暗黒期の阪神ってどれだけひどかったの?★7
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まあ、04年がダントツのラビットだったのと
03年シモは久々のイニング消化、斉藤もはじめての
主戦だったんで、十分回復しなかったんだろうか。
毎年ちゃんと働いた藪はえらいわ。凄い年はなかったけど。 斎藤は改めて見ると2006以外はそんな大した成績じゃないな
勝率が異常ってくらいで、2006以外は飛び抜けてるわけじゃない
150回以上投げたのも3回しかない
酷使で壊れたイメージがあったがそうじゃないな >>474
藤田平は虎風荘の食事の改善を訴えたせいでフロントに嫌われたという話もあるけど
平時ならともかく阪神大震災直後で本業が回復できるかすら不透明な時期にそんなこと言われても
電鉄サイドとしてはそんな余裕のない時期に何言いだすんだって話だよなあ 藤田のコミュ力や顔つきは暗黒阪神で
監督やってはいけない感じであった。
95年秋、正式に要請された際の言葉は
「火中の栗を拾ってください」
「数年は成績不問、藤田イズムで改革してください。
我々も出来る限りバックアップします」だった。
これは反故にした久万が悪い。最下位確実評価で
マスコミ受けしなそうなのは最初からわかってたのに。
ゆるゆるでカメシン遅刻しまくりとか若手の体格が悪い
みたいな低次元な事切り込んだだけで大騒ぎになった。
グレンクールボー見切っててオフに替えるよう主張したが
平塚でお茶濁されたりw
諦めてた北川平尾が余所で伸びたのもわかる気がする。 >>486
鬼平が正式に監督に就任した96年てほとんどの評論家(阪神OBも含む)が最下位予想だったが、シーズン成績は54勝76敗で最下位にしてはまだ、様になっているほうだな。まあ、チームとしての希望の光はほぼ皆無だったが。 96年後半戦は5割近く勝てており、
川尻や桧山の飛躍、平塚の戦力化などがあった。
変則中継ぎ課もこの頃創設されたw
と言って翌年期待できる布陣ではなかった。 1996年
チーム打率.245(リーグ6位)本塁打89本(5位)454打点(6位)482得点(6位)
防御率4.12(5位)579失点(3位)
とにかく点が取れないから、シーズンを通して防戦一方という印象だった
決壊寸前の堤防をず〜っと支え続けてるような試合ばっかり
たま〜にグレンや平塚の満塁弾が出て救われた 藤田平は03年優勝後にフロントに「ノムさん星野さんも同じこと言うてましたわ」と言われたらしいね
いかんせん、政治力が無さすぎた まあ藤田平の抜擢がなかったら桧山とか関川なんて控え選手のまま20代で選手生命終わってた可能性あるし。
さすが打者の才能を見抜く目はあったな。 藤田平はグレンクールボーに挿んで桧山四番とか、関川一番とか大胆な起用したからな。 桧山は
新庄故障、石嶺引退間近、亀山終了で
まあ自動的に。
高波も.250打てたらレギュラーなれたのおw 酷いって言っても相対的なもんだからな
この時期の阪神の選手がサッカーとか競技人口多いのを除いた他のスポーツに、野球の才能を変換できたとして移ったら圧倒的なトップ選手になったりするだろうから酷いって言うのもちょっとな 強豪野球部のレギュラーに
ウインタースポーツやマイナー格闘技をやらせたら・・・ 藤田平は見た目からして昭和の頑固親父って感じだった 桧山のライバルがことごとく怪我やら超絶不振やらで
シーズン半ばころからは結局桧山が出てた気がする グレンクールボーが二人でつるんで手を抜きまくってるのに頭きて、
フロントにしつこく言ってようやくシーズン途中にクビにしてもらったが、
代わりに来たマースクレイグが結局アレでは・・・ わがままだったけど結果だけは残してたオマリーの方が良かったとはな
ヤクルトでも我儘だったそうだけど 鬼平の頃の虎風荘の食事って大学教授に見てもらったら
「老人ホーム並み」
って言われたらしいからな。
そりゃあんな華奢な選手しかいなかったわけだわ。 長崎慶一が阪神はおかわりし放題って書いてたのは
虎風荘じゃなく球場の選手食堂? プロ野球選手なんて身体が資本なのに酷い話だなケチでもせめて食うもんには力入れろよ
同じころの近鉄なんか恰幅のいい選手が多くて羨ましかったなこっちはケチでもちゃんと食事には気を遣ってたんだろ >>503
グレンクールボーって2年目そんなことになってたのか
真面目な助っ人だと思ってたのに たしか95年のドラフトって逆指名バブルで、
1位の船木はまあ素材的には文句なかったけど、
2位、3位とか箸にも棒にもひっかからない奴に1億以上の契約金払ってたな。
名前忘れたが、二人もと二、三年で消えた。 中ノ瀬・林は藤田が裏事情暴露してたな。
たしか2-4位は全員東海地区スカウトに花持たせる
指名だったのよ。震災後でマネーゲームもでけんし
情実でまとめちゃったw
「中ノ瀬スゴいですよ!フォークは50p落ちます。即戦力」
藤田「ブルペンで大した球じゃないのは一瞬でわかった。
仕方ないから使ったら案の定全然通用しない。笑いましたよ。
担当スカウトは結構な賞与手にしたはずです」 グレン
1995年、打率.256、23本塁打、77打点
1996年、打率.237、*5本塁打、18打点
クールボー
1995年、打率.278、22本塁打、77打点
1996年、打率.210、*2本塁打、16打点
クレイグ
1996年、打率.267、*3本塁打、12打点
マース
1996年、打率.245、*8本塁打、42打点
1995年のグレンとクールボーは、この数字を見る限り
フロントが残すのも分からないではないかな
しかし、藤田平監督は弱点が見破られて翌年は通用しないと見ていて
実際にその通りになってしまった グレンは95年4.5月、オマリーより上じゃんw
てかこのオッサンいなかったら87年以下やなと
思って見てた。7月頃から攻め方か状態かしらんが
まったくダメになってた。クールボーガは逆に終盤
残留パワーで打ちまくったwサードの守備がヘタだった。
マースこそ置いといてもよかった気がする。
代わりに来たのが3Aで毎年200ぐらい三振してるやつw
90年代後半は日本野球がピークに達したんだろうな、
外人打者が容易に当たらなくなった。 グレンクールボーが舐めたのは分かる気がする。
カスなバッターしかいなくて秩序もないしファンは
アホなんやもん。震災もあって場末っぽく見えたかも。
石嶺桧山新庄関川和田久慈とかショボい体格だったし。 舐めて250の20本打てる打者なら全力でやって2割切るようなのより遥かにマシだろうに
どうせ強くならない勝つ見込みないチームなんだから真面目に戦力を求める必要など無かった オマリーとかグレンクールボーとか、その他が
「日本の阪神という球団はチョロいぜ。適当にやってりゃカネ稼げる」とアメリカで噂話広げまくったんだろう。
それでとうとう次の年はグリーンウェルなんて究極の詐欺師がやってきたw グレンのwikipediaが充実しまくってるのは謎 仮に当時の阪神にウッズやペタジーニみたいなのが入って1年間フルに必死に働いた所で順位1個上がるぐらいがせいぜい
元から意味のない投資だった 昭和の日本ハム
親会社から豊富な肉が送らてきてキャンプの食事は豪華だった模様
とんかつ→しゃぶしゃぶ→すき焼き→ステーキのローテーション。 まあ、95年の両外人はそう悪くないが
他の打者が圧倒的に壊滅だったからな。
関川久慈の数字は割といいが大した力じゃないし。
投手の数字は普通だな。完封負けの連続で7月から
弾みがついたように負けが止まらなかった。
打線がゴミなのは猿でもわかるのにドラフト1-3位は
投手で打者は平塚拾って補強完了w
平塚八木新庄桧山の外野で1年戦えるわけないやんw 山崎一玄と竹内て被るな
中村は亀新中込ら若手の活躍に味を占め次々
青田刈りの様に若手を送り出していた時期だつた
事実、ベンチの中村は名伯楽の様に自信ありげで
クラビアアイドルを次々送り出す、ほんのりヒゲを
生やしニンマリしたスケベ社長の雰囲気だつた
少々貧乳や顔が悪くてもメインと抱き合わせで
売れると言う心得のやうに、山崎鮎川少々
難がある奴でも勢いに任せていた時期だつた
就任以来ようやく中村色が出た時期だつた
そんなエロ雑誌の様なヤングパワーの職場となりつつあつたタイガースが
またクラスの陰キヤとなつて平塚など余所の小石拾いを始めた。
本西星野佐々木吉田谷中…と、来る日も来る日も小石を拾つた 1995年セリーグ本塁打数
ヤクルト147本、広島166本、巨人139本、横浜114本、中日136本、阪神88本
やっぱりダントツで長打が足りない
シーズン100本を切ってしまうと、得点が500に乗らないんよ 今日の亀山野郎は割と面白いじゃん。
青田刈りの様に若手を送り出していた時期だつた
事実、ベンチの中村は名伯楽の様に自信ありげで
クラビアアイドルを次々送り出す、ほんのりヒゲを
生やしニンマリしたスケベ社長の雰囲気だつた
この辺は、まあそうだ。
94年は苦し紛れのベテラン勢も狂い咲きして
歪な構成ながら勝率を稼いでいた。
95年で打線の弱体が暴露された。
523も言うように数人故障や不振者が出ても
1試合平均4点取るよう補強してないと勝負にならない。
一三塁の外人と外野手で最低90本打たないと
ただのつきあいで1年が終わる。
92年みたいに防御率2.90なんてありえないわけで。 吉田の他球団の移籍者偏重も嫌だつたし違和感あつたな
平塚吉田剛や上詰
拾つて来た物をすぐ主力にしたし
生え抜きの奮起を促す物では全くなかつたし
前から弘田や長崎を偏重して北村や吉竹の若手を干すなど
兆候があつた 日本人野手本塁打数
92年:49本
93年:56本
94年:59本
95年:43本
96年:71本
97年:85本
98年:66本
99年:67本
00年:88本
01年:71本
03年:103本
05年:112本
08年:77本
92年は投手とオマパチョのおかげ。
95年は外人いなかったら勝率3割切ったかも。
97年は借金11。外人がまともなら面白かったかな。
08年は外人も6本…戦力の割によく戦ったと思う。 >>508
同時期のダイエーも暗黒真っ盛りで、チーム自体も殺伐としてたが、個々の選手の体格は阪神とは比べ物にならないくらいがっちりしてたなあ。特に野手陣に関しては、体格、洗剤能力とも大人と子供の差があった。 05年て意外と少ないな
HR数は03年に勝ってると思ったが しかし吉田はなんであんなに関川を干したんだろうな。
田尾が「阪神で一番打てる打者なのに、なぜかスタメンで使ってもらえないんですよね」と皮肉ってた。
何が気に入らなかったんだろうか。 関川は藤田時代から干されてたかな
投手が打たれるのは関川の責任だと言われてた気がする
暗黒期も防御率は3位か4位で総じて良かつた気がするが >>507
遠征先のホテルだろ
長崎が二軍寮にいるわけないから 関川
93年は2割打てない山田に替わりメイン
そのまま順調で95年は規定打席。
96年あたりからスローイングやリードに
苦言が出始め後半戦は.190の山田が正捕手。
97年は捕手志願も定詰が来たりで完全に外野扱い。
山田が強肩でもなくヤクルト戦翻弄されたりしてて
傍目にはわざわざ起用する意味がわからなかった。
引退後山田がキャリアの割に他球団で要職やったりしてて
人間的に立派だったんだろうな、と思った。
当時の外野は新庄桧山平塚で、そりゃ一発ある方とるかな。 どっちにしろ同じリーグに移籍して330打っちゃうんだから、
吉田は、イチロー干した土井並みに赤っ恥だろう。
そういや張本が、関川がレギュラーに定着した頃
「私は今ね、一番上手い打者はイチローかこのこの関川かと思ってるんですよ」
と絶賛してたな。 どうだろうな。
99年はVと仙一におだて上げられノリにのった。
言うてもOPSは.812で盗塁成功率は.645。
その年と97年以外は外野手として平均以下の攻撃力。
久慈もすぐ控えにまわったし。
坪井で穴埋めした阪神が本質を取ってたかもよ。 1997年捕手別勝率
関川:21勝21敗
山田:33勝37敗
定詰:*8勝15敗
藪のYouTubeチャンネルでは、配球は自分で考えるから
打てる関川が良かったという話をしていた 藪と関川は仲良かったな。
94年5月頃は二人共若く弾けるようだった。
関川は年下格下に信頼されなかったかもしれんな。
投手のリクエストで山田希望が多かったっつーし。
野村「就任した際、定詰と北川は論外だと思った」
「矢野と山田は捕手としてそう差は無いが打撃で矢野になった」 藪と言えば
「貧打のせいで勝ち投手になれない被害者の会」
代表だったな >>533
長崎は選手時代もコーチ時代も単身赴任で虎風荘住まいだったよ >>532
そうやね。
負広から監督代行になって即山田にしたな。だが早々に大怪我して関川にせざるを得ない状況。
翌年、山田が復帰したら矢張即代えた。 関川は猿っぽくてスター性が皆無だった。
同じ猿でも岩田とかは可愛いんだがな。 >>535
中日が優勝した年(99年?)限定でみたら阪神の失敗トレードだが、
結果的に矢野を獲得できたんだから阪神側の成功だよ 矢野で獲得した関川久慈で優勝し
関川久慈で獲得した矢野で優勝する星野仙一 546
名古屋の信長に仕え大阪で天下を取る
人たらしの秀吉みたいですなあ
矢野は最初打率も足も関川を劣化させた感じだつたが
もつての他長打力があつた もってのほか、の使い方がおかしい。
いろいろおかしいけど。 矢野は移籍一年目は打率2割そこそこだったが、
大魔神佐々木の連続セーブ記録をストップさせた逆転サヨナラ打を見てタダ者ではないと思った。
まあ翌年の覚醒3割は、古田や嶋と同様、捕手の打撃力に五月蠅い野村のおかげかもしれんが。 正直98年の矢野に打撃センスがあるとは思えなかった。
満30歳で、まあ山田よりちょっとずついいな…くらいにしか
見てなかった。あんな化けて息長いとは。
大豊もまあ能力通りの数字だったし、7:3で阪神の勝ち。 出した二人も後に阪神へ戻ってきたしな。
(久慈は選手として、関川はコーチとして) もしあのトレードが無かったら、阪神野村克也は誰を正捕手にするだろう?
どっちみち最下位と思うんだけどさ 2001てカツノリとの併用じやなかつたw
あの時点ではカツノリ結構いいと思つたが キャッチャーは、矢野にするか、
山田にするか、迷ったんだけども、
思い切ってカツノリでどや
(当時の松村のモノマネ) カツノリは変化球打ちが上手く
長打力もあった。
代打専念ならそこそこイケたかも。 >>555
さらに周囲が濃い阪神ファンのときは
「正捕手は、矢野でも、山田でもなく、カ〜〜たやまたいき(片山大樹)や」と
(一軍出場なく引退) 山田も関川もヤクルト戦で好き勝手されてたイメージ。
力量もあるがたぶんサイン盗みされてたんだろうな。
嶋田哲のブラッシュ乱闘で山田がアッサリやられたのも
悲しかった。あれもなんか伏線あったはず。 カツノリはそのまま阪神に残ってコーチをやっていたら、今みたいエラーだらけになっていなかっただろうな。
久慈は戻ってきて糞コーチになったな。 初期の久慈はボールにぶつかっていくスタイルで
よく弾いてたなあ。けど若いうちはみんなそうかな。
しかし今どき久慈の指導だけ拙いなんてことあんのかw
ヘタクソばっか集まっちゃったんだよ。 楽天時代の関川は野村監督の評価が高かった
「うちで一番ガッツがある」と褒めてたのを覚えてる
ただ、捕手としてはどうかな
>カツノリ
甲子園でサヨナラヒットを打った時は広澤と抱き合って号泣してたっけ
プロ野球人生であの一瞬だけ輝いた 関川は95-97年も亀山よろしく
よくダイブしてた。 カツノリと言えば2001年に広沢が六甲おろし歌った試合で
巨人戦を1-0で完封した井川のキャッチャーだった >>560
あるOBがらyoutubeで言っていたけど、内野の守備練習はボールをとってファーストに投げるまでが基本なのに、今の阪神の守備練習はボールをとるまでしかしてないから、基本が出来ていない、エラーはもちろん下手なスローイングで記録に残らないエラーを連発するっと言っていた。
そんな練習をさせている久慈は間違いな糞コーチ。 取るだけの練習だと取ることに特化した動きが身に付くよな デスノックも送球ないし、
死にかけでゆるゴロ捕らせて
アホだよな。 どんでん以来
打者ドラフトで泣き続けてきたのが
この春一気に報われそうだな。
下手したら清原松井由伸超えそうやん。
幸・不幸の収支って長い目で見たら合うものさ。
ため息の大山近本もモノになったし。 報われるわきゃない。
大山だって2年続くかわからんのに。佐藤ももう余所は打たせて弱点炙り出すモードだろう。 ネガティブすぎるw
阪神だけずっと冬なんてあるもんか。
壁には当たるだろうが、それも織り込み済みじゃ。 まあここに書き込む人は20年前に
クルーズがオープン戦打ちまっくてたが、、、なトラウマがあるからな 高卒生え抜き打者ナンバー1 新庄
大卒生え抜き打者ナンバー1 今岡 暗黒時代の打撃コーチだったヨッシャー佐々木が新人時代にそんな凄い記録作ってたとは知らなかった。 92年9月広島戦
ダイビングキャッチ後、大野からサヨナラ2ランの新庄
佐々木(八木の打席で新庄に)「グラブかクイッと上がったら
パーム(ボールにする球)や(直球しっかり打てよ)」
新庄「バッチリです。りょーかい」
→直球2つ見送ってアッサリ追い込まれる
佐々木「あの野郎全然わかってへんやんけ」
→決め球のパームをホームラン
佐々木「・・・お前なんで直球打たなかったの?」
新庄「ボクにはパームが打ちやすいと思いました!」
佐々木・・・・・・ >>573
いかにも新庄らしいというか、普通の人に教えるように教えたらダメなんだな 新庄が指導者として阪神復帰してくれると
外野守備が格段に向上しないだろうか 楽しいチームになるのは間違いない。
なんだかんだ弁えあるし思いやりもあるよ。
俺が経営者なら招聘するけどなあ。 守備上手いに越したことないけど、打てなきゃどうしようもないからな
和田久慈新庄は最下位常連
今岡藤本赤星は圧倒的独走 圧倒的独走っていうけど2003年のセリーグは各球団主力が抜けたり投壊しててレベルが落ちていた
そこに育ってきていた生え抜き選手や補強選手がマッチして独走に繋がっただけの事 コーチ新庄ってのは、コーチ川藤と同じような効果はあるだろうな 新庄、2000万も出せば乗ってくるだろうし
メチャメチャ波及効果出るのになあ。
ほっておく手はないと思うね〜。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています