【仏教】 悟りを開いた人のスレ310【天空寺】
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>>73
「ある」とか「あり」ってどうしても「有」を想起してしまいますよね。
もちろん、五蘊皆空との受け止めです。 如虚空淨心 常明無轉變 爲虚妄分別 客塵煩惱染
虚空のような浄心は 常に輝いて転変しないが 虚妄分別のために
たまたまの煩悩に汚されている >>90
しかも刹那生滅してますからね。
「これ」とも言えない。「こ」と言おうと思ったときにはもう無い。
黙っているしかない。 >>74
なるほどですね。
私は、体・用・相の概念を借りて理解が進みました。
婆さんに席を譲るのは分かっていても(衆生本来仏なり)、でも、実際に譲らないと(本証妙修)、ね。 三界流浪の凡夫のならいは、すべてこの苦楽の間をのがるることあたわず。 大いなるかな苦楽の二受。
三界一切の衆生、その中におぼれて、ついに出る事あたわず。 >>93
まぁ、禅宗だと「行亦禅坐亦禅 語黙動静体安然」ってなります。 このことわりをよくさとりて苦楽の二つをこえぬれば、第二の受蘊のまよいをはなれて、涅槃の大楽にいたるなり。 >>12
>>ま仕上げた人の言葉以外は自分の思考考えは魔物として見たほうがいいです。
もうひとつ。。
これはカルトの考えだな。。
最終解脱者以外の考えは全部悪だ、魔のものだ、衆生はみんな悪だから、サリンまいて全員殺しちまえ〜。。
と同じだわ。。
その逆が、学道用心集「他の証に従い去るべし」。
こんなこと、おれはできんけど、誰もが各自の法を説いているのだから、それに従いきりなさいと。。
これも、理としてはその通りなんだわ。 もうひとつ、言葉は全部妄想とか、言語化すると誤るというのは違う。。
言語は月を指す指だ。。
月のありかがわかれば語れる、月を見ても語れる。
これらの言葉なしに、月を見るということはできない。。
なんかもう言ってることがメチャクチャなんだよ。。 >>107
そうかそうか〜、と言ってればいいんじゃない?w われわれの常識的な感覚からいうと、事物たとえば机があるとすると、
その机を認識する私と認識される机とを区別して考える。
つまり主観である私(我)と客観である机が別々にあって、主観が客観を捉えると思う。
唯識思想は、それが間違いだという。そのような心の働きを分別といい、
主観と客観を別々に捉えることは「虚妄なる分別」だという。
それをもたらすのは、言葉が生み出す概念にすぎず、主観(我)も客観(机)も、
心=識の中では一体となっているのである。それが、アーラヤ識によって
自我意識や表象(形象)として顕在化したものにすぎず、実在するものではない。
すなわち、識=心は「虚妄なる分別」であって真実にあるのではない。
それは、アーラヤ識に支配された、自我と物に執着する煩悩の世界でしかない
のである。繰り返しになるが、そこには自我も物質も実在しないのである。 虚妄なる分別」だという。それをもたらすのは、言葉が生み出す概念・・
う〜〜ん^^
またおいらのまねしやがった^^ >>47意味不明
>>74意味不明。。
セッタン派は鏡と戦うってどういうこと? >>108
月という文字を見て月を思い浮かべることと、実際に月を見ることは違うのですか^^ 「虚妄なる分別」だという。それをもたらすのは、言葉が生み出す概念にすぎず、
言葉が世界をつくったとか・・
まずことばありき・・とか
あったな・・^^
だれだったっけ^^ >>114
すまん、変なこと聞いてしまった。
理解できなくてゴメンなさい^^ >>117
いや、わからんのはわからんでいいんだよ。。
夕みたいに勘違いしてるのが一番良くない。。w >>112
>セッタン派は鏡と戦うってどういうこと?
ろんさんどーもです。
確かにその言葉は意味不明ですw
だいたいせったん派とか、誰がそんなの作ったのか。 >>118
自分自身も言語に過ぎず実在しないという意味ですか^^ 言葉は現実を造り出す^^
いいこというね・・^^
突っ込むところがあるとすれば・・・^^
それは虚妄の世界であると^^ 「はじめに言葉(ロゴス)ありき。」
聖書のヨハネの福音書の冒頭の言葉か・・・^^ 「はじめに言葉(ロゴス)ありき。」
言葉は現実を造り出す^^
う〜〜ん^^
虚妄分別のはじまりか・・・^^
「はじめに言葉(ロゴス)ありき。」
「次に煩悩ありき。」
こうなるな^^ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>120
ですね。。
>>121
世間的な肩書とかで自分を見ている、それが自分と思っているなら、それは言語、観念にすぎないかもしれない。。
でも、そういう言語観念忘れても、自分自身は残るでしょ。。
自分はこうだという、思い込みを全部忘れてしまっても、自己自身は残る。。 >>119
現実とは、「ことば」を使って頭の中で作られる社会のことか。
フムフムそうかも知れんなあ^^ うん〜^^
リンゴを食べたとかあったな・・^^
すると・・・
「はじめに言葉(ロゴス)ありき。」
「次に煩悩ありき。」
こうなるやないけ・・^^
みんなおいらのまねしておる^^
困った^^ >>127
>自己自身は残る。。
それが究極の生命というやつかも^^ 分別の何が悪い?
好き嫌いの何が悪い?
麦さんにしてもそうだが、無分別を履き違えてる。
『三祖大師信心銘』
大拙博士曰く、禅の要旨はこれに尽くされてるそうな。
至道無難、唯嫌揀択
道に至るに難しい事はない、ただ選り好みする事を嫌うのである。
選り好みしないって事に執して、どないすんねん。それが、選り好みだろうが。
妄想を除ず、真をも求めず。
好きなモンは、好きじゃ。
無我というゴール目指して頑張ってますぅ?阿羅漢になる?はぁ?
禅かテーラワーダかって?アホくさ。
眼開いとるか?
まぁ、どっちかに絞って師を探した方がいいと思われ。独学は拗らせたらヤバイよ。菩提心次第か。 >ブッタの何のために法を説いたのか。
>苦を除くための教えだと思うのですが。
俺の文章の内容はともかく、上記が主だろ。
俺は語録よまないからね。
金剛般若経ベース アダムとイブが善悪の実であるりんごを食べて楽園を追放されます・・・・^^
善悪つまり言葉による虚妄分別から煩悩が生じる^^
なかなか奥がふかい^^ 言葉は分別にすぎない。
なら無分別智って、アウアウアーのガイジになれってこと^^ アダムとイブが善悪の実であるりんごを食べて楽園を追放されます・・・・
楽園って涅槃のことやな・・^^ >>130
いや、究極の生命とかは忘れろって。。
また草加に入信したいの?w
>>132
至道無難、唯嫌揀択
道に至るに難しい事はない、ただ選り好みする事を嫌うのである。
この口語訳は間違いに近いね。。
外の事象について、検尺するなということじゃないよ。。
それだと、妄想を除くことになってしまう。。
じゃなくて、今の自分がどうであろうが、是非善悪、好悪するな、ということだ。。
そうすれば、真を求めず、妄を除かずとイコールになる。。 そもそも、因果、無常、無自性、空、無我が法であるなら、この法から外れるものがどこにあるのか?
すべてが法である。
すべてが法であるなら、除くべき、取るべきがあろうはずはない。。
だから、取捨するな、取捨は誤りであると言われる。。
もちろん、これで終わりではないけど、この理(平等)は理解する必要がある。。
これは別に難しいことじゃないから。。
これがわからんのなら、止めた方がいいね、特に禅は。。
テーラワーダとかに行った方がいいわ。。
スマ長老に教わるべきかもだ。。w 輪廻の主体をめぐって
ナーガセーナにとっては、仏教の輪廻を理解させるうえで、ミリンダ王に対して二重の壁を前にしたようなものであったといえる。
一つの壁は、インドに伝統的な輪廻の思想をまず理解させること、もう一つの壁は、輪廻の思想を認めつつも、
その主体や霊魂の存在を否定し、無我を主張する仏教の輪廻観を理解させること、その二点です。
一つの壁は簡単。
二つめの壁にに関して
※中村元博士によると、この問題は二つに分かれ、
<第一の論点>は、人の死後や生前に関係なく、ただ現世の現象だけにかぎって、はたして人格的個体が同一のものとして存続しているかどうか、ということです。
<第二の論点>は、人格的個体、あるいは霊魂が死後においても同一性を保ちつつ存在するか否か、またこの世に生まれでる前にも現在の人格的存在と同じ実体として存在していたか否かということです。
※輪廻を認めるかぎり、第一、第二の二つの論点は同じことの二つの側面です。
第二の論点が過去、現在、未来の三世を一貫する問題であるのに対し、第一の論点は、それを現世に集約して論ずる視点です。
しかし、双方とも切り離すことのできない密接な関係にあります。
第一が成り立って、第二が成り立たなければ、その論は論理的矛盾に陥るし、その逆の場合も同じです。
仏教の無我説による輪廻論がいかにして、この二つの論点を矛盾なく通過できたかを検討するのは、じつに興味ある問題だと思う。 >>141
あらら、あなたは珍しく、物分かりが早い。。w −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ナーガセーナ:「子どものときのあなたと、いまの成人されたあなたとは、同一人ですか?」
ミリンダ:「尊者よ、そうではありません。かつて幼く若く愛らしく仰臥していたときのそのわたくしと、いまの成人したわたくしとは異なったものです」
ナーガセーナ:「大王よ、もしもそのとおりであるならば、〈成人したあなたには〉母というものも無いことになるでしょう、
父というものも無いことになるでしょう、(中略) また悪い行為をなす者と〈その悪い行為に対する罰として刑を受けて〉手足を断たれる者とは別のものなのでしょうか?」
ミリンダ:「尊者よ、そうではありません。しかし、あなたはこういうようなことを言って、いったい何を説こうとなさるのですか?」
ナーガセーナ:「大王よ、わたし自身かつて幼く若く愛らしく仰臥していましたが、そのわたしがいまは成人しています。
実にこの身体に依存してこれらのすべてのく状態>が一つに摂せられているのです」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※最初に、幼い時の状態と成人した時の状態が同一人かと聞き、異なったものであるとの答えを引き出しておいて、こんどはその答えでいくと矛盾することを、
いくつかの例によって明らかにしていく。ミリンダ王の頭が、混乱してくるようすが手にとるようにわかるね。
結局、ナーガセーナの答えは、同一でもなければ異なったものでもない、という仏教の「不一不異」の教義にあたるわけです。
これはまさに仏教独自の論理といってよく、西洋的思惟方法から生まれた形式論理学では収まらないものです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) そこをナーガセーナは、たしか「焔の譬え」を用いて納得させていきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「大王よ、たとえば或る人が灯火を点じた場合に、それは夜どおし燃えるでしょうか?」
「尊者よ、そうです。夜どおし燃えるでしょう」
「大王よ、初更の焔と中更の焔とは同一なのでしょうか?」
「尊者よ、そうではありません」
「中更の焔と後更の焔とは同一なのでしょうか?」
「尊者よ、そうではありません」
「大王よ、それでは初更の焔と中更の焔と後更の焔とはそれぞれ別のものなのでしょうか?」
「尊者よ、そうではありません。同一〈の灯火〉に依存して焔は夜どおし燃えつづけるのです」
「大王よ、事象の連続("個体)はそれと同様に継続するのです。生ずるものと滅びるものとは別のものではあるが、〈一方が他方よりも〉前のものではないかのごとく、また後のものでも
ないかのごとくにくいわば同時のものとして〉継続しているのです。こういうわけで、それは同ならず異ならざるものとして、最後の意識に摂せられるに至るのです」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
仏教が「無我」という表現によって示そうとした当の実在を、私たちは究極の生命として捉えるわけですが、生命の問題として、この部分を考えれば、より明確に理解できるように思う。
仏教は人間ならびに自然の事物現象を、「なる」ものとして、現われるままに如実に知見する思惟方法をとった。
つまり、一種の現象学的な方法であったといえる。
したがって、人間存在についても、人間をさまざまな現象、事象の現われと捉え、それらの絶え間なき連続が、人びとに一定の人格のイメージを与えるにすぎないとしたのです。 −−−−−−−−−−−−−−−
「尊者ナーガセーナよ、次の世に生まれかわるものは何ものなのですか?」
「大王よ、実に名称・形態が次の世に生まれかわるのです」
「この〈現在の〉名称・形態が次の世に生まれかわるのですか?」
「大王よ、この〈現在の〉名称・形態が次の世に生まれかわるのではありません。大王よ、この〈現在の〉名称・形態によって、
あるいは善あるいは悪の行為(業)をなし、その行為によって他の〈新しい〉名称・形態が次の世に生まれかわるのです」
「尊者よ、もしもこの〈現在の〉名称・形態が次の世に生まれかわるのでないならば、人は悪業から免れることになるのではありませんか?」
「大王よ、もしも、次の世にまた生まれることがないならば、人は悪業から免れるでありましょう。大王よ、しかしながら〈実際には〉次の世にまた生まれるが故に、悪業から免れないのです」
−−−−−−−−−−−−−−−−
※ここにいう名称・形態とは周知のように、名称が精神、形態が身体にあたる言葉です。
ここで、業の問題が出てきましたね。ナーガセーナはあくまで無我説のうえに立って、名称・形態が次の世に生を結ぶことを主張している。
そして、次の世に生を結ばせる原動力が、前世における名称・形態による業であると述べています。
つまり、仏教では、人間は現象してくる五蘊の法が輪廻することを認めるのであって、恒常的な実体や霊魂を否定しているのです。
五蘊の法は、まさに、変化しつつ連続しているのですが、その間になす業(行為)によって、次の世の五蘊を結ばせる、といっているわけです。
仏教の無我による輪廻説を理解するには、不一不異、つまり、一ならず異ならず、という考え方を基調にしないと、わからないということです。
それと同時に、生死、生死と繰り返していく、その根本の原動力としての業の考え方です。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>143
究極の生命であれば論理的矛盾に陥りません^^ >>132
捉われるということも捉われないということも捉われない。
ブッタの何のために法を説いたのか。
苦を除くための教えだと思うのですが。
険しい道のりだね。 仏法の理解は、ゴチャゴチャした専門用語の羅列ではなく、こうした対話形式の方が断然、分かりやすいね。 >>142
独学でなんか体験して、勝手に判断下して一喜一憂、いま自分は預流果でっせw
当然スマナサーラ長老は阿羅漢‼
これってさ〜、某真理教にそっくりだよなw >>147
業が止まれば輪廻も止まるんですか。
どうやって止めるんですか。
南無妙法蓮華経?^^ 157 夕 ▼ New! 2018/08/10(金) 18:00:05.31 ID:a22kwnoB [16回目]
>>15
あまりお経読まないの?
間違い
157 夕 ▼ New! 2018/08/10(金) 18:00:05.31 ID:a22kwnoB [16回目]
>>155
あまりお経読まないの? 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) ごめんなさい。一瞬マジで壊れたのかと。お経の本も積んでますよ。これからこれから。 >>152
「業が止まる」という意味〜っ?
たぶん「どうにも止まらない」んでしょうね。(By 山本リンダ) ひゃっはあ!水だー
食料もたっぷり持ってきやがったぜえ
こ~~~~~んなお経まで持っていやがった
今じゃケツを拭く紙にもなりゃしねえってのによぉ 夕も、ここに来たら惑うばかりだぞ、
童天も含めて笑。 >>166
そうですね。
支店長の言うこと聞きますわ。 >>162
どうにも止まらないのなら創価学会では輪廻から解脱できないと教えてんの^^ でおーさん、雪担老師隠れ蓑に自己正当化醜いですよ。論語読みの論語知らず。
夕さんや、でおーさんって窮したら、すぐにセッタンがー、だもんな〜♪( ´▽`)
老師関係なかろー? >>167
ここのスレ以外は大丈夫だ扱いで笑。
ほんと、電波だし思考好きな阿呆だらけ、と見たほうがいいぞ笑。 >>169
曹洞宗禅のほうが説明しやすいからな。
童天のどことなし怪しい話よりも笑。 派閥根性丸出しでみっともない。
一人じゃなんも出来ん。だから、ジャンキーさんにへばりつくんだ。
9時に消えるんだよな? 986junkie- ooyama.2018/08/10(金) 12:41:32.77ID:naA610GJ>>990
>>899
「大悟三度、小悟その数を知らず」と云いますが、前の悟りはまだ浅かったというんです。
大拙さんも、体験の言語化でより一層深化すると仰ってました。
まぁ、見性すると多少は出来上がるんで、坐禅をやめてしまう方もいますけどね。
私も一時期そうでしたがw
後々、「公案を途中でやめたらダメだ」と和尚に言われましてね。「禅を捨てたの?」とかもね。
ある時、ふと思うところがありましてね。
それ故に、見性後も師家に参禅し経論からも学んでるんです。
996junkie- ooyama.2018/08/10(金) 13:10:18.90ID:naA610GJ
独学は毒学です。
ある程度仕上がるまでは師について学ぶべきです。 >>173
叩けばホコリがでたな、自称怪しい覚者様、
色んな妄想が起きているようで、ごくろうさまでござる笑。
本性をあぶりだすのは面白いな。 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1531569179/l50
恥に怯えて、スレを埋める糞凡夫=ジャンキー
その後
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1533799421/l50
13偽和尚 ◆qH7QdQmFhM 2018/08/09(木) 20:29:15.13ID:jev+7Jc7>>15
>>2
なんかその後名前欄に「糞凡夫」と入ってる新IDの書き込みが9つ続いてスレが終わった。内容はカウントダウンのような数字だけだった。
早く終わらせたかったのかねえ。
19マジレスさん2018/08/09(木) 22:32:14.67ID:wU/Z02mO>>20
>>17
糞凡夫さんはいつもお前がお前がのオウム返しの条件反射レスなんだよな
23マジレスさん2018/08/10(金) 00:09:11.38ID:QijmPSs2>>24
荒らしに指摘したところで自分が荒らしと同レベルに
なってしまうことに気づいたよ。荒らしに構うのは健康に悪いね
24マジレスさん2018/08/10(金) 04:38:10.42ID:htJ8xUyy
>>23
キチガイは正常な思考回路をしていませんからね。
糞凡夫に更生を期待すると損ですよ >>154
業を生まなければ輪廻は止まります。
善い事も、悪い事もしなければ業は生まれません。
善い事、悪い事は分別から生まれます。
分別は無明から生まれます。
無明を滅ぼすには、渇愛を無くさなければいけません。
渇愛を無くすのが四諦八正道です。 >>175
いつ僕、覚者(笑)とやら名乗ったの?ん?
仏像が合掌迫ってくる幻覚見て施設入りの貴方にゃ誰もかなわんだろ。
施設入居者にヘコヘコしてる奴も大概面白いが(笑)
キチガイが老師持ち出そうがキチガイは治らん。
まぁ、暑さに気を付けてください。さよなら。 >>174
自分で作った言葉に遊ばれてるな
笑うしかないわ あの恥ずかしい覚者宣言のブログは消したのかな?
あれは、ほんと詐称だったんだな笑。 俺なんざ、悟った宣言ブログなんて、よう作らんわ笑。
至らぬ発見ばかりだからな笑、
貴重な童天レス、いいぞ。下記
178神も仏も名無しさん2018/08/10(金) 18:32:49.09ID:h4HHSosD
>>175
いつ僕、覚者(笑)とやら名乗ったの?ん?
仏像が合掌迫ってくる幻覚見て施設入りの貴方にゃ誰もかなわんだろ。
施設入居者にヘコヘコしてる奴も大概面白いが(笑)
キチガイが老師持ち出そうがキチガイは治らん。
まぁ、暑さに気を付けてください。さよなら。 >>179
ひきこもりジャンキー君の脳内の空想でしょう笑。
即キレのジャンキー君が、他人から学ぶ能力は無いでしょう笑。 でもジャンキー君は根性あるでしょう。
知識量はすごいと思いますよ。 >>177
それはオウム真理教になりませんか?
業が生まれる前にポア、殺してしまえと^^ >>183
ジャンキー君の敗北感、劣等感への恐怖は筋金入りですから、
その埋め合わせの知識とファイター魂があるのでしょう笑。
敗北感、劣等感への恐怖がレスの動機ですから、それの永久輪廻の根性笑。 >>184
渇愛は、五感に対する欲、生きていたい欲、死にたい欲です。
いきなり殺されたといっても、こういう欲はみんなあるでしょ?
この欲があるので、身体が無くなっても心は転生して、どこかにまた生まれる。 >>186
おたくが一番、このスレではバランスがいいが、
ジャンキー君の煩悩まみれ過ぎる問題点を怪しまなければいけないな。
ジャンキー君の煩悩まみれであれば知識があれども、それ自体が君の目標とする真理を知る、学ぶとは無縁ですからね。 >>187
でも世間には、仏教に興味もなく、金と女と酒に溺れている人が多い中、
仏教の勉強をしているだけでも好感が持てますよ。私は。 >>174
禅を捨てるって何?
1分前の考えですら今残ってないのに、残ってないからちゃんと考えて文章打てるんとちゃうん?
頭いいんだろうけど、だから自分の言葉遊びにはまってしまってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています