【仏教】悟りを開いた人のスレ478【天空寺】
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悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ477【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1580351605/ そういや、まことって、大昔から一人で書き込んでいるのか? そして誰もいなくなった、だろ!
いつから、誰もいなくなったんだ?! 一期一会
一期とは、宇宙の始まり以来、
一会とは、こんにちは、さようなら オレ様が初心者当時、興味の2ちゃんねるの板を回っていたら
まこと以外のやつはいた
しかし、彼らは、みな、過去のやつだった オレ様が初心者当時、興味の2ちゃんねるの板を回っていたら
まこと以外のやつはいた
しかし、彼らは、みな、過去のやつだった >>687
そうかそうか、精神病院に行きましょうねw 過去の人ということは、君が来たときには誰もいないということだろう 過去の人ということは、君が来たときには誰もいないということだろう 碧巌録 第七十四則 金牛和尚呵呵笑う
擧す。
金牛和尚、齋時に至る毎に、自ら桶を將て堂の前に舞を作し、呵呵大笑して云く、菩薩子、を喫し來たれと。雪竇云く、此の如くなりと雖然も、金牛は是れ好心ならず。
長慶に問う、古人道く、菩薩子、を喫し來たれとは、意旨如何。
慶云く、齋に因って慶讚するに大いに似たり。
第七十四則 【金牛飯桶】 きんぎゅうはんとう
垂示にいわく、莫邪の宝剣を水平に横たえ、槍の穂先を突き出して鳥の巣のようにからみあった葛や藤のつるを切り分けます。
明鏡は台にのせず空中にかかげ、言葉の中にほとけの光明を表現します。
田んぼの泥のなかにひそかに隠されている場所というものは、衣を着て飯を食べます。
神の力が遊びまわる場所には、どうやって留まることができるのでしょうか? 。
よくよく考えて検討し、まずは下の文を見てください。
金牛和尚は食事のときにはかならず、自分で飯桶を抱えて堂の前に立ち踊り、かっかっと大笑いして言います、「菩薩(bodhi sattva の漢音訳のこと、英訳 buddha being (ほとけを体現するもの) )さんたちはご飯を食べに来なさい」
雪竇は言います 「こんなようすだけれど、金牛はただの人の好いおじさんというわけではないのですよ」
ある僧が長慶和尚に質問します 「むかしの人が言う、菩薩さんはご飯を食べに来なさい、というのはどんな意味なのでしょうか? 」
長慶は言います 「ふるまいご飯に呼ばれたときに、ほとけの功徳をホメたたえるようなものですよ」。
白雲影裏笑呵呵、兩手持來付與他。
若是金毛獅子子、三千里外見訛。
白い雲の影を見てかっかっと笑い、両手で持ってきたものをみなに与えます。
もしこれが金色に輝くライオンならば、はるか三千里のかなたにそのボンヤリとしたものを見ることでしょう。 』 つうか、みな、2ちゃんねるで自分の好きな話がしたいだけなのにな
まことが、いちいち、何癖をつけていた 何度かおまえに言われているけど、ネタんでいるように見えるよな! そのとおり
たがら
まことはオレ様に嫉妬してんだよ
は、そのときに生まれた言葉だ >>696
☆彡 メシはみんなでたのしく食ってこそ、うまいんだよなぁ〜♪ 精神病院、も、大昔からまことは使っている
ちなみに、元祖は私に対してだ 精神病院、も、大昔からまことは使っている
ちなみに、元祖は私に対してだ 夢は、脳のデフラグ とも言われるし、
夢の中の登場人物は誰であっても、自己、自己の投影と言われる。
なので
夢は
無我を言う禅とは対極にあるものではないだろうか。
忘我、とも言うしね。 つうか、その言葉、最初はまことは使ってなかった
病院に帰れ
と、オレ様がまことに言ったことから始まったんだよ なんだ!
元祖はおまえか!
まことのバカのひとつ覚えは、おまえのパクりか! 碧巌録 第七十五則 烏臼、法道を問う
擧す。
定州和尚の會裏より來りて烏臼に到る。
烏臼問う、定州の法道、這裏と何似。
云く、別ならず。
臼云く、若し別ならずんば、更に彼中に轉じ去れ。
便ち打つ。
云く、棒頭に眼有り、草草に人を打つこと不得れ。
臼云く、今日、一箇を打著せり。又た打つこと三下す。便ち出で去る。
臼云く、屈棒を元來人の喫すること有る在。
身を轉じて云く、爭奈せん杓柄は和尚の手の裏に在り。
臼云く、汝若し要せば、山汝に囘與さん。
近前って臼の手中の棒を奪い、臼を打つこと三下す。
臼云く、屈棒、屈棒。
云く、人の喫すること有る在。
臼云く、草草に箇の漢を打著す。
便ち禮拜す。
臼云く、却って恁麼にし去れり。
大笑して出づ。
臼云く、恁麼を消得す、恁麼を消得す。
鳥臼 「和尚という存在はこのようにして去っていくのです」
僧が大笑いして出ていきます。
鳥臼 「消え去ることとはこのようにして得るものです」 』
呼べばそれはカンタンにやってくるけど(棒で打つことで連れてくるのはなかなか難しいことです。
たがいに呼び合うこころの働きを槍先に見立て、仔細に観察してください。
何万年も硬いままだった石でも、なお壊すことはできるし、よどんだ深い場所にその乾いたものがあるように見えます。
烏臼老人や、また別の烏臼老人、いったい何人いるのでしょう。
他のものに棒の握りを与えることは、ただ端っこという境目がなくなることなのです。 』 いや、病院に帰れ、は、資格全般5ちゃんねるでの言葉だ
オレ様が真似て、まことにが真似て、なら、当時、まこと以外に
誰かいたことになる 資格全般5ちゃんねるで使われていたなら
まことが使っていたとも考えられるんじゃないか?! 第七十五則 【烏臼屈棒】 うきゅうくつぼう
ある僧が、定州和尚の説法を聴いてから烏臼和尚のもとにやって来ます。
烏臼は質問します 「定州が説法で言うことは、ここと似ていますか? 。
僧 「同じです 」
烏臼「もし違わないのならば、これ以上は向こうに帰り去れば良いでしょう 」 そう言うとすぐに僧を打ちます。
僧 「棒の先にほとけの眼があり、たくさんの師匠のなかでこんな風に打つ人ははじめてです 」
烏臼 「今日はなかなかしっかりした者を打つことができたな 」 そう言ってさらに三回打ちます 。
僧はすぐに出ていきますが、烏臼は言います 「むかしから棒がしなるほどに打つというのは、それを受けているダレかがいるからなのですよ 」
僧は振り返って言います 「そうはおっしゃっても棒の握りは和尚の手もとにありますが 」
鳥臼 「あなたがもし必要ならば、わたしがこの握りをあなたに回して渡しましょうか? 」
僧は烏臼の前まで近寄って鳥臼の手中の棒を奪い、鳥臼和尚を三回打ちます。
鳥臼 「なかなか棒がしなるな」
僧 「その棒を受けているダレかがいるのですね 」
鳥臼 「多くの人たちがこのダレかを打っているのです 」
僧はすぐに礼拝します。 そうとも考えられる
しかし、当時、一度しか使われていなかった そうとも考えられる
しかし、当時、一度しか使われていなかった 一度しか使われていなかったのなら、まことではないだろう
その後、多様するはずがない 碧巌録 第七十六則 丹霞、甚麼よりか來たると問う
垂示に云く、細かきことは米末の如く、冷たきことは氷霜に似たり。
乾坤に逼塞して、明を離れ暗を絶す。
低低の處も之を觀れば餘りあり、高高の處も之を平ぐれば足らず。
把住と放行と、總て這の裏許に在り。
還た出身の處有り也無。
試みに擧し看ん。
擧す。
丹霞、に問う、甚處よりか來たる。
云く、山の下より來たる。
霞云く、粥を喫し了る也未。
云く、粥を喫し了れり。
霞云く、粥を將ち來たりて汝に喫せしめし底の人、還た眼を具せしや。
語無し。
長慶、保に問う、粥を人に喫せしむるは、恩を報ゆるに分有り。爲什麼にか眼を具せざる。
云く、施す者と受く者と、二り倶に瞎漢なり。
長慶云く、其の機を盡し來たるに、還た瞎と成る否。
云く、我は瞎す、と道いて得しきや。
盡機不成瞎、按牛頭喫草。
四七二三師、寶器持來成過咎。
過咎深、無處尋。
天上人間同陸沈。
機を盡さば瞎と成らずと、牛の頭を按えて草を喫せしむ。
四七二三の師、寶器を持ち來たりて過咎を成す。
過咎深く、尋ぬるに處無し。
天上人間同じく陸沈す。 でも、正体がバレないように、あれこれ奔走していたよな!
その奔走が返って正体がバレてしまっていたこともあったよな! でも、正体がバレないように、あれこれ奔走していたよな!
その奔走が返って正体がバレてしまっていたこともあったよな! 第七十六則
【丹霞喫飯】 たんかきつはん
垂示にいわく、細かいことはくだけた米のかけらのようであり、冷たいことは氷や霜にも似ています。
迫り来る天地に閉じ込められようとするとき、明るいものを離れ暗いものを断絶します。
いちばん低い場所でもこれをよく観察すればまだ使える高さの余裕があり、いちばん高い場所であってもそこが平らであればまだ高さが不足していると感じます。
規律に従った生活と自由気ままなやりかた、すべてはもとからこの場所に有ったものであり、どこからかやって来たものではありません。
こんな話をみてください。
丹霞和尚が僧に質問します、「どこから来ましたか?」。
僧 「山の下(ふもと)から上がって来ました」
丹霞 「おかゆは食べ終わりましたか?」
僧 「おかゆは食べ終わりました」
丹霞 「あなたにおかゆを持って来て食べさせたその本質である人を連れて来たとして、あらためてその人はほとけの眼を備えているでしょうか?」
僧 「・・・ (無語)」
長慶が保福に聞きます、「おかゆを人に食べさせる者であれば、どちらかといえば恩を感じるべきだけど、ほとけの眼が備わっていないというのはどうしたことだろう? 」
保福 「食べさせる者とそれを受け取る者、二人供がめくらだろ」
長慶 「ことごとくがそのはたらきだから、めくらってことはないだろうに・・
保福 「めくらって言っとけば、ほとけが手に入るのかな」
すべてそのはたらきならばめくらとは成らず、牛の頭にまたがって草を食べます。
お釈迦さまから相承される多くの師匠たちがいて、宝物を大切にすれば大きな過ちとなり。
その過ちは罪深いもので、ほとけを探しても見つかることはないでしょう。
天上の人々も一般の庶民も、陸が沈んで見えなくなったように感じます。 』 碧巌録 第七十七則 雲門、餬餠と答う
垂示に云く、向上に轉じ去かば、以て天下の人の鼻孔を穿つべし。
鶻の鳩を捉うるが似し。
向下に轉じ去かば、自己の鼻孔は別人の手の裏に在り。
龜の殻に藏るるが如し。
箇中に忽し箇の出で來たりて、本來向上も向下も無し、轉ずるを用て什麼か作んと道うもの有らば、只だ伊に道わん、我も也た知る、が鬼窟裏に活計を作せるをと。
且道、作麼生か箇の緇素を辨ぜん。
良久して云く、條有れば條に攀り、條無ければ例に攀る。
試みに擧し看ん。
擧す。
雲門に問う、如何なるか是れ超佛越の談。
門云く、餬餠。
超談禪客問偏多、縫罅披離見也麼。
餬餠來猶不住、至今天下有訛。
超談の禪客問うこと偏に多し、縫罅披離たるを見るや。
餬餠來みて猶お住めず、今に至るも天下に訛有り。 まことは、自分のトラウマで人を罵るからな!
その「粘着」も相手に罵るよな! レベルが低い、とかよくホザくが、結局
まことの強さの理論って、粘着なんだよなあ 第七十七則
【雲門餬餠】 うんもんこびょう
「越の説法を聞きたがる禅僧に、のり餅、と答える」
垂示にいわく、もっと上のレベルに行き着くことができれば (向上轉去)、それを使い天下の人々に鼻の穴を開けることができ (可以穿天下人鼻孔)。
それははやぶさがハトを捕まえるようにあざやかです (似鶻捉鳩)。
または下のレベルに落ちて行けば (向下轉去)、自分の鼻の穴はだれかほかの人の手の中に移ってしまい (自己鼻孔在別人手裏)。
亀が自分の甲羅に隠れているように不自由なもの (如龜藏殼)。
自分の中に自分がなくなり道というものがあらわれ出て来れば (箇中忽有箇出來道)。
もともと上にも下にも向かう必要は無く (本來無向上向下)。
これをうまく転がしてなにをするのでしょうか (用轉作什麼)。
ただこの道なるものに向かえば (只向伊道)。
わたしはあなたが鬼の住む洞穴に向かって無駄な努力をしていることを知ります (我也知爾向鬼窟裏作活計)。
そこでさらに言ってください (且道作麼生)。
白か黒かについて議論し (辨箇緇素)。
良い感じのフンイキを出しながら言います (良久云)。
はっきりと刻まれた溝があればそこにしがみついて登り、なにもなければ似たものを利用します (有條攀條無條攀例)。
たとえばこんな話があります。
僧が雲門和尚に質問します、「お釈迦さまや、だるま大師さえも超えた説法というのはどんなものでしょうか? (如何是超佛越祖之談)」
雲門 「べたべた餅だよ (餬餠)」
超越の説法を聞きたがる禅僧はわりと多く、せっかく縫い上げたものにひび割れが入り開いて離れてしまうのを見るようです。
のり餅と言われてもなおその意味がわからず、今の時代になってもまだこの世界にはその濁ったようなものがあるのです。
☆彡
この田舎の町の中を縦横に走る小路(こみち)も、遠く 都(みやこ) 長安(ちょうあん)に通ず。なり。 ロクにイシヤに言い返せないくせに、やたら粘着していたよな!
それが勝利だと思っている書き込みだったよな! 結局、まことの理論だったら、完全にオレ様に完敗しているな 結局、まことはおまえに敵わなかった!
それで良し! 碧巌録 第七十八則 十六開士の入浴
擧す。
古え十六の開士有り、浴の時に、例に隨って入浴するや、忽と水因を悟る。
禪、作麼生か他の妙觸宣明、成佛子住と道えるを會する。
也た須らく七穿八穴して始めて得し。
了事衲消一箇、長連牀上展脚臥。
夢中曾悟圓通、香水洗來驀面唾。 まこと君
文面を読んでもらえない
つらいのう
つらいのう まこと君
文面を読んでもらえない
つらいのう
つらいのう 第七十八則 【開士入浴】 かいしにゅうよく
そのむかし十六人の坊さんがおりました 、風呂に入るときのこと、いつもの通りに入ると 、なんとなく水があることがわかりました 。
これらの禅僧はそれに出会ってなにを感じたのでしょうか 。
べつの言い方でこの不思議なひらめきをわかりやすく説明してください 、それはすぐにではなくても、一を聞いて十を知るような理解で始めて得られるものです 。
そのことがわかった禅僧は自分というものが消え去ります、長く連なった床板の上に足を伸ばしてうつ伏せになります。
夢の中では、かつてその完全な教えと行き来した悟りを説法したことがあり、まっすぐにつばを吐きかけられたあとに、香水で顔を洗ったような感じがします。 』
☆ 空を言う。 碧巌録 第七十九則 投子の一切聲
垂示に云く、大用現前して、軌則を存せず。
活捉生擒して、餘力を勞せず。
且道、是れ什麼なる人か曾て恁麼にし來たる。
試みに擧し看ん。
擧す。
投子に問う、一切の聲は是れ佛の聲と、是なり否。
投子云く、是なり。
云く、和尚、沸碗鳴聲すること莫れ。
投子、便ち打つ。
又た問う、言及び細語、皆第一義に歸すと、是なり否。
投子云く、是なり。
云く、和尚を喚んで一頭の驢と作して得しきや。
投子、便ち打つ。
投子投子、機輪無阻。
放一得二、同彼同此。
可憐無限弄潮人、畢竟還落潮中死。
忽然活、百川倒流鬧。
投子、投子、機輪阻むもの無し。
一を放って二を得たり、彼に同じく此に同じ。
憐むべし限り無き潮を弄する人、畢竟還た潮の中に落ちて死す。
忽然活せば、百川倒に流れて鬧たらん。 第七十九則 【投子一切聲】 ずしいっさいじょう
垂示にいわく、その自由に使いこなせるものはすでに目の前にあり 、しかもその痕跡はありません 。
動き回る状態でとらえ生け捕りにします 。
力を使わず余力だけでよく。
そして言います、これはどんな人なのでしょう。
かつてそのようにしてやって来たものとは
、それはこんな話なのです。
僧が投子和尚に質問します、「すべての声がコレであるとすれば、仏の声はコレなのでしょうか、またはそうでないのでしょうか? 」
投子 「それですよ」
僧 「和尚はおならをしないでください、飯わんがカタカタいってしまいます」
投子はすぐに僧を打ちます。
僧はまた質問します 「大ざっぱな言い方にしろ細やかな解説にしろすべてそのたったひとつの意味にもどると言われますが、そうなのでしょうかまたは違うのでしょうか?」
投子 「そうですよ」
僧 「和尚を一頭のロバとして呼んでみたらどうでしょう?」
投子はまた即座に僧を打ちます。
投子和尚、投子和尚、その心のはたらきが動き回ることを阻むものはなく、一つを放てば二つのものを得て、あれも同じでこれも同じ、楽しそうに果てしない潮の満ち干で遊びます。
それでも結局潮の中に落ちて死んでしまい、ボンヤリとしながらもハッと気ずけば、無数の川が轟音をたてて流れ込んできます。 』
☆彡 修行僧が4問し、投子が4答す。
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)が ここでは、おなら・・・(≧ω≦ )プププ >>683
修行してる人間から批判されてる訳だが 馬鹿なのか?(o^∀^o) 鬼和尚より、
弟子の方が優秀なんじゃないか。
(^_^)/ >>733
∞ノノハ∞
川^〇^ハレせんがいぎぼんさんのブッ!の方が分かりやすいポイだおwww >>738
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそれキチガイが前提だと鬼バカモン妄想ジジイには敵わないでしょうおwww >>740
なんでそんなにガラが悪いのですか?
いつからヤンキーになったのですか?
生まれながらヤンキーだったのですか? >>741
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ環境かももwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>問者 「作者は、仏道とはどのように参究すべきでしょうか?乞尊意」
首座 「かつての祖師方は、”仏道は自己なり”と、申されております」
問者 「それはいったいどのような意味でしょうか?」
首座 「宇宙といえ、世界といえ、全ては六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に現成する法の働きであると知ることです」
問者 「中々、ならば”私が在る”という根強い想いは、一体 どうすればよいのでしょうか?」
首座 「”私が在る”という想いを抱けることが、そのまま自己の空性を実証してくれています。」
問者 「”自己の空性”とはどのようなことでしょうか」
首座 「朱色に染まるものは、元々朱色ではないが故に、朱色に染まることができています」
問者 「珍重」
首座 「万歳」 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ逆バージョンがイングリッシュマン イン ニューヨークかなおwww >>744
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ白無垢www
ワロタwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレお色直し4回もやってwww
ご主人様も必然的に3回お色直しさせてしまったからなおぉ〜〜〜www
御一同様アングリだったかもねお www
でも皆様満足してたポイwww >>748
∞ノノハ∞
川^〇^ハレどこの田舎から来たんだおwww
訛ってるだおwww 元々の自分は空だとしても
いま、肉体とか思いとか対象とかは、縁によってあるよね
それが我がものではないとゆーても
いま、その空なる我が、様々な条件によって、こう、現れてきてるものが、それは、実のところ究極的には、名もなく形もないとしてもさあ
ちゃうん? 自分と呼べるものは、どこを探してもなくても
その、ないのは、自分と呼べるものが、ないんだし
まあ、それに、対象とかも、縁だから、なんも、そんな確固としたものはなくても
その、なきもの、空が、なんちゅうか、こうゆうふうに、たくさんの縁によって
不可思議に現れて、変遷しててみたいな >>751
>元々の自分は空だとしても
ここで既に躓いてますよ。 >>753
そうなの?
元々とかゆったら、自分と離れて空ってもんがあるみたいやからとかなんかなあ
謎じゃが
空性だと、ゆーてみても
その空性の、現実が、リアルにあるわけで、、、
うーん、ようわからん お父ちゃんもお母ちゃんも
空性だから実体はないっちゃないけども
だけど
その空性のお父ちゃんやお母ちゃんと
一緒にメシくったり
文句言い合ったりできるわけやん うーん
コーヒーのんでるけど
このカップは空だから、おっことしたりしたら、バリンと割れて、破片になるけど
道元さんとかだと、カップが割れて、粉々の破片になった変化したとはゆわんとか
カップはカップで、破片は破片として、また、法の姿と
こーゆーのを人間に当てはめると、この空とゆーものが、我の本性だとすると
このカップも、破片も、肉体も、思いも、世界も
なんちゅーか、ぜんぶの現れが、その無我なのじゃ
みたいなんちゃうん ハジが思うてんのは
これだと表裏のあるような、現実の裏側に
空なる真理の世界とか、真我とか、大いなるなんちゃらがあるんや
とかとちゃって
いま、リアルにある現実、そのものこそが空なんや
リアルが仏教してるんやとゆー >>751
もし有が真実なら永久に有でないとそれが有だとは認められない >>759
元もなければ、終わりもないとかもゆーてるやん 悟れないバカ恥じ、が言う、ことである。大爆笑である。 >>762
悟りは修行せんと無理やけど
頭で悟りの理解を得ることは、難しいことではないやろ 764.AIの時代である。
簡単に悟る、べし。
大爆笑である。 >>764
もう悟っとるやん
バカだから(´・ω・`)笑 ハジ君と野良さんの対話を
聞いてみたい。
悟りを開いた人の談話室10
( ^-^)_旦〜どうぞ
(^_^)/ >>743
宇宙とか、世界とか、茫洋とした概念では何かをズバリを言い出すことができないから、禅を語る時、まず使わない単語だと言う事は、よくよく気を付けようよ。
具体化すること、わたしだけの風景を語りだすことだね。
そんも悪例がコピペでしか、他人の言葉でしか、なに一つとして言えないイヌヤマに成り下がるよ。 >>771
訂正
そんも悪例がコピペでしか、他人の言葉でしか、なに一つとして言えないイヌヤマに成り下がるよ。
↓
その悪例がコピペでしか、他人の言葉でしか、なに一つとして言えないイヌヤマに成り下がるよ。 >>747
未婚の母なのに、なぜお色直しを?
特攻服、ギャル服、白衣コスプレ、キャバ嬢コスプレか? >>774
おい、ズラの位置がズレてるぞ!?
wwwwwww >>774
つーか、ハゲ珍って披露宴に自家農園で作った屑野菜を出し勝手に解説を始めて、周囲の失笑を買うタイプじゃね? >>774
>特攻服、ギャル服、白衣コスプレ、キャバ嬢コスプレか?
これを思い出したわw
(椎名林檎 りんごのうた)
https://youtu.be/g-gu3YZzsEQ コスプレに偏見でもあるんか?
この仏教コスプレが(´・ω・`)笑 馬子にも衣装とは云うが
麦が花嫁衣装を着たらあかんやろ 禿げのヅラは
大山君の仏教用語ほどあかんやろ。
恥ずかしすぎ。
俺みたいなナチュラルホワイトメッシュがカッコええ >>774
∞ノノハ∞
川^〇^ハレお前もホラ吹きスレ行ってろだおwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています