【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 >(1)「7つのプログラム」も、「千年構想」も、弟子が主体的になって
>動かなければ何も進まないテーマである。
動いた所で、ああでもないこうでもないと難癖付けられてお仕舞いでしょう
弟子は皆が皆
他の弟子に動けと思っている
元会員さんも同じだ
そして何もしない
願望を語って終了
永遠に、この繰り返し
対して先生方はどうか?
同じですw
トップから末端までね
皆自分が救世主であり下々の弟子が動けばいいという考えです 旧約聖書 詩編 90編
4節 千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
新約聖書 ペトロの手紙二 3章
8節 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。
主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
新約聖書 ヨハネの黙示録 20章
5節 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。
6節 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。
この者たちに対して、第二の死は何の力もない。
彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕 いちじつ-せんしゅう【一日千秋】の思い。
非常に待ち遠しいことのたとえ。
ある物事や、人が早く来てほしいと願う情が非常に強いこと。
一日が千年にも長く思われる意から。 >>818
>ボサター→ボーディサットヴァ(梵語)
ボサター 又ある時は、ボサッターとかS次さんは語っていた。
菩薩業に従事している人物という意味で表現しようと
うっかり英語的に置き換えしまい
ボサツの語尾にerを加えかけてしまったのでしょう。
同時に菩薩の語源みたくハッタリをかましたかった可能性も否めません。
いずれにせよボサターもボサッターという言葉は無く,勝手気ままな思い付き造語であったという
毎度毎度の御粗末なオチでした。 >>832
>「放置していれば、そのうち佳子先生がどうにかされるだろう」と思い、
今迄 どうにかされた実績は、あるのですか。
実例を挙げていただきたいのですが。
>>833
>しかし、佳子先生が神に遣わされた者であり、神の御心の通り動かれる
方であることを前提とするなら、
どういった根拠に基づいて、そのような前提が生まれるのか。
本人と取り巻きが勝手に決めつけているだけではないですか。
そもそも神に遣われた者など主観以外有り得ないし極めて異常で思い高ぶった考えですよ。 まあ聖書を知っているといっても「豚に真珠、働かざる者食うべからず」ぐらい。
>>829 私は、これまで多くのことを述べてきたが、本当に大切な事は
たった一つだけなのだ。それは、「願いを突き詰める」ということだ。
世界の現実に目を開き、「千年後に一体何を果たしたいのか」という
願いを突き詰めてゆくこと、これが最も肝心なことであり、誤解を恐れずに
言うならば、「これが全て」なのだ。
もし、自分ひとりで突き詰めることが難しいのであれば、「どうか私の
願いを明らかにして下さい」と神に祈れば、御助力を頂けるかもしれない。
願いが明確になってゆけばゆくほど、他の事柄は、それに伴って実現
されてゆくだろう。しかし、願いが不明確であれば、他の事柄は、どこかで
頓挫してしまうだろう。
自らの願いを突き詰めて明確にしてゆくこと…それは、自分一人で
完結できる問題である。あなたは、あなたにとって最大の恩人である
佳子先生の早逝を避けるために、この「たった一つのこと」だけ、
果たすことはできないだろうか?
それとも、この「たった一つのこと」すら、果たすことは嫌なのだろうか。 だいぶ前に佳子氏が「人間は真面目に間違える動物である」的な
発言してたけど
今思えばよく恥ずかしくもなく言えたもんだなと思う
嘘は嘘と同化するとはまさにコレ ウィズダム?「知識」の事をカタカナでいってみただけ? >>840
>私は、これまで多くのことを述べてきたが、本当に大切な事は
> たった一つだけなのだ。それは、「願いを突き詰める」ということだ。
> 世界の現実に目を開き、「千年後に一体何を果たしたいのか」という
>願いを突き詰めてゆくこと、これが最も肝心なことであり、誤解を恐れずに
>言うならば、「これが全て」なのだ。
独り善がりな願いなど自己満足でしかありません。
>>842
人間は真剣に間違いをおかす、、でしたかね。
正法だとか神理なるものを信仰してきた者にとっては、ある意味洒落にならないアンチテーゼ的な言葉。 >>.818
>アポロキシティー・シュバーラ→アヴァローキテーシュヴァラ(梵語)
http://hikarilife2.com/doc/1/1_23.html
>そして、アポロキティシュバラー(インドの当時の悟られた方の呼び名/古代のギリシャ語でアポロンの悟りの意)=観自在菩薩、即ち仏さんになったんですね……。
誤読しただけでなくアポロンまで強引に結び付ける外道な創作設定は呆れてものが言えない。 >>840 に述べたことに、さらに追加しておこう。、
> 私は、これまで多くのことを述べてきたが、本当に大切な事は
> たった一つだけなのだ。それは、「願いを突き詰める」ということだ。
今、GLAから排除されている人々を見てどのように思うだろうか。
入会担当を担った人であれば、「佳子先生の法に共感できない」
という理由で、入会希望を断った経験がある人も多いだろう。
それは、現状のGLAでは仕方ないことであるが、それに対してどう思った
だろうか?「どうにか、この人に学んで頂くことはできないだろうか」
と思わなかっただろうか?
また、(少々古い話になるが)1980年代、大川隆法の著書を持ってきて、
「私には解ります。これは本物の信次先生です」と言って、KKに
移ってしまった人もいただろう。その人に対して、「どうにか、
この人にも学んで頂くことはできないだろうか」と思わなかっただろうか?
そのように思ったのであれば、その思いを突き詰めてゆくことが
大切だろう。それが「願い」を自覚することに繋がると思う。 >>852
>今、GLAから排除されている人々を見てどのように思うだろうか。
> 入会担当を担った人であれば、「佳子先生の法に共感できない」
>という理由で、入会希望を断った経験がある人も多いだろう。
>それは、現状のGLAでは仕方ないことであるが、それに対してどう思った
> だろうか?「どうにか、この人に学んで頂くことはできないだろうか」
>と思わなかっただろうか?
その思いを訴えるなら
『会員の選抜』説は見事に崩壊するね
「出て行ってもらう」と言う一方
学んで頂くことはできなかったか?ってさw
道理も一貫性も無い
強い矛盾を抱えた支離滅裂な主張ですなw >また、(少々古い話になるが)1980年代、大川隆法の著書を持ってきて、
> 「私には解ります。これは本物の信次先生です」と言って、KKに
>移ってしまった人もいただろう。その人に対して、「どうにか、
>この人にも学んで頂くことはできないだろうか」と思わなかっただろうか?
>そのように思ったのであれば、その思いを突き詰めてゆくことが
>大切だろう。それが「願い」を自覚することに繋がると思う。
何が本物かを追求する思いは
他人に縋るしか能の無い自己(判断)を放棄した怠け者に共通する考え方が基で
このスにレちょこちょこ出てくるクリスチャンも同様です
どの宗教もスピリチュアルも全て変わりがありません
口上手な香具師とワクワクしながら騙されてる間抜けな客との関係でしかないのですよw
見抜けよオマエラ! >>788
>高橋興和氏は、「法の継承時の鍛錬について死ぬまで口を閉ざす」という
>選択をされた。このままでは、高橋一栄会長も、同じ選択をされるように
>思えてならない。
「新復活」を世に出さない御方も法の継承を拒む選択をしたと判断して良いですか? ■ウイズダム
苦:「今、現れている現状」をよく知り、
集:「その現状を生み出している原因」を洞察し、
滅:「向かうべきヴィジョン」を確かにし、
道:「そこに至るための方法」を明らかにする。 苦:宗教依存
集:個人崇拝
滅:信仰を捨てて自分なりの考えと信念を持つ
道:その手の本を捨て去り脱 カルする
「GLA」は、「God Light Association」の頭文字 過去を振り返り
粉飾だらけの教えを信じてきた己の弱さに気付き始めたら本物に近づく
引き続き他者の教えを追い求め個人崇拝が少しも覚めないなら
無成長、無前進という現状維持か劣化前進確定 あなたに対して過去に佳子先生が何をして下さったのか、そして、
これから何が起ころうとしているのか、それを今一度振り返ってみたい。
既に述べたことを繰り返すが、あなたは菩薩になることを願って、過去何回も、
何回も、何転生繰り返し挑戦してきたのだ。そのために、覚者に師事したことも
あっただろう。あなたの師となった覚者は、あなたに菩薩になれるために
智慧を尽くしたことだろう。しかし、あなたの願いは適うことはなかった。
願いが適わなかったのは、何故だろうか?
私には、その理由がはっきり解る。
それは、あなたが快苦に縛られていたからだ。あなたは、ただ「快」
を求め「苦」を退けるように、自然に意識を働かせてしまうからだ。
それでは、菩薩になるための修行を進められないのだ。
このように言うと、「他人の過去世のことが、なぜ詳しく解るのか?」
と反論されるかもしれない。しかし、今生のあなたの姿を見れば、
過去世のあなたの姿も見えてくるのだ。 人間というものは、時代を違え、国を違え、状況を違えても、そっくり
同じことを繰り返す存在なのだ。だから、今生のあなたが過去20年、
何をやってきたのか振り返れば、過去世のあなたの姿が、はっきり見えるのだ。
佳子先生は、1999年に「GLA共同体の千年構想の青写真に、
一丸となってアクセスする」というテーマを示された。
あなたは、そのテーマに対して、如何なる努力を払ってきたのか?
あなたは、何の努力も払うことなく、それを20年間放置してきたであろう。
また、佳子先生は、2008年に「7つのプログラム」というテーマを
示された。あなたは、そのテーマに対しても、何の努力も払わず、
放置してきたであろう。
テーマを放置してきたのは、直接的には関芳郎と茶坊主どもである。
しかし、その関芳郎と茶坊主どもを放置してきたのは誰か?
それは、紛れもなく、あなた自身であろう。
また、関芳郎と茶坊主どもの放置行為に対して異を唱え、自ら
ヴィジョンを示しながら、テーマを遂行する必要性を訴えた会員も存在した。
しかし、関芳郎は、自らの体面を守るため、その会員に口を閉ざすのか
退会するのか、二者択一の選択を突きつけ、結果的にその会員を
退会に追い込んだのだ。 そのような関芳郎の愚行を放置し続けたのは誰か?
それは、紛れもなく、あなた自身であろう。
過去20年のことをよく振り返ってほしい。以上述べたことが、過去20年、
菩薩を育むために頂いたテーマ(千年構想、7つのプログラム)に対して、
あなたが果たしてきた事の全てであろう。「放置する」以外に、
あなたが何もしなかったのではないか?
そして、その放置行為こそ、あなたの過去世の行為そのものである。時代を違え、
国を違え、状況を違えても、あなたが果たしてきた行為には、何の違いもない。
このような行為を何万年、何億年続けたところで、菩薩になれる筈はあるまい。
あなたが菩薩になれなかったのは、当然至極の結果である。
しかし、「菩薩になりたい」というあなたの願いは潰えることはなかった。
だからこそ、今生は、佳子先生の弟子になることができたのだ。
あなたは、快苦に翻弄され、快苦の奴隷になる可能性の高い存在である。
佳子先生は、その事を、あなた以上によくご存じだった。
そして、単純に「菩薩になるための修行」をあなたに課しても、過去世と
同じ繰り返しになることも、よくご存じだった。
それゆえ、佳子先生は、「菩薩になるための修行」をあなたに課すと同時に、
「自分が快苦に翻弄される存在である」ことをあなた自身が明確に認識
でき、あなた自身がそこから脱却できるように、「止観シート」、
「煩悩地図」等の修行をあなたに与えて下さったのだ。 従って、今生のあなたは、過去世のあなたと違って、
「自分自身が快苦に翻弄されやすく快苦の奴隷になりやすい存在である」
ことを明確に認識できる点が違っているはずなのだ。
しかし、あなたは、やはり快苦の轍から逃れることができなかったようだ。
おそらくあなたは、「千年構想」についても、「7つのプログラム」についても、
「放置していれば、そのうち佳子先生がどうにかされると考えて、
放置し続けているのだろう。
「放置していれば、そのうち佳子先生がどうにかされる」というのは、
快苦に翻弄された意識から生じる幻想であって、実現するはずの無いことなのだ。
なぜなら、与えられたテーマを遂行しない限り、あなたは菩薩になれないので
あって、佳子先生が自ら手出しされることは、あなたが菩薩になる機会を
奪ってしまうことになるからだ。
快苦の奴隷になり下がったあなたは、今、悩乱した意識から、
「放置していれば、そのうち佳子先生がどうにかされる」と思っている。
あなたが自ら自身の努力によって、快苦の奴隷の身分から自らを解放し、
悩乱した意識から脱却できないならば、何が起こるだろうか?
その悩乱した意識を打ち砕くためには、佳子先生に御帰天頂くしか方法が
なくなってしまうのだ。その必要があるならば、神は間違いなく、
佳子先生を天に召されるであろう。 今、その日が間近に近づいていることが、私には感じられる。
おそらく、佳子先生には、まだ死の兆候は現れていないだろう。
しかし、死の兆候が現れたときには、おそらく手遅れだろう。その時には、
何をやっても、佳子先生の早逝を回避することはできなくなるだろう。
佳子先生の亡骸を前にして、あなたは何を思うだろうか?
おそらく、あなたは、このように思うだろう。
「佳子先生は、私が快苦に翻弄される存在であることをよくご存じで、
快苦の轍から抜けられるよう、懇切て丁寧にご指導を下さった。
その上で、佳子先生は、菩薩になりたいという私の魂願が果たせるよう、
テーマを与えて下さり、菩薩になれる道を整えて下さった。
しかし、私は、快苦の轍から抜け出すことができず、
佳子先生がどうにかされるだろうと勝手に考えて、
頂いたテーマを放置し続けてしまった。
佳子先生は、そんな私の目を覚まさせるために御帰天されたのだ。
だから、佳子先生を死に追いやったのは自分である。」
そして、あなたは、佳子先生の死に対する自らの責任、贖罪の念から逃れる
ことはできなくなるだろう。そのとき、あなたに残された唯一の道は、
佳子先生の死を無駄にはしないこと、佳子先生との約束を果たすことである。
あなたは、佳子先生の死を契機として、自らに打ち勝ち、頂いたテーマに
対峙し、菩薩への道を歩み始めることだろう。あなたが心ある人であれば、
必ずそうなる。 しかし、もう一度考え直してほしい。
あなたが、過去の行為を慚愧して、菩薩への道を歩み始めるにあたって、
「佳子先生の死」というものは、本当に必要だろうか?
あなたが、過去20年、快苦に翻弄され続け、頂いたテーマを放置し
続けたことは紛れもない事実であろう。それは、佳子先生が御存命中か
否かとは関係が無いことであろう。
ならば、その過去20年の事実に慚愧して、今すぐ、直ちに、
自らに打ち勝つことはできないだろうか?
頂いたテーマに対峙し、菩薩への道を歩み始めることはできないだろうか?
既に述べたように、佳子先生に死の兆候が現れたときには、おそらく
手遅れだろう。しかし、まだ死の兆候は現れていないだろう。
それは、まだ時間が残されている、まだ間に合う、ということなのだ。
今すぐ、あなたが立ち上がれば、佳子先生の早逝は確実に避けられるのだ。 >>868
>既に述べたことを繰り返すが、あなたは菩薩になることを願って、過去何回も、
>何回も、何転生繰り返し挑戦してきたのだ。
>そのために、覚者に師事したことも
> あっただろう。あなたの師となった覚者は、あなたに菩薩になれるために
実は誰一人願ってませんし転生も挑戦もしてません
菩薩というのも人が想像した概念に過ぎず勿論実在しません
>智慧を尽くしたことだろう。しかし、あなたの願いは適うことはなかった。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
永遠に使い回しができる超便利なカルト論法w
> 願いが適わなかったのは、何故だろうか?
> 私には、その理由がはっきり解る。
>それは、あなたが快苦に縛られていたからだ。あなたは、ただ「快」
>を求め「苦」を退けるように、自然に意識を働かせてしまうからだ。
>それでは、菩薩になるための修行を進められないのだ。
君は?
>このように言うと、「他人の過去世のことが、なぜ詳しく解るのか?」
君は自身の過去世が分かりますか?分かりませんよね?
>と反論されるかもしれない。しかし、今生のあなたの姿を見れば、
>過去世のあなたの姿も見えてくるのだ。
自分の惨めな姿は見えてる? 高橋一栄会長は、会長として最後の大仕事を果たされる時が来ているの
ではないだろうか。それは、「次期会長を選任される」ことである。
勿論、それは会長一人の仕事ではなく、事務局全体で果たしてゆくこと
であるが、現会長が中心になって次期会長を選任することは
間違いあるまい。
また、例のごとく「佳子先生がどうにかして下さるだろう」と考える人が
いるかもしれないが、何度も何度も申し上げたように、それは、
「佳子先生を死に追いやる」想念である。今日まで佳子先生が
動かれなかったならば、今後とも動かれることは無いだろう。
私は、かねてから、次期会長は渡辺公夫氏のはず、と述べてきたが、
ここは、そのように固定せず、次期会長として、「A案:渡辺公夫氏」、
「B案:それ以外の人」の二つの選択肢から、考えてみたい。 【A案:次期会長として渡辺公夫氏を選任する場合】
「次期会長」はGLAの「千年構想」と切り離して考えることはできないはず
である。「千年構想」において、今後GLAが「佳子先生の法に
共感できない人々に救いの手を差し伸べてゆく」という方針を採るならば、
その人々のための「理」が必要であり、「行」も必要になるだろう。
私が知る範囲では、渡辺公夫氏以上にそれを果たせる人はいない。
それは単純に「本人の智慧のレベル」ということではない。
渡辺公夫氏は、「佳子先生の法に共感できない人々」のための
神理、その神理を実践してゆくための「行」について、信次先生から
伝授を受けているからである。
但し、渡辺氏は簡単にGLAに復帰されることはない。
渡辺氏は、信次先生から「法の継承時の鍛錬」において、信次先生から
「頑固さの克服」というテーマを頂いているが、そのテーマを果たせ
ない限り、GLAに復帰されることはないだろう。
そして、渡辺氏は、GLAを離れて40年になる。その間、「自らの煩悩を
見つめ浄化する」という取組にも、慣れていないだろう。すると、このまま
では信次先生から頂いたテーマを果たせずに渡辺氏の人生が終わるだろう。 では、渡辺氏にテーマを成就して頂くには、何が必要だろうか?
それは、「高橋一栄会長に、実行して見せて頂く」ことが
一番ではないかと思われる。
高橋一栄会長は、「法の継承時の鍛錬」において、信次先生から
「猜疑心の克服」というテーマを頂いておられる。ならば、そのテーマに
対峙され、テーマを成就する、ということを実践して頂くことが呼びかけ
られているのではないだろうか。これによって、渡辺氏にも神理実践の
素晴らしさが充分に伝わるだろう。
勿論、それは「渡辺氏にだけこそこそと伝える」ことではない。
世間一般に公開された形で果たして頂かなければならない。
「渡辺氏にだけこそこそと伝える」ことは高橋興和氏が既に試み
られたことであるが、その結果何が起こったかご存じであろう。
渡辺氏が復帰されたなら、高橋一栄会長は、渡辺氏に同伴され、会長
が果たすべき仕事を、一つ一つ渡辺氏に伝授して頂くことになるだろう。
まさしく、高橋一栄会長には、法華経の中で予言されている
「長者窮子の譬え」の「長者」としての役割を果たして頂くことが
呼びかけられているように思える。 【B案:次期会長として渡辺公夫氏以外の人を選任する場合】
次に、「次期会長」として、渡辺公夫氏以外の人を選任することを
考えてみたい。「次期会長」として、渡辺公夫氏以外の人を選任するの
であれば、その人は、渡辺氏以上に「千年構想」を推進できる人で
なければならないはずだ。
「千年構想」において、今後GLAが「佳子先生の法に共感できない
人々に救いの手を差し伸べてゆく」という方針を採るならば、
その人々のための「理」において、「行」において、次期会長は
渡辺公夫氏以上の智慧を提示できなければならない。
もし、そのような人が存在するのであれば、その人を次期会長にする
ほうが良いだろう(その人はきっと、信次先生を超える智慧者なのだろう)。
また、「千年構想」において、「未来千年、佳子先生の法に共感
できない人は相手にしない」という方針を採ることも考えられる。
そのような方針を採るのであれば、信次先生が渡辺公夫氏に伝授された
智慧も、GLAにとって無用のものになるから、渡辺氏以外の人を会長
にすることも考えられるだろう。
ただ、その場合の前提として、「未来千年、佳子先生の法に共感
できない人は相手にしない」という方針を、全会員の賛同を得て、
GLAの方針として採択しなければならないだろう。 A案を採るにせよ、B案を採るにせよ、それを実現してゆくためには
相応の時間は必要になるだろう。そして、高橋一栄会長には、それほど
長い時間は残されていないだろう。
ならば、高橋一栄会長および周囲の職員は、
A案を採るのか、B案を採るのか、早急に決定された上で、
それを実現に移して頂かなければならないと思う。 GLAを憂う元会員さんは佳子さんの早死にを予言してるけど大丈夫か?
あの人はまだまだ20年以上は生きるぞ?
予想や予言が外れた時に生涯消えないこのスレを見てあなたは何を憂うのかな? 普通に考えても次期会長は関芳郎氏でしょ
会長じゃなかったら三代目主宰者
なんつっても常にNo.2の座に居る人だから自然 会長も主宰も身内が継ぐのでは?
K子さんが2代目として選出されたのは親父であるS氏による判断
法人だから相続税免除が可能なんだよね
「我こそが2代目として任命されていた!」と主張する候補者が大勢いたのは
信仰心を強化させる為複数の人物に
「あなただけが法の後継者ですよ」と告げた可能性が否めない
要するにダシに使われていたという絵図が見えてくるんだよ
頭では矛盾に気付いているW氏がいまだにS氏を個人崇拝しているのは
自分は後継者として認められていたという自負心が消せれないからだろう
上手に別れていった百戦錬磨の八方美人の事が死ぬまで忘れられないのは
ある意味知らない故の幸福感?
たとえ結婚S欺にあっても舞い上がった時の気持ちは失いたくないのが人情というもの
悲劇と見るべきか喜劇と見るべきか 人に反省を求めて発表まで促す割には
トップ側が自身の非を認めたりそれを公表するといった試しがありません
そういった資質が信者に伝染して多くの独善家を生産育成したのでしょうね
絶対者は全てが善という前提基軸で結論が先に出来上がってしまっているので始末が悪いです
だから理屈を言っても通りません
絶対者崇拝の危険性をアドバイスしてくれるような人物など皆無に決まってますし
超タブーな概念だからです
無論、信者がそれについて考えるなど最大級の恐怖ですからどうしようもありません
打ち破る勇気も悪であると概念を植えつけられていることでしょうから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています