坐禅と見性第120章山の端に入道雲の湧き上がる音すなり [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来(きた)る者は拒(こば)まず、去る者は追わず。
スレの興隆は、いっときもとどまらず、恒常が無い。
遠くの山々は、青く、我を旅立ちへ誘う。
遠く青い山並みの向こうに、何があるのか。
白い雲は、山にかかると、さっと左右に分かれ、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出し大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水の振る舞いの修行僧が風景に溶け込む。
因縁果があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、次のステップである。
真理、ダルマ、法である、ほとけである、われら、
問う、「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい 」
【前スレ】
坐禅と見性第119章丘の上に坐しポーンと投げ込み散骨す [無断転載禁止]©2ch.net
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【過去スレ】
坐禅と見性第118章海底からの上昇流と海面からの下降流、休まず [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第117章禅のアヒルは、泥水に注がれたミルクだけを飲む [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第115章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止](c)2ch.net
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坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる) [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第112章ホワイトオータムからブラックウインターへと [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1477151725/ >だれでも、そのまんまで悟っとるということになってしまいますな
本来本法性天然自性身(本来はみんな悟ってて仏)ってのは仏道の常識
それはみんな学び出せば大なり小なり学ぶ基本でしょ
じゃあなぜ修行やんなきゃならんのかがお題の一つ
古代インドはその点ではまだ簡単だった、みんな輪廻を解脱したかったからね
しかし現代日本の基本思想に輪廻は定着してないので、その脅しは通用しない
昔の中国もそうだったから、禅は輪廻を強調しないのさ
今の日本で通用する方便(古代の輪廻解脱も方便)は
自分探しからの解脱
と言えるでしょ
みんなそろいも揃って自分自分って探して
どれが本当の自分かとかやってる
頭はまんざら悪くないからこそ、無我が分からない
分からないから自分探しを諦めない
挙句はメンヘラになったり
聞く耳や教えて欲しいって思いがあるのなら、出来るだけ応えてあげたいとは思う
しかし、自分の考えを止められない人に言って聞かせる言葉は無いのだろうね
取り付く島がそもそも無いんだから >>873
wwwwwww
なるほど、素晴らしいことです その前に、まことは、悟りの基本修行も、知らないじゃないか! 今の時代は自然がないがしろにされている合成なものばかり、だれかさんが言つたように食い物は美味く料理して、子作り作業も
色々ソフトを合性して他の楽しみになつて、そうや社会も複雑な頭使わ無いとボケと人間扱いされん社会に、まちまちには不自然が
あふれているし、でも元々の素朴さより不自然な豪勢な合成ソフトが刺激は強いし楽しいし寂しさや苦しさ忘れられるし?素朴な
自然に親しんでいた仏さんは今のこの世に学びに来たのか遊びに来たのか?仏さんは遊びに夢中になりまあなんだを忘れてシマッタ
の鴨、そういえば鬼さんが死ぬ前に泣くことになると言っていた、わけはわからんけど、せめてほんのひと時だけでも修行しよう。
この社会は死んでからは面倒見ない死仏教のおもちゃは古いし?。と宇宙人が観光ヒーを飲みながら佛佛つぶやいていた。宇宙人の
視点で見てみれば?色々に夢中な仏だけでは小○。私も修行さぼつて困り者だけど反省は猿。でも元々は自然なエネルギー空。
それにマンネリでも毎日コツコツと続ければ何か解らんけど何にも鳴らないものでも楽しく鳴る。
毎日コツコツの正しい修行を行う、つまり私の中に寺院をこんりゅうして修行するればよいのかコツはコツコツ?これはクンダリー
ニについての文だけど禅でも瞑想でも強引に当てはめられる鴨で。合成は遺憾と言つたばかりだけど、煩悩もコツコツで出来ている
し、みんな同じエネルギー何だろうかで ?本・一日にこの修練を何時間も行い、何日も、さらに何年も続けると、ある時点で、身体
が根源的な洞察に到達します。すなわち身体に浸透しているエネルギーは世界を照らし、すべての存在を生かしているところのエネ
ルギーと同一のものだ、この二つの息は同一なのだということに気づき、そのことを確信するに至るのです。それは身体そのものが、
己に内在する精神に目覚める瞬間であり、そのときに中央の神経ないし通路を通じてプラーナが上昇を始めます
は上昇する その前に、まことは、悟りの基本修行も、知らないじゃないか! 塔天ポール?頭天ポール?誤重の塔も私が坐禅して無我になれば頭の上の仏も無我ですわり
その上の仏もだまつてすわりその上のもすわり天まですわりブラフマンも無で坐るのか?今は私も仏も
心の声がうるさく、中々坐れないでも朝丸出しのザ前でアートため息まあ良いか 金さんの誤自由の頭はどう動くのかまあ損なに頭悪くないと思いたい
春だし何とかなるか ereiqan9は正鵠を得ている。
+2bmb6bgは言ってることが支離滅裂だな。 >>866
>坐禅する一つの意義は「自己本来面目」を知る事なんだよ
>坐禅が一番分かりやすいからそうなってる
>その面目とは、分かりやすく言えば「自己と呼ぶ決め付けて
>しまう本来の原因」って事
>これ、別の言い方だと「父母未生以前自己本来面目」となる
ひょっとしてまだ自己の本性が煩悩だの無明だの妄想だの言ってるのかな?
「自己というその(生じた)思いが妄想」というのなら分かるけど。
生じた思い≠父母未生以前 だよね?
自己という思いが生じるのは相依性縁起(縁起、空、無自性)でしょ?
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、
此が滅すれば彼が滅す。」— 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)
つまり非自生、非他生、非共生、非無因生(四不生)。
勿論こうした言葉での説明も仮(設)のもの。
自性が無明だの煩悩だの妄想だの言ってるのは常見(有身見)じゃないの? >>872
>だから、その、パンとしたまんまにしとくとかは、それ自体が悟りではなくて、
>そのことを通じて、現実がウソと見ることではないのかと、、、
私も同じ見解ですね。
純粋経験は、純粋経験が破れた事を識知すること(=縁起の法を識る)によって
しか知れません。 ┐( ̄ヘ ̄)┌
理解(りげ)に依って三結に堕すだね。 >>884
うどん屋に行き蕎麦を
食うが如しじゃ! >生じた思い≠父母未生以前 だよね?
理屈だけの理解だから確認したくなるんだよ。
それじゃ言葉の正否に因らず間違いにしかならない。
仏を疑ってるのだからね。
>常見(有身見)
自分の考え方に固執し続けるのが有身見の平易な解釈。
有身見は常見断見どちらでも成立する。 >>886
言ってる意味が理解できないから、わかり易く言ってもらいたいね。
有身見(sakkāya-diṭṭhi)とは、五蘊を自我と同一視する見解のこと。
つまり、我はある、我が身はある、という見解のことらしいけど? 「尊師よ、有身見は、如何なるものですか。」
「修行者よ、我を有すると、考えていること。すなわち、我が身を有すると、
見ることである。」(満月大経(マハープンナマ・スッタ)第2章) >>886
>自分の考え方に固執し続けるのが有身見の平易な解釈。
>有身見は常見断見どちらでも成立する。
それは「我見」の間違いだね。 >修行者よ、我を有すると、考えていること。すなわち、我が身を有すると、見ることである
一応初期経典も読むようになったんだね。
上記で分からないかな?
考えてしまってる事でしょ。
その考えに固執してしまってる事でしょ。
坐禅でその固執は何とか出来ないかな?
当分その修行に当たられた方が良いと老婆心。 補足しとくとね、満月大経の頃、つまり在世の頃の常識は「何でも有る」が大多数だったんだよ。
だから、有り続けるから輪廻転生ってものへの拘りに繋がって、果てはカーストにも繋がってくるわけ。
そう言う当時の常識への端的なアンチテーゼだったのが断見にあたり、常見に比べたら少数派だったんだな。
だから釈尊も、一般的には有名な方で有身見を説明してるわけ。
断見だって、我は有ると考える、けど死んだら消滅すると考える。
今時の人は、死んだら消滅の方しか見ない。
有り続ける方でも消滅する方でもない。
考えた事に固執するのが良くないって教えに目を向けなきゃ元も子もなく、勿体ないじゃない。 >>890-891
また始まったよw
何が固執するの?
あなたのそれが我見じゃないのかな?
「自我と捉えないならば、自我に与えないだろう。」とあるでしょが? 868でereiqan9さんも書いてるよ
>そんな面倒なことしなくても、元から流れ去って元も子もないでしょうがwwww
ってね。 その承認欲求も坐禅じゃ打ち砕けないですか。
悲しいですねぇ。 一つ聞くよ?
あなたはよく相手に対し固執しているとか、承認要求があるとか嘯いてるが、客観的な根拠は示せるの? >>896
涅槃に有余無余をくっつける位の大謬見です。 >>897
あなたは悪いけどその程度のやっぱりレベルなんだよ。不自由しているね。
>>872でもereiqan9さんが書いてたな。
>しかし涅槃というのは、ただ、いまここの現成
>しているものに気づくことなのかな? 「尊師よ、それでは、自我ではないものが、
自我に与える影響とは、如何なるものですか。
自我ではないものが、自我に与えるでしょうか。」
「修行者よ、そう考えても、おかしくない。
自我と捕えるならば、自我に値するだろうし、
自我と捉えないならば、自我に与えないだろう。」
たまたま引用した満月大経だけど、いいことが書いてあるじゃないか。 カーラーマ経
「・人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文、神の啓示などに頼ってはいけない、
・世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
・古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
・自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
・経験によらず頭のなかの思い弁えだけで考えることに頼ってはいけない、
・理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
・人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
・自分の見方に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
・説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
・説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、」
曰く、この経典すらも疑って掛かれと言う厳しい教えです。
お釈迦様の教えをも疑って掛かれと言うんです。
では何を根拠にすれば良いか、が分かってると言う前提の人が
人身攻撃の如き詭弁を使うのは頂けませんね。 「あっそ、ご自由に」で議論を切り上げるのが果たして無執着かな?
仮設された(自)我が、同じく仮設された(彼)我に、言語で仮設された過ちを、仮設された言語で指摘する。
かなり理屈ぽいけど、無分別の分別だよ。
>>868でereiqan9さんも書いてるよ
>そんな面倒なことしなくても、元から流れ去って元も子もないでしょうがwwww
仮設された言語で説明する無我だからね。 >>900
?
何を言いたいの?
どのレスに対して言ってるのか教えて。 では、悪人正機と言う事で。
議論する気はありませんからお好きな様に。
逃げる悪人を許せるか否かは君の問題です。 この動画、気に入ったら全部観てみるといいよ。
https://youtu.be/Mzwy0F_Hpdw?t=1145
このお爺さんは偉い人ではあるけど、基本それ関係無い、ネット越しだからね。
読んでるものを解釈してくれてるだけだしね。
このお爺さんはお兄さんにあたり、すこし優しい。
弟さんも居て、そちらは少し厳しい。
ちゃんと聞き弁えられれば君の為になる筈だよ。 その前に、まことは、悟りの基本修行も、知らないじゃないか! 宗論はどちらが負けても
釈迦の恥じゃ!(´・人・`) 碧巌録 第86則 『雲門光明』
雲門禅師は諸人の光明を厨庫三門と仰る。
→ズバリそのものだね。
また、好事も無きには如かずと仰る。
→これは即非の論理だね。
人人尽く光明のある在り看るとき、見えず、暗昏々
→そりゃ概念化しちまえばそうなるわ。 885-907 名前:禿和尚[] 投稿日:2017/05/09(火) 13:28:50.15 ID:707OSrFx [1/2]
>>884
> うどん屋に行き蕎麦を食うが如しじゃ! 宗論はどちらが負けても釈迦の恥じゃ!(´・人・`)
うどんが食べられず、シャキャ族の聖者が恥をかく、
うどんじゃなくて蕎麦が食べられるのなら腹は満たせるだろうし、川の源流は河口付近の海水と入り混じった川の水は海水なのか、川の水なのか入り混じって判別が難しいだろう。
かと言って、担ぎたい奴は担ぐものだし、
川の源流は、加工のあり様など、予想もできやしない。 >>892 邪鬼 さん
> >>890-891
> また始まったよw 何が固執するの? あなたのそれが我見じゃないのかな? 「自我と捉えないならば、自我に与えないだろう。」とあるでしょが?
告白しているのか、独白なのか、痔が、痔が、とかまびすしい。。 876 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/09(火) 08:10:57.68 ID:rjl+70Xu [1/3]
今の時代は自然がないがしろにされている合成なものばかり、
だれかさんが言つたように食い物は美味く料理して、
子作り作業も色々ソフトを合性して他の楽しみになつて、
そうや社会も複雑な頭使わ無いとボケと人間扱いされん社会に、
まちまちには不自然があふれているし、
でも元々の素朴さより不自然な豪勢な合成ソフトが刺激は強いし楽しいし
寂しさや苦しさ忘れられるし?
素朴な自然に親しんでいた仏さんは今のこの世に学びに来たのか遊びに来たのか?
仏さんは遊びに夢中になりまあなんだを忘れてシマッタの鴨、
そういえば鬼さんが死ぬ前に泣くことになると言っていた、わけはわからんけど、せめてほんのひと時だけでも修行しよう。
この社会は死んでからは面倒見ない死仏教のおもちゃは古いし?。
と宇宙人が観光ヒーを飲みながら佛佛つぶやいていた。
宇宙人の視点で見てみれば?
色々に夢中な仏だけでは小○。
私も修行さぼつて困り者だけど反省は猿。
でも元々は自然なエネルギー空。
それにマンネリでも毎日コツコツと続ければ何か解らんけど何にも鳴らないものでも楽しく鳴る。
毎日コツコツの正しい修行を行う、つまり私の中に寺院をこんりゅうして修行するればよいのかコツはコツコツ?
これはクンダリーニについての文だけど禅でも瞑想でも強引に当てはめられる鴨で。
合成は遺憾と言つたばかりだけど、煩悩もコツコツで出来ているし、みんな同じエネルギー何だろうかで ?
本・一日にこの修練を何時間も行い、何日も、さらに何年も続けると、ある時点で、身体が根源的な洞察に到達します。
すなわち身体に浸透しているエネルギーは世界を照らし、すべての存在を生かしているところのエネルギーと同一のものだ、この二つの息は同一なのだということに気づき、そのことを確信するに至るのです。
それは身体そのものが、己に内在する精神に目覚める瞬間であり、そのときに中央の神経ないし通路を通じてプラーナが上昇を始めますは上昇する
春だし何とかなるか 878 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/09(火) 08:27:33.75 ID:rjl+70Xu [2/3]
塔天ポール?頭天ポール?誤重の塔も
私が坐禅して無我になれば頭の上の仏も無我ですわりその上の仏もだまつてすわりその上のもすわり天まですわりブラフマンも無で坐るのか?
今は私も仏も心の声がうるさく、中々坐れないでも朝丸出しのザ前でアートため息まあ良いか
879 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/09(火) 08:42:24.04 ID:rjl+70Xu [3/3]
金さんの誤自由の頭はどう動くのかまあ損なに頭悪くないと思いたい 』
⇒ 句読点で、区切る努力をした。。 >>863 ヘイ・コモーン!おしょう
> >>860
> 今はパチプロ等は存在しない。 主催者側が用意したサクラはパチプロでは無いぞ。
主催者が用意した土俵に乗れば最終的にはオケラにされる事は明らかである。 彼ら主催者の隠された意図を見抜く事が出来れば必然的に勝ちを得る事も可能で有ろうな。 』
プロは、苦しい、
アマは楽しい。
これが受け取れれば、ほとんどのありようがわかるだろう。
主催者とは、パチンコ屋の経営者の事を言ってるのかぁ。。
宇宙の主催者化と早合点したぞ(-。−;)アセアセ
でだまりつ、と言うのは決まってるから、その枠内での悲喜劇だろうね。
店も一定の比率でもうけを出し、客も一定の割合で負けを出す。
これはパチンコも競馬も同じ。
その意味では主催者だけが寺戦を稼ぐだけで、客は25パーセントずつ負けていく仕組み。
勝つとすれば、勝ち逃げで、以後、賭けない事しかないだろ。 碧巌録(へきがんろく) 第86則? 雲門(うんもん)光明(こうみょう)
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
?
雲門文偃禅師、垂語(すいご)して云く、「人人尽(ことごと)く光明のある在(あ)り、看るとき、見えず、暗昏々(あん こんこん・まっくらやみ)。そもさんかこれ諸人の光明?」
自(みずか)ら代(か)わって云く、「厨庫(ちゅうく・だいどころ)三門(さんもん・正門)」。
又云く、「好事(こうじ)も無きには如(し)かず」。
?
本則
雲門がある時門下の人々に言った、「我々全ての人は尽(ことごと)く本来の面目という一大光明を持っている。
それは世界を把定した当体ともいうべきものである。それは、看ようと意識するトタンに見えなくなって真っ暗闇になってしまう。
それでは一体諸人の光明とは一体何だろうか?」
誰も答えないので雲門は自ら代わって答えた、「それは台所や山門だよ。」。
又言った、「どんな好い事も何も求めることが無いのには及ばない」。
?
すべての人々が持つ、一大光明を発する本来の面目(透関底の眼)とは何かを問う。
〇 父母未生以前(ふぼ みしょう いぜん)の光を見て来い、 つのだ☆ひろ 般若心経 Heart スートラ シンフォニー9 合唱版. - 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=U5uKq7WaTD0&index=3&list=RDqy0HxmONd3g
仏教の本質 哲学者「中村元博士」 - 8:47
https://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg
ブッダ最後の旅 中村元 - 7 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=zjckGr7zCug&list=PLFM3EVy-xNyP7ASMdiZ6inBpeACgczpei
ブッダ大いなる旅路 - 23 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=jmsB0bBHd6I&list=PLXE1az6DZP-1c34brzTsmlbcr60CE0oEw
ガンダーラ・仏教飛翔の地 - 49:48
https://www.youtube.com/watch?v=Ic4mdIPkTuM
sp 文明の道 全8集 - 8 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=vZouWHI4EUw&list=PLqbPgsGColqplNw9Hdovkx3snNecRPB7h その前に、まことは、悟りの基本修行も、知らないじゃないか! 宗教の出鱈目?話を冷たい冷静な冷めた眼でみても、そんなのあつたかいと温かい眼で見られれば良いねで、べつに
本とでも嘘でもう過ぎた事、例えばキリストの復活、キリスト、マリヤ、エリア?は肉体を持つたまま天国に昇天した
のような伝説?物理的に冷たい眼でみれば冷たい。温かく見れば何かの信者夢なのか希望がある。キャンベルさんは
民族的観念の見方は温かい眼で見られる人だ。もしここになんらかの価値を見出すことが出来るとすれば、明らかに
彼らの肉体は外的世界へと旅立ったのではなく、内的世界へと赴いたのなければなりません。すなわちこういった比喩的
な旅が暗に意味しているのは、精神が自らの根源に帰還することが出来るという可能性なのです。生命がそこから生まれ
出て、此の世の時間と空間の場に出現し、やがてはまた還ってゆくあの超越的な源泉ー精神は、肉体をそなえたままで、
その源泉の完全な知識に到達する事ができるという事です。これは神話の中では大昔から述べられていることであり、す
べての存在の根底、そしてαでありΩであるものを我々の生命の始めと終わりに位置づけることを意味します。イメージ
としては具象的にならざるをえない、・・?ので解りやすい方便で具体的にそうなんだ長いので写すの疲れたけど温かい
眼で観て星意 毎日寝たあとで書くのでたまには頭回らいなあぼさあっと下朝がある。 観音 雲厳「大慈悲観音は多くの手や眼をもって働くのですか」 道吾「あたかも人が夜中に、手を後ろにして枕を探るよう
なものです」 雲厳「わかりました、わかりました」道吾「あなたはどのように分かったのですか」 雲厳「遍身が手眼です」
道吾「よくいいましたね。でも八、九分どおりです」 雲厳「私はこのとおりですが、あなたはいかがですか」
道吾「通身が手眼です」・・・道元 今言いたい事は枕を手に入れることでもない。また枕を手前に引き出すことでも無い。また
枕を向こうに押し出すことでも無い。この点をよくよくかんがえて見るがよい。さらに「夜間背手漠枕子(夜間手を後ろにして枕
を探す)」という道吾の言葉の根底を点検して・・。 どうのこうのぼさつとしてこの様に待つ暗な夜中に来たのだからもう観念
して訳が解らなくなった観音菩薩として個個で働けばまあよいか? 意味不明で訳も解らなくても菩薩は同行して働いて入る その前に、まことは、悟りの基本修行も、知らないじゃないか 私たちが悪好きでも善好きでも菩薩は決して見捨てない。
何処までも同行して共に進むのでしょうか…。 殊更に修行しろ修行しろって言うのはオウムと変わらんよね
スレタイに沿って言うなら修行、と呼ばれる一つは坐禅ってなるんだろうけど
でもそれって様式・作法の一つじゃん
世界には数多の宗教があるけど、その修行法も数多ある
そのなかでも仏教で、禅で、坐禅が一つの作法に過ぎない訳じゃん
>>926はひょっとして坐禅しろって言ってんのかな?
それじゃ坐禅してどうなるのかな?
坐禅ったって単なる座法に過ぎないのにさ
題目や念仏だって、あれはただの早口言葉や発声練習だよね
この辺どうなのかな? >>929
それ、まこととか連呼してるやつだと思う。
一レス毎にID変更してるやつ。
コテなし鬼和尚とかと同一? 920-921 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/10(水) 08:16:31.88 ID:DiMlGH3f [1/2]
宗教の出鱈目?
話を冷たい冷静な冷めた眼でみても、そんなのあつたかいと温かい眼で見られれば良いねで、べつに本とでも嘘でもう過ぎた事、
例えばキリストの復活、
キリスト、マリヤ、エリア?は肉体を持つたまま天国に昇天した のような伝説?
物理的に冷たい眼でみれば冷たい。
温かく見れば何かの信者夢なのか希望がある。
・・?ので解りやすい方便で具体的にそうなんだ長いので写すの疲れたけど温かい眼で観て星意
毎日寝たあとで書くので たまには頭回らいなあ ぼさあっと下 朝がある。
921 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/10(水) 08:17:25.57 ID:DiMlGH3f [2/2]
観音
雲厳「大慈悲観音は、多くの手や眼をもって働くのですか」
道吾「あたかも人が夜中に、手を後ろにして枕を探るようなものです」
雲厳「わかりました、わかりました」
道吾「あなたはどのように分かったのですか」
雲厳「遍身が手眼です」
道吾「よくいいましたね。でも八、九分どおりです」
雲厳「私はこのとおりですが、あなたはいかがですか」
道吾「通身が手眼です」
・・・道元 今言いたい事は枕を手に入れることでもない。
また枕を手前に引き出すことでも無い。
また枕を向こうに押し出すことでも無い。
この点をよくよくかんがえて見るがよい。
さらに「夜間背手漠枕子(夜間手を後ろにして枕を探す)」という道吾の言葉の根底を点検して・・。
どうのこうのぼさつとしてこの様に待つ暗な夜中に来たのだからもう観念して訳が解らなくなった観音菩薩として個個で働けばまあよいか?
意味不明で訳も解らなくても
菩薩は同行して働いて入る 』
菩薩がどこから出てきたのだろう。
ボサッとして、
から来たのか。
仏陀の化身と言う菩薩は 人格的存在では無いし、ダジャレにこき使われる菩薩も浮かばれない、なぁ・・・ 悟りなどありそうもない。
碧巌録(へきがんろく) 第87則? 雲門薬病相治 (うんもん やくびょう あいちす)
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
雲門文偃禅師、衆(しゅう)に示して云く、「薬病相(あい)治(ち)す。尽大地(じん だいち)これ薬。那箇(なこ)かこれ自己?」。
?
ある日、雲門禅師は弟子達に向って言った、「薬(悟り)とは、病(心の病)を治すために飲むものだ。 大地は薬であふれている。自己は一体どこにあるのだろうか?」。
?
⇒ 色は 即ち 空である。
空は 即ち 色である。
この事は、すなわち、不生(ふしょう) である。 イ山霊祐と仰山慧寂の問答
?
イ山霊祐と仰山慧寂にはの次ぎのような会話がある。
イ山仰山に問う、「妙浄明心、汝作麼生(そもさん)か会する?」。
仰 曰く、「山河大地、日月星辰」。
イ山霊祐が仰山慧寂に質問した、「お前さんは妙浄明心をどのように理解しているのかね?」
仰山慧寂は云った、「山河大地、日月星辰です」。
仰山は「妙浄明心は山河大地、日月星辰である。」と言う。
仰山は「妄想分別を徹底的に奪い尽くすことで得られる妙浄明心(純粋意識)で見ると 自己は山河大地、日月星辰と一体である。」と心境一如の境地を言う。 >>933 Ann ちゃん
> 悟りなどありそうもない。
さとれば、さとったので、さとりが無い。 蒟蒻問答 - 5 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=g1FuceUmdgA&list=PLhmi4Vi_W7Qwm9GT-K0KAx8JEFqxEdroE ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は次の認識にあります。私たちの外的な目は時空の場の中のみかけの現象しか見かけ
ませんが、しかしこれらの現象全ての内的経験は、意欲する主体としての彼、彼女、ないしそれ自身の経験なのです。この内
的経験はー私たちには隠されていますがー実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験なのです。
ただそれは幻影である個人自身の死の恐怖および幻影としての生存への欲望によつてサンサーラ(時間的な幻影の影)に繋がれ
ているのです。つまり(生の意志)の衝動は自分自身としてのアートマンの経験ですが、それはーショーペンハウアーの認識で
はー「同情」(慈悲)の洞察という形でのみ生起します。それは菩薩の性質に他なりません。彼は有名な論文「道徳の基礎につ
いて」の中で次の問いをだしています。(続く)
(続き)「ところで、私のものでもなく、私と関わりない苦悩が、それ以外の場合には私自身の苦悩だけがそうである
ように直接に私動機となり、私を行為へと動かすという事は、どの様にして可能なのだろうか。[・・・]この過程は神秘的で
ある。それは理性が直接に報告しえないものであり、それらの根拠を経験によつて見出すことの出来ないものである。にもか
かわらず、それは日常的なことである無常このうえない人、我欲きわめて強い人にとつてさえ、無縁な事ではない。この現象
は日々われわれれの目前に、個々のことにあらわれる。熟慮を重ねる事も無く直接的衝動によつてある人が他人を助ける、
救援に駆けつける、それどころか見知らずの他人のために、その他者の大きな困惑と危険とを眼前にしているということ意外
には何も考えることなく、自分の生命をきわめて明白な危険にさらすことさえある。[・・・]と」(つづく) 基地外とは?兵士は基地内で使う武器を基地の外で乱射する人の事か
外は兵和で行きましょう。人迷惑でないキチガイの人はなんと言うのだろうか キチガイか
まことは、中高生のような挨拶みたいな
ものにも馴染めなかったらしいな キチガイか
まことは、中高生の挨拶のようなものにも
馴染めなかったらしいな キチガイか
まことは、中高生の挨拶のようなものにも
馴染めなかったらしいな 以前の禅スレで 禅のアヒルは泥水のなかでミルクだけ飲める? というスレがあったつけ
今訳がわかった。 あっ昼になった。午前と午後の境目 キチガイか
まことは、中高生の挨拶のようなものにも
馴染めなかったらしいな 943-944 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/11(木) 07:51:50.96 ID:qQ/CG/UT [1/3]
ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は[・・・]と」(つづく)
944 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/05/11(木) 07:58:04.51 ID:qQ/CG/UT [2/3]
基地外とは?
兵士は基地内で使う武器を基地の外で乱射する人の事か
外は兵和で行きましょう。
人迷惑でないキチガイの人はなんと言うのだろうか
953 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/11(木) 12:06:13.87 ID:qQ/CG/UT [3/3]
以前の禅スレで 『 禅のアヒルは泥水のなかでミルクだけ飲める? 』 というスレがあったつけ
今訳がわかった。
あっ昼になった。午前と午後の境目 』
アラララララー ̄|_|○ バタリ!!! さらに >┼○ バタッ
禅のアヒルは 泥水に注がれたミルクだけを飲み干す。。 碧巌録(へきがんろく) 第88則? 玄沙三種病人
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
玄沙師備禅師、衆に示して云く、「諸方の老宿、尽くいう接物利生(せつもつりしょう・衆生済度、待機説法)と。忽ち三種の病人の来るに遇わば、そもさんか接せん?
患盲の者(眼が見えない人)、拈鎚堅払、他また見ず。患聾の者(耳が聞こえない人)、語言三昧、他また聞かず。患唖の者(言葉が出ない人)、かれをして説かしむるにまた説き得ず。
しばらくそもさんか接せん。もし此人を接するを得ずんば仏法霊験なからん」。
僧、雲門に請益す。
雲門云く、「汝礼拝著せよ」。
僧礼拝して起つ。
雲門、シュ杖を以ってつく。
僧退後す。
門曰く、「汝是れ患盲にあらず」。 また近前来と喚ぶ。
僧近前す。
門曰く、「汝是れ患聾にあらず」。
門乃ち云く、「還って会すや?」。
僧云く、「不会」。
門云く、「汝是れ患唖にあらず」。
僧ここにおいて省(せい)あり、さとった。
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玄沙が衆に示して云った、「諸方の老師達は皆、衆生済度を言う。しかし、三種の病人が来た場合に、どのように対処したらよいだろうか。
患盲の者は鎚を持ち出し払子を立てて(拈鎚堅払)も見えない。患聾の者は言葉(語言)を聞くことができない。
患唖の者は説くことができない。
そのような場合どうすればよいだろうか。
もしこのような三種の病人を救うことが出来ないならば仏法には霊験がないと言われても仕方がないだろう。」
ある僧がこの玄沙の説法について雲門に教えを請うた。
雲門は言った、「お前さん、それが知りたいなら礼拝しなさい」。
僧は礼拝した後起き上がった。
雲門はシュ杖を持ってつついた。僧は後ずさった。
雲門は言った、「お前さん眼は見えるな」。
雲門は言った、「近くに来なさい。」
僧はその言葉を聞いて雲門の前に近づいた。
雲門は言った、「お前さん耳が聞こえるな」。
雲門は言った、「どうだ。分かったか?」。
僧は言った、「分かりません」。
雲門は言った、「お前さんはちゃんと喋れるじゃないか」。
僧はこれを聞いて悟った。 つまり里つて無い人など居ないのに
悟りとはわからんと言つている
けど夏得竹刀のはまあ良いか >>957
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
玄沙示衆云。諸方老宿。盡道接物利生。忽遇三種病人來。作麼生接。患盲者。拈鎚竪拂。他又不見。患聾者。語言三昧。他又不聞。患?者。ヘ伊説。又説不得。且作麼接。若接此人不得。佛法無靈驗。
僧請益雲門。
雲門云。汝禮拜著。
僧禮拜起。
雲門以?杖?。
僧退後。
門云。汝不是患盲。復喚近前來。
僧近前。
門云。汝不是患聾。門乃云。還會麼。
僧云。不會。門云。汝不是患?。
僧於此有省。
玄沙衆に示して云く。諸方の老宿、尽く接物利生と道う。忽ち三種の病人来るに遇わば、作麼生か接せん。患盲の者、拈鎚竪払するも、他又見ず。患聾の者、語言三昧なるも、他又聞かず。患?の者、伊をして説かしむるも、又説き得ず。且く作麼か接せん。
若し此の人を接し得ずば、仏法霊験無し。
僧雲門に請益す。
雲門云く、汝礼拝著。
僧礼拝して起つ。
雲門?杖を以て?く。
僧退後す。
門云く、汝是患盲にあらず。復近前来と喚ぶ。
僧近前す。
門云く、汝是患聾にあらず。門乃ち云く、還って会すや。
僧云く、不会。
門云く、汝是患?にあらず。
僧此に於いて省有り。
諸君、よく聞きなさい。玄沙が大衆にむかって、諸方の老師は、皆世間衆生を機に応じてに接化し、利益を与え、救済します。では突然、患盲、患聾、患?の三種の病の人が来たらどうしますか。
患盲の者に、拈鎚竪払しても、彼は見ることができません。患聾の者に、あらゆる語言をもってしても、彼は聞くことができません。患?の者に、説かそうとしても、彼は説くことができません。どうすればよいでしょうか。
もしこの人達を接化できなければ、仏法には何の効果もありません、と言いました。
僧はこのことを雲門に問うた。
雲門は、礼拝しなさい、と言った。
僧は礼拝して起き上がると、雲門は?杖で突いた。
僧は後ずさりした。
雲門は、あなたは患盲ではない、と言った。再び、雲門は、近くへ来なさい、と言いました。
僧が近づくと、雲門は、あなたは患聾ではない、と言いました。そこで雲門は、わかりましたか、と言いました。
僧は、わかりません、と言いました。
雲門は、あなたは患?ではない、と言いました。
僧はここでその道理を気付くができました。 ⇒ 目が見えず、耳が聞こえず、口がしゃべれない、これは悟前の人のありようだ。
何が見え、聞こえ、歌いしゃべっているのか。
わたしは 片手の人が叩く拍手の音を聞いた、
聞いたのちは、片手の人が叩く拍手の音は聞こえないになった、長い年月がっ経ったが。。 新スレが 建ちましたぁ〜♪
坐禅と見性第121章麦の秋、ひばり舞い歌う [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494496026/ >>960
如実智見が時間を経て(そもそも時間は仮設されたもの)如実智見でなくなるなら、それ如実智見では無いね。
偽物。 >>960
>⇒ 目が見えず、耳が聞こえず、口がしゃべれない、これは悟前の人のありようだ。
>何が見え、聞こえ、歌いしゃべっているのか。
あなたでしょ?
他所に求むるからいつまで経っても馬鹿スレたてて妄想を繰り返す。 日産 スカイライン CM集 Nissan Skyline Ads collection 【1963〜2014】 - 1:28:38
https://www.youtube.com/watch?v=_qA_lO88HY0 『 60s 90s 時代を駆け抜けた4ストロークの心臓を持つ駿馬達 』 前半 - 26:01
https://www.youtube.com/watch?v=rSndQbiuObU
『 60s 90s 時代を駆け抜けた4ストロークの心臓を持つ駿馬達 』 後半 - 28:58
https://www.youtube.com/watch?v=kjRvEbLzjhQ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。