>>808-810
護摩供養は確かに、
ゴータマ・ブッダの説いたものではありませんが、
しかし、謳い文句の神秘力の発現などまったく無いただの迷信だ、
というのであれば、それは長老が護摩について本当のことを知らないだけです。
バラモン祭祀の効力についてはゴータマは認められており、正しい祀りの実践については薦められています。
護摩供はその祭祀の中の最高度のものです。

 『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、
 その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458)
 『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。
 施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509)
 『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。
 王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のものである。』(Sn.568)

密教僧個人においては神通を発揮できるレベルになくとも、
定められた一定の法に従て修法された護摩供には一定の神秘力が発動します(そのことを可能にするのが密教の素晴らしさです)。
ということは、護摩供養の儀式には現実に神々(ホトケとは云わないまでも...)を動かす作用があるということになる。
密教は、この加持祈祷(の方便)によって悩める衆生を神秘力で救済して、
その結果として祈願者自らの自発的な仏道への帰依へと導くのです。
これは顕教諸派にはできないこと。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/639-642