長距離砲ではない打者が異常に多いホームラン数
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長距離砲なのに少HR・規定到達で悲惨な成績
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狭い球場、飛ぶボール、圧縮バットなどの時代に多い記録
例
大石大二郎(近鉄)
1984年に 打率.282 HR29本 >>94
90年序盤、らしからぬペースで本塁打を重ねていく姿に驚いた 石毛は84年から26、27、27本と量産したが、遊撃手から三塁手になった87年に11本。 >>97
ポップフライキング
原みたいな??
坂本も原のマネみたいにポップフライ多かった時あったからだから
30本打った年あったのか 85年86年は異常にホームラン多い年だから
85年
バース 54本
落合 52本
宇野 41本
掛布 40本
デービス 40本
秋山 40本
岡田 35本
真弓 34本
原 34本
杉浦 34本
ブーマー 34本
古屋 33本
クロマティ 32本
レオン 31本
バンボ 31本 86年
落合 50本
バース 47本
ブーマー 42本
秋山 41本
クロマティ 37本
デービス 36本
原 36本
ゲーリー 36本
レオン 34本
石嶺 33本
清原 31本
リー 31本 小兵の広島三村が、山本浩二や衣笠よりも多いシーズン27本塁打の年があったな >>103
それって、記録について話す時に関係有るのか? >>48
若松は見た目のイメージはアヘ単かもしれないが、数字を見るとれっきとした中距離打者。 若松、福本、立浪あたりのアへ単レジェンド
舐めてると長打もある 人によっては、(或いは本人が)、
「原は中距離打者」だという人がいる。 確かに飛距離は中距離打者の部類かも。ただ打球に角度をつける技術は一流だった。 高橋信二
レギュラー2年目に26本打ってパワーヒッタータイプかと思われたがその後は最高でも10本しか打たなかった ソフトバンクの田上も捕手で26本塁打(リーグ4位、チームトップ)
他の年は二桁本塁打もなし。 田上はむしろフルで出たらそんくらい打てたんじゃないの
ただフルで使えるような肩じゃなかった 山ア武司(39).261 43本 108打点
山ア武司(40).276 26本 80打点
山ア武司(41).246 39本 107打点
山ア武司(42).239 28本 93打点
全盛期に20本ちょっとだったのにキャリア晩年の40歳前後に突然覚醒
マジで意味不明 ノムさんに教わって初めて読んで打つように変えたからって有名だぞ
もっと早く教わってたら通算ホームラン数凄かっただろうな まぁ元々39本打ってた長距離砲だし普通にスレ違いだわ >>116
>>117
高橋信二とか田上とか彦野とか岸川とか
1年だけ大幅に増えて26本のやつ多いな どいつも、その当時にしても狭い球場がホームか
やたらボールが飛ぶ時代に恵まれたかのどっちかだな 20本塁打を超えたのが1度だけ
その「1度」が25本以上
キャリア2番目の本数との差が10本以上
外国人選手を除外した上でこれくらいの条件で絞ると、
野村謙二郎、藤井勇、森下重好、門前真佐人、伊勢孝夫、垣内哲也、三村敏之、
高倉照幸、藤田平、高橋信二、彦野利勝、黒木基康、田上秀則あたりが該当する
あと、現役の亀井義行 新井さんかな。30本台がゼロ。
2005以外はガタイの割に物足りない
感じがした。特に阪神時代。
センスのいいバッターはインパクトの際
バットとボールが一瞬引っ付くように見えるが
そういう感じがなかった。 有藤さんは、何故か30本塁打を打てなかった中距離打者かな? 広沢も30発撃ったの1度だけだな いつも25本前後 有藤はずーっと狭い球場で30本打てなかったわけだから、ちょっと体の大きい立浪みたいな感じのバッターだったんじゃないかな
あるいは駒田みたいに打てないわけじゃないけどホームラン狙ってないとか 76年25HRでリーグ3位タイ
70年代はほとんどリーグHR10傑入りしてるな 長距離打者扱いの中田翔も30本以上は意外に1回のみ >>130
70年代は打ててた人があまり居なかった
30オーバーて長池加藤土井大杉の辺だけじゃない日本人は
コージーや門田でも30本位だからな >>131
中田は本拠地が札幌ドームだからね
プロ入りから現在まででトータルで30本くらいは札ドの広さとフェンスのせいで損してる
本拠地が札ドじゃなければ、これまでに40本以上打てた年もあったと思う >>125
藤田平はキャリアハイ28本(71年)
その次は19本(69年)だぞ >>136
「自己最多19本塁打を2度」は、岡本伊三美の3度につぐ「寸止め」記録 現役だと糸井も20本以上は一回もない
明らかに中距離打者である長野とは違って
飛距離だけなら大砲クラスのはずなんだが・・・ 古田は本数にかなりムラがあるんだよな。
30本打ったかと思えば、2年後にはケガがあったとはいえ260打数で3本塁打。
MVPとるような打撃好調の年でも、ひと桁本塁打というのもある。
長距離砲といわれるような選手の多くは不調の年でも最低10本以上は打つからな。 ラビット言われるが
小鶴誠も生涯唯一の30本超えが51HRのタイトルに サンプル年数が少ないけど、ホージーの38本もこのスレに該当するケースか >>128
広沢は中距離バッターだろうな
特大のホームランとか記憶にない >>145
1992年のシーズン終盤阪神との首位攻防戦で
打った瞬間なかたこが頭かかえてしゃがみ込んだ一発はどうよ? 広島にいたディアス
最初の2年間はどうみてもホームランバッターでは無かったのに、3年目に突然32本も打った
当時、西武のカブレラからアドバイスを受けて打てるようになったとか言ってたけど、
実際はラビットのおかげなんだろうな 広沢は小谷野や畠山みたいな、見た目はHR打者だけどそうでないタイプ 1950年のラビットボールって、終戦から間もない時代によく飛ぶボールを作れたな。 >>146
92年の広沢というとどうしても八木の幻のサヨナラホームランの翌日の試合のサヨナラトンネルとシリーズ7戦の本塁での憤死のイメージしか無いわ。 お薬でホームラン激増といえばヤクルトのリグス
俊足のユーティリティータイプっていうハズレ臭全開の触れ込みだったのに、05年の後半から突然異常なペースで打ち始めて、翌年は39本 >>153
西武に行ってからもよく打ってたな
なんで移籍一年目って高打率なのにあんまり試合に出てないんだろ
怪我でもしたのかな >>146
仲田、こんな表情してた /(^o^)\ >>146 >>155
すごい絵面やったよな。
あんなポーズしたピッチャー見たことない。
球威の落ちた球がど真ん中、あれで
凡打や空振りやったら絵にならんしw
広澤は新日のレスラーよりパワーあるやろ。 >>157
逆に俺は26本も打った年もあったのかって驚いたけど。
松永の場合、同時期に活躍した秋山と比較され、
今で言うトリプルスリー出来そうに言われたけど、
明らかに秋山と比べると長打力が劣ると思ってた >>158
それを言ったら、秋山の3割も高い壁だと思われたよね。まあ、2度の3割も、0分1厘と0分0厘だったけどね。 松永は規定打席に達して3本しか打ってない年もあったな サード守れて、足もありながら
20本前後打ってくれれば十分過ぎるでしょ パンチ力があったとはいえ、大石大二郎や福本豊のような小柄な選手がホームランを量産していたのはすごいね。
今は高校野球でも大柄な選手ばかりなのに。 >>153
山崎裕之は一時期、四番を打っていた。
西武では三番を打った時期もある。
内野の守備の要として野球センスが高い上、これだけ長打があったのだから
いい選手だったと思う。 >>160
その年は、監督がアレだったからでしょ
あの監督のもとでは、他の選手も成績を落としていた 松永は石毛金村有藤と、似たようなタイプに隠れていた
当時のパ・リーグは二塁手も西村白井福良辻大石湯上谷
遊撃手は真喜志佐藤健田辺小川史
とか各ポジションでキャラがかぶりまくり 当時の三塁手は
松永と石毛がひとつ抜けていた感がある 近鉄の真貴志
打撃の弱い9番打者という印象だが1989年には7本もホームランを打っている
(うち1本はランニングホームランだが。西宮球場で生観戦していた日だった) 立浪 アへ単 守備職人
鳥谷 中距離打者 守備は並
普通はこんな印象だろうけど
実は立浪の方が通算OPSがやや高く守備指標は鳥谷の方が上 当時は「もっともメジャーに近い選手」で3人選ぶとしたらで
秋山と松永と共に日米野球大活躍の佐々木誠がいたけど
トリプルスリー狙うには秋山は打率が課題、松永は本塁打が問題、
そして佐々木が一番、本塁打打率盗塁3部門で安定してると思ってたけど
本塁打は最多で21本が最高と松永より少ないんだね。 立浪が好守備をみせた記憶とか皆無なんだが
いったいどこの世界の話なんだろう ショート時代は回転しながら投げたりゲッツー崩しに対しての飛び上がり送球とか華麗ではあった ヤクルト山田
本塁打30本以上打ってるけど、大事な試合やランナーがいる時には全く打てない
試合が決まった後にホームランを打ってるけど敗戦処理投手ばかり打ってる感じ >>176
立浪って何が良かったのかよくわからん。
並の選手だったと思うが。 >>172
今思えば、佐々木は過大評価されていたね。30過ぎて失速してるし、3割常連どころか3回だけ。 >178
古田や山田なら分かるけど
立浪はないだろ ナゴド時代も活躍してたぞ
尻尾巻いて逃げた大豊や山崎よりましだろ スレの趣旨と違うが、94年の日シリの緒方の満塁ホームランは予測できなかった >>182
緒方の本塁打って右打席のイメージしかないな
左で何本打ってんだろ 井端荒木が正真正銘のアへ単内野手
石井とか宮本や田中も >>169
近鉄でいうと、山下や古久保、的山あたりももマックスでシーズン7〜8本打ってるね
当時はびっくり箱って呼んでたわ もし小坂誠が藤井寺・西宮・大阪・川崎を本拠地にしていたらシーズン20発も夢じゃ無かった >>162
仁志とかも、そんな感じかな。
もっとも全日本チームのクリーンアップだったらしいし、
ドームランっちゃ、それまでだけど。
ファンとしては、当時の打線構成の中では、
どっちかいうとHRよりも出塁に重きを置いてほしかった印象。 立浪.773
今岡.733
仁志.713
仁志と今岡は打撃特化のセカンドなのに立浪以下というのが酷い
仁志ってあへ単なの? 赤星、久慈レベルは、アヘ単の頂点と言うか
次元がマジで違うw
1000打席立って1本でるかどうかだからなw
立浪もチームバッティングに徹して無ければ
20本は行っただろう。 あとストレートにめっぽう強くて、五十嵐の154キロの低い
珠を満塁ホームランしたのは、凄かった。。 189
久慈はヒットすら出ない 打席に居ないも同然 ちゃんと見てないけど多分今岡と仁志は四球少ないんだろう
まあ普通に立浪は一流選手 あくまで推測だが立浪は動体視力がなかなか落ちなかったんだろう。
イチローや小笠原ですらある時期からガクッときたが
立浪はかなり末期まで速い球に対応できてた。
これは鍛えてどうにかなるものじゃないので、幸運だった >>192
仁志は四球拒否で出塁率が打率とあんま変わらなかった >>193
あと本人が下戸だと言ってるね、自分が40歳まで出来たのは酒が飲めないのが幸いしたと >>194
仁志は四球拒否はしてない。毎試合の目標に1安打1四球を挙げてたぐらい。
しかし当時の長嶋野球は、好球必打、
甘い球があったら初球から打って出るのがよろしいみたいな論調があったのも事実
仁志の他に清水、由伸らも初球から打って出るタイプ
逆にじっくり見て打つタイプの松井が
「初球から打って出る積極性があれば三冠王も視野に入るんですがねえ」
ととにかく四球にはいいイメージが無いのが長嶋巨人だった。 仁志.713 ドーム
井端.706 ナゴド 守備の要
赤星.705 左の甲子園 足
仁志は20本塁打3回も超えて見栄え良いけど
球場補正入れたら井端、赤星というアへ単打者以下の打撃指標だからな
守備も無難で盗塁成功率は50%という走ったら絶対ダメな選手
よく当時の巨人でレギュラー取れたもんだというぐらい酷い >>165
金村の影には隠れてない
松永の方が遥かに上だ >>198
その通り。石毛と松永が競り合っていて、金村はベストナインやゴールデングラブ賞で、二桁の得票数になったことも無いからね。 99年緒方孝市の36本が思い浮かんだが、他にも29本打った年もあったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています