マインドフルネス瞑想 Part6
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part5
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1505492803/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ >>849
それから、その言葉遣いとは具体的にどれのことだね?
貴方の怒りを買ったその言葉とは? >>851
二人称をお前から貴方に変えてる時点で貴方自身気づいているでしょう
他にも汚い言葉遣いがありますが貴方自身分かってるはずですからここでは一々挙げません
別に怒ってはいませんよ
レスは
>>833は>>832に向けてのレス
以上
さあ寝ましょう >>852
お前でも貴方でもいいんだよ
お前の真似をしただけだ
ここがどこだかわかっているのかい? >>852
その汚い言葉とやらを全部あげてから寝てくれんか
まあ、上品とは言わんが過度に囚われるような言葉(ニュアンスでもいい)はないと思うのだだ > 852
>
> レスは
> >>833は>>832に向けてのレス
>
> 以上
>
> さあ寝ましょう
おい!ちょっとマテマテ!
それおれに対するレス?
俺がいつ>>833
にレスつけたと言うんだ?
それとも>>832を俺が書いたとでも思ってる??
一体どこをどう読んだらそう見える?
こっちの頭がおかしくなりそうだぜ… 30分瞑想5日目
とても眠気があってまともに瞑想できるか不安
眠いしめんどくさいしやりたくないなーと思いつつ渋々始める
ところが意外な事にやり始めると眠気は消えた
前回までは眠くなくても途中で眠くなってきて何回も頭がガクッとしていたのに今回は眠かったのに始めたらほぼ眠気はこなかった
前回の最後の方で少しコツが掴めた気がしたが実際上達していると思う
感覚としては常に眠気は存在しているがそれが出てくる隙間が無いくらい注意を挟み続ければ眠気が漏れては来ないという感じだ
しかし今は眠気や衝動が通る隙間は無いが、思考はガンガンすり抜けてくる
思考しても衝動は感じないので辛くは無いのだが...
何となく予想しているのは、多分この注意の密度をもっと細かくして思考も通り抜けられないくらいにすれば、見ているだけ、という静かな状態になれるのかな、と思う 思いが浮かんだら駄目だと思いながらやってるとストレスを抱え込むことになる
思いが浮かんだのに気付いたら、一旦それを優しく受容して、それから解き放つ
これが日常に於いて、自分の感情に気付き、そしてそれに振り回されないようにするための訓練になる 第二章 座禅の実際 三 生命の覚即から
内山興正
この図から多くのことがわかります。
この図で一番大切なところは、覚即の部分です。
それは気がつくという所です。
ZZ’になり切ることでは無いとおっしゃっておられますが、そうだとおもいます。
ここからわかることは、この中のcc’c’’c’’’とどんどん大きくなってきます。
もしこれをc’くらいで気がつくと、この上下の波が小さくなることがわかります。
もしこれをもっと早くなると、波はさらに小さくなり
大きな視点からみると、ZZ’線と同じになってしまいます。
これが小乗仏教でいう煩悩妄想を断滅しきることになってしまうはずです。
それを涅槃、悟りとよぶと言うことの様です >>856
いいじゃないですか 色んな議論がありますが知識が全く(ほとんど?)役に立たなくて ある段階までやると ピキーン!とわかる時が来るのが瞑想の世界です
初期の頃ほど自分に驚くことが多かった気がする 停滞しても三蔵法師の頃と比べると驚くほど簡単に情報が手に入りますから幸せな時代です 互いに頑張りましょう >>859
その段階に至るまでどのくらいかかりましたか?
瞑想法、期間、一日の瞑想時間を教えてもらえると助かります。 >>861
うーん 自分を観る瞑想では数ヶ月ぐらいですかね 突然自分が嫉妬していたものとか子供の時に受けた恐怖とか拘っている対象とか 面白いように分かりましたよ
少し停滞期があって2年ぐらいで電車の中で 「もしかして自分って音とか景色とかそういうものがあって初めて存在できるのか....? ....依存した存在....」と気づきました 後からこれって縁起のことじゃんって大笑いしましたけどw >>862
そうなんですよ 教わらなくても既に瞑想とはこんな感じ なんてイメージに蝕まれているのに余計に勝手に拘りを作ってしまいますよね
でも観る瞑想は凄いですよ 集中してただ執着している自分 嫉妬している自分 怒っている自分 sexしたいと思っている自分 まあその時の自分から目を背けないで観るだけです
どんどん変わっていきます ただ本当に隠しておきたい自分は観るの難しい... >>861
質問に答えてなかった(汗) 瞑想法はとにかくできる限り自分を観るだけです 24時間できるならもちろん24時間です 私は4時間ぐらいかな
朝起きた瞬間から「目が覚めた 仕事が浮かんで胸が嫌な感じ 寒い 嫌な感じ 寝癖がついてるのを見て 怒り 悟らないといけない という執着がよぎった 足が床についた 」
これをずーっとやるだけのことです カバット人のマインドフルネスストレス低減法読んどるけどええね! >>866
返答ありがとうございます
なるほどー
スマナサーラ師やプラユキ師の瞑想会で瞑想法は教わって、アナパナやら手動瞑想やら半年くらいいろいろしてみたものの大して変化を感じず…
まあそれでも多少は精神的に楽にはなったんですけどね
やっぱり大きな変化を経験するには日常の中の観察が大事で、座る瞑想ばっかりじゃダメなんですね
これからは日常でも自分を観察ようにします 先のことに気を取られるのはマインドフルじゃない
今というのは常に目の前にあるよ 最近、仕事や恋愛のストレスでだいぶ疲れてる
カフェでマインドフルネスの本を読んで、散歩して、たまってた食器洗って、洗濯して、掃除機かけたら少しは落ち着いた
散歩してるときに心がすーっとしてないって静かになって、あー本当はこの感覚を求めてたんだよなあと思った。娯楽に逃げてるときは楽しい反面心が落ち着かないんだよね
静寂を忘れないようにしよう
また、日々の出来事で忘れるんだろうけどまたここに戻ってくるわ 70年代から日本を含め世界中のヒッピー共が本場のビパッサナー瞑想を習得しようと(主に親の金で)東南アジアの寺院に行っては瞑想を学んできたがそれ以上の広がりはなかった
今日のマインドフルネス&ヴィパッサナー瞑想ブームは何故今更なのだが恵方巻きのように仕掛け人がいたからこそここまでのブームとなったのであろう このスレにもいるとおもうけど
ブームの前から瞑想してる人は「マインドフルネス」ブーム自体なんとも思ってないんじゃないかな
一過性のものだと冷静に観ているんじゃないかな >>857
>>859
アドバイスありがとう
30分瞑想6日目
結論から言うとめちゃくちゃ疲れた
ちょっと上達したかなと思った途端これだと結構落ち込むね
前よりいい結果を出そうとか力みがあったのかもしれない
でも自分では少なくともそれに気づかなかった
何か根本的にやり方が違うのかなとか疑ってしまう
まぁ、まだ1週間しか経ってないのだしこんなもんか
よく寝れてないし寒いし身体的条件で集中力が落ちていたのかも
ひとつ気づいたことは集中力を消費するのは注意を戻す時
戻すのを何度も繰り返しているとものっそい疲れる
意識が明後日に飛ぶままにしている間は疲れないし、集中し続けているあいだも意外と消費してない >>869
私が非常に精神統一して観察が進んだのは人混みの中です 家に帰ると自動的に観察終了となってました 五感に予測なくたくさん刺激があるほうがやり易かったですね
家で観察するときにはお金 お金 身長 身長 仕事 仕事 とかあえて言葉に出して心身が嫌な反応をするものを見つけてました 見つかったらひたすら嫌な反応をする自分を観察してましたよ >>875
疲れて当然だと思いますよ 止でも観でも自分史上やったことのない初めての意識の向け方なので逆立ちして生活するようなものだと思います
集中力 精神統一は難しい問題ですね 一番は自分が追い込まれていることだと思いますが そんなの人工的に作り出せないですしね ヨーガ 密教色々工夫があるようです
マインドフルネス的には精神統一の工夫はあるんですかね? 上手くいくもいかないもなく、その状態が自分の今なんだから、そのまま受け入れる
上手く出来ないと考えて、過去のよかった記憶や未来の希望に頼ったら、結局それは今ココから心が離れてるということでしょう
判断なんかはさまずに、ありのままに自分を受け入れる >>878
それはかなり難しいのでは? 今ココがわかるのは恐らく悟ったかそれに近い人だと思う
私も非二元の体験をしたけれど あれが今ココかと考えてもよくわからない その時は今も ココもなかったし
とりあえず上手くできてるか気にしている自分を観る 落ち込んでる自分を観るで良いと思う そうすれば何故成果を気にするのか理由がわかると思う 「三界は虚妄にしてただ一心の作なり」
と気づけば・・
今ここにいる^^」 実際今ココ以外のとこにいるヤツなんか見たこと無いからな
離れるのは考えの中身だけだから、余計な事しなけりゃ今ココしか残らない 「今ココ以外のとこにいるヤツ」
みんなそうだよ^^
こころで作った虚妄の世界で生きてる人々^^
つまり・・^^ かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、
このされこうべにつかわれて、地獄の業をのみつくりて、
三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、
わが身と思いて、千万年も、死すまじきように思い、
わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。
鉄眼禅師 仮字法語
「三界は虚妄にしてただ一心の作なり」
これなんだよな・・・^^ かかる地水火風の、仮なる身を・・
わが身ぞとかたく執着することにより・・
虚妄の世界に生きることになると・・^^ この虚妄の世界に生きることは今ここにあらずと・・^^ 心経にいはく、五蘊みな空なりと照見すれば、一切の苦厄を度すと。
この意は、五蘊本より空にして、なきものなる事をさとりて、
その理をあきらかにてらし見れば、一切もろもろの、生死の苦患厄難を
度脱して、法身般若の体にかなふという意なり。
この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、
わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、
貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり。
鉄眼禅師の『仮字法語』 二乗は地水火風、本より法身の体なることを知らずして、
地水火風は、非情の物なりと思えり。
菩薩の眼にて見たまう時は、地水火風、みな法身の真体なり。
これもはじめの地のごとく、水すなわち法身、法身すなわち水、
火すなわち法身、法身すなわち火、風すなわち法身、法身すなわち風という意なり。
かくのごとくなれば、地水火風は、もとより地水火風にあらず、法身真如の妙体なるを
、二乗と凡夫とは、まよいて地水火風と思えり。
鉄眼禅師 仮字法語 「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、
我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき。」
日蓮 まずは・・^^
四界分別観により・・
この身は地水火風の、仮のものぞと悟ることだな・・^^ 簡単にいうと・・・
「人の体は星屑でできている」ということや^^ さてまた二乗は、凡夫よりも、智恵かしこきゆえに、この身は地水火風の、仮のものぞと、
よく見あきらめて、この身をまことの白骨のようにみなし、身においてちりほども、執着の心
なし。
かつてこの身のために我執我慢をもおこさず、貪欲瞋恚をもおこさず、いつわりへつらいも
なく、ねたみそしりもなし。
かくのごとくのさとりはひらけぬれども、いまだこの身の、法身如来なることをしらず、
これによりて、世尊、小乗とて大いにきらいたまえり。
かの法身の当体をさとらざる故に、二乗の智恵にては、仏の内証、菩薩の境界は、
いまだ夢にも見ず。
これまた二乗の、一重のまよいなり。
さきの凡夫のまよいとともには二重なり。
二乗は法身にまようこと一重。
凡夫は法身にもまよい、また二乗のさとりしところにもまよう故に、二重のまよいなり。
鉄眼禅師 ナンパ禁止の方がつらいな。おっぱい禁止はおいしいけど。
絶望は虚妄に過ぎない。希望がそうであるように 魯迅。意味わかる? うん?
するどい^^
近親者の葬式があってね・・^^ 身近に死があると考えさせられる^^
たぶんインドで仏教が発展したのは身近に死があったからだと・・・^^
どこでもおなじか^^ 数十年後には自分が死ぬからな
運がわるけりゃ数年後に死ぬし
誰でも必ず死ぬとわかってても何故かこのまま毎日が永遠に続くような気がしてるからな
本気で自分が死ぬこと考えたらくだらないことなんてしてられない ま一休は、民衆に真の仏教を理解させるために、あらゆる手段を用いて教化につとめました。
門松は 冥土の旅への一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
ある年の正月のことです。一休さんは墓に行き、どくろを拾って竹の先にくくりつけ、家々の門口でどくろを見せては
「このとおり、このとおり、ご用心、ご用心」とふれ廻ったそうです。
ある家人の「おめでたい正月になぜこのような不吉なことをなさるのですか」との問いに、
一休はしゃれこうべを見せながら「人間はいつまでも目がでてるわけではない。いずれは皆このようになるのです」
と答えたそうです。その家人は導師一休の姿に感動し、自分の愚問を詫びたそうです。
http://www.shinkoji.or.jp/diary/diary04.html >>903
それが近々人が死なない時代が来るんですよ >>901
因縁果ちゃんがその悲しみを乗り越えられますように それが困ったことにすでに乗り越えちゃっているんだよ^^ >>905
老化で死ななくなるってこと?
物理的な肉体で生きてる以上老化で死ななくてもいずれ病気や事故で死ぬよね >>908
耳ある者どもに甘露(不死)の門 は開かれた。
おのが信仰を捨てよ。 >>909
病気や事故じゃなくても産まれるところが悪ければ
親に監視カメラつけられてロクな食事与えられずに真冬に裸で殺されるし
たった4歳で3人の大人に虐め殺される 老化する細胞を遺伝子治療で「不死の世代」が来ると言われてる。後はクラウドやブロックチェーン(電子世界)上に人格を移すという研究もある 核爆弾が落ちても不死で
クラウドのPCは壊れないのか 世界が終わっても人間生きてる?並のレベルってわかる? ブロックチェーン(電子世界)ってwww
ちょっとやめてよwww >>879
自分は今ここにあると思っても、それは何重にもフィルターがかかった世界なんですよねえ
思考を止めて心をある程度クリアにしてみても、それは意識の一番浅い表面だけで、潜在意識はまだ現実から自分を切り離している
瞑想で深い意識の層に降りて行くたびに、いかに自分が純粋に現実を見てなかったのかがわかる
自分は10年くらいの瞑想歴ですが、未だに純粋な現実から程遠いところにいると実感してます
なので、サマタにせよヴィパッサナーにせよ、仏教の瞑想は玉ねぎの薄皮を剥がすように一枚一枚意識のフィルターを取り除いていく作業なのだと思っています 不老不死に興味がある人は「シンギュラリティ」でググれ
その頃にはローマ帝国時代のように人は働いてないだろう
その後ローマ帝国のように滅んでも知らんw 完全に死ぬ(輪廻の輪から外れる)ことでのみ幸福になるのに
不死が実現したら仏教はどう対応していくんだろう
他宗教に比べて理性的(神だの妄想的な神秘だのに頼らない)だから興味あるわ 仏教にとって生も死もないし、生(生への執着)は苦だから死のうと不死であろうと悟れば幸福(解脱)で
悟らなければ死のうと不死だろうと不幸(一切皆苦)でしょ 社会自体が変われば別だけどいまみたいな社会で不死になったところで1000年や2000年も生きれば
金持ち以外は生き続けるのが苦痛になるし、
金持ちだって生きてる意味が希薄になったりで大半は自殺するんじゃないの
人の寿命が100年程度だからもっと長生きしたいって思ってるだけでしょ 人間関係の苦しみ、病気の苦しみ、天災人災による苦しみ、経済的な苦しみ、その他の苦しみ
全て解放される訳でもなければ長寿は苦楽両面があるから良いとも悪いとも言えない そんなことばっか 考えている からマインドフルにならないんだよ 生きてるうちに悟れるのならば至福だけど、そこにいくまでは
選択の余地がない厳しさというものがある・・・はたして
凡人が瞑想なんかに手を出して幸せになれるのか?
「ちょっとストレスが解消された気がする」程度に留めておいた
ほうがいいのかもな そういう意味じゃ、科学的なマインドフルネス
というのも、そういう目的に軽く薄くアレンジしたものなんだろう >>918
[
仏教の瞑想は玉ねぎの薄皮を剥がすように一枚一枚意識のフィルターを]
取り除いていく作業なのだ]
その先に見えるのは法身の如来か・・それとも・・真我か・・^^
他のスレでだれか書いてたな^^
マハルシ 真我は永遠に存在し、影響を受けない。
転生する自我はより低い次元、つまり想念の次元に属している。
それは真我実現によって超越されるのである。 >>920
如来(修行完成者)の滅後は完全なる死ではなく無記だよ
毒矢の喩えで有名な「小マールキヤ経」ではまさしく無記として答えてないのだが
同じく無記を説いた経典として知られる「ヴァッチャ火経」ではブッダは如来の滅後についてもう少し踏み込んで説いている
https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/62268074.html >>926
あれ?
オレ >917 だけど >926 の発言はしてないよw
えーidかぶりって初めてだよ、なんか超親近感www 凡人はハート hṛdaya ではなく妄夢アタマの領域で徘徊している^^ 「考える心でさえ、私ではない。」
そこまでいくか^^ 「三界は虚妄にしてただ一心の作なり」
これやな・・・・^^ 「考える心でさえ、私ではない。」
う〜〜〜ん^^
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん^^ 至福
幸福=至福 と言われるものは、セルフそのものにほかならない。
幸福・セルフ(自己至福)だけが実在し、それだけが真実(真理)である。
現象世界のどのような物事の中 にも、幸福はまったく無い
。私たちは真理を識別できない無知)のせいで、現象世界の対象から幸福を
得られると思っている。心(考え事)が 現われると、苦悩(を経験する。
実際、心の願いが満たされる時には、心はその源(セルフ)にもどり、
セルフの至福を味わう。同様に熟眠 ・三昧 ・失神 などの状態、あるいは
希望の物事が得られた時や、嫌な対象が除かれた時にも心は内(源)に向かい、
セルフの至福を味わう[のだが、凡人はそれを覚智できな い]。このように
心は休みなく活動し、セルフから外へ出ては、またセルフへもどってくる
[のを繰り返しているが、凡人はそれをも覚智できない]。
http://yogaglossary.blogspot.jp/2011/09/glossary13.html
う〜〜ん^^ つまり・・・
簡単に言うと^^
人は本来至福であるが自我と見ることで苦悩が生じると・・^^
どこかできいたな・・^^ この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、
わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、
貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり。
かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、
このされこうべにつかわれて、地獄の業をのみつくりて、
三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。
鉄眼禅師の『仮字法語』
これか・・・^^
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、
わが身と思いて、千万年も、死すまじきように思い、
わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。 肉体は生滅しても
セルフ(本源)は不生不滅である。
肉体は「我身見」 Iam this bady-idea
という思いと共にだけあり
思いは習気の甦りであり
思いは記憶(体験記録)に
こびりついている執着である。
記憶と執着を我がものとして
仕切っているのは自分意識(エゴ)であるから
肉体は自分意識から生成される。
自分意識(エゴ)は思えば有るし
思わなければ無いという性質の観念であるから
自分意識(エゴ)無しに行為(生活)するなら
すべての活動はセルフ(本源)によって成されているとわかる。
自分意識(エゴ)無しに行為(生活)すれば
心が浄化され瞑想修行も深まる。
瞑想修行を妨げるのは習気から甦る考え事であるが
心の浄化、強化は徐々にしかやって来ないから
勤勉に修行するよりほかはない。
自分意識(エゴ)思えば有るし
思わなければ無いという性質の観念であるから
自分意識(エゴ)無しに行為(生活)するなら
すべての活動はセルフ(本源)によって成されているとわかる。
ラマナ・マハルシ ちなみに^^
甦り (よみ がえり)
よみがえること。蘇生(そせい)。 じっけ【習気】
〘仏〙 煩悩が心に残す影響。煩悩がなくなっても,残り香のように残っているものとされる。 瞑想修行を妨げるのは習気から甦る考え事であるが
心の浄化、強化は徐々にしかやって来ないから
勤勉に修行するよりほかはない。
おまえらがんばってね^^
おいら寝る^^ >>949
梵音 般若心経 (サンスクリット版)インド人が唱える本家 般若心経
https://www.youtube.com/watch?v=4pVMCEZKk9E
この動画のなかにブッダ31歳の画像があったんだが・・
なんで修行してるのに家にいるんだとずっと疑問に思ってた^^
そうか・・家に戻ったときがあったんだな^^
その時の画か^^
謎が解けた^^ 奇跡の講座:注目すべき発想の紹介
http://www.youtube.com/watch?v=I79eTFg-bEM
この動画見てたんだが・・・
奇跡の講座おもしろそうだな・・^^
最後まで見るとわかる^^ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。