坐禅と見性第120章山の端に入道雲の湧き上がる音すなり [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来(きた)る者は拒(こば)まず、去る者は追わず。
スレの興隆は、いっときもとどまらず、恒常が無い。
遠くの山々は、青く、我を旅立ちへ誘う。
遠く青い山並みの向こうに、何があるのか。
白い雲は、山にかかると、さっと左右に分かれ、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出し大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水の振る舞いの修行僧が風景に溶け込む。
因縁果があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、次のステップである。
真理、ダルマ、法である、ほとけである、われら、
問う、「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい 」
【前スレ】
坐禅と見性第119章丘の上に坐しポーンと投げ込み散骨す [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1491034101/
【過去スレ】
坐禅と見性第118章海底からの上昇流と海面からの下降流、休まず [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1489598771/
坐禅と見性第117章禅のアヒルは、泥水に注がれたミルクだけを飲む [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1488207163/
坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486825130/
坐禅と見性第115章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1483456330/
坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止](c)2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1483429081/
坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる) [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1481366150/
坐禅と見性第112章ホワイトオータムからブラックウインターへと [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1477151725/ 656.
師がバカである証拠である。
それは宗教の問題ではない。 勝負事は実力というよりクダラン心理的といか感情で勝負は決まるし冷静で心が乱れない人は羨ましい。けどそれはわたし
の役でないか、欲張りすぎ相手ばかにしすぎもまあ良いか。まつたくやる気ない前書いたの適当な所書き写すか。
現代社会では死んだら人間はどうなるのか何て社会で役立たない、金にならない事は相手にもされない、科学も感心もない。
損な物社会では放置骨化だし、最近は国家財政が赤字ということでやつかいな年寄りの年金は減らされるしそのうち病気に
なっても面倒あまり見てくれなくなるのか。関心があるのは国が死んだら困るの本能だけそれには金金金で。ガリレイに
負けたキリスト教のおかげで宗教も死んだ状態で宗教者も自身が無い言葉仮。昔は威厳があつた煩悩ばかり大切に生きてい
ると地獄で地の池や針の山に苦しむから、○○の宗教にはいつて修行すれば仏や神がちやんと安楽なあのよあな生活が保障
されるといつていたのを心じられたけど、今の社会に役に立たないものは無関心でないと合理的でなく勝ちがないと切り捨
てられる。人々も損な者思う余裕もなく、すこししかない暇なときは修行についやさず。ストレス解消のテレビや熱とや娯
楽に逃げるように仕向けられているし、色々悩むと暗いから顔だけでも無理に明るくすれば明るくなるというばかり。本当
の事はなにも考えられない人間ばかりにしようとするし、宗教者もなんか社会環境にへつらい胡麻すりはつげんばかり自信
がないのか。私も何かいているのか?またよくわからんぐちぐち。死んだら?今の社会から孤独になるのかでも何も映らな
い白い光だけつまらん暗いのは辛いしで色々映そうですぐ妄想カラー映すのでまあ恵絵いまとあまり変わらない続編な
