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--佛教論議の伽藍スレ-- 第二巻
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/01(水) 05:54:24.84ID:rYZcsElT
仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。

-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.コピペ・アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
   2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
    (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。もっと内容を一つに纏めてから投稿しましょう)
   3.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
   4.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主である私(宝珠真範)の判断で即刻、退場してもらいます。
   5.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
    (1950年の世界仏教会議にて決議した)
   6.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
   7.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
   8.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(レス番2の戒律と資料リンク含む)を変えないこと。厳守!!
 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。
0462宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/01(木) 10:40:35.05ID:HnW00csk
>>451
>石飛センセの方が、 「筋が」通って いるなw

読解力ないな...。
さすがのセブンも歳をとったか?
(まっ、お互いさまだけれどw)

>>457
一代も推奨の“直訳”の先生か...
はい、アンケート候補に検討しておきますよ。

>>455
【警告】
自分自身の言葉を語らず、
ただ黙々とコピペ転載やリンク貼りばかりしかしない者にも当スレからの退場を願う。
これも、当スレの戒律(マナーとルール)「条項」に加えさせて頂く!!

>>458
【警告】
あなたは条項4.に抵触しています。
二度と当スレに投稿して戴かなくて結構です。

真っ当な議論ではこの私に勝目がないものと分かると、
今度は、ただの荒らしへと成り下がるのが自称仏教徒の姿ということなのか?
0463神も仏も名無しさん
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2018/11/01(木) 11:51:32.94ID:9wT390ux
>>461
サンユッタニカーヤからの引用はその後の

真に力量ある人は、世間における名称を知って、言語表現だけのものとして、〔仮に〕そのような表現をしてもよいのである。

を入れないのはミスリードを誘うことになる
自分の都合の悪い箇所を削るのは卑怯というもんやで宝珠さん


(l.3.5)【敬わるべき人】(第三章 剣)サンユッタ・ニカーヤ I
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52183038.html
0464おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
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2018/11/01(木) 11:57:02.70ID:JwWbpypa
 
ID:CgQX8rBP師匠?
(宗教とかに興味がない人の)誤爆?
(あるいは)嫌がらせ?

牛丼とか書いてあるので

「坊さんが肉食べても良いのか?」とすれば
仏教議論になるかもしれない

宗教による制限

原始仏教では、比丘(僧侶)は糧(かて)をその日ごとで乞食(こつじき)することにより食を得
与えられた余り物の食べ物に肉が入っていようがなかろうが差別なく食べることになっていた
とくに南伝(上座部のパーリ経典)および北伝(大乗仏教)のなかでも古い経典においては
釈迦その人が肉食をしたことが記述されている
さらに、釈迦仏の弟子であった提婆達多が違背した原因は
提婆達多が菜食主義を戒律に含める主張を釈迦が明確に否定したからである
と記されているだけでなく釈迦が亡くなった原因は豚肉の食中毒であるとされている

生き物を殺す直接殺のみを明確に禁じ、間接殺においてはあくまでも貰い物の肉が
殺す所を見なかった肉
供養のために殺されたと聞かなかった肉
自分の為に殺された疑いの無い肉という「三種浄肉」であれば食しても問題はないとされた


おじゃるは
焼肉カルビも食べたい おじゃる
0465神も仏も名無しさん
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2018/11/01(木) 12:03:37.88ID:A2RY0UbZ
涅槃を覚知する、無為を覚知することはできない。
覚知するという行為がサンカーラ、有為になってしまうから。
だから涅槃には「なる」ことはできても「知る」「感じる」ことはできない。
自分、私が存在するという意識が全くなくなった状態が涅槃だから、以降その人には「慢」が無い。
慢が無いとは、私という存在は実在しないと知っているという意味。
私は実在しない、無我であると正しく知っているからこそ、「私が語る」と言ってよい。
なぜならそれは執着、苦しみを生まないから。
0466おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 12:12:34.52ID:JwWbpypa
 
無明に依存することのない
仏そのもの
般若の智慧と慈悲をもって
解脱智見

四神足をもって
円成実性をもって依他起性を見る

(無明に依存することのない)
このときにおいて

真に力量ある人は、世間における名称を知って
言語表現だけのものとして
〔(「仮設としての」という意味において)仮に〕そのような表現をしてもよいのである

↑こんな感じで おじゃりますな?
0467おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 12:45:32.64ID:JwWbpypa
 
>涅槃を覚知する、無為を覚知する

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352
上座部 パオ・セヤドー

阿羅漢たちは答えました
「もし、八定と五神通を証悟していないのであれば、あなた方は、どのようにして阿羅漢果を証悟したのですか?」


仏陀は言いました
「先に法住智、その後に涅槃を対象とする道智」
(解脱を知覚して、そして解脱智見を知る)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
(主体でもなく・客体でもない)涅槃の世界において

般若の智慧によって観照された対境としての一切法の真実絶対の姿を実相般若という

円成実性をもって → 依他起性を見る

https://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)

我所ではない・我でもない。と知覚して住むことである

(そして涅槃も知覚して住むことである)
0468神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 13:51:44.46ID:D0GNJCI0
>>467
>(解脱を知覚して、そして解脱智見を知る)

解脱智見

解脱すれば、解脱したとの智が生じ、
<わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。このうえ、もはや迷いの生を繰返すことはないであろう>
と知るのである。

これが解脱来た時の決まり文句っぽくなっている
0469ポッタン師
垢版 |
2018/11/01(木) 13:57:55.61ID:wWvyhRVM
468.それは迷信である。大爆笑である。
0470神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 14:10:11.48ID:A2RY0UbZ
となれば、涅槃にもある種の智慧、気づきが残っていることになりますね。
スッタニパータと矛盾するような気がします。
細かいことは気にするなという事でしょうかw

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?
おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、
名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」
0471神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 14:41:50.25ID:9wT390ux
>>470
宝珠さんに言わせれば名称と形態が残りなく滅びた場合、つまり涅槃において現象世界からの出離を覚知する主体は、
五蘊の何かじゃなくて真我アートマンである、ということになるんじゃないかな?
0472おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 15:15:11.31ID:JwWbpypa
 
(無明に依存することなく)
智慧をもって
識別作用が止滅した。と知覚して住んだときに
解脱智見を知る

阿摩羅識(あまらしき)
真我 = 真如、如来蔵

唯識学会
第九意識とは完全なる涅槃

という真如縁起としての対機説法であるけれども

ただし
中観帰謬の場合は
真我である。という『想い』も手放して逝く
0473神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 15:41:02.41ID:A2RY0UbZ
よく読んでみると、確かにブッダは智慧と気をつけることが止滅するとは言ってないですね。
アジタは智慧と気づきが消滅するんですか?と聞いたのに、ブッダは答えていない。
識別作用と気づきは別ものだとブッダは捉えてるみたいですね。
よくよく考えてみれば、「識」は無明由来だから、気づき、智慧とは無関係でしょうね。
勉強になりました。
0474神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 15:50:09.18ID:EpCQl1oc
>>463の通りなんだがね・・(苦笑



なんか、「やり方(≒読み方)」が一在家っぽくなってきたなw  >>宝珠
0475宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/01(木) 15:55:18.71ID:HnW00csk
>>463
ご指摘ありがとうございます。

別に、何の都合も悪くはないですよ。
確かに、そこまで全部とも考えましたが、ただ長くなるだけなので止めたまでです。
理由としては、私がアピールしたいこととは直接的には関係がないので...。
そして、強調したいがために敢えてピックアップ的に抜き出していますから。
ただし、○○であるからとして、前段の文意に大切なただし書きが付くものとして、
その部分が必要不可なに場合には、もちろん省かないほうが賢明なことについては了解しています。

(省略した後半部分の内容については)
そりゃ〜すべて所詮は、ただの言語上の表現に過ぎないのだから、
そんなことはもちろん、仏教を論じる我々にとっては当り前のことですよ。
この経文で肝心なことは、“涅槃に到達した完成者は”『わたしが語る』(または<わがもの>)
と言ってもよいということの意味ですよ。
つまりは、そうでない者(未完者)というのはそれはできない、と。
その資格がないということになるのだから。
では一体、それは何故なんだ?? ということが重要でしょう。
0476神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 16:17:39.52ID:EpCQl1oc
>>475
>つまりは、そうでない者(未完者)というのはそれはできない
>では一体、それは何故

凡夫の口にする  「私は」「私が」 は、
まさに我見の見本、象徴、極みとしての

 「オレがオレが私が私が」「オレの物私の物」

に他ならないから。
0477神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 16:33:25.65ID:A2RY0UbZ
行、サンカーラにも二種類あるようで、ひとつは現象、存在としてのサンカーラ。
そちらは無明に依存している。もうひとつ、身口意の三業を生むサンカーラ。
身口意の三業には善と悪がある訳だから、気づきは身口意の善の意業だろう。
となれば、無為涅槃という場合には、停止しているサンカーラは現象、存在としてのサンカーラで、意業、気づきはあり続けている。
涅槃、無為を覚知するのは気づきであり、智慧である、という事でいいんじゃないでしょうか。
アートマン無しでも説明できますよ。

有学は、「わたし」の本質、無我を理解していないのだから、「わたしが語る」と言ってはいけない。
執着を強化する。自分でもよく分かっていない単語を使ってはいけない。という理由じゃないでしょうか。
0478宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/01(木) 17:42:58.99ID:HnW00csk
>>476
そりゃそうだ。

>>477
だから〜
涅槃に達した完成者こそが真人、
真実の自己(アートマン)に目覚めた者だいってるわけですよ。
別に、バラモンたちの語るアートマン云々ということではなくて、
あくまでも仏教の説く境地としての涅槃の状態=真実の自己の状態(真我)として。
では、涅槃とはどんな...
0479おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 18:16:21.54ID:JwWbpypa
 
>涅槃とはどんな

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
ウダーナヴァルガのギルギット写本

(無明が依存している)縁起したものを離れ

ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが苦しみの終わりである
  _  _  _

↓大乗の場合は
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
さらに無の世界も超えて
般若の智慧と慈悲をもって
円成実性をもって → 依他起性を見る
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている

無住処涅槃
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0480神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 19:21:08.21ID:EpCQl1oc
>>478
> そりゃそうだ。




だから、悟られた方に「我」がある筈がないのだよwwwww


まだ理解できない?w  ┐(´ー‘)┌
0481おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 19:48:21.42ID:JwWbpypa
 
>悟られた方に「我」がある筈がない

(無明に依存することのない)
四神足の智慧をもって

我所という『想い』でもない
我という『想い』でもない

自相(自性)という『想い』でもない

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンという『想い』でもない

想うという『想い』でもない
想わないという『想い』でもない
非想非非想も手放して超えて逝く
0482神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:42:49.04ID:wSaFAReT
わしが 「おまえさんは男かい ? 」と質問したとする 。
おまえさんの答えは 「はい 」かな ?
こういうやりとりは 、現象の表面上に表れたものに関するものじゃ 。
しかし 、おまえさんは本当は、四大 (地水火風 )が結合したものか、変化し続ける五蘊の集まりにすぎないのじゃ 。
もし、心が自由なら、現象を区別することはない 。 「大きい 」 「小さい 」 「あなた 」 「私 」など存在しないのだ 。
わしらは無我(アナッター)という表現を使うが、究極的には、我 (アッター)も無我もないのだ。


私たちは、何かを得るためではなく 、手放すために修行をするのです 。
しかし 、名(ナーマ)と色(ルーパ )に対する執着を手放すことができるようになる前に、私たちはこれらの真の姿を知る必要があります 。
そうすれば 、自然と厭離の心が生じます 。
「私」とか 「私のもの」などといえるものはなく、すべてのものは無常無常なのです 。
私たちは 、なぜ「ニッバーナを得た」という言い方ができないのでしょうか ?
なぜなら 、ニッバーナを体験した人は 、もはや「私 」とか「私のもの」という考えを持たないからです 。
もし、そのような言い方をするのであれば、その人はニッバーナを真に体験してはいないということです 。
はちみつの甘さを知っている人は 、たとえそれを知っていても、わざわざ 「私ははちみつの甘さを味わっている 」などとは考えないものです。

(アーチャン・チャー)
0483神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:48:21.38ID:EpCQl1oc
隠居は、頑として了承しなかったがw、
仏法ってのは、主語の無い文法なのよね・・。
0484神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:48:25.55ID:A2RY0UbZ
ブッダが「わたし」と書かれた箱を開けて、中身を見てみたが何も無かった。空だった。無我だった。
それに対して、「箱の中にはアートマンがあるんですよ、絶対に見えませんけど。縁起から離れていて、永遠に変化しないアートマンがあるんです。」
と言ってみても、まわりくどいだけ、言葉遊びのようなものだと思いますが。
0485神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/01(木) 20:53:36.22ID:EpCQl1oc
かなり上手い喩えなんだが(>>484)、
宝珠には兎の毛ほども理解できんだろうな・・・ orz
0486おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/01(木) 22:28:51.53ID:JwWbpypa
 
>兎の毛ほども理解できん

その理由は
さとりに達するための修行の障害(覆)がある
有覆無記
我癡・我見・我慢・我愛に依存しているから

(他に依存することなく成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(他に依存することなく成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性

たとえば
おじゃるの場合は
落武者の霊は居る。という『想い』が現れ変化して滅している
  _  _  _

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンである。という『想い』が現れ変化して滅している

円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない

遍計所執性をもって依他起性を見ることはできない
それゆえに
誰もが成仏するわけではない(五性各別)
0487宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:02:58.96ID:ra2XoL6Q
>>484
箱の中に在る筈がないでしょうよ。
見えるも見えないも...
アートマンはそういった物理的な場所のどこかに在るわけじゃないから。
最初から、それは何処そこに在るなどというものではないから。

そんな喩え話など、
ただのトンチンカン()を露呈してるだけ。

┐(´д`)┌ヤレヤレ
0488宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:10:29.44ID:ra2XoL6Q
>>480
悟られた方にとって--無い--のは、
“我執の自己”であり、“煩悩塗れの自我”であり、
そして、“業報に流されている自我”、“流転変滅を続ける無常の自我”です。

何故、涅槃に到達した完成者は“真実の自己”だということになるのか?
どうして、新しい自己とか進化した自己ということではなくて、
あくまでも「真実の自己」だといっているのかが重要だということ。
つまり、完成者となって初めて『わたしが語る』と言ってもよいということは、
それまで語ってきた自身における自己は“偽りのわたし”だったいうことを意味します。
無くなるのは。その偽りの自己です。

『言語表現だけのものとして、〔仮に〕そのような表現をしてもよいのである』>>463
セブンは、この後半部分を指して、ただ言葉上での仮の表現に過ぎないのであって、
だから、それはアートマンが在るという意味などではない。
アートマンが無いから言葉の表現を使っているだけだ。
もしも、本当にアートマンが在れば、ゴータマはハッキリ「在る」と断言している筈だ。
という見解でしょう。

わたしは、
ゴータマがアートマンを存在論で以て解釈されることを避けたいが為、
そして、第三者によって客観的に確認できるような実体とは異なるものであるから
(つまり、あくまでもその境地にある当人だけにしか知覚されない主観の世界だ)
だと見ています。
0489宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:11:10.35ID:ra2XoL6Q
〜もしも、セブンが唯物論を捨てるのであれば、
少しはあなたの見解の妥当性についてもその検討の余地が出て来るかもしれませんが...。
つまり、「心霊存在と輪廻する魂については認めるが、永遠なるアーマンについては無い」という見解なのであれば、
それはあっても可笑しくはない一つの意見だとして認めてもいいかもしれない。
しかし、そうではなくて、あなたはただ人間の死後はすべての意識が断滅消滅するものとみているから、
当然、アートマンなど認めるわけがないわけなのですよ。
そういうのを、ただの唯物論(断滅論)というのです。
仏教では、一番最初に否定され捨てられる最低の見解です。

輪廻する魂(アートマンではなく)についても客観的に検知することはほぼできませんが、
ただし、転生現象の有無については、すでに膨大な検証データが蓄積されているので、
それらについて知ることができます。
また、心霊存在(これも肉体崩壊後の残存意識の一つ)については、
これは、もし旨くいけば誰でも遭遇体験は可能なことです。
検証確認のために自分で自ら動こうという気があるかどうかですよ。
わたしはすでに確認済ですが、セブンには自己確認する気があるのか? です。

どう?
もう、唯物主義は捨てられるのかな?
あなたの卒業はいつなの?
0490宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/02(金) 16:17:23.62ID:ra2XoL6Q
みなさんはどう?
すでに心霊存在(心霊体験)は確認した?
まっ、こんなもん体験せずとも知的に理解は可能ですが...。

どう、とっくに卒業できた?
こんな低レベルであるのかないのか?
いや不思議だぁ〜とか、未だにやってるんではとても話にならないから。
(別に在っても当たり前のものを普通に体験しただけだと...)

当然、おじゃるさんは卒業生だよな!
0491神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 18:18:50.10ID:83wf/HYq
>>487
この心臓内部の私のアートマンは
米粒よりも 麦粒よりも 芥子粒よりも
芥子粒の核よりも小さい

この心臓内部のアートマンは
大地よりも大きく 空よりも大きく 天よりも大きく
これら諸々の世界よりも大きい

(シャーンディリヤ)

後段はアートマンは真には梵と一如であるということを言ってるのだろう
0492神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:07:03.11ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/624
> ヒンドゥーを有我論という理由で愚弄する行為は即刻、
別に愚弄しているわけではなくてw、それは「仏法」ではないのでは?
と言ってるだけでしょ、皆。 ヒンドゥに限らず、他宗教他思想を愚弄する気は誰も持ってないでしょ。
勿論、「一神教的世界観、考え方」に対して、「世界の見方・視線としてどうなのか?」
という疑義はあったとしても。

http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/625
> >>http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/604
> >実は神智学徒だったのカモナー・・・
>
> ミス(無知や誤解で勘違いしていたこと)を神智学のせいにしたり
だからw ミスでも何でもなくて、誰のせいにもしていず、皆さん誰もが、
「仏教」として正しい、という確信のもとにレスしてるだけでしょ。 貴方がしているのと同じように。
中身を別にすれば、両者の言説は同一だよw 双方ともに、「違う」と言ってるだけ。
又、上の一文は、「臨済禅師の幾つかの言葉も、真我を見据えた発言だったのか?」
という禅宗史禅思想史の根幹に関わる問題を茶化して述べただけ。
0493神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:10:23.60ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/624>; そして「一切」は、“一切皆苦”(正しくは、「一切行苦」であるが、この場合「行」は
> 五蘊の「行蘊」に限定したものではなく一切法そのものを指している-水野氏)だといわれる。
> “苦の滅”(苦悩から永遠に解放された安らぎの境地)である「涅槃」が、
> 「苦」の根本要素である原因となる「一切」の中にある筈がない。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/626
> であるから、苦を滅した安らぎの境地である涅槃が一切皆苦の中にあるわけがない
> 涅槃はあくまでも、一切法における修行の最終結果としてあるものであって、
> その境地は、“一切とはまったく異なるだからw そういう括りの「一切」なら、その通り。
誰も何の異論も挟まないでしょう。 120%あなたの言う通りw
ただ、「一切法」と限定的謂いをした場合は、ちっとばかり事情が異なってくる。
「一切行」と「一切法」は同か異か。 一切善と一切悪は同か異か。一切仏と一切衆生と一切経とetc.etc.
だから、君がすべきことは、単なる「一切として云々」「一切の中に涅槃は云々」ではなく、
≪「涅槃」を「法」に含めるか否か≫を論証(≒議論)することだ。
勿論、基本、諸法(諸存在)は諸行に他ならないのだけれども、
「asankhataなもの(境地thAna)がある」と説かれたことを承けるなら、
それは法なのかどうかは非常に重要だ。諸々の存在(現象事象)としての法でなく、
理(ことわり)、真実、真理・勝義、修行者の目指すべき寂静としての法(ダルマ)がある、
と言い得るかどうか、と。 そしてそれは同時に、有名な二句
 sabbe sankhArA dhukkhA. sabbe dhammA anattA.
とリンクする。 なぜ、 sabbe dhammA dhukkhA でないのか? と。
0494神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:15:04.00ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/626
> そして、涅槃は「無為」(「有為」ではないもの)であるからこそ「有為」(現象界)からの“出離を覚知する”と
> 同じものならば >覚知しない。異なるからこそ出離を覚知する
うんうんうん、全く、完全に、1000%その通りだね(´∀`)b
でも、その時は、主体は無い・居ないんだよね、文法的に。
「○○【を】(××【が】)知る」ではなく、「○○【が】知られる」としか言われていない
ことに注意しなければならない。 『誰それによって知られる』という言い方すら、ウダーナではされていない。
つまり、〔≪『誰それ【の】』涅槃≫がある〕のではなく、〔ただ、≪涅槃(という)≫境地のみがある〕 と。

> “涅槃とは無為”であり、
> 「無常・無我・無自性・空」(現象界の諸性質)ではないことが明らかになったのならば、
> 元々、現象界を超越しているアートマンを否定する根拠にはならないのは自明
意味不明w  ≪ 【同等に】 、アートマンを肯定する根拠でもない≫わなwwwww

> 仏教が求めるべき“真実の自己”(Vin.Maha^vaggaT,13.p.23)
ここと、Dhp160偈が、考察の対象となるわけだが、
それでも、Dhpの方は(まさに禅家の言う「主人公」としてであり)
「主体的に生きる存在」としての私であり、
Mvの方も、森で遊び呆ける彼らにとって大切なものへ寄せた言い方であり、
その後、実は彼らにその答えは与えられていない。(彼らもまた求めていないが・・。)
なぜか? 不要無用だから。
「その方向(≒真我)を希求することこそが、そもそも、苦の因 に他ならないから。

> そして、『煩悩を滅して死の領域を超えた真人は「わたしが語る」と言ってもよい』(SNT,3-5 )
>>463に尽きるw
0495神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:16:11.57ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/626
> 本来は煩悩に拠らない“心性清浄である自己”(AN 1.6)
> 「わたしが語る」と言ってもよい』(SNT,3-5 )と、説かれたゴータマの教えが
> アートマン性質の核コア部分に相当する
別にアートマンでなくてもいいじゃんw 本来清浄(無地)なだけだから。
ブッダの身体は金色に云云というのも、
土着のドラヴィダ人と比べて色白(或いは黄色系)だったからかもしれんわけで。
アジア人が黄色い猿と言われるのと変わらん。 汚れてなければ、そりゃ白くて清浄でしょうよw

> 素直に受け止めなければならない事実
だからw  一在家のような【ねじ曲がった読み】はやめろ、とw

> 仏教ではヒンドゥーのようなアートマンを説いていないからといって
だからぁw  『説いていない』 ということが重要なの。
ブッダは握り拳の中に教えを隠さなかったの。
全て、示し切っているの。
だから、大般涅槃経の遺言が成立するの。

>  「在る筈がない」だのということはできない
だから、「在る筈だ」だということもできないのw
0496神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:18:37.10ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/635>>635
> 貴重な学生時代のテキストの
そんな昔じゃねーよ。
つい最近(数年前)、作ったばかりのもんだw 決着シリーズ中期ごろのこと。

>  だから、仏典に出てくるアートマンについては、
それがどのような自己のことを指しているのかを前後の文脈から読み取らなければ
うんうんうんうん。 まったくその通りだね。 (だから「文言非我、文脈無我」だと。(´∀`)b)

> 当時のセブ ンはそのことをあまり取り合わないようで
いやいやw それは寧ろ一代のスタンスw
なぜか? 日常に於いてさえ昨日の私と今日の私の同一性が疑えてしまうのに、
どうして、それ以上の同一性が担保想定し得ようか、と。
だから、一代は、世俗(日常)だろうが勝義だろうが、「私」に差異を見る必要はなく、
【どちらも】仮設されたものに変わりない、と。
「両義を見据えた上で、どっちにしても「わたくし無し」と断じたブッダの言い回し」
を褒めちぎっていたよw

http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/636
> 制御すべきは当然、日常のこの心の状態のことですよ! 真我が顕れるのはその結果ですから。
> 〜如何ですか?
だ〜か〜ら〜w
制御が必要なもの(心だろうが意だろうが識だろうが)は、「真我」足り得ないでしょ?と。
心性本浄の「心性」も、心の性質であるならば「真我」である筈がないでしょう? と。
  *(実際、原文ではcittaの一語しか出て来ない)
また更に、心を制御した先に顕れるものなれば、これまた尚更、
制御される前のものと同じである筈もないのは理の当然。
  https://i.imgur.com/mSHvPWT.png
0497おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/02(金) 22:25:55.25ID:1ovyebe5
 
>おじゃるさんは…

大日如来からの
 ↓
宇宙すべて一切の諸法
 ↓
ヒンドゥー(バラモン)
 ↓
仏教
 ↓
チベット
 ↓
シパ・バルドゥ − 再生へ向かう迷いの中有

トゥルパ − マナス(意、心)が成した身体 − 意成身

ヤブユム − 男女両尊

ということで
(金銭的に余裕があるのなら)
これからも
たとえば、お寺での怪談会とか
あるいは、マインドフルネスとか
神社・仏閣・霊場(心霊スポット)などにも逝ってみたい所存で おじゃります m(_ _)m
https://www.youtube.com/watch?v=PL9nc7wf4i0
京都怪談
0498神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:33:13.99ID:L7HMHUc3
>>487
> 最初から、それは何処そこに在るなどというものではないから。
うん。 だから「無我」でFAだね?www

> 箱の中に在る筈がないでしょうよ。
> 見えるも見えないも... アートマンはそういった物理的な場所のどこかに在るわけじゃないから。
> そんな喩え話など、ただのトンチンカン()を露呈してるだけ。
> ┐(´д`)┌ヤレヤレ

箱=五蘊(色(身体))/(箱に書かれた)「わたし」=世俗の言辞・ラベル(名(概念))
まさに、「名色 nAma-rUpa (≒名称と形態)」の喩えになってんのw
┐(´д`)┌ヤレヤレ

で、我々は、まさに、そうした五蘊の総体として、鈴木さんや田中さん、
そして、私やあなたといった名札を付けて、それを識別認識し合って生きているの。
それが、世俗に(世俗で)生きるということなの。
だから、如来も又、その慣習に従って、「私は〜」云々の言辞を用いるの。
でも、「如来の私」には、「オレがオレが私が私が」がないの。
ただただそれだけなの。

>>489
> 〜もしも、セブンが唯物論を捨てるのであれば
wwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwww

唯物論とか関係ないからw
魂があろうが生まれ変わりがあろうが、「無我」は「無我」なの。
少なくとも『一代はそうだった』ろ?w
また、ワシが、一時期、輪廻による相続肯定側で立論してたの読んでなかったか?
我(アートマン、真我)無くとも輪廻は成立しちゃうのw
0499承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/02(金) 22:43:53.26ID:MNrZk6Wy
うん、アートマンなどなく、しかし輪廻も霊も神々も妖怪も有って、しかし、いわゆる「個人主体の生まれ変わり」とか初期の「プトガラ」とか本当の私なんてもんは無いんだよ。

(^。^)そうゆう迷信があるだけ。(笑)
0500神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/02(金) 22:55:21.95ID:L7HMHUc3
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/756
> >>716
> 手法が異なるから別の宗教だとはもちろんその通りです。それはいい。
> では、手法が異なるとその結果(そのゴール)も異なるのか、否か?
この場合の 『結果が同じ』 は、そういう単純な比較に収められないの。
サッカーで一点を取る方法とバレーボールで一点を取る方法は当然違う。
が、同じ「一点」だから、同じだと言えないのと同様、
(特に修道に関しては)手法・方法論が違うというのは決定的差異になっちゃうの。
 (だから、大乗非仏説が言われて、一代がイラつくんじゃないw)
或いはまた、同じように治癒したからといって、
西洋的外科薬科治療と漢方鍼灸が同じだとは言えまい?
「医療」として同じというなら、「宗教」として同じと言っているだけにしか過ぎない。
また仮に、ゴール(目的地)が同じであれば尚更に、
『どのような方法を採るか』こそが「違い」であり、
それぞれの存在意義(選択の幅、向き不向き、ニーズへの適合)になってしまうわけでね。

> ヒンドゥーを間違いと決め付けて馬鹿にする。
だからw ≪ブッダの説法とは違う≫ ってだけでしょ。

> 尚且つ、仏教だけが唯一の真理でありそれ以外は間違った低いものと断罪
だからw ≪仏法の上では≫仏法が唯一の真理であり、それ以外がないのは当然だろがw
キ教でもイ教でユ教でも同じだろ。 それぞれ唯一で他は無いだろ?

なに寝言言ってんだとしか思えないわw
>
> 私は、“自分の信じる宗教だけが唯一の真理”と説いているところでロクなものを知らない。
> そのようなことを主張する宗教にはロクなものがないのは歴史が証明してきた。
いやいやw 今の貴方が、まさにそういう人になってますよ?w
0502神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 06:31:40.90ID:LqR+QWFs
諸行は縁起により生滅する全ての現象、六根、五蘊だよね。
諸法は概念、思考、妄想、認識も含む、意門の対象、全ての存在、だよね。
だから涅槃は諸行ではないけども、諸法だよね。
涅槃は無常ではなく、苦ではないが、無我だよね。
0503神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 09:05:00.07ID:GhivMDuz
>>502
>諸法は概念、思考、妄想、認識も含む、意門の対象、全ての存在、だよね。

概念は想
思考、妄想、認識は識(妄想は想になるかも)

で五蘊の内

しかしながら

スマナサーラ長老の仏教法話@jtba_talk
#jtba :ブッダの教え。諸行は無常です。諸法は無我です。(中部45)
0504パーピマン
垢版 |
2018/11/03(土) 09:12:47.91ID:nNm5FL6m
>・・・しかし輪廻も霊も神々も妖怪も有って、・・・

妖怪つれてこいw

(希望・・こなきじじい)w
0505dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/11/03(土) 09:14:24.51ID:HIlNWdHI
どこかで妖怪がカキコんでるかもしれない・・・
0506承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/03(土) 09:46:06.13ID:cqmhV8k7
>>501
マウントしてド素人をいたぶるイキリハゲの姿が、そこにはあった。(笑)

(^。^)本当にハゲボウズって、ろくなの居ないよな。(笑)

>>504
お前さんが輪廻を連れてきてくれたらね。(笑)

因みに、かの水木御大は「妖怪とは、そうした雰囲気であって、それを視覚的に判るように書いてる」てなことを言われている。

俺にしても、そうした雰囲気を感じるだけで、見たことも触ったこともないよ。(笑)

そう言えば、昔、拝み屋さんの手伝いしてたとき、霊感ある人に「お不動さんカンジョウしてます」って言って実はゴウサンゼさんカンジョウしてみせた事があるんだが、「あれ?ゴウサンゼ明王が見えます」って不思議がってた。(笑)
本当に見えてんだな、とか思いながら「不思議ですねぇー」とか惚けてた事がありました。(笑)
0507おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 10:57:46.00ID:rjMjL98r
 
> カンジョウ

仏に勧めて、法を説いたり、世に久しく住することを請う勧請(かんじょう)?

戒律や資格を授けて正統な継承者とするための灌頂(かんじょう)?

《神》の《定》準となり《神定(かんじょう)》となり?

> ゴウサンセ

降三世明王(ごうざんぜみょうおう)?
  _  _  _

> 希望…こなきじじい

おじゃるは貧乏なので
承狂元密教僧の神通力をもって

見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらす座敷童子(ざしきわらし)を
連れて来て欲しいので おじゃります

地蔵菩薩  オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0508おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 11:22:43.65ID:rjMjL98r
 
>マウントしてド素人をいたぶるイキリハゲの姿が
>ハゲボウズって、ろくなの居ない

(中国経由の)日本の禅宗系とかは
キツイ性格の僧侶が多い?(かもしれない?)

ベトナム出身のティク・ナット・ハンとかは
優しい口調で
仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっていたらしい

https://www.youtube.com/watch?v=j3zi7HljYIM
ティク・ナット・ハン
(真如縁起をもって)ひとりひとりがブッダとなる

https://www.youtube.com/watch?v=EZrHRWkXA0k
ダライ・ラマ 輪廻 転生ラマ

https://www.youtube.com/watch?v=gcBeC6Qdg9k
プラユキ・ナラテボー 瞑想実践

ちなみに
スマナサーラ師匠も激論口調になる場合もある(かもしれない?)
0509神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 11:59:37.83ID:bfAS4mkD
体罰が駄目なことは、今から800年ほど前に曹洞宗の開祖たる道元禅師も言及している。

たとえ師であっても、弟子に暴力を振るってはならないと。

弟子の悪口を言うこともなく、教え導かなければならないと。

とは言っても、道元禅師が中国に渡り、そこで師とした如浄禅師は、坐禅の時に居眠りしている弟子を、履物で容赦なく打ち叩いていた。

そして、如浄禅師は、弟子にそのことを釈明した。

本来は、そのようなことはすべきではないが、仏道修行のために、仏に成り代わってやっているのであるから、慈悲の心でもって許してもらいたいと。

それを弟子は、涙を流しながら聞いたという。そして打たれることを喜び、そんな師を褒め称えたと。

道元禅師は、かくあるべきである、とも言っている。
0510おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 12:54:45.26ID:rjMjL98r
 
>仏道修行のために、仏に成り代わってやっている

最終的に
『仏である』と気づくことができるのなら

>智慧と慈悲の心でもって許して

も良いのかもしれないけど


おじゃるの場合は
無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習に依存しているので

それゆえに
やはり
誰もが成仏するわけではない(五性各別)。という感じがするので おじゃります

仮設としての
無明を手放しすることが出来れば良いのかもしれないけど
我癡・我見・我慢・我愛を手放しするのは難しい

ヒンドゥー(バラモン)
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める
0511
垢版 |
2018/11/03(土) 13:09:12.42ID:wTYicxjM
http://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/563
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245923448/243
  〔 『法』の多義性、その定義の範囲 概略 〕 (仮)

「法」( dhamma )
 ┃
 ┣「摂理、理法、自然的因果」( dharma / dharmin ?)
 ┣「理屈、ことわり、論理的整合性」
 ┃
 ┣「おしえ」( sAsana )
 ┃  ├「縁起」
 ┃  ├「四諦」
 ┃  └「種々説かれた個々のおしえ、法門」(八万四千云々)
 ┣「経」
 ┃
 ┣「識の対象(法境)」
 ┣「(根境色の)境」(色声香味触法)
 ┗「一切の(認識可能な)存在、“もの”“こと”」(「名色」「五蘊」「五蘊十二処十八界」)
   └「上記プラス無為法」
      └「上記プラス 認識不能な領域に属する“真理”“真の在り様”“存在を有らしめるものとしての根源”」
         (→後期大乗としての、法界、真如、華厳界、曼荼羅etc.etc.の先にあるもの、
           或いはそれらを支え、成立せしむるもの)

参:
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/566-567
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/586
0512
垢版 |
2018/11/03(土) 13:09:55.32ID:wTYicxjM
◆本文◆
566 神も仏も名無しさん 2009/09/09(水) 20:41:27 ID:KFALggyU
>> 563
どうよ
172 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/02/03(火) 21:34:50 ID: aY704kGy
>> 169
核心的問いですね。頭のいい方ですね。

法とは「釈尊が再発見し説かれた理法」で十分ではないかというのが現在の私の理解です。
これは石飛道子先生の『ブッダと龍樹の論理学』46頁に依っています。
石飛先生は、天才ですね。仏教の難問を美しく整理して再現しているようです。

>仏教徒が三宝に帰依を表明するときの「法宝」を説明した古くからの定型句も、

定型句とは「法は1.世尊によって善く説かれ、2.自ら見るべく、3.無時的で、
4.来たり見るべく、5.導き、6.識者が各自に覚知すべきものである」でしょうか?

この1.が正に「釈尊が説かれたこと」でしょう。2., 4., 6.は自分で体験する、
3.は行ずれば即時的に結果が出る、5.虚妄ならざる真実に導く教えである。
ということで、1.以外は、全て釈尊が説かれた教えの属性、特性を示しているので、
この定型句は明らかに法とは釈尊の教えであるということで問題ないと思います。
以上に関してはご覧になっていると思いますが、
水野弘元『仏教要語の基礎知識』初版98頁以下で再確認してください。
ブッダゴーサの四分法も「釈尊が説かれたこと」を基本に特性を述べたと考えられるでしょう。
その水野先生の解釈は圧巻です。素晴らしい!
0513
垢版 |
2018/11/03(土) 13:10:57.52ID:wTYicxjM
567 神も仏も名無しさん 2009/09/09(水) 20:42:20 ID:KFALggyU
173 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/02/03(火) 21:35:50 ID: aY704kGy
>「縁起を見るものは法を見る」「法を見るものは仏を見る」だの「依法依不人」だの「法燈明」だの、簡単に言いますが、実際はさまざまな場面でその意味内容を使い分けているようです。
上の用例は、「見る」を体験、体得すると考えれば、全て教えと置き換えて問題ないでしょう。
原始仏典で「 x は法である」とは、定型句の1〜6の特性を全て釈尊が認めたということです。
逆に釈尊が人に質問されて「私はそうは説かない」と仰る場合は、1〜6を満たさないので認めない。
つまり、悟り、解脱に導かない体験できない結果のでないので法と認められないことです。
問題は、「一切法」「諸法」という用例です。これはよく諸現象とか物事、万物という
意味に解されますが、原始仏教に限ってはどうも誤解のようです。
では、何か。これも釈尊が縁起を悟ったことで明らかになった様々なことと考えると、
釈尊が悟った時に「諸法顕現せり」と伝承されることも理解できるでしょう。
そしてこの明らかになった様々なこと、つまり悟りの体系は、釈尊の意識内の出来事でしたが、
それを人に説く時に、「一切法」「諸法」などと呼ばれました。
つまり、「一切法」「諸法」は釈尊が悟った体系を、人に説いたもの。
釈尊が悟り、解脱に役にたつと認めたことが、法というわけです。
以上については、村上真完<最初の仏語「諸々の法が明らかになるpatubhavanti dhamma」考>印度學佛教學研究 54に依っています。以下で読めますのでご覧ください。
http://ci.nii.ac.jp/search/servlet/Kensaku
村上先生のこの解釈も素晴らしいものだと思います。
他に「滅法」といった要素、性質と訳される場合も、
滅と「釈尊が説かれたこと」が要素、性質という意味であると考えれば問題ないと思います。
その後、部派仏教時代にたぶん行のために「一切法」をまとめる論書が出現し、
分析探求、論理構築が進んで複雑なアビダルマ体系になったと思います。
このアビダルマを見ると、非常に難解で異説が多いので混乱すると思います。
◆元URL◆
【根本仏教】中観仏教について語ろう【龍樹】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230059903/172-173
0515おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/03(土) 13:46:46.11ID:rjMjL98r
 
三相(さんそう、ティラッカナ)

無常(anicca アニッチャ)諸行無常
苦(dukkha ドゥッカ)一切皆空, 一切皆苦, 一切皆苦
無我(anatta アナッタ)諸法非我, 諸法無我

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352
上座部 パオ・セヤドー

法住智の「法」とは、諸々の行法とその無常・苦・無我の三相の事です
「住」の意味は、「立脚して」;「智」は智慧の事です
故に

法住智は
(般若の智慧と慈悲をもって観照する)
諸々の行法の無常・苦・無我の三相に立脚した観智、という事になります
0516ポッタン師
垢版 |
2018/11/03(土) 14:56:52.43ID:MDjqCn+m
515.般若の智慧と慈悲をもって観照する、か。
それでは忙しいことになる。バカ丸出し、である。
多忙が好きなのかや。大爆笑である。
0517神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 18:43:03.74ID:wTYicxjM
>>506
う〜む

全くその通りなので弁明の欠片も持ち合わせないがw、
「宝珠の“一在家化”」を、心の底から残念に想うのでね・・・。
0518神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/03(土) 18:48:45.32ID:wTYicxjM
ああ、
でも、ワシの方は、最初の 決着アートマンスレ からすれば、
かなり 「一代化」 してるかもしれんからな・・・w

他人のことは言えんか・・・。
0519承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/03(土) 18:50:47.04ID:cqmhV8k7
>>517
なるべくしてそうなっちゃったんだから仕方ないよ。(笑)

(^。^)上も下も果てしねぇしな。(笑)
0520承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/03(土) 20:21:35.70ID:cqmhV8k7
>>507
カンジョウは勧請。
勧め請うという意味ですね。
神道では降ろすとか言いますが、密教だとこう言います。
密教では主に修法の最中に行いますが、私はそうした手順を踏まずにときどきこっそりやってました。
密教的には…どうなんだろ?(笑)
昔話とかでそんな記述あったような、それを真似してたんだっけ?

(^。^)まぁ、ネット上の与太話だと思って忘れてくれ。(笑)
0521宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/04(日) 14:02:50.29ID:Z4cTxmvf
>>606
なんかようかい♪
その“妖怪”(の話)が一体、どこからきたのかは知らないが...

私が、これは実在するだろうとして見ているものは、
UMA(未確認動物)の水棲巨大生物、ミゴー、クッシー、オゴポゴ。
巨大猿人類のイエティ、ビッグフット、野人、ヒバゴン。
また吸血鬼は、異食症の一つとしての「血液嗜好症」(ヘマトフィリア)、「吸血病」(ヴァンパイアフィリア)として医学的に確認されている事実。
あと、妖怪に分類されているけれども、是非、セブンに宿泊をお薦めしたいのが童子の霊とされる東北宿の「座敷わらし」だね。
これは現象遭遇率が非常に高いと評判ですから。
その他に可能性として気にしているものは、河童とツチノコ、沖縄諸島の精霊キジムナー。
そして、チュパカブラってとこか...。

まっ、こんな感じですかね。
あとはただの昔話的迷信と信憑性に欠けるものが多いかなぁ〜

>「あれ?ゴウサンゼ明王が見えます」って不思議がってた。(笑)
>本当に見えてんだな、とか思いながら「不思議ですねぇー」とか惚けてた事がありました。(笑)

う〜む。
“秋月慈童の秘儀”>>183とも通じる世界だな...。
ということは、承狂さんは
心霊次元レベルなんぞはとっくにごく当たり前のものとして認知していて、卒業なんだよね?

>>520
ホー、サスガは元、
破門された密教僧の端くれだけのことはあるなw
0522宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/04(日) 14:06:54.91ID:Z4cTxmvf
>>521
訂正:
アンカー>>606は間違い。>>506でした。

>>501
はーい、セブンお疲れさん♪
しっかし、凄い揚げ足取りだらけの長文連投でしたね!!
(これも仏の慈悲の体罰なのか?)

そして、また随分と溜め込んでたようで...
これで少しはスッキリできましたか?

あとで“御礼”しますね。
0523承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/04(日) 17:39:47.96ID:eW8ucm1F
>>521
「心霊次元」なんて有りませんけど。(笑)

(^。^)新痴学さんとは全く違う考えなので、一緒にしないでね。(笑)
0524神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/04(日) 20:55:11.66ID:kNzJPDRf
>>522
謙遜遠慮、慈悲憐みで 「揚げ足」 と申告しただけで、
全て、本音本心老婆心、正確な苦言だからw


だから寧ろ 心地よい疲労 だよ (´ー`)
0525神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/04(日) 22:57:20.11ID:kNzJPDRf
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1533980076/378>>378
> ある男が冒険の旅に出た。洞窟の奥深くで大きな宝箱を発見した。
> しかし鍵がかかっている。鍵は無い。しょうがないので男は宝箱を担いで家に向かった。
> 帰り道、山賊に狙われたり、川で溺れそうになりながら、ようやく家に帰った。
> 専用の工具なんかを使ってその宝箱を開けてみると、中身は空だった。男はズッコケた。
>
> 無我を悟って、有身見が無くなると、その50倍はズッコケます。自分というものは無い、空だった。
> 空の為に今まで何十年も無駄に苦労してきた。なんて馬鹿だったんだ、無知だったんだと気づきます。
> 同時にもう二度と、存在しない自我の為に苦労する事は無いと知って、安心感が芽生えます。
> 自分は無いのだから、死のうが生きようが、焼かれようが刺されようが、どうでもいい事じゃないか、と頭では理解しますが、
> 心にはまだ恐怖、不安、欲、が残っていることに気づきます。まだ修行が残っていることに気づきます。
> 無常、苦、無我をいちおう理解しているので、特に混乱することなく、たんたんと残りの修行を続けます。
0526神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/05(月) 00:55:34.12ID:L0UJT0xC
仏陀と神通力対決したカッサパ長兄って神通力が使えたのだから、対決した時点では仏陀に帰依はしておらずに外教のリーダーであったのに既に阿羅漢果に達していた覚者だったのだろうか?
0527承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/05(月) 01:07:07.13ID:y+hrWr99
>>526
漏尽がないから応供じゃないんです。
仙位と覚位は違うのです。
0528おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/05(月) 10:46:53.20ID:p+4RZfzA
 
承狂師匠
(難しくて意味が、わからなかったけど、とりあえず)
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
  _  _  _

>カッサパ長兄

プーラナ・カッサパ(不蘭那(不蘭)迦葉)
霊魂の不生不滅を説いて
人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして
因縁や業を否定し無道徳を説いた

↓こっちでつね?

優楼頻螺・迦葉(ウルヴェーラ・カッサパ)
ウルヴェーラ・カッサパはこの地の
バラモン出身で、頭に髷を結い、ヴェーダ聖典を読誦し火神を祀る事火外道の師だった
  _  _  _

漏尽通
煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力

解脱智見
般若の智慧と慈悲をもって → 解脱智見を知る

四神足
自在力(神通力)
般若の智慧と慈悲をもって → 依他起性を観照する
0529神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/05(月) 11:25:15.78ID:d+zHH0m9
解脱智見


比丘たちよ、多聞の聖なる声聞がこのようにみるならば、彼はまた、色かたちを厭い、また感受作用を厭い、また識別作用を厭い、また記憶力などの作用を厭い、また判断作用を厭う。
厭うならば欲を離れる、欲を離れたならば解脱する。
解脱したならば、私は解脱したという知識が生じ、
〈生は尽きた、清浄な行にすでに住した、なすべきことをなし終えた、さらなるこのような [輪廻的な生存という]状態はない〉、
と正しく知ることになる。
(宮元啓一著「仏教かく始まりき パーリ仏典『大品』を読む」春秋社)

またスッタニパータにも

「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。
そうして◯◯さんは聖者の一人となった。

という定型句が散見されます。
解脱智恵とはその名の通り輪廻から解脱して次の生はもうない(生は尽きた)と正しく知ることであります。
0530おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/05(月) 13:00:59.12ID:p+4RZfzA
 
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

↓これでつね?

スッタニパータ 82

生まれることは尽きた
清らかな行いはすでに完成した
なすべきことをなしおえた
もはや再びこのような生存をうけることはない
https://gakuen.koka.ac.jp/archives/501
http://microsamgha.com/2016/01/21/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF%EF%BC%98%EF%BC%92/
0531ポッタン師
垢版 |
2018/11/05(月) 14:31:23.53ID:PBVIglGk
529.530.それは迷信である。バカには理解できない。大爆笑である。
0532神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/05(月) 19:38:09.45ID:QEC8H1MJ
『サンユッタ・ニカーヤ』12.70(PTS Text,Vol.II,pp.119-128)

スシーマ

14 その時、尊者スシーマは、それを聞きました。
すなわち、多くの比丘たちが、尊師の面前で、完全智に達したことを明らかにし、
『滅尽したのは生まれることである。完成したのは清浄行である。為すべきことは為し遂げられて、もはや、この(輪廻の)状態に再び戻ることはない』
とわたしたちは知ります」と述べているのを。

15 そこで、尊者スシーマは、比丘たちに近づきました。
近づいて、かれら比丘たちと挨拶を交わしました。
親しみのある礼儀のこもったことばを交わして、一方の隅に坐りました。

16 一方の隅に座った尊者スシーマは、かれら比丘たちに、こう言いました。
「尊者たちが、尊師の面前で
『滅尽したのは、生まれることである。完成したのは清浄行である。為すべきことは為し遂げられ、もはや、この(輪廻の)状態に再び戻ることはない』
とわたしたちは知ります、と答えているのを聞きましたが、それは、本当ですか」
「本当です、友よ」
http://manikana.la.coocan.jp/canon/susima.html

この後尊者スーシマは解脱した比丘達に「それなら、あなた方尊者は、このように〜が出来るのですか?」
と色々な神通力が使えるのかどうか尋ねるのですが、
その度に比丘達に「いや、友よ、そのようなことはありません」と否定されます。
つまり釈迦の教団では修行して解脱しても神通力を使えるようになるわけではなかったのです。
0533宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 02:31:28.35ID:PnO86c9q
>>526
“神通の獲得”=完成者ということではないです。
神智学的には、2.0段階以上のイニシエートから神通を発揮できる者が現れてきます。
仏教でいえば「斯陀含」クラス以上からとなる。

スシーマ経における神通力に関する話のポイントは二つかな。
まず一つは、このスシーマという人物はそもそも神通力が目当てでゴータマの教団に近づいてきた好からぬ人物だということ。
ゴータマは彼の狙いなどはとっくに見抜いており、こういう人物には神通の秘密(獲得方法)は明かすことがないのです。
そして、もう一つは(だからこそ彼には)、解脱には必ずしも神通が必要ということではないことを示すべく、
神通を得ていない解脱者たちの存在を示したということでしょう。
解脱(阿羅漢)には大きく三つの種別があって、
それが「信解脱」(信仰型)、「慧解脱」(理論型)、「倶(分)解脱」(理論+禅定型)です。
実際、三明六通という神通を発揮できるのは、この中の「倶(分)解脱」だけらしい。
なので、阿羅漢だからといっても神通が発揮できるということではない。
それから、たまに見られる勘違いした者の誤読によって、
神通などは在り得ないといった唯物論の肯定に使用するような愚かは止めましょうね。

尚、三明と解脱の関係についてはあくまでもパーリ仏教上の解説であって、
しかし、事実としては、阿羅漢というものは総じて如来の階層よりも一段階、“低い境地”であると、この私は見ています。
これについては私も大乗の見解を支持したいと思います。
如来で神通の発揮できない存在はいない、と。
0534宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 02:38:58.28ID:PnO86c9q
容量の使用が激しくなってきているので、
一応、次スレを早々に建てておきました。
尚、この現行スレを使いきってからで皆さま宜しくお願いします。

--佛教論議の伽藍スレ-- 第三巻
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/l50
0535宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 03:53:02.71ID:PnO86c9q
>>523
>「心霊次元」なんて有りませんけど。(笑)

仏教徒というものは総じて無知が多い。
また、仏教用語に無い言葉だと急に“狸と化してすっ呆ける癖”がある。
自動的に、日常用語を仏教的に脳内変換(その逆も然り)できないのなら、一般人とも常識的な対話すらもできないでしょう。
一般社会では、死んだ人間の死後意識を総じて普通に「霊」とか「霊存在」といってる。
これの出現したものが“心霊(存在) ”と呼ばれているのであり、要するに、目撃者は「幽霊を見た!」などとと表現をする。
死後の霊存在そのものには元々、“悪いもの (良くないもの) ”という意味はないが、
一般人が目撃遭遇するものは必然的に良くないものが殆どとなる(状態の良い霊存在は次元が高くなるために遭遇しない)。
浄化(昇華)されてない霊は一般的に「不成仏霊(未成仏霊)」といわれる。
また彷徨っている状況は浮遊霊、自殺や他殺の場合にはその場所に留まるために地縛霊と呼ばれる。
これらの霊存在についての認識のことを、わたしは---心霊次元---と称したまでのこと。
この心霊次元程度はとっくに理解して、ごく当たり前のものとして認めているのかな? 
ということをあなたに確認したまでです。
尚、仏教においては詳細解説はなく、単に悪しき状態の霊状態のことを「餓鬼(preta)」と称しています。
目撃した幽霊とは、つまり、仏教の説く餓鬼存在なのだと理解すればいい。

>新痴学

可哀想に字も分からないらしいがw、
「神智学」では幽霊のことは“カーマローカ”という。
霊存在としては、「アストラル想念形態」、そして、生存者の状態においては「アストラル体」と呼んでいる。
0536宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 03:56:15.53ID:PnO86c9q
資料:
『 2)餓鬼(preta)
Pretaという語は元来は「死者・死人・亡霊」の意味であつて, 生前の悪業のために色々な醜い姿となって, 閻魔(Yama )大王の世界に生まれ,
飢渇に苦しんでいる亡者を指した。したがって, Preta は地獄の苦しみの一つのようなもので, 地獄と餓鬼との区別はもともとあまり明瞭では
なかったのであるが, 後には「餓鬼道」として, 地獄とは別の一世界と見なされ, その種類や状態なども詳細に説かれるに至った。』
(外薗 幸一著『業報輪廻の倫理観(六道輪廻説を中心として)』)
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181106030728.pdf?id=ART0007405593

【◆餓鬼道に落ちた者たちが繰り広げる51の物語◆
『スッタニパータ』や『ダンマパダ』などと同等の経典として大事に伝えられてきた初期仏教経典『餓鬼事経』を、解説付きの現代語訳で読む!
◆餓鬼たちが述べる ◆
◆悪因苦果と善因楽果の因果応報を ◆
◆幽霊のお話として説き聞かせながら、◆
◆人びとに正しい道を指し示す物語! ◆
 『餓鬼事経』は、ペータ(peta 死者・餓鬼)を共通のテーマとして、全部で51の偈経というか物語を編纂したお経集です。物語の多くは、前世
で悪業をなして餓鬼界に生まれた者(いわゆる幽霊)が人間の前に姿を現わして(不思議なことに、『餓鬼事経』に登場する人間たちは餓鬼を見ても
怖がりません)、自分が前世でおこなった悪業と今受けている苦果を述べ、悪因苦果の因果応報を自ら証明します。ときには、自分が受けている苦
しみから救ってほしくて、人間に功徳廻向を頼みます。その場合は人間も心得たもので、たとえばお布施をして、その功徳を餓鬼に廻向して救っ
てあげます。(「はじめに」より) 】
(藤本 晃著『初期仏教経典 現代語訳と解説―餓鬼事経―死者たちの物語』サンガ刊)
0538宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/06(火) 19:22:35.95ID:PnO86c9q
>>533
追記:

要するに、この『スシーマ経』というのは、
解脱(悟り)には特に神通は不要であって、神通を持たない阿羅漢がいることを知りなさい。
その上で、あなたが求めているものは悟りなのか? それとも神通なのか?
もしも、神通目的ならばここは向いてないから立ち去りなさい。
ということを問うているのではないかな...。
というのが、この私の感想です。

>>537
いや〜〜
これはメチャメチャにウケた!!(爆)

>幽霊はいますか?
>>いますよ

承狂さんとは違って、
「それってナニよ?」とか、「そんなものある筈がない」などではなくて、
「いますよ」の“即答(了承) ”だからな! W

日常会話(一般用語)でそのまま自動変換だしね。
そして、この方はなんとキャバクラ通って欲情しまくりだしなぁ(笑)
ところで、「キャバクラ」って仏教用語だとなんというのかな?
また、パーリ語ではどうでしょうか?
0539承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/06(火) 20:36:07.55ID:PLzrCYjV
(^。^)まぁ、確かに俺が宝珠さんを肯定することは絶対ないよ。(笑)
0540承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/06(火) 23:19:34.47ID:PGNgn6XE
>>377
に対するのが>>380だとちょっぴり足りなかったんで。今ごろで悪いけど。(笑)

例えば全て仮想世界上で起きた情報をあたかも身体からの情報として直接脳にぶちこむ、
つまりやがて実現するだろう完全なバーチャルゲーム体験だと、
その中で初めて家事を修得したら現実には全く使えないままか?
そんなことはないだろうってのが大方の予想だよな。
攻殻なんてのはそんな漫画だったが、そうした方向で国家も企業も動いてる。
しかしその攻殻でも「ゴースト」と呼ばれるものは複製出来ない、とされていた。たぶん。(笑)
水槽の脳に戻るが、外部情報を完全再現したなら、その脳には現実だし、
比較対象を知らなければドット絵でもリアルでしかない。

一方で、心臓移植で人格が変わる、つまり脳に与えられずに心臓の違いで意識が変わるなんてこともある。
これは医学でもまだよく解ってないので、頭部移植なんかしちゃったんだろうが、
まだ不確定要素が他にもある。
憑き物なんてのは、まぁパーマンとかは笑うんだろうが、(笑)
俺には外部から何かがとりついたとしか考えられないし、その想定で対処してきたわけよ。

従って、学習出来る内容なら、それこそフロッピー化出来るが、(笑)
魂とか、ゴーストとか、悟りとか、愛(笑)なんてものは単なる情報ではないと考えてる訳だ。(笑)

(^。^)くっさ。(笑)
うわー、くっさ。(笑)
0541承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 06:08:47.45ID:uKj0m4XE
>>540
これを仏教っぽく書くと。(笑)

色受想行これ即ち識を元とす。
識無くば受くることなく、想うことなく、行ずることなし。
もって色もあることを知ることなし。
七氏曰く受無くば想なしと。
これ非なり。
念念従心起念念不離心とは、受によりての想に非ず、只識に依りたり。
識に依りての行も同じ。
色無くとも識に依りての受もこれあり。
無きものを見ること嗅ぐこと聞くこと味わうこと感じたること能ずとは言えず。
経に曰く空中無色とは、正に相依性なるが故に一々の別なしと説きたもうか。
但しこれ所詮凡夫が私記なり。具には各々師に又は己が心に問うべし。

ってなトコカ?(笑)

(^。^)いみじくも>>538で宝珠さんが書いた通り、仏教とは求菩提のために凡て説かれているんだから、
霊がどうの、霊界がどうの魂がどうのなんて道から外れた話はどうでも良いんだけど、(笑)
今の坊主も現代教育のせいで偏ってるからなぁ。(笑)
普く供養、とか書いてても俺以下の世代だと現代科学の知識をベースにするから、「ハイハイ、喩乙」になっちゃうだろ。(笑)
俺より上だと、まだウッスラ親から教えられてるけど。(笑)
0542神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 07:36:42.32ID:xE2lM5Fx
雑阿含経 「好戦経」

このように私は聞きました。
ある時仏は、王舎城のカランダ竹園にとどまっておられました。

その時に、十大弟子の一人であり、神通第一の聖者と呼ばれたモッガラーナ尊者とロクシュナ比丘が二人で托鉢に出掛けました。
 
托鉢をしている最中に、ある路上にて、モッガラーナ尊者が意味深長な微笑を浮かべました。
そこで、ロクシュナ比丘は問いました。
「今なぜ、微笑されたのですか?」
モッガラーナ尊者は答えました。
「今は托鉢中なので、帰ってから、仏陀の御前でお話しましょう。」

托鉢を終え、帰ってきて、仏陀にご挨拶をし、二人は仏陀の御前に座りました。
ロクシュナ比丘が先ほどのことを問いただしました。
「モッガラーナ尊者よ。
 あなたは、先ほど、私と托鉢中に、意味深長に微笑されました。
 なぜ、あの時に、あなたは意味深長に微笑されたのですか?」

モッガラーナ尊者は答えました。
「私はあの時、路上にて、一人の大きな男が空中に浮遊するのを見ました。
 皮がなく、肉団子のようになったそのものは、ふわふわと空中を歩いて行きました。
 カラス、トビ、クマタカ、ワシ、ヤカン、イヌなどの霊界のものがその男にまとわりつき、噛みついてその肉を食らい、その男は、あまりの苦痛から、声を出して泣き叫んでいました。
 私はその光景を見て思ったのです。
 なるほど、こういう人間は、こういう身体になって、こういう苦しみを味わうという報いを受けるのだな。
 そうだったのか・・・
 そう思って、私は思わず微笑したのです。」
0543神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 07:37:24.78ID:xE2lM5Fx
仏は、諸々の弟子たちに向かっておっしゃいました。
「よろしい。
 さて、皆さん、仏道を修行し、真実を観る目を養い、智慧を会得した者は、この様な霊を見るのです。
 仏もまた、この様な霊を見るのですが、人々にその存在を説くことはありません。
 なぜならば、そのことを説いた時に信じない者が出るからです。
 如来の説く内容を信じない者は、智慧のない者であり、その業によって、地獄に落ちてしまうため、その者たちが地獄に落ちぬように、信じられないことを私は説きません。
 皆さん。モッガラーナの見た霊は、過去世の時、この王舎城において戦争を好んで楽しみ、多くの人々を刀剣にて傷つけました。
 すでに、数千年もの間、地獄に落ちて、無量の苦しみを受け、地獄の余罪によって、今は、この世界にて、霊体の身を得るも、続いてこのような苦を受けるのです。
 皆さん。モッガラーナの見たことは、真実にして間違いはありません。
 まさに、この事実を受けて心に刻んで下さい。」


仏がこの教えを説き終えた時、諸々の弟子たちは、今聴いた教えを深くかみしめ、歓喜して、その後の修行に活かしました。
0544承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 08:33:43.93ID:D+wCOuSO
こういう人は
「釈尊は脇腹から産まれて直ぐに七歩歩いて、その足跡からは蓮華が咲いて天上天下唯我独尊と言った」
というのも「経典にあるから」そのまま信じてるんだよな?(笑)

(^。^)釈尊は人類ではなかったと。(笑)
0545神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 11:25:25.84ID:xE2lM5Fx
>>544
 仏もまた、この様な霊を見るのですが、人々にその存在を説くことはありません。
 なぜならば、そのことを説いた時に信じない者が出るからです。
 如来の説く内容を信じない者は、智慧のない者であり、その業によって、地獄に落ちてしまうため、その者たちが地獄に落ちぬように、信じられないことを私は説きません。
0546神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 14:01:26.75ID:LWQUa5zq
>>540
言わんとするところは分かるが、(つか、あの時も分かってはいたがw)
そういう 「完コピ(及びその「実行、実動」)」 が、そもそ「ヒトという生物」で可能か?
ということ。
(攻殻はともかくw)、たとえ、入力が完全に遂行されたとしても、
それが【実際に出力される(行動として顕れる)】とき、コピー元と全く同じ行動(動き・)となるだろうか。
これは、「最終的に筋肉を動かしてゆく神経系(伝達)の話」と、
まさに、活動する「筋肉(の動き)そのもの」にかかわる所だけれど、
その仮想話では、そうした出力(運動)の側面でも言えるのかな? と。
 *(たとえばお相撲さんの股割りとかwも、入力さえ完全に為されれば、
   誰一人の例外なく、(同じ角度で)大開脚できるだろうか?)
0548おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/07(水) 14:49:57.78ID:o4oB01L1
 
> 空中に浮遊するのを見ました
> 皮がなく、肉団子のようになったそのものは、ふわふわと空中を…

ID:xE2lM5Fx師匠
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
  _  _  _

> (^。^)釈尊は人類ではなかったと。(笑)
https://en-park.net/words/7441
仏教の開祖は釈迦であり、この世ではじめて悟りを開いた人物ですが
大日如来はその釈迦をも創りだした創造主…

なので
大日如来からの → 宇宙
  ↓
承狂師匠という感じで おじゃりますな?
  _  _  _

入力を完全に為されたとしても
(無明に依存しているのなら)
(同じ角度で)大開脚できるだろうか?

さとりに達するための修行の障害(覆)がある
我癡・我見・我慢・我愛
有覆無記(うぶくむき)で おじゃりますな?
0549パーピマン
垢版 |
2018/11/07(水) 15:12:18.32ID:ASA1MBe4
>憑き物なんてのは、まぁパーマンとかは笑うんだろうが、(笑) ・・・

どわっはっはっはっはっは〜〜〜〜〜
0550承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 17:15:22.43ID:D+wCOuSO
>>546
完全な再現性なんて生物に求めんなよ。(笑)
爺になって昔みたいなことが出来なくなっても同じ個人だろ。(笑)
クローン群の個体間で同一情報を共有しててもその後の学習や身体機能の変化で解釈は変わるだろうし。
じゃあ個人とは何か、意識とは何かになるが、
釈尊はそうした問題は十四無記で関わるなと言われてる訳だ。(笑)

まあ、個人的には、股割を入力されたら「出来て当然」と思って実行して股関節脱臼靭帯断裂とかすると思います。(笑) 

(^。^)お前らも歳を取れば、昔は出来たのに、とか思うんだよ。(笑)

>>548
だから、密教は大日如来所説だと。(笑)

>>549
密教は大日如来所説なんだよ。(笑)

(^。^)んなこたぁないか。(笑)
0551神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 20:03:33.07ID:LWQUa5zq
>>550
だから、(心技体じゃないがw)
身体含めた「行」なしに悟りはあるのか? という問いに戻るじゃないかw

勿論、 「悟り」が、「知識のみのこと」 であるなら、
遠い将来、(浦沢直樹プルートゥのゲジヒト等じゃないがw)

 『頭にSDカード差し込めばみんなブッダ』

な時代が来るかもしれんけど。
0552承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/07(水) 21:11:45.29ID:D+wCOuSO
>>551
いや。(笑)
悟りが単なる情報群なら、「コピー機も写経し続けたら悟るってこと」になると思うが。(笑)
縁覚ってあるとされてるんだから在るんでしょう。(笑)
現に釈尊はそうだったんだし。
その覚りが、単なる人格の最上位か、原理主義者の言うような超人なのか、もっと別の何かなのか。(笑)
それは個々の信仰心の問題でしかないんだから、実際がどうだったのかなんて個々には関係ないし。(笑)

(^。^)俺的には、釈尊云々より大日さんがどうなんかが最優先だし。(笑)
0553ポッタン師
垢版 |
2018/11/07(水) 22:09:12.95ID:7MBph4b4
552.551.悟り、はコピーできる。バカには理解できない。大爆笑である。
0554神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 22:28:31.04ID:LWQUa5zq
それは、図書館の蔵書と変わらない。
人間がいなくても悟りが存在するとか。大爆笑である。  >>553


>>552
いや、だから、そうじゃなくて、
(つか、元ネタの番組見てからレスしてくれ。論点や、話の起点はそこじゃないから。)
いわゆる ≪身に付く≫ という事象が、仏道を『歩む』上で、不要なのかどうか、ということなんだけど。
もっと言えば、 「修行する必要はない」 と言ってしまっていいのか? ということ。


んと今回は、全く噛み合ってないんだなw
0555神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/07(水) 22:29:57.65ID:LWQUa5zq
ああ、
八正道も、八つも要らないという話になっちまうわけでね・・・。
0556承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/08(木) 00:36:05.46ID:52C75f97
>>554
えー?
全く違う仏教観で討論するって趣旨じゃないの?(笑)

(^。^)そこからやるのも良いけど、以前やった時は咬まなかったのに。(笑)

えー、AIやってる連中とかのはハードウェアにソフト入れたら演算出来る。だから、その延長線上にAI出来ますってもの。
何度となく書いてきたがオカルト側から言わせれば、これはナンセンス。
>>541でも触れたように、三界虚仮但是一心作で色受想行は識有っての話で、この識には色界などと同様に意識界が物理的な存在ではないが、実在すると認識した方が府に落ちるわけよ。
まぁ、無色界とか有頂天とかの話はないと思うが。有頂天の大自在こそがキリスト教の禍津八十(以下略)
で、ハードでソフトが演算してるって世界観じゃなく、(ゴウンの前4つが仮設の識を、ではなく)
ハードでソフトを意識が演算してるってのがゴウンの世界観だと俺は考えてる訳だ。(前4つを仮設の意識がー)
例えば気功は「情報の交信」ではなく、気が交わる事で情報が構築されてる、とね。
だから、水槽の脳にデータを入力出来と某かの意識が生じるなんて事はなく、
データが入力出来るなら、そこに既に何らかの意識がある、となる。
覚り云々も同じで、データで意識が変わるのではなく、意識がデータで確証を得ているだけ、
これが、自性清浄とか光明とか如来蔵とかの話だと考えてる。
この、最適化にも様々な段階があって、羅漢果とか如来位になると。

(^。^)この前提の違いを黙ったまま、ウダウダ議論を重ねるのが皆好きなんじゃないの?(笑)
0557承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/11/08(木) 01:27:22.85ID:52C75f97
1個大事な事を忘れてた。
何度も書いてるが、あくまで私見だからな。(笑)
伝統的な解釈は違うかも知れん、というかこの辺は各自で悟ることで、こういう事かくのは駄目なのかもしれん。
経典でも意識界とかさらっと流してるからな。
てか、書いてること知っただけだとどうしてもバイアス掛かるから、(俺が違うかもってのは大前提だが。)正確には伝わらんし。(笑)

(^。^)て訳で特におじゃるさん、俺が書いた事は全文忘れて下さい。(笑)
0558宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/08(木) 03:53:38.35ID:09Qd9jio
>>544
あのね...味噌も糞も一緒にしなさんな!
それらの単なる神格化による迷信と、事実としての現象(心霊、神通、奇跡など)は賢く識別しましょうね。
この私は、糞で創られた味噌汁は飲まないから。
たかが心霊程度レベルも理解できないようでは、御山(高野山)を降ろされても当然でしょうね。
そんな唯物論もどきじゃ〜密教僧の資格なし。キャバクラ通い僧よりも劣るとはとてもザンネン...。
あなたには、東北の座敷童のお宿をお薦めします!!

とにかくこの私は、
宗門はすべての唯物主義者を“排除すべき”だと強く主張します。

 『NK.(vol.T p.050, 南伝28 p.107);(夢の中で)菩薩は白色の優れた象となって……母〔妃の臥する〕臥榻の周りを、
右の方へ三たび繞り、〔母妃の〕右脇を開いてその胎に入られたようであった。斯うして菩薩は、阿沙陀祭最後の日に
(uttarAsALha-nakkhattena)、母胎に宿られたのである。』
 『MV.(vol.U p.020,JonesU  p.018);菩薩の母は普通の女性のように横になったり座ったりして出産せず、立ったまま
で出産する。菩薩は母の右脇から何らの害を与えることなく生まれ出る。』
http://www.sakya-muni.jp/monograph/03/3-1/0506.html
0559宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/08(木) 03:54:12.35ID:09Qd9jio
 これらの仏伝によれば、(六本のキバを持つ)白象が右脇腹から入る霊夢を見て懐妊して、その右脇腹から出生したとされます。
これは要するに、処女懐胎ということを謳っているわけですよ。このようなもので良く知られて有名な話としてはキリスト教の
イエスです。それは、天使ガブリエルから処女懐胎の告知を受けた聖母マリアが至潔の処女のままイエスを出産したというもの。
 処女懐胎の信仰というものは、処女性の持つ汚れ無き神聖なイメージと結びつけたものに過ぎない神格化であって、この手法
は何もイエスやブッダに限ったものではありません。
 インドの聖英クリシュナはデバキという貞淑な処女から産まれた。ペルシャのゾロアスター(ゴータマよりも170年ほど前の
ゾロアスターはイエス同様、誕生以前から数々の奇跡現象によって予言者たちによって未来の 誕生が知られていた)や王キュ
ロスもそうであり、またタイや中国にも処女出産の聖者がいる。エジプト神話のホルス神が処女神イシスから産まれたというの
も同じことです。
 また、ブッダの話の“右脇腹”に拘る理由が、もしもあるとすれば、インドの一般世間においては身体の左側は不浄の概念を
持っているからではなかろうかと推察します。

 “天上天下唯我独尊”というのは、弟子たちが仏陀という存在はこの世で最も尊いものだと説いていたものが、後に、ブッダ
自らがそう誇示したという神格化となったものでしょう。“産まれて直ぐに七歩歩いた”というのも神格化でしょうね。これらは
別に不可能であるとかと、絶対に在り得ないものという意味ではなくて、後代の弟子たちによる神格化なのだろうということ。
0560宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/11/08(木) 03:57:08.85ID:09Qd9jio
>>542-543>>545
『好戦経』の提示に感謝です!!
そうそう。如来の教えを否定して信じない者が可哀想なことになるから、
普段は説かないようにしているというところが重要なのですよね。

>>555
「八正道」というのは修行法なのではなくて、
実際には、完成者としての“結果”のことではないのか?
と、以前から思うことが、この私にはある...。
0561おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/11/08(木) 06:46:14.91ID:encZZt0b
 
> 例えば気功は「情報の交信」ではなく、気が交わる事で情報が構築されてる、とね
> だから、水槽の脳にデータを入力出来と某かの意識が生じるなんて事はなく
> データが入力出来るなら、そこに既に何らかの意識がある、となる
> 覚り云々も同じで、データで意識が変わるのではなく、意識がデータで確証を得ているだけ
> これが、自性清浄とか光明とか如来蔵とかの話だと考えてる
> この、最適化にも様々な段階があって、羅漢果とか如来位になると
> (^。^)この前提の違いを黙ったまま、ウダウダ議論を重ねるのが皆好きなんじゃないの?(笑)

> そこに既に何らかの意識がある

たとえば
そこに既に
大日如来からの → (仮設としての)色受想行識の仮和合がある

仏そのもの
仏性からの真如縁起

↑こんな感じかしらん?
  _  _  _

> おじゃるさん、俺が書いた事は全文忘れて下さい。(笑)

おじゃるは
脳に障害があるので
記憶力は、かなり悪いので おじゃります m(_ _)m
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