坐禅と見性第117章禅のアヒルは、泥水に注がれたミルクだけを飲む [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来(きた)る者は拒(こば)まず、去る者は追わず、である。
スレの興隆は、時空のながれ、いっときもとどまらず、恒常が無い。
遠くの山々は、青く、我を旅立ちへ誘う。
あの遠い青い山並みの向こうに、何があると言うのか。
白い雲は、山にかかると、さっと左右に分かれ、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出している大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水の振る舞いの如く修行僧が風景に溶け込む。
縁があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、次のステップである。
真理、ダルマ、法である、さとりである、ほとけである、われら。
公案に参禅す。
問う、「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい 」
答える、「 」
【前スレ】
坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
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【過去スレ】
坐禅と見性第115章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止](c)2ch.net
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坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる) [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第112章ホワイトオータムからブラックウインターへと [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第111章 一茎草(いちけいそう)これ仏殿 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第110章 頑張れそのうち聖火も消えるのでは心配
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1466980518/ >>685
>さとりと見性は、言葉を変えていますが、
>別の事を言ってるのじゃない、同じことを
>言ってるのです。
十牛図って知っとるけw >>691
滅不滅の相を示す仏に中身などないでしょ。
廓然無聖なるものがあったら、それは廓然無聖と言えないんですから。
知識の継ぎ足しにみえるのは、貴方が知識で見てるからでしょう。
すり替えにみえるのは、貴方の好む回答ではないからでしょう。
滅不滅に照らせば、全てが戯論です。
当然、このレスも免れませんがね。 おまえさんは、十牛図を知っているかと聞いているのじゃが >>637
これは笑止。
小生は、知識が不必要と貴殿が嘯いた故に、至道無難唯嫌揀択(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)」と申したまで。
まぁ、独学の初学者に正しい禅語の理解は難しいかも知れんが、それは恣意的に分別をしないのでは無く、分別のない本当の自性に委ぬる(これを正念相続と申します)のでありますが。
それには先ず、貴殿が自性を知らねばなりますまい。
坐禅中に私が無くなったとかいう妄想では決してありませぬぞ? 常々疑問に思っておりましたが、>>693〜697は自作自演ではありませぬか。
いつも書いている時間が一致しておりますが。
いやはや何とも白けますなぁ。
此処に書く気が失せ申した。 まあ、宗教2ちゃんねるも、まことのじいさんしかいないんだけどね(笑) 687 名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。 ID:6XR0sMt3 [6/8]
>>685
『お作法、お行儀に拘泥して、ややもすると本質さえも軽んじるのが、お座り衆の良くないところです。マブダチ道元も公案でさとりましたよ。坐禅でさとった人は一人もいないのです。 』
坐禅で悟る、と考える君は正しくないんですよ。坐禅が師なんであり坐禅が答えなんであり、坐禅が仏なんですよ。
ここで言う坐禅とは行住坐臥の事を指します。だから中論観涅槃品にも 「諸法の得べからざるは、一切の戯論を滅す、人無くして亦た処無し、仏にも亦た所説無し」
と、仏はどこに於いても誰の為にも一偈も説かなかったとあるんですよ。
仏は能除一切苦でなければ仏じゃありません。一切の苦を抜去してしまうのが仏なんです。それって禅定以外有り得ないじゃないですか。
それ故に 「三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり」と般若心経にも有る訳です。
上記阿耨菩提を得たその時に分かる事があります。何も無い方じゃありません、そっちは本性で何も語りませんし意味もありませんから。
そうじゃない方を認めなくては行けないんです。それでなくては悟りが完了しません。完了出来なくては中途半端のままであり、真実が分からないままなんです。
それじゃ抜苦滅苦出来ても元に戻っちゃいます。元に戻っちゃうその状態が所謂見性なのであり、これを悟りだとしたなら
本当の事が分からないまま、無理やり満足して我慢するって事になりますよ。
自分こそが誰彼なく煩悩の当事者でしょう。これを認めて悟後の修行に徹底するんですよ。大事な事ですから坐禅して良く吟味してください。坐禅が先生なんですから。
滅不滅の相を示す仏に中身などないでしょ。廓然無聖なるものがあったら、それは廓然無聖と言えないんですから。
知識の継ぎ足しにみえるのは、貴方が知識で見てるからでしょう。すり替えにみえるのは、貴方の好む回答ではないからでしょう。
滅不滅に照らせば、全てが戯論です。当然、このレスも免れませんがね。 』
〇 行住坐臥、それは,生死とも言います、生老病死とも。 このスレでは、24時間営業のコンビニ禅、である、と言います。
色即是空は 空即是色に 還る。 難解(なんげ)ですね >>698 嶺南の木人 さん
> 自性を知らねばなりますまい。坐禅中に私が無くなったとかいう妄想では決してありませぬぞ?
さとれば 祖佛祖師がたと 手を把りあって 供に行く。 都合の悪いことにはいつもスルー
それが、まことww おっ?
ポタ公VS臭せぇ自作自演の煩悩マンか?
屁理屈原理主義戦争勃発か!?
妄想VS煩悩バトルか?!
こりゃ見ものだなw
ま、ネタ切れだもんなw >>703
>行住坐臥、それは,生死とも言います、生老病死とも。 このスレでは、24時間営業のコンビニ禅、である、と言います。
ちょっと何言ってるのか意味が解りません。
>色即是空は 空即是色に 還る。 難解(なんげ)ですね
聞く寸前の「耳」という感覚も、見る寸前の「目」と言う感覚も、残りの感官も空ですよね。
それらは空であるから各々感官を自覚出来て見聞出来たりするんでしょう。
少しも難解じゃありませんし、これらは日常普通に行なわれてる事じゃないですか。
それ故に眼横鼻直なんでしょう。
君は不思議な事を言いますね。 碧巌録(へきがんろく) 第39則? 雲門(うんもん)花薬欄(かやくらん)
挙(こ)す
僧雲門に問う、「如何なるかこれ清浄法身(宇宙の根本仏である大日如来)?」
門云く、「花薬欄(便所を取り囲んだ生垣9」
僧云く、「すなわち恁麼(いんも)にし去る時は如何?」
門云く、「金毛の獅子(王の中の王)」
花薬欄:柵で囲った満開の芍薬の花。
本則:
ある僧が雲門禅師に聞いた、「清浄法身とはどのようなものですか?」
雲門は言った、「花薬欄(柵をめぐらして丁寧に囲った芍薬の植え込み)」
僧は聞いた、「その花薬欄である本来の面目(真の自己)の中に法身が現前したらどうなりますか?」
雲門は言った、「金毛の獅子」
〇 マブダチ道元が言う、眼横鼻直、あるいは別の僧が言う、麻三斤、である。 710 名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。 ID:6XR0sMt3 [9/9]
>>703
>行住坐臥、それは,生死とも言います、生老病死とも。 このスレでは、24時間営業のコンビニ禅、である、と言います。
ちょっと何言ってるのか意味が解りません。
>色即是空は 空即是色に 還る。 難解(なんげ)ですね
聞く寸前の「耳」という感覚も、見る寸前の「目」と言う感覚も、残りの感官も空ですよね。それらは空であるから各々感官を自覚出来て見聞出来たりするんでしょう。
少しも難解じゃありませんし、これらは日常普通に行なわれてる事じゃないですか。それ故に眼横鼻直なんでしょう。君は不思議な事を言いますね。 』
下あごが下降し、やや時間が流れてのち、上あごへ向かって緩やかに浄するこの運動の退屈至極な運動群。。ですよね、どうですか。 >>713
訂正
下あごが下降し、やや時間が流れてのち、上あごへ向かって緩やかに浄するこの運動の退屈至極な運動群。
↓
下あごが下降し、やや時間が流れてのち、上あごへ向かって緩やかに上昇するこの運動の退屈至極な運動群 >>713
舌が下がってるんだろw
首を引いてねーなw >>715
しゃべるとき、誰が口をパクパクさせているのですか? >>717 名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。
> >>715
> しゃべるとき、誰が口をパクパクさせているのですか?
ここは何処、わたしは誰、 サー・アルフレッド・ポタ公閣下に我など無いのだ。
そのようなものは、脳の萎縮と共に消え去ったのだ! >>695
理解(りげ)ですね。
悟前の方は初関を透っ下さい。 >>688
理解(りげ)ですね。
悟前のひとは悟りを求めます。
あなたは悟りたいのですか、どうでしょう。 >>720
雀鬼 殿
無我を真理 さとりといいます。
あなたは黄金の炎を見ていませんね。 >>724
あなたはみたんですか?
何色でしたか? >>717 名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。
理解(りげ)ですね。
マブダチ道元はいいます、眼は横に鼻は縦に。 >>725
名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。
悟前のひとは悟りを求めます。
悟後のひとは色を見たら見えなくなります。
これを初関を透るといいます。 >>725
何度も言います、無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) です。
ただ、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、 に取り組みました。 >>727
なんで悟ってるのに名無しの人を荒らしとみなすんですか?
分別ですよね? 721 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
722 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
723 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
724 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
725 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/03/12(日) 00:16:17.14 ID:p3C5kV3x [1/2]
>>724
あなたはみたんですか?何色でしたか?
726 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
727 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
728 名前:あぼ〜ん[レスあぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
729 名前:坐で30m先の蝋燭を吹き消せ!あん;ポッたん[] 投稿日:2017/03/12(日) 00:31:44.03 ID:dr6gN1IV
成りすましはやめましょう。
730 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/03/12(日) 00:45:50.66 ID:p3C5kV3x [2/2]
>>727
なんで悟ってるのに名無しの人を荒らしとみなすんですか?分別ですよね? 』
成り済ましは、 ID:dr6gN1IV さんも言う、悪質ですよ、やめましょうよ。
分別ですよ。悟後のひとには、空即是色です。 >>731
理解(りげ)ですね。
悟前のひとは悟りを求めます。
あなたは悟りたいのですか、どうでしょう。 釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。 >>733
理解(りげ)ですね。
成りすましはやめましょう。 >>731
分別があるうちは悟りとは言わないと思いますが?
どうですか? >>736 名無しは荒らし、と言う受け取りです、次回からは固定ハンドルネームを付けてください。
> >>731
> 分別があるうちは悟りとは言わないと思いますが?> どうですか?
おっしゃるとおりです。
これとそれは、同じである、です。
2は2ではない、一の如し です。
色即是空です。 >>737
理解(りげ)ですね。
成りすましはやめましょう。 >>736
悟前のひとは悟りを求めます。
あなたは悟りたいのですか、どうでしょう。 アメリカ陸軍第442歩兵連隊(US Army 442nd infantry regiment)日系アメリカ人たちの物語 - 1:11:07
https://www.youtube.com/watch?v=IpjaQ8lJqmY
死傷率314%日系アメリカ人部隊442連隊の驚愕の真実 - 9:17
https://www.youtube.com/watch?v=n9oqFKTNzSM
日系アメリカ人部隊442連隊#1 ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=OFUpGipW5R8&list=RDOFUpGipW5R8#t=18 ひのふのみー さん
288 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/03/06(月) 08:08:27.51 ID:Y2AYWwGc [1/4]
282.
隻手音声は聞こえない、が正解である。聞いた、というのは錯覚である。
290 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/03/06(月) 08:22:53.26 ID:Y2AYWwGc [2/4]
289.
認識以後の問題である。なんで聞こえないか、の問題である。その理由が見性である。見性せよ。
295 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/03/06(月) 09:03:02.68 ID:Y2AYWwGc [3/4]
292.
我があれば、聞こえない。我がないと、どうなるか、の問題である。
297 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/03/06(月) 10:58:17.51 ID:Y2AYWwGc [4/4]
296.
バカ鬼和尚の登場である。 』
悟前の人は、真剣に、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、に取り組んで、聞いてください。 ( ̄○ ̄)お( ̄◇ ̄)や( ̄ο ̄)す( ̄ー ̄)ノ~~~み〜♪・:*:・゚★,。・:*:・゚☆ おっ?
ポタ公VS臭せぇ自作自演の煩悩マンか?
屁理屈原理主義戦争勃発か!?
妄想VS煩悩バトルか?!
こりゃ見ものだなw
ま、ネタ切れだもんなw >>746
おい
おまえが1日中自演しているのはバレバレなんだよwww >>740
人は既にみな悟っているし悟っていないし、どちらでもないし、どちらでもいい。
それがわからないならあなたは悟っていません
悟りの前、後と区別する心がある人は悟っていない。
どう思います?
なぜ悟りの前のだ、後だなんて事に拘るんですか? >>751
何度も言ってるので、申し訳ないのですが、わたしは、無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) です。
わたしがわたしをさとった、と言っています。
わたしの他に、マンゴー先生 と言うコテさんが、この人はさとりを語っている、と言いました。
それだけの事です。
と言うのも、わたしは、この世にはさとっている人はいないのだ、と思っていたのです。
さとりたいのか、という事を聞いているのです。 >>754
誰かが悟るなんて錯覚だと思う
この世はこの世全体でこの世。
誰かがいる、というのは錯覚。ただ全体がある
自分がこの世から独立してるというのは錯覚ではないですか? >>759
お主は水玉をみたことがあるぢゃろ。
水玉に宿る月影のようなものぢゃ。
月はひとつぢゃが各々の水玉に月影は宿るのぢゃ。 ひふみ神示 黄金の巻 第24帖
口で知らせること分かる人には、分かるぞ
大切なことはミミに聞かせてあるぞ
天狗だから、軽く見るから分からんのだぞ
神示は要らんのじゃ
ふで(神示)はカスじゃぞ
皆 ﹅ (てん)を見失っているぞ
﹅ (てん)あるのが分かるまい
言ってならん
仕組は出来上がらんと、人民には分からん
仕上げ見て下され
立派じゃなぁ
心で悟って下されよ
云うだけで聞けば実地に出さんでもよいのじゃ
実地には出したく無いのじゃ
この道理、よく悟って呉れよ
実地に出しては人民可哀想だから
堪(こら)え堪えて
くどく申している内に、早く覚って下されよ 第26帖
与えてあるのに何故手出さぬ
より良き教えに変わるのは
宗祖の喜ぶこと位分かるであろう
うまいこと申して人集めると
うまいこと申して人が去るのであるぞ
二四(にし)と一ゲ四(ひがし)に宮建てよ
建てる時近づいたぞ
間に合う守護神九分通り悪になっているぞ
経(たて)には差別あるぞ
緯(よこ)は無差別ぞ
この道理分からねば一列一平とならん
金欲しい者には金儲けさせてやれよ
欲しいもの与えてやれよ
人間心、神心、逆様じゃ
与えることは戴くこと
まだ分からんか
皆何も天国に行く様になっているではないか
この世でも天国、あの世でも天国、目出度いなぁ
地獄説く宗教は亡びるぞ
地獄と思うもの、地獄つくって地獄に住むぞ
地獄激しくなるぞ
人間の力(ちから)だけでは、これからは何も出来ん
アカの世からキの世になるぞ
世は七度の大変わりと知らせてあろう
二(つき)の世はキの世
口静かせよ 第27帖
何故、喜び(キ)受けぬのじゃ
宗教は無くなって了(しま)うぞ
誠光るのじゃ
光のマコトの宗教生まれるのじゃ
その時は宗教でないぞ
心得なされよ
かしはでとカシワデと二つあるぞ
柏手は誓いとチカイの印(しるし)
手摺(す)るのは願いのしるし(印) 富士の巻 第25帖
世界中の臣民は皆この方の臣民であるから
特に可愛い子には旅させねばならぬから
どんな事あっても神の子だから
神疑わぬ様になされよ
神疑うと気の毒出来るぞ
愈々となったら、どこの国の臣民という事ないぞ
大神様の掟(おきて)通りにしなければならんから
可愛い子じゃとて容赦出来んから
気付けているのだぞ
大難を小難にまつり変えたいと思えども
今のやり方は、まるで逆(さか)様だから
どうにもならなんから
いつ気の毒出来ても知らんぞよ
外国から早く分かって
外国にこの方祀(まつ)ると申す臣民
沢山出来る様になって来るぞ
それでは神の国の臣民申し訳無いであろうがな
山にも川にも海にも祀れと申してあるのは
神の国の山川ばかりで無いぞ
この方世界の神ぞと申してあろうがな(元神)
裸になった人から
その時から善の方に廻してやると申してあるが
裸にならねば、なる様にして見せるぞ
愈々となったら苦しいから
今の内だと申してあるのぞ
すべてをてんし様に捧げよと申す事
日本の臣民ばかりでないぞ
世界中の臣民皆
てんし様に捧げなければならんのだぞ 囲碁ネットでガツン シチョウを読む練習を繰り返すと、斜めのラインがスッと見えるようになります。そうすると
シチョウは一瞬で読むことが出来るようになるのです。子供たちに石を置かずに、「ここに黒が追いかけたら、白はどこに
逃げている?」ときいたら、碁を覚えて日の浅い子たちでも、「ここに逃げています。」と指を指していました。つまり、
その子たちは、10手以上読んでいるということです。読みとは、盤上に置いていない石をあるようにイメージすると
いうことです。だから、その子たちは10手以上盤に置いていない石をイメージ出来たということになります
僕はこの子たちに、無意識でイメージして手を読めることの重要性を説くために、「君たちはご飯を食べるときに
どっちの手で箸を持つ?」と聞きました。全員、今日の子供は右手と答えました。
僕は「利き手じゃないほうの左手で箸を持ったら苦労するだろう?どうしてだと思う?」と聞いたら、ひとりの子供が、
「右手は毎日やっているから」と答えました。全くその通りです。それが、知っていることと出来ることの違いなのです。
だから、知っていることを出来るレベルに引き上げるためには、無意識で出来るようになるまで繰り返し練習しなく
てはなりません。無意識で出来なくては、いざとなったときに役に立ちません。そして「そのように練習すれば、シチョウ
だけでなく、他のこともかならず、何十手先もイメージ出来るようになる。」と言いました。?坐禅観察基本嫌がるなあう てんし様の臣民は外国の方が多いかと、しかし多くの方々がその働きをご存知ないかと
ありがとうございました…。 黒鉄の巻 第15帖
人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。
人間はいつも善と悪との中にいるのであるから、善のみと云うこともなく悪のみと云うこともない。
内が神に居って外が人に和し、内が霊に居り外が体に和せば、それでよいのじゃ。
そこに喜び生まれるのじゃ。
神から出た教えなら、他の教えとも協力して共に進まねばならん。
教派や教義に囚われるは邪の教え。
豚(ぶた)に真珠となるなよ。
天国の意志は人間の喜びの中に入り、幽界の意志は悲しみの中に入る。
第14帖
悪の総大将は奥に隠れて御座るのぞ。
一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来ているのじゃ。
真の理解に入ると宗教に囚われなくなるぞ。
形式に囚われなくなるぞ。
真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも分からんのじゃ。
今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教要らんぞ。
政治要らんぞ。
喜びの歌高らかにナルトの仕組、二二(ふじ)にうつるぞ。 与えることは頂くこととは申しても、馬鹿正直ではなりませんと
与えさせて頂く心が無くては、付け焼き刃では危ないとも…。 ぽったんの見性渇望物語である。
まだ、ぽったんが”あは”と名乗っていた時代のことである。
酒場に働く女から金色の炎が立ち上がってるのを見て、見性したというのがことの始まりであった。
勿論、見性とはまったく無縁のことは云うまでもなく、当然のことながら呆れた幼稚さに批判非難紛々であった。
それでもぽったんはそれが見性だという持論で仕切りに反駁したが、誰一人、頷くものがなく、渋々引っ込めざるを得なかった。
暫らくこの自説を封印して大人しくしていたのだが、持って生まれた猛烈な虚栄心はそれで収まる訳はなかった。
次には新たに、「お花さんが微笑んで、おはようとご挨拶」と童話風物語を語り始め、これが見性ですと新説を打立てた。
それが素性の知れぬマンゴー先生とかいう者に見性してると”認定”され、今日までそれがぽったんの唯一の拠り所になってるのは衆知のことである。
しかしそれだけではまだ虚栄心を満足させることができなかった。
その後、「隻手の音声」という公案について、頭の中で組上げた理屈でもって、音を聞いたと吹聴し始めた。
だが、そうはいったものの、ある人物から「本当は聞こえない」と指摘されたことから、組立てた理論が敢なく崩れ落ちてしまった。
すっかり自信を失なってしまったぽったんは、ここでも見性の自説を下さざるを得なかったのである。
その後は、音が聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえずそれが空即是色であると実に珍妙な見解に変えている。
その度に、都合良く解釈を変えるもので虚言癖もなかなかのものである。
またつい最近では、方々のスレで「無とは何か」などと、公案がパズルであるかの如く回答を募って師匠然を気取っていた。
しかしこれもまた、ある人物からトラック一杯の答えを集めても正解などはないと指摘され、あえなく撤退してしまう嵌めになった。
このようにどれもこれも、もともと見性などしておらず、ただ嘘でもいいから異常体験をしたとの虚栄心と師匠を気取っていたいがためであるのは明らかである。
真に見性してものであれは実体験からくる確固たるものを掴んでいるので、誰が何を言おうと一切右往左往することはないものであるが、この体たらくである。
次は何を言い出すのか実に見ものであるが、このようにポッタンの見性への思いは渇望というより飢餓に近いと言える。 天罰があたり脳が萎縮した罰あたり者。
これは本当の事である。 ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタンと称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥も分らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも20数年間もこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。 72 :(。~ー~)(~ー~。)ポッたん ◆PottanMz5k :2008/06/13(金) 00:37:18 ID:U8xK8mv4
>>71 名無し さん
一如とは、さとり、です・・・ (/^0^)こそっ 155 :(。~ー~)(~ー~。)ポッたん ◆PottanMz5k :2008/06/16(月) 15:36:10 ID:TY6UOVmf
>>139 素人A さん
> 問う、片手の人の叩く拍手の音聞いて来い。
自他、一如。 ポタ公の体験は唯の共通認識体験。
> ┌─┐┌─┐┌─┐
> │自││甲││乙│
> │分││氏││氏│
> │ │| || |
> | 個々人レベル|
> |(有相の自己)|→共通認識
> | || || |
> │ │
> ・・・・・・・・・・・・
> | |
> | |
> | 無相の自己 |→見性体験
> │ │
> └───────┘ 971 :ポッ(。~ー~)(~ー~。)ポッたん ◆HotDogTYuY :2008/11/27(木) 01:02:12 ID:xZx4Tr8R
犬の大王 よ
豪語してるのか、(汗)
臨済禅でもなく、黄檗禅でもなく、曹洞禅でもないと思う。
無師独悟、独覚、だから。
釈迦族の聖人がそうであったように。 20 :チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. :2011/05/20(金) 13:24:52.81 ID:2PJlDP/s
>>17 素人A さん
>宇宙未始前の一句をもつて来い。
宇宙が 未(いま)だ 始まる以前の 一句を言いなさい。 だろうか。
わたしは、すっと立ち、両手を後ろにやって、羽をばたつかせながら、口では、チュンチュンと鳴く。 779.
神が宇宙を創造したときに誰れが、それを見ていたか。
聖書を書いた人か。
それを見ていたのは、私である。鈴木大拙の言葉であるとか。 20 :チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. :2011/05/20(金) 13:24:52.81 ID:2PJlDP/s
>>17 素人A さん
>宇宙未始前の一句をもつて来い。
宇宙が 未(いま)だ 始まる以前の 一句を言いなさい。 だろうか。
わたしは、すっと立ち、両手を後ろにやって、羽をばたつかせながら、口では、チュンチュンと鳴く。 213 :南無大師遍照金剛:2011/05/31(火) 18:23:43.79 ID:S8fdc+w1
>>165-167
これをしっかり読んでみた。勘違いだったようだ。ぽったん氏は外道のようだ。理由を列挙する。
>酒場に働く女から金色の炎が立ち上がってるのを見て、見性したというのがことの始まりであった。
これは見性ではない。ニューロン発火の一種で、幻覚だ。
>その後は、音が聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえずそれが空即是色であると実に珍妙な見解に変えている。
明らかな妄想。隻手音声の実体視で、ヒンズー教のレベルかそれ以下。
>その答えが「聞こえません。キッパリ!!」では全く笑い話にもならない。
何らかの神聖的事物を抱えている可能性が高い。やはりヒンズー教レベル。
自他一如というのは梵我一如と同じで、我アートマンと宇宙ブラフマンが一体であるとするものだが。
ぽったん氏はそれが仏教、禅の悟りと勘違いしている。
ヒンズー教の聖人なら通用するだろうが、禅語を自分勝手に曲解したのは故意若しくは乱心である。
この種の連中が禅語を解説すると必ずある傾向があらわれる。
すなわちヒンズー教(バラモン教)の教義に近接していることだ。 221 :チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. :2011/05/31(火) 21:55:11.26 ID:gYt8TW0T
>>213-215 なむ さん
名無し さん も言うように、自分の頭は他人にお任せですか?
揉み手をして、儲けばなしをするヤツ、ビジュアルがすでに、あやしいです。
あるいは、持ち上げて突き落とす。
悪魔の所業です。 質問者 誰が世界の絵を描いたのでしょう?
マハラジ 画家は絵の中にいる。
質問者 あなたはどのように世界を見ているのでしょうか?
マハラジ 私は画家が絵を描いているのを見ている。
その絵を私は世界と呼び、画家を神と呼ぶ。私はそのどちらでもない。
私は創造しないし、創造されたものでもない。
私はすべてを含み、私を含むことのできるものは何もないのだ。
画家は欲望で世界を描くのか?
神の正体を知るものは目覚めた人(仏)だけなのでしょうか…。 784.
私は創造しないし、創造されたものでもない、か。
なんでか。
それは実体ではないからである。 天罰があたり脳が萎縮した罰あたり者。
これは本当の事である。
上記はその記録である。 家出するとフサフサゆえに座禅となる。
出家するとツルツルゆえに坐禅となる。
便所荘厳落書きが高くつくならば、
美術館に便器を置けばよいのである。 これは永年に亘り悟ったと嘯いた男が、天罰が下り脳が萎縮し、ついにキチガイになったリアルな現実の記録である。 質問者 夢は考えることによって起こるのでしょうか。
マハラジ すべては観念の戯れだ。
観念化から自由になった状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)のなかでは、何も知覚されはしない。
その根本となる観念が「私は在る」だ。それが純粋意識の状態を打ち破る。
すると無数の感覚、知覚、感情、観念がその後に続いていく。それらの全体性が神であり、その世界なのだ。
「私は在る」は観照者として残る。しかし、すべては神の意志で起こるのだ。
質問者 私の意志で、ではないのでしょうか?
マハラジ またしても、あなたはあなた自身を神と観照者に分割した。
それらはひとつなのだ。 ブラフマンは退屈だから画家に画材を与えてアートの世界を描かせるのでしょうか。
観るものがいないと暗闇に塗りつぶされたアートになるのか、ひとたび光がさせばそれはありありと浮かび出るのか。
気まぐれなブラフマンは画家に窓を開けたり閉めたりさせて遊んでいるだけなのでしょうか…。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています