複素解析2
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昨今は楠幸男の解析函数論や吉田洋一の函数論を知らない若い人も多いんだろうな 誤:昨今は楠幸男の解析函数論や吉田洋一の函数論を知らない若い人も多いんだろうな
正:昨今は楠幸男の解析函数論や吉田洋一の函数論を知らない数学科の学部生も多いんだろうな 昨今は小松勇作の函数論を知らない若い人も多いんだろうな 吉川実夫の函数論 って第一次世界大戦前の出版のようだけれども、
どういう特徴だとかがありますか?見掛けたことがない。 野村隆昭著『複素関数論講義』
2重級数が絶対収束することの定義は書いてあります。
ところが、2重級が収束することの定義が書いてありません。 正項2重級数が収束することの定義は書いてあります。 2重級数 z_{p, q} が絶対収束する。
⇒
2重級数の各項の実部からなる2重級数 x_{p, q} および2重級数の各項の虚部からなる2重級数 y_{p, q} が絶対収束する。
⇒
x_{p, q}, y_{p, q} はそれぞれ収束する2つの正項2重級数の項の差で書ける。
⇒
x_{p, q} の値を上に書いた収束する2つの正項2重級数の値の差で定義する。 y_{p, q} の値を上に書いた収束する2つの正項2重級数の値の差で定義する。
⇒
z_{p, q} の値を x_{p, q} + i * y_{p, q} と定義する。 こう定義するのが自然だと思いますが、これが書いてありません。 今、杉浦光夫著『解析入門1』をチェックしましたが、驚くべきことに、
複素2重級数が収束することの定義が書いてありません。
実2重級数が収束することの定義までは書いてあります。 実部と虚部を別々に考えてそれらの二重級数が収束することとすれば良いからだろ。 >ところが、2重級数が収束することの定義が書いてありません。
実数の1重級数の場合は、Riemann の定理により、
絶対収束しないが条件収束する数列は、数列の順序を入れ替えることで
どんな値にでも収束するように組み替えることができるからだろう。
二重級数の場合、足し算をどの順にするかは自明に定義されていないから。
例えば a_{i,j} を i+jの合計値が単調に増加する順に足していくというような
制約を設けないと(絶対収束しない)二重級数の値は、WellーDefinedに
ならないだろうから。 >>19
野村隆昭著『複素関数論講義』では、絶対収束する2重級数のみを考えています。
まず正項2重級数の収束について定義しています。
次に一般の複素2重級数について、絶対収束の定義を書いています。
ところが絶対収束する2重級数が、普通に収束することの定義が書いてありません。 多分、書き忘れたのだと推測しますが、著者が亡くなってしまっているので、どうにもなりません。 >>23
↓この本ですか?
複素数とその関数 (数学ワンポイント双書 33) 単行本 – 1980/9/10
酒井 孝一 (著) アマゾンで「試し読み」してみましたが、どうやら↑の本ではないみたいですね。 >>21
>ところが絶対収束する2重級数が、普通に収束することの定義が書いてありません。
一般の2重級数は一列化を指定しないと意味を持たない。
条件収束する級数が、項の順序を入れ替えると和が変わってしまうのと同じ理屈。 はじがきによれば
解析関数の概念をベキ級数を用いて導入した、解析的拡大の理論に主眼をおき、有理型関数の接続も詳細に論じたとのこと。恩師は能代清と一松信、同輩は梶原譲二(壌二が正しい)とのこと。「初等函数論」能代清で挫折した嫌なイメージを想起。梶原壌二は尊敬出来る人。
内容は
第1章 べき級数(整級数)
第2章 正則関数 日本で多変数関数論の研究がかろうじて続いているのは
梶原先生と酒井先生の功績が大きい 今年の
CG and SCV for YM は
盛況だった つまり二重和は一般にはその2つの添字について和をとるときの
順序を一般には交換できない
\sum_{i} (\sum{j} a_{i,j}) と \sum_{j} (\sum{i} a_{i,j})
の値は一般には異なりうる。 自然数の添字の対(i,j)から自然数の添字kに対する写像が全単射であるとき
k=f(i,j)として a_{i,j} に対して b_k = a_{i,j} と対応させたとき、
S = \sum_{k} b_k
の値が全単射fのとり方に依らない為のfに対する必要十分条件は
どうなるのだろうかな。 >>36
>>38
酒井先生の本の第一章の冒頭を読んであげよう。
1.1 多重級数の収束
複素数列の列
a_{00}, a_{01}, a_{02}, ・・・
a_{10}, a_{11}, a_{12}, ・・・
a_{20}, a_{21}, a_{22}, ・・・
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
を二重数列といい、簡単に無限行列Aまたは{a_{mn}}で表す。ある定数
\alphaがあって、任意の正数\epsilonに対し、自然数n_0を適当に
定めて、n_0\leq m,nならば必ず|a_{mn}-\alpha|<\epsilonとできるとき、
{a_{mn}}は\alphaに収束するといい、
\lim_{m,n\to\infty}{a_{mn}}=\alpha または単に
a_{mn}\to\alpha(m,n\to\infty)
と書く。たとえば、a_{mn}=(-1)^{m+n}[1/(m+1)+1/(n+1)]は0に収束するが、
a_{mn}=mn/(m+n+1)^2は収束しない。
二重数列{a_{mn}}が与えられたとき、部分和
s_{mn}=\sum_{p=0}^m{\sum_{q=0}^n{a_{pq}}}
のつくる二重数列を二重級数\sum_{m,n=0}^\infty{a_{mn}}といい,
単に\sum{a_{mn}}とも書く。
s_{mn}\to s(m,n\to\infty) ならば、\sum{a_{mn}}はsに収束するといい、
\sum{a_{mn}}=s と書く。
この定義は形式的にはごく自然であるが
以下については酒井栄一「多変数関数論」(共立全書)を参照のこと. >>39
その本は超マイナーですが、何か今の本にはない、いいところはあるんですか? この本に一章を追加するとすれば
Ivashkovichの拡張定理が適当であろう ケーラーでない場合、
有理型写像としては接続できない場合には
集積値集合は全体になるという
カゾラティ・ワイエルシュトラス型の定理が
成立するのではないか C^2\setminus\{0\}から楕円曲線への全射正則写像を分類せよ 60以降で家族ほったらかして趣味で数学とかろくな爺じゃねーな
プロの数学爺は別だよ後進に継承していく責任があるからな
男は仕事だよ仕事 18世紀の状況と現代数学の区別もつかないようじゃ話にならない 関数論の結果の中には、既に19世紀にやられていたとかありそうだけど、どうなんだろう?
極小曲面の話では、新しい結果と思っても、19世紀に既にやられていたことがしばしばあると聞いたことがある。
ただ19世紀やそれ以前の結果に詳しい人が居ないから、結構既知の結果もスルーされてたりするらしい >>57
ガロアが遺した等式が
すでにガウスによって得られていたとかは
あるだろう 昨日の「相棒」は好評だったようだ。
ダジャレを「練る」に「寝る」がかけてあったのもよい。 金子先生の「関数論講義」のサポートページはすごい。
ただし、リーマンの1859年の論文の訳はまだだ。 >>59
元芸人でなく、元ポスドクを被害者とかにしたら
しょうもない工学部のやらせ事故の話なんかより、
アカデミアの現状をよく伝えられたんじゃないかとは思った まぁ、本人がちゃんと覚悟してその道を進むんなら別にね 博士号取得後、野垂れ死に同然の最期を迎えた父の話を
右京さんに聞かされて、
「おれ、博士になろうとおもいます。だっておれ、父さんの子だから」
みたいに何となくいい話っぽく終わらせる感じだな 相棒にでてきたファーガスの定理は架空の物らしいのですが
賞金のついた数学のミレニアム問題というのは他にどんなのがあるんでしょうか? 「100年間未解決だったが、最近、解かれた」ので
【ファーガスの定理】=【ポアンカレ予想】と考えて良さそうです。 古畑任三郎の時は
「ファルコンの定理」だった。
二本松晋と野田茂男の戦いだった。 野村隆昭著『複素関数論講義』
べき級数の合成についてですが、2重級数についての定理を使う必要がありますが、
それについては触れずに、直感的に展開してしまっています。 野村隆昭著『複素関数論講義』
f(z) = a_1*z + a_2*z^2 + …
g(w) = b_0 + b_1*w + b_2*w^2 + …
とする。著者は、 g(f(z)) が z = 0 を中心とするべき級数に展開されることを示しています。
その後、次の文があらわれます:
「命題4.20より、 g(f(z)) は z = 0 の近傍で正則であり、したがって、解析的である。」
命題4.20というのは、合成関数の微分についての定理です。
この文に対して、以下の注釈が書いてあります。(g(f(z))が解析的であることの証明についての注釈です。)
「べき級数論だけで証明できるが、本書では後述の定理8.21に拠ることとした。」
これがよく分かりません。
g(f(z)) は z = 0 を中心とするべき級数なので、 z = 0 を中心とする収束円の内部で
正則です。別に、合成関数の微分についての定理を持ち出さなくてもいいはずです。
さらに、 g(f(z)) は z = 0 の近傍で解析的であることも、それ以前に証明されている
べき級数が収束円の内部で解析的であるという定理4.34から明らかです。
後述の定理8.21に拠らなくても、既に証明されていることです。
これは一体どう考えたらいいでしょうか? f(z) = a_1*z + a_2*z^2 + …
g(w) = b_0 + b_1*w + b_2*w^2 + …
とする。
|z| が十分小さいときの f(z) は、 g(w) の収束円の内部に入ので、合成関数 g(f(z))
を考えることができます。
g(f(z)) は z = 0 を中心とするべき級数 c_n*z^n であらわされます。
このとき、 g(f(z)) の定義域と c_n*z^n の収束域は一致するのでしょうか? 複素解析が数値解析に役に立つというのはなぜですか? >>76
森正武さんってそんなに影響力のある人なんですか?
正則関数が解析関数であるということはなぜ重要なんですか?
べき級数に展開できるだけのことですよね。 >>77
べき級数に展開できない関数もある。
毎日の食事にありつける幸せを知っていれば
正則関数がべき級数に展開できることが
つまらなく思えたりはしないと思うが >>77
別に影響を受ける必要はないが
森正武理論は有名 0 でない複素数にその偏角を対応させる写像が連続であることを厳密に証明するには
どうすればいいのでしょうか?
C - {0} ∋ z → Arg(z) ∈ (-π, π]
Arctan を使って場合分けして証明するしかないですか? z=re^{i\theta}
z=x+iy
のとき
対応(r,\theta)\to (x,y)は
(0,\infty)\times(-\infty,\infty)から
\mathbb{R}^2\setminus\{(0,0)\}への
実解析的な局所位相同型なので
\thetaの連続性は逆関数定理から従う。 話をぶった斬ってすまん
位相準同型みたいな概念は存在するのでしょうかね 連続な準同型は重要
線形性だけでは連続性は保証されない 数学の中で
複素解析の立ち位置は
卓球界での
カットマンに似ている ほとんどの本で、複素線積分をリーマン和の極限として定義せず、
∫_{a}^{b} f(z(t)) * z'(t) dt
と天下り的に定義するのはなぜですか? 実際は物理的距離はランダムウォーカーの到達時間で定義したほうがいいんだろうなあ・・・。 フラクタルな曲線で複素積分を行ったら、何か不味いことがありますか? >>95
>>フラクタルな曲線で複素積分を行ったら
では定義をどうぞ 複素解析の本ですが、べき級数の話から始めるものと、複素微分の話から始めるものがあります。
べき級数の話から始めるもののほうが分かりやすいように思いますが、どちらのアプローチが優れていますか? それは最近のScholtzeの研究の進み具合によるのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています