キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net
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ゲス下等な老婆・目時英子こと荒井英子とかいう山出しは、
既に天譴を受けて地獄に落ち腐ったぞ!
当然の報いだがな。 2008年(主日A年) 9月21日 年間第25主日
イザ 55:6〜9 フィリ 1:20〜24 マタ 20:1〜16
「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」(フィリ v.20)
“イエス・キリストは主である”(フィリ 2:11)という信仰宣言は、神であるキリストが、自分を無にして僕の身分になり、へりくだってわたしたちの罪のために死んだこと(Iコリ 15:3)、
わたしたちがその血によって贖われ、罪を赦されたこと(エフェ 1:7)への教会の信仰表明なのです。
このキリストを宣べ伝える(フィリ 1:15)ために、使徒パウロは 「生きるにも死ぬにも」 益となることを、自らの殉教の日の差し迫る中で願いました。
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。」(イザ v.6)
神はただ自らの栄光のために人の罪を取り除き、その気前の良い恵みによって救いを与え、御自分の民を贖われるのです。
キュロスによるバビロン征服とペルシア帝国成立(BC.539)に至る歴史の動きを、大きな期待と緊張の中に待ちつつ(イザ 41:1-5,45:1-8)、預言者は民に 「主に立ち帰る」(イザ v.7)信仰を訴えました。
その預言が、時代を超えて現代の教会に呼びかけています。
自分たちは御国を受け継ぐために、五時頃に雇われたこの最後の労働者たちであるという原始教会の信仰へと、私たちが立ち帰ることを。
「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」(イザ v.7)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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人 2014年(主日A年) 9月21日 年間第25主日
イザ 55:6〜9 フィリ 1:20〜27 マタ 20:1〜16
「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。」(フィリ v.27)
新約聖書において “信仰” とは、ある主義や主張、教えなどに従うということではありません。
そうではなくて、それは “神のことば” を聞いて、理解し、受け入れること、信じることです。
しかもこの “神のことば” とは、「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく」(IIコリ 5:19)と宣べ伝えられている 「信仰の言葉」(ロマ 10:8)です。
ですから先ず、「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」(ロマ 3:25)という “福音の宣教” があって、
その上で 「信仰は聞くことにより、しかも、その宣教(キリストの言葉)を聞くことによって始まるのです」(ロマ 10:17)。
このように “信仰” とは、宣べ伝えられたキリストの福音への応答であって、「キリストの日に備えて」(フィリ 1:10,2:16)そのような信仰の応答に生きる歩みが、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送る」 と表現されているのです。
復活されたキリストは、現代の教会が “使徒たちの宣教” に耳を傾け、信じて救いを受けることが出来るように(ロマ 1:16)、今も聖伝と聖書を通して語り続けておられます。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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× ロ α ノ こ >>115
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/
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748 :老クリスチャン[] :2017/09/23(土) 12:07:56.80 ID:ZE+n+Tqm
2011年(主日A年) 9月18日 年間第25主日
イザ 55:6〜9 フィリ 1:20〜24,27a マタ 20:1〜16
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。 ・・・・・ 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」(イザ vv.6-7)
教会がその信者たちに “悔い改める” “回心する” ということを教えて来たことは、だれもが知っています。
しかし、それが “神に立ち帰る” ことであることを、多くの人が知りません。
先月やっと、フランシスコ会訳の 「聖書(合本)」 が発行されて、名実共にカトリックの “原文校訂による聖書” が入手可能になりました。
多くのカトリックの子らが “自分で” “聖書全体にわたって読む” ようになり、すでに耳慣れたこの “回心する” という言葉の本来の意味を、正しく理解するように願わないではいられません。
私のインターネットサイトには、先月初めからその紹介ページを掲載していますが、その中に次のような一文を書いておきました。
「どうか皆さまが、読みもしないで万歳だけを叫ぶ “愚かなカトリックシンパ(党派心による護教家)” になることがありませんように。」
この 「聖書(合本)」 の緒言にある次の言葉は、現代の日本カトリック教会の信者一同への、まさに主の呼びかけに外なりません。
「この聖書が、生活の歩みの中で、日々の祈りの中で、またキリスト者並びにキリストに惹かれる方々の家庭の中で座右の書となり、人々に感銘を与え、その心を動かすことができますよう、研究所一同心から祈るものであります。」
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
ローマカトリック教会20170328
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/748
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3 老クリスチャン[] :2017/09/23(土) 17:16:59.33 ID:ZE+n+Tqm
カトリック吉祥寺教会といえば、以前(多分10年以上前)に WebSite に掲示板があって、私もどんな書き込みがあるかと興味を持って見ていました。
ところが狂信的なカルト信者の書き込みが続いて、やがて閉鎖されてしまいました。
現在の吉祥寺教会の WebSite では、教会報からの抜粋ぐらいしか発信がなくて、私は淋しく感じています。
せっかく 2ch にスレッドが作られたのですから、吉祥寺教会の真面目な信者さんからの発信が書き込まれるのを期待したいと思います。
【東京】カトリック吉祥寺教会【吉祥寺】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1503910696/3 2002年(主日A年) 9月29日 年間第26主日
エゼ 18:25〜28 フィリ 2:1〜11 マタ 21:28〜32
「弟は “お父さん、承知しました” と答えたが、出かけなかった。」(マタ v.30)
主イエスはエルサレム神殿の境内で、祭司長や民の長老たちと語っておられました。
マタイ福音書がここで想定しているのはユダヤ人(古きイスラエル)のことであります。
旧約聖書によれば、かつてイスラエルの民はシナイ山でモーセの律法を与えられたとき、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」(出 24:7)と宣言しました。
そのユダヤ人の多くが、当時イエスを救い主として受け入れる教会の信仰を拒否していました。
ヨハネが示した “義の道”(マタ v.32)とはキリストの福音のことであり、マタイ福音書では “義を求めること” と “神の国を求めること” は一つです(マタ 6:33)。
このキリストの福音にユダヤ民族はつまずき、彼らは折り取られた枝のようになりました(ロマ 11:1,20)。
それにひきかえ、イスラエルの民に属さず、神を知らずに生きていた異邦人(エフ ェ2:11-12)は、「後で考え直して」(マタ v.29)キリストの福音を受け入れ、神の国を受け継ぐ者(エフェ 3:6)となったのでした。
教会は実にキリストの福音を信じる信仰によって立っているのです。
それで使徒パウロが次のように言いました。
「わたしは福音を恥としない。 福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ロマ 1:16)
神はユダヤ人であっても異邦人であっても、イエス・キリストを信じるすべての人を義とされるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>143
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Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
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老クリスチャン
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l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 「安心しなさい。 わたしだ。 恐れることはない。」
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エゼ 18:25〜28 フィリ 2:1〜11 マタ 21:28〜32
「聞け、イスラエルの家よ。 わたしの道が正しくないのか。 正しくないのは、お前たちの道ではないのか。」(エゼ v.25)
現代だけではなくていつの時代にも、“神は正しくない” “神は当てにならない” と考えたり感じたりする人たちがいました。
口に出して言わないだけで、多くの信者が実際この種の疑問を心に抱いているのです。
なぜなら多くの人は、「神のことを思わず、人間のことを思っている」(マタ 16:23)、つまり結局は、自分を中心にして物事を判断するのが常だからです。
しかし、信仰は向こう側にいる神との取引(give and take)ではありません。
神が私たちの信心や善き業を評価して、救いや幸せを与えてくれるのが当然だと考えていると、しばしば当てが外れます。
私たちには神に “どうして世の中をこのように造ったのか” と抗議する権限がないのです(ロマ 9:20)。
しかし、「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(エフェ 1:3)
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。 これは神の豊かな恵みによるものです。」(エフェ 1:7)
主の道は正しいのです。
ただし、「それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(ロマ 1:17)
「栄光が神に永遠にありますように。」(ロマ 11:36)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>151
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< 老クリスチャン! 老クリスチャン! 老クリスチャン!!! >
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エゼ 18:25〜28 フィリ 2:1〜11 マタ 21:28〜32
「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリ vv.8-9)
古きイスラエルがその不従順のためになし得なかったことを、「神はしてくださったのです。 つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、 ・・・・・ 。」ロマ 8:3)
十字架の死に至るまでのキリストの従順は、「それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(ガラ 4:5)
私たちキリスト者が現在 “神の子” と呼ばれるのは、自らの善い業や功績によるのではなくて、このキリスト・イエスに結ばれて “新しい命に生きる” ことによるのです(ロマ 6:3-11)。
人間は本来すべて神の子であるとか、神はすべての命ある者の父であるから、これを保護し守ることは当然であるというような考え方は、キリストの福音とは何の関係もない人本主義的思想であることを、ここで強調しておきたいと思います。
父への従順は御子キリストに押しつけておいて、
自分は何でも我が儘な要求をお願いすれば “都合の良いように” 答えてくださるのが神であると ・・・・・ 、そんなふうに安易に考えているような傾向が、多くの信者の通俗的な信仰理解だとすれば、それは空しい迷信でしかありません。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>155
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
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ノ つつ 老 ) 老栗 チャッチャッチャッ♪ 老栗 チャッチャッチャッ♪
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† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
---- 老栗さんがいないと過疎る。 キリスト教はオワコンwwww
887 :老クリスチャン[] 投稿日:2017/10/04(水) 18:03:07.64 ID:U+k/VRcC
2005年(主日A年) 10月2日 年間第27主日
イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
イエスはこの譬え話を、有名なイザヤ書のぶどう畑の歌からの引用によって語り始められました。
当時の聴衆たちが、主のぶどう畑がイスラエルを意味することをよく知っていたので、祭司長たちやファリサイ派の人々はそれが 「自分たちのこと」 であるとすぐに気づいたと報告されています(マタ 21:45)。
主イエスは間近に迫っていた御自分の死と、その後にやって来るユダヤ社会の瓦解を、この譬え話で予告されました。
初代教会の伝承の過程で叙述が幾分か押し広げられたために、ユダヤ人が退けられて異邦人が選びに入れられたという理解がより明確にされ、詩 118:22-23 の引用がキリスト証言のために付け加えられたと考えられます。
宗教的指導権は、今やユダヤの権威者たちからキリストの使徒たちに移ったというのが、初代教会の見解でありました。
カトリック
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486378456/887 2002年(主日A年) 10月6日 年間第27主日
イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
主イエスのぶどう園と農夫の物語りには、その元になっているよく知られた古い譬え話がありました。
それが イザ 5:1-7 です。
イザヤはウジヤ王が死んだ年(BC.742)に預言者としての召命を受けました。
この召命の際に、彼は自分が自らとその民との咎と罪から清められた経験をしました(6章)。
そして彼はイスラエルの民にその咎と罪を語る預言者として遣わされたのでした。
今朝のテキストは、このイザヤの最初期の預言の一つです。
イザ 7章 に語られているアラム・エフライム戦争(BC.734)が起こるよりも前の頃で、表面上は平和な繁栄した時代であったと思われます。
この預言の場面はぶどうの収穫祭で、何人もの歌い手たちがそれぞれ自慢のバラードを披露する中に混じって、イザヤも登場します。
彼も自分の歌を歌い始ました。
祭りに集まった人々はなにも知らずに耳を傾けます。
「わたしは歌おう。 わたしの愛する者のために、そのぶどう畑の愛の歌を。」(イザ v.1) (つづき)
ある友人のぶどう畑についての歌だと思わせながら、イザヤは譬え話を歌って行きます。
その友人は最上の収穫を期待して、ぶどう畑のために十分な投資を惜しまなかった。 それなのに、 ・・・・・
「実ったのは酸っぱいぶどうであった。 さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ、わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。」(イザ vv.2-3)
人々は、やがてそれがただの彼の友人のぶどう畑の話ではないことに気付き始ます。
イザヤは最後にこのぶどう畑への呪いの言葉を歌います。
「雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。」(イザ v.6)
それは嘆きと悲しみの中でダビデが歌った “弓の歌” を思い起こさせる(IIサム 1:21)歌詞でありました。
そして、ついにイザヤの預言がさく裂します。
「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。」(イザ v.7)
この物語りを前提にして、主イエスはぶどう園と農夫の譬え話を語られました。
・・・・・ 以下、本文参照。
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>>1 :神も仏も名無しさん[] :2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
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/`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´ 2011年(主日A年) 10月2日 年間第27主日
イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。」(イザ v.7)
毎年その季節になると、労働者たちはぶどうの実を “損なわないように” と大切に収穫します(イザ 65:8 参照)。
詩編の表題に登場する “滅ぼすな” は、そのような当時の労働歌のメロディーを指していたようです(詩 57 他)。
収穫されたぶどうを、人々が一かごずつ圧搾場まで運ぶときにも、搾られた果汁を順に山羊の革袋に詰めていくときにも(マコ 2:22 参照)、人々は収穫祭の歌を歌ったに違いありません。
その群衆に混じって、恐らくイザヤはこの “ぶどう畑の歌” を自ら歌って人々に聞かせたものと思われます。
歌が終わりに近づくと、それは突然神の断罪の言葉になりました。
それは主の預言者の言葉でした。
私たちはかつてナタンがダビデ王に向かって、“その男はあなただ”(サム下 12:7)と言った断罪の場面をここで想起します。 (つづき)
イスラエルがぶどう畑やぶどうの木に譬えられるところでは、それはいつも神の期待への裏切りや、それに対する神の断罪が、嘆きをもって語られるのが常でした(エレ 2:21、エゼ 15:1-8 他)。
旧約聖書はもう一つの表現でイスラエルを描いています。
「主はあなたたちを選び出し、 ・・・・・ エジプトから導き出し、 ・・・・・ 御自分の嗣業の民とされた」(申 4:20,9:29)、「イスラエルはその方の嗣業の民である」(イザ 63:17、エレ 10:16)。
神がアブラハムとその子孫に与えてくださった聖地(カナンの地)もまた、イスラエルの嗣業と呼ばれています(詩 78:55,105:11)。
これらすべてが、今朝の福音朗読を理解する前提になっているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
「農夫たちは、その息子を見て話し合った。 “これは跡取りだ。 さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。”」(マタ v.38)
ここで相続財産と訳されている語が、旧約聖書のギリシア語訳(LXX)で使われている κληρονομία(嗣業)であり、跡取りと訳されているのは κληρονόμος(その嗣業の相続人のこと)であることに注目することは、非常に重要です。
つまりこの譬え話は、ただの略奪や殺人というこの世の犯罪のことを取り上げて、道徳や社会正義を論じている話ではないのです。
新約聖書が述べている、私たちキリスト者が受け継ぐ κληρονομία(嗣業)とは、来るべき神の国あるいは永遠の命と呼ばれていて(マタ v.43,19:29,25:34)、これは全く終末論的な概念です。
私たちは “キリスト・イエスに結ばれて”(ロマ 6:3,11)神の子とされたので、今やこの嗣業の “キリストと共同の相続人”(ロマ 8:14-17)となりました。
ところが、神のぶどう畑であるはずの現代の教会が、嗣業の相続人であるキリストにではなく、教会が置かれているこの世界に対して良いぶどうという収穫を納めようとして(マタ v.41)、
人間の善意と能力によって正義と平和を実現出来るのだという幻想に支配されているとしたら、
それは正にこの譬え話の主題 “これは跡取りだ。 さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう” が、そのまま再現されていると言わなければなりません。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>195
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キリスト教徒がはげましあう場所
キリスト教徒が禿増し合う場所
この励ーーッ!この励ーーッ!コノコノコノコノ ハゲハゲハゲハゲ ♪
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|_|;;| |_|;;| |_|;;| |_|;;| *老クリスチャン氏降臨*
53 :老クリスチャン[] :2017/10/07(土) 12:01:12.30 ID:1YgXqvTv
>>51-52
シラ書 3:21-22 ですよ。
聖書を読んだことのないくせに、教会のことに口出しすることこそ、まさに 「お前の力に余ること」 です。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1506697599/53 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています