「色即是空」解釈の誤り5
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心経は多様な解釈を許すところがありますが、
では市販本に書かれてるような解釈は 本当に正しいのでしょうか?
個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五蘊(の一つである色蘊)と言い換えた
無常と無自性が融合したイメージを喚起する 出世間のことば と理解していましたが、
実際、空の意味として、{陽炎の如し」を言い換えたともとれるⒶ無実体Ⓑ幻想・夢幻 だけでなく、色いろな表現があり
たとえば空をシンプルに 唯心と解釈したり、非我、人無我、法無我を表すとか、(一即)一切、全、不二一元、虚空、エネルギー、スーパーポジション、妙有
般若の浅略釈、死後の世界、本体、中諦の方便、言語では説明できない事もあると教える為のメタ=仏語,直観的対象把握、苦の因を滅して安楽(涅槃)に変える智慧、
五蘊盛苦から執着を除き涅槃に導く無為法の慧、微妙なる真理,縁起する諸法、、、
無所住、因縁を破壊する力、解脱の因、存在を無常ならしめている、より高次の原理、法如、雲のように重ね合わされた複数の現実又は、
それらから一つの現実への確率的縁起、縁起を起こす法理、プラクリティ、意識原理、戯論を滅尽する呪
梵我一如のシノニム、心の中心に具わっているゼロ点、真実在、理法、清浄、無所有、浄化力、迷妄を消す方便、仏菩薩の内証の一側面、
現象の三世に亘る全相貌、空無辺処定により生じる智、多次元性、透明化、三界の自在な往来法、六神通の素、如実知見法、浄真如、諸法実相、非相
名が無ければ無色も色も本来同根、般若を世間法即涅槃と悟る上での方便、無明をクリアするワイパー、誤解錯覚を覆し喝破し覚醒させる智慧の働き、理性を呼び覚ます内なる声、誤った認識を断つ力、滅諦の実性
法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、一境性、三昧境で感得する微細な意識、主客無分別な現量、無執着
一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、 心解脱、無色界の理に根拠付けられた実相、曼荼羅
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙、仏がいる処、仏そのもの
等々 幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとして
の真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが知っている実相を指します) 別に釈迦の悟りを消してないね。ニカーヤ等では唯くどいだけでわかり難かった
さとりの内容をわかりやすく、かみくだいて説いてるだけだよ
五蘊皆空も滅想受定まで行って、現世で涅槃に達した状態と変わるところは無い
左脳の個我意識を空にしただけで、右の慈悲や菩提心は光輝く 左の スリランカ人みたいな妄執いっぱいの
汚れた五蘊を綺麗にしないと、右の仏性は
光輝かないんだよね。 心経の「無無明亦無無明尽 無老死亦無老死尽」は、釈迦の悟りを消したと思う。無明は無い、無明が尽きることもない、老死は無い、老死が尽きることもない、などと言う主張は意味不明だ。釈迦の悟りは、無明〜老死、の縁起を悟ることなのに、心経はそれを否定している。 五蘊皆空と照見したとて、そんなの原始経典では悟りでも何でもない。原始経典では五蘊を無常無我と説く。無常無我を空と解してもよいだろうが、それは悟りの手掛かりになるだけで、五蘊皆空と照見したからといって、釈迦が説く悟りとは違うだろう。 別に心経は 釈迦の覚りを否定してる訳じゃないよ。十二縁起を知っただけで
悟った気になって慢心する未完の途上人に向けた戒めに過ぎない
また五蘊皆空の意味が全然わかってない方が実に多い。単に言葉使いの問題で
さとりの内容に違いは無い。 『法華経』や『涅槃経』などの枝葉末節をまとめて、根本に帰入させる教えは、
実に「無智亦無得 以無所得故」という十字に含まれる
>分別諸乗分に関しても
幾つもの解釈が存在します。
智も無く、また得も無し 得る所無きを以ての故に
一例ですが、
自分という我も、本来は無いのだからと
主客についての妄分別を離れるよう促しているとも
とれますね。また
自分は覚った、という漫や錯覚や智を得るとか得たとかいう果への執われを離れるよう説いているという解釈もあります。
智慧を得たとか思ううちは、まだ得てはいないのだと。
本当に覚った人は「自分は覚った」なんて言わないし思わないものかも知れませんね。 >心経における「無」とは、唯の無ではなく、物の存在を前提にした上での欠如を表す接頭語と言えるかと思います。
諸賢の説 からしても、近年流行の「空を無と捉える解釈」は、確かに短絡的に過ぎると言えるでしょう。
浅略な解釈の逆輸入ということも
或いはあるかもしれません
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13228332783 病気で死ぬ人も また死んだ人も
肉体は幻のようなものだった とさとるでsじょう
事故とかで突然死した人も同じかも知れないし、目撃者や周囲の人は
一層、故人の存在が幻のように思えるかも 2020年7月17日から19日の3日間にわたり、ダライ・ラマ法王が法王公邸からチャンドラキールティ(月称)の
『入中論』(uma jukpa)についてオンライン法話を行われる。
視聴される際には、人混みを避け、人との距離を置くというルールを厳守してくださるようお願いいたします。
https://www.youtube.com/watch?v=qL-vrqauNH0 十二縁起を知識として知ることと、その内容を理解することとは違う。大縁方便経では、阿難が釈迦に対して、「十二縁起が分かりました」と話したら、釈迦が「お前ではまだ理解出来ない」と、答えて、詳しく十二縁起を説く内容となっている。現代の学者の意見もまちまちだ。 釈迦の悟りとは四苦ハ苦の解決だ。それが涅槃だ。釈迦は五蘊を無常無我(=空)と説き、それは苦だと説いた。だから釈迦の悟りとは空が滅した状態だ。心経は十二縁起を空としている。それでは悟りにならない。十二縁起の滅が釈迦の教える悟りだ。 一つには 苦の滅
滅するために執着を綺麗に無くして行くのが
空なのだよ。それはまさに道諦の実践によって初めて得られる
境地かも 神聖とばかり言えるかどうか、
昨日まで生きてた人が死んだら、現在はいないから幻のようで火葬して無だ。
だが過去においては確かに有った。でも今は無い。幻のようだ、全存在も
その如く。だから「即是」は=じゃなく≒ >>512
馬鹿だなあ。釈迦は合理的思考を尊重した。
空は釈迦の合理的思考を否定する外道思想。 >>513
仏性は右脳???
珍説ですなあwww。 >>524
五蘊が空なのに苦であるって、論理破綻してるだろ。
空がどうして苦なんだ?あーん?? というより
「色」という今の形(現われ)も 三世に亘って
無限に続く全体という「空」の中の一コマ
に過ぎない これが解 >>532
空=ブラフマンね。
バラモン教徒さんでしたか。 無限に続くんだから時間的だけでなく空間的にも「世界」との境界は
どんどん曖昧になる。たとえば百何十年後かに隕石が落下して地表が二千度以上
になった時、高山にいて助かった人が下山して焼け野原を目にしたら
いかに社会や環境という全体に依存してたかを知るような話 釈迦の教えでは空も苦だ。
なぜなら、空の中の生住異滅も、縁起の法則によって生滅するのであり、それは苦滅とは違うからだ。釈迦の悟りとは縁起(空)の滅ということだ。空は苦滅を意味しない。空即是色とは、空即是苦ということでもある。 苦即是空 空即是苦
苦は空であり 空は苦である
何もおかしくはないですね。 >>535
般若心経は生滅を否定してるだろ…。
もうちょっとお勉強しような。 >>536
捏造されてもねえ…。
いくら創作経典とは言え、お前が勝手に追加したものが般若心経の主張だと言うのはさすがにちょっと…。 苦とか楽とかの分別は仮で
区別の無い無分別が空、
仮と空を超えつつ同時に見るのが中の道
って、違うかな 原始仏教でも三学は当然ある筈で
第四禅の「不苦不楽:、あれが空の境地、五禅支→一境性だけになる。
本来、そのあと色界を離れ無色定に行くべき、だがテーラワーダ
はそこで終了? 五蘊盛苦 五蘊皆空
∴苦(五蘊)即是空
面倒なので異論は認める。
異論が来てもレスはしないので悪しからず。 542が明確な逆の返答です
「不苦不楽」=空
受が空じられ、無色定に入れば色蘊が即ち是、空ぜられる
あと識と行と想を空じるのが大変で、そのために非想非非想処定なんてのを
ブッダも先生から教わった。だがまだ未完成で最後まで完成して皆空です 不苦不楽が空であってほしいと願うのだろうが、さにあらず。
心経は空不異色、空即是色、と説いてもいる。
空は色であり、五蘊でもあるわけだよ。
その五蘊を苦だと釈迦は説く。
当然、五蘊=空=苦、と釈迦は説くのだよ。 Sn
1118 このように絶妙な見者におたずねしょうとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」
1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」 世界が空なりと観ぜよ、と釈迦は説く。
また、世間を空なりと観ぜよ、とも釈迦は説いた。その空なる世間からの出離、出世間=出家をなぜ説いたのか?
空は苦滅ではないからだ。
空からの出離を釈迦は説いたのだよ。 >>547
拍手。
>>546
それが本当なら釈迦仏説は五蘊盛苦や集諦で終わりだった訳だが道諦によって滅諦をさとる。その道諦が「行深般若波羅蜜多で照見五蘊皆空となり、涅槃に渡る。つまり道→滅で照見される境地が皆空となる。
空ぜられた境地がそのまま色身よして顕われたのだとか 空ぜられた境地がそのまま色身として顕われたという解釈も 空即是色といっても、無秩序に色(例えば人体)が生じるのではない。それぞれの因縁に応じて、地獄界の、人間界の、天上界の色が生じるわけである。六道にある内は、それを苦だと釈迦は説いた。空だから苦はないと考えるのは勘違いなのです。 >>548
是の如く我れ見聞しけり
ブッダは「空を理解する者を、死王は追うことができない」と言った。
空を理解したとき、死は私たちに影響を及ぼすことはできない。
なぜなら、そのとき「私たち」というものは存在しないから。
とアーチャンチャー長老が説いていたのを >>551
そしてその苦には実体はないということですね。 例えば、借金地獄や病苦に悩んでいる人に、それは空だと教えれば、借金地獄や病苦が消えてしまうのかね?
空であったとしても、借金地獄や病は苦です。
だから空であっても、それを滅せねばいけないわけです。それが釈迦の涅槃ですよ。 原始仏典と大乗経典の解釈のすりあわせという面白い作業だよね
まあ空にも様々な解釈があるということになるのだと思いますが、
スレタイの最初にあるスッタニパータ「世間は陽炎の如し」と同じ意味で
観音菩薩が五蘊が単に幻の如きものと見えたから、それだけで一切の苦厄が消えて涅槃に渡った?
そんな解釈じゃ何の教訓にも教育的説明にすらならないよw 554
はっきり言って、あなた空を理解する気すらないように思えるんです
ちょっと十分くらい待ってください。
よい動画があったので >>555
大乗は自分らの創作経典に合わせて阿含経点を解釈するからあちこちで矛盾が生じるよな。
後から作られた資料に合わせて、それ以前の資料を解釈するのは、考古学的に大間違い。 結局 経典を理解できなくて しまいには 経典が間違ってるだの 先生が嘘おしえてるだの ・・・(絶句) >>554
そもそも俗人の苦しみを解消することが仏教の対象範囲に含まれているのか?
ってとこからだよね。 俗人の苦しみをも解消するのでなければ、仏教の存在価値はないでしょう。
そして事実、地獄餓鬼畜生に生きる俗人の苦も、人間天上という境界の高い苦からも、逃れる道(道諦)を、釈迦は説いています。 >>562
俗世のご利益なんて言ってるのは大乗だけで、
釈迦は俗世のことに捕らわれるな、だけでしょ。 釈迦は借金地獄に苦しむ人に、「借金を重ねるな」とかは言わない。そんなことは本人が一番分かっていることだ。釈迦は、三結(身見疑惑戒取)を断て、と説いている。それが地獄餓鬼畜生みたいな苦から逃れる手段だとね。
大乗仏教になって、それらの教えが消えた。 >>564
そんな精神論で借金苦は解消されないだろw。 俗人の苦しみって
彼女ができない苦しみとか
就職できない苦しみとか
結婚できない苦しみとか
金が無い苦しみとか
容姿の苦しみとか
ブランド物が買えない苦しみとか
そういう苦しみから
救うことですか? >>1 結局 経典を理解できなくて しまいには 経典が間違ってるだの 先生が嘘おしえてるだの ・・・(絶句) 釈迦の教えは高尚な問題の解決を図る教えであって、地獄餓鬼のような俗人の苦を対象としたものではない、と考えるのが一般的だと思う。
しかし、さにあらず。原始経典には借金地獄に苦しむ俗人を例にして、釈迦は教えを説いてもいる。釈迦の教えは俗人の苦をも救うのだな。 釈迦の自由は現実的な自由
ヤスパースやサルトルらの説く実存的自由も、
パウロからカルバンに至るキリスト教的自由も、
すべて物質的基礎から抜け出せるものではない。
抜け出せると思うのは錯覚であって、
それは単に理念としての自由でしかないであろう。
それは、現実的自由とは、まったく異なったものなのである。
荒 正人 大日本百科事典 「自由」 このスレは、軍曹が警戒監視してます
ジー(´・ω・`)戦場目線 >>1 結局 経典を理解できなくて しまいには 経典が間違ってるだの 先生が嘘おしえてるだの ・・・(絶句) スマナサーラ信者は
>スマナサーラ長老を信じています!
と胸張って言えないんだよな。
代わりにテーラワーダ仏教を実践しています。
仏教は宗教ではないなどとほざいて仏教に汚名を着せる。
部派〜分別説部の歴史は虚妄であったと
分別説部の方が認めています。
八頌品と四ニカーヤの間には、阿含と大乗経典の間の飛躍以上の飛躍がありますが、仏教史にはそのような飛躍の傍証となるような伝承が一切ない
ことに関し、何か合理的解説をできる方いますか?
つまり、般若経典が創作という以前に、原始仏典ですら既にその疑いがあると
信者は気付いているのです
>分別説部が説く分別なるものは
アジアの未開人が先進国の自然科学的思考法に目覚め
マネし出した時の独り言を 賽銭ぼったくり用の下らないおみくじに
書き込んだようなもの ・分別説部はどの程度、オリジナル仏説を歪めているか?
>南伝だって結構、歪曲が多く混入してるし、必ずしも原型をとどめている訳でもない
といった指摘を受けた
オリジナル釈迦仏説との関係で見た純度
>せいぜい南伝は三割 といった印象を持つ人が多かった
>不純要素(非仏説混入度)は
南伝でも7割程度と見る向きが多い
>現在、上座部を名乗っている教団の正体を知っていますか?
部派仏教時代に上座部の中で有害な説を説く異端分子が破門になりました。その異端分子を分別説部といいます。
その後、本来の上座部が滅んだのをいいことに、分別説部は自分たちが正当な上座部だと主張しました。
つまり現在の上座部は元々異端分子なのだから本当の仏陀の教えなど伝わっていないのです。
分別説部についてはウィッキぺディアにも載っていますから、ご確認下さい。 >大衆部は分別説部を仏教の根本分裂の際にほかの部派とともに生じたとみなしている。大衆部によれば根本分裂によって上座部、大衆部、分別説部の三部派に分かれたのである
破戒僧率いる日本テーラワーダ仏教協会
スマナサーラの嘘を指摘し、頭のおかしくなった信者を更生させる
スマナサーラ 批判
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535982873/
世界を変えたいのですが、あからさまだと拒絶反応が起こるので、こっそりやる訳です
@問題を作り出す 般若心経は偽経だ!
A嘘の情報に対する大衆の反応を収集して堂々と自説を騙ります。 →そんなの信じてもしょーがねえぞ テーラワーダ過激派は正しい、
B偽りの解決策を提示し、巧妙なステルスのプロパガンダを実行 → 分別説部を信じよ!
サーゾーの本を買え >苫米地ってサイゾーの主要株主のようだね。
必ずしも悪い本ばかりでもないが、仏教に関しては、テーラワーダ・カルト並み。たぶんスマナサラに洗脳されてる。
変わったこと言えば本が売れるという戦略かもしらんが、知識の少ない一般人もいるので有害。
>運営会社はサイゾーで、幹部は元「噂の真相」。 サイゾーは他に、おたぽる、トカナ、ビジネスジャーナル、ヘルスプレスなど
複数のダミー会社を使い分けて世論誘導を工作している。
「ええ、うちには在日コリアンがいっぱいいますよ?それが何か」と開き直った事も ...
>サイゾー→ゴシップ専門のゲスゴミ・サイト トカナ→ムーとどっこいのオカルト・サイト
後は推して知るべしって所だね?
阿羅漢の悟りに達した人がいたとして
瞑想中に無我ではあっても、仏の教えをネタにしてお金儲けと人から思われることをしでかしたり
説教強盗みたいに不快感を与える話を嫌味っぽくやってみたりでは、業の因となる種の心を
一つも伐採する気も無さそうだというのは如何なのか?
また他文化を理解する姿勢も一切放棄し他人をバカだと決めつけ、
相手にされないのをいいことに大乗仏教圏の人々に喧嘩を売るような態度をとって外国へ押しかけるというのは
仏教徒としてどうなのか? イスラムとドンパチやるのは勝手だが、それも声聞や本来の仏弟子のあり方とは違うよ スマナサよりはオスマンサンコンのほうが誠実
苫米地よりは大川隆法やカルト商売人のほうが(インチキだと直ちにバレる
だけ)まだマシかも
しれないな ところで、大乗批判坊や君は、
最低限の悟りを得ているのかな?
鹿野ハッタリ君と似た臭ささを感じるんだけど、 心経の作者は涅槃を得ているのかが、問題だね。説いている内容は、明らかに釈迦の教えに反している。例えば、「是諸法空相 不生不滅」とあるが、釈迦の教えでは無明が滅すれば生老死が滅するであり、生じ滅するのが釈迦の空の教えだよ。 >>580
で、君は、最低限の悟りを得ているのかな?
鹿ハッタリ野君のような陳腐な知識で、ものをいっている風にしか見えないのだが ニカーヤでは空はどのように説かれてますか?
空を苦と誤解するような伝承がニカーヤにはあるという事かな? >>583
お前もその仲間。wwwwwwwwwwwww @世界が空だとわかったならば死の王をも遠ざける
A五蘊が空だとわかったならば一切の苦厄を度せる
B上記より、スッタニパータ(仏陀)も心経(大乗の観音菩薩)も同じ事を説いてる
空の境地を身につけるという事は世界(一切諸法)も五蘊も空だと見做せるという事 確かにニカーヤの7割はあやしい、というかただの言葉遊びに過ぎん
後からとってつけたようなカッコだけの文句が過半だ。
20世紀タイの比丘ブッダタートも三蔵全ての中のたった一粒の金剛は
「なにものも私、私のものと執着すべくでない、それは自分の涅槃に対する認識についてもそう」だと言ってる。
そのたった一粒の金剛が
空の思想の核心なのだと一先ず言っておきます。 心経やスッタニパータでの空の認識が
四ニカーヤで軽んじられてたのだとすれば
そこにこそ問題の核心がある。滅びた上座部はまた別
だったのかな >>588
そのアスペマンから逃亡した大山がいう台詞ではないわ そもそも、しょぼいとかという感情論を視座に仏教を論じるアスペマンと話が合う訳ないし、合わせようとも思わないから。
ここは、見解の一致を試みるスレであって、感情の一致を探したいのなら雑談スレでやればいい。
勿論、アスペマンだから、見解と感情が精神的に未分割なのだろうけどw >当然、五蘊=空=苦、と釈迦は説くのだよ。
吹いたw おw
発狂自家発電レスで
瞬殺妄想
W
大山アラートだw おw
発狂自家発電レスで
瞬殺妄想
W
大山アラートだw ブッダが言った「空」も
陽炎の如き世間は実体無きもの という意味では同じ
そうした実体無きものに執着するから苦の原因になってしまう訳で、
さらに言えば空を苦と限定する理由など全く無くて、不定形で全 で零ということは
(無為法つまり涅槃は別として)無常・非我くらいは兎も角、 第四禅以降で言えば苦・楽、不浄・浄も全て無分別で非相
というか、それすら見解への固執を永遠に拒否する用語=空 大山自家発電セオリーをやり易い場であるのも確かだな 第三禅までしか知らない人は空を体感してないということかもしれず
というのは第三禅では五禅支の楽があり、不浄観もあるので無分別まで行かない
だからそれは体験的に色界の最後から無色界以上の話になると
思います 色んな参禅経験を聞くと、いろんな段階の人がいるというのがわかる。
何年続けても色界の最初のほう止まりという人もいる。本人がそう言ってる。
かと思うと、最初から無色定まで視野に入れる人もいるし、第三禅に相当する
ヴィパッサナーだけやるという人もいる。
またテーラワーダだかは第四禅までやればよい等というのがいる >>583
お前が出てくるとだめになる。
失せろ。 >>588
論破されて悔しいんだなww。馬鹿野園ちゃんw。 >>604
お前もキチガイ過ぎて誰からも相手にされてないじゃんw。
お前と馬鹿野園は邪魔。 実際問題として増上慢大山がいるスレはどのスレも荒れてるからな
増上慢だから荒れるのだよ >>611
実際、お前は悪口しか言ってない。
邪魔だと自覚しような。
読み直してみ。明らかにお前は害悪だから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています