阿含宗という宗教 330
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前スレ
阿含宗という宗教 329
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1658613487/ ・シュダオンやシダゴンは煩悩を何で切るのか?
この矛盾点は彼が瞬間解脱説を出した時から私は指摘した。
ペテン大作さんは視野が狭いから、解脱する話しか見えず、シュダオンのことを忘れていた。
指摘されたら、普通の人は検証し、反論できないなら、説を出さない。
だが、ごらんのように彼は「学習しない」。
去年も瞬間解脱説を出して自慢していたから、私は矛盾点を指摘したが、
完全無視して、勝利感に酔いながら今年もまた出した。
彼は学習しないのです。
今回、彼の珍説に私が「内心穏やかではなかった」(>>940)と書いている。
自説の矛盾を指摘されたペテン大作さんこそ、内心が穏やかであるはずがないのに、
指摘した深山がそうだと、逆を彼は書いた。
これは彼が悔し紛れに書いているのではなく、本気でそう思っているのです。
つまり、彼は矛盾をいくら指摘されても、理解できず、
自分の説に深山が青くなったと今でも確信している。
ここまで彼の説の矛盾点を丁寧に説明されても、彼は理解できず、
また瞬間解脱説を勝利の薄笑いを浮かべながら、書き込みます。
信者さんたちは、私が彼との議論を十数年前に諦めた理由もわかるでしょう。
矛盾を指摘され、論破されたほうが、それを理解できず、何年にもわたり、
繰り返し勝利宣言している。
こんな簡単なことも学習できない人と議論は成り立ちません。 ●桐山説2「煩悩を完全に消滅させてしまう智慧」(ペテン大作説)
●桐山説3「業を消し去る智慧」
ペテン大作さんの擁護説は、漏尽智体得と煩悩を切ることをすり替えたゴマカシです。
また、シュダオンはどうやって煩悩を切るのかという問題を説明できない。
ましてや、因縁や業を切るなどという説は阿含宗以外には存在しません。
つまり桐山説2や3の漏尽智で煩悩や因縁を切って解脱するという説は成り立たない。
他の信者さんたちにペテン大作さんの反応を参考にしてほしいのです。
彼が彼の稚拙で矛盾だらけの瞬間解脱説を疑うこともない理由がこれです。↓
>795神も仏も名無しさん2022/05/30(月) 16:51:35.78ID:eNjzPTXQ
>「体得したら阿羅漢になるから阿羅漢に属する」
>よくこれに思いついたと自分を自分で褒めてあげたいw
強烈な慢心があるから、矛盾だらけの説を唱える自分を疑うどころか、「褒めてあげたい」。
さらにペテン大作さんの際立った特色が強烈な憎しみと復讐心です。
慢心と憎しみが彼の知性を曇らせているのか、最初からそういう知性なのか、
あるいは両方なのかわからない。
彼ほどの慢心や憎しみがなくても、信者さんたちも阿含宗を選んだ自分は
絶対に正しいという慢心や、批判側とはよその教団の回し者か、
仏様に見捨てられた連中だと侮蔑している。
ペテン大作さんを反面教師にするなら、仏教のどこに因縁解脱やカルマ解脱があるのか、
指摘を無視せずに、検証するべきです。 ✳深山説はこのように崩壊しているww
「釈尊の成道の場合には、禅定に入って、初夜には宿命明が、中夜には天眼明が、後夜に漏尽明が得られて、無上聖覚のさとりが達成されたと伝えられる。ここに、宿命明と、天眼明と、漏尽明が三明であり、この中の、漏尽明によって、釈尊の成道が実現したのである。」(『原始仏教入門』水野弘元、佼成出版社、2009年)
さて、ここで問題。
「釈尊は漏尽明の前(天眼明を終えた時点)ではアナゴンだったのか、アラカンだったのか」
答えはアナゴン。
理由は「漏尽明によって、釈尊の成道が実現した」と水野氏が書いているからです。
だから漏尽明の前ではアナゴンです。
望月仏教大辞典を始め、多くの仏教辞典や桐山説、ペテン大作説も同じ答えになります。
ところが、深山説では答えはアナゴンではなく、アラカンになります。
深山説は「漏尽明はアラカンが持つのであって、アナゴンは持てない」と説いているからです。
だから、アナゴンが漏尽明によって、成道が実現することは出来ないのです。
そこで一つの疑問が生まれます。
「アナゴンはいつ、何処で、どうやって、アラカンになったのか? 」
深山説はこの疑問には絶対に答えられません。
何故なら、深山説ではアナゴンは永久にアラカンにはなれないからです。
理由は、上に書いたように「漏尽明はアラカンが持つのであって、アナゴンは持てない」からです。
アナゴンは漏尽明(あらゆるけがれを滅する智)を持てないから、アラカンにはなれないわけです。
このようにバカなことを説く深山説は既に崩壊しているのです。 ✳漏尽智の獲得と解脱は同時
>>946
〉「漏尽明とは漏すなわち煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明すなわち知恵である。」
(『仏教の基礎知識』水野弘元、222〜223ページ)
〉ごらんのように、学者たちの解説もすべて、漏尽智(漏尽通、漏尽明)を
煩悩が尽きて解脱した後に得られるとあります。
呆れた人だ。
どうしてこういう嘘を書くんだろうね〜
それとも日本語出来ないの?w
水野氏は「煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明」と書いているだろう。
煩悩が尽きた時と漏尽明が得られるのは同時だと書いているのだ。
煩悩が尽きた後になんて書いてない。
水野氏は別の著書でも同時だと書いている。
「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。」
(『原始仏教入門』231頁、水野弘元、佼成出版社)
さとりと三明六通の獲得は同時なのだから
解脱と漏尽智の獲得は同時という意味になる。
同時だということは、漏尽智が解脱に関与していることを意味しているわけです。
漏尽智は解脱した後に確認しているだけの智恵ではない。
水野氏は、慧とさとりの関係について「原始仏教および部派仏教における般若について」という論文に書いている。
ネットにあるから見てみなさい。
これなんか読むと、深山さんが日頃言ってる解脱は真の解脱とは別物であるのが分かる。
紫綬褒章まで受けた大学者の前では、我等が深山尊者も尻尾を巻いて退散するしかあるまい。 >>954 神も仏も名無しさん 2023/08/24(木) 16:57:38.98 ID:xoA4T2GH
>さて、ここで問題。
>「釈尊は漏尽明の前(天眼明を終えた時点)ではアナゴンだったのか、アラカンだったのか」
>答えはアナゴン。
>理由は「漏尽明によって、釈尊の成道が実現した」と水野氏が書いているからです。
>だから漏尽明の前ではアナゴンです。
>望月仏教大辞典を始め、多くの仏教辞典や桐山説、ペテン大作説も同じ答えになります。
>ところが、深山説では答えはアナゴンではなく、アラカンになります。
>深山説は「漏尽明はアラカンが持つのであって、アナゴンは持てない」と説いているからです。
>だから、アナゴンが漏尽明によって、成道が実現することは出来ないのです。
>そこで一つの疑問が生まれます。
>「アナゴンはいつ、何処で、どうやって、アラカンになったのか? 」
アナゴンは五下分結の煩悩は断ったが、まだ五上分結の煩悩が断ててません。
これは桐山さんも著書で解説している仏教の基本知識です。
桐山さんも頭が悪いけど、あなたほど悪くもない。
だから五上分結が断てるまで時間はどのくらい要するかは個人により違うだろうが、
やはりある程度の時間の修行の継続必要です。
漏尽明なんてその後の話だ。
全ての煩悩(漏)が尽きてなくなるのが漏尽であり漏尽智であり、漏尽明であり、漏尽通です。
だからこれはアナゴンとなった完成者の結果の話であり、修行法の階梯の話ではない。 >>955 神も仏も名無しさん 2023/08/24(木) 21:18:51.70 ID:xoA4T2GH
>水野氏は「煩悩がすべて尽き滅した時に得られる明」と書いているだろう。
>煩悩が尽きた時と漏尽明が得られるのは同時だと書いているのだ。
>煩悩が尽きた後になんて書いてない。
>水野氏は別の著書でも同時だと書いている。
>「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。」
>(『原始仏教入門』231頁、水野弘元、佼成出版社)
>さとりと三明六通の獲得は同時なのだから
解脱と漏尽智の獲得は同時という意味になる。
>同時だということは、漏尽智が解脱に関与していることを意味しているわけです。
だから水野氏が解説している通り同時なんだよ。
なぜならば漏尽=漏尽智=漏尽明=漏尽通だからです。
漏尽、煩悩が付きでなくなるのが全てなんです。
そういう人は自ずと自分が煩悩が尽きてなくなっことを知るが、改めて再認識なんかしなくても煩悩が尽きてなくなる解脱は成し遂げているのです。
ところがあなたの論はアナゴンになるほんの少し前に漏尽智という特別な智慧を新たに獲得して
アナゴンがアラカンになるのだという。
つまり水野氏の同時論に反しているのは実はあなたの方です。 >>957 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2023/08/24(木) 21:35:03.14 ID:JWpHC/3p
>だから水野氏が解説している通り同時なんだよ。
この水野氏の同時論を出すペテン大作さんの難癖攻撃対象は、深山さんが沙門果経の四禅を終えた比丘が心の絶対的な不動で安定していて
大きな煩悩はもとより小さな煩悩もなくなっていたという表現から
これは解脱そのものであるとしたわけだが、それだとまだ早すぎる、この後まだ続きがあるから、深山は漏尽智の前に解脱したなどと唱える外道だと難癖つけるのです。
しかし沙門果経は解脱というものを阿闍世王にでもわかるように順を追って説明しているが、
修行の順番を説いているのではない。
だから占いや呪術などを一切しないというのも解脱者の諸相の一つです。
しかし戒律が守られているだけの表現でもなく、小さな煩悩まで無くなっていればこれはもう解脱者です。
沙門果経はこの後、三明を示し、四諦の観察による悟りも説くが、
あの時たま初めて苦集滅道の四諦の思索と修行をせっせとしたと思うか?
そんなもそれ以前の修行の階梯において為されている。
戒戒戒戒戒→定定定定定→慧慧慧慧慧ではなく戒定慧→戒定慧→戒定慧の螺旋形の修行だからです。
最初は有漏の三学だが、いつしか無漏の三学園となる。
だから沙門果経の最後の三明とはあれは単なる観察です。
ありのままの観察です。
ありのままに観察したところ煩悩が全て尽きてなくなった解脱を得たと観察できたのです。
なぜ解脱を得たと観察できたかと言うと、解脱したからです。
煩悩が全て無くなる解脱を得ていなかったらこんな観察はできなかったのですw
だからこれは同時の話なんです。
煩悩を全て断つ漏尽とそれが観察できてしまう事実(漏尽智)が同時なんです。 「釈尊の成道の場合には、禅定に入って、初夜には宿命明が、中夜には天眼明が、
後夜に漏尽明が得られて、無上聖覚のさとりが達成されたと伝えられる。
ここに、宿命明と、天眼明と、漏尽明が三明であり、この中の、漏尽明によって、
釈尊の成道が実現したのである。」(『原始仏教入門』水野弘元、佼成出版社、2009年)
普通の国語力のある他の信者さんたちにお聞きしたい。
この文章のどこに「漏尽智で煩悩を切って解脱した」とあるのですか?
ありません。
「漏尽明で成道が実現した」とあるだけです。
ごらんのように、ペテン大作さんは書いていないことが読める。
というよりも、書いていないのに勝手な解釈を加える。
漏尽智で、解脱の状態が保たれていることを確認した段階で成道が実現したと
いう当たり前のことを述べているだけです。
>>926以降でアラカンとはどのような存在なのかの説明を読んだ方は簡単にわかるはずです。
五分法身は戒・定・慧・解脱・解脱知見で、これが水野氏のいう成道の実現です。
成道とは単に解脱した瞬間を言うのではありません。
100mを10秒で走る記録を持つことではなく、それを持続することです。
それが解脱知見であり、煩悩からの解放を持続しているのを自ら確認するのが
解脱知見であり、それを漏尽智というのです。
だから、漏尽智で成道が実現したのです。
すでに解脱しているのだから、漏尽智が阿羅漢に属するのは当たり前です。
繰り返すが、水野氏の文章のどこにも「漏尽智で煩悩をきって解脱した」などない。 訂正
あの時初めて苦集滅道の四諦の思索と修行をせっせとしたと思うか?
そんなものはそれ以前の修行の階梯において為されている。
最初は有漏の三学だが、いつしか無漏の三学となる。 >>0954神も仏も名無しさん2023/08/24(木) 16:57:38.98ID:xoA4T2GH
>「アナゴンはいつ、何処で、どうやって、アラカンになったのか? 」
>深山説はこの疑問には絶対に答えられません。
アナゴンがアラカンになるのはいつかなど、誰でも答えられる。
信者さんたちも答えられますよね。
アナゴンに残っている五上分結と呼ばれる煩悩を捨てた時です。
五上分結の煩悩から解放された時、解脱し、アラカンとなる。
これが答えで、五上分結の煩悩を捨てるのに漏尽智は関係ない。
五上分結の煩悩を捨てる方法は八正道です。
こんな当たり前の質問に私が答えられないとペテン大作さんが
どうして言ったと、信者さんたちは思いますか?
彼は自説「漏尽智で煩悩を切って解脱する」を大前提して話をしているのです。
だから、彼の質問を正確に書くと、
「漏尽智で煩悩を切って解脱する時、アナゴンはいつ、何処で、
どうやって、アラカンになったのか? 」
という愚かな質問なのです。
「漏尽智で煩悩を切って解脱する」を証明しなければならないのに、
あたかも証明されたかのような前提で質問しているのです。
自分の仮説を証拠にしてその仮説が正しいと主張しているようなもので、支離滅裂です。
「本来なら、漏尽智で解脱するという彼の説を証明しなければならないのに、
これを前提として論を組み立てるから、自分自身のすり替えにも気が付かない。」(>>950)
と私から指摘されたばかりのことをまた彼はやった。
彼の頭はこういうことの区別がつかないのです。 >>0954神も仏も名無しさん2023/08/24(木) 16:57:38.98ID:xoA4T2GH
>「アナゴンはいつ、何処で、どうやって、アラカンになったのか? 」
>深山説はこの疑問には絶対に答えられません。
これはペテン大作さんの常で、彼のマズイ点を相手のマズイ点だと言い換える。
私が答えられないのではなく、彼が答えられないのです。
私の↓これらの質問に彼は答えられないのです。
質問1.桐山説3の漏尽智で業を消しさる因縁解脱は阿含経のどこにあるか?(>>947)
質問2.シュダオンやシダゴンは煩悩を何で切るのか?(>>951,952)
桐山説3では漏尽智で業(悪因縁)を消すというが、そもそも因縁解脱や
業解脱は阿含経のどこにあるのか、またどこの学者が解説しているのかと
私やユビキタスさんに繰り返し質問されても、彼は絶対に答えない。
卑怯者だから逃げた。
漏尽智で煩悩を切るというなら、シュダオンやシダゴンは漏尽智を持っていることになる。
私が彼が書き込む直前の951-952でこれを表題にして指摘しても、
彼はまったく無視して、無反応です。
そして、関係のない話をして、卑怯者らしく逃げた。
「この疑問には絶対に答えられません」のはどうみてもペテン大作さんです。 ●桐山説2「煩悩を完全に消滅させてしまう智慧」(ペテン大作説)
→質問2.シュダオンやシダゴンは煩悩を何で切るのか?(>>951,952)
●桐山説3「業を消し去る智慧」
→質問1.桐山説3の漏尽智で業を消しさる因縁解脱は阿含経のどこにあるか?(>>947)
桐山説3は、質問1に答えられないから、嘘です。
桐山説2は、質問2というたった一つの質問で嘘だとわかる。
951でも説明したが、漏尽智で煩悩を切るなどという説が成り立たないのは
質問2のたった一つの質問で明らかです。
ペテン大作さんのように、ヘラヘラと嘲笑いながら、自分の読解力の低さを
棚に上げて、学者の説明文に勝手な解釈をして、勝利を宣言しても、
質問2の前に彼の説など崩壊する。
>✳深山説はこのように崩壊しているww
私の説が崩壊したのではなく、彼の説(桐山説2)が崩壊したのです。
漏尽智は、当たり前だが、アラカンに属する。
解脱した状態を維持し、確認するのが漏尽智ですから、当たり前です。
その状態は煩悩を断滅しており、あらゆる汚れを滅しているから成道です。
漏尽智で煩悩を断滅するのではなく、断滅した状態を維持し確認することを
漏尽智と表現しているのです。 *「煩悩からの解放」
信者さんたちが桐山さんから間違った仏教を教えられている。
その一つが三明六通と呼ばれる神通を釈尊は修行法として説いたと信じていることです。
三明は元々バラモン教の教義で、そこから拝借した名称にすぎない。
バラモン教に対抗して、仏教にも三つの智慧があるぞと説いただけです。
六通の神通も、当時は解脱者は超能力を持っていると信じられていたから、
釈尊は彼らの指摘に対して、持っていることを宣言しただけです。
釈尊が積極的に三明六通を説いたのではないという点に気を付けてください。
漏尽智の中身とは、煩悩がない状態を維持しつづけるのだから、解脱そのものです。
釈尊の説く解脱を、漏尽智と表現して、バラモンの三明よりも優れた智慧、
世間の神通よりも優れた神通だと例えて、強調しただけです。
厳密には、釈尊は解脱や漏尽通を説いたのではなく、「煩悩からの解放」を説いたのです。
煩悩からの解放を理解させるために、解脱、涅槃、仏陀、三明、神通など
当時の宗教で使われていた言葉を用いて表現しただけです。
つまり、信者さんたちの理解は本末転倒なのです。
その誤解を与えたのが桐山さんであり、十年以上も説明されても、
まだ理解できない愚か者がここに少なくとも一人いる。
桐山さんもこの愚か者も、超能力で悪い奴をエイッとやっつけるという
子供じみた発想から一歩も出られないから、
神通力で煩悩やカルマを切るという稚拙な解釈しかできない。
知性と良識のある信者さんだけでも、その稚拙な考えを捨てて、
釈尊が「煩悩からの解放」だけを説いたのだと理解することです。 「煩悩からの解放」とはどういう話か?と言うと、ここに解脱だの涅槃だのといった用語概念はさておき、
説明しやすい例が目の前にあります。
ペテン大作さんがもう10年以上にわたり、深山憎しとばかりに難癖をつけて攻撃する心、
これがまさしく煩悩そのものですが、彼がこれを自らの意志で止めることです。
もうこんな煩悩に駆使される苦しい精神 ああ、途中で投稿された。
「煩悩からの解放」とはどういう話か?と言うと、ここに解脱だの涅槃だのといった用語概念はさておき、
説明しやすい例が目の前にあります。
ペテン大作さんがもう10年以上にわたり、深山憎しとばかりに難癖をつけて攻撃する心、
これがまさしく煩悩そのものですが、彼がこれを自らの意志で止めることです。
もうこんな煩悩に駆使される苦しい精神から脱却したいと思い、その怨念を捨てて解放されることです。
これだけですっきりする話であることは想像に難くないのですが、それを手放せないのがまさしく煩悩そのものです。
なんか呼吸法とかチャクラとか開発必要ですかね?www 六通・・・神足通、天耳通、他心通、宿命通、天眼通、漏尽通
三明・・・天眼通、宿命通、漏尽通
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(『岩波仏教辞典』)
普通の知性と良識のある信者さんたちは三明六通の項目を見て、変だと思いませんでしたか?
まず、両者の内容が重なっている。
これはすでに述べたように、バラモン教の三明という名称を拝借し、
世間の超能力崇拝に合わせて六通と表現しただけで、釈尊が積極的に
教義として売り物にしたのではありません。
釈尊が神通で布教し、神通でカルマを断ち切ったという桐山説は真っ赤な嘘です。
もう一つ奇妙なのは、他の神通と比較したとき、漏尽通がどうして神通なのかという点です。
他の神通は、前世の透視、他人の心を読む、飛行や変身など、超能力や
霊能力なのに、漏尽通だけは、煩悩がないことを確認する能力ですから、
神通と言わなければならない内容だろうかと疑問になります。 *煩悩があるのは素人でもわかる
信者さんたちも自分に煩悩があることはわかりますよね。
また他人を見た時、その人の心は読めなくても、行動と話しを聞けば、
煩悩が有るか無いか、素人でもわかります。
有名レストランで糖尿病になるまで暴飲暴食する食いしん坊は食欲という煩悩に囚われている。
二十代の色っぽい女性に自分のホテルに同宿して、夜11時に電話しろと誘い、
長年、お手当を現金で手渡し、ホテルオークラに一緒に長期滞在するのは
性欲という煩悩です。
「管長猊下は嘘つきです」と言われて、怒鳴りつけて暴力で排除するのは、
瞬間湯沸かし器ではなく、怒りという煩悩です。
昔「バナナのたたき売り」と批判され、その恨みで、批判した直木賞作家の
小説を小馬鹿にするのは、憎しみだけでなく、嫉妬という煩悩です。
あるが上にも名誉教授、名誉博士号を欲しがるのは、名誉欲という煩悩が
大作さん並に強いからです。
仏教ではこういう人のことを煩悩まみれの凡夫と言います。
このように少し仏教を学び、普通の知性があれば、
オカルト教の教祖が煩悩のない有余依涅槃の聖者を宣言しても、
その言動が煩悩だらけなら、ただの嘘つきだとわかります。 *漏尽通がどうして神通なのか
素人でも自分に煩悩が有るか無いか、超能力などなくてもわかります。
ましてやアラカンになった人たちは二十四時間煩悩と対峙しているのですから、
自分に煩悩が有るか無いかは、超能力がなくてもわかるはずです。
アナゴンは漏尽智を持たないが、煩悩が有るのがわかるから煩悩を切ろうとしているのです。
逆に、煩悩が無くなれば、漏尽智などなくても、煩悩が無いとわかるはずです。
漏尽智を持たないアナゴンでも煩悩が無いことがわかるのです。
そこでもう一度、漏尽通(=漏尽智)の意味を見てください。
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(『岩波仏教辞典』)
煩悩が尽きたことを知る能力は、わざわざ漏尽通という神通力であると
言わなければならない能力でしょうか?
誰が考えても、ちょっと変ですよね。
私の説明を聞く前に、信者さんたちもその理由を考えてほしいのです。
「だから、漏尽智とは煩悩を切る超能力なのだ」という珍説は成り立ちりません。
阿含経のどこにもそんな説はなく、学者の解説を稚拙な勝手解釈しているのが
ペテン大作説で、しかも、>>963の質問2から見ても、そんな説は成り立たない。
こういう知性のカケラもない稚拙な解釈ではなく、神通には見えない漏尽通を、
どうして釈尊は通力の一つにしたのか、他の知性と良識のある信者さんに考えてほしいのです。 *「煩悩からの解放」は釈尊の大発見
六つの神通の中で、漏尽通だけが、仏教でしか得られない神通とされています。
つまり、仏教の一大特徴であり、他が真似できない内容が漏尽通なのです。
ところが、漏尽通とは煩悩が無いことの確認で、そんなことは
超能力でもなんでもなく、素人の私たちにもできそうです。
これを釈尊はバラモンの三明に対して圧倒的に優れているのが漏尽智であり、
世間の超能力よりもはるかに優れているのが漏尽通だと言っているのですから、
ちゃんと意味があるはずです。
>>927以降で、仏教のアラカンとは何をしている人たちなのか、という説明しました。
あれを理解していれば、この答えは簡単です。
アラカンとは煩悩から解放されただけでなく、それを持続している人たちです。
持続の特性を示すのが、五分法身の解脱知見であり、漏尽智や漏尽通です。
「煩悩からの解放」、これこそが釈尊が発見した解脱であり、
到達することもすごいが、それを維持することはもっとすごい。
だから、釈尊の説いた解脱とは「煩悩からの解放と持続」です。
煩悩からの解放の持続を釈尊は漏尽智、漏尽通と表現したのです。
煩悩からの解放の確認というと簡単そうだが、煩悩そのものがすでになく、
しかも、それが漏れ出ることがないように八正道を実践して、
ずっと監視し続けているのですから、とてつもなく困難です。 *漏尽通は超能力ではない
釈尊は煩悩から解放された状態を維持することが、何よりも優れた教法、
智慧、神通、明知、涅槃、解脱だと説いたのです。
だから、バラモンの三明や神通の一つに例えた。
特殊な智慧や神通という超能力を説いたのではなく、
煩悩から解放され、それ持続することこそが重要なのだと説き、
それを漏尽智や漏尽通と表現したのです。
漏尽通という超能力を説いたのではなく、煩悩からの解放を維持することの例えに
使ったにすぎないから、他の神通と違うのは当たり前です。
ところが、後世の煩悩まみれどころか、普通の人よりも煩悩が強烈な教祖と、
その教祖と同じで、知性を伴わない自惚れと、憎しみや復讐心を
生き甲斐にする信者は、漏尽智という超能力で煩悩や因縁を切るという
子供じみた教義を捏造して自慢している。
教祖は無知で理解力も低いのに、自分は頭が良いと自惚れていたから、
八正道の意味がわからず、小馬鹿にして「初学の教え」と罵った。
他の信者さんたちに助言だが、愚か者の真似をしないことです。
何度も書くが、行為には報いがあります。
如来の教法を自分の利益のために捻じ曲げ、勝手な解釈を加え、
世間の人たちに誤った教えを伝え、またそれを手伝うなら、
これは仏教では、如来の教法の誹謗中傷というものすごい悪業で、
仏教では、たいてい死後の行先が決まっています。
信者さんたちに少しでも釈尊への信仰心があるなら、甘くみないことです。 阿含宗を30年以上信仰し、柏原にお墓も購入し、生前戒名もいただき、護摩木も毎年2000本以上ご供養し、お導きもやりました。 コロナ前は護摩木勧進や水子人型勧進で一般の家庭をまわる托鉢修業も時間を作って行ってました。お正月の初護摩札も毎年10万を申込、解脱供養も家族で50体を超え、冥徳解脱、廃絶家も行い、毎月の例祭には修業で参加、星祭も現地修業に家族で参加していましたか、この度、経営していた会社が倒産、法人破産と連帯保証していた代表の私は自己破産にいたり、家、車、財産、全てを失いました。
いったい何がいけなかったのか。
何人かに相談しましたが、信心が足りない。
因縁が深いなどといわれましたが、納得出来ません。
現役阿含宗の信徒さん、やめちゃった元会員さん、どう思いますか?
やはり、信仰心が足りなかったのでしょうか。
弁護士に依頼してからは、毎日の勤行は止めてしまいました。
道場に行く気もなくなり、家を失って1kに家族で暮らすので、沢山のご法施は置く場所がなくなるので納札する事にしました。
60歳過ぎて、まさか、まさかの現実です。
以上、yahoo知恵袋です。
八方塞がりで死にそうです。
先輩方々、アドバイスお願い致します・・・死 「密教食物語」の著者、鶴見次郎とは桐山雄 根本尊師のペンネームでしょうか? >>0972神も仏も名無しさん2023/08/25(金) 17:24:16.51ID:l5hDCeMG
>先輩方々、アドバイスお願い致します・・・死
972さんがyahoo知恵袋に相談したご本人なのかわかりませんが、
ご本人だという前提で書きます。
状況はたいへんお気の毒だと思います。
972さんに対する阿含宗の反応は特に珍しいわけではなく、あれが阿含宗です。
何か力があるかのようなふりをして信者にお金を出させるが、実は何もない。
せめて、972さんのように困っている人に、具体的に何もできなくても、
やさしく応援してあげるようなことだけでもすればいいのに、しない。
なぜなら、972さんはお金がない人だから、阿含宗にとって用済みです。
むしろ、阿含宗の信仰をしていてうまくいかなかったという事例になるから、
972さんのような人が教団内に居られるのは迷惑なのです。
文句でも言おうものなら、排除されます。
yahoo知恵袋で意見を寄せた人で信者と思われる一人が、
「あなたは、最初から経営者の器ではなかったのです。」
というのが、いかにも阿含宗らしい反応です。
この反応に人間としての温かさがなく、冷たいでしょう?
阿含宗にいるとこうなってしまう。
なぜなら、桐山さんがこういう冷酷非情な人だったからです。 このスレで桐山さんや阿含宗の冷酷な対応がいくつも取り上げられています。
その筆頭が、長年阿含宗で熱心に信仰をしていたのにガンになって、
桐山さんに泣きついて指導を依頼した件です。
仏陀の智慧と仏の慈悲を持つ桐山ゲイカがどんな御指導をされたと思いますか?
「夫婦もろとも教団から出ていけ」、これが桐山さんの指導でした。
これだけでもひどいに、これを当時の機関紙に掲載して、さらし者にした。
『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、15頁〜)のカラーページで、
約17ページにわたり、この信者を批判し、サプリメントを摂っていないなどと
因縁を付けた(そんなことは信者は書いていない)。
「こんなにあらゆることをしているのに、なぜ!」(『ダルマチャクラ』60号、16頁、1994年)
これはそのガン信者が書いた文章です。
972さんも激しく同意しているのではありませんか。
他の助言者が書いていたように、972さんは命があるのだから、やり直しがきく。
このガン信者のその後は知らないが、ガンは命に関わることです。
また、実際に助けてもらうこともなく亡くなった先達もいます。 関東別院のМ田先達は、阿含宗で最大のファミリーを作り、
桐山さんが「М田君!」などと親しげに声をかけるほどだった。
彼女がガンになって死期が迫ると、彼女は無理して桐山さんが来るパーティーに出席した。
病み衰えた彼女の姿に、桐山さんは声をかけることもなく、通りすぎたそうです。
その年の暮に彼女は死にました。
桐山さんの正体がこれで、反応が、先のガン信者への冷酷非情な態度と同じで、一貫している。
yahoo知恵袋にもアガリクスの話が出ていました。
これはある元幹部職員がネットに書き込んだ情報が元ネタです。
その信者は250体の解脱供養を出したのに、ガンになった。
そこで桐山さんに御指導願いを出すと、当時、ガンに効くと噂があったアガリクスを
職員が持ってきたという。
今日では、アガリクスのガンへの効果は否定されていますから、
桐山さんは単に当時の流行に乗って出しただけです。
その信者は、桐山さんから自分の修行について丁寧な指導があると
期待したのに、陳腐な民間生薬が出てきただけだった。
この方も数年後に亡くなったようです。
私が知っているN庵さんのケースはもっとひどい。
職員の指導に従って様々な供養を出しても病気に効果がないので、
桐山さんに訴える手紙を何度も出した。
すると、職員と先達たちが総出で彼を排除した。
彼は失望して故郷に帰り、そこで阪神大震災に遭遇して、
幸い生き延びたが、翌日、自殺した。 972さんも自分の再起のために忙しいのかもしれないが、あなたの
阿含宗での信仰をここに書いてみるのはある意味の再起です。
下記のyahoo知恵袋は972さんが書いたことですよね?
>一部の会員しか知りませんが、世間的に大問題になって連日報道されていた事件に
会員さん家族が巻き込まれ悲惨な亡くなり方されてたり、その方も熱心な信者さんだったのに。
こういうことは阿含宗では語られることもなく、埋もれてしまう。
疑問に思った人は辞めてしまうから、なおさらです。
そこにネットが出てきて、様々な情報が集まり、一つ一つは点でも、
それらが集まれば面になり、桐山さんの正体が見えてくるのです。
私から見たら、972さんは桐山さんの本当の姿をまだ知らない。
自分の信仰体験を書くこと自体が972さんの再起を助けます。
文章にして頭から出すことは、頭の中を整理することになるからです。
たいていの人の信仰は漠然と頭の中にはいっているだけです。
例えばyahoo知恵袋の信者が、次のように吠えている。 >噓つきと批判するのであれば、七科三十七道品を修行しないと成仏できないというお釈迦様の言葉と、在家は優婆塞の十六法を修行せよ、という阿含経自体が創作であると証明してみて下さい。
>証明出来たら私は阿含宗を辞めますよ。
この信者は桐山さんの話を鵜呑みにするだけで、七科三十七道品という
言葉自体が桐山さんの造語であることも、十六法の数え方さえも
桐山さんが間違えていることも知らない。
三福道とその経典が桐山さんの捏造だということも知らないのでしょう。
こんな程度だから、阿含宗を辞めなくても済むのです。
972さんも自分の信仰を見直すには、文章に書いてみるのです。
あなたの脳に入っている信仰は整理されず、雑然と転がっているだけです。
それを文章にすることで、初めて、自分の信仰の問題点が浮き上がります。
これは私を含めて何人かの元信者が経験しています。
私が「一部の会員しか知りませんが・・」という情報を書いてみてはどうかというのは、
972さん自身がそれを見ないようにしてきたからです。
今までは信仰の邪魔だから、見て見ぬふりをした。
だが、あなたの知性は前から、こういうことが起きるのはおかしくないかと文句を言っていた。
知性の言い分を文章にしてここに書き込むことは、自分の知性の声に耳を傾けることです。
おもしろいことに、他人に向かって書くから、頭の中は整理され、
自分で書いたことが他人の助言よりも有益だったりします。 >>0972神も仏も名無しさん2023/08/25(金) 17:24:16.51ID:l5hDCeMG
>先輩方々、アドバイスお願い致します・・・死
仕事に関しては、972さんが一番良く知っているのですから、
今後は信仰を抜きにして、再起をするべきです。
つまり、仕事と信仰問題を分離する。
ところが、分離するべきなのに、972さんの心に阿含宗信仰が大きな
障害物として転がっていて、仕事の再起に心理的な邪魔をしています。
このゴミを片付ける方法が、個人を特定されない程度に自分のこれまでの
信仰をここに書いてみることで、書き始めるのに、とっかかりになるのが
「一部の会員しか知りませんが・・」の話です。
972さんはこれ以外にも、あなたの知性がぶつぶつと文句を言っていた問題や
出来事をいくつも知っていますよね。
小さなことだ、古い事だと無視せずに、一つ一つ丁寧に知性の声に耳を傾けることです。
時間がかかり、終わらないかもしれないが、その信仰の整理が、
現実世界での仕事の再起の心理的な助けになるはずです。 >>938 神も仏も名無しさん 2023/08/23(水) 01:30:55.45 ID:GLKytEJ3
>宗教問題 35:儒教って何だ! ?
>出版社:合同会社宗教問題
>発売日:2021/8/31
>迫真レポート
>阿含宗の活動は法令違反?
>市民団体が抗議! 「阿含の星まつり」の違法性を問う……本誌編集部
これ興味あるな。 >>959
〉漏尽智で、解脱の状態が保たれていることを確認した段階で成道が実現したと
いう当たり前のことを述べているだけです。
深山さんは、水野氏の論文の方は読んでいない様ですね。
それとも読んだけれど難しくて理解出来なかったのだろうか。
「慧が自由に作用するようになった状態を「さとり」bodhiとか「涅槃」nibbana,nirvanaとか云うのである。従って慧は仏教の修行項目の中には必ず含まれている。」
(『原始仏教および部派仏教における般若について』20頁、水野弘元)
深山さんは解脱とは何かを、本当のところは何も分かっていない。
所詮は素人の誤った認識に基づいた思い込みを長々と綴っているだけです。
水野氏の論文で、慧と解脱の密接な関係が明らかになる。
慧は解脱に深く関わっているのです。
そして漏尽智も慧である以上、単に解脱の状態を確認している「だけ」のものではないことぐらいすぐに気付く。
解脱の確認「だけ」ならば、解脱そのものには一切関与していないことになってしまう。
賢明な読者なら、深山さんの話がいかに誤謬に満ちたものであるかに気付くでしょう。
しかも「八正道では正見が慧にあたり」(同書20頁)とある。
漏尽智が解脱に関与していないと主張することは、八正道を否定することに繋がる。
八正道こそ、解脱への道だと言っておきながら、他方でそれを否定しているわけです。
当人こそ外道だったのです。 >>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe
>しかも「八正道では正見が慧にあたり」(同書20頁)とある。
ほら、八正道こそ解脱の道と深山さんが述べていることを証明しているではないですか?
なぜなら解脱とほ戒・定・慧の三学によって成し遂げられるもので、八正道はその全てに対応しています。
そして慧とは漏尽智だけではありません。
漏尽智もたしかに間違うことなく慧ですが、これは最終完成者(解脱者)が尚も継続して自己観察を行う慧です。
慧とはいかなる時も智慧による観察行為ですからね。
>漏尽智が解脱に関与していないと主張することは、八正道を否定することに繋がる。
だからそれがわかってないからこういうたわけたことが書ける。
漏尽智で観察するまでは解脱していない未完成者だというのが、あなたの解釈になるが、それでいいか? >>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe
「従って慧は仏教の修行項目の中には必ず含まれている。」
(『原始仏教および部派仏教における般若について』20頁、水野弘元)
他の信者さんたちはこの文章には、慧が修行項目に含まれるとあるだけで、
どこにも漏尽智で煩悩を切るなど書いていないのが読めますよね。
だが、ペテン大作さんがこの論文を読んだ結論は、漏尽智で煩悩をきるのだそうだ。
こういうのを論理の飛躍、支離滅裂、正確には詭弁といいます。
「水野氏の論文の方は読んでいない様ですね」などと
いかにも彼は学者の論文を読んで結論を出したかのように権威付けを
しているだけで、水野氏の論文のどこにも、またペテン大作さんが
引用した文章にも、漏尽智で煩悩を切るなどという文章はありません。
こういうゴマカシを彼は平気でする。
毎回、この調子で、学者の文章にはどこにも書いていないのに
勝手な解釈と、グネグネと屁理屈を付けて、自説の根拠に「みせかける」。
では、その卑劣なやり方を拝見しましょう。 >>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe
>しかも「八正道では正見が慧にあたり」(同書20頁)とある。
また始まった。
どうしてこの人は自説が自家中毒を起こすような学者の説を出すのだろう?
八正道の正見が慧にあたるなど当たり前です。
それを彼は勝手に「慧=漏尽智」と決めつけている。
水野氏はそんなことは書いていない。
そんなことをしたら矛盾することがわからないのだ!
八正道はシュダオンからアラカンまで全員が実習する解脱の道です。
当然、正見もシュダオンからアナゴンも実践する。
だが、漏尽智は阿羅漢に属しているから、シュダオンもアナゴンも持っていない。
では、どうやってシュダオンやアナゴンが正見である漏尽智を実践するのだ?
八正道の正見が慧で漏尽智なら、シュダオンからアナゴンまで
誰も正見を実習できなくなる。
こういう矛盾が生じることを私はすでに彼に指摘しているのです。↓
質問2.シュダオンやシダゴンは煩悩を何で切るのか?(>>951,952)
だが、彼は私の説明など読まない、理解できない、記憶しないし、
自分の狭い狭い視野で論理を展開するから、矛盾に気が付かない。
たぶん、彼は私から今指摘された矛盾も、何がどう矛盾するのか、
理解できないでしょう。 >>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe
>慧は解脱に深く関わっているのです。
ペテン大作さんのゴマカシに気が付きましたか?
彼は勝手に「慧=漏尽智」と決めつけて、
私が慧と解脱が関係ないと主張したかのように言い換えた。
彼はいつもこういうことを平気でする悪辣な男です。
私は、漏尽智で煩悩を切って解脱するのではない、と指摘しているだけです。
慧と解脱が関係ないなんて書いたことはありません。
他の信者さんたちは、私が五分法身で次のように書いたのを覚えているでしょう
「戒定慧が完璧にそろった状態が解脱であり、」(>>929)
私は「戒定慧が完璧」というのだから、解脱には慧が深く関わるどころか、
これを抜きにしては絶対にありえないと述べたのです。
彼の常で、彼が反論しやすいように、慧と解脱が関係ないと
私が書いたかのような説を捏造する。
繰り返すが、私は慧と解脱が関係ないと述べたのではなく、漏尽智で煩悩を
切って解脱するという桐山説2とペテン大作説は嘘だと批判しているだけです。 >>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe
>そして漏尽智も慧である以上、単に解脱の状態を確認している「だけ」のものではないことぐらいすぐに気付く。
>解脱の確認「だけ」ならば、解脱そのものには一切関与していないことになってしまう。
他の信者さんたちは、ペテン大作さんの論の飛躍、正確には誤魔化しをごらんください。
慧が解脱に関係しているという当たり前の説を出して、唐突に「慧=漏尽智」と決めつけ、
さらに漏尽智が解脱の確認だけでないと「すぐに気付く」など書いている。
誰が「すぐに気付く」のですか?
信者さんたちは気が付きましたか?
漏尽智とは↓次のようにたった一行で示されるわかりやすい内容だから、
気付くのではなく、このまま理解するだけです。
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
漏尽智(=漏尽通)の説明は誰が読んでも明瞭で、何よりも、
漏尽智で煩悩を切るとは一言もない。
何とかペテン大作説に持っていくために、「すぐに気付く」などと
まるで当たり前であるかのように見せかけたのです。
さすがはインチキ教祖の弟子だけあって、キツネみたいに小ずるい。
そして、何の脈絡もなく、証拠もなく、自分に都合の良い結論を出す。↓ >>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe
>そして漏尽智も慧である以上、単に解脱の状態を確認している「だけ」のものではないことぐらいすぐに気付く。
>解脱の確認「だけ」ならば、解脱そのものには一切関与していないことになってしまう。
漏尽智が確認だけなら解脱そのものに関与しないことになる??
まったく脈絡のない結論をまるで証明したかのように出してみせる。
彼の示した根拠は「気付く」だけです。
何一つ具体的な根拠を示さず、学者の説に勝手な解釈を加え、
後は木に竹を接ぐように、結論ありきの仮定や前提を作り上げて、
唐突に辞書にある漏尽智の説明を否定した。
それもこれも、彼の、漏尽智で煩悩を切って解脱するという珍説を
主張するためです。
解脱知見である漏尽智とは、解脱が持続されていることを
確認するのですから、解脱に深く関与しているどころか、解脱そのものです。
私が、釈尊の解脱とは100mを10秒で走るだけではなく、
それをそのまま維持することだと例えました。
走ったのを確認するだけでなく、走っているのを確認しているのです。
戒定慧を繰り返し、煩悩が漏れていないことを確認するのですから、
解脱と関係ないどころか、解脱そのものです。
解脱知見や漏尽智は阿羅漢に属し、阿羅漢とは解脱しているのですから、当たり前です。
ごらんのように、漏尽智で煩悩を切るなどという桐山説2とペテン大作説には
何の根拠もなく、矛盾だらけの説です。 >>982 神も仏も名無しさん 2023/08/27(日) 00:32:22.33 ID:9ZNhBxqe
他の信者さんたちは、卑怯者のペテン大作さんは絶対に、
次の質問には触れないことに気が付いているでしょう。
質問1.桐山説3の漏尽智で業を消しさる因縁解脱は阿含経のどこにあるか?(>>947)
質問2.シュダオンやシダゴンは煩悩を何で切るのか?(>>951,952)
質問1は阿含宗の教義そのもので、何度も質問されても答えないのは
答えられないから、必死に逃げている。
質問2はペテン大作さんの漏尽智説の致命傷です。
答えられないから、何度指摘されても彼は無視して、逃げるしかない。
実は、昨年もこのパターンだった。
こちらがこれらを指摘して、返事をするように要求するが、卑怯者らしく
彼はずっと無視して、他に話をそらそうと必死になっていた。
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
他の信者さんたちはこの学者たちの説明くらい受け入れてはどうか。
桐山説2の煩悩を漏尽智で切るなど仏教には存在しない。
桐山説2では、漏尽智をアナゴンが持つことになる矛盾を指摘すると、
ペテン大作さんは意味不明の瞬間解脱説を出して自慢した。
だが、この説はペテン大作さんの発明で、阿含経にあるはずもなく、
学者はもちろん、阿含宗の教義でさえもない。
嘘の説を擁護していると彼のようにさらに嘘の説を唱えるしかなくなるのです。
彼は釈尊の説いた仏教教義を捻じ曲げ、捏造して、得意がっていた。
このような悪業は彼一人に任せたほうがいい。 う〜〜ん・・わからん^^
心と身体は自己ではないのに・・^^
なぜこうなるのか?
「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(岩波仏教辞典)
識別智から漏尽通が生じるのかな?
たぶんそうだろう^^
まちがいない^^ 識別知(智)
ヨガでは、識別知は苦しみの根源とされる「無知」を取り除く知性と考える。
ヨガの実践を通じて識別知を得ると心と真我の違いが見分けられ、真智を得て、苦しみは消える
仏教では心と空の違い・・か^^
これ^^
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄 自己の煩悩^^
これがおかしい^^
これ^^
見るもの(プルシャ)真の自己
純粋意識=真の自己=精神原理=変化しない
変化しない(不変)=安定=平安
見られるもの(プラクリティ)心・身体
心・身体=物質原理=変化する≅怒・憎しみ=
変化する=不安定=苦
不二一元論
https://ibb.co/mXYTX1d う〜〜ん^^
そうなると・・^^
やはり・・これか・・^^
2. ヨーガとは心の働きの止滅である。
心(チッタ) … サーンキヤ哲学では、ブッディ(識別知)、アハンカーラ(自我意識)、マナス(思考・欲望)の三つの心の作用がある。
3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。
4. その他のときは、心の働きと同一化している。 心の働きと同一化していると気づかんとあかん^^
てなことやな・・^^
うん?
スレを汚してすまん^^
ただの通りすがりや^^ 自我(心身)の煩悩は自己ではないから滅することはできん^^
ゆえに・・やはり^^・・識別智やな・・^^
世界内・・幻影^^ここも大事^^ 本当がどうかわからないがとりあえずこれ貼っとくか^^
滅尽定
無色界の禅定(非想非非想処)の先に、滅尽定(滅想定、滅受想定、想受滅とも呼ばれる)がある。これは、瞑想とも禅定とも呼べるかどうかもわからない状態である。すべての想いが滅した状態である。
これは色界や無色界での禅定ではない状態で、心の働きが一切尽きてなくなり、全く平穏静寂な、心のあらゆる動きが全く止滅した状態とされている。
想受滅では、心の状態が全く止滅し、身体のはたらきもその間ほとんど止まる。飲食や排泄は、もちろん、呼吸もほぼなくなり、心臓の鼓動も微細になり、肉体の活動全体がほぼ完全に休止状態となる。これを外部から見ると、瞑想の体勢で座っていても、まるで生きているのか、死んでいるのか、分らないような状態となってしまうのである。 滅尽定の中では、心のあらゆる動きが全く止滅している(ある意味、意識がない)ので、当然ながら滅尽定から醒めることを意識することもできない。滅尽定の間は、心のはたらきは何もなく、瞑想の最中に出定しようかなどと考えることもできないのである。
ではどうやって滅尽定から戻ることができるのかということだが、あらかじめ、いつ滅尽定から醒めるかを決めておくのである。決められた期間後に、滅尽定から醒めるのである。そうでないと禅定から醒めなくなってしまう。
滅尽定の状態のままで居続けられる期間は、最長七日間という。
滅尽定は在家修行者にはまず無理な状態であり、出家修行者でも難しく、滅尽定に到達できる人はまれである。滅尽定は阿羅漢(アラカン)しか達することができないといわれる。さらに阿羅漢(アラカン)になってしまうと、普通人の生活はできなくなるという。 アラカン=滅尽定、滅尽。=アラカンではないから考えるだけ無意味だけどね。 このスレッドは1000を超えました。
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