坐禅と見性第120章山の端に入道雲の湧き上がる音すなり [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来(きた)る者は拒(こば)まず、去る者は追わず。
スレの興隆は、いっときもとどまらず、恒常が無い。
遠くの山々は、青く、我を旅立ちへ誘う。
遠く青い山並みの向こうに、何があるのか。
白い雲は、山にかかると、さっと左右に分かれ、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出し大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水の振る舞いの修行僧が風景に溶け込む。
因縁果があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、次のステップである。
真理、ダルマ、法である、ほとけである、われら、
問う、「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい 」
【前スレ】
坐禅と見性第119章丘の上に坐しポーンと投げ込み散骨す [無断転載禁止]©2ch.net
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【過去スレ】
坐禅と見性第118章海底からの上昇流と海面からの下降流、休まず [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第117章禅のアヒルは、泥水に注がれたミルクだけを飲む [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第115章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止](c)2ch.net
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坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる) [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第112章ホワイトオータムからブラックウインターへと [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1477151725/ >>193
そうだ!
鬼和尚さんのように、まことも、早く悟れや! >>191
まぁ反論しようが無いだろうね。
仏教は無我(縁起、無自性、空)説。
あなたは不二一元論、真我説(「真理悟りは一の如し」)や断見・虚無論(「あれれ、私が無い」)のごちゃ混ぜだから。
要するにあなたの体験も思想も、何も仏教では無いの。 197 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/24(月) 18:15:26.94 ID:P0WWkUhX
>>191
> まぁ反論しようが無いだろうね。仏教は無我(縁起、無自性、空)説。あなたは不二一元論、真我説(「真理悟りは一の如し」)や断見・虚無論(「あれれ、私が無い」)のごちゃ混ぜだから。要するにあなたの体験も思想も、何も仏教では無いの。 』
どうですか、留飲が下がりましたか。
ことばは魔性を持つね。
さとった、とプロの人は自分から言わないものなんだろう。
わたしは、片手の人が叩く拍手の音を聞いたよ、と言ったら、叩かれた、それはずっとで、今もそう。
徒弟制度のシステム外なで、垣根のうちには入れない。
月謝を払っても、もらってもいない、許認可権の埒外なのだろう。
営業しておまんまを食べるのではないから、営業許可証は不必要だしね、おかみの管理は届かない。
ある和尚が言うには、
僧とは、
その役割がある、と言う。
引導を渡すことである。
国家資格なのだろうか。
僧籍は。
理解(りげ) ですよ、と事実の指摘をした事があった。 あなたの偽りを更に検証しようか?
「隻手の音声は聞いたら(悟ったら)聞こえこえなくなる」というけど、とんでもない妄説だね。
そもそもそれは物理的な音(物体の振動)ではないし、隻手の音声を聴くとは無分別智(断見と
常見を離れる縁起の理)の覚知だから。
つまり、あなたの言ってることは無分別智の覚知(隻手を聞いた)したら、無分別智がなくなって
しまうという事。
論理的に破綻してるのね。 >>199(続き)
その誤謬を繕うために「色即是空は空即是色に還る」と嘯いているけど、それは
「聞こえなくなる云々」とは全く関係のない妄論だね。
ものが聞こえる(聞こえない)というのは相依性であり、相依性故に聞こえる
(聞こえない)の。
これが色即是空、空即是色。
聞こえたものが無分別智の覚知によって聞こえなくなるとは一切言ってないの。
聞こえたものは相依性であることを言ってるの。 >>198
こういう事がウィキに書いてあった。
留飲を下げるのが目的ではない。
「思想の自由市場」(free market of ideas)を形成し、その自由競争の過程で真理が
勝利し、真理に基づいて社会が進歩すると説かれる(思想の自由市場論)。
正しい知識と真理は、各人の自発的言論が「思想の自由市場」へ登場し、そこでの自由
な討議を経た結果として得られるものと考えられることから、表現の自由は真理への
到達にとって不可欠の手段であるとみる >>202 邪鬼 さん
助っ人は、一宿一飯の恩義がある、と言いますから、泊めて朝餉も出したんでしょうねぇ。 Ann ちゃん
204 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/04/24(月) 20:18:17.52 ID:zbu2tSLM [1/2]
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1493026741
205 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/04/24(月) 20:19:03.31 ID:zbu2tSLM [2/2]
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1493026741
頑張ってるよね。 あなたの隻手は以下の通りでしょ?
他人との同調や共通認識の経験でも「二は二に非ず、一の如し」と言えるけど、
それは自己の根底に備わる無相(性)を覚知する見性体験ではない。
あなたの場合はただの共感(感動体験の共有)体験。
>わたしの隻手の音声は、ジャズ演奏会場での総立ちでの割れんばかりの大拍手でした。
>ですから、足を踏み鳴らし、絶叫する中での隻手でした。 それは、一の如し、です。
((0120:(。~^~)(~^~。) ポッたん ◆86PokkanFg 2016/12/15(木) 21:06:31.35) >>208 邪鬼 さん
わたしの隻手の音声は、
熱演のジャズ演奏会場での総立ちで割れんばかりの大拍手でした。足を踏み鳴らし、絶叫する中での隻手でした。 それは、一の如し、です。 210.208.
隻手の音、は物理学の問題である。
それは宗教の問題ではない。
どちらの問題をやりたいのか。
バカ丸出しである。 >>209 きっちゃん
> ひゃっひゃひゃ!("⌒∇⌒")ノ
わたしは観られない形式で。。((T.T; )(; T.T))おろおろ・・・ 211.
物理学の問題を出して、宗教の答えを出せ、と言うのがバカ禅師どもである。
宗教の答えになっていない、と言うバカがいる。
宗教の答えだ、と言うバカがいる。
分野が違うのだからして、答えの書きようがない、ことになる。
そこを理解できないバカがいる。 碧巌録(へきがんろく) 第75則? 烏臼屈棒(うきゅう くつぼう)
ある禅者が定州の石藏(せきぞう)和尚の僧堂から、烏臼(うきゅう)の禅庵にやってきた。
烏臼「定州の禅風は、わしの處と変わっているかな?」
禅者「別段、変わりありません」
烏臼「どこも同じなら、ワザワザここまで来るには及ぶまい。サッサと帰れ」と言いざま、手にした棒で、ピシャッと一打した。
禅者「なんとムチャな。あなたの棒は人の価値を見分ける眼が無いようですね」
烏臼「今日は、打つに手ごろな奴が来たものだ」と、さらに、立続けに三回打った。
禅者は閉口して庵を逃げ出そうとした。
その姿を追いかけて、烏臼は「やぶから棒に打ってみたが、うまく当たったなあ」
・・それを聞いて、禅者、うしろを見て云った。
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
「自分が棒を持っているからといって、大口をたたきなさるな。わしに棒さえあれば、叩き返してやるものを・・」
烏臼すかさず「オオ・・そうか。ソレジャ、お前さんに、これを貸そうか」というと、その禅者は、烏臼の棒を奪い取って、続けざまに烏臼を三回打った。
烏臼「ヤアヤア・・藪から棒に、何とする」
禅者「これは見事な三本、疾風の如き、打ち勝ちですな」
烏臼「さっきは無暗に人を打つなと言っておきながら、今度は、訳もなく人を打つ・・とは、何というやつだ」
すると禅者は、すぐに礼拝した。
烏臼「オイオイ・・たったそれだけで勝負はお終いか」
禅者は、笑いながら去ろうとする、その後ろ姿に・・
烏臼「ナンダ・・アイツは、大笑いの芸しかできない大根役者だったのか」 >>214
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
僧、定州(じょうしゅう)和尚の會裏(えり)より来り、烏臼に到れり。
烏臼問う「定州の法道は這裏(しゃり)と如何(いかん)」僧云く「別ならず」
臼云く「もし別ならずんば、さらに彼(か)の中(うち)に転じ去れ」便(すなわ)ち打つ。
僧云く「棒頭(ぼうとう)に眼(まなこ)あらば、草々(そうそう)に人を打つことを得(え)ざれ」
臼云く「今日、一箇(いっこ)を打着(だちゃく)したるなり」また打つこと三下(さんげ)。
僧 すなわち出で去れり。
臼云く「屈棒は元来(がんらい)、人の喫するにあり」
僧、身を転じて云く「いかにせん、杓柄(しゃくへい)の和尚の手裏(しゅり)にあることを」
臼云く「汝 もし要せば、山僧 汝に囘與(らいよ)せん」
僧 近前して、臼の手中の棒を奪い、臼を打つこと三下したり。
臼云く「屈棒(くつぼう) 屈棒」(・・やあ、闇討ちにあったな)
僧云く「人の喫在せしことあり」(うまく一本とったぞ・・の意)
臼云く「そうそうに この漢を打着したり」(今になって訳もなく老僧を打つとは・・どうしたことだ)
僧 すなわち礼拝(らいはい)せり。
臼云く「和尚 恁麼(いんも)にし去るにや」
僧 大笑して出でたり。
臼云く「消得恁麼(しょうとくいんも) 消得恁麼」(なんだ、たったの大笑いだけか) 試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
僧、定州和尚の会裏より来り、烏臼に到る。烏臼問う、「定州の法道、這裏と何(いかん)似?」。
僧云く、「別ならず」。
臼云く、「若し別ならずんば、更に彼中(かしこ)に転じ去れ」。
便ち打つ。僧云く、「棒頭に眼あり、草々に人を打つこと不得(なか)れ」。
臼云く、「今日、一箇(ひとり)を打着せり」。
また打つこと三(み)下(たび)す。僧、便ち出で去る。
臼云く、「屈棒元来、人の喫する在るあり」。
僧、身を転じて云く、「いかんせん、杓柄は和尚の手の裏(うち)に在り」。
臼云く、「汝もし要せば山僧、汝に回与せん」。
僧、近前して臼の手中の棒を奪って、臼を打つこと三下(みたび)す。
臼云く、「屈棒屈棒」。
僧云く、「人の喫すること有るなり」。
臼云く、「草草にこの漢を打着す」。
僧、便ち礼拝す。臼云く、「和尚却っていんもにし去るぞ」。
僧、大笑して出ず。
臼云く、「消得いんも、消得いんも」。 試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
定州石蔵禅師和尚のところで修行した一人の僧が烏臼和尚のところに来た。
烏臼はその僧に尋ねた、「お前さんは定州老師のところから来たとのこと。そことここではどこか違ったところでもあるかな?」。
僧は云った、「別に変わったところもありません」。
烏臼は云った、「もし違わないなら、ここにいる必要もないだろう。とっとと元の古巣に戻るがよい」。
烏臼はそう言って棒で打った。僧は云った、「和尚も眼が明いているなら、軽率に人を打つものではござらんぞ」。
烏臼は云った、「今日は珍しく骨のある奴に出会ったわい」。
烏臼はそう言うとまた三たび打った。僧は仕方なく出て行こうとした。
烏臼はチョッカイをかけるように云った、「理由もなく棒で打たれて、黙っている奴もいるわい」。
そう言われたトタン僧はくるりと振り返って云った、「残念ですが、棒(杓柄)は和尚の手の裏(うち)に在るから仕方がないですよ」。
烏臼は云った、「お前さんもし棒が必要なら、貸してやってもいいぞ」。
果たして、僧は近寄って来て烏臼の手中の棒を奪うやいなや、烏臼を三たび打った。
烏臼は云った、、「これは無茶な!なんで打つんだ!」。
僧は云った、「世の中には自分から打ってくれという人もいるもんですね」。
烏臼は云った、「いやはや、とんでもない男を打ったもんだ」。
僧は少しやり過ぎたかな、お許しのほどをと言ったように烏臼に礼拝した。
烏臼は云った、「散々、わしを打っておきながらそのまま帰ってしまうのかな」。
僧は大笑して帰って行った。
烏臼は云った、「お前さんにはそれだけのことはある」。 〇 なぜか理屈っぽいやり取りをしている二人だ。
いっぺん それがどうした!と突っ込みを入れてみたい。 The Voice:The Very Best of Rod Stewart (2001) ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=1-YtH2ETgnY&index=3&list=RDINveV1f0Sdo
Elvis Presley - ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=zk7JUb-xpLA&list=RDoBJOl4x-7T8&index=2
Priscilla- Pretty Woman ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=LEMSDiq78Zc&list=RDLEMSDiq78Zc#t=3
4 Non Blondes - What's Up ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=6NXnxTNIWkc&list=RD6NXnxTNIWkc#t=3
The Cranberries - Zombie ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=6Ejga4kJUts&list=RD6Ejga4kJUts#t=2
90's Alternative, Pop, Soft Rock - 211 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=6Ejga4kJUts&list=PLQw-AwSCH8G3Dhw4vAu0R7OfxDWdUbhaR 宗教入門 白坂慎太郎 - 109 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=1qoT-pjdlII&list=PLy3eeYyvpdHHuXkWltTNsjzqBgpcDpVEj
仏陀の教えまとめ -まとめ2 - 35 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=cQ0Wp_yT3hQ&list=PLP6EIUoDC0LKrtVK1Di1ZnzvVdAUTX04b 210.208.
隻手の音、は物理学の問題である。
それは宗教の問題ではない。
どちらの問題をやりたいのか。
バカ丸出しである。 >>222
そうだ!
まことも、鬼和尚のように、早く悟れや!! >>210
隻手の公案は法身の公案と聞いてますが。
即ち法身は無相。
一の如しなどという見解(有相)ではないのです。
あなたのそれは共感(感動)体験でしょうが、隻手を聞いた体験とは言えませんね。 >>206
意味が分かりません。
異存があればどうぞ。
南予さんが立てたスレに参加する自由はお互い様だし、去るのも自由ですから。
(仏教)真理の探究にあたって常見や断見に偏り、中道(無我、縁起、無自性、諸法実相)から外れていれば、指摘するのは当たり前ですから。 >>218
いやいや、秩序整然(活殺自在!)と棒の受け渡し(主客歴然!)がされているけど。
貴方には棒が見えないようで。 さあとつても素敵なサンマーディに出会っても其処に留まろうと意識すれば逃げてしまうと玉城さんは言う私庭良くわか
らんけど囲碁も勝手放したくなく堅い守りになり勝ちから見放される。意識せず普通のコツコツ難しい。以下は貼るか夢
関係の妄想 曹洞宗と臨在州サイト見たよ。で涅槃ネタ 起きて半分寝て半分つまり人間だもの。曹洞宗はそうとう難し
い坐禅臨在宗は涅槃ネタ見ただけ。今朝は早く眼が覚めてしまった。そういえば夢の中で私が人に偉そうにしゃべっていた。
国々の厄介な政治問題は全て自国の利益の為の観点からしか見ない其れが原因と、損な事は誰でも解っているのだ当たり前
だ。みんな自国を守らないと他国に潰される死、理想では国も生きて意見と言っていたような平凡な夢の中だつた。掟半分
ネタは?半分じゃ無い全部つまらない現実社会の夢つまらない夢だつた。死んだら浄土真宗信じる人は阿弥陀に導かれる死、
曹洞宗は坐禅に導かれる死、臨在州は棒で叩かれる死、キリスト教はイエスが導く死、あの世でも信じる者は掬われるなら、
無宗教の人は困らないのか?何か困らないこの世と似たようなご縁がある身内や社会や煩悩に導かれる死なのかも。それじゃ
輪廻転生決定的なのか?まあよいか色々好きなところに良ければ良い。根が暗い人は地獄を見るけど地獄が好きなのかも?
文合成して無関係長くした。今は貼るだけど夏の日の午後パクった師 https://www.youtube.com/watch?v=c3Ux83iBtrQ
雲を掴もうと苦悶してもしょうがないそんなことまあ良いか春だしいい景色だし 223.
バカ鬼和尚のように悟れば、どうなるのか。
バカになるだけのことである。
結果が見えている。
宗教は結果論である。 ポッったんが正しくないのは同意する
しかし、それを大義名分として詰問する事に何の意味がある?
彼が君に法論を挑んで来たなら受けて立つのも吝かじゃないのだろうが
ポッったんは勝手に自論を展開して、仏説にあたらない珍説を説いてるだけじゃないか
そんな程度じゃ仏法は汚れたりなどしないぞ?
それなのに自己主張を拗らせて、我が方のが正しいのだ!其の方は間違ってるのだ
と、やればやるほど己義を構える事と変わらなくなる
己義は有身見が断てないと構える我執の現れだよ
有身見が断ててないのは、上座部で言えば預流向だ
そりゃ仏道入りたての新米さんの境地だよ
禅で言うなら父母未生以前自己本来面目がまだ分かってない人の事だ
指摘されて暴言を引っ込める努力に出たのなら今一度更に点検した方が良いと思われる
押し付けるのは仏道じゃないだろ
それは相手が新興宗教だとしても、立場は釈尊と同じなんだよ
破邪顕正をしていい相手は君に向かって破仏法をぶつけて来た人だけだよ
勝手に説いてる人は放っておかなきゃ
達磨でさえ不識と吐いて去ったんだしね 私は約10年前に仕事の関係で、今の住まいを求めましたが、引っ越して初めての夜、窓の外を見てギョとしたと言うか
感動したと言うか、そこには私の階数からの視線のほぼ真ん中に、イエス様の御印が光り輝いていて…、やっと帰って来たのだね
お帰りって、まるで孝子師匠の微笑 みみたいに、その頃は仕事の都合で週末しか住めませんでしたが、煩悩も頂点だったかも
今は毎日住んでいて落ち着きますが、心が穏やかなのはそれだけではないような気がするのですが…。 気がつけばここは、お寺や神社、様々な方面の教会、協会等々が仲良く点在していて
何気に不思議な空間に感じておりましたが、どんなご縁なのか、ただの思い込みではありましょうが…。 >>232
相変わらずだなぁ…
それがルールなら、それ言ってくるあなたは何なの?
例外規定かい?
このスレの常任理事国みたいなものかい?
今更ポタ公が俺に法論を挑んできた経緯なんてどうでもいいよ。
>>202を読んでみな。
>「思想の自由市場」(free market of ideas)を形成し、その自由競争の過程で
>真理が勝利し、真理に基づいて社会が進歩すると説かれる(思想の自由市場論)。
>正しい知識と真理は、各人の自発的言論が「思想の自由市場」へ登場し、そこで
>の自由な討議を経た結果として得られるものと考えられることから、表現の自由
>は真理への到達にとって不可欠の手段であるとみる。
釈迦もこの対話的手法を用いていたし、誰もがこの「思想の自由市場」の参加者
じゃないのか? >>232
>と、やればやるほど己義を構える事と変わらなくなる
>己義は有身見が断てないと構える我執の現れだよ
それ、常見。仏教は無我。 >>232
「己義を構えて有身見が断てない、我執が現れてる」と云ってるのは貴方じゃないの?
(つまりあなた自身の心の現れ、自己表明じゃないのかな?) >今更ポタ公が俺に法論を挑んできた経緯なんてどうでもいいよ。
常見
>それ、常見。仏教は無我。
有身見
>(つまりあなた自身の心の現れ、自己表明じゃないのかな?)
「お前だって論」と言われる詭弁
君も聞く耳を持たないのだからポッたんと同じだな
自性霊妙、常住の法に於いて、断滅の見を生ぜざるを名づけて不殺生戒となす。
自性霊妙、不可得の法に於いて、可得の見を生ぜざるを名づけて不偸盗戒となす。
自性霊妙、無着の法に於いて、愛着の見を生ぜざるを名づけて不淫欲戒となす。
自性霊妙、不可説の法に於いて、可説の相を生ぜざるを名づけて不妄語戒となす。
自性霊妙、本来清浄の法に於いて、無明を生ぜざるを名づけて不飲酒戒となす。
自性霊妙、無過患の法に於いて、罪過の相を生ぜざるを名づけて不説四衆過罪戒となす。
自性霊妙、平等の法に於いて、自他の見を生ぜざるを名づけて不自讃毀他戒となす。
自性霊妙、真如遍法界に於いて、一相の慳執を生ぜざるを名づけて不慳貪戒となす。
自性霊妙、無我の法中に於いて、実我を計らざるを名づけて不瞋心不受懺謝戒となす。
自性霊妙、一切法中に於いて、生仏の二見を生ぜざるを名づけて不謗三宝戒となす。
出来てないじゃないかどれも そうそう、↓これな
自性霊妙、不可得の法に於いて、可得の見を生ぜざるを名づけて不偸盗戒となす。
自性霊妙、無着の法に於いて、愛着の見を生ぜざるを名づけて不淫欲戒となす。
自性霊妙、不可説の法に於いて、可説の相を生ぜざるを名づけて不妄語戒となす。
自性霊妙、本来清浄の法に於いて、無明を生ぜざるを名づけて不飲酒戒となす。
自性霊妙、無過患の法に於いて、罪過の相を生ぜざるを名づけて不説四衆過罪戒となす。
自性霊妙、平等の法に於いて、自他の見を生ぜざるを名づけて不自讃毀他戒となす。
自性霊妙、真如遍法界に於いて、一相の慳執を生ぜざるを名づけて不慳貪戒となす。
自性霊妙、無我の法中に於いて、実我を計らざるを名づけて不瞋心不受懺謝戒となす。
自性霊妙、一切法中に於いて、生仏の二見を生ぜざるを名づけて不謗三宝戒となす。
↑A ↑B ↑C
と分けて考えると分かりやすいよ
真如遍法界とか無我の法中とか言ってる通り、父母未生自己本来面目がA
Bはその多面的な性分とその仮名、Cが衆生の立場
ABが空観、Cは仮観を言ってるんだよ
仏道は中道なのでABでなければならないと言う偏執を取らない
もとより苦滅が目的だったのだから、当然Cで戒める
仮観の実態は空っぽ、つまり空観であり、それに偏執すると何にもならない
故に
「悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ」なんでしょ >>231
まわりがバカで自分が一番利口だと思っているやつが一番バカである。 有身見と言うのは、仏道初門で失せて当然の邪見の一つ
仏道初門の立場を上座部なんかじゃ「預流向」と言って、入りたての人を言う
この時に解脱を目指す煩悩は三つ
1有身見
2疑見
3戒禁取見
この三つは無我の根本義にあたるので、ここが解脱できてなければ仏道としては未だ入らざる人、と言う事になる
禅の初門だと「父母未生以前自己本来面目」を透過出来るとこの位になる
有身見は「俺、俺の物・事(我・我所)」に拘る我見の事を言う
我見が我執を起こすから「俺が正しい」と拘ってしまう訳
それは「2疑見」をも起こして、仏法を理屈じゃ分かった風でも、信じてないから実際には行えない矛盾を行なってしまう事も意味する
仏を疑ってるって事
だから、「3戒禁取見」に拘り、こうでなければならないとか押し付ける
この押し付けをする人は、例えば達磨一心戒なんかも知ってるだけで行なってない
「自然になるから行うとかナンセンス」的な自動運転論な己義を構える
自然に坐禅は行えないって事実を分かってない
坐禅は行為として意図して行わねば、それは唯のお座りにしかならない
結論、ジャンキーは見跡だったと言う事実 仏道は中道ということ
ジャンキーが一推ししてるのは境地の概論としての空観
これは我々という自我を拭い去ると分かる万象の事実の事
これに対して我々の実際は世間という仮観に生きている
「わたしが居て、あれがあって、好きで嫌いで」という分別する世界が仮観
上記の空観は、今のこの仮観の実態(中身)が実は空っぽだ、と分かる事を言う観法名なんである
だから仮観も同じように、この世界で起こる事をありのままに分析する観法名となる
仏道はこの両者を色んな形で教えて学んで体得するが、両者のどちらにも偏らない事も同時に教える
それが中観と言う観法名の事にあたる
空は事実として弄れないので空なのである
仮は我々が見てるこの世界の事で、一部は弄れそうだが、殆どの物事は手を付けられない
前者は見えないもの、後者は見えてるものと言える
この両者を知って、実際に起きてた不都合を極限まで排斥していく行い・考え方・境地が、中観にあたる
中道とは中観の事を言う
ダメな人が自分はダメだったと気付けるから改心して頑張れる
空観ではダメな人が居ないので頑張れない
仮観ではダメな人が事実だったので諦めるのである
仏道の色んな流派が立てる戒律もそう言う事で立てられているのであり
決して道の人になれば自動で戒律が身に付く、などと思ってはならない、と苦言を呈しておきます >>241
1.法論云々は貴方が言ってきた事だよ?
2.無我を説いたら有身見?
3.執着云々はあ言ってきた事だよ?
4.無相戒の話は以前にした通り >>245
「あなたは拘ってい」、とあなたが拘っているだけ。 >>246
いつもそう。
あなた、新しく覚えた知識を人に当て嵌めて吹聴しているだけでは? >>248
2.執着云々はあなたが言ってきた事
>>250
「あなたは拘っている」と、あなたが拘っているだけ。 カカシちゃんだよな?
あなたの言ってることは過去の経緯からして信用できないの。
自己の本性を煩悩と言い、幽霊と言い、無いと言い…
仏教は無我説。
だのに煩悩(真我)だの幽霊(オカルト?)無い(虚無)と転々と見解を変え
新たに覚えた知識(?)をひけらかす。
俺とポタ公の話に割り込む自由は勝手だけどね。 カカシちゃんよ?
あなたはいつも根本的な事で致命的な勘違いしているよな。
今日も、その一つを指摘しておくわ。
あなたの言う「空観と仮観のどちらにもとらわれない中観(中道)云々」、これな。
龍樹の『中論』での「空」「仮」「中」はどれも同じ意味(縁起性)なの。
鳩摩羅什が翻訳にあたり適宜に違った言葉を用いて説明しただけなの。
つまり、「空」と「中」をあなたのように、断見と常見的な対立概念として
捉えてはならないの。(そりゃそうだよな、同じ意味だし)
中村元先生の『龍樹』(講談社学術文庫で出てる)に解説があるから読んで見たらどう? カカシちゃんよ?
もう何十回も言って説明してるんだけど、「自(みずから)ら」と「自(おのずから)ら」
の違いが全く解ってないんだな。
「自己をはこびて、萬法を修証するを迷いとす。萬法すすみて、自己を修証するは悟りなり」
「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心
および他己の身心をして脱落せしむるなり。」(道元禅師)
あなたは「自己を運びて…」(真我論、常見論)なの。
私が言ってるのは「萬法すすみて、自己を修証する」(無我説、縁起説)なの。 カカシちゃんよ?
>自然に坐禅は行えないって事実を分かってない
>坐禅は行為として意図して行わねば、それは唯のお座りにしかならない
これもそう、根本的なところで致命的な勘違いをしているよ。
顛倒夢想な。
行為として意図して坐れば、唯の坐禅なんて出来ないわ。
自然(じねん)に坐禅(唯、坐る)が出来るまでには相当の修業がいるわ。 232 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 09:08:10.30 ID:UE8IpFr8 [1/5]
ポッったんが正しくないのは同意する
,,,,,,,,((* ̄(エ) ̄)ノ サササッ⌒☆ o*_(x)_)oドテッ!
では、あなたが正しいのでしょうね、正しいとは、どういう事を言いますか?
正しいとは、完全にする、と受け止めています。 >>230 A ちゃん
> さあとつても素敵なサンマーディに出会っても其処に留まろうと意識すれば逃げてしまう、と玉城さんは言う
私庭良くわからんけど 囲碁も勝手放したくなく 堅い守りになり 勝ちから見放される。
意識せず普通のコツコツ難しい。
以下は貼るか夢 関係の妄想 曹洞宗と臨在州サイト見たよ。
で涅槃ネタ 起きて半分寝て半分つまり人間だもの。曹洞宗はそうとう難し
> い坐禅臨在宗は涅槃ネタ見ただけ。今朝は早く眼が覚めてしまった。そういえば夢の中で私が人に偉そうにしゃべっていた。
> 国々の厄介な政治問題は全て自国の利益の為の観点からしか見ない其れが原因と、損な事は誰でも解っているのだ当たり前
> だ。みんな自国を守らないと他国に潰される死、理想では国も生きて意見と言っていたような平凡な夢の中だつた。掟半分
> ネタは?半分じゃ無い全部つまらない現実社会の夢つまらない夢だつた。死んだら浄土真宗信じる人は阿弥陀に導かれる死、
> 曹洞宗は坐禅に導かれる死、臨在州は棒で叩かれる死、キリスト教はイエスが導く死、あの世でも信じる者は掬われるなら、
> 無宗教の人は困らないのか?何か困らないこの世と似たようなご縁がある身内や社会や煩悩に導かれる死なのかも。それじゃ
> 輪廻転生決定的なのか?まあよいか色々好きなところに良ければ良い。根が暗い人は地獄を見るけど地獄が好きなのかも?
> 文合成して無関係長くした。今は貼るだけど夏の日の午後パクった師 https://www.youtube.com/watch?v=c3Ux83iBtrQ
> 雲を掴もうと苦悶してもしょうがないそんなことまあ良いか春だしいい景色だし
ごめん、目が痛くなって読めない。。┏○ペコ >>253
>だのに煩悩(真我)だの幽霊(オカルト?)無い(虚無)と転々と見解を変え
全部実体のないものを「有る」と勘違いしてる顛倒の事でしょ
読み違いしてるのは君ですよ
苦は無記ですから、その苦を成立させる煩悩も、煩悩から妄想を展開させる幽霊も
有無のステレオタイプも、みんな無記である苦を無記に於いて成立させてるだけでしょ
仏道は真我を説かないから、煩悩を真我だと解釈しないですよ
それをしたのはわら人形論法使いの君でしょう
>>255
>龍樹の『中論』での「空」「仮」「中」はどれも同じ意味(縁起性)
そうやって縁起を実体視するのは一闡提でしょう
>つまり、「空」と「中」をあなたのように、断見と常見的な対立概念として
空諦と中諦、それと断常二見で迷ってる訳ですね君は
>中村元先生
どうして権威に縋るんでしょうね
話になりません 229 返信:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 07:51:53.79 ID:V4lhENf7 [3/3]
>>218
いやいや、秩序整然(活殺自在!)と棒の受け渡し(主客歴然!)がされているけど。貴方には棒が見えないようで。 』
それは棒の力でしょうか、暴力。。
あなたはどう答えるのですか、あなたのp言葉で。。そこ 試験に出ますよ。 228 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 06:57:21.96 ID:V4lhENf7 [2/3]
>>206
意味が分かりません。 』
すぐ意味が分からなく人ですね。
ウイッキさんと言う助っ人を呼び出したでしょう、その事を言ってるのですよ。自説補強と言うものでしょうから。俺以外にも、みんなが言ってんだぜ、って、虚勢を張った、ポーズした、所が見えましたよ。ハイ、ポーズ。 多分彼は「無記」も勘違いしてて、「釈尊が語らなかった事」のみを無記と言うのだ、的に噛みついてくるでしょう >>262
(>>253の部分)
自性の話をしているの。
自性が煩悩とか幽霊とか無い(存在しない)と言ってのはあなただよ?
(>>255の部分)
は?
空・仮・中(いわゆる三諦偈)については、龍樹本人が『中観(第24章・第8詩』で
同義としている(原文参照)し、同じく龍樹本人が『廻諍論』で同義としているが?
お前は龍樹本人が言ったことを否定するのか? >>265
批判する自由はあるけど、批判するなら明確な根拠を示しなよ?
あなたのそれは中傷だよ。 >>229
「秩序整然(活殺自在!)と棒の受け渡し(主客歴然!)がされている」が俺の見解だけど? >>228
最初からそう言えば何の問題もなかったでしょ?
虚勢云々は貴方の問題だな。 何かいつのまにか仕様が変わったね・・・。
相変わらずこの板だけお絵描きできないな・・・。 243.
バカでないところの仏を中傷するバカがいる。
バカから解脱して仏にならないと理解できないよ。 >>262
>苦は無記ですから、
…えっ?
苦は形而上学の問題か?
失礼だけど、四諦って知ってるか?
あなたはいつも根本的なところで致命的な勘違いをしてるけど… 227 名前:ジャンキー大山[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 06:43:01.79 ID:V4lhENf7 [1/3]
>>210
隻手の公案は法身の公案と聞いてますが。即ち法身は無相。一の如しなどという見解(有相)ではないのです。あなたのそれは共感(感動)体験でしょうが、隻手を聞いた体験とは言えませんね。 』
初関を透る、ですね、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は。
わたしは、聞き、
いまは、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は、聞こえません。
あなたは、聞きましたか!? 272.
私はバカである。
だが仏である私はバカではない。
バカには理解できない論理である。悟れ、や。 >>274
違うな。
「両掌打って音声あり、隻手に何の音声かある」(白隠禅師)だよ。
師家に聞かせて認められるのを「初関を透る」というんだよ。
俺の初関は「無字」だったけどね。
で、聞きたいか? 276.
師家に聞かせて認められる、か。
バカ師家が認定しても、それは無価値である。
その内容による。合格するか否かは。 >>274
>わたしは、聞き、いまは、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は、聞こえません。
これ、わかり易く説明してもらいたいね。
>>199と>>201を踏まえたうえでどういうことなのか。 278.
拍手の音は物理学の問題である。
それは宗教の問題ではない。
そこに執着することが落第である。
悟っていないことの証拠となる。 >>276 邪鬼 さん
> >>274
> 違うな。 「両掌打って音声あり、隻手に何の音声かある」(白隠禅師)だよ。 師家に聞かせて認められるのを「初関を透る」というんだよ。 俺の初関は「無字」だったけどね。 で、聞きたいか?
山川草木国土悉有仏性。と伺いました。まさか、あの門前の痩せイヌにも仏性が有るのでしょうか、どうですか。 280.
犬には仏性がない。
人間にも仏性がない。
天台教学は誤りである。 >>278 邪鬼 さん
> >>274
わたしは、聞き、いまは、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、は、聞こえません。
>
> これ、わかり易く説明してもらいたいね。 >>199と>>201を踏まえたうえでどういうことなのか。
説明って、観光案内板のようなものを言うんでしょうか。。(ノд-。)あぅ。。 282.
音を聞いても、聞かなくても、どちらでも良い、ということである。
音から解放されている、ということである。
解脱している、ということである。 >>280>>282
余計なお世話だろうけど、訊ねている事にはちゃんと答えてもらいたいね。
当たり前だけど、反証が無ければ事実は認証されるから。 >>282
今まで何度も注意してきたけど、「片手の人が叩く拍手の音を聞き、今は聞こえない」と
言うのは構わないけども、それは禅宗でいう「初関を透る」とは一切関係ないから。
根拠は先に検証した通り。 碧巌録(へきがんろく) 第七十六則 丹霞、甚麼よりか來たると問う
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
丹霞、に問う、甚處よりか來たる。
云く、山の下より來たる。
霞云く、飯を喫し了る也(おわるや)未(いまだしや)。
云く、飯を喫し了れり。
霞云く、飯を將ち來たりて汝に喫せしめし底の人、還た眼を具せしや。
語無し。
長慶、保に問う、飯を人に喫せしむるは、恩を報ゆるに分有り。爲什麼にか眼を具せざる。
云く、施す者と受く者と、二り倶に瞎漢なり。
長慶云く、其の機を盡し來たるに、還た瞎(がい・片目・目が見えない)と成る否。
云く、我は瞎す、と道いて得しきや。
第七十六則 丹霞飯を喫すや未だしや
試(ここ 試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
丹霞、僧に問ふ、甚れの処よりか来る。
僧云く、山下より来る。
霞云く、飯を喫し了るや未だしや。
僧云く、飯を喫し了る。
霞云く、飯を将ち来って汝に与へて喫せしむる底の人、還って眼を具する麼。
僧無語。
長慶保福に問いふ、飯を将って人に与へて喫せしむ。恩を報ずるに分あり。什麼としてか眼を具せざる。
福云く、施者受者、二倶に瞎漢。
長慶云く、其の機を尽くし来らんに、還って瞎と成らんや否や。
福云く、我を瞎すと道ひ得てん麼。
⇒ 両目と片目、
目明きと目くら、
そんな分別、あるもんか。
>>284-285 邪鬼 さん
> 俺の初関は「無字」だったけどね。 で、聞きたいか?
((((゚∀゚(。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚(。_。∀゚(。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚)ウンウンウンウン!!!!
今回は、どうか聞けますようにナムナム (⌒人⌒)ポクポクチーン
このお寺に入って 山川草木国土悉有仏性。と伺いました。 でも まさか、門前のあの痩せイヌにも仏性が有るのでしょうか、無いですよね、どうですか。 272.
私はバカである。
だが仏である私はバカではない。
バカには理解できない論理である。悟れ、や まことは、偉いのう
自分でバカで言えるのは偉いのじゃ
まさしく、仏であるおまえさんは、偉いのじゃ バカと言えるところまではいいんだが
そこまでは、な
仏である私はバカでない、と、言っている
ところが進歩ないなww >>275
今ここに書き込んでるのは、バカなあなたの方ですよね、仏でなくて。
納得しました、ありがとうございます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています