暗黒期の阪神ってどれだけひどかったの?★4
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
87年前半戦の一気に大暗黒になった感じはすごかったな
あれより酷いシーズンって他の暗黒チームでもそうない気がする >>4
87年にサード長崎が後楽園で、草野球に久々に出たオッサンでもしないような
バンザイ落球してるのを見て絶句した シーズン後半になると「阪神は稲尾の42勝を超えられるか」というひどいジョークも言われるようになった
結果、41勝83敗6分で超えられなかった阪神はもっとひどかった 87年
バース.320 本37 点79
岡田 .255 本14 点58
19年
大山 .258 本14 点76 同期入団、伝説のストッパー
中西 87年
6勝8敗14S 防3.91
池田 92年(ダイエー)
8勝4敗14S 防4.10
中西は登板過多と言うしかないな。
池田も85年は無茶な連投とかあった。
それにしても
池田、伊藤、中田良、山本、福間、遠山
みんながみんなひでえw
掛布は不運だったが岡田が前年後半から
スランプ、真弓もつられて?衰えはじめた。
頼み田尾の打撃は迷走期真っただ中、
柏原、長崎は出涸らしのお茶みたいだった。
あまりの落差、ツキの変転に現場が一番戸惑ったろう。 >>6
1995年の球団創設60周年の時にサンテレビで「阪神の今季60勝目はいつか」という企画があったけど、結局60勝しなかった
というのもあったな
実際「60勝しない」という応募も結構あったとか バース退団後は影の薄いジョーンズ
少年隊、3番ファースト金森、5番木戸、平田が大柄に見えるなど、少年野球と呼ばれる始末
PLと戦えばコールド負けすると言われていた つーか80年代の阪神って平均身長低いよな。
公称
真弓174
北村177
弘田165
掛布174
岡田175
佐野174
長崎178
平田177
木戸178
吉竹180
永尾169
池田181
中田178
伊藤182
工藤186
仲田181
中西178
山本174
福間174
公称って1〜2p下駄履かすもんだし。 打者はスーパーラビット使わなくなったから数字が落ちるのはいいんだよ
問題は数字がよくなるはずの投手まで悪化したこと 北村は前後を打つ真弓掛布岡田と比べて明らかにデカかった
金子はデカいが、頭もデカくてアンパンマンみたいな顔だった
ガリのノッポはとりあえず「渡真利」「八木」「御子柴」と呼ばれていた >>12
その通りやな。ありえんくらい不振が重なったw
80年代の主要打者は85.86年に
キャリアハイが集中しておるなw
パリーグは70年代後半から80年かな。 >>4
それな
ブルーウェーブにしてもベイスターズにしても今の中日にしても
そこそこはやれてて気付いた時には沼に…
ってパターンなのに阪神だけはいきなり沼に放り込まれた
85年前に吉田が言った土台造りとは真逆の事が起きて
結果的に崩壊したというか 金子ってあの頃にしては珍しく190ある選手だったから一塁で駒田と並ぶのを見たかったが
殆ど出塁しないから見れなかった 95年も93.94年ツギハギ戦力でなんとか
やり繰りしていたが一気に戦力不足を暴露した。
ただ読売や西武が不運や不調選手重なっても
そこまでひどくなった例はほぼない。
(長嶋一次で最下位になったくらい)
やっぱり阪神には組織力がない。昔から。 >11
和田も170ない感じだな
北村は顔は良くなかったけど脚が長くて
守備の姿とか格好良かった
吉竹は凄い猫背だったな 筋肉量が身長に追いついてなかったのかな
当時のトレーニングでは 川藤はサバ読みも豪快やぞ。
講演会で169やったけど174で
通してましたとさw
近年では松坂がひどい。179が183w
それで背が伸びるわけでもないのに。 公称169の中野よりもミクロマンの金森は公称175やで 金子は変化球来ると子供みたいに
崩されてたなあw
案外守備と脚はいけた。
鶴見とかなんやったんやろな。
岡山出身の真鍋は中込にめちゃめちゃ
いじめられてたらしいな。 >>23
それで審判になってからの真鍋はいつも阪神に厳しい判定を下すのかw 中ゴミが投げてるときは普段にも増してまったく打たんかったよなw No.
BUTAGOMI!
By Thomas O’Malley. 1992年
200回2/3 安打147 四死球78
防御率2.42
内容だけ見るとセNo.1投手。 それにしても浜田球場ってのは
適当だったよな。神港学園のグラウンド並み。
よく甲子園狭いからバッター育たん言うけど、
激狭浜田ではどうやったんかなw
まあ今よりスラッガーは出てたな。 >>15
掛布の故障とバースの帰国がほぼ同時期に起きたからな
その代わりになる若手が育っていなかった そもそもバースが入団する前まで3位や4位とかだったのに
掛布までいなくなるとそりゃ最下位になるわ 1986から、投手ばっかりの指名
してた印象があるな、ドラフト
そりゃ弱くなりますわ。 >>30
吉田監督は岡田を4番に変えるために徐々に掛布を4番から降ろそうとしたが
86年のまさかの怪我で構想が大幅に狂ったのと、吉田監督は日本一を区切りとして
翌年は若手を使う予定でいたがフロントが自分になにも言わず柏原や田尾などのロートルをとったことで
構想がかなり代わったとはラジオで言ってた
そう考えるなら清原のドラフトはその一貫と想像はできる
当時はファーストではなくサード
つまりは掛布の後継者として3バース4岡田5清原と
でくじが外れ、結果的にはよかったが八木のドラフト獲得に
掛布の怪我が、その当時だけでなく今にまで繋がる暗黒かいの序章なんて当時は考えもしなかったが
フロントの勝手な行動を見るにつけ、ここはフロント次第なんだなとは思った >>30
当時の村山さんが少年隊とか積極起用したけど、残念ながらタイミングが遅かった
本来なら土台づくりを掲げてたよっさんのときに取り組んでおくべきだった
あと岡田が思ったほど伸びなかったのも痛かったな 岡田は86年中盤に腰痛めたんだっけな。
で、翌年から球が飛ばなくなり厳しくなった。
真弓も著しく下がった。バースの打点もヤバい。
まああんだけ負けたら負の連鎖が止まらんわな。 吉田義男監督の本来の持論はセンターライン重視の守りの野球
特に捕手に拘りがあるので、
1985年はそれまでほぼ実績ゼロだった木戸克彦を正捕手に起用して
これが大当たりだった
しかし、木戸は絶対的な正捕手には力不足だったのか
1986年と1987年は木戸と嶋田宗彦の併用になった
86年は2桁勝利投手がリリーフの山本和行だけ、87年はキーオだけ
攻撃力不足を補うにはバッテリーの力が足りなかった 木戸は93年
カープ緒方をおなじみバウンド送球、
1試合で2回刺した。
85年の3発並の名場面だったw 88年なんて最高ホームランで岡田の23本
で2桁ホームランも真弓と岡田だけ
そりゃ勝てないよ
ラッキーゾーンありながら僅か3年で1/3
バースがいなくなったことより次の助っ人失敗が痛かった
バース自身、もう三冠王時代の打撃は無理と言っていた 村山さんが巨人に入団してたら
10年は長生きできただろう。 どんでんは大怪我したから伸びなかったというのは可哀想。
かなり後になってから外野やらされてもうヤル気なくなってたが
どうせならもっと早く誰か大物に説得でもさせてコンバートしておけば良かったかな?
92まではそう広くない外野だし。
原と同時でも良かったかな 阪神暗黒が始まった1987年セリーグ成績
http://npb.jp/bis/yearly/centralleague_1987.html
全然打てなかった印象だけど、本塁打が140本も出てたし
防御率はヤクルトより良かった
これで41勝83敗6分はちょっと負けすぎだね >>34
最下位をぶっちぎってた87年のある日の巨人戦、ボロ負けしてた9回2死打席は途中出場の大野
ここで吉田は大野の代打に永尾を起用
この試合の解説をしてた村山が
「なんでこんな負け試合で若手に代えてベテランを使うんですかね!」
とキレまくってた
確かに村山の言う通りで、吉田は若手育てる気ないんかいって思ったわ 1987/5/27 甲子園
バース10号
落合9号10号11号
宇野13号14号 中尾6号 >>36
その割には98年の編成はめちゃくちゃだったと思うが >>43
落合ってセに来てからは数字落ちたけど
阪神からは鬼のように打ってたよね >>42
平均的に出場給出してあげようとか考えてたんじゃね >>43
落合はインコースが苦手だけで捕手だった木戸はインコース要求したが
簡単にホームラン。球に威力なければ打たれるのは明白で連発食らわれ
外角要求したら今度は技術で運ばれた
つまりスコアラーレベルにピッチャーが届いてなく
地獄を象徴していた 1987年は掛布が打てない、守れないにも関わらず
4番三塁で使い続けた
衰えた功労者に気を使い続けてチーム全体がどん底に落ちた
尤も、掛布に代わる4番打者、三塁手が他にいなかったのも大きいんだけど 同じ人間が同じ相手に
1試合3HRって、
・バッテリーの頭脳
・球の質、制球
・ベンチの判断
すべてがプロじゃないw 掛布に相次ぐ故障がなく、
鳥谷みたいに節制していれば、
通算本塁打4位くらいにはなったかなー。 タラレバをあと10個ぐらい重ねてやっと可能性が見えるレベル それにしても87年の投手陣はすごいな。
90年のダイエーや03年のオリックスに匹敵するw
池田 124回 防6.10
工藤 104回 防4.33
伊藤 73回 防5.67
福間 71回 防4.79
山本 48回 防4.31
中西 104回 防3.91 池田も日本シリーズ完封で全ての運を使い果たしたいうか
翌年の怪我で終わった
もし池田も怪我がなければ、87年はキーオ、池田でなんとか地獄は
避けられたとは思う
本当に当時は150行かなくしかも制球も悪いピッチャーばかりで
それこそ落合クラスは対処できるピッチャーはいなかった
85年の春のキャンプ映像見たことあるがあの源五郎丸がいた
しかも背番号は17
期待はされていたがこの人も怪我で終わった
とにかく1試合どころか1イニングも抑えられないピッチャーばかりで
それを立ち直りするのに7年もかかった >>29
元阪神バスの駐車場だもの。
知れてる。
>>23
巨人も指名に動いたんだよな。
余程人材不足だったんだな。 >>54
池田は1年目から既に足が痛かったと本人談だから
3年目に松本にスパイクされた時点で終わったんやろね。 86年の池田は内容よかったのになあ。
遠山共々残念ですな。
中田は今ならプロリハビラーと呼ばれたろう。 この球団は昔から若手が短命ばかり
他球団覚醒がほとんどだった
ピッチャーも野手も
そう思えば日本一の年のドラフト清原指名は掛布の後継者思えば
あながち的外れでもなかった
当時の清原はサードだから
大体期待の若手が渡真利や仲田、猪俣だからね
8掛けしても当時の他球団の若手だった池山や広沢や立浪には遠く及ばない 亀山の94年の数字には
結構可能性を感じるな。
当時25歳だし。合掌。 自分は中田が消えてた時代から野球見始めたから
(87年くらい)
その後復活してきた時に
「なんや阪神こんないいP隠してたのか」
って思ったな。オールスターにも1人だけ選ばれて炎上したりしてたし。 亀山も掛布と同じで小さい身体を目一杯ギリギリまで追い込むやり方だからある意味94年がピークだった
やがてデブり引退前はお相撲さんそのものに
新庄は痩せてはいたけど身体は強い方だったし 亀山は昭和30年代に居そうな風貌とドン臭い動きが魅力だったな エースなき優勝だった1985年の投手を小刻みにドンドン変えていく野球は
短期間なら上手くいっても長くは続けられない
長く戦っていくには先発投手がきっちり試合を作ってくれないと
全員が消耗してしまう
巨人が10.8決戦でやった継投をシーズンを通してやってるようなもんだ >>62
ドンくさいとは対極的な選手だったような・・・ 動き自体はシャープだったと思うが、メガネとかユニの着こなしとかのビジュアル面プラス、バタバタしたプレースタイルがどんくさそうな雰囲気を醸し出してた感じかな
ブレイク前は暴走アウト専門の代走屋だったし 池田で思い出したが
池田・大野・岩切・渡真利⇔ダイエー吉田(博)・藤本(修)・西川・近田・右田
の大トレードは大損だった 見事なまでに誰も使い物にならなかったw
誰が主導のトレードやったんやろか。 >>66
ネームバリューだけなら
ホークスのメンバーは悪くないんだが
(南海末期頃のローテーションピッチャー二人と正捕手)
ことごとく阪神へ行ったらダメだったというのが >>68
池田がストッパーで復活して、大野が盗塁王になるとはなぁ
これに限らず暗黒期のトレードはほとんど失敗してる これほど「小規模な大トレード」って過去にも今にも見たことがないが
それにしても終わったか見込みなさそうなもの同士だと思ったのに
ここまで差がつくとは思わなかったw
ニャンコ藤本が多少、ほんとに多少ブレイクしたけど 当時のダイエーは阪神以上に弱かった
その後ダイエー、ソフトバンク最強時代が来て
今の阪神とは随分差が付いてしまった
FAやトレードもあるんだけど、本当に強いチームを作るにはやっぱりドラフトよ 85年の細切れも結論は村山、江夏以降のエースが外様だった江本や小林
で引退し中西や池田はドラフトで取りはしたがエースには程遠くゲイルやキーオなどの
外国人に頼る始末
これも結論はドラフトの失敗だとは思う
名前のネタ扱いされていた源五郎丸が背番号17だったのを思えば
球団はかなり期待していたのだとは思った 江夏の替わりにエモやん池内を獲得した時分までは良かったんだがな
巨人とは小林を初め、一時は竹之内並の人気だった笠間も成功と言える 笠間とフロントにいた末次は
渡辺スカウト事件でヤバい橋渡ってたらしいな。 85年の日本一も2003年も育てた優勝いうよりは外様の活躍だしな
真弓、弘田、長崎、永尾、福間
外国人にバース、ゲイル
平田や佐野も育てたって訳でもないし
育成優勝は1度もないからこそ92年は今思えば痛すぎたが
考えてみたら中込も仲田も猪俣も湯舟も本当に例えば当時だと今中とか
山本昌みたいな本物からしたら程遠く覚醒の限界は限界だった
だけに野田の放出は確かに痛かった 野田は93年上手く行き過ぎた感もある。
セの打者はフォークあんま振らんかったw
92年はやたら調子の波があったし。 野田はシュート回転して球が真ん中に集まる癖があり
初年度は3勝13敗という散々な結果だった
それがトレードされた要因かはわからんが、野田はトレード前に岡田に相談しそれで
オリックス行きを決めたとか
藤浪も正直野田みたいな可能性はあるからだしたほうが彼のためとは思う
キャンプみる限り来年も期待は出来ない 野田のトレードは5年目のオフだし、藤浪の症状とは全く違う
ルーキーイヤーの課題が解消できていなかったら松永と1対1の交換など成立しなかった 野田が出ていく際、和田がフォーク投げる時の
癖を教えたっつーのが意味わからんわ。
なんで92年のシーズン中に言わんのやw
92年
7月 4勝0敗、38回 自責1 防0.24
7月以外5勝9敗、85回2/3、自責40 防4.20
「困ったらフォークw」とか言われてたな。
オリでも4年目あたりから三振取れなくなってる。
松永浩美 阪神入団時 32歳
フロント皮算用
93年.305 本13
94年.300 本12
95年.295 本10
96年.290 本10
97年.275 本8
98年.250 本5
99年.225 本3 引退 皮算用の続きと結果(1993先発)
中込 13勝 防2.70⇒8勝
仲田 13勝 防2.80⇒3勝
湯舟 12勝 防2.90⇒12勝
葛西 7勝 防3.60⇒2勝
猪俣 8勝 防3.60⇒11勝
嶋尾 8勝 防3.50⇒出場機会なし
61勝 ⇒ 36勝 1993負広脳内V打線
二 和田.315 本0
右 亀山.290 本7
三 松永.305 本13
左 パチョレック.305 本17
一 オマリー.329 本23
遊中 新庄.257 本26
遊 久慈
中左 八木.251 本15
捕 関川.279 本1
山田
別に厚かましくはない。普通にありえた。
まともな代打は相変わらずおらんなw >>38
88年 19HR…ランス
89年 22HR…ロードン
90年 25HR…アレン
91年 11HR…江藤
92年 19HR…前田、ブラウン
89年 25HR…原
90年 22HR…駒田 93年も94年も戦力層なら92年よりは上だった思う
しかし93年は怪我人ばかりでまともに打順が組めなかった
そこそこ勝てたのは和田とオマリーだけは安定していたから
亀山も新庄も出たり落ちたりの繰り返しだったしパチョレックは前年の反動か
出がらしだった
その中で松永は開幕から6打数6安打で期待の働きか思ったがそれだけだった
で石嶺とディアーを獲得し打線強化と思ったらディアーの計算外れ
打線が固定していたらもっとかてた >>66
そのトレードと同じ年にあったのが
遠山と高橋慶彦のトレード
全く意味のないトレードだった
翌年、慶彦1番和田2番で開幕戦迎えたとけど慶彦は全くダメだった 高橋慶彦
1991年:57試合出場、打率.206、0本塁打、2打点
1992年:19試合出場、打率.217、0本塁打、2打点
何故91年の時点で首にしなかったのかが不思議だ 高橋慶彦
ミナミと三宮を遊び倒すための
2年間でしたw せっかく遠山出してまで獲ったから1年でクビは惜しかったんだろう
92年6月に40人枠から外れて9月まで再登録できない事が確定し
自宅待機になった時点で事実上引退だった。
あの松永はダイエーで干された後も二軍戦で5割近く打って
一軍復帰への執念見せてたけど慶彦にはそれすらなかった。 >>83
93年の新庄はケガで開幕出遅れて試合に出たのが5/18からでその後はほぼ全試合出場だったはず 新庄、復帰後33試合11発!
新庄最良の日々やったと思う。
その後は面白くて才能浪費してる
色物みたいな感じでしたから。 暗黒阪神ほど弱さがネタにされまくったスポーツのチームってないよな 阪神は70〜80年代を通じて、関取と猿と寛美しかいないんだがな
青年マンガ誌に連載されていた巨人だけでも
桑田がブツブツ言うブツブツ顔の糞野郎で、江川は手抜き豚、原は脳味噌なしの万年若大将
槇原が女学生で駒田が字面通り馬だったキャラ立ちでネタの宝庫 >>83
今思えばパチョレックのケガも痛かったな
まだ33歳だったのに >>90
たけし軍団と試合して負けたよな
阪神は一軍メンバー出してたのにw >>90
環境等の暗黒っぷりを含めたら福岡末期ライオンズや川崎ロッテに軍配が上がるけど弱さだけなら阪神だね。 阪神の場合、強い弱いよりも内部の政治争いが
勝ち負けよりも優先される部分があった
まぁどんだけ負けようが降格するわけでもないから仕方ないが… 阪神暗黒期は出て行く選手もいるにはいたが
絶望して野球を辞めてしまう選手もいた事が
より一層闇の深さを際立たせてたと思う
そこが横浜やらロッテやらとは違う真の暗黒だった それを一瞬とは言え払拭した星野ってやっぱすごいわ
いなくなったらまたパージされた連中が戻ってきたけど
それでも最低限の強さは維持されてるからね 2リーグ黎明期は3割切ったら解散合併のペナルティで広島が消滅しかけたが
※年連続最下位でパの1位と強制入れ換えだったら… 村山時代は本当に酷かったみたいだからね
吉田監督寄りの選手やフロントが一斉にそっぽを向いた
その中で中村だけは村山にも吉田にもつき風見鶏言われながらも
次期監督にはなった
けど
新庄 色々な監督につきましたけど一番厳しいなあ思ったのは中村さんですね
そういうとみんな笑いますけど
勝てはしませんでしたが、とにかく組織の世代交代やフロントのいいなりだろうが
有能な選手でも簡単に干して行かれましたからね
みんな中村さんの顔に騙されるんですよ
ただ92年に優勝争いして欲が出たんでしょう
92年を維持しながら何年後かの優勝を目指すべきだったのに
翌年に優勝を狙おうとした
そこからフロントとも亀裂ははいりだしたんですよ
選手から見たらわかりますから
そこがうまかったのは日ハムにいたヒルマンさんでしたね >>91
槙原が女学生のやつはスピリッツで連載してた4コマだな
藤田監督が菅井きんだったり面白かった >>85
オープン戦の始球式で山田雅人に当てられたから駄目になったは冗談で
本人談でロッテ・阪神時代は遊んでた。 少年サンデーの4コマじゃ
「優勝出来なきゃ2位もビリも同じですよ(苦笑)」
の中山竹通インタビュー(ソウル五輪・マラソン男子4位)を鵜呑みに記者会見した村山監督がオーナーから
「せめて5位以上になってから言わんかい!」
とか一喝されたな。
幸吉はもう走れませんから、マラソンの落合こと中山を経て
メダル無くしちゃいましたの小林と、コケちゃいました脱げちゃいましたの谷口な柔らか時代への変節 >>96
藤田監督のときに、新庄が引退会見したよなw 「あの(96年)4月の成績(26試合・.308・HR9)が、あいつの本当の実力
ですよ。まったく練習せんとあんだけ打てるんやからすごいわ。
あんなに素質ある奴、見たことない。松井秀喜以上ですよ。
コンスタントに40本以上打てる。打球の角度いうのは持って生まれた
もんやからね。松井の長打力にイチローの肩と足。いままで
おらんかったタイプの選手になれたな」 デストラーデは、元巨人のホワイト氏が
なぜか阪神に合うんじゃないかって
わざわざ紹介してくれたんだよな
サンスポで読んだ記憶あるわ >>106
「元・阪神」やな。
なかなかいい本だった。
藤田は処世術が無く印象暗かったけど、
実のある男やったと思うがな・・・ 96年4月の新庄は
.291 本7やなかったか。
5.6月ボーロボロで7月上げてきたと
思ったら吉井に死球食らわされて欠場。
桧山は9月まで.285あったが・・・
あの年は打高だった。 >>106
96年4月のホームラン争いの1位が大豊で2位が新庄だった記憶ある。
>>107
ラッキーゾーンがあった時にもし阪神に入団していれば30本打ってたかもな 藤田は2003年に球団幹部から
「藤田さんがやろうとしたことは野村さん星野さんがやろうとしたことと同じですわ」
と言われたとどっかで見たな 藤田は奇行癖のない榎本喜八みたいなもん
トレンディな選手目線に合わせない、腕の立つ偏屈者の職人さん
それが草次元の熱血で、余りにも無理があった
仰木のヤング目線と、弛んだ奴には何も言わず干して危機感を与える無言の圧力といった戦略眼ちゅーか計算高さがなかった そこなんだよな
あの緩みきったチームを叩き直すというプランは正しかったが
やり方があまりにも直情的過ぎた 監督がなんとかしようとしても
阪神フロントが、補強や
コーチ招聘に金をかけない
しまいには、成績悪くなると
急にはしごを外して、
監督に全て責任押しつけて解雇。
少なくとも金本の時まで続いてる 恥知らずの関西商人なんだよな。
本気、理詰めでで補強に取り組まないし、
熱いファンの応援も本気の行動ではない。 星野監督要請のときもそうだった
「このだらしない私たちを
立て直してください」
自分たちで立て直す気は全然ないし
矢面に立ちたくない。いいかげん世間が
呆れてきたから招聘してみせただけ。
「あんまし変わりたくないなあ」
「イレギュラー、出費はキツいなあ」
ってのが本音だったはず。 >>114
阪神の凄いところはミスタータイガースレベルにまでそれをやるところ
逆にフロントで実権を握った派閥に上手く取り入った選手には
やたら手厚い保証を与える
それは今も何ら変わってない 嶋田弟を指名した時
ドラフトで競合した広島は
打者転向ありきで考えてたとか。
1985、嶋田が先発して好投して
投手で行くと決めたけど
結局打者転向。遅すぎた印象。
足は亀山より遥かに速かったよね。 >>112
中村は案外計算高かったとは新庄も言ってる
中村監督時代は星野並みのリストラはあったらしい
ただ新庄も言ってたけど、92年に優勝争いして変に欲をかいたために
勝てなかったと言ってた 古い考えに凝り固まるよりは朝令暮改の方が良い事もあるんだけど
負広はそれが悪手に出ることが多かったな 島田章は93年プチブレイクしたが
翌年米崎と交換になったなあ。
近鉄では全然やったのう。
大洋にいた清水なんかも使い物に
ならなかった。 南牟礼がトレードでやってきて、トヨゾートヨゾーって下の名前で呼ばれてけっこう人気あったよね
俺も好きな選手だったけど、パの控え外野手に期待せざるを得ないチーム事情に悲しくなった 南牟礼
中日で落合さんに相談したときは
「お前には言ってもわからん」
真弓さんに聞いた時は時間も気にせず
懇々と付き合ってくださいました。
真弓は新庄や吉田浩にもいい子が入ってきたって
暖かく接していたらしいね。
ちょっとヌルいマイクにカミナリ落としたり、
91年連敗脱出のヒロインで声を詰まらせたり、
イイ男やったなあ。 生島ヒロシ
最下位は予定通りですかぁ♪
だっけ?
テレビ生中継で、中村さん
すんげー恥かかされたよな 新庄 94年でしたかね。大人の事情いうか、せっかく92年にレフトに八木さんでライトに亀山さんで
鉄壁の外野を構築したのに確か石嶺さんをFAで獲得したことがそれこそ中村さんの欲をかいたってことなんですよね
あのまま92年の外野をグレードあげていたら数年間はAクラスだっただろうって色々な人から聞いていました
別に石嶺さんに不満はないですがやっぱり八木さんと比べたら守備範囲が段違いでしたから
それで八木さんをサードに戻し元メジャーだったディアーを獲得したんですが
僕がメジャーに憧れだしたのは彼のキャンプでポンポンスタンドに運びディアーネットってものができたときでした
彼はメジャーはいいぞと片言の日本語がしゃべったんで
彼自身はいい人でしたけど、やはり日本仕様には合わず途中帰国してその代わりに来たのが南牟礼って方でした
この人はあまり印象はないけど笑
とにかく毎日張り切っていたから疲れないのかなとは思ってました
つまり要は中村さんが勝ちたい勝ちたいとフロントも欲を出して
当時出始めだったFAによって編成が狂いだした
石嶺さんで八木さんが玉突きにあいオマリーの控えに陥り後の代打の神様の素地は作り出したけど
92年の優勝争いした1つの鉄壁の外野が崩れディアー解雇で八木さんは戻ったけど
外野ではなく腰の悪い石嶺さんだとどうしても守備固めが必要だけに南牟礼さんを取るしかなかった
そういうグダグダした組織の歪みが翌年からの最暗黒に繋がったとは思いますね まあ観る側からすれば、内野にゴツい日本人がいれば6番レフト八木はあり
と言うか、最初ショートを守ってたから戻れとも思ってたな
新庄は逆にショートゴロをアルプススタンドまで大遠投していたので外野に行けだった
とにかくちっこいのか細いのしかいなくて頼んなかった 石嶺は阪神来た時はまだ33歳だったんだな、今の感覚だと若く思える
何故か30後半のイメージがあったw >>123
南牟礼ってオリから中日経てではなかった?
その中日でブレイクしてたから期待してもおかしくなかったと思うけど 石嶺の老けっぷりはテルシーと双璧。
脱力フォームと外野への往復が
晩年を感じさせた。
リストの強さと内角打ちは素晴らしかったな。
ちょっと衰えが早すぎたw
94年夏から当りが止まった。 DH指標の人が毎日試合で外野を守らせたために衰えを早くさせた
ま、本人も閑古鳥よりは注目されるで何度もORIXで屈辱を味わったから阪神に来たのだろうが
運が悪いのはその年にイチローブレイクでORIX人気が急浮上したこと 下降気味で扱いに困り始めた松永石嶺を阪神に放出してオリックスが連覇したのは皮肉なもんだ 黄金期オリの立役者のひとり、田口がアマ時代に意中の球団を聞かれ、
「阪神だけには行きたくない」
って答えたときが個人的には暗黒ピークかな
それ以降はもはや諦めの境地だった 田口の発言には殺意を抱いたが
今見れば正論すぎる正論で
マスゴミはもっとダメ虎を叩いても良かった
田口も今なら阪神行くかもしれんけど 1. 自分は野球選手である以上、常に勝利というものを目標として野球人生を送りたい。
2. 自分の夢は日本シリーズで優勝する事であり、阪神が日本シリーズで優勝することは、夢にしても出来過ぎている。
3. 中村監督が個人的にあまり好きな人種ではない。陰気臭いという感じがする。
4. 球団がせこい。金儲けのことしか頭にないように見える。
5. フロントの二枚舌が酷いという。傍から見ていてもその信憑性は高いと感じられる。
6. ファンである川藤コーチが辞任した。他の阪神のユニホームを着た人間に打撃など教わりたくもない。
7. 阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない。
8. これほどまでに勝てないのは育成部門が悪いのではないか。自分も潰されそうで恐ろしい。
9. 阪神沿線が肌に合わない。
10. 大物選手がロクな辞め方をしていない。選手を大事にしない球団には入りたいと思わない。
1991年秋のドラフト前の発言だけど、
28年経った今でも何も解消されてないんだよな これはアンチ阪神というより
阪神ファンであるがゆえに目についた問題点だろう >阪神が日本シリーズで優勝することは、夢にしても出来過ぎている。
声出してワラタ >>135
これ、田口がコーチやってる今のオリックスにも全部当てはまるんだよなあw 田口壮が阪神だったら
.280 本10 盗塁12 捕殺10くらいを毎年続け、
成績もそうだが取り組む姿勢や無形の力で
関西マスコミ総出の大選手扱いされてたろうな。
12年早く。スタンドは田口ユニだらけw残念だ。 まあ21世紀で一番暗黒の球団はオリックスだよな
横浜も大概だったけどトータルだとダントツでオリックスだと思う 勝手に指名したロッテを拒否しただけで叩かれた小池より
よっぽど酷い発言
田口が巨人行ってたら元木氏ねどころじゃないぐらい野次られたかも >>135
当時に2ちゃんがあれば結構スレ伸びてただろうなwこれ
って85年に日本一になってるがなw 田口の時の感覚でも85年ってかなり前って感覚だったな
その後の安国が凄すぎて もし田口取ってたらショートの穴が埋まらず
和田がメイン、たまに高橋とか平田が出て
優勝争いも出来んかっただろうw
新庄が攻撃型ショートとして定着したかも? 7. 阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、
騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない
掛布も阪神ファンは嫌いだって言ってたな >>134
当時も周りは正論やからしゃーないって意見の方が多かった 阪神線は大井や川崎の沿岸線、阪急神戸線は東横線、塚口や西北も安全地帯
阪急は東急京王小田急線で、JR京都線が中央線、近鉄線は西武と東武の合いの子で、南海は京成線
チバリーヒルズが南海高野線や本線なんでしゃーない でも暗黒阪神は
イチローフィーバーから連覇した時の
オリ最盛期より観客動員したんだよな… >>146
京セラドームの最寄り駅は阪神なんば線ドーム前駅 >>149
球場の規模が違うからな
GS神戸が甲子園並みの収容人員だったらどうなっていたか 三宮から西に20分やで。
そんな入りますかいな。
札幌仙台は言うに及ばず
所沢のほうがだいぶマシw
西京極とか長良川にも劣る立地。 鳥谷のアタマん中
やっぱり田口さんの言うとおりだった。
あんな頑張ったボクにこの所業・・・ >>151
95-96年も、優勝が近づいた時以外はそれほど入ってなかったよ
優勝が近づいた時は満員になったけど、あれは普段阪神応援してる人達が大挙して押しかけたから
2001年に近鉄が優勝した時も全く同じだった 89年のパ・リーグ優勝決定ゲームは
虎ハッピのコスでグランド乱入してたし
あと横浜は1昨年に日本シリーズ出たからここしばらくは暗黒いうほどでも… 新庄が現役復帰目指してるぞ!
てか本気でサッカーやってみてほしい。
野球は苦手の部類で、95年オフも
野球辞めて1年練習してJリーガー目指してて
自主トレにサッカーボール持参したらしいやんw 体がボロボロになったといって34歳で引退しておきながら…
来年Bクラス間違いないし
横浜FCにおけるカズみたいな枠で獲ってやれや タレントでやれると思ってたがたまにバラエティ呼ばれるだけだったからな
現場の勉強する気はなし
結局ユーチューバーしかなかった 同時期にいた飯田もそうだったけど
ああいう天才のズバ抜けた身体能力でやってきた選手って
指導者になったら難しいだろうな
教えられないんだもの 後藤監督って
江本に「プロ野球の仕事してる人間がチャリンコ、き〜こき〜こ
漕ぎながら球場に来るな」
ってバカにされた人だっけ? 田村は入寮の際
静岡茶と急須を持参した
老け顔ルーキーとしても話題に。
弓長とベンチ内を掃除する感心な人だった。
湯舟は綺麗な嫁と子供をプロデュースしていた。
今見るとハンサムだが昔はなんかキモいと思った。
湯舟-関川-山崎-田村と地味にいいドラフトだった。 >>162
田村は住友銀行に不法駐輪してたが
撤去されてからはベンツ通勤 >>154
2001年はダフ屋の見込み違いで優勝決定戦のチケット売り切れたのに売りさばききれずに空席あったな レフトで北川の満塁ホームラン見てたけど(笑)
確かに三塁側の上の方がかなり空席あったな >>163
湯舟ってハンサムというか目が座ってない気持ち悪さが印象深い
全体的にはいい顔なんだけど >>159
新庄は守備に対してだけは理論的じゃなかったか? >>163
>湯舟-関川-山崎-田村と地味にいいドラフトだった。
中村勝広監督時代のドラフトは人選いいんだよね
http://pospelove.com/draft-tigers.htm
これでクジ運が強かったら最高だった >>170
中村は普通にいい監督だったとは思うけどな
過小評価され過ぎてる
あれだけ暗黒だった球団をたった7年で甦らせた訳だから 中村は意思が弱かったね
オリでもその悪い面が出てしまってた 板東英二の著書によると、オマリーは中村が苦手だった
なぜならオマリーは中村が愛用する仁丹の匂いがダメだったらしいw >>171
監督に就任したとき、エモやんが「期待できると思います」と珍しく太鼓判押してたのが印象に残ってる
上でドラフトの人選も褒められるけど、編成能力は歴代監督の中でもトップクラスの評価だし、後のGM就任も遅かったくらい
92年の熱狂はたぶん一生忘れない >>174
世代交代の達人だった
92年なんか外国人以外全員生え抜きという夢の打線を作り上げた
惜しむらくは川藤も言ってたけどもう少し意志が強ければ
GMで大成したとは思う
FA出来て勝ちに欲が出てしまい95年で終わった
でも85年日本一メンバーを任期中に全員きったは普通にスゴい思う >>177
でも阪神内で長く生き残るのはああいうタイプなんだよね
中村にせよ和田にせよそう
鳥谷だってそもそも拾ってくれるとこあるか知らんが
どうせすぐ戻ってくるだろ
そういや3人みんな関東の郊外出身者やね 岡田
俺はあいつはいじるなゆーてたんやけど、
コーチが手柄欲しいから
勝手にいじるんや
桂きん枝大平サブローも、
この選手ご飯に頻繁に連れ歩き
どや顔で喝!入れたったー
ってテレビ番組で自慢してたな 175
93年も松永じゃなく野田なら優勝出来たかな
17年もAHOKIじゃなく鈴木せいやなら余裕で優勝してたな。 >175
後ろに桧山関川鮎川
藪山崎竹内と控えていたし夢のある時期だった >>181
そんなメンバーで夢見てたとか言えるのかわいそう 今の日本代表=阪神か
好選手が居ても実力以外の所で脆さを抱えて居たり
破滅的な負け方をしていい所なしではや10年 >>180
>>181
三浦カズも元気だったしな。
亀山と共にスポーツ界の顔やったw 外野から見れば
六大の非慶應はチョーさん以外放り出す巨人
派閥同士の足の引っ張り合いが延々続く阪神
独裁→クーデターを繰り返す中日
中国九州人が支配する広島東洋 >>181
正捕手木戸が衰えた後、山田、関川、岩田、北川と期待の持てる若手が次々出てきたのに、結局ベテランの定詰あたりが一番マスク被ってたのが非常にもどかしかった
現在でも若手がもう一皮むけそうでむけないのはこのあたりからの伝統なのかな >>186
伸び悩む若手を外様のベテランで補うのは日本一になった85年前後から >>186
1行目間違ってますよ。
定詰は97年だけの抑えキャッチャーw
肩と髪型がセールスポイントだった。
ノムは北川と定詰は捕手として
論外と見ていたようだ。
しっかし山田ってあんなに打てなくても
96年後半から関川押しのけたよな。
捕手能力も傍目にはさしていいと思われなかった。 >>188
山田には肩とか髪型とかわかりやすいセールスポイントは無かったけど、特にデビュー当時は解説者から強気のリードを評価される事もけっこうあったし、玄人好みの捕手だったのかも
現代の野球では当たり前となった、打てない正捕手のはしりみたいなもんだけど、それにしても本当に打たんかった‥ 92年は山田の打撃がなあ…
.230 6本くらい打ってれば
あと2勝=優勝やったかもw
木戸が1割で湯舟専用に。
関川は翌年開花やったな。惜しい。 92年は7番と8番が自動アウトとか言われてた
ノムが来た当初リードは山田>矢野、打つ方は矢野>山田とか言ってた記憶ある 矢野さんの活躍のおかげで
後に阪神が得と言われたトレードだけど。
大豊矢野←→久慈関川なんか
認めたら駄目だろ癖フロント たしかにな
矢野の大活躍と長寿っぷりまで
予測していたとは到底思えんw
久慈関川は案外早く落ちていったな。 佐倉高校出身の井上投手も
惜しい事をした。前年80回投げて
そこそこの内容なのにノムに嫌われ
一軍登板ゼロ…
山村なんかも一軍に置いておけばなー。
男前には難癖付けたかったのか… だから亀新を潰したのか
野村古田は怨霊生霊の強さだけは相当な力だった
山村って見たことないけど外見的には岩隈岸の系譜だと思う
オナリー野田関川が
それぞれ移籍先で優勝に導いたの見ると
当時の球界はさしてレベルが高くなかったのか阪神が思わぬうちに
球界トップレベルの選手を抱えていたことになる。 90年代の阪神は図らずも草刈り場に
なってた感じやな。それにしても
松永石嶺山沖星野と阪急人材が
ことごとく早期劣化や故障するなど
尋常じゃないくらいツキもなかった。
フロントを擁護してみると、
松永は結局95年から働けてない
野田は94年から実力通りに推移
オマリーは96年好成績でふたたび
クビになるほど度し難かった
関川は99年以外中心選手とはいえない
久慈も99年30歳にして控えにまわった
星野の低調ぶりは誰にも予測出来なかった
ケンカ別れの大豊は復帰後全くダメだった
アホと言い切れるのはGウェルや三振マシンの
ディアー/ハイアット、山沖、パウエルくらいかな。 92年までみたいに地道にドラフトで層を厚くしたら数年後には栄冠もあったのに
FAで欲をかいたのが暗黒が長引いた最大理由 う〜ん、てか編成の無定見ぶり、
ドラフトでの組織力の無さとかな。
98年は闇鍋みたいな布陣だったし
ドラフトでは他球団からノーマーク(実話)w >>194
山陰に旅行に行った時
オフシーズンだったがその井上が期待株みたいな記事で
1面になってるのを見て関西の別世界さに感服したことがあった 大豊、矢野⇔久慈、関川
このトレードはお互いに必要なトレードだった
フロントの反対を押し切って成立させた吉田義男監督の英断よ
出来れば左打者の大豊より右打者の山崎武司が欲しかったところだけど
さすがに20代のホームランバッターは中日も出せないわな 関川はコリジョンの今なら捕手でずっとやれただろうな 200勝にあと199勝で引退の
嶋田哲也なんてのもいたなあ。
96年のヤクルト戦乱闘が思い出。
てか93年のヤ-巨とかキナ臭くて、
ヤクルトってグレーな事してたんだよ、
たぶん。 92年終盤から98年頃まで、
ヤクルトには地力の差以上に
思うさま翻弄されてた感じ。
なんか裏があったとしか思えん。 バカ垂れの 久万オーナーが 少数精鋭と言い訳して
戦力を持たなかったからな 経営者が弱くて人気のあるチームを作った
カネ余りで大儲けだ のむさん 阪神は最初なんにもせんからいつかなにかやると考えすぎた
しかしなんにもしないことがわかり序盤にダブルスチール仕掛けるだけでその年1年翻弄できた
なるほど、1年目のミーティングでこちらの話も聞かずOBやタニマチばかり見ていて
ミーティングに集中しないのをみたらそりゃ勝てない思った
そのなかで唯一真剣に聞いていたのが矢野や桧山だった ブロス吉井山部田畑の悪魔どもに踏みにじられたまに出てくる山本樹相手にいい試合をして
最後土橋や宮本慎にあっさりトドメを刺される毎日 別に上四人にも完璧に力負けするわけでなく途中まで善戦するが
それこそ宮本や土橋にチマチマやられ善戦するが負けるの繰り返しで
投手を消耗するだけの試合ばかりだった 引退撤回の新庄が
ブロスから4試合連続の決勝アーチ、
郭李完封なんてのもあったのお。 巨人も斎藤には力負けしていたが槙原や桑田はそれなりに打った
しかしそれ以上に特に岡崎や元木にやられていた
中日も同じでただ山本昌には力負けして久慈がノーヒットを破る単打がよくあった 久慈は郭やチェコからも
ノーノー阻止をやってのけた。
さすが東海大甲府の4番、俺たちに
出来ないことを平然とやってのける。
そこに痺れる憧れるゥ!と言われていた。 >>188
それ、多分に野村の虚言か記憶違い。
北川が最初に脱落したのは間違いないが定詰は最初の時点では矢野より高評価。
オープン戦最終番で内野への指示ミスで脱落3号。
矢野しか残ってなかったのが正解。 >>203
阪神vsヤクルト対戦成績
90年 15勝11敗
91年 13勝13敗
92年 11勝15敗1分
93年 9勝17敗1分
94年 10勝16敗
95年 6勝20敗
96年 7勝19敗
97年 7勝20敗1分
98年 10勝17敗
99年 13勝14敗
00年 11勝16敗
01年 9勝18敗1分
02年 11勝17敗
03年 16勝11敗1分
勝ち越すのに13年かかった時代 >>216
本当にな。三好なんて末期は電鉄本社の役職切られて球団専属で退職って珍しいパターン。
大概は何処でも本社から出向だから本社に役職残した上で球団の役職に就くんだけどな。 グリーンウェルとるぐらいならマースは残すべきだった
クレイグは腰痛もちだから仕方ないが >>214
ああ、ほならノムの虚言やな。
次から次へと乱発する本も、記憶の
ディティールが都合よく変わってるw
一番酷いのはスカウト部長片岡に古田を
推挙された時「眼鏡をかけた捕手なんて」
つってネガ意見吐いて取りたくなかったが
活躍したら「片岡は嫌がってたが、先入観は
悪だと言って指名させたんやw」ってやつ。 マースは途中入団にしてはまあまあ。
打点も多かった。
ディアーとかハイアットとか、あんだけ
低アベレージで異常に三振するやつ
ようとったわw 「新庄剛志、そんな成績で出場するな
恥を知れ」97年オールスターにて。
阪神時代の一番強い記憶だそうだ。 >>214
>定詰は最初の時点では矢野より高評価。
そうだっけ?
1年目の紅白戦で野村克也は定詰のことを結構ボロクソに言ってたぞ
テレビ中継があったから覚えている人もいるんじゃないかな
アナウンサーに「定詰の肩は凄いですよ」と言われたら
「肩は強いけど、モーションが大きいから盗塁阻止率が悪い」と切り捨てて、
定詰がボテボテのヒットで出塁して、牽制タッチアウトになったら
「これが定詰なんです」と酷評
この時点で定詰の正捕手どころか1軍も厳しいと思った オールスターといえば、ファン選・監督選ともにゼロって年もあったね、91年だっけ
セを率いた巨人の藤田監督が阪神選手をひとりも選ばなかった理由を尋ねられ
「オールスターといえど勝ちたいので」と答えた
いない方がマシってなんたる屈辱‥ 暗黒前だが川藤が契約更改で
解雇言い渡され、泣きながら
年俸ナンボでもええから勝負させて
ください!っつったら
よっしゃわかった。続行してみい。
なんてのがあったが、鳥谷が何処からも
声かからんかったら急転残留ありそうなんよな。
普通の企業体じゃありえんけど、阪神やから。
マスコミ・ファン「虎一筋ありがとう鳥谷!!」 >>207
桧山がこんなに真面目に俺の話を聞いていたとは思わなかった、って昔コメントしてた気がするけど >>223
野村は一応期待している選手はボロクソに言う そのパターンを調子に乗って使ったら
どんどんダメになったのが
藪、メイ、大豊、今岡、坪井・・・
負けが込んでるのに関西マスゴミにベラベラと・・・ ノムさん来るからって
中込はダイエットしたんだよな
逆に球が軽くなったと
本人が、すぐにデブに戻したと 中込ってヒゲづらの時期があったよね
確か麻原彰晃て呼ばれてた 野村はその時その時でウケそうなことを言うだけだからな
一貫性を求めてはダメ >>229
今はもうそれでは選手は落ち込むだろうな、最近の子は
つか20年前でもグレーゾーンだが。
星野も阪神では殴らなかったと聞いた >>228
むしろ定詰に期待してたらそっちのが頭ヤバいわ 星野が椅子を蹴りあげたときガチビビリしていた藤本や浜中や関本
あれでは殴れないと悟ったらしい
浜中なんかマザコンだからママーってやりそうだしな
ただ矢野だけは頬を叩くことはままあった
星野イズムを知ってたから 中込
22歳 200回 2.42
23歳 200回 3.71
安定してて制球があり、スタミナもあった。
故障せずに投げてたらそれなりの地位になり
阿呆な事件もなく大投手になったかもしれん。
マッスラ以外の武器も必要やけど。
沢尻の例もあるが・・・
味方打線よく完封したのはやっぱり・・・? だって88年のオフにゃNHKスペまで星野特集だったもん 疲労家達朗
稲村亜美はシリコン抜きしたら
球速、変化球とも一段上がるだろう。 >>238
まで、ってNHKにいたんだから当たり前やろ 今の西や他の阪神な投手もだが
中込は、打線の援護あれば
もっと勝てた気の毒と、よく言われてたが
大体先取点取られたら、あとは
抑えて負けるパターン。
たまに味方が先取点取っても
すぐ追い付かれ逆転され、また
そのあとは抑えて負けるパターン。
メッセンジャーも、何回も
そんな試合見たな。 中込も野村克也にはボロクソに言われてた口だった
阪神監督が記者の前で選手批判すると
それが全部文章になってしまうからやっちゃいけないのよ
選手に言いたいことがあるなら直接言った方がいい ブタ込って目上にはどうやったんやろ?
悪い話って大体同年代か後輩がらみ。
なんで囲い込みまでして1位で取るんや!
88年センバツ「俺の球が打てるなら打ってみろ!」
⇒池田山びこ打線に滅多打ちw 高波は吉田監督時代ひでえクソガキぶりで
何に不貞腐れたのかシートノックの返球
よっさん目掛けて投げたりしてて、本西が
殴ろうかと思ったらしい。高波の分際でw 正確にゃ87センバツでは?
あの大会は久慈がベスト4に
もうちっとで野村立浪橋本のPLも食えた筈が… 中村武いわく当時は阪神戦が楽しみでしかたなかったらしい 当時は横浜選が楽しみというか癒しだったが
よっさんの頃から大魔神マシンガンになってそれも勝てなくなった >>226
あの時の川藤の件はマスコミによってかなり盛られて浪花節にされてたからな
実際は球団から任意引退して二軍コーチ補佐就任を要請されたが川藤本人は現役続行を求めたというものだったし
本当に解雇する気があるなら一方的に自由契約を言い渡せばいいだけで 川藤が現役に固執してくれたおかげで
支配下選手枠は1人潰すけどコーチ手当てより安上がりで済んだのかな 川藤が現役に固執してくれたおかげで
支配下選手枠は1人潰すけどコーチ手当てより安上がりで済んだのかな 東海大甲府
4番 ショート 久慈
藤田平は平塚と久慈の打撃を買ってたな。
平塚は守備脚、久慈はパワー不足やな。 社会人入りでプロの指名受けなかったが
山本信幸の力投が惜しかった >>252
藤田監督は新人の林投手をよく起用してたね
掛布さんが実況アナに、この投手のセールスポイントは?とたずねられ「う〜〜〜〜ん‥w」って言葉に詰まっちゃったシーンが記憶に残ってるわ
何とか「丁寧なピッチング」って答えをひねり出したけど、2年くらいで自由契約になってしまった 林投手はてんかん持ちやったらしいな。
なんとも可哀想だが、どういう調査やねん。
中ノ瀬とか他球団が全くノーマークなんを
スカウトがやたら激賞して入団させ、
使ってみたら全く通用しなかったと
藤田が述懐してたなw競合回避&手当目的。 新庄並の強肩に2軍では
結構飛ばしていた長宗我部元親の
末裔もいたな。サンジルシ醸造。 キムタク(プロ野球選手)だって高校では4番だったってのはあるが
あれは小柄だけど強い打球飛ばせたしまだ片鱗は残ってたけど
久慈が高校で4番だったのには驚いた… その高校時代4番だった久慈の片鱗を見せたのが藤田監督時代の序盤中日戦
狭いナゴヤとはいえバックスクリーンにホームラン思いきや二塁打に
そして翌年
苦手札幌で2連発
連続でなはなかったが、久慈・桧山・平塚の85年以来の1イニング3連発も 今季リーグワーストになった守備コーチの久慈が首にならなかったのも謎だった プロ野球選手としては小柄だった平尾もパンチ力あったんよね >>261
平尾は西武移籍で開花したよね
昔の吉竹といい最近の榎田といい西武で芽が出る奴多過ぎ 久慈はなぁ…
小坂を全てにおいて劣化さした様な選手だったな 久慈の頃の社会人野球は
金属バットで乱打戦ばっかだった。
内野ゴロが早すぎてエラーの山w 平尾は上本みたいな体格で、
どう考えてもスラッガーは
無理だと思った。
萩原もあんまデカないし肩壊してたw
早い段階で自分の身体能力じゃアカン、
なんで俺1位やねん?て思ってたらしい。 平尾は一軍でよっさんから何でお前はそんなにぶりぶり振り回すんや!と激怒されて二軍に落とされて落ち込んでると、岡田二軍監督からはお前の持ち味は長打やろ、と励まされて立ち直ったとか
フォローとはいえ、一軍二軍で指導者の方針がバラバラでは選手も迷うわなぁ ただ結果的には、上でも出てるように北条みたいな選手になったけど
上と下で選手の見立てがあべこべなのはダメだわなぁ… 吉田監督時代は不遇な平尾だったが
藤田平監督と野村克也監督の時にレギュラー取りのチャンスが来た
特に2000年前半はあと一歩のところまでいった 平尾博嗣
1996年、76試合出場、打率.240、3本塁打、10打点
2000年、62試合出場、打率.238、2本塁打、12打点
もっと打ってる印象だった 平尾は故障が多かったからなあ
西武に行ってから活躍してた印象はあるけど、1年間フルでレギュラーだった年は皆無 たまには宮内や金子の事も
思い出してあげてください。 平尾はとにかく骨格が貧弱
173p64sくらい
自慢だった脚は特別早くなく
守備は和田関本より下手
打撃はたまにいい角度で上がるけど
和田関本みたいな型がない。元木の劣化版 宮内は甲子園のウエスタンの試合中に
売店で「サイダー下さい」と言ってたのと
91年巨人戦で1-3で迎えた9回裏無死一、三塁で
一塁走者宮内が真弓の一、二塁間を抜けそうな打球に当たってアウトになり、
反撃ムードに水を差したのだけ覚えてる 宮内は当時、誕生日の月日がワイと同じの唯一の選手だったから覚えてる
(後で張本も同じだと知った) 宮内、91年は5発
金子も93年5発打って
萌芽が見られたが…
翌年からはなしのつぶて。 宮内に関したらラッキーゾーン撤廃前でどうしても守備力に劣る宮内は
弾かれる存在で亀山と新庄にポジションを奪われた
金子は石嶺とディアーでようなし
今の中谷にもいえるが打撃そこそこで守備×ではポジションはない >>223
金子は今や保険会社経営。
こっちの方が成功してる。 他にも横谷、山口、高井、岡本なんかもわりと起用されてたが、小粒感が否めなかったなぁ
そんな中でなんでそれほど変わらない印象だった山脇だけが独自のポジションを築くことができたのか、未だに不思議だわ ネット界隈だと山脇は本社重役の娘婿になったかららしいが 高井も宮内も後に言うスペ体質でちょっと活躍した直後に怪我してたもんなあ そう思えば新庄って阪神にしては珍しく息は長かった
新庄、桧山、関本、鳥谷辺りか
2003年以降優勝できなくても安定した位置にはいたのがわかる 高井はあの時期では別格だったな
仮に西武でも1軍でやれたレベルだった
ケガで早期に終わってしまい高校で同級生だった
カープ高橋がプロに入って来た時には消えてた…
しかもその高橋の方はメジャーリーガーにまでなるというね 外野席で横になって、タバコ吸いながら観戦出来たのは良かった。
火曜のナイター中日戦。もちろん負けたけどね。 でも亀新、中村さんは偉いよね
あんな酷い事されたのに泣き言や恨み言一切言わない。
野村や古田が逆だったら末代まで言ってそう。
生前中村さんが亀山の番組に出てツーショットになった時
「〜でしたね」といつも丁寧口調で92年の事を嬉しそうに語ってた
ファンの方がいつまでも悔しいのに、中村さんの姿を見ると涙が出そうになった
物事にとらわれずあっさり生き残さず死んで行った人だった。
野村の方がいつ見ても何かに取り憑かれたような顔してるな
晩年もwbc〜だなんだて怯えたような顔してて誰もお前にゃ頼まねーつーの 亀山 92年の終盤でしたか。僕にバントのサインを出したんですよ
僕はバント下手ででも攻撃的な2番と買われたのに巨人戦でバント
でベンチみたら中村さん顔が青ざめていたんですよ
あれで不満は吹っ飛びました
相当プレッシャーあったんだなって
(数年前の亀山のラジオで) >>285
岡本は肩を痛めて二塁手しか出来ないトンデモ内野手。
>>288
東の高井、西の立浪だっけ? >>293
でも中村はとんちんかんとか負広なんだよな。 俺もなんだかんだ中村さん好きやったわ。
ドラフト下位なら役人や大企業勤務だったろう。
阪神の監督で一番の思い出は92年の132試合目、
V逸の翌日に満席だった事です・・・
これは泣けた。 >>285
山脇は奥さんが阪神グループのお偉いさんの娘って
コネがうんぬんかんぬんと書かれたが真偽は知らん 暗黒期の阪神には便利屋みたいな選手は一杯いるんだけど
大黒柱という選手がいない
シーズン通してローテに入って2桁勝ってくれる投手
シーズン20本打てるホームラン打者 言いたいことはわかるけど、
20HRでいいんだったら八木裕は3年連続打ってるし、
オマリー桧山新庄大豊グレンクールボーパチョレック
岡田彰布だって暗黒期以降もそこそこ打ってるよ 個々の力はあっても一丸となる組織力がゼロ
暗黒時代に限った話じゃないけど阪神の負の伝統だ 亀山のラジオ
92年は91年の秋で大体骨格は決まってたんですよ
ある意味独走最下位だったからこそ、僕や新庄が秋に一軍にでて経験が積めましたから
ラッキーゾーンを無くす話がでてからまずとにかく肩の強い若手に経験を積ますが主眼で
嶋田の兄やんや宮内さんとか
中野さんは正直肩はあまり強くなかったですからね
でウィンが微妙で来期慣れるからファーストだというフロントと解雇だというフロントで揉めて
結局最後まで試合には出て大洋の渉外担当だった牛込さんからパチョレックをシーズン終了後に売り込みに来て
ウィンが解雇になりまず92年の軸足オマリーとパチョレックができた
で秋のキャンプで八木さんをセンターにしレフトに嶋田の兄やん
ライトが僕という構想で行こうとしたけど真弓さんをどうするかで色々あり
で序盤はレフトにパチョレック、センターに八木さん
でライトは僕と真弓さんの併用だったんですよ
最初はそれでライトのファンに真弓だせや真弓
お前みたいな小物要らんねんってよく野次られました
岡田さんもそう
そういうなかで次第に認められ快進撃につながったんですが
それでたった貯金4なのに欲を書いたんでしょう
野田のトレードで守りの野球が崩れた
ここが分岐点でしょう 93年の分岐点は
仲田や葛西、嶋尾をアテにしたこと、
ブタ込のマッスラが打たれだしたこと、
松永の故障、よう扱えんかったこと、
パッキー、八木の不振にアホの亀山が
無茶して故障しまくったこと、やで。 松永のトレードでは、オリ側は仲田でもよかったという話を読んだことがある
野田放出を最後まで猛反対した大石ピッチングコーチを二軍に配置転換してしまったのも、翌年の投手陣の不調の一因とか
そもそも守護神田村が壊れた時点でね だいたいそれまでヤバかった仲田をアテにしたり、
大してイニング食ってなかった嶋尾を先発で
計算したのがおかしい。
オマリーは一塁の味覚えて三塁やらなくなったしw
諸々無事だったら亀山が弾き出されてた。 オマリーのサード守備は悪くはなかったんだよな
パチョレックも一塁守備はいいけどレフトは少し不安だった わがままオマリー
96年も好成績で解雇されてるあたり、
ちょっと普通じゃなかったのよ。
ノムもフロントもウンザリしてたらしい。
95阪神と97ヤクルトの結果が違いすぎるがw 嶋尾は92の巨人戦、勝ちはつかなかったけど弓長との完封リレーは素晴らしかった
嶋尾をはじめ次期先発候補が予定通りに育たなかったのは誤差すぎたな
藪がルーキーで入ってきた頃には救世主扱いされるほど既存の先発陣も衰えていたし その割に日本で引退後に仕事したのは阪神の方だったな
最初はユニフォームでベンチに入れなくて
ただのジャージのオッサンがいる感じだった オマリーは渉外でも人柄を発揮したのおw
投手陣については92年が異常。
仲田1年確変
葛西故障、田村もアテに出来ず
ブタ込、猪俣も翌年故障
弓長は2年目から凡Pに
山崎94年だけ。竹内不安定。
野手も山田の打撃不振、久慈も
低め安定の打撃、八木不安定、
亀山ボロボロ、ディアークルクルw
水物とはいえ中村さんも頭を抱えたろう。 阪神、来年のビジターユニフォーム終わった。
暗黒期ネタに加わるエピソードひとつ加わる。 チアの恰好といい、
どんなセンスしてんのか。
ウル虎も糞ダセエし。 >>308
http://2689web.com/1992/GT/GT23.html
嶋尾は勝ち投手になってるぞ
恐らくこの試合で
「嶋尾が野田の穴を埋める」と負広が確信したんだろうけど
2、4回の満塁は大久保敬遠広田勝負で難を逃れ、
7回途中で嶋尾が降板した一死満塁は弓長が駒田を併殺に仕留めただけなんだが 負広
久保と中西の復活、2位の竹内は即戦力、
バルセロナ銀腕も獲れそうやしいける! 竹内…いたなぁ
チーム内で相対的に見たらマシな方だったが… この頃だっけ?髪型がおしゃれな渡辺伸彦がなぜか印象に残ってる
背番号20背負って中継ぎで一人相撲ばっかやってた 逃げるのだけは素早かった渡辺
あの当時は負けまくったが試合は面白かった
ソロ7本打ちながら単打のみのヤクルトに大敗したり >>299
キーオが長持ちしてたら92年は楽に行けた ラッキーゾーン撤去後の2桁本塁打
1992年:パチョレック22本、八木裕21本、オマリー15本
1993年:オマリー23本、新庄剛志23本
1994年:新庄剛志17本、石嶺和彦17本、オマリー15本
1995年:グレン23本、クールボー22本
1996年:桧山進次郎22本、新庄剛志19本、平塚克洋11本
1997年:桧山進次郎23本、新庄剛志20本、平塚克洋17本、ハイアット11本
1998年:大豊泰昭21本、桧山進次郎15本
1999年:ジョンソン20本、大豊泰昭18本、新庄剛志14本、ブロワーズ10本
2000本:新庄剛志28本、大豊泰昭23本、タラスコ19本
2001年:クルーズ14本、濱中治13本、桧山進次郎12本、広沢克己12本 【野球】セ・リーグベストナイン投票全結果
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1574669003/
阪神は2015年の鳥谷・福留を最後に受賞者なし
4年以上連続受賞者ゼロは88年〜91年、95年〜99年に次いで3度目 暗黒陣容やな。今年も別に最下位でもおかしなかったし。 去年みたいに5割切ったらズルズル行くと思ったから
不思議の3位だわ シーズン終盤の追い上げは矢野監督の手腕だったと思う
下位3球団が低迷してたのもあるけど
来季はどうなることやら >>321
これ80年代もバース掛布岡田真弓を除いたら数人しかいないんじゃw バース、掛布、岡田、真弓依存型打線だっただけに劣化したら暗黒は目に見えていた
しかし亀山が言ってたように能力だけでなくいわゆるタニマチがいたから世代交代するには
多少の無茶は仕方なかった
92年も終盤こそ若手中心だったが開幕時は岡田も真弓もスタメンに名を連ねていた
今年に関したら矢野は無理をせず身の丈にあう戦略性が最後の運を呼び込んだ
全試合をトータルにみた結果 新庄て現代で言う相楽左之助みたいだな。
結婚や恋愛みたいのは長続きせず風来坊みたいな事してる
何かに備えて一応体は鍛え続けてるって言う >>327
ぃゃぃゃ。単に広島の勝ち疲れ&レイムダックでしょ。 正に豊臣秀吉的戦略で泣かぬなら泣かせてみようホトトギスだよ矢野は
今までの監督らは苦手を克服する作業で自滅したが
矢野は長所をさらに長所に伸ばす作業だったからこそ
あと広島の研究が余念なかったのが大きい 阪神は投手もエラー多いから木浪とかがいくらエラーしても許す
って書き込み見て笑ったが案外そうなのかもしれん プロなんて7割は失敗するんやで
そりゃプロでもストレスたまるしそれで説教したら
自信なくすもんや
そうやなく3割をいかに100パーに仕上げるかなんや
全員3割なら独走やで笑
イチローが9人おんねんからな
だから失敗は織り込まへんと野球でけへん 確かに今の阪神ってあれだけ守乱なのに防御率がいいのは
「うちの野手はエラーするもの」
と普通に考えているからかも
(もちろん甲子園が打者不利なのはあるが) 今年の広島なんて大して強くない
巨人にはボロカスに負けたんだから結局は実力通り 広島ファンの人のブログを読むと
阪神は金本監督時代よりも矢野監督の方が嫌な攻撃をしてくるんだと
金本監督時代に広島に全然勝てなかったのは
そういうのもあるんだろうな 阪神って伝統的に特定のピッチャーをやたら苦手にする傾向があるけど、そういう嫌らしい攻撃を仕掛けてみるとか工夫はしないのかな
暗黒時代のG斎藤はまさに悪夢でしかなかったが、広田や香田のような他球団には打たれるピッチャーも苦手だったし、番長にも長年苦しめられた、古くはヤクの梶間にも 攻撃より守備の仕掛けは一貫していた
とにかくクイックモーションがおおくキャッチャーの梅野は肩が強いから
リズム感を止める形は作れていた
広島は巨人と違いリズム感の野球だから
リズム感を止めたら案外楽は楽
あとはやはり丸がいないのと苦手だった長野が完全に劣化してたこと
あとはバティスタが例の問題で離脱したこと
運もあった その代わりヤクルトにメチャメチャ打たれてた
村上は阪神に感謝してるだろ ヤクルトは昔から打ち合いが多く打ち勝つことは多かった
84開幕 1吉竹2弘田3真弓4掛布5バース6佐野7平田8渡辺
85開幕 1真弓2弘田3バース4掛布5岡田6佐野7平田8木戸
86開幕 1真弓2吉竹3バース4掛布5岡田6佐野7平田8木戸
87開幕 1真弓2田尾3バース4掛布5岡田6柏原7平田8木戸
88開幕 1大野2和田3掛布4バース5岡田6真弓7中野8木戸
89開幕 1和田2平田3フィルダー4岡田5田尾6真弓7中野8木戸 中野なつかしいわ
92の開幕は5番だっけ?ずっと期待されてたけど期待だけで終わっちゃったな
天敵斎藤にやたら強かったし、中野会とかいう熱心な応援団もあった 高山は典型的器用貧乏
井上が低山言ってしょげたみたいだけどそうだろ
90開幕 1和田2大野3岡田4パリッシュ5田尾6真弓7八木8木戸
91開幕 1高橋2和田3ウィン4岡田5オマリー6八木7真弓8木戸
92開幕 1和田2久慈3パチョレック4オマリー5岡田6真弓7八木8木戸
93開幕 1和田2久慈3松永4オマリー5八木6岡田7金子8山田
94開幕 1新庄2和田3亀山4オマリー5石嶺6ディアー7久慈8山田
95開幕 1和田2亀山3クールボー4グレン5石嶺6新庄7木戸 9久慈 今回の「野球太郎」のスカウトインタビューに
元阪神のスカウトで弓長とか山崎とかとった
菊地氏のインタビューがあったが暗黒期の他スカウトの酷さが凄くよく分かった… 当時の阪神のスカウトで遺族が殺されたと言ってた人がいたな、
確か渡辺って人。なんで警察は動かなかったんだろう? 名誉棄損罪で阪神スカウト長女に有罪
https://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-060303-0029.html
阪神タイガースのスカウトだった父親(当時65)の転落死をめぐり「鹿砦(ろくさい)社」(兵庫県西宮市)
の季刊誌などで球団元職員2人を中傷したとして、名誉棄損罪に問われたスカウトの長女渡辺直子被告(48)
に対し、神戸地裁は3日、懲役8月、執行猶予4年(求刑懲役8月)の判決を言い渡した。
佐野哲生裁判長は「(球団の元職員2人が父親を)殺害した証拠は何ら存在しない。名誉は著しく害され、
回復は容易ではない」と述べた。
判決によると、渡辺被告は02−05年、父親の転落死をめぐり、球団の元職員2人の実名を出して殺害に
かかわったかのような記事を鹿砦社の季刊誌や自分のホームページに書き、名誉を傷つけた。
鹿砦社社長松岡利康被告(54)も名誉棄損罪で起訴され公判中。
[2006/3/3/18:23] >>357
有罪になってそれ以後は黙ったのかね?
真相はわからんが後味悪い事件だよな〜 >>351
高山は長年苦しんだのちに主砲となった、ひーやん路線で行ってほしいわ
中野はハヤタでいい 前期は87〜91
後期は95〜01
ぶっ続けの年数で見れば、09〜19の日本代表のが長い 井川を発掘した菊地さん談
どういう仕事してるの?ってスカウト
がいた。
関西の選手を全く推薦しない
紅白戦でホームラン打ちましたとしか
報告しない
プロでやれるかという話すらしない
そうこうして有望選手をリストから外して
他球団にかっさわれる
スゲーな暗黒時代のスカウト
誰だ体制代わって切られた三人の
スカウト とくに95年の中ノ瀬林、97年の橋本奥村とか
翌年の寺田とか99年の岡本新井とか東とか
ホンマひどかった。二軍で出られんレベルw
上原二岡早々撤退してリストになかった球児とか。
球児が突然剛球になったのは突然変異的で
予期してたわけでもなんでもないし。 渡辺スカウトは98年のドラフトが
安易過ぎる事を球団内で主張するなど
疎まれる存在になりつつあったそうだ。
阪神で正論を言うなら余程の人物でないと…
おっと誰か来たようだ。 >>365
ご参考にどうぞ
98年のスカウト一覧
末永正昭
菊地敏幸
佐野仙好
永尾泰憲
北村照文
加納茂徳
高木時夫
切通猛
渡辺省三
谷本稔
今成泰章 >>367
ありがとう。98年の事件は
笠間と末永がグレーやったらしいな。
宮崎学氏も信憑性のある話だと言っていた。 自分の同級生の息子だから、という理由だけでプロじゃ通用しないような選手でも推薦してたんだよな
本当に指名する方もどうかしてるが
某選手を1位指名したとき、当時の中日星野監督が「ウチのリストにも入っとらんぞ?」と呆れたとか
暗黒時代の根本的におかしなスカウティングは、モロに順位に直結してた ヤクルト時代の野村
ドラフト会議にて
「阪神の動向聞いてないけど」
編成部
「あ、阪神は大丈夫です。あいつら
何考えてるのかわかりませんよw」
「各地のスカウトに花持たせて、会社食い物にしてます」
「取れそうな即戦力風ばかり。故障持ちや3位クラスが1位」
藤田平
来季の監督が決定し、指名選手の説明を受ける(95年秋)
「剛速球投手です。社会人No.1」→故障持ち
「都市対抗で連続完封した事もあります。フォークは
50p落ちます。完成度の高い投手です」→全く通用せず
「左の技巧派、即戦力です」→通用しない、てんかん持ち
「超強肩、パンチ力も抜群」→一軍Pについていけない
俺的には廃部ローソンから下位3人指名や
あからさまなバーター、横山-石崎、高山-坂本、木浪-齋藤
笑わせてもらった。 じゃあ藤川はその中の一人だったのか
それでよくあそこまで大投手なったよな その時期のドラフトは阪神にとって逆指名が悪い方へ行った
天下の阪神が指名選手に拒否されたらかなわんから
どうしても確実に取れる人になってしまうのさ
福留の時に、もし阪神が強行指名してたらやっぱり拒否されてただろうしね 藤川の剛球化は奇跡やな。
2003までは普通の直球、アマ並の曲球、
コントロール普通、80球程度でへたる
暗黒Pやったからw 98.99.00年は特に
他所と比べ見劣りするドラフトだと思った。 >>373
結果的に世代で唯一の名球会入りか
雌入れてから良く復活したわ 暗黒時代でも
自由枠や希望枠では頑張って
選手獲得していた印象。
球団は金を出さないわけでもなかったのかな
やはりスカウトがひどかったとか。 阪神は別にケチではない。
おつきあいの球団経営と
(近年は入れ食いになっちゃってるが)
アホで本質をとれないだけ。 暗黒時代にも好選手はちょいちょい現れてたが、チームの核になったりリーグを代表するようなクラスの選手は暗黒脱出後もなかなか誕生しないなぁ
ドラフトで大物のクジを外しまくった不運もあるが、たまに藤浪みたいなビッグネームを当てても伸び悩んでしまうし >>362
>>367
そのスカウト陣、2001年になって末永、切通、谷本が消えてるね >>372
ケチの久万と弱腰三好の最悪コンビの弊害やね。 >>384
これこそがプロスポーツのスカウティングだよな…
今はほんと甘いよ >>387
今だって普通にあるだろ。
これはもう時効だから関係者がしゃべれてるだけじゃんw >>388
今はいくら確約とれてもクジで邪魔される危険性あるだろよ? 藤田太陽
僕なんか全然1位と目されてなかったし、
他所のスカウトも指名の可能性があるって程度でした。
それが何故かトントン拍子に自由枠になっちゃってw
的場寛一
入団時点で脚に重篤な故障があり、走力や耐久性に
問題のある事が発覚。他球団は知っていた情報。
馬鹿正直に契約金をそのまま申告したため大阪の
納税者番付上位に掲載w
中谷仁
そもそも1位相当の打力があったようには思えん…
グリーンウェル
故障持ち。現役晩年から事業家になっており意欲が
疑問視されており、西武や中日が見送っていた。
締まりのない身体でチンタラ動いてた。 たてしまをよこしまに代えてでもがはまれば
1和田2久慈3新庄4清原5桧山6平塚7ハイアット8関川 1和田2久慈3新庄4清原5桧山6平塚7ハイアット8関川9野村貴仁 阪神がダルビッシュを指名できなかった理由…ドラフトに絡む人間関係
https://www.daily.co.jp/baseball/kikuchi/2018/05/18/0011264698.shtml
実は当時の東北高校の若生監督と、阪神のある編成幹部が大学の先輩後輩だった
のですが、関係がよくありませんでした。その私情が絡み、どんなに「ダルビッ
シュはすごい」とこちらがアピールしても会議では受け入れられず、1位で獲得
とはなりませんでした。
当時はダルビッシュ以外の選手でも人間関係の問題で指名できないことがありまし
た。しかし今の阪神は現場とフロント陣の風通しもよく、オープンな話し合いがで
きているようです。ダルビッシュが阪神に来ていたら…。今となっては苦い思い出です。 東北高の若生監督は実兄が阪神OB(若生智男)だったけど、そのコネも無かったんだな 東北高校といえば
葛西&金子
金子が葛西の先輩で
もう天皇陛下みたいな存在だったとかw かなりきつい言葉
汚い言葉浴びせられたと聞いたけどな
FA宣言後の清原に阪神は。
断るだけでは飽きたらずに馬鹿にされて
巨人解雇ORIX入団辺りで清原サイドから
接触あっても相手にもしなかったとか阪神球団 いやでも1回目交渉の時は
四分六分くらいで阪神にも
目があったんじゃなかったっけ? 阪神には自由枠時代がもう少し遅く来ていたらもっと盤石な基盤を築けてたと思う
今は日ハムみたいな荒らしがいるからダメだけど >>21
金森は公称173で実寸165
木村拓也(芸能人の方)がまさに数字ごと同じでは?
あれで173なら時空間が歪むわw バリーボンズのポコチンはステで
極小やったらしいな。新庄さんによると。
新庄もメッツの同僚に「チンチン、ダメダメ」
言われたたけどなw 極小と言えば
ミッキー・マントルやジョー・ディマジオ >>394
若生正廣と不仲だった出身大学(法政大学)出身の阪神の編成幹部って、
もしかして2003年から2010年までの編成部長だった黒田正宏かもしれんな。
記述者は菊地敏幸元スカウトか。
>>395
若生智男は阪神生え抜きじゃなかったし(ソロムコとの交換で大毎から移籍)、
現役晩節には安仁屋との交換で広島に移籍しているから、
阪神とのコネが強力じゃなかったのかな? もっともダルビッシュは人間的に癖があるから、
阪神に入団してうまく操縦できただろうか?と思うところはある。 >>298
岡田が「あいつには何か(コネ)ある」
と言ってたらしいな。
岡田にさえわからんって、
どんな謎人間だよw >>406
阪神に入ってたら藤浪のようになったかもね 親が阪神のタニマチだった岡田にすら見えない山脇ってヤバ過ぎるなw >>406
伝統的に投手は大事にして貰える球団だよ。
華型顔の能見も長生きしてるし
逆に野手には厳しいんだよなあ
バース掛布亀山新庄浜中…華型のスター候補は皆駄目になった
王長島×江夏村山の構図で、昔から地味な野球してたから
華型野手が出ると落ち着かなくなるのかな
当時だって野手は吉田一枝とかで遠井が4番w >>407
スマホ持ってないから続きが読めない(´・ω・`) >>410
盗撮で逮捕されて、それが世間様に広まってようやく退場だからな 山脇って今どう過ごしてるんだろうなw
普通なら死ぬこと考えるよな。 不倫がバレたスパイスより針のムシロなのは間違いないw 和田は元々筆まめで生真面目やからなあ。
初めての不倫?で舞い上がってるのが
筆致からも伝わり、そんな嫌な感じはしなかったw 生真面目にノーパワー右打ち教を広めていった結果が今の惨状よ
何も片岡金本の時代から始まってた訳じゃない
何十年も培ってきた土壌や 二遊間を背の小さい選手で固めると言う
嘘の常識も阪神が広めた
最近は、山田浅村坂本などが出て間違いだったことが証明されてる 落合がずっとセカンドだったらセカンドのイメージも変わったかな
まあポジションがそこしか空いてなかったから守ってただけだけど ただ実際でかくて上手いとなるとその中でも坂本だけだからなぁ
(その坂本ですらなんとか鍛えてうまくなったわけだし)
スパイスくらいが一番いいんじゃないの >>419
落合もチビだしセカンドど下手だったが? でかいセカンド?
関本という阪神ブートキャンプの完成形があるやん 体型だけ大型で
打撃成績は世間のイメージするセカンド並みだったね
阪神だって岡田というのがいたのに >>414
山脇は普通にイケメンだったから謎だよな
現役時代もっと活躍してたら大人気だったはず 西武から放り出された金森は上手くヤクルトへ逃げ出したよな。 解説者D
今回の鳥谷?
そんなんアレよ、そらアレよ。
阪神って球団は昔っから
生え抜き功労者には冷たいんよ。
オレなんか亀山代打に出されたんよ。
中西なんか酒の席で正論ぶって惨めやったわ。
中村はんも全然コミュニケーションせず
たかが2年連続1割台でこのオレを。
92年なんか勝負させてもらってへんよ。
選手にはいろいろあるけどオレとトリは
4打席で守りながら合わせていくタイプなんよ。
解ってる事やんか。
オレが監督ならもっと上手い事やったけどなあ。 >>427
この人もう30年近くも前のことをまだグチグチ言ってんの?
2年連続で1割台の数年前からすでに酷い成績だったから、92年の扱いは当然だったイメージだわ 生え抜きスターと大きい顔するけど
全盛期でも掛布と真弓の方がずっと上でしょ 真弓は賢いというか、なんというか・・・
オブラートな言い方してたけど要は、俺は掛布や岡田より目立った選手になったら
阪神(といういろんな環境で)で今後生きていけないから、彼らを尊重した
みたいな言い方してたのが印象的。 賢いが這いつくばってまで阪神で生き残ろうとしてないのが他のと違うよね 人柄は一番いいと思う。
ケンカがムチャ強いと聞いた >>430
最初から阪神だから「生え抜き」だっての。
途中から外に行っても生え抜きは生え抜き。 川藤って現役時代、どんな選手だったのか記憶にない。 現役20年近くの野手でHRキャリアハイが引退年というのも川藤ぐらいか 引退年は接待くさいなあ。
5本全部ラッキーゾーンとかギリギリw
いやいいんだけど。 川藤、OB会長か何かに就任してるから現役時代は凄い活躍した選手かと思った。 >>439
外野の控えで終盤代打の場面で誰もいなくなってから出てくるイメージ
たま〜に打つ程度だったのが、クビ拒否騒動以後の方が注目されて打つようになった >>436
ええヒトでケンカ強いけど
大人の政治の世界にはあまり関わらないように
してるのね
よく言えば賢いし、悪く言えば親分になってみんなを導くことは
できない(やる気もない)ってとこか >>444
ぶっちゃけ阪神の悪しき伝統の代表格だよな
山脇や和田のサラリーマン系に対しての、タニマチ系の筆頭 真弓は好きな選手だったから、
監督時代、監督の真弓が選手の金本をまるで接待してるような感じが凄いイヤだった
真弓も好きじゃなくなり、金本も嫌いになってしまった 真弓も金本同様に外様。
金本とは違いトレードでの入団だから監督になっても相変わらず球団に振り回され感ありで少し気の毒だった。
岡田の尻ぬぐい的ポストで歴代のタイガースでも最も恵まれない監督では?
金本はブレまくりで同情の余地なし。 真弓は万事他人事感なんだよな。
もっと本腰入れれば変わったんだろうがヘッドが木戸とかコーチにも恵まれなかった。 >>445
川藤はネタキャラだったよな
解説者になってもそのキャラだから食って行けるある意味勝ち組 川藤は阪神OB会の会長で人望はあるらしい
バースが言うには「できるのは代打だけだったがチームメイトから認められていた」そうだ 川藤自身は相当にそれを拒否したと言うてたな
ただ重鎮(田宮とか)が次に優勝できるか分からんし
そのキャラができるのはお前しかいないと言うんで折れたと 阪神はよく藤川球児を単独でとれたわ。
藤川球児って100年に1人の天才、指名しない球団はバカと言われてなかったか? 阪神ドラ1だから他球団なら3位や4位ぐらいの評価じゃないの?
たまたま遅咲きで開花したけど ノムが本でドラフト1位と2位は即戦力で獲るべき選手だから
D1位にふさわしくないとまでは言わないけどあの時の阪神が獲るべき選手ではなかった
とか書いてた覚えがある。 将棋を覚えた頭の良さがあったからこその選手だったな 野村が松坂周辺と関係が悪くて松坂指名できなかったんだから仕方ない >>454
確変しなければ普通に消えてた。
ラッキーだっただけ。 >>457
99パーセント日本語の川藤イングリッシュ、
つーか日本語すら不自由な川藤の言葉で
よく将棋なんか覚えたなあ >>369
故人に失礼かも知れませんが、安達投手? 川藤の話で一番好きなのは試合中にブルペンに行って
お前ら頼むでみたいな事言ってたらそのまま寝てしまって
起きたら深夜2時くらいの甲子園に放置されてたって話 板東英二もベンチで居眠りしたら放置されて
深夜にネットをよじ登って球場から脱出した事がある。
今なら警報が鳴ってセコムとかが飛んでくるから
警備員に追い出されるだろうけど。 >>462
安達は違うだろ。
安達は巨人でも松井を外した際の外れ一位で考えていたくらいだ。 >>464
俺が川藤の話で好きなのは
遠征先のスナックだかバーで「CAMUS XO」を「カマスのペケマル」って言った話 >>464
俺が川藤の話で一番好きなのは、氏が解説者一年目(87年)に
岡田の調子が悪い原因を実況アナに聞かれて答えた言葉。
「岡田とは昨日一緒に焼肉食いに行ったんですけどねぇ、
エエ奴ですよ」 >>462
スカウトの同級生の息子は、一位ではないけど貴重な上位指名枠で獲得した打者でしたが、一軍に上がる事なくクビになったので名前も忘れてしまいました
星野監督も呆れた一位指名は、中継ぎ転向後は野村監督の伝説の起用方法で名を残したので、むしろ成功した方かもしれません >>464
「辛子めんたい」を「さちこめんたい」と言ったのもあったなw 若狭の春団治は阪神時代最後を支えてくれた嫁と離婚して
建設会社の婿養子になるエピソードが一番笑った 自分は駄々こねて阪神に居座ったくせに
建設会社ではリストラしまくったエピソードも笑える 掛布が高木豊のようつべでオールスターで9回2死から自分の打席で
高木豊が牽制死した時の話してたけどまぁこれは有名な話
掛布曰くシーズン中にも似たような事があって9回2死から走者の北村照文が走って
八重樫に刺されて試合終了
北村曰く「2塁ならヒット1本で帰れると思った」らしいが
2塁行ったら掛布が歩かされるに決まってんだろ・・・
安藤監督もまさか北村がそんなことを考えていたとは思ってなかったので
「走るな」のサインを出してなかったんじゃないかと掛布は言ってた >>475
阪神で頭使って野球してるやつなんか皆無やん
今も昔も
世代に一人か二人くらい >>473
え?離婚したのか?
同じ女が建設会社の娘なのかと思ってたわ。 北村のキレて金蹴りは怖すぎる
守備は新庄以上に華麗だったと思う
現代野球ならめっちゃ重宝されるタイプ 横浜じゃ武相上がりは物騒と呼ばれる
北陽報徳浪商上がりもビビる その当時でも重宝されないから出されたんだろw
金森とれたから役立ったけど 村山と確執がないやつの方が少ないイメージ
伝聞通りなら、選手時代から嫌いな奴をかなり追い出してるだろ >>482
金蹴りなんかしたのか。
飲み屋でキレてアイスピック相手の
脚に刺したとかいうのも聞いた事ある。
ちょっと普通の成人では想定でけんなw 村山といえばバース・田尾
バースが揉めたのも村山が嫌ってのが
一因ではないか。
田尾は本人もな…
見た目弁舌爽やかやのにw
吉竹とかもったいなかったな。 80年代なら、浜中が普通にレギュラー固定される
岡田阪神とか北村絶賛しそう >>487
その相手の中尾とは阪神スカウトで一緒になり
そして一緒にクビ切られたな… 北村って西武で何してたんやろな
すぐ中日に行ってたけど >>490の「相手」はアイスピックで北村を刺した吉竹の事じゃなく
金蹴りして乱闘になった中尾の事ね 大野は柏原の奥さんをナンパしようとして柏原に叱られた
柏原の奥さんって当時30代のおばさんだろうに >>488
田尾は吉田時代にトレードで来た選手だし、若手偏重の村山のせいで冷や飯食った
その村山ゴリ押しの少年隊wが行き詰まって田尾が息を吹き返した
スタメン五番や代打の切り札として 村山て超大物なのに小さい選手ばかり集めてマゾだったのかな
自分が1-0で投げ勝つ見たいなゲームばっかりやってたから、
吉田や一枝遠井池田見たいな小粒を無理と揃えてしまうのかな
阪神は天邪鬼の監督が多い
小さい選手でも赤星や亀山は外人より使えた 掛布が手首ぶっ壊れなければ門田くらいの
数字になったかもなあー。
あの後ろも前も大きいスイングってのは
なかなかマネ出来んわなあ。 村山さんはとにもかくにも
マスコミ意識してたね
なんかの試合で複数の投手使って
接戦で負けた後、自虐的に
今うちが出来る精一杯の投手リレー
って言って、久保住友とかが憤慨したとか。
今もある有名な関西のラジオ番組の
バーソナリティにシーズン終了後
とうとうこのパーソナリティーにも
見放されましたわと、嘆きまくってた
ってパーソナリティーに紹介されてた。 >>488
スレチすいません。田尾と言えば、よく楽天イーグルスの監督引き受けたよなぁと。 開幕岩隈勝利で行けると思わせてからの、26-0のあわやノーノー負けという落差はなんとも言えなかったな まぁその同じところに優勝の冠を頂きながら
4試合で33点取られて一度もリードできずに負けたのが
言えたもんではないが 初年度の楽天って勝率3割いかんかったもんなあ。
87年や95年の阪神も異様に負けが込んでて
勝てる感じ全然せんかったけど、2割台やと
実力以上にはずみがついて溶解していくと思う。 >>499
なんでそのパーソナリティの名前を伏せるの?
実際に放送されたことなら書いていいでしょ。 >>504
87年ってバースいなかったらもっと酷かったんだろうか・・・ >>506
そりゃあ、そうだろうな。
何せまともな投手がキーオ、仲田、猪俣、
御子柴くらい(それも大したことない)。
この年から球が飛ばなくなってるのに
ひどい投壊。ゲイル退団、池田中田伊藤
中西も酷い。85年の無理使いがたたった?
85年比で言うと
岡田.342 35本⇒.255 14本
掛布.300 40本⇒.227 12本だもの。
真弓はまあ年齢考えると妥当かな。
マークがほぼバースだけになった。
柏原、佐野、長崎も衰え(まあ妥当)、
何よりありえんくらい田尾の数字が悪い。
この年で飽きて嫌気さしたかもしれんし、
翌年の村山が決定打になった感じ。本人に
執着あればああはならなかったと思う。 ボールが飛ばなくなったのに投壊ってのが凄いよなほんと
更に守備も悪化してたし >>506
そりゃあ、そうだろうな。
何せまともな投手がキーオ、仲田、猪俣、
御子柴くらい(それも大したことない)。
この年から球が飛ばなくなってるのに
ひどい投壊。ゲイル退団、池田中田伊藤
中西も酷い。85年の無理使いがたたった?
85年比で言うと
岡田.342 35本⇒.255 14本
掛布.300 40本⇒.227 12本だもの。
真弓はまあ年齢考えると妥当かな。
マークがほぼバースだけになった。
柏原、佐野、長崎も衰え(まあ妥当)、
何よりありえんくらい田尾の数字が悪い。
この年で飽きて嫌気さしたかもしれんし、
翌年の村山が決定打になった感じ。本人に
執着あればああはならなかったと思う。 ラッキーゾーンなくなったのに先発陣は崩壊
30HR以上打つ打者もいなくなったときたもんだ 87年頃にやったこと(と噂された事)
どうせ自分らが盗塁しないのだから
1.2塁間の土を深くして走りにくくするw >>513
赤星が改善要望出すまで柔らかくしてたんだよな >>506
挙げ句の果てに並木と竹之内が対立して竹之内が途中退団。
否、前年でも吉田と米田が対立してブルペンの新山と配置転換。 どれだけ弱くても馬鹿が入場料払ってくれるから
心配ない 若い人はこれ知らないが暗黒期っていくら阪神が人気あるって言っても
スタンドはかなり空いてたからねぇ
危機感持たなかったのは当時ふんだんにあった
全国中継巨人戦の地上波放映権収入のおかげ 亀山新庄は自分の能力だけで試合を決める
スーパーエース、桜木流川みたいだった
暗黒期は平塚吉田浩大豐金本みたいな
ださい選手しかいなくてやだった。 赤星にしても亀山にしても、調子乗ってダイビングばっかりして怪我で引退というアホの系譜だよな
すぐ周りに乗せられて自分を見失う奴が多いのが特徴よな 亀山-赤星-平野を
守備走塁コーチにしよう。
野戦病院になるけど大ウケ
間違いなし。新庄も選手兼任で。 >>517
暗黒期以前からも巨人戦以外はどう見てもガラガラだったぞ
昔の映像見ても 新庄はともかく亀山なんか1年覚醒しただけだろ
調子に乗って弟もタレントとしてテレビに出てたな 亀山の94年は規定打席の2/3くらいで
9本打ったし、まだ25歳だった。
翌年壊れたのは大いなる損失だった。
新庄とのバカコンビが相乗効果を生んでたし。 94年の亀山は過小評価されてる気はするな
92年より四球多かった 8月頃亀山が先兵役で優勝圏内に入ったのは覚えている
盗塁はしなかったが、あの時期の上位進出は亀山が大きかった
こう見ると野球に盗塁は関係ないし、色々盛り上げ方はある
94年の阪神はムードが良かった
体育でやるソフトボールみたいでよく繋がって、
簡単に打てるから皆が打って回ってよく還って来た
代打で出る長嶋真弓も乗せられて打った
チビの久慈も一丁前のプレーを見せたりと、皆が俺も出来るぞと見せ合っていたチームだった
95年からは呪われて、虐められっ子のようになりボールが前にすら飛ばなくなった 94年の中村は、優しいけど陰りのある壮年教師の雰囲気だった
皆が体育の授業で逆転して盛り上がってる中で、
「さぁ今日も終わった。帰るぞ」と一人たしなめる雰囲気だった
優勝圏内に入っても優勝など狙ってるようにも見えなかったし
最初から優勝を狙ってるようにも見えなかった
執着や欲が消えた目を、92年のあの日からしていた。
内からも外からも度し難い圧力を感じ、ストレスに晒されていた。
自分はもうこのまま仏の中さんで通して教師時代を終わろうと決意していた。 94年も最後の方でもしかしたら・・・ってときあったんだよな
(混戦だったから他のチームにも言えたけど)そんなココゾ!というときに
たしか6連敗ぐらいしてあっさり優勝争いから撤退したような >>523
そうそう。
>>524
弟・忍は消えたな。 >>526他。
全てはディアーのせい。
もう少し負広がスパッと切れば良かったが夏場までズルズル使いすぎた。 226打席.151 本8 点21
この打席を亀山や長嶋、鮎川に
くれてやれば優勝出来たかも。
9/14は貯金2で3位、中日より上だった。 ディアーのメジャー通算、
.220 本230
853安打 1409三振
三振率36.3%
.179で規定打席立ってる年もあるけど、
メジャーでも田舎球団は牧歌的なんやな。
さすがの新庄桧山でも気が狂う起用法w >>533
そんな奴をわざわざ獲得した阪神が一番狂ってる O’Malley の強い推薦があったらしいなw
性悪やったけどパッキーとディアーは
立てていた。ウィンや郭李の事は舐めていた。 暗黒期ってロクな選手がいなくて他球団をお払い箱になったロートル選手を獲ってくる一方、伸び悩みで放出した若手中堅が移籍先で活躍するパターンが多くて本当に萎えた
かと言って放出した選手たちがそのまま残ってたとしても、阪神で活躍する姿は想像できず
やはり上に出てるような首脳陣のゴタゴタをはじめ、環境が悪かったってことかな
藤田監督籠城事件なんてのもあったし 94年のドラフト1.2位
山村と北川は
ありゃ何だったんだW
中谷は目つぶされんかったら
もう少し打てたんやろか。
平尾もなあ。
まあ逆の例が2000年以降増えたんだが。 >>536
阪神の新外国人リストには巨人に行ったグラッデンの名もあったが
元チームメイトだったオマリーが「こいつは勘弁してくれ」と拒否してディアーに… こうやって見ると
1987〜2002の暗い時期で
優勝争いに顔出せたのは
92、94、99だけか
02は開幕7連勝以外は見せ場なかったと思うし
99はジョンソンの活躍で三日天下があった 敬遠ボールの試合も首位攻防をかけた
試合だった
こう見ると亀山はやっぱ凄い 97年は借金11と比較的健闘した。
亀山が五体無事で健在ならなあ。
97年でまだ28やからなあ。
代打の亀様になってたかもしれんぞW 97年は7月くらいまでは3位にいた気する
で、巨人が8月くらいまで最下位にいた珍しい年 >>540
H9は巨人が小早川の三発で沈んだ事も有って夏場までは独走ヤクルトに食いついた。
GWには数日だけ首位にも立ったが矢張最終的には五位。
和田が開幕から連続試合安打と新庄・桧山を頂点にチーム三振記録を作ったりと。 和田が骨折しなければ
Gウェルが詐欺師でなければ
(実力は凄く感じた)
亀山が健在であれば
1二 和田
2右 亀山
3一 平塚
4左 Gウェル
5三 桧山/ハイアット
6中 新庄
7捕 関川/山田
8遊 久慈 亀山って明らかに取れない打球にダイブしてた奴だろwww もしだけどオマリーが97年にいたらAクラス入れたかもな、まだ36歳だったし
急に劣化する可能性もあるけど 捕手をコンバートするのが
遅い印象
北川関川狩野浅井原口
まだいたっけ。 関川ってそんなに捕手として
アカンかったんやろか。
山田が打撃脚力の悪さを補えるほど
いい捕手やったとは思えんかった。
まあ人柄・社会性が結構大きいんだろな。 >>551
鬼平藤田は代理になって即外野関川・捕手山田にしたな。
最も山田がすぐ大怪我したから戻したが。
>>545
亀山はこの年引退賭けてたからもう無理。 関本さんがラジオで言ってた事。
天理で無双してた事もあり、ずっと
最下位争いが続く阪神に入り
楽勝で、即レギュラーになれるでしょ
ってなめきってたそうで。
でも鳴尾浜の練習見た瞬間
体力肩足打撃守備全てレベルが違うと
思い知らされたそうで。
当時の阪神二軍面子忘れたけど
やっぱプロは凄い。
ドラフト糞だと言われてても、
しっかり素質能力ある選手を
阪神なりに育成はしてたんだな。 うんサンジルシの曽我部とか
北川とか平尾とか萩原とか高波とか塩谷とか見てショック受けたんですね まあそら18歳だもの。
いっしょにしたらシバかれるけど、
大学入りたての頃の自信って
何やったんやってくらいその後
十数年揉まれるやん。普通の男は。 その後めぐりめぐって似たタイプのDH石嶺をとってくるんだから進歩しないわ
ましてやオリックスで門田と石嶺どっち守りから外すかで外れたのが石嶺なんだから
まだ門田の方が良かった!? ORIXには頭上がらないな
石嶺山沖星野糸井日高
まだいたっけ?FA獲得。
アリアスも獲得してるし。
ま、反対に西武には
トレードでけちょんけちょんに
されてるが。
二度と西武とトレードやらんで
ほしいくらい 大阪から来た虎基地は神宮球場のヤクルト応援席まで占領して、マナー最悪だった
1986 バース三冠王&4割越えの時見に行った
阪神はファンはマナーと柄が悪い 東京ドームで巨人ミニペナント配布
チビッ子ファンが、いらないペナントください
って、叫ぶ目の前で
いきった虎ファンがどや顔でペナント
ぶち折って、敵のペナントなんかいるか
ってw。さすがひいたし、憤り感じたな。
巨人ファンの連れにペナントおみやげに
あげようと、取っといたけど
泣いてるチビッ子に高橋由伸選手の
ペナント渡したわ。
同じ阪神ファンとして、恥ずかしかった。
暗黒時代の話じゃなくて、すんません。 >>559
西武とは田尾・杉山と金森・谷中だっけ、未だ居た?
代わりに吉竹・前田・北村・平尾・榎田。 >>564
もらった方は山川、立花、黒瀬もいたね
てか真弓忘れてない? 谷中山川は地味に活躍してくれたけど
吉竹、清家がバリバリ
レギュラーで活躍してたのみたら
なんか悔しかったな 当時の内野は掛布、真弓、岡田プラス一塁手の外国人で割って入る余地がなかったが、
掛布があんな早くダメになるとわかってたら清家は出してないだろうな 藤倉もロッテで活躍してたよな
阪神は遊撃手育成は上手かったよな。
今の現状はどう説明したら。
平田久慈さんいるのにね 平田は名手の割にフライを捕る時は宇野並みの危うさだったし
久慈も糸原みたいにエラー連発した事もあったけどな 平尾も放出して活躍したが
残していたら北條レベルの微妙な存在だっただろうな 平尾が高校68発の触れ込みだったが
キャンプであの体格見て
こりゃスラッガーは絶対無理だと思ったW
脚も高校で盗塁死ゼロとかふかしてたけど
特別早くはないし、野村の頃には遊撃外されてたな。
萩原も自分はプロレベルじゃないのに
アゲアゲされ続けるのが辛かったと述懐していた。 平尾は、なぜか当時の中日監督の
星野さんが、俺ならスタメンで使うと
気に入られてたね。
足肩守備長打力と飛び抜けたものなくて
まさに今の北條みたいな感じだったんかな? 平尾は日本シリーズでHR打ったりしてたな
打撃も足も肩も平均的な選手だったと思う 平尾と同じ大宮東の山口や埼玉栄の大島とか
埼玉の高校通算本塁打記録保持者は
鈴木健を除いてロクなのがいない
昔の大宮球場が両翼公称90m実測80mと言われてたし >>574
鈴木健以外は旧県営大宮なんか使ってないし
どういう論理展開なんだこの馬鹿 >>572
中村監督が平尾のことを「転んでもタダでは起きない図太い男」みたいに評価したのを、平尾本人はボクってそんなイメージなんすかね‥とちょっとムッとしてた、というエピソードがあった
今思えば、これといったセールスポイントが無いなら元木みたいな選手を目指してみたら?と平尾に生きる道を指し示したコメントだったのかも 和田の衰えがもう少し早かったら
平尾にも十分チャンスはあった
ただ、平尾はセンスはいいけど1シーズンフルで戦える体力が無かった
短い期間だったら活躍出来るんだけどね
西武時代も100試合超えを果たしたシーズンは一度も無いまま現役引退した 西武トレードと言えばエバンスと交換した橋本武広も
前年までの成績見ると普通に戦力になってたのに驚くほど衰えていた
当時37歳だからいつガクっと来てもおかしくないとは思うが
外人と30代後半ベテランのトレードってどっちも異例だな 1995年日本シリーズ
投げているのはオリックスのエース・野田浩司。打席にいるのはヤクルトの四番・オマリー。その年、阪神は惨たんたる成績(46勝84敗、勝率.354。首位・ヤクルトと36ゲーム差の最下位) 野田はどうなんだろ。
93年以外は実力通りで、
いいチームに入ったなという感じ。
交換相手のMさんも当時32歳、
42歳福留や38歳糸井より全然若いし。
性格に難ありだが故障やFAは誰も
予想出来なかった話。トレード
時点で批判してた奴いなかったなーw
オマも2年後.315 97打点で切られてるし。
95年春グレンが打ちまくってるの見て、
なーんだ、これでよかったじゃんと
思わなかったか。星の巡りあわせだよ。 野田の確変が1年早ければ
ALL OKでした!
万年トレード候補だった仲田が
92年出されていたら・・・?
野田残してても93.94年
順位が1個変わった程度だと。 阪神時代の野田をリアルタイムで見ていた人に質問
野田は対ヤクルト戦に相性良かったですか? >>579
平尾は1シーズンの半分、70試合出場くらいでベストパフォーマンスを発揮出来る選手よ
フルで使うと故障する
それは平尾の練習不足とかではなく、元々持ってる体の強さの限界なんだろうと思う
金本がハードトレーニングで鉄人になれたのは、
勿論本人の努力が素晴らしいんだけど、
それが出来るだけの体の強さが元々備わってたのが大きい 平穏に引退できた
レギュラークラス
人気選手、阪神で何人いることやら
矢野さんくらいしか思いつかないや。
引退試合できた掛布雅之氏が
円満な引退と言うのなら知らんが。
ま、他球団も変わらんか 熊本工で2年生4番 高波文一
「素質は前田や緒方より上でしょうw」
高校通算.513 29HR
プロ通算.169 132安打 2HR
無茶苦茶態度が悪く、本西が殴って
言い聞かせようとしたとかなんとか。 >>587
高波は結構野村に重用されてた
(野村就任直前に本西が放出されたのもあっただろうが)
高波が西武でクビになって野球辞めようとしてたときも、わざわざ声かけて獲得して重用してる
難しい場面で盗塁決めた直後に牽制アウトになったり、ポカが多い選手だったけど、
野村はこういう身体能力高い選手好きだよな 井上貴朗は98年萌芽あったのに
翌年から一切呼ばれなくなった。
故障してたって話も聞かないが…
特徴には欠けていたが、当時の阪神は… >>586
矢野燿大は試合出れないで引退セレモニーだけだったな。 井上って長嶋茂雄と出身高校一緒だから野村監督に嫌われて干されたって説があったような。 >>582
松永はまるで
打率3割(これは十分期待出来たろうが)30本100打点の
選手が阪神に来た!みたいな扱い受けたのが
可哀想だった気がする。 FAが始まってからつまらなく
選手のレベルが落ちた
これからは国を挙げて韓国を、アメリカを
倒すことに集中して欲しい
2015.11.19の晩は張本も江本も「かなしいよ」
と弱って動転することしか出来なかった
2019.11の決勝の朝では
「韓国今回は弱いからね〜」と見抜く
洞察力をとっくに付けていた
昭和のスターの怜悧な知恵は流石だなと思った
FAにしたことは知恵を欠いた行為だ
色々まとめて潰される資本主義の世の中でも
醒めた目の若者は居て欲しいし、どうか
知恵を育んでほしい 片岡は移籍1年目
何度も何度も左Pの外スラ
素人みたいに外からバット出して
空振りしまくってんの見て
へ?これが一流!?て感慨を覚えた。 >>600
小笠原が加入するなら兎も角片岡の加入如きで大騒ぎする阪神の野手のレベルの低さに驚いたわ。 PL→同志社の片岡は190位あったか?91年のハムドラフト2位
田尾と和田がデカく見えたという、ミクロマン野手揃いだった阪神の2位が久慈…
彼に責任はないんだが、只でさえちっちゃいのとガリガリだらけでショボいイメージなのに何で?感しかなかった >>603
当時のユニデザインのせいもあるのかもしれんけど、ガリガリで頭のデカい野手ばっかな印象だな、90年代は
川藤がコーチ就任したときに、とにかく食え!しか言ってなかったのも今なら理解できる 松永はすごい選手だけれども
阪急の強力打線の中だからこそそれまでの成績がのこせた面もあるだろう
それが貧弱阪神打線の中でどれだけ成績が残せるのか・・・って面を考慮せずに
過大な期待をしたマスコミファンに嫌気がさした面もあるんじゃなかろうか
それは日ハムから来た片岡もしかり。 松永は記者にもすんげえ横柄だったから
幼稚園の砂場とか書かれたんだろうな。
いちいち反響デカいし、セの投手の配球は
よくわからんとかこぼしてたし、FAできたし
ダイエー給料いいし、世間体なんか気にせんから
アッサリ出て行ったな。オリでもキレキャラで有名だった。 >>606
その点は松永浩美ぐらいまでのパの選手はマスコミの汚さを、
知ってはいるだろうけど肌ではわかっていなかったのかもね
だからマスコミを手なずけようとはしない
マスコミも、松永の態度が気に入らないならそう書けばいいのに、
それはせずに、悪役になったら一気に発言捏造・捻じ曲げで追い込むとかねえ >>607
レスありがとう。
アハハ、どっちもどっちやったねw 松永は引退後にNPB球団から全く指導者として声がかからないし
球界内でも信頼されていないんだろう 阪神在籍中の取材への受け答えが
おお…もう…みたいな感じやったもん。
当時子供やったけど、なんでこんな
大人げなくて感じ悪いねんと思った。
小倉工中退の原因なんか結果なんかは知らん。 ここ最近、阪神から他球団に移籍した選手は何故か活躍しないな。逆に阪神に移籍すると必ず活躍する(西、糸井、ガルシア、高宮、高橋聡など) 暗黒でも今よりホームランは打ってたような
グレンやクールボーとな来日した年はホームラン20本以上打ったし
オマリーやパチョレックもいたし
八木も新庄も 打てないのは毎度のこととして
エラーの多さはさすがに練習不足と言われても仕方がない 暗黒時代は和田 久慈 新庄と守備よかったな 投手もまあまあだし
今のほうが弱いんじゃないのw プロ球界随一の守備範囲の狭さで連続無失策記録、GG3度受賞のショート藤田平みたいなののほうが良いかな? 守備範囲とか巧拙って
たまたま失策シーンを連続で見たとか
注目して見てた時期が対象選手の
キャリアのどの辺かで全然違う。 >>617
打てんならせめて守りだけでもな。
今は打てん守れん。 榎本喜八が連続守備機会無失策記録を持っていたが
あれは「捕れる範囲しか捕ってくれなかった」から達成した記録なんだよな
有藤、山崎、村田が口を揃えて
「榎本さんは打撃は凄かったが守備には関心がなくて守備は酷かった」と言っている
一塁が前田益穂に替わってから守備では助かったって >>617
かといって高橋慶彦や宇野勝みたいな大ザルもどうかと思う。 亡くなった高木守道がシーズン中に監督を辞任する最後の試合で審判の判定にキレて
暴れて退場になったことがあったが、その試合は95年甲子園での阪神戦だったような記憶が >>620
張本とかもそうやが今の時代そんな
アホなスタンスが通るわけないから
心配には及ばんかと。
あっ、21世紀にも阪神の左翼にいたなw >>623-624
野村がその話をしていた
張本の守備は酷かった
レフトにいて左中間に球が飛んでも追いかけない
センターに「おーい、お前行けー」と言っていた サードはチョーさんの閃きで三十路過ぎて外野からコンバートの高田
レフト張本、セカンドがジョン損だったショート河埜の苦悩は計り知れない 他には別スレで言われていたのが晩年の土井正博について
足が衰えたとは言えあまりにも二塁打の数が少ない
真面目に走塁してなかったんじゃないかと指摘されていた
記録を見直すとそう言うのが見えてくる >>627
アホなこと言うなよ。全然見てないだろ。
ジョンソンはセカンドの名手だっての。
来日1年目は慣れないサードやらされたから不振だったんだぞ。 てかアンタ何歳なんw
さすがに70年代の実情
見てきたように話すんはムリやわw >>630
見てきたように話そうとする動機がわからん。
何のためにそんなことするの? 誰のこと言ってるかだが、貧打テーラー、強肩東田、サード後藤に早乙女や望月が一瞬ヒーローのあたりからがリアルタイム
カークランドも見たが何故か記憶にございません、だ >>631
いや、ちょっと通ぶりたくてさ
ごめんね、おじーちゃんw >>633
お前が思ってるよりずっと若いわw
「嘘を書いてもいつかはバレる」
お前に言いたいのはこれだけ。
知らないことを妄想で語って何が面白いんだか アラ還のおじいちゃんが
怒っています。
おまけに人違いまで・・・ >>629
文化人の蓮実重彦がジョンソンの守備を絶賛してたな。
たぶん誰かの受け売りと思うけどw 岩田がORIXの選手と自主トレして
練習についていけず、ORIXの選手に
皮肉言われたの、記事で読んだな。
金本平田片岡あたりは
選手に耗練習課したイメージあるな
阪神の選手も、逞しくなったよな。
北條は練習のやらせ過ぎで痩せ細り
親やOBから、平田二軍監督に
抗議きたらしいが。 球場が狭い時代の外野手は、張本の守備力でも何とかなったのよ
どう見ても外野に向いてない岡田彰布が、故障明けに外野を守ったこともあった
でも、今の広い球場だと外野は相当の脚力と強肩じゃないと務まらんわね
全盛期に比べて衰えたとは言え、今の福留、糸井は昔の外野手に比べたら全然上手いわ 松永取ってパチョレックが左翼行ってたけど、
ありゃいかんかった。故障者出まくったから
問題なかったが亀山が宙に浮く形だった。
平塚は一塁も左翼も糞だった。 うまかったな。
92年秋の湯舟完封-新庄ダイブ&サヨナラの
ときもいい動きしてた。わがままオマリーは
一塁の味覚えて94年には三塁拒否してたなw 川上と広岡の確執の原因もこういう事だったらしい
昔の選手はこういうのが多かったんだろうな
有藤と山崎の話だと江藤の守備も酷かったそうだ
https://www.sankei.com/west/news/151227/wst1512270016-n2.html
球界では広岡と川上との“確執”はその前、川上がまだ現役のときから始まった−と言われている。
「打撃の神様」といわれた川上だが守備の方はいまひとつ。
ちょっと逸れた送球は捕ろうともしなかったという。それに業を煮やした
広岡が「そのくらい捕ってくださいよ!」と文句をつけたことが“事の始まり”とされている。 >>642
広岡自身も新聞連載でそれを述べてたね
ただこれは、「川上との不仲の原因は、むこうが守備下手すぎたことがきっかけ」
としたい広岡側の意図があるかも その時代はそんな守備でも許されたんだろうけど
今は一塁手の守備力が凄く大きいよ
下手な人がやると内野手が全員イップスになってしまう シーツは一塁がもったいない気がしたが、
玄人筋は絶賛していた。アリアスも
乳揉みより三塁全然上手かったけど、
一塁で正解だったんだろうな。
一塁ド下手だとトラブル機会ありすぎやもんな。 >>611
エースのPTA会長の息子より実力がありながら使ってもらえず
悶々としてる時に野球部内で盗難事件がありその犯人にさせられて中退
本当はやはり松永が犯人なのかも知れないし
犯人扱いされた事で嫌気が差したのかは本人のみぞ知る まあ、普通にDQNの
内輪揉めで弾かれただけだろう。
あの実績でまともだったら
一度はプロで指導者なってるはず。 ただし、
松永浩美 大野久 中込伸 塩谷和彦 上坂太一郎 前川克彦
こう並べると実はこの中で一番まともなのが松永である 中込の焼き肉屋ってまだあんの?
行ったことある方レポートお願いします。 今の阪神のマルテは一塁守備がうますぎ、何故、どの球団も獲らなかったか 王が「今の選手の方が昔の選手より凄いですよ」と言っているのは
川上、江藤、張本とかの守備を見ていたからかもな
榎本は接点が少ないからあまり見てないだろうけど 守備より投手の質やバッティングだろ。
今は150kなんて普通だし、フォークも普通にくる。
王がこの時代の選手で当時のバッティングをしていたら、フォークで空振り三振ばかりやったやろ >>651
やっぱ阪神は一塁に守備うまい奴を固定して置いてる時が強い時だわ >>654
藤本勝巳「、、、」
遠井吾郎「、、、」 大山を試合中に3塁から1塁に移動するのは何とかならんか
真弓明信も、打球の角度が変わると一歩目が遅くなるから
やめた方がいいと言っとったぞ
どちらかに固定すべき 返す返すも野村時代の今岡が悔やまれる。
新庄みたいに扱って気分良くやらせれば早く開花して
最下位脱出していただろう。 暗黒時代の阪神は投手陣は安定してたが
軟投派ばかりでパワーピッチャーがいなかった
福原くらいかな、パワーピッチャーと言えるのは >>652じゃないけど俺も水原が巨人去るまで川上は現役だった時系列かと思ってたら
王プロデビューの前年で引退か >>657
とはいえ外野守備の穴がモロに出る
ラッキーゾーン撤去元年の1992が
阪神暗黒期で唯一優勝争い出来たシーズンだったんだよな… >>660
日本一の時だって速球派は皆無だったし江夏まで遡らないといけないのでは? 暗黒初期(亀山、新庄が出てくる前)にシーズン始まる前の春季キャンプの頃、スポーツ新聞でなく一般新聞で、あるセリーグ審判員のコメントに「阪神の選手の仕上がりは他球団と比べて遅い。」が載ってた。 他球団のテラスに倣い甲子園のラッキーゾーン復活を望む声が増えてるけど暗黒時代知ってるとそんなの恐ろしくてとても言えない。 >>662
まあ、そうなんだけど
投手が軟投派ばっかりだと、シーズンを通して投手を細切れに繋いでいかないといけないでしょ
抑えるというより、凌ぐになってしまう
本当に勢いのある相手には軟投派ばかりでは持ちこたえられない
ここぞというところでパワーピッチャーが力でねじ伏せてくれるからこそ
相手の勢いも止められるんで
1997年にヤクルトと横浜が優勝争いをした時なんかも、
石井一久がマシンガン打線相手にノーヒットノーランをやらかして
あれで勝負ありという感じだったもん 92年秋も
元祖ウィリアムスみたいな「剛球」
田村がいれば湯舟中西リリーフ
なんて事はなかった。
仲田中込野田あたりも剛球ではなかったな。
あとラッキーゾーンは不細工だからなあ、
なんか見栄えのいいデザインにしてほしいよ。 80〜90年代の日本だと150km/h出せれば相当速い部類だったから
暗黒期のピッチャー組では140km/h台半ばまで出せたキーオなら当時としては本格派。
抑え投手はあの頃、配球や駆け引きで投げるピッチャー(鹿取・斉藤明)と力で押す(郭・津田)ピッチャーの2タイプいると言われたが中西は頭脳派だろうなまぁ、 >>662
小林繁とエモやんも球速はさほどでもなかったんやね……江川と因縁トレードで22勝力投がクローズアップされたお陰で錯覚させられがちだが >>667
どちらかに分類せよと言われれば、まあw
リリーフ中西と言えば一点勝負の状況で先頭打者を出して、次打者が送りバントしてくると明らかに間に合わないのに毎回のように二塁へ投げてオールセーフという、絵に描いたような独り相撲をベテランになってからもやってたイメージがずっと残ってる >>667
今だったら全球団中継ぎでも150出すけど、
80年代なんか150出す投手いたチームは半分以下だろ。
>>668
小林も江本も130台。工藤のゾウさんも。
御子柴なんか120台だからな〜
江川がプロに入って対戦して、
「プロの投手ってこんなに遅いんだ」
と思った山本和が抑えでは140出してから速いほうだったという情けなさ。 >>671
>80年代なんか150出す投手いたチームは半分以下だろ。
みんなごまかされてると思うよ。
正直な話、語られてる話って全て今も昔もスピードガンの表示でしょ?
当時の140`程度が実は今の150`前後かもしれないよ
もっと言えば、今、150`はそれほど速い投手のイメージじゃ無くなって来てるよね?
今の「速い球」のイメージは160`だからガンの表示も併せて甘くなり、
「160`モード」に変更して甘くなると思うよ。
1番判りやすいのは当時の対戦した打者のコメント。
普通に140キロ前後しか相手にしてないのにいきなり160`出る投手なら当たらないって。
それがバットに当たるんだからガンの表示がおかしい&甘いんじゃない? 関係ないがこないだの金やんお別れ会のニュースで
吉田義男さんが金田の大の苦手選手としてインタビューを受けていた
関西から来たのかあ・・・ >>671
エモやんはそんなに速くないやろ。
最速128kmhでさらに遅い球でノラリくらり。
たまに134kmhの球を投げたらバッターが驚く程度。 湯舟は2年目MAX145q程度出ていたが
3年目からは滅多に140出なくなった。
100球肩っぽくてノーノーの時も9回には
130q切っていた。
90年代半ばまでは右で140q、左で135qが
一定の目安だったろう。
中西なんか酷使のせいで87年頃には140q
出なくなっていた。池田やマイクも酷使。 2000年に福原が甲子園で150以上出して球場ざわついていたっけな >>671
半分以下どころかもっと低い。
巨人江川
中日郭
広島津田
ロッテ三宅宗源
西武郭
この程度 ちょっと話題がそれるが、昔は先発ピッチャーが試合終盤に最速に近いまっすぐを投げると
「このイニングでそのスピードが出るか」と言っていた気がする
近年だと終盤でもスピードが落ちないピッチャーが多いので、終盤に150キロを見てもあまり驚かない 村田兆治はヒジの手術後も絶好調時なら150km/h近く出してたんじゃないかと
>>680
他に槙原や長冨や宮下昌己とか
即戦力や超高校級で入ってきた投手で
2〜3年ぐらいはMax150km/h台で鳴らすタイプとか…
故障や経年で以後は殆ど147〜148km/hまでだったり真っ直ぐだけじゃプロで通用しなくなっていくが
90年代に入ると150km/h台メンツも
与田や伊良部を筆頭に野茂や佐々木主浩と代替わりしてったけど 与田は早かったなあ
唸りを上げる低めのストレートが
低めならダルビッシュらを抜いて最速だろう >>681
>近年だと終盤でもスピードが落ちないピッチャーが多いので
何を言ってんの?その前に完投してないじゃん。
近年だと終盤でもっていつから6回や7回が終盤になったんだ? 阪神が強くなったのは、井川慶というパワーピッチャーが誕生したからよ
今はその後継者が中々出てこないのが歯がゆいところ 井川はよく他球団が回避してくれたよな。
最初の3年は「ちょっと頭アレなんかな?」
とか鳴尾浜で言われてたよな。
金本や矢野、今岡、赤星にも感謝だが、
やはり井川が躍進の旗手だったと言いたい。 井川のお父さんが日本ハムのアレやったからハムもアレしてたけど
阪神がアレできたんやな >>627
ジョンソンはオリオールズでゴールデングラブ賞の2塁手。
やっぱりお前は当時を全く知らない。 >>679
バカボンしか使わないフレーズw
自分で「バカボンで〜す」と名乗ってる馬鹿www 大相撲1月場所優勝した、奈良県出身の徳勝龍は、阪神タイガースファン・亀山つとむファンだと。
私は始球式でキャッチャーやりたい。亀山つとむさんに投げでもらいたいんだと。
今朝のす・またん!より >>687
左のチェンジアップ投手って日本だと活躍が長続きしない事が多いよね…
成瀬なんかも1年だけ凄い数字だったけど >>688-690
ドラフトの時に井川から日ハムが撤退したのは、表向きは腰痛ということだけど
実際のところは本人の意思が固かったからだと思う
その昔に上田利治がサンテレビの解説をしていた時に
井川の投球を見ながらちょっと寂しそうに言ってた
「僕がハムの監督の時に、いいピッチャーだから取ってくれと球団に言ったんですけど
本人が『阪神以外行かない』と言うてるからと言われて、それで断念したんです」
いつのどの試合だったかまでは分からんけど、サンテレビの野球中継はみんな見ていただろうから
この発言を覚えている人もいるんじゃないかな で、結局98年夏の渡辺スカウトの件は
どうなったのよ? 近大とパイプ復活してよかったね
近大エースを阪神スカウトがこけおろして
出入り禁止にされたんだっけな
横浜や近鉄にいい選手
指名されてた記憶あるわ 今岡ドラフトの年か・・・
俊介のときはどうだったんだろう?
なんか地元選手取ると後援会やら
有象無象がうるさくて避けてた時期も
あったようだな。 スポーツ紙全紙一面が張り出されてるから
関西ローカルテレビ番組の
スポーツコーナーは便利だね
暗黒期はシーズン途中にトレードやら
新外人やら、ドラフトやら
時期監督候補やら飛ばし記事満載で
楽しかった 東京は外角ギリギリを突く変化球、大阪は直球勝負の記事が売れる
前者は打たれたショックで膝をつき、後者は端っから打たれてナンボのあっけらかんとした世界 スカウトの人って何してるの?スカウトのスゲジュールを話したよ!
https://www.youtube.com/watch?v=w8U3ejnYep0
あの時は騙されましたね…。僕は見るポイントは〇〇が正確に出来る子が必須ですね。。スカウトの田中秀太からスカウトする時のポイントを聞いてみたよ!
https://www.youtube.com/watch?v=z6Y8BJoTqZo&t=
秀太スカウトの話が面白かった 1987はホントひどかったですね・・・キーオが投げてる時しか試合にならなかったような・・・
仲田と猪俣には夢を見ましたが・・・ >>708
池田がアホーナーに3連発食らった年か。 特に酷かった年トップ3
1978年 1987年 1995年
1998年も酷かった記憶あるけどそれでも上の3つだな 3番に打点30未満とか置くの好きだったな
打率しか見てなかった 87年はバースと掛布の得点圏打率も凄かった。
バース.320 本37 点79
掛布.227 本12 点45
バースは2割4分台、掛布は1割7分台だった。
もっとも掛布は85年も.248で概ね勝負弱かった。 >>702
出勤前の時計代わりに、0715まで見てますよ。 阪神が弱かった頃はファミスタやパワプロでも弱かったので、使いたくなかった 逆にパワプロとか自分で選手を作る事が出来るゲームだと入れ替えしやすかった。 野球シミュレーションゲームに
やきゅつくって名作あったな
阪神は当時弱かったから
逆に年俸制限でスタートメンバー
選ばないといけないから、若手
沢山選べて楽だった >>715
誰でも勝てる強いチームはビギナー向けで、その意味で阪神は最も難易度が高かった
ゲームとしては上級者向け設定なのに心境は複雑だった たしかにショボ過ぎるんで
自作選手だらけになったりしたなw
とにかく95-01あたりは
何の特長もない個人記録も屁みたいな
選手ばっかりやった。 >>717
懐かしい
安くて伸びしろのある濱中を大事に育てたけど成長は鈍かった
当時トレードで成立しやすかったのは日ハムの片岡とダイエーの城島
後年ふたりとも実際に阪神の選手になるとは思わなかった
ドリキャス版では新庄があるオフに「大リーグを目指したい」と申し出るイベントがあり、引きとめる選択肢もあったけど年俸が高騰してたので送り出した
当時はゲームだから起こり得る事態だと思っていたら、これもまた数年後に実現して驚いた ファミコンだったかセガだったか何のタイトルか忘れたけど、阪神があまりに弱すぎるから退団したはずのバースを4番に入れてるゲームがあったな
それでも最弱チームには変わりなかった ファミコン版のベストプレープロ野球で
セリーグをやる時は阪神に「かわとう」をいれて遊んでいた
どこも守れないようにして代打専門にしていた
まああまり状況に変化は無かったがw
普段はパリーグをやる事が多くて
同じパターンで何回に「かげうら」を入れていたが
comにやらせてもこちらは割と役に立っていたようだがw >>99
冷静に観察してる新庄に物凄い違和感を感じるwww 新庄、文字は書けないけど洞察力は凄いよね
去年のシリーズの丸の拙い守備を丸の事を知らないけど見事に解説してた 田尾は阪神来てから衰えすぎだろ。西武の頃から怪しかったけどさ 田尾「阪神の打撃陣は中日・西武に比べたら明らかに衰えすぎ」 田尾は天才肌に見えて打席ではむちゃくちゃデータ主義だから
ゼロからやり直しになったパ時代はつらかったと言ってた >>724
まあ守備のことは本職だから職人肌の人は語れると思うんだが、
監督・ブロント・選手起用のことまで見抜いていたのが意外。
>>728
田尾は新人王とったと思うけど、その後不動のレギュラーというわけでもなかった、
ベンチスタートの時に投手を観察しまくってたんだよね。 自分は元々愛知県在住の中日ファンで阪神日本一を見て阪神ファンに転向して今日に至るけど田尾は中日ファン時代と阪神ファン時代の両方で応援してた唯一の選手。 田尾が打率350で首位打者取れなかった時の首位打者の長崎は
85年日本シリーズで2本もホームラン打ってたあの長崎だったんだな 金森にあまりのレベルの低さに
愚痴まくりだったと聞いたな田尾さん >>731
85年途中から野球見始めた俺にとって長崎は、
「なんで3年前の首位打者がいま補欠?」とそっちが不思議だった ロートルが終わり際に首位打者や高打率はよくあるね
本塁打・打点はそう言うことはないので
本塁打・打点の方が信頼出来る
首位打者は社会などの暗記科目で
頭が良くない奴でも満点近くや1位が狙えるのと似てる >>735
今岡の打点王もそんな感じだったけどな。
狂い咲きみたいなのは結構ある、
首位打者は規定打席ぎりぎりでなるパターン。 >>727
これ見ると、90年にプチ復活したというか
87年だけスランプ、88年には復活してたのに干されてたように見える 村山は子供心にもあんまかしこくないなあと思ったね。
なんか顔色悪くて大丈夫かなとも思った。 1987年は全然打てない田尾を吉田義男監督が我慢して使ってチーム最下位
1988年、1989年は村山実監督が若手選手起用に方針を切り替えたので
ベテランの田尾は出番が減った
1990年に中村勝広監督が積極起用して田尾も調子を取り戻すがチーム最下位
ベテランに頼っても勝てず、若手に切り替えても勝てず
当時の阪神は八方塞がりだった >>638
野球知らんアホ
球場狭い方がクッションボールの処理とか大変だったんだが?
フェンスもラバーなんかついてない時代はもっと難しかった
今みたいな広い方が肩弱い外野手はダイレクトに投げず最初から中継プレーになるから、
下手でもリカバーできるんだよ 貧打/投壊でいうと
87 貧打投壊
88 貧打投壊
89 投壊
90 投壊
91 貧打投壊
95 貧打
96 貧打/やや投壊
97 やや貧打
98 貧打
99 貧打/やや投壊
00 貧打
01 貧打
勝率3割台は87,88,91,95,98だが
ちょっと95,98の勝率が悪すぎる。
まあ打てなさすぎだしPF考えると
投手も並以下だったんだろうが… あ、88年は投壊じゃないな。
3.82でした。すいません。 村山実監督は、やり方が極端すぎたね。
若手抜擢、外人に外様にベテランは
実力認めないでバンバン切り捨ててたな。
ただ岡田と中西だけは、特権与えてたな
お前らが四番とエースだみたいに。
チームがうまくいくわけないじゃん たしかに村山は極端だった。
投打の中心が中西とどんでんかw 負け続けて中西のリリーフの出番が
ないから、先発にしたんだよな
明らかにキーオの方が実力上だったが
開幕投手中西だったっけ。 90年の開幕戦は最高でした。
中西キーオで25勝!
岡田パリッシュ八木で90発!と思ったが・・・
てか結果76発だから今と比べたら立派な物w
89年もいきなり!フィルダーやったなあ。
時代を感じるのは主力級投手の負け数の多さ。 ゲイルも翌年の開幕が池田でブチ切れたって言うからな
ムッシュも村山も少し考えろって >>740=743
外野手としては、狭い球場ほど守りやすいです。狭くても、広くても、
定位置に変わりはありませんから、狭い球場ほど、外野フェンスが近くな
るわけです。頭を越えられる心配が少ないですから、心理的にも余裕を
持って守れますよね。
逆に、広い球場だと、後ろを気にしなければなりません。ホームランテ
ラスのなかったころのヤフオクドームや、ナゴヤドームなどは“後ろの打球”
への意識が常に頭の片隅にありました。一方、東京ドームなどは極端に言
うと、5〜6歩下がればフェンス。横と前の打球に集中していればいいです
から、楽でしたね。
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170823-13 >>751
>クッションボールの処理
スルーですかwww >>751
「現代の選手にとっての広い球場と狭い球場の守り方」じゃないですよ?
元レスは張本がいた頃の環境、昔の球場の話。 >>737
その割にシーズン3サヨナラHRの当時の新記録を樹立。
後にヤクルト時代のハウエルに抜かれるが。 田尾はさわやかイケメンなのに
かなりアクが強いところもいい。
三田寛子との共演が人生最良の時だろう。
趣味はギター。 阪神暗黒化の原因の一つが掛布引退だった訳だが
球団の構想では、もしドラフトで清原が取れていれば
サードに清原を起用する予定だったそうだ
http://www.ninomiyasports.com/.wptest/archives/11896
1985年は優勝で運を使い果たしたのか、ドラフトで最大の目玉を取り逃がした
1998年の横浜も松坂を外したし、いいことは中々連続して続かない 長崎、柏原、田尾、金森と中堅〜ベテランあたりを獲るのやたら好きだったよなあの頃 >>757
レフトという選択はなかったのだろうか
高校出てすぐなら足も速かったろうし、西武時代は2桁盗塁も2回してる >>758
>長崎、柏原、田尾、金森と
その前も弘田澄男 野村収
その後も古屋英夫 立花義家 高橋慶彦 今でも暗黒だったら福留とか中田辺りもそのラインナップに加わっていたのか。 清原、守備技術は最初から高かったし
走力も普通だった。
周りの大人が甘やかして、目に余るように
なってきても西武時代の数字はよかったんで
だんだん言えなくなっていった。 阪神が獲得した中堅ベテランというと久保や古溝を思い出す
オレはパリーグ好きだったから、阪神は渋い選手好みなのかと思ってた その辺で全く駄目だったのは高橋慶彦くらいか
他はチームが強ければ「ベテランの味」とか持ち上げられるレベルにはあったな
実際長崎は大したことないけどバースに影響を与えたとか讃えられてるしな ロクに観客のいないパリーグの試合で地味にプレーしていた人たちが
移籍して甲子園の大勢の客の前にいるのを見るとすごい違和感あったんだよなw
阪神が弱くても人気あるのはよく伝わってきたし、
会社が強くしようという気になかなかならないのも納得だった >>757
もし安藤統男監督が続投していたら
早めにバースを放出して、掛布をファーストへコンバートし、
サードにドラフトで取った大型内野手を入れる予定だった訳だ 掛布は安藤の時には守備の衰えや
深酒、リーダーシップのなさが
指摘されるようになっていた。
86年の故障禍だけではない。
85年は飛ぶ球を奇貨にしたような打ち方。 764
長崎は佐野と併用気味のレフトレギュラーの印象もあった
後にやってきたパで30本の柏原も同じ位しか打てなかった
西武のレフトよりはマシだった その頃の西武のレフトて、吉竹クンやないかい
レフトスタンドからのハルキ〜!戻って来てくれ〜のヤジにニタニタしとったな 弘田は良い事は「お客さんの声援が大きかったこと」悪い事は「派閥があって面倒くさい」と
言っていたな
当時とロッテと阪神じゃ客入りは天地の差だろうしね >>768
84のシーズン終了前、安藤政権続投という前提で、飛ばし記事だろうけどトレードで二桁勝てるピッチャーの獲得目指す、掛布放出もやむなし、なんて記事がスポーツ紙に出てたりしてたよね
その候補が南海のダブル山内あたりで、はぁ!?って思ったけど、もし実現してたら掛布で獲得できるのはやはりそのクラスだったのかも 暗黒期ではないけど
ブレイザーは
「岡田を使わずヒルトンを使ってたから解任された」
「ブレイザー解任後、中西が岡田を使った」
みたいな解説をされることが多いけど、
http://2689web.com/1980/tigers.html
これ見ると、ヒルトンは早々に見切られてるし、
掛布が4月中旬から出なくなって(故障?)代わりに岡田が出てるし、
そもそもヒルトンはほとんど一塁で出てるから本職二塁の岡田とは直接は競合しない。
成績的にも、わざわざ五割に戻したところで解任されてるから、
政治的なゴタゴタが原因だったのを岡田の件をスケープゴートにされた感が否めない。
阪神は昔からこういうことを繰り返してる印象。 暗黒期ではないけど移籍してきたマッシー村上が
阪神は年俸のランクごとにロッカーが配置されてて
驚いたというか呆れたと前に言うてた >>771
ロッテは愛甲がヤクザより怖いと言うぐらいの一匹狼揃いで
それはそれで面倒だったと思うけど 岡田より優先したのは榊原じゃないの?
江本は「当時は榊原の方が上だった」と書いていた >>773
80年のヒルトンは一塁として使われてた。打撃不振でスケープゴートにされた感があった。
掛布は4月18日の巨人戦(甲子園)で走塁中に左膝の半月板を損傷して長期離脱を余儀なくされ
穴埋めとして岡田を使わざるを得なくなった。
ブレイザーが辞めたのはフロントが勝手にボウクレアを獲得したから(ヒルトン解雇は了承してた) そもそも何でヒルトンを取ったんだろうな
前シーズンのスワローズでの成績や状態を見たら普通リストから外すもんだろうけど 一塁にコンバートされてた藤田平が79年の4月に左太もも裏の筋断裂(当初は重度の肉離れと発表されてた)で
回復経過が思わしくないためブレイザーの指示で渡米して治療し、
一塁の穴埋め要員(79年は主に佐野、時々負広)としてヒルトンを獲得したと思う
問題はヒルトンはヤクルト時代は二塁だったため、大物ルーキー岡田の邪魔になると誤解されてた。
ヒルトン解雇後になって藤田がようやく復帰した このページによると
http://npbstk.web.fc2.com/order/1980tigers.html
4月18日対巨人戦で掛布が故障離脱して
19日、20日はセンターだった佐野をサードに、
セカンドだった加藤博一をセンターに、
空いたセカンドに榊原を入れてるんだな
当時のファンがどうしてサードに岡田を入れないんだと怒ったので
4月22日対大洋戦前に小津社長がブレイザー監督を直接説得して
やっと岡田のサードが実現したという感じかね >>739
吉田〜村山〜中村初期のころは
打線はそこそこ打つけど、投手陣がまるでダメな
チームだったね。
中盤までは勝ってるけど中継ぎ抑えで逆転負けパターンが
多かった気がする ラッキーゾーンあって打線そこそこ投手陣ダメなら
ラッキーゾーンなかったら打てない投手陣さらにダメだったのか ラッキーゾーンが無いと駄目外野陣の影響をもろに受けるからな。それこそ晩年のヤニキみたいな。 そういう意味では亀新が出てきて広い外野が堅守になったのは良かったんよね
(どんでんが外野やってたのこの頃だっけか)
でもいい時期が長続きしなかった イイ感じの若手が順調に定着せんのは
亀新の頃からずっとやな。
いや他のチームも思うようにはいかないん
だろうが、阪神野手は顕著やな。 そら、タニマチ、ふぁん、マスゴミにチヤホヤされて勘違いする典型的パターンに陥るということよ 安藤監督時代に池山隆寛をドラフトで取る話があった
ヤクルトが思ったより上位で指名したので取り逃がしたが
あの時池山を取れていれば
90年代のヤクルトにあんなに負けることも無かったかもしれない 1二 和田
2右 亀山
3捕 古田
4三 オマリー
5一 パチョレック
6遊 池山
7左 八木
8中 新庄
書くのもアホらしいが
夢ではなかったんだよな・・・ >>792
中日に入った森田も獲れてたかもしれないだよな 相撲取りだって3年位で入れ替わってくし
1年隆盛を保てたとしても本当次の年はどうなってくか分からない
85年阪神も83年からの3年スパンのチームだった
真弓が首位打者獲りバース弘田らが入った所からVへの萌芽があった
85年は左は佐野長崎吉竹併用、中は弘田北村、右のみ真弓固定と
方針も明確でまだ若手への期待も持てた
86年からは全く知らないチームになった
西武黄金期が続いたのも、石毛辻伊東が大きな怪我をしなかったのが大きい
この内の一人でも欠けてたら黄金期は終わっていたろう
そう言うチームの心臓とも頭脳とも言える選手が居る
秋山清原はいなくても多分関係なかったと思う
亀新は強い物を持ってると解説鎌田からもお墨付き貰ってるし
どんなチームを作ってくかと思ったけど残念だった >>793
森田は近大時代にタイガースの公募テストを受けに行ったくらいのトラ党やったのに「背が低い」という理由だけで弾かれてたな
ついでに言うと古田もタイガース志望だったのに「キャッチャーで眼鏡をかけてる」という理由だけで外された まあ赤星や近本を見た時も
こんな小兵の外野手・・・
と思ったものだが。 >>794
打はそうでも投はダメダメだったろう。
池田は1年目から足痛が有ったと本人談、中西・仲田がほぼ通年で成績はともかく引退まで投げれた位で、誰が居る?
伊藤・工藤は未だマシな方で嶋田は2年目で怪我で終わり、遠山も3年程でロッテへ、中田や島尾も怪我に泣いたクチ。
藤原や源五郎丸は何にもだな。 日本でもワンポイント禁止なったら遠山火災遠山とか見れなくなるんだよな >>796
古田の眼鏡うんぬんのコメントは
野村克也が言ったんだよな
元ヤクルトスカウトの本にある。
ヤクルトは監督が古田はいらないと
言ったが、フロントスカウトが押しきった。
阪神は村山さんが欲しがったのを
スカウトがノムさんのコメント伝え聞いて
指名ドタキャンしたとか。
立命と一時関係悪化したよな
ま、たいした選手いなかったが。 ノムのオツムはプロ野球史上
一番都合よく出来とるからねw
ヤクルトの元スカウト部長片岡氏も
人として一切信用していなかった。
後から180度違う事を平然と言ってのける、
そこに痺れる、憧れるゥ!とな。
ゴーストライターって一人なんやろな。
乱発本が出るたびに記憶のディティールが
徐々に自分寄りに前進してやがるw
有能だよ。 古田が阪神に入っていたとしても、ポテンシャルが開花することはなかった
強肩を買われて早々に外野へコンバートされたかもしれない ノムさん・・・
悪口言ってすいませんでした。
やっぱ愛すべきジジイでした。
合掌 これだけは言える。星野・岡田の優勝は野村が畑を耕し種を蒔いたから。残念。 吉田義男、3回目の監督最後の編成会議での発言
「脇役ばっかりで戦っている」 >>806
思うところはみんな一緒だったんだが
ノムが2000年夏に久万の顔が真っ赤になるくらい
直言してやっと変わり出したんでな。
経歴汚して頑張ってくれて感謝。 >>805
それはないな
3年連続最下位で種を蒔いたと言われても説得力がない
残念ながら阪神では大失敗に終わった、これが現実 表面しか見ていないなら黙った方が良いよ。
当時の久万オーナーに「野村はいちいち、腹立つこと言うが良く考えたら、正しいことを言っている」と言わせ球団改革に着手するきっかけを作ったし、当時のダメダメスカウトを佐野を残して首にして入れ替えたりした。 野村、星野監督時代に球団社長を勤めた野崎勝義氏も著者で野村時代がなかったら、星野監督の優勝もあり得なかったと記している。野村、野崎コンビが球団改革をして阪神タイガースの体質を変えたのは紛れもない事実。 野村時代の選手の約7割を1001が入れ替えて優勝できたわけで
これを遺産だの種だのいうのは無理がありすぎる >>749
阪神オタにゃ開幕だけの美酒で終わってしまったいう話でしかないかもしれんが、
広島が89、90と優勝争いで巨人に取り残されてった1つにシーズン初戦で土をを付けられてしまってたてのもあると思う。
89(平成元)年はフィルダーの一発で開幕落としただけで翌日以降勝ちまくってたからあんま関係なかったように感じる向きが大勢だったみたいだが、小林誠二が月刊誌(Theカープ)で
『巨人が(前年勝ち頭だがやや故障で5月まで投げられん)ガリクソン欠いたハンデで広島に2〜3差程度しか離されてないので見た目ほど楽なペナント争いではない、、、』
とか漏らしてたし序盤で勝てる試合は全てモノにしてないきゃならんシーズンだった。
翌90年は大野がプロ14年目で初めて開幕に抜擢されつつも炎上したのを期におかしくなって次の登板以降、年齢的に少なくともしばらく先発担うのは通用しなくなってしまった意味での挫折にもう…
ただ88年は阪神に開幕勝利しながらやはりV逸だったがこの年は4月最下位の中日が優勝した異なる展開だったからあまり類型的な比較は出来なそう。
楽天も見たら一緒。野村が戦える体制を整えて、星野がその体制を生かした。(楽天はブラウンと言う黒歴史があったが)星野は自分では戦える体制を作っていない。中日時代はBクラスが多かったよ。 5年連続盗塁王の赤星獲得の決め手は 足と人間性は一級品も…
https://www.daily.co.jp/baseball/kikuchi/2018/09/21/0011662053.shtml
余談ですが、ドラフトでは赤星の指名を巡り、一悶着ありました。
4位で赤星を指名しようとしたら、野村監督が机をペンで叩き、「沖原(の指名順)を上げろ」と。
NTT東日本の沖原は遊撃手で、阪神の補強ポイントでもありました。
しかし私は「沖原は下の順位でも獲れます。赤星にしましょう」と訴え、何とか4位で赤星、沖原は6位で獲れました。
もし赤星を4位で行かなかったら、他球団に獲られていた可能性がありました。
野村監督の「赤星は俺が評価して獲ったんだ」というコメントは有名ですが、裏ではこんなことがあったんです。 >>803
野球に限らず大事なのは「何をやるか」ではなく「誰とやるか」「どこでやるか」だよな
古田をノムさんとの出会いがあったからこそだし、ブライアントも近鉄に移籍して中西コーチとの出会いがあったからこそ、日ハムの大田だってあのまま巨人だったら今頃は戦力外だったかも
「古田を獲らなかった阪神はアホ」だの「ブライアント出した中日はry」だのほざく奴らは世間知らずも甚だしいし、人間と機械との区別が付かないのでは?とすら思うよ 移籍先のリーグが違うから一時的に大確変するというのはあるな
92年もヤ神巨広と団子で競ってて
ハムに出され14勝した金石が残ってたら楽だったみたいな感じもしたが
パの打者にはシリーズで対戦した西武以外のメンツにゃあんま知られてなかったから復活したのかも >>814
>Bクラスが多かった
それおもっくそ野村氏にブーメラン) >>815
古田の時と全く同じこと言ってんなこのオッサン 勝たせるには何年もかかる、と言ってダメだった野村
絶対に勝たせる、と言って勝たせた星野仙一
この差 阪神監督就任時、ノムは自分の考えが選手に伝わりさえすれば勝てる、と戦力を過大評価してたんだろうな
98年と99年は外国人除くとほとんどメンバーが変わってないし
これじゃあダメだとようやく気付いたのが2000年の終盤ごろで
オフのドラフト大量獲得とメンバー大幅入れ替えに至ったんだと思う なんか廃部のローソンから3人取ったりしてて
いやそんなんかき集めてもって感じだった。
まあ野村-星野の順番が図らずも正解だったな。 ヤフコメ見ると野村阪神時代は弱いけど面白い野球やってたって人が多いな 遠山を同じ日に2度ワンポイント救援で投げさすために1塁守らせたっけ? 普通、ファーストってそう簡単に引っ込められる選手じゃないよな
つまりそうではなかったという事で… 野村野球が面白かったのは99年6月の首位に立つまでだろ 一時期ではあるが大豊に1本脚を止めさせてプチ覚醒させたのは凄い。 野村野球は面白かったって3年連続最下位で選手も地味でたいして見どころもないのみ
ただの負け惜しみだろ
第三期吉田阪神もある意味面白かったぞある意味な 野村克也監督時代の阪神は
元々苦手にしていたヤクルトに加えて横浜にも弱かった
それ以前は、どちらかと言うと横浜は得意な相手だったんだけどね
1999年、2000年、2001年と横浜が3位を維持出来たのは
阪神相手に勝ち星を稼いだからよ
マシンガン打線の横浜に軟投派ばかりの阪神では歯が立たなかった
ノムさんが対横浜線で滅多打ちを食らって「戦力が違いすぎる」とボヤいてたのを覚えてる ヤクルトへの苦手意識を植え付けたのが当の野村だからな 吉田と野村時代のセリーグは他5球団のチームが強すぎた 投手は悪かったが緒方前田がケガで離脱しててもディアス金本ロペスがいた辺りまではまだしっかりしてた
カープは金本がいなくなってから暗黒化した まあ野村さんのピークは、純金の像が作られた時だろうね 辞任直後に黄金時代が来たり優勝すると
再評価される傾向
関根とか根本とか サッチー脱税のせいで野村阪神終了
こんな酷い展開ないだろwと当時思ったけど
阪神からしたらあのタイミングで監督かわってくれて良かったんだな >>823
阪神にやってきた当初の話題性の高さ、新庄に投手、
敬遠サヨナラ打、遠山葛西遠山葛西と、
そこまでは他の暗黒と違って注目あびたからね
ただ途中からは例によって他の暗黒と同じ雰囲気だった 2000年は新庄を4番として確立させ
2001年は桧山の覚醒に一役買った
亀山が居たら、どんな野球をしていたか。お互い野球IDが高い同士だけに 亀山のケツは100pあって
体格の割にデカかった。 良い選手はケツがデカいよな
ケツが小さい選手は一時的に活躍しても続かない。
木田勇なんかその典型 ケツが小さいといえば
新庄やないか!
日ハム時代はプリケツに見せたくて
パットを片側3枚入れた
特注スラパンを着用w 矢野の成長。
井川の覚醒。
赤星と藤本の獲得。
この辺が野村の功績かな? 濱中抜擢(新庄大豊タラスコ
抜けたんで使わざるを得なかった?)
新庄の進境(出ていきやがったけど)
アベレージ桧山
秀太プチブレイク
広沢もプチ復活&六甲おろし
投手では井川しか思いつかんな・・・
ヤクルト時代普通に通ったことが凄まじい
反響だったっつーから、中村とか吉田の
ときは相当アレやったんやろし、地ならし
(地あらし?)してくれた。
関西マスゴミやクソOB、後援会連中の
糞っぷりに気付くのが遅く、つーか
政治力に欠け、味方に出来なかった。
星野はその上で来たからね、図らずも正しかった。 もし野村監督じゃなかったらその後の捕手事情どうなっていたかな?
相変わらず矢野と山田の併用でその次に北川と吉本って流れがしばらく続いていたかな? 野村克也時代
1999年(6位)打率.259(6位)本塁打97本(6位)防御率4.04(3位)
2000年(6位)打率.244(6位)本塁打114本(4位)防御率3.90(3位)
2001年(6位)打率.243(6位)本塁打90本(6位)防御率3.749(僅差で4位)
星野仙一時代
2002年(4位)打率.253(5位)本塁打122本(5位)防御率3.41(4位)
2003年(1位)打率.287(1位)本塁打141本(5位)防御率3,53(1位)
やっぱり打てないと勝てない
こうして見ると金本の獲得がいかに大きかったかがよく分かる
野村時代は2000年に本塁打が3桁出たところで最下位脱出を果たして欲しかった 「こんな戦力では勝てません!もっとお金を出してください」と訴えた野村
「このままじゃいくら根強い人気とはいえ、どんどんお客が入らなくなりますよ!」
と訴えた星野
好き嫌いじゃなく、野村はただ野球好きのオッサン、星野は商売人だと思うわ。 98年途中から阪神に在籍し、99年に就任した野村監督のもとでプレーした。ところが好調を維持しながら2軍落ちを命じられ、怒りを爆発させた。球団に自由契約とするように要求し、野村監督を批判するビラを作成。
「私は彼に敬意を払っているが、私には払わない」などとつづって報道陣に配るという、前代未聞の暴挙に出た。球団は「同年中の謹慎」「年俸20%の罰金」を科し、メイ氏はそのまま退団した。
翌00年には巨人に移籍。阪神戦では、何度も打席を外した和田に向かって危険な球を投げつけるなど、遺恨は続いた。同年12勝を挙げる活躍を見せ、阪神ファンを悔しがらせた そもそも星野は日本では根本に次ぐ名GMだからな
その時点でフロントを味方につけることすらままならない野村とは比較にならない まだあの頃はGMとは何か
みんなまだ分かってなかった頃 >>851
メイは99年は防御率良くなかったけどな
巨人移籍後のメイとの対戦、2000年はやられたが2001年は勝ち越した
2000年2勝4敗
2001年2勝1敗 >>851
二軍落ちは審判への暴言で出場停止になったのが原因だから言い掛かりにも程がある 田中秀太はノムが抜擢して、99・00年とレギュラーで使ってたけど、
00年途中で吉田剛を獲得したり、
00年オフにドラフトで即戦力ショートを2人も穫ったりしてたから
相当物足りなかったんだろうな
監督辞めた後も、バラエティー番組で
「関西のスポーツ新聞は田中秀太が一面」
みたいな発言して阪神を揶揄する材料に使ってたみたいだし 田中はスカウトやってるけどもし田中と同じ選手ごいたら獲得しないだろうな
劣化した久慈みたいなやつだったし 田中秀太
打率 低い
長打力 ゼロ
守備 うまくはない
肩 ふつう
盗塁成功率 低い
顔 まあまあ
人柄 いい 87年阪神
3番バース.320 本37 点79
得点圏.227
4番掛布 .227 本12 点45
得点圏.178
規定打席以下と思ってたら到達してたw
こりゃキツい。
03年横浜古木の.208 本22 点37
得点圏.121がよくネタにされるが、
選手の格考えるとホンマひどい。 掛布は83年で引退していたら通算打率3割維持していたのに。 吉田が85年の就任時に
掛布があんま練習しない人になっていて
年相応にリーダーシップもとっていない
しょっちゅう深酒してる
まだ若いのに守備の動きも落ちている
ことに驚いたらしいな。
バースにもリーダーシップのなさを指摘されていた。
岡田も「野球は20歳までに決まるんや」と
うそぶいてルーティン練習以外しなかったらしい。
優勝の年すでに腹が出てるw
真弓は真面目だが常に一歩引いていた。 アルコールはスポーツ選手には余り良くはないんだよね
片岡篤史チャンネルで言ってた
立浪や宮本みたいに小柄でも長く活躍する選手はアルコールを飲まないんだと >>859
ランスのお陰で最下位逃れた
この年40歳で辞めた衣笠より低いわ >>861
真弓は「掛布や岡田より目立ったら
いろいろと都合が悪い・・・」と良くも悪くも
かしこい(?)人だったからな。
もう誰もチーム(阪神)を強くするために俺が捨て石になる!!!
って熱い気持ちを持つ人はバカ扱いになるわけで。 90年代阪神が特に悲惨に見えるのは当時のセリーグが5強1弱だったから
80年代大洋ヤクルト 00年代横浜広島 10年代序盤広島横浜 10年代中盤以降中日ヤクルト
みたいな二弱体制ならあそこまで悲惨に見えなかっただろうね >>865
木庭スカウト陣世代の選手が本格化する前の大洋の弱さも大概だったじゃないか。何だよ、開幕投手有働にサード清水って。 大洋は古葉のクビ飛んだ元年の投壊が半端なかった。
わりと堅調だったのは斉藤明夫だけだった
虎も村山が辞めたけど最下位だけは脱して一息と思われた。 >>866
まあ完全に1弱だったのは96年〜01年かな
そのころには広島も怪しくなってはいたが
まだ希望はあった 榎田と交換してまで獲得した投手って、
なんか凄いパイプルール人脈あるのかな
いくら怪我がちとはいえ、榎田とは
釣り合わなすぎた感がある。
引退後いきなりスカウトだし。
その辺見込んでのトレードなら嬉しいが。
てか、沖原なんでただで出したのか
四国に人脈持ってたんだろ
楽天でスカウトとして、凄い
功績残してるんでしょ どこも弱い時期ってのはチーム内に野球以外の原因がくすぶってるものだが
阪神の場合はその原因の割合が高すぎるのがもはやDNAになっとる
他のチームに行くならまだしも
「野球が嫌になった」
と1軍選手が突如任意引退するのが相次ぐとかこの時期の阪神くらい 藤田平阪神監督時代を語る
「(新庄引退騒動で暗躍した)その、先頭に立った新聞社がいま困って
ますわ。野村さんもその新聞社を締め出そうとして、やっと球団が
言葉に出して『出入り禁止』と言ったんですよ。やっとマスコミに強気
になったんですよ。いままでマスコミに強くなかったんですよ」
これってどこの新聞社? 多分スポニチ。
今回の野村死去の翌日でも報知ですら1面持ってきてたのにスポニチは近本だったし当時の記者が想い出として閉め出されてた事書いてる。
2000年頃野村を目茶苦茶叩いてた。 >>873
ありがとうございます
長年の疑問が氷解しました サンスポもじゃないの?
星野仙一さんと蜜月すぎて
前日にドラフト指名選手
全員順位まで載っていたよな
星野さんいなくなり、反星野派の
岡田になり、情報流さなくしたとか
今も外人情報とか、一日遅れだし。
ドラフト隠し球記事で指名した
選手いないだろ 暗黒時代のセリーグのクリーンアップ
巨 松井ー清原ー高橋
広 前田ー江藤ー金本
横 鈴木ーローズー駒田
中 福留ーゴメスー山崎
ヤ 稲葉ーペタジーニー古田
神 ?????? 3番 昨日2安打した若い選手
4番 他球団でとっくにピーク過ぎた元・一流
5番 今年でおさらば確定な外人 1999年の4番打者
前半はブロワーズ(打率.251、10本塁打、43打点)
後半は大豊(打率.341、18本塁打、39打点)
2000年の4番打者
序盤は固定できず、新庄の他
広澤(打率.217、5本塁打、16打点)
大豊(打率.241、23本塁打、54打点)
タラスコ(打率.239、19本塁打、57打点)
6月以降は新庄(打率.278、28本塁打、85打点)
2001年の4番打者
前半はクルーズ(打率.234、14本塁打、34打点)
後半は桧山(打率.300、12本塁打、57打点)
この中で4番にふさわしい数字を叩き出したのは新庄だけかな
ノムさんにとって不運だったのは、やっと開花した4番打者が即FAで出ていってしまったことだった 引退騒動やファンによる嫌がらせ選出等
完全に終わりかけてた新庄を
上手く手懐けて復活させたのは(失礼ながら)
野村らしからぬ手法で驚いたわ >>881
むしろ、ああいう腐ってる天才を復活させるのこそ、野村の真骨頂じゃないか
南海の江夏、楽天の山崎武司のような
>>882
98年序盤の故障のことでしょ
あの故障の前まで平塚は神がかってたから 97年の平塚は普通に好成績。
翌年春も凄まじい勝負強さで
加速するかと思ったが・・・
理不尽に阪神イマイチ軍団の枠に
入れられてるのが不憫でならない。
ランナー一塁でのエンドラン芸は神。 平塚は強いチームの6番あたりにいたらめちゃくちゃ評価されるタイプ もし平塚が97年に3割打っていれば
翌年パウエルを穫ることもなく平塚が開幕レギュラーだっただろう
そうだったら、史実とはかなり状況が違ったはず
パウエルは数字以上に戦力としてのマイナス面が大きかった 平塚が出なくなって、桧山が出るようになったり残ったのは幸いだった
直感的になにかあったんだろうな、桧山は なんでノムは平塚を出したんだろ?
杉山も晩年っぽくて使えなかったし。
まあ平塚はかなり打ってないと
起用しにくかったが。
大豊パウエルいると動きにくかったなあ。
ハンセンも良いところなかったし。 99年の大豊はすごかった
ムラが激しいので中日の時から隔年傾向 >>883
山崎が復活したのは本人の姿勢の変化。
「もし若い頃だったら反発していたかもしれない」と言ってるから。
崖っぷちでまた監督に逆らったら後が無いからという処世術でしょ。 大豊はノムに一本足打法禁止されて
揉め干され気味だったのを考えたら
良くやった方かな
真面目で不器用なタイプだから
スランプになると長引くし 山崎武司は中日時代からよくも悪くも同じような成績なんだよな
守れない走れないすぐ首脳陣に楯突くから出番に大きな波があるだけで
ハズレ扱いされたオリックス初年度や
誰もいないから出てた扱いされた楽天初年度もOPSは悪くない >>884
低めや外を拾うのも上手くて
右で巧打もあって内川みたいな感じだったね
亀山無事で、新庄4番、桧山平塚がたまにクリンナップ入り20本80打点の外人取れてたら優勝してただろ
優勝は実はそんなに難しくなくて、近い所まで来てた >>893
タラレバをいくつも重ねりゃ何とでもなるんだよ 俺は亀山推しの人、結構好きなんだよな。
あの時代に対する愛もあるし
一途な感じw >>886
> パウエルは数字以上に戦力としてのマイナス面が大きかった
禿同
足を悪くしてたから一塁を走り抜けるのですら言われないとしなかったし
元々中日時代から長打が少ない打点の低い打者だったから取る意味はなかった
あの外野守備だとラミレスかバレンティンなみに打ってくれないとキツイ
吉田政権2年目最大の誤算だったと思う よっさんは85年は守備が良かったということを強調するが
じゃあ98年のアレは何だったんだという守備ガン無視編成を敢行したよな >>889
99年の大豊は9月だけで9本塁打。
2000年は6月下旬まで絶不調で広沢や八木と日替わりで出ていた。
東京ドームで河原からホームラン打って復活し出した。そして甲子園でビール飲んでくださいのヒーローインタビュー。 ムッシュはポリシーがまるで無いよな
それだけが原因ではないけどコーチと激しく衝突するのも仕方ない 大豊 01年中日に出戻り
星野「阪神で何を学んできたんや」
大豊「どうしたら最下位になるのかがわかりました」 結局01年の大豊は糞だったから
放出は正解だった。
タラスコは守備よかったし
手間かければもうちょい打てたかも?
新庄も消えて長打力皆無になったからなあw
01年開幕前 松井秀喜
「タイトルはクルーズとの争いになると思う」
バルデスやクルーズも中日行ったけど
全然やったよな。
馬鹿は阪神だけじゃなかったw 1998年に、もしパウエルがいなくて開幕から坪井スタメンだったら
もう少し勝てたかと言うと、それも微妙な気がする
あの年はマシンガン打線の横浜が強力で
技巧派だらけの阪神投手陣は殆ど歯が立たなかった 戦力不足というしかない。
阪神中継ぎ課とか言うけど
そいつら先発じゃ無理やったんで。
98年は
桧山.226 本15
新庄.222 本6
中込 8勝13敗 4.78
こいつらが規定立ったのが全てを物語る。 >>899
最終盤に打ちまくるから帳尻合わせなんて言われてたような
年俸大幅減を提示されてキレてたな >>904
レギュラー野手の打率が2割2分はキツイよね
2割5分のパウエルやハンセルは、彼らに比べたら打ってる方だった
歴代セリーグの成績を見ても
チーム打率2割後半、本塁打3桁、防御率3点半ば
この3つがクリア出来ないと上位は難しい 大豊「石田さんには(査定担当)を辞めて頂きたい」
石田「私の人事は社長が決める事。大豊君に私の人事権はない」 掛布さんが年俸交渉で
最初の提示額に抗議したら
ポンと1000万上がって
どんだけ適当、どんぶり勘定
言わなきゃ低い年俸のまんまで
球団ホクホクかと、キレたんだろ昔 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200221-00010002-flash-peo
阪神については、「監督を引き受けたのは、野球人生最大の汚点」とまで言い切った。
「ミーティングをやっても、選手は時計ばかり気にしている。このチームをダメにしているのは、OB連中。
キャンプに激励と称して来るんだけど、選手を夜の街に連れ回すのが目的なんだ。
田宮謙次郎OB会会長(当時)に『迷惑だ』と言ったら、それ以来、俺のところに来なくなった」 戦後優勝5回ってのは偶然じゃないんだよな。
人気、注目度に応じて然るべき取り組みを
していれば6年に1回ペースで結果出せたのに。
恥知らずな関西商人なのよ。 野村克也監督の3年目の終わり頃だったと思うが
余りに勝てなくて、試合終了後のインタビューで野村監督が泣き出したことがあった
「俺はこんなに力のない監督だったのか」と
さすがにナインが奮起して翌日は勝てたんだけど
暗黒阪神の選手は負けるのが当たり前になって、悔しいという感情すら湧いてない
精神論かもしれないけど、野村監督は選手の闘争本能を呼び起こすことが出来なかった >>910
>てか野村がそれを知らなかったわけねえだろ
俺も同じことを「野村克也が語る阪神監督時代の選手・球団・マスコミのひどさ」に
突っ込みたかった
10年近く同じリーグで戦ってきたのに、「いやあ選手がこんなにひどいとまでは〜」
何十年も南海にいて昭和のマスコミなんかでっち上げもタカリも当たり前だったろうに、
「関西の新聞があることないこと〜」だの 戦力もさることながらノムの元では奮起しなかったな。
独特の狭量さがあって合わん奴をあたら低調にさせた。
ただノムがブレーンストーミングを起こし、常識を
説き考え方の段階をいくらか上げておいたお陰で
星野の厳しさ、他球団の水準が受け入れやすくなった。
星野は戦術的にはオーソドックスだったが人脈、補強力、
コミュ力、恫喝力、甘辛ミックス力、見栄え、気配り、
マスコミ&ジジイ殺しがノムと比べ圧倒的だったよな。
現代社会でこういう器量人はもう出ないだろうなあ。
楽天の時なんか間にブラウン挟んでみたり狡猾なんだよな。
まあ、ここの人からしたら今更な話だったな。 今岡の扱い見たら
ナインがやる気になるとか
とても思えんが 開幕してゴールデンウィークが終わる頃には定位置の最下位だった 「5月から消化試合」「梅雨入り前にストーブリーグ突入」 99年は7月までは4位だった、最後のほうは5位争いに敗れ最下位
00年は8月半ばに一度4位になるもヤクルトが勝ちだして最下位
01年は5月までは5位だったが以降一度も順位上がることなく最下位
終盤に勝つ力がなかった 大豊で思い出すのはサヨナラHR打ってホームインした時、ヘルメット取られてキレた事。
そんなに禿晒すのがイヤだったのか。 >>918
あるあるw
95年はOP戦優勝したよな。
98年の新庄はOP戦大賞w
>>919
ノムは意外と根性がなく負けが込むと愚痴
たれまくってマスゴミがやな感じで増幅した。
負けだすと歯止めが利かないのは戦力不足に
尽きると思うが、3年間共後半戦カス負けっぱなし。
>>920
いっときズラかぶってたな。メット取りは
やっても怒らん相手もいたよなあw このスレを見てると「プロ野球景気の悪い話」というサイトを思い出す >>898
守備が云々言う前に、打撃が貧弱過ぎるから
まずはそっちを強化・・って事じゃないか >>923
85年だってバース・掛布・岡田・真弓不在で佐野が4番を打つようなチームだったらまずは打撃を強化するわな。 時系列間違いならすまん。
遊撃手不在時
関学田口に指名拒否マスコミ批判される
遠山を出し高橋慶彦獲得も概に老朽化
ドラフトで東北福祉大浜名指名ならず
久慈選手繰り上げ二位指名
結果的に1992、二位躍進の原動力に。
ドラフトは有力選手に門前払いにされ
トレードは足元見られ、まさに暗黒だったね
ただ弓長さんとか、即戦力選手
厳しい環境の中、探し出してくる
スカウトの眼力も光ってたな ええ…大豊あの頃ズラだったのか
中日時代からもうかなりキテたのに…ルーニーみたいやな
しかし野村より早く逝くとはね もし、本来の予定通り
大豊泰昭、中村武志⇔久慈照嘉、関川浩一、桧山進次郎
このトレードが成立していたら
1998年はもうちょっとマシだったのだろうか
それともやっぱり暗黒だったのだろうか >>927
94年に二冠王獲ったときに既にきてたな
>>928
98年はやっぱ外人だよ、パウエルでは怖さがなかった パウエルも大豊も怖かっただろ
中日時代の阪神戦では・・・ 野村監督時代も川上巨人時代の牧野のような存在のコーチがいたら少なくとも現場に対してはもう少し変わって本当に野村のやりたいことが出来たんやないか?
川上も牧野がいなかったら早々に解任され超短命監督だったろう 伊原とはケンカ別れやったんかな?
畠とかも絶交だったらしいし。
黒田とかどうだったんだろ?
ヤクルトの元スカウト部長片岡氏の
著作とか読むと人望の無さが覗えるな。 阪神は野村の「再生術」に掛けたとこがあるが、それでは優勝はできない。
ヤクルトが優勝できたのはあくまで「エース石井 捕手・古田 四番・広沢(オマリー)」という太い幹があっての「プラスα」再生選手(吉井とか田畑とか馬場)だから。
「エースと4番不在」の阪神に「再生選手(遠山)」軸に優勝を・・というのは名将でも無理。 江本孟紀
「(阪神は)このまま野村監督続けていたら、絶対黄金期が来る」 >>934
「エース井川 捕手・矢野 四番・新庄」という太い幹があっての「プラスα」再生選手(遠山とか広沢とか成本)
これで優勝狙えると思った時期もありました (´・ω・`) 野村克也さんが生前語っていた「阪神は星野監督で良かったんだ」の真意
https://dot.asahi.com/aera/2020021100015.html?page=2
阪神時代の一番の失敗を、「選手を大人扱いしすぎたこと」 だと言った。
……私は選手を誉めなかった。プロの選手だからだ。プロとは、監督が誰であれ、
自分のために、プレーするものだ。だが阪神では、活躍を誉め、ミスを怒鳴る、
高校野球のように指導すべきだった。彼らをプロの選手と考えたのがそもそも
間違いだった……。
(中略)
江本さんはいう。
「基礎体力がない阪神の選手は開幕から2、3カ月で、すぐへばる。
でも、背筋腹筋だ、千本ノックだ、と野村さんは言えなかった」 春先の首位争いから一転、夏場からじわじわ後退して
99年みたいなシーズンやなと思った去年、
最終的にAクラスになったのは基礎体力があったからだろうか 西本監督が阪急で最初にやった事は猛練習ではなく
それが出来るための体力づくりだったそうで。 池山、広沢、内藤みたいな伸び盛りの選手がいるチームで監督をつとめるのと
当時の阪神の監督を務めてAクラスだの優勝を求めるのはちと
厳しいんじゃないのかねえ 阪神時代の野村監督と比較するならヤクルト時代の関根監督や西武・ダイエー時代の根本監督辺りが適正かな。 99年は9月に入った時点で最下位は免れそうな状況だったが和田、矢野が立て続けに怪我した途端に12連敗で最下位転落。
層の薄さが如実に現れたシーズンだった 野村時代のヤクルトのドラフト
89年1位西村 2位古田
90年1位岡林 3位高津
91年1位石井一久
92年1位伊藤智 3位真中
93年1位山部
94年2位宮本 3位稲葉 >>939
野村が掲げる野球は頭のスポーツはある程度の体力技術があっての話だからな
名将森も横浜で失敗したのは西武の選手が言わなくても当たり前にしていたことが横浜の選手は出来なかったからな
采配以前の問題だった 権藤の時は出来てたんだからそれは森がヘボいだけよな
結局あれでどこからも指導者のオファーがなくなったんだから自業自得 巡り巡って、ノムが92の罪滅ぼしで
新庄を再生させ、桧山を一本立ちさせて繋げたけど
03は盛り上がらない残念な優勝でしたなぁ
はいはいようやく優勝しましたか、と言う感じだった
面白かったのは02までで、上坂今岡桧山赤星浜中坪井の定位置争い
この辺の駒でどうにかして欲しかったなぁ 亀山が無事なら03年34歳か・・・
濱中や桧山とライト争ってたかもしれんなw >>948
立浪も同じことを言ってた
心技体と言っても、一番大事なのは体なんだって >>948
横浜時代の森は弱くなかったチームを最悪にしちゃった感じだろう。
谷繁に出ていかれ、金城につなぎ役を要求してすっかりダメにしたり
暗黒時代をスタートさせた。 西武時代、伊東にやったみたいに
谷繁を刺激すべく相川を起用したのに
ふて腐れたんだろ >>956
実際それをやって相川が伸びたのだから結果オーライだな。 >>951
2003年は盛り上がらないというか7月半ばの時点で2位と17ゲームも付いてたからね
8月にちょっと負けだしたけどそれでも優勝は時間の問題だった。
競ってドラマ性がなかっただけ、でも久しぶりの優勝で盛り上がった >>955
そこ、ノムよりも劣悪な点なんだが
ハワイに逃亡したことで上手く話題にならずに済んだな森は
広岡みたいにしゃしゃり出たがるタイプだと無理だが 落合博満が好き勝手(フロントも全面支援)やる
阪神を見たいが、現状のまあまあ程度の成績では
実現せんなあw 阪神は1991〜2001年に開幕戦11連敗していたのだが、
これは偶然なのか、負けるべくして負け続けたのかどちらだろうか。
1987(6位) 球団史上ワースト勝率 8連敗3度 前半戦19勝54敗3分
1988(6位) 掛布引退 広島戦開幕9連敗
1989(5位) ヤクルト戦10連敗
1990(6位) 巨人戦6勝20敗 8月を5勝20敗
1991(6位) 球団初の10連敗 甲子園の巨人戦1勝12敗 広島に胴上げを見せられる
1995(6位) 巨人・ヤクルトに6勝20敗 ルーキー河原に6勝3完封献上
1996(6位) 開幕戦で斎藤雅樹に1安打完封負け ヤクルト戦15連敗
1997(5位) ヤクルトに7勝20敗1分 ヤクルトに胴上げを見せられる 緒方に3点リードの9回2アウト満塁から逆転サヨナラ被弾
1998(6位) 開幕戦で川村に1安打完封負け ハマスタで1勝10敗 長期ロード開幕12連敗 甲子園12連敗 横浜に胴上げを見せられる
1999(6位) 2年連続の12連敗 ナゴヤドームで1勝8敗 2リーグ分立後の通算勝敗が負け越しに転じる
2000(6位) 2年越しの横浜戦14連敗 ナゴヤドームで1勝11敗
2001(6位) 開幕戦で3−17の大敗 広島戦7勝20敗1分 野口に外野飛球ゼロの1安打完封負け 池田って何が長所だったんだろ?
中西はコントロールと度胸、
仲田は左で直球とカーブがすごいとか
あったけど・・・
伊藤とか工藤、中田もよくわからなかった >>957
相川を育てたのは森ではなく後任の山下の時バッテリーコーチだった福田功 >>962
暗黒阪神って対戦相手の相性が極端に出るよね
3本柱全盛期の巨人に勝てず、ヤクルトに勝てず、
ナゴヤドームの中日に勝てず、横浜に勝てず なお、暗黒時代を脱却してからもナゴヤドームの中日戦で勝てない模様。
観戦に行ってノーノー2回も見たわ。 中西清起は伊東(西武)が「カーブ。自分の対戦の中でのNO1は谷(阪急)と中西(阪神)」とやってた。 >>968
谷って実質活躍したのは1シーズンくらいだと思ったけど
随分高い評価してるな、伊東は。 ああそうか、中西にはカーブがあったな。
キーオのカーブもよかったなあ。
関係ないけど今年の新人、遠藤君の表記が
「ENDO」やな。「ENDOH」でなく。
伊藤文隆の「ITO」を思い出した。
てかENDOHとかITOHとかTAIHOHって
H付けるのがそもそも間違っとるんやけどw
これを機に改めてほしい。けどたまたまやろな。
やるならENDOU、ITOU、TAIHOUやろ。
SHINJYOも「SHINJO/SHINJOU」で正解。
あと「MOCHIZUKI」は「MOCHIDUKI」な。
曙の「YOKOZUNA」タトゥもまちがいw 戸籍謄本もパスポートもヘボン式で統一されているのに何言ってんだこいつは >>970みたいなアレにレスするのもアレやけど
阪神は語尾にHを付けずKATO、KUDO、ITO、SATO、KIDOやったね 昔は小林繁 今は西 生え抜き日本人エースと呼べたのは井川だけw ヘボン式の表記ルール一例
1.「お」を含む長音「おう」の場合
→東京:TOKYO
→北條:HOJO(無視して音韻に忠実ならHOUJOU)
2.「お」を含む長音「おお」の場合
→大野:ONO
→大山:OYAMA(無視して音韻に忠実ならOOYAMA)
3.末尾が「おお」音で、読み方が「お」の場合
→横尾:YOKOO
→妹尾:SENOO
4.末尾が「おう」音で、読み方が「う」の場合
→遠藤:ENDO(無視して音韻に忠実ならENDOU)
→伊藤:ITO(同じくITOU)
→加藤:KATO(同じくKATOU)
長音に「O」「U」を付け加えることはしない。
「H」を付けるのは100%間違い。
あと「ず」「づ」、ヘボン式では書き分けないらしいが、
ここらへんはファジーなんでさ、阿呆やと思われたく
ないから敢えて「づ」は「DU」で区別してるんだよ。
曙が総合の時かなり馬鹿にされてたしな。
てかヘボンとか普通の奴は頭になくて、ただ単に見栄え、
語感とか悪常識で適当に長音「OH」を乱用してるんだよ。
「づ」に「ZU」だって同じ理由やろ。
戸籍やパスポートがどうなのかは知らん。
「OH」で統一するんなら北條は「HOHJOH」なw
>>971
確認してから書き込みしようね。
>>973 >>975
適当に被せないようにね。
あと知らない人に汚い言葉、使わんとこうね。
言葉さえ気を付ければ5ちゃんは結構いいものだから。 > 戸籍やパスポートがどうなのかは知らん
これは論外として、
外国人に「ヨコドゥナ」でなく「ヨコヅナ」と発音させるためDUでなくZUなんだけどね
何のためのローマ字表記なのか根本がわかってないと話が噛み合わない 王をOUとそのまんま表記すると外国人の発音は「アウ」になるので「オー」と読ませるにはOもしくはOHでなくてはならない >>968
谷は1999〜2004年にかけては十分に活躍しなかったか? この谷は
谷良治(阪急・オリックス)1984〜1991
の事じゃないか? >>962
神宮でヤクルトに勝てなかった時、阪神タイガース応援団が、ペットで東京音頭吹いてたのは覚えてる。 >>924
> 地獄のロードさえなければ最下位ではなかったんだな
神戸市やオリックスから夏に
グリーンスタジアムの使用承諾取れなかったんだろうか >>987
92年はロード中に西宮1試合、神戸3試合やってるな 同じ鉄道会社なんだからその辺のツテなんていくらでもあったろうに
要はやる気が無かったんだろうね >>986
ありがとう。
わかってくれる人もいるんや。 >>993
ホームからやたら離れて打席に立っていたのは覚えてる
ノムさんから1軍レベルに達してないと2軍落ちを命じられるも
契約上出来ないと拒否して解雇されたんだっけ
ノムさんは打撃よりも守備が気に入らなかったようだ 単純に野村の息子(代理人)の連れてくる外人と取り換えるためだろ
野村ってこういうせこい小銭稼ぎばかりやってたよな ’90年代後半の阪神電鉄は地震のことで大変だったんじゃないかと思う
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