南海ホークス25
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南海スレは野村への憎悪と鶴岡氏への賛美と南海路線に関する蘊蓄でできてます このスレでは野村と江夏を罵倒すれば通扱いされますw 鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
南海ホークス24
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1598287306/ 鶴岡元老に蹴飛ばされた。野球の世界に政治があるとは思わなかった。
しかし、凄い捨てゼリフだよな… 毀誉褒貶有るのはわかるが
実際に接した人間のインタビュー記事を読んでも、
いや野村と江夏に忖度して良い内容になってる、本当の人間性はもっと悪いんだ。
こんな事思うネットで真実系の馬鹿にはなりたくないわ。 >>9
この記者会見の時点ではまだ鶴岡も
「どうせ他人(沙知代)が言わせているだけ」「もう少し気にかけてやればよかった」という感じだったんだけどな
週刊文春に出した「手記」の主張があまりにもゲスかったせいで鶴岡がブチ切れて沙知代を法廷に引きずり出そうと訴訟準備を始めた
結局川勝が鶴岡に訴訟だけは止めてくれと懇願し野村に謝罪させて場を収めたが、南海側もここでナアナアにすべきではなかった
ただここで本当に訴訟になっていたら、ユニフォーム問題が完全に表面化したからな >>6
野村と江夏の良いところを語るのも御法度やで
ちなみに悪口はどんどん言ってええで ダンとケニー!エエ加減にせえや!
アンタ等に南海の何が分かっとるんや!
お宅等血の繋がらん兄弟の骨肉の争いをこんな所にまで持ち込むんじゃねえよ!
克則も揃って日本から出ていけや!
実に下らん。 継父に裏切られたつう気持ちは理解してやれん事も無いけど、限度つうもんがあるわ!
大体ダンとケニーにしたってハッキリ言って欲の皮の突っ張った連中に変わりゃあせんし。
喧嘩したけりゃ克則も合わせて日本から出ていってから3兄弟で殴り合いでも頃し合いでもやってくれや。 https://www.bbm-japan.com/article/detail/9208
今発売のベースボールマガジン11月号によれば
88年オフ、南海からダイエーになった時に、巨人との間で、山内孝徳と中畑清の交換トレードの話が浮上したものの、山内が断って、話は立ち消えになったとのこと その時期の山内孝徳じゃ巨人で戦力にならなかったかもな >>10
>いや野村と江夏に忖度して良い内容になってる、本当の人間性はもっと悪い
>んだ。
>こんな事思うネットで真実系の馬鹿にはなりたくないわ。
馬鹿はお前だ。
江夏や野村の言動はネットがソースの作り話じゃねえんだよトンチキ >>17
お?前スレの玄人サンッスか?
オレだけが知ってるネタ、オナシャス!
みんな楽しみ()にしてますんで! >>18
は?キチガイかお前?
そんなネタあるわけないだろ。
ネタって言うのは過去にあった一般に公開された証言、事実のことだ。
例えば21球で古葉がリリーフを作るのは延長戦考えたら当然、
それを江夏がいつまでも根に持ってるのは逆恨み。
野村で言えば古田指名に反対していたのに、
後になって自分が推したと正反対のこと言い、その嘘を片岡スカウトが暴露している。
これも証言に基づく事実。
お前、キチガイか?知恵遅れか? だいたい21球の時は、広島も王手かけらてんだから、
延長になったら勝つためには江夏に代打出さなければいけないし、
監督がリリーフ用意するのは当然。
もしあの場面で古葉がそれやらなかったら、
中日与田みたいなヘボ采配で末代までの笑いぐさになっとるわw このスレでは野村と江夏を罵倒すればもれなく通扱いしてもらえます >>21
通でも何でもないわw
こういう専門板なら常識だっての。 >>19
その、マスコミが書かない事実を貴方が書いてくれるのを
このスレのみんなは楽しみにしてるんですよ >>23
あんた頭おかしいの?
ここで書かれてる野村や江夏の批判は、
「マスコミで書かれた」ソースに基づくものってことだろ。
逆にマスコミに書かれてないことを一般人が書いて何の信憑性があんだよ?
そんなことを一般人に強要するとか池沼か
相当頭おかしいんじゃないの? 例の21球の件に関して言うと、首脳陣が延長に向けてピッチャーを用意するのは
当たり前の話であって、チームにとっての最優先事項を自らの侮辱と捉える江夏は
まあ視野が狭いのだろう。
または、カープで日本一になるまでは優勝経験自体がなかったので、
チームのことよりも自分の成績や男の勝負を優先する悪い癖がついていたとか。 >>20
江夏はあの時の古葉さんの対応は冷静に考えれば
同点の場合もあるし監督として当たり前のことと
著書で全面的に納得してるよ 江夏が矛盾の塊みたいな人間なのはここの住民ならとっくに理解の上だろうに
南海でのノムとの出会い広島での勝つことの喜びを知ったことは自分にとってかけがえのない財産と言いつつも
自分が阪神から放出された時の監督の吉田を一生恨み続ける矛盾
阪神からトレードされなきゃ得なかった経験なのにそこは割りきれない
理屈では納得しても心情は抑えきれないことは我々一般人でもごくごくあり得ることだろう
パンピーの俺たちは社会で生きていくためにそこは押さえて我慢したりするが
江夏はそれができないやはり野球界という浮世離れした世界で生きるヤクザ者ということただそれだけ >>26
一部だけ切り取ってミスリードすんなや
江夏は「肩作るなら見えないとところでややって欲しかった」と最後まで女々しい因縁つててるわw
大阪球場のブルペンは室内にもあったからとかな、
本当か嘘が苦し紛れの因縁か知らんがw >>25
広島は75年にリーグ優勝してるよ
優勝経験なかったのは江夏個人 >>27
しかしまぁすごいエネルギーやねあんた
江夏も幸せだ 「最後の博徒 1985」で江夏が大西役で学芸会並みの演技してたが、それほど大柄なイメージない
江夏が一般の芸能人と並ぶと骨格が異様にがっちりしてた。背も高い。 野村と江夏の悪口言って鶴岡氏を絶賛して時々南海路線の小ネタを披露するだけのスレ 江夏は藤浪がルーキーから三年連続二桁勝利をした五年前
誰もが将来藤浪は日本球界のトップに立つ投手となり末はダルやマーのようにメジャーでもその存在感を見せるはずと予想した時
藤浪は基本が出来ていないいずれ伸び悩むと警鐘を鳴らした
何という慧眼であろう
江夏は藤浪の中に潜む闇をとうに見抜いていた >>15
>>16
珍しく南海側にも利がありそうだったトレード
80年代は片平放出とか新井放出とかもう滅茶苦茶なのばかりだったからな アンチ読売は読売ファンより読売に詳しい、
ってよく言われたけど江夏の人もまさにそれやな
信じる信じないは自己責任
2chなんだから >>33
藤波を春に臨時でコーチしたとき、全然ゆうこと聞かんかっただからでしょ。
今年も山本昌がコーチしとったが結果は見ての通り。
大阪の朝のワイドショーの、藤波の持ち上げ方は異常やな。過保護すぎ。 >>24
都合のいいソースで頭の悪い批判書いてるのあなただけで、
まともなスレ住人はスルーしてますよ。
空気読もうね。 江本がもっと野村の南海時代に光を当てて欲しい!って訴えていたけどこのスレ見る限り有り得ないな
このスレに集まる熱心なファンは野村と江夏がいた事を黒歴史として抹消したいファンばかりで少しでも評価するとにわかは出てけ!と罵らればかり
つまり色々批判浴びてる難波南海記念館が野村を黒歴史として居ない扱いにしてるのは実はファンの心情を十分に汲んでるという事だ 江本が高木豊チャンネルでサッチーの件について少し触れているな
藤原、西岡の三人で野村に何とかしてくれって直訴しに行った件など
でも阪神の話よりももう少し踏み込んでほしかったな >>39
高木豊はそういう客受けの悪い話は深掘りせんでしょ
おそらく「桜井の洲本実業後輩の西岡」と江本が話を継いだであろう部分もバッサリ切られてて
まるで直訴に行ったのが江本・藤原・桜井の三人みたいな感じになっちゃってるし >>40
知ってか知らぬか高木豊の知識が浅すぎるわな よっさんは野村なら江夏の腐った性根を立ち直らせれると期待を込めての南海放出だったんだな
いわば親心だったのにそれを逆恨みし続ける江夏の情けなさよ
しかしよっさんは野村にそういう期待を持った根拠は何だろう
そもそも同じ京都府出身というぐらいの共通点しかなく交流もそんなになかったよなこの二人は そりゃ江夏だけでなく数多の人間と仲違いした吉田だし… >>42
腐った性根ねえ・・
もっと深い闇を掴んでたから出そうとしてたとしか・・ >>42
https://www.youtube.com/watch?v=Ve5XBBESEdg&t=865s
ムッシュはラジオでは偽善かましとるが、
この翌年には、ノムに「江夏いりまへんか?」と直電してトレード成立。
結局、何も考えてなく、球団の言いなり。
だから、3回も同じ球団で監督できると思う、いけしゃあしゃあと。 >>37
>都合のいいソースで頭の悪い批判書いてるのあなただけで、
具体的にどのエピソードかコピペして出してみ。
ま、俺はそんなことした覚えないけどなw
逆に「都合のいい美談」ばかり書いてるのがお前じゃんないの?
ま、とにかくいどれが「都合のいいソース」なのか説明してみ
↓ 南海阪神日本シリーズ
御堂筋決戦、地下鉄シリーズ呼ばれてたけど、
今はなんば線シリーズやな。
南海近鉄対中日の日本シリーズ開催されてたら、
名阪シリーズやな。
阪神電車って山陽近鉄阪急の他社が入り混じった鉄道会社中々ないで 近鉄は年に数試合ナゴヤ球場で主催試合してたし
今でもナゴヤドームでデーゲームで阪神戦のある日の夕方の近鉄名古屋駅周辺には
黄色い服を着た面々がたむろしてるしね 傳といい平太といい川勝姓の奴にロクなのがおらんな、 >>42
そんな美談めいた話なのかね?
トレード前から面倒くさい性格江夏を放出するタイミングを見計らっており、
江夏の成績が落ちたことや南海から江本を貰えるタイミングが重なったので放出
というだけじゃないの? 腐った性根立ち直らせるだとか、そんな親心がプロがプロに向けてあるんか
ただ単に江夏が目障りだっただけ そもそも吉田というよりも球団としてチームの輪を乱す江夏はもう不要だったんだろ
だからチームとしての放出
当時のチームメイトは歓迎してたんじゃないの?
金田の時にもトレード計画はあったみたいだし >>33
ちなみに俺はGファンね
俺も江夏と同じこと思ってたよ。 その基本を身につければ大谷より上だとも思う。
藤浪の身長198センチ・今のメジャーのエース級のデグロムやコールって身長193センチ
藤浪の球とデグロムやコールの球比較したらどちらが上の角度を感じるかな??
圧倒的にデグロムやコール
藤浪があんな重心低い位置からリリースしてどういう利点が得られるのとずっと思って
ここまできた。 それをうまくできてるのがカープの新人森下。
森下の身長180センチだけどものすごく球の角度感じる。 森下のフォームを藤浪が
出来たら復活すると思います 藤浪の悪いとこは投げるときに左腕が遊んでる。 森下は左腕を上げて投げてるから
球の角度がついてうちにくい。 しかしこの森下が単独指名とは広島はうまくやった
藤浪は左腕を上げて投げたら球の角度ついて制球もうまくいくと思う
リリースポイントに関しては山口高志とか加藤初のように上から叩きつけるフォーム
が理想 そういうフォームの投手って短命だよね
森下も明治大学に多いああいう壊れやすいフォームだし
果たして何年もつか 横から見て腕の形がM字になる投手は肘を痛めやすいだっけ? 藤浪は今中継ぎで160バンバン出して特に制球を乱してない
ようやく自分に適したポジションを見つけたんじゃないの
短いイニングなら脱力とか要らんこと考えんとただ全力で投げ込めばいい
あれだけの素材が中継ぎに甘んじるのは勿体ないけど藤浪は浅尾並のスーパーセットアッパーになり得る資質があるからな
それなら沢村賞はもちろん将来のメジャー挑戦も視野に入る >>53
「俺も見抜いていた」
ド素人のイタい妄想w >>55>>56
逆Wですね。 伊藤智が最たるもの。 伊藤も投げるときに左腕と右腕が
水平となるからバックスイングが大きくなる。
ダルと田中もその部類。 西武の今井がダルの真似してるけどだめなときは
肘が下がってシュート回転する「 >>44
黒い霧で阪神では葛城がオートの八百長で逮捕されて(前年までの中日在籍時に関与)出場停止を喰らいそのまま引退したけど
本線の野球の方でヤクザと絡んでた江夏は70年オフに戒告を受けたのみだったんだよな
まぁ吉田の立場なら73年までと同程度の数字が残せないなら一刻も早く放出しようと思うし
正気な頃の野村なら吉田から獲得の打診があっても蹴ってるな 野村は純粋に江夏の球を受けたかった
超一流投手のボールを受けてリードしたいというキャッチャーとしての本能つまり野球人としての血が疼いたのだ
江夏が問題児で肘もダメ心臓も悪い何より反社会組織との黒い交流がある噂は情報通の野村はとっくに承知の上だった
それでも野村の情熱が上回った 江夏の球見てガッカリしたけどな
阪神の江夏と全く球威が違ったからね
上田二朗のほうが良かった そこからはコントロール投手として第一線で踏ん張ったのは流石だわ
しかもその時代はちょうど飛ぶボールに変わっていく頃だから
むしろどこかの草みたいに真っ向勝負してたら被弾しまくってただろうし >>64
草魂は専用捕手の有田のポリシーが
「自信を持って投げ込んだ球なら少々コースが甘くても打たれない」だったからね >>63
74年から如実に体力が衰えてたからな
南海一年目は6勝12敗と阪神末期よりさらに落ち込んだし(一方の江本は15勝9敗)
>>64
江夏はセが飛ぶ球になった76年からパに移り
逆にパがめちゃくちゃ飛ぶ球だった79年80年はセに居るという具合で
非常に巡り合わせが良かったというのはある
導入前年と各球団のチーム防御率が1点変わるレベルだったからなあれ >>60
野村に選手を代表してサッチーのことクレーム入れたんで出された。
他にも数名いる。
>>63
血行障害で長いイニング投げれない。
コントロールと曲がらないカーブで勝負。 >>67
江本は島野と一緒に阪神へ放出。この時員数合わせで出された池内と長谷川は阪神でよく働いた
西岡も星野秀との交換で中日に出された。門田と藤原はさすがに川勝オーナーが止めて未遂で終わったが
うるさ型の外様の江本と肩が完全に壊れていた西岡はともかく、生え抜き主力打者の二人の放出はな 79年のノムは既に西武だったが
なんばのシリーズ第7戦をネット裏で観戦。 江夏は西本のおっさんの下で働きたい西本のおっさんを日本一にさせたいと思った
これを江夏ごときが上から目線で何事かと器の小さい奴等は批判するが
江夏は西本のおっさんに勝ったんだからな
勝者が敗者に上からモノを言うのは当然だろ
近鉄退団後また別のチームで指揮をとる西本とそこで投げる江夏が見たかった そもそも野村自体とっとと出すべきだっただろ
高給取りの野村がいなくなる南海も南海に嫌気がさしていた野村も野村に嫌気のさしていた南海選手もみんなウインウインだ >>71
だから75年オフに巨人とのトレードが決定してたんだけどな。勿論野村本人も大喜び
ところが長嶋の反対で流れ、そこから話がさらにおかしくなった
念願だった巨人への進出を妨害された沙知代はこれ以降激しく長嶋への憎しみを募らすことになる
まぁ長嶋も王や柴田から「今の野村さんは以前とは違う。おかしくなってしまっている」というのは聞かされてただろうし >>73
75年オフのトレード未遂については普通に浜田昭八ら当時の記者連中が自著で記録に残しとるわ
柴田も野村が死んだ直後に「野村さん御夫婦と海外旅行でご一緒した時に奥様(本妻)には本当に優しくしていただいた
ところが突然変な女が妻のような顔をして出しゃばっていて何だこれはと思った」とはっきり言ってるしな
まぁ沙知代のバター犬には直視できない話だろうが >>70
江夏ごときだろ。江夏は入団からずっと日の当たる場所で活躍。
野村のおかげで、馬鹿にしてたリリーフに活路を見出すようになった。
古葉のおかげで、初めて優勝の美酒を味わった。
大沢のおかげで、優勝請負人と呼ばれるようになった。
広岡のおかげで、無様な引退になった。
自分のおかげで、薬に手を出し、阪神の指導者になれなかった。 >>73
一番妄想で話作ってるのは江夏だよ。
>>70の「西本さんの下で野球やりたかった」という後付けネタは凄い。
日経新聞に連載してた「私の履歴書」に書いてあったが(江夏にインタビューして、そのまま記者が第一人称でまとめたもの)、
江夏曰く、「日ハムからトレードされた時、
西武じゃなく西本さんのいる近鉄でやりたかった」と言ってるんだが、
この年の近鉄監督は関口で、西本は2年前にとっくに勇退している。
近鉄のフロントにいるわけもなく、フジテレビ系の解説者。
記者は事実関係を調べもせず、そのまま載せてんだから呆れるわ。
いかに江夏に後付けの作り話が多いかわかるだろ >>76
それに関しては記者を責めるのはちょっと酷かなと
聞き書き形式である以上、取材対象が言ったことが明らかに事実と反していたとしても
対象者本人に訂正の意思が無ければそれはそのまま載せざるを得ない >>77
まあ日経新聞だからな。
運動部の記者ではなく、掲載面からいえば文化部の記者だったのかもしれんな。
逆に運動部の記者ならやはり仕事としてまずいと思うよ。 去年かラジオ出た時も
「西本監督の下でやりたかった」
と言ってたな
藤本監督と同じ雰囲気があったのかもな >>79
2年連続で西本近鉄を撃破しながら、よく言うよ。哀れみ以外何物でもない。
江夏の21球と言われてるが、捕手の水沼が大学後輩の石渡のスクイズを完全に見抜いたからできたというのもある。
後に西本と水沼がある野球教室で同席したとき「あの時は(水沼)四郎にやられたな」と西本から言われたらしい。 野村とか江夏が美化されるのはいかん。 だいたいボール球を使う投球をよしと
するから球数ばかりが増えて先発の降板が早い だから金銭トレードでもなんでもとっとと野村を南海から追い出しておけばよかったんだよ
親会社も本人もチームメンバーもファンもみんな丸く収まるだろ >>34
金かかるから年俸2000万超えたらトレードだったんだっけ。門田以外 >>84
毎日ウザいのはお前
具体的反論できないから煽るだけ
書き込みに対する具体的反論してみろ 32年前の今頃は身売りが決定して南海としては残り数試合になってたとこだな
10月11日は大阪球場最後のナイターで西武に大敗を喫した試合だったな
なんか末期の南海を象徴するかのような試合だったな >>83
野村は監督としての年俸も併せて一億だったらしいがなんで野村だけ例外だったんだ >>75 江夏は今でも王との奪三振エピしか自慢げに言わない。
今でも阪神が大好き。万年2位なのに。
昭和48年優勝しなかったのも監督のせいにしてたけど、江夏先発で中日に勝てば優勝してた。
ちなみに、岡本は当時阪神のコーチで、中日に強い上田でなく江夏の先発はないでしょと鶴岡さんに電話したらしいがw。
どこか、阪神は抜けてるんだよね。詰めが甘いというか。
ドカベン15回裏
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1583944936/
73 名前:愛蔵版名無しさん[] 投稿日:2020/09/30(水) 06:01:13.24 ID:3BNJdGeB
ショート石毛って、まさか
市立銚子高校でショート守ってた石毛くんから取ったのか?
75 名前:愛蔵版名無しさん[sage] 投稿日:2020/10/04(日) 22:22:19.01 ID:???
「石毛」って他にもモブキャラで出てくる名前だから、アシか担当か知り合いかどれかだろ。高校球児から名を取ったならもっと活躍させてるはず。
76 名前:愛蔵版名無しさん[sage] 投稿日:2020/10/04(日) 22:39:29.64 ID:???
>> 75
現実に西武ライオンズに石毛って言う名選手が入団するとはなw
94 名前:愛蔵版名無しさん[sage] 投稿日:2020/10/11(日) 19:14:07.88 ID:???
水島御大は当時、神奈川以外の関東の都県大会もひと通りウォッチしてたのかね。
山田の明訓入りは1974年中の掲載だが西武入りした石毛宏典は同年の千葉大会決勝で敗れて高校時の甲子園出場は果たせなかった。
(卒業後に駒沢大へ進んだのも明訓の石毛と同じ属性)
他にもブルートレイン学園と被る岩倉(東東京・鉄道科)が初出場の甲子園で優勝したのもこの10年後だな。
野村克也の子分たちって指導者で失敗してるの多いのは 考えれば勝てると思い込んでる。
弱いチームはまず投げる打つ守る等基本動作から再生しなければいけない
野村さんはヤクルトで采配とか考えるとこから行くことで成功して
それでずっと行って阪神でも失敗楽天でも失敗 落合待望論とか阪神から岡田待望論が出てるがたぶん以前のように勝てない野球が
変わってる。
落合とか岡田は守る野球今では無理。 2人は今の野球のトレンドを取り入れるなんて
気ないからたぶん勝てない
原は変えてきたから最終年と違い小柄な奴にも強いスイングを求めてる >>91
広岡がそれ言っていたな
頭脳だけで勝てるなら東大野球部はもうちょっと強いはずだとか >>79
鈴木啓示が西本監督を絶賛しているのを聞いてということだが、実際に西本の下でやってたら上手くいったとは思えないな
言うまでもなく西本は選手の自己管理と八百長には非常に厳しかったから、甘えは通用せず、特別扱いは一切されない(太田幸司はかえってそれを喜んだが)
クサは指導者としてはロクなもんじゃなかったが、一選手としては身体のケアに万全を期して自身を厳しく律し、また当時若輩にもかかわらず八百長勧誘の脅迫をきっぱり撥ね退けてた 阪急や近鉄の選手の回想によると西本さんはグランドでは鬼だけど一歩外に出ると本当にただのいいおっちゃん
選手の私生活はほとんど放任だったと言うけどね
だからこそあれだけ多くの選手に慕われたんじゃない
いくら西本御大の人徳をもってしても広岡みたいな真似をしてたらあれだけ好かれない 川勝姓の連中は日本を中国に売ろうとしてるとしか考えられない >>93
それ本気で言ってたとしたら広岡も相当にオツムがアレだな >>95
だから「自己」管理なのよ。真の意味での自己責任
プロである以上グラウンド外での行動に口は挟まないが、それをいいことに管理を怠り自滅する奴は淘汰される
これに関しては色々な面で対極とされる三原と同じ考え方をしている その自己管理に厳しい西本のおっさんが徹マン大好き不摂生極まりない生活を続けていた江夏に抑えられて負けるんだから世話ない
やはり江夏は天才としか言いようがないな 江夏のライバルはずっと鈴木だったが
リリーフという形で江夏が日本シリーズを制したというのは
不思議な気がする かたや鈴木は日本一かかった状況下でリリーフ指示に文句垂れる始末 江夏はリリーフに回った頃は球威が衰えてストレートで空振りを取れなくなっていたがそれでも高い三振奪取率を誇った
相手打者の手を出したくなるコースを少し外してファールを打たせてカウントを稼ぎ
フィニッシュは完全に裏をかいてバットを空に斬らせる
手が出ず見逃し三振するバッターも多かった
ピッチャーはスピードよりもコントロールであることをまざまざと体現し江夏のそれはまさに名人芸の域に達していた 江本が歴代監督でノムを3位にしてるね。
原の2位は本を売るためとしても、1位の森は実績(勝ち運)だけかな。
古葉野球が野村・ブレイザーの継承であることをきちんと言ってる、今の若いカープファンは知らんだろうが。
https://www.youtube.com/watch?v=JOUGZoQiyVc >>102
ぱっと見速くない、大したことない球に見えるから打者は
「うおお絶好球キター!」
ってマン振りしに行くけど微妙にズラされてる。
そうこうしてるうちに追い込まれ絞り辛くなる。
今年日ハムの宮西が2回くらい、9回満塁の大ピンチで
最高でも140くらいの球の出し入れだけで凌いだシーンを見たが
こういうテクのある投手をもっと見てみたい 「江夏は曲がらないカーブを武器にしてた」といろんなところで書かれてるけど
実際は今でいうカットボールのようなものを投げてたのかな?
変化球=大きく曲がるという固定概念が染みついてる時代では、それだけで画期的だけど それは阪神入った当初では?
なんせカーブ覚えてない状態で入ったんだから 小さい変化球の概念は大昔からあるよ
ノムによると皆川に投げさせたマッスラがカットボールの元祖ということだが
江夏はちょっとシュート気味になるツーシームも投げてたね
21球はスクイズ外しばかりクローズアップされるが
佐々木を意図的にボール球ばかり続けて奪った三振の方が価値が高いと思う たださすがに佐々木への初球ドドドど真ん中半速球だけは肝を冷やしただろ。
佐々木の方がガチガチで見送ってくれたからよかったようなものの。
佐々木は引退して相当経ってからのインタビューでも
「あの打席初球から何でもいいから当てろって言われてたのに振れなかった。
人生どこかからやり直せるとしたらあの打席からやり直したいと今でも思う」
と後悔してた >>107
江夏はツーシームなんか投げてねえよ
フォーシームの真っ直ぐとカーブだけといつも言ってるだろ
フォークは投げてたはずだが、本人は(-ω- ?)か否定している
まあ嘘つきだから真相は不明だけどな 江夏はカーブしか投げれない。
打ち気を予想して、コースを投げ分ける。
佐々木の真面目さを読んでた。初球は見送ると。
江夏の21球は、相性の悪い羽田にヒットを打たれたんだから、読みが甘かった。
先頭を出せば代走に藤瀬が出てきて危ないのは分かってたはず。
とはいえ、結果後続を抑えたんだから、文句は言えない。勝てば官軍。 >>100
21球は「運がよかっただけ」と本人でさえ言ってるだろアホ >>104
今のパ・リーグにはこういう味のある投手がめっきり減った
いやセ・リーグもそうだから日本全体か
昔のパは江夏を筆頭に山田と東尾の両巨頭に加え両山内に松沼兄弟に高橋直樹にええピッチャーがいっぱいいたな
あの豪球一本槍のクサですらキャリア後期はかなりテクかったしな
今見ても涎が出てきそうな面子だらけだ 投球テンポが藤川森福並みに悪かったが自分に酔ってたのか心臓病で仕方なくなのか 今映像で確認したが恭介が絶好球を見逃したのは2球目だな
初球の江夏の様子見のボールになるカーブの見逃し方でカーブ待ちをしてるのがバレて
次に簡単にストレートでカウントを取りに行かれている
恭介はなぜあれを見逃したのかと後悔してるが完全に裏をかかれて単純に手が出なかったのだろうな
江夏が羽田に打たれたのは初球だな
1点差の9回裏で塁に出ることが絶対条件の先頭打者が初球をいきなり打つのが余りにも想定外だったのだろう
羽田は天然なのかケースバッティングが予想不能なんだよな
10.19も粘らきゃいけない場面で簡単に打ってゲッツー近鉄最後のバッターになった >>86
11PMでタージンがレポートしてたなその試合 >>114
羽田は西本さんに鉄拳でしごかれた一人。
江夏との相性の悪さは高校までさかのぼるらしいから。
西本さんのすごいのは、若手の打撃練習で最後まで付きあうことやな。
関根さんもそうだったらしいが。 西本監督の羽田殴打事件は今から見ても相当理不尽だと思うが
それでも羽田は西本を慕い続けたのはその鉄拳には愛情があるから
だが野村の荒井ポカリ事件はそこには愛は一片もない
ただただ見てて胸糞が悪い >>87
時期が全然違う。緊縮化がさらに加速したのは野村解任以降で、それまでは80年代に比べれば格段にマシ
あと野村の兼任時に関しては一般選手の時にあまりにも給料をケチり過ぎた反動もある
60年代前半に野村にきちんと適正な額の給料を支払っていれば蔭山事件やそれに伴う混乱も防げただろうし
そうなればその後の汚染と崩壊も避けることが出来た
>>118
高橋里志本人の談(4分20秒あたりから)
https://www.youtube.com/watch?v=p43C3-wR6dI 野村も私生活は放任だったと思うよ。 だからヤクルトはけが人多かった。
池山が夏のバテるという相談をされたときに黙って牛肉食ってればよいと
アドバイス
池山は30歳手前でショート不可・古田は痛風やるし投手陣は故障多い
広岡は意外とプレー中のミスにはうるさくなかった。 ミスしたら練習すればよいだろうと 寿司100貫を軽くたいらげる野村の食生活を見る限りはとても他人の健康管理まで踏み込めるとは思えんな >>113
心臓病じゃない?
同じように心臓に持病抱えてた「8時半の男」宮田征典も
投球テンポは悪かったらしいし
江夏、佐々木ほど抜きん出た才能でなくても故障や加齢に対応できる延命術みたいのかな、長冨は広島時代の王道しか印象残ってないけど。 中日の宮下昌己も速かったけど短年で消えてしまったし
>>112
――
長冨浩志(Wikipedia)
…2000年、自身も復調しダイエーのリーグ2連覇に貢献。当時日本ハムの中心選手であり、
かつてのチームメートでもあった片岡篤史は「直球が一球も来ないのは分かっていても『次は直球が来るんじゃないか』と思ってしまい、結局スライダーにやられてしまう」と語っている。
また当時監督だった王貞治からも信頼が厚く、契約更改の時期になると球団に「俺の年俸を半分にしてもいいから、長冨は残してくれ」と言っていたといわれる。
■選手としての特徴
若手時代は小松辰雄らと並び、日本プロ野球界において「スピードガン時代の幕開け」とされる速球派投手のパイオニア的存在であったが、その後180度違った投球スタイルを身につけ40歳を過ぎるまで現役を続けた。
本人はこのモデルチェンジについて「今の方が面白い。トンボが止まるようなヘナヘナボールで打者を牛耳れるんだから」と語っている。
>>108
佐々木の3塁線のファウルは、
後年三村が「グラブにかすってた」と自白してるからフェアだよ。
本当に悪運が強いだけ >>117
西本「三振したから殴るのと違う たった1球の重みをお前に分かってもらいたいから殴るんや」 >>119
ありがとうございます。
水沼、長内、木下もそうだが、広島で飲み屋やってんだよね。
いちおう、野球教室や講演もやっている体ではあるが。 >>119
これ見ただけで江夏の人間性は最低ってことがわかるわな
真相は鏡弁償だけで済んでるんだな
高橋が全く謝らず罰金も課せられなかったのも当たり前 そら覚醒剤使用・所持で逮捕されるような犯罪者なんだから人間性が最低なのは当たり前 >>122
宮田みたいにガチの心臓病じゃねえよ。
ちょっと弱かった程度で酒かタバコかどっちかやめたら大丈夫って程度。
結局酒止めただけ >>117
西本の殴打は正義の殴打だからOK!
野村の殴打は悪の殴打だから許せない!か >>131
実際そうだよ。
荒井の時は選手間で見抜いた投手のくせを次打者と確認してたのを、
何も知らない野村が「いつまでもべちゃくちゃしゃべりやがって!」と逆上しただけ。
ソースは池山 野村が荒井にあれはすまんかった!ワシが悪かったと謝罪してる事は無視か まだ江夏に対しては愛憎半ばで強烈に嫌う人間もいれば絶賛する人間もいるが野村に関してはとにかく憎いという感じやな 江夏って高卒1年目から10勝してるのがスゲーな。
広島では2020年の今、朝の7時30分〜8時までの貴重な時間を渡辺弘基(日産自動車〜阪急〜広島)が
ただ体操してるだけの画像が延々を続く常識外れの街。夜の9時20分に画面に突如「ニュース速報」という
文字が現れ「すわ米中軍事衝突?!」と身構えるが「ヤクルト12ー7広島」と消化試合の結果速報が流れた・・・。 2ケタ勝ちなら稲尾や堀内も高卒1年目から。
特に稲尾はいきなり21勝 …クサも1年目から10勝だな江夏と同じく負け越しだが(12敗) >>135
絶賛する人間って情弱の馬鹿としか思えんな〜
マスコミが作った江夏主役でわかりやすい反逆のヒーロー像に酔ってる中2病みたいな奴だろうな。
そもそも江夏いた頃に南海が優勝したわけでもなし、
半分リハビリして広島行ったようなもん。
野村が監督の時一回優勝してるが、
それを覚えてる奴なんかいるの?
全スレで「死んだふりは後付けで阪急の内ゲバに乗じて勝てただけ」
と暴露されてるし。 アンチは江夏の能力や実績に嫉妬して薬やってムショに入っただのの人間性で叩くしかないもんな
だが皮肉なことにそこで規則正しい生活を送ったお陰で様々な持病があってそのまま早死間違いなしだった江夏が健康を取り戻し今もそこそこ元気だからな
タバコはそのまま禁煙とはいかずまだ吸ってるようだが
どうしょうもなかった人間性も矯正されて丸くなった
解説や評論の仕事にもありつけている
あれは確実に江夏にとってプラスだった >>109
江夏が投げていたのはフォークでは無く、村山のフォークを参考に自己流に握りをアレンジした球、後にSFFと呼ばれる球そのものだったという。
当時の江夏曰く「ワシ指が短いから村山さんの様なフォークは投げれん。只、村山さんがフォークの握りを色々変えて投げとるのを参考にして、ワシも
色々試してみたら、指の開き具合に依ってはストンとエエ具合に落ちるんやな。」と後のSFFの握りそのものを親しい記者に見せたという。
手本となった村山もSFFが話題に上った1980年代後半、その握りを観て「何やこれ・・・・・ワシ昔投げとったで」と笑ったそうな。 野村自体南海時代の事なんてほぼ封印してるだろ
語るのはヤクルト時代の成功談と阪神での失敗談
たまに楽天での田中との話ばっかりで江本が南海時代の事もたまには話してくださいよというぐらいだ
ここで見るようにファンからも元選手からも親会社からも憎まれてるなら話す気にもならんかったんだろ 野村の講演に本当に行ったことあるのか?
南海へのテスト生入団とブルペンキャッチャーの悲哀
クビ宣告から電車に飛び込んで自殺すると球団幹部を脅迫した話とハワイキャンプの鶴岡監督の抜擢話はほとんど定番だぞ
江本の言ってるのは兼任監督時代だろ
それも福本とクイックモーションの話で語り尽くされてるわ >>134
そりゃ自発的じゃねえからな
コーチ陣から具体的な経緯の報告を受けた球団社長の厳命により
選手全員が集められてそこで荒井に対して謝罪させられた >>141
アンチとか嫉妬とかアッタマ悪過ぎ。
ここでの江夏批判は事実・証言をもとに正当に評価下してるだけ。
アンチのバイアスかかったような妄言はないし、
そもそもアンチとかファンとかいう二元論が幼稚過ぎてアホとしか言いようがないわ 野村は南海時代二人にしか手を上げたことがないと
言っていた
高橋里の話はよく書かれているが小泉恒美が
何故やられたのか分からない
その後トレードに >>147
試合中、ケガをし、ベンチ裏の控室に治療に向かったときだった。ある選手がぼーっとしたのを怒鳴り、殴ったという。
「25人の選手がベンチに入りますね。ゲームに出ているのは9人だけど、常に25人で野球をやる気持ちを忘れるんじゃない。人は人、自分は自分という考え方じゃとてもね。野球なんてスポーツはやっぱり全員がまとまらなきゃ。ばらばらでやっとったらもうみじめだし、勝てないしね」
(週ベ1970年11月16日号)
野村の言い分はこういうことらしい >>148
殴る程のことではないよな
自分が怪我したことの鬱憤晴らしで八つ当たりしたとしか思えない
野村は本塁チャージしてきた相手を蹴りあげたり暗いネチネチ系の性格のわりに時に異様な凶暴性を見せるな
チームの団結力を乱すって後にサッチーを連れ込んで公私混同で選手の士気を大いに落としチームを崩壊させたお前が言うなと思うのは俺だけか? アンチの妄想ばかりのスレになって悲しいね
なんでしつこく居座るのかねこの人 アンチの妄想ってここに書かれてることのほとんどはソースに基づく事実ばかりだろ
高橋里が戦力外になって野村から他球団に獲得を打診したがどこも要らんって言われたから野球やめて故郷で定職に就けからの
翌日カープから電話があったの下りはさすがに笑ったわ
野村と関係した人間は掘り返したらこういう話が山ほどあるんだろうな 高橋里「また、あのおっさん(野村)嘘ついとったわ」
仰木の真実聞きたかったな。裏の顔というか、ほんとの顔。
大沢、岡本と結局、南海の縁で球団を渡り歩いたエピソードがおもろい。 >>150
まだアンチとか言ってる馬鹿w
それこそ妄想だっての。
ここの住人のほとんどはソースに基づく情報から是々非々で評価しているだけ。
「ボクちゃんの好きな野村や江夏の悪口を言う奴はアンチだ!消えろ〜」
こういう馬鹿はお前だけだよ
幼児かよw 野村と江夏への罵倒と鶴岡賛美と南海路線への小ネタでできてるスレ 大沢は、高橋里と江夏が広島で不仲なのを承知の上で獲得した事を語っていたな。
「江夏と里志は一緒に放れねえんだ!」と。 ノムさんが逝ってから半年以上経つのに未だにスレの伸びが尋常じゃない 矢野がお気に入り選手だけを連れて、えこひいき会食していたようだが、
鶴岡野村西本はどうだったんだろうか。広岡は特定の選手と
プレイベートで仲良くするのは監督失格と言っていたが >>156
江夏ほどタイトルには恵まれんかった里志だがハム時代も獲得(1982最優秀防御率)に >>160
里志は江夏と違って、エリートじゃないしね。
同い年とは知らなかったし、口が悪いのは知ってたけど、
正直だよね。古葉の悪口も言ってないし。 野村の弟子は西本上田の弟子と違って指導者として結果出せないね。
西本上田の弟子たちに共通してるのは名コーチ多いが監督で名を汚す
工夫しろ考えろではだめ。 高津ヤクルトなんかは野村さんの教えをというが
投手なんて基本ができてなくストライク取れないのに配球の工夫も何もないわ
ボール球をうまく使えとカいうがそれはストライク取れるようになって先発で2桁
コンスタントに行くようになり15勝以上を目指す投手に教えること >>162
古葉だよ、古葉。一番弟子は。
古葉は、濃人も半分混じってるけどね。 >>158
野村が嫁同伴で(前妻の方)で鶴岡さんの自宅に新年の挨拶に行ったら
他の選手たちと会合してて家にあげても貰えなかった俺は嫌われてると僻んでいたが
状況的にどう考えても嫁さんに気を遣ってあがれと言わなかったに決まってるだろ
鶴岡さんはもちろんお気に入りの広瀬とか国貞がいたが基本叱られ役で起用面の依怙贔屓などは一切ない
全ての選手に分け隔てなく愛情をもって接していたと野村以外のほとんどが口を揃えるんだからな
どれだけ親分への愛に飢えていたんだよこの男は >>142
当時はちゃんと「投げてる」と言ってるのに、
引退してからは「真っ直ぐとカーブ」だけといい続けてるんだよな。
自分は技巧派ではなく、江川みたいに本格派と思われたいんかな?
そういうところが信用できないわ 江夏は「ストレートしか知らないでプロに入った」と言ってるけど
1967年当時のNPBは高卒新人がストレートだけで通用するほどレベルが甘くないだろ。
何かしら変化球を使っていたとは思う >>165
長嶋茂雄も川上監督に怒られまくったんだよね?? あれは長嶋を怒れば
他の選手も気が抜けないということだった。
藤田監督も1次の時は中畑・江川 2次の時は原を怒った
長嶋監督はスター選手を怒らず控え選手に厳しくチームは崩壊 広島時代、カープナインが広島市から大野練習場まで移動するためマイクロバスに皆で乗り
最後の江夏を待ってたが、いつまで経っても江夏は現れず、不審に思って江夏を探すと一人で
勝手にタクシー乗って大野練習場に行ってたとユー。 >>169
とにかく、特別待遇。
阪神の大エースが田舎球団に来てやったという感じ。
唯一。たけし(大下)がガツンとかました。 皆川って有能投手コーチだと巨人ファンながら思うよ。 巨人の3年間
防御率3点前半。
84年85年の堀内2年間に比べたら遥かにましだった
2次長嶋政権の時に投手コーチは長嶋の暴走に悩まされたがそれを阻止できる
投手コーチは杉浦か稲尾しかいないと思った 末期南海はかなり貧乏だったと言われるが貧乏ネタで話題になる太平洋クラウンライターあたりとどっちが貧乏だったんだろ? >157
お客さんがいつまでもいるからな。
基本的に南海以外の話題と特定人物の罵倒ばかりになってしまった。 エモヤンが野村のリストの強さを生かしたキャッチングを他の捕手と比較して褒めてるな
野村が捕手として評価されてるのをはじめて聞いたわ 野村、江本に対して「お前、球速いが、うちによう打たれっとたやろ。全部わかっとったからな何投げるか」
広岡、広島のコーチに「お前ら、まだ、センターから覗いとるんか」
昔は合法でした。スパイ行為は。
広島の大下コーチはマウンド靴で掘っとったらしいし。 >>167
その当時はドラフトの新人が秋季キャンプに参加してたの。
そこでカーブ投げられません、ってコーチに言ったのよ。
そりゃいくらなんでもシーズン開幕してまっすぐだけじゃ無理よ >>174
なるほど末期南海もかなり悲惨だったと言われてるがそれより悲惨て >>179
南海は末期よりもその少し前
選手会長が「1軍移動をグリーン車にして!」と訴えてた
80年代が最も悲惨だろ 南海はもう野球事業に金をつぎ込みたくないケチ系貧乏
太平洋クラウン(福岡野球)は資金繰りに苦しむ決済系貧乏
だから
ビュフォード ハワード アルーら大物外国人
ドローチャー招聘
江川指名
など身の程に合わない無茶は良くやる
南海が野村解任以降大盤振る舞いしたのは50周年でバナザードを獲得したくらいだな 江夏の現役時代って例のドキュメンタリーの21球を動画で見るぐらいだが思ったりより真っ直ぐが全然遅いね
でもカーブがめっちゃキレキレでワロタ
江夏はカーブピッチャーだね 南海は駅施設への投資も渋るくらいのケチ体質
難波駅はラピートが停車する9番のりばのみ床や天井をかなり豪華にしているが
他のホームと差別化しすぎで余計に貧乏臭さを助長させることになっている >176
ふつうにあるだろ、よほど無理に聞かないようにしてたんじゃないの。
豊田ですらキャッチングも肩も良かった外人に負けないブロック守備面でも一流と述べてたけど。 江夏の直球は阪神時代で速度は終わっている
南海の時にはよく打ち込まれていた
その間で投球術を身に着けていった
リリーフなら金城のほうがストレートは速かったと思う >>168
長嶋は一期目は張本ですらぶん殴ったぐらいだから相当熱かったんじゃない
二期目では体罰は完全封印したようだが
だが松井には相当厳しかったようでチャンスで凡退して気落ちしてるのをシャキッとしろとベンチの椅子越しに背中を蹴ったという逸話がある
だが落合には敬意を払ってそれなりに気を遣っていたし清原は腫れ物扱いだったな
巨人の選手によると長嶋監督は雲の上の遠い存在で一部の選手を除くとコミュニケーションはコーチ通し
いつまでも名前すら覚えてもらえない選手も多くいた >>183
まるでびんぼっちゃまだよあれ
民間企業の感覚が欠如してるとしか 南海はトイレの水もケチってるんだよな
設計上臭くならないっていうが実際臭いし
あとボロい電車がまだゴロゴロ残ってる
高野線のステンレスの一枚扉の電車はうちの親父がまだガキんちょの頃からいるというからもう50年以上走ってる計算になる >>173
かつて名門ホークスライオンズがお荷物となり
移転し大親会社の金銭力で有能GM根本陸夫を招いて、新生ライオンズ、ホークスをパリーグの
名門に復活させたから凄いな。
それに比べ、名門古豪の阪急ブレーブスはなぁ。 >>186
スレ違いですまんが、名前覚えてくれない指導者ってイヤだよな >>189 近鉄もそうだが、西本&そのレガシー
の時代のみ頂点だったから、極めて属人的。
三原西鉄、水原東映、金田ロッテもそうだし。
自爆したが、その最もなのは、鶴岡南海だった。
期間が長すぎて目立たないけど。 >>177
>広島の大下コーチはマウンド靴で掘っとったらしいし。
どういう意味?
>>182
当時は主催チームが使用球決めてて、近鉄はミズノの球だった。
縫い目が高くてカーブが投げやすくキレキレだったらしい。 >>186
長嶋は桑田のことをずっとクワダって呼んでたらしい >>192
江夏のカーブって普段そんなに曲がらないのにあの日だけはきれてたのはそういうことだったか
あの試合は小雨も降ってたからボールの引っ掛かりも良かったんだろうな
しかし本当に悪運が強いな江夏は 長嶋は名前を間違えてもお茶目な長嶋さんで許されるが
野村が間違えたら鬼の首を取ったように叩かれてるだろうな
このスレでも分かるように野村の行為は全て悪意から来てると取られてるからな >>195
そりゃ意図してるか否かでは相当異なってくるわな
大勢でうどん屋行ってここのうどんは絶品だ食え食え
って言った先からカレー頼むような人だぞ? でも70歳過ぎからの野村克也は「愛されキャラ(特にTBS)」に変貌してたようだが。個人的には1996年のオールスターで松井を交代させたときのTBSアナウンサーの憎々しげなアナウンスが印象に残ってる。 >>192
相手ピッチャーが投げにくくするための嫌がらせ。
あと、三塁線をまたぐときにも、ライン上を靴で慣らし、
バントしたときに、インフィールドする様に山を作るなど。 衣笠追悼番組で大下の家に入っていたが、大学生が住むようなマンションだった
第二の住み処なのか常時住んでるのか気になる そのうち大阪に帰って来るんじゃないかという含みもある言い回しだがもう帰る場所もない
万が一つでもあり得ないが帰って来たとしてもこれだけ月日が流れたら素直に受け入れられることもない
もう違うホークスであり九州のホークスであることを噛み締める 南海電鉄自体もコーポレーションカラーの
南海グリーン捨てたな、なんでなん?
南海車両のシンボルカラーやろ?
ダイエーソフトバンク球団にグリーン引き継がんでもええけど、
南海電鉄自身がグリーン捨てたらあかんやろ。
京阪でも特急車以外、一般車は京阪グリーン。 >>205
確かグリーンは垢抜けないとかの理由だったはず
JR東日本はうまく緑を使ってるのにね
現在のCIは電通へ発注したもの 今の野球に野村なんかはついていけないだろう。 むろん落合も >>204
ソフバン本体が危ないなら可能性あるけど。
独立採算でいくかな、カープみたく。
その際は、3軍もなくなり、貧乏になるけど。
>>203
それTV で見た。でも、海田町長の息子だし、資産はあると思うよ。
俺も昔は普通の選手じゃんと思ってたけど、極めて政治的な選手。
ハリーとも仲良し、日ハムの工場誘致、東都・六大学の番長的存在by江本らしい。
ただ、昔の選手なんで、岡あたりにマッサージさせたり、超体育会系。怖いです。 南海は高野線も線香臭いイメージで自社が宅地開発した美加の台や林間田園都市の家が売れないという理由で
りんかんサンラインという路線名称に変更しようとしたという黒歴史があるからな
もちろん真言密教総本山高野山の反発を買い全く浸透しなくて頓挫したが
それが今のパワースポットブームでそんなことがなかったかのように高野山にすり寄りまくってる節操のなさに呆れ返る
南海はホンマにアホ会社と思う
球団経営でも別所引き抜き三原ポカリですぐ怒り心頭になって巨人とは野球できんと別リーグ立ち上げに参画するし
黒い霧でも今までやられてた積年の怨みで西鉄の寛大な処置を望まず徹底追及でライオンズを二度と立ち直れないぐらい叩き潰そうとした
長期的視野で見てライバルの存在が共存共栄がいかにリーグの繁栄と球団経営に不可欠なのか理解する頭がなかったんだろうな さすがに黒い霧は一度きっちり膿を出し切った方が正解だったと思うがな
なあなあで済ませてたら巨人の賭博問題をさらにスケールを大きくしたようなのが
80年代あたりに起きていたとしてもおかしくない >>209
特急こうや号の車両、結構古いんだよね。 アホの江本が高木豊のネットチャンネルで先輩の山本浩二は守備が下手だとかとんでもないデマ飛ばしてたな
晩年のよれよれの守備ならともかく法政時代に間近でみてるし阪神に移籍したのは76年だからまだ守備も
バリバリだったろ
歴代トップクラスの名手を下手呼ばわりのフェイクを若いファンは信じてしまうからやめてほしいよね
おそらくこの二人は仲が悪いんだろうけど
褒めてた福本こそ中学生並の肩で今だったら使ってもらえないだろう 福本の守備は肩は弱かったが、守備範囲が恐ろしく広くてかなり厄介だったぞ
ヒット性でも右中間から左中間への飛球はあっという間に落下点に到達しほぼ捕球されたイメージ >>212
いや、センターは今でも肩は弱くてもええんよ。
捕手までの間にマウンドがあるから
飯田とか新庄クラスの超強肩以外だと
逆に悪送球になってしまう可能性がある
だから今のレギュラー中堅手も殆どがそこまで
強肩ではない選手が多い >>212
江本とピーコそんなに仲は悪くないらしいよ。
ピーコはどっちかというと天然でマイペースらしい。
富田は紳士に見えるが、ケンカっぱやい。
ちなみに、鶴岡さんの息子も法政でコワモテだったらしい。 野村さんの野球を持ち上げたことで00年代は発展が遅れてたと思う 門田が70年代に二桁補殺数を5回記録してるが、普通強肩ならそんなに走られないし、要因は何だったんだろうと思う。 「貧すれば鈍す」を体現したのが、南海ホークスということか。 金村が近鉄のシブチンをネタにしているが
その割に80年代後半の近鉄は西武のライバルでいられたのが不思議 >>209
林間田園都市、橋本あたりに巨大分譲団地を作っておけば、乗客数が伸びていたね
大阪球場を九度山か極楽橋あたりに移転して、巨大ドーム球場を作っておけば
野球観戦客の乗車も見込むことができた >>220
ドラフト制でまだFAも無い時代だから
入団拒否さえ喰らわなければ自力で戦力を積み上げていくことは出来たからな
釣った魚に美味しい餌をやらなくても魚側には引退しか抵抗手段が無い >>220
西本、岡本のレガシーやろ。
近鉄は阪神と同じくらい内紛が多い球団、地味なんで目立たないが。
しかし、岡本は南海で一番世渡り上手、今もご健在だし。
要領がいいね。南海、阪神、近鉄に絡んでる。
派閥を作るんで評判は悪いけど。 >>212
まあ両隣にウイリアムスと蓑田の超強肩がいたから阪急では機能してたけど、
センチュリーベストナインのセンターに福本が選ばれた時はさすがにそれは違うだろと思ったわ >>223
そういう球団が消滅してくれてほんま良かったわ
ドラフトとかいうシロモノで南海は衰退させられて
逆になんも熱意が無い近鉄とかでもテキトーにやってりゃ勝てるようになったんだから >>224
サンケイ退団時に飯田がヘッドコーチとして南海に呼び戻された際に
中原は蔭山事件があったから遠慮して南海に戻らず朝日放送で解説者をやったが、岡本は飯田にくっついて南海に復帰
それで森下が岡本と激しく対立して中日へと去り「ピストンサインの森下コーチ」に 江本の張本は銅像でワロタ
フライヘディングは宇野じゃなくピーコが元祖なんだよな
もうその頃から衰えだしてたんだろな >>229 このままじゃ、なーんも努力をしない
甘やかされた阪神だけが生き残りそうやな。
普通、矢野は首か辞任やろ、コロナ集団外食は。 >>230
山本浩のうぃきより
広陵高等学校に、17安打を打たれ1-9で敗北した。
しかし、その評判を人伝に聞いた南海ホークスの鶴岡一人監督の目に留まる。
鶴岡に「今プロに入っても通用しない」と大学進学を勧められ、法政大学に進学した。
鶴岡は後年、当時の山本について「投手としてはともかく、打撃には非凡なものを感じた」と語っている。
鶴岡さんはいくら広島出身と言え、無名校までチェックなんだな。
アンジャッシュ渡部じゃないが、すごい情報網。
長池も同じ感じで法政を勧めた。結局ドラフトで他球団に行ったが…。 >>211
近鉄のビスタカーもデビューしてから40年、車体の色を塗り替え、今でも現役だぜ。
急行とか普通に使用される車両も古ぼけたデザインしているけれど。
新型車両を投入する西武とか東急と比べたら、見劣りがするよ。 >>233 全国に口利きする人がいるみたい。
反社やブローカーまがいの人も多く、その辺は契約金を吊り上げるだけなので
あまり相手にしなかったらしいが…。
野村、広瀬、皆川も紹介をつてに、実際見に行ったり、テストさせたり。
大学進学者には、東京遠征の時、飯食わせたり、バット送ったり。
特に同郷や法政には手厚かった、両山本にはね。
最後にカープに持っていかれるのは、人がいいというか、何というか…。
稲尾や中西はブローカー通じて西鉄に強奪されたけど。
また、結局、巨人というか東京にはかなわなかった。
法政二校柴田は何度も通ったが、入団かなわずだったし。
長島のエピは皆さんご存知の通り。 やっぱ新人は契約する前にテストさせるのが一番いいよ。
ドラフト制だとどうしても
「なんであんなのをとってきた」
「育成できない現場が悪い」
と互いに水掛け論になりやすい 長嶋「スギ、一緒に南海に行こうよ。南海はすごい大きい電鉄会社なんだ」
↓
「スギ、すまん。俺巨人に行くことになった」
杉浦「・・・え?」 >236
他の大多数の見込み違いを忘れて
現場が一流に育てた選手をあれは俺がスカウトしたとかぬかし出すスカウトもいるからね。 https://news.yahoo.co.jp/articles/f0cf6a44c11bca6fe7c4d25470eb6d22869121d2
波乱のスタートは南海だ。契約更改で小池兼司が「トレードに出してほしい。あんな監督の下ではやっていられない」と爆弾発言。野村克也監督は当初、「ついてこれんちゅうやつにはついてきてもらわんでええ」と吐き捨てたが、その後、「人間は誰にだって不満がある。いちいち取り上げていたらきりがない」と黙殺することにした。
もともと野村監督に対する批判的ムードはあった。
「話しかけても答えてくれないし、グラウンドであいさつしても返事もしてくれない」
「その場の思い付きで言われてはたまらない」
などという声が古参選手からあった。
鶴岡一人監督を慕う選手たちは、無口で何を考えているか分からない野村監督への不満を持っており、一方、野村監督も「いちいち言わんでも自分の考えはみんな分かっているだろう」という思いもあった。
野村監督は急きょ中モズ球場の合宿所で1人30分から1時間、ヒザをまじえて語り合うことにした。野村対話教室とも言われ、若手からのスタートだったが、小池、三浦清弘、広瀬叔功ら不満分子と言われていたベテランともやりたいという。
「上に立つ人間は、ちゃんと筋の通った信念を持っていなければならない。そしてそれを構想どおり受け取ってくれなくては芯の通ったチームにはできない」
と野村監督は話していた。
最初から不協和音 >>235
そういや何年か前に東三河地区の球児を静岡の学校に紹介するブローカー的な仕事してた男が
殺人事件起こして逮捕されたことがあったな >>239
こんなのじゃ例え陰山氏が存命のまま監督を続けても長続きしなかったか
二言目には「鶴岡さんの時は」とか「親分ガー」じゃ世代交代すらままならんわ そういや小池はレギュラー定着時はそこそこ打てたのに何故次第に打率が低迷していったのかな? >>239
71年オフの契約更改前に野村が「投手力強化の為の交換要員」としてフロントに広瀬・小池・富田の放出を求めていたことが漏れ
小池が「トレードに出すんなら出せや」と応戦
この時点(72年)で野村とモメていたとされる連中でも、広瀬&小池、三浦清、富田の三者ではそれぞれ事情が全く異なるからな >>239
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/05/19/___split_89/
三浦のインタビューが面白い。鶴岡さんに対してもきっちり嫌味言ってる。
鶴岡さんの、忖度というか、ベテラン選手をたまに2軍から上げないと給料に響く。生活があると。
でも、若手の三浦にとっては、納得がいかない。これも、もっともだ。 木下富雄が定番ネタで「江夏豊って人が『江夏の21球』って持ち上げられてるけどさ、無死満塁の
ピンチ作ったのはあの人本人だからね(笑)」とよく広島でやってる。
あの時、二塁守ってた張本人ですら「江夏ってひと」という距離感なんだな。 まあ言うても江夏のミスは羽田に初球を安易にストライク取りに行って打たれたぐらい
水沼の悪送球に高橋慶が最低限(前で止める)をできなかったことで傷口が拡がったからな
ここでは江夏の21球の真の立役者は水沼と主張する人がいるし
実際水沼の果たした役割は大きかったけど
彼もまた自分が蒔いた種を刈り取っただけと言われたらそれまでになる >>245
カープ鳥 きのした
よしひこの悪友なんだよね。両方関東出身。
水沼、里志、長内、木下、意外と住み着くな、広島に。
安仁屋が筆頭だけど。長谷川、金山なんかも。
ここは南海スレなんで、国貞も料理屋。広瀬は隠居。 皆川睦男はどうなの??
巨人ファン的には西本と世紀の茶番ゴルフ劇をしたけど防御率を改善させて
くれた人なんだけど。 堀内と違い有能なイメージ >>246
結果、一緒なんよ。
先頭バッター出したら、藤瀬なんだもん。当時のNo1ランナー。
どう転んでも1アウト3塁にはなってるわけで。
あとは江夏に任せるしかないし、江夏自身も運が良かったと言ってる。
レバタラはいくらでも夢想できて、結局江夏の一人勝ち。
このあとからやん。江夏が優勝請負人なのは。
西本さんを優勝(日本一)させてあげたかったと言ってるらしいが、
翌年の80年も西本近鉄を破り、その翌年の81年にはよりによって日ハム移籍。
西本さんは近鉄で最下位。とどめを刺したんは江夏やん。 >>168
それでいて、セゲヲは使い物にならなくなった主力選手にはボロ雑巾の如くの扱いするからなあ。(例、ハリーにトレード説明をせず、それどころか避けまくる。) 少なくとも、西本や角にトレードにおいて、きっちり配慮した藤田元司と比べたら大違いだな。 >>251
広沢も長嶋は優しいようで実は冷酷と言っていたな
逆にノムさんは冷たいようで実は結構情に厚いんですよとも(このスレの人間は野村ほど冷酷な人間はいないぞと否定するだろうがw) >>252
野村は理論派とか思われてるけど
92年でヤクルトでの苦しい時は精神野球そのものだったしな
岡林連投とか試合後のコメントではとにかく打てとな気合いで抑えろとかかなり無茶苦茶だった
結果的に優勝したから良しとされてるけど >>228
森下さんのニコニコ顔とサインは子供の時好きだったわ 長嶋は現役時代から部屋で一人でメシを喰うし、
後輩引き連れて呑みに行った、メシ喰った のエピソードも無いし、野村のほうが人間味がある 松井もそうだったろ
結局ツルむやつってのは非情になれないからだめなのよ
かといって榎本喜八級だとヤバイが >>253
一戦必勝。勝ち運のある投手はどんどん使う。
まさに、軍隊野球。結局、鶴岡さんの継承者やんけ。
伊藤智、岡林、西村など。
92年成績悪かったら更迭だから、仕方ないね。 >>252
ヤクルト時代、ノムに干されてた一茂も、ノム晩年はお互いに対談したり、飯もお互いに食う間柄だったなあ。逆に親父のセゲヲとはいまや、絶縁状態。 長嶋は冷たいというのとは違う
自分が育てた
篠塚とか好きな松井由伸あたりには甘いし優しい。 中畑とかの晩年もそういう
扱いしたんだろうな
山倉とか仲人した堀内のような無能コーチをこよなく愛す。
原への現役時代の扱いは徳光さんでも批判してたなそれは自分で指名してない
ようは自分勝手。 >>244
三浦は72年オフに野村と派手に大ゲンカして放出され稲尾ライオンズに拾われるが
「ワシが南海を辞めたあとも『こいつ、オレに反抗して裏切った』とか言いながら、よくしてくれた」とそのインタビューの中で語っている
他の連中と違って対立に沙知代が絡んでいなかったため、後腐れは全然無かったようだ
>>253
野村の監督としての力量のピークは明らかに南海前半だったと思う。特に投手運用に関してはどんどん退化していったからな
南海前半(70〜73)=ドラ1で獲った東都のエース佐藤道郎を1年目から適性を考え敢えて抑えに回す斬新かつ大胆な起用
↓
南海後半(74〜77)=足元を見られて体力のガタ落ちした江夏を掴まされやむなく後ろに回すありきたりな起用
↓
ヤクルト(90〜98)=毎年のように供給される一級品の即戦力投手(西村岡林智仁…)をコーチ・トレーナーの制止を黙殺して湯水の如く贅沢に使い潰すバブリーな起用
>>255
兼任監督就任以前の60年代の野村は人望はあったからな
若手選手の打撃練習場確保の為に西宮の私邸の庭を使わせてやり、本妻がその若手たちに手料理を振舞っていた
主力メンバーともこんな感じ↓
https://www.nikkansports.com/baseball/photonews/photonews_nsInc_202002110000440-3.html >>259
ただ、1度目の監督時代はともかく、2度目の監督時代は、コーチ会議に参加しないや、チーム内の揉め事も治めようとせず、ある意味、ノムの南海監督末期のサッチー問題に匹敵するくらいの最低エピソードを作ってるなあ。 >>261
星野監督はドラフト1位投手はわりと大事に使うけど下位指名投手は酷使する。
近藤なんかは使いたがったがひじのことで8月まで待ったくらい
与田も今の新人でも中継ぎならこれくらいは使うんだよね >>251
鹿取なんか他の監督なら干して引退させてもおかしくないぐらい反抗してきたのに、
わざわざ西武に出してやってるからな。ほんと大違いだわ。 >>263
2回目の長嶋は1回目の解任の反動か好き放題してたよ。 それを許してたナベツネ 鹿取はオリに出せば石嶺とれたのに格安トレードで在京に出した。 >>265
スレチだが、星野も第一次中日監督時代に 「あんたにはついて行けない。」と面倒向かって犯行した平野を飼い殺しするでなく、わざわざ西武にトレードしてるなあ。 >>260
冷たいというか筋が通ってないのが森
だからいまだにV9メンバーからからも黄金期メンバーからも無視される
冷たかろうと熱かろうと理論が通ってれば心底からは嫌われん もし長嶋が南海来てホークスが繁栄して人気球団になっても長嶋監督に
なり消滅してたな そりゃ誰が監督だろうと南海って会社が傾く史実は変わらんしw >>268
この件について星野は本心はともかく対外的な姿勢としては
「選手を生かすためのトレードが必要」とBBMでのインタビューで言っていたな。 ようは長嶋も野村も自分勝手。 この世代の人間は自分の名声のために勝つこと
しか考えてないんだよね。 監督残って選手潰すみたいな 長嶋だの野村だのをもてはやしてたマスコミもバカ。 岡田や落合もこの2人に通じる >>273
その2人だけでなく仰木もそうだし、その年代はそれが当たり前だったんだろうな >>272
実際に選手を生かすトレードするのは野村の方だったな。
星野のは自分が得する事しか考えてない。 南海ファンって巨人好きな人多いよね
俺の知り合いにも兼業ファンが何人かいた 定期的に出る南海ファンは讀賣兼任の主張
前は出て来たら叩かれてたのに最近野放しだな。 >>276
野口も北川も愚劣極まる理由でチームを出されながら自力で生きる道を開いただけだ
チームの得にすらなってねえ 野村の監督力はたしかにプレーオフまでの南海前期だろう
杉浦と皆川という巨頭が辞めていくという危機感や
三浦も佐藤の件でみそつけて喧嘩 渡辺もやめる中
西岡や村上や新人佐藤だけではもたないという危機感と
財政事情が再生工場やトレードを生んだと思う
ヤクルトではそれをする必要がなかった
ただ、その前の監督が内藤や広沢池山をメインにしていたのを
次々と旬の投手を使っていった
秦や飯田のコンバートや土橋を活かしたことは野村の生んだ功績と思う
土橋を見るとのちの楽天の高須とやや違うが使い方は似ている >>270
いずれ南海電鉄が傾くにしても、
球団がちゃんと大阪球場の公式戦、何かのイベント事で客を増やしてくれたら、
ダイエー球団が引き継いで大阪ダイエーホークスやったかもなぁ。当時の本社がダイエーなんか福岡に縁もゆかりの無く
神戸と大阪にゆかりあるバリバリ関西の企業やん中内功も此花出身やね確か?
福岡で人気球団になれて良かったけど、
もしダイエー買収&大阪にホークス残留してたら
結果論で済まんが。 >>270
王が第二次巨人軍監督で
もちろん長嶋はホークス監督やろな。 >>268
平野のケースとはちょっと違うような?
平野はバリバリのレギュラーだったし、
あの時点で干されて2軍暮らしになったら何かあったと思われるし、
トレードの玉としても困らない立場だった。
鹿取は元々地味な中継ぎだったが、
王監督の時に抑えで狂い咲きみたいにブレイクしたけど、
酷使が続いてまた地味な中継ぎに戻ってた。
あのまま干されて数年後引退しても違和感なかった。
でも藤田はわざわざ森に話持ちかけておかげで、
その年の日本シリーズで鹿取に抑えられて負けたんだよな、
相当のお人好しだと思うよ。 >> 283
どうも、長島の南海のイメージが湧かない。
入団してれば、穴吹くらいの選手にとどまった可能性が大なのでは。 >>275 >>273
大沢親分も豪快なイメージがあるが、こっちの系譜にはいるのかなあ?昔、高橋直樹が、「大沢監督は投手を酷使しすぎ、勝つ為には、故障あがりの投手もこき使う。」と辛辣なコメントしてた。 >>287
大沢は82年に工藤幹夫に無理させて壊してるからね。と言うかどの監督の下でも多かれ少なかれ犠牲になる投手は出てしまう
だからこそ監督は使い切った投手のアフターケアについて自らの責任でしっかり手配してやることが大事だし
滅私奉公をしてもらった側である監督の内輪だけが甘やされたり旨い汁を独占したりするような環境にだけはしてはいけない そういう意味では
藤田監督の西本と角
王監督の鹿取
星野監督の与田はケアーしてるね
権藤と山田・近藤貞雄は投手を潰さない監督だったね。
そういう意味では野村と2回目の長嶋は身勝手極まりない 1次政権時の長嶋に酷使された新浦は韓国球界に橋渡ししたり引退後に日テレの
解説をあっせん。 不遇の移籍をした小林繁には当時の川崎市に建てた家の
ローンの返済を球団に掛け合った
長嶋はなぜか自分で育ててない選手には冷たいそれが露骨すぎる。
意外と酷使でつぶさないのが森監督・精神面でグチグチいってつぶしてそうだけど >>251
>>259
長嶋は冷酷というより、自分の興味がない人間にはとことん無関心なのでしょ。
1軍にいる選手でも名前を覚えていないなんてその一例。
>>288
酷使して潰した投手へのアフターケアってどんなのが良いのかね?
食っていくのに困らない程度の現金を渡すのが手っ取り早いけど、
そんなのは根本くらい権限がないとできないだろうし。
指導者にするにしても空席がないと話にならない。 冷静に考えれば、たかだか数十人の手下の名前すら覚えないのは異常者 星野は現役引退後の解説者斡旋で有名だったな
ここでは評判の悪い野村だってこういうことをしてる
どうせ違うチームに押し付けたとか悪意で言う奴がいるだろうが
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20101202/bbl1012021618006-n1.htm 名前を憶えないのは頭が悪いんだろうな
だから野村を押し付けられそうになったが、嫌いだから拒絶したんだろう そんな長嶋に監督をさせようとする世間とか読売も相当バカだよね >>295
巨人の純血主義はやばいな。
一回巨人からトレードで他球団行ったら、二度と監督出来ないって異常やな。
南海も生え抜きob監督で近いな。
現在の福岡ホークスはob監督でも他球団(ライオンズ)から来た人やもんね。
ライオンズ系も西鉄太平洋もob監督ほとんど。
西武になってもob監督多いな。
パリーグはobより外様監督多い傾向やね。 >>295
+主軸かエース・ドラフト1位しかだめとか・・・・ >>295
客入り多いから長嶋選んだんちゃうかな?
だから、興行面でな。
巨人フロントも長嶋第二次政権なった以上は
長嶋が無能でもフロントの力で手助け(補強)するやろ。だから優勝出来るんとちゃう?
他球団では親会社の資金力やフロントの力が
弱いから中々バックアップ出来ないよな。
読売とコクド時代の西武とダイエーソフトバンク
黒い事して黄金時代を築いたと思う。
貧乏球団広島のその辺凄いな。
余談だか阪神がもし掛布田淵が監督したら
客入り凄いやろな。興行面で言うと。 OB監督が極めて少ないのはフライヤーズ~ファイターズだな。
セリーグはDeNAが、次はたまたま生え抜きOBの三浦になりそうだけど
あまりOBにこだわっていない。
ヤクルトは一時外様中心だったけど、ここ最近はOB中心に。
広島は松田一族がマツダ本社の経営から離脱して以降、生え抜きへのこだわりが強くなった感がある。
もし完全外様の別当薫がもう少し監督を長くやって、当初の目論見通り球団代表になっていたら、
史実とは違う形で強化されていたか、それとも停滞したかはわからないが。 東京在住の南海ファンでしたが、本社が大阪なので、出張のたびに
試合観戦をしてました。
それにしても観客がいなかったなぁということと、ヤジ合戦がとても
面白かったです。
ただ南海ホークスが消滅、福岡に移転してからは、全くプロ野球自体も
見なくなりましたし、来阪してもすぐに東京に帰ることになりました。
我が家にある南海ホークスの野球帽のみが、思い出として残っています。 読売は川上、長嶋、王、原の生え抜き名選手が
監督すれば客も増えるしテレビの視聴率上がるんやろな。親会社マスコミなだけに。 >>300
まぁ様々やね。
初期のダイエーは南海色強いけど、
ダイエー後半からソフトバンクは完全に南海とは別球団になってもうてるもんな。 >>288>>287
工藤は自身の不摂生(酒の飲みすぎ)もあるらしいよ。
直樹は非常に神経質。 >>295
1回目のときはどうして監督にしたのか知らないけど、
長嶋を解雇した後に読売新聞の販売部数が継続して落ちたので、
適正云々ではなくシェア回復のために長嶋を再び監督にしたと
聞いたことがある。
もう現場の声なんて完全スルーですね。 >>255
長嶋茂雄が昭和56年の名球会ハワイイベントのプール企画で男なのに乳首露出を嫌ってか
Tシャツ着たままプールに入ってて気持ち悪かった。
今ほど当時は世間も乳首に対するこだわりはない時代だったのに。 >>300
こういう人って野球そのものが好きではないんだね
ホークスからしてもそんな輩は願い下げだろ >>258
いや、晩年和解してるよ。
ホークスと巨人のOB戦の時に長嶋が野村に親しげに話しかけてる映像が流れた。 >>304
どうしても何も今はともかく昔は生え抜きスーパースターが引退したらそのまま監督というのは定番でしょ >>307
横レスだがおそらく一茂と茂雄との仲の事だと思われる
一茂が茂雄のお宝グッズを勝手に売却したとかで
三奈及び茂雄vs一茂夫妻でゴタゴタが生じてる
https://news.biglobe.ne.jp/topics/sports/0131/93808.html >>304
長嶋を解任したら読売の部数が減ったというのは間違い。
解任後徳光和夫が「私はもう読売新聞を取りません」とか言って話題になったけど、
一時的なものて翌年すぐに藤田がぶっちぎりで優勝したので、
かえって部数が伸びた。
これは最近朝日新聞が同じような記事を書いたので、
読売はデータ提示して否定してるよ。 長嶋さんも王さんも今の地上波放送がないときに巨人の監督やってたらもう
ちょっと落ちついてできたかな??
逆に原が当時巨人の監督してたらONのようになってたかもしれない。
原はONを反面教師にしたのかな 星野の良いとこはコーチ陣を外部から優秀なのを入れるのに対して
長嶋は子分で固める。 星野はジャパンでお友達して失敗
原は子分で固めてるけど意思疎通もできてるジャパンの時は最高の精鋭な
コーチで勝負
長嶋は1次の時は杉下さんが投手コーチで暴走止めてたけど2次はいなかった
同級生の杉浦さんとか稲尾さんあたりを投手コーチにという発想はなかったのかな >>312
杉浦は受けないでしょ。
鶴岡さんに相談し、OKだったらは予想できるけど。
事実岡本が阪神コーチ受ける時もそうだったし。 王さんは巨人時代に稲尾をコーチにしたいという案を却下されて堀内を
ごり押しされた。 しかし堀内解任
皆川さんを投手コーチにして防御率改善。 皆川コーチは優秀だったんだな
西本と茶番劇ゴルフはあったけど 1001は投手出身という事もあってか、有能な投手コーチを連れてくるなあ。宮田・山久・佐藤のヨッさんなど。逆にセゲヲは暴走でコーチの言う事聞かない。ノムは、有能コーチにたいする嫉妬で投手コーチに恵まれてないなあ。 >>315
佐藤はノムが招聘したんだが?
このスレの連中はすきあらばノムをデイズってるな
南海スレの人間がノムが大嫌いなのはわかるけど
事実を曲げてまで叩くなよ
https://www.daily.co.jp/baseball/2020/02/12/0013109429.shtml
デイリースポーツ評論家の佐藤義則氏(65)は、野村氏が阪神監督だった2001年オフに、投手コーチとして招聘(しょうへい)された。
その時の秋季キャンプ中「1カ月間、ご飯を食べながら、いろんなお話を聞くことができました」と互いの野球観を確認し合う時間を持った。
ところがほどなくして、01年限りで野村監督退任が決定。それから7年のブランクを経た09年、楽天監督4年目となる野村氏から再び呼ばれて1年間、同じユニホームを着た。 >>288
高橋直樹は大沢が亡くなってから大沢の批判する機会が増えている
「木田、工藤が短命に終わったのは大沢さんのせい」
>>290
あの当時の西武は投手がいたのもあったけど広岡・森は投手潰さないね
>>315
佐藤義則は星野が阪神監督に就任する前から阪神の投手コーチだったから星野が
連れてきたわけではない
01年の秋季キャンプ終了後沙知代逮捕→野村辞任→星野就任の為
01年オフに星野が呼んだコーチは島野と田淵の二人
翌年山脇、湯舟、御子柴とかクビにして、木戸・松山・吉竹を2軍
西本、山口高志、達川、水谷を呼んだ 野村は尾花を招集とかしてた。 ヤクルトの最初の方の石岡コーチとかは有能??
伊勢打撃コーチは有能だね
長嶋さんは暴走するからこそベテランコーチが必要。 1次の時は杉下さんがいたから
投手陣は世代交代で来た。 2次の時の投手コーチは最低だったな
王さんは巨人の時にベテラン投手コーチを要求したが却下されて堀内をフロントに
ごり押しされた。 村田兆じさんは失敗だったな >>317
優秀かはわからんが阪神時代の最初の方は八木沢壮六とか呼んでた野村さん
広岡はあの時代にMLB視察してエースに頼る三原野球を批判して責任を
与えてローテーション制度を導入した。
ヤクルトの時に松岡・安田・鈴木康二朗・会田・倉田とかローテして井原が
抑えしてたね。 あの時代にしては画期的なのでは >>291
功労金の支払いもあるだろうが、それよりもはるかに大事なのは次の定職の斡旋。球界内に止まらず一般企業への再就職先の用意
鶴岡らドラフト制以前の「大監督」と呼ばれたような連中は各地の支援者に引退した選手の就職先を世話してもらっていたし
02年オフに阪神で星野が入れ替えの為に選手を大量放出した際に、現役引退者には全て自分の伝手で次の仕事を用意している、
とは言え現代では余程の大物でもなければ監督個人で斡旋するにも限度があるから、入団時に球団が特に上位指名者には球団職員または本社社員としての登用など、引退後の待遇を約束しておくことが多い
球団によってはトレードで出されるとこの予約権が消えてしまうので(特に昔のヤクルト)、選手が放出されるくらいなら引退すると拒むことが多かった
>>317
高橋直は大沢の生前からキッパリと言ってたけどね。ただ木田は自滅でしょ。そもそもプロ入りも相当遅かったし
>>318
野村がヤクルトで自分でコーチをある程度選べるようになったのは94年から。それまでは社長が一年目の高畠以外全部決めてた
投手担当の石岡・梶間・河村・浅野・安田とは、岡林と智仁の運用を巡ってモメまくった >>320
長い間現場から離れていた河村保彦や、
巨人移籍以後ヤクルトとの縁が薄れていた浅野啓司の起用には驚いたな。
河村は野村との接点はほとんどなかった一方、
ヤクルトの大株主のフジテレビや系列の東海テレビの解説者だった時代があったから、
完全にフロント主導だな。
浅野は88年から89年頃にかろうじてテレ朝の解説で野村と関係があったが、
(浅野は大抵ネット裏解説だった)それほど深いものではなかったから、やはりフロント主導か。
一方梶間・石岡・安田は完全に生え抜き人事だな。それも引退後もコーチやスカウトで残っていたパターン。 ちょっとこのスレ、南海の話題よりも他球団の裏事情が多くなったな
32年前の今日は南海の関西最終戦だったぞ。 野村はコーチ引き連れて行くタイプじゃないでしょ。
高畠も話し相手がいないから球団の厚意。
柏原も既に阪神でコーチ実績有りだったし
無理に外から呼ぶイメージは無い、付き合い自体が少ないだろうが。 もしかしたら記憶違いかもしらんが球場が解体される直前にスコアボードに残ってるネームプレートか何かを競りにかけてなかったっけ?
持ってる人がこのスレにいるかもな >>322
正規の日程なら9月に日生でやったはずの分が流れて藤井寺になったんだよな >>317
大沢の場合は実際そうだから。
木田は1年目80年の後半戦、
近鉄と優勝争いして天王山でスクランブル登板させた。この年の酷使は酷かった。
82年は工藤が指を故障(実は酒の上でのケンカが原因と十数年後に判明)して、
西武とのプレーオフは無理と思われながら、
奇襲先発。
無理を押して投げたおかげで完全に壊れた。
ケンカの件を球団が隠蔽してもらった弱みがあったから、
工藤も登板断れなかったのかもしれない。
いずれにしても酷い話。
ずっと「指をドアに挟んで怪我」と信じてたわw >>325
松井は野村の南海監督時代にヤクルトに移籍して、
引退後もそのままマネージャーとして残っていたら、
野村が監督でヤクルトに来て、関係が復活したという流れだったな。 大沢の工藤幹夫の奇襲攻撃は南海スピリットのような気がする
酷使については時代もある
カネやんの酷使に耐えた木樽は成田よりかわいがられていた >>329
関係は復活したんじゃなくて移籍後もずっと継続していた
沙知代は73年に球団社長に就任した佐藤邦雄と非常に懇意だったんで
松井はヤクルトでも全然成績を残せなかったにもかかわらず引退と同時にマネージャーとして採用された
そんなわけで80年代の時点でヤクルトベンチの内情は松井と中島を通じて全部野村側に筒抜けだったのよ >>303
日ハム木田も単なるオフの調整不足。
慢心とずぼらな性格が祟った。
高橋直は神経質でセ(広島)では全く通用せず。
アンダースロー好きの広岡西武で持ち直す。 >>314
稲尾は中日で中監督の時に呼ばれたが最下位。
皆川はたまたま桑田のブレイク時と重なっただけで、
のちに藤田が桑田の緻密な練習計画書いたノートを見て、
「こいつに何も教える必要ない」と思ったぐらいだから、
コーチの指導で勝つようになったわけではない。
皆川は西本だけでなく、サンチェとも揉めてたし有能と言っていいのか疑問。
まあ堀内よりはましだったとは思うが。 >>332
d。そういえば、団野村もヤクルトの選手だった時期があったし、
少年野球の港東ムースもヤクルトの施設を借りる事があったな。 >>324
ナイトスクープで大阪球場の観客席の椅子を賭けて
杉浦と視聴者が野球盤対決したってのも >>337
少年野球に練習場貸したのは野村の監督就任以降。。 青田昇に野村克也は鶴岡さんを否定的だが投手つぶしはやってることが変わらんとか
言ってたわ。 鶴岡三原の弟子たちは投手つぶしがひどすぎる
逆に西本上田はつぶすタイプかな??
>>335
稲尾・皆川どうのより堀内が無能すぎるということが結論になるのかな。 それを
コリもなく2回も投手コーチにしたり監督にしたりやはり読売はひどい組織だよね >>325
角三男、池山
星野は佐藤道郎を投手コーチで呼んだけどどんな繋り? >>341
もしかして島野つながりとか??? 南海でチームメイト >>342
島野の推薦で中日のコーチになった南海OBと言うと高畠もだね。そんで山崎武司を本塁打王に育てた
山崎は96年は.322 39 107でキャリアハイ。この時に高畠に基礎をしっかり作っておいてもらったから楽天でも田尾が修理し易かったしあの歳までやれた
本塁打王獲った翌年によりにもよってナゴヤ球場→ナゴドという環境の激変で大きく数字を落とし、その数字の責任を取って高畠が辞めたのもあってその後は迷走しちゃったけど >>343
ヤクルト時代ノムが高畠に言った言葉「アホ!!タカに教えてもらってどうするんや!?自分で打て!!」と怒鳴る >>344
そして怒鳴られた笘篠(高畠は中大の大先輩)がブチ切れる >>339
監督就任から1年ほどの週刊誌で
施設貸与で球団との縁があったと書いていたたのを見た記憶があったけど、記憶違いだったかも。
>>343
島野は指導者としてはホークスとの縁がなかったな。 >>346
横浜事件が無ければ一度はホークスに呼ばれたかもしれない …と思ったら柴田は暴行事件後に南海にコーチとして戻ってたな
単純にタイミングが合わなかっただけか >>348
星野派の番頭になったからね。元々、中日だし。 >>335
サンチェ(本名はサンチェス): 「ミナガワ、Stupid!」 島野は杉浦時代にコーチ要請があったようだ
杉浦逝去時に、杉浦さんからコーチの要請があったが断ったとコメントしていた
おそらく中日のコーチが決まっていたからだと思う 平和台ホームの4年間はまだけっこう南海オーラ残ってたな。福岡ドーム開場が球団一新の転機になった 南海オーラが残ってたというか、単に弱かっただけというか…w
まあでも、ドーム開場が転機になったというのは同意
ロッテもずっと川崎球場のままだったら、球界再編の際にベイスあたりとくっついて
1リーグ10球団になってたかもしれん
ドームに移ってかえって悪化した近鉄という例もありますが 南海の末期って選手見てて気の毒やったな
あてもなく毎日の試合をルーティンでこなしてるだけの無目的集団って感じで 柴田コーチは昭和56年、ベンチ内でシュルジーコーチと乱闘騒ぎを起こし阪神に移籍した。
「柴田猛&島野」コンビの前では、さすがの悪童・キヨもおとなしくしてそう(笑)。 今回の石毛チャンネルのゲストは東尾だが昭和40年代のパ・リーグのバッターで一番厄介だったのは長池さん
長池さん対策でインスラを修得したと述べるが手強い相手としてノムの話題は一切なし
稲尾もそうだがパ・リーグのエースたちは野村なんかただの球種盗みイカサマ野郎で眼中になかったんちゃうか?
クサや山田の話もようつべに出てもらって話しを聴きたい >>353
平成初期には川崎市内に新球場を建設する計画があったよ。 >>355
今だったら永久追放だな、このコンビは。 >>356
アンタがネットソースしか見てないからやw
マジレスすると稲尾が野村について語る際に必ず出て来るのがオールスターでの神経戦の話。
当然野村が捕手でパ・リーグの投手陣の球を受けるんだけど、その機会を利用してパ・リーグのエース達の変化量や投げる時の癖とか
全部見抜いとこうと全ての持ち球を投げさせたがるんだと。
そんな野村に対して、稲尾とかはそんなの見抜かれたらたまらんと全部真っ直ぐしか投げなかったり、全く別の球を投げたりと対策に
苦慮したんだって。
稲尾とかにとってオールスターの場はセ・リーグの各打者と対戦する以前に捕手として構える野村との虚々実々の駆け引きにばかり
神経をすり減らした印象しか無いそうで。 そもそもトンビの頃の野村はそこまで神経すり減らして投げないといけない打者ではなかっただけだろ 野村が一流打者だったのは73年まで。
その頃の東尾は二桁勝ってもそれ以上に負けて防御率も悪い駆け出しの時期だった。
東尾が一流になったのは75年の最多勝からで野村は既に打棒が衰えてきていた トンビがよく語るのは門田かな。
わざと3ボールにしてからくさいボールで攻めたとか。
もちろん四球になることもあるけど走者に出しても全くの置き物だから別にいいって
(これは落合ブーマーにも同じ事言ってた) 野村を最強打者に挙げた投手って誰かいたっけ
東尾は長池 稲尾は榎本 池永は張本 土井大杉もいたが、野村は知らない 野村は二線級の投手を確実に打ち崩すタイプだったので、大投手からは敵視されなかったのでは?
ただし、野村自身は稲尾との対決を重視していたと語っている パ・リーグ歴代打撃成績の長打部門では間違いなくナンバーワンの打者でありセにおける王にも比類する男なのに余りにも寂しいな
クサなんかは野村からかなり本塁打のを浴びたんだが訃報のコメントも
ダイアモンドをわざとゆっくり回るのがムカついたくらいで打者としての野村の偉大さを語る内容はほとんどゼロ というか野村自身も印象的な一打を語ってなくね?
そもそも無いのでは。 野村の打撃力は言うほどたいしたことない
逆にキャッチングや肩は言うほど悪くない 日刊スポーツの南海担当だった井関真氏の思い出。
www.nikkansports.com/baseball/news/202002110000764.html ノムを餌にすると、すごい盛り上がるなこのスレは。
ひとりのアンチに引っかかっている気もするが…
実際、晩年もキャッチャーで4番で監督なんだから、評価はすべき。
「代打、俺」よりは監督としての成績も良かったわけで…。
谷繁見ても分かるように、すぐ監督に専念せざるを得ない。それでもBクラス。 確かにあの自慢話大好き人間にしては
「ここで打った」
みたいなエピソードが殆ど無かったのは奇妙 それだけパが多士済々だっただけだと思うけど。
若い時は中西山内、後半は長池大杉がライバルだし。
豊田土井や加藤英なんかもその中に入れないくらいで。
セのoとnしかいなかった打撃層の薄さの方が目立つ。
ライバルチームの4番が遠井吾郎とか藤本勝巳。 阪急米田から野村は通算49HR打っているが、これは日本記録らしい >>373
確かに村山、江夏、星野、平松あたりとのON対決は聞くけど打撃争いはほとんど
ない。江藤くらいかONの邪魔してたの。
1961年以降は打撃3冠のうちほとんどON。
これじゃあね。 今日は10・19だがもちろんあの日は近鉄を応援してたよな?
俺は西武の優勝だけはコリゴリだったから近鉄ファンになった気持ちで応援していた 当時は巨人が突出してただけでリーグのレベルはパの方が高いからな
打撃陣だけ見ても野村もそうだし中西、山内、榎本、張本、大杉、長池、土井、永淵…
セはONに全てが集中してた 巨人9連覇の1960年代後半〜1970年代前半のセリーグの主力というと、
ON以外は田淵、藤田平、松原、衣笠とかか? >>379
あとはジョイナスくらいか
そう考えてみると確かにONがスタッツ上では突出してたとはいえ
他の5チームの補強に対する姿勢にも問題ありまくりだよな >>375
>>379
ヤクルトはロバーツ
71年に三原が監督になると若松が入って来て翌72年に首位打者を獲るが デーブ・ロバーツというと70年代のヤクルトの助っ人と
ポストシーズンとなると途端にぬるぽになるドジャースの監督と
日本に縁の深い人物が二人いるから頭の中でごちゃごちゃになってしまう >>381哲は腹黒いぜ。
巨人ブランドをちらつかせ、他チームの主力をONに次ぐ5番と言うことで
抜いてたんだから、広島森永、大洋桑田、西鉄高倉、南海富田。
そして、数年で使い捨て。
巨人は昔からそういう球団。 >>384
富田はヤクルトがトレード申し込んだのを見て「三原さんに渡すとマズい」と判断して
「山内に松原も付けるからこっちにくれ」って言って獲得したからな(ヤクルトは西井との一対一)
まぁ川上の分析は非常に的確だった訳だが 巨人9連覇の時は確かにセリーグのほかのチームは打線は小粒やな
中日の木俣・マーシャル、大洋の近藤和・松原・長田
広島の興津・大和田・山本一義、産経は武上くらいか
阪神は遠井カークランドが主砲でしたかな
そういえば大和田はのちに南海に来たけどほぼ終わっていた気がする >>368,372
野村が割に語っていたのは、1963年最終戦で放った52号だろうな。
「外角のボール球をヤマカンで読み切って打った。あれだけは狙って打ったホームラン。」と。 >388
広瀬、岡本もそのホームランについて語ってたのを読んだ記憶がある。
監督ノムじゃなく打者ノムも凄かったんだと。 >>386
何で産経が武上なんだよw
主砲はジャクソンやロバーツだろうが >>375
カープの古葉も顎にデッドボール喰らってシーズン棒にふらなかったら長嶋を抑えて首位打者になってたかもしれなかったな >>385
川上巨人時代は川上の分析というより牧野と球団のカネとブランド力の方が大きかったと思える 89勝41敗4分(優勝・日本一) 監督 川上哲治
1 柴田(中) 率.251 本7 打点25
2 土井(二) 率.245 本5 打点39
3 王(一) 率.311 本48 打点116
4 長嶋(三) 率.344 本26 打点105
5 森(捕) 率.242 本5 打点62
6 国松(右) 率.272 本6 打点44
7 末次(左) 率.235 本3 打点18
8 黒江(遊) 率.244 本2 打点17
城之内 40試合 21勝8敗 防2.01
堀内 33試合 16勝2敗 防1.39
渡辺 42試合 13勝6敗 防2.34
中村 32試合 11勝7敗 防2.64
高橋 19試合 6勝5敗 防2.16
金田 19試合 4勝6敗 防3.43
宮田 15試合 5勝3敗 防2.12
種部 20試合 2勝0敗 防0.82
宮本 22試合 2勝1敗 防2.04
益田 30試合 4勝1敗 防2.79 >>386
田淵が本塁打量産し出したのが
72年からだね
逆にもし当初の予想通りに田淵が
巨人入りしてたら
更に他チームとの格差が拡がっていたな
森に潰されてなけりゃだけどw >>395
森は一切教えないどころか、嘘教えるからね
きっと、外野転向だろうね。ライト。
そして、ここで守備がだめなら
代打人生を送ってたかも。 >>394
王と長嶋だけしか打ってないというか突出度が半端ない
この二人は別格としてもこの打線で九連覇を為し遂げたというのは川上巨人はやはり偉大だったということかな
しかしこの時代の投高打低ぶりは凄まじいな >>393
アホかw 牧野は当時の巨人番紙記者に言わせればただの茶坊主。
川上の発案を忠実に遂行していただけ。
川上は牧野には黙って某裏方を特命係長のように使っていたことさえあったんだぞ 長嶋三塁走者広岡打席時のホームスチールも実は裏サインがあって指示したのは川上だったってね
いかに広岡が打力がないといっても本盗は博打過ぎるだろう
点を取る確率つまり勝敗を度外視した広岡に恥をかかせてやろうとする川上のイジメだね 1962年日米野球全日本のスタメン
1 遊 吉田義男
2 一 王貞治
3 三 長嶋茂雄
4 左 張本勲
5 中 山内和弘
6 右 衆樹資宏
7 捕 野村克也
8 二 鎌田実
9 投 稲尾和久(2番手)
当時WBCあったらこんなスタメンで戦ったんだろうなあ
アメリカには歯が立たないにしても、当時の日本代表がドミニカやメキシコやベネズエラとどれくらいやれたのか気になる 1番ムッシュはともかくまだこのころは2番に強打者を躊躇なく入れる時代だね
この頃に戻るのに60年かかった 今年ドラフトで近大の佐藤という長距離砲が人気だが日本の指導者って長距離の育成
が本当に下手だから競合するんだろうな >>395
田淵を川上がどう評価するかだが若いし
森にイビられんうちに外野へ回すかどうか >>399
またお前か
ここは南海スレだ
二度と来んな 富田というドラフトの目玉を育成できなかった野村は打者育成無能と言われてもしかたない
田淵は大学出たときは細くて足速くて肩もよかったと聞いたことがある、それなら
ライトで育成するのもよかったのでは。 広島で二軍中継やってたが神田康明アナウンサーの実況に驚いた。
〜神田「オリックスの監督は小林宏さんです。弱冠50歳という若い監督さんなんですねぇ。」と・・・。
「弱冠50歳」って初めて聞いたわ(笑)総理大臣にしては若いというレベルだろ。
「50歳・・若い監督さんですねぇ」〜これだと1982年、西武初優勝時の広岡監督に対し「若い監督さん」とやってるようなもの。
1985年秋に「西武に若い森監督(50歳)誕生」とやってるようなものだ。
日本の超高齢化を感じたヒトコマだった。 >>407
野球に限らずプロスポーツ見ない方がいいわ君
六大学でも見とき >>420
汚い、って別所が同時期の同レベルのエースと比較して
自身の年俸があまりに安い
と訴えたのに放置した方がよっぽど汚いだろう >>425
先発がこの年最多勝の久保征弘(近鉄、28勝21敗)で
→稲尾→梶本→足立→尾崎→米田と継投 >>408
このスレで神田康秋の名前が出てくるとは思わなかったwww
かつてはテレビ新広島で森永勝也とのコンビが長かったな。
神田が南海OBと放送席で同席したとしたら、
晩節に在籍した加藤秀司と、全国中継での江本孟紀が思いついた。
岡本伊三美がフジ系の全国中継に多く出た1975年は、
TSS開局直前でまだ広テレがクロスだったから、
広テレのアナと組んでいたかもしれないが
森永は南海から古葉を、近鉄から阿南を復帰させ、
ルーツをコーチに呼んだ当事者だった。 >>426
スタメンは久保なら久保と書けよ
なかったことにするとか失礼だろ >>426
俺に言われても困る
それ書いたの俺じゃねえぞ >>428
俺に言われても困る
それ書いたの俺じゃねえぞ >>420
三原が企てた策は南海のエース​​別所毅彦​​の引き抜きだった。あまりにも短絡的、単刀直入すぎる感があるけれども(笑)。以下は、三原が当時選手だった​​青田昇​​に語った
「別所が今シーズン、巨人で1勝もできなかったとしても、彼の(昨年の勝ち星の)26勝が南海から消えるだけで、ウチが優勝できるのだから」
『三原脩と西鉄ライオンズ 魔術師』(立石泰則著、小学館)より。 >>410
約一年後の杉浦監督最終戦も川崎だったよな >>432
80年代は川崎球場のロッテ戦が最終になるのがやけに多かった
(82・84・86・88・89) 川崎は元の地盤が悪いから水捌けが悪くて
その日は晴れてても前日まで降り続いてたりすると中止になる事が多かったからな
落合大好きの秋の消化試合連発が多かった >>432
なんでダイエーは杉浦を一年で首にしたんや?
ダイエー初年度4位やろ大したもんや。
平成元年は在阪球団頑張ったな。
去年の悔しさをバネに優勝した仰木近鉄
2位優勝争いを演じた上田オリックス(旧阪急)
3位常勝森西武
4位杉浦ダイエー(旧南海)
後は在京ハムロッテ。 要は南海色を一掃したかったんだろ
あまり野球事情に詳しくなかった中内オーナーが杉浦よりも田淵の方が客を呼べると思ったに過ぎない >>436
あと福岡人(西鉄ファン)にとってライバルの南海嫌いな人多いそう。 >>435
身売りした途端に再侵入を画策した沙知代が蠢動してたからな。90年からの野村の監督就任も取沙汰されてたし
沙知代のヤクルト工作が成功したんで野村はそっちへ行って田淵が監督になったが
ダンは92年オフに田淵に代わって来た根本につまみ出されるまで関与してて
ハイディ古賀にホークスの選手を付けてダンの持つ1Aのチームに野球留学させてた 近年はホークス黄金時代やな。
首脳陣がライオンズ化したホークスやけど(笑)
根本gmの功績やな。
南海勢排除の荒治療とライオンズ勢でホークスを改革した結果。
鶴岡親分の罪の部分は
巨人に弱すぎた(涙) そら大阪人は田淵江夏村山の阪神に客奪われるわ。
おまけに巨人と毎週戦えるし。 杉浦もだしカズ山本のクビも不可解だった
オールド南海ファンのみならず地元出身で九州のファンにも絶大な人気を誇った当時のホークスの数少ないスター選手だった >>439
それこそライオンズの黒い霧とホークスの沙知代禍は
多数の巻き添えを出してでもほぼ根こそぎの荒療治をしないと消し去れない程だったということ ホークスは黄金期が長かったから野村解任後も勝ちを全く知らない監督コーチスタッフってわけじゃなかったよな
広瀬穴吹杉浦は常勝軍団のバリバリの選手だったわけで勝つ術を身をもって知っていた
万年弱小お荷物球団だった近鉄や暗黒阪神辺りが血の総入れ替えが必要だというならわかる
一体どこで断絶があったのか >>442
選手をうまく補強できなかった。
長池を取れなかったドラフト制開始もあるが、
成績も低迷し始め、黒い霧でパリーグ全体が沈下し、
ドラフト指名しても入団拒否など。
ノムの時代は、他の球団の余った人を取ったり、富田、江本を放出したり。
ノム後も新井など優秀な選手を放出。
そのころ岡本、杉浦などは他チームのコーチ。
悪循環の連鎖。 >>410
この試合は見に行った
確かにショボい終わりかたやったわ
試合後、南海ナインから何らかの挨拶がある
ことを期待してしばらくスタンドで
ファンが待っていたけど
何もなしで応援団のオッサンが
怒声をあげてた 杉浦監督はいきなりクビにはされずフロントへ異動だった。3年後に根本と入れ替わりで退職したが ダン野村、プロ選手として野村の息子なのに扱い小さいな、と思ってた幼かったから。 息子とはいっても生物学上の繋がりは何にもないからな 近大の佐藤がドラフトの目玉だがもし野村克也が獲得してもアベレージの転向させて
潰しそう 長嶋は松井を育てたからなあ
ジャイアンツ入団時の松井は同じ超大型高卒スラッガーの清原と比較しても完成から程遠い荒々しい素材だった
それが2000年日本シリーズの松井はホークスにとっては忘れられない難敵として立ちはだかった
どこ投げても打たれるとはまさにあの時の松井だったな 前妻との離婚が成立する前にサッチーとの間に子供を作るとは、
野村も思い切ったことをするものだ。 ここでは話題になってないけれど
田淵監督就任時には、杉浦が取締役でフロント入り
同じフロントに穴吹が編成部長で入団
現場には広瀬が一軍コーチで入団
南海監督経験者が三人も揃い、南海復活と大喜びしたのだが…
一年後、広瀬は巡回コーチ(事実上左遷で翌年退団)
穴吹は球団と喧嘩別れして退団
杉浦こそ残ったものの、この時に南海閥ではダメだと思われたように感じる 野村さんは捕手語るときにリード論ばかり言うがキャッチングとかはどう指導してた
のかな??
巨人戦見てるんだけど大城のミットの構えが制球あまりよくないのにコーナーぎりぎりに
構えて余計の四球出してる。
南海に来て開花した福士とか山内新一はのびのび投げさせたのかな >>442
至極単純に予算がさらに減りそれに合わせて戦力も低下したというだけ。ブレイザーなんて広瀬未満の結果で辞めたんだし
広瀬・穴吹・杉浦の三人は球団のきちんとしたバックアップがあれば少なくともAクラスには入れたでしょ
80年代南海とは比較にならん潤沢な予算がありながら、戦力(打力)が80年代南海未満だった阪神で野村はどうなったって話よ
それこそ逆に杉浦がダイエー退任後に90年からヤクルトの監督になってりゃ優勝監督になれただろうしな
>>445
杉浦は93年まではフロントに居て、根本と一年だけはかぶってたはずだったが
>>452
90年に坂井保之が根本より先にダイエーに来てたんだよ
坂井は当初から福岡野球社(太平洋・クラウン)→西武の流れの再現を画策していたが
根本抜きでは実現出来るはずもなかった 旧南海勢が勝利のノウハウを失ったのは
ダイエー球団首脳からコイツらは負け犬集団で排除すべき存在と看破されたのは
南海が実質的な最後の優勝を飾ったのは鶴岡時代の昭和41年で身売りの18年前
これだけあれば1つの名門球団が腐り切るには充分の時間だった
もちろん当時の現役は誰一人残ってない
18年も現役を続けられるのは一人握りのトッププレイヤーのみ
杉浦も広瀬も選手時代は名将鶴岡の優秀な駒だったが結局ただの駒に過ぎず勝利の哲学は継承されなかったと見るべきだろう
秋山や工藤は移籍後南海勢の意識の低さに呆れ果てた 上記に富田でヤクルト西井獲得を画策してたのは本当なの??
ヤクルトはドラフトで富田狙ってたみたいなんだよね。 取れなくて南海拒否経験
ある藤原という投手を指名した >>456
鶴岡さんの、集めた最強軍団が何のレガシーも残さず劣化して、
根本が集めて、同郷の広岡が育てた連中に馬鹿にされるのは屈辱やな。 >>456
藤本博史がロッカールームで
将棋を指していたという話が
その象徴としてよく挙げられてるな
予測検索で出てくるくらい 藤本は小技も上手くチームバッティングもできるし、
四死球も多いし二塁も守れるし怠け者ってかんじでもなさそうだが >>457
トレードを提起したのは三原の側。西井を出すから富田をくれと
72年オフの三原のトレード計画についてはヤクルトの球団常務の徳永喜男が80年の自著『スワローズ激動の歩み』に書いてる(同書282頁)
>>459
でも同時期に同じことやってた仰木近鉄の連中は「オンオフがはっきりしている」と好意的に言われてるんだから、結局のところは勝てば官軍よ >>456
南海が身売りしたのは1988年だから1966年からは22年経ってるよ
最後の優勝の1973年からなら15年後だけど >>459
暗黒チームなんてどこも似たようなもんだ
暗黒時代の阪神で試合前ミーティングで
ノムの話を真面目に話を聞いてたのは桧山
と矢野ぐらいしかいなかったと言う話だし
試合前にスコアラーのデータをきちんと
チェックしてたのは和田しかいなかった
と言う証言を桧山がしてる 仰木には三原のレガシィ勝つためのノウハウの蓄積があったろう
という意味では南海は蔭山の喪失が一番痛かった >>467
野村に限らず、広瀬とか皆川とかあの辺の叩き上げ連中は
若い頃に蔭山の自宅に呼ばれて食事を御馳走になって励まされてたからな 昭和37年の鶴岡の「指揮官が悪ければ部隊は全滅する」発言以降の陰山代行監督の基での大躍進劇で
もし陰山監督が実現していたならどうなっていたかが気になって仕方がない >>439
ライオンズOBでも石毛は酷かった、他にも酷いライオンズOBいたけど
高畠は94年までいたね >>469
鶴岡が南海に残って全面的にバックアップする体制じゃないと厳しかったんじゃないかな
蔭山個人の力量の問題じゃなしに、資金確保や選手補強に加えその他諸々の面で
南海球団は鶴岡個人の支援者の力に頼っていた部分があまりにも大きすぎた
逆にドラフト制移行後からしばらく経ってからのバトンタッチのほうが上手くいった可能性がある 南海の過去にもしも という出来事
1 蔭山が急逝しなかったら
2 別所が引き抜かれなかったら
3 スタンカの球を円城寺がボールと判定しなかったら
4 長嶋が約束通り入団していたら
5 野村がサチヨと出会わなかったら
6 久保寺が急逝しなかったら
7 野村のあとが広瀬ではなく岡本か穴吹だったら >>472
影響する順番としてはこんな感じか
5>1>4>3>6>2>7
1と5が無ければ最悪のバッドエンドは避けられる(特に5)。阪急みたいに強い状態のまま綺麗に88年の身売りを迎えられただろうな
4は野球界全体への影響は大きいが南海単体への影響となると1と5よりは低い。3と6は確かに痛いが別所はそれほどでもない(引き抜かれた翌年にはもう立ち直った)
7なんて誰がやっても同じ。完全に詰んでる。論ずるに値しない 5サチヨと出会わなければと被るかもだけど
78年以降も野村政権が続いていたらというのもあるね >>471
鶴岡南海は三浦の記事を読むと選手の生活を維持させるために
二軍の選手を一軍に上げたりしてたからな。
もっとも三浦は批判してたがw
支援者も広島商ネットワークから始まり、法大、ノンプロ、南海OBと重層的だった。
ノムや広瀬とかは仕方ないんだが、偉大な選手であったが、球団の編成は引き継がなかったから ドラフト会議はそれをやっかむ、パ他球団の妬み、嫉妬で導入されたからね どのみち契約金高騰で南海の企業体力では続かなくなってるだろうけどな
南海歴史イフでももし身売りがなかったらという選択がない程大前提になってるのは哀しい話だわな >>433
調べたら91年も川崎がシーズン最終戦
>>440
このリストラが生卵事件にも多少なりとも関係している >>474 いずれにしても、じり貧で数年後に野村は辞任か解任。
金もアイデアが無いんで、いくら工夫しても限界が来る。同じ結果だよね、きっと。
逆に鶴岡さんが理事長を務めたボーイズリーグは繁栄を極めていくのが凄い皮肉です。
https://www.boysleague-jp.org/tournament/turuoka/turuoka.html 南海電鉄の現在の時価総額がおおよそ2500億
ちなみにdnaが2300億で西武が3500億日ハムが4500億
南海はこれ以上伸び代なさそうだし何れにせよ身売りは避けられなかったのでは
狭山はともかくまさかみさき公園閉園させるとは思わなかったわ ドラフトでの被害者は巨人だろう??
巨人希望者はV9中期から増えるのにドラフトで取れなかった 富田はじっくり育ててほしかった
富田、野村、門田のクリーンナップで10年は続けられた 野村は本来、74年くらいで引退してるロートルだから
75年に謎の復活を遂げたけど、76年からは選手としては戦力外レベル だから打線に関しては76年以降は世代交代を意識して柏原や片平らを起用し
育てようとはしてた。捕手に関しても最初は柴田猛、次に黒田を後継者にしようと考えてはいた。 1984年秋、近大呉工学部の佐々木修投手が神宮大会で注目され南海スカウトは落胆したと聞く。「ドラフト3位くらいで・・」と思ってたら大学生の目玉になっちゃった。呉だし当時、近大呉はほとんど出場停止処分で他球団はまず「佐々木修」など存在すら知らなかったくらいだ。山川も呉の子で。 ホームラン打者育成するなら田淵理論が好きだが田淵はあまりうまく伝えられない
ようだ。 野村さんも田淵を無能としか見てなさそうだし >>479
あの状況でなおも川勝が野村を続投させていた場合、阪神時代を待たずして沙知代を逮捕出来ていたかもしれない
そうなっていればその後に犠牲になった数多くの人達が救われることになるんだが…
>>485
柴田の大怪我があまりにも痛かった。後継者どころか実戦経験がそれなりにある二番手捕手すら居なくなったんで
穴埋めの為にマッシー村上と相羽を出して阪神から和田徹を獲ってきたんだし
黒田は77年には既に30歳、松本が25歳、岩木が23歳。73年オフに山倉に逃げられた時点で相当厳しかった 富田はあれで精一杯だと思うけど。
田淵や山本になれる素質があるように見えん。 >>487
ブッチーは死球の影響もあるんじゃない?
>>489
富田は衝突しやすい短気な性格が影響してそう いや性格がじゃなくて選手としてのスペックがってことでしょ >>480
関西国際空港がオープンしても、南海電鉄利用者が予想より伸びなかった・・・・と、
本に書いてあった。
羽田空港アクセスで乗客を増やした京急とは大違い。 富田は巨人でも長嶋に嫌われて放出されているし
あの時代にジプシーになる選手はやっぱり人格等に問題があることが多いよ
江藤、江夏、富田・・・ うん、富田は南海じゃなかったとしても大成してないと思う >>493
問題はあっても先々で結果を残して納得させた江頭江夏と
富田とではちょっとどうかと 富田は落ちる変化球が苦手というのが発覚して成績面でジリ貧になったと
聞いたな。フォークとかチェンジアップに空振りしたりとかで >>489
大学時代の評価は田淵=富田>山本だったんだけどね >>496
その当時そんなにフォーク投げる投手いなかったはずだけどな〜
清原の現役時代前半で「各チームに一人ぐらい」だったと言ってるのに。
富田の頃なら阪急の米田とかロッテ村田ぐらいじゃないの? >>496
その当時そんなにフォーク投げる投手いなかったはずだけどな〜
清原の現役時代前半で「各チームに一人ぐらい」だったと言ってるのに。
富田の頃なら阪急の米田とかロッテ村田ぐらいじゃないの? 永射とか、人格とは関連なく通例的にプロとして開眼に年数掛かったりピークが短くて球団を渡り歩くプレイヤーもいたが… >497
山本は晩成だったね。
富田は山本にストイックさでは勝てないし田淵ほどの素質も無かった。
富田の通算成績は十分一流とは思うけど。超にはなれなかったな。 >>490
田淵のホームラン打つのはパワーよりもボールとバットを当てる角度が重要という理論
は日本の指導者の大半にこの意識はない。 野村さんはこの理論知らなさそう
リード論ばかりに説法といて野村克也なんてエースと4番は出会いだもんな
育成者としては失格な意見。 こういう発言するからアマチュア球界からは意外と
野村監督のチームに行きたがらない
しかし今の村上・岡本・鈴木誠也はドラフトで超目玉だったわけではない。 清宮は
どうなんだという感じ。 野村さんなら上記3人は育成できてないし清宮は
育成できるのかなという感じ 大半の人間が松井がMLBで中距離になったのはパワーが劣るというがそれは
違う。 カノーあたりなら松井のほうがパワー上だが動く球だと打球に角度をつけて
上げられない。 カノー全盛のほうがホームラン数は上
田淵の言ってることは正しいががんばれ田淵君とかいって世間の大半がバカにしてるの
が惜しい。 この理論が日本野球に伝われば日本の打者はレベルアップした
王さんのダウンスイング?や掛布の右投げ左打ち・野村の説法で日本野球はだめに
なった 野村古葉経由で持ち込まれたスパイ球種読みをフルで活用したのがピーコ
ネクストバッターサークルでも投球の癖の観察に集中し素振りもしない 本塁打の必要性があまり高くない場面では確実なバッティングも出来るなら
田淵の理論も有用なのかもな。
通算安打と通算打率が低めに終わったがため一顧だにされなくなったとしたら… 同じ内野手なら一つ下の荒川のほうが華あって活躍しかもな
あんなことがなければ >>504
松井は本数はともかくホームランの平均飛距離ではメジャーでも上位クラスだと聞いた
あのステ全盛の真っ只中で向こうに渡って良くやった方だと思う 柴田は指導者としてはある時期までパワハラ型だったからか、
それが通用しなくなってきた2000年代以降は裏方がメインになっていたな。 >>497
富田はタブチの親衛隊のような役回りだったらしい。
コージはああみえても、神経質でなくのんびりしたマイペース野郎。
1001は逆に神経質 まあ当時日本最高バッターだったONや張本や野村も
別に監督が育てたわけじゃないしな >>504
技術的には31本打った2004年よりも、晩年の2009年〜2011年のが上っぽい
しかしワールドシリーズMVP獲った年は既に動体視力が衰え始めた上に膝の状態も
悪かった。2009年に肉体が2004年の松井だったら3割40本でホームラン王取ってると
思う 大矢明彦が岡田彰布について
「普通は横の変化にはついていけるが縦の変化にはついていけないという打者が多いが
岡田は逆で縦の変化に強いが横の変化に弱いのである
落ちる球はものの見事に打たれてしまう」と書いていた >>470
森繁もなかなか酷い
中日では前政権遺産とドラフト当たりに恵まれて名参謀とメディアが持て囃したがハムと横浜の投手陣崩壊させて
著書では監督や前政権とフロントが無能だと云わんばかりの責任転嫁と自画自賛で呆れたw
森繁和(Wikipedia)
2016年9月29日、中日球団から来季の一軍監督就任が発表された[16]。63歳シーズンにして自身初の監督就任となり、監督初就任時の年齢としては1998年に60歳シーズンで監督初就任した権藤博を超え、史上最高齢となる。
また中日では山田久志以来となる投手出身及びOB以外の監督である。コーチ陣は、打撃コーチに土井正博、内野守備走塁コーチに森脇浩司、奈良原浩、バッテリーコーチに田村藤夫を招聘した[17]。(森脇はヘッドコーチ格)
2017年、2018年シーズンとも5位に終わり、2018年限りで監督を退任した。
退任後は、若手選手の育成や、外国人選手獲得の手腕が評価され、2019年から、球団シニアディレクター(SD)に就任することが発表された。主に外国人選手の獲得調査や、トレード、自由契約選手の獲得などの編成面を担当する。
また、高校野球や大学野球などのアマチュア球界や、外国への視察も行う。
2019年10月1日にシニアディレクター(SD)を退任し退団する事が発表された。2020年からはJ SPORTS野球解説者とスポーツニッポン野球評論家として復帰する。
ピーコは毎日欠かさず試合が終わったあとに自宅で2時間のトスバッテングと1時間の筋トレをやってた言ってたな
田淵と富田はピーコが汗びっしょりになってバット振ってるときにはベッドの中ですやすや寝てたんだろうな
ピーコはオーバワークで終盤は失速することが多くて三冠王はとれなかったけど 金本もそうだったな
チームメイトがタニマチと飲み歩く中
自分は素振りと筋トレに励みハメを外すときも焼肉でしっかり栄養補給と身体作りを意識
阪神をいやチームを意識改革するにはこういう男が必要 イチローも松井も尋常じゃないトレーニングをこなしていた
天性の才能を持つ人間が人一倍努力するんだから並の選手が太刀打ちできない圧倒的成績を残すのはある意味必然 練習しないと言われた人
広瀬叔功 高倉照幸 岡田彰布 音重鎮 元木大介 谷佳知 長野久義 >>520
松井は中学時代の監督が、指の太さゴツさが武道家みたいで、
松井を殴る時だけはもしキレて反撃されたら殺される と言っていた 小学生だかの柔道の大会で松井の対戦相手が
向かい合った時に泣き出して不戦敗になったって話大好き >>507
キャリアハイの72年で.282 18本 42点(83試合 340打席)
後遺症に苦しみながらこれだから万全の状態だったらかなりやれたとは思う
このオフに症状がさらに悪化し始めたので富田を獲りにいったんだが失敗した
とは言え荒川を獲る=荒川博という非常に厄介なのが付いてくるということでもあり
チームとして強くしようとする場合にはかえって仇になる 70年代のヤクルトは早大閥が強かったからな。三原招聘の副産物として。 荒川も大洋なら素直に入団すりゃ良かったんだよ
東京近郊のセのチームなんだから贅沢言うなと 江川は結局ああいうふうな形じゃないと
東京近郊のチームに入ることすらできなかったからな 暴漢っていうけどあれは大洋が雇ったゴロツキ以外あり得ないわな
魚屋なんてその手の繋がりはいくらでもあるし >>529
大洋がその後横浜スタジアムというもっとタチの悪いゴロツキに悩まされるようになるのはもっと後の話 >>527
荒川博が大洋と条件面でモメたんだよ
堯本人は正直どこでも良かったらしい。だから気の毒なんだが >>532
荒川の葬式にさえ出なかったらしいな
養子縁組み解消したのか? >>518
しかも、ピーコが入団した年の広島は監督根本、コーチに関根爺・広岡と、80年代の西武も真っ青な野球漬けな環境だからなあ。 >>535
関根は広島でもヤクルトでもとにかく身体が丈夫で素質があると見た奴は徹底的にシゴキ上げるからな
山本浩・衣笠・水谷実・三村・池山・広沢etc…関根一家だけで通算何千本HR打ってんだってレベル
学校は違うが蔭山とも親しく、あんな事にならなければ蔭山南海で関根コーチもあったかも知れない >>536
反対に野村さんはそういう選手を取ると俺をクビにしたいのかと小柄な
すぐ使えて器用な奴を好むからチームは強くならない。
そういうことを公言する野村さんに世間は何も言わないことも日本の野球
やファンのレベルが低いことの証明 >>516
優秀なスカウトのおかげと優秀なコーチで良い成績あげて名監督と言われていたけど自分単独の力では3年連続最下位が精々だった野村と同じと言いたいんですね
わかります >>537
要するに野村は無能と言うことですね
わかります >>532
BBMのトレード本では、逆に博が交渉過程で大洋入りに傾いたものの、
堯本人が巨人・ヤクルトに拘っていたとあったな。 >>540
あれ豊田の国鉄移籍に関しても
当事者達(交渉の現場に居た国鉄監督の浜崎真二ら)の証言と真逆の事書いてたりかなりおかしいんだよな
BBM本もほんと担当者によって玉石混淆だから 天才とは努力を惜しまない能力を言う
by バートランドラッセル >>542
野村は大砲を育成できないと言うことの言い換えですねわかります >>535
意外なんだが、根本、関根が12球団一の地獄の猛練習を広島で導入。
すっかり、広岡だと思ってたんだが。
逆に、根本、関根は監督としての采配は微妙。
素人目にもダメだったらしい
https://news.yahoo.co.jp/articles/83e6ce8be5db7bd0bc0a811fb9dd282a43d059df?page=2 入らない選手を指名するのってフロントのオナニー行為以外の何ものでもないね
指名1人分ドブに捨ててるんだから
その球団のファンからしたら敗退行為に等しい 昔は事前挨拶もなく強行指名とか普通だったからね
栗橋も近鉄から事前挨拶なんて無かったと言ってたもの >>508
松井が「メジャーでホームラン打者を目指すなら、向こうの投手が外角低めいっぱいに
投げ込む、サイズが大きくて重い時速160キロの球を強引に引っ張ってスタンドへ叩き込む
パワーが必要で、日本人の体格とパワーでそれをやると必ずどこかに無理が来て故障する
ので中距離ヒッターへと鞍替えした」と言ってた覚えがあるよ。
逆に言うと、野村克也がよく言ってた「外角低めこそ投球の原点」みたいな考えはもう今の
メジャーのパワーヒッターには通じないということなんだろうな。 >>564
今はフライボール革命で高目の速い球が増えてる。野村の言う外角低めなんて
餌食そのものn >>535
広島では若手の生きた教科書としてベテランの山内を引っ張ってきた
根本は現役最晩年のピーコを同じ理由で西武に引っ張るつもりだったらしいが 野村は無能な指導者というだけならともかく害悪まで撒き散らしていたのか
ほんとクズだな >>570
17年WBC対アメリカでの菅野が6回1失点で好投した試合覚えてる??
菅野は速球が低くいかないと権藤コーチにいったら高めに抜けてるから
逆に抑えてるそのまま変えるなと支持逆に速球が低めに行き出したら交代
変化球はもちろん低めに投げろだけど >>569
さすがに山本浩二は広島側が手放すはずがない。それくらいのフランチャイズプレイヤー。
中日の大島を狙ってたのは知ってるが 野村は長距離打てるのは天性という考えだが
HR打てるのはほんの一握りだった時代の選手だったからだろうね
今の飛ぶボールならまたちがってくるわな
みんなHRねらったほうががいいんちゃうか 山本浩二に手を出したのは86年オフ。 掛布にも同じくらいに手を出した 松井の打球ってホームランでもライナー系が多かったな
しかしライナーでそのまま失速せずスタンドに突き刺さるから飛距離が桁違いだった
恐らくいにしえの中西太の打球はこんなんだったに違いない
しかしメジャーでホームランを狙うなら田淵のようなふわふわ上がるアーチスト系の方が良かったんだな
下手に強い打球が打てるから中距離を目指したのなら勿体ない話だわ
松井ならメジャーでも常にホームランを狙ってほしかった 野村を無能と評価するか有能と評価するかで野球ニワカファンか野球通かを簡単に判定できる
もちろん野村を無能と評価できるのが野球通 病的な野村アンチは隔離スレに行くか閉鎖病棟に行くか自殺しろ。
いい加減にうざいんだよてめーら 野村は高めと低めの使い方が上手なキャッチャーだったと思うよ、何故アウトローしか要求しない様な扱いをしてるのか意味不明だ。 江夏や東尾はアウトローの制球が抜群だったからこそ速球が走ってなくてもあれだけ勝てた
基本はアウトローこれは正しい
現代のメジャーはと言われても時代も環境も違うとしか言いようがない 外角低めというのは山内新一のイメージが
強いのではないか >>576
最後は野球通じゃなくて野村通じゃないの 日本三大籠城事件
あさま山荘、三菱銀行人質事件、刀根山籠城事件 >>573
HRはねらうものかどうか
門田と野村の考えの違いは
主に80年代以降の打高時代に投高時代に生きたかで説明できる >>530
田淵がキャプテンだったのか、意外だな
法政一高出身だからか 野村監督は、「球団にお金がなくて、いい選手を取れない」という前提に作戦を考えていたと思う。
二線級や衰えた投手がいかに力を発揮できるかを考えて、リードしていた。
その上、弱い打線において、自分が中心打者として牽引していた。
よくやっていたと思う。 >>590
・・・というのが高度情報化社会になる前の野村氏の評価だったね。
20年前はそれが定着して誰もが疑わなかった、
まるでタイムスリップで令和に来た人のようw 南海はとにかく、貧乏がデフォルトなんで、
川勝にかわいがられたのは事実だが、かといってお金はないわけで。
鶴岡さんと違って、高卒なんで世間を知らないのもあった。
そして、とどめはサチヨ。ついてない。
俺が高校生のころまでは南海は名門だったし、しょぼくなったのは
西武が台頭したころかな。 今はもう優秀な投手を酷使するしか能のない無能監督野村と言うのが野球通の間では知られているからなw >>592
田尾がデーブ大久保とYouTubeで話してたが、
高卒の選手は大卒選手に反感あるらしいね。
逆に大卒は全く気にしていない、
野球で入っただけで実際は4年間いただけで卒業してないのが多いからと言っていた。
で、理論派を気取るのは高卒が多いってね、
「野村さんとか桑田とか」
桑田はともかく、野村氏は明らかに劣等感の裏返しっぽいんだよな。
一番自慢するべき実績は打者としての成績と思うんだけど、
本人が自慢するのは捕手としてのリード、
監督としての采配だからねえ。
打者としてもパワーや長持ちした身体の頑健さを誇るんじゃなくて、
いつもいかにして配球読んで打ち崩したかの話になっちゃう。 >>594
田尾は当時は優等生なのになぜか出されて、不思議だったけど。
今だったらダルビッシュと同じくらい直言系で受け入れられる人だよね。
中日の監督やってても不思議じゃないけど、広島と同じくらい閉鎖的だよ名古屋は。
大久保の方が無頼に見えるけど、田尾が一番過激というか素直というか。
どこの球団でも良かったわけだから、大阪出身だし南海に欲しかったね。 江本は野村について一升瓶振り回して600本打ったんだから天才に決まってると言ってたね。他の選手が砂詰めた一升瓶で鍛えたら600本打てるのかと。
理論好きの野村落合桑田は体育会系精神論嫌い。 >>594
それは昭和の日本が貧乏で進学率が低い時の話だよ。
今は大卒のほうが高校で指名漏れしたという理由でライバル心を持ってる
新垣のように希望がかなわず進学したケースは除く
今年の目玉の早稲田の早川とか明治の入江のインタビュー聞いてたらわかる
過去の上原とか。 むしろ受けの悪い広岡野球のほうが今風の野球なんだよね 結論としては野村は選手としては素晴らしかったけど指導者としては論外 つべのオリックス公式が阪急時代を含めて過去の試合を流していて中には南海戦もあるが
その中での野村のHRの飛距離を見ると門田に負けないくらいのパワーはあったと思っている そりゃ大阪球場が狭いとはいえあれだけホームラン打った選手だからな
そもそも野村は打撃を評価されて鶴岡監督に抜擢された選手だし 野村は打撃に関しては間違いなく「天才」だろう。何しろ誰一人として野村の打撃理論を再現出来ていないんだから
その打ち方でパの本塁打・打点等数々の歴代最高記録を樹立し三冠王まで獲っているんだから本人には適合したやり方なんだろうけど
「力を抜いてコンパクトにスッと振れ!」と言うが、他人にその打ち方をやらすとショボい無いゴロにしかならない
ところが野村が打つと強烈な打球になってスタンドに飛んでくんだからパワーもテクニックも桁外れ。ただしその打撃は伝承不能の一代限りの芸 野球指導者もまともにいなかった峰山出身なのも考えると
突然変異みたいな選手だな。 >>602
落合と野村の違いは落合は自分の真似するなと忠告・野村は自分の理論が
正しいと押し付けるこの差は大きい
落合の忠告を無視した清原と福留はだめになる 野村と同期の長嶋広瀬榎本とか豊田とかあのころの天才たちが3割打てたのは
みんな衰えて3割打てたのは70年くらいまで
野村一人80年代までやってタイトル争いしてたとんでもない選手だよ >>597
確かに現代ではそうなってるよね、
大学出で育成ドラフトとか昔の感覚なら、
プライドあるなら入るなよと思うわ。
山本功児の息子なんか落ちこぼれの大卒でコネでやっと育成ドラフトにかかったレベルだもんな。
結果は案の定 野村好き嫌いともかく、
野村無しでは南海を語れない
王長嶋無しでは巨人を語れない
なお巨人軍王貞治がホークスの会長。 南海がチョンバンク並に金満やったら
別所もホークスのエースで
長嶋入団&大阪のスターやな。 >>612
高田繁とか山本功は南海に指名されてたら入ってたかもね。
長嶋は自由競争時代だから結局巨人だったと思う。 >>613
その記事にも書いてるけど山本功児は69年南海ドラ3指名を拒否してる >>614
なんか、微妙についてない。つうか渋い。
一応巨人で4番。でもロッテへ。監督までするが…。
巨人のコーチの時は堀内暗黒時代だし。 >>609
野村の存在は南海の黒歴史として抹消されてるじゃん その頃は入団拒否は普通だったからね
FAが無いから移籍はトレードか自由契約しかない
球団の待遇・環境の格差も大きかった
巨人とクラウンを比較して「同じプロ球団だから区別するな」なんて綺麗ごとにすぎない 大卒と高卒が今でも昔でも共通してるのは大卒のほうが起用法が優先させるという
ことかな。 高卒は1軍で中途半端に使われて大成しないことが多々ある
清原とか松井のようなよほどの目玉なら別だけど
野村とか落合・岡田が監督すると中途半端な育成法が多くて大成しないから
大卒に偏る >>617
南海側は抹消した一方、ソフトバンク側はそれなりに扱っていたな。 >>620
野村を「三冠王など数々の大記録を打ち立てたホークスの偉大なOB」としてイベントでは礼遇しつつも
野村本人も含めて沙知代ファミリーには球団の役職を一切与えず入り込ませなかった
正に「敬して遠ざくと」いうやつで、これに関してはソフトバンクの対応は実に適切だったと思う 南海OB戦ではOBはどの面下げてここに来てんの?と言う態度でファンもなんでお前ここに来てんの?おまえ関係ないし!と言う冷たい雰囲気だったけどな
本人の写真もヤクルトOB戦での楽しそうな態度とは全く違って行かなきゃよかったと全身で訴える様な仏頂面w >>622
そりゃヤクルトのはリーグ戦の真っ最中だってのにそれを最優先に位置付けて
沙知代ファミリーが野村に都合の悪い要素を全排除して開かせたお手盛りの行事だからな >>623
ヤクルトの最後のOB戦の時は沙知代は既に故人だったのだが… >>624
その残滓共は健在だぞ
「ファミリー」ってのはそいつ本人のみならず実子や手下を含めた総称だ >>619
学閥もとい強豪校名門出身者や
親会社球団首脳のオキニは
色々ヤラかさない限り引退後も含めて優遇されるからな
高卒は無名校下位指名は使い捨てとw >>627
高卒でも大田レベルの1位なら中途半端な使いされるケースが多かった。
特に野村・落合・岡田・原の2次 名将たちの傾向だけど
大卒の即戦力を好むからここが当たれば戦力アップ。 村上に誠也に岡本
は決して松井とか清原的な入り方してないからたぶん上記4人なら育てきれてない
原も岡本は由伸から引き継いだだけだし。
そういう意味では佐々岡とか与田とか矢野とか若手使うし言うほど悲観してない 川上巨人9連覇の特集でyoutubeで観て
たぶんドジャース戦法について
野村が出てて「巨人の野球が羨ましいかった。
南海は軍隊野球ですよ」コメントしてたわ。
他の野球ドキュメンタリーでも
野村「僕は弱い球団と縁があった」
1リーグ含めリーグ優勝12回
日本一2回
俺、ヘェ〜南海弱いなぁ〜(白目) ホークスとよみうりのOB戦は野村に限らず
福岡の方がメインで南海OBは所在無さげだった…
江本は無神経で大丈夫そうだったけど。 >>629
それは分かりますわ
誠也はまだしも
村上や岡本はノムや落合なら
ヘタすりゃ見向きもしないだろうな
楽天でも銀次はノムに見向きもされていなかったのがアレだしな
ノム 落合 岡田は完成品を運用する事には長けていても原石を磨き上げ玉にする事は無理かもな >>618
特に70年代までだと
ノンプロでの地位(親会社での身分も含む)が約束されていたり、学生指導者になりたいという理由で
巨人あたりでも平気で入団拒否されてたからな >>208
大下にはピーコも頭が上がらない位だしな。ハリーは東映で後輩だったのと
政治的な選手とでも共通してる
三村は子供時分からの舎弟
75年の中日戦での乱闘騒ぎも三村が体当りで削りに行ったのを新宅捕手(駒大で大下の一期上)が跳ね返して逆ギレで観客の騒乱を煽った故だが
あれは大下仕込みにも思えるわw
ホプキンスは新宅のプレーは当然と
暗に批判していたし
90年以降の広島低迷の元凶の一人が大下 >>634
「たけし」と呼ばれた男だからな。
小さいけどジャイアン。
田尾チャンネルでの岡の証言がおかしい。
「ずっとマッサージさせられてた」大学の部屋子状態
江夏にも同じ態度で接してたんでブレはないが・・・
広商大先輩の鶴岡さんにどう接してたのか興味深い。 >>634
達川初年度なんて完全に大下の傀儡政権だったし、ノムケンも大下の呪縛を脱するまでの二年間は酷ぇ野球してたからな
FA&逆指名やチェコ事件には同情するが、大下をのさばらせてたのは完全に広島の自滅だからなぁ…
ホプキンスは77年に南海に移って一年だけ居たが、あれは大阪のどこかの医学部の講義を受けにでも来てたのだろうか 張本に塁上でチョロチョロするな!エピソードは有名だが、
盗塁数見ても構わず走っていたようだし図太さが普通の人間ではない >>636
ノムケンも駒大だったな
そら大下の毒に侵されて酷くもなるわなw
しかし唯我独尊のノムケンが新井宏昌をコーチ招聘して打撃指導を任せる様になって呪縛と低迷を脱して慰留されても辞退して退任したな >>634
大下の広島での政治力は異常
現役時代から気に入らない選手をトレードで出したり、
自分と親しい奴を入れたり陰の監督みたいな権力を行使していた >>639
一時期日ハムの監督候補だったが実現していればチームが崩壊していたな >>634
大下がRCCの解説者だった頃、広島対巨人で張本と大下のダブル解説というのがあったな。
これで実況が上野隆紘だったら… >>632
阪神が岡田の再登板したらしたらまた数年良くて焼野原・落合の名前もよく上がるが
たぶんそのチームは低迷したまま。
今のNPBの若手打者はこの2人が影響力強かった00年代中盤なら出て来てないし
北京五輪で打者が力負けしまくったのも小手先の選手ばかりを育成したせいだな 今の球界にこういう大物の名前の監督は不必要なんだよね。
メジャーは育成シーズンとかわけたりするから大物選手は監督しないで
マイナーしか経験しないような人がやる。
日本は大物監督がやるからその時勝つことしか考えずに焼野原が多い 南海が野村を黒歴史にしたというより、野村側から積極的に黒歴史扱いにするように仕向けた感はあるよな
大阪球場ラストゲームのときも野村を招待したのに拒絶、なんばパークスの展示依頼も拒絶 >>602
あの門田が「入団して初めて中百舌鳥で見たムースは衝撃やったな。特殊な牛のバット使って
ショートの頭を越したな・・という打球がそのままスタンドイン。衝撃やったわ。」と言ってた。
ヤクルト監督時代、ドラフト2位の住友健人に対し「非力、何の取柄もない。」とばっさりやってたが
二軍で「.230 2本」しか打てないような選手は野村の目から見ると虫みたいなものだったかもしれない。 >>638
野村謙二郎は太田誠にも毒されていたと思われ。
太田は駒大とヤクルトの関係が悪化した元凶だし、ダイエーともこじれかけた。
暴力監督だった島岡キチ郎と交流があったり、色々ヤバい話も。 野村緒方佐々岡とここまで馬鹿が続くのは駒大云々ではなく
カープって組織がそういう脳筋を作り出すとしか胃炎 >>639
大下は広島で政治力が本当に強い(後援会に893関係がいるとか)
広島に移籍して間もない江夏が、キャンプ初日に移動バスのある席に座ったら、いきなり
「どけっ」
と大下に怒鳴られ、思わずカッときた江夏を周囲のチームメイトは慌てて止める
江夏の座った席は大下専用の席だった >>647
太田はヤバい話多いな、
明徳義塾のアレ関連とか >>648
佐々岡は川口和久が全然練習しない と言うほどチャランポランだから脳筋では無いと思うが 太田は小島弘務(平安高)に対しひどいことしたらしい。
小島が言うには「普段、風邪ひいても病院なんか行かんでもええというオヤジが
診断書とっとけ!と言ったくらいですから」と。
何をしたんだろ? >>646
門田もだが阪急の選手は西本さんに南海戦はノムのバッティング見とけといわれて育った
ほんとは打撃も教えようとすれば教えるのもうまかったんちゃうかな
なぜか配球論ばかりに >>632
村上・岡本・ついでに大山あたりは、10年前のドラフトだったら
間違いなくパに行ってただろうな
そんなだからこそセがセカンドリーグと揶揄されるに至ったわけだけど >>653
その中でも一番ダメそうな中畑が実は一番マシだったという(´・ω・`) 野村も75歳くらいの頃「Sー1」でバット振ったら「ブンッ!」ってすごい空気を切り裂く音を出してた。だからヤクルト記念試合は驚いた。 ノムは筋トレがタブーとされてた時代にバルクアップに勤しんだ人だから >>654
落合との対談での打撃論議
https://shuchi.php.co.jp/article/7457
そんな野球談議の中で、「打撃の重心バランス」の話が出た。私も落合も、重心を「後ろ側」の足に残して打つ、いわゆる「軸回転打法」だ。
「ワシは、後ろ側の足と前側の足、構えたときの重心バランスは7対3だった」
「僕は9対1でしたよ」
速球を待っていて、遅い変化球に対応する。落合は体が前に突っ込むことによほど注意したということだ。そして「タメ」や「間」ができるから、あれだけ打てたのだろう。 >>649
大下の家は市会議員かなんかだろ
ヤクザと関係深いのは他の大物だぞ 南海は駒沢出身者がほとんどいなかったんだよな…
山内和は中退してリッカー行ってそこから南海入りだし >>662
元海田町長だよ。
奥さんの実家がが新宿の東都・六大学のたまり場だった有名な飲み屋。
あのこわもての森繫も駒大の後輩なので丁寧語w。達川も一刀両断。
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/650688/
しかし、このスレ、南海だろ?
やっぱり、広商出身の鶴岡さんしかおらんだろ、大下とかハリー抑えるのは。
パリーグは荒れてるな、これに岩本、浜崎、濃人、兆次、伊原、全部広島県人だな。 南海も虚塵に似ててOBかつ生え抜きを大卒監督の人事なんか?
まぁ、親分が23年間指揮してるのも異常やけど。まさしく親分が南海球団に人生捧げてなぁ。
多分鶴岡さん体調面良かったら他球団で指揮してるんやろな。 >>646
監督室で選手と1対1になったときに話すのならともかく、
メディアの前で自軍の選手をボロカスに言うのはマヌケだよね。
以前の勤め先の社長も他人の前で部下の悪口を言える人間だったから少しわかるが、
こういうことを平気でするタイプは基本自己承認欲求が強くて
自分の苦労を他人に理解してもらいたいという面倒な人間。 ttps://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20201015-01
大沢って過大評価だよなぁ
大社三原が居なかったら愚将で終わっていたしフロント入りしても大した事無かったし >>666
所謂「怒られ役」ってのはいるけど、そういうのは内々での話だし
対外的な場面でもやる場合には事前に相手に「お前にはこういう役をやってもらうよ」と言っておかなければならない
野村も鶴岡に公開の場で叱責されてたのは独身だった7年目の25歳(60年)までで
家庭を持ってからは別室での一対一でしか説教されてなかったのに >>662
議員てのは地域に密着しないといけないわけで
良くも悪くも、今と違ってヤクザが地域にどっしり
根を下ろしてた時代なら無視するわけにはいかない
存在だったよ。
積極的に関係も党とするか、仕方なく・・・の違いはあるだろうけど >>669
知ったかは止めましょう
デマを飛ばすのはもっと問題ですよ 「南海ホークスと戦後昭和球界」という感じになってるな。 >>653
そもそも禅というもの自体が体力がある者が絶対に有利な卑怯な宗教 >>669
逆ですよ、日本ハムの工場とか誘致しようとしていた。
広島への移籍でそれもなくなって残念だったとある。 くじをよく外す巨人のドラフトだが下位指名で未完成だが体の大きい選手
ばかり最近よく取るがこんな指名したら野村さんなら怒りそうだな。
秋広って身長2mで打撃が大谷みたいだ。 育成1位は身長190pの
大型ショートで右投げ右打ち >>649
結局引き下がる江夏w
強い者には弱く、弱い者に強い
清原とそっくり アンチなんかいねえよw
江夏の言動を分析すれば余程の馬鹿でない限り人間性は見えてくる。
どんなにカッコつけてもね 江夏は一匹オオカミなんで、横のつながりがない。
有名校でもないし、地縁もない。チームでも群れない。
これは、アンチでもなんでもなく事実。
一方、大下は縦にも横にもつながりが深い。
東映、広島、広商、駒大→東都・六大学含むなど。
ただ、劇薬過ぎて、広島以外では使用不可。 野村と落合の「俺たちは天才ではない。努力と工夫で打てるようになったんだ!」は他平凡選手に
とっては迷惑な話。あなた方二人はどう見ても天才。
野村の「江川なんて速くない。ああいう球種の少ない投手は俺の得意とするとこ」
落合「なんで佐々木主浩程度が打てないの?フォークなんて全部ボールになるから見逃せばいいだけ。
あとは速くもない、まっすぐを叩けばいいだけじゃん」
「・・・。」
野村があと15年遅く生まれてたら全盛期の工藤公康など打率6割くらい打たれてたと思う。
野村「工藤程度のまっすぐは年寄りの俺にはちょうどいい」とか言って。 江夏にプレゼントをした893があの竹中だったってマジなのかねw
大物すぎるだろw 「現代に蘇った柴田猛」=松山秀明だろう。
松山は5球見ただけで投手の癖を盗んでしまう。サイン解読もスゲーらしい。
だから選手としては三流でも球界から30年、ユニフォームが途切れたことがない。 >>677
このスレは野村アンチと江夏アンチの競演で進行してるからなw >>683
なのになんでオリックス強くならないんや・・・ >>679
古巣の日本ハムも監督にするのを躊躇したのがわかるな。 >>686
つーか、三原が水原色をすべて排除したのよ。
大下だけは、大社と工場誘致問題があったんで出されないと思ってたが、
意外にも出されたんで、珍しく大下がびっくり。
広岡、張本同様、東京志向なんで広島命ではない。
かと言って、鶴岡さんもそうだが、広島愛はあるね。
山本一義にカープに行っていいと言ったとことか。 >>687
オーナーが出張でいない間に決めたらしい >>684
具体的に反論できないとレッテル貼って煽るだけですかw 具体的にも何も
江夏アンチと野村アンチが交互に駄文書いてるんは現実やんけ 優勝ロゴにある「victory 21times」が、南海の1リーグ時代の優勝2回を含めたものらしい >>693
鶴岡11回(一リーグ2回、パリーグ9回)
野村1回
王3回
秋山3回
工藤3回 3年連続日本一継続中だから3年ぶり優勝と言われてもあまりピンと来ないな
逆に今年はCSで足をすくわれないようにしないと とにかく優勝めでたいやないか
でもやっぱり選手層が厚すぎる
なんとなく今年はロッテに気持ちが傾いたな
弱かった晩年の南海を応援した身としては なんの感動もないな、ソフバンの優勝は。
完全に九州のチーム。監督は広岡の弟子。
南海の匂いがまったくしない。金満だし。 金満言うけど、千賀、甲斐、周東、石川、牧原は育成入団やん
これだけ育成選手を育ててる球団ないぞ >>691
頭悪過ぎ。
江夏や野村批判のレスに対して、そのレスの内容に対して具体的な反論をせず(=できず)、
「またアンチが出た〜!」と煽ってるだけ、って「意味だろうがアホ >>699
金満だからこそ育成を囲えるんじゃないか >>699
資金力あれば育成に力入れれるし、
優勝も出来るわな。堤全盛の西武も
逆に南海みたいなドケチ会社が
よくあんだけ優勝し巨人と対等に渡り歩いたな。
育成に近いテスト生で数々の名選手産み、
監督兼名スカウトの鶴岡親分。
福岡田舎電鉄の西鉄も三原呼んで強くしたのも
謎やし? >>698
工藤も移籍して弱小ホークスを
立て直してくたんやし。秋山も
ホークス出て巨人移籍したのも
高塚の野郎せいちゃうか?
南海色薄めな福岡人が応援してくれへんし
当時の福岡人まだ西鉄西武ファン。 そういう点では、南海九州応援団の流れを組む応援団と、
郷土愛から、話し合って円満に移転早々に転向したライオンズ系の2団体は、
ある意味福岡系応援団の古参か。 >>699
今のホークスの環境(雁の巣)と南海時代の環境(中モズ)とを比べてみろ。
選手寮の窓にベニヤ板打ち付けてたりしてたり、二軍選手の飯環境とか当時知ってたら
今の方がそりゃやる気出る環境。あの当時なら西武があんな感じだった。 未だに井口が何故ホークスに戻らなかったのか不思議。
高塚問題があったとはいえ愛着なかったのか?
彼だけ不思議?どういう事情?
城島さえ戻ってきたのに。 未だに井口が何故ホークスに戻らなかったのか不思議。
高塚問題があったとはいえ愛着なかったのか?
彼だけ不思議?どういう事情?
城島さえ戻ってきたのに。 >683
米村理も去年までチームが低迷しようがオリックスが暗黒期になろうが
責任一切負わずにシレッと数十年間コーチ業が途絶えなかった
パンチ佐藤が媚売りの天才だとか馬鹿にしていたが >>707
なんとなくだけど井口って逆指名の時にホークスに本当に行きたかったのかな??
中内オーナー代行と小久保がいていかざる負えなかったと思ってる。
ダイエーが経営権譲渡した途端メジャーだし。 小久保も本当は巨人に行きたかった
と聞いた 「イグ砲」は東京都出身だけど大の中日ファン。
「コック」は星林高の「7番打者 3番手投手」だった。母子家庭なんで住友金属入りを希望したが
親が「大学くらいは行ってくれ」と言われ大商大を目指すが監督から「セレクション慣れのため青学大受けてこい」と
セレクションに行ったら投手として2回パーフェクト。打者として4打数4安打。青学大のセレクションはほぼ形式だけのもので
15名中14名ははじめっから決まってたが最後の枠を鳥越(臼杵高 のち明大〜中日)と争いコックが勝ちのちの小久保に。 >>698
甲斐が19番継承したけど
ノムさんの悪戦苦闘の野球人生も継承したかな
と思ってみていたw 過去スレの「南海命だった」氏の投稿を改めて見返すと、
真偽のほどはともかく、球団や関西私鉄を取り巻く情勢、労使紛争の影響等、
裏面史的なものも多く取り上げられていたな。
さすがに書きづらそうな事も多そうだが。 あぁ瀬戸山氏とのつながりでロッテに戻ったという事ですね。
それでもダイエー時代は地元CMにも出て
メジャー行っても使い続けてくれた会社もあったという位人気あったのに。
そこに思いとかないのでしょうか?という素朴な疑問。
千葉に戻らなかったN岡とは違うと思ってます。が。 そういえば南海身売りの年
平和台の主催ゲーム(ロッテ戦)友人が優待チケット持っていたので観に行った。
バックネット裏だったが内野では山内孝の応援団がいたのが印象的。
盛り上がったのは門田が打席に立った時くらい。
ふと後ろに南海の選手が3人くらい観戦していたのが強烈な印象
右田、岸川、山口っぽかった。
地元出身の坂口ぽかったかも。
友人と南海も身売りとかあるんじゃないの?ロッテはこっち(博多)のうわさあるし
あるかな〜〜〜???どこ買うん?UCCかな〜〜〜???
とか話してたら聞き耳立てていたようなそういう気配を感じた。 >>708
また具体的反論できず煽るだけかwww
頭悪いボケ老人か? >>708
?何が粘着なんだか?
このスレで野村や江夏の話題が出るのは当然。
それについて是々非々で語ってるだけだろ、。
具体的に異論や反論を書き込まず、
自分の気に入らないいらない意見を封じ込めようと粘着しているのはお前だろ >>707
城島は熊本だか大分だかで育ったんだよね?? だから戻った
小久保は巨人があの年に小笠原を取らなかったらホークスに行ったのかな
と思う。 ファーストは日本で最高のキャリアを残したスンにサードはFAで
小笠原確定 大阪球場での南海―巨人の日本シリーズは9回有った。
まさかまた「大阪」でGHシリーズが実現する? 城島は佐世保出身、高校は大分。
小久保は家族を慮って福岡に戻ったんだろうけど離婚しちゃったし、監督のおハチもなかなか回って来ない。 >>718
野村はともかく江夏なんかここで語る価値もない。
トレードで南海に来たら「こんなところに来て恥をかかされた」と愚痴をたらたら。
江夏在籍時に南海が優勝したわけでなし、
広島行くまでのリハビリ期間だっただけ。 もうソフトバンクになってからは応援も特にしてないけど
大阪で日シリがあるなら観に行こかと思う
しかし入場制限があるから入れるかな? >>722
ノム「革命を起こそう」
江夏「革命か」
結局、佐藤道郎が数年前に新人時からリリーフの地位を向上させてたんだから、
ちょいと違うと思うけど。
実際、江夏が花開くのは広島からであって、南海じゃないんだよね。 >>724
まだそんな手垢のついた表向きの会話を信じてるのかw >>724
まあ、ネタやね。
ノムシンのほとんどが信じている。
ある意味、立派やん。 >>720
昭和40年代の南海ファンに
「2020年は、岩崎橋の大阪ガスの工場が移転した跡地に出来た新球場で、ホークスとジャイアンツが日本シリーズをやる」
と言ってもそんなには違和感は感じないだろうな
ホークスの本拠地が大阪じゃなくなってるうえに、その球場での主催者はジャイアンツという部分を伏せれば 江夏が初めてセーブ王になったのは南海
野村にせよ江夏にせよ去り方はともかくとしても
現代野球にも繋がるリリーフ投手の重要性を認識させた変革をもたらしたのは確かで
それがこの南海ホークスという舞台だったことは誇らしいことだろ
それだけとってみてもホークスの名は不朽だ 佐藤「監督〜江夏よりオレのほうが先じゃないですか
ノム「まあおまえと江夏じゃインパクトが違うからええやろ
ここまでがネタ >>729 佐藤ネタ
野村沙知代より見合いを勧められ、断り切れずに見合いだけはした
ノムに「お前は見合いを断りやがってな」晩年まで言われたそうな GH決戦11回目やん凄いな。
次に多いなGL決戦10回目
やっぱ巨人とホークスライオンズ伝統の一戦。
今年出れば12回ホークス巨人
アホの阪神
何が伝統の一戦やねん 井口がダイエーに行きたかったわけないだろ
金だよ、金 吉永や藤本博や岸川より広永のほうが
打撃センスあった気がするのだがどうなんやろ
代打が多かったな 野村克也氏の遺品がなんばパークスにある南海ホークスメモリアルギャラリーに展示されることに
ソースは本日発売のサンスポ朝刊1面〜2面記事 野村克也氏の遺品がなんばパークスにある南海ホークスメモリアルギャラリーに展示されることに
ソースは本日発売のサンスポ朝刊1面〜2面記事 ローソンで南海の二文字を見つけて、滅多に買わないサンスポを買った 広永と吉永って名前も体型も打席での見た目も打撃内容も似てたな スポニチが野村の遺品をなんばパークスに展示するな!運動起こしそうだなw サンスポ買ってざっと見てみたが、江本がカツノリに遺品を出させて南海と折衝したようだな
結局は江本といい、広瀬といい、実兄といい、本気で諫めたり叱ったりしてくれる人こそが野村の真の味方だったんだってことよ >>728
野村の我田引水に騙され続けてる情弱w
変革をもたらしたのは65年に宮田を抑え専門で起用した川上監督だよ。
この年からそれを真似して各チームが抑え専門投手を起用しだした。
契約更改では「大リーグのようにセーブポイントを査定に入れろ」と主張する投手も続出。
やっと球界に「変革」が起きたのが74年。セーブポイントが公式に表彰タイトルになった。
野村の変革?76年に江夏を先発からリリーフにさせただけじゃんw
それって一選手の個人的な変革に過ぎないだろwww まあ確かにそれはそうだが
江夏ほどの大投手が抑えに専念した、という事実が大きかったのだろう 江夏は三振奪取能力が高かったからリリーフ向きだったな
ここは三振が欲しいという場面で狙って三振が取れる
狙って三振取れるということは逆にどうなればゴロを打たせるかということも江夏は熟知してた
1970年代ぐらいはまだエース級先発クラスがリリーフ登板することが幅を効かせていたしな
あの江夏がリリーフ専になるというのは当時としてはかなりの衝撃として迎え入れられたよ >>742
エモは大病したからかここ何年かの行動力が凄いな
やれるうちにやってしまおうという勢いが >>746
21球の1イニング前の8回裏の動画が
最近YouTubeにアップされたが改めて見ても計算され尽くした投球してるわ
またそれを杉浦が上手く解説してる メモリアルギャラリーのリニューアル費用はクラファンで集めるんだな
散々文句言ってたノムシンは金出したれよ >>750
>今回ご遺族の承諾を得て、南海電鉄の協力のもと、よみがえる。
カツノリ他がOKしたって事かな 江本は野村解任騒動のときに既に南海にいなかったから動きやすいってのもあるだろうな 宮田はそこまでリリーフの変革に影響無し。
表立っては無いがあの使い方はむしろ川上の批判に繋がっていた。
短いイニングに全力投球させるという発想自体は川上の前に鶴岡が既に発案しているし。
リリーフエースという言葉と地位向上はまさにスーパーエースだった江夏の転向が基でしょう。
それまではあくまで先発落伍者のポジション。 「本当の抑えの先駆は佐藤道郎だったのになぜか江夏になっている」と指摘されていたね メモリアルそのものをリニューアルするということはあの最上階の隅に追いやられてたのをパークス内に移転するのか
あそこは直射日光が当たりまくりでユニなんか色焼けしまくってたからな
それなら喜んでグラファンさせてもらう
しかしノムが帰ってくるとなれば集客が増えるだろ
南海にちゃんと利益が還元するのであれば自己資金で何とかならなかったのか?
別に自分の募金が惜しくていってるのではなく >>728
南海のユニフォームを着て「こんなところに来て恥ずかしい」「恥をかかされた」
と言ってた江夏にそんな価値はゼロ >>753
大嘘
宮田が出てきてから抑えの地位は上がった
落伍者なんて思ってたのは江夏個人や堀内みたいな奴だけ 江本は南海阪神OBだけど阪神よりずっと南海愛に溢れてるのが共感を持てる
南海より阪神にすり寄った方がいろいろ美味しいのにな
まあそれだけ南海ホークスの野村という存在が好きなのだろう
あれだけ付き合いの長い江本が天国のノムさんも喜んでると確信して言ってるのは
ノム自身も晩年南海時代の郷愁を感じそういうことを口にしてたのだろう
照れ性なのと自分のキャラがわかってたから公には表さなかったが >>758
宮田と同時期の中継ぎ・抑え主体投手は広島の竜憲一、中日の板東、
あと杉浦さんもそうだったし、大洋から阪神の権藤正利もだったような? でも誰も覚えてないから
やっぱり江夏じゃないとダメだったんだろな ツンデレ同志の江本と野村。
江本は報を聞いたとき、しばらく海を見たという。 >>757
リリーフが落伍者と言っているのは別所あたりの1リーグ時代を経験している旧人 >>760
62〜64年にかけて広島の龍憲一を野崎泰一コーチが、中日の板東英二を近藤貞雄コーチが、巨人の宮田征典を藤田元司コーチが、それぞれリリーフメインで運用したのが始まり。やり始めは野崎が一番早かったが、明確に理論化したのは近藤が最初
65年に南海で血行障害で50球までしか全力で投げられなくなった杉浦忠を鶴岡が抑えにしたのが「大エース」を後ろに回した始まり。杉浦自身も「パの抑えは僕が元祖。セーブ制度があったらかなりの数いったでしょう」と自認してる
そんで70年に監督一年目の野村がドラ1で獲った佐藤道郎をいきなり抑えに回すという起用法をやった。当時の考え方からすれば、怪我病気持ちじゃ無い東都のエースを新人から抑えにするなんてのは「なんて勿体無い」って感覚だったから、これには間違い無く「革命性」が有った
TV中継の多いセでも、74年にはまたも近藤貞雄が高卒二年目の鈴木孝政をリリーフメインで起用。この年のセーブ王はエースの星野だったが、75・76年は完全に鈴木が抑えになり二年連続セーブ王。この時点で抑えの価値はもう既に十二分に高まっていた
そんなわけで77年シーズン途中の野村による江夏のリリーフ転向には「革命性」はまるで無い。メディアを通して作られた「物語性」は絶大だったが >>370 の記事にもあるけど、
日刊の井関真氏にも、「あの頃(南海時代)が一番楽しかったなあ」とつぶやいていたとか。 60年代70年代初頭リリーフ専は継続して成績をを積み上げられなかったのも埋没した理由だろうな
もう既に力の衰えたベテランや元が二線級がやるからすぐバレて打たれるようになる
調整法起用法がまだ未熟ですぐ怪我をして使えなくなるケースも多々あったろう
これは現代でも言えることだが >>759 へのレスだった。
井関氏に対しては「お前ほどイジメたったヤツはいてないなあ。今更仕返しなんかするなよ」
とのことだったが、本人はそう思っていなかったという。 映像のイメージだけだが南海時代の野村はヤクルト時代以降のテレビタレント化されたテレビタレント性はまったくない朴訥としたイメージだ。
江本が好きな野村はこっち(朴訥)の野村なんだろうな。 >>766
だからこそ「力が有って、活きが良くて、若い」投手を敢えて後ろに回すという
佐藤ミチと鈴木孝政の起用法はエポックメイキングだったのよ 先を言い出したら今流行りのオープナーだって大洋三原がその先駆的なことをやってるし
野球の革新的前衛的戦術の元祖はほとんど三原のもとに行き着くよ
三原は着想は天才的だけどその先のフォローがない
言わば一過性のもので奇策止まり
一番大事なのはそれを確立させた者だ
江夏は70年代後半80年代前半の最高のクローザーで当時山本浩二に次ぐ高年俸を稼いだ
これがリリーフの価値を本当に向上させた男だ どこかの背番号3のバカ息子みたいに福井のおっさんに売り払ってなくて良かったな >>771
理想の家族の様に言われた長嶋家があんなにバラバラになるとはな >>771
でもおかげで大切に保存されてるんだから…
パークスのなんてあんな有様だし余程いい 江本さんええ人やね
サンケイ新聞の二人の笑顔は良いよ >>768
江本と佐藤道が野村時代のミーティングの話をしてた時に
「昔はもっと小声でボソボソッって感じ」「あんなに流暢じゃなかったよ」と笑いながら言っていたが
二人ともむしろそういう感じの野村を懐かしんでいるようだった >>770
救援投手でMVPも江夏が初だったな
まあリリーフ投手の地位を確立させたのは江夏だというのはみんな異論はないだろ
ただ俺と江夏がそれまでの野球を根底から変えたという野村の主張が話盛り過ぎと言ってるだけで
ここで定期的に書き込みしてるなら野村という男がいかに自己顕示欲の強い大法螺吹き野郎かできるだろう?
そもそも話の論点が違う どうでもいいが今日のノムアンはいつもの元気がないな
アンチの常に主張してたノムは南海電鉄から今も忌み嫌われている
ホークスの永遠の黒歴史存在という前提が根底から覆ったのにショックを受けてるのか?
ノムが本当に南海を死ぬまで憎悪してたら江本がこんな酔狂な一銭にならんことするわけないし
カツノリも遺品の提供を許可するわけもない
南海本社もこの要請を受け入れるわけないもんな カツノリはミュージアムオープン当初に偵察に行ってノムに状況を報告しているし
密かにどんなもんなのかは気になって仕方がなかったんだろう ミスターは気前が良すぎて記念品を知人や知人の知人らにあげまくってたらしいな
お気に入りのデーブには自宅に招待したときにブーちゃん好きな絵を持っていきなさいいわれたらしいが
どれも一千万は下らない名画ばかりだったから最高の人格者のデーブさんは固辞したらしいが
お金を払ってでも本当に欲しい人に提供しようと思うのはそんなに間違ってはいないだろ 一茂は特殊な家庭で育ったから世間ずれしてただけで頭はバカじゃない
野球の才能も落合に言わせたら真面目に取り組んでたら親父を超えてたと言わしめた
親父だって頭のネジが何本か飛んでただけで本当の馬鹿じゃない
天才タイプの人間によくある個性だというだけ >>752
江本の立ち位置はかなり特殊だからな
野村の人格が完全に正常だった70年以前から付き合いのある南海OBは、自ずと本妻と親しく接しておりその人柄を知っているから
本妻に対する誹謗中傷を心底から軽蔑し、沙知代の自業自得で展示できなくなった物をどうこうしてやろうなんてことは考えない
一方で江本が南海に来たのは既に野村の人格がおかしくなり始めていた72年で、もう西宮の本宅に帰らなくなっていた時期だから本妻との接点は無いが
75年以前の野村がまだ監督・野球人として本当にキレがあった時期を肌で知っている人間ではある
それでいて引退後に売れっ子になった為に沙知代の側から江本に擦り寄ったんで、沙知代と敵対した人達の中では唯一早くから野村との交流が再開していたという 江本は南海時代が好きだったと話していた
大人のチームだったと
まあ優勝もしているしな 抑え専任の元祖は50年代半ばの荒巻淳か戸川一郎(南海)あたりになるだろな。
その後はエース投手の超酷使時代になってしばらく廃れる >782
江本の10倍おもしろくは帯の推薦文が野村だったぞ
売れっ子になってから関係戻したんじゃなく
別に断絶した事なんて無いんでないの。元々程々の距離感だろうし。 >>771
あのミュージアムから流出した品々が一時ヤフオクに出まくってたなぁ。
あの館長はなんといってもコテコテのヅラが凄かったなwww
金あるならもっといいカツラ作れよwwwとか思わせてくれた。 1950〜1958の復刻ユニフォームやってほしいな。
弱い時のばっかやん >>779
その気前の良さが足元に見られてタカリに近い行為をしていたOBもいたとか 「100万ドルの内野陣」「400フィート打線」の
カッコよくて好き。
それにネーミングセンス抜群やね。
ダイハード打線はパクリでダサい。 >>787
その時代のって南海に限らずプロっぽくないの多いからなぁ
阪神の真っ黒のとかは例外か まだ最後のアンチ野村の砦スポニチがクソ野郎野村の遺品を聖地なんばに戻すな!キャンペーンやってくれるさw >>744
>>745
ひねくれた江夏をリリーフに説得するために
リリーフ起用という新しいやり方(革命)を目指そう!
ではなくて、お前(江夏)みたいな超一流がリリーフなんて
今までにない革命やで!!っておだてる事も必要という
教訓ではないかと アンチが一番望むのは資金が集まらなくてこの話がオジャンになることだろうな
旧南海OBでも野村の展示がないことにずっと違和感を感じてた者がいたようだし広瀬辺りは協力してくれそうだが
反野村だった人間の反対とかあるのかな? >>776
あまり日が当たってないが、野村&ブレイザー野球を引き継いだのは古葉。
再生工場とかトレードもよくやってた。
結果、広島は2年連続日本一なんだから、野村はもっと評価されるべきだね。
余談だが、ブレイザーの阪神監督はもたないのを古葉は予言してた。 >>792
そんな陳腐な上っ面の話じゃないってw
江夏はどうしても先発で起用できない事情があったんだよ。
先発で1度変な投球をして野村が激怒して問い詰めた。
いつ登板するからわからない救援に転向させたのはその件以降 >>795
得点圏に走者がいて、とんでもない暴投やって失点したんだよな。
しかも変化球がすっぽ抜けたんじゃなくて、
真っ直ぐなのに捕手が取れない球を投げたので
野村があり得ないと疑った。 存命の人で、アンチ野村って誰?
長嶋茂雄?スポニチの偉い人? >>798
公平に見たら野村も長嶋もひどい。
野村=野球脳古いのは良いが自分の理論を押し付ける
長嶋=1次は知らんが2次はやりたい放題。 あれを許した読売幹部にも問題
采配以上にトップとしての裁量がなし
>>798
長嶋本人にはもう確執はない
スポニチ大阪は今でも野村は大嫌い 長嶋のお友達無能内閣
堀内・山倉・中畑
こんなんで勝とうなんて馬鹿にもほどがあるわ。 これで選手が育たないとかよく言えるわ
藤田監督最終年=92年のバッテリーコーチ以外はそれなりだった。
ヘッド高田・打撃中西太・投手中村稔。 中西太だけは留任さすべきだった
原が宮本と元木のタレント内閣はそれなりに結果出した。 しかし長嶋のお友達
内閣は失敗どこの差があるのか
王政権時に堀内コーチから皆川コーチだが皆川コーチが超有能に見える「 野村も育成の我慢ができないし。 この年代って自分が目立つために勝つことしか
考えてない。 監督の名前が大物だとこういう副作用ありすぎてだめだよ
星野はコーチ選びと補強は有能だった。 北京のコーチ選びはお友達で失敗 >>795
いわゆるブラックなミストの影がまだチラついていたと…
でも勝ち試合で使われるリリーフならそれはそれでヤリ放題(何を?)なんじゃないの? というか野村はほとんど自分でコーチ選んでない球団任せ
長嶋はどうだったんやろ >>804
頭悪いな、お前
勝ち試合っていつ勝ち試合になるかわからんだろ。
負け試合を盛り返して勝ち越して登板のケースもあるし、
いつリリーフするかもわからんのにどうやって試合中にリリーフ投手に賭博組織が連絡できるんだ?
野球賭博ってのは試合開始前に先発投手でハンデが切られてるの。
だから先発では事前に話ついてた場合怖くて使えないんだよ >>805
1次 牧野ヘッド留任 森バッテリーコーチ 藤田投手コーチ拒否
2次 山倉バッテリーコーチ 中畑打撃コーチ 堀内投手コーチを選んでる時点で
自分で選んでる >>807
は?
牧野は長嶋の下でコーチなんかしてねえよ
1次の時はTBS解説者だが? エモやん73の割に若々しいな、
60代後半でも通るんとちゃう。
さすが男前。 >>807
長嶋が球団案の牧野ヘッド留任を拒否という意味。 >>804
あのな〜野球賭博は試合開始前に賭けが締め切りになるんやでw
まあ他の人には説明不要やけどな。
試合が始まってから「こっちが逆転したから勝やっぱりこっちに張ります」
とかできるわけないやろwww >>807 セゲオは川上の子飼いである牧野、森を川上が推薦したにもかかわらず外した。
キャッチフレーズは「クリーンベースボール」意味深だ。 >>807 セゲオは川上の子飼いである牧野、森を川上が推薦したにもかかわらず外した。
キャッチフレーズは「クリーンベースボール」意味深だ。 エモやんYouTubeで南海巨人OB戦の裏話してるね
野村嫌われてるのくだり面白かったわ >>815
デーブの動画やろ?
エモヤンの男気あるな。
ノムと南海ホークスに恩は感じるんやろな。
後継のソフトバンクホークスの事
あまりええように言うてないな。 >>815
あのOB戦は沙知代が死んだちょっと後だったが
それでもテレビだのラジオだのに出ては「前妻の方が不倫したんだ」とか懲りずに沙知代が創ったデマを言いふらしまくってたからな
そりゃ広瀬も小池もマッシーも渡辺も挨拶なんざ行くわきゃねーわ。江本に呼ばれて渋々行ったのは他には藤田と河埜と新井あたりかね 江本は部員の不祥事による甲子園辞退から大学社会人東映時代と悪戦苦闘の野球人生を歩んでたからな
誰も認めてくれない自分が否定され続ける日常の中でノムと出会いエース番号をやるお前は10勝以上できるとおだてられたことが
何よりの感動で50年近くたった今でもその恩義を忘れられないのだろう
江本はその後ノムには結構酷い目にあわされてるのに関わらずな
人ってのは本当に人との巡り合わせで本当にたった一言で人生が変わるんだよ
ノムだって鶴岡さんにたった2回誉められたことを死ぬまで自分の人生の最高の瞬間と語ってた だったら古田ももっと褒めてやればよかったのに…と思ったが、古田を褒めるノムを想像したらちょっと気持ち悪かった >>793
あぶさんのおかげで一財産築いた水島新司がバーンと1億ぐらい出さないかなぁ
でもそれだと「あぶさん記念館も併設して造れ!」となりかねないか・・ サッチー絡みのハチャメチャで叩き出されたとは言え元監督元直属上司なのに誰も挨拶に来ないってどんだけ嫌われてんだ
堀井藤原満山本雅藤田学河埜定岡辺りは子飼い中の子飼いだったろうに
寄り付いてくれたのは江本だけって 山内新一や柏原あたりは野村シンパじゃないの?
両者とも南海イベントにはほとんど顔を出さないけど 江本はサッチーの球団私物化が超本格化する前にトレードで阪神に去った
その後沙知代の所業がどんだけえげつなかったかという話だわな
その子飼い達すらこんな状態で野球ができないとオーナーに直訴して
あの野村にはやたら甘いどんなことでも許してきた川勝すら見捨てるレベルということで推して量るべし とすると野村解任当時の選手たちにとったら今回のことは江本余計なことしやがってって感情かもしれんな >>817
前妻が浮気してたって言い出したのはサッチーの死後じゃないの >>824
南海側も表向きはともかく裏では今更なんばパークスの改装なんて余計な事を企みやがってと思っていそうだ >>822
そもそも「反沙知代派」であることと「野村シンパ」であることは全く矛盾しない
柏原は完全に沙知代派。だから柏原の弟子の新庄は野村に可愛がられた
>>824
むしろ良かったと思ってんじゃないか
沙知代はこのギャラリーの価値を落とすため野村に関する展示を妨害していたのにそれがパアになった
しかも沙知代はもうくたばってるから、例の如く話を自分に都合よく改竄し「南海が私達に屈服した」と勝利宣言して手下のマスコミを使ってデマを撒き散らすこともできない
>>825
当初からずっと言い続けてるぞ、特に沙知代が99年の公職選挙法違反事件の際に弟に不倫の実態を告発されてからは。活字化されたものだけでも阪神クビになった直後の『女房はドーベルマン』がいい例
沙知代が死んだ直後にメディアに出演して「実は初めて言うんだが…前妻が先に不倫を…」とか言い出した時には呆れたわ。嘘に嘘を重ね過ぎたせいでもはや訳がわかんなくなってんだもの >>821
Youtubeで江本が言ってたのは、
誰も寄り付かないので、法政の同級生の
堀井と藤原まんを呼びつけたと言ってるw
違和感あるのは、南海OBが皆、隅っこにいたんだよ、ノムだけでなく。
あのOB戦を開催したこと自体が謎だよ。 巨人側は長嶋王をはじめとしたV9レジェンドについ最近まで現役だった松井らまで加わったメンツ
ホークス側も根本が旧南海勢を排除して作った新生ダイエーソフバン中心の編成だもんな
鶴岡戦士でもない元南海はそりゃ肩身も狭いし隅っこに固まらざるを得ない >>828
企画自体はそんなに謎じゃないと思うけどね。前年の12月に沙知代が死んだから古いOBに来てもらえる可能性が出た
野村の年齢を考えるとあれが最後のチャンスだったろうし、ソフトバンクとしても野村と王が出る組み合わせのOB戦の絵面は欲しかっただろうし
ただ沙知代が死んだ後も野村が全く無反省だったから、せっかく来てくれたOB達が寄り付かなかっただけで 江本は「選手野村」の凄さをもっと知ってほしいと言ってるが、単なる逆張りもあるんだろうな
世間的には野村は「ヤクルト・楽天での知将」というイメージが定着してるから、「俺はお前らとは違う」という精神が根底に見え隠れする
しかし江本が言うほど野村は選手として凄かったのだろうか
打者としてから数字である程度わかるが、捕手としての野村
キャッチングもリードも良かったと言ってるが、本当だろうか 江夏江本しかりYouTubeで当事者が直接語ってくれるとはいい時代になったわ
どうせなら再生数伸びないだろうけど門田カズ佐々木らが元気なうちに入団当時のホークスの話して欲しい
しかし今回のOB戦の裏話も前スレですでに書き込まれてたから5ちゃんも侮れんなw 野村は原と違って顔がアレやとか門田のスイングスピードが倍だとかちゃんとオチもつけてたな 今ようつべチャンネルを手広くやってるの高木豊片岡デーブ石毛辺りか
江夏江本ら知名度のある大物はともかく南海戦士と接点深そうなメンツはいないなあ
江本本人がようつべやってくれたらいいけどな活動力あるし
元南海戦士はみんな大人しいし目立ちたがり屋はいないからな >>834
80年代の主力でも60〜70歳くらいだからなぁ…
片平が健在だったら石毛あたりがゲストに招いて南海時代の話をうまく聞いてくれたかも知れんが >>831
ただこのままだと選手としては2流だったのに監督として1流になった印象すら
出来かねなかったからな 自慢話と誇りを持って語る事はイコールではない
あれだけ自慢話が嫌いな門田はこと打撃の話に関しては止まらないくらい話すけど
あれだけ自慢話好きなノムはなぜか打撃に関しては殆ど話さなかったしあったとしても薄い内容ばかり 犠牲フライを打つ技術は俺が一番と自慢してたけどね
実際日本記録保持者だけど >>828
その通り。
南海ホークスと福岡ダイエー、ソフトバンクは別にしなければいけない。
柏原が言ってたが、ソフトバンクの南海復刻ユニ試合は違和感があると。
あんなもんも今後一切する必要なし。
>>831
板東英二は野村のキャッチングを評価してなかったな。
「あんなに嫌々捕られたら気持ちが乗らないわ」と。
板東に言わせると大洋の土井淳のキャッチングが最高だったらしい。
野村と板東の球は受けてないと思うけど。
でも土井の打率は2割そこそこ。
板東に言わせれば野村は名捕手ではなく、名打者。
あれだけ打てるから長くレギュラーだった人と評価してたな。 犠牲フライ率では加藤秀司の方が上
前にいたのが福本大熊だったのは大きかった 打てる捕手のランクを適当に作るとこんな感じかな
S 野村
A 古田
B 田淵
C 木俣
D 谷繁・伊東
E 梨田・山倉 >>839
その時代のセの捕手で他にキャッチングの評価が高かったのは国鉄の根来広光
藤田元司がその捕球技術を絶賛していた 谷繁もキャッチング上手いけど俺はあんま評価しないな
アイツも構えたとこから少しでも外れると嫌そうに取るし
それでホームランでも打たれたらお前のせいだと言わんばかりの露骨な態度で悔しがるし
やっぱ一番いいキャッチャーはピッチャーを気持ちよく投げさせる奴だと思うわ
やっぱ古田が一番だな 昔の選手名鑑を見ると野村は「強肩強打」と評されてるよな
野村の全盛期の頃だけど
実際盗塁阻止率も悪くないし、肩が弱かったのか強かったのか分からん
江本と佐藤道の対談では、野村は晩年肩が衰えてたけど取ってから投げるのは早かったと言ってたが >>834
おそろしく地味だけど南海ファンにとってはおもろい
岡本伊佐美。最近堀井さん(息子)のもある。
https://www.youtube.com/watch?v=rgRK15m9lMU 野村ブレイザー体制はほんと高度な野球してたんだよな
そりゃクビ切って広瀬体制にして180度やり方を変えたらチームがボロボロになるのもやむなしだな >>844
実力のある投手は気持ちよく投げさせさえすれば抑えるけど
二線級ピッチャーが気持ちよく投げてもオナニーして酔ってるだけですぐ打たれるわな
谷繁は全盛期の佐々木川上岩瀬浅尾辺りには気分良く投げさせようとする意識はあったと思う >>848
高度な野球してても結局8年間で前期優勝1回だけだからなー
理論が先行しても勝たないと意味がない OB戦の動画を観たけど城島が松井のキャッチャーフライをわざと落とした時の
魚を捕れてもフライは捕れんのかのオッサンの野次が最高に面白かった
年配そうだしあんだけ軽妙な野次が飛ばせるのは南海時代からのオールドファンかな >>844
確かに谷繁は怒りっぽい面はあるけど、
キャッチングは古田より谷繁の方が丁寧だよ。
古田はランナーいない時は片膝ついて構えてたが、
谷繁は晩年になるまではそれはやらなかった。
アウトコースの球は古田は外から内にミットを動かして捕球していた(捕球する前だよ)が、
谷繁は最初からミットを動かさず、
投手が捕球する瞬間が見えるように構えていた。
これはCSプロ野球ニュースの捕手特集番組でやってた。
たまに再放送するから見られる人は見た方がいい、
めちゃくちゃ面白かった。 >846
肩だけなら中嶋はNo.1で強かったと思うけど、
阻止率は大したことないんだよな。
投手のクイックと取ってから投げる速度の方が重要って事でしょ。 >>851
まあ西本上田阪急が強すぎたな
シンキングベースボールは結局弱者が強者にちょっとでも歯向かえるぞってぐらいの野球だし >839
板東英二とバッテリー組んだ事も無ければほとんど野村の試合なんて見た事無いだろ。長嶋シンパ記者が野村の見た事も無い現役時代を貶めるのは90年代によく見られた光景。
板東はそれに乗っかったんでしょう。 >>856
違うわ。
80年代に読んだから。野村が解説者の時代。
現役時代はオープン戦やオールスターで対戦してるよ。
板東が新人時代にオープン戦で対戦して、。
投手杉浦で板東が打席に立った時、
野村が「大きいの見せたろか」とささやいて、
杉浦がカーブ投げたら、板東が「ぶつかる!」
と逃げた球がストライクになったとさ。
憶測や妄想で決めつけないでねw >857
坂東英二が信用出来ないってことだけはよくわかった。 >>858
お前の妄想の方がずっと信用できないよw 対戦はしたことあったかもしれないがボールを受けたことないんだろ
それならどうこうはいえんだろ 都合の悪い証言は妄想で否定するノムシン
まさにカルト宗教 ボールをストライクにする。審判も騙された野村克也さんの技あり 捕球術
https://radichubu.jp/spoooooon/contents/id=30695
これはフレーミングの進化版じゃないかなw それを見たのが80年代だと記憶があるならまあそれでいいけど、
板東は直接会えば太鼓持ちに終始する分際でという思いが拭いきれない。
パ出身者は野村の守備能力を認める人間の方が多いし普段接さないセの人間に言われてもな。 インサイドワークなら
有田と中尾の強気リードが好きだ。 有田の気合が入ってれば真ん中でも打てない
これ巨人ファンの俺としては新鮮で好きだし中尾の強気リードも好き
山倉・村田・阿部・小林・今の大城と巨人の生え抜き捕手は弱気リードが多い
12球団で一番弱気リードだと思う。 これを修正する首脳陣がほしい 80年代の巨人は優勝逃すと原のせいにされてたがはっきりいって今冷静に見ると
84年からは松本の衰えで1番打者と87年以外は山倉が原因。
野村さんも山倉を高校時代に後継者にと口説いたそうだが野村さんって見る目ないだろう
長嶋2次も山倉もバッテリーコーチなんかすりゃそりゃ弱いよ >>867
野村さんなら山倉・村田をどう教育したかなと思って・・・・。 あるいは使えないから
別の捕手の補強要請するのかなとか ノムシン必死だなと言われても
対戦したこともないしオールスター等で
球を受けたこともない投手がどうこう言ってもふーんで終わるだろ >>855
西本が苦労して育てた阪急のとどめを刺したのがノム&ブレイザー。
「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」だね
鶴岡南海や野村南海よりも圧倒的に阪急の方が戦力上だった。
何故巨人に日シリで負けたのか? >>869
キャッチングの巧拙なんかベンチから見れば普通にわかるからw
プロの目を何だと思ってんの? ノムさんは全盛期でも遠投70m程度でおそらく稲村亜美ちゃんより弱肩
えもやんいわくキャッチングも下手
当時のパ・リーグはほぼ無観客試合で中継もなかったからノムさんの本当の実力は殆ど知られてないという
ただノムさんはチームナンバーワンの怪力だったな
自分も他の強打者も怪力男ばかりなのに打者に力はいらないだのでたらめ言ってたのはなぜなんだろ 江本は野村のキャッチングは上手かったって言ってるぞ
逆に若菜が下手だったと >>863
ヤクルトの全盛期に何かの番組で、
板東が野村とサッチーをゲストに迎えて、
太鼓持ちしてた記憶がある。
でもひたすらヨイショしてたのは監督としての采配で、
現役時代のことなんかじゃなかったけどな 江本や門田すら晩年の野村しかしらないというw
当時は選手寿命短いから今なら40くらいのロートルの野村を見ていたわけだ >>871
そのベンチからさえろくに見てないだろ
対戦なんてほとんど無かったんだから >>872
>>873
うまかったのか下手やったのかどっちやねんw >>876
アホかお前?
板東はオープン戦で打席に立ってたんだろ?
目の前でキャッチング見てんじゃん ずっと対戦していた張本あたりが言うならともかく坂東は投手なんだしオープン戦でもあれこれ語れるほど打席で遭遇してないだろ
どうせならずっと対戦していた張本当たりの批評を持ってくれば良いのにほとんどつながりのない坂東持ってきて無理やりにけなすアンチとどっちがカルトなんだか 江本の野村はキャッチング良かった発言は
https://youtu.be/cQeN7dTJRxI
この4:52頃だな
というか江本は監督野村は酷評する傾向があるけど、選手としては基本的に称賛しかしてないよな
長嶋・王・張本に比肩する存在で当時のスーパースターだと 板東なんてプロ選手としては二流だからなあ
そら南海のエースで100勝以上上げて何よりノムに受けてもらった江本の言うことの方が信頼性がある
江本はノムに盲従しないしアカンもんはアカンとちゃんと言う男だし 晩年の肩を揶揄する声はあるが
概ねパ出身者は野村は守備も一流という見解じゃないかな。
野村の事嫌いそうな豊田でも野村は守備も良かったと言っていた。 昭和50年くらいからの晩年だけの印象だけど
ノムさんはパスボールが多かったわ
あまりキャッチングが良かった印象がない >>883
江本なんて言うことコロコロ変わるし全く信憑性なし! 有田あたりは野村監督の元で捕手やったら揉めそうだ。 有田の強気リード好きだけど OB戦でも
福岡OBと大阪OBは温度差感じられるなぁ。
面識接点ないんやろな南海とダイエーsbは。
デーブのYouTubeチャンネルで
江本はそんな感じに言うてたな。 カズ山本は大阪OBと福岡OBとを繋げてくれると思ったんだがなぁ >>848
シャブ中が入念な事前治療無しにいきなりシャブ(サイン盗み)止めたら
そりゃ禁断症状で七転八倒するわな。2010年の楽天もそうだったが
>>889
大阪時代からの生え抜きで優勝までずっと居たのはあの中だと湯上谷くらいだからなぁ… 江本もソフバンから阪神OBだと思われて最初招待されてなかったと言う
OB戦で漏れてた南海戦士はたくさんいたんじゃないか いうて南海戦士もそのまま福岡を活動拠点に移してる連中も多いし
やっぱ読売の主砲の王が監督会長になったのが大きいのかなこの疎外感は
当初の予定通り古葉が監督になってたらそんなことはなかったのかな
古葉は元南海戦士で野村の傍流だし鶴岡さんの縁で広島とは交流も深いし >>893
佐々木誠もいなかったしな。声を掛けなかったのか断られたのか。広瀬が来たから旧南海勢も人数が集まってたけど
古い方々は亡くなってたり動けなかったりした人も多かったんだろうが、普通に身体が動く岡本伊三美がいなかったのもな
ヤクルトOB戦の時のように野村が目上を呼ばれるのを嫌がったのか、野村より年長の人は選手歴もあった梶田マネージャーだけだったからな そのわりに堀井とか結構マイナーどころを呼んでるんだよな
そらスカウト勤めてたから南海OBだってはっきりわかるからだけど
例の動画観たけど堀井のホークス入団は親父の完全なコネってわけでもなかったんだな 福岡と大阪の共通点
鶴岡一人、根本陸夫 共に法政出身。
共にホークスの基礎を作ったな。 今のホークスは親会社が資金力あるけど
球団スタッフがライオンズの天下り先で
強なったんやな。 >>895
あのヤクルトOB戦は野村の実質生前葬みたいなもんだから許してやれよ
広岡は散々文句言ってたけどw >>899
広岡
「私には招待状すら来なかった。OB戦の開催の是非がどうこうではなく、筋道が通っていない。
チームが最下位に沈むのも当然だ。私を誰だと思っているんですか?」 >>895
佐々木は鹿児島城西高校の監督就任が決まった直後だったから、
日本学生野球憲章に配慮して参加を見合わせたのかな? >>900
まああんたは西武が生前葬や球団葬やってくれるだろ
野村さんはそう言うことやってくれそうなのはヤクルトしか無かったんだし許してやれよ 余談だけど八重樫が今だから言えるみたいに語っていたが
ヤクルトが日本一の次の年に最下位になったのは
日本一になったら即座に秋季練習を始めてしまった事により
選手がシーズンオフにイベントやサイン会で副収入を稼ぐ機会を奪われたのが原因だそうだ
あれでチームに「広岡監督はもういいや」って空気が蔓延したと 広岡はロッテGM時代にファンサービスを軽視したり、出演した番組でファンを馬鹿にする発言をして
ファンから「死刑だ」と言われる末路だったな。
ストイックに修行して結果さえ残せばいいんだ、余分な事はいらんという考えだったようだが。
ファンの応援や興行・商売という視点が欠如していたとしか思えないな。 >>899
なんでスワローズが「ヤクルト球団50周年」の記念祝典でそんなことをやってやらなきゃいけねえんだ?福岡ホークスが移転30周年記念で田淵祭りをやんのか?
沙知代ファミリーってのはどこへ行っても必ず球団の私物化に走るからな。南海・ヤクルト・阪神・楽天…
>>900
実際筋道が通って無いし、その公私混同の持ち込み企画が大型連敗への道筋を作ったからな
レギュラーシーズンの真っ最中の7月11日という時期に現場が拘束される行事を組むこと自体が愚の骨頂。普通はオープン戦かファン感くらいの時期にやる
紅白戦形式でそれぞれの監督を野村と広岡にして対等の扱いならまだ球団の行事としての体裁が保てたが、目下で人の良い若松ではどうしても遠慮してしまう
わざわざ69年を起算点にした「ヤクルト50周年」という切り方にしたのも、今年の「球団創設70周年」だと金田を呼ばなきゃいけなくなるからな
>>903
広岡は78年オフに勝ち逃げするつもりで辞意を伝え、フロント(松園オーナー・佐藤社長)も「これで最高の状態で武上を監督にできる」と辞任を歓迎してたんだよ
ところがフジサンケイが「優勝監督を辞めさすと体面が悪い」と言って広岡を続投させるよう指示し、それで広岡が「自分の好きにやって良ければ続投する」と一転して残留
それで大型トレードや当初予定に無かった秋季練習が急遽開始され、事情を知らない選手達は「話が違う」と猛反発。79年の内紛→最下位へとつながってく 広岡は指導者としては立派だが慕ってる人を見たことないな
野村も人望ないし毀誉褒貶が激しいけど慕う人はいる >>904
軍人に憧れていた人間だしファンサービスなんて
考えずにストイックに勝利を追い求めるのは
仕方ないだろ >>906
田淵とか工藤とかが広岡を指導者として慕ってるという話は聞いたことある
江夏や東尾とは今でも犬猿の仲なんだろうか? 田淵は今でも誕生日になると広岡に電話している
広岡はあの歳でも30分喋りっぱなしなほど元気だそうだ
念願だった優勝と日本一を経験させてくれた監督だからね
工藤の「野球選手である前に社会人としてきちんとすべきである」という指導や食事管理は
広岡の影響を感じるな >>906
どっちも変わんねえよ。マスコミは猫も杓子も「ノムラチルドレン」にするが、本当に心底から野村に懐いてるのは山崎武司くらいだろ
ただ野村は人望があった60年代以前とまだ完全に壊れる前の70年代前半の貯金があったからな。大沢が「昔は本当にいい奴だったのよ。それがあんな風になっちまいやがって…」と嘆いてたくらいだからなぁ
王や張本が野村個人は見捨ずに付き合ってやってたのも昔の姿を知っていればこそだし そういう意味ではライオンズはクラシック企画で広岡氏をレジェンドとして
扱ったりトークショーに呼んだりしている。
その辺もあるからヤクルトに対しての不満も対比で出てくるのでは?
野村氏は多分サッチー抜きならという。。。人が多いと思う。
だから人とプレイヤーを分けてという見方が多いと思う。
江本氏もその類ではないかと思う。 >>908
東尾は「本当に嫌なオッサンだけど理論は確か。あの人じゃなきゃ勝てなかった」と、認めるところは認めている
>>909
ヤクルトでは若松だな。監督になった時は戦術面では完全に広岡野球をやったし(組織運営は「広岡式は自分には無理」と言って三原に倣った)
「野球選手である前に社会人としてきちんとすべき」は、広岡というよりもむしろ根本の影響だな まあそれでもあの世への旅立ちの良い思い出ができたから良かったじゃないか
本人もあれに満足して旅立つ事ができたし
いくら自分のやった事の報いとはいえあのつまんなそうな南海OB戦が死ぬ前の最後の思い出なんて寂しいだろ >>911
と言うか南海の連中は全員そうでしょ
門田ですら「野球をやるならまたオッサンの下でやりたい」って言うくらいだからな。2013年のイベントでは普通に軽口を叩き合ってたし
>>913
だからなんでそんな事を「スワローズが」自分のとこを犠牲にしてやってやらなきゃいけねえんだよ?
良い冥途の土産が欲しかったんなら沙知代がくたばった後に蔭山と本妻の霊前できちんと謝罪すれば良かっただけの話だ
そうすれば広瀬が取りなしてくれて「ホークスで」きちんとそういう行事ができたし、江本ももっと楽に色々と事が運べただろうよ >>915
沙知代の正当化という最低最悪の穢らわしい目的の為に
「蔭山さんは鶴岡一派に追い込まれて自殺した!蔭山さんの味方は俺だけだった!」とかいう大嘘をついて利用したのに関係無ぇ訳がねえだろ >>883
https://www.youtube.com/watch?v=EUnRATX4D5M&t=556s
坂東がノムの悪口を電波を通じて言っている。
それを高木守がちゃんと否定している。まともやね。
これ聞きゃ、坂東が盛りまくりなのが分かるよ。 江本のプロジェクトも狂信的アンチからの苦情の手紙やら電話殺到で結局失敗する予感
南海に謝罪もなしに地獄に行った野村の遺品をなぜ展示するんだ〜って >>907
またお前か・・
広岡なんかこのスレに関係ねえんだよ
自演スレに帰れ >>916
ヤクルト球団も利益のために野村を呼んだだけだ。
そうカッカすんな サッチーはノムさんにとって功罪があまりにも大きかったなぁ。
外から見たら罪の部分があまりにも大きすぎた。
そこがノムさんには純粋に見えてない面もあったから多くの人が
彼を分けて見るようにしていたんだろうなぁ。
埋もらせことも出来たわけだがそうさせなかった価値があったんだろう。
そういう人たちへの感謝も家族の人は感じて今回の寄付にもつながったかと。
良い意味で反面教師として良き人物にカツノリ氏とかなり遺せたのは
良かった。継承も出来たわけだから。
その辺にサッチーの後に亡くなったノムさんの運命のアヤを感じる。 前妻の名誉を誰か回復してほしい。
爆報フライデーで実兄と再会場面やってたけど、ひどかった。
さすがに、ノムの発言はカットしてたけど。前妻が悪いとイメージが。
これを地上波でやるTBSの神経が信じられないね。 >>920
>ヤクルト球団も利益のために野村を呼んだだけ
それは仰る通り。だから最初からそう言ってるのよ俺は。衣笠はそのほうが儲かると思っているからね
>>921
沙知代が先に死んだからほとんどトラブルにならなかったのは間違いない
野村は早くから地元の網野に賞状やトロフィーなどを寄贈していたが、記念館設置の話はまるで無く
2015年頃に二宮清純やマスコミを使って「寄贈したトロフィーが片隅の不用スペースに積まれてる!けしからん!」等々と煽ったが地元側は黙殺
ところが2017年12月に沙知代が死ぬと、待ってましたとばかりに2018年3月に網野に記念館を開設した
地元の旧知の人達は不倫以前の野村家の実態を直接知っていたからこそこういう対応をしたわけで、死ぬ順番が逆だったらこれも出来なかっただろうな
>>922
93年夏頃にTVの場で「野村沙知代」を最初に称揚してお茶の間に紹介したのはTBSだったからね。沙知代とはズブズブの関係
(野村との不倫開始前に女性実業家「伊東芳枝」としてどこかのTVに出たことはあったようだが) >>916
(野村自身に罪は無いとは言え)野村も「南海を去って鶴岡親分の下に馳せ参じる積もりじゃ?」と蔭山に不信感を持たれた側なのによく言うわとは思う。
その頃までの野村は鶴岡親分の一番の忠犬と観られていたし、野村自身そう振る舞っていた事は野村本でもその事をうっすら滲ませた表現となっているわな。
野村本では鶴岡親分の例の暴言で関係が完全に壊れたとなっているが。 南海ホークスにとってはオールスター前史上最速ペースで勝ち進みながら、オールスター後失速→日本シリーズでも完敗という1965年が分岐点だったという感じ。
盛者必衰の理とか言われるけど、南海ホークスにとっては1965年が正にその年だったと。 既出だけどスポニチも東京は野村夫妻寄りで、大阪は反野村だったな。
逝去時の対応でもそれはわかる。これは毎日新聞の旧東日・旧大毎の差にも通じるが。
かつてスポニチの中の人だった有本義明は功績を評価しつつ、人徳面で批判していた。
有本は南海の後身のダイエーで二軍監督をしていたが、これは根本人脈かな? >>929
昭和40年代当時、女性実業家つうのが極めて珍しかったのと、パンパン上がりとも噂される素性から大物に取り入るのが実に上手かった様な話は聞いているけど。
で、それまで接してきた大物と同様の手法で野村に取り入ったら、野村なんて所詮は典型的な野球バカだから完全に陥落してしまったって感じ。 >>917
野村の悪口でも言えばみんな喜ぶとでも思ってるんだろうな、、相手見て言わないと。。 >>917
それ、キャッチングの話でも何でもないじゃん。
話をすり替えるなよw 広岡とか森は巨人出身で黙ってても観客は来るような環境で試合してたのも
ある。 パリーグでの野村とはその辺に意識の差があるんだろうな。
広岡とか森ってあまり審判も批判しない。 野村とか星野はすぐ巨人贔屓だとかいうし 野村は手首が強いからミットが流れない
晩年は腰を痛めてかがめないから低目が取れなくなった >>937
腰が駄目になってたのにワンバウンドしそうな低めボール球を要求してたわけだ。 >>931
CBC板東サンデーで言いたい放題なんだが、
高木守が非常にまともで、良い感じだ。
辛らつだが、悪口言わないし、10・8で勝たせたかったな。 ジョイナスは何であそこで普段通りの野球に拘ったのか
読売が三本柱を注ぎ込んで来るならこちらも負けムードとはいえ
山本昌や郭投入で対抗すれば士気はおのずと揚がった
あの試合は中日を応援してたが松井のホームランでこりゃもうだめだと諦めたわ >>941
もともと、巨人が独走していたのにこけて、10・8になった。
頑固なんで、アドリブが聞かなかった。選手がみなガチガチだったのも痛い。
結局、セゲオの自作自演なんだけどね。俯瞰すると。 山本は投げる気満々だったが、郭は郭自身が登板拒否をしていた 今中と心中は既定路線。
ただ、変わり者でクールな今中は、打ち取った打球がヒットになったのが
頭にきて、試合のことは覚えてないらしい。
早めに後退してれば勝機はあったかも。とにかく高木守は頑固。
選手たちは星野が就任するなら高木さんの方が・・・で頑張ったらしいが >>930
沙知代は存在自体が清張のゼロの焦点をオーバー気味に現実化したようなもんだからな >>873
下手なのは田淵だよ。
それに比べたら野村がまし程度の話だろ。
若菜は江本と不仲だからバイアスかかってる。 ピーコが通算500本塁打以上で守備も良いのはワシだけだと言ってたな
ノムさんの守備を評価してないようだな >>947
王も「一塁守備も一流だ」と言われていたけどな
川上、江藤、榎本喜八
この辺は酷かったって話 >>948
川上と広岡の不仲は
なんであの送球取れないんだよ!って広岡が愚痴ったのを川上が聞いたところから始まったというのは本当だろうか? >>950
それ本当らしい
広岡が「プロなんだからあの位の球は捕って下さいよ!」と怒ったのが切っ掛けだったとか 南村不可止にもイジメられてノイローゼ気味になってるし 若い頃は南村からのイジメをよく書いていたが
晩年は川上千葉によるイビりばかりで南村のことは全く語ってなかった >>949
守備上手いなら何で1972年〜1977年までに一度もゴールデングラブ賞に選ばれてないんだ? 川上と広岡の不和の端緒は正確には広岡はルーキー時代クソ生意気で川上を勝手に自分の兄貴分と思い込んで
遠征先の旅館で一心不乱に素振りに打ち込んでる川上を茶化すような言動を取ったから
川上も人間性云々よく言われるが自分の味方になる者には情が篤かった
あれは川上がキレて当然だよ
それで広岡の送球は本当にちょっとでも逸れただけで捕らなくなった >>951
もういいわ
同じ話も何回何回もウゼエんだよ 田淵やなくて
野村が福岡ダイエーホークス監督就任してたら
福岡人受けいられるかな?
福岡人=ライオンズ稲尾、中西、豊田。
宿敵のホークス杉浦、野村嫌やろな
福岡人からしたら。 >>926
だから野村は蔭山の訃報を聞くと自責の念から自身の移籍に向けた動きを即御破算にして
球団関係者やマスコミの居並ぶ前で「親分が辞めるならワシも辞めや!」と公言し
茫然自失状態の鶴岡を杉山光平と共に説得して事態を収拾させた
ちなみに「例の暴言」とやらの初出は、南海を追放された直後に文春に出した「手記」で
後のバージョン(メディア等で現在一般的に言われてるやつ)とはかなり感じが違う >>960
ノムの発言というのは、もはや、ネタ化していて
マスコミ用の発言。盛らないとマスコミが振り向いてくれないのは「月見草」発言でもわかる。
結局、パリーグで全国的なマスコミが扱ってくれたのは、西鉄の3連覇の時の
稲尾、中西、4連投4連勝の杉浦くらいしかなく、榎本、南海広瀬などパで過ごした人はほとんど無視されていた。
阪急山田、福本も巨人を倒してからだし、同じ阪急の長池は最後まで地味だった。
ハリー、山内、豊田、大杉、江藤などはセに移籍してやっと世間に知られる感じ。 >>961
江藤は元々中日で10年以上いましたがw ある一定以上の年配の年代の一部の方以外は
南海が(当時)ダイエーに身売りされて福岡に移転と報道が出た時は
意外と好意的だった自分らの世代から下は感じてました。
前身球団うんぬんより地元にまたプロ球団が出来るという喜びの方が大きかった。
お互いの良いところを残して、生かして新たなスタートを切っていければという
当時の淡い期待だった。
そんなに現実は甘くはなかったがおらが町の球団という意識は年々強くなって
いった。そういう意味ではホークスという球団という意味では良かったのではと思う。愛称もしっかり継続しているわけですし。 >>961
榎本は近年になってから奇人エピソードがあちこちで紹介されて俄に有名になったな 昔は球場インフラとか食事なんかはセリーグのほうが圧倒的に良かったが年俸は
逆指名FA時から合併騒動があった04年くらいまでが一番差があった気がする
むしろ当時は野手と投手の年俸差がセとかパとか関係なくあった気がする。
野村は5000万円・長池でも3000万いくかいかないか。 それに比べてセでも
エース級の堀内とか平松は2000万円行くか行かないか。
新浦が79年の全盛でも2000万行ってない 江夏は75年に阪神での年俸が1900万円で南海ではほとんど上がらずに広島来て
79年オフから上がり始めたそうだ。 日本ハムの時に6000万とか行ったのは
相当すごかったんだろうな >>965
長池は最高が2000万前後
あれだけの実績の割に安かった
75年初の日本一になる迄の阪急の年俸はシブチンだったのと翌年からレギュラー外れて代打メインになって引退前には1000万位に落ちていた
同世代の大杉や土井に比べて選手時代の総額年俸は一番少なかったかと
複数球団から招聘されていた
コーチ時代の方が稼いでいたかもw 江夏は選手時代の愛着は阪神時代が一番あると語るが
そこで打ち立てた奪三振記録やオールスタ連続三振自分で決めたノーヒッターはあんま思い入れはないらしい
若さと勢いだけに任せただけの記録ということで
自分のキャリアの最高はリリーフ時代にあるとは常々言っている
面白かったしやり甲斐もあったんだろうな
給料もそれに見合う分上がったし 王さんが引退した直後
1位山本浩二 2位江夏だっけ?? 金銭というか生涯収入的に一番割食ったのはたぶん堀内
ドラフト一期生で契約金安く抑えられ、ONが銭闘しないせいで年俸も抑えられ
ONがいなくなったと思ったら自身のキャリアが最晩年 >>967
長池は永久欠番の話もなくなるし…
契約金もドラフトのせいで大幅ダウン
鶴岡さんが高校からずっと目をかけてたんだけどね。 >>971
長池は西本門下生の一番弟子的存在だったのも災いしたかも
西本御大は球団オーナー以外の幹部からは疎まれていたが後任監督の上田は
逆に球団首脳とツーカーで特に長池を疎んじていたからな 長池は故障の影響か上田政権1年目から徐々に成績が落ち始めた。
DHを任されたがこれも本人には向かなくて不本意な成績のうちに高井(反西本派)にレギュラーを奪われる 何で南海ビジターユニにOSAKAの文字ないんや?
何度も優勝して御堂筋パレードするなど
大阪いや関西を代表するの
球団やから堂々やればええのに。
隣県の縦縞2流球団なんか、
優勝もロクに出来ないくせにOSAKA名乗る始末。
(1リーグは4度優勝してるが)
西鉄ビジターみたいにFUKUOKAを
見習えって
南海ビジターもOSAKAに。 >>971
長池本人の話だと、福岡移転の際に自分が監督に就任する予定だったが
話が流れて杉浦続投になったと言ってたな 南海の売却条件の三箇条の1つは杉浦続投だったからな
それじゃあ杉浦の後釜に長池って話もなかったな
そもそも田淵はどういう接点から話がわいてきたんだ >>968
いや、江夏は 例の21球以降は野球がしんどくなったと言ってたぞ。
それまでは好き勝手というかやりたいようにやってたが、
21球を半年後にナンバーに持ち上げられて以降は、
求められるものが大きくなってしんどくなったと。 >>976
田淵は坂井保之だな。90年からの西武化計画の端緒 >>978
客寄せパンダだよね。
コーチ黒田と喧嘩しちゃうんだが…
まあ田淵が監督になった瞬間、終わった感じがした。
ジュニアが色々口出ししてたし、第2の広島かと思ったよ。 >>976
そりゃ福岡で絶大な人気あったからに決まってんだろ
大田だって同じく >>891
山本はただの野球好きの人って感じで
そういう政治的なことできないだろう。
野球選手なんてただの野球好きの集まりでみんなで
野球しようぜ〜〜って連中じゃないだろうし。 そこまで大袈裟な話じゃなくて
あの場でダイエー以降のメンバーと旧南海勢が交ざって話せるように
間に入って取り持ってくれって程度の事でしょ
とは言え山本和も最初と最後は近鉄だしな。穴吹も亡くなってるし >>977
21球の前夜も、勝手に雨で中止と思い込んで徹夜麻雀して登板しているからな。
いきなり満塁になったのもエンジンかかる前だったからかも >>981
穴吹がダイエーホークスの編成部長、2年でいなくなったし。
広瀬は球団で出世とかそういう人じゃない。
しいていうなら、世渡り上手な岡本や九州出身の森下なんだろうけど。
まあダイエー自体、ホークスの人脈を利用しようとは思ってなかったけど。 穴吹が真っ先にやったのは選手の給料を上げること
これは正しいんだよね
やっぱり待遇が悪い球団には来たがらない
南海時代の経験だろうな
https://www.sankei.com/west/news/180804/wst1808040014-n1.html
12球団別の主力選手の年俸が表にまとめられ、壁一面にでかでかと張り出されている。
しかも、1億円以上はピンク、9千万円台は緑…と色分けされ、
その球団の選手の年俸が高いか低いか、ひと目で分かるようになっていた。
「本社の上層部に、ホークスの年俸がどれだけ低いかを知ってもらうために作ったんや。
給料が安い会社に、誰も就職しとうないやろ。今のままでは、誰もウチにきたがらん。
選手を獲得する前に、入団したくなる球団にならなあかんのや」 >>983
こいつまさか9回から登板したと思ってんのか? >>983
アレ1998年の佐々木大魔神の時も似た事あったけど、後1イニングでようやく日本一に辿り着く!ってんで固くなったんだろなと。
無死満塁までの江夏は7,8回の投球からは考えられない程の棒球だったし。
衣笠の檄でようやく自分を取り戻したって感じ。
ちなみに佐々木の場合は9回頭からだったけど、こちらも全くの棒球であっさりと1点献上したよな。
8回の駒田のタイムリーで2点差となっていたから、どうって事無かったけど、1点差のままだったら
同様のドラマになっていたかもしれん。 >>988
えっ、3勝2敗だったろ。しかも表。
全然、緊張感が違うと思うが・・・ 江夏は例の21球は7回途中から登板してるよ
8回の投球も動画に残ってる
あのマニエルを外国人パワーヒッターを仕留めるのはこれしかないような理想的な配球で三振に料理している
これが徹夜明けのピッチングとしたら江夏は化け物としか言いようがない 江夏は80年の7戦の動画みたことあるがその時のほうが球は速いね144キロ
くらい出てた。 全盛期は150キロ出てただろうね 抑えに転向してからの江夏の真っ直ぐはせいぜい140ぐらいだよ
リリーフ時代の江夏の持ち味はほとんどコントロール
あそこまでコーナーを丁寧に投げ分けられたら強打者も簡単に打てない
NPB至上最高の技巧派投手は江夏と東尾が双璧だろう >>983
7回から投げててエンジンがかかる前?
日本語で書いて下さいお願いします >>933
徹夜明けだからそのぐらいかかるわアホ
何が言いたくて絡んでるのかイミフ >>984
89年オフに田淵就任が決まってから露骨に西武人脈にシフトしたしな
それでも根本が来る前はまだ南海勢も相当数フロントに居たが 江夏は羽田に打たれたのはしゃあない。高校の時から相性悪かったし。
代走の藤瀬は、今でいえば周東並み。1死3塁はほぼ確定だった。
西本の手塩をかけた選手で負けたんだから仕方ないだろう。
今まで、勝負弱かった江夏が伝説になってしまった。
逆に近鉄は、翌年も負けるし、10.18敗北、巨人には3連勝から4連敗。
この年がターニングポイントだね、結果論だが。 >>989
勿論緊張感で言えば全く違うんだけど、あの年防御率0点台の佐々木が、いとも簡単に打たれていたのを観て、あの佐々木でもようやくの日本一となると緊張するんだな、
あの時の江夏なんてこんなもんじゃ無かったんだろうなあ・・・・と思った次第。 >994
塁は埋めたので
エンジンかからず満塁になったって状況じゃないけどね。
あたふたしてたのは水沼。 >>989
ごめん。ディスったつもりはなく。
俺はジジイでTV中継をリアルタイムで見ていたので、
これで広島は負けたな=日本一は近鉄と思っただけなんよ。
鶴岡さんや広瀬、国貞が応援してる広島が大阪球場で負けるんやなと。 このスレッドは1000を超えました。
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