【切腹】小林正樹【二人目】
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「人間の条件」5・6部で脚本に加わってる稲垣公一は、
「東京裁判」のクレジットで‘原案’として名前が入る稲垣俊と同一人物じゃなかったかな。 >>52
小林正樹は純粋すぎるし、ほんとに「純な心の持ち主か、
または心情左翼にしか分からない映画」だよな。
「人間の条件」はまだマシで、「いのちぼうにふろう」なんか、そのあまりの純粋さの辟易して、
勘弁してくれ!と言いたくなった。
ただ純粋なだけならいいけど、小林正樹の作品はその押し付けが暑苦しく思えることが多い。 似てないと思うけどな。
黒澤は純粋キチガイ病という病気の患者だから面白いけど、
小林は真面目でインテリで左翼なんで、そういうところがね・・・。
個人の好き嫌いの問題だけど。 >「純な心の持ち主か、または心情左翼にしか分からない映画」
逆じゃね?
「オレは大人だからヒューマニズムなんて信じない」とか、
「甘いロマンティシズムなんてヘドが出る」とか、
虚勢を張ってる厨二患者には理解できないんじゃないかな。 >>57
海外の日本語学校から投稿してらっしゃる生徒さんですね。
お国はタンザニアですか? それともシリアですか?
それとも、もっと無名のアマゾン奥地の国の人かな? 「人間の條件」は、全肯定は出来ないにしても、良い映画だと思うよ。あれを
全部観て、一場面だに心の震えるシーンが無いような人は、心が死にきっちゃ
ってる不幸な人だろうね。又は疲れすぎてるか。全部に震えちゃうのは、「白
痴」のムイシュキン並に純な人かな。現代を生き抜けるか心配なくらいに。 >>58
なるほど、こういう痛い奴の拒否反応をかき立てるなにかが、
小林映画にはあるのだろうね。 >>51
そんな単純な理由じゃないだろう。
前・中編は小林・松山のクレジットだから、おそらく松山が書いて、
小林は松山との協議の上で修正したのだと思われる。
完結編に稲垣が加わってクレジット3名になった理由は、
小林と松山との間になんらかの意見対立があったからではないか?
橋本忍によれば、共同脚本の多くは一人が降りたあと、もう一人が
書き直すという場合がほとんどらしい。
現に「人間の條件」の前の小林監督作品には、松山はその半数もの
脚本に関わっているのに「人間の條件」以降は全く関与していない。
完結編の脚本3名は、松山が小林の主張する書き直しに応じなかった
ために生じたものではなかろうか?
そういえば、松山夫人の高峰秀子は「怪談」での小林からのオファーを
「雪だるまならできるが雪女は演れない」と言って断っている。
高峰が小林・松山の確執の過去を考えて辞退したと思えなくもない。
実際、木下門下生で絹代の親戚だった小林との逸話は数多くあるはず
なのに、高峰の著作にはなぜか小林に触れた文章が見当たらないのも、
この推論を裏付けているような気がするのだが… 絹代は血縁だからといってどうこうなるような甘い世界じゃないと、
この世界に入りたいといった小林に言い聞かしたそうだから、
絹代絡みの小林と高峰の逸話はないかもしれないよ。 松山はちょうど監督デヴュー作『名もなく貧しく美しく』の準備に入ったから、
直しに参加できなかったんだよ、確か。 >>58
半四郎がこの激怒、発狂ぶりを見ても「よくぞ血迷うた」とは言ってくれないだろう。 「人間の条件」より山本薩夫の「戦争と人間」の方が
話がわかりやすく描きたいテーマがすっと入ってくる作品だったな
条件の方は白黒で重苦しいのもあってあまり見返したいとは思えない
言いたいことは理解できるんだけど
俺なんかは逆に「戦争と人間」が理解不能だな。スターの顔見世映画って以外に
何も無いように見えた。「人間の條件」は明確に反戦ヒューマニズムとその挫折
っていう、いかにも分かり易すぎるテーマなので、4部までに全部出し切っちゃ
って、5・6部の存在意義が不明になった観が有る。 『一命』観た。
『切腹』の矛盾点である
・半四郎が大阪の陣に参加していること
・なぜ求女が死んで美穂や金吾が生きている間に刀を売らなかったのか
がクリアされている。特に後者は上手く処理されスムーズな展開になっていた。
クライマックスの立ち回りもかなり異色の処理で面白いが、
延々と続く回想シーン(半四郎と家老の問答はなく、ひたすら回想)に参った。
長い上に感情的なシーンが多いのでダレてしまった。決闘シーンがあっさりしているのもなぁ。
役者陣はそう悪くない。家老は役所広司に合わせたのか知らんがいい人になってた。
全体的には良作の部類かと。 一命見てないし切腹もうろ覚えなんだが
生活のため武士の魂である刀まで竹光に替えていた求女に比べ
刀だけは手放せなかった自分が情けないと言ってなかったけ
だから変な感じはしなかったが だから求女が死んですぐ刀売って医者に見せれば子供や娘は
助かったかもしれない、ということだろう。
「一命」はこれをどうクリアしているのか見てないから知らないが。
それと「「切腹」見てもうひとつ感じた疑問点は、求女を切腹させた
元凶の武士三名を、半四郎はどうやって知ったのか、というところ。
これはもちろん極秘事項だろうから、誰かから聞き出さねば分かり
ようがない事実。この説明が映画ではなされていないのが少し
気にはなった。
この点も「一命」はうまくクリアしているのかな? >>70
>>68だが刀の件に関してはそういうこと。補足サンクス。
もう一つの疑問点に関しては半四郎が井伊家の者に直接問い質すシーンがあるので、
こちらもスムーズな流れになっている。 >>70
求女の遺体の引渡しのときに、半四郎も立ち会っていたから。
この映画で大事なのは最初に求女をカス野郎だと思わせる事。
そう視聴者に思い込ませれば、終盤にこの映画の深みを味わあせる事も出来る ×しちょう‐しゃ【視聴者】
テレビやラジオの番組を見たり聞いたりする人。
○かん‐きゃく【観客】
映画・演劇・スポーツなどの見物人。
×味わあせる
○味わわせる 誤字は愛嬌だとしても>>73の論法は無茶苦茶だな。
こういう人間は早く切腹して一命を捧げた方が世のためになるぞ。 >>68
半四郎が大阪の陣に参加していることが何故矛盾点なのですか? >>77
成程。あなたは物知りですね。
それではもっと、訊いてみましょう。
津雲ほどの福島家管理職なら、お家断絶しても
困らないほどの貯えがあったと思うのですが
なんであんな尾は打ちはらす境涯になってしまったのですか? 知らん。ってか尾は打ちはらすって何?
言わんとすることは分かるけどググっても何も出ない 俸給は使うだけ使って、
地にいて乱を忘れず、明日は我が身、
を津雲半四郎自身が分かってなかったのだろう。 福島正則
50万石→4万5,000石→2万石→正則死去→正則の息子3,000石の旗本→息子死去により断絶→正則の曾孫2000石の旗本で再興 多少身分の高い武士なんかは裕福そうにみえるが内情はそうでもないそうだよ
例えば身分があがって俸禄があがればそれにともなって人を雇わなければいけないから
中途半端な出世はかえって大変だったそうだよ、江戸時代にも身分の低い武士が
600石取りの家に婿養子にはいったら足軽組頭だった頃より生活が苦しくなったと
なげいてたそう武士、使用人合わせて11人を雇用しないといけなかったから 待望の、小林正樹初の劇場用長編作品。
http://www.youtube.com/watch?v=qgRpNbCebLc
「スキージャンプ・ペア」で注目された人だけど、
本来のテリトリーはこっちのジャンルらしい。 『一命』はつまんなかったので、とりあえずホッとした。 一命はなんか今の世の中の格差社会をテーマにした作品だった
無職落ちこぼれが大企業に押しかけていって
「この会社に採用してもらえなければ死ぬ!」
「どうぞ、ご自由に死んで下さいw」
って話だからな。 良いんじゃない? 雪女の色香に惑わされる、といった痴呆的な役柄には向いてるかも。 ゆとりが「切腹」見てごたく言う。
見るだけマシか。 人間の條件
多くの大東亜戦争を扱った映画をみると、日本の軍隊についての時代考証が
極めて不備である。それがこの映画では監督が軍歴があるというが、
総ての点で正確である。帽の被り方、巻脚絆の巻き方、銃の扱い方、
不動の姿勢、休めの姿勢、伏射の姿勢、早駈けと停止の姿勢などなど
全く非の打ち所がない。非常に気持ちよく観られる。
憲兵の態度は本当に良くここまでやったと思う位良く出来ている。
俳優も錚々たるメンバーだからなおさら良いのかもしれない。
中学時代の滝ヶ原廠舎での野外演習を思い出す場面が沢山ある。
【82歳(男性)おじいさん】
http://www.nhk.or.jp/yamada100/review/review_ningen.html
皆さん、しごかれたのが報われてよかったですな 「まごころ」みたいなきれいな青春映画と、「黒い河」のような薄汚い映画を
見ると作品の違いに驚くね。
>>98
糞作品ではないけどオリジナルには勝てなかった
十三人の刺客はオリジナルに勝ってたから、こっちもかと思ったけど 怪談が大当たりで、切腹も大当たりだった
人間の条件観なきゃいけないなあ
長いんだよなあ・・・ 切腹をみたあとに現在の里見水戸黄門のことがふと浮かんだ
最高峰の時代劇に酔いしれてたところだったのに時代劇の最底辺の糞さがジワジワと脳裏に蘇ってきて、とても最悪の気分になった・・・ 日本映画最盛期の名作時代劇映画と斜陽も斜陽なTV時代劇比べても…。 BSで見たがかなり画質綺麗だったけどBDはさらに綺麗なの? それは分かってるけど
それでも想像してしまう
小林正樹が現代にいたらきっと水戸黄門を見事によみがえらせていたのかもしれない、と
そもそも時代劇俳優がここまでいなくなるようなザマにはしなかったはず
廃れないよう、人気を維持していたはず BSでやってたから観た。凄い映画だ。
これ海老蔵主演でリメイクしたの?なんて無謀な。
>>107
松竹のBD持ってるが違いがよく分からんかった。BD自体はかなりの高画質。
クライテリオンのBDはあんまりよくない。
>>108
この人そんなに時代劇に思い入れないと思う。
『いのち・ぼうにふろう』以降は時代劇やってないし。
それにテレビドラマに関与したこともないし水戸黄門とは何の関わりもない。
>>109
一命はそんな悪い映画じゃないよ。海老蔵も存在感あったしいい演技だった。 綺麗な画質で感動した
けどなんかパース歪んでなかった?レンズの問題なのかそれともセットなのか BSの画質は良かったなあ。放送でこれほどの画質とはデジタル時代の恩恵だねえ。
モノクロ映画のすばらしさ、技術の高さを堪能できたよ。カラーに慣れたスタッフしかいない
いまじゃあ無理かな?
>>100
三池の十三人の刺客との落差はなんなんだろうね。 >>110
時代劇に思い入れないのにあそこまでできる、ってのがそもそも凄くね? つか、これ時代劇じゃないじゃん。
井伊家の江戸藩邸セットのしつらえを見ても、コントラストの高いライティングや
デフォルメしたアングルの多用からわかるように、髷結ってるだけの
人間性を告発する舞台に江戸時代を借りただけ。時代劇を否定したような作品。 は?時代劇をなんだと思っていってんの?バカにしてんの? 〜時代を借りただけ
時代劇の定義みたいなもんだな。 >>116
すげえ。
強調で使った反語表現が理解できずアスペ的に読解するなんて。
リテラシーレベルってここまで落ちてるんかいなw >>118の、自分の文章力が拙い、とは決して思わない強気なところに感動した
リテラシー、か。なるほどたしかにwww たとえばどこが拙い? 具体的にどこに文法・文章構成上の問題があるか指摘してみてね〜
お前ならできるよ、大丈夫。ガンバレ(笑) 井伊家の江戸藩邸セットのしつらえ
コントラストの高いライティング
デフォルメしたアングルの多用
これが時代劇ではない根拠だというのが凄すぎる。
どんな頭の構造してるのか。 ID:2F2eZS3V
どんまいwww
ま、気にスンナ
おまえみたいなインテリぶった真性ヴァカもこの世の中には必要だw 十三人の刺客は全体的に最高の中で悪い所が目立つ
一命は全体的に普通よりもちょっと上でいいところもあった 一介の素浪人をやすやす邸宅&居間に招き入れる城代家老なんていないよ
普通は玄関先で家来が門前払いでしょ
ここは脚本で一工夫あってもいいのでは・・ 自分の常識でしか物事を図れない>>127みたいなヤツはドラマとか映画とか観ないほうがいいな いや、フツーに考えて「一介の素浪人をやすやす邸宅&居間に招き入れる城代家老なんていない」でしょう。
第一、家老が浪人とは、どんな場所でも会話することさえ、ありそうにない話だ。
「椿三十郎」でも、主人公の三十郎は最後まで家老たちの誰とも一言も言葉を交わしていないし、会ってもいない。 だったら侍の歩き方が違うとか時代劇なんか沢山指摘出来るだろ。劇だよ劇。ドキュメントじゃねーんだよ。小林正樹の方が詳しいんだから黙れよ。 >>131
ほっとけばいいさ
幼稚なヴァカが一匹喚いてるだけだ 案外、『椿三十郎』の方が間違っているのかもしれんしな。 間違えた。
三十郎は、クライマックスの椿花を流す場面で家老たちと喋ってたんだった。
「合図は白い椿か?それとも赤い椿か?」
・・・しかし、ああいう状況でなければ素浪人と家老が会話することなどないだろうな。
>>130-133
いいから出て行け。 椿三四郎だって、最後(それ以前も)、人殺したのに、
藩に留め置かれずに直ちに立ち去るのはおかしいけどな。
あの若侍たちは追っ手やらされるし、
連れ戻せなければ切腹だよ。
三四郎にその配慮がないのはキャラ的におかしい。
若侍たちがいなければ立ち去るので問題ないけど。
けど後ろ姿が格好いいから、それでいいんだろう。 >>134
てめー俺まで追い出すつもりかよ糞ヤロウ >>135
三四郎じゃないよ。三十郎だ。
あなたの言っている点は確かにおかしいが、その点は、‘殺した相手はすべて謀反側の者ばかり’ということで、
不問に付されることだろうと思うけどね。
それにしても、何の審議もなされないのは、おかしいと言えばおかしい。
であっても、フィクションなんだからいいんだよ。
素浪人と家老が会話したりするのも、映画の中ではあってもいいことだ。
「映画の中では素浪人と家老が会話していた。だから現実にもそういうことがあったんだろう」
など思う者が馬鹿。
小林正樹の方が詳しいなどとホザく>>131など、まさに愚の骨頂。
2ちゃんねるでは‘メディアの作り手サマは絶対。間違いがあるはずない’というのが常識になっていて、
そういう間違った‘常識’が、度を越して極端なほどのマスコミ崇拝につながってしまっているけど、
>>131はその典型だ。
>>136
フツーに居室のことでしょ。俺は>>127が書いたことを引用しただけだ。 余程に学校で友人が居ないのか、学生時代に議論する事が無かったかの様な論考。 俺は>>140ではないが、学生時代に友人はゼロだった。今もゼロだ。
俺の人生におけるコミュニケーションの9割5分以上が、2chにある。
友人が居ない、それをもとにバカにするのはやめてほしい。 >>140
どうせ昔のことなんか分かりっこないんだから、あったかもしれないしなかったかもしれないでいいじゃん。
話の上で違和感がなけりゃいい。
斎藤勘解由は一介の浪人者の話でも聞くような人だったしそういう家風だったんだろ。 確かに指摘の通り
用心深いはずの城代家老がやすやすと素性の知れない(怪しい風体)の郎人を
屋敷内に入れるとは考えられない
物語の発端となる重要な場面なので工夫が欲しい
それ以外の事はまあいいんじゃないで許されるレベル 橋本忍のあの脚本だったら、別に監督は小林以外でも名作になってたとは思うがな。 あの屋敷だからこそ素浪人が入ると緊迫感が生まれるのではなかろうか この場合、「原作がそうなっているから」で逃げられるからよいよ。
『椿三十郎』なんか武家屋敷の庭に椿が植わってるんだぞ。
ムチャクチャだけど映画の中で成立してりゃいいよ。 椿三十郎と違って切腹はリアリズム時代劇と言われていたから
こうやっていろいろと矛盾点を突っ込まれるのは仕方ないと思うが ガチガチの様式美だとは思ったけどリアリズムっつうのは意外だな >>146
何で、俺に成り済ましてるの? 何が目的なのよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています