【京都】幻の「日本電波映画」を語ろう
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テレビ映画黎明期の昭和30年代、京都の地にて作品を量産。
現存するフィルムも限られ、不明点も多い、幻の製作会社を語ろう。 >>189
例えば何てタイトルの映画が隠匿されているの? 「日本電波映画」社って社名、いかにもテレビ映画時代を見据えた名前だ。
この会社の興亡にはとても関心が沸く。 長門裕之 あたりのコレクションがどうなったか気になるところだ。
8mmからハンディカムあたりまで、なんでもござれで持ってたとの噂だ。
ただ、外で撮影したものが多くテレビとかは期待できないかもしれんそうだがな フィルム保存、デジタル保存
いずれも永久保存は難しい。 白黒テレビ映画の現存フィルムについては、他スレで随分と議論されたので、新ネタは少ないのかもな。 >>194
結局、当時の風俗を記録した映像って資料的価値だけ
だよね。林家ペーパーの写真と同義ってことだね。
作品を記録した物としては価値は無いってことですよ。
テレビを録画してたのかどうかは知らん。 全勝キネマのフィルムは、戦中の企業統制で松竹傘下になる時、北海道の興行者に売却されてしまったらしいよ。 >>198
売却されてしまった後はどうなったの?
買ったのが興行者なら、しまいこんで終わりじゃない
だろ 戦前の無声映画は、戦中、大半が軍に供出させられ溶解処分(銀を取り出す)。
残ったフィルムは、戦後の混乱期、巡回映画業者(闇ルート含む)に転々と貸し出され、途中で切り刻まれたり、隠匿されたりして、いつの間にか散逸・消失。
こういったパターンが多かったらしい。 公的アーカイブ施設が、テレビ映画フィルムの保管にも力を入れてもらえるとと良いな。
盛んに製作された頃の映画界の文化的背景もあるし。 白黒フィルム&アフレコって、撮影時、重い照明や録音装置の負担が軽くなるので、初期のテレビ映画に向いていたんだな。 で、フィルムはどの位残っているのか?再度、陽の目をみる可能性は? 訊いても誰も答えてくれない。
>>1が自己顕示で立てたスレだからね はぁ?グダグダ抜かしとったらアナルに指入れるぞコラ 「青春をぶっつけろ!」(S.40 朝日放送&宝塚映画製作所 主演:いしだあゆみ)に興味があります。
フィルムは現存するのかな? >>214
で?斎藤ノブは我々がどうしても見たい日本電波映画
作品を解放するのにどうにか協力してくれるのかな? 第1話しか現存しないと東映が主張していた「少年ケニア」が全話発掘されたし、まだまだ幻作品が見つかる可能性はあるよ。 >>219
大企業の東映と、現在の権利関係も定かではない泡沫製作プロが同じ状況なわけねーだろw 東映と言えば、「白鳥の騎士」(昭37)が気になる。OP しか見たことない。 「山崎プロ」作品は、ここ数年、ヤフオクで散逸。
落札したそれぞれの人、どう保管してるのかなぁ。 >>223
お前白黒ドラマ何でも分別なくクレクレセンズリ猿は
何でも欲しがるだけだろ一々タイトル上げんなよ 現像所(イマジカ、東京現像所、東映ラボ等)がサービスの一環で預かっていたフィルムも、40年、50年の時間の経過の中で所在不明確(帳簿上の有無と不一致)になっている作品も多いと聞いた。 昭和30年代の大人向けアクションドラマに興味があります。 東映のフィルム倉庫はジャングルであり、宝島である。 まだまだ、これから発掘されると思うとワクワクする。 ※最新ニュース
『7人のリブ・コードナンバー108』のパイロット版『コードナンバー101』フィルム発見! 松山 “ボンカレー” 容子主演の時代劇 「琴姫七変化」 はヒットしたんだろ? >>237
宇宙船のデザインは、結構カッコ良いね。「宇宙Gメン」 宇宙Gメンのボックスは持ってるけど一度も見た事ないや >>235
宣弘社とゆうのは意外とフィルムが管理されてんだね
ソフト化された作品もかなりネガから起こしてるのが
あるし >>240
宣弘社の初期の作品(月光仮面や豹の眼など)は、OPが再放送時に改変(なぜか、わざわざ作り直し)されてしまい、それしか残っていないらしい点がちょっと残念。 >>241
まあ、資料としてって考えれば残ってないのは残念。
でも漏れ一生そんな月光仮面とか見るわけねーからな
関係ないっちゃーない。どーでもいいw >>243
その記事で驚いたのが、月光仮面とレッドバロンて、
15年しか離れてないの⁈ てことかな。
凄いなあ、日本の特撮の発展の速度ってば… 宣弘社の『怪人四十面相』は傑作。
DVD買ったけど、すごく面白かった。
本放送時は「オバQ」の裏番組で苦戦したらしいけど。
スパイアクションの雰囲気が大人向け作品と比べても遜色ない。 >>245
中田博久の明智小五郎に天津敏の怪人四十面相! 東映の「鉄道公安36号」はネガもポジも全く行方不明なのかな?
発見されて欲しい作品。 >>252
嵐電沿線は撮影所がたくさんあったらしいね。特に戦前。 確実にどんな人でも可能な自宅で稼げる方法
一応書いておきます
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
VVBIS 日本電波映画社作品。
『琴姫七変化』があれだけ見つかったのだから、まだまだ残っているよ。きっと。 『アゴン』が予定通り昭和39年に放送されていたら、その後の日本のテレビ映画の歴史は大きく変わっていたろうな。 『アゴン』が予定通り昭和39年に放送されていたら、その後の日本のテレビ映画の歴史は大きく変わっていたろうな。 『アゴン』が予定通り昭和39年に放送されていたら、その後の日本のテレビ映画の歴史は大きく変わっていたろうな。 『アゴン』って製作中、少年誌とかでのパブリシティ展開はどの程度行っていたのかな。
昭和39年当時なら、子供達に相当なインパクトがあったはずで、放送を心待ちにしていたと思う。
製作の中止、放送見送りはショックだったのでは。 少年画報で小さく取り上げられてた
あとでマグマ大使見て「これアゴンじゃねえか!」って思った 当時の月刊誌は読み物ページにもボリュームがあって良質な少年アイテムでしたね。
少年画報、冒険王、少年、ぼくら、少年ブック、、。 当時の月刊誌は読み物ページにもボリュームがあって良質な少年アイテムでしたね。
少年画報、冒険王、少年、ぼくら、少年ブック、、。 当時の月刊誌は読み物ページにもボリュームがあって良質な少年アイテムでしたね。
少年画報、冒険王、少年、ぼくら、少年ブック、、。 「冒険王」以外の少年月刊誌は、昭和40年代前半に相次いで休刊になってしまったんだよな。 少年画報は毎回、実験が楽しみだった。少年画報。たしか300円くらいか。
当時少年サンデーマガジンキングで50円くらいだから。換算すれば1000円くらいなのか。
とはいえ俺鍵っ子でお小遣ためて買ってたんだな。
月刊誌だし。で初恋の女の子のお誕生会に呼ばれてその子の団地に「少年」が定期購読されてた。
一人っ子だよ。雑誌本のリボンの騎士とか貸本大のキャプテンケンとかまであった
週刊漫画雑誌も、別冊の月刊・季刊を発売していたぐらい、当時は月刊漫画雑誌は
人気があったな。しばらくすると週刊に駆逐されてしまったが。
月刊の魅力は、ふろくの多さ。雑誌の厚みが3倍にふくれあがるほど、付録満載だった。
ふろくがこぼれ落ちるので、雑誌を紐で縛って売っていた。 日本電波の作品をリアルタイムで見た人って、このスレにいる? 俺は大和企画名義となった『白獅子仮面』のみ、リアルタイム鑑賞。
水曜19時日テレだった。 「日本電波映画」社が製作会社としての機能停止してから、「大和企画」として再稼働するまで5年くらい空白期間があるね。 見つかって欲しい日本電波の筆頭作品が『ジャングルプリンス』だと思う。 「宇宙船」で特集されていた当時、日本電波のフィルムは普通に残っていたと思われる。 冒険王は、テレビまんがとのメディアミックス、
コミカライズの連載に大幅シフト変更して生き延びた
漏れが好きだったのは、吾妻ひでおの師匠で知られる
板井れんたろうのドタマジン太w >>281
懐かしいwたこ焼き買う場面で「昔は十個百円だったのに」と嘆いていたのを覚えています 「ジャングルプリンス」の主題歌ならyoutubeにアップされてたね。 秋田書店「月刊:冒険王」は、唯一昭和50年代でも付録満載の月刊誌として存在感がありましたね。 発売日、書店の店頭に積まれた少年月刊誌の姿にワクワクしたものだ。 あの頃、あの時の興奮って、もう経験できないのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています