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聖書を根底から学ぶスレ8 [無断転載禁止]©2ch.net

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001よしお
垢版 |
2016/08/30(火) 14:57:49.73ID:IcigAjoX
聖書を牛歩のごとく、ゆっくり学んでいくスレです。
2016年の4月になりましたので、過去に約束したとおり、
このスレを復活させました。

以後よろしくお願いいたします。

※前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1472095192/
0054すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 11:57:34.44ID:LU9WznCj
>>53
大貫文法で言うと「多様なニュアンスを持つ」ということなので
「彼が〜へ入ると」で良いと思います。
(1)〜(7)はただの例で、例の中のどれかでないといかんという話では
無いと考えます

分詞属格+人称代名詞属格というのは、そもそもは
その人称代名詞がその分詞の動作をしたという意味ですので。
0055神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 13:18:41.24ID:yw9G1UdS
>大貫文法で言うと「多様なニュアンスを持つ」ということなので

該当箇所を見つけられませんでしたが、§何番でしょうか?
独立属格の項目では、そのような記述は見受けられませんでしたが。
0056すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 13:23:34.24ID:LU9WznCj
>>55
前文ですよ
で、大貫さんは7項目と分類されているが、それがすべてではない。

50 : すろ2016/09/03(土) 08:27:04.00 ID:LU9WznCj
大貫隆『新約聖書ギリシア語入門』p103
第十六講 分詞の述語的用法 独立属格構文
§355 すでに§311でも触れたように述語的(あるいは副詞的)用法は、次の
ような多様なニュアンスを持つ、いづれの訳かは文脈による
0057神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 13:36:51.81ID:yw9G1UdS
ありがとうございます。

正確に引用すると「述語的(あるいは副詞的)用法は、次のような多様なニュアンスを持つ。
いずれに訳すかは文脈による」ですね。

ということは、スロージューサーさんは、この場合は「いずれにも当てはまらない」という
ご理解で間違いありませんか?

高津春繁『基礎ギリシア語文法』に「状況」という項目がありますが、
その解釈に近いのかな?
0058すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 13:57:25.91ID:LU9WznCj
>>57
(1)〜(7)というのは、
分詞属格+分詞属格の主語の意味を持つ名詞属格構文の場合、
いろんなニュアンスがあり、その多様性の例として7種を挙げられている
わけですが、
この分詞属格+人称代名詞属格構文のそもそもの意味は、何度も説明して
いるとおり単純に
人称代名詞が、分詞属格という行為をする/したということにすぎません。
私の訳は、文法原則に従った基本的で率直な訳です。

独立属格構文は必ず「〜する/した時」と訳さないといけないということでは
ありません。無理に分類する必要が無いと考えております
0059すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 13:58:58.14ID:LU9WznCj
大貫隆『新約聖書ギリシア語入門』は、神学部の教科書ですので、
なんと言いますか、舌足らずなのです。
0060神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 14:28:39.55ID:yw9G1UdS
>>58
少し質問を替えさせてください。
ルカの並行箇所ではεισηλθεν εις Καφαρναουμとなっており、
多数の研究者がこちらの方が元来のQに近いと考えています。
独立属格自体は一般的にはルカの方が多用しますので、わざわざマタイがこの箇所を独立属格
に変えているというのは意味があると思います。その意味を考える必要があります。

マタイ8,1; 5と、マタイは独立属格を使用しますが(14節は分詞の主格)、
RSV、NRSV、LUTなどが、これらの箇所を「時」の意味で解釈しています
(8,1の訳の時はご指摘するのを失念していましたが)。

when(als)〜と訳を統一するのは、一連のペリコーペのつながりを、
時という表題的な導入で明示しており、優れた訳であると小生は個人的に
思います(ルカはこれらのペリコーペを一連の物語として配列していない)。

文法の基本原則に従うことも重要ではありますが、文脈に応じて、という訳し方も、
時には必要でしょう。
0061神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 14:31:10.09ID:yw9G1UdS
>>59
まあ、ギリシア語に全く接したことがない人が使う教科書なので、
仕方ない面はありますね。

中級文法に進むなら、土岐『構文法』、B-D-F、Smyth(小生所有していませんが)
などは必須でしょうね。
0062すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 18:41:05.83ID:LU9WznCj
>>60
平行箇所と言うとまずマルコではないでしょうか

マルコ2:1
Καὶ εἰσελθὼν πάλιν εἰς Καφαρναοὺμ

εἰσελθὼν 男分詞二過主単
そして再び、彼がカファルナウムの中に入ると、

ルカ7:1
εἰσῆλθεν εἰς Καφαρναούμ.

εἰσῆλθεν
三単二過
彼はカファルナウムの中へ入った。

マタイ8:5
Εἰσελθόντος δὲ αὐτοῦ εἰς Καφαρναοὺμ

Εἰσελθόντος 男単分詞2過属格 彼が入ると
さて彼がカファルナウムの中に入ると

元々マルコは男分詞二過主単だった。
マタイは少しいじって男単分詞2過属格にしてオシャレなギリシア語にした。
ルカは分詞ではなく、三単二過という普通の動詞にしたということでは?
0063神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 19:20:56.00ID:yw9G1UdS
>>62
こんばんは。

マルコは並行箇所ではないようですよ?(新共同訳、岩波訳参照)。

Neirynck, F.の"Q-Paralles"でもマタイ、ルカが並行箇所で、Q資料からだと、
明記しています。

該当箇所のQの再構成は以下の通りです。

International Q Project版:
 εισηλθεν εις Καφαρναουμ.

Critical Edition Of Q版:
 εισηλθεν εις Καφαρναουμ

この箇所については両者が意見の一致を見ています。
ですから、Qの上記の文言を、マタイが独立属格に変更した、
と考えるのが妥当だと思います。
0064スロージューサー
垢版 |
2016/09/03(土) 19:25:54.35ID:LU9WznCj
マタイ8:6
καὶ λέγων· κύριε,
ὁ παῖς μου βέβληται ἐν τῇ οἰκίᾳ παραλυτικός,
δεινῶς βασανιζόμενος.

καὶ 接続詞 そして
λέγων· 男単分現主格 彼は言う
κύριε, 男単呼格 主よ
ὁ παῖς 冠詞+男単主格 子供。男性冠詞がついてるので息子 
    奴隷という意味があるもののここでは息子。保守派は奴隷と訳すが誤訳
μου 一単属格 私の
βέβληται 三単完受 彼は寝かされている
ἐν 前置詞+与格 〜中で
τῇ οἰκίᾳ 冠詞+女単与格 家に
παραλυτικός, 形容詞男単主格 身体不随の 麻痺
(殆どの訳が中風としているが誤訳)
δεινῶς 激しく
βασανιζόμενος.男単分現主格 彼は痛めつけられている

スロージューサー訳
そして彼が言った
「主よ、私の息子が家の中で麻痺状態となり、
激しく苦しんで寝かされています」

参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0806.pdf
0065すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 19:34:23.21ID:LU9WznCj
>>63
佐藤研編『福音書共観表』岩波書店では
p45 No38 百人隊長の信という項目で平行箇所とされています。

現に「彼がカファルナウムの中に入ると」という箇所は綺麗に
平行しています。

ちなみに佐藤研さんは岩波委員会訳の共観福音書を訳されていたそうです
0066神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 20:13:04.04ID:yw9G1UdS
>>65
佐藤先生の該当箇所、調べてみました。確かに、マルコが並行箇所であるかのように
書かれていますが、これはちょっと佐藤先生の書き方が不親切です。

『福音書共観表』のもとになった"Synopsis Quattuor Evangeliorum", Deutsche Bebelgesellschaft
の該当箇所(No. 85)を参照すると、マタイ、ルカが太字になっていて、マルコは太字になっていません。
さらにマルコの箇所に、No.43を参照せよ、と書かれていて、その個所を参照すると、
マルコ2,1-12とルカ5,17-26(マタイ9,1-8)が並行箇所となっています。

なぜ、マタイとルカが中風患者の癒しの記事からカファルナウムを削除したか、
ちょっとすぐには分かりかねますが、われわれの箇所については、Q伝承に
カファルナウムという地名があったのではないかという推測が成り立ちます。
0067すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 20:45:15.13ID:LU9WznCj
この個所はルカがQに近いというのは護教的願望であり
事実をまったく反映していません。
護教家たちは、たぶんルカとマタイとを同じ訳にしたいだけなのです。

なので
ὁ παῖς 冠詞+男単主格 子供。を奴隷と訳すわけです。
確かに文法上は「奴隷」の意味もありますが、それならば
8:9 δουλοςの男単与格形がでてきますがπαῖςではなくδουλοςを
マタイは使ったはずです。同じ段落なのですから。
諸訳はὁ παῖςを改竄して「奴隷」「僕」と訳したため、
「奴隷」「僕」の意味しかないδουλοςを「兵士」とか「部下」と
改竄しています。ルカに合わすためです。

さてルカです。Qではおそらく「παῖς」だったのを意味不明として
ルカは「δοῦλος」(7:2,3.10)と改変します。
ルカは「παῖς」を奴隷と解釈したわけです。
しかしルカは間抜けにも7:7で「παῖς」を改変するのを忘れ
そのまま「παῖς」と書いてるので、Qは「παῖς」だったと解ります。

さて佐藤研編『福音書共観表』岩波書店では共観福音書以外の
ヨハネにも注目しています。ヨハネも平行箇所なのです。
ヨハネ4:46 「υἱὸς」 ヨハネは息子の意味しかない「υἱὸς」を採用しています。
ヨハネは「παῖς」を息子と解釈したわけです。
0068すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 20:49:28.93ID:LU9WznCj
>>66
佐藤さんは、従来の共観福音表に留まらず
ヨハネやトマスも採用されているわけですので
"Synopsis Quattuor Evangeliorum", Deutsche Bebelgesellschaft
から一歩進んだ研究なのです。

事実、
マルコ2:1
Καὶ εἰσελθὼν πάλιν εἰς Καφαρναοὺμ
ルカ7:1
εἰσῆλθεν εἰς Καφαρναούμ
マタイ8:5
Εἰσελθόντος δὲ αὐτοῦ εἰς Καφαρναοὺμ

の部分は綺麗に平行しています。古い研究に固執せずに
事実に目を開かれてください。
0069神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 21:15:09.60ID:yw9G1UdS
>>67
>さて佐藤研編『福音書共観表』岩波書店では共観福音書以外の
>ヨハネにも注目しています。ヨハネも平行箇所なのです。

これは佐藤先生が独自に参照したのではなくて、Synopsis Quattuor Evangeliorumが
すでに参照箇所として挙げています。しかも、佐藤先生の共観表ですら、
四角線で囲まれています。

>Qではおそらく「παῖς」だったのを

この箇所はIQP、CEOQともにスロージューサーさんと同様、ルカの編集だということを断定しています。
全文を引用するとかなり長い量になって字数制限にも引っかかるので引用しませんでしたが、
原文に当たらずに「護教的」と断定するのは危険だと思います。

小生が議論しているのはεισηλθεν εις Καφαρναουμという
箇所についてのみであり、他の箇所は個別にマタイ、ルカのどちらがQに近いか、
十分に学問的な立場から議論されているように思います。
0070神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 21:19:00.68ID:yw9G1UdS
>>68
>ヨハネやトマスも採用されているわけですので
>"Synopsis Quattuor Evangeliorum", Deutsche Bebelgesellschaft
>から一歩進んだ研究なのです。

これも残念ながら誤った認識と言わざるを得ません。
"Synopsis Quattuor Evangeliorum"がすでにヨハネ、トマスを参照していますので、
佐藤先生はこれを踏襲しているにすぎません。新しいのは色分けぐらいです。

スロージューサーさんは、"Synopsis Quattuor Evangeliorum"と"Q-Parallels"は
お手元にお持ちでしょうか?
0071神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 21:36:27.41ID:yw9G1UdS
>>68
>古い研究に固執せずに事実に目を開かれてください。

古い研究に固執するわけではありませんが、覆すだけの根拠がない以上は、
小生は尊重したいと考えています。

残念ながらそれほど新しい注解書が手元にありませんが、Luz(EKK, 1990)は、
この箇所をマルコではなく、Qからの引用としており、Hagner(WBC, 1993)も
Luzの説を支持してQからの引用としています。佐藤先生は『福音書共観表』で
Qからの引用と述べていませんが、そうでないとも述べていません。

ヨハネとの関連については、Luzは「(ヨハネ版は)二次的であり、伝承史の
再構成には何一つ貢献しない」と述べています。むしろ、古い研究(例えば、
Schweizer, E, NTD, 1973)などが、ヨハネとの関連を指摘しています。

佐藤先生が仮にヨハネが関連がある、と述べているなら、むしろそれは
「古い研究」に固執しているから、と言わざるを得ません。
0072神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 21:47:05.86ID:yw9G1UdS
マタイ9,2ff.の「カファルナウム」の削除について。

ちらっと注解書を読みましたが、一つ感じたのは、9,1で「自分の町へやって来た」
つまり、カファルナウムに戻って来た、の意味、なので9,2ff.からは既知の町として
カファルナウムを削除したという可能性です。

また、ざっと共観表を見ると、マタイとルカのマイナーアグリーメント(小一致)が
目立ちます。Luzも指摘していますが、これはマタイとルカが、いわゆる第二マルコを
参照した可能性があるということを示唆しています。
0073神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 22:20:45.86ID:yw9G1UdS
>ὁ παῖς 冠詞+男単主格 子供。男性冠詞がついてるので息子 
>    奴隷という意味があるもののここでは息子。保守派は奴隷と訳すが誤訳

これについてはスロージューサーさんに同意。
9節のδουλοςは明らかに「僕/奴隷」ですが、われわれの箇所に関しては、
「息子」と訳すのが、おそらく適切。

マタイはπαῖςを2,16、類似する物語の17,15;18でも「息子」の意味で用いています(Luzが指摘)。

ただし、これは古来の解釈、というだけで、特に保守派の解釈とは限りません。
現に岩波訳(佐藤研)は保守派ではありませんが、この箇所を「僕」と解釈しています。
0074神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/03(土) 22:53:30.53ID:yw9G1UdS
何気なく読み飛ばしていた箇所を詳しく調べることができ、
勉強になりました。いつもながら、感謝します。
0075すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 23:17:01.34ID:LU9WznCj
>>70
"Synopsis Quattuor Evangeliorum"がトマスを参照している?
四福音書共観なのに?
ではなぜタイトルを「五福音書共観」に変えないのですか?
佐藤さんは「五福音書共観」と高らかに謳われてますよ。

彩色のオリジナリティはファーマーの"Synoption (1969年)です。
1.ファーマーの彩色法を用い
2."Synopsis Quattuor Evangeliorum"1996年版に基づき、全面改訂されて
3.A.HuckのSynopse 1981年を参照し
4.ヨハネ福音書の平行箇所を色を変えて付加し
5.更にはトマス福音書の平行箇所も同じ方針で載せた
とされています。
トマスの利用は佐藤さんのオリジナルなのでは?
0076すろ
垢版 |
2016/09/03(土) 23:27:58.66ID:LU9WznCj
>>71
http://www.rikkyo.ne.jp/~msato/GrSynAll.pdf

No. 38 [85]. The Faith of the Centurion / 百人隊長の信

Mt8:5
「Εἰσελθόντος」 δὲ αὐτοῦ 【εἰς Καφαρναοὺμ】

Mk2:1
Καὶ 「εἰσελθὼν」 πάλιν 【εἰς Καφαρναοὺμ】

Lk7:1
「εἰσῆλθεν」【εἰς Καφαρναούμ】

「」部分はマタイ・マルコ・ルカが完全一致ではないものの、
  同一の基本形または同一の語根に遡るものを示す青色二重下線です
【】部分はマタイ・マルコ・ルカの完全一致を示す灰青色の網

佐藤さんの編集方針としては、完全な平行箇所を示しています。
0077神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 00:01:31.19ID:nyLpy3e2
>"Synopsis Quattuor Evangeliorum"がトマスを参照している?

各Nr.(No.)の一番下のアパラトゥスの所にトマス福音書が参照されており、
巻末にはさらに、全文とドイツ語、英語訳も付されています。
それだけではなく教父の聖書引用についても項目が設けられています。

ですから、トマス福音書を入れているのは佐藤先生のオリジナルというわけでもないと思います。

なぜ「五福音書共観」ではないのかは、残念ながら小生にはわかりませんw
"Synopsis Quattuor Evangeliorum"が最初に出版されたのは1963年ですが、
トマス福音書の全容がファクシミリ版によって公開されたのは、その後の1970年代以降ですから、
書名が変わらなかったのはそのためでしょうか?推測ですが。
0078神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 00:14:45.41ID:nyLpy3e2
>佐藤さんの編集方針としては、完全な平行箇所を示しています。

佐藤先生は日本のQ研究の権威ではありますが、彼の主張だけを鵜呑みにするというのは、
いかにも批判精神に欠けた、ある意味「保守的」な姿勢ではないでしょうか?
それこそ「古い研究に固執せずに」、最新の成果に耳を傾ける必要があります。
もっとも、小生は新しいから正しいなどと短絡的なことは申しませんが。
0079神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 00:28:14.44ID:nyLpy3e2
今ちょっと調べてみましたが、"Synopsis Quattuor Evangeliorum"に収蔵されている
トマス福音書はレイトンの校訂本(1989年)からで、共観表が公刊されてから、
20年以上も後に出版されたものだということが分かりました。
「五福音書」になっていないのは、やはりそのためかと思います。

ちなみに、佐藤先生の共観表のトマス福音書は、なぜかギリシア語ですが、
"Synopsis Quattuor Evangeliorum"はちゃんと巻末でコプト語で書かれていますよ。
0080神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 00:46:55.21ID:nyLpy3e2
スロージューサーさんと小生だけで細かい話をしてしまって、
他のみなさまに申し訳ないです。

聖書を1節ずつ読んで、もっと気軽に感想などをワイワイと語り合えるといいですね。
0081すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 06:56:28.86ID:ArbXbUH1
>>77-79
「アパラトゥス=異読」の箇所に掲載されているだけなのですね。
それだと佐藤先生の編纂方針とは見やすさの点で大きく違うわけです。

アーラントなんですから、異読についてはお手のものわけです。

トマス福音書の写真版が公開されたのは1972年ですね

>>78
いいえ、佐藤さんを鵜呑みになどしてませんよ。
佐藤さんが示した平行箇所が事実として並行していると考えているだけです
ところがバウワー持ちさんは、私が事実を示しても
Synopsis Quattuor Evangeliorum"が平行箇所と認定しないから、
平行箇所ではないと頑として聞き入れず、事実を認められないのです。

これは既存権威を妄信している護教的態度ではないでしょうか?

>>76を「事実」に基づき、なぜ平行していないと考えられるのか
論じてください。
0082NAO
垢版 |
2016/09/04(日) 07:06:35.17ID:saOYzxTe
>>80 おはようございます。

いえ、そんなことはありませんよ、ありがとうございます。

老クリスチャンさん

スロージューサーさん

小生さん、

しっかりした魅力的なご先輩方がおられないと・・・

わいわいがやがやは、それはそれでよろしいが、
掃きすててもよいぐらいいっぱいあるし
もうほんとうに貴重なスレです。

聖句に関しての言葉をほりさげてくださっている経過の中で
それを読みながら、一節を大事にしながら、
一緒に考える機会を与えていただいているのです。

なかなか、その一節に意見まで言うところまでいかないだけだと思いますから、
そこは、お気になさらずに。

いつもありがとうございます。
0083すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 08:53:35.91ID:ArbXbUH1
>トマス福音書はレイトンの校訂本(1989年)から

整理すると
1.1892年フックがギリシア語版で共観福音書(3福音書)を編纂
2.1936年リーツマンが改定
3.1963年アーラントが四福音書共観を編纂
4.1981年フック=リーツマン版をグリーヴェンがアーラントの四福音書に対抗して
    ヨハネを入れて改訂
5.1989年 アーラント版をレイトンが校訂して欄外註にトマスを付加
6.1996年 アーラントの第15版出版。世界の学者の定本となる
7.2000年 荒井献らによる日本語訳『四福音書共観表』出版 新共同訳ベース
8.2005年 佐藤研『福音書共観表』が出る。トマスを欄内に配置。内容もアーラントから進化している
0084神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 09:16:27.66ID:nyLpy3e2
>「アパラトゥス=異読」の箇所に掲載されているだけなのですね

ちょっと正確さに欠けましたので訂正します。本文とアパラトゥスの間に
書かれています。例えば、Mt9,14-17(佐藤先生のでいうとNo.20)には
以下のように記載されています。

Evang.Thomae copt: cf Append.1, 47
Evang.Thomae copt: cf Append.1, 104

そして、Appendexには、ギリシア語ではなくちゃんとコプト語でトマス福音書が
掲載されています。佐藤先生のはギリシア語ですが、これがどこから来たものか、
明記されているのでしょうか?されていないとすれば、学問的正確さに欠けます。

>Synopsis Quattuor Evangeliorum"が平行箇所と認定しないから、
>>71でもお示ししましたように、これが並行箇所ではなくQだと主張しているのは、
何も小生だけではありません。

>>72にも書きましたが、マルコの「カファルナウム」という語は、いわゆる「『中風』
の患者の癒し」に付随したものであり、「百人隊長の息子の癒し」とは関連がないもの
だと小生は考えています。

小生も根拠を示しましたが、それでもなおスロージューサーさんが納得されないならば、
それはそれで結構です。ただ、議論は一度保留させてくださいませんか?
手元にない資料で調べたい資料があったり、英独の文献を調べたりしてみたいのですが、
なかなか骨の折れる作業ですので、すぐにお答えするというわけにはいきませんから。

いずれにせよ、貴重な議論を、いつもありがとうございます。
0085すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 09:57:36.28ID:ArbXbUH1
>>84
なるほど。
Synopsis Quattuor Evangeliorumを掲載しているものの、ギリシア語ではなくて
コプト語で掲載しているわけですね。
しかも巻末では独訳と英訳しか載せていない。
私が英語検索した結果と一致します。

佐藤さんはコプト語トマス福音書写本をギリシア語訳されたものを
載せられているのでアーラント版一歩進んでいるわけですね。
>>75で紹介した通り
3.A.HuckのSynopse 1981年を参照し 、とありますので
フック版がトマスの希訳を掲載しているのではないでしょうか。

さて平行箇所についての議論ですが、
元々、イエスが「カファルナウム」で癒したという伝承があったのでしょ。
それが、麻痺患者の物語と伝承されたり、もっと整備されて百人隊長の物語になっただけで
大枠の「カファルナウムでの癒し」という事実としては平行しているわけです。

ところが既存権威を妄信するとそういう事実を見逃してしまうということなの
かもはれません。

いづれにせよ、おつきあいありがとうございました。
大変勉強になりました。
0086すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 10:36:28.57ID:ArbXbUH1
さてまとめ。
外国の聖書学者を信用してはいけません。

「παῖς」一つをとってみても、明らかにルカはQを改変しています。
さすがにQ学者は「παῖς」については。ルカの改変を認めるようです
しかし諸訳は、「παῖς」を「δοῦλος」(奴隷)と改変したルカを支持して
マタイの「παῖς」を正しい訳の(子供)ではなくて(奴隷)と訳しています。

ルカが改変好きなのは明白であるのに
【εἰς Καφαρναοὺμ】 の箇所は、「παῖς」と同じ段落であるのに
ルカがQだと西洋のQ学者は主張しているそうです。

Mt8:5
「Εἰσελθόντος」 δὲ αὐτοῦ 【εἰς Καφαρναοὺμ】
Mk2:1
Καὶ 「εἰσελθὼν」 πάλιν 【εἰς Καφαρναοὺμ】
Lk7:1
「εἰσῆλθεν」【εἰς Καφαρναούμ】

事実は、εἰσερχομαιの男性単数分詞二過「主格」のマルコがオリジナリティであり
マタイがマルコを少し改変して男性単数分詞二過「属格」と「属格」としただけなのを
ルカが三単二過 と、分詞を止めて普通動詞に改変するという大幅な変更を加えました。

しかしQ学者たちはルカが語数も少なく簡単な表現だからこの個所はルカがQだと
詭弁でもって主張します。ただこの主張を通すために、並行しているマルコが
邪魔なので、平行箇所ではないと無理を通すようです。
詭弁で事実を覆うとこういうウソを積み重ねないといけないわけです。

我々はテキストの事実だけに注目すれば、こういう罠に陥らずに済むでしょう
0087すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 10:48:31.76ID:ArbXbUH1
初心者に向けて補足

Qとはドイツ語のQuelle「資料」のことです。
マタイとルカは「マルコ書」をベースにして「マルコ」を改変したのですが
共通資料のQを使用した推測されています。
つまりマタイは、マルコ+Q+マタイ独自資料
ルカはマルコ+Q+ルカ独自資料
で構成されていると考えられているわけです。

そして共通資料のQは、具体的にはイエス語録伝承のことですので
Q自体のオリジナリティがあるとすればマルコより古いわけですが
Qの現物が見つかっているわけではなく、マタイとルカの平行箇所から
推測されているのです。
そこにイエス語録のトマス福音書が更に付け加わったのです。
0088神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 12:36:29.26ID:nyLpy3e2
こんにちは。今日は体調がすぐれないので礼拝を休みました。

>外国の聖書学者を信用してはいけません。

これはあまりにも狭量で独善的な考え方だと言わざるを得ません。
「『παῖς』一つをとってみても」EKK, Luz, U.など、20年近く前に
スロージューサーさんと同じことを主張している方もいらっしゃいます。
保守的と言われているHagner, Donald A.ですら、この箇所はさすがに
奴隷とは訳していません。

逆に佐藤先生など比較的進歩的な日本の聖書学者ですら、伝統的な
解釈に従って、「僕」と訳されている方もいらっしゃいます。

西洋の学者は全部誤りというような暴論ではなく、
あくまでも是々非々で論じなければならないと思います。

自分と異なる意見を、「保守的」、「護教的」と断じて排除するのは、
いかがなものでしょうか?
0089すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 14:33:58.59ID:ArbXbUH1
>>88
14 :暇人:2005/11/26(土) 11:43:13 ID:rs//EmAu
私は 新共同訳略解と註解。
ハーパー註解。
現代聖書注解とEKK註解を一冊づつを持ってるね

良し悪しはわからんな。。。

10年前はEKKにお世話になっていたようですね。
とはいえEKKやNTDが比較的ましな注解というレベルなのでは?

でもQ学者のやり口は、『事実』から関係を見出す科学的学問的方法ではなくて
自分たちに都合のよい『定義』を先に設定して、それに合致する『事実』のみを
抽出するという逆転的発想なので、信用したらあかんでしょ。

具体的には我々のMt8:5
「Εἰσελθόντος」 δὲ αὐτοῦ 【εἰς Καφαρναοὺμ】 が
平行していても、「百人隊長の癒し記事」ではないと排除されるし
マタイ4:1-11「荒野の誘惑」記事(平行ルカ4:1-13 マルコ1:12-13)でも
これはイエス語録ではないからQではないと排除するような非学問的水準でしょう
0090すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 14:47:05.39ID:ArbXbUH1
エホ症の新世界訳はマタイ8:6を
こう言った。「閣下,私の下男はまひして家にこもったまま,ひどく苦しんでおります」
と『παῖς』を「子供」ではなくて「下男」と誤訳しています。

大正訳、ラゲ訳、口語訳、新共同、日本正教会訳、永井直治訳「僕」
新改訳、フランシスコ会訳「しもべ」
詳訳聖書「<若い>しもべ」
新世界訳、バルバロ訳、塚本虎二訳「下男」

前田護郎訳 「子」。

邦訳は、前田訳を除くとすべて誤訳で、改竄聖書の新世界訳水準です。

まあとはいえ「子」であろうと「僕」であろうと大意はさして変わりませんので
日本語訳がすべてダメとは言いませんが、日本語訳聖書の水準は
かなりお寒いのです
0091よしお
垢版 |
2016/09/04(日) 14:49:35.34ID:aahnwkrh
やはり根底から学ぶなら、ギリシャ語から学ばなければいけませんね。
0092すろ
垢版 |
2016/09/04(日) 14:53:24.19ID:ArbXbUH1
昨年末より新共同訳の後継の新標準訳のパイロット版が
1万円で販売されていますが、マタイ8:6の『παῖς』を
同訳しているのか興味深いところです。

新改訳も2017年に改訂版が「新改訳2017」として出版される予定だそうですが
マタイ8:6の『παῖς』をどう訳すのか、興味深いところです。

恐らく両訳共、低水準なままではないかと思います。
0093神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 15:16:17.11ID:nyLpy3e2
>とはいえEKKやNTDが比較的ましな注解というレベルなのでは?

EKKもすべて優れているというわけではありませんが、
少なくともマタイに関しては、Hermeneiaシリーズに掲載されるほどですから、
世界最高水準の注解書であることは間違いありません。
それを「まし」と呼ばれるからには、ご自身の見解がより優れているという自信を
お餅ということでしょうか?

もっとも、最近出版されたMatthias KonradtのNTDは比較的、Luzに批判的な態度ではありますけど。
0094神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/04(日) 17:52:34.46ID:ldOJMcNh
迷わず成仏なされよ。


                            南 無
0095スロージューサー
垢版 |
2016/09/04(日) 19:53:34.81ID:ArbXbUH1
マタイ8:7
καὶ λέγει αὐτῷ· ἐγὼ ἐλθὼν θεραπεύσω αὐτόν.

καὶ 接続詞 そして
λέγει 三単現彼は言う
αὐτῷ· 男単与格 彼に
ἐγὼ 人称代名詞一人称単数主格エゴー 私が
ἐλθὼν 男単分二過主格 行って
θεραπεύσω 一単未来 @私は奉仕するだろう A治療するだろう
αὐτόν.男単対格 彼を

スロージューサー訳
そして彼に彼が言った
「私が行って、その子を私が治療するのですか?」

参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0807.pdf
ギリシア語原文には疑問文か平常文か区別がないが
このイエスの発言は文脈から疑問分が妥当。
文法的には「私が行って、その子を私が治療するだろう」も可能。
0096すろ
垢版 |
2016/09/05(月) 08:30:44.77ID:48id61Bw
>>93
事実を神学で覆い隠そうとするような註解書しかない中で
程度の問題ですが、ましだという意見ですので
比較の対象の中にあるのは、様々な註解書です。

つまり私と註解書とを比較しているわけではありません。

現に註解書に頼っていた2005年頃の私はEKKやらNTDにお世話になって
いたわけです。でもそれでは聖書の根底には迫れません。
でも大量の悪い註解の中で「ましな註解」を手にしないといけない
時代もあるわけです
0097神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/05(月) 11:03:42.52ID:LUKwvJpV
>>95
スロージューサー訳
そして彼に彼が言った

原文がそうなっているのだがなんのことかさっぱりわからない。
原文だと続いて
「私が行って、彼を私が治療するのですか?」だ。

彼が三人。。。
なので諸訳は工夫をしている。
わかりやすくすれば
意訳
そして百人隊長にイエスが言った
「私が行って、あなたの息子を治すのか?」
0098神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/05(月) 11:07:41.47ID:LUKwvJpV
やっぱ「あなたの息子」はやりすぎだ。「あなたの」という語は
原文にはない。

原文はαὐτόν.男単対格 彼を
だ。せいぜい「その子」までかもしれない
0099神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/05(月) 16:33:24.17ID:AIcQ0rrD
>>95
>このイエスの発言は文脈から疑問分が妥当。

この点は小生も同意。おそらく、異邦人(しかもイスラエルを抑圧している側)である
百人隊長の息子をなぜ、イエスが癒さなければならないのか、というニュアンスではないかと。
すると、10節以下のイエスの驚きとうまくつながると思います。

>>98
これはご指摘の通りでマズイ訳。どうしてもというならば、「彼〔息子〕を」
とした方が、これまでの訳と一貫性が保てますね。
0100すろ
垢版 |
2016/09/05(月) 16:43:43.93ID:48id61Bw
>>99
確かに。「彼を」 てばなく「その子」だと一貫性がないですね。
妥協案として彼彼彼と三度も重なるようであれば「彼〔息子〕を」 など
[]で便宜を図るべきかもですね。
便宜をはかりつつ、原文は彼彼彼とわかるように。

異邦人+支配側の百人隊長の息子をユダヤ+抑圧されている側のイエスが
なぜ癒さないといけないのだ、嫌だというようなニュアンスが
疑問形で示せるとよいですね。
多くの翻訳が「私が行って治してあげよう」というような
肯定文で善人イエスにしてしまって、この個所の臨場感を消臭しています。
0101神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/05(月) 19:06:53.77ID:AIcQ0rrD
>なぜ癒さないといけないのだ、嫌だというようなニュアンス

これについては同感です。ネタバレするとあんまりよくないので、
該当の箇所になったらまたコメントさせていただきますが。^^

「シリア・フェニキアの女の機知」の話も、基本的には
この箇所と同じように異邦人への神の恵みの話だと理解しています。
パウロが異邦人伝道を推し進めたかのように言われますが、
すでにイエスにおいて異邦人への救いの道が開かれていたということは、
明記されてしかるべきでしょうね。
0102スロージューサー
垢版 |
2016/09/05(月) 21:06:52.64ID:48id61Bw
マタイ8:8
καὶ ἀποκριθεὶς ὁ ἑκατόνταρχος ἔφη· κύριε,
οὐκ εἰμὶ ἱκανὸς ἵνα μου ὑπὸ τὴν στέγην εἰσέλθῃς,
ἀλλὰ μόνον εἰπὲ λόγῳ, καὶ ἰαθήσεται ὁ παῖς μου.

καὶ 接続詞 すると
ἀποκριθεὶς 主格男単分詞過去 彼は答えた
ὁ ἑκατόνταρχος 冠詞+男単主格 百人隊長が
ἔφη· 三単(未完or二過)彼は言った
κύριε, 男単呼格 主よ
οὐκ 否定小辞
εἰμὶ 一単現 私は〜である
ἱκανὸς 形容詞 男単主格 資格がある(原義は、達している)
ἵνα 接続詞 〜するために(目的) 〜下さるように(願望)
μου 人称代名詞一単属格 私の
ὑπὸ 前置詞+体格の場合 〜の下に
τὴν στέγην 冠詞+女単対格 屋根
εἰσέλθῃς, 二単二過接続 あなたが入っていく
ἀλλὰ 接続詞 しかし
μόνον 副詞 ただ
εἰπὲ 二単二過命令 あなたは言え
λόγῳ, 男単与格 言葉で
καὶ 接続詞 すると
ἰαθήσεται 三単未来受身 彼は癒されるだろう
ὁ παῖς 冠詞+男単主格
μου.一単属 私の

スロージューサー訳
すると百人隊長が答えて言うには、
「主よ、私の屋根の下にあなたが入って頂く下さるような資格が私にはありません。
しかし言葉であなたは告げてください。すると私の子供が癒されるでしょう」
0104神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/05(月) 22:18:03.11ID:AIcQ0rrD
お疲れさまです。

>頂く下さるような

単純にタイプミスですよねw
0105神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/06(火) 08:03:28.08ID:aBjaRi/X
失礼
マタイ8:8 訂正
スロージューサー訳
すると百人隊長が答えて言うには、
「主よ、私の屋根の下にあなたが入って下さるような資格が私にはありません。
しかし言葉であなたは告げてください。すると私の子供が癒されるでしょう」
0106神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/06(火) 08:05:46.40ID:aBjaRi/X
「主よ」とあるので敬語風に訳してみたが
原文には敬語がない。

直訳すると
すると百人隊長が答えて言った、
「主よ、私の屋根の下にあなたが入る資格が私にはありません。
しかし言葉で言え。すると私の子供が癒されるだろう」
0107よしお
垢版 |
2016/09/06(火) 09:24:28.22ID:CMlHmTId
ギリシャ語にも敬語表現あるんですか?
0108神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/06(火) 09:26:17.56ID:04joQhIc
オレを相手にしないんじゃないのか?
朝みたいに、自演で消えてくれよwww
0109神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/06(火) 09:41:36.87ID:dqM0WP3c
>>107
ないですね。
だから、大阪弁に訳そうが敬語に訳そうが
シチュエーションで自由です。
0110神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/06(火) 10:03:43.30ID:dqM0WP3c
大阪たこ焼き訳やで
マタイ8:8
したら、百人隊長のおっさんがゆいよってん
「大将、わての家なんぞに入ってもらえまへん。
そんな資格はわてにはおまへんねん。
ちゃいまねん 言葉だけでええねん
したらわての子は治りまんねん」

あっ「μόνον ただ」をいれるの忘れてたわ
0111神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/06(火) 10:04:23.74ID:dqM0WP3c
マタイ8:8 訂正 二度目
スロージューサー訳
すると百人隊長が答えて言うには、
「主よ、私の屋根の下にあなたが入って下さるような資格が私にはありません。
しかしただ言葉であなたは告げてください。すると私の子供が癒されるでしょう」
0112スロージューサー
垢版 |
2016/09/07(水) 01:20:33.06ID:uI/V5iPB
マタイ8:9
καὶ γὰρ ἐγὼ ἄνθρωπός εἰμι ὑπὸ ἐξουσίαν,
ἔχων ὑπ’ ἐμαυτὸν στρατιώτας,
καὶ λέγω τούτῳ· πορεύθητι, καὶ πορεύεται,
καὶ ἄλλῳ· ἔρχου, καὶ ἔρχεται,
καὶ τῷ δούλῳ μου· ποίησον τοῦτο, καὶ ποιεῖ.

καὶ γὰρ接続詞 なぜなら、〜もまた
ἐγὼ 一単主格 私は
ἄνθρωπός 男単主格 人間
εἰμι 一単現 私は〜である
ὑπὸ 前置詞+対格の場合 〜の下に
ἐξουσίαν, 女単対格 権威、権力
ἔχων 男単分現主格 持つこと
ὑπ’〜下に
ἐμαυτὸν 再帰代名詞 一単対格 私自身の
στρατιώτας, 男複対格 兵士たち
καὶ そして
λέγω 一単現 私が言う
τούτῳ·  男単与格 この者に この男に
πορεύθητι, 二単過去命令 あなたは行きなさい
καὶ すると
πορεύεται,三単現 彼は行きます
καὶまた
ἄλλῳ· 男単与格 他の
ἔρχου, 三単現命 彼は来なさい
καὶ すると
ἔρχεται, 三単現彼は来ます。
0113スロージューサー
垢版 |
2016/09/07(水) 01:21:29.79ID:uI/V5iPB
καὶ また
τῷ δούλῳ 冠詞+男単与格 奴隷に
μου· 一単属格 私の
ποίησον 二単過去命令 あなたはしなさい
τοῦτο, 中単対格 これを
καὶ すると
ποιεῖ.三単現 彼はする

マタイ8:9 スロージューサー訳
なぜならば私もまた権力の下にある人間です。私自身の下に兵士たちを持っています。
それで私かこの者に「あなたは行きなさい」と言えば、すると彼は行きます。
また他の者に来なさい(と言えば)、すると彼は来ます。
また私の奴隷に、あなたはこれをしなさい(と言えば)、すると彼はします。

参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0809.pdf
0114神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/07(水) 07:56:16.23ID:U4N4cTSv
お疲れさまです。
文法の問題ではありませんが、とりあえず一点だけ感想を述べさせていただきます。

>「あなたは行きなさい」

イエスに敬語表現を使用するならば、ここは「お前は行け」というような、
雑な言葉遣いの方が、臨場感が出て、統一性もあるように感じます。

出かけますので、他のコメントはまた後程。
0115神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/07(水) 09:38:44.09ID:YH0Pjohx
>>114
なるほど。確かに。

それ以外にも
「権力の下にある」という訳は日本語としてこなれていないと思います。
意味は俺は権力を持っている人間だということですので
前置詞ὑπὸをどう訳すのがよいのか

「私自身の下に兵士たちを」もそうですね。
こちらは「私の部下の隊員たち」でもよいかもしれません。
0116神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/07(水) 16:10:33.71ID:U4N4cTSv
>>115
υπο+acc.で、「下に」と土岐『構文法』§88にありますが、
岩波訳は「権威の下(もと)」と訳しています。
こちらはこなれた訳ですね。
0117神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/07(水) 16:20:24.26ID:U4N4cTSv
>「あなたは行きなさい」

細かいですが、これは「」の中の「」なので、『』にした方がよろしいかと。
もっとも、以前のレスで、二重鍵括弧は使用しないというようなことをおっしゃっていましたから、
それならば、ここは「」を取り除くべきでしょう。
0118スロージューサー
垢版 |
2016/09/07(水) 21:57:08.10ID:uI/V5iPB
マタイ8:10
ἀκούσας δὲ ὁ Ἰησοῦς ἐθαύμασεν
καὶ εἶπεν τοῖς ἀκολουθοῦσιν·
ἀμὴν λέγω ὑμῖν,
παρ’ οὐδενὶ τοσαύτην πίστιν ἐν τῷ Ἰσραὴλ εὗρον.

ἀκούσας 分過男単主格 聞いて
δὲ 接続詞しかし それで
ὁ Ἰησοῦς 冠詞+男単主格
ἐθαύμασεν 三単過去 彼は驚いた
καὶ そして
εἶπεν三単二過 彼は言った
τοῖς ἀκολουθοῦσιν· 冠詞+分現男複与格 従っている者たちに
ἀμὴν アメーン その通り 確かに まことに
λέγω一単現 私は言う
ὑμῖν, 二複与格 あなたがたに
παρ’前置詞+対格 〜より他の
οὐδενὶ男単与格 誰も〜ない
τοσαύτην 女単対格 こんなに それほど
πίστιν 女単対格 信仰を
ἐν 前置詞+与格〜中で
τῷ Ἰσραὴλ 男単与格 イスラエル
εὗρον.一単二過 私は見つけた
0119スロージューサー
垢版 |
2016/09/07(水) 21:57:56.41ID:uI/V5iPB
マタイ8:10

スロージューサー訳
それでイエスは聞いて驚いた。そして従っている者たちに彼は言った。
「アメーン、あなた方に私は言う。イスラエルの中でこれほどの信仰を
誰も見た事が無い。」

参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0810.pdf
0120神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/08(木) 08:49:44.14ID:GcA5+Ba3
>>118
お疲れさまです。

今回は文法、訳文についてご指摘差し上げることはありません。

「あなた方に私は言う」なども、ほとんどの訳と異なり、ほぼギリシア語の
語順通りなのがいいですね。

>これほどの【信仰】を誰も見た事が無い

ただ、最近、小生は個人的にπιστιςを「信仰」と機械的に訳すことに疑問を感じています。
例えば、岩波訳は「信〔頼〕」と訳していますし、手元にありませんが、
田川訳も同様だったと思います。
LXXの用例を見ても、ほとんどの箇所で、πιστιςは信仰以外に訳されています。
「護教的」な解釈では、何が何でも「信仰」と訳したいところではありますが、
立ち止まって少し考えなければいけない箇所なのでしょう。
スロージューサーさんはどう思われますでしょうか?
0121神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/08(木) 09:44:30.82ID:P/A4dlnN
>>120
ピスティス問題の一番問題となる箇所が
「神のピスティス」ですね。「神の信仰」とはどなたも訳せない。

保守派は無理に「神への信仰」と訳したりされるが、文法的におかしい。
ではピスティスそもそも何かとなるわけです。
-続く-
0123すろ
垢版 |
2016/09/08(木) 20:30:25.63ID:AnXEY8sw
πειθω これはπιστιςの動詞形。「説得する」という意味だ。

πιστιςの原義は、説得されてよいほど確かなことという意味だ。
なので文脈によっては、信仰、信頼という意味だし、
本質的には「当てになること」「信頼てぎること」という意味だ。

とはいえ、πιστιςは最重要単語だ。いろいろ訳し分けていいものだろうか。
殊に真性パウロ書簡では統一したいところだ。
私は「信仰」で訳語を統一してよてと思う。
「神の信仰」とは、神は信ずるに値いする完全な存在という意味で良いと思う。
信仰とは本来、その水準にあるべきものなのではないだろうか
0124スロージューサー
垢版 |
2016/09/08(木) 21:00:42.82ID:AnXEY8sw
マタイ8:11
λέγω δὲ ὑμῖν ὅτι
πολλοὶ ἀπὸ ἀνατολῶν καὶ δυσμῶν ἥξουσιν
καὶ ἀνακλιθήσονται μετὰ Ἀβραὰμ καὶ Ἰσαὰκ
καὶἸακὼβ ἐν τῇ βασιλείᾳ τῶν οὐρανῶν,

λέγω一単現 私は言う
δὲ接続詞 また
ὑμῖν二複与格 あなた方に
ὅτι 接続詞 〜のことを
πολλοὶ形容詞 男複主格 多くの者らが
ἀπὸ 接続詞+属格 〜から外へ
ἀνατολῶν 女複属格 まあ「東」だが、本当は「登ること」という名詞
καὶ 接続詞
δυσμῶν 女複属 まあ「西」だが、こちらは「沈むこと」という名詞
ἥξουσιν 三複未来 彼らはやって来る
καὶ 接続詞 そして
ἀνακλιθήσονται 三複未来受身 彼らは食事の席に着くだろう
μετὰ 前置詞+属格 共に
Ἀβραὰμ 無変化 アプラアム
καὶ 接続詞 〜と
Ἰσαὰκ 無変化 イサアク
καὶ接続詞 〜と
Ἰακὼβ 無変化 イアコーブ
ἐν 前置詞+与格 〜中で
τῇ βασιλείᾳ 冠詞+女単与格 王国
τῶν οὐρανῶν,冠詞+男複属格 諸天の
0125スロージューサー
垢版 |
2016/09/08(木) 21:01:37.55ID:AnXEY8sw
マタイ8:11

スロージューサー訳
また私はあなた方に言う、すなわち
「多くの者らが、日の出る方から、また日の没する方からやって来て、
アブラハムとイサクとヤコブと共に諸天の王国で食事の席に着くだろう

参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0811.pdf
0126神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/08(木) 21:04:39.53ID:BDX4tRUU
新約の諸文書を教会やクリスチャンの作ったコイネー辞書を基に何か
独自の文書のように扱う時代は終わってんだよ。
これからはヘレニズム・ローマ時代の古典古代のギリシア語文献・パピルス学の成果を基に
あくまで西洋古典文学の一環として研究すべき時代。
聖書学なんて言葉があること自体、聖書しか知らない無知の護教学者たちが井の中の蛙で文献学やってる証拠なんだわw
0127神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/09(金) 01:17:39.18ID:C1SVofAE
>「神のピスティス」ですね。「神の信仰」とはどなたも訳せない。

>>121
Vulgataを見てみると、"fidem Dei" Rom 3,3 "fidem Iesu Christi" Rom 3,22と
なっていますが、fidesはラテン語で「信頼」、「真実」を意味しています。
これを「信仰」と訳したのはルター以降でしょう。

そうでないとルターの教義には合致しませんでしたから。

古かろう悪かろうではなく、ラテン語の証言なども参照する必要がありますね。
0128すろ
垢版 |
2016/09/09(金) 05:33:26.33ID:vN2tM3c3
>>127
πιστιςを「信頼」と訳せますが「真実」とは訳せません。
「真実」なる意味がないからです。
「神の真実」という訳を見ますが、それはカトのヴルガタのfidemに
引きずられた間違った訳なのかもですね。

ルター以来、πιστιςは「信仰」と訳されるようになったのはその通りですね
πιστιςが最重要タームだから訳語を統一したわけですね

>>126
西洋古典文学の一環として研究からの指摘を期待しております。

私は教会やクリスチャンの作ったコイネー辞書のみでモノを考えてます。
(たまに図書館までのこのこと出掛け古川清風の希日辞典で確認しますが
新約ギリシア語辞典より詳しくないです でかいけど)
バウワー持ちさんは私より一歩進んで70人訳も視野に入れらています。

あなたはその上ヘレニズム・ローマ時代の古典古代のギリシア語文献・パピルス学の
成果を持たれているならば鬼に金棒ですね。期待しております。
0129スロージューサー
垢版 |
2016/09/09(金) 21:19:19.01ID:vN2tM3c3
マタイ8:12
οἱ δὲ υἱοὶ τῆς βασιλείας ἐκβληθήσονται
εἰς τὸ σκότος τὸ ἐξώτερον·
ἐκεῖ ἔσται ὁ κλαυθμὸς καὶ ὁ βρυγμὸς τῶν ὀδόντων.

οἱ 男複主格 これら
δὲ 接続詞 だが
υἱοὶ 男複主格 子らが
τῆς βασιλείας 冠詞+女単属格 王国の
ἐκβληθήσονται 三複未受 彼らは追い出される
εἰς 前置詞+対格 〜中へ
τὸ σκότος 冠詞+中単対格 暗黒に
τὸ ἐξώτερον· 冠詞+中単対格 外側の
ἐκεῖ  副詞 そこで
ἔσται 三単未来 それはあるだろう
ὁ κλαυθμὸς 冠詞+男単主格 泣き叫びが
καὶ 接続詞 〜と
ὁ βρυγμὸς 冠詞+歯噛みが 噛むことが
τῶν ὀδόντων.男複属格 歯の

スロージューサー訳
これら王国の子らが外側の暗黒へと追い出されるだろう。
そこでは泣き叫びと、歯噛みがあるだろう。

ご参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0812.pdf
0130すろ
垢版 |
2016/09/09(金) 21:23:56.35ID:vN2tM3c3
このマタイ8:12には、キリスト教徒が地獄に堕ちる
と解する箇所だ。

「王国の子ら」がキリスト教徒のことを指す。
厳密にはマタイ編纂者グループを除く他のキリスト教徒たちのことだ。

「外側の暗黒」とは「御国の外側の暗黒」のことだが
つまり「地獄」ということだ。
キリスト教徒は、自分たちのことを「天国の子」と自称しているが
おまえらは地獄に堕ちて嘆きそして歯噛みするだろうと予言しているわけだ。
0132神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/10(土) 10:37:17.10ID:4sFU2qWD
最近、鬼和尚、いや、まことの様子がオカシイ
昨日なんぞは、鬼和尚(=まこと)は、日本語という単語を使った
低レベルというか何というか、まことは、必死になると、日本語という単語を使う
宗教2ch に、誰か来ているのか
それとも、ただの自演か
鬼和尚、いや、まことを狙う足音は、スグそこまで来ている
0133老クリスチャン
垢版 |
2016/09/10(土) 11:02:16.76ID:fKrbAucN
>>131
私も、そのように理解しています。
この同じペリコーペが、ルカ福音書 13:28-30 でも使われていて、その前後関係から、
イエスのこの発言を原始教会が、明らかにユダヤ人を指すものと理解していたことが分かります。
0134すろ
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2016/09/10(土) 12:46:09.70ID:MKfRyK2W
>>131
定番の突っ込みをありがとう

>>132
確かに平行箇所のルカだと
「アブラハムとイサクとヤコブと預言者たち」つまりご先祖様は天国に入っているが
現代ユダヤ人のあなたたちときたらまだまだよ、イエスが厳しく注意指導しているのだが
マタイのこの個所は、文法的に見て、ユダヤ人批判ではなくて
キリスト教徒批判なのです。

というのは「御国の子ら」という表現は、将来において「神の国の子」になれるだろう
という将来的な願望でなく、現在すでに「御国の子ら」であるとされている者たち
という意味です。こういう表現でユダヤ人を指す文章がこの当時見つかってないそうです。
またここと同じ表現のマタイ13:38の「御国の子ら」はキリスト教徒を指しています。
なので、ここはマタイによるキリスト教徒批判です。

キリスト教徒は地獄落ちというのがマタイの見解なのです
0135シャロン
垢版 |
2016/09/10(土) 13:06:52.66ID:y/MPB5CD
>>134
神さまが教えて下さいましたが
あなたはイエス様を憎んでいますね?


ヨハネによる福音書/ 15章 18節

「世があなたがたを憎むなら、
あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい

.
0136シャロン
垢版 |
2016/09/10(土) 13:10:08.64ID:y/MPB5CD
このマタイ8:12には、キリスト教徒が地獄に堕ちる
と解する箇所だ。

.
0137シャロン
垢版 |
2016/09/10(土) 13:14:20.72ID:y/MPB5CD
>>136>>130

>このマタイ8:12には、キリスト教徒が地獄に堕ちる
>と解する箇所だ。
.
0138神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/10(土) 13:33:20.40ID:jijCQy0P
キリスト教徒にも二種類いるから気をつけてね
0139シャロン
垢版 |
2016/09/10(土) 14:26:37.66ID:y/MPB5CD
>>138
はい、勿論よく承知しています^^
.
0140神も仏も名無しさん
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2016/09/10(土) 14:36:58.08ID:l87bfad5
宗教は奴隷術で根本は人間不信だ
教典も収容所の規則みたいな話や書いた者の私情ばかり
0141神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/10(土) 17:08:21.14ID:jijCQy0P
「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」
ましてや神の国を「継ぐ」などということはできません。
0143シャロン
垢版 |
2016/09/10(土) 18:34:14.05ID:y/MPB5CD
.

「誰でも新しく生まれるなら、神の国を見ることができます」
加えて神の国を「継ぐ」などという驚くべき恵みに与る事ができます^.^)v

.
0144すろ
垢版 |
2016/09/10(土) 19:23:41.39ID:MKfRyK2W
改竄したらダメよ

ヨハネ3:3
3:3イエスは答えて言われた、
「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」

3:5イエスは答えられた、
「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。

つまり水から生まれるとは、死と再生の儀式である水沈めの儀式。
霊から生まれるとは、聖霊のバプテスマ、つまり異言とかですね

現代クリスチャンの大半がアウトです。
何より愛がない人は地獄堕ちです
0145シャロン
垢版 |
2016/09/10(土) 19:43:20.71ID:y/MPB5CD
それ聖書の言葉じゃないよ^^
0146スロージューサー
垢版 |
2016/09/10(土) 19:58:37.43ID:MKfRyK2W
マタイ8:13
καὶ εἶπεν ὁ Ἰησοῦς τῷ ἑκατοντάρχῃ· ὕπαγε,
ὡς ἐπίστευσας γενηθήτω σοι.
καὶ ἰάθη ὁ παῖς [αὐτοῦ] ἐν τῇ ὥρᾳ ἐκείνῃ.

καὶ 接続詞 そして
εἶπεν三単二過 彼は言った
ὁ Ἰησοῦς 冠詞+無変化 イエスースは
τῷ ἑκατοντάρχῃ· 冠詞+男単与格 百人隊長に
ὕπαγε, 二単現命令 あなたは行け(原義は、徐々に行け) 引き下がれ
ὡς 接続詞 〜ように
ἐπίστευσας 二単過去 あなたが信じた
γενηθήτω 三単命令過去受身 それが生じるなさい
σοι. 二単与格 あなたに
καὶ接続詞そして
ἰάθη 三単過去受身 彼は癒された
ὁ παῖς 冠詞+男単主格 子は
[αὐτοῦ] 代名詞三単男属格(その)
ἐν 前置詞+与格 〜に
τῇ ὥρᾳ 冠詞+女単与格 時に
ἐκείνῃ.指示代名詞女単与格 その

スロージューサー訳
そしてイエスは百人隊長に言った。
「あなたは行きなさい。あなたが信じたように、あなたにそれが起きろ。」
するとその時に(その)子が癒された。

参考に
http://smallvoice.la.coocan.jp/id-4/matthew0813.pdf
0147Johannes
垢版 |
2016/09/10(土) 21:19:17.48ID:KJoxdWeN
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ハゲ暇さん こんばんわ☆

ニカイア信条というものがある。
これで何が説明できると言い張りたいのだろうか、さっぱり分からない。
と、言うか、はっきり言って馬鹿じゃないかと思う。

ウリには原文が読めないので、翻訳文を読んでいるニガ。 暇さんは、これ、どう思うニカ?
-----

(ウィキで読めます)


ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%A2%E4%BF%A1%E6%9D%A1

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0148Johannes
垢版 |
2016/09/10(土) 21:51:47.49ID:KJoxdWeN
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我らは、見えるものと見えざるものすべての創造者にして、
すべての主権を持ち給う御父なる、唯一の神を信ず。

我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。


主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、、光からの光、
まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、
天地万物は総べて彼によりて創造されたり。

-------

御父より生れたまいし神の独り子  e? 生まれるって? どうして?

御父の本質より生れ  e? 本質から生まれる? 本質から生まれたから、やっはり本質だと言いたいのだろか? 

光からの光、まことの神からのまことの神、  e? だから、一体何を言いたいのだろう? 

造られずして生れ、御父と本質を同一にして、天地万物は総べて彼によりて創造されたり。 e? つまり、イエスとはヤハウェのことだと言いたいのか?

-----

ウリには全く理解不能な文章ニダーよ。 アホみたいと言うか、アホにだ。
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0149Johannes
垢版 |
2016/09/11(日) 00:00:32.31ID:9NskMct/
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あれ 暇さんいないの?

>>御父の本質より生れ、、光からの光、
>>まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、


【>>本質】この単語(訳語)が、どうも不明ニダーよ。
ニケア公会議では、まだ中世スコラ学はなかったわけです。
一体何を考えて「本質」という語を用いたのか。

公会議に出席した司教らは、プラトンやアリストテレスを知っていて「本質」という言葉を語ったのだろうか?
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0150シャロン
垢版 |
2016/09/11(日) 01:15:59.96ID:NKo+Fi2b
>>144
っていうか、愛する人たちに神様の愛を伝える時には
否定的な言葉を使ったり脅かしたりしないように慎重に
言葉を選んでいます。
,
0151すろ
垢版 |
2016/09/11(日) 06:37:44.89ID:RBNY8oB1
ουσία本質と訳される「ウーシア」という語は
エイミー(ειμι)という英語で言うと「be動詞」、
九州弁で言うと「〜たい」、大阪弁で言うと「〜でっせ」という動詞の
分詞形から派生した名詞。

本来の意味は「存在」。
新約では「財産」とも訳されたりする語で「本質」という意味はない。
0152神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/11(日) 10:40:04.14ID:/7UPOH/l
どの宗教にも一円たりとも金を使わないと神に誓った
0153神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/11(日) 12:51:19.28ID:k065oMum
『主』

という訳は適切なのでしょうか。
もし他の日本語で表すとするとどんな訳がありますか?
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