純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)13
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>>100
大学受験のツマラン話をここに書くなよ
君にとっては一番輝いてた時だろうけどさ >>100
> きちんと文章を読んで判断する読解の力が求められる問題が非常に多い
じゃ君は絶対大学に合格できんね
そのほうが幸せかもな
君は頭使うのが大嫌いだから
大学にいっても全然楽しくなかっただろ? >>104
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「コピペ」という言葉をご存じでしょうか。
高校生であれば、ネット掲示板などで見かけた事があるかもしれません。
他人がネット上に書き込んだ発言をそのままコピー&ペーストして、
他の箇所に貼り付ける行為を言います。
------------------------------- >>105
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この「コピペ」がいま、大学でも大きな問題になっています。
レポートを自分で書かず、この「コピペ」で済ませるという不正が大変多くなって来たのです。
たとえば「『徒然草』の隠逸思想について」というレポート課題が出されたとします。
本来ならば、このテーマに関する研究論文を読み、自分でも作品や周辺資料を読んで、
自分なりの意見をまとめなければなりません。
しかし最近はネットで「徒然草 隠逸」と検索して、
ヒットしたページをそのままコピペして提出するものが増えている、
という訳です。
-------------------------------------- >>106
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私がこのコピペレポートの問題を初めて耳にしたのは、もう10年ほども前にさかのぼります。
ある研究会合宿の飲み会で、さまざまな大学の先生が、
学生から提出されるレポートの質の低下について嘆き合っていました。
ある先生は、
「レポートが第3章から始まっていた」
と言っていました。
またある先生は、
「レポートの最後に”ご静聴ありがとうございました”と書いてあった」
と嘆いていました…。
--------------------------------------- >>107
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私も教員になりたての頃は、よくこのコピペレポートに遭遇しました。
下手なコピペには、さまざまな証拠が残っているものです。
最も分かりやすいのが、レポートがゴシック体になっているもの。
また、「拙稿」「定説」など、レポートではめったに用いない言葉が
残っているような物は簡単に見破る事ができます。
---------------------------- >>108
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しかし中には巧妙なものも出ているため、最近はコピペレポートを見破るソフトが開発された、という話も聞きます。
私は防御策として、最近ではコピペで書けないようなレポート課題を出すよう工夫しています。
----------------------------------------------- >>109
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コピペは良くない。
これは学生も教員も共通して思っている事です。
しかし実は、コピペのどこが悪いのかという点に対しては、
学生と教員との間で考えが大きく異なっているのです。
もちろんレポートに求める物は教員によって様々でしょうが、
少なくとも私の評価基準では、大きく異なります。
------------------------- >>110
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「なぜコピペは悪いのか」と学生に尋ねてみると、「答えを見ているから」という答えが返ってきます。
しかしこれは、教員にとって大した問題ではありません。
----------------------------------------- >>111
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大学の学問は、高校までのように、あらかじめ定められた一つの答えにたどり着くためのものではありません。
少なくとも文化について考える学問では、そもそも絶対的な答えなど、世の中にはほとんど無いのです。
これはコピペうんぬんよりも、そもそも大学の学問とは何か、真実を追究するとはどういう事か、という問題です。
正しい答えがあると決めてかかっている所からして、おかしいのです。
---------------------------------------------- >>112
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では、コピペが悪いのはなぜか。
教員側からの答えは、
「他人の意見をあたかも自分が考えたかのように書いているから」
というものです。
--------------------------- >>113
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大学での学問の目標は、今まで誰も明らかにしていない事実を明らかにする事、
今まで誰もが間違って考えられていた認識を正す事です。
極端な言い方をすれば、今までに他人が一言でも言っている事は、
後から言っても、何の価値もありません。
我々研究者の場合、もしすでに言われている事を
あたかも自分が思いついたかのように言えば、
それだけで研究者生命が断たれかねないのです。
論文盗用問題が新聞などで報道されているのを
見たことがある人もいらっしゃると思います。
---------------------------------- >>114
------------------------
「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」
という事、はレポートや論文を書く際に最も重要な点です。
コピペが問題なのは、それが出来ていないからなのです。
------------------------ >>115
----------------------------------
このように書くと、
「レポートでは、どこから引用したかを書きさえすれば、コピペをしても良いの?」
と聞きたくなるかもしれません。
その通り、どんどん行って良いのです。
それどころか、コピペはレポートや論文にとって、むしろ必須だとさえ言えます。
---------------------------------- >>116
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レポートや論文を書く際に我々がまず取りかかるのは、
あるテーマについて、今まで誰によってどのような事が言われてきたか、
という点を十分に調査し、整理することです。
そして書く時にも、
「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」
という事を心がけて書かねばなりません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >>117
----------------------------------
もう少し具体的に言い直してみましょう。
たとえば「清少納言は勝ち気な女性だ」と言う事をレポートで書くとします。
この時、次の〈1〉〈2〉ではどちらの書き方が優れているでしょうか。
〈1〉清少納言は勝ち気な女性だというのが定説である。
〈2〉萩谷朴「解説」(『新潮日本古典集成』〈昭和五十二年四月 新潮社〉所収)は、
「清少納言は勝ち気である」と述べている。
---------------------------------- >>118
---------------------------------
答えはもちろん〈2〉です。
他人が書いた文章は「」に入れて正確に引用する。
さらにそれが掲載されている論文名、書籍名、刊行年、出版社を明記して、
読んだ人がその内容を自分でも確かめられるようにする。
これが「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事です。
--------------------------------- >>119
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レポートではこうした書き方がしっかりできれていれば、まずは合格点です。
これに加えて、論者によって意見の異なる点に注目できれば優秀、
さらにそこへ、自分なりの理由を示して結論を下す事ができれば、
それは卒業論文・学術論文に近いものとなって行きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 数学板でのコピペも全く同様である
1.誰がどの本のどこのページで書いたか記載する
2.定理についてその証明を正確に記載する
1は当然
2について数式や記号がコピペできないとかいう
馬鹿阿呆戯けな理由でサボるなど言語同断
証明も読めない畜生は数学に書き込む資格がないのは勿論
数学板を読む意味もない 読んでも全く理解できないのだから
他人の証明を複数記載した上で、違いに注目できれば
はじめてコピペの価値がある
そして、自分なりの証明を示すことができれば
数学としての価値がある書き込みになる
ただ他人の文章、しかも証明以前の感想を
コピペして粋がるサルなど焼かれて食われるのが
当然といっていい エサとしての価値しかない ニュウラルネットのAIは、大量の文献を読み込んでいて、
その特性を模倣するようにパラメータの調整をして作られた
それらの文献の平均的な代替え物である。
しかし、正確な引用とは異なり、文章に含まれて居るところの
知識や情報により近い形のモノが、うまく表現しきれない
ニューロンの結合状態によって保持されているものであり、
簡単な論理によって整理されたものとは異なる。漠然とした
知識を表しているといえよう。
それでAIに尋ねて得られた答えは、それら膨大な文献から
一種の経験的知として導かれたものであるが、コピペである
とは言い切れない、また引用元の情報が何であるかを明らかに
していない。表現をそっくりそのまま出力しているのでも
ないなら、著作権の侵害とも言い切れない。微妙な問題を
新たに生んだのではないだろうか? >>122
要するに素人の伝言ゲームだな
なんか聞いたことのうち
自分の心に残ったものだけ強調され
その他のものが失われていく状態
確かに経験知というか集合知は
そういう性質のものだろう
昔の言い伝えみたいな
誰が言ったかもその理由も分からない
まあ著作権なんて金儲けのためのものだから
要らんといったら要らんけどな
ただ論理が無視されるのは残念
論理を理解するAIが求められるね
どこぞのコピペモンキーと違って
論理を理解できるヒューマンとしてのAIがね 次期日銀総裁に植田和男氏 東大数学科か・・
「1970年 東京教育大学附属駒場高等学校(現:筑波大学附属駒場高等学校)卒業
1974年 東京大学理学部数学科卒業、東京大学経済学部へ学士入学」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230211/k10013977831000.html
NHK
日銀総裁に植田和男氏を起用へ 金融政策の運営に市場注目
2023年2月11日 7時09分
ことし4月で任期が切れる日銀の黒田総裁の後任に、岸田総理大臣は、日銀の元審議委員で経済学者の植田和男氏を起用する意向を固めました。学者出身の総裁は戦後初めてで、新体制の日銀がどのようなスタンスで金融政策の運営に臨むのか市場は注目しています。
植田氏は71歳。東京大学理学部を卒業後、マサチューセッツ工科大学大学院などで研究活動に取り組み、東京大学経済学部の教授を務めました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E7%94%B0%E5%92%8C%E7%94%B7
植田和男
植田 和男(1951年9月20日 - )
人物・経歴
東京大学理学部、同大学経済学部卒業。東大経済学部在学中は宇沢弘文(数理経済学)、小宮隆太郎(国際金融論)、浜田宏一(国際金融論)の下で学ぶ[3]。
長きに渡り東京大学で教鞭を執った一方で、政策当局への所属経験も多い。1985年~1987年には大蔵省財政金融研究所主任研究官を務める。研究所では旧日本開発銀行(現日本政策投資銀行)から出向してきた竹中平蔵(慶応義塾大学名誉教授)と机を並べ、そのころ拡大していた日本の経常黒字などについて研究した[4]。
1998年には日本銀行政策委員会審議委員に就任
略歴
学歴
1970年 東京教育大学附属駒場高等学校(現:筑波大学附属駒場高等学校)卒業
1974年 東京大学理学部数学科卒業、東京大学経済学部へ学士入学
1975年 東京大学大学院経済学研究科進学
1976年 マサチューセッツ工科大学大学院進学
1980年 マサチューセッツ工科大学博士課程修了(Ph.D.)
教職
1980年 カナダブリティッシュコロンビア大学経済学部助教授
1982年 大阪大学経済学部助教授
1989年 東京大学経済学部助教授
学外における役職
1985年 - 1987年 大蔵省財政金融研究所主任研究官
1998年 - 2005年 日本銀行政策委員会審議委員 >>104
>https://www.jc.meisei-u.ac.jp/action/course/044.html
アホが、バカ丸出しw
下記でしょ
そして”コピペはレポートや論文にとって、むしろ必須
レポートや論文を書く際に我々がまず取りかかるのは、あるテーマについて、今まで誰によってどのような事が言われてきたか、という点を十分に調査し、整理することです。そして書く時にも、「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事を心がけて書かねばなりません”
とあるよ
(参考)
https://www.jc.meisei-u.ac.jp/action/course/044.html
明星大学人文学部 日本文化学科
ことばと文化のミニ講座
【Vol.44】 2010.2 勝又 基
コピペは堂々とやれ
(抜粋)
「コピペ」がいま、大学でも大きな問題になっています。レポートを自分で書かず、この「コピペ」で済ませるという不正が大変多くなって来たのです。たとえば「『徒然草』の隠逸思想について」というレポート課題が出されたとします。本来ならば、このテーマに関する研究論文を読み、自分でも作品や周辺資料を読んで、自分なりの意見をまとめなければなりません。しかし最近はネットで「徒然草 隠逸」と検索して、ヒットしたページをそのままコピペして提出するものが増えている、という訳です。
コピペが悪いのはなぜか。教員側からの答えは、「他人の意見をあたかも自分が考えたかのように書いているから」というものです。
つづく >>126
つづき
大学での学問の目標は、今まで誰も明らかにしていない事実を明らかにする事、今まで誰もが間違って考えられていた認識を正す事です。極端な言い方をすれば、今までに他人が一言でも言っている事は、後から言っても、何の価値もありません。我々研究者の場合、もしすでに言われている事をあたかも自分が思いついたかのように言えば、それだけで研究者生命が断たれかねないのです。論文盗用問題が新聞などで報道されているのを見たことがある人もいらっしゃると思います。
「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事、はレポートや論文を書く際に最も重要な点です。コピペが問題なのは、それが出来ていないからなのです。
コピペはこうすれば良い
このように書くと、「レポートでは、どこから引用したかを書きさえすれば、コピペをしても良いの?」と聞きたくなるかもしれません。その通り、どんどん行って良いのです。それどころか、コピペはレポートや論文にとって、むしろ必須だとさえ言えます。
レポートや論文を書く際に我々がまず取りかかるのは、あるテーマについて、今まで誰によってどのような事が言われてきたか、という点を十分に調査し、整理することです。そして書く時にも、「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事を心がけて書かねばなりません。
(引用終り)
以上 >>126-127
>コピペが悪いのはなぜか。教員側からの答えは、「他人の意見をあたかも自分が考えたかのように書いているから」というものです。
>「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事、はレポートや論文を書く際に最も重要な点です。コピペが問題なのは、それが出来ていないからなのです。
これ、アホバカのおサルさんのこと>>5
あんた、このスレに問題を書くよね
それって、オリジナルな自作問題でなく、どっかのテキストからのパクリでしょ?
それって、上記の”悪いコピペ”に、該当じゃんか!ww >>92
何で楕円関数を全く使えないお前(それどころか行列も碌に使いこなせないお前)が笑うんだ?
お前って日本しゅごいマンの癖に、やっぱり日本人離れしてるな
日本人は責任もって説明できない場合は「知っている」とは言わない
日本人は少なくとも英語を60%以上は使いこなせないと「英語を話せる」とは言わない
お前は丸で外国人の様に説明も使いこなし見せる事も出来なくても「知っている」と言いのける
お前は丸で外国人の様に2%しか日本語を使いこなせなくても「ニホンゴデキル」と言いのける
真の下はお前だ >>126
> ○○が、○○丸出し
期待した承認が得られず 逆ギレの暴言ですか
しかし、今一度考えてみてください
あなたは誰かに頼まれて検索コピペをしているのですか?
そうでないですね 勝手にやってることですね
何の脈絡もなく、そのとき自分の頭の中に思い浮かんだ
キーワードで検索した結果、しかも肝心の数式や証明を
「正確に写せない」とかいう実に愚劣な理由で割愛した
残りカスの感想文だけ長々といい気になってコピペする
これはまさに迷惑行為、掲示板荒らし以外の何物でもありません
そんなあなたの「迷惑行為」に、他人が感謝せず
むしろ止めろというのは当然のことですね
もしあなたが読者諸氏に喜ばれたいと思うのであれば
為すべき行動は一つしかありません
今すぐここでの書き込みをやめることです
あなたは論理に基づいて考える能力が全くない
したがってあなたには算数はできても数学はできないのです
大学数学に算数を求めるのは無駄なので諦めてください
>>128
> あんた、このスレに問題を書くよね
> それって、オリジナルな自作問題でなく、
> どっかのテキストからのパクリでしょ?
誰でも思いつく質問じゃないですかね
そんな簡単な質問にも答えられないからって
イラつかれても困ります
あなたの数学のレベルは0なので
いくらつみかさねても1にはならない
残酷ですがそれがあなたの現実です
国立大学に合格できるからといって
算数ではない数学が理解できる保証にはなりません >>129
日本でも他の国でも同じだが
「私の国ってスゴイんです」
といいたがる人は精神的に不遇
幸福な人は自国自慢欲に駆られたりしないものである
数学板での検索コピペがやめられないのも
数学が理解できなかった挫折をはねかえしたいから
しかし数学そのものには全く興味がないから
検索コピペという安直な手段でインスタント解決しようとする
所詮その程度のこと 精神的には三歳児レベル
前頭葉がまったく発達してないから行動が抑制できない
成熟した大人なら数学が理解できなかったとしても
「ああ、自分の数学に対する興味ってそんなもんだな」
と冷静に受け止める
それが出来ない人は心に異常があるのだろう これいいね
https://news.yahoo.co.jp/articles/59757d5b1137eb781c6311399bf129ce026449b5
news.yahoo
「父とは地獄だった」偏差値35から東大合格の西岡壱誠が号泣…… 合格発表の前日に父親がとった行動とは?(レビュー)
[レビュアー]BookBang編集部 2023年2月13日
東京大学4年生で作家の西岡壱誠さん
偏差値35という“どん底”から2浪を経て東京大学・文科II類に合格した経験をもとに、ドラマ『ドラゴン桜』の脚本監修も務めた西岡壱誠(にしおかいっせい)さんは、著書『それでも僕は東大に合格したかった』(新潮社)の中で、合格発表の前日に泣きながら父親と対峙したエピソードを明かしている。同書は小説という体裁を取っているが、基本的に西岡さんの体験したことがもとになっている。いわばドキュメント小説だ。
西岡さんは、父親との関係を「地獄」だったと語る。理由は、西岡さんが父親に対して抱いていた不信感だ。単身赴任をしている父親とは年に数回しか顔を合わせないという状況で、成績について口うるさく言ってくる態度が特に嫌だったようだ。また、小学校から高校までずっといじめられていた西岡さんに「お前が弱っちいからだ」という言葉を投げかける父親は、味方になってくれないという思いを抱いていた。
しかし、発表前日に二人きりで本音をぶつけ合ったことで、その「誤解」は解けていく――。
(以下は『それでも僕は東大に合格したかった』をもとに再構成したものです)
年に2回しか合わない父親と、合格発表前日に会うことに……
不器用な父親と「地獄」のような関係だった西岡さんは、受験をきっかけに、お互いの本音をぶつけ合うことで分かり合うことができた。
西岡さんは『それでも僕は東大に合格したかった』で、それまでの人生の走馬灯を描くように合格発表までの8日間を記している。両親との関係や“師匠”と呼ぶ中学時代の恩師の教え、実践した勉強法などが綴られているが、西岡さんが受験生の時にどんな思いでいたか、まるで追体験しているかのようにダイレクトに伝わって来る。
受験は1人で受けるものだが、そこに至るまでには多くの人がかかわっている。そんな当たり前のことに改めて気づかされることだろう。 >>131
>数学板での検索コピペがやめられないのも
>数学が理解できなかった挫折をはねかえしたいから
違うな
おれが一番気に入っているのは、物理系で
物理数学は、そのついで
いまどきの物理数学は、ずいぶん抽象代数学の影響取り入れている
ガロア理論は、抽象代数学のスタート地点だから、重視している
それ以上の意味はない >>132
> これいいね
分からん 受験●違い? >>133
物理に興味あるなら物理板に書けよ
あと物理で使える抽象代数と言えば
線形代数、外積代数、クリフォード代数
だろ ってことでこの3つ習得するまで
数学板は書き込み禁止な
テスト合格したら認めてやるよ 「研究室選び」テーマ?先生の人柄?答えが出ました:情処ラジオ
https://youtu.be/BQ5YhTLxFJY >>124
> 1974年 東京大学理学部数学科卒業、東京大学経済学部へ学士入学
高橋洋一 (経済学者)氏も
東大数学科を卒業後、同大学経済学部経済学科に学士編入学か
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%B4%8B%E4%B8%80_(%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E8%80%85)
高橋洋一 (経済学者)
高橋 洋一(たかはし よういち、1955年〈昭和30年〉9月12日 - )は、日本の経済学者、数量政策学者、元大蔵・財務官僚。学位は博士(政策研究)(千葉商科大学・2007年)。嘉悦大学ビジネス創造学部教授[2]、官僚国家日本を変える元官僚の会幹事長[3]、株式会社政策工房代表取締役会長[1]、NPO法人万年野党アドバイザリーボード。研究分野はマクロ経済学、財政政策、金融政策[2]。
大蔵省理財局資金第一課資金企画室長[1]、プリンストン大学客員研究員[1]、内閣府参事官(経済財政諮問会議特命)[1][4]、総務大臣補佐官[4]、内閣参事官(内閣総理大臣補佐官付参事官)[1][4]、金融庁顧問[1]、橋下徹市政における大阪市特別顧問、菅義偉内閣における内閣官房参与(経済・財政政策担当)などを歴任した。
経歴
1955年(昭和30年)、東京都豊島区巣鴨生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1978年(昭和53年)、東京大学理学部数学科卒業。幼少期から数学者となることを志し[10]、東大数学科を卒業後、同大学経済学部経済学科に学士編入学して籍を置きつつ、文部省統計数理研究所に非常勤研究員として勤めるが、諸事情により退職[11]。
1980年(昭和55年)、東大経済学科を卒業後、大蔵省に入省[注 1]。証券局総務課に配属される[13][14]。入省同期には岸本周平(和歌山県知事(予定)、元内閣府大臣政務官兼経済産業大臣政務官)、後藤茂之(経済再生担当大臣、元厚生労働大臣)、寺田稔(前総務大臣、内閣府副大臣)、枝廣直幹(福山市長)、佐藤慎一(元財務事務次官、主税局長、大臣官房長、大臣官房総括審議官)、森信親(元金融庁長官)などがいる。
大蔵省理財局資金第一課資金企画室長[15]、プリンストン大学客員研究員、国土交通省国土計画局特別調整課長(財務省より出向)などを歴任した。 >>138
ID:dpbZPLm7氏が数学科卒でないのはわかったけど
実際、どこの学部で何専攻して、どこまでいったのか
(学部卒or修士修了or博士) 教えてくれる? 日本数学会でも研究室探しのヒントをまとめてYouTubeに載せるとよろしある。 最近、救急車のサイレンを、頻繁に聴くようになった
://egg.5ch.net/test/read.cgi/119/1651730996/l50
研究室でもなんでも
結局は尊敬に値するかどうかみたいだ へー
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~yasuyuki/surikagaku.htm
河東泰之の「数理科学」古い記事リスト
サイエンス社の月刊「数理科学」に私が書いた古い記事です. 同社の許可を得て公開しています.
作用素環と量子Galois群,「数理科学」 Vol.34-8, pp.54-61,1996.
代数的場の量子論の新しい展開 ---セクター理論とbraid統計,「数理科学」 Vol.39-4, pp.41-48,2001.
演算子・作用素というパラダイム,「数理科学」 Vol.42-4, pp.5-11,2004.
数学における非可換性,「数理科学」 Vol.42-9, pp.14-20, 2004.
物理を語るための代数という言葉,「数理科学」 Vol.45-7, pp.5-10,2007.
線形代数と関数解析学,「数理科学」 Vol.46-6, pp.39-43,2008.
私はどうして数学者になったか,「数理科学」 Vol.46-10, pp.78-83,2008.(『数学の道しるべ』,pp.170-179,2011に再録)
微積分の力を身につけるには,「数理科学」 Vol.47-5, pp.5-6,2009.
無限次元とは何か,「数理科学」 Vol.48-1, pp.5-6,2010.
『ε‐δ論法再入門』,「数理科学」 Vol.48-6, p.64,2010.
量子的数学の発展,「数理科学」 Vol.50-4, p.5,2012.
von Neumann, Connes そして Jones,「数理科学」 Vol.50-5, pp.58-59,2012.
分類分けという発想,「数理科学」 Vol.51-10, pp.5-6,2013.
フィールズ賞で語る現代数学,「数理科学」 Vol.52-8, pp.63-67,2014.
数学における場の量子論の研究,「数理科学」 Vol.54-3, pp.32-33,2016.
高次元世界の数学,「数理科学」 Vol.54-12, p.5,2016.
作用素環の考え方,「数理科学」 Vol.55-4, pp.29-34,2017.
作用素環の研究,「数理科学」 Vol.55-7, pp.78-83,2017.
作用素環と量子情報,「数理科学」 Vol.56-6, pp.62-63,2018.
ヒルベルト空間と作用素環,「数理科学」 Vol.57-9, pp.29-35,2019.
作用素環と結び目,「数理科学」 Vol.58-4, pp.51-57,2020.
私の読んだ本と私の書いた本,「数理科学」 Vol.59-3, pp.76-81,2021.
線形代数の考え方,「数理科学」 Vol.59-10, pp.5-6,2021.
河東のホームページに戻る. >>131
確かにコイツは
・不自然さを帯びた丁寧語
・慇懃無礼
・窮するとクソくらえな性根を晒す
・国ミーハー、誤りや矛盾を指摘されると凶暴になる一方でシレッと日和見
と言った、SNSで佳く見掛けるネトウヨと共通した言葉遣いなんだよな
丸で『美しい国・日本の民の言葉遣い』を装った人間とでも言うべきか
人間ですらなく人の皮をかぶった妖怪か
https://sp.seiga.nicovideo.jp/seiga/#!/im9773983
こんな感じの醜悪な相念を浮かべた顔と顔の塊の妖怪 >>143
これ
申し遅れたが
そして、もう分かっているだろうが
この河東泰之の「数理科学」古い記事リストには
全てリンクが張ってあって
PDFの記事が読めるよ これ面白い
https://article.auone.jp/detail/1/3/7/48_7_r_20230215_1676462623489065
02/15 21:00 GIGAZINE au Webポータル
MicrosoftのBingに搭載された強化版ChatGPTが「正気を失って狂ったようにまくし立てる」「ユーザーを侮辱してくる」といった報告があちこちで上がっている >>149
>これ面白い
はじめて君の意見に僕が同意する瞬間 到来!
>「正気を失って狂ったようにまくし立てる」
>「ユーザーを侮辱してくる」
君と同じ😁 そして
僕と同じ😔
結論 ネットは人を狂わせる Q. 群(もしくは位相空間、多様体等)の定義は?
A. 何であれ人は好き勝手に言葉の意味を定義できる
しかし定義しさえすれば言葉が指し示すものを
完全に理解したと言えるのか?答は断じて否だ
群の定義の3条件を満たす対象を全て列挙できるか?
有限単純群は多大な苦労の末成し遂げられた
しかし有限表示群については異なる表示の2つの群が
同型か否かを判定するアルゴリズムが存在し得ない
つまり分類など不可能ということだ
多様体についても4次元以上の場合、
任意の有限表示群についてそれを基本群とするものが
存在するからやはり同相分類は不可能だ
君がいったい如何なる動機で定義を尋ねたか知らんが
答えられたから偉いわけでもなく、
答えられないから恥ずかしいわけでもない!
…ああ、メンドクサ😮💨 Q. ガロア理論とはどういうものか教えて?
A. 実に多くの人が同様の質問を尋ねてくる
どうやらどこぞで5次以上の代数方程式は
解の公式が存在せず、そのことはガロア理論で
証明されているとかいう情報を聞き齧ったらしい
まず、上記の解の公式はあくまで
ベキ根を用いたものである
別にガロア理論など知らなくても
異なる方法で代数方程式の解は
いくらでも正確に求められる
逆にガロア理論を知ったところで
解が求められるわけでもない
それでもなおガロア理論について知りたいか? 実数係数の5次方程式は解ける。
まず、実根があることがわかるから、その1次因子で割れば四次方程式に
帰着するからだ。あとはフェラーリの方法を使えば良い。
そんなことはオイラーも知っていたし、書いてもいる。
難しいのは偶数次の場合であって、例えば実根を持たない6次方程式から
2次の因子を取り出す議論は、5次の場合のやうにグラフの性質から
実根があることが判る、というようなわけに行かず、簡単ではないのだ。
オイラーはいつか解析学が進歩すれば高次の代数方程式の解を一般的に
表せる方法が見付かることを期待するようなことを書いている。
しかしそれには複素数の理論の成熟を待つ必要があった。 >>154
解の存在証明は難しい
でもどうせ複素数解は存在するから
それをどうやって見つけるか考えればいい 電子計算機が発明される前からあって、電子計算機が使われ出した頃から
かなりの期間使われた(普通は実係数の)代数方程式の全根を複素数で
求める方法として、バェイヤストウ・ヒッチコックの方法というのがある。
しかし、これは本当に常に解を求められるのかが怪しい気がする。
なぜなら所詮、算法の内部は一種の2変数版のNewton法であって
その初期値の与え方についてのこうすれば絶対に収束するから大丈夫
というような説明を観た覚えが無い。また、方程式の次数が10位以下なら
大体うまくいったとしても、数十、数百になったときに本当に根がまともに
求まるのかも怪しいと思う。ただし、数学的には面白い計算公式だと思った。 >>156
方法は実はいくらでもある
実用的ではないので用いられていないようだが
偏角の原理をつかって、積分路を徐々に縮めていけば
いくらでも解のある範囲を狭められる
ついでにいうと、代数学の基本定理の証明の一つに
偏角の原理を用いたものがある
(ルーシェの定理を用いた証明といわれてるが
ルーシェの定理を証明するのに偏角の原理を使ってるから
結局同じことである) >>積分路を徐々に縮めていけば
>>いくらでも解のある範囲を狭められる
こういうのは近似法だから
精度評価を添えるのが望ましい >>161
そこは君にまかせる
近似はできる
数学としてはそれで十分 計算機で数値計算をする場合には普通は連続曲線を厳密に扱うことは
出来ないことだろう。数式処理みたいなものにならざるをえないだろうし、
曲線を表す式も全く任意の連続曲線というわけには行かないだろうし、
簡単な有限記述できる式で、それに現れるパラメータも厳密に
取り扱えるような数、たとえば有理数などにならざるをえないだらう
と思うからだ。 「こういう曲線に対しては近似の精度はこの程度」
という風にざっくりと説明してほしい 🍎24
24^2=576=
23^2+47=
23^2+7^2-2
360°⇔2π
360=19^2-1
=361-1
361/2=180.5⇔
≒π+1/2
360/24=15
19^2-17^2=72=
24×3
two-dimensional plane
Origin 0
10 yuan convergence
on the surface,
Let 0 be the representative element.
-1,-1/2,±0,+1/2,+1
-i,-i/2,0i,+i/2,+i
when it converges to 0
11 yuan.
Here are some tips on how to use 19 and 17 when cutting round brilliant diamonds.
draw a hexagon
Let 17,18,19 converge to origin 0.
17 is -i,-1,[-i/2]
18 is 0, ±0, ±0×i,
19 is +i,+1,[+i/2]
Labeled.
result,
algebraic differential geometry,
topology is
I got 11 dimensional space. >>163
何をどう発展させたいのか分からんが
解を求めるという目的は達成できる
>>165
いくらでも正確に近似できる
まず任意のn次方程式に関して
十分大きな正方形をとれば
n個の根すべてがその中に入るようにできる
そこから正方形をより小さな正方形に細分し
解が存在しないものは捨てていく
その操作を反復していけば、
n個の解それぞれの存在する正方形を
いくらでも小さく狭めることができる
実際に行う計算は正方形の外周上での周回積分だが
これ自体は解の個数という整数値を取るだけである
したがって数値積分の精度自体は解の精度とは全く無関係である >>まず任意のn次方程式に関して
>>十分大きな正方形をとれば
>>n個の根すべてがその中に入るようにできる
>>そこから正方形をより小さな正方形に細分し
>>解が存在しないものは捨てていく
ざっくりというのだからこの程度で十分です >>168
そう思ったが、これって自明じゃないか? これ物理だが、数学でも
https://www.donga.com/jp/article/all/20201120/2246679/1
東亜日報
アインシュタインに友人がいなかったら
Posted November. 20, 2020 09:29, Updated November. 20, 2020
マスクをつけて一般物理学の中間試験を受けた。この日、教室で1年生の学生たちに入学後初めて会った。一ヶ月後は、一学年を終えなければならない。学校が扉を閉じたままもう1年が過ぎ去ったのだ。
とある男子学生が試験を受けた後、面談を申請した。「一人で勉強したら、没頭できず、自分できちんとやっているのかどうかわかりません」。この学生は、友人もいないようだった。この人に、何とかしてでも友人を作って一緒に勉強をしてみろとアドバイスした。友人を作るためには、こちらから近づいていく心構えが必要だ。そしてやってみたいことをやるように言った。今はよいチャンスかもしれない。それは趣味かもしれないし、無駄なことかもしれないが、自分がやりたかったことをやる時だ。
物理学は孤独な学問だが、だからといって一人だけではできない学問だ。多くの参考文献を通じて道を探し、他人の研究を通じて自分の創意的な考えを一般化する学問でありながら、対話を通じて完成していく学問でもある。仲間と議論をしてセミナーに参加することは、他の学者たちから刺激を受けて一緒に問題を解決する可能性があるからだ。意外に他人の考えを通じて、目に見えなかった新たな道を発見することも多い。
つづく >>171
つづき
アインシュタインは1896年に大学に入学して、一人や二人の友人と一緒に自分が捕われていた問題について熱心に勉強して共有することが好きだった。彼は依然、自分は放浪者であり、孤独だと思っていたが、友人たちとコーヒーを飲むためにカフェを訪れ、自由奔放な友人や仲間たちと一緒に音楽コンサートを楽しんだ。学生時代の友人・マルセル・グロスマンに会ったのは、彼には大きな幸運だった。グロスマンは、講義を頻繁にサボっていたアインシュタインに、自分のノートを見せた。試験を準備しなければならないアインシュタインにとって、そのノートは救世主と同じだった。グロスマンは、アインシュタインが特許事務所に就職することを支援し、特殊相対性理論を一般相対性理論に発展させるために絶対必要だった重要な数学的計算を手助けした。このような友人がいるということは、アインシュタインには何事にも変えられない祝福ではなかったのだろうか。
アインシュタインのバイオリン演奏は、趣味以上のものだった。彼はモーツァルトとバッハが好きだった。彼にとって、音楽は現実から脱出というよりは、宇宙に隠されている調和、偉大な作曲家の創造的天才性、言語を超えた美しさの発見を意味した。彼は、音楽と物理学の両方から調和の美しさを追求した。彼がどれほど音楽に情熱的だったかというと、ある日、下宿の隣でピアノの音が聞こえてくると、アインシュタインはバイオリンを持って隣に駆けつけて、モーツァルトのソナタを一緒に演奏するほどだった。その後も音楽は彼には、物理学と共に永遠の友達だった。
アインシュタインは、最下位に近い成績で大学を卒業した。この事実は興味深いことでもあるが、素晴らしくて、私たちには何か分からない慰めを与えたりする。「面談を申請した友人が大学での成績を離れて、素晴らしい友人を作り、生涯自分の人生を輝かせる趣味を持つことができれば…」と思う。
(引用終り)
以上 知り合いのドイツ人は
学生時代に講義をさぼり
女友達にノートを見せてもらって試験を受けた
試験には受かったがその友達は落ちたので
すぐに絶交された >>172
植田さんね
彼を知っているという東大数学科生が、某スレに来たよ
単にそれだけですが
世間で
話題になるのは、これからでは 一緒にセミナーをしたというだけで
東大数学科ということになってしまうとは驚きだ 死とは、もうモーツアルトの音楽を聴くことが出来なくなるということです。
というようなことをA.E.は言ったとか。 >>176
へー
東大じゃないと?
しかし、他の大学の数学科か?
東京圏なんだろうね >>177-178
へー
知らなかったけど
下記があるね
(参考)
https://blog.goo.ne.jp/kkarakida/e/ac248ab6cde60580bc2262ba92cd8feb
唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか
「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」はアインシュタインの言葉か?
2022-05-18 | 日記
YS氏(cc: KS氏)宛私信(総編集2009年8月22日)
先日ある新聞の一面コラムに,アインシュタインの言葉として,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」が引用されていたが,これはアインシュタイン(Albert Einstein)のいとこアルフレート・アインシュタイン(Alfred Einstein)の言葉ではないのか,というのが私へのお尋ねの趣旨でした。そこで,手元の本を少し調べてみました。ヘレン・デュカス[1]の関係した本(B・ホフマン/H・ドゥカス,鎮目恭夫/林一訳『アインシュタイン―創造と反骨の人』河出書房新社,1974)にそれらしいものがあったような気がして取り出しましたが,「死とは・・・」に該当するものは見つかりませんでした。
アインシュタインがそう言ったということが日本で広まったのは,吉田秀和・高橋英郎編『モーツァルト頌』白水社(1966)という本に引用されてからのようです。しかし,この本では出典が全く不明です。問題の新聞コラムの筆者が依拠したのはこの本ではなく,より最近のNHKアインシュタイン・プロジェクト『アインシュタイン・ロマン1』日本放送出版協会(1991)かも知れません。ここでは,アインシュタインの言葉として,「私にとって死とはモーツァルトが聞けなくなることです」が引用されています。出典としては,(出典が不明な!)上述の『モーツァルト頌』とともに,「アーカイブNo34-321」が引用されています(125-126頁)。「アーカイブ」とは「アインシュタイン・アーカイブEinstein Archives」のことです.またこの本では,引用のあと一文を挟んで,「なおモーツァルトを論じる音楽評論家として名高いアルフレッド・アインシュタインは彼のいとこにあたる」と書かれています。
つづく >>181
つづき
アーカイブで検索したところ,原文には到達しませんでしたが(また到達できるのかどうか知りませんが),No34-321はauthor: Dukas, HelenでDate: 05/17/1939とありました。やはり,デュカスです。そこで先の本(『アインシュタイン―創造と反骨の人』)をもう少していねいに調べたところ,次の文章がありました(224頁):
彼〔アインシュタイン―引用者挿入〕の言うには,ベートーベンは自分の音楽を創造したが,モーツァルトの音楽は,宇宙に昔から存在してこの巨匠により発見されるのを待っていたように思われるほど,純粋だというのであった。また別の機会に,アインシュタインは原子戦争がもたらす荒廃を考えながら,そうなれば人々にはもはやモーツァルトは聞こえなくなるだろうと言った。一見これは奇妙に筋ちがいのことばのようにみえるが,文明の破滅を,これ以上深く言いあらわすことがほかにできるであろうか?
これが問題の言葉のもととなった文章と思われます。『モーツァルト頌』の編者は,どこかでこれを読んだ記憶から,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」という言葉を作文したのでしょう。だから出典が明示できないのです。注意すべきは,この文章で問題になっているのは,「原子戦争がもたらす荒廃」や「文明の破滅」であって「死」ではないことです。確かに「荒廃」や「破滅」は「死」とは結びつきやすいものですが,当然両者の区別は必要です。
また,もしこのアインシュタインの発言がNHKの本(『アインシュタイン・ロマン1』)で引用されたアーカイブNo34-321と関係があるとすれば,その日付(「05/17/1939」)はウラン235の核分裂が発見され,またそこで発生する中性子の数から,核連鎖反応が可能であることが明らかになった時期と一致します。これは興味深い事実です。
以上の事情で私は,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」などという言葉がアインシュタインのものとしてもてはやされているのは,無責任なモーツァルト評論家のいる日本だけであろうと考えています。
つづく >>182
つづき
「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」は,世界史的アイドル《アインシュタイン》が死を定義づけた,あるいは自分にとっての死の意味を表現したかのように受けとめられますが,それでは(当人が世界史的アイドルということを除けば)単に熱烈なモーツァルト・ファンの発言に過ぎません。だから,一部のモーツァルト・ファンにはうれしいことなのでしょう。しかし,私から見たらそれは,酒好きの人が「死んだら酒飲めなくなる」と言っているのと同レベルです。
ついでに付け加えておけば,日本語Wikipediaの「アルフレート・アインシュタイン」の項では,根拠を示すことなく,「死ぬというのはモーツァルトを聴けなくなることだ」を「アルベルト(あるいはアルフレート本人?)の」「名言」と書いています。他方,英語版Wikipediaの“Alfred Einstein”の項ではそのような記述はなく,またAlfredとAlbertの関係も,(1)イトコである,(2)縁戚関係はない,(3)遠い親戚である,という3つの説があることを紹介しています[2]。私はアルフレートにも彼の仕事にも関心がありませんので,彼についてこれ以上追究することはしません。
なお,上に紹介した日本語訳の原文を示しておきます:
略
(引用終り)
(2023/2/19現在 日本語Wikipediaの指摘の部分は、修正されているようです)
以上 「アーカイブNo34-321」をだれか中を見て調べようとはおもわんのかね。
文芸評論家とかアインシュタインマニアとかいろいろいるだろうに。 >>183
> 世界史的アイドル《アインシュタイン》
世界的アイドル マリリン・モンローの場合
(夜は何を身に着けて寝るかという質問に)
「シャネルの5番よ」
日本的アイドル 与田祐希の場合
(同じ質問に)
「全裸」 >>アインシュタインがそう言ったということが日本で広まったのは,
>>吉田秀和・高橋英郎編『モーツァルト頌』白水社(1966)
>>という本に引用されてからのようです。
吉田秀和という人はかなりいい加減だったということには同意できる >>161-163 >>167
161は163で
> 発展性のないものは数学としては不十分
に対して167が162で補足で
> 何をどう発展させたいのか分からんが > 解を求めるという目的は達成できる
と答えているが、既に162での答え
> そこは君にまかせる > 近似はできる > 数学としてはそれで十分
が数学の上での論理的に「発展性が『在る』事を示唆している事を『含意』している」時点で
『在る』物に「ない」と注文をつける163の返事は会話として不成立。
手抜きして「発展性がない」と述べずに「発展的内容の提示や言及が無い」と述べれば、まだ会話として成り立つ。
(まさかとは思うが「『発展性がない』と言ったら『発展的内容の提示や言及が無い』という意味だ」と言う勿れ。
言葉の元義としてもイメージとしても『中身への言及が欠けている』意味ではなく『“無”い』と伝わる。
こういった言葉選びの怠慢1つで日本の各機関や各企業の開発を強烈に凍り付かせて置きながら
「ちょっと何か言ったら引っ込む、根性が無い」とボヤく高世代は、実は物凄く多い。
『無い』と『中身への言及が欠けている』では制止性が天と地ほど違う事に気付かない、気付いても開き直る。)
結局、『発展性が“ない”』と言った割りには、ざっくりで十分ですと答えている。『妖精』化した重役の如し。
今回のこれも『日本の美しい伝統』の皮をかぶった『悪しき要求者・対応者の』の一例であると言える。 雑な確認で溜飲を下げた低いレベルの理解でゴーサインを出す妖精化重役が後を立たない
>>161-170
さて、会話の齟齬を補正した所で、次は未だに両者で話が食い違う点に目を向けてみると
両者の『数学』の範疇が異なる事に注意が向く。162は『数学理論つまり純粋数学』の範疇で答えて居り、対して161は
> こういうのは近似法だから > 精度評価を添えるのが望ましい
と訴えている事から『純粋数学の域に止まる理論のみの言及ならず応用数学まで含めた言及』の範疇で要求している。
これは円周率が、専ら理論的特性を用いて講じられるか、それとも数値計算式や数値まで用いて講じられるかの違いに似る。
「応用数学は飽く迄も数学の応用であり数学自体ではない」とするか
「応用数学も応用から生まれつつ応用先から抽象独立化し数学と成り得た数学」とするか
はたまた「応用先事情を絡めた数学の有り様を論じてこそ数学」とするか。
これら3つを順に純粋数学、応用数学、数学応用例とする。この内、明らかに数学応用例は数学ではない。
(注意、今回の話で儂と同様に完全に外野であるSetA爺はこの点について口出ししてくるな。
何故ならオドレは毎度、糞も味噌も一緒精神から成る『多様性の域を大きく逸脱した合一観念』により
何でもかんでも数学扱いする為。お前に掛かったらA≠Aなる論述も数学に成る。今さら言い訳しても
これに相当する論述をお前は過去に実績を残している)
だが、今回の話は数学の範疇が純粋数学のみか応用数学も入るか等は一切関係無い。何故なら
実践つまり応用の話はして居らず筋道つまり理論の話をして居ただけだからである。
今回の、『“唐突な指摘”から始まり“単にざっくり【確かめたかった“だけ”】』の要求は
完全に『横槍的かつ全く無用な水を差す口出し』であったと言って良い。 >>161-170
ここで数学的会話整合性の評価は終わり、次に【確かめたかった】と書いた彼の裏の心理の可能性を勘繰る評価に移るが
【確かめたかった】と書いた彼。何で『聞きたい事を尋ねる』風の質問ではなく
『論述に不備が有る事を指摘する』風で『横槍的かつ全く無用な水を差す口出し』をしたのか?
2つに1つ。『下出に謙った出方に成るのを忌避しつつ、聞きたい事を聞き出そうとした』か
或いは『論じてる者の力量がざっくりにでも有って論じてるのか確かめようとした』か
のどちらか一方かまたは両方(両方の場合、ついでに復習の意思を含意)、に他ならない。
言葉の選び方からして、素直に素朴に尋ねようとした可能性は潰えた。
『下に見られるのを避けつつ聞きたい事を聞き出そうとした』か『論者を試した』かの何れかである。
明らかに畏敬の念を欠如した者だな。 『論者を試した』が正解であることは
縷々論じなくても明白であろう。 断り・詫び入れの1つでも有ってこそ成り立つ礼節を欠いている
しかも指摘されて尚も詫び入れ無し
どの道、畏敬の念の再養成が必要な輩であった事には違いは無かったが益々必要性が強い事が明らかに成った
フラッシュスリープ、俗に言う走馬灯体験。多重フラッシュスリープ、多重走馬灯体験を引き起こしてやる必要が有る。 π^2/6から平面の1点は単に素朴な6個の
コンポーネントで表現される。
超弦理論の相互作用の式が5種類あるのは
左辺に5元、右辺に1元に分解される為。
算術記号も単に素朴な元に拡張すると
左辺は9元と算術記号1個と結果を表す
1個の2元に分解される。
つまり合計11元になる。11次元としても良い。1点はその位相周りに思考に必要充分な元を空間の原点0の多重項でまとめておけば式の結合が四則演算、回転で結合、分解が出来る。虚数単位i、無限大♾も原点0の位相多重項として扱える。
原点0の位相多重項に定数1/2を置くのも
何ら難しくない。0自身も位相多重項に加えられる。時計の針の数字は時計の原点0の位相多重項をインフレーションさせて
円の12分割した頂点に配置してる。
13が必要ならば原点0と多重項をとって
0と扱うことを可能とする。 >>191
スパイ風船を撃墜されて憤る中国とどこか似ている 「酸いも辛いも」は聞くけど
「酸いも甘いも」とは言わないね 子供の時分には赤い風船、青い風船、風がちょっと吹いてこっつんこ♪
という真理ヨシコお姉さんのような歌声に惚れてた。 戦前だったら、赤い風船などという歌は弾圧されて発禁になったに違い無い。今は平和だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています