南海ホークス23
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
南海ホークス22
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1591419571/ 本当の意味でのテスト生上がり(高校時代まったく無名で、球団も入団時さして期待していない状態)でスターになったのって、野村と岡本くらいかな。
広瀬は形式的にテスト受けただけで初年度から目をかけられてて野村の初年度の倍は月給貰ってたらしいし、
皆川も立教進学断念かつ複数球団のスカウトを断っての南海入りだし、入団時からそれなりに期待されてた感じだし。 皆川さんって立教に入っていた可能性あったのか
知らなかったな テスト生、毎年600人くらい受けに来てたんでしょ。
その中で、何らかの縁故を持ったものも多かったはず。
野村だって、薄いながらもコネあったわけだし。
鶴岡さんの情報網も凄いが、地方行ったら実際、選手見に行ってたんだから、
その辺の行動力も凄いね。 >>8
掛布はドラフトで指名されてるからテスト生から入団とは言えない。
テストされたのは事実だが。 >>11
薄いにしろ、入団できる人は全員何かしらコネやらスカウトの事前視察はあると思うよ。それまで一切情報なしで、テスト当日のパフォーマンスだけで判断することは流石に無いと思う。
ドラフトない時代だし、誰でも入団前にパフォーマンス確認くらいはあるだろうから、テスト生の区別を厳密にするのは難しいね。
ただ、以下の3パターンには分けられそう。
@既に有名選手パターン
A有名では無いが、鶴岡等に伸びしろ認められての入団パターン
B有名ではないし、鶴岡等に才能の片鱗は認められてるとはいえ、常にクビと隣り合わせパターン
@は杉浦とか穴吹、Aは広瀬とか皆川、Bが野村や岡本やね。
大沢は例外だねw 巨人川上が親分みたいな人望やスカウティングをやってたのは聞いたことはないな。
三原は引き抜き含め色んな事やってたし、根本も親分が舌を巻くくらいの事やってたのは聞くけど。 >>14
何もしなくても人材がどんどんやってくるからな 昔の雑誌の見出しを見れば分かるが、週刊朝日・文春・新潮・現代・週プレ・GOROなどメジャーな雑誌からエロ本に至るまで
季節や順位を問わずに記事が巨人・巨人・巨人の連発でネタが無い時ですら無理やり記事にしてた。
あれは今考えれば洗脳みたいなもんだが、あんな事をされてたからパリーグはマイナーなままだったんだな パリーグに関西の電鉄系が3社固まったのも良くないね。
阪神は、なんもせんでも、巨人に引き上げられたからね。2位でいいんだもん。
こっち(南海)は激戦だし、ペナントでやっと優勝し、日シリで巨人に負ける。
苦労の連続だった。一応、巨人と阪神には1回ずつ勝ったんだけど…。 鶴岡だって本音はそりゃスカウト活動やりたくないだろw
でも予算限られてる中でいい選手獲るためにはそれしかなかった。
お金かけても長嶋みたいに逃げられたら元も子もない。 その鶴岡から多大な影響を受けた割にノムはスカウト活動に熱心じゃなかったな
ノムが目をつけてドラフトに推薦したのは稲葉だけだし >>17
関西と言えば、松竹も本拠地を置いていたね。
ただし、スポンサーなのか、経営に携わっていたのか詳しい事は分からないけれど。 >>20
ドラフト2位で指名した山倉もじゃね
「俺の後継者になってくれ」と誘ったらしいし >>20
鶴岡のスカウト活動は西京極に野村っていうよく分からんけど良さそうな選手を見に行く、ってレベルやぞ。
現代野球、いや70年代でも現役監督がそんなミクロな活動なんてできるわけないで。
鶴岡がヤバすぎただけ。 >>17
関西は私鉄が4社(南海、阪急、近鉄、阪神)も参入していたのに、関東は西武が参入するまで
私鉄の球団がなかったのはなぜだろうね?
昔は東急が参入していたが、早くに撤退してしまった。
東武あたりが参入して、新藤原スタジアムとか鬼怒川温泉ドームとか作っていれば、北関東も活気が
出ていたのに残念だ >>24
東急忘れたらあかんで。
あと関東と比較して関西は相対的に私鉄が強く、
かつ関東以上に競争関係にあることも要因と思う。 >>24
西武ドーム以上の僻地にそんなん作って誰が見に行くんだよ >>22
巨人ファンから見て山倉ってそんな逸材の捕手なのか疑問なんだけど。
中尾のほうが遥かに上。 山倉のインサイドワークなんてひどいもんだぞ >>27
1986年にバースがインタビューで
「日本の捕手はレベルが低いけど巨人には山倉がいるから良い
山倉は良い捕手だよ」と言っていた
そこらへんは素人じゃ分からんな
山倉と言うと「困った時にはアウトロー」と言われたリードだったけどね 「君があの山倉君?最近噂の・・・あの顔よし!肩よし!頭よし!と言われるあの山倉君?」
「ま、まあそれほどでもないすけど(ほんとはそれほどでもあるんだけど特に顔は)その山倉っす」 >>19 地方の縁故者から売り込み(広瀬)、元南海のOBからの情報(稲尾)、自前のスカウト網(皆川)
など、南海が強かったからかもしれんが、鶴岡さんの貪欲さはすごいね。
山本浩、長池、高田は進路相談で大学行けだし。 >>28
それ本当に言ったの??
山倉が信頼されてるなら定岡や西本という功労者出してまで有田や中尾取らない
よ。 槙原斎藤は山倉では開花しなかった
親族はアンチ巨人ばかりだが有田と中尾が来て山倉の出番が少なくなれば
巨人は強くなると言ってたし山倉のリードを受け継いだ村田とか阿部が
捕手で巨人投手陣は弱体化 ナマクラはコリジョンある今ならもっと活躍できただろうな
中日の中尾も同じ >>30
「ナガシマのバカヤロウッ」
「なにをーっ このやろうっ」 筒井敬三ってキャリアハイの1949年に.274 3本 66点なんだな。
意外と打ってる。守備は知らんけど。野村で麻痺ってるけど、当時基準だと相当打撃良い捕手じゃね。 南海あった時代にスカパーとかSNSが発展してたら全然違ったかも。 松竹はあまり野球に熱心ではなかったと小西トクロウの本にはあるな
田村駒とかいまだに船場にあるので驚く
立命の衣笠に球場があったとか
ところで京阪は鉄道以外の事業はあまり目もくれずだった
阪急京都線・千里線・阪和線や和歌山にあった「市電」ももとは京阪らしい >>37
数年前田村駒社員と合コンしたとき、ロビンスの話し振りたかったけど、
ドン引き確実だから喉まで出かかってやめた記憶w >>20
あんまり触りたくないけど、
南海スレでこの話題なら稲葉の前に新井じゃないの。 大阪球場って難波の駅から道路を挟んですぐのところにあったみたいだね。
東京で言えば、新宿駅から降りて新宿通りを渡ったら球場みたいなロケーション。
このロケーションで集客できなかったというのはかなり問題でしょ。 南海がもっと早くに球団手放してたら、
買い手あったん?
松下電器が球団もってた可能性もあったんかな?
記事で見たで。
大阪パナソニックホークスとか?
ガンバとホークスコラボしてたかもなぁ。
ダイエーも神戸と大阪発祥やねんから、
大阪ダイエーホークスとかもありやけど、
球場がな 仮に大阪ダイエーホークスなってたら、
監督も杉浦の次、誰になってたんやろな。
多分南海ob人事かな? >>40
大阪球場は難波のど真ん中って言うほどの立地ではなく動線から微妙に離れた位置にあった
しかも南海電車以外の路線からも微妙に遠い
難波の繁華街で遊んでいる人がわざわざ足を運ぶほどでもない距離感
だから南海は今でも動線から外れたなんばパークスやヤマダ電機に足を運んでもらうのに結構苦労している あんなナンバど真ん中でガラガラなのに、次も大阪で、とは普通の経営感覚ならあり得ないと思うな。
仮に大阪に止まってたら不人気継続で今頃パリーグ自体無いかもなw >>24
鉄道本に小田急も球団経営を検討していた・・・と書いてあった。
本拠地には触れていなかったけれど。 >>44
頭が進歩しない会社なのがその説明だけでもよう分かった まあ南海が開発を手掛けると新宿でもぺんぺん草を生やさせそうだからな >>36
今みたいに球場はお客さんがいっぱいだけど
そこらへん歩いてる人の大半は野村も門田も江本も
知らない、王長嶋は知ってる。(かろうじて野球という
sの人聞いたことあるようなないような・・・
って時代になってたかもな。 仮に大阪ダイエーホークスになってたら
大阪ダイエードームをそれこそ作ってたろうな >>24
東武が球団持ってたら大宮公園がフランチャイズになるのか?
だとしたらいろんな方面で現実の野球史のみならずJリーグにも影響が及びそうだな 鶴岡いなかったら、60年代までには南海身売りしてるやろな。 >>50
京セラドームが史実よりも数年早く完成してたかも 開閉式ドームが天王寺公園に出来てたらな
ハルカスとの絵面も最高だったろう 阿倍野天王寺は近鉄の息のかかったエリアなのに元南海チームの本拠地などを作らせるわけがない なんだかんだで一番悪いのは、あんな中途半端な場所にドーム建てた大阪市 >>25
東急は駒沢を本拠地にしたのが不運だった。
今でも存続していたら、横浜みなとみらいにスタジアムを
建設してほしかった。 >>54
西武新宿の西側だったら超高立地じゃん。
西武ドームや千葉マリンなんかよりよっぽど。
東京ドームと肩並べるレベル。
大阪球場があの立地で集客できなかったのは南海の怠慢と言いたいところだが、
当時のパ・リーグ事情考えると一概に球団を責めるのは無理がある。 南海は昔は天王寺もテリトリーだった
かつて平野線や天王寺支線があり現在も子会社阪堺のターミナルがある
今でも南海の経営する立ち食いそば屋やサンマルクカフェが天王寺にあるのはその名残
ミオも土地の所有権を南海が持ってて最初はてんのうじCITYという名称になる予定だった 86年に清原目当てでTBSの野球中継見てたら
相手のグリーンのユニフォームに魅了されてファンに
なった者ですがこのスレにいていいですか?
ちなみに清原が初ホームラン打った日であのホームランは
放送中には間に合わなかった記憶が・・
あの日はホークスの勝ちでしたがホームランに全部持ってかれましたね 近鉄と南海が統合したままで、
近畿日本ホークスか近鉄ホークスやな。
そっちの方が良かったんちゃう?
近鉄パールス何か最初からヤル気ないし。
球場は藤井寺と中百舌鳥やと思うけど。
南河内も泉州雰囲気的には変わらんと思うし。 親分と南海の選手とダイエーかソフトバンク入れ替わったらえげつない強さ発揮するやろな。
親分でも何度か日本シリーズで巨人倒せそう。
恵まれてすぎ今のホークスは。
金銭面ではパの巨人やん。 >>66
どうも!
あの頃プロ野球チップスを買いまくってたけど
南海の選手は門田と香川しか当たらなかった
その2人しか作ってないんじゃないかってくらいw
大人になって見返したら香川のバッティングフォームの
美しさにハッとしましたね。
これ見せられたらそりゃ期待も大きかっただろうなあって思った >>59
当時の中目黒とか軍払い下げ跡地とかありそうなのにね。
中目に球場あったらアクセス全く違うし東京の野球シーンも変わっただろうな。 >>59
1970年代の駒沢周辺はどんな雰囲気だったのかな。
あの当時すでにたまプラーザとか青葉台辺りが開発されて東急の利用者が増えていれば、
駒沢を本拠地とする東映も集客面ではかなりプラスになったはず。
ただ、駒沢とか隣接する都立大学、深沢あたりは道路が狭いので、
車の便が悪いのは大型バスを使いづらいので集客のハンデになるか。 >>37
京阪は大正期にセンバツ優勝チームvs選手権優勝チームの決戦を実現させたりと野球にも熱心だったけど、新京阪の累積債務を抱えたまま、
阪急に持っていかれたのが相当な痛手で、以来本業以外には見向きもしない堅実第一の企業体質になったと聞く。
又、新京阪の件からか、長らく阪神との提携を模索する向きもあったらしくて、その辺もプロ野球進出に消極的だった理由かと。 水島新司の漫画での東京メッツの本拠地は国分寺球場という架空の球場だったね
確かに東京の西側ってなぜか球場がない >>68
長嶋入団で野村とのNN砲形成は確実だったろうし、王が巨人入り→史実通りの大打者になったとしても巨人の苦戦は免れなかったろうな。
これに晩年近くになって門田も加わるんだからなあw
ま、そうなると長嶋がホークス球団会長、王が巨人終身名誉監督なんて事になるかもだが。 星野リゾートのところか、スパワールドとかのあたりに
球場を作るという話はあったね
ところで天王寺ミオは今も南海が株持っているのかね
天王寺西側のキューズは東急でそのまえはそごうが狙っていたり
決して近鉄だけの牙城ではなかった
ハルカスできる前までは上六が本社だったはず 南海のミオ株はパークスに資本集中するために全部JR西日本に売却したはず
天王寺支線の廃線跡の土地はまだ南海が保有しているな
最近までは線路も撤去されずそのまま放置され枕木がタバコのポイ捨てで燃えぼや騒ぎになったなんてこともあった >>51
元大宮市長の執筆した本の記事によると、大宮操車場跡地にスタジアムを
建設してライオンズを誘致しようとしたものの、西武鉄道や所沢市から
反対されて、計画が頓挫したエピソードが紹介されていた。 南海電鉄はMBSの大株主だったが財政難などがあったのか大半は売却された模様 西武ファンだがその話は聞いたことがある
埼玉コロシアムという名称を予定していたらしい
現実になっていたら…とは思う そりゃ自前のスタジアム持ってる所が使用料払う所に移転するわけねえわなw
逆ならまだしも
それで近鉄消滅したし当たり前の選択と言える 西武ドームは西武の施設だからそこから離れるってのはよろしくないんだろうな
借用だったら未練はないだろうけど 西武鉄道はすごいわ、黒い霧で地に落ちたライオンズを引き取って、
かつあんな僻地の球場で、現在まで固定ファン有するそこそこの人気球団にしてるし。
大阪球場が難波の中心とはいいきれないと言う意見もあるけど、西武球場と比べたら雲泥の差は言うまでもないw
あれ見ると、南海もやりようあったと思えちゃうよなあ。 西武からしたら自社の線路通ってない大宮に移転なんてデメリットしかないわな >>86
西武鉄道と云うより
鶴の一声で西武グループ内の全てを動かせた
コクドの総帥にして絶対君主の
堤義明の力だな
腹心の戸田球団社長と
根本に現場の全てを任せて
それ以外の連中には一切口を挟ませなかったのが堤の凄さ
それに逆らって現場の実権を得ようとした広岡は根本に斬られた >>61
ダイエーが球団買収に成功したら、神戸に本拠地を置くような
ウワサはあったみたいだね。
楽天も新規参入が実現したら、神戸を本拠地とするような話しは
あったけれど。 純粋に疑問なんだが、なんで大阪球場ってあんなに好立地なのに閑古鳥が鳴いてたの?
弱い南海、不人気パ、阪神人気と理由は複数あるだろうけど、それにしてもあの大阪であそこまで人気が低迷する理由がわからんわ
大阪は野球のメッカの一つでしょ 当時はパリーグ全体が閑古鳥が鳴くような状態だったとか、
マスコミはタイガース報道に集中していたとか色々理由はあるだろうが、
南海自体も沿線のファンを集める施策や難波周辺の勤め人を集客する施策を
あまりやってこなかったのかもね。
球場が難波の中心から離れているといっても、せいぜい
新宿駅東口から職安通りへ行くのと大して差がないように見える。 新宿駅東口から職安通りに行くと言われると、結構距離があるように感じるな
途中あまり積極的にお近づきになりたくないエリア通るせいもあるけど >>88
いや、広岡wとか堤とかそういうのは話の本質でなくて、結果として黒い霧から立ち直らせたこと、
あの立地で集客できてることが南海と比較してすごいってのを言いたかったのよ。 >>92
でも西武ドームや千葉マリンとは比較にならない立地の良さだけどね。 >>93
広岡の件は蛇足だったが
だからこそあの立地条件を生かす事を出来なかった南海の経営陣がボンクラで西武グループ=コクドを鶴の一声で動かす事の出来た堤義明が凄かったと言っているんだがw >>95
オーナー企業との違いとはいえ、やりようはあったんだわな。
南海は、特に80年代は惰性で運営してたとしか思えん >>94
立地の良さには周辺の環境という要素も関わってくるからね
それを考慮すると職安通りのあたりはアクセスはともかく、あまり立地に恵まれてるとは言い難い
で、本題に戻るけど、80年代の大阪球場周辺って、環境的にはどうだったんだろ?
あまりいいイメージがないのは確かだけど まぁ会社そのものに商売っ気無いからね
関西なのにさ 阪急が76年77年と巨人に二連勝しても全然人気があがらないのを見ればやる気も出なくなる
「パに発展の余地があるんじゃないか」って変わってきたのは
西武が参入して金をかけて強くなってからだろうね >>97
大阪球場のスコアボードのあたりに場外発売場があって
球場ではなくそれ目当てのオヤジで人がごった返していた
当然それ相当の人の群れなので近寄り難い雰囲気があったのは確か
80年代くらいまでの南海は阪急などと比べるとイメージ戦略が下手で
沿線のイメージも関西では多分最下位
洗練さとは無縁な会社だった >>96
もしかして最近殿堂or南海スレに来た御方ですか?
過去スレも見れば分かると思うが
南海電鉄はもうホークスを手放したくて仕方無かったが当時の球団オーナーが60年代後半に南海電鉄事故不祥事etc.後始末建て直しを含めて外部から招聘された人物だったので
『俺の目の黒いうちはホークスは絶対に手放さん‼』に忖度して身売りを引き延ばしてただけ(水面下で球団譲渡先は模索していたが)
オーナー死去で速攻身売りしましたwm >>100
今でこそWINSはどこも綺麗になったけど、オグリが出てくる前ってか
WINSという名称になる前の場外馬券売り場なんてまんま鉄火場の雰囲気だったろうしねえ
今のWINSでも場所によってはまだ鉄火場の空気が残ってるのに 100円でよく勝負して馬券もちながら野球観戦したわ
おっさんにとっては理想的なボールパークだった気がする
野村さん去ってから吉村オーナーの退任待ちで
売る気満々やったからな
その前の80年初頭からなぜかセゾングループの力を借りて
なんばシティ作ったり駅の改装を始めていた >>100
他のスポーツになるけど、イングランドのサッカーもプレミアになる前のスタジアムは
フーリガンはいる、トイレは汚い、酷いのになると客席の端っこで小便をする奴もいると
まあ子供や女性が気軽に行けるような環境じゃないスタジアムもごく普通にあった。
プレミアリーグになってからはスタジアムも清潔になりフーリガンもほぼ一掃されたが、
大阪球場も80年代から子供や女性たちが気軽に足を運べるよう球場内から見直せば
もっと観客動員できたかもしれないですね。
所沢や幕張より立地条件はいいし、それ目当てのオヤジとからまなければ
試合が遅くなっても安全に帰宅できる環境も整っていたと思うので。 そういや南海は自前の百貨店すら持ってない
京阪でも守口や住道に京阪百貨店があり京橋のモールや楠葉モールは自己資金100%の商業施設でしょう
高島屋は結局テナント貸しのみの関係で売上に対する儲けも微々たるものだ
南海は本当に関西私鉄大手五社の中で格落ちで他と並べるべきでないかもしれない
よくプロ野球チームを持てたなと >>104
でもイングランドの場合は、オッサンの溜まり場にオッサンがサッカー見るために集ってたと思うけど、
南海の場合は、本来いるべきそのオッサンさえ球場にいなかったのが問題やな。 そのオッサンたちのスターだった選手がチームを自ら崩壊させて
喧嘩別れしてっちゃうんだからきついわな >>107
一人のオッサンが抜けるくらいで崩壊する方がやばない?
まともな組織やないやん?
野村も悪いけど、それ以上に野村に放り投げてる球団運営の方がヤバいってw >>99
福岡野球(太平洋・クラウン)の酷い環境で生活を送っていた
選手の環境は凄いな。
インディー団体のプロレスラーと変わらないわ。 しょせん単なる企業スポーツの枠を越えることのできない日本のプロ野球と
地域密着型のファンを超えたサポーター意識の浸透した欧州サッカーリーグを比較するのはフェアじゃないだろ
そのサッカーの地域密着こそが南海が生き残る唯一の道だったかもしれない
ダイエーはそれで九州で成功し広島は貧乏球団と揶揄されながらも潰れることも移転もあり得ないからな
大阪には残念ながら阪神があり野村の提案した四国移転はあながち滑稽無糖のアイディアではなかったんだなと今更ながら思う 今の話になるがパ・リーグの盛況ぶりを見るにつれて
もう二度とガラガラでカップルがいちゃついてるだの
流しそうめんやってるなどの時代に戻って欲しくない
関係者は本当に腐心したと思う。 四国って4県合わせても静岡県と同じくらいの人口だし、
一枚岩じゃないし交通の便悪過ぎだし、
新来島どっくで愛媛に行ったとしても絶対赤字垂れ流しだから移転は現実的じゃないわ それこそ四国移転ならまだ新潟移転の方が現実的だわな >>108
1人だったら崩壊してないよw
むしろノム1人だけ抜けただけで済めば弱体化はしてなかった。
その一派が全員退団したからああなったわけで
しかし佐々木の甥っ子の佐野、いい選手になったなぁ・・・タイプは違うけど ノムは1975年に巨人に移籍してれば良かったのにな
王・野村・張本のクリーンナップは見たい(ノムが巨人行ってたら張本獲得してないかもしれんが) 野村一派と言っても一緒に出て行ったのはまだまだ売り出し中の柏原とチーム内で浮いていた江夏とコーチの高畠だけじゃん
主砲の門田は残留してるし >>116
そうなんだ!
じゃきっとチームの順位はそんなに変わらないでそこそこ強いままだったんだね! それが不思議なんよ
チームのガンだった野村一派を追放したら
強くなりそうなのに
なんでチームが崩壊したんだろ?
それも1年2年のことじゃなくて20年も ガンはガンでも南海の頭脳を担当としてたから切除したら司令指揮機能を失ってチームは弱体化せざるを得ないだろう
要は野村がガン化した時点で南海はもう詰みだったということ
球団もサッチーがのさばり返る前から野村のキナ臭い噂を色々耳にしていただろうに
そこで手を打って置けばまだ救いはあったかもしれなかったが >>120
というか、野村に任せっきりにした時点で詰みだろ。
一選手に全権握らせすぎ。
前スレから何度も出てるけどフロント無能すぎ。属人的な組織に未来があるわけない。
蔭山の悲劇は確かに想定外だろうけど、それにしても無計画。球団として体型的な展望が無い。 >>113
新潟に移転しても厳しいよ。
周囲の市町村を合併して政令指定都市に昇格したけれど、人口は80万人だよ。
隣接する山形・富山・長野から客を集める事は地理的に無理だし。 サッチー騒動は当然予想できないにしろ、何からの形で野村と南海が決別したり、野村が退団する可能性は人と人の契約である以上、当然あったし、
一般論で言えば、そのリスクも十分考慮し野村退団時のバックアッププランも考えた上でプレイングマネージャー打診すべきだろ。
何も考えてないし、打撃は衰えていたけど、投手陣は野村が何とかやりくりしてたの明白で、
出られたらチーム崩壊分かってるから野村がヤラカシても首も切れないし、何も対応できなくなる。
すごくシンプルにお粗末な運営だと思います。 南海電鉄って阪急や近鉄の足元に及ばない会社だしなぁ
門田を除いて年俸が少しでも高い選手は口減らし宜しくじゃんじゃん放出してたし
カネの掛かるNPB球団運営するには企業規模的に厳しいものがあったよね >>119
こういう真性のアホにはこれでも一読していただこうか
2002年の文章だが今読んだところ特段問題無い
http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k2-32.htm 新潟が80万といっても末期南海はその80万程度の顧客基盤すら持ってたか怪しかったからな
堺だけで80万人いて泉州南河内の南海沿線全体で200万規模の人口を抱えていたが
実際は阪神はおろか巨人ファンの方がはるかに多いという現実が突きつけられていた
まだ新潟に行ってオラが村のチームを応援するべと地元民に支えられてた方がずっとマシだった気がせんでもない
星野も言ってたが東北等の田舎のファンは本当に温かい
チームが弱くても今までろくな娯楽のなかった町に楽しみを与えてくれたと一生懸命応援してくれる 客集めるにはそれこそなりふり構わぬ工夫をしないと
とりあえず手っ取り早いのはタダ券配ることだけど
最悪西武みたいにグループ企業の社員動員して客が入ってるように見せかけるとか 単純な疑問なんだけど、野村へのPM打診の是非はともかく、監督として結果が出てなかったらどうしてたんだろ。
2、3年やっても飯田レベルの成績しか出なかったら監督解任だろうけど、まだまだ現役でやれるレベルの選手に、
監督はやめてもらうけど、捕手と主力打者と打者は続けてね、なんて小学生でもわかるようなムシのいい話ないやん。
でもその時点で野村退団されたら打撃はともかく、投手陣は崩壊するのは明らか。
古田みたいに引退直前の捕手に打診するのはわかるけど。 阪神がそれで思いっきりしくじってるしな
金田正泰の人格面の問題も少なからずあるんだろうけど >>129
でも、村山の場合、投手成績は明らかに落ちていたし、一人投手が抜けてもなんとかなるけど、
杉浦やスタンカみたいな絶対的エースがいない中でなんとか投手陣やりくりできてたのは野村の手腕だしなあ。打撃は衰えてるけども。 >>130
当時は今ほど(今でも)捕手のリード云々言われてなかったんじゃない
捕手は投手の球を後ろに逸らさず盗塁を刺すだけの肩さえあれば良いってリードなんて関係ない!そもそもメジャーだとリードするのは投手だし!って主張する人多いし >>131
俺も野村のリード絶対論は言い過ぎだと思うが、リードだけじゃなくて編成も含めて野村に頼ってた面はあるはずだし、
それを球団も理解していたからこそ野村を切れなかったと思う。
だからこそPM打診が不可解。 リード云々より、監督をめがけて投げてた安心感は投手陣にあったのかもしれんな
江本や佐藤道曰くノムは投手には殆ど何も言わなかったらしいし、
自分のリード通り投げて打たれたときは投手に素直に頭を下げてたらしいし
だからこそ南海は1974年から1977年の4年間はリーグトップの防御率だったのかも
もちろんノムのリードもあったとは思うけど 編成と言っても前任の鶴岡さんや後任の星野みたいに権限を握って新人獲得からトレードから全てやってた訳じゃないでしょ
せいぜいトレードに口出すだけでそれも不穏分子放出程度 まじで監督失敗時の野村の処遇はどうするつもりだったんやろな。
不思議やわ。 >>135
阪神みたいに監督は首にするが一選手として頑張ってやとやるつもりだったんじゃない >>126
仙台はそれほど、田舎ではないよ。
まあ、山形とか福島など娯楽の乏しい地域から応援に来る人は
結構多いけれど。 >>135
普通の組織だったら、選手としての評価と指導者としての評価は別で考えるよね。
監督としてダメでも選手として有能であれば、よほどコスパが悪くない限り
組織に残すでしょ。ただ野村が監督を解任された1977年の成績は、
127試合 打率.213/出塁率.270/長打率.345 16本塁打 56打点
8番打者ならいいけどという数字だね。 >>138
後任が広瀬だから、普通の組織ではなかったんだろうね ノムさんも黒田に出番譲るという発想はなかったのかな?
自分が選任監督になった後のことを考えたら、後継者を育てる必要はあったと思うが ノムは典型的な出たがりやろ
月見草なんて更々思ってない >>141
アレに自身の後継者を育てるなんて脳があるわけないだろ
選手としても監督としても見てりゃ分かる
森と気が合うわけだ 怪我でもせん限りは自身のオーダーで4番に居座り続けてたからな
後継に譲るなんて以ての外だったろう 別にプロとしては野村の思考は間違ってないとは思えない。
が、選手であると同時に監督でもある立場なら後継を育てなかったことと
ダブル不倫かつサッチーに現場介入を許した事はアウトだわな
前者はまともな後継がいないならそれは仕方ないが後者はドアウト 子供のころ順位予想で「まず南海の優勝は可能性ゼロとして・・」前提で考えてたが
今メンバーを思い返せば投手に「山内 加藤 藤本・・」という投手陣に打線は「藤原
ナイマン 門田 香川・・」と勢いに乗れば優勝もあながち夢ではなかったのに・・と思う。 怪我の時は休んだと言っても左手の指を骨折しても鉄板を巻いて試合に出たとか
ホームクロスプレーで顔面にタックル受けて額がぱっくり割れても翌日は絆創膏張って試合に出たとか
野村の試合出場への執念は鬼気迫るものがあるな
というか身体が異様に頑丈過ぎる
野村の野球選手としての一番の凄味はまさにそこなんじゃないか >>147
普通逆じゃないの?
今冷静になって見たらどう逆立ちしても無理にしか見えん
優勝できるかどうかって他と相対的に戦力がどうかで決まるんだし >>142
野村が言う「オレは月見草」は常に脚光を浴びる長嶋や王への僻みであって、
野村自身が控えめな性格というわけではない。
言動からもわかるように、かなり自己承認欲求は強い。
>>146
本来であれば、次の指揮官、指導者を育てるのが野村の仕事ではない。
これにしても、フロントの人間がまともに働いて仕事と責任の分担とか
ノウハウの共有ができていればいい話だけどね。 月見草は、むしろ野村の自己プロデュースの結実だと思う。王・長嶋的でないPRが
みごとはまったと思う。若い時は俳優志望で鏡のまえで人気俳優のしぐさを何度も
やった。そんな研究熱心な野村だ >>149
何溶け込んでるつもりで書いてるのうざい。 >>151
野球の腕のアピールは上手にしたかもしれないが、
人間関係はド下手だと思うけどね。
そこら辺は江夏江本門田含めて伝統になってるといえるか。 >>152
お前、殿堂板で自治厨かよ・・・普通いないぞ・・・ 鶴岡監督は院政を敷くような真似は潔くはないとして完全に引いたけど
超結果論だけど何かしらの役職に据えておけばノムの球団私物化は抑えられてたかもな
抑えられるかはともかく「解任しか無い」状態になる前に
発見して軟着陸させるレベルには出来てたかも >>148
名選手は体の頑丈さが一番だけど、まさにそれを体現してるな。谷繁もそう思うと異常だけども。 >>122
市の人口が80万人だと、よほどアクセスのいい場所じゃない限り
平日の集客で苦戦するのは目に見えている。
平日で平均10000人集めるのも厳しいかもしれない。
新潟でも厳しいのだから、四国の高松とか松山だともっと大変。 もしノムがヤクルトや楽天の監督にならずに死んでたら、
西武のユニフォームに身を包まれて逝ったんだろうな
ノムはそういうやつよ そうだったら普通の死に装束で棺桶入ったんじゃないか?
それはともかく捕手という負担の大きいポジションで40過ぎまでレギュラー張れたって
どれだけ頑丈だったんだって話だわな 江本は「言われているほど捕手は負担がかからない。
選手寿命が長いのは捕手。」と書いていた
確かに西鉄ライオンズ最後の選手は若菜で阪急ブレーブス最後の選手は中島なんだよね 走ったりしないからおっさんになってもできるポジションではあるな
ピッチャーも若手捕手が受けるよりおっさんとやった方が言うこと聞きそうだし
ただ、1試合で何十回も屈伸するのはきつそう >>158
仙台に仮住まいしていた時代のロッテも、そんな感じだったと思う。 >>159
ヤクルトの監督やってなかったらそこら辺のパリーグOBと一緒の扱いやろ。死装束なんて誰も気にせんて。
ノムもヤクルトで成功してよかったよな。もし南海ヤラカシ退団のまま野球現場復帰してなかったら、南海ファンの一部の粘着質な亡霊に付き纏われてただろうし。
(このスレにもよく湧いてくるけどw) >>161
カロリーベースだと投手の次に負担が大きいのは捕手。米でも休ませながら起用する。
別に投手でも昔から長くやる選手はいるし。
中嶋は生のお手本を期待されて現役続けてもらってた感じでしょ。 野村が公私混同事件を起こさなかったら、まだ監督兼任選手は続いたと思うけど、
野村体制は最後にはどんな終わり方をしたのだろうか?
後釜の捕手を育ててないので、ずっと野村が出場するしかないけど、さらに打撃が
衰えて、打順を8番くらいにして出場し続けるのだろうか? >>161
古田阿部城島クラスとか以外
一流になるのに時間が掛かり
直ぐに替えの利かないポジションだからレギュラー確保したら森の様に姑息な手段で割と長生き出来るしw
並の実力があれば戦力外でも他球団や
ブルペン捕手等スタッフで球界に永く残れる 城島にしてもモノになるのに数年掛かり三塁手転向の話もあったしなあ。
阿部も1年目は何かと頼りなかったし、1年目からゴールデングラブ賞に輝いた古田にしてもヤクルト投手陣を完全掌握するのに苦慮している感じだった。 >>145
野村南海最終年の77年になると、さすがに自身の打撃の衰えを自覚したのか
四番の座をホプキンスに譲って5番に下がってた。 捕手の場合はレギュラーがきつくなっても
「若い選手に技術を伝授してくれ」みたいな感じで雇われることがあるからな
田村や有田も晩年はそんな感じだった このスレで野村克也氏の現役時代見たことある人どのくらいいるの?
俺はカツノリとタメだけどかろうじて引退のとき西武のユニフォームで
なんか車に乗って球場を回る映像しか覚えてない
野村スコープ解説で詳しく知った感じだね >>172
テレビで門田と野村が連続して出てきて同じ奴2回バッターやんて思ってた
中原理恵とサーカスの人も同じだと思ってた 野村の話してる人間の中にはそもそも南海ファンかも怪しいのがいるから、、
自分は門田香川がギリギリだな。
父親が現役見てた世代。 阪神時代の江本も全く記憶に無いけど
家に10倍楽しくが有って帯に推薦文書いてたのが野村だったのは覚えてるわ。
選手名鑑の記録コーナーに名前が出まくるから印象には残りやすい。 >>172
野村政権末期の時から見ててたまたま見に行った試合でホームランも見たよ
ただ老体にムチ打ちながらスタメンで出ている感があって、いい加減監督に専任した方がいいのにとは思ってた >>172
南海兼任監督時代も辛うじてテレビで観た記憶があるけど、ハッキリ覚えているのは西武時代だね。
生涯一捕手つうてNHKでも取り上げられたりしていたし。
当時野村は40代半ばだった筈だが、随分お爺ちゃんに見えた。 >>164
ファンって言うか同僚では?
ファンなんて試合見るだけの関係でしかないし…
正直あれだけ時間経ってるのにあそこまで修復しないのは一体どんだけの悪事をしたのか… それまで優勝12回を誇るパ・リーグ最高の名門チームを完膚なきまでに崩壊させた元凶を許すも糞もないだろうね
元一緒に戦っていた仲間だからこそのいかりもあっただろう 鶴岡さんが蔭山氏に託した。
これは大正解だが、亡くなった時点で、直訴に応じて、再び戻ったのが失敗だと思う。もはや抜け殻だった気がする。働きすぎ。
当時はコーチ枠も少なくて仕方ないのだが、
ここで、岡本なり、飯田なりの南海OBを監督でかませて、結果野村で良かったのではないか。
鶴岡さんの東京での総監督ぶりもパリーグの活性化につながったのではないかと思う。 それをやるなら野村より先に杉浦氏に監督させるべきじゃない
鶴岡氏の後継監督本命は杉浦氏だったわけだし まあ、野村の離脱が南海弱体化を招いたのは紛れもない事実だけど、
どの道身売りは避けられなかっただろうし、仕方ないよね。
誰かが言ってたけど、鶴岡という超人がたまたまいてくれて南海が延命できてたって考えの方が正当性ありそう。鶴岡いなかったら50年代、60年代には身売りしてるでしょ。
近鉄や阪急と親会社の体力が比べ物にならない上、ホークスが明らかに南海電鉄の企業価値向上に結びついてなかったと思われるし。少なくとも客が明らかに減り出した60年代後半以降ね。 まあ、野村の離脱が南海弱体化を招いたのは紛れもない事実だけど、
どの道身売りは避けられなかっただろうし、仕方ないよね。
誰かが言ってたけど、鶴岡という超人がたまたまいてくれて南海が延命できてたって考えの方が正当性ありそう。鶴岡いなかったら50年代、60年代には身売りしてるでしょ。
近鉄や阪急と親会社の体力が比べ物にならない上、ホークスが明らかに南海電鉄の企業価値向上に結びついてなかったと思われるし。少なくとも客が明らかに減り出した60年代後半以降ね。 南海OBで1から2年挟んでその間に引退した杉浦を入れて野村じゃない? 南海は鉄道部門も民鉄最古の歴史を誇る名門中の名門
阪急近鉄とそこまで大きな差があるはずもないだろう
親会社の規模で言うなら路線距離が大手最小
JRと阪急のひしめき合う大阪神戸間で海沿いの狭いエリアに押し込められた阪神が何でタイガースを維持してるのって話になる
阪神は電車も小型だし一番の長い編成でも6両で短いし何よりJRの新快速に全く歯が立たず山陽や近鉄と乗り入れして何とか命脈を保っている始末
南海は関空があり何より世界遺産の高野山がある >>181 当時のプロ野球は、大物OB投入や年功序列の風潮も強いので、筋的には
百万ドルの内野陣から、とりあえず登用ではないかな。
次に穴吹や杉山もいたけど、実力的には野村>杉浦>広瀬>皆川の順じゃないか。
とにかく、杉浦や広瀬は引退したかったけど他に選手がいなかったので何度も慰留され現役を続けていた。
これも、鶴岡さん同様、野村、杉浦、広瀬、皆川が長すぎる黄金時代だったので
後任を育てられなかったとも言える。 当時の考えでは監督まで登り詰めるエリートは高卒より大卒って考えだし鶴岡親分はこと大卒至上主義者だったからね
川勝オーナーが野村を可愛がり過ぎて暴走したって親分は捉えたんだろうね
功労者という考えも親分の中では杉浦>>>>>>野村って図式で完結してたわけだし >>185
ただ古いだけで上にもあるようにデパートの1つもない格下会社だろうに 歴史も古いが電車も古いのが南海
高野線には50年以上たった一枚扉の銀色の車両がまだ走ってる
本線には鉄でできた錆びまみれのポンコツ一枚扉がつい最近まで潮風吹きすさぶ関空まで乗り入れていた
南海もインバウンドで最近景気がよかったからか置き換えを発表したがコロナで暗雲が立ち込めたしな >>179
ホークス退団のときの会見をYouTubeで見たけど、鶴岡院政にはめられた
ようなことを言っていた記憶がある。
それもあるかもしれないが、元はと言えばあんたの身から出た錆でしょと。 南海も阪急も近鉄も阪神も京阪もJR西もみんなボロ電車や >>188
そいつ
何か同じ御仁な感があるわw
↓
>>96(1): 07/24(金)12:51 ID:eGlV/BDJ(4/4)
>>185(1): 07/26(日)20:48 ID:38lVzF0G(2/2) 江夏柏原江本が抜けたチームじゃどんな名将がやってもきつい >>198
江本とのトレードで江夏が来たんだけど? ノムもめちゃくちゃ衰えてたとはいえ2桁打てる打撃力はあったからな
捕手で2桁打てるだけで戦力にはなる
あくまで打撃面だけではあるが >>187
鶴岡さんが杉浦を評価していたのは、日本シリーズであの巨人に勝たせてくれたからなのでは
ないでしょうか。
また、当時の野村、広瀬はパリーグでも別格の看板選手だし、評価も高いはず。
可愛がるという観点では、同郷の国貞が可愛がられていたのは聞いてるけど。
いずれにしても、ご本人は、東京に行くつもりだったんで、最後の3年間はつらかったですね。 杉浦さん、マスターズリーグ中に亡くなったというのがショックだったなあ
そのマスターズリーグもいつの間にかやらなくなったし・・・
監督の時しか見たことないが、ずいぶん痩身な人だなという印象が強かった 今の若い子は南海電車が緑色の塗装だったことも全然知らないんだよな
南海時代のホークスを知らないよりある意味ショックだ
>>202
鶴岡親分の杉浦への愛情はただ巨人に勝たせてくれた駒として役立ったという矮小な次元で測りきれるものじゃないだろう
長嶋が裏切っても杉浦は自分に付いてきてくれた
どんな酷使にも文句を何一つ言わずに耐えてくれた
二人には言葉はなくても二人しか分かり得ない信頼関係がありその間には誰も入り込めなかったという >>184
元大スターを監督に据えるまでの1,2年だけ監督をやってほしい
なんて球団側だけに都合のいい話を引き受けるOBはいるかね?
短期政権が明らかな監督なんて、まず選手たちを掌握することはできない。
本来なら、こういう時こそ金で仕事を引き受けてくれる球団外の人や
外国人監督とかを入れてビジネスライクにやる方がうまくいく可能性が高い。 >>205
大洋が外様OBの青田昇でそれをやってたな
生え抜きエースだった秋山登への繋ぎと称して
青田が晩年語っていたが正にその通りですぐ辞めると分かっている監督の言う事などフロントもコーチも選手も面従腹背で足を引っ張られるのがオチだとw 広島の阿南は自分は浩二への繋ぎと公言してたな
とはいえ優勝できたから格好はついたけど 繋ぎの監督といえば後藤のクマさん
村山(or吉田)を監督にするために監督にさせられたようなもん >>167
一塁以外の内野手が意外に長持ちしない。
特に20歳そこらからレギュラーの選手は30歳くらいで終わる(掛布 高橋慶 原 ・・)
特に顕著なのがヤクルト(神宮はコンクリートの上に緩衝材ない人工芝)で「池山 岩村 川端
田中浩 土橋・・」と大体レギュラー実働8年、30歳前後が限界。プロ入り遅く28歳からレギュラーの
宮本以外、大体30歳で突然衰える(膝か腰をやられる)。山田も今年でレギュラー8年目。
もろにヤクルトの法則が表れてきてる。 関西人じゃないから感覚がわからんのだけど、客観的に見て、近鉄も阪急も南海と比べたらどう考えても格上だよな?
百貨店の有無もそうだし、それぞれかなりの規模の旅行会社や物流会社もグループに抱えてるし(阪急阪神統合前から)。
南海は実質鉄道事業だけだし、ホークスにしても、経営体力劣る→鶴岡に丸投げするしかない→鶴岡引退後チームまとまらず崩壊、ってなるようになっただけだと思うんだが。 南海は高島屋と密接な関係を持ってるから直営のデパートなど必要としなかっただけ
関西ぐらいだよ鉄道系の例えば阪急百貨店辺りを有り難がってるのは
関西以外では鉄道系デパートは従来の呉服系百貨店から一段格落ちの扱いをされる
東京では三越が圧倒的なブランド力を誇り名古屋では松坂屋
向こうでは鉄道系デパートの贈答品なんか渡すと失礼に値するからな
京都の老舗呉服屋発祥の高島屋は阪急や近鉄の百貨店と比べてはるかに格式は上になる >>211
いや、高島屋の格はどうでもいいんだけどw
百貨店の有無が本題でなく、親会社の希望が球団運営に直結したのでは、と言いたいだけ。
現在でも阪急近鉄と南海の連結売り上げ全然違うくね(阪神無視して阪急グループのみでも)?
70年代、80年代当時の阪神除いたグループ連結知る由も無いけど、多分今と序列変わらんでしょ? そもそも阪急と近鉄はバブルの過大投資で最近まで青息吐息状態だったんだからな
阪急は彩都や中島マンハッタン近鉄はパルケ・エスパーニャで巨大損失を出し
阪急阪神合併は実質は堅実経営をしてた阪神による阪急救済
近鉄はバファローズ身売りの決め手となった
一方南海の財務状態は非常に健全 阪急スレに79年開幕戦(西宮)の動画が貼られているな 杉浦、皆川、村山、梶本、稲尾の大エースは
何故か早死な人多い、長生きして欲しかったな。 米田哲也が存命
「今の子は過保護だ。おれは一日350級投げていた。」と言っていた
どういう肩だ 金田、米田、小山
300勝以上した頑丈な人はやっぱり長生きなんかね
かねやんは亡くなったが長生きな方でしょう >>217
結果論以外の何物でもない。
権藤なんか筆頭格だし、南海でも宅和や、木村保、田沢良夫、中村大成も酷使で潰れた。
たまたま怪我しなかっただけなのに、彼らの前で同じセリフが言えるかね。
そんなんだから、実績のわりにロクに指導者出来なかったんだろうな。 >>219
草ですら監督時代の失敗を悔いてか
近年の解説を聞いても今の野球もキチンと勉強してるのが分かるんだが
米田ってマジ老害そのものだなw >>220
>>217はこの記事 https://www.nikkansports.com/baseball/news/201906270001194.html のこと指してるんだと思うけど、
球数制限ができたのは、杉浦、権藤とかは良い方で、無名のまま故障で選手生命が潰えた多くの有望選手の涙があったこと分からんのかなと思うわ。 85年阪神が日本一になったのは米田投手コーチの手腕が一因だし
現役晩年にヘロヘロになっていた佐藤ヨシを蘇生させたのも米田 >>222
手腕の割には、その阪神でも2年かよ。
オリックスでも2年、あとは近鉄で1年ずつ。
350勝投手でこれって寂しすぎないのかね。
なんか原因あんのか。
近鉄バファローズ (1977)
阪神タイガース (1985 - 1986)
オリックス・ブルーウェーブ (1992 - 1993)
近鉄バファローズ (1995) >>221
再度リンク先読んでみたが
無茶苦茶やなw
元巨人の中尾と共通するものを感じるわ
米田のこの論に賛同しそうなプロ野球OBは故人だが中尾と別所
存命だが野手の大下剛史辺りかな
故近藤貞雄御大に聞かせてみたいw 米田はプロ野球ニュースの解説をしていた時に
権藤の「肩は消耗品」に否定的だった
「ある程度の投げ込みは必要だ」と言っていたな Wikiだとヨネカジを絶賛してるけど、
ヨネカジコンビ 541勝496敗
杉浦忠と皆川睦雄 373勝217敗
勝敗差 45vs156や日本一2回を考慮すると杉浦&皆川のほうが上だと思うが。
しかし、パリーグはセに比べて、キャラの濃い厄介なチームが次々と出てきてたな。短命だけど。そんな中、鶴岡南海の6割という勝率は凄いし、大変だったろうな。 杉浦と米田比べて、米田が上と言う人は聞いたことないな。
選手生命長い者同士だから当然だが、ノムが生涯一番ホームラン打ったのは米田。
http://classicstats.doorblog.jp/archives/52948598.html
だけどノムの述懐に米田が出てきたイメージがないんだよなあ。 1年先輩の土橋や同期入団の稲尾、後輩の杉浦、尾崎等々の投手が潰れた御陰でリーグを代表する投手に繰り上がった様な投手が何を・・・・・って感じもするがw
裏を返して言えば、「30勝投手を出すのは監督の恥。」と嘯き、梶本、米田の2枚を同格のエースとして両立させるという入団当時の藤本定義監督のローテーション制
が後々実ったって格好とも言えるけど。
他球団が次から次とエース級投手が潰れていったのを他所に、阪急はヨネカジが健在のままで石井茂雄、足立光宏と20勝投手を輩出する格好で先発投手陣が分厚くなり、
スペンサー、長池で打線が強力化したのも相まって長期に亘る黄金時代を築き上げる礎となったからね。 米田のことを言うなら稲尾の述懐にも強打者としての野村の話は全然出てこない
リーグが違う基本日本シリーズでしか真剣勝負をしたことない長嶋の凄さは克明に語ってるのにね >>228
杉浦も含め60年代までに南海のかなりの投手が酷使で潰れたけど、鶴岡を一概には責められないよね。
他にピッチャーいないんだもの。
皆川も入団と同時に頭角現してたら速攻で怪我してて同郷の田沢と同じ運命だったかもな。
杉浦とスタンカが影にいてくれたから長くやれたんやろね。 昭和20〜30年代前半の南海って権藤的な消え方した投手が多いんよな。
強いから他のチーム以上にフル回転が続いたからなのだろう。
他だってエースは先発もリリーフもやるのは同じなんだから >>231
そういう風潮だから仕方ないよね。
で、たまたま体が強かった一部の投手が長くやれただけ。
自分がその時代でも例外なのに、「今の子は過保護=俺らの代は強かった」ってのは違うわな。 そういう時代だったとしか、言いようがないし、長寿の選手のほうが珍しい。
トレーナーもいない状況。
10年選手になったら、金のある球団に世話をしていたのも鶴岡さん。
再就職先のコーチの数も少ないし、他球団の監督コーチの口利きをしていたのも鶴岡さん。
OBの大沢筆頭に、西本さんの監督昇進や、山本一のコーチなんかも助言してたらしい。 だからケガで手遅れたり2、3番手とかの方が長生きしたりする 何から何まで米田とは対照的な性格で知られた梶本も現役時代で1番誇れる事として、「現役を通して一度も肘肩を故障した事が無かったんです。両親が丈夫な体に
生んでくれた御陰でしょう。」と語っていた。
とか書いて気付いたが、300勝以上の投手(金田、米田、小山、鈴木、別所、スタルヒン)の内、スタルヒン、米田、小山と3人が日本にローテーション制を持ち込んだ
とされる藤本定義監督と関わっているな。
体の強さと共に監督の強い意向等で酷使を免れたという運も備わっての300勝ともいえる。 現代ですら日本もプロ以外は戦前で頭が止まってるような連中がいる世界だしね
その頃にそういう指導者と巡り会えた投手はラッキーだった 藤本さんは三原脩、石本秀一と並ぶ5球団監督やね。
投手を育てるのがうまい。 >>229
要するに野村は雑魚専と言うこと
鶴岡氏から
何が三冠王や!杉浦と違いお前大して活躍してないだろと酷評される訳だ >>228
>「30勝投手を出すのは監督の恥。」
「権藤、権藤、雨、権藤」と言う言葉を作った濃人渉なんて今では評価されていないからね
ロッテで一度優勝したが素っ頓狂な采配だらけだったらしい >>239
現代でも酷使でバンバン投手をぶっ壊した野村と星野は名監督扱いやんw 三冠王の前の年、打率がダメダメの二冠王で、鶴岡から酷評されて減俸喰らったんだよな。それで、「ホークスは好きだが、南海球団は嫌いや」と言う迷言が生まれた。 少しでも野村ってワードがあると「野村は箱庭専」っていう奴が出てくるのおもろいなw
まるで野村に親でも殺されたかのような執念w 全てひっくるめて表現すると、野村克也って人は
本人には全く悪気は無くても人を遠ざけてしまう、
もしくは怒らせてしまう何かを持ってるとしか思えない
あくまで他人の鶴岡ならまだしも
プロ入りへの道筋を提案した兄とまで仲違いするのだから… 兄貴だけやない。峰山高校の恩人、清水先生まで裏切った。 沙知代を少しでも否定する人間は全員ダメ出しだからな >239 その素っ頓狂な濃人が江藤、古葉、吉田の師匠。でも九州出身じゃなく広島なんだよね。石本、岩本、浜崎、藤村、広岡、ハリーに村田兆。全部広島。人のゆうことは聞かない。癖が強い。
同じ広島出身の鶴岡さん、柚木、広瀬がすごくいい人に見える。 野村は捕手、打者としては立派だったし優勝監督にもなったけど、
少なくとも選手たちに人間教育なんてできるだけの人徳はないよ。
それを言い出したら、ほとんどの野球選手に該当するか。 鶴岡氏はそんな野村のクズな人間性を見抜いてい
たから
何が三冠王や!お前なんて南海の優勝にはちっとも貢献してない!本当に貢献したんわ杉浦や!との酷評がでたのさ
ほんとはとっととトレードに出したかつたけど野村が川勝オーナーに取り入っていたからトレードに出せなかったんじゃないか >>245
清水義一への裏切りは知らんかった。具体的に何したん? 要するに南海記念館に野村の記録なんぞ出す必要なんてないという南海の判断は正しい >>248
捕手としては自分でも認めてるように肩が弱い三流
打者としてはで一流投手からは強敵として認識相手にされてない箱庭雑魚専
監督としては時代遅れの投手酷使しかできない三流監督
マスコミへのアピールだけは一流 >>254
『私の教え子ベストナイン』では杉浦、皆川、広瀬も教え子扱い
一体何様のつもりだ 降って湧いたように野村アンチ出てくるな。
異様な光景だわ。というか多分自演だな。同じ奴が書き込みまくってる。
「箱庭専」「私の教え子」は過去スレから何度も出てくる基地外ワードなのでNG推奨。
ほんと迷惑なので隔離スレ行って欲しい。 遠回しに叩く垢と同時に
アホみたいな事書きまくる単発が出てくる
パターンがいつも同じだからな。
一人でやってるんでしょ。
しょうもない事でスレが進んでまともな話が出来なくなる。 90年代に絶対に野村の現役時代を見てないようなライターが野村を貶め出した事が有った。
長嶋礼讃とセットで。
内容のトンチキさが上のアンチとそっくりだった。 >>239
濃人渉は中日時代から好き嫌いが激しくて権藤を潰しただけじゃなく
滅茶苦茶なトレードでチームを崩壊寸前にしたから当時から評判は良くなかった >>254
はいはいおじいちゃん、昨日も同じこと言ったでしょ 野村は「私が鶴岡さんに疎まれるわけがわからない」と言ってたが、
大沢事件がきっかけだと思うな。
昔の監督は3塁コーチャーズボックスで采配してて、
ベンチにいた大沢が鶴岡の作戦を「あれはない」とか批判してて、
たまりかねた鶴岡派の杉浦が「あの人を殴ってやる」
と言い出して、それを止めたのが野村。
普通に考えれば丸く収めようとしただけだろうが、
鶴岡にしてみれば殴ろうとした杉浦は可愛い子分、
止めようとした野村は何じゃお前、みたいに思ったのかも。 大阪球場の立地が良すぎたことが、南海身売りの真因だと思ってる。
特に南海電鉄乗らなくても行けるから、仮にチームが強くても、それ自体が電鉄の企業価値の向上に繋がらいもんなあ。
繰り返して恐縮だが、西武の例をとっても分かる通り、適切な運営をしていれば、あんな所沢の奥地でもファンはつくんだよなあ。
彼らはわざわざ西武線に乗って来てくれるし。ファンの中には西武線沿線に移住する人もいるだろうし、そりゃ西武鉄道もチーム強化するよね。 戦前は大浜や中百舌鳥で興業したけど交通が不便で客の入りが悪いから甲子園や西宮を間借りするなど苦労したわけで
大阪球場の立地だけが問題じゃないと思うけどな
南海沿線民にとったらミナミに買い物遊びに行くついでに観戦ってスタイルも取れ他のエリアからも人が集まりやすい
ただ場所が一等地過ぎて関空開業で新たな飛躍を目指さなければいけない南海にとって難波に拠点を作るにはあそこしかなかった
それさえなけりゃ南海はまだもうちょっと踏ん張ってたと思うんだよな >>261 南海は損したね。また、穴吹にとってもいい気分転換の可能性があったのに。どうも、濃人&石本コンビは壊すね、何かを。
もっとも森の移籍先の大洋三原監督も横車を押すタイプだが。
ちなみに石本さんは西鉄三原の投手コーチだったこともあるし、鶴岡さんの広商時代の恩師。 ノムが歴代の名選手からあまり評価されてないのは客観的な事実であろう 大阪球場のデメリットとしてはやっぱ場外馬券場が癌だったんかな? Wiki見て初めて知ったけどペレが引退時の興行で大阪球場でプレーしてるんやなw
世界のスーパースターが、あんないい意味で猥雑なオッサンくさい場所でサッカーしたというギャップおもろい。 大阪球場周辺の環境はよくわからないけど、ターミナル駅から1kmもない場所に球場があって
それでも観客動員に苦戦していたのなら、球団というか南海グループの無策とか
モチベーションのなさを批判されても仕方ない。
子供連れの家族も仕事帰りのサラリーマンもアクセスしやすい場所なので、
球場内の施設をきれいにする、ファン感謝イベントを定期的に開く、
ロゴやユニフォームなどのビジュアル面を少し変えるなどの工夫で
少しは客も集められると思うけど。 >>268
莫大な収益源であの球場が生き残れる唯一無二のテナントをガンってお前・・・ >>271
それだったら場外馬券売り場メインに据えればいいじゃん。球場の収益確保(=存続)のために馬券売り場を重要視するなんて本末転倒の極み。
昔の場外馬券売り場って今以上にやべーオッサンの巣窟よ。あれだけJRAがイメージ戦略してる今でさえオッサンメインなのに。
大阪球場へ見に行きたい女性や子供を遠ざけていた可能性あると思うけどな。主要因ではないにしろ要因の一部であることは間違いなくね? >>273
昔の球場特にパリーグ球場なんてそもそも女子供の来るところじゃないだろw 野球を家族連れで観戦するなら郊外のテーマパーク的な雰囲気の方がいかにも行楽って感じで良かったかもな
西武球場はそれが功を奏したか
藤井寺は郊外だが周りは普通の住宅地だったしな
もしもの話だが大阪球場が女子供も気軽に来れる都心型シティボールパークに変換できてたなら今頃覇権だったろう >>275
だから南海が身売りになったのであって、そうならないようには、って話の趣旨なんだが、、、 >>262
そこまでして大沢を庇ったのに大沢からは人間のクズ呼ばわり >>271
そういえばNPBで球場建屋そのものに外部向けの常設営業店舗もといテナントを入れたのって大阪スタヂアムが最初位じゃなかったっけか? もし仮に南海ホークスがダイエーに身売りされず存続して引き続き大阪に残ったとしても
あの時点で既に大阪球場撤去、なんばパークス建設は決定していたから2〜3年以内にどこか新本拠地に移転しなければいけなかったんよね
今はなき大阪新聞に「南海、日生球場移転へ」と見出しが載っていたのをなんとなく覚えている 大阪球場はテナントの収益で儲かっていたと聞いてます。
球場の入場者収入よ収益性が高くそれで運用出来てたと。
皮肉ですよね。
一番真ん中にあるメイン施設が赤字
周辺にある施設が黒字
何でも料理教室もあり盛況だったとか。 >>282
土井勝料理教室だね。今息子さんが頑張ってるけど。
知り合いの女の子が通ってたわ。
あとスタンド下に古書街もあって、試合の前後に古本漁りしてたよ。 大阪球場の土地を売り払って浜寺公園あたりにスタジアム建てるとかいった案が出ることはなかったんかな? 後楽園も場外馬券はあるは競輪はあるわ
遊園地もあったが >>270
女子供に受けるチームづくりを目指すなら
まず第一歩としておっさんくさい選手
(野村とか門田とが)
を追放して爽やかイケメン選手を入団させる
べきだったな
今でこそ見る影もないが清原にしても
ナベQにしても入団当初は爽やか系選手だったしw 女はともかく末期南海は少年ファン獲得のため子供向けファンクラブを作るなどその方面は力を入れてたね
元木も幼少の時はホークスファンだったりその成果が徐々に出始めたかという矢先の身売りだった 佐々木誠のベーマガのインタビューで大阪球場は土日はいつも満員の印象だったと語っていて、末期は結構盛り上がっいたと思うな 場外馬券売り場自体が問題ではなく、場外馬券売り場の存在が大阪球場からより人を遠ざけてたのが問題。
結果、球場の赤字を馬券売り場ほかテナントが補填するというアホみたいな状況に。 >>286
80年代だったら香川やろ、、、笑
彼を見て、野球かっこいい!って思う子供いたのかな笑
あんな一般人でもいないような肥満体でも野球ってやれるんだ、っていう意味ではイメージ低下しかなくないかw イケメンといえば加藤伸一に山川周一じゃない?
あと甲子園でアイドル的人気のあった田口竜二とか
あとは山口裕二?(個人の主観ですw) 水島新司は加藤伸一と吉田博之をハンサムバッテリーと言っていた >>276
週末の家族連れを対象にすればそうだろうけど、週の半分以上を占める平日の集客を考えると
都心に近い方がいいし、トータルで考えても都心にある方がメリットが大きい。
所沢や幕張メッセの平日の観客動員は調べないとわからないけど、
たぶん平日は1日当たり10000〜12000人と推測。 >>291
今だったらパリーグも取り上げれるからもっと人気は出てたな
球団もあの頃とは比較にならないほど教育をしっかりやってるから、あそこまで太らんやろし >>293
吉田博之がいたねw吉田というと
河埜敬幸のファールがネクストバッターズサークルにいた
吉田博之の顎に直撃して骨折したのは衝撃だった
当時は記事でしか見てなかったがその数年後偶然映像で見れて、うわって声出しちゃったな
フジテレビの珍プレー好プレーじゃなくて別チャンネルだったと思う 当時野球はおっさんと子供しか見んかった。
何ややっても無駄だったやろ。
南海、近鉄、阪急は衰退したが、ボーイズリーグは今の大阪が高校野球強いのにつながる。
ボーイスがこんなに長続きすると思わんかったやないか、鶴岡親分も。 ここで簡単に語られる女子供の新規獲得は当時のパ・リーグの状況を知ってる者からすりゃ
どれだけ困難だったかは理解できる
大阪球場から場外馬券場を追い出し球場を綺麗に改装したところで焼け石に水だったろう
肝心なオッサンファンも思うように集まらなかったんだから
ただ熱いオッサンファンはそれなりに頭数はいたんだよ
だがまさか水面下で身売り話がそこまで進んでるのは寝耳に水だった
いつものようなペナントでいつものような戦いでいつもの順位でと予定調和に進むから足が遠のいたのかなと反省がある
ファンが球団存続の危機感をもっと事前に察知していたらまた違った展開があったかも知れない
日拓クラウンライター身売りの時も南海ファンは全く対岸の火事でまさか自分に降りかかるなんて思ってもみんかったしな
関西電鉄リーグの運命共同体幻想なようなものがあった 甲子園には客が入り西宮には客が入らない
まして日生にも入らなかった
いずれも交通至便
この時代のパリーグは経営が難しいよ
阪急が北梅田に移ってもだめだったろう 甲子園も長い間巨人戦以外の集客に関しては悲惨なものだった
アルプススタンドは巨人戦以外では未開放
江夏のひとりでノーノーの試合ですら公表は9000人
そう言う意味では1970年代のプロ野球集客に関しては巨人戦以外は燦々たるものだった >>300
今ほど娯楽がない時代、かつスポーツでは野球がトップだったのに何故? 日本人には純粋にスポーツを楽しむ文化がなかったからな
酒飲んでわちゃわちゃしたいだけ 今と昔では、球団と地域との関わり方も変わってきた。 みんなもっとテレビに依存してたからな
小学生もよく相撲ふつうに遊びでやっていたし・・
陸奥嵐の河津掛けとか真似して友達にかけてたわ 1985年の阪神優勝がすべてだった
爆発的な阪神人気を見た南海、阪急は竹槍でB−29と戦う無謀さに気がついてしまった >>300
>アルプススタンドは巨人戦以外では未開放
>江夏のひとりでノーノーの試合ですら公表は9000人
>そう言う意味では1970年代のプロ野球集客に関しては巨人戦以外は燦々たるものだった
違うよ。70年代でも前半と後半は違うの。
75年に広島が初優勝して赤ヘルブームで初めて巨人戦以外でアルプススタンドが開放された。
この辺からV9時代の巨人だけ人気の構図が崩れて、翌76年は吉田阪神が長嶋巨人と優勝争い、
アナウンサー中村鋭一が番組で六甲おろし歌ったりして他のカードでも客入るようになった。
村上ファンドのおっさんが阪神のスタメン暗記してたのもこの頃。
村上ファンド 阪神がセリーグに所属して、巨人のライバル的な位置にうまいこと収まった時点で南海阪急近鉄の運命は決まっちゃってたと思うよ。
当時の実績からして巨人のライバルは南海であるべきなのはそうだけども、当時の不人気パリーグではどうしようもない。南海の観客動員のピークって昭和30年前後って聞いたことあるし。
あんだけ強かった黄金期南海でも人入らないならしゃあないよね。かつ巨人戦というドル箱カードもないしね。 >>308
昭和30年前後の南海西鉄戦が黄金カードだったらしいな。
その後テレビが普及して、日テレ系列が全国ネットで巨人戦中継するようになって、
巨人人気に侵食されてパは終わった。 >>308
水原東映が瞬間的とは言え観客動員130万人を達成したのは奇跡といえる 結果論だが、GHQが2リーグにしようと抜かしてそれにホイホイ乗った連中がアホってことだわ。
スポーツで最上級のリーグが2つに別れるとかありえない >>299
阪急が移転するとしたら北梅田じゃなくて西京極の方が良かったんじゃないか?
京都にプロスポーツのフランチャイズができるのはサンガまでなかったわけだし パリーグは、基本、南海以外不安定な成績で、わしら南海ファンは、鶴岡さんの
努力もあまり知らぬまま、常勝を当たり前と思ってた。
今振り返ると、三原西鉄、水原東映、たまに優勝するオリオンズ、三原近鉄、強くなってしまった西本阪急など、結構な難敵が襲ってきてたな。
阪急以外、長続きせんのが特徴だが。 たられば言ってもしゃあないけど、阪神じゃなくて南海がセリーグいたら今でも南海ホークスあるやろな。
阪神電鉄単体で見たら南海と変わらないイメージだし。所属リーグの違いが運命わけたな。
杉浦スタンカ野村広瀬とONが同一リーグで定期的に対戦やってたら馬券売り場あろうと難波の外れであろうと客は問題なく来るだろうし。 同じ常勝でも巨人が人気を維持したのは東京が母体となる全国区に読売のメディア戦略
だが一番大きかったのは長嶋の存在
やはり野村と長嶋の差が大きかったな
野村にスター性があれば南海のいやひいてはパ・リーグの歴史も変わっていた >>316
仮に長嶋が南海来てても巨人優位のセ・リーグを覆すには難しかったと思うよ。
少なくとも当時は設立の経緯もあって今以上に巨人が日本プロ野球を支配している状況かつ、新聞とテレビというメディア媒体を握ってる以上、パリーグの逆転は無理だと思う。
長嶋は野村以上の不世出のスターなのは間違いないが、リーグの力関係は構造的問題に起因して固定化されていたので挽回は不可でしょ。 まあどっちにせよここでパ・リーグの存在意義完全否定は無意味
1リーグの方が良かった巨人と同じが良かったとか聞いててムカムカする
阪神みたいな読売にケンカ吹っ掛けるパフォーマンスをするだけの実質犬になるぐらいするのを潔しとしないのがパ・リーグだ >>318
存在意義の否定なんて誰もしてないよ。南海が身売りされたのはパリーグにいたのが根本原因なのは間違いないだけ。
まあ気持ちはわかるが、でも昔のいろんな苦労もあって、今はパリーグも人気出て来たんだから、よしとしましょう。 >>307
76年に巨人戦以外で初めて満員札止めになったと思う
大洋戦
首位争いと前年の田淵のホームラン王が大きいかな
79年には江川、小林問題で更に観客動員アップ
その頃にはパリーグも増えてたんだけど、増える勢いが違って完全に追い付けない状況になってしまった その次に82年の掛布の2冠王でもぐっと伸ばしてる180万人
その頃在阪パリーグは60〜80万人台をウロウロ 今と時代が全然違う。
残念だけど、巨人の人気は不動だったし、今でもそう。
東京、大阪の差が激しかったし、
今のパリーグみたく、観客を増やす努力を何もしとらんかったのは事実。
関西電鉄系が貧乏を競い合った時代。残りはやたらオーナーが変わってたし。
とどめは黒い霧。南海のとどめはさちよやね。 イメージでいうと野村は大阪の庶民的な文化である松竹芸能で育てられ大阪のスターとなったが人間関係のトラブルから大阪所払いとなり数十年のブランク後、フジサンケイグループの都会の朗らかな空気の中で野村は、とんねるずの番組とかフジテレビ系の世界で全国的人気者となっていった感じ。 >>324
ヤクルト監督として名を上げて関西に阪神監督として凱旋したけど結局石もて追われてる
野村死亡の報道があった時も東京では一面トップだったけど関西スポーツ新聞は野村死亡は無視して今年の阪神の誰それはちと違う!ホームラン王や!なんて一面だったしな 関西スポニチ一面は野村死亡じゃなくて阪神の誰それの話題だったぞ
マジで あんまり野村ネタ(それも南海と直接関係ないネタ)行ってるといつもの粘着野郎くるのでここらへんで、、、 野村南海の最後のほうを覚えているけど、名門の強豪という感じだったよ
当時は阪急が強かったけど、南海もAクラスの常連で、魅力的なチームだった
プレイングマネージャーの野村監督が主軸を打っているというのが、最大の特徴で、
格好いいチームだなと思っていた 普通に考えれば、
監督兼4番兼キャッチャーとかかっこよすぎだからな >>330
あんた若いな
捕手がやっててカッコいいイメージは古田以降だよ 南海のHawksのフォントかっこいいよね。
ダイエーのHawksも好き。
ソフトバンクのHawksフォントは異様にダサいw 1988杉浦さんの福岡に行ってまいります でプロ野球見ないようになったが
1990野村さんが監督やるというのでヤクルトを応援していた
それまでセリーグは巨人負けろくらいしか関心なかったけどな たられば言っても仕方ないけど、あえて野村解任が無かったら78年以降はどうなったを妄想(沙知代の存在は無視)
・自身の衰えが隠せなくなって代打やリリーフ捕手がメインになる。黒田がスタメンに抜擢されるが史実通り打てない
・江夏や柏原らは残留するが、人件費の関係でドラフトや外人補強にしわ寄せがいくのでAクラス維持は微妙。
・広瀬は衰えに耐えきれずに引退して解説者に転向
・78年新人王の村上は二桁勝利してた
・門田は引き続き短いバットでアベレージ狙いの打撃を強要される
・野村系タニマチが存続するので史実ほどは貧乏にはならない
・観客動員は相変わらず低迷
・西武の松沼兄は新人王を獲れない(かもしれない)
・81年以降も兼任で現役続行
・義理の息子のダン(当時NPB現役選手)を獲得させる 少なくとも野村は3,000安打、2,000打点を達成するまでやめないだろうな まあ打者の場合基本は安打数と打者能力って比例するけど、
投手の場合は勝利数が絶対的な指標かといえばそうでもないし、特に昔の選手なんて酷使で潰される人も多い中、
変に200勝で一流選手の区切りみたいな雰囲気作ったカネヤンは罪深い。例えば、平松政次と杉浦比較して、どっちがより優れているかは明白だし。 昭和名球会と称し、杉下をはずしたり。
結局、金田は事務局を私物化し、金田自身は離脱。なんなんだろうね。 >>335
ドラフトでは山倉、袴田、達川らの大卒捕手を指名したかな。
あるいはトレードで捕手獲得に動いたか。 捕手だと岩木はよく試合に出てたのは記事や記録を見ればわかるが
実際どういう選手だったのかは映像をほとんど見れなかったのでよくわかってない・・・ >>262
大沢が放出されたのは南海が10年選手のボーナスけちっただけじゃないんだな。
あと大沢は現役時代から監督やりたがってたんだな、
野村によるとオリオンズでもベンチで監督の采配批評してたらしい。 ケチる以前に、そもそも大沢は10年ボーナス払っても残したいほど成績じゃないだろw >>341
で、オリオンズで監督になって
高年俸で使い難い江藤榎本ロペスを斬って守りの野球に変えたら5位転落で1年でクビw
三原翁と大社オーナーに長い目で見て貰ったお蔭で優勝監督になれたが
采配は寧ろヘボだよな大沢って
親分なんて持ち上げられたが
パフォーマンスや爺殺しに長けてるってだけな感がしてきたわw 山倉は高校の時点で拒否されてたしね。
実際その年の1位は中出だったので捕手は補強してるけど、当時六大学でも関西に縁のない選手は
厳しかっただろう。それにノムが大卒選手(特に六大)嫌いだったし。 >>343
プチ星野みたいなもんか
パフォーマンスとジジ殺しが得意 大沢親分は現役時代、それほど活躍したわけでもないのに、なぜ監督になれたのか?
蔭山のように野球理論に優れていたとか、西本のように抜群の育成力があるとかなら
わかるんだけどね 大沢ってしょぼい現役実績で、晩年は毎週日曜朝に地上波で講釈垂れ流せる球界のご意見番的な立位置になれるって自己プロデュース力すごすぎだろ。
張本はサンモニであんな感じで同列に扱われてよく受け入れたなw 現役時代の実績は雲泥の差どころじゃないのに。 リーダーシップや人望があるってのも監督の資質のひとつだろう >>346
大学出てるからでは・・・・大沢。 あの当時って大学出てるから監督できた
やついるだろうな。
上田がもし高卒なら監督出来たか疑問。
>>347
トレードに出してもらった借りがあるとか
>>344
しかし由伸欲しがったよね 自分の後釜として、秋田商業の武藤に御執心だった。たしか外野手だったけど。 >>347
そもそも最初は張本と大沢のコンビで始まったわけじゃないし。
最初は大沢と広岡でスタートして、広岡の後釜に途中から張本が入っただけ。
広岡時代をもう知らない人もいるのかな?
俺もうっかり忘れそうになるわ、あまりにも張本が長いからw >>352
うそ!? 知らんかった
広岡、大沢の順やなランク的には
広岡のが歳上よね? >>344
大学がだめなら社会人の捕手をと思ったけど、調べてみるとこの年のドラフトで
指名された選手で社会人の捕手は中出だけだった。達川とかなら野村の好みに
合いそうな気もするんだけどなあ。 広岡だったのか。
大沢張本はキャラ的には面白いけど、日曜の朝から広岡は嫌だな笑 好み?解任後のドラフトだぞ、と思ったら妄想の続きかよ。 後世の評価を決定付けたのが野村にとってはヤクルト監督なら
大沢はドーム時代日ハムでの監督だろうな。
あそこでとにかく言いたいこと言いまくって西武に喧嘩売ってあわやってとこまで追い詰めた。
まだ世間での野球人気があった頃だし前政権時代を知らないファンにまで
「なんだこの面白い爺さんは!?」
って注目させて直接対決ではドームを満員にまでさせた
本当は姓が違う大沢あかねに大沢姓を使わせてやることで
「あかねに仕事がまわるようにするため」
ってしてたけどむしろあれで大沢の好感度も上がってたし、ほんと上手いよなぁ >>338
外したかったのはドンと別所じゃないかな
カネやんが亡くなった時の杉下御大のコメントだと関係良さげだったし
wiki見ると別所さんよりスギさんの方が上だと称してるし
>>359
ドーム時代ハムのクライマックスは
土下座パフォーマンスだなw 名球会でかねやんより歳上だったのは山内だけなのかな >>349
あと大沢の実兄が
戦前の名古屋軍で川上と首位打者争いをした大沢よりは実績の有る選手で引退後はノンプロを経て母校の国学院大の監督教員を務めた御仁なのも有るかも
上田やあと西本も大卒じゃなかったら恐らく監督は無かったと思うが共にオーナーや球団幹部に買われての指導者人生だったかと 当時の監督に大卒が求められたのは何故やろ。
戦術論が未熟だったから、箔付が必要だったのかな。 高卒即プロ入り組の監督でトップクラスなのは森と野村、微妙だけど王と金田(中退)ぐらいか >>365
今以上に大学野球が権威だったからじゃない
よく言われる様に長嶋がプロ入りするまでは
六大学の方がプロ野球より人気あったそうだし >>363
ただ、選手のモチベーションとなったのはデカいな 200勝に価値があるなんて先に言っといてくれたら、
杉浦はふつうに達成出来てるだろ。
なんの価値も無かったからさっさと引退したのに。 >>367
>よく言われる様に長嶋がプロ入りするまでは
>六大学の方がプロ野球より人気あったそうだし
そんなことは言われてないし違う。
六大学がプロ野球より人気だったのは戦前の話。
戦後はGHQの意向もあってプロ野球ブームになった。
観客動員数も戦前とは桁違い。
水原茂がシベリアから帰国したとき、
満員の甲子園の巨人阪神戦を見て信じられなかったぐらい。
長嶋入団の頃は六大学「も」人気があったというだけ。 井口のような未プロの六大学OBが長嶋に大きな顔出来るくらいには戦前の六大学には権威が有った。 >>372
・・ハァ? 戦前と戦後の観客動員数のデータ見れば一目瞭然。
無知の逆ギレは止めようなw 戦前のプロ野球を実際に観た人間なんてもう殆どおらんやろな >>374
馬鹿ですか?
見てるわけないし、「見てきたような事」も書いていませんが?
資料を読めば小学生でもわかるわ 夏休みのせいか一般的に言われてる事と逆の事を書き込んでドヤる子供が
このスレ以外にも増えてて辟易するわ
こんな(自分も含めて)オッサンしないない板に来て何が楽しいんかね 戦前最後のリーグ戦が1944年だから、その時点で記憶に残るような年齢かつ地方では殆ど試合してないので、
東京か大阪にアクセス可能な人で職業野球見てた人で存命って本当に少ないやろな。 370みたいな「逆張り」はこういう真面目なスレではやめてほしいわ
いわゆる「炎上系ユーチューバー」のマネなんだろうが 当時のことわからんけど、昭和のパリーグより早慶戦の方が人気だったようなイメージあるけど違うん? 当時は一般社会でも大卒は人数が少なく、価値が高かった。
大卒=幹部候補で、高卒(旧制中学卒)との間に階級差があり、プロ野球でも同様だったのではないか?
選手としての実績は少ないが指導者として成功した大卒者に、西本幸雄、小森光生、荒川博、沼澤康一郎
などがいる。いずれも毎日オリオンズ出身であるのが興味深い。 今でもそうだけど六大学出た監督と高卒の監督じゃ
在籍中のバックアップや選手獲得でも大きく違ってくるからなぁ >>383
清原がもう少し真面目に野球に取り組んでいて監督を目指していたらすごいバックアップを得られただろうにもったいない >>384
だよね
キヨは高卒であんな事やらかしたのにまだ親身になってくれる人が多くいるくらだもんねえ 関西六大学は近大と関大しかプロの記憶がない
有藤 藤原満 上田 村山
関学は田口か >>313
金やんロッテはどう評価する?あの当時のパリーグで一番人気あった
(主に監督だった金やんのパフォーマンスが中心となって)そうだけど。
野村南海との対戦ではなぜかエピソードが無いようだが >>389
大阪ではロッテ自体が人気無かったな
金やんロッテ戦で観客増えたことも無かったし
電鉄対決のほうが盛り上がったやろ >>383
カープの場合は、大卒・高卒を問わずOBからという感じだな。
山本浩二=大卒(法政)
三村敏之=高卒(広島商)
達川光男=大卒(東洋大)
ブラウン=元助っ人(一応大卒)
野村謙二郎=大卒(駒沢)
緒方孝市=高卒(鳥栖)
佐々岡真司=高卒(浜田商)→社会人(NTT中国) そうかな大阪球場のカネやんロッテ戦は結構盛り上がった印象があるが >>387
あと同志社は田尾とその師匠で吉田と同時期に阪神の主軸打者だった
渡辺博之(引退後同志社監督教員)
>>391
カープは大卒と云うより
広島九州閥なんだよな
そこに挙がっためんつ スマン誤送信した
そこに挙がった面子で佐々岡以外は皆
広島九州閥なんよね
あ NTT中国は広島なのか? 鶴岡親分は復員後南海に復帰して八百長疑惑の選手を一掃したらしいけど、
それについて鶴岡本人が語っている本ってある? >>273
たしかにオッサン臭いイメージで女性が近寄りがたい
遠因になったかもしれんが・・
そんなこと言ったら昔なんて、繁華街の大通りに堂々と
ポルノ映画の看板があったり、昔は昔で今に比べりゃ
いろいろとこ汚いのが当たり前だったけどな。後楽園球場ですら
馬券場がすぐ近くにあったし >>301
その時代は昭和の「モーレツ社員」が
当たり前だった時代なのと、今より人付き合いが当たり前の時代だったからじゃね?
会社終わりに上司や仲間と飲みに行く。休みの日もしかり
共産党や公明党や労働組合の活動に休日は熱心・・・・なんて人も一定数いたし。
それに今は球場にたくさん人がいるっていうけど、
内実は年に20回も30回も甲子園見に行ってます!って人
無茶おおいで?今の方が現地に見に行く人(動員数)は多いけど
プロ野球そのものに興味ある人はごそっと減ってる >>379
逆張りは>>367だアホ
本人もよく知らんと正直に書いてるだろ。
昔の資料調べたら>>370が正解。
要約すると
・戦前の価値観では職業野球が蔑視され、観客動員も低かった、六大学野球の方が人気だった
・戦後はその価値観をGHQの方針で変え、戦後復興とともにプロ野球のブームが起こった(川上の赤バット、大下の青バット)
・長嶋が巨人入団する頃までは六大学も人気があった
全部その通り。どこも間違ってない。
お前が部無知なだけ。具体的に反論できるならしてみろ、絶対にできないからw
・ まあ数字上では>>399の認識で間違ってないとは思うけど、当時の人達の認識も加味して記述すると、
長嶋入団でプロ人気の優位が決定的となった(頭の固いエリート層やマスメディア(=六大学出身者)もプロの優位を認めざるを得なくなった)
と言うべきかな?
それまでは特にエリート層並びにマスメディア(つうか新聞界)にプロ野球に対する偏見が根強く残っていたんよね。
テレビが間も無く映画を圧倒するであろう事は誰の目にも明らかだったにも関わらず(いやそうであったが故に)、電気紙芝居とか一億総白痴とかと
揶揄されていたのと同様に。 社屋が旧広島市民球場のそば、テレビ中継でも頻繁に映り出す位置に社屋が存在していた>NTT中国
//denwakyoku.jp/Comhiroshimamotomachi.html
当然といえば当然だがNTT中国野球部でも旧市民球場を練習等で使用していたらしい。 >>401
テレビも一億総白痴化に貢献したけど新聞も同様だわなw その昔にプロ野球に興味があった人が今より多かったのに。
のに。
巨人と阪神以外球団経営が成り立っていなかった。
プロ野球に興味=巨人戦をなんとなく見ていた層
それが少なくなっただけ。
ファンが適正にばらけたから巨人一極集中の時の数字と比較して視聴率が低く
見えるのは当たり前。
そことプロ野球に全く興味がなくなった=国民の大部分というのは
ちょっと極論過ぎると思う。
野球も見れば卓球も見る、サッカーも見る、格闘技も見る
その時のの興味のある時に見る機会が増えたという時代の趨勢
昔の基準でモノが図れなくなったということではないか?
と思います。
南海やロッテや阪急も近郊で割引券やタダ券配ってたんでしょ?
金券ショップ行ったら球場入場券の正規の半分とかザラ
(阪神戦は違ったようだが)
1984年日本シリーズ(阪急ー広島)の西宮球場の3戦はダフ屋が
何と正規の料金より安く言ってお客を呼んでいたらしい。。
でも視聴率は近年の日本シリーズより遥かに良い
という例もあります。 >>405
ダフ屋が日本シリーズチケットを正規より安く売るのは商売として成り立たないでしょ
基本招待券は選手関係者分だけだし
緊急にファンクラブ会員を人数限定で外野席に招待はしてた >>405
阪神より中日のほうが黒字だったと思う
内野席全て指定席かシーズンシート >405
ダフ屋も商売だから「買った」時よりは高く売っていたと思うが
その購入も正規料金ではなかったと思う。
それでも一塁側の席はそうやって売っていたという。
実際当時の週べにも記述されていたくらい。
今でも無くなってはいないがそういう例の時よりは今はお客さんは
入っているし。客層が全く違ってきている。
女性や子供を連れた家族連れも多いし。
一時期よりは減ってきていると感じるが全く人気がなくなっている
とは感じない。 >>405
そもそも視聴率って地上波とCSが重なってたときはCS分って加算されるの??
試合開始からやるG+で見始めて入れ替えるの面倒だからそのままG+で見てしまう 地上波とCSでやっててCSで見ちゃう奴も視聴率低下の原因作ってるのかな >視聴率
地上波とBSは分かると思います。
CSはカウントしようにも、いや、カウントできると思いますが
それを出しちゃうと地上波のスポンサーに大きく影響が出るとわかっているので
出さないのではないかと思います。
日本シリーズとか特に昔はテレビ・ラジオしかリアルタイムで聞く術がなかった
わけですが今は色々ネットとか携帯もありますし
リアルタイムで影像でずっと見たいという人もあれば
仕事などもあるのでチラチラ見るためにとりあえずデータでチェックとか
興味はあるし見ているがその視聴動向や洗濯が多岐にわたっている
それを昔の基準で図ると「極端に」落ちているように見える。
ペナントレースもそうですが。
DAZNとかパリーグTVとか登録するとそこが手軽に見るすべになってしまって
いる。
野球人気とかでなく見る・測る基準が変わってきている
それに対応できてない。
というのがその野球人気云々の本質ではないでしょうか?
実際野球の新聞や他の媒体の扱いも極端に小さくなってないですし。
他のスポーツの良さも皆知ってきているし。
それはそれでよい流れになっているという事ではないでしょうか? >>411
今は放送数減ったけど関東だとニッポン放送とドームの試合はラジオ日本が
巨人戦放送してるけどタクシーの運転手さんとか飲食店なんかだと巨人戦の
ラジオが流れてるけどそういう人も視聴率カウントされてないでしょ???
見たくても見れない人・仕事帰りのラジオとか楽しんでるんだけど。
W杯だろBSもカウントされればとか報じるんだよね。 >>405
阪神は全て読売巨人のおかげで成り立っとった。
https://www.yamatotsurezure.com/entry/tigers01
ブレブレの球団体質は2リーグ分裂のころから。
しかし、運が良い。関西私鉄を裏切ってセリーグ参加や近年のイメージのよい阪急と合併なんて。「持ってる」のかもしれん。
それに比べて、阪急、南海、近鉄が球団を持ってたことすら知らない若者は増えてる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83%E5%86%8D%E7%B7%A8%E5%95%8F%E9%A1%8C_(1949%E5%B9%B4) 行くと分かるけど阪急だの近鉄だのの電車ってその社で最新の車でも
明らかに東京横浜より1モデル古いタイプが走ってるんよね
今の若い人はそんな私鉄が野球やる余裕があったなんて信じられんだろう。
わしらが映画会社に対して思ってたのと同じ事 >>414
南海はともかく阪急つてかなりデカいイメージだが? そうですね。すでに地域に根付いている企業が
球団を持っていても相乗効果は当時企業として中々得られなかったのかも
しれませね。でも85年阪神のように噛み合えば途轍もなく大きな経済効果
も生み出す。
実際楽天やオリックスやDēNAはプロ球団持って知名度と業績が飛躍的に
上がったのを見るとまだプロ野球は知名度アップの媒体の一つと見たら
未だ魅力的なものであるだろう。
ダイエーも本業が危ない時でもホークスだけは手放さなかったことでも
分かる。
シンプルに仕組みを作れば利益体質はできそうだが実際は昔からの
複雑な既得権益やしがらみもあり一筋縄ではいかないというのが昔の
プロ野球ビジネスだったのだろう。
現場の人は悪戦苦闘したのだろうし無念な思いもした人もたくさんいたと思う
阪急身売りが決まった時の記者会見時の球団社長の涙はそういうところから
来ていたのでは?
本当の思い入れがなければああいうのは出てこないと思う。
だから今の。。。。オリックスのもう一つの人気の無さというものに繋がって
いつのではとも思う。
南海はそうではなかったから福岡である時期に一新して逆に成功していった。
と思う。 >>414
阪急阪神とか近鉄ってグループ連結で売上高1兆超えだけど(南海は違うが)。 >>407
ドラフト制施行前辺りまでは
給料も待遇もトップクラスだったみたいだね中日は https://youtu.be/Vc1Ya38N-6E
岡本伊三美さんのインタビュー動画あがってるけど、1973年に南海の二軍監督から阪神のコーチに移籍した経緯は、
当時の阪神の金田監督が鶴岡親分にお願いして鶴岡親分が岡本に阪神行きを命じたらしい
絶対野村に相談とかしてないだろ
やっぱり鶴岡さんの現場介入は大なり小なりあったんじゃないかなあ >>420
この場合は親しい金田から言われた手前
斡旋せざるを得なかったんじゃないかな
それにしても岡本さん90手前にしてはしっかりしてらっしゃるね >>422
でもそんなこと言ったら何でも正当化できるよね… >>414
関西は私鉄王国と川島冷三が誉めていたけれど、
近鉄とか南海は古い車両が現役なのが驚いた。 >>423
岡本や飯田や木塚などの鶴岡子飼いだった選手には
特に最後まで親身な関係で個人的な繋がりが深かったように見受けられるけどな
チームというよりも個人への介入って感じ だとしても現場監督には一言断りを入れないといけない案件ではある
もっとも、野村には比較的親しい立ち位置だったとはいえ根っこは鶴岡派だった
岡本の退団を、野村が憤ったのか喜んだのかはちと読み切れないな 確かにその辺は当時の野村がどういう態度に出ていたかは興味があるね
73年当時の鶴岡と野村の関係がどうだったのか
鶴岡のおっさんがいらん事してきよった、または鶴岡さんの言う事なら仕方がないと出たか >>427
そこらへんの微妙な状況、江本あたりに回顧して欲しいんだがな。 >>414
80年代までは関東関西共に同じ位の車歴だったし国鉄や他社との競争原理に強く晒されている分むしろ関東よりも新車を次々と投入していた私鉄王国だった印象だが
国鉄民営化で攻勢をかけたJR西日本の路線網や新快速には敵わないって事が阪神大震災をきっかけに如実になった
阪急梅田や南海難波の利用客も随分減ったしね 意外と今の南海は阪急や近鉄よりも新車の導入には積極的
車齢が60年近くなる6000系が多いのもあるが >>420 情報ありがとう。鶴岡さんは、自分の利益より、選手個々人のメリットを指南してたんですね。
お人よしというか、最後に人に譲るみたいな。
昭和48年の阪神vs中日、先発はやっぱ上田だよね。それを電話で鶴岡さんに聞いてる岡本さんも凄いね。 南海はインバウンドバブルで近年羽振りが良かったがコロナで全部弾けてしまった
ラピートもリーマンショックの頃のような閑古鳥に逆戻り
6000系はまだ残ってるが全部置き換えれるのだろうか >>425
仮に個人的な介入だったとしても、組織外の人間によるアドバイスで
上司が知らぬところで人が異動していたら、上司としては不愉快だろうな。 野村解任騒動で球団、鶴岡側が正義、野村が悪と断じられたのは
野村の讒言を受けても、鶴岡は抗議先を野村本人ではなく球団に向けたという
一線引いた態度が称賛された大きな理由の一つだった
これで南海ホークスの人間が自分に向けた批判という問題になり、
球団側は素直に謝罪することで、スムーズに野村の梯子を外すことができ
結果的には球団にとってもありがたい形になった
それが裏では自分の息がかかったコーチ個人に他所のチームを
斡旋していたというのでは、結局鶴岡も公私混同の誹りを免れなくなってしまう
もっとも鶴岡シンパの野村シンパの記者の数や年齢層は鶴岡の方が
圧倒的に多かったろうから、上の鶴岡が称賛された理由っていうのも
とってつけただけのものだったかもしれない
野村の味方をしたのはサンケイスポーツだけだったが、
それでも鶴岡を批判する論調にはならず、野村解任騒動が
起こってしまったという事実を悲嘆するに留まった
長文失礼 野村と鶴岡はひっそりと和解してるんだけどな。
表にはあまり出さないから周知されていないけど 上にあるようにまず巨人戦ありきの野球中継だったから
関東住みの俺はパ・リーグ見たくてもたまにしかやってなくて
NHK
TBSライオンズ中継
テレ朝のエキサイティングリーグ パ!
文化放送
くらいしか見れなかった
巨人戦ばかりあったからトレードできた山本雅夫や岡本圭右や金城を知れたけど
逆に南海に移籍した中条や橋本敬司なんてほとんど見れなかった
中条はとにかく細かったよね。よくプロで数年でも一軍でやれたと思う >>438
その時のイザコザが後年の野村阪神監督時代にまで響いてくるからな
その時反野村親鶴岡派だったスポニチは後年の野村阪神時代も徹底的な反野村の姿勢を貫き野村を猛攻撃
野村の辞任時には我々の勝利だ!との勝利宣言コラムまで書く始末
おまけに野村死去の際も阪神番記者の冷ややかな追悼記事に野村死去が一面に載ってない冷ややかな関西版紙面 >>440
それだけあれば充分やろ(笑)
土日のデーゲームもどこかの局でやってたし >>436
結果としてこう言った動きの積み重ねが野村の鶴岡に対する不信感が募っていった可能性は大だろうな
鶴岡当人としては自身の行動というより、周りからの「親分どうにか動いてください」的な持ちかけ案件が多数だったのは目に浮かぶけどね 長嶋がホークス入ってたら、ON決戦は
長嶋ダイエー監督で
王第二次巨人監督なってたかも。 >>443
要は鶴岡個人が芸能事務所ならぬ野球関係者事務所になってたんだろう。
本人の望む望まないに関係なく。
そもそもそれが当たり前になってたんだろうし、
その人の下で何年もやってた野村が今更どうこう思うかね?
と思ったけどやっぱ思うだろうな・・・あの思考なら
(コラム等でもそのあたりに関して言及してるのは見た事が無い)
ふと思い出したが加藤英司が2000本目前でクビになった時に
西本幸雄が南海を斡旋したのも鶴岡と似たようなものだな >>405
なんとなく見ていた層が
先鋭化されたオタクしかいなくなるやん。 >>445
大功労者であるけども、創業者や経営者でもなんでもない人間が、
引退後まで影響を及ぼしているのは少なくとも組織として失敗の極み。 それで組織が損害を被ったなら失敗だが、何かあったのか? >>449
その通り。特に鶴岡の場合、草創期から南海に携わっているし、彼の有形無形の繋がりが球団にとって多大なメリットをもたらしていたのは事実。
普通の組織なら、そういう功労者を会長や顧問待遇で残すよね。影響力あることは一概に悪いことではないし。今後もその影響力活かすために。
しかし、俺の知る限り鶴岡は引退後は南海の肩書なかったと理解しているが、功労者とはいえ何の肩書もない引退した人間が人事に介入して現場監督と軋轢出来てるのは問題でしょ。
別に鶴岡が悪いと言いたいわけでなく、単になんで肩書付けさせなかったのかが不思議。仮に鶴岡が肩書拒否してたとして、それでも球団に口出すならそれはそれで問題。 >>441
スポニチでも東京本社は大阪に追随せず、野村とは普通の関係だったな。
逝去時も1面で扱って追悼していたし。
野村・鶴岡・スポニチの複雑な関係は
母体の毎日新聞が、昔は大阪(大阪毎日)と東京(東京日日)が別会社で
新聞の性格や社風が違っていたのも影響したのかな? >>451
同じスポニチでもヤクルト番記者や楽天番記者は
阪神元番記者みたいな異様な文章じゃなくて普通に追悼文書いていたしな 南海最後の年の今頃だったか
ロッテ戦を観に行って湯上谷のサヨナラヒットで勝った
高柳がホームランを打った 「新潟移転」〜何かネット内では「罰ゲーム」的なニュアンスを感じるが新潟ってそこまで魅力がない街なのか? >>450
正直、それは今の感覚だ。
会社でも肩書き無いのが影響及ぼす事も結構あったし。 >>452
ホークスの福岡移転後、1989年大阪球場で行われたUWFの興行。
あれは既存のプロレスに飽きたファンを集めたそうだ。 >>456
球場の場所が悪い
日本はダウンタウンに球場を建てる感覚がないね >>459
南千住にあった東京スタジアムは?あそこも観客動員は最初のうちは入ってたけど、
だんだん閑古鳥がだったな >>460
東京スタジアム、あの立地で客入らないってほんとパリーグ不人気だったんだな >>455
湯上谷というと山田久志の球が心臓の近くに当たって
吐血したことあるよね
高校野球で似たようなことあってその生徒は亡くなってしまったから本当に紙一重の出来事だったと思う >>461
国電(当時)や地下鉄の駅からは微妙に遠く、また周辺地域が山谷近くであまり柄が良くなくて(住んでる人スマン)余所者は歩きにくく
駐車場も関係者オンリーだったので結局は都電(廃止の話が当初から出てた)や都バス頼みになり、便利とは言えなかった。
他の球場に例えれば川崎球場に近いかな。
また地域住民もあまり足を運ばなかったので開場当初とセの試合とペナントのヤマ場以外は常に閑古鳥になった 昭和30年代の鶴岡御大の新人獲得戦略に注目したい。36年尾崎、38年池永と傑出した
逸材が出てきた。が、鶴岡さんは一応関心は示すが動きがなぜか消極的だった。
とくに池永の指導者は、池永を育てられるのは鶴岡さんしかいない。とまで語っていた。
池永南海が実現していれば黒い霧での永久追放もなく、パリーグ史も変わっていただろう >>463
左右中間の膨らみがない後楽園球場のような激狭球場
投手は大変だったろうな 親会社(南海電鉄)からの資金不足で動き辛くなっていたんだろ。
それまでも親会社から充分な協力が得られないのを六大学のスター選手だった鶴岡親分の顔と人脈でカバーしていた状態だったけど、他球団もスカウトに
力を入れ出して来て、南海電鉄が何かと不熱心な姿勢なのがいよいよ重荷となってきたのでは?
昭和40年の蔭山監督休止騒動がそれに追い討ちをかけ、アマ球界ナンバーワン投手としてドラフト全体1位としてホークスが指名した(当時のドラフトは変則
ウェーバー方式だった)藤原真に入団を拒否されたりと思うような選手獲得が出来なくなってしまった。 >>461
不入りを見かねてか
読賣の大正力たちが巨人の主催ゲーム開催借用を持ち掛けたがラッパさんが
却下しちまった
東京スタジアムの立地って
紡績工場の跡地に建てたのも含めて
ナゴヤ(中日)球場とそっくりだったな
建屋の設備は月とスッポンだったがw >>456
福岡市や仙台市と比べたら、人口・交通網などの条件が悪いから、
毎試合2万人以上の観客を集めるのは厳しいよ。 >>461
あの立地、ってお前なんか勘違いしてるか
単に知らないだけか分からんがおかしいぞそれ >>465
ん?後楽園は両翼が狭いが膨らみはめちゃくちゃあったが?
それを言うなら東京ドームだと思う >>466
確かに蔭山氏急死、ドラフト導入で万策尽きた感あるな。野村へのプレイングマネージャー打診は万策尽きた南海のやけっぱちと思えてしまう。
鶴岡も影響力維持してる以上、現場の監督と微妙な関係であることはチームにマイナスでしかないし、
バリバリの四番かつレギュラー捕手に監督までさせる権力の偏りってリスクでしかない。
流石にサチヨの事態は想定外だけども、一個人に権力集中させたシステムが元凶だろう。 >>466 元々、南海はシブチン。鶴岡さんは東京に行くつもりだったから、
手塩をかけて指導者として育てた蔭山急死の時点で、事実上終了。
あとは、西日本&パリーグの口利き屋みたいな存在になってもうた。
巨人・西武に比べて地味だが、日本一経験のある人をたくさん散らばせたので、それはある意味貢献だし、ノムはやっぱり別格に活躍したんだと思う。客観的にみると。 松井淳みたいに、そこそこ活躍したけど解説者やるほどではないって人が野球界退いてからどんな生活したのか気になる。
67年まで南海のコーチやってたっぽいけど、当時42歳、それ以降なにしてたんやろな。
まだ存命なら95歳。Wikiにもネット上にもそれ以後の情報ない。野球小僧あたりに特集して欲しいけど無理やろな。 杉山光平は一流選手だったが引退後はずっと球界から離れてるな >>474
杉山も松井と同じ67年がコーチ生活最後の年だね。
ウィキペディアには退団後京都で鳥料理屋経営となってるけど、その名前でググっても全く引っかからないし、消息不明すぎる。
大打者なのに。 >>471
なんで野村より先に杉浦氏に監督要請しなかったんだろうな
杉浦氏は引退する気満々だったし野村と比べて鶴岡氏のと仲も良好だから色々サポートもしてもらえそうだし野村は野村で選手に専念できたらもう少し成績の上積みもできた >>476
「私の教え子ベストナイン」で野村は杉浦も教え子扱いしているので教え子に先に監督になられるのが嫌で自ら川勝オーナーに売り込んだのではないか >>463
地方から上京してくる人たちに対し、足立区とか荒川区の物件を
紹介しても、イヤな顔をされる事もあるよね。 >>464
大卒好きの鶴岡が渡辺泰輔を優先してしまった >>467
ナゴヤ球場のあたりもあまりお行儀のよろしい地区じゃないんだけど
それでも客が入ったのは駅から歩いてすぐだったのと、何よりもセリーグだったからかな >>464
池永については池永の人格的な問題で獲得に消極的だったらしい >>477
ハイハイ
なんでもかんでも野村が悪いと 日めくりプロ野球では杉浦は兼任コーチ時代の評判がいまいちだったから
野村にお鉢が回ったって書かれてたな 俺はノムシンじゃないが、当時の野村は絶対権力者だった。
広瀬や杉浦は引退したかったけど、晩年で球団に頼まれてずるずる現役だったし。
4番でキャッチャー、パリーグの顔。三冠王もとったし。
鶴岡さんがいたから、抑えが効いたけど、他のOBじゃ無理だろ。
監督時代は年棒も億を越え、どんどんワンマンに。 >>475
杉山本人がプロ野球と完全に縁を切っている
OB会にすら出なかったらしい
すぎ春は京都市東山区大和大路にあった >>484
そりあ後世から見ればスーパースターかも知れないが球団内の評価は低かったとノムは証言してるじやん
なにが三冠王や!大して活躍もしてないくせにと罵倒されたとか二冠王で給料が上がるわけないだろと言うか打率が低いから減俸な!とか >>464
直接出馬して家まで行ってるって。
池永「ワシは金の多いところに行きますわ」
鶴岡「・・・(そうかい、こんな奴いらんわ)」
The End >>485
そうなんだ。ありがとう。
何がきっかけだったんだろう。 というか長年4番正捕手務めてきた選手に監督まで担わせておいて
独裁化しないわけがない
もっとも合議的な体制では、鶴岡の後では誰が監督やったとしても
組織として瓦解していただろうから仕方なかったとも思う >>481
その人間性っていうのは>>487のいうとおり金にガメツかったということかね。
ということは黒い霧で池永が疑われたときは、池永を知る人たちは、あっ(察し)、っていう感じになってたんかな。 >>486 南海は平等に金を出さなかった。10年選手広瀬に対しても低い提示しか
せず、鶴岡さんも球団に落胆したという話が残ってる。
ノムは監督になってだが、球団内で評価低くて1億円以上もらうかな?
当時は1千万プレーヤーが一流と言われとった。
日本で一番もらっとったはずだが…。 >>490
他にも理由として実父に対する態度があまりにも酷かったから
下の名前で呼び捨てにしたり下足番のように扱ったり
野球の腕前があってもこんな男はいらん、と鶴岡は手を引いた
縦社会のプロでも性格は変わらず先輩のミスや審判の判定にあからさまな態度をとっていた 杉浦入団以前の短命エース群の引退後の動向って、コーチや解説者を務めた人以外はほぼ知られていないよね >>492
そのくせに先輩の顔を潰すわけにはいかないので八百長はしなかったが現金を保管しておいたとか言っている >>492
実父に対する態度とか、それマジならサイコパスやんけ >>493
暇なので昭和30年代前半に1〜2年だけ10勝以上を上げた短命投手を調べてみたよ
中村大成 不明 2013年没
大神武俊 KBC解説者、福岡大学監督 2003年没
戸川一郎 プロゴルファー 2018年没
野母得見 大阪有機化学工業へ入社、作業中の事故により1989年死去
小畑正治 医療薬品関係の会社を興し成功
円子宏 社会人野球の三重交通でプレー、監督も務める 1998年没
長光告直 不明
田沢芳夫 鶴岡監督の紹介で早川電気工業(現シャープ)に入社 2008年没
木村保 1967年までスカウト、コーチを努めるも以後不明 2005年没
祓川正敏 不明 2012年没 短命でなくとも野球選手のその後はしんどいね
野村時代のエース、山内新一もゴルフ場の営業マンとか
この人、星野とほぼ同じ勝ち星やけどな
星野はうまく生き残ったね こういう嫌なサラリーマンいるよね
現役と指導は違うのだろうけど それはむしろ山内が立ち回れていないだけでは。同レベルで球界に残ってる人結構いるし。
1001の場合、口だけ番長感は否めないし短期決戦弱いのに北京五輪指揮官は世紀の悪手だと思うけど、
選手引っ張ってくるGM的手腕は見事だと思うけどな。 南海勢は生き方不器用が多いね。
江本くらいかな口が上手いの。
星野みたいな損得で愛想まいたりご機嫌取り出来る生粋のペテン師は特殊だな。 山内は実績や人柄を見たら引退後もコーチや解説者の誘いは間違いなくあったはずで
あえて本人が断ったと考えるのが自然かな >>492
高校時代から「あの生意気さは度がすぎるのではないか」と記者から嫌われたり
プロ入りしてからも飲酒運転で事故を起こしたりと素行が悪かった
黒に近いグレーで永久追放までされたのは普段の素行・態度の悪さも影響したらしい >>501
そのくせに先輩の顔を潰すわけにはいかないので八百長はしなかったが現金を保管しておいたとか言っている 山際康之の「八百長リーグ」って本は戦前の南海に跋扈してた八百長を指摘しているね。
南海オタとしては、黒い霧よりこちらの方が興味あるけど、なかなか突っ込んだ書籍が「八百長リーグ」以外に無いから残念。 >>501
西鉄からすればトラブルメーカーを体よく厄介払いできたってことなのかねえ
戦力面ではけんもほろろになったけど まず池永が善玉扱いされていることが疑わしい
元凶の一人とされる田中勉はさっぱりとした親分肌で人望があったし、追放後の与田と益田は水商売ではなく会社勤めを全うした
中でも真面目な人柄で評判だった与田は、シロかクロか渦中の時に「あなたは善人、そんなことをする人ではない」という中学校時代の恩師からの手紙を読んで腹を括ったという >>505
与田のエピソード書いてある書籍があるの? >>504
戦力面のダウンがあまりに大きいからそれはないだろ 野村の池永評は
素晴らしい投手で投球術にも長けていて打撃も良かった
似ているのは桑田だと思うが桑田より池永の方が上だと思う
但し、故意死球の常習でスポーツマンシップに欠けていた
なんてところ >>504
それは同時期に在籍してた助っ人外国人のボレスにも当てはまるな でもって、そんな池永を間近で見てた東尾が
同じように死球上等な投球スタイルになったと 東尾がピンボール「だけ」の投手なら福岡時代のうちに他球団に潰されてると思うがね でも池永が健在なら東尾の後に250勝投手となる大覚醒もなかったかもな
打たれても打たれても投げさせもらった経験の中で打者心理を利用した投球術と外角低めの針の穴を通すコントロールを身に付けた
あの当時の西鉄の投手事情がなければとっくに野手転向かクビになっていただろう 東尾は危険球ルールのある現代野球で通用したかという議論があるが実際どうなんだろうな
東尾はかなり特異な経歴で成長した選手なので今の野球じゃあのストレートだけ見られて足切りされるレベルなんじゃないか 歴代NPB選手の「コントロール」部門で必ずトップに入る東尾をノーコンで当ててた思ってる奴って一定数いるよな
今なら顔ギリギリのとこに投げるに決まってるだろうが 菅野が与死球王になってるようなもんだから今だったらめっちゃ風当たりキツそう
逆に藤浪あたりは東尾のメンタルを見習えと言いたくなるね
打者にコイツは本物のノーコンだからマジで頭めがけて来ると思わせれるだけでどれだけ武器になると思ってんの そんなコントロールのいい東尾がポカポカ当てまくるから
他球団の打者が狙って当ててるんじゃないかと思うようになったのもあるわけで >>508
ハリーに言わせれば試合中にナニのサイズをばらすノムの方がよっぽどスポーツマンシップにかけとるわ!というところだろうがw >>513
わざと内角に一球も投げずに完投勝利した事もある 野村は池永評は投手としての能力は申し分ないが性格面について苦言を呈すものがほとんど
物事の善悪の判断ができず稲尾のようなエースの鑑にはなれなかったと
これは野村は池永を完全にクロだと信じてる書き方だね
ノムは黒い霧に関して自分の知っていることについて何も語らず墓場まで持っていくとして実際そうなったが >>519
逆にクロだと思ってない人っていんのか?
永久追放だよ。 それがわからん
ヤオに手を染めるのは大概選手生命が行き詰まって金に困ってる様な選手
野球生活が順調で金にも困ってない池永がなんでそんなリスクある行動する必要があるのか 池永は史上最年少の1000万プレイヤー(69年オフ更改) >>520
「八百長はしなかったが先輩の顔は潰せないので現金を保管しておいた」
普段の行動・言動からしてこんなの信じる方が無理 佐藤公博がクロで三浦が疑われたんだっけな
鶴岡さん時代の不可解な中日とのトレードも
そのあたりなのかね 佐藤公博は元阪急だった
66年柿本実と交換されたが
ヤオ疑惑があったから中日に巧く押し付けたw
中日のヤオ汚染元は佐藤とされている
佐藤と島野の2対1トレードで堀込は中日に行ったが亡くなるまでコーチや編成スカウトで貢献した
前後して森下整鎮もコーチで中日入りしているな >>450
影響力が残ること自体は悪いことばかりではないが、それであれば
会長とか顧問といった責任が不明確なポジションよりも、
球団代表やGMにして役割と責任を明確にした方がいい。
鶴岡自体に悪意はなかったのかもしれないが、現場に残っている鶴岡に世話になった
指導者たちが監督よりも鶴岡の声で異動するような状況は良くない。
指導者が監督よりも鶴岡に顔を向けているのがわかると、
他のスタッフや選手たちも右へならえになりかねないし、組織はまとまらなくなる。 結局南海球団も鶴岡と野村が完全に冷えきった関係になっていたことを完全に把握できなかったのだろう
野村が鶴岡への叛意を明確に示したのは解任時の元老発言が初めてであった
鶴岡が現実に川上のようなドン化して闇将軍ばりに裏で影響力を行使しまくってた方が様々な面でスムーズだったかもしれない
だが本人は到底そういう柄ではなかった やっぱり野村より先に杉浦氏が監督やるべきだったんじゃないの?
可愛がっていた杉浦氏なら鶴岡氏も役職につかないにしても色々サポートしただろうし >526 南海にそんな気の利いたことはできないし、金が無い。
鶴岡さん本人は、数年前から辞めたがってたのを南海が引っ張った。
個人的には、東京での鶴岡さんも見たかったが…
岡本や杉浦にしても、他球団のコーチ時代、自発的に鶴岡さんにしちゃうもんだから、
鶴岡さんも答えざるを得ない。>>420の岡本のインタビューは面白い。
阪神コーチで昭和48年優勝決定の中日戦の先発を鶴岡さんに相談。
世間と一緒で「上田じゃろ」
結局、江夏にして敗退。いいかげんな江夏の感想で八百長疑惑や阪神2位でいい説まで生まれた。 1973年に江夏が球団社長に呼び出されて
「金がかかるから優勝しないでくれ」「監督も了承している」と言われたって話ね
これって言っているのが江夏だけだからな >>528
まあ結果論からいえばそうだろう。
鶴岡→飯田→杉浦→(誰か挟むかもしれんが)→野村(引退後)が1番スムーズだね。
これならプレッシャーで弱った野村が某女性に取り込まれることもなかっただろう。
まあそれでも不人気は挽回できず、史実通り身売りにはなってるだろうが、、、。 鶴岡さんは文字通り「相談役」だったんだね。
(あそこで江夏か上田かなんて本来なら相談すらしないレベルなんだが・・・)
岡本さんもいい勉強になったんじゃないのかな、将来監督やる時のための。
鶴岡監督の名言に
「指揮官が駄目な部隊は全滅する」
ってのがあるが阪神は戦前の、会社に余裕があった時代を除いたら
常時全滅してたような部隊だったからね・・・ 飯田徳治がもう少し有能であったならなんてことなかったのに 公私混同という言葉は野村の騒動で覚えた、永久追放という言葉は池永氏で覚えた。
そして永久追放が、そのまま文字通りでないことを島野柴田で覚えた。 >>533
サンケイで監督として結果出していない飯田を呼び戻すって、呼び戻した方も問題だよな。
余程候補いなかったかも知れんけど、外様排除監督に大物OB縛りしてる名門のプライドがアダとなったな。
で、野村へのプレイングマネージャー打診は明らかに拙速、時期尚早。
南海は、鶴岡と表裏一体だったんだから、鶴岡引退後も鶴岡の傀儡を監督に就かせるしかなかったのでは。
チーム運営ポリシー=鶴岡の考えなんだから、いきなり鶴岡排除、野村就任、なんて上手くいかないのは火を見るより明らかやしな。
そうなるとやっぱ杉浦しか候補おらんかな。もしくは岡本か。 飯田を戻した時は、
産経の水野オーナーからフジテレビの解説者のポストが用意されていた岡本も
同時に呼び戻していたな。 >>535 まあ、岡本とともに木塚や杉山もいたんだが…
流れ的には、ノムで仕方ない。パリーグで、ONに敵うのも彼くらいしかいなかったし。
単発でハリー、山内などいたけど、チームが安定してなかった。
ノムも常勝軍団南海にいるからこそだったのだが・・・ 4番捕手監督兼任が出来るバケモノは野村しかいない。もはや兼任監督は過去の遺物だ。 本来ならどっかのタイミングでトレード(実際巨人へのトレードが決まりかけてた)されてたのが良かったかもな
それでも南海の身売りは避けられなかっただろうけど まあ、何やかやノムは言われてるけど、古田、谷繁と比較してみ。
ブレイザーを副官に持ってきたりとか、一枚上手というか、巧者やね。
スパイ野球と言われても当時はみんなやってたし、あの戦力でほぼAクラスなんだから。
ただ、性格と「さちよ」はともかく。 有本義明は野村について
「人徳に欠ける大きなマイナスがこの名選手をスポイルしている」とBBMで書いていたな。 野村も有本みたいな偉そうな素人には言われたくねーわなw 素直に好き嫌いが出るタイプなだけで人格どうとかいらぬ世話だろ。
処世で態度の使い分けする人間が人格褒められたり燃える男と呼ばれたりする世界で信用できる評価じゃないね。 有本はノムと犬猿の仲で有名なスポニチ出身だしノムに好意的な事を書くわけないだろ 好き嫌いが露骨な監督と言えば濃人や近藤貞雄や近藤昭仁らも有名 いやぁ、黒いな。石本や三原の影が見える。
この連中は昭和の妖怪だぜ。
職業監督。地縁、人脈すべて活用。
鶴岡さんもかすってるが、普通に見えるな。石本さんは広商だぜ。濃い人は広島出身。 >>549 あれ?記憶違いか。調べたらそのとおりね。スポーツ新聞の見出しを鵜呑みしてたかかも。 >>534
島野も星野のお陰で評価されとるけど何が素晴らしいのかさっぱりわからん >>551
あの手の人材で評価されるのは大抵癖やサインを見抜く上手さでしょ。
「なーにアストロズみたいなインチキなんかせんでも幾らでも見抜けるわいw」てな感じで。
只、何処を見て見抜いているのかとかについては一切明らかにせず(星野も知らないんじゃ?)、墓場まで持ってっちゃったけどな。 >>548
別所引き抜き、ポカリ事件、南海OBの大沢監督招聘辺りか。
尚、別所引き抜きについて三原当人は「あれは読売新聞の上層部が関わった事で、自分は一切周知してなかった。」と終生語っていたが、青田曰く
「その上層部を焚き付けていたのが三原さんなのは間違いない。」と断言している。 三原さんはいつも鶴岡さんの邪魔するのよ。
50年代、巨人を放逐されて、西鉄監督に就任。
鶴岡さんが目をつけてた中西、稲尾を色んなことして横取り。
鶴岡さんの広商の先輩石本さんを投手コーチに招聘
当て馬、ワンポイントリリーフなど奇策の連発
結局、南海を機動力野球から「400フィート打線」に変更させたし、
稲尾のようなスーパーピッチャー路線で、杉浦を酷使せざる得なかった。
まあ、最大に違いは、三原さんは雇われの渡り鳥だったけど、
鶴岡さんは南海一筋だったことかな。 >>551
マジで謎の人なんだよな。
南海の前は中日の選手だったけど、星野の入団前なので接点もなかった。
野村に言わせれば現役時代は「チョンボの島ちゃんと言われていた」そうで、
頭脳派のイメージには程遠かったそうで。 >>511
DHになったから報復されず投げ放題、危険球退場もなかった時代だからだよ。
実際DH以後の方がずっと成績いいだろ >>554
まあそれもたまたま後任が急死しちゃったからだからなあ…
リアルではみてないが名将が他の指揮を執る記録を見てみたかった >>557
これ頭おかし過ぎるよな。
明らかに誤審だったとしても審判の暴行って、スポーツでないし。意見があるなら他の方法で抗議すべきだろ。
NPBの裁定も甘いし。星野も審判への暴行癖あったけど、星野は骨折までさせてる。
それこそほんとに永久追放になってもおかしくないと思うんだけどなあ。 >>559
あの時に大西が橘高の死角から一発くらわして何食わぬ顔で逃げようとしたのは酷かった
1001時代は虎の威を借る狐みたいな選手が多くて嫌だった >>533
それは失敗した本人よりも、以前にも監督としてダメだった人にオファーした組織の問題。 リーマンと一緒で人のいい人、要領のいい奴、が出世だからね。
年功序列もあったろうし。
筋と流れとしては普通で、飯田&岡本コンビなんだろうが、飯田は1年としても
岡本に切り替え、2〜3年はやってほしかったね。
まあ、岡本は連帯責任とったんだろうけど。
次は、野村世代になるのは仕方ないし、青年監督もはやってたからね・・・ >>559-560
明大の島岡キチ郎が応援団出身の暴力監督だったからな。
何でこんなのが野球殿堂の競技者表彰なのか理解に苦しむ。 1001は小物、島岡のカバン持ちだったと聞く。
本当に怖いのは高田繁。岸和田出身の子供のころから南海ファンだったのに…
日シリで打たれた記憶しかない。 >>563
男の世界、特に体育会系は暴力を美化する風潮が昔からある
犯罪者の95%が男なの思えば一目瞭然。犯罪者でなくてもチンピラまがいのことをする男は一定数存在する 北京五輪惨敗後、2009WBC監督候補に星野有力だったのは彼の政治力が如実に出てるよね。
監督候補選定会議に呼ばれた野村が、すでに星野就任の出来レースだったと言ってるし、実際当時の報道でも星野当確の論調だった。
流石に世論に押されて星野は辞退したけど、政治力の恐ろしさを思い知った。 ジジ殺し。要領は抜群に良いし、中日オーナー、名古屋財界、川上哲、NHKなど
ゴマをするのが非常にうまい。
南海ファンの俺は、個人的には不器用すぎるノムのほうにシンパシーがわく。
ただ、1001監督の采配は北京五輪で実証済。気が小さいので、短期決戦にめっぽう弱い。日本一はマー君のおかげ。鶴岡さんの言うところのスーパーピッチャーやね。 >>564
殴ったらめんどくさいから殴らなかったと言われるくらいだし… 死んでからは急にノムは色んな人から慕われる人望厚いレジェンド扱いになったがかつてはそんな事無かったからな
ノムが監督やった日米野球なんて各チーム二線級の選手かつやる気全く無しで悲惨だったし
もしノムがオリンピックやWBCの監督やったとしても星野以上の惨状になっていたと思われる
イチローのワンマンチームなのにイチローの協力が得られないからと星野が監督断念したのと同じ事がノムが監督したとしても起こったのは明白
イチローはノムを個人的にも嫌ってるしな そもそも死んでからは楽天でも急にノムをレジェンド扱いする様になったが正真正銘レジェンド扱いの星野はともかくノムについては適当な扱いだった
背番号を適当な選手にやったりと ほんと、イメージというか先入観次第なので、
1001はノムと比較して、選手実績、監督としての采配は大したことない。
ただ、球団オーナーに取り入った選手集めや恐怖政治にはたけてたけれど、
長続きはしないし、1001を目指すとか尊敬しているという話は聞いたことがない。 野村に
「100年経っても勝てない」
と言わしめた阪神を直後に勝たせたのが星野の決定打になった
あそこでダイレクトに差をつけられたのは痛かった >>572
あの頃の野村も自信過剰で雇われ監督という立場を忘れていた
金を出す人間と対立してはどうにもならん
1001はノムほど頭でっかちじゃないし、得意の処世術でフロントも補強費を惜しまなかった 星野はセリーグの他球団のエースとしては見劣り感があった
少しずつ時代は違うが、巨人堀内・阪神江夏・大洋平松・産経松岡・広島外木場安仁屋
が超一流としたらパフォーマンスのみ肩を並べる現役時代 南海関係者で下戸って誰いる?
野村や江本は有名だが 鶴岡親分のテスト生(育成選手)を見抜く眼力は
素晴らしいと思うわ。
多分、川上哲、水原よりGMスカウト能力は鶴岡さんが上違うかな?
元祖「ワシが育てた」やな 素朴な疑問、1001はだれを育てたんだろう?
捕手の中村くらいしか思い浮かばんが…しかも殴って顔の形が変わるまで
立浪や今中は素材がいいんで、どこ行っても一流だと思うし >>578
岡本の高校時代の実績よく知らんが(バスケやってた?)、全くの無名の岡本を発掘したのもそうだし、
野村も鶴岡じゃなかったら少なくとも高卒でのプロ入りは難しかっただろうな。
素質があるから社会人で活躍してプロ入りってのは考えられただろうけど契約金ゼロは難しいだろうし。
この2人見出しただけでも大殊勲だな。
広瀬や皆川もテスト入団だけど、他球団や大学も動いてたらしいが、全くの無名だった野村や岡本はホントに素材を見抜いたとしか言いようがない。 >>582
アイク生原では?
1001は「死ぬまで走っておけ!」でアイクに育成を丸投げ >>559
これだけの事をやらかして
異例の無期限出場停止解除で復帰出来たのは先に審判二人が
島野柴田を馬鹿にした暴言を吐いていたのが露呈するのを恐れて手打ちにしたから
島野が亡くなった時この審判二人共
故人を誹謗中傷していたからか
世間が騒ぐ程
球界内では審判二人同情されていなかった それも全国に張り巡らせたスカウト網のたまもの。
それをアメリカの猿真似でドラフトとか持ち込んきやがったことで
何も努力しない球団がカネも手間もかけずに選手をさらってくようになった。
「南海が調査してるからいい選手だろう」
って理由で横取りするとこも >>586
だからといって殴っていい理由にはならない >>587
ドラフトが不利に働いた球団だよね、南海って >>576
実働14年、リリーフの比率が高いのに通算146勝もしてるからむしろ過小評価じゃないのか。
近藤貞雄に戦力外にされなければもう2
、3年は現役だったろうし 昔のエースは先発しながらリリーフやるのが当たり前だったけど中日は逆で
リリーフメインで先発もやる、投手が多かった。
星野も先発軸でやったのはキャリアでも5年くらいしか無い。
昔は勝ち星でしか評価されない時代だからかなり不利だったはず。
同郷の平松松岡に差をつけられて悔しかったろうな >>581
優勝時楽天主力のうち田中を除くほぼ全員
一応世間的にはノムチル扱いの嶋でさえ
僕を本当に育ててくれたのは星野さんと
星野を慕っていた >>590
リリーフが多いのに他球団のエースたちよりもかなり防御率が悪い 野球っていい投手さえいれば勝てるから、結局マネーゲームの様相になるのでドラフトは必須。
でも確かに南海独自のスカウト網や栄養費戦略が機能しなくなったのは南海にとって痛手だね。
南海凋落の真因かもな。 自由競争最後の年は
南海:渡辺 西鉄:池永 東京:山崎の契約金が5000万
今に換算すると4億円位かね
これでは高すぎるって事でドラフトが
導入されて契約金の上限が一千万円になった
選手側もFA制度は要求して導入させたがドラフト廃止は要求しないので
契約金高騰を抑える為には必要と認識しているんだろう そりゃ選手は割り算も出来ないような頭だからだろw
自由競争の方が契約金高くなるのにそういう頭が働かないのが脳筋 自分から出しておいて
「高過ぎる」
ってバカかとしか思えん
自分達がそれだけの価値があると思って出したんだろうに >>592 その嶋は、ノムが死んだとき、涙を流して直弟子をアピールしとった。
わしゃ、あきれたよ。 >>588
この時代は中学高校も暴力三昧だったぞ
ガラスは割られるし教師は殴られるし
バイクで他校の不良が殴り込みに来るような時代だったぞ 北京五輪の星野は結果よりもその後の弁明よりも
裏で「星野JAPAN」商標登録申請していたことが一番印象が悪い
ああ、これがこの人の本性なんだなと思った >>601
それ星野サイドから申請されてたん?
そうならヤバすぎw >>596
当時は新人の契約金が高騰していたのに、選手の年俸が安かったのがアンバランスな印象がある
「1000万円プレーヤー」が高給取りの代名詞で、国鉄時代の金田でも2000万円くらいだった
二桁勝利でローテーションに入っている投手でも、年俸150万円くらいの人がざらにいて
驚いたことがある 星野は関西人にとって神扱い受けてるしな。
どん底から優勝してからな。分からなくも無いけど。吉田阪神もそう。
西本上田阪急、仰木オリックス、西本仰木近鉄
鶴岡南海優勝日本一の事関西のマスゴミ余り取り上げてへんのも悲しいよな。
藤本定義の阪神も余り語られないしな。
85、03優勝ばかりやな関西のテレビ局は。 ドラフト前の自由競争の時は
【仲介人】なる人がいて(今もいるみたいですが)
その手数料がまた半端なかったらしいと聞いてます。
池永を西鉄が獲得した時も一説には総額3億かかったとも
そりゃ西鉄の西オーナーも屋台骨が揺らぎまくるから
ドラフト制度を強力に推進したと。
だから選手が契約金を引き上げたというのは全てではないと。 鶴岡さんって東京監督、サンケイ監督オファーあって例の陰山さんの事で破談なったけど、
確か近鉄からもオファーあったけ?
個人的には近鉄の鶴岡監督見てみたいな。
近鉄ってドケチで弱小な癖に、千葉茂、別当、
三原、西本とか大物監督呼ぶよな。
近鉄のob監督にこだわりないんやろな。
小玉、草魂、佐々木、梨田しかいないし。 >>606
阪急BWもob監督より外様おおいな。
ホークスは南海ダイエーOB
ライオンズも西鉄西武OBが監督やな。
毎日ロッテは東映ハムも外様多いか。 橋上は西武コーチ退任後出した本で「野村さんの野球は古いし、どこの球団でもやっている」とか書いて、野村亡くなったら擦り寄っていた >>598
全くの同意だけど、民間企業でもあなたが書いたようなバカが
役職者に頻繁にいるので頭が痛い。
所詮会社の金で自分の金じゃないから、後先考えず大金ぶち込んで
後になって激怒するのだろうね。
会社勤めを辞めて自営になってそれは実感。 高度経済成長期からバブル期までのプロ野球選手は
普通のサラリーマンと比べると最も差が小さかった時期なんだよね。
それまでは年俸は安くてもスターなら契約金で夢をゲット出来たのに
契約金も年俸もお求めやすい価格にされてしまった。
大洋の近藤なんか親のために家2軒建ててまだ余ったというのに。 >>604
在阪の民放テレビ局もVTRも誕生したばかりで映像が極僅かしか残されていないからだろな(´・ω・`)
やがて迎えた阪急黄金期の方は関西テレビが大量に映像を抱えているようだけど、チームが人気無かったからなー。 >>610
自由競争時代くらいの選手は契約金で都内でも土地を買いまくれたが
外車は円安の関係で難しかったとか言いますね。
山下大輔は81年に都内に土地購入したらしいがバブル期にはとんでもない
価格になったみたい
逆にバブル期に全盛期迎えた選手は槙原レベルでも都内の土地は難しかったが
外車は契約金で買えたとか。 70年代くらいだと外車に乗ってた選手ってかなり少ないらしいですね。
ヤクルトの選手は除外だけど
野村克也さんはリンカーンに乗ってた。 ベンツは当時では高くて乗れなかったのかな
力道山がキャデラック乗ってとかいうし。 ガキの頃選手名鑑見てて、有名選手以外、年俸が1000万さえ満たない現状でプロ野球夢ねえなと思ったね。 その頃はまだアメ車の方が高級車扱いだったんじゃない? >>615
当時は芸能界のほうがもうかっただろうね。
夢ないと思ってたけど他スポーツの年俸見てたらそうでもなかったことが
今思った。 当時サッカーはブンデスリーガーが最高峰リーグで
レギュラーの奥寺がレギュラー待遇でオファー受けて年俸日本円で1900万円
86年にマラドーナが年俸だけならセリエAで3億円、落合が1億円
行ったくらいだけど規模比べたらそう差があるとは思えない
Jリーグが出来たときも英国リーグの最高年俸が1億円だった。
カズの年俸2億円が世界でトップ20くらい。
野球は2億円で安いだなんだFA入れろだ文句言ってた むしろ今のほうが海外スポーツとの差が大きくて夢がない。
10億円プレーヤーとかでないとだめだよ。
>>617
野村さんとは真逆で
金田さんは不格好でよいから衝突されたときに安全な車をという理由で外車に
乗ってた。 車種は不明。 スポーツカーに乗る選手に苦言してた。
ヤクルトは外車禁止時代に野村さんが監督して外車解禁になり国産の大きさ
で駐車場が作られてノムさんのベントレーが止められないとかいう東スポネタ
があった駐車場の話は嘘くさいけど。 >>619
海外のサッカー選手が乗る車の一番人気がレンジローバーなのは
「事故った時に足を守れる」が理由なんだとか
金田と同じ思想だね >>606 近鉄、阪神もやな。
意外とこの両球団、采配に口出したり、タニマチがめんどくさかったり似てるんで、編成権やGMに近い権限を要求したら、引き下がったらしい。
阪急ブレーブスはいい選手があれだけいたのに梶本以外いない。永久欠番も。
黄金時代があったのに、結局上田だけがおいしいところ持って行った感じ。 南海時代の門田
アキレス腱切って以降は電車通勤
ある意味一番安全かな >>619
ノムさんのリンカーンも突き詰めればカネヤンと同じで
事故った時にこちらの図体がデカければダメージを最低限に抑えれるだろう
あるいは事故以前に他のドライバーも注意するだろうということだと思うけど 野球選手で単車乗りってのをあまり聞かないのは
体を守ることを考えたらバイクなんてありえないってのが共通認識なんだろうな >>624
タフィローズがバイクで球場入りしてたな >>624
65年に野村と本塁打王争いをしていた阪急のスペンサーがシーズンの最終盤に
バイク事故で負傷して離脱し、野村が本塁打王も確定させ三冠王になった経緯があったからかな?
やっぱりバイクは危ないと 神宮の選手専用駐車場はジャンクスポーツでもネタになっていたのを見たが
確かに滅茶苦茶狭かったw
狭いだけじゃなくて白枠もないから先に来た人間が奥に詰めるしかなく
後から停めた人間が先に出ないと奥の車が出せないくらいのぎゅうぎゅうぶり 当時の日本車は性能とか良くなかったということなの?? 今は日本車って
外国でも人気だと思うけど。
長嶋さんはトヨタがスポンサーで年俸高いがセンチュリーに乗ってた時期が
あるね。
昭和の年俸査定は球団ごとの格差よりも野手が高くて投手が抑えられてる
印象が強い。
兼任監督とは言え南海でノムさんは5000万円。 堀内とか平松はセリーグで
最多勝経験ありながら最高は2000万円前後。
落合も82年に一挙に5000万円いったし >>628
昭和30年代は年俸が最も高かったのは、国鉄の金田で、42勝した西鉄の稲尾がそれに
次ぐ年俸だったらしい
昭和40年代になると、長嶋が金田の年俸を抜き、ONがトップ1、2となった
野手のほうが年俸が高くなったのは、ONが基準となったこと、30勝、40勝する
ような突出した投手が出なくなったためではないか? 身体を守ることを考えるのなら、頑丈な車に乗ることも大事だけど
暴飲暴食をしないこともすごい重要。
特に深酒は内臓を悪化させ疲労回復を遅らせる要因にもなるし、
足元が不安定になってケガすることにもつながる。 権藤権藤雨権藤の権藤はその年の長者番付の1位になった。
少し前にその時の事を本人にきく記事があったが
「契約は親に任せてたのでよく分からないけど」
「当時は税金も球団が払ってくれたんだと思う」
と話してた。
つまりもの凄い額の契約金がそのまま手取りだった。
今のお金が無い中日と凄い差だ >>628
そもそもMade in Japanなんて欧米では安かろう悪かろうの代名詞だったんよ。
風向きが変わったのは、ラルフ・ネーダー(消費者運動の父と言える人物)がアメ車の欠陥振りを次々と告発し世間に衝撃を与えた中で、日本車が安い割に高性能
(=コスパが良い)と注目された辺りから。
日本にとっても未曾有の不況と思われた五輪後不況が長期とならず、再び高度成長の波に乗った(いざなぎ景気)という点でも重要かと。 川口が金田に会った時に真っ先に言われたことが
「投手が半袖を着てはいかん!」だった
60年代に食費に一日二万使っていたって位で体には無茶苦茶気を使っている 権藤のWikiに使われてる写真、
移動中の特急電車のグリーン車で坂東英二と
談笑してる写真なんだよな
新幹線もまだ無かった時代にいかに中日がバブリーだったかよく分かる
そして80年代、南海は移動をグリーン車にして!
と選手会長が球団に訴えていたという… 名古屋にただ一つのチームだし
地元に大企業も多いから
年間シートに苦労はないし
経営に失敗する方が難しい球団じゃないの。
学生の頃名古屋出身の友人が数人いたけど
野球はどこかからチケットが回ってきて見に行くものだという認識だったもんな。 日経に団野村のインタビュー載ってた。
有料記事だから詳細省くけど、サッチーが野村と知り合うまで団自身野村どころか、野球も知らなかったみたいでそこから野球始めたみたい。
サッチーが生前言ってた、初めて野村と出会ったとき、すでに野球少年だった団にその場で公衆電話で野村の凄さを確認したってのは完全なウソなんやなw
記事中に、野村に対しては感謝とか尊敬の念見せてるけど、復縁したとされてたサッチーにはまだ怨みあるのか皮肉言ってて笑える。 豊田泰光が遠征の時には西鉄の社員証みたいなのを渡されたと書いてたな
それを見せると私鉄がタダで乗れるって 親会社の無料パスは南海の選手にも配られていたんじゃなかったか ブーマーが顔パス気に入ってたらしいな
オリックスになってから当然だけど顔パスが効かなくなって不満だったとか >>639
ダンやケニーがプロ野球選手になれたのってコネ?実力? >>643
まだノムがヤクルト監督になる前だからコネが効くとも思えんが謎だな 元々ヤクルトは客寄せパンダ集めるのが好きなチームではあったけどね >>635
近鉄特急2両だけ〜 特急四国が蛇のよう〜 中日の話だけど1984年に優勝争いしたときにケチぶりが話題になって星野監督
が87年に就任した時に羽振りよくなったみたいだけどその権藤あたりの時は
羽振り良かったのか?? 板東英二もかなりの契約金だったみたいだし
巨人は長嶋茂雄より高額は出せませんと言われた
南海なんかも長嶋茂雄に巨人より高い契約金を提示
自由競争時は巨人っていうほど羽振り良くないんだね、意外と巨人希望
が増えたのは長嶋監督1次75年くらいからなんだよね。 田淵平松くらい 西武の選手は百貨店割引があって現役時松沼弟はスーツを西武百貨店以外
で買ったことないとか聞いたことがある。
阪急は百貨店割引なんてないのかな 阪急は選手に百貨店や系列店で常時割引特典があった
(2割程度)
と聞いてます。
年俸以外に結構手厚く待遇していたのかも。 さすがに村山みたく投げられなくなったら阪神電鉄本社で働かせてくれという選手は
そうそうおらんかったとは思うけどね
ちなみに「投げる不動産屋」と言えば江川というイメージが強いが
村山こそが元祖「投げる不動産屋」だったりする >>643 コネっしょ。少なくともケニーの広島入りはドラフト外だし。契約金0。
金石が金田の甥でカープ入り。本人も金田のコネと認めている。 少なくとも、広島はコネがきく時代があった。
有力者の口利きというやつ。広島と南海は意外と仲良しだったからね。
新井だって、駒大コネクションだし。 少なくとも、広島はコネがきく時代があった。
有力者の口利きというやつ。広島と南海は意外と仲良しだったからね。
新井だって、駒大コネクションだし。 広島なら古葉絡みかな??? ヤクルトは時代は知らんが親友の森ヘッド絡み 南海広島といえば
金城と福士のトレードもあったけどこの2人って当時でいえばかなり球の速いほう
だし。 金城はあの不慮な事故無ければカープのエースになってもおかしくない素質
福士もあの当時ならかなり速いほうだし2人とももっと取り上げられてもよい投手
星野仙一なんかよりはよい球投げていたと思う >>653
ヤクルトの監督になってからは
養子の団野村が代理人を務めたアカデミー出身選手の移籍をめぐるトラブルから、
野村と広島球団との関係が微妙になったことがあったな。 京阪特急2階建て〜
京阪電車はボロ電車〜
京阪電車ではよ帰れ〜 カツノリのために少年野球チームを運営し始めたものの球場が無いので
巨人に多摩川のグラウンドを試合をやらない間貸してほしいと不躾なお願いをしたら
巨人は二つ返事でOKを出したというエピソードがあるから
野村の影響力は思っている以上に大きかったのかもしれない >自由競争時は巨人っていうほど羽振り良くないんだね、
羽振りが良くないんじゃなくて
強くて人気のある老舗だから
必要以上にカネを出す事をしなかっただけ
>意外と巨人希望
が増えたのは長嶋監督1次75年くらいからなんだよね。 田淵平松くらい
星野や谷沢ら他にも居ただろ
いつものピンボケおじさんか中学生かなw >> 656 森かな、広岡ともその頃は悪くなかったし。
古葉だよね。ギャレット、ライトる、金城、福士
ほぼ兄弟な移籍。高橋里、福士、江夏くらいまでは広島に有利
外国人はピーク過ぎて年棒上がるんで南海に押し付けた感じだよね。
総じて、広島のほうが得してる感がする。 勝った勝った また勝った
弱いxxxに また勝った
近鉄電車ではよ帰れ >>661
当時の読売はまだ全国紙では無かった事情もある。
関西進出は1950年代に済ませたけど、九州進出は1964年、中京進出は1975年と時間が掛かった為、そちらにも巨額の投資を振り向けなければならなかった
という事情もある。
巨人が存外ドケチだったのは球団設立以来からの話(これは大正力独特のキャラクターに依る所が大きいが)で、お陰で大卒選手が阪神に集まってしまい、
職業野球リーグ開始から3年ほど阪神に苦戦し、新人補強の軸を千葉、川上、青田etc.と高卒中心に移行せざるを得なかったり。 >>660
まあ客観的に見たら兼任監督まで勤め上げたスーパーキャッチャーだしや >>664 水原監督が1951年〜1959年まで8回セリーグ優勝4回日本一、54年中日に譲らなければ、
9連覇なんだから圧倒的に強かったし、スターも多かった。
残念ながら、鶴岡さんも認めるように、試合前から東京の巨人に委縮していたらしい。
大卒も少ないし、田舎者も多かったので、大一番に弱く苦労したかもしれない。
ただ、59年には、やっと杉浦で水原巨人に勝ったし、64年には藤本阪神にも勝って日本一なんだから
鶴岡さんとしては一丁あがりだよ。阪神と試合やるのは身内みたいで…というコメントには笑ったが。
とにかく、西日本でNo1でも巨人だけには勝てないというのが付きまとった。 とにかく、巨人がほとんどのTV中継しかないし、アニメ、漫画も巨人一色。
たまに、NHKが受信料の関係か、お義理で巨人以外のカードを中継。
阪神は巨人のおかげで、人気が出た。V9のライバルというか引き立て役で。
関東出身のタブチ、谷沢はもちろん、大阪に近い岡山出身の星野、平松、松岡あたりも巨人ファン。
V9とTVの影響は大きく、江川筆頭に、桑田、清原も巨人ファンだし、イスラム教に近い広島出身の
谷繁、二岡も巨人ファンだ。 地元住みにとってはオープン戦とはいえなんばで巨人戦観れるのは有り難かったな
もちろん80年代当時シーズン中より客が入ってたのは言うまでもないけど… ほんと、2リーグなんかにしなけりゃなんば球場が東西対決で賑わったのに・・・ >>667
在京キー局の編成権が強化された1965年頃から、巨人中心になっていたな。
それまではセパの他カードの全国中継や地元局差し替えも多かったし、ラジオみたいな予備補充もあったけど、
テレビの普及率も低かったし。 意外なのは長嶋入団までは、日本テレビでも西鉄戦中継とか多く放送されていたらしい事。
父親も日テレ職員だった徳光が、長嶋の巨人入団までは西鉄ファンで、立教大の長嶋を観て長嶋ファンになり、長嶋と同じ道を辿ろうと立教大→日テレとの遍歴に
なり且つ熱烈な巨人ファンになった理由の一つが垣間見えた様にも。 Gバカ徳光親子って、やたらと巨人の話題に結び付けようとするから嫌 >>672
徳光が在籍していた頃までの日テレ自体がそんな局だったからな(w)。
今でも観るのが容易なウイークエンダーの最終回(と元映像をうpしたとする人が語っていた)でも、オープニングトークが今夜の巨人が大敗したって話題だったり。
日テレのみならず、1974年まで読売資本が入っていたTBSの方も主にアンチのスタンスながら何かと巨人絡みの話(「巨人が強過ぎてプロ野球が詰まらない」etc.)
が出て来たり。
老舗且つ地方V局を多く系列に抱える両局がそんなスタンスだから、太刀打ち出来んわな。 この
(w)
って書く人10年ぶりくらいに見た…
これほど殿堂板民冥利に尽きる日もなかなか無い
ありがとう 床屋の待合にあぶさんは数冊置いてありあぶさんが柏原と飲むシーン
があり柏原の移籍騒動が描かれていてようやく意味わかったのが
実はその時に柏原はハム生え抜きでないことを知った・・・・・
裏でヤクルト森ヘッド通じてホークスは柏原と江夏・ヤクルトは大杉と安田
で決まりかけた話を聞いた。 このトレード決まってたら南海側のダメージ
少なかったように思う。 安田はヤクルトに終身雇用で入社したつもりだったからね。
球団にゴネてご破算にしちゃったんだよんね、確か。
そして、先に、ヒロオカがタブチくんの元に行った。
早稲田愛の強い広岡に唯一可愛がられていない男。漫画のとおりでワロタ。 >>667
桑田も江川をディスった際に、元々巨人ファンでもなく
指名されたらどこへでも行ったとコメントしてたぞ >>666
鶴岡が南海監督として最後に優勝したのは1966年、その後は阪急が強くなって
南海はしばらく優勝できなかったので、鶴岡としては1970年で
一区切りつけたかったのかもしれない。
>>678
安田はマンガに描かれているような人を食った性格だったのかね? >>634
>60年代に食費に一日二万使っていたって位で体には無茶苦茶気を使っている
金田は巨人時代、カロリー高い食事摂り過ぎて痛風で入院してるよw >>679
嘘つき桑田
バリバリ巨人ファンだろうが
こういうこと言うから嫌われる 安田猛は引退後も定年近くまでヤクルト球団に勤務してたな。
ヤクルトでは何回かコーチもやっててコーチをあまり誉めない野村が激賞していた。
選手時代も広岡にプロの鑑と言わせていた。
当然ながら例の漫画で描かれたのとは性格がかなり違うらしい だけど広岡は安田を交換要員にして山崎裕之を獲得しようとした
安田が拒否してご破算になったが >>681
当時は栄養学でもカロリー至上主義だったからなあ。
和食なんて粗食の典型で、そんなの喰っている限り、何時まで経っても欧米人の体型に追い付かないと言われていた。 プロは食い物には金をかけろが金田思想だったからな
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0803/kiji/K20100301Z00002910.html
練習をハードにした分、食事は考えられないくらい豪華でボリュームのあるものになった。
当時のキャンプ地での宿泊料は食事込みで巨人の場合1泊6000円。うち食事が2000円だったという。
ロッテの場合、前年の1泊4200円から5000円にアップしたが、うち食事に3000円をつぎ込んだ。
「ウチは巨人より豪華で量もあるで。腹が減っては戦はできぬとは、昔の人もよく言ったものだ」と
金田監督の願いを聞き入れての食事改善だった。
金田監督の提案で牛乳が飲み放題、果物が食べ放題になったほか、朝食もごはんにみそ汁、
焼き魚に玉子程度だったのが、野菜サラダに茶碗蒸し、さつま揚げ、たらこ、シューマイなど
おかずが豪華に。昼食のサンドイッチにもとんかつやハンバーグがはさまれるようになり、
夜は野菜中心の鍋とステーキなどボリューム満点。
「どんどん食って、どんどん走るんや。こんだけ食っても太らんのはそのためや」。 >>679,682
八尾出身なのにそんな息を吐くように嘘を付く性格なんじゃ地元八尾では孤立しとったろうな。
九州や東北の僻地辺りだと彼のようなのが普通で、河内特有の良くも悪くも裏表の無い気性の方が地域から嫌われるか変わり者扱いされる様だが。 ジプシー状態のロッテでは他所よりも選手に体力つけさせなきゃならなかったろうからな >>682
江川に嫌味を言う機会を伺っていて
ここぞとばかりに言い放ったんだろう 77年オフ本当にトレード成立してたら78年のヤクルトの優勝はあっただろうか??
大杉の78年は3割30本記録してたはず柏原にこの成績が残せると思えないし
安田も一応15勝してる。 江夏はどう使われてたのだろうか???
森ヘッドがいるから井原慎一郎と江夏のW抑えとかして継投で勝ったのかもしれないが 桑田は八尾いうても太田のほうやろ
大和川に近いところやで >>669
南海電鉄も
読売新聞に頼んでセ行けば良かったのでは?
関西電鉄リーグ(パリーグ)構想も無理あるやろ。
阪急は小林米三オーナーと西本さん来るまでやる気ないし、近鉄なんか大規模な会社やのにドケチで球団雑魚やし。 まぁセリーグに行った阪神は完全に巨人の犬に
成り下がってしまったのが誤算やけど、
まぁ、2リーグ後も下位の大洋広島国鉄よりは
阪神中日も巨人と優勝争い出来るぐらいの能力はあるのに勿体ない。
阪神も戦前は1リーグの4度優勝して名門やと思うけどなぁ。(小声)(汗)
近畿グレートリング、南海で2回優勝したのも
あっぱれ。 昭和30年代までは阪神より南海のほうが人気があった
阪神甲子園は巨人戦以外は閑古鳥 阪神が巨人の犬なるのが誤算だったって阪神は産まれてこのかた読売の犬としてケツの穴を舐め続ける生涯に徹してるだろ
阪神の六大学志向はじめエリート幹部はみな東京偏重主義だってのに
ホークス及びホークスファンは読売に尻尾振るぐらいなら滅んだ方がマシだからな
二度とセリーグの方が良かったとか口を出すな 南海がセリーグ、阪神がパリーグになっていたら、「巨人・南海戦」が人気カードで
大阪球場は大入り満員になっていた
南海の選手も大人気となり、野村は月見草ではなく、ONのライバルとなり、王との
本塁打王争いは毎年の話題となった
阪神は観客数が低迷し、やがて売却されて九州に移転していた >>697
まあ関空できるから、大阪球場自体は無くなってただろうけど、
どっかにドーム球場でも作って存続してただろうな。 >>697
それ的なお、500回以上は連想した自信がある >>693
セパはメインと雑魚で分ければよかったのにな
タラレバだけど
巨人南海阪神は絶対にセでやるべきだった 阪神球団は72年まで基本的に赤字経営。
まあ甲子園(阪神電鉄が所有)に使用料を払ったりしてるから怪しいけど >>697
それはどうかな?
阪神は甲子園が本拠地なのが大きいよ。
あの球場は魅力的、人が集まる野球の聖地。
西宮、難波、日生、藤井寺とは根本的に違う。
むしろ阪神がパに行ったら結構集客はよかったはず。
セとパが理想的なバランスで人気を保て、
健全な2リーグになったと思うね。 高校野球の聖地としてでしょ
暗黒時代の体たらくタイガースの象徴としての甲子園なら誰もが憧れる存在じゃなかった
王は読売グループから見切られたのを拾ってやった立場だし これ読んでみ。巨人様様や。
https://www.yamatotsurezure.com/entry/tigers08
その後、パリーグからどんどん球団消滅、関西メディアは阪神1本。
デイリーは阪神を常に1面にすることによって笑いを取る、ネタやね。東スポ的な。 >>702
巨人無しに人が集まるわけないやろ。
我等の理想は巨人南海がセで阪神がパだったけど >>703
ノムは自分の一番幸せだったのはヤクルト時代だから
ヤクルトユニで葬ってくれと遺言遺して実際ヤクルトユニで棺に入ったが王はどっちのユニで棺に入るのかな
ノムと違って巨人と喧嘩別れしてるわけじゃないので巨人のユニでも違和感ないけど 王の場合は「ダメ監督の烙印を押されたままで終わりたくない」という意地で
ホークスの監督を引き受けた感じ >>707
あちら立てればこちら立たずで
結局支那そば屋の白衣 >>705
もっともデイリーでも広島県版は半ば別物と化しているが。 王はさすがに三冠王2回、868本塁打を打った巨人時代を抜きにして考えられない
でも、10年以上監督を務め、会長として球団経営に携わったホークスでの実績も大きい
どちらのユニフォームも大切だね いやぁ、巨人でしょ。ホークスは巨人での監督失敗を相殺しただけ。 いやぁ、巨人でしょ。ホークスは巨人での監督失敗を相殺しただけ。 王は菅原道真なのでね
祟られないよう全国であがめられるだろう 鶴岡親分のご子息の泰さんが亡くなられたようだ
江本をして変化球打ちに関しては法政三羽烏よりもセンスがあったと言わしめた才能の持ち主で
父親の反対でプロ入りは断念したが実際選手としてどれだけやれただろうと夢見させてくれる方でした
ご冥福をお祈りします マジか
昨日片岡篤史チャンネルでPL中村監督の対談を見ていて鶴岡泰監督の話が出て気になっていた所だった 江本が著書で「カーブ打ちが上手くて「プロでも通用したんじゃないかな」と思っていた」と書いていたね>山本泰
元PL監督・山本泰氏死去 75歳、腹部大動脈瘤破裂 法大後輩の田淵幸一氏が追悼
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sanspo/sports/sanspo-hig2008120003 >>720
そのかわり、親子関係は良くなかったと聞いたな。
カツノリってプロ成績はアレだけど未だに楽天で指導者やれてるって指導力や人徳あるんだろうな。
政治力で生きていくタイプでは到底ないだろうし。
親の力でいえば一茂の方が上だけど、彼が現場に戻ることはなさそうなのが対照的。 鶴岡姓から山本姓に替えたって時点で親子関係は宜しくなかったことは推測できる 80年代に関空事業に伴う再開発事業で中百舌鳥球場への本拠地移転構想が実現していたとしても残念ながら人気の低迷で集客は見込めなかっただろうな
今の大阪も十分発展してるけど昔は長居公園に競馬場やオートレース場、なんばには球場、スケートリンク、屋上プール、高島屋屋上のミニ観覧車といい今思えばロマンの塊だったよな 鶴岡はどちらかといえば珍しい姓だし狭い野球界では殊更鶴岡監督の息子であると強調され
親の七光りと思われるのを避けるためありたきりな母方の姓を名乗ったのかもね
カツノリも頑張ってた方だと思うけど泰さんも高校野球とは言え逆転のPL無敵のPLの礎を築いくなど抜群な実績を残した
大学時代は後にプロで活躍するタブチやピーコ冨田江本ですらプレイでも一目を置く先輩だった
プロに入っても思うような活躍はできなかったかもしれないが恐らく若くしてコーチや指導者への道を進み
プロの歴史にも名前を残す存在になってたのは間違いないだろう 野村が鶴岡の線香あげに行った時に
息子になんで親父は俺のことをあんなに憎んでたんだ?
って聞いたのはこの人? 野村はマジでそんなこと泰さんに訊きに行ったのか?
泰さんもびっくりしただろう
そういう性格だから嫌われたんだとなぜ自分で気付かないんだろうね
自分は南海の主砲でチームをまとめる捕手だから無条件に愛されるとでも思っていたのか
そういう重責を担う立場だからこそ鶴岡親分は厳しく当たったというのに そもそも野村が鶴岡に線香をあげに行ったのって事実なの? >>728 違うと思うよ。だって、親分自身も苗字換えたんだもん。
山本一人にね。一時的だが。 最初の奥さん(山本姓)の家が女の子ばかりで男の跡継ぎがいないから婿養子になったんだろ 古い野球雑誌によく選手に混じって幼少期の泰さんが写っている
歳の離れた妹が2人いたはず 婿養子になって山本一人になったけど奥さんが亡くなって
鶴岡姓に戻したんじゃなかった?
山本泰さんが法政大学の監督だったとき俺は大学生だったので
たまに六大学野球観に行ったが、結局監督では優勝できなかったんだってね
あの頃部員だった稲葉篤紀が大学時代の話は口をつぐむくらいだから相当雰囲気はわるかったんだろうな
東大に何十年ぶりに負けて変に注目されたりしたし PL出身のプロは多いから指導者として間接的に貢献したとも言えるね
元PL学園監督・山本泰さん死去 教え子の木戸克彦氏「PLの基礎をつくったのは間違いなくあの人」
https://news.goo.ne.jp/article/tokyosports/sports/tokyosports-2063010.html PLって創立初期
山本泰とほぼ同世代から
プロ入り輩出してるのよな
野田(神)戸田(急)中塚(洋)加藤秀(急) 山本泰氏の手記記事を読んだ記憶がある
プロの世界に入れたくないと直々に言われ、
囲い込み指名だけして入団交渉は行わず
この時はひどく父親を恨んだが、その後アマチュア球界で生きていってると
全て陰からひっそりと力になってくれていたことを後から知った
父親の掌で踊らされていたとも言えるが、自分も人の親になって
今ではあの時父親が自分をプロの世界に入れなかった理由も分かるし感謝してる
こんな感じの内容だった
山本氏がドラフトにかかったのは、蔭山急死騒動からまだ2年くらいしか
経ってないタイミングだったからな
山本姓を名乗ったのは、鶴岡の最初の奥さんの実家が資産家で
息子2人のうちどちらかを迎えさせてほしいと懇願されたからなんだとか >>737
山本監督の最終年の秋シーズンに、50年ぶりに東大に勝ち点を与えてしまったんだよね 東大が勝ち点挙げた瞬間、歓喜よりも、やってしまった…という雰囲気が神宮に漂ったの、当時生で見ていて覚えている もっとも翌年からの山中正竹監督の下で、法政は再び常勝チームに戻ったのだが PLは74年に就任したんだね。金森、尾花、西田、木戸、山中あたりか。
相当厳しい感じだね。親父さんより厳しいかも。
http://tokyo-proyakyukisya-obclub.jp/archives/1990
しかし、東映からも誘われてるし、アマとは言え4番打ってたんだから、江本の言うように
相当実力があったと思われる。 >>741
その試合行ってましたか
東大も投手に後にエースで活躍する高橋に
左腕の松本が調子良かったですよね
打線も片山、濤岡に間宮と揃ってて他校にも健闘してたし
決して弱くはなかった
ただ山本監督時代にプロ行ったのって稲葉、瀬戸とかいるけど
法政にしては珍しく誰もプロに行ってない世代も生み出してる
あの時代東都リーグや東北福祉大や神奈川の大学リーグや他地方に有力選手が散らばっててその煽りを受けたんだろうな 鶴岡一家もいろいろあったんやな
どの家も三代まではなかなか続かないな
横浜の佐々木誠の甥は応援している >>744 表現は「辞任せざるをえなかった」なので解任だよね。
しかし、色々渡り歩いてるね。親分と違って。
いい悪いはともかく、兄妹、おばあさん、お母さんのことを含め、苦労の多い人生だ。 ジュニアホークス→PLってあまりいなかったような
上宮のイメージ PLは
81年春 優勝
82年春 優勝
83年夏 優勝
84年春 準優勝
84年夏 準優勝
85年夏 優勝
87年春 優勝
87年夏 優勝
とにかく80年代は驚異的な強さだ
今の大阪桐蔭もそれに匹敵する 西川佳明とかいう華麗なる経歴の持ち主
もっと活躍できると思ったけどな 西川は高校、大学でもう消耗していた感じが まだ六大学リーグ戦でエースの3連投が普通だった時代だし >>748
上宮は
81年春 ベスト4
88年春 ベスト8
89年春 準優勝
89年夏 ベスト8
93年春 優勝
97年春 ベスト4
典型的な春型のチームだったな
夏型は今では作新学院、聖光学院と言ったとこだな >>752の訂正
上宮は86年春もベスト8に進出していた 小学校の同級生の親父がホークスの二軍だったことからよく大阪球場に連れて行ってもらってたのここみて思い出したわ
まさかデータは残っていまいとググってみたら60年頃入団で一軍経験なしのまま5年ほどで引退してた
今となっては親父さんにもっと裏話聞いておけばよかったと後悔 野村が岩隈を毛嫌いしているのは鶴岡の息子さん案件だからか? そっちより近鉄嫌いから
金村が野村さんは金村が近鉄出身と知ったら
口も聞いてくれませんでしたわと言ってた 戦前の南海にいた劉瀬章って人、今でも唯一の中国大陸出身の一軍出場選手なんだけど、全く情報がないな。
中国生まれで現在の横浜高校である本牧中出身だから、恐らく移民一世なんだけど、
南海退団後の情報が没年以外一切ない。 >>667
わかってない
広島で讀賣ファンは転勤族
地の人間で阪神ファンはちょいちょいいる 阪神ファンなんて、藤村の出身地の呉の80歳以上の爺しかおらんが。 >>759
福山あたりだと、割と阪神ファンもいるという話があるな。
以前RCCの備後向け番組のパーソナリティをしていた小川久志(国際ビジネスコンサルタント)も
番組中で阪神ファンを公言していたし、
煙石博もRCCのアナ時代に「なんでもジョッキー」で備後地域に阪神ファンが多い事に何度か触れていた。
もっとも福山氏は岡山県に属していた時代もあったし、笠岡市・井原市とも生活圏が繋がっていて、
地理的にも広島より岡山に近いなど、広島・安芸とはまた様相が違う面もあるが。 >>667
谷繁は備北の東城町の出身だから、カープがあまり身近な存在ではなかったかも。 谷繁は原のファン&巨人とYoutubeで公言してる。
二岡は三次の出身で、栄養費を広島からずっともらっていたが裏切って巨人。
広島苑田部長に、引退するときに巨人ファンを告白。おかしくないか?これ。
阪神の基礎を作ったのは確かに広島県人だが、それはカープがなかったから。
呉を中心に岩国あたりまでは南海にシンパシーはある。鶴岡さんが呉出身だし、常勝軍団だったから。柚木、広瀬、国貞あたりも広島出身だし。
ただTV中継が昭和50年以前は巨人戦メインだったので、巨人ファンの絶対数が多いのは仕方ない。広島がすごく弱かったので。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/mouko/kiji/K20120327002918770.html そりゃー近鉄は球団職員が八百長斡旋してたからね
草が断って記事になったこともある
黒い霧直後に兼任監督に就任してチームの掌握に苦労した野村からしたら
そんなチーム嫌うだろうな >>763
https://www.sanspo.com/baseball/news/20200215/npb20021508000001-n1.html
金村義明氏、ノムさんは近鉄を嫌っていた?「面と向かって怒られた」
金村氏は個人的な意見として、野村さんが「近鉄をものすごく嫌われていた」と証言。「近鉄のやつはアホばっかりや」と話していたという。野村さんには「『何も考えんとバッティングしている』とよく面と向かって怒られた」と懐かしみ、「それも当たっていた」と苦笑いを浮かべた。 近鉄って本社が野球に力入れてなかったイメージ。
企業規模としては南海の数倍、グループ連結で1兆超えるんだから、その気になれば強化できそうだったのに。 野村の現役全盛期のころの近鉄は石毛やシュルツ時代の
オリックスのような弱さだったし監督の小玉自体が灰色だったり
どうしようもない雰囲気のチームだったな
土井正博や鈴木や永淵も自分のことだけ考えている砂漠のような雰囲気
清や佐々木宏一郎や坂東里親や若手の鈴木がそろってたまたま強くなった時代もあったけど
西本さんになってからようやく球団の体をなした気がする >>766
小玉って灰色なん?
オールスターも出てるし、ベストナインも取ってるけど 八百長疑惑があるのよ >小玉
選手に八百長斡旋していた球団職員が後々暴露したが、時間が経ちすぎていて
証拠が出なかったのと、その時にはもう引退していて処分されることもなかった
ただ、鈴木入団前の近鉄で長いこと看板選手だったのに解説を少しやっただけで
現場には戻らずその後は球界と没交渉だからな
きな臭さは残る晩年ではあった 週べ回顧にも書かれていたが黒い霧で処分されたのは西鉄の選手が多かったが
実はヤオ汚染度は近鉄の方が高かったと当時から言われていたんだそうだ
黒い霧発覚時には三原が怪しい選手を放出済だったので処分者が少なくて済んだらしい
野村はこんな事を回想している
ttp://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=051-20160411-01
処分を受けた選手たちの供述によると、実は南海戦でも敗退行為が行われたらしい。
私はその試合に出場していたはずなのだが、鈍いせいかまったく何も感じなかった。
ただ、当時関与が取りざたされた近鉄のショートが、ファーストに大悪送球をしたのは覚えている。
「なんだ、あれ」「アイツはスローイング音痴か」などとベンチで話していた。
それほど、とんでもないところに送球していたのだ。のちにその疑惑について知って、「なるほど、そういうことか」と思ったものだ。 >>765
東海道新幹線開業により名阪特急の利用者減少。
三重県や岐阜県のローカル線問題。
伊勢志摩のリゾート開発など、時代により幾つかの問題が発生していたから、
球団経営に力を入れるのは難しいでしょ。 >>769
なるほどそういや三原から追い出されてるな
小玉選手 小玉のことは知らんかった、、、あれだけミスターバファローズ的な活躍してるのに、
引退後は指導者含め殆ど表舞台に出てこなかったのは不思議だったが。 昭和40年ごろに子供会で日生球場に行ったが
殺伐とした雰囲気があったなあ
土井正博はあのままなら小玉になっていただろう
そういえば賭け麻雀してたんだか
安井・服部・ボレス・永淵・・・
それに比べると大阪球場は活気があったし雰囲気よかったよ どんでんは日生球場の近くで生まれ育ったのに、近鉄とは最後まで縁がなかったんだよな
(南海とは子供の頃にジュニアチームに在籍してた縁がある)
父親が阪神の有力なタニマチで、優勝パレードの車に乗せてもらえるくらいのファンというのもあるけど
子供心に近鉄の雰囲気の悪さとか感じ取ってたんかねえ 近鉄の負けっぷりはすさまじかったからね
20数勝90数負とか
打線の平均打率が二割行くか行かないかとか
小玉はそういう時代に孤軍奮闘してある意味犠牲になったのかも 80年代にボーイズリーグにいたけど周りに近鉄ファンなんて1人しかいなかった
そいつは筋金入りで近鉄に入社までして公私共に応援できるって喜んでたけどすぐに身売りになってガッカリしてたわ 藤田まことが近鉄ファンと聞いたときに
奇特な人がいると思ったことがある
さすがに西本さんになってからはファンが増えたけどな 優勝したし 近鉄のトリコロールのキャップ欲しいけどどこにも置いてないのな
京セラドームにもなかったしneweraショップにも南海のはあるけどトリコロールのは期間限定で一時期発売されたのみ
あれ太郎デザインで格好いいんだよなあ >>766
八百長の部分をのぞいたら、つい最近までのベイスターズに近いものがあるね。 南海がコンプラ的にまともだったのって、鶴岡御大の存在が大きかったんかな。
戦前、鶴岡が応召されると八百長蔓延ったっていうし、戦後復帰してやばい選手は一掃したときく。
池永もここの書き込みが本当なら人格面でNG出してとらなかったっていうしな。 鶴岡も野村も八百長に関しては許さなかった
三浦清弘も佐藤の件で野村が追い出した
野村がヤクルト監督として優勝した時に
鶴岡が野村の良さを質問されて
自分の食い扶持を与えてくれる野球に対して感謝を忘れないところ と
答えたことがある 確執はあったとしても 近鉄に関しては実力も無かったけど・・・
それなりに実力があったのにやらかした
西鉄や東映の選手への処分の緩和を読売が提案した時に
南海と阪急は一切認めなかったのは被害者だからこそだな かつてのプロ野球選手は、素行の悪い人が多く、監督の悩みの種だった。
昭和29年に高橋ユニオンズが結成されたとき、他チームは素行の悪い選手ばかり厄介払いの
ため譲渡してきたらしい。
ユニオンズの浜崎監督は「札付きの呑み助ばかり集まってきた」と嘆いていた。 >>780
https://toyokeizai.net/articles/-/330099?page=2
鶴岡は球団の期待以上の指導者になった。終戦直後は球界に野球賭博が横行し、
八百長の噂が絶えなかったが、鶴岡はチーム内の疑惑の選手を一掃した。
そして俊足の選手をそろえて「100万ドルの内野陣」を作り、南海を巨人と覇権を争う強豪チームに育て上げた。 そんな鶴岡にとっては監督の愛人ってだけで采配にまで口を差し挟む沙知代は
存在そのものが絶対悪にしか映らなかったんだろうな
実際外部の人間が介入してきて駄目になる組織なんてのはいくらでもあるが ちなみに浜崎さんはいつも最高齢入団や投手勝利で出てた人。
慶應出身でその縁で阪急の初期の監督をしてた。
阪急は南海よりケチでほとんど他のチームに取られていた。
鶴岡さんとは広商での先輩後輩、あの黒田の父親を譲られたとwikiにはネガティブに書かれている。
広商の恩師石本も一時西鉄投手コーチでいたから、指導者レベルで同じリーグに先輩が2名もいたら
やりにくかったろうね。 沙知代は南海ヤクルト時代によく口出ししてたのは有名だけど阪神時代もやってたのかな? 香川伸行ってなんであんなに病的に太ったんだろう
高校時代から恰幅は良かったけど、プロでどんどん肥えたよな
スポーツ選手としてあり得ないし、もっと球団をあげて減量させるべきだっただろ
最もあの身体でもそこそこ打てたから本人も痩せる気なかったのかもしれんが 痩せさせようとしたけど、失敗したんじゃなかったっけ 近鉄は西本以前に千葉・別当・三原によるチーム改革があって
千葉は弱々しい「パールズ」の名称を変えたり読売からある程度管理野球を導入した(選手がついてこれずドベのまま)
別当は若手の土井や佐々木らを抜擢したりデータ野球を駆使してAクラスに躍進した(翌年には息切れして辞任)
三原は三原マジックやチーム浄化を推し進めて優勝争いに食い込んだ(近鉄と何か揉めたらしく翌年辞任) 土井正博や永淵の移籍が
近鉄の古い負の体質からの脱却やったんやろな
野村解任の後、それができなかった南海は沈んでいった そりゃ古い南海に戻そうとしたのが
野村解任以降なんだから。 香川のサードコンバート大失敗から始まって
86年はずっとサードを固定できなかったという
週刊ベースボールの記録の手帳の記述は今でも覚えてるな
覚えてるだけでも香川、湯上谷、岸川、中尾、藤本博、
小川史、池之上など守ったが固定できなかった
翌年はハモンド採ったけどあまり打てなかったし
藤本博史がハマるまで時間かかったよね
久保寺の逝去は本当に痛かっただろうな >>782
阪急は寧ろ加害者だろw
佐藤公博を中日にそ知らぬ顔でトレードして中日のヤオ蔓延を作り出した張本人だぞw アホかお前
なら黒い選手を放出しまくった鶴岡や三原は加害者かよ ブレイザー招聘は川勝オーナーの意向じゃないかな?
鶴岡流原点回帰のために広瀬を据えたけどさっぱりで、
本当は野村を呼び戻したかったけどそれは無理な話だから
ヘッドコーチだったブレイザーって形で
あくまで推測でしかないが 野村の兼任監督の就任自体が近代化へのトライだったんじゃないの。南海にとって。
でも、南海は今まで鶴岡に丸投げの属人的な運営しか知らないし、同じように野村に丸投げしてしまった。
野村の場合は現役の四番正捕手に加えて、監督までさせてしまうものだから、全権委任状態。そりゃ私物化もさもありなん。
程なくしてサッチー介入が目に余るようになるけど、放出できなかったのは、川勝の寵愛以上に、クビにするとチームが崩壊するのがわかってたからでしょう。
そりゃ一個人に委任させすぎだもの。で、追放したら、案の定万事休す。
やはり、蔭山急逝が予想外とはいえ、野村のプレイングマネージャーは性急すぎたとしか言いようがない。
球団のミスだと思う。飯田はともかく、杉浦でも岡本でも、ブレイザーとかでも候補はいたと思うし。 カルロスゴーンの日産と似ているな
ゴーンに頼らざるを得なくなり、実績を上げれば
会社への要求は高まっていく。
バブル当時の住銀の磯田も最後は娘に画商やらせていたんだか・・・
ある一線を超えるとオーナー企業でなくても私物化が始まるな 1950年の日本野球連盟分裂で阪神は判を押した。押してない。でうまく立ち回った。
いっぽう南海はこっち(パ)は大手私鉄がそろっているし、読売より売れている毎日
がいる、と。判断は揺るがなかった。が、後年、テレビ時代になって読売が系列
テレビ局をつかって巨人戦を放映しまくる。南海には致命的ダメージの判断だった 毎日新聞が野球に関して頼りないからなぁ。
初代チャンピオンでも大映に乗っ取られたし。
毎日新聞ってTBS MBS系やね?
間違ってたらごめん。
ミサイル打線えげつないほど強いけど、
阪神ダイナマイト打線から引き抜いたから優勝できたのであって。
10年後の西本オリオンズも何故か阪神から田宮引き抜いて優勝。生え抜きの山内も後々阪神に。 田宮は10年選手制度のボーナス支払いを阪神が渋っての放出でしょ
半分クビみたいなもので何故もクソもない >>802
TBSがスポーツに絡むとろくなことがないってのは
ベイスや大阪世界陸上やバスケW杯といった今世紀に入ってからの黒歴史の数々のせいだけど
大毎オリオンズとパリーグの顛末を見るに、その種ははるか以前に蒔かれてたんだな >>796
鶴岡や三原はほぼ戦力外で斬ってるが
阪急佐藤公博はそ知らぬ顔で交換トレードしてヤオ押し付けてるからな
読売の提案に反対したのが阪急と南海だけってのも他球団からしたら良い子ぶりやがって!日シリで読売に勝てない腹いせかwww と思われてたかも知れんぞw >>802
ところが毎日系は肝心のTBS自身が毎日系列色が強まるのを嫌って毎日放送をテレビネット系列から外し(1975年まで)、読売資本も入っている事を盾に
後楽園のテレビ中継権獲得に執心し、断られた後もセ・リーグに属する大洋戦の中継権を取得し、巨人戦中継の補完の役割を担う恰好となってしまったという。
まして中日資本のCBCも系列化したしなあ。
TBSがそんな調子だったお陰で読売・日テレ自身はテレビ系列形成ではTBSに後れを取ったものの、ことプロ野球についてはマイナスにならなかった(寧ろ巨人戦
がホーム、ビジター問わず全試合全国中継される恰好に)という。 >>804
国際プロレスを忘れてはいけない(´・ω・`)
初回中継で自他共に認めるプロレス世界王者ルー・テーズに対して、TBSがエースに据えようとしたプロレス入り間も無い若手レスラーへの負けヤオを要求し、
テーズが大激怒でガチモードとなり、慌てたセコンドが「マジで殺されるぞ!気絶した振りしろ!」と開始早々に気絶ノックアウトと赤っ恥な船出となったという・・・・。 >>804
TBSは知らんけど
大阪毎日は伝統あるアマスポーツの殆どで主催だったわけだし
日テレと比べてラグビーもアメフトも毎日の実況の方がまともなのもそのおかげだからな TBSはF1も放り投げてるし。
ラジオでは野球中継自体を放棄したし、大相撲も人気が低下したら捨ててるな TBSといえば、サッチー逮捕直前の頃
野村がドラフト会議を終え会場を後にしようとしたら
エンタメ班がサッチーのことばかりを突撃取材したことがあった
当然阪神はこの行動に激怒してしばらく取材禁止のお達し
実際に被害を被ることになったスポーツ班は激怒し
局内に亀裂が走ることになった >>807
ホークス福岡移転後の大阪球場で行われたUWFの試合の主催者は
毎日放送でしたな。 >>807
キックボクシングの沢村忠をスターに祭り上げてブームが去ったらキックから撤退したのもTBS
沢村の対戦相手は素人に毛が生えたレベルの選手だったことが暴露されている
亀田兄弟をバックアップしたのもTBSだし伝統的にそういう体質の様だ >>799
鶴岡監督も当初は選手兼任監督で、四番で三塁手だった。打点王、MVPを獲得する一流打者だった。
だから、鶴岡を見習えば野村もできると南海は考えたのではないか?
公私混同と言っても、チームの経費で飲みに行ったりくらいはあるかも知れないが、愛人が采配に
介入してくるなど予想もしなかったのだろう。
ブレイザーや高畠のような腹心がいるのだから、迷ったときは腹心のコーチに聞けばいいのであり、
愛人に采配を口出しさせるなど、ふつうは考えられない。
私物化というより、選手兼任監督の重圧で、野村は精神的に病んでいたのではと思う。
野村に対して、「大丈夫か? 最近疲れてないか?」など声をかける人が必要だった。 >>806
ABCもTBSの朝日資本を盾に、朝日新聞からのNET系へのネットチェンジ要求を長い間断り続けていたな。
野村はMBSよりABCとの方が親密だった様だ。
過去に既出のLPレコード「たたかうノムさん」もABCの協力だったし。 だいぶ話が逸れるが、TBSラジオが野球中継をぶっ潰して始めたアフター6とかいう番組は糞過ぎて聴いてられない >>815
鶴岡さんはほぼ隠居だから罪はない。むしろ、蔭山の任期をつないだ感じで、ご苦労さんな感じ。
格的にいうと、穴吹、岡本、杉山に一旦禅譲で、大筋は仕方ない。
残念ながら、その後は野村であることは致し方ない。年齢的にも、格としても。
パリーグ随一のスターであったのは事実なんだから。 >>697
阪神がパ・リーグにいて毎日本社がもう少し頑張ってくれてれば。
更に長嶋が南海、王が阪神に入っていれば歴史は変わっただろうな。
そうなると近鉄は大映、高橋の運命を辿ったかな。 >>819
長島が南海に入った世界線ではノムが逆に巨人でボヤいていそうだw >>820
野村と森のどちらが生き残るか見物だなw >>815
野村が孤立化してたのは事実やろね。
それに加えて有形無形のプレッシャー。 選手兼任監督は、監督業に重点を置いてあまり出場しなくなるケースも多い
西鉄の中西監督は、故障もあったが、ほとんどスタメン出場しなくなった
野村監督は監督になってからも出場を続けて、四番を打ち続けた
選手兼任監督としてはかなりめずらしいケースだと思う
だから、心身の消耗も激しかったかも知れない 王が阪神入団でも軽く400号打てるスラッガーになってるんちゃう?ミスタータイガースやな。
長嶋も南海やったらミスターホークスや。
ノムが先入団してるし、ノムとセゲオでNN砲やな。
王が阪神やったら田淵は巨人かな?
ホークスの監督も田淵、王やなくて
ノム、長嶋監督やな。 >>823 兼任で選手としても成績残したのは鶴岡さん、別当さん、ノムくらいやな。
中西は優勝もしとるし、任期は長いけど、試合にはあまり出とらん。びっくりしたのは通算1262安打しかしてない。3連覇までがピーク。ケガと腱鞘炎に悩まされた。 >>819
王が阪神だったらタニマチに連れられて遊びまくって終わってるわ。
巨人でも荒川が来るまでは夜遊びしまくって、
再会した荒川に「遊びだけは負けません」とぬかして荒川が呆れたぐらいだからな。 村山は監督時代も投手としての登板がそれなりにあったけど、
1972年シーズン途中から、監督の肩書のまま投手に専念して、
金田正泰が代行を務めた。 >>825
中西監督はケガもあったけど、「監督の自分が出て打てなかったらどうしよう」という
プレッシャーで出場できなくなったらしい
豊田が「監督、ここは出て下さい」とうながすこともあったが、なかなか出てくれなかった
こういうのが兼任監督の難しさだと思う >>826
そのくらいの少し気を抜ける部分があったからその後の血の滲む様な特訓にも耐えられたんだろうな。
それが無いと投げ出すか、逆に榎本みたいになっちゃう。 野村は沙知代以外はあまり遊んだ話を聞かないな。
公営ギャンブルやパチンコや麻雀や遊郭などとは縁が薄かったんだろか >>814
非常に興味深い内容だったけど、TBS側の余計な介入が国際側のシナリオや目論見を大きく狂わせたとの認識は変わらないなあ。
本来なら3本勝負の2本目に持ってくる内容(1本目で大善戦するものの、体力を使い果たしたのか2本目の開始早々力尽き果てた、みたいな。)で、
国際側もそれで「さすがに適わなかったけど、草津も意外と頑張ったよな。」という形にしたかったろうし。
>>816
そりゃあ毎日系については鶴岡さんが長年懸けて築き上げた強固な繋がりがあったからねえ。
鶴岡さんが毎日新聞から引っ張ってきた尾張スコアラーは野村にも付いていったけど。
野村からすれば一方で鶴岡さん、他方で阪神の人気に対抗すべく、ONに優るとも劣らない自分の実績や知名度を武器に毎日系以外のマスコミとの
関係を深めようとするでしょうし、ABC、YTVやサンスポ辺りからしてもシリーズ出場の際の放映権や取材を有利にすべく野村に接近したろうし。
その際には藤山寛美そっくりと言われた風貌(後に両方を足して2で割った風貌の岡田が出て来るが)も武器となったかな?w >>830
夜な夜な遊びに行く同僚を尻目に入団時から寮で黙々と素振りしてたくらいだし、
南海の三悪人と呼ばれるようになってもそもそも下戸だからそこまで遊べなかったちゃうん。
母親を楽にさせたい一心で頑張ってたというし。 >>828
中西は義父の三原からも見限られたからね。
阪神監督でも同じようなことをしてた気が…。逃げる、隠れる。
江本に馬鹿にされとった。
結局、稲尾にしても、コーチにはむいとったが、監督としての教育を受けてないんだよね。三原が独特すぎるのかも。まねでけんし。
専門のコーチとしては良いのだろうけど。 >>830
逆に言うとあんまり遊ばなかったからこそ沙知代にハマったんじゃない? それはワシも思ったw
遊び慣れてないから沙知代に引っかかったんじゃないかと >>826
親会社の関係を考えると、毎日にいた荒川コーチは読売に行くより、
元々縁があった王がいれば阪神に行った可能性も否定できない。
王と荒川はやはり出会う運命w 野村と長嶋が同じチームで仲良く野球をやる姿が想像できんなw 野村も暗黒化するまでは気の良い奴だったみたいだから、上手くいくんじゃね V9時代に巨人が野村のトレードを申し入れたってのもあったみたいね
当時の巨人はそんなに森が不満なのかって位に捕手を次から次へと獲得していた >>839
森は自らを脅かす選手が入ると必死になるから。
悪く言えば常に噛ませ犬を与えていたのだろう。 >>837
後の高卒苦労人の衣笠-大卒お坊ちゃんの山本浩二や、西本-江川みたいな関係になっていたんじゃなかろうかと。
実際、現役時代は鷹揚・能天気な長嶋と猜疑心が服を来ている様な野村と性格が好対照なのが逆に良かったのか互いが互いを認め合う関係だったし。
険悪になったのは、ヤクルト監督になった野村が球団営業対策として巨人や長嶋の事をボロカスに言ったりと遺恨を演出したのを長嶋サイドが真に受けた
と野村は認識していたけど、その根底にお嬢さん育ちの長嶋の奥さんが夜の街上がりで何かと出しゃばるサッチーを生理的に受け付けなかったという
面も少なからずあった様だ。
何でも監督復帰に消極的だった長嶋に対して、長嶋の奥さんが「あんな男がデカイ顔してアンタ悔しくないの!」と長嶋の尻をひっぱたいたとか何とか。 もっとも>>841で書いた話は、野村がお嬢さん育ちの本妻を捨ててサッチーに行った事を知っているマスコミの捏造めいた話ではあるけど。
それとも長嶋が監督復帰して欲しい長嶋シンパのマスコミ人が長嶋の奥さんにその話を吹き込んだか? >>840 ただ、ドン川上が性格が悪いだけでは?
そして、森のライバルをどんどん入れることで、森の性格がどんどん陰険になっていった。
長島は1次政権の時、森を入れなかった。ドンは激怒。のちの解任につながる。 阪神はええよな。
1回優勝しただけで大阪人は騒ぐのくせに
南海、阪急何度も優勝しても大阪人は騒がれへんもんな。近鉄も頑張っても、
パリーグの悲劇。
もう、阪神って宗教団体。
戦前戦後は名選手いたのは確か。
でも85年以降の暗黒期、選手も育てられへんし
大した選手いてないわ、外様と外人やし。
星野阪神は外様で優勝したようなもんやろ。
何に魅力感じるんや、奴らは。 >>844
南海はs34年の日本一で御堂筋パレードをやったり大阪中が歓喜した経験があるだけまだマシだろ
阪急なんていくら優勝しても恨み節を言われるだけだった >>845
南海西鉄戦は人気なのは知ってるけど、
1959年の御堂筋パレードの大阪市民は殆ど阪神に寝返ったんちゃう?当然、野球知らなん人いてると思うけど。
当時見てた少年ファンでご存命でも75歳以上やな。
南海西鉄当時の選手がご存命の人でも85歳以上
90歳以上やもんな。
団塊の70歳以下の世代はどうしても巨人阪神になるわな。
それにしても阪急は不遇すぎやな。 >>839
川上監督は森の打力に満足していなかったからかも知れない。
セリーグでは阪神の田淵、中日の木俣のほうがはるかに打力があった。
だから、つねに「もっと打てる捕手が獲得できれば」と考えても不思議ではない。
巨人の捕手は、森が出てくるまでは、数年置きに代わっている。
だから、もっといい捕手が出てくれば、森と代えるつもりだったのだろう。 85年頃の暗黒時代に田淵が南海監督をやったとしたらどれだけ負けるかな? >>847
森は水原時代の59年にインサイドワークを買われたのと前任者藤尾の肩と打撃を活かす為にレギュラー抜擢されたがセでは木俣が出てくる迄は寧ろ打てる部類の捕手だったけどね 森は貴重な左だったし、当時は捕手で打撃は期待されない時代。
田淵、木俣にくらべるとだが、巨人でクリーンアップを打った経験もあるから
>>847 の言うようにバッティングは悪くはない。性格は悪いけど。
ノム、古田、城島は守備と打撃、両方よかったのは珍しい。城島のリードは微妙だが。 >>850
ノムは守備も打撃もというより打撃よりでは?
本人も認める様に肩弱いし
もし巨人に行ってたら途中でコンバートされてたかも 八重樫によると木俣も打撃偏重らしい
打撃守備両方一流って古田位か
>八重樫 キャッチャーは木俣(達彦)さんと中尾(孝義)の一騎打ちという感じだったけど、僕は中尾を選びたい。
>中尾は強肩強打のキャッチャーでしたからね。一方の木俣さんはドラゴンズひと筋でプレーした選手で、
>打撃でも好成績を残しているけど、キャッチャーとしては「肩が強くない」という印象が強いんです。 八重樫の上から目線ワロタw
そら八重樫が見てた現役時代の木俣は
晩年だから肩は衰えてるだろうよw
八重樫がレギュラーになったのは
ヤクルト初優勝の後だし >>841
ソースが不明だし全く信憑性が感じられんな
そもそも長嶋と奥さんは仮面夫婦だったのに 八重樫は選手歴のわりにオーヤ君がいたので、レギュラーはオーヤ君が衰えてから。
中尾は中日優勝の時に活躍してたね。
野村はあの弱い肩で良く生き延びた。
クイックやボヤキ、工夫をしたんだからいいんじゃないの。
捕手の地位も上げたし。 巨人監督選び異常やな。
絶対生え抜き名選手、大卒(高卒)やろ。
巨人入団、貢献し、一回巨人出て行った人間は 監督無理って言うのもおかしな話やで。 >>857
まあ南海も同じようなものだったから、、、それで自滅したんだけど。 まあ、それができない球団は多いわな。
南海は、名門球団だけど、晩年は金欠とさちよのお陰で、凋落。
落ちるスピードも速かったな。もっとも、阪急、近鉄もあっという間。
パリーグは全部親会社交替か… >>775
>小玉はそういう時代に孤軍奮闘してある意味犠牲になったのかも
綺麗事過ぎw
千葉監督の時、稲尾や杉浦が先発の日になると、
急に「腹が痛い」とか言い出して欠場することがあったのに。
千葉「こっちの腹が痛くなりましたわ」 そんな選手だから事実上永久追放になったのだろうね
阪神の金田正泰と一緒 >>841>>855
自分が聞いた話と逆だな。野球人気と巨人の危機のために復帰したい長嶋茂雄を
奥さんがあなたはナベツネさんに利用されてるだけだからやめてくださいと
反対してた。 >>860
マジかよw
小玉のこと全然知らんかったけどあかんやんけw 南海スレであれだが
78年ヤクルト優勝したとき広岡と森ヘッドは八重樫をのほうを評価して使ってたが八重樫が
ファールチップで骨折して大矢を使わざる負えなかったと。
長嶋シンパのOBが広岡と森は運が良いだで見る目はゼロと揶揄してた。
この話は本当なの??? 八重樫がドラフト1位で大矢が下位指名で同じ年のドラフト
木俣の理想の捕手って野村さんと真逆で面白い >>864
木俣は入団した頃のエース小川健太郎に、
「投球の組み立てはこっちが考えるから、
お前はとにかくボールを後逸せず、
盗塁を刺してくれたらそれでいい」
と言われて捕手の役目はそっちと教育されたからね。
これが巨人だと真逆で、早稲田から入った山倉は、
新人の時のキャンプから堀内にリードの教育をつきっきりで受けてからマスクを被った。 >>866
でも山倉はリード下手と叩かれてなかった?
困ったら外角って 困った時にはアウトローの山倉
山倉も森に似てて「山倉じゃ物足りない」と有田を獲得したり中尾を獲得したりされていた 近鉄って小玉、土井、小川もーやん、栗橋、羽田、鈴木貴、村上、石井、中村ノリ
良い生え抜きバッターに恵まれてるな。
阪神とは偉い違いやな。 >>866
木俣は中日が数年前の嶋とか炭谷とか捕手のFA補強を考えてた時にリードが良いから
獲得することに苦言を呈してアナウンサーが木俣さん真面目にやってくださいみたいな
感じだった。
木俣が言うにはリードに正解はない何が正しい間違ってるかわからないむしろ
肩とかキャッチング打撃が良い捕手を起用してリードは試合で覚えればという考え
メジャーリーグ的な考え 山倉は南海指名して拒否。 野村は自分が教えれば山倉は良い捕手になると思ったの
かな
アウトローは巨人の伝統
反対に中尾と有田は強気リードだったね >>869 羽田なんて、西本さんがつきっきりで指導、サポートしたらしいよ。
指導者次第だと思う。 >>869
小玉みたいなのが主砲だったから近鉄は万年Bクラスだったんだよ。
三原が来て小玉を放出したら球団史上初の首位争いw
>>870
里崎も「リードは結果論」と言ってるね。
デーブ大久保が3Aでリードしようと張り切ってたら、
3Aに落ちてた有名な投手に「お前の仕事はBlock The Ballだ」と言われたらしい。 デーブがそんな昔に言われてたのに同じ事をして総スカン食った城島はアホだな 野村と同時代の岡村とか宮寺や男前の種茂とかは
捕手としてどうだったんだろう
岡村については日本シリーズで知られているが 木俣って実績の割に過小評価だと思う
少なくとも八重樫が偉そうに評価するような捕手ではない
指導者実績が少なく実況解説が酔っ払い親父風wなのと2000安打未達成なのが一因か >>873
江本は「最近はリードリード言い過ぎ。球が凄けりゃどんな配球でも打ち取れる。」と言っていた
野村も「良い時の江川の球だとどんな配球でも打ち取れる。捕手はただのキャッチングマシーンになってしまい
捕手の喜びを感じさせてくれない投手なのだ。」と書いていた 昔みたいに投手がサイン出して捕手はそれに従うだけにすればいいんだが
投手のサインは打者から見えてしまうから難しいよな・・・
お互いのグラブか腕に超小型の伝達機械でも付けられれば手短に済んでいいと思うだが そもそもリードなんていう正解が無い上に、指示したとしても投手がそこへ投げてくれないと
意味が無いあやふやなものよりも捕る、止める、刺すといった確実に出来る事をするのが捕手の仕事やろ
野村はそこをあいまいにしたのは自分が不得意だったからかね それはあるかもな
野村のキャッチング、フレーミング能力は低いし
シーズン、通算共に最多捕逸の記録持ってる守備ボロ捕手だからな
いくら出場試合が多いとはいえ、褒められたもんじゃない トレードで巨人に行ったとしても結局森に勝てず
コンバートされて山崎や和田の様な捕手出身の強打者と言う評価で終わったかもな 俺は野村信者じゃないけど、別に野村の選手時代をけなす必要はないと思うし、
比較対象やレバタラは無意味。ここは南海スレなんだし。
確かに性格は問題あると思うが…
自分でレギュラー取りやすい南海に入団し、大活躍。
厳しい鶴岡さんの叱咤激励にも耐え、4番で捕手、3冠王達成。
晩年は監督兼任も、夫人問題で晩節を汚す。 打者としての実力は認めてるけど捕手としては三流なだけ 当時の南海には突出した投手がいなかったから、野村監督のリードが効果を上げた面もあったのでは?
江夏のように、野村監督のおかげで再生できた投手もいた。
だから、野村監督がいなくなると、南海はたちまち弱体化した。
もし野村監督が捕手として優秀ではなく、リードに意味がなかったなら、ここまで弱くならなかった。 >>876
名球会ってホント癌だと思うわ。2000本が絶対基準になってしまった。
藤川も250S基準なかったらとっとと引退してるやろ。
名球会を作ったのは金田の最大の汚点。 >>887 子供のころはいいなあと思ったけど、大人になってよくよく考えてみると、
200、2000に意味ないよね。
落合のことは好きでも嫌いでもないけど、杉浦さんが入っていない名球会なんて、
には賛同できる。
中西や長谷川良平もそうだし、明治生まれの杉下入れないなんて、意味不明。
挙句の果てに金田の私物化が判明し、分裂。なんなんだろね。 >>888
そもそも最初から金田が威張りたいだけの会だしなあ。大正以前生まれを除外してるのもその理由。
確かに野球って数字で判断しやすいスポーツだし、2000本、200勝っていうのはすごいけど、あくまでも数字でしかないし、選手の功績っていうのは総合的に判断されるものだよね。だから野球殿堂がある。
金田の私的オナニー組織の基準がベースになるのは歪よ。影響力のある人がやっちゃダメだと思うわ。 野村の全盛期に捕手能力が低いなんて言われた事は無い。キャッチングも肩も良かったと豊田ですら言っている。
フレーミングなんて当時概念すらなかった事を評価する意味は無い。 円城寺球審の誤審は捕手野村の捕球能力の低さも原因の一つ >>860
近鉄が勝てば大穴だから
出場して打ちまくらないと駄目なのでは? >>877
大阪球場のボックス席やん
横に居るの誰? >>876
木俣はナゴヤ球場のパリーグの試合とかだと、結構まともな解説だったという話もあるな。
1983年にはTBSの大洋対巨人に呼ばれた事もあった。 >>894
実況解説が居酒屋酔っ払い親父風になったのは還暦越えてからで
昔はバッテリーの配球やコースをズバズバ当てて実況アナが吃驚してた 全部捕手のリード通りに投げること自体が北別府並みの制球力がないと無理だよな
「自信を持って投げ込んだ球なら少々コースが甘くても打たれない」という
有田のポリシーの方が現実的な気が >>892
アッタマ悪すぎw
お前、野球賭博のこと全くわかってないだろ?
何のためにハンデがあるんだよ?
「強いチームと弱いチームが戦ってハンデなし」だったら、
弱いチームになんか賭ける馬鹿がいるかよwww
胴元パンクするわドアホ
先発によってもハンデは変わる。
稲尾や杉浦みたいな絶対的エースだったら近鉄は2点以上もらわんと勝負にならんだろ。
ところがそこで近鉄の4番が急にスタメンから消えてたらどうなる?
高確率で近鉄の勝ちに賭けてた奴は負けるわな。
もしその4番が胴元とつながってたらとんでもない話。
こんなことは無かったと思いたいがね 広岡は西武時代を振り返って
「ある投手は大差がついて勝っていると不自然に打たれだして点差を詰める
野球賭博のハンデに協力して点差調整をしていたのではないか」と疑っていた
H尾の事らしいが >>895
そういやノムが引退後注目されたのは野村スコープで配球バチバチ当てたからだったな 野村スコープは配球の面白さがよく分かったという声と
見辛くなるから止めて欲しいという声の両方があった
どちらの声が大きかったかは定かではないが、テレ朝の社長賞に輝いたのが
一つの答えだと思う スコープそのものはあってもなくてもどっちもいいと思ったが
「もう少しハキハキしゃべってくれよこのオッサン」
とだけは思った記憶がある 全部の中継に野村スコープがあったら嫌だけど、テレ朝の野村解説だけだからな。あれはあれで個性的でよかったんじゃないのかな。 >>888
最高シーズン成績と通算成績を掛け合わせポイントとすれば良い
例えばシーズン最高20勝した通算100勝投手は20✕100=2000ポイント
シーズン最高10勝した通算150勝投手は10✕150=1500ポイント
インパクト評価ならこれで良いのではないか 小玉も亡くなっていたんだな
ミスター近鉄にしては寂しい終わり方だ
高木喬や吉沢と黒い霧関連で取り上げられたのが一因か
どん底時代の近鉄では唯一名前が知れていた選手と思う
サードでベストナインに何度も選ばれているが
当時の南海は誰がサードか思い出せない
南海はセカンドや遊撃に良い選手が続いていたな 鶴岡時代の三塁と一塁って
強打者と云えるのが飯田ハドリと外野に廻った杉山くらいなのよな
三塁国貞一塁寺田より二塁岡本ブルーム遊撃小池の方が打力が上だとはw >>815
基本的に監督は現場で権限がある代償として孤立しやすいポジションだし、
選手兼監督となれば選手側からしても色々付き合い方も難しくなるので
益々孤立しやすくなるのは確か。
その中で野村が疲労やストレスを蓄積させ、私生活でも元嫁とうまくいかないところに
サッチーに隙を見せてしまったという線が考えられる。
そうなると、サッチーからすれば赤子の手をひねるようなもので、
こいつのチームなら越権行為をしても大丈夫だと確信できただろうね。
野村が落合や原みたいな性格なら、サッチーもあそこまでの内部干渉はできなかったはず。 >>860
そういう選手のサボタージュは
読賣時代の子飼い移籍組ばかりをかわいかっていた千葉への反発もあったのよね
根本が中退させて近鉄入りさせた土井正博も千葉は戦力外にしたが
もし別当薫に監督交代しなかったら根本はどうするつもりだったろうか? 千葉は巨人出身監督が失敗する
「巨人ではこうしていた」「巨人ではこれが当たり前だった」
というワードを連発した最初の人物だからな
さぞ求心力は低かったことだろう >>909
>そういう選手のサボタージュは
>読賣時代の子飼い移籍組ばかりをかわいかっていた千葉への反発もあったのよね
は?ソースは?
これってただのサボタージュじゃないから。
普通に考えて攻略が難しいエースを回避して自分の打率が落ちるのを防ぐメリットが一番大きいわ
それともっと大きい闇の可能性もあるだろ。
何のソースも無くきれいごと抜かしてんじゃねえよ >>908
さちよは最悪だけど、南海の選手も猛者揃いで、ノムのゆうことあんまり聞いてなかった。
門田は王選手のアドバイスも無視だし、広瀬は侍すぎるし…、江本は長髪を注意されても切らんし…
それはそれで、ユニークな集団だったと思うが…
結局、コツコツ熱血で育てた西本が、阪急監督退任のとどめが昭和48年南海優勝なんだから。 >>909
千葉曰く近鉄の主力は宿舎へ帰って雀卓を囲むまで試合中と別人のスピードを見せたとか
古巣の選手を引っ張ってきてまで意識改革に努めたが、それが却って疎んじられた
親会社からは金銭面で泣かされたそうだ 千葉は近鉄の監督を辞任する時に「大阪には銀座がねぇから」と言ったくらいだしな
こんなこと言う人物を監督に据えたのがそもそもの間違い 千葉は衣服もおしゃれだったし、銀座の洋食屋のカツカレーの起源にもなった人だから、
大阪の文化に合わなかったのだろう。
センスの高い野球をしてきたので、近鉄の退廃ぶりは衝撃的だっただろう。
東京六大学のスターで、それまで阪神、毎日でもスターだった別当が近鉄で土井を育てて
よく頑張ったと思う。 岡本太郎と親交があったぐらい天才肌の人だった
文化人のヘボ草野球を見て、藤田や広岡らがシラけているのに、千葉ひとりだけ笑い飛ばしていた
そういう洒落の通じた粋な人だから監督は向いていなかった まぁ、あだ名が球団名になったのは凄いよな。
勇者の末裔やのに、球団名が猛牛のも変な話やけど。 カツカレーの起源については他にも説があるけどね
その点ビールかけの起源は何回ホークスだというのは異論を挟む余地がない おいおいここは南海スレやで。
起源は多いよ、南海は。全国スカウト網、スコアラ―、南海土建(2軍)
、大阪スタヂアム(ナイター)、細切れ継投、鶴岡さんが苦労しながら工夫して作った。三原さんほかライバルが多かったから、開発してはすぐパクられやった。
でも一番の成果はボーイスリーグだったりするのが皮肉やね。大阪球場は消滅したが。 >>922
中学生以下の少年野球界が元プロ選手の指導を排除しなかったのも大きかったな。 元プロが少年野球の指導をするのは昔からOKなんだよな
森安敏明は永久追放された後に仕事の合間に少年野球で指導をしていた
その中からプロになったのがサブロー この間 関テレのイベントでエモやんが
小池の遊撃守備は大橋よりうまかったのではないかと
話をしていた
大橋穣については広岡はじめ評価が高いが
小池の守備はどうだったんだろう
子供の時にやたら引っ張るバッターとしてしか見ていなかった 南海土建で準優勝してるんやな。
スレチすまん、
西鉄社会人も優勝してるんで。
だから西鉄社内でもう一度プロに気運高まり、
西鉄クリッパーズ、ライオンズに繋がるやけど。 南海土建はホークスの選手を使って優勝しかかってしまった
その事がアマチュア野球界の逆鱗に触れプロ・アマの溝を作ってしまったという悲しい歴史が 溝を作ったのは柳川事件で中日だよ。
土建はもっと悲しい話で、鶴岡さんがプロ野球において対外試合が少なく練習に明け暮れるばかりであった二軍選手を見て、「それならプロじゃないわけだから、社会人チームを結成してその大会に出たらいいのではないか」
という練習試合もできなかったので作った裏技。
でも、当然強いんで、都市対抗で決勝戦までいったんよ。
ここで勝ってたら、大問題だけど、負けたんで、微妙な話でおしまい。
西武におけるプリンスホテルみたいなことを30年前からやってたんだよね。
でも貧乏なのも南海ぽい。中百舌鳥で畑仕事もさせてたしw。ほんとのファーム。
鶴岡さんの凄いのは、金かけずに、やりくりやアイデアで切り抜けることやね。土建もそうだし、ボーイズリーグなんかも知らんところで思いがけず、とんでもないことになるし、影響力も強い。 支度金1億円ってパの球団よりよっぽど金がある>プリンスホテル
https://www.zakzak.co.jp/spo/news/200625/bas2006250002-n2.html
堤のいう「ウチ」とは社会人野球チームの「プリンスホテル」。
しかも1億円の支度金を出すという。
当時、阪神が岡田へ支払った契約金は6000万円、年俸420万円(推定)。
アマ野球では考えられない金額だ。ところが、
岡田は「すみません。きっとボクは阪神に当たると思います。
この手のくじ運はものすごく強いんですよ」と宣言したという。 これマジな話し岡田と原は入団時に一生分のクジ運を使い切ったんだろうな どんでんは、今考えると、意外と困ったチャンだったよな。
ブレイザーとの確執や不倫スキャンダルなど。
でも、運もいいし、人気もある。地頭はいいんだろうが、変なことしか言わん。
松村の物まねの通り。
ちなみにリトルホークス出身。 南海はドラフト導入以後なんであんなに補強が下手だったんだろう >>932
ブレイザーの件は在阪マスゴミとそれに煽られたファンが暴走しただけだし
不倫スキャンダルについてはむしろ被害者だからな
どんでんがホンマにやらかしたのはオカマとの熱い夜くらいでは 南海のジュニアホークスは有名だね。
阪急もリトルブレーブスがあったけど、オリックスになった後あぼ〜ん。 阪急近鉄阪神はそれぞれ百貨店持ってるが南海は南海百貨店持ってるの??
昭和40年代とかだと百貨店の受付嬢とか化粧品会社売り場のお姉さんとか花形
職業だったし出会いとかあったのかな 南海と関係深いのは高島屋
このスレで今さら言うのも白ける >>932
岡田は幼いころからタイガースファンだったらしいけど、ジュニアホークス所属だったんだね。
この人は野球に関しては地頭がいいし感覚も鋭いのだろうけど、
表現の点で損しているような気がする。
地頭がいいが表現で損している点は野村と共通している。 まあ仮に南海がデパート持ってたとしてももう潰してるやろな デパートのお姉さんたちと結婚って例は60年代70年代はないのかな 南海の選手は高島屋のお嬢との出会いがあったに決まってんだろ
阪急百貨店がなんぼのもんじゃい
ブランド力は圧倒的に高島屋の方が上だっつうの
阪急ブランドを有り難がってるのは関西だけ
首都圏や名古屋圏でも高島屋の名は轟いてるが阪急百貨店の知名度は無しに等しい 阪急の選手はタカラジェンヌとの出会いがあった
高井や山沖の奥さんはそれだし >>934 巻き込み系なんだよね、本人に悪ぎはないけど、周りが騒ぐ。
ブレイザーの時は、ファンや関西系マスコミ。
不倫の時は、金払っちゃうから、話ややこしくなるし。
おかまの時は本気で女と思っとったら… 笑うしかないね 受付嬢の制服は高島屋が一番好きだった時期がある。 白服で黒ストでたまらん
化粧品のお姉さんとも出会いあるのかな。 「南海百貨店」は愛媛県新居浜市にあったけど、南海電鉄とは関係のない地元資本だった。
その後ダイエー→イオンになった。 南海は流通業を手掛けるにあたって西武グループの支援を受けてたね
なんばCITYも初期は西武色が強かった 南海沿線の高島屋って
なんば、堺東、和歌山市か
南海沿線ちゃうけど
泉北にもあるか >>947
この場合は堤清二の西武流通グループ(後のセゾングループ)の方だね。
当時は鉄道(義明)と流通(清二)が分立してまだ10年も経っていなかったし、
清二も一応西武鉄道の重役だった。 和歌山の高島屋は撤退してしまったな
ぶらくりも相変わらず休日も全く活気のないシャッター街だし和歌山の衰退ぶりはマジで半端ない
和駅の近鉄百貨店はまだ健在だがここも外商でまだ持ってるだけで今後どうなるかわからん
和歌山が元気にならなきゃ南海本社の経営も難しいものがある 昔天下茶屋の車両工場跡に西武百貨店が出来るって噂は聞いたことあるけどなるほどその流れだったのか?
当時はまだ天王寺支線もあったしそれなりに人の往来はあったのだろう
百貨店とは言えないがまだショップ南海はいくつか残ってるのかな? >>949 殿堂板は流石に詳しいね。 本体を妾の子が継いで、流通を清二が継いだ時はほんとに流通はおまけみたいに大した事無かったんだよね。 芸スポだとプリンスホテルとセゾングループが違う事も理解出来てないのが無数にいたわ。 天下茶屋に西武百貨店があったらそこそこ流行ってたろうにな
地下鉄が延びて乗換駅になって今や難波新今宮に次ぐ南海No.3の駅に昇格した
デイリーカナートがあるにはあるが格落ち感が否めない 未だに天下茶屋の駅前は持て余し感があるね
南海と堺筋線の乗り換えが上から真下って感じでスムーズすぎて
乗降客が多いと言えど駅前への動線ができる余裕はなさそうだけど 日本シリーズやオールスターのような祭り事の際は
ベンチ上に必ず高島屋のペナントが掲げられてた
https://youtu.be/t-XkLknQQds?t=21 >>942
阪急は創設期からタカラジェンヌと結ばれた選手がいたし、確か鶴岡の後妻もそうだった
高井は娘がじゃないか? 昭和30年代のホークス野村の映像はどれを観ても生き生きしている
心底野球が楽しかったのだろうな
蔭山の死からなんだろうな何かの歯車が狂いだしたのは
ホークスファンとしたら野村がヤクルトのユニフォームで葬って欲しいといったことに悔しい気持ちがないといえば嘘になる 昔花月でみた漫才では
紳助が天下茶屋の駅なおせって言うてたな >>952
学のない人間だから、こないだ見たコクドとセゾングループの動画で、別物だったんだと初めて知ったわ 身売り直前は個性豊かで実力も伴った選手豊富だったのに実に勿体ない
佐々木、カズ、河埜、門田に香川 若手には藤本、岸川らもいたな
投手はにゃんこ、吉田豊、西川にw山内
当時は南海が不人気というより巨人一辺倒でパリーグ人気が皆無だったし努力も怠ってたからな >>962
再現映像で南海はユニフォーム再現されてるのにブレーブスは無地でワロタ
南海も無地でよかったやろw その程度で「実力も伴った」って言わなきゃいけないのが末期的だ 在阪パリーグは待遇をネタにされやすいがデパートや化粧品のお姉さんとか
宝塚のお姉さんの出会いとか良いとこのあるんだな。
セリーグでも大洋とかヤクルトなんてセリーグというだけで出会いはなさそうだ
東京は巨人が持っていきそうだし。
今は知らんけど >>966
ヤクルトもアイドルや女子アナと結婚してるし
大洋はともかく後進の横浜だと同じ様にアイドルと
結婚した選手いるし >>966
むか〜し、むかし。
川崎球場を本拠地にしていた頃の大洋の選手は堀之内のトルコ風呂で
遊んでいたそうな。 江本が長髪で髭伸ばしてた姿は俳優の立川光貴に似てる気がする >>970
昔は百貨店と化粧品のお姉さんは高嶺の花だった時代だから選手も近づきたい
だろう。
榎本喜八は南海の大阪遠征すると繁華街多くて遊びに行くやつが多くて
そういうやつに付き合ってられないということで1人例外的に知人の家に泊まってた
理由が理由だけに球団は許可した
今の選手ってソープ行くのかな >>970
その後川崎を本拠地にした某球団の主力選手がソープ大好きなのは有名だな 巨人の河原がソープ嬢と結婚して泡原と呼ばれてたとのことだがどこからそういう情報が漏れたんだろな
あと駒田の最初の嫁さんが出産で黒人の赤ちゃんを産んで駒田が振り絞ってとりあえずお疲れとだけ言ったという噂とか
どこまで本当なんだろうねこれらの話は >>975
何故か河原が店で撮ったと思われる宣伝用の写真出したからだよ。
一目見れば事情を知らない人間でも???と感じる写真だったし
業界ではそれなりに有名な嬢だったらしいから
風俗誌がすぐに「おめでとう!○○ちゃん」と嫌がらせのスクープ出した。 富田のことを考えたら巨人でなく阪神にトレードされてほしかった
実際に阪神古沢との交換トレードも画策されていた >>974
A投手(野手に転向)?
高校生の頃から行ってたらしいが、
ソープなんか行かなくても女には不自由しなさそうだったけどな。 野村の「敵は我にあり」によれば、日本シリーズの際、連日二日酔いで試合に出ていたのがきにいらなかったそうで。
本当かどうか正直怪しいが。 それはクラレンス・ジョーンズじゃなくて?
富田もだったのか
ユニフォームを洗わない汚な好きだったから嫌われたって意見は
以前ここで見たな 野村も勝った日のパンツを履き替えない不潔極まりない習慣を持ってたわけだが
ヤクルト時代はそこそこ連勝も多かったよな そもそも富田は南海在籍時に日本シリーズに出でない件 >>980
低打率で三振が多いのが気に入らなかったがブレイザーが推薦した手前我慢して使ってた感
後釜がパーカーで打率は良かったが長打力不足で1年で斬ったな
後年ヤクルトでもパリッシュを斬っているし
楽天でもAJだったらケチ付けて対立したか斬ってたんじゃないかな >>974
その後別の球団で監督も務めたO選手のことかな? >>958
ノムさんからしたらヤクルトは野球人生で輝いてたし、ob戦でも楽しいそうやもん。
ホークスob戦は移転球団、身売りの宿命かしれんけど福岡系と大阪系の選手は接点し、別球団認識ちゃうかな?
今はライオンズホークスも球団史語るけど、
昔は前球団黒歴史扱いやし。
まぁ、ホークス総監督野村と巨人軍総監督長嶋
がob戦に呼ばれるのも光栄やろな。
なんばパールスの扱いよりマシやと思う。
西武も稲尾さん扱ってるし。 >>979
打率が低い
チャンスに弱い
日本シリーズの怠慢守備 >>972
それは山内一弘の話だろ
藤沢桓夫に薦められた下宿先で寝泊りしていた >>981
お前本物の馬鹿だろ
日本シリーズの時は富田は巨人のサードだぞ >>986
パールスw
そういえば近鉄は球団関連の権利のほとんどをオリックスに丸投げしてしまったな。
なんばパークスのギャラリーは、
やっぱり南海電鉄ではなく福岡ソフトバンクホークスの運営にすべきではないかと思う。 >>970
>>974
最寄駅から球場に行くのに途中風俗街通る必要があって
かつ近隣に競輪場・競馬場があって、トイレが昭和30年代で止まってるとあれば
そりゃ川崎球場に客が入るわけもないよな 競馬場は電車の京急の駅からすぐだからまだいいんだが、
球場と競輪場はそこからも離れてるのでバスか
怪しい街を歩いて抜けないといけないので・・・ 川崎はとにかく駅から遠い印象だった
千葉マリンも駅から遠いね
福岡ドームは天神からバスで行ったわ
帰りはタクシー >>974
三冠王取った??
素人に手を出すよりもソープとかに行くほうが良いという意見もあるね。
巨人のKは嘘か本当か知らんが暴露本によるとソープ以上に高学歴美女が
好きだった >>993
マリンスタジアム周辺にモノレールを建設する計画があったよ。
しかし、赤字など様々な問題を抱えていたらしく、モノレール建設計画は
中止になりました。 福士と金城は交換トレードされたがこの2人ってあの時代では速球派だったし成績も
残してたしもっと取り上げられてもよい投手だ 速球はじゃないけど、高橋里もね。
ノムに殴られた数少ない一人。
カープは得したな。
逆に移籍はホプキンス、ライトル、あれっ、全部広島のお古? >>995
取引先のオフィスが海浜幕張にあるので時々あの辺に行くけど、
モノレールは作らなくて正解だったと思います。
ピーク時間に幕張本郷駅、海浜幕張駅、イオンモール、メッセをつなぐバスを
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