数理論理学(数学基礎論) その13
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数学基礎論は、数学の基礎づけを目的として誕生したが
現在では、数理論理学として、証明論、再帰的関数論、
構成的数学、モデル理論、公理的集合論など、 多くの分野
に分かれ、極めて高度な純粋数学として発展を続けています。
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも
若干の個人差があるようです。)
応用、ないし交流のある分野は、計算機科学の諸分野や、
代数幾何学、英米系哲学の一部などを含み、多岐にわたります。
(数学セミナー98年6月号、「数学基礎論の学び方」
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/intro.html
或いは 岩波文庫「不完全性定理」 6.4 数学基礎論の数学化などを参照)
前スレ
数学基礎論・数理論理学 その12
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1509638068/ 「有限な自然数をすべて含む集合は無限集合である」
↑
これって矛盾じゃないの? 「有限の自然数が無限に存在する」というのが受け入れられない。 >>6
無限って限りがないことよ
限りが有るとしたら+1で次が出るから矛盾になる
スゴイ単純すぎるアホみたいな背理法だけど? 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 無限って宇宙すべての原子を使って表される数と同じこと 数学板の住民なら一度は「無限ホテル」くらい泊まったことあるでしょ。
あのホテル便利だよね。満室になってもすぐに対処して待ち行列作ることもないから >>11
n番目の部屋から2n番目の部屋までの移動距離ってnが大きくなるほどでかくなるから、そこの客はかなり不自由させられるぞ いや、当無限ホテルでは満室の際には、お客様の移動はすべてn+1となっておりますので、
そのような御不便はおかけしません N 自然数全体の集合
∃可逆写像f:N→N ∀可逆写像g:N→N ∃k k≦∀n g(n)<f(n)
は真ですか? ゲーデルはカントールの連続体仮説を偽であると強く信じていたようだけど、
もし、それが正しいとしても、その具体的な集合としてアレフゼロと連続体濃度の
間にある中間の濃度として、どんな集合の実体が考えられるの?
例えば有理数の可算濃度に、ある操作を施したものとかを考えるのかな。 >>19
超巨大奇数を使うよ
具体的にはサッパリ分からないけど存在が出る 逆に言えば
実数がアレフ1なら超巨大奇数は存在しないってこと >>21
その巨大基数を使った中間の濃度の集合が仮に存在したとしたら、それは
可算濃度と非可算濃度のどっちになるんですか?濃度の質が変わるのだから、
後者の非可算無限の方が適した感触はありますが。
あと、>>21の意味が分からないけど、もし、その巨大基数絡みの集合の濃度が
連続体仮説を否定する範囲内に見つかれば、その新しい集合が今度は
アレフ1となって、実数の無限集合など今までアレフやアレフ・ワンに
入っていたものの集合が、その暁には、アレフ2へと移動しなければいけないから
という意味ですか? 数学基礎論って「ZFCは無矛盾である」っていう宗教だよね だが23
数学はZFCの上でしかない
物理学も、生物学も、情報学も、経済学も、統計学も、心理学もZFCを矛盾してると思ったことはない >>22
可算濃度と連続体濃度の中間の濃度は可算濃度ではないんだから非可算濃度でしょ >>22
定義からして非可算
巨大基数の存在を仮定すると
実数の濃度はアレフ2となるらしい
ゲーデルもアレフ2が適当だと思ってらしいよ こんどは、新アレフ0と新アレフ1のあいだとか、新アレフ1と新アレフ2のあいだはないのって話にはならないの? >>27
アレフ0の次がアレフ1って定義だからない
変わってるのは実数の濃度だからな >>24
自然界にZFCは存在しない
公理的集合論は証明の便宜のために生み出された人工的な構造 >>30
自然数も自然界に存在しないんですがそれは >>30
大体何が「存在」してるかとか
烏滸がましいにも程があると
考えたことなさそう >>24
ZFC唯一教の人かも知んないけど
残念ながらZFCが矛盾してるかどうかとかそういう話はなくって
信じられているのは「ZFCから矛盾命題を導けない」ということで
矛盾命題が導かれたら任意の命題が正しくなってしまう、というだけ
あと実際は選択公理を課さずにやってるところも一部分あるし、もっというなら無限集合の存在公理すら課さない公理系でやってる人もいる
又は逆にZFCに到達不能基数の存在公理を課したり、NBGでやったりというのもある(こちらはそれなりにポピュラー) >>34
いや知ってて言ってるんだが
自分がやってる研究が爆発律から導かれると思ってる学者なんていない
むしろZFCが無矛盾であることを疑ってかかることが多いのは数学基礎論
ということを知ってて24を書いてる 何を基礎にするかってのは
妥当性の共通認識にしか掛かってないということが
分かっただけでも現代数学基礎論の存在意義はあった
今後も有り続けるという保証が有るわけでもないが 人間やモノ不在のまま論理や集合を考える
なにも無い、としたいが、「無」は「存在」しない
なんらかの「存在」が必要なのだが、論理や集合は、
それに答えてくれるのだろうか
論理でもっとも基本的と考えられるのはTRUE,FALSEであろうか
これらはどこに「存在」するのか?
集合でもっとも基本的と考えられるのは空集合であろうか
これもどこに「存在」するのか?
論理は論理空間における位置の問題であるとしてもよいが、
集合は、そのものが空間である
空集合とは何か、そこから考えるのがよさそうだ
気が向いたら続きを考えよう 自然数の定義は我々の知る「数」と合うように公理を選んでいる
ゆえに自然数の無矛盾性は明らかだが、ZFCはそうではない >>38
なおレーヴェンハイムスコーレムの定理から直感に反するモデルが作れる模様 >>38
我々の知る「集合」と合うように公理を選んでるよ
なぜ「自然数の無矛盾性は明らか」? 各形式記号に1対1対応するゲーデル数は、テキストによってまちまちであるのはなぜなの?
統一表記にした方が便利だと思うのだけど >>41
それ俺も思ってた。
論理式に対応したゲーデル数を定義する時に後々の議論の展開上の関係であるやり方の方が都合良かったりってのがあった
具体的には厄介だから今ココでは言えないけど でもさ、
自由変数を含む論理式のゲーデル数の定義ってよくよく考えると結構厄介で、これだけでも本によって幾通りもある。
左から右に向かって捜査する感じで自由変数を見つけようとする定義もあれば、論理式の構成に関する帰納法的な定義もある(あったような記憶がうっすらある)
こういう議論の関係上で記号に対するゲーデル数化が決められてたはず ゲーデルの原論文は素数が無限個あることを暗黙の前提にしているが、限定算術の立場からはそれは都合が悪い。 目標達成しちゃったから次何すればいいのかわかんなくて不安みたいな。
自分たちの価値感の軸をこれからなにに持って来ればいいのかわからんみたいな。
今言ってもあんまり聞いてもらえないかもしれないので、ちょっと冷静になった
時分にでも思い出してもらえればいいけれど、人間ずっと虚無ばっかり考えられる
もんじゃないよ。 みんな投げやりな気持ちを2年も3年もずっと持ち続けるなんて無理なんだから、
そろそろ熱が冷めてきたらどういう心持ちになるのかなとか、
あんまり聞きたくないだろうけど考え始めた方がいいのかなって。 >>41
Blum complexity measure(抽象的計算量)とか考えるときは
帰納的関数のナンバリングがアクセサブルであることが重要になるのでは? ゲーデル数化というのはもともとヒルベルトのプログラムでヒルベルトが、
弟子のアッケルマンが自然数論の領域ではヒルベルトのプログラムを達成しつつ
あると報告したもんだから、じゃあ他の領域の証明を自然数論に帰着させて
しまえばいいじゃないか、という流れで出てきたアイディアで、別に特定の
対応付けの仕方とかにはウェイトが無かったようだから決まってないんじゃないの。
ゲーデルの不完全性定理の論文は1928年のボローニャ国際会議でのヒルベルトの講演
『数学基礎論の諸問題』を受けての論文だと考えるべきだと思う、という前提で。 完全性定理までの理解なら
論理学をつくる
戸田山 和久
http://amzn.asia/bLref84
ゲーデルの第一不完全性定理までの理解なら
現代論理学 単行本 ? 1991/5
安井 邦夫 (著)
http://amzn.asia/b2buybs
が非常に分かりやすい 対角線論法のような形式を用いて導出されたゲーデル文Gは、
そのシステム内では証明も反証もできない証明不能命題Gが
存在するという意味なので、これは哲学の文脈だと真偽の決定が宙吊り、
もしくは永久に保留となった「アポリア」やベイトソンの「ダブルバインド」
の理論とのアナロジーも感じられる。 ダブルバインドの例で、たとえば、生物の間で交わされるメッセージには
複数のレベルが存在することをラッセルのパラドックスなどを通して
ベイトソンは明らかにした。例えば犬が戯れに噛み合うとき、
1.これは「噛むこと」を意味しているというメッセージ
2.これは本気で「噛むこと」ではないという、メッセージについて言及するメタメッセージ
があるというものである。これらのメッセージを区別するためには、ラッセルの
論理階型理論が用いられる。簡単に言うと「私は嘘つきである」という言明からだけでは、
私が嘘つきか正直者であるのか決定・証明不能というのがゲーデル文Gなのだろう。
なぜなら、嘘つきが自分を嘘つきだと正直に言うのは変だし、また、正直者が自分を嘘つきというのは、前提である正直者と嘘つきという意味内容が齟齬・矛盾をきたしているから。 >>48
まあ、虚無も大事な要素ではあると思うよ。プログラミングならnullという値は
必要だし、集合なら空集合Φは必須。命題において事実は実在の半面に過ぎず、
偽なる命題=虚無、反事実を含めてこそ、ようやく実在の全体を記述できる。
赤いバラもあれば白いバラもあるように、真の命題もあれば偽の命題もある。
命題論理で面白いのは、それが命題の形式を有していなくても、すべての事実や
実在は命題の形で存在しているということ。例えば、ある未知のダークマターx
という物質は、たとえ今の私たちには認識できないレベルにあっても、それは
命題の形で存在している。
また、科学的な言説はのちの観測や実証で誤謬が判明し修正されることがあるのに
対して、論理学はそれらの外在的な具体的な事実性の有無にかかわらず、それを
算術を扱うような形式で客観的、普遍的、確実性もって扱えるのが魅力でしょう。 噛むことに見せかけて噛むことではないことを提案したら、嘘つきがパラドックスに
陥ってるとかω無矛盾だとか隙がなくなんも反論できない論文出されてあえなく倒壊。
嘘つきと言われた方はめげずになんとか直観的な本とか弟子の仕事を擁護する本とか出した。
当初は意味わからなかったけど、晩年になってあれはもしやと思い到ると神がどうたら
とか神経衰弱になって事情がわからない人は混乱、という理解。 >>55
「実在性」というものに対して今までみたいに素朴にはいえなくなったという
状況があると思うんだ。これからどう実在性というものを定義づければいいのか、と。 回りくどかったよすまんね。
ω無矛盾ってωを立て直すと無矛盾じゃなくなるから、古典論理っぽく書くと
¬ω = ε
つまりε無矛盾、ではないという意味で、ε公理を対象にした論文だったんだね。
知ってて知らないわからないと言ってたとはね思わないよ。
ただねやっぱり時分はやっぱり過去の亡霊には取り憑かれたくないな、
供養したい方なわけなんだよ。 亡霊の供養をしないと論理的な結論を得られないなんて、なんて非論理的、って話だけど、
自分はねやっぱり亡霊に取り憑かれるのが怖いんだよ。 >>61
問題の枠組みとしてはもろに様相論理が土台となってる話だな
スマリヤンの様相論理の本に類似問題あったけどどうやって解くのか忘れたわ 差が激しすぎて、もはや一つの学会内ですら意見統一ができなくなった? ウェーブレットの時みたいに、各領域で「自分は異端だから」と思って黙っていた人が、
アホを通して各領域での自称異端がだいたい同じことを目指していたことが判明、っていう感じ? ほぼ全て完了しているなんて、こんなバカな話あるか。 >>61
>答えは「taksはyesですか?と聞いたなら、taksmanはyesと答えますか?」です
全然ダメじゃん 別分野で「集合論は勉強しました」って言ってる人、
大抵無矛盾性証明とか知らない説 技術思想はあるのか、無いからこそ喋ることができないんじゃないか。
何も無い土壌に、もし受け止めきれない結果をポンと出してしまえば、
誰だっておかしくなるよ。現に、自分も飲み込まれないよう必死だ。 nankahennnayatugaituichattana >>68
しらない、しらない。だって読んでもわからないもの。
わかるようにしていこうとすると、違うと怒られるし。
自分の理解では、論理主義の論理を数学よりも先に持ってこようというのに
無理が大きいのかなって。
作図だと見てすぐ無矛盾というのはわかるけど記号だけだと見えないから
定規使わずフリーハンドで線引けるみたいな操作が入っていないかわからないんで
証明がいるとかそんなイメージしかない。 ヒルベルトにとって無矛盾性イコール数学的対象物の実在性であったのは、
幾何学が念頭にあったからだと思う。
点と線に対応するものの存在はすぐイメージできるものだったから、
論理として矛盾しないのであれば、その点とか線の間の数学的関係性の
実在性は自明だと考えたのかなと。
ヒルベルトは作図だけ考えていたけど、ブラウワーはトポロジストだったので
トポロジーが念頭にあったのかなとか。
なんかそういう話から発展させるべき話なんじゃないかとか思うけど。 ωの要素を自然数と定義する
と
0をφと定義する
って(前者は人間が呼ぶだけ、後者は論理に立ち返って新たな記号を追加する、という意味で)違う概念なのに、あまり区別されてなくね? 高添沼田(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
高添沼田の親父「関東連合文句があったらいつでも孫を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!!糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 新井紀子「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」ベストセラーだけど読んだ人いる?国連でも公演ってどゆこと?? 新井先生って
本当に数理論理学者なの?
ってくらい数理論理学について話してるところを見たことがない >>52
『論理学をつくる』などと言うのは。表題からして、間違っている。
論理法則は発見するものであって、つくるものではない。 >>81
むしろ論理学は人為の塊だろ
「つくる」で合ってる 「PならばQ」の真偽値なんて「つくる」の典型だよな 質問です。
Vωが(ZFC−無限公理)のモデルになっているのは有限の立場でそう言えると考えていいのですか? >> 84
>「PならばQ」の真偽値なんて「つくる」の典型だよな
「PならばQ」が真理表で定義できると考えるのは、愚の骨頂である。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html はじめまして、論理学に詳しいだろうみなさんに質問があります。
質問の趣旨は、
数理論理学(記号論理学)、いわゆる記号を用いて数学の計算をするようなものがありますが、
記号を用いることで、自分が主張・立論・反論する内容について、正しい論証ができているか、つまり、論理的に瑕疵がないかどうかを
検証することが可能なのですか?
現在、
「論理学入門/野矢茂樹」などを読み論理学を学んでいるところです。
記号を用いなくても、「ならば」の前後関係が正しいかどうか、などを自分で精査すれば、
正しい論証ができているかを検証することはできるのではないか?と感じています。
記号論理学は、記号を用いているためか、ハードルが高く、これから身につけようという気になぜかなれません。
記号を用いて検証(?)をするメリットなどを教えていただけると嬉しいです。
正しい論証をしたいことがあって、その論証に瑕疵がないかどうかを自分で調べたいと考えているからです。
こういった掲示板で質問するのは初めてですが、よろしくお願いします。 数理論理学は、記号を用いて計算する分野ではなくて、
論理学のメタ理論に数学を用いて研究する分野
従ってこのスレに沿ったメリットとしては、記号を使うことで数学を用いることができる点 >>89
記号論理学は論理の中身に興味はなく、外面の形式にのみ注目します
ですから、記号論理学を勉強しても論理的な検証などということには向かないでしょう C言語記号論理学ぐらい進んでるんじゃないの?AAも含めて。 >>89
> 記号論理学は論理の中身に興味はなく、外面の形式にのみ注目します
と考えがちだが、それは愚か。 >>89
「記号を用いて数学の計算」って何の事言ってんの? けれど「ならば」の真理値表は納得いかない人が多い
おそらく2値論理に拘泥しているからではないか
2値論理以外でもっと腑に落ちる定義はないかな >>99
ウィキペディアによれば
何種類もあって決まらないみたいじゃん このスレの人達的には、Woodinが進めてるUltimate L projectはどうなの? そうか
じゃきっと2値論理以上に納得いかない定義でありそう 高校数学の命題論理で「命題pをx=6とする」とかってあるが、
これって一階述語論理をメタに集合論を作って集合論をメタに命題論理を扱ってるってこと? 「ならば」が真理表で定義できると考えている単純なアフォが少なからずいるようだが、
例えば、真理表では、「T(P)=0 で T(Q)=1 ★ならば★ T(P→Q)=1 という具合に
★循環論法★になっていることに気づくべきだ。 例えば、真理表では、「T(P)=0 で T(Q)=1 ★ ★ T(0→1)=1 という具合に
★ ★になっていることに気づくべきだ。
循環論法にはなっていないな。無理やりそうしたい人が約1名いるだけでw >>141
>そのならばばはメタですよね
そう来ると思っていたよ。w
メタだったら、★ならば★は定義無用とでも言いたいのか?
>>115 Most stupidly wrote
例えば、真理表では、「T(P)=0 で T(Q)=1 ★ ★ T(0→1)=1 という具合に
★ ★になっていることに気づくべきだ。 このスレの基礎論の専門家に質問させて頂きます。背理法についてです。
証明したい命題をAとします。このとき、¬Aを仮定して、
矛盾(¬C∧C)を導いて、排中律より命題Aを真とするのが背理法と思います。
したがって、背理法は、命題の対偶を証明する対偶証明とは、
本質的に異なる証明法であると私は理解しています。
しかしながら、一部の数学書に、ある命題とその対偶命題が同値であることを、
背理法の原理と書いていたり、p⇒qのタイプの命題の対偶から、
¬qを仮定して、¬pを証明するいわゆる"対偶証明"を、
背理法であると書いていたりしているものがあります。
p⇒qという命題を背理法で証明するならば、
¬(p⇒q)を仮定して、(¬C∧C)を導くことになると思います。
背理法と対偶証明を混同している数学書は、一つや二つではありません。
かなり有名な名著と呼ばれている本にもこの間違いが見られます。
日本の数学者は、こんな基本的な間違いをなぜ問題にしないのでしょうか。
近年、背理法というタイトルの数学書が、
4人の著名な数学者の連名で出されましたが、
なんというのか、数学エッセイのような本で、
背理法がこのように間違って流布している現状について、
全く気づいていないのか、あるいは見て見ぬふりをしているかのようです。
もちろん、正しく記載されている本も多いのですが、そのような本でも、
背理法には、このような誤解が多いので、
気をつけるようにというコメントはありません。
また寡聞にして、数学会が背理法に関して注意を促したという話も聞きません。
なぜ日本の数学書はここまでひどい状態なのでしょうか。
それとも、わたしの背理法の理解がおかしいのでしょうか。
どなたかご教示ください。よろしくお願いします。 「対偶」は論理学ではContrapositionであるが、機械工学ではpairである。
ペアと考えたほうがおもしろい。
機械工学的論理を考えてみるのもおもしろそうだ。
非古典的論理のありかたを考えるメタ論理が必要なのかもしれない。既にあるのか?
論理計算を考える場合、計算のありかた、となる。
古典的論理において、見逃されてきた、捉え/捕らえきれなかったなにものか。 機械工学でいう対偶は論理学的なものではなく、ある種の部品の組のことですが >>118
たとえばどのような本にどのような記述があるんですか? >>118
確かに¬Aを証明する際にAを仮定して矛盾を導きそれによって¬Aが証明されたとする証明法も背理法と呼んでいるケースは
数学の教科書などでも時々見掛けますが、これを背理法と呼ぶのは明らかな間違いで、これは自然演繹で言えば
¬-導入という推論規則を使っているに過ぎませんからね。
残念ながら「背理法」という呼び名をこの場合に誤用するケースは普通の数学の教科書でもさほど珍しくありません。 背理法とは帰納法である
帰納法から導けるのは仮説のみ >118
>証明したい命題をAとします。このとき、¬Aを仮定して、
>矛盾(¬C∧C)を導いて、排中律より命題Aを真とするのが背理法と思います。
そのように考えたのは、B Russel や D Hilbert に引きられた”前世紀の論理学者たち”
の「愚かなる誤り」だったのです。
背理法(と呼ぶよりも”帰誤法”と呼んだほうが適切ですがw)の原理は、
"P(x) ならば Q(x) である"を証明するのに 「 "P(X)&¬Q(x)"から" x に関する矛盾"0(x)"
が導かれることを示せば充分である」というものです。
尚、" x に関する矛盾"0(x)" とは、例えば、「(2<x」&(x<x)」の如き述型です。 >>116
関数の定義って知らないの?
真理値表ってのは
「T(P)=0 かつ T(Q)=1 かつ T(0→1)=1」が真
という具合に8通りの組合せのそれぞれが真か偽か定義したうちの真のところだけを書いてるのよ >>113>>116は、
P,Q,P→Q
1,0,0
0,1,1
0,0,1
1,1,1
で表される真理表だと思っていたけど
>>125の言うような意味で「かつ」の∧を使っているの
ならば少し書き直して、最後の項も>>125の意味なら、
P∧Q∧(P→Q)で、
P,Q,P∧Q,(P→Q),P∧Q→(P→Q),P∧Q∧(P→Q)
1,0,0,0,1,0
0,1,0,1,1,0
0,0,0,1,1,0
1,1,1,1,1,1
あれ、これだと8通りにならないな。2^3通りと言っている
んだろうけど。4通りになる。訳分からないので、>>116と>>125には
命題の論理式と真理表を書いて欲しいんだけど。
あと「ならば」は普通、「→」の箇所を呼ぶ時に使うものでしょ?
>>113の使い方だと、
「((T(P)=0)∧(T(Q)=1) の時) → (T(P→Q)=1)」は
真で1だという風にも解釈できるし、単に、T(P)=0、T(Q)=1
の時は、T(P→Q)=1で、それが★循環論法★・・・と言っている
のか。論理をやる時は、定義が曖昧な日本語使うと混乱するので、
論理式と真理表を取りあえずは書いて欲しいなあ、と。 >>125
>真理値表ってのは
>「T(P)=0 かつ T(Q)=1 かつ T(0→1)=1」が真
>書いてるのよ
爆笑 ヽ(^o^)丿 >>124
>B Russel や D Hilbert に引きられた
は「B Russell や D Hilbert に率られた」のミスでしたので、お詫びして訂正します。 >>124,>>128
私の背理法の定義とどこが違うのですか。
変項xがあるかないかの違いにしか思えないのですが・・・。
変項xがない命題論理の場合は、
同じ論理展開でも背理法ではないということでしょうか。 >>122
>>118の書き込みでは、
あなたのおっしゃっている否定の導入については触れていません。 >>121
軽い寸評や批判的なニュアンスの感想程度なら、
書名を出してもいいのですが、
今回のものは明らかな間違いの指摘になります。
個人攻撃になりかねませんので具体例は差し控えたいと思います。 「ならば」は論理学を圏論の射で表現しようと思うと、モニック、エピそしてその混合に
分類できる。Pという論理式とQという論理式があってそれらを真判断させるつなぎ方
がざっくりと「ならば」という概念であって、つなぎ方としては論理式に注目するか
その証明に注目するかで少なくとも2種類あると思う。
背理法は歴史的な経緯を考えればよくて、背理法とその批判は概ねヴォルフとカントの
対立にまで遡れると思う。この対立は歴史的に繰り返している。
背理法がOKで背理法を使わない論証方法が実質タブーなのは直近のマルクス某の影響だと思う。 >>127
やれやれ
関数の定義
ホントに知らないらしいわ 129132人目の素数さん2018/09/03(月) 21:37:06.20ID:eWEDmVjm
>>124,>>128
>私の背理法の定義とどこが違うのですか。
>変項xがあるかないかの違いにしか思えないのですが・・・。
まさしく、ソレが違うのです。えらい違いなのです。変項のあるかないかが!!!
同じ論理展開でも背理法ではないということでしょうか。 129132人目の素数さん2018/09/03(月) 21:37:06.20ID:eWEDmVjm
>>124,>>128
>私の背理法の定義とどこが違うのですか。
>変項xがあるかないかの違いにしか思えないのですが・・・。
まさしく、ソレが違うのです。どえらい違いなのです。変項のあるかないかが!!ヽ(^o^)丿
[2<x]&[1>x] は(x に関しての)矛盾ですが、[2<3]&][1>3] は『単なる偽』です。
>>132
>「ならば」は論理学を圏論の射で表現しようと思うと、モニック、エピそしてその混合に
>分類できる。Pという論理式とQという論理式があってそれらを真判断させるつなぎ方
>がざっくりと「ならば」という概念であって、つなぎ方としては論理式に注目するか
>その証明に注目するかで少なくとも2種類あると思う。
>
>背理法は歴史的な経緯を考えればよくて、背理法とその批判は概ねヴォルフとカントの
>対立にまで遡れると思う。この対立は歴史的に繰り返している。
>背理法がOKで背理法を使わない論証方法が実質タブーなのは直近のマルクス某の影響
圏論に関しての「貴重」な投稿に謝意を表します。
私は、不覚にも、表題の"categorical logic"に釣られて "Introduction to categorical logic"
by L_LAMBEC etc,Cambridge Univ. Press を買ったのですが、失望以外の何物でもありませんでした。
”マルクス何某とは、ワスのことか?” と Karl Marx (1818-1883) >>128
ネットの鬼:松芯痰をみごと退治された「エムスラ御大」のご降臨である!
下郎ども、控えよ !!!!!!!!!!! 論理学を勉強する理由を思い出した方がいい。
混沌を整理するために発展した体系なのに、それ自体が原因で思考が混沌としているなら
それは間違っているよ。価値観を別のところに持っていかないといけいないということだと思う。 >>138
Quite Agree with You. 殆どの数学は公理的集合論を土台にして議論されていると思いますが、その公理的集合論は形式化されています。
圏論は形式化されているんですか?
そんな本があるなら教えて欲しいです Nito ou mono wa, itto womo ezu. to ifu.
Dewa, sannto (3-to) ou mono wa nani wo eru-ka ?
4-to or rather 4-tou ou mono wa nani wo eru-ka ?
Dewadewa_no_Dewa, mugen enpou wo ou mono wa nani wo eru-ka ? >>135
>>118で導いているのは、偽命題ではありません。
矛盾を導いています。 <や1や2に関する公理を仮定しないとだめなんですよ
公理と、その論理式が矛盾してるんです 12132人目の素数さん2018/07/28(土) 22:25:25.75ID:J0KB/xmw
>モデル理論、ぶっちゃけよくわからん
心配ない。
モデル理論は論理学の本質がわかっていないアホ達が考案した
「アフォホ達のアフォ達によるアフォ達の為の糞理論」だからだ。 世界の全てに到達したのはわかるんだけど、
なんでゲームバランスぶっ壊してんの? y=f(x)って数学基礎論的にはどういう意味なの?
集合として等しいのかすら疑わしいけど f(x)は多項式環の元(つまり多項式)を環準同型で代入した関数であり、
一方でyは∃z(z=f(x))なるyのこと(写像の定義よりこれを満たすzは一意)で、
この上で集合としてy=f(x)を満たす
これを「関数y=f(x)」と呼称してるのか 言い方が整理ついてないな、すまん
http://arxiv.hatenablog.com/entry/2016/06/05/225527
におけるψ(f)を普通の呼称でf(x)と呼ぶ
一方で∃z(z=f(x))が真であればこのzをyと呼ぶ
このときy=f(x)が成り立ち、「y=f(x)」をメタレベルでf(x)のことを表す単語とする
というのが答えか >>160
数理論理的には、自由変数x,y、述語記号=,関数記号fがあつて、=(y,f(x))という論理式が成り立っている、としか言えません
数理論理はあなたが思ってる以上にドライな学問です
数式から意味と形式を分離して、形式だけに注目します
だから、ただ数式だけ見せられてこれは何か?と聞かれても、知るか、としか言えないんですね
意味を聞きたいならモデルを設定しろとなってしまうんです
質問を続けたいならもっと詳しく説明してください
マウント取りしたいならTwitterにでも呟いてくださいね >>161
高校数学が展開できる程度の普通のZFCのモデルの話だが
多項式のfと関数記号のfは違う概念だし(前者はある数式をf(x)と置き換えているだけでfそのものは意味を持たない)、yは上で書いている通り束縛変数zを個体定数yで名付けたものだと思うんだが、
素直に疑問で、このスレの人なら専門だろうと質問したらマウントと取られるのは心外 してないよ、は言いすぎかも
しないように体裁を整えられる、かな >>166
より詳しい説明をしていただけないでしょうか むり
〜が真
〜に対応する真偽値が真
=(〜,真)が成り立つ
=(〜,真)に対応する真偽値が真
=(=(〜,真),真)が成り立つ
=(=(〜,真),真)に対応する真偽値が真
=(=(=(〜,真),真),真)が成り立つ
=(=(=(〜,真),真),真)に対応する真偽血が真 >>168
対象言語とメタ言語とを混同している、0点
やり直し コーエンってフィールズ賞から死ぬまでの40年間功績0だけど、研究やめちゃったんだろうか 基礎論は面白くない
どうしよう
グラフ理論も面白くないが 賢くないと無理とか言ってるけど
結局は著者の説明を理解できるぐらいの脳があるかどうかって事なんだよね
つまり、アホでも分かるぐらいに馬鹿丁寧に解説してる書籍ならアホでも分かるんだよ
戸田山の「論理学を作る」がまさにそれ 最近ようやくわかったんだが、モデルって論理式のある一つの解釈のことか。 群はどっちかというと抽象的実在感が強いのでモデルって感じしないですね。
巡回群とか置換群が群公理のモデルというべきでは。
群公理で特定できるわけではないけれど、体である有理数体も群公理の
一つのモデルになるのではないでしょうか。
群拡大したもののモデルは元の群公理のモデルでもあるわけですよね? >>180
そう。具体例とかインスタンスのことをモデルと称していると読めると思うんだ。
あれってわざとわかりにくくするように書いてんの? >>179
>群はどっちかというと抽象的実在感が強いのでモデルって感じしないですね。
けど
モデル
の具体例 >>182
自由群に強い実在感を持てる人がいたら尊敬するわ 語の問題なんて相当具体的な操作とアルゴリズムが伴ってるけど?。 不完全性定理って再帰的モデルはあるけど論理式で記述はしきれないとかそういう意味
含んでいるの? >>186
自分にはただの記号列と操作ルールでしかない
実在感覚が持てない >>188
イデアルなんかはその中で閉じた代数操作そのモノだけど
どう脳内で落とし前つけて理解把握してるかが気になるな。 たとえば、『「馬であり」かつ「額に一つ角を持つ」動物』という論理式であれば、ふつう
想像上の動物である一角獣をモデルとして解釈することになると思う。
このとき、実在性感覚はほとんど馬に依存しているから「一角獣は速く走ることができる」とか
「一角獣は草食動物である」という命題に対してはその実在性感覚を元にある程度の
真偽判断ができる。
しかし、「一角獣の角は1年に一度生え変わる」とか「一角獣の角の長さは20cm程度である」
というような命題に対して自分はそこまで一角獣に対して実在性を持っていないので、判断できない。
ただ、仮に「馬であり」かつ「額に一つ角を持つ」動物について述べた幾つかの命題の集まりが
あって、その幾つかについて真判断可能であったとき、それらを組み合わせることで、
上の判断できない命題の真偽の判断をすることもできることがある、と思う。 なんというか命題とそれから直観把握された構成に関するBHK解釈みたいなものだと思う
命題とそのモデルって。 記号がすべて
それに対してどう思うかは人それぞれだよ >>188
対消滅する文字列って実在感ないの?
ブレードとかどうよ >>192
>ID:19IleQFr
いつものあほ? genericフィルターGに対して(x-check)^G=xとなるのって何ででしょうか?
最大限1はフィルターの中に入るから
(x-check)^G
=x-check
={<y-check, 1>:y∈x}
のままで、xと集合として等しくならないと困惑しているのですが 一角獣(ユニコーン)は未だ捕獲されていない現時点では架空の伝説上の動物
なので、それを事実命題に入れたら、その否定以外は、偽になるに決まっているので、
それに恣意的に馬からの依存性云々するのは、そもそも論理学に反しているんじゃないの。
ラッセルがよく、論理の説明で一角獣を使っていたけど、当然、それは偽となる
命題の例として扱っていたと思うけど。 事実命題として面白いのは、たとえば、
「seahorseは存在する」といった命題。
これは、タツノオトシゴの意味でSeahorseを考えているのなら真であるけど、
馬頭魚尾の怪物の意味のSeahorseなら偽となる事実命題となるだろう。
ただ、ユニコーンも馬頭魚尾の怪物Seahorseも将来見つかるかもしれないので、
その時点では真となる。だから、論理って、限定された条件でのゲームなので
あって、科学的な真偽自体は論理だけでは問えず、その点が事実の検証が必要な
科学とは大分異なりそうだ。 >>197
それは「馬でかつ額に一つ角をもつ動物が、地球上に存在する」の真偽判断が偽になる
という話でしょう。自分が述べたいこととしては、上の表現は
「ある動物は馬でかつ額に一つ角を持っている」と「その動物は地球上に存在している」
の二つに分離できて、一角獣は前者のインスタンスになるうるということ。
後者については、一角獣をuとすると、
u は、地球上に存在しているすべての動物 a と一致することはない(∀a . u ≠ a)、
だろう、から偽判断になる。
なので、「馬でかつ額に一つ角をもつ動物が、地球上に存在する」はふつう偽判断される。
しかしながら、上で見たように偽判断するにしても馬でかつ額に一つ角をもつ動物について
なにか想像上のものであったとしてもモデルを決めないと、偽であるにしても後者の
論理式の評価ができないので偽判断を得ることができない。文が偽判断されるということと
文として意味をなさないこととは別なんで。
地上に存在しないかもしれないけど、もし「馬でかつ額に一つ角を持つ動物は草食動物だと
思いますか?」と聞かれたら、一角獣は現実に存在しないんでその命題は全く意味をなさない
という人もいるだろうけれど、その動物として一角獣を想定する人もいるだろうから、
想像上の対象でも一角獣に実在性感覚を持っていれば、具体的に一角獣は草食動物か
どうか検討するというステップに入ることはできる。
seahorseという動物は自分は全然知らないので、想像上の動物であったとしても
「seahorseは草食動物である」の判断はできない。seahorseの意味する対象に
実在性の感覚がないから。 ちょっと自分でも整理してみた。直接に一角獣という名詞使う。
1「一角獣は、想像の世界において存在する」と2「一角獣は、現実の世界において存在する」
の二つの論理式があって、
共通の「ある動物は一角獣である」と
「その動物は、想像の世界において存在する」、
「その動物は、現実の世界において存在する」に分離するとする。
想像上の動物である一角獣をuとすると
「uは、想像の世界において存在する」は真判断されるし、共通の「ある動物は一角獣である」という
表現も別に問題ない。
一方で、
「uは、現実の世界において存在する」は偽判断されるし、共通の「ある動物は一角獣である」も
否定的に考えなくてはならない、というのはまず思考プロセスとして変だろう。
現実に存在するか否かに関わらず、一角獣という名詞で直観把握されるものがあるならば、
なにか一角獣という名詞の解釈をもっていて、その解釈されるものを元に想像上のものか現実に
存在するものかどうかについて真偽の検討をしているものではないか、ということを言いたい。 すまん不正確だった。uは、一角獣という名詞を解釈したもの。 Bonjour RL(the Right theory of Logic), Au revoir FL(the False theories of Logic*s*)
>> Yo wa >> ya >> no, MATUSINNTAN nami no αψω (Do Aho) ni tukiatte yatte-iru uchi ni iikangae ga ukannda.;-
FL kara RL norikaeru itodo yasashiki Huhou da.
Rei wo agete shimesou:- Kagen-Sandan-Ronpou no genri wa, FL dewa
[P⊃Q]⊃[Q⊃R] de arawasareu to kangaete oru youdaga,
koreha machigai.
Nannto naraba, [P⊃{Q∨R}]⊃[{P⊃Q}∨[{P⊃R }]
wa, Kohshinsiki dearu noni kakawarazu, [P naraba{Q ka R dearu}] naraba {P naraba Q} ka matawa {P naraba R dearu}] wa seiritu Sinai.
Sate,FL kara RL norikaeru itodo yasashiki Huhou daga,
[P⊃Q] kureba P,Q wa sore-zore P(x),Q(x) de okikae, ⊃ wa ⇒/x/ de okikaeru.
[P⊃Q] to [Q⊃R] towa_tsunagu ⊃ wa ⇒/p,q/ de okikaeru.
# Itsudemo kono houhou ga yuukoh ka to kikarereba, soudehanai node Gochuui are.
Nao, metha-gengo towa *ronnkai* ga ikkai_dake takai-gengo no koto wo iu.
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html 一回聞きたいんですけどあれ素で言っているのか、
わざと言っているのか教えてもらえません? >>196
色々調べた中で∈帰納法を使うらしいのは分かりました
改めて考えてみます Iーkagen ni shiro !
Kon 馬鹿たれが !!!
エロすぎる部下たちと da koto no 自分ばけのハーレムを作れ da kotono !! ! !
# 設定を変えると回避できるのかな? よし、思い切って、設定をクリックしてみよう。 >>176132人目の素数さん2018/09/14(金) 23:29:45.19ID:2SSHi7al>>177
>最近ようやくわかったんだが、モデルって論理式のある一つの解釈のことか。
その通り。
しかし、真の論理学では無用の概念だ。 >>175132人目の素数さん2018/09/14(金) 23:13:46.57ID:o9gduqeG
賢くないと無理とか言ってるけど
結局は著者の説明を理解できるぐらいの脳があるかどうかって事なんだよね
つまり、アホでも分かるぐらいに馬鹿丁寧に解説してる書籍ならアホでも分かるんだよ
戸田山の「論理学を作る」がまさにそれ
論理学を*作る*んだとさ (^o^) >>208
論理学は論理学でも真の形式論理学では、だろ。
論理式は結局解釈しないといけないんだから、解釈抜きに形式論理学展開しようとすると
シングルトンの論理式がいっぱい出てくることになってわかりにくいことになる。
人間の思考プロセスを表すために対外的に表明可能な言明についてだけ論理式として
記述して他者に推論過程を示す、ということが論理学の目的だと思うんだが現代的な論理学
はそれを放棄していると思う。
自分が思うに原因は企業秘密の保持のためだな。多分ビジネス展開を考えているから対外的に
言わないんだよ。ビジネス展開のためなら仕方ないよな。自分でやってくしかないな。 定義から一発で証明できる命題と証明が難しい命題はどう違いますか 強制法について分かりやすい本があれば教えていただきたいです
現在はキューネンの本を読んでいますが、証明が日本語で少し説明されてるだけなのも多く苦労しています >>211
定義から一発で証明できる命題→命題に対してすぐに真判断可能な命題
と解釈すると、すでに命題Aの証明pを知っている命題のことを指すと思う。
すでに証明pを知っているんで、
pはAの証明である、だから真判断可能(p:A true)。
証明が難しい命題→証明を知らない命題で、証明を知らないので真偽判断できない命題
だと思う。
たとえば、表現 A & B & C は命題であるがその証明を知らなければ、
命題の真偽判断はできない。
しかし、表現 A、B、C が個々に命題であって、それぞれ証明を知っているのであれば、
それら証明から表現 A & B & C の証明を構成することもできるかもしれないので、
その構成された証明から命題である表現 A & B & C の真偽判断ができるかもしれない。
ただ、それら複合的証明を構成するステップが複雑であれば、命題の証明は難しく感じる
だろう、というのが違いだと思う。
難しい命題でも人によって即真偽判断可能なのはその人が証明をすでに知っているとき
だろう、これはそれを説明していることになると思う。 存在証明ルネデカルトは数式で表現しても感動を与えるでしょう。 文が隠れている訳ではない。真偽判断するときは証明が必要だろ?って話だぜ。
「存在証明」というのも表現として怪しい。意味がある言い方としては、
誰々さんの話の中に暗黙の前提が隠れているのを示しました、とかになるはずなんだが。 位相空間Xがコンパクトかつハウスドルフならば正規空間であることの証明ですが
これって選択公理使ってますか? 方法序説が哲学教育を受けた者にしか手に入らないのはよくないわけだが。 だけど、数学で頭をパンクに壊すよりは書物、物書きも膨大な著作以上に、
クルアーンのつながりから、書き留めるのも安全。というか数秘なんかは
危険な数術だけどな。 >>220
思想家さんの登場かな。方法序説の正式なタイトルは
「理性を正しく導き、諸学における真理を求めるための方法についての叙説
/この方法の試みである、屈折光学、気象学および幾何学付き」だ。
理性は正しく導かれる必要があるけど相応のコストがかかる。ここでいうコストは
金銭的なものに限らない。別に理性なんて正しく導かれなくたって生きていけるし、
楽しく生きていけるという人はいるだろう、でも自分は味気ないなと感じると思う。
同じように感じる人達に対して、自分は異なる世界の扉を正しい順序で開いていき
たいし、自分でも違う世界を作っていきたいと思う。もらいっぱなしは癪だから。 論理学が“命題論理”なる一分野とそれに後続する“述語論理”とから
成るとする D_Hilbert 以来、行われて来た≪堅い信仰≫は、「仮言命題の
処理を誤ったことに起因する≪幻想の所産≫であった」。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html >>224
今の今までわからなかった。ようやくわかった。俺、表に出るよ。
正しい順序で新しい数理科学を啓蒙してゆくよ。
ごめん。今まで意味がわからなかった。 なるほどねえ、しかし種があるから、哲学体験があるというのは
つまらないものだな。 >>179132人目の素数さん2018/09/15(土) 05:17:17.51ID:19IleQFr>>182
>群はどっちかというと抽象的実在感が強いのでモデルって感じしないですね。
>巡回群とか置換群が群公理のモデルというべきでは。
Quite agree with You.
>群公理で特定できるわけではないけれど、体である有理数体も群公理の
>一つのモデルになるのではないでしょうか。
Yes.
>群拡大したもののモデルは元の群公理のモデルでもあるわけですよね?
??? >群拡大したもののモデルは元の群公理のモデルでもあるわけですよね?
Yes. モデル論は、論理学の本姓を見間違えた「幻想の産物」だ。 でもモデル理論ってZFの中で形式化できるじゃん
キューネンの本に書いてあったぞ よくわからないが、シングルトンの論理式をモデルの形式化と称して
展開しているんじゃないだろうか。もう言ってしまうと、自分の理解では
モデルというのはブラウワーの言う所の心的構成(mental construction)。
語られているのを見たことないけれど、ブラウワーはフランツ・ブレンターノの
影響を多分に受けている。直観主義論理というのは数学を行う際のメンタルな
推論過程のことを数学的に表したものだと理解している。
ダメットがわざわざ回避してくれた「心的〜」というのを復活させるのは
胡散臭いものなんで、胡散臭い話扱いされるんだろう。ただ、状況は近年変わっていて
「心的〜」というのは、今話題の人工知能の内部の推論過程のことを指していると
ある種の合理的な言明に置き換えられる状況になっている。
深層学習でまず話題になったのは、画像認識の分野だったが、あれは癖のある手書きの
数字の画像(MNISTデータセット)を人工知能に処理させると、ほぼ必ず人間の判別と
同じ数字を返すことができるというものだった。
つまりこういう関係が成り立っていると言える、
(人工知能が深層学習で判別した数字)a : (人間なら判別できるが癖のある)数字の画像 A
a は人工知能が独自の判断で認識した対象の(メモリ上の)データ。
A はタイプとしては画像データ。
この関係がちょうど a は心的構成(人工知能のメモリ上のデータ)、A は論理式(タイプとしては画像データ)。
と解釈することができる。だから、直観主義論理というのは、実は人工知能の内部推論過程を
解析する上において重要なのではないかと思っているんだけど、そういう研究ってある? 一応、安西祐一郎氏の本とかは持ってるけど、直観主義論理までは言ってない。
アーネ・ランタ(Aarne Ranta)もなんでか踏み込んではいない。 ランタ氏敬称抜けた。
マーチンレーフ氏は、完全に踏み越えているように見えるんだけど、
未だ形式理論の開発者みたいに扱われている。 ショーもないことしか書かないのはブラウワート同じか 20世紀初頭であればノイラートみたいに形而上学扱いされてパネられて当然だろうけど
最近の技術とか調べてるとむしろ案外ブラウワーの心的構成を直で定義できる感じが
あるんですよ。つまり、心的構成自体がなんと論理実証主義の対象に入ってきているん
じゃないかって。 人の推論に数理的構造が見出だせる、というお話だね。 そう、本来的な論理学。特に直観主義型理論が有効なのではないか、と。
ただ、自然言語処理ではすでに認識していると思う。企業秘密の縛りで出てないだけで。 結構重要であるのは、論理式として記述されていないけれど、心的構成としては
スパイのようにいつでもおわしますみたいな論理。明示的な論理式は現れては
ないのだけれど、心的構成の推移を確認してゆくとこういう推論で動いているねって
実験で確認できたらどうなるだろうとか考えるかな。 相手の癖を見抜いて手の内を読むなんてスポーツではよくやってるね。
数学の話じゃなくなるけど。 慎重にやってくるうちはまだしも、あからさまにやってきたら、もう飽きたから
いい加減誰か突っ込んで、って意味と考えていいと思う。
人間誰しも飽きたら雑になるという癖がある。 >>244
適当なことを言ってかしこぶるのやめてくれ 本音も何も言わなかったら適当に解釈するしかないだろ。 >>241 132人目の素数さん2018/09/24(月) 09:38:52.57ID:R8g/kPYe
>結構重要であるのは、論理式として記述されていないけれど、心的構成としては
>スパイのようにいつでもおわしますみたいな論理。明示的な論理式は現れては
>ないのだけれど、心的構成の推移を確認してゆくとこういう推論で動いているねって
>実験で確認できたらどうなるだろうとか考えるかな。
糞すて、屁こいて、マンコ舐めて寝ろ! こんBaranceが! ていうか隠しすぎだよ。話の土台が形成できないようにやってんだから、
そりゃ新しい意見なんて若い層から出てくるわけないじゃん。 >> 246 132人目の素数さん2018/09/24(月) 23:31:08.47ID:R8g/kPYe
>
>本音も何も言わなかったら適当に解釈するしかないだろ。
こち向かば
そちがボケちょる
ありがとうございます。
秋の夕暮れ
詠み人知らず 圈 隠してダミー情報撒くのもうやめてくれ。新しい数学書の読み方だとは思えん。
せいぜい結果の参考程度で、結局原典から組み立てることになるとして、
そんなもん学部レベルで一般的にできるわけないじゃん。大抵の学部生は大混乱。 Principia Mathematica ⇒ gうshあ nお gうshあ nい yおrう
gうshあ nお tあmえ nお gうshお。
yお は あhおyあかrあ、kあttあ。 1₢ gあ ¥800 kうrあい
sうrう、tおおい mうkあsい nお kおtお dあttあ。 2chの某スレより引用&編集 m(_ _)m
> 御大(M_SHIRAISHI氏)つーか EURMSの人たちもいろいろと、つーか
>「もの凄い苦労(多分)」したろうなぁ〜。御大の ペ―ジ http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html
> をよく読をよく読んでみると、 こんな記述がある↓
>
>>「あっちが立てば、こっちが立たず・・・」、「こっちが立てばあっちが立たず」
>
> これって「矛盾だらけ」ってことだよなぁ〜。そりゃ苦労するわ。
>
>それに何よりも、Fregean 理論(=要するに20世紀の論理学の「標準理論」w)での
>「もしも・・・ならば・・・」の解釈は、驚いたことに、
> 古代ギリシャにまでさかのぼる大問題だったらしい。 それをものの見事に
> 解いてしまっている。 凄いぞ! マジで!!!
>
> それに比べて、松芯痰(=松本真吾@鉄道総合研究所)はどうだぁ?
> そりゃ、某私立の(私立と言ってもいろいろあるから、まぁ、一応w 超一流の
> 私立の)修士課程を出てる。
>
> でも、その程度 ---- と、言ったら*語弊*があるかも知らんが(w ---- のことで、
> 論理学をかじったつーか、「教科書に書いてあるんだから、それが正しんだ」って
> 頭から信じ込んじゃって、現行の理論(=Fregean 理論)には矛盾があるってことすら
> 気がつかなかった。
>
> それでいて fj.sci,math に、なんだぁ、、
>
>>「EURMSのページがここにあります。
>> ここを読んだら3日(一週間?)笑えます」
>
> とか何とかの趣旨の記事を投稿したんだよな〜。
>
> そりゃ怒るは、いかに温厚な人でも Principia Mathematica ⇒ Gujinn no, Gujinn ni yoru, Guminn no tame no
GUSHO;- 3-satu de 2000 page kurai no Taisatu !
Yo wa ( oroka-nimo) kore wo kaeri. 1 pound ga \800 kurai sita toho mukashi no
Kotode atta ■ >>253
よくわからんが、”モニックならば”は内包関係だ。まだ解釈ちゃんとできていないので
はっきり言えないけど、”エピならば”は少なくとも内包関係ではない。 ちなみに”モニックならば”はA ⊃ B ではなくて A ⊆ B と書くべきなんだが、
いまいち重要性をわかってもらえないんだよ。 まず最初に、エネルギーに関する問題が解決されるでしょう
スーパーコンピュータの圧倒的な計算能力によって
熱核融合や人工光合成が実現し、
世界は新しいエネルギーに満ち溢れます
そして、より高度な遺伝子組み換え技術と人類すべての食料を
補って余りある生産技術が確立し、食料問題が解決します
労働は超高効率のロボットで代替され、
最終的には衣食住のすべてがフリーになります
それによって現在のような消費のシステムもなくなり、
人は生きるために働く必要のない『不労』の社会を手に入れます
やがて人体のメカニズムが革新的に解明されることで、
人類は『不老』をも手にすることになるでしょう >>257
だからそれは牢獄に入れて拷問することに等しいじゃないか。
うだうだ言ってるけど要するに止めて欲しいんでしょ? やることがなくなって頭のおかしくなった科学者の近年の成果を
すべて燃やして闇に葬ろう運動するぜ!仲間を募る。 気づいて、僕たちはもう最先端科学者たちから目先の都合のいい研究結果だけ
引き出したあとに、異端者認定した上でマイルド弾圧することができるということに。 20世紀は、論理学史的には、Russell − Hilbert −Goedel によってミスリードされた
暗愚な100年であったと言うことになろう。
− >>264
ZFは集合の定義で基本的なとこだし
これくらいは認めて欲しいって内容
Cは無いとめんどくさいあると楽ちん
内容的にもあっておかしくないし >>264
あと
役に立つってどういうことか定義して欲しい >>267 >>267
俺はさ、ZFCの内容を認めなくても議論を進める事は出来ると思ったのよ。
ZFCを認めた後具体的にどう進めて行くかってのを自然数を構成して、整数、有理数の順で構成していってってのを見たんだけどさ。
でもその議論はペアノシステムを満たす何らかの系があるとして... といきなり始めてしまって良いと思ったわけ。
それは自然数の存在を認めてる訳じゃないから特に公理体系を汚す事なく議論を続けられる訳さ。
だから、これくらいは認めて欲しいって内容はZFCを認める以前に認められているような述語論理、それから論理学における基本的な公理系だけを認めればそれで十分だと思った訳。
1. A, A⇒B ├ B
2. B ⇒ (A ⇒ B)
3. ( A ⇒ (B ⇒ C) ) ⇒ ( (A ⇒ B) ⇒ (A ⇒ C) )
4. (¬A ⇒ ¬B) ⇒ (B ⇒ A)
5. ∀x[P(x)] ⇒ P(a)
6. P(a) ⇒ ∃x[P(x)]
公理系の規則はこの6つで十分だろうと。でもZFCは公理系を汚してまで広く認められている訳だから何らかの理由があると思った。
俺は数学科ではなく情報系の人間だからこういったZFCのようなものはグローバル変数を汚しているような感覚があって好まないのだが。 それは論理の推論規則です
ZFCは公理系です
推論規則は論理式の変換規則であり、公理系は無矛盾な論理式の集まりです
「公理系」の意味を曖昧にしているから起こる勘違いですね
あなたの言葉で言えば、いかなる数学をする上での共通な公理系はその6つだけです 俺は 1. 5. 6. は推論規則で 2. 3. 4. は公理だと解釈してたのだけど違うんか?
そんで推論規則と公理をいくつかまとめて公理系と呼ぶんだと解釈してたんやけどそれも違うんか?
さらに言うと、ZFの置換公理は一階述語論理の中では論理式として記述できないから推論規則として置いてるらしいじゃん。それ以外は公理だけど。よく知らんけど。
つまり何が言いたいのかと言うとさ、俺が上で挙げた公理系(ヒルベルト流公理系と呼ぶことにしよう)と、ZFC公理系にはあなたの言ってるような明確な違いが俺には分からんのよ。
推論規則とは?公理とは?公理系とは?論理式とは?俺の言ってる事は一般論とそんなにずれとるん?俺は独学だから間違ってる事があるんなら教えて欲しいんやけど。 直観主義論理だと4.を認めないよね、というのはおいといて
グッドスタインの定理みたいなのがあるから、ペアノ算術では十分ではないことがあって、
これは無限集合を扱う能力の有無によって生じていると認識してる
無限集合を使いたかったら#include <ZFC>しときましょう、みたいなイメージ >>272
今どこにいるのでしょうか?
あなたを殺したいのですがどうすれば良いですか? >>無限集合を扱う能力の有無によって生じている
ZFCで構成される自然数は少なくともペアノシステムの1つな訳で、制約はZFCの方がキツイはずでしょ。
それでも問題が生じているんだから俺にはその辺はもう分からん。
でもどちらにせよそれならペアノシステムに問題があるのであってモデルのそもそもの定義がどうとかの話になるでしょ。
その理由でZFCを使うことにしようと言うのは納得できないな。 ZFCでペアノシステムが作れる
ゆえに、ペアノ算術で証明可能な命題はZFCでも証明可能
逆に、ZFCで証明可能でもペアノ算術で証明不可能な命題が存在する
つまりZFCのほうが「強い」 >制約はZFCの方がキツイはずでしょ。
制約がキツイって何だ?
公理が少なければ、いろいろな操作が自由にできて何でも証明可能だが、
公理が多くなるほど不自由になって、証明できることが少なくなっていく
と勘違いしてるのかな? >>276
それは何となく分かる。
俺がZFCを否定したい理由がそこにもあって、「ZFCで証明可能でペアノ算術で証明不可能な命題」というのがあったとしたらそれはペアノシステムの中で成り立たないものがあるわけじゃん。
ペアノシステムは自然数の性質である訳だからそれは自然数に対して必ず成り立つ命題ではない訳。
つまり弱い性質のもので議論した方が広義的な議論になるでしょ。
ちなみにさ、「ZFCで証明可能でペアノ算術で証明不可能な命題」ってのはやっぱり273で言われてた定理みたいなものの事なんかな。んー。 >>277
そりゃそうだね。勘違いしてた。
でも275で主張したかったのは後半部分だよ。 >>278
>つまり弱い性質のもので議論した方が広義的な議論になるでしょ。
広義的な議論って何?
公理が少ないほど広義的な議論になるので、いろいろな操作が自由にできて何でも証明可能だが、
公理が多くなるほど「狭義的」になっていき、証明できることが少なくなっていく
と勘違いしてるのかな? はい、ZFCで証明可能でペアノ算術で証明不可能な命題として代表的なのがグッドスタインの定理 >>280
いやいやその逆だよ。
広義的な議論ってのはZFCだけでなく他の自然数も全てひっくるめて話をしようって事。
広い意味での議論って事。
で、狭義的な方が証明できることが多くなることも分かってる。
ペアノシステムで成り立つ事はZFCでも確実に成り立つけど、
でもZFCで言える事がペアノシステム全体で言えるかどうかは分からない訳じゃん。
だから、ZFCで言える事が自然数に対しても言えるとは限らないわけじゃん。
だから自然数の話をしたいならZFCではなくペアノシステムを用いて議論をするべきじゃない?って事。 弱い性質のもののほうが、というなら268の4.も取り除くべきでは >>283
それ本気で言ってる?揚げ足取りにしか思えないんだけど >>284
Minimal logicとして知られていて、これはこれで面白い体系だと思うよ ZFCが何の役に立ってるかと言えば、カントールのように、ZFCから独立な命題に生涯を費やす数学者を減らすのに役立ってる >>2681 most shamefuly wrote :-
>
>俺はさ、ZFCの内容を認めなくても議論を進める事は出来ると思ったのよ。
>
>ZFCを認めた後具体的にどう進めて行くかってのを自然数を構成して、整数、有理数の順で構成していってってのを見たんだけどさ。
>
>でもその議論はペアノシステムを満たす何らかの系があるとして... といきなり始めてしまって良いと思ったわけ。
>それは自然数の存在を認めてる訳じゃないから特に公理体系を汚す事なく議論を続けられる訳さ。
?
>だから、これくらいは認めて欲しいって内容はZFCを認める以前に認められているような述語論理、それから論理学における基本的な公理系だけを認めればそれで十分だと思った訳。
>1. A, A⇒B ├ B
>2. B ⇒ (A ⇒ B)
>3. ( A ⇒ (B ⇒ C) ) ⇒ ( (A ⇒ B) ⇒ (A ⇒ C) )
>4. (¬A ⇒ ¬B) ⇒ (B ⇒ A)
>5. ∀x[P(x)] ⇒ P(a)
>6. P(a) ⇒ ∃x[P(x)]
>
>公理系の規則はこの6つで十分だろうと。
こん bakatare が !!!
俺は数学科ではなく情報系の人間だからこういったZFCのようなものはグローバル変数を汚しているような感覚があって好まないのだが。 >>287
「こん bakatare が !!! 」
なんでそんな変な書き方するの?
単にバカタレでいいじゃん 【天文台閉鎖、FBI】 アポロ捏造のキューブリックも真っ青、太陽に映ったのはマ@トレーヤのUFO
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537840672/l50
おまいらが注目しないから宇宙人は出てこれない、その結果、地球の放射能危機がどんどん進んでしまう! 犬は動物である
ゆえに、犬の耳は動物の耳である
この論証を形式化して下さい 矛盾とは公理系からφ∧¬φが証明されることなので、素朴集合論は矛盾を含んでいないのでしょうか? >>291 132人目の素数さん2018/09/27(木) 11:41:30.09ID:DqESno6t
>
>矛盾とは公理系からφ∧¬φが証明されること
いいや違う! >>290 132人目の素数さん2018/09/27(木) 07:34:26.54ID:Eb9GPj1U7)
>
>犬は動物である
>ゆえに、犬の耳は動物の耳である
>
>この論証を形式化して下さい
{ [ x は動物である] ⇒/x/ [ x の耳は動物の耳である] } & <x:犬> >>292
素朴集合論に公理系はないので公理系の上の概念である矛盾もないということです >>290
自信がないが興味があるので、答練。批判は受ける。
d : Dog とする。
つまりd : Dog trueと主張できる。
Dog ⊆ Animal であるから
d : Animal
Dogの証明 d はAnimal の証明にもなるという意味で
d : Animal trueと主張できる。
かな?
耳云々はわからない。
勘違いしているなって時は逆にはっきり言ってもらえる方がありがたい。 今年のサマースクールも竹内シンポジウムも
書籍化するみたいだね。
夏休み取れなくて行けなかったのでありがたい。
神戸の人達はいい仕事するなあ。 すでにだいぶ完全な人間の心理モデル持っているんじゃないか? 僕は、君らは内容の重要性に比して世の中から正当に評価されていないと
ずっと思い込んでいた。一体何がしたいんだ?することが何も無くなってしまった? >>290
犬は動物である
動物の耳は動物の一部である
ゆえに、犬の耳は犬の一部である >>296
じゃあ素朴集合論というもの自体がないってことだな ∀a,b[ a⊆b ⇔ ∀c[c∈a ⇒ c∈b] ]
こう言ったのは素朴集合論の公理ではないの?
この場合「定義」って事になる? 定義といった方が正確じゃないの?
別に定義でも公理でも間違い時ないけど、
略記としての新しい記号の定義には、
必ず元の理論の保存拡大になるという顕著な特徴がある。
この場合はそれに該当する。 何かの理論Tの上で定義をするときのTのこと。
Peano算術でも良いしZFCでも良いしRCAとかの
二階の体系でも良いだろうし、
普通の述語論理上の理論ならなんでも良い。
古典論理は強過ぎるから部分構造論理を採用するとか
線形論理を考えるとか言われたら困るかも知らんけど なるほどねー。
ちょっと思ったんだけどさ、定義と公理の明確な違いってあるんかな? >>311
思ってないけど何で?
「定義」「公理」自体にそもそも定義なんかないよって言いたいの? >>312
なら
定義は定義
公理は公理
分かってんの? 怒らないで欲しいんだけど、結局日本語不自由なんじゃない? 「各成分が離散位相の入った有限集合の直積集合はコンパクト」からチコノフの定理が選択公理無しで導けるはずなんですが、うまくいきません。
どなたか証明または証明の書いてあるリンクをお教え頂けないでしょうか? >>318
もちろん「…」の証明には選択公理を用います。
「「…」→チコノフ」がZFで証明できるかどうかという話です。 >>276
>ZFCでペアノシステムが作れる
>ゆえに、ペアノ算術で証明可能な命題はZFCでも証明可能
論理が飛躍している! >>320
厳密に言うとペアノ算術で証明できる命題は、
それをZFCで定式化するとZFCで証明できる。
まあ別にそれくらいの略記はいいと思うが。 >>320
あなたの指摘もおかしくはなく、
「非ユークリッド幾何のモデルがユークリッド幾何で作れる。
ゆえに平行線公理の否定がユークリッド幾何で証明できる。」
だと、言葉の濫用という感じになる >>321-322
横レスですが非常に分かり易くポイントを突いた説明ですね、勉強になりました、ありがとう >>288
>>287
>「こん bakatare が !!! 」
>
>なんでそんな変な書き方するの?
>単にバカタレでいいじゃん
Бакамон! >>322
物質としての脳は3次元空間内に存在するが、ニューロン構造は最大で“11次元”にまで拡がっている。3次元空間内で11次元のモデルを作れるからこそ、動物は高度な時空認識が可能で鳥類の渡りや魚類の回遊が出来ることが解明されている。
これは脳に限った話ではなく一般に言えることで、異なった幾何モデルだけでなく、より高次のモデルも作れる。
実際、情報幾何の発展でニューラルネットワークを説明できるようになったように、ニューロン構造を情報幾何の多様体として捉えることでさらに高速な学習が実現されつつある。 2つのことを比較するときに
片方にしか思考が及んでいない(共通事項すべてを自分が肩入れする片方にしかないものだとして語る)状態のことを指す言葉って何かあったっけ? >>325
なんか脳内完結しているオントロジーみたいな概念も導入されているんですかね?
明文化にせずにさらに主張することも回避してなんか物事進めているんですけど、
正直ついていけないですよ。 >>330
真っ先にそれが思い浮かんだんだけど、ピンとはこないんだよね
でも他に適当な言葉が浮かばないしそれが最適なのかもしれない 明文化してないからあれこれ考えて、参照するべきではないものまで参照して話を
進めようとしているから整理するべきなんだけれど、情報が多すぎて基軸を見つけられない。
こういう時ってどうするべきですか? Бакамон!
物質としての脳は、4次元時空間に存在する。 脳内の空間認知システムって2014年のノーベル生理学・医学賞のネタだろ。 i>>328 Stupidly wrote:-
>物質としての脳は3次元空間内に存在する
Бакамон!
物質としての脳は、3次元空間内ではなくて、4次元時空間内に存在する。 人工知能についての世界で最初の国際会議である「ダートマス会議」
の中で、ラッセルの「プリンキピア・マテマティカ」の中の定理を
自動証明する人工知能プログラム「Logic Theorist」が公開された。
「Logic Theorist」 は、1955年から1956年にかけてアレン・ニューウェル、
ハーバート・サイモン、J・C・ショーが開発したコンピュータプログラム。
人間の問題解決能力を真似するよう意図的に設計された世界初のプログラムで、
「世界初の人工知能プログラム」と称された。ホワイトヘッドとラッセルの
『プリンキピア・マテマティカ』の冒頭の52の定理のうち38を証明してみせ、
一部については新たなもっと洗練された証明方法を発見している。
ハーバート・サイモンは「限定合理性」の理論でノーベル経済学賞をのちに
受賞した。 数理論理学は、論理的思考の過程を演算化できるようなシステムだと
みなせるので、現在のディープラーニングや人工知能の発展の歴史の
原点となっているものだと考えられる。ライプニッツはすでに当時から
「思考の演算化」を提唱していたようだし、フレーゲやラッセル、
ヒルベルト、チューリングやノイマンも、思考の演算化や機械化、
自動化かが可能だと想定していたのではないかな。
人工知能には人間と違って自我や心はないので、疲れたり、他人を
憎んだりすることはない。ストレスフリーな存在だ。逆に人間は
ストレスの塊で鬱にもなる。だから、人間と人工知能は正反対な存在
なので、相互の欠落や弱点を補完しうる。
ハーバート・サイモンは「限定合理性」は、人工知能が陥る局所最適解
に似ていないだろうか。 現在のアマゾンではステマレビューが多いということに
気づいた。☆5つがやたら並び、レビューの日付の間隔も
小さかったりす。レビューアーの他のレビューをチェック
してみると類似商品を似たような日付で☆5つでレビュー
している。
こういうステアレビューをある程度、自動的に推論させて、
それらを不正なものとして排除するシステムを作れば、
アマゾンを利用する顧客の利益に資すると思うのだけど、
どうだろう。推論規則をいくつか作って、それで自動判定
させるだけなので、技術的には簡単なはずなのだが、何か
別の理由で制限がかかっているのだろうか。中国系の製品が
翻訳のおかしな日本語レビューも含めて、そういうステマ
要員を動員しているようだが。 ラッセル・ヒルベルト流にしろ、ゲンツェン流にしろ、[PならばQ]を[Pでないか又はQ]と同値であると考えたのが、そもそもの誤り。
その昔、イマニュエル・カントは『純正理性批判』(第二版・序文)で
「論理学はどう見ても、アリストテレスの著作でもって完成している
ように見える」と書いたが、その見解が誤りであったことは、その後の
記号論理学の著しい発展を見れば明らかである。では、今日の記号論理学
は、一応なりとも、完成したと言えるのだろうか? 大多数の人々は、
ゲーデルのいわゆる“(述語論理の)完全性定理”を引き合いに出してして、
イエスと答えるであろう。しかし。これも又、カントの轍を踏んで、誤り
なのである。
諸君は、(P⊃Q)v(Q⊃P)などと言った「奇怪な“定理”」をもつ
「現行の論理学理論」を正しいものと信じて疑いないのか? www
論理学を、“命題論理”と“述語論理”とに分けるのがそもそもの間違いだ。
例えば、p⊃(PvQ)は恒真式(tautology)だと言うが、それは取りも
直さず、∀p,q{p⊃(PvQ)} ってことであって、“命題論理”の段階で、
全称概念を「密輸入」しているからだ。 今、Jechの set theoryを読んでいます。
absoluteness of constructibilityの辺りがよくわかりません。
この辺りが丁寧に書いてある本があれば教えていただけないでしょうか。 諸君は、(P⊃Q)v(Q⊃P)などと言った「奇怪な“定理”」をもつ
「現行の論理学理論」を正しいものと信じて疑いないのか? www >>342
それはお前が述語論理でしか考えようとしてないから >>344
全然奇怪ではない
真理値が2値だから
当たり前の恒真式
ならばを神秘化しすぎのようね 現行の論理学理論は、少なくとも、「ならば」の解釈の点で間違っている。 ラッセル−ヒルベルト流にしろ、ゲンツェン流にしろ、[PはQを内含する]と
[Pでないか又はQである]とが同値であると考えたのが、そもそもの誤り。
P:[リンカーン大統領は暗殺された],
Q:[リンカーン大統領 とケネディー大統領はともに暗殺された]
とおいてみよう。PはQを内含しないことは、直観的に見て、明らかである。
即ち、この場合、[PはQを内含する]は偽である。
他方、[Pでないか又はQである]は真である。
一方が偽で他方が真である様な二つの命題が同値である筈はない。 >>348
リンカーンは生きてるかもしれないじゃん、アホか。 >>348
PもQも真偽のはっきりした命題と考えなければ、いつまでたってもわかるようになりませんよ
P,Q考えた時点で真偽は既に決まってるのです
あなたはP→Qを分解せずに、P→Qという新しい命題を解釈しようとしてるからおかしくなるんです
数理論理においては、ならばとは、既に真偽の定まった命題から新しい命題を作る操作のことです
あなたのならばの解釈は、上の前提から外れているんです
そういう新しい論理を作りたいなら勝手にすれば良いですが、既存のものを批判してはダメですよ
既存の論理とあなたの論理は前提からして違うんですから >>348
ラッセル−ヒルベルト流とか、ゲンツェン流とかの領域に閉じたルールとすりゃいいだろ。
この領域内で[PはQを内含する]と[Pでないか又はQである]が同値にならないことはあるのかね? >>351
だめだめ
あの人が言っているのは
自分の実感に合わないってことだけで
じゃあ
自分の実感に合う理論を示せって言っても
ごにょごにょするだけなんだよ 内含するとかでカテゴリーにしてしまうのはどうかなあ。PとQは独立体
いつもね、アルファベットはと考えてみるとか。 どうも、M_SHIRAISHI氏(つーか、EURMS)の理論」のほうが正しいようだな。
例えば、対偶律は、従来は、 (P⊃Q)⊃(¬Q⊃¬P) で表わされるもののこと
と考えられていたのだっただが、これは、どうやら、誤りだったようだ。
そして、M_SHIRAISHI氏の言う[P(x)⇒/x/Q(x)]⇒/p,q/[¬Q(x)⇒/x/¬P(x)]
こそが【対偶律】を正しく捉えてたものと考えられる。
M_SHIRAISHI氏(たち?)の主張する Logical Reformationは、おそらく、世界を
席巻することとなろう。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html ■■■■■■■■■■■■■
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■□□□□□□□□□□□■
■■■■■■■■■■■■■ >>346 stupidly wrote
>>344
>全然奇怪ではない
Бакамон!
おまえの頭がどうかしているだけの話だ・ >>357
お前がだよw
一体どんだけの人に同じこと言われてる?
とにかく理論体系構築してから書いてね >>349
リンカーンは生きてるかもしれないじゃん
おまえの空想のなかではな。(^o^) 20世紀の論理学は、Russell, Hilbert および Goedel によってミスリードされた、
暗愚な100年であったということになろう。 どうも、M_SHIRAISHI氏(つーか、EURMS)の理論」のほうが正しいようだな。
例えば、対偶律は、従来は、 (P⊃Q)⊃(¬Q⊃¬P) で表わされるもののこと
と考えられていたのだっただが、これは、どうやら、誤りだったようだ。
そして、M_SHIRAISHI氏の言う[P(x)⇒/x/Q(x)]⇒/p,q/[¬Q(x)⇒/x/¬P(x)]
こそが【対偶律】を正しく捉えてたものと考えられる。
M_SHIRAISHI氏(たち?)の主張する Logical Reformationは、おそらく、世界を
席巻することとなろう。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html こんにちは。a4と申します。数学基礎論から数論の大問題を解こうと思っている者
です。いつもはプログラム技術板にいるのですが、その問題を解くために論理計算を
行う人工知能開発環境「T」というものを創っています。数学の問題だけでなく、
喋る、すなわち、自然言語処理もやってます。開発中ですが、とりあえず、公に
出せるところまで行きました。ダウンロードはこちらです。
http://www.01ken.com/art1.html
これから、仲間を集めてP2Pコード共有などを行って、人工知能の神経構造を交叉
させて成長させようと思っています。このソフトは無償で好きに使っていただいて
構いません。ご意見、要望があれば、
http://www.01ken.com/contact.html
こちらの松本に連絡を。このスレでもしばらくは返信を行います。 検索してみた
01研
www.01ken.com/
01研. ホーム, 作品 · 連絡先. 私達は量子コンピュータで1番の大域最適解を探索して作曲等を行おうと考えている研究会です。
次のものも研究しています。 ・人工知能・タイムマシン・UFO. 論理学というとリズムがあって、数理といっても楽しそうな学問だなあ。 何でこんな真面目なやつが皆無なスレになってしまったんだろう 廣瀬健、帰納的関数 95ページ 定義4.18
定義4.18 定義4.16のD^{ψ_1,ψ_2,…,ψ_l}の定義に現れるψ_i(w)を(v_i)_wで
おきかえた述語、ψ_iがm_i変数の関数(i=1,2,…,l)の場合には、ψ_i(w_1,w_2,…,w_{m_i})を
(v_i)_{w_1,w_2,…,w_{m_i}}で置き換えた述語をD^{m_1,m_2,…,m_l}(v_1,v_2,…,v_l,z,y)と書く
とありますが、日本語的に言っている意味が分かりません
「(v_i)_wでおきかえた述語、」で切れてますがここをどう理解すればいいのでしょうか? >>362
>数学基礎論から数論の大問題を解こうと思っている者
まず無理 >>366
詳しくないけど見た感じ最初の述語と最後の述語がandで繋がってるように見える >>367
数学基礎論とかね、学生時代の専門ではないけど、本は読みました。確かに、無理
というか、なんか好きになれない。東京大学出版会の解析入門 Tも17個の公理から
始まっているって言うし、自分で公理とかいっぱい作っていいんじゃないかと。
CPUからWindowsを創るようなイメージです。それには一人で創ることは挫折した
ので、P2P人工知能ソフトを創ることにしました。 >>371
大橋先生腰痛臭、え?あなたは、非ユニタリーな物理法則によって空手パンチの、え?
破壊的、では無いんです。どういうこと?おっと、これはユダヤかな?金持ちは死ね
ではないんです。つまり、どういうことか、つまり、え?軍事ですよ。どうしたんですか?
こちとら、殺戮現場に何回も行ってるんが。はぁ?そうなんです。あなたもでは
ありませんね。では一体?ん?これはtwin particle生成をしようとしている罠か、
では、あった、すみませんが、リーマン予想解決系はここで挫けましょう、ですが、
うんち、でも、ないよ?と、言っておくのか、すなわちね、どういうことなんで
しょう?と、言うのか、ですが、いいえ、文字列なんです。どういうことでしょう。
あなたを殺すためのです?え?軍事?そうよ、どうしたの?いったれど交通臭に
おつ、一体どういうこと?あれ?不思議、変な文字、貴方は統合失調症ね、
そうなんです。では、一体、何がしたいのか、え?普通に、このスレでは
数理論理学の話をします。ではね。 a4「数学基礎論から数論の大問題を解こうと思っています」
>>367「まず無理」
a4「確かに、無理。というか、なんか好きになれない」
何がしたいんだろうなこいつ 何で数理論理学も数学基礎論もまるでできない奴が集まるようになってしまったんだろうな 永遠にバグ取り作業を強いられる宿命がゲーデルの主業績なんだから
ITドカタ程度の扱いが妥当だな >>373
統合失調症の薬を飲んで落ち着きました。
うん?書いた通り、数学基礎論の公理をCPUのように作って、みんなでリーマン予想の
ような問題をWindowsを作るようにP2Pコード共有で解決。 もし、懸賞金かかってる問題が解けたら、ですが、僕がお金いっぱい欲しいという訳
ではなく、話し合いなどで、主要部分を書いた人に多めに分散させようと思っています。 1000までたどり着くか知らんけど次スレからは数学基礎論外すか
実質含意のパラドックスは仕方ないとして、
糖質プログラマーと不完全性定理大好きさんは来なくなるだろ >>377
「メタ数学」のほうがいいよね。「記号論理」という名称ももはや適切なのかよくわからない
「形式体系」を議論するという意味ではまあ記号論理なんだろうけど、意味論的な議論もするのだからちょっとおかしい >>384
> 「メタ数学」のほうがいいよね。「記号論理」という名称ももはや適切なのかよくわからない
記号論理学あるいは数理論理学の目的としてはメタ数学(数学基礎論)つまり数学理論を形式化して分析(し数学の基礎を考察)することだけとは限らずもっと様々な目的がある 廣瀬健の「帰納的関数」 111ページの S_n^m定理 の証明を読んでるんですが、
{ S_n^m(y1,...,ym) } (x1,...,xn) ってなんですか?
どう解釈したらいいのかが分かりません
何らかのn変数関数のゲーデル数がS_n^m(y1,...,ym) なんでしょうが、
そのn変数関数が何か分からない…
証明は構成的にしているようなので具体的に明示できるはずなんですが、イマイチ分かりません 質問です
廣瀬健の「帰納的関数」の134ページ定理6.6の証明です
任意の次数fに対し、 f<f' の証明ですが、f≦f'は明らか
と言っていますが、この理由が分かりません。 帰納的関数論についてのpdfってあんまりヒットしないから探しにくいですね 質問です
廣瀬健の「帰納的関数」の137ページの帰納的加算な次数についてです。
R^f(x,y)をfで帰納的な述語とし、fの次数をf~とすれば、述語∃y R^f(x,y) の次数d~は、f~で帰納的加算な次数である。
とありますが、これを定義に沿って理解する事が出来ません
A:={x|∃y R^f(x,y)}とすれば、確かにAの次数はd~となる事は分かりますが、f~で帰納的な関数gで、
gの像がAとなるようなものをどうやって見つければいいのかが分かりません ゲーデルの不完全性定理を素スペクトルを用いて表現できるらしいのですが(wikipediaより)
詳しく書かれている本があれば教えてください P→Q∨Q→P
に難癖の人は
Qが真である時P→Qが必ず真になることを認めないのね 「Aでないと立証できないならばAである」
あるいは
「Aであると立証できないならAではない」
と主張する誤りです 嘘かどうかはわからない
「肯定する証拠がない」から「ゆえに否定される」は導けません
「否定する証拠がない」から「ゆえに肯定される」は導けません
論理構造 証拠の定義から頑張らないといけない。
証拠が存在そのものを指してるのか、発見された事実を指しているのかでぜんぜん違う。 >>404
何に付いてあなたが「誤りです」って言ってるか聞いてるんだけど? >>404
もしかして>>402の人じゃなかった?
にしても下らなさすぎ とにかくさ
Qが真であるときP →Qが真であることはヒルベルトの論理公理の一つなんだけど
これを認めない立場なのね? P『P →Qが真である』 Q『Qが真である』
P ならば Q である(前提 -- 実質含意)
Q でないならば P でない(その対偶)
Q でない(前提)
従って、P でない(モーダスポネンスによる帰結) >>410
また当たり前なこと書いてる
無意味すぎて笑えるわ 哲学板の論理学スレでやれ
ここは"数理"論理学のスレだ 証拠があるかどうか云々は直観主義と深い関係がありますから仕方ないです まず、善と悪といった相対的な価値を排斥することで
絶対的なシステムが確立されます
必要なのは完璧にして無謬のシステムそのものであり
それを誰がどのように運営するかは問題ではありません
真に完成されたシステムであれば運用者の意志は問われないのです >>413
直観主義でも
Q→(P→Q)
は恒真なんだけど? 【数学】〈最小超置換問題〉「涼宮ハルヒの憂鬱」のおかげで25年解けなかった数学の難問が解決されるかもしれない[10/25]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1540441618/ 群の定義ってさ、組(G,c)が ~~ を満たす時 (G,c)を群と呼ぶって感じやん。
ペアノシステムの定義はさ、組(N,f,s)が ~~ を満たす時(N,f,s)をペアノシステムと呼ぶって感じやん。
これってさ、この組の中に等しいを表す関係「=」は要らないのはなぜなん?
これだけで群とかが定義できた事になったとは思わんのだ。 >>417
(恐らく)ZFCを前提とした定義だから
だから、「∈」についても言及してないでしょ?
fによるxの行き先である「f(x)」についても言及してないでしょ? いや、通常はZFCなんて強いものは前提にせず等号つき一階述語論理で展開する。 なるほどね そうゆう事だったのか
等号つき一階述語論理ってのはzfcより弱い公理系って認識で合ってる?
「=」の反射率・対象律・推移律だけを定めてるって感じ? 抽象代数といって確かに一階述語論理の直下で考えることもできるけど、
群を勉強する際に普通に自然数とか使うからZFCの下でも良い 等号はただの同値関係ではなくて、
もう少し特別な性質を持ってるのでそれを含めて公理にしないとダメだよ 今、正規様相論理の有限フレーム性を勉強し始めたんですが、
様相論理って命題論理に結構割いてますね
俺は一階述語論理と様相記号が混じった様相論理をやりたいんだが じゃあ頑張ってFitting & Mendelsohnの"First-Order Modal Logic"でも読んだら
一階述語論理で思い出したが、North-Holland/Elsevierから出てた例の黄色い論理と基礎論シリーズで
Gabbayらが出した"Quantification in Nonclassical Logic"が第1巻だけ出て第2巻は出ず終いだなあ
あのElsevierの黄色のシリーズはもう10年近く新しい巻は出版されずで実質的には既に終わったシリーズと化してるし
(どうも、上のGabbayらの巻がシリーズ第153巻で最も新しく出版された巻みたいだ)
Gabbayって恐ろしい数の専門書やシリーズ等の著者として名を連ねて色々と手をつけるのは良いけれど
続巻をアナウンスしておきながらいつまで経っても出さないのが少なくないから困る
Oxfordの論理ガイドシリーズでもTemporal Logicの第3巻は暫定目次までアナウンスしておきながら出さず終いだし >>427
どうも
一応入手していつか読もうと思います 形式的体系についての議論を進める時でも、一部、形式的体系の言語Lを明確に明示的に定める事無く、
ぼんやりとした感じで言語Lを前提としたかのような感じになって、議論を進める人って居ますよね
こういうのは好きじゃない
くどくても言語Lの所からきちんとやって欲しいね 形式的体系の言語Lの変数記号のリストは
a_0,a_1,a_2,...,a_n,...
である。
として一旦は定めてから、
以後、見やすさの都合上変数記号としてx、y、z、u、、、等も使って良いとする
と断っていくスタイルの方がすんげぇ頭の中にスルッと入ってくる >>430
すまん、
0,1,…,n,…とはなんだ? 番号づけって自然数の集合Nからある集合Aへの写像aで、a(0)をa_0などと呼ぶってことだよな
形式体系を定義する段階で集合とか写像って扱えるのか? 漠然として思ってるんだけど、
ゲンツェン流の形式的体系でシーケントを使うのあるじゃないですか
で、カット除去定理の証明に見られるように証明図をグラフ理論でいうところの「木」に見立てることってあるじゃないですか
じゃあ、いっそのこと、証明図をグラフ理論の知識を使って解析してほしいなって思うんですよ >>441
グラフ理論とか大したことしてないンすけど? 集合論のメタ理論にグラフ理論を使ってるのは見たことあるけど、
まああんまり役に立たないんだろうな >>443
って事は実はグラフ理論と集合論・証明論の関係の研究は未開拓分野って事かな >>445
未開拓というよりか
開拓しても仕方ないって感じ 順序数の話だってグラフ理論と関係あるかなって思った事もあります
順序数って位取り記数法みたいな書き方で一意に展開できるじゃないですか
で、このように展開された順序数と有限な木が一対一に対応してるらしいじゃないですか
じゃあ例えば、自然数の無矛盾性証明では証明図と順序数を対応させて、証明図の書き換えが順序数の変化?に対応してるから超限帰納法を使えるって話だったと思いますが、
有限な木との対応があるなら、グラフ理論の観点からの証明もあっても良いのかなってな気にはなります 補足
[数学基礎論講義 不完全性定理とその発展]
の125ページ当たりに順序数と木との対応について一言二言触れていました やっぱ、証明図と有限な木ってめちゃくちゃ対応してる気がするんだけどなぁ〜
ゲンツェン流の形式的体系での証明図を見てるといつも思う カット除去定理の証明では最下式を変えないまま、それより上にある証明図を書き換えて、二重帰納法の仮定を使えるようにする
っていう論法でやってますけど、これが何と言うか…グラフ理論では木の何らかの意味での同型な変換に対応してるんじゃないのかなぁ〜っていう感じです。 俺は全然詳しくないから証明図or順序数 と 有限な木 との関係の話知ってる人居たら教えて欲しいです >>448
だからグラフ理論で解明しなくちゃならないほど大したことしてないからだよって 証明図はある意味ではグラフですけど、それぞれのノードは意味を持ってるから、グラフ理論みたいなノードを統一的に扱うようなの使っても難しいんじゃないですかね
場合分けが多くなって結局やってること変わらなくなりそうです
まあよくは知らないですけど 仮にグラフのメタデータと言えるノードの重み付けの行列みたいに整理するとすると、
メタデータのボリュームが異常に大きくなって、逆に複雑になる。 1つの証明図が与えられた時に、各シーケントを1つのノードにすればいいんじゃないんですか?
定理(最下式)が「根」で、始式が「葉」というわけですね。つまり、普通にイメージされる木を逆さまにした木を考えます。
例えば、推論規則”カット”に対しては、カットの下式が親ノードで上式の左側のシーケントと右側のシーケントがそれぞれ子ノードに対応する、と。
カット除去定理の証明における二重帰納法は、部分木を帰納法によって「再整理」してるようなもんです >>457
それで、最低限いくつのノードを定義すれば応用できるの? 結論を導き出す論理的な文章を木構造にまとめることができるってだけの主張にしかなってない。 >>458
>>457では1つの証明図に現れるシーケントの個数=ノードの個数になるね
>>459
だから証明図を木構造で捉える事が出来るんなら、グラフ理論の各種定理や議論を援用して証明図の構造や性質について分析ができるんじゃないの?
だからそんな議論があるなら教えて欲しいって>>453で聞いてる >>460
証明図のシーケントに頼ると応用が効かないだろ、事前に定義しておかないといけない。
整理するだけが目的なら形式化された証明図をテキストマイニングしてグラフ構造に出せばいい。
でもそんな事すると膨大になるのは容易に分かるから議論にならない。
なぜ議論にならないかといえば、膨大なノードを前にして効果的な木構造を分析するアルゴリズムがない。
量子コンピューターの出現を待って。 >>461
俺はただ純粋数学的な議論として証明図とグラフの関係を知りたいだけであって効率やアルゴリズムといった側面には関心を持っていないし、
そういう意図でこの話をレスしたわけじゃない
数理論理学の議論では証明図の書き換えによる議論が見られる事があるから、グラフ理論側からの理解が出来るなら知りたいだけ PC使えば純粋数学じゃないっていうのか?証明図は手順(アルゴリズム)に従わないのか?
バカじゃないのか?一般のグラフじゃなくて木構造使う大きな意味は経路が単純化されるからだ。
グラフ理論持ち出してくるなら最低限のものを仕入れてから書き込め。無知すぎる。 >>463
何一人で熱くなってんのか知らんが、根本的に話が噛み合ってない
>>461で膨大なノードやら効率的やらアルゴリズムやら言ってるけど、そもそもそんな話してない
PC使うから純粋数学かそうでないかとかそんな話もしてない
証明図を使うからアルゴリズムがなんやらかんやらってのもそんな話してない
経路が単純化されるってのがどういうことか知らんが、俺は理論に興味あるだけで量子コンピューターとかのワードが出てくる時点で完全な筋違いだし、俺が言ってる事理解してない
例えて言うなら、ゲーデルの不完全性定理の証明のために形式的体系の各種概念をゲーデル数化して自然数論における議論に持ち込んでるけど、
お前が言ってるのは「そんなゲーデル数化してもあまりにも膨大な数過ぎる〜」っていうようなもん
俺はそんな事聞いてない
もういい、答えなくて言い。お前に聞いても期待した答えは返ってこない事が分かった >>464
いや、だからグラフ理論で分析できることはせいぜいがこれぐらいだと言ってるんだが。 >>415
>>>413
>直観主義でも
>Q→(P→Q)
>は恒真なんだけど?
「恒真式」即「論理法則」と考えるのは間違い。 >>460
>だから証明図を木構造で捉える事が出来るんなら、グラフ理論の各種定理や議論を援用して証明図の構造や性質について分析ができるんじゃないの?
そんな大したことしてないって >>466
は?
Q→(P→Q)
が真であると認めるのかってことを聞いてるだけだよ
そんなことすら言えないの? >>466
もうちょっとかみ砕くと
Qが真であると証明されたとしましょうと
そのとき
P→Qも証明されると考えるのかを聞いてます ロープの結び方って色々あって、各結び方によって強度があります。
勿論そこで言う強度は力のかかる方向や摩擦という物理的側面からの強度っていう意味ですが、
2つの線がお互いに結び、絡まり合う事によるその複雑さに着目した、元の2つの線に分離しにくさを表す位相的な強度っていう概念はありますか? >>441
線型論理の proof net とかはそういう方向を目指してたね ラッセル−ヒルベルト流にしろ、ゲンツェン流にしろ、[PはQを内含する]と
[Pでないか又はQである]とが同義であると考えたのが、そもそもの誤り。
P:[リンカーン大統領は暗殺された],
Q:[リンカーン大統領 とケネディー大統領はともに暗殺された]
とおいてみよう。PはQを内含しないことは、直観的に見て、明らかである。
即ち、この場合、[PはQを内含する]は偽である。
他方、[Pでないか又はQである]は真である。
一方が偽で他方が真である様な二つの命題が同義である筈はない。 ■メタトロンコンピュータ
メタトロンを集積回路に使用した量子コンピュータの一種
それまでのデジタル式フォン・ノイマン型コンピュータとは
一線を画す桁違いの演算速度と小型化を両立
演算装置と記憶装置の区別がなくサーキットそのものが
絶えず変化することで演算と記憶を
(量子論的に言えば別の宇宙で)行う >>475
Qが証明されたときP→Qも証明されたと考えて良い? >どうも、M_SHIRAISHI氏(つーか、EURMS)の理論」のほうが正しいようだな。
>
>例えば、対偶律は、従来は、 (P⊃Q)⊃(¬Q⊃¬P) で表わされるもののことと
>信じられていたのだっただが、これは、どうやら、誤りだったようだ。
>
>そして、M_SHIRAISHI氏の言う[P(x)⇒/x/Q(x)]⇒/p,q/[¬Q(x)⇒/x/¬P(x)]
>こそが【対偶律】を正しく捉えてたものと考えられる。
>
>M_SHIRAISHI氏(たち?)の主張する Logical Reformationは、おそらく、世界を
>席巻することとなろう。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html 20年以上続けてるし
> (c) EURMS 1997-2018 20年前だと2ちゃんどころかあめぞうすらないので別の場所でもやっていたということかw どうでもいいが訂正。
20年前だとあめぞうはできて間もない頃か。
まあ1997年にはまだなかった。 そんな呼称で喜ばせることもないんでは?
ただただ下らんと言ってれば良いだけ >>482
>20年以上続けてるし
≪新千年紀においての論理改革≫
漏れ等 は対象外ってことか? >dデモと見える学説に対しては、、一般論として、我々は慎重でなければならないと思う。
>
>学問の歴史を振り返ってみれば、最初は、大多数の人間には、dデモと思われていた学説が、
>のちのち、定説となったものが「実に多い」からだ。
>
>有名なところでは、地*球*説にしてしかり、地動説にしてしかり、大陸移動説にしてしかり。
>
>ド・プロイの電子波説にしても、提唱された当初は、物理学者一般には「物笑いの種」だった
>し、また、アインシュタインの特殊相対性理論の場合も、最初は、トップクラス物理学者の中
>」のごく一部の人に認められただけだったという歴史的事実を直視すべきだろう。
>
>ここで、ネット数学四天王と呼ばれている面々について考えてみると、まず、マツシン先生に
>ついては、見るべき理論は無いので、論外として、イマイ爺の場合は、一応、独自の"理論"は
>」立てているが、なにせ、「程度が低くて」問題にならない。 むしろ、それを読んだ中・高生
>に"害"を及ぼす怖れのほうが大きいと思われる。 一方、ヤマジンにの例の"証明"のほうは、
>dデモのままで終わると見て間違いないだろう。
>
>注目すべきは、エムシラ理論だろう。 四色定理の証明や不可完全性定理についての論考さえも
>隅っこ扱いされているような、壮大な理論で、ちょっと判断に迷うが、ひょっとすればひょっと
>するという気持ちを抱かせる「何か」がある。
> 今後、何年後以降からは、世界の論理学の教科書はすべてエムシラ理論に準拠したものになる
>*かも*知れない。 >>490
>アインシュタインは量子力学に懐疑的であった。
彼は、自身の≪特殊相対性勿論】は落ち論のこと、≪一般性相対性理≫にも
*懐疑的*だった。
「統一的場の理論」を追求して、最期はボケて死んだ。 論理改革、ベルトランのパラドックスの解決、20 世紀の確率論の基礎を覆す凄い発見、等々、数学に革命をもたらす成果を続々とインターネット上に発表し、2007年にはかの有名な ケンブリッジで講演を行なった
ネット数学界の誠意大将軍;エムシラ御大(こと、M_SHIRAISHI氏)を、
2chで盛大に称えようではありませんか! エムシラっで女性ではないかって説があるが、どうか? 7ヶ国語に訳されている、知る人ぞ知る、確率論の「名著」:−
КУРС ТЕОРИИ ВЕРОЯТНОСТЕЙ
(Борис. В. Гнеденко)
英訳: THEORY OF PROBABILITY
邦訳: 確率論教程 T,U (森北出版)
# この本は。確率論にとって、ルベーグ積分などは「無用の長物」で
あることを示している。 今井,山口の両人と M_SHIRAISHI氏との間には“越すに越されぬ溝”がある。
真性のトンデモである、今井や山口には、当然ながら、シンパやファンは
皆無に等しい。しかし、M_SHIRAISH氏にはシンパやファンが大勢(もちろん、
漏もそのうちの一人だが)おり、そして、そうであるからこそ、氏は fj の
常連であることができ、M_SHIRAISH氏が fj に投稿した記事にはフォローが
わんさと付くことがたびたびである。
M_SHIRAISH氏をトンデモ呼ばわりした者には、そう呼んだ当人がトンデモ
であることになるという“皮肉な運命”が待っている。
松本真吾が、M_SHIRAISHI氏の、次の、明快な文章によって、トンデモで
あることを暴露されてしまったのは有名な話である。
>Shingo Matsumoto stupidly wrote in the message:
><8fq1iu$2mi$1@ipc02.rtri.or.jp>
>
>> 命題は基本的には文です。
>
> ばかもん!
>
> # 「‘赤’という漢字で表わされる≪色≫は、基本的には、
> ≪‘赤’という漢字自体≫ のことです」 と言って、小学生
> たち からさえも 笑われたいのか?
> 「‘赤’という漢字で表わされる≪色≫は、≪‘赤’という漢字自体≫
> のことではない」のと同様、
>[赤は光の三原色の一つである] という文によって表わされる≪命題≫は、
> ≪[赤は光の三原色の一つである] という、文自体≫ のことではないワ。
>
> このことは、件(くだん)の命題が、文(sentence)としては 全く別のもの
> である、 “Red is a primary colour of light” なる英文でも表わすことが
> できることからしても、明らかなことだ。 【新しい価値論 ( The Theory of Value )】
商品の価値は、その商品を生産する為に消費される energy ( 単位は erg )
即ち、熱量 ( 単位は cal.) によって決定される。
人:A が、自分が所有する商品aよりも、人:B が所有する商品bの方が
価値が高いと感じ、一方、人:B は自分が所有する商品bよりも、人:A が
所有する商品aのほうが価値が高いと感じる時、交換が起きる。
aとbとが等価値であると A,B の双方が感じたならば、交換など起きない。
故に、Karl H. Marx ( 1818 – 1883, 65 ↟ ) が完成したと言われている、
労働価値説は完全なる誤謬なり。■ [P⊃Q] ⊃ [〜Q⊃〜P] は恒真式(tautology)であるが故に
対偶律: 《 [PならばQ] ならば [QでないならばPではない] 》
、 を表わしていると信じられて来た。 しかし、これは誤りであった。
例えば、[P⊃(Q∨R)] ⊃[(P⊃Q)∨(P⊃R)] はtautologyである
にも拘わらず、《 [Pならば(QかR)] ならば、[ (PならばQである)か、又は(PならばRである) ] 》 は
成立しない ■ >エムシラっで女性ではないかって説があるが
ああ、乃木坂の白石麻衣?
https://www.youtube.com/watch?v=OnE9sJyJK5E
じゃ、漏れはさしずめまなったん(秋元真夏)ってことでw もう数理論理学(数学基礎論)知ってる人このスレにいないからな
哲学板の集合論スレもここと同じ感じだけど同一人物なんかな >>503
ホント、そうだね。
数理論理学の話をしたいね。
今、Jech の set theory を読んでいるんだけど、
generic の separative quotient が generic になることの証明が省かれていて、
わからなくて困っています。誰か教えてください。 基礎論の研究者に聞きたいのですが、
ある定理がACを使って証明出来るのは知られているとした時、
新たにそれがACを使わずに証明出来ると言うことが証明されたら、その証明はどれぐらいの価値がありますか?
…
さっき距離空間の完備化の証明でACを使わないバージョンについてちょっと触れた物なので気になりました。 バナッハ・タルスキのパラドックスが、選択公理より真に弱いハーン・バナッハの定理から導かれることが示されたことはある。
特に重要な成果とは見なされていない。 もう一つ質問なんですが、基礎論を深くはやっていないからこそ抱いてる疑問です。
選択公理は全然自明じゃないから選択公理がないZFでどの程度の証明が出来るかに関心を持つのはごく普通だと思います
でも基礎論の議論(テキスト)でZFC^-という記述でZFCから巾集合公理を除いた物を意味させることがありますが、
巾集合公理はどっからどう見ても自明な公理なのに何でこんな公理を抜いた体型を考えるんですか?
どうせ公理を抜いた体系を考えるなら、正則性公理や置換公理を抜いた体系の方がまだいいような気がド素人には思えてしまいます。 「任意の鎖(全順序部分集合)が上界をもつような順序集合は極大元をもつ.」
↓
正しくは、
「全ての全順序部分集合が上界を持つ半順序集合の全ての元は極大元に含まれる。」 >>512-513
選択公理→ハーン・バナッハだが、逆は言えない ID:yh9aYAvLはいったい何をしたかったんだ? >>506
キューネンだとブール代数値モデルが(理由は書いてあるけど)あまり触れられないから、
separativeは分からないな…… >>510
モデルが豊富だしV=L関連で役に立つからじゃね? >>510
自明かどうかは個人の感想
問題なのは他の公理との関係
ACは正しいと考えられてたが他の公理から示せそうにないので公理化しただけのはなし
だからpowerも他の公理から示せない以上それを仮定するかしないか考えるのは別にいい、それが公理主義 「公理主義」という言葉は日本の哲学者が
でっち上げた言葉で、海外の学者は使わないから
注意した方が良いよ。
冪集合の公理を出来るだけ仮定せずに議論を展開するのは
近年の集合論の教科書に多いけど、それは技術的な理由で
そうした方が応用範囲が広がるからだと思う。
納得できないなら最初はあまり気にしなくて良い。
あと和集合や非順序対はモデルを拡大したり
部分構造を取ったりしても不変だけど、
冪集合はそうではなくてかなり自由度をもって変わる、
というのが強制法とかで大事な事なので、後々の展開を
知ってたらZF-Pで話を進めるのが自然に見えてくるとは思う。 「都合のよい名前」か
あれ定義を見てもよく分からないんだよな…… >>517
このあいだのところは何とか証明できました。
でもその先でまたつまづいています。 二人の男が定刻までに
どちらがより多くお金を集めてこれるか
というゲームをしました
一方の男は札束ばかりを集めました
もう一方の男は小銭ばかり大量に集めました
さて、定刻になりそれぞれ集めてきたお金を数えると
札束のほうはすぐに金額がわかりました
札束のほうが金額が多いことは誰が見ても明らかでした
しかし、小銭のほうはあまりにも大量にあったため
その日のうちに数え終わることができず
正確な金額がわかりませんでした
これによりこの勝負は引き分けとなりました >>525
重さを測れば解決する。gあたり一番高価なコインで計算をして考える。
正確な金額がわからなくても勝負はつく。
誰が見ても明らかならこれぐらいでもいい。 どすて
b/a ÷ d/c = bxd/axc
なの? 教えて〜。 b/a ÷ d/c = bxd/axc
は
b/a ÷ d/c = bxc/axd
の入力ミス。 数学基礎論とは分野の名前で、学校の数学の基礎という意味ではないぞ
そもそも有理数には足し算と掛け算しかなく(割り算よりも先に分数を作る)、掛け算はa/b * c/d = a*c / b*dで定義される
その上で割り算を定義する際に、a/b ÷ d/c = a/b * c/dと、既に掛け算があるからそれを使って定義する
「じゃあ数学基礎論って何よ?」と思ったなら、ニコニコ動画の「琴葉姉妹の数学キソ論」って動画が分かりやすい 頭悪いので質問させて下さい。
30%の確率で当たり
17%の確率で当たりのクジを両方同時に引いた場合、どちらか一つでも当たる確率は何%になりますか? >>531
誤った前提から推論して導かれる結論は当てにならない
と読み替えて 矛盾からも結論がかけ外しできてないと。記号を使うと世の中のことは矛盾になる逆説。 >>534
それなら
「矛盾から何かを導く」の否定が正しいってことでしょ >>530
a/b * c/d は、a/b ÷ d/c の定義だって言いたいの? www >>537
いや、有理数の掛け算は整数の掛け算を使ってwell-definedに定義される >>538
> 有理数の掛け算は整数の掛け算を使ってwell-definedに定義される
どういう意味??? >>540
横からだけど、ここでの”well-defind”の意味は整数の掛け算の定義を使うだけで有理数の掛け算を定義できるよってこと。
二人の会話は数学用語の理解の程度が違うので噛み合ってないだけ。 数字に反応ない遺伝型でも失点にカウントしちゃうのかなあ。 (a/b)/(c/d)=(ad/b)/c=ad/bc だけどな 凄い発見 !!
2ch の某スレより引用。 m(_ _)m
> ベルトランの逆説に関しての議論で、M.Shiraishi 氏 が自爆したようなこと
> を書いているヤシがいるけど、そいつって、マツシン(こと、松本真吾@鉄道総研)
> 並みの間抜けだよな(w
>
> M.Shiraishi氏 は、「ベルトランの逆説に関しての従来の通説は間違いである
> ことに気づいた」と言い出し、「この逆説は、確率の従来の定義が間違って
> いたことによるものだ」として、議論を決着させている。
>
> 自爆どころか、20世紀の確率論の基礎を覆す、凄い発見というべきだろう。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Bertrand.html 我々が大学で学んで来た論理学理論は、完全なる誤りであって、もう一度、根本的にやりなおさなければならない。 >>118132人目の素数さん2018/09/02(日) 21:15:37.89ID:ZwkeQDLB
>このスレの基礎論の専門家に質問させて頂きます。背理法についてです。
>証明したい命題をAとします。このとき、¬Aを仮定して、
>矛盾(¬C∧C)を導いて、排中律より命題Aを真とするのが背理法と思います。
いいや違う!
そのように書いているアホな著者がいるのは事実だが、ヽ(^o^)丿
証明したい命題「P(x)ならばQ(x)である」があった場合、P(x)&〜Q(x)
からxに関しての矛盾を導くのが背理法(帰謬法)。
■3期連続で首位獲得
現在稼働中のPEZYグループ製スパコンで最大規模のシステムは、
理研に設置した液浸冷却スパコン「Shoubu(菖蒲) system B」である
2018年11月に公表されたスパコン省エネ性能ランキング
「Green500」で、Shoubu system Bは3期連続で首位を獲得した
電力効率は17.604ギガFLOPS/Wで、
米IBMと米エヌビディア(NVIDIA)が開発した新鋭機「Summit」
より2割近く高い
同社はGreen500参加の前提である
「TOP500のランキングに入ること」を確実にするため、
ノード数を50から60に増やしたほか、1CPU当たりのメモリーを
32ギガバイトから64ギガバイトに増設
これにより、ピーク演算性能を従来より2割以上高い
1063.3テラFLOPSとした
2018年11月のTOP500ランキングで375位である
さらにPEZYグループは、今回のGreen500で消費電力の計測方式を変えた
消費電力の計測箇所を計算ノード周辺(Level1計測)から、
冷却用ポンプや直流変換設備も含む範囲(Level3計測)に広げた
「PEZYの計測方式は冷却設備を含まず、非省エネのスパコンが
上位になり得る欠点がある」との批判に応えたものだ
■Green 壱大整域さんに「「コンパクトHausdorff空間の直積はコンパクト」は選択公理と同値でないことが知られている
(BPI (= Boolean Prime Ideal Theorem)と同値である.)」
とあるので駄目みたいですね >>552
チコノフの定理は同値じゃないの?
非可算のチコノフの定理の証明に選択公理が必要で
チコノフの定理の特別な場合から選択公理が出るんでしょ? >>554
>今年もここはダメみたいだなw
いや、未だ捨てたもんじゃあない。 >>549132人目の素数さん
>>>548
>と言うアホな人キター
アホはお前のほうだ。こんバカタレが!!! 証明したい命題:P(α) があった場合、not-P(α) から α に関する矛盾を導くの*も*
背理法/帰謬法。
>>548 の言っているのは、広義の背理法で、上の背理法は広義の背理法より論理的に
導かれる。
尚、数学ではもっぱら、「広義の背理法」がつかわれる、 >>530
>数学基礎論とは分野の名前で、学校の数学の基礎という意味ではないぞ
くだんの一件は、充分に数学基礎論上の問題足りうる。
そもそも有理数には足し算と掛け算しかなく(割り算よりも先に分数を作る)、掛け算はa/b * c/d = a*c / b*dで定義される
その上で割り算を定義する際に、a/b ÷ d/c = a/b * c/dと、既に掛け算があるからそれを使って定義する
問題は、なぜ分数の乗法が a/b * c/d = a*c / b*d で定義あれるか? だ。 >>559
その答は?
答を持ってないなら黙殺する >>558
背理法はPが真であると仮定したら矛盾が結論された時
~Pと結論することよ
~の定義と言っていい論法でそれ以上でもそれ以下でもない
ごく普通の証明方 それはただの否定の導入ですよね
背理法は¬Aから矛盾を導いてAを結論することを言います
商品の価値は、その商品を生産する為に消費される energy ( 単位は erg )
即ち、熱量 ( 単位は cal.) によって決定される。
人:A が、自分が所有する商品aよりも、人:B が所有する商品bの方が
価値が高いと感じ、一方、人:B は自分が所有する商品bよりも、人:A が
所有する商品aのほうが価値が高いと感じる時、交換が起きる。
aとbとが等価値であると A,B の双方が感じたならば、交換など起きない。
故に、Karl H. Marx ( 1818 – 1883, 65 ↟ ) が完成したと言われている、
いわゆる労働価値説は完全なる誤謬なり。■ 「思い込みや先入観のない事実」は存在しない、
つまり、絶対的客観性はあり得ない、ということです(´・ω・`) 7ヶ国語に訳されている、知る人ぞ知る、確率論の「歴史的・世界的名著」:−
КУРС ТЕОРИИ ВЕРОЯТНОСТЕЙ
(Борис. В. Гнеденко)
英訳: THEORY OF PROBABILITY
邦訳: 確率論教程 T,U (森北出版)
# この本は。確率論にとって、ルベーグ積分などは「無用の長物」で
あることを示している。 ☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/死ねっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 >>568
背理法に違和感を覚える人って¬¬A→Aに納得がいかないんだよね 岩波数学辞典もだけど¬¬A→Aを矛盾律じゃなくて排中律だと思ってる日本人が多い >>570
矛盾律は伝統的な用語だから正しく「矛盾は起きない」の意味で使用すべき >>570
これは二重否定の除去で
排中律と呼ぶこともある
矛盾律は
人→A >>572
それは矛盾律ではない
今は爆発律という名前がつけられている なお、矛盾律という表現は誤解されやすいということで20年前位から「無矛盾律」という表現が使われている
今はこちらを見る方が多いかもしれない >>573
人→A
は矛盾律
爆発律はこれに違和感がある側が言っているだけよ
無矛盾律は
¬(A∧¬A)
ね なぜ
人→A
を矛盾律と呼ぶかというと
これが
矛盾とは任意のAについてのA∧¬Aのことである
という主張に他ならないからだよ
A∧¬A→A
は論理積の除去で最小論理の公理だから
矛盾は任意のAについてのA∧¬Aのことだとすればこれを
人→A
と書けるし
逆にこれを認めることで
人→A∧¬A
が成り立つことと最小論理の公理である否定の除去
A∧¬A→人
から
矛盾は任意のAについてのA∧¬Aのこととの同値性が出る つまり
人→A
とは
矛盾を定義しているということ >>575
矛盾律は同一律や排中律とともにアリストテレス論理学からある2000年以上の歴史を持つ由緒正しい用語なのでそのような誤用は望ましくない
20年以上前にこの誤用が話題になりその時にはまだ爆発律という用語は無く適切な用語があるといいなという話になっていた
人はその頃はむしろ⊥より多く使われていた ちなみに無矛盾律
¬(A∧¬A)
は最小論理で証明可能な定理であって
「律」(≒公理)というのは面はゆいかも このスレって前から哲学系の学部1,2年生みたいなのが多いよな
矛盾律がうんたらかんたらいっても、形式論理学の入門書1冊やったら明確な答えがすぐに分かるやろ
何をそんな話題にずっとグダグダやっとんねん
ええ加減に先の話題に進まんかいや 所詮言葉だから誤用が広まれば使ってしまうこと自体は仕方ないのはわかる Aが真でもなければ偽でもないときは、¬¬A→Aは少なくとも偽ではない。
だから¬¬A→Aは排中律ではない >>583
Aが真でもなければ偽でもないときは、¬A∨Aは少なくとも偽ではない。
¬¬A→Aと¬A∨Aの真偽は一致するから排中律と呼んでも良い >¬A∨Aは少なくとも偽ではない
少なくとも真ではない、だろw >>586
>間違った。¬A∨Aは偽だ。
なんばボケちょるかw
偽ではなくて、恒真だろがwww ■論理は言葉なのか
“人間は言葉で考える”
これはあちこちで言われる定説のようなものですが
子供の頃は、これに対して非常な抵抗がありました
同じように感じる人もおられるかもしれない
思考というのは言葉に限定されるようなものじゃなく、
もっと広いものだ
言葉にできない“思い”はいっぱいあると、
そんな感覚というか確信があったわけです
ところがそこそこ歳をとって、浅知恵がついてまいりますと
言葉で表現できないようなものはそもそも思考ではない
それは単に上手く説明できない自分に対しての
悶々とした気分にすぎないのだ
などと思うようになりました、いい加減なものです
しかし子供の頃に感じたあの確信は、果たしてそのまま
ゴミ箱に捨ててよいものなのか
たとえば、計算はそれ自体、言葉なのか
それがもし言葉でないとするなら計算は思考ではない
ことになるが、そうなのか >>584
最小論理では排中律¬A∨Aから二重否定除去¬¬A→Aは導けない
逆は言えるけど “人間は言葉で考える”なんてイメージ思考ができない奴の戯言じゃん
イメージ思考は負荷が大きいから必要ない場合は手軽な言語思考で済ませるが
覚えておいて損はないぞ
俺は高校くらいの頃に立ち読みで知ったけど随分得した
本のタイトルなんぞ覚えてないから紹介はできんが >>588
恒真というのは任意の真理値が前提とされる ■人間やモノ不在のまま論理や集合を考える
なにも無い、としたいが、「無」は「存在」しない
なんらかの「存在」が必要なのだが、論理や集合は、
それに答えてくれるのだろうか
論理でもっとも基本的と考えられるのはTRUE,FALSEであろうか
これらはどこに「存在」するのか?
集合でもっとも基本的と考えられるのは空集合であろうか
これもどこに「存在」するのか?
論理は論理空間における位置の問題であるとしてもよいが、
集合は、そのものが空間である
空集合とは何か、そこから考えるのがよさそうだ
気が向いたら続きを考えよう 存在するしないが議論できるのも「場」があってこそだろ間抜けの空論。 >>594
同値というのは恒真という意味ではないのだが >>599
同値というのは、aとbが両方真か両方偽のとき真となる言明だ。 >>601
直観主義論理は二重否定除去をもっていず ┏┓┏┓ ┓┏┓
┏┛┃┃ ┃┗┫
┗┛┗┛ ┻┗┛
謹┃賀┃新┃年┃
━┛━┛━┛━┛ 考えるということはユニタリ変換であって、
情報が失われることはない、と考えたい
どのようなユニタリ変換をするということが
考えるということである
そうすると、集合とはなんなのか
素朴に考えれば情報の集まりとしての情報である
集合も考えるということのひとつになる
とすれば、情報の存在論が自然数論なのだろう
自然数論が存在論で、集合論が意味論であるならば、
論理学は...変換・変形なのだから...
なんだ?
哲学のなんらかの論に相当すると思われるのだが...
美学的ななにか?...倫理?...思想?...?
とするならば、認識論とはユニタリ変換である
可逆でなければならない
ほんとか? >>528
a/b ÷ c/d = (a/b)/(c/d) = (a/b)*b /(c/d)*b
= a /(c/d)*b = a*d/(b*c/d)*d
= a*d/b*c
∴ a/b ÷ c/d = a*d/b*c ■
#数学基礎論とは、さして、関係ないな。w 直観主義論理というのは実無限、選択公理に対する疑念がその起源だったはず。
排中律が実無限に拠っているということでその論理式であるp∨¬pをそれより弱い主張の(p→q)∧(p→¬q)→¬pに替えて使うのがハイティンクの直観主義的命題算。
その命題算はこれと残りの古典論理から導かれる。
¬¬p→pというのはヒルベルト=ベルナイスが示した公理系にある恒真式の一つ。 >>611
聞いただけ?
「もっていず」とは「公理ではない」という意味ではなくて? >>612
可逆計算と量子計算は普通に密接だろ。
そこら辺の話の元ネタが「ファインマン計算機科学」に載ってる。
日本の人文系基礎論厨房は実学寄りの計算機科学のお勉強すらしないの?。 このスレに数学基礎論知ってる人いないだろいい加減にしろ 私(わたくし)は。師_Alfred N. Whitehead と 私との共著である大糞本”Principia Mathematica”
並びに私の著 "Introduction Mathematical Philosophy"(「数理哲学序説」岩波文庫)
において、”PならばQである”と”PでないかまたはQである”とは(実質的に)同値である
旨のことを書いたのでしたが、これは完全なる誤謬であって、結果的に「20世紀の
論理学」をミス・リードしてしまいました。本当に御免なさい。 m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m >>589132人目の素数さん2019/01/08(火) 05:30:20.17ID:10lDqOPT
>■論理は言葉なのか
論理法則は、二階の命題であって、それらは言葉*でも*表わすことが
できるけれど、言語自体ではありません。
赤という色が、”赤”という漢字自体ではないのと同様に。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/ >>620
Inter-universal geometry と ABC予想 36
ってスレでまさに言ってるが…… ytbさん、逆数学と二階算術は
ちゃんとした本じゃないと言いたいのかな?
田中さんは逆数学の専門家なので、彼の著書を貶して
専門家ではないスティルウェルの訳書を持ち上げるのは
いろいろおかしい。
だいたい彼は無駄にいろんな人をdisり過ぎだと思う。 ytb自身が数理論理学の専門家ではないしな
ShoichiroTにも「教員の立場として公の場での発言では配慮してほしい」と軽く注意されてるし、Twitterやらせちゃいけない系だと思う
哲学で数理論理学にそこそこ精通してるのは日本では貴重だから、そこは頑張ってほしいんだけどな >>627
>そこは頑張ってほしいんだけどな
何を呑気なことを言ってなはるの。自分で研究して御覧なさいな。
私はアメリカのとある大学の教員をしています。 大学は東大の
院をでたのですが、上には上があって苦労の連続です、、、、。 >>615
>p∨¬pをそれより弱い主張の(p→q)∧(p→¬q)→¬pに替えて使う
後者は最小論理で示せるぐらいだからあんまり意味ないんじゃ?
p, (p→q)∧(p→¬q) |- p, p→q
p, p→q |- q
p, (p→q)∧(p→¬q) |- p, p→¬q
p, p→¬q |- ¬q
p, (p→q)∧(p→¬q) |- q, ¬q
(p→q)∧(p→¬q) |- ¬p
この主張は
pを仮定して矛盾が出たら¬pを結論するっていう最小論理の公理と同値で
q, p→¬q |- ¬p
のタイプの背理法とも同値
直観主義論理で排除される背理法は
q, ¬p→¬q |- p
あと
(¬p→q)∧(¬p→¬q)→p
を公理にすると排中律が出ると思うよ 数理論理学以外の分野ではなぜ自然数nにたいして n+1=n∪{n} が意識されないように議論されてるんですか? それは単にZFCのuniverse Vの中で
自然数全体と同型な構造を構成する
一つの方法なだけなので。
n+1 = {n}と決めて解釈しても別に構わないし
同じように自然数の理論は展開できる訳で。
無限順序数の話は出来ないけど、あまり普通の数学で
無限順序数って頻繁に使われる訳じゃないよね。
自然数は数学のほぼ全ての分野で使うけど。
実数を構成するのに有理数体から、
デデキントの切断とコーシー列とどっちを使っても
同型の構造が作れるのと似たような話。 >>632
ペアノの公理を満たすものであれば何でもいいと言うことですかな。
でも数理論理学以外の数学ってZFCの基に議論が成り立っている(はず?)であり、
ZFCの公理から自然数はn+1=n∪{n}として構成されているのだから、
わざわざ同型な他の対象をもってして自然数として考えるというのは不自然だと思います。 そんなこと言ってると実数に含まれた自然数は自然数でない事になるぞ 自然数nの後者がn∪{n}と定義されるのってなんか本質的じゃない気がするんだよね。
nの要素数とnが一致するからってのは何か釈然としない。 そりゃ本質は公理系にあるわけで、具体的な構成方法に本質はないでしょ 本質が公理系にあるってどうゆう意味?
ZFCが本質的なのであって構成法は本質的云々言うべきじゃないって事? ペアノの公理系に本質があるってのならめっちゃ同意だけど実際ペアノの公理系は公理系として扱われてないでしょ 順序対を{{x},{x,y}}と定義することなんか、
性質だけが重要でコーディングの詳細はほとんど
どうでもよく非本質的である例の最たるものだけど、
そうは言っても最初に勉強するときは、
実際にはこの特定のコーディングの仕方に
依存して理論を作っていっているようにも
見えるので、ちょっとこういう
「お気持ち」を理解するのは難しいかも。
それに数理論理は分野によっては
(特に証明論系の分野では)
コーディングに依存しまくった定義や議論をするので
コーディングがどこまで本質的かは微妙な問題だよね。 物事を統語論的な面と意味論的な面に分けて考えた時に
統語論的側面にはそういう、意味の分からない煩雑さの
中に捉えどころのない物事の本性が隠れ棲んでいるような
ところがある。これを証明論の研究者のvan Dalenは
論理学のesoteric秘教的で神聖な’sacredな’側面であると
比喩的に呼んでいて云々、みたいな話を前したことあるな 圏論のLeinsterが、Rethinking set theory
https://arxiv.org/abs/1212.6543で、
ZFCを基礎とした公理的集合論を批判してて、
まあ個人的に八割がた難癖みたいに聞こえるんだけど、
直観的に実数と実関数は型が違う対象であるはずなのに、
全ての数学的対象を集合とみなして、コーディングを
デコードする人のキモチで区別するのっておかしくない?
みたいなこと言ってて、まあそれはその通りなのかなあ、
とも思うんだよね。 実数も関数も微分形式もスペクトルも集合な方が分かりやすいし、レンスターには同意できんな
レンスターのベー圏は原著が無料だったから読んで三章以外好きだけどね >>642 で俺が言いたい事を完璧に表現してくれた。
コーディングってのは俺の言う構成法の事でしょ。
レンスターはその「お気持ち」を理解した上でzfcを批判してるんだろうけど俺は理解せずに批判しているって事やね。
その「お気持ち」と言うのはさ、申し訳ないがどうにか噛み砕いて教えてもらえないかな。 お気持ちなどない
あえて言うなら、ただの記号列でそれを操作するゲーム、と捉えるのが気持ちだろう それについては分かってるつもりだよ
642で言われてるお気持ちと言うのが何なのかを知りたいわけ
じゃあさ、実数が集合の方が分かりやすいってのは何でそう思うの?
「1」と言う実数が集合であろうがなかろうが数学をする上で困らない様に思うんだけど 642で言ってるのは順序対の定義を変えれば他の結果も自明な変更で対処できるから、あえて別の定義を使う理由もないということだと思う
困らないけど分かりやすいじゃん
微分形式もスペクトルも取りかかる際「単に直感から生まれたもの」と捉えるより「直感から生まれた集合」の方が地に足がついてて安心感あるしね ん?順序対の定義を変えるとってどうゆう事だ?
要するにzfcさえ真理として認められてれば他に順序対だの実数だのは自明で決まるから新しく公理を認める必要がない的な? Wikipediaを見ればわかるが順序対の定義は上のだけではない
どれを使っても別に良いんだが、
直感的な理由で上のを定義として採用してるだけ
そうは言っても初学者が最初に勉強するときには、上の定義の形をあえて採用する理由があると捉えてしまいやすい
実際には「順序対の定義は性質が大事で、上の定義は性質を満たすもののうちの一つを何となく選んだだけ」というお気持ちがあることを初学者は気づきにくい
ということだろう あともう一つzfcを否定する理由があるんけどさ、
グッドスタインの定理ってのがあるらしくてこれはペアノ算術では証明できないけどzfcの上では成り立つらしい。
ペアノ算術は自然数の基本的な本質だけを記述してるけどzfc上での自然数はペアノの公理を満たした上でそれより少し強い性質を持ってるんだよね。
だからzfcを認めると本来自然数が持つべきでない様な性質を持って良い事になっちゃってる様な気がするんだけど。 集合は何か数学的対象の模型を作りたい時の
マテリアルとしては便利なんだけど、
所詮は石膏とか大理石とか粘土みたいなものに過ぎず、
イデア、概念はまた別にある。
そこら辺を区別せず、
万物は石膏でその像を形造る事が出来る、
と言うべきところで
万物は石膏である、みたいな言い方するから
「な訳ないやん」と反論されることになる >>652
自然数については、
そうではなくて寧ろ、本来自然数が持っているはずの
性質でも、ペアノ算術+一階述語論理の公理系から
導けないような種類の性質が存在する、と考える方が
普通だと思うけど。
実際、排中律が正しいならグッドスタインの定理と
その否定のどちらかは正しい事になるけど、
否定が成り立っていると考えるべき理由はないよね wikiの順序対見てきたけど、どの定義もzfcを認めた上での定義だから俺からしたら全部同じに見えるしそういう意味で言えばその「お気持ち」は俺には分かるよ。
さっきの定義で言えばクラトフスキーの定義に入るんだろうけど、別にどれを使っても良いと言うのも分かる。
まあ何と言うか俺は弱い定義とか公理を使って議論した方が良いと思ってるんだよ。
それで本質だけを示した定義か公理ならそれが最も弱いものになるだろうって感じ。
順序対のそう言う定義を考えるなら、
1.二つの要素を取ってきて、順序対を返す様な関数がなくてはならない。
2.任意の順序対には1番目の要素を取り出す関数と2番目の要素を取り出す関数が存在していなければならない。
3.1の引数と2の返値は一致していなければならない。
こんな感じかな。全然厳密ではないけど。
zfc上での順序対じゃなくてこっちを使いたい。 >>654
なるほどね。
つまりAかAの否定のどちらかは証明できる様な公理系を使うべきだって感じ?
完全性だっけ?
ちなみにグッドスタインの定理はペアノでは証明も反証もできないって事でペアノが排中律に反する事の証明にもなってる。
まあzfcでも何でも完全性の証明はできないらしいけど今の所排中律に反するようなものがzfcから見つかってないらしいからね。
それは俺が>>652で言いたかった事とは明後日の方向の返しではあるんだけどまあ一理あるとは思う。
じゃあ俺が>>652とか>>655で言ってる様な事と完全性は両立できないから完全性を取ろうって事でみんなzfcを認めた上で議論してるのかな。
俺的にはどうせ証明できない様な完全性よりも本質を捉えた定義の方が大事に思えるけど。 >>652では俺の言い方が悪かったよ。
本来自然数が持つべきでない様な性質を持って良い事になっちゃってる
って言ったけど。
zfcでの順序対がクラフトスキーの定義である様にzfcでの自然数はフォンノイマンによる定義。
だからこの自然数の事をフォンノイマンの自然数と呼ぶ事にする。
で、フォンノイマンの自然数はペアノシステムを満たしてるわけじゃん。
ペアノ算術だけで証明できる事って要するにペアノシステムを満たす自然数全てに共通して成り立つ事だけを証明できるって事だよね。
グッドスタインの定理をペアノで証明も反証もできないってのはフォンノイマンの自然数以外の自然数では成り立たない事もあるって事じゃん。
だから自然数と言っただけではグッドスタインの定理が成り立つとは言い切るべきじゃないと思うんだよ。
任意のペアノシステムで成り立つかって言う命題なら否定はできるわけだしその意味じゃ排中律に反してないし。
だからzfc上ではなくてもっと弱い数理システム上で話を進めた方が良いんじゃないかって思ってる。 >だから自然数と言っただけではグッドスタインの定理が成り立つとは言い切るべきじゃないと思うんだよ。
グッドスタインの定理がペアノの公理系で証明も反証もできない以上、
「グッドスタインの定理が成り立つべき」という立場が厳密には正しくないのは
その通りだが、じゃあグッドスタインの定理が成り立つ場合と
成り立たない場合を見てみると、成り立たない場合では
自然数の「有限性」について我々が標準的には期待しない性質が
出てきてしまうので、心情的には「グッドスタインの定理が成り立つべき」
という立場に傾いてしまう 詳しく言うと、グッドスタインの定理が成り立たないようなペアノシステムでは、
グッドスタイン数列が停止しない自然数が存在することになる
ここでは、そのような自然数を1つ取って n と置く
ところで、"具体的に書ける自然数" においてはグッドスタイン数列は
必ず停止するので、グッドスタイン数列が停止しない自然数 n について、
その n は "如何なる具体的に書ける自然数" よりも大きい自然数となる
たとえば、100000000<n とか 10000000000000000<n とかが必ず成り立つことになる
しかも0の個数はいくら(具体的に)増やしてもやはり "1000…000<n" が成り立つ
こうなると、n は無限大やんけと思ってしまうが、
しかしこのようなペアノシステムでは n は無限大ではなく「自然数」である、
……という、自然数の有限性について我々が標準的には期待しない性質が
出てきてしまうので、心情的には「グッドスタインの定理が成り立つべき」
という立場に傾いてしまう そういうのに拘らない数学者はZFC上で、グッドスタインが成り立ってて何も困ることはないのが事実
よくは知らないけど逆数学なんかは平均値の定理みたいな普通の定理をどれだけ弱い算術で示せるかみたいなのを研究してたはずだから、そっちが向いてるんじゃね >>656
グッドスタインの定理がどうとかいう話がしたいなら
まず不完全性定理がどういう定理かという事を
きちんと理解すべき。その後の話。 >>659
aが停止する自然数ならa+1も停止するってことが証明できないということ?不思議ね >>662
aが停止することを仮定した上で、
ペアノの公理系の範囲内でa+1も停止することが証明できてしまったら、
それはただの数学的帰納法であって、ペアノの公理系の中で
グッドスタインの定理が証明できたことになるので、
証明も反証もできないことに矛盾する
…と考えると、別に不思議ではないような >>659
詳しい事は分からないけどペアノで本来自然数が持ってるべき性質をペアノの公理じゃ記述仕切れてないって話なのかな?
zfcだとそれが記述仕切れてると。
それならzfcがどうとか以前にペアノの公理の方に問題があるって事にならない?
俺の主張としてはzfcを使うより本質を表した公理を使いたいって事だからペアノが自然数の本質を表しきれてないならペアノを改良した公理を用いればzfcはいらないしその傾いてしまうってのも解決できるよね?zfcがなくても グッドスタインに関してはちょっと勉強してみるよ。
ペアノを改良するならどうすれば良いのかっての考えてみる。 暗唱を発達させていけば、新しい数式が記述されるのか? 普通に考えてペアノの公理に単純な問題があるだけなら既に解決してるし、
ペアノの公理を発展させるだけでZFCがいらなくなるなら既にZFCは使ってないよね
キューネンの集合論という本を読めば分かるがZFCで普通の数学が扱えることをきちんと示している
一方ペアノ程度の弱い表現力では無理
まずは勉強して土台に立つところからだな 有限個の公理系では対象を唯一に指定できないんだから
自分の好きなようにすればいい
大体、本質なんて見方次第でどうにでもなるもんだから
それを逆手にとって成果を出すのが数学ってもんよ >>665
>グッドスタインに関してはちょっと勉強してみるよ。
順序数の何とか表記で証明は簡単に理解できるけど
それがペアノから証明も否定もできない(否定はできなくて当然)てことを
証明するためには
どうも超準的な自然数(ペアノを満たす)を利用するらしいから
かなり難しそうだよ >>668
>有限個の公理系では対象を唯一に指定できないんだから
これも不思議
実数論を展開できる可算集合の存在ってのがどうも腑に落ちなくて
あと
ペアノの公理って2階じゃないの?2階なら確定するらしいけど そうだよ
668が間違ってる
一階述語論理ではペアノの公理、特に数学的帰納法は無限個の公理だが、
二階述語論理では量化記号の適用範囲が広がるから有限公理化できる 横だけど>>668はモデルが一意に定まらない(カテゴリカルでない)と言ってるんじゃないの?
公理が有限個か無限個かではなく? ∀S∋0[ ∀n∈S[suc(n)∈S] ⇒ N⊆S ]
数学的帰納法ってこれじゃダメ?
一階述語論理の1つの公理で表せてない? 圏論は基礎論の一分野なの?
それとも代数学の一分野なの?? >>674
ペアノの公理を書く言語ではその論理式が書けない >>677
そう言う事か。
議論領域を集合全体まで広げれば一階述語だけで行ける? >676>>678-679
準同型射の一般化。
だからせめて準同型写像と準同型定理、「局所化」「商」概念ぐらいは最低限理解してないで圏論齧るとアレなんだ。 >>681
ベクトル空間群論位相空間ぐらいは基礎知識やろ 基礎論厨ですらない連中って群環体って得意げに連呼する前に加群の一般論から見直せよ。 >>680
集合というのは(非メタ理論的に)ZFC公理系のモデルの元のことであり、
議論領域というのはその言語の項のうちいくつかを集めた(メタ理論的)集合
ペアノの公理の言語ではそもそもZFCのモデルと無縁だから、ペアノの公理を記述する言語の議論領域として集合を表す項を集めるということ自体がカテゴリーミステイク
ZFC公理系を記述する言語なら一階述語論理で有限論理式で表せるという意味なら、数学的帰納法を包含する超限帰納法が一階述語論理で書けるから可能 zfcはそもそも置換公理だったかを一階述語論理じゃ書けないんじゃなかった? >>689
公理図式としては書ける。
有限個の公理系としては書けない。
>>676
あまりそういう人為的な分野分けに意味は無い >>656
>つまりAかAの否定のどちらかは証明できる様な公理系を使うべきだって感じ?
>完全性だっけ?
違うそれに無理
>ちなみにグッドスタインの定理はペアノでは証明も反証もできないって事でペアノが排中律に反する事の証明にもなってる。
違う
>>661
を噛みしめよう 公理図式ってのはメタ的に定めた公理って認識で合ってる? 人間の5大欲求とはよく言うが、
実は知られていない6つめの欲求がある
それが「自動化」だ
人間の歴史は自動化の歴史と言い換える事が出来る
如何に楽をしてより多くの仕事量(ジュール当たりのパフォーマンス)を
増やすか人間は苦心してきた
その究極形となるのが汎用人工知能である
これは人間の働きを全て代替する 表現形式にメタ要素を入れなきゃならんかどうか、つまりある規則を言語内で論理式で表せるかどうかってどうでも良い事なの? >>697
は?
何でどうでも良いなんて思ってると思った? >>686
>群環体って得意げに連呼する
基礎知識を得意げにって思うのは>>684が図星突いてるってことだな 形式的体系の定義から始めて公理的集合論→強制法・無矛盾性証明へと一繋がりになってる良書ってありますか? 新井 数学基礎論
で検索するとアマゾンで二つ出てくるけど、ペーパーバックかどうかで中身は同じ >>706
> AIの大家じゃなくて?
AIは嫁の紀子のほうだが彼女も別にAIの大家でも何でもない
というよりも彼女の場合、AIを正しく理解しているかすら怪しい
単なるハッタリだけでAIに関して理論的にも技術的にも何も中身がない
彼女の本職であるはずの数学というか数理論理学(数学基礎論)に関してもね テレビ出有名らしい医者が「医学部入学志願者の採点を男女フェアにしたら8割女になる」っていってたんだが信じられないよな
数学の世界でも将棋の世界でも、どっからどう考えても女は男よりロジカルな思考能力が下なのにな 大学受験レベルなら才能よりコツコツ努力を積み重ねることができるかどうかの方が効いてくる >>715
なんかうまくいかないってやめたんじゃないっけ ただマネジメントとかコメンテーターやってるだけならともかく、数理論理学者を名乗ってる割に本当に数理論理学を理解してるのかも疑わしいからな
不完全性定理について(中身があってるかはともかく)話していたが、そんなことは数理論理学者でなくても知ってるし 数理論理学の研究者としても二流以下
AIの研究者としてはほぼ素人
これでも教授になって気に入らないやつの科研費を落とせるくらいの力があるw この前新井の顔がメディアに出てたけど
あいつの前歯が細長くてちょっと気持ち悪かったの覚えてる 東ロボ君の大失敗はもっと追及されるべき。
やっぱり仲良しグループで研究費を回している。 中高生の頃の俺なら、余裕で読解力()で東ロボくんに負ける自信あるけど、今は新井紀子より数理論理学を理解してるしな
何か具体的な成果とかあるんか? 思うんだけど、東大ロボって単なる工学・情報技術の"つぎはぎ"なだけでしょ?
機械アームで紙をめくって、
紙をスキャンして書いてる内容を文字として認識して、
認識された文字の意味解釈をして適切な出力をして、
その出力に基づき、機械アームで鉛筆でマークする
これは順に見て、ロボット工学→なんとか工学→AI→ロボット工学ってな感じの”つぎはぎ”でしょ?
こんな東大ロボが東大入学出来るレベルまで実力あったとか言われた所で何も凄さを感じない >>724
どこが成果だ?
>>726さんが指摘している通り、様々な工学(情報も含め)技術のツギハギに過ぎない
そして本来なら、この東大ロボ計画で新たに開発されるべきだったAI技術の部分は何も新たなものを出せていない
その挙句に、新井の言い訳は「日本語の理解が難しい」だった
日本語処理・理解が不可欠なのは「現実の入試問題を解く」という課題設定の時点で明らかだったのに
その大前提の部分が「難しくて出来ませんでした」とは納税者を舐めるにも程がある
この東ロボの本来の研究課題はその次の段階、つまり日本語で書かれた問題(の情報)を適切なフォーマルな内部形式に変換した次の段階にあったのだ
そのフォーマルな内部形式として表現された問題を様々な知識を連携させることで如何にして速やかに解くか、という段階だよ
日本語の処理が難しかったです、というのは問題をフォーマルに変換するという本来の課題に至る前段階そのものがちゃんとできなかったということだ
こんなのを「大きな成果」と呼んで良いなら、何をやっても何もできなくても、「科研費による研究は全て大きな成果を産み出している」と言えてしまうぞ 新井紀子についてはスレチ(数理論理学の学者とは認められない)
専用スレがあるのでそちらでどうぞ 質問があります
ZFCのあるモデルが存在するとしても、一階述語論理を適当にエンコードし集合論の言語L∈をシミュレートして、その中でフォンノイマン宇宙Vというクラス(は正式には存在しないのでそれを表すL∈の論理式)がZFCのモデルであることは不完全性定理から証明できないですよね
「ZFCのモデルV」とは何者なのでしょうか? >>728
> 問題意識のない奴には成果が見えない
そういう否定的で非構成的な表現による反論は何の意味もない
「超能力を信じない奴には超能力は使えない」と言ってるようなもの
成果があると主張する以上、肯定的で構成的な説明…つまり成果の内容を具体的な説明…を与える義務がある
成果の内容を具体的に説明しないのならば、成果があるという主張は偽(つまり単なるホラ)と判断される、これが世の中の常識だ >>726
そういう文章の自動認識すらやってない。
以前、東ロボくんが数学の問題を
Tarski-Seidenbergの量化子除去を使って解いたのが
ちょっと話題になってたけど、あれも示すべき式を
研究者が実閉体の理論の論理式として
書くまでやってあげて、それを解かせただけなので
まあ割と残念なチートではある。
記述式の解答にしたのも、人間が出力を読み取って
文章として起草して整えてるはずで、あれを
「機械が大学入試問題を解いた」
と言って宣伝するのは誇大広告にも程がある。
というか、そういう誇大広告が得意なのが
新井紀子という人なので。
数学としての実質で勝負してる夫とはえらい違い >>730
不完全性定理から出来ない、と言っているところでは
実際には完全性定理も使ってると思うけど、
そこで言っている「モデル」という言葉の意味と
V(つまり{x|x=x})がZFCの(クラスとしての)
モデルであるという時の「モデル」という言葉の意味は
メタ数学的にちょっと違う。
そこら辺私も以前引っかかった事があってこのスレに
似たような事をこのスレに書いた事がある >>735
ご回答ありがとうございます
疑問が晴れずもう少しお付きあいいただければと思います
モデルとは一階述語論理で定義される領域と構造の対だと思っていたのですが、その例のどちらもこの定義ではないということなのでしょうか?
違いや、それが記述されてる本などでも構わないので教えていただけると有りがたいです >>736
クラスとしてのモデル M は、そもそも
∃M〜〜みたいな論理式を作る事も
(一階論理上のZFCでは)出来ないので。
メタ理論のレベルでの略記に過ぎないので。
Kunenのどっかには一応そこら辺のことは
書いてあります。2011年に出たKunenのSet Theoryなら
第一章の後ろの方か第二章の最初の方、
たぶんI.16 Models of Set Theoryのどこか。
和訳されてるKunenの本でもどこかに書いてあるとは
思いますが僕は読んでいません。
実は僕も2014年に数学基礎論サマースクールに向けて
勉強してた時に同じところで引っ掛かった記憶があって、
「数学基礎論・数理論理学スレ その14」の561辺りで
ほぼ同じ質問してるんですよね(笑) 集合論のモデルって
メタ的に考えて
普通の意味でのモデルみたいなモノと認識できるってだけでは?
たとえば順序数の全体Ordが順序数としての性質を持っているってメタ的には認識できるってのと同じような ZFCの上で普通に解釈すると、モデルというのは
ある集合mとその上の演算や述語の組になりますけど
Vはそういう意味でのモデルではないですよね
「VはZFCのモデルである」を一つの論理式で書く事自体
よく考えたら容易にはいかないですね
V自体は{x|x=x}という単なる記号列だとみなす立場も、
二階のZFCとかNBGとかMKみたいに或る実体だと
考える体系もありますが、いずれにしろ矛盾が
出てこないようにはなってるはずです。
ただ具体的にNBGとかMKとかでどうなってるかは、
ちょうどそれぞれの定式化が異なっている部分と
関係してくる上にあまりきちんとした文献に
アクセスするのも容易でないので
あまり真面目に考えた事ないです
Kunenの古い方の本の第一章の演習問題の
最後の方の問題がちょうどそこら辺に関する問題ですね >>737
それはそもそも一階述語論理では自由変数しか量化出来ないので、上の領域と構造の対としてのモデルでも同じではないでしょうか?
キューネンの集合論に関しては和訳版があるので後で読んでみます 自然数論の数項と自然数の違いがよく分からない
例えばωだと
1={φ}=suc(0)=「1」
ってなるよな? 要するに1とかはメタ理論の自然数なんだけれども、ZFCのωとか古典二階PAでは区別がないが、
一階PAそのものを研究するメタ理論を限定しない立場では1とかと内部の数項を区別する必要があるんかな
ややこしいな numeralはただの記号列でしょ。
言葉によって名指されるものと、
ものを名指す言葉の関係。
命題と論理式の区別と同様かと。
閉項と定義可能元も適切に定数記号加えて
保存拡大すれば同様になる。 aとbの濃度が等しい事をa ⤄ bと表す事とすると、
ℝ ⤄ [0, 1) ⤄ 2進数列 ⤄ ℕ
推移律よりℝ ⤄ ℕ
実数と自然数の濃度が一緒になっちゃった。
どこがおかしい? 2進数列 ⤄ 自然数列 ⤄ ℕ
これじゃダメかな?素因数分解列の一意性を使う。
以下自然数列とℕの対応付け
素数列をPとする
P(1)=2, P(2)=3, P(3)=5 ...
自然数nを素因数分解した列をF_nとする
F_600(1) = 3, F_10(2) = 1, F_10(3) = 2 ...
つまり、任意の自然数nに対し以下が成り立つ
n = Σ(m=0~∞)F_n(m)*P(m)
自然数nと素因数分解列F_nは1対1対応なので自然数列 ⤄ ℕ
なんか集合の濃度とかよく分からんくて頭おかしくなりそう
nからF_nの単射しか示せてへんなこれやと
考えたら一意なだけで一対一なんか全然示せんし
全射か逆の単射を示さへんと
でも数列が永遠に1とか続いってった時nが発散してまうわな
てかそりゃそうやろ当たり前やん
すまん自己解決や >>751
>自然数nを素因数分解した列をF_nとする
>F_600(1) = 3, F_10(2) = 1, F_10(3) = 2 ...
どんな定義よ ってか、N<2^N なんだから一々そんな回りくどい事しなくて良いだろ Xを任意の集合とするときYを「X∉X」を満たすXの集まり
Y={X|X∉X}
と定義する
つまりYは自分自身が自分自身に属さない集合全体の集まり
仮にYが集合だとしてY∈YとするとYは性質「Y∉Y」を満たさないといけないからY∉YとなりY∈Yであることに矛盾する
再びYが集合だとしてY∉YとするとYの定義から「Y∈Y」だからY∉Yと矛盾
いずれにしても矛盾が生じるからYは集合ではない
このような集合Yを考える背景には
「集合全体の集まり」
がある
Aを集合全体の集まりとすると
A∈A または A∉A
A∈Aとすると集まりYを排除する正則公理に反しA∉AとなるA全体の集まりYは集合にならない
A∈AであることはAが「物の集まりであること」に反する
A∉AとしてもこのようなAの集まりが集合にならない
集合全体の集まりは添え字付けられた集合族{S_λ|λ∈Λ}の共通部分
{x|∀λ∈Λ, x∈S_λ}
で添え字集合Λを空集合とした場合や圏を定義する際にも現れる
全ての集合の集まりAは
A∈A
を満たすがこれはAが物の集まりであることに反する
A∉Aとしてもこのような物Aの集まりが集合にならない
またAが集合になるとしたらAの部分集合全体の集まりPはP∈Aを満たさねばならぬがこれはA∈Pに反する
公理的集合論のZFC公理を学んでみるとおもしろいのでぜひ >>754
今まで何度も聴いてきたネタだな。
でもそれって毎回毎回自然言語で説明するからウザいよな
それって要するに
¬∃Y∀X(X∈Y⇔¬X∈X) は証明可能
ってだけに過ぎないのにな
こういう風に端的に言われたら、いざ証明しようとなったときに
∃Y∀X(X∈Y⇔¬X∈X)を仮定したとき
∀X(X∈Y⇔¬X∈X)だからXにYを代入して、
Y∈Y⇔¬Y∈Yであり
一方排中律により、Y∈Y∨¬Y∈Yであるから、
これら2式より矛盾が導かれる
よって¬∃Y∀X(X∈Y⇔¬X∈X)である
って感じに証明すればスッキリと分かり易いのにな >>755
> 一方排中律により、Y∈Y∨¬Y∈Yであるから、
無矛盾律に排中律いらんしょ? 全ての集合の集合
という自然言語の概念を形式化するのは上手く行かないよねって話なんだから一階述語論理だけでは説明できないだろ
タルスキの真理的意味論における真理を説明するのに、Tスキーマだけ取り上げて形式化できないよねで終わらせるようなもの >>756
Y∈Y⇔¬Y∈Y
これだけからどうやって矛盾導くの? >>757
>>全ての集合の集合という自然言語の概念を形式化する
ZFCではYを自由変数とする述語「∀X(X∈Y)」が対応してるんじゃ無いの? 数学は部分集合しか扱えないということか
全体集合だと、全体の全体で形容矛盾になる 要素かどうか決められないと集合じゃないってだけだろ >>758
P P→¬P |- ¬P
P ¬P |- 人
P→¬P |- ¬P
¬P ¬P→P |- P
¬P P |- 人
以上より
P⇔¬P |- 人
だけど? >>762
「P→¬P |- ¬P」が分からん
「以上より」が分からん >>764
ってか、「P→¬P |- ¬P」の主張そのものが排中律と同じやんけ
ってか>>762の演繹グダグダやろ?
どういう議論の流れになってんのか全く意味不明だわ >>764,765
まあよく考えてみたら?
じゃあもう少し間入れると
P P→¬P |- ¬P
P ¬P |- 人
P P→¬P |- 人
P→¬P |- ¬P
¬P ¬P→P |- P
¬P P |- 人
¬P ¬P→P |- 人
P⇔¬P |- 人
これでどう >>759
ZFCではそうなだけで公理系にはNBGとかもあるし、一階述語論理に限定する理由もない
それでもある程度困難が生じることはZFCだけでは語れないから自然言語で説明されてもしょうがない >>766
やっとどういう証明になってるか分かったけど、完全にお前の頭の中だけのことをメモ帳に書き殴って「ハイ証明」って他人に押しつけるタイプだな
カット規則使うにしても断りもないし、どのシーケントからどのシーケントに繋がってるかの説明もないし最悪のタイプ
何でお前みたいなクソ証明を読まされなきゃならんのだってイライラしてくるわ
で結局回り道みたいな議論した所で「P→¬P |- ¬P」の主張そのものが排中律と同じ。
>>766の証明は始式から推論規則を厳格に一々やってるわけでもないし、"何の意味も無い" 分けないと分からんかも?
P P→¬P |- ¬P
P ¬P |- 人
P P→¬P |- 人
P→¬P |- ¬P
¬P ¬P→P |- P
¬P P |- 人
¬P ¬P→P |- 人
P⇔¬P |- 人 >>769
>で結局回り道みたいな議論した所で「P→¬P |- ¬P」の主張そのものが排中律と同じ。
P P→¬P |- ¬P
P ¬P |- 人
P P→¬P |- 人
P→¬P |- ¬P
どこに排中律使ってる? 排中律はP∨¬Pが真つまり前提なしに使って良いという主張で
>>771のどこにそれが使われてるの?
二重否定の除去¬¬P|-Pも使ってないのに >>769
>で結局回り道みたいな議論した所で「P→¬P |- ¬P」の主張そのものが排中律と同じ。
面白いから
P→¬P |- ¬P
から
|- P∨¬P
導いてごらんよ >>ID:YSRNi+IZ
で、結局「無矛盾律に排中律いらんしょ?」っていお前のレスに戻ってくるけど、
これはお前が無矛盾律からシーケントをスタートさせてるだけの話やろ
>>755で言ってるZFCでの議論において一々形式的体系をシーケントで考えて無矛盾律を使う所からスタートするかどうかはどうでもいいこと
あぁ〜他人の何の説明も無いクソな計算メモを見せられて一々どういう思考過程なのかなんでこっちが補ってあげなきゃいけないんだよ
死ねよ
マジでイライラする >>770
はぁ〜〜〜お前通じてないな
んじゃ、始式から始めて各行に使った推論規則書いてみ 同じと言うならできるんでしょ?
ちなみに
|- P∨¬P
から
P→¬P |- ¬P
は
|- P∨¬P
P P→¬P |- ¬P
¬P P→¬P |- ¬P
P→¬P |- ¬P
かな >>774
>これはお前が無矛盾律からシーケントをスタートさせてるだけの話やろ
はぁ
無矛盾律は認めないという立場なの?
これは最小論理の
P ¬P |- 人
なんだけど
使わないのはキビシイなぁw お前クソアスペ脳だからシンプルに応えてやるわ
Y∈Y⇔¬Y∈Yであり
一方排中律により、Y∈Y∨¬Y∈Yであるから、
これら2式より矛盾が導かれる
って議論にお前のアスペ脳が反応してるけど、どういう議論かというと
Y∈Y⇔¬Y∈Yであり (1)
一方排中律により、Y∈Y∨¬Y∈Yである。 (2)
Y∈Yならば(1)の→より¬Y∈Yで矛盾する
¬Y∈Yならば(1)の←よりY∈Yで矛盾する
従って(2)よりいづれの場合でも矛盾する
と言えばお前みたいなクソ証明をウダウダ言わなくても一瞬で終わるって事を>>755は言ってんだよ >>775
イライラしないで考えたらすぐわかるよ
それと>>773よろしく >>778
別にどうでも良いけど
普通P⇔¬Pが矛盾であることに排中律は使わないから
変に排中律にこだわる人かと思ったんだよ >>780
お前人に読んで貰いたいんならまず>>775の通りに書け。な?
それと、
>>別にどうでも良いけど
もうその時点でお前のアスペっぷりが現れてんの
>>普通P⇔¬Pが矛盾であることに排中律は使わないから
その証明に排中律を使わないゲンツェン流の体系での証明を与えるってのはお前のアスペ脳が勝手に言い始めたこと
分かってる?
>>変に排中律にこだわる人か
全く関係の無い文脈なのにお前が勝手に思い込んでシーケントの話を持ち出してんの
頭大丈夫か? お前「数学の本」スレの"松坂君"レベルの人の話聞かないアスペッぷりだな
お前みたいな頭おかしい奴の相手するとマジでイライラする
割りとマジで普通に死ね >>781
変にめんどくさい人だな
俺は
>>758
>>>756
>Y∈Y⇔¬Y∈Y
>
>これだけからどうやって矛盾導くの?
と聞かれたから証明して見せただけ
P⇔¬P
が矛盾だってのは排中律要らないからさ ID:YSRNi+IZさん
おかしな人の相手をしない方がいいよ >>783
>>と聞かれたから証明して見せただけ
そもそも>>755では直観的な議論で証明してたから体系は明示してない
だから>>758の時点で俺が聞いてたのは直観的な議論での証明なんだよ
それをお前が"説明も無く"今まで土俵に上がってないシーケントを用いた話にしたからお前のシーケントの話につき合わざるを得なくなったんだろうが
で、今になっても体系も用いた推論規則も公理も説明無しなのがお前のアスペレス。 フィボナッチ数列の最初の2項を
2, 1 に置き換えた数列の項をリュカ数という
2, 1, 3, 4, 7, 11, 18, 29, 47, 76, 123, 199, 322, 521, 843,
1364, 2207, 3571, 5778, …
この数列の一般項は
Ln=((1+sqrt(5))/2)^n+((1-sqrt(5))/2)^n ついこの前から新井の「数学基礎論」を読み始めたんですけど、
Henkinの定理みたいなので一々言語Lを拡張するって議論が一瞬ややこしくなって面倒だわ 1階述語論理の完全性定理って証明法が複数種類あるけど、実際どれぐらいあるもんなのかな?
俺が見てきただけでも4パターンぐらいあるような気がする 普通順序数の和・積・冪って超限帰納法で定義すると思うんだけど、
Jechのだったっけ?、一旦和・積・冪に対応した整列集合を作ってから、その順序型としての順序数で和・積・冪を定義してたよな
この時の整列集合の見た目がゴチャゴチャしてるッぷりは目障りだった
何でこんな事するんだよ Kunenのset theoryもJechと同じ方法だしそっちの方が普通だと思われる
で、同じくset theoryでは後にクラス上の超限帰納法でも順序数の和などを定義できることを確認しているが、恐らくクラス上の超限帰納法の方が更にややこしいから後に回してるんだろう 冪はともかく、和と積は別に
ごちゃごちゃしてないと思うけど……
視覚的イメージをもって把握した方が、
結合法則とかが明らかだし
単に集合論に慣れてないだけだと思います Kunen二冊の和訳を担当した藤田さんが、公理的集合論の初歩からCHの独立性までの教科書を書いてるようですね
強制法は集合論で必要不可欠の知識ですし、それこそKunenのset theoryでは補えない現代的な内容や、より深い説明を期待したいところですね このスレの住民なら「数学基礎論講義―不完全性定理とその発展」これに目を通したことはあるだろうけど
これって証明が行間だらけで腹立つよな
全然教科書じゃ無い
単に各トピックスをツアーみたいにさぁーって流していくだけ Henkin法で言語を「完備化」するやり方は議論の整合性の確認が大変に面倒臭い。
発想は極めてシンプルで素晴らしいのだが…
証明を完遂するのが困難。
その細部の確認は演習にして読者丸投げの本ばっかだし。 >>796
東京での集会に出てたから
大体どういう内容か知ってるんだけど、
その本はCHとその否定の強制法による
(相対)無矛盾性証明くらいまでの本になるはず。
Jechとかで適当に書いてあるところをきちんと書いて
強制法の勉強でありがちな「気持ちが分からん」
という事が無いように解説する本。
世界一丁寧な強制法の教科書、という感じになるはず >>797
まあ実際、教科書じゃないしね。
四人の著者によるオムニバス形式の本だし。
当時、その本で扱ってるような内容の本は
ほぼ無かったので、基礎的な事から解説を初めて
ロジックの面白い所まで一冊の本の中で
到達しようとすると、当然ああいう本になるかと、
基礎論の本は証明を行間が無いようにガチガチに
書くべきだというのは、基礎論に興味を持つ
タイプの人の或る種の思い込みみたいなもので、
別に必ずしも正当な考えでもない訳だし。 >>801
>基礎論の本は証明を行間が無いようにガチガチに
そんなの無理
証明は
読者にある程度のレベルを期待して書くもの >>800
>世界一丁寧な強制法の教科書、という感じになるはず
大いに期待するなあ >>801-802
文学部出身でなおかつ数学コンプ丸出しなので数学の土俵に乗れない知能と努力量で土俵ごと突き崩してやろうと基礎論齧り出す輩どもに教えようという態度よりも
計算機に実装できる厳密性として議論するほうが無難だよねえ。
我の肥大した連中のおもちゃにされるのは避けるべきというのはかなり一般的な規範だ。 証明・記述に於いて或る程度の数学的読解力を読者に要求するのは当然だが
だからといって行間すっ飛ばしで自分の理解や頭の中の数学的議論を自分だけの目線で押しつけるのも間違ってる
「俺がこれこれを理解してるんだから、お前らにはこれだけ言ってれば分かるだろ」という上からの押しつけは最悪
個人的には数学科3,4年生の読解力を想定して書いて欲しい。
でも読解力という言葉って意味の幅があるんだよな
理解力自体は低いけど、当該分野についての基礎知識をある程度溜めてるからその多い知識を援用させて高度な議論を理解する人も居れば
逆に当該分野の知識は少ないけど、理解力は高いから、その高さで高度な議論を理解する人も居る
大体数学なんかやってプライドを高めてる人ってどちらかというと後者の方に比重置いてるような気がする 河合文化研究所の 倉田令二朗「数学基礎論入門」良いよ 基礎論の勉強で問題となりがちなのは、演繹体系にどのシステムを使うかだな。
楽で簡単そうだからとHilbert形式選んだけど、やっぱGentzenが良いかと右往左往して中々学習が進まん。
また、各流儀決めてもこれまた方言がいっぱいある。
後々の応用考えて十分一般的な枠組みの論理体系でお勉強したいのだが… 俺、数理論理学厨が喉から手が出るほど欲しい?本持ってるよ
ヒューズ・クレスウェルの「様相論理入門」
アンドリュースの「数理論理学とタイプ理論」 >>810
Hilbert 方式の定式化と Gentzen 方式の定式化の同値性が、
>>808 で紹介された、河合文化研究所の 倉田令二朗「数学基礎論入門」
に証明付きで載っていますよ。 >>806
>個人的には数学科3,4年生の読解力を想定して書いて欲しい。
それほぼほぼ無理 >>810
一般的って言うなら論理演算4つと量化子2つ出てくる方がいいしょ
ゲンちゃんの自然演繹からシーケントへ ラッセル著の数理哲学序説は難しくないですか。まだ3章までしか読めてませんが後裔、祖先、遺伝的、帰納的、N-遺伝的、R-遺伝的、R-祖先、後者など定義を理解することが難しいです。自然数とは直接の前者という関係に関する0の後裔であると書かれています。 中高生に自然数とは何ですか?と聞かれたら「自然数とは直接の前者という関係に関する0の後裔です。」と答えれば完璧ですねwwwww 集合論勉強しててあまりヒルベルト式かシークエントかとかって意識したことないんだけれど、
普通はやるものなのかな >>819
論理や証明を形式化する必要があるときだけだよ 証明を簡単にするために、論理記号は¬と⇒だけみたいな感じで少なめにして欲しいわ >>824
ただし古典論理の場合な
論理回路組む人には
NANDと言った方が通る
NANDかNORで済むことは
広く知られていよう XORって呼ぶのが一番好きだな。
フリップフロップス 2ちゃんのスレタイで
Trick xor Treat!
というのがあった メタ数学における集合って一体何を指しているんですか? 「わしらの住む宇宙はZFにルールに従うか?」とか聞いとるのか?
メタレベルで使う「集合」とは何ぞやてか 基礎論門外の人はメタとか対象とかとは考えず、
論理式や公理的集合論の記号を自然言語でやる議論は
曖昧で間違い易いので導入した記号って考えるよね。
1階の述語論理よりは高階の述語論理的見方で考えるのが普通の感覚か。 そう
メタレベルでいう「集合」とはなんなの?直観的、素朴な立場で考えている集合なのですかね?
その素朴な立場で捉えている集合に関して許される操作や命題ってどこまでのものが認められるんですかね
ZFCの無矛盾性すら証明されていないのに、メタレベルでの集合に関する操作として選択公理を使うのって明らかに気持ち悪いし。 せやかて結局はAC使うしかないやろ。
使わんと証明出来る定理のクラスが小さくなって不便。 メタ理論で選択公理出てこないだろ
勿論ZFCをメタ理論とするなら話は別だが >>835
確かに普通に数学やる限り、有限個の記号や個体で間に合うなw
超越的な操作や存在は対象の世界に閉じ込めてしまええって、それって作り話フィクションの一種? 数学とメタ数学という言い方有るけど
それって数理論理学の思い上がりだと思うな
形式論理(数理論理学)と数学というべきだと思う 形而上学的議論って呼ぶとディスりなんだからメタ物理学ぐらいにはディスり呼称ではあるんじゃないの?。 上部構造使う数学の議論って面倒臭いよね。
普通の人は民主主義ですよ。
対象とメタを差別せず平等に扱うのがコモン。
差別はイカんとです。
両者を峻別、区別するなんて鬼畜なことするべからず。
メタと対象が、同じレベルに仲良く棲む理想郷。
それが、正常人の世界だと思います。 ケプラー予想の解決にはHOL Light等が用いられたが、そのHOL Lightが正しく作動するかは論理コアの部分400行を人間がじっと眺めたり他の証明支援系を用いて確かめたりした 強制法の名前を使った議論がいまいち苦手なのって俺だけ?
分かりやすい本があったら教えてほしい 自分より上のレベルの人なのか下のレベルの人なのか
分かんないからコメントしづらい件
ShelahのPIF読んでで途中で分からなくなったとか
言われると頑張って下さいとしか言いようがない シェラハのproper and improper forcingか
ありがとう、読んでみる 数理論理学なんて嫌われるのは当たり前。
難しいだけでの苦行な学習が延々続くし、
読み易い教科書もほとんど無い。
読んでると力仕事はウンザリって気分になる。 高卒レベルから大学院レベルまでの証明論の知識を身に付けるに良い学習順
戸田山の「論理学を作る」→前原の「復刊 数理論理学序説」→安井邦夫の「現代論理学」→竹内外史の「復刊 証明論入門」
この順でやれば高卒レベルから苦労なくゲーデルの第1,2不完全性定理、自然数論の無矛盾性まで理解出来る >>846
いや、Kunenなんて難しい教科書の代表みたいに
言う人いるけど、分かってから読むと、
よく何でもかんでも噛んで含めるように
ここまで丁寧に説明できたものだなあ、と思うよ。
他の分野でここまで言葉を尽くして説明する本
ほとんど見たことない。
ただ何でもかんでも言葉を尽くして説明すると、
本題にたどり着くまでに200ページ要るとか
そういうことになるんで、もっと大雑把に
だいたいこんな感じ、みたいに書いてある本がJech。
しかも書いてある話題が多いから、それぞれの
テーマについてはかなりサラッと書いてある感じで
意外と内容が薄い感じでもある本。 具体例と解答付きの演習問題がいっぱいある本が欲しいな。
この分野で。
特にモデル理論。 >>850
自分が分かってるとはとても言いがたいが、別の本などで勉強してから読むと、本当にこれはある
でもやっぱり、理想が高すぎるのかも知れんが、分からない人が読んで分かるものでは無いんだなと過去の俺を見ると思う www.sankei. com/premium/171114/prm1711140005-a.html
強姦が仕事の血税泥棒気持ち悪いニホンザルレイパー強姦奇形官と産廃キチガイ捏造便所紙を射殺するために展開している 公理的集合論の一番正当派というか一番読まれてるというか一番お勧めされる本って
Kunen,Jechのやつ? だろうな
Jechは和訳されてない分Kunenの方が多い気はするが >>858
Twitterに集合論専門の数学者が大量にいる むしろ集合論最近面白いテーマが見つかったなと思ったけどな
まあ大体の集合論研究のモチベーションは巨大基数だろうが 公理的集合論から始めて巨大基数の論文を読み始めるにはどういう流れで勉強して何ヶ月ぐらいかかりますか?
証明論は2年ぐらい勉強して数理論理学の議論には慣れてます とりあえず読むなら、マサ斎藤の『数学の基礎』でおk? 4面が緑色で2面が赤色のサイコロがあるとする
そのサイコロを20回振って、緑色(G)と赤色(R)のどちらが
出たかを記録した
次の3つの選択肢から1つを選ぶとする
もしあなたが選んだ選択肢が20回分の記録のどこかと
一致すれば25ドルもらえる
1.RGRRR
2.GRGRRR
3.GRRRRR
選択肢1は選択肢2に内包されており、また、
他の選択肢よりも短いにも拘わらず、
被験者の65%は選択肢2を選んだ
25ドルの賭金が話の上だけの形の調査でも、
結果に顕著な差は見られなかった ゲンツェン流の証明体系で、上式が3つ以上のシーケントとなっているような推論規則ってありますか? 圏論の方が数学の基礎として良いって意見あるけど(T○mとか)、
トポス圏でnatural number object作るのも大概難しいし直感的でもないよな
理論上は圏論でもZFCのメタ理論にはなれるんだろうけど、誰もやってないのがそれを表してる気がする 俺も圏論が集合論の上位互換のような気がしてるが
逆に集合論の一部とも言える 逆にというか普通の圏論はZFCの一部
メタ理論としては組み合わせ論的技法も苦手だし独立性証明もやりづらいから、ZFCの方がusefulなんだよね
しかも圏論で自然数を作るのも大変と来たもんだ 0=φ
1={φ}
を受け入れるかはともかく高校の集合が分かれば理解できるけど、
圏論の場合まずトポス理解するまでにどれだけ掛かるんだよっていうね
ただでさえややこしい議論を敢えて難しくする理由もないだろう 稲垣武の 一般集合論 (1964年) (近代数学新書 福原満洲雄監修) 新書 ? 古書, 1964
今これ読んでますけど、素朴集合論の立場から基数の話ではケーニヒの補題、順序数の話では順序数の多項式や正則順序数までやってます
説明がかなり丁寧なので黙読だけで大分スラスラ読めます 数学基礎論ってゲーデルの不完全性定理以降何か面白い成果あったの? ただ単に聞いてみるだけだけど、自然数論の無矛盾性証明で、寝転びながら読めるぐらい分かり易い証明って読みたい? ⊥も人も見かけるのにTは見てもΥは見たことない不思議 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
A宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
B色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
C清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
D高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
E高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20) ※日曜日になると風俗店に行っている 論理学でこれを公理とする宗派もある
(A1) φ→(ψ→φ)
(A2) (φ→(ψ→χ))→((φ→ψ)→(φ→χ))
(A3) (¬φ→¬ψ)→(ψ→φ) 「自由変数」の厳密な定義って案外厄介だよな
よくよく考えると、単に「論理式φに現れる変数記号xが自由変数であるとは〜」だけじゃだめで
例えば、「左から数えてφのn文字目に現れている変数記号xが自由変数であるとは〜」ってな具合で位置まで指定しないと意味が無いから >>882
限量子の限定する範囲にない変数
で終い >>880
前に出てた
| (NAND)
だけだと
どんな公理で古典論理と同じになるの? ■嘘には三つの種類がある
ただの嘘と
真っ赤な嘘と
統計だ >>888
何言ってるか分からん
子供じゃないんだったらもうちょっと言葉使って説明して貰っていいっすか? ある変数が自由変数かどうかは
限量子の限定する範囲にないというだけのこと
これは文字配列上確定する概念で
論理式の論理的な意味とは関係なく定まる おそらく君は定義が難しいということと
人間が読み難いということを混同
あるいはあえて同一視しているだけ >>890
>>ある変数が自由変数かどうかは限量子の限定する範囲にないというだけのこと
そんなことは分かってる
感覚的にはすぐに分かる概念だが、形式的に…この場合は帰納的か?…定義するとなるとちょっと厄介だということだ >>891
あぁやっと分かった
俺が>>882で聞いてることをお前は勘違いしてたわけだ
俺は自由変数うんぬんかんぬんを厳密に(形式的に)定義しようとなるとx=x∧∃x(x=x)みたいな論理式に注意を払わないといけないから>>882見たいに聞いたんだが
お前は、俺が自由変数うんぬんかんぬんの定義を理解することが難しいと思ってる、って思ってたわけね? そこらへんは、一度束縛変数として使った仮変数を
別の場所で自由変数として使わないと約束しても
問題無い気がするけどね
割と無意味な煩雑性なので いやダメ
論理式、代入、証明といったメタ概念をゲーデル数化する作業があるんだし、そこでは自由変数であるかどうかの形式的な定義が要求されるわけだから。
そういう約束は一旦厳密に形式的な定義を終えてから許される話
…というわけで真面目に考えようとすると厄介
まぁ教科書のゲーデル数化の章で、自由変数という概念がどのようにしてゲーデル数として定義されていっているのかを追えば
その教科書では自由変数がどのように捉えられているのか分かるが、厄介 >>893
>俺は自由変数うんぬんかんぬんを厳密に(形式的に)定義しようとなるとx=x∧∃x(x=x)みたいな論理式に注意を払わないといけないから>>882見たいに聞
全然注意払う必要ないというか
そこに注意払うことを難しいと感じたりは普通しないからね
限量子の限定する範囲の変数が束縛されていると云うだけのこと >>894
その通り
単に文字列上の概念だからね
定義は限量子に限定されている範囲内か否かで終い >>896
>>限量子の限定する範囲の変数が束縛されている
あのなぁお前
お前のそのアホの一つ覚えみたいなセリフはもう聞いたから一々繰り返す必要も無いしそんな答えが返ってくるような話はしてないの
分かった?
>>単に文字列上の概念だからね
これもそうだけどさっきから俺は形式的な話をしてんだから一々分かりきったこと何言ってんだお前
お前さっきから「限量子の限定する範囲」ってそればっかやんけ
壊れたオルゴールか?
お前はそのセリフを繰り返してるだけだぞ?自覚してるか? >>896
一応お前にきいといてやるけど「限量子の限定する範囲の変数が束縛されている」を厳密に定義してみ ID:rF7tPU6M
こいつ「限量子の限定する範囲」って3回も喚いておきながら一切その細部への言及が無いな
頭がここで止まってる痛いタイプか しおもな
まずゲーデル数の話をしているとは>>882では思わなかったが
ゲーデル数の本質は論理式の文字列としての自然数への算術的な埋め込みでありそれ自体には自由変数束縛変数の区別はない
そしてそこでの
>>895
>、代入、証明
の算術化において自由変数を抜き出すために
限量子に限定されている範囲を認識することが意味論的にではなくただの文字列上で可能であることが認識できさえしていれば良いということが分かるわけ
あとは演習問題 はぁ…答えになってない…こいつは一体なんなんだ
考える時間があっただろうに、またもや「限量子に限定されている範囲」の繰り返しだけ、しかもそれだけ
頭おかしいこいつ
人が言ってること理解してない…
意味論的っていってるが意味論の話は”一切”してない
頭大丈夫か?お前
>>文字列上で可能であることが認識できさえしていれば良い
そんな話もしてない
しかも認識さえ出来てりゃそれでよしとはならんだろ
お前が壊れたオルゴールの如く繰り返してるセリフの実際の形式的な判定手続きを述べろっつってんだよ >>902
めんどくさいからちゃんと答えてくれるか?
「限量子の限定する範囲の変数が束縛されている」を厳密に定義してみ
演習問題などと逃げ台詞いわないでさw >>904
重箱の隅が気になって仕方がない初心者か。
初心者ホイホイのトラップに嵌ったことお悔やみ申し上げます。
偉そうに問い質す様なレベルの問題じゃ無い。
えっ、初心者じゃ無い?
ベテランの域に入った万年初心者かwww その前に
>>882の
>単に「論理式φに現れる変数記号xが自由変数であるとは〜」だけじゃだめで
例えば、「左から数えてφのn文字目に現れている変数記号xが自由変数であるとは〜」ってな具合で位置まで指定しないと意味が無い
ということ証明してよ >>ID:rF7tPU6M
じゃあこう聞けばいいか?
お前流の定義では自由変数という概念は「限量子の限定する範囲にない」ということのようだ。
じゃあ「限量子の限定する範囲にある」ということを形式的に定義してくれ
で、それに基づいて論理式x=x∧∃x(x=x)の左からi(i=1,2,3,4)番目に現れている変数記号xが自由か束縛されているかを手続きに則って検証したい >>906
論理式φ:≡x=x∧∃x(x=x) がいい例w←既に例示してる
後は演習問題(きりっ)www
といいたい所だが、ID:rF7tPU6Mこいつとは違うのでキチンと言うと
ここでは単に「φに現れるxは束縛されている」「φに現れるxは自由である」って言うのはおかしいよな?
だって自由なx(x=xのx)と束縛されてるx(∃x(x=x)のx)がどちらも現れてるんだから
だから「φに現れる左から2番目のxは自由である」ってな具合にxの位置まで指定しなきゃいけないよな >>908
全然おかしくない。
変数の衝突は適当なα変換を施して無いものと考える。
位置の言及が無い場合は自由出現する同一変数全てに対する言明となる。
君の知能が低いだけだ。 PとQを前提としてP∧Qを結論し
P∧Qを前提としてPを結論する
結局
PとQを前提としてPが結論できるわけです
至極当たり前ですよね
これを
Pを大前提とするなら「Qを前提としてPを結論できる」としたものが
P→(Q→P)
になります 文字列操作プログラミングでは特定位置のxにのみ操作することはあり得るけど
数学・論理学ではそのような操作はないんじゃない?代入しかり例化しかり。
なので「左から数えてφのn文字目に現れている変数記号xが自由変数である」
というメタ述語は論理学・数学においては不要で、必要なのは
「論理式φの自由変数を元にもつ集合は?」という関数だったり
「論理式φのxにaを代入するとどんな論理式になる?」という関数だったりする
という理解。 メタ理論によるとしか言いようがない
ZFCや自然数論がメタ理論であればゲーデル数化のやり方に合わせて特定の位置の束縛変数を取れるし、
圏論でもnnoで自然数が作れるから恐らく可能
人間を信じてメタ理論とするなら直感で分かる
メタ理論は基本的に表現できれば何でもいいので、メタ理論に埋め込まれる論理の形式的な定義はうやむやにされる >>913
>人間を信じてメタ理論とするなら直感で分かる
信じるんじゃなくて
計算可能であることを直感で理解できればそれで終い まあこの世界にはノイマン型コンピュータがあるからそれでもいい ■メタトロンコンピュータ
メタトロンを集積回路に使用した量子コンピュータの一種
それまでのデジタル式フォン・ノイマン型コンピュータとは
一線を画す桁違いの演算速度と小型化を両立
演算装置と記憶装置の区別がなくサーキットそのものが
絶えず変化することで演算と記憶を
(量子論的に言えば別の宇宙で)行う 宇宙は途中計算を我々に見せている
宇宙は計算完了するのだろうか ■メタトロン
LEVと共に宇宙開発の礎となる二大要素の
一つに挙げられる「鉱石」
21世紀初頭木星の衛星カリストで鉱脈が発見され、
その特異な性質の研究が進み様々な分野で使用されている
メタトロンとは聖書の中に出てくる大天使の内の1人
「万能の天使」の異名を持つ 数理論理学関係の本が40冊ぐらいあって殆ど読んでないから自炊したいとは思ってるんだけど、
数理論理学への愛着から中々踏ん切れない。 集合って集めすぎると集合じゃ無くなるけど、じゃあ集合と非集合の境目ってどの辺りか気になるよな
どこまで集めすぎるとダメなのか知りたい どこまでならギリギリ良いのかって研究が
つまりは巨大基数の研究だよね 全ての集合からなる集合は無い。
が、明らかに、全ての集合という内包は存在するから、
それに対応する外延が存在すべきなのだが集合としては扱え無いという。
苦し紛れにクラスということにしたら上手くいった!
クラス間の演算をBGの公理系にある様なものに制限すれば矛盾は起きない。 関数記号を超限回施して得られるものだけが集合とみたら、漏れがありますかね? ZFCの中で形式化した等号付き一階述語論理で考えるが、そもそも集合論の言語は関数記号を持たないから空集合にしかならない
で、定義による拡大を使って関数記号を追加するとして、上にある通りG??del 操作のみを入れれば多分Lになる
それ以外は謎
V=LはZFCから独立だから漏れがあるかはVの性質による ID:fwa7orJf の期待するところを汲むとLを考えたいのだろう ただ思っただけなんですがね、V=Lの時のVでは大きい集合を作っていくのに巾集合しか使っていないのが少ないと思うんです。
そこで、|-∀x∃!yP(x,y) なる述語P(x,y)ごとに関数記号f_Pを準備して、F:={f_P全て}と置く。
で、空集合φからスタートしてFに属する関数記号を超限回適応して得られる集合だけを集合と見る立場はどうでしょう?
これで全集合を網羅できますかね?
ほんと素人の雑感なんですがね。 >>931
>巾集合しか使っていない
合併集合もな
>|-∀x∃!yP(x,y) なる述語P(x,y)
べきとかでない本質的な例を思いつくかい? >>927
誰も答えてあげないので
その通り>BG と NBG って同じ? 同じというか、Neumannへのクレジットだけ違うというか >>931
それ、二回の理論の拡張と一回の拡張が
たぶん同じになって潰れちゃうから、
上手くいかないような気もする https://www.bbc.com/japanese/47466992
ヒトモドキニホンザルまた収賄でノーベル賞を買う
ヒトモドキ不正ゴキブリ害虫国家自殺しろや犯罪売春遺伝子ニホンザルヒトモドキ絶滅しろや このスレに聞くべきか分からないが、神の存在証明のもっと厳密なのってありますか?
ド素人向けの読み物みたいなのは要らないです。 公理的集合論の入門書1冊終えた人が次に取りかかれる本を教えて下さい
カナモリの巨大基数は知ってます SchindlerみたいにKanamoriを
入門書と呼ぶ人も居るので、もうちっとどのレベルの本か
明確にしましょう。普通に考えて
forcingを一通りやってないなら
まずはforcingだと思う。 >>939
昔忌野清志郎の君が代に難癖つけてた連中がいたのを思い出した f_1(a,b+1) := f_1(a,b)+1 により帰納的にf_1(a,b)(つまりa+b)を定める。
f_2(a,b+1) := f_1(f_2(a,b),a) により帰納的にf_2(a,b)(つまりa・b)を定める。
f_3(a,b+1) := f_2(f_3(a,b),a) により帰納的にf_3(a,b)(つまりa^b)を定める。
f_nが定まった時、
f_{n+1}(a,b+1) := f_n(f_{n+1}(a,b),a) により帰納的にf_{n+1}(a,b)を定める。
この関数列(f_n)についての議論はどこで見れますか? 私も今集合論を勉強しています。
Jech を最初から読んでいて focing の辺りでわからなくなってしまったので、Bell を読んでいます。
これを読み終わったら何を読むとよいかご教示お願いします。 >>946
Bell を読んでも Kunen はやはり読んだ方がいいでしょうか? >>947
KunenはJechやBellと違ってBoolean-valued modelがおまけ扱いだが、
その分forcingに関してintuitiveな説明も多いからな forcingって集合論上の操作に他ならないよね
すべての理論の正当性は集合論に帰するってことなの? 「集合論」を集合論で語るのだよ。
循環論法?
自己矛盾無きことが確かめられるw
このディレンマに耐えられない者は基礎論を諦めるしか無い。 ブール代数、束論ってどの本でも触れてたとしても、超入り口だけで済ましてる本が多いよな
ガチのブール代数本って「現代のブール代数」しか知らないわ 現代数学概説の束、ブール束の説明は超入口とは言えん。 いっつも思うけど自然数がφと和集合で帰納的に定義されることを分かりやすく説明する方法が分からない
例え話とかあるんかな Knuthは最初これで知った
あとでTeXで感動した ブール代数の文献でよく挙げられるのは
Halmos の本だね。 >>957
HalmosのLectures on Boolean Algebrasは良く挙げられてますねえ。
それと最近はどうなのか知りませんが、しばらく前まではSikorskiのBoolean Algebrasも割と良く挙げられていたと記憶しています。 https:youtube.com/user/michaelcash2013/featured#searching
ゴキブリニホンザル南京虐殺ヒトモドキゴキブリ民族死滅しろ >>954
個数なんだから作ったモノ全部集めたら一個多くなるじゃダメかな クソつまらなくなった。
ケリーはジョン・ケリーのケリーか 何でここまで権力もってんの。
なんかもうおじさん本当に頭痛いんだけど どうしたいよ?おじさんもう死んじゃいそうだし
早めに結論言っといてもらわないと解決不能になるわ Lectures on Boolean Algebras (Dover Books on Mathematics) (English Edition) Kindle版
https://www.amazon.co.jp/dp/B07H6GQQ1N/
965円
1963年の書籍なのに電子化されててビビった
欧米って進んでるな 雨宮一郎?みたいに埋もれた人の評価?
ていうかそれをやっていたのになんでかこうなったような 秘密保持の観点から死んだことになってるじいさんたちが
死の間際にやっぱり騒ぎだした? 都内の公民館でなんでも反対で結託しとる
こじれた無戸籍のじいさま達が家に帰ったら枕を涙に濡らせて
地獄から復活したい、と 広瀬健氏なり死ぬタイミングがおかしすぎ
院生なり脅すためだろうが優秀、優秀って言われて
早期に死んじゃうとなんの記録ものこせなくなるから
もうどっかで言うしかないって
死んだことになってましたが一部芸能人とよばれる人と一緒に
研究してました、メンゴメンゴって キューネンの数学基礎論講義の
∀x(x=x → ∃x(x=x))
が
項τがφ内の変数xに対して自由であるときのφ(x〜>τ)→∃xφ (の形の文の全称閉包)
という公理に属する、という記述に関連して質問したいのですが
φ(x〜>τ)というのはφ(x〜>x)でも良いですか?
それなら確かにφをx=xとするとφ(x〜>x)もx=xとなって∀x(x=x → ∃x(x=x))が得られるとは思うのですが
自信が無いので偉い人教えてください 竹内外史の「現代集合論入門」について質問です
103,104ページの「Filter]と「強Filter」の定義の違いが分かりません
103ページの「Fはcompatibleである」と
104ページの「∀p,q∈F ∃r∈F r≦p,q」は全く同じ事だと思うのですが? >>969
その本のことは知りませんが、字義通りに読んだら、「何もしない」事も代入の一例と理解することも出来る気はしますが >>970に引き続いての質問ですが、
108ページの定理6の主張はGがcompatibleであることからそのまま出てくることでは無いのですかね?
それと、その証明では「Sがdenseであることを言えれば定理は明らか」とありますが、G∩S≠φから定理6の主張へはどのようにして議論を繋げれば良いのですかね コンタミの主張内容をプロジェクトの成果だから容認しろ、とせまられたとする
それは結局中身のわからないソフトウェアの使用許諾条項を容認させられるに等しい
使用許諾条項なのになぜか保証人、しかも催告権のない連帯保証人にさせられると
いうような条項の可能性があれば
自分は容認できない。
まずコンタミ主張内容の分離をして単一主張の複数の計画にわけるべきだ イスラム教信じている人に豚肉入っている可能性のある闇鍋示して
「多大なコストをかけたから全員食べないといけない。なお信仰は考慮されない」と言うに等しい
闇鍋は食べさせられない。
問題は闇鍋作りに一生涯かけた人がいるであろう事実。このまま放棄もできない。
悪いけど失敗は失敗でどこが失敗だったか総括に持っていきたい。
とりあえず記録は残してあげないといけないし取り出して問題ないものは
活かしてあげたいというのは普通の心情だと思う。 個々のプロジェクトの総括を避けてきたツケを払う必要があるという認識
自分もおぼろげにしか内容わからないし、内容の精査と総括に三十年以上見込むべき とりあえずこっからは負け戦になっていくから二十代とかなら進路変更
検討していくなりする機会示してあげないと
保留状態が続いていつの間にか三十代になったら逃げられたものも逃げられなくなるし
それは逆に問題作ってしまう filterと強filterは違いを意識せずに講義してたら
田中尚夫か誰かに後で指摘されたみたいな事
書いてなかったっけ。genericの章の終わりあたりに。 >>977
その点についてさっき確認してみた所、どうやらそれっぽいですね
どうもです 間違えたなら間違えましたで訂正して進めていくしかない。
間違えずに正しい答えが出るの待ってたら時間ばっか使う
簡単そうなやつからやってヤバイとか難しいやつは後回しにするとして
とりあえず叩き台になる共通認識作っていかないとメンヘラを
大量生産してしまうことになる。とりあえず正常ラインを確保して
無謀なチャレンジをやろうとしているのかそうでないのか見極める人を増やしていかな やっぱ認識示すごとに話変わってくるものだけれど
やはり嘘と演技の割合がわからんな 『無限のスーパーレッスン』のhyper-critique
渕野 昌 (Saka´e Fuchino)
以下に書くのは,木村俊一著: 『無限のスーパーレッスン』,講談社 (2007)
からの複数の引用 ? 主にこの本の後半部分からの引用です ? と,
それに対する (批判的) 解説です.
http://fuchino.ddo.jp/misc/superlesson.pdf 今戸次大介の「数理論理学」読んでるんだが、バカ丁寧な証明載せてくれてる本だな
こう言うの好きだわ 某氏のP≠NPの証明ホントかねえ。
S^i_2の階層性に帰着させてるから割とガチっぽくは
あるんだけど……
限定算術勉強するなら何が一番効率良いんだろう 限定算術とP/NPについてはKrajicekとか
Cook&Nguyenとかも良いみたいだね
>>987
俺も半信半疑なんだけど、じゃどこが間違ってるの? huffingtonpost.jp//abematimes/china-seven_a_23249654/
あんぱんしわくちゃ嘘つき捏造家遠藤誉ゴキブリ閉経売女ババア銃殺死刑にしろ あの「その手には乗らん」ってなんだったの?
おい誰だよほんとに Aの元の合併集合∪Aって存在するとしていいの?
これの元ってAの元のどれかに含まれていることが条件だけど
どれかに含まれているってどう確認できるの?
Aの元が有限個なら全部チェックできるけど
無限個ならどうするの?
どれにも含まれないことが成り立たないということで確認するのなら
確認は終わらないよね 無限も有限も確認もない
x∊∪A⇔∃y∊A(x∊y)
という式があるのみ
合併集合があるというのは公理:
Aが集合ならば∪Aは集合
とくにAが空のとき∪Aが空であることは直接確かめられる 具体的にはわからない(構成できない)けど確かに存在するということはできる その視点って有限の立場っぽいよな
有限の手続きのみによって確認される物だけを認める立場というか >>994
>∃y∊A(x∊y)
これが真であることを確認するには
x∊∪Aのそれぞれについてx∈yとなるyが無くてはいけないけど
どれがそのyかって分からないじゃん
なんだか選択公理っぽい感じも ああ
どれがそのyか、というのは、ブルバキ流に書けば
τy(y∊A(x∊y))
がそれに当たるのかな
でも
{x|∃y∊A(x∊y)}
というクラスとして∪Aは存在している
そして
∀x[x∊∪A⇔∃y∊A(x∊y)]
という式が成り立つ
ということを把握してればあまり問題ない希ガス × τy(y∊A(x∊y))
〇 τy(y∊A ∧ x∊y) このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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