十十十 カトリック249 十十十 [無断転載禁止]©2ch.net
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2014年(主日A年) 2月23日 年間第7主日
レビ 19:1-2,17-18 Iコリ 3:16〜23 マタ 5:38〜48
「あなたがた (教会) は、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たち (共同体) の内に住んでいることを知らないのですか。」(Iコリ v.16)
教会は、キリスト・イエス御自身を要石 (かなめいし) とする聖なる民の共同体であるということ (エフェ 2:19-22、Iペト 2:4-5 参照) を、思い起こしましょう。
私たちがミサを大切にするのは、この教会を “神の神殿”(Iコリ v.17) として大切に思うからであって、ミサを愛する人は教会を愛しているのです。
教会憲章はこれを、“教会、すなわち神秘としてすでに現存するキリストの国”(3) と呼んでいます。
カトリック教会の聖職位階制度を説明して、教会憲章は “キリストは使徒たちの後継者すなわち司教たちが、自分の教会において世の終わりまで牧者であることを望んだ”(18) と述べていますが、
その務めを要約すれば、“教会が根本的にイエス・キリストに依り頼む存在であるということを公に示し続ける責任を担う”(リマ文書) ことであります。
「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。」(Iコリ v.17)
この “神の神殿” とは、私たちの共同体すなわち教会のことであることを、真剣に考えている信者が非常に少ないのです。
カトリック信者であるということと、その人が教会を愛しているということとが、必ずしもイコールではないという現実があるのです。
なぜでしょうか。
イエスがペトロを叱責されたときのあの言葉が聞こえるようではありませんか。
「あなたは ・・・・・ 、神のことを思わず、人間のことを思っている。」
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>347
私は日本人のクリスチャンとして、日本のカトリック教会でお世話になっています。
ですから、「カトリック教会のカテキズム」 も、日本カトリック司教協議会認可のもので読んでいます。
英語圏のどこかの国で、カテキズムがどのように解釈され、その解釈に基づいて翻訳されているとしても、それを批評する立場にはありません。
私たち日本のクリスチャンは、日本のカトリック司教団の公式な理解に従って、カトリック教会とその教理を学びます。
私の 「カトリック教会のカテキズム」 理解については、下記をご参照ください。
http://www.kuwaei2000.com/2ch.html → 信仰宣言とカテキズム ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています