坐禅と見性第120章山の端に入道雲の湧き上がる音すなり [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来(きた)る者は拒(こば)まず、去る者は追わず。
スレの興隆は、いっときもとどまらず、恒常が無い。
遠くの山々は、青く、我を旅立ちへ誘う。
遠く青い山並みの向こうに、何があるのか。
白い雲は、山にかかると、さっと左右に分かれ、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出し大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水の振る舞いの修行僧が風景に溶け込む。
因縁果があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、次のステップである。
真理、ダルマ、法である、ほとけである、われら、
問う、「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい 」
【前スレ】
坐禅と見性第119章丘の上に坐しポーンと投げ込み散骨す [無断転載禁止]©2ch.net
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【過去スレ】
坐禅と見性第118章海底からの上昇流と海面からの下降流、休まず [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第117章禅のアヒルは、泥水に注がれたミルクだけを飲む [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第115章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止](c)2ch.net
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坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる) [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第112章ホワイトオータムからブラックウインターへと [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1477151725/ >>246
いつもそう。
あなた、新しく覚えた知識を人に当て嵌めて吹聴しているだけでは? >>248
2.執着云々はあなたが言ってきた事
>>250
「あなたは拘っている」と、あなたが拘っているだけ。 カカシちゃんだよな?
あなたの言ってることは過去の経緯からして信用できないの。
自己の本性を煩悩と言い、幽霊と言い、無いと言い…
仏教は無我説。
だのに煩悩(真我)だの幽霊(オカルト?)無い(虚無)と転々と見解を変え
新たに覚えた知識(?)をひけらかす。
俺とポタ公の話に割り込む自由は勝手だけどね。 カカシちゃんよ?
あなたはいつも根本的な事で致命的な勘違いしているよな。
今日も、その一つを指摘しておくわ。
あなたの言う「空観と仮観のどちらにもとらわれない中観(中道)云々」、これな。
龍樹の『中論』での「空」「仮」「中」はどれも同じ意味(縁起性)なの。
鳩摩羅什が翻訳にあたり適宜に違った言葉を用いて説明しただけなの。
つまり、「空」と「中」をあなたのように、断見と常見的な対立概念として
捉えてはならないの。(そりゃそうだよな、同じ意味だし)
中村元先生の『龍樹』(講談社学術文庫で出てる)に解説があるから読んで見たらどう? カカシちゃんよ?
もう何十回も言って説明してるんだけど、「自(みずから)ら」と「自(おのずから)ら」
の違いが全く解ってないんだな。
「自己をはこびて、萬法を修証するを迷いとす。萬法すすみて、自己を修証するは悟りなり」
「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心
および他己の身心をして脱落せしむるなり。」(道元禅師)
あなたは「自己を運びて…」(真我論、常見論)なの。
私が言ってるのは「萬法すすみて、自己を修証する」(無我説、縁起説)なの。 カカシちゃんよ?
>自然に坐禅は行えないって事実を分かってない
>坐禅は行為として意図して行わねば、それは唯のお座りにしかならない
これもそう、根本的なところで致命的な勘違いをしているよ。
顛倒夢想な。
行為として意図して坐れば、唯の坐禅なんて出来ないわ。
自然(じねん)に坐禅(唯、坐る)が出来るまでには相当の修業がいるわ。 232 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 09:08:10.30 ID:UE8IpFr8 [1/5]
ポッったんが正しくないのは同意する
,,,,,,,,((* ̄(エ) ̄)ノ サササッ⌒☆ o*_(x)_)oドテッ!
では、あなたが正しいのでしょうね、正しいとは、どういう事を言いますか?
正しいとは、完全にする、と受け止めています。 >>230 A ちゃん
> さあとつても素敵なサンマーディに出会っても其処に留まろうと意識すれば逃げてしまう、と玉城さんは言う
私庭良くわからんけど 囲碁も勝手放したくなく 堅い守りになり 勝ちから見放される。
意識せず普通のコツコツ難しい。
以下は貼るか夢 関係の妄想 曹洞宗と臨在州サイト見たよ。
で涅槃ネタ 起きて半分寝て半分つまり人間だもの。曹洞宗はそうとう難し
> い坐禅臨在宗は涅槃ネタ見ただけ。今朝は早く眼が覚めてしまった。そういえば夢の中で私が人に偉そうにしゃべっていた。
> 国々の厄介な政治問題は全て自国の利益の為の観点からしか見ない其れが原因と、損な事は誰でも解っているのだ当たり前
> だ。みんな自国を守らないと他国に潰される死、理想では国も生きて意見と言っていたような平凡な夢の中だつた。掟半分
> ネタは?半分じゃ無い全部つまらない現実社会の夢つまらない夢だつた。死んだら浄土真宗信じる人は阿弥陀に導かれる死、
> 曹洞宗は坐禅に導かれる死、臨在州は棒で叩かれる死、キリスト教はイエスが導く死、あの世でも信じる者は掬われるなら、
> 無宗教の人は困らないのか?何か困らないこの世と似たようなご縁がある身内や社会や煩悩に導かれる死なのかも。それじゃ
> 輪廻転生決定的なのか?まあよいか色々好きなところに良ければ良い。根が暗い人は地獄を見るけど地獄が好きなのかも?
> 文合成して無関係長くした。今は貼るだけど夏の日の午後パクった師 https://www.youtube.com/watch?v=c3Ux83iBtrQ
> 雲を掴もうと苦悶してもしょうがないそんなことまあ良いか春だしいい景色だし
ごめん、目が痛くなって読めない。。┏○ペコ >>253
>だのに煩悩(真我)だの幽霊(オカルト?)無い(虚無)と転々と見解を変え
全部実体のないものを「有る」と勘違いしてる顛倒の事でしょ
読み違いしてるのは君ですよ
苦は無記ですから、その苦を成立させる煩悩も、煩悩から妄想を展開させる幽霊も
有無のステレオタイプも、みんな無記である苦を無記に於いて成立させてるだけでしょ
仏道は真我を説かないから、煩悩を真我だと解釈しないですよ
それをしたのはわら人形論法使いの君でしょう
>>255
>龍樹の『中論』での「空」「仮」「中」はどれも同じ意味(縁起性)
そうやって縁起を実体視するのは一闡提でしょう
>つまり、「空」と「中」をあなたのように、断見と常見的な対立概念として
空諦と中諦、それと断常二見で迷ってる訳ですね君は
>中村元先生
どうして権威に縋るんでしょうね
話になりません 229 返信:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 07:51:53.79 ID:V4lhENf7 [3/3]
>>218
いやいや、秩序整然(活殺自在!)と棒の受け渡し(主客歴然!)がされているけど。貴方には棒が見えないようで。 』
それは棒の力でしょうか、暴力。。
あなたはどう答えるのですか、あなたのp言葉で。。そこ 試験に出ますよ。 228 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 06:57:21.96 ID:V4lhENf7 [2/3]
>>206
意味が分かりません。 』
すぐ意味が分からなく人ですね。
ウイッキさんと言う助っ人を呼び出したでしょう、その事を言ってるのですよ。自説補強と言うものでしょうから。俺以外にも、みんなが言ってんだぜ、って、虚勢を張った、ポーズした、所が見えましたよ。ハイ、ポーズ。 多分彼は「無記」も勘違いしてて、「釈尊が語らなかった事」のみを無記と言うのだ、的に噛みついてくるでしょう >>262
(>>253の部分)
自性の話をしているの。
自性が煩悩とか幽霊とか無い(存在しない)と言ってのはあなただよ?
(>>255の部分)
は?
空・仮・中(いわゆる三諦偈)については、龍樹本人が『中観(第24章・第8詩』で
同義としている(原文参照)し、同じく龍樹本人が『廻諍論』で同義としているが?
お前は龍樹本人が言ったことを否定するのか? >>265
批判する自由はあるけど、批判するなら明確な根拠を示しなよ?
あなたのそれは中傷だよ。 >>229
「秩序整然(活殺自在!)と棒の受け渡し(主客歴然!)がされている」が俺の見解だけど? >>228
最初からそう言えば何の問題もなかったでしょ?
虚勢云々は貴方の問題だな。 何かいつのまにか仕様が変わったね・・・。
相変わらずこの板だけお絵描きできないな・・・。 243.
バカでないところの仏を中傷するバカがいる。
バカから解脱して仏にならないと理解できないよ。 >>262
>苦は無記ですから、
…えっ?
苦は形而上学の問題か?
失礼だけど、四諦って知ってるか?
あなたはいつも根本的なところで致命的な勘違いをしてるけど… 227 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 06:43:01.79 ID:V4lhENf7 [1/3]
>>210
隻手の公案は法身の公案と聞いてますが。即ち法身は無相。一の如しなどという見解(有相)ではないのです。あなたのそれは共感(感動)体験でしょうが、隻手を聞いた体験とは言えませんね。 』
初関を透る、ですね、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は。
わたしは、聞き、
いまは、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は、聞こえません。
あなたは、聞きましたか!? 272.
私はバカである。
だが仏である私はバカではない。
バカには理解できない論理である。悟れ、や。 >>274
違うな。
「両掌打って音声あり、隻手に何の音声かある」(白隠禅師)だよ。
師家に聞かせて認められるのを「初関を透る」というんだよ。
俺の初関は「無字」だったけどね。
で、聞きたいか? 276.
師家に聞かせて認められる、か。
バカ師家が認定しても、それは無価値である。
その内容による。合格するか否かは。 >>274
>わたしは、聞き、いまは、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は、聞こえません。
これ、わかり易く説明してもらいたいね。
>>199と>>201を踏まえたうえでどういうことなのか。 278.
拍手の音は物理学の問題である。
それは宗教の問題ではない。
そこに執着することが落第である。
悟っていないことの証拠となる。 >>276 邪鬼 さん
> >>274
> 違うな。 「両掌打って音声あり、隻手に何の音声かある」(白隠禅師)だよ。 師家に聞かせて認められるのを「初関を透る」というんだよ。 俺の初関は「無字」だったけどね。 で、聞きたいか?
山川草木国土悉有仏性。と伺いました。まさか、あの門前の痩せイヌにも仏性が有るのでしょうか、どうですか。 280.
犬には仏性がない。
人間にも仏性がない。
天台教学は誤りである。 >>278 邪鬼 さん
> >>274
わたしは、聞き、いまは、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は、聞こえません。
>
> これ、わかり易く説明してもらいたいね。 >>199と>>201を踏まえたうえでどういうことなのか。
説明って、観光案内板のようなものを言うんでしょうか。。(ノд-。)あぅ。。 282.
音を聞いても、聞かなくても、どちらでも良い、ということである。
音から解放されている、ということである。
解脱している、ということである。 >>280>>282
余計なお世話だろうけど、訊ねている事にはちゃんと答えてもらいたいね。
当たり前だけど、反証が無ければ事実は認証されるから。 >>282
今まで何度も注意してきたけど、「片手の人が叩く拍手の音を聞き、今は聞こえない」と
言うのは構わないけども、それは禅宗でいう「初関を透る」とは一切関係ないから。
根拠は先に検証した通り。 碧巌録(へきがんろく) 第七十六則 丹霞、甚麼よりか來たると問う
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
丹霞、に問う、甚處よりか來たる。
云く、山の下より來たる。
霞云く、飯を喫し了る也(おわるや)未(いまだしや)。
云く、飯を喫し了れり。
霞云く、飯を將ち來たりて汝に喫せしめし底の人、還た眼を具せしや。
語無し。
長慶、保に問う、飯を人に喫せしむるは、恩を報ゆるに分有り。爲什麼にか眼を具せざる。
云く、施す者と受く者と、二り倶に瞎漢なり。
長慶云く、其の機を盡し來たるに、還た瞎(がい・片目・目が見えない)と成る否。
云く、我は瞎す、と道いて得しきや。
第七十六則 丹霞飯を喫すや未だしや
試(ここ 試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
丹霞、僧に問ふ、甚れの処よりか来る。
僧云く、山下より来る。
霞云く、飯を喫し了るや未だしや。
僧云く、飯を喫し了る。
霞云く、飯を将ち来って汝に与へて喫せしむる底の人、還って眼を具する麼。
僧無語。
長慶保福に問いふ、飯を将って人に与へて喫せしむ。恩を報ずるに分あり。什麼としてか眼を具せざる。
福云く、施者受者、二倶に瞎漢。
長慶云く、其の機を尽くし来らんに、還って瞎と成らんや否や。
福云く、我を瞎すと道ひ得てん麼。
⇒ 両目と片目、
目明きと目くら、
そんな分別、あるもんか。
>>284-285 邪鬼 さん
> 俺の初関は「無字」だったけどね。 で、聞きたいか?
((((゚∀゚(。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚(。_。∀゚(。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚)ウンウンウンウン!!!!
今回は、どうか聞けますようにナムナム (⌒人⌒)ポクポクチーン
このお寺に入って 山川草木国土悉有仏性。と伺いました。 でも まさか、門前のあの痩せイヌにも仏性が有るのでしょうか、無いですよね、どうですか。 272.
私はバカである。
だが仏である私はバカではない。
バカには理解できない論理である。悟れ、や まことは、偉いのう
自分でバカで言えるのは偉いのじゃ
まさしく、仏であるおまえさんは、偉いのじゃ バカと言えるところまではいいんだが
そこまでは、な
仏である私はバカでない、と、言っている
ところが進歩ないなww >>275
今ここに書き込んでるのは、バカなあなたの方ですよね、仏でなくて。
納得しました、ありがとうございます。 >>287
相変わらず此方からの質問には一切答えないんだ。
先日来話している事は事実として黙認したわけね。
まぁ、明白な事実だし否定不可能だもんな。
その前提で仏性について話すけど、道元さんは「悉有は仏性」と読んでおられるね。
縁起するものは非有非無。有は常見、無は断見。
つまり如実智見。
「ムー」とか「ウー」とやるわけだけど。 >>295
彼はわかってないからね。
過去の出来事をいつまでも引きずって。 虹と水晶 土台 自分自身の心の中以外に仏陀を見出すのは不可能だ。このことを知らないものは、それを外に探しに行くこと
だろう、だが自分自身の内側を探し求めていく以外に、自分自身を見いだすことができるだろうか?みずからの本質を外側に
求めるものは、たくさんの人に囲まれて演じながら、自分が誰だつたか忘れてしまい。そこらしゅうを探しまわつている愚か者
のようなもの(パドマサンバァ「完璧なる覚醒をもって見ることによる自己解脱の書」) ・・・
土台ないしチベット語の「シ」という言葉は、宇宙及び個人の両レベルにおいて、存在の根本的土台になつているものを指して
いる。宇宙も個人もその本質は同じだから、一方を悟れば、もう一方も悟ることになる。みずからを悟れば、宇宙の本質をも悟
ることになるのである。すでに不二の三昧において経験される?(よくわからんけど進める。アーチストは宇宙空描き始めるけど
?それはアートマンじゃなくてブラフマンつまりアートマンの招待はブラフマン?ようするに解らん)この原始の境地について
述べたけれども?(眼に見える現象は多様なあらわれを持っているけれども、この多様さは元々二元論のむ彼方にある。無限の多
様なもののどれひとつとして、限り有る概念の枠におさまりきるものは無い。「これはこうだ」とか「あれはそうだ」と定義づけ
ようとする罠から解き放たれるのだ。(つづく) わからなくても無意識は分つているという事は
要するにわからんうりというかそう言う役目を演じいるだけなのか?兎に角お役目ご苦労さん (つづき)そうすればすべて形のあるあらわれは、形をもたない無限が示すさまざまな表情にすぎないし、それから切り離す
ことも出来ないから、そのままで完全なものなのだということがわかる。すべてのはじまりから、あらゆるものはそのままで
完全だという事がわかれば、何かを達性しようとする努力は、総て放棄される。あるがままの自然な状態にとどまつている
だけで、不二の三昧の境地が自然に生じつづける)よくわからんけどまだ続くのか。
全ての現象は空であり実態が無いとは?どうも空気の様にあつ去りして風のように其処に執着しないという意味か、涼しい風が
さりげなくあつさりと吹いているのか?そうだ執着地獄でございますと時代劇で金と権力に執着する悪徳商人がお代官さまに金
の何時他お菓子をわたすし、我々は何でも風のように風流に生きられれば良い景色ながめながらどんな運命話でも涼しい顔で
活きられるのか、きっと同の行のいつても仏と二人ずれの仏性のこのようなだびならどんな事があつても安心な旅7日。宇宙画
始まるまあ絵画の一句を持つて来いそういえばぽつ師匠は色即是空を悟ったら即空即是色でもどうあん?(私はどうこうと読んで
いたけど)後はまあ良い旅の風景画福。 >>286
どっかのアホが無相戒を有身見で解釈していたけど、一体何に戒を掛けるつもりでいるのかねぇ、無相なのに。
「恩を報ずるに分あり」ね。
大事な事だけど、与える者も頂く者も無相。
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」(仏陀)
後腐れが無い様で。 287 自分:チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. [] 投稿日:2017/04/26(水) 02:00:35.56 ID:9LJN2yBK [5/6]
>>284-285 邪鬼 さん
> 俺の初関は「無字」だったけどね。 で、聞きたいか?
((((゚∀゚(。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚(。_。∀゚(。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚)ウンウンウンウン!!!!
今回は、どうか聞けますようにナムナム (⌒人⌒)ポクポクチーン
このお寺に入って 山川草木国土悉有仏性。と伺いました。 でも まさか、門前のあの痩せイヌにも仏性が有るのでしょうか、無いですよね、どうですか。
>>294
> >>287
> 掌は見えますか?
>>295
> >>287
> 相変わらず此方からの質問には一切答えないんだ。
>
> 先日来話している事は事実として黙認したわけね。
> まぁ、明白な事実だし否定不可能だもんな。
>
> その前提で仏性について話すけど、道元さんは「悉有は仏性」と読んでおられるね。
> 縁起するものは非有非無。有は常見、無は断見。
> つまり如実智見。
> 「ムー」とか「ウー」とやるわけだけど。
(* ̄- ̄)ふ〜ん
それで、
むー、うー、とやれと言われたんだね、( ・_・)ノノ"□" メモノハリツケ
で、どぷしたんですか!? >>300
訂正
で、どぷしたんですか!?
↓
で、どうしたんですか!? >>300
ん?
ムーだのウーだのやれとは言われてないな。 301 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/26(水) 15:55:57.24 ID:qwAtf1z4
>>300
> 掌を見た?
あなたは、見たから、見たのか? と聞いているんだね。 303 名前:ジャンキー大山[s] 投稿日:2017/04/26(水) 15:57:36.95 ID:qwAtf1z4 [2/2]
>>300
> ん?ムーだのウーだのやれとは言われてないな。
そうだったんですか。
では、誰かが、ムー、ウーとやってたのを見てやり始めたんですね。
それから、どうなりました!? だって、まことは、修行なんてしたことがないから(笑)
境地と妄想の区別がつくはずがない >>306 偽鬼 さん
> どうも、境地と妄想を混同しているようじゃのう
詳しいね、それで? うん
三次元で考えている
境地で考えない悟れないよ 297 名前:素人A[] 投稿日:2017/04/26(水) 09:49:43.44 ID:ypTLFjTA [1/2]
虹と水晶 土台 自分自身の心の中以外に仏陀を見出すのは不可能だ。
このことを知らないものは、それを外に探しに行くことだろう、だが自分自身の内側を探し求めていく以外に、自分自身を見いだすことができるだろうか?
みずからの本質を外側に求めるものは、たくさんの人に囲まれて演じながら、自分が誰だつたか忘れてしまい。
そこらしゅうを探しまわつている愚か者のようなもの(パドマサンバァ「完璧なる覚醒をもって見ることによる自己解脱の書」) ・・・
土台ないしチベット語の「シ」という言葉は、宇宙及び個人の両レベルにおいて、存在の根本的土台になつているものを指している。
宇宙も個人もその本質は同じだから、一方を悟れば、もう一方も悟ることになる。
みずからを悟れば、宇宙の本質をも悟ることになるのである。
すでに不二の三昧において経験される?(よくわからんけど進める。
アーチストは宇宙空描き始めるけど?
それはアートマンじゃなくてブラフマンつまりアートマンの招待はブラフマン?
ようするに解らん)この原始の境地について述べたけれども?
(眼に見える現象は多様なあらわれを持っているけれども、この多様さは元々二元論のむ彼方にある。
無限の多様なもののどれひとつとして、限り有る概念の枠におさまりきるものは無い。
「これはこうだ」とか「あれはそうだ」と定義づけようとする罠から解き放たれるのだ。
わからなくても無意識は分つているという事は要するにわからんうりというかそう言う役目を演じいるだけなのか?兎に角お役目ご苦労さん
そうすればすべて形のあるあらわれは、形をもたない無限が示すさまざまな表情にすぎないし、それから切り離すことも出来ないから、そのままで完全なものなのだということがわかる。
すべてのはじまりから、あらゆるものはそのままで完全だという事がわかれば、何かを達性しようとする努力は、総て放棄される。
あるがままの自然な状態にとどまつているだけで、不二の三昧の境地が自然に生じつづける)よくわからんけどまだ続くのか。
全ての現象は空であり実態が無いとは? >>316
どうも空気の様にあつ去りして風のように其処に執着しないという意味か、涼しい風がさりげなくあつさりと吹いているのか?
そうだ執着地獄でございますと時代劇で金と権力に執着する悪徳商人がお代官さまに金の何時他お菓子をわたすし、我々は何でも風のように風流に生きられれば良い景色ながめながらどんな運命話でも涼しい顔で活きられるのか、
きっと同の行のいつても仏と二人ずれの仏性のこのようなだびならどんな事があつても安心な旅7日。
宇宙画始まるまあ絵画の一句を持つて来いそういえばぽつ師匠は色即是空を悟ったら即空即是色でもどうあん?
(私はどうこうと読んでいたけど)後はまあ良い旅の風景画福。 』
長いねえ、字が塊りに見えるワカリマセン (゚Д゚;∂ポリポリ 座禅で境地を得るのじゃ
境地の中で答えを出すのじゃ
考えては答えは出ないのじゃ 308 名前:チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. [] 投稿日:2017/04/26(水) 16:11:30.01 ID:9LJN2yBK [11/13]
>>306 偽鬼 さん
> どうも、境地と妄想を混同しているようじゃのう
詳しいね、それで?
309 名前:鬼和尚[] 投稿日:2017/04/26(水) 16:19:36.58 ID:KO6mc6Y/
> そういうことじゃ 』
どういうことなの?つまるところ!? >>320
( ´,_ゝ`)y―-~~ フハハハ!!
やはり、まことは、わかっとらんねえww
あっさりと、鬼和尚の釣りにかかりよったww 312 返信:ジャンキー大山[] 投稿日:2017/04/26(水) 16:25:47.93 ID:glxFOO5A [2/3]
>>304
ん?自分の掌を見てよ?どう?
313 返信:ジャンキー大山[] 投稿日:2017/04/26(水) 16:27:31.08 ID:glxFOO5A [3/3]
>>305
ん?いや、人真似でもないけど? 』
見たよ、あなたは見た事があるの!
ひとまね、じゃなくて、何をまねたの? >>318の鬼和尚の言葉の意味わかる?
考えているところが、まことは、ど素人
なんだよww 318 名前:鬼和尚[] 投稿日:2017/04/26(水) 16:34:05.56 ID:SObhcv5r
座禅で境地を得るのじゃ
境地の中で答えを出すのじゃ
考えては答えは出ないのじゃ 』
ただ 坐ってるだけだよ、坐禅って。
何か 考える事があっては、禅ではないね。 まことは、白旗を挙げているのと同じじゃ
ヒントは、ここまでにしようかのう うん
まこと君
基本知識がないと、修行にならないよww >>326 わっこ さん
> >>325
> あなたも隻手の音に包まれてますか? 』
聞いたよ、でも、聞こえないになったんだよ。わっこ さんも聞いたんだね、聞いたら、聞こえないに還(かえ)る。 >>329
それはおかしいですね。
だって、隻手から逃れることが出来ないんだから。 >>330 わっこ さん
> >>329
> それはおかしいですね。 だって、隻手から逃れることが出来ないんだから。 』
そうだね、わたしも 聞きっぱなしだった、20年ぐらいも (-。−;)アセアセ
無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) は、歩みが遅すぎて、ねぇ。 >>331
あなたは、見性してます。
ですが、見性体験だけが残り、隻手が逃げちゃったんですよ。 >>333 わっこ さん
> >>331
> あなたは、見性してます。 ですが、見性体験だけが残り、隻手が逃げちゃったんですよ。 』
わっこ さんが得た時、輝きが噴出してたよね。見事にきれいな言動だった。
ある臨済宗に生まれた子が、大人になって、父のもとで修業し始めた。
周りの修行僧は、次々と公案を透っていき、自分のふがいなさに焦りを感じていた。
かれの取り組みは、隻手の音声 であった。
ある日、隻手を聞いた。
踊り上ってお師家さまの部屋へ転がり込んだ。
彼の踏み鳴らす廊下の音で、すでにさとったことが分かっているお師家さまは、隻手は聞こえないよ、と
色即是空は空即是色へと還る、さらに一歩を踏み出させdてくれた。
無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) のわたしは、それに20年近くの年月が過ぎた。
鳴り響いているんだね、わっこさん。
鳴り響いているところが、初関を透るだね。 >>323
掌を見たのね、よかった。
流石にネットじゃ俺の隻手を差し出せないから、あなたの隻手をお借りしたんだけど。
後、見たのって・・・俺、目が不自由じゃないけど。
後、真似ってなんのことだか。 >あなたは、見性してます。
( ´,_ゝ`)y―-~~ フハハハ!! >>334
その師の本心がわかりますか?
見性したか、おめでとうと言いたい所だが、
見性体験だけが残っては使いもんにならん。
すぐに捨てよ。
なんですよ。 その話は、おまえさんには、早いのじゃ
とにかく、座るのじゃ
精進するのじゃ >見性したか、おめでとうと言いたい所だが、
見性体験だけが残っては使いもんにならん
( ´,_ゝ`)y―-~~ フハハハ!! いきなり、見性という単語が出るのが、まことらしいぜww で、隻手を聞いて貰ったよ。
今度は隻手が聞こえなくなる理由を分かりやすく説明して貰おうかな? >>343
過去、未来に想いをはせては、もう禅ではないんだよ。
さぁ、歩めよ友よ。 334.
片手の音を聞いたか否か、は宗教の問題ではない。
それは耳の問題である。 >>345
まぁ、そうやってどんどんみずから恥を晒してくださいね。 347.
片手の音を聞いた、と言えばバカ扱いとなる。 >>338
すぐに捨てよ、ではない。それは有為だ。
元から無いものにとやこう取り付くな。
過去や未来に思いを馳せようが、最初っから、
単丸ごて。禅以外になく。
なにわ姫、不自由そうだね。 別に本来宗教という特別なものがあるわけじゃないんだけどね。
自分で宗教という概念を立てて、他人にそれは宗教の問題ではないと言ってりゃ、何時迄も経っても平行線だわなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています