【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 しかし、佳子先生は、茶坊主どもをただ「会員のお世話」から引き離して
放置されているわけではない。己の仕事に責任を持って因縁側人類に
転換できるように、正に今、茶坊主どものために修行の機会を与えて
下さっているではないか。
茶坊主どもは、因を転換し、責任ある仕事を果たせるようになれば、
「茶坊主」の身分から脱却できるのだ。
>>413 で述べたことを繰り返すが、まず最初に果たすべき「責任ある仕事」とは、
>>268-270に書いた通り、関芳郎を問い質し、奇怪な言葉がGLAホームページに
掲載された経緯を明白にすることだ。 信者になる=教祖様の茶坊主なんだよ。
君の意見は実に滑稽 >>423
部落出身も入れたほうがいいんじゃない? GLAの会員数は約4万人であると公式HPに書かれている。
先月の23日に発売されたばかりの新著「あなたがそこで生きる理由」の
現時点での売り上げ部数は約4万1千部。
前著「運命の逆転」より4千部減少している。
会員の一部が買い占めた著書を無料配布しているが
ブックオフなどにも多数見かけるという事は
もらった人にとっては迷惑なので売り払われている現実がある。
佳子氏亡き後のGLAの未来は容易に想像できる。 教団ぐるみで都内の有名大型書店で何百冊も買って
三宝出版に持ち込むとかいうバカなことを繰り返して水増ししてるから
実際はもっと少ないと思うよ 買い込みによって無理やりベストセラーに仕立てるやり方は初期のころW氏もやってたらしいねw
それを祖師は黙って咎めなかったんだからw
いやはや、これは一つの伝統芸ですか?
クリ氏のパクリ本も会員向けであり一般には出回っておらずバレることなく難を逃れている。
これらをまとめて思い浮かぶ言葉といえば
「姑息」ですかなw 現在、三宝出版の担当者はメールでアマゾンで買うよう指示しているので自作自演は
これからも止まらないでしょう。
書店周り担当の会員には封書で販促用紙のようなものが届きます。
書店に著書を置いてもらうために頭を下げて回り、
その書店で代わりに買って来てくれと自作自演に付き合わせられる身としては
迷惑どころか早く人生祈念館の骨になって二度と生まれ変わって欲しくはない
と願うばかりである。 https://textream.yahoo.co.jp/message/552019920/5ffc617adbeb819418e082fe514fcf32/1/273
>Kの言説は仏教なんかでは絶対にありません。
> 一時期教団まで持って、ある枠内での名声を得、それをまた捨て去るという奇行が斬新な言説とも相まって、
>未知のものへの憧憬を含んだ、一部の人たちからの称賛の対象となったということです。
>わけがわからない、カッ飛んだ、シュールな言説ほど、判断力の無い人たちには深遠なことばとして聞こえるのですよ。 GLAってお金持ちしか
相手にしてない?
何でも 凄い上から目線。
浅草のくせにな (笑) スレ主が会から冷遇されたのは、金払いの悪さが原因だった可能性が高い。
裕福でないから粘着質性もより高くなる。
しかし、それを認める者などいやしない。
自分にはウソがつけないなんて嘘。
自分にウソをつこうと必死になって虚偽の原因を探り出し
精一杯己を正当化するのが信者の常なのさ。
貧乏人を温かく迎え入れてくれるのが本来あるべき真っ当な宗教だろうが
日本の新興宗教は真逆ですな。 >>441
参考にしたクリシュナムルティが、この有様では。 >>433
そもそも果報を望まないのであれば、わざわざ会員になったり様々な活動など必要などないはず。
違うというなら己の意思を己で欺いているだけなのですよ。 GLAに限らず宗教界は金が命のビジネスだよ。
僧侶に憧れて曹洞宗の寺に行ったら主がグレードの高いアルファロメオに
乗ってるの見て滑稽さと虚しさ覚えて宗教は捨てた。 >>448
そんなあなたに世界標準本物のカトリックをお勧めします。
僕の尊敬する神父様は3〜4代前のボロボロの車に乗っています。
車を持っているだけいいじゃないか?いいえ。
今にも死にそうだという人の所に駆けつけてお祈りしてあげるために
必要なのです。冠婚葬祭もカトリック教会が一番安いですよ。
生活が苦しいことを相談すれば教会維持費や献金は要りません。
調べれば調べるほど本物であることがわかります。
人の過ち、でカトリックを誤解する人が多いですけどね。 日本が精神的に世界に胸を張ることができるのは
(1)二十六聖人
(2)特攻隊の英霊
この二点くらいしか思い浮かびません。
日本人はこぞって切支丹(カトリック信徒)にならないといけません。 年がら年中、奇跡的な結果発表を大々的に繰り広げている教団が
果報を求めていないなんて、真面に自分達を分析する能力があるのかねw
だから>>443のような滑稽極まる意見が飛び出てくるんだよw 多かれ少なかれ果報を求めない人間など存在しない。
従ってあの教えは現実離れした理想論というか空想論でしかない。
つまりは漫画レベルなんだよw
発案者であり最高責任者である側に立つ者を常に擁護し
指示を受けた者に全ての責任を負わせるとは何事かw
これはブラックだろw
完全上から目線で二番手に原因を擦り付けるとは北朝鮮社会と発想が瓜二つ
しかも部外者がですよw
いかに個人崇拝が偏見を生み
真面な感性を歪ませているかがよくわかる。
まさしく宗教とはアヘンだなw >43神も仏も名無しさん2017/05/22(月) 12:28:47.97ID:Fe93h/yj>>45>>47>>388
>関芳郎や茶坊主どもは、ほとんど社会経験を積むことなくGLAの事務局に
>入ったのだろう。社会経験を積んだと言っても、例えば丁稚仕事のように、
>大した責任の無い仕事ばかりやってきたのだろう。
>だから、関芳郎や茶坊主どもは、通常の職業人が身に着けている「常識」を
>学んでいないように見受けられる。ならば、彼らにも理解できるように
>「常識」を教えてやったほうがいいのかもしれない。
> 一般の会社では、「トップが示した指示、方針」というものは、絶対
>なのだよ。トップに向かって、「指示、方針がおかしい。変えるべき」
>と意見するのは構わない。しかし、それによってトップが指示、方針を
>変えなかった場合は、「指示、方針」に従って動くのが一般の職業人という
> ものなのだよ。
ケツ舐め行為と言えば
こういうのを世間では一般に指しますねw
スレ主こそ社会経験あるのか? 人生逆転とか完全に果報側人間の発想w
果報がなくてもベストを尽くせ!は共産国家の人民に対する押し付け発想w GLAは全国小さな会場でも衛星生中継して講演してるけどさ〜チケット3000円って高いだろ!! スレがなかったもので・・・。
高橋信次氏の凄さを教えてください。 https://www.gla.or.jp/topics/activities/20171115_4.php
> 「GLAは死生観が明瞭」「このような死生観を知りたかった」
> こうしたGLAの発表に対しては、他宗教の方々や多くの研究者から、「GLAは死生観が
> 明瞭で、教義が体系化されている。すべてについて説明されるので、感銘を受けました」
> 「魂が転生輪廻を繰り返しながら、進化・成長することに本当に感動しました。このような
> 死生観を知りたかった」「GLAの先駆的な死者供養の試みはとても興味深い。もっと知りたい」
> といった声が寄せられました。
評価されて喜ぶのは結構だが、そのGLAのホームページに、
次の文章が掲載されたことも、しっかりと受け止めねばなるまい。
http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php
>人生祈念館地階には、人生を支えた肉体への感謝を込めて、「ご遺骨」
>をお預かりする「納骨室」も設けられました。大いなる存在の光が常に注がれ、
>見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
>とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に
>奉納できることは、魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、
>このうえない誇りにほかなりません。 >>459
アドバイスありがとうございます。
これ見ただけで満腹できました。
なるほど〜 先代教祖は【凄い】と思わせる手法に長けた方だったように思います。
時が経てば鍍金は徐々に剥がれてきますよ。 >13 :前: 名無しさん@1周年 :2001/02/24(土) 23:45高橋信次ファンは今でもいるのかもしれないが、その方たちに伝えたいことは・・・。
>いわゆる原始仏典を、億劫がらずに、ちゃんと読んでみましょうということです。
> 信次先生が、知と意にまみれ化石化した仏教を、現代に蘇らせたのが神理だから、
>いちいち読む必要はないのだなどと言わずに・・・
> また、修行に関しての言及のある経典や、原始仏教の概説書でもよいから
>目を通しすこともしてほしいと思う。
>そして、もしそうした結果、初期仏教と神理にさしたる共通点も見られぬと
>分かったとき・・・
> その時は自分で、その事実を潔く受け入れるべきでしょう。
そのとおりです。
彼は、知と意にまみれ化石化した仏教と批判してますが
彼が盛んに引き合いに出していた般若心経や法華経こそ知と意にまみれた化石化した仏教であり
釈迦の死後数百年経った後に出現したものです。
どうして皆さんは、こんなにも矛盾した仕掛けに引っかかるのでしょうかw 彼等は原始仏教の知識がなかった。
だから手っ取り早く塵と埃にまみれた仏教を参考に手前勝手な解釈を付け加え
自分達のグループを歴史上の人物の生まれ変わりと偽り
信者に「皆さんもその一員ですよ」と小躍りさせて暗に妄信を促した。
そうなると脳内にその思いがドッカリと居座ってしまい、そのエクスタシーが断ち切れない状態なので
幾ら外部から間違いや矛盾を指摘されても、何一つ受け入れられない脳構造になってしまっている。 「降伏の渦餓苦」ほか影響を受けた基地外宗教の基礎パターンを構築したわけですから
ある意味罪深いですね。
すべてを否定するつもりはありませんけど。 GLAの事務局はブラックボックスで、中がどうなっているのか外からは
見えない。しかし、事務局から外に流れ出てきたものは見えるわけで、
そこからブラックボックスの中身を推定することはできる。
私の推定によると、GLAの事務局の一部には(あくまでも「一部」ということだが)
「畜生界」が形成されているのではないかと思う。
この畜生界では、「関芳郎が黙ってケツを突き出せば、茶坊主どもが黙って
ケツの穴を舐める」というおぞましき不文律、暗黙のルールが支配しているのだろう。
だから、>>432 >>460にあるような汚物が事務局から外に流れ出しているのだろう。
GLAが社会発信を強化してゆくことは結構だが、その前に「畜生界」をどうにか
しないと、汚物垂れ流しのまま、社会発信を続けることになるだろう。 ここの信者だった嫌味な性格の婆さんが死んで1年も過ぎたな 黙って出版すれば黙って購入する
講演会を開けば黙って集まる
これもケツなめ行為 >その前に「畜生界」をどうにか
>しないと、汚物垂れ流しのまま、社会発信を続けることになるだろう。
大丈夫。
過去何十年、いくら大きな話を社会発信しても世間からは完全無視されているから。 >>460
もう、重箱の隅をつつくような投稿はやめたらどうでしょうか。
GLAにだって、お金が必要です。
これは、ただ、お金を集めるための方便でしょう。
教義や死生観とかは、関係ありません。
http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php
>人生祈念館地階には、人生を支えた肉体への感謝を込めて、「ご遺骨」
>をお預かりする「納骨室」も設けられました。大いなる存在の光が常に注がれ、
>見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
>とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に
>奉納できることは、魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、
>このうえない誇りにほかなりません。 新興宗教を辞めてみて分かった「世間一般から見た宗教に対する感覚」
https://togetter.com/li/1052127 >自分は小学3年生くらいから母に連れられてこの教団で活動を始めました
>どういった教義・活動内容かは詳しく書けないけど基本的には
>神から教祖に悪い予言が降ろされ、それを阻止するために会員みんなでお祈りする、という内容だった
>しかし甘い。甘すぎる。新興宗教を舐めちゃあいけない。
>予言した災難が当たらなければ信者の布施と教祖様のおかげだとして教団の実績になるし、もしも万が一偶然にも当たればそれは信者の布施とお祈りが足らなかったということになる
>信者は恐怖に震えて、数千円〜数万円の布施を払って祈祷会に参加し、神へのお祈りで世界の危機を救おうとする
>こういうのが1年に何度も何度も開かれる
>予言は当たらないから毎度毎度世界と多くの人を救ったという実績を積む
>信者は布施と祈祷で世界を救った気になっていて、使命感と正義感を持つようになる
>信者たちは
>「自分たちは特別な神に選ばれた人間であり、信者でないものは神には選ばれなかった哀れな人間だ」という考えを次第に持つようになる
>変な階級意識のようなものが付き、色々と苦労しました
>他にも「世の中には理解できる1割の人間と9割の人間がいる。君は9割の人間だったのだろう」
>と言われました。地区長は60歳くらいなんですが、まんま私自身がが子供の頃信者として抱いていた選民意識を持っているんですよね。
>いくら困窮して困っていた旨を伝 >えてもそこは分かってくれない。あらゆる不満は「勉強が足りない」言うなれば「信仰心が足りない」ということに繋がる
>「教団に不満を持つならなんで君はそこに(熱心な信者である母のもとに)生まれてきたの?」とも言われました。
>普通に考えれば生まれる場所は選べません。しかし教団では子供は生まれる前に母を選ぶという教義があります。
>もう完全に常識とはかけ離れた倫理観をお持ちのようでした。
>「あなたは理詰めで考えるけど私達は違う」と言われたな
>世の中は理詰めでは割り切れないんだとか
>そら宗教なんて理詰めでは成り立たないもんなー
>脱会して一般人としてこの教団の信者と話をして始めて、宗教を客観的に見ることが出来ました。常識とかけ離れたことを信じている人間がいかにおぞましく気持ち悪いか。
>思想・信条が違う人間が話し合うことの困難さ。全てを感じ取りました。 >母にこのことを話し、教団の教義の信憑性について疑問をぶつけました
>教祖の予言は適当に言ってても成り立つよと言っても聞いてくれません
>教祖はすごい力を持ってるのになぜ震災や戦争を止められなかったのと聞いても「教祖様の力があったからもっと酷い災難をこの程度にできた」と言います。
>教団には教祖と神様のおかげで健康に豊かに暮らせているという人がいましたが
>ぶっちゃけ平均取れば普通の人と同じです。糖尿・ガンもいます
>それどころか物的な生活の質で言えば明らかに落ちてると思うんですよね
>大企業のリーマンとか公務員なんて皆無でしたから
>非正規・自営業が目立つんですよ
>親から信仰を受け継ぐ2世の問題って本当に根深くて。 世間的に常識とされていることと離れていることを教えられても価値観がまだ固まっていない時に教え込まれると拒否なんてできないですからね。
>個人個人によっても違うでしょうし。ちなみに私は教団についてネットで見た検証記事を始めてみた時に自分の認識していた教義と実態との違いに相当なショックを受けましたし、実際それで病む人もいるのだろうなと >社会問題などに「真面目な人」はカルトにはまりやすい
>海外問題や社会問題に興味がある人はカルトにはまりやすい傾向にあります。
>興味を持ってカルトを調べていくうちに実態の一面を見ただけで世間が思っているほど悪質ではないなどと錯覚を起こしのめりこんでいきます。
>「完璧主義な人」はハマりやすい
>まじめで融通が利かず「こうでなければならない」と決めてかかる人は実は宗教にハマりやすかったりします。
>思春期〜青年期の若い人はハマりやすい
>思春期〜青年期は漠然とした不安や恐怖を抱えている子が多いもの。
>そんな人たちの将来や社会への漠然とした不安を煽り巧みに心理をついて引き込んでいきます。
>孤独な人はハマりやすい
>孤独感を感じている人ほど大きな心の隙間があります。
>そんな隙間に少しずつつけこんで、引き込んでいきます。
>また、大人数で教祖をあがめたり講演やデモなどで一体感を煽り気持ちよくさせるのです。
>”みんながやっているから”という「一体感」で依存性を高めていきます。 >カルト団体は教祖や教団組織に盲従するよう信者を仕向けるため、組織以外の世界に興味を持たせない様、団体の外のことを極端に悪く言う傾向にあります。
>最悪の場合は親や信者の人間関係にまでネガティブなことを吹き込んで亀裂を生み出させ、信者が団体だけに依存する様仕向けていきます。 GLAには表裏ふたつの死生観があるようですね。
表の死生観は、「永遠の生命」、「円環的人生観」として発表されています。
これは会員を集めるための死生観です。
裏の死生観は、「祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと
共に遺骨を奉納することで、このうえない歓びと誇りを得る」という死生観です。
これは、会員からお金を集めるための死生観です。
二つの死生観、表裏一体の双方が揃ってこそ、高橋一族が潤うのでしょう。 ムー大陸はあった? いいえ。ありませんでした
http://www.arito.jp/oth_Mu.shtml
>理論的にあり得ない
>そもそも大陸地殻が沈んで深海底になったり、海洋地殻が浮上して巨大な大陸になったりしないのです。
>ここんとこが大事です! 大陸地殻と海洋地殻は全く別物なのです。
>まさに水と油。水と油を混ぜておいたら、ある日勝手に水の一部が油になったり、油の一部が重くなって沈んだりしないように、
>大陸地殻と海洋地殻が勝手に入れ替わったり、大陸が沈んだりしてはいけないのです。
>そもそも大陸と海洋とは全く異なる別物なのです。つまり地球表面のうち、なんとなく高い部分が陸地となり、ややへこんだ部分が海となっているわけではない、
>ということです。両者は厳然として別のもので、妥協を許さぬ両者は、地球表面に高さの違う2つの面をつくります。
>頻度分布を見ると標高の高い大陸地殻のピークと低い海洋地殻のピークを持つ2つコブのグラフができます。これがもし、干からびたリンゴの皮のシワシワならどうでしょう。
>もとは同じものが、たまたまでっぱたり、へこんだりしています。この頻度分布なら、中くらいの高さをピークとする一つコブのグラフが描かれるでしょう。
>二コブのグラフは、もともと違う別の面が存在することを意味するのです。それはちょうどテーブルの上に本を置いたような状態です。高さの分布は、テーブル表面の高さと、本の高さの二つしかありません。
>中間はないのです。このように地球の表面は、大陸と海洋の2つの面にくっきり分かれるのは、両者が互いに相容れない別の存在だからです。あいまいな立場は認められません。
>どっちにつくのか、陸か海か、白か黒か、花崗岩派か玄武岩派か。二者択一の厳しい世界です。 スピリチュアルが嫌われる理由@ 「二極化」は詐欺の常套句
https://ameblo.jp/tkadomatsu/entry-11765085062.html
>それでは、スピリチュアルはなぜ嫌われるのか。今回もまた、結論を先に言いましょう。
>自分が本物でもなければ人格者でもない、一介の未熟者に過ぎないのに、自分が信じるスピ思想に基づいて、上から人々を裁き、見下し、排除しているからです。
>もう少しまとめますと、
>@宗教ではないふりをするので、逃げ場を与えない(→こちらにストレスを与える)
>A「二極化」という言葉で目覚めた「スピリチュアル」と目覚めない「アンチスピ」に分ける(→こちらに不快感を与え、人によってはトラウマを与える)
>スピリチュアルに関わらなくとも、スピ職人が欲望にまみれた心をオブラートに隠して本能のままに生き、煩悩礼賛な人生(=あまり尊敬できない人生)を送っていることは見れば分かります。
>そのような人から、思いやりのない態度で(スピリチュアルにおいては、「苦しみ」は全て自分の心の持ちようから創り出されるものとされるので、人の痛みを理解することができなくなり、いつしか人の持つ思いやりが消えていきます。
>スピの「全部自分に還元主義」(全ての物事は自分次第で、良くも悪くもなるというスピの根本思想。私はこれを、全部自分に還元主義と呼んでいます)な言葉を浴びせられた日には、不愉快を通り越し、バカバカしくて付き合いきれません。
>また、人生のヒントが見つかるかもしれないと期待して、まともに彼らの話を聞いてみようと思った人は、一応耳を傾けてみて、付き合ってきた時間の分だけ、深手を負って行きます。 >私はこの「二極化」という言葉を使ったところで、スピリチュアルが尻尾を出したと思いました。この言葉こそ、スピリチュアル思想の欺瞞が象徴されているのです。
>「二極化」という思想は、二つの大きな意味を持ちます。
>そのうちの一つ、「二極化」という言葉を使った時点で、スピリチュアルがまやかしであり詐欺的であることの証拠になるということを説明しましょう。
>詐欺師というのは大抵、「二択」を迫ります。「これを申し込めば凄く儲かりますよ?申し込まなければ得るものはありませんよ?」100かゼロか、です。中間はありません。そして、考える余裕も与えてくれません。
>詐欺ではありませんが、大昔に振り袖を買おうとした際、百貨店のセールス担当者からいいことを聞きました。
>人は、あれかこれか迷った場合は選べるが、選択肢が3つ以上になると選べず、「また考え直す」と言われてしまうので、二択に絞るのがいい・・・のだとか。心理学的に、人間は選択肢が多いと選べないんですって。
>確かにその通りになり、候補4着の振り袖を前に、結局選べず、あれだけ時間を割いたにもかかわらず振り袖は買えませんでした。
>「母さん助けて詐欺」「オレオレ詐欺」も同じです。そこにある選択肢は、電話の向こうの息子を、助けるか、助けないか。「ちょっと考えさせてくれ」「後で電話をかけ直す」「家族に相談してみる」という選択肢はありません。
>電話の向こうの息子が「今すぐに助けて欲しい」と言ってるので、助けるか、助けないかの二択です。
>しかしここで大きな過ちがあります。
>その二択の前提そのものが、存在していないのです。
>「儲かる話」など存在しない。息子は助けを求めてなどいない。
>しかし、騙される人というのは、その前提の存否を考えてみることもなく、詐欺師に与えられた前提を所与のものとして、受け入れてしまう。
>二択を選ぶという時点で既に、騙されているわけです。 スピリチュアルはカルトです!思考を奪われ、お金を奪われ、人生を奪われないよう気をつけてください!
http://c-sakuranbou.hatenablog.com/entry/2016/06/24/083000
>スピリチュアルリーダーに傾倒している人というのは、
>自分の考えに自信がないか、
>自分で考えることをしてこなかった人だと思うんですよね。
>もしくは自分で考えることが出来ない精神状態に陥っているか。
>例えば、医者だ、弁護士だって、
>頭がいいと言われる職業の人でも、
>自分の頭で考えてない人っていると思いますよ。
>テスト範囲はここから、ここまでです!
>この仕事はこうやります!
>と言った決まり切ったことを覚えるのは得意、
>「与えられたこと」をこなす能力は長けてはいても、
>自分の頭で考えるって別物だと僕は思うんですよね。
>自分の頭で考えなきゃ楽ですからね。
>人に判断を委ねているから、スピの住人さんは、
>スピリチュアルリーダーの言葉を
>無条件に受け入れてしまうんでしょうね。
>そのスピリチュアルリーダーが批判されると、
>自分自身が否定された気持ちになり、
>ヒステリックになる。
>そうじゃないですかね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>人に判断を委ねていると(依存していると)、
>いつまでたっても幸せにはなれません。
>自分の力で幸せを手に入れることなんて出来ません。
>思考を奪われ、お金を奪われ続けますよ。
>そして最終的には人生を奪われます。 >彼らスピリチュアルリーダーは、
>いかに依存させ、
>いかにお金を払ってもらうかしか考えていません。
>彼らの言動を見てください。
> 依存させるようなことばかり言ってるでしょ。
>人を依存させて、承認欲求、自己顕示欲、
>金銭欲を満たしているんですよ。
>生きながらにして餓鬼道に堕ちたとしか思えない。
>まあ、彼らは彼らなりに自分の幸せを
>追求しているのでしょうが、
>彼らの幸せというのは、
>誰かの犠牲の上に成り立っていますからね。
>彼らはそれに気がついてないのか、
>気がついていても、何をしてもこの世はOK!
>と思っているのか。
>よくまあ、そんなことが出来るなと思います。
>てめえらの血はなに色だー!
>と言いたくなりますよ、ほんと。
>幸せって、自分で見つけるもの、
>自分の力で手に入れるものですよ。
>スピリチュアルリーダーなどに頼らず、
>占い、引き寄せにも頼らず、
>自分の力で幸せを見つけましょう。
>幸せを手に入れましょう。
>その力があなたにはあります! 洗脳―スピリチュアルの妄言と精神防衛テクニック@
https://misakiooi.wordpress.com/2014/03/29/tomabechi-8/
>■カルトの教義はシンプル
>≪≪宗教には、独自の教義があります。カルトも大きくなると教義を定めますが、基本的には3大宗教の教義に手を加えたものばかりです。オリジナリティは皆無と言ってよいでしょう。
>カルトにとって教義は、信者への指針となることは勿論、お金を集める為の方便となります。(中略)カルトの教義はとてもシンプルです。日本では日本仏教と神道をアレンジした程度が大半です。
>逆に、力を入れて複雑な教義にすると、かえって自分の首を絞めかねません。
>第1章でも述べましたが、カルトには必ず魂の永続性や、生まれ変わりの論理が入ってきます。後は、カルマか穢れのどちらを取り入れるかでしょう。
>カルマは自分自身の生まれ変わりに関係していますが、穢れは道教や神道の概念で、人から人へと移ります。
>親から子へ、或いは周囲の人へと、伝染病のように移ると考えられています。
>被差別民や月経中の女性を近寄らせず、忌み嫌ったのは穢れが移るという概念からです。
>日本仏教には、生まれ変わりやカルマ、或いは穢れの概念が少なからず入っています。
>その為、日本人はこれらの概念を信じ易いものです。
>しかし、何度も言うようですが、これらの概念は信仰と結び付くことで圧倒的な差別主義を生み出します。
>しかし、カルトにとっては、差別主義かどうかなど関係ありません。
>死後の世界における、これらの概念は日本人には受け入れられ易いので嬉々として取り入れています。
>カルマの論理で言えば、前世という概念を使うかどうかは別として、魂は永遠です。
>死後の世界もあります。「今、あなたが苦しいのは、魂が磨かれている証拠。
>その苦しみを受け入れると、あなたの魂は大いに磨かれ、来世では良いことがあるでしょう」となります。 >更に、もう1つ教義に何か加えるとしたら、「執着、煩悩をなくせ」という考えでしょう。
>これは一見、もっともな考えと思う人もいるかも知れませんが、裏を返せば、「全財産を置いていけ」を意味しています。
>カルトはお布施を貰わなくてはいけないので、「この世で苦しんだほうがいい」という論理も認めさせなければなりません。
>「この世で苦しむ=お布施を払う」というわけです。カルトの殆んどは、これも取り入れています。
>但し、表現としてはあくまでもオブラートに包んでいますが。
>後は、誰もが共感する道徳的な訓辞を適当にまぶしておきます。「皆に親切にしましょう」とか「人には愛をもって接しましょう」「大きな声で挨拶をしましょう」などです。
>基本的にカルトの教義には、好いことしか書いていません。「金を搾取する」「日本人は皆殺し」と書かないのは当たり前です。これはスピリチュアリズムも同様です。
>霊や占いという不確かなものに、小学校でも学べる当たり前の道徳をミックスさせて「なるほど」と思わせています。≫≫ GLAには表裏ふたつの死生観があるようですね。
表の死生観は、「永遠の生命」、「円環的人生観」として発表されています。
これは会員を集めるための死生観です。
裏の死生観は、「祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと
共に遺骨を奉納することで、このうえない歓びと誇りを得る」という死生観です。
これは、会員からお金を集めるための死生観です。
二つの死生観、表裏一体の双方が揃ってこそ、高橋一族が潤うのでしょう。 http://kennsyoukai.info/syukyo-hamaru-riyu-sinri/
>一度入ると抜け出せない「迷宮」。それがカルト宗教の世界です。
>では実際に、僕がカルト宗教にハマっていた当時の心境を回顧し、経験則の上からお話していきたいと思います。
>まず、「ハマる」というのはどのような心理状態かというと、それは即ち、
>「依存している」
>ということです。
>依存ですから、しばらくそのことに触れていないと「禁断症状」が生起されます。
>顕正会の場合、キーワードは「感激」。
>「感激」を端的に説明すれば、「この宗教は絶対だ!」という感覚的な「確信」。「ぅおぉぉ〜!スゲ〜!」という胸の高鳴り。連続的な恍惚感です。
>「感覚的」なものですから、根拠はありません。しかし、「教え」に触れることによって、その「感激」が活性化されることを「感覚的」に理解しているのです。
>しかし、「教え」に触れて膨らませた「感激」は、一旦教団の活動から離れ、外界の情報に晒される中に、徐々にしぼんでいきます。
>すると「危機・恐怖・焦燥感」が湧き上がってくるのです。
>早く「教え」に触れなければ、生活は空回り、何かとんでもないことに巻き込まれるかもしれない…。
>例えば、喫煙者の「ニコチン切れ」のようなもので、急いで供給しなければならないわけです。
>彼らは「感激」を供給するために足繁く会館に通ったり、会が発行する機関誌を繰り返し読んだり、仲間や先輩、後輩と常にコンタクトを取るのです。
>一定の「感激」を保っていないといられないのです。
>これはもう「依存」なのです。 https://blogs.yahoo.co.jp/swkn777/31958289.html
>自己啓発本は、成功事例の寄せ集めである。要は、自慢話。「上から目線」にて「ああしなさい」「こうしなさい」の連続。
>「目標達成」「夢を叶える」「楽しく幸せに生きる」といったバラ色人生をタイトル(ニンジン)にして「カモ」を誘き寄せ、
>あたかも「真似をしたら、成功できる」と匂わせる。「カルト」なら「題目を唱えたら幸せになる」と匂わせ、
>「スピリチュアル」なら「パワーストーンブレスレットをはめたら恋愛成就する」と匂わせ、
>「占い師」なら「〇〇線が長いから長生きできる」と匂わせ、「霊能者」なら「お墓参りをしたら幸せになれる」と匂わせる。
>皆さん、上記を読んで何か共通点に気づきましたか?
>そう。「自分の意思で何も判断していない点」(依存)はっきり言っておきます。
>彼らに頼ったら、「お金」だけでなく「魂」までも奪われ続けますから。おまけに言われ放題、馬鹿にされ放題である。
>そもそも、「鵜呑み」がよくない。「自己啓発本の著者」「カルト教祖」「スピリチュアルカウンセラー」「占い師」「霊能者」もあなたと同じ人間。
>当然、間違えます。だから、しっかりと「疑うべき」です。「私の言うことは、絶対正しい」なんてありえないのですから。
>特に実績や部数に拘る詐欺師にはくれぐれも御注意ください。お金儲けしか考えていないと言ってもよい。
. どなたか新スレ立てて頂けませんか?無理そうなら、分家(SC)の方に立てますが。
タイトル: GLA【高橋佳子】の死生観
名前: 神も仏も名無しさん
内容:(以下の通り)
このスレッドは、宗教法人GLA(主宰:高橋佳子)の死生観、その他、宗教法人GLAに
関する話題を議論するスレッドです。
GLAでは、「人間は永遠の生命を抱く魂の存在」と捉え、「死んだら終わり」
ではなく、魂はこの世(現象界)とあの世(実在界)を往還しながら、進化と成長を
果たしてゆく「円環的人生観」が説かれています。さらに、そのような死生観に基づき、
GLAでは独自の葬儀や人生祈念館への人生記録・ご遺骨の奉納、特別供養などの葬送が
行われていること、そのことによって人生がまったく変わり、希望と安らぎを得ている
会員の実践についても日々発表されています。
しかし、GLAの死生観について、若干の疑問の声があることも事実ですので、ぜひ、
GLA会員の皆様からのご教示をお願いします。
(参考スレ)
GLAの遺骨崇拝 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1415245309/
GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝2 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1451819519/
GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝3 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/
【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 "http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1485339463/467-n" SCのほうに立てました。■は削除で
http://ai.2ch.s■c/test/read.cgi/psy/1512431122/ 墓とか遺骨ビジネスは、近所の久保田家晃進からパクったのかな? 死んだら終わりじゃないから
死んでから先を考えてどうこうは結局の所、
従来からある宗教と同じ非常で非常に俗っぽい考えではないだろか?
その不安と下世話な思いと微かな願いに付け込んだビジネスが遺骨崇拝であり奉納であり供養である。 GLA独自の教義って無いよねw
どれも元ネタがあるwパクってパクって寄せ集めw無能かな? 三代目は、どうする気?
やっぱり身内からだろうけど候補者とかいるの? 2014年、関芳郎は、次のような奇怪な言葉をGLAホームページに掲載した。
http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php
> 人生祈念館地階には、人生を支えた肉体への感謝を込めて、「ご遺骨」
> をお預かりする「納骨室」も設けられました。大いなる存在の光が常に注がれ、
> 見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に
> 奉納できることは、魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、
> このうえない誇りにほかなりません。
この奇怪な言葉は、今日もなお、GLAそして佳子先生を貶め続けている。
この「貶め」は、一体いつまで続くのだろうか?それは、現状を放置する限り、
際限なく続くであろう。この事態が何を呼びかけているのか、明らかであろう。
既に述べたことと重複するが、改めて述べることにする。
まず、「GLA」の名によって社会発信された奇怪な言葉は、「GLA」の名
によってのみ、撤回することができる。具体的には、GLAホームページに、
「お詫びと訂正」の記事を掲載するしかあるまい。 次に、愚かな社会発信が再びされないように、システムを整えることだ。
そのためのヒントは、「コミュニティ・デザイン2001」、「社会発信力の強化」
という形で、既に佳子先生が示されている。
私は、その具体的な内容はほとんど知らないが、少なくとも
「社会発信は、社会発信の智慧の鍛錬を受けた者が担うこと」、
「社会発信の内容は、複数人の智慧を結集して合議により決定すること」、
等は含まれているだろう。この2点だけでも実現すれば、「関芳郎の軽薄さ」が
そのまま「GLAの軽薄さ」という形で社会に垂れ流しにされることは防止できる。
そして、>>268-270に書いた通り、関芳郎を問い質し、奇怪な言葉がGLAホームページ
に掲載された経緯を明白にすることだ。
関芳郎が奇怪な社会発信をした背景には、必ず佳子先生の御指示が存在するに
相違ない。そして、その御指示の中には、例えば、「信次先生の遺骨を
祀れるようになったことに、GLA会員の皆様が歓びと誇りを感じられるようにせよ」
とのお言葉が含まれていたものと考えられる。
佳子先生の御指示の内容を明白にしなければ、それを遂行してゆくことはできない。
それゆえ、関芳郎を問い質し、経緯を明白にしなければならないのだ。 私は、これまで、上述したことを「関芳郎と茶坊主どもが遂行すること」
を求めてきた。それは、彼らとて、内界を看取り、自らのカルマを掴む鍛錬を
積んできたはずであり、「自浄能力」を発揮できるはずだと考えていたからだ。
しかし、この点では、私の考えは間違っていたと認めざるを得ない。
関芳郎は、己の見栄と体面に執着し、己の見栄と体面を傷つける行動を
取ることは望まないだろう。茶坊主どもは、己の保身、快苦に対する執着
から逃れられず、関芳郎に媚び、関芳郎のケツの穴を舐め続けるだろう。
関芳郎と茶坊主どものカルマは深く、腐れ根性が魂に染みついている。
彼らに「自浄能力」なるものを求めるのは無理なのだ。
既に述べたように、GLAの事務局には、志ある職員も多く存在するが、
この問題に対しては一切動かないように、佳子先生がストップをかけられて
おられるように見受けられる。 佳子先生が志ある職員にストップをかけられている理由は、在家の会員が
覚醒してこの問題を解決してゆくことが呼びかけられているからであろう。
GLA誌2001年6月号には2001年善友の集いの特集記事が組まれており、61ページには、
「二十一世紀に向かうGLAのヴィジョン」が示されている。その中の一つに、
「共同体の変革一 ――押し上げる力の結集」というものがある。
在家の会員が覚醒するということは、2001年に予言された「押し上げる力の結集」
を具現してゆくということである。そして、押し上げる力を結集してゆくことは、
「GLAホームページに奇怪な言葉が掲載された」という問題を解決するのみならず、
未来のGLAにとって欠かすことができないものであろう。
今、在家の会員が声を上げて、次の4点を実現することが呼びかけられている。
在家の会員の皆様には、是非それを実現して頂きたい。
(1)GLAホームページに訂正記事を掲載させるよう、事務局に要求すること
(2)社会発信のシステムを整えるよう、事務局に要求すること
(3)奇怪な社会発信をした経緯を明白にするよう、事務局に要求すること
(4)経緯が明白になり、佳子先生の御指示の内容が明白になった後は、
在家の会員が率先してその内容を吟味し、遂行してゆくこと。 在家の会員が、「押し上げる力」を結集して関芳郎と茶坊主どもを
動かしてゆくこと ...... それは、関芳郎と茶坊主どもにとっても、
おぞましきカルマを超えてゆける稀有な機会であると言えよう。 2018年新年早々から「ケツ舐め」言いたかっただけやん 宗教は絶対服従社会。
教祖が白といえば白。黒といえば黒。
思考すら自由性を失墜させられ都合良き価値観を植え付けられていく。
スレ主自体が教祖のケツを舐め続けている実態に気付いていないのは滑稽の極みである。 遺骨を髪の毛や爪に置き換えてみよう。
この上ない歓びの正体がどんなものか分かる筈です。 >>501-505 に書いたことは少しおかしかったと思う。もう一度検討してみた。
GLA会員の中には、「自分は神理を世界に広めるため、伝道に尽くしたい。しかし、
GLAホームページに奇怪な言葉が書かれたことによって、伝道に支障が生じている。
なぜ、このようなことが起こっているのだろうか?」と疑問に思っている人が
いるかもしれない。
なぜ、このようなことが起こっているだろうか?
その前に、「伝道に支障が生じている」とは、具体的にどのような事なのだろうか?
GLAに縁のなかった人が佳子先生の御著書に触れたとき、その内容に共感する人が
しばしば現れる。「共感する」ということは、GLA、佳子先生に対してプラスイメージを
抱くということである。その人がGLA、佳子先生に興味を持って、インターネットで
検索したところ、GLAホームページに掲載された「奇怪な言葉」に出会ったとしよう。
その時、その人は、GLA、佳子先生にマイナスイメージを抱くことになるだろう。
ここで「プラスイメージ」と「マイナスイメージ」のどちらが大きいのか、
それは人それぞれであろう。「プラスイメージ」が大きい人を「A群」と呼び、
「マイナスイメージ」が大きい人を「B群」と呼ぶことにしよう。 A群の人の想いを言葉で表すと、例えば、次のようになるだろう。
「開祖の遺骨を使ってお金を集めようとするGLAの姿勢は理解に苦しむ。しかし、
高橋佳子先生の説かれている神理は、叡智に満ちた素晴らしいものであり、
その点を否定することはできない。釈然としない点はあるが、とりあえずGLAに
入会して神理を学んでみよう」
一方、B群の人の想いを言葉で表すと、例えば、次のようになるだろう。
「GLAの主張の中には、もっともらしいものが様々含まれている。しかし、実際に
やっている事は何だ?GLAは、遺骨に対する会員の執着心や選民意識を煽り、
遺骨ビジネスを展開しているではないか。そのような教団は信用できない」
A群の人は、「神理を理解する力」に優れ、それゆえにプラスイメージがマイナス
イメージを上回ったのだ。B群の人も、「神理を理解する力」を備えている。しかし、
それはA群の人ほど強いものではないため、プラスイメージよりもマイナスイメージ
のほうが強くなってしまったのだ。
「伝道に支障が生じている」とは、「B群の人に対して」ということであり、
A群の人に対しては、さほどの影響は無いということになる。 「B群の人に対する伝道」に支障が生じたのは、表面的には、関芳郎がGLAの
ホームページに奇怪な言葉を書き込んだためである。
しかし、関芳郎がそのような行為に及ぼうとしたとき、佳子先生がストップを
かけられなかったのも事実である。すると、「GLAのホームページ奇怪な言葉が
書き込まれたのは、佳子先生の御意向に基づくものである」と言えるだろう。
そのことは、さらに、「神の御意志による」とも言えるだろう。
過去20年以上に渡り、佳子先生はB群の人をGLAに迎え入れるため、様々な
準備を果たされたように思う。そのうちの一つは、佳子先生の御著書がより
多くの人に共感して頂けるよう、読みやすい内容になってきたということだ。
また、B群の人をGLAに招いてゆく「願い」と「志」を現在のGLA会員に醸成する
ために、1999年には「千年構想」を呼びかけて下さった。さらに、現在のGLA会員の
菩提心を発掘しつつ、B群の人を招いてゆく具体的準備を整えてゆくため、
2008年には、「7つのプログラム」の実践を呼びかけて下さった。 その結果はどうだろうか。過去20年近くの期間内に、「御著書」の面では、
確かにB群の人に共感して頂けるものが揃ってきたと思う。
しかし、「B群の人を迎え入れてゆく態勢」についてはどうだろうか?
「千年構想」は20年近く放置されてきたし、「7つのプログラム」は
10年近く放置されてきた。B群の人を迎え入れてゆく態勢は、何一つとして
整っていないのだ。つまり、「御著書」と、「GLAの態勢」との間に
大きなアンバランスが生じてしまっているのだ。
「B群の人を迎え入れてゆく態勢」が整っていない以上、B群の人を入会
させてはならないのだ。それゆえ、御著書に共感した人々のうち、A群のみを
GLAに入会させながら、B群を排除する「障壁」が必要になったのだ。
GLAホームページに掲載された「奇怪な言葉」とは、正にそのB群を排除する
「障壁」であり、その障壁は、現在のGLAにとって必要だから設けられたものなのだ。
「御著書」と、「GLAの態勢」とのアンバランスを解消してゆく目途が立たない限り、
「障壁」を撤廃することは佳子先生が許されないだろう。 「千年構想」も、「7つのプログラム」も、なぜ放置されてきたのだろうか?
「関芳郎や茶坊主どもが放置したから」というのは一つの事実であろう。
しかし、その事実を認識しながら、「関芳郎や茶坊主ども“を”放置した人間」
が存在するのではないか?
関芳郎や茶坊主に意見をすれば、彼らとの間に軋轢が生じるのは避けられない。
それは「苦」であろう。また、「千年構想」や「7つのプログラム」を進めよう
とすることも「苦」を伴う。しかし、何もせず、眺めているだけなら、「楽」
であり、「快」であるのだ。
「関芳郎や茶坊主どもを放置した人間」は、己の「苦」を避け、「快」を
追及する道を選んだのだ。その結果、千年構想も、7つのプログラムも、
20年に渡り、全く何も進まなかったのだ。
快苦に縛られて、「関芳郎や茶坊主どもを放置した人間」とは、一体誰か?
もしかすると、それは「あなた自身」ではないのか? 最初の問いかけに戻ろう。
「自分は神理を世界に広めるため、伝道に尽くしたい。しかし、GLAホームページ
に奇怪な言葉が書かれたことによって、伝道に支障が生じている。
なぜ、このようなことが起こっているのだろうか?」
このような疑問を抱く人に対して、私は次のように回答したい。
「“伝道”と“お世話”は一如であり、
お世話が可能な相手でなければ、GLAに入会させてはいけない。
あなたは、己の快苦に縛られた結果、
関芳郎や茶坊主どもを放置してきたではないか。
その結果、千年構想も、7つのプログラムも、放置されているではないか。
それは、それを必要とする人の“お世話”を放棄したということである。
“お世話”を放棄したならば、その対象者をGLAに入会させることはできない。
だから、その人々に対する伝道に支障が生じているのだ。」 GLAホームページに掲載された奇怪な言葉は、外部からB群の人々が集うことを
排除するとともに、「既にGLAに集っているB群の人々」をGLAから排除する力も
備えている。本スレを見ると、その兆候を強く感じるのだ。
> GLA【高橋佳子】の死生観
> https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512523045/
既に集ったB群の人々がGLAから去ってゆく直接的な理由は、GLAホームページに
掲載された「奇怪な言葉」であるかもしれない。しかし、その根底にある理由は、
「神理が理解できないから」である。神理が理解できないのは、彼らを神理の理解に
導ける研鑽、お世話の態勢が整っていないからだ。彼らは、神理が理解できないゆえ、
GLAの一つの汚点を見つけたら、GLAの全てが汚く見えてしまうのだ。
1980年代、GLAでは、既に集っている会員を外に弾き出す「会員の選抜」が断行された。
http://file.copyman.syoyu.net/GG.pdf
それから30年以上経た今、この悲しい歴史が、再び繰り返されようとしている。
それを押しとどめるためには、B群の人々をお世話してゆく態勢を整えるしかない。
快苦に翻弄される己自身に打ち克ち、千年構想、7つのプログラムを進めてゆくのだ。 ミニ北朝鮮だな。
狂信者諸君が、あの国の映像を見ると
とても他人事とは思えないだろうねw GLAの中で「世界に満ちる困に立ち向かってゆきます」などと誓願を立てる人がいる。
誓願するのは結構だが、具体的にどのような方法で、世界に満ちる困に立ち向かって
ゆくつもりなのだろうか?
自分で色々考えて実行しても、一時的なものに終わったり、局地的なものに
終わったりするだろう。それが全て悪いと言うつもりはないが、世界全体のことを
考えたとき、具体的な方法とは、佳子先生が示されている方法以外にはあり得ないのだ。
すなわち、千年構想のヴィジョンを描き、7つのプログラムを実践するしか無いのだ。
これらを放置しながら、「世界に満ちる困に立ち向かってゆきます」などと言うのは
「一時的な気分の高揚」に過ぎないことを自覚すべきだろう。
多くの人は、「自分のこと、家族のこと」で手いっぱいで、「世界のこと、全体のこと」
には無関心なのだ。だから、これまで、千年構想も、7つのプログラムも放置してこれたのだ。 ただ、多くの人は「伝道したい家族」、「神理を伝えたい家族」がいるのではないだろうか。
あるいは、「GLAに入会はしたけれども、神理にさっぱり関心が無い家族」がいるのでは
ないだろうか。そのような家族は、上に挙げた「B群」に属する人だろう。
ならば、その家族に神理を理解して頂き、神理に関心を持って頂くための最も早道は、
「B群の人々全員に道をつけること」であろう。すなわち、「千年構想のヴィジョンを
描き、7つのプログラムを実践する」ことなのだ。「世間のB群の人は放置しておいて、
自分の家族のB群の人だけに道を付ける」というのは、かえって難しいことなのだ。
「世界のこと、全体のこと」に無関心であったとしても、「自分の家族のこと」に
ついては無関心でいられないだろう。ならば、自分の家族のために千年構想の
ヴィジョンを描くことはできないだろうか?自分の家族のために7つのプログラム
を実践することはできないだろうか?
その実践は、とても大きな意味を持つだろう。実践をスタートするときの願いは
「自分の家族のため」であったとしても、実践の内容は、「一切の人のため」の
ものになる。その「行為=実践の内容」から入って、願いの内容を
「一切の人のため」に昇華させてゆける可能性があるのだ。
このように、自分の目的をより昇華させてゆくこと、高度化してゆくこと、言葉を
換えれば、「個の目的」を「全体の目的」に一致させてゆくことは、「悟りの九段階」
の表を見れば解るように、菩薩になってゆく上で欠かせないことではなかろうか。 7つのプログラムの中の示されている様々な普通名詞を、
固有名詞に置き換えてみるといいかもしれない。
例えば、「研鑽の充実」については、『会員お一人お一人の条件とライフ
スタイルに応じ、「魂の学」を体得できる研鑽システムを整える』という
テーマが示されている。
この、「会員お一人お一人」というのを、神理が理解できず、神理に関心
が持てない、あなたの息子の「○雄」に置き変えてみたらどうだろうか。
すなわち、「研鑽の充実」とは、『「○雄」の条件とライフスタイルに応じ、
「魂の学」を体得できる研鑽システムを整える』ものになる。まさに、
その通りであり、「○雄」のために「研鑽の充実」があるのだ。
ならば、関芳郎や茶坊主どもが何もせずに「研鑽の充実」を放置している
のを見て、あなたは黙っていられなくなるだろう。 >ならば、関芳郎や茶坊主どもが何もせずに「研鑽の充実」を放置している
> のを見て、あなたは黙っていられなくなるだろう。
直接自分で言え。
直接自分が言え。 こんにちは。
スレ主です。このスレは私が立てました。
「GLAを憂う元会員」が立てたわけではありません。
私は彼が皆の意見や指摘を無視した発言を続けている様子を見て
隔離し、彼に自由に『持論』をどうぞ!
という気持ちでこのスレを立てました。
これからも彼は『持論』を曲げずに押し通すでしょうから
彼への無駄で無意味なツッコミはやめましょう。
GLAを憂う元会員は、永遠に関芳郎氏への積年の不満や恨みを語り死を迎えるでしょう。
誰よりも関芳郎氏のケツの穴を舐める事を生きがいにしている男です。
どうか皆様、彼の『持論』のためのスレですので、スルーしてくださいね。 関先生のことより、もっと世界にはびこる闇について憂えてほしいものである。関先生は、佳子先生がいるから大丈夫でしょうに。久々の書き込みだけど、来てみると延々と続いているものだね。 >>521
GLAの会員です。
彼の持論はいまいち、わかるようなわからないような感じです。佳子先生の言葉はあれほどわかりやすいのに、彼の論は難解です。悟るということは、自分の世界をとおして相手がわかる、皆同じ心の世界ですから、必ず相手にわかるように説けるはずなのです。
わかりにくいのは、彼だって私達一般会員と同じように本当には悟っていないからです。みのほどを教えてあげてください。 (>>517-519 の続き)
既に述べたように、関芳郎と茶坊主どもは、佳子先生がご指示下さった
「千年構想」、「7つのプログラム」を放置している。そして、大多数の
会員は、関芳郎と茶坊主どもを放置している。
そのような放置プレイが20年に渡り続いた結果、>>517-519 に述べたように、
明らかに目に見える形で歪が起こり、既に多くの痛みが生じている。
これらの痛みのうち幾つかは、あなたの目前で生じている場合もあるだろう。
あなたは、この結果を見て、まだ事態を放置するのだろうか?
「誰かが動いてくれるはず」と思って傍観しているのだろうか?
ならば、あなたは「果報側人類」に違いない。
(但し、佳子先生からストップをかけられている人は例外として除く)
「果報側人類」と「因縁側人類」の区分けは、状況、条件によって異なる。
自分の家庭や職場の問題で「因縁側人類」として振る舞えたとしても、
GLAの問題に関しては、あなたは明らかな「果報側人類」である。 「果報側人類」が「因縁側人類」に転換してゆくには何をすればいいだろうか?
そのためには、なによりも「自分が果報側人類である」ことを自覚することであろう。
あなたは「佳子先生のご指導を愚直に実践してゆこうとする弟子である自分」
というセルフイメージを持っていないだろうか?そのセルフイメージは全く
の誤りである。あなたが関芳郎と茶坊主どもを放置している理由は、
「己の保身のみ」であり、それは「愚直さ」とは全く無縁のものである。
誤ったセルフイメージを持ったままでは、「因縁側人類」に転換してゆくことは
難しくなる。誤ったセルフイメージを捨てて、「自分が果報側人類である」
ことを自覚し認めることだ。そして、果報側人類としての自分が引き起こした
現実を直視すべきなのだ。
そうすれば、そこに「後悔」が生じ、「新生の願い」が生まれるであろう。
「新生の願い」を真に抱くならば、「果報側人類」から「因縁側人類」に
転換してゆける道が付いてくるだろう。 >GLA【高橋佳子】の死生観
>https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512523045/82-115
本スレでは、GLAホームページに掲載された「御魂を奉納する」、「光の柱」
などの言葉を巡って議論が起きているが、この議論も佳子先生のお言葉と
関芳郎の言葉がごっちゃ混ぜになっているから起こっているのではないだろうか。
世間では、「魂」や「心」というものの定義が曖昧で、両者の区別も
はっきりしない。しかし、佳子先生は「魂」や「心」という言葉を、かなり
厳密に区別して使っておられる。佳子先生が示された神理によれば、「魂」や
「心」というものは、建物(人生祈念館)に奉納できるはずがないのだ。
「建物に魂を奉納する」するような言い方をしているのは、関芳郎や茶坊主
どもの仕業であるとしか考えられない。このように、佳子先生が示された
神理から全く外れた主張がGLAホームページに展開され、これによって誤解が
生じているとするならば、それは正に「社会発信力の強化」を放置してきた
結果であろう。 ある会員が、どこそこ支部に「光の柱」が建つ光景を霊視で見たそうです!
とかいう実しやかなGアルアルの噂話w
失笑話でしかないアホエピソードw 「千年構想」と「7つのプログラム」について、「難しい」と思っている人は
多いかもしれない。何が「難しい」かと言うと、例えば次のようなものだろう。
・態勢作り、役割分担等のお膳立てができていない。
・内容が高度である。
・ヒントとなる情報が少ない上に難しい。
:
では、なぜこれほど難しい課題を佳子先生が与えて下さっているのだろうか?
その答えは、「全ては一人の菩薩を産み出すため」である。
佳子先生が「お膳立て」をしっかり整えられ、解りやすいヒントを多く
出して下されば、「千年構想」も「7つのプログラム」も、スムーズに進捗
するだろう。しかし、それでは菩薩を産み出すことはできないのだ。
「GLA創立40周年記念プロジェクト」のテーマは、「全ては一人の菩薩を
産み出すため」であった。すると、喜捨行も書写行も、「一人の菩薩を
産み出すため」のものであったことになる。また、GLAの様々な研鑽や行も、
「一人の菩薩を産み出すため」のものである。 しかし、喜捨行や、書写行にいくら取り組んでも、それで菩薩になれるという
わけではない。同様に、止観シートを何万枚書いたとしても、それで菩薩に
なれるというわけではない。
これは、「数学者になるためには、まず小学校レベルの四則演算を修得
しなければならない」ということと似ている。四則演算を修得しない限り、
数学者にはなれない。しかし、四則演算をいくら極めたところで、
数学者にはなれないのだ。
これに対して、「千年構想」と「7つのプログラム」は、より直接的な意味を
持っている。それは、「今生の人生で、現実に菩薩になる」ということだ。
だから難しいのだ。だから、志、愛と智慧を湧出させない限り、何も進まないのだ。 今生の人生で、「現実に菩薩になる」というテーマを逃してしまえば、
そのテーマは、来世以降に持ち越すことになる。しかし、今生与えられた
チャンスを逃してしまえば、来世以降にそのテーマを果たすことは極めて
困難であり、事実上不可能と言い切ってもいいだろう。
それは、「一人の菩薩を産み出すため」に、佳子先生が何を果たして
下さっているかを見れば明らかである。佳子先生は、少なくとも次の
三つの力を発揮して下さっていることが解る。
A.十年先、二十年先のことを見通す力
B.ぎりぎりの線を見極めたヒントを出す力
C.菩薩の力をを封じる力
では、三つの力のそれぞれについて、説明しよう。 【A】十年先、二十年先のことを見通す力
「千年構想」については約二十年、「7つのプログラム」は約十年、
何も進まず放置されている。そして、これまで述べたように、
放置されていることによって様々な弊害、痛みが生じている。
しかし、それは「取り返しがつかない」というわけではない。今からでも
取り組めば、充分に果たしてゆけることである。このことは、十年前、
二十年前に遡って眺めてみると、佳子先生は「十年先、二十年先に必要な
ことを見通され、的確に提言された」ということになる。
菩薩になれる可能性のある人が、その事に目覚め、挑戦を果たす
ようになるまで、十年、二十年という時間が必要になるのだろう。
一人の菩薩を産むためには、その期間「待つ」必要がある。
「十年先、二十年先のことを見通す力」が無ければ、それだけの期間
「待つ」ことは不可能である。つまり、それができない指導者は、
自分の手で具現するしか方法がなくなる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています