元南海のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
外野手の山口裕二も南海時代はA級マイナーだった。
ダイエーになってレギュラーだった時期もあるけど、
こちらでもイメージとしてはマイナー臭は漂ってたな。 神戸大丸といえば小林繁も輩出してるし、隠れた名選手養成機関なのかな 大丸自体が都市対抗14回出場ベスト4に入ったこともある強豪だったし。
足立光宏は大阪大丸出身なんだな。 コーチとしては有名な故高畠コーチも選手としてはマイナーかな?
代打としては結構成功したらしいけど。 高畠コーチは南海に居たのか。。
高橋克実が演じたNHKのドラマは泣けた。
いい人だったんだろうなあ。 山口裕二は足の速い中堅手というイメージがある。
しかし打つほうが最後まで脱皮しきれなかっただろ。
佐々木が定着するまでの一時期レギュラー的な存在だった覚えがあるわ。 多分93年か94年だと思うんだけど、山口はオープン戦でバカみたいに打っていたんだよね。ホームランも量産してたっけ。
開幕前の成績なんてあてにならないとは思いながらもかなり期待をしていたんだけどさ… >>341
代打ではソコソコやってたが、このスレの範疇の選手だな。
当たり前だが、指導者としてあれだけの能力を持ってるとは考えもしなかった。 小谷征勝投手コーチみたいに、現役時代はそんなにすごくなくても指導者で
成功する人はいるだろ。要は野球の技術に関してどれだけ多くの引き出しや
言葉を持っているか、どれだけ野球を理詰めで考えているかじゃないの。 だから、ファンの立場で選手を見てても、当人の指導者としての将来性は分かりゃしないってこと。
二流以下の選手がコーチに抜擢されるようなケースは、上の人がその適性をよく見極めてるんだろうけどな。 南海最後の外国人の一人 ライト
大した成績ではなかったけど、その5年後ダイエーになってなぜかブーマーの代わりに再来日。 江夏との交換トレードの中で阪神に行った長谷川と来た望月は両方ともマイナーだろうな。 望月は阪神ではレギュラーだったが、まぁ、マイナーの域を出ないな。
長谷川に至っては、即戦力期待のドラフト1位だったのに…w 元広島の名参謀と呼ばれた田中も最初は南海だったな。
野村の陰でほとんど出場できなかった捕手はマイナーばっか。
野村の懐刀松井も。 >野村の陰でほとんど出場できなかった捕手
柴田猛 和田徹 高橋博士あたりも当て嵌まるんかな そこは日本記録保持者度会純男が一番手でしょうw
引退後も南海一筋で人生を捧げた影の捕手
出身地近くに来たホークスを今はどういう気持ちで見つめているのか >>345
だよね。守備のスペシャリストや地味ながら技巧派投手としてならした選手が
引退後に専門分野で指導力や育成の才を発揮して名コーチと呼ばれるのは
想像できるんだけど、代打が主の打つだけの選手が名コーチになるってのは
イメージしづらい。守備走塁は十人並みでも「打撃は職人的」と場合でも、
たいがいは現役時代はレギュラークラスの選手だもんな。 チャンフンや衣笠が監督になれなかったのはやはり純粋な日系でないからだろうね。
外国人監督は横文字かワンツェンツー以外は認められない。 監督もそんなに儲からないらしいけど。
気苦労の割には。
意義を見出すとしたら、ステイタスしかない。 そのステータスとやらも近年効果が薄れてきてるんだな >>350
長谷川勉に続き同じ日産自動車から入団した名取和彦もすぐにトレード
日産自動車が南海球団に不信感持ったのは当然だろうな >>362
現役時代にしっかり貯金しておいて
辞めてから事業興すというビジネスモデルもまた通用しなくなってるようだよ >>350>>363
長谷川はあぶさん6巻の「ネット裏のエース」で
新山彰忠コーチと話している場面が登場しているな。
南海では杉浦忠の21で、阪神では江夏豊の28と背番号負けの感も。 >>352
高橋って、最後はロッテに行った人?
それまで単なる選手の互助組織でしかなかった選手会が
労組に脱皮するきっかけとなる騒動の渦中にあった人として
ファンの間で記憶に残る >>363
おまけにハズレ外人に「ダットサン」なんて名前つけるしな。 スポーツ新聞の見出しに
「辞めるのや〜めた!」って茶化されてた。
結局辞めちゃったんだけど。 山下慶徳 1979年にヤクルトから来たけど成績不振で
翌年またヤクルトに戻った。 >>366
元南海監督じゃテレビ局は使おうという気にならない >>372同じ年にきた伊藤勲もあまり目立たなかった。
3年ぐらいいたけど。もう年齢からくる衰えがあったかも。 1977年3月14日 村上悦雄
南海4−3阪神
南海の先発・村上は四回まで1安打に抑えていたが、五回に球威が落ちて連打された。
カーブ、スライダーに沈む球を織り交ぜて、高低にうまく投げ分ける投球は短いイニングなら通用しそうだ。
オープン戦初登板の金城(広島から移籍)は、五回途中から八人の打者を完全に抑えた。
高めの直球にまだ伸びを欠いているが、丁寧に投げていた。 土屋紘・・・・直球、カーブ、シュートいずれもレベル以上。よくまとまった投手だ。3、4イニングならじゅうぶん通用しそう。
吉良修一・・・決めダマのドロップがいい。小玉は「プロの打者でもそう簡単に打てない」といっていた。
図太い性格で、リリーフ役に最適。
小谷正勝・・・小柄ながら非常にバネがある。別当監督は「稲尾と土橋をえらいミックスした投手。15勝は堅い」とほれ込みようだ。
山内新一・・・からだのバランスがよくとれた投手。速球に切れ味がある。五、六月までに一軍に登用されそう。
高井諭・・・・シュートがいい。フォームがきれいなため威圧感はないが、タマそのものには油断できない威力を秘めている。
西岡三四郎・・スピードが身上。カーブもブレーキがあって悪くない。 上田卓三って「あぶさん」で現役復帰してなかったっけ?
あれって漫画の中だけの話ですよね?(^^; >>372
山下慶徳は地元和歌山の海南高校出身で、ヤクルトにドラ1入団した程だから、当然期待は大だったろう。
山下姓では後に近大出身の山下律夫も、大洋ドラ1から西武を経て、これまた地元大阪は大鉄高校出身の山村善則と一緒に南海に来たけどな。 >>358
金正一「…」
あと、阪神の金田正泰もそうじゃなかったっけ? >>382
金田正泰は平安中学時代までは竹村姓だった。 上田卓はプロではあまり活躍できなかったがのちのフロント入りして編成部長まで進んだんだよな
普通の会社だったらどのくらいのランクだったんだろう >>363
西川も法政卒業時に日産から内定もらっていた。
ちなみに南海から西川には事前に指名予定のあいさつは無かったとか。 投手の三山内は話題作りの側面もあったが
三人とも主力として働けた珍しいケースじゃなかったかな >>384
ダイエーで球団社長になってなかったか? 静岡高校の大久保か。
甲子園での池田・畠山投手との投げ合いが思い出深い 山口ってめっちゃ足速い選手いたよな
俺が観に行ったファン感謝デーに当時駆け出しアイドルだった森口博子が来てて、
100m走で1位になった選手にごほうびにキスしてくれるという企画があって
こいつが1位になって森口にキスしてもらってた
今だったらAKBにキスしてもらえるようなものか
寛容な時代だったんだな そうか、森口博子にもそんな時代があったんだな
感謝デーは大阪球場でやってたのか >>395
ごめん、平和台移転後
ここは南海スレだからスレ違いだったか 森口博子はプロ野球のイベントでたまたま南海の担当に充てられ、それでファンになったと聞いたことがある
福岡出身では珍しい南海時代からのファンなんだろな アイドル枠で南海担当つったらC級扱いされてるわけだけど
それでも腐らずに頑張って、さらにファンになったのか。いい話だ でも弱かったら応援の甲斐もないね
80年代はずっとBクラスだったような。 80年代、穴吹監督の時にシーズン前半首位に立って
スポーツ紙じゃなくて一般紙に大きく記事が出たことがあったっけな
そういえば穴吹さんも監督としてはマイナーで終わってしもた 84年調子が良かったときに、週刊文春が2ページの記事組んでくれた覚えが。
穴吹監督のグリコポーズとかね。
あと、グラビアに香川・ドイル・ナイマンで「デブ・チビ・ノッポ」とか、60番トリオのっけてくれたりとか、
誰の需要があるねんと思いつつ嬉しかったが、単純にあの時分に南海ファンの記者がいたってことだな。 >>404
いやまだ黄金時代を知っている人が現役バリバリやったから需要はあったんじゃない
あの時代に優勝してたらブームになったと思う ああ、そういえばあったね、一年だけ調子の良かった年が。 >>406
でも84年は夏までもたず、結局5位だった。
87年は9月になっても首位に迫ったからね。最後は4位だったけど。 名前がカッコイイので覚えてる
西岡三四郎 淡路島の神童 西岡は六回までは完ぺきなピッチング
堀井さんはオリのスコアラーやめてどうしてるんかな? 淡路島といえば桜井も
阪神の鎌田は本土出身だったか、どっちも全然マイナーじゃないが 洲実って甲子園に出たことないけど地味にプロ選手を何人も輩出してるんだな
西岡、桜井の他にも、大洋・ロッテにいた斉藤巧、西武にいた山本隆造なども。 >>409
神童って呼ばれた人はたいていタダの人になっちまう
まあ西岡さんはプロで勝てたから良かったけどね 西岡はエースだったのにマイナーとは・・・
西岡・江本・松原・山内 抑え佐藤道 wikiにも出てこないからよほど知られてないんだな Wikiは頑張らないと書けないからな
現チーフスコアラーの川根さんとか球団スタッフの田尻さんとか
一昨年辺りにテレビに出た赤星さんとかも空欄のまま
自分は西村省一郎を何とか書いたけどまだ抜けが多いので当時の資料を捜しまくってる wikiよりも個人で開設してるブログを見てると結構有用な情報が載ってたりする。
コアなファンが開設してる場合は古い新聞の記事やファンクラブの会報などがソースとして提示されていたりして
信憑性も高い。 甲子園優勝して巨人入りした投手でもwikiに載っていなかったりするし… >>415
大塚賢一投手ね。名前ぐらいは覚えているがさすがに実物は見たことない。
ビッグ3の一角の田嶋引き当てちゃったんで、予算上四位指名でうち切った年の四位。
まーその田嶋の契約金とて推定6500万ぐらいだったと思うが。 でも田嶋も鳴り物入りだった割には寂しい成績だった.... 田嶋はちょっと風変わりだったらしいので
チームメイトともしっくりいってなかったのかな 田嶋投手も地元長浜では神童と呼ばれていた
とにかく球が速い、球数が増えても球威が落ちない、
並外れた馬力の持ち主だったようだ。 大塚投手
今は東京で野球用品店を経営しているらしい
プロで芽が出ず引退後西武で15年近くもバッピをやっていたとは知らなかった 60歳くらいまで打撃投手やってる人もいるんだってね。 >>425
社会人時代に無理して投げてたからな
会社の為に意気に感じてたんだろう プロで勝てなかったのは故障が原因か?
単に実力が通用しなかっただけ? スピードはあった方だと思う。
そういう評価だった。
でもそれだけじゃ勝てないってことね。 田嶋が在籍してた当時の南海だったら、打てない走れない守れない
だからどんなに好投してもシーズン5勝が関の山? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています