聖書を根底から学ぶスレ8 [無断転載禁止]©2ch.net
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聖書を牛歩のごとく、ゆっくり学んでいくスレです。
2016年の4月になりましたので、過去に約束したとおり、
このスレを復活させました。
以後よろしくお願いいたします。
※前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1472095192/ >>647
母の話に付き合うのも親孝行なのです。
あなたの聖母マリアは子供に体罰を与えるような方なのですか?
妹が尊敬する聖母マリアは温かい方のようですが >>642
長電話も電気毛布も体に良くないですよ。
お大事にです。 > 母の話に付き合うのも親孝行なのです。
これってほんとにそうなんだよなあ
俺の場合は一度電話すると3時間でも4時間でも母親は話を止めない
しかもこっちはなーんも知らないような母親のご近所さんの話
だがそれを「うん、うん」言いながら聞いてあげるのも親孝行と思って耐えてるw >>648
僕はですけど、鬱状態の時って、とてもじゃないですけど、
信仰を維持できるようなエネルギーはないですよ。
ですから、鬱状態で信仰がなくなっている/低下している、
ということはよくあると思います。
でも、もともとから信仰がなかったわけじゃないですね。 「語らないか?信仰についてダニエルと」
のようなスレッドを立ててみんなで話した方がいいよ。
聖書にでてくる美少年ダニエルなので、やらないか?というのを少し想起させる
工夫のスレタイ。 >>652
イエス様は
マタイ11:28
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
と言われていますし、パウロは
ガラテヤ6:2
互に重荷を負い合いなさい。
そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
と私たちに命じています。
信仰を維持できるようなエネルギーが無い時ほど
本当は教会で休んでほしいものですが、この世の教会は
そういう癒しの場所に残念ながらなってないようです >>652
ふむ、なら2chなんかで、我が儘、好き放題で、人を巻き込み
イライラを発散するような、エネルギーはないという事ですね。
それは鬱とは違う病名が考えられますね。
いづれにせよ、回復したいなら入院と言う選択肢は大事なようですね。 >>655
ないですね、少なくとも鬱の時は。
僕も今は鬱じゃないということでしょうね。
躁うつ病の躁鬱混合状態というのは別らしいですけど。
こっちは、イライラいながら鬱状態という複雑な状況らしいです。
信仰や感謝で何とかなるとか幻想も甚だしいですよ。
鬱でも躁鬱でも、まずは適切な治療と休養が必要でしょうね。 >>656
>信仰や感謝で何とかなるとか幻想も甚だしいですよ。
あなたは僕の書いていたことを少しも理解できていないじゃないですか。
そもそも理解しようとして読んでいなかったのでしょう。
信仰や感謝で何とかなる、というような内容は書いていないです。
感謝と鬱とは、ベクトルが逆方向にあるのだということを理解できないと
僕の書いていた内容も、自分勝手な解釈しか出来ないものになります。 >>656
なるほどね。
もうひとつお聞きしたいのですが、
回復するのに信仰が役に立たないというか、もうそんなエネルギーも
ないという事でしたが、
回復された前後で、信仰にたいする考え方が変わりましたか? 何かのきっかけで鬱になった人の場合、
そのきっかけとなった出来事の受け止め方に問題があったのです。
これ以上は書きたくありません。あなたを怒らせたくないからです。
しかし、鬱になるには本人に問題があったのです。
しかし、これ以上細かくは書きません。
何度も同じことを書くのは気がひけますが、神に信頼を置いている状態であり、
さまざまなことに感謝が出来ているなら鬱にはならないのです。
もっとも物理的に頭に障害を負ったような場合は、この限りではありません。 >>657
>感謝と鬱とは、ベクトルが逆方向にあるのだ
言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。 >>657
すいませんが、あなたの回答は全く質問とかみ合っていないので理解しようがありません。
はいかいいえで答えられる質問に対して、回りくどく意味不明なことをおっしゃっているんですから。
>>658
僕の経験ですが、回復した後、ふと2コリント12章9節が実体験として理解できたような気がしました。
鬱はつらかったですけど、いい経験をしたようにも思います。 >>660
>言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
>赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。
エネルギーについては、よくわからないですが、
安心とか、落ち着いているとか、幸せとかで表現できる状態です。
鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、その人の状態は悪くなります。 >>661
>すいませんが、あなたの回答は全く質問とかみ合っていないので理解しようがありません。
そうではなく、あなたは初めからこちらの書いている内容を理解しようという態度がありません。
しかし、それはあなたの選択ですから、こちらがどうこう言う事でもないのです。 >信仰や感謝で何とかなる、というような内容は書いていないです。
↓に書いてますけどw
>さまざまなことに感謝が出来ているなら鬱にはならないのです。 >>661
あなたには感謝しています。あなたがこちらに質問をしなければ
ここに僕が書いたことは、無かったはずなのですから。 え?ダニ坊はまだ投了してなかったの。暴れ回るもんだねえw あら、話は打ち切るんじゃなかったんですか?w
>あなたは初めからこちらの書いている内容を理解しようという態度がありません。
あなたもはじめからYes、Noで答えてくれていませんね。
なぜです?
あなたこそ、こちらの問いに答える姿勢がないように思われましたが。 >>665
了解です。こちらこそ、ありがとうございました。 >>661
その聖書箇所、良いですね。
渦中は、それどころではなかったけれど、いい経験を
聖書が、これでしょ、なんて言ってくれるところが
やはり、信頼できる書であるということで、嬉しいですね。
色々お聞きしたことに、答えて下さり、ありがとうございました。 他でも書きましたがこちらでも質問します。
私が買った新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注)には、赤色と青色の紐がついているんですが、この赤色と青色にはどんな意味や意図がふくまれているのでしょうか? >>662
>鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、
>その人の状態は悪くなります。
例えば、東京都民の税金の使い方だとか、国民の税金の使い方だとか
汚職等、戦争でお金もうけしようとか、土地や資源確保だとか
そういった事を監視することの必要性、
国や権力者でなく国民が主人公であるという
自覚は必要です。
恐れから服従していた時代を克服するのは、
信用どうのでなく、それで鬱になるとかその人の状態が悪くなる
ということはなく、健全さの現れです。
イエスがそうでした。宗教と結びついた金と権力の腐敗に対してね。
ダニエルさんが仰る、この世が信用できないの、この世とは自分が生活してる
場での直接的な人間同士の事であり、抽象的なこの世でなく
具体的な環境とそこに生じている人間関係のことを指していますか? >>671
>信用どうのでなく、それで鬱になるとかその人の状態が悪くなる
>ということはなく、健全さの現れです。
あなたの考えというか、ご意見はよくわかりました。
さらに、僕の書いていた内容があなたに伝わっていないのもわかりました。
もう一度わかりやすく書きますが、
政治家が間違っているとか、お金の配分の仕方が悪い、だとか思うことが
あなたにとって良い影響を及ぼすわけではないのです。
そのような考えに浸っているときに、鏡でご自身の表情を確認してみてください。
そうすれば、すべてわかるのです。
そのような考え方が、人を幸せにすることはありません。 人間の作る社会も、日進月歩でよくなってきていますが、
それでも、これから先も完璧な社会が出来るわけではありません。
ですから、社会が不完全なことを嘆いたり指摘しても、それは無駄です。
そうは思えないだろうことも、わかりますが、無意味なことは無意味なのです。
もっとも、あなたが官僚なり政治家なりといった権力者になって変革させるなら
それは良いとは思います。
このことに気付いたなら、無駄なことに注目するよりも
自分にとって楽しいこと、やってみたいこと、好きなことに着目した方がいいのです。 >>673-674
ダニエルさん、私は「世の中が信用ならない」という言葉が、
どこに適用されて言っておられるのか、聞くために
話しました。
ダニエルさん、
>さらに、僕の書いていた内容があなたに伝わっていないのもわかりました。
なぜ、そのような話にいきなり被害妄想のように結論付けられるのでしょう。
あなたが、勘違いしない様に
イエスの事も出して、信用ならないについてを粗雑に扱う事が
ないように、例を上げた上で、
ダニエルさんのお話の鬱やその人の状態が悪くなるは、
会社や学校、家庭、身近な生活環境とそこからくる人間関係の事で
起こるでよろしいか、とお尋ねしたのです。
国民が主人公であり、国民の政治参加は、人類の苦渋から到達した
貴重な一歩であり、それを無意味だという感覚はどこから来ているのでしょう。
イエスを侮辱されるのですか。
ダニエルさんが、外面情報に振り回されて、異常な関心の持ち方をした
経歴があって、鏡をみて変だと思ったのかもしれませんが、
それは、あなたの偏りと精神が健全でなかったことから来る別の事では
ありませんか。
あなたのレス、どうされたのか、思いましたよ。 ダニエルさん、人の話を普通に聞いていただきたく思います。
>このことに気付いたなら、無駄なことに注目するよりも
>自分にとって楽しいこと、やってみたいこと、好きなことに着目した方がいいのです。
今ね、そのような話はしていないし、あなたが抑圧的に
生活する期間が長った事など、いきなり話に混ぜてこられても・・・
・???
今お聞きしているのは、
ダニエルさんが仰る、この世が信用できないの、この世とは自分が生活してる
場での直接的な人間同士の事であり、抽象的なこの世でなく
具体的な環境とそこに生じている人間関係のことを指していますか?
です。
と言いますのは、そこらへんの信用が崩れた時、痛手を受ける人が
いる事を知っているからです。
で、ダニエルさんもそこに着目されていますか?
と尋ねているのです。 >>675
>ダニエルさんのお話の鬱やその人の状態が悪くなるは、
>会社や学校、家庭、身近な生活環境とそこからくる人間関係の事で
>起こるでよろしいか、とお尋ねしたのです。
人間関係はもちろんのこと、あらゆることは
あなた自身の受け取り方によって、良くなったり
悪くなったりするということです。
なぜなら、様々な出来事に意味づけするのは自分自身だからです。 >>675
>国民が主人公であり、国民の政治参加は、人類の苦渋から到達した
>貴重な一歩であり、それを無意味だという感覚はどこから来ているのでしょう。
確かに、あなたの言うように「民主主義」というものは、人間が手にした良いものです。
しかし、あなたは民主主義をコントロールするのではなく、民主主義の恩恵によって
幸せを得る道を選択すればいいのです。わかりますか?
必要以上に政治に興味を示すことが良いことではないことをご理解ください。
個人が政治や社会に対して憤ったり、意見を持ったりすることが良いことであるかのように
マスコミから洗脳されてしまっていることを、どうか悟ってください。 あなたにとって本当に大切なのは、日本の政治や社会の動きなどではなく、
あなたの身近な人、たとえば奥さんのちょっとした変化や、言葉遣いに関心を持つこと。
あなたと関わる多くの人に笑顔をもたらすこと。あなたの好きなことに熱中することなのです。
このことが、現代人は本当にわからなくなっているのです。
やがて、老人になって死が自分の目前に迫ってきた時になって、
「いったい今まで自分は何をやっていたのだろう。意味のないことに気をとられて、
本当に大切にしなければいけなかったことを見逃していた。」
と気づくのかもしれないです。 >>677
話が変わっていますが、
ダニエルさんが信用という言葉を使われたので、
それをまず聞いているのであって、
>人間関係はもちろんのこと、あらゆることは
>あなた自身の受け取り方によって、良くなったり
>悪くなったりするということです。
>なぜなら、様々な出来事に意味づけするのは自分自身だからです。
なぜ、そんな話になっているのですか? >>678-679
だれが、政治に熱中せよとか、言いましたか?
信用と言う言葉が粗雑に扱われない様に、
例をあげたのです。
しかもダニエルさんが誤解しない様に、イエスも出しておいたのです。 >>680
>ダニエルさんが信用という言葉を使われたので、
>それをまず聞いているのであって
わかりました。
あなたにとって「信用」とはどんなものですか?
それをまず、先に教えてください。 ダニエルさん、視野のバランスが崩れていませんか?
福祉は日本は充実しているとはいえませんが、
それで、どれほど助けられている面もあるかです。
それは、政治家が実現することではなく、国民がつくりあげるのです。
税金に使い方は、国民が決めるのです。
家計簿と同じで、働いたお金を何に使うかです。
年老いて、にこにこできるのも何となくでなく、そういう社会と
無関係ではありません。
社会が良くなければ個人は良くなりません。
個人が良くなければ社会は良くなりません。
社会の構成員は個々人だからです。
これはノーマルな考え方であり、中学生段階の話です。
あなたが笑顔を支えるのは、見えないさまざまであるという
ノーマルな考えが分からないのは、あなたが政治に対しての
観念が分裂状態の域をでないところにしかいなかったのでは、
そんなダニエルさんの、不健全の話をしているのでは
まったくありません。
このような違う話をしなければならなくなるとは・・・。 >>682
用事を済ましてから、のちほど。
少し、ほっとしました^^ マタイ9:31
οἱ δὲ ἐξελθόντες διεφήμισαν αὐτὸν ἐν ὅλῃ τῇ γῇ ἐκείνῃ.
οἱ 男単主格 これらの
δὲ 接続詞 だが
ἐξελθόντες 2過分詞男複主格 出て行って
διεφήμισαν 三複過去 彼らは言い広めた、宣伝した。
αὐτὸν 男単対格 彼を
ἐν 前置詞+与格 〜で
ὅλῃ 女単与格 全体
τῇ γῇ 冠詞+女単与格 地方
ἐκείνῃ.指示代名詞女単与格 その
スロージューサー訳
だがこれらの者たちは出て行って、イエスをこの地方全体に宣伝した。
参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0931.pdf スローでロハスなスシローおおおおおおおおおお。
ていいたい、 ダニ坊は屁理屈をこねて逃げ回るんだ。反省したり改めることがない。
この人はおかしいぞ ?と気づく人が次から次に現れる。
大抵ダニ坊とやりあってる人の方が正しいことを言ってて、追い詰められてる
ダニ坊に判官贔屓のすろさんが助け舟出してうやむやにということになるよ。 イエズス様がゲッセマネで血の汗を流しながら苦しまれた。もっと信仰があれば
苦しまないで済みますよ、と言わんばかりの論を展開している。 657 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/10/31(月) 23:32:26.98 ID:e8RPtFo9
>>656
>信仰や感謝で何とかなるとか幻想も甚だしいですよ。
信仰や感謝で何とかなる、というような内容は書いていないです。
感謝と鬱とは、ベクトルが逆方向にあるのだということを理解できないと
僕の書いていた内容も、自分勝手な解釈しか出来ないものになります。
659 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/10/31(月) 23:35:41.19 ID:e8RPtFo9
何かのきっかけで鬱になった人の場合、
そのきっかけとなった出来事の受け止め方に問題があったのです。
何度も同じことを書くのは気がひけますが、神に信頼を置いている状態であり、
さまざまなことに感謝が出来ているなら鬱にはならないのです。
もっとも物理的に頭に障害を負ったような場合は、この限りではありません。
662 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/10/31(月) 23:42:35.56 ID:e8RPtFo9
>>660
>言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
>赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。
エネルギーについては、よくわからないですが、
安心とか、落ち着いているとか、幸せとかで表現できる状態です。
鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、その人の状態は悪くなります。 <<ダニエルさんが仰る、この世が信用できないの、この世とは自分が生活してる
場での直接的な人間同士の事であり、抽象的なこの世でなく
具体的な環境とそこに生じている人間関係のことを指していますか?>>
☆ 話を少し前から、抜粋して貼っています。
677 : ダニエル ◆o31oshrvYE 2016/11/01(火) 17:59:55.05 ID:8Esyobid
>>675
>ダニエルさんのお話の鬱やその人の状態が悪くなるは、
>会社や学校、家庭、身近な生活環境とそこからくる人間関係の事で
>起こるでよろしいか、とお尋ねしたのです。
人間関係はもちろんのこと、あらゆることは
あなた自身の受け取り方によって、良くなったり
悪くなったりするということです。
なぜなら、様々な出来事に意味づけするのは自分自身だからです。 ダニエルさんは、先にも
>何かのきっかけで鬱になった人の場合、
>そのきっかけとなった出来事の受け止め方に問題があったのです。
と受け止め方の問題があると言っておられます。
ですから、ダニエルさんの信用ならないというのは、
受け止め方に信用ならないがあると鬱になったりするよ、という
話です。
私は、その辺が分かり難かったのです。
受け止め方の問題と、信用ならないか、信用できるかは別問題であるのに
一緒になっているような気がして、信用についてお聞きしました。 例えば、学校でいじめに会い、毎日頭がそれで占められていき
朝から地獄のような学校生活、クラスメートの顔や振る舞いが
押し寄せてきて、震えながら学校に向わなくてはならない
子供がいたとしましょう。
ノイローゼになりますよね、部屋からとうとう出られなくなくりますよね、
親に話しても、「いじめなんて昔からあるから、無視していればそのうち・・」
とか、励ますつもりの気持ちが、親にも理解されないと感じる、
あるいは、親は自分の気持ちを今まで理解してくれたことがないので、
話せないとか、
心配かけたくないとか、そして学校いけない、と訴えもせず
亡くなる子とか、実際いますよ。
この場合、日曜日教会で「僕を助けてください、どうしたらいいのでしょう
僕は悪い子なのですか、もっと良い子になりますから、どうか助けてください」
とお祈りしたら、助かりますか? >>691
>ですから、ダニエルさんの信用ならないというのは、
>
>受け止め方に信用ならないがあると鬱になったりするよ、という
>話です。
ごめんなさい。大変申し訳ないのですが、
あなたが何を言っているのか、さっぱりわかりません。 >>692
>日曜日教会で「僕を助けてください、どうしたらいいのでしょう
>僕は悪い子なのですか、もっと良い子になりますから、どうか助けてください」
>
>とお祈りしたら、助かりますか?
もしそのような場面に遭遇したとするなら、
どうしたら良いかを人に聞くのではなく、
あなた自身が真剣に神に祈って答えをもらってください。 それとか、そりゃ〜受けとめ方、気持ちの問題だから
それを変えればいいのだよ、と言ったとして、その子にとって
学校と家庭が生活のすべてであり、何の解決にもなりません。
受け止め方、気持ちの問題だと本当に分かるのは、異質な価値観が
この世には、たくさんあるし、場所や人が変わるとまったく違うと言う
ことを、頭でなく、肌で体験していないと通じませんし、
学校を変え、人間関係、環境を変えるしか、子供には無理です。
・自分の受けとめ方の範囲を超えた、信用できない者がいる事は確かです。
・そして、受けため方が分かるのも、体験が必要であり、
体験したつもりでも、体験の幅でによっては
まだまだ体験足りずになります。
・体験もあり、自分が良いように受け止めたとしても、
信用できない者が信用できる者に変わるということではありません。
(各人の気質、大人はその違いが固定化している場合もしばしばですから)) 途中でダニエルさんの、話が入りました。
何がさっぱり分からないのですか?
あなたの話から、受け止め方と信用を解釈するとこうなりますが、
と言っているのです。
なら、ダニエルさんが私が訊ねたことを答えてくださいよ。
あなたの反応は、どうしてそうなるのですか? 嘘つきの言葉に騙されて、無実の者を攻撃するならば、その者も同じく罪人です
悔い改めなさい >>696
>あなたの話から、受け止め方と信用を解釈するとこうなりますが、
>と言っているのです。
そうですか。
>なら、ダニエルさんが私が訊ねたことを答えてくださいよ。
>あなたの反応は、どうしてそうなるのですか?
何をお聞きになりたいのですか?
申し訳ないですが、こちらに理解できるようにご質問していただけると助かります。 >>698
>鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、
>その人の状態は悪くなります。
これについて、詳しく説明をお願いします。 ダニ坊お得意の人を小馬鹿にしたような煙に巻く作戦が発動した。
日曜日の教会で助かりますか?という問いに、ダニ坊がどのように答えるかで
矛盾が露呈したり、ダニ坊の信仰のおかしなところがわかる。
もうすでにダニ坊はそれに気づいてるのだろうね。
それであさっての返答。毎回このパターン。 >>699
「世の中が信用ならない」と思っただけで、その人の状態が悪くなるのは、
鏡を覗いて、そう思っている自分の顔を見れば納得がいくはずです。
その時、あなたは良い顔はしていないはずです。
「信頼すること」これが大切なことです。
人を信頼する、ということは、とりもなおさず自分を信頼していることです。
感謝する、ということは、自分が価値ある人間である、とみずからが認めることです。
人に感謝しない人は、「自分ばかり悪い目に合っている」という考え方のベクトルに向かうからです。
僕の書いている内容が理解できないのであれば、瞑想をするなり、あるいは
神に祈るなりして、その意味を理解してください。 >>692
私は助かりましたよ。
土曜学校は校区内だったのですが、日曜の教会はほんの50mほど校区外だった
のですが小学校の校則で校区外に行く場合は親同伴だったので
創価のクラスメートが意地悪をしてすろ君は校区外の教会に通ってます
いけないと思いますと学級会で告発されたのです
私はいろいろと論陣をはりましたが、多勢に無勢、親同伴で行きなさいと
決議されてしまいました。しかし私は決議を拒絶しました。
それで他人教師から放課後残されて延々と説教を食らいましたが拒絶しつづけました
信仰の自由は校則に優先すると私が考えていたからです。
それで親に報告されたのですが、無信仰の親は意外なことに、学校に抗議しました。
親が許可して通わせているのに、なぜダメなのかと。
しかも校長は親の小学生の時の担任でもあり、親子二代の教え子である私は
校長のお気に入りで、ことあるごとに褒められていたので父兄から嫉妬が
出ていたほどだったのですが、校長は私の気持ちを尊重してくださいまして
教会に通うことが許可されました。
クラスメート全員の反対、担任教師の反対を押し切って
教会に通うことが正式に許可されたのでした >>702-703
キャンプファイヤーをしているところにバケツの水をかけて消してしまうようで
申し訳ありませんが、一概にいい話ではありません。
イエズス様はカエサルのものはカエサルに返しなさいだから、みんなのルール
に従いなさい、という方向の検討の余地もあります。
教会を優先させたい、のではなく、一人で教会に行くことにこだわっただけと
いう意地悪な見方もできます。 私が邪悪と呼んでいる人たちは、、完全性という自己像を守ることに何よりも熱心で、
道徳的清廉(せいれん)性という外見を維持しようと絶えず務める。
彼らが心をわずらわせることはまさにこれである。
彼らは社会規範というものに対して、また、他人が自分をどう思っているかについては、鋭い感覚を持っている。 >>799
生れながらのクリスチャンである私は、信頼と愛は言葉でなく
性質としてありました^^;
(話を具体で進める為に、自分の話を例にします。)
ですから、おもっきり酷い目にあっても、
あんなことがあっても、よく楽しそうに明るくいられるものだと
身近なものから言われたりもしました。
けれども、若くて職場のリーダーに抜擢されて、年上のスタッフばかりの中
到達しなければならない事業を任された時、
目標に集中しないで、人間関係を工作することが得意で、
経営者に直接コビを売るという事にも長けている者が
何人か揃った時、
美人であるとか、仕事ができるとか
そういった仕事の目標と関係がない事で、嫉妬をかって陥れを受けて
職場にいられなくなったりする人が出てきました。
人が入れ替わるまで大混乱があり、私は年中無休、
帰宅しても、電話で夜の12時までひっきりなしに対応に追われました。
※まだ続きますので、ダニエルさん途中で入れないでね。 まあ、一口で語りきれるものではないのですが、
私の頑張りで^^;事業は軌道に乗り、それを見届けて他から応援依頼を
受けていた仕事にようやく移る事ができました。
根をあげなかったのですが、はじめてとことん、あかんわ、でした。
何があかんかといえば、目に見えての殺人ではないのですが、
その犯罪気質は、長年のやり方を生きれば生きるほど積み上げて
固定化させていて、信用すればなんとかなる、愛があればなんとかなるとか
心からこちらが感謝すれば・・等々の外側に現存する世界がある事実でした。
ネットならどうにでもなります。
けれども、私は現実の責任者でしたから任された事業から
逃げるわけにも、居場所を変える事もできないのです。
それで、先に例であげた子供の話ですが、子供だとたまらんだろうな
と、生まれながらのクリスチャンでも「こりゃあかんわ」と
思ったんですぅ。
つまりね、個人だけの生活範囲では、
選択や受けとめ方でどうにでもなるのですが、
集団であり、そこでの責任をもった仕事を遂行することは
信用だとか、愛だとか、感謝だとかが通用しない場合があるという
事実です。
※ つづく 「イメージ」「外見」「外向け」といった言葉が、邪悪な人たちの道徳性を理解するうえで重要なものとなる。
彼らには善人たらんとする動機はないように思われるが、しかし、善人であるかのように見られることを強烈に望んでいるのである。
彼らにとって「善」とは、まったくの見せかけのレベルにとどまっている。
こ れ は と り も な お さ ず 虚 偽 で あ り 、
私 が 彼 ら を 「 虚 偽 の 人 々 」 と 呼 ぶ ゆ え ん も こ こ に あ る 。 >>705
>>708
聖書の中ではファリサイ派と言われる人々です。
「経札を広げたり、」と書かれてあります。経札とは普段は箱の中に御言葉が
書かれた紙が入っていて、腕に結びつけている箱のことです。これを
お祈りするときには、額のところに結びつけるのです。
「経札」で画像検索すると出てきます。
「道徳的清廉(せいれん)性という外見を維持しようと絶えず務める。」
そのような人々。
私は、プロテスタントの信者の人で御言葉を印籠のようにやたらと書き込む人々も
同じようなものではないかと思います。 そこで生まれながらのクリスチャンはやはり気付きました。
人は信用できないのだと、
人によって違うとかでなく、そういう意味でなく、
信用できないのですよ。
そりゃそうですよ、どれほど信頼足りうるだけの能力を持つ人でも、
能力を超えてではなく、人を崇拝するという事はその人の尊厳を
逆に無視した、隣人愛がないのです。
信用できるのは神様だけなのです。
それが解ってはじめて、
>言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
>赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。
(ダニエルさんが、エネルギーが分かり難いと仰ったので)
自分の力が要らないに、一致していくと思います。 PSYさんと同様、私も、そういう人にはなりたくない、と絶えず自省している
のです。自分だけが道徳的精錬性をもっているという思い上がり。それがないのが
カトリック信徒です。「神様、こんな私ですがお忘れにならないようにしてください」。
一方、ダニ坊さん。自分には一点の曇りもない!僕の信仰は篤いから悩まない、
落ちこまない、いつも晴れ晴れとしたものです!鬱?ありません。
あなたやお前が暗いのは信仰と祈りが足りないからだよ!へっへ。 >>711
×それがないのがカトリック信徒です。
○それが少ないのがカトリック信徒です。 >>701
ダニエルさん、どうでしょうか?
私が言っている事が理解できなければ、瞑想してくださいと
言いませんが。(笑)
私は信頼や愛や感謝を信じるというよりも、神との関係が
自分の中にありますと、意識しなくともそれらを自然と持っており
それを生きていくという事は知っていますし、
委ねと智慧の恵みが好循環するということも知っています。
けれども、霊性レベルが高度化するとイエスは処刑、使徒たちも処刑
つまり、自分の神への信仰は確たるものであったとしても、
それが気に入らない、人々がいるという事がくっきり
浮かび上がり証明されていきます。
勇気や愛や希望と信仰に真実生きれば生きるほど、それがはっきりします。
ゴトウさんは処刑されましたが、
自分に信頼と愛と感謝と希望があり計算のない幼心の勇気ある
行動に自ずと現れ出れば出るほど処刑に直結するという、
この世の現実、事実が一方にあります。
内的に豊かで平安で神だけをみつめて、最後の息を引き取られたに
違いないと思うのですが。
(霊性レベルが高ければ、高いほどこの世の腐敗に直面しますし、
命が助かる、助からないから離れた捨て身となります) 十字架処刑は最も過酷だそうですが、私はそれよりも過酷なのが
拷問で生かさず殺されずを長期間にわたり受け続けることだと
考えます。
発狂するそうです。もはや神も仏もありません。
ダニエルさんの、通り一遍の解釈では老後の保守的癒し生活、
あるいは子供にはよろしいかと思いますが、
次元が違う大人には通用しない、瞑想よりも現実、事実がそこにあります。
>鬱に限らず、世の中が信用ならない、と思うだけで、
>その人の状態は悪くなります。
仰りたいことはわかりますが、我々よりも信仰熱く、信頼と感謝を
知っており、行動に勇気があるものが、処刑されたり、
逃げない事により拷問(精神的な事も含む)受けることがある。
鋭く、美しい顔で死するということがあり、
そういう外面も持てず、発狂してしまうこともあります。 ダニエルさんも誤解されてはかないませんね。
そこで思ったのが、釈迦の対機説法です。
その人のレベルに応じて、話の内容が変わるというあれです。
霊性、知、体験、読解能力、資質 それらの総合が
人によって様々です。
どういう人に向かって話し合おうとしているのかが、わからないのが
ネットのいらぬ混乱を起こす、原因のひとつだと考えられます。
神父さん、牧師さんの話でも、どんな人も一緒の内容の話を聞くわけです。
個別家庭教師ではありませんから、結構いろんなトラブルが
起きるのではないかと思います。 >>714
>ダニエルさんの、通り一遍の解釈では老後の保守的癒し生活、
>あるいは子供にはよろしいかと思いますが、
>次元が違う大人には通用しない、瞑想よりも現実、事実がそこにあります。
あなたに言いたいのですが、まわりを変えようと思わないようにしてください。
まわりの人のレベルが低いと思わないでください。
あなたは、あなた自身の出来る範囲で、物事を自分にとって良い方向に
受けとめてください。
以上です。 >>710
>信用できるのは神様だけなのです。
先ほど、「以上です」と書きましたが、もう一つ追加しておきます。
人との関係を作っていく中に、神への信仰が表れます。
人と神とを、別のものであるかのように考えないということです。
他人を陥れようとする人がいたら、それに対抗するのではなく
自分がまきこまれないように、距離を置くことが良いです。
前に話した、ロックフェラーとかイルミナティとかとの付き合い方と一緒です。
人は信用できない、というのはあなたの決めつけというか、思い >>710
>人を崇拝するという事はその人の尊厳を
>逆に無視した、隣人愛がないのです。
その考え方は、クリスチャンが陥りやすい間違いかもしれないです。
人に対しては敬愛の情を持って接してください。
そうでないと、あなたが人から敬愛を持って接してもらえなくなります。 >>713
>ゴトウさんは処刑されましたが、
危険な場所に行けば、それだけ自分にとっての危険も増します。
ですから、距離を置いたり、どうしても接しなければならない場合にも
なるべく接触しないようにすることが良いです。
たとえば、僕も2ちゃんねるが匿名掲示板なので、ある意味
平気で本当のことを書いていますが、
誰かと面と向かっては、このようなことは言えないのです。 >>713
>霊性レベルが高ければ、高いほどこの世の腐敗に直面しますし、
>命が助かる、助からないから離れた捨て身となります
これは違うと思うんですよね。うまくは説明できないのですが。
「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、自分の波長に合った人達が
自分のまわりに集まるようになるからです。
学校のような混沌とした場所であっても、似たような仲間がグループを
作っていると思います。
波長の合わない人達と距離感を取ることを子供に教えてあげてください。
できれば、目を合わせないことが一番良いです。
誰でもが良い人ではないし、誰でもが信頼できる人でないのはそのとおりです。 >>720
>消されちゃうからですか?
いや、面と向かった相手の方に失礼だからです。 学校では先生が、「誰とでも仲良くしなさい」と言うかもしれませんが、
そんなことは不可能なことです。
自分と波長の合う人とだけ付き合えば十分なので、そのことを子供に教えてあげてください。
それだけで、人生はかなり改善するはずです。 >>717-718
人生のベテランで、心療医学の資格を持ちクリスチャンカウンセラーで、
命の電話のボランティアもされている高齢の方があおられ
尊敬しているのですが、
視野の広さ、ユーモア、趣味の幅広さなど、ボランティア精神、隣人愛に富んだ
行動力、笑顔、まあ素敵!って方ですが、
人間は信用できない、という事をわかっていなければ、
真理や神、信仰の深みに達することは出来ないと言われました。
戦前の方ですから、戦争で人間がどのように様変わりするか、
また戦後どのように変化するかなど、
そのような事も含めてつぶさに体験されてきた思います。
私はガッテンしているところがあり、ダニエルさんの話は
まだまだ表面的なような気がいたします。 >>723
そうですよね、周波数は大事ですよね。
ダニエルさんも奥様とバグしてますか?
すごくいいそうですね(^o^)/ >>721
捨て身というのは、自分を守ろうが優先するに対して
今、この只中を感謝と喜びに満ちて生きる。
やる事をやるだけ、思い煩いから解放されているという意味です。 >>723
そうですね、普通の暮らしレベルのそういう話なら
その通りですね。 ほとんどオープンハートをこちらからしても
無駄ですからね。
周りのレベルの高低は、安易にわかるものではありませんが、
口だけでなんとかなる世界や観念でなく、
現実社会の具体の仕事に取組めば、まあ普通にわかります。
仕事をこなす能力でなく、人格的な事は。
仕事をしていれば、どうしても変わってもらわなければ
迷惑なんですね。
変えようというよりもね。
やはり汚い方法でも、陥れでも我が儘でも工作でも
それで、結果思い通りになったという体験があれば、
ますます、それを積み重ねて、精神を固定化させていますから、
そういう人生を積み重ねている方には無理です。
自分で変わらなければ、人には変えられないのですが、
具体の職場などでは、迷惑なので変わっていただかないといけないのですが、
やはりそれが無理なんですよ(笑) >>727
>自分で変わらなければ、人には変えられないのですが、
>具体の職場などでは、迷惑なので変わっていただかないといけないのですが、
>やはりそれが無理なんですよ(笑)
いくらでも、やり様はありますよ。
はじめから、そうした人をあてにせずにスケジュールを作成するとか。
どうしても逃げられないような仕組みを作っておくとか。
まあ、面倒ではありますけども。 はじめから無理だと思わずに、
何かのゲームでもやってるような気持で
頭を働かせて切り抜けることですね。
貴重な経験になると思います。 >私はガッテンしているところがあり、ダニエルさんの話は
まだまだ表面的なような気がいたします。
しぇーかいw >>728-729
私自身は、年上のおじさんおばさんたちの気持ち悪い
あれこれをどうにか切り抜けて、事業を軌道に乗せて、
終了できました。
仕事しなさいよ、何を見ながら仕事してるの、給料泥棒に
なるわよ、なんて、もうほんと大変だったのだけれど、
仕事が出来たり、美人だったりする人が新しく入ると
おとし入れが始まり、とうとう居れなくして、
まあそのやり方の汚い事。
女性なんて、男性に甘えたり、カワイコぶったり、わがままいっり
弱者をよそおったりで、誘惑しますしね、
それに載せられているおじさんとか、目も当てられませんでしたよ。
それで、その人格に問題のない普通の人たちは、逆に仕事をしに来たから
居れなくなったという事なのね。
けれどその人たちが、立ち去るはめになって、魑魅魍魎が跋扈するみたいな(笑い
それが、残念でね。
私は無理も何も、事業の完成と安定の全部を取り仕切っているわけなので
超多忙なうえに、年上の方々が暴れまわっており、
の中なんとか軌道にのせることが出来ました。
で、これは現実の話なのですが、2CHへ来てみて
どこでも同じことがあるのだな、なんてうれしいやら、かなしいやら
ゾクッとしますね(笑い >で、これは現実の話なのですが、2CHへ来てみて
どこでも同じことがあるのだな、なんてうれしいやら、かなしいやら
ゾクッとしますね(笑い
マタイによる福音書 第 15 章
17 口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。
18 しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。
19 というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、
20 これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。 >>732
がんばりましょう。
マルコによる福音書第 10 章
23 それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。
24 弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。
25 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
26 すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。
27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。 >>711
> 一方、ダニ坊さん。自分には一点の曇りもない!僕の信仰は篤いから悩まない、
> 落ちこまない、いつも晴れ晴れとしたものです!鬱?ありません。
> あなたやお前が暗いのは信仰と祈りが足りないからだよ!へっへ。
私は、ダニエルさんは間違っていないとおもいます。
カトリック信徒としては、正しい信仰なのではないでしょうか。
マザーテレサも、
「病気で苦しむのは信仰が足りないせい」「信仰があれば感染しない」
「シスターたちは、一切、手袋もマスクもさせない。
病気が感染するとしたらイエスを信じていないからです」
と言っていたそうです。
この点で、マザーテレサは批判されていますが、キリスト教徒としては正しかった。
この世の常識で生きていると、天国には入れません。
神は愛ではない。神は、最初から、少数のものしか天国に入れないようにしています。
ダニエルさんは、選ばれた人かもしれません。
「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」(マタイ22:14)。
「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見い出す者が少ない」(マタイ7:14) >>735
神は愛です。
神が愛でないのであれば、キリスト教の存在意義はありません 735偽善の証明。
ローマの信徒への手紙第 3 章
9 すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。
10 次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。
11 悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。
12 すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない 735とダニエルの説によると、イエスは信仰が無かったらしい笑。
だとさ・・・。
マタイによる福音書 第 27 章
46 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 これでは、まずいとおもったのか 知りませんがwww
ルカによる福音書ではこうなっています。
「23:46そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、
『父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。』 こう言ってついに息を引きとられた。」
しかし、聖書は一字一句、神の霊感によって書かれていますから、
どちらも正しいのです。 >>735
>マザーテレサも、
>「病気で苦しむのは信仰が足りないせい」「信仰があれば感染しない」
>「シスターたちは、一切、手袋もマスクもさせない。
>病気が感染するとしたらイエスを信じていないからです」
>と言っていたそうです。
せっかく僕のことを擁護してくれたようですが、
僕はマザー・テレサは少しおかしいと思います。
自分で手袋もマスクもしないのはまだいいとしても、
他の人にまで強要するのは、あきらかに行き過ぎです。
しかし衛生面から言えば、マザーテレサも手袋やマスクを着用すべきです。 ダニエル君へ。
>>721
>「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、自分の波長に合った人達が
>自分のまわりに集まるようになるからです。
>>719のレスと合わせて先に囚われてた者を助けに行って処刑された後藤さんを暗に
処刑した者達と同じ穴の貉と批判しているようにも聞こえますが、君の論でいくと、
自らメシア殺してしまうような自称ユダヤ人の蛮族の中に飛び込んでいったイエスも
彼等と波長の合う同じ穴の狢だってことですね。 すとーかー建築作業員の声ウザいうるさい まだやる きちがいはやめない いやがせをしぬまでやる
でかいこえだして しごとのていで うざいキショイ声騒音
公団方面からくる既知外と同じ 郊外は集団ストーカー と いやしい野次馬のすとーかーだらけ
ごうおんだすDQNせんかい ふつうのこんぱくとかーがまちぶせ あっぷらいとでてらして
ぶおおおおおおおおおおおん どっどどどど ばいくくるまとらっく@ほそいせいかつ道路
ストーキング目的で入れ替わりたり変わり 基地外陰険住人
みせほどうえきしせつ・・・
いやがらせの 強弱 狭く広く 期間・・・ 延々繰り返す ストーカーは狂ったふりしてる基地外犯罪者
悪行で傷ついたふりはどうでもいい基地外ストーカー ほんど に よこすな
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-5f-df/kijiuchi45ff/folder/765816/40/22475040/img_6?1294020383
かねのもうじゃのいやしいきちがいざんねんがどうどうとぜんにづらちんぷざんねんすぎ
こどもびょういん
ちぇちぇい の どすけべ いめくらいけきちがい いちばんいがち さぽーとほめていいようにいう いやしい無能
しゅうきょうといりょうとかね なかようち
国家が賠償してください 郊外は頭が腐ってにんげんだらけで腐りきってます >>740
735氏へ、739の内容の返答になっていませんよ
>マザーテレサも、
「病気で苦しむのは信仰が足りないせい」「信仰があれば感染しない」
「シスターたちは、一切、手袋もマスクもさせない。
病気が感染するとしたらイエスを信じていないからです」
と言っていたそうです。
この点で、マザーテレサは批判されていますが、キリスト教徒としては正しかった。 建築作業員の集団ストーカー 仕事のていで うざいデカい声を「ずっと出し続ける」
ずっとうるさく ずっといろいろな嫌がらせと続ける 建築作業員の集団ストーカー行為
悪質基地外は陰険粘着 周到 段階 と いやがらせの強弱で繰り返す延々続ける
騒音建築工事 よりも声騒音
『異常にでかい声 を 出し続ける』嫌がらせ
特に じじい でずっとうるさい
の声がやや止めば
他の作業員らが、広くない作業場で デカい声出し
日がさせば 影絵の要領で ストーカー 相手前の 部屋で 作業
事業主
華王商事(株
設計者
株)*橋建築設計
工事施工主
株)クラフトホーム
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結局 いやがらせを やめない 試し 試し うざいきもいでかいこえをだす
↓閲覧注意↓ ストーカーに狂ったゴキブリ人間の類似映像
https://www.youtube.com/watch?v=f-gkv8xLOmk
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がてんけい いやしい うるさい しつこいあくしつがさつ どすけべ
白い目隠し用は貼らない 覗けるように メッシュで囲う 苦情があっても いやがらせを 一切やめる気 なし いきようようとじじいがでいこえをだいつづける
(音楽かけたり 夜独り作業場に舞い戻ってきたり どんどんうるさくする) 現代の地上げ屋風の 卑しい集団ストーカー
苦情の反応も聞きたい いやがらせで自殺させたい ほかもやりまくってるからばれないばれないでしいやしい
https://www.youtube.com/watch?v=j67ey6i8sh8 ぼう三越ってカルトの嫌がらせの巣窟? B1基地外大杉
迷惑がっているのを散々見て知っているのみまだ しつこい
キチガイレジ痴女ストーカー
神妙ぶって 偽善のていで気色悪い接客を強要しようとしつこい
めんへらぶっためんへら 大勢でしつこく付きまとっていやがせ で自殺に追い込もうが目的
ド ブース からでて ストーカー相手(客)を つけまわしてじろじろぬすみみどうどうとがんみ
焼き鳥屋の列でキショイメガネのジジイが並んでる風でストーカー相手すれすれにうろちょろ近寄る
当選店員は何もストーカー犯人の対処せず ニタニタ軽ビ陰がこれ見よがしにいるだけノゾキだろうが死ねドスケベ
おこわやのちょうしん中高年
すうじつたって
てんぷらやのていしんちょうおおぶとりめがね中(高)年
三越の赤い制服着て てんないさぎょうのていで 客追っかけて のきちがいが 常に数人
巨漢の掃除女性メガネ うろちょろ 見計らって舞う理路を近寄って通過・・・
いやしい野次馬もすとーかー店員や多いし 客は痴漢痴女だらけ >>744
イエスは、自分で、自分は信仰がないと証明していることになります。 >>742
>自らメシア殺してしまうような自称ユダヤ人の蛮族の中に飛び込んでいったイエスも
>彼等と波長の合う同じ穴の狢だってことですね。
イエスは「ユダヤ人の王」としてお生まれになりました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています