暗黒期の阪神ってどれだけひどかったの?★6
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池田が先発して1回持たずにKOされた翌日にまた先発したことあったね あの頃ってマイクとかも先発
0/3
でKOってのがしばしあった 池田も先発としてたいして活躍したわけじゃないからな。
そりゃ印象が薄いのも当然 そもそも池田とか中西とかドラフト上位で取るほどの素材じゃなかったからな。
スカウトの無能さが暗黒時代の遠因と言ってもよいだろう。 しかし中西は甲子園優勝投手でもあり、胴上げ投手だしなー 平塚が1イニング2捕殺の記録をつくった試合を生で見たな(ナゴヤ球場での中日戦) 昔はリリーフが7回くらい投げることもあったから
先発を0回で降ろすこともあったんだよね
今はそういうリリーフがまずないから最低でも3回くらいまでは我慢させる 暗黒期の阪神が92年は突然変異だったよな
85年はその数年前もさほど弱くはなかったし 1980年代阪神の二桁勝利投手
1980年、小林繁(15勝14敗)山本和行(15勝11敗2セーブ)
1981年、小林繁(16勝10敗2セーブ)山本和行(12勝12敗1セーブ)
1982年、工藤一彦(11勝8敗2セーブ)小林繁(11勝9敗)伊藤宏光(10勝10敗)山本和行(15勝8敗26セーブ)
1983年、小林繁(13勝14敗1セーブ)工藤一彦(13勝10敗1セーブ)野村収(12勝11敗)
1984年、山本和行(10勝8敗24セーブ)
1985年、ゲイル(13勝8敗)中田良弘(12勝5敗)中西清起(11勝3敗19セーブ)
1986年、山本和行(11勝3敗15セーブ)
1987年、キーオ(11勝14敗)
1988年、キーオ(12勝12敗)
1989年、キーオ(15勝9敗)中西清起(10勝10敗5セーブ) >>410
85年より前って3位と4位ばっかだな
たまに優勝争いして2位 キーオが85年にいれば20勝していたとか言われてたなあ 67勝63敗2分(2位) 監督 中村勝広
1 和田(二) 率.278 本0 打点23
2 亀山(右) 率.287 本4 打点28
3 オマリー(三) 率.325 本15 打点62
4 パチョレック(一) 率.311 本22 打点88
5 八木(左) 率.267 本21 打点60
6 新庄(中) 率.278 本11 打点46
7 久慈(遊) 率.245 本0 打点21
8 山田(捕) 率.204 本4 打点31
沖田 35試合 14勝12敗1S 防2.53
湯舟 27試合 11勝8敗 防2.82
中込 28試合 9勝8敗 防2.42
野田 26試合 8勝9敗1S 防2.98
葛西 21試合 6勝8敗 防3.83
猪俣 15試合 5勝5敗 防5.00
御子柴 29試合 1勝2敗 防1.53
嶋尾 25試合 1勝2敗1S 防2.39
久保 11試合 1勝0敗1S 防5.14
中西 31試合 2勝5敗3S 防4.76
弓長 51試合 4勝1敗4S 防1.35
田村 24試合 5勝1敗14S 防1.10 >>411
小林繁は引退の年まで二桁勝利をキープしていたんだな
あそこで引退せず起用方法や調整方法などを考えて現役を続けていたら85年の日本シリーズにもライオンズ相手に投げていたかもしれない >>416
そないな言い方せんでもええやないですか。
37年前の話、普通知らんですよw
最終年の成績みたら今現役でぶら下がってる奴
アカンよな。 >>414
投手は田村抜きにしても僥倖に過ぎる。
あと一人主軸級がいればなー。
八木は8月以外あまり打てなかった。 >>418
Wikiすら見ない人って何なの
タラレバを書くにあたって背景を調べようとも思わない感性が理解できない >>410
92〜94は暗黒中休み
ベイスの05〜07と少し被る >>421
93と94も健闘していたから
優勝はともかく今までの暗黒は終わったと思った人もいただろうな しかし今となっては92~94も暗黒時代の一部として語られる事が多い。
阪神の歴史を紹介する本なんか概ねそんな解釈。 >>420
いや、俺は小林引退の経緯知ってんの。
ただそんなのはマニアネタもいいとこなんで
ざっくばらんな所で偉そうに言うなと思っただけ。 山田隆道の10年前に出した本、
あんなん割と知的で熱心な阪神ファンなら
誰でもすぐ書けると思った。
もちろん出した奴の勝ちだが。 >>424
後付けなら何とでも言える
書き込んでどんな反応が来るかを予測できないのは、俺が偉いんじゃなくてお前が愚かなんだ 1993 皮算用通りなら
1二 和田.300 本0
2右 亀山.290 本6
3三 松永.295 本10
4一 オマリー.320 本20
5左 パチョレック.310 本17
6中 新庄.280 本17
7捕 関川.270 本2
8遊 久慈.260 本0
・・・・書いてて思ったんだが
あんま動けないパッキーがレフトで
みんな元気なら八木か亀山があぶれる。
アホなトレードだなw
現実はポシャりまくりでそれどころじゃなかったなw
負広計算では
仲田14勝、中込12勝、湯舟11勝、葛西6勝、猪俣9勝、
弓長4勝、御子柴3勝、田村2勝、中西3勝、嶋尾4勝、
久保2勝、郭李3勝、竹内3勝、他3勝
79勝! チラ裏に書いてろ青柳、てな感じだったろう。 >>426
う〜ん、嫌味言われてる>>415を
庇っただけなのにな。変な奴。
仕事中なんで、またネ。一日中ガンバw 94年は巨人中日の混戦のドサクサまぎれに、9月頭に優勝狙えそうなポジションに浮上してた。
でも失速、結局5割割れ、4位に終わった。
あの最終戦で藪が中日相手に初回からKOされたのは、
セ全体のことを考えて巨人中日同率決戦させるためにわざとじゃなかったか、と気がしてる。
おかげで藪は新人二ケタ勝利を逃した。 いやあっ
終盤競った展開でキッチリ負けるのが伝統ですから。
終盤競った展開で勝ったのは1964年以降ないんや。
調べてみ?ホントにないよw
05年もむちゃくちゃやったれから自然と水が開いたし。 3位争いとはいえ去年は異例だよな
どうせ勝ちきれないだろうと諦めていたというか期待しないで見てたわ >>430
調べるまでも無く、阪神が競り合いに勝ったシーズンは大洋が相手だった1962年並びに1964年しか無い。 長い阪神の歴史で阪神優勝の年に巨人が2位になった事は一度もない。
つまり巨人と優勝争いしたら100%負ける。 その逆は唸るほどある。
なんか協定あんのかも。
親会社同士仲良しだしなw >>428
415ですがわざわざどうもありがとう
規制に巻き込まれて書き込みできず遅くなりましたが
そいつは少々ヤバそうな奴みたいなので以後スルーしていきましょう >>433
そもそも阪神が優勝する年は巨人がいまいち強くない年ばっかり
6264850305全部当て嵌まる 暗黒期の阪神打線と言えばスライダー投手が苦手だったイメージだな、槇原とか >>435
97年の桧山新庄のごとくスルーしましょう。 >>436
62、64はともに三原大洋が優勝争いの相手だったっけか >>425
あれは酷いよな、
素人の阪神ファンがブログに書いてるのどこも変わらん。
今、日刊ゲンダイに連載してるのもその延長みたいなクソ駄文。
何の取材もないただのファンの感想文なんか誰が読むかよw な、なんか浅いしな。
その後阪神ネタの小説出てたんで読んだけど
普段殆ど本読んでない人の書いた文章だった。
勿論、やった者の勝ちだがw 巨人の斎藤槇原桑田ほどの大エースでもないのに、
なぜか打てなかったハマの番長・三浦 三浦大輔、山本昌、松坂大輔
現役最晩年になっても阪神戦だけ勝っていた3大投手 バックネット裏で見てた日、三浦が9回、完投目前で投げたスローカーブに
赤星がバット折られてピッチャーゴロになった時は
硬式球ってすげえなって思った >>433
一応、1リーグ時代にはある。
また、「阪神が巨人より1つ上の順位」という括りでも2リーグ制では
1979年(阪神4位・巨人5位)と2010年(阪神2位・巨人3位)しかない。 興味深い記事を見つけたのでリンク貼っとくよ
元阪神古溝監督が全道1勝「怖い」次戦は元同僚対決 - 高校野球 : 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202010040000806.html
暗黒時代の抑え投手だった古溝克之
今は高校野球の監督に転身して頑張ってるようだ >>447
よくこれで伝統の一戦とか言えるよな
恥ずかしくないんか 1リーグ時代
1937春1位大阪2位巨人
1938秋1位大阪2位巨人
1944年1位阪神2位巨人
1947年1位大阪2位中日5位巨人
セリーグ
1962年1位阪神2位大洋4位巨人
1964年1位阪神2位大洋3位巨人
1985年1位阪神2位広島3位巨人
2003年1位阪神2位中日3位巨人
2005年1位阪神2位中日5位巨人
2014年1位巨人2位阪神(CS優勝) そりゃ晩年ならね…
逆にメッセだって晩年は横浜には打たれたし 92年、斎藤雅樹 対阪神8勝1敗
これひどくね?普通に回してたらこんな当たらんやろw
これが6戦4勝1敗くらいならスンナリ優勝できた。
年齢的に釣り合わん松永に飛びついたのもこのためw 【野球】ドラフト直後、18歳の松井秀喜が校舎の非常階段で漏らした悲哀 「僕、行かなきゃいけませんかね?」 [ネギうどん★]
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1602203595/
9名無しさん@恐縮です2020/10/09(金) 09:37:47.69ID:alHCF+lv0
阪神なんかに入ってたら萩原誠の二の舞になっていた
14名無しさん@恐縮です2020/10/09(金) 09:41:04.42ID:ldsGIHTG0
阪神ファンだけど、あの時の阪神では松井育てられなかったような気がする
49名無しさん@恐縮です2020/10/09(金) 09:55:04.30ID:LBnJCSE60
阪神に行ってたら、今頃関本や檜山みたいにおは朝でグルメロケをやってたかも知れない。
76名無しさん@恐縮です2020/10/09(金) 10:06:01.18ID:dWFhGO4sO
当時の暗黒阪神に行きたいってのもなんだかな
132名無しさん@恐縮です2020/10/09(金) 10:38:58.89ID:KOYEMMYB0
まあ阪神行ってたら確実に潰れてたので、結果的に良かったと思う 松井秀喜(神)
95 .263 本22
96 .227 本23
97 .226 本18
98 .256 本15
99 .220 本8
00 .300 本14
01 .334 本9 首位打者 >>443
見てるんなら今後一切阪神や野球に関する駄文はメディアを介して発表しないでもらいたい。
こいつの本業は何なのか知らんが、
例えば芸能人で阪神の選手と付き合いある奴なんかだったら、
そいつしか知らないエピソードを紹介するとかあるし、まだ読者にメリットがある。
ところがこいつの場合は独自の取材があるわけでなし、ただの感想文。
素人の関西人のファンがその辺の居酒屋でしゃべってる内容やこのスレの雑談と全く同じレベル。
そんな記事を金出して読むとかアホらしいし、
そんな記事書いて原稿料もらったらアカンやろ。 松井が暗黒阪神入ったら.260 20HRくらいの成績でスター扱いされて引退 スレ違いだけど、松井は中日も一位指名してたんだな。中日入団していたら、果たしてどうだったかね
阪神に来てたら、甲子園の浜風に苦戦して本塁打毎年20本前後で終わってたかな 松井秀喜ルーキーイヤーの三塁手
阪神:松永浩美
中日:仁村徹、前原博之
ダイエー:森脇浩司、若井基安
巨人以外のチームに入団していても、レギュラーを獲るのは時間の問題だった気がする >>448
古溝も阪急オリ選手のイメージ。
数字みたら山沖・石嶺・星野伸ほどの急降下でないけど >>460
ただダイエーは三塁手なら厳しかっただろうな 斎藤雅対策として獲得した松永浩美
松永も移籍後のインタビューで
「ああいうタイプの投手はパだと日ハムの武田あたりですか。
まあ打てない投手じゃないですよね」 松永は故障明けで帰ってきたときの
インタビュー受け答えが横柄で舐めてて
こいつは・・・・?と思ったが案の定だった。
オリでは総スカン、若手には理不尽に怒鳴るし
いらん子だった。たぶん葛西でも取れた。 そもそも松永が来た1993年は斎藤がもともと絶不調の年だったからあまり意味がなかった VS斉藤雅樹15勝40敗
84年0勝0敗
85年2勝1敗
86年1勝0敗
87年0勝0敗
88年0勝1敗
89年1勝2敗
90年0勝5敗
91年2勝6敗
92年1勝8敗
93年3勝2敗
94年0勝3敗
95年3勝1敗
96年0勝3敗
97年0勝3敗
98年2勝2敗
99年0勝2敗
00年0勝1敗
01年0勝0敗
何故こっちがボロボロだった1995年に勝ち越せたんだろう そういや95年の川尻先発でも斎藤なら3.5のハンデがついていたな
阪神に張った連中はウハウハだっただろう >古溝克之
ドラフトでは阪急ブレーブスのハズレ2位だった
当たってたら後年えらいこっちゃ 古溝はずいぶんセリーグの水が合ったんだなあ。
何かしら進境もあったのだろうが。
横浜クビなった大門や近鉄米崎は働けなかった。 古溝克之
1994年→61試合登板、94回
1995年→45試合登板、68.1回
相変わらず抑え投手をイニング跨ぎしまくる暗黒阪神であった 95年後半の古溝は酷使が祟ったか9月以降は出るとほぼ打たれる状態だったな >>473
まあ時代考えると非常識とは言えないが、
別に古溝じゃなくていい場面でも古溝。
95年春は星落としまくった。上に見た通り終盤も。
だいたい140q程度の直球一辺倒でいつまでも通用するかw
まあ、半分戦力外うまく使い切ったけども。
94年は他にも真弓長嶋南牟礼仲田久保中西とジジイの狂い咲き。
それ自体はよかったが戦力判断を誤らせる事になった。 打数少ないとは言え木戸も.284のハイアベレージを残してる
何だったんだろうな94年は 亀山が9本。
フル出場換算で13本。
まだ25歳、五体無事なら桧山より
やれたんちゃうかなあ。残念や。 掛布の引退、亀山、濱中、藤浪の挫折。
阪神ファンは常にIF妄想でオナニーするw
現実を見ろ。 現実がつまらなすぎるので。
やっと大山が本格化しているが。 きまぐれオレンジロードの作者が亡くなったけど、鮎川といえば鮎川まどかより鮎川義文 鮎川まどかのおかげで名前と、背番号40は覚えてるが、
顔もどんな選手だったかも全く覚えてないw 当時の阪神は一塁、三塁が外国人枠だったから
中々鮎川の出番はなかった
吉田義男監督の方針は捕手強化だったので
定詰とのトレードは致し方なしか
ロッテ側はフロントと揉めていた定詰放出を優先していたのか
三塁に初芝がいるのに鮎川を取りに行くのはちょっと謎だった 鮎川、イイ時の打撃は篠塚を思わせたが
あまりイイ時を見た事がない。
守備・脚は若干平均を下回っていた。
さしてパワーもなくサードなら
よほど打たんと居場所が無かった。
遊撃出来て比較的安定してる星野に負けた。 すいやせん。
広島の菊池が無失策記録、和田を抜いたそうですが、
和田はなぜ17年も暗黒期なのに首にならずにすんだのですか?
2000本安打もOPSも0.8超ないですよ?
いくら凄くても暗黒期の第一責任者みたいなもんでしょ? やっぱりスター選手は目の覚める打球が飛ぶんだよね
三振ばっかりでも新庄や桧山はおぉ!と驚くような打球が飛ぶ
そうじゃない選手はそういう打球が無いんで、
どうしてもファンも首脳陣も印象が薄くなってしまう >>488
他に選手がいなかったから。
これに尽きる 和田をバカにしているようだが、
暗黒期は打撃ベスト10で和田の成績を見るのが虎党の最大の楽しみだった。 打率ランキングトップ10に入ることもそんなに
珍しくなかった選手がたいしたことない・・・みたいな扱いもどうかと思うが >>495
同じ打撃10傑の常連でも藤田・真弓・掛布・バースに比べると地味なのは否めない まぁ明らかにキッズの書き込みでしょ。じゃなければ、単なる釣り 阪神の選手がタイトル争いすること自体
珍しかったからな 1985年(1位)731得点
1986年(3位)574得点
1987年(6位)437得点
1988年(6位)444得点
1989年(5位)497得点
1990年(6位)550得点
1991年(6位)454得点
1992年(2位)475得点
1993年(4位)478得点
1994年(4位)503得点
1995年(6位)451得点
1996年(6位)482得点
1997年(5位)504得点
1998年(6位)450得点
1999年(6位)490得点
2000年(6位)473得点
2001年(6位)467得点
2002年(4位)527得点
2003年(1位)728得点
2004年(4位)637得点
2005年(1位)731得点
こうして見ると、最低でもシーズン500得点を超えないと厳しいのが分かる
90年や92年みたいな例外もあるけど
優勝する年は700得点以上も取ってる 85優勝した年
竹之内打撃コーチが
「カケ!来年はバースはあてにならんぞ!!お前がしっかりせな」
と言われ
結局掛布があてにならんかったと言う・・・ >>493
和田豊とオマリーの打率チェックが、
新聞の野球欄を見る唯一の楽しみだったよ 1994年
62勝68敗(4位) 監督 中村勝広
1 亀山(右) 率.284 本9 打点28
2 久慈(遊) 率.251 本0 打点14
3 和田(二) 率.318 本2 打点43
4 オマリー(一) 率.314 本15 打点74
5 石嶺(左) 率.246 本17 打点77
6 新庄(中) 率.251 本17 打点68
7 八木(三) 率.259 本6 打点28
8 関川(捕) 率.269 本2 打点27
藪 26試合 9勝9敗 防3.18
山崎 24試合 7勝6敗1S 防3.20
沖田 23試合 7勝6敗 防4.15
湯舟 23試合 5勝7敗 防3.05
御子柴 23試合 4勝7敗 防4.24
猪俣 14試合 3勝6敗 防4.40
竹内 12試合 1勝3敗 防3.41
中西 46試合 3勝9敗3S 防3.00
郭李 49試合 7勝5敗2S 防3.14
久保 50試合 4勝2敗1S 防3.10
弓長 54試合 1勝1敗3S 防4.39
古溝 61試合 7勝2敗18S 防2.20 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています