エネルギー保存則の否定などを科学的に証明出来たその2
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>>714
だから逆だろと
なんどもいってるが
微積こそちょっとした変化にも対応している
差分はちょっとした変化に対応できないことが多い
ただ微積分は複雑なの式が基本的には解けないそれだけ
カオス理論は差分だから現れるわけじゃない
ただの系の複雑性から現れる
そして差分でも微積でも天気などを予測するのはほぼ不可能ということをいっているだけやとおもうぞ >>717
これみてきたけど
差分のが正しいことを全く説明できていない
これは刻み時間を増やすとカオスを作るとかいているが
普通刻み時間はめちゃくちゃ小さくとるしそうすると連続のものとの差は小さいらしいやん
というかこの例こそ差分の欠点みたいなものがみられると思うんだが >>719
いや逆ですよね。
ロジスティック写像は
離散化によって
その複雑な振る舞いが
判明しました。
微分積分のままでは
ダメだったはずです。
それに予測は不可能ですが
極めて単純な単一の数式に
纏める事が出来ます。
これは決定論です。 >>722
この例こそ俺がずっといっている差分の欠点を示す例でしかないでしょ >>724
いやいや
カオス理論の例ではあるが離散化のただしさのれいには全くなってない
大きな離散化の不安定性しかいってない
これがわかってないのは相当ヤバイで 一行で書くと、「エントロピーが増大するからと言って、エネルギー保存則が成り立たないとする考えは大間違いだ。」 >>725
その考え方がアカデミズムの常識ですが間違っているのです。
それを示したのがカオスフラクタルです。
無限が真理であり、有限は誤差であるというのが間違った論理です。
精度の問題を考えるのは以ての外ですね。
複雑系は決して珍しいシステムというわけではなく
実際に人間にとって興味深く有用な多くの系が複雑系です。
系の複雑性を研究するモデルとしての複雑系には、
蟻の巣、人間経済・社会、気象現象、神経系、細胞、人間を含む生物などや
現代的なエネルギーインフラや通信インフラなどが挙げられます。
こういった物証を無視出来ません。 結果をつらつらとしゃべるだけで、中身が全くないんですよね 誰も答えてくれない…
物理学や工学は差分和分で考えなければならないとして、それをどのように応用すると原発の被害を食い止めたり、豪雨災害を防いだりできるんですか? 前提が誤ってる問に回答がつくと思ってる方が狂ってる 微分は連続主義である。連続の象徴である実数を使っているからである。
微分に限らず実数を使う積分、確率・統計論も間違いである。
何故、実数がダメかというと、
それが物理という現実で
特異点が現れるからである。
特異点では理論が適用できなくなるから理論自体が破綻してしまうのである。 決定論的非線型カオスや
決定論的予測不可能性が重要。 >>735
その通りですよね
ですから、あなたが具体例としてあげたロケットや自動車会社の例は間違えですよね
ロケットはだからあんなに事故が多いんですね
偏微分方程式なんか使うから すべての科学理論には適用範囲の限界があるから、その範囲内で実数が機能すれば何の問題もない。 √3や√5等の平方根は
再帰的数え上げ可能な様に
分数の中に分数が
フラクタルに展開された
連分数表示ができるので、
「拡張された有理数」とする。 >拡張された有理数
そんなことくらいは100年以上前にカントールがやって、濃度が同じと証明までしてる。
だから、実数の代わりにはならないし差分演算の極限値や解が存在するかも不明になる
妄想するだけ無駄ということ
勘違いしてる奴もいるが、差分で微分方程式を近似計算できるのは実数解が有るからだ。
また、電子の電荷は不連続でも電荷から出入りする電気力線は実数連続(ガウスの定理)
精密実験で確認されている。 >>740
ガウスの法則は電場の話です
電気力線ではありませんね
電気力線は有限本です 連続な線じゃないダメなのな、有理数濃度で殆ど切れてるなら成り立たない。 いいえ違います
ピタゴラスは無理数の存在を認めていませんでした
この人は、無理数は概念上の存在として認めています、一応 NとSの磁石間に電線を空中から自由落下させると電線に電磁誘導で電流が流れる
重力による位置エネルギーが速度と電圧の発生に分化するため落下速度が遅くなる
電線の重さm
発生電圧V
電線の内部抵抗R
電圧発生時間儺
V^2/R*儺+mv^2/2=mgh
v=√(2gh-V^2/R*儺)
内部抵抗が0の電線を磁石間に自由落下させると
v=√(2gh-V^2/0*儺)になるためvが虚数方向に速度をもつ 消えたエネルギーはどこに行ったか?
不確定性は光速度一定の原理同様
認識が近似値しか認識出来ないことの証明 運動を静止で理解するから
近似値でしか理解できない 座標原点は実在しない
運動は光速度一定の原理で自然の存在形態であることが証明される
そもそも出発が近似でしかない
つまり運動という対象が静止で認識される 保存則が破れているというのは
認識が本質として近似ということを忘れている
消えたとしたらどこに行ってしまうのか 限りなく0に近いが0ではないというのは運動を静止、0で認識するから
しかし運動は0ではなく実在する 認識自体は天動説的だ
観測は地球が静止という仮定
それを太陽中心に置き換える
光速度の原理は座標原点が実在しない
つまりそれが必要な方程式もまた自然自体、つまり
そのままではなく認識であり、天動説であることを示している 光速度一定の原理は認識に必要な座標原点が実在しない
つまり認識の在り方の自己言及
地動説もまた地球が静止しているとして
観測することが必要だとすることの自己言及でもある 保存則否定は認識がそのまま自然の反映と理解する誤謬 不確定性原理はその証左の一つ
というか光速度一定の原理の補強
運動という存在を静止で理解すること 座標原点は運動している自然に仮の静止を設定ということ
スタートは加速 自然認識は静止が本質
自然は運動している、つまり同一として実在しない 科学は自然認識だから当然認識とはもまた問われるべき 方程式もまた自然をそのまま反映してはいない
つまり認識であり、そのままでは天動説 クレタ人の逆説は対象をその否定で理解することの自己言及
だから決定不能に
運動を静止で理解する物理学もまた数学的未来が待ってるようなw 測定はその本質として=ではない
破れていたらそれはどこに?
近似値という基本を忘れているから
破れ、と理解するだけ
測定そのものを理解する必要がある 不確定性原理が意味するのは
測定は本質として近似値であるということ 座標原点は静止
実在しないし
運動を静止、対象を0で理解する
0に限りなく近いが0ではない
つまり決定不能
このことは測定は近似値ということも示している 結局《現代》科学は、科学が自然《認識》ということを忘れている?
認識=自然とした天動説の轍を踏んでいる気がするんだが >>770
まあ実際になると失念する人がいないわけではないし
《現代》科学はあわてんぼさんじゃないかと だから測定値がそのまま真の値だなんて思ってる人なんていないってw そして測定の前提は天動説
方程式もまた
実在しない座標原点が出発点
認識=自然としたのが天動説
地動説は認識を相対化する道を示している >>770
いや、始まりがあるって思ってる人は沢山いる 出かけなきゃいけないんで
座標原点がないというのは終始がないということ
終始があるって理解している人は多い >>774
最終的に光速度一定の原理が
認識=自然を否定した 終始がないということは
何も生まれない、無くならないということ ΔE=FΔxはスカラー。
ΔE/Δt=FΔx/Δt=Fvはベクトル。 もしプラトンが近代科学の知識を用いて
近代科学を再構成したら、イデアや真善美の数学版として黄金比、白銀比、螺旋、フィボナッチ数列などを採用し、
これらの正負を等比数列で繋げて
tnxn=-tn+1xn+1を導き出し、
光として光子のエネルギーE=hfを採用して、
E=hfや螺旋からF=1/v=1/x=tやv=xを導き出し、
Fnvn=-Fn+1vn+1を導き出してFv=-Fvを導いてこれを因果律、需要供給、作用反作用などとして
これをあらゆる分野に応用していくだろうというのが
今纏まってるシミュレーションの内容。
プラトンやグノーシスは真善美や光を重視していた。 発散しない場面では
微分積分を使っても構わないけどね >>748
そりゃ発散を念頭に置いてるから
そうなるよねえ
不確定性から
発散を排除すると
確定性になる 物理という現実の場面で
観念としての数(実数)を
極限という特異点で使用すると
発散してしまう 実無限の立場では,
無限個の要素を持つ自然数の集合{0,1,2,3,・・・}が存在する.
無限に数字が続く無理数も存在する.
一方,可能無限の立場では,
そうは考えない.
0を始点に1を加え続けるという操作によって,
0,1,2,3,・・・という
自然数の系列を発生させることができるが,
この操作はいつまでたっても終わらず,無限個の要素を持つ自然数の集合{0,1,2,3,・・・}などというものは存在しないと考える.
無理数もその計算規則があるだけで,
「これが無理数です」という形で与えられるようなものではないと考える.
どこまで計算を進めてもよいが,
いきついたところまでの
有限でしかないと考える.
実無限派は微分積分派であり、
可能無限派は差分和分派である。 >>791
実無限、可能無限って、何かと思ったら哲学用語か。くだらねぇ。
こんな言葉遊びしてる連中にとって、ゼノンのパラドックスが、いまだに未解決問題なんだってな。腹イテェ 別にくだらないとは思いませんけどね
意味としては可能無限のほうがむしろ自然です いや、全くくだらん。
実際、アキレスが亀に追いつけることすら説明できないんだし。 >>791
意味不明
そんなこと言い出したら自然数だって存在しない 自然数全体としては存在しなくても、自然数自体は存在するんですよ フィボナッチ数列の隣同士の比率は黄金比の近傍前後を交互に振動しながら、無限遠において黄金比に収束している。フィボナッチ数列は離散値、有理数で、黄金比は連続値、無理数。
フィボナッチ数列が現象として実現し、
黄金比は現象としては決して実現しないから、離散値や有理数が現象として実現し、連続値や無理数は現象として実現しない。アリストテレスの「イデアは個物に内在する」という発想は誤りであり、プラトンの「イデアと現象の分離」が正しい。 >>792
>>794
>>795
高村光太郎の詩の道程が分かりやすい。
http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/shiika_D11_1.html
「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る」と
考えるのが可能無限派。
「僕の前に道があり
僕の後ろにも道がある」と
考えるのが実無限派。
前者はプラトン派(イデアと現象の分離)で後者はアリストテレス派(イデアが個物に内在する)で、前者が正しくて後者は観念(イデア)的には正しいけど現象的には誤り。 可能無限や実無限は列記とした数学です。黄金比もフィボナッチ数列比も列記とした数学です。 >>ID:R+bXBf7O
ゼノンのパラドックスも未解決問題にしてしまうノー足りんが?
病院逝け。 数学が根拠なので哲学ではありません。
ゼノンのパラドックスは未解決問題ではなくて解決してるんですよ。無理数を観念として扱い、物理現象としては扱ってはならないという決着として。実際アキレスは亀に追いついて追い越しますから「アキレスは亀に追いつけない」は観念であって現象ではないですね。 観念でしかない極限を使ってるからアキレスは亀に追いつけないのであって、極限を使わない場合はアキレスは亀に追いついて追い越します。前者が微分積分で後者が差分和分ですね。 基本的に実無限はlim(x→∞)であり
可能無限はx→∞ですね。 極限を使わないで考えるとアキレスは亀に追いつけないからおかしいよね、という話なんですけど…
あなた実無限の考えを肯定していますよ
実際にアキレスは亀に追いつくことを認めるのならば >>806
時刻t=0で、アキレスx=0、カメx=1にいるとする。
それぞれの速度がアキレス2、カメ1のとき、
アキレスがカメに追い付く時刻
t= lim_{n→∞} Σ_{i=1}^n 0.5^i =2
はなんなのよ? >>1によると線形写像を使ったら微積を使ってることになるらしいですね >>807
極限を使ってるから
追いつけないんですが。
それと個物=現象に
イデア=実無限を投入するのを
否定してるのであって
イデア=実無限を否定してませんよ。 >>812
いいえ、極限を使うと追いつけるんですよ
アキレスが亀を追い越す時間を極限を使ってもとめることが出来ます
でも極限を使わないと追いつけません
アキレスと亀の追いかけっこの操作は延々と続いてしまうため、いつまでたってもアキレスは亀の後ろにいたままです >>813
頭の中でアキレスを亀に限りなく近づけるからアキレスは亀に追いつけないのであってこの操作は極限以外の何物でもないですよ。その操作をやらなければ普通にアキレスは亀に追いついて追い越します。 >>813
アキレスと亀の追いかけっこの操作が延々と続く理由は頭の中での>>815の操作。 >>815
操作を放棄すればそうですよね
でもあなたは可能無限を信じるはずでしたね
無限に続く追いかけっこの操作、これは可能無限の立場です
無限に続く追いかけっこの操作、だけどその操作自体は最終的にはパッケージ化して人が扱える形にすることができる、これが実無限の考え方です
あなたは前者の立場なのですから、前者の立場からゼノンのパラドックスを解決する必要があります >>817
無限に続く追いかけっこの操作は実無限です。 >>818
違います
「無限」の立場です
無限自体を認めないならそう言ってくださいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています