大聖者・因縁果さまが語りまくるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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修行者の立ち位置を忘れた時点で仏道の道は閉ざされる^ ^ 迷える衆生・・・^^
簡単明瞭である^^
無明・・迷い・・執着・・苦の連鎖^^
この輪廻から逃れられないからである^^ >>4
師匠、さすがです!
十二縁起のことですか!? 迷うからそれに執着する・・^^
執着するから苦が生じる・・^^
なぜ迷うのか・・^^
無明だからである^^
簡単明瞭である^^ 浪人と言えば・・・^^
古いの持ってんだよな^^
探すか・・^^ 13230 beポイントある^^
ひろゆきちゃんここでも使えるようにして下さい^^ 「サンプルを表示」をクリックしないと見れないかー^^ 「無明から生じる渇愛は人間の根本的な欲望のことをいい」
ここが違うんだよな^^
欲は生命にとって必要不可欠なもの^^
欲は悪ではない^^
欲に執着するから煩悩が生じる^^ 仏教でも古い文献には,〈解脱〉の代りに〈不死〉という言葉がしばしば用いられて
いる。 仏教では,われわれの輪廻的生存を〈苦〉そのものであるとし,さかのぼって
その最終的原因を〈渇愛(かつあい)(トゥリシュナーtṛṣṇā)〉ないし〈無明(むみよう)
(アビドゥヤーavidyā)〉と見る。したがって,それを滅ぼせば輪廻的生存はやみ,
〈苦〉もなくなることになる。… 輪廻的生存・・^^
「無明・・迷い・・執着・・苦の連鎖^^
この輪廻から逃れられないからである^^ 」 欲を滅したら人類は滅びる^^
つまり・・^^
「物質の制約を逃れられない」ということやな^^ でだ^^
意識は物質の制約を受けているのか?
意識は物質か?
ということになる^^ 「脳は物質である・・ゆえに意識は物質の制約を受けている」
・・とこうなるが・・^^
物質と意識については・・おいとく^^
今はそんな気分ではない^^ うん?
隠演歌ときたか・・^^
だれがうまいこと言えと^^
と・・こうなる^^ 意識は物質の制約を受けている・・・^^
受けていないとしたら・・・^^
意識は宇宙に広がるもんな・・^^
個ではなく全体になる^^
ということは・・^^
我に執着しているから自己の意識に留まっているかもしれん^^
自己の意識と他の意識を分けているものはなんだ^^
となる^^ 分別は虚妄の世界・・^^
無分別は悟りの世界・・・^^
こういわれるのも理解できる^^ 【無分別】
仏教用語。梵語ニルヴィカルパ(nirvikalpa)で、おまいら凡夫の分別(迷いから来ている)を
離れた、ほんとうの真理を悟る心をいう。無分別心・無分別智とも。
またまたおまいら出てきた^^
どこにでもでてくる^^
どないなっとんねん^^ 分別(迷いから来ている)・・・か^^
つまり・・・
分別は無明から生じるということやな^^
ゆえに・・・
無分別は悟りの世界になると・・^^ う〜〜ん^^
こんなこと書いてると・・おまえら凡夫のうちだれかが間違って悟ってしまう^^
困った^^ 無明(迷い)がなかったら悟りもないので大丈夫^^
煩悩即悟りである^^
いつ悟れるかしらんけど^^ 菩提・・サンスクリット語のボーディbodhiの音写。
ボーディはブッドフbudh(目覚める)からつくられた名詞で、
真理に対する目覚め、すなわち悟りを表し、その悟りを得る知恵を含む。
音写かー^^
「真理に対する目覚め」かー^^
おまえらには関係なかった^^
ごめん^^ 悟りとは真理に対する目覚めである^^
これを知る人は少ない^^ >>33
何を言ってるのかチンプンカンプンです ^^ 「顔はやめな。ボディにしな! 」
これから・・
「有だと断定すれば有に執着し、無だと断定すれば無に執着します。
よって、一切の執着から離れるように導くために、仏教では「無我」(非有非無)を
説きました。
・・になり・・^^
非有非無かー^^
となった^^ ・・で^^
龍樹ちゃん・・「空は、非有非無の中道」となり・・^^
永遠につづくがこのくらいにしとく^^ 温泉に着いた^ ^
水風呂で執着を滅してくる^ ^
非有非無や^ ^
いや違う^ ^
物質の制約からの離脱や^ ^
五蘊無我や^ ^ 五蘊無我から空性かー^ ^
うーん^ ^
水風呂の中で鈴を鳴らしたい^ ^
そして^ ^
空性や空性やとつぶやきたい^ ^ そして水風呂の中に人がいなくなると^ ^
うわっ^ ^
ほんとの空性や^ ^ 今日は水風呂で・・・^^
鼻だけ出して浮いてた^^
足をちょっとしたところに置くと・・
体が浮くんだよね^^
あーこれ体外離脱はありえるなと・・^^
ニューロン
https://goo.gl/T6PDLi
「ニューロンの発火現象かー」とか考えてた^^ うわっ^^
隔離されたのか・・・^^
まぁ居心地いいけど^^ ニューロン
https://goo.gl/T6PDLi
これは抽象的なたとえとして言っているのではありません
あなたと他者 他の人間たちとを分かつのは あなたの皮膚だけなのです
皮膚がなければ あなたは他者の触覚を 自身の頭の中で経験します
他者との間のバリアがなくなるのです
このことは東洋哲学の基礎と言えます そこには 超越して 世界や他の人々を
達観しているような 独立した自己は存在しません 事実 あなた方は
フェイスブック インターネットを介してつながっているだけでなく
ニューロンを介してもつながっているのです そしてこの部屋の中にも
つながり合った一連のニューロンがあるのです
そこには誰かの意識とあなたの意識の 区別といったものはないのです
う〜〜ん^^
今日書いたな^^ 24因縁果 ◆d........o 2017/09/30(土) 09:17:55.29ID:x5+KIJ09
意識は物質の制約を受けている・・・^^
受けていないとしたら・・・^^
意識は宇宙に広がるもんな・・^^
個ではなく全体になる^^
ということは・・^^
我に執着しているから自己の意識に留まっているかもしれん^^
自己の意識と他の意識を分けているものはなんだ^^
となる^^
これかー^^ うん?
この答えか・・・^^
偶然か・・それとも・・縁か・・^^ 東洋哲学の基礎ではなく・・・^^
仏教の基礎だな^^
「独立した自己は存在しません」
さて問題です^^
このことを仏教ではなんというのでしょうか?
はい↓ 「自分だけという独立した自我はどこにも存在しません。
すべてがあらゆる縁によって生かされている存在です。
これが仏教の説く真理です。」
ふむふむ^^
まぁまぁだな^^ 【色(物質的なかたち)は無常である。無常であるものは苦しみである。
苦しみであるものは非我である。非我であるものはわがものではない。
これはわれではない。これはわがアートマンではない。
正しい智慧をもってこのお〔道理〕を如実に観ずべし。】
(『サンユッタ・ニカーヤ』)
これやな^^ ん?
【洞窟(身体)のうちにとどまり、執著し、多くの〔煩悩〕に覆われ、迷妄のうちに
沈没している人、―このような人は、じつに<遠ざかり離れること>(厭離)から
遠く隔たっている。じつに世の中にありながら欲望を捨て去ることは、
容易ではないからである。】(『スッタ・ニパータ』772)
またまた・・おまえらでてきた^^
よくでてくるな^^ 「 心が変われば態度が変わる
態度が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる 」 う〜〜ん^^
世俗的にはいいかな^^
究極的には・・^^
ふ〜〜ん^^
やな^^ また他スレで暴れてしもうた^^
反省しないと・・^^ うん?
おまえら=沈没している人
これかな^^
うむ〜〜^^
おまえらの存在は勉強になる^^ ・・・で^^
なんでおまいら沈没してるんや^^
となる^^ 「何もしないでブッダになる 」
何もしないで水風呂に浮いてた方が悟れると思うんだよな^^
そういえば・・なんかあったな^^ アイソレーション・タンク
https://goo.gl/POIXX6
これだな・・^^ Catch Up! J.C.Lilly Talking
https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=5UgJrKFOdss
考えることはみんなおなじか^^ なんか重要なこと言ってたぞ^^
脳はそれ自体自立的な振動装置でそにおけるさまざまな振動の連続が意識である
・・とか
まぁ結局はニューロン の発火だったけどな・・^^
いやいや・・発火の元は振動かもしれん^^
振動がすべての原点か・・^^
となると・・^^
ビックバンかー^^ 今日もなんかいろいろあったけど・・^^
寝る^^
刹那滅かー・・^^
意識だけは継続する^^
なぜだ^^ 意識が脳・身体から自由を獲得すれば、
座脱・立亡・倒立亡が可能になる 磊落豪放(らいらくごうほう)な丹霞天然(たんかてんねん)和尚などは、
人と同じ死態(しにざま)では面白くないと言って、妹の尼と相談の上、
逆立ちして遷化(せんげ)した(高僧が死ぬこと)と禅家に伝わっている。
うん?
う〜〜ん^^
なかなかやな^^ う〜〜ん^^
今日も他スレで暴れてしまった^^
反省や^^
うん?
「刹那滅」という言葉が浮かんだ^^ 「刹那滅」
すべての存在は、生まれた次の瞬間には消滅する。しかし一瞬前の存在を因として次の一瞬の存在を生じるのである。したがって常に連続的に存在することができ、しかも、その新しく生まれる存在は、一瞬前の存在と全く同じではない。という理論です。 「アキレスと亀」
「無限級数が有限の値に収束する」
似てるな〜〜〜^^
この現象界というものは・・
「無限級数が有限の値に収束する」状態かもしれん^^ つまり・・・^^
0〜1の間の値が無限に刹那滅・刹那生を繰り返し・・
1という現象が現れているかもしれん^^ さてっと^^
温泉瞑想いく^^
温泉と仏教は繋がりがあるとみた^^
なぜなら^^
みんな自然に瞑想状態に入っている^^
つまりだ^^
う〜〜ん^^ 「ハーバード大学で仏教と温泉の関係について研究している若い仏教研究者がいたことを
思い出した。今日本中の温泉に入りまくっている、と笑いながら話していた。
彼によると弘法大師などの真言宗の僧侶が、日本の風呂文化のなかで浄めと癒しという概念を
普及させたというのだ。聖水の歴史は世界各地に古くからあるが、彼は日本人と温泉に関して
仏教的見地から研究していて面白いと思った。」
「浄めと癒し」かー^^
確かに^^
だか・・・^^
それにサウナと水風呂を加えると^^
その上をいく^^ うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ 今日はこれを試してみよう^^
「湯船に浮かんで、何もしないでブッダになる 」^^ そういえば・・^^
ブッダちゃんの絵がどこかの国の博物館にあったな・・^^
探してみるかー^^
30才ころのだったな^^ 梵音 般若心経 (サンスクリット版)インド人が唱える本家 般若心経
https://www.youtube.com/watch?v=4pVMCEZKk9E
これや^^
ロンドン博物館とある^^
本物か?^^
ロンドン博物館だからな〜〜^^
どうでしょう^^ 清飯王が画家に書かせたと書いてあるがいつのことだろう^^
だれか調べといて^^
では^^ 因縁果さんがようやく日帰り温泉に出かけられたようなので、
最古の仏典スッタニパータと初期仏教についての情報を
https://www.youtube.com/watch?v=V0VaUxjlM04&list=PLo_k7NnFhZlqwj1mgDMFC-5y9tHuhbgej
「ブッダの言葉」 中村元
簡単素朴な言い方で、人として歩むべき道を説いた「ブッダの言葉」。
インド哲学の第一人者が読み解くその言葉は、時代を超えて人の胸に迫るものがある。
人生の指針ともなる貴重な講演。
1991年 8月収録
1.最初期の仏教とは?
2.最古の経典スッタニパータ
3.願わしい心境「慈悲喜捨」
4.老死に通じる「知足の説」
5.三昧―心の安定が大切
6.ブッダの幸福論
7.神々が歓喜したブッダの誕生
8.予言されたブッダの将来
9.近親の死に打ちひしがれるな
10.ブッダが説く人生の指針
11.懐旧か新奇か
12.「最上の人」とは?
13.最終章「彼岸に至る道」の物語
14.バラモンとの対話
15.「生」と「老い」の理
16.現代人へのメッセージ 出家が29才その2年後^ ^
35才で悟っている^ ^
一旦出家して戻って来てるのか^ ^
うーん^ ^
なんかおかしい^ ^ ん?
お釈迦様が悟られて6年後?^ ^
41才やないかい^ ^
いったいどないなってんねん^ ^ ギリシャ哲学は印度哲学に影響を与え、
印度哲学はキリスト教に影響を与えた
シルクロードがそれを可能にした (//∇//)こんにちはー
今度の満月の晩に泥沼チャンネルから不還と思ったのですが…時々こちらにお立寄りしても良いですか? 隔離wなぜw
誰にですかw
ところで、2chに詳しくないのですが、自分のIDがコロコロ変わるんですよ。今日は上に5ch?とか書いてあるし。永住権の申請みたいなのが必要なのでしょうか。 >94
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1506075020/
↑このスレはもう死にかかっている
しかし、仏教や哲学に関する議論スレが必要だ
>1 の内容は、次スレで書き直せばいい
何もしないでブッダになる... >>95
きゃー(^^;)因縁果さんの備忘録かと思いました…スレ確認するまではw
むかし流行ったディラックの海を見るような結末にw
議論スレ(罵倒なく徹底的に論理的にするなら)は必要ですよね。自分自身の再確認にもなります。でも私は超苦手なので個人的に参加は遠慮かな…。 覚(さとり)は、日本の妖怪の一つ。
鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に記述があるほか、日本全国で人の心を見透かす妖怪として民話が伝えられている。 鈴木大拙全集5巻に般若心経の解説文がある
これは、鈴木大拙の著作の中でも最高峰だと思う
Amazon.co.jp: 鈴木大拙全集〈第5巻〉般若経の哲学と宗教,華厳の研究,金剛経の禅,楞伽経,楞伽経研究序論 (1968年)
https://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B000JBEHA4/ref=dp_olp_used_mbc?ie=UTF8&condition=used 自然の中のあちこちに、無限と円周率が潜んでいる
何故だろうか
無限の先にある魅力。アキレスと亀のパラドックスとその論破法を解説
https://atarimae.biz/archives/5584 >>100
おはようございます
「覚」という妖怪ですかw
今日のテーマで調べてみます と、20年以上ぶりにアーガマ読んでいて自分に必要な経典見つけました!
増支部(anguttara nikaaya)のなかに、睡意経(pacalayamana sutta)と呼ばれる経があるが、この経には、仏陀が、マハーモッガラーナ尊者に対して、昏沈と睡眠を克服するために、日に夜を継いで、光明(aaloka)を強める方法を教えた、ということが書かれている。
名付けて【寝落ち防止の教え】(私訳)
ええ極めますともw
猫が教祖かというくらいゴロゴロ寝ているの好きですもの。 >>110
デフラグ!
確かに(ググって見ながらコメント中)
(´∀`)寝落ち防止の教えの実行を行き過ぎないように気をつけます 顔文字から始まる時は、
とあるスレの火中の栗wさんと思うから >>113
おはようございます
>>107の麦さんもいらっしゃいますw
なんか可愛い、絵文字?かな
んー…火中の栗も次の満月で卒業したいですし… >114
おはようございます
「アーガマ」って阿含経そのものですか、
それとも阿含宗の雑誌? >>115
阿含経ですよーw
機関紙に載らないでしょうし
現在では読みませんよ
そうか…紛らわしいなぁ((´・ω・`)
教団名 観音様をおまいりするときは注意が必要です。千手観音は八方美人をやりがちで、まずい邪神の
言う事も術中にはまりつい聞いてしまい正しく動いてるほうを悪く考え出したりしてしまうことがある。
11面観音はこれがもっとひどい!何回ひっかかてるかわからない。(この点を前に馬頭観音様と
間違えて載せてしまったことがありました。大変失礼しました。)
キリストは行動力は抜群、しかしよくだまされるのか間違えることが多い。
またキリストの下のキリスト教の連中は不動明王にだまされてるのかなんだか知らないが、正しいほうへ
取り返していこうとするほうの邪魔をしてくる。
この点をよくよく反省し心のそこからかわりよくよく埋め合わせしてくるべきだ。 あ…とあるスレの地雷さんがいるw
ここはスレ通りに師匠にお任せするとして(本心:ワクワクwレスに期待…)…
で…とあるスレでお釈迦さまの悪口と〇〇さんの悪口をあのスレでするとは…。
(´∀`)踏みませんよーw
栗卒業するもん♫ >>118続き
すごい…誰も踏まない
ある意味無言の一致団結な。
とあるスレ住民は、本当はみんな仲良しさんなのかも…
(´∀`) >>122
HN考えよーっとw
師匠が「因縁果」で如意輪の人間界救済の蓮華を意味している感じだから…
_φ(・_・…んー
「冬虫夏草」
。・゜・(ノД`)・゜・。
って浮かんだ(涙)
いやぁぁぁああああぁ
「冬虫夏草」… >>123
_φ(・_・ん?!
…とあるスレの「毛が三本増えた」とは何だろう…オバQ?それとも波平さんの双子の兄弟の毛のこと?あ…そのコメが意識下にあって冬虫夏草が浮かんだのか?
…地雷なんか踏むもんですか…
私の短所は好奇心の塊ということ…
スレ間違い誤爆投下かしら?
(煩悩絶賛湧出し中…
でも絶対踏まない←苦行か?
…と思う←絶対じゃないじゃんw >>124
えぇい!
こういう時の魔法の言葉があるのよー!
デフラグっ!w One for all,all for one.
一人はみんなのために、みんなは一人のために。ラグビーの精神としてドラマで有名になりました。 >>127
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ相互扶助の精神ですねお
そんな世の中なら良いですね♪ >>126
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ水行ですか?サウナの冷水じゃないですか?w 世俗の世界やな^ ^
そのみんなと意識した時点で
分別が生じておる^ ^
分別は無明である^ ^
我執がなくなれば意識しないでも
自然とそうなる^ ^
悟りを得たものはそのような意識はない^ ^ >>126
おはようございます(^^)
【滝行と水行の違い】は何ですか?
。。。。。
恒例の旅で先月天川村に独り滞在して、龍泉寺におまいり…その前に椿さんと二見浦、伊勢から入って「禊」の方々を見かけたあとでしたので水が気になりました。
龍泉寺で、水行させていただくのに何か資格・所属などないとできないかおたずねしたら
「誰でもできます」と言われて。
お滝場と水場がありますが、その違いをおたずねしなくて気になったままです。 >>131
…涙
I.D.また変わっちゃいました…
覚ってなかった… >>114
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレおはようございます♪
この顔文字はコテキャラです
AA職人さんがアイデア出してくれてそれを元に作りました 我執とマハーカルナー(大悲)は、
どこが違うんだろう >>134
おはようございます
(´∀`)可愛いですね そもそも悟った人は対象がないと
分別がないと
故に無分別智であり
現量で見ていると
つまり比量ではみないと^ ^ >>136
ひふみ神たんのイメージです♪
麦が作ったのですがドゾーです
∞ナノノ))
(\从^∀^从/)
(-ヲっ†とイ -)
ヽ/| /|\ノ
|iノ\-フ`ゝ
~ ̄  ̄
*
∞ナノノ))/
(\从^-^从/)
(-ヲっ†とイ -)
ヽ/| /|\ノ
|iノ\`フ|
|(⌒∨⌒)
(⌒\ | /⌒)
>―(〇)―<
(_/ | \_)
(_∧_))
 ̄ ̄ 無明であるが故に自と他を分ける
故に我執が生じる^ ^ つまり世の理法を理解しておれば
自と他を分ける必要がないわけだ^ ^
故に我執は生じない^ ^ 世の理法を理解すること
それが智慧であり
無明が智慧にかわる^ ^ 簡単に言えば^ ^
なんでそんなものに執着しているの?
となる^ ^ ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ難しいなおぉ〜
でも執着しなければイイ♪ >>151
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレそれはなんとなく解ります 一つの理法を理解すればその現象が滅する
故に
すべての理法を理解すればすべての現象が滅する
すなわち涅槃寂静の境地に至ると^ ^ 簡単に言えば
すべての執着から離れられると^ ^
まぁそんな人いないけどな^ ^ すべての現象に対する執着から離れられる
と言ったほうがせいかくか^ ^ もっと簡単に言えば
分からないから執着し脳内輪廻の状態に陥る
ということやな^ ^ うん?
おまえら遊ぶなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
こらぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ^ ^ あら…思いついたハンネ「兎天飛」でしたが「兎飛天」が良さそう…
あとはI.D.コロコロ変わるのをなんとか… 釈迦には欠点があり7か37道品の最後の八正道は中道を軸に作っているが。
中道でいいところはいいが、裏目に出ると肝心のところで中道ではなく中途半端に
(中途挫折)に物事が終わってしまう。しかも釈迦は自分がそれで失敗すると、なんでも
正当化して、しかも本当に成功してる者を二面性屁理屈などをつかってけなして騙し
全部中途半端に引きずり落としてしまう、そうしておいてそのダメ達の中では自分が勝った
と錯覚しようとする。これでは悟り以外なんともならなくなる。
ここはどうにか改良、改善して使わなければならない。どうにか静と動になるようにしたい。
下の弟子のアーナンダや三蔵法師もこのまちがいにおそらく気づいてるにもかかわらず
仏教は縦社会だからか、黒いものも上が白と言ったら白にしてしまうのか、そのまずい釈迦に
なぞって、物事正しいほうへ取り替えそうとする人の邪魔をしてくる。
舎利ほつにいたってはもっとひどく、人が正しいほうへとりかえそうとするのを邪魔する
だけでなく、屁理屈くっつけて横取りドロボウしようとして、上の神々からとがめられている。
だから、アーナンダ、三蔵法師、舎利ほつも拝んではいけない 人間は無念無想になったら死ぬよ。
お釈迦様は悟られて無念無想でいつでも涅槃できたが
天の要請により「衆生のためにこの世に留まろう」と決意なすった。
無念無想で呼吸を続けたら心臓止まるぞ。それが第四禅定だろ?
だから生きているということは、何らかの思いがあるんだよ。 だから因縁果も思いや分別があり書き込みしてる。
みんなのためにというのも、偽善者はダメだが
お釈迦様が「衆生のために」ということで涅槃するのも思い止まられたように
エゴを排した「みんなのため」ならお釈迦様に通じるんだよ。 みんなの為
実は自分の為でもあり
その根底には我執がある それを意識した時点で我執が生じる
悟りを得た人は意識しなくても
つまり非我故に自然とそうなる
周りから見たらみんなの為に
と思うであろうな^ ^ 簡単に言えば
みんなのためと思った時点で
苦が生じないか?
苦が生じたらそれは我執となる^ ^ みんなと意識した時点で
分別つまり無明が生じる
虚妄分別
ここら辺は唯識がお得意としている^ ^ 分別により苦悩が生じるか^ ^
つまり分別=無明ということや^ ^ 分別により煩悩が生じるとか
なかなかやな^ ^
おまえもこうならんとあかん^ ^ つまりみんなと言った時点で煩悩が
生じていると^ ^ この煩悩とは我執のこと言ってると
思うけどな^ ^ 無明であるが故に分別する
しかしその分別は虚妄分別であると^ ^ まぁ簡単に言えば・・・^^
おばさんたちの世間話や^^
あの人はどうのこうの自分の自慢話^
分別し放題^^
つまり・・^^
煩悩全開ということや^^ スッタニパータ 734
およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁って起こるのである。
識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということは有りえない。 スッタニパータ 1037
アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。
識別作用が死滅することによって、名称と形態が残りなく滅びた場合に、
この名称と形態とが滅びる。 〔尊者ウダヤが尋ねた〕
「どのようにして、〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者の、
識知〔作用〕(識:認識作用一般・自己と他者を識別する働き)は止滅するのですか。
〔わたしたちは〕世尊に問い尋ねるために、やってまいりました。
〔わたしたちは〕あなたの、その言葉を聞きたいのです」〔と〕 スッタニパータ 学生ウダヤの質問1107の解説
1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索に
もとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、
であると、わたくしは説く。 1108 「世人は何によって束縛(そくばく)されているのですか?世人をあれこれ行動させる
ものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」
1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。
妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」 妄執(おまえら凡夫)を断ずることによって安らぎがある^^ スッタニパータは、
スッタニ・パータじゃなくて、
スッタ・ニパータが正しい どのようにして、自己と他者を識別する働きは止滅するのですか。 ついでに^^
「どのようにして、自己と他者を識別する働きは止滅するのですか。」
この答えは?
はい↓ 智慧により 識がなくなり 名色が 消滅すれば 解脱が起こる 答え
1111
「内面的にも外面的にも
感覚的感受を喜ばない人、
このようによく気をつけて行っている人、の
識別作用が止滅するのである。」 1105 ウダヤさんがたずねた、
「瞑想に入って坐し、塵垢を離れ、為すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の
彼岸に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明を破ること、正しい理解に
よる解脱、を説いてください。」
1106 師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、
1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るもの
であるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
1108 「世人は何によって束縛されているのですか? 世人をあれこれ行動させるものは何で
すか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」
1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を
断ずることによって安らぎがあると言われる。」
1110 「どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのですか?
それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことば
をお聞きしたいのです。」
1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている
人、の識別作用が止滅するのである。」 このあしらった言葉を経典にされてもなぁ〜〜^^
と・・ブッダちゃんは言っている^^ 今日は風が冷たい^ ^
水行にくらべたらまだまだ
と言いながら分別しておる
なぜなら無明だからである
無明だから比較する 覚醒のサイクルが始動すると、3時起きになるらしい
ラジニーシも「自分は何十年も、真夜中の3時に起きている」と言ってた >>203
ほらほら(笑)分別してるの自分だろ。
お前ら凡夫と言った時点でカンダタと同じだ。ぷっw
なはーにが大聖者だよ、なはーにが戯論寂滅だよ(笑)ほんと笑っちゃうよ俺。 ん?
悟りは自らの無明を知るところから始まる^ ^
ブッダちゃんの気持ちがよくわかる^ ^
さて問題です^ ^
経典にはなんと書かれているのでしようか^ ^ (´∀`)おはようございます
海潮音にあわせて声出しに行きましたw
重陽の菊酒や菊茶仕込みで菊な薫りが凄いですー(心内:仕事行きたくないーこのまま好きなことしていたーいw
…今日の十五夜さん、日本全国を照らしていただけたら嬉しいです。 海が宇宙だとしたら
波は現象界
時間と同じで一定の方向しか流れないのか?
引潮とは^ ^ もしかして逆流の時間 世界が
存在してる可能性があるな^ ^ 逆流の時間は、過去の時間へと遡ることかも。
時計時間を越え、光速を超えた思念のなかにあるかも。 うーん^ ^
今だってあっという間に過去だもんな
逆流にながされている^ ^ 阿頼耶識
瞑想の中で発見された深層の意識
まじかー^ ^
唯識派さすがや^ ^ 瞑想しかすることないもんな^ ^
ん?
ごめん^ ^ ん?
なにもしないでブッダになるかー^ ^
まぁ一理ある^ ^ これ貼っとく^ ^
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/yuisiki.htm >>239
「閃きを得た時」がそうなのかもしれませんね…。 >>247
昔、アラヤシキを利用して
幸福を得ようと言う、本を
読んだ事が有るがお主は
如何に考えるにゃん?
言ってみそ。( *・ω・)ノ >>249
幸福・不幸などという世俗の境地に住んでおらん^^
めざすは寂静の境地なり^^ 非我であるが故に幸福もなければ不幸もない^^
我執があるからそれらが生じる^^ 236因縁果2017/10/04(水) 10:10:29.54ID:Q6BdqR7n
もしかして逆流の時間 世界が
存在してる可能性があるな^ ^
237因縁果2017/10/04(水) 10:11:56.43ID:Q6BdqR7n
これを発見したらノーベル賞ものだ^ ^
調べてみた^^ 海が宇宙だとしたら
波は現象界
時間と同じで一定の方向しか流れないのか?
引潮とは^ ^
物理学者ホーキンス博士
「宇宙は今膨張を続けているが、将来のある時点で最大膨張に達する。
そうすると宇宙は収縮を始める可能性がある。宇宙の膨張期には時間は
過去から未来へと流れるが、収縮期に入ると未来から過去へと時間が流れる、
つまり時間の逆流が起こるだろう。」 ここ数年・・^^
幸福・不幸などという状態もないし観念もない^^
唯識が影響してるんだろうな・・^^
はたまた経典でもあられる私の脳が影響しているのか^^ う〜〜ん^^
そもそも不幸ってどんな状態なの?
ていう話やな^^ 煩悩・執着に囚われると幸福・不幸の状態に陥るのかな・・^^
やはり・・我執やな・・^^ 「愛だー^^幸福だー^^」か・・^^
仏教で言えば慈非か・・^^
もっと言えば・・平等性智か・・^^ 慈悲・・ね^^
他の人から見れば慈悲に見えるんだろうな^^
悟ればそれさえも意識しない^^ 「しかし、初期の仏教には「慈」(メッター)という概念や、「悲」(カルナ)という概念はありますが、
これらをくっつけた「慈悲」という概念はあまり見当たりません。
すくなくとも、わたしは出会ったことがありません。もしかしたら、後代の、中国や日本の仏教の
中でできあがった概念なのかもしれません。 」
ふむふむ^^
だろうな・・^^ 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。いかなる生き物生類で
あっても、怯えているものでも強剛なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも
、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
(スッタニパータ、「慈経」 145〜147)
我は万人の友なり。万人の仲間なり。一切の生きとし生けるものの同情者なり。慈しみの心を
修して常に無傷害を楽しむ。
(テーラガータ、608) つまり・・^^
簡単に言えば・・
我執がなくなれば他との分別がなくなるということ^^
五蘊無我の境地に到れば自然とそうなる^^
「愛だー幸福だー」は煩悩執着の世俗の世界^^
愛は憎しみに変わるんだよね^^
つまり・・
そうゆうこと^^ (´∀`)おはようございます
閃きは…未来の自分が与えているのかもしれません。
海よりも多くの涙を流していると阿含経のどこかに書いてありました…。これは時空を超えて並行宇宙をも考えての比喩かも知れませんね。
どの宗教、宗教されない誰もが望むことは「恒久なる心の平安」…至福のいたりかと。
次の旅の支度に入ります
また時々寄らせてくださいね
では 心の平安
すなわち
心の寂静
すなわち
心の止滅である 心のとは生存本能かも知れん^ ^
しかし仏教はそれをも否定する
その厳しさ故に真理に近づく^ ^ 涅槃は十牛図で言うと、
第七の「忘牛存人」あたりじゃないかな
このスゴロクは簡単には上がれない
ストーリーはまだまだ続く... 水滴は個我、大海は真我
大海が一粒の水滴に溶け合う時、仏性が顕現する その時人は、幸福−不幸が循環する世界を離れ、
Sat−Chit−Ananda に還る 海は混沌
波は秩序^ ^
たぶん混沌と秩序で検索すればなんかでてくるはず^ ^ そのあかつきには、人はこのように悟る ──
「当処即ち蓮華国、何もしないでブッダになる」 「何もしないで豚なる」かー^^
だれが上手いこと言えと・・^^
う〜〜ん^^
豚ちゃんがかわいそうである^^ 心が死滅ではなく^^
心を止滅なんだよな〜〜^^
ちなみに呼吸も時々止めた方がいいんじゃないかと^^
リセットだな・・^^
水の中で息を止めると・・
ほんとにそう思う^^ 「止」で、心を修して、貪を離れ、「心解脱」する、
「観」で、慧を修して、無明を離れ、「慧解脱」する
う〜〜ん^^ 心解脱では煩悩は残るが、慧解脱では煩悩の消滅が起こる。
う〜〜ん^^ 覚った人は感受性が無くなるのではなく、過剰にこだわることはなくなる、
こだわらないけれども深く感じる、深く感じるけれどもこだわらないという
心のあり方になるのだ。
「身心脱落」とは、身心に対する執着、身心から出てくる執着が抜け落ちた
ということであり、そこで無情は決定的に克服されて無常に転換したのである。
— 《道元のコスモロジー》岡野守也
う〜〜ん^^ 270因縁果2017/10/05(木) 04:41:33.40ID:M9hNxczS
情に流されると真理を見失なう^ ^
「無情は決定的に克服されて無常に転換したのである。」
だれがうまいこと言えと^^ とりあえず・・^^
「大聖者・因縁果さまが語りまくるスレ」
この大嘘をなんとかしろや^^ 人間関係のトラブルは、なぜ起こるのでしょう。
お互いの自我が表面化して衝突するからです。
一般的な処世術は、「楽に生きる」「幸せになる」「豊かになる」といった自分の欲望を満たす方向に向かい、自我意識を高めることを助長します。
ヨガ的処世術はその反対です。
ヨガでは、「自我意識を捨てる」「欲望から離れる」「執着を断つ」ことを解いています。
確か昨日書いたな・・^^ この本では、本当の自分とは、目に見えない真我(プルシャ)であり、その真我を実現することがヨガのゴールであると説いています。
そして、真我の実現のためには自我意識を消滅させなければならないと書いています。
「心の動きが止滅された時には純粋観照者たる真我は自己本来の態にとどまることになる」
(「ヨガ・スートラ」第1章3節)
ふむふむ^^ 「汝が自分中心の執着から生ずる迷妄を克服した時、汝はこれまで聞いた(経験した)こととこれから聞く(経験する)であろうことを区別しない無執着の境地に達するのだ」
(第2章52節) 「すべての欲望を捨てて執着することがなく「私が、私の」という思いもなく行為するものは誰でもが寂静(シャンティ)の境地に達するのだ」
(第2章71節) う〜〜ん^^
どうやら「ヨガ・スートラ」を書いた人はこのスレを見ておる^^
おいらの書いたことと同じことを書いておる^^
困った^^ シャンティ(śānti、shanti)は、サンスクリット語で「心の平安」の意。漢訳では「寂」。
寂静(シャンティ)・・サンスクリット語で「心の平安」
そういえば・・・^^
今朝「心の平安」とか言ってた人いたな・・^^
うわっ^^
賢者やないけ^^ いなくなったと思ったら・・
外道スレで・・
(´∀`)ノ こんなことやってたけど^^ ヨガの「シャンティ」は、日本語で言うと「寂静」
マントラを唱える時など、最後に、よく耳にするのが
「シャンティ、シャンティ、シャンティヒー」ですが、
日本語だと、「寂静、寂静、寂静」。心を静かにして、
過ごしましょう〜みたいな感じです
うん? 「オーム シャンティ シャンティ シャンティヒー」
シャンティとは、平安、平和、静けさ、喜びを意味する言葉です。
一つめのシャンティは、私の内面の妨げが解決されますように。
二つめのシャンティは、身の回りの妨げが解決されますように。
三つめのシャンティは、宇宙の法則レベルでの妨げが解決されますように。
3回唱えて、「すべての生きとし生けるものに平安がありますように」と祈ります。
うん? パールバティの息子であり、悲しみを破壊し、天使の主人であり、象の顔を持ち、
カピタジャンプーの実りをもたらす、『ガネーシャ』の足元の花びらに、私はひれ伏します。
6つの顔を持ち、クンクムのように赤い顔をして、偉大な知識を持ち、孔雀の神の上に
またがるシヴァの息子、デーヴァ(神)の統率者である、
『スッブラマンヤ』に救いを求めます。
クンダーの花や月、あるいは雪のように白い花輪を身に付け、
けがれない白い衣をまとい、ヴィーナで飾られた両腕に祝福のしぐさをたたえ、
白い蓮の上に鎮座し、ブラフマー、ビシュヌ、シヴァの礼拝を受ける女神『サラスワティ』よ、
どうか私をお守りください。
存在−知性−祝福、完全を体現する『シヴァ』に礼拝します。
私たちの先生 『シヴァナンダ』 に礼拝します。
私たちの先生 『ヴィシュヌ・デヴァナンダ』 に礼拝します。
吉兆をもたらし、願いの成就をもたらす、
3つの目を持つ聖なる母、ドゥルガ神
『ナラーヤニ』に礼拝します。
Om 平安 平安 平安 でありますように
うん? まったくもって意味不明^^
そんなの知らんがな^^
となる^^ 思い出した^^
これや^^
280因縁果2017/10/05(木) 12:55:39.27ID:nKIJpWzg
海は混沌
波は秩序^ ^
たぶん混沌と秩序で検索すればなんかでてくるはず^ ^ メソポタミアの創造神話においては、海は混沌(こんとん)たる無秩序の元素であり、
その混乱を克服し、宇宙に一定の秩序がもたらされるとき、人間の歴史が始まる、
という考え方が示されている。
メソポタミア神話の影響を強く受けたヘブライ神話でも、宇宙の初めには闇(やみ)に
閉ざされた原始の海があり、神の霊風がその表面を吹きまくっていたとされる。 ギリシア神話では、海は天地創造以前の元素ではなく、カオスすなわち混沌のなかから
生み出されたものとされ、人格的な神として表されている。
ヘシオドスの『神統記』によると、カオスから大地ガイア、および奈落(ならく)・地下のタルタロス
が生まれ、ガイアが天空ウラノスと海原ポントスを生んだ。そしてポントスはガイアとの間に、
怪獣、鯨などの巨大な魚族ケトや、優しい海の老人ネレウスを生んだ。ネレウスは、
海底の洞窟(どうくつ)に50人もの娘たちとともに住み、「偽りを知らず……頼りになり、
優しい気質で、掟(おきて)を忘れず、正義と親切をわきまえる」と歌われ、
おだやかな日和(ひより)の海を象徴している。そして、人間や神々に対して親切な
忠告や預言をするが、これは、海という世界の水を集める千古の秘密をたたえた場所には
知識が凝集している、という古代ギリシア人の考え方を現している。
そしてネレウスと娘たちは、ギリシア人の住んだエーゲ海の穏やかな美しさを反映している
といっていい。娘たちのなかにはプロト(帆を走らせる女)、グラウケ(海の青い輝き)、キ
モトエ(波の速さ)などがいる。一方海神としては、有名なポセイドンがいるが、
ネレウスとは対照的に気むずかしく、しばしば荒天や嵐(あらし)の海を表す。
ポセイドンは、地中海世界を縦横に航海した海洋民族としてのギリシア人が抱いた、
大洋の荒々しさの観念を象徴している。 「メソポタミアの創造神話においては、海は混沌(こんとん)たる無秩序の元素であり、
その混乱を克服し、宇宙に一定の秩序がもたらされるとき、人間の歴史が始まる、
という考え方が示されている。 」
う〜〜ん^^
これやな・・・^^
神話か・・・^^ 問題はなぜメソポタミア神話やギリシア神話の「海は混沌」を知っていたのか?
となる^^ メソポタミア神話やギリシア神話は実はおいらが書いた^^
というとおまえら凡夫が騒ぎ出すから止めとく^^
つまり・・・^^
海と波を見て混沌が思い浮かぶ感性が大事や^^
・・となる^^ うむ〜〜^^
鼻が少し高くなっておる^^
困った^^ 困ったと言ってるのに・・
全然困ってないのはなぜだろう・・^^ 刹那滅だからである^^
「刹那滅/瞬間的消滅」-すべての存在は瞬間的に消滅していること、
あるいは「瞬間的存在性」-すべての存在は瞬間的にのみ存在していること すべての存在は瞬間的に消滅し・・瞬間的にのみ存在している・・^^
う〜〜ん^^ >>299
師匠のところには、満月の晩にお立寄りさせていただこうと思っています。(電波が立たった満月の日ですが)
お伝え忘れて戻ってきました。
今朝の外道帝国崩壊wスレは出現は、十五夜が沈むのを静かに見つめたのちに「(´∀`)ノ。」と去ったつもりで「。」入れ忘れです。 未来…うーん
こんなこともできるかも?
>>888
大当たりです(´∀`)
おめでとう
では次の満月に(明日の次w) >>250
寂しい人間にゃん🎵 ( ・ε・)ノ
南無南無 (‐人‐) ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ風が無いと波が立たないし
温度差が無いと風が吹かないでしょうお それらが秩序を形成したとしても
おかしくはない
温度差と振動か
ビックバンかー^ ^ 宇宙は秩序で成り立つ
混沌からなぜ秩序が生じたのか? 振動はエネルギーを生み出し
秩序あるものは熱を伴う^ ^ この秩序が崩壊したら死を迎える
つまり人は秩序により保たれていると^ ^ 秩序ある周期の振動意識
乱雑な周期の振動意識
うーん^ ^ 発作がおさまって良かったw
59 名前:因縁果 ◆d........o [] 投稿日:2017/09/30(土) 22:10:04.74 ID:x5+KIJ09 [45/50]
また他スレで暴れてしもうた^^
反省しないと・・^^ 悟りを得たものに過去などない^ ^
今この時が永遠に続くのじや^ ^ 自分の反省を忘れてはいかんなw
71 名前:因縁果 ◆d........o [] 投稿日:2017/10/01(日) 08:26:09.33 ID:BJem1BLA [5/18]
う〜〜ん^^
今日も他スレで暴れてしまった^^
反省や^^
うん?
「刹那滅」という言葉が浮かんだ^^ >>336
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ凪もありますし離岸流もありますね 為された行為が自分に帰ると言うことだが
離岸流との結びつきが思い浮かばん^ ^ おーい、因縁果。
仏教哲学を、哲学入門書として「何々は何か」というテーマで表現したいんだが、
どうすればいいんだ。
あと、東洋思想、儒教とかの諸子百家とかも頼む。
それと、地獄から救済される論理について、地蔵菩薩とかキリスト教やイスラム教についても頼む。
なんか、諸宗にそれぞれマイナーながら地獄から救われる方法ってのはあるらしいんだな。
それを知ってまとめたいんだよ。 どう考えても無理ですね^ ^
僕とか頭悪いんで^ ^ 頼りにしていたのに、くそおおお。
やっぱり、仏教の根本の迷いは、五感と意識が苦しむのをどうにかしたいってところなのかな? 346.
方法論をもっていない、ということである。 仏教では誰も救われないにゃん🎵
南無南無 (‐人‐) >>348
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ麦はリセットポン♪を手に入れたお
もう終わった事なのだw
うひゃひゃ〜♪ 自己とは何か?を求めるものはこれと似たような道を辿っているはず^^
『十住心論』空海
人間の心を10段階に分け、それぞれに当時の代表的な思想を配置することによって
体系を築いている
異生羝羊心 - 煩悩にまみれた心
愚童持斎心 - 道徳の目覚め・儒教的境地
嬰童無畏心 - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地
唯蘊無我心 - 小乗仏教のうち声聞の境地
抜業因種心 - 小乗仏教のうち縁覚の境地
他縁大乗心 - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地
覚心不生心 - 大乗仏教のうち中観・三論宗の境地
一道無為心(如実知自心・空性無境心) - 大乗仏教のうち天台宗の境地
極無自性心 - 大乗仏教のうち華厳宗の境地
秘密荘厳心 - 真言密教の境地 正のエントロピーの法則にしたがって、集束したものは必ず拡散する。
人の意識も、例外ではない 真理を語ることが救済になるのかと言えば・・^^
うむ〜〜^^
となる^^
ブッダちゃんは人を救済するなんて思っていないと思うけどな・・^^ 「仏教では誰も救われないにゃん🎵」
ブッダちゃんの言葉で目覚めないおまいらが悪いとなる^^ 極論を言えば・・^^
仏教は人を救う者ではないと^^
人を目覚めさすものであると^^ 仏教者は人を救おうなどと思わず真理を語れと^^
語れないから救おうなんて邪道な考えがでてくる^^ 仏教者たるもの真理を語り人を目覚めさすものであると・・^^ いや〜〜〜^^
経典でもあられる私の脳が申しておる^^
控えよ^^ 仏典を読む行為は、読み手である私たちが仏典に含まれる理解しがたい内容を切り捨てるの
ではなく、豊富な内容を含んだ仏典との対話によって、私たち自身を変えていく試みにほか
ならない。
う〜〜ん^^ 私は要らぬ考えが堂々巡りして寝られなかった経験から、五蘊皆空の意味が分かった気が
します。脳が認識するから現実が作り出され、脳が認識しなければ現実は存在しない。
だから脳で作り出され、脳のスクリーンに映し出される想念は実際は蜃気楼みたいなもので
現実には存在しないのですね。
坐禅は考えを捨てる訓練でそれを続けることによって普段でも要らぬ考えを頭から捨てられる
ことができるようになります。つまり「五蘊盛苦」から逃れることができるようになるのです。
坐禅が「安楽の法門」といわれる所以ですね。お釈迦様はこういう真理を見つけたのだと
私なりに納得した眠れぬ夜でした。
つまり・・こういゆうこと^^ 簡単に言えば・・^^
真理を語っているものが本物である^^ う〜ん^^
ブッダちゃんの声が聞こえる・・^^
「救いを求めず私の言葉に耳を傾けなさい・・
そして自ら悟りなさい・・そうすれば救われるであろう」
と・・・^^ う〜〜ん^^
不思議なことがある・・・^^
仏教徒でないおいらがなぜ仏教を語るのか・・^^
まったくもって不思議である^^ どうも他スレに行って暴れる傾向がある^^
反省しないと^^
・・ということで・・^^
温泉瞑想に行き水で身を清めてくる^^ >>359
人其々の運命にゃん🎵 ( ・ε・)
南無南無 (‐人‐) 携帯からもトリップが使えるようになったのである^ ^
控えよ^ ^ 人の死は確定している
運命とは我執であり・・虚妄でしかない
ゆえにただ宇宙の法則に従うしかない 因の中に既に果が含まれているんだよな^^
時の流れが人を惑わせる^^ 時空間を歪めるのは重力かー^^
重力は一番弱い力・・
次元を超える力・・ 「暗証の禅師」
座禅ばかりしていて教理をおろそかにする禅僧
「文字の法師 」
経論の言葉の解釈ばかりにこだわり、悟りの修行を忘れている僧。 「秩序があるものは、その秩序が崩壊される方向にしか動かない」^^ 感単にいうと・・^^
執着・こだわりは無明から生じる^^
無執着の境地になれと^^
・・・で
無明が智慧に変ると・・^^
簡単に言えば・・・^^
この現象のあり方を知れば・・
執着・こだわりが滅せられると^^
こうなるんだが・・^^
やはり・・そうなるには修行と仏法を理解することが不可欠であると^^ それには煩悩障と 所知障を克服する必要があると言われている^^ 「我執」は、実の有情ありと執ずる実我の盲見で、すべての煩悩を引き起こすもとたるものである。
「法執」は、実の諸法ありと執する実法の盲見であり、真実のありようを知ることをさまたげる。
う〜〜ん^^ 「十二縁起の無明は、「分別起の煩悩障」と規定するのが唯識の説
う〜〜ん^^ みなさん不動明王は拝んではいけません。一瞬よくなったように見えても、もともと悪く
なるように仕組んでおいて、それをはずしてるだけだったりするので、その後また悪くなる。
徳がつんであって障害者になる運命じゃない人をなんくせつけて不正に障害者になるよう仕向
けたり、借金地獄になるような運命じゃない人を借金地獄になるよう仕向けたりしてます。
また落ちこぼれの人に教えるよう救いの手を差し向けるとそこをねらってその落ちこぼれの
人の運命と入れ替え逆になるようしむけたりもあります。また幼いころから釈迦などと
後でもめるよう仕向けたりしておいて、後でもめてるところを、自分は釈迦とグルになるよう
はからったり、情報では2万年前のソドムとゴモラの町も別に悪い町じゃなく今より何百年か
何千年かすすんだ科学都市だったらしいですが、それで他の惑星と友好的にやっていこうと
してたのに、例の不動の癖で嫉妬とひがみにくるった状態で裏からヤハウェに「あれでお宅の惑星
を攻めてくるつもりです」と嘘を巧みな話術と幻術で洗脳し滅ぼすように仕組んだりもありました。
とにかくひがみと嫉妬に狂っていて汚くずるい。カリスマ性もカリスマ性持ってる人から
奪い取って嘘のカリスマ性で周りを呼び込んでいます。
ビートたけしは家が真言宗だと聞いたが、不動はおがんではいけません。だからか、最近ギャグ
を言ってもぜんぜん面白くないし、映画もたいしておもしろくない。というよりは真言宗が一番中心に
となえる神から不動明王を排除して降三世明王や他の明王にすべきです。不動は悪い方へ行って
しまったのではなくもともと何万年と人類や上の神仏をだましてきたのです。
上の神様大日如来もパワーがほしいときあるいは怒りがほしいとき不動とがったいしてはいけません。
記憶、記録も思いもいいように嘘にすりかえられてしまいます。 、「意識的な我執とそれに基づいて悪心が、苦果を結ぶ業を発する」
う〜〜ん^^ 「様々な執・障の中で、様々な煩悩の中で、特に分別起の煩悩障こそが
迷いの生死輪廻に向けて発業する」
う〜〜ん^^ 「『成唯識論』で確認すると、煩悩障を転じて、涅槃を得る、そして、所知障を転じて、
無上覚を證する、という。 」
う〜〜ん^^ 「煩悩を転ずるに由て大涅槃を得、所知障を転じては無上覚を證す。
唯識を成立することは、意、有情に斯の如き二転依の果を證得せしめんが為なり。」
う〜〜ん^^ 見道以前において、分別起の二障の現行を伏し、見道において種子および習気を断捨する)。
煩悩を断じて大涅槃と無上覚(菩提)の一分を證得するわけである。
ふむふむ^^ う〜〜ん^^
唯識もがんばっておる^^
世親ちゃんと無着ちゃん今何をしてるかな〜〜^^
となる^^ つまり・・^^
おまえら凡夫は・・・^^
「無明がゆえに迷いの生死輪廻に向けて発業している」
となる^^
う〜〜ん^^
おまいらも大変やな〜〜^^
となる^^ 「執・障の中で、様々な煩悩の中で、特に分別起の煩悩障こそ・・・」
これは大事だけれども・・・^^
分別起の煩悩障を克服すれば分別から無分別智に変えるのは・・^^
仏教を極め長い年月の修行がいるのは当然^^
う〜〜ん^^ 今日も超越神力の守護をありがとうございます!
神やグルとの絆の深さを感じております! 十二因縁は無明からの順観及び逆観しか書いてない・・^^
無明が滅した後はどうなるのか・・・^^ 無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死
↓
智慧→?→?→?→?
う〜〜ん^^ 智慧
↓
前五識は成所作智
意識は妙観察智
末那識は平等性智
阿頼耶識は大円鏡智に転ずるとされている その心の動きを「識 の転変 」と言う。その転変には三種類あり、それは
異熟(いじゅく) - 行為の成熟
思量(しりょう) - 思考と呼ばれるもの
了別(りょうべつ) - 対象の識別
の3である。識の転変は構想である。それによって構想されるところのものは
実在ではない。したがってこの世界全体はただ識別のみにすぎない。 『般若経』の空を受けつぎながら、まず識は仮に存在するという立場に立って、
自己の心のあり方を瑜伽行の実践を通して悟りに到達しようとする。 無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死
これを一日中見てたんだろうな・・^^ ・・・で
う〜〜ん^^
「識か〜〜〜^^」
ふむふむ^^
となる^^
無明が智慧に変るとどうなる^^
う〜〜ん^^ 戒定慧(三学)
戒をまもり生活を正すことによって定を助け
禅定にある心によって智慧を発し
智慧は真実を正しく観察(かんざつ)することができ、それによって真理をさとり、仏道が完成される。 戒定慧(三学)か〜〜^^
おまえらとまったく関係のない話や〜〜^^ この「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」をセットで行うのが、仏教における実践行になります。そしてこの「戒・定・慧」をより具体的に項目化したのが、八正道になります。
ふむふむ^^ 最もシンプルな八正道の形は、
戒(かい)・定(じょう)・慧(え)というものです。これを三学(さんがく)といいます。
戒(かい)・・・普段の生活における「行為」「言葉」「心のあり方」を浄めていく実践です
定(じょう)・・・サマーディ、サマタ、禅、ジャーナ、止、といい、禅定を意味します。深い瞑想を得る修行です。
慧(え)・・・サティ、念、気付き、観、ヴィパッサナ、これこそ仏教の特徴であって、
智慧を獲得する瞑想になります。 行
「行」は行為・行動であるから業(ごう、कर्मन् karman)と同義に使われ、
身口意の行いを「行業」という。
我々の身心を構成する五つの要素である五蘊(ごうん、色受想行識)の「行」と、
十二因縁(十二縁起)の第二支の「行」は、いずれも意識を生ずる「意志作用」
「志向作用」である。心の働きが一定の方向に作用していくこと、意志形成力の
こと。例えば、桜を見て、その枝を切って瓶にさしたり、苗木を植えてみようと
思い巡らすこと、が挙げられる。 脳科学評論家:辻本悟史によると
意思決定時の脳波を測定する実験
何かをやってもらう前に、今決めましたと報告してもらう
すると報告させたタイミングよりも前に脳波が変化していた
●意識よりも前に脳波は変化している
それを決定しているのは脳の前頭前野の先端部分
さらに意識が発生するには、
約5万個の神経細胞が活動する必要がある
それらの神経細胞が活動する前に脳波が変化している 行 やな^^
うん?
無明→行→識
あってるやないかい^^ 知恵→行→識
ここの識の部分が鍵を握るな・・^^
故に唯識派は頭をひねったということか・・^^ E■□□□□F
師匠…お休みになられたような…
それとも遠征かしらw
すごい勢いでコメントが…私が亀なら師匠は渦巻き!(イミフ)。脳内speedも相対性理論が適応されているかもしれないわね…
E■■□□□F
…太平洋を渡る鳥ってずっと飛び続けていると思ったら大間違いだわ。太平洋のど真ん中でも砂が堆積した小さい島があってそこで休んだり、流木とかの漂流物で休んだり…マンボウの…いやそれはないかも…。海図存在の意味がわかるわ…
(´∀`)ふー…
E■■■□□F
。。。。。。
夫れ仏法遥かに非ず心中にして即ち近し。
(仏の教えは、はるか遠くにあるのではなく、
自らの心の中にあって、まことに近いものである)
真如外に非ず、身を棄てて何んか求めん。
(真実の姿真理は外にあるのではない、この身を捨てて何処に求めようというのか)
空海
。。。。。。
E■■■■■F
charge完了w
バサバサバサ…w >>418 前頭葉はフェイク。本当は後頭葉だ。だまされるな。 同じ反省を何回も何回も...
サル以下だな
370 名前:因縁果 ◆d........o [] 投稿日:2017/10/07(土) 10:53:51.52 ID:nlzYC0Jg [15/20]
どうも他スレに行って暴れる傾向がある^^
反省しないと^^
・・ということで・・^^
温泉瞑想に行き水で身を清めてくる^^ 81.
Selo yathā ekaghano, vātena na samīrati,
一つの岩の塊が、風によって揺がないように
Evaṃ nindāpasaṃsāsu, na samiñjanti pa-.itā.
非難と賞讃に、賢者は動揺しない。
82.
Yathāpi rahado gambhīro, vippasanno anāvilo,
深い湖が澄み、濁りがないように
Evaṃ dhammāni sutvāna, vippasīdanti paṇḍitā.
諸々の真理を聞いて、賢者(の心)は澄む。
83.
Sabbattha ve sappurisā cajanti, na kāmakāmā lapayanti santo,
実に善き人々は、どこにいても捨てる。善き人々は欲づくで話さない。
Sukhena phuṭṭhā atha vā dukhena, na uccāvacaṃ paṇḍitā dassayanti.
楽に触れても、苦しみに触れても、賢者は動転を見せない。
う〜〜ん^^
これ使えるな・・^^
459神も仏も名無しさん2017/10/09(月) 07:10:53.95ID:piUZt1yC
http://www.geocities.jp/murasehirosi_home/suttanipata.html#metta
慈しみについては聖典にも説かれている。
piUZt1yCさん教えてくれてありがとう^^ 読んでいたら時間をわすれる^^
では温泉瞑想に行く^^ 1107.
“upekkhā-sati-saṃsuddhaṃ, dhamma-takka-pure-javaṃ.
平静さと念の清らかさ、その先行者としての真理にかんする思索
―aññā-vimokkhaṃ pabrūmi, avijjāya pabhedanaṃ”.
―これが、無明が破壊された、正しい理解による解脱であると、私は説く 1099.
“yaṃ pubbe taṃ visosehi, pacchā te m'āhu kiñcanaṃ.
過去にあったものを、涸渇せしめよ、未来に、汝に何ものもないようにせよ
majjhe ce no gahessasi, upasanto carissasi.
中間(=現在)で、もし何も取らないならば、静まったものとして歩むであろう 1085.
“tvañ ca me dhammam akkhāhi, taṇhā-nigghātanaṃ, muni.
あなたは、わたしに真理をお説きください、渇愛を破壊する(真理)を、聖者よ
yaṃ viditvā sato caraṃ, tare loke visattikaṃ”.
それを知って、気をつけて歩めば、この世の執着を渡ることのできる(真理)を
1086.
“idha diṭṭha-suta-muta-viññātesu piya-rūpesu, hemaka.
この世で、見、聞き、考え、意識したものにおける、好ましいものにおける、ヘーマカよ、
chanda-rāga-vinodanaṃ, nibbāna-padam accutaṃ.
意欲と、貪りとを、取り除くことが、不滅の涅槃の境地である
1087.
“―etad aññāya ye satā diṭṭha-dhamm'ābhinibbutā.
―それを知って、注意深く、現世において寂滅した人々
upasantā ca te sadā, tiṇṇā loke visattikan”ti.
かれらは、つねに寂静であり、この世の執着を渡ったのである 1070.
“ākiñcaññaṃ pekkhamāno satimā, (upasīvā'ti bhagavā)
(ウパシーヴァよ、と師は答えた)無所有を望みつつ、気をつけて
'natthī' ti nissāya tarassu oghaṃ.
‘ない’ということにたよって、激流を渡れ
kāme pahāya, virato kathāhi,
諸々の欲を捨て、話を避け
taṇhakkhayaṃ nattam-ah'ābhipassa”.
渇愛の滅尽を、昼夜に観ぜよ 354.
Sabbadānaṃ dhammadānaṃ jināti, sabbarasaṃ dhammaraso jināti,
真理を与えることは、全ての贈与にまさり、真理の味は、全ての味にまさり、
Sabbaratiṃ dhammarati jināti, taṇhakkhayo sabbadukkhaṃ jināti.
真理の楽しみは、全ての楽しみにまさり、渇愛の滅尽は、全ての苦しみにまさる。 「“upekkhā-sati-saṃsuddhaṃ, dhamma-takka-pure-javaṃ.
平静さと念の清らかさ、その先行者としての真理にかんする思索
―aññā-vimokkhaṃ pabrūmi, avijjāya pabhedanaṃ”.
―これが、無明が破壊された、正しい理解による解脱であると、私は説く 」
「真理にかんする思索」・・^^ 第5 彼岸に到る道の章 14.ウダヤ経(ウダヤ学生の問い)
○中村元先生訳
1107
平静な心がまえと念いの清らかさ、
──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、
──これが、無明を破ること、
正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
○正田大観先生訳
1114.(1107)
〔諸々の認識の対象にたいする〕放捨(捨)と気づき(念)という清浄なる〔境地〕、
〔あるがままの〕法(真理)という〔正しい〕考え方を先導とする〔解脱の境地〕
――〔これらを〕了知による解脱と、
無明の破壊と、〔わたしは〕説きます」〔と〕。 >>436
仏教は痩せ我慢とは違うにゃん🎵
哲学の限界は我慢する事を
尊しとするスタンスに有る
にゃん🎵 ( ・ε・)ノ つまり・・^^
taṇhakkhayaṃ nattam-ah'ābhipassa”.
渇愛の滅尽を、昼夜に観ぜよ
となる^^ 唯識論の四煩悩・・我癡、我慢、我愛、我見の四煩悩
この末那識は、眠っていても醒めていても、いな、生死輪廻するかぎり、
つねにこころの奥深くで「わたし、わたし」と自我を設定してその自己に
執著しつづけるこころであるからである。審かに考えるとは、このこころは、
我癡(自己についてのおろかさ)、我見(自己の設定)、我慢(自己へのおごり)、
我愛(自己への愛着)という四つの煩悩とつねにともにはたらいて、根源的な
こころである阿頼耶識を対象にして、それを「わたし、わたし」と審かに、執拗に
執着するからである。 >>441
四大元主無
五蘊悉空也
如何せん?因縁果よ。
南無南無 (‐人‐) めぐる めぐる めぐる因果は 糸車
めぐる めぐる めぐる月日は 巡り合い
あしたは どんな人に会うだろう
どんな人に会うだろう
大きな気分でいってみよう!
「仁義礼智忠信孝悌!」
いざとなったら 珠を出せ!
力があふれる 不思議な珠を〜♪ インドの山奥で 修行して
ダイバダッタの 魂やどし
空にかけたる 虹の夢
いまさらあとへは ひけないぞ
だから行くのだ レインボーマン〜♪ taṇhakkhayaṃ nattam-ah'ābhipassa”.
渇愛の滅尽を、昼夜に観ぜよ 445.
それでは、渇愛が昼夜に、存在していることになる。 “yaṃ pubbe taṃ visosehi, pacchā te m'āhu kiñcanaṃ.
過去にあったものを、涸渇せしめよ、未来に、汝に何ものもないようにせよ 447.
無となるのは通過点である。
それは常態ではない。 >>451
君にも見える ウルトラの星
遠くはなれて 地球にひとり
怪獣退治に 使命をかけて
燃える街に あとわずか
とどろく叫びを 耳にして
帰ってきたぞ 帰ってきたぞ
ウルトラマン〜♪ 1085.
“tvañ ca me dhammam akkhāhi, taṇhā-nigghātanaṃ, muni.
あなたは、わたしに真理をお説きください、渇愛を破壊する(真理)を、聖者よ
yaṃ viditvā sato caraṃ, tare loke visattikaṃ”.
それを知って、気をつけて歩めば、この世の執着を渡ることのできる(真理)を
1086.
“idha diṭṭha-suta-muta-viññātesu piya-rūpesu, hemaka.
この世で、見、聞き、考え、意識したものにおける、好ましいものにおける、ヘーマカよ、
chanda-rāga-vinodanaṃ, nibbāna-padam accutaṃ.
意欲と、貪りとを、取り除くことが、不滅の涅槃の境地である
1087.
“―etad aññāya ye satā diṭṭha-dhamm'ābhinibbutā.
―それを知って、注意深く、現世において寂滅した人々
upasantā ca te sadā, tiṇṇā loke visattikan”ti.
かれらは、つねに寂静であり、この世の執着を渡ったのである、 >>455
逃げていたら何も理解しない
内にくたばるだけにゃん 🎵
南無南無 (‐人‐) 裏柳生口伝に曰く、戦えば必ず勝つ。
此れ兵法の第一義なり。
人としての情けを断ちて、
神に逢うては神を斬り、
仏に逢うては仏を斬る。
然る後、初めて極意を得ん。
斯くの如くんば、行く手を阻む者、
悪鬼羅刹の化身なりとも、豈に遅れを取る可けんや。 >>457
江戸の裏柳生は結局最後の
最後まで紀州の宗家柳生には
勝てなかったにゃん🎵
南無南無 (‐人‐) >>459
それは専門外だからにゃん🎵
スレチは出て行けと言えば
良いにゃん🎵 ( ・ε・)ノ 水波の喩え
水面、湛湛として高下あること無く、相貌有ること無し。
(静かな)水面は、なみなみとして高下はなく、また姿形はありません。
風等の縁来たるとき、波浪、忽念として起こる。
そこに風などの原因が来たとき、波浪がたちまちにして起こります。
その勢、或は高く、或は下し。
その勢いは、あるところは高く、あるところは低い。
その形、華の如く、綾の如し。
その形は、華のようであり、また綾のようです。
今、この事相は縁来たれば、すなわち生じ、縁謝すれば、すなわち滅す。
今のこの現象の姿は、原因が来れば生じ、原因が去れば、消滅します。 その水の体性は、縁来たるによって、まさに始めて起こることを得るに非ず、縁尽きるによって
、まさに随って滅することを得るに非ず。
しかし、その水の本体・本性は、原因が来ることによって始めて起こったものではないし、
原因が尽きることによって、それとともに滅してしまうようなものでもない。
今、しばらく波に対して不生滅と為す。
今の例でいえば、波と比べて、(水の本体・本性は)生滅することがないと言えます。
ゆえに、水を以て本有常住に喩う。
ここから水を、根本存在の常住性に喩えます。
豈、彼の波と一向に相即せんや。
どうして、あの波と全く同一であると言えようか。 然るに波は、全く水なり。
しかし、波はすべて水です。
水の外に何の別の物体あらんや。
水のほかに、どのような物体があるというのか。
是の如く見るときは、また実に不離なり。
このように見れば、また実際に離れてはいないとも言える。
これすなわち波相は仮有・実無にして、有相に似たりといえども、而も定実の相なし。
ここから波の姿は仮の有、実際には無であって、あるように見えるけれども、実体としての
定まった姿はないのです。
起滅に似たりといえども、而も実の起滅なし。
起こったり滅したりしているように見えるけれども、実際に(実体が)起こったり滅したりして
いるわけではありません。
衆多に似たりといえども、実の衆多なし。
数多くのものがあるように見えるけれども、実際に(実体が)数多くあるわけではありません。
如幻・縁生にして難思の故なり。
幻の如く、原因から生じるものであり、(その実際を)思うことが難しいからです。
波、もし堅実ならば、水とは偏に別なるべし。
波がもし堅実なものであったなら、水とは全く別のものとなるだろう。
波は虚仮のゆえに水と相和して不即不離なり。
波が虚仮であるがゆえに、水と相い和して、一体でもなく離れているのでもないのです。 諸法の事理の不即不離、この譬喩を以て知るべきおや。
さまざまなものの現象的な現れとその真理が、一体でもなく離れているのでもないことは、
この譬喩で以て知るに越したことはないであろう。 う〜〜ん^^
少し前に波についてここに書いたが・・^^
波を見てどこまで悟れるかだな・・^^ (静かな)水面は、なみなみとして高下はなく、また姿形はありません。
そこに風などの原因が来たとき、波浪がたちまちにして起こります。
その勢いは、あるところは高く、あるところは低い。
その形は、華のようであり、また綾のようです。
今のこの現象の姿は、原因が来れば生じ、原因が去れば、消滅します。 そういえば・・・^^
だれかが風とか温度とか言ってたな・・・^^
「綾(あや、りょう)」
綾(あや) - ななめに交差する織物のあり方の総称 しかし、その水の本体・本性は、原因が来ることによって始めて起こったものではないし、
原因が尽きることによって、それとともに滅してしまうようなものでもない。
今の例でいえば、波と比べて、(水の本体・本性は)生滅することがないと言えます。
ここから水を、根本存在の常住性に喩えます。
どうして、あの波と全く同一であると言えようか。 しかし、波はすべて水です。
水のほかに、どのような物体があるというのか。
このように見れば、また実際に離れてはいないとも言える。
ここから波の姿は仮の有、実際には無であって、あるように見えるけれども、実体としての
定まった姿はないのです。 起こったり滅したりしているように見えるけれども、実際に(実体が)起こったり滅したりして
いるわけではありません。
数多くのものがあるように見えるけれども、実際に(実体が)数多くあるわけではありません。
幻の如く、原因から生じるものであり、(その実際を)思うことが難しいからです。
波がもし堅実なものであったなら、水とは全く別のものとなるだろう。
波が虚仮であるがゆえに、水と相い和して、一体でもなく離れているのでもないのです。 今のこの譬喩は、互いに一体であることの譬喩です。
水と波は、全く一体であって、いかなる意味においても別ということはありません。
だから風などの原因によって起こる波の姿は、実体としての本体があるわけではありません。
ただ、それは水面が上下しているだけです。
華などの姿に似ているのは、ただの相似であって、実体として、その姿のものがあるわけでは
ありません。
もし、これを喩えとすると、さまざまなものも、また真理の外にあるわけではなく、
原因と結果の鎖の中にあるさまざまな現象の姿は、ただ、みな迷っている者の前に現れる
対象でなければなりません。
う〜〜ん^^
まさかと思ったら・・^^
ここから唯識にいってしまったか・・^^
波から唯識か・・・^^
う〜〜ん^^
どんだけ唯識が好きやねん^^ 真理というものは単独で真であるのではなく、かならず世俗的な事柄の真であるからです。
真理も世俗も、すべてはじき出して無としてしまうならば、これは大変誤った考えとなります。
もし、それでも現象はなく、真理のみあるというならば、その道理は必然的にあり得ないもの
となってしまいます。
もし、現象をはじき出してはいない、迷いの前にはそれはあるのだから、と言うならば、
悟りの前には無いことになる、どうして(悟りの前の)現象を許さないのか。
妄情の前には有るものの、道理としては無いと言っているのは(遍計所執性)、ものの本体
(依他起性)のことではないから(悟りの前には有る)。
もし、このような理屈によって、悟りの前の現象を許すのであれば、全く一体であることは、
こちらからは責めていないのに、自ら破れてしまう。
生じることのない真理の上に生じたり滅したりしている虚仮の存在の姿は、必然的に
相分かれて唯一ではないのであるから、もし虚仮であるから一体だというなら、
また虚仮であるから一体となすことは決まって難しいとも言えるだろう。
すなわち、これが一体でもなく離れているのでもないということなのです。
どうしてこれが、全く一体でなければならないことになるのだろうか。
もし、これによって、私は一体でもなく離れているのでもないことを認めると言うのなら
、法相宗の教えは自然に成立することになる。 『成唯識論』に、「資糧位の中で、深く信解するようになり、加行位で、徐々に客観・主観を抑え、
除き、真実の見方を引き起こし、通達位で実際に真如に通達し、修習位の中で、
その目で見た真理を何度もくり返し修習して、残っている障礙を抑え、除き、究竟位に至って、
障礙から抜け出て円明となる。
「良遍の唯識教学の特異性--事理の不即不離に関連して 」
なんぞ^^ 「良遍の唯識教学の特異性」
波から唯識を見ちゃうもんな^^
すんばらしいとしておくか^^ 280因縁果2017/10/05(木) 12:55:39.27ID:nKIJpWzg
海は混沌
波は秩序^ ^ 波の姿は仮の有、実際には無であって、あるように見えるけれども、
実体としての定まった姿はない う〜〜ん^^
良遍ちゃんとおいらを足して2で割ればちょうどいいな^^ 秩序は仮の有、実際には無であって、あるように見えるけれども、
実体としての定まった姿はない
エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)
時間の進行に伴って、事物は秩序ある状態から無秩序な状態へと、乱雑さの度合いが
増していく 秩序は実体としての定まった姿はない
諸行無常・・^^
仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり
、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない 諸行無常=エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)やな^^
生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在である
にもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。
この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場 良遍ちゃんとおいらを足して2で割ればちょうどいいな^^
↓
「秩序は実体としての定まった姿はない」
名言や^^ >>484
悟りとは如何なる責め苦に
遭遇しても笑みを絶やさず
悲鳴も上げず心折れない
状態を保つ事にゃん🎵
断じて言葉遊びでは無いにゃん🎵
貴方にその覚悟は有るにゃん?
南無南無 (‐人‐) “vacasā manasā ca kammanā ca,
言葉によっても、心によっても、行為によっても
aviruddho sammā viditvā dhammaṃ.
逆らわず、正しく真理を知って
nibbāna-pad'ābhipatthayāno,
涅槃の境地を求めながら
sammā so loke paribbajeyya.
かれは、この世で正しく遍歴するであろう ん?
きこえな〜〜い^^
ブッダちゃんの言葉しか聞こえん^^
困った^^
寝る^^ >>487
あなたには、水の如き柔軟さが無いように思う。 ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ潮の目に海草やゴミが集まって船のスクリューが止まる事もあるんですけど
太平洋ゴミベルトの様な大規模なものまでありまして
そのゴミを餌と間違えた魚やその魚を食べた魚や鳥が死んでしまったりします
潮の目って海水の流れの差だったり温度差や濃度差だったり混じり合っていない境目なんですよね
海水は一つであり一つではありませんね 心を空にするんだ。
形を捨てて
水のように
水をカップに注げは、水はカップとなり
水をビンに注げば、水はビンとなる
そして急須に入れれば急須になる・
水は流れる事も砕く事もできる
友よ 水になるんだ 2500年前に真理と言ってる^ ^
驚きである^ ^ 日本人で弥生時代に真理を求めて
いた人がいるのであろうか^ ^ >>494
寝言は寝てから言うものにゃん🎵
ひゃっひゃひゃ!( ´∀` )b🎰 >>496
返す言葉も無い因縁果であったにゃん🎵
ひゃっひゃひゃ!( ´∀` )b🎰 'yaṃ kiñci dukkhaṃ sambhoti, sabbaṃ avijjā-paccayā' ti, ―ayam ek'ānupassanā.
‘いかなる苦が生起しようとも、すべては無明に縁ってである’と、―これが一つの観察である。 729.
“jāti-maraṇa-saṃsāraṃ, ye vajanti punappunaṃ.
生死の輪廻に、何度も何度も赴く人々は
ittha-bhāv' aññathā-bhāvaṃ, avijjāy' eva sā gati.
この生存、また別の生存と。その行くこと(の原因)は、ただ無明にのみにある
730.
“avijjā h' ayaṃ mahā-moho, yen' idaṃ saṃsitaṃ ciraṃ.
この無明は、大いなる無知であり、それによって、この長い流転がある
vijjā-gatā ca ye sattā, n'āgacchanti punabbhavan”ti.
明知を具えた生きものたちは、再生に戻らない 'yaṃ kiñci dukkhaṃ sambhoti sabbaṃ saṅkhāra-paccayā' ti, ―ayam ek'ānupassanā.
‘いかなる苦が生起しようとも、すべては潜在的形成力(行)に縁ってである’と、―これが一つの観察である。
'saṅkhārānaṃ tveva asesa-virāga-nirodhā n' atthi dukkhassa sambhavo' ti, ―ayaṃ dutiy'ānupassanā.
‘しかしながら、潜在的形成力が、欲を離れることによって残りなく消滅したならば、苦の生成はない’―これが第二の観察である。 “etam ādīnavaṃ ñatvā, 'dukkhaṃ saṅkhāra-paccayā'.
‘潜在的形勢力によって苦がある’と、この禍を知って
sabbasaṅkhāra-samathā, saññānaṃ uparodhanā.
すべての潜在的形成力が静まり、想いが破壊されることから
―evaṃ dukkhakkhayo hoti―, etaṃ ñatvā yathātathaṃ.
―このようにして苦の滅尽がある―と、このことをあるがままに知って “yaṃ pare 'sukhato' āhu, tad ariyā āhu 'dukkhato'.
他の人々が‘楽である’というものを、聖者は‘苦である’という
yaṃ pare 'dukkhato' āhu, tad ariyā 'sukhato' vidū.
他の人々が‘苦である’というものを、聖者は‘楽である’と知る
“―passa dhammaṃ dur'ājānaṃ, sampamūḷh'ettha aviddasu.
―解し難き真理を見よ、愚者は、ここで迷っている 『ダンマパダ』は初学者が学ぶ入門用テキストであるのに対し、
『スッタニパータ』はかなり高度な内容を含んでいるため、必ずしも一般向けではない。
有名な「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズは、かなりの程度、
修行の進んだ者に向けて語られたものである。
南方の上座部仏教圏では、この経典のなかに含まれる「慈経」、「宝経」、「勝利の経」などが、
日常的に読誦されるお経として、一般にも親しまれている。
ふむふむ^^ 266.
“khantī ca sovacassatā, samaṇānañ ca dassanaṃ.
忍耐、言葉の優しいこと、諸々の道の人に会うこと
kālena dhamma-sākacchā, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
ときどき真理について議論をすること、 ―これが最上の幸せである
267.
“tapo ca brahmacariyā ca, ariya-saccāna' dassanaṃ.
苦行と、清らかな行いと(四つの)聖なる真理を見ること
nibbāna-sacchikiriyā ca, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
涅槃を体得すること、 ―これが最上の幸せである
268.
“phuṭṭhassa loka-dhammehi, cittaṃ yassa na kampati.
世間の諸々の事柄に触れても、彼の心は動揺しない
asokaṃ virajaṃ khemaṃ, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
悲しみなく、汚れを離れ、安穏である、 ―これが最上の幸せである kalah'ābhirato bhikkhu, moha-dhammena āvuto.
論争を好み、癡かさの性質に覆われている修行者は
akkhātam pi na jānāti, dhammaṃ buddhena desitaṃ.
目覚めた人によって説かれた教えを、説明されても理解しない
277.
vihesaṃ bhāvitattānaṃ, avijjāya purakkhato.
(かれは)無明に導かれて、修行を積んだ人々を苦しめ
saṃkilesaṃ na jānāti, maggaṃ niraya-gāminaṃ.
煩悩が、地獄に赴く道であることを知らない う〜〜ん^^
おまえらのことが書いてある^^
う〜〜ん^^
どこにでもいつの時代でもいるんだな^^ やはり・・・^^
こういうのは毎日読んだほうがいいな^^
特に朝がいい^^
つまり・・^^
経典を毎日読む・・^^
お経か・・・^^ 経典を読むと浄化されるというのはあるかもしれん^^ う〜〜ん^^
ということは・・^^
おまえらもおいらの言葉を聞けば浄化されるかもしれん^^ ちなみに^^
(注)苦情は受け付けしないのであしからず^^
寝る^^ ブッダちゃんは真理を求める哲学者なんだよな^^
みんな勘違いしてるけど^^ kālena dhamma-sākacchā, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
ときどき真理について議論をすること、 ―これが最上の幸せである 哲学者であるが故に
eko care khaggavisāṇakappo.
犀の角のように、ただひとり歩め
となるんだよな^^ >>514
寝言は寝てから言う物にゃん🎵
南無南無 (‐人‐) paññā-balaṃ sīla-vat'ūpapannaṃ,
智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り
samāhitaṃ jhāna-rataṃ satīmaṃ.
心が統一し、禅定を楽しみ、つねに気を付けていて
saṅgā pamuttaṃ akhilaṃ an'āsavaṃ,
執着から脱し、荒みなく、汚れがない
― taṃ vāpi dhīrā 'muniṃ' vedayanti.
― 諸々の賢者は、かれを”聖者”であると知る “aññāya padaṃ samecca dhammaṃ,
(究極の)境地を知り、真理に帰趨し
vivaṭaṃ disvāna pahānam āsavānaṃ.
汚れが捨てられたことを、明らかに見
sabb'upadhīnaṃ parikkhayā,
すべての地上のものが、滅尽されることから
sammā so loke paribbajeyya”.
かれは、この世で正しく遍歴するであろう “dukkhassa ve maṃ pabhavaṃ apucchasi, (mettagūti bhagavā)
(メッタグーよ、と師は答えた)苦の生起を、わたしに尋ねた
taṃ te pavakkhāmi yathā pajānaṃ―
それを汝に、わたしが知っているとおりに説き示そう―
upadhi-nidānā pabhavanti dukkhā,
地上のものに起因して、苦の生起がある
ye keci lokasmim anekarūpā.
この世に、さまざまある、いかなる(苦)であれ
1051.
“yo ve avidvā upadhiṃ karoti,
実に知らないで、地上のものをつくる(=業を積む)ものは
punappunaṃ dukkham upeti mando.
何度も、何度も、苦しみに赴く、愚か者である。
tasmā pajānaṃ upadhiṃ na kayirā,
それゆえ、知っている者は、地上のものをつくるな
dukkhassa jāti-ppabhav'ānupassī”.
苦しみの生の生起を観察して 848.
“kathaṃ-dassī kathaṃ-sīlo, 'upasanto' ti vuccati?
どのように見、どのような戒律を守る人が‘寂静の人’と呼ばれるのですか?
taṃ me, gotama, pabrūhi, pucchito uttamaṃ naraṃ”.
ゴータマよ、それをわたしに説いて下さい、最上の人についてお尋ねします。 849.
“vīta-taṇho purā bhedā, pubbam antam anissito.(iti bhagavā)
(師は答えた)死ぬよりも前に、渇愛を離れ、過去に依存しない
vemajjhe n' upasaṅkheyyo, tassa natthi purakkhataṃ.
中間(現在)においても思いをめぐらさず、かれには、前に置かれた(未来)ものもない
850.
“akkodhano asantāsī, avikatthī akukkuco.
怒ることなく、怯えることもなく、誇ることも、後悔することもない
manta-bhāṇī an'uddhato, ―sa ve vācāyato muni.
思慮して語り、そわそわすることがない―彼は、実に、言葉を慎んだ聖者である
851.
“nir'āsattī anāgate, atītaṃ n'ānusocati.
未来において願い求めることがなく、過去を悲しまない
viveka-dassī phassesu, diṭṭhīsu ca na niyyati.
(諸感覚の)触から遠離して見るものであり、見解において導かれない 852.
“patilīno akuhako, apihālu amaccharī.
退き、偽らず、貪り求めず、物惜しみせず
appagabbho ajeguccho, pesuṇeyye ca no yuto.
傲慢でなく、嫌われず、陰口をこととしない
853.
“sātiyesu an'assāvī, atimāne ca no yuto.
快いものに興味を持たず、高慢になることもなく
saṇho ca paṭibhānavā, na saddho na virajjati.
柔和で、話がうまく、信じることなく、離れることもない
854.
“lābha-kamyā na sikkhati, alābhe ca na kuppati.
何かを得るために学ばず、何も得られなくても怒らない
aviruddho ca taṇhāya, rase ca n'ānugijjhati.
渇愛によって妨げられず、味を貪り求めない
855.
“upekkhako sadā sato, na loke maññati samaṃ.
平静で、つねに注意し、人々において‘等しい’
na visesī na nīceyyo, ―tassa no santi ussadā.
‘勝れている’、‘劣っている’と思わない−彼には、諸々の心の高まりがない
856.
“yassa nissayatā natthi, ñatvā dhammaṃ anissito.
彼には依存するということがない、真理を知って、依存することのない人は。
bhavāya vibhavāya ca, taṇhā yassa na vijjati.
生存についても、生存の消滅についても、渇愛が彼には見られない
857.
“―taṃ brūmi 'upasanto' ti, kāmesu an'apekkhinaṃ.
―彼を、わたしは‘寂静の人’という、諸々の欲において望み見ない人を
ganthā tassa na vijjanti, atarī so visattikaṃ.
彼に繋縛は見られない、彼は執着を渡ったのである うん?
“nir'āsattī anāgate, atītaṃ n'ānusocati.
未来において願い求めることがなく、過去を悲しまない
これ重要^^
日本の仏教どうなっている^^
ということで寝る^^ 心 が変われば 態度が変わる。
態度 が変われば 行動 が変わる。
行動 が変われば 習慣 が変わる。
習慣 が変われば 人格 が変わる。
人格 が変われば 運命 が変わる。
運命 が変われば 人生 が変わる。 勝義諦と世俗諦やな
心の止滅により勝義諦が生じる^ ^ >>529
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレマザーテレサ >>535
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレヒンドゥー教の教えをマザーテレサはアレンジしたみたいでした
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザー・テレサ 修道会「神の愛の宣教者会」の創立者
マザーテレサのこの言葉は、有名なヒンズー教の教えを彼女なりにアレンジさせたのでしょう。 思考によって、言葉あり
言葉によって、行動あり
行動によって、習慣あり
習慣によって、性格あり
性格によって、運命あり
思考の滅によって、言葉が滅す
言葉の滅によって、行動が滅す
行動の滅によって、習慣が滅す
習慣の滅によって、性格が滅す
性格の滅によって、運命が滅す 流転縁起 苦しみの人間模様が展開してゆく道。
「無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、
六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、
有は生に縁たり、生は老死・憂悲・苦悩に縁たり。」
還滅縁起 悟りへの道
「無明滅すればすなわち行滅す、行滅すればすなわち識滅す、識滅すればすなわち名色滅す、
名色滅すればすなわち六入滅す、六入滅すればすなわち触滅す、触滅すればすなわち受滅す、
受滅すればすなわち愛滅す、愛滅すればすなわち取滅す、取滅すればすなわち有滅す、
有滅すればすなわち生滅す、生滅すればすなわち老死・憂悲・苦悩滅す」 法印(ほういん)
仏教(内道)であるか、非仏教(外道)であるかを判断する
基準尺度としての根本原理をいう三法印(さんぽういん)
(一)諸行無常印 一切の有為現象は常に生滅変化して常住のものはない
(二)諸法無我印 すべてのものには、固定した実体我というものは一切認めない
(三)涅槃寂静印 一切の煩悩が滅尽した無苦安穏の状態である絶対安住の境地 四法印(しほういん)
(一)諸行無常印 (二)諸法無我印 (三)一切皆苦印 (四)涅槃寂静印 ★「法」の意味
漢訳仏典で「法」とされるサンスクリット語は「ダルマ(dharma)」であり、その意味は多義である。代表的な意味を次に示す。
(1)社会的生活における規範・・・・・・・・・・・・・・・・・・「マヌの法典」
(2)真実・真理などの普遍的な理、或いはそれを表記した教え・・・「仏法」
(3)本質・属性そのもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「壊法」
(4)存在そのもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「諸法無我」 今日も超越神力の守護をありがとうございます!
守護のお陰で警察の動きが解りました!
ありがとうございました! 十二縁起で惑・業・苦の流転相続を説明
(1)無明(無知)・・・惑
(2)行(三業)・・・・・業 無明縁起(前際縁起)
(3)識(意識)・・・・ 苦 無明は知性的な煩悩の根元
(4)名色(心身)・・ 〃
(5)六処(感官)・・ 〃
(6)触(感触)・・・・ 〃
(7)受(感受)・・・・ 〃
(8)愛(渇愛)・・・・惑
(9)取(執着)・・・・〃 貪愛縁起(後際縁起) 愛は情意的煩悩の根元
(10)有(生存)・・・業
(11)生(誕生)・・・苦
(12)老死(老死) ・〃 第九 説示
二 比丘たちよ、あなたたちのために神通と神足と神足の修習と神足に行く道迹を説こう。
聞きなさい。
三 比丘たちよ、何を神通となすのか。
比丘たちよ、ここに比丘がいて、多端神変を経験する。
一身を多身にし、多身を一身にし、現れ、隠れ、壁や城壁や山を通り抜けることは虚空に
おけるように、 地中に出没することは水中のように、水の上を行くことは地上のように、
虚空を結跏趺坐して行くことは飛ぶ鳥のように、大神通大威徳あるこの太陽と月を
もっ て触り、梵世にいたるまで身をもって威力を及ぼす。
比丘たちよ、これを名付けて神通となす。
四 比丘たちよ、何を神足となすのか。
比丘たちよ、それは神通を獲得し、神通の獲得に導く道であり道迹である。
比丘たちよ、これを名付けて神足となす。
五 比丘たちよ、何を神足の修習となすのか。
比丘たちよ、ここに比丘がいて、
欲三摩地勤行成就の神足を修習し、
勤三摩地勤行成就の神足を修習し、
心三摩地勤行成就の神足を修習し、
観三摩地勤行成就の神足を修習する。
比丘たちよ、これを名付けて神足(四神足)の修習となす。
六 比丘たちよ、何を神足の修習に行く道迹となすのか。
この聖なる八支の道(八正道)である。すなわち、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・
正念・正定である。
比丘たちよ、これを名付けて神足の修習に行く道迹となす」 長阿含経 沙門果経
「こうして、遠離離貪の段を通過した者は、
解脱を遂げて、六つの神通力を得るのである。
それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」
「一身が多身となれば、多身が一身となる。
消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
全ての世界に出現する、これが、神足通である。」
「近くの音を聴こえて、遠くの音が聞える。
人の声が聞えて来て、神の声が聴こえて来る。
聞えない音が聴こえる、これが、天耳通である。」
「貪りを貪りと知れば、怒りを怒りと知る。
疑いを疑いと知れば、善き心を善き心と知る。
他の人の心を理解する、これが、他心通である。」
「あの時の姓はこうで、あの生の名はこう。
あの生の糧はこうで、あの時の世の中はこう。
前の時の世を理解する、これが、宿命通である。」
「近くの物を見とめて、遠くの者を認める。
この世が見えて来て、あの世が現われて来る。
見えない物を観とめる、これが、天眼通である。」
「この人は漏れていて、あの人は漏れない。
あの煩悩から漏れて、この煩悩から漏れない。
煩悩の漏れを滅尽する、これが、漏尽通である。」 >>543
法印 大五郎(ほういん だいごろう
天保11年1月3日 / グレゴリオ暦 1840年2月5日 - 1919年(大正8年)1月16日)は、日本の侠客である。法印の大五郎(ほういんのだいごろう)とも。
山伏から清水次郎長配下に入ったとされ、「清水二十八人衆」に数えられる。明治維新後に引退、郷里に帰り角田 甚左衛門(つのだ じんざえもん)と名乗る。その後養子に入り、伊藤 甚左衛門(いとう じんざえもん)となり、実業を営んだ。 ありがとうって毎日言うことは^^
意味のわからんお経を毎日唱えるより^^
効果があるのは当然である^^ 5.法印大五郎
「法印」と付いているいるように、この男は坊主崩れである。「崩れ」と書いたが
元・坊主というわけではなく、お布施と称してただで金を集めて暮らしたりして
いたらしい。経なんて読めもしなかった。
だから普段から坊主の格好で、数珠を首から下げて、そんな格好で喧嘩に行く
のである。なかなかコミカルなキャラだったらしい。
う〜〜ん^^
わからん^^ >>554
仏教を飯の種にしている点は
職業僧侶と同じだから外道と
同じにゃん🎵
南無南無 (‐人‐) (1)無明(無知)・・・惑
(2)行(三業)・・・・・業 無明縁起(前際縁起)
(3)識(意識)・・・・ 苦 無明は知性的な煩悩の根元 比丘たちよ、意思(cetanā)が業(kamma)である、と私は説く。
(Cetanāhaṃ bhikkhave kammaṃ vadāmi)
— 『増支部経典』 (Aṅguttara-Nikāya) Nibbedhika suttaṃ 釈迦は自ら「比丘たちよ。あらゆる過去ないし未来ないし現在の応供等正覚者は、
業論者、業果論者、精進論者であった」と言ったといわれるように、カルマ(業)論の
主張者であった。しかし、業を物質的なものであると考えたニガンタ・ナータプッタとは異なり、
心のエネルギーとして、物質的形態をとらないものとして考えた。 ※通りすがりで
フッと気づき戻って※
あ…意思といえば!
脳外科医師の臨死体験↓
http://www.youtube.com/watch?v=1llcFT0oNMs&list=PLt3apFaZXafuYJaDOShmIALSfwSd17_RM
https://youtu.be/AK-JRfkWwfc
ん?
_φ(・_・いし違い…
↑
をぃw
(独りボケ突っ込み)
「寝る」という行為は、何かこうグローバルな何かに繋がる予行練習なのかもしれない…と猫が教祖というくらい惰眠を貪る私のいい訳w…いえ…悟りか >>568
きゃーTVのyoutube貼ったつもりだけなのにユーチューバーさんが!CMが!(失態ごめんなさい(涙 最も深い眠りの中で
意識を保てればそれがサマーディらしい 睡眠→サマーディ→ニルヴァーナ
これがサンサーラからの脱出経路の一つ 夢の中で瞑想してるとどうしても光に没入してしまって長続きしない
大体そこで目が覚めてまう 皆の衆、お早うにゃん 🎵 😸ノ"
>>582
向精神薬の飲み過ぎにゃん 🎵
南無南無 (‐人‐) 睡眠中のサマーディは脳と身体活動がほぼ停止し、
夢見も完全に停止し、意識が十全に輝いている状態
(人によっては心拍も停止し、死に至る事もある)
サマーディが宇宙全体に拡大するのがニルヴァーナ >>584
向精神薬なんて一度も飲んだことないね笑 寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
藪ら柑子の藪柑子
パイポ パイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助 結局修行しても精神的苦しみは消えるかもしれないが肉体そのものへの病などのダメージはきえるわけじゃないんだよな。
執着が消えるからマシな程度。
所詮心の持ちようとかが原因とはならないような苦しみは解決できない。 70.
taṇhakkhayaṃ patthayam appamatto,
渇愛の消滅を求めて、怠らず
aneḷamūgo sutavā satīmā.
明敏で、学識深く、気をつけている
saṅkhāta-dhammo niyato padhānavā,
真理を究め知り、自制し、努め励み
eko care khaggavisāṇakappo.
犀の角のように、ただひとり歩め 苦集滅道
苦−人生には苦しみが存在する。
集−人の苦しみは執着によって生まれる。
滅−執着を滅すれば、苦も滅する。
道−執着を滅するための道−八正道がある。 苦集滅道
・苦は、この世は思い通りにならないことばかりである
・集は、この苦を苦と思うのは、多くの迷いの集合した結果である
・滅は、この苦の原因である迷いを滅すれば、心はこよなく安らぐ
・道は、その理想の状態に到るために、八つの正しい道がある→八正道 う〜〜ん^^
サウナと水風呂・・・^^
苦の滅^^
う〜〜ん^^ 苦の滅、は不可能である。
苦の原因を滅することは不可能である。 サウナの中にいると苦はある^^
水風呂に入ると・・苦の滅はある^^
そこには確かに「心はこよなく安らぐ」はある^^ 共通点は・・・
自我からの開放・・^^
これにつきる^^ つまり・・・^^
自我(五蘊)からの開放により「安らぎの境地」 が得られると・・^^ 「集−人の苦しみは執着によって生まれる。」
つまり・・・^^
自我(五蘊)に対する執着・・・^^ 自我(五蘊)に対する執着から開放されれば・・^^
安らぎの境地がえられると・・^^ でもな〜〜^^
何十年と執着してきたものを・・^^
開放するなんて^^
いったいどないすればいいんや^^
となる^^ そこでや・・^^
まずは張り付いているものを分析する^^
なぜそれに張り付いているのかを考える・・^^
張り付いている意義を考える^^
つまり・・^^
張り付いているものの本質を理解するところから
始めなくてはならない^^ これが今までの仏教の歴史と言っても過言ではない^^ おい、まこと
反論は、まだか?
白旗を挙げるのか? その張り付いていたものから開放されたとき解脱が起こる^^ いきなり剥がしても剥がれないところが残る
剥がすやり方は仏教に書いてある
先ずは剥がれやすいところから
慎重に剥がしていく 剥がし方の上手い人もいる
それを見て剥がすのがコツかもしれん^ ^ 繰り返される言葉
「欲望の対象を遠ざかり、貪りを離れ、滅しつくし、しだいに心の平静をえて」
厭離・離貪により心の平静を得て、八正道を行うことができると。 つまり出家は厭離・離貪をするためだった。
世俗にいながら厭離・離貪は困難。 欲をなくせとは言っておらん
欲望
すなわち欲に執着するなと
欲にこだわるなと 滅しつくしと説かれている。
最初は欲望の対象から遠ざかり、貪りを離れるが
滅しつくす必要がある。 苦の滅が涅槃の境地に至るのは事実だな
多分同じ境地だろうな
長く続かないだけで^ ^ 619.
苦の滅、は不可能である。
それだと、涅槃がないことになる。 “disvāna rūpesu vihaññamāne, (piṅgiyā'ti bhagavā)
(ピンギヤよ、と師は答えた)諸々の物質(身体)において、害されていく人々を見て
―ruppanti rūpesu janā pamattā―
―怠る人々は、諸々の物質(身体)において悩んでいる―
tasmā tuvaṃ, piṅgiya, appamatto,
それゆえ、あなた、ピンギヤよ、怠ることなく
jahassu rūpaṃ apunabbhavāya”.
再び生存に戻ることがないように、物質を捨てよ “suññato lokaṃ avekkhassu, mogharāja, sadā sato.
空であると、世界を観なさい、モーガラージャよ、つねに気をつけて
att'ānudiṭṭhiṃ ūhacca, ―evaṃ maccu-taro siyā.
自分があるという見解を取り去って―このように死を渡る者でありなさい
evaṃ lokaṃ avekkhantaṃ, maccu-rājā na passatī” ti.
このように世界を観ている人を、死王は見ることがない ―怠る人々は、諸々の物質(身体)において悩んでいる―
精神と物質(身体)の関係は古くから哲学で論じられてきた。す
でに古代ギリシャ哲学において、その問題構成は見てとることがで
きる。プラトンはその霊肉二元論において人間の精神(魂)を身体
と同一のものではありえないとする。プラトンによると、身体は魂
を閉じ込める牢獄である。人間の生は魂を身体という牢獄に閉じ込
めることであり、死は魂を牢獄から解放することである。そして、
魂は死によって肉体を抜け出て輪廻する。プラトンはこのように二
つを異なる実体として捉える アリストテレスは、プラトンとは異なり、身体と心がもともと一
つのものであるとする
彼によると、心とは身体がある一定の
能力を持った状態のことである。彼が人間の魂(心)の能力として
あげるのは、栄養、感覚、欲求、運動、思考の五つである。そして、
身体の心の関係を論じるにあたり、この五つの能力がどのような働
きをするのかを考察する デイヴィトソンは、心身の関係には次の三つの原理があるとする
(一)心的現象は物理的現象と因果的に関係する。
(二)因果性は厳密な法則性に基づく。
(三)心的なものに関する厳密な法則は存在しない 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。 禅の言葉「因果一如」とは
原因と結果は一緒、結果はすでに原因と一緒に生まれている、という意味だ。
頑張った、努力したからいい結果が出るとは限らない。
私たちは、これだけ努力したから、これだけ頑張ったからと結果に期待をいだきがちである。
目の前の現在できることに集中し、ベストを尽くす。そして結果にとらわれない生き方が最善の生き方。 舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
「色即是空 空即是色」
おいらでもこのように書く^^ 般若心経書いた人は・・^^
色即是空
「この逆もまた真理なり^^ 」
こう思って書いたとおもうよ^^
知らんけど^^ うわっ^^
おいらのおおお真似しやがった^^
名為苦諦。具十界惑。名為集諦。「苦即涅槃。」名為滅諦。惑即菩提。名為道諦。
さすが中国や・・・^^
このスレ見てるで^^ 「寝即覚」
これはくぐってもなかった^^
寝る^^ 无明、爱、取三支,是烦恼道,烦恼即般若;行、有二支,是业道,业即解脱;识、
名色、六入、触、受、生、老死七支,是苦道,苦即法身。是十二因缘,即是如来涅槃三コ。
又烦恼既无,业、苦亦空,业空则清净,一清净,一切清净,般若清净 《四念處》釋無作四諦云:「一念心具十界苦,名苦諦;具十界惑,名集諦。苦即涅槃,名滅諦;
惑即菩提,名 ...
苦即涅槃は四諦に関係するらしい^^
なかなか中国も勉強になるな^^ やはり・・^^
仏教は簡単明瞭であるべきだな^^
寝る^^ There is more to life than increasing its speed.
速度を上げるばかりが人生ではない。
by Mahatma Gandhi(ガンジー) あったかいふとんでぐっすり寝る!こんな楽しいことが他にあるか。
byのび太 なんにも考えない感じない、究極的諦めの境地になることには大いに助けとなるけど、困難自体が解決されることはないよな。
例えば我が子が病で早死にしそうな時に、もうそれを受け入れる境地にはなることはできても子供の病が治る訳では無い。
所詮その程度の意義しかないのかもな。 その志がよくわからんのでわざわざ付き合うのは無駄な気がする。
教義は置いといて人に真っ当な道を歩ませる為に機能するなら、信じていなくても別に宗教の存在は放置でいいけど。 我ら天に誓う。我ら生まれた日は違えど、死すときは同じ日・同じ時を願わん。 >>661
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレお子さんに手当をしてあげてくださいね
手を当てる事で精神的な安心感をお子さんは得られます
幸せ物資セロトニンやオキシトシンが分泌されるそうですよ >>660
ラマナマハルシは、言っていた
「人は毎晩最深の眠りの中で、浄土を訪れている」 >>667
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ君は何故人間として生まれてきたの? >>667
仏道とは死ぬ事と見付けたり。
南無南無 (‐人‐) 真理を知るためだろうな
原子ちゃんがそういっている^ ^ ハラコツトムさんでしょ。イバラギの。
昼飯が終わった。 生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く
死に死に死に死んで 死の終わりに冥し >>676
空海は当時最先端のアサシンにゃん🎵
南無南無 (‐人‐) >>672
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレびゃかものぉ〜〜w
人の言いなりかアホwww 坊や良い子だねんねしな 今も昔も変わりなく 母のめぐみの子守唄 遠い昔の物語
夢をたぐればほろほろと 花もほころぶかぐや姫 人の情けが幸せを そっと運んだかさ地蔵
一寸法師はどこにいる ぼくもわたしも鬼退治 勇気りんりん手を繋ぎ 正義のための桃太郎
鶴のまことの恩返し たぬきぶんぶく茶をわかし うさぎ小亀とかけっくら 空じゃ天女が舞を舞う
坊や良い子だ起っきしな 舌切り雀が飛んできた あれは花さかおじいさん あれは浦島玉手箱 遠い昔の物語〜♪ 心の内でよく分析された諸々の思索がことごとく破壊された比丘は、
こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。 852.
“patilīno akuhako, apihālu amaccharī.
退き、偽らず、貪り求めず、物惜しみせず
appagabbho ajeguccho, pesuṇeyye ca no yuto.
傲慢でなく、嫌われず、陰口をこととしない
853.
“sātiyesu an'assāvī, atimāne ca no yuto.
快いものに興味を持たず、高慢になることもなく
saṇho ca paṭibhānavā, na saddho na virajjati.
柔和で、話がうまく、信じることなく、離れることもない
854.
“lābha-kamyā na sikkhati, alābhe ca na kuppati.
何かを得るために学ばず、何も得られなくても怒らない
aviruddho ca taṇhāya, rase ca n'ānugijjhati.
渇愛によって妨げられず、味を貪り求めない
855.
“upekkhako sadā sato, na loke maññati samaṃ.
平静で、つねに注意し、人々において‘等しい’
na visesī na nīceyyo, ―tassa no santi ussadā.
‘勝れている’、‘劣っている’と思わない−彼には、諸々の心の高まりがない
856.
“yassa nissayatā natthi, ñatvā dhammaṃ anissito.
彼には依存するということがない、真理を知って、依存することのない人は。
bhavāya vibhavāya ca, taṇhā yassa na vijjati.
生存についても、生存の消滅についても、渇愛が彼には見られない
857.
“―taṃ brūmi 'upasanto' ti, kāmesu an'apekkhinaṃ.
―彼を、わたしは‘寂静の人’という、諸々の欲において望み見ない人を
ganthā tassa na vijjanti, atarī so visattikaṃ.
彼に繋縛は見られない、彼は執着を渡ったのである また
果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?303 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1506075020/
641 名前:因縁果 ◆d........o [] 投稿日:2017/10/17(火) 04:53:07.52 ID:k6Ki14QF [2/2]
おまえら瞬殺^ ^
642 名前:神も仏も名無しさん[age] 投稿日:2017/10/17(火) 05:17:52.13 ID:8voDRsm1
>>641
自己紹介乙
わざわざ攻撃しに来たアホ 座禅で悟れるならみんな悟っておる^ ^
何が欠けているのか^ ^ 話はこうです。お釈迦さまのお弟子にサミッディという修行者がいました。
彼は王舎城の温泉精舎という所にいて、温泉の湯で体を洗い、体を乾かしてい
ました。すると、そこへ天人が現れて、「『一夜賢者の偈』を知っているか」
と尋ねました。サミッディが「知らない」と言うと、天人は、「是非、お釈迦
さまの所へ行き、教えてもらいなさい」と言って、消えてしまいました。翌日、
サミッディは早速、お釈迦さまの所へ行き、教えてもらったというのです。
一夜賢者の偈 過去は追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられ、
未来はまだ来ない。
だから、ただ現在のことを
ありのままに観察し、
動揺することなく、
よく理解して、実践せよ。
ただ今日すべきことを熱心になせ。
明日、死のあることを誰が知ろうか。
かの死神の大軍と
会わないわけはない。
このように考えて、熱心に
昼夜おこたることなく励む人、
このような人を一夜賢者といい、
寂静者、寂黙者と人はいう ここで何が重要か?
と言えば^^
「彼は王舎城の温泉精舎という所にいて、温泉の湯で体を洗い、体を乾かしていました。」
ここ^^
つまり^^
「王舎城の温泉精舎という温泉の湯で」
つまり・・^^
そこには温泉があったと^^
当然ブッダちゃんも温泉にいっていると^^
つまり・・^^
あとはわかるな^^ 空海ちゃんもそうだしな^^
仏教と温泉のつながりは深いものがある^^ ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレババンババンバンバン♪ババンババンバンバン♪ビバノンノン♪
いい湯だな♪いい湯だな♪湯気が天井からポタリと背中に♪ 三世(過去・現在・未来)を俯瞰する時、
因果一如を悟る 古株の入浴剤はバスクリンのジャスミンのみだった。
CMにジャスミンにブーケ。レモンにコロン。リリーにローズ・・・と入るようになった。
因みに高い成就者が湯船に浸かると、気泡がブワーッと出ない?
取り分け、山の気を多量に吸い込んだ日に新しいお湯で入ると。。 山嵐(やまあらし)は、柔道の投技で手技の一つ。
講道館の創始者の嘉納治五郎の弟子で、柔術との試合に勝利した西郷四郎の得意技として有名。
嘉納治五郎が学んだ天神真楊流には、山落という同様の技が存在する。
天神真楊流、井口義為(免許)の書いた本には 「山嵐と云うは講道館にて附けたる名なり。揚心流、眞揚流、関口流にては山落と云う。」と書かれている。
西郷四郎の山嵐は、嘉納治五郎をして「西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし」と言わしめるほどの技であった。 ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ礼に始まり礼に終わる
柔道 天神真揚流 起倒流 多流派集大成 修身法強調
攻撃防御 身体精神鍛練修養 斯道真髄体得 >>703
バブルがはじけた頃の懐かCM
ヒゲダルマが台頭しだした時代かな。 アンタガタ浴び旦那。
アンタガタ何処さ?
肥後さ。
肥後どこさ?
熊本さ。 すき すき すき すき
すき すき 愛してる
すき すき すき すき
すき すき 一休さん
とんちはあざやかだよ 一級品
度胸は満点だよ 一級品
いたずらきびしく 一級品
だけど けんかはからっきしだよ 三級品
アーアー 南無三だ
とんちんかんちん とんちんかんちん 気にしない
気にしない 気にしない 気にしない
望みは高く果てしなく
わからんちんども とっちめちん
とんちんかんちん 一休さん
すき すき すき すき
すき すき 愛してる
すき すき すき すき
すき すき 一休さん
一休さん〜♪ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 温泉水風呂瞑想おわた^ ^
お湯の中で浮いていた^ ^
頭を後ろにそらせば
うくもんだな^ ^ お湯や水の中で浮いて瞑想する^ ^
これが本来の瞑想のやり方かもしれん^ ^ 死海はエルサレム辺りのユダヤ・キリスト教信者の為に、神が用意された修行空間なのか? 「死海写本が告げる人類最期の戦い」という本がある。
この本の著者は自称東大卒とある。 どうせ何れは死ぬ身だと
覚悟を決めれば浮き世の事
などどうでも良くなるんじゃよ。 「水に浮いているだけで、深い瞑想をしたときと同じような癒しの状態が得られる」 温 泉療 法期 間中、頭頂
部脳波で α波 の割合が低下 し、 δ ・θ波の割 合
が増加 した。本症例 の温 泉療 法中に示 した脳波
のパ ター ンは深 い睡眠や 自律訓練 法(AT)、 瞑想
な どで観察 され るもの と同 じであった。 こうし
た変化 は湯 あた りを境 に大き く変動 した。湯あ
た りは、本症例 が 中枢 神経系 を リセ ッ トさせ 、
altered state of consciousness(ASC)に 至 ら
せる ことに貢献 し、それ を経験す ることによ り、
自己への洞察 を深 め、実存 的な気づき を促す過
程へ と導 く方法論 の一つ として有用である と考
え られた。 サウナと水風呂を5回ぐらい繰り返す
水に浮いて瞑想する
↓
「水に浮いているだけで、深い瞑想をしたときと同じような癒しの状態が得られる」 ^^ 万葉倶楽部
60分 1,150円は高いな^^
おいらのとこ500円サウナ付き^^ サウナと水風呂を5回ぐらい繰り返す
↓
背浮き瞑想
短時間で深い瞑想状態に入るにはこれしかない^^ 体が温まってきれいになるし、サウナにも水風呂にも入れて、
瞑想までできちゃう銭湯が最高ってコト!
そのとうりです^^ 寝湯で寝てしまった^ ^
サウナ水風呂5回はきついかもしれん^ ^
毎日だからな^ ^ 風呂ばかり入っていると、プラーナを大幅に消耗するから、フツーのタントラの行者はやらないんだけどね。 人は、人生を頑張って生きれば、死んだ後(のち)には、
必ずや素晴らしい世界に入れるということを、
何が何でも知って欲しかったのです。
人生で戒めや畏れがなければ、やりたい放題、
悪いことでも、かっぱらいでもなんでもありと思うだろうから、
宗教は戒律をつくり、あの世に地獄と極楽をつくってきました。
しかし、そのような脅迫で、
人の心が真から向上するということが、
果たしてあるだろうかと私は考えるのです。
人が人生を一生懸命に頑張って生きたのちには、
喜びと安心感がなければ、何のために頑張るのか、
わからなくなるでしょう。
その安心感のもとに、余裕を持って人のために尽くし、
優しくいられれば、自分の心も安らぎ、
必ずや安心の世界へ入れると言うことを、
今、確信を持って、みなさんに伝えたいのです。
世のため、人のために尽くし、
明るい笑顔で人生を頑張ったのちには、
それに見合った素晴らしい世界があります。
丹波哲郎 コツコツとアスファルトに刻む足音を
踏みしめるたびに
俺は俺で在り続けたい そう願った
裏腹な心たちが見えて やりきれない夜を数え
逃れられない闇の中で 今日も眠ったふりをする
死にたいくらいに憧れた 花の都"大東京"
薄っぺらのボストン・バッグ 北へ北へ向かった
ざらついたにがい砂を噛むと
ねじふせられた正直さが
今ごろになってやけに 骨身にしみる
ああ しあわせのとんぼよ どこへ
お前はどこへ飛んで行く
ああ しあわせのとんぼが ほら
舌を出して 笑ってらあ〜♪ 想念の停止・・^^
思考の停止・・^^
つまり・・^^
非我とは思考の停止もであり・・^^
必要な時にのみ使えばいい^^ 着いた^ ^
雨の中での瞑想も感慨深いものがある^ ^
五蘊無我であれば雨など概念にすぎん^ ^ サウナ水風呂背浮き瞑想おわた^ ^
水風呂で浮いていると人が入り
波立っても浮いている^ ^
力むと沈む^ ^
つまり^ ^
波が立っても浮いてる空の状態こそ
目指すべきである^ ^ 心が静まると、第六感が働くようになる。第六感とは、ひらめき、何が正しいかを判断できる能力のことである。 心が静まっている時は何も感じない。心を静めようと意識すると、かえって心は波立つ。臍下の一点は
自然に当たり前にしていると静まっている。例えて、たらいの中の波立っている水を静めようとして手で押
さえると、かえって波立つ。そのままにしておけば自然に波はおさまって静かになる。 ふわっと浮いているような感じ。
上体の重みの落ち着くべき所が臍下の一点。臍下の一点という力の入らない一点を見つけてやって
初めて全身の力を安心して抜きリラックスできる。リラックスというのはのびのびと自然の状態に任せる
こと。すなわち自然体である。
人間は身体の重みを最下部に置いてリラックスしていると、自然に心の波も静まってくる。自然に当た
り前にしていると落ち着いている。 心を静めることによって、あたかも呼吸をしていないかのような静かな呼吸になる。
全身をリラックスすれば、呼吸は自然に深くなり、長くなる。 四、総てを受け入れられる姿勢
前回、第8回目の氣の健康教室の時、リラックスの五原則の五、争わざる姿勢のところで行った
氣のテストを行い、どういうことか理解した。
BがA の肩を押そうとすると、Aは押されまいとして自然に身体が少し前方へ動く。心が身体を動かす
の通り、これは心が抵抗しているのである。相手のマイナスを全く心に留めない、”さあ、いらしゃい”と何
事も包容して濁らざる大海のごとき度量をもつ。
五、総ての原動力が発せられる姿勢
総ての行動は臍下の一点から。
臍下の一点に心を静め、自分の心身にプラスの氣が充満して氣が発している時は、周囲のマイナスの
氣は自分の身体には入ってこられない。一番強い心の状態。
四、五、は特に大事で、「争わざるの理」を解いた言葉です。著者「氣の呼吸法」の中で、藤平宗主
云わく「どんな逆境にあっても心を痛めずしてこれを乗り切り、どんな悪口を言われても心に受けつけず、
どんな相手が襲ってきてもその力を受けず、笑ってこれを導くのが争わざるの理なのです。」
ふむふむ^^ 「争わざるの理」ね^^
ふむふむ^^
おのおのくぐるように^^ つまり・・・^^
何を言いたいのか?と言うと^^
溺れているいないに関わらず常に背浮きの状態にいろと^^ おまえらは毎日溺てれいる^^
故にこころの静寂を保てない^^
とこうなる^^ 心が静まっている時は何も感じない。心を静めようと意識すると、
かえって心は波立つ。
臍下の一点は自然に当たり前にしていると静まっている。
例えて、たらいの中の波立っている水を静めようとして手で押さえると、
かえって波立つ。そのままにしておけば自然に波はおさまって静かになる。
これやな^^ うん?
やはり・・・キターか?^^
いやいや事実をそのまま書いているだけ^^ >>757
「自分は勝れている、お前らは劣っている。」と、諸々の心を高まらせている人 自分は勝れているなんて1度も思ったことないが^^
どうでしょう^^ 浮き輪ぷかぷか♪
▲ノノハ▲
∪川^〇^ハレ
〜〜(∪二二二)(゚д゚)
〜。゚。( 。゚ ノ (Uニニニ)〜
。゚o゚o(/。∪。゚ 。゚。。 ゚
゚。゚ 。 ゚ ゚。゚。 ゚ 唯識的に言えば・・
末那識が平等性智に変っているからね・・^^
「自分は勝れている」それはない^^
しかも・・^^
無我であるからしてそれもない^^ その自分というのは我執だからね・・^^
その自分というのもまたない^^ 故に・・・
「自分は勝れている」と思っている人は・・^^
我執を断ち切れていない凡夫ということになる^^ 「長いもの」とはなにか^^
もっと長いものと比べれば短くなる^^
ゆえに「長いもの」とは・・ 「自分は勝れている」
もっと勝れている人から見れば
「自分は劣っている」
つまり・・^^ う〜〜ん^^
戯論が滅して、寂静なる境地である^^
控えよ^^ *゚
*゚
゚*γつ
▲▲ パシャッ *+ /
`(/【◎】 /*☆
/ /┘ ▲ノノハ▲ /゚*+
ノ ̄ゝ ∪川*^〇^ハレ *。
/⌒ \*☆
/ γ |
/ / *\ |
/ / *+゚ /
⊂⌒ノ /☆+゚ 〉
/ /。*゚/
/ / / *゚
/ / / /*
`/⌒/ +。*( ヽ パシャッ
(_/ 。*゚  ̄▲▲
☆+゚ Σ【( )
パシャッ └ヽ ヽ
く  ̄ヽ ミミズだって
オケラだって
アメンボだって
みんなみんな生きているんだ (( /⌒ ⌒ヽ ))
つ_∧_と
(__)(__)
川 。〇゚ハレ
∞ノノハ∞
バァ〜♪ >>772
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ無我の境地だお♪w >>777
おめでとう(´∀`)
ございます‼︎
↑そっと見ていたw >>765
曽呂利新左衛門の槍を使った話があるね。
そこからの引用か? イソップの話に太陽神アポロンが出てくる。
インド系の宗教を目指すのにアポロンと名付けられた人は・・・・
スリランカの女神ならまだ分かるんだが・・・ >>786
風邪を引くのじゃ!
南無南無(‐人‐) Oh Oh Wow Wow DeNAベイスターズ
燃える星たちよ Let's Go !
Oh Oh Wow Wow DeNAベイスターズ
夢を追いかけろ〜♪ さてっと^ ^
サウナ水風呂背浮き瞑想してくるかなっと^ ^
現象世界の執着を止滅してくる^ ^ 無明であるから執着する^ ^
ではどうしたらいいのか^ ^ 無明 虚妄分別 執着この苦の輪廻は
止むことはない^ ^
生存への執着から放たれた時^ ^
解脱は起こる^ ^ __
. '^´ `ヽ、
i 〈 ,ハlノv,ノ ∬ コーヒーだぞ
| (Y ゚ヮ゚ノi| ([_]
. ,ノ, /〈|゙リ|)}ぅ ̄ ̄
(( /しjニ|.|.ノ)
. 〈_」ノU_,> 分別が苦を生じさせるものであるならば
想念はその根源である
しかし真理探究の思考は苦を生じさせない
つまり思考は常に真理探究につかうものであると^ ^ うーん^ ^
おまえらも生きててすみませんくらいの
謙虚さがあれば悟れるのに^ ^
自我の固まりだからなー^ ^ 謙虚さと悟りは比例する^ ^
なぜならそれだけ自我を滅しているのだから^ ^ この現象世界は相反するものがあってこそ
現象として現れる^ ^ 相反するものがなく存在するもの
それは絶対的なものであり
この現象世界には存在しない^ ^ 仏教と哲学をごっちゃに考え
ている限り悟りなど夢のまた
夢じゃよ!
南無南無 (‐人‐) ブッダちゃんの言葉は仏教ではなく真理を追求する哲学^^
解る人には解る^^ >>817
お主も救われない魂じゃのう。
南無南無 (‐人‐) 救うとか救われないとか・・^^
どこの邪道宗教ですかね^^ >>820
因縁果は万年小僧じゃからな。
南無南無 (‐人‐) 649基地にゃん& ◆OTsHSJKM8o 2017/10/27(金) 13:21:16.35ID:zIf6rbX/
>>647
基地にゃんは二十歳の可愛い
女の子でつよ 🎵 ( *・ω・)ノ
https://i.imgur.com/XEDozw7.jpg
どこが和尚やねん^^ >>823
基地にゃんとは多羅尾伴内の
別名じゃよ!(^o^)/
南無南無 (‐人‐) 仏教って救いを求めるところじゃないんだよな^^
真理を知るところにある^^ 69.
paṭisallānaṃ jhānam ariñcamāno,
独坐と禅定を捨てることなく
dhammesu niccaṃ anudhammacārī.
諸々の事物において、つねに真理に随って行う
ādīnavaṃ sammasitā bhavesu,
諸々の生存における禍を、確かに知って(lit. 触れて)
eko care khaggavisāṇakappo.
犀の角のように、ただひとり歩め 70.
taṇhakkhayaṃ patthayam appamatto,
渇愛の消滅を求めて、怠らず
aneḷamūgo sutavā satīmā.
明敏で、学識深く、気をつけている
saṅkhāta-dhammo niyato padhānavā,
真理を究め知り、自制し、努め励み
eko care khaggavisāṇakappo.
犀の角のように、ただひとり歩め mettaṃ upekhaṃ karuṇaṃ vimuttiṃ,
慈しみと、平静と、憐れみと、解脱と
āsevamāno muditañ ca kāle.
喜びとを、時に応じて修め
sabbena lokena avirujjhamāno,
世間一切から妨げられることなく
eko care khaggavisāṇakappo.
犀の角のように、ただひとり歩め 74.
rāgañ ca dosañ ca pahāya mohaṃ,
貪りも、瞋りも、癡かさも捨て
sandālayitvāna saṃyojanāni.
諸々の束縛を破り
asantasaṃ jīvita-saṅkhayamhi,
生命の消滅においても怖れることがなく
eko care khaggavisāṇakappo.
犀の角のように、ただひとり歩め 91.
“parābhavantaṃ purisaṃ, mayaṃ pucchāma gotama .
破滅する人について、私たちはゴータマにお尋ねします
bhagavantaṃ puṭṭhum āgamma, kiṃ parābhavato mukhaṃ?”.
師にお尋ねするためにやってきたのです、何が破滅の入口ですか?
92.
“su-vijāno bhavaṃ hoti, su-vijāno parābhavo.
栄える人は知りやすく、破滅する人も知りやすい
―dhamma-kāmo bhavaṃ hoti, dhamma-dessī parābhavo”.
―真理を愛する人は栄える。真理を嫌う人は破滅する 211.
sabb'ābhibhuṃ sabba-viduṃ sumedhaṃ,
すべてに打ち勝ち、すべてを知った、智者
sabbesu dhammesu an'ūpalittaṃ.
あらゆる事物に汚されることなく
sabbañ-jahaṃ taṇhakkhaye vimuttaṃ,
すべてを捨て、渇愛の消滅において解脱している
― taṃ vāpi dhīrā 'muniṃ' vedayanti.
― 諸々の賢者は、かれを”聖者”であると知る 212.
paññā-balaṃ sīla-vat'ūpapannaṃ,
智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り
samāhitaṃ jhāna-rataṃ satīmaṃ.
心が統一し、禅定を楽しみ、つねに気を付けていて
saṅgā pamuttaṃ akhilaṃ an'āsavaṃ,
執着から脱し、荒みなく、汚れがない
― taṃ vāpi dhīrā 'muniṃ' vedayanti.
― 諸々の賢者は、かれを”聖者”であると知る 219.
aññāya lokaṃ paramattha-dassiṃ,
世間を知って、最高の真理を見
oghaṃ samuddaṃ atitariya tādiṃ.
激流と海を渡った、このような人
taṃ chinna-ganthaṃ asitaṃ an'āsavaṃ,
結び目を断ち切り、依存せず、汚れなき
― taṃ vāpi dhīrā 'muniṃ' vedayanti.
― 諸々の賢者は、かれを”聖者”であると知る 226.
yaṃ buddhaseṭṭho parivaṇṇayī suciṃ,
最上の仏が讃歎したもうた清らかな
('samādhim ānantarikañ' ñam āhu)
(’間をおかぬ精神統一’と、それを呼ぶ)
samādhinā tena samo na vijjati,
精神統一に等しいものは存在しない
idam pi dhamme ratanaṃ paṇītaṃ.
この勝れた宝が、真理に(ある)
etena saccena suvatthi hotu!
この真実によって、幸せであれ! 30.
ye ariyasaccāni vibhāvayanti,
(四つの)聖なる真理をはっきりと知る人々は、
gambhīrapaññena sudesitāni.
奥深い智慧によってよく説かれた(その真理を)。
kiñcāpi te honti bhusaṃ pamattā,
どんなになおざりになることがあっても
na te bhavaṃ aṭṭhamam ādiyanti.
第八の生存を受けることはない
idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ,
この勝れた宝が、修行者の集いに(ある)
etena saccena suvatthi hotu!
この真実によって、幸せであれ! 修行者の集い・・・^^
つまり・・
聖なる真理をはっきりと知る人々の集いとなる・・^^ つまり・・^^
修行者とは・・
聖なる真理を追求する人々であると^^
救いを求める人々はだれもおらんと^^
こうなるんだよな^^ まぁ凡夫は勘違いして救いを求めに行くかもしれんけど^^
救いを求めるのではなく修行して真理を悟れと^^
こう言われるだろうな・・・^^ 250.
“sotesu gutto vijit'indriyo care,
(六つの)通路を守り、諸感官を征服して行動せよ
dhamme ṭhito ajjava-maddave rato.
真理において立ち、質直柔和を楽しみ
saṅg'ātigo sabbadukkha-ppahīno,
執着を越え、すべての苦しみを捨て
na lippati diṭṭha-sutesu dhīro”.
賢者は、見聞したことに汚されない 257.
paviveka-rasaṃ pitvā, rasaṃ upasamassa ca.
遠離の味と、寂静の味とを飲み
niddaro hoti nippāpo, dhamma-pīti-rasaṃ pivanti.
怖れなく、悪を離れている、真理の喜びの味を飲んでいる人は 266.
“khantī ca sovacassatā, samaṇānañ ca dassanaṃ.
忍耐、言葉の優しいこと、諸々の道の人に会うこと
kālena dhamma-sākacchā, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
ときどき真理について議論をすること、 ―これが最上の幸せである
267.
“tapo ca brahmacariyā ca, ariya-saccāna' dassanaṃ.
苦行と、清らかな行いと(四つの)聖なる真理を見ること
nibbāna-sacchikiriyā ca, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
涅槃を体得すること、 ―これが最上の幸せである
268.
“phuṭṭhassa loka-dhammehi, cittaṃ yassa na kampati.
世間の諸々の事柄に触れても、彼の心は動揺しない
asokaṃ virajaṃ khemaṃ, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
悲しみなく、汚れを離れ、安穏である、 ―これが最上の幸せである
269. >>842
寝言は寝てから言うものじゃ!
南無南無 (‐人‐) う〜〜ん^^
亀和尚もっと具体的に書いてくれんと・・^^
わけわからん^^ 673 名前:基地にゃん& ◆OTsHSJKM8o 2017/10/29(日) 15:57:00.18 ID:eExaiDnz
やはりパチモンはパチモンに
過ぎないにゃん🎵( *・ω・)ノ
買わずに見して正解にゃん🎵
ひゃっひゃひゃ!( ´∀` )b🐎💴
674 名前:Qちゃん 2017/10/29(日) 16:53:06.68 ID:nm7Yuapl
さすが基地にゃん!
外れ馬券を買わしたら右に出る者はいないにゃん!
(;¬_¬)
馬券も当たらんようだし・・^^ 果も報も寝ても寝なくてもおなじ^^
因果の連鎖は・・^^ 1、無明・むみょう・、2、行・ぎょう・、3、識・しき・、4、名色・みょうしき・、5、六入・六根・ろくにゅう・ろっこん・、
6、触・そく・、7、受・じゅ・、8、愛・あい・、9、取・しゅ・、10、有・う・、11、生・しょう・、12、老死・ろうし・。
われわれ人間の人生は、上記のように展開していくが、ー思うに任せぬ苦しさーの原因は、
すべて、根本の無明・むみょう・から始まっている。
倶舎論第九には十二縁起について四つの解釈をあげています。〔法蔵館、仏教学辞典〕
@刹那縁起・・・一刹那の心の中に十二支が備わっているとして、
例えばむさぼりの心から殺生しようとする瞬間の心についていえば、
その一刹那の心に愚痴があるのが無明、殺そうと意志したのが行、
というふうになります。
A連縛縁起・・・この十二支がたえまなく連鎖して前因後果の関係を為すのを云います。
B分位縁起・・・三世両重の因果による胎生学的な解釈で、十二の支分は有情が
生死に流転する過程におけるそれぞれの位態を示すとなすものです。
C遠続縁起・・・はるかに生を隔てて十二支が継続して縁起することを云います。
この無明を取り除いて、人間の心が 正しいー真理の法則ーのレールに乗ると、
人間の行いー行・ぎょう・−も正しいレールにのる、即、苦が消滅して安らかな心境の人生になる。
無明・むみょう・を 消滅させるには、仏の教えを学び・実践していくことです。
人間は誰しも、、仏の教えを学ぶ・信解する・実践することで、
六道の世界にー輪廻転生ーすることなく、安心・安穏な人生を生きてゆける、と世尊は説いている。 この無明を取り除いて、人間の心が 正しいー真理の法則ーのレールに乗ると、・・
ふむふむ^^ “tapo ca brahmacariyā ca, ariya-saccāna' dassanaṃ.
苦行と、清らかな行いと(四つの)聖なる真理を見ること
nibbāna-sacchikiriyā ca, ―etaṃ maṅgalam uttamaṃ.
涅槃を体得すること、 ―これが最上の幸せである
こうなる^^ つまり・・・^^
思考は真理を見るためにあると・・^^ >>853
表面だけ見て何の真理じゃ?
ひゃっひゃひゃ!( ´∀` )b🎰 679基地にゃん& ◆OTsHSJKM8o 2017/10/29(日) 19:43:34.44ID:eExaiDnz>>680
>>677
そんな姑息な真似はゴースト
が許さないにゃん🎵 ( ̄^ ̄)ノ👻
680Qちゃん2017/10/29(日) 19:53:47.55ID:THNxDlb7
>>679
バカな事言ってないで早く寝なさいよ!
(。・`з・)ノ 基地にゃんと愉快な仲間達D [無断転載禁止]©2ch.net
673 :基地にゃん& ◆OTsHSJKM8o [karenna]:2017/10/29(日) 15:57:00.18 ID:eExaiDnz
やはりパチモンはパチモンに
過ぎないにゃん🎵( *・ω・)ノ
買わずに見して正解にゃん🎵
ひゃっひゃひゃ!( ´∀` )b🐎💴
大聖者・因縁果さまが語りまくるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
824 :亀和尚[]:2017/10/29(日) 15:58:44.27 ID:eExaiDnz
>>823
基地にゃんとは多羅尾伴内の
別名じゃよ!(^o^)/
南無南無 (‐人‐)
坐禅と見性第126章ぐるりと回転360度色即是空空即是色
239 :亀和尚[]:2017/10/29(日) 16:00:06.14 ID:eExaiDnz
>>238
無駄に力むからじゃよ!(^o^)
南無南無 (‐人‐)
鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実 4 [無断転載禁止]©2ch.net
843 :亀和尚[]:2017/10/29(日) 16:01:31.76 ID:eExaiDnz
>>842
寝言は寝てから言うものじゃ!
南無南無 (‐人‐)
基地にゃんと愉快な仲間達D [無断転載禁止]©2ch.net
675 :基地にゃん& ◆OTsHSJKM8o [karenna]:2017/10/29(日) 17:19:32.47 ID:eExaiDnz
>>674
買って無いにゃん🎵 ( ・ε・)ノ
買っちゃダメってゴーストが
囁くにゃん 🎵 👻
大聖者・因縁果さまが語りまくるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
843 :亀和尚[]:2017/10/29(日) 17:20:24.36 ID:eExaiDnz
>>842
寝言は寝てから言うものじゃ!
南無南無 (‐人‐) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 基地にゃんと愉快な仲間達D [無断転載禁止]©2ch.net
678 :基地にゃん& ◆OTsHSJKM8o [karenna]:2017/10/29(日) 19:42:07.63 ID:eExaiDnz
>>676
基地にゃんの本名は草薙素子にゃん🎵
ひゃっひゃひゃ!( ´∀` )b🎰
基地にゃんと愉快な仲間達D [無断転載禁止]©2ch.net
679 :基地にゃん& ◆OTsHSJKM8o [karenna]:2017/10/29(日) 19:43:34.44 ID:eExaiDnz
>>677
そんな姑息な真似はゴースト
が許さないにゃん🎵 ( ̄^ ̄)ノ👻
大聖者・因縁果さまが語りまくるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
854 :亀和尚[]:2017/10/29(日) 19:45:36.05 ID:eExaiDnz
>>853
表面だけ見て何の真理じゃ?
ひゃっひゃひゃ!( ´∀` )b🎰 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 因果の連鎖やな・・^^
このカキコミは因であるのか・・
それとも果であるのか^^
因があり縁によって果となる^^
その果がまた因になり縁によって果となる^^
この因果の連鎖は止まることがない^^
唯一止まるとしたら・・^^ 解脱しかないな・・・^^
輪廻を断ち切るには・・^^ だいたい仏教というものがどうゆうものか理解できた^^ 仏の道とはすなわち涅槃寂静の境地に到る道であった^^ 師匠(´∀`)おはようございます
今日は新暦朔日の旧暦十三夜ですね…
良い月が観られますようにw >>869
あ…私はいいけど、因縁果さんがそういう風に見られてしまいますよね…。控えますね
>>因縁果サン
ありがとうございました
(´∀`)ノ
外道帝国が酷すぎてまだ去っていませんw
では失礼致します(礼) ずーと
なぜ人は美しいと感じるのかを月を見ながら考えてた^^ 人のカラダに含まれる細胞の数60兆個。
ひとつの細胞に含まれる原子の数1000兆個。
ひとつの原子の平均素粒子数50個。
う〜〜ん^^ 本能的に・・
秩序あるものは美しい・・
混沌なるものは汚く感じるのであろうか・・^^ 人は秩序で成り立っているから・・
それが拡散されるのを恐れている可能性もある^^
秩序の崩壊は死をもたらす^^ 「生命とは何か」の中で、シュレーディンガーは生命体が秩序を維持するということが、
生命のない物質との決定的な違いであると述べています。
それが何故可能であるのか、シュレーディンガーは負のエントロピーという概念を
述べています。
考えてることがおなじやな^^
シュレーディンガーちゃん^^ >>876
寝言は寝てから言うものじゃ!
南無南無 (‐人‐) >>876
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ シュレディンガーはヴェーダに影響受けてたみたいだねお 真の瞑想とは・・^^
こころの働きが寂静し・・
心地よい境地に到るものである・・
この境地に至らない瞑想は・・
ただ単に座っているに過ぎない^^ 心地よい境地・・・^^
すなわち・・^^
一種の身体離脱かもしれん^^ この境地に至らない瞑想になんの意味があろうか^ ^ 瞑想で到達する、か。
それはバカのやることである。
瞑想を省略して到達せよ。 /
,. 、 / /
,.〃´ヾ.、 / /
/ |l ', / /
,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 迷走バカが現れたのじゃ!
l.l. ,..ィ'´ l', '.j '.
'r '´ ',.r '´ !| \
l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l \
ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
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,. 、 / /
,.〃´ヾ.、 / /
/ |l ', / /
,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 貴様らがやっているのは只の迷走じゃ!
l.l. ,..ィ'´ l', '.j '.
'r '´ ',.r '´ !| \
l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l \
ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
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.| | >>888
きゃー
・.\(´∀`)ノ.・"*
亀和尚様がお踏みになられたw
明日昼が満月なので今宵が満月(嬉)
これは>>317の答えは「亀和尚様」と既に決まっていたということなのでしょうか?それとも否か? 身心脱落
@身心は身体と心。脱落はもぬけること。身体と心がもぬけること。
曹洞宗の宗学では、坐禅している状態が、まさに身心脱落であるとする
これね〜〜^^
これに近いんだよね^^
879因縁果 ◆d........o 2017/11/03(金) 10:35:52.27ID:fnxNBdaN
真の瞑想とは・・^^
こころの働きが寂静し・・
心地よい境地に到るものである・・
この境地に至らない瞑想は・・
ただ単に座っているに過ぎない^^
880因縁果 ◆d........o 2017/11/03(金) 10:41:02.45ID:fnxNBdaN
心地よい境地・・・^^
すなわち・・^^
一種の身体離脱かもしれん^^
881因縁果 ◆d........o 2017/11/03(金) 10:41:48.14ID:fnxNBdaN
まぁ・・^^
解る人には解る^^
882因縁果 ◆d........o 2017/11/03(金) 11:16:16.39ID:wT+FbCa/
この境地に至らない瞑想になんの意味があろうか^ ^ 身心脱落 と・・・^^
「一種の身体離脱かもしれん^^」
似てるんだよな・・・^^ >>889
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 皆の衆、うがみんしょーらん!
l.l. ,..ィ'´ l', '.j '.
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l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l \
ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
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.| | 身心脱落
この語は道元禅師が留学僧として宋の天童山・如浄禅師の
もとでの修行していたとき、道元自らの悟りの機縁となった
言葉である。師の如浄禅師はもともと「心塵脱落」として
説かれていたものを道元禅師は自らの悟りの境地から「身心
脱落」とされたものらしい。心塵脱落は煩悩(心塵)からの
解脱であったが、道元は単に心の煩悩だけでなく身体の煩悩
共に解脱しなければならないとした。 「参禅は心身脱落なり 焼香、礼拝、念仏、修懺(しゅうさん・・懺悔の法を修して
身心を清浄にする)、看経(かんぎん・・お経を唱える)を用いず、只管(しかん
・・ひたすら)に打座するのみ」と示し、さらに「身心脱落とは坐禅なり。
只管に坐禅するとき五欲煩悩が除かれる」 即ち「身心脱落」とは身も心も一切の執着を離れて、自由で清々しい境地への
解脱である。道元は「仏道をならうことは自己をならうなり、自己をならうとは
自己を忘れることなりと云い、自己への執着を離れ萬法に証せられることだと
いっている。つまり自己の身心とか、他人の身心とかの相対的執着を離れた
ところに身心の脱落があるとしたのである。 「身心脱落とは坐禅なり。只管に坐禅するとき五欲煩悩が除かれる」
「只管に坐禅」でなくてもこの境地にいけるんだよな^^ 究極の身心脱落は身体離脱であり・・^^
人は身体離脱に近いところまでいけるのは確かである^^ 道元ちゃんも坐禅で身体離脱に近いとこまでいったかもしれん^^ まぁ・・おまいらは「坐禅で身体離脱」なんて言葉もでてこないだろうな・・^^^
永遠に^^ 禅も瞑想も究極を目指すなら「始め」と「終わり」が無いと危険です。また禅病をどうするか、その方法を知らねば百害あるかと。 足を止めて、前方の木の葉の緑に見入っていると、ふと体の感覚がなくなって
いくような、周囲の木々や草と一体になっていく感じがした。
『なんだ。この感じは! 気持ちいいな』と心の中で呟いた。
さらにそのまま立ちすくんでいると、自分の体が周囲の自然と溶け合って、
なくなってしまったように感じた。精神も安らかで、何か大きなものに包み込まれ
ているようで、心地よい。
同感^^ 道元は、仏像や念仏によらず、日々の生活こそ修行であるとし、
ひたすら座禅をした。その結果、『身心脱落(しんじんだつらく)』の境地に
達すると悟ったそうである。『身心脱落』、今は誰も使わないが、
身も心も一切の束縛(それは人間の欲望や執着からくる)から解き放たれ、
自分のあるがままの姿に戻った状態ということで、あの体験に近い言葉である。
やはり・・ここに行き着くか^^ 「心地よい。」
この境地なんだよな^^
体験するとこの言葉がでてくる^^ う〜〜ん^^
たぶん道元ちゃんも「同感」って言うであろうな・・・^^ 実は先日の旧9月9日重陽だったのでお参りがてら、0mから2000m自分の足だけで山登りしてきました。元々身体が強くないので単独時間をかけて。
筆者さんと同じ経験をしました。心地良かったし下山したあとに空気が濃く感じて明らかに何か違うのです。
でも、昔、違う状況で同じ様な離脱体験も体験した事が。高熱出して物凄い咳がついて苦しくて苦しい時に、ふっと楽になって…なんだろうと思っていると激しい咳をする自分を客観視しているんです。そこに心地良さは無いですが…
それでもし普段の生活で瞑想を取り入れたとすると、「始め」「終わり」をしっかりしないと危ないと感じました。禅病がそれなのかも それと、心に一点でも穢れがあるとそれが瞑想と共に拡大してしまうような気がします(逆に縮小させて消せるかも?ですが)
神道も仏道も穢れを祓う所から所作が始まると記憶していますが(記憶違いなら申し訳ありません)、おそらくその1つの理由だと考えました。
禅で師が必要な理由の1つが、そういうおそれがある時(身体の動きに心が現れる?)カツ?を入れるのかと。 90因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:18:00.92ID:lTjw/mIG
「体の感覚がなく・・思考も無い・・景色を見てるだけ・・
それが心地よく感じる・・」
これだ^^
91因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:25:00.85ID:lTjw/mIG
体の感覚がなく・・つまり・・体の煩悩か消えている状態^^
思考も無い・・・・つまり・・我執が消えている状態^^
景色を見てるだけ・つまり・・
5識・・感覚(目・耳・鼻・舌・身)─成所作智(じょうしょさち)
6識・・思考意識 ─妙観察智(みょうかんざつち)
潜在意識
第7末那識・・自我意識 ─平等性智(びょうどうしょうち)
↓
第8阿頼耶識・・貯蔵意識 ─大円鏡智(だいえんきょうち
5識から第8阿頼耶識で止まってる・・
あれあれ^^ 92因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:30:04.78ID:lTjw/mIG
5識・・感覚(目・耳・鼻・舌・身)─成所作智(じょうしょさち)
↓ ↑
潜在意識
↓ ↑
第8阿頼耶識・・貯蔵意識 ─大円鏡智(だいえんきょうち)
こうなるはずだが・・
感覚は残ってるということか・^^
93因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:32:03.90ID:lTjw/mIG
第7末那識・・自我意識がなくなるということは・・
6識・・思考意識・・もなくなる^^
94因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:35:55.11ID:lTjw/mIG
ということは・・
5識・・感覚(目・耳・鼻・舌・身)
からストレートに第8阿頼耶識にきて・・
第8阿頼耶識からストレートに5識・感覚(目・耳・鼻・舌・身)へかえる^^
こういうことだな^^
95因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:38:25.39ID:lTjw/mIG
ということは・・私というものがいなくなる^^
第8阿頼耶識のみ存在する^^
そういえば・・
輪廻の考え方が・・そうだったような・・^
96因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:40:41.75ID:lTjw/mIG
第8阿頼耶識のみ存在し・・
私というものは存在しない^^
うわぁああああああああああああああああああ^^
97因縁果 ◆d........o 2016/08/14(日) 21:44:28.25ID:lTjw/mIG
そういえば・・
非思量瞑想しているときは・・
私の存在は消えてたな・・
ただ見てるだけ・・
なにが見てたんだろう・・
体の感覚や思考がないので・・
わからなかった・・^^
第8阿頼耶識のみ存在してたのか・・^^
こんな感じ^^ 135因縁果 ◆d........o 2016/07/28(木) 16:42:17.16ID:q04GP87q
「私」が消えて無くなる・・
そして自然に溶け込む・・
これが心地よいんですよ^^
だから毎週瞑想しにいく^^
悟りなんか・・どうでもいい^^
お坊さんに任しとく^^
こうなっちゃうんですよね^^ 137因縁果 ◆d........o 2016/07/28(木) 16:51:24.04ID:q04GP87q
ここで重要なのは・・
「「私」が消えて無くなる・・」
文字では想像するが・・
実際には全然理解してないし、妄想でしかない・・
しかし・・体験した人には「あーその感覚か」とすぐわかる^^
おまえらがいくら文字で仏教を理解しようとしても・・・
妄想で終わる・・
そう・・体験が伴っていないから・・
138因縁果 ◆d........o 2016/07/28(木) 16:54:07.11ID:q04GP87q
まぁ・・どうでもいいか^^
139因縁果 ◆d........o 2016/07/28(木) 16:56:01.05ID:q04GP87q
「私」が消えて無くなる・・
我執がなくなる・・
ここちよい^^
涅槃じゃねえかぁ嗚呼ああああああああああああああああああ^^
140因縁果 ◆d........o 2016/07/28(木) 17:00:05.11ID:q04GP87q
我執がなくなるとどうなるのか・・^^
141因縁果 ◆d........o 2016/07/28(木) 17:02:19.58ID:q04GP87q
人やものへの執着がなくなると・・
142因縁果 ◆d........o 2016/07/28(木) 17:03:13.58ID:q04GP87q
さらに生への執着がなくなると・・ 655因縁果 ◆d........o 2016/08/09(火) 18:42:22.85ID:f6+9oAzK
まずは体を清めるところからはじまるからな〜^^
体を清め・・水風呂で煩悩をおとし・・
そして・・自然の中で水の滴る音を聞きながら・・
自然に溶け込む・・
そこには思考はいらない・・
まさに無我の境地^^ う〜〜ん^^
懐かしい^^
ここらへんから仏教に興味を持った^^ なるほど…
何が有益なのか曇りの無い目での見極めが(なんでもそうですが)重要だと感じます。 /
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 寝言は寝てから言うのじゃ!
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 皆の衆、お休みじゃ!
l.l. ,..ィ'´ l', '.j '.
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l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l \
ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
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.| | >>904
禅病というと、古井由吉の小説の「山躁賦」にある描写世界かな?
これを超える技法が密教にあると? 古井由吉の「杳子」から「木曜日に」かけての解決の仕方? >>915
タルコフスキー映画の「ノスタルジア」に出てくるイタリアの露天風呂を思い出すよ。
あの映画も、水の様態変化をふんだんに使った原始密教的啓示の世界だったな。 禅病治療は白隠禅師の「夜船閑話」に載っているかと…。 >>919
(´∀`)ノ
おはようございます
また次の満月に /
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 皆の衆、お早うじゃ!
l.l. ,..ィ'´ l', '.j '.
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l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l \
ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
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.| | >>908補足
高度2000m(直線距離約30q)を全て徒歩w >>932
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', それこそ満腹じゃ!
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.| | マラソンの強化ランナーが鍛えるというボルダーへ行ってみたい。 yassa vitakkā vidhūpitā, ajjhattaṃ suvikappitā asesā.
思いが払いのけられ、内側がよく整えられた yass'antarato na santi kopā, itibhavābhavatañ ca vītivatto.
内に動揺なく、このようにあるなしの論を越えている yo n'āccasārī na paccasārī, sabbaṃ accagamā imaṃ papañcaṃ.
行き過ぎることもなく、おくれることもなく、この現象世界を、すべて越えた
yo n'āccasārī na paccasārī, 'sabbaṃ vitatham idan' ti ñatvā loke.
行き過ぎることもなく、おくれることもなく、世界における「この一切は虚妄である」と知って yass'ānusayā na santi keci, mūlā akusalā samūhatāse.
いかなる潜在煩悩もなく、不善の根源が根こそぎにされた
yassa darathajā na santi keci, oraṃ āgamanāya paccayāse.
この世に帰り来たる縁となる、"不安から生じるもの"がいささかもない
yassa vanathajā na santi keci, vinibandhāya bhavāya hetukappā.
存在に縛られる原因となる、"欲念から生じるもの"がいささかもない yo nīvaraṇe pahāya pañca, anīgho tiṇṇakathaṃkatho visallo.
五蓋を捨て、苦しみなく、疑いを渡り、矢を抜き去った >>947
四大元主無く五蘊悉く空なり
如何に? 南無南無(・人・) 仏教では、この分別がくせ者であり、仏道の障りとされる。「虚妄分別」(邪まな世界を作り出す分別)と
いう言い方に代表されるように、この分別によって、私たちに苦悩が生まれるというのが、
仏教の考え方である。仏教にとって分別とは、認識主体と認識対象を分け、認識主体を「我れ」
として固執(我執)し、認識対象を「我がもの」として固執(我所執)することである。
この分別によって、自己中心的な固執が生まれ、それによって苦悩が生まれる
。仏教では「煩悩は分別によって生まれ、分別は戯論(言葉によって固執の世界を
虚構すること)によって生まれる」と説かれる。私たちの世界は言葉によって虚構され、
その虚構によって自己と自己の所有に対する固執が生じ、勝れた他と比較して
劣等感を抱いたり、劣った他と比較して優越感を抱いたりする
。その分別によって煩悩(苦悩)が生まれる。
う〜〜ん^^
その通りやな^^ 分別により我執が生じる・・^^
三宝印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)やな^^ 分別は戯論(言葉によって固執の世界を虚構すること)によって生まれる
戯論寂滅の境地・・・涅槃寂静やな^^ an'abhijjhitaṃ seritaṃ pekkhamāno,
執着のない自由を望み見ながら
eko care khaggavisāṇakappo.
犀の角のように、ただひとり歩め /
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ',パチモンのデムーロは配当的に美味しいのじゃ!
l.l. ,..ィ'´ l', '.j '.
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l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l \
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 馬など関係無い!騎手が全てじゃ!
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l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 皆の衆、お休みじゃ!
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l! ....:.:.:.:.:.:ヽ、 ,l
ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
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.| | 比丘たちよ、では、無明(無智)とはなんであろうか。
比丘たちよ、苦についての無智、苦の生起についての無智、
苦の滅尽についての無智、および苦の滅尽にいたる道についての無智である。
比丘たちよ、これを無明というのである。
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7050602.html (=´∀`)ノこんばんはw
今晩20:42は新月ですよー 月はあるけど新月で見えず…
おそらく満月を目視して観想する逆に内なる月と…
あ…時刻が…また次の満月に来ますw
((´∀`=))))) >>970
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 因緑果殿お早うじゃ!
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 師匠さんおはようございます!
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.| | >>972
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 風邪を引かぬ様に気を付けるのじゃ!
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.| | ふやけたんじゃないのですか?
日に焼ける?_φ(・_・…
(※をぃ自分w満月じゃないぞ 今日は天気がよく日差しが強かったので
サウナー水風呂からの外に出て
瞑想してた^^
冬でも日に焼けるんだよな・・これが^^ サウナ→水風呂からの瞑想は第四禅まで一気にいく可能性がある^^
1.色界の禅定(瞑想)
色界に属する禅定には、次の4段階(四禅)がある。
@ 初禅(第一禅)
A 第二禅
B 第三禅
C 第四禅
そしてここから始る^^
2.無色界の禅定(瞑想)
無色界に属する禅定には、次の4段階がある。
@ 空無辺処(空処定)
A 識無辺処(識処定)
B 無所有処(不用定)
C 非想非非想処(有想無想定) 冬の時期は特に有効^^
まぁ・・・こんなことだれも言わないだろな・・^^
解っていても^^ 思考がなくなり五蘊がなくなる^^
そしてまわりの景色に溶け込むところから瞑想が始る^^ (´∀`=)良いですね、神な月の温泉瞑想
リアルが忙しいので私は月末かな…
次の旅の用意をしていますw 部屋でする瞑想よりも時間的に効率がいいと感じてる^^
部屋の瞑想ではここまでくるのにかなり時間がかかるのでは?
と思う今日この頃であった^^ 瞑想の目的は涅槃寂静の境地に到ることだからね^^
涅槃寂静の境地に到らなければ続かないし^^
涅槃寂静の境地に近いところまで到れるから^^
3年も続いているんだよね^^
これが^^ ですよね、それとそこに場の自然のサイクルを取り入れると更に興味深いようです。私見ということと先入観持たせてはいけないので、詳細は避けますねw
3年前2014年は、ほぼ20年に1度のエクストリーム・スーパームーンの年で、その後11月火球が墜ちるのを見ました。何とも不思議な年で、振り返ると自分自身の今の旅もここから始まったような気がします。 五蘊への執着を断てば自然に溶け込み涅槃寂静の境地が得られるのは確定している^^ つまり・・・^^
物質的世界から解脱できなければ涅槃は得られないということかな^^ 睡眠はメンテナンス「・・
デフラグしないとな・・^^ デフラグ機能も標準装備されているとは・・・^^
なかなかなもの^^
秩序の形成には不可欠である^^ 五蘊への執着を断てば…というか私の場合は《借りモノ》であり《感謝すべきモノ》いう感覚を得ているので違うのかも知れませんが。
そういう感覚を得ていると、動物が現れて(何故か子連れ鹿が多いw)奥之院への道を教えてくれます。熊だったら食べられているだろうけどw 脳に絶え間なく情報を送り続ければ・・^^
どうなるのかな^^
許容量は3日くらいか^^ 五蘊への執着を断てる人はいないだろうな・・^^
でも・・修行次第でそれに近づけるかもしれん^^
でも・・普通の生活はできないだろうな^^ 469因縁果 ◆d........o 2017/09/09(土) 18:38:29.70ID:P3Em6xF8
無色界の禅定(非想非非想処)の先に、滅尽定(滅想定、滅受想定、想受滅とも
呼ばれる)がある。これは、瞑想とも禅定とも呼べるかどうかもわからない状態で
ある。すべての想いが滅した状態である。
これは色界や無色界での禅定ではない状態で、心の働きが一切尽きてなくなり、
全く平穏静寂な、心のあらゆる動きが全く止滅した状態とされている。
想受滅では、心の状態が全く止滅し、身体のはたらきもその間ほとんど止まる。
飲食や排泄は、もちろん、呼吸もほぼなくなり、心臓の鼓動も微細になり、
肉体の活動全体がほぼ完全に休止状態となる。これを外部から見ると、
瞑想の体勢で座っていても、まるで生きているのか、死んでいるのか、
分らないような状態となってしまうのである。
滅尽定の中では、心のあらゆる動きが全く止滅している(ある意味、意識がない)
ので、当然ながら滅尽定から醒めることを意識することもできない。
滅尽定の間は、心のはたらきは何もなく、瞑想の最中に出定しようかなどと考える
こともできないのである。
ではどうやって滅尽定から戻ることができるのかということだが、あらかじめ、
いつ滅尽定から醒めるかを決めておくのである。決められた期間後に、滅尽定か
ら醒めるのである。そうでないと禅定から醒めなくなってしまう。
滅尽定の状態のままで居続けられる期間は、最長七日間という。
滅尽定は在家修行者にはまず無理な状態であり、出家修行者でも難しく、
滅尽定に到達できる人はまれである。滅尽定は阿羅漢(アラカン)しか達する
ことができないといわれる。さらに阿羅漢(アラカン)になってしまうと、
普通人の生活はできなくなるという。 これやな・・・^^
滅尽定は阿羅漢(アラカン)しか達することができないといわれる。
さらに阿羅漢(アラカン)になってしまうと、普通人の生活はできなくなるという。
阿羅漢ってすごいな・・^^ う〜〜ん^^
こうなると・・日本人で阿羅漢はおらんやろうな・・^^
いたとすれば・・
それは自称詐欺やな・・^^ 瞑想とも禅定とも呼べるかどうかもわからない状態である。
すべての想いが滅した状態である。
これは色界や無色界での禅定ではない状態で、心の働きが一切尽きてなくなり、
全く平穏静寂な、心のあらゆる動きが全く止滅した状態とされている。
外部の力を借りれば部屋の瞑想でなくてもここまでいけるんだよな・・^^
とりあえず・・水だけど^^
まぁ・・命の危険性はあるが^^ インドは暖かいから気がつかなかっただけかな^^
う〜〜ん^^
残念^^ 1因縁果 ◆d........o 2016/07/23(土) 17:18:36.79ID:IFwNDQWa
石の上で瞑想し半年・・
何が見えてきたのか・・
書き込んでみようと思う
3年ではなく・・・
1年と半年か・・・^^ /
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,、 ,r'´ ||--‐r、 ', 外道の囁きが聞こえるのじゃ!
l.l. ,..ィ'´ l', '.j '.
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ゝ、.,_ ---‐‐‐----ゝ、ノ
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.| | 今振り返ってみると・・^^
唯識を学んだのがよかったな^^ 外道の囁き?
985神も仏も名無しさん2017/11/19(日) 17:08:22.63ID:6PFI3Q/z
ようするに、寝ればいいのか。
う〜〜ん^^
これやな^^ このスレッドは1000を超えました。
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