外道の独り言 9

1神も仏も名無しさん 2018/05/12(土) 05:57:04.76ID:wjY7fqmc
 
「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して
パーピマン殿が私見、疑問点等を提示いたします
「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいです)
「真摯なる碩学」が
パーピマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです

自由に書き込みしたい方は↓こちらへ
ひだ =^・ ・^= まり
ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1500265524

前スレ
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html

2おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 06:03:31.77ID:wjY7fqmc
 
前スレは
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/764
でdat落ちした? おじゃる?

前スレの764
>「法」と言えば、「涅槃」も

根本仏典
上座部
苦集滅道という文脈においては

仮設としての
縁起している世界を手放して超えて
悟りに至るための菩提分法という法である。という感じがする

たとえば
スッタニパータ 21

激流を克服して
(縁起している世界を手放して超えて)
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない

この彼岸(涅槃)の世界においては
仮設としての
縁起している世界を手放して超えて
悟りに至るための菩提分法という法も
すべて一切の諸法という法も
手放して超えている

この文脈においては
彼岸(涅槃)の世界は
法である・法ではない。と掴もうとしている『想い』ではない

3おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 06:28:14.83ID:wjY7fqmc
 
とりあえずの?キーワード

六師外道
ヒンドゥー(バラモン)

釈迦

根本仏典
中観派
瑜伽行派
密教

前スレの764の
ID:yIp2CHvG師匠は中観帰謬派の系統なのかしらん?

ちなみに
おじゃるは
中観自立派のような系統なので
「我所もある我もある」と妄想しちょりまつ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E6%88%91%E6%B5%84
常楽我浄

仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を手放して離れ、如来我(仏性)がある

4おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 07:10:27.32ID:wjY7fqmc
 
おじゃるは
幽霊肯定派なので
とりあえず

ttp://www.gibe-on.info/entry/spirit-spot/
心霊スポット

ttps://vimore.org/watch/A9R4X8Rb31Q/
不動産物件紹介ページの心霊写真

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E6%95%B7%E7%AB%A5%E5%AD%90
座敷童子(ざしきわらし)

5神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 12:38:05.99ID:MESLRBwH
アーチャン・チャー「無常の教え−手放す生き方2 苦しみの終焉」(3)

●世間の人々は幸せになることを望む。彼らは苦しみを望まない。だが「ニッバーナ(nibbana涅槃)」とは、望むこと・望まないことを「超えたもの」だ。

●ブッダは「空を理解する者を、死王は追うことができない」と言った。空を理解したとき、死は私たちに影響を及ぼすことはできない。なぜなら、そのとき「私たち」というものは存在しないから。

●ブッダは私たちに「我見」(自己という実体があると信じること)を取り除くことを説いた。
もし、我というものが施説(暫定的な概念)にすぎず、本当は無我なのだということを理解したのなら、私たちの問題は終わる。
http://samten.seesaa.net/article/446643678.html

6神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 14:27:46.01ID:fuMVRi82
わかる

7宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/12(土) 16:15:39.55ID:TscNnaUU
>>1
おじゃるさん、スレ立て乙!!!

私の述べてることは、
あなた方には簡単には理解されないということは最初から分かっています。
もしも、そのことが本当に判れば、とっくに“仏教徒ズラ”(自称仏教徒?)なんかしなくなるからね。
今はまた時間が無いので、またおいおい少しずつ投稿していきます。が、
とりあえず、これを指摘しておきます。

8宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/12(土) 16:16:38.49ID:TscNnaUU
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/764
>>前スレ764
>最初から自我はなかったのです。
>自我があるとは人間の錯覚·幻覚です。
>覚りに達する人には、自我の錯覚が消えます。
>覚った人に、今までなかったアートマン (自我)が突然現れるはずはないのです。
>涅槃も無我です。

8.3 第三の涅槃に関することの経
 【比丘たちよ、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの(有為)』でないもの(涅槃)は存在する。
比丘たちよ、もし、その、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が有るこ
となくあったなら、ここに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離は覚知されないであろう。比丘たちよ、
しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』でないもの(涅槃)が存在する
ことから、それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの出離が覚知される」と。】
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-3.html

はい、
では『〜からの出離が覚知される』というのは、
つまり、誰が覚知してるのか?
涅槃を涅槃であるとして覚知するのは誰か?
涅槃を認識している主体は誰だ?

もしも、本当に無我(自我意識の主体がないこと)ならば、
涅槃を出離したことを認識できない筈ですが。。。

長老さんよ、
この決定的な経文と矛盾することを仏法として語るでないと、
この私はいいたいね。

そもそも最初から、
ゴータマは無我(我は無い)などとは説いてないのだから。
「我は無い」として述べている経文といものは何処にも見つめることはできないのだから。
無我を我は無いという教えにしたいというのは、
あなた方の感情論(バラモン・ヒンドゥーとは異なる仏教の決定的な一大特徴にしたいという想い)に過ぎない。
所詮、それは部派が勝手に言い出したことに過ぎないから。
もしも、ゴータマが今ここにおられたら、
唖然として、「私はそんなことはいってない」というでしょうね!

9神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 16:42:26.83ID:iEhhy6sL
>>5
このアーチャンチャー というのはタイのテーラワーダ 比丘で現在の阿羅漢とも言われている
ただしテーラワーダは阿羅漢であることを自称するのは在家の崇拝の対象となり利益誘導に繋がるために禁止されている

10おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 16:43:41.97ID:wjY7fqmc
 
>私の述べてることは

おじゃるの書き込みも「理解されない」という感じがする

宗教(religion)
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする

神智学
神あるいは超越者が叡智的性格をもち
宇宙や自然もこのような叡智からつくられ
人間の智も神の智に通ずる性格をもっており…

クンダリニー
宇宙に満ちている根源的エネルギーを中心として
人体内に存在する根源的生命エネルギーが現れる

仮設としての
人間本位の自我を手放して離れ
仏や涅槃の境涯は − 如来我(仏性)

仏性からの真如縁起をもって
種子と現行の頼耶縁起を観照する

解脱智見
(縁起している世界からの)解脱を知覚して
涅槃に住む

どこの誰が? − 如来我(仏性)が涅槃に住む

11パーピマン2018/05/12(土) 16:46:07.86ID:g2ZyMaqF
新スレ立て乙

12宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/12(土) 17:08:43.55ID:TscNnaUU
>>10
おじゃるさんのことは、
とても真面目で熱心な方だといつも感心していますよ。

確かに、
おじゃるさんは知識もあるし、情報も得られる。
けれども、>>10のような、突然的なただの羅列的なものは何の繋がりも無く、
ただの知識の露呈にしか見えないのでは?

あとは、
あくまでも投稿においては基本的に、
“相手との対話形式”にすることを肝に銘じて心掛ければ問題ないと思う。
おじゃさんにはそれがいつも不足してると私は思う。

それといつもそうなんだけれど、
それが“自分自身の言葉”なのか、それとも引用した転載文なのかの違いはもっと明確にして欲しい。
必ず何か分かるような【】『』で以て区切って締めるというようなことはどうかお願いしたい。
ソースのアドレスリンクを付けるだけではダメだと思う。

〜ただそれだけ

13おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 17:33:08.69ID:wjY7fqmc
 
自分自身の言葉はほとんどないでつ

今は
大乗1.0の世界観をもって
般若の智慧と慈悲をもって
上座部 2.0の実践をする
3.0のpodcast法話を前提としているので
それゆえに
おじゃるの書き込みも「理解されない」という感じ

ちなみに
中観自立派の説明も
自分自身の言葉はほとんどなくて

チベット ゲルク派の
中観自立派を前提としているので
「理解されない」という感じ

>涅槃を認識している主体は誰だ?

解脱智見
如来我(仏性)が
(縁起している世界からの)解脱を知覚して
涅槃に住む

という相手との対話形式になってる おじゃる

14宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/12(土) 19:10:55.17ID:TscNnaUU
>>13
最近、使っているその1.0-2.0-3.0...というのは何?
簡単に説明もらえる??

15おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 20:00:01.97ID:wjY7fqmc
 
仏教1.0
中国経由の日本の大乗(禅宗とか)

仏教 2.0
1990年代後半から日本に入って来たテーラワーダ(上座部、南方仏教)

仏教3.0
両者の資産を活かしつつも両者の問題点を克服した仏教のあり方

ttp://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-13592-1/
〈仏教3.0〉を哲学する
藤田一照 / 永井均 / 山下良道

日本の伝統的な〈仏教1.0〉
上座系瞑想実践的な〈仏教2.0〉
共に包み超えて、新たな〈仏教3.0〉を提唱

藤田一照 − 曹洞宗の僧侶
山下良道 − 元曹洞宗の僧侶・元テーラワーダ僧侶
永井均  − 日本大学文理学部 哲学科教授

大乗の
般若の智慧と慈悲をもって
上座部 2.0の実践をする
3.0
という感じ
ttp://www.onedhamma.com/?p=5136
15/05/24 藤田一照:魚川祐司:山下良道
podcast法話

如来我(仏性)から → 縁起している世界を見れるのか?という対話

16おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 20:34:54.52ID:wjY7fqmc
 
2016〜2017に鎌倉の
一法庵に逝ってたときには

ヨーガの専門の先生が
瞑想状態を維持するために身体を整えるヨーガを実践を教えていた
そして
それから
3.0として
山下良道僧侶が
上座系瞑想実践へと進めていく

たぶん今でも
ヨーガの専門の先生が
瞑想状態を維持するために身体を整えるヨーガを実践を教えていると思う

身体を整えるヨーガを実践をして
思考している空間とは → 別の空間に入る

そして、この別の空間から観察して
縁起している世界を
身体を
地水火風の微細な粒子に分解する

ちなみに
おじゃるは
約一年位は鎌倉に行ってたけど
この四界分別という観察は出来なかったけど…
(「意識の集中が出来なかった」という意味でつ)

17おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 21:00:40.23ID:wjY7fqmc
 
身体を整えるヨーガの実践をして
思考している空間とは → 別の空間に入る

この別の空間から観察して
縁起している世界を
身体を
地水火風の微細な粒子に分解する

そして
それから
第一禅定
五禅支の一番目
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを
呼吸の観察に戻す
思考している空間から → 別の空間に戻す

3.0の場合は
(仏の世界からの現れなので、それゆえに)
仏の世界に戻り帰る
という説明になるのでつ

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/18/061429
上座部 パオ・セヤドー

通常は、四界分別観から始めなければなりません

18神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 21:01:43.39ID:yIp2CHvG
≪三つの解脱≫

 仏教とは、解脱という最終目的を目指して実践する教えです。
お釈迦様は「解脱(涅槃)という境地について、概念を用いて語ることはできません」と、おっしゃっています。
何でも論理的かつ明確に説かれるお釈迦様が、解脱とはどういうものかについて説明しなかったのは、解脱という境地は神秘的なものであると言うためではありません。
解脱という境地は生命の理解能力範囲を超えています。概念の範囲を超えています。
ですから、解脱の状況を説明する言語は存在しないのです。

お釈迦様が説かれた解脱の説明は、間接的です。
例えば、“ 一切の苦しみを乗り越えた境地”、“生死を乗り越えた境地”、“超越した境地”、“不死なる境地”などと説明されています。
また、否定形の形容詞で語られた言葉もたくさんあります。
“ 不貪不瞋不痴の境地”、“ 輪廻転生しない境地”、“ 再び生まれない境地”、“不生不死の境地”などです。
否定形の形容詞は、解脱について、分かったような分からないような気にさせます。
なぜならば、そこで否定されている無常・苦・生・死・貪瞋痴・煩悩無などは一般常識で理解できるからです。
それらの否定なので、分かったような分からないような気がするのです。
 解脱を説明した具体的な例を挙げると、「涅槃に入られた聖者はどうなるのか?」という質問に、炎の喩えでお答えになっています(火ヴァッチャ経)。
「油と芯があって、炎が燃え続けます。もし油か芯がなくなったら、炎は消えます」と。
そのとき、「その炎はどこへ行ったのでしょうか?」と質問されても、それは答えられません。
言えるのは、「原因がなくなったから結果もなくなった」ということです。
煩悩があるから、五蘊で生命が構成されて変化し続けるのです。煩悩を完全に断ったところで、五蘊の構成が終了します。
生命体として輪廻転生することが終了するのです。

19神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 21:02:46.24ID:yIp2CHvG
 このような説明を聞くと、涅槃とは虚無の境地ではないかと勘違いします。
かつて仏教を研究した西洋の学者たちから、「ブッダは生きる苦しみに対して虚無の境地を推薦しているのだ」と言われたこともありました。
これはそれほど突飛な意見というわけではありません。
お釈迦様の時代にも、「ブッダは虚無を説く人である」との批判を受けたことがありました。
お釈迦様はその批判に、「私は一切の煩悩の断滅を推薦するから、虚無主義者だと言われても構わない」とユーモア的に答えられています。
 それでも最終解脱について「言葉で語れない」ということは、知識でものごとを理解しようとする人々にとっては曖昧な表現に映るのです。
ブッダは曖昧な表現を徹底的に避けます。次のように、弟子たちに「比丘たちよ、涅槃という境地がある」と明確に説かれるところもあります。  
 比丘たちよ、生まれることがない(不生)、存るとはいえない(不存)、造られない(不造)、作為されない(不作為)、という[境地 ī が ある。
比丘たちよ、もしも、その生まれることがない(不生)、存るとはいえない(不存)、造られない(不造)、作為されない(不作為)、
という[境地]がなければ、生まれるもの、存るもの、造られたもの、作為されたものに救済はなくなるのです。
しかし比丘たちよ、生まれることがない(不生)、…… という[境地]があるゆえに、生まれるもの、……に救済があるのです。
                        (ウダーナ八章三経)    

20神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 21:03:29.56ID:yIp2CHvG
 大変難しいフレーズですが、意訳してみれば簡単に理解できます。
「涅槃という境地があります。涅槃という境地がなかったならば、輪廻転生して苦しんでいる生命に何の望みもありません。
しかし涅槃という境地があるからこそ、苦を転生している生命に、救済の望みがあるのです」という意味です。
 というわけで、人間が目指すべき唯一の目的は解脱になります。
解脱はゴールなので、当然一つです。種類の違う複数の解脱がある、という考えは論理的に成り立ちません。
 では、それなのになぜここで、空解脱、無相解脱、無願解脱という三種類になっているのか、それを理解する必要があります。
これは決して、三種類の解脱がある、という意味ではないのです。実践する修行者の観察の仕方によって、また、「どのように真理を発見するのか?」ということによって、三種類に分けているだけです。
喩えで言えば、東京にいる人が大阪へ行く場合に、交通手段として飛行機を使うか、新幹線を使うか、夜行バスに乗るか、という差のようなものです。
旅の経験はそれぞれ違いますが、着くところは皆、同じです。


アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 アビダンマ講義シリーズ 第七巻・第八巻[合冊版]

21神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 21:16:50.61ID:yIp2CHvG
ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
無我って怖すぎ?【無常・無我】前編
 より抜粋

すべての生命には、自分がいるという実感があるんですよ。それで生きているんだから、無我と言われると不安になります。

結構不安がる可能性があります。

どれほど不安になるかというと、お釈迦様は初めから「無我で、因縁性です」と言われたのに、涅槃に入られて100年も経つと、仏教の中からあらゆる工夫をして「何か実態があるんだ」という必死で言いたがる声が出てきたんですね。

「我」と言う言葉を使わないようにだけ気を付けて。それを使っちゃうとやられますから。その代りに他の概念を作るんです。法身とか仏性とか。何か変わらないものを作ったりするんです。

結局は永遠不滅の我があるんだというところに戻ってしまったんです。ブッダの話は消えてしまった。元の原始人の話に戻りました。
これくらい人間が、我と言う幻覚に頼っているんです。
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/04/05/050000

22おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 21:24:11.52ID:wjY7fqmc
 
>涅槃という境地がなかったならば、輪廻転生して苦しんでいる生命に何の望みもありません

ヒンドゥー(バラモン)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

無限に続く輪廻の運命から抜け出す
そのための
クンダリニー
宇宙に満ちている根源的エネルギーに戻り帰る
(「仏の世界に戻り帰る」と同義語として)

釈迦の場合は
六師外道だったかもしれないウッダカ・ラーマプッタの
「想う」という想いも手放して
「想わない」という想いも手放して
非想非非想も手放して超えて
縁起している世界を手放して超えて
そして
解脱智見
如来我(仏性)が
(縁起している世界からの)解脱を知覚して涅槃に住む

23おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/12(土) 22:08:06.78ID:wjY7fqmc
 
>法身とか仏性とか。何か変わらないものを作ったりする

仏性という言葉を使ってはダメなの?

それでは、その代わりに
衆生が持つ
仏としての本質、仏になるための原因
覚性(かくしょう)
仏種(ぶっしゅ)
如来蔵(にょらいぞう)

さとり(菩提)を求める心の働き
菩提心(ぼだいしん)

真理そのものとしてのブッダの本体、色も形もない真実そのもの
法身仏(ほっしんぶつ)
自性身(じしょうしん)
法性身(ほっしょうしん)

光り輝いている(仏そのもの)

ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DY/0071/DY00710L019.pdf
ダルマキールティとかの場合は
光が輝くとき
その輝くこと(照明)を本性とする故
自己自身を照らす
そのように
智も自己を認識する
智は光の如く
照明することを本性とし
自ら輝き現われる

24神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 22:56:00.17ID:yIp2CHvG
>>23
>仏性という言葉を使ってはダメなの?

ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
2017-02-03
人は生まれながらに仏性を持っているのか
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2017/02/03/050000

25宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/12(土) 23:27:18.29ID:TscNnaUU
>>19-20
>比丘たちよ、生まれることがない(不生)、存るとはいえない(不存)--中略--
>大変難しいフレーズですが〜

だから私は、その涅槃を涅槃であるとして、
涅槃ではないものからの出離として覚知しているのは誰なんだと聞いてる。
まっ所詮、あなた方には絶対に答えられる筈がないが...。

>>21
>お釈迦様は初めから「無我で、因縁性です」と言われたのに、涅槃に入られて100年も経つと、
>仏教の中からあらゆる工夫をして「何か実態があるんだ」という必死で言いたがる声が出てきたんですね。

イヤハヤ逆ですよ。まったくの真逆ですから!
ゴータマは元々から、「アートマンは無い」などとはいったことがないのに
(「アートマンはこの現象界では知覚されない。故にアートマンでないものをアートマンと誤認することなかれ」といっただけ)、
ゴータマが涅槃に入られてから100年以上を経過してから発生した部派仏教らが、
勝手にゴータマが、「アートマンは無い」と説いたということにしたのです。
このことは、学問的にほぼ確立した事実であり、すでに定説となっているのです。
あらゆる工夫(これには工夫はいらなかったが)をして「バラモン・ヒンドゥーなどとは仏教は違うんだ」と必死に語る派が出てきた。
現存する仏教教団のすべてはこの部派の教義であるアビダルマ(の影響)というのを受け継いでいる。

26神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 23:42:35.94ID:yIp2CHvG
 インドには、サンスクリット語でローカーヤタ ワーダ「Lokāyata vāda」という、唯物論のとても優れた哲学学派がいました。
彼らは、徹底的に攻撃されたため、テキストとしては一冊だけ、ジャヤラーシ( Jayarāśi)という人による『Tattvopaplavasiṃha』というたいして古くないもの(紀元八〇〇年頃)が遺っているだけです。
しかし、お釈迦さまの時代から、唯物論を語る人々はいました。
 お釈迦さまと同世代のアジタ・ケーサカンバラ(Ajita Kesakambala)さんは、生命は「地」「水」「火」「風」という四つの物質元素と、「感覚器官」でできていると考え、人間は死ぬとすべてが無になると考えました。
その詳細は略しますが、いわば「魂はない」という話です。
 しかし周囲からは、「魂はあるに決まっている」と激しく攻撃されます。
そこで唯物論者たちがとった態度は、一種の妥協でした。
「魂はある、ただし、魂は物質だ」と主張したのです。
 ところが、「魂が物質であるはずがない」とまた激しく攻撃されます。
そこでまた妥協をします。「感覚器官が、考えたり見たり聞いたりする。それが魂だ」と。
「だから、死んでしまえば魂は空に飛んでいく。遺体を焼けばボーッと出ていってしまうのだ」というのがアジタ・ケーサカンバラさんの主張でした。
アジタ・ケーサカンバラさんは厳密な唯物論の哲学者で、「魂は不滅である」という説は否定しましたが、それでも「魂はない」とまでは言えなかったのです。
 こうして唯物論者たちは、何とか自分の立場を守ろうとしました。
しかし、唯物論者でさえ「魂はない」とは言えないのは、なんと恐ろしい状況でしょう。
 このように、 宗教・哲学・文学・民話 などのすべてが、魂 =「我」があるという立場で語られてきました。
私たちは数千年の間、「魂はある」という思い込みの 世界で生きてきて、進化してきたのです。
 ですから、 私たちの頭の中や遺伝子は、お釈迦さまが語られる「無我」を理解できるようにはなっていないのです。
一般常識的な立場では、無我を理解することはできません。「私たちには無我を理解できるだけの知識能力がない」ということです。

アルボムッレ・スマナサーラ. 無我の見方(サンガ新書): 「私」から自由になる生き方

27宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 00:32:14.15ID:fK9V61Py
>>26
>  このように、 宗教・哲学・文学・民話 などのすべてが、魂 =「我」があるという立場で語られてきました。
> 私たちは数千年の間、「魂はある」という思い込みの 世界で生きてきて、進化してきたのです。
>  ですから、 私たちの頭の中や遺伝子は、お釈迦さまが語られる「無我」を理解できるようにはなっていないのです。
> 一般常識的な立場では、無我を理解することはできません。「私たちには無我を理解できるだけの知識能力がない」ということです。

半分は合ってるが、半分は間違ってる、だから50点だな。
昔から、人間が永遠不変の魂を想定して信じてきたというのは、確かにその通り。
いや、もっと正確に言うと、人間は死後に存続する意識(魂)という概念を持つことで初めて動物から人間となった。
それまでの我々の古き祖先たちというのは、死んでしまった家族の遺体を埋めることはあったが、
それは死を忌み嫌うものであり、また病死の伝染を遮断したい意志などの顕れに過ぎないだった。
しかし、やがてこの祖先たちは自分たちの家族が死ぬとその遺体を手厚く葬る行為をするようになる。
花を手向けて、死後の生活に困らぬようお供えを捧げ続けるようになる。
これらは明らかに、死後の生存を想定したもの。
だから、人間は死後の魂という概念を持つことで初めて猿から進化したというのです。
〜これはとても有名な学術的な定説としてある。

28神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 00:32:59.16ID:qfYii/HC
<『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの(有為)』でないもの(涅槃)は存在する。>

この説明にある「生じる」「成る」「作り為される」「形成される」というのは、素朴な直感による認識(例えば、肉体が生じるというような)、すなわち、感覚器官と知識とに基づいて自動的に私たちの心に生じる認識を意味していると解釈します。
人間社会で育つ過程で私たちは自然に「この肉体は私のものだ。この肉体が私なのだ。そう考えている心も私の心なのだ」というような認識を持つようになります。
そして、この認識が正しいと確信するようになるのです。

8-3の感興の言葉は、そういう世間的な認識は誤りであり、そういう認識の仕方をしないのが「涅槃」なのだとお釈迦様は説明しているのです。

正しい理解の仕方ではないかもしれないが、この立場は、例えば肉体は有るのかそれとも無いのかというような考え方をしているのではないということだとも言えそうです。
認識の対象の有無や本質、性質などを云々しているのではないのです。
認識の仕方そのものについて追求しているのだと思います。

29宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 00:33:11.15ID:fK9V61Py
ただし、大衆たちの想いのその殆どはただの盲目的な信仰であり、
ただ永遠でありたい(永遠に生きて欲しい)とするだけの願い(迷信)に過ぎないものでした。
やがてバラモン教が起こって、ゴータマ当時のバラモン司祭や行者たちの中には、自らアートマン(との合一)を自認する凄い者たちも出てきた。
しかし彼らでさえ、ゴータマから見れば、それらはただ誤認しているに過ぎないものだった(それがパーリ『梵網経』)。
つまり、ゴータマ的にいうと、それは「アートマンではないものアートマンとして見なしていた」のです。
ゴータマの説く輪廻基体であるところの識蘊(後の大乗が説くアーラヤ識)との合一を果たすと、行者は様々な驚異的な能力を発揮するのです。
しかし、これをアートマンとして誤認したままでいれば、遂に涅槃に到達することはないということ。
最終的に本当に難しいのは、自己存在は永久不滅であるということを“自覚すること”です。
それ以外のすべてが無常であり、苦を生ずるものであり、真実において価値の無いものです。
この自己が涅槃にあることを自覚する意識こそがアートマンに他ならない。
それ以外に、涅槃を涅槃であるとして覚知することはできないのだから
(何故なら、涅槃とは現象界の一切有為を超越したものだから)。

30宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 00:37:50.05ID:fK9V61Py
>>12
追記:

それと資料(根拠としてのソース、サイトや論文書籍の紹介と引用)
の提示は価値があり、必要かつ重要なことであるけれども、
しかし、最終的に相手(の心)に訴えるものはあくまでも自分自身の発する言葉だということ。

31宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 00:53:20.55ID:fK9V61Py
>>28
前段はいい...。
としても、

>認識の対象の有無や本質、性質などを云々しているのではないのです。

明らかに私からの問いからの逃げだな。
まっ、所詮は絶対に答えられないし、仏教信奉者にとっては答えたくない事柄なのだから。

涅槃でないものからの出離を覚知しているのは誰だと聞いているのに、
それには答えられないとは、...これ如何に?
「分からない」からではなくて、答えたくないのでしょう!

タイのテーラワーダ仏教僧プッタタート比丘は、
「涅槃をアートマンと呼んでも良いのだが、仏教では人格化を避けてこの表現を使わないのだ」と述べたらしいけれど、
同じ現存する伝統テーラワーダ僧侶でも、スマ長老とは随分と心の素直さが違うね。

32宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 01:06:54.37ID:fK9V61Py
>>25
追記:

>ゴータマが涅槃に入られてから100年以上を経過してから発生した部派仏教らが、
>勝手にゴータマが、「アートマンは無い」と説いたということにしたのです。
>このことは、学問的にほぼ確立した事実であり、すでに定説となっているのです。
>あらゆる工夫(これには工夫はいらなかったが)をして「バラモン・ヒンドゥーなどとは仏教は違うんだ」と必死に語る派が出てきた。

これ(部派の勝手)をゴータマの真実の教えだと信じた仏教徒たちは、
何度いって聞かせても、これがゴータマの教え(無我)なんだといって頑なに人の話を聞かず、
そして遂には、インドでは誰からも相手にされなくなって信者が絶えて滅んだ。
密教化とイスラムからの破壊などもあったが、信者が減少の一途をたどったのはこの間違った無我の理解に他ならない。
つまり、仏教界にとっては最も罪深いのがこの無我の誤解だった。
歴史的には、バラモン的アートマン論を知らない外国において仏教は栄えることができた。

33神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 01:12:26.71ID:NYT8OvrL

34神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 01:19:08.59ID:NYT8OvrL
>>31
お釈迦さまは我はアートマンによって涅槃を知覚したとか、死後アートマンが残るとか、そういうことは一度も口にはしなかったのです。
ヴァッチャ火経でも如来の死後について尋ねるヴァッチャにアートマンなる言葉は全く使いませんでした。



>「認識することによって「私がいる」と言うだけなのですが、その認識することができなくなったら(認識の流れが止まったら)そこに「私」はいるのでしょうか?
>「私」はどうなったのですか? 次の状態はどういう状態ですか? 何も説明できません。
>次の状態は認識できない状態ですから、何の言葉も、何の存在の次元も当てはまらないのです。
>どんな理屈でも考えられません。言語の世界も、体験の世界も、思考の世界も、すべて終わりです。」(スマナサーラ長老 ブッダの実践心理学 勝義諦4:涅槃は寂静)
https://samgha.co.jp/blog/%E3%80%8C%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E3%81%AE%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-%E7%89%B9%E5%88%A5%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%80%8E%E6%B6%85%E6%A7%83%EF%BC%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%90%E3%83%BC/

35神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 01:21:30.26ID:NYT8OvrL
>>25
>ゴータマは元々から、「アートマンは無い」などとはいったことがないのに
>(「アートマンはこの現象界では知覚されない。故にアートマンでないものをアートマンと誤認することなかれ」といっただけ)、
>ゴータマが涅槃に入られてから100年以上を経過してから発生した部派仏教らが、
>勝手にゴータマが、「アートマンは無い」と説いたということにしたのです。
>このことは、学問的にほぼ確立した事実であり、すでに定説となっているのです。

定説ではなく、中村元始めそう言ってる学者がいるというだけの話です。

36宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 01:33:08.44ID:fK9V61Py
>>33-34
ゴータマの説いたは、五蘊無我というものであり、それは「五蘊は無我ではない」といっただけ。
そして、「アートマンではないものをアートマンと見なすなかれ」です。
これを言い換えるならば、「アートマンをアートマンとして正しくみよ(体験せよ)!」となる。
ただ、ゴータマはアートマンについては教えを説くことがなかったのです。
アートマンの有無については答えずに沈黙した。つまり、無記の態度を採った。
その理由については明確に述べています。それは単に、誤解を受けたくないからであるとしており、
決して、「アートマンがないからである」という意味はそこにはない。
有為にアートマンがなかったとしても、無為であれば問題はない。

 『しかし上述の経には、「それ(五蘊)は私の我ではない」と言っているのみであるから、五蘊以外に「我」があると考えれば、問題は別になろう。
このように考えられた我は、いわゆる「離蘊の我」であるが、この教説には、この離蘊の我については、何も言っていない。その理由は、離蘊の
我は認識できないものだからである(注)。
-----------------------------------------------------
(注)離蘊の我については、ヤマカ比丘と舎利弗との問答が理解に資するであろう。「如来は死後に断滅して、何も残らない」と主張したヤマカに
対して、舎利弗が、「五蘊の中に如来があるか」「五蘊を離れて如来があるか」等と質問して、その邪見を捨てしめたのである。SN.vol.V,pp. 109-12.
南伝大蔵経、第14巻、174-78頁。『雑阿含』巻5、大正2、30下-31下。いまは細説を略するが、その趣意は、認識されないものについて、その有無
はいえないということである。したがって離蘊の我がないと、積極的に否定することは勿論できないことである。』
(『東洋思想5/平川 彰著「初期仏教の倫理」』東京大学出版会刊)

37宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 01:40:21.65ID:fK9V61Py
>>35
定説じゃないって?
これだけの錚々たるメンバー(著名学者)が殆ど完全同一の見解にあるというのに?
では、どうなら定説ということになるのか?
まっ、定説や永年の常識が覆るということは確かに在るが...

宗教上の迷信(伝統だからといって盲信すること)を打ち破るのが学問の役目です。
何故なら、本人たちにはできないから。

38おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 03:32:24.63ID:alY3NKGm
 
>>24 ID:yIp2CHvG師匠へ
ttp://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2017/02/03/050000
人は生まれながらに仏性を持っているのか
「あなたは優しい人間だけど……」とそこは認めて
それから直す、という(順番・段階がある)

中論 第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
勝義諦・世俗諦
この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう
現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない

それゆえに
チベット ゲルク派の
中観自立派を理解して
光り輝く照明から観照する
と導いて
そして
それから
中観帰謬派に導いていく
という順番・段階がある
という対機説法

39おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 03:55:20.06ID:alY3NKGm
ID:yIp2CHvG師匠へ
最終的には?
中観帰謬に導く
そのために

上座部 パオ・セヤドー
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/18/061429
通常は、四界分別観から始めなければなりません

そして
それから
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
第一禅定
五禅支の一番目
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを
呼吸の観察に戻す
思考している空間から → 別の空間に戻す

という順番・段階がある

根本仏典
上座部の場合は
少しずつ段階的に
止(サマタ禅定)
観(ヴィパッサナー智慧)の実践を進めていく

これも
解脱智見に導くための
(縁起している世界からの)解脱を知覚するための対機説法

40おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 04:25:52.29ID:alY3NKGm
 
ID:NYT8OvrL・ID:yIp2CHvG師匠へ
そして
宝珠殿へ
>自身の発する言葉

おじゃるは一応、上座部も肯定なので
ttps://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E
(自分の意見・見解も含めて
  縁起している世界を)
手放すこと スマナサーラ

そして一応 3.0として
ttp://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
曹洞宗 内山興正
(自分の意見・見解も含めて
  縁起している世界を手放して超える。そのために)
坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません

…ところが今
(自分の意見・見解も含めて
  縁起している世界を手放して超える。そのために)
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです
すなわち思いの手放しです
思いが
それをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう

41宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/13(日) 06:12:26.69ID:fK9V61Py
スマ長老がとても良いことを述べていたので、ここに紹介しておきます。
この部分の長老の言葉ならば、この私も同意します。
大乗のように「空」という言葉に踊らされていないところは、流石ではある。
この、“涅槃とは一切を超越した状態であり、涅槃を「空」ということはできない”という部分は特に大事な部分です。

 『それでは、一般の人々は困るので、「最高な幸福、最高な安らぎ、不死なる境地、一切の苦しみの終焉」などの言葉も使っています。それでも、理解
できるとは思えないのです。涅槃とは、一切の次元を超越した状態です。ある、存在する、という理解できる範囲を超越しています。それ以上、目指す
べきところはありません。
 我々は、有の世界にいるのです。有・有るということは、因縁によって現れた、変化生滅していく、一時的な現象の世界です。神の次元も、梵天の次元
も、有の世界です。有は、無常なのです。有に対立して、人間は「無」の状態も想像しますが、実感があるとは思えません。どちらかというと、虚無主義
に陥りやすい概念なのです。仏教の世界でも、「無」「空」という概念は人気があります。それは、虚無主義ではなく、我々が経験している現象の世界は、
実は実体のないものです、という意味です。この存在は、「空」というのです。しかし、涅槃は「空」だというと、正しくないのです。そうなると、輪廻も
涅槃も同じものになるのです。であるならば、修行しなくても、努力しなくても良いことになるのです。釈尊は、涅槃を anakkhâta (ineffable)表現不
可能だと説かれているので、涅槃を「空」とは言わないのです。しかし、「有」でもないのです。その境地は観念的なものではなく、経験できるものです。』
(『解脱は理解できない』) http://www.j-theravada.net/howa/howa125.html

42おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 09:50:44.84ID:alY3NKGm
>涅槃を「空」とは言わないのです
>しかし
>「有」でもないのです
>その境地は観念的なものではなく
>経験できるものです

どこの誰が
解脱を知覚して涅槃に住むのか?

仏そのものが
解脱して知覚して涅槃に住む

戒・定・慧・解脱・解脱智見
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧も慈悲も)

そして
それから
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html

さらに無の世界も超えて
「仏そのもの」の世界から
移り行く世界の様を
ありのまま見つめている

どこの誰が?
仏の世界の「仏そのもの」が → 縁起している世界を見てる
という対話がこれ↓
ttp://www.onedhamma.com/?p=5136
15/05/24 藤田一照:魚川祐司:山下良道
3.0のpodcast法話

43神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 10:31:41.09ID:LYg2pCPR
仏教の本質とは?

https://i.imgur.com/4lRyPEa.jpg

44神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 15:30:05.97ID:z9Cet1V/
>>41
やはりスマナサーラさんが言ってることは浄土真宗の僧侶ながら仏性や如来蔵や霊魂やもちろん真我も否定している小川一乗と大して変わらないのなw

真宗における空無我
http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/seminar5.pdf

45神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 17:30:20.53ID:zXyvVv30
>>31
解脱した修行完成者には主客はないから誰とかいう問いをすること自体がナンセンス。
これは仏教の基本中の基本。
涅槃や真理の世界はは言葉では表現できないとは主客とか分別とかから離れているからなのだよ。

46神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 18:03:58.64ID:S4q4eWmq
>仏教1.0 中国経由の日本の大乗(禅宗とか)
>仏教2.0 1990年代後半から日本に入って来たテーラワーダ(上座部、南方仏教)
>仏教3.0 両者の資産を活かしつつも両者の問題点を克服した仏教のあり方

このナンバリングは流石に、デタラメすぎるでしょ。
最初の仏教は原始仏教
次の仏教は部派仏教(その流れを汲む上座部仏教も)
その次の仏教は大乗仏教(江戸時代までの日本仏教も)

今は、マルクス主義張りの(自称)科学的仏教が日本の伝統仏教と言われている。
仏教を科学と主張しているテーラワーダも、あまり期待は出来ない。

日本仏教の勝者は、日蓮世界宗と化した創価学会と言うことが、認めたくない現実だよ。

47神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 18:18:40.72ID:S4q4eWmq
>>37
和辻や中村などの著名な仏教学者は、宗教としての仏教を理解できなかった。
彼らの意見を定説とした日本仏教は、もはや幸福の科学以下の存在。
そんな定説を有難っても、得られるものは無い。

48承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/13(日) 18:27:12.23ID:IVKusNqT
(^。^)まぁ、お前らみんなが伝聞だけで「宗教としての仏教」を体験してないんだから目くそ鼻くそなんだがな。(笑)

49神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 18:40:50.93ID:S4q4eWmq
>>48
×5chのみんなが目くそ鼻くそ
〇かなりの日本人が目くそ鼻くそ
近年はライトな信者が増えているけど、欧米とかではまだ半数以上が信者と認定できると思う。

50神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 19:18:49.81ID:wUcP64BQ
>>8
涅槃を認識している主体は誰だ?

という問いはウダーナ涅槃に関する経の第一の
>比丘たちよ、その場所(処)は存在する
のその場所とは何処のことだ?
という問いと同じくらいの愚問。

51神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 19:21:20.12ID:wUcP64BQ
>>46
創価学会の信者は宿命転換のカルマ落としのために熱心に布教(折伏大いにあり)するからね
伝統宗教は檀家制度に甘んじて布教には熱心ではないから

52神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 19:50:12.28ID:MZ5gmeux
経験論から導かれる答えが、非我ではなく無我なんだよ。   >>宝珠

53神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 19:54:51.10ID:MZ5gmeux
勿論、
仏教に於ける答えは、お釈迦さんの経験に依っているし、
それ以外の出発点・起点はない。

54神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 19:57:01.37ID:MZ5gmeux
「涅槃なるもの」
 涅槃(nibbAna)とは、煩悩の消えた(nir-√vA)状態、あるいは煩悩を離れた(nir-√vR)状態を言います。
具体的には、最上の悟りを得た人である阿羅漢の境地を指し、貪・瞋・痴の滅尽(khaya)という、
いわば三毒のない状態であるとされます。また涅槃は、「不死」(amata)、「不生」(ajAta)とも呼ばれますが、
それは、阿羅漢には、煩悩が断たれ、
もはや【渇愛(taNhA)・邪見(diTThi)に満ちた凡夫として】【生まれることも死ぬこともない】、
つまり業(kamma)による生死の輪廻(saMsAra)がないという意味です。これに関連して原始仏典に、
煩悩のある一般的な凡夫の死を「死ぬ」(marati)「時を作る」(kAlaM karoti)と表現するのに対し、
阿羅漢の場合には「入滅する」(parinibbAyati)「時を待つ」(kAlaM kaNkhati)とし、
はっきり両者を区別していることが注意されます。
それは、仏や阿羅漢は、身心が滅びても、死ぬことがない、
それゆえ仏教には「仏の死」とか「阿羅漢の死」という言葉は存在しないということです。
 涅槃の状態は、「有余依」(saupAdisesa)と「無余依」(anupAdisesa)の二種によって説かれることもありますが、
それは、身心の有る涅槃か身心のない涅槃か、
つまり「煩悩の滅尽」か「蘊(煩悩の素因)の滅尽」かを区別しただけのものです。
後者は前者の単なる帰結に過ぎません。
これを、後者に重きを置き、真の涅槃は死後にあるとして、涅槃を死と結びつけるならば大きな誤りになります。
【涅槃は死に関わらぬものです】。その意義は、あくまでも、
【この世で、戒・定・慧の実践によって獲得される】【「煩悩の滅尽」に、目覚めた者の境地にこそ】あるはずです。
その意味でまた、成道について言われる「涅槃」(nibbAna)と入滅について言われる「般涅槃」(parinibbAna)とは、
言葉の使用において明確に区別される必要がありましょう。
なお涅槃は、縁によって生じない無為のものであり、【勝義的には】【常住】、【寂静】、【無我】のものでありますから、
【いわゆる絶対的な我としてのアートマンと同一視されることはありえません】。

(季刊原始仏教第5巻(平成5年四月八日発行)P.143) ※(【 】は、重要と思われる部分に引用者が挿入。)

55神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 20:00:47.09ID:S4q4eWmq
>>51
そりゃ商売でもない限り、信じてもいないことを布教する馬鹿はいないからな。
そして伝統仏教は、商売者と、外道と、馬鹿学者の溜まり場になった。

56おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 20:02:23.60ID:alY3NKGm
>>44のリンク先

空の世界観と浄土真宗

…二種深信(特に機の深信)の徹底は
結果として
空の世界観が志向するものと一致する

二種深信
一には決定して深く
自身は現にこれ罪悪生死の凡夫
曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して
出離の縁あることなしと信ず(機の深信)

二には決定して深く
かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと
疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず(法の深信)
  _  _  _

「法の深信」の方はともかくとして
迷いの生死を出る手掛かりがまったくない「機の深信」の方は

誰もが成仏するわけではない(五性各別)という感じもするけど?
どうなのかしらん?

57神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 20:10:53.03ID:wUcP64BQ
>>41
>しかし、涅槃は「空」だというと、正しくないのです。そうなると、輪廻も涅槃も同じものになるのです。

●維摩経

善意菩薩
「生死(輪廻)と涅槃は対立しています。
もし生死の本性を見れば、本来生死なく束縛するものもなく、解脱もなく生滅もありません。
このように得心するならば、これが不二法門に入ることです」はは
→生死即涅槃

維摩
色々な菩薩の不二法門意見発表を聞いて最後に維摩の意見を求められた時に沈黙を返答とする(維摩の一黙雷)。
「真理は言説をはなれている」を表現したとされる。

●中論

「輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない」(p.387)

58神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 20:28:31.46ID:S4q4eWmq
少なくとも宗教を謳うのなら、体系的に完結している必要がある。
そうでないと、信者が混乱するからね。
「涅槃」みたいな大意で争いがおこるようなら、創価学会みたいに
釈迦ごと切り捨てた方が、人々を幸せにできるんじゃない。
それか、「仏教」と言う呼称を「仏クイズ」とか「仏パズル」に
変えたら、間違えたり、混乱する人が少なくなって良い。

59おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 20:36:22.03ID:alY3NKGm
 
>>57
中論
第二十五章 ニルヴァーナ(涅槃)の考察
涅槃の終わりがどこまでであるにせよ
それは輪廻にある存在の終わりである
(涅槃と輪廻の)両者の間にはわずかな違いも
最も微細な違いすらも存在しない
(勝義諦としては、これで良いかもしれないけど)

それでも、とりあえず世俗諦としては
第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
勝義諦・世俗諦
この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう

現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない

60おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 20:48:49.27ID:alY3NKGm
 
>>59の訂正と、お詫び

涅槃がある。という『想い』の終わりがどこまでであるにせよ
それは輪廻にある存在の『想い』の終わりである
両者の間の『想い』にはわずかな違いも
最も微細な違いすらも存在しない

これなら
仮設としての
固執が現れ滅している
おじゃるにも意味がわかる場合もあるかもしれない

ということで訂正して、お詫び申し上げます スマソ m(_ _)m

61神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 21:03:30.14ID:S4q4eWmq
      自我  世界
原始仏教 無   n/a=無記
部派仏教 無   有 
大乗仏教 無   空=無

正しい正しくないの問題でなく、どの宗派を信仰しているのかで想いも答えも決まる。
科学でなく、信仰で正解が決まるのなら、最も信者の多い宗派の所属者が正解となる。

62ポッタン師2018/05/13(日) 21:06:10.55ID:NmPi7fRY
多数決で決めるバカが多い。

63おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/13(日) 21:41:27.75ID:alY3NKGm
 
>>61
      自我  世界
原始仏教 無   n/a=無記

スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ…

拡大解釈をすれば

仮設としての
有為法している世界の中で
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明薫習に依存して
無明の暗闇に覆われている → 頭

スッタニパータ 21
…彼岸(涅槃)に到着している

涅槃の世界
無為法の世界

という解釈もできるかもしれない

64神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 22:57:42.04ID:NYT8OvrL
 無我という場合の「我」とは、最初にお話ししたアートマン(ātman)のことです。
それは永遠不滅で、これが人間だと言えるような、絶対に変わらない、確固とした実体、言い換えれば、私たるもの、私と言えるべき芯のようなものです。
そのような「我」=アートマンなど存在しない、というのが「無我」の意味です。
 無我とは、ある意味では哲学的な言葉です。霊魂・魂・アートマンといったものは、一部の宗教家たちが頭の中でごちゃごちゃと考え、妄想を膨らませてつくり出した形而上学的な概念です。
 それが、絶対神ブラフマンと真我・個我に関する話です。
つまり、宇宙を成り立たせている根本原理・万有に遍在する力は絶対的な神ブラフマン(梵)であり、各個人は小宇宙であるとともに
個体それぞれの純粋な本性は永遠不滅の魂アートマン(真我)であって、アートマン(真我)の中にブラフマン(梵)は実在する が、
ありのままの魂(個我)はブラフマン(梵)と同一ではなく、自己の本体であるアートマン(真我)を理解して個我を真我へと高めることで
宇宙の原理であるブラフマン(梵)と個人の本体たるアートマン(真我)を合一させることができる…… といった、わけがわからない話なのです。
 ですから、 無視してしまってかまいません。
 しかし、真理を発見できなかった思想家・宗教家たちは、永遠不滅の実体(我、アートマン)が有ると固く信じて、論じていました。
だからお釈迦さまは、それに応えて、「我は無い」と語ったのです。このようにお釈迦さまは、世の中の質問に答えただけです。
世の中が、あまりにも「我が有る」と言うので、「いいえ、無いです」と言っただけの話です。
 ですから仏教の立場は、 有我論でも無我論でもありません。あえて「無我論」を語る必要はないのです。

65神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 22:58:37.05ID:NYT8OvrL
 それを、大乗仏教の「空」思想のように、説明概念を極限まで敷衍して哲学や思想体系をつくることには、お釈迦さまは反対の立場です。
なぜかといえば、論があると異論も成り立って争論になり、時間を無駄にするからです。大切なのは、一日も早く清らかな心をつくることです。
 実際、「空」の思想体系をつくったナーガールジュナ(龍樹)は、輪廻も解脱も涅槃も空の立場から観ると成り立たない、と語ってしまったのです。
当然、修行も成り立たない。ブッダの教えをしっかりした思想体系として構築しようとしたところが、あえて修行する必要はない印象を与えてしまった。
仏教に命を吹き込む努力が、命を吸い上げる結果になった。
努力はしましたが、この問題を解決するすることは、偉大なるナーガールジュナにもできなかったのです。
 初期仏教では、苦・無常・無我・空は、ほとんど同じ意味で使います。
ただ、「空」は虚無主義と間違える可能性があるので、パーリ聖典ではとりたてて強調していません。
 ただ、変わらない実体が無いからこそ、因縁によって森羅万象が変化していくことははっきりと説かなければなりません。
 お釈迦さまは無我を発見するためではなく、苦しみをなくすために修行したのです。そこで、因果法則を発見されたのです。

アルボムッレ・スマナサーラ. 無我の見方(サンガ新書): 「私」から自由になる生き方

66神も仏も名無しさん2018/05/13(日) 23:58:31.05ID:MZ5gmeux
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1513948234/748
748 123師 ▼ 2018/05/13(日) 21:03:57.59 0 [0回目]
多数決で決めるバカが多い。
釈迦のバカ弟子が作ったバカお経を信じるバカが多い。

>>62

67神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 00:57:03.51ID:ZihXhpJL
>>59
そのレスは全文同意
スマナサーラさんも龍樹(や道元)はかなり勉強したそうで中論24章も当然熟読していることと思いますよ
それでも龍樹に敬意を払いつつ涅槃や解脱も空にすると勝義のみが尊重されて四諦による修行の必要性が不要になるという危惧感からそれはいけないとした
これはスマナサーラさんの方便品ですかね!?
中論24章を紹介しても分からない人には分からないだろうと思って触れなかったのかもしれません

68神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 01:40:55.39ID:BSncRpuF
日本の皆様にもよく知られている『スッタニパータ』にも「世界を空として観なさい」と説かれている経典が載っています(Sn. 1 116 モーガラージャ経) 。
Mogharaja (モーガラ-ジャ)というたいへん智慧のある行者がお釈迦さまと対話をした記録です。

(モーガラージャさんが尋ねました。)
尊師に二度問い尋ねたが、眼ある方はお答えにならなかった。
三度目に問い尋ねると、仙人は返事をすると聞きました。
梵天、神々を含む、この世、あの世、に対する、偉大なるゴータマの見解を世は知らない。
かくも優れた智慧ある方に、お尋ねいたします。
世をいかに観察すると、死王を見ずに済みますか。
(釈尊が答えました。)
常に気づきを持ち、世は空としてみなして我見を取り除く。
かように世を観察すれば、死王を見ずに済む。

モーガラージャさんは、「どのように世間を観るならば、死を乗り越えられるのか」と質問しますが、それは「死なないでいたい」という意味ではありません。
「生きる苦しみを乗り越えて真理に達するために、私はこの世をどのように観察すべきか。どんな立場で観るべきか」ということです。
釈尊は、「常に気づきを持って(sato サトー) 、この世を空として観察しなさい」
と答えます。sati サティ 気づき、観察瞑想をしてありのまま観察して、1気づいてみると、「世の中は空 sunna スンニャである」と観えるはずなのです。
そのように観てください、と。
そうなってくると、自我という邪見が、「自分がいるんだぞ」という邪見がなくなる。
それで死を乗り越えたことになるのです。
輪廻転生の苦しみの世界を超えて、解脱に至るのす。

69神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 01:47:30.85ID:BSncRpuF
「世を観察する」という言葉の意味は、いきなりはわからないかもしれません。
仏教でいう「世 lolak ローカ」は、物理的な世界り、一切生命のことをいうのです。
釈尊が「一切生命を空とみなしてください」と言うのは、「実体たる自我がない」と発見するためです。
これはパーリ経典のなかでも、最も古いところで出てくる教えです。
「生命は空である」と分析すると、色受想行識の五蘊でできているものが生命なので、「五蘊には実体がないから空である」ということがわかるのです。
生きるとは何かといえば、眼耳鼻舌身意で認識することであって、それも実体がない。空である。そういう空論です。
空の観察(空観)は初期仏教からあった考え方で、べつに大乗仏教が発見したわけではないのです。
ただ初期仏教における「空」は、一切現象の無常·苦·無我を観察するもうひとつの観察の仕方なのです。


アルボムッレ・スマナサーラ 般若心経は間違い?

70おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/14(月) 04:03:40.55ID:N3AO8EkB
>>67 ID:ZihXhpJL師匠へ

↓ 注意して読んで

中論
第十八章 自己と実在物の考察
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは
(根本仏典・上座部系の)
「空性である」という観察によって消滅する

第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の停止は
(根本仏典・上座部系の)
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである

青目(ピンガラ)の中論 觀法品 第十八
(根本仏典・上座部系の)
八正道を修習しながら
我と我所との因縁(生処)を滅すれば
無我や無我所という決定した
智慧を得るだろう

諸の禅定の中で、滅尽定が第一

71おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/14(月) 04:27:15.17ID:N3AO8EkB
 
>>70の続き

(根本仏典・上座部系の)
ttp://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta3.html
非想非非想を手放して超えて → 想受滅

ttps://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
長部経典 第9経 ポッタパーダ経(心作用の消滅)

意思せず、また意思活動をしない
それら諸々の想はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想も生起することがない
滅に触れる
このようにして順々の正知による『想滅定が生起する』

根本仏典・上座部も
大乗の中論も
(根本仏典・上座部系の)
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じる
という対機説法

何が生じるのか?
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
上座部 パオ・セヤドー
智慧の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてくる >>23を参照

72神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 04:56:36.91ID:E7UEjDEc
>>68
『スッタニパータ』=数多有る仏典の一つ、作られた、残された仏典の中では最古のものであると言われているが、
釈迦の時代まで遡る者かのかは不明である。
スマナサーラが空に言及しているのは、それが上座部仏教的に正しいからではなく、日本で布教するための方便。
それを真に受けても、馬鹿を見るだけ。

73神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 05:06:17.61ID:E7UEjDEc
「根本仏典・上座部系の」→これも間違い、wikiにも書かれている

根本仏典:存在しない
説一切有部:部派仏教の最大派
分別説部:部派仏教の一派、南伝仏教の源流と言われている

74おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/14(月) 07:06:40.46ID:N3AO8EkB
 
ID:ZihXhpJL師匠へ

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/?page=1442018163
上座部 パオ・セヤドー
『自らの清浄なる』によって実現します

ブッダの本体、色も形もない真実そのものの
『仏そのものからの清浄なる』によって…

ttp://www.onedhamma.com/?p=6618
18/05/13
「分別」をマインドフルネスによって離れることが証であり、不戯論

ttp://www.dogen-shobogenzo.com/hachidainingaku3.html
八大人覚
(根本仏典・上座部系の)
正念

ttp://www.j-theravada.net/pali/key-ariya-attangika-magga.html
初期仏教の世界
八正道

正念 − サンマー・サティ
正定 − サンマー・サマーディ

75おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/14(月) 07:27:28.55ID:N3AO8EkB
 
>根本仏典:存在しない

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
大乗のみならず
パーリ経典も編纂されたものである
最古の経典も編纂とみなされている
近代の文献学上は
原始経典さえも釈迦の言説が記録されているか否か明らかでない

それでも、とりあえず
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF
スッタニパータ
がもっとも古い経典かもしれない

という
涅槃に導くための対機説法でつ

ヒンドゥー
釈迦
(とりあえずの)根本仏典
上座部
大乗
瑜伽行派
密教

肯定派でつ一応、念のため…

76基地子菩薩2018/05/14(月) 10:23:31.30ID:i3+ZWqFC
釈迦が入滅した時点で

釈迦仏教は消滅したにゃん♪

今に伝わる仏教は釈迦の教え

とは似て非なる物と心得るにゃん♪

南無南無 人( ´•ω•` )

77神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 10:33:50.96ID:BSncRpuF
>>72
タイの上座部の高僧(一説には阿羅漢)の
アーチャン・チャー「無常の教え−手放す生き方2 苦しみの終焉」(3)

●世間の人々は幸せになることを望む。彼らは苦しみを望まない。だが「ニッバーナ(nibbana涅槃)」とは、望むこと・望まないことを「超えたもの」だ。

●ブッダは「空を理解する者を、死王は追うことができない」と言った。空を理解したとき、死は私たちに影響を及ぼすことはできない。なぜなら、そのとき「私たち」というものは存在しないから。

●ブッダは私たちに「我見」(自己という実体があると信じること)を取り除くことを説いた。
もし、我というものが施説(暫定的な概念)にすぎず、本当は無我なのだということを理解したのなら、私たちの問題は終わる。
http://samten.seesaa.net/article/446643678.html

78宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 12:59:06.42ID:87epkHEE
>>52
>経験論から導かれる答えが、非我ではなく無我なんだよ。

それはあなたが唯物論者だから、
勝手に自分の都合のいいように解釈してるだけです。

確かに、ゴータマは自らの経験に基づいて、
この現象界(有為)においてはアートマンは知覚されないとは述べたものと思う。
けれども、それは現象界(有為)を超越した世界であれば話はまた別となる。
ゴータマは現象界を超越した恒常なる世界があることを説いた。
そして、アートマンについては自ら体験しなさいということなのであって、
「無い」などとは一度も述べたことがない。アートマンの有無についてのゴータマの態度というのは無記だということ。
それをあなた方が勝手に、現象界において確認できないということは、つまりは「無い」(結局は無い)ということなんだと結論付けているわけだ。
そこが唯物論者の間違った勝手な論理だというのです。
そして、この判断の在り方が部派による誤解した無我の理解と酷似してるということ。

79宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 13:01:18.28ID:87epkHEE
>>53-54
>なお涅槃は、縁によって生じない無為のものであり、

こういう部分はとても良いのに...

>【勝義的には】【常住】、【寂静】、【無我】のものでありますから、

と、これに続く部分においては、「常住」と「無我」とを結び付けてしまうという愚を犯している。
こういった混乱してるものを教科書にしてる限りは、いつまで経っても正しい理解を得ることはできないでしょう。

何だか...
世界的な権威である中村 元氏に対する批判的な意見すら上がっていますけれど、
駒沢大学でセブンたちに講義していた奈良康明教授は中村氏の一番弟子でしょうよ!
その奈良教授がTV(NHK)の中でなんて解説してましたか?

80宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 13:05:39.82ID:87epkHEE
『草柳:  色(受想行識)は無常である。無常なるものは苦である。
苦なるものは無我である。無我であるものは「私のもの」ではない。
「私」でもない。「私の本質」でもない。
正しい智慧をもって、この道理を如実に観察しなくてはならない。
(「サンユッタ・ニカーヤ」)

奈良:  ここにも先ほどと同じ「色受想行識」と「五蘊(ごうん)」というものが、一つの無常の例として挙げられておりまして、括弧の中に、
「受想行識」とありますのは、経典は、まず「色」は無常である。無常なるものは苦である、と説きだして、それから次に「受」は無常であ
る云々と。その一つひとつについて述べるわけですね。

草柳:  ここは、例えば無常なものは苦である。苦なるものは無我である。何故苦なるものが無我なのか。無常なるものというのは何故苦な
のか。その辺のところはどういうふうに。

81宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 13:13:26.93ID:87epkHEE
奈良:  実は「無常なるものは苦で、苦なるものは無我である」と。実はこれ「原始仏典」で有名な言葉の一つの言葉なんです。その「無常
なるものが苦である」という意味は、比較的分かりいいと思いますね。今もちょっとお話が出ましたけれども、私どもはいつも良いもの、好ま
しいものは、常なるものとしたいんですから、それがすべては無常ですからガラガラ変わっていってしまう。自分のものとして握りしめていた
ものが抜けていってしまいますので、それは苦である、と。これはその通りでわかるんですね。苦なるものは無我である、とこういうんですけ
れども、実はこの「無常、苦、無我」というのは、本来はそれぞれ別個に、仏教でいろいろに説かれてきた考え方なんですけど、これはそれを
一応三つ並べちゃった面がございまして、それほど綺麗に論理的に並んでいるものじゃないんですね。「苦なるものが無我である」という時に、
むしろこれを解釈とすれば、もう一回「無常なるものは苦である」。もう一つ無常というのをそこで繰り返しまして、「無常なるものは無我であ
る」というふうにみた方が、私は分かりいいと思うんですね。

82宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 13:30:25.45ID:87epkHEE
つまり私どもは命でも何でも永遠に持ちこたえたい、と思います。それが無常ですからできない。ということは、この前の第一回の時にいろい
ろ話が出たんですけれども、命だろうと、何だろうと、これは私ですよ、とか、私のものですよ、と、持ち続けることはできない。だから「非
我である。無我である」と、こういう意味でありますからね。事実、実は仏典の中には、今の三つの言葉の「無常なるものは苦なり、苦なるも
のは無我である」。その「苦なるものは無我である」ということの中間に、「苦なるものは移り変わるものである」という言葉が入っている例が
非常に多いんです。ということは、なんのことはない、「無常なるものは苦である。苦なるものは無常である」と言い直しまして、「無常なるも
の、無常だからこそ、無我なんだ」というふうに、説明を付け加えている例がたくさんございますのでね。ここのところは、いろいろ解釈して
は難しい面があるんですけれども、「無常と苦と無我」というものが、こう論理的に、こういうふうに起こってくるというよりは、「無常」とか、
「苦」とか、「無我」という言葉の意味を、一つの関連するものとして受け止めておいた方がわかりいいと、私は思いますですね。』
 (『原始仏典をよむA』NHK教育テレビ「こころの時代」平成三年五月十六日放送
  駒沢大学教授 奈良 康明 ききて 草柳 隆三)

83宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 13:33:19.77ID:87epkHEE
上記(サイトリンクは旨くでなかったので省略)の押さておくべき重要ポイントと、
そこから導き出される当然の理解は、必然的にこうなるということ。

「無常なるものが苦」であり、「苦なるものが無我」。
であるから、「無我であるものは私のものではない」。
(苦は、私でないものを私であると誤認する結果であり、
私のものでないものを私のものであると同一認する結果として生ずる)。
ということは、つまり、恒常なるものが苦からの離別であり、
無我からの出離こそが涅槃であるということが理解されるのです。
「空」というのは、無我空といって無我と同義ですから、涅槃が空である筈もないのです。
従って、無我(の境地)を求めるだの涅槃が無我だのというのは在り得ないこと。
だから、そういったものはすべて仏教(原始仏教の理解)の根本的な基本のすべてが間違ってる人たちの話です。

苦は私でないものとの同一認の結果ですから、
苦から永遠に解放される世界であるところの涅槃とは、
当然、真実の自己(私の本質)との同一認のこと以外にはないのです。

それがつまり、真我(アートマン)でしょう。

84宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 13:39:56.07ID:87epkHEE
なんだか...

「空」をまるで素晴らしいものであるかのように見ている人がいたら、それは大間違い。
「空」は理解すべきものであり、現象界が空であることを体感することは一つの重要な境地ではあるのですが、
「空」そのものというのは素晴らしいどころか、その真逆に価値がまったく無いもののことをいうのです。
無価値であり、脱すべき世界が「空」だということ。

こういう勘違い者の殆どは大乗徒が多い。

85宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 13:52:39.28ID:87epkHEE
>「無常なるものは無我である」というふうにみた方が、私は分かりいいと思うんですね。(>>81)

おっと、これがまたとても良い言葉なのでしたね!!!
ということは、要するに“恒常(非無常)である涅槃は無我ではない”となる。
涅槃が無我ではない境地だということは、
それはつまり、我が在るということに他ならない。

はい、以上にて論決しました。

86神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 14:06:35.21ID:BSncRpuF
こうまとめてもよいでしょう。
行..因縁によって起こる現象
法..涅槃も含むすべて
「法」と言えば、「涅槃」も「ウサギの角」も「亀の毛」も「空華(虚空に浮かぶ実在しない花。凡夫が、実体の無い存在を実体が有るかのように誤ることのたとえ) 」も全部入っています。
それらはすべてが無我です。
ですから、涅槃もまた無我なのです。
「涅槃もまた無我」と言うと、誤解するでしょう。
仏教では究極の幸福の境地として涅槃を説かれています。
無我を発見していない一般の方々は、涅槃の境地に達したら永遠の幸福の命を獲得したようなものだと推測します。
しかし、涅槃という境地は、認識概念では説明不可能です。
すべての概念は現象の世界を指しています。
現象を乗り越えた世界に対して、言葉も概念もありません。
強いて言えば、生き続けることは苦であり、それを乗り越えられたならば、幸福である、という程度の話です。
最初から自我はなかったのです。
自我があるとは人間の錯覚·幻覚です。
覚りに達する人には、自我の錯覚が消えます。
幻覚が無くなるのです。それだけです。
覚った人に、今までなかったアートマン (自我)が突然現れるはずはないのです。
涅槃も無我です。
ですから、諸行無常で諸法無我なのです。

(無我の見方 (「私」から自由になる生き方) アルボムッレ・スマナサーラ)

87神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 14:12:48.30ID:BSncRpuF
ブッダは私たちに我見(自己という実体があると信じること)を取り除くことを説いたのです。
もし、我というものは施設(暫定的な概念)にすぎず、本当は無我なのだということを理解したのなら、私たちの問題は終わります。
より正確に言うなら、問題が終わったというより、解決法が必要なくなったのです。

自らの身体が空であると知るとき、私たちはその中に住することなく、死王は私たちを捕らえることはできません。
私たちはもはや死なないのです!違いますか?
「私たち」というもの、我(アッタン)が存在しないとき、私たちは死なないのです。

存在するのは、ただこの五蘊のみなのです。
「人」というものは、本当はどこにも存在しません。
人とは、単に地(パダヴィー)、水(アーポ)、火(テージョ)、風(ワーヨ)のあつまったものにすぎません。
これら四大のあつまりを、施設(パンニャッティ)として「人」と呼んでいるのです。
ブッダは、無我(アナッター)を説きました。
けれども、この無我についての話を聞くときには、どうか注意をして聞くようにしてください。
この無我という言葉の本当の意味は、私たちの世界のどこに「人」というものが存在するのか?ということなのです。

アーチャン・チャー
https://twitter.com/AjahnChahBot

88おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/14(月) 14:44:58.93ID:N3AO8EkB
 
>>84
>「空」をまるで素晴らしいものであるかのように

仮設としての
縁起している
空性の世界を手放して超えて → 涅槃

どこの誰が?
仏そのものが
解脱を知覚して涅槃に住む

真理そのものとしてのブッダの本体、色も形もない真実そのもの
法性身

ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
無明滅 → 行滅 → 識滅 → 苦しい。という『想い』も滅する

どのように無明滅するのか?

仮設としての
縁起している
空性の世界を手放して超えて → 涅槃(無明滅)

89宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 14:46:32.04ID:87epkHEE
>>86-87
必死だな...。

あなた方は確かに、
永々とした気の遠くなるほどの時間における伝統を大切に受け継いできた。
そのことは私は高い評価に値するものと思う。
けれども、それは部派の教義、部派に拠って創られた教義だった。
ゴータマの教えではない(これを含むけれど)。

対する近代仏教学の研究というのは、
あくまでも原点(本来のゴータマを求めて)を追及している。
その研究成果があなた方との決定的な差となっている。

90神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 15:04:04.97ID:QoxKUE/D

91神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 15:20:59.67ID:FbbgkWVe
>>84
勘違いというか大乗仏教の権威である龍樹が空思想を構築し、著書中論の中で「空」を第一義諦・勝義諦(最高の真理)としているということ
中論二十四章でそう説かれている

空という第一義諦においては輪廻とニルヴァーナには区別は何一つない(中論二十五章)
また空においては我も無我もない(中論十八章)
輪廻とかニルヴァーナとか我とか無我とかは仮であり現象世界のための言葉であり衆生を第一義諦に導く方便であり世俗諦である

この龍樹の空思想は中村元や石飛道子などの仏教学者に賞賛されていたはず

92junkie- ooyama2018/05/14(月) 15:44:11.96ID:nchKkuOT
> 要するに“恒常(非無常)である涅槃は
> 無我ではない”となる。

涅槃は常住って聞いた事がある。
涅槃が恒常って聞いた事はない。

涅槃は無為じゃないのかなぁ?
無為=恒常なの?

あっ、ボヤキなんでスルーして下さい。

93junkie- ooyama2018/05/14(月) 15:59:47.42ID:nchKkuOT
> 苦は、私でないものを私であると
> 誤認する結果であり、
> (中略)
> ということは、つまり、恒常なる
> ものが苦からの離別であり、

私でないものとは、恒常でない仮構された私(無我)だよね。
私であると錯誤するのは、私を恒常されたものと認識する事だよね。

つまり、恒常であるという錯誤からの離別が、苦からの離別だよね。

あっ、呟きです、スルーで。

94宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/14(月) 16:17:30.76ID:87epkHEE
>>91
彼らとてパーフェクトではない。
私は「中論」には価値を見ないのでね。
何故なら、内容が仏典(ゴータマの教え)とはまったく異なるから。

ゴータマの教えは世俗諦であり、
そうでなければ人々の役には立たないから。
役に立たないもの(勝義諦/中論)は結果的には価値が無い。
役に立たないダンヤモンドと、
実際に役に立つガラスとではどちらに価値があるか?

95神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 16:32:27.66ID:HNA0BHnb
>>94
その話も中論二十四章でしているでしょうに

>ゴータマの教えは世俗諦であり、
>そうでなければ人々の役には立たないから。
>役に立たないもの(勝義諦/中論)は結果的には価値が無い。
>役に立たないダンヤモンドと、
>実際に役に立つガラスとではどちらに価値があるか?

96神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 16:44:40.12ID:E7UEjDEc
>役に立たないダンヤモンドと、
>実際に役に立つガラスとではどちらに価値があるか?

役に立たないダイヤモンド→日本の伝統仏教
実際に役に立つガラス→(日本では)創価学会の教え
当然、こうなるよな。

役立たずの学問仏教を押しているようだが、
この結果は自分も賛成する。

97神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 16:58:54.43ID:E7UEjDEc
>>87
>自らの身体が空であると知るとき、私たちはその中に住することなく、死王は私たちを捕らえることはできません。
>私たちはもはや死なないのです!違いますか?
>「私たち」というもの、我(アッタン)が存在しないとき、私たちは死なないのです。

ほんとうに、釈迦がこんな事言ったと思ってる?

実際は、こんな感じでしょ。
「執着から離脱できれば、死は怖くなくなる。
しかし、人は仙人ではなく、仙人にもなれない。」

98神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 18:14:55.27ID:rPylhcVZ
>>94
>役に立たないもの(勝義諦/中論)は結果的には価値が無い。

君のように自分の信条に都合のいい学者の意見や仏典でも都合のいい箇所を引用してはアートマンの有無とかについて戯論を並び立てる人にこそ中論は価値がある
言葉への執着を断つことができるからな

99神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 21:13:13.53ID:HM43+juO
>>85
>ということは 云々


なんという短絡思考wwwww

奈良さんの授業は、単位関係なしに網羅してるから、
奈良さんのスタンスは、多分君よりも遥かに理解してる自負はあるよ。

また、片山さんをディスれるほど(片山さん以上に)貴方が仏典を読めているとは到底思えないw >>79
片山さんはビルマの長老方との繋がり深いぜ?




というか、君の「涅槃論」が【歪】であることの論証もきっちりしてあげた筈だがねぇ・・・  ┐(´ー‘)┌

100神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 21:18:27.93ID:QRafp8cM
奈良:この場合、涅槃(ニルヴァーナ)というのは、「心の安らぎ」という意味で、とってよろしいと思うんですね。
教学的に難しいことを言えば、いろいろ出てくるんですけれども、心の安らぎと言いましても、決して老とか死というものを、嫌だ嫌だ、と言っていたわけですから、それが綺麗になくなっちゃうわけじゃないんですね。
そうじゃなくて人生生きておりますから、いろんなことがあるに違いない。
死にたくない、というのもございます。「歳を取って嫌ですね」というのもむろんございます。
ただそうしたことが感覚としてはありながら、それをカチッと受け止めながら、しかしそれに振り回されずに乗り越えていくところに、心の安心を得るという。
よく言われる言葉を使うならば、その意味で安心して悩めみたいな言い方がよくあるんですけれども、
むしろ悩みは悩みとして、物理的な悩みは消えないんですから、それを乗り越えるところに安心を得なさい、という、そういう意味での涅槃です。
 
草柳:そうすると、涅槃というと、つまり彼岸の、あちら側の世界のことではなくて、つまり生きていくプロセスの中で、そういう安心立命、安心の境地というか、心の平安を保っていくと。
そのことを言っているわけですね。
 
奈良:そういうふうにみるべきだと思うんですね。
ですから涅槃というのは、何かある一定の時に、パッと何か精神が開けて、確かに一つの直感があって、なるほど、と思うことが当然ありますけれども、
むしろ大切なことは、その一瞬にわかったというだけではなくて、それが有ろうと無かろうと、常にいろんなことにぶつかるたんびに、
例えば今日のテーマの脈絡で言うならば、無常なるものは無常と見、無我なるものは無我と明らかに受け止める毎日毎日のプロセス、そのプロセスの中に心の安心という涅槃が現成(げんじょう)していく。
そういうふうにみるべきだと思うんですね。

101神も仏も名無しさん2018/05/14(月) 21:19:18.68ID:QRafp8cM
>>100より
奈良さん草柳さんはあるがままを受け止めることが涅槃への道であり涅槃に到達してもそれは変わらないと。
決して涅槃では真我が実現するとか言ってるわけではない。

>>80-83の涅槃に関係しない対話から言質を勝手にとって涅槃とはこういうところに違いないと言われても2人とも面食らうだろう。
こういうのは個人の言葉遊びの範疇に止めるべき
「当然」だとかこれが真説だというようないうような言い回しはしないほうがいい

102パーピマン2018/05/14(月) 21:47:47.22ID:RH0k9i8M
また、宝珠が・・www

「涅槃」というのは、あくまでも覚者の心的状態を指して言う語。

苦を滅した心的状態をいうのであって、真我など関係ないし、どこやらにある場所とも関係ないw

103パーピマン2018/05/14(月) 21:57:51.30ID:RH0k9i8M
>セブン

ちと聞くんだが・・・・

現在の臨済宗って、碧巌録の扱いってどうなの?
圜悟克勤は、馬祖的な文字禅否定して、公案に対するスタンスがかなり変わったじゃん?w

ああいう姿勢を是としているのかな?

それとも、唐代のように、それぞれの公案の「意味解釈」中心なの?

104おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/15(火) 02:58:05.76ID:fMnuKm90
 
↓難しくて意味がわからないけどとりあえず

馬祖の思想
経典や観心によらずに
日常生活の中に悟りがある大機大用の禅を説き
「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)
「即心即仏」など一言で悟りを表す数多くの名言を残している
また
相手に合わせて教え方を変える対機説法(たいきせっぽう)を始め
これによって多彩な弟子を育てる

ttp://d.hatena.ne.jp/deku_dec/20151229/p1
禅思想史講義 - 日々の読書を糧にして-備忘録と駄文感想

『碧厳録』の著者である圜悟克勤の弟子大慧宗杲が看話禅を確立
唐代の問答は一見不可解だが
己れ自身がその答えだと「自覚」させようというやりとりが仕組まれていた
『ところが宋代になると、問答は、初めからいかなる意味も論理も含まない
絶対的に不可解なコトバ――「公案」――として扱われるようになる』
そうした公案は
『知的分別を奪い去り、その心を追い詰めて捨て身の跳躍を迫る』ために
理屈抜きに一気に悟らせるために、利用された

『ありのまま(0度)⇒ありのままの完全否定(180度)
⇒本来のありのままへの回帰(360度)――
このような円環の論理は
ありのままの自己に対する肯定と否定の矛盾と言う唐代禅以来の長年の課題に
一つの解答を与えるものだった』

105神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 07:37:37.61ID:5hSTWj71
>>103
珍重すべき(自らが心酔信奉する)祖録というよりは、優れた参考書。 >>碧巌

また、近現代禅は、過去中国のような家風の相違はなく(優劣序列もなく)、それこそ意味解釈中心。
理由1、すべて白隠系(≒馬祖・六祖系)だから。 (それ以前はまだ、多少なりとも各法系毎の差異はあったと思う。)
理由2、(上記理由1のせいでもあるが)、「公案の網羅」=「修行の仕上げ」になってるから。
理由3、そもそも、碧巌自体が様々な家風の寄せ集め(逸話の集成)だしw
理由4、「論理的な禅、言語に依存する禅、修辞的手法の禅」は、宋時代には既に下火。(勿論、廃仏毀釈もあったにせよ)
     日本の禅はほぼ例外なく「言語道断」の系譜だから、「沢山の事例」以上でも以下でもない。
      ※鎌倉時代に輸入された禅は、それでも、言語重視な色合いをまだ残してはいたけれども。
      ※その意味では、馬祖も圜悟も、きちんと言語は尊重してる方では?
       あの時代はまだ、ほぼ全ての禅家が、言語表現する(或は理に沿う)ことに意義を置いてる。おそらく圜悟に於いても。
       体験重視にせよ、その伝達には言語が必須、と。 唐時代後半からの禅家乱立から廃仏あたりが、
       近現代に通ずる姿勢・方向性を決定づけた面があるのでは?
       碧巌の否定は、(岩波の解説にあるように)圜悟以後の反省(言語への過度の依存への反省)に始まるのでは?


(禅思想史ってわかりづらいんだよね・・ややこしくて)

106基地子菩薩2018/05/15(火) 08:02:57.47ID:hWnUfEQl
皆の衆、寝言は寝てから言うにゃん♪

ひゃっひゃっひゃ!*(^o^)/*

107junkie- ooyama2018/05/15(火) 10:15:30.96ID:NDwJnvNA
碧眼録ねぇ。

提唱のテキスト以上でも以下でもないし、老師によって扱いも違うし。
今時は朝課の時にホテルとかに置いてある仏教聖典を黙読したりするしねぇ。

公案に視座を置けば、碧眼も無門関も基本は法身・機関・向上の三種に分けて捌くだけだし。
一つの則を法身で見るとこう、機関で見るとこう、向上で見るとこう、って感じだね。

108ポッタン師2018/05/15(火) 10:25:12.76ID:lfVbdoVF
釈宗演、円覚寺管長、が超高速で公案を透過したことで有名となった。

109パーピマン2018/05/15(火) 11:10:17.09ID:8p9oMcru
>近現代禅は、過去中国のような家風の相違はなく(優劣序列もなく)、それこそ意味解釈中心。

まあ、そうなるんだろうねえw

ある種のことを了解しようとすれば、言語というツールは必須なわけで、それをいきなり
不立文字で行っても、分かるわけがないw

だから唐代禅的な意味解釈の方向性も当たり前なんだが、そうすると時代と共に
決まったパターン化が必然的に起きることとなる。

例えば、百丈 野鴨子の公案などは弟子たちが皆、師匠の前で「いてててええ」と
鼻をひねられたまねをするのが正解とされてたらしいww

近代になると各公案の正答集など虎の巻まで作成されたとかw

・・・・・圜悟の批判もまさに、それが一端なわけで。

かと言って、圜悟の言う、問いと回答の間を完全な意味的断絶と解する・・・つまり「活句」の
方向性は、難易度が高すぎるw

これは何十年も修行した者のうち、ほんの僅かでしょう? これで達するのはw
(ある作家が、「禅は百万人に一人の天才の道」と言ったが、まさに然りw)

また、圜悟の方向性でも、初学における意味解釈の理解は必要なわけで、そこを「理解」できないと
そもそもスタート地点にすら立てないわけで。

・・・・しかし、殆どの者が、公案の意味解釈を「理解」した時点で「分かったぞおおおお」
となり、「なんちゃって覚者さん」となる。ww

そこがスタート地点なのにw

そして「山は山でない」をとことん自己に落とし込んで頷き、了解出来て180度。
そして戻って360度か。

・・・・・こうやって見ると、禅はつくづく罪作りだなあw
手を出した100のうち、99人は何も分からず途中でやめるか、もしくは「分かっちゃって」w
その境地を他人に語りだすw

(まあ何といっても、雛が殻をつついてまさに破ろうとしているとき、それを外から助けてやる
親鳥・・・・即ちほんまもんの老師の絶対数が不足していることが一番の問題なんだろうがw)

110ポッタン師2018/05/15(火) 11:27:22.95ID:lfVbdoVF
109.
悟っていない人の感想である。
覚者になれないバカと言うことになる。

111パーピマン2018/05/15(火) 11:58:33.84ID:8p9oMcru
例えば、臨済のワキとされる普化などは、まず間違いなく何かしらの境地に達して
いたと思うのだが、あれでは後進の者が彼から何かを教えられるのは難しい。

臨済ほどになって初めて、普化のすごさがわかるのだろうが。

・・・・・確かに、普化は「偉大なる狂人」で、まさにある意味仏法の体現者と
言えるともおもうのだが、後進に対しての良き導師であったか? と言う側面については、どうしても疑問符がつく。

(まあ、彼の生き方そのものが、仏法の教示 であるとも言えるのだが)

112神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 12:25:40.23ID:s3Li3Yyi
>手を出した100のうち、99人は何も分からず途中でやめるか、もしくは「分かっちゃって」w
その境地を他人に語りだすw

爆笑、ジャンキーとやらが来てるしな笑。

>圜悟の言う、問いと回答の間を完全な意味的断絶と解する・・・つまり「活句」の
方向性は、難易度が高すぎるw


前世紀の一流処の禅師なんかの行いなんかをみると、
公案禅をやったから、一流政治家以上の人間間の交渉技術ができるんだろうな・・と最近。

113神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 12:29:14.23ID:s3Li3Yyi
>また、近現代禅は、過去中国のような家風の相違はなく(優劣序列もなく)、それこそ意味解釈中心。

ジャンキーの大好きな、ハッタリ評論の鈴木大拙とかか?

114junkie- ooyama2018/05/15(火) 13:03:51.83ID:NDwJnvNA
そんなに俺が気になるかw

何度も言うが悟りとか知らんし、まだ参禅中だよw

115junkie- ooyama2018/05/15(火) 13:17:47.18ID:NDwJnvNA
銀椀裡に雪を盛るってな。

空じる事に終点はねーし、転じて色も同じこと。
いつまでも成り切れねーで分裂してろ、糞でおーw

116junkie- ooyama2018/05/15(火) 13:32:59.29ID:NDwJnvNA
成り切ってる時、自分はあるか?

あると言えば成り切ってないし、ないと言えばいったい何が成り切るのか?

糞でおーw
お前に気の利いた返事なぞ一生無理だわw

魔法陣でも書いて糞でも垂らしとけw
www

117おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/15(火) 15:25:11.75ID:fMnuKm90
 
↓難しくて意味がわからないけどとりあえず

ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312823018
山は山に非ず

仮設としての
無明薫習に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
遍計所執性に依存して
山を見て実有である。と「妄想している」

 − これに対して −

(縁起している世界を手放して超えて)
(無の世界も超えて)
仏そのもの
平等性智をもって
仏性からの真如縁起をもって
移り行く世界の様を
ありのまま見つめている

円成実性の世界から観照する
 → 依他起性している世界の「ありのまま」を見る

junkie- ooyama師匠↑こんな感じでつか?

118宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/15(火) 16:48:50.69ID:jYa90RPB
>100
涅槃が、「心の安らぎ」や「安心立命」とされることは確かに間違いじゃないけれども、
それらは涅槃の持つ特性についてのほんの僅かな一端の部分にしか過ぎない。
そしてまた、学者が涅槃をこのように紹介しようとするその訳というのは、
彼らの涅槃に対する理解の限界性の現れなのだということ。

そもそも仏教学者というのは、確かに兼僧侶であったり、
資格僧侶としての最低限の修行は経験したかもしれないけれども、
所詮は、その殆どが単なる唯物論者か物理的次元を超えた現象についての未経験者たちだ。
だからどうしても、その程度の平易なことしか述べることも伝えることもできないのです。
まっ、涅槃についての理解ならば、この私の方が彼らよりも何倍もわかってるものと自負する。

>>102
私は、これまでに涅槃のことを物理的な、
または、霊的な次元における何処かにある場所であるとしては一度たりとも述べたことがない
(パ−ピは私の今までの投稿の一体どこを読んできたの?)。
私がもしも涅槃を「場所」という言葉で述べるときというのは、
あくまで『ウダーナ』の経文の表現をそのまま使用してのこと。
要するに、涅槃を指し示す表現にはどうしても言語的な限界があるために、
ただ便宜上として「場所」(処)や「世界」などという言い方を使用しているだけのこと。
 『比丘たちよ、その場所(処)は存在する』(8.1第一の涅槃に関することの経)

>>68-69
世界(現象界)が「空」、
人間/生命-五蘊-はすべて「空」

そんな(仏教としてはごくごく)当たり前の話はどうだって良い。
問題は、「涅槃」も“涅槃に住する如来”も空などと語る僧侶たちの馬鹿さ加減だ。
そう語る者たちというのは空を理解していない。
たとえ教団の内外では阿羅漢と讃えられようとも、所詮はそのレベルだってこと。

119神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 16:50:15.67ID:Q29ivmbN
現代日本では、本当に宗教を必要としている人は、
禅みたいな仏教クイズや、上座部みたいな仏教パズルはやらんだろ。
それで悟ったとしても、悟りの正体は薬物中毒まがいの変性意識にすぎないと
お偉い修行者が暴露しているし。
現代に釈迦が生まれ変わったとしたら、間違い無くキリスト教徒になる。

120神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 16:54:16.70ID:Q29ivmbN
>その殆どが単なる唯物論者
確かに仏教学者は馬鹿だが、これは凄まじく酷い評価だねえ
まともに認識論をやった人間なら、普通観念論者になる。

121神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 17:24:42.88ID:Q29ivmbN
荘子の混沌の寓話 と観念論
http://tapanulifever.hatenablog.com/entry/2016/11/22/173718
「南海の神を?(シュク)といい、北海の神を忽(コツ)という。中央の神を渾沌(コントン)という。
?と忽があるとき、渾沌の治める土地で逢うことになった。渾沌は彼らをとても良くもてなした。
?と忽は渾沌の徳にお礼をしようと相談して、語り合った。「人間には皆七つの穴がある。
それにより感覚し、食べ、息をするのだ。しかしこの者にだけはそれがない。試しに渾沌の体に
穴を開けてあげよう」と。一日に一つの穴を開け、七日目に渾沌は死んでしまった。」

この場合の渾沌=物自体
体に穴をあける行為=人の認識
渾沌が死んでしまった事実=認識の不可能性

仏教よりもよっぽど奥が深いと解釈できる。

122junkie- ooyama.2018/05/15(火) 20:29:17.10ID:BNIePMEt
>>117
ですね。
色即是空、空即是色。
空仮中。

123junkie- ooyama.2018/05/15(火) 21:26:17.95ID:BNIePMEt
混沌とはアフォリアの外の世界と思うけどね。
仏教は混沌に穴をあける様な事はしませんからw

124神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 21:50:59.83ID:Q29ivmbN
要するに、こういうこと
唯物論 物があるから、人がある
観念論 人があるから、物がある
仮に観念論の立場に立ったとしても、
実際は、 人(認知主体)があろうがなかろうが、物がある
しかし、その物は、もはや客体と言えないから、何物でもない
では、我々の感じている物の本質とはいったい何であろうか

125神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 22:00:10.44ID:5hSTWj71
片山さんや奈良さんを唯物論者とかwwwwwwwwwwww
ビルマの長老方を、わかってないとかwwwwwwwwwww   >>118

どんだけぇ〜〜〜(by Ikko




どんだけ盲だよ(泣怒

126神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 23:39:06.39ID:5hSTWj71
>>118
>何処かにある場所であるとしては一度たりとも述べたことがない
場所でないなら、境地でしかないだろw

パーリ仏教に於いて「場所」(→「処、ThAna」と言われるものは、
空間的に場所を占めるものも、【要素として】【内包される、含意されるもの】も、双方ともに含むんだよ。
さて、涅槃はどっちだ?w

127神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 23:43:23.83ID:5hSTWj71
I. Connotation. As one of the 4 iriyApathA (behaviours)
1. Contrasted(a) as standing position with sitting or reclining; (b) as rest with motion; 2. by itself without particular characterization as location.

II. Meanings
(1) Literal: place, region, locality, abode, part ( ---Th. of, or belonging to)
(a) cattAri ThAnAni dassan?yAni four places (in the career of Buddha) to be visited (b)); ThAnA cAveti to remove from one's place Sn 442; J iv.138; PvA 55 (spot of the body). -
(b) kumbha? (the "locality of the pitcher," i. e. the well) q. v.; araNNa? (part of the forest)
(c) In this meaning it approaches the metaphorical sense of "condition, state"
(see 2 & cp. gati) in: dibbAni ThAnAni heavenly regions
(d) In its pregnant sense in combn with accuta & acala it represents the connotation I.
1 (b), i. e. perdurance, constancy, i. e. NibbAna Vv 514; Dh 225. -
2. Applied meanings<->
(a) state, condition; also
(b) (part=) attribute, quality, degree: aggasAvaka? (degrees of discipleship)
(c) (counter -- part=) object ( ---Th. for), thing; item, point;
pl. grounds, ways, respects. With a numeral often=a (five)fold collection of . . .
(d) (standpoint=) ground for (assumption) reason, supposition, principle,
esp. a sound conclusion, logic, reasonableness (opp. a? see 4):

128神も仏も名無しさん2018/05/15(火) 23:54:13.62ID:5hSTWj71
特に、宗教的事柄に於いては、
推薦、伝達、教導、助言、或いは提示、紹介、等々の際には、そこに

 「ああ、そうか」「ああ、確かにその通りだ」という頷き

があってのことだ。(通常は。)

で、実は、ナンチャッテ覚者さん(や、各種新興宗教の教祖様方)も、
『自身の(神秘)体験』をべーすにした「ああ、そうか」の上に言葉を重ねている。

大王だって閻魔だって不説だって一代だって、(てすとやその他だって?w)皆そうである筈なのだ。
勿論、私も。
そりゃ、全く同じ追体験とはいかない、というか、そうであったらブッダだからw
けれども、相似形としての体験が、必ずそこにある筈なのさ。

その文脈で、 宝珠には、そういう  (神智学的、ヒンドゥ的)『ああ、そうか』  は、あるのかな?
という疑問があるわけさ。

129神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 00:05:36.17ID:LFRpczYh
そして、
「仏教」の文脈、価値観、論理においては、
≪経験的に「無我」≫なのさ。 【例外なく】ね。

で、
延命十句でも言われる常樂我浄は、まさに、
片山さんがコメントするような側面での常樂我浄なわけさ。

130承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/16(水) 00:11:46.39ID:l8r1cgu5
(^。^)どうも。その他の一人です。(笑)

示された月には成れないけど、
三十七品を「あぁ、なるほど」と腑に落ちない行者なんて駄目でしょ。(笑)

そこはもう少し自信持とうよ。(笑)

131自分用URL2018/05/16(水) 00:29:25.36ID:LFRpczYh
http://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23



>>130
自信と妄想(勘違い)は紙一重。(自戒w)

132承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/16(水) 00:53:59.78ID:l8r1cgu5
いやいや、大智度にもちゃんと大力の菩薩と小力な菩薩があるって記されてんだから、
少なくとも、バカカルトみたいな全く違うことをやって詐称している訳じゃない、(笑)
ちゃんと師から継承したんなら、それなりの責任と矜持がないと。(笑)


(^。^)まぁ、あんたも俺には言われたくないだろうから、もう止めとくがな。(笑)

133神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 00:56:25.14ID:eui6Qr6Z
第一 蛇の章

<11、勝利>

200.
また身体が死んで横たわるとき、膨れて、青黒くなり、
墓場に棄てられる。親族もこれを顧みない。

201.
犬や野狐や狼や虫類がこれを喰らい、
烏や鷲やその他の生き物がこれを啄む。

202.
ブッダのことばを聞いて、智慧ある修行者は、
この(身体の)ことを完全に了解する。あるがままにのみ観る。

203.
<かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう>と、
自分の身体に対する欲をも、他人の身体に対する欲をも、離れるべきである。

204.
愛欲を離れた智慧ある修行者は、
不死・平安・不滅なるニッバーナ(涅槃)という最高の境地に達した。
http://juryoku.blogspot.jp/2017/04/blog-post.html?m=1

134神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 01:01:44.11ID:eui6Qr6Z
第五 彼岸に至る道の章

〈学生ヘーマカへの質問〉

1085 聖者さま。あなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えましょう。」

1086 (ブッダが答えた)、
「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

135神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 01:23:54.41ID:eui6Qr6Z
ナーガルジュナの仏教は、意外なことには、或る意味では最初期の仏教の正当な発展であると解してもさしつかえないであろう。
『龍樹(中村元著)』より引用


ところが、ナーガルジュナにいたって、一大展開がなされたのであった。いやあるいは、釈迦の本心に返ったというべきか
『宗教原論(小室直樹著』より引用

136junkie- ooyama.2018/05/16(水) 02:00:55.74ID:i0dwk403
もともと(禅)問答は、ライブで相手の分節された世界をぶち壊し無分節の世界に導く為の活作略だったと思う。
それが、集められ語録という文学書となり一時期禅は形骸化したけど、ライブの追体験という公案の方法により息吹を吹き返したのでは?

碧眼録はそうしたライブを記録した文学書だけど、無門関はライブの追体験、公案を前提とした問題集になってると思う。

公案は否応無しに無分節の世界を最初から相手に投げ掛けて、相手の分節の世界を否定しまくり追い詰めてぶち壊す。
もちろん、ぶち壊した後でまた分節の再構成をするんだけど。

137junkie- ooyama.2018/05/16(水) 02:02:29.94ID:i0dwk403
色即是空、空即是色ってね。

138基地子菩薩2018/05/16(水) 02:32:01.13ID:gzSkUIiD
臨済禅とは何ぞや?

https://i.imgur.com/DGAfJgB.jpg

139基地子菩薩2018/05/16(水) 02:32:32.05ID:gzSkUIiD
臨済禅とは何ぞや?

https://i.imgur.com/DGAfJgB.jpg

140おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/16(水) 02:54:23.22ID:JjLzfJNh
 
junkie- ooyama.師匠へ
>>136
難しくて意味がわからないけど

ttp://d.hatena.ne.jp/deku_dec/20151229/p1
唐代の問答は一見不可解だが
己れ自身がその答えだと「自覚」させようというやりとりが仕組まれていた
『ところが宋代になると、問答は、初めからいかなる意味も論理も含まない
絶対的に不可解なコトバ――「公案」――として扱われるようになる。』
そうした公案は
『知的分別を奪い去り、その心を追い詰めて捨て身の跳躍を迫る』ために
理屈抜きに一気に悟らせるために、利用された
  _  _  _

臨済宗とかは
(今でも?)
こんなに難しいことを実践してたんでつね?

知らなかったでつ
ちなみに
おじゃるにとっては
中論
中観帰謬派とかも難しいという感じがします
(初心者向けにわかりやすく説明するのは難しいと思いまつ)

余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐
この実践も(「簡単ではない」という意味で)難しいと思いまつ

141おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/16(水) 04:30:38.37ID:JjLzfJNh
 
junkie- ooyama.師匠へ
>>140の続き

↓難しくて意味がわからないけど

中論 第二十七章 見解(邪見)の考察
集合体(蘊)の連続体(相続)は
バターランプ(灯明)の炎のようなものなので
その有限性(有辺)も無限性(無辺)も
意味を持ちえないことになる

いかなる意味も論理も含まない絶対的に不可解な
という感じもするけど

有限性である。という『想い』
無限性である。という『想い』
この仮設としての
『想い』を手放して超えていくのなら
『想い』という意味を持ちえない

これなら
おじゃるにも
意味が、わかる場合もあるかもしれない

間違っていたら スマソ m(_ _)m

1422018/05/16(水) 06:33:13.90ID:j3l4xsxe
[日本ショー] こころの時代〜宗教・人生〜「禅の語録を読む」
https://www.youtube.com/watch?v=EP50s1dj9mg&t=7s

面白いよ。
3度目だ。

143神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 06:46:06.10ID:eZwJo02X
このバイセクシャルのホモ豚は、嘘をついてでも
自演ではない、と、言いたかった

144神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 07:33:21.56ID:hHWFIyzw
涅槃が心的世界なら、無我で間に合うだろ。
別に空を持ち出す必要性は無い。

空理空論ここに極まれり。

145因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 07:42:53.82ID:cpBGfJ7U
言葉に限界があるからなぁ^ ^

例えば腹が減ったの心的状態を言葉にできないように空性の心的境地を言葉に出来ない^ ^

146おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/16(水) 08:17:41.78ID:JjLzfJNh
 
>>140>>141の続き

一休「婆子焼庵」の公案を解く?

一休は
「婆さんは
泥棒に梯子を貸してやるように
清浄な修行僧に女を与えようとした
その老婆心を無碍に断るのもなんだ
孫娘は、青年僧に惚れていたのかもしれない
その情をはねのければ、乙女心を傷つける
仏道とは、ただ独り
枯れ木のように修行してればいいというものではない
人の心に添い、衆生を済け導くのが僧の勤め
孫娘は「甘露の仏性」であったかもしれない
「枯れた楊(柳)の木も、陽春を受けて 新芽を生ずるか」と

これが正解なのかしらん?
(答えを求めることが間違っているのかもしれないけど…)

ちなみに
おじゃるは
いつでも煩悩の渦に巻き込まれているので
外見上
美人で可愛くて優しい性格のように見える孫娘なら
我癡・我見・我慢・我愛の赴くままに
『彼女にしたい』という想いが現れ(そして滅し)ているのでつ

147ポッタン師2018/05/16(水) 08:30:16.50ID:3nROtOEj
146.婆子焼庵、か。
それは生活の問題である。
愛憎は、生活の問題である。
その生活を否定したものが宗教である。
だからして、その両者は、両立しないものである。
その断絶を、どうするのか。
そこが公案である。
一休さんが、その愛憎を肯定すれば、失格である。

148神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:03:04.66ID:eui6Qr6Z
>>144
「空」とは、もともと「無」とか「空しい」という否定の意味を含んでいます。
しかし、「般若経典」の「空」の世界は、現象世界の相対的な姿や価値観を、否定して否定して、否定しぬいて、
この世のあらゆる現象や存在はわたしたちが五感や自我の意識でとらえるような常住、不変な実体としては存在しないことを見据えていく中で、「無」とか「空しい」という観念の世界をものり超え、
千差万別の姿(差別相)をもつ現象や存在の奥底に、それらの差別相を超えて働くただ一いろの絶対的な真理というか、絶対的な法則というか、絶対的ないのちというか、
そういう究極の実在見定めていくのです。
ーー略ーー
また、原始仏教の「諸行無常」の法則は、固定的・常住の自我を否定しますから、ここから、「すべてのものごとは他とつながりがあり、他と無関係に存在しているもの(すなわち「我」はない」という、
相互依存の関係を示す「諸法無我」の法則が発展してきたのですが、この無我法をより深く見据えるならば、自分のいのちも他人のいのちも、動植物や虫のいのちも、水や石のいのちさえも、
同じ一つの根源のいのちに生き、生かされている平等ないのちであるという、差別想対立関係、あるいは相互依存の関係をも超えて、絶対平等の一体の世界が開けます。
「諸法の実相」を「無相」というのは、あらゆる現象や存在の奥に絶対の平等相を観る究極的な「無我」を見極めたものだったのです。
したがって、「諸行無常」と「諸法無我」の法則に導かれる「涅槃寂静」の世界も、原始経典に説く「一切の煩悩を断ち尽くした状態」にとどまらず、
究極の実相としては「千差万別の差別相を持つ諸々の存在が、一いろの平等相に融け合って、同じ根源のいのちをとこしえに生かし、生かされる大調和の世界」という、
一切肯定の広々とした世界、すなわち「寂光土」として示されます。

※寂光土
https://kotobank.jp/word/%E5%AF%82%E5%85%89%E5%9C%9F-525439

149神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:07:35.11ID:eui6Qr6Z
>>148の続き

みなさんも、「般若心経」の「色即是空、空即是色」という句は耳におなじみのことと思います。
この、「色即是空」と、「色(目に映るいろいろな存在)」を否定して否定して昇り詰めたところに開ける「空」の世界とは、つまり、「大調和の寂光土」のことなのですが、
しかし、その「寂光土」の世界が日常生活に具体的に生かされなくては、人間の幸福に役立ちません。
たんに「空」を観じて「空」に執着しているなら、それは形而上学的な「空」を認識しているにすぎず、もはや「空」でなくなってしまいます。
「空」と昇り詰めて、そこから「空即是色」と「色」の世界に還ってきてこそ、「空」すなわち「諸法の実相」は人生に大きな意味をもち、完成されるのです。

(立正大学学長 中村瑞隆)

150因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 10:11:22.42ID:2Kq1LX0H
幸福を求めるか^ ^

まだ分かっとらん^ ^

151神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:23:57.23ID:eui6Qr6Z
>>150
日常生活の幸福を求めないのであれば「空即是色」のフレーズを入れる必要はない。

ごとく ち [3] 【後得智▼】
〘仏〙 現象界の個々の物事の相違を認める智慧(ちえ)。あらゆる物事が無差別であると知る根本智ののちに得られる。
仏は衆生の差別を知って救済しようとするので,衆生を救済するのは後得智とされる。
https://www.weblio.jp/content/%E5%BE%8C%E5%BE%97%E6%99%BA

根本智→色即是空(勝義諦)
後得智→空即是色(世俗諦)

152神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:24:57.68ID:GQyHb2lj
>>146
まぁ、婆さんに指図されてのこのことやってくるような世間知らずの娘さんですからねぇ。
そうした純朴さはかわいいと言えばかわいいんですが。

世間はもっと広いんだし、婆さんにはお世話になったんで、
「こんなかわいい子を持って婆さんも幸せだなぁ、じゃあ婆さんに宜しくって」去るでしょうね。

それが公案の答えかどうかは知りませんけど。

153パーピマン2018/05/16(水) 10:25:12.33ID:heJQh5vL
>・・・・・・人間の幸福に役立ちません。
>・・・・・・人生に大きな意味をもち、完成されるのです。

まあ、一般世俗 に対する解説なんだろうから、こういう言い回しも許容されるんだろうが、
・・・・・w

⇒「元々、人間の幸福など問題にしてません」
⇒「人生に意味などありません」

これ言っちゃったら、誰も聞く耳持たないしw

>「空」と昇り詰めて、そこから「空即是色」と「色」の世界に還ってきてこそ・・・・

誰の言葉だが忘れたが、これを「禅に生きる」という言い回しで表現していた奴がいたなw
これが非常に難しいんだがww

154神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:32:09.18ID:GQyHb2lj
一旦「色即是空って」空じられて無住処涅槃に至ったら、幸福を求めるのは自然じゃないのかなぁ?
勿論、それは自他が無い幸福の追求ってなるんだけど。

155神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:43:13.14ID:3nROtOEj
154.自他のない幸福、か。
そんなものは無い。バカ丸出しである。だまし、か。無知、か。

156神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:47:05.32ID:GQyHb2lj
>>155
なら、無い事を証明しろw

157神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:56:46.42ID:3nROtOEj
156.ある、ことを証明せよ。

158神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 10:58:12.25ID:3nROtOEj
空、があることを証明せよ。

159Junkie-Ooyama2018/05/16(水) 11:02:21.74ID:GQyHb2lj
レスしてるだろw

160Junkie-Ooyama2018/05/16(水) 11:12:51.02ID:GQyHb2lj
>>147
> 愛憎は、生活の問題である。
> その生活を否定したものが宗教である。
> だからして、その両者は、両立しないものである。
> その断絶を、どうするのか。
> そこが公案である。

否定しないし両立するのが大乗仏教なんだよw
そのためには公案という手段を使って空じるんだよ。
分節された世界(分別)を一度はぶっ壊して(色即是空)、無分節の世界(涅槃、彼岸、無分別、根本智)に至り、
再び分節の世界に還って来るんだよ(空即是色、無分別の分別、後得智)。

行ったきりっていうのが小乗仏教。

行きもしないのがお前、なw

161おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/16(水) 11:20:44.25ID:JjLzfJNh
 
>>空、があることを証明せよ
>レスしてるだろ

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して

「問いがあり」
この問いに対して
「レスがある」ということでつね?

ポッタン師匠には
意味が
わからないかもしれないけど

「空性である」からこそ
「縁起している」ということが…

162Junkie-Ooyama2018/05/16(水) 11:25:21.00ID:GQyHb2lj
「無とはない事」とか、「〇とは円」とか、「隻手とは片手」とか・・・

そうした観念を禅定て休めて、無は無、〇は〇、隻手は隻手の世界に行くんだよ。
勿論それだけじゃ唯の三昧境だからダメ。身動きが取れない。

それさえもぶっ壊して、これはもう表現不可能な世界にね、自由自在というか、真空というか。

そこから逆戻りして〇は〇、「〇とは円」の世界に戻って来るんだよ。

163Junkie-Ooyama2018/05/16(水) 11:27:26.19ID:GQyHb2lj
ビールジョッキがあって「ビールが入ってない事を証明しろ」って言われたら、
ビールを入れてやるでしょw

そんなもんよw

164因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 16:51:03.88ID:Dr0IeI5o
諸行無常−−− すべての存在は移り変わる
是生滅法−−− 是がこの生滅する世界の法である
生滅滅已−−− 生滅へのとらわれを滅し尽くして
寂滅為楽−−− 寂滅をもって楽と為す

幸福は求めておらん^^

照見五蘊皆空したのになぜ幸福を求めるのか^^

165junkie- ooyama.2018/05/16(水) 16:53:37.15ID:SyKfAQy/
>>164
>照見五蘊皆空したのになぜ幸福を求めるのか^^

???
照見五蘊皆空したのになぜ幸福を求めないの?

166因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 16:55:24.56ID:Dr0IeI5o
すべての執着を断つ事が目的であり・・
幸福を求めることが目的ではない^^

う〜〜ん^^

幸福を求めるとか・・・^^

まだ現世に執着があるようだな・・・^^

167junkie- ooyama.2018/05/16(水) 16:58:32.40ID:SyKfAQy/
無住処涅槃。

168因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 16:59:18.79ID:Dr0IeI5o
五蘊があって幸福がある・・

ということは・・・^^

わかるな^^

169因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:01:16.24ID:Dr0IeI5o
まぁ自我が幸福だと言ってるんだな・・・これが^^

170因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:02:52.65ID:Dr0IeI5o
となると・・・^^

無我の境地では幸福なるものは存在しない^^

171因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:04:41.48ID:Dr0IeI5o
なぜなら・・^^

それこそ^^

「色即是空 空即是色」

だからだ^^

172junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:05:00.36ID:SyKfAQy/
難しかったかなぁ、無住処涅槃。

173junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:07:15.21ID:SyKfAQy/
山は山→山は山でない→山は山と同じ。

山を幸福に当てはめりゃわかる。

174因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:10:31.68ID:Dr0IeI5o
般若心経は無我の境地で書いているからね^^

我執がある境地で読んでみても解らないと思うよ^^

175因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:12:53.67ID:Dr0IeI5o
心を滅した境地に幸福などあるわけがない^^

176神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:14:21.92ID:hHWFIyzw
中村瑞隆でググった結果、
中村 瑞隆(なかむら ずいりゅう、1915年2月23日[1]-2003年11月15日[2])は、日蓮宗の僧、仏教学者、立正大学学長を務めた。
青森県出身。1941年立正大学文学部仏教学科卒、同大学院修了。45年専門部講師、48年助教授、49年立正大学講師、50年助教授、
61年教授、66年「如来蔵思想研究」で九州大学文学博士。73年法華経文化研究所長。1977年仏教伝道文化賞受賞。1983-86年立正大学長、
名誉教授。日本学術会議会員。

たいした情報はない。頭はいいしだろうし、人もいいんだろうけど、ただそれだけ。
池田大作みたいにSGI作ったわけでも、大川隆法みたいに2000冊本を書いたわけでも、
麻原彰晃みたいに解脱(刑務所で正気を失ったこと)したわけでもない。宗教家としては三流。
「寂光土」とやらに行って戻って来たけど何もやらなかった現実世界で全く御利益の無い人で終わりだろ。

で、「空」って実際の役に立つのかな?

177因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:15:29.44ID:Dr0IeI5o
幸福ではなく寂静の境地なんだよな^^

戯論寂滅や・・^^

178junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:21:06.82ID:40hGydXD
空じられた上での幸福追求ね。
それが空即是色。

179junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:23:22.06ID:40hGydXD
>>176
空が無けりゃ色は成り立たいと思うし。
虚空があるからものが存在する様にね。

180神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:24:00.02ID:hHWFIyzw
>>175
現世の幸福に対する仏教側の解答
貧困→自業自得
病気→心を空にしろ
騒動→暴力反対
こんなの実践したら、普通はアウトだろ

実際創価学会は、「灰身滅智」を身を灰にし教えを絶やす小乗の教えとして
テロ思想と変わらないと教えているよ。

181junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:25:29.75ID:40hGydXD
>>177
>戯論寂滅
で終わるのが小乗仏教。

大乗は無住処涅槃。

182因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:26:51.11ID:Dr0IeI5o
こう考えると・・・^^

一切の執着から開放された境地が空の境地かもしれん^^

183神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:27:00.52ID:hHWFIyzw
>>179
それは空信奉者の考え。
ゴッドもアラーもアマテラスもブラフマンも、空無くして君臨している

184junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:28:09.64ID:40hGydXD
十牛図で言う入鄽垂手だね。
無住処涅槃。

185因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:29:20.75ID:Dr0IeI5o
我執から開放されればその境地は空となる^^

186junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:31:25.34ID:40hGydXD
>>183
> ゴッドもアラーもアマテラスもブラフマンも、
> 空無くして君臨している

???
空は非有非無なのに、「空無くして君臨」って意味が分かりません。
どういう意味ですか?

187因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:32:18.49ID:Dr0IeI5o
「我執から開放されればその境地は空となる^^ 」

まぁ・・その境地に到達した人でなければわからんね^^

これだけは^^

188junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:32:53.94ID:40hGydXD
>>185
解放でも解放されないでも無い無住処。

189因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:35:34.69ID:Dr0IeI5o
「我執から開放されればその境地は空となる^^ 」

まぁ・・その境地に到達した人でなければわからんね^^


その境地に到達した人



照見五蘊皆空

190神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:37:41.24ID:eui6Qr6Z
https://www.e-sogi.com/sp/arekore/kyo1.html

上記サイト中段
「空」の思想
より抜粋

(Aは色不異空・色即是空、Bは空不異色・空即是色)


(A)は言葉によって実体に執着することを否定する智慧の段階を表現しています。
それに対して、(B)は何も存在しないという極端な考え方を否定すると共に、言葉のない体験に執着することも否定する智慧の段階を表現しています。
(B)は大乗仏教が重視する智慧で「後得智」と呼ばれるものです。
言葉による 認識はあっても、それらを実体視せず、執着もない状態であり、最終的には、言葉のない直観的な認識と言葉をともなう認識が完全に一致・両立します。
この智慧があってこそ、人を救うことができるのであって、小乗仏教の阿羅漢とは異なる大乗仏教の仏の智慧であると考えられました。

191神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:42:45.30ID:eui6Qr6Z
A 無無明亦(勝義諦)…根本智
B 無無明尽(世俗諦)…後得智

A 無老死(勝義諦)…根本智
B 無老死尽(世俗諦)…後得智

だね

192junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:42:49.39ID:40hGydXD
>>190
GJ!

193神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:46:55.87ID:eui6Qr6Z
>>184
『修証義』第四章「発願利生」より

或は無量劫(むりょうごう)行いて衆生を先に度(わた)して自からは終(つい)に仏に成らず、但(ただ)し衆生を度し衆生を利益(りやく)するもあり。
http://www.zen-essay.com/entry/hotsugan-risyou

この箇所は無住処涅槃の教えだろうね

194神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:47:49.22ID:hHWFIyzw
>>186
絶対的な存在に、非有非無の仮説なんか通じるわけないだろ。

195神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 17:48:16.28ID:eui6Qr6Z
>>192
私はサイトの紹介をしただけですが、どういたしまして(^。^)

196因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:52:01.78ID:Dr0IeI5o
「幸せとは何かを知ることこそが、人生において究め尽くさなければならない
もっとも重要な事柄なのだ。」

道元ちゃんがこんなこと書くわけないだろ^^

友達だからわかる^^

197因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:55:15.54ID:Dr0IeI5o
凡夫が書くとこうなっちゃうんだよな^^

198junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:55:19.91ID:bUBowTJl
>>194
空は、絶対的という相対では捉えられないんだけど?

199ポッタン師2018/05/16(水) 17:55:50.91ID:e5jS16zg
193.
仏にならないで、衆生を先に度しうる、と思うバカである。

200因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:57:17.26ID:Dr0IeI5o
とりあえず・・寝る^^

201junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:59:07.09ID:bUBowTJl
幸福というものを一旦は空じた上での幸福なんですわ。
本証が妙修するんですわ。

202神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 18:00:33.12ID:hHWFIyzw
>>198
それは誰に教わりましたか?

203junkie- ooyama.2018/05/16(水) 18:07:24.07ID:bUBowTJl
何故?

204junkie- ooyama.2018/05/16(水) 18:10:13.07ID:bUBowTJl
それらが絶対的であるというのは、一体誰が証明するのかなぁ?
誰かが証明した時点で相対化されちまうし。

205junkie- ooyama.2018/05/16(水) 18:14:02.18ID:bUBowTJl
むしろ、それら絶対的なものこそ空に親しい様な気がするんだけど?

206おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/16(水) 18:23:56.23ID:JjLzfJNh
 
>>空は、絶対的という相対では捉えられない
>誰に教わりましたか?

仮設としての
地水火風の微細な粒子に分解して
最終的には?
微細な粒子も
一切の諸法すべても
手放して超えていく

空性を掴むことは出来ない
という意味でつ

たとえ
縁起している世界の中で
掴もうとしている想いが現れ(そして滅し)たとしても…

ttps://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/135d45345210d9384075a6349cf75349
大念住経(大念処経)
地の要素、水の要素、火の要素、風の要素がある
最終的には?
微細な粒子も
手放して超えていく

207神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 18:30:04.85ID:hHWFIyzw
被造物の平等性が謳われていなかったら、
第二次世界大戦の敗者である我々は、奴隷階級に落ちていた。
今の日本人が貴ぶべきは仏教ではなく、ヴォルテールと近代キリスト教だよ。

アメリカがゴッドをいだいていたのは、現実的な福運である。

208神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 18:48:16.23ID:eui6Qr6Z
>>196
>>193のリンクを貼った自分もそこの現代語訳はどうかとは思うw

もう仏になるのに十分な力があるとしても、さらにその力をみんなの悟りのために向けるのです。
無限に長い時間、みんなを救い続け、自分はいつまでも仏にならないという菩薩もいらっしゃいます。
http://www.tgiw.info/weblog/2012/02/3_13.html

この訳の方が原文のニュアンスに近いと思うw

209因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 18:59:41.88ID:Dr0IeI5o
「自分が幸せになる前に、みんなを救おうと誓って修行することです」

我執を断ってないんだよな^^

なぜ「自分」があるのか^^

210因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:00:48.34ID:Dr0IeI5o
自分・・みんな・・分別煩悩^^

211因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:02:14.94ID:Dr0IeI5o
分別煩悩をもって修行してもな・・^^

212因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:03:52.36ID:Dr0IeI5o
身心脱落にほど遠い^^

213神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 19:06:45.90ID:eui6Qr6Z
>>209
ではあなたは我執を絶ってスレへの書き込みをやめないと
まず隗より始めよとはまさにその事
言葉という分別の大元になるものを使ってスレに書き込んでいる時点であなたのレスにはなんの説得力もない
まずはあなたは我執を絶ってスレへの書き込みをやめないと

今後あなたのレスは私はスルーしますよ

214神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 19:07:29.12ID:hHWFIyzw
そう言えば、昨日の部分の訂正があった。

唯物論批判の件だけど、
自分は、唯物論vs観念論の構図で反論したけど、
相手はたぶん、唯物論vs奇跡肯定論の構図で主張したかったんだよね。
さっき気づいたけど。

唯物論 物があるから人がある
観念論 人があるから物がある
奇跡肯定論 神(超越的存在)があるから人も物もある

それならわかるかも。
日常生活に必要なのは唯物論、
学問に必要なのは観念論と唯物論、
宗教に必要なのは奇跡肯定論。
特に異論はない。

215因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:08:48.39ID:Dr0IeI5o
みんなを救おうと誓って修行することよりも・・

我執を落とす修行をした方がよい^^

216因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:09:52.85ID:Dr0IeI5o
我執を落せば自分もみんなもなくなる^^

217因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:39:45.23ID:Dr0IeI5o
『中論』第一八章

四 内面的にも外面的にも〈これはわれのものである〉とか〈これはわれである〉とかいう
観念の滅びたときに執着はとどめられ、それが滅びたことから生が滅びることになる。

五 業と煩悩が滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。
ところでそれらの分別思考は形而上学的議論(戯論)から起こる。
しかし戯論は空においては滅びる。

六 もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、
「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、
無我なるものも無い」とも説いた。

七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。
真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。

八 「一切はそのように〔真実で〕ある」、また「一切はそのように〔真実〕ではない」。
「一切はそのように〔真実で〕あり、またそのように〔真実〕ではない」。
「一切はそのように〔真実で〕あるのではないし、またそのように〔真実〕ではないのではない」

九 他のものによって知られるのではなく、寂静で、戯論によって戯論されることなく、
分別を離れ、異なったものではない―これが真理の特質(実相)である。

218因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:46:52.73ID:Dr0IeI5o
175因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:12:53.67ID:Dr0IeI5o>>180
心を滅した境地に幸福などあるわけがない^^

177因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 17:15:29.44ID:Dr0IeI5o>>181
幸福ではなく寂静の境地なんだよな^^

戯論寂滅や・・^^

その他もろもろの発言^^

う〜〜ん^^

なんか同じこと言ってる感がする^^

219おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/16(水) 19:49:00.78ID:JjLzfJNh
 
>>213 ID:eui6Qr6Z師匠へ

唯識系の文脈がわからないと
因縁果師匠の言ってる意味がわからないかも

唯識系の?因縁果師匠の場合は

仮設としての
無明薫習を前提として
我癡・我見・我慢・我愛を前提としているので

それゆえに
>我執を落せば自分もみんなもなくなる

と言う対機説法でつ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)
仮設としての
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
『外界にあると認識されるものも生み出している』
それでも、やはり
最終的には
阿羅耶識もまた空性である

間違ってたら スマソ m(_ _)m

220因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:49:33.33ID:Dr0IeI5o
まっ^^

龍樹ちゃんとは友だちだから^^

221因縁果 ◆d........o 2018/05/16(水) 19:54:04.32ID:Dr0IeI5o
「真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。 」

う〜〜ん^^

すんばらしい^^

さすが龍樹ちゃんや^^

222神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 21:11:01.18ID:LFRpczYh
>>118
「境地」だから、
(正しく行じれば、例外なく、【必ず】、【そこに】顕現する(【見られる】)から)「常住」であり、
「誰」という、「関係性の上に成り立つ」人格・個性・個別性を持たない(且つ、存在し続ける)ものでない)から「無我」であり、
六境に依る(・・・誘われる・捉われる・取り込まれ振り回される、自身の欲や希望に引きずられる)ことがない故に「楽」であり、
世間のあれやこれや(・・・世俗のしがらみ、不可避な板挟み、或いは「已む無し」と言われるような悪手)と関わりなき故に「浄」であるわけさ。

唯物的思考とは全く関係ない。

そういう次元とは別の、『まさに【境地】として』、行者が「見る」(知る)ことができるものが「涅槃」である、
と、ウダーナは述べており、片山さんは、それを忠実に解説しただけだw



再度問おう。
君は、片山さん奈良さん水野さんetc.etc.を唯物論者だと見るのだね?

223junkie- ooyama.2018/05/16(水) 21:20:00.42ID:bUBowTJl
やっぱり因縁果に無住処涅槃は難しかったか。

2242018/05/16(水) 21:20:51.80ID:LFRpczYh
延命十句の「我」については、
やはり、禅門でいう「主人公」「無位の真人」「本来の面目」、或いは「仏性」「仏心」、
或いは、関係性から立ち現れる(→他に依存する)世間的自己でなく、
瞬間瞬間に明滅する「いのち」としての「自己」としていくしかないかな・・とw
 ※ここが、一番のネック。 ただ、2500年の間にも、宝珠のような考え方を許容出来ないが故に
  阿頼耶識なり何なりがでてきたりしながらも、彼らの言う「我」を認めることができなかった。
  2500年間、膨大な人数の行者が、その方向性を採れなかったことを、もっと重く受け止めるべきだろう・・。

225junkie- ooyama.2018/05/16(水) 21:26:57.77ID:bUBowTJl
>>215
>みんなを救おうと誓って修行することよりも・・
>我執を落とす修行をした方がよい^^

いや、我執を落とす為の利他行なんだが。

226神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 21:29:33.52ID:LFRpczYh
http://www.art-c.keio.ac.jp/news-events/event-archive/shaku2018/

行って、手を挙げて質問してみたらどうだ?w >>118
馬場さんは、ここや議論スレ等でも何度か名前の出る、若手筆頭のパーリ学者だぜw

227junkie- ooyama.2018/05/16(水) 21:31:16.08ID:bUBowTJl
唯識知っているなら、四種の涅槃がある事を知っているはず。

228junkie- ooyama.2018/05/16(水) 21:33:44.46ID:bUBowTJl
>>210
>自分・・みんな・・分別煩悩^^

お釈迦様は説法される時、ご自身と他を分けて説法されたけど、それは分別煩悩なのかなぁ?

分別にも二種類ある。
分別と無分別の分別、ね。

229神も仏も名無しさん2018/05/16(水) 21:43:02.64ID:hHWFIyzw
先験的な思考の枠組みを、経験を考察することにより把握
することはできるのか?
自分は、これを実践したのが釈迦の功績だと思っている。
欲望を一つの束とし、複数の本能の束を数え上げ、
欲望の相対化に成功した。
そして、本能の束を自在にコントロールできると考えた。
もし、それが可能なら死の恐怖すら超越することができる。

釈迦は神をいだかなかったが、その釈迦の考察は既存の
宗教に匹敵する教えであった。それが故に仏教は宗教教団と
して普及拡大することになった。その過程で、釈迦自身が
神格化され、宗教として超越的な現象を認めることとなった。

宗教としての仏教は、長い時間をかけて、釈迦本来の教えを
失って行く中で、別途人々に幸福をもたらす新たな教えを
構築することになった。今ある仏教の教えは、釈迦本来の教え
ではなく、それら副産物の派生形に過ぎない。

230神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 00:48:07.00ID:07bc4r5S
空の教えーーー維摩経不二法門品

法自在菩薩
「生と滅は対立する二つです。しかし一切のものは本来生ずるものではありません。従って滅するものもありません。
このように一切のものは不生であるという法を会得することが不二の法門に入ることです」

梹逡薩
「自我とわがものとは対立する二つです。しかし自我によってわがものの観念が生じ、自我がななればわがものの観念はなくなります。
このように会得することが不二の法門に入ることです」

梺ク菩薩
「汚れと清浄とは対立する二つです。しかし汚れには汚れの本性はなく清浄には清浄の本性はありません。
従って二つにその本性がありませんから対立するところはありません。これを会得することが不二の法門に入ることです」

善宿菩薩
「心の動揺とその執着とは対立する二つです。もし心の動揺がなければ執着はありません。執着がなければ思量分別はなくなります。
これを会得することが不二の法門に入ることです」

妙臂菩薩
「菩薩の心と声聞の心とは対立する二つです。しかし本来、心の姿は空であり幻にすぎません。
従って菩薩の心とか声聞の心とかいって対立するものはありません。これを会得することが不二の法門に入ることです」

弗沙菩薩
「善と不善とは対立する二つです。もし善と不善とを遠離して中道の理を会得すれば、それが不二の法門に入ることです」

231神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 01:00:48.68ID:07bc4r5S
獅子菩薩
「罪と福徳とは対立する二つです。しかし般若(智慧)によってみれば罪の本性はなく、罪に東縛されることもなく、従って罪から解脱することもないのです。
ここに罪と福徳の対立はありません。これを会得することが不二の法門に入ることです」

那羅延菩薩
「俗世間と出世間とは対立する二つです。俗世間の本性は空であると知れば、そこは出世間です。出世間では証入とか退転とかがありません.
これを会得することが不二の法門に入ることです」

善意菩薩
「輪廻(生死)とさとり(涅槃)とは対立する二つです。しかし輪廻の本性は仮幻で空にして、本来輪廻に束縛されることもなくそれから逃れるということもあり主せん。
従って本来さとりもないのです。これが会得される時に不二の法門に入るのです」⇦⇦⇦

雷天菩薩
「智慧(明)と愚癡(無明)とは対立する二つです。愚癡とは智慧がないことで、本来愚癡の実体はありません。この愚癡の無実体を了解するところに智慧の本性があるのです。
しかし智慧にも本来実体はないのですから、これに執着してはなりません。このように会得することが不二の法門に入ることです」

長見菩薩
「形あるもの(色)とその現象が空であること(色空)とは対立する二つです。しかしものはそのまま空であって、ものが消滅して空であるのではありません。
ものの本性が空であります。
人問の精神作用も同じです。心が滅して空であるのではなくて、心の本性が本来空であります。
これが会得される時に不二の法門に入るのです」

華厳菩薩
「自我から彼我の差別が生じ対立し対立します。しかし自我の本性を知るならば、彼我の対立はなくなります。
その時、識別する我も識別される彼もなくなります。ここから不二の法門に入るのです」

232神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 01:12:55.01ID:07bc4r5S
徳蔵菩薩
「執着して取捨する(有所得) 時に対立が生じます。一切は本来空と理解し執着をはなれた時に取捨はなくなりす。このように取捨の観念をはなれるところから不二の法門に入るのです」

珠頂王菩薩
「正道と邪道とは対立する二つです。ただ正道を得ているものには全く邪道の観念はありませんから、従って彼には正邪の対立の観念が見当たりません。正邪の観念を超えています。
そこから不二の法門に入るのです」

楽実菩薩
「真実と虚偽とは対立する二つです。ただ真実を見る者は真実でさえ見ません。なぜかといいますと、真実は肉眼では見えませんが智慧の眼では見えます。
真実を見る者は見るのでもなく、見ないのでもないようにして見るのです。このようにして不二の法門に入ることができるのです」

文殊菩薩は、
「私はこのように考えます。すべてのものは言うに言われず、説くに説かれず、知るに知られず、
すべての問いと答えとを離れることが不二の法門に入ることです」

維摩居士は一黙にして不二の法門に入ることを説いた。
突然、文殊菩薩が「素晴らしい、本当に素晴らしいことです。文字も言葉もない。これぞ不二の法門に入ることですね」

233おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/17(木) 02:03:50.15ID:ILbAI/T+
 
ttp://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%84%A1%E4%BD%8F%E5%87%A6%E6%B6%85%E6%A7%83
無住処涅槃
『仏そのもの』の
智慧と慈悲によって
煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから
涅槃の境地にもとどまらない

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

『仏そのもの』の
仏性からの真如縁起をもって
 → 種子と現行の頼耶縁起を見る

>>227 junkie- ooyama.師匠へ
>唯識知っているなら、四種の涅槃がある

↓これかしらん?

『仏そのもの』の
法界体性智の世界から観照する
大円鏡智の世界から → 阿頼耶識を見る
平等性智の世界から → 末那識  を見る
妙観察智の世界から → 第六意識を見る
成所作智の世界から → 前五識  を見る

234因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 03:35:39.21ID:LQJ6E4k3
利他行ね〜〜^^

究極的にはそれも煩悩だな^^

分別があって行為がある^^

まっ・・利他行がんばってください^^

235神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 08:52:46.30ID:DvlzekiZ
真言亡国

従って本来の主人である釈迦や『法華経』を卑下し、生国不明の架空の仏で無縁の主である大日如来を立てることから
亡家、亡人、亡国の法で、真言を深く信仰する家では男子が成長しないという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AE%87%E6%A0%BC%E8%A8%80

【和歌山】うつ病の原因は「連続勤務」 高野山僧侶が寺院側を提訴 ・
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1526465273/

236おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/17(木) 09:12:04.30ID:ILbAI/T+
>>234 因縁果師匠へ

ttp://www.j-theravada.net/pali/key-pakinnaka.html
縁起している世界を手放して超える
その直前までは

『仏そのもの』からの
単純な(純粋な)
canda(チャンダ)⇒意欲・やる気

純粋な canda(チャンダ)をもって
最終的には
縁起している世界を手放して超えていく

そのための
仏そのもの、の『智慧と慈悲』

ttp://www.j-theravada.net/3-jihi.html
慈悲の冥想
生きとし生けるものに
悟りの光が現れますように

戒・定・慧・解脱・解脱智見を実践するための
利他行も含めて
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧も慈悲も)

利他行も含めて
般若の智慧と慈悲

237神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 09:45:37.50ID:07bc4r5S
慧玄(えげん)が会裏に生死(しょうじ)無し

>京都妙心寺の開山、関山慧玄禅師(1277〜1360)の禅風は厳しく、遺書も語録もありません。
>ただ、三転語(心の眼を開かせる示唆に富む三つの言葉)という短い言葉が三つあるのみです。
>そのうちの一つが、この「慧玄が会裏に生死無し」の言葉です。

>或る時、僧の来參するを見て呵斥かせきす。
>僧曰く、「某それがし、特に生死事大、無常迅速の為にして来たる」。
>師罵ののしって曰いわく、「慧玄が会裏に生死無し」といって、便すなわち打っておい出だす。
http://rinnou.net/cont_04/zengo/090501.html

この関山慧玄禅師は生死即涅槃であると真に悟っていたのかもしれない?

238神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 09:59:46.52ID:hIRXZx5S
237.バカ丸出しである。生死即涅槃、か。

239因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 12:12:09.09ID:owI7fmQc
慈悲と意識するとそれは煩悩に変わる^ ^

第三者から見ての慈悲なんだよな^ ^

本人は慈悲と意識していない^ ^

ただ分別がないだけ^ ^

240因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 12:19:09.86ID:owI7fmQc
無分別の境地が第三者から見たら慈悲にみえるんだよな^ ^

241神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 12:50:57.03ID:zhZmvkdh
唯識助平

【奈良】世界遺産・薬師寺 最高位の僧侶が女性問題で辞任 ・
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1526395462/

242junkie- ooyama.2018/05/17(木) 13:39:33.11ID:/buv5+0A
>>233
本来自性清浄涅槃
有余依涅槃
無余依涅槃
無住処涅槃
だそうです。

243junkie- ooyama.2018/05/17(木) 13:41:09.17ID:/buv5+0A
>>234
お釈迦の説法も煩悩かいな?
無分別の分別じゃないの?

244junkie- ooyama.2018/05/17(木) 13:43:38.37ID:/buv5+0A
将軍様は無慈悲じゃw

245因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 14:34:42.74ID://3WjPrq
我執を断てば分別がなくなる^ ^

我執があるから分別する^ ^

無我の境地なんだよな

行き着く先は^ ^

246因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 14:37:52.53ID://3WjPrq
で問題は無我と慈悲である^ ^

無我ので慈悲が生起するかと^ ^

247因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 14:38:51.22ID://3WjPrq
ん?

無我の境地で慈悲が生起するかと^ ^

248因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 14:39:37.41ID://3WjPrq
それはありえん^ ^

249因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 14:41:51.35ID://3WjPrq
無我の境地で慈悲など必要ではない^ ^

そもそも分別がないのだから^ ^

250junkie- ooyama.2018/05/17(木) 14:44:30.33ID:/buv5+0A
一念三千。

仏にも悪心はありますよ?
分別もありますよ?

衆生を理解する為にね。

251junkie- ooyama.2018/05/17(木) 14:46:51.12ID:/buv5+0A
応身って言っても良いと思うけどね。

252junkie- ooyama.2018/05/17(木) 14:52:19.74ID:/buv5+0A
悪を知らなければ善に導けない。
分別を知らなければ無分別に導けない。

天台宗で言う善悪相即論だったっけ?

253junkie- ooyama.2018/05/17(木) 15:05:27.46ID:/buv5+0A
無住処涅槃。

254神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 15:10:09.26ID:zhZmvkdh
対機説法では衆生を分別して機根に応じて説法しているのだよ
何でもかんでも無分別にすればいいのではないのだよ

255因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 15:22:32.75ID://3WjPrq
いや分別は煩悩であると言ってるだけ^ ^

難しくはない^ ^

256因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 15:23:58.80ID://3WjPrq
故に慈悲も煩悩であると^ ^

257junkie- ooyama.2018/05/17(木) 15:31:21.87ID:/buv5+0A
いや、あれ程無住処涅槃と。
あれ程無分別の分別と。

分別と無分別の昇華が大乗仏教にあり、だから煩悩即菩提なんだけど。

258宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/17(木) 15:31:57.16ID:EcJe/TNV
>>217
『中論』はまったく薦められない...。
所詮、これは仏典ではなくゴータマとはまったく異なるもの。
弊害しか生まれない。

これに飛びつくのは、
うわぁ〜これカッケー!!! 凄い真理だぁぁぁ。
龍樹は超天才だなぁ〜これを読むオイラもイケてるぜぇ^^
ってのが、喜んで読むもの...

259宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/17(木) 15:33:38.56ID:EcJe/TNV
>>235
>『これは『法華経』以前の釈迦が説いた教えは、全て方便で説かれた物であるから成仏する道ではない、
>という爾前無得道論(にぜんむとくどうろん)に基づく主張で』
(『四箇格言/概要Wikipedia』)

五時八教説(天台大師智の大系)は古き迷信としての化石そのものです。
今時、まだこの所説を鵜呑みにして従ってるところというのは、
日蓮系の信奉団体くらいしかいないのでは?
この智がいう初歩レベルで幼稚な教えとしての阿含経(漢訳四阿含/南伝はパーリ五部聖典)だけが
“ブッダの教説としての研究対象”であって、それ以外のすべての大乗諸教は創作経典だというのが、
今日における近代仏教学の常識です。

 『文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)
などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊
が説法した」という文献学者はいない。』(Wikipedia)

260宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/17(木) 15:35:20.44ID:EcJe/TNV
 『ところが、この智の学説がなかなか巧妙に、かつ精妙に形づくられているところから、当時の人々 はいう及ばず、その後も
広く受け入れられて、それが、中国ならびに我が国の仏教者たちの経典に関する考え方を、ほとんど全く支配するに至った。その
ために「阿含経」に対する評価は、まったく好ましからざるものとなった。なんとなれば、彼によれば「阿含経」はものの解らな
い人々のために、程度を落として、きわめて卑近な、具体的な説き方をしたものだというのであるから、高遠な仏教の思想を知り
たいと思う人々は、皆この経を捨ててかえりみる者もなくなってしまって、「阿含経」を研究しようというような志を起す者はまっ
たく後を絶ってしまった。それもまた、智の学説を認める者にとっては、当然という他ないのである。--中略--

 第六世紀の後半にいたって、今もいう智の教判が成立し、その経典批判が広く行われるようになってからは、もはや「阿含経」
をかえりみる者はまったくなくなったといってよいのである。そしてこの経の悲しい運命がそこから始まり、それがそのまま我が
国におけるこの経の運命であった。
 だが、考えてみると、この運命を打開することは大変なことであった。なんとなれば、そこには優れた頭脳によっていとなまれ
た整然たる体系があり、それによって諸経の価値批判が与えられているからである。これを論破することははなはだ困難なことで
あったのである。かくしてこの経の運命はずっと近代にまで続いた。それは永い永い悲しい運命であった。だが、近代に至って、
いわゆる近代仏教学が起こるに至って、初めて智の体系が破れ、この経がやっと陽の目を見ることになったのである。』
(増谷文雄著『原始経典 阿含経』筑摩書房刊)

 『だが、近年にいたるに及んで、さしもの「五時の教判」も、ようやく、その圧倒的な影響力を失い、今では、もはやそれを顧
みるものも無きにいたった。その他方、この「阿含」と称せられる経典群こそが、根本仏教すなわち釈尊所説の原初的な姿を知る
べき最も貴重なる資料であることが知られてきたのである。』
(増谷文雄著『阿含経典・第1巻』総論-“阿含経”のめぐりあわせ/筑摩書房刊)

261junkie- ooyama.2018/05/17(木) 15:58:04.74ID:/buv5+0A
最古層の仏典が釈迦の直説であると仮説しても、仏教がその部分だけでは成立しないのは事実。

262神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 17:07:52.92ID:ApLAbcUC
哲学的に合理的に史学的に仏教をとらえよう。そのためには文献学を究めればよし。
そう考えた偉い学者の先生は、とうとう最古層の仏典を突き止め翻訳いたしましたとさ。
日本の伝統仏教界は、それを真に受けて、仏教学部で教える歴史的な仏教学説を
たくさん学びましたとさ。

方や仏教系の新興宗教は深いことは考えず、題目唱えれば幸せになれるを
キーワードに、庶民向けの折伏に明け暮れましたとさ。当然、五時八教も、
四箇格言も、五重相対も、含まれます。在家で日々の日常生活を送る彼らは
たいして学びませんでしたとさ。

善因善果、当然のことながら、後者は勝利し、前者は敗北することになりました。
そして、末法の世の中、釈迦の直説は顧みられることも無く忘れられたとさ。

263因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 17:42:19.19ID:DvlzekiZ
我執があ れば慈悲もある^ ^
我執がなければ慈悲もない^ ^

264junkie- ooyama.2018/05/17(木) 18:15:45.41ID:/buv5+0A
その寂滅したところから空即是色と還ってはたらくのが無住処涅槃。
寂滅にも涅槃にもとらわれない。

265おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/17(木) 18:57:55.91ID:ILbAI/T+
 
>>242
ご教示 アリガト m(_ _)m
  _  _  _

>>263 因縁果師匠へ
>我執がなければ慈悲もない

『仏そのもの』の
仏性からの真如縁起をもって
 → 種子と現行の頼耶縁起を観照する

何を観照するのか?

ttp://www.j-theravada.net/3-jihi.html
慈悲の冥想
生きとし生けるものに
悟りの光が現れますように

これが般若の智慧と慈悲でしょ?

266神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 19:03:07.63ID:DvlzekiZ
>>258
大乗仏教に対して度々批判的な発言をしお釈迦さまをリスペクトするスマナサーラさんをして
龍樹と道元は理論的には全く正しいと言ってるし中論は傑作といってます

ただ中論は哲学書であり実践がなく解脱の役には立たない
道元の瞑想法は理論的には正しいですが心を無にするのは無理とは言っていました(それ読んで受想滅定はどうなんだとは思いましたが

ちなみにスマナサーラさんは大乗仏教の中でも真言宗のような密教系はよくないと言っています
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2015/10/26/050000

>曹洞宗のお坊さんがたは、ものすごい立派な方もたくさんいるし、だからそういうお坊さんたちと仲良くして、
>いいところも悪いところも別に気にしないで付き合って、お坊さんたちの悪いところを言ったっても、お坊さんたちは気にしませんよ。
>すごく人格ができていますからね、別に問題はないんです。

>座禅会に行くのはかまいませんし、在家得度式を受けても一向にかまいませんよ。
>お坊さんは一生懸命だから、この人に仏縁を作ってあげよう、あげようと、頑張っているんですね。
>そのお坊さまが知っているの曹洞宗だから、曹洞宗の教えを教えているんです。それでいいでしょう。
>そのお坊さんがテーラワーダ仏教を教えようと思ったら、それは困りますよ。

>わたしが疑問に思うのは、真言密教みたいな密教系はあまりよくないんです……、あまりじゃなくて、よくないんです。
>そうでない限りは、好きなところに行って学んでみてください。

267神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 19:04:20.96ID:DvlzekiZ
ん?IDが複数の人と被っている…

268神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 19:22:09.12ID:ApLAbcUC
>>266
大乗仏教は実践知らずの頭でっかちか、よくないのどちらかしかない、ように読めるんだけど。
要するに、信仰する価値のない教えであると、慇懃無礼にけなしている。

269基地子菩薩2018/05/17(木) 19:28:32.10ID:tTL5hWT7
>>263

あちらを立てればこちらが立たず

ほんにお前は屁の様なにゃん?

南無南無 (-∧-)合掌・・・

270因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:20:51.33ID:LQJ6E4k3
簡単に言えば・・^^

我執のある境地で見れば慈悲はある^^

無我の境地で見れば慈悲はそこにはない^^

つまり・・^^

無我の境地で見れば慈悲は煩悩に見えるということや^^

271因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:23:16.63ID:LQJ6E4k3
「慈悲は煩悩である」なんて言ったら大変なことになるからな^^

これはここだけの話にしておこう^^

272因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:24:26.88ID:LQJ6E4k3
つまり・・・^^

見る境地の違いなんだな^^

273因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:26:58.04ID:LQJ6E4k3
まぁ無我の人には慈悲なんて想念は生起しない^^

自然体なんだよな^^

274因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:29:26.48ID:LQJ6E4k3
凡夫にとっては慈悲を意識しないと行為がなされないからな・・・^^

その違いや^^

275ポッタン師2018/05/17(木) 20:34:46.97ID:XgyD8DpT
271.
慈悲は煩悩である、か。

276神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 20:47:28.59ID:xiUxeTvv
質問箱が荒れてた頃が、
(一番ギスギスしてたけどw)一番熱かったし濃かったな・・。

今はもうスカスカだw

277因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:49:48.97ID:LQJ6E4k3
自他不二
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-daijo2/jitafuni-daijo.htm

う〜〜ん^^

対象のない慈悲ね・・^^

278因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:55:50.95ID:LQJ6E4k3
四無量心

慈、悲、喜、捨

おまいら捨がないから煩悩にかわるんだよな^^

279junkie- ooyama.2018/05/17(木) 21:04:14.47ID:/buv5+0A
やっぱり因縁果に無住処涅槃の理解は難しいか。

280因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:13:34.70ID:LQJ6E4k3
是の聖人は、吾我の相を破し、一異の相を滅するが故に、但だ因縁
の相続に従って諸欲を生ずるを観じ、以て衆生を慈念する時、和合
の因縁の相続して生ずるより但だ空なり。(中略)衆生は是の法の
空なるを知らず、而も常に一心に楽を得んことを欲す。聖人は之を
愍み、意に従って楽を得せしむ。世俗の法の為の故なり。名けて法
縁と為す。無縁とは、是の慈は但だ諸仏のみ有り。何となれば諸仏
の心は有為無為の性中に住せず、過去世未来現在世に依止せず、諸
仏は不実にして、顛倒虚誑なりと知りたまうが故に心に所縁なし。
仏は衆生が是の諸法実相を知らず、五道に往来し心諸法に著して分
別し取捨するを以て、是の諸法実相の智慧を以て、衆生をして之を
得せしめたまう。是を無縁と名く。(中略)悲心も亦た是の如し。

『大智度論巻第二十』

281因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:14:52.12ID:LQJ6E4k3
慈悲心に三種有り。衆生縁・法縁・無縁となり。
凡夫人は衆生縁なり。声聞・辟支仏及び菩薩は、
初は衆生縁にして後は法縁なり。諸仏は善く
畢竟空を修行するが故に名けて無縁と為す。
是の故に慈悲をも亦た仏眼と名く。

『大智度論巻四十』

282因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:17:15.61ID:LQJ6E4k3
天台「三縁の慈悲」

無縁の慈悲とは即ち如来の慈悲なり。
この慈悲と実相と同体にして
衆生の相を取らず、故に愛見に非ず、涅槃の相を取らず、
故に空寂に非ず、
空寂に非ざるが故に法縁の慈悲に非ず、愛見に非ざるが
故に衆生縁に非ず。二辺の相無き故に無縁と名く。

『摩訶止観巻第六』

283因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:18:37.99ID:LQJ6E4k3
うん?

なんか言った^^

ちょっと今とりこんでるので^^

284因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:25:50.25ID:LQJ6E4k3
対象のない慈悲・・^^

二辺の相無き故に無縁と名く・・・・^^

無縁の慈悲・・・^^

初めて知ったがなるほどね^^

天台らしいよな^^

285因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:31:32.14ID:LQJ6E4k3
「是の聖人は、吾我の相を破し、一異の相を滅するが故に、但だ因縁
の相続に従って諸欲を生ずるを観じ、以て衆生を慈念する時、和合
の因縁の相続して生ずるより但だ空なり。」

無我・・無分別の境地に住む聖人は・・・^^

吾我の相を破し、一異の相を滅するが故に、但だ因縁
の相続に従って諸欲を生ずるを観じ・・

以て衆生を慈念する時、和合
の因縁の相続して生ずるより但だ空なり。」

286因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:34:44.98ID:LQJ6E4k3
因縁の相続に従って諸欲を生ずる・・・^^

和合の因縁の相続して生ずるより但だ空なり。・・^^

う〜〜ん^^

寝る^^

287因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:36:49.45ID:LQJ6E4k3
徹夜はごめんこうむる^^

288因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:39:35.91ID:LQJ6E4k3
おまえらは・・是の法の空なるを知らず、而も常に一心に楽を得んことを欲す。
聖人は之を愍み、意に従って楽を得せしむ。世俗の法の為の故なり。
名けて法縁と為す

289因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 21:43:53.65ID:LQJ6E4k3
無縁とは、是の慈は但だ諸仏のみ有り。
何となれば
諸仏の心は

有為無為の性中に住せず、

過去世未来現在世に依止せず、

諸仏は不実にして、顛倒虚誑なりと知りたまうが故に心に所縁なし。


「諸仏は不実にして、顛倒虚誑なりと知りたまうが故に心に所縁なし。」

う〜〜ん^^

般若心経 と同じ表現してるな^^

290junkie- ooyama.2018/05/17(木) 22:17:47.89ID:/buv5+0A
やっぱり因縁果に無住処涅槃の理解は難しいか。

291神も仏も名無しさん2018/05/17(木) 22:47:56.40ID:07bc4r5S
栄西禅師がいわれるのに「みなの衆よ、あなた方が、いま用いている衣服・食料などを私から貰うのだ、と思ってはならぬ。
衣食ともに仏法を守る神々(諸天)が我々に供養して下さる所のものである。
私は、ただその取次役をしているだけだ。
また、あなた方はそれぞれ自分一生の分け前はちゃんと具わっているのだから、あくせく走りまわってはならぬ」と。このように常に導かれた。
まことにこの上ない美言であると思う 。
(道元 正法眼蔵随聞記)

あなた方はなぜ衣服のことで思い煩うのか。野
のユリがどのように育つかをよく考えなさい。
労したり,紡いだりしない。
だが,あなた方に告げるが,栄光を極めたときのソロモンでさえ,それらの一つほどにも装っていなかった。
では,神が,今日生えていて明日かまどに投げ込まれる野の草にこのように衣服を与えておられるのであれば,あなた方にはなおのこと衣服を与えてくださらないだろうか,信仰の少ない者たちよ。
「だから,『何を食べようか』,『何を飲もうか』,『何を着ようか』と言って思い煩ってはいけない。
こうしたものすべては,異邦人たちが追い求めているものだからだ。
あなた方の天の父は,あなた方がこうしたものすべてを必要としていることをご存じなのだ。
むしろ,神の王国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば,こうしたものすべてもあなた方に与えられるだろう。
(聖書 マタイ伝)

栄西とイエスは食物や衣服については神から与えられるものと見做していた
(イエスは食については空を飛ぶ鳥を喩えに神から与えられることを衣服の前段の教えで説いている)。
だから衣食についてあくせくしてはならないと。
覚者の思考には共通点がやはり多いのだと思う。

292神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 00:37:53.08ID:Ha18WiXk
慈悲心に三種あり。衆生縁と法縁と無縁となり。
凡夫人は、衆生縁なり。
声聞・辟支仏及び菩薩は、初めは衆生縁にして、後には法縁なり。
諸仏は、善く畢竟空を修行するが故に、名づけて無縁となす。
(『大智度論』)

293junkie- ooyama.2018/05/18(金) 02:30:11.76ID:79ELWysm
摂大乗論は一瞥する価値があると思うけどね。

294因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 03:22:51.07ID:nxSPXM30
衆生縁とは

凡夫及び有学の人の起す所にして、即ち一切衆生を縁じて怨親の別なく、
普く利益を得しめんと欲するを云い、

法縁とは

無学、或は辟支仏等の起す所にして、慈念を以って五蘊の法を縁じ、
人空を知らざる者を愍みて楽を得しめんとするを云い、

無縁とは

唯諸仏の所行にして、即ち仏は実相に住して無分別なるが故に心に所縁なく、
唯衆生をしてこの実相の智慧を得せしめんとするを云う。

悲喜捨に於いてもまたかくの如く、所縁に於いて異あるが故に
これを各三種に分別するを得るなり

295因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 03:32:12.71ID:nxSPXM30
「是の聖人は、吾我の相を破し、一異の相を滅するが故に、但だ因縁
の相続に従って諸欲を生ずるを観じ、以て衆生を慈念する時、和合
の因縁の相続して生ずるより但だ空なり。」

やはり・・

「吾我の相を破し、一異の相を滅するが故に・・・」

無我と無分別と慈悲か・・・^^

296因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 03:35:00.64ID:nxSPXM30
無縁とは

唯諸仏の所行にして、即ち仏は実相に住して無分別なるが故に心に所縁なく、
唯衆生をしてこの実相の智慧を得せしめんとするを云う。

仏は実相に住して無分別なるが故に心に所縁なく・・^^

無分別の言葉が出てくるが・・^^

これを言ってたんだな・・・^^

297因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 03:40:16.51ID:nxSPXM30
慈悲心に三種あり。衆生縁と法縁と無縁となり。

つまり・・・^^

無縁の慈悲をこのスレで言ってたと・・^^

衆生縁とは

凡夫及び有学の人の起す所にして、即ち一切衆生を縁じて怨親の別なく、
普く利益を得しめんと欲するを云い、

衆生縁は煩悩であると・・・^^

こうゆうことやな^^

298junkie- ooyama.2018/05/18(金) 03:41:14.13ID:LcgOj2mb
徳雲の閑古錐、幾たびか妙峰頂を下る。
他の痴聖人を傭やとって、雪を擔うて共に井を填む。

まさに空即是色、無住処涅槃じゃないか?

299因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 03:42:19.14ID:nxSPXM30
272因縁果 ◆d........o 2018/05/17(木) 20:24:26.88ID:LQJ6E4k3
つまり・・・^^

見る境地の違いなんだな^^

つまり・・・^^

見る境地の違い・・

慈悲心に三種あり。衆生縁と法縁と無縁となり。

これだったと・・・^^

300因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 03:45:13.75ID:nxSPXM30
う〜〜ん^^

納得や^^

301神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 09:50:31.85ID:4UipY+d7
貧しい村に行かれた釈尊

こんなエピソードがあります。
あるとき、お釈迦さまが弟子たちと托鉢(たくはつ)に出かけられました。
しばらくして、行く手が二股に分かれていましたが、
お釈迦さまが右に歩まれるとお弟子の一人が言いました。
「お釈迦さま、失礼ですが、道を間違われたのでは?
 こちらの道は、大変貧しい者の住む集落に向かいます。
 最近の飢饉で餓死する者まで、出ているところです。
 そんな村に托鉢に行かれても、布施する人はいないでしょう。
 反対の道ならば、大地主や大商人たちの住む町ですから、
 布施する人も多くありましょう」
それに対して、お釈迦さまは、こう仰有いました。
「道を間違えてはいない。
 この道が、貧しい村に通ずることは知っている。
 布施は貧しい者ほどしなければならないのだ。
 彼らが現在、餓死するほどに貧しいのは、
 過去世で欲深く、布施の功徳を積まなかったからである。
 布施を励んだ人は、恵まれた家に生まれ、
 施しをしなかった人は貧しいところに生を受ける。
 彼らは自らの報いを受けているのだ。
 貧しい中から、米一粒でも布施をして、功徳を積むならば、
 それにより、彼らは今の苦しい状態から、抜け出せる。
 長者の万灯よりも貧者の一灯、布施の尊さは量にはよらない。
 貧しさに苦しんでいる人ほど、布施をしなければならないのだ」
弟子たちは深く頷いたと言います。
http://bukkyouwakaru.com/rokudomangyou/fuse1.html

釈尊は衆生や集落を分別して貧しい村を選んで托鉢に行ってますね

302神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 11:23:40.43ID:Ha18WiXk
>>258
中論は我空法有の説一切有部に対するアンチテーゼで
有部では我空法有を説いたが中論(大乗仏教)では我空法空であると反論した。
簡単に言えば有部は五蘊皆有、中論(大乗仏教)では五蘊皆空。
ではどちらがゴータマの教えに近いのかというと、存在論においての場合は中論(大乗仏教)の方。

いろかたちは泡粒のごとくである。
感受は水泡のごとくである。
表象は陽炎のごとくである。
意欲・行為は芭蕉のごとくである。
識別作用は幻のごとくである。
と日の御子(ブッダ)は説かれた。
瞑想するにしたがって、それ(心身)を正しく考察するならば、
〔それは〕実体なく(リッタカ)、空虚(トゥッチャカ)である。
(『サンユッタ・二カーヤ』]]TT』)

初期の仏教では五蘊皆空でした。

303神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 11:24:01.25ID:Ha18WiXk
なお、説一切有部においても我空法有であり名色については五蘊が全てであり、
それ以外の真我のような常一主宰を認めていたわけではない。
あくまで我空(無我)であり、涅槃も無為法として認めるが涅槃においても我空(無我)であるとしている。

大乗仏教では涅槃は無為法としてよりもむしろ無住処涅槃、生死即涅槃という現世肯定な立場に立っての涅槃論が説かれることが多い。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1494147709
>小乗仏教においては、煩悩に満ちた日常生活からの自らの心の解脱を求めるもので、日常生活はさとりの境地と相反した否定されるべきものです。
>大乗仏教は一切皆空の教えにより、このような小乗仏教の教えを根本から否定し、穢濁に充満したこの現世こそが清浄な仏国土であると教えます。仏のいる仏国土とは衆生を離れた彼方に存在するのではなく、娑婆世界に存在するのだと説きます。
>『わが此の土は浄し。しかるに。汝は〔それを〕見ず。』(『維摩経』)
>『衆生の罪の故に、如来の仏土の厳(かざ)られ浄きことを見ざるなるなり。』(『維摩経』)
>「輪廻には、涅槃との何らの差異も存在しないい。涅槃には、輪廻との何らの差異も存在しない。」(『中論』25.19)
>「涅槃の極致、それは、また輪廻の極致である。それら両者には、極微細ないかなる差異も存在しない。」(『中論』25.20)

さて、初期仏教ではどうであったかというと、古い経典では現法涅槃が基本である。
https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/69816342.html
https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1814200.html?p=1
やはりここでも釈迦仏教に近いのは有部よりも龍樹(大乗仏教)の方なのかもしれない。

もっとも、有部も中論も大乗も本来の釈迦の教えではない、と思われるのなら「そうですか」としか言いようがないがw

304junkie- ooyama.2018/05/18(金) 11:43:47.47ID:drEZLJSZ
唯識の説を借りれば、煩悩には煩悩心所(6)・随煩悩心所(20)・不定心所(4)の計30種があるそうだけど、空即是色と還ったのちの慈悲や幸せを願う心がそのうちのどの煩悩に当てはまるのやらw

ま、ともあれ、いい機会だから成唯識論を紐解いて調べてみるか。

善悪相即、煩悩即菩提、無住処涅槃。

305おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/18(金) 13:58:09.66ID:r6vz1d/J
 
>>304 >…慈悲や幸せを願う心…

↓間違ってたら スマソ m(_ _)m

ttps://ci.nii.ac.jp/els/contents110007058779.pdf?id=ART0008993827
唯識説における「別境心所」の特色

…欲(chanda)
…「欲」は
勤(正勤=精進)を起こすもととなる勝れた心作用であると定義される
このことは、『倶舎論』(有部)には明説されなかったこととして注意されてよい
つぎに
欲の所縁となる「所楽の境」(「楽」はねがい求むる意味)の理解について…
(欲(chanda)以外にも、その他諸々…)

ttp://www.j-theravada.net/pali/key-pakinnaka.html
単純な(純粋な)
canda(チャンダ)意欲、やる気
(純粋に)何かを「やろう」とする働き
  _  _  _

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A8%98
仏に戻る
そのための障害(覆)がない無覆無記
に近いような感じかしらん?

↑間違ってたら スマソ m(_ _)m

306神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 14:11:41.81ID:7DuOhtui
>>303
初期仏教では二度と母胎に入らない、再生しないことを目的に修行して解脱して涅槃の境地に住するわけだから、
大乗の無量劫再生して菩薩行をする無住処涅槃は初期仏教とは違うね。

現世涅槃という点ではたしかに同じではあるけど。

307宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/18(金) 16:13:14.08ID:DuKzGr7s
>>261
私も、ゴータマの原始仏教がそのまま今の日本にとって適した信仰であるとは見なしてはいない。
本物の解脱を求める出家者という意味であるならば、今でも重視されるところが多々あるものとは思うけれども...。
また、大乗のすべてが無価値であるなどとは思わないし、
そしてまた、もしも対機説法のゴータマが、再び、我々の眼前に登場されたとしたならば、
当時の古代インドとは異なった教え、もっと現代日本に相応しい新しい教えを説かれた筈です。

>>261-262
私は、法華経信奉でも念仏でもいいけれども、
信仰は何でも自由だと思っているし、「これこれ然々の理由によって自宗派を信奉するんだ」
というのならば、それはそれで大いに結構なことだと思う。
けれど、嘘(信徒を騙すの)は止めましょう! 間違いは認めようよ!
ってこと。

308宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/18(金) 16:14:58.16ID:DuKzGr7s
>>266
スマ長老は、なかなか心が寛大ですね!(笑)
まっ、長老が密教の評価を最低とする理由は明白だけれど...。

この私は逆に、
密教を大乗の中でも最高位として評価して、そして、自分もこれを利用させて頂いている。
一言でいうと、密教というのは歴史上、インド大乗最後の切札として登場したものであり、
これまでの大乗としてのすべての経験値を内に持っている。
そして、唯一にして明確なバラモン譲りの不思議な呪力を発揮する仏教諸派だということ。
これにより、説法だけではどうにも救うことのできない庶民の苦悩を加持力によって軽減し、
人々の心に信仰心(神仏に対する感謝の念に始まる)を目覚めさせることができるもの。
顕教にはそれができない。

309宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/18(金) 16:16:17.93ID:DuKzGr7s
>>208
>無限に長い時間、みんなを救い続け、自分はいつまでも仏にならないという菩薩もいらっしゃいます。

批判的な見方を採れば、これは創作仏教である大乗というのは、
自らがブッダの時代のような即涅槃(及び現世の阿羅漢入り)はできないものとして
あきらめを自認していることの誤魔化しであるとも受け取ることができる。

しかし、もしもそうではなくて本気で主張してるのであれば、
神智学の説く奉仕の精神(他者に対する善行は無償の奉仕行為として説く)と通ずるものということができる。
見返りを求めずに無償で為される真の奉仕は自己の魂の持つ特質です。
この魂の特質が現れ始めた奉仕者は、自身の進化(救い)そのものについては無関心になっていく...。
つまり、忘我(自分のことはどうでもよくなる)の状態になる。

>>301
これはとても素晴らしい教えです。
私も、「布施」とは何かについて人に話す際にはこのエピソードをいつも語ります。

310神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 16:41:50.14ID:cvjX6SZ5
114junkie- ooyama2018/05/15(火) 13:03:51.83ID:NDwJnvNA

そんなに俺が気になるかw

何度も言うが悟りとか知らんし、まだ参禅中だよw

945日本鬼子 ◆3yNEHqeJlglY 2018/05/03(木) 21:53:34.98ID:pfuwmEER

大山君、粘着した時のエゴサ凄いんだねw

それが大山君の病気だよ?

960日本鬼子 ◆3yNEHqeJlglY 2018/05/03(木) 23:09:47.06ID:pfuwmEER>>961

大体、仏教スレで病気の煽りをしすぎなんだよ。
大山君は( ・∀・)

970日本鬼子 ◆3yNEHqeJlglY 2018/05/03(木) 23:32:15.40ID:pfuwmEER>>971>>973

病気で都合の悪い者をDisる事しか出来ない大山君。

醜い大山君( ・∀・)

311神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 16:47:34.77ID:cvjX6SZ5
103 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 20:48:37.22 ID:aLWscAki
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?

悟りを舐めてるわ、マジで。


こいつらは何年もこんな事やってんのかよ。オウム麻原と同属だな

101Junkie-Ooyama2018/04/20(金) 16:00:42.49ID:2kjZdeE1

Psychic Disorders Mens NET
(精神障害者ネット)

P〜ポタ公
D〜でおー
M〜元オウム
N〜日本鬼子
E〜栄進
T〜タ

312神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 17:37:11.13ID:Dm9Xjnj0
>>307
五時八教説の事?今は特段強調していないと思うんだけど。
創価学会任用試験講座のページがあるから、自分で確認すればいい。
https://ninyou-shiken2018.sokanet.jp/

313神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 17:52:44.36ID:Dm9Xjnj0
>>303
>やはりここでも釈迦仏教に近いのは有部よりも龍樹(大乗仏教)の方なのかもしれない。

比較すれば有部よりは近いかもしれないが、少なくとも悟りの直後の釈迦は世界を無記としていたと思う。
教団を持ちバラモンと争う中で、世界の有無に言及した可能性はあるが、それは釈迦の本質ではない。
前期釈迦 悟り直後の釈迦  我は無我、世界は無記
後期釈迦 教団を構えてからの釈迦 我は無我、世界は??
釈迦の仏説の本質は前期釈迦にあるのであり、慈悲や空らしきものを謳っている後期釈迦は、
言っちゃ悪いが釈迦自身のエピゴーネンに過ぎないと思っている。
パーリ語仏典を珍重して、歴史を遡っても、後期釈迦の教団指導上の方便がわかるのみで、
真の仏説はわからない。その点では、上座部も大乗も釈迦の教えから等しく遠く離れている。
そして、真の仏説を離れて宗教としての仏教を希求するのなら、別にすぐそこにある創価学会で
問題ないと思う。

314因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 18:30:12.86ID:nxSPXM30
貧しい村に行かれた偽釈尊^^

315因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 18:34:14.58ID:nxSPXM30
「過去世で欲深く、布施の功徳を積まなかったからである。 」

こんなことブッダちゃんが言う分けないだろう^^

316因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 18:35:02.18ID:nxSPXM30
アフォかと・・・ばかかと・・^^

317因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 18:36:31.19ID:nxSPXM30
小一時間問い詰めたい^^

318Junkie-Ooyama2018/05/18(金) 18:55:44.00ID:J/6Q0fAk
>>307
> けれど、嘘(信徒を騙すの)は止めましょう! 間違いは認めようよ!

これのどこが嘘なんだよw

> 最古層の仏典が釈迦の直説であると仮説しても、仏教がその部分だけでは成立しないのは事実。

319Junkie-Ooyama2018/05/18(金) 19:17:35.94ID:J/6Q0fAk
> 菩薩は生死と涅槃が異なっていると観ない。
> 智慧によっているので生死に定住せず、慈悲によっているので涅槃に定住しない。
> もし、生死に対して分別すれば、もう生死に定住することになってしまうし、
> もし、涅槃を分別すればすなわち涅槃に定住することになってしまう。
> だが、菩薩は無分別智を得ており、分別することが無いので、定住する処がないのである。
(摂大乗論)

うむ、実に明快だな、流石は世親菩薩(ヴァスバンドゥ)だわ。

無分別智が発現(はつげん)するからこそ、生死にも涅槃にも定住しない。

”涅槃だの無我だの分別するからそこに定住するのだ、ボケ!
無分別だからそんな処にゃ滞留しておらんのだ!ほれほれ!”

って事だな。

320Junkie-Ooyama2018/05/18(金) 19:30:04.25ID:J/6Q0fAk


すまん、一字抜けてたw

×摂大乗論
〇摂大乗論釈

321神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 19:35:54.36ID:Dm9Xjnj0
梵我一如の影響を受けすぎなんだよな。

我は有、世界は有 がバラモンだとすると、
我は無、世界は無 の大乗は批判しながらのパクリでもあると言える。

主客一体も、所詮は梵我一如の変形である。

どちらも劣化バラモンに過ぎないと言える。

釈迦の直説を明らかにしたいのなら、
梵我一如を捨て、別の視点からアプローチしたほうがいい。

322Junkie-Ooyama2018/05/18(金) 20:01:42.92ID:J/6Q0fAk
さて、唯識の五十一心所から「利他行(慈悲)」がどれに分類されるか考えてみましょうか。

大別すると「遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定」があると・・・
え?ん?心所の分類では善と煩悩(随煩悩)って分かれてるじゃないですか???

善の心所(11)を見ると「信・精進・慙・愧・無貪・無瞋・無痴・勤・軽安・不放逸・行捨・不害」とあるね。

「信」には「実・徳・能」があり、「能」とは善法を能く行い得ること、と。
「無瞋」とは、不都合怒らず排除せず、と。
「勤」とは、善を修し、と。
「行捨」とは、平等にして偏らない、と。
「不害」とは、いのちを憐れみ、他を悩ませない、と。


・・・利他行って煩悩じゃなくて善じゃないの?

323Junkie-Ooyama2018/05/18(金) 20:06:17.98ID:J/6Q0fAk
バラモン教
 我〜常・一・主・宰
 法〜任持自性、軌生物解

仏教
 説一切有部〜我空・法有
 大乗〜我空・法空
・・・仏教はいずれも刹那生滅説。

324Junkie-Ooyama2018/05/18(金) 20:14:51.03ID:J/6Q0fAk
>>305
ストレートに善の心所に視座を置いて利他行を見てみました。(>>322

325神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 20:25:08.30ID:mrwZYPbo
>>308
>そして、唯一にして明確なバラモン譲りの不思議な呪力を発揮する仏教諸派だということ。
>これにより、説法だけではどうにも救うことのできない庶民の苦悩を加持力によって軽減し、
>人々の心に信仰心(神仏に対する感謝の念に始まる)を目覚めさせることができるもの。

――― 相応部経典 42,6 西地人

ある時、ブッダはナーランダ(那羅陀)なるパーヴァーリカンバ(波婆離迦菴羅)林にいらっしゃいました。その時アシバンダカプッタ(刀師子)という部落の長がブッダを訪ね来たって、ブッダを拝して、問うて申しました。
「大徳よ、西の方から来たバラモンは水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火神につかえ、死んだ人々を天界に昇らせることができると聞きました。
大徳は広く世人の尊敬を受けられる覚者でいらっしゃいますが、大徳もまた、人々の身が壊れ、命が終って後、善趣天界に上生せしめることがお出来になるのでしょうか。」
「部落の長よ、では、私から、あなたに問うてみたい。あなたの思うとおりに答えてみるがよい。
部落の長よ、あなたはこれをどのように思うであろうか。ここに一人の人があって、人を殺し、物を盗み、偽りを言いなど、あらゆる邪まの業をなしたとするがよい。
そこに大勢の人々が集まり来たって、――この人が死んで後は善趣天界に生まれるように――と、祈祷し、合掌したとするならば、あなたはどのように思うか。
この人は、この大勢の祈祷合掌の力によって、死後、天界に生まれることができるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、彼は天界に生まれることはできますまい。」
「部落の長よ、たとえば、ここに一人の人があって、深い湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。
その時、そこに大勢の人々が集まり、――大石よ、浮かび上がれ、浮かび上がって陸にのぼれ――と、祈祷し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、あなたはどのように思うか。
その大きな石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かび上がって陸にのぼるであろうか。」

326神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 20:26:28.07ID:mrwZYPbo
「大徳よ、いいえ、大きな石が浮かび上がって陸にのぼるはずはありません。」
「それと同じことである。
あらゆる邪悪の業をつんできたものが、いかに祈祷し合掌したからといって、死後、天界におもむく道理はない。その人は、身が壊れ、命が終わって後は、悪趣地獄に生まれるほかはないのである。
 では部落の長よ、さらに、あなたは、このような場合には、どのように思うであろうか。
ここにまた、一人の人があって、生きものを害せず、人の物を盗まず、偽りを語らず、あらゆる善き業をつんだとするがよい。
しかるに、大勢の人々が集まり、この人が死んで後は悪趣地獄に生まれるようにと、祈祷し、合掌したとするならば、どうであろうか。
あなたはどのように思うか。この人は、人々の祈祷合掌の力によって、死後は地獄に生まれなければならぬのであろうか。」
「大徳よ、いいえ、そのような人が地獄に落ちるはずはありません。」
「その通りである。
たとえば、ここに一人の人があって、深い湖の中に、油の壷を投じたとするがよい。そして壷は割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。
その時、大勢の人々が――油よ、沈め、油よ、水の底にくだれ――と祈り、合掌して、湖の周りを回ったとするならば、その油は人々の祈祷の力によって沈むであろうか。」
「いいえ大徳よ、油が水の底に沈むはずはありません。」
「それと同じことである。
あらゆる正善の業をつんできたものは、いかに祈ったからとて、合掌したからとて、その力によって死後、地獄におもむくはずはない。
その人は、身が壊れ、命が終わって後は、善趣天界におもむくことは必定である。」
このように教えられた時、部落の長は、ブッダにこのように申しました。
「善いかな大徳よ、
たとえば倒れたものを起こすように、覆われたものを啓(ひら)くように、迷える者に道を示すかのように、また眼(まなこ)ある者は見よといって、暗闇の中に灯し火をもたらすかのように、世尊は種々の方便をもって、法を説き示された。
願わくは、今日より終世かわることない帰依の信者として、私を許しお受け下さい。」

327神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 20:37:17.31ID:mrwZYPbo
>>325-326の相応部経典の仏説からは、釈迦は呪文や祈祷や式典を否定するのみにあらず、葬式までをも否定しかねなかったというのがうかがえる

今の世でいえばいくら葬式で花をあげて立派で高い戒名をつけて焼香してお経をあげようとも極楽浄土にはいけない
涅槃や浄土や天界にいけるかいけないかはそういったものの力ではなくあくまで生前の善行為による善業の力である
悪業を積んだ者はいくら立派な葬式をしても地獄に落ちるということになるね

328基地子菩薩2018/05/18(金) 21:19:52.72ID:oj/vGRvO
>>327

やらない善よりやる偽善如何に?

南無南無 ( ´•人•` )

329神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 21:24:36.81ID:Dm9Xjnj0
祈ること=生きる意味を実感させることなんだよね。
まあ、神はいない、祈りもない、それで評価を得られていたと言うことは、
それだけ教えが優れていたことの証にもなるけど。

ただ、肝心の教えが善因善果なら、別に釈迦が出張る必要は無い。
対バラモンとしてはそれでもいいが、その程度のものを「法」を説いたと
珍重していることに、違和感を覚えた。

330神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 21:25:28.38ID:WWGqrLyV
くだらんスレになったな・・w   >>パーピ

331神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 21:27:37.40ID:WWGqrLyV
>>宝珠

再度言う。

「涅槃」が、「境地」なれば、自動的に「無我」だろ? とw

332神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 21:34:39.28ID:WWGqrLyV
◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集

〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/602

〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/643

333パーピマン2018/05/18(金) 22:31:17.49ID:1j89at9q
>>330
>くだらんスレになったな・・w   >>パーピ

wwwwwwwww

そういうな、セブンw

このスレに限らず、仏教系スレは全部、そうだろ?
以前みたいに長文で反論する気も起らない書き込みばかりだから、
書き込み頻度も激減w

流し読みばかりだわw

334神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 22:40:47.22ID:ctfP+wkY
セブンお前が何か面白いこと書けよw
お前の絶望的なまでに頓珍漢な比喩で笑ってやるからさ

335神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 23:06:59.12ID:WWGqrLyV
>>334
過去スレ過去レス漁って肴にすればいいじゃないかwww

膨大な量ある筈だから、「ああ、ああ、あんなこと言ってたw」と、思い出し乍ら
3年は晩酌できるくらいの発言はしてると思うが?

336神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 23:15:14.07ID:RXFjtu06
>>335
いや、新しいネタで面白いこと書くのだ!
くだらんスレになったと思うのなら(>>330)自分からネタを投稿するくらいすればいい
反応してやるからw

337神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 23:35:39.43ID:WWGqrLyV
>>336
お釈迦さんだって、晩年は、同じことしか言ってなかったかもしれんぞ?w
(ああ・・、世尊はまた同じ話してる・・・(苦笑 )と。
  ※だからこそ、食事に呼ばれた際の定型句が成立したのかもしれんしw



菩提樹下の逡巡を思えば、わざわざ徒労を選ぶには膨大なエネルギーが要るのさ。
ワシは『菩薩』じゃないんで、雪で井戸を埋めるほどの慈悲は持ち合わせてないよ。

338因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 23:35:44.54ID:nxSPXM30
「3年は晩酌できるくらいの発言・・・」

331 名前:神も仏も名無しさん 2018/05/18(金) 21:27:37.40 ID:WWGqrLyV
>>宝珠

再度言う。

「涅槃」が、「境地」なれば、自動的に「無我」だろ? とw


確かに^^

339因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 23:38:26.88ID:nxSPXM30
う〜〜ん^^

この「自動的に」が難解やな・・・^^

340因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 23:41:02.34ID:nxSPXM30
内容はともかくとして・・・^^

この「自動的に」で3年は晩酌できるかもしれん^^

341因縁果 ◆d........o 2018/05/18(金) 23:54:00.60ID:nxSPXM30
「無我即涅槃」か・・^^

「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「輪廻即涅槃」・・^^

う〜〜ん^^

ちょっと表現がくるしいか^^

342神も仏も名無しさん2018/05/18(金) 23:56:54.00ID:WWGqrLyV
馬鹿だな・・お前ら・・・


≪「誰それの」「涅槃」≫(→「私の」「貴方の」「涅槃」)
と考えるから、主体が欲しくなるんだよ。

343神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:03:35.94ID:JzHGooXC
>>337
セブンらしい実にくだらんレスだな・・・w

344因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:03:57.50ID:+2QatKRo
「主体が欲しくなるんだよ。」

う〜〜ん^^

欲しくなるんじゃなくて・・・^^

思考がすでに我から生起してるからね^^

345因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:05:51.68ID:+2QatKRo
「涅槃」と思考すれば必然的に我を伴う・・^^

ということは・・・^^

無我であれば・・・^^

346神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:06:00.65ID:JzHGooXC
>>342
>≪「誰それの」「涅槃」≫(→「私の」「貴方の」「涅槃」)
>と考えるから、主体が欲しくなるんだよ。

考えてるのはセブン、お前だけだ
お前の脳内の妄想だw

347因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:10:33.66ID:+2QatKRo
無我であれば戯論寂滅の境地に到ると^^

348Junkie-Ooyama2018/05/19(土) 00:10:34.63ID:hb0IDe1+
> 思考がすでに我から生起してるからね

ん?
無我なのに思考が我から生じるのか?

我と思考は同時に生じるんじゃないの?(相互依存性縁起)

349因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:11:54.25ID:+2QatKRo
『(涅槃とは)一切の知解(ちげ、獲得・対照的知識)が滅し、
戯論が滅して、寂静なる(境地)である。」

これなんだよな・・^^

350神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:12:42.32ID:sy1qM6Vi
>>343
お前はホントに馬鹿だなw


仮に、ワシが何か書き込んだとしても、
それに、(ワシが反応仕返したくなるようなw)レスが返ってこないなら徒労だということ。
君が面白いと思うかどうかの問題じゃないw 私が、いいリアクションだと受け止め還せるようでないなら一緒。
だから、(逆に)、
君が面白いと思うレスを、過去レスから探せ、と言っている。

君の期待に応える自信はないし、
また、自分が期待する反応が返ってこないことも分かってる(―実際に、ここ数年は噛みつかれてハッとすることもない―)しw

351因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:13:40.43ID:+2QatKRo
「涅槃」と思考すれば必然的に我を伴う・・^^

ゆえに・・^^

『(涅槃とは)一切の知解(ちげ、獲得・対照的知識)が滅し、
戯論が滅して、寂静なる(境地)である。」

となる^^

352神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:15:10.60ID:sy1qM6Vi
>噛みつかれてハッと


その意味で、一代との出会いは貴重だったよ。
今更ながら礼を言いたいくらいだw

353神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:18:44.48ID:sy1qM6Vi

354因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:27:58.11ID:+2QatKRo
中論

「業と煩惱と滅するが故に 之を名づけて解脱と爲す

業と煩惱とは實に非らず 空に入れば戲論滅す」


「諸法實相とは 心行言語斷じ

生無く亦た滅無く(無生亦無滅にして) 寂滅なること涅槃の如し」


う〜〜ん^^

これやな・・^^

355因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:32:45.01ID:+2QatKRo
思考がすでに我から生起してるからね^^

「心の作用領域(対象)が止滅するときには、言語の〔作用領域(対象)は〕止滅する。
まさに、法性(真理)は、不生不滅であり、ニルヴァーナ(涅槃)のようである。」

う〜〜ん^^

似てるな・・・^^

「ニルヴァーナ(涅槃)のようである。」

この表現がうまい^^

356因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:34:45.35ID:+2QatKRo
つまり・・^^

346神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:06:00.65ID:JzHGooXC>>353
>>342
>≪「誰それの」「涅槃」≫(→「私の」「貴方の」「涅槃」)
>と考えるから、主体が欲しくなるんだよ。

「主体が欲しくなるんだよ。」・・ではないと・・^^

こうなる^^

357因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:36:13.47ID:+2QatKRo
「「誰それの」「涅槃」≫(→「私の」「貴方の」「涅槃」)と考えるから、
主体が欲しくなるんだよ。」

これと・・

「心の作用領域(対象)が止滅するときには、言語の〔作用領域(対象)は〕止滅する。
まさに、法性(真理)は、不生不滅であり、ニルヴァーナ(涅槃)のようである。」

まったく似てない^^

358因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:37:41.01ID:+2QatKRo
「思考がすでに我から生起してるからね^^」

「心の作用領域(対象)が止滅するときには、言語の〔作用領域(対象)は〕止滅する。
まさに、法性(真理)は、不生不滅であり、ニルヴァーナ(涅槃)のようである。」

やや似てる^^

359神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:39:25.50ID:o3b2Gtmd
>>344
思考は我ではないよ

360因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:39:44.63ID:+2QatKRo
うん?

「主体が欲しくなるんだよ。」

我執と考えろばそうでもないか^^

361因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:42:25.46ID:+2QatKRo
359神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:39:25.50ID:o3b2Gtmd
>>344
思考は我ではないよ

真理追求の思考は我から生じないかもしれん^^

362因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:44:34.04ID:+2QatKRo
唯識でみると・・^^

第十乾栗陀耶識・・仏覚、無上覚・・仏の世界
 ↓
・・・・・・・・・・解脱・・・・・・・・・・
 ↓
第九阿摩羅識・・仏性
 ↓
・・・・・・・・・・悟り・・・・・・・・・・
 ↓
第八阿頼耶識・・貯蔵意識→大円鏡智(自然をありのままに映す(見る))
 ↓ ↑
第七末那識・・・自我意識→平等性智(その自然の中に自分も溶け込む(一体化))
 ↓
・・・・・・・・無意識(90%)・・・・・・・・・ 
 
・・・・・・・顕在意識(10%)・・・・・・・・・
 ↓
第六意識・・思考意識→妙観察智(その自然の動きを正しく観察すること)
 ↓
 五識・・感覚─(目・耳・鼻・舌・身)→成所作智(その自然の動きに対応して正しく行動すること)

第一眼識・・視覚
第二耳識・・聴覚
第三鼻識・・臭覚
第四舌識・・味覚
第五身識・・触覚
 ↓
(外界)

363神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:44:56.36ID:o3b2Gtmd
>>361
真理探究してるのも、涅槃を求めてるのも、そのような活動が起こっているのも、わたしの意思によるのではなくて、タイミングの問題

364因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:46:45.29ID:+2QatKRo
第七末那識・・・自我意識から第六意識・・思考意識が生じる・・・^^

359神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:39:25.50ID:o3b2Gtmd
>>344
思考は我ではないよ

とするならば・・・^^

365因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:48:15.24ID:+2QatKRo
タイミングの問題 か・・^^

う〜〜ん^^

難しい^^

寝る^^

366神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:48:49.80ID:o3b2Gtmd
>>362
意識が円鏡で、その、意識を貫通してるのが、阿頼耶識で、個人的なものでないもの
その状態でいるのが、安楽であるから、涅槃

367神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:51:00.51ID:JzHGooXC
>>350
>それに、(ワシが反応仕返したくなるようなw)レスが返ってこないなら徒労だということ。

ハイ!正体現れたw
セブンは結局はこれがしたかっただけw
人格的には下の下だな
何のために仏教で何年も議論してるのかがよく分かる
つまらない自己顕示欲と暇つぶしだ
煩悩の塊ここに極まり
反応仕返し?
馬鹿言うんじゃありませんw
その前に自己の向上に努めなさい
反応仕返し?
人格下劣な椰子に反応仕返しされても仕返しと感じられんわなw
あ、下劣だから仕返しなどという発想が出てくるのかw


正体突き止めたからもう相手するのやめたw

368因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:51:18.86ID:+2QatKRo
唯識だと第七末那識・・・自我意識が平等性智に変ると言ってるが・・^^

無分別智のことだろうな・・^^

369因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:52:53.55ID:+2QatKRo
>>366

正解^^

370神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 00:55:35.37ID:o3b2Gtmd
>>368
執着をとることと、その、方法
それが大切なの
不生という知識を手に入れる必要はあるかもしれないけど、知っても、解脱はしてない

371因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 00:58:42.18ID:+2QatKRo
結論

>≪「誰それの」「涅槃」≫(→「私の」「貴方の」「涅槃」)
>と考えるから、主体が欲しくなるんだよ。

ではなく・・^^

第七末那識・・・自我意識から第六意識・・思考意識が生じてる・・
つまり・・^^

「思考がすでに我から生起してるからね^^ 」

が正解^^

372因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 01:00:34.14ID:+2QatKRo
そんなことより・・^^

「涅槃」が、「境地」なれば、自動的に「無我」だろ? とw

この「自動的に」が難解や^^

373神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 01:02:17.36ID:o3b2Gtmd
>>372
涅槃なんてないよ

374因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 01:04:05.57ID:+2QatKRo
>>370

そうなんだよな・・^^

執着をとること・・・

ゆえに「空」「縁起空」を説きはじめたんだよな^^

375Junkie-Ooyama2018/05/19(土) 01:08:23.39ID:hb0IDe1+
・・・思考が我から生起するとすれば、それは我を認めることになるので、仏教の無我説に反するな。

唯識説によれば、思考(第三能変中の第六識である意識)は心所として遍行に分類され、

触〜認識対象との接触
作意〜心の起動
受〜苦・楽・それ以外の判別
想〜自己の枠組みへの当てはめ
思〜認識対象への働きかけ

というはたらきに分けられる。

ところで、第六識である意識は「我」に他ならない。
また、第六識である意識(=我)は、阿頼耶識が転変して見分と相分に分かれた際に生じるものなので、「無い」、まさに無我。

376因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 01:08:59.10ID:+2QatKRo
373神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 01:02:17.36ID:o3b2Gtmd
>>372
涅槃なんてないよ

そうだよね・・・^^

言葉で表現できないからね^^

龍樹ちゃんも・・

「ニルヴァーナ(涅槃)のようである。」

と言葉にしていない^^

377神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 01:14:10.55ID:o3b2Gtmd
>>374
色受想行識は空である
空とは、真我のように、把握されるものではなく

であるからして、そこに我はいない
しかし、我と見て、感じて、様々な働きに、一体化しているから、勘違いして、苦しむ
これをシフトさせる方法
実質的な、もの
が重要であって、知識は補助的に役立つもの
空といって、何かあるわけじゃない
と、今は、思う
突き抜けた何かが、残ってたら、それに縛られて解脱はしない
涅槃もない
涅槃はない
涅槃というのは、その、なんとも言えないものに名付けてみただけのこと
かもしれん

378Junkie-Ooyama2018/05/19(土) 01:16:13.56ID:hb0IDe1+
>>375(続き)
つまり、「思考」と「我」は、阿頼耶識が認識対象と接触し見分と相分に分かれた際、その転変・遍行により同時に生じる。

我から思考が生じるのではない。

379Junkie-Ooyama2018/05/19(土) 01:21:14.05ID:hb0IDe1+
・・・思考が我から生起するとすれば、それは我を認めることになるので、仏教の無我説に反するな。

唯識説によれば、思考(第三能変中の第六識である意識)は心所として遍行に分類され、

触〜認識対象との接触
作意〜心の起動
受〜苦・楽・それ以外の判別
想〜自己の枠組みへの当てはめ
思〜認識対象への働きかけ

というはたらきに分けられる。

ところで、第六識である意識は「我」に他ならない。
また、第六識である意識(=我)は、阿頼耶識が転変して見分と相分に分かれた際に生じるものなので、「無い」、まさに無我。

つまり、「思考」と「我」は、阿頼耶識が認識対象と接触し見分と相分に分かれた際、その転変・遍行により同時に生じる。

我から思考が生じるのではない。

380神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 01:33:58.01ID:o3b2Gtmd
思考、感情、動作、本能、性、感受性、意識
これらの要素は自然、縁によって、原因によって、様々に変化していく
これらの機能は、わたしの意志によってあるのではなくて、あらゆる出来事が、反応しあって、このように、ある
そのもとは、もちろん意識である
この意識を真我と呼ぶ
しかし、この意識の永遠の実在は、輪廻しつつ、よくはわからないが、因果の中で、様々には変転しつつ苦しまねばならない
なぜなら、苦しみであると気付いてないからだ
ここに幸せな生存があると信じて疑わず、悟ったりなさるからだw

381因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 06:39:00.46ID:+2QatKRo
「思考がすでに我から生起してるからね^^ 」

「思考(分別)によって、我執が生じ苦悩が生じる^^」

卵が先か・・にわとりが先か・・^^

で3年は晩酌できるかもしれん^^

382因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 06:40:15.34ID:+2QatKRo
ちなみに酒は飲まんけど・・・^^

383因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 06:49:51.19ID:+2QatKRo
なぜ分別するのか・・・^^

簡単に言えば無明だからとなる^^

無明ゆえに分別し迷う^^

384因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 06:52:34.07ID:+2QatKRo
つまり・・^^

我と他のものを分別し迷うんだよな・・^^

これが^^

385因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 06:54:39.70ID:+2QatKRo
そして・・・^^

「思考(分別)によって、我執が生じ苦悩が生じる^^」

我があると考えるゆえに苦悩が生じる^^

386因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 06:57:45.05ID:+2QatKRo
で・・その我を自己のうちに探してみるtとそこにはない^^

仮の姿だったんだよな^^

部品はあっても車はそこにはないと・・^^

387因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 07:02:14.97ID:+2QatKRo
でだ・・・^^

そこで真我の問題となる^^

388因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 07:04:25.88ID:+2QatKRo
「真我とは何か」・・^^

う〜〜〜ん^^

これはまた後で・・・^^

389因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 07:18:53.75ID:+2QatKRo
真我の探求『私は誰か?』マハルシの教え−聴きものがたり
https://www.youtube.com/watch?v=l34W5N0Y_Wg

まぁね・・・^^

390因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 07:51:49.70ID:+2QatKRo
ラマナ・マハルシ:想念の根源
https://www.youtube.com/watch?v=JSf1ODmCyhI

391因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 08:14:26.17ID:+2QatKRo
想念が静まると智慧が生ずると仏教では説かれるが・・・^^

真我と智慧か・・^^

392因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 08:17:30.24ID:+2QatKRo
「無我だ、無我だというのはお前の自我だと言われそうですが(笑)」

なるへそ^^

393パーピマン2018/05/19(土) 08:42:07.01ID:YoJ7OeFn
>因縁果 ◆d........o

え〜〜とですね、
その短文による独白の連投のスレの消費は止めてください。

誰かの意見に異論、反論、もしくは疑問等がありましたら、アンカーをつけて
提示するように。

394ポッタン師2018/05/19(土) 08:43:10.58ID:9suJFR+3
391.392.
それは心理学である。

395神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 08:47:01.81ID:sy1qM6Vi
そうか。。。

敢えて、誤解・語弊を恐れず 「場所」 的表現をとるならば、

「涅槃に入る(を見る)」とは、
(公営の)公園に行くようなもんだ。

さて、その公園は、
≪誰の(家の)庭に≫あるのか?
≪誰の所有する≫公園なのか?
≪誰それの好みに合った≫もの(ある特定の個人にだけ合う(該当する)もの)なのか?
だとするなら、他の人間には合致しない、該当しない、他の人間は所有しない・使用できない・・・etc.etc.
めんどくせ・・w

そういう【限定的な】要素を持たないからこそ、正しく一心に行じた者が、
(例外なく)【見る】ことができる、そのような境地として【常に】【ある】、と言われるのではないかい?
>>ALL


>>360>>372
自分でどっかサイト探して、>>332 の過去レス読んで来いよw
西洋的思考そのものが、反仏教的なんだよ。


>>367
仕返しという漢字・言い方になったからといって
「復讐」「やり返す・やり込める」という意味で受け止めるお前の金玉の小ささに笑うわw

子供をあやす・構う時は、
単純にリアクションが可愛らしくて、
(それを期待して、そのリアクション・反応を感受することが幸福だから(それらを欲するから))
大多数の大人(或いは兄弟姉妹、親戚の(その子よりちょっとだけのw)お姉さんお兄さん)は、
子供を構うのさ。

396神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 08:51:24.11ID:JzHGooXC
>>395
お前が一番コドモなことに気づけよ、セブンww

397因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 08:58:17.52ID:+2QatKRo
わかった^^

すまん^^

398因縁果 ◆d........o 2018/05/19(土) 09:09:16.66ID:+2QatKRo
「外道の独り言」のスレだから・・^^

つい独り言を言ってしまった^^

399承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/19(土) 09:19:10.77ID:M556W+vg
>>395
仏陀をチャンつけするような奴に仏教はどうのと言う奴もバカだよ。(笑)

(^。^)相手はあのイカだぞ。(笑)

400神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 11:02:07.25ID:sy1qM6Vi
>>396
>お前が一番コドモ
うむw  その通り。
だから、いつまでも2chがやめられないw

401神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 11:04:37.07ID:g3orexUq
>>395
  私の誤解かもしれませんが、他の宗教では、誰かが空無辺処定まで行った形跡はありません。
「色界には進んでいる」と分かる話は、現代でも瞑想体験がある人のテキスト、
例えばラーマクリシュナの言葉を読んでみますと、色界第一禅定くらいは経験がある感じはしますが、
それでもまだ、「神がいる」とか「魂がある」とか「梵天がいる」などという状態なのです。

 無色界の禅定では、今まで味わっていた第五禅定までの尊い体験があっさり消えて、何もない真空状態を認識するのです。
そうすると心の波がさらに細かくなります。 概念・考えることはまったくない。ただいるだけ。
いるだけで何も見えない。何も聞こえない。身体の感覚はまったく感じない。自分がここにいるという概念さえないのです。
その人の身体はきれいに消えています。この無色界の禅定では呼吸もしません。
大変勝れた処 ?yatana(状態・レベル・state)なのです。
その人は、無辺たる真空の状態 ?k?s?nanc?yatana を体験して、その状態を観察します。それが無色界の第一番目の禅定です。  

アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第2巻 心の分析)

402神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 11:05:14.47ID:g3orexUq
スマナサーラさんによるとその
>正しく一心に行じた者が、 (例外なく)【見る】ことができる、そのような境地として【常に】【ある】、と言われるのではないかい?
この正しく行じることができるのは仏教徒だけ。
ヒンドゥー教の聖者として有名なラーマクリシュナでも色界第一禅定止まりでした。
なぜ数か月間無分別三昧に入ったと言われる(呼吸もしており妻から口元に水を運んできてもらって飲んでいたから滅尽定ではない)
ラーマクリシュナをしても色界第一禅定止まりだったのでしょうか?
これは、スマナサーラさんが仰るところでは、魂論・真我論・有神論・などの観念信仰からラーマクリシュナといえども抜け出せなかったので、
正しく真実を見抜く眼力を持つことができなかったからのようです。

スマナサーラさんが大乗仏教を批判するときも仏性・如来蔵・阿頼耶識・法身仏など立ってているから。
別に龍樹の空論は間違っているなどとは批判しません、中論は道徳とは結び付かないとは批判しますが。
せっかくお釈迦様は脱バラモン化して迷信を除去して自ら観察して確信するという道を打ち出したのに、
大乗仏教になって仏性・如来蔵・阿頼耶識・法身仏などを立てヒンドゥー教に戻ってしまい観念論になり真理の道から遠くなってしまったことを嘆いているのです。

同様にスリランカやタイのテーラワーダ僧であってもお金をもらって占いなどしている神秘主義を売り物にしている僧がいることを長老は嘆いています。

403神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 11:22:11.23ID:k+gTETd5
>>402
なぜ嘆く必要があるのか

404神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 11:27:45.51ID:g3orexUq
>>403
神秘主義はお釈迦さまの教えじゃないし
なおかつお金をもらって占っているからでしょうね

405基地子菩薩2018/05/19(土) 12:10:09.65ID:OaChmNby
実の所は釈迦が何を語ったかは

最早誰にも分からない謎にゃん♪

過去の偉人聖人に頼るよりも今

現在生きている人間を検証する

べきにゃん♪

南無南無 ( ´•人•` )

406おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 12:55:48.77ID:QPyEGAYO
 
>>379 Junkie-Ooyama師匠へ
>…善の心所に視座を置いて…

ttps://www.yuishiki.org/category/%E5%94%AF%E8%AD%98/%E5%BF%83%E6%89%80%E6%9C%89%E6%B3%95/
唯識学会


<善>の心所は
十一に分析される(信、慚、愧、無貪、無瞋、無癡、勤、軽安、不放逸、行捨、不害)

5)真の<信>とは、「仏と(仮設としての)我と一体」
  _  _  _

中観帰謬派とかの場合だと

この「仏と(仮設としての)我と一体である」と
掴もうとしている想いも手放して超えていく
ということかもしれないけど

↑間違ってたら スマソ m(_ _)m

407神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 13:02:14.56ID:rNwAN/At
佐藤暁 ホームレス 臭い 芸能詐欺 不潔 パワハラ くさい 臭芋 失踪
佐藤暁 異臭 詐欺 警察沙汰 唐澤貴洋 ストーカー デヴィ夫人 セクハラ アトレク
佐藤暁 左足壊死ニキ 父親 左足壊死ニキの息子 いじめ 裁判 逮捕 悪臭 東京アトレク放送局
佐藤暁 ちばけんま 北順佑 臭い 芸能詐欺 ホームレス 不潔 パワハラ くさい
佐藤暁 臭芋 失踪 詐欺 唐澤貴洋 警察沙汰 デヴィ夫人 ストーカー アトレク
日下亜季 父親 左足壊死ニキ セクハラ いじめ 左足壊死ニキの息子 逮捕 異臭 悪臭
佐藤暁 ちばけんま 東京アトレク放送局 裁判 臭い 芸能詐欺 ホームレス 不潔 くさい
日下亜季 北順佑 失踪 臭芋 パワハラ 唐澤貴洋 警察沙汰 デヴィ夫人 詐欺
日下亜季 ストーカー アトレク 左足壊死ニキ 父親 いじめ 逮捕 セクハラ 左足壊死ニキの息子
日下亜季 裁判 悪臭 異臭 ちばけんま 臭い 東京アトレク放送局 くさい 芸能詐欺

408ポッタン師2018/05/19(土) 13:03:34.13ID:1uGKglsF
406.手放してバカになること、であるか。

409神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 13:13:45.04ID:icry0jo1
>>405
涅槃についても例のウダーナの涅槃に関した経典は仏説かどうかはかなり怪しいと思うw
http://d.hatena.ne.jp/pali/touch/20120918/p1

涅槃について「地も、水も、火も、風もなく〜」とか自ら説明しているのはウダーナのこの部分と、同じウダーナにある有名なバーヒヤ経の最後のブッダの感興の言葉、
「水も、地も、火も、風も、堅固に存在することのないところ、そこでは、星もまたたくことがなく、太陽も輝かない。
そこでは、月も現れることがなく、そこでは、闇も存在しない。
バラモンである聖者が、自己の寂黙によって知ったとき、かれは、形あるものからも形のないものからも、苦楽から解脱する。」
しか見たことがないですし。

後世の僧侶が想像で付加した可能性は高いと思う。
パーリで涅槃とはこういうところだと語っているのを他に見たことがなく、むしろ涅槃については言葉では具体的に説かないのが普通ですし。
他では安らぎの境地である、最上のものである、不滅の境地である、とかそういうぼんやりとした説明が一般的だと思いますね。

410神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 13:17:59.12ID:icry0jo1
>>406
密教の自性輪身の大日如来、阿弥陀如来とかは空性?
それとも自性という言葉は自性清浄とかの使い方ではなくて自性があるという意味?
後者だと自性輪身は真我であるともいえるかもしれませんね。

411おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 14:28:42.02ID:QPyEGAYO
 
ウィキペディアには
大日如来
「無相の法身(姿・形の無い真理そのもの)」
宇宙すべてに満ちている
万物と共に在る内在

如来の智慧と慈悲は万物の上に光被して…

オン バザラダト バン
オン ア ビ ラ ウン ケン

おじゃるは
正式な僧侶ではないので
詳しいことはわからないでつ

越法罪(おっぽうざい)
(正式な)灌頂を受けていない者に灌頂の大事を明かしたり…

密教とかの場合は
「自性あり」と勘違いされる場合もあるかもしれないし…

自性身(じしょうしん)
法性身(ほっしょうしん)

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m

412おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 14:45:38.81ID:QPyEGAYO
 
戒・定・慧・解脱・解脱智見
五分法身を磨耀(まよう)す

オン・ソワハンバ・シュダサラバタラマ・ソワハンバ・シュドカン
オン・タタギャト・ドハンバヤ・ソワカ
オン・ハンドボ・ドハンバヤ・ソワカ
オン・バゾロ・ドハンバヤ・ソワカ
オン・バザラギニ・ハラチハタヤ・ソワカ

臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前

↑越法罪になるかもしれない

413junkie- ooyama.2018/05/19(土) 15:03:30.43ID:fuf0qdKv
>>380
意識は様々なものが因縁仮和合して発現(ほつげん)している現象なので、それを常・一・主・宰の我(真我)とは言えないと思いますが?

414神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 17:11:26.79ID:o3b2Gtmd
>>413
意識も無意識も、わたしの意志によってあるのではなく自然に、原因、縁によってある
常にある主である真我とは、意識が広がる以前の、心臓にあるもの
その空洞の広がりが世界となって円鏡に反射している
常にあるといっても、知覚が、それを認識して理解しているわけではない
常住不変の、その、広がりを、存在と感じるか
それとも、その広がりや、安らぎのないものへ至るかが、ちがう
まったく認知されないもの
そこには、真我という存在がない

415神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 17:29:49.18ID:o3b2Gtmd
意識がすべてを現していて、気絶したら、なにものも認識されず、記憶にも残らない
わたしは、意識の中に現れている、世界の中で中心にいて、それは肉体という固定されたものであると思われている
この体や、わたしの心意識と呼ばれているものは、わたしのものではない
それだけのこと
そして、その、意識こそが、真のわたしだというのは、その、意識が分断されない広がりとして心臓から映写されているというお話
マハルシさん
しかし、この、円鏡や全体意識、その元である安らぎの地点は、知覚活動の上にあるものではないのだ
からして、この、安らぎというのは結果として、そのような言葉を当てはめているだけ
そして、この、空やら、真我などという、当てはめられた言葉をイメージして、その、捉えたものに縛られる人々は、理解できない
と、いう
ような、気がするw
気がするだけだがw

416junkie- ooyama.2018/05/19(土) 18:41:45.29ID:fuf0qdKv
>>414
んー?
考えがまとまらないのですかね?

>>380
>この意識を真我と呼ぶ
>>414
> 常にある主である真我とは、意識が広がる
> 以前の、心臓にあるもの

417ジャンキー退治、しょーきょー&バービーに期待2018/05/19(土) 19:01:32.02ID:1Veqp2hS
机、越えのライヤー、ジャンキーの成敗しちくれい。

418神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 19:03:54.97ID:1Veqp2hS
178junkie- ooyama.2018/05/16(水) 17:21:06.82ID:40hGydXD

空じられた上での幸福追求ね。
それが空即是色。

419宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/19(土) 19:12:59.18ID:xseGyOfk
>>331
セブン!
この私との付き合いはもう何年になったと思う。
修行と僧侶を何年やってる?
どうして、まだ解らんのん?...。

>「涅槃」が、「境地」なれば、自動的に「無我」だろ? とw

いやいや.それは逆でしょ!
「境地」であるからこそ、逆に無我(アートマンは無いという意)ではないことが明白なのであって、
だからこそ、自動的にアートマンを浮き彫りにしてる、と。

「境地」というのは人の精神や意識の状態を意味しており、その意識レベルのことをいってる。
そんなことは何も今更、パーリ辞書を開かなくたって正しく学んでいれば常識ですから。
であれば、涅槃を覚知している意識がアートマンなのは自明だと思うが...。
涅槃を覚知する意識が煩悩塗れや仮和合の意識であったり、
五蘊の意識であったりする筈がないでしょ。
ゴータマは、五蘊を悪魔であるとさえ述べている。
ならば、その涅槃を覚知している清浄なる意識、
恒常な涅槃に常住する意識がアートマン以外にないことは必然。
ただ、ゴータマは迷信的なバラモンたちの手前があり、
自らアートマンということを説きたくなかっただけのこと。
だから、アートマンについて聞かれれば無記の態度を採るのです。
まったく「無い」などは一言もいっていない。
いつも、アートマンでないものに対して、それらはアートマンに非ずと述べただけ
(だから「非我」こそが意味合いとして正しい)。

まっ、セブンの良いところはなかなか生真面目なところかな...。
まるで“奈良の薬師寺管主”などとはエライ違いだ!!!!
あそこは15年の旅行のときに拝観料があまりに高くて断念してる。

420おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 19:17:29.63ID:QPyEGAYO
 
>>410 >自性清浄

ttps://www.daihorin-kaku.com/book/b109285.html
大日経 住心品講讃 130ページ参照

五通智道
五神通
この五は皆
慧をもって自性となす
  _  _  _

光り輝いている(仏そのもの)
という意味の自性清浄であったとしても

唯識も
密教も
中観帰謬派とかも受け継いでいるので

とりあえず
「慧をもって自性となす」と導いてから
それから

最終的には?
「自性清浄である」と
掴もうとしている『想い』も手放して
縁起している世界を手放して超えていく
ということかもしれない

↑間違ってたら スマソ m(_ _)m

421宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/19(土) 19:22:03.41ID:xseGyOfk
一体、これは何が刺激したのやら...
随分とこれまで普段は来なかった参加者たちで楽しく賑わってる。
私からも言いたいことはあるけれども...
私は明日の朝早くから旅行にて、数日の間は投稿できませんのでご了承を。
母を連れて二人で、成田山新勝寺の開基1080年祭/成田不動の十年振り御開帳へと参ります
(自分の人生で母とのこうした参拝の旅は、これが最後であるかもしれない...)。

セブンを始め、その他の投稿者に対しても、
帰宅後にまた厳しくピッシ!ビッシ!! といくつもりなので、
皆んな、覚悟しておくように。

私が本格的に2chに参加し、
自ら専用スレを立ててからハヤ今年で丸10年目なのでしたね。
ということで、今回は外道/宝珠自身を御開帳サービスしておきま〜す。
グラサンにて失礼...
http://houjugusya.web.fc2.com/shinhan.htm

422junkie- ooyama.2018/05/19(土) 19:38:53.83ID:fuf0qdKv
>>417
> 高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたので、
> 俺脳、今、仏教化濃厚やわ・・・・。

          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)  
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //  だっておwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/   
|     ノ     | |  |   \  /  )  /    こいつ、曼荼羅もしらねぇんだwwww
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

423神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 19:39:50.73ID:zgF6mG48
>>420
その大日経ですが、密教研究では権威となっている?津田真一先生の大日経の解説を読んでみたらこう書いてありました。

>したがって、「貪心」とは、そして百六十心のすべては智慧(般若)の心と慈悲にもとづく行為(これも方便である)とが不二に結合したものに他ならない。
>そして、我々のこの心が、普遍的実在者毘盧遮那を構成するのである。
>「実在者」という言葉を私は使ってしまったが、この宗教的な真実の世界としての毘盧遮那は、
>「住心品」が大乗仏教の原則に従うかぎり当然のことではあるが、固定的実体なのではなく、空であり、
>諸条件の集合の上に仮に成立しているもの (縁生)に他ならない。
>そして、その全的な真実の世界の存立の条件こそが個人の主体性に関わる概念としての「三句」であったのである。
>この真実の世界は曼荼羅として表象される。
>毘盧遮那は曼荼羅全体(法身)であり、それが同時に曼荼羅の中心(報身)である。

ということで、大日経によれば、あるいは津田先生の解釈によれば、毘盧遮那=大日如来は空ということなりますね。

424神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 19:47:47.75ID:k+gTETd5
意識が広がって、そこに、様々な出来事が織り成されているとして
この意識を意識するには、意識を内包するもの、もしくは、意識を離れたものがなくてはならなくなる
それが無意識かもしれない
そして、この、無は、なにものも認知されない、主体そのものであって、これが真我と名付けられたのであって
それが、常に存在すると、いうのは、世界の基盤としての、スペースを作り出すような神秘的な働きが、この、胸の奥にある
のではないかと思われる
が、そのようなものが認識上に昇ることがありえないので明確なことは言えないはずである
それを真我と、呼ぶから、ややこしくなる
そこで、真我などと言わずに、無や、空という言葉を当てたとしても、思いの外れた、そこ自体は同じことなのだ
常住にあるといっても、それは、こちら側からしたら、それがなくては、存在しえないからであって、もしも、五蘊の働きの、その、向こうへスルーしたら、そのもの自体が、なにもないものであるのであるから、それが永遠であっても、そこは、消失なのだから
永住と言っても、よくわからない話だ

425おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 20:05:57.69ID:QPyEGAYO
 
>>423

だるま文庫 八宗綱要 真言宗

無為法の
大日如来は

仮設としての
有為法の
すべて一切の諸法にも満ちている

これが
仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

般若の智慧と慈悲によって → 縁起している世界を見る

ということかもしれない

↑間違ってたら スマソ m(_ _)m

426承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/19(土) 20:38:18.27ID:CzYk80vw
>>417
(^。^)お前らが頑張れ。(笑)
てか、バカカルトに比べれば可愛いもんだろ。(笑)
ついでにバカカルトも頼むわ。(笑)

427おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 20:41:49.85ID:QPyEGAYO
 
>>425の続き

青目(ピンガラ)中論 觀如來品 第二十二

如来の滅後も、こう思惟してはならない
有るのか?
無いのか?
有ることもあり、無いこともあるのか?

如来は本より畢竟じて
空である
況して滅後は言うまでもない

如来は戯論を超過するのに
人は戯論を生じる
戯論して慧眼を破れば
是の人達(おじゃる)は
仏を見ることはない
  _  _  _

おじゃるは
仮設としての
戯論を生じ
慧眼を破り
『無為法の大日如来は…』と
掴もうとしている『想い』が現れているので
仏を見ることはできない
ということかもしれない

428神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 20:48:51.97ID:sy1qM6Vi

429神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 20:50:43.12ID:sy1qM6Vi
>>419
で、質問に答えてもらってないな?w


片山さん及び奈良さんは唯物論者なんだね?

430神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 21:10:45.02ID:sy1qM6Vi
>>419
仮に、百億万歩譲って  「無いとは言っていない」  としても、

 【同時に】   「『ある』とも言っていない」   わけでね。



さあ、どうしようかねぇ・・・www

431宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/19(土) 22:10:53.14ID:xseGyOfk
あぁ〜呼ばれて飛び出て!!

>>429
>で、質問に答えてもらってないな?w
>片山さん及び奈良さんは唯物論者なんだね?

いや.ごめん!
本物の唯物主義者であるかどうかの確認は特にしてはいないです。
ただ一般論としては、仏教学の文献学者というのは大方そういうものだということ。
彼らがたとえ、物理的次元を超えた超常レベルについて肯定的に発言(記述)したとしても、
それはあくまでも、“その宗教(聖典)においては”そのように信じられており、
そして、説かれている。書かれている。ということをいっているに過ぎない。

尚、私個人は、
文献学者の中で明らかに物理次元を超えた現象や世界があることについて、
彼ら自身が本当に信じているとみられる発言や記述を今まで見た記憶がありません。
精々、プッダのような大聖者というのは我々の理解を超えた境地にあるとされているので、
仏典の記述にあるように、そういうこと(霊的な奇跡など)が絶対にないなどと言い切ることはできないかもしれない...。
といった程度の寛容的な心を示す発言ならば聞いたことはある。佐々木 閑氏などはね。

432神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 22:25:58.06ID:o3b2Gtmd
夢の世界は、科学では、物理次元なの??

433おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 22:36:00.43ID:QPyEGAYO
 
「松本史朗氏が正しい」という人もいるかもしれないけど
それでも、とりあえず

松本史朗氏よりも
宗教に寛容的な学者の方が良い感じがする

松本史朗氏曰く
「縁起は哲学であり信条である
  釈尊の悟りは
  完全無欠な人間になったということではなく
  縁起説で生きていこうと決意したということである…」

↑この説明よりも

「(縁起とは何か?を理解した上で)
  縁起している世界を手放して超えていく
  そのための対機説法」

この説明の方が良い感じがする

↑間違ってたら スマソ m(_ _)m

434宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/19(土) 22:41:30.89ID:xseGyOfk
>>432
脳内現象/ニューロン電気信号の結果という理解でしょ。
夢はおろか、宗教体験・神秘体験..などのすべてを
彼ら(物質科学の唯物論者)はこれで説明する。
これでは説明のつかない現象があることについては無視だ。

435神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 22:48:31.30ID:0Oohy/Rj
「脳内現象、電気信号でしょ」とみてるのも脳内、電気信号から抜け出せないという
無限後退だね

436おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/19(土) 22:57:32.53ID:QPyEGAYO
 
>夢の世界は、科学では、物理次元なの??

意味がわからないけどとりあえず
ttp://www.nikkei-science.com/page/magazine/0311/hologram.html
ホログラフィック宇宙

3次元に見える私たちの宇宙

実際には
3次元としての実有がある『わけではない』

夢・幻を見て
3次元としての実有がある。という『思い込みのようなもの』

437神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 23:18:16.72ID:o3b2Gtmd
すべてが電気信号だとして、その電気信号が発生する空間が、スペースが必要だよね
その電気信号が光を生んで、それが、何もないところに映像のように浮かんでいて、その、中で、わたしは生存した個体であると勘違いしているが、実際は、これらが、全体の反応としての夢の世界であったりして
その世界の変遷は、肉体と精神が姿を変えながらずっと続いていく呪縛のような六道輪廻??
そこから離れるには、すべての電気信号は、わたしとは無関係な、風景であるとみる
そして離れたものの存在?となることが、この、電気信号世界からの解脱??

んー、ますます、混迷してしまう

438神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 23:22:22.88ID:o3b2Gtmd
たとえ、己はなく、空である
と悟ったとしても、世界は、あるはずでは?
その世界は死と共に終焉するのだろうか
再生の素因を滅し尽くして、死と共に解脱するのが仏教?

439神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 23:28:13.51ID:uzgpYfPr
「自分には実体はなく空性である」といかなる時にも如実智見できるのが如来

440神も仏も名無しさん2018/05/19(土) 23:34:41.06ID:o3b2Gtmd
>>439
如何なる時にも如実智見していることが大切であって、
この私はどうなるのだろうかとか
この世界はどうなるのだろうかとか
そのような事柄一切合切、も、止んだ地点にあって、苦しみを止める?
となれば、これは、科学というより、精神的な苦しみを解くための方法論であって
事実かどうかの話ではなく、心の持ちようの話なのだろうか?
このようにすれば、苦しみから逃れられるという方法
その方法は正しいと証明?

441神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 00:12:35.40ID:85qA26Gv
>>440
◼︎道徳が破れるまで語ってはならない

宗教に興味を持つ人は、何かしら苦しんでいるのです。
だから宗教は、苦しみに対する答えを出さないといけないのです。
「そんな苦しみなんかはないんだよ(無苦集滅道)」と言っても、それは答えになりません。
だから私が批判しているところは、「空論を語るのはかまわないけれど、語ると、私たち一人ひとりがどうするべきか、ということが言えなくなってしまうではないか」ということです。
つまり「あなた方はやり過ぎだよ」と言いたいのです。
『般若心経』の作者は、言葉を使う程度がわからなくなって、操縦がきかなくなっているのです。
それはブッダの立場からすれば「やり過ぎ」なのです。
言葉を使うときは語り過ぎには気をつけること。
そうしないと、どこまでも、頭の考えだけで飛んでいってしまうのです。
『般若心経』ではどこまでも観念を回転させて、結局、修行も道徳も成り立たないところまで脱線してしまいました。
道徳が成り立たなくなったので、宗教としても人々を引き付ける力がなくなってしまったのです。
何を語るにしても、道徳が破れるところまで語ってはならないのです。
話の内容がいくら緻密であっても、道徳が成り立たないような結論に至るならば、お釈迦さまはそれを「邪見」の類に入れるのです。

(アルボムッレ・スマナサーラ 般若心経は間違い?)

442神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 00:13:40.92ID:F2IgkoC0
┐(´ー‘)┌


 ≪「誰それの」涅槃≫がある ではなく、 ≪涅槃≫がある

というシンプルな構図を、なぜ描けないのだろう・・・。
「誰それの」という形容がつくから、≪常住なる涅槃≫は、同時に≪常住なる「誰それ」≫になってしまうわけで・・w

普段の、日常に於いても、「オレの○○、私の○○」が、本当に「オレの私の」なのか疑わしいと言うのに・・・。
諸法が縁起するものなれば、そこに「誰それの」なぞあろう筈もなく、
縁起に依らないものが世俗の価値観(「オレの私の」)に倣う筈もなく、
「個性、個別性」は世俗の要素・価値基準に他ならず、
出世間の涅槃にそれを持ち込むのは、愚昧な顛倒でなくてなんであろうか? と。  ノシ

443神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 00:15:13.82ID:85qA26Gv
「それで大乗の世界で何をするかというと、般若心経のように呪文を唱えたり、南無妙法蓮華経と唱えたりするだけで終わってしまうのです。
これは、世界宗教として仏教を見ると恥ずかしいことです。
世界で太陽のごとく、一切の哲学思想宗教の上に立って、皆に打ち勝って勝利者になるべき仏教が、すごくだらしなくて、コソコソと隠れていなければならない状況に陥っているのです。」

「私たちテーラワーダ仏教徒は、仏教徒であることをすごく自慢して言うのです。
その裏にどんなニュアンスが隠れているかとというと、
私たちはバカではない。科学的な人間であって、迷信のかけらもない。怖いものはないという誇りなのです。」

「仏教は真理に基づき、どのようにすれば生命が幸せに至るのか、論理的、具体的に説くのです。
真理に基づくので、仏教には普遍性があるのです」

「仏道は、自分の心を高める実践です。
仏教徒は道徳を守り、慈悲の心で、最高の幸福にチャレンジするのです。
本人が精進せずに幸福になるなどという甘い話ではありませんが、苦行の類は一切なく、誰にでも実践が可能です。」

(アルボムッレ・スマナサーラ 般若心経は間違い?)

444宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/20(日) 01:07:29.09ID:BVHaj0Va
>>442
涅槃に到達した完成者と、
まだ未完であり、非涅槃の状態にある者との二つの違いがあるから。
つまり、涅槃をこの今において覚知している者とそうでない者。
当然、この場合は、誰が涅槃に達した者であり、誰々がそうでないかの個人差があるということ。
「誰の涅槃」ではなくて、「誰々が涅槃にある」のか? という個人差です。

445神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 01:10:32.68ID:4tesRFej
>>441
宗教に興味を持つ人が苦しんでいる??
もちろん、苦しんでるいる人もいるだろうけれども、苦しみから解き放たれて興味を持つ人々の方が多いのではないですか?
苦しみから解き放たれた経験があり、その素晴らしさから興味を惹かれて、深く学び出して、究極のニルバーナなるものを悟る
悟る過程で、様々な苦難があって、自業自得ではあるけれども苦しまなくてはならない
しかし、なんらかの真実味を、感じている、わたしが、その道を、自ら進んでいく
般若心経が誤り??
原始仏典の説くものと、五蘊皆空を説くものとが矛盾しているとは思えません

446宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/20(日) 01:11:36.87ID:BVHaj0Va
スマ長老はおしゃべりが過ぎるので...
これは、また「後で」やります。

「分かってない者」というのは、
その分かってないことを自分自身が知らないから、かなり面倒...。

447宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/20(日) 01:22:50.95ID:BVHaj0Va
>>439
「空」などというのは何も難しい話などではなく、
何も知らなかったような人間が最初に知る話でしかない。
それを体感できる程度のレベルが如来ですか???
まさか...足を怪我しても、
それは実体がないから、それは自分ではないから痛くないとか?
痛みを感じなくなったら如来なのか? (笑)

448神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 01:42:43.52ID:4tesRFej
現在知覚しているものの、上に、空というイメージを覆い被せて、見ている
このような見方をしていることは、空を悟ることではないと思う
智慧と、空はイコールであり、何ものにも寄らない、という原始経典のような思想とも共通していると、感じる
何処にも行かないというのは止まることであり、真ん中であり、偏りがない
そして、仮論寂滅などの、言葉ともぴったりくる
歓喜に束縛されず、感官を制するのであるから、足の痛みは、当然耐えられないが、その、耐えられない苦しみに、対処することができるものが、日々の瞑想? 坐禅?
なんらかの修行体系の成果としてあったのかもしれない
そのようなことを教えてくれるところは、どこにあるのだろうか?
わからない
しかしラマナマハルシは、体に対する執着が低く、医者の好きなようにしたらいいと言ってたと本で読んだような気がする

まあ、ぼくは、所詮、想像を巡らせているだけに過ぎないが、、、

極端に優れた人かいるようにも見えない

わからないものには、わからないように、できているのだろうか

449神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 01:57:31.64ID:2zf5wlYh
>>447
次の単語は、taṇhacchidaṃ
覚った方は、身体に痛みを感じてもそこから煩悩を作らない。
耐えられない痛みがあっても、嘆くことはない。
釈尊は病気になったお坊さんにお見舞いすると、痛みは減っていきますか、増えていきますか、耐えられる痛みですが、耐えられない痛みですか、と訊く。

覚ってるお坊さんなら、「いま耐えられない痛みがあります」と仰るだけなんです。
何とかしてくれと縋ったりはしない。
科学者がコーティング素材として金(ゴールド)を見てるようなものです。
覚ったあとは、色受想行識に執着は何もない。
考えるときも、考えなくてはいけないから考えるだけ。

煩悩なくただの機能としてやっているんです。
そうやって、我々の生き方と比較して、それがない世界が覚った世界なんです。
(スマナサーラ長老の仏教法話)

痛みを感じなくなったから如来なのではなくこの痛みは空なのだなと観じて、それによってやはり空である五蘊への妄想を膨らますこともないので嘆くこともない
五蘊への執着は何もないのですから。
そうして煩悩なくしてただの機能として生きていって死を迎える、それが如来なのです。



1001.(1002) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。正知と気づきの者として、この身体を置き去りにするであろう。
1002.(1003) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
(小部経典 テーラガーター 17章三十なるものの集まり サーリプッタ長老の詩偈)

450神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 02:20:09.59ID:2zf5wlYh
>>445
五蘊皆空はもちろん原始仏教の教えにもあります。
但し般若心経では色ばかりを強調して他の受想行識は亦復如是と一絡げにされてしまっていることには注意が必要です。
般若波羅蜜多の完成は五蘊一つ一つを空(無我)と観じて執着を捨てていくのです。
パーリ経典では必ず色、受、想、行、識の一つ一つをわざわざ挙げてこれは無常である、苦である、無我であるとお釈迦様が説明したことが書いてあります。

更に問題なのは般若心経では、せっかくお釈迦様が修行のために見つけた十八界や十二因縁や四聖諦や智慧を無の一言で否定していることです。
これはお釈迦様が悟りに導くために見つけ出した筋道であり法なのですが、無で否定してしまうと、
それらは必要ない、悟りのためには全てへの執着をただ捨てればよいという虚無主義に陥り、修行へのやる気を削いでしまうのです。
道を歩くという道徳も虚無主義により破壊されてしまいます(>>441

しかしそれらよりも更に問題なのは、散々無と観じることが般若波羅蜜多であると強弁しておきながら、最後は般若波羅蜜多は偉大なる呪文であると神秘主義を持ち出し、しかもその功徳を持ち出して自画自賛で終わらせていることです。
論理が崩れた空論者としてスタートして、虚無主義者を経由して、最後に神秘主義者になってしまったのが「般若心経」なのです。

451神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 02:26:56.63ID:2zf5wlYh
>>447
追伸(コピペですがね)

■[本の紹介]怒らないこと アルボムッレ・スマナサーラ 著
<111ページ 突然、人に殴られたらどうする? より>
完全なる悟りを開いて阿羅漢になったということは、「実体=エゴ」が頭の中にもまったくないということです。
一瞬一瞬の無常に完全に気づいている「ヴィパッサナー」の知慧で生きているのですから、たとえぶたれても、サーリプッタ尊者にとっては、それはある瞬間、物質が物質に触れただけのことです。
そこで痛みが生まれても、心は痛みを感じて、「あっ、痛み」というだけで終わりということになります。
「私は痛い」とか「私はぶたれた」という発想は、無意識のところにもありません。
だから、そういう態度でいられるのです。
http://d.hatena.ne.jp/uchikoyoga/touch/20100715

452宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/20(日) 02:37:17.01ID:BVHaj0Va
>>448-449
マハルシのことはよく分かっています。
病気や苦痛との関係も...。

しかし、そうではなく、
私が(平均的仏教徒らに)いっているのは、
無常/空なるものは実体がなく価値が無いといっているのだから、
そのような世界から脱した境地が恒常の涅槃なのであり、
その涅槃に常住するのが如来でしょうということをいってる。
つまり、「空」なる世界を脱した境地が涅槃だということ。
だから涅槃と涅槃に住する如来が「空」である筈がない、と。

453宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/20(日) 02:43:29.48ID:BVHaj0Va
追記:

五蘊皆空(五蘊は悪魔であるともゴータマは説かれた)であるのに、
どうして、涅槃や如来が空で在り得ようか???
まさか涅槃が五蘊に在るという教えはない筈ですが、
これ如何に?

まっ、
後で平均的仏教徒の(仏教理解の)大間違いを図解でやりますから。

454神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 03:24:03.78ID:4tesRFej
>>452
はっきり理解してるわけではないですが
五蘊が空である
と悟った時に、この、空というのは、別の空ということではなく、五蘊のことです
ですから、五蘊というのは、存在するすべてのものですので、あらゆるものは、空であり、イコール五蘊であるとなる
そこで、これら実体のないものに、囚われた心が落ちるなら、その見抜いた智慧は、そこには、なにものもないはずである

この、なにものもない

なにものもなき五蘊は、そこには、なんの識別作用も働かない智慧の完成した悟りがあり

その、消失した、消失もない

なにもない

その、それが、完全なるもの

完全なる安らぎとなるんじゃないですかね

それは、あるとは言えないわけで、ないとも言えないし、完全に解脱してる

この、あるものが、あるがままで、しかない
精神的なポジション?
ポイント?

のようなことじゃないのかなあ

455宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 2018/05/20(日) 03:51:06.80ID:BVHaj0Va
>>454
仏教徒の大間違いの原因は、
「一切」の理解に失敗したことにあります。

つまり、
「一切」の中に「涅槃」を含めてしまったことです。
これは部派がヤラかした誤解であり、間違いなのです。
以降〜の上座部テーラワーダ(スマ長老たちも)を含め、北伝大乗もすべてがこれに倣っている。
仏教徒たちは部派以降〜の二千年を伝統護持と称してこれを死守してきたのです。
そして、無我の間違いもこの誤解の中にある..。

旅行、帰宅後にこれを図解にて解説します。

456おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/20(日) 05:56:05.11ID:RKAe/egK
 
>五蘊が空

スッタニパータ 1119
(五蘊だけではなくて)
仮設としての
有為法の
すべて一切の諸法を『空性である』と観照せよ

ttps://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)
仮設としての
有為法の
すべて一切の諸法は

自分のものではない
自分ではない

我所ではない
我ではない

457ポッタン師2018/05/20(日) 09:49:17.44ID:xSmoVynr
456.バカ丸出しである。その反対が正解である。

458神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 10:09:27.84ID:F2IgkoC0
>>452
(初期)仏教では、一貫して 「見よ」 と言われるだけであり、
「(成就永遠なる)如来に【なれ】」とは言われない。
ギリギリ「阿羅漢となる・なった」「ブッダとなった(覚った)」と言われるだけ。(そして皆、【普通に】この世を去っていく)
なぜか?
阿羅漢もブッダも(そして如来も)、世間的呼称であるから。
(だから、後世「法身仏」が希求されることになる。単に阿羅漢仏陀如来であるだけでは永遠ではないから。)


>そのような世界から脱した境地が恒常の涅槃なのであり、
>その涅槃に常住するのが如来

「境地が恒常である」というのは、(まさに今あなたが言うような!)
≪『(それを)見ている【者】がいる』境地(→『見ている【者の】→誰それの』!)が、恒常的にある、存在する、ということではない。
誰か特定の人の(誰か特定の人が見ている)境地が常住なのでない。
そのような境地が、そのようなものとして、
行じれば必ず現じるものとして常にある、という意味で常住であり、
「その人が(如来が)常住となる」などとは言われていない。


高級スポーツカーに乗ったらイケメン御曹司になるようなw、
力士に抱っこして貰ったら強い子に育つような、
そんな「『あやかり』常住」は笑い話にしかならん。

459神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 13:11:19.34ID:1luhDsRO
龍樹と説一切有部の論争について。
「ダルマ」などの実在論を提唱する他宗派の矛盾に対して反論するという形で
龍樹は中観思想を打ち立てたと言われますが、
果たして龍樹と説一切有部派の論争の勝者は何方なのでしょうか?
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13152736588?__ysp=6Kqs5LiA5YiH5pyJ6YOoIOOCueODnuODiuOCteODvOODqQ%3D%3D

460神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 13:30:53.57ID:1luhDsRO
これが説一切有部が示す一切
http://livedoor.blogimg.jp/tojiruwa/imgs/e/0/e071c596.JPG
涅槃は無為法の真ん中の択滅
説一切有部ではこれらの一切法が三世に渡って実有であるとした

択滅
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%A4

真我みたいな恒常の我の存在は説一切有部でも認めてないので一切には含まれない

あと説一切有部だけではなくどの部派でも一切の外に真我が存在するとは言わない
何故ならアーガマの中で釈迦は
「比丘たちよ、もし人ありて、< わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、
それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るだろう。
何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである」
と比丘たちに説いているからである
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70521.html
一切に含まれないものはただ言葉だけがあるのみであって実際はありもしないものだからである
(説一切有部では上図五位七十五法が一切であるとしたがそれは説一切有部の説である)

461神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 13:36:49.18ID:1luhDsRO
>>460
>(説一切有部では上図五位七十五法が一切であるとしたがそれは説一切有部の説である)

部派が違えば一切法の数も違ってくるであろうという意味

75という数はあくまで説一切有部の主張する数

462神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 17:45:03.06ID:4tesRFej
>>455
涅槃というのは、空を悟ったものの、囚われから離れた精神、つまり、目覚めたものの、その、智慧に、仮に名付けたもので、そのような理解はあるかもしれないが、そのものが、物質現象として、どこかにあるわけではない

463神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 18:09:46.25ID:A+gVdv3k
アーチャン・チャー比丘

●「私」とか「私のもの」と言えるものは無く、全ては無常だ。
なぜ「ニルヴァーナを得た」という言い方ができないのか? ニルヴァーナを体験した人は、もはや「私」とか「私のもの」という考えを持たないからだ。もし、そのような言い方をするなら、その人はニルヴァーナを真に体験していないということだ。

●世間の人々は幸せになることを望む。彼らは苦しみを望まない。だが「ニッバーナ(nibbana涅槃)」とは、望むこと・望まないことを「超えたもの」だ。

●ブッダは「空を理解する者を、死王は追うことができない」と言った。空を理解したとき、死は私たちに影響を及ぼすことはできない。なぜなら、そのとき「私たち」というものは存在しないから。

●ブッダは私たちに「我見」(自己という実体があると信じること)を取り除くことを説いた。
もし、我というものが施説(暫定的な概念)にすぎず、本当は無我なのだということを理解したのなら、私たちの問題は終わる。

●苦しみがない状態というのは、「我」というものがなく、「私」とか「私のもの」というものがない状態をいう。
ただこの考えを受け入れる時も、私たちは智慧を働かせるべきだ。「この身体は私のものではない」と言って、その身体を傷つけるのなら、その行為は私たちにとって何の益もない。

●勝義諦では「私」というものはなく、ただ「無我(アナッター)」だけだ。無我を理解するためには、瞑想をする必要がある。もし知的な方法で無我を理解しようとするなら、あなたの頭は破裂してしまうだろう。
一度でも心から無我を理解したなら、人生の悩みは霧散する。そして家庭生活、仕事など全てのことがずっと気楽なものになるだろう。
あなたが我を超えて物事を見るとき、もはや幸福に執着することはなくなる。そして、幸福に執着しなくなたっとき初めて、本当の意味で幸福になることができるのだ。

464神も仏も名無しさん2018/05/20(日) 20:43:52.18ID:F2IgkoC0
>>103
別件で目に入った論考。 参考にでも
http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st05/st05_0404.pdf

誰かと思って調べたら沖本さん。 なので、どうかなぁ・・とも思ったけど、
少なくとも上記URL論考に関しては、かなりいい線で、よく評し得ているかな・・とw


全章全文→ http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/book_f1e.html

465Junkie-Ooyama2018/05/20(日) 22:53:41.37ID:fOnQnEyc
> 無常/空なるものは実体がなく価値が無いといっているのだから、
> そのような世界から脱した境地が恒常の涅槃なのであり、

 →そのような世界を脱したではなくて、そのような世界(空)を知見(得般若智)した境地が涅槃じゃないの?

> その涅槃に常住するのが如来でしょうということをいってる。

 →如来常住の事かな?常住「する」というより常住「してる」んでしょ?真理は。

> つまり、「空」なる世界を脱した境地が涅槃だということ。
> だから涅槃と涅槃に住する如来が「空」である筈がない、と。

 →上記の反論参照。

466Junkie-Ooyama2018/05/20(日) 23:20:50.91ID:fOnQnEyc
> 五蘊皆空(五蘊は悪魔であるともゴータマは説かれた)であるのに、
> どうして、涅槃や如来が空で在り得ようか???

「空で在り得ようか」ではなく、「空を知り得た」んでしょ?

467神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 00:08:03.73ID:+n0mILGw
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1496603691/376-385


神仏板ゆえ、致し方ない流れかな・・・。


経典の文句がそのまんま、現代の様々な悩み・精神疾患に援用できるとでもおもってんのかね・・・。

468パーピマン2018/05/21(月) 02:02:33.91ID:nIAsweFj
>>464 乙

時間のあるとき、じっくり読んでみる。

>>467

まじで、特定の経を読んだら、その功徳により現実の障害が解決できると
考えてんのかね?w

469おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/21(月) 08:07:52.81ID:Y3+WO63V
 
>>464のリンク先について

仮設としての
縁起している世界の中で
前世において、畜生だったものが
今この現世においても、畜生であったとしても

ttp://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st05/st05_0404.pdf
南泉の異類について

(今この現世において
  畜生でないものが、外見上・表面上?)

畜生のように振舞ったとして
(来世に)
畜生になるものか
  _  _  _

(仮設としての)
無明を掴んだままでは - 仏に成らない
無明を手放して、そして - 仏そのもの

↑こういう意味かしらん?

470おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/21(月) 08:27:50.63ID:Y3+WO63V
 
>>469の補足として

今この時点において
仮設としての
「無明を手放していない」のなら
外見上・表面上?

「仏そのもの?」のように振舞ったとして
「仏そのもの」になるのか
  _  _  _

青目(ピンガラ)中論 觀如來品 第二十二

如来の滅後も、こう思惟してはならない
有るのか?
無いのか?
有ることもあり、無いこともあるのか?

如来は本より畢竟じて
空である
況して滅後は言うまでもない

如来は戯論を超過するのに
人は戯論を生じる
戯論して慧眼を破れば
是の人達(おじゃる)は
仏を見ることはない

471神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 11:42:21.08ID:mAhx1pnS
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1496603691/376-385

380の人は相談人が先天性のコミュ症であるのを忘れて後天性コミュ症の一般的な解決策しか言ってないので失格

383の人は金剛般若経の教えを広めてセブンとパーピマンに嘲笑されたことで383の能浄業障分は成就されたw


金剛般若経といえば応無所住而生其心
これは臨済禅でも有名な言葉で禅語にもなっている
臨済禅を学ぶものが金剛般若経を否定してはいけないよ( ̄▽ ̄)

472Junkie-Ooyama..2018/05/21(月) 12:06:40.08ID:LwxKK+T5
同時って事じゃないの?

473神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 15:46:44.18ID:+YSTBwwN
同事(どうじ)というは不違(ふい)なり、自(じ)にも不違なり、侘(た)にも不違なり、
譬(たと)えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、
侘をして自に同ぜしめて後に自をして侘に同ぜしむる道理あるべし、
自侘は時に随うて無窮(むきゅう)なり、
海の水を辞せざるは同時なり、是故(このゆえ)に能(よ)く水聚(みずあつま)りて海となるなり。

474基地子菩薩2018/05/21(月) 16:46:47.54ID:QiHs9TTr
悟りとは浮世に未練が

無くなる状態を指すにゃん♪

極めて単純な事柄を無理矢理

ややこしくして善男善女を誑かす

生臭坊主は地獄行き確定にゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・

475神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 17:03:29.13ID:TTdgk+Hj
大乗の極点がタントラバジラヤーナである。

金剛教だったかな。

殺人肯定とかいうよりもっと全生物を殺してもOKって思想。

この思想の矛盾は全生物を殺すことはその生物の中に
自己も入るわけであるからいわば全生物と抱き合わせ心中と
言うことでもある。

日本の真言宗 チベットのラマ教の根本の教えである。

仏教の正反対の教えでもある。

外面菩薩 内面般若の内と外が180度違う。

菩薩行のつもりでヒトを殺す。臨済宗の禅も同じ

仏に会えば仏を殺し 親に会えば親を殺す。

全く同じである。

476神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 17:08:10.29ID:+YSTBwwN
>>475
それは金剛乗(密教)でその経典が金剛頂経では?
ただ金剛頂経では殺人OK殺生OKなどとはしてないと思う。
あれは確か即身成仏についての経典だったはず。

477神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 17:09:14.97ID:+YSTBwwN
>>471の金剛般若経というのは金剛頂経とはまた別。

478神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 17:33:40.12ID:TTdgk+Hj
悟り悟りというけど

これは自分の親が生まれる以前
さらにその親の親が生まれる以前と
どんどん過去を克服していく作業を
意識的に行い生の最初まで辿る
作業を行うという事で親からの束縛を
脱するということである。
親の意識はその社会の反映でもある
のでその親の意識の根源からの脱出
方法である。それにより親から独立し
自由を得るという方法なんだろ。

その場合血統というものが立ちふさがる
血のつながりとか、じつはそんなものは
ないんだが。

479神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 18:06:29.90ID:SvYPlcLi
>>473

道元ちゃんやな・・^^

同事とは無分別のことやな^^

我があると分別する^^

480承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/21(月) 18:23:48.50ID:RqPBQ1GG
>>475
「タントラ」・バジュラヤーナだと凶悪テロ組織のオウムのこと。
バジュラヤーナが密教のことだ。
頭のおかしな犯罪者達の妄想と密教は全く違うものです。

(^。^)凶悪テロリスト団体と、その賛同者供は朝鮮送りにすべきだよな。(笑)

481junkie- ooyama2018/05/21(月) 18:33:46.84ID:67Ztlv5B
読経して後に功徳が生じる事もあるかもしれないけど、読経と「同時」に功徳も生じているのでは?

482神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 18:59:35.72ID:TTdgk+Hj
>>480
同じだよ。

483承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/21(月) 20:38:14.89ID:RqPBQ1GG
あんな豚の垂れ流した下痢便と密教が同じに思えるんなら、
君は宗教学者の島田某と同じレベル。(笑)

484神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 21:05:10.08ID:TTdgk+Hj
川口慧海のチベット探検記でもよんでごらん。
13世ダライの時代だよ、今は14世な。
密教が絡んだ国は滅ぶ。ダライ・ラマとか信用してるんだ。

485承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/21(月) 21:36:23.61ID:RqPBQ1GG
チベット密教がボン教と密教が混ざったものってのは常識だよ。(笑)
ルンがーとか死者の書とか虹の身体なんて密教では言わないよ。(笑)
密教は仏教がヒンドゥー教を取り入れた宗派で根本経典は金剛頂経と大日経で、
常用経典が、君が「殺人云々」と書いた比喩もある理趣経。
バカカルトでは金剛頂経は理趣と同じと言うらしいが別の経典。(笑)
チベット密教と真言宗を一緒にするのは、チンパンジーとゴリラが同じ種と同じってレベル。(笑)
更にあのテロリスト団体のタワゴトが宗教だと思うなら、文科省の役人レベルの宗教観。(笑)

(^。^)それとも日蓮宗みたいな仏教の成れの果ての信者さんかな?(笑)

486神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 22:38:25.51ID:3jn2Flzn
>>485
密教も、真言宗も、まったくのど素人で経典も読んだことないんだけど、どんなのなの?
クンダリーニが上昇して、神と一つになるようなのと似てるのかなあ
神秘的な力があって、その、異次元不可視ワールドを旅していくような??
それとも仏教だから、一応、縁起や無我の理解を目指してるのかな?
まあ、本読めよって話だけど、、、
チベット密教の本は読んだことあるけど、ぼくが読んだのは、めちゃ普通に、六波羅蜜の詳しい話だった、、、

487承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/21(月) 22:52:34.89ID:RqPBQ1GG
よく言われるように、密教って師匠から伝授受けないと出来ない修行方法。
仏教だから当然仏教の修行で、その方法にヒンドゥーや当時の呪法を用いた。
その具体的な呪法は勝手に教えたら駄目ってことだから、
「密教の本」が考え方、つまり仏教教義になるのは仕方ない。
色々な本があり、中には方法だけ詳しい本もあるが、考え方を踏まえないとヤバイから薦めはしないよ。(笑)

(^。^)簡単に言うと、この身体のまま仏になる教えですけど、
これは「美人になる」って謳い文句と同じで本当に完璧な美人に成れる訳じゃあない。(笑)

488おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/21(月) 22:53:09.38ID:Y3+WO63V
 
>>486 ID:3jn2Flzn師匠へ

承狂師匠が(正式な)教授阿闍梨なのか?
わからないけど、とりあえず

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%97%8D%E6%A2%A8
(正式な)
教授阿闍梨から法の教えを授かる

それ以外は
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E6%B3%95%E7%BD%AA
越法罪(おっぽうざい)
…灌頂を受けていない者に灌頂の大事を明かしたり…

489神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 23:06:07.65ID:+n0mILGw
>>471

>>380はセブンw

490神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 23:10:33.82ID:3jn2Flzn
>>487
仏になる
いつも思うんだけど、仏になると言っても、仏って一体なんなのか明確に知ってる人っているのだろうかな
ゴータマシッダッタのようになるという意味なら、ゴータマシッダッタのような人は、歴史上、ほとんどいないから、真言密教で即身成仏した人は、ある特定の意味を付与された、仏、なるものに、なるのだろうか
仏様というのは、目覚めた人、悟った人の意味だとすれば、たくさんいることになるが、それなら、みんな、この身のままで、悟ったのではないの??
と思ってしまう

仏っていうのは、なんなのかすら、よくわからないなあ

仏像にあるような形の存在が、異次元にいたりするのだろうかとか、想像したりw

よくわかんない

でも一応、自分では目覚めた人、つまり、惑い苦しみから、解き放たれることが、出来た人なのかなとか思う

491神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 23:15:18.65ID:3jn2Flzn
>>489
380はセブンさんという人ではありません

492神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 23:16:17.13ID:3jn2Flzn
>>491
ああ、違うスレの話だったら、わかりません
勘違いなら、ごめんなさい

493おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/21(月) 23:19:47.09ID:Y3+WO63V
>密教…どんなの

六師外道
ヒンドゥー(バラモン)
釈迦
根本仏典
中観派
瑜伽行派

などを部分的に?受け継いで、それゆえに
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99
チベット
根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から
大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する

ttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派

↑中観帰謬を前提としてるような気がする

仮設としての
縁起している世界の中は
無常であるがゆえに
変化しないものではない
それゆえに自相(自性)ではない
というところについては
部分的には
上座部と共通しているところもあるかもしれない

間違っていたら スマソ m(_ _)m

494承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/21(月) 23:29:21.67ID:RqPBQ1GG
「美人になる」って例えでいえば、
一般人が漠然とイメージする「美人」と「美人になる」って言う人のイメージは違うかも知れないが、まぁ、大体の所は同じでしょう。
「皆が美人なんだ」とも言えばいえますが、どんな美女でも醜悪な時もあるし、並べればそれぞれアラもでる。(笑)
年をとれば醜くなるかも知れないし、そもそも「万人が認める美女」なんて存在しない。(笑)
マツコみたいなのが理想ってのもいるだろうからね。(笑)
だから百家争鳴して止まることは絶対にない。(笑)

(^。^)上座では「仏とは世界に釈尊一人だけで、もう現れない」なんて言うところもあるそうな。(笑)

495承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 2018/05/21(月) 23:34:59.09ID:RqPBQ1GG
>>490

まぁ何かあるなら俺の立てた「てす」ってスレに書いてください。
此処であんまりやるとまた怒られるから。(笑)

(^。^)ちなみにここの主は「密教は大日如来の教説」とかいても火病りますからお試しあれ。(笑)

496基地子菩薩2018/05/22(火) 07:45:46.78ID:ecy2TrWb
皆の衆、お早うにゃん♪ (^o^)/

>>490

様々な未練から解放されて

最終的に己のが命に対する

未練執着から解き放たれた

人物が仏にゃん♪

小難しい似非哲学を振り回し

他人をやり込めたところで

修羅界の外道に過ぎないにゃん♪

南無南無 ( ´•人•` )

497偉大なるジャンキー様のお言葉2018/05/22(火) 10:27:52.05ID:L2uTm8TA
392Junkie-Ooyama2018/05/22(火) 00:24:01.72ID:wh1MMrx6

>>390
成程ね、接心への参加経験はあると。
「あの時は」って事は今迄一回きりってことかな。

ともあれ、俺の言う参禅は老師から公案を頂いて問答する事です。
彼此法縁には恵まれていたんで、接心は少なくとも百回以上は参加させて戴いてるけどね。

393Junkie-Ooyama2018/05/22(火) 00:35:46.68ID:wh1MMrx6

一番回数が多かったのは24炷(しゅ)/日かなぁ。
典座とかやってた時は回数減ったけどね。

時には本山からわざわざ管長が来てくださって提唱をして下さったけどね。

498偉大なるジャンキー様のお言葉2018/05/22(火) 10:35:22.26ID:L2uTm8TA
367junkie- ooyama2018/05/21(月) 19:23:52.32ID:67Ztlv5B

>>364
同じだよ。
むしろ、(本証の)妙修から入る道元禅の方が大変かもな。

てか、専門道場で何年腹練ったの?

370Junkie-Ooyam2018/05/21(月) 19:42:46.43ID:LwxKK+T5

てか、専門道場で何年腹練ったの?>>369

390J.Ooyama2018/05/21(月) 23:15:09.79ID:67Ztlv5B>>392

>>389
>いや、公案の方がわかりずらいけどなぁ。

参禅した事あるの?

499J.Ooyama2018/05/22(火) 12:09:52.35ID:uBIySK/+
430 名前:J.Ooyama [sage] :2018/05/22(火) 12:07:18.47 ID:uBIySK/+

多重人格が10連投か。
でおー隔離スレでやれよ、迷惑掛かるから。


416 名前:夕 :2018/05/22(火) 06:23:35.76 ID:Uqe1xqYL
なんかおかしいな。
俺にはあの芸当はできない。

500神も仏も名無しさん2018/05/22(火) 21:45:07.95ID:3w314ik3
テーラワーダの真髄は解脱

 要点を整理してみましょう。お釈迦さまは客観的にものごとを見る科学者よりも、はるかに優れた科学者でした。
「生きる」という本題に対する真理を発見して、苦しみを乗り越えたのです。
それは単なる科学的なやり方であって、神秘ではありません。
不可思議な出来事も説かれてはいますが、お釈迦さまは神秘に反対なのです。
しかし時代が経つとともに、無智な一般人の要求に応じて仏教の世界の中でも、神秘的な考えが現れてきたのです。
そうして仏教の世界は、仏教独特の呪文や祈禱などを発展させたのです
(ヒンドゥー教の呪文や祈禱より優れたシステムを作りたかったのだろうと思います)。
 神秘主義は、大乗仏教世界においてじりじりと発展しました。
ブッダの教えは顕教であると明確に説かれてあったにもかかわらず、「密教」という宗派も現れたのです。
今世で解脱に達する目的から遠ざかって、一般人に現世利益を願う宗教に変身したのです。
 お釈迦さまの教えを忠実に守って、今世で解脱を目指して修行するという約束のテーラワーダ仏教も、神秘主義、御利益主義などの竜巻に揺れたのです。
現世利益や祈禱などの習慣は、テーラワーダ仏教にも現れました。大乗仏教と比較すると、神秘主義に関しては、テーラワーダ仏教は後輩です。
祝福、祈禱などの習慣は、大乗仏教から取り入れたのです。
しかし、お釈迦さまの真理の教えがそのまま残っているので、テーラワーダ仏教界で見られるご利益や祈禱系の習慣に、ブッダの教えをおさえて物置のようなところに閉じ込める力はありません。
ご利益に依存している人々も、「ブッダの真の教えは煩悩を絶って、解脱に達することだ」と明確に知っているのです。

アルボムッレ・スマナサーラ. ブッダは真理を語る: テーラワーダ仏教の真理観とその変容 (高野山大学での講演録)

501神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 10:39:26.68ID:zIlyUiVp
「anaTTan」とは言ったが、
それは「(どこにも)我がない」という意味ではなく、
「これらは我ではなく、そうでない我はある」という意味。
私の説示と弟子たちの受け取り方・認識との間で、乖離・誤解があったとしたら大変残念だ。

502基地子菩薩2018/05/23(水) 11:35:09.63ID:YvNmARYW
雨降りは寝言ばかりにゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・

503おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/23(水) 11:56:47.32ID:8v8wwBN9
 
>>501
リンンクの貼り憑け願います ヨロ m(_ _)m

ttp://fallibilism.web.fc2.com/089.html
最初期の仏教では
「我はない」という意味の無我説は説かれていない
「〔真実の〕我ではない」という意味の非我説が説かれたのである
ということが明らかになった
非我と無我とは別の概念であって、はっきり区別する必要があり
非我から無我へと思想史的な変移がみられるという
(anattan の意味も同様に変化していったといわれる)

↑これかしらん?

ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/46/2/46_2_621/_pdf/-char/en
倶舎論における無我説

(中観帰謬派)
後世の仏教においてアートマンの意味を
〔それ自体〕〔自性〕と解するにいたった
中観派における無我という語は
この様な意味に解せられていることが多い

504神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 11:58:59.77ID:zIlyUiVp
>>503
>リンンクの貼り憑け願います ヨロ m(_ _)m


https://www.asahi.com/articles/ASL5Q6RL9L5QUTQP03H.html

505おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/23(水) 12:18:51.96ID:8v8wwBN9
 
>>504 リンク先について

その朝日新聞のサイトで
[我がない]で検索しても
[そうでない我はある]を
見つけることが出来ないので
ご確認の程を ヨロ m(_ _)m

506神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 15:41:47.69ID:LxrwcU2R
魂=アートマン=本来の面目=無為の真人

507基地子菩薩2018/05/23(水) 17:31:02.99ID:2A3vvSIR
>>506

無為の真人=ナマケ者のニートにゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・

508神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 18:01:23.09ID:zIlyUiVp
その等式
  「魂」入れたら
     不成立w           >>506

509おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/23(水) 18:53:13.30ID:8v8wwBN9
 
怪しい(宗教団体とかの)サイト?かもしれないけどとりあえず

ttp://vajracat.com/2017/03/04/bhagavadgita/
ヒンドゥー教

…体は、火と水と空気と土と風でできていて
あなたはこれらの要素に消えていくでしょう
でも、魂は永遠なのです…

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99
ヒンドゥー教
不二一元論
ブラフマン(梵)
アートマン(我)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91
アートマン
永遠的な主体

 − これに対して −
大乗では
個体としての我(人我)だけでなく
存在を構成している要素(法我)も否定して…

510神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 20:09:47.19ID:wUYZyvmh
≪「我」「魂」はどこにあるの?≫

 宗教哲学などで「心はどこにありますか?」「魂は人間のどこにありますか?」などとよく聞きます。
哲学では、「魂がある」とまず決めてしまいます。
それでも、決めたらそれで終わるはずなのに、それから、その魂はどこにあるのかと探すのです。
どこにあるかも分からないものなら、魂があるかどうかもまだ分かっていないということではないのでしょうか?
 神学でも「すべては神様に創造された」と言いますが、それならそれで問題は終わるはずなのに、
ではその創造した神様を探そう、と、それから神様が存在する証拠を探すのです。
だから彼らには、同じところをぐるぐる回るだけでいつまで経っても答えが出てこないのです。
 ヒンドゥ教でも「魂はある、アートマンはある」と決める。
あると決めればそれで終わるはずなのに、そのアートマンはどこにあるとか、どんなものかなどとかなどと哲学を作ります。
あると知っているなら、それがある場所も、どんなものかもすぐ分かるはずですけど。
自分で勝手に迷路に入って、間違っている同じところでいつまでもぐるぐる回っているだけです。
「魂」 とか「我」とか「宇宙を作った神」とか、何千年もの間、あるあると言いながら探しているのに未だ見つかっていないのですから、
一度立ち止まって、そんなものが本当にあるのだろうか、と調べ直した方がよいのではないかと思います。
お釈迦様は「すべての哲学が、袋に閉じた網の中であっちに行ったりこっちに行ったりするだけで、出口は全然見つからない」
とおっしゃっています。

511神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 20:10:38.99ID:wUYZyvmh
>>510続き

 我々が知っている大乗仏教も同じ過ち、仏教だったら絶対やってはいけない過ちを犯しています。
失礼な言い方をしますが、大乗仏教はブッダの教えから脱線しているのです。
日本の学者も明治時代には「大乗は仏教に非ず」というところまで突き止めて研究していたのに、
他の人たちに叩かれてそれも立ち消えになりました。
学問的に正しく叩かれたわけではなくて、感情で「あなたそんなことを言ってはいけません」と言われて潰されたのです。
その上、大乗仏教はやっぱり仏教だよという研究が発展してしまいました。  
 でも、やっぱり魂はあるという概念から大乗仏教は始まりますから、魂という言葉は使わず、法身があるとか言いますが、
あるならそれで終わりで、それ以上考える必要も何もないのに、そこからどうしていろいろ考えるのでしょうか?
あるかないかという結論は普通は最後に来るものですが、この人々はまず「魂はある」と結論を決めて、
この結論はどうやって成立するか、実証できるかとがんばっているのです。
 仏教は逆に、普通の方法で、証拠によって結論を導きます。魂があるかどうか徹底的に調べてから、結論を出すのです。
結論を最初から決めたりしません。その結論はもう、釈尊が二千五百年前に出しています。
心にも心所にも「我」も「魂」もない


アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第1巻 物質の分析)

512神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 20:12:23.52ID:wUYZyvmh
≪釈尊は「我」を認めた?≫    

ある学者の人々は、それでも我があってほしいから、
「お釈迦様は、『我はどこにもない』とは言っていない。
我でないものを我と受け取るのが嫌で無我と言っただけで、真我そのものを否定してはいない」と言うのです。
「自我は否定しても自己は否定していないぞ」とも言います。
言葉で遊んでいますが、ピント外れには変わりありません。
お釈迦様の鋭さが見つかっていないというか、それを感じていないのです。
お釈迦様は人にショックを与えないで丁寧に智慧の方向に導くのです。
私たちが何かを付け加えることも、解釈を拡げることも不可能です。
遺された教えの中のほんの僅かのものを説明することしかできません。


アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第2巻 心の分析)

513基地にゃん& ◆ncsXerdOMQ 2018/05/23(水) 20:13:40.27ID:2A3vvSIR
>>510

仏教哲学(?)も網の中で右往

左往しているだけにゃん 🎵

南無南無 ( ´人`)

514神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 20:14:15.32ID:wUYZyvmh
≪「ない」と言うのは、難しい(まめ知識)≫

(略)
 このように「ない」と証明するのは、簡単ではないのです。
気軽に「ない」と言い切れるものではありません。空間、時間を考慮して、限定的に語るしかないのです。
 ここで多くの人が引っかかります。
たとえば、「お釈迦さまは非我とは言っているが、無我とは言っていない。我を完全に否定したわけではないのだ」と言う人たちがいます。
私にとっては、無我でも非我でもどうでもいいのですが、
要するに彼らは「ブッダは我を認めていたのだ」「ブッダは我がないとは言っていない」と言いたいのですね。
子供の言いがかりのように感じます。これは彼らが「ない」と言うことの難しさを理解しないからなのです。
 逐一こういう論理的に厳密な言い方をしていると話がわかりにくくなるので、
私も「永遠不滅の神はない」といった、 論理的には穴のある一般的な言い方をしています。
しかし、厳密に真理を語るなら、「永遠不滅の神があることは発見できない」という言い方が本来は相応しいのです。
少し頭の隅に置いておいてください。


アルボムッレ・スマナサーラ. 無常の見方―「聖なる真理」と「私」の幸福― (サンガ新書)

515神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 20:15:59.56ID:wUYZyvmh

516神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 20:43:21.42ID:TFc/ZTIH
スマナサーラさんは、我はないけれども、他者はあるとでも思ってんのかな

517神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 20:52:15.21ID:TFc/ZTIH
我がないということは、誰かの意志なんてものが成立しないのだから、大乗の人々なんて、どこにもいないではないかw

518神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 21:04:02.88ID:zIlyUiVp
お前らw真面目すぎwww

洒落のわからん人間はつまらんぞw

519神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 21:19:02.90ID:TFc/ZTIH
>>518
生死の話なんだから、真剣になるでしょ
わたしがないのではなくて、わたしはあるから、いなくならないとだめって言ってるように感じてしまうんだよね
私はある、と見ている
また他者もあるとみている
その上で
私があるからいけない
釈迦の教えは無我だよ
あなた!
わたしがあるようだね、いけません
わたしを無くしましょう
というような感覚

まあ、ぼくの勘違いかもしれない

スマナサーラさんは、怒らなくなるような感じの本を読んだけど、こんなイメージだったかなあ

無我にいまからなるの?

520神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 21:26:04.58ID:TFc/ZTIH
私がいない、無我
ということは、今、この掲示板に書き込みをしているのは、私ではない
という意味だよね?

521神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 21:49:45.50ID:zIlyUiVp

522基地子菩薩2018/05/23(水) 22:11:58.96ID:2A3vvSIR

523Junkie-Ooyama..2018/05/23(水) 22:20:19.12ID:3lzxW+9W
>>520
無我っていうのは、常・一・主・宰の我はないという意味で、
五蘊が現象している我は刹那滅をしながらも存在しているってことでは?

524神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 22:34:37.01ID:TFc/ZTIH
>>523
えっと永遠の私、は、存在しないが、今、ここにいる私は存在してるってことですかね
その私は、存在してるけれども、永遠ではないっと
じゃあ、存在してるなら、私はいる
ということで

525神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 22:46:08.41ID:TFc/ZTIH
>>524
しかし、普通の意味で無我と聞くと、我がない
もしくは、無が我である
の、どちらかなのかなとイメージする
そうなると、ジャンキーさんという人も居ないし、この、書き込みをする動作が起こっている主体、意志のあるものが、肉体の中どころが、どこを探してもない
という意味のように聞こえる

そうなると、大乗の人々は、どうのこうの
以前に、
上座部の人々など、どこにもおらず

それらの現象が、自然に、機械的に、まあ、太陽が昇ったり沈んだり、するかのように、完全に自動的に巻き起こっているようになる

わたしがないなら、わたしの意志がない

意志はあるが、それは、わたしの意志ではない

そうなると大乗の信仰は、縁によりて起こっているだけで、批判する対象者など、存在しないが、それにもかかわらず、あいつらは、アカン

あいつらはどこにいるのかw

526神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 22:49:04.70ID:wUYZyvmh
>>524
≪「無我」 の「 我」 とは アート マン≫

 「無我」は、誤解しやすい言葉です。
 仏教は、単純に「私はない」という意味で、「無我」を語っているわけではありません。
 生命には、感覚によって起こる、「自分がいる」という実感があります。
目や耳や鼻から起こる感覚によって、常に「ああ、自分がいるんだ」という実感をつくっているのです。
仏教は、こうした素朴な意味の「自分」を否定しているわけではありません。
「自分がいる」のは、ごく当たり前で、普通なことです。

アルボムッレ・スマナサーラ. 無我の見方(サンガ新書): 「私」から自由になる生き方

上引用文の続きは
>>64-65

527神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 23:01:10.68ID:TFc/ZTIH
>>526
自分がいるのが当たり前のことを言っているのなら、有我にならないのかなあ
観念的なわたしのことを言ってるのかな
アートマンっていうのが、ないのなら、真のわたしなんてものを探求する必要もないわけだ
わたしはいる
しかし、わたしは有限であり、永遠ではない
だいたい
みんな
しっている

528Junkie-Ooyama..2018/05/23(水) 23:02:32.31ID:3lzxW+9W
>>524
勿論、あなたがいなけりゃ、こうしてレスは出来ませんもんね。

529Junkie-Ooyama..2018/05/23(水) 23:05:30.38ID:3lzxW+9W
様々なものが因縁仮和合して現象をしてるんですよね。

その現象の一つがJunkie-Ooyamaですよw

530Junkie-Ooyama..2018/05/23(水) 23:18:03.27ID:3lzxW+9W
>>527
> 自分がいるのが当たり前のことを言っているのなら、有我にならないのかなあ

元々、古代バラモン教の常・一・主・宰の我に対するアンチテーゼとして、
無(非)我という術語をお釈迦様が編み出されたんじゃないのかな?

有我 〜 常・一・主・宰の我、常見
無我 〜 我は無い、断見

仏教の無我 〜 上記の常見・断見を排して縁起を視座に置いた現象としての我

って感じですかね。
確かに分かりづらいし誤解を招きますよね。

531神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 23:49:02.04ID:zIlyUiVp
>>519
いや、
勿論、真面目に考えるべき問題だとは思うよ。

 「言った言わない」 & 「そういう意図でない」

などといった、【教義の伝承】に直結するトコだからwww



つか、お前ら、この構図の類似(重要性)に気付いてないわけ?w

532神も仏も名無しさん2018/05/23(水) 23:50:16.81ID:zIlyUiVp
文言では「思い切って当たれ」、
文脈では「ケガさせろ」、
って感じなわけさ。


┐(´ー`)┌

533神も仏も名無しさん2018/05/24(木) 00:57:04.55ID:ikL2xLwU
>>525
(V.1.10)【ヴァジラー尼】 (尼僧に関する集成) サンユッタ・ニカーヤII
http://kokoronoeiyou.seesaa.net/article/262164494.html

あなたの疑問には相応部経典の上記仏説が答えになる。
仏弟子で阿羅漢に達したヴァジラー比丘尼が悪魔(マーロ・パーピナー)への問答の中で答えを出してる。

>6.ついでヴァジラー尼は、「これは悪魔・悪しき者である」と知って、悪魔・悪しき者に向って詩を以て答えた。−−−
>「そなたは何故に〈生ける者〉というものを認めるのか?
>悪魔よ。汝は悪しき見解をいただいている。
>この〈生ける者〉はただ諸々の形成されたものの集合である。
>ここに〈生ける者〉は認められない。
>譬えば実に諸々の部分が集まったならば「車」という名称が起こるように、
>それと同じく、五つの構成要素(五蘊)が存在するのに対して〈生ける者〉という仮の想いが起こるのである。
>実に苦しみが起こり、苦しみがとどまりかつ滅びてゆく。
>苦しみのほかには、なにものも生起しない。苦しみのほかには、なにものも滅びない」と。

534神も仏も名無しさん2018/05/24(木) 01:01:50.48ID:ikL2xLwU
>>533

>譬えば実に諸々の部分が集まったならば「車」という名称が起こるように、
>それと同じく、五つの構成要素(五蘊)が存在するのに対して〈生ける者〉という仮の想いが起こるのである。

この「仮の想い」というのが重要かな、と。

その後に続く、ヴァジラー比丘尼がいう苦しみは無常、無我、空という言葉に置き換えることもできる。

535おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/24(木) 02:05:38.66ID:e0ATEAR5
 
>>534
このレス番までの意味は、わからないけど

何のために手放しが必要なのか?について

仮設としての
縁起している世界を手放して超えていく
そのための対機説法として

我所ではない
我でもない

「想う」という想いではない
「想わない」という想いでもない

非想非非想も手放して超えていく
そのための導き

これなら意味がわかる(かもしれない)

「我がある・我所もある」と掴もうとしている想いがあると
縁起している世界を手放して超えていくことができない

人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

536おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 2018/05/24(木) 02:29:46.57ID:e0ATEAR5
 
>>535の続き

仮設としての
縁起している世界の中で
無明薫習に依存して

(それ自体、単独で成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存して

人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命が
ある。という『想い』が現れて、そして滅している

 − これを対処するために −

「我所がある・我もある」と
掴もうとしている『想い』を手放して
縁起している世界を手放して超えて
そして涅槃

という対機説法

これなら意味が、わかる場合もある(かもしれない)

537基地子菩薩2018/05/24(木) 07:07:04.47ID:fPVHtK7d
皆の衆、お早うにゃん ♪ (^o^)ノ”

思考や感情等の枝葉に囚われて

幹である本能を軽んじ無視して

いる限り真理には届かないにゃん♪

南無南無 (-∧-)合掌・・・

538神も仏も名無しさん2018/05/24(木) 09:33:10.01ID:jxGpYDoA
≪なかなか理解できない生命の「心」≫    

 世界には数あまたの宗教がありますが、ほとんどの教えでは「創造主」「唯一絶対神」「真我(アートマン)」「永遠の魂」といった、
何か永遠に変化しない実体・絶対的な存在がある・いると教えています。
それほど信仰心のない一般の人々も、それをなんとなくボンヤリと信じていて、
「神を信じていれば永遠の天国にいけるのかなぁ」とか「 自分には魂があるのかなぁ」とか思っています。  
 日本の主要な宗教である大乗仏教でも同じことです。
「創造主」「永遠の魂」などと言う代わりに「如来蔵」「仏性」「法身」、
日本の宗派仏教になると「大日如来」「久遠実成の仏陀」などと言葉を作っていろいろ概念を入れ替えるのですが、
結局は「真我」とか「魂」とか、何か永遠に変化しない実体・絶対的な存在がある・いると考えているのです。

539神も仏も名無しさん2018/05/24(木) 09:34:06.06ID:jxGpYDoA
>>538続き

 そういうわけで、「勝義諦・真にあるもの・真実」が「生滅変化し続ける無常の現象で、一時的に現れている」
という説明自体、始めはなかなか理解しづらいと思います。
「『真にあるもの』だったら、永遠不滅のはずじゃないか」というのが、ごく一般的な反応でしょう。
「勝義諦・真にあるもの・真実」の一つが「心である」と聞いたとたん、私たちが持っている「永遠不滅の魂」といった
概念・固定観念で思考がカチンとロックされてしまって、そこから頭の切り替えができなくなるのです。
「生滅変化し続ける無常の現象で、一時的に現れている」という仏教の「心」、勝義諦としての「心」には、
たとえ仏教を勉強していても、なかなか肉薄できないようになっています。  
 アビダンマの勝義諦である物質・心・心 所 のどこを探しても、永遠の魂や他の絶対的な存在は見つかりません。
ならば最後に現れる「涅槃」こそが永遠の魂だと決め付けても、それは大間違いです。
もともとなかった魂が、「涅槃」になったとたん突然現れるはずがありません。
「真我(アートマン)」「永遠の魂」といった実体論は、ゴミ概念として、仏教ではスタート地点から排除しているのです。
 ですから私は講義の最初に、「真我」「魂」といった考え方をきっちり批判しておきたいのです。
むしろ「真我」「魂」といった我々に骨がらみになっている固定観念をとことん論破することによってこそ、
アビダンマの語る「心」の独自性、仏教の超越した智慧のすごさが、ありありと浮かび上がってくるのではないかと思います。


アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第2巻 心の分析)

540神も仏も名無しさん2018/05/24(木) 14:21:16.67ID:/rhfF+Xf
怨念弱犬チワワわわわわーんの人気は、このスレで起きるの?

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