ドラマが始まる視つまり死んでも悟りは本の少ししか居なくまあ良い夢のなかに逃避するのが人間鴨 洋服もブカブカだとか、
キツキツだとかではダメだ。
禅というのは全てオーダーメイドで
サイズもピッタリ収まるもんです。 >>656
毎回毎回何でそう変な見方をするのかなぁ…
麈はその僧じゃない(借問事)し、逃げ出したものの、
その僧はそこそこのやり手だよ。 >>661 A ちゃん
> 勝負事は実力というよりクダラン心理的といか感情で勝負は決まるし、冷静で心が乱れない人は羨ましい。
けどそれはわたしの役でないか、欲張りすぎ相手ばかにしすぎもまあ良いか。
まつたくやる気ない前書いたの適当な所書き写すか。
現代社会では死んだら人間はどうなるのか何て社会で役立たない、金にならない事は相手にもされない、科学も感心もない。
損な物社会では放置骨化だし、最近は国家財政が赤字ということでやつかいな年寄りの年金は減らされるし、そのうち病気になっても面倒あまり見てくれなくなるのか。
関心があるのは国が死んだら困るの本能だけそれには金金金で。
ガリレイに負けたキリスト教のおかげで宗教も死んだ状態で宗教者も自身が無い言葉仮。
昔は威厳があつた煩悩ばかり大切に生きていると地獄で地の池や針の山に苦しむから、
○○の宗教にはいつて修行すれば仏や神がちやんと安楽なあのよあな生活が保障されるといつていたのを心じられたけど、
今の社会に役に立たないものは無関心でないと合理的でなく勝ちがないと切り捨てられる。
人々も損な者思う余裕もなく、すこししかない暇なときは修行についやさず。
ストレス解消のテレビや熱とや娯楽に逃げるように仕向けられているし、色々悩むと暗いから顔だけでも無理に明るくすれば明るくなるというばかり。
本当の事はなにも考えられない人間ばかりにしようとするし、宗教者もなんか社会環境にへつらい胡麻すりはつげんばかり自信がないのか。
私も何かいているのか?またよくわからんぐちぐち。死んだら?今の社会から孤独になるのか
でも何も映らない白い光だけつまらん暗いのは辛いしで色々映そうですぐ妄想カラー映すので
まあ恵絵いまとあまり変わらない続編なドラマが始まる視つまり死んでも悟りは本の少ししか居なく
まあ良い夢のなかに逃避するのが人間鴨しれない。 』
> 夢のなかに逃避するのが人間
意識して 夢の中の存在となる、のか。。夢はコントロールできないなぁ・・ >>662 Ann ちゃん
> 洋服もブカブカだとか、 キツキツだとかではダメだ。 禅というのは全てオーダーメイドで サイズもピッタリ収まるもんです。 』
オーダーメイド、高校の頃、学生服のズボンとワイシャツはオーダーメイドしてたのがいたよ、やはり、キマッテルネ。。 >>663 邪鬼 さん
> >>656
> 毎回毎回何でそう変な見方をするのかなぁ… 麈はその僧じゃない(借問事)し、逃げ出したものの、 その僧はそこそこのやり手だよ。 』
なにをトチ狂ってるのか!?
垂示が無く、頌(じゅが無く、本則のみに取り組んでいるのは、何故だと思うのか。
それは解説だから、ほらほらこう言う風に読め、と不必要の手出し、口出し、である。
金太郎アメが好きだねぇ。 >>667
あなたの煩悩が生み出すその畸形妄想を、禅のスレを借りて吹聴するのはどんな気分かな?
「あれれ、自分がない」が見性かい?
「一の如し」が真理・悟りかい?
キャバレーで湧き上がる黄金の炎が悟る事の前触れかい? 盤珪和尚の不生、すごみを帯びてる。
不生で、すべて 片付きますわいのう、だったかな、そう言う事は知っていたがよくわからずそのままほったらかしだった。
数日前に、不生不滅が不生で完結していると受け取った。
不生は究極だ、すごい。 670.
不生不滅、がすごい。
なんで不滅なのか。
そこが問題である。 盤珪禅師って、どんなかただろうと、ググる。
彼は武士の家に生まれ、父親は儒者で、彼が幼い頃に亡くなった。
子供の頃、彼は死について関心をもち、死という言葉を聞いただけで、彼のかんしゃくが静まるほどだった。
彼は学校嫌いで、しばしばさぼった。
彼の帰宅途中に川があり、渡舟夫は、学校が終わるまで、盤珪を船に乗せて川を渡らないように指示されていた。
しかし、盤珪は川に飛び込んで、泳いで渡った。
彼は手がつけられない子供であり、不良のリーダーだった。
長兄としばしばケンカしたせいで、彼は深い挫折感をいだき、落ち込み、自殺を試みた。
毒があると思った大量の蜘蛛を飲み込んで、彼は死を待って寺院ですわっていた。
しかし、何も起こらなかったので、彼は心を入れ替えることにした。
青年になって、盤珪は中国人の先生のところへ送られた。
儒教の古典を学んでいる間、彼は、「大学の道は、明徳を明らかにするにあり」という一節に強烈に心打たれた。
不思議に思い、その教えを理解したいと願って、彼は儒教の何人かの先生に尋ねた。
彼らは、自分たちには深い知識がないことを認めたため、彼は失望し、それから盤珪は、仏教に近づき、説教や講話に参加し、母親に報告した。
彼は、「明徳」の意味について、彼女が死ぬ前に、彼女に教えたいと決意した。
仏教徒たちもまた彼を失望させた。
最後に彼は、禅の師を探すことにした。
ある師を見つけたとき、その師は、「明徳」の直接的知識を得るために、座禅を修行するように指示した。
彼は、彼特有の確固たる意志をもって、座禅に向かった。
彼は足を組んで、洞穴で、何時間もずっとすわり続け、1週間も何も食べなかった。
しかし、疲労のあまり、体が倒れた以外に、何も起こらなかった。 >>673
それから彼は自分の村の小屋で、念仏を唱える努力をした。
体の痛みにもかかわらず、彼は休むことを拒否し、座布団の上ですわり続けた。
長い間、瞑想の人生を続け、そしてついに、病気になってしまったのである。
盤珪の友人たちは、心配して、彼の世話をするための使用人を提供したが、彼は自分が死ぬだろうと思っていた。
彼のたった一つの悔いは、明徳の問題が未解決なことだった。
しかし死の淵にあったそのとき、盤珪は、自分が決して生まれたことがなかったことを理解するようになった。
彼はあらゆる物事の輝ける源泉を見たのである。
あらゆるものはその源泉によって、よく管理されていた。
盤珪は、自分が不生(生まれたことがないもの)から生きることができると確信した。
それは人生を一変する洞察であった。
彼はすぐに元気になり、驚く使用人に食事の準備を頼んだ。
完全に回復すると、盤珪は母親に自分の発見を報告し、そのおかげで彼女は幸福に死んでいった。
彼は自分の洞察を確認することができる師を見つけるのが大変だったが、ついに、彼を励ましてくれる師に出会い、この真実を分かち合い、人々を助けるために自分の人生を捧げる決心をした。
盤珪は、大衆のための人となった。
彼は、禅の生徒だけではなく、普通の田舎の人たちからなる大勢の人たちに話をした。
彼の言葉はシンプルで、直接的で、人々は彼の誠実さに感銘を受けた。
ある逸話が彼の愛嬌のある様子を物語っている。
ある僧侶が、彼自身の教派の多くの者たちが禅について聞きに行ったことに、怒っていた。
そこで、盤珪と論争するために、彼自身も会に参加した。
「私のような人間は、あなたを尊敬することはできない」と彼は盤珪に告げた。
「あなたは私を従わせることができるのか?」 >>674
盤珪は、その僧侶に前に来るように頼むと、彼は誇らしげに人々を押し分けて来た。
それから盤珪は、自分の横に坐るように頼み、それから席を自分と替えるように頼んだ。
その僧侶は盤珪の場所へ上がった。
「ほら、ごらんなさい」と盤珪は観察して言った。
「あなたは私の言うことに従っています。
あなたは非常に心優しい人だと私は思いますよ。
では、すわって話を聞いてください」。
また、ある僧侶が盤珪に近づいたときの別の逸話も残っている。
その僧侶は、自分の師が奇跡を起こすパワーをもっていることを誇っていた。
彼の師は、筆をとって、空中で阿弥陀を描き、すると、遠くにある一枚の紙の上に言葉が現れるのだった。
これと同じことができるかとその僧侶に尋ねられた盤珪は、「私の奇跡は、空腹のときに私は食べ、喉が渇いたときに、飲み物を飲むことです」と答えた。
盤珪の教えは、禅の公案のシステムとはまったく異なるものだった。
公案に対する瞑想は、長期間にわたる蓄積された緊張をもたらし、あとで悟りにおける解放を生み出す。
真実は、得ることが困難で、それゆえ非常に価値あるものとされている。
盤珪はまったく自分自身の確信に頼り、自分の弟子たちにそのシンプルな真実を直接的に、自然に経験するように、そしてその価値に納得するように奨励した。
盤珪自身の長く困難な道は、彼が真実を発見し、それの価値を理解するために必要であったという議論もあるかもしれないが、盤珪自身はそういった過程が必要であることを否定し、真実は、簡単に手に入るものだと主張した。
不生から生きられた人生は、観察眼を深め、注意力を集中するための経験をもたらすのだった。
彼の弟子たちの中には、瞑想は注意を集中するために適切なものだと感じる人たちもいた。
盤珪は、床にすわって、生きた仏陀になるだけで、十分だと言った。
彼の最大の強調は、行動中の瞑想、日々の生活における瞑想であった。
彼の一般的指針は、見事なまでにシンプルだった。
「ただ、仏陀の心ですわり、ただ仏陀の心で存在し、ただ仏陀の心で眠って起き、ただ仏陀の心で生きなさい」 >>675
公案はヤクザのハッタリと
同じじゃ。
気違いみたいな振る舞い言動
を駆使して相手を振り回す為
の策略なんじゃ。 碧巌録(へきがんろく) 第82則? 大龍堅固法身
?
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
?
修業僧、大竜智洪禅師に問う、「色身(しきしん)は敗壊(はいえ)す。いかなるかこれ堅固法身(ほっしん・真理の身体、真理そのもの)?」
竜云く、「山花開いて錦に似たり。澗水(谷川の水)湛えて藍の如し。」
?
?
本則:
?
ある僧が大竜智洪禅師に聞いた、「肉体は死ねば腐敗し崩壊します。それでは肉体とは違う永遠不変なる法身はどうなるのでしょうか?」
大竜は言った、「山では花が開花して錦のように咲き誇っている。谷川の水は青く澄み、まるで藍を溶かしたようだ。」
⇒ この家の前の小道は、都(みやこ)長安(ちょうあん)に通ず、である。
また、
『碧巌録』第三十九則 「雲門花薬欄(かやくらん)」
挙こす。
僧、雲門に問う、「如何いかなるか是これ清浄法身しょうじょうほっしん」。
門曰いわく、「花薬欄」。
また、麻三斤 である。
マブダチ道元は、云う。
眼横鼻直(がんのうびちょく) と。 >>676 禿同!!おしょう
> >>675
> 公案はヤクザのハッタリと同じじゃ。 気違いみたいな振る舞い言動を駆使して相手を振り回す為の策略なんじゃ。 』
コソッ( ノД`)…座禅の姿が公案だよね、、、 677.
眼横鼻直、か。
それは宗教の問題、答えではない。
それは人相の問題である。 >>679 ひのふのみー さん
> 677.
> 眼横鼻直、か。
> それは宗教の問題、答えではない。
> それは人相の問題である。
すまん┏○ペコ 大笑いしてしまったよ。。アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー >>682 禿同!!おしょう
> >>678
> ヤクザ者の仏教が禅宗じゃ。
限定なのか ( ・_・)ノノ"□" メモノハリツケ ・・キチガイだな。
お前ら煩悩が生み出した畸形妄想に遊戯する三毒パラレルールドの住人か?
支離滅裂な語録解釈、公案をヤクザのハッタリ呼ばわり、眼横鼻横を人相の問題(吹いたぞwアホ!)とか・・・ >>684
眼横鼻横×
眼横鼻直◯
ひふみちゃん、あんた道元さんを瞬殺したなw
道元さんが渡宋し苦心惨憺修行してこの国に持ち帰ってきたのは眼横鼻直の人相かよ?? >>665
>オーダーメイド、高校の頃、学生服のズボンとワイシャツはオーダーメイドしてたのがいたよ、やはり、キマッテルネ。。
ポッたん世代だと「長ラン」「短ラン」「ボンタン」「ドカン」とかですか?
あれかっこいいよね・・・。
ポッたんは裏地に凝った人なんでしょうか?
達磨の裏地とか、白隠禅師の裏地とか、
不動明王の裏地でしょうか? >>689
方便を辞書で調べろ
日本語は正しく、な >>692
方便を辞書で調べろ
日本語は正しく、な 北朝鮮の金さんが核とミサイルもつているおかげで戦争になったら日本は標的にされ沢山の人が死ぬ恐れがある
はずだか?日本の人々はそれはどうしようもなく損な恐れを心配する人も無く日本は平和なのは何故何だろう?
人は一人で死ぬのは怖いけど周りのみんなと一緒に瞬殺されるのは心理学的に受け入れられるのか?金さんは
自分の身を守る性格なので相当追い詰めなければ核使用は無しなのか?金さんは変な宗教にハマつていないと思うから
損なに心配ないかあまり追い詰めず逃げ道を開ける賢いトランプさんなら大丈夫だ。いくら何でも麻原さんの様な人は
国家原酒にはなれないと思うから一安心か。みんな甘い考えいれば何とかなるか。皆一緒に死ねば生前と同じ平和な街の
景色が速現れて死んでいるのに前と同じ平和に生きている野鴨。という事はもしかしたら私も何度か遭遇した危機いつ発
の所で本当は死んでいたのに瓦図生き続けているとおもつている野鴨デタラメな妄想だなあ。でも楽に速かけた。
我々は本当は夢の中で夢見ているのか?私我生きていると名付けられているだけで輪廻のなかで夢限に夢の中に入る野鴨
方便とは?勉強嫌いで饅頭好きのの子供がいたら饅頭に漢字や足し算書いて学ばされる事鴨法法華経 685.
道元を批判して否定できないバカが多い。
師はバカである、という前提でないと公案は通過できない。
片手の音を聞いて来い、は宗教の問題、答えではない。
それは音の問題である。
花は紅、は宗教の問題、答えではない。
それは花の問題である。 >>696
境地の意味くらいわかってから
書き込め、な >>696
相変わらず根本的なところで致命的な勘違いをしているねw
問題の属性分類にあなたの飛躍した思考があるから、あなたはいつ迄も質問に回答出来ない。
花は紅が何故花の問題なの?
花だから?
では何故、赤い花がそこに存在するの?
何故赤なの?
なぜ、「それ」はそのようにあるの?
仏教は存在に相互依存性を観るから、その「花」は仮称で本質では無いと説くけど?
「それ」は何の問題ですか? >>697
おい、その境地をミキサーにかけて電子レンジでチンしてみろや?
何がある? 698.
仏教は存在に相互依存性を観る、か。
それはバカの誤解である。
それは存在の問題である。
宗教は存在の問題ではない。
早く悟れ、や。 701.
それは存在の問題である。
早く悟れ、や。 >>702
え?
それが存在するの?
どこに?
場所を示してくれよ? 703.
場所は存在の問題である。
その場所を探すのはバカの仕事である。 >>704
存在と言ったから場所を問うたのよ。
で、「それ」はどこにあるんすか? 如来いや間違えた未来から観れば過去の思い出の中で死んだ様に動かなく決まつている
でも今の精神は生死ん先は解らない。でも今はDVDのドラマ見ているとしたらドラマと申そう?
今朝は例によって楽勝のネット碁相手のひとがヨセは寄せで黙々と一目もならないだめ詰めている
私は温泉気分でパスパスで黄色信号になりついに赤信号の横断歩道で例によつて即死した
今日は囲碁やる気なくなつたので少しだけ此処によつたけど先の心は放浪するのだろうか
絶望でも黙々と頑張る人は尊敬すべきかどうか?馬鹿にするのが良くない事は当たりまえだが 705.
場所の問題、それは存在の問題であるからして、
それを否定する。
否定したらば、どうなるのか。
それが宗教の問題である。
一日でさとれば天才である。 >>711
成る程、空間を否定して
拝金主義を奉る訳だね? 712.
金を否定したものが宗教である。
だからして金が儲かることになる。これは結果論である。 671.
不生不滅か。
なんでか。
自分には実体がない。
実体があると消滅する。
では、実体がないと、どうなるか。
実体がないと、消滅のしようがない。
よってして、不生不滅となる。 715.
悟っていないバカが、外道か否かの判定ができるのか。
それで楽しいのか。 おい、横浜のドイツフェスタに来ているぞw
ドイツビールもなかなかどうしてw >>709
否定はいいけどさぁw
否定し尽くして、最後に否定しようがない自己だけが残ったとか言わないよね。 >>719
おい?
無我なのに何が満足するんだ?
いってみろや? 720.
自己は人生論とすれば残る。
宗教としては自己が否定される。
無我か。非我か。
それらの実体性が否定される。それが空か。
実体を引き算すれば良いか。
分かりやすくすると理解されないか。 >>722
だから、相互依存性とあれほど。
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。」
(仏陀) 723.
それは単なる存在の論理である。
そんなことはバカでも理解する。
それは宗教ではない。
バカをやめることが困難である。 >>724
「此(煩悩)があれば彼(苦)があり、此(煩悩)がなければ彼(苦)がない、此(煩悩)が生ずれば彼(苦)が生じ、此(煩悩)が滅すれば彼(苦)が滅す」 726.
それは単なる存在の論理である。
宗教は存在の論理ではない。
存在の論理は物理学、心理学、等の科学となる。 >>727
いやはや。
何度も相互依存性と言ってる。
>>698を振り返ってよく読んでみて
>では何故、赤い花がそこに存在するの?
>何故赤なの?
>なぜ、「それ」はそのようにあるの?
と書いてある。
何で勝手に「それ」を存在の問題にすり替えるの? 指摘したよね?
>問題の属性分類にあなたの飛躍した思考があるから、あなたはいつ迄も質問に回答出来ない。(>>698)
あなたはまさしくこの問題を起こしているんだわw
まさに、言わん事じゃ無い、だね。 >>727
おまけだw
あんた、>>574で何て書いた?
>>574
>言葉だけではなく、他の全てが空である。
つまり、存在は空であると。
存在について仏教の視座からアプローチしてるね?
何度もいうけど、
>問題の属性分類にあなたの飛躍した思考があるから、あなたはいつ迄も質問に回答出来ない。(>>698)
なんだわ。 >>687 Ann ちゃん
わたしは 何を着せても どこかおかしいので、着るものには無関心。
ただ冬場には夏の日焼けが真っ白になるので、現職を着る事がほ飛んでで、ピエロやチンドン屋さんみたいな目立つ服がおぽい。
20代は、ピンクが似合う、と知ってその頃はピンクが多かったけど、
今は車とバイクにも乗るので、交通安全色と言うか、存在をアピールするジャンバーが多い。
蛍光色や、反射材が付いたものとか。
ショッキングピンクもいいな。
夏は半ズボンにTシャツが気楽でいい。
学生服時代は、普通で、既製服で過ごしてた。
ただ、下校した後は私服でも良い、という事も有り、楽な格好だったね。
ジーンズの上下なんか、楽でよかった。 >>694 A ちゃん
> 北朝鮮の金さんが核とミサイルもつているおかげで戦争になったら、日本は標的にされ沢山の人が死ぬ恐れがあるはずだか?
日本の人々はそれはどうしようもなく損な恐れを心配する人も無く日本は平和なのは何故何だろう?
⇒ 韓国と北朝鮮は、休戦状態であって、云わば、戦争がちょっと一時休戦してますよー、という事に過ぎない。
しかも中東やアフリカ等でも、休戦協定が三日や1週間で破棄され再び戦闘状態に戻る事を、思い出していただきたい。
また、韓国も数医大前の大統領は軍人で、戦時下と同じだった。
われわれは、アメリカ人やヨーロッパの利害感で、アジアを見てしまっているのではないだろうか。
このまま経済封鎖を続けると、日本がアメリカとの戦争に突入していったことと同じ結果になるかもしれない。
日本がアメリカから原油の輸入が止められ、インドネシアの原油を求めて海外進出していったように。
北朝鮮は、暴発はしない。
核戦争を始めたとたん、北朝鮮と言う国土が、無くなってしまう。
核はアメリカが、独占的に所有している。
北朝鮮に核の放棄を求めるのであれば、世界の核保有国も核放棄すべきである。
核保有国の核放棄に向けてのプログラムも同時進行されてこその、北朝鮮の核放棄が実現する。
もうひとつ、北朝鮮は日本には撃ち込まない。
韓国にも打ち込まない。
アメリカにも、打ち込まない。
注意してみておくのは、韓国からのアメリカ人の退去であり、日本人の帰国である。
それが始まったら、戦争の危機だね。 >>696 ひのふのみー さん
> 685.
> 道元を批判して否定できないバカが多い。
> 師はバカである、という前提でないと公案は通過できない。
> 片手の音を聞いて来い、は宗教の問題、答えではない。
> それは音の問題である。
> 花は紅、は宗教の問題、答えではない。
> それは花の問題である。
フンふんφ(,_,*)メモメモ(*'-')ノ□ペタッ パク(*'〜'*)モグモグ >>706 A ちゃん
> 如来いや間違えた、未来から観れば、過去の思い出の中で死んだ様に動かなく決まつている、でも今の精神は生死ん先は解らない。
でも今はDVDのドラマ見ているとしたらドラマと申そう?
今朝は例によって楽勝のネット碁相手のひとがヨセは寄せで黙々と一目もならないだめ詰めている
私は温泉気分でパスパスで黄色信号になりついに赤信号の横断歩道で例によつて即死した
今日は囲碁やる気なくなつたので少しだけ此処によつたけど先の心は放浪するのだろうか
絶望でも黙々と頑張る人は尊敬すべきかどうか?
馬鹿にするのが良くない事は当たりまえだが 』
⇒ ブツブツ だねぇ 碧巌録(へきがんろく) 第83則? 雲門第幾機
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
?
雲門文偃(ぶんえん)、衆に示して云く、「古仏(こぶつ・真の自己の心の働き、主観)と露柱(ろちゅう・万法の代表。客体)と相交(あいまじ)わる。これ第幾機(いくさ)ぞ(その交わりはどういう次元での仏の働きか?)」。
自ら代わって云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下(ふら)す」。
?
? ?
本則:
ある時、雲門文偃禅師は、門下の修行僧達に言った、「私達の心の働きにおいて主観と客観は相交わる。 その交わりはどういう次元での心の働きか?」。
誰も答える者がいなかったので、雲門自らが代わって言った、「南山に雲が出たと思ったら、北の山に雨が降り出した」。
挙こす。
雲門垂語して云く、古仏こぶつと露柱(ろちゅう:壁と接していない柱。お寺の本堂にある丸柱が典型)と相交わる、是これ第幾機いくきぞ。
衆、無語。
自ら代って云く、南山に雲を起こし北山に雨を下ふらす。
⇒ 真理とは?
云えないのなら、そこの丸柱と同じで、ただ突っ立ってるだけだぞ。
では、云おう。雲が沸き起こり、雨が降る。これが真理さとりのはたらきだぁ!
統合失調症の人が、云った、何事も起こらず、無事に過ごせるのが、いいわねぇ、と。
? _,,,
_/::o・ァ すずめはさあ
∈ミ;;;ノ,ノ よりみちとかしないよぉ
ヽヽ
_,,,
_/:・e・:) だってさぁ
∈ミ;;;ノ,ノ まっつぐ すずめ >>719
おい?
無我なのに何が満足するんだ?
いってみろや? 735.
それは存在の問題である。
それは科学の問題である。
それは宗教の問題ではない。
それは自然現象の問題である。
自然現象を否定するのではない。
それを宗教とするところの科学宗教を否定する。
科学宗教が存在することを否定するのではない。 728.
存在の問題にすり替える、のか。
それが正しい指摘であるからである。 今朝は楽にネット使用楽勝。こんな心がけではだめだなあでも?ネット無門関を読み説く写す 無門関一 趙州と犬
趙州さまに、ひら坊がたずねた。「犬にも仏の性質がありますかね?」 趙州がいう、「無じゃ!」
無門がいう---------禅には開祖このかたの関所があり、悟るためには行きづまらねばならぬ。関所も通らず、行きづまりもせ
ねば、まったく草木同然のたましいだ。ところで、その関所とは何かというに、ただこの[無]ということ、これがこの宗の関所
だ。だからその名も[禅宗無門関]通りぬけた者は、趙州に会えるばかりか、代々の祖師がたと手をとって行き、まゆ毛がくっつ
き、同じ目で見、おなじ耳できく。すばらしいではないか! 通ろうとするものはないか?三百六十の骨ぶし、八万四千の毛穴、
全身をもって疑い、[無]の意味を知れ、よるひるひきしめて、[虚無]にも落ちいらず、[有無]にもかかわるな。焼けた鉄
のたまをのんだようなぐあいに、はき出すこともならず、これまでの無分別をとろかし、だんだん練れてくると、しぜんに内も
そとも一つになる。オシが夢を見たようで、ひとには知れないが、パッと打ち出せば、えらい事になる。まるで関羽さまの刀を
手に入れたようで、仏も開祖も、みんななで斬りにし、生も死もないまったくの自由、どこにどう生きるにせよノンビリしたもの。
だが、どうしてひきしめるのか?いつも張りきって、[無]というものを持て。油断がなければ、お燈明のようにパッとつくのだ。
?自然に目の前にWHAT問がやってくる時、答えがほわっと自然に現われる。まあそんな時もあるけど連休いや連敗の後は頭
重石とさあ仕事は明後日から頑張ろう五月厳しい金無い月の予想 修行法を知らない
まこと君
化けの皮が剥がれたな
ふふふ >>735
理解(りげ)ですね。
自縄自縛、不自由されてますね 宗教は団体になると産めよ増やせよ地に満てよの動物の本能というか煩悩が無いと
生き続けられれないし日蓮さんのハングリー精神凄いと思うけど、今朝は物見の塔のひとが
店に来たけどそれも一つ生き方いうか世界の正解で色々な安心画有る世根。禅も全然煩悩が
無いと事はないしまあ良いか >>741
赤は何故赤なのか?
それを存在の問題に分類して考察するのが正しいと。
迷妄ですね。 物見の塔の人みんな物見の塔信じれば皆仲良しなのに?
仲とは中で神は七日目に全て良しとでも○出ちゃ団体の思うようにならない
から小○。物見の物言う人は人迷惑でも輪から内のかなあ。と外から偉そうに言う
私も分から内の誤重の頭のの中に居る 相変わらず臍で茶を沸かす禅ごっこをやっていたのか? (_):___::|_
(_)〔座〕(_)この紋所が目に入らないアルか!
(_)〔禅〕 :::| ∧∧
( )::: ̄ ̄::|ヽ : ∧_∧ /瞋\ ∧_∧
 ̄ ̄(  ̄`\\<`∀´; > (`ハ´ #) (@∀@ ∩
) ヽ 貪 ) (~__((__~) (つ癡 丿
● //( ( /__ \ ( ヽノ
巛 <_) <__)(_) (_) し(_)
戦闘力判定、貪・瞋・癡(信長の野望の武将才能数値風w)
ぼったん、三毒力、むさぼり、貪、100
愚かさ、癡、100
怒り、瞋、80
ジャンキー大山、三毒力、むさぼり、貪、80
愚かさ、癡、100
怒り、瞋、100
http://www.amazon.co.jp/%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%88%9D%E6%AD%A9%E2%80%95%E5%BF%83%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%82%81%E3%82%8B%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E6%99%BA%E6%81%B5-%E6%9D%BE%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E7%A7%80%E8%83%A4/dp/4790211037
唯識初歩―心を見つめる仏教の智恵
松久保 秀胤 (著)
煩悩障と所知障
「絶学」「無学果」、もはや学ぶ事がない境地、余計なことはしなくていい境地。
「尋の心所」「伺の心所」が、おのずから絶する事。
「尋の心所」「伺の心所」
簡単に言うと「あれはいったいどうなっているの?何を意味しているの?」と思うこと。
見たり聞いたりすると、つい「尋の心所」「伺の心所」が働きます。
しかし、そういう事を、いちいち思っていたら、肝心なことを求めなくなってしまいます。
自分にとって何が大事かということよりも先に、
わたしたちは「尋の心所」「伺の心所」で
「なぜそうなっているのか」を考えてしまいがちなのです。
そうなっている因縁を、そのまま受け入れ、起きている事実を実感することが大事。
ぱっと見た瞬間をそのままで認めなさい、直視が大切。
存在するものに対して
「あれはいったいどうなっているの?何を意味しているの?」と、
いちいち疑問を持つ「尋の心所」「伺の心所」は障害になります。
「佛果の障り」
「尋の心所」「伺の心所」の障害の事。この心の働きは最後まで取れず邪魔をする、これを「所知障」という。
「二の重障」とは
「煩悩障」と「所知障」
「所知障」とは、私たちが学んだ情報、知識、そういう余分なものを捨てる。 相変わらずだな、「今朝吹く風の涼しさに」集中できない、禅ゴッコ野朗丸出しだな、
見性体験説明に固執している限り、禅にならず、禅ゴッコのままだ。
レベルを落として、天台レベルでも、ダメだしなw禅ゴッコジャンキー君は。
60ジャンキー大山2017/04/21(金) 21:05:28.54ID:4VGRsJeV
>>58(続き)
また、スレ主は「あれれ、私が無い?」が見性体験と主張していますがそれも間違いです。
私が無いなら、その無いと観察しているのは何でしょう?
そうです、それは私なんです。
「大いなるものに抱かれある事を 今朝吹く風の涼しさに知る」(山田無文老大師)
先程の此縁性縁起そのものなんです。
深い禅定・三昧を経て何かの機縁に触れて「私が在る」事を知るのです。
それが見性体験なんです。 >>754
ピョンヤン放送しながら坐るとは目出度い奴だなあw >>753
でおー😩無理すんな。
無我なのに何を捨てるんだ? >>755
でおー😩
無我なのに何に固執するんだ? いずれ殺人を犯す悪人を見つけた釈迦は、そいつが人頃す前に逆にそいつを頃したことがある これ豆な [無断転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/news/1494023657/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています