坐禅と見性第120章山の端に入道雲の湧き上がる音すなり [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来(きた)る者は拒(こば)まず、去る者は追わず。
スレの興隆は、いっときもとどまらず、恒常が無い。
遠くの山々は、青く、我を旅立ちへ誘う。
遠く青い山並みの向こうに、何があるのか。
白い雲は、山にかかると、さっと左右に分かれ、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出し大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水の振る舞いの修行僧が風景に溶け込む。
因縁果があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、次のステップである。
真理、ダルマ、法である、ほとけである、われら、
問う、「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい 」
【前スレ】
坐禅と見性第119章丘の上に坐しポーンと投げ込み散骨す [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1491034101/
【過去スレ】
坐禅と見性第118章海底からの上昇流と海面からの下降流、休まず [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1489598771/
坐禅と見性第117章禅のアヒルは、泥水に注がれたミルクだけを飲む [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1488207163/
坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486825130/
坐禅と見性第115章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1483456330/
坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止](c)2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1483429081/
坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる) [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1481366150/
坐禅と見性第112章ホワイトオータムからブラックウインターへと [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1477151725/ >>592
言葉自体が空性であるから「全ては空性である」という命題が矛盾なく成立するんだが。
ここら辺があなたの知性の限界かな? ジャンキー、大丈夫か?
実在を認めるのは実有を認める事になるじゃん
そう言う宗派に鞍替えでもしたんかな
今更有部とか無いだろ
空は実有じゃ無いだろ
仮有とされる一切も縁起する識で成り立ってるんだろ
縁起も空も識から語れる戯論じゃねえか
そうじゃないなら滅尽定は有り得ないんだよ
心と呼ぶ妄想の外に、一切の有無・有且つ無・非有非無は有り得ないって説かれてるだろ
お前もう少し経典読んだ方がええよ
鵜呑みする為じゃ無く、体験が間違ってないか確かめなきゃ 596.
ことば自体は空性ではない。
言葉の指示する対象が空性であるだけのことである。
又は言葉を発する主体が空性であるだけのことである。 123
一切皆空なんで、これは空だが彼は非空と言う例外は有り得ないよ
一切ってのは六根と六境との六識の事、これ以外に一切は無いと釈尊も言ってる
つまり、一切とは識と言う以外に何もない
その識すら縁起して為るのだから当然一時的に過ぎない、故に識は実在とか実有とか言えない(阿頼耶識縁起) 599.
空の範囲の問題である。
一切皆空、を無制限に適用するのか。
そんなことはない。
空なのは実体のあるものである。
言葉は実体を持っていない。言葉の指示する対象が実体の問題である。
だからして非空があるから空があることになる。 まあ、気に入らないって気持ちは分からんでも無いけどね
考えるのは自由だからお好きな様に >>597
おうよ、心配かけてすまなんだなぁ。
刹那消滅が前提よ。 >>597
俺、実体が存在しないわけでは無い(>>575)と言いながら、実体が存在と書いてる(>>586)ね。
空は、存在の無ではない事(此縁性や相依性)を言いたかったんだけど、常見論的に受け取られる表現(>>586)だったら悪かった。
指摘ありがと。 四句否定でいうならば、存在に非ず、非存在に非ず、その両方に非ず、その両方に非ずにも非ず。 >>600
ひふみちゃんや?
>ことば自体は空性ではない。(>>598)
>言葉は実体を持っていない。(>>600)
??? 599.
空の範囲の問題である。
一切皆空、を無制限に適用するのか。
そんなことはない。
空なのは実体のあるものである。
言葉は実体を持っていない。言葉の指示する対象が実体の問題である。
だからして非空があるから空があることになる。 早く悟れやあぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ >四句否定でいうならば、存在に非ず、非存在に非ず、その両方に非ず、その両方に非ずにも非ず。
誰かにそう教わったのかな
補足するとね、四苦と言うのは否定文なんじゃなく、事物認定に於ける四種の論理的分類の事で
これが直接否定の項目になる訳じゃないんだよね
所謂、有と無とで二種の分類、有であり無であるで一種、非有非無で一種の都合四種を分類したもの
これが四句と言われ、別名レンマと呼ばれる考え方だ
間違っちゃいけないのは、その四句の一々を否定(非ず)にするのが仏教の見方じゃないって事
仏教の場合、四句を否定するんじゃ無く、究極に対して言う場合は使わないんだよ
例えば仏性は四句のどれにも該当しないのは一応当然と出来るけど
それなら実際に四句に当たらない事物など存在しえようか?って問題になる
四句に当たらないものが有ると仮定して、そんなものをどうやって認識し得よう、って問題
つまり、四句じゃ捉えられない、四句で推し量れないのが仏性という訳で
四句とは世俗の義であり諦の一つだから、つまり世俗の考え方と言うのが四句と言うことであり
それで仏性は推し量れないから、敢えて強弁するなら「仏性とは非有非無の如し」となる訳
如しが大事で、省くと断定になっちゃうから要注意
決して批判してるんじゃないよ?
語弊はお互い様だからね、畢竟論は常に際キワを説かなきゃならんから
分かってるなら別に良いんだ 分かるよ、テトラレンマ(四句分別)ね。
四句否定は『中観』からの流用。
公案を(室内の見解とは別に)解釈するとき四句分別(や否定)や即非の論理を使って解釈している。 >四句否定は『中観』からの流用。
補足すると中論の事だよね
中観に主張は無いからそもそも引用出来ない訳で
中論って事を言うなら、あの論文は中観派の祖であると言われる龍樹が著した
事物一切の空観を仮観の立場で完璧に説き切った説明文なんであり
それをいくら引用しても中観を引用した事にはならないから、一応補足しとくね
中観の説明は数多有るかも知れないけど、中観を喋ったり書いたり引用したりすることは出来ないんだよね
仏陀は誰の為にもどこに於いても一偈も説かなかったんだしね いまから私は片手で拍手します
音をきいてください
一休 532 返信:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/05/02(火) 00:18:55.63 ID:gh8cuSkF [1/25]
ん、あんた見性体験してないじゃん。何の冗談?
禅宗はまた仏心宗とも言うね。仏心はすなわち仏性。 「あれれ、自分がない」ってwww それ、仏心?仏性?あなた、見性体験無しに仏性が分かるの?騙りだろ?
そもそも文字を使ったのはお前だろ?だから文字で証明しろよw真理さとりは「一の如し」は文字じゃねーのかwあなただけの言葉云々って言ったのおめーだろw
だから干し梅に熱湯でも注いでみろや?固定的とかどこに書いた?書いた場所を示せや?ほれほれ!書いた場所を示せや?ほれほれ!
よー、自爆自沈の三毒妄想カカシ丸か?見性したかw
だから、その事実を証明しなよ?罵倒は貴方への慈悲の涙だよ。>>542 話をそらさず証明しようねw
さ、禅の人でない証明。固定的云々言った事の証明。してくれや?あ、俺、今思い出されたけど、禅の人かどーか識らないわwww何もんなんだろうな?
話をそらさず証明しようね、坊や?それと、消防って何だ?説明してくれやw ハイハイ、話をそらさず証明しようねw
おい、無我なのにどう把握するんだ? そりゃ縁起するから
おい、こら、ポタ公!どーした?
まー妄想する自我から見りゃそうだろな。
おい、無我なのに何を承認されたいんだ?おい、無我なのに何が不識何だ?不識というそれは何者か? 不識と言うそれは何者か?
説似一物即不中とか言ったらおい、説似一物即不中というのは何者か?だなwおい、説似一物即不中と言うそれは何者か?「over
ジャンキー大山はコメディアンだせ?ポタ公は不立文字を全然勘違いしてるな。宗教的な真理を伝えるためには言葉は必要なんだよ。
言葉を用いて言葉を乗り越えるんだよ。語らない事じゃないんだわw 』
⇒ 「騒動衆 そうとうしゅう} だね、まさに、、 >>615
> いまから私は片手で拍手します
> 音をきいてください
> 一休
名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。
肝心のあなたは、聞いたのですか、どうですか。 607 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/05/02(火) 19:29:42.07 ID:kjfzrLr5
599.
空の範囲の問題である。
一切皆空、を無制限に適用するのか。
そんなことはない。
空なのは実体のあるものである。
言葉は実体を持っていない。言葉の指示する対象が実体の問題である。
だからして非空があるから空があることになる 』
屁理屈になったね。・・・・・ボソッ(´Д⊂ヽ 568 名前:素人A[] 投稿日:2017/05/02(火) 08:26:05.66 ID:7mb1JwP5
人は見てないかもしれないけど自分に下記きかせるから修行の基本だし書くのは大変だけどまあ良いか骨骨と。
解説何だから抵抗するな?
死滅とは死んで滅ぼすという漢字損な言葉にこだわるな?
本読んでいるのだから自分の考え まず死滅しなければ先に進まない。
ホントは一の三文が長いのでなんとか無駄な文を長くしている?私にとつては本書き
うつすの辛い。で今朝もむーだらな文で長くしてごまかす。
心の働きがサボろうサボろうとしている。
楽しい事ならサボらない。辛いのは続かない。
楽しい心は馬に人参か?
そうやつて心を誘導するのは卑怯ではないか?
何か迷い道で迷走しているうちに長くなつたしこの辺で今朝は書き終えるか。
要するに心は楽しいと続くし苦しくて辛いと続かないとダーウインは言ってない。
煩悩が辛いなら動物は続かない鴨。
レベル高めるには級級している下手な考えを一反捨てて白紙にして段段強くなるには囲碁昇級と分かつていても切ったはったが楽しいし冷静になれないAIはどんなときでも冷静で面白みにかける 』
⇒ 将棋も24時間、でしょうね。 碧巌録(へきがんろく) 第80則? 趙州’じょうしゅう)初生孩子
?
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
修業僧、趙州従シン禅師に問う、「初生の孩子(がいす・赤ん坊)、還(かえ)って六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識) 六種の認識作用を具すや、またなしや?」。
趙州云く、「急水上に毬子(きゅうす・まり)を打す(急流上で毬を打つ)」。
僧復投子(とうす)大同禅師に問う、「急水上に毬子を打すと、意旨如何?」。
子云く、「念念不停流(一念一念の流れがとどまることがない)」。
?
本則:
ある僧が趙州に聞いた、「生まれたばかりの赤ん坊にも六識の作用があるのでしょうか?」。
趙州は言った、「急流の水の上で毬をつくようなものだよ」。
僧は投子大同禅師の処に行って聞いた、「趙州禅師に赤ん坊の六識の有無について尋ねたところ、 急水上に毬子を打すと答えられました。その真意はどういうところにあるのでしょうか?」。
投子は言った、「一念一念がすこしも停らずに流れているという意味だよ」。
〇 不生不滅 である我ら、です。 つのだ☆ひろ 般若心経 Heart スートラ シンフォニー9 合唱版 ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=qy0HxmONd3g&list=RDqy0HxmONd3g#t=0
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ ほか ー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=EB-bYJoqvQQ&list=RDEB-bYJoqvQQ#t=6 ヨーガストラの解説は訳わからん哲学なんだから言葉で説明するので意味が不明になるけどそれを佐保田さんが解説し
て長くのばしたし?一の三 心の作用が死滅されてしまった時には、純粋観照者である、真我は自己本来の状態に
とどまる事になる。 佐保田さんの説明「この句を理解するにはサンキャの二元論を知らなければならない。サンキャ
は究極の二元論を知らなければならないサンキャ究極の原理または実在として、自性と真我の二元論を立てる。
自性は客観の世界、万物の根源となる唯一の実在である。物質現象も精神現象も全て自性から展開したものである。
真我は主観の主観とも言うべき純粋な精神原理で、各個人の真の自我である。真我は客観的対象をただ見ているだけ
の純粋な観照者なのである。心理現象は、自性から展開した無意識性の心理器官の変容の上に真我の純粋意識性、
または照明がうつった結果生じたものである。真我自身は独立自存の絶対者で、時間空間の制約を受けず、常に
平和と光明に満ちた存在である。これが各個人のの真我の本来の在り方なのである。この真我が自性から展開した
客観的な存在と関係した結果、自己本来の姿を見失って、自分が色々な苦を実際に実際に受けているように錯覚に
陥っているのが我々の現状である。この錯覚をどうしたら取り去る事が出来るのかここにヨーガの課題がある。・」
?長い苦難の書き写しだった我。佐保田さんゴメン私の異見や頭が抵抗したが何とか写せた。
ありのままの自分を見つめているから 長い時間(旅) https://www.youtube.com/watch?v=_uJQ-XnScno
あ 有チュブ関連動画に虹を追いかけてが是れで全てふっ飛んだ https://www.youtube.com/watch?v=7nZYMZvwHwI 620.
師がバカである、という前提を忘れている。
それは宗教の問題ではない。 >>614
そう『中論』(龍樹)だった。
一昨日から四大不調でどーも冴えない頭が更に良くないw
指摘感謝! >>622
坐禅中「此が有頂天?!」とか「凄まじい快感」いうのはあるけど、何故究極の境地とわかるの? >>616
ま、結局証明は出来ないんだよな。
そりゃそーだわ、口から出まかせのポタ公だしな。 >>624 A ちゃん
> ヨーガストラの解説は訳わからん哲学なんだから言葉で説明するので意味が不明になるけど、それを佐保田さんが解説して長くのばしたし?
一の三 心の作用が死滅されてしまった時には、純粋観照者である、真我は自己本来の状態にとどまる事になる。
佐保田さんの説明「この句を理解するにはサンキャの二元論を知らなければならない。
サンキャは究極の二元論を知らなければならない、サンキャ究極の原理または実在として、自性と真我の二元論を立てる。
自性は客観の世界、万物の根源となる唯一の実在である。
物質現象も精神現象も全て自性から展開したものである。
真我は主観の主観とも言うべき純粋な精神原理で、各個人の真の自我である。
真我は客観的対象をただ見ているだけの純粋な観照者なのである。
心理現象は、自性から展開した無意識性の心理器官の変容の上に真我の純粋意識性、または照明がうつった結果生じたものである。
真我自身は独立自存の絶対者で、時間空間の制約を受けず、常に平和と光明に満ちた存在である。
これが各個人のの真我の本来の在り方なのである。
この真我が自性から展開した客観的な存在と関係した結果、自己本来の姿を見失って、自分が色々な苦を実際に実際に受けているように錯覚に陥っているのが我々の現状である。
この錯覚をどうしたら取り去る事が出来るのかここにヨーガの課題がある。・」
?長い苦難の書き写しだった我。佐保田さんゴメン 私の異見や頭が抵抗したが何とか移せた。
ありのままの自分を見つめているから
長い時間(旅)
https://www.youtube.com/watch?v=_uJQ-XnScno
あ 有チュブ関連動画に虹を追いかけてが是れで全てふっ飛んだ
https://www.youtube.com/watch?v=7nZYMZvwHwI
⇒ 手書きでだから、大変だね。 >>626 ひのふのみー さん
> 620.
> 師がバカである、という前提を忘れている。 それは宗教の問題ではない。
何処にもいるだろう、バカ和尚。。 620.
師がバカである、という前提を忘れている。
それは宗教の問題ではない。 613 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/05/03(水) 00:26:28.92 ID:FkkCXLip [1/6]
分かるよ、テトラレンマ(四句分別)ね。四句否定は『中観』からの流用。公案を(室内の見解とは別に)解釈するとき四句分別(や否定)や即非の論理を使って解釈している。
そう『中論』(龍樹)だった。一昨日から四大不調でどーも冴えない頭が更に良くないw指摘感謝!
いや、俺、臨済だよw
その言い方だと河の底に沈んだな。
坐禅中「此が有頂天?!」とか「凄まじい快感」いうのはあるけど、何故究極の境地とわかるの?
631 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/05/03(水) 11:15:48.84 ID:FkkCXLip [6/6]
>>616
ま、結局証明は出来ないんだよな。そりゃそーだわ、口から出まかせのポタ公だしな。 』
⇒ ようつべに出て来る3人兄弟で僧の曹洞宗のなんちゃら和尚の言う、
無我、と言う私は、何ですか、
と、クリソツ だから。
貴族禅、と言われる 臨済宗ではないな、がっついた性格は。 >>613 禿同!おしょう
観られない形式だったよ。・・・(○`。 ´○)ボソッ >>633
617 名前:チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. [] 投稿日:2017/05/03(水) 02:16:23.86 ID:aYPkO2pH [2/10]
>>615
> いまから私は片手で拍手します
> 音をきいてください
> 一休
名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。
肝心のあなたは、聞いたのですか、どうですか。
>633
> >>617
> わかった
⇒ わかっちゃいけない。 ,,, ,,,,,,
_ = ~~ ``ヽ_,=''~´ ´~ヽ
= ~ ヽ
~=、 ミゞ、 , -彡 ヽ.
~=、、、Cl~evj <e~}6)_ 、、、ミ
ミ.~~ /', ゚ ;'7 ミ ヾ~
≡ (','゚, '.人 ゝ.ミ
`= `ー' iノ' 教外別伝・・・・・・・・・・・・
┌- ~ーノノノノノ'′>. `ヽ
/⊃:;;,; : ;::''::⊂ヽ─´ / `! うまいぞ!ピザトースト・・・
/⊃.,;:.;',;::''::,.⊂ ヽ,_,/ゞミ |
丶⊃,;:.;',;::':;;;´⊂ `-ゝ
├────┤,ヽ───´ |
└───--・ ノ
/ ゙̄ー- ─ -─-‐ ''"´ )
/´⌒`"'丶γ´⌒`"'ヽ ノ^)
( →( 丿/
ヽ___ノヽ.,_.__,...,ノ 「ジェットストリーム」 ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=zxm6fPSf1A8&list=RDzxm6fPSf1A8#t=2
「どうせうまくいっている」20170422 なごみさん - 1:32:02
https://www.youtube.com/watch?v=rueUZw9Lyqs
「宇宙の仕組みのネタバレ」ジュンコ セレンディーさん - 1:32:29
https://www.youtube.com/watch?v=_uGmKEWmAHU
順番に見るだけで勝手に「幸せ」の現実へシフトする奇跡の動画 ノンデュアリティセッション - 49 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=W_Vj4nR3tU0&list=PLc12K-96oSiTVcOLxTj_zJkl2baXrVpxi
大槻優子のラッキートーク「死後世界地図とその住人たち」 - 2:02:33
https://www.youtube.com/watch?v=9xV2c9V-WdQ
鉱物図鑑 - 60 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=xais8SSEAM4&list=PLE9E461149A717932&index=1
「誰にも最高の人生というシナリオがある」大木ゆきのさん - 1:32:27
https://www.youtube.com/watch?v=-yEyhHldi1s
「何もしない時ほど何かが起こっている」舞香さん - 1:23:55
https://www.youtube.com/watch?v=WbG9uXuIY7E >>638
ンなやつ知らんわw
それと貴族云々は天台、真言だよ。
臨済は将軍な。 ミックスリスト - 平成15年度 長山洋子 じょんから女節 .ー 50本の動
https://www.youtube.com/watch?v=fa94QLbS1v4&list=RDfa94QLbS1v4#t=2
歸ってこいよ 松村和子 ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZleWN1EG7Fo&list=RDZleWN1EG7Fo#t=0
昭和の名曲 歌謡曲メドレー 70,80,90年代 - 308 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=LL9kcGra9Rs&list=PLoY0enzhPx2cDrf-_S5POAdb4I2_cnHqY 懐かしい歌謡曲 高音質 年代順 1961?2007 - 386 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=xg4D7G6bx28&list=PLM4gukVghipA8GzcgDMkuq_eE_E3_9tzi
昭和の歌謡曲 昭和30年〜昭和42年 - 132 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=o-sZIUYvs58&list=PLFA621863B803EF08 >>644
> >>638
> ンなやつ知らんわw
> それと貴族云々は天台、真言だよ。
> 臨済は将軍な。
それは臨在禅師の禅風を称して将軍と言ったものだね。 >>647 邪鬼 さん
> >>640
> それコテハンの話じゃ無いのか?
だろうが、分かっちゃダメ。 >>648
臨済ね(×臨在)。
まぁ、時の権力に取り入るのも上手かったともいえる。 >>650 邪鬼 さん
> >>648
> 臨済ね(×臨在)。
> まぁ、時の権力に取り入るのも上手かったともいえる。
臨在禅師に対するリスペクトが皆無だね、単なるゆーちゅーばー、だと明確になった( ・_・)ノノ"□" メモノハリツケ >>652
(いや、漢字違うよ)
褒めてくれてありがと。(将軍の家風)
だが、ユーチューバ〜じゃねーし。 碧巌録(へきがんろく) 第81則? 薬山麈中麈
?
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
修業僧、薬山惟儼禅師に問う、「平田浅草(広々とした草地)、麈鹿群をなす。如何(いかん)が麈中(しゅちゅう)の麈(大鹿、鹿)の王を射得せん?」。 と大言壮語して薬山惟儼に禅問答を挑んだのである。
山云く、「箭を看よ」。 (キリリと弓を引き絞り矢を射る様子をして、「さあ、射止めたぞ。箭を看よ」と言う。)
僧身を放って便(すなわ)ち倒る。 (それを見るなり僧は身を投げ出して、倒れた)
山云く、「侍者(じしゃ)、この死漢をひきずり出せ」。
僧便(すなわ)ち走(にげだ)す。
山云く、「泥団を弄する漢(泥の固まりをいじくる男)、なんの限りかあらん」。 (、「泥の固まりをいじくるような男だ。こんな男を相手にしていたら切りがないわい」。 )
雪竇 拈じて云く、「三歩には活すと雖(いえど)も、五歩には須らく死すべし」。
?
本則:
ある僧が、薬山惟儼禅師に聞いた、「広い野原に、多くの鹿と大鹿(麈)がいます。私はその群れの中の大鹿(麈)だと言えます。 どうしたら大鹿の中の大鹿(麈)のような私を射止めることができましょうか?」
薬山はキリリと弓を引き絞る様子をして言った、「さあ、射止めたぞ。箭を看よ」。
それを見ると僧は身を投げ出して、倒れた。
薬山は言った、「侍者よ、この死んだような奴(死漢)をひきずり出しなさい」。
僧はそれを聞いた途端走って逃げ出した。
薬山は言った、「泥の固まりをいじくるような男だ。こんな男を相手にしていたら切りがないわい」。
後に、雪竇はこの公案についてコメントして言った、
「この僧は三歩くらいは歩いて活きたフリをしていても、五歩も歩けば死んでしまうような男だ」。
⇒ 大ぼら吹きの修行僧の思い上がりを射抜いた、のだが、下手な三文芝居をさらに演じた修行僧である。つまりは、まねっこの理解(りげ)である。 >>655 禿同!!おしょう
> 禿和尚は60歳の可愛い爺じゃ!
(_ε_)ウンウン ラジャ
かわいいのか φ(.. )メモシテオコウ スレち まめちしき
名字に口が付く姓で「ぐち」と読むのは、たった210個しかない
山口、森口、瀬口、井手口、渡口、湯ノ口、出口、折口、野間口、蓑口、今口、窄口、
谷口、阪口、池口、南口、木戸口、清水口、溝口、春口、松口、田野口、釜口、苔口、
野口、森口、瀬口、洞口、平口、井戸口、浜口、小野口、佐口、畑口、秋口、菰口、
川口、阪口、池口、上口、古口、井出口、堀口、牟田口、守口、樋之口、小路口、北湯口、
樋口、小口、猪口、湯口、牧口、砂口、原口、山之口、井野口、町口、市口、谷内口、
田口、河口、竹口、村口、江里口、新口、橋口、下口、豊口、橋之口、大山口、筒口、
関口、沢口、入口、沼口、辻口、口、羽水口、島口、世古口、前口、美濃口、瀬ノ口、
坂口、瀬戸口、高口、門口、露口、小田口、滝口、野々口、瀬之口、辰口、海口、炬口、
江口、北口、中口、戸口、二口、米口、西口、岩口、井之口、城戸口、大竹口、盛口、
井口、宮口、井ノ口、浦口、石口、亀口、矢口、塚口、口、石道口、蛇口、矢野口、芦口、
一口、虎口、戸井口、鳥井口、口ノ町、杖口、組口、卯名根口、堀之口、猪ノ口、松葉口、
風口、口、江之口、味口、砂古口、鬼口、俵口、大川口、田之口、久根口、板口、上潟口、
巳之口、馬瀬口、己之口、筌口、山ノ口、岩穴口、古田口、下原口、口、丸鰐口、穂口、
美之口、土井口、小谷口、戸口、田間屋口、上原口、江野口、安口、獺口、浅口、三ツ口、
橋ノ口、樋ノ口、小ケ口、上水口、西道口、田原口、祝井沢口、谷口、平野口、津内口、箕口、
野田口、開口、生口、保木口、湯之口、障子口、閉伊口、強口、口分田、粟田口、田ノ口、
間瀬口、桝口、古和口、薦口、壁口、太田口、小橋口、花口、世戸口、城ノ口、浴口、大田口、
淡口、三河口、外戸口、火口、矢ノ口、小和口、米内口、合野口、江ノ口、六間口、潮口 656.
師がバカである証拠である。
それは宗教の問題ではない。 勝負事は実力というよりクダラン心理的といか感情で勝負は決まるし冷静で心が乱れない人は羨ましい。けどそれはわたし
の役でないか、欲張りすぎ相手ばかにしすぎもまあ良いか。まつたくやる気ない前書いたの適当な所書き写すか。
現代社会では死んだら人間はどうなるのか何て社会で役立たない、金にならない事は相手にもされない、科学も感心もない。
損な物社会では放置骨化だし、最近は国家財政が赤字ということでやつかいな年寄りの年金は減らされるしそのうち病気に
なっても面倒あまり見てくれなくなるのか。関心があるのは国が死んだら困るの本能だけそれには金金金で。ガリレイに
負けたキリスト教のおかげで宗教も死んだ状態で宗教者も自身が無い言葉仮。昔は威厳があつた煩悩ばかり大切に生きてい
ると地獄で地の池や針の山に苦しむから、○○の宗教にはいつて修行すれば仏や神がちやんと安楽なあのよあな生活が保障
されるといつていたのを心じられたけど、今の社会に役に立たないものは無関心でないと合理的でなく勝ちがないと切り捨
てられる。人々も損な者思う余裕もなく、すこししかない暇なときは修行についやさず。ストレス解消のテレビや熱とや娯
楽に逃げるように仕向けられているし、色々悩むと暗いから顔だけでも無理に明るくすれば明るくなるというばかり。本当
の事はなにも考えられない人間ばかりにしようとするし、宗教者もなんか社会環境にへつらい胡麻すりはつげんばかり自信
がないのか。私も何かいているのか?またよくわからんぐちぐち。死んだら?今の社会から孤独になるのかでも何も映らな
い白い光だけつまらん暗いのは辛いしで色々映そうですぐ妄想カラー映すのでまあ恵絵いまとあまり変わらない続編な
ドラマが始まる視つまり死んでも悟りは本の少ししか居なくまあ良い夢のなかに逃避するのが人間鴨 洋服もブカブカだとか、
キツキツだとかではダメだ。
禅というのは全てオーダーメイドで
サイズもピッタリ収まるもんです。 >>656
毎回毎回何でそう変な見方をするのかなぁ…
麈はその僧じゃない(借問事)し、逃げ出したものの、
その僧はそこそこのやり手だよ。 >>661 A ちゃん
> 勝負事は実力というよりクダラン心理的といか感情で勝負は決まるし、冷静で心が乱れない人は羨ましい。
けどそれはわたしの役でないか、欲張りすぎ相手ばかにしすぎもまあ良いか。
まつたくやる気ない前書いたの適当な所書き写すか。
現代社会では死んだら人間はどうなるのか何て社会で役立たない、金にならない事は相手にもされない、科学も感心もない。
損な物社会では放置骨化だし、最近は国家財政が赤字ということでやつかいな年寄りの年金は減らされるし、そのうち病気になっても面倒あまり見てくれなくなるのか。
関心があるのは国が死んだら困るの本能だけそれには金金金で。
ガリレイに負けたキリスト教のおかげで宗教も死んだ状態で宗教者も自身が無い言葉仮。
昔は威厳があつた煩悩ばかり大切に生きていると地獄で地の池や針の山に苦しむから、
○○の宗教にはいつて修行すれば仏や神がちやんと安楽なあのよあな生活が保障されるといつていたのを心じられたけど、
今の社会に役に立たないものは無関心でないと合理的でなく勝ちがないと切り捨てられる。
人々も損な者思う余裕もなく、すこししかない暇なときは修行についやさず。
ストレス解消のテレビや熱とや娯楽に逃げるように仕向けられているし、色々悩むと暗いから顔だけでも無理に明るくすれば明るくなるというばかり。
本当の事はなにも考えられない人間ばかりにしようとするし、宗教者もなんか社会環境にへつらい胡麻すりはつげんばかり自信がないのか。
私も何かいているのか?またよくわからんぐちぐち。死んだら?今の社会から孤独になるのか
でも何も映らない白い光だけつまらん暗いのは辛いしで色々映そうですぐ妄想カラー映すので
まあ恵絵いまとあまり変わらない続編なドラマが始まる視つまり死んでも悟りは本の少ししか居なく
まあ良い夢のなかに逃避するのが人間鴨しれない。 』
> 夢のなかに逃避するのが人間
意識して 夢の中の存在となる、のか。。夢はコントロールできないなぁ・・ >>662 Ann ちゃん
> 洋服もブカブカだとか、 キツキツだとかではダメだ。 禅というのは全てオーダーメイドで サイズもピッタリ収まるもんです。 』
オーダーメイド、高校の頃、学生服のズボンとワイシャツはオーダーメイドしてたのがいたよ、やはり、キマッテルネ。。 >>663 邪鬼 さん
> >>656
> 毎回毎回何でそう変な見方をするのかなぁ… 麈はその僧じゃない(借問事)し、逃げ出したものの、 その僧はそこそこのやり手だよ。 』
なにをトチ狂ってるのか!?
垂示が無く、頌(じゅが無く、本則のみに取り組んでいるのは、何故だと思うのか。
それは解説だから、ほらほらこう言う風に読め、と不必要の手出し、口出し、である。
金太郎アメが好きだねぇ。 >>667
あなたの煩悩が生み出すその畸形妄想を、禅のスレを借りて吹聴するのはどんな気分かな?
「あれれ、自分がない」が見性かい?
「一の如し」が真理・悟りかい?
キャバレーで湧き上がる黄金の炎が悟る事の前触れかい? 盤珪和尚の不生、すごみを帯びてる。
不生で、すべて 片付きますわいのう、だったかな、そう言う事は知っていたがよくわからずそのままほったらかしだった。
数日前に、不生不滅が不生で完結していると受け取った。
不生は究極だ、すごい。 670.
不生不滅、がすごい。
なんで不滅なのか。
そこが問題である。 盤珪禅師って、どんなかただろうと、ググる。
彼は武士の家に生まれ、父親は儒者で、彼が幼い頃に亡くなった。
子供の頃、彼は死について関心をもち、死という言葉を聞いただけで、彼のかんしゃくが静まるほどだった。
彼は学校嫌いで、しばしばさぼった。
彼の帰宅途中に川があり、渡舟夫は、学校が終わるまで、盤珪を船に乗せて川を渡らないように指示されていた。
しかし、盤珪は川に飛び込んで、泳いで渡った。
彼は手がつけられない子供であり、不良のリーダーだった。
長兄としばしばケンカしたせいで、彼は深い挫折感をいだき、落ち込み、自殺を試みた。
毒があると思った大量の蜘蛛を飲み込んで、彼は死を待って寺院ですわっていた。
しかし、何も起こらなかったので、彼は心を入れ替えることにした。
青年になって、盤珪は中国人の先生のところへ送られた。
儒教の古典を学んでいる間、彼は、「大学の道は、明徳を明らかにするにあり」という一節に強烈に心打たれた。
不思議に思い、その教えを理解したいと願って、彼は儒教の何人かの先生に尋ねた。
彼らは、自分たちには深い知識がないことを認めたため、彼は失望し、それから盤珪は、仏教に近づき、説教や講話に参加し、母親に報告した。
彼は、「明徳」の意味について、彼女が死ぬ前に、彼女に教えたいと決意した。
仏教徒たちもまた彼を失望させた。
最後に彼は、禅の師を探すことにした。
ある師を見つけたとき、その師は、「明徳」の直接的知識を得るために、座禅を修行するように指示した。
彼は、彼特有の確固たる意志をもって、座禅に向かった。
彼は足を組んで、洞穴で、何時間もずっとすわり続け、1週間も何も食べなかった。
しかし、疲労のあまり、体が倒れた以外に、何も起こらなかった。 >>673
それから彼は自分の村の小屋で、念仏を唱える努力をした。
体の痛みにもかかわらず、彼は休むことを拒否し、座布団の上ですわり続けた。
長い間、瞑想の人生を続け、そしてついに、病気になってしまったのである。
盤珪の友人たちは、心配して、彼の世話をするための使用人を提供したが、彼は自分が死ぬだろうと思っていた。
彼のたった一つの悔いは、明徳の問題が未解決なことだった。
しかし死の淵にあったそのとき、盤珪は、自分が決して生まれたことがなかったことを理解するようになった。
彼はあらゆる物事の輝ける源泉を見たのである。
あらゆるものはその源泉によって、よく管理されていた。
盤珪は、自分が不生(生まれたことがないもの)から生きることができると確信した。
それは人生を一変する洞察であった。
彼はすぐに元気になり、驚く使用人に食事の準備を頼んだ。
完全に回復すると、盤珪は母親に自分の発見を報告し、そのおかげで彼女は幸福に死んでいった。
彼は自分の洞察を確認することができる師を見つけるのが大変だったが、ついに、彼を励ましてくれる師に出会い、この真実を分かち合い、人々を助けるために自分の人生を捧げる決心をした。
盤珪は、大衆のための人となった。
彼は、禅の生徒だけではなく、普通の田舎の人たちからなる大勢の人たちに話をした。
彼の言葉はシンプルで、直接的で、人々は彼の誠実さに感銘を受けた。
ある逸話が彼の愛嬌のある様子を物語っている。
ある僧侶が、彼自身の教派の多くの者たちが禅について聞きに行ったことに、怒っていた。
そこで、盤珪と論争するために、彼自身も会に参加した。
「私のような人間は、あなたを尊敬することはできない」と彼は盤珪に告げた。
「あなたは私を従わせることができるのか?」 >>674
盤珪は、その僧侶に前に来るように頼むと、彼は誇らしげに人々を押し分けて来た。
それから盤珪は、自分の横に坐るように頼み、それから席を自分と替えるように頼んだ。
その僧侶は盤珪の場所へ上がった。
「ほら、ごらんなさい」と盤珪は観察して言った。
「あなたは私の言うことに従っています。
あなたは非常に心優しい人だと私は思いますよ。
では、すわって話を聞いてください」。
また、ある僧侶が盤珪に近づいたときの別の逸話も残っている。
その僧侶は、自分の師が奇跡を起こすパワーをもっていることを誇っていた。
彼の師は、筆をとって、空中で阿弥陀を描き、すると、遠くにある一枚の紙の上に言葉が現れるのだった。
これと同じことができるかとその僧侶に尋ねられた盤珪は、「私の奇跡は、空腹のときに私は食べ、喉が渇いたときに、飲み物を飲むことです」と答えた。
盤珪の教えは、禅の公案のシステムとはまったく異なるものだった。
公案に対する瞑想は、長期間にわたる蓄積された緊張をもたらし、あとで悟りにおける解放を生み出す。
真実は、得ることが困難で、それゆえ非常に価値あるものとされている。
盤珪はまったく自分自身の確信に頼り、自分の弟子たちにそのシンプルな真実を直接的に、自然に経験するように、そしてその価値に納得するように奨励した。
盤珪自身の長く困難な道は、彼が真実を発見し、それの価値を理解するために必要であったという議論もあるかもしれないが、盤珪自身はそういった過程が必要であることを否定し、真実は、簡単に手に入るものだと主張した。
不生から生きられた人生は、観察眼を深め、注意力を集中するための経験をもたらすのだった。
彼の弟子たちの中には、瞑想は注意を集中するために適切なものだと感じる人たちもいた。
盤珪は、床にすわって、生きた仏陀になるだけで、十分だと言った。
彼の最大の強調は、行動中の瞑想、日々の生活における瞑想であった。
彼の一般的指針は、見事なまでにシンプルだった。
「ただ、仏陀の心ですわり、ただ仏陀の心で存在し、ただ仏陀の心で眠って起き、ただ仏陀の心で生きなさい」 >>675
公案はヤクザのハッタリと
同じじゃ。
気違いみたいな振る舞い言動
を駆使して相手を振り回す為
の策略なんじゃ。 碧巌録(へきがんろく) 第82則? 大龍堅固法身
?
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
?
修業僧、大竜智洪禅師に問う、「色身(しきしん)は敗壊(はいえ)す。いかなるかこれ堅固法身(ほっしん・真理の身体、真理そのもの)?」
竜云く、「山花開いて錦に似たり。澗水(谷川の水)湛えて藍の如し。」
?
?
本則:
?
ある僧が大竜智洪禅師に聞いた、「肉体は死ねば腐敗し崩壊します。それでは肉体とは違う永遠不変なる法身はどうなるのでしょうか?」
大竜は言った、「山では花が開花して錦のように咲き誇っている。谷川の水は青く澄み、まるで藍を溶かしたようだ。」
⇒ この家の前の小道は、都(みやこ)長安(ちょうあん)に通ず、である。
また、
『碧巌録』第三十九則 「雲門花薬欄(かやくらん)」
挙こす。
僧、雲門に問う、「如何いかなるか是これ清浄法身しょうじょうほっしん」。
門曰いわく、「花薬欄」。
また、麻三斤 である。
マブダチ道元は、云う。
眼横鼻直(がんのうびちょく) と。 >>676 禿同!!おしょう
> >>675
> 公案はヤクザのハッタリと同じじゃ。 気違いみたいな振る舞い言動を駆使して相手を振り回す為の策略なんじゃ。 』
コソッ( ノД`)…座禅の姿が公案だよね、、、 677.
眼横鼻直、か。
それは宗教の問題、答えではない。
それは人相の問題である。 >>679 ひのふのみー さん
> 677.
> 眼横鼻直、か。
> それは宗教の問題、答えではない。
> それは人相の問題である。
すまん┏○ペコ 大笑いしてしまったよ。。アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー >>682 禿同!!おしょう
> >>678
> ヤクザ者の仏教が禅宗じゃ。
限定なのか ( ・_・)ノノ"□" メモノハリツケ ・・キチガイだな。
お前ら煩悩が生み出した畸形妄想に遊戯する三毒パラレルールドの住人か?
支離滅裂な語録解釈、公案をヤクザのハッタリ呼ばわり、眼横鼻横を人相の問題(吹いたぞwアホ!)とか・・・ >>684
眼横鼻横×
眼横鼻直◯
ひふみちゃん、あんた道元さんを瞬殺したなw
道元さんが渡宋し苦心惨憺修行してこの国に持ち帰ってきたのは眼横鼻直の人相かよ?? >>665
>オーダーメイド、高校の頃、学生服のズボンとワイシャツはオーダーメイドしてたのがいたよ、やはり、キマッテルネ。。
ポッたん世代だと「長ラン」「短ラン」「ボンタン」「ドカン」とかですか?
あれかっこいいよね・・・。
ポッたんは裏地に凝った人なんでしょうか?
達磨の裏地とか、白隠禅師の裏地とか、
不動明王の裏地でしょうか? >>689
方便を辞書で調べろ
日本語は正しく、な >>692
方便を辞書で調べろ
日本語は正しく、な 北朝鮮の金さんが核とミサイルもつているおかげで戦争になったら日本は標的にされ沢山の人が死ぬ恐れがある
はずだか?日本の人々はそれはどうしようもなく損な恐れを心配する人も無く日本は平和なのは何故何だろう?
人は一人で死ぬのは怖いけど周りのみんなと一緒に瞬殺されるのは心理学的に受け入れられるのか?金さんは
自分の身を守る性格なので相当追い詰めなければ核使用は無しなのか?金さんは変な宗教にハマつていないと思うから
損なに心配ないかあまり追い詰めず逃げ道を開ける賢いトランプさんなら大丈夫だ。いくら何でも麻原さんの様な人は
国家原酒にはなれないと思うから一安心か。みんな甘い考えいれば何とかなるか。皆一緒に死ねば生前と同じ平和な街の
景色が速現れて死んでいるのに前と同じ平和に生きている野鴨。という事はもしかしたら私も何度か遭遇した危機いつ発
の所で本当は死んでいたのに瓦図生き続けているとおもつている野鴨デタラメな妄想だなあ。でも楽に速かけた。
我々は本当は夢の中で夢見ているのか?私我生きていると名付けられているだけで輪廻のなかで夢限に夢の中に入る野鴨
方便とは?勉強嫌いで饅頭好きのの子供がいたら饅頭に漢字や足し算書いて学ばされる事鴨法法華経 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています