元南海のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>3
穴吹政権でちょこっとだけ中継ぎで活躍したかな
でも畠山や山川の83年組が入るとたちまち影が薄くなってしまった 連投で恐縮ですが、
大久保は大分か宮崎で初勝利を挙げました。
大乱戦での勝ち星だったと記憶しています。 マイナー球団を拒否したのにマイナー球団に入るのか?
分からないなあww
で、森田って誰? 南海OBで本来ならマイナーな選手なんだが、現在結構メジャーな存在になっている
岡義朗
大阪で解説者やってたからそこそこ知名度がある。
実績がそれほどでもないのに解説の声が掛る基準って何だろうね。 阪神のときはベンチ最前列で野次を飛ばしてる姿が
よくサンテレビで映っていた。 >>8
阪急戦で簑田や外国人(バンプ?)のバットをへし折っていたシーンが印象強い。
重いストレートって本当にあるんだな。 >>6
穴吹時代より杉浦時代の方が登板機会が多かったで
それよりも大坪といえば門田の我侭で背番号を変えさせられた事件が
泣ける。 どうせ代えるなら52みたいな大きい番号じゃなくて、
10番台か20番台くらい背負わせてやればよかったのにな。 >>13
知名度って言ってもラジオだけだから顔は知られてないと思うけど。 プロ野球ニュースで大崎三男さんは
タイガースの選手なのに、南海や近鉄の解説ばかりしていたな。 ラジオ大阪では近鉄バファローズナイターの専属解説者でもあった。>大崎さん 渡辺泰輔なんてどう?
アマ時代が凄かっただけに、プロ入り後は・・・・・・ キャッチャー山本?・
山本といえば山本忠男・山本多聞・山本和範・山本雅夫 現役引退後、スタッフとして活躍してたのに
心臓か何かの不調で急逝したんだな。 セカンド桜井をこのスレに出すのは気の毒かな?
一応フル出場を2季果たしたが、殆ど知名度ない・ >>351
そりゃ気の毒でしょ。
桜井を含めてオールスター戦に出場経験のある選手をマイナー扱いはかわいそう。 竹口って左腕いたね。
左投手暗黒時代の平沢とともに敗戦処理扱いだった。 1979,80年の近鉄は南海戦の時、あて馬を遣わなかったね。
よほどのことない限り左の先発がないから。
逆に日本ハム戦は左の先発多かったからあて馬もおおかった。
三浦政基
渡り鳥人生の中で南海に3年だけ在籍
二桁勝ったことが一度も無いのに
解説者やってたのが不思議 南海ホークスでオールスター戦に出場経験のある選手(野村監督時代〜杉浦監督時代)
投手:江夏豊、江本孟紀、加藤伸一、金城基泰、佐藤道郎、西岡三四郎、西川佳明、藤田学、藤本修二、皆川睦男、村上雅則、山内新一、山内和宏、山内孝徳
捕手:香川伸行、野村克也、吉田博之
内野手:片平晋作、河埜敬幸、桜井輝秀、定岡智秋、島本講平、ジョーンズ、高橋博、富田勝、藤原満
外野手:佐々木誠、門田博光、山本和範
(アイウエオ順)
>>39
それを言ったら宇田東植も似たような成績だけど、長いこと
解説者やってる。 >>39一回 TVのクイズ100人に聞きました に家族で出てた選手がいたけど、
この人だったような。
もしかしたら三浦姓の違う人かもしれないけど。
確か元南海って言ったような覚えがある。 ドラ1なのにプロじゃマイナーだったのは内野手の中村之保 西川佳明もマイナーになるんだろか。
一応甲子園V投手、新人王次点。
でもピークは短かった 年を追うごとに成績が下がっていったのが凄い
まさか自己研鑽しなかったとも思えないのだが 1年目10勝、2年目7勝、3年目6勝・・・
でも負け数は3年とも同じ10敗。
スケールは違うけどジリ貧を辿った点では日ハム木田と同じだね。 >>12
近況を知らなかったのだが
今は阪神のコーチをやってたんだな。
真弓監督とともに退団するそうだ。 >>52
当時のチーム力を考慮せなあかんで。
好投しても打線の援護がなく負け投手になることも
たびたびあったのだから。 西川の決め球は何だったの?
のらりくらり投げてる姿しか覚えてない。 スローボールにしか見えない直球。ただしコントロールはよい。 テスト生で入った田尻一郎投手。打撃投手は辞めたのかな。 >>58
そうだったね。
初年度はどうにか誤魔化せたけど
二年目からは完全に慣れられて
相手打線の餌食に・・・それでも三年間で23勝30敗なら
上出来の部類じゃない? 当時の南海首脳陣には育成という感覚が無かった
使える者は後先考えず投入し、消耗させる。
これじゃ、勝てるわけない。 >>58>>60
法政では16連勝の六大学記録を達成するなど通算30勝5敗で防御率1.60
大学球界では技巧派として図抜けていたんでしょうが、
プロじゃ長くは通用しなかったってことでしょうかね。 PL時代は甲子園優勝、法政大学では連勝記録。
う〜ん、典型的な "アマチュア時代が華"、の選手だね。 遅い球はせいぜい打者の目線を狂わせるくらいの武器にしかならんわけね。
遅い球といえばスレ違いだが阪神の大町も本人曰く直球だが100キロ前後の
直球を投げていた >>63
土手本っていう名前からしてマイナーだなw 西川は新人の年にはなんば駅コンコースにユニホーム姿のポスターが何枚も貼ってあって
電鉄本社の期待の大きさを感じたものだよ。
ドカベン入団の時でもそんな扱いじゃなかったからね。 10勝10敗といえば二桁勝ってよく頑張ったようにみえるが、チームにとってはプラスマイナスゼロ。
西武時代の松坂が16勝したけど15敗したので評価が低かったのと同じだな。
その点ではダルビッシュや今年限定だが田中マー君は賞賛に値する。 勝率5割10勝10敗の投手が抜ければ他の投手が穴埋めすべく投げる。
その結果が7勝13敗と言う事も有るし、思わぬ投手が台頭し、13勝7敗の
事も有るかも知れない。
いずれにしても一年間ローテーション守って投げてくれる投手は貴重だよ。
>>68
だから、>>55も書いてるとおり、
勝ち星は自分の力だけではどうにもならんのよ。 南海最末期のローテ投手といえば
両山内と西川、藤本修くらい? 最末期は4人とも期待持てたな。井上がうしろにおったし。
野村解任後から杉浦さんまでの先発ローテが酷すぎた。
特に 広瀬監督の時って
山内、藤田、森口、金城、村上 しか投手が浮かばない。
あとは、誰がいたっけ?と思うぐらいマイナー投手ばっか。 西川投手って球はスローだったけど語り口もスローと言うか
訥々としてておよそスポーツ選手と思えないようなマッタリ感満点だったよ。 >>74
広瀬監督時代(78年〜80年)に在籍経験のある主な投手陣
先発→山内、藤田、佐藤道、森口、村上、杉田、田村、名取、高
中継ぎ→佐々木、星野、平沢、三浦
抑え→金城
(あくまで主な使われ方)
>>77
その面子の中でいうと
杉田・田村・名取・星野・平沢・三浦がこのスレに合いそうだね
村上・森口は微妙? 金城も歴史に残る投手。広島時代も含めて・・・。
豪快なフォームでよく三振とっていた。
球は西川とは比べ物にならないくらい速かった。
リリーフの系統としては佐藤道−江夏−金城−井上という歴史だったか??? >>79
村上の場合、監督がブレイザーになってからは一軍登板さえなくなって、
82年に早々と引退したからマイナー扱いされても仕方ないだろうな。
自分も小学生の時、あるプロ野球の選手名鑑の中にあった記録集で、
78年のパの新人王として村上の名前が載ってたのを見て、
「村上って誰?」って思ったぐらいだったから。 最後の二年間は二軍でも登板機会がなかったらしい。
肩か肘でも壊していたのだろうか?
村上は日ハム古屋(現オリックススカウト)と争った末に新人王を獲得。
その年の11月にシンシナシティレッズが来日。
大阪球場で行われた南海近鉄巨人連合VSレッズ戦(河埜兄弟が二遊間を組んで話題になる)に先発登板。
レッズの監督は村上の速球は大リーグでも通用するとコメント。(ソースは79年南海ホークスファンブック)
田島俊雄いたねえ・・
滋賀県長浜では百年に一度の剛速球投手と言われていたんだが
プロでは活躍できず。
甲子園にも出てたはず >>87
衰えたと言うか、オフにしっかりオーバーホールやってなかったとか自己管理の甘さで故障に繋がったと考えるのが自然じゃない?
投手がだめになるケースってほとんどそれでしょ? 古屋がスカウトになったのか・・オリックスはよう分からんわ。
堀井Jrさんにやらせておけばよいのに。
スカウトなんて年齢関係ないのにな。 >>91
田島は甲子園には出てないよ。
ちなみに高校は長浜北高。 長谷川勉
日産自動車から鳴り物入りで入団、新人王候補筆頭とも言われたが、0勝3敗で
1年在籍しただけで阪神にトレード 全然マイナーじゃないんだけど、忘れて欲しくないので名前を挙げる
久保寺雄二 田島投手は1983年選抜大会で長浜北高のエースとして出場してます。
初戦で敗れていますが。
高校野球asahi.comの1983年選抜大会で検索できます。 1980年代に青山って外野手いませんでした?
ドラフト外入団で1年で首になった。
契約金はいらないと新聞に載ってて覚えていたけど
金貰わないと扱いも軽いと思ったもんだ。 >>98
青山忠司
79年ドラフト外で入団。記憶が正しければ子連れルーキーだったと思う。
一軍出場なしで一年で解雇。 >>99
ありがとうございます。
野球ファンなりたての頃だったのでかすかに覚えてました。
藤田(下の名前忘れた)ってダメコーチではない方の人いましたよね。
マンガあぶさんに出てきたけど。一軍出場なし。
この時のドラフトは成績とともに暗黒時代だった。
武藤(拒否)、中出、高柳(まだましか)、名取 >>101
上の方で出ている長谷川・田嶋の他に田口・金城もね。
当たりは吉田・山内・加藤、微妙は森口・畠山・西川。 畠山は投手としては成功したとは言えないが
打者に転向して一応は成功と呼べる成績を残せたと思いませんか?
ただ数字を残せたのは南海を追われた後、大洋時代ですけどね。 武藤は南海を蹴ってのちにロッテ入りしたが
腰痛持ちで活躍できずじまいだったね。 加藤はケガさえなければ120勝は行けたかな。
公式戦に一試合も登板できない年も何回かあった中で
20年間も選手生活を全うできたのは立派。
というか世が世ならイケメン選手で売れてたかも… 杉浦さんがもっと先を見据えて加藤を育ててくれていたならば
と思うとやりきれない。 >>106
南海・ダイエー→広島→オリックス→近鉄だったからね。
もし仮に阪神に在籍してたら関西以西のチームを完全制覇ということになってたんだな。 >>107
育成ねえ…
監督に人事権がないのに杉浦氏に期待するのは酷でしょうな。
広岡〜森政権時代の西武以外で長期育成に取り組んでいた球団などあったのかな。
田口の愛称がパフだったことはあまり知られていない。 ドラフト一位だったけど全く一軍には出られなかったな。>>114 三宅ってロッテ→巨人じゃなかったっけ?
南海にもいたのか・・
山内監督時代の81年、
スピードはあるが凄まじいノーコンだったような記憶が。
どこに投げるかはボールに聞いてくれ!みたいなw
台湾人は腕っ節が強いなあと素朴に思いました。 江本さんが南海時代野村によって覚醒したっていうのは?
他に杉浦忠、佐藤道雄やイダテン広瀬とかの話は無いの? >>114
金城信夫は韓国では結構活躍したらしいけどね。
韓国で活躍したっていうと吉村元富なんかもそうだけど。 >>119
市川高校の不滅のエースだったんだがなあ
門田博光が南海在籍時に
ピッチャーにも門田という苗字の選手がいた。 山村はマイナーではないな…
誰も書いてないから、挙げてみた >>119
吉村は当時の“ジュニアオールスター”でMVPを獲ったよね >129
ロッテにいて、山本功児とトレードで巨人に行った
三宅宗源の事か!? キャッチャーの相方裕二
盈進高では、一学年下の田辺繁文(元広島)とバッテリー。 粕谷和彦
85年の新人さんですが、記憶にありますかね。 鶴崎茂樹
筑紫工ではエースとして夏の甲子園初出場を果たし、延長戦の末、名門・広陵を降す活躍。
南海では内野手に転じる。
最も印象に残るのは、デサントのCMモデルを務めていたこと!? どなたか村上悦雄投手の球種とフォーム覚えてる方いませんか? >>67
「燃えろ!グリーン軍団」のポスター懐かしいですね
新人王未遂だったのを踏まえてか2年目にはホームのネオンサインにも使われてました
逆にいうとそんな西川を看板にしなきゃいかんほど万人受けするスター選手がいなかったとも言えますが・・・
加藤、村田、佐々木あたりも台頭しつつあったんですがね 80年代のマイナーな外国人たち
ダットサン
ライトル(南海でなら“100万ドルの守備要員”といわれてたくらいだからマイナー扱いでいいだろう)
李来発
高英傑
グッドウィン
ハモンド 世間的にはマイナーでもワシにはメジャーな選手ばかりだが・・・ 久保寺って、センター?
確か突然死だった気が・・・・間違っていたら、関係者の皆さん
ゴメンナサイ。。。。
穴吹監督がいた良いチームでした^^ 中条善伸
鈴木伸良と同様に読売から来たが、使えないという意味では同じ左の中継ぎの竹口や青井と全く変わらなかった。
竹口は弱体投手陣の中でそこそこ投げてた時期もあったんじゃない? >145
>147
久保寺と入れ代わるように現れたのが、
湯上谷だったね…
ポジションもキャラも久保寺と似てたし
その後、背番号7を譲り受けたし あと平沢って左腕いたな。
弱体投手陣で竹口とともに左の中継ぎだった。 竹口も平沢もずっと南海でそのまま打撃投手に転向したね お前らこそ失礼なこと言うな。
中条は昭和末期に矢野とともにセットアッパーの役目果たしてたぞ。
竹口こそオープン戦で期待させては大コケ。
もしくは子供の頃たまに連れて行ってもらった試合に先発であっさりKO。
そんなイメージしかない。 そんな中条が、何故タイトルホルダーの金城と交換されたんですか? たしかに中条はジャイアンツではまったくダメで
南海に移籍してそれなりに働き場を得たような気がする。
ていうか、ドラフト外とはいえプロにかかったことが不思議ではあったな。
高三の夏にはそれまでのノーコン病を克服して好投を見せたとはいえ、
即プロの対象とは思えなかったんだが…。しかも入団先が大巨人軍とはねえ。 >157
経費削減と力の落ちて来た金城を見切ったってことでしょ?
このトレードは、南海の方が得したかも
金城も巨人では全盛期を過ぎてたから、イマイチだったし 60〜70年代、南海のドラフト1位の社会人選手は、驚くほどのハズレ続きだったな。
71野崎恒男
74長谷川勉
77中出謙二
79名取和彦 大学生も、中村之保、富田勝、森口益光ら期待はずれが目立ったな。
かと言って、高校生はと見れば…。
南海凋落の原因は明らかだなw でも最後のドラフトは凄いな
吉田豊、若井、柳田、大道、村田、吉永
ドラフト外 近田 川越 南海は親分系列で、どうしても法大関係のドラフト指名が目立ったが、なぜかハズレ続き。
中村之保、堀井和人、富田勝、黒田正宏…。おまけに親分の息子、鶴岡泰には入団拒否られたしなw
そして、74年の新井鐘律でどうにか初ヒット!? 富田の二年目の成績みると野村に嫌われなきゃ
鶴岡と並ぶ南海の三塁手として名を残したんじゃないのかな
藤原より成績良さ気だし ドラフトがなければ 山本浩二は南海が獲ってたっていう話を
木庭さんのスカウトの本でよんだことある。 中村は小柄な右投左打の内野手だったな。
法政大でも、ベストナインが一度あるだけだよな。 中村といえば拓銀から入った左のPもいたな。甲子園では津田と投げ合ってけっこう注目されたけど、プロではダメだった。 富田は長嶋引退という、これ以上ないチャンスを生かせば球界を代表するサードになれたのに。
ハムでそこそこ活躍したが、当時のパ・リーグでは印象薄。
ボストンバッグに詰めたしわくちゃのスーツを着て、平気で結婚式に出席するガサツな男と
「プロ野球を10倍楽しく見る方法」で書かれてた。 >>170
中村弘道はバネのあるいいPだった。
ただ、宇治山田商時代が一番良かった感じで、成長がなかったな。 スポーツライターの楊順行だっけな。南海ファンだった彼が少年時代、
選手名鑑に記載されてた住所をたよりに富田へ年賀状を送ったら返事が来たそうだよ。
グラウンドでの無骨なイメージの一方で、けっこう実直な性格でもあったのかもね。
しかし、出版社によって住所公表とはおおらかな時代だったんだなぁ。
今ならダルとかマー君とかハンカチとかたいへんなことになりそう‥‥‥
あ、今はその前にブログってヤツがあるか(苦笑)
>>161
中出を見に新日鉄堺に来たヤクルトのスカウトが、同じグラウンドにいた
尾花の練習態度を見て獲得を決めたのは有名な話。 少年ホークスの会の野球教室で中出に教えてもらったぜ。中モズ で、村上悦雄の球種、フォーム覚えてる奴は誰もおらんのか? 南海は希代の名捕手の存在がありながら、キャッチャーが全く育たず…
梅村好彦
松井優典
黒田正宏
松本芳之
小川一夫
稲生高善
筒井良紀
米谷延夫
岩木 哲
相方裕二
中出謙二
竹原比呂志
79年入団の吉田博之がやっとレギュラーに育ったが、73年ドラフト指名した山倉和博を獲り逃したのが大きかったか… >>179
名捕手が居座り続けるのもよくないんだろう
古田のヤクルトしかり
谷繁の大洋横浜中日しかり まぁ南海の場合は、そもそも獲った捕手の質そのものの問題だと思われるんだけどな。 南海ぐらいドラフト外入団選手が活躍しなかった球団も珍しいんじゃない!?
一軍で少しでも仕事できたと言えるのは、岩木哲、西清孝、川越透ぐらいか。 >>182
ドラフト外じゃ吉村が一番大成した選手かね。韓国渡ってからだけど。
でも間違いなく一番出世したのはロッテ副代表まで登り詰めた石川だな。 石川は道都大学なんていう、マイナーな学閥もない学校出身なんだな。
ましてドラフト1位で引退後の保障が万全な立場でもない。
なぜフロントで要職にまで登りつめたのか謎だ。
>>182
杉浦太陽の父三六みたいに1年で解雇というヤツが結構多い気がする。
補強と言うより選手枠を埋める為の補充的意味合いが強いのではないか。
そもそもプロで通用する様なヤツならドラフトで指名される訳で、南海のドラフト外という時点で無理なんだろうな。 >>185
それは誰しも不思議に思うところだな。なので、
「なあ、この石川って南海ファンの俺でも実物見たことない「スポック」のことか?
なんの実績も学歴もないこいつがなんでこんなに出世したんだ?
誰か教えてくれよ。なあ!?なあ!?なあ!?」
などと別のスレに書き込んでみたことがあったが、レスはなかった。 >>185
ていうか、他球団はスカウティング力で隠れた逸材を見事に発掘したり、戦略的に他球団に指名回避させてドラフト外で拐ったりということをしている。
南海球団は明らかに企業努力が不足してたとしか言いようがない。 誰か貝塚博次投手と村上悦雄投手の球種、フォーム分かる方います?
金一封差し上げます 西川佳明は現在トレーラーの運転手をしてるらしい。
ネタ元は今週のFRASH。 貝塚博次投手
1981年
・形態模写ならチーム1の貝塚も南海を去った。
プロ生活7年、中日時代の4年間は打撃投手ひと筋。
「現役としてやりたかった。だからテストを受けて南海へきた。
昨年、ウエスタンで9勝し最多勝利投手に輝いたが、ファームではね。
今年の成績では何もいえませんよ」今季3勝3敗。
夏場頃から登板のチャンスもなく「もしかしたら・・・」と、
覚悟を決めていたともいう。「しばらくのんびりして・・・。
もしも・・・、いやもうどこの球団も誘ってくれないでしょうネ」
貝塚の公式戦登板は、昨シーズンの1試合のみ。それもわずか1イニング
という寂しい数字であった。
以外にこのスレってさ、昔のファームの試合とか観てた人とか少ないんだね。。
残念 緒方修投手
プロ初勝利の記事
阪急打線はタテの変化に弱い。南海の先発緒方は、スピードはないが、
落ちるカーブを主体にスライダーとシュートを内角に散らして好投した。
四回、2四球とバントで一死二、三塁のピンチに立ったが、
スペンサーを敬遠、岡村をスライダーで遊ゴロ併殺に打ち取り三回の
1点に押えた。南海は左の上田をはさみ、西岡の落ちるカーブで逃げ切った。
公式戦の先発が二度目の緒方はプロ入り初勝利。
高野線の電車の窓から見えたのにね。
意外に遠いんだ。 その前に、瀬戸和則の件の金一封、さっさとよこせやw 確かに中モズ球場と言われていたが
関係者間では単に「白鷺」で通じていたんだって。
「白鷺行き」は二軍落ちって意味らしい。 代打の切り札と あぶさんに描かれていた外山って本当に代打の切り札だったの? 西武の森博幸も地味だったが、南海−ダイエーの森浩之はもっと地味だった。 外山はよく打っていた印象が強い。
でも南海は、これぞ代打男というのはない。
投手の林とかマッシー村上も代打男。
東映から来た青野、サンケイから来た大塚。
山本雅やカズ山本も南海では今一つ。 外山は中学〜高校〜社会人とずっと門田と同期なんだよね
プロ入りはヤクルトだったけど、移籍してまた一緒になった 外山は、ヤクルトでは投手との二刀流で活躍したな。
小柄だが、投打ともに器用なプレーヤーという印象。 フォーム・・資料なし 球種・・スライダー、カーブ、シュート
ヤクルト7−2巨人(4回戦)
ヤクルトは一回二死一、二塁からロバーツ、溜池の連打で2点。二回は外山が左中間二塁打。中継した遊撃手の三塁悪送球で一気に生還して1点。三回は二死二、
三塁から代打宮原の遊撃内野安打と遊撃手の一塁悪送球で計2点を加え、四回、五回も一点ずつあげて前半で大きく引離した。外
山は八個の四球を与え、百五十二球を投げる乱調だったが、
これが逆に巨人打線をまどわす結果となった。
二回、黒江の本塁打、九回にも1点を取られたが、四つの併殺に助けられて完投。プロ入り二年目で巨人から初白星を奪った。
ヤクルトは対巨人戦四連敗をまぬがれ、巨人は今季初の連敗。巨人は攻めては外山の低目に落ちる球に手を出して四つの併殺を喫し、
守っては三つの失策