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--佛教論議の伽藍スレ-- 第二巻
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/01(水) 05:54:24.84ID:rYZcsElT
仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。

-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.コピペ・アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
   2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
    (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。もっと内容を一つに纏めてから投稿しましょう)
   3.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
   4.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主である私(宝珠真範)の判断で即刻、退場してもらいます。
   5.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
    (1950年の世界仏教会議にて決議した)
   6.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
   7.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
   8.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(レス番2の戒律と資料リンク含む)を変えないこと。厳守!!
 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。
0002神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/01(水) 05:56:14.09ID:rYZcsElT
-----当スレッドは-----
過去の2ch『原始佛教』、『仏教議論スレッド』シリーズを継承したような良スレになることを期待します。
投稿する方はスレ主である私(宝珠真範)の指示に従い、必ず当スレの“戒律 ”を厳守のこと。
違うことをしたいという方は、どうぞ他スレでお好きにして下さい。

また、当スレは同時に『質問箱』の機能も合わせ持ちます。
質問に関しては、仏教関連ならば気軽に大乗も含めて祭祀や葬儀、等々...何でも構いません。
解答や情報をお持ちの方はどうか質問者へ親切に教えてあげて下さい。
尚、複数の異なる解答があった際には質問者の方の判断にお任せします(参考程度にどうぞ)。
-------------------------------------------------------------------------------------
過去ログ保管庫
 http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
Wikipedia ― Category:仏教
 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
 http://ci.nii.ac.jp/
 http://sc.chat-shuffle.net/
 http://www.inbuds.net/jpn/index.html
 http://www.totetu.org/index.php?id=523
パーリ三蔵
 http://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
 http://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
 http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
0003おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/01(水) 06:02:22.23ID:rYZcsElT
 
↓前スレ憑けるの忘れてもた スマソ m(_ _)m

--佛教論議の伽藍スレ-- 第一巻
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/
  _  _  _

  _  _  _

>阿含宗に入会して1回10万円以上の伝法勧請を何十回?と

(霊感商法とか言われるのも嫌なので)
↓金銭的に余裕があるのなら

ttp://www.koyasan-u.ac.jp/

高野山大学とか良いかもしれない
(金銭的に余裕があるのなら…)

あるいは
ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html

縁起一代師匠が
「チベット ニンマ派が良い!」と言ってた気がする
0004おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/01(水) 06:46:50.41ID:rYZcsElT
 
とりあえず
今、現状での問題点としては

中観自立を無視して
「仏教は、我ではない」という論調が問題である

「世俗の次元での自相(自性)を有りとする中観自立を知らんのか?」
という突っ込みを入れて置く所存で おじゃる

ttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派の

中観自立も
一応、仏教の枠組の中に入る

ttps://morfo.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13
認識は対象の形相を有している

有相唯識派も
一応、仏教の枠組の中に入るので ヨロ m(_ _)m

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出している
(認識は対象の形相を有している)

最終的には
阿頼耶識も空性なので
最終的には
無相唯識
中観帰謬ということになるけども

「(途中の段階の?)中観自立・有相唯識を省略するな!」ということで ヨロ m(_ _)m
0005宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/01(水) 19:25:27.13ID:m6hNiPc1
おじゃるさん、
スレ建てありがとうございました!

>>3
「護身法」くらいまでだったならば大いに可能性はある。、
これは在家でも身に付けた方が良いと見なしている密教僧はいくらでもいるので、
そのような師僧を見つけて、自分の真摯な姿勢をアピールして認められれば伝授してくれるでしょう。

しかし到底、、「護摩法」については無理でしょう。
これを在家の身のままで修得したいとする意図が理解されることがないでしょうから。
とてもじゃないけれど認められないと思う。
何故、在家のままで護摩を焚きたいのかが私にも理解できない...。
もしも、伝授してもいいという僧侶がいたとしても、
逆に、私からはそれは丁重にお断りすると思う。

>>前スレ756
訂正:
 Sn.891-893
0006宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/01(水) 19:59:00.50ID:m6hNiPc1
追記:

後醍醐天皇は自ら護摩を焚いて祈りつづけ、
奇跡的な霊験を授かったといわれていますが(NHK『歴史秘話ヒストリア』)。
まっ、天皇に向かて僧侶でなければダメだなどという者もいないだろうけど...。
0007おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/01(水) 20:58:00.02ID:rYZcsElT
 
空海は
自身金剛身(大日如来)と成る以前から
天皇との繋がりがあったかもしれないけど
↓この時をもって、もっと更に

ttp://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-art/cat25/post-50.html
即身成仏

嵯峨天皇は南都六宗と北嶺(比叡山)の高僧
および空海の八人を宮中の清涼殿に召集
それぞれの宗旨の真髄を聴聞します
これは八宗論として伝えられています

空海は
「自心の源底を知るものは仏の心を知る。仏の心を知るものは衆生の心を知る
  仏の生命を覚り、これと一体化して生きる肉体そのまま で速やかに仏になることができる
  それは仏の三密と人間の三業とが不二になる境地である」
と真言宗の即身成仏を説き、一座の天皇と高僧たちの前で
手に印 契を結び、口に真言を唱え、心を仏の三昧に住するという三密行を示し
自身金剛身(大日如来)となり即身成仏の境地に入ってみせ、体から黄金の光を放ちます

他宗の高僧たちはこの光景にすっかり畏敬し、天皇の空海への信頼は一層高まります
  _  _  _

中観帰謬の
掴もうとする『想い』を手放しせよ
というのもわかるけど

おじゃるの個人的な意見としては
「…である」と定義することはできない「…である」ものではない
自身金剛身(大日如来) = 本当の自分(真我)
という対機説法も、わかりやすくて良いとい感じもする
0008おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/01(水) 21:43:42.82ID:rYZcsElT
 
後期大乗密教の場合は

たぶん
根本仏典も含めて?
中観帰謬とか
唯識なども
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつす瀉瓶のように
受け継いでいる(と思う?)ので

↓自心の源底を知るものは仏の心を知る

成所作智   − 前五識
妙観察智   − 第六意識
平等性智   − 末那識
大円鏡智   − 阿頼耶識
法界体性智 − 阿摩羅識

↓ウィキペディアも間違ってる場合も、あるかもしれないけど、とりあえず
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%91%A9%E7%BE%85%E8%AD%98
阿摩羅識
けがれが無い無垢識・清浄識、また真如である 『 真我 』、如来蔵、心王である

ttps://www.yuishiki.org/category/%E5%94%AF%E8%AD%98/%E5%BF%83%E7%8E%8B/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%84%8F%E8%AD%98/
唯識学会
完全なる涅槃 − 第九意識(真如、如来蔵)

勝義諦・世俗諦
この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう

現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない
0009おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/01(水) 22:07:36.86ID:rYZcsElT
 
この場合の真我は

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
遍計所執性に依存して

掴もうとしている『想い』が
現れ変化して滅している

縁起している『我』のことではなくて

 − これを対処するための −

「…である」と定義することはできない「…である」ものではない
仏そのもの
本来自性清浄涅槃

(円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない)
円成実性の世界から → 依他起性している世界を観照する

↓どこの誰が観照するのか?

仏そのもの
般若の智慧と慈悲が → 縁起している世界を観る
0010おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/01(水) 23:01:20.57ID:rYZcsElT
 
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/03/082823
上座部 パオ・セヤドー

涅槃を証悟するためには
心、心所と色の無常・苦・無我の本質を透視しなければなりません
  _  _  _

ここで、やはり
どこの誰が〜の本質を透視するのか?
ということが問題となる

無明に依存している、おじゃるが本質を透視するのか?

あるいは
仏そのもの
般若の智慧と慈悲(としての、おじゃる)が本質を透視するのか?

ttp://www.j-theravada.net/pali/key-cetasika.html
初期仏教の世界
心 citta(チッタ)
心は純粋な水のごとく善でも悪でもありません

たぶん
さとりに達するための修行の
障害(覆)がある有覆無記ではなくて
障害(覆)がない無覆無記の、心 citta(チッタ)という意味

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
観神足の智慧と慈悲の世界から → (仮設としての)心 citta チッタを観照する

ttp://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%92%E3%81%A0%E3%81%A4%E3%81%A1%E3%81%91%E3%82%93
四神足の智慧と慈悲が → 解脱智見を知る

(無明に依存している、おじゃるには解脱を観照することはできない)
0011おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/02(木) 02:33:07.74ID:NaB2oRee
 
七つの大罪
傲慢(高慢)ルシファー    グリフォン、ライオン、孔雀、蝙蝠
憤怒(激情)サタン       ユニコーン、ドラゴン、狼、猿
嫉妬(羨望)レヴィアタン   マーメイド、蛇、犬、土竜
怠惰(堕落)ベルフェゴール フェニックス、熊、牛、驢馬
強欲(貪欲)マモン       ゴブリン、狐、針鼠、猫
暴食(大食)ベルゼブブ    ケルベロス、豚、虎、蝿
色欲(肉欲)アスモデウス  サキュバス、山羊、蠍、兎

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3
ユニコーンは乙女に思いを寄せている

ttp://livedoor.blogimg.jp/guran2016_ms06/imgs/8/f/8f570d76.jpg
ttp://gno.blog.jp/izumi/19850710.html
乙女を守護するユニコーン?
  _  _  _

おじゃる妄想としては
ユニコーンが守護精霊なら良いんジャマイカ?という感じもする
0012おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/02(木) 02:55:35.79ID:NaB2oRee
 
憤怒(激情)サタン ドラゴン(竜、龍)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E6%A5%BC%E9%A0%BB%E8%9E%BA%E3%83%BB%E8%BF%A6%E8%91%89
ウルヴェーラ

ブッダは堂中に入ると
凶暴で恐ろしい竜が炎を吐いて襲ってきたので
火界定(仏そのもの)三昧に入り竜の魔力だけを奪った
翌朝、竜が小さくなって(縁起している世界の中の)鉢の中にいた
0013おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/03(金) 00:46:07.34ID:kSckuGza
 
青山繁晴 硫黄島
ttps://www.youtube.com/watch?v=JgBxWod3-no

関東大震災
1923年9月1日11時58分32秒頃
10万人余が死亡あるいは行方不明になったと推定されている

1945年3月10日 東京大空襲 死者数 10万人以上
1945年8月06日 広島原弾投下 9万 〜 16万人死亡

サイパンの戦い
1944年6月15日 〜 7月9日
日本兵や在留邦人の多くが自決したり、ガケや岸壁から身を投げた
バンザイクリフ・スーサイドクリフ

東日本大震災 2011年3月11日 死者・行方不明者は1万8434人
  _  _  _

哀悼の意を表します
お亡くなりになられた方々も含めて
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0014宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/03(金) 19:05:33.16ID:VUnhdSoJ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/757
いつ先日、前スレで発言した通り、
天才仏教学者の石飛道子女氏に公開の場で質問させてもらいました。
このまま返答待ちです。

http://manikana.o.oo7.jp/magical/magical.cgi
マニカナ・ホームページの「マジカル広場」BBS
 [10828] タイトル「無我とアートマン」質問者/宝珠愚者
-------------------------------------------------------------------------------------
仏教の“無我の教え”に関して、
簡単に幾つか質問したいことがあります。
どうか宜しくお願い致します。

1.無我というのは元々、「アートマンは無い」ということではなかった。
 本来は「それら(五蘊)はアートマンではない」という非我だったのであり、
 アートマンの有無についてはブッダは沈黙する無記の態度だった、などともいわれています。
 現在、一般に信じられているような“アートマンは無い”という意味の無我を説くようになったのは部派仏教に拠るものである、と。
 先生もこのようなお考えを著書で述べられていたものと思います。
 ところでこのような見解というのは、現在では仏教学の「定説」だといえるものなのですか? 
 もしくは、“ほぼ統一的見解”にあるということになるのでしょうか?
0015宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/03(金) 19:20:26.17ID:VUnhdSoJ
2.仏教の一切法ではアートマンが説かれることはないものとされていますが、
 大乗の仏性や如来蔵思想へと発展する起因ともなったといえる『パーリ増支部1-6』の
 “自性清浄心” (心性本浄説) は「無為法」であって一切法には抵触しない。
 つまり、“自性清浄心”はアートマンと同義か、もしくは非常に近い意味合いのものとしてみることはできるのでしょうか?
 また同じく、その他でも仏典中で説かれている修行者が“求めるべき真実の自己”についての教えについては如何でしょうか?
 事例として、 
  『婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ。』(Vin.Maha^vagga.T,13.p.23)。
  『煩悩の汚れを滅ぼした真人(阿羅漢)、すなわち、修行を完成した尊敬すべき人は「わたしが語る」と言ってもよい。』(SN.T,3-5)
  『自己こそ自己の主である。』(Dhp.160,380)。
  『真実であるか虚偽であるかを、汝の自己が知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に尊い自己を汝は軽視している。』(AN.T,p.149 G)

3.先生の見解では、仏教の目指す究極の境地であるニルヴァーナ(涅槃)と、
 ヒンドゥーにおける輪廻からの解脱や梵我一如の境地は、結局のところは同一のゴールだということになりますか?
 それとも、意味合い的には近いものがあってもこれらは別々のまったく異なる境地ですか?

以上.
0016おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/03(金) 21:54:50.99ID:kSckuGza
 
ttp://www.dogen-shobogenzo.com/sokusinzebutu3.html
我々の身体は無常なものであるが、その本性は常住である

 − これに対して −
もしそのようであれば、あの先尼と言う外道の説と変わらない
(無明に依存して)
見たり聞いたり考えたり知ったりするものが
真実の法を求めることにはならない

一心一切法、一切法一心

仏祖が正しく伝えて来た(本来の)心とは
「心とはすべての存在のことであり、すべての存在は心の姿である」

梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一である
梵我一如

自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出している阿頼耶識
あるいは
本来自性清浄涅槃の第九意識

一応、念の為に
阿頼耶識は、有為法ではあるが
さとりに達するための修行の障害(覆)がない無覆無記で

無余依涅槃は無為法
0017おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/03(金) 22:22:16.15ID:kSckuGza
 
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動する
無住処涅槃

仏そのもの
本来自性清浄涅槃
第九意識

法界体性智 = 阿摩羅識(真如、如来蔵)

大円鏡智からの → 阿頼耶識
平等性智からの → 末那識
妙観察智からの → 第六意識
成所作智からの → 前五識

どこの誰が何を見るのか?
無明に依存している、おじゃるが → 見て聞いて考えて知るのか?

あるいは
仏そのもの
般若の智慧と慈悲(としての、おじゃる)が

心とはすべての存在のことであり、すべての存在は心の姿である

(移り行く世界の様を)ありのまま観照するのか?

ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
無の世界も超えて
0018おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/05(日) 16:36:43.93ID:K53whnp1
 
おじゃるも

ttp://manikana.o.oo7.jp/magical/magical.cgi

ここに書き込みして置いたので

参照 ヨロ m(_ _)m
0019宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/05(日) 17:52:23.87ID:VVtVbDO+
まっ、最初から嫌な予感はしたけれども今回の確認によって
何故、一代をはじめ仏教徒ら?によって天才だの菩薩だのと持て囃されているのかが、
よ〜く分かったね。ザンネンなことです。
長老と行動を共にして洗脳されたか、元々同じ穴のムジナに過ぎなかったということか?
こりゃ何度かのレス投稿をさっさと終わらせて、
早いとこ、同じ質問を他のプロの研究者たちへとぶつけてみましょう♪
0020パーピマン
垢版 |
2018/08/05(日) 21:24:18.73ID:TRi/zjPm
>>19

wwwwwwwwwwwwwww

回答はれるのか?w
0021おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/05(日) 22:53:50.42ID:K53whnp1
 
>回答はれるのか?

宝珠殿が
研究者たちへとぶつけて
その回答の リンクを貼り憑けてもらえれば

おじゃるが
その リンク先の回答を貼り憑け致します

今回の回答は
http://manikana.o.oo7.jp/magical/magical.cgi

↓管理人エムさんのからの回答

(仮設としての)チッタ・心は、アートマンではないです

> “自性清浄心”はアートマンと同義か、もしくは非常に近い意味合いのものとしてみる
というような
この発想そのものが、何かブッダの教えとは違うことを考えていらっしゃるような感じですね
逆に、、お尋ねしたいのですが
「(仮設としての)心」とあるのに、どうして、あえて「アートマン(自己)」だと思うのですか?

> 仏教の目指す究極の境地であるニルヴァーナ(涅槃)と
> ヒンドゥーにおける輪廻からの解脱や梵我一如の境地は、結局のところは同一のゴールだということになりますか?

いろいろ検討してみていますが、同一のゴールにはなりません

梵我一如の思想とは、切り離されてしまうのです
(梵我一如という『想い』も手放しせよ!という意味)
  _  _  _

↑(中観自立ではなくて)中観帰謬としての回答という感じでつ
0022おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/05(日) 23:28:56.81ID:K53whnp1
 
チベット ゲルク派の

(中観帰謬ではなくて)
↓中観自立の場合は

「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
  それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相(自性)を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相(自性)として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

そのような自相(自性)を、世俗の次元で
仮設としての
仮の現れとしての。という意味で、自相(自性)として認められる

その当時・その地域の
世間的な『想い』を一応認めて、さらにその理解のうえで

(↓中観自立の場合は)
我(アートマン:個人を支配する原理)
梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)
梵我一如である

という『想い』が、現れ変化して滅している。『想い』を一応認めている

それゆえに
中観自立と中観帰謬では世界観が違うでしょ?ということでつ
0023栄進
垢版 |
2018/08/07(火) 18:59:57.43ID:OSavg5xx
解脱とは、私が輪廻しないのではない。

解脱とは、輪廻する私がないのだ。

無我と輪廻は対立しない。

アートマンは無くても輪廻は成立する。
悟りスレで閃きましたー^^
0024おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/08(水) 06:19:41.79ID:mC2ft5Q7
 
栄進師匠へ

>アートマンは無くても輪廻は成立する

変化しないものではないからこそ

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
因と縁の双方の縁起が相応一致して

仮の現れとして
輪廻という『想い』が
現れ変化して滅している
  _  _  _

「…である」と定義することはできない「…である」ものではない
(↓「変化しないものではない」という意味で)

それゆえに
仮の現れとして
輪廻という『想い』が
現れ変化して滅している

という対機説法でも良い感じがするけど?

もっともアートマンは
「〜である」という想いではない
「〜ではない」という想いでもない。ということかもしれないけど
0025dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/08/08(水) 06:27:33.03ID:ske18NDt
なんか思うんだけどさあ、
考え方として間違ってはいないと思うの。究極はそうだろうな、って直感的にも思えるから。

ただ、

ロックもジャズもクラシックも演歌もない。
ただの音楽である。
その音楽さえ、あるとは言えない。
ジョーン・ケージの休みのみの楽曲のようなものさえある。

とか言われても面白くもなんともないんだよね〜

やっぱり、そんな深遠な境地に達するまでは、梵と我、善と悪、自分と他者、っていう
普通の捉え方、つまり方便を保持してもいいんじゃないかなあ、って思う。

じゃないとどうやって生きていけばいいかもわかんないでしょ?
キリスト教なんて完全に成り立たなくなっちゃうし。

危険思想だとも思うよ。
0026おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/08(水) 07:08:04.68ID:mC2ft5Q7
>普通の捉え方

唯識とかを勉強してないと、わかりにくいかもしれないけど

Aさんにとっての普通なのか?
Bさんにとっての普通なのか?
Cさんにとっての普通なのか?

その当時、その地域にいた
ガウタマ・シッダールタ(ゴータマ・シッダッタ)にとっての普通なのか?

釈迦が出家を志すに至る過程を説明する伝説に、四門出遊の故事がある
ある時、釈迦がカピラヴァストゥの
東門から出る時に老人に会い、南門より出る時に病人に会い、西門を出る時に死者に会い
この身には老いも病も死もある、と生の苦しみを感じた(四苦)
北門から出た時に一人の沙門に出会い
世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになった

↓このような世界観を前提として

われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられる
  _  _  _

一応、念のため
この宗教においては
(『世俗的感覚を手放して超えていくこと』なので)
「大多数の人達にとっての普通!」というようなものは通用しない場合もあるかもしれない
0027dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/08/08(水) 07:15:34.89ID:ske18NDt
>>26
ありがとうございます^^)

おっしゃっていることはわかりますけど、ここの人たちはあまりにもその認識にこだわって、
日常の行いに目がいっていないような印象を受けます。
まあそう見えてやることはやっているという可能性もなくはないですけど、
低いと見ざるをえません。

瞑想や座禅の中での照見に止めておき、在家の人は特に、日常の行いの方をむしろ重視しなければ、
何のための仏教かわからなくなります。

周りや世の中を良くしていくことこそ、宗教の在り方ではないでしょうか?
0028おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/08/08(水) 07:33:45.47ID:mC2ft5Q7
(現在進行形として)
宗教の名のもとの
加害者・被害者の方々も、たくさんいるかもしれない

それゆえに
>危険思想だ
とも言えるかもしれない

↓大乗的な説明になるかもしれないけど

その当時の
ガウタマ・シッダールタ(ゴータマ・シッダッタ)は
すでに智慧と慈悲で満ちていた(かもしれない)
功徳が満ちていた(かもしれない)

それゆえに
ウッダカラーマ・プッタ師匠の
非想非非想を実践した上で
非想非非想を超えて

身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心につとめ、明確に理解し
よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである

として四念処(四念住)の実践するように「自灯明・法灯明」を教え説いた

 − これに対して −

無明に依存している
おじゃるは
(宗教の名のもとの)加害者・被害者になる場合もあるかもしれない
0029おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/08/08(水) 07:53:25.74ID:mC2ft5Q7
 
無明に依存している
おじゃるは

悪い意味で
日常の行いを手放ししようとしています

↓日常の行いを手放ししようとしている『想い』を手放しするためには

たとえば
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
ヴィタッカ(尋)
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを集中対象である呼吸に戻してくる

おじゃるの場合は 3秒も呼吸を見ることもできないです

余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐

これも出来ないです

そして世俗において「一生懸命に努力する」というような気力(想い)もないです

↓おじゃるの場合は輪廻肯定なので来世においても

この世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

↑唯識とかを勉強してないと意味が、わからないかもしれないけど
0030dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/08/08(水) 07:59:39.64ID:ske18NDt
>>29
輪廻は私も確信していますよ。
魂の輪廻も、宇宙の輪廻も。

苦しんでいるのですね。
あなたも、皆さんも、、もちろん私も含めてですけど。


でも「どうしようもない」、という諦観が逆に、

「喜びも苦しみもない」

という認識に向かわせているような気がします。


不自然に思うのはその力があまりにも兄弟だからでしょうか?
なんだか怖くなってきました。。
0031dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/08/08(水) 08:02:14.61ID:ske18NDt
兄弟→強大

m(_ _)m
0032おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/08/08(水) 08:15:09.15ID:mC2ft5Q7
 
>何のための仏教かわからなくなります

ヒンドゥー(バラモン)
釈迦
根本仏典
上座部
(↓ここから大乗)
中観自立
中観帰謬
有相唯識
無相唯識
密教
その他、諸々

最終的に
本来自性清浄涅槃に戻る帰ることができるのなら

たとえば
ヒンドゥー(バラモン) = 仏教である。とするのなら
「…である」と定義することはできない「…である」ものではない
真我 = 仏そのもの
という対機説法でも良いという感じもする

>周りや世の中を良くしていくことこそ、宗教の在り方ではないでしょうか?

一応、念のため
ウィキペディア参照
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする宗教(religion)

ということであるらしい
0033おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/08(水) 08:57:58.24ID:mC2ft5Q7
>ロック

↓一応、貼り憑けて置きます

https://www.youtube.com/watch?v=D8lV1To-_fU
Amaranthine
美人の姐さん系?洋楽ロック

https://www.youtube.com/watch?v=5g8ykQLYnX0
NIGHTWISH Storytime
シンフォニックメタル系?洋楽ロック

https://www.youtube.com/watch?v=OyrfRrVvjDU
LINDBERG every little thing every precious
マイナーペンタトニック系?邦楽

https://www.youtube.com/watch?v=wkdcoCjGD64
ランス・アンド・マスクス OP
アニメ系?邦楽

https://www.youtube.com/watch?v=fttNm0jeItY&;index=4&list=PL75Go02H0ns182c9D-d32Xfbyqr0Fm95K
地獄少女 ED あいぞめ
アニメ系?邦楽
閻魔あいのセリフ
闇に惑いし哀れな影よ。人を傷つけ貶めて。罪に溺れし業の魂。いっぺん、死んでみる?

https://www.youtube.com/watch?v=weLA22wlSq4
山崎ハコ 呪い
呪詛・呪い・祟り系?邦楽
輪廻が終わる、その時まで → 藁人形に釘をさす系?
0034宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/08(水) 10:54:37.84ID:7WisH7Mb
>>23
おっ! 
いいですね、栄進さん。
だいぶ冴えてきましたか?

無我だから、アートマン(輪廻基体)などはない。
アートマンがないなら輪廻だってある筈がない。
いやいやアートマンはないけれど、別の何かが核コアとなって輪廻している。
いや、基体がなくても業そのものが輪廻するんだ...とか、
こんなメチャメチャ〜を平気でやってるのが従来の仏教論議なのです(なんとプロの学者までその有様です)。
分からない者同士の議論なのだから、すべてがハチャメチャ!

しかし、仏典では、
「識」が輪廻主体であるということはすでに説かれています。
ただし、これはアートマンではない、と
(これが後の「阿頼耶識」であり、ヒンドゥーが説く「魂」ジーヴァです)。
まっ、唯物論者には到底、理解のできない話ですが。

無我だから輪廻するんですよ。
これが流転変滅を永延と続けている人間の姿であって、
これが苦をつくる原因となっているのです。
無我だから輪廻する。「我(アートマン」は輪廻しない。
苦が生じるのは無我だから(アートマンではないから)です。
「我(アートマン」に苦は生じない。
平均的仏教徒らはすべてが逆々をいってる...。
0035宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/08(水) 10:57:12.65ID:7WisH7Mb
>>25
まったく以て同感!

>>27
>在家の人は特に、日常の行いの方をむしろ重視しなければ、
>何のための仏教かわからなくなります。
>周りや世の中を良くしていくことこそ、宗教の在り方ではないでしょうか?

その通りだと思います。
私もそう在りたいものと目指しています。
それが最も重要かつ、とても難しいところでもある....。

一応、社会情勢などにはなるべく目を向けるように努めてます。
TV番組も、池上 彰の解説を見たり、『朝まで生テレビ』や『そこまで言って委員会NP』
を録画してみたりして一緒に考えるようにしています。
自分は賛成派か反対派なのか? 今の自分は如何にあるべきか?...と。
0036神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/08(水) 20:10:15.40ID:UsJEuZPY
>>35
こんなニュースがありましたが

ヒンドゥー教聖職者が『ドラゴンボール超』に大激怒! 我々の崇高な神が子供向けアニメで悪役にされている!!
http://yurukuyaru.com/archives/69194019.html

ところでその崇高な神であるガネーシャが密教ではなんで大黒天だか観音菩薩だかに調伏されなきゃならないの?
0037おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/08(水) 20:52:35.14ID:mC2ft5Q7
 
ウィキペディアも間違ってる場合もあるらしいけど、それでも、とりあえず

ウィキペディア参照
ガネーシャ
ヒンドゥー教の神
インドでは富の神様として絶大な信仰を集めている

ヴィナーヤカ(無上)ヴィグネーシュヴァラ(障害除去)ガネーシャ(群集の長)ガナパティ(群集の主)
元来は障害神であったのが、あらゆる障害を司る故に障害を除去する善神へと変化した

チベットでは
ガネーシャ(象頭財神)は
大黒天によって調伏された姿でも描かれるが
観世音菩薩を本地とする護法神としても信仰される
  _  _  _

>なんで調伏されなきゃならないの?

おじゃるの場合は
ヒンドゥーも肯定だけど、チベットも肯定なので

護法神としても信仰されているのなら良いんジャマイカ?

たとえば、仮に
(有覆無記の)
さとりに達するための修行の障害(覆)も除去する、自在力(神としての力)があるのなら
素晴らしい、ガネーシャの智慧と慈悲である?という感じもする

大円鏡智の世界からの → 阿頼耶識
平等性智の世界からの → 末那識   ← ガネーシャの智慧と慈悲の世界からの?
0038宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/09(木) 15:30:17.48ID:aAwRfT6S
>>36
>ところでその崇高な神であるガネーシャが密教ではなんで大黒天だか観音菩薩だかに調伏されなきゃならないの?

すべてが創作であり、何でもありだからです。
元々のヒンドゥー神話体系そのものが創作神話ですが...。

大乗仏教が発展していく過程で、
庶民の人気を獲得すべく御利益を謳っていく際に大いに利用したのがインド(及び外教)の神々です。
つまり、「あなた方が良く知っているヒンドゥーの神々はすでに調伏されて仏教に帰依しているのだ」と、
説くことで、仏教がヒンドゥーよりも上位(最上位)であることを大衆へと示すためです。
それが十一面観音(観音も外教からイメージをパクったもの過ぎない)が絶世の美女としてガネーシャを誘惑して、
仏教信奉者となるよう回心させたという聖天(歓喜天)のエピソードだったり、
すでに仏教護持側であるマハーカーラ(大黒天)が踏みつけて倒す姿だったするのです。

しかしながら、
これらの仏教神話というのは後代の大乗徒らによって勝手に創作された完全なデタラメであって、
そんな話をヒンドゥー側も、「はい、その通りなんです。○○神はすでに仏教護持の神となりましたよ! 
とてもご機嫌が良くていつも大衆を援ける利益を授けられています。」な〜んて、了承しているわけがないのです。
まっ、現代だったならブランド詐欺罪とかキャラクターの勝手流用で処罰されるでしょう。
それだけヒンドゥー側が寛容な証拠ですよ。

>ヒンドゥー教聖職者が『ドラゴンボール超』に大激怒! 我々の崇高な神が子供向けアニメで悪役にされている!!

要するにこれはイメージの問題なので、
アニメ製作側にその意図がなかったとしても宗教のタブーに触れて怒りを買っているのであれば、
素直に諦めて謝罪修正する以外にはないと思います
(別のものだと主張しても無意味。セクハラと同じく受け手側の問題だからです。)。
元々、意図的に挑発して戦いを挑むものであったならば堂々と応戦すべきですが、これは違いますよね。
0039宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/09(木) 15:42:08.93ID:aAwRfT6S
おじゃるさんへ

それから...
余計なお世話かもしれないけれど、
春間さんというのは相手にしない方が賢明かと。
これはサンジャヤよろしく鰻論法ですべてに噛みついてきてるから、何を書いても無理。
こういうのと遣りあうと、先生の個人bbsが荒れるので。
0041おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/09(木) 19:34:48.43ID:pT8f9waF
>>39

ご教示ありがとうございます m(_ _)m

おじゃるの場合は

大乗1.0の世界観をもって
上座部 2.0を実践する
3.0の立場で書き込みしてる場合もあるので

それゆえに
「大乗側にも・上座部側にも、理解されない場合もある」という感じもする

ちなみに
紐師匠も「まったく話が通じなかった」という感じもする

(おじゃるも中観帰謬も理解してないけど)
特に
紐師匠も
「自分の見解を織り交ぜることのない中観帰謬」ということを
理解できなかったような感じがする

春間師匠は
中観自立も理解してない「勝義一辺倒の勝義房」という感じもする
(おじゃるも理解してないけど)

紐師匠も、春間師匠も
「君はどうか?という問題です」こういう質問をする人が多いですね

中観帰謬の場合は
「(中観帰謬は)自分の見解を織り交ぜることではない」
(おじゃるは中観帰謬ではなくて中観自立だけど)
0042おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/09(木) 20:17:43.62ID:pT8f9waF
 
テラワダ冥想スレの 928
> 世間の基準と出世間の基準を、一つにまとめようとするから、おかしくなる
> 世間の真理はこう、出世間の真理はこう、のダブルスタンダードでいいじゃん

> 無分別は、あくまでも仏の視線、仏の価値観であって
> それで日常の様々な事象を処理していけると考えているとしたら
> よっぽどの世間知らずとしか言いようがない

ご教示ありがとうございます m(_ _)m

大乗の世界観の 3.0の場合も
「仏の世界から(妄想分別を離れて)観照せよ」という podcast法話なので

「(ある意味?)世間知らずであるかのように思われている」ということを
山下良道僧侶本人も理解している。と podcast法話で云ってました

元曹洞宗の山下良道僧侶の世界観は
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっている(仏そのもの?)
というような世界観を前提として

上座部 2.0の実践によって
(仏そのもの)智慧と慈悲の世界から

般若の智慧と慈悲の世界から観照する

四界分別観
第一禅定
その他諸々の実践をしていく

というような感じの対機説法です
0043神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/09(木) 20:38:28.69ID:Uxs0O3pz
『サンユッタ・ニカーヤ』48-57(PTS Text,Vol.V.pp.232-233)

梵天より抜粋

尊師よ、往昔、わたしは、カッサパという正等覚者のところで清浄行を行じていました。
その時、わたしは、サハカという比丘として知られていました。
かのわたしは、尊師よ、これらの五つの能力が修められて多くなされ、諸々の欲において愛欲や心の欲を離れて、身体が壊れ死んだ後、梵天界という善趣に生まれました。
ここでは、このように、サハンパティ梵天として知られています。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/brahma.html

カッサパというのは仏陀の過去世であって
いわゆる過去七仏の6番目
釈迦の直前の仏に当たる

実は梵天というのは過去世においては人間の比丘であり仏の弟子となって清浄行をしたので死後梵天界に転生した人達のことを指すらしい
ここに出てくるサハンパティ梵天もそうであるがそれら梵天衆を纏める梵天界の頂点に立つのが大梵天とされる
大梵天は大昔には更に上位の光音天という神であったが光音天としての寿命が尽きたり功徳が尽きたりするとブラフマ神殿で大梵天として転生してくる
0044おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/09(木) 21:31:23.28ID:pT8f9waF
 
>>43の続きとして?

そして更に

天上界における最高の?有頂天
非想非非想

http://www.geocities.jp/tubamedou/Jiten/Jiten6.htm#%E3%81%97%E3%82%80%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86
大智度論 仏教用語辞典
非想非非想
有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という

↓更に、この非想非非想も手放して超えて

https://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
長部経典 第9経 ポッタパーダ経(心作用の消滅)

決して意思せず、また意思活動をしない
それら諸々の想はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想も生起することがない
滅に触れる
このようにして、順々の正知による想滅定が生起する

http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%92%E3%81%A0%E3%81%A4%E3%81%A1%E3%81%91%E3%82%93
(仏そのもの)
般若の智慧と慈悲をもって → 解脱智見を知る(解脱智見を観照する)

http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
そして
さらに無の世界も超え
般若の智慧と慈悲をもって(平等性智をもって)
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている(ありのまま観照する)
0046dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/08/10(金) 01:28:00.05ID:5DrSyukg
>>45
しれっとガネーシャの頭がついてたら笑う
0047おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/10(金) 01:51:44.39ID:TRILzGVB
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
パールヴァティー
ヒンドゥー教の女神
タントラ教においては、シヴァのシャクティである

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%AF%8D%E7%A5%9E#%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3
シャクティ
内在する母Deviの焦点を強力に、愛情を持ち
自己を溶かし込むような集中力をもって絞り込み
"シャクタ"(シャクティ信徒)を集中させると
時空と因果律の奥に潜む真実を知る事ができ、輪廻からの解脱ができる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC
クンダリニー
シヴァ神と離れ離れになり3回半とぐろを巻いた蛇としてムーラーダーラに眠っている
シャクティ女神が目覚め上昇し、頭頂部上方のサハスラーラに鎮座するシヴァ神と再結合を果たす

ヨーガの実践や宗教の各種修行によって穏やかに活性化し始めると
生涯をかけ各チャクラが徐々に開発されていくこととなる
クンダリニー・ヨーガあるいは瞑想などによりクンダリニーが上昇し
それによりサハスラーラが押し開けられればクンダリニー覚醒となる
サハスラーラを完全開放させることになれば解脱に至る

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99
バラモン教
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

=^・ ・^= にゃるほろ。やはり『解脱の道を求める』ということで、おじゃるな?

もっとも中観帰謬の場合は「解脱を求める『想い』も手放しせよ」という感じらしい
0048おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/10(金) 02:26:01.23ID:TRILzGVB
 
↓ガネーシャの首(頭)は何処へ逝ったのか?

↓首は(日本の)関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ

最も著名なのが
東京千代田区大手町の(平将門の?)首塚である
この首塚には移転などの企画があると
事故が起こるとされ、現在でも畏怖の念を集めている

(冗談でつ↑本気にしないで下さいませ)

https://www.youtube.com/watch?v=saiWSclc3wk
0049神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/10(金) 02:31:12.42ID:nYrZ3EQm
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、多額の財務金を出させ、さらに、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせます。

こうして集めた巨額の資金で、学会は、東京の信濃町や八王子を中心として全国的に土地を買いあさり、池田大作の豪華専用施設をもつ道場を何百もした。

こうしたやりたい放題を続けるために、創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。

同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。km

創価学会は撲滅するべきです【浪速建設 一級建築士 岸本晃】代表
0050宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/10(金) 16:31:02.12ID:kb31Z+V+
>>38
>大乗仏教が発展していく過程で、
>庶民の人気を獲得すべく御利益を謳っていく際に大いに利用したのがインド(及び外教)の神々です。
>つまり、「あなた方が良く知っているヒンドゥーの神々はすでに調伏されて仏教に帰依しているのだ」と、
>説くことで、仏教がヒンドゥーよりも上位(最上位)であることを大衆へと示すためです。

追記:
そのようにして、
大乗というのはヒンドゥーや外教由来の神々を大切にお祀りして真摯に拝むようになったのです。
ということで、結果的に実際に調伏されたのは一体どちらだったのでしょうね
0051宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/10(金) 17:04:34.39ID:kb31Z+V+
>>38
>アニメ製作側にその意図がなかったとしても

追記:
『ドラゴンボール』は大好きなんで、
この問題のシーンは放送後の録画再生ですぐ見ていました。
宇宙の神々の破壊神の一人という設定であの頭ですから、
私も、オッ!これは...って、
なりましたね(笑)

ほぼ言い逃れのできないレベルかと。
0052神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/10(金) 21:32:22.14ID:l1Vy2m3u
近現代から未来へと、
今後永遠に続くであろう最大最難の問題だなw

   >>「表現の自由」vs「尊厳」「信仰」「尊重、配慮」「伝統」
   >>「(社会的・人権的)問題提起」vs「尊厳」「信仰」「尊重、配慮」「伝統」



さて、五十嵐さんは殺されて当然だったか否か?
0054おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/10(金) 22:44:10.99ID:TRILzGVB
宗教、崇拝、信仰

> 五十嵐さんは殺されて

↓これのことかしらん?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A9%A9
悪魔の詩
…現代の出来事や人物に強く関連付けられた内容が
ムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた
この結果、一連の焚書騒動
イラン最高指導者ホメイニによるラシュディの死刑宣告に続き
各国の翻訳者・出版関係者を標的とした暗殺事件が発生した

イスラームの聖典クルアーン中には神の預言として
メッカの多神教の神々を認めるかのような記述がなされている章句があったとの伝承がある
後に預言者ムハンマドは
その章句を神の預言によるものではなく悪魔によるものだとしたが、ラシュディはこれを揶揄したとされる
具体的に言うと、原題の The Satanic Versesはクルアーンそのものを暗示しているとも見られる
この他にも
ムハンマドの12人の妻たちと同じ名前を持つ12人の売春婦が登場するなど
イスラームに対する揶揄が多くちりばめられておりイスラームに対する挑発でもあったとされる

>>25 dp9師匠 >危険思想だとも思う

おじゃる
(現在進行形として)
宗教の名のもとの加害者・被害者になる場合もある(かもしれない?)
0055神も仏も名無しさん
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2018/08/10(金) 23:15:18.65ID:9VSPRgiQ
>>50
聖天様とかお稲荷さんとか三面大黒天とか、あと日本古来の神様だけど恵比寿さんは如来や菩薩、明王よりも有難い。
金運をもたらせてくれるからね。
娑婆世界を渡り歩くには無所有による悟りよりも先立つものの方が必要だから。
0056神も仏も名無しさん
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2018/08/11(土) 01:16:12.04ID:ndwbFthB
>>55
聖天の名称は、大日如来もしくは観自在菩薩の権化身であるために、歓喜天の本身(大日如来もしくは観自在菩薩)を表すために「聖」の字を用いて聖天としたという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9

聖天の本体は大日如来もしくは観音菩薩なのでこれらの如来や菩薩を拝んでも聖天を拝むのと同じ功徳があると思う
ってか観音菩薩も大日如来の応身であり大日如来が本体なんだけどな
0057おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/08/11(土) 01:21:19.68ID:yq3C+4or
ウィキペディアも間違ってる場合も、あるらしいけど、それでも、とりあえず

ウィキペディア参照
七福神
インドのヒンドゥー教の神である大黒を台所の神として祀ることは
最澄が比叡山で始めたことで、それが徐々に民間に広まったという

えびすは日本の神で
現在では七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神である

また、外来の神とされることもあり
「えびす」を「戎」や「夷」と書くのは、異邦の者を意味する
  _  _  _

↓都市伝説的な噂として

日ユ同祖論
ユダヤが原点なのか?
日本が原点なのか?

おじゃるとしては
(人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする宗教(religion)も含めて)
「アトランティスよりも、もっと古い超古代文明が原点である!」と妄想しちょります

超古代文明?
   ↓
アトランティス?
   ↓
古代エジプト?
0058神も仏も名無しさん
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2018/08/11(土) 01:29:05.75ID:a4vgqfCx
内だけでは、材も技術も高止まり&新規性が薄れるわけだから、
当然、外からの(外への)資材、技術・ノウハウ、人材等等を希求するのは必然。
大航海時代然り、大東亜戦争然り。
だから、柳田国男は「えびす」をそのような外界からの訪問者とみたのでは?
まさに、福をもたらすフォーリナーとして。
0059おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/08/11(土) 02:11:56.85ID:yq3C+4or
>>58
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

おじゃるとしては

そもそも日本人は
今この日本という国に元々住んでいたのか?ということで
(先住民が居ても良いけど)
大多数は日本国外からの来訪者なのではないか?ということで

神道も含めて
日本国内のものではなくて
日本国外からのものではないか?という感じがする。という妄想でつ

https://uranaru.jp/topic/1043254
縄文人?弥生人?
  _  _  _

>>57 どの時代からのものか?
https://en-park.net/words/7441
仏教の開祖は釈迦であり、この世ではじめて悟りを開いた人物ですが

大日如来はその釈迦をも創りだした創造主

大日如来からの → 釈迦

サーンキヤ
プルシャからの → プラクリティ
0060神も仏も名無しさん
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2018/08/11(土) 23:04:25.87ID:LTNNpqzk
小部経典11: ブッダヴァンサ


阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る

 ブッダヴァンサ聖典(仏種姓経)

1 宝玉の歩行場の部

1.(1) しかして、世の支配者にして娑婆の主たる梵〔天〕(ブラフマー神)は、合掌を為し、優れ勝る者なき方(ブッダ)に乞い求めた。
「ここ(現世)に、塵少なき生まれの有情たちが存在します。法(教え)を説示してください。この人々を慈しんでください」〔と〕。

(以下略

http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-11.html
0061宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/08/13(月) 05:00:50.97ID:u3ACpowr
>>60
いつもの長老信者さん、
なのかどうかは知らないけれど...
もう、そろそろウンザリきているので相手するのも止めようかと思っています。

一応、念の為に再度いっておきます。
この私は、梵天が出てきてブッダに対して云々くんぬん..と
対話したといった部類の内容のものについては、
例外なくすべてを全く信用していません。
たとえ原始経典といえども勝手な創作の典型と見なしています。

“究極の至高者 ”(万物創造の唯一神)としてのブラフマン
(宗教によってどう呼んでも構わない)というのは、決して、「人格神」などではないということ。
欧米の聖書(旧約/妬みの神)でも何でもそうなのですが、
一般庶民と同じようにして、時には喜んだり、或いは怒ったりなんかはしない。
だから、「やぁ、こんにちは!ゴータマさ〜ん♪」
な〜んて話しかけてきた時点で、もうそれは作り話の証拠となるのです。
ブラフマンというのは天部でもなければ、ヒンドゥー三柱としてのブラフマーなどじゃ〜ないから。

“究極の至高者 ”と人格神の関係すらも分からないような者とは、
とてもじゃないが私は対話なんかできない...。
0062宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/08/13(月) 05:03:28.05ID:u3ACpowr
>>56
>聖天の本体は大日如来もしくは

「教義」というのは何とでもいえるのです。
そんなことまで言いだしたら、狂気のオウム麻原や、小学生7人を殺害した宅間とか宮崎 勉だって、
それからホロコーストで数百万人を殺したヒトラーだって、例外なくみ〜んな大日如来の化身の一人ということになる。
大日如来の外へと出られるものなんかはいないのだから...。

なので、
本当の意味でマトモに大日如来の化身を謳える存在(神格)というのは、
応身の「釈迦如来」、三種輪身の正法輪身「般若菩薩」、教令輪身の「不動明王」。
八大菩薩の「観世音菩薩(三十三観音)」、「弥勒菩薩」、「虚空蔵菩薩」、「金剛薩埵」、
「普賢菩薩」、「文殊菩薩」、「除蓋障菩薩」、「地蔵菩薩」など...沢山あるけれども。
しかし元々、天部というのは輪廻からまだ解脱していないので違うと思う。

まして、聖天というのは天部の中でもかなり気難しい神であり、
場合によっては死を覚悟して望まなければならないほど恐ろしい存在とされます。
0063宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/08/13(月) 05:05:25.84ID:u3ACpowr
>>55
天部の神々というのは、
通力に長けていて利益の即効性も強いといわれる。
ただし、悟りに達したホトケではないので自我も強い。
要するに、機嫌を損ねさせたら障るということ。
特に要注意と見なされるのが、聖天(歓喜天)、大黒天、そして稲荷神(仏教系/荼枳尼天)。
自宅にお祀り(勧請/開眼)するなどは絶対にしないほうがいい。
彼らは、サボりを許さずレベルの低下(扱いのレベルダウン)も認めないから。
利益と引き換えに見返りが要求される。
つまり、代償を損ねるリスクが大きい...。
目先の利益で何でもかんでも信仰してたら、どうなるかということ。

稲荷神の障りについて:
 『インド伝来のダキニ天は、かつて人の心臓や肝を食らう夜叉(鬼女神)として恐れられていたが、
大日如来の霊力に心服して善神となり、大黒天の眷属になったといわれる。』
http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/kitune/kitune-2.html

先にも触れたように、
「仏法守護の善神へと改心した」などという話は身勝手なデタラメ創作なので信用すべきじゃない。
特に仏教系稲荷の多くは荼枳尼天(インド古代神ダーキニー)との習合存在であり、
こんなものは死体の臓物を食らう魔人鬼神の類。
これはより強力な利益が発揮されるよう大衆の期待に応えて、或いは天皇の命があったかどうはわからないけれども、
これこそ真言密教が導入してしまったとんでもないバケモノの祭祀です。
謂れがその事実の通りでれば、死後はその強大な利益と引き換えに魂を持って行かれることになる
(神道系稲荷にもかつては荼枳尼天祭祀だったところもあるらしく、正確な見分けは困難ともいう)。
そのことをよく知ってる密教僧は、「行かない方がいい」という筈です。
これは一度でも祀れば絶対にレベルを下げることを嫌い、いずれはその敬虔な信仰者が絶えたときには子孫末裔を祟ることになる。
もちろん祈ったり、お堂や祠の傍に行くことすらも避けるべき対象です。
私自身も、成田山新勝寺に行って来ても出世稲荷には見向きもしなかった。
集めてる御朱印ですから、これだけは平気でスルーしてきた。
0064宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/13(月) 05:47:31.91ID:u3ACpowr
巷で噂されている歌舞伎座の稲荷神の祟り。
このあまりの事故続き、そして昨年の麻央ちゃんの死を含め、
歌舞伎俳優並びに関係者たちの相次ぐ悲しい死去と不幸の連続...。
これは稲荷の祠を移動させたこと(その後の設置場所が良くないのか?)。
また、御神木のイチョウの樹を切った等々...の影響も含むのか?
とにかく、偶然では済まされないレベルの怪異変だと思う。
私の何倍も密教に詳しい方にこの件を伝えて見解を伺ってみたところ、
その方も稲荷の祟りを疑うということでした(しかも強力)。

2010年 4月 30日 歌舞伎座閉場式
2010年 9月 1日 中村隼人さん 交通事故で全治3ヶ月の重症
2010年 11月 25日 市川海老蔵さん 暴行事件
2011年 1月 3日 中村富十郎さん 死去81歳
2011年 10月 10日 中村芝翫さん 死去83歳
2012年 2月 23日 中村雀右衛門さん 死去91歳
2012年 8月 27日 市川染五郎さん 舞台の奈落に転落事故、大けが    
2012年 11月    市川段四郎、片岡仁左衛門さん 体調不良で舞台休演
2012年 12月 5日 中村勘三郎さん 死去 57歳没
2013年 2月 3日 市川団十郎さん 死去66歳没          
2013年 11月 13日 中村福助さん脳内出血、体調不良で降板
2015年 2月 21日 坂東三津五郎さん 死去59歳没
2016年 6月 9日 市川海老蔵さんが妻である小林麻央さんの乳がんを公表
2017年 5月 18日 中村獅童さんが初期の肺腺がんであることを公表
2017年 6月 23日 市川海老蔵さんの妻・小林麻央さん34歳で死去
2017 年10月 9日 市川猿之助さん歌舞伎の公演中に衣装が舞台装置に巻きこまれ左腕を骨折
(ネバーまとめ)

リンク規制にて検索:
 「新装 歌舞伎座建て替え中に大物5人死去 オカルト論争の真贋」

※ この私からは利益も期待ができて、尚且つ、
信仰者本人のことを重視した対応をして頂ける大乗信仰の三大スター、
不動、観音、地蔵の三尊のお祀りのほうを薦めます。
必ず良い方向へと導いてくれます。
特に、可能であれば密教独自のホトケである不動尊はとてもイイです。
0065宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/13(月) 06:02:53.35ID:u3ACpowr
さ〜て、
昨日は実家の精霊棚と行燈を設置完了しましたが、今朝はお盆参りにて超多忙です。
今から本日の自分の勤行をしてから出発し、
妻方の菩提寺での納骨を二ヵ所、そして妻方実家の仏壇参り。
その後、自分の実家側の本家の墓参り、菩提寺本院の不動尊前の読経、
また別の市町に移動して菩提寺不動尊への読経と納骨参り、
そして、実家の仏壇参りの予定となっています。
その後、迎え火を焚いてから花火大会へと向かいます。
0066神も仏も名無しさん
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2018/08/13(月) 21:02:04.28ID:1XUcZJiE
なんつーかね・・・


≪諸々の縁が紡がれて、結び目として「自我」が生じている≫ という

ただこれだけで、全てが叙述できていると思うんだけどねぇ・・
これ以上、我々に何が必要なんだろうか?w
0067おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/15(水) 01:43:48.09ID:fSXVu9re
https://uranaru.jp/topic/1043254
縄文人のルーツは?
20万年前のアフリカ大陸で、現在地球上に存在する人類の祖先が誕生しました
約7〜8万年前に世界中へと人類は出て行き、西方へ移動したのは
フランスやイタリアなどのヨーロッパ人の祖先
東を目指して旅立ったのはアジア人などといわれています

渡来人
先に日本列島に移り住んでいた「縄文人」たちは
「弥生人」たちが入ってきて本州の大半を占有されて
北海道で暮らしていた「縄文人」が「アイヌ人」に
沖縄で生活していた「縄文人」は「琉球民族」となり、彼ら独自の文化を築きます

(先住民が居ても良いけど、それでも)とりあえず
大多数は日本国外からの渡来人である、それでも

右翼側?左翼側?を前提として
https://www.sankei.com/affairs/news/180814/afr1808140022-n1.html
川崎市のJR川崎駅前で14日午後(2018.8.14)
「反日勢力を許さない」などと訴える団体が街宣活動を行い
「ヘイトスピーチを許さない」などと訴える集団と対立
  _  _  _

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする宗教(religion)
 ↓
神道
 ↓
国粋主義(天皇を頂点とする)
 ↓
右翼 − 対立 − 左翼

宗教の名のもとに紛争が起こる場合もある
0068おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/15(水) 02:15:41.63ID:fSXVu9re
 
> 諸々の縁が紡がれて、結び目として「自我」が生じている。という
> ただこれだけで、全てが叙述できていると思うんだけどねぇ
> これ以上、我々に何が必要なんだろうか?

たとえば無明に依存している、おじゃるの場合は

無明に依存しているからこそ
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする宗教(religion)

神(有為法としての頂点?)
仏(無為法から → 有為法を観照する)

というような対機説法が、わかりやすくて良い

無明に依存している、おじゃるを主体とするのではなくて
(円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない)

(無明に依存することのない)
仏の世界から観照する
本来自性清浄涅槃の世界から観照する

大円鏡智の世界から → 阿頼耶識を観る
平等性智の世界から → 末那識  を観る
妙観察智の世界から → 第六意識を観る

…無の世界も超え
般若の智慧と慈悲をもって
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている(ありのまま観照する)

仏そのものに成っているのなら
そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており修行したり、悟り証したりすることもないはずである
0069神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/15(水) 19:57:45.95ID:0Si2Z6fY
>>68
そうやって小難しくするから、宝珠のような下種が図に乗るわけでね・・。
0070おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/15(水) 20:42:31.39ID:fSXVu9re
> そうやって小難しくするから

こればかりは
podcast法話を聴いてもらうしかない

おじゃるの場合は
毎週
最新の法話を聴いているけど

上座部の世界観
大乗  の世界観という意味では

やはり
http://www.onedhamma.com/?p=5136
魚川祐司氏   − 上座部の立場
藤田一照僧侶 − 曹洞宗
山下良道僧侶 − 元曹洞宗・元上座部

もちろん
仏教の対機説法としては
「我所ではない我でもない真我でもない」と明確に云ってけど
『元々、仏そのものである』これは、しつこいぐらいに云ってる

podcast法話で
大乗の世界観は
本来自性清浄涅槃・無住処涅槃
仏そのものからの真如縁起である。と

仏教という枠組みを離れるのなら
真我というのも
わかりやすくて良いかもしれない。という感じのことも云ってる

仏教という枠組みを離れることができるのなら
宝珠殿の云ってることも間違いではない。という感じもする
(中観帰謬は「真我という『想い』でもない」一応、念のため)
0071神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/15(水) 21:02:07.51ID:0Si2Z6fY
だからw  >>70

おじゃるは、情報を吸収し過ぎなの。
(これまで入った分を)削るのは難しいかもしれないけど、
一旦、流入量をセーブして(出来れば遮断して)、
自分の中で、(押し入れや書棚や引き出しを整理するが如く)
既得情報を整理取捨する時期にあると思うよ。
0072宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/15(水) 21:16:02.85ID:0m7yyCOS
>>52
>さて、五十嵐さんは殺されて当然だったか否か?


『悪魔の詩』翻訳者の暗殺事件のことと解して話を進めます。
まず、如何なる理由があろうとも私は殺人行為を認めることはありません。
死刑制度についても然りです。これは司法によってなされる殺人行為以外の何ものでもない。
もしも唯一、殺人の中でも止む得ないものがあるとするならば、
それは自分や家族や目前の人たちが殺傷されかねないような最大限の危機に際しての正当防衛だけです。
また、その他の例外的なものとしては、
万が一の戦争において敵兵と戦争しなければならない任務にある者というのは、残念ながらその義務を負っているということ。
その場合の精神態度については、クリシュナによって『バガヴァッド・ギーター』で説かれるところなのですが、
悲しいことですけれども、兵士は無執着の態度で義務(敵兵を倒す)を果たす他にはないでしょう。
もちろん、それがいいことである筈はありませんけれど...(だから、戦争というのは始めてはいけないのです)。
ましてや、自分らの宗教的な権威を守るためにや、強制的な宗教支配を強いるための殺害テロなどというのは問題外です。
最近では、ISISイスラム国の行為がよく知られるところであり、
また以前には天皇について批判すると右翼からは命を狙われるといったものなどがありました...。
0073宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/15(水) 21:16:39.89ID:0m7yyCOS
イスラム教については詳しくないけれども、私の知る範囲としてはムハンマド自体がやや意識レベルが低いのだろうと思う
(神智学情報によれば、当時のイエス覚者からのオーバーシャドウを受けたイニシエートで進化段階は3.4段階だった)。
当時は戦闘地域といった環境の中でのことだったので止む得ない部分もあろうかと思いますけれど、
敗戦者たちに対しては情け容赦なく虐殺したともいわれています(クライザ族虐殺事件)。
いずれにせよ、これは同じくカトリックにもいえることですけれど(私は史上最悪の殺人宗教団体と批難してきた...)、
自分たちの信じる信仰(そのレベルは様々)を相手に強いるべく無信仰者や異教徒は抹殺しても構わないなどいう発想はとんでもないことです。
これは絶対にしてはならないことであって、どんな信仰を持つかは本人が自分自身で判断して自ら掴み取るべきものです。
こちらの方が正しいからといって、それを相手に押し込めるやり方というのはしてはならないことです。

それから、
相手が大切にしているもの(自分にとっては不要ものであったとしても)には、決して危害を加えてはならないでしょう。
そういう意味では、私が発信してきた情報や発言というのは、それを目にした仏教徒たちの心を大きく傷つけただろうと思う。
そのことに対しては、心情的には非常に申し訳ないという想いがあります。
恐らく、その分の悪しき業が背負わされることは私自身も最初から覚悟しています。
それでも尚且つ、真実から目を背けることなく仏教界が迷信から脱却できるよう寄与したいという想いが、
この私にはあります(世間ではそれをお節介と呼ぶものですが...)。
0074おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/15(水) 21:35:37.01ID:fSXVu9re
 
>>70補足として

https://samgha.co.jp/shop/products/detail/342
光の中のマインドフルネス 悲しみの存在しない場所へ

おじゃるは貧乏なのでこの書籍はまだ読んでないけど
毎週 podcast法話を聴いている感じだと
たぶん
あおぞらとしての本当の自分の世界から
 → (空性に依存している)雲としての自分の世界を観照せよ

大乗 1.0の世界観をもって
上座部 2.0を実践していく

と、しつこいぐらいに書いてあるかもしれない

上座部 2.0を実践するので当然
「我所ではない我でもない真我でもない」ということになるけども

これは中観帰謬の
「掴もうとしている『想い』を手放しせよ」というのと同じかもしれない

地水火風の微細な粒子に分解して
微細な粒子も手放していく
縁起している世界を手放していく

本来自性清浄涅槃そして

…無の世界も超え
般若の智慧と慈悲をもって
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている(ありのまま観照する)
0076神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/15(水) 21:38:10.86ID:0Si2Z6fY
>>74
だからw

いっぺん、全部押入れに仕舞って旅行にでも出かけろ、とw
0077宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/16(木) 01:35:49.21ID:XUsk0/7c
>>75
これまでこの私がしてきたように、
“アートマンは無い”という意味での無我なる教えなどブッダは説いてはない。
それは、後の部派教団に拠って誤って広められたものに過ぎないという事実を知らしめることは、
それまでこの迷信を信じてきた仏教徒たちにとっては非常に不快なものかもしれない。
しかし、真実の追及(つまり、本来のブッダの尊い教えの理解)という意味においては、
どうしても必要なことだとしているのと同じように...

もしも、その書籍が同じくそういうものであったとしたならば、
その著者と、及びそのことを理解した上で『悪魔の詩』の翻訳を引き受けた五十嵐氏というのは、
自身の身の危険を知りつつも大変、勇気ある行動として称賛されるものであるかもしれない。
ただ、私はその書籍の意図や中身のことはよく分からないので、
単に特定の宗教を侮辱するものになっていたとしたならば、それはやはりトンデモナイことだと思う。
まっ、だからといって暴力によってこれを排除しようとすることは認められるものではなく、
まして殺害するなど、絶対にあってはならないことです。

今の私には、これ位のことしか言うことができない。
0078おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/16(木) 19:13:58.84ID:QkH9Kyx3
 
南淵明宏(心臓血管外科医)最先端の医療現場でも起こる摩訶不思議な現象を語る
https://www.youtube.com/watch?v=EtuCYzxtbko

矢作直樹 東京大学名誉教授
人は死なない
ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索
https://www.youtube.com/watch?v=HLVeGlGYdEw

ワイルダー・ペンフィールド 脳神経外科医
脳と心の神秘
心は脳と結びついてはいるが別個の存在である
そして「心の本体は何か」という問題を追究するとき
心的エネルギーの存在と、霊魂の存在を受け入れざるをえないと考えた

エベン・アレグザンダー 脳神経外科医師
意識は脳から独立した存在
意識は肉体が滅んでもある

https://www.yuishiki.org/category/%E5%94%AF%E8%AD%98/%E5%BF%83%E7%8E%8B/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%84%8F%E8%AD%98/
第九意識
完全なる涅槃

色受想行識が滅しても「仏そのもの」は有るということで ヨロ m(_ _)m
0079神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/16(木) 22:05:22.86ID:gX3eGw7C
外教の神様が菩薩や明王に調伏されて、
それまではその力を悪逆な暴力に使っていたのを調伏後は仏教を守護し仏弟子が育つ手招きをする、正しいことのために使うようになるべく改心する、
というのは密教の醍醐味だと思う。
しかもそれら外教の神様でももれなく如来蔵を持っているので本来は?仏なのですというのも。

外教の神様の悪逆非道な暴力は人の心にある貪瞋痴の象徴であって仏法僧に帰依し仏道を歩めば貪瞋痴は修行によって衆生を救済するという菩薩の大欲に変わる。
それは一切衆生に如来蔵が具わっているからできる、というかそうなる、ということになる。

密教を行する修行者は外教の神を手本とすべきと思う。
0080おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/17(金) 02:16:50.68ID:+oKe7Y38
 
>密教を行する修行者は外教の神を手本とすべきと思う

密教を行する修行者も
仏法僧に帰依し仏道を歩めば
貪瞋痴は修行によって衆生を救済するという菩薩の大欲に変わる

ということで良いのでは?

理趣経
十七清浄句
男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である

ヤブユム
男性尊格が配偶者と性的に結合した
男女両尊、父母仏、男女合体尊

無明に依存して
煩悩の渦に巻き込まれている、おじゃるを主体とするのではなくて

(無明に依存することのない)
もともと本来自性清浄涅槃であり
無住処涅槃として
般若の智慧と慈悲をもって
平等性智をもって
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0081おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/17(金) 03:08:24.98ID:+oKe7Y38
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
大乗のみならず
パーリ経典も(説一切有部などにより意図的に?)編纂されたもので
最古の経典も、原始経典さえも
釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない

それでも、とりあえず
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF
スッタニパータ
第4章と第5章がもっとも古い経典だったと考えられている

その当時その地域の人々にとって仏教を理解せしめるために
その当時その地域の世間的な『想い』を一応認めて
その理解のうえで仏教を理解せしめる、それゆえに
http://suttanipata.com/aeaeuaaaaaaaaeay/
スッタニパータ
790 真のバラモンは…
792 …智慧ゆたかな人は、ヴェーダによって知り…

基本的には?
ヒンドゥー(バラモン)とか、その他諸々の外道とかを批判・否定していたかもしれないけど
「その当時その地域の世間的な『想い』を一応認めて」という意味において
ある特定の部分?においては
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつす瀉瓶のように
ヒンドゥー(バラモン)からも
受け継いだ部分もあるかもしれない。という感じもする

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%91%A9%E7%BE%85%E8%AD%98
阿摩羅識
真我、真如、如来蔵

無明に依存することのない
あおぞらとしての本当の自分・本来自性清浄涅槃
0082神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/17(金) 10:10:53.00ID:vc3bsEF4
降三世明王に踏まれている大自在天と烏摩は俺らの心にある貪瞋痴の象徴なのさ
大自在天と烏摩は調伏後はその力を正しいことにつかう
そして大自在天と烏摩も如来蔵を持っていることをしり自分達も仏の仲間であることに歓喜する
これぞ密教の醍醐味
0083おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/17(金) 15:37:42.36ID:+oKe7Y38
 
>大自在天と烏摩は俺らの心にある貪瞋痴の象徴
>大自在天と烏摩も如来蔵を持っている

無明薫習に依存している
貪瞋痴それ自体が如来蔵である。という説明よりも

無明薫習している世界を手放して超えて

本来自性清浄涅槃

そして
無住処涅槃
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから迷いの世界にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない
仏性からの真如縁起

「仏そのもの」の世界から平等性智をもって

縁起している世界
心の働きサンカーラ(行)を観照する

という↓上座部 2.0のような対機説法の方が、わかりやすいという感じもする
http://www.j-theravada.net/pali/key-pancakkandha.html
初期仏教の世界
心の働きサンカーラ(行)を観照する

どこの誰が観察するのか?ということで ヨロ m(_ _)m
0084神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/17(金) 17:30:44.60ID:T6tkq5II
上座部2.0とか言われてもわかんねーよ
0085神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/17(金) 17:31:09.94ID:T6tkq5II
あ、上座部2.0の説明もいらねーから
0086おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/18(土) 00:23:44.17ID:rMnWqW0n
 
こればかりは
podcast法話を聴いてもらうしかない

おじゃるの場合は
毎週
最新の法話を聴いているけど

上座部 2.0の世界観
大乗  1.0の世界観という意味では

やはり
http://www.onedhamma.com/?p=5136
魚川祐司氏   − 上座部 2.0
藤田一照僧侶 − 曹洞宗 3.0
山下良道僧侶 − 元曹洞宗・元上座部 3.0

http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-13592-1/
〈仏教3.0〉を哲学する
藤田一照、山下良道、永井均著
永井均 − 日本大学文理学部哲学科教授

おじゃるは哲学も専門外なので
永井均氏の哲学は、まったく意味がわからないけど

毎週、最新のpodcast法話を聴いているので
藤田一照僧侶、山下良道僧侶のところは、わかる部分もある

上座部 2.0は
無明に依存している、おじゃるが少しずつ涅槃に向かって逝く

大乗 1.0は元々、本来自性清浄涅槃
0087おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/18(土) 00:57:05.85ID:rMnWqW0n
 
大乗 1.0は元々、本来自性清浄涅槃

それゆえに、たとえば机師匠とかの場合は
「無明に依存している
  おじゃるを主体として
  心の働きサンカーラ(行)を観照する。というような実践も不要である!」

 − これに対して −

大乗 1.0の世界観をもって
上座部 2.0を実践する
3.0の場合は

無住処涅槃
仏性からの真如縁起

平等性智をもって
般若の智慧と慈悲をもって → サンカーラ(行)を観照する

それゆえに 1.0と 3.0は世界観が同じであっても実践する内容が違う

↓一応、念のため
道元 普勧坐禅儀
そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもないはずである

それゆえに机師匠と同様に
「実践は不要である!」と勘違いしている人もいる。ということでつ
0088おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/18(土) 03:54:38.89ID:rMnWqW0n
 
https://www.youtube.com/watch?v=cqmBuyxLY_g
曹洞宗の南直哉

宮崎哲弥からの質問
「なぜ僧侶になったのか?」

南直哉
「生老病死への不安があったから」
  _  _  _

インド
 ↓
中国経由
 ↓
平安時代 空海
 ↓
鎌倉時代 道元

空海
菩提分法是れ法宝なり

道元
菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり
仏祖一枚、これを菩提分法と参学しきたれり

悟りに至るための菩提分法

解脱智見を知る、そのときには、生老病死・不安。という『想い』ではない
0090おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/18(土) 16:36:24.28ID:rMnWqW0n
 
https://www.youtube.com/watch?v=KQ53XKnSIS8
心を訓練する八つの教え
ダライ·ラマ法王

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派
中観帰謬

仮設としての
縁起に依存して
無明に依存して
妄想して
分別されなければ、その法が火として設定されないゆえに
汝の言う「誰も気づいていない山火事(という『想い』)」も
いま我らによって(妄想して)分別されているゆえに

そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します

http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
チベット ニンマ派

これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である
実体をもって(自立して)存在していると信じ込んでいたからです

 − これを対処するために −
しかし
すべての事象は独立してではなく
原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは無常という理に自らの心を馴らしていかなければなりません
0091宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/19(日) 02:34:38.99ID:MYGDWw3M
>>64
補足:
 一応、当時の『日刊ゲンダイ』の記事そのものを掲載しておきます。
そして、関連情報をまた二つ。

【「後ろにあんなビルが建っちゃって。これじゃあ芝居の神様も降りてこられないよな」と海老蔵は感想を漏ら
したという。

この発言は一部週刊誌が報じたものだが、梨園は「芝居の神のたたり」を信じたくなるほど不幸続き。4月2日
に新装開場する歌舞伎座の工事中に大名跡を次々と失ったことから、「歌舞伎座新築の呪い」なんてウワサが飛
び交うほどだ。

「建て替え工事が始まったのは、10年10月。この2年余りの間に中村富十郎、中村芝翫、中村雀右衛門と3
人の人間国宝が亡くなり、昨年12月には“千両役者”の中村勘三郎が急逝。そして今度の市川団十郎の死です。
ほかにも海老蔵が暴行を受け、染五郎が舞台の奈落に落ちるなど、ロクなことがありません」(梨園関係者)

てなわけで「新しい歌舞伎座は、かつて劇場脇にまつっていた『歌舞伎稲荷』の上に地上29階のタワービルが
建つ。本来、お社は建物の最上階におまつりすべき。ビルが邪魔でお社に降りられず、お稲荷さまが怒っている
のでは」といったオカルトめいた“解説”がネット上にあふれている。

呪い論争には、あの美輪明宏まで参入。「近代的なビルに建て替えて、表面だけ歌舞伎座の形をしていてもダメ。
とにかく慰霊碑を作りなさい」といった趣旨の発言をラジオ番組で繰り広げたという。はたして歌舞伎座サイド
に「抜かり」はなかったのか。
0092宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/19(日) 02:35:08.23ID:MYGDWw3M
「歌舞伎稲荷の御霊は、解体前に『鉄砲洲稲荷』の宮司の手により、私どもの事務所の祭壇に移し、月1度のお
はらいを欠かさず続けてきました。来週には、ほぼ完成した建物脇の通り沿いに新たなお社を建て、再び御霊を
戻す予定です。建物の最上階にまつるべき? その点は私どもも危惧したのですが、宮司から『より多くの人の
目に触れられる場所の方が、神もお喜びになる』との助言を頂いております。今回の新築と相次ぐ訃報を結び付
けられるのは心外です」(株式会社歌舞伎座・総務部)】
(2013年2月7日号『日刊ゲンダイ』)より

「お稲荷さまが怒っている」坂東三津五郎死去で囁かれる“歌舞伎座の呪い”
(2015年2月24日 17:59『朝日芸能』)
https://www.asagei.com/32943

 『私は、ご挨拶をとお参りし手を合わせたら、驚きました。複数の存在の怒りや悔しさなどネガティブな感情が、
一気に伝わってきたのです。慌てて何かを伝えるのをやめ、「ここにお参りさせて頂き有難うございます」とさっ
とご挨拶だけして、急いでその場を去りました。』
(歌舞伎座のお稲荷様|占い師・藤森緑の雑感)
http://fujimido.cocolog-nifty.com/fujilog/2015/02/post-5d69.html
0093宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/19(日) 02:38:09.98ID:MYGDWw3M
>>79 >>82
そんなただ、
“外教の神も大自在天も如来蔵を持っている”からいいんだみたいに言うんだったら、
狂気のオウム麻原や、小学生7人を殺害した宅間とか宮崎 勉だって、
それからホロコーストで数百万人を殺したヒトラーだって、
例外なくみ〜んな如来蔵を持ってる、そんな程度の意味合いでしかないって。

>菩薩や明王に調伏されて

いやいや.だから、
そんなことは大乗が信者獲得のための宗教間の勢力抗争において
勝手に言い出したご都合主義に過ぎないということ。
大乗というのは、そのためなら何でも在りを実行してきた諸派なのですよ。

そもそもが所詮、
たかが人間の分際で本物の神々を調伏などできる筈がないから。
一体、どこの誰が調伏するの? 菩薩? 明王だって? これらもまた大乗が構築した教義にしか過ぎないものだ。
ゴータマ仏、以降〜このレベルの存在の出現というのは弥勒降臨まではないともいわれているというのに...。

神々というのは仏教によって調伏されることもないし、仏教僧(または密教僧)らによって調伏されることもない。
密教は、ただバラモン譲り(パクリ)の呪法によって神々を勧請して供養法を修するというだけ。
この一定の法に沿うならば、別に他の何の宗教に限らずとも神々を動かすことが可能。
それは別に、仏教(密教)に調伏されたということじゃないから。
ただ密教がその手法に長けているだけのこと。

まっ、いっても分からないだろうけど...。
0094神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/19(日) 11:45:09.17ID:IBSgIPY4
直リン貼るとNGになるので貼れないけど

海外「日本人は外国の神も信仰するのか」 日本に根付くヒンドゥー教の神々に驚きの声

をコピペして検索してみるといいよ。
インド人が日本でヒンドゥー教の神々が祀られていることを喜んでいるのがわかる。
0095神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/19(日) 14:57:20.67ID:dK8Srw1w
ブッダ(釈尊)はこう述べた。
「隠したほうが効果があり、あらわにすると効果がなくなるものが三つある。
女性(の身体)と、バラモンたちの呪文、そして邪見だ。この三つは隠したほうが効果があり、あらわにすると効果がなくなる。」
ブッダは続けてこう断言する。
月と太陽と如来(ブッダ)の説いた真理と実践(法と律)は、明らかにしてこそ光輝くと。
ブッダは文字通りの密教、秘教のたぐいを全否定した。
0096宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/19(日) 15:25:00.78ID:MYGDWw3M
>>94
はい。私は以前にこの記事は見ています。
日本ではインド由来の神々が大切に祀られ、信仰されていること知って、
インドの方々は大変そのことを喜ばれますね。
日本人の持つ寛容性とか受容性の顕れなどとしても見られています。

>>95
まっ、私も密教は別物と見ていますから。
そもそも大乗そのものが非仏説という評価ですし...。
ただし、日本人に向いた日本仏教の良さについては素晴らしいところがある。
心の浄化と信仰心を育む宗教としては、とても大きく役立っていると思う。
0097宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/19(日) 16:02:24.88ID:MYGDWw3M
大乗は非仏説の創作経典が帰依の拠り所で、
もちろん密教は、そのことに加えて更にバラモン呪法の導入がウリ。
現存するすべての仏教教団はアビダルマが教義の根拠となっており、
部派仏教の影響下にない教団は何処にも存在しない。
現テーラワーダも然りで、部派仏教の継承団体そのものが彼ら。
にも関わらず、これこそが唯一の真理であるなどと豪語しては、
他の諸派や諸宗教の悪口が止まらない。
それでは、一部の過激思想のイスラムグループらと大して変わらない。
0098おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/19(日) 17:19:56.45ID:p0+2ww4u
>>94

大日如来からの
   ↓
  宇宙
   ↓
超古代文明?
   ↓
アトランティス?
   ↓
   ?
   ↓
バラモン(ヒンドゥー)
   ↓
  釈迦
   ↓
上座部・大乗
   ↓
  密教 → チベットにも
   ↓
 恵果師匠
   ↓
  空海

大日如来から
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつす
瀉瓶のように受け継いでいるので おじゃる

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0099宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/19(日) 17:34:20.87ID:MYGDWw3M
>>98
>瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつす
>瀉瓶のように受け継いでいるので おじゃる

神智学情報によれば、
世界におけるすべての諸宗教の聖典の中で
最も成立時から変色がないのは“密教経典”だと云われています。
殆ど変色がなくそのまま伝承されています。
これはやはり、あの独特の厳しい秘密主義的な法脈の伝授方式が効いたと思う。
0100神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 10:02:21.04ID:Gg9eeXZy
★最初期の仏教における輪廻

仏教では、輪廻を認めています。

「最初期の仏教は輪廻を認めていなかった」と主張する学者の方もいますが、
輪廻がないということは、死んだらそれでおしまいということになってしまって、
そうしたら最初期の仏教徒が、何から解脱するために
懸命に修行を行っていたかもわからなくなってしまいます。

インド思想の大きな流れからしても、
「兄弟宗教」とされるジャイナ教の教義からしても、
仏教が最初から輪廻を認めていなかったというのはありえない話だと思います。

仏教経典でも最古層の韻文資料であるといわれている、
スッタニパータ(Sn.)の第四章や第五章でも、

「想いということを完全に知って、激流を渡るとよい。
 沈黙の聖者は、さまざまな所有物に汚されることなく、
 煩悩の矢を抜き去って、修行につとめ励んで、
 この世もかの世に対しても望まない」(Sn.779)

「両極端の中において、種々の生存に対しては、
 この世に対しても、また他の世に対しても、
 いまここで願うことがない」(Sn.801ab)

「愛し好むことが世にはびこったり、
 あるいは貪りが世にはびこったりすることは、
 欲望にもとづいて起こる。また、人が来世に関していだく希望と目的も、
 それにもとづいて起る」(Sn.865)

という表現が見られ、「この世もかの世に対しても」
「この世に対しても、他の世に対しても」「来世に関して」は、
いずれも輪廻そのものを表現する語句ではありませんが、
現世と来世という両世界が用いられている点から判断して、
輪廻という世界観を前提として表現であると解釈することができます。
0101神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 10:03:21.88ID:Gg9eeXZy
また、

「ピンギヤよ。それ故に、あなたは怠ることなくはげみ、
 再び迷いの生存にもどらないように、物質的存在を捨てよ」(Sn.1121cd)

「ピンギヤよ。それ故に、あなたは怠ることなくはげみ、
 再び迷いの生存にもどらないように、妄執を捨てよ」(Sn.1123cd)

という表現が見られ、どちらも再生することがないように戒めたものですが、
この「再生」という表現も、明らかに輪廻を想定できるものです。
0102神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 10:04:02.78ID:Gg9eeXZy
さらに古層の韻文資料であるといわれている、
スッタニパータ(Sn.)の第一章から第三章には、

「全宇宙の生滅や生きる物の死して生まれる輪廻を考察し、
 塵から離れ、汚れなく、清浄で、二度と生まれを繰り返すことがなくなった人、
 その人こそがブッダといわれる」(Sn.517)

「この無明とは最大の無知であり、それによって永い間このように輪廻してきた。
 しかし、明知に至った生きとし生ける者は、再び迷いの生存に戻ることがない」
(Sn.730)

という「輪廻」という言葉そのものや、

「悪口を言いまた悪意を起こして聖者をそしる者は、
 10万ニラッブッダと36ニラッブッダの間、また5アッブッダの間、
 地獄に堕ちる」(Sn.660)

「正しい法に従って得た財をもって母と父を養え。
 正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、
 死後にみずから光を放つという天界に赴く」(Sn.404)

など、死後に赴く世界についても書かれています。
0103神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 10:13:04.90ID:Gg9eeXZy
【ミスリードの例】

(4)「釈迦は輪廻それ自体がマーヤだと悟った・・・」

これはおそらく正しいと思います。輪廻思想は、永遠の魂とか、過去世とか来世など、人間の認知の届かないことがらについての妄想ですから、ブッダはそのようなものは、「なんの役にも立たない」として無視(無記)しました。

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。
また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。
マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。
現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである・・・。

(「毒矢のたとえ」)
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism47.html

引用した訳が間違ってるのか意図的に改竄したのか分かりませんが、毒矢たとえが載っている
「箭喩経」『マッジマ・ニカーヤ』第63経
での本当の訳は

マールンクヤプッタよ、『如来は死後存在し、かつ、存在しない』という見解があろうと、『如来は死後存在するのではなく、存在しないのではない』という見解があろうと、
あいかわらずせいがあり老いがあり死があり、愁い、悲しみ、苦しみ、歎き、悩みがある。わたしは、(自ら)見られた法において、それらは破壊されたと教えるだろう。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/malunkya.html

ミスリードの訳では如来が人間となってて、
ブッダは人間の死後についてはどのような立場をとっても妄想となるので無記であったとしていますが、
あくまで如来の死後については無記であるというだけです。
0104宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/21(火) 12:31:21.85ID:0jKo2Nyo
>>100-103
大変、素晴らしい投稿をありがとうございました。
ここ近年、輪廻(転生/再生誕)を認めないという
馬鹿げた自称仏教徒たちが多くネット上を徘徊しており、
呆れ返っているところです。

あくまでも輪廻思想の土壌で法を説くための方便として、
バラモン教から説かれていた輪廻をそのまま採用して説いたという理解にある者もかなり多い。
経典の中でブッダは、これはバラモンの受け売りなどではなくて、
自ら確かめた上で語っているのだといっているというのにです...。

転生現象については、
バージニア大学などで科学的データの集積研究が進められており、
これが事実であるとして研究者には認められています。
なのでいずれは、否定できない科学的事実として提示される日がくるでしょう。
その時、ブッダの持つ驚異的で超常的な洞察力が事実であったことを思い知らされ、
これを馬鹿にしていた者たちは地べたに平伏して己の罪を詫びることになると思います
(経典によれば、ブッダを誹謗中傷した者は地獄に行くことになっている)。
0105宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/21(火) 12:31:57.09ID:0jKo2Nyo
 『二軒の家の間に立っている人が、その家人たちが一方の家から出てもう一方の家に入ったり出たりするの
をありありと観察することができるように、私は生命の転生を知る天眼通によって、衆生がカルマに牽かれて
善い境遇や悪い境遇に転生することを、そして、それぞれの転生先で優劣美醜の差を得ることを知っています。
・・・・比丘たちよ、このことを私は、他の沙門やバラモンたちから聞いて語っているのではありません。
そうではなく、私が自分で知った、自分で見た、自分で体験した、そのことだけを私は語っているのです。』
(マッジマ・ニカーヤ第130/天使経)

 『このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が「この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる」と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴するた
めでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、「わたしは、このような超能力があることを人は知れ」
というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子はそれ
を聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもたらし安楽を
もたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』
(『中阿含経第77/帝三族姓子経』)
0106おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/21(火) 13:24:17.11ID:onYW6bY2
「仮設としての」という意味で、おじゃるは輪廻肯定だけど

↓輪廻否定で有名な人?
松本史朗の縁起は、「輪廻」を排除したものである

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/12c2a22ae6567df92065b7237c13b89c
松本史朗氏
「“縁起”は仏教であるが、“涅槃”も“解脱”も仏教ではない」
「如来蔵思想は仏教ではない」

水野弘元氏
「大乗仏教で説かれる法身仏や仏性・如来蔵と
  外教が説く梵や我と
  どの点でどのように違っているかも仏教者としては明らかにすべきである」と問題提起している

定方晟氏
「山川草木悉皆成仏という
  この言葉が罠になって、そこに陥ってしまう人も出てくる
  だから、この言葉自体が正しいか正しくないかということは必ずしも言えない」

言葉に対するとらわれを仏教は問題視している

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観自立
世俗の次元で自相(自性)を承認します
私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

中観帰謬
(掴もうとしている『想い』を手放しさせるために)
世俗の次元でも自相(自性)を否定します
0107おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/21(火) 14:11:49.06ID:onYW6bY2
仏性・如来蔵と − 外教が説く梵や我は、違うのか?

「同じである」というような感じもするけど、とりあえず
  _  _  _

おじゃる妄想としては

非想非非想
有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
([想う]という『想い』も手放して、[想わない]という『想い』も手放して)

それゆえに
アートマン
「…である」と定義することはできない「…である」ものではない

アートマン = 非想非非想

そして、この非想非非想も手放して越えていく、そのための

無為法 − 想受滅

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
因縁生滅智  刹那生滅智

解脱智見を知る

そのときには
(「…である」と定義することはできない「…である」ものではない)
アートマンという『想い』でもない

中観帰謬の場合なら↑こんな感じに成るかもしれない

スッタニパータ 874
想いを消滅した者という『想い』でもない
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである
0109おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/08/22(水) 23:52:51.34ID:28MlOeV0
 
https://www.youtube.com/watch?v=zJQazO4SwVs

Hiroshima Mon Amour訳

それは全くの生まれたて、10フィートもある赤ん坊
彼らはそれを『リトル・ボーイ』と名付けていた
7つの炭素、5つの水素、6つの酸素と3つの窒素
彼らはそれをトリニトロトルエンとも名付けていた

太陽をかすませる火の玉
それはもっとも残酷な死のかたちを約束した

ヒロシマ・モナムール
僕らはきみたちが唾を吐き捨て、また呪いの言葉を吐くのを
神様がお赦しくださいますようにと祈るばかり

太陽を辱める火の玉
大地に生きるものの影すら焼きつくす
雨は大地に渇きをもたらすために降りつける
干からびた人びとを砂漠のただ中に残して

戦争を終わらせるためのものだといわれていた
この爆弾を創り上げたことで、メシアに感謝を捧げた
そうして司祭も魔女も諸手を挙げて賛同したんだ
死こそが彼らを自由へと解き放つのだと考えて

太陽を辱める火の玉
大地に生きるものの影すら焼きつくす
雨は大地に渇きをもたらすために降りつける
干からびた人びとを砂漠のただ中に残して

ヒロシマ!
0110おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/08/23(木) 00:17:41.68ID:VReBejm3
 
無我なのか?真我なのか?
565
>蟻んこが上から目線で人類の叡智を判定して分かったつもりになってる

(無明に依存することのない)
般若の智慧によって観照された → 縁起している世界のことを云ってるのかしらん?

たとえば
仮設としての
無明に依存している
おじゃるは
蟻んこの脳内妄想よりも更に劣る、てい脳である!ということならわかるけど
  _  _  _

青目(ピンガラ)の中論 觀如來品 第二十二

(無明に依存することのない)
如来は戯論を超過する

 − これに対して −
(無明に依存している)
人は戯論を生じる。戯論して慧眼を破れば
是の人達は皆、仏を見ることはない
0111宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/08/23(木) 09:43:37.58ID:VDFxpNeX
>>108
この5ch『☆無我なのか真我なのか☆』スレの投稿者たちは、
何故? こちらのスレに来てこの私に対して反論したり、
または、逆に伝統的仏教者たちに物言いをしないのだろうか?
まっ、専用スレにて論議したいから建ったスレなんだと云われれば、
それまでのことですけれど...。

この私から言わせてもらえば、まず第一にして、
“アートマンは無い”という意味での「無我」vs「有我 (論) 」という図式、
その構図そのものからして間違ってる、ってこと。
無我の教えというのは、「アートマンは無い」といったものではない。
そのことについては、ゴータマ・ブッダ自らが、その意志をハッキリと経の中で示されている。
つまり、「アートマンは無い」などと説くことについては、明確に否定したのです。
それがアートマンの有無については示さないという無記の姿勢です。

【ヴァッチャ姓の遊行者は世尊に尋ねた。
「アートマンはありますか(kiM nu khobho Gotama atthattA)」と。世尊は黙っていられた。また尋ねた。「アートマンはない
のですか(natthAttA)」と。世尊は黙っていられた。ヴァッチャ姓の遊行者は去っていった。
 その様子を見ていた阿難が「どうして黙っておられたのですか」と尋ねた。世尊は「アートマンはある(atthattA)」と答え
たら、常住論者(sassatavAda)に同じることになる。ないと答えれば断滅論者(ucchedavAda)に同じることになる」と答えら
れ、そして阿難に反問された。「もしアートマンがあるかと問われて『ある』と答えたら、諸法無我(sabbe dhammA anattA)と
いう智が生じるのに順じるだろうか。もし『ない』と答えたら、愚昧なヴァッチャ姓の遊行者は前にはアートマンがあったのに、
今はない(ahu vA me nUna pubbe attA, attAso etarahi natthi)と混乱(sammoha)がますます増大するだろう」と。】
(サンユッタ・ニカーヤ.44 第10経)
0112宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/08/23(木) 09:45:51.30ID:VDFxpNeX
無我の教えというのは、正しくはアートマンは無いといったことではなく、
それら(五蘊)はアートマンではないという意味です(これを「五蘊無我説」という)。
だから、「非我」と訳されることが本来的には正しい。

なので、
「非我」の教えはそもそも「有我(論)」との対決の位置付けにはない。
非我の教えとは、「アートマンでないものをアートマンと見なすことなかれ」であり、
アートマンでないものをアートマンと誤認(同一認)することから我々の苦悩が生じるのだといっているのです。
これを言い換えるからば、「アートマンであるものをアートマンとして正しく見よ!」ということ。

要するに、
ヒンドゥーとは方法論、その手法の違いの差でしかない。
尚、当時のアートマンを認知したつもりとなっていたバラモン行者たちというのはすべて、
アートマンでないものをアートマンとして誤認していたということ。
その指摘がパーリ『梵網経』です。

さーて、
では、久しぶりにあちら側にも一つ投稿しておきますか。
0113宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/23(木) 11:20:18.07ID:VDFxpNeX
>>https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1487443014/567
>お釈迦さんが、菩提樹の下で何を見たか、
>誰も知り得ていない(伝わっていない)というのに・・・・。

いえ、それは知られていることだと思います。
これについては相当.何年も以前にこの私が述べたように、
菩提樹下の深い瞑想においてゴータマは、宿命智と天眼通による神秘的な超常体験をしたのです。
自分のあらゆる過去世のすべてを再体験して自覚した。
そしてまた、すべての人間の業に拠る死後の行き末と生まれ変わりを見たのです。
仏教の理法のすべてはこの体験にもとづいて語られたものです。
ここから業報輪廻、縁起、四諦、八正道と菩提分法、非我...すべての仏教理論が出てくることになる。

法(教え)を説くことを憂慮したというのは何故か? というと、
人々は到底、この宿命智と天眼通による神秘的な超常体験の内容を信じることなく、
理解しないものと思われたからです。
0114宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/23(木) 11:20:58.44ID:VDFxpNeX
 『菩提樹の下で瞑想をはじめてからどのくらいの期間で悟りを開いたのでしょうか。
いろいろな説がありますが、ここでは七日目としておきます。ゴータマ・シッダッタはついに悟りを開きます。
南伝仏教国ではヴァイシャーカ月(太陽暦の四月または五月)の満月の夜、
北伝仏教国では陰暦の十二月八日と解釈しています。日本は太陽暦の十二月八日です(「ブッダ伝」G参照)。
 満月のその夜、まず天眼通(人の生と死の繰り返しを見ることができる能力)を得ます。
さらに夜更けには宿命智(自分や衆生の過去世の生涯を知る智慧)を、
明け方には因縁の理法(すべての事象には原因があり、結果があるという理法)を、
太陽が昇るころには四諦・八正道(生老病死はどうすればなくせるか。
それを滅する八つの実践法)を明察して、覚りを開いた――と仏伝は記しています。』
 http://blog.livedoor.jp/taktag555-0216/archives/16890977.html

『[B]仏伝経典
@ NK.(vol.T 
p.075, 南伝28 p.159);斯くて太陽がまだ〔西に〕傾かない間に、大士は魔軍を
打ち亡ぼし……初夜に宿住智を〔獲〕、中夜に天眼を清め、後夜に縁起を観ぜられた。……太陽が
さし昇る頃、……菩薩は一切智を得られ……。』
(【資料集3】仏伝諸経典および仏伝関係諸資料のエピソード別出典要覧/菩提樹下の成道)
 http://www.sakya-muni.jp/monograph/03/3-1/2324.html
 http://www.sakya-muni.jp/pdf/03_01.pdf
0115宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/23(木) 11:34:16.80ID:VDFxpNeX
では実際、
ゴータマは具体的には何を見たのか?
それがこれらの経だということになるろのです。

この天眼通についての経文(サンガーラヴァ経)とほぼ同一の内容が、
宿命智通の体験内容を伝えたこの沙門果経/出家の功徳に続いて説かれています。

 『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿住通)に、
心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、ひとつの生涯、二つ、三つ、
四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯 を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、
幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。
「あのときの生存において、自分の名まえはこうであった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、
こんな幸福や不幸を体験し、これこれの年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、
そこでも同じように、自分はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、
これこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、
具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。

 たとえば、大王よ、ある人が、自分の村から他の村へ行き、その村からまた別の村へ行き、
そしてその村から再び自分の村へと戻ってくるとします。彼はこう考えるでしょう。「わたしは自分の村からあの村に行き、
そこでこういうように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そののち、その村からあの村へ行ったが、
そこでもこのように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そして今はその村から再び自分の村へ帰ってきている」と。
 まさにそれと同じく、大王よ、心が安定し・・・堅固な不動のものとなったとき、比丘は過去の生存の境涯を想起する知に、
心を傾け、心を向けます。---(93節の繰り返し)--。
 これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見える沙門の果報であります。』
(『ディーガ・ニカーヤ2:93〜94』出家の功徳)
0116宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/23(木) 11:35:32.90ID:VDFxpNeX
 『心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、たくみで、確立し不動になったときに、
多くの人々の死と生を知ることに心を向けた。すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によって、
多くの人々が死にまた生まれるのを見た。すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、
幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
 「じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多くの聖者を非難し、
よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。
また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、
正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる」と。

 わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。
 ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。
それはつとめ励み、努力している人に現れるのである。』
(『マッジマ・ニカーヤ100』サンガーラヴァ経)
0117おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/23(木) 13:02:25.95ID:VReBejm3
 
>ゴータマは具体的には何を見たのか?

戒・定・慧・解脱・解脱知見
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧と慈悲)をもって

ピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった(成道)

般若の智慧によって → 解脱を観照する

解脱を知覚して涅槃に住む

本来自性清浄涅槃そして無住処涅槃として

http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
さらに無の世界も超えて
平等性智をもって
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている

>『☆無我なのか真我なのか☆』スレの投稿者たちは何故? こちらのスレに来て反論しないのだろうか?

ここのスレの場合は
古代エジプト 多神教 一神教
ゾロアスター 拝火教
ヒンドゥー(バラモン)
チベット 中観自立
シパ・バルドゥ 再生へ向かう迷いの中有
トゥルパ マナス(意、心)が成した身体(マノマヤカーヤ;意成身)
エジソンの死者と交信
目で見たり、触れて感じたりすることのできない(隠されたもの)オカルト
など諸々、幅広いスレなので来ないんじゃないか?という感じ
0118セブン
垢版 |
2018/08/23(木) 22:47:18.86ID:HWX4EOHb
お前は馬鹿か?w   >>112

それが、  「ある」ということ   とイコールにはならないだろ? と。 ┐(´ー‘)┌
0119神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/23(木) 22:56:58.75ID:HWX4EOHb
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1487443014/572
> アートマンの有無については、
> 自らが体験によって確認すべきことだということでしょう(経験主義)。
だから、 w

  【ブッダ自身によって 】【経験的に】 【アートマンの存在(≒実在)が】 【確認できなかった】

から、  お答えにならなかった(→經証として残っていない)  んじゃねーのか?


> アートマンは“非ず”としてしか語ることができないから。
で、 「非ず」以上を語れなかった  ってことじゃねーのか?


それが、 >(経験主義)。 ななjねーのかい?w
0120因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/08/24(金) 03:15:26.76ID:1+ge8BFn
「アートマンであるものをアートマンとして正しく見よ!」

「アートマンとして正しく見よ」!とは何が正しく見るのか?^^
0121因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/08/24(金) 03:18:21.04ID:1+ge8BFn
アートマンがアートマンを見ることはできないし^^
0122因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/08/24(金) 03:19:52.43ID:1+ge8BFn
アートマン以外に何かそこにはあるのかな?^^
0123因縁果 ◆d........o
垢版 |
2018/08/24(金) 03:22:41.70ID:1+ge8BFn
分別は虚妄になるからな^^
0124おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/24(金) 09:07:54.14ID:pfaidk4L
 
因縁果師匠も
おじゃると同じように
脳に障害があるのかもしれない

それゆえに
『ひとつのスレにまとめろ!』と何回も説明しているのに

ひとつのスレに、まとめることが、できないんジャマイカ?

ここのスレだけではなく
他の板、スレも

スレの無駄遣いをしているので

ひとつのスレにまとめることができない
因縁果師匠は

5ちゃんねる掲示板を出入り禁止になると思う

『スレ立て制限がある!』ということを知らないのかしらん?
0125おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/24(金) 09:52:15.01ID:pfaidk4L
 
> アートマンは“非ず”としてしか語ることができないから。
> で、 「非ず」以上を語れなかった  ってことじゃねーのか?

(「仮設としての」という意味で)
[縁起したものがある]という世界もある

[「…である」と定義することはできない「…である」ものではない]という世界もある
非想非非想の世界

その世界も手放して超えて
因縁生滅智  刹那生滅智
想受滅(無為法)

(縁起したものを離れることがある、それゆえに)
[そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
  死ぬことも、生まれることも説かない]という世界もある

波動関数(wave function)
[波1の世界と・波2の世界]が同時に存在できる
それゆえに
涅槃の世界も、(仮設としての)縁起している世界もある

導くための対機説法としては『涅槃の世界もある』という説明の方がわかりやすい

おじゃる妄想としては
アートマン = 非想非非想なので
それゆえに非想非非想(アートマン)も手放して超えて逝くものである。という感じもする

(机師匠は『すべて無である』と逝ってたけど、無である。という『想い』でもない)
0128宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/26(日) 05:35:11.87ID:LG+tIA2R
>>118-119
何歳なのか? は、知らないけれど...
もうセブン、まさかモウロクたかってんじゃないだろうねェ?(笑)

私は、今までに一度たりとも、
ウパニシャッドの説くアートマンそのものを、
「ゴータマが“在る”と説いた」などとは述べたことは一度もないからね。
「在るとも無いとも言わない」(無記)と、自ら公言しているというのに(イコールなんて)言う筈がないわ。

だから、
“そうは言わない”けれども経典を読むことが(師の本音を)分かってあげようねぇ、
ということを、この私はいってるのですよ。

実在が確認できなかったのは、有為(一切内)についてです。
五蘊と現象界においては捉えられないということ。
しかし、だからといって、それによってアートマンが無いなどということにはならない。
そもそも最初から、無為的性質であるアートマンが有為(一切内)にて捉えられる筈がないのだから。
ただ、ゴータマは迷信だらけのバラモンたちと同類に扱いされることを望まなかっただけのことです。
在るとはいわない理由については述べていますからね。


>>120-123
それは、言葉としての限界性というものです。
それらはすべて“主観”において確認される。
客観的に提示することはできない。
0129宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/26(日) 05:40:20.53ID:LG+tIA2R
>>128
訂正:
 ×「経典を読むことが」
 ○「経典を読むことで」

 ×「同類に扱いされることを」
 ○「同類に扱われることを」
0130宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/26(日) 06:06:31.09ID:LG+tIA2R
石飛氏のbbs『Magical Board』へ、
こんなに遅くなってから返信しましたよ(苦笑)。
http://manikana.o.oo7.jp/magical/magical.cgi
[10896] [10897]

まっ、あまりにも残念過ぎて、
もう議論する意思などこの私にはまったくない。
ただ、一つ二つだけチクリクリと釘を刺しておきましたから。

如来蔵は非仏教との松本史朗氏の見解に同意するならば、まだしも...
しかし、あのような擁護の仕方を見る限りは、どうやら石飛氏というのは、
あの一代と瓜二つの仏教マンセーの人なんだなぁと分かる。
つまり、ブッダは最高。その弟子たちと教団も最高で〜す。
だから、すべての仏教諸派はそれぞれにすべてが素晴らしいので〜す♪
といった感じか。

まっ、一代は“三宝に帰依”してれば仏教だといった。
ホー、その内容は問わないのかい? それがどんなに間違ってても帰依すれば仏教ねぇ...。
帰依心なら、オウムだろうと他のどんな宗教でも同じなのに...。

こういった感情的反応に陥っている者というのは、
真理真実を見極めることは絶対に出来ない。
冷徹なまでの迷信の排除と虚偽を見抜く批判的な精神がないことには無理だ。
もちろん、相手の悪口をいっぱい言え! ということではないけれど。
0131おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/08/26(日) 07:31:06.97ID:E1uZVcif
 
>チクリクリと釘を刺しておきました

たとえば

宝珠殿の場合は
「涅槃の世界と縁起している世界は、とりあえず別の世界である」

管理人エム氏の場合は
「一切法の中に、涅槃も含まれる」

この場合は
たぶん宝珠殿の説明だと、管理人エム氏には通じないと思う

たとえば
無明に依存している
おじゃるが
「涅槃もある」と妄想して
そして

(「…である」と定義することはできない「…である」ものではない)
「アートマン = 非想非非想である」と妄想しているのと同義である

「無明に依存している『想い』は妄想と同義である」
と管理人エム氏も、このような立場かもしれない

(たぶん中観帰謬のような立場かもしれない)
0132宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/08/26(日) 13:35:17.39ID:LG+tIA2R
>>131
ご意見ありがとうございます。

>管理人エム氏の場合は
>「一切法の中に、涅槃も含まれる」
>この場合は
>たぶん宝珠殿の説明だと、管理人エム氏には通じないと思う

はい、それはよく分かっています。
少しだけ指摘はしておきましたが、かなり面倒なので詳しく書きませんでした。
ただ私としては彼女の見解が分かればそれで良かったし、
別に、相手を解らせようなどとも思わないので....。

>とりあえず別の世界である

私は、経典の記述「ウダーナ」にそのまま従いますよ。
とりあえずというよりは、“完全に別世界”です。
だから、“超越”だとも私はいいますよね。
原語で到達できるような境地ではないですよ。
唯物論で理解できる筈もない。


さてさて(彼女のところはサッサと切り上げて)、
専門研究者との個人連絡先が知られているのは限られていると思うので、
調べて判明次第、次々と参りたいと思います。
専門家は相当数いますから...。


あっ、今夜の池上氏のオウム番組は必ず見たいと思います。
皆さんにも、お薦め〜
0133宝珠真範@迦楼羅 ◆cPNLwLxWRE
垢版 |
2018/08/26(日) 13:43:27.86ID:LG+tIA2R
>>132
訂正:
 ×「原語で到達できるような」
 ○「言語で到達できるような」
0134セブン
垢版 |
2018/08/26(日) 22:34:39.44ID:KhPnSUei
>>128
>“そうは言わない”けれども経典を読むことが(師の本音を)分かってあげようねぇ、
まさに、そこが、

  ≪ 文言非我、【文脈】無我 ≫

だと、何年も前から言ってるだろうが・・・ ┐(´ー`)┌
(師の本音は、どっちなんだろうねぇ・・)


>それによってアートマンが無いなどということにはならない
同時に、  『ある』ということにもならないよね?  幼稚園児でも分かる理屈だよね?w

>在るとはいわない理由
「無い」からでしょwwwwww

あるなら、明確に「ある」と仰る筈。 それが、釈尊だから。
直接的説示をオブラートに包んで説示していたのが舎利弗や阿難だというのが、中村さんの見解では?w


勿論、自分は禅定を極めていないので、断定はできない。
もし、貴方が、禅定を極めて、その上で「確かにこのようである」と言うならば、
それを信じるしかないだろう。 が、そのような冷暖自知をしていないあなたが言うことならば、
私の見解と優劣の差は無くなるわけで、
寧ろ、貴方のような「願望希望を投影した悟り」でない分、私の方が有利だと思うのだなwww
0135承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/09/03(月) 01:09:03.00ID:IuVAcorz
止まってるみたいだから、ちょいと引っ掻き回そうか。(笑)

仏教とは、バラモンとヨガなどの当時のインドの常識の上に構築された。
従って、アートマンなどの魂魄に関する概念もまた、当時の認識の上に説かれたものだ。
では、そのようなモノが「在る」場合はどうなされたか?
当然、これこれこうだから、こうしたものですと、少なくとも修行僧には説かれただろう。
隠す意味がないし、理由もない。
では、そのようなモノが「無い」場合はどうか?
芥子を集めさせた様に、相手が傷つかない様にして、
それでもやはり何らかの方法で説かれた筈だ。
十四無記は、「考えても時間の無駄」という話であり、
従って、単に有無という単純な話では無いと言うことではあるまいか。
即ち、時空間を理解するには最新物理学でも完全では無いように、
魂魄もまた同レベルの、それこそ「覚位に至らねば判らぬ」レベルではあるまいか。
故に、その魂魄の用たる輪廻もまた同レベルの話であり、
この意味で
「仏教が輪廻転生を前提としている」とは言えないと言えると愚考するが、
諸兄の見識や如何に。(笑)

(^。^)仏教はな、仏陀の教えなんだよ。前提もクソモねぇわ、ボケどもが。(笑)
0136dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/03(月) 03:10:23.43ID:VlWBBp2H
仏教徒なら人にボケとか言うのやめなさい
0137おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/03(月) 09:48:52.70ID:3ZPKl4o+
https://jp.reuters.com/article/tk0577133-religion-world-idJPTYE8BI02P20121219
2012年12月 キリスト教、イスラム教に続き、「無宗教」の人口が3番目に多い
  _  _  _

↓世界的に無宗教の割合が増えていくのなら

宗教に興味がない
   ↓
ヒンドゥー(バラモン)にも興味がない
   ↓
真我(アートマン)とか輪廻などにも興味がない

↓霊感商法してる宗教団体が多いという感じがするけど
(ウィキペディア参照)
創価学会は「霊魂は存在しない」と断言している
(宗教団体で霊魂の否定は珍しいような気がする)
  _  _  _

脳神経外科医 エベン・アレグザンダー 死後の世界
https://www.youtube.com/watch?v=I_Y0S4Cbgks

(世界的に無宗教の割合が増えていくのなら、それに伴って)
心霊現象とかに興味がある人の割合も減少して逝くかもしれない

http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗 内山興正
…「霊魂はある」といわねばなりません
もし亡霊など全くないことが科学的であり
仏法の「諸法無我」は現代の科学と一致するなどといえばとんだことになります
「諸法無我」はまったく人間的倫理道徳の破壊につながってしまいます
0138神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/03(月) 14:38:57.19ID:EmbJo1rv
>>136
禅歴数十年のジャンキー先生は人にキチガイだの首吊って死ねだの言ってるから大丈夫🙆♀
0139おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/03(月) 16:06:54.55ID:3ZPKl4o+
 
↓junkie ooyama師匠のことではなく

禅宗系の人の場合は
『すべて無である!』という意味不明なことを云う人が多い感じがする

仮設としての
縁起している世界の中の

無明を認めない
(或いは、縁起している世界も認めない)

勝義一辺倒の勝義房が多い感じがする

たとえば
縁起一代阿闍梨の場合は
『仮設としての』という意味で
縁起している無明を認める立場なので
それゆえに
縁起一代阿闍梨と勝義房が、しょっちゅう議論を戦わせていた

縁起一代阿闍梨のセリフ
『涅槃に逝く、その直前までは縁起に依存している!』

勝義房のセリフ
『(縁起している無明を認めないので、それゆえに)
  そもそも仏法というものは円満に全てのものに
  ゆきわたっており修行したり悟り証したりすることもない!』

↓おじゃるは中観自立の立場で おじゃります m(_ _)m
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
0140神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/03(月) 17:22:21.71ID:3xAKGIfq
アートマンというのは現象世界にはないが4次元時空にはあるかもしれない
0141ポッタン師
垢版 |
2018/09/03(月) 18:25:49.35ID:/a1Xa8Qi
140.アートマンは物体の問題ではない。
0143神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/06(木) 19:50:02.67ID:4ciBU/0O
遍歴行者であるスバッダは 、尊師のもとで出家することができた 。教団に受け入れられることができた 。
教団に受け入れられてまもなく 、尊者スバッダは 、ひとりで 、群集から離れて暮し 、怠ることなく 、熱心に 、精神修養に努め励んでいた 。
まもなく 、それを得るために立派な人々が家から出て家無き状態に正しく出家するところの 、その無上の清浄行という究究極の目標を 、現世においてみずから 、さとり 、証し 、具現していた 。
そうして 「生存は尽きた 。清浄行はすでに確立した 。為すべきことは 、すでに為し終った 。もはやこのような状態にもどることは無い 」とさとった 。
尊者スバッダは 、尊敬さるべき真人の一人となった 。かれは尊師の最後の直弟子となった。
(大般涅槃経)

さて、尊師の最後の直弟子の尊者スバッダは不奔逸に修行して遂には悟り、「清浄行を確立し、為すべきことを成し終えた」つまり修行完成者(如来)となりました。
この尊師スバッダは修行完成者ですから乞われれば寿命を伸ばすことは可能だったのでしょうか?

また他の500人の阿羅漢、特に十大弟子や五比丘はどうなのでしょう?
乞われれば寿命を伸ばせたのでしょうか?
0144神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/07(金) 00:24:08.85ID:+DwccYtV
大乗仏教的に言えば、釈尊及び過去六仏以外は、
「仏陀(如来)」ではなく「阿羅漢」なので、それはない。  >>143

阿羅漢がスーパーサイヤ人なら、仏陀はスーパーサイヤ人3、といった感じw
0145宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 08:01:04.62ID:6TFkzr0E
おはようございます。

こちら北海道でも、
台風21号に引き続いて震度7の大地震が襲って甚大な被害が出ています。
幸いこちら私のいる地域周辺では台風影響も少なく、地震による停電も約半日にて復旧しました(勤務会社は臨時休業中)。
とにかく亡くなられた方々とご家族には心からお悔やみ申し上げます。
まだ生き埋め状態の方々の救出と、そして、被害を受けた皆さまの一日でも早い平安をお祈りします。
M先生も無事な様子で良かったと思う(札幌も酷い状況です)...。

では、少しづづ投稿を再開します。
0146宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 08:02:38.51ID:6TFkzr0E
>>134
まずあなたは、
“議論の負け”(論証は終わりました)を素直に認められるような人間になりましょうね!

>>135
>>113-116
『沙門果経(出家の功徳)』、『サンガーラヴァ経』
におけるゴータマ自らの言葉すらも嘘ウソ扱いするんだから、
とてもじゃないが、あなたは仏教徒なんかじゃないな。
これも信じないなら一体、何が信じられるのか?

だから...
唯物論は仏教では間違いたと確定してる。
勝手に唯物主義を通すなら、そんなものは仏教ではないから。
ハッキリいいますが、唯物論が正しい可能性はパーセント的に限りなく0ゼロだから。
経験者(この私も含めて)に言わせてもらえれば、
唯物論(濃密物質自然科学の常識なるもの)の間違いは明らかで疑問の余地すらもない。
あなたのようにオウム返しのごとく超常性を否定し続ける愚かさというのは、
ただ単に、それはあなたの無知と未経験に起因するものでしかない。

以前、NHK特集でもやったように、
世界中には、大真面目に超常現象と死後の世界について研究している著名な科学者たちがいます。
彼らの中には研究を続けることでこれらに対して否定派側へと転身した者というのは皆無であって、
逆に、元々は否定派であり、すべてはただの思い込みや偶然の産物や脳内化学反応の所産に過ぎないとする姿勢にあった科学者が、
あるキッカケからその後の研究によって、それら以前の判断がすべて間違いだったと態度を180度変えた科学者が何人もいるのです。
自分自身でそれらの情報について調べることです。

まっ、どこかの誰かさんのように、
肯定的科学情報なるもののすべてはただの“ヤラセ”だといってのける馬鹿は救いようがないが...。
(不都合な真実に対しての三猿だな!!)
0147宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/07(金) 08:06:23.69ID:6TFkzr0E
>>137
> 2012年12月 キリスト教、イスラム教に続き、「無宗教」の人口が3番目に多い

まっ、おじゃるさんはわかってると思いけれど、
「無宗教」と「無神論」(唯物論)は違うということ。

無宗教というのは、
既存の特定の伝統宗教を信奉しないという意味であり、
これは宗教というものに対する無関心から宗教についての理解が乏し過ぎることを意味するか、
もしくは、既存のいずれも諸宗教にも強く支持できるところがないことであって(不信感も含め)、
これらの人々が必ずしも、無神論(一般には神を信じないこととして唯物論と同視される)ということではないということ。
一般的に今の日本人の状況を指す場合によく使われるのが、「無宗教」という表現。
これは無神論や信仰心の無さということではなくて、単に心から信じられる特定の宗教を持たないことを意味している。
これには新興宗教が引き起こしてきた悍ましい事件や犯罪行為、
そしてまた、伝統仏教についても金取りや葬式仏教的な胡散臭さなどが起因して、
蓄積してきた不信感が根強いことが根底にある。

つい先日は、
札幌で僧侶が妻と息子を殺害してその遺体の首を切断したという驚くべき事件が発生したばかり。

>>140
アートマンは縁起(有為)に拠らない領域にある。
従って、有為を超越しないことには認識できない(あくまでも主観の世界)。
0148dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
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2018/09/07(金) 08:09:03.75ID:/CFGJ6BX
超常現象(と呼ばれているもの)や人間の自我の秘密、生命の秘密、神や霊魂、、

などといったものは、今後科学によっても解明されていくでしょう。

「人間の意識は脳にはない」

AIに人間の意識や自我をアップロードすることは不可能です。
0149宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/07(金) 08:14:51.48ID:6TFkzr0E
>>143
私も>>144に同意かな。

残念ながら、
そもそも五百羅漢といった数値も過剰表現であるし、
つまりは、これも神格化ということになるのかな...。
ゴータマを含めた過去七仏、そして、それ以降については、
弥勒の出現までは生ける如来が顕れることはない、というのが正しいのではないかとこの私はみています。
私も以前までは支持していた“阿羅漢=仏陀如来説(如来の十号) ”というのは、
恐らくパーリ聖典編纂者の意図(上座部もしくは部派テーラワーダの思惑)に拠るものではないか? と。

では一体、何故?
仏教の諸教団からは弥勒の出現までは如来の輩出がないのか?
つまり、それは何かが間違っているから。間違ったことをしてるからだろう、と。
というのが、この私の見方です。

では、
仏教徒たちは、いつ何処で何を間違えたのでしょうか?
(全仏教史の流れからみれば、やはり無我の理解の失敗が気になります)
0150宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/07(金) 08:21:57.21ID:6TFkzr0E
>>148
はい、そう思います。
0151おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/09/07(金) 09:02:00.36ID:NW999arP
 
>地震
宝珠殿の、友人、知人、親族の方々も無事だったのかしらん?

>「無宗教」と「無神論」(唯物論)は違う
おじゃるの知り合いに限定すれば、ほぼ100%
宗教に興味がない人は
   ↓
幽霊とか密教などにも興味がない。という感じがする

ちなみに、おじゃるの知り合いには創価信者が多いけど
創価信者は「霊魂は存在しない」と断言している

そういう意味では、無宗教 = 幽霊否定ではなく

ある特定の宗教団体も = 幽霊否定
(転生を繰り返す、リインカーネーションというのもあるらしいけど、とりあえず)
キリスト教 = 輪廻否定。という感じがする
  _  _  _

とりあえず今、現状においては
>科学によっても解明されて

大槻義彦教授のセリフ
『心霊現象とかは、すべて、ヤラセ、仕込み、合成映像である!』

ちなみに、おじゃるは
目で見たり、触れて感じたりすることのできない
隠されたもの、オカルト(occult)肯定で おじゃります
0152おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/07(金) 09:38:55.64ID:NW999arP
 
因果律が成り立たない
実在論としては記述できず、非実在論的である

大きさのない電子(素粒子)

電子の大きさ(内部構造)については
標準模型においては内部構造のない点として扱われるが
電子が大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない
これまでの電子の衝突実験で電子に大きさがある兆候は見つかっていない

(現実的に存在するかどうかは別として)
シュバルツシルト半径が計算上存在する
  _  _  _

↓おじゃる妄想としては

今までの古典力学として観測できないものも計算上は存在する

波動関数(wave function)
「今までの古典力学として観測できない世界」と
「今までの古典力学として観測できる世界」が同時に存在できる

我々が住む日常世界の他に全く異なる並行世界が存在することを期待させる

(電磁波とか、プラズマ(plasma)などで
  間接的に観測できるようになる場合もあるかもしれないけど、とりあえず)

「幽霊の世界」と「(今、現状においては)幽霊を観測できない世界」が同時に存在できる

ある意味においては科学崇拝・科学信仰?
0153おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/09/07(金) 10:10:48.36ID:NW999arP
 
↓勘違いするといけないので一応、念のため

涅槃の世界の中に
   ↓
縁起している世界がある
   ↓
縁起している世界の中に
   ↓
「幽霊の世界」と「(今、現状においては)幽霊を観測できない世界」が同時に存在してる

(ウダーナヴァルガのギルギット写本)
縁起したものもある
縁起したものを離れることもある

縁起している世界から解脱すれば → 涅槃の世界

↓涅槃の世界は

そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが苦しみの終わりである
  _  _  _

大乗の場合は
無住処涅槃
仏性からの真如縁起

円成実性の世界から → 依他起性している世界を観る
(円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない)
0154おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/09/07(金) 11:00:58.33ID:NW999arP
 
>唯物論

承狂師匠は、天台宗なのか?真言宗なのか?わからないけど

ヒンドゥー(バラモン)否定かもしれないけど

(「仮設としての」という意味で)
天台宗の天海の江戸設計?
四神相応?
呪術・呪法?肯定であるらしいので → 唯物論ではないと思う

http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec44.html
国土交通省
天台宗の天海 → 江戸

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B5%B7
天海の江戸設計
天海は
(人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする)
宗教的な面で設計に関わっていたとされる
  _  _  _

↓魂魄とかも否定してるかもしれないけど

承狂師匠は(縁起一代師匠も?)
部分的には
ヒンドゥー(バラモン)の?
呪術・呪法?真言も、護摩法とかも?受け継いでいるかもしれない
0155おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/09/07(金) 11:31:23.47ID:NW999arP
 
臨済宗の以心崇伝(いしんすうでん)には

密教の
胎蔵界法
金剛界法
護摩法
如意宝珠法

呪術・呪法?真言とかも、わからないと思うけど、とりあえず

以心崇伝は
徳川家康のもとで
江戸幕府の法律の立案・外交・宗教統制を
一手に引き受け、その権勢から黒衣の宰相の異名を取った
0156宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/07(金) 14:11:28.59ID:6TFkzr0E
>>151
>宝珠殿の、友人、知人、親族の方々も無事だったのかしらん?

御心配を頂いてありがとうございます。
全員無事で特に大きな被災の話は入って来ていません。
ただし、まだ両家の実家二軒ともが電力の復旧していませんが...。

>創価信者は「霊魂は存在しない」と断言している

創価学会は妙法なる不思議な仏の救済力を信じていいます。
ただし、死後の霊魂については無我の誤解〜及び無記の誤解からそういったものは無いとしているのでしょう。
日本の僧侶の多くもそういう輩が大勢いますね。
もちろん、「アートマンは無いが死後の霊魂(これはアートマンではない)は在る」という理解の僧侶たちもいます。
アートマンまで認める必要性はないけれども、僧侶ならばこうでないと話になりませんよ。

>キリスト教 = 輪廻否定。という感じがする

これについては何度か言及していますが、
これはローマ皇帝主催の宗教会議において教義から削除されたからです。
以降〜これを説くもの(カタリ派などの諸派)を神への冒涜思想として弾圧していきました。
こうして、現在の輪廻否定のキリスト教の常識が出来上がったです。
しかし、もちろん本来は違います。

>大槻義彦教授のセリフ
>『心霊現象とかは、すべて、ヤラセ、仕込み、合成映像である!』

馬鹿だからそういうことをいうのです。
確かに、世の中には偽物も多いが本物だってある。だから真実を見極める眼を持ちたければダメだと思う。
一応、あの人でも、科学的にも量子レベルでの思念影響(人間の心のエネルギーが物質に影響を及ぼす)
の事実については、TV番組上でも認めています。
0157宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/07(金) 14:20:20.93ID:6TFkzr0E
>>152
>「幽霊の世界」

濃密物質ではなくても、
実際にはこれらもまだまだ物質レベルの範疇(有為)です。
だから、心霊存在については科学的にその存在を捉えることは可能です。
アストラル〜エーテルレベルのエネルギーは十分にキャッチ可能。
写真フィルムというのは、その微細なエネルギーに反応できる特殊なものです。
それから、高感度の電磁波検知器を使うことです。
0158宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 14:25:39.89ID:6TFkzr0E
◇座談会◇ 葬式仏教の意義(上・下)
   だれのために葬儀をするのか、死後の世界はあるのか、
   霊魂は不滅か、葬式仏教でなぜ悪い?
   ――ヴェテラン僧侶が熱く語る
 
     出席者(五十音順)
       大谷俊定 (京都府・苗秀寺住職)
       長井龍道 (山梨県・龍華院住職)
       中村瑞峰 (埼玉県・曹源寺住職)
       正木 晃 (慶應義塾大学講師)
       松山宏佑 (宮城県・昌林寺住職)
     司会
      佐々木宏幹 (駒澤大学名誉教授)
0159宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 14:26:46.40ID:6TFkzr0E
是非、私から皆さんに一緒に考えて頂きたい問題として、このページを紹介します。
そして、私が目を止めた箇所について抜粋させてもらいました
(かなり文章量がありますが、是非、皆さんには一度、このページすべてに目を通して欲しい)。

 【ただ曹洞宗の場合には、道元禅師が「心常相滅」を厳しく批判し、いわゆる霊魂を否定した、それとの問題がどうなんだということを
佐々木先生は提案しておられました。これに対する曹洞宗総合研究センターのほとんどの研究員が、基本的には死後の人格を認めない立場
です。今の宗門学者の主流は死後の人格ということを軽んずる、あるいは認めない方向で考えています。生者の方に重きを置く、生き残っ
た人たちの心の中に追慕する、というのが、どっちかと言ったら曹洞宗の主流というか、指導者の認識の主流ですね。そこに実は問題があっ
て、死者を相手にしない方向に葬儀を考えているわけですから、従って、宗教的儀礼の方はどうしても薄くなってしまう。
 葬儀を考えるときに、道元禅師は死後をはっきり説いておられます。「脱野狐身」の話、「断見の外道」への批判、「順次生受業」「順後次
受業」について、あるいは「刹那生滅」と「流転生死」の言説等々、死後について言及されている。ですから「心常相滅」で否定された霊
魂と、死後の人格としての霊魂とは意味が違います。そこを区別しなければいけないですね。
 水野弘元博士は「仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実態としての霊魂は仏教ではこれを説
かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪
廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない」
(『仏教要語の基礎知識』春秋社)こう書いておられます。
 そういうことでございまして、結局大きな問題としては、葬儀に対する現代世相をふまえた上で意味のある葬儀をすべきだと考えるとき
に、あらためて死後はあるんだよということを説かなければいかん。それが今、曹洞宗はなされていないということです。
0160宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 14:28:46.61ID:6TFkzr0E
 葬儀に対する偏見というか、あやまった知見というか、とにかく葬儀にまつわりがちな負のイメージを、なんとか払拭することです。こ
れまでは、葬儀というものが、葬式仏教と表現され、ねじ曲がった、よこしまな仏教と、よくない仏教として否定的なイメージで語られて
きたと思います。しかし実はそうではなくて、仏教の葬儀はブッダの葬儀から始まった。これは『大般涅槃経』にあるように、ブッダは生前、
自らの葬儀について詳しく指示していました。それから先祖供養の起源も初期仏教からある。そのあたりは『増一阿含経』に出てきます。
 あるいは最近、ブッダは魂というものを認めていた可能性が指摘されています。。「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)の中には少なくとも
二カ所、その証拠があります。それは「ヴィンニャーナ」という言葉の用例です。これまで「識」とか「識別力」と訳され、とくに注意を引
いていたわけではなかったようです。しかし、実は中村元先生がかなり以前から、岩波文庫の『悪魔との対話』の訳注に、「ヴィンニャーナ」
に対して「霊魂のようなもの」とか、「ドイツ語ではSeeleという」、つまり霊魂と書いているのです。さらに昨年出された「相応部」の新し
い訳(春秋社)では、「ヴィンニャーナ」に対して、本文はやはり「識」ですが、注にははっきり「たましいのこと」と書いてあります。

 玄奘三蔵が留学した頃ですから、六、七世紀段階におけるインド出家僧の半数は実際的には霊魂実在論だったというのです。この状態はイ
ンド仏教が滅びるまで続いたと書かれています。
 仏教における霊魂の話になると、必ずといって良いくらい出てくる無我説や非我説にしても、少なくとも当初は、たとえば私の特定の部位
を指して、そこに私がない、外部のものを指して、そこに私はいない、そういう意味だったのに、後世になってから拡大解釈されて、霊魂否
定論の意味になってしまったらしいのです。
0161宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 14:30:02.55ID:6TFkzr0E
 宗門のお坊さんよりも、そういった科学者であるとか、現場のお医者さんのほうがそういうことに興味を持って、もうあの世があることを
前提に科学者同士が話をしているわけです。死後の世界がないと人間が本当に落ち着くことはできないと言い切っている。あの世がないと安
心などあり得ないと言っている。ここまで言っているのに、なぜ現代のお坊さんたちは迷っているのか、そういうことを私は感じるんですね。
何か、とりとめのない話になりましたが。

 私の場合は仏教一般じゃなくて、曹洞の坊さんであり曹洞宗の立場から言っているので、現在の宗学者は死後の人格を認めない。あるのか
ないのかなんて迷っている人はいるけれども、積極的に認めるという人はまずいないですね、現在は。そこに私は問題があると思うんです。

 話は変わりますが、去年の十二月、慶應大学の文学部の学生百人に、死後に霊魂があるかないかというレポートを書かせたのです。それを
読んだところ、あると答えた学生は全体の七〇%、女子では八〇%にも達していました。

 そういう時代なのです。霊魂あるいはあの世的なものに対して否定的なのは団塊の世代ですね。ところがこういう人たちでも、意識は変わ
りつつあるようです。現に、二年ぐらい前から、私が早稲田大学のオープンカレッジというところで開催している有料講座を受ける方が、俄
然、増えてきました。退職し、とくに配偶者を亡くしたりすると不安になるらしくて、あの世が気になるんですね。今までそういったことに
対して否定的だった人たちが、今度はそこを勉強したいという。
 それから『死生学研究』(二〇〇八年三月)のアンケート調査で、「お迎え」があったと答えた人は四五・六%に達します。このこと自体が大
な衝撃だと言われています。いろいろな宗派のお坊さんに聞いても、こんなにお迎えがあると誰も思っていなかった。さらに、衝撃的な事実は、
誰がお迎えに来るかという問いに対する回答でした。なんと五二・九%が「すでに亡くなった家族・知り合い」と答えているのです。反対に、
いわゆる仏菩薩はほとんど来ていないのです。阿弥陀如来にいたっては、ゼロでした。
0162宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 14:30:50.95ID:6TFkzr0E
 葬儀、法事を行って、そのとき導師のお坊さんが霊魂なんかない、あの世なんかないということを軽々に言ってしまう例が少なからずあるそ
です。日本人の根幹の中に霊や魂に対する思いが相変わらずあるにもかかわらず、それをちゃんと受け取ってもらえない現代日本の仏教という、
この構造をどうするかですね。

 死後を説くというのは大変な問題です。誰かも言ってましたが、仏教は無常を前提としているというけれども、無常ばかりではない。だから
葬儀を通じて、死後があるということを私は積極的に説いているんです。道元禅師の教えからいうと、私たちは永遠の命を生きている。だから、
そういう意味では宗門の理解が足らないんです。

 今回の葬儀というテーマの中で、宗乗的な理論というか、それと現場との乖離があるということですね。葬儀の本質というのは、遺族とか、
弔いたい人がいるとか、それももちろん大事な要素だけれども、根本的には死者をどう見るかということ。宗門では死後を認めていない。そう
いう延長の中では、葬儀の意義を積極的に教える理屈が出てこないわけです。だから、わが曹洞宗はもっと宗学をきちっとして、繰り返しにな
りますが、死後のことをもっと説かなければいけない。】
 https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/bk_tusin_no33_2.htm
 https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/bk_tusin_no34_2.htm
0163宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/07(金) 14:46:18.82ID:6TFkzr0E
>>158-162
特に、禅僧〜曹洞宗僧侶なんかには読んで頂きたいページです。
0164dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/07(金) 15:14:28.05ID:/CFGJ6BX
>>163
読ませていただきました^_^)

大変興味深かったです。
僧侶よりもむしろ命を扱うシビアな現場にいる医師などの方が、
命や魂に対して敏感なんだろうとも思いました。

ありがとうございます^_^*)/
0165神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/07(金) 15:41:07.65ID:+DwccYtV
禅家が言う「永遠の命」は、「永遠に生きること」じゃねーよ ┐(´ー`)┌
そんなに不老不死が好きなら、フランケンシュタインにでもなっとけ。
0166おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/07(金) 17:13:12.40ID:NW999arP
 
禅家が言う「永遠の命」は

↓たぶん無住処涅槃のこと

智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから
涅槃の境地にもとどまらない

般若の智慧と慈悲

仏そのもの
仏性からの真如縁起

円成実性の世界からの → 依他起性している世界
0167神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/07(金) 21:55:29.84ID:+DwccYtV
>>146
>“議論の負け”(論証は終わりました)を素直に認められるような人間

それは、貴方自身に向けられるべき言葉でしょう?w

文献や各種資料・伝承― →それはそのまま、伝承者たちの経験録に他ならないわけだが ―
の分析は、200%無我なの。
それを覆せるのは、

 ≪「私は」「これこれこの様な体験をし」「アートマンを」「確認しました」≫

という「実体験」だけなの。

で、 貴方には、その体験があるの? 私が見た通り、これこれこうでした、というものなの?

もし、そうでないとしたら、
貴方自身もまた、 【(貴方の系譜の中の)伝承を鵜呑みにしているだけ】でしょう?
伝統上座部の長老方とどこに相違があろうかwww

Aという系譜に於いて、aという伝承が伝えられている。
Bという伝承に於いて、bという伝承が伝えられている。
AとBどちらが、「あ」の中身を伝え得ているか、いたいどうやって比べてるんだい?

君の脳味噌の質を心の底から心配するよ。 腐り切ってんじゃねーかな?とw
0168神も仏も名無しさん
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2018/09/07(金) 22:17:20.37ID:XPgMDITi
禅家が言う「永遠の命」

一休宗純のところに、一人の老人が訪れて言いました。
「私は八十歳になりますが、もう少し長生きしたいのです。あと二十年ほど生きられるようご祈祷をしていただけないでしょうか」
一休禅師が答えて言いました。
「あと二十年とは欲の少ない人だ。それでよいのかな」
老人が慌てて言いました。
「できればあと四十年ほど長生きできればと存じますが」
「これはますます欲のない人だ」
「それなら、更に百年…」
禅師は老人を諭して言いました。
「五十年、百年余計に生きたところでどうなる。そのような小さな欲でなく、なぜ、永遠に生きようと大きな欲を抱かないのだ。
仏法の教えは、人が仏になって永遠に生きる道を説いているのだ。今からでも遅くはない。正しい仏教の教えに目覚めて、永遠に生きることを願いなさい」
老人は、一休禅師の諭しに目覚めて、それからは仏と共に生きるやすらかな日々を送るようになったということです。
0169ポッタン師
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2018/09/07(金) 22:24:24.42ID:Huhno2Fk
168.それは生活の問題である。それは宗教の問題ではない。
0170神も仏も名無しさん
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2018/09/07(金) 22:34:20.23ID:5J11uljC
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作先生を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
tk@
0171宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/08(土) 00:36:39.55ID:sH9uopwa
>>165
仏教は、肉体上の不老不死などを目的とはせず、別にそれを説いているわけじゃないから。
涅槃の境地は永遠だということであって、それを自身が体感しているということ。
パーリ涅槃経にあるのは、延命は可能だという話です。
ヒンドゥーにおいても同様、肉体の不死を目的とはしていないが、
その気になれば数百数千年の維持も可能という意味。
重要なことは意識の永遠性です。

そして、
『煩悩の汚れを滅ぼした真人(阿羅漢)、すなわち、修行を完成した尊敬すべき人は「わたしが語る」と言ってもよい。』(SN.T,3-5)
とあるように、涅槃に到達した真人は“アートマン(自己)を自認できる”わけですよ。
ただし、迷信と誤解だらけのバラモン達とは一緒にしないで欲しい、というのがゴータマの想いですよ。
勘違いを起こしているバラモン行者らの主張はそのまま正しかったんだ、ゴータマもそれを同意したんだとは見られたくないということ。
だから、単純にアートマンは在るか? という問いには沈黙し、「在る」とは言わないのです。
アートマンについての教え方が違うのです。

>>167
認めたくない者は好きにすればいいのです。
その自由については認められる。

二十世紀最大の哲人クリシュナムルティからも、そのように言われているから。
「信じたい者には信じさせておきなさい」と。
0172宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/08(土) 01:39:08.33ID:sH9uopwa
>で、 貴方には、その体験があるの? 私が見た通り、これこれこうでした、というものなの?
>
>もし、そうでないとしたら、
> 貴方自身もまた、 【(貴方の系譜の中の)伝承を鵜呑みにしているだけ】でしょう?
> 伝統上座部の長老方とどこに相違があろうかwww

たとえ自らによる覚せい剤の経験が無くても、
それの製造過程や販売と入手経路、使用者当人の悪しき変化については分かる。
幻覚そのものが分からなくても、薬物幻覚という症状があることについては分かる。
それは夢見やVR体験のようなリアル感覚が起こるものらしいということについては理解できる。
そして、その使用についての是非も判断することができる。

アートマンそのものの実体験が無くても、
仏教の説く無我(非我)とは限定意であって有為についてのものであるから、
最初から有為を超越した概念であるところのアートマンには抵触しないものと理解される。
従って、有為を超越した境地である仏教のニルヴァーナがヒンドゥーの説くアートマンとは同義、
もしくは、類似の境地である可能性については理解することができる。
ゴータマが、そのまま「アートマンが在る」とは言いたくなかった理由を理解することができる。
以上については、すべて論証済みです

そして、この私は仏教のみならずヒンドゥーについても学んできたが故に、
両者に主張について公平に判断することができる。
しかし、あなたのような否定論者はヒンドゥーを知らない(学ばないから)。
あなたが知っているヒンドゥー理解は仏教徒側の偏見から語られたものにしか過ぎない。
論争が生じている両者に対する正しい判断というものは、両者からの公平な聞き取りが不可欠でしょう。
しかし、あなたはただ一方側だけの言い分しか知らないで勝手な判断を下している。
これが私とあなたの違いです。
0173宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/08(土) 02:08:20.95ID:sH9uopwa
真夏になるとどうしても汗ばみますけれど、
日々、念珠を持つ手汗の付着がすごく嫌なので、
どうしてもこれを洗って綺麗にしたいという衝動が抑えられず
ついに台所用中性洗剤を垂らした水へと数時間も附け込み、更には洗剤を含ませた歯ブラシでゴシゴシ洗いを敢行。
その結果、腕輪念珠及びパワー・ストーンと結縁灌頂記念の短念珠は問題なく綺麗になったけれども、
なんと成田山祈祷済の大切な真言宗本連念珠が脱色してしまった...。

つい先ほどダメ元で意を決し、
このほぼ生木状態の念珠にホームセンで購入してきたオイルステインを刷毛で塗りつけてみた。
見栄えは思ったより上出来に仕上がったので、あとは乾燥後で実際に使用してみてどうなのか?
というところです。

>>164
はーい(^O^)/

>>168
フム。とても良い逸話ですね
0174宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/08(土) 04:07:44.11ID:sH9uopwa
>>158-162
この論議の中にも出てきますけれど、
もしも葬儀というものが、遺族とか生きている者のためにあるものだとした場合には、
身寄りも参加者も依頼者もいない死者だけの場合には、“葬儀の必要性はまったく無い”ということになってしまう...。
しかし、本当にそういうことでいいのだろうか? 僧侶としてどうなのか?

この死者にとっての葬儀の意義について、
その必要性の有無や如何に...。

 『宗教家は、死者の弔いをする以上「死」についての専門家でなくてはならない。仏教の僧侶が供養をする意味は、亡く
なった人の魂をあの世へ送り、また遺族にも、人間の本質が魂であるということ伝えることにある。
僧侶があの世や霊魂の存在を信じていなければ、供養という行い自体が詐欺行為になりかねないが、そのような僧侶が増え
ているのが現状だ。寺院が求心力を失っている一因も、ここにあるだろう。
寺院消滅の危機がささやかれる現代。仏教界全体に「信仰心」が問われているのかもしれない。』
https://the-liberty.com/article.php?item_id=12778

私も同意します。
僧侶が霊魂の存在を信じていないくせに死者を供養するといって法要を行い布施をもらうのであれば、
その行為は詐欺に他ならないだろうと思う。
霊魂を認めない僧侶は予めそのことを依頼者に告げて、その上で年忌法要などをするかどうかを確認すべきです。
それでも構わないという依頼者のみを引き受けるようにし、いやそれでは無意味であり、詐欺に等しい、
と見なす者たちは、その僧侶(寺院)の下を去ることになる。
0175宝珠真範@迦楼羅 ◆cPNLwLxWRE
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2018/09/08(土) 18:15:26.56ID:sH9uopwa
セブンは根っからの唯物主義者のようですから、
だから、“アートマンは無い”などという意味での間違った無我論を支持し、
そして尚且つ、死後のすべての意識の存続すらも認めないといった、
霊魂や心霊存在を完全否定する立場を採っているわけです。

まっ、そのような認識は個人のまったくのご自由なので好きにしてもらって構わないのですが、
しかし、そのような人間が僧侶であり、尚且つ、葬儀の導師(や助法)を務めたり、
年忌法要を営んだリ、各種供養(故人に対する)を修しているというのであれば、かなり問題がある。
セブンはこれらの死者供養には参加してるのかどうか? そのときどういう意識でそれは望んでいるのか?
については是非、伺いたいものです。

とにかく、霊魂否定の僧侶はこれらすべての死者供養の参加からは撤退を願う。
宗門は僧侶育成の段階において、唯物主義者は一人残らず排除すべきです。
それらに僧侶資格を与えるべきではない。
もしも曹洞宗そのものが、霊魂否定の見解にあるのならば、
宗門はすべての死者供養なる行為からは撤退して頂きたいと思う。
宗教者は詐欺行為に当たる犯罪からは手を引くべきです。
0176神も仏も名無しさん
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2018/09/08(土) 19:28:22.75ID:6u50adWl
>>175
日本の葬式仏教は曹洞宗比叡山の四代目であり太祖と称された瑩山紹瑾がルーツなのですが

葬式のときに読む修証義の第一総序には道元の正法眼蔵からそのまま引用した

善悪の報に三時あり、ひとつには順現報受、ふたつには順次報受、みっつには順後次受、これを三時という、
仏祖の道を修習するには、その最初よりこの三時の業報の理をならいあきらむるなり、
しかあらざれば多く錯(あやま)りて邪見に堕つるなり、ただ邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。

と三時業が載っていますし
曹洞宗が霊魂を否定したわけではないですよ
道元が否定したのはインドの我(アートマン)思想です
ただ道元は我に変わって宇宙は主客を超えた仏性であると言ってます
我論を仏性論に置き換えています

とにかく曹洞宗の瑩山紹瑾禅師がいなかったら葬式仏教というのはあるいは現代までメジャーな存在にはならなかったのかもしれません
0177神も仏も名無しさん
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2018/09/09(日) 01:00:55.63ID:iSj0pQqh


>>172
> アートマンそのものの実体験が無くても、
> 仏教の説く無我(非我)とは限定意であって有為についてのものであるから、
> 最初から有為を超越した概念であるところのアートマンには抵触しないものと理解される。
> 従って、有為を超越した境地である仏教のニルヴァーナがヒンドゥーの説くアートマンとは同義、
> もしくは、類似の境地である可能性については理解することができる。
> ゴータマが、そのまま「アートマンが在る」とは言いたくなかった理由を理解することができる。
> 以上については、すべて論証済みです

だからw
上の文章のまったく逆ver.が成立するでしょう? と言っている。
貴方がまさに上で述べるような検証・推論に依って、アートマンが否定されているの。

貴方の言っているのは、「文言非我、文脈有我」であり、
貴方が批判する伝統長老方の鏡像になっている、と言っているのですよ。
まだわかりませんか?

> 論争が生じている両者に対する正しい判断というものは、両者からの公平な聞き取りが不可欠でしょう。
だからw、 貴方が提示する数々のそちら側の証拠が、一一、縁起に反する、と言っているのです。

> これが私とあなたの違いです。
ホント、その通りですね。
で、貴方と違うことで、私は心の底から安堵しています。
こんな私でも、お釈迦さんの末席に辛うじて繋がっている、貴方のような反縁起に組せずに居られている、と。
0178神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/09(日) 01:13:55.34ID:iSj0pQqh
>>175
この辺は一代も同じだと思うが、
「祈りを向ける対象が」「自分のかつて見知っている存在」かどうかは重要でなく、
かつて、自分と縁のあった者の後生を(≒転生先を)荘厳する、のが、仏式法要の構図な筈だけど?
つまり、霊魂として、アートマンとして、継続して存在しているかどうかではない、ということ。
そのような、継続した祖霊の考え方は、日本独特なんだよ。
日本以外では、まったく異なっている筈。

貴方は初スレから知っている筈だが、私は、複数の見方を提示し続けている筈だ。
勿論、個人としては、各方面から批判されるが如く断滅論者に分類されてしまうだろう。
が、それが現時点での自身の体験の限界からであるのは、指摘の通りとしても、
視線を向けている先に、ヒンドゥ的世界観は構築し得ない見通しなわけ。
それは、キ教イ教的唯一神を許容できないのと同じ。
貴方は(神智学では)、創造神を許容できるのかい?
もしできるなら、同じ世界観ならば、それはやはりお釈迦さんとは相容れないし、
まさに、それと同じように、有我と縁起は相容れないんだよ。
0179宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/09(日) 03:49:21.06ID:Zohfm48h
>>178
そんな勝手に...
都合よく一代と同じなどとは言わないでもらいたいね。
“転生先を荘厳する”って....いうけれど、
そもそも一代は輪廻転生を認めるがあなたはズーと輪廻否定派ではないか?
人間の死後に継続するあらゆる意識存在を認めないのだから、
つまり、輪廻主体(基体)の無によって輪廻しようがないから、というのがあなたの信条でしょう。
もしも宗門が輪廻肯定(またアホみたいに霊魂は無いが、業がそのまま輪廻の力となって云々..など)
であったとしても、あなた自身は輪廻否定でしょうが。

それとも、
“自分自身で経験してないものについては何も分からないからといって[無回答]”、
という立場をこれらすべてについて表明します?
0180宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/09/09(日) 03:49:57.53ID:Zohfm48h
>貴方は(神智学では)、創造神を許容できるのかい?
>もしできるなら、同じ世界観ならば、それはやはりお釈迦さんとは相容れないし、

私の理解では、
法(ダールマ)を規定している力を「神」と呼ぶ。
それら“縁起の法”を作用させ、有為と無為のすべての背後にある根源こそが神。
つまりは、神無くしては縁起すらも作用できないし、業報輪廻も生じ得ない。
従って、業報輪廻を超越する如来も出現し得ないことになる。
神の意志その如何によってすべてが在る。
だから、神の意志その一つによっては如来すらも一瞬で掻き消得てしまう。
それが「神」というものです(神智学も同様だと理解)。

一般的には、
“仏教では神は説かれていない”とされているが、
これについては単に説かれなかっただけなのか? 完全否定なのか? については、
今後も課題として検証を続けたいと思う。

『サンガーラヴァ経』に説かれる神が、至高者にして創造主であるところの唯一神、
無始の初めより存在して永遠に在り続ける神のことを意味して述べた可能性については保留中です。
尚、この前の指摘によれば、原語では「ディーヴァ」(天)となっているけれども、
しかし、全体の文意としてはその他の仏典中においても普通に出現しまくりで、
ゴータマと対話しまくりの神々(夜叉やヤッカ、天界の天部ら)のことだとは到底、思えないのですが...
何故ならば、ここでいう「神」とは、“普段は説くことをしない”という文意なのだから。

『「本当に、神は、この世に存在しているのですか。」
「私は、神が居ることを、自ら確めている。故に、居るのかと問われたら、居ると答える。
しかし、問われないならば、答えることはない。」
「ゴータマよ、その訳は、如何してですか。」
「人々は、神が居ることを、徒に信じている。確めることなく、信じられている、からである。」』
(『マッジマ・ニカーヤ』第100経/サンガーラヴァ経.第4章)
0181宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/09(日) 03:55:17.13ID:Zohfm48h
で、もしも可能であれば是非、
セブン個人の考えとして解答を願いたい質問事項があります。
任意ですから、もちろん答えられる範囲で構いません。
宜しくお願いします。

Q1. あなたは住職ですか? それとも先代が現役なので跡継ぎ(若さん)ですか? またはその他...。
Q2. 通夜葬儀、各年忌法要、各種の死者(祖霊)供養の導師(または時導師や脇導師)は務めますか?
Q3. Q2.でハイの場合、その儀式は遺族や生者のためのものですか? それとも死者当人のためのものですか? 
  それともその両方のためですか? その理由についてもお願いします。
Q4. 亡くなった家族の死後がどうなるのかについて遺族に訊かれたら、あなたはそのとき何と説明しますか?

以上.
0182宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/09(日) 07:36:58.34ID:Zohfm48h
>>180
補足:

ゴータマは結局、
縁起の法が何故あるのか? といったことについてはまったく教えなかったのだと思う。
それは今のあなた方では知り得ないし、そんなことよりも今刺さっている矢を抜くことが先決だ
(そうでないと死んでしまうぞ!)、といった具合だったでしょう。
ただし他の宗教では、その摂理(法)が神(の意志)そのものであるとして説かれるということでしょう。
私の理解としては、ただそれだけの違いですね。

何も無くしては(縁起すらも)生じ得ないから。
0183宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/09(日) 08:29:02.19ID:Zohfm48h
>>63-64 >>91-93
つづき...

マンガ本ですけれど、
これを読めば、天部の神々というものが如何に自意識が強くて我がままであり、
そして、とても恐ろしいものであるかが分かります
(自分が何番目に拝まれるかなどについてはとてもシビアに見ており、その不満を露わにする)。
日々、それらの存在と向き合って法を修する現役密教僧の実録ドキュメントがこのシリーズ本です。
その時々において、本物の密教僧が何を見て何を感じとっているのかがリアルに描かれています。
それらが本人だけの思い込み幻想などではないことについては、
第三者的にも物理的な現象と結果がハッキリと伴っていることからも分かります。
場合によっては命懸けで向き合っている。
こういう内容については、殆ど知り得ないので非常に貴重なものです。

『密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅』全5巻
『阿闍梨蒼雲 霊幻怪異始末』 1巻・2巻
  永久保貴一(著)  HONKOWAコミックス
0184神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/09(日) 11:34:32.55ID:KV38NXOL
そこで、まさに、世尊は、サーヴァッティを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、大勢の比丘たちと共に城市から出て、樹皮行者のバーヒヤが命を終えたのを見ました。
見て、比丘たちに語りかけました。
「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を収め取りなさい。寝床に載せて運び出して、燃やしてあげなさい。
そして、彼のために塔を作りなさい。比丘たちよ、あなたたちと梵行を共にする者が、命を終えたのです」と。

 「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えて、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を、寝床に載せて運び出して、燃やしてあげて、そして、彼のために塔を作って、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。
近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。
一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、樹皮行者のバーヒヤの肉体は焼かれました。そして、彼のために塔が作られました。彼には、どのような〔来世の〕境遇(趣)がありますか、どのような未来の運命がありますか」と。
「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、賢者です。法(教え)を法(教え)のままに実践しました。そして、法(教え)を問題にして、わたしを悩ますことがありませんでした。比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、完全なる涅槃に到達したのです」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。


 「しかして、そこは、水と地と火と風が依って立たざるところにして、そこに、星々は輝かず、日は輝かず、そこに、月は輝かず、そこに、闇は見い出されない。
 しかして、〔真の〕婆羅門たる牟尼(沈黙の聖者)が、寂黙〔の知慧〕によって、自己みずから、〔このことを〕知ったとき、しかして、形態(色)から、かつまた、形態なきもの(無色)から、楽苦〔の思い〕から、〔彼は〕解き放たれる」と。
0185神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/09(日) 11:40:02.56ID:KV38NXOL
>>184
> 「しかして、そこは、水と地と火と風が依って立たざるところにして、そこに、星々は輝かず、日は輝かず、そこに、月は輝かず、そこに、闇は見い出されない。
> しかして、〔真の〕婆羅門たる牟尼(沈黙の聖者)が、寂黙〔の知慧〕によって、自己みずから、〔このことを〕知ったとき、しかして、形態(色)から、かつまた、形態なきもの(無色)から、楽苦〔の思い〕から、〔彼は〕解き放たれる」と。


 真我は永遠に存在している。
 誰もが真我を知りたいと望んでいる。
 自分自身を知るために、いったいどんな助けが必要だというのだろう?
 人びとは何か新しいものとして真我を見たいと願っている。
 だが真我は永遠不変に存在し続ける。
 彼らは真我を輝く光か何かのようなものとして見ることを望んでいる。
 どうしてそうありえよう?
 真我は光ではなく、暗闇でもない。
 それはただあるがままに在る。
 それを定義することはできない。
 最もふさわしい定義は、「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)だ。
 シュルティ(聖典)は真我を親指大のもの、髪の毛の先、電気の閃光、広大
 なもの、最微小より微小なものなどと記している。
 それらには何の事実的根拠もない。
 それはただ存在なのだ。(p21-22)
(ラマナマハルシ )


マハルシの説く真我とは仏典のニルヴァーナに似ている
あるいはマハルシは涅槃を体験したのかもしれぬ
0186宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/09(日) 11:59:34.39ID:Zohfm48h
>>185
投稿をありがとうございました。

私から見ても、
ヒンドゥー聖者(アヴァターラ)の中でもマハルシはトップレベルとみています。
神智学徒も大勢、彼の元へと通って御言葉を受けています。
マハルシの場合は聖典の記述がこうだから〜ではなくて、
彼自身の如実の経験のままに自然と発露されている言葉なのだと思います。
だから、余計にそれを理解するのが難しいです。
そこに解釈がない(数百〜数千年以上昔の聖典の記述やそれを解釈している論書などではない)から...。
0187神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 12:12:17.71ID:3714+tla
君たちはアートマンがー、経典がー、真我がー、涅槃がーとか言いながら、

そのまま寿命が尽きて死んでしまうんだろうね。

そして君らが頑張って蓄えた、知識も見解も至高の体験も、全部無常に滅して無くなってしまうんだろうね。
0188神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 16:04:28.28ID:YnWMWA/u
まあ古来から学僧や仏教学者が

わたしによって語られなかったことは、語られなかったことと憶持しなさい。わたしによって語られたことは語られたことと憶持しなさい。

では満足いかずに無我と輪廻は矛盾するだの輪廻の主体は何かだの業思想は仏教ではないだの色々と論争しているからな
0189dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/10(月) 16:18:53.33ID:jJEGX1yZ
覚者も悟った途端に首をはねられれば、
現世ではそこで一巻の終わりです。

ですがこれはもったいないことでもなんでもないのです。
0190神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 17:04:13.65ID:Jtivihxu
まあ、宗教5ちゃんねるも、57歳ニートのクソジジイしか
いないんだけどね(笑)
0191宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/10(月) 18:58:40.51ID:/5ygHoRb
悲しいことに今回、
発生した「平成30年北海道胆振東部地震」では、とうとう40人の死者が出てしまいました。
ところで、人間の死後には霊魂なる意識は何も存続しないとする見解のアホ僧侶たちは、
遺族も身寄りも誰もいない遺体だけの場合には、葬儀を行う意味はあるとみているのかどうか?
本当にそこは完全に僧侶と遺体だけであり、参拝者や関係者の一人すらもいないという場合を想定して。
これについては非常に興味深いものがあります。

とにかく、この私からの提案としては、
あらゆるすべての宗派を問わず、唯物主義にある僧侶については直ちにその資格を剥奪すべきです。
そして、これから新たに僧侶となるべき人間の中からは絶対に唯物主義者を入れてはならない。
“自分の家(代々の寺院)を継ぐために”などという理由で、これらの唯物主義者に僧侶の資格を与えるべきではない。
これが日本仏教界がまずしなければならない最初にして第一の必要改革です。
たったこの一つのことを実行することで、日本仏教が大きく生まれ変わることをこの私は保証します。
0192宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/10(月) 19:00:52.07ID:/5ygHoRb
>>187
>そして君らが頑張って蓄えた、知識も見解も至高の体験も、全部無常に滅して無くなってしまうんだろうね。

そんなことはない。
一度、インターネットにアップしたデータ(文章)というのは基本的には消えることはないとも言われている。
ちゃんと検索にも掛かるし、また偶然に目にする者もいるでしょう。
それから、この私はこの5ちゃんだけに限らず、
今後についてはブログやツイッター発信についても検討している。
すでに私の作成した神智学関係のサイトページについては、
出版された書籍にもそのアドレスが掲載され推奨サイトとして紹介されている。

この私は、自らの睡眠を削って遊びで投稿してきたわけではない。
0193学術
垢版 |
2018/09/10(月) 19:16:30.11ID:OzgIjGrK
@MANN ブフーラウ
0194神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 20:30:07.52ID:3714+tla
>>192
データが残っても誰も読まなかったら意味ないですよ。

読んだとしてもその人の心に残らなかったら意味ないですよ。

心に残っても、すぐに忘れられたら意味ないですよ。
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 22:29:13.18ID:AlNuIoRl
>>194
すべての物書きに同じことを言ってみなさい
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 01:29:10.23ID:3z7sF915
宗派を問わず死後の成仏が保証されてる日本と違って
上座部仏教やヒンドゥー教の国々では人は死んだ後に直ぐに輪廻するので遺体の扱いもぞんざいだし墓を建てたりもしないと聞いた
ヒンドゥー教だと遺体は火葬した後遺灰をガンジス川に流すのが一般的らしい(南インドや西インドのヒンドゥー教徒はどうしてるのかは知らないが)

しかし輪廻転生を信じているので唯物論者でないのは確かである
無我にこだわる上座部も決して唯物論ではない
0197宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/11(火) 04:08:28.41ID:gdCjhy8i
>>173
素人のオイルステイン塗りが仇となったのか、
念珠の中糸にも染みた塗料の影響なのか、これを使用したらすぐに斬れてしまった...。
修理には安い新品が変えるだけ費用がかかるのはもう分かっているので(過去に2本の修理経験あり)、
今回は思い切って、新規に普段用と少し高価なタイプの2本を購入し、今、到着待ちのところです。
初めて白ぽいタイプ(星月菩提樹)をチョイスしてみました。
はたしてどんなものでしょうか。

>>194
そんな誰でも、
ただ否定するだけならば簡単なことですよ。
では、どうしたら良いのかを述べるべきです。
あなたからの建設的な意見をね。

>>196
>無我にこだわる上座部も決して唯物論ではない

もちろん、正しく理解しているならばそうです。
経典の教えにも在る通り、肉体が諸元素に還元されようとも「識」が輪廻主体となり(『DN15,55-71』)、
生前における業の作用によって次の転生へと入る(転生が止むのは完成者だけ)。
また、人によっては餓鬼(『パーリ小部.第7経』ペータヴァットゥ)と呼ばれる状態にもなるし、
これが知覚されたときには幽霊だということになる(『雑阿含/好戦経』)。
そして、唯物論は六師外道として語られ、また「邪見」(人間の最も低き見解「来世を信じない者は悪事を行う」『Dhp176』)
として戒められています。
0198宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/11(火) 04:22:12.52ID:gdCjhy8i
日本仏教の宗派でも基本は殆ど変らないと思うけれども、
葬儀の中には必ず「授戒」と「引導(作法)」という儀式が組み込まれています。
その意味は無くなった故人を仏弟子として戒を授け、そして、死後の行末を導くことです。
しかし、これを行っている僧侶自身が死後の生存も来世も信じてないのであれば話になりません。
0199神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 08:28:21.88ID:8lpZFrSx
>>197
建設的な意見を言うなら、解脱する事です。
諸行無常の世の中では、解脱にのみ価値があります。
解脱以外のものには価値は無いです。
四諦八正道を実践することにのみ価値があります。
0200dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/11(火) 09:06:38.61ID:C8SZJxKY
ブラフマン(梵)が海ならば、アートマン(我)はうず潮
ブラフマン(梵)が大気ならば、アートマン(我)は台風や竜巻

単なる物理現象であればそのうち消えて無くなるものだけど、ブラフマン自体が意識体であるので、
アートマン自体も意思を持ち、存在へのこだわりを持ってしまいなかなか消えない。
一度の生では満足できず、魂の入れ物を探して輪廻する。
0201宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/11(火) 19:15:45.98ID:gdCjhy8i
>>199
その通りなのですが...

しかし、殆どの普通の大衆というのは、
そんな残りすべての生涯を山野へ籠るみたいなことはできませんよ。
それに...通常は、全生涯を掛けても今生だけでは完成者にまでは成れません。
普通の場合は、専門的な修業に明け暮れても完全解脱までに何生涯も必要です。

>>200
アートマンは輪廻しません。
輪廻主体は「識」であり、いわゆる「魂」(Jivaジーヴァ)です。
「識」(魂)はアートマンではありません。
0202神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 20:18:31.41ID:8lpZFrSx
>>201
びっくりしました。
素直な人ですね。5chではめずらしいです。
素直な人は意外に早く悟れるみたいですよ。
0203神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/12(水) 01:27:13.31ID:FazTBtgI
此の身今生に向って度せずんば、更に何れの処に向ってか此の身を度せん
0204宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 05:36:39.37ID:VdNNuD8M
【奇跡】米スラム地区に「仏像」を設置しただけで犯罪率80%低下!
 強盗、密売、売春が激減…「ブッダは中立だから良い」
  https://tocana.jp/2018/08/post_17961_entry.html

奇跡というものではないけれども、
米カリフォルニアの犯罪多発の無法地帯で仏像(ブッダ像)を設置したところ犯罪が激減したという。
ここにゴミを捨てちゃダメだという気持ちにさせるのだろうね。
そして、人の良心が刺激されるのか犯罪もここではしなくなっていく...。
つまり、欧米人でも仏像に神聖さを感じるということでしょうね。
動画もありますが、特に仏教の信仰者ではなくても一様に敬虔な気持ちになるようですね。
まさに素晴らしい効果です。
0206宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 13:14:02.93ID:VdNNuD8M
>>205
はい、間違いです。

尚、残念ながら、それらがごく一般的な理解なのでありまして、
仏教者らもそのような間違った見解に対してアートマンやヒンドゥーについて云々と論じたりしているのです。
最初から間違ったものについてアレコレ論じるているのだから、これでは当然、仏教徒も正しい見解が得られるわけがありません。

ゴータマの時代においても正しい理解にあるバラモンは少なかったようであり、
アートマンではないものをアートマンと誤認する行者が実際に多数いたのです。
自己の「魂」(輪廻主体)に目覚めた行者は、輪廻を通じたその驚異的な経験値と知識(そして、超常能力)を獲得します。
なので、これをアートマンだと誤認するのも無理もないことなのでありますが、
しかし、最終ゴール(解脱)はまだまだその先なのです。そのとき初めてアートマンを自覚できる。
ゴータマは、これらのバラモン行者たちの間違いを指摘したのであり、それがパーリ『梵網経』の教えとなっているのです。
実に、ゴータマが“アートマンが在る”ということを言いたくなかったというのは、
これらの間違った行者らと自分が同一見解だと見なされてしまうことをどうしても避けたいがためでした。

輪廻するということは未完(業に流されている)ということなのですから、
無始の初めより完全にして究極の原理たるアートマンが輪廻しているわけがないのです。
輪廻の核(基体)は「魂」(Jivaジーヴァ)であって、アートマンではありません
(尚、仏教の兄弟宗教と呼ばれるジャイナ教はこのジーヴァをアートマンと見なしました)。
仏教では、輪廻主体(魂)が「識」であると教えており、尚、これをアートマンと見なす愚については強く戒められています。

 『アーナンダよ、もし識が母胎に入らないとすれば、いったい名色は母胎において凝固するであろうか。---中略---それゆえここでは、
アーナンダよ、これが名色の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがすなわち識である。---中略---
 この限りにおいて流転を繰り返し、この況位を表すことになる。それはすなわち、名色は識とともに互いに縁って生起するのである。』
(ディーガ・ニカーヤ 15, Mahānidānasuttanta /PTS vol.2, pp.55-71)』
0207宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 13:14:58.46ID:VdNNuD8M
もちろん、
ヒンドゥーにおいても正統なアヴァターラはアートマンは輪廻しないものとして理解しています。
以下に、シャンカラチャリヤとマハルシからの二つの言葉を紹介しておきます。

 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に立ち帰るわけですが、その明智と
は何なのでしょうか」と尋ねた。
 師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言って、正反対に理解している。また
行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)存在しない》
(と、正反対に考えている)。-----これが無明なのです。」』
(シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』U散文篇.第2章49-50/岩波書店刊)

 『無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない。いまも、いままでも、そしてこれからも。
これが真理である。』
(『あるがままに---ラーマナ・マハリシの教え』ナチュラルスピリット刊)

 『知覚認識できる対象には[現象としての]終わりがあり、知覚認識する主体をジーヴァ(個的生命)であるとするなら、ジーヴァ
(個的生命)とて現象としての終末がある。現われ出るものは何かを見い出し、その現象の破壊(最後)を見極めれば、不滅の真実在
sat (Self) を覚智現成し、アートマン Atman とは何かを覚了する。新たに現われ出るようなものはいずれ消え去ることになり、それは
ジーヴァ(個的生命)あるいはその知覚認識対象であって、アートマン Atman ではない。』
(Talks 1_0704)
0208宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 13:54:42.91ID:VdNNuD8M
>>206-207
たったこれだけのことを理解すれば、
「アートマンが無いなら、死後の霊魂も何もない」といった馬鹿げた無霊魂感や、
「アートマンが無いなら、輪廻主体がないのだから輪廻しない。
従って、仏教の輪廻思想というのはバラモン思想の混入か意図的な方便使用だった」
もしくは、「アートマン無しでどのように輪廻を説明できるのか?」について、
業がそのまま働くだけで輪廻主体は別に無いのだとか、
または、やはり何かしらの主体がある筈だからと大乗では阿頼耶識が説かれるといった始末...。
〜といった類の馬鹿げた見解はこれですべて崩壊します。

尚、元々からゴータマは「アートマンは無い」などとは一度も述べたことはないし、
最初から無為であるアートマンが五蘊無我説(一切/五蘊にはアートマンは何処にも認識されない)に抵触する筈もないのです。
ただ、仏教徒には多数の唯物論者が入り込んだので、仏教の無我説を利用(誤用/悪用)しているのです。
0209dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/12(水) 16:23:57.85ID:R6/tNqlW
宝珠真範さん、ご説明ありがとうございます。
しかし何度か読みましたが、理解力が乏しいようでよくわかりません。

簡単に言うと、
アートマンとは何ですか?
ジーヴァとは何ですか?

ジーヴァはアートマンの一部なのか、またその逆なのか、全く別のものなのか。

私は魂は宇宙の根本意識の一部であり、そのことを認識していないのも「無明」の
一つだと理解しておりました。
本来名前は何でもいいのですが、その認識の対象が異なるということであれば問題です。

今一度ご説明頂ければ幸いですm(_ _)m
0210おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/12(水) 17:32:44.72ID:5WaSRsAe
 
↓ウィキペディア参照

ドラヴィヤ (ジャイナ教)
ジーヴァ(命ある実体)
ジャイナ哲学によれば、宇宙は、無限に存在して新たに創造されることはなく
常に存在する「ジーヴァ」つまり霊魂、魂からなる
霊魂には大きく分けて二種類の範疇がある、というのは
カルマの束縛によってこのサンサーラの中で輪廻再生を被り続けている
解脱に至っていない現生の肉体に囚われた魂と、死と生から解放された解脱した魂とである
本来、魂は全て無垢であるが、始まりのない時間の中でカルマに束縛された状態で存在する
魂はその真の無垢なる姿に到達するためにはカルマを撲滅する努力をしなければならない

魂魄(こんぱく)
魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰す
(解脱した魂と − 肉体に囚われた魂)

自性清浄(じしょうしょうじょう)
心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている
(解脱した魂と − 現生に囚われた魂)

アートマン(真我)
「…である」と定義することはできない「…である」ものではない
「…でない」によってのみ、アートマンが定義される

http://www.geocities.jp/tubamedou/Jiten/Jiten6.htm#%E3%81%97%E3%82%80%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86
「…である」と定義することはできない
非想非非想
有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
0211ジャンキー大山.。
垢版 |
2018/09/12(水) 17:49:10.13ID:oQeTsW7M
以下は岩波の仏教辞典からの要約です。

インドの関連術語が<霊魂>や<魂>と漢訳された例は確認されていない。
<ジーヴァ>は<命><命者><寿者><神>等と漢訳されている。

身体をささえ、生き物を生かしめる命、を原義とする。

ウパニシャッドでは、アートマンを太初以来の存在とし、創造物のそれぞれの命として内在すると(哲人ウッダーラカ・アルカーニが)語られた。
また、ヤージュニアヴァルキヤは対象化されることが無い死をも超えて存在する認識主体をアートマンと呼んだ。

アートマンは<霊魂>観の代表的なものである。

佛教では身体と霊魂の関係については無記としている。
0212おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/12(水) 17:59:36.59ID:5WaSRsAe
 
>ジーヴァとは何ですか?

ウィキペディアには
ジーヴァ
現生の肉体に囚われた魂と、死と生から解放された解脱した魂の二種類ある
と書いてあるので

↓おじゃる妄想としては

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して

(現生の肉体などに執着している)
有覆無記に依存している

遍計所執性が現れ変化して滅している

 − これを対処するための −

阿摩羅識(あまらしき)
真我 = 真如、如来蔵
https://www.yuishiki.org/category/%E5%94%AF%E8%AD%98/%E5%BF%83%E7%8E%8B/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%84%8F%E8%AD%98/
第九意識 = 完全なる涅槃

完全なる無の世界も手放して超えて
般若の智慧と慈悲によって観照された → 依他起性している世界
0213dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/12(水) 18:35:28.02ID:R6/tNqlW
ひょっとして、
アートマンは仏の魂も含む、魂全体を言い表すもの、
ジーヴァは輪廻する人間等の魂でしょうか?

それならば私の認識となんら変わりませんが。
0214宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/12(水) 19:00:27.90ID:VdNNuD8M
>>211
そんな別に、
ただその意味が理解されればそれで済む話だと私は思いますが。
我々、一般の日本人が使う日常用語というのは仏教の「漢訳」には限定されない。
もちろん仏教用語(漢訳)も我々の日常語にもなってはいるけれども、しかし、そのすべてではない。
“漢訳用語には無い”という理由だけで除外するのであれば対話にならないでしょう...。

>佛教では身体と霊魂の関係については無記としている。

たとえば輪廻主体については「識」だと教え、
また餓鬼存在についても説いたわけです。
無記なんかじゃない。

>>159にもある通りです。
人間の死後にも存続する意識、及び輪廻主体のことを一般的には総括的に「霊魂」という言い方をしています。

>水野弘元博士は「仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実態としての霊魂は仏教ではこれを説
>かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪
>廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない」
> (『仏教要語の基礎知識』春秋社)こう書いておられます。

もう少し述べるとこの「霊魂」というのは「霊」と「魂」の二語から成る。
では、「霊」と「魂」のそれぞれの意味や使い分け、そして、その違いを理解している方はいますか?
「アートマン(真我)」と「魂」と「霊」の三つですね。これらの違いについてです。
もちろん、この私は理解していますが。
0215dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/12(水) 19:12:20.24ID:R6/tNqlW
>>214
>もう少し述べるとこの「霊魂」というのは「霊」と「魂」の二語から成る。
では、「霊」と「魂」のそれぞれの意味や使い分け、そして、その違いを理解している方はいますか?
「アートマン(真我)」と「魂」と「霊」の三つですね。これらの違いについてです。
もちろん、この私は理解していますが。

他力本願ですみませんが、わかりやすい言葉で解説していただければ幸いですm(_ _)m


ちなみに、言葉の捉え方、定義は人それぞれですので、「それは違う」という場合にまず、
ご自分のその言葉に対する定義を説明してから書き込みされるべきだと思いますが。
0216湖北鈴屋外道「野狐」 屁ッコキマンペ 統失ヒッキー糞雀鬼ィ自我肥大痔がヒデェー
垢版 |
2018/09/12(水) 19:19:16.82ID:VqIB6eS+
40回も透ったら、初関を透る、じゃないっぺpe

JT糞雀鬼!おまいは タバコ ! 百害あって、一利なし 外道よ!
ここまで最低最悪の漢(オトコ)は世に居るんだなぁ。

5ちゃんねるの会話の形式はバトル形式、馴れ合いを禁じます。
但し、その事を踏まえた会話かどうかが 問われています。
ググるシッタカの糞雀鬼はアンタはエライ!と褒めて欲しいのです。
それは糞雀鬼がリアル社会で疎外無視され続けてきた現実があります。
一見、相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞雀鬼の抱え込むリアル社会の絶対評価です。
と言う事で、糞雀鬼は「暴れさせて、ゴミがたまったら透明あぼ〜んが適切ですね。
決してレスポンスしない事が、大切。

 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らし粘着糞雀鬼は無視放置スルーされるのが一番キライ、耐えられません。
 ||  荒らし糞雀鬼は常に誰かの反応レスを待ち焦がれジレます。
 || ○荒らし糞雀鬼は門から入るものが宝と誤謬し、自己の内側、佛心が観えず。
 ||  荒らし糞雀鬼は常に無視されている自己存在の確認要求に拘泥します。
 || ○荒らし糞雀鬼は問いに問いで返す破廉恥無脳が故の脊髄反射のパープリンです。
 ||  荒らし糞雀鬼は理解力が皆無、とにかくしつこい、金魚ドジョウと救い難い。
 || ○荒らし粘着糞雀鬼の重複スレには誘導リンクを貼って放置が一番カステラ2番。
 ||  ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。
 || ○放置された荒らし糞雀鬼は煽りや自作自演でアナタのレスを巧みに汚く誘います。
 ||  荒らし糞雀鬼にノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
 || ○反撃は荒らし糞雀鬼の滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
 ||  荒らし糞雀鬼につけ入るエサを与えないで下さい
 || ○荒らし糞雀鬼が枯死するまで孤独に暴れさせておいてゴミが溜まったら削除です。
 ||  荒らし糞雀鬼は外道{野狐}です。
 ||                                                 ||
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
愚レスポンスを繰り返す糞雀鬼 と、ググったら 出たぁ (大爆笑ナァ〜リ〜♪
0217ジャンキー大山.。
垢版 |
2018/09/12(水) 19:25:25.21ID:oQeTsW7M
>>214
レスの目的は、dpさんあての横レスで、内容は”ジーヴァ”についての仏教辞典からの要点引用で、
その趣旨は、老婆心ながら「ジーヴァ=霊魂」とするにはもう少し補足の説明がいるかなと思ったからです。


1.>佛教では身体と霊魂の関係については無記

これも仏教辞典からの引用で、毒矢の喩の十無記の事です。
(→生命と身体は同一か。生命と身体は別個か。 /生命=ジーヴァ)


2.人間の死後にも存続する意識、及び輪廻主体のことを一般的には総括的に「霊魂」という言い方をしています。

貴殿の「霊魂」の定義に関して論ずるつもりはありません。
ちなみに、仏教辞典では「霊魂」について、インド・中国・日本についての考え方が解説されております。
0218dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/12(水) 19:55:08.29ID:R6/tNqlW
>>217
遅ればせながら、ありがとうございます^_^*)/

ジャンキーさんの疑問もごもっともだとは思いますが、
宝珠真範との対話が混乱するのは避けたいので、まずは
私と宝珠真範さんとでお話をさせてください。

これは、、余計な一言ではないよね?w

>>212
おじゃるさんもありがとうございます^_^*
0220
垢版 |
2018/09/12(水) 21:02:59.65ID:FazTBtgI
┐(´ー‘)┌
0221神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 00:36:26.66ID:TQIARG3E
>>187
世界には数あまたの宗教がありますが 、ほとんどの教えでは 「創造主 」「唯一絶対神 」「真我 ( ātmanアートマン ) 」 「永遠の魂 」といった 、何か永遠に変化しない実体 ・絶対的な存在がある・いると教えています。
それほど信仰の心のない一般の人々も 、それをなんとなくボンヤリと信じていて 、「神を信じていれば永遠の天国にいけるのかなぁ」とか 「自分には魂があるのかなぁ」とか思っています 。
日本の主要な宗教である大乗仏教でも同じことです 。 「創造主 」「永遠の魂 」などと言う代わりに 「如来蔵 」「仏性 」「法身 」 、日本の宗派仏教になると 「大日如来 」「久遠実成の仏陀 」などと言葉を作っていろいろ概念を入れ替えるのですが 、
結局は 「真我 」とか 「魂 」とか 、何か永遠に変化しない実体 ・絶対的な存在がある ・いると考えているのです 。
そういうわけで 、 「勝義諦 ・真にあるもの ・真実 」が 「生滅変化し続ける無常の現象で 、一時的に現れている 」という説明自体 、始めはなかなか理解しづらいと思います 。
「 『真にあるもの 』だったら 、永遠不滅のはずじゃないか 」というのが 、ごく一般的な反応でしょう 。
「勝義諦 ・真にあるもの ・真実 」の一つが 「心である 」と聞いたとたん 、私たちが持っている 「永遠不滅の魂 」といった概念 ・固定観念で思考がカチンとロックされてしまって 、そこから頭の切り替えができなくなるのです 。
「生滅変化し続ける無常の現象で 、一時的に現れている 」という仏教の 「心 」 、勝義諦としての 「心 」には 、たとえ仏教を勉強していても 、なかなか肉薄できないようになっています 。
アビダンマの勝義諦である物質 ・心 ・心所のどこを探しても 、永遠の魂や他の絶対的な存在は見つかりません 。
ならば最後に現れる 「涅槃 」こそが永遠の魂だと決め付けても 、それは大間違いです 。
もともとなかった魂が 、「涅槃 」になったとたん突然現れるはずがありません 。
0222神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 00:36:52.03ID:TQIARG3E
「真我 (アートマン ) 」「永遠の魂 」といった実体論は 、ゴミ概念として 、仏教ではスタート地点から排除しているのです 。
ですから私は講義の最初に 、「真我 」「魂 」といった考え方をきっちり批判しておきたいのです 。
むしろ 「真我 」「魂 」といった我々に骨がらみになっている固定観念をとことん論破することによってこそ 、
アビダンマの語る 「心 」の独自性 、仏教の超越した智慧のすごさが 、ありありと浮かび上がってくるのではないかと思います 。
0223神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 11:19:10.11ID:Rt8/3B+D
>>222
論破はたぶんできませんよ。
もともと有りもしない妄想概念なんですから。
どうしても時間の無駄になります。
0224おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/15(土) 16:16:52.53ID:wSLN4EHr
 
↓仏教とは関係ないけど

おじゃるが使ってる、メールが乗っ取られました
(たぶん外国の人?のような気がする)

難しいパスワードに変更して
復旧させて使えるようになりました

皆様もお気を付けくださいませ おじゃる m(_ _)m
  _  _  _

>論破はたぶんできません

宝珠殿の場合は
そもそも中観帰謬ではないので
『(真我を否定する)仏教が間違ってる!』ということになるでしょう

中観帰謬の場合は
般若の智慧と慈悲によって
掴もうとしている『想い』も手放しているので
それゆえに
涅槃の境地にもとどまらない
0225おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/18(火) 18:09:03.45ID:dvv18iqH
 
dat落ちしないように

心霊動画を貼り憑けしときます

https://www.youtube.com/watch?v=xe1ri54cigQ

魔界潜入 怪奇心霊秘ファイル 4

心霊といえば

やはり密教系で おじゃります m(_ _)m
0226神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 20:44:30.05ID:+5NkZP5U
サーヴァッティーでのことであります。
その時、或る神が、夜も更けた頃、容色うるわしく、ジェータ太子の林全体を輝かせながら尊師のもとに近づきました。
尊師に近づいて、挨拶し、一方の隅に立ちました。一方の隅に立って、その神は、尊師に次のように言いました。

「わが友よ、あなたは、生き物たちが、解脱し、自由になり、遠離するものかどうか、知っていますか」
「友よ、わたしは、生き物たちが、解脱し、自由になり、遠離するものかどうか、知っています」
「友よ、では、あなたは、 どのようにして生き物たちが、解脱し、自由になり、遠離するのか、知っていますか」

 「歓喜の生存が滅尽し、表象作用(想)と識別作用(識)とが尽きて、
 感受が滅することにより、寂滅がある 

― このように、友よ、わたしは、生き物たちが解脱し、自由になり、遠離することを知っています。」
0227神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 20:45:43.39ID:+5NkZP5U
サーヴァッティーでのことであります。一方の隅に立った、かの神は、尊師のそばでこの詩を唱えました。

 「導かれていくのは、命である。短いのは、寿命である。
 老いに導かれていくものにないものは、救いの場である。
 この、死へのおそれを観るならば、
 諸々の福徳をなして、安楽をはこぶがよい。」 

(尊師が語りました。)
 「導かれていくのは、命である。短いのは、寿命である。
 老いに導かれていくものにないものは、救いの場である。
 この、死へのおそれを観るならば、
 世間の財を捨て、寂静をねがうがよい。」


一方の隅に立ったかの神は、尊師のそばでこの詩を唱えました。

 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 諸々の福徳をなして、安楽をねがうがよい。」

(尊師が語りました。)
 「過ぎていくのは、時である。渡りゆくのは夜々である。
 青春の美徳は、しだいに失われていく。
 この、死へのおそれを観るならば、
 世間の財を捨て、寂静をねがうがよい。」
0229おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/21(金) 15:17:04.79ID:plC1JgTG
 
http://mainichi.jp/articles/20180920/ddf/007/040/013000c?inb=ra
寺で真の終活 「商売先行」現状に異議 大阪・天王寺

↓「死後の世界はあるんでしょうか?」

ヒンドゥー(バラモン)
…人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

 − これを対処するために −

上座部系の場合は
苦集滅道
戒・定・慧・解脱・解脱知見

大乗系の場合は
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧と慈悲)
無住処涅槃(むじゅうしょねはん)
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない

https://www.yuishiki.org/category/%E5%94%AF%E8%AD%98/%E5%BF%83%E7%8E%8B/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%84%8F%E8%AD%98/
第九意識 = 完全なる涅槃
0230おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/24(月) 16:26:21.48ID:oBt1XIiE
 
http://www.onedhamma.com/?p=6750

↓今回のpodcast法話も

18/09/23
「思いが手放された後の世界」を認識可能か?
どこの誰が?解脱の智見を知るのか

無明に依存している
おじゃるが解脱の智見を知るのか?

般若の智慧と慈悲(としての、おじゃる)によって解脱の智見を知るのか?
  _  _  _

大日如来(阿摩羅識)からの
  ↓
仮設としての
縁起している世界の中の
(有為法の中の)すべて一切の諸法
  ↓
さとりに達するための障害(覆)がない
阿頼耶識
  ↓
無明に依存して
さとりに達するための障害(覆)がある
末那識
我癡・我見・我慢・我愛
貪・瞋・癡
0231神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/26(水) 00:48:02.94ID:IrWNoxKh
アートマンは否定できないものであるから、
天啓聖典は
「そうではない、そうではない」といって、
アートマンを否定しないで残したのである。
人は「私はこれではない。私はこれではない」
というような仕方でアートマンに到達する。


「私はこれである」という観念は、
「これ」の表示する
非アートマンと同一視されたアートマンから生じ、
言葉によって表示できる領域にある。
その観念は否定されたアートマンから生じるのであるから、
前のように、再び正しい認識として受け入れられることはないであろう。


まえに生まれた誤った考えを否定しなければ、その後に正しい思想は生まれない。
見(アートマン)は唯一であり、それだけで確立している。
それは正しい知識根拠の結果であるから、
否定されることはない。

アートマン(自ら)は、一切智者であり、一切見者であり、清浄である。

(ウパデーシャ・サーハスリー)
0232神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/26(水) 15:39:28.22ID:VLn2CapM
805 人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住(永遠不滅)ではないからである。
この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。

806 人が「これはがわがものである」と考える物、ーそれは(その人の)死によって失われる。
われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してははらない。

807 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。
それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。

808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。

809 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。
それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を見たのである。
http://suttanipata.com/eea/
0233神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/26(水) 15:40:58.64ID:VLn2CapM
「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、
奴僕も、雇人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、
どれもすべて連れて行くことはできない。
すべてを捨てて行くのである。
“人が身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。”
人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、かれに従うものである。
影が人に従って行くように。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
http://blog.livedoor.jp/shinbookdiary/archives/65918679.html
0234宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:45:11.73ID:Nglwh+BD
皆様へ

私からの投稿は度々、
かなり遅くなることがありますので、どうかご了承願います。
時間的問題と体力的な理由にてなかなかコンスタントな投稿には無理があり、
どうしても遅れてからの纏め投稿や長文連投の傾向になります。
尚、すぐにレスが返せる場合はそうしますので、今度とも宜しくお願いします。
0235宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:48:28.53ID:Nglwh+BD
dp9さんへ

この度は大変、返信が遅くなってしまいました。ごめんなさい!
普段から遅れがちだというのに、それに合わせて今回は更に震災停電の影響を受け職場が休日返上の連操になってしまいました…。
取りあえずは今、書けるだけの内容にて投稿しますので、
また何か知りたいことや確認したいことがあれば、どうぞいつでもお気軽に質問して下さい。
私のできる範囲にて返答させて頂きますから。

>>209>>213>>215
>>209
>私は魂は宇宙の根本意識の一部であり、そのことを認識していないのも「無明」の
>一つだと理解しておりました。

アートマンについての部分的理解としては間違いじゃないです。
0236宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:50:16.29ID:Nglwh+BD
>ひょっとして、
>アートマンは仏の魂も含む、魂全体を言い表すもの、
>ジーヴァは輪廻する人間等の魂でしょうか?
>それならば私の認識となんら変わりませんが。

 人間における意識の本質(本性)というのは、本来は神(ブラフマン)そのものであって、その分霊がアートマン(真我)ということなのです。その
ことは、いわばブラフマンである大海(海洋)の水を汲み取ったコップの海水一つ一つが個別のアートマンであるとみてもいいと思います。この両
者というのはその性質についてはまったく同等のものなのですが、アートマンというのは、つまり、人間一人一人の個的な意味合いを持っている
ということ。このアートマンがそれぞれ一つの「魂」を物質界に反映しているのです。
 輪廻しているのはこの魂であり、この魂が原因と結果の法則(作用反作用の法則)の中で、自己(人間)と大自然との正しい関係、及び人間同士間
における正しい関係、そして、神との正しい関係について修得するための経験を積む旅を続けています。これが一定の基準に達してゴールするま
で続けられるのです。これらの獲得経験は最終的にはすべてアートマンへと引き上げられて、役目を終えて用済みとなったコーザル体(輪廻におけ
るすべての経験が記録されている場所)は破壊され、魂はアートマンへと吸収されて消滅する。こうして必要経験を獲得して輪廻が終焉し、究極の
ニルヴァーナに至る。これが仏教における「識」が五蘊の中で機能しながら業報輪廻の経験を経て、最後に輪廻を解脱し涅槃に至ることの意味です。
0237宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:51:40.36ID:Nglwh+BD
 尚、仏教においてはアートマンについての解説はないですから、「真我」についての詳細理解については、私個人は神智学とラマナ・マハルシの
ジニャーナの教え。そして、偽作の多いシャンカラチャリヤの著作の中において、これこそ唯一無二の真作と認められている『ウパデーシャ・サー
ハスリー』が学修教科書です。
 特に、アートマンの性質についての理解には、この『ウパデーシャ・サーハスリー』は必読だと思います。そして、できることならば「神智学」
を学ぶことによって、宗教レベルを超えたより詳細かつ具体的な理解を得ることができます。
 尚、ブッダの説かれた“真実の自己を求めよ”という教えと「自性清浄心」(心性本浄説)、そして、大乗の説く「仏性」というのはアートマン
のことと見ても良いものと思っています。
 まず、基本的な前提として、ブッダは“アートマンは無い”などとは教えていないということは何よりも重要なことです。この誤解を解かない
限りはどうしようもない...。ブッダの説いた五蘊無我の教え、つまり、“それらはアートマンではない (非我) ”という否定意というのは、有為
についてのものなので、アートマンそのものにはまったく抵触しないことを知る必要があります。
0238宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:52:52.98ID:Nglwh+BD
 仏教においてはもちろん、アートマンについての解説は特にはありませんが、ただし、輪廻主体としての魂については「識」として明確に説かれ
ています。これは、まず把握しておかないとダメでしょうね。
 石飛道子氏の解説によれば、
【ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生する
ありさまを説明した。】とあります。
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation3.html (龍樹と輪廻転生 石飛道子)

 また、その他にも、長阿含/第四経『遊行経』には「魂神」として、それから雑阿含経『跋迦梨経』および増壱阿含/第四十一経には「識神」とし
て説かれているとのこと。中村 元氏(『原始仏教の思想』中村元選集[決定版]第15巻 春秋社p.652)によれば、DN.23の『パーヤーシ・スッタン
タ』と長阿含/第七経の『弊宿経』においては、積極的に輪廻の主体を想定する思想が仏教徒の主張として表明されているとの指摘があります。
 この輪廻の主体「魂」(ジーヴァ)というは、五蘊の「識(蘊)」(阿頼耶識)が肉体崩壊後にも存続している状態のことを指していますから、従って、
「六処」でいえばその中の「意」(処)に該当するものではないか私は思います。
0239宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:54:35.96ID:Nglwh+BD
 ここでご指摘のあった使用「語句」の“定義”について明確にします。ただし、この定義というのが、またなかなか難解かつ複雑なものがありま
して、ですから、私はなるべく日本人の普通の日常語として理解されやすい言葉を選んで使用しているのです。
 説明が必要なその語句とはこの三つのことです。つまり、「霊」と「魂」と「真我」です。ではこれから、この三つについての明確な使い分けに
ついて話します。

 「霊」(レイ)---私が普段この「霊」として述べているものは何かと言うと、これは人間の死後にも一定期間において存続を続ける意識のことであり、
よく世間においては霊(幽霊)を見たとか霊が出たなどとして使われているそれを意味して使っています。これは五蘊の中の純粋な物質肉体以外の精
神活動全般、その中の特に人間の情緒(感情)活動を司るアストラル体が死後をも存続しているアストラル想念形態のことを指します。人は死後、一定
期間を経て順次、肉体→エーテル体(ヒンドゥーのチャクラや中国で経絡秘孔として説かれているのはこの不可視のエネルギー体の活動のこと)→アス
トラル体(霊体)と分解消滅していくのですが、情緒的に異常状態にある人の場合にはこのアストラル体(霊体)の存続期間が延びて、次の転生に速やか
に入ることを妨げます。これがいわゆる成仏してない霊という言い方として使われることの意味であり、これが視覚に捉えられると幽霊を見たという
話になります。仏教では、この状態のことを「餓鬼」(餓鬼地獄に堕ちている)といっているのです。原始経典における幽霊存在について説かれた明確
な経は、雑阿含の『好戦経』です。この中では、ブッダやモッガラーナといった霊的視力者にはごく当たり前のものとしてそれらが見えている。けれ
ども、ブッダの教説を否定する者というのは地獄に堕ちてしまうので、自分の目には見えないものを信じない人々がそうなってしまうのはあまりにも
可哀想なので、だから自分は普段はあまり説かないようにしているのだ、と述べています。
0240宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:55:37.03ID:Nglwh+BD
 とても良い霊体の出現とブッダとの対話については、中部経典第十八経『闍尼沙経』で非常によく仏教に帰依して死んだビンビサーラ王の心霊との
対話の描写が素晴らしいです。そして、「餓鬼」(「逝去者」の意味で“浮ばれていない者たち”のこと)の救済も仏教徒としての勤めとして説かれて
おり、そのことが『餓鬼事経』(ペータヴァットゥ)で説かれています。
 尚、神智学では「霊」(スピリット)というのは、モナッド(ヒンドゥーのアートマン)のことなのですが、ただし、日本においてはただ混乱するだけです
から、私はこのような使い方はまったくしない。それから、神智学における心霊存在は、ヒンドゥーと共通していて「カーマローカ」(生前のアスト
ラル体)と呼ばれます。
 唯物主義者というのは、あくまでも自らの体験によってしか認めることができない悲しい脳をしていますから、その人達にとって最も体験の可能性
が得られるものが、エーテル次元の気功エネルギーの体験、次にアストラル心霊体験なのです。なので、中国気功師の達人の元を訪れて気を体験する
とか、東北地方の座敷童の旅館に宿泊するとあるいは心霊現象に遭遇できるかもしれませんから、是非、チャレンジをお薦めします。
 
 「魂」(タマシイ)--- 最近、繰り返し述べてきていますが、これがヒンドゥーの「Jiva」(ジーヴァ)、または「ジーヴァ・アートマン」であり、個我
(自我)という言い方もありますが、要するに輪廻主体としての五蘊の「識」のこと。ここに意識の焦点が置かれたときにバラモン行者が行うような
奇跡的な体験と通力が発揮されます。無始の太古からの輪廻の記憶に触れることができるので、その膨大な経験情報を引き出すことができます。こ
れが究極の自己意識への到達だと歓喜するところなのですが、しかし、これもまだアートマンではなくて最終的には消滅してしまうもの。これに執
着してしまうと、最終的な解脱への妨げとなります。つまり、これが『梵網経』によってゴータマに否定された常住世界(概念)のことです。
 これを神智学では、「soul(ソウル)」とか「アートマ」と呼称しています。
0241宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 06:56:46.31ID:Nglwh+BD
 「真我」(シンガ)---究極の自己本質であり、ヒンドゥーが説く「アートマン」(漢訳の“我”)のこと。日本では近年この「真我」と表記されるのが
通例となっており、私も好んでこれを使用しています。ここに意識の焦点が留まるときにすべてのマーヤー(幻影)は消散する。
 尚、勘違いしている人が多いのですが、アートマンそのものは輪廻していません。神智学では同様にして「真我」、または“神の閃光(キラメキ) ”や
「モナッド」、または「モナド」といいます。


〜取りあえず、ここまでにします。
また、何でもお気軽にどうぞ。
0242宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 07:01:09.09ID:Nglwh+BD
ジャンキー大山さんへ

>>217
>1.>佛教では身体と霊魂の関係については無記
>これも仏教辞典からの引用で、毒矢の喩の十無記の事です。
> (→生命と身体は同一か。生命と身体は別個か。 /生命=ジーヴァ)

なるほど、あなたの言ってる意味については分かりました。
確かに、仏教においてはそのような具体的な“メカニズム解”が無いのは事実です。
そういう意味では無記です。

ただし、私から一つだけいっておきたいことがあります。
仏教の漢訳用語には「霊魂」とされたものがないといいますけれど、
しかし、本来の「原語」だとか「原意」とか、文章の「直訳」というものは、
もちろん、それを知っておくことにそれなりの意味はありますが、
ただし、実際上の使われ方としては殆ど役に立っていないということがあることについては指摘しておきます。

「ジーヴァ」だって、<命><命者><寿者><神>等と漢訳されている、といいますが、
そもそもそれを言い出したら、たとえば、「a^tman」(アートマン)そのもののについてだって、本来的な原意というのは「呼吸」(気息)のことですからね。
インド・ヨーロッパ語族なので、すべてが関連した言葉なのですけれど、英語では空気は「アトモスフェア」(atmos-phere)といい、
これはキリシア語の「アトモス」<煙、蒸気の意味>からきた。ドイツ語で呼吸することを「アートメン」(atmen)といい、
息のことは「オーデム」(Odem)といいます。
0243宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 07:02:09.34ID:Nglwh+BD
だから、アートマンは「呼吸」(息)のことですよ。
だったなら、私たちは今、誰しもがこうして息をして生きていますからね。
ならば単純にいって、ただ“アートマンが在る”となってしまうだけでしょう? 当たり前のことです。
しかし、これでは今、私たちが論じている死後をも存続して、尚且つ、永久不滅のアートマンについての話からは逸れてしまう。
仏教でもヒンドゥーでも、アートマンを通常、「息」がどうしたこうしたという意味合いで述べてることはないでしょう。
「息」について、具体的に論ずるのは呼吸法〜瞑想についてです。

先日、ここに紹介した著名な曹洞の僧侶たちの方こそ、ちゃ〜んと「霊魂」として理解して語り合っているじゃないですか。
今日の無我説が、本来は違うものだったことについてもですよ!
私が投稿したものについては、しっかりと読んだほうが良いと思いますが...。
0244宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 07:27:14.12ID:Nglwh+BD
 『あるいは最近、ブッダは魂というものを認めていた可能性が指摘されています。。「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)の中には少なくとも
二カ所、その証拠があります。それは「ヴィンニャーナ」という言葉の用例です。これまで「識」とか「識別力」と訳され、とくに注意を引
いていたわけではなかったようです。しかし、実は中村元先生がかなり以前から、岩波文庫の『悪魔との対話』の訳注に、「ヴィンニャーナ」
に対して「霊魂のようなもの」とか、「ドイツ語ではSeeleという」、つまり霊魂と書いているのです。さらに昨年出された「相応部」の新しい
訳(春秋社)では、「ヴィンニャーナ」に対して、本文はやはり「識」ですが、注にははっきり「たましいのこと」と書いてあります。
 玄奘三蔵が留学した頃ですから、六、七世紀段階におけるインド出家僧の半数は実際的には霊魂実在論だったというのです。この状態はイン
ド仏教が滅びるまで続いたと書かれています。
 仏教における霊魂の話になると、必ずといって良いくらい出てくる無我説や非我説にしても、少なくとも当初は、たとえば私の特定の部位を
指して、そこに私がない、外部のものを指して、そこに私はいない、そういう意味だったのに、後世になってから拡大解釈されて、霊魂否定論
の意味になってしまったらしいのです。』>>160

>ちなみに、仏教辞典では「霊魂」について、インド・中国・日本についての考え方が解説されております。

もし可能でしたら、参考としてその記述を紹介して頂くことはできますか?
0245宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/09/30(日) 07:28:58.89ID:Nglwh+BD
>>221-222
それらの説明はすべて有為法についてのものですよ。
従って、無為であるアートマンがそれらの法則に抵触することはない。
彼らスリランカのテーラワーダの高僧たちは、
ついに無我の教説が本来は違うものだったことが学者の研究によってバレてしまったので、
伝統(ブッダの教説ではない自分たちが勝手に構築したアビダンマ)を守る立場の彼らは、
その保身のために必死なのですね。

その姿がありありとそのまま顕れています!!
0246dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/30(日) 09:46:44.85ID:xBn57cJf
宝珠真範さん、お久しぶりです。
詳しいご解説ありがとうございますm(_ _)m

私は概要だけしか把握しておらず、それを数多の状況に照らして角度を変えて理解することや、
その「用語」の理解が欠けているようです。
「用語」の使われ方も一様ではなく、その間違いも含めて本質的な概念を文献等から理解するのには、
もっと膨大な「精進」が必要ですね。

これからも色々教えてくださいませ^_^*)
0247おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/30(日) 18:19:58.57ID:V1eZBfgr
 
>「用語」の理解が欠けている

基本的には
一般的には
仏教といえば
中観帰謬が基本なので
世俗の次元でも自相(自性)を否定します

たとえば
中観帰謬の場合は
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも手放して逝く

有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
「想いである」ものではない
「非想である」ものでもない
という非想非非想も手放して逝く

アートマン = 非想非非想

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
仏教としては
一般的ではない
中観自立の場合は
自相(自性)を、世俗の次元では承認します
私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
0248おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/09/30(日) 18:49:00.36ID:V1eZBfgr
 
なぜ?
アートマン = 非想非非想なのか?その理由は

↓スッタニパータ 874

有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
「想いである」ものではない
「非想である」ものでもない
という非想非非想も

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも

手放して、そして、それゆえに
…想いなき者でもなく…
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも

仮設としての
縁起に依存して
(無明に依存して)
想いにもとづいて起る

「仮設としての」無明に依存しているからこそ
『「…である」ものではないという法がある』という想いが
現れ変化して滅している

(↑中観帰謬の場合)
0249神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/01(月) 01:18:00.93ID:f+hcOpPU
>>248
>↓スッタニパータ 874
>有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という
>「想いである」ものではない
>「非想である」ものでもない
>という非想非非想も

874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
ーこのように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」

いくら非想非非想が好きだからと言って適当な解釈で人に嘘を教えてはいねーぜ、おじゃるさんよ!
0250おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 02:42:49.84ID:FqsirEoW
 
>>248 には
『非想非非想も手放して!』と書いてあるけど

ちゃんと意味を理解してる?

第一禅定〜第四禅定
空無辺処〜非想非非想

非想非非想も手放して↓そして

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
上座部 パオ・セヤドー

般涅槃の時に
(地水火風の四界分別も)五蘊もまた
余すところなく滅尽します
因縁滅を了知する智慧を、因縁滅智と言います

http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗 内山興正
…坐禅中の心構えを一口にいうならば,坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして
(非想非非想も手放して!)
「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
ところが今
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです。すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし
思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
0251おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 03:12:41.63ID:FqsirEoW
 
スッタニパータ 874
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るから
それゆえに

想うという『想い』も手放して
想わないという『想い』も手放して

非想非非想も手放して↓そして

http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%92%E3%81%A0%E3%81%A4%E3%81%A1%E3%81%91%E3%82%93
解脱智見
  _  _  _

↓中観帰謬の場合は

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも
想いにもとづいて起るから
それゆえに

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも手放して逝く
0252おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 04:22:24.33ID:FqsirEoW
 
後期大乗密教の場合は

大日如来(阿摩羅識)からの

仏そのもの
仏性からの真如縁起だからこそ

智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない
無住処涅槃だからこそ

法界体性智
大円鏡智からの → 阿頼耶識

阿頼耶識
さとりに達するための修行の障害(覆)がない無覆無記

[PDF]
チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)
ゲシェ・チェカワの『七事の心の訓練法』

(般若の智慧によって
  大円鏡智からの観照によって)

道の本体は阿頼耶の自性に置くことです

↓中観帰謬の場合は
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンも
(空性として)夢・幻の如しと訓練しなさい
0253神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/01(月) 10:07:36.80ID:f+hcOpPU
おじゃるは非想非非想への想いを手放せよ
0254宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/01(月) 11:02:27.14ID:oGdKx/a5
>>240
追記:
 「魂」(タマシイ)---また、神智学では「ego」(エゴ)とも呼ばれています。

>>246
はい、宜しくどうぞ!
0255宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/01(月) 11:14:29.58ID:oGdKx/a5
>>251
そのあらゆるすべての想いを捨て去るというのは、
歩みとしては、かなり最終的な段階のほうではないかと私は思いますが...。
何故ならば、通常の我々のレベルでは何かしらを求めなければ、
そもそも生存することすらもままならないからです。

ゴータマは、
“真実の自己を求めよ”といったのですから、
弟子が真実の自己を求め続けることは必要なことです。
大衆が弟子となったときには求める対象のレベルが変わるのです。
つまりは、地位や金や女や食べ物...といったものから→真実の自己へと
そして最終的には、アートマンがどうしたこうしたとかはもちろんのこと、
真実の自己を求めるということすらも欲望として廃棄していく...。
更には、すべての想いを手放したという想いさえもなくなる。

>>252
>しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない

大乗ご自慢のこの美しいフレーズについては、
この私は大いに疑問符を浮かべます。

真実は、
「涅槃に入らない」のではなくて“涅槃に入る段階にない”ということであり、
大乗はそのことを誤魔化すべくこのような言い訳を主張するのだと。
大乗というのは非仏説であり、そして、だから完成者の輩出がないのだということ。
自ら涅槃に入らないというセリフは大乗一流の誤魔化しでしょう。
0256おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 14:20:40.21ID:FqsirEoW
 
>想いを捨て去るというのは
>歩みとしては、かなり最終的な段階のほうではないかと私は思います

それゆえに↓上座部系の場合は

四界分別観
第一禅定〜第四禅定
空無辺処〜非想非非想

というような段階を踏まえて

非想非非想も手放して↓そして

般涅槃の時に
(地水火風の四界分別も)五蘊もまた
余すところなく滅尽する
因縁滅を了知する智慧
因縁滅智

戒・定・慧・解脱・解脱智見
  _  _  _

(中国経由の)日本の禅宗とかの場合は
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
それゆえに
坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
掴もうとしている『想い』を手放して、そして
余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐

布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧も慈悲も)
0257おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 14:50:56.16ID:FqsirEoW
 
>“涅槃に入る段階にない”ということ

青目(ピンガラ)の中論 觀法品 第十八

八正道を修習しながら
我と我所との因縁を滅すれば
無我や無我所という決定した智慧を得るだろう

諸の禅定の中で何故、滅尽定が第一なのか?

↓ちゃんと読んで

http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
修行の頂点に達して
そこには
悟る法という『想い』もなく

さらに無の世界も超えて

般若の智慧と慈悲をもって
平等性智をもって
分別のない心で
移り行く世界の様を
ありのまま見つめている

仏性からの真如縁起だからこそ
無住処涅槃だからこそ

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる
0258おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/01(月) 15:22:59.48ID:FqsirEoW
 
>大乗の誤魔化し

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して

無明に依存している「おじゃるが解脱するぞ!」という

『(無明に依存している)想い』で解脱することが出来るのか?

 − これを対処するために −

無明に依存することのない

仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって。という

その地域の、その当時の人々の
世間的な『想い』も一応認めて、さらにその理解のうえで
その地域の、その当時の人々に理解せしめる

大乗としての対機説法

『大乗の方便も信用できない!』
という場合も多いかもしれないけど、とりあえず
0260おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 00:09:22.48ID:nAfgARSK
 
https://i.imgur.com/Un7tYU3.jpg
これを大乗的に説明すると

仮設としての
縁起している世界の中で
『(無明としての)想い』に依存している
煩悩で修業してしまうと何も生まれません
(「禅定に入れない」という意味)

無明に依存することのない
仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって
心を調えて、集中力も憑けて、悟りが生まれる

(↓大乗の場合は真如縁起?)
涅槃は
縁起ではないので
それゆえに
「(悟りが)生まれる」という表現もどうなのか?
という感じもするけど、とりあえず解脱智見ということで ヨロ m(_ _)m

http://www.j-theravada.net/pali/key-cetasika.html
初期仏教の世界
心 citta チッタ
心は善でも悪でもありません

説一切有部から → 唯識に受け継がれて?

阿頼耶識
さとりに達するための修行の障害(覆)がない無覆無記
(「阿頼耶識は、善でも悪でもない」という意味)
0261宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:05:13.72ID:HSZNFowA
>>257
その、『十牛図』を読ませて頂きました。
禅的なエピソードと悟りの極意的な逸話ですね。

そこでいっている意味はもちろん分かるし、
それから、すべての(想いからの)捉われを捨てること、
及び、悟りを求める想いすらも無くなっていてく...的な意味もわかるのですが、
しかし、そういった禅的な教え〜捉われを捨てて心が無になる〜というのは、
ある部分では大きく修行の道程の中では役に立つことはこの私も認めつつも...
しかし、大本であるところのゴータマの説いた解脱へ至る教説そのものとは、
やはり、ちょっと異なるものだろうと私は思う。

まず基本には、
ゴータマが目覚めた人ブッダと成ったという物語を伝える典型的な「仏伝」によれば、
それは悟りを得るまでは決して諦めることなく、死の覚悟を以てあらゆる困難に立ち向かったというものですよ。
六年麻麦の苦行では、その途中、何度もゴータマ死んだと噂されたほどの難行荒行へと挑んだ。
苦行では悟れないとみると、今度は悟りを開くまでは死んでも座を立たないと誓って臨んだのが菩提樹下の瞑想だった。
0262宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:07:50.54ID:HSZNFowA
『【23−06】成道----菩提樹下の誓い
   菩薩が菩提道場に坐し、悟りを開くまで座を立たないと誓う。
[B]仏伝経典
@ NK.(vol.T p.071, 南伝28 p.151);
 菩薩は菩提樹の幹を後にして東の方に向い堅い心を以て「仮令我が皮膚も筋の骨も乾び、全身の肉も血も干乾びるとも、
 我は正覚を成ぜずばこの跏趺坐を解くまい」
G LV.(Lef.p.289, 溝口 p.260);
 ここで、この座の上で、たとえ私の体が干からびようとも、私の皮膚が、骨が、肉が溶け去ろうとも!この、幾多のカル
 パの時間の中で、獲得することの困難な智慧を獲得することなしに、私の体がこの座から動くことはない!
K BC.(12−120);
 ……「余は目的を完遂するまでは断じてこの坐をくずすことなかるべし」と念じて、彼は眠れる蛇のとぐろのように身体
 を凝縮して、最上かつ不動なる結跏趺坐を組んだ。』
(【資料集3】仏伝諸経典および仏伝関係諸資料のエピソード別出典要覧 森 章司・本澤綱夫・岩井昌悟)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/03_01.pdf
http://www.sakya-muni.jp/monograph/03/3-1/2527.html

この私が、言いたいこととは、
どんな崇高な想いであろうとそれすらも捉われと欲望となり得るものであるということと、
“真実の自己を求め続ける”ということ、つまり、大乗でいう菩提心かな?
というものとは混同しないよう注意すべきだということ。

>修行の頂点に達して
>そこには
>悟る法という『想い』もなく

いやいや、それは勝義的な意味合いでしょう!?
“ (ゴール地点)には無い”ということであって、
そこに至るためには必ず道標と悟る法(菩提分法か?)がある。
それは、実際にその道程を辿った達成者がそのことを示したものです。

>>258
では、大乗からは完成者は輩出したのか?
0263宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:10:20.95ID:HSZNFowA
>>259
相変わらず、
“デタラメ”ばっかり書かれてあるけれど...

>滅尽定は仏教だけ

だからまず、
その滅尽定を示したというテーラワーダ聖者の具体的な事例を提示してくれ、
と、この私はいってるのですよ。
「誰々が滅尽定を示した」というだけの記述ではなくて、
それはいつ、どこで、そしてどんな...といった具体的な記録なり、またエピソードを知りたい。
千年も二千年も太古の伝説めいた話は辞めてね。

尚、ヒンドゥーにはこの近年でも事例(具体例)は事欠かないから。
こちらは結果が出てるから。
0264宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:15:36.02ID:HSZNFowA
いつも仏教徒は屁理屈ばかり。
素直さもない

これが私が感じる2chでの感想です。
0265おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 18:21:17.60ID:nAfgARSK
 
>大乗からは完成者は輩出したのか?

ベトナム出身の禅僧
ティク・ナット・ハン
アメリカとフランスを中心に、仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっていた

ダライ・ラマ
1世 ゲンドゥン・ドゥプパ 〜 14世 テンジン・ギャツォ(たぶん中観帰謬)

ダルマキールティ唯識派(たぶん瑜伽行の実践派)

カマラシーラ瑜伽行中観派(瑜伽行の実践派・中観帰謬)

空海 - 真言宗

天海 - 天台宗(江戸の設計をした)

そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっている
という道元 曹洞宗

大乗の立場としては
『釈迦は(上座部系も含めて)大乗の開祖でもある!』みたいな感じなので
釈迦 - 大乗仏教の開祖でもある

大日如来 - 涅槃も含めて
縁起している、すべて一切の諸法

机師匠
承狂師匠
セブン師匠
縁起一代師匠

その他諸々の師匠の方々
0266おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 19:02:27.60ID:nAfgARSK
 
>仏教徒は屁理屈ばかり。素直さもない

その理由は
慈悲の冥想の実践をしてない人が多いから

↓大乗的な慈悲の冥想

↓無明に依存することのない

仏そのもの
仏性からの真如縁起

般若の智慧と慈悲をもって

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

(無明に依存している)
我癡・我見・我慢・我愛(遍計所執性)を手放しできるのなら

素直になれる(かもしれない?)

上座部系とかの場合なら
我癡・我見・我慢・我愛(遍計所執性)を手放しするそのために
四界分別観とか第一禅定とかから始めて逝く

苦集滅道 → そして解脱智見

仏性からの真如縁起をもって
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0268おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 21:33:12.51ID:nAfgARSK
 
>>267 >俺は違うぞ。(笑)

正真正銘の悪の芦屋道満の弟子である

承狂元密教僧なら大丈夫です

即身成仏、間違いなしで おじゃります

ちなみに
承狂元密教僧は
イヴァン・イリイチのバナキュラーに似てる?らしですね

ということで、とりあえず

大日如来(阿摩羅識)をもって

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%81
イヴァン・イリイチ

バナキュラーって何ぬねの? おじゃる?
0270おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/03(水) 02:11:31.83ID:BoX9owlk
 
>>269
これを大乗的に説明すると

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して

我癡・我見・我慢・我愛に依存して

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンという法がある
と掴もうとしている『想い』が、現れ変化して滅している

 − これを対処するために −

無明に依存することのない
仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンという法がある
と掴もうとしている『想い』も手放して

無明が依存している縁起も手放して、そして

本来自性清浄涅槃

阿摩羅識 = 真我、真如、如来蔵

(↑大乗の場合)
0271ポッタン師
垢版 |
2018/10/03(水) 21:17:16.89ID:SJilpX/0
264.屁理屈の代表者がバカおじゃる、である。大爆笑である。
0272神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 14:18:29.84ID:95SAwmUL
>>263
滅尽定に至れるのは阿羅漢だけですが、阿羅漢であることを自ら名乗りでるのは布施がその人に集中するとかサンガの中でも位が上がるとかの利益誘導に繋がるので禁止されています。
なので滅尽定に至った、体験したということもできません。
なぜならそれは自分は阿羅漢であると名乗りでるのと同じだからです。
0273おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/06(土) 17:40:32.23ID:ruhqo0bJ
 
>阿羅漢であることを自ら名乗りでるのは…禁止されています

たとえば
自ら名乗りでるのは禁止されていたとしても

上座部系
マハーシ・サヤドー
サティア・ナラヤン・ゴエンカ
パオ・セヤドー
その他諸々

大乗系
ティク・ナット・ハン
ダライ・ラマ
その他諸々

この師匠の方々の元には
沢山の衆生の方々が集まっている

これから先(仏教も含めて)
宗教に興味がない人々が増えていったら、どうなるのか?わからないけど

宗教(仏教)に興味がないのなら
戒・定・慧
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若

解脱智見する如来も少なくなっていくでしょう。ということで ヨロ m(_ _)m
(大乗の場合は「如来の世界から解脱智見する」という意味)
0274宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:02:53.05ID:+DDYyYVy
>>271
おじゃるさんはとてもよく勉強してる。
そして日々、真理について真面目に思索してる。
少なくともあなたの百倍は進化している。

笑わられてるのは、
あ・な・た!!
0275宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:04:54.17ID:+DDYyYVy
非常におめでたいことで、
日本の京都大学特別教授の本庶佑氏に対して、ノーベル医学生理学賞が授与されました。
本庶氏のモットーは、“常識を疑うこと”だという。論文や教科書に書かれてあることは信じない、と。
それから、「ネイチャーやサイエンス誌に出ているものの9割は嘘で、10年たったら残って1割だ」ともいった。

この私の採るスタンスは、
これまで仏教として信じられてきたことの多くが実は間違いで、実際には違うというもの。
その真実を知っている者はごく僅かしかいないというものです。
こうして、2ch-5chにて投稿を続けてきて、なんともう早10年となった。
これまで何度も私に対する無知な者からの誤解として、
「おまえは神智学の権威付けのために仏教(ブッダ)を利用してるのだろう!」というものがありました。
神智学徒が権威利用を目的に仏教にも手を出しているというものですが、
しかし、事実はその真逆なのであって、元々、一番最初に出会い、そして、学修してきたものが仏教なのでした。
そこで分かったことというのは、本来の正しい仏教を指導しているところは皆無であるということ。
そして、それまで仏教側から一方的に与えられてきた偏見の目を捨てて、自分自身で知ろうとしたものがヒンドゥーなのでした。
私は自分の経験上、クリシュナの教え『バガヴァッド・ギーター』、シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』、
ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』、ラーマクリシュナ・ミッションの書籍、
そして、ラマナ・マハルシの教えを学ばない者は“ヒンドゥーを知らない”と見ています。

それから、また別の顔としては、
現在はあまり精力的に活動していないけれども、地震予知における宏観現象の研究についても長い。
今も登録だけはしているが、以前は「日本地震学会」のメーリングリストにて東大地震研の学者たちとも議論を戦わしたりしてきた...。
彼らの思考は硬直化していて柔軟な発想に掛けており、いつも常識に条件付けられている。
彼らが予知を成功できないのは、その方法が間違っているからに過ぎない。
0276宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:16:28.35ID:+DDYyYVy
>>275
つづき...

学修経緯としては、「仏教」→「ヒンドゥー」→「神智学」の順でした。
ヒンドゥーだけで満足できなかった理由としては、
ヒンドゥーというのはどうしてもインド教としての性質のものだということがあった。
しかし、「神智学」はその枠を超えたものであり、更には「宗教」というカテゴリーすらも脱したものでした。
0277宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:36:31.75ID:+DDYyYVy
>>265
おじゃるさん!

 もしも、大乗の系譜上でそんなに完成者が輩出してるのであれば、大乗非仏説も何も関係ないじゃないですか?
それでは、あまりにもオメデタ過ぎるのでは?
 大乗非仏説だと一体、何が問題なのかというと、それはつまり、ゴータマ自らの経験にもとづいて涅槃への道を語られたもの
が後々の経典となったのだとするのならば、その直説に拠らないで後代の弟子たち自分らで勝手に書いただけの大乗経典という
のは涅槃の経験にはもとづいてはいないので、その記述というものは涅槃行きの保証がまったくないのだということ(そこで大乗
の言い訳としては、ゴータマではない別の如来からの通信なんだとするものであったり...)。

 確かに、どの宗教からでもゴールへの道を上ることができると私はいつも公言してきたけれども、それでも宗教の違いによっ
てはそのレベルが異なり、高度でかつ難解なものもあれば、容易でかつ低レベルのものもある。専門少数派向けもあれば万人向
けのものもある。そして、そこで昇れる梯子についても実に様々で多種多様です。早く登れるものもあれば時間を要するものも
ある。安全なものもあれば、脚を踏み外す危険性の高いものもある。そしてまた、登れる梯子の高さそのものが違ったりもし、
それはちゃんとゴールまで真っ直ぐ届いているものもあれば、途中までしか届かないのもある。
 その場合には、他の道へと乗り換えなければならない...。
0278宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:38:40.62ID:+DDYyYVy
 大乗のためにならないのでハッキリといっておくけれども、世に知られている大乗僧侶の中に完成者などは皆無だと思われる。
空海の場合は、自ら“即身成仏の法”を説きつつ、今も高野山奥の院にて瞑想(生存)しながら救済活動を続けられているものと
信じられていることから、確かに、真言僧と信者の多くからは本物の完成者であると見なされている日本僧侶の筆頭であるかも
しれないが、その空海については、神智学が提示する当時の進化段階は最澄と並んで2.0段階というものです(5.0段階で覚者と
いうこと)。
 以前、一代が完成者として名を挙げた後代における仏教者の事例にチベット・カギュ派のミラレパがいましたが、このわたし
から言わせれば、親族を数十人も呪殺した人間が完成者である筈がないし、当然、その生涯で到達できるわけがないのです。何故
なら、その凄まじい報いを来世以降〜において自ら受けなければならないのだから。
 この空中を自在に飛行したと伝えられるミラレパの進化段階は確かに高くて、3.5段階でした。ミラレパの師(マルパ)について
は、ほぼ覚者に近いレベルの4.5段階でした。その他、パドマサムバヴァ3.0段階、カルー・リンポチェが2.35段階、パンチェ
ン・ラマ(第十代)は1.7段階と公表されています。
 それと、現法王のダライ・ラマ14世はこの私も大好きな方なのですが、しかし、これらの進化段階と比較するならば3段階(阿
那含/不還)あたりか、3段階後半かその前後くらいではないかと推察します。スッタニパータを読めばゴータマの持つ驚異的な読
心術の凄さがわかると思いますが、しかし、ダライ・ラマ猊下は相手の意図すら見通すことができなかったのか? オウム麻原と
好意的な謁見をしたことでオウム教団の宣伝に大いに利用されました(信者たちは猊下を観世音菩薩の化身として崇めますが、法
王も普通の人間であってそういうことはない)。
0279宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:39:56.06ID:+DDYyYVy
>>269
だ・か・ら
〜ちゃんと読みましょう!!

 『「識に縁って名色がある」と、このようにすでに説いた。どのように識に縁って名色があるかというこのことは、アーナンダよ、この
ような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入らないとすれば、いったい名色は母胎において凝固するであろうか。
Vin~n~a^nam va hi a^nanda ma^tu kucchiṃ na okkamissatha, api nu kho na^maru^paṃ ma^tukucchismiṃ samucchissatha^ ti
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入ってから消失するとすれば、いったい名色はそのようなものとして現起するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が男児あるいは女児にせよ幼児の時に断たれるとすれば、いったい名色は増大し、成長し、発達するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが名色の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがす
なわち識である。22. Nāmaru^pa-paccaya^ vin~n~a^ṇaṃ「名色に縁って識がある」と、このようにすでに説いた。どのように名色に縁って識
があるかというこのことは、アーナンダよ、このような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が名色のもとに依り処をうることがないとすれば、いったい未来に生老死苦の生起の存在が知られるであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが識の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがすな
わち名色である。
 アーナンダよ、この限りにおいて、あるいは生まれ、あるいは老い、あるいは死に、あるいは逝去し、あるいは生処に達するのであり、
この限りにおいて言葉の通路があり、この限りにおいて語義解釈の通路があり、この限りにおいて定立の通路があり、この限りにおいて
慧の領域があり、この限りにおいて流転を繰り返し、この況位を表すことになる。それはすなわち、名色は識とともに互いに縁って生起
するのである。(ディーガ・ニカーヤ 15, Maha^nida^nasuttanta /PTS vol.2, pp.55-71)』
0280宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:44:45.84ID:+DDYyYVy
 このように、「識」こそが母胎に宿る輪廻主体だと説いたのはゴータマ御自身ですよ。その宮崎氏の述べているサーティの誤解と
いうのは、「識」もまた縁起によって生じているものに過ぎないのに、これを永久不滅のアートマンだと見なしたことに対するゴー
タマからのお叱りのこと。
 正確には“魂=識ではなくて”、「魂」が母胎に流入することで「名色」と結合して「識」が生じるということかもしれないけれど
も、一般的な簡潔的理解としては、識が輪廻主体の魂であるというものです。ゴータマからのサーティへの戒めというのは、“「識」
(アートマンでないもの)をアートマンと見なすことなかれ”ということ。要するに、アートマンと識(魂)とは異なる別モノだという
ことです。

 この問題について、魂(識)もアートマンも混同してゴチャ混ぜで否定するのがテーラワーダであり、そして、この無霊魂思想に飛
びついて賛同してくるのが唯物主義者たちなのだということ。彼らは仏教徒面(日本僧侶も大勢いる)していても、その中身はただの
唯物論者です(テーラワーダは違うが)。この宮崎哲也氏のことについては、評論家やコメンテーターとしては私も好きなんですけれ
ども、ただし、彼は典型的な唯物主義者なのですよ。
 そして、>>244に抜粋再掲しましたが、玄奘三蔵の留学によって確認されたこととして“インド仏教では消滅寸前まで霊魂を認めて
いた”ということからも分かる通り、後代のあなた方テーラワーダ教団が勝手に無霊魂思想を説いているだけなのです。
 日本の曹洞宗においても、宗門は誤解して無霊魂の態度を採っているから、これは早急に正さなければならないというのが、この
曹洞の禅僧たちによる対談内容の主旨です。>>158-162
 まずは、「アートマン」と「霊魂」をトキトウに混同するのは止めましょう。
すべて、あなた方の勉強不足です。
0281宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:45:56.55ID:+DDYyYVy
>>263で述べたように、
>色界第一禅定
>滅尽定は仏教だけ
などとは、自分たちの無知を棚上げしつつ、まったく以てデタラメばかりです。

ヒンドゥー聖者においては近代においても、滅尽定はもちろんのこと、
そしてまた『ディーガ・ニカーヤ』の『沙門果経』(出家の功徳)において説かれるような
一連の驚異的な神通を自在に発揮することできる方が何人も出現しています。
そう〜まさに飛んだリ跳ねたり、消えたり出現したり、物体を通過したり...
といった文字通りの“自在”であり、それこそ何でもできる。
それらは“霊妙な目に見える沙門の果報”(修行達成の証)だとゴータマはこの経で教えているのです。
これについても、具体的に誰がいつどこで何を発揮したかについて(こちらはいつでもできますが)、
是非、そちらテーラワーダでの記録(千年以上の古過ぎる伝説などは辞めて欲しい)の提示を願いますか?

要するに、
結果が出てるということは、その教えが正しいことの証明に他ならない。
結果の出ないものというのは、必ずそのどこかに間違いが生じている証拠です。
ゴータマは、次に出現される如来(仏陀)は弥勒仏であると予言された。
これは、それまでは生ける如来の出現はないということを意味する。
では、何故に如来の出現がないのか?
その答えは簡単明瞭です。間違ったことをしてるから輩出できないに決まってる
0282宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:47:51.05ID:+DDYyYVy
>>272
なるほどね...言い分としては、
まぁ、わかりました。

けれども、
それだと大乗の説く救済活動のために敢えて涅槃に入らないという言い訳と何かダブるような印象を受けますが...
(疑問としては、本当は涅槃に入れるレベルにないことの誤魔化しではないのか?)。

それに...隠そうとしたって?
滅尽定の瞑想状態に入ったのなら側近の高僧(弟子)たちがそれを目の当たりに見てるわけだから、
それを隠そうなどということができるものなのか? 
また、そこまでして必死に隠すようなことなのかどうか?...。
つまりは、要するに情報がないのならぱ信用のできるソースがないということです。
0283神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 05:43:11.33ID:GfCbtrx/
輪廻についてのたとえを思いついた。
色、受、想、行、識、その他もろもろ全てが業として生じては消えていく川の流れのようなもので、
どこにも我や実体は無いのだけども、そこに誰かが竹の籠を投げ込む。この中に入っているものが私だと。
籠の中の水も、外の水も流れて常に変化しているけども、籠は変化せず、上流から下流へと流れていく。
この籠が、「私がある」という思いが、今の生、次の生と、輪廻しながら流れていく。
籠は無明で出来ている。無明が無くなれば籠は消える。
0284神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 05:53:55.47ID:GfCbtrx/
“インド仏教では消滅寸前まで霊魂を認めていた” = 霊魂を認めたのでインド仏教は消滅した。ヒンドゥーとごっちゃになったから。
0285神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 06:02:47.29ID:GfCbtrx/
阿羅漢は滅尽定にも、神通力にも執着しない。どうでもいい。多少欲があっても気にしない。他から見たら普通のオジサン。むしろ変なオジサン。
仏教にも修行にも説法にも興味がない。一休、良寛は完全な阿羅漢。
0286おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 06:30:35.43ID:5byRsmqH
 
>輪廻について

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
瑜伽師地論(ゆがしじろん)

我愛と戯論と善悪業により輪廻を繰り返す

中論 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、心による行為を行う(カルマを積む)

青目(ピンガラ)の中論 觀涅槃品 第二十五

諸の因縁を受けるが故に、生、死の中で輪転する
顛倒を如実に知らないが故に
五陰を受けることに因って、生と死を往来する
0287おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 06:56:17.09ID:5byRsmqH
 
曹洞宗の良寛
臨済宗の一休宗純

(中国経由の)日本の禅宗系も

(中国経由の)日本の天台宗も
仏性を衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性があるとする
一切悉有仏性なので

たとえば
『(縁起している世界も)すべて無である!』という
中観帰謬の?机師匠も

そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもない
という感じらしい

たとえば
円成実性を見ずして依他起性を見ることはできないので
それゆえに

仮設としての
無明に依存しているのなら
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧と慈悲)の実践をした方が良い
という気もするけど…
0288神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 07:17:03.17ID:GfCbtrx/
阿羅漢 + 無明 = 凡夫
阿羅漢 = 仏性
仏性 = 凡夫 ー 無明
智慧 = ー無明
仏性 = 凡夫 + 智慧
0289おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 08:20:11.31ID:5byRsmqH
 
>智慧 = ー無明

無明ではない。という法がある

(円成実性の否定的側面として)
円成実性という『想い』も手放して
勝義無性という『想い』も手放して
そして
無明に依存することのない
仏そのもの
般若の智慧と慈悲

↑こんな感じ?
0290宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 18:00:59.50ID:+DDYyYVy
>>275
>この私の採るスタンスは、
>これまで仏教として信じられてきたことの多くが実は間違いで、実際には違うというもの。
>その真実を知っている者はごく僅かしかいないというものです。

補足:

〜とはいっても、その大部分については
経典(原始経典)をしっかりと読めば書かれてあることばかりです。
現存する仏教教団が間違ったことばかりとなってしまっている根本的理由は、
大乗のように、勝手に書かれた創作経典に依存していたり、
テーラワーダのように経典(原始経典)の記述に(ごく部分的に)従ってないからです。
0291宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 18:21:47.57ID:+DDYyYVy
>>283-284
いやいや、だから...
「霊魂」は「アートマン」ではなくこれも縁起してる存在に過ぎないのだということが理解できず、
霊魂もアートマンも一緒にしてごちゃ混ぜにしてるというテーラワーダの無知が露呈してる結果ですよ。

>>285
執着してないことはいい(こと)。
がしかし、その結果が出てるのかどうか? ですよ。
結果に執着しないことと、
できないこととは意味がまったく異なるからね。

「仏教にも修行にも説法にも興味がない」
→うーん。これでホントにいいのかな?
かなり疑問だな...

「一休、良寛は完全な阿羅漢」
→コレ、評価基準が低いな...。
しかし、一休に対する評価が過剰に高くて脅かされますね。
多くの場合には、俗物の生臭レベルの評価だけれど...。

まっ、とにかく自分の言葉で自分の見解をしっかりと語れる人間だということはよく分かりました
(あなたが、いつものコピー転載やリンク貼りばかりの長老信者だとするならば)。
0292神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 18:53:20.97ID:GfCbtrx/
まぁ輪廻は涅槃に入ってみないと分からないみたいですからね、結局のところ。

一休は27才で大悟徹底ですからね。日本最速じゃないでしょうか。
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」
この句はヤバすぎます。阿羅漢中の阿羅漢にしか吐けない言葉でしょう。
0293ポッタン師
垢版 |
2018/10/07(日) 19:04:39.28ID:j5+dworw
292.釈迦は迷いを、無くすために登場した。迷ったのはバカ一休である。バカには理解できない。大爆笑である。
0294おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 21:55:01.59ID:5byRsmqH
 
>リンク貼りばかりの長老信者だとするなら

(上座部と大乗の世界は違うので)
上座部系を理解した上で肯定して
そして更に
大乗の世界も理解した上で肯定する師匠は
かなり少数のような感じがするので、それゆえに

ID:Fpab4fBX師匠と
ID:GfCbtrx/師匠は別人のような気がするけど、どうなのかしらん?

(『上座部と大乗の世界は相性が悪い場合もある』と言う意味)
  _  _  _

>輪廻は涅槃に入ってみないと分からないみたいです

これも
円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない
般若の智慧と慈悲によって観照された → 依他起性している世界

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする

(たとえば本来自性清浄涅槃などの)
大乗としての世界観を理解できないと

この意味を理解するのは難しい(かもしれない)
0295おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 22:22:13.45ID:5byRsmqH
 
>>294の続き

これも同じことを
何回も書き込みしているけど

たとえば
仮設としての
無明に依存している

おじゃるが

妄想に依存することなく
善悪の判断することなく平等性智をもって

八正道の正見をもって観照することができるのか?

 − これを対処するために −

大乗の場合は
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたってるので
それゆえに

(無明に依存することのない)
仏そのもの
仏性からの真如縁起
般若の智慧と慈悲をもって

八正道の正見をもって → 依他起性している世界を観照する

という大乗としての対機説法
(『上座部系と大乗の世界観は違う』という意味)
0296宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 23:36:06.38ID:+DDYyYVy
>>291
追記:

良寛の進化段階は1.4
つまり、預流(須陀洹)〜一来(斯陀含)レベル
(一休については未確認)

>>292
私の場合には、
別に仏教(出会いは18歳頃)に拠って輪廻を知ったのではない。
それは誰からも教わることなく書籍を読むこともなく、
またTVか何かを見ることもなく、自分自身の思索のみでこのことを理解した。
それは小学に入学する以前の幼少時〜小学低学年の間でのことでした。
座禅のような習慣についても、別に誰からも言われずに小学低学年で自然と行っていた。

自分の頭で理解(考えられない)できない者というのは結局は、
自分で(現象を)体験するまでは分からないとなるのか...。

>大悟
>阿羅漢中の阿羅漢

ある種の一つの禅的な悟りに達するということと、
ゴータマの説いた完全な解脱による涅槃の境地とを混同することなかれ!
コレは極めて“重要”なことです。
0297神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 01:33:54.90ID:Ew9EBtho
>>296
良寛は泥棒に間違われ、生き埋めにされそうになった時、「これもまた因縁」と言って平気な顔をしていたようです。
欲界に未練が無いようですから、不還果以上でしょう。

輪廻を本当に理解するためには、無明を無くし、行を無くし、生老病死を無くす必要があると思いますよ。
これがある時、輪廻がある。これがない時、輪廻が無い。という事が分かって始めて、輪廻を理解したと言えるでしょう。
しかも理論ではなく、実践で確かめてこそです。
野球のバッティング理論でも、頭だけで理解して、実際に打てなかったら意味ないです。

私は禅の悟りとブッダの悟りは同じものだと思いますよ。
インド、中国、日本、人間は皆同じです。
十牛図は四向四果に対応してるんじゃないですかね。
0298宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/08(月) 02:11:09.48ID:cKDvkk3s
>>28
インド仏教消滅の理由として、
一般的によくいわれるのがこのヒンドゥー化が過ぎて吸収消滅したというもの。

けれども、
霊魂を認めてはいても“アートマンは認めない”というのが仏教徒なのであって、
それはインド仏教であろうと、はてまた日本大乗であろうと密教であろうとも同じく一貫したものですよ。
このアートマンを認めないという断固たる姿勢の無我論を貫くことで、
インド仏教はインドの大衆たちから見放された(入信者が絶えた)、というのが真相でしょう。
アートマン否定(無いという意味において)などというものはインドでは支持されることは絶対にない。
もちろん、当時のゴータマもそのように説いたわけではないことは、
今日の近代仏教学の研究によってすでに明らかなこと
(本当の意味での“無我の教え”は違うから)。

>>291
>まっ、とにかく自分の言葉で自分の見解をしっかりと語れる人間だということはよく分かりました
>(あなたが、いつものコピー転載やリンク貼りばかりの長老信者だとするならば)。

追記:

〜にしては、
どうも日本の大乗僧侶を持ち上げ過ぎの感があるが...。
あなたはいつもの、これら>>259>>269のリンク貼りをしてくるスマナサーラ長老信者ですか?
0299宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/08(月) 02:34:21.90ID:cKDvkk3s
>>297
それはそれで確かに凄いことだと評価はしますが、
しかし、生存に対する執着を捨てて死をも恐れず(死を選ぶ)...
という人間は他にもいくらでもいるし、そして、いましたから。
しかしながら、その時の本人の心境状態だけで業が滅ぶというものではないのであって、
当人がそれを望む望まずとは関わらずに作用するのが業力というものです。
業がある内は本人の意志の内容に関わらず、次の母胎へと宿るのが業報輪廻です。
だったら元々、来世を信じない唯物論者というのは物欲さえなければ、もう不還なのですか?
在り得ませんよ。

>私は禅の悟りとブッダの悟りは同じものだと思いますよ。

まったく別ものですよ。
もしも、そうだったならば(日本仏教で/日本の禅宗で)別に何も問題ないじゃないですか...。
実際、話はそんな簡単なものじゃない。

“禅の悟り”と呼ばれる精神態度は仏道(道のり)修行においては大いに役立つということ。
ただ、それだけのことです。

禅の話を知って感銘を受けるのは良いことだとは思うけれども、
ゴータマの説く教え(ニルヴァーナへの道)との違いが分からないというのは、
果たしてどうなのかな?
0300神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 02:39:18.48ID:Ew9EBtho
>>298
ブッダの説いた無我は諸法無我ですよね。
諸法の法は、色声香味触法の法で、意門の対象です。人間が考える物事、概念のことです。
それらに実体が無い。当たり前と言えば当たり前ですが。
だからアートマンであれ、霊魂であれ、思考される全ての「法」には実体は無いです。
なのでアートマンは無いというよりは、アートマンという実体は無い。見ることも聞くこともできない。考えることはできるが。
それについて考える事に何の意味がありますか、苦しみを無くせますか、という事だと思います。毒矢のたとえです。

無明も概念であり、実体は無く、見ることも聞くこともできませんが、無明という概念を利用して、苦しみを無くせます。
無明を理解するという事は真理を理解するという事ですから。

禅にもブッダの教えが残っています。達磨大師も元々テーラワーダでしょうし。大悟徹底、阿羅漢にまで行けば、全ての概念が抜け落ちているはずですから、
小乗だの大乗だのということは関係無くなると思います。捨てるものが無くなるまで捨てる訳ですから。私は通りすがりです。
0301宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/08(月) 03:26:07.15ID:cKDvkk3s
>>300
「捨てるものが無くなるまで捨てる訳ですから」については認めます。
そして、そのあなたの話の大筋には私も同意します。
まっ、良寛・一休レベルはどうかは別にして...。

>私は通りすがりです。

了解しました
(ウ〜ム、やはりそうでしたか...)。
0302神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/09(火) 01:46:22.49ID:K5xvObLt
>>181
> Q1. @あなたは住職ですか? Aそれとも先代が現役なので跡継ぎ(若さん)ですか? 又はその他。
> Q2. 通夜葬儀各年忌法要各種の死者(祖霊)供養の導師(又は時導師や脇導師)は務めますか?
> Q3. @その儀式は遺族や生者の為の? それとも死者当人のため?  その両方の為?
    Aその理由についてもお願いします。
> Q4. 亡くなった家族の死後がどうなるのかについて遺族に訊かれたら、貴方はその時何と説明しますか?

Q1:@ Y。 A先代は6年前に示寂
Q2: Y。 というか、それが主たる業務でしょwww 現代日本仏教では
Q3:@生者の爲でしょ。
   Aイ、(臨床心理学的に)喪失感を受容、納得するため。(の儀礼)
    ロ、(社会学的に)-a、近隣・縁者への通知、或いは代替わりの宣誓・報告
               -b、世間的体裁として。(特に親類縁者が多い・社会的に高い立場にある、など含)
    ハ、(宗教的・文化的或いは情操(教育)面で)
      -a、「死」というものへの接し方(相対し方)の学び・経験
         また、「死」そのものへの理解等
      -b、他者と感情を共有する経験
      -c、社会的に必要な事柄(儀礼)の必要性・世間的位置付けと具体的な取り組み方の学び(確認)

   →仮に(300歩譲って)死後の(別の)生があったとしても、
     当人(死者)にとっては関係ないでしょう?
     その意味で、
     来世や輪廻云々とは全く関係ないところで、葬送儀礼は120%生者の(為の)ものだと思うよ。
     (寧ろ来世があるなら尚更に!)死者にとっては意味がない。
Q4:
  『ものごとが、因により縁により(…御縁・条件」が変わって)移ろい行くものなれば、
  ―それが、新たな生なのか霊としてなのかは分からない(…お釈迦さん以外知りえない)けれども―
  別の在り様へと遷っていった・変わっていった。
  ならば、それがどのような所であるにせよ、その先で安穏でありますように・・ と残された者は祈る。
  それが、葬送儀礼の本義ではなかろうか』
  といった感じか・・。
0303おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/09(火) 04:18:13.16ID:oNOxRoKw
 
>ものごとが、因により縁により(…御縁・条件」が変わって)移ろい行くもの

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンという法がある。と掴もうとしている『想い』も、現れ変化して滅している

仮和合である
色受想行識の五蘊も
地水火風の微細な粒子に分解して、そして
異蘊相続して
また新たなる誕生としての
地水火風の微細な粒子をもって
色受想行識の
仮和合である五蘊も、現れ変化して滅している

 − これを対処するために −

(無明に依存することのない)
般若の智慧と慈悲をもって

八正道の正見による → 解脱智見
  _  _  _

ちなみに
(無明に依存している)おじゃるの場合は
『仮設としての』という意味で、輪廻肯定で おじゃります m(_ _)m
0304おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/09(火) 09:22:20.65ID:oNOxRoKw
 
↓アニメを上座部的に解釈してみる

http://anicobin.ldblog.jp/archives/54253838.html
ソードアート・オンライン

心とは?



ということで↓

http://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
上座部 パオ・セヤドー

智慧と慈悲の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DY/0071/DY00710L019.pdf
大乗 唯識派 ダルマキールティ

光が輝くとき
その輝くこと(照明)を本性とする故
自己自身を照らす
そのように智慧と慈悲も自己を認識する
智慧と慈悲は光の如く
照明することを本性とし
他に依存することなく
自ら輝き現われる

(この後に、中観帰謬 カマラシー ラに論破されるけど、とりあえず)
0305神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/10(水) 00:36:19.99ID:5G89Ggxg
『大般涅槃経』には思想的に重要な問題がいろいろ示されているが、中でも注目すべきものは、入滅の解釈である。
この経典の編纂者たちにとっては、仏陀のような神的存在が普通の人間と同じ死を迎えるというのはあり得ないことであった。
仏陀の入滅には、必ずや特別の理由がなければならない。
そこで、経典は、仏陀に寿命の延長を懇願しなかった アーナンダの過失をあげ、仏陀の教化の因縁が完了したことを悪魔によって告げさせ、
かくして仏陀がみずからの意志で残りの寿命を捨てられた、と説く。
これは、仏陀の入滅が化縁完了による任意捨命であるとする解釈であるが、ここには歴史的存在としての仏陀から、永遠の存在としての仏陀への関心がはっきり示されている。
かかる仏陀観は、後の『無量寿経』や『阿弥陀経』において展開したアミターユス(無量寿)の観念や『法華経』の 「如来寿量品」における久遠仏の思想、
あるいは大乗の同名経典『大般涅槃経』における 如来法身常住の思想につらなるものであり、その思想的意義は大きい。
この点からしても、 『大般涅槃経』は、仏陀の「大いなる死」の歴史的事実に即して、その宗教的真実を明らかにしたものと言うことができるのである。
http://todaibussei.or.jp/ebacknumber/02_01_061.pdf
0306神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/10(水) 00:38:46.55ID:5G89Ggxg
『大般涅槃経』には思想的に重要な問題がいろいろ示されているが、中でも注目すべきものは、入滅の解釈である。
この経典の編纂者たちにとっては、仏陀のような神的存在が普通の人間と同じ死を迎えるというのはあり得ないことであった。
仏陀の入滅には、必ずや特別の理由がなければならない。
そこで、経典は、仏陀に寿命の延長を懇願しなかった アーナンダの過失をあげ、仏陀の教化の因縁が完了したことを悪魔によって告げさせ、
かくして仏陀がみずからの意志で残りの寿命を捨てられた、と説く。
これは、仏陀の入滅が化縁完了による任意捨命であるとする解釈であるが、ここには歴史的存在としての仏陀から、永遠の存在としての仏陀への関心がはっきり示されている。
かかる仏陀観は、後の『無量寿経』や『阿弥陀経』において展開したアミターユス(無量寿)の観念や『法華経』の 「如来寿量品」における久遠仏の思想、
あるいは大乗の同名経典『大般涅槃経』における如来法身常住の思想につらなるものであり、その思想的意義は大きい。
この点からしても、 『大般涅槃経』は、仏陀の「大いなる死」の歴史的事実に即して、その宗教的真実を明らかにしたものと言うことができるのである。
http://todaibussei.or.jp/ebacknumber/02_01_061.pdf
0307おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/10(水) 01:12:29.74ID:4kM/UNz1
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
サーンキヤ
永遠に変化することのない、プルシャ

↑似てる気がする↓

http://todaibussei.or.jp/ebacknumber/02_01_061.pdf
如来法身常住
仏は、仏滅後も永久に常にこの世にいる、久遠常住

大乗の場合は
無住処涅槃
仏そのもの
仏性からの真如縁起なので

永遠に変化することのない、プルシャとは『違う』という感じもするけど、とりあえず?

ちなみに
アートマンは
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない。という意味

↑一応、念のため
0308宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/10(水) 01:38:00.06ID:KrR9hEGB
>>302
ありがとうございました。

解答はまったくの任意であるとして、
質問には、応えてもらえなくても仕方ないものと思っていたし、
そのことで相手を責めようなどとは毛頭、思っていなかったけれども、
さすがはセブンだ。

口(言葉)は多少は悪いところがあるけれど、根は正直で誠意がある。
そして、一貫した見解を保持してその信念も強い...。
まっ、さすがわ私の投稿に付き合ってきた十年来の論敵だけのことはある。
(この前、現れた投稿者なんかは、この私が10年前から投稿を続けてきたとを知るや、
ビックらこいて、とてもそんな奴なんかと付き合ってられるかといった逃げて行った)

で、せっかく解答を頂いたので、
ウーム。さてさてどうしましょうか...。
暫し考えます。
0309宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/10(水) 01:39:29.28ID:KrR9hEGB
>>305-306
私が、いつも述べてきたように、
これら仏典の各シーンに登場する悪魔というのは、ブッダの自分の心理的内的な葛藤表現の象徴や文学表現です。
完成者というものは自分の死期は自分で決めるのです。彼らには“無駄ムダ”というものはないからです。
目的や使命(教えを残したり、弟子の指導などの)を全うしたと自己判断したときにこの世を自ら去るわけです。
マハー・サマーディに入って肉体を放棄する(脱ぎ捨てる)か、或いは、自ら事故を引き起こしたり、病気を呼び込みます。
当然、ゴータマの食中毒による病死も自ら引き寄せたものです。完成者にはカルマによる報いの死というものはないから。
そして、その気になれば、もっと延命ができるというのは事実であって、弟子に対する愛情から弟子たちがそのことを強く望むのであれば、
もう少し残ってあげてもよいという感情もあったということ(別に死を急ぐ必要性もないから)。
ただし、そのことをまったく理解できないアーナンダにやや期待外れ感があって、一気に(一時的な延命の)その気も失せてしまったのです。
個人的には大乗経典の記述にはまったく関心がないが、確かに、これらのできごとが、
大乗の“久遠仏思想”のキッカケの一つとなったということかもしれませんね。
0310宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/12(金) 02:55:19.49ID:MtRcM80z
>>299 >>296 >>291 >>277-278
真言宗開祖の弘法大師空海と、
そして、一部の信者たちから絶大に支持されてる日蓮なんかは、
ほぼ覚者(仏)の扱いであったりもするでしょうが、
それ以外の日本大乗僧侶で完成者(阿羅漢以上)だとして紹介されているものを、この私は見た記憶は皆無です。
各宗門におしても宗祖をそのように述べているものを知らないし、仏教解説書の類にもそんな紹介はないでしょう。
あくまでも全員が弟子というとなのであって、修行者の一人に過ぎないわけだから。
0311神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/12(金) 05:04:06.80ID:Bho5Id7l
仏法は書物の中にも、頭の中にも無く、心の中にあります。
無明に覆われていると分からないのです。
0312湖北鈴屋外道「野狐」 屁ッコキマンペ 統失ヒッキー糞雀鬼ィ自我肥大痔がヒデェー
垢版 |
2018/10/12(金) 22:04:09.82ID:aFTmOBBK
問う、門前の痩せ犬にも仏性有りや、答える、有。
又、問う人あり、門前の痩せ犬にも仏性有りや、答える、無。

>公案が進んで無くよくわからないのです、by無頭が故の無脳糞邪鬼

問う、両手で打てば音がする、片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい。

まず初関を透れ。自求(じぐ)自己をこそ取り扱え。

眼は外を見るが、オマイの内側に在るそれは赤肉団上を真人が出入りす、会すや。
糞邪鬼は月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証
命取りの摂心に親子で家族で100回参加と虚飾。
もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ。

5ちゃんねるの会話はバトル形式、馴れ合いを禁じる。
ググるシッタカ糞邪鬼は、褒めてクレヨの哀願奴隷。
相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞邪鬼へのリアル社会の絶対評価です。
糞邪鬼は「暴れさせて、ゴミがたまったら透明あぼ〜んが適切で決してレスしない事。

 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らし粘着糞邪鬼は無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。
 ||  荒らし糞邪鬼は常に誰かの反応レスを待ち焦がれます。
 || ○荒らし糞邪鬼は、自己の内側、佛心が観ず。
 ||  荒らし糞邪鬼は常に無視され自己存在の確認要求します。
 || ○荒らし糞邪鬼は問いに問いで返す脊髄反射のパープリンです。
 ||  荒らし糞邪鬼は悟前(ごぜん)、金魚ドジョウと救い難い。
 || ○荒らし粘着糞邪鬼の重複スレには誘導リンクを貼って放置プレイ透明アボーンが一番。
 ||  ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。
 || ○放置された荒らし糞邪鬼は煽りや自作自演でアナタのレスを誘います。
 ||  荒らし糞邪鬼にノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
 || ○反撃は荒らし糞邪鬼の滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
 ||  荒らし糞邪鬼につけ入るエサを与えない
 || ○荒らし糞邪鬼が枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除です。
 ||                                                 ||
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
0313宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/13(土) 01:39:49.94ID:MlSS8k/P
数日前、
不動尊霊場札所の僧侶との対話で頂いた不動尊祭祀に関するアドバイスの一つで、
不動尊へは“榊を供えなさい”というものがありました。
また、参拝礼拝についてはなんと“柏手”も宜しいというものでした。
なるほど...
どおりで春に新勝寺へと行ったときに
参拝者の多くが柏手を打っていたのに驚かされたのでしたが(「ここは神社ではないぞぉ!」と)、
不動尊寺院では敢えて、そういう礼拝も在りなのだということを今回は知らされました。

もしも、
日本人にとっての最高の礼を尽くした祭祀の在り方が神道式なのだとすれば、
不動尊に対しても、その真心を以て示すということは大いに在りだということなのかな?
元々、日本では神仏習合の時代の方が遥かに永かったともいい、特に仏らしからぬ姿である不動尊においては、
より神道的な神仏習合のお祀りはとても良く似合うというのは確かに事実かもしれない(私も自宅ではそのようにしている)。
不動尊巡礼にて、実際に自分の目で見て回ってきた感想としても、尊像の前へと置かれた「神鏡」や尊像上部へ掲げられた「注連縄」。
それから境内に神社同様の鳥居が設置されていたりと、もろ神道祭祀の様相を呈している寺院が随分と見られた。

すでに日付が変わりましたが、
13日(土)は成田山札幌別院の新栄寺にて、
北海道での三十六不動尊霊場開創三十周年記念の大法要があり、
私も家族と一緒に参拝参加してきます。
この日は護摩法要のみならず、「大般若経転読会」が厳かに行われます。
これまでテレビでしか見たことのなかった転読大法要が目前で繰り拡がれます。
そして、なんとこの模様がYouTubeでライブ配信されます。
乞う御期待!!

美しい景観と雄大な自然につつまれた北海道三十六不動尊霊場巡拝の旅
---開創三十周年記念大法要---
(30周年記念法要 YouTubeライブ配信 10月13日 14:00〜16:00)
【北海道三十六不動尊霊場】
http://www.36fudou.jp/index.html
0314おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/13(土) 03:37:09.99ID:8QHjTWvk
 
>不動尊へは“榊を供えなさい”というものがありました

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする
宗教なので、それゆえに

日本土着の神祇信仰(神道)と
仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された
神仏習合

…神祇信仰と習合しやすい呪術的要素を持ちながら
国家護持や普遍性・抽象性を備えた教説として
諸国神宮寺の心を捉えたのが空海…

http://www.sightsinfo.com/koyasan/mikkyou_1.html
後期大乗密教

仏教はヒンドゥー教に対抗して信者を獲得するため
(ヒンドゥー(バラモン)、ゾロアスター(拝火教)、その他諸々などの)
土着の信仰も取り入れ
呪術や儀礼も強調するようになりました

不動明王
ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン

地蔵菩薩
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ

普礼真言
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン・サラバ・タターギャタ・ハンナ・マンナ・ナウ・キャロミ m(_ _)m
0315おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/10/14(日) 00:08:19.29ID:7jF2Ut/G
 
おじゃるの場合は
「仮設としての」という意味で
幽霊肯定だけど

それでも、とりあえず

↓テレビ局のヤラセか?インチキ霊能力者か?
https://www.youtube.com/watch?v=OKvAKI3oKfQ
0316神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 09:42:31.96ID:2aXGJlQ0
良寛や一休は神通力を発揮できないので覚者ではない
0317宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/14(日) 10:58:19.78ID:pLnsG5GQ
>>313
>13日(土)は成田山札幌別院の新栄寺にて、
>北海道での三十六不動尊霊場開創三十周年記念の大法要があり、
>私も家族と一緒に参拝参加してきます。
>この日は護摩法要のみならず、「大般若経転読会」が厳かに行われます。

先日、お会いした僧侶と、
それから普段から菩提寺での大祭護摩法要など
で助法参加に来られている僧侶三名などとも暫し楽しく対話ができました。
祈念大法要とイベントは素晴らしいものでしたが、
私自身は、不覚にも前日からの睡眠不足にて終始、睡魔に襲われてしまった...。
それから素人感覚としては、転読というものとは起立した姿勢の僧侶複数が
ピタリと息を合わせて見事に経本を流しめくるものと思っていたので、
護摩の最中に内陣を囲んで座っている僧侶たちが、しかも個々でただバラバラに経本を流しめくっていたので、
見ていた印象としてはアレッ?という感じで、かなりガッカリものでした。
割とこんなもんですかね?

ライブ中継は
(携帯から確認したので稼働してることは分かりましたが)、
これはあとで動画としてアップされて見られるようになるのかな?
0318宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/14(日) 11:00:24.67ID:pLnsG5GQ
>>315
これについても私は、
当時はリアルでTV番組を見ています(特番や特筆ものはなるべく逃さないようにしてきた...)
コレ、30年位前の放送なのかな?

幾つかの心霊超常現象の体験があるし、また若い頃から、
一部の能力者の著作なんかや心霊科学による解説著などを読んできたということもあり、
これらのすべてを理論値でごく普通に理解してるつもりなので、別に何一つとして“不思議だ”
と驚かされるものはこの私にはない。ただ能力者個人のその能力差と人格や人柄の違いがあるということが大きい。

これらの心霊に関する憑依や霊障を氷解至らしめることが十分に可能な宗派は、
ほぼ台密と真言宗だけだといってもいいと思う。たとえ霊に対する正確な理解が不足していても、
時に大きな効果が期待できるのが密教僧侶による供養修法です。
そのための仏教よりも古く数千年と継承され続けてきた呪法伝統なのだから、当然のことです。
(その他、各宗においても基本的に僧侶による慰霊供養の行為には障りを鎮める効果は有る程度ある)
あとは、神道系の能力者と、個々の霊能力者たちに頼らざる得ないかもしれない...。

>>316
まったく同意。
0319宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/14(日) 11:27:51.78ID:pLnsG5GQ
追記:

実際に霊視能力があり、
直接その霊存在を確認しながら対処できる僧侶が比較的多くいるのが密教
(また例え、霊視能力がその僧侶にはなくても一定の効力を発揮できるのが密教です)。
>>183を参照のこと

その他の宗派にも、
個人的に能力も持つという僧侶も中にはいるけれども割合的には圧倒的に少ない。
そして、唯物論化してる僧侶や無霊魂論で洗脳されてるテーラワーダ僧侶なんかに
霊障苦悩について相談したところで救済されることはない。
“無知”は罪。そして、愚かだということ。
0320宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/14(日) 12:34:04.26ID:pLnsG5GQ
>>313
>美しい景観と雄大な自然につつまれた北海道三十六不動尊霊場巡拝の旅
>---開創三十周年記念大法要---
>(30周年記念法要 YouTubeライブ配信 10月13日 14:00〜16:00)
>【北海道三十六不動尊霊場】
>http://www.36fudou.jp/index.html

〜6:12  映像タテ撮りミス
 1:15:58〜転読開始(護摩の炎が上がる少し前か?)

*私、宝珠(ワインカラーのシャツ)の映り込みシーンあり!!
私の左側(黒地に白線チェックのシャツ)は妻
 15:13〜15:45
 16:37〜18:01(17:54-左横顔あり)
 1:16:14〜1:16:46
 1:18:33〜1:18:35 (最大アップ)
 2:18:40〜2:18:50 太鼓演舞(階段での立ち見姿が一瞬だけ)
https://www.youtube.com/watch?v=6DxHBQFrLCM
0321神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 13:02:14.03ID:73mnyNyy
>>316
堅固経に、神通力は恥だ、避けよと説かれている。
サーリプッタ尊者に神通力は無かったらしい。
神通力の修行と解脱する為の修行は別。
0322おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 20:34:09.56ID:7jF2Ut/G
 
おじゃるの場合は
上座部系の
菩提分法の
四神足の
(平等性智による、智慧と慈悲による)神通力の肯定だけど

たとえば(中国経由の)日本の禅宗系とかの場合は

そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもないはずである

たとえ、自らの仏法の理解を誇ったり、悟りを多く重ねたと自負し
僅かな智慧と通力をもって仏道を得た、心を明らめたといって有頂天になって騒いでみても
それはほとんど自らの解脱の道をふさいでしまっているのに等しい
  _

ベトナム出身の禅僧の
ティク・ナット・ハン場合は
マインドフルネスの普及活動を行なっていたので
たぶん上座部系の四神足(神通力)も肯定だと思う
0323神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 20:55:42.88ID:gWB5v8Nc
このスレの住人なら、勿論見たよな?w
https://www.nhk.or.jp/aibeginner/01/airchive.html?02
Eテレ初回放送日時:2017年10月13日(金)午後10時00分 第2回「感じる」

強いて選ぶ一言。 「身体(感覚)無しに、知能なぞあり得るのか?」

重いフレーズだねぇ・・・。

勿論、番組中の扱いは、≪人間の(赤子から大人への)成長過程に於いての学習≫についての台詞だけれども、
それは、実践・体験無しに「お悟り(智慧)」はあり得るのか?
という問いと同じなわけで・・。
番組中でも、「(ガラスケースの中で)脳だけで生存している生命があったとして、その知識は、果たして本物か?」
という台詞として俎上にあがってもいたけれど。

(余談:ゲストは為末だったけど、最適なゲストだったと思われる)


http://www4.nhk.or.jp/aibeginner/
https://www.nhk.or.jp/aibeginner/01/index.html#sec-archives
0324神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 20:59:51.00ID:gWB5v8Nc
で、この一点で、袴谷松本路線は瓦解してしまうわけで・・・。
0325おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 21:02:48.28ID:7jF2Ut/G
 
>神通力の修行と解脱する為の修行は別

おじゃるの場合は
呼吸を3秒も観ることも出来ないので

『四神足(神通力)と涅槃と関係がある』とは断定できないけど
多分『四神足(神通力)と涅槃と関係がある』という感じもする

↓大乗の世界観による説明として

仏そのもの
仏性からの真如縁起

これが
菩提分法の
四神足(神通力)の
般若の智慧と慈悲をもって → 依他起性している世界を観照する

平等性智もって → 世界を見る

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
四神足(神通力)の、智慧と慈悲をもって
無の世界も超えて
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている

(たぶん↑これが大乗の世界観)
0326ポッタン師
垢版 |
2018/10/14(日) 21:22:58.25ID:x0vtoEWv
325.馬鹿丸出し、である。
0327おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 22:19:23.50ID:7jF2Ut/G
 
おじゃるは貧乏でテレビがないので↓とりあえず

第2回「感じる」 人間ってナンだ?超AI入門 NHK
https://www.youtube.com/watch?v=annGFV6yMkI

元陸上競技選手 為末大
「(人間は)自分を知らない生物である」

お笑いタレント 徳井義実
「(人間は)データの集まり + αである」
  _  _  _

↓おじゃる妄想の場合は、輪廻肯定なので

無始からの無明を持って(輪廻を繰り返して)
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習をもって

無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、そして心による行為を行う(カルマを積む)

渇愛が生じると誤ったあり方を掴んで離さない固執も生じる

遍計所執性
我癡・我見・我慢・我愛
貪・瞋・痴
0328おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 22:39:00.31ID:7jF2Ut/G
 
セブン僧侶は
「如来蔵思想は仏教ではない」という
松本史朗の肯定派なのかと思ったけど

>この一点で、袴谷松本路線は瓦解してしまうわけで…

大乗の立場としての対機説法としては
(セブン僧侶も?)
とりあえず
如来蔵?真如縁起の肯定派ということで良いのかしらん?

(「仏そのものからの縁起もあるからこそ成仏する」というような対機説法として)
0329承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/14(日) 23:10:29.42ID:y5Ep86+N
>>323
>脳だけで〜果たして本物か?

本物に決まってんだろ。(笑)
水槽から出して人体に移植したら、その瞬間から本物になるとでも言うのかよ。(笑)

(^。^)但是一心作だろ。(笑)
0330承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/14(日) 23:24:40.32ID:y5Ep86+N
>>327
「輪廻肯定派なので」

仏教内で「輪廻否定」ってのは「生まれ変わり」の否定であってサンサーラの概念自体を否定してる訳じゃないとおもうよ。
要は解釈の違い。

(^。^)一切が縁起して仮設してるんだから、個人の魂が謎の「輪廻」システムで人体から人体に必ず憑依し続けるなんてのは仏教的にはおかしいよね、って話でしょ?(笑)
0332ポッタン師
垢版 |
2018/10/14(日) 23:33:32.87ID:x0vtoEWv
327.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0333神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:42:31.94ID:gWB5v8Nc
>>329
そうじゃなくてw

(身体的)感受無しに経験はないだろ?と。

湧き水の冷たさを、≪【文字(≒知識)から】【『知る』(実感する・頷く)】ことができるのか?≫ という話。

らしくない愚かさだな  >>しょきょたんたん
0334神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:43:51.73ID:gWB5v8Nc
つか、あのセリフは、番組見てないと(→文脈を把握してないと)わからんかもしれんけどw

それは、
文脈読めなかったら仏典を読めないのと同じかも。
0335神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:48:33.20ID:gWB5v8Nc
>>329
もう一つ言えば、それ(329)は、
「来て見よ」と言われる涅槃も、「【来なくても】見れる」、と言ってるようなもんだw
0336神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:51:09.68ID:73mnyNyy
まず前提がおかしい。
人間から脳だけ取り出してはいけません。
0337承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/14(日) 23:51:49.15ID:y5Ep86+N
>>333
五蘊具足せざれども、唯、識を以て成仏を説く連中もいるだろ。(笑)


(^。^)1足す1を知るのに感覚器や対象が必要か?って話よ。(笑)
0339神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:54:03.72ID:gWB5v8Nc
>>337
なるほどw

身体と心は別だと。心だけですべてが成立する、と。
そういうことで宜しいか?www
0340神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:56:18.52ID:gWB5v8Nc
>>337
感覚器(≒身体?四蘊?)無しに、何が存在し得るのか?と。
勿論、宝珠や在家やカラスやその他は、そっちだろぷけどなwwwwwww
0341神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 00:02:51.91ID:SbM48jjJ
地でも水でもなく 火でも空気でも虚空でもない
感覚器官でもなければ これらすべての集合体でもない
これらは移ろいやすく はかないものだが
自己は 熟睡状態によって証明されるように不変である
私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの
ただそれだけが 存在する


自己は遍在し 真理と一体であり 他に依らない
実体のない現象界はすべて自己ではない
私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの
ただそれだけが 存在する
0342承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 00:05:26.13ID:0H6kwMxX
>>336
(^。^)頭部移植手術しちゃう時代だかな。(笑)

>>340
まぁ、どちらかと言えば俺もオカルティスト側だから。(笑)

「空中ないし無意識界」の一文を俺は単純にそうした区別なく縁起しているものと捉えてるくらいだから。(笑)
0343神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 00:06:25.68ID:byHRJhh4
だからw
身体無しに、何が経験・学習(体得)・実感できるのか?という話。 >>341


 ┐(´ー‘)┌  



寝る ノシ   了解w>>342
0344おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 00:19:02.43ID:hlOvjCLB
 
>身体と心は別

という説明も、ちょっとどうなのか?という感じもするけど

↓瑜伽(ヨーガ)の実践をもって唯識の体験を得て教理にまとめて

仮設としての
心(識)は仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする
  _  _  _

「最終的には」というよりも
大乗の場合は
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
それゆえに?

↓法界体性智(大日如来の智)

大円鏡智からの → 阿頼耶識
平等性智からの → 末那識
妙観察智からの → 第六意識
成所作智からの → 前五識
0345神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 00:40:10.79ID:qk0BDftI
いわゆる「こころ」とは、体験による「信号入力」と、その蓄積・・・即ち、ニューロンによる
コード化による保存(一般にいう記憶)に基づく情報処理の過程のこと。

つまり、入力機関が完全に封鎖されている脳には、情報の蓄積がゼロなわけで、
認識、判断、思考等の精神作用は不可能。

赤ん坊に則して言えば、感覚器官の形成以前には、いわゆる「こころ」と言われる
精神作用はないと思われますね。
0346承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 00:43:36.99ID:0H6kwMxX
オジャルさん用にチョイとまとめ。(笑)
「感覚器無しに体験など出来ない」というのは、一つの現象だけ見て
対象➡感覚器➡認識➡対応➡一連を概念的に把握
と時系列から判断したものだが、
此に対して概念的に把握した認識群から更に着想する、想起することもあるし、それにより起きる対応もあるとした訳だ。
しかし、この対応も先の時系列の中でしかないから、過去の経験が全く無いなら起きないと言える。
故に「感覚器無しに体験など無い」とも言える。
物理科学を基本にすればね。(笑)
我らオカルティストは、物理法則外の何物かを想定してるから、それでもあるという訳だ。(笑)

(^。^)おかわりか?(笑)
0347おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 00:51:31.07ID:hlOvjCLB
 
オカルティスト側

隠されたものを語源とする
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する
オカルト(occult)は、秘学・神秘的なこと・超自然的なもの

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする
宗教(religion)

暗黒物質(dark matter ダークマター)
ダークエネルギー(dark energy 暗黒エネルギー)仮説上のもの

量子力学(quantum mechanics)
ニュートン力学などで成り立っていたような因果律が成り立たない
実在論としては記述できず、非実在論的である

科学崇拝
科学"だけ"でなしうるとする信仰である

カトリック司祭、ジョルジュ=アンリ・ルメートル、膨張宇宙論を提唱

【ガチ科学】人間の意識は宇宙法則とリンクしていた
https://tocana.jp/2017/01/post_12093_entry.html

【ガチ】科学者が本気で議論「宇宙には原意識クラウドが存在し、人間も接続されてる」
https://tocana.jp/2017/07/post_13673_entry.html

そして、おじゃる妄想 『(落武者の)幽霊もいる!』
0348承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 01:02:01.92ID:0H6kwMxX
>>347
ダークマターやダークエナジーは、科学的データを基に数学的に導きだされた論理的に存在するべきもので、オカルトじゃないよ。
そして唯識が外道でないなら、その対極の唯物もまた法です。(笑)

(^。^)全てはね、全部ひっくるめて全てなんだ。(笑)

世の中には様々な立ち位置があって、全てが縁起してんだ。
あんたはあんたが安心出来る立ち位置に立つってだけ。(笑)

おしまい。(笑)
0349おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 01:11:26.12ID:hlOvjCLB
 
>我らオカルティストは、物理法則外の何物かを想定してる

ふむふむ =^・ ・^= にゃるほろ

3.0のpodcast法話の場合は

無明薫習している世界の中においての過去からの相続と

仏そのものの世界と

二重構造になっている

という感じの対機説法になっちょります

おじゃるは
仮設としての
自分の呼吸を 3秒も観ることも出来ないので
それゆえに
解脱智見という体験もないので、わからないけど、とりあえず

『円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない』

みたいな感じで おじゃりますな?
0350おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 01:47:54.25ID:hlOvjCLB
 
>その対極の唯物もまた法です

仮設としての
縁起している世界の中において
縁起に依存して

たとえば
霊的(精神)世界を中心としている
宝珠殿とかの場合は
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンという絶対的な法がある
  _

唯物論とかの場合は
「唯物論こそが真理である」という法もある
  _

霊的(精神)世界を中心としている立場と
唯物論は相性が悪くて対立する場合もあるけど

縁起している世界の中においては

>全部ひっくるめて…全てが縁起してんだ

縁起一代阿闍梨と同じような感じになりましたね?

(縁起一代阿闍梨も
  無明依存の縁起については詳しく説明してたかもしれないけど
  真如縁起については詳しく説明しなかったような気がする…)
0351宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/15(月) 12:21:51.14ID:+Jv5CU7g
>>321
それは神通力を、
客寄せのための見世物や売り物にしてはならない、
という意味ではないでしょうかね。

もしもそうでなしに、
本当にただ神通力を持っていることや発揮することを恥だなどと考えているとするのならば、
それは自分が神通力の無いことに対する相手への嫉妬ではないか、とも思えてしまう...。

まず第一に、
“物質(界)を自在にコントロールする能力”すらも獲得してないのであれば、
とても完成者であるなどとは到底、思えません。
であるから、ある意味で阿羅漢というものは上座部(パーリ聖典)の低き悟りだとした大乗の見方は、
結果論的には正しかったともいえるものと思う。
いくらゴータマの直指導を受け、また素質が堅く優れた人材が多く集結したものとしても、
阿羅漢の輩出し過ぎでしょう。五百羅漢が過剰表現の神格化だとしてもです。
ということで、上座部のいう完成者の阿羅漢というのは、
ブッダと同格同質の境地とはとても思えないということ。
正直、ブッダよりも一歩も二歩も低き境地です。
だから、ゴータマの次の仏陀の出現は弥勒まではないといわれるのです。

とはいえ...
取りあえず「阿羅漢」というものは、神通無しも在り得るということで、
どなたか“戒定慧の三学と解脱の関係”について説明出来る方は、
何卒、宜しくお願いします。
0352宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/15(月) 12:23:29.23ID:+Jv5CU7g
>>333 >>340
神智学の理解では、
ある段階に達したイニシエートの弟子というものは、
睡眠中において肉体を抜け出したアストラル体にて経験学修を得て肉体へと戻って来るものとみています。
これは肉体が在ってのことだけれども、
しかし、肉体には拠らない経験学修をしてくるという意味では考慮の余地がある話です。
チベットの高僧においても、睡眠中や瞑想におけるアストラル体上での経験学修はごく当たり前の話なのです。
中には、地球すらも脱して外宇宙の旅をして帰って来る僧侶すらもいます
(剛力ちゃんの彼氏ZOZO前澤社長の説く宇宙旅行の必要なしに...)。
これが単なる空想話ではないというのは、そのアストラル体での経験内容はすべて事実と合致するものであり、
肉体的には未経験の事柄の筈であってもその獲得経験は自分のものとなっていることからみても、
デタラメなどではないということなのです。

それから脳神経科学の理解というのは未熟であり、間違ったものであって、
それは、それまでは脳と神経組織の活動ですべての臨死体験を説明できるとした脳科学者が、
なんと自分自身が瀕死の状態に陥った究極の臨死体験をしてしまったのです。
彼は、この時の手術の全記録を動画付きで残していたので、
自分の状態が完全なる脳死状態の期間(医学上の死)を持つことを認めています。
しかし、その間においても意識は活動し続けていたのであり、
そして、肉体とはまったく異なるところ(霊的な状態)で経験を獲得したのです。
彼はこの不思議な体験を通して、それまでの唯物論の間違いを認めるようになり、
死後の世界と霊は実在するものだと講演して歩くようになりました。
このように、
それまでの脳神経科学の理論や唯物論の間違いを認めて霊界を信じるようになった、
という科学者は世界中に何人でもいます。
しかし、その逆である霊界を信じていた者が唯物論を説く科学者となった、
という事例は一つもありません。
0353神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 13:29:55.63ID:0EyNIxov
参考までに。
臨済義玄は臨済録の中で、六門の空相を観る事が真の神通であり、
いわゆる六神通は呪術のようなものだと軽視しています。
すなわち解脱にこそ価値があるのであって、神通は有為、業をつくるものであるから価値は無いと見ている訳です。
ただ漏尽通によって解脱できる訳ですから、解脱の為の神通には価値があるでしょう。
禅宗は神通力によってではなく、八正道によって解脱を目指す立場でしょう。

また阿羅漢果に至れば、もう存在としては捉えられなくなる訳です。
自分に対しても、世界に対しても、全く心が動かなくなっているはずです。
そうなれば、神通力にも、ブッダにも、三界の全てに対して、意味も価値も感じないでしょう。
そのような阿羅漢にとっては、「完成」「境地」「悟り」などは存在すらしてないはずです。
ですから生命としては阿羅漢で終わりです。
0354神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 17:04:06.46ID:byHRJhh4
>>352>>342もだけどw)

>>335というレスも入れてあるのに、全員、ここを無視してるもんなぁ・・w
敢えてなのか、ほんとに気付かんのかしらんけど。

「修行や瞑想(坐禅)の必要がない」ってこととイコールなんだけどね・・・。 >>「感覚(器)無しの悟り」
ポテチほうばりながらスマホで仏典読んでたら悟れる仏教なら、
そんな楽な話はねーよ(泣w
0355承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 18:45:37.46ID:ZvtuUjAi
>>354

独覚さんって修行や瞑想(別物とは知らなんだ(笑))するんですかね?(笑)
聲聞さんは修行しなきゃダメなんですかね?(笑)

(^。^)そもそも「修行してる私」なんて意識してるなら、アータまだまだなんじゃないですかね?(笑)
0356神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 19:22:18.69ID:byHRJhh4
>>355
お前さんこそ、「修行」という単語に縛られてんじゃねーかwww

「脳味噌に情報流し込めば悟りだ」という言い方を許容するかどうか、って話なのに。
Eテレの番組は、殆どオンデマンドにならないから何だけれど、実際に視聴してから文句言え!
と言いたいくらい。
あれ、AIが人間に近づくとはどういうことかという番組だから。

ま、それを抜きにしても、 『文字を追えばすべてを知る(→自らの体験とする)ことができる』 というのがオカルティストなんだ。
初めて知ったわw
0357承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 19:32:13.30ID:ZvtuUjAi
>>356
いやいや、(笑)
文字読むのも無しで、って話ですよね、独覚さんって。(笑)
で、多分大抵のオカルティストはそうだと思うけど、
AI がいくら進んで、量子コンピューターとか出来たとしても、魂は宿らないと考えてますよ。(笑)
もっと言えば脳髄作用だけでも魂は宿らない。(笑)

(^。^)どれだけ経典読んでもそれだけでは単なる情報入力だけ、ってのはここの連中でも知ってる事ですよね。(笑)
0359神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 20:37:50.54ID:2Kwcu8Ai
モッガラーナってサンジャヤ聖人に弟子入りしたときには既に神通力を使えたんじゃなかったかなあ!?
相棒の舎利弗はアッサジとあって縁起についての概略を教えてもらったときに預流の悟りに達したというがモッガラーナも悟りのレベルでは同じだと思う
つまり釈迦教団に弟子入りした時点ではまだ預流でそのからたちまちに二人とも阿羅漢になったのだろうがモッガラーナは預流以前の段階で神通力を使え
一方の舎利弗は阿羅漢に達しても神通力を使えなかったと

仏教の覚者レベルと神通力は関係ないのではないか?
0361承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 21:05:30.74ID:ZvtuUjAi
>>358
長くなるし、スレの主旨からも外れるので、てすスレにまとめて書くことにします。

(^。^)まぁ、忙しいだろうから見なくても良いよ。(笑)のし
0362神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 22:41:56.45ID:byHRJhh4
>>361
要らない。(つーかそんなスレ知らんし)どうせたぶん、永遠に納得しないからwww
AIの魂なんてどうでもいいw
『知る』(「学習する、身に付く」)までに、どういうプロセスが必要か、ということ。
(赤子が世間を学習するのと一緒。もし、感覚器官が不要なら、赤ん坊をガラスケースで育てたらいい。
或いは、外国語及び外国の文化・物品、慣習等を知るのに、言葉だけでどこまで正確性―というか、
”そのもの”に迫れるか―を保持できるか。 禅の言う冷暖自知も愚かな四字熟語だw
或いは、運転上手ければ、初めてでも(―同乗したことがあったら×w―)大型バスやトレーラーを
自在に運転できるかどうか、とか。まさに身体感覚の延長の車体(サイズ)感覚・操作感覚なわけで・・。)


ああ、そうか・・。 仏教にアスリート的要素があるかないか、という見解の相違か・・・。
だったら、余計に平行線だな・・。

あれ? (禅は別としても)
密教こそ、身体を使って上のステージへと上げていく行法に特化した宗派だと思ってたが違ったか・・。
0363神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 23:04:22.54ID:SbM48jjJ
階級制度でも人生規範でもなく 慣習でも法でもない
集中 瞑想 ヨガ その他の修行のどれも必要ない
「私が」「私の」という観念は自己でないものから生じる
その誤りは捨て去るべきである
私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの
ただそれだけが 存在する


母でも父でもなく 神々でも世界でもない
ヴェーダ聖典でも供儀でもなく 聖地でもない
自己は熟睡状態でも存在し 無ではない
私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの
ただそれだけが 存在する


教師も聖典も存在しない 生徒も教えも存在しない
あなたも私も存在しない この経験世界は存在しない
真の自己の悟りに差別性はない
私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの
ただそれだけが 存在する
0364おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 23:59:21.72ID:hlOvjCLB
 
>密教こそ、身体を使って上のステージへと上げていく行法に特化した宗派だと思ってたが違ったか

おじゃるも、そう思っちょります
(実践したことないけど)

http://www.tenkouji.jp/about/te-mixtukyou/
臼杵山 真言宗 天光寺

大日如来は
成道以前の釈尊すなわち全ての目的を達成する菩薩となってこの世に現れました
この菩薩は
苦行の果てに「一切に如来」から、悟りに至る真実の修行方法です
  _  _  _

  _  _  _

ところで何で↓動画を見ないのだろうか?ということで、もう一度

人間ってナンだ超AI入門 第2回 感じる
https://www.youtube.com/watch?v=annGFV6yMkI

↑動画を見ないと、セブン僧侶が何を主張しているのか?意味がわからないと思う

(↑仏教的というよりも世俗的なことで おじゃります)
0365おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/16(火) 00:33:48.22ID:KEwOv5bh
 
釈迦
出家
バッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察する
アーラーラ・カーラーマ(無所有処定)
ウッダカラーマ・プッタ(非想非非想処定)

この体験・経験を
「無駄なものである」とするのか?
或いは
「この体験・経験があったからこそ」とするのか?

仮設としての
色受想行識の仮和合である五蘊

http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗 内山興正 思い手放し

坐禅中の心構えを一口にいうならば
坐禅の姿を
骨組と筋肉でねらい

>身体を使って

そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません

http://pao.hamazo.tv/c601110.html
パオ森林僧院における修行の進め方

>身体を使って

呼吸に30分〜1時間、集中する(気づく)ことを継続します
0366ポッタン師
垢版 |
2018/10/16(火) 01:01:23.46ID:O/GMuTjs
365.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0368神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/16(火) 21:59:50.95ID:dq5IFT71
宝珠も真面目でイイ奴なんだが、カラスを称賛してる時点で、
(少なくとも『仏法』として)何も見えてないと言わざるを得んわけでね・・・。
0369
垢版 |
2018/10/16(火) 22:25:17.09ID:dq5IFT71
余談:
彼らのは、『仏法』ではなくて『神法』。

仮に、百歩譲って、(大いなる意志としての)『この世の理としての法』があったとしても、
≪【その「軛」から】【離れ得た】のがお釈迦さんである≫、と私は信じるものである。
0370おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/17(水) 02:29:26.38ID:dHEHAeNN
 
カラスっていうコテの人と対話したことないので詳しいことは、わからないけど
仏教が云うところの「仮設としての」という意味を理解してないので

現れ変化して滅している。ということも

地水火風の微細な粒子に分解していく
上座部系の四界分別観。ということも、そして

上座部系よりも、更に理解するのが難しい
中観帰謬としての大乗も理解してない。という感じもする
(おじゃるも理解してないけど…)

たとえば中観帰謬の場合なら
>ただそれだけが 存在する
と掴もうとしている『想い』も手放していく

何故か?

青目(ピンガラ)の中論 觀如來品 第二十二
(仮設としての
  無明に依存しているのなら)
人は戯論を生じる
戯論して慧眼を破れば
是の人達は
皆、仏を見ることはない

汝の言う『ただそれだけが 存在する』も、(無明に依存して)分別されている
(↑中観帰謬の場合)
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
0371神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/17(水) 02:39:16.95ID:Z6KoqnLF
肉体やマインドは仮設ではない幻影(マーヤ)である
0372おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/17(水) 04:27:02.68ID:dHEHAeNN
マーヤー

仮設としての
縁起している

空性に依存している

たとえば
地水火風の微細な粒子とかに依存している
(色受想行識の五蘊の仮和合に依存している)
(遍計所執性に依存している)

マーヤー(幻影)

それゆえに実有ではない

縁起に依存して
現れ変化して滅している ← 仮有

変化しないものではない
(空性に依存している、世俗の世界も?)
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
それゆえに

チベットに伝わる心の訓練法
坐(瞑想のセッション)の間は
(縁起している世界は)幻術師が創り出した、マーヤー(幻影)である。として観照せよ

スッタニパータ 1119
(縁起している)世界を空(マーヤー(幻影))なりと観ぜよ
0373おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/17(水) 04:55:33.71ID:dHEHAeNN
 
たとえば唯識とかの場合は

仮設としての
縁起している世界の中において
縁起に依存して

種子は
阿頼耶識を飛び出して
末那識に作用して

(他に依存することのない自性は)存在しないにも関わらず
(他に依存することのない自性が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存して

((仮設としての)有ると思う虚妄の執著をもって)
マーヤー(幻影)が、現れ変化して滅している

それゆえに
縁起している世界の中において
縁起に依存して
無明薫習に依存している

マーヤー(幻影)が、現れ変化して滅している

という頼耶縁起としての対機説法で おじゃります

(そして、円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない)
0374ポッタン師
垢版 |
2018/10/17(水) 07:15:22.92ID:6Dz5Klp8
バカおじゃるはバカのひとつ覚え、を繰り返しているバカである。大爆笑である。
なおしようがないバカである。大爆笑である。
0375宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/18(木) 15:01:13.58ID:WFFdY5gZ
>>358
私も承狂さんと同一見解かなぁ。>>357
脳ミソだけで生体活動をしている状態がそこにあったとしても、それはコンピュータでいうハード部分に過ぎない。
そのような状態では、ソフト(ウェア)である魂がそこへは降下できないでしようね。
もしも、覚者?のような偉大な人間の脳内情報をコピーして引き出し、
それを別の(遥かに劣る)人間の脳内へと上書きすると想定してみる...。
その脳内情報とやらには残念ながら覚者としての満足な情報はないだろうと思う。
そこには肉体的な血縁祖先に連なる進化情報、及び今生での生存情報はあるけれども、所詮はそこまでかな...。
そして、また言えることというのは、ただ動力能力の優れたスーパーカーだけが与えられたとして、
それを乗り熟すことのできるドライバーがいないならば、まともに動くことがない。
たぶん、大衆車にも劣る走りしかできないでしょう。

>>368
>カラスを称賛してる時点で、

カラスさんの見解にすべて同意してるというわけじゃないけれども、
しかし、あの方は物事に対する視点が非常に鋭いと思う。
『ウダーナ』の始め、私があの方から教えられたことはかなり多い。
悟りの関係において“明けの明星”のこと(仏伝にある)を採り上げてみたりと、
他の人にはないものがある。

だから、
感情任せの暴言含みさえ辞めれば、
もっと素晴らしいものが書ける人。
0376宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/18(木) 15:02:20.89ID:WFFdY5gZ
>>315
>>318追記:

その特番の中でも、
もっとも顕著な能力を冷静な態度で示したのが青森の神様/木村藤子。
確か私の記憶では、逃げ出して行方不明となっていて警察捜査でもまったく見つけることができなかった大蛇ニシキヘビを
この女性は自分の霊視一つで、蛇の居場所とその状態をピシャリと言い当てた。
発見者は、本当に霊視そのままの状態だったとして驚愕したという。
この出来事が新聞報道などで大きく取り上げられて全国区の有名人となった。

イギリスなどでは、
犯人捜査や見つからない遺体の発見など検察捜査に協力している常駐能力者の存在が広く認知されている。
あっ、その木村藤子さんですが、久しぶりにちょうど16日のTV番組で特集が組まれましたね。
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/181016kisekisoudan/index.html
0377神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 16:24:36.64ID:WD/f2pSE
>>375
あのなw 最初から「魂」云々の話なんかしてないの。(勿論、後でそこへもっていくという展開はあっても)

魂云々以前の段階として、ヒトが(生物が)学習・経験してゆく過程において、
身体からの入力は不要なのか?という話。 
で、さらにその先として、魂があれば身体は要らないのか?というステップ位踏んどけ。
(つーか、じゃあそもそも魂への情報はどこから入るんだ、とw)


ああ。。。そうかw、 (生まれ変わりの話同様w)
「魂」が「ソフト」で(フロッピーやら何やらというモノに、今は便宜上仮託するが)
ソフトを入れたら、どんな本体でも(スマホでもデスクトップでもロボットでも)
皆、同じスペック同じ様子で動く、ってことか。
便利だなぁ・・。
でも、生まれ変わり事例のように最初から魂に記録されてるなら、新たに学習しなくていいいじゃんw
親がわざわざ苦労して育てる必要も(―御飯の食べ方やうんちの仕方、何が危ないもので何が自分に扱える物か、
何をどうすればどう扱えばそれが機能するのか役に立つのか、などなど―)何も経験しなくてもいいじゃない。
強いて言えば「睡眠学習」でいいじゃん、という話。
もっと言えば、ハード無しにソフトは動くのか、という話。
ここで初めて魂云々がメインとして絡んでくる話。

貴方は、基本の問い「身体からの入力(情報)の要不要」に全く触れていない。
魂が有ろうが無かろうが、ソフトとして身体を動かそうがどうしようが、
身体が存在する以上同じように存在する身体による入力(―それはつまり五根による五境の(からの)感受―)
は要らんのか?という話。
0378宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/18(木) 16:39:54.18ID:WFFdY5gZ
>>377
>身体が存在する以上同じように存在する身体による入力(―それはつまり五根による五境の(からの)感受―)
>は要らんのか?という話。

必要不可欠でしょ!
経験学修のための魂の受肉なのだから、
情報データだけを入力できれば同じとはならないでしょう。
自分自身の身体を動作して伴う経験が不可欠では?
0379神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 16:40:33.73ID:dL5z9Q1n
【世界教師マ@トレーヤ】 ニート親子共倒れ、トレーダーはビルから投身自殺、貧富ダブルノックアウト
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1539828384/l50

株式をギャンブルにして企業経営を不安定にして失業者を増やした投機家は、その報いを間もなくうける!
0380承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/18(木) 17:34:53.15ID:0qd1unw/
>>362
俺は元密教ってだけで別にスポークスマンでもないからスルーしようかと思ってたんだが、(笑)
なんか宝珠さんが俺と同じとか書いてるんで、「知る」という事について、ちょっと書いとく事にします。
亀ですんまそん。

さて、禅では聞恵、思恵、修恵と段階を経て智恵に至るとしてる、と何かで読んだが、
ある程度の人生経験や修練を積んでいれば、「一を聞いて十を知る」という事もあります。
また、物理法則に従って、初期条件から運動の結果を算出も出来ます。
過去の科学的知見の無い社会では圧倒的カリスマで王になったり、優れた知性と人徳で賢者とされた人々がいましたが、
現代近代の社会構造では、高度化複雑化して一個人の能力とは別に様々な学習や経験を学ぶ必要があり、また現代人は学んでいます。
よって、免許を持っていれば、その車種であれば乗った「経験」がなくても別の「経験」で操作、運転出来ます。
同様に免許が無い車種でもある程度類推ができます。
先の段階を経るとは、ある程度フィードバックして出入力の最適化を計ることですが、そのマトリクスがある程度蓄積していたなら必要無い訳ですよね。
そして世の中には私の数倍のIQ や優れた運動神経の人もいるので、
「知るには必ず体験などが必要」とは言えないかと。
また、生物としての多様性がある一方で文化的断絶による「教えても理解出来ない」事があるのも事実です。
極端な例だと……
まぁ、ともかく、なんやかんやで一概には言えないが、全てが縁起しているんだから純然たる唯識の智恵等はありえないし、従って検証すら出来ない話だ。(笑)
但し、オカルティストは意識界独自の某かを各々想定するから、極論として其がある、という事になるんだな。(笑)

(^。^)そして、俺と宝珠さんとはこの想定内容が全く異なるって点を敢えて書いておく。(笑)
0381神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 17:57:10.23ID:zGNNoXxf
>>380

承狂氏、おひさ、
西国三十三か所をめぐり、御祈祷戦闘力を上げる修行をしている、イタリア人真言僧に遭遇したぞ、
世間話をしたぞ。
0382神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 17:59:54.92ID:zGNNoXxf
>「知るには必ず体験などが必要」とは言えないかと。

イタリア人真言僧、結構体験積んでいるらしい、祈祷系かもしれないけど・・・・。

高野山金剛峰寺発行の年一雑誌、「kukai」を買って読んだぞ。
0385承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/18(木) 19:27:51.33ID:0qd1unw/
>>384
(^。^)プロじゃないから。(笑)

好きなら好き、嫌いなら嫌いでいいだろ。(笑)
他人の批評なんて気にすんな。(笑)
0386おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/18(木) 20:13:35.80ID:MKweNmBv
 
>冷静な態度で示したのが…木村藤子

了解で おじゃります

福来友吉(1869年12月5日 - 1952年3月13日)
超心理学者。東京帝国大学助教授、高野山大学教授
鈴木光司の小説『リング』に登場する、伊熊平八郎のモデル

御船千鶴子(1886年7月17日 - 1911年1月19日)
山村貞子の母親(山村志津子)のモデル

たとえば、架空の作り話であったとしても
部分的には本当の話を題材としている場合もあるかもしれない

ヒンドゥー(バラモン)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命…

果報(報い、果熟)を生じる因となる - 業(karman)

魂魄(こんぱく)
魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰す

https://www.youtube.com/watch?v=JgBxWod3-no
【青山繁晴】硫黄島の写真(幽霊の話し)
0387神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 22:20:10.77ID:WD/f2pSE
>>378
だったら、>>352を取消しとけwww

ずっと、必要不可欠だという話しかしてないのに、
なぜ、しょきょの口車に乗っかって、魂中心で文章を作るか・・・w ┐(´ー‘)┌

>これは肉体が在ってのことだけれども、
>肉体には拠らない経験学修をしてくる

肉体による学習(→身体からの入力)を、
整理し、蓄積し、統合し、或る経験・知識・スキル・習慣(≒戒sIla)として
≪「身につけておく」必要≫があるのかないのか? と尋問してんだよ、こっちは。

一在家並みの馬鹿に戻っちまったか?  >>宝珠
0388神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 22:27:04.19ID:WD/f2pSE
ああ、
でも、カラスやサロメや在家やらに対して、どういう反応をするか?
は、仏法理解度、及び対仏教の立ち位置、のバロメーターかもしれんwww
0390承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/18(木) 22:49:53.36ID:0qd1unw/
「尋問してる」とか。(笑)
日本語を知らんのかな?(笑)

要は「本当の私」は身体感覚器からの情報、或いは何らかの物理的情報入力無しに活動しうるのか、認識しうるのか、だろ?
そりぁ、宝珠さんとかは「本当の私」を仮定してるんだから、そうなれるしそれが目標でしょうよ。(笑)
仏教ではそれはないから如法であり如来如去なんだが、この辺の呼吸を間違えると他力思想になる。
これは招入門が目的地になっただけだが、ある意味ソチラも同じで、
三界万霊への普供養を単に現世に向けた慰めとするのも一端でしょうよ。

(^。^)いいか、お前ら!一切を供養するっていってんだから一切を供養するんだよ!ドン!(笑)
0391神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 22:57:49.07ID:WD/f2pSE
>>380
>よって、免許を持っていれば、その車種であれば乗った「経験」がなくても別の「経験」で操作、運転出来ます。

>その車種であれば


>>362では、 『全く異なる形状・種類の車でも』 という条件になる筈だが?
敢えて無視か?w

>ある程度類推が
類推で済んだら、世の中の事故はもっと減ってるわw
ま、それはともかく

家族が増えて、スポーツカーからワゴン車に替えた時、結構擦ってる人多いと思うんだよねぇ・・。

車(自転車やバイクもそうだけど)の運転って、身体感覚の延長に他ならないからね・・。
車庫入れや縦列駐車になると、そこに空間認識力(≒距離感)も絡んでくる。
だから、(―こういう発言すると、フェミや人権連中がうるさくなるけどw―)
「女子は車庫入れ・縦列が苦手」という言説が広まっちゃうんじゃねーの?
或いは逆に、男子は台所仕事が苦手、女子は得意(でなければならない!)ってのも、
その分野での身体的経験の量の差異を、世間が男女(の能力)差に変換してるんじゃねーの?
それは、ひとえに、
身体的経験は、積まれれば積まれるほど、重ねられれば重ねられるほど、
反復されれば反復されるほど、その存在(人)にとっての能力・可能性、或いは特質、いい所・長所
になっていくんじゃねーのkし? >>378
0392神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 23:06:08.07ID:WD/f2pSE
なんか余計な文字が入ったが、

>>390
だからw、その前段回の話だよ。
生まれた直後の子でも、優れた阿闍梨やブッダ同様、動き、喋り、人々に法を説き、
居住まいが崇高で、四禅も自在で、一切の煩悩を制御し、静まった心で居るんだ。
或いは、生まれた後そのまま何も干渉せずにチューブで栄養を与え続け、
数か月・数年放っておいても、その子は着実に仏法を身に着けていくわけだ。

便利なぶっきょうだなーーーーー。
0393神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/18(木) 23:16:01.92ID:WD/f2pSE
宝珠もしょきょも、
A、『一通り、人としての、社会人としての、知力体力感性を身に着け』
B、『仏法に於ける、近づくべきことと厭離すべきこととの分別をつけ、何がほうであるかを見、知り』
『その上でのその先は』
C、,『肉体的情報は不要だ』
という流れの中の C しか口にしていない。
勿論、感官の制御(或いは遮断)は口酸っぱく言われることなので当然だけれども、
そもそも、涅槃へ向かう為の準備段階に、身体的経験(と制御)が不要だとか、
あり得ないと思うんだが、違うのかなぁ・・・。 (―_―)
0394承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/19(金) 00:26:45.28ID:K+zeZqJo
>>393
どうも縁覚という存在をディスってるようにしか読めないんだが。(笑)

390に「仏教ではそれはない」と書いてるように、全てが縁起してるんだから、そちらの感覚に関するご意見には全面的に賛同してんだがね。(笑)
但し、俺はオカルティストだから違う考えってだけ。(笑)

(^。^)それと俺は「その上で肉体的情報は不要」だなんて話はしてない。(笑)
論理的には、極端な例だと、完全に断絶した存在を想定せざるを得ない、ってな話を書いただけ。(笑)
0395おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/19(金) 05:11:17.37ID:qPRar7cV
 
↓本当なのか?嘘なのか?

【新事実】
「女性は地図が読めない」はウソだった!?
男女不平等が女性の空間認知能力を低下させていたことが判明!(最新研究)

「女性は男性に比べ、地図を読めない人が多い」これは単なる女性への偏見ではなく
学術的な調査でも明らかになっている傾向である
だが、その原因は、もしかすると属する文化の女性に対する偏見にあるのかもしれない

アメリカやイギリスなど
男女の格差が少ない国ほど「地図を読む力」の
男女差も少なく
ナビゲート能力の高い女性も多いことが明らかになったという
  _  _  _

おじゃるの知り合いに限定すれば
空間を把握・認識する能力?も
相手との会話を(正しく・正確に)成立させる能力?も
両方とも『とんちんかんぷん』な女性が多いという感じもする

(おじゃるも『とんちんかんぷん』であると自覚?しちょります m(_ _)m )
0396おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/19(金) 05:33:23.01ID:qPRar7cV
 
>縁覚
って何ぬねの?ということで↓とりあえず

スッタニパータ 36
交わりをしたならば愛情が生ずる
愛情にしたがってこの苦しみが起る
愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め

寂静な孤独を好む - 縁覚

↑こんな感じ? おじゃる?
0397神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/19(金) 09:35:18.50ID:7UImnGK8
師について四諦を実践して悟りを目指すのが声聞
独りで十二因縁などを観じて悟るのが縁覚
自分独りの悟りに止まらず一切衆生をも救済して共に悟りを目指すのが菩薩

声聞と縁覚は小乗の悟りで菩薩は大乗の悟りだという

しかしそれら三つの道は仏が衆生の機根に合わせて説いた方便であり仏の真なる教えはそれら三乗を乗り越えて
火宅に喩えられる娑婆の現象世界を超えたところに真実の悟りがあるとする
これを三乗方便一乗真実という

人はガンジス河の砂の数ほどの劫数分の過去世のどこかで仏と出会って法華経を説かれて仏の種(仏種)をその身に植えられている
だから人は誰でも仏種を発芽させて仏となることが可能である(人は誰でも成仏できる)とされる
0398ポッタン師
垢版 |
2018/10/19(金) 11:36:45.17ID:rxzQGYOU
397.迷信である。バカ丸出し、である。大爆笑である。
0399おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/19(金) 11:58:01.78ID:qPRar7cV
 
大乗の世界観としては

>仏の種(仏種)をその身に植えられている

ということで おじゃりますな?

ちなみに↓おじゃるの場合は

仮設としての
無明に依存しているのなら
誰もが成仏するわけではない(五性各別)

という感じで おじゃります

自性清浄
心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている
0400ポッタン師
垢版 |
2018/10/19(金) 12:03:53.92ID:rxzQGYOU
399.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0401神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/19(金) 15:19:14.40ID:igCOz8DH
行基が仏(菩薩)になれたのは法相宗だからではなくて過去世において法華経を説法されて具わった仏種が芽生えて以降、
法相宗で理想とする無住処涅槃に入ることができたから。
おそらく行基は前世も前前前世も仏であったし今もその行基以降何度目かの転生が仏として世界のどこかで衆生を救済しているのであろう。
0402ポッタン師
垢版 |
2018/10/19(金) 16:18:16.67ID:eE6s5ebn
401.迷信である。バカ丸出し、である。大爆笑である。
0403承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/19(金) 16:41:53.86ID:K+zeZqJo
老化すると、色んな言葉が浮かばなくなって、似たような話を繰り返すようになる。
これは人の世の習いで、脳機能の衰退から万人に起きる現象だ。
だから、お前らも「またクソ爺がー」なんて思わずに、尊敬と労り、仏教的には慈悲で接しなきゃダメだぞ?(笑)

(^。^)俺もこうなるんだと最近は身に詰まされてなぁ。(笑)

きっと当人の脳内では、もっと高尚な意義深い話が……どうなんだろ?(笑)
意識活動も停滞して簡単な反射が起きてるだけなのかな?(笑)
科学的にはニューロンの電位とか化学物質を観測して明らかに減退しているらしいが、
意識活動は本当に脳機能だけで成り立つものなのか?
脳死とか、心臓移植による人格的変化とか、生まれ変わりの話とか踏まえてこのクソ爺のレスを見ると、
やはりどうしようもないクソ爺だと思えてくるだろう?(笑)
0404おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/19(金) 17:18:06.20ID:qPRar7cV
 
>似たような話を繰り返す
  ↓
おじゃる「唯識とは…(なんちゃらかんちゃら)」

ポッタン師匠「大爆笑である!」

隠居師匠「生命とは…(なんちゃらかんちゃら)」

机師匠「すべて無である!」

その他諸々の師匠の方々

仏教だけに限定すると
同じような内容の話題になる可能性もあるかもしれない

↓それゆえに
https://www.youtube.com/watch?v=8WGhdZ7_jgs
京都怪談
三木大雲 - (座敷童のような)幽霊の話し
0405承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/21(日) 09:56:13.41ID:L4Ibi9lz
>>403捕捉。
更に脳機能が悪化して植物状態、と言われる重篤な患者さんの場合、
脳死ではないから勿論法的にも生きてるんだが、ここから回復した、
つまり、長期に渡って外界から一切情報を受け付けられなかった状態から回復した人の場合、
以前ネットで読んだが、やはり意識は無かったということだった。
これと健常者のノンレム睡眠時はちがうのだろうか。
意識活動が無いという事は、何も体験してないということか?
マーティン・ピストリウス氏のような入力情報のみだと悪夢だが、
そうではない、完全な無意識状態だと一人の人格、人としての存在として扱うべきでは無いのか。
勿論、臨床的には人として扱うのが建前だが、マーティン氏はその著作で性的虐待まで受けていたと述べている。
また、本邦の介護施設でも様々な虐待が時折ニュースに出てくる。

綺麗事かも知れないがやはり、第三者としては、体験出来る、認識出来ると想定して接するべきだろう。

(^。^)まぁ、俺みたいな奴が言う事じゃあ無いんだが、お前らも他人事と考えずに、頭の片隅に入れとけよ。(笑)
人生は一寸先は闇だからな。(笑)

七氏さんは勿論、これを踏まえて飽くまで自分自心の一つの思考実験として書いてるんだが、バカが誤解すると本意では無いだろうから念のため。(笑)
0406神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/21(日) 10:11:12.07ID:HLYeJgJw
冥想で目指すものは、考えるという行為を超越することです。

何かを考えている限り普通の意識レベルに留まります。

夢を見るときはあなたは潜在意識下に入ります。
つまりそれはアストラル体がより意識されている状態です。

意識がさらにもっと深く超意識へと入っていけば、あなたは脊椎を柱として、
無上の喜びの中心にいるのに気付きます。

その至福の中で、あなたはコーザル体、即ち自分の魂の中にいることに気付くのです。
0407おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/21(日) 11:55:31.17ID:OmcsfPI9
 
医師とか看護師とかの方々は
「通常の生きている人」とは
別の感覚で

>(脳死ではなく)脳機能が悪化して植物状態、と言われる重篤な患者さん

を(植物状態のものとして)取り扱っているかもしれない

これは良い悪いということではなくて

善悪の判断を交えることのない平等性智?として

これは説明するのは難しいかもしれない

(「通常の生きている人」とは別の感覚で取り扱っているのなら
  「悪いやつだ!」という批判の対象になる場合もあるかもしれない)
0408おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/22(月) 05:44:56.15ID:vjGGpItp
 
仏教のことだけに限定すると
同じような内容の話題になるけど、とりあえず

おじゃるは
通常のときでも
妄想の渦の中に巻き込まれているけど

いま風邪を引いて

寝ている時に
熱に浮かされて重度の妄想障害で おじゃります

 − これを対処するために −

(薬を飲むと更に悪化する場合もあるので薬は飲まずに)

(妄想の渦の中に巻き込まれるのではなくて)
少し離れたところから「妄想を見る」

という感じになるようにしちょります

おじゃる記憶によると
確か、宝珠殿から
「少し離れたところから見る」ということを

(妄想の渦の中に巻き込まれているよりも
  「少し離れたところから」の方が楽なような気がします。それゆえに)

ご教示して頂き、ありがとうございます m(_ _)m
0409承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/22(月) 06:09:19.40ID:6HAtjPUX
>>407
(^。^)ねーよ。(笑)

>>408
風邪の時は葛根湯と滋養強壮ドリンク飲んで暖かくしてネットなんぞせんで寝てろ。
0410おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/22(月) 07:12:41.20ID:vjGGpItp
 
「悪いやつだ!」という批判の対象に
> (^。^)ねーよ。(笑)
  _  _  _

>ネットなんぞせんで寝てろ

ご教示ありがとうございます m(_ _)m

(通常のときでも、妄想の渦の中に巻き込まれているけど)
寝ていると
熱に浮かされて妄想障害が現れて

「寝たり - 起きたり」を繰り返しているので おじゃります

↓更に

フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ

これも↑やっちょります

アージュニャー第6のチャクラ
眉間のところが、むずむずする・くすぐったい

少し離れたところから見る
0411承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/22(月) 07:21:39.69ID:6HAtjPUX
あのなぁ。

困った人だな。

えー、昔の中国の医療では、風邪は文字通り風の邪気に中ったと考えられてました。
また、道教では、周天の時に邪気を巡らせたり妄想したりすると、病になると伝えられてます。

(^。^#)わかったら、ちゃんと寝てろ!いいな!
0412ポッタン師
垢版 |
2018/10/22(月) 07:44:38.21ID:gWZZVA8N
410.バカおじゃる、は心理学をやっているバカである。大爆笑である。
0414おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/22(月) 10:54:41.27ID:vjGGpItp
 
承狂元密教僧へ
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

>釈迦仏教の矛盾について

これを読むと
↓隠居師匠か?紐師匠か?という感じがする

釈尊の仏法は暗い印象を受ける
とてもついていけない感じを受ける
それは人生は苦であるという設定である
苦の原因は欲望(煩悩)であるから…
  _

おじゃる妄想としては
無明している世界から離れるための対機説法として

たとえば、上座部系の場合は
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである

(愛別離苦とか・求不得苦などの、もととなる)
無明の意味を理解して、これを前提とすることが出来るのか?出来ないのか?

↓無明を前提とすることを出来ないのが

隠居師匠か?紐師匠か?という感じで おじゃります

(風邪で、また熱が出てきたので おじゃります)
0415ポッタン師
垢版 |
2018/10/22(月) 12:34:33.29ID:UkelWWPm
414.無明を前提とする、のがバカおじゃる、である。大爆笑である。
0416神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/24(水) 17:23:14.19ID:ODeDcU1M
            彡⌒ ミ  
          ⊂(´・ω・`)つ
        ///   /::/
        |::|/ ⊂ヽノ|::|」
     /  ̄ ̄□o ̄ ̄/|
    /______/ | |
    |------ー----ー|/
0417宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/27(土) 05:22:56.86ID:xgi/OkUs
>>414
「無明などはない」などと抜かすアホは勝義馬鹿!!
それはあくまでも勝義の視点であって、
我々、凡夫はそうじゃないから。

もしも、無明がなければ、
こうして我々は生れて来ないから。
無明のない人間は転生してこない(母胎に宿らない)。
要するに、こうして両親を持って生れてきたということは、
無明に陥っているということに他ならない。
だから、そこから抜け出すことが仏道修行です。
0418ポッタン師
垢版 |
2018/10/27(土) 08:50:55.73ID:/6erTkif
417.それをバカ修行と言う。修行バカと言う。大爆笑である。
0419神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/27(土) 11:11:18.37ID:5Jil8gKk
仏教で否定されてるのはキリスト教の天主のような絶対神です。
神自体は否定されていませんが神の過去世は人間だったりしたものが善業を積んで天部に生まれ変わって神となったりします。
つまり神といえど輪廻する存在でありその意味では人間や餓鬼や畜生や地獄の亡者と同列ではあります。

しかし元々の起源でいえば、釈迦牟尼仏が言うには世界はまず光音天界がつくられそこには光音天という神様が出現したとのことです。
光音天として寿命が尽きたものがその後誕生した梵天界の梵天として生まれ、梵天の中で堕落してものが人類の起源になったと説いています。

詳しくは長部起源経に説かれています。


起源経
パーリ仏典経蔵長部の第27経
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B7%E6%BA%90%E7%B5%8C
0420神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/27(土) 11:18:30.33ID:5Jil8gKk
「無我」と「縁起」を理解すれば仏教思想は腑に落ちる
https://mananavi.com/%E3%80%8C%E7%84%A1%E6%88%91%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E7%B8%81%E8%B5%B7%E3%80%8D%E3%82%92%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%99%E3%82%8C%E3%81%B0%E4%BB%8F%E6%95%99%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AF%E8%85%91%E3%81%AB/amp/

【仏教は絶対者を持たない】

「この因・縁・果の関係性のなかで、個々の実態は“空(くう)”です。そこに常住の本体はありません。
これは、現象のようなものから、絶対者のようなものまで、同じです。

仏教のひとつの特徴は、宗教的な絶対者みたいなものを実体化しない、ということです。
“絶対”とか“神様”みたいなものをデーンと置いて、そのもとに人間が生きていくのではなく、現象の本質本性を「空」でとらえる。
「有」ではないが、「無」でもない。「空」なのです。
常住の本体とか実在とか、そういうものを徹底的に否定したところに成り立っている見方・考え方です。

このように、人間の主体性を縛るものを、仏教は何も持っていない。
掟もなく、支配もされていない。そうしたものを一切超えて成立しているのが仏教なのです」

このような仏教の“神”観は、キリスト教の“神”観にも影響を与えているという。
なかには仏教の空性(くうしょう)で“神”を考えたほうが、イエスが説いた本来の“神”に近いのではないかという意見もあるという。
0421ポッタン師
垢版 |
2018/10/27(土) 11:19:39.34ID:L1D5J/GP
419.それは迷信である。バカ丸出し、である。大爆笑である。
0422ポッタン師
垢版 |
2018/10/27(土) 11:27:24.54ID:L1D5J/GP
420.それは迷信である。バカ丸出し、である。大爆笑である。
0423神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/27(土) 20:09:53.14ID:3LvBtUXN
>>417
サードゥ、サードゥ、サードゥ
0424おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/28(日) 04:53:28.96ID:liG+zDtX
 
> (縁起しているもの)一切を超えているのが仏教(の涅槃)なのです

ウィキペディア参照

宗教(religion)
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする

それゆえに

> サドゥー(サードゥ)
あらゆる物質的・世俗的所有を放棄して
瞑想などにより解脱を得ることを目標としている

戒・定・慧・解脱・解脱智見
般若の智慧と慈悲によって解脱を観照する
0425ポッタン師
垢版 |
2018/10/28(日) 13:17:54.46ID:BNwYXEDa
424.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0426神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/28(日) 20:30:07.00ID:uNhqwKgu
466 :神も仏も名無しさん[]:2018/10/28(日) 19:08:42.48 ID:zCoMQJAc
>>460
いやいや!癒されないか?
あの情深いところとか。

そも、でおはカムイ君から真心の慈悲を受けている。ならばその恩を返さねばw
まああるところではじま


513 :神も仏も名無しさん[]:2018/10/28(日) 19:44:31.90 ID:zCoMQJAc
>>509
シャロンさんがでおを肯定するセンスを持っているように、俺もカムイ君を肯定するセンスを持っている。
それらのセンスに助けられた君じゃないかw


518 :神も仏も名無しさん[]:2018/10/28(日) 19:48:10.47 ID:zCoMQJAc
>>515
シャロンさんはでおーに優しいカムイ君を見てくれているはずさ...w
な、でお。(圧力)
0427おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/29(月) 02:31:11.82ID:xDpHp/2N
 
http://www.onedhamma.com/?p=6788
18/10/28 …野狐の声が、自分の中で聞こえてくる

今回の podcast法話は
いまだ証していないのに既に証覚を得たという、独り善がりの
(増上慢)野狐禅について

http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗 内山興正
…もし亡霊など全くないことが科学的であり
仏法の「諸法無我」は現代の科学と一致するなどといえばとんだことになります
「諸法無我」はまったく人間的倫理道徳の破壊につながってしまいます
…業感縁起…
  _  _  _

(勝義諦としては↓これで良いのかもしれないけど、とりあえず)
たとえば
仮設としての
縁起している世界も認めることもなく
業感縁起も認めることもなく

『すべて無なのであるから
  それゆえに、只管打坐も必要がない!』

とか逝っちゃてる師匠とかが野狐禅である。と云うことであるらしい
0428ポッタン師
垢版 |
2018/10/29(月) 07:01:49.11ID:R4Zb/EKN
427.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0429神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/29(月) 10:48:11.54ID:RN+6S69g
宮崎哲弥は自分は仏教者だから霊魂の存在も輪廻転生も認めないと言っていますが
0430ポッタン師
垢版 |
2018/10/29(月) 11:12:53.75ID:EEAzm6ZX
429.それは宗教の問題ではない。
なんでか。それは科学の問題である、からである。バカには理解できない。
0431宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 10:45:17.82ID:rPkMoSNR
>>419-420
あなたはいつものスマ長老信者ですか?
僧侶の引用だけでは無理だと見ると、今度は学者さんの言説を引用ですか?
懲りませんね...。

ゴータマが否定したのは神そのものの存在ではなくて、
通常、この現象界において知覚できないものは説かないということに過ぎない。
それがアートマン(真我)であり、そして、ブラフマン(神)だということになる。
輪廻している存在である天部(神々)と絶対者であるブラフマン(神)とを混同してはならない。
にも関わらず、後世の仏教徒らはバラモン/ヒンドゥー教を仏教の下位へと位置付けるために、
意図的にブラフマンを天部の一つに過ぎない梵天として描いた。
これが仏伝における最も古くて典型的な神格化だった。
以降〜、梵天の関する記述のすべては後世の創作に過ぎない。

竹村牧男氏。なんと東洋大学学長という肩書ですら、
こんな時代遅れの化石のような教義をまだ鵜呑みにしてるとは驚きましたね...。
それらの説明のすべては、現象界(有為)の性質について教えたものであって、
現象界の本質が空性なんだということに過ぎないから。
元々、現象界の存在ではない(無為)アートマンとブラフマンがそれらの法に抵触するわけがない。
だから、最初から無問題です。

《「無我」は「我がない」という意味ではありません。「我ではない」という意味 です。
 ブッダの教説の中では、attanが主語におかれて「我がない」とか「我がある」とかいう文は作ることはできないのです。
『ブッダ論理学』の【難問5】にあります。彼の教説は、生じ滅するものだけを扱うからです。しかし、生じ滅する「色」
が、我ならざるものであることは、述べることができます。述語には、規定はありません。だから、「無我(我ならざるもの)」
という言葉も出てきます。
 ただ、いつの頃からか「無我(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代頃かな)》
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm

あの石飛道子女史も同じだ。
せっかく頭ではこれほどの理解に達しているのにも関わらず、
洗脳が強くて条件付けから脱することかできないでいるのです。
最近、少しだけ対話してみましたが、とても残念なことでしたね...。
0432宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/31(水) 10:46:02.37ID:rPkMoSNR
では、その「縁起」という法はいつどのようにして生じたのか?
それは何故あるのか? を、あなたのすべての知識と理解で以て答えてみなさい!
絶対にできっこないから。

ゴータマすらも説くことをしなかった、
“法(ダルーマ/ダンマ) ”を生じさせ規定している存在、
その力こそが絶対神なのだということ。
つまり、法そのものが神だといってもいい。

仏教界において一方的に悪者扱いにされている『説一切有部』だが、
否しかし、彼らが採った見解“三世実有・法体恒有”は素晴らしい着眼点だったということ。
その持っている視点がとても鋭い...。
彼らの法こそが恒常永遠の存在だと説いたことが批判の対象となったようですが、
法こそが神に拠って規定されているものであるから、それは神の意志の如何によっては永遠であり、
また、或いは瞬時によって断滅されるもの。神無くば、縁起の法すら生じ得ず、
神の意志一つで如来すらも一瞬にして掻き消えてしまう。
それが神というものだ。

聖書には、実は二つの神が説かれる。
つまり、ヤハウェ(主)とエロヒーム(父なる神)だ。
万物の絶対神としてのヤハウェと、我々の魂を肉体に吹き込まれた我らが父なる神(神々/複数形)だ。
この金星から飛来された神々、エロヒームの御一方が永遠の青年と呼ばれるこの惑星の天帝サナット・クマラだ。
京都、鞍馬山寺弘教(天台宗から単立)では本尊、大天狗魔王尊として祀られている...。
0433宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/31(水) 10:47:09.89ID:rPkMoSNR
>>429
自称仏教徒ほど怪しいものはない。
仏教徒として自ら自称するということは、つまり、典型的な間違いだらけの常識仏教の篤い信奉者ということだ。
真実に気付くようになった者というのは、決して自ら仏教徒などとは自称しない。
現存する仏教信仰で正しいところなどは皆無なのだから。

ゴータマは無霊魂の教えなどは説かない。
原始経典を真面目にしっかりと読めば、無霊魂などという理解が間違いであることはすぐに気付ける筈だ。
だいたいにして、“霊魂”と一緒クタにして語る者というのは「霊」とは何?であり、
「魂」とは何?のことかも分からずに語っていて、
しかも、その「霊」と「魂」の違いすらも分からないという馬鹿タレばかりだからだ!!

「霊」というのは、それが異常状態にある時には世間では幽霊などと呼ばれる。
これを仏教では餓鬼として説き、雑阿含『好戦経』にはモッガラーナの目撃談とこれを是認するゴータマの教えが説かれている。
『餓鬼事経』(ペータヴァットゥ)では施餓鬼による救済の必要が説かれる。
また、良い霊存在の典型としては中部経典第十八経『闍尼沙経』で死後のビンビサーラ王だった神霊とゴータマとの対話がある。
「魂」というのは、五蘊中の「識」のことであるということが『ディーガ・ニカーヤ15経』で説かれ、
「識神」が母胎に宿ることが増一阿含経『三宝品三』に説かれている。
尚、アートマンについては仏教では無記とされて説かれていない。
だから、アートマンを「霊」や「魂」などと混同する愚を犯すではない!
0434宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/31(水) 11:11:20.34ID:rPkMoSNR
>あの石飛道子女史も同じだ。
>せっかく頭ではこれほどの理解に達しているのにも関わらず、
>洗脳が強くて条件付けから脱することかできないでいるのです。
>最近、少しだけ対話してみましたが、とても残念なことでしたね...。>>431

その対話時に、
石飛氏bbsへ投稿したものをこちらにもアップしておきます(一部省略)。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
[10831] Re:[10828] 無我とアートマン

---略---
>わたし自身は、もともと、この「非我・無我論争」そのもの自体、どこかにゆがみのある考え方だと思っています。
>「〜でない」「〜がない」という、この違いが、このアナートマン(アナッタン)というブッダの教えの核心だとは思いません。

その核心とは何でしょうか? 
それは、つまり「無記」のことですか? 
それとも、アートマン(の有無)そのものに対する無執着こそが無我の教えの核心部分だ、
ということを言っているのでしょうか?

>うーむ、ご質問が、ご質問が、うまくつかめません。「増支部」1.6について、考えればよいのですか。
>それとも、“自性清浄心”について、メインに考えるのでしょうか。

はい。そのどちらについてもです。

>「増支部」ですと、チッタ(心)は、アートマンではないです。
>さらに、“自性清浄心”が、「無為法」であるというのは、どこに書いてありますでしょうか。
>この発想そのものが、何かブッダの教えとは違うことを考えていらっしゃるような感じですね。
>逆に、、お尋ねしたいのですが、「心」とあるのに、どうして、あえて「アートマン(自己)」だと思うのですか?
0435宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/31(水) 11:14:09.32ID:rPkMoSNR
もしも、この問題がただ単に、これは“「心(citta)」なのだからアートマンではない”というだけで済む話であれば、
仏教界において、最初からこのことがこれほど論議の対象になる筈はないのです。
だから、これはそうではなくて、この文意が示すものが一切法(有為)を超越した概念を意味しているから問題になっているのです。

まず、その単語一つを見て判断するやり方というのは如何なものかと私は思います。
あまり旨い譬えではないかもしれませんが、もしもここに「地球という星には全体表面積の70.8%を占めて、
全体がひとつづきになって陸地以外の凹所にたたえている塩水というものがある。」という文章があったとします。
そして、それを持ってくるよう指示がなされたとした場合には、この私は文意から判断してこれは海洋の海水のことだと理解するので、
私はどこか近くの海岸へ行って海水をコップに汲んで持ってきます。
けれども先生のやり方というのは、まるでこの単語は「塩水」だからといって、
ただ台所から水道水に食塩を混ぜた食塩水を持ってくるようなものだと思います。
果たして、それは著者の意味したもの(塩水)に対して、本当に正解のものとなるのですか? 
それとも、あくまでも文中に「海水」とは書かれてはいなかったからといって、別にこれで正解なんだと主張されますか?

『比丘らよ、この心は浄潔である。
  そして、そ〔の心〕は外来の諸随煩悩によって染汚されている。』(水野 弘元訳)
0436宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 11:16:03.97ID:rPkMoSNR
この「自性清浄心」(心性本浄説)が仏教論議の対象になっているのは、何故なのか? というと、
これが、“心は自性として(本来、生まれつき)清浄である” という意味の文意であるから、
それが一切法の“縁起の理法”に抵触するものと見なされるからです。
縁起的観点から普通に述べる場合には、“修行における完成形としての心は煩悩から解放された清浄心だ”という言い方は在りますが、
けれどもそうではなくて、これは外来の煩悩に塗れる以前の心は本来的には清浄そのものである、といっているわけです。
しかし、仏教的には通常は、煩悩に塗れていない衆生というのは一人もいないのであって(つまり、煩悩がないならば母胎には生れて来ないから)、
人間というのはすべて、オギャ〜と生まれた瞬間にはすでに「無明」(煩悩の根源的性質)に被われているものとされるからです。
けれどもここでは、本来の人間の心というのは清浄なものなのだといっているわけです。
この無自性の世界において、心は自性として清浄なものだと述べているところが、実にアートマンと重なる部分だと言えるわけです。
要するに、これがアートマンの持つ三大属性(“不生不滅にして永劫恒常”、“完全なる清浄性”、“非物質性”)の一つだと言えるものだからです。

『〔それは〕全体であり、一切に遍満し、寂静であり、汚れなく、虚空のように安定し、
部分をもたず、行為をもたず、一切であり、常住であり、二元対立を越えている、〔と知るべきである〕。』
(『ウパデーシャ・サーハスリー』T,15.37)

では、どうして最初から、
ここには「心」ではなくて「アートマン」と書かれていないのか? 
何故ならば、アートマンは決して煩悩に塗れることがなく無始の初めから永久に清浄なものだからです。
この経文が意味するものは、すなわち私たちの心というものは深層域においては阿頼耶識、
更には、集合的無意識〜アートマンへと繋がっているのだ、という可能性を示すものなのです。
そして、この自性清浄心を説く聖句の文意からは、そのままこれが「無為法」と理解されるのも頷けるものであって、
実際、大乗の「如来蔵思想」というのは、この自性清浄心を発展したものだからです。
そのことは、水野弘元著『心性本浄の意味』を読めば分かります。
0437宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 11:16:57.79ID:rPkMoSNR
『如来蔵や仏性は無為法としての真如法性と関連して説かれるからである』
(同著『心性本浄の意味』p13-15、注釈15)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/20/2/20_2_503/_pdf

では逆に、この私からいわせて頂けば、
何故? ブッダからの言葉の文意を素直に読まないで、
故意的に無視した読み方(ウパニシャッドのアートマン意を意識的に避けるかのような)をするのですか?
と、いいたいところです。

>>『真実であるか虚偽であるかを、汝の自己が知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に尊い自己を汝は軽視している。』(AN.T,p.149 G.)
>この訳は、誰の訳でしょう。わたしの読みでは、ちょっと違います。

これは中村先生です。
(中村 元著『自己の探究』p105青土社1980年発刊)より。

>嘘をついても、真実を語っても、自分自身はそのことを知っている、というところだろうと思います。--中略--
>あなたの「自己」は、本当に何をなしたのかを知っている、というのは、まさしく「自分自身」の行いであるからで、
>善いことと悪いことを行いうる「自己」と見なければなりませんから、「自己」を「本来清らか」とか見るような見方には立てないです。

これは“自分自身の行いなのだから、自分が分かっていても当然だ”ということではなくて
(また、“自己を本来清らか”だという意味合いとも、また少し異なったものです)、
何故、人間の心には善悪を判断する「良心」というものが備わっているのだろうか? ということをいっているのです。
人間、誰しもが生れつき持っていて、自分の心の中に内在していると見なされるこの良心についても、
原始仏教においては、あくまでもアートマン(自己)の問題として語られるのだということ。
私がこれを採り上げたのは何故か? というと、人間が生れつき持っている良心(善を成さんとする意志)という性質こそが、
実に、重要なアートマン属性の一つに他ならないからなのです。

『変化せず、清浄であり、悪を離れたブラフマンである私に、
精神統一していない状態や他の浄化されるべきものがあるのを、決して、私は見ることがない。』
(シャンカラ著/前田専学訳『ウパデーシャ・サーハスリー』T,14.35)
0439dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/10/31(水) 14:27:49.85ID:vKe6c9bk
久遠の仏も否定されてる
0440神も仏も名無しさん
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2018/10/31(水) 14:39:01.29ID:hl7qebxF
>>439
>>221-222
0441ポッタン師
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2018/10/31(水) 14:42:52.06ID:UFXrWZax
439.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0443神も仏も名無しさん
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2018/10/31(水) 15:36:20.02ID:/akVyud1
無明を除いた本来の心は空であり、アートマンではない。
本来無一物とも言う。涅槃とも言う。
涅槃には、良心もなく、汚れもなく、無明もない。
あらゆる概念を持ってきても捉えられず、言語で述べることもできない。
0444宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 16:10:59.21ID:rPkMoSNR
>>437のつづき.
Re:[10833]「Re:[10831] 無我とアートマン」

>しかし、その時、ジーヴァ・アートマン(個我)とパラマ・アートマン(最高我)の区別が生まれます。

何故ならば、ジーヴァ・アートマン(個我)はアートマンそのものではないからです。
彼ら(ヒンドゥー)は輪廻の主体を「ジーヴァ」(ジーヴァ・アートマン/個我)と呼び、これも無明から生じた幻(マーヤー)に過ぎぬものと説きます。
これは魂であり、仏教の説く輪廻主体「識」(後の「阿頼耶識」)に相当するものです。もちろん、これは「アートマン」ではない。
このことについては、ラマナ・マハルシもこう述べています。

 『知覚認識できる対象には[現象としての]終わりがあり、知覚認識する主体をジーヴァ(個的生命)であるとするなら、ジーヴァ(個的生命)
とて現象としての終末がある。現われ出るものは何かを見い出し、その現象の破壊(最後)を見極めれば、不滅の真実在 sat (Self) を覚智現成し、
アートマン Atman とは何かを覚了する。新たに現われ出るようなものはいずれ消え去ることになり、それはジーヴァ(個的生命)あるいはその知
覚認識対象であって、アートマン Atman ではない。』
(Talks 1_0704)

>区別があるということは、ブラフマンはブラフマンと考えているからです。
>ブラフマンがアートマンになったら、もはや、ブラフマンの名前はなくなり、アートマンだけが残る、ということではありませんね。

いえ、これはそういうことではなくて、
例えていうならば、“大海の海水がブラフマンであり、これをコップで汲み取ったものがアートマン”だということになります。
区別とはいってもこういうことなのであって、けれども中身はもちろん同質のままです。
これは単に、個的な意味合いを持つかどうかの差異なのです。
0445宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 16:14:27.17ID:rPkMoSNR
>涅槃に入ったならば、自己はありません。

すみません。
ここへ少し長めに引用させてもらいますが、
これらの先生の主張は一体、いつ撤回されたのでしょうか?

 【つまり、自己はあるまたは自己はないと書くことができるか、ということが問題となる。もしこのように述べられるのであれば、「自己」は、
おそらく「法」と呼びうる存在であり、そして、当然「生じ滅する存在」とブッダが承認したことになるのである。
 しかし、このようなことは阿含経典の中には見当たらない。これにかんしては、中村元博士の『原始仏教の思想』(上巻一六五頁)にも、初期仏
教では「アートマン(アッタン)は存在しない」とは説かれていない、と明言されている。
 したがって、ブッダにとって「自己」は生じ滅する法ということはありえない。もし、ブッダが「自己はない」と語ったとすれば、当然生じ滅
する法として「自己はある」も語っていなければならないからである。ブッダの公式に載せられる語でなければならないからである。--中略--
 それだから、ブッダは「自己はない」とは語らなかった、そして、もちろん「自己はある」とも語らなかった。いや、語りえなかったと述べた
方がいっそう正しい。(p161-162) --中略--
 実際には、阿含経典では「無我」は「自己でない」の意で用いられていることがわかるだろう。ブッダが「自己はない」は説きえないことがはっ
きりしている今となっては、これは当然のことだが。】(p166)
(石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社2005年刊)
0446宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 16:15:42.78ID:rPkMoSNR
 『anattan(無我、我ならざるもの)の語は、ブッダも使います。ブッダの教えの中で重要な用語です。これは、「主語+述語」の文の、述語に
置かれます。「苦であるものは、我ならざるものである(=我ではない)」ということで、「無我」は「我がない」という意味ではありません。「我
ではない」という意味 です。
 ブッダの教説の中では、attanが主語におかれて「我がない」とか「我がある」とかいう文は作ることはできないのです。『ブッダ論理学』の
【難問5】にあります。彼の教説は、生じ滅するものだけを扱うからです。しかし、生じ滅する「色」が、我ならざるものであることは、述べる
ことができます。述語には、規定はありません。だから、「無我(我ならざるもの)」という言葉も出てきます。ただ、いつの頃からか「無我
(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代頃かな)
 これは、経典を作りかえたとかそういうことではなくて、解釈として、このような解釈が入ってくるということです。』
(管理人エム著/マニカナ掲示板過去ログ2739.)

先生もここで「部派」について言及されていますが、
パーリ聖典といえども、その成立過程というのは部派仏教の時代と重なって書かれたのであって、
そして、それがそのままこれらの部派教団によって今日まで所持されてきた。
そして、その教義の拠り処はアビダンマなのであって、仏典とは必ずしもイコールでありません(一切法についての判断が異なっている)。
つまり、仏教史的には「原始仏教→根本二大分裂→部派仏教時代→現在における南方北伝の各諸派」ということなので、
現存する仏教教団で部派仏教の影響を受けていない諸派というのは一つも存在していません。
この仏教者たちにとって現在でも一般的な認識となっている、“アートマンは無い”ということを勝手に言い出したのは部派仏教であることについては、
すでに多くの研究者たちによっても明らかになっているものと思われますが? 如何でしょう?
0447宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 16:17:16.72ID:rPkMoSNR
「涅槃においては自己はない」が、自我意識の喪失とするならばヒンドゥーでも同じだと思います。
アートマンを自覚するということは、つまり、 それまでの自我意識(個我/分離的な「個」としての意識)は消散するということだからです。
分離意識は自己からは無くなり、分別の消滅した全体的な融合意識へと変性する。
つまり、あなたとわたし、それとわたしという分離ではなくなり、すべてが一つの融合された自己意識として自覚します。
そういう意味においては、ヒンドゥーにおいても“自己(個我)はない”として説かれます。

 【〔アートマンは〕行為主体でもなく、対象でもなく、結果でもないから、また内も外も含み、不生である(『ムンダカ・ウパニシャッド』
二・一・二参照)から、どうして、誰が、それに対して「〔これは〕私のものである」「〔これは〕私である」という観念をもつことが出来るで
あろうか。(18)
 「自分自身は」とか、「自分自身の」という観念は、じつに、無明によって、〔アートマンに〕誤って想定されたものである。アートマンが
唯一である、という〔知識〕がある場合には、この観念は存在しない。種子が存在しない場合は、どこから結果が生まれようか。(19)
 アートマンを、未だ果たし終わっていない義務をもたず、行為そのものをもたず、行為の結果をもたず、「私のもの」とか「私は」という
観念をもたない、と見るその人は〔真理を〕見る。(22)
 もし「私のもの」とか「私は」という観念や努力や欲求は、本性上、アートマンにはない、ということを知ったならば、自己自身に安住し
続けよ。努力は一体何の役に立つであろうか。(23)
 アーマンを、「私」という観念の主体であり、かつ認識主体である、と知るものは、まさしく〔真実に〕アートマンを知っている者ではない。
それとは別様に知っている者が、〔真実に〕アートマンを知っている者である。(24)
 「私」、すなわち「自分自身」という観念も、「私の」、すなわち「自分自身の」という観念も、無意味となるとき、その人はアートマンを
知っている者となる。29】
(同『ウパデーシャ・サーハスリー』T,14.)
0448宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 16:18:09.69ID:rPkMoSNR
或いは、まさか先生...は、涅槃とは何もない「無」の意味として“自己はない”と述べていますか?
それとも、涅槃は「空」であるからという意味で“自己はない”と述べたのですか?
しかし、「空」というのは縁起の性質を示したものであって、ただ同じことを別の言葉で表現しただけのことです。
これは一切法(有為)のことであって、涅槃(無為)には該当しません。
『ウダーナ』において説かれた通り、涅槃(無為)とは縁起には拠らない一切外のことなのですから。
そして、元々から無為的性質であるところのアートマンが一切法(有為法)に抵触する筈がないのです。
従って、つまり一切法(有為)においてアートマンを認識することがないからといって、それを以て「アートマンが無い」ことの証明にはなりません
(一切法の中に無為を含め、涅槃を空/無我としたのは部派の間違いです)。

 【比丘たちよ、しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』
でないもの(涅槃)が存在することから、それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの
出離が覚知されると。】
(『ウダーナ』8.3正田大観訳)

さて? この『ウダーナ』に示されたように涅槃を涅槃であるとして、
有為からの出離をそれとして覚知しているものは一体、何(誰)なのでしょうか?
要するに、この有為からの出離を覚知し、縁起に拠らない無為を自覚しているものこそがアートマンなのではないか、
とするのが、この私の見解なのです。
だから、涅槃に到達したものは、「わたし(アートマン)が語る」と言ってもよいということになる、と。

すべて、辻褄が合っていると思います。


〜これを以ちまして、先生からのレスに対する私からの返信としたいと思います。
元々、先生とは議論する目的ではなくて、アンケート調査の一環として先生のご見解を確認するためのものなのでした。
この後はまた続けて、その他の研究者の先生方にも同じ質問をぶつけてみたいと思っている所存です。
この度は、ご多忙のところを大変、ありがとうございました。
感謝!!


合掌
0449宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 16:21:24.43ID:rPkMoSNR
>また、その説は釈尊はアートマン説だったが部派以降、ほとんど無我説になったというような論理だと思われます。
>(如来蔵説もチョナン派など一部を除いて無我説です)

正確には、
ブッダがウパニシャッドと同じアートマンを説いたと主張しているのではなくて、
「アートマンは無い」などとブッダが説いたということは部派仏教の勝手な論理であって、到底、本来のブッダの言説とは見なされない。
それにも変わらず、アートマンを説くヒンドゥーは有我論(妄想)であるとして馬鹿にしている
平均的な仏教徒らの愚かな姿勢のことを私は指摘していっているのです。
ブッダが、「アートマンは無い」などと説くことがないのは、自らがその理由について述べた無記の姿勢からみても明らかなことです
(もちろん、その逆の「アートマンが在る」とも説きませんが...)。

【ヴァッチャ姓の遊行者は世尊に尋ねた。
「アートマンはありますか(kiM nu khobho Gotama atthattA)」と。世尊は黙っていられた。また尋ねた。「アートマンはない
のですか(natthAttA)」と。世尊は黙っていられた。ヴァッチャ姓の遊行者は去っていった。
 その様子を見ていた阿難が「どうして黙っておられたのですか」と尋ねた。世尊は「アートマンはある(atthattA)」と答え
たら、常住論者(sassatavAda)に同じることになる。ないと答えれば断滅論者(ucchedavAda)に同じることになる」と答えら
れ、そして阿難に反問された。「もしアートマンがあるかと問われて『ある』と答えたら、諸法無我(sabbe dhammA anattA)と
いう智が生じるのに順じるだろうか。もし『ない』と答えたら、愚昧なヴァッチャ姓の遊行者は前にはアートマンがあったのに、
今はない(ahu vA me nUna pubbe attA, attAso etarahi natthi)と混乱(sammoha)がますます増大するだろう」と。】
(『サンユッタ・ニカーヤ』44 第10経/森 章司訳)

>本質的にはパーリ『梵網経』などに明らかなようにアートマンに執着していては解脱、
>涅槃、戯論寂滅に至らないというのが仏教に一貫してあると思います。
0450宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 16:23:12.82ID:rPkMoSNR
「アートマンは無い」という見解に固執することもまったく同質の執着なのですから、こちらも同様にして涅槃には至らないでしょう。
パーリ『梵網経』の主旨とは、“アートマンではないもの”をアートマンと誤認している
当時のバラモン行者たちの間違いを指摘したものだと私は解しています。
彼らが誤認したものが「魂」(ジーヴァ)、輪廻主体の「識」です。意識の焦点をここに定めることに成功した行者は、
驚異的な神秘体験(能力)を得ることができるからです。

すみませんが、
私には議論する意図はないのでこれにて失礼します。
互いの更なる進歩向上を心より平安を祈念します。
ご意見をありがとうございました。
(以降、特にどうしても必要と思われない限りは投稿を控えたいと思います)


Re:[10902]-2
あっ、すみません。
もう一言だけ付け足しておきたいと思います(汗)。

>(如来蔵説もチョナン派など一部を除いて無我説です)

基本的には、すべての仏教諸派が無我説に立っていることは存じています。
だから、現存するすべての仏教諸派というのは、アビダンマに立脚するために根本的に間違っているのだとこの私は主張します。
涅槃(無為)は、無我/空ではありませんから(アートマンが実在かどうかは別に置いておくとしても...)。
「空」というのは縁起する現象界の性質についての別表現です。なので、涅槃は縁起に拠らない境地(『ウダーナ』8:1)なのですから、
これを「空」とする理解は間違いです。

『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。--中略--
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、 所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』
(『ウダーナ』8:1片山一良訳)
0451神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/31(水) 17:46:20.11ID:xENY7tl9
ふむ。

石飛センセの方が、 「筋が」通って いるなw


最後のも、
訳した片山さんに、 「そこにアートマンがある・いる」 という意図は
微塵も欠片も河沙の砂粒ほども無かろうてw

まあ、それでも、 「仏典を読んでください」 としか、先生は言わないだろうけどw
0452宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 18:07:57.87ID:rPkMoSNR
同じく、「無我」(「アートマンではない」の意)についていうと、
ブッダは『苦なるものは無我である』(SN.111)といっているのですから、苦を滅した安楽の境地である涅槃が無我である筈がないのです。
これはもう、殆どトンチンカンのレベルです。この馬鹿げた矛盾というのは、すべての伝統仏教が仏典の記述を無視して、
ただ伝統と称して与えられたもの(部派のアンビダンマ教学や部派口伝)を有難く盲信してきた結果です。

 『比正たちよ,色は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは我所ではなく,わたくしの我
ではない。如実に正しい智慧を以て是の如くに観るべきである。受は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。... 』
(SN.111,雑阿含経1-91)

無我についても同様で、
これは現象界(有為)の性質についての実態を示したものであるので、有為を解脱した無為である涅槃が無我である筈がないのです。
ブッダは「苦なるものはわたしの我ではない」といっているのですから、これを仮にそのまま言い換えるとしたならば、
苦を滅した涅槃の境地は“わたしの我である”ということにも言葉上としては成り得ることになります。
これは、例えばですけれど...。
0453宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 18:09:42.70ID:rPkMoSNR
ゴータマが自らが説いて直接指導し、その教えも経典としても残されたというのに、
では何故? ゴータマ以降の第八番目の仏陀は輩出しないのでしょうか?
もしかしたら、随所において仏典を無視して部派のアビダンマ教学を盲信
(例えば、無我説の「アートマンはない」という見解に執着)してしまっている間違いが影響しているのかなぁ...
などともすら、この私は勘ぐってしまいます。
弟子たちは私(ゴータマ)には従わないとも、予言(SN.20.7.4-5)によって見通されてしまっていますし...。

 『彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよく
熟達すべきものであるとは考えないであろう。--中略-- 弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、
耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。』
(『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5中村 元訳)


以上です。
では、失礼しました。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
0454宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/31(水) 18:11:13.00ID:rPkMoSNR
>>438>>442
自分の言葉はないのか?
あなたにはそんな些細な常識すらもない?

>>451
はぁ?
0455神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/31(水) 18:13:15.50ID:hl7qebxF
https://i.imgur.com/lW69YYY.jpg
https://i.imgur.com/wwLkKxr.jpg
https://i.imgur.com/tNvxMft.jpg
https://i.imgur.com/c1vPUeY.jpg
https://i.imgur.com/bY3TiPM.jpg
https://i.imgur.com/jSGzrlH.jpg
https://i.imgur.com/aASq3Xu.jpg
https://i.imgur.com/TQE071D.jpg
https://i.imgur.com/sNn38gc.jpg
https://i.imgur.com/naN7Lnp.jpg
https://i.imgur.com/Fptjp7v.jpg
https://i.imgur.com/WVk6Wkp.jpg
https://i.imgur.com/vMITCti.jpg
0456神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/31(水) 19:18:14.59ID:/akVyud1
「法」には真理という意味、存在という意味の二つある。
「無我」には私、私のものでないという意味と、実在、実体は無いという意味がある。

諸法無我には、存在には実在は無い、実体は無いという意味もある。
全ての存在は頭の中にあると言ってもいいかもしれない。
そういう意味では、私もアートマンも、猫も杓子も、釈迦も達磨も、どこにも実体は無いと言える。
どこにも、何も無くなった状態が涅槃であり、不戯論。
そこから見ればもう何も議論することは無くなる。
あれこれ考える必要が無くなる。頭の中が空になる。
0457
垢版 |
2018/10/31(水) 20:50:11.66ID:xENY7tl9
>>454
だからw

片山先生にも直談判しに行けよ、ってこと。
0458湖北鈴屋外道「野狐」 屁ッコキマンペ 統失ヒッキー糞雀鬼ィ自我肥大痔がヒデェー
垢版 |
2018/10/31(水) 21:08:56.02ID:CgQX8rBP
1 SEARCHING FOR THE BULL - 34:00
https://www.youtube.com/watch?v=3BAzuuWdQ9g


うまいぞ。吉野家風?牛丼 - 10:33
https://www.youtube.com/watch?v=eiHkX237Fxk

台湾の吉野家【豪華朝定食】牛丼yosinoya - 4:44
https://www.youtube.com/watch?v=_j2MiTRDkuY

【中国】大連の吉野家で牛丼を喰う。 - 4:59
https://www.youtube.com/watch?v=qTUdEZ5W8H4

上海の吉野家で牛丼 - 2:17
https://www.youtube.com/watch?v=qlO2iDeDCE4

バンコク吉野家 - 2:07
https://www.youtube.com/watch?v=EH43l0VWAyI

これだけは教えたくない!吉野家牛丼持ち帰りを美味しく温める裏技! - 2:24
https://www.youtube.com/watch?v=GoyFa_5yqzc

吉野家で使える裏技・裏メニュー マニアックすぎる注文方法 - 6:36
https://www.youtube.com/watch?v=2A-aECTRYCQ

YOSHINOYA Beef bowl ?吉野家 牛丼アタマの大盛り - 4:08
https://www.youtube.com/watch?v=gcxclyfwXWs

吉野家の牛丼に卵かけの真髄 - 1:38
https://www.youtube.com/watch?v=sAsTX_SgvpY

吉野家 長堀店「牛丼 特盛」「お新香・味噌汁・生卵」 - 2:13
https://www.youtube.com/watch?v=vY--Rz_QT0M

吉野家の牛丼 訳して 吉牛 に偵察 大阪西区九条 - 1:30
https://www.youtube.com/watch?v=Ip5JyNGaqFY

汁の限界リベンジ!吉野家の牛丼 Beef Bowl - 1:18
https://www.youtube.com/watch?v=-9ml5z7r2a0

吉野家の牛丼大盛り+卵 - 8:55
https://www.youtube.com/watch?v=Q9z2_eamdMk

吉野家で大人買い!特盛牛皿×2・牛丼大盛り×2・カレー大盛り×1・御新香×1 - 7:27
https://www.youtube.com/watch?v=_fOwjRhDsDY

【吉野家】1240円の超高級牛丼を食べてみた!【牛重】 - 3:31
https://www.youtube.com/watch?v=ldJZRrqw7LM

早朝から吉野家の牛丼を食う - 2:49
https://www.youtube.com/watch?v=l7ze8JEEfpI

吉野家で牛丼食ってきた - 3:52
https://www.youtube.com/watch?v=a74kN4PZleo
0459おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 08:14:10.94ID:JwWbpypa
 
>自分の言葉はないのか?

ID:hl7qebxF師匠が中観帰謬を理解してるのか?わからないけど
とりあえず中観帰謬の場合なら

仮設としての
無明に依存している
汝の言う「誰も気づいていない山火事(という見解)」も
(無明に依存して)いま我らによって分別されている

中観帰謬を理解した上で、中観帰謬を前提とするのなら
仮設としての
無明に依存している
自分の見解は

>自分の言葉は↓

青目(ピンガラ)の中論 觀如來品 第二十二
…人は戯論を生じる
戯論して慧眼を破れば
(無明に依存しているのなら)
是の人達は皆、仏を見ることはない

ちなみに
おじゃるは、中観自立で おじゃります m(_ _)m
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
0460おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 08:40:04.50ID:JwWbpypa
 
>>459の補足

いま我らの見解(分別)に依存して
汝の言う「誰も気づいていない山火事(という見解)」が
現れ変化して滅しているので

それゆえに
汝の言う「誰も気づいていない山火事(という見解)」も
自相(自性)ではない

それゆえに
中観帰謬の場合は
そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンである。と掴もうとしている想いも手放して逝く

↑中観帰謬の場合

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派

基本的には、無明に依存している

>自分の言葉

という中観帰謬としての対機説法で おじゃります
0461宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/01(木) 10:38:20.25ID:HnW00csk
>>447
訂正:
(29)節
 ×『アーマンを、「私」という観念の主体であり、』
 ○『アートマンを、「私」という観念の主体であり、』

>>448
>だから、涅槃に到達したものは、「わたし(アートマン)が語る」と言ってもよいということになる、と。

補足:
 これが核心に迫る決定的な根拠部分でしょう!

【〔尊師いわく、---〕
 [なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、『わたしが語る』と
言ってもよいでしょう。<わがもの>である、と語っている』と言ってもよいでしょう。]
 [心を捨て去った人には、もはや結ぶ束縛は存在しない。かれには慢心の束縛がすべて払いのけられてしまったので、『わたし
が語る』といってもよいであろう。また人々が〔これこれは〕<わがもの>である、と語っている』と言ってもよいであろう。] 】
(サンユッタニカーヤ.T,3:5)

【註: 『わたしが語る』と言ってもよい---これは我(アートマン)が存在すると主張する議論である。『雑阿含経』には「何言説有我」。
   わがもの---mamam = mama patto,mama civaran ti a^di katha^voha^ram su^tva^(Comm.p.51). 「我所」(『雑阿含経』)。】
(中村 元訳『プッダ 神々との対話』岩波文庫p248)
0462宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/01(木) 10:40:35.05ID:HnW00csk
>>451
>石飛センセの方が、 「筋が」通って いるなw

読解力ないな...。
さすがのセブンも歳をとったか?
(まっ、お互いさまだけれどw)

>>457
一代も推奨の“直訳”の先生か...
はい、アンケート候補に検討しておきますよ。

>>455
【警告】
自分自身の言葉を語らず、
ただ黙々とコピペ転載やリンク貼りばかりしかしない者にも当スレからの退場を願う。
これも、当スレの戒律(マナーとルール)「条項」に加えさせて頂く!!

>>458
【警告】
あなたは条項4.に抵触しています。
二度と当スレに投稿して戴かなくて結構です。

真っ当な議論ではこの私に勝目がないものと分かると、
今度は、ただの荒らしへと成り下がるのが自称仏教徒の姿ということなのか?
0463神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 11:51:32.94ID:9wT390ux
>>461
サンユッタニカーヤからの引用はその後の

真に力量ある人は、世間における名称を知って、言語表現だけのものとして、〔仮に〕そのような表現をしてもよいのである。

を入れないのはミスリードを誘うことになる
自分の都合の悪い箇所を削るのは卑怯というもんやで宝珠さん


(l.3.5)【敬わるべき人】(第三章 剣)サンユッタ・ニカーヤ I
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52183038.html
0464おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 11:57:02.70ID:JwWbpypa
 
ID:CgQX8rBP師匠?
(宗教とかに興味がない人の)誤爆?
(あるいは)嫌がらせ?

牛丼とか書いてあるので

「坊さんが肉食べても良いのか?」とすれば
仏教議論になるかもしれない

宗教による制限

原始仏教では、比丘(僧侶)は糧(かて)をその日ごとで乞食(こつじき)することにより食を得
与えられた余り物の食べ物に肉が入っていようがなかろうが差別なく食べることになっていた
とくに南伝(上座部のパーリ経典)および北伝(大乗仏教)のなかでも古い経典においては
釈迦その人が肉食をしたことが記述されている
さらに、釈迦仏の弟子であった提婆達多が違背した原因は
提婆達多が菜食主義を戒律に含める主張を釈迦が明確に否定したからである
と記されているだけでなく釈迦が亡くなった原因は豚肉の食中毒であるとされている

生き物を殺す直接殺のみを明確に禁じ、間接殺においてはあくまでも貰い物の肉が
殺す所を見なかった肉
供養のために殺されたと聞かなかった肉
自分の為に殺された疑いの無い肉という「三種浄肉」であれば食しても問題はないとされた


おじゃるは
焼肉カルビも食べたい おじゃる
0465神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 12:03:37.88ID:A2RY0UbZ
涅槃を覚知する、無為を覚知することはできない。
覚知するという行為がサンカーラ、有為になってしまうから。
だから涅槃には「なる」ことはできても「知る」「感じる」ことはできない。
自分、私が存在するという意識が全くなくなった状態が涅槃だから、以降その人には「慢」が無い。
慢が無いとは、私という存在は実在しないと知っているという意味。
私は実在しない、無我であると正しく知っているからこそ、「私が語る」と言ってよい。
なぜならそれは執着、苦しみを生まないから。
0466おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 12:12:34.52ID:JwWbpypa
 
無明に依存することのない
仏そのもの
般若の智慧と慈悲をもって
解脱智見

四神足をもって
円成実性をもって依他起性を見る

(無明に依存することのない)
このときにおいて

真に力量ある人は、世間における名称を知って
言語表現だけのものとして
〔(「仮設としての」という意味において)仮に〕そのような表現をしてもよいのである

↑こんな感じで おじゃりますな?
0467おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 12:45:32.64ID:JwWbpypa
 
>涅槃を覚知する、無為を覚知する

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352
上座部 パオ・セヤドー

阿羅漢たちは答えました
「もし、八定と五神通を証悟していないのであれば、あなた方は、どのようにして阿羅漢果を証悟したのですか?」


仏陀は言いました
「先に法住智、その後に涅槃を対象とする道智」
(解脱を知覚して、そして解脱智見を知る)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
(主体でもなく・客体でもない)涅槃の世界において

般若の智慧によって観照された対境としての一切法の真実絶対の姿を実相般若という

円成実性をもって → 依他起性を見る

https://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)

我所ではない・我でもない。と知覚して住むことである

(そして涅槃も知覚して住むことである)
0468神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 13:51:44.46ID:D0GNJCI0
>>467
>(解脱を知覚して、そして解脱智見を知る)

解脱智見

解脱すれば、解脱したとの智が生じ、
<わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。このうえ、もはや迷いの生を繰返すことはないであろう>
と知るのである。

これが解脱来た時の決まり文句っぽくなっている
0469ポッタン師
垢版 |
2018/11/01(木) 13:57:55.61ID:wWvyhRVM
468.それは迷信である。大爆笑である。
0470神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 14:10:11.48ID:A2RY0UbZ
となれば、涅槃にもある種の智慧、気づきが残っていることになりますね。
スッタニパータと矛盾するような気がします。
細かいことは気にするなという事でしょうかw

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?
おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、
名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」
0471神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 14:41:50.25ID:9wT390ux
>>470
宝珠さんに言わせれば名称と形態が残りなく滅びた場合、つまり涅槃において現象世界からの出離を覚知する主体は、
五蘊の何かじゃなくて真我アートマンである、ということになるんじゃないかな?
0472おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 15:15:11.31ID:JwWbpypa
 
(無明に依存することなく)
智慧をもって
識別作用が止滅した。と知覚して住んだときに
解脱智見を知る

阿摩羅識(あまらしき)
真我 = 真如、如来蔵

唯識学会
第九意識とは完全なる涅槃

という真如縁起としての対機説法であるけれども

ただし
中観帰謬の場合は
真我である。という『想い』も手放して逝く
0473神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 15:41:02.41ID:A2RY0UbZ
よく読んでみると、確かにブッダは智慧と気をつけることが止滅するとは言ってないですね。
アジタは智慧と気づきが消滅するんですか?と聞いたのに、ブッダは答えていない。
識別作用と気づきは別ものだとブッダは捉えてるみたいですね。
よくよく考えてみれば、「識」は無明由来だから、気づき、智慧とは無関係でしょうね。
勉強になりました。
0474神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 15:50:09.18ID:EpCQl1oc
>>463の通りなんだがね・・(苦笑



なんか、「やり方(≒読み方)」が一在家っぽくなってきたなw  >>宝珠
0475宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/01(木) 15:55:18.71ID:HnW00csk
>>463
ご指摘ありがとうございます。

別に、何の都合も悪くはないですよ。
確かに、そこまで全部とも考えましたが、ただ長くなるだけなので止めたまでです。
理由としては、私がアピールしたいこととは直接的には関係がないので...。
そして、強調したいがために敢えてピックアップ的に抜き出していますから。
ただし、○○であるからとして、前段の文意に大切なただし書きが付くものとして、
その部分が必要不可なに場合には、もちろん省かないほうが賢明なことについては了解しています。

(省略した後半部分の内容については)
そりゃ〜すべて所詮は、ただの言語上の表現に過ぎないのだから、
そんなことはもちろん、仏教を論じる我々にとっては当り前のことですよ。
この経文で肝心なことは、“涅槃に到達した完成者は”『わたしが語る』(または<わがもの>)
と言ってもよいということの意味ですよ。
つまりは、そうでない者(未完者)というのはそれはできない、と。
その資格がないということになるのだから。
では一体、それは何故なんだ?? ということが重要でしょう。
0476神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 16:17:39.52ID:EpCQl1oc
>>475
>つまりは、そうでない者(未完者)というのはそれはできない
>では一体、それは何故

凡夫の口にする  「私は」「私が」 は、
まさに我見の見本、象徴、極みとしての

 「オレがオレが私が私が」「オレの物私の物」

に他ならないから。
0477神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 16:33:25.65ID:A2RY0UbZ
行、サンカーラにも二種類あるようで、ひとつは現象、存在としてのサンカーラ。
そちらは無明に依存している。もうひとつ、身口意の三業を生むサンカーラ。
身口意の三業には善と悪がある訳だから、気づきは身口意の善の意業だろう。
となれば、無為涅槃という場合には、停止しているサンカーラは現象、存在としてのサンカーラで、意業、気づきはあり続けている。
涅槃、無為を覚知するのは気づきであり、智慧である、という事でいいんじゃないでしょうか。
アートマン無しでも説明できますよ。

有学は、「わたし」の本質、無我を理解していないのだから、「わたしが語る」と言ってはいけない。
執着を強化する。自分でもよく分かっていない単語を使ってはいけない。という理由じゃないでしょうか。
0478宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/01(木) 17:42:58.99ID:HnW00csk
>>476
そりゃそうだ。

>>477
だから〜
涅槃に達した完成者こそが真人、
真実の自己(アートマン)に目覚めた者だいってるわけですよ。
別に、バラモンたちの語るアートマン云々ということではなくて、
あくまでも仏教の説く境地としての涅槃の状態=真実の自己の状態(真我)として。
では、涅槃とはどんな...
0479おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 18:16:21.54ID:JwWbpypa
 
>涅槃とはどんな

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
ウダーナヴァルガのギルギット写本

(無明が依存している)縁起したものを離れ

ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが苦しみの終わりである
  _  _  _

↓大乗の場合は
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
さらに無の世界も超えて
般若の智慧と慈悲をもって
円成実性をもって → 依他起性を見る
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている

無住処涅槃
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0480神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 19:21:08.21ID:EpCQl1oc
>>478
> そりゃそうだ。




だから、悟られた方に「我」がある筈がないのだよwwwww


まだ理解できない?w  ┐(´ー‘)┌
0481おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 19:48:21.42ID:JwWbpypa
 
>悟られた方に「我」がある筈がない

(無明に依存することのない)
四神足の智慧をもって

我所という『想い』でもない
我という『想い』でもない

自相(自性)という『想い』でもない

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンという『想い』でもない

想うという『想い』でもない
想わないという『想い』でもない
非想非非想も手放して超えて逝く
0482神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:42:49.04ID:wSaFAReT
わしが 「おまえさんは男かい ? 」と質問したとする 。
おまえさんの答えは 「はい 」かな ?
こういうやりとりは 、現象の表面上に表れたものに関するものじゃ 。
しかし 、おまえさんは本当は、四大 (地水火風 )が結合したものか、変化し続ける五蘊の集まりにすぎないのじゃ 。
もし、心が自由なら、現象を区別することはない 。 「大きい 」 「小さい 」 「あなた 」 「私 」など存在しないのだ 。
わしらは無我(アナッター)という表現を使うが、究極的には、我 (アッター)も無我もないのだ。


私たちは、何かを得るためではなく 、手放すために修行をするのです 。
しかし 、名(ナーマ)と色(ルーパ )に対する執着を手放すことができるようになる前に、私たちはこれらの真の姿を知る必要があります 。
そうすれば 、自然と厭離の心が生じます 。
「私」とか 「私のもの」などといえるものはなく、すべてのものは無常無常なのです 。
私たちは 、なぜ「ニッバーナを得た」という言い方ができないのでしょうか ?
なぜなら 、ニッバーナを体験した人は 、もはや「私 」とか「私のもの」という考えを持たないからです 。
もし、そのような言い方をするのであれば、その人はニッバーナを真に体験してはいないということです 。
はちみつの甘さを知っている人は 、たとえそれを知っていても、わざわざ 「私ははちみつの甘さを味わっている 」などとは考えないものです。

(アーチャン・チャー)
0483神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:48:21.38ID:EpCQl1oc
隠居は、頑として了承しなかったがw、
仏法ってのは、主語の無い文法なのよね・・。
0484神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:48:25.55ID:A2RY0UbZ
ブッダが「わたし」と書かれた箱を開けて、中身を見てみたが何も無かった。空だった。無我だった。
それに対して、「箱の中にはアートマンがあるんですよ、絶対に見えませんけど。縁起から離れていて、永遠に変化しないアートマンがあるんです。」
と言ってみても、まわりくどいだけ、言葉遊びのようなものだと思いますが。
0485神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:53:36.22ID:EpCQl1oc
かなり上手い喩えなんだが(>>484)、
宝珠には兎の毛ほども理解できんだろうな・・・ orz
0486おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 22:28:51.53ID:JwWbpypa
 
>兎の毛ほども理解できん

その理由は
さとりに達するための修行の障害(覆)がある
有覆無記
我癡・我見・我慢・我愛に依存しているから

(他に依存することなく成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(他に依存することなく成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性

たとえば
おじゃるの場合は
落武者の霊は居る。という『想い』が現れ変化して滅している
  _  _  _

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンである。という『想い』が現れ変化して滅している

円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない

遍計所執性をもって依他起性を見ることはできない
それゆえに
誰もが成仏するわけではない(五性各別)
0487宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:02:58.96ID:ra2XoL6Q
>>484
箱の中に在る筈がないでしょうよ。
見えるも見えないも...
アートマンはそういった物理的な場所のどこかに在るわけじゃないから。
最初から、それは何処そこに在るなどというものではないから。

そんな喩え話など、
ただのトンチンカン()を露呈してるだけ。

┐(´д`)┌ヤレヤレ
0488宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:10:29.44ID:ra2XoL6Q
>>480
悟られた方にとって--無い--のは、
“我執の自己”であり、“煩悩塗れの自我”であり、
そして、“業報に流されている自我”、“流転変滅を続ける無常の自我”です。

何故、涅槃に到達した完成者は“真実の自己”だということになるのか?
どうして、新しい自己とか進化した自己ということではなくて、
あくまでも「真実の自己」だといっているのかが重要だということ。
つまり、完成者となって初めて『わたしが語る』と言ってもよいということは、
それまで語ってきた自身における自己は“偽りのわたし”だったいうことを意味します。
無くなるのは。その偽りの自己です。

『言語表現だけのものとして、〔仮に〕そのような表現をしてもよいのである』>>463
セブンは、この後半部分を指して、ただ言葉上での仮の表現に過ぎないのであって、
だから、それはアートマンが在るという意味などではない。
アートマンが無いから言葉の表現を使っているだけだ。
もしも、本当にアートマンが在れば、ゴータマはハッキリ「在る」と断言している筈だ。
という見解でしょう。

わたしは、
ゴータマがアートマンを存在論で以て解釈されることを避けたいが為、
そして、第三者によって客観的に確認できるような実体とは異なるものであるから
(つまり、あくまでもその境地にある当人だけにしか知覚されない主観の世界だ)
だと見ています。
0489宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:11:10.35ID:ra2XoL6Q
〜もしも、セブンが唯物論を捨てるのであれば、
少しはあなたの見解の妥当性についてもその検討の余地が出て来るかもしれませんが...。
つまり、「心霊存在と輪廻する魂については認めるが、永遠なるアーマンについては無い」という見解なのであれば、
それはあっても可笑しくはない一つの意見だとして認めてもいいかもしれない。
しかし、そうではなくて、あなたはただ人間の死後はすべての意識が断滅消滅するものとみているから、
当然、アートマンなど認めるわけがないわけなのですよ。
そういうのを、ただの唯物論(断滅論)というのです。
仏教では、一番最初に否定され捨てられる最低の見解です。

輪廻する魂(アートマンではなく)についても客観的に検知することはほぼできませんが、
ただし、転生現象の有無については、すでに膨大な検証データが蓄積されているので、
それらについて知ることができます。
また、心霊存在(これも肉体崩壊後の残存意識の一つ)については、
これは、もし旨くいけば誰でも遭遇体験は可能なことです。
検証確認のために自分で自ら動こうという気があるかどうかですよ。
わたしはすでに確認済ですが、セブンには自己確認する気があるのか? です。

どう?
もう、唯物主義は捨てられるのかな?
あなたの卒業はいつなの?
0490宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:17:23.62ID:ra2XoL6Q
みなさんはどう?
すでに心霊存在(心霊体験)は確認した?
まっ、こんなもん体験せずとも知的に理解は可能ですが...。

どう、とっくに卒業できた?
こんな低レベルであるのかないのか?
いや不思議だぁ〜とか、未だにやってるんではとても話にならないから。
(別に在っても当たり前のものを普通に体験しただけだと...)

当然、おじゃるさんは卒業生だよな!
0491神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 18:18:50.10ID:83wf/HYq
>>487
この心臓内部の私のアートマンは
米粒よりも 麦粒よりも 芥子粒よりも
芥子粒の核よりも小さい

この心臓内部のアートマンは
大地よりも大きく 空よりも大きく 天よりも大きく
これら諸々の世界よりも大きい

(シャーンディリヤ)

後段はアートマンは真には梵と一如であるということを言ってるのだろう
0492神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:07:03.11ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/624
> ヒンドゥーを有我論という理由で愚弄する行為は即刻、
別に愚弄しているわけではなくてw、それは「仏法」ではないのでは?
と言ってるだけでしょ、皆。 ヒンドゥに限らず、他宗教他思想を愚弄する気は誰も持ってないでしょ。
勿論、「一神教的世界観、考え方」に対して、「世界の見方・視線としてどうなのか?」
という疑義はあったとしても。

http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/625
> >>http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/604
> >実は神智学徒だったのカモナー・・・
>
> ミス(無知や誤解で勘違いしていたこと)を神智学のせいにしたり
だからw ミスでも何でもなくて、誰のせいにもしていず、皆さん誰もが、
「仏教」として正しい、という確信のもとにレスしてるだけでしょ。 貴方がしているのと同じように。
中身を別にすれば、両者の言説は同一だよw 双方ともに、「違う」と言ってるだけ。
又、上の一文は、「臨済禅師の幾つかの言葉も、真我を見据えた発言だったのか?」
という禅宗史禅思想史の根幹に関わる問題を茶化して述べただけ。
0493神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:10:23.60ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/624>; そして「一切」は、“一切皆苦”(正しくは、「一切行苦」であるが、この場合「行」は
> 五蘊の「行蘊」に限定したものではなく一切法そのものを指している-水野氏)だといわれる。
> “苦の滅”(苦悩から永遠に解放された安らぎの境地)である「涅槃」が、
> 「苦」の根本要素である原因となる「一切」の中にある筈がない。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/626
> であるから、苦を滅した安らぎの境地である涅槃が一切皆苦の中にあるわけがない
> 涅槃はあくまでも、一切法における修行の最終結果としてあるものであって、
> その境地は、“一切とはまったく異なるだからw そういう括りの「一切」なら、その通り。
誰も何の異論も挟まないでしょう。 120%あなたの言う通りw
ただ、「一切法」と限定的謂いをした場合は、ちっとばかり事情が異なってくる。
「一切行」と「一切法」は同か異か。 一切善と一切悪は同か異か。一切仏と一切衆生と一切経とetc.etc.
だから、君がすべきことは、単なる「一切として云々」「一切の中に涅槃は云々」ではなく、
≪「涅槃」を「法」に含めるか否か≫を論証(≒議論)することだ。
勿論、基本、諸法(諸存在)は諸行に他ならないのだけれども、
「asankhataなもの(境地thAna)がある」と説かれたことを承けるなら、
それは法なのかどうかは非常に重要だ。諸々の存在(現象事象)としての法でなく、
理(ことわり)、真実、真理・勝義、修行者の目指すべき寂静としての法(ダルマ)がある、
と言い得るかどうか、と。 そしてそれは同時に、有名な二句
 sabbe sankhArA dhukkhA. sabbe dhammA anattA.
とリンクする。 なぜ、 sabbe dhammA dhukkhA でないのか? と。
0494神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:15:04.00ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/626
> そして、涅槃は「無為」(「有為」ではないもの)であるからこそ「有為」(現象界)からの“出離を覚知する”と
> 同じものならば >覚知しない。異なるからこそ出離を覚知する
うんうんうん、全く、完全に、1000%その通りだね(´∀`)b
でも、その時は、主体は無い・居ないんだよね、文法的に。
「○○【を】(××【が】)知る」ではなく、「○○【が】知られる」としか言われていない
ことに注意しなければならない。 『誰それによって知られる』という言い方すら、ウダーナではされていない。
つまり、〔≪『誰それ【の】』涅槃≫がある〕のではなく、〔ただ、≪涅槃(という)≫境地のみがある〕 と。

> “涅槃とは無為”であり、
> 「無常・無我・無自性・空」(現象界の諸性質)ではないことが明らかになったのならば、
> 元々、現象界を超越しているアートマンを否定する根拠にはならないのは自明
意味不明w  ≪ 【同等に】 、アートマンを肯定する根拠でもない≫わなwwwww

> 仏教が求めるべき“真実の自己”(Vin.Maha^vaggaT,13.p.23)
ここと、Dhp160偈が、考察の対象となるわけだが、
それでも、Dhpの方は(まさに禅家の言う「主人公」としてであり)
「主体的に生きる存在」としての私であり、
Mvの方も、森で遊び呆ける彼らにとって大切なものへ寄せた言い方であり、
その後、実は彼らにその答えは与えられていない。(彼らもまた求めていないが・・。)
なぜか? 不要無用だから。
「その方向(≒真我)を希求することこそが、そもそも、苦の因 に他ならないから。

> そして、『煩悩を滅して死の領域を超えた真人は「わたしが語る」と言ってもよい』(SNT,3-5 )
>>463に尽きるw
0495神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:16:11.57ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/626
> 本来は煩悩に拠らない“心性清浄である自己”(AN 1.6)
> 「わたしが語る」と言ってもよい』(SNT,3-5 )と、説かれたゴータマの教えが
> アートマン性質の核コア部分に相当する
別にアートマンでなくてもいいじゃんw 本来清浄(無地)なだけだから。
ブッダの身体は金色に云云というのも、
土着のドラヴィダ人と比べて色白(或いは黄色系)だったからかもしれんわけで。
アジア人が黄色い猿と言われるのと変わらん。 汚れてなければ、そりゃ白くて清浄でしょうよw

> 素直に受け止めなければならない事実
だからw  一在家のような【ねじ曲がった読み】はやめろ、とw

> 仏教ではヒンドゥーのようなアートマンを説いていないからといって
だからぁw  『説いていない』 ということが重要なの。
ブッダは握り拳の中に教えを隠さなかったの。
全て、示し切っているの。
だから、大般涅槃経の遺言が成立するの。

>  「在る筈がない」だのということはできない
だから、「在る筈だ」だということもできないのw
0496神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:18:37.10ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/635>>635
> 貴重な学生時代のテキストの
そんな昔じゃねーよ。
つい最近(数年前)、作ったばかりのもんだw 決着シリーズ中期ごろのこと。

>  だから、仏典に出てくるアートマンについては、
それがどのような自己のことを指しているのかを前後の文脈から読み取らなければ
うんうんうんうん。 まったくその通りだね。 (だから「文言非我、文脈無我」だと。(´∀`)b)

> 当時のセブ ンはそのことをあまり取り合わないようで
いやいやw それは寧ろ一代のスタンスw
なぜか? 日常に於いてさえ昨日の私と今日の私の同一性が疑えてしまうのに、
どうして、それ以上の同一性が担保想定し得ようか、と。
だから、一代は、世俗(日常)だろうが勝義だろうが、「私」に差異を見る必要はなく、
【どちらも】仮設されたものに変わりない、と。
「両義を見据えた上で、どっちにしても「わたくし無し」と断じたブッダの言い回し」
を褒めちぎっていたよw

http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/636
> 制御すべきは当然、日常のこの心の状態のことですよ! 真我が顕れるのはその結果ですから。
> 〜如何ですか?
だ〜か〜ら〜w
制御が必要なもの(心だろうが意だろうが識だろうが)は、「真我」足り得ないでしょ?と。
心性本浄の「心性」も、心の性質であるならば「真我」である筈がないでしょう? と。
  *(実際、原文ではcittaの一語しか出て来ない)
また更に、心を制御した先に顕れるものなれば、これまた尚更、
制御される前のものと同じである筈もないのは理の当然。
  https://i.imgur.com/mSHvPWT.png
0497おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/02(金) 22:25:55.25ID:1ovyebe5
 
>おじゃるさんは…

大日如来からの
 ↓
宇宙すべて一切の諸法
 ↓
ヒンドゥー(バラモン)
 ↓
仏教
 ↓
チベット
 ↓
シパ・バルドゥ − 再生へ向かう迷いの中有

トゥルパ − マナス(意、心)が成した身体 − 意成身

ヤブユム − 男女両尊

ということで
(金銭的に余裕があるのなら)
これからも
たとえば、お寺での怪談会とか
あるいは、マインドフルネスとか
神社・仏閣・霊場(心霊スポット)などにも逝ってみたい所存で おじゃります m(_ _)m
https://www.youtube.com/watch?v=PL9nc7wf4i0
京都怪談
0498神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:33:13.99ID:L7HMHUc3
>>487
> 最初から、それは何処そこに在るなどというものではないから。
うん。 だから「無我」でFAだね?www

> 箱の中に在る筈がないでしょうよ。
> 見えるも見えないも... アートマンはそういった物理的な場所のどこかに在るわけじゃないから。
> そんな喩え話など、ただのトンチンカン()を露呈してるだけ。
> ┐(´д`)┌ヤレヤレ

箱=五蘊(色(身体))/(箱に書かれた)「わたし」=世俗の言辞・ラベル(名(概念))
まさに、「名色 nAma-rUpa (≒名称と形態)」の喩えになってんのw
┐(´д`)┌ヤレヤレ

で、我々は、まさに、そうした五蘊の総体として、鈴木さんや田中さん、
そして、私やあなたといった名札を付けて、それを識別認識し合って生きているの。
それが、世俗に(世俗で)生きるということなの。
だから、如来も又、その慣習に従って、「私は〜」云々の言辞を用いるの。
でも、「如来の私」には、「オレがオレが私が私が」がないの。
ただただそれだけなの。

>>489
> 〜もしも、セブンが唯物論を捨てるのであれば
wwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwww

唯物論とか関係ないからw
魂があろうが生まれ変わりがあろうが、「無我」は「無我」なの。
少なくとも『一代はそうだった』ろ?w
また、ワシが、一時期、輪廻による相続肯定側で立論してたの読んでなかったか?
我(アートマン、真我)無くとも輪廻は成立しちゃうのw
0499承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/02(金) 22:43:53.26ID:MNrZk6Wy
うん、アートマンなどなく、しかし輪廻も霊も神々も妖怪も有って、しかし、いわゆる「個人主体の生まれ変わり」とか初期の「プトガラ」とか本当の私なんてもんは無いんだよ。

(^。^)そうゆう迷信があるだけ。(笑)
0500神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:55:21.95ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/756
> >>716
> 手法が異なるから別の宗教だとはもちろんその通りです。それはいい。
> では、手法が異なるとその結果(そのゴール)も異なるのか、否か?
この場合の 『結果が同じ』 は、そういう単純な比較に収められないの。
サッカーで一点を取る方法とバレーボールで一点を取る方法は当然違う。
が、同じ「一点」だから、同じだと言えないのと同様、
(特に修道に関しては)手法・方法論が違うというのは決定的差異になっちゃうの。
 (だから、大乗非仏説が言われて、一代がイラつくんじゃないw)
或いはまた、同じように治癒したからといって、
西洋的外科薬科治療と漢方鍼灸が同じだとは言えまい?
「医療」として同じというなら、「宗教」として同じと言っているだけにしか過ぎない。
また仮に、ゴール(目的地)が同じであれば尚更に、
『どのような方法を採るか』こそが「違い」であり、
それぞれの存在意義(選択の幅、向き不向き、ニーズへの適合)になってしまうわけでね。

> ヒンドゥーを間違いと決め付けて馬鹿にする。
だからw ≪ブッダの説法とは違う≫ ってだけでしょ。

> 尚且つ、仏教だけが唯一の真理でありそれ以外は間違った低いものと断罪
だからw ≪仏法の上では≫仏法が唯一の真理であり、それ以外がないのは当然だろがw
キ教でもイ教でユ教でも同じだろ。 それぞれ唯一で他は無いだろ?

なに寝言言ってんだとしか思えないわw
>
> 私は、“自分の信じる宗教だけが唯一の真理”と説いているところでロクなものを知らない。
> そのようなことを主張する宗教にはロクなものがないのは歴史が証明してきた。
いやいやw 今の貴方が、まさにそういう人になってますよ?w
0502神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 06:31:40.90ID:LqR+QWFs
諸行は縁起により生滅する全ての現象、六根、五蘊だよね。
諸法は概念、思考、妄想、認識も含む、意門の対象、全ての存在、だよね。
だから涅槃は諸行ではないけども、諸法だよね。
涅槃は無常ではなく、苦ではないが、無我だよね。
0503神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 09:05:00.07ID:GhivMDuz
>>502
>諸法は概念、思考、妄想、認識も含む、意門の対象、全ての存在、だよね。

概念は想
思考、妄想、認識は識(妄想は想になるかも)

で五蘊の内

しかしながら

スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk
#jtba :ブッダの教え。諸行は無常です。諸法は無我です。(中部45)
0504パーピマン
垢版 |
2018/11/03(土) 09:12:47.91ID:nNm5FL6m
>・・・しかし輪廻も霊も神々も妖怪も有って、・・・

妖怪つれてこいw

(希望・・こなきじじい)w
0505dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/11/03(土) 09:14:24.51ID:HIlNWdHI
どこかで妖怪がカキコんでるかもしれない・・・
0506承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/03(土) 09:46:06.13ID:cqmhV8k7
>>501
マウントしてド素人をいたぶるイキリハゲの姿が、そこにはあった。(笑)

(^。^)本当にハゲボウズって、ろくなの居ないよな。(笑)

>>504
お前さんが輪廻を連れてきてくれたらね。(笑)

因みに、かの水木御大は「妖怪とは、そうした雰囲気であって、それを視覚的に判るように書いてる」てなことを言われている。

俺にしても、そうした雰囲気を感じるだけで、見たことも触ったこともないよ。(笑)

そう言えば、昔、拝み屋さんの手伝いしてたとき、霊感ある人に「お不動さんカンジョウしてます」って言って実はゴウサンゼさんカンジョウしてみせた事があるんだが、「あれ?ゴウサンゼ明王が見えます」って不思議がってた。(笑)
本当に見えてんだな、とか思いながら「不思議ですねぇー」とか惚けてた事がありました。(笑)
0507おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 10:57:46.00ID:rjMjL98r
 
> カンジョウ

仏に勧めて、法を説いたり、世に久しく住することを請う勧請(かんじょう)?

戒律や資格を授けて正統な継承者とするための灌頂(かんじょう)?

《神》の《定》準となり《神定(かんじょう)》となり?

> ゴウサンセ

降三世明王(ごうざんぜみょうおう)?
  _  _  _

> 希望…こなきじじい

おじゃるは貧乏なので
承狂元密教僧の神通力をもって

見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらす座敷童子(ざしきわらし)を
連れて来て欲しいので おじゃります

地蔵菩薩  オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0508おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 11:22:43.65ID:rjMjL98r
 
>マウントしてド素人をいたぶるイキリハゲの姿が
>ハゲボウズって、ろくなの居ない

(中国経由の)日本の禅宗系とかは
キツイ性格の僧侶が多い?(かもしれない?)

ベトナム出身のティク・ナット・ハンとかは
優しい口調で
仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっていたらしい

https://www.youtube.com/watch?v=j3zi7HljYIM
ティク・ナット・ハン
(真如縁起をもって)ひとりひとりがブッダとなる

https://www.youtube.com/watch?v=EZrHRWkXA0k
ダライ・ラマ 輪廻 転生ラマ

https://www.youtube.com/watch?v=gcBeC6Qdg9k
プラユキ・ナラテボー 瞑想実践

ちなみに
スマナサーラ師匠も激論口調になる場合もある(かもしれない?)
0509神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 11:59:37.83ID:bfAS4mkD
体罰が駄目なことは、今から800年ほど前に曹洞宗の開祖たる道元禅師も言及している。

たとえ師であっても、弟子に暴力を振るってはならないと。

弟子の悪口を言うこともなく、教え導かなければならないと。

とは言っても、道元禅師が中国に渡り、そこで師とした如浄禅師は、坐禅の時に居眠りしている弟子を、履物で容赦なく打ち叩いていた。

そして、如浄禅師は、弟子にそのことを釈明した。

本来は、そのようなことはすべきではないが、仏道修行のために、仏に成り代わってやっているのであるから、慈悲の心でもって許してもらいたいと。

それを弟子は、涙を流しながら聞いたという。そして打たれることを喜び、そんな師を褒め称えたと。

道元禅師は、かくあるべきである、とも言っている。
0510おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 12:54:45.26ID:rjMjL98r
 
>仏道修行のために、仏に成り代わってやっている

最終的に
『仏である』と気づくことができるのなら

>智慧と慈悲の心でもって許して

も良いのかもしれないけど


おじゃるの場合は
無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習に依存しているので

それゆえに
やはり
誰もが成仏するわけではない(五性各別)。という感じがするので おじゃります

仮設としての
無明を手放しすることが出来れば良いのかもしれないけど
我癡・我見・我慢・我愛を手放しするのは難しい

ヒンドゥー(バラモン)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める
0511
垢版 |
2018/11/03(土) 13:09:12.42ID:wTYicxjM
http://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/563
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245923448/243
  〔 『法』の多義性、その定義の範囲 概略 〕 (仮)

「法」( dhamma )
 ┃
 ┣「摂理、理法、自然的因果」( dharma / dharmin ?)
 ┣「理屈、ことわり、論理的整合性」
 ┃
 ┣「おしえ」( sAsana )
 ┃  ├「縁起」
 ┃  ├「四諦」
 ┃  └「種々説かれた個々のおしえ、法門」(八万四千云々)
 ┣「経」
 ┃
 ┣「識の対象(法境)」
 ┣「(根境色の)境」(色声香味触法)
 ┗「一切の(認識可能な)存在、“もの”“こと”」(「名色」「五蘊」「五蘊十二処十八界」)
   └「上記プラス無為法」
      └「上記プラス 認識不能な領域に属する“真理”“真の在り様”“存在を有らしめるものとしての根源”」
         (→後期大乗としての、法界、真如、華厳界、曼荼羅etc.etc.の先にあるもの、
           或いはそれらを支え、成立せしむるもの)

参:
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/566-567
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/586
0512
垢版 |
2018/11/03(土) 13:09:55.32ID:wTYicxjM
◆本文◆
566 神も仏も名無しさん 2009/09/09(水) 20:41:27 ID:KFALggyU
>> 563
どうよ
172 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/02/03(火) 21:34:50 ID: aY704kGy
>> 169
核心的問いですね。頭のいい方ですね。

法とは「釈尊が再発見し説かれた理法」で十分ではないかというのが現在の私の理解です。
これは石飛道子先生の『ブッダと龍樹の論理学』46頁に依っています。
石飛先生は、天才ですね。仏教の難問を美しく整理して再現しているようです。

>仏教徒が三宝に帰依を表明するときの「法宝」を説明した古くからの定型句も、

定型句とは「法は1.世尊によって善く説かれ、2.自ら見るべく、3.無時的で、
4.来たり見るべく、5.導き、6.識者が各自に覚知すべきものである」でしょうか?

この1.が正に「釈尊が説かれたこと」でしょう。2., 4., 6.は自分で体験する、
3.は行ずれば即時的に結果が出る、5.虚妄ならざる真実に導く教えである。
ということで、1.以外は、全て釈尊が説かれた教えの属性、特性を示しているので、
この定型句は明らかに法とは釈尊の教えであるということで問題ないと思います。
以上に関してはご覧になっていると思いますが、
水野弘元『仏教要語の基礎知識』初版98頁以下で再確認してください。
ブッダゴーサの四分法も「釈尊が説かれたこと」を基本に特性を述べたと考えられるでしょう。
その水野先生の解釈は圧巻です。素晴らしい!
0513
垢版 |
2018/11/03(土) 13:10:57.52ID:wTYicxjM
567 神も仏も名無しさん 2009/09/09(水) 20:42:20 ID:KFALggyU
173 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/02/03(火) 21:35:50 ID: aY704kGy
>「縁起を見るものは法を見る」「法を見るものは仏を見る」だの「依法依不人」だの「法燈明」だの、簡単に言いますが、実際はさまざまな場面でその意味内容を使い分けているようです。
上の用例は、「見る」を体験、体得すると考えれば、全て教えと置き換えて問題ないでしょう。
原始仏典で「 x は法である」とは、定型句の1〜6の特性を全て釈尊が認めたということです。
逆に釈尊が人に質問されて「私はそうは説かない」と仰る場合は、1〜6を満たさないので認めない。
つまり、悟り、解脱に導かない体験できない結果のでないので法と認められないことです。
問題は、「一切法」「諸法」という用例です。これはよく諸現象とか物事、万物という
意味に解されますが、原始仏教に限ってはどうも誤解のようです。
では、何か。これも釈尊が縁起を悟ったことで明らかになった様々なことと考えると、
釈尊が悟った時に「諸法顕現せり」と伝承されることも理解できるでしょう。
そしてこの明らかになった様々なこと、つまり悟りの体系は、釈尊の意識内の出来事でしたが、
それを人に説く時に、「一切法」「諸法」などと呼ばれました。
つまり、「一切法」「諸法」は釈尊が悟った体系を、人に説いたもの。
釈尊が悟り、解脱に役にたつと認めたことが、法というわけです。
以上については、村上真完<最初の仏語「諸々の法が明らかになるpatubhavanti dhamma」考>印度學佛教學研究 54に依っています。以下で読めますのでご覧ください。
http://ci.nii.ac.jp/search/servlet/Kensaku
村上先生のこの解釈も素晴らしいものだと思います。
他に「滅法」といった要素、性質と訳される場合も、
滅と「釈尊が説かれたこと」が要素、性質という意味であると考えれば問題ないと思います。
その後、部派仏教時代にたぶん行のために「一切法」をまとめる論書が出現し、
分析探求、論理構築が進んで複雑なアビダルマ体系になったと思います。
このアビダルマを見ると、非常に難解で異説が多いので混乱すると思います。
◆元URL◆
【根本仏教】中観仏教について語ろう【龍樹】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230059903/172-173
0515おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 13:46:46.11ID:rjMjL98r
 
三相(さんそう、ティラッカナ)

無常(anicca アニッチャ)諸行無常
苦(dukkha ドゥッカ)一切皆空, 一切皆苦, 一切皆苦
無我(anatta アナッタ)諸法非我, 諸法無我

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352
上座部 パオ・セヤドー

法住智の「法」とは、諸々の行法とその無常・苦・無我の三相の事です
「住」の意味は、「立脚して」;「智」は智慧の事です
故に

法住智は
(般若の智慧と慈悲をもって観照する)
諸々の行法の無常・苦・無我の三相に立脚した観智、という事になります
0516ポッタン師
垢版 |
2018/11/03(土) 14:56:52.43ID:MDjqCn+m
515.般若の智慧と慈悲をもって観照する、か。
それでは忙しいことになる。バカ丸出し、である。
多忙が好きなのかや。大爆笑である。
0517神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 18:43:03.74ID:wTYicxjM
>>506
う〜む

全くその通りなので弁明の欠片も持ち合わせないがw、
「宝珠の“一在家化”」を、心の底から残念に想うのでね・・・。
0518神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 18:48:45.32ID:wTYicxjM
ああ、
でも、ワシの方は、最初の 決着アートマンスレ からすれば、
かなり 「一代化」 してるかもしれんからな・・・w

他人のことは言えんか・・・。
0519承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/03(土) 18:50:47.04ID:cqmhV8k7
>>517
なるべくしてそうなっちゃったんだから仕方ないよ。(笑)

(^。^)上も下も果てしねぇしな。(笑)
0520承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/03(土) 20:21:35.70ID:cqmhV8k7
>>507
カンジョウは勧請。
勧め請うという意味ですね。
神道では降ろすとか言いますが、密教だとこう言います。
密教では主に修法の最中に行いますが、私はそうした手順を踏まずにときどきこっそりやってました。
密教的には…どうなんだろ?(笑)
昔話とかでそんな記述あったような、それを真似してたんだっけ?

(^。^)まぁ、ネット上の与太話だと思って忘れてくれ。(笑)
0521宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/04(日) 14:02:50.29ID:Z4cTxmvf
>>606
なんかようかい♪
その“妖怪”(の話)が一体、どこからきたのかは知らないが...

私が、これは実在するだろうとして見ているものは、
UMA(未確認動物)の水棲巨大生物、ミゴー、クッシー、オゴポゴ。
巨大猿人類のイエティ、ビッグフット、野人、ヒバゴン。
また吸血鬼は、異食症の一つとしての「血液嗜好症」(ヘマトフィリア)、「吸血病」(ヴァンパイアフィリア)として医学的に確認されている事実。
あと、妖怪に分類されているけれども、是非、セブンに宿泊をお薦めしたいのが童子の霊とされる東北宿の「座敷わらし」だね。
これは現象遭遇率が非常に高いと評判ですから。
その他に可能性として気にしているものは、河童とツチノコ、沖縄諸島の精霊キジムナー。
そして、チュパカブラってとこか...。

まっ、こんな感じですかね。
あとはただの昔話的迷信と信憑性に欠けるものが多いかなぁ〜

>「あれ?ゴウサンゼ明王が見えます」って不思議がってた。(笑)
>本当に見えてんだな、とか思いながら「不思議ですねぇー」とか惚けてた事がありました。(笑)

う〜む。
“秋月慈童の秘儀”>>183とも通じる世界だな...。
ということは、承狂さんは
心霊次元レベルなんぞはとっくにごく当たり前のものとして認知していて、卒業なんだよね?

>>520
ホー、サスガは元、
破門された密教僧の端くれだけのことはあるなw
0522宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/04(日) 14:06:54.91ID:Z4cTxmvf
>>521
訂正:
アンカー>>606は間違い。>>506でした。

>>501
はーい、セブンお疲れさん♪
しっかし、凄い揚げ足取りだらけの長文連投でしたね!!
(これも仏の慈悲の体罰なのか?)

そして、また随分と溜め込んでたようで...
これで少しはスッキリできましたか?

あとで“御礼”しますね。
0523承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/04(日) 17:39:47.96ID:eW8ucm1F
>>521
「心霊次元」なんて有りませんけど。(笑)

(^。^)新痴学さんとは全く違う考えなので、一緒にしないでね。(笑)
0524神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/04(日) 20:55:11.66ID:kNzJPDRf
>>522
謙遜遠慮、慈悲憐みで 「揚げ足」 と申告しただけで、
全て、本音本心老婆心、正確な苦言だからw


だから寧ろ 心地よい疲労 だよ (´ー`)
0525神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/04(日) 22:57:20.11ID:kNzJPDRf
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1533980076/378>>378
> ある男が冒険の旅に出た。洞窟の奥深くで大きな宝箱を発見した。
> しかし鍵がかかっている。鍵は無い。しょうがないので男は宝箱を担いで家に向かった。
> 帰り道、山賊に狙われたり、川で溺れそうになりながら、ようやく家に帰った。
> 専用の工具なんかを使ってその宝箱を開けてみると、中身は空だった。男はズッコケた。
>
> 無我を悟って、有身見が無くなると、その50倍はズッコケます。自分というものは無い、空だった。
> 空の為に今まで何十年も無駄に苦労してきた。なんて馬鹿だったんだ、無知だったんだと気づきます。
> 同時にもう二度と、存在しない自我の為に苦労する事は無いと知って、安心感が芽生えます。
> 自分は無いのだから、死のうが生きようが、焼かれようが刺されようが、どうでもいい事じゃないか、と頭では理解しますが、
> 心にはまだ恐怖、不安、欲、が残っていることに気づきます。まだ修行が残っていることに気づきます。
> 無常、苦、無我をいちおう理解しているので、特に混乱することなく、たんたんと残りの修行を続けます。
0526神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/05(月) 00:55:34.12ID:L0UJT0xC
仏陀と神通力対決したカッサパ長兄って神通力が使えたのだから、対決した時点では仏陀に帰依はしておらずに外教のリーダーであったのに既に阿羅漢果に達していた覚者だったのだろうか?
0527承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/05(月) 01:07:07.13ID:y+hrWr99
>>526
漏尽がないから応供じゃないんです。
仙位と覚位は違うのです。
0528おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/05(月) 10:46:53.20ID:p+4RZfzA
 
承狂師匠
(難しくて意味が、わからなかったけど、とりあえず)
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
  _  _  _

>カッサパ長兄

プーラナ・カッサパ(不蘭那(不蘭)迦葉)
霊魂の不生不滅を説いて
人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして
因縁や業を否定し無道徳を説いた

↓こっちでつね?

優楼頻螺・迦葉(ウルヴェーラ・カッサパ)
ウルヴェーラ・カッサパはこの地の
バラモン出身で、頭に髷を結い、ヴェーダ聖典を読誦し火神を祀る事火外道の師だった
  _  _  _

漏尽通
煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力

解脱智見
般若の智慧と慈悲をもって → 解脱智見を知る

四神足
自在力(神通力)
般若の智慧と慈悲をもって → 依他起性を観照する
0529神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/05(月) 11:25:15.78ID:d+zHH0m9
解脱智見


比丘たちよ、多聞の聖なる声聞がこのようにみるならば、彼はまた、色かたちを厭い、また感受作用を厭い、また識別作用を厭い、また記憶力などの作用を厭い、また判断作用を厭う。
厭うならば欲を離れる、欲を離れたならば解脱する。
解脱したならば、私は解脱したという知識が生じ、
〈生は尽きた、清浄な行にすでに住した、なすべきことをなし終えた、さらなるこのような [輪廻的な生存という]状態はない〉、
と正しく知ることになる。
(宮元啓一著「仏教かく始まりき パーリ仏典『大品』を読む」春秋社)

またスッタニパータにも

「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。
そうして◯◯さんは聖者の一人となった。

という定型句が散見されます。
解脱智恵とはその名の通り輪廻から解脱して次の生はもうない(生は尽きた)と正しく知ることであります。
0530おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/05(月) 13:00:59.12ID:p+4RZfzA
 
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

↓これでつね?

スッタニパータ 82

生まれることは尽きた
清らかな行いはすでに完成した
なすべきことをなしおえた
もはや再びこのような生存をうけることはない
https://gakuen.koka.ac.jp/archives/501
http://microsamgha.com/2016/01/21/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF%EF%BC%98%EF%BC%92/
0531ポッタン師
垢版 |
2018/11/05(月) 14:31:23.53ID:PBVIglGk
529.530.それは迷信である。バカには理解できない。大爆笑である。
0532神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/05(月) 19:38:09.45ID:QEC8H1MJ
『サンユッタ・ニカーヤ』12.70(PTS Text,Vol.II,pp.119-128)

スシーマ

14 その時、尊者スシーマは、それを聞きました。
すなわち、多くの比丘たちが、尊師の面前で、完全智に達したことを明らかにし、
『滅尽したのは生まれることである。完成したのは清浄行である。為すべきことは為し遂げられて、もはや、この(輪廻の)状態に再び戻ることはない』
とわたしたちは知ります」と述べているのを。

15 そこで、尊者スシーマは、比丘たちに近づきました。
近づいて、かれら比丘たちと挨拶を交わしました。
親しみのある礼儀のこもったことばを交わして、一方の隅に坐りました。

16 一方の隅に座った尊者スシーマは、かれら比丘たちに、こう言いました。
「尊者たちが、尊師の面前で
『滅尽したのは、生まれることである。完成したのは清浄行である。為すべきことは為し遂げられ、もはや、この(輪廻の)状態に再び戻ることはない』
とわたしたちは知ります、と答えているのを聞きましたが、それは、本当ですか」
「本当です、友よ」
http://manikana.la.coocan.jp/canon/susima.html

この後尊者スーシマは解脱した比丘達に「それなら、あなた方尊者は、このように〜が出来るのですか?」
と色々な神通力が使えるのかどうか尋ねるのですが、
その度に比丘達に「いや、友よ、そのようなことはありません」と否定されます。
つまり釈迦の教団では修行して解脱しても神通力を使えるようになるわけではなかったのです。
0533宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 02:31:28.35ID:PnO86c9q
>>526
“神通の獲得”=完成者ということではないです。
神智学的には、2.0段階以上のイニシエートから神通を発揮できる者が現れてきます。
仏教でいえば「斯陀含」クラス以上からとなる。

スシーマ経における神通力に関する話のポイントは二つかな。
まず一つは、このスシーマという人物はそもそも神通力が目当てでゴータマの教団に近づいてきた好からぬ人物だということ。
ゴータマは彼の狙いなどはとっくに見抜いており、こういう人物には神通の秘密(獲得方法)は明かすことがないのです。
そして、もう一つは(だからこそ彼には)、解脱には必ずしも神通が必要ということではないことを示すべく、
神通を得ていない解脱者たちの存在を示したということでしょう。
解脱(阿羅漢)には大きく三つの種別があって、
それが「信解脱」(信仰型)、「慧解脱」(理論型)、「倶(分)解脱」(理論+禅定型)です。
実際、三明六通という神通を発揮できるのは、この中の「倶(分)解脱」だけらしい。
なので、阿羅漢だからといっても神通が発揮できるということではない。
それから、たまに見られる勘違いした者の誤読によって、
神通などは在り得ないといった唯物論の肯定に使用するような愚かは止めましょうね。

尚、三明と解脱の関係についてはあくまでもパーリ仏教上の解説であって、
しかし、事実としては、阿羅漢というものは総じて如来の階層よりも一段階、“低い境地”であると、この私は見ています。
これについては私も大乗の見解を支持したいと思います。
如来で神通の発揮できない存在はいない、と。
0534宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 02:38:58.28ID:PnO86c9q
容量の使用が激しくなってきているので、
一応、次スレを早々に建てておきました。
尚、この現行スレを使いきってからで皆さま宜しくお願いします。

--佛教論議の伽藍スレ-- 第三巻
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/l50
0535宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 03:53:02.71ID:PnO86c9q
>>523
>「心霊次元」なんて有りませんけど。(笑)

仏教徒というものは総じて無知が多い。
また、仏教用語に無い言葉だと急に“狸と化してすっ呆ける癖”がある。
自動的に、日常用語を仏教的に脳内変換(その逆も然り)できないのなら、一般人とも常識的な対話すらもできないでしょう。
一般社会では、死んだ人間の死後意識を総じて普通に「霊」とか「霊存在」といってる。
これの出現したものが“心霊(存在) ”と呼ばれているのであり、要するに、目撃者は「幽霊を見た!」などとと表現をする。
死後の霊存在そのものには元々、“悪いもの (良くないもの) ”という意味はないが、
一般人が目撃遭遇するものは必然的に良くないものが殆どとなる(状態の良い霊存在は次元が高くなるために遭遇しない)。
浄化(昇華)されてない霊は一般的に「不成仏霊(未成仏霊)」といわれる。
また彷徨っている状況は浮遊霊、自殺や他殺の場合にはその場所に留まるために地縛霊と呼ばれる。
これらの霊存在についての認識のことを、わたしは---心霊次元---と称したまでのこと。
この心霊次元程度はとっくに理解して、ごく当たり前のものとして認めているのかな? 
ということをあなたに確認したまでです。
尚、仏教においては詳細解説はなく、単に悪しき状態の霊状態のことを「餓鬼(preta)」と称しています。
目撃した幽霊とは、つまり、仏教の説く餓鬼存在なのだと理解すればいい。

>新痴学

可哀想に字も分からないらしいがw、
「神智学」では幽霊のことは“カーマローカ”という。
霊存在としては、「アストラル想念形態」、そして、生存者の状態においては「アストラル体」と呼んでいる。
0536宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 03:56:15.53ID:PnO86c9q
資料:
『 2)餓鬼(preta)
Pretaという語は元来は「死者・死人・亡霊」の意味であつて, 生前の悪業のために色々な醜い姿となって, 閻魔(Yama )大王の世界に生まれ,
飢渇に苦しんでいる亡者を指した。したがって, Preta は地獄の苦しみの一つのようなもので, 地獄と餓鬼との区別はもともとあまり明瞭では
なかったのであるが, 後には「餓鬼道」として, 地獄とは別の一世界と見なされ, その種類や状態なども詳細に説かれるに至った。』
(外薗 幸一著『業報輪廻の倫理観(六道輪廻説を中心として)』)
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181106030728.pdf?id=ART0007405593

【◆餓鬼道に落ちた者たちが繰り広げる51の物語◆
『スッタニパータ』や『ダンマパダ』などと同等の経典として大事に伝えられてきた初期仏教経典『餓鬼事経』を、解説付きの現代語訳で読む!
◆餓鬼たちが述べる ◆
◆悪因苦果と善因楽果の因果応報を ◆
◆幽霊のお話として説き聞かせながら、◆
◆人びとに正しい道を指し示す物語! ◆
 『餓鬼事経』は、ペータ(peta 死者・餓鬼)を共通のテーマとして、全部で51の偈経というか物語を編纂したお経集です。物語の多くは、前世
で悪業をなして餓鬼界に生まれた者(いわゆる幽霊)が人間の前に姿を現わして(不思議なことに、『餓鬼事経』に登場する人間たちは餓鬼を見ても
怖がりません)、自分が前世でおこなった悪業と今受けている苦果を述べ、悪因苦果の因果応報を自ら証明します。ときには、自分が受けている苦
しみから救ってほしくて、人間に功徳廻向を頼みます。その場合は人間も心得たもので、たとえばお布施をして、その功徳を餓鬼に廻向して救っ
てあげます。(「はじめに」より) 】
(藤本 晃著『初期仏教経典 現代語訳と解説―餓鬼事経―死者たちの物語』サンガ刊)
0538宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 19:22:35.95ID:PnO86c9q
>>533
追記:

要するに、この『スシーマ経』というのは、
解脱(悟り)には特に神通は不要であって、神通を持たない阿羅漢がいることを知りなさい。
その上で、あなたが求めているものは悟りなのか? それとも神通なのか?
もしも、神通目的ならばここは向いてないから立ち去りなさい。
ということを問うているのではないかな...。
というのが、この私の感想です。

>>537
いや〜〜
これはメチャメチャにウケた!!(爆)

>幽霊はいますか?
>>いますよ

承狂さんとは違って、
「それってナニよ?」とか、「そんなものある筈がない」などではなくて、
「いますよ」の“即答(了承) ”だからな! W

日常会話(一般用語)でそのまま自動変換だしね。
そして、この方はなんとキャバクラ通って欲情しまくりだしなぁ(笑)
ところで、「キャバクラ」って仏教用語だとなんというのかな?
また、パーリ語ではどうでしょうか?
0539承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/06(火) 20:36:07.55ID:PLzrCYjV
(^。^)まぁ、確かに俺が宝珠さんを肯定することは絶対ないよ。(笑)
0540承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/06(火) 23:19:34.47ID:PGNgn6XE
>>377
に対するのが>>380だとちょっぴり足りなかったんで。今ごろで悪いけど。(笑)

例えば全て仮想世界上で起きた情報をあたかも身体からの情報として直接脳にぶちこむ、
つまりやがて実現するだろう完全なバーチャルゲーム体験だと、
その中で初めて家事を修得したら現実には全く使えないままか?
そんなことはないだろうってのが大方の予想だよな。
攻殻なんてのはそんな漫画だったが、そうした方向で国家も企業も動いてる。
しかしその攻殻でも「ゴースト」と呼ばれるものは複製出来ない、とされていた。たぶん。(笑)
水槽の脳に戻るが、外部情報を完全再現したなら、その脳には現実だし、
比較対象を知らなければドット絵でもリアルでしかない。

一方で、心臓移植で人格が変わる、つまり脳に与えられずに心臓の違いで意識が変わるなんてこともある。
これは医学でもまだよく解ってないので、頭部移植なんかしちゃったんだろうが、
まだ不確定要素が他にもある。
憑き物なんてのは、まぁパーマンとかは笑うんだろうが、(笑)
俺には外部から何かがとりついたとしか考えられないし、その想定で対処してきたわけよ。

従って、学習出来る内容なら、それこそフロッピー化出来るが、(笑)
魂とか、ゴーストとか、悟りとか、愛(笑)なんてものは単なる情報ではないと考えてる訳だ。(笑)

(^。^)くっさ。(笑)
うわー、くっさ。(笑)
0541承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 06:08:47.45ID:uKj0m4XE
>>540
これを仏教っぽく書くと。(笑)

色受想行これ即ち識を元とす。
識無くば受くることなく、想うことなく、行ずることなし。
もって色もあることを知ることなし。
七氏曰く受無くば想なしと。
これ非なり。
念念従心起念念不離心とは、受によりての想に非ず、只識に依りたり。
識に依りての行も同じ。
色無くとも識に依りての受もこれあり。
無きものを見ること嗅ぐこと聞くこと味わうこと感じたること能ずとは言えず。
経に曰く空中無色とは、正に相依性なるが故に一々の別なしと説きたもうか。
但しこれ所詮凡夫が私記なり。具には各々師に又は己が心に問うべし。

ってなトコカ?(笑)

(^。^)いみじくも>>538で宝珠さんが書いた通り、仏教とは求菩提のために凡て説かれているんだから、
霊がどうの、霊界がどうの魂がどうのなんて道から外れた話はどうでも良いんだけど、(笑)
今の坊主も現代教育のせいで偏ってるからなぁ。(笑)
普く供養、とか書いてても俺以下の世代だと現代科学の知識をベースにするから、「ハイハイ、喩乙」になっちゃうだろ。(笑)
俺より上だと、まだウッスラ親から教えられてるけど。(笑)
0542神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 07:36:42.32ID:xE2lM5Fx
雑阿含経 「好戦経」

このように私は聞きました。
ある時仏は、王舎城のカランダ竹園にとどまっておられました。

その時に、十大弟子の一人であり、神通第一の聖者と呼ばれたモッガラーナ尊者とロクシュナ比丘が二人で托鉢に出掛けました。
 
托鉢をしている最中に、ある路上にて、モッガラーナ尊者が意味深長な微笑を浮かべました。
そこで、ロクシュナ比丘は問いました。
「今なぜ、微笑されたのですか?」
モッガラーナ尊者は答えました。
「今は托鉢中なので、帰ってから、仏陀の御前でお話しましょう。」

托鉢を終え、帰ってきて、仏陀にご挨拶をし、二人は仏陀の御前に座りました。
ロクシュナ比丘が先ほどのことを問いただしました。
「モッガラーナ尊者よ。
 あなたは、先ほど、私と托鉢中に、意味深長に微笑されました。
 なぜ、あの時に、あなたは意味深長に微笑されたのですか?」

モッガラーナ尊者は答えました。
「私はあの時、路上にて、一人の大きな男が空中に浮遊するのを見ました。
 皮がなく、肉団子のようになったそのものは、ふわふわと空中を歩いて行きました。
 カラス、トビ、クマタカ、ワシ、ヤカン、イヌなどの霊界のものがその男にまとわりつき、噛みついてその肉を食らい、その男は、あまりの苦痛から、声を出して泣き叫んでいました。
 私はその光景を見て思ったのです。
 なるほど、こういう人間は、こういう身体になって、こういう苦しみを味わうという報いを受けるのだな。
 そうだったのか・・・
 そう思って、私は思わず微笑したのです。」
0543神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 07:37:24.78ID:xE2lM5Fx
仏は、諸々の弟子たちに向かっておっしゃいました。
「よろしい。
 さて、皆さん、仏道を修行し、真実を観る目を養い、智慧を会得した者は、この様な霊を見るのです。
 仏もまた、この様な霊を見るのですが、人々にその存在を説くことはありません。
 なぜならば、そのことを説いた時に信じない者が出るからです。
 如来の説く内容を信じない者は、智慧のない者であり、その業によって、地獄に落ちてしまうため、その者たちが地獄に落ちぬように、信じられないことを私は説きません。
 皆さん。モッガラーナの見た霊は、過去世の時、この王舎城において戦争を好んで楽しみ、多くの人々を刀剣にて傷つけました。
 すでに、数千年もの間、地獄に落ちて、無量の苦しみを受け、地獄の余罪によって、今は、この世界にて、霊体の身を得るも、続いてこのような苦を受けるのです。
 皆さん。モッガラーナの見たことは、真実にして間違いはありません。
 まさに、この事実を受けて心に刻んで下さい。」


仏がこの教えを説き終えた時、諸々の弟子たちは、今聴いた教えを深くかみしめ、歓喜して、その後の修行に活かしました。
0544承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 08:33:43.93ID:D+wCOuSO
こういう人は
「釈尊は脇腹から産まれて直ぐに七歩歩いて、その足跡からは蓮華が咲いて天上天下唯我独尊と言った」
というのも「経典にあるから」そのまま信じてるんだよな?(笑)

(^。^)釈尊は人類ではなかったと。(笑)
0545神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 11:25:25.84ID:xE2lM5Fx
>>544
 仏もまた、この様な霊を見るのですが、人々にその存在を説くことはありません。
 なぜならば、そのことを説いた時に信じない者が出るからです。
 如来の説く内容を信じない者は、智慧のない者であり、その業によって、地獄に落ちてしまうため、その者たちが地獄に落ちぬように、信じられないことを私は説きません。
0546神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 14:01:26.75ID:LWQUa5zq
>>540
言わんとするところは分かるが、(つか、あの時も分かってはいたがw)
そういう 「完コピ(及びその「実行、実動」)」 が、そもそ「ヒトという生物」で可能か?
ということ。
(攻殻はともかくw)、たとえ、入力が完全に遂行されたとしても、
それが【実際に出力される(行動として顕れる)】とき、コピー元と全く同じ行動(動き・)となるだろうか。
これは、「最終的に筋肉を動かしてゆく神経系(伝達)の話」と、
まさに、活動する「筋肉(の動き)そのもの」にかかわる所だけれど、
その仮想話では、そうした出力(運動)の側面でも言えるのかな? と。
 *(たとえばお相撲さんの股割りとかwも、入力さえ完全に為されれば、
   誰一人の例外なく、(同じ角度で)大開脚できるだろうか?)
0548おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/07(水) 14:49:57.78ID:o4oB01L1
 
> 空中に浮遊するのを見ました
> 皮がなく、肉団子のようになったそのものは、ふわふわと空中を…

ID:xE2lM5Fx師匠
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
  _  _  _

> (^。^)釈尊は人類ではなかったと。(笑)
https://en-park.net/words/7441
仏教の開祖は釈迦であり、この世ではじめて悟りを開いた人物ですが
大日如来はその釈迦をも創りだした創造主…

なので
大日如来からの → 宇宙
  ↓
承狂師匠という感じで おじゃりますな?
  _  _  _

入力を完全に為されたとしても
(無明に依存しているのなら)
(同じ角度で)大開脚できるだろうか?

さとりに達するための修行の障害(覆)がある
我癡・我見・我慢・我愛
有覆無記(うぶくむき)で おじゃりますな?
0549パーピマン
垢版 |
2018/11/07(水) 15:12:18.32ID:ASA1MBe4
>憑き物なんてのは、まぁパーマンとかは笑うんだろうが、(笑) ・・・

どわっはっはっはっはっは〜〜〜〜〜
0550承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 17:15:22.43ID:D+wCOuSO
>>546
完全な再現性なんて生物に求めんなよ。(笑)
爺になって昔みたいなことが出来なくなっても同じ個人だろ。(笑)
クローン群の個体間で同一情報を共有しててもその後の学習や身体機能の変化で解釈は変わるだろうし。
じゃあ個人とは何か、意識とは何かになるが、
釈尊はそうした問題は十四無記で関わるなと言われてる訳だ。(笑)

まあ、個人的には、股割を入力されたら「出来て当然」と思って実行して股関節脱臼靭帯断裂とかすると思います。(笑) 

(^。^)お前らも歳を取れば、昔は出来たのに、とか思うんだよ。(笑)

>>548
だから、密教は大日如来所説だと。(笑)

>>549
密教は大日如来所説なんだよ。(笑)

(^。^)んなこたぁないか。(笑)
0551神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 20:03:33.07ID:LWQUa5zq
>>550
だから、(心技体じゃないがw)
身体含めた「行」なしに悟りはあるのか? という問いに戻るじゃないかw

勿論、 「悟り」が、「知識のみのこと」 であるなら、
遠い将来、(浦沢直樹プルートゥのゲジヒト等じゃないがw)

 『頭にSDカード差し込めばみんなブッダ』

な時代が来るかもしれんけど。
0552承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 21:11:45.29ID:D+wCOuSO
>>551
いや。(笑)
悟りが単なる情報群なら、「コピー機も写経し続けたら悟るってこと」になると思うが。(笑)
縁覚ってあるとされてるんだから在るんでしょう。(笑)
現に釈尊はそうだったんだし。
その覚りが、単なる人格の最上位か、原理主義者の言うような超人なのか、もっと別の何かなのか。(笑)
それは個々の信仰心の問題でしかないんだから、実際がどうだったのかなんて個々には関係ないし。(笑)

(^。^)俺的には、釈尊云々より大日さんがどうなんかが最優先だし。(笑)
0553ポッタン師
垢版 |
2018/11/07(水) 22:09:12.95ID:7MBph4b4
552.551.悟り、はコピーできる。バカには理解できない。大爆笑である。
0554神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 22:28:31.04ID:LWQUa5zq
それは、図書館の蔵書と変わらない。
人間がいなくても悟りが存在するとか。大爆笑である。  >>553


>>552
いや、だから、そうじゃなくて、
(つか、元ネタの番組見てからレスしてくれ。論点や、話の起点はそこじゃないから。)
いわゆる ≪身に付く≫ という事象が、仏道を『歩む』上で、不要なのかどうか、ということなんだけど。
もっと言えば、 「修行する必要はない」 と言ってしまっていいのか? ということ。


んと今回は、全く噛み合ってないんだなw
0555神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 22:29:57.65ID:LWQUa5zq
ああ、
八正道も、八つも要らないという話になっちまうわけでね・・・。
0556承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/08(木) 00:36:05.46ID:52C75f97
>>554
えー?
全く違う仏教観で討論するって趣旨じゃないの?(笑)

(^。^)そこからやるのも良いけど、以前やった時は咬まなかったのに。(笑)

えー、AIやってる連中とかのはハードウェアにソフト入れたら演算出来る。だから、その延長線上にAI出来ますってもの。
何度となく書いてきたがオカルト側から言わせれば、これはナンセンス。
>>541でも触れたように、三界虚仮但是一心作で色受想行は識有っての話で、この識には色界などと同様に意識界が物理的な存在ではないが、実在すると認識した方が府に落ちるわけよ。
まぁ、無色界とか有頂天とかの話はないと思うが。有頂天の大自在こそがキリスト教の禍津八十(以下略)
で、ハードでソフトが演算してるって世界観じゃなく、(ゴウンの前4つが仮設の識を、ではなく)
ハードでソフトを意識が演算してるってのがゴウンの世界観だと俺は考えてる訳だ。(前4つを仮設の意識がー)
例えば気功は「情報の交信」ではなく、気が交わる事で情報が構築されてる、とね。
だから、水槽の脳にデータを入力出来と某かの意識が生じるなんて事はなく、
データが入力出来るなら、そこに既に何らかの意識がある、となる。
覚り云々も同じで、データで意識が変わるのではなく、意識がデータで確証を得ているだけ、
これが、自性清浄とか光明とか如来蔵とかの話だと考えてる。
この、最適化にも様々な段階があって、羅漢果とか如来位になると。

(^。^)この前提の違いを黙ったまま、ウダウダ議論を重ねるのが皆好きなんじゃないの?(笑)
0557承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/08(木) 01:27:22.85ID:52C75f97
1個大事な事を忘れてた。
何度も書いてるが、あくまで私見だからな。(笑)
伝統的な解釈は違うかも知れん、というかこの辺は各自で悟ることで、こういう事かくのは駄目なのかもしれん。
経典でも意識界とかさらっと流してるからな。
てか、書いてること知っただけだとどうしてもバイアス掛かるから、(俺が違うかもってのは大前提だが。)正確には伝わらんし。(笑)

(^。^)て訳で特におじゃるさん、俺が書いた事は全文忘れて下さい。(笑)
0558宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/08(木) 03:53:38.35ID:09Qd9jio
>>544
あのね...味噌も糞も一緒にしなさんな!
それらの単なる神格化による迷信と、事実としての現象(心霊、神通、奇跡など)は賢く識別しましょうね。
この私は、糞で創られた味噌汁は飲まないから。
たかが心霊程度レベルも理解できないようでは、御山(高野山)を降ろされても当然でしょうね。
そんな唯物論もどきじゃ〜密教僧の資格なし。キャバクラ通い僧よりも劣るとはとてもザンネン...。
あなたには、東北の座敷童のお宿をお薦めします!!

とにかくこの私は、
宗門はすべての唯物主義者を“排除すべき”だと強く主張します。

 『NK.(vol.T p.050, 南伝28 p.107);(夢の中で)菩薩は白色の優れた象となって……母〔妃の臥する〕臥榻の周りを、
右の方へ三たび繞り、〔母妃の〕右脇を開いてその胎に入られたようであった。斯うして菩薩は、阿沙陀祭最後の日に
(uttarAsALha-nakkhattena)、母胎に宿られたのである。』
 『MV.(vol.U p.020,JonesU  p.018);菩薩の母は普通の女性のように横になったり座ったりして出産せず、立ったまま
で出産する。菩薩は母の右脇から何らの害を与えることなく生まれ出る。』
http://www.sakya-muni.jp/monograph/03/3-1/0506.html
0559宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/08(木) 03:54:12.35ID:09Qd9jio
 これらの仏伝によれば、(六本のキバを持つ)白象が右脇腹から入る霊夢を見て懐妊して、その右脇腹から出生したとされます。
これは要するに、処女懐胎ということを謳っているわけですよ。このようなもので良く知られて有名な話としてはキリスト教の
イエスです。それは、天使ガブリエルから処女懐胎の告知を受けた聖母マリアが至潔の処女のままイエスを出産したというもの。
 処女懐胎の信仰というものは、処女性の持つ汚れ無き神聖なイメージと結びつけたものに過ぎない神格化であって、この手法
は何もイエスやブッダに限ったものではありません。
 インドの聖英クリシュナはデバキという貞淑な処女から産まれた。ペルシャのゾロアスター(ゴータマよりも170年ほど前の
ゾロアスターはイエス同様、誕生以前から数々の奇跡現象によって予言者たちによって未来の 誕生が知られていた)や王キュ
ロスもそうであり、またタイや中国にも処女出産の聖者がいる。エジプト神話のホルス神が処女神イシスから産まれたというの
も同じことです。
 また、ブッダの話の“右脇腹”に拘る理由が、もしもあるとすれば、インドの一般世間においては身体の左側は不浄の概念を
持っているからではなかろうかと推察します。

 “天上天下唯我独尊”というのは、弟子たちが仏陀という存在はこの世で最も尊いものだと説いていたものが、後に、ブッダ
自らがそう誇示したという神格化となったものでしょう。“産まれて直ぐに七歩歩いた”というのも神格化でしょうね。これらは
別に不可能であるとかと、絶対に在り得ないものという意味ではなくて、後代の弟子たちによる神格化なのだろうということ。
0560宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/08(木) 03:57:08.85ID:09Qd9jio
>>542-543>>545
『好戦経』の提示に感謝です!!
そうそう。如来の教えを否定して信じない者が可哀想なことになるから、
普段は説かないようにしているというところが重要なのですよね。

>>555
「八正道」というのは修行法なのではなくて、
実際には、完成者としての“結果”のことではないのか?
と、以前から思うことが、この私にはある...。
0561おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/08(木) 06:46:14.91ID:encZZt0b
 
> 例えば気功は「情報の交信」ではなく、気が交わる事で情報が構築されてる、とね
> だから、水槽の脳にデータを入力出来と某かの意識が生じるなんて事はなく
> データが入力出来るなら、そこに既に何らかの意識がある、となる
> 覚り云々も同じで、データで意識が変わるのではなく、意識がデータで確証を得ているだけ
> これが、自性清浄とか光明とか如来蔵とかの話だと考えてる
> この、最適化にも様々な段階があって、羅漢果とか如来位になると
> (^。^)この前提の違いを黙ったまま、ウダウダ議論を重ねるのが皆好きなんじゃないの?(笑)

> そこに既に何らかの意識がある

たとえば
そこに既に
大日如来からの → (仮設としての)色受想行識の仮和合がある

仏そのもの
仏性からの真如縁起

↑こんな感じかしらん?
  _  _  _

> おじゃるさん、俺が書いた事は全文忘れて下さい。(笑)

おじゃるは
脳に障害があるので
記憶力は、かなり悪いので おじゃります m(_ _)m
0562おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/08(木) 07:24:50.60ID:encZZt0b
 
> 「八正道」というのは…“結果”

たとえば
(中国経由の)日本の禅宗系とかの場合は

そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもないはずである

(仏性からの真如縁起)を前提として
http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗 内山興正

この坐禅中の心構えを一口にいうならば
坐禅の姿を
骨組と筋肉でねらい

> 身体含めた「行」をもって
「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
  _  _  _

自性清浄の光り輝いている(仏そのもの)前提かもしれない

菩提分法
四神足
般若の智慧と慈悲をもって → (仮設としての)思惟観察する
0563承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/08(木) 21:56:28.31ID:rvQv4Czt
>>561
ちゃいます。(笑)
大日如来からの、ではなく、大日如来の中の一部が様々に縁起しての、我々などの様々な在り方なんです。
キリスト教の神とは全く違う話です。
っていうと、「この宇宙が大日如来ソノモノ」とか即物的な安直な考えする人がハゲでも居ますが、

宇宙が密教を説く訳ないよな?(威圧)

(^。^)仏から縁起とか訳が判らん。(笑)
なんなん、真如縁起て。(笑)
0564宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/09(金) 02:21:58.60ID:jEDWOvYk
>>541
> (^。^)いみじくも>>538で宝珠さんが書いた通り、仏教とは求菩提のために凡て説かれているんだから、
>霊がどうの、霊界がどうの魂がどうのなんて道から外れた話はどうでも良いんだけど、(笑)

確かに、パーリ仏教においては、
神通がなくても阿羅漢足り得るということ。
つまり、悟り(完成=阿羅漢)のためには神通は直接的な関係ではない、と。

しかし、そのことは良いとしても、
“霊存在”についての理解というのはどうでも良いということではない。
これも我々には肉体が在ることと同様の認識で以て、その存在を認めていく必要性がある。
何故ならば、餓鬼道に堕ちている精霊は自業自得とはいえ苦しみもがいている哀れな存在であり、
また、その苦悩の余波と悪しき波動が周囲の人間たち(遺族子孫や自縛している場所にいる人間など)にその悪影響を及ばすからです。
これを一般に“霊障(霊障害) ”といっているのです。これは放置していて良いというものではなくて、
手を差し伸べて早期に事態を救済していく必要性があるのだということ。
だから、仏教では“餓鬼救済(施餓鬼) ”について口酸っぱく説いているのです。
よって、この問題を無視して僧侶(仏教徒)足り得る筈がない。

そのことに比べれば、
「魂」存在については知らなくても特に不具合はないかも知れない...。
肝心なことは、前世〜来世へと継承される“転生”(業報輪廻)について理解されていれば問題ない。
0565神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/09(金) 07:42:06.68ID:Llg8KnXR
【京都】「お寺、仏教はこういうものである」 ダンスミュージックあわせ合掌、お坊さんバンドも 知恩院が攻めのPR 仏教離れ防げるか ・
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1541500370/
0566承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/09(金) 13:15:57.53ID:LKuHLLQI
>>564
鉄道オタクがJR 職員にアドバイスしても大抵はトンチンカンな内容にしかならない。
二千五百年の歴史ある組織に、社会的信用は殆どない同好会を独学してるだけの人のアドバイスが有効だと、
なぜそう思えるのが本当に不思議でなりません。
それとも、実際に霊的な相談などにのっているんですか?
払ったことが一度でもある?
そうは思えんがなぁ。(笑)

(^。^)なんでもそうだが、虚構と実際は別物ですよ。(笑)
0567おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/09(金) 13:40:17.38ID:vArm9XpG
 
承狂元密教は

> 実際に霊的な相談などにのっていた

(成仏供養、護摩法?をしてた)んですよね?

その時の、お話しを、ご教示願います m(_ _)m

下ヨシ子の娘 下昇恵の場合の成仏法?↓
https://www.youtube.com/watch?v=xe1ri54cigQ

↑ヤラセ、仕込み、合成動画かもしれないけど、とりあえず
0568おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/09(金) 17:13:59.80ID:vArm9XpG
 
↓実際に現場に逝って撮影してる人達?

avex Movie Gift
https://www.youtube.com/watch?v=o2DVX8kNYb8

竹書房ホラーチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=Y3bz3WOBzWI

BukatsuONE
https://www.youtube.com/watch?v=0ZH8qEhyG0Y

ゾゾゾ
https://www.youtube.com/watch?v=0kNJjpyU4yw

北の打ち師達
https://www.youtube.com/watch?v=-6C8D3rsAK8

deathtopia1000
https://www.youtube.com/watch?v=pyVSb6VzoeQ

T.Uチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=clqhXV1Sslc

稲川淳二「四国巡礼・恐怖の現場」〜本当にあった‘死国’88霊場
http://pics.dmm.com/mono/movie/n_610mnpr172r/n_610mnpr172rpl.jpg
0569承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
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2018/11/09(金) 18:21:47.04ID:LKuHLLQI
>>567
俺は拝み屋さんで、祓うのを手伝ってただけで、

実際に相談に乗ったことはありません。(笑)

おじゃるさんが考えてるようなマンガみたいなのは全くなく、
端から見たら単なるオマジナイ、儀式でしかありませんから。(笑)
やってる本人としても俺みたいに見えない人は変な疲れかたする儀式でしかありません。(笑)
気が判るとオゾマシさとかも判るけど、見えてる人みたいな恐怖はない。(笑)
ヘドロに腕突っ込むみたいな気持ち悪さと言えば伝わるかな?(笑)

(^。^)色んな人が色んな流派で色んな事をやってるけど、何が本当かは判らん、というか全部間違ってるような気がして辞めました。(笑)
0570神も仏も名無しさん
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2018/11/10(土) 09:16:59.96ID:lRgYISui
小部経典「 餓鬼事経 」


舎衛城に コーサラ国王の 二人の王子がいました 。 
どちらも ハンサムで若く、しかし それに溺れ、他人の妻たちと 不倫したりしていました 。
彼らは、亡くなると 城外の堀で 餓鬼 ( 幽霊 ) に生まれ、夜な夜な 恐ろしげな声で呻いていました 。
人々は その声を聞いて気味が悪くなり、仏 ( ブッダ ) を上首とする比丘サンガに 大いなる お布施をして、
「 このように お布施をしたら、この 薄気味悪い兆しも和らぐでしょう 。」
と 考え、世尊に事情を打ち明けました 。        

世尊は それをお聞きになって、
「 信者たちよ、これは 危険なものではありません 。」
と、以下の偈で その原因を説き明かされ、さらに説法なさいました 。

「 ヒマラヤ山脈に接する 舎衛城という都市がある 。
そこに、王の息子であった 二人の少年がいたと 私は聞いている 。
誘惑して、五感を満足させる喜びを 見つけることだけに心奪われ、彼らは この世の快楽だけを渇望して、来世のことに注意を払わなかった 。
そして 人界から堕ち、悪い境涯に生まれて、彼らは今、見えないけれど、彼らが 過去世で ( 人間であったとき ) 犯した 悪行を嘆いているのだ 。
『 たくさんのものが 目の前にあり、功徳を積む準備は できていたのに、私たちは 自分に幸せをもたらす善業を、ホンの少しも しなかった 。
これよりも 悪いことがあろうか 。          
私たちは 王家から滑り落ち、飢えと 渇きに苦しむ 餓鬼に生まれたのだ 。』 と 。
0571神も仏も名無しさん
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2018/11/10(土) 09:17:23.26ID:lRgYISui
この世界で ずっと支配者であったのちに、あちらでは もはや支配できない 。
飢えと渇きに さいなまれながら、ただ うろつくだけである 。
人間の中で 最上の地位を誇った者たちが、今や 最低のところにいる 。
権力に溺れることに起因する不利益が結果を出して終わったとき、そして もはや権力に溺れることを捨てたとき、その者は天に赴く 。」

人 「 餓鬼 ( 幽霊 ) たちは、人間もそうですが、善行為を しなかったので、苦しみに 陥っているように見えます 。
天人たちのように、人間も幸福になれる境涯なのだから、あとで 幸福を経験できる ( 善 ) 行為をするべきです 。」

ブッダ 「 この世において 善をなし、亡き者たちの為に供養をし、勝 ( すぐ ) れた おこないをした後、施主は 天界に赴く 。」
0572承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
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2018/11/10(土) 18:27:42.26ID:cyFFlTkr
しゃべくりだったか?以前モンゴル出身の横綱がテレビで
ジュース飲む前とか指で数滴供養してから飲むって言ってたな。

(^。^)供養はマジで大事だぞ。(笑)
0573おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/11/10(土) 18:46:39.91ID:MaxQr/QP
 
無明に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
遍計所執性に依存して

誰もが成仏するわけではない(五性各別)なので、それゆえに

> 善行為をしなかった(できなかった)ので、苦しみに 陥っている

という感じで おじゃりますな?
  _  _  _

> (^。^)供養はマジで大事だぞ。(笑)

いつも、ご教示ありがとうございます m(_ _)m

↓拝火教(ゾロアスター)由来の?

4K 高野山 真言密教護摩焚き
https://www.youtube.com/watch?v=9JsHo1XGm10

↑成仏供養法ではないかもしれないけど、とりあえず
0574承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
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2018/11/10(土) 23:02:53.62ID:UWRpVuS0
供養は大事。
なんだが、じゃあ何をどうすれば供養か?
貧者の一灯という言葉があるわな。
密教の法だと、一粒一滴で雲海と為して普く供養する、なんて観想もある。
要は誠、誠意が天に通じるということ。
先に「身体感覚器官のフィードバック無しに経験は得られるか」と問いに「当然」と答えたが、これもまた同じっちゃあ同じ話で、
極論すれば、だが、正しき意志があるなら、それだけで供養足りうるし覚位に至れる。
至誠があるならそれだけでも供養だろ。
諸尊とはそうしたものだと思う。
じゃあ具体的にはどうなんだって問いには、
そんなもんお前が考えろ、としか言えんわな。(笑)
マニュアル化が出来ないから、言語不可得だしな。(笑)
無尽だから八万四千で、諸尊も無尽なんだろって話。
しかし、こんなん考えながらバカカルトみたいな腐った魂の相手とか、まぁ、無理ゲーだとしか俺には思えない。(笑)


(^。^)だから、経典コピペとかもだが、俺は何か間違ってるんだろう。(笑)
0575神も仏も名無しさん
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2018/11/10(土) 23:08:37.98ID:lRgYISui
小部経典 7.ティロークッタ・スッタ(戸外経)

1.〔餓鬼たちは〕諸々の壁の外に止住する――さらには、諸々の十字路や丁字路に。
〔餓鬼たちは〕諸々の門の両脇に止住する――自らの家屋に帰り来て。

2.沢山の食べ物や飲み物が、固形の食料や軟らかい食料が、〔施食として〕奉仕されたとき、誰も、それら〔の餓鬼たち〕のことを思い浮かべない。
〔それらの〕有情たち(餓鬼たち)には、〔そのような〕行為の縁(業縁)あるがゆえに。

3.彼ら(施者たち)が、慈しみある者たちとして〔世に〕有るなら、このように、〔彼らは〕施す――〔過去の〕親族たち(餓鬼たち)のために、清らかで精妙なる飲み物と食料を、適確なる時に。

4.〔すなわち〕「これは、まさに、〔過去の〕親族たちのためと成れ。〔過去の〕親族たちは、安楽の者たちと成れ」〔と〕。
しかして、それら〔の餓鬼たち〕は、そこにおいて、集いあつまって〔そののち〕、 集いあつまった〔過去の〕親族たる餓鬼たちは――  

5.沢山の食べ物や飲み物にたいし、恭しく随喜する。
〔すなわち〕「わたしたちの親族たち(施者たち)は、長きにわたり生きよ。彼らを因として、〔わたしたちは、安楽を〕得るのだ。  

6.しかして、わたしたちのために、供養は為された。しかして、施者たちは、果なき者たちにあらず」〔と〕。
なぜなら、そこにおいて、耕作は存在せず、ここにおいて、牧畜は見い出されず――

7.商売やそのようなものは存在せず、金による売買は〔存在せず〕、ここから施されたものによって〔身を〕保ち行くからである――命を終えた餓鬼たちは、そこにおいて。
0576神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/10(土) 23:09:50.57ID:lRgYISui
8.たとえば、高きに雨降った水が、低きへと転じ行くように、まさしく、このように、ここから施されたものは、餓鬼たちのために役立つ。

9.たとえば、諸々の水流が満ち溢れ、海洋を遍く満たすように、まさしく、このように、ここから施されたものは、餓鬼たちのために役立つ。

10.〔すなわち〕「わたしのために、〔あの人は〕施した。わたしのために、〔あの人は〕為した―― わたしの、親族として、朋友たちとして、しかして、友人たちとして」〔と〕、
過去に為されたことを随念しながら、餓鬼たちのために、施物を施すがよい。

11.まさに、あるいは、泣くことも、あるいは、憂いも、さらには、すなわち、他の、嘆き悲しむことも、それは、餓鬼たちの義(利益)のためならず。
このように、〔過去の〕親族たちは、〔虚しく〕止住する〔だけのこと〕(泣き悲しむことは無意味である)。

12.しかしながら、まさに、この施物 が、〔僧団に〕施され、僧団において善く確立されたなら、長夜にわたり、その〔餓鬼の衆〕の利益のためとなり、即座に役立つ。

13.しかして、それが、親族の法(教え)であり、これが、〔ここに〕実示された。
しかして、餓鬼たちのために、盛大なる供養が為された。さらには、比丘たちのために、活力となるものが奉施された。
あなたたちによって、少なからざる功徳が求め作られたのだ。ということで――  

 〔以上が〕ティロークッタ・スッタとなる。

正田 大観. 小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)〜正田大観 翻訳集 ブッダの福音〜
0577神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/10(土) 23:11:14.06ID:lRgYISui
10.〔すなわち〕「わたしのために、〔あの人は〕施した。わたしのために、〔あの人は〕為した―― わたしの、親族として、朋友たちとして、しかして、友人たちとして」〔と〕、
過去に為されたことを随念しながら、餓鬼たちのために、施物を施すがよい。

11.まさに、あるいは、泣くことも、あるいは、憂いも、さらには、すなわち、他の、嘆き悲しむことも、それは、餓鬼たちの義(利益)のためならず。
このように、〔過去の〕親族たちは、〔虚しく〕止住する〔だけのこと〕(泣き悲しむことは無意味である)。

12.しかしながら、まさに、この施物 が、〔僧団に〕施され、僧団において善く確立されたなら、長夜にわたり、その〔餓鬼の衆〕の利益のためとなり、即座に役立つ。
0578神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/11(日) 13:42:30.68ID:3jydHGtv
>>560 >完成者としての“結果”のことでは

面白い視点だが―言わんとするニュアンスもよく解るがw―、
「具体的に何をしたらいいのか」という「方向性」「方法論」「事例」無しに”道”はなかろうて。
また、それこそ「何でもあり」でしょう。
確かに結果かもしれないが、同時に、(子供の成長・教育じゃないが)
 「【何を・どこを】(【どう】)伸ばせばよいのか」 という向上のための指針でもあるわけで。

仮に、「色々選択肢はある」、と言い得たとしても、
ブッダがお示しになった方法論(方向性)を採っているもの(それを提示しているもの)を、
「仏教」(・・・ブッダサーサナ)と呼び、その途の上にある者を「比丘」(釈子、仏弟子)と呼ぶのではなかろうかいね・・。
0579神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/11(日) 13:58:19.12ID:Av17DBDs
徒然草 第百六段

高野の証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖の馬を堀へ落してンげり。

 聖、いと腹悪くとがめて、
「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼に劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。
かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入けいれさする、未曾有の悪行なり」と言はれければ、
口曳きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、
上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学の男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

 尊かりけるいさかひなるべし。
https://tsurezuregusa.com/106dan/
0580おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/11(日) 15:17:02.89ID:AKBvjPt8
 
色々な師匠の方々へ

ご教示ありがとうございます m(_ _)m

大変勉強になります おじゃる
  _  _  _

魂を前提として
現実世界と同じ
仮想空間を構築する。というアニメ
 ↓
ソードアート・オンライン
https://anitubu.com/archives/post-16091.html
http://anicobin.ldblog.jp/archives/cat_1148483.html
http://ponpokonwes.blog.jp/archives/cat_131609.html
  _  _  _

ルシファー(Lucifer)は
本当に
極悪非道な悪魔・堕天使なのか?というアニメ
 ↓
アニメ モンスターストライク公式
https://www.youtube.com/watch?v=ZLZN-x3QVm8
https://www.youtube.com/channel/UCWzenZSy9GJBcPzdSm-UX5w/videos
  _  _  _

無明に依存しているのなら
善悪の判断をすることなく見ることができるのだろうか?

みたいな感じ?
0582神も仏も名無しさん
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2018/11/11(日) 19:31:56.84ID:3jydHGtv
>>579
それは、どの方向性での問題提起?

 ・僧侶(比丘)の資質の話?
   (→それを踏まえた上でのコスプレ批判?)
 ・仏弟子たる必須スキルの吟味?
 ・自称仏弟子への批判?
 ・出家←→在家の区分批判?
 ・在家(→比丘でない・僧侶でない・釈子でない者)でも仏弟子足り得るという声明?
   (出家でも、仏弟子足り得ないという批判?)
 ・日本は、そうした分類が適用できない、異質な文化、社会、気質の地域だという提示?


  (´・ω・`)
0583神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/11(日) 20:55:02.76ID:Lk2bsY1i
>>582
>>579のリンク先の現代語訳を見るに身分とか位にこだわって僧侶にあるまじき癇癪起こした高野山の上人への冷やかしではないでしょうか?
0585神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/11(日) 22:27:09.22ID:3jydHGtv
>>583

579が、そのタイミング(578の16分後)にレスされたことに、
何らかの意図があるんじゃないか?と。
0586神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/12(月) 02:12:58.74ID:5w3KS1dA
いや、比丘という言葉に反応しただけw
徒然草に見られるように日本にも比丘や比丘尼や優婆塞、優婆塞という言葉はあったのに何故一般に普及しなかったのだろうか?
0587おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/12(月) 06:39:13.63ID:1VphaJif
 
> 比丘や比丘尼や優婆塞

たとえば
南伝の場合は
四向四果
預流   − 須陀洹(しゅだおん)
一来   − 斯陀含(しだごん)
不還   − 阿那含(あなごん)
阿羅漢 − 応供(おうぐ)
  _  _  _

北伝の場合は
…衆生皆菩薩
衆生(人間)に限らず、山川草木や生類すべてに仏性がある
一切悉有仏性(いっさいしつうぶっしょう)などの如来蔵思想や…

たとえば
大乗の場合は
優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)とか
比丘(びく)・比丘尼(びくに)など
「それ以外の衆生と分別するな!」

「一切悉有仏性だ!」みたいな感じ?
0588神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/12(月) 11:17:00.20ID:qkePaESp
>>586
それも面白い研究テーマw

まあ、(比丘尼はともかく)「比丘」という呼称は、
―今現在もそうだけど―内々の(自負のような)自称としては使用されても、
昔から、一般には使われていないようだし。
日本に入ってきた時点で既に、(サンガという組織が無い状態として)「僧(尼僧)」一択に近かったのかも。
しかも、女子も少ないから、自然的に「特別な存在」として「比丘尼」という呼称は使用された、と。
また、在家信者に至っては、「信者、信徒」といった
『積極的信仰を持ち』或いは『その規範に則って生きる』ような人物は、鎌倉地代以降までは存在しなったろうし、
鎌倉地代以降であっても、「ウバソク(ウバイ)」という音写語を使ってまで、
わざわざ差別化して信仰や庇護者・施与者であることを強調する必要もなかったろうし。
寧ろ、神仏の加護を祈願するだけの、大衆、マスでしかないだろうし。
(で、檀家制度も、実は、その「顔の無い大衆性」の上に乗っかってるんだろうし。今でも。)

だから、日本に於いては、仏教伝来以来ずtっと、「一般人」と「僧」(僧侶)という二分だけで十分だったのでしょう。
0589神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/12(月) 11:45:21.20ID:7ZuHO3L4
正法眼蔵で一切衆生悉有仏性をしつこく解説していた道元は同書で比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷という言葉もけっこう使ってるね。

でも道元は阿含経も読んでたけど本命は法華経だったから、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷よりもより好んで用いた用語は善男子、善女子かな?
居士も使ってたと思う。

比丘というと具足戒を受けた仏弟子のイメージがあるのかもしれない!?
0590宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/12(月) 13:51:51.22ID:j3R5qwjN
>>540
>一方で、心臓移植で人格が変わる、
>つまり脳に与えられずに心臓の違いで意識が変わるなんてこともある。

臓器移植(や輸血)については、
肉体が持つカルマを混乱させるため基本的には望ましくありません。
なので、臓器移植ではなくて“人工臓器(及び人工血液)の開発”が急務なのです。
〜するのが、神智学の採る立場です。
つまり、細胞の一つ一つにまで個人の情報データ(意識を含む)が刻まれているとということかな...。
だから、他人の肉体細胞を取り込むのは止めるべきです。
(もちろん、それはエホバのように輸血否定までして死を選択するというものではない)

たとえば、
植物にも感情(意識)があるらしいということは、
すでに何十年も以前から科学実験によって確認されています。
今日、一部農家では野菜果物の成長を促進する音楽を聞かせるところや、
観葉植物にも優しく声を掛けていると良いともされています。
ならば、その感覚器官は植物の中のどこにあるのか?
植物の生体の一体どこに脳ミソや脳神経組織ニューロンがあるというのか?
だから〜こうしてみると、意識そのものというのは脳ミソでも脳神経組織などでもないのだということが理解されるのです。
脳ミソも神経組織もそんなものはただの“意識”の道具にしか過ぎないのだから。

全国には、巨木を切り倒して呪われたという話は多く、
また、今日では癒しのパワーを受けるということで、御神木や巨木に抱き着くことがブーム。
インドにおいても樹下は生命の宿る神聖な場所とされ、ゴータマを含めて過去仏は特定の樹下(菩提樹下)において成仏したという。

情報:
(植物にも感情がある! それはまるで人間のようだ)
 https://matome.(NGワードにて「ネバー」を変換して).jp/odai/2147522773530177101
0591宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/12(月) 13:54:34.68ID:j3R5qwjN
>>578
>「具体的に何をしたらいいのか」という「方向性」「方法論」「事例」無しに”道”はなかろうて。
>また、それこそ「何でもあり」でしょう。

“「方向性」「方法論」「事例」無し”で良いという話ではなく、
ゴータマの説いた成仏法が『三十七菩提分法』であるとしてみた場合には、
この中の「八正道」は、もちろん道を歩む上での必要な精神態度であることは当然としても、
どちらかということ、これは完成者が示し得る精神性の状態
---つまり結果---的な意味合いが強いのではないか? ということ。
例えば、“八正道の「正見」(正しい見解)”といった場合に、
我々は物事について正しい見解を持てないからこそ苦悩しているのであって、
最初から正しい見解が持てていれば何も苦悩していない...。
つまり、正しい見解というものは完成者の状態のことなのであって、
我々というのは、そうなれることを目指して修行していくんだという意味です。

なので、
具体的な修業についての手法部分というのは、その他の“六科”
(菩提分法というのは全部で“七科”あって、八正道はその中の一つである)
において説かれているということかな? と。
しかし、内容の意味合い的にはかなり重複しているので、
実際上においては八正道の他というのは二科程度なのでしょうかね...。
----------------------------------------------------------------------------
【三十七菩提分法】

1. 四念住(四念処)
   身念処、受念処、心念処、法念処
2. 四正断(四正勤)
   断断、律儀断、随護断、修断
3. 四神足(四如意足)
   欲神足(欲如意足)、精進神足(精進如意足・進如意足)、
   心神足(心如意足・念如意足)、観神足(観如意足・思惟如意足・慧如意足)
4. 五根
   信根、精進根、念根、定根、慧根
5. 五信
   信力、精進力、念力、定力、慧力  
6. 七覚支
   念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支
7. 八正道
   正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
0592おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/12(月) 13:58:00.60ID:1VphaJif
 
> 日本に於いては、仏教伝来以来ずっと…

やはり
「南伝と北伝は違う!」
という感じで おじゃりますな?
  _  _  _

> 正法眼蔵で一切衆生悉有仏性をしつこく解説していた
> 道元は同書で比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷という言葉もけっこう使ってる
> 道元は阿含経も読んでたけど本命は法華経だった
> 比丘というと具足戒を受けた仏弟子のイメージがあるのかも

大変勉強になります

ご教示ありがとうございます

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0593おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/12(月) 14:12:47.73ID:1VphaJif
 
> 完成者が示し得る精神性の状態

たとえば
無明に依存している、おじゃるが観察するのか?

あるいは
無明に依存することのない
般若の智慧と慈悲として(おじゃるが?)観察するのか?

自在力(神通力)
四神足
智慧をもって → 思惟観察する
  _  _  _

円成実性を見ずして
(無明に依存して)依他起性を見ることはできない

という感じで おじゃりますな?
0594承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/12(月) 20:07:41.42ID:KYl51Clt
>>587
ナンデンはよく知らんけど、
基本的に原始仏教➡説一切有部などの諸派➡大乗又は上座
という流れなので、
ビクビクニウバソクウバイって言葉は上座も大乗も同じく使うはずですよ。
四向四果は、アラカン以下の覚悟の段階なので、ビクビクニウバソクウバイとは別の話。
ビクビクニは男女の出家者で、ウバソクウバイは在家の仏教徒のことだから。
昔は役のウバソクなんて呼んでましたんで、仏教周辺では使ってて、現在は廃れただけです。
たしか日本領域(変換出来ない)とかの古典でもウバソクとか出てたはずですよ。
0595おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/12(月) 20:52:12.87ID:1VphaJif
 
> 昔は役のウバソクなんて呼んでましたんで、仏教周辺では使ってて、現在は廃れただけです

そうだったんでつね?
知りませんでした
さすが元密教僧で おじゃりますな?

いつも
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
0596おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/12(月) 20:59:23.05ID:1VphaJif
 
> 日本領域(変換出来ない)

日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)?

日本霊異記?

成立年ははっきりしないが、序と本文の記述から、弘仁13年 (822年) とする説がある
著者は奈良右京の薬師寺の僧、景戒である
景戒は
下の巻三十八の自叙伝において妻子とともに俗世で暮らしていたと記しており
国家の許しを得ない私度僧に好意的で
自身も若い頃は私度僧であったが後に薬師寺の官僧になったという
0597承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/12(月) 21:02:13.75ID:KYl51Clt
>>596
そう、その「日本リョウイキ」です。

(^。^)変換面倒くさかったです。すんまそん。(笑)
0598神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/12(月) 23:11:34.54ID:5w3KS1dA
セブン氏はセブン比丘と尊称すればいいの?
それともセブン和尚?
セブン尊者?
セブン長老?
セブン上人?
セブン禅師?
0599おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/12(月) 23:43:18.34ID:1VphaJif
 
曹洞宗の場合は
道元禅師

臨済宗の場合は
江戸時代に白隠禅師

禅宗系なら せぶん禅師匠みたいな感じ?
0600神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 00:55:28.88ID:YFrOfFX5
正しく生きる道は一つしかない
 〜微笑みが絶えない八正道〜

 「幸福になりたければ、死後永遠の天国に行きたければ、唯一の神を信じなさい」と言われると、そんなものがいるか否かも調べることなく信じるのです。
「罪を悔い改めなさい」と言われると、罪を犯した覚えが全くないにもかかわらず、また、「私は何の罪を犯したのか?」と相手に訊くこともなく、涙と鼻水を垂らしながら懺悔して、犯したといわれる、わけもわからない罪を悔い改めるのです。
「唯一の神を朝晩、または一日五回褒めたたえなさい」と言われると、真剣にやるのです。
「全知全能の神なのに、毎日讃えたり、祈りをしたりしないとダメなのですか? 神は認知症ですか?」とは問わないのです。
地理的にガンジス河の源流はどこかと皆知っているにもかかわらず、「神の髪の毛からその河が始まる」と真面目に信じているのです。
ひどく汚染されているその河に日の出前に飛び込めば、すべての罪が洗い流されて心が浄化して幸福になると信じるのです。
罪とは、汗と埃のことなのでしょうか。罪とは、怒り憎しみなどではないでしょうか。
馬鹿を信じる者にとって、そんな疑問はどうでもいいのです。
河で、また洗礼することで、心の罪が洗い流せるのであれば、人間どもは必死で魚やカエルや水蛇、カメなどを礼拝したり、拝んだりした方が理にかなっているでしょう。
なぜならば水の中で生まれて生きていて、水の中で死ぬから、その生命の心の清らかさは言葉で言い表せないほど高いはずです。
「南無妙法蓮華経」という宇宙大曼荼羅の呪文を唱えれば、商売繁盛、家内安全、学業成就、無病息災、ではなく、世界支配までできると思っている方々は、決して、ふざけているわけではないのです。
真剣真面目なのです。
しかし結果は、皆に煙たがれる、家庭は崩壊する、試験は落第する、お医者さんの腕がなければ病気で死ぬことです。
http://www.j-theravada.net/howa/howa160.html
0601神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 01:01:16.33ID:YFrOfFX5
空に足跡なし
 〜現象に対する無執着は解脱です〜

概念の並べ替えで、面白い新しい概念、新しい思考が現れたと思いがちですが、必ずしもそうはなりません。
実在もしない、理屈にもならない、概念思考などはいくらでも作れます。
思考の、妄想の遊びをする人は、やがて自分が考えたことが本当にあると勘違いするのです。
永遠の天国、永遠の地獄、永遠の魂、絶対的唯一の神などの概念は、妄想と戯れた結果なのです。
このような概念は、道の重さを考えて出した答えのようなものです。答えを出しても、その答えが成り立たないのです。

 インドの宗教家、哲学家たちがおおいに議論した十種類の項目がありました。

  一、魂と身体は別々なものか
  二、魂と身体は同一か
  三、世間は有限か
  四、世間は無限か
  五、世間は永遠か
  六、世間は永遠ではないか
  七、真理に達した人は死後存在するのか
  八、真理に達した人は死後存在しないのか
  九、真理に達した人は存在すると同時に存在しないのか
  十、真理に達した人は存在することも存在しないこともないのか。

 この十問に、お釈迦さまは回答しませんでした。これらは実在しない概念の空回りだからです。
ウサギの角について、「長いですか? 短いですか?」とさまざまな議論をするようなものです。
仏教の立場は、長いか短いか答えることではないのです。まず、ウサギの角が実在するかしないのか、質問者の方で立証しなくてはならないのです。
魂と身体が同一か異なるかと答える前に、「魂の存在」を立証しなくてはならないのです。
人間は幻覚を作って、この幻覚が実在すると勘違いして、それからその幻覚について語ったり、対話したりします。
それは時間の無駄。どこにも進まないのです。
様々な幻覚を生み出す親玉は、「私がいる」という幻覚です。
仏教を実践する人は、まずその幻覚を破り、悟りの第一段階に達するのです。
その人には、この世で現れる全ての疑問に回答があります。だから、悟った人に「疑」はないのです。
0602神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 01:05:10.40ID:YFrOfFX5
>>601続き

 ヒンドゥ教の哲学では、我々の現象の世界は幻覚(mâyâ)であると語る場合があります。修行でこの幻覚を破ることを勧めているのです。
真理は一つであって、その真理に達すること(梵我一如)を最終目的にしていますが、決して解脱ではないのです。
個我が消えて、真我に達することなのです。これも何かの境地に執着することです。解脱にはなりません。
大乗仏教で語る「法身」も似かよった考えです。真理という絶対的境地を設定して、そこから現象の世界のありさまを説明する。
このような思考には、一つ弱点があります。不二である真理から現象の世界が現れたならば、現象である個が幻覚を破って真理に達しても、その真理は限りなく現象の世界を作り続けているでしょう。
ここで、反論する必要さえもないのです。
全て、人間の頭の中で考える概念に過ぎません。妄想概念の次元を破る方法を語っているのは、ブッダだけなのです。
0603神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 01:05:45.52ID:YFrOfFX5
>>602続き

  Sankhârâ sassatâ natthi. 現象には常住、永遠、実体、といえるものはありません。一切は因縁により一時的に現れる現象なのです。
因縁の働きを発見して、一切の現象に対する執着を捨てることを語っているのは、ブッダだけです。
ですから、仏教以外、現状では解脱の道を語る宗教はありません。
ヒンドゥ教などで語っている真理の境地は、「現象の世界の裏」なのです。一つである真理の裏と表の考えなのです。
仏教の涅槃は、現象の世界の裏ではありません。「無常の裏に、無常でない涅槃がある」と言わないのです。
「涅槃の境地」と、「仏教以外、解脱に達する道はない」ということは、我々の理解能力の範囲を超えているのです。
ですから、今月の説明はとてもわかりにくいと思います。苦労して理解しようとしても、その理解も知識の一つになるので、現象でありパパンチャなのです。実践して経験する以外、涅槃について語れないのです。
大般涅槃経でお釈迦さまがこのように語ります。
「涅槃に達するためには、四聖諦を体験しなくてはならない。その四聖諦を語っているのは、仏教だけです。解脱に達するために八正道を実践しなくてはいけない。これも、語っているのは仏教だけです。
だから、第一の覚者も、第二の覚者も、第三の覚者も、第四の覚者も、仏教にしか現れないのです」と。
http://www.j-theravada.net/howa/howa148.html
0604神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/14(水) 09:15:01.15ID:2GPUxO30
宮崎哲弥氏は
>無霊魂説、無我説が究極の真理であるならば
>「輪廻転生が存在しない」のは理の当然である
『新世紀の美徳』(朝日新聞社)
と主張し彼が信奉する中観仏教正系帰謬論証派では輪廻を否定しているとしています。

逆に、宮崎さんは『憂国の方程式』(PHP)において唯識思想を
批判してこう書いておられます。

>唯識とは、まさしく、仏教のヒンドゥー教への融解のはじまり、 仏教解体の端緒となった「反動思想」である。
>阿頼耶識を個我の根本識、対象世界の諸法の根本因と看做すこの説は、無我説の意義を薄め、中観の空思想と鋭く対立した。
>仏教の認識論的 革命性に耐え得なくなった知的怠惰がインドの土着宗教、 神秘思想への回帰を促したのである。
>(中略)かかる仏教観が三島自身のものであったとしたら、彼の仏教理解は極めて浅薄なものであったと断ぜざるを得ない。(P130〜P131)
0605おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/14(水) 09:23:28.30ID:qw6OAnj8
 
パパンチャ?ということで、とりあえず

http://www.j-theravada.net/kogi/kogi131.html

六つの感覚器官(眼耳鼻舌身意)に、外部の情報(色声香味触法)が触れると
それぞれの器官に認識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)が生じ
そこから感受と知るという働きが生まれるのです

知るという働きの後には、ヴィタッカが生まれます
ヴィタッカは漢訳で「尋」、意味は「考える」です
じっくり考えるのではなく、瞬間的に考えることです
この瞬間的に考えることをヴィタッカと言います

妄想を作る働き
ヴィタッカは「花」とか「人」とか「建物」などと瞬間的に考えることですが
その後に、欲や怒り、憎しみ、悲しみ、後悔
嫉妬などのさまざまな感情が湧き起こってきて、頭の中でごちゃごちゃ考え始めるのです
これをパーリ語で「パパンチャ」と言います
パパンチャは訳しにくい言葉ですが、「現象」とか「妄想」という言葉が一番適切で、理解しやすいでしょう
実際には無いものを有ると考えて、実体化、固定化することです
  _  _  _

縁起している世界の中において
(空性に依存しないものは)存在しないにも関わらず
(空性に依存しないものが)有ると思う虚妄の執著である。遍計所執性

無明に依存して
無いものを有ると考えて、実体化、固定化して
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンである。という『想い』が、現れ、変化して、滅している
0606おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/11/14(水) 09:49:30.16ID:qw6OAnj8
 
> 輪廻を否定している

http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
渇愛(タンハー)

無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛が絡み合って、無始なる過去から(輪廻を繰り返し)終わりなく苦しみをつくり出しています
客観的に自分を観ることによって、無明と渇愛を消していきましょう、というのがお釈迦さまの教えなのです

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92
無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている。無明薫習

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/otherworld/samsara.htm
シパ・バルドゥ 再生へ向かう迷いの中有

http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗 内山興正
「霊魂はある」「いま貴方がたたかっている相手がそれなのだ」といわねばなりません
「諸法無我」はまったく人間的倫理道徳の破壊につながってしまいます
仏教では昔からのインド人の信仰であった輪廻転生説を受け入れ,そのまま説いているわけです
  _  _  _

↓唯識系の瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424

我愛と戯論と善悪業により輪廻を繰り返す
0607神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/14(水) 12:22:09.17ID:2GPUxO30
「宮崎『ただ、アートマンがないとすると、輪廻の主体や自業自得の法則の当体とは一体何か。仏教はこの問題を抱え込んでしまった。』」(p.218)
 佐々木氏は要素をアビダルマ的に捉えていて
「その要素が集合したり雲散霧消したりする現象のことを無我と言い表しているだけで、それらの要素を集合させるエネルギーが輪廻して来世に伝わっていくと考えることに違和感はない。」と言う。
0608神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/14(水) 12:22:53.69ID:2GPUxO30
しかし、龍樹の中観派はその要素の実在性を否定するのだから、そうした関係の束でしかない以上自業自得の原則も成り立たないと、宮崎氏は言う。
「無我輪廻説というのは、無我と矛盾するどころか、無我だからこそ輪廻があるとする説です。
・・・主体、当体『この私』などと仮設されたものは実体的でも固定的でもなく、この一刹那も留まらず変化し続けている。縁起し続けている。昨日の自分は今日の自分と同一でない。
しかし完全に異なってもいない。この流動は誕生も死も関わりなく、ライフタイムを超えてずっと続く。こうして輪廻が成り立つのだとする。」
だから同一性のある主体がないなら、
「自業他得でも他業自得でもかまわないじゃないか、という話になってしまいます。無我輪廻説だと、おそらくかまわないのではないかと思われます。持続しているものはあるが、無我なのでそれに自も他もない、ということですから。」(p.219)
とそんなふうに宮崎氏は述べる。

(ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』佐々木閑×宮崎哲弥 もう一度リセットして仏教を考えてみたい人に)
0609神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/14(水) 14:15:23.06ID:s9bspVLK
>>607
佐々木が言ってる要素を集合させるエネルギーが仏教では行とか業と呼ばれるもの
行(業)によって識が形成され識が母胎に入ることによって名色は成長する
0610神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/14(水) 14:17:38.75ID:s9bspVLK
>>604
いくら中観が空思想だからといって輪廻までは否定していない
龍樹も無明に捉われたものは輪廻すると述べている
0611神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/14(水) 14:39:08.56ID:h3BhhFtK
で、今度は
「サンサーラ」の語義解釈の問題になる、とw

三世に跨る暴流(繰り返し)か、今生で自覚される暴流(繰り返し)か。
0612神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/14(水) 14:40:52.68ID:s9bspVLK
 ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。
 龍樹も、同じように、十二支縁起を、識(意識)を中心とするこの世からかの世への生死の流転として説明するのである。
具体的には、第二六章の最初に「無知(無明)に覆われたものは、形成力(行)によって再生に向かう三通りの行為をなすが、それらによって、趣(来世に住するところ)に赴くのである」と述べて、
次に「形成力(行)を縁として、意識(識)は、趣に入る」と説明している。
http://manikana.la.coocan.jp/essay/reincarnation3.html
0613おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/14(水) 14:59:11.55ID:qw6OAnj8
 
おじゃるは(「仮設としての」という意味として)輪廻肯定だけど、とりあえず

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
輪廻 - サンサーラ

仏教内における輪廻思想の否定
ブッダの教説は
輪廻の存在を認めるものなのか、否定するものなのかという議論は
現在も、少なくとも日本の仏教学会では続いている
現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、「ブッダは輪廻を否定した」という主張が少なくない

松尾宣昭によれば、「輪廻の否定」には、ブッダが
(1)「そもそも輪廻は存在しない、と考えた」という見解と
(2)「人は輪廻に留まるべきではない、と考えた」という見解があり
両方とも輪廻を否定しているものの、その意味内容は全く異なるとする

(1')「ブッダは輪廻の存在を否定していたが、当時の人々が輪廻の観念に縛られていたため、仮に是認した」だからこそ
(2')「輪廻という想念に留まるべきではないと説いた」として意味を読みかえる場合に、両立する

このような立場を支持する記述はパーリ聖典には見出されず
「修業未完成者は死後輪廻する、ゆえに修行を完成させて輪廻から解脱せよ」
という趣旨の「輪廻は存在しない」という説とは反対の言葉が多く見出されると述べる

一方で
パーリ聖典の「決定的資料性」を否定し
ある種の「仏教の本質(涅槃?)」を想定することで
そこから帰結的に輪廻否定(涅槃?)が導出されるとする立場もあるとする

↑『涅槃は輪廻ではない!』みたいな感じ?
06141/5
垢版 |
2018/11/14(水) 15:13:55.66ID:h3BhhFtK
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/300

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/305
305 神も仏も名無しさん sage 2009/01/19(月) 12:43:38 ID:gozG82uQ
>> 279
だからそれは漢訳などの伝統に従っているだけで、
(「輪廻」「来世」「前業」などは全て漢訳。我々は、未だに日本語やパーリ語でもサンスクリット語でもなく、
定義の不明な第三外国語(中国語)を滑稽にも使用して議論している)
本当の意味は「世界」「世の中」という程度の意味なんですよ。そういうメタファー・修辞表現なんです。
メタファーを物理的事実と混同することが間違いの元です。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/306
306 神も仏も名無しさん sage 2009/01/19(月) 12:48:30 ID:gozG82uQ
>> 300
そのチャプチャプと音を立てて流れること、この「流れること」がサムサーラで、漢訳すると「輪廻」という言葉なんだな。
(オカルト的な)生まれ変わりという概念とは関係ない。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/309
309 神も仏も名無しさん sage 2009/01/19(月) 13:17:54 ID:gozG82uQ
サムサーラ→輪廻→生まれ変わり と訳した後で、逆にサムサーラの意味が生まれ変わりであると誤解することは、
culture→文化 と訳した後でcultureの意味は、文に化けることなんだ、と分けの分からないことを言い出すようなもので、ギャグとしても低レベル。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/312
312 神も仏も名無しさん 2009/01/19(月) 13:34:47 ID:gozG82uQ
>> 310
私の理解は、中村氏の>>225の解釈と相違ありません。
語源は「流れること」「走り回ること」という意味で、「生まれ変わり」という意味はありません。

>南方上座部でも世間といった意味で用いられている、ということでしょうか?
そんなに単純なことではありません。彼らも魂の生まれ変わりとは考えていないが、
心のエネルギーが次々と生滅していく現象と考えているようです。  〜後略〜
06152/5
垢版 |
2018/11/14(水) 15:16:04.86ID:h3BhhFtK
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/367
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/368
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/369

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/380
380 神も仏も名無しさん sage 2009/01/19(月) 23:09:05 ID:gozG82uQ
>> 369
>『PTS』1.『モニエル』『アプテ』3. が語釈として出しているTransmigrationは輪廻転生に他なりません。
一体何をやっているのか・・・循環論的な混乱に陥ってないかい??
英語でも、transmigrationの第一義の意味は「移動」であって、輪廻転生は後付け。
samsara「流れること、流転すること」にtransmigration「移動」という訳語を当てたので、漢訳
の「輪廻」と合わせてsamsara=transmigration=輪廻となっているのであって、
samsaraを英語辞書で確認してtransmigrationだから輪廻転生などというのは、
本末転倒、というか、何の説明にもなっていない。詳しい情報を書いてくれることはありがたいけど。
ともかく、transmigrationは「移動」であり(生まれ変わりという意味はない).『モニエル』『アプテ』も
samsaraは第一義は”going or wandering through ” ” Course, passage.”であって、
単に「流れること」であることは明らか。「生まれ変わり」というのは後付の派生的なものでしかない。
しかも誤訳から逆算して原義に組み入れてしまった可能性が高い。
生死についても、仏典では頻繁にメタファーとして使われていて、本当に「生きる」「死ぬ」で使われている
例は少ない。正確に訳す場合は「死の境地」「死の境涯」「死のようなものである」と訳している。
だから「生死と訳された言葉がサムサーラで〜」というのも、何の説明にもなってない。
06163/5
垢版 |
2018/11/14(水) 15:16:41.09ID:h3BhhFtK
>辻先生の『ウパニシャッド』でも原先生等の『インド思想史』でも輪廻は生まれ変わり死に変わりの経巡りを意味しています。逆に「生まれ変わりという概念とは関係ない」という説は誰が言ってるのでしょうか?
そりゃ「ウパニシャッド」ではそうですよ。ウパニシャッドの時代頃からサムサーラに「生まれ変わり」の意を(派生的に)もたせるようになったのだから。
言葉の意味というのは、時代背景・文化背景・文献によって違うのは当然なんですよ。「ウパニシャッド」ではこういう意味だからといって、仏典でも
同じ意味で使われていると思ったら間違い。
だから、枠組みを無視して「生まれ変わりという概念とは関係ない」と言っているわけではない。
むしろ、釈尊自身が「生まれ変わり」を説いた、と主張している(まともな)学者なんているんでしょうかね?
◆2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/397
397 神も仏も名無しさん 2009/01/20(火) 01:16:56 ID:/Asf4Tge
参考までに、米国で最も広く使われているWebster's New World College Dictionary
の第4版(1999)におけるSamsaraの定義は、次のとおり。

「(Hinduism) the continuing cycle in which the same soul is repeatedly reborn」
1.Hinduismにおける用語となっている。古い辞書では、Hinduism & Buddhissm
となっているものや、両者で意味を使い分けているものもある。
2.「生まれ変わり」に相当する「reincarnation」という言葉は使われていない。
3.語源は、「共に、流れる」の意味。
新しい辞書では、「ヒンドゥー教の用語」としているものが多いのが、意味が
あるね。「仏教の用語」とは解していないということ。
現代では、「魂(精神、思考・感情)は肉体の死と共に消滅すると解するのが
一般だから、この語は、現代では意味を持ち得ないことになる。
◆3
06174/5
垢版 |
2018/11/14(水) 15:17:16.51ID:h3BhhFtK
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/446
446 初代スレ7 sage 2009/01/20(火) 18:19:44 ID:HI7fFWH9
>> 397
《西洋的な(西洋における)「生まれ変わり(→)」という概念とは違う》
ということなんでしょうね。
(これは、「転生」や「生まれ変わり」という概念とも違うことを示唆しますが・・・。)
 ※そのWebなんちゃらでは“reincarnation”は、どう解説されてるんでしょう?
   また、それってアメリカ人の一般的(≒大衆的)理解と見ていいんでしょうか。
   てか、意外に安いなw 買っとくか・・・。

破壊と創造が繰り返されるインド思想に於いて『次の生を受ける』ということは、
『現代日本や、そうした西洋的生まれ変わり(→過去のあらゆるもの(様々なもの)を引き継いだ生)』
ではないのだろう。
ここに於いて【業果の相続(≒行為の報い)(のみ)】を前面に押し出した点に、
仏教の特異性があったのかもしれない。
「次の生を受けるに際し、何を引き継ぐのか?」が重要なのかもしれない。

勿論この時、「次の生」とは(宗教学的に言う“再生”“宗教的再適応”という意味での)
「新たな、心の在り様の誕生」を意味する、と読む(解釈する)ことも可能だろう。
(それがブッダの本意であったかどうかは別にして。)そう、まさにアングリマーラのように・・・。
 〜後略〜

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/469
469 神も仏も名無しさん 2009/01/20(火) 22:45:04 ID:XZ40Vvs+
>> 446
"Reincarnation"の定義は、次のとおり。

"rebirth of the soul in another body, as in Hindu belief".
また、「ヒンドゥー教の概念」と言っているw。英米人にとっては、
「生まれ変わり」とは、どうやら「ヒンドゥー教」と関連させるのが、一般の理解のようですね。
 〜後略〜
06185/5
垢版 |
2018/11/14(水) 15:17:41.07ID:h3BhhFtK
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/473
473 初代スレ7 sage 2009/01/20(火) 23:31:13 ID:HI7fFWH9
>> 469  感謝。
別の肉体への「ソウル」の再生(再び生まれる)、か・・・。
>> 363に見るように、(そして意味的にも)、確かに「再」と訳さざるを得ない側面はあるのだが、
個人的感想を言えば、
「仏教における輪廻の中の“再生”」は、【ニュアンス的には】「新生」だと思うんだよな・・・。
この流れで英語を使うなら“new-birth”とか“neo-birth”とかwww
その意味で、(ソウル云々は別問題としても)reincarnationと英訳したら座りが悪いな。rebirthも。
何度も何度も繰り返す輪廻の(中にあるという)ニュアンスも伝わらないし・・・。
けど、“re-”には「あらためて」というニュアンスもあるようだし、まあいいか・・。
日本語訳としてもこなれてないし・・・。(無難な所で「次の生」って感じ?)

ちなみに、PTSのpunaの項の用例中で(puna自体はagain。)
punabbhava は、『renewed existence、new birth』 に、
puna-abhinibbatti は、『birth in a new existence』 になってるなw
まんざら妄想でもないかも?w

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/476
476 神も仏も名無しさん 2009/01/20(火) 23:40:56 ID:woNxlAcR
>> 473
最近の英訳では transmigration ではなく cyclic existence などと訳されます。

483 神も仏も名無しさん 2009/01/21(水) 00:02:36 ID:XvY8VkXi
>> 476
それはsamsaraの訳の話?流を見失った・・・
”transmigration”は原語のニュアンスを伝えているが、
"cyclic existence "にはそれがないので、 「ヒンドゥ」の思想としても
”cyclic existence” と訳すことには反対。
0620おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/14(水) 15:27:56.28ID:qw6OAnj8
 
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して(輪廻を超えて)
すでに渡りおわり、彼岸に到着している(輪廻から解脱してる)
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
  _  _  _

5ちゃんねる掲示板で
書き込みをしてた禅宗系の
たとえば
机師匠とかは↓こんな感じだったような気がする

道元 普勧坐禅儀
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており

仏法 = 涅槃 = 元々すでに渡りおわり、彼岸に到着している

それゆえに
修行したり、悟り証したりすることもないはずである
  _  _  _

真如、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる

元々、仏そのものである。みたいな感じ?

http://fukagawafudou.jugem.jp/?eid=740
成田山 東京別院 深川不動堂
(仏性からの真如縁起だからこそ、それゆえに)
仏さまの教えにより心の安らぎを得て、何事にも動じない境地に至る
0621おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/11/14(水) 16:41:01.01ID:qw6OAnj8
 
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%9C%9F%E4%BF%97%E4%BA%8C%E8%AB%A6
真俗二諦

その当時のインドの人達にとって
仏教を理解せしめるためには
その当時の、その地域の、世間的な『想い』を一応認めて、さらにその理解のうえで
仏教を理解せしめるというやり方がとられねばならなかった

それゆえに
(仮設としての)輪廻という『想い』を一応認めた対機説法だった

 − これに対して ↓

https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/
68 :神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:27:53 ID:XYCyD47T
『ミリンダパンハー』ですが
そのなかでミリンダ王は輪廻に対して疑義を呈していたと記憶しますが
それに対してナーガセーナが答えて納得させていたと思います
問題となるのは、輪廻がどの国の起源かではなく
輪廻説を盲信しているインド人のために釈尊が方便で説いたとするなら
輪廻を信じない外国人に方便で説く必要などないということです

それなのに輪廻を外国人に説く必要があるということは
仏教にとって必要な説であるからということです
  _  _  _

知りませんでした
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
0622承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
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2018/11/14(水) 20:07:59.63ID:HYQJYpGI
>>621
そうして、あたかも「仏像の前提が個人主体の転生」であるかのようにミスリードしたがる連中って本当にどうしようもないね。(笑)
ウィキにもあるように、ミリンダ王の問いにはちゃんと完全な同一と呼べるものではないが輪廻していると重ねて説いてあるというのに。

(^。^)我執を仏説と偽るなんて、バカカルトと同罪だろうに。(笑)
0623神も仏も名無しさん
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2018/11/14(水) 21:59:13.19ID:4NbfUCz/
中村元はバラモン教徒や在家信者に対しては勧善懲悪の方便として輪廻と業報を説いたと言ってたと思ったが、
仏典ではむしろ比丘たちに対して輪廻や業を説いていることの方が多い。
0624神も仏も名無しさん
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2018/11/15(木) 00:54:20.37ID:vPlBeqkj
宮崎哲弥の言ってることはパーピマンが言ってることと変わらんような気がする
0625承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
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2018/11/15(木) 00:59:55.65ID:gYoxH2x+
>>624
同じ価値観で同じ問題をかんがえてんだから、結論が似るのは当然。

(^。^)俺も仏教入る前は同じだったし。(笑)
0626おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/11/15(木) 04:31:36.62ID:yfTL+987
 
> ウィキにもあるように、ミリンダ王の問いにはちゃんと完全な同一と呼べるものではない

いつも、ご教示ありがとうございます m(_ _)m

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%80%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%95%8F%E3%81%84
ナーガセーナ長老は
「今、現にある現象的個体の善なり悪なりの行為(業)に応じて
  それが介入・影響した別の現象的個体として改組・回帰される」と述べる
  _  _  _

> (^。^)俺も仏教入る前は同じ(輪廻否定?)だったし。(笑)

中論 第二十七章 見解(邪見)の考察

仮設としての
この現世だけに限定したとしても、それでも

地水火風の微細な粒子に依存している
色受想行識の仮和合は
縁起に依存して、変化しているので、それゆえに

「私は過去に存在していた」と言うことは妥当ではない
過去に存在していたものは
今、現在の私と同一ではないからである
それゆえに
前世からの → 現世のものについても
今、現在の私と同一ではない

↑こんな感じ? おじゃる?
0627承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
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2018/11/15(木) 04:38:40.31ID:gYoxH2x+
先にあるミリンダ王の問いにある通りです。
同じ火ではないがーとか同じ女ではないがーとか。
全く同じではないけど、ある意味同じって話ですね。
じゃあどーゆー意味かってのは、俺も想像でしかないからね。(笑)

(^。^)少なくとも、漫画の輪廻転生と、仏教の輪廻とは別物なんすよ。(笑)
0628宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/11/15(木) 13:36:43.13ID:yJMOl6Vu
>>603
この私が永年、セブンと対論を続けているのは、
彼は自分自身のしっかりとした見解を持ち、そして、それを自分自身の言葉で語ってくるからです。
けれども、あなたはそうじゃない。

自分では何も語らずに、
ただリンク貼りやコピー転載だけを続けるというやり方というのは、
“嫌がらせの無言電話”を続けてるとの一緒です。

>だから、第一の覚者も、第二の覚者も、第三の覚者も、第四の覚者も、仏教にしか現れないのです」と。

嘘ばかりです。
その結果など出てないじゃないですか!

ゴータマ以降の覚者(生ける如来)の出現はまったくなく、ただ話だけの阿羅漢の存在ばかりです。
その阿羅漢(テーラワーダの完成者)というのは、比較的にいえば圧倒的に容易い境地です。そもそも五百羅漢というくらい。
真実の完成者たる生ける如来のブッダというのは、未来仏の弥勒までは出現しないとゴータマによって明言されています。

 『仏教学においても釈迦の直説が含まれると推定される阿含経においても、阿羅漢と仏陀は明確に区別されており、ゴータマ・シッダールタ
以外の阿羅漢が如来十号の他の九つで呼ばれることはない。阿含経の一部『ドナ・スッタ』では仏陀は「神でも人でも魔でもない」とされる。
 阿羅漢と仏陀の主な違いとしては
 ・阿羅漢は女性もなれるが、仏陀は女性はなれない。
 ・仏陀は宇宙が何十億年の年月の単位である「劫」レベルの膨大な年数のうちに、一つの世界に一人だけ現れる存在だが、阿羅漢は(特に)
釈迦在世時には多数輩出された。
 がある。』(阿羅漢と仏陀の違い)
 https://dic.pixiv.net/a/%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%BC%A2
0629宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/11/15(木) 13:37:48.91ID:yJMOl6Vu
>仏教にしか現れないのです

仏教だけが唯一の真理であって、
他はすべて間違いだなどという偏狭なことをゴータマは説かない。

 『かれらは自己の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何人を愚人であると見ることができようぞ。
他の説を、愚かである、不浄の教えであると説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。』
(Sn.893)

仏教の発祥以前における太古の仏陀存在(覚者)は、
当然、仏教に拠らない更にもっと古い宗教的教えの伝統の中から出現したもの。
仏教で説かれる過去七仏の概念というのも、仏教徒によるヴェーダ(バラモン伝統)からのパクリに他ならない。

 『仏教によれば、ダルマをさとった人がすなわち覚者なのであるから、覚者はいかに超人化・神化して考えられようとも、決して
唯だ一人の人格的存在者であるということはできない。ゴータマのほかにもなお覚者が存在し得るはずなのである。そこで過去未来
の諸仏と現在における一人の仏を立てて考える。特に過去七仏の観念は古く成立し、その名称はすでにガーターの中に伝えられている。
 過去七仏とはパーリ語でヴィパッシン(Vipassin)、シキン(Sikhin)、ヴェッサブ(Vessabhu)、カクサンダ(Kakusandha)、コーナー
ガマナ(Konāgamana)、カッサパ(Kassapa)および第七に釈尊をいう。そうして仏は「第七の仙人」と呼ばれている。過去七仏の観念が
もとをたどれば、『リグ・ヴェーダ』に由来することは、すでに指摘したとおりである。』
(『中村元選集・11巻・インド仏教の諸問題』春秋社P.515〜516)
0630宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/11/15(木) 13:45:52.63ID:yJMOl6Vu
>>566
>二千五百年の歴史ある組織に、

 確かに、史実のゴータマから数えれば二千五百年ですが、しかし、二千五百年の歴史ある組織などは世界中を探しても一つもありません。
もちろん、ゴータマの教えを正しく忠実に継承している団体についても皆無です(あるなら、何処にあるのか教えて欲しいくらい)。
 日本に仏教が伝来したのは6世紀です。チベットは7世紀、中国は1世紀。スリランカの仏教は古くて前2-3世紀頃からですが、しかし、
現存する現代のテーラワーダの正体は、『分別説部大寺派』というものであり、これは部派仏教の中の『分別説部』(Vibhajjavādin)にお
いて、その中でも更にマイナーだった『大寺派』(Mahāvihāravāsin)が今日まで生き残ったものです。つまり、現在のテーラワーダ仏教の
直接的な起源としての「大寺派」はこの法燈を嗣ぐもので、その確立は5世紀頃だったとされています。
 その他、同じテーラワーダであるビルマやタイの南方仏教は12-13世紀です。

>それとも、実際に霊的な相談などにのっているんですか?

私の心霊に対する理解は、神智学とそれから仏教以前から傾倒した心霊科学の知識によるものが中心です。
また、霊的能力のある密教僧からの教えなどもとても参考にしています。
それからまた、私自身が、自分で心霊体験を何度も持つので
心霊存在の“実在性”については100%を保証しますよ。
0631宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/11/15(木) 16:20:46.56ID:yJMOl6Vu
>>569
>俺は拝み屋さんで、祓うのを手伝ってただけで、
--略--
>(^。^)色んな人が色んな流派で色んな事をやってるけど、何が本当かは判らん、
>というか全部間違ってるような気がして辞めました。(笑)

それって、やっぱり密教系?
しかし、せっかく拝み屋さんにて助法されていたというのに、
それが能力者として本物であったかどうかすらも確認できなかったと?
普通、何度も携わっていれば分かる筈ですが?
いつもデタラメばかりだったならば相談者や信者らにバレるのだから。
もしも、ただのインチキだったならば、あなたも人の弱みに付け込む金取り詐欺に加担していたこととなり、
大変な悪業を積んだことになるでしょうね。

こちらの近郊には、
地元ではかなり知られた能力者(真言系)がいます(まっ、近年は亡くなられて今は二代目が継いでいるけど)。
私も若い頃に一度だけ行ってみたことがありますが、その能力だけは本物のようです。
その頃は小さな平屋の古い個人住宅だったのに、
彼女に救われたという感謝の寄付とお布施で大きな立派な寺院が建設されましたね。
中には一千万単位や全財産を捧げたという人もいたらしいからね。
0632おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/15(木) 16:22:22.17ID:yfTL+987
 
> 自分自身の言葉で語ってくる

おじゃるの個人的な見解としては
神仏習合
神社・仏閣・霊場

↓金銭的に余裕があるのなら

鵜戸神宮
http://www.udojingu.com/
鵜戸神宮 鵜戸山八丁坂
http://www.pmiyazaki.com/udo_2/hty.htm
http://www.pmiyazaki.com/udo_2/img/ht04.jpg
霧島神宮
http://www.kirishimajingu.or.jp/

熊野那智大社
https://www.jisyameguri.com/chiiki/wakayama/nachi/
飛瀧神社 那智の滝
https://www.jisyameguri.com/chiiki/wakayama/hirou/

色々と逝ってみたい所存で おじゃります m(_ _)m

(心霊現象の実際の現場とかも含めて…)
0633承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/15(木) 19:22:17.18ID:sYvyJllp
>>631
本当に理解出来ないんで質問しますが、

「シンチガク」でも仏教でも何でも、それが「本物」ってどうやって決めてんの?
単に自分の好みでしょ。
実際に自分が霊的な事象や相談などを何年かこなして検証してないってことは客観的な判断基準はない訳だから。
で、その「本物」を知りたいだけなの?
それで世の中の役に立てようとか、自分が神仙の位に昇りたいとかは考えてない訳でしょ。
何がしたいのか理解出来ない。
単なる趣味で、マニアとして収集してるだけってことでいいのか?
それとも、シンチガクの瞑想か何かしてて神秘体験でもしてるのか?
だが、それも単なる個人的体験でしかないから客観的な判断基準とは言えないが。

(^。^)正直、バカカルト信者の意見と同じで、何を言われても全く意味がないとしか思えないんだが。(笑)
0634おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/15(木) 20:32:08.91ID:yfTL+987
 
> 「本物」ってどうやって決めてんの?

仏教の対機説法としては

仮設としての
無明に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して

その人、個人にとっての「善である・悪である」

という『想い』が、現れ、変化して、滅している
  _  _  _

> 瞑想か何かして

たとえば上座部系なら

我所も我も
地水火風の微細な粒子に分解して
最終的には滅して逝く

因縁生滅智
刹那生滅智

という観察法?
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
上座部 パオ・セヤドー
0635神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/15(木) 20:54:05.18ID:Qp3daa1F
>>310
臨済宗の栄西はイニシエート2.2で斯陀含クラスの覚者です
曹洞宗の道元はイニシエート1.5で預流果クラスの覚者です
0636承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/15(木) 21:12:09.88ID:sYvyJllp
>>634
そうした理屈はありますが、じゃあ霊的な事象、そもそもこれは精神的な病かもという問いも含めて、
そうした事象に、物理の追実験並の再現性で解消出来ることはあり得ない訳。
で、その失敗する理屈も色々な話があるが、そんなもんでいいなら、その辺の詐欺師でも成功率の違いこそあれ、結果は同じって話になります。
勿論仏教は、そうした事は本筋には関係ありませんが、(悟ったなら出来るというスタンスだから)
「本物」と判ったとするなら、仏教では悟ったから判ったって話しかあり得ない、という事に。

(^。^)勿論、信仰は自由ですが、俺は屁理屈で納得は出来んし。(笑)
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