法華経は釈尊(シャカ)が説いたんじゃなかったの?
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違うんか?
271: 顕正会が中傷され疎んじられ猜疑され入信者が増えない理由 [] 2014/08/31(日) 01:07:37.89 ID:Yq8UgCew
昔は大乗仏典も釈迦の教えだとされていましたが、
現代の仏教学では、大乗仏典は1世紀前後の頃から
新たに創られた仏教文学のようなもので、
釈迦の直説とは考えられておらず、
大乗仏教には本来の釈迦の教えにはない要素が多く含まれています。
ということらしい。 現存する、発見された仏教経典・論書類の最古のものは
紀元後1-2cと推定されている樺皮にカローシュティー文字で書かれた写本群。
発見場所はガンダーラ地方。
法蔵部に寄贈とかかれた壺に入った写本群には、
漢訳長阿含経対応カローシュティー文字写本。
ダンマパダやスッタニパータに対応するカローシュティー文字写本が発見されている。
しかし経典群は少なく論書が多く発見されているそうだ。
「バジャール・コレクション」では、カローシュティー文字写本の中阿含、
未知の護呪、律文献などとともに、カローシュティ文字で書かれた
阿閦仏信仰を主題とした経典の写本が発見されたそうだ。
阿閦仏信仰は大乗仏教の一番最初期。
なので、科学的には文字化された時期はダンマパダやスッタニパータも大乗も
紀元後1cで同時期。
法華経写本は、最古で8cぐらいだった思う。 唯物論的に言うと、そもそも2500年前に亡くなった釈尊の直説が何かは
今となってはわからない。
1.釈尊の教説はそもそも、釈滅後弟子たちの会議で、「私はこう聞いた」と
纏められた弟子目線での釈尊の教えなので、直説ではない。
2.しかも最初期には経典は口伝で伝承されたので、客観性が担保できない。
3.更に、最初期の経典区分は九部教(十二分経)という分類形式で今と違う
4.とはいえ釈滅100年後、仏教団が長老派(上座部)と多数派(大衆部)に分かれ
長老派も多数派もその後枝葉分裂して18とも20とも33とも言われる部派になる
のだが、それぞれの部派が経典を文章化して伝持し、その違う部派が伝持する
経典を比べるとほとんどの部分で同じ内容である。推測としては、部派分裂以前
の教えにまでは遡れるのではないかという論が成り立つ。
(南伝バーリの五ニカーヤと北伝漢訳四阿含の対応) 5.我々が目にできる五ニカーヤと四阿含を見ると、古い部分と新しい部分が
あるように思われる。ある種の物差しを立てて分別すると、
ダンマパダやスッタニパータ四章・五章が最古層という学者の推論がたてられた。
6.一方、大乗文献の成立は早くても紀元前1c。初期大乗が華々しく生まれたのは
紀元後1cと推定されている。法華は初期大乗経典の一つ。
つまり法華は釈尊滅後500年後に世に現れた経典である。
但し、それは唯物論的な話であって、信仰的問題となると話が変わってくる。 原始仏教の研究がすすむと、法華経の空想性や、霊感主義があまりにカルトであるために、これは正しい仏教ではないとする学者も出てきたのである、
確かに原始経典、たとえば「スッタニパータ」などの教えからはかけ離れた空想的な悟りと超能力のお話ばかりである。
スッタニパータでは、「誘惑に負けないで犀の牙のように一人で歩め」「老人が若い妻を娶るのは修行のさまたげになる」とか、そんな実用的な?教えというか処世術ばかりである。
法華経のように、この経を信じ、授持するなら奇跡が起こるというようなことは一切かかれては居ないのである。
法華経神秘主義ともうべき教えがこの経の本体であろう。
不思議なこと神秘なことのオンパレードである、
ただし、法華経とは、この経を信じなさいとは書かれているがでは法華経ってどんなカテキズモなの?といわれてもそこんところは実は何一つ書かれていない。
法華経とは法華経はすばらしいですよということしか書かれていないお経なのである。
どこがすばらしいのか。どういう教えなのか。はついに一切明かされないで終わってしまうという摩訶不思議な経典なのである。 .
*この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません 法華経・維摩経はどう贔屓目に見てもせいぜい「西遊記」か「手塚治虫のブッダ」。
内容にまともな「教え」が無い。つまり仏非教。エンターテイメント。
最後に「いや、ルパンはとんでもないものを盗んでいきました。 あなたの心です」
程度のまとめ(教え・キメゼリフ程度)
逆に初期仏典、ダンマパダ・スッタニパータは教えしかない。つまり仏教。
エンタは全く無くつまらないが教え(仏教)が無数に書いてある。
腹減りすぎて苦しいときはどうするか→xxxしなさい。
怒りが止まらないときはどうするか→xxxxするのだ。
先生女見て勃起しちゃいました→xxxせよ。
酒が飲みてえよ→ダメ、絶対ダメ仏教止めますかそれとも酒飲みますか?
xxxで悩んで苦しんでいますどうしたらいいでしょう→xxをxすることだ。
悪事に手をそめてしまいましたどうしよう→直ちにxxxxでxxしろ。
この全く違いさ、経典としてのあまりにもあまりにもな異常な差異、を考えても
法華経はブッダの教えとはあまり関係が無いと判断すべき、と私は思いました。 タイトルを法華物語くらいにしておけば許してやったけど、「経」とか語るんじゃねえよ、
どれだけの人が被害に合ったことか・・・この法華経を仏教経典として信じて。 >>6
法華経の何が笑えるって、まさしくその自画自賛のオンパレード。
薬王菩薩本事本とかひどいw
「この法華経を受持し、読み、説き、聴き、書写し、写本にし、尊重し、
恭敬し、供養し、花や薫香、焼香、傘蓋、旗など捧げ、合唱し・・・・略
・・・した人は無量の功徳を得るだろう」みたいな。
経典自ら自分を経典にしたり写本にしたりして崇敬を示せと言ってるというwwww
想像しよう。たとえば、新約聖書が「この新約聖書を書写し、写本にし、合唱、
礼拝したものは天国に行ける」みたいなこと書いてたらwwwwwwwww 日蓮なんて恐らく法華物語の最大の被害者やね。
日蓮が発狂して仏教徒でなくなったのも全部法華物語の責任。
法華経の作者は地獄行きなんじゃないだろうか・・・・
それとも天界アカデミー敢闘賞でももらったのだろうか・・・ 聖書もアレだけど法華物語よりはよっぽどはるかに実用的、宗教と呼べるレベル。 法華経の作者は大麻かアヘンかキノコでラリっていたか、躁病患者だったか、
であることは疑いが無い。 >>11
>「このxx経を受持し、読み、説き、聴き、書写し、写本にし、尊重し、
>恭敬し、供養し、花や薫香、焼香、傘蓋、旗など捧げ、合唱し・・・・略
>・・・した人は無量の功徳を得るだろう」
ダンマ・スッタニには一切そういう系統の幸運説が逆に排除されきっている。
そういう祈りや呪文で「いいことあるわよ♪」みたいなことはいやというほど全く書いていないw 法華物語は為にならぬ漫画であり(ジャータカ物語の方がよっぽどマシ)
スッタニ・ダンマ・サンユッタ等は面白おかしくドキドキワクワクは無いけれど
まさに「仏教」と呼ぶに相応しい。 法華物語の作者が「神も仏も名無しさん(つまり匿名で仏説であるかのように記述している点)」
であることも許せない。その責任逃れが許せない。鳩摩羅什もグルコンビ臭い・・が・
・まあ訳しただけもしれんからそれ以上追求できない・・・
しかし多少仏教知っている翻訳者ならすぐわかるはずなのに・・・怪しい・・・ 平安初期に比叡山に法華経の戒壇が建立された
その後日本がどう変わったか知ってるのか >>6
法華を読んで、その素晴らしさがわからん人間がいるとは。。。
方便品では、万善成仏が説かれている。
そして先行する大乗の般若・維摩経典群が二乗批判をし、二乗不成仏を説くのに
対して、法華は二乗方便を説き、菩薩乗と共に成仏できることを説く
大乗の中の王様のような経典
>>11
なぜに薬王菩薩本事などを?
創価二世なん? 76 :菩薩道を歩め:2014/10/04(土) 14:00:55.04 ID:fyep3oHs
では日蓮大聖人が間違いであったのだろうか?
否、である。
当時の庶民・農民の教育は現在のようにいきとどいておらず、
仏の詳細な教えを説いても、理解できないと考えた。
そこで「南無妙法蓮華経」を唱えて仏の加護にあずかれよ、という単純なものなら、
それは学の無い庶民の拠所と安心立命に利する、と。
しかしながら今日、現在の義務教育を卒業した者どもならば、それは必要ない。
直接御仏の説かれた教えを修学・実践・理解できるのである。
具体的に言えばhttp://www.amazon.co.jp/にて、
「ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,015」
「ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,080」
「ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1) 中村 元 文庫 ¥ 972」
「ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) 中村 元 文庫 ¥ 1,037」
「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,015」
の5冊(内容も非常に簡易で誰にでも分かりやすいものであり
義務教育を卒業した方なら5冊一ヶ月程度で読めます)、を購入し、読書してみてください。
そこには本当のブッダの教え、真実の御仏の教えが書かれています。
そしてそれらを皆様が読み終えた時、徹底検証!「宗教法人顕正会」「創価学会」 の【問】
の回答は皆様自身の頭で導き出す事ができるでしょう。 霊友会に入れば?訓読の法華経を直接読んだ方がいい。
解説書はその後だね。 御仏の教えと言葉を理解するのに現代では「宗教団体」に入信する必要は全く無い。
上記5冊を読めばだれでも御仏の教えのほとんど全てを修学することができる。
奇妙なお布施の教養や勧誘の強制、入会金など無しに5000円程度ですむのである。 そしてそのブッダの教えの内容と法華経の異常な差異に気づくが良い。
法句経とスッタニパータを読んでもそれでもなお「我は法華経を唯とする」
と断定できるあなたならば、それは真の信仰であり、真の法華経に帰依する者、
と我は認める。そしてそのような者に我は「法華経を捨てよ」などとは決して言わない。
それは信仰であるのだから。
ブッダの直接の教えを知らず(修学せず)して只、法華経を奉ずる者は、我は彼を盲信なる者、
と断定する。 >>28
具体的に言えばhttp://www.amazon.co.jp/にて、
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の5冊(内容も非常に簡易で誰にでも分かりやすいものであり
義務教育を卒業した方なら5冊一ヶ月程度で読めます)、を購入し、読書する場合、
師はそれら仏典の教えであり、あなたの師は時空を越えてブッダとなります。
そしてその者はもはや日蓮上人や浅井会長、池田大作の弟子では無く、
日蓮上人、浅井氏、池田氏の「友」となります。 アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自己を灯明とし。自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法、私が生前説いた教えをよりどころとして、
他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、彼らは私の修行僧として最高の境地にあるであろう、−誰でも学ぼうと望む人々はー。
『仏説大パリニッバーナ経』
つまり>>30はこの経文にて完全に否定される。
我こそはブッダ以上の者なり、とい語るものを除いては。 文殊よ、正しい教えを投げ捨てることの悪影響はささいなものであるので
文殊よ、誰であってもブッダの説かれた教えについて、
あるものは立派な教えであると思い、あるものはよくないものであると思ってしまうものだ。
しかしそういう者たちは、正しい教えを誹謗している。
正しい教えを誹謗することによって、ブッダも誹謗されたことになる。
即ち>>30こそは正真正銘、ブッダの教えを誹謗する者であり、仏説を知らない者であり、
仏教徒では無い者、仏教外道、と経典と仏説を根拠に結論付けることができる。 それでネット経典?信 行 学の信と学はいいけど、行はどうすんの? >>34
解脱・悟り・3明の習得は、自らそれを達成したものに自ら現れる解脱知見境、
によって自らその証を得る、とブッダは説かれる。
他人が査定認定するような悟りは無い。 ブッダは信 行 学、ではなく戒 定 慧 を説かれる。
それも全て上記5冊を読めば記述してある。 いかがわしい宗教団体から教えを間違ったふきこまれた者は、
その主祖の教えを拠所に自説・妄想で「師はいらないんだ。仏教じゃないね。 」
などと発言する。
そのような者の言は上記5冊の最古原始仏典を読んだものには全く通用しない。
仏教を修学していないのだから。 但し、学会員、顕正会員等はその主祖によって「法華経以外の経典は読んではならない」
と勝手につくりあげた妄想でその信者を束縛し、誤って信者を仏教外道に導く。
故に私は相手が学会員、顕正会員である場合、他経文は「読んではならない」
のだから、これ以上の押し付けはできない。
信仰している対象が我はブッダであり、
学会員、顕正会員の信仰対象は池田氏や浅井氏の池田教、浅井教の
信者であるのだから。 >>31
その説教は修行僧向けで在家向けぢゃないので
キミの論は成り立たん。
まず出家して乞食しながら遊行してからだわ >>36
戒 定 慧 が信 行 学 に対応している事も解らん?
それが三大秘法にも対応している。
やっぱり君は師が必要だわ。 「今でも、また私の死後にでも、<誰でも>」とブッダは説いておられるが、
これも学会員、顕正会員等には通用しないので、君にはこれ以上特に反論しない。 >>40
私はそういう言葉でかいてある言っただけで、そのがイコールだ、イコールで無いイコールであるという話はしていないが、
君もおそらくは学会員、顕正会員か何かなので、これ以上特に反論しない。 ちゃんと前後を読んでご覧
「アーナンダよ、どのように比丘は」という限定句がありますから >>43
学会員、顕正会員よ、好きにするがよい。私はあなたに押し付けはしない。 まあ、原始仏教ファンは大乗批判してたらいいよ。
それで得るものは無い。それだけは言っとくわ。 私が言いたい趣旨は
「ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,015」
「ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,080」
「ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1) 中村 元 文庫 ¥ 972」
「ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) 中村 元 文庫 ¥ 1,037」
「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫) 中村 元 文庫 ¥ 1,015」
の5冊を試しに読んでみて自分の宗教団体のあり方を考えてみてはどうでしょう、
と提案している者であるが、
とにかく相手を批判して論争に勝利し、我が団体の正しさを守ろう、と
考えるだけの者と論争するつもりはありません。 中村さんの法華経批判書の紹介ならまだしも、原始仏教で法華経を批判してもね。
それで?ってなっちゃうな。お疲れ様 まあ、せっかくですから
学会員、顕正会員は小乗批判して法華経のみ信仰・読経してたらいいよ。
それで得るものは無い。それだけは言っとくわ。
とお言葉を拝借し貴殿に送っておきます。 ちなみにその5冊は読了済みだよ
その他に中村元編 原始仏典も読んでいたりする。
一冊7千円前後 自らを小乗っていうのは、やめなさいよ。
まあ、頑張ってね。
白隠さんは法華経で大悟を得た。
人それぞれ 日本に住んで法華の素晴らしさがわからん人もいるなんて。。。
原始仏典なんて、法華に比べたら子供だましなのに。。。 >>51さん
はじめまして。
一つだけ質問させてください。
というのは、
“釈迦”というの人物は、法華経という経を執筆なさったのでしょうか? >>53さん
法華経文中の随所には・・・“書写”などを勧めるようなくだりが読み取れますが、
霊山で説法をする釈迦には、なにかしらのテキストにな物がありますよね。たとえば法華経一文を引いても・・・「この経は」・・・と仰っております。
写本以前のことを御聞きしたいとの思いからこの質問をしたのですが、もし貴殿の見解があるのであれば御教授ください。 ・出家、在家、男でも女でも、誰でも仏になれますよ。
・お釈迦様は遥か大昔に仏陀として悟られ、今もとりあえずアホどもを
納得させるために死んどきましたが、実はいまもず〜〜と仏陀として
存在しておられるんですよ。
法華経が言いたい「すんげ〜教え」はこの二つに帰着する。
あとは先の誰かが言ったように自画自賛と3流小説。 >>54
釈迦は何一つとして執筆していない。
いわゆる仏の教えたる「仏教」は開祖以来、400〜500年は口伝伝承だけで
存続してきた。
その口伝も、釈迦の死後に弟子たちが集まって、「ゴータマさんってこんなこと言ってた」、
「なんか俺もそんなこと聞いたかも」「あ〜いいそう」「ありそうじゃね。」「じゃあ、ありってことで。」
という感じで、記憶頼りに、釈迦の言行をまとめていったもの。 >>55-56グノーシスさん
はじめまして。ここでの書き込みは私、初めてなもので宜しく願います。
そうですよね、“口伝”にてブッタの教えを広めていくべきものだと、私は昔に聞いたものでしたので、
それが何故に、執筆してない釈迦が法華経では“書写”なる伝え方が示されているのかと疑問に思うところに、「仏説では無い!」と思う次第であります。
つまり、釈迦の死後に弟子たちが集まって付け加えたものであろうかと思うのですね。
これでは「如是我聞」なる言葉はなんであったのか?ということなんです。
いや、>>51さんが言っておられる、“法華の素晴らしさ”を尊重して、その経の矛盾なるところを取り除いてくれるかと思いまして質問をさせてもらいました。 >>55グノーシスさん
寿量品での内容でありまます、その説は、
釈迦自ら暴露してますから、無意味な例えなのですよね。
かくれんぼ という遊びをしている中、鬼に対して「私はあそこに隠れていますのでね」・・・なんて言っているようなものです。 法華経をもって仏教は宗教として成立したわけです。
別に哲学として釈迦を受け入れる人には法華経は要らない。
キリスト教と違い仏教には、絶対の正統はない。だから自ら拠り所とする経典を選べば良い。
キリスト教的正統異端は、仏教では無意味 真言宗は大日如来をたてる仏教であり、天台は法華をたてる仏教。
真宗は阿弥陀如来をたてる。
つまり、そういう事 >>54
「若し善男子・善女人、法華経の乃至一句に於ても受持・読誦し解説・書写し」
などですね。
法師品などにありますが、これは法華が徐々に成立したからでしょう。
まず方便品が成立し、増広されていった。 >>61土いぢりさん
レスをありがとうございます。
徐々に成立していった法華経は内容からしても仏説では無いと思いますし、
そして、そのような経を「ブッタ最高の教え、経王」などとは釈迦の真意ではないと思います。
>>55グノーシスさんが思うように、自画自賛と3流小説と感じてしまうのは当然であろうと思うのであります。
そこで貴殿のいう “法華の素晴らしさ” をどのようなところに感じられるのかというのを御聞きしたいものであります。
といいますか、ここのスレはこのようなことを議論する場所なのでしょうか?
スレ違いでありましたら、すみませんでした。 >>62
なぜ、徐々に成立したら、ダメなの?
釈尊は最初女性の出家を許さなかったけれども
アナンダの進言によって、女性の出家を許されましたよ
阿含経典を読まれるとわかりますが
釈尊の仏教では在家は生天で、解脱するには出家が必要です。
しかし法華では在家でも成仏できます。
幼児が戯れで砂場遊びで仏塔を作っても成仏できます。
万善成仏が説かれた仏教最高峰の教えが説かれています。 >>63土いぢりさん
>なぜ、徐々に成立したら、ダメなの?
と、質問されても困ります。
私はそのことで、法華経はダメとか良いとか評価したいのではなく、
法華経物語の矛盾な内容を貴殿にお尋ねしたうえで、“法華の素晴らしさ”という見解を御聞きしたいのでありますが、
他人に御答えできるほどまでには、まだ成ってないという事でありましょうか?
先ず、法華経物語で釈迦がいうに、「爾前の教えは方便であって、ここ法華経に導くために説いてきた」という趣旨であります。
天台教学に則れば、法華涅槃時という期間の釈迦晩年の8年がこの時期にあたります。
そう、とりあえず8年なはずですよね。
そこで“徐々に成立”とは如何なることかと思うのですが、法華三部経の成立はこの8年にして説かれたとの見解から“法華の素晴らしさ”を
説明すべきではありませんか?
もし、法華経の作者が誰であれ、“内容が素晴らし”という貴殿の思いであるならば、またまた別の話にはなりますが、
>>51レスをもう少し詳しく御聞きしたい願いから三度このようなレスをさせてもらいます。 万善成仏が説かれたら仏教最高峰って思う根拠は何なのか。
これソクラテスに問答法させたらそっこー行き詰るだろうなっていう安易な考えだわ。
東大に行くには才能と努力が必要だよ、というのが駄目な教えで、
いやいや東大なんてちょいと勉強すりゃアホでもいけまっせガハハというのが尊い教えと思う根拠はっていう(笑)
あらゆる宗教に言えることだよ。誰でも天の国は誰もが簡単に入れた方がよい。
だが、それはただの願望であって、自分の願望に合致するものこそ最高峰の教えだというのは愚の骨頂というしかない。
俺は法華経が間違っているというつもりは一切ないが、人間にとって都合のいい教えがイコールで真理ではないということを理解すべきだな。 >>64
法華経に「爾前の教えは方便であって」という文言はないです。
これは無量義経(法華三部経の一)の文言で、天台智の解釈でしょう。
中国の天台宗やら、なんたら宗はそれぞれが
釈尊の説いた経典をすべて釈尊の在世時代45年の間に説かれた。
ではどの経典が一番釈尊の教えなのかという教相判釈をします。
天台は、法華を最高とする宗なので、最後の八年に割振っただけで
事実とは大きく異なります。
私たちは明治以降、近代文献学の発展に伴い、事実を知っています。
法華経は釈尊の死後500年後に成立した経典です。
100年ぐらいかけて成立したのかもですね。
成立順の詳しいことがしりたいですか?
>>65
大乗とはなんだね? 少数エリートのための教えなのかね
三乗が方便で一乗真実が説かれています。 >>66土いぢりさん
成立順の詳しいことを知る事によって、
日本に住んでいる私が“法華の素晴らしさ”を分かることがでしょうか?
『舎利弗、我昔汝をして仏道を志願せしめき。汝今悉く忘れて、便ち自ら已に滅度を得たりと謂えり。
我今還って汝をして本願所行の道を憶念せしめんと欲するが故に、諸の声聞の為に是の大乗経の妙
法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説く』 譬喩品
と、貴殿の出番ではありませんか?
“法華の素晴らしさ”のご教授を願います。
まずは、上文での「我昔」とは何時のことなのでしょう。
法華経は釈尊の死後500年後に成立したのであれば、時系列はあってきませんね。 >>67
あなたが何を美味しいと感じるかは、
あなたの過去体験で蓄積されてきたものやセンスの問題でありましょうや
なぜ時系列が合わないの?
釈滅後500年後に、その当時の人たちが自分たちの信仰で
釈尊と舎利弗の名を用いて仏説を説いたんですわ
あなたは経典を鵜呑みにしたいんですか?
事実がしりたいのですか?
それとも譬喩品のポイントをお知りになられたいのか?
まず整理されてから質問されてください
現実には、舎利弗は釈尊より優れてました。
同時代のジャイナ教は舎利弗を仏教グループのリーダーとみなして
ましたし、釈尊自身も息子を舎利弗に預け教育を委ねましたし
仏教グループの組織運営も委ねました。
しかし仏教では舎利弗は釈尊の一番弟子ということになっています。
それで法華譬喩品では『三乗方便一乗真実説』を解りやすく解説せんがために
前品の方便品で仏の出世の本懐は、どの仏であれ、すべての人を成仏に
導く菩薩の道だ、阿羅漢などにするためではないと説いたのを承けて
ここで、舎利弗は、「私は昔から仏になる道を釈尊よ教えて頂いて
いたのに、それを忘れ阿羅漢になって満足してしまっていた」と反省し
それを受け釈尊が「そか きづいたか。じゃあ法華をおまいたちのために説く」
と言っている譬喩品の導入部分だよ
これから有名な比喩が説かれる 無量義経(法華三部経の一)に曰く
「四十余年未顕真実」
これまでの四十余年は未だ真実の教えを顕していない 万物に真理を見出すのが悟りなんだから白隠禅師は悟ったから法華経の中に真理が見えたんだと思うわ
そう考えると法華経が特別凄いとは言えないな
あと白隠の技法は仏教と言うより仙道
在家のまま解脱は多分無理だと思うけど情勢が違うからなんとも
岡田虎二朗や黒住宗忠も良い線行ってたみたいだし
そもそも在家でもアナゴンの聖者まで行けるわけだから別に良い
しかも釈迦が出家して師を探す期間も含めた総合修行年数が六年である事を考えると
頑張って聖者にまでなればあとは数ヶ月の山籠りでいけるはず それと本来は重要な比喩があったとしても
修行中に分かってなければ意味が無い
例えば西洋神秘主義で旧約聖書の物語に隠された比喩が分からなくて
カバラを習得した後に分かったとしても既に知ってるから理解出来るだけであって
それの御蔭で修行が成就した訳じゃないんだよね >>68土いぢりさん
そうですね、確かに貴殿が仰るように整理してから質問をしなければなりませんね。
そこで、もう一度確かめておきたいのですが、
>>51での貴殿が申されてます、
>日本に住んで法華の素晴らしさがわからん人もいるなんて。。。
>原始仏典なんて、法華に比べたら子供だましなのに。。。
とのことのようですが、
ですから、“法華の素晴らしさ”とはなんですか?・・・と御聞きしたいのです。 >釈滅後500年後に、その当時の人たちが自分たちの信仰で
この時点でどう足掻いても仏説ではありません >>72
「童子の戯れに 沙を聚めて仏塔を為れる
かくの如きの諸の人等は 皆、已に仏道を成じたり。」が法華の核心です。
>>73
仏が後にも先にも釈尊ひとりなのであれば、その論は成立するが
仏教は過去7仏をはじめ他方仏、未来仏を想定しています。
しかも法華は寿量品に至って史的釈尊について演技だとし、
永遠の釈尊を説いていますので、あなた論は明後日です。
史的釈尊より、法華ははるかに優れているのです。 その経典を阿羅漢が書いたのならば成立するが恐らく聖者にすら達していないだろう
久遠仏自体が創作であり史実と異なるフィクションであって
未来ではなく今を生きるのが真の仏説であり
仏陀は阿羅漢への道を説き功徳と中道は説いたが全ての人を救済する菩薩の道は全く説いていなければ
全てとなると中道からも外れる事になる上
史実を捻じ曲げ想像上の釈尊が説いた説法の概念を格上とするならそれはカルトだと思われるが
こうして他者の信仰と自身の思想を比べて優劣をつけようと思ってしまう事自体が
仏陀の教えと反しているのでこれも学びとして此処で終わりにしておこう
そもそも>>27を見つけた時点で口を挿むべきではなかった >>75
釈尊より舎利弗が優れていたし、
釈尊や舎利弗より大乗の仏教徒が優れていたんですよ
久遠仏が仮設されたとしても、仮設した仏教徒はリアルなんです。
むしろカルトなのは釈尊のみを絶対化して、後代の仏教者を不当に
貶めるあなたのほうでありましょうや。 法華経って、そこに至った人の心証風景の描写じゃないんですか? それも一つの信仰でしょう
何を信仰するかは自由ですとも
だが確実に言えることは仏陀でない者の教えを仏説と騙る事は間違いである
それともう一つ
こちらは釈尊を絶対視はしていない(飽くまで仏説と言う意味に限ってはしているが)
行法として釈迦の説いた行法より優れたものが大乗の中にある事は認めよう
しかしそれは飽くまで仏教以外の教えであり仏説を名乗る資格があるか否かは別の話
似たような行法なら古今東西あらゆる体系にある事を忘れてはいけないよ
特にチベットのゾクチェンは仏教を名乗ってはいるが内容はほぼボン教だ
他の密教も釈迦が否定したヴェーダの呪法を使う以上仏教を名乗る資格があるとは思えないよ
問題点は何が優れていたかではなく何を仏説と呼ぶかにある もっとも、中論や唯識の次点では釈迦の教えを超えているとは思えないけどね
優れていると主張したくばその部分を具体的に頼みますよ
それと舎利弗は阿羅漢なので釈迦より優れてたと言われても彼の説いた事なら仏説に入るんでどうでもいいです 唾液も精液も出すな。貪欲をはなれよ、つつしめ、美食をするな。
孝であれ、仁慈をもて。女にふけるな。禄を貪るな。
断つべきものは五穀、五辛(タマネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョ)
酒、肉、婦女、歌舞、はげしい喜怒哀楽。
大切なのは道教が教えるいろいろな薬品、食餌による養生である。
そうすれば若返り、命を延ばし、
また水上を歩み、鬼神を使い、
天空にのぼる。命は天地日月のように長い。
真言密教開祖 空海(著書 三教指帰より) >>78-79
客観的事実です。
同時代の他宗教のジャイナ教が
仏教のリーダーは舎利弗だと書いています。
信仰ではなくて客観的評価です。
事実、釈尊は息子を舎利弗に預けてます。
自分で教育していないのです。
更に仏教教団の組織運営の実際も舎利弗に委ねてます。
舎利弗に対抗したのは提婆達多です。
提婆達多教団は8Cまで続きましたが
アショカ王時代、更に6c以降の中国僧の報告があります。
いわば真面目な森林派です。厳格な修行をした人たち。
対して舎利弗は都会派であり、穏健派です。
舎利弗は、一旦、提婆達多についた厳格な修行者たち(アヌルッダなど)を
奪い返した上に、名目上の神輿であった釈尊の指示も取付たほど優秀なのです。
次にアナンダも釈尊よりはるかに優れています。
二点挙げましょう。
釈尊が女性の出家を禁じたのを諌めて、女性出家を許したことと
釈尊はコーサラ国とマガダ国の間約500KMの距離を遊行し、
夏の雨季の期間の二、三か月、コーサラかマガダに弟子と共に留まったのですが
ほぼ隔年でコーサラ国とマガダ国に留まっていた釈尊が
コーサラ国が釈迦国を滅ぼした後は、コーサラ国の支援者を喪ったのか
マガダ国ばかりで夏安居するようになりましたが、
アナンダは釈尊死後、コーサラ国に行き、在家の者と会いました。
アナンダの支持者はコーサラ国にいたのですね。
そして我々が目にできる仏教はすべて釈尊の直説ではなくて
アナンダを通した仏教です。
釈尊よりはるかに舎利弗やアナンダが優れているのです。 で、釈尊の仏説なるものは、この世のどこにあるのですか?
そんなものはありません。
我々の目にできるのは、多くの仏教徒が研鑽してきた精華です。
釈尊ひとりの功績ではありません。 スミマセン釈迦の時代の話は全くしていません
アナンダの話は知っていますが女性の出家を許す事が優れているとも記憶力が良い事が悟りに繋がるとも思えないのでどうでもいいです
そしてサーリプッタや彼らが如何に優れていてもそれは仏陀とその時代の史実なので信仰とは関係ありません
更に言えば仏典自体が釈迦の死後100年以上経ってから書かれたものなのでアナンダだけでなく仏陀とその直伝を継ぐ者達の功績と言える
しかしそんな話はしてないんですよ
法華経の優れた点と仏説と呼ぶべきとの根拠をぜひ訊きたいのです
それ以外の話はしていません あんま爺さんいじめてやんなよ。
法華経のすんげ〜教えは俺が指摘した2点以外ありませんから。
@ブッダなんて誰でもなれる!
Aお釈迦様はすんげ〜昔から今もずっと存在してる!
これの何がすごいのかを問答法で追い詰めれば法華経信者は撃滅できます。 法華経の肝要は、衆上全てが仏智見を得る事を望み、その望みか満足したって事だよ。
法華経により、悉皆成仏が約束された。 仏は釈迦一人じゃないし、化仏もいる。
その辺の理解が無いと、その先には進めないな。 だから、それは人間にとって都合のよい教え=素晴らしい教え=真理
とまったく関係のないものをイコールで結んで初めて成り立つ教えです(笑)
アホが泣こうが喚こうが、「東大はアホでも行ける」は嘘であって、
「才能か類まれな研鑽がなければ東大は入れない」が真実ですから(笑)
俺が信仰者に感じる違和感とはそこだよ。
たいがいのアホどもは自分にとって都合のよい教え、心地よい教えを真実と錯覚し、
それこそ真理と盲信する。情動を信仰に転化するわけだ。
だが本当に真理を求める者は、行き着く先が地獄であれ、何が真実化を探求し、
その上で自分の立ち位置を選ぶ。 @悉皆成仏をどうやって確かめるのか?
A久遠仏は他の信仰と混ざって出来たものなのに一体誰が約束してくれたの?(何かの比喩?)
B大乗が後付けした創作である化仏が現実に存在すると言える根拠は何ですか?
C阿羅漢達も仏陀と言えるし神仙や聖人も似たようなものだと思うが想像上の概念を仏と言う理由は? >>91
仙道、チベット密教、神道、原始仏教、カバラーを調べて浮かび上がった最終到達点がどうも同じ様なので
その修行法を実践すれば説かれた境地に行けると信じています
もし法華経の真義が私の理解が浅いだけで本当に素晴らしい教えであるならぜひともお聞かせ願いたい 東大はアホでも行ける!アホでも行けるんだ!と信じれば、実際行けるとでも。
んなこたーない。
ちゃんと勉強しないと行けませんよ(笑) >>94
いや私の基本スタンスとしてはそれが答えなんですが
法華経に対する理解の事でしたら煩悩を煩悩で上塗りして誤魔化す教えだと今のところ思っていますよ >>95
仏が法か人で、回答が変わるんだが?
何故避けるの? >>93
ネット情報で真偽は不明だが。
ムツゴロウさんが語る東大入学の秘訣。
「東大に入るような天才は勉強しないでも入れます。
勉強するような努力するような凡人には向きません。」
君の考え方とまったく逆ですなw >>96
貴方の真理を教えて下さいよ
私の信じる真理は様々な教えを照合して浮かび上がった共通点と自分で確かめられる事だけですよ
まあどちらかと言えば法になりますかね >>97
それ凡人は東大に入れませんってことだろ(笑)
むしろさらに辛辣じゃんw >>98
真理が法なら、史的釈迦は意味ないよね。法は普遍だが、史的釈迦は時代に制限された存在だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています