因果とか、全ては因縁生であるとか、そういうのが、俗にいう仏法。。

この法だけ見ていてもしょうがないんだけど、全てをこの法としてみると、迷悟もないし、見性もないし、本来もない。。

だからって、それだけ悟ればいいのかというと、そうじゃないんだけど、仏道とか関係なしに、法だけ見ると、存在そのものの在り様だけ見ると、
全てはもと解決済み、でお終い、となるんだよね。。

これも一つの悟りです。。

我と有情と同時成道とはこれ。。

これ、なぜかわからん人が多い。。

何十年坐ってもわからん人がいる。。

このものみなの在り様は作り物じゃないけれど、これを悟りだとか見性だとか言ってしまうと、認識中のものになってしまって、作り物になる。。