西武黄金時代ってどれだけすごかったの?2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>299
その宇野が中日唯一の見どころってレベルだったんだよ… 本心かどうかは知らないけど、森監督の後日談によると「当初は星野中日を脅威に感じていた」とのこと
「勢いづいたら手に負えないので、初戦は様子見だの偶数戦重視だの悠長なことは言っていられなかった」
「相手に何もさせず4連勝で終わらせるつもりだった。流れを奪われたら逆に4連敗で終わっていたかもしれなかった」
そのうえで
「だから初戦の先発投手が勝手知ったる小野と聞いたときは安堵した。主導権を握れる目処が立った」と続けている >>300
川又や音が、地味ながらラッキーボーイ的だった。
落合も一応3割打ったが、打点ゼロは印象よくないな。
あと、郭の第2戦の締めは良かった。
石毛に起死回生の一発を打たれるまで、被安打ゼロだったのよね…
しかし小野はひどい言われようだなw
昨年度までのチームメイトに対して、ケチョンケチョンw >>302
小野は一応その年は最多勝取ったほどの投手だったのにな
まあ、その一年だけだったけど 日本シリーズは情報合戦だからね。初対戦する投手とかある程度データは貰っても打席に
立たないと判らないとまで言われるなか、去年まで同じ釜の飯食った小野なら
組みやすしと気楽になるのは目に見えてる 中日の中で最も西武投手を知ってる落合がぐうの音も出ないレベルに抑えられて
「パリーグ三冠王」のショボさを天下に知らしめた事の方がショックだったわ 小野って映像で見ても何がいいのかよくわからない投手。
そんな速い球があるわけでもない。
目立った変化球もない。
コントロールはいい方?
移籍1年目ということでビギナーズラックだっただけか? 森
87年 桑田より江川先発の方が嫌だった
88年 小野より小松先発の方が嫌だった
90年 第一戦は桑田先発が一番嫌だった
91年 川口を酷使してくれて助かった 一時期の西武は日本シリーズのビジターが全く勝てなかったけど
あれはなぜだったのだろうか 小野は85年の阪神との日本シリーズ第5戦に先発し、1回裏に掛布に3ラン浴びて降板。
あの先発は捨てゲームと言われたが、案の定ノックアウトされてなんだかなぁって感じ
あれで西武をお払い箱になったようなもの >>311
85年 11登板 57.1回 3勝
86年 20登板 117.1回 6勝
87年 23登板 130.2回 4勝
どんどん登板機会が増えているのにどこがお払い箱なんだろう? >>312
やっとこさの規定投球回数到達でたったの4勝じゃあ底が見えているわ。 >>312
自分の勝手な「お払い箱になった」って思い込みを否定されて悔しいんですね >>314
きっと、「行間にいろいろ書いてあるのが読めないのかよ」な感じなのでしょ じゃなくて>>311が単純に別の選手と勘違いしてただけでは?
85年シリーズで打たれたのが平野とのトレードで出される要因とか
そんなトンチンカンなこと思うわけないし どのみち
工藤もナベ9も通用してなかったし
5戦は小野しかおらんかったしな 工藤出しても
バースに3ラン2発
ナベQもクソボークに掛布に2ラン
これじゃだれ出しても一緒なわけ >>317
5戦小野でも掛布だけには打たれてはいけなかった
それまで掛布は当たってなかったから、バース敬遠で掛布勝負で抑えれば
阪神の攻撃力は落ちるし、掛布へのプレッシャーも強くなって益々打てなくなっただろう >>320
3割打者だし
そろそろ打つ時期だっただろ
いくら眠っていても実績が凄いだけに
どんな投手でもビビるんですよ
あれだけの打者揃ってたらね 小野はよくいるファームでは物凄い成績で他を寄せ付けないが、
こと1軍ではサッパリなファーム帝王タイプ
たしか小野はファーム通算63勝はいまだ歴代通算最多勝利。
ファームでは高卒1年目から最多勝獲る、3年目にまた最多勝4年目に最優秀防御率獲るなどまさに敵なし
そりゃあファンからしたら二十歳前後の府フレッシュな投手を早く現場(1軍で)見たいと望んだが
なかなか1軍昇格しない。ファンもヤキモキする中、ようやく1軍登場する投球内容は球威が無く「打たせて取る」典型的な地味な技巧派 広澤が「二軍止まりの選手は一軍レベルの変化球が打てない」と言ってたね しかし85年はよくあのメンバーでリーグ優勝したな
しかも2位に15ゲームも離した独走優勝
森西武でもそこまでの独走優勝は無かったはず >>322
同時期の斎藤ひろし(漢字忘れた)の投手バージョンみたいな選手だな。
ただ、そういう選手って斉藤もそうだけどいくらすげえ成績2軍で叩き出しても
上が凄いので昇格できない、って環境じゃないとなかなか出ないんだよね。
今はそこまで突出したチーム無いから2軍で凄ければまず昇格しちゃうし。 >>322
セでも初年度だけ活躍したように、何か独特な部分があったのかな?
見た感じではオーソドックスなのにしか見えなかったが、打者にはあるのかもね。 相性みたいなモン?
中日は都の故障劣化がなければもっとやれたのかも
82年は打球直撃で都が使えなくなった条件でももう一戦多かったし
リーグ優勝決定が程よい日取りだったから
ブライアントもいれば消化試合で予習させれてたんじゃ… 要は環境
宮地もダイエーに行ってから覚醒したし
岸も楽天に行って覚醒したし >>312
強豪チームの5番手6番手だとその数字はありえるだろう
ドラフトで先発タイプの森山が取れたから、小野は放出されてもしゃーない
放出されて中日で最多勝だから成功だろう どっちかと言うとあのトレードは平野を獲れた西武が得をした 次年度だけならまだしも、トータルで見たら
「どっちかというと」
なんてレベルではない西武の大儲けだわな
いまだに黄金期総選挙とかやると人気だし。 小野がエースで最多勝とか考えらなかったな
しかもリーグ優勝までするとは
中日は痛いトレードをやるな
平野、中尾、ブライアントw 単年で確変終了の小野
6年間で毎年ゴールデングラブ賞獲得の平野
どっちが得したなんて比べるまでもない 他の球団のファンは兎も角ライオンズファンだけは田尾よりも平野の事を高く評価しているのは間違いないわ。 >>332
ブライアントは中西太との出会いがなければ近鉄でもブレイクすることはなかった
もちろん中日に残留してても第3の外国人のままで終わっていた 阪急⇔中日の大型トレードの時も得したのは阪急だったし
中日はあまりトレードが上手くない 中日のトレード、田尾、平野、中尾らは
当時の独裁星野監督に反発する選手を排除する意味もあったのでしょう
星野曰く「着いて来れない選手は要らない」
しかし当時の星野は何か根本陸男に媚を売るところがあった、
というかこの2人、実は裏で繋がってるところがあった
1989年西武ドラフト外で小島弘務獲得するも野球協約違反で契約無効。
しかし翌年中日が1位指名。確かにアマチュア時代いい投手だが下位指名またはドラフト外だから旨味のある指名で
さすがに1位の器ではないと思ったが、西武特に根本がプロ入りできない小島にたいして
かなり悪いことをしてしまったと思ったのも事実。そのなか中日が1位指名だからね >>337
田尾は星野が監督になる前にとっくに放出されてただろ
田尾が中心選手として中日にいた時は星野は監督じゃなく投手だぞ
君が星野が嫌いなのかは知らんがデマを流すのはよくない >>336
中尾と西本は中日が得、大島と田中富は中日が損
ただ落合が来て宇野とゲーリーがバリバリだったから大島は中日では出番がなくなってきていたからな
大島は日ハムに移籍したから名球会に入れたようなもんだし
関川久慈と矢野大豊は引き分けだな >>338
星野と仲が悪かったのは谷沢だろ
星野が監督になるから谷沢は引退したようなもの
田尾は球団代表に意見してトレードにだされた >>336
> 中日はあまりトレードが上手くない
今年阪神の監督になった矢野だって阪神の方が得したしね
あと、地元のイチローをスカウトが見逃して、左遷されたって有名な話もある 矢野・大豊 - 関川・久慈
は最初の年だけ見れば中日大儲けだけど
トータルで見れば阪神大儲けだった 根本在籍時のライオンズってトータルで見ると損したトレードの方が多かった気が。 平野は92年のオフに1億到達。
ちょうど原辰徳もこの年に初めて1憶乗ったけど、平野も原も一軍デビューは81年。
西武の年俸査定エグすぎる。 そもそも巨人は年俸以外の副収入が多かったじゃないか。 >>339
でも中尾は齋藤とバッテリーを組んで齋藤を覚醒させた捕手でもあるからな
齋藤が大エースになれたのも中尾の功績と考えたら、痛いでしょ 86年から88年の3年間は決して楽なペナント争いではなかった。 >>324
中軸が繋いでその前後に大砲を置くというのは今のメジャー野球に通じるものがあります。
このやり方はホームラン打者から不満が出るのですがベテランを中軸に置いて日本特有の序列を上手く利用
したわけです。だから85年は広岡さんも外人の大砲をもう一人欲しかったのですがそこで根本さんと対立
してしまったんですね。 85年は広岡さんがメジャー流の采配を振るってました。
そして川崎球場は麻雀や流しそうめんもできる総合娯楽ボールパークとして親しまれ(?)まさに。
まさに近未来的だったわけです当時のパリーグはw >>91
これってなんでだろうか?
たしかに東尾に名監督感はしなかったけど、ああやって建て直すというかなんとか間を保たせなかったらbクラス常連に転落してもおかしくないような感じもしたが🤔
後々のことまで考えればとりあえず仰木よりはよかったんではないのか‥ >>351
広岡森の流れを断ち切って「今時の若者のチーム」にしたから気に食わんのだろう
97年シリーズでは下品な野次を飛ばされたらしい 東尾監督はもっと評価されてもいいと思うけどね
森西武の主力がトレードやFAで抜けたにもかかわらず、僅か3年で新戦力を整えての優勝だから
清原が抜けた翌年に優勝というのが価値がある
投手は西口、野手は松井、大友、高木大成とレギュラー固定出来たし 須藤さんが入ってからだね東尾西武が強くなったのは。
野村さんは現役時代に東尾さんによくぶつけられてたので元々良くは思ってなかったみたい。 須藤さんは不思議な人だよね、
技術面では何一つ教えられないみたいだけど、
裏表が無く選手と首脳陣の間に入って潤滑油の役割が出来る
クロマティも自伝で乱闘事件の後、クロウに批判が多く落ち込む中
「ナイスファイト!俺は応援してるからな」と電話で須藤夫婦に勇気づけられ
涙を流したと言っている 東尾が監督になってから隙のない西武の野球はなくなり
普通のチームになった感は多くの人が口にするところだ。 須藤さんは不思議な人だよね、
技術面では何一つ教えられないみたいだけど、
裏表が無く選手と首脳陣の間に入って潤滑油の役割が出来る
クロマティも自伝で乱闘事件の後、クロウに批判が多く落ち込む中
「ナイスファイト!俺は応援してるからな」と電話で須藤夫婦に勇気づけられ
涙を流したと言っている 須藤さんは不思議な人だよね、
技術面では何一つ教えられないみたいだけど、
裏表が無く選手と首脳陣の間に入って潤滑油の役割が出来る
クロマティも自伝で乱闘事件の後、クロウに批判が多く落ち込む中
「ナイスファイト!俺は応援してるからな」と電話で須藤夫婦に勇気づけられ
涙を流したと言っている >>356
>隙のない西武の野球
その基盤は広岡が作ったものなんだよな
それを森が引き継いだ
東尾は広岡の手腕は認めてもビールも自由に飲めなかった
管理野球には否定的だったから 東尾時代は97年シーズンまでの建て直しは素晴らしかったが、それ以降(97シリーズ含む)が全くダメ
98年の優勝も日ハムが勝手にこけたからだし、短期決戦もクソすぎた
黄金時代とはとても呼べない >>353
3年目までは確かに良かった
その後も新戦力が続々と台頭してただけに、Aクラスキープに留まらずあと1〜2度は優勝してほしかった >>327
都は打球直撃した次の第3戦も先発してるし、第5・6戦もリリーフ登板してる >>334
お前田尾か?
痛い目にあわされた分他ファンのがむしろ平野を評価しとるわw
「狙った球と違ったから」
とか言うてエンドランのサイン出た時に見送って走者殺すアホと違ってな >>349
スティーブよりテリーのほうが印象度は
強かったのに何故かテリーが先に切られた
ま、秋山を抜擢するために枠を開けたとも
言えるけど
83年に巨人を倒して日本一になった時点で
広岡は世代交代にかじを切った
セカンドは山崎から辻
キャッチャーは大石から伊東
でサードはテリーから秋山
だけに若返った分、打線の迫力は薄かったけ
打線の切れ目はなかった >>335
でもゲーリーはその年で切られたし
パウエルが来るまでは外国人は不作だったのを
思えばブライアントは痛かったかも
ま、日本シリーズに関したらやっぱり投手陣の弱さ
だったとは思う
まだ今中もおらず山本昌は留学して帰国直後だから
小松や近藤で強力西武打線は抑えられないのは
明白だった
だからこそ翌年、西本を獲得したのだろうが 中尾は星野から「人気球団にトレードしてやる」と言われていて
「移籍先は西武か」と思ってたら巨人だったそうだ
同一リーグトレードとは思わんわな >>364
テリーはクビにされたんじゃねえよ。
西武は契約する気満々だったが、自ら退団希望してドジャースに入団した。
わざわざクビにしてまで、翌年ジェリー・ホワイトをテストで獲得する必要なんかない。
大体、サードがテリーから秋山って、どこのパラレルワールドだよw スティーブの代わりがブコビッチだけど、さっぱりだった
日本シリーズで江川からホームラン打ったのしか印象にない ブコビッチは一応、86年日シリ第8戦の決勝打と、87年日シリの先制犠牲フライ(清原が二塁からホームイン)を打ってる。
87年は第1戦の4打席4三振が情けなかった。
しかも何故か、秋山と清原を前後にしての4番。。 >>365
中日での成長はないので、ゲーリーの穴をブライアントが埋めることはない >>361
マルティネス退団して代わりの外国人打者が上手く行かなくて打線が弱くなったのが優勝ができなくなった原因かも マルちゃんがクビになった理由は単にデブだという事だけ。
それもちょっとね。 テリーも守備に関してはタイロンのほうが良かったな。バッティングも良かったしタイロンは
ちょっともったいなかった。 ブライアントは、2軍首脳陣は絶対手放すなって星野にお願いしてた
当時のラジオで聞いた話だと、星野はあのブライアントのバッティングフォームが気に入らなかったそうだ ゲーリーは落合に本当に信奉していたから
まともなバットをゆさゆさふる神主打法
そのものだったんだよな
でもあれは落合が長年かけて編み出した打法
だけに負担は大きく致命的な腰痛をやり
現役そのものが終わってしまった
三振数が少なくなったかわりに長打も減った
しかし翌年からショージ、ディステファーノ、
バンスロー、ライアルと獲得するが
バンスロー、ライアルはまあまあの活躍はしたが
息は短く、そう思えばブライアントはもったい
なかった気はするが
恐らく中日のままならあれだけの活躍はなかった
はず 当たれば場外って位の飛ばすバッターだったんだよね
それで球界一の名コーチの中西太に指導されて近鉄で伸びた 西武の低迷は
西口や石井貴あたりが長年ローテで出たあたり >>378
いやいや、その2人よりもまずは新谷でしょう。 ラルフはパリーグでもあんなに三振が多かったのに技巧派のセリーグのピッチャーを打てたかどうか。
それも見越しての放出だったのかも。 >>381
マルちゃんと入れ替わりで入団したのはシアンフロッコとブロッサーだけど
あまりに打てなくて途中でジンターとポールを獲得した 98年の西武は平成史上最も弱い優勝チームだろうな。 2005年はセもパも弱いね
リーグ戦首位じゃないチームとそれにボコられたチーム 1998西武
松井 稼頭央 率.311(575-179) 9本 58打点 MVP 盗塁王
小関 竜也 率.283(322-91) 3本 24打点 新人王
高木 大成 率.276(504-139) 17本 84打点
鈴木 健 率.275(488-134) 22本 65打点
マルティネス 率.283(491-139) 30本 95打点
佐々木 誠 率.259(251-65) 1本 21打点
高木 浩之 率.202(233-47) 2本 20打点
伊東 勤 率.243(325-79) 8本 38打点
大友 進 率.269(394-106) 2本 31打点
下位打線は確かに醜いが、機動力を考えれば上位はそこまで悪くはない。
単に打線だけなら20HR以上がゼロの1991広島や松井1人の1994読売の方が下だろう。まあ1998横浜マシンガンも20HRはゼロだが。 秋山他⇔佐々木他の大型トレードは成立時は
「西武が得した」と言われたがその後を見るとそうでもない おまけの橋本武と秋山のトレードみたいになったもんな
佐々木誠は最初は打ったけどあんなに早く劣化するとは南海ファンのオレはショックだった 村田勝喜は93年のトータルの成績だけみればまずまずだが
後半に大きく成績を落としたんだよな。
ほぼローテ守って後半は1勝ぐらいしかしてない。
その不調を94年もそのまま引きずってしまった感じ。 >>373
いや、日本シリーズの時に守る場所がないから。
その後巨人でレフト守ってたが。 >>391
高橋慶彦みたいに強靭な足腰で成績を残したタイプは、肝心の足腰が衰えるとあっという間に劣化する傾向が(´・ω・`)
佐々木、慶彦、松永辺りとは別タイプだけど、やはり強靭な足腰で本塁打数を維持していた掛布なんかもその口かと。 >>393
大成外野手と言う手は無かったのか?と当時は思ったわ。 >>386
去年の西武はCSを勝ち抜けないんじゃないかなと思っていた。
そこまでの力は西武にはまだない。
その点では例え大差を付けての独走優勝であってもCSの意義ってまだまだあるのかなとも思う 2008年の西武はホークスの低迷もあったからなんとか優勝できた感じだったな
対抗馬が万年ドベのオリックスだったし 2008年は打線も良かったしあれでもチーム防御率2位で
チーム防御率1位のハムが貧打でこれは助かった
ソフトバンク最下位の大戦犯で解任された大石友好を黒江の後任に持ってきたのは
理解不能だった >>390
秋山は監督に就任してからのことも含めればホークスの方が得したな。 中日が中西コーチを招聘できなかったか・・・
コーチの移籍も7月〜シーズン終了まで制限ありか知らんけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています