南海ホークス13©2ch.net
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まあ野村の意見はかなり私怨が混じるから、ある程度割り引いて聞いてやらんとな
ところで最近野村は妙に南海に対して当たりが柔らかくなってる気がするが
死に支度で過去を清算し始めたんかな? >>44
鶴岡「銭はグラウンドに転がってる」
杉浦(奇跡の日本シリーズ制覇後に)「優勝の味は銭では買えない」
見事な師弟だと思った 南海がマジック1で苦しんでいます!
西宮で阪急に3連敗!
残り試合は3試合、大阪球場でのロッテと2試合、近鉄と1試合を残してます!
杉浦監督もプレッシャーを感じてるのか表情が固い!
門田は疲労困憊で3試合ノーヒット!
こんな状況を見たかった・・・・ 大阪球場のライトスタンド後方に他球場速報板があったけど
今はスマホですぐに経過観れるし必要ないよな
藤井寺 Bu L 3 2 6回表
後楽園 F B 4 0 5回裏
神宮 S C 2 6 5回表
ナゴヤ D G 1 4 6回裏
甲子園 T W 4 3 4回裏 藤井寺もそうだったけど、正直速報と言える代物ではなかった… 同じセントラルの途中経過アナウンスでも
所沢だとそれなりに沸いたりするのに川崎では無視なのが好きだったな
「巨人の優勝が決まりました」ってアナウンスにも一切反応なかったって
週ベの読者投稿コーナーでもネタにされてた しかしまさか今年のホークスが優勝逃すとは思いもせんかったなあ プロ野球史上最大ゲーム差を逆転して優勝したのは1963年西鉄。
その時に逆転されたのは・・・ オールスターの時に優勝(見込)記念写真取ってて西鉄が発奮したってやつか 10ゲーム以上を逆転されて優勝を逃したのは
これで計3回目か・・・ 80年代南海末期は3位もなかったのでCSでSBは巻き返せば
野村監督時代CS制度があれば毎年日本シリーズに出れたという気もしない 1977年の二位から、たった1年で最下位、5位が指定席のチームになるとは当時は思わなかった >>36-37-38
オールドファンの方の回想では、65年の優勝には、まだ熱気があったのに、
翌66年のそれとなると、印象が薄くなってたと・・・
65年、シーズン前半で独走して、2位東映と最大20ゲーム以上も開いていた
レギュラシーズンから、一転、選手権では1勝しかできず敗退・・・
シーズンオフ、蔭山氏が監督就任直後に急逝、スタンカ愛息の事故死、と
立て続きに不幸に見舞われ、鶴岡と野村の関係など、チームにも溝ができたり、
その後の南海の行く末を暗示するかの如く・・・
杉浦さんも、「あの時、南海の何かが変わってしまった」と記してる。 そして、V9が始まり、テレビ中継もセ・リーグ偏重に至り、南海のみならず、
パ・リーグの総体的な地位は低下していったと・・・ >>38
西鉄・大毎・東映との優勝争いは、注目されてたそうですね。
やはり昭和40年代あたりから、セ・リーグとの差が開いてる。 それにしても、63年のV逸は、ショックだったろうなと・・・
150試合目で西鉄が大逆転優勝と。
大阪球場最終戦、野村が52号目を放って、雪崩れ込んで来たファンに
胴上げまでされて、優勝もほぼ決まりというムードだった筈・・・ 川上時代のジャイアンツの日本シリーズで7戦まで行ったのは西鉄だけ >>59
その直後の南海電車の3度の大事故も大きかったな。
そのときに内部では身売りの話があったらしいよ。 >>59
鶴岡勇退、新監督蔭山就任4日で急死、選手たちの懇願で鶴岡復帰したけど確かに変わった >>42
国会図書館で当時の週べを読んだんだけど
「鶴岡野球は銭がかかる」というフロントからの声が大きくなり
それで65年に一度退団を決意したって記事があったな
確かにアマチュア選手の発掘能力はずば抜けたものがあったが、
代わりに金も積んでたからね
ドラフト導入前年に獲った渡辺泰輔には5000万払ったくらい
金額も高騰していたし 当時の有名監督が追われた理由はどこもそれよ
人脈使って有望アマ選手を入団させるにはカネがかかる
三原は西鉄を三連覇させてもカネがかかると追われた
水原はすべてをあなたに任せるという条件で招聘された東映でカネがかかるからと追われた
鶴岡が南海を追われたのも全部これ おい今日のビーバップハイヒールで大阪球場やるらしいぞ 基本Aクラスだったけど監督自身が「人間トラブルが絶えなかった」と振り返る野村時代
内紛の根源だった人間を放出しトラブルは解決したがBクラス常連となった広瀬時代以降
ファンとしてはどちらの方が良かったのか
単純に考えりゃそりゃ応援しているチームが強い方が良いに決まってるが、
野村に屈折した思いを抱えたファンも多かっただろうし ファンとしては弱かろうが強かろうがチームが存続してくれることが一番 >>71
人間トラブルを鶴岡親分の顔で抑えこんでた
危ないと思ったら鶴岡親分がなんとかした
南海ホークスとは割り切ってしまえばこれが20年以上も続いていた組織だからな
野村は現場で一番優秀なスタッフとはいえ20年以上続いた体制を波風立てずに受け継ぐのは不可能だ
現に間に挟んだ飯田監督が大失敗してるわけでね
飯田の指揮判断能力の評価はさておき鶴岡の後の南海ホークスを引き継いで
強いチームを維持しろっていうのはどんな人材が監督になっていようと無理だったろう 蔭山和夫が仮に生きていて、監督続けたとしても、
南海電鉄のその後の経営状況や、巨人偏光のメディアの状況を考えると
球団への補強・投資抑制による成績低迷や
南海グループのリストラによる身売りは避けられなかった気がするな。 >>67
同時期の池永や尾崎も5000万だったから、今だと何億というレベルだな
>>27や>>43が言うように、MLBドラフトの場合はNFLの後追いで始めたが
最初から最下位チームから指名するウェーバー制で、完全に戦力均衡が目的
ドラフト指名権も、指名した直後の選手でも即座にトレードできるビジネス・ライクなシステム
おまけに当時は契約金が安く、1位選手でも日本円で1000万未満がほとんど
30位〜40位指名選手なんてせいぜい100万円いくかどうか
MLBの新人契約金が高騰したのは90年代の初めからで、アマの有力新人に
代理人やスポンサーが付き始めてから
日本のドラフトは当時からMLB以上に高い契約金を抑えるのが主目的だったから
巨人、阪神以外は全部賛成したんだっけ >>49
あればあったでスコアボードの方に目が行く方だからいいけどw
甲子園は得点表の真下に表示してたが、電光掲示板の今でもやってるのかな
>>73
野村の解任は野村本人の不倫や、鶴岡も全く無関係とは言わないが、鶴岡の意向以上に
親分を慕う鶴岡シンパの野村嫌いが結集した部分が大きかったんじゃないかと思う
ブレイザーらスタッフ解雇による弱体化ももちろん、江夏、柏原まで出て行って
見返りで来たのが小田、杉田だけじゃ……
江夏の代わりに広島から誰か取れなかったのかね
古葉は南海の一塁コーチもやってたし、南海球団内のゴタゴタぶりも情報として掴んでたのかな ビーバップハイヒールいきなり大阪球場からはいったので期待したけど、すぐ終わった >>76
前年度に広島から来た金城基泰が一応江夏の代わりは果たしただろ。 >>75
東映の1位選手の家には映画館の経営権もつくとかいう伝説もあったとか…
多分今後も、どれだけ選手の年俸が高騰しても契約金だけは当時の額を超える時代は来ないやろな。 確か長嶋がその条件打診されたんだったな >契約金+映画館経営権 長島の一年目、1958年が日本映画のピークだったらしいね。
それからテレビに押されて観客動員数が5年で半分以下になってるから、映画館経営権なんか選ばなくて正解だったんだな。 ドラフト前だから今でいう1位指名レベルの選手、だろうな>映画館の話
しかし、鶴岡親分はいい迷惑だったらしいねドラフト会議導入は。
スカウト網をもってない、いい加減な球団でも勝手に指名できるようになっちゃうし、
「君は大学に行った方がいい。それから獲得してやる」
って言って送り出した選手をもってかれるしで。 金満化はたびたび批判されてそのたびにいろいろ出るがまたそうなるんだよなNPBは
大毎東映→南海→近鉄と被害者みたいなチームまで出る
今中日がそんな感じか
なんとかならないんかね
巨人とソフバンがいるうちは無理か そういえば俺、大阪球場のレフトスタンドだけ入ったことがない。 >>82
さらにプロアマ断絶後は、大学に送り出したらアマ側に指導者候補として囲い込まれて
一転プロ拒否になったという選手もいた様だし。 >>78
松原(福士)⇔金城
江夏→金銭
大損じゃん
広島オタ、調子乗り過ぎw 渡辺泰輔は何でひと皮剥けなかったんだろな。
今の基準だと一流の成績だけど20勝してやっとエース扱いの当時では
入団前の期待が大きかった分物足りなさを言われていただろし。
あげく実家を継ぐため30歳であっさり引退したからな >>83
都立高改革じゃないけど、底辺に合わせると全体が地盤沈下する。
金が無いとか抜かす会社はとっとと退場してもらわんと。
「君は3位指名の予定が繰り上がったから契約金は3位分ね」
なんて値切られた豊彦なんて今だったら大炎上モノだろう。 マネーの国アメリカが案外優しいんだよな
昔なら南海は巨人や西武、今なら中日あたりがソフバンから贅沢税をもらっていたはず
ブランドの安定化や市民球団に近いからできるのかな 貰った側のチームのファンって、屈辱的に感じないのかね?それ。
仮にそれで強くなってもねえ… リーグ全体の興行収入を考えた場合
戦力均衡化できてるほうが優位だからな
メジャーはコミッショナー権限が強いからできる
日本のコミッショナーなんて代わりにぬいぐるみ置いといても変わらんけど >>92
なんとかしろってw
南海ファンは=巨人ファンなんだからいいじゃないか カズ山本が著書で、近鉄と南海で山本一義コーチから指導を受けて、山本さんのおかげで南海でレギュラーを取れたと書いてたな。謹んで御冥福をお祈りします。 山本一義さんはプロ野球ニュースの解説もしていたな
たしか大和田とか興津のより後で山本浩二以前の広島の四番 >>87
渡辺泰輔の契約金は6000万で、ノムさん曰くドラフト前の天辺だろうと書いてるね。
ウィキだと5000万だけど。 ノムの本だと8000万になってたな
一等地に300坪の土地と山一つ買ってもまだ余ったらしい >>91
それ、プロレスが廃れた日本と今でも大人気のアメリカの理由にもつながるね。
あっちのファンはシナリオのあるストーリーに熱狂する。
日本人は筋書きの無いドラマに熱狂する。 アメリカは世界で最も人権にうるさい国だけど、こと自国のプロスポーツ界では逆だからね。
ドラフトや契約満了選手の拘束など、諸外国では考えられないようなルールが罷り通ってる。
まあ、そのダブルスタンダードもまたアメリカなんだが… >>82
鶴岡親分のよく言えば家族野球、悪く言えばタコ部屋野球は
さすがに廃れる時期だったのでは、極論だが
>>89
アメリカはプロが先にできて、ビジネス、商売モデルがどんどん発達しただけでなく
野球以外のプロ・スポーツも盛んだから、相互にいい面、悪い面を研究できる
取捨選択のスピードが速い環境だしな
日本は学生野球、アマチュアが先だから、どうしても教育面優先、未だに金儲け、商売は悪という
儒教的な下意識が残ってる面が大きいのと、プロ野球を最初に作った讀賣こそが利益を独占すべき
と考える勢力が讀賣本体以上に讀賣の応援団に多い
長嶋の燦燦会なんてその最たるものだが、王にも多いかな
>>101
というか、アメリカはプロ野球だけが未だに独占禁止法の対象外になってる
NFL、NBA、NHLがサラリー・キャップを試行してるのに、それさえやらない
まぁいちばんサラリー・キャップが安いNHLでも1チーム総額75億円らしいが ドラフト実施の頃はね…
まず鶴岡親分のやり方はカネがかかったというのは事実
で、苦労して選手獲得までしてるのに監督成績しか見てくれない
スカウティングは評価してくれないと鶴岡自身も南海球団に反発してた時期
色んな意味で限界だったんだよ >>96
山本一義さんは鶴岡親分同様、広島商→法政大で本人も当初は南海に入団するつもりだったけど
父親の反対や当時のカープ後援会長だった池田勇人(所得倍増の総理大臣)らに説得されて
カープを選んだという。引退してロッテの監督を退任してから
先輩の鶴岡親分に顔立てするために打撃コーチとして加入したとも。
西本翁やドン川上、山内一弘からも可愛がられてた。 >>100
それと似た例で、競馬のハンデ戦の多さもある。
日本は競馬の本場、ヨーロッパの影響を強く受けてるからハンデ戦は最高でもG2までで、G1は無い。
でもアメリカは強い馬に重い斤量を課してレースを面白くしようとする意識が高いからG1にもハンデ戦がある。
もちろん、外国から馬を招いてやるレースには無いが。 仮に南海があのタイミングで身売りされなかったら、
長池が監督になってたんだってね
杉浦から直接「来年からチームを頼む」と言われたとか
結局ダイエーへの身売り、その条件に杉浦の留任が盛り込まれたことで
なかったことになったが 身売りして近鉄ファンになったやつも多かったそうだな 南海阪急が身売りした時期は近鉄全盛期だったからなあ >>106
>長池が監督
知らんかった
へぇ~だな
50~70年代に選手で在籍した生え抜き阪急OBで
他球団含めて監督になったのって梶本 山田久志の両人だけだな
南海4人(ノム広瀬穴吹杉浦)
近鉄3人(クサ佐々木梨田)
西鉄4人(中西稲尾仰木東尾)
ロッテ1人(有藤)
東映1人(土橋) 長池の采配@末期南海
西本野球を目指しそうな気もするがあまり想像つかんな セも調べてみたw
読賣9人(川上千葉広岡長嶋王森高田土井堀内)
阪神6人(松木藤村金田後藤村山吉田)
中日4人(西沢中星野高木)
広島4人(長谷川山本一山本浩三村)
ヤクルト3人(武上大矢若松)
大洋3人(秋山土井山下)
現役晩年や引退前に移籍した御仁は外してるので
それ含めたらもう少し増えるんかな
(広島の古葉阿南 中日の杉下 大毎の山内) >>106
穴吹→杉浦→藤原だと思われていたよね?
藤原が余力を残して引退したのも、監督になるためのはず。 まあ将来の藤原監督ってのは既定路線と思われていたけどねぇ >>114
外部からの監督招聘をダイエーに球団売却するまでやらなかった南海が
外様の長池を呼ぶとはとても思えない。身売りしない場合はやっぱり
杉浦の後釜は藤原だったのでは その手形を切りながら福岡行けばライオンズ路線を取るとはなあ それなりの年月野球ファンやってきたが長池コーチの監督昇格案なんて初めて聞いたぞ
もしも南海ホークスが続いていれば次は藤原だろう >>29
既に80年か81年の週ベの巻頭トピックスで
南海、ダイエーに身売り?神戸に新球場?みたいな
記事というか推測煽りはあった
>>116
久保寺売り出しの為だったっけ? 80年代前半なら南海が高野線や難波の大開発で巨額の事業費を投入していたから
本音はその時期に売り払いたかっただろな。
結局身売りは一旦見送りになったが球団に落とすカネも減らされて
年俸や食事や寮や編成などで貧乏球団ぶりを揶揄されるようになった。
野村監督の時まではそこまでみすぼらしいイメージは無かったのだが >>119
一応サンスポが発刊した「レジェンドが語るあの日、あのとき」って本で
長池本人がそう発言してはいる
もっとも杉浦も適当なところあったから、冗談だったのかもしれんけどね 60年代〜70年代の高度経済成長の時期はすでにチーム手放したがってる
鉄道会社が急成長した時代と見せかけて実は全くそんなことなく
「公共」交通機関として多額の投資を強いられるもリターンがそれほど返って来なかった時代
鶴岡のやり方にカネ払えませんってなるのも当然 >>122
川勝オーナーが、色々噂されるがオレの目の黒いうちは売らんって言い続けてたよな
亡くなった年にすかさず身売りされるという、まさにその言葉通りになっちゃったわけだが >>122
藤原引退前に、久保寺はレギュラークラス。ただ、遊撃手、外野手と便利屋的な存在だったために、評価は高く無かった。
藤原の引退は、久保寺売り出すよりも、将来の監督就任のための色合いが濃かったはず。 思えば藤原も身売りに人生狂わされた1人だわな
いずれ南海を背負ってくれって説得されて早い目に引退したのにさ
まあ球団自体が消滅したんだから空手形は当然だし、世間には良くある話だが >>126
来島どっくやダイエーと川勝が交渉していたという証言を青木一三がしているな。
もしそれが事実だとしたら、その発言は対外的なポーズだったのかな? >>124
藤原就任までの中継ぎ監督として考えていた可能性も。 杉浦が福岡行くときに辞めて指名しておけば良かったんじゃない?
確実に引責相当な成績であったわけだし 久保寺が亡くなったり新井トレードの大ポカの頃って本当に戦力がドン底で、泣きっ面に蜂だったよなあ
新井はベテランリストラで年俸浮いて収支には貢献したろうから単純には言えないけど
あの頃の戦力考えたら最下位常連はある意味当然
ロッテなんかだと戦力的には悪くないのに纏まらない不思議なチームだった まあ久保寺が亡くなっても若手に佐々木がいたり日本人打者は悪くなかったよ
問題は門田と組む外国人打者だった
ここを外し続けたから結局ダメだった 投はそこそこ、打も酷すぎるってほどでは無かった
最大の弱点はやはり内野守備か
正直もう見ていられなかったわ
堅実と言われた小川ですらしょうもないエラー多かったもんなあ 両山内の防御率が悪かった一因も
バックの守備がお粗末で記録に残らないエラーが多かったからだろな。
外野手も岸川の守備などひどいのが多かった 本当に内野守備はひどかった
まあ捕手も外野も良いとは言い難かったが…って全部だめじゃねーか 飛ぶボール使ってた時代に20本打てないような外人。
土の内野なのにヘタクソ揃いの内野手。
足は遅くないけど走塁の意識が薄いランナー。
日本でもかなり先に「抑え投手」を考案したのに、それがいない・・・ 山内孝なんか気合いで投げるタイプなんで、バックのエラーで気持ちが切れて、まともな中継ぎもおらんので続投してズタボロ展開ってのが多かったな
しかしあのチームで100勝あげたんだから、もう涙が出る 吉田も岩木も捕手としてのレベルが高かったとは言えないが香川よりゃましだったな
あ、もちろん守りの話ね >>133
佐々木も岸川も
打撃コーチだった長池が手掛けた打者だな
西武で秋山 横浜で鈴木尚と佐伯
ロッテで福浦とタイプの違う打者を育成した
80年代順以降 山内 中西に次ぐ名打撃コーチは
長池 水谷実雄 田代 新井宏昌の4人かな >>140
せめてバックが横浜大洋並みなら
通算防御率が1点くらい違っていたかもしれない。
80年代は大洋もどん底だったけど守備は堅かったからな 新井はオリックス、ダイエー、広島と打撃コーチを歴任したけど
打撃不振になったチームの責任を取って解雇されてるのでそこに並べるのはちょっとね
スレチだが名前を挙げるなら内田コーチか、伊勢コーチかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています