった
ライオンズ・ホークスの両球団へのスタンスは難しいと感じるな。 >>978
そりゃ中学3年高校1年で10年前と言えば幼稚園だもん
10年はおろか5年前でも状況は大きく変わってる
5年前の小学4年のときに女子と一緒に遊んだら冷やかされる
中3高1だと彼女がいるかどうかの話題が同級生男子の間でかなり出る
中3ならまだしも高1だと女子との交流が ”解禁 ”になる。
周辺の状況が大きく変わってしまう 来年は、オリックスと組まなくて良いから、南海ホークス復刻ユニフォームを期待したい。 今売れている小説本 勇者たちへの伝言に
今坂団長の話が少し書いてあった
南海ファンだがなかなか読みごたえがあった
やはり在阪パ3チーム時代は懐かしい >>980
だよね。何が悲しいと言って人間年を食うほど悲しいことはない。
平均寿命の最後の10年は「健康寿命」じゃないんだってさ。
早めに死んだ方がいいよ。少子高齢化の「少子」は避けられないが、
「高齢化」は避けられる。
日本が完全な老人国家になる前に俺らは死んだ方がいい。いつまでも長生きするもんじゃないもんね 今坂団長って子供の頃は南海ファンだったらしいな
それがあまりに強い南海に負けてばかりの阪急の方へ感情が移りいつの間にか阪急ファンになったとか >>981
77年モデルを着用してほしいな
袖のところに緑・黄・赤のラインが入ったやつ
で、始球式は野村で 今坂さん 大正区に住んでるんだな
駅前で飲んでいたら会えるかな >>979
>西鉄の大物OBがホークスを西鉄の後継扱いした事に
RKB解説者だった稲尾のことだなw >>988
河村英文も同趣旨の発言をしていたかと。
河村は南海でもコーチをしていたが。
稲尾は南海と移転後を半ば別物扱いしていたからな。 大阪球場で応援していた関西鷹狂会のメンバーは今どうしてるんだろう? >>975
たかじん、井筒和幸、紳助が有名処だな。 たかじんは身売りでファンをやめたんじゃなかったかな?
紳助と寛平は続けたけど。
森口博子が福岡系では少数の南海時代からのファンだったという話が以前出ていたが。 福岡は猫党ばっかだからな
だからかとにかく猫関係をつぎ込んできて今に至るが、やらかしてるのが田淵ぐらいなのがまたすごい たかじんは1人で身売り反対の署名運動やってたやろ
南海が身売りしてファン辞めたはずや このスレッドは1000を超えました。
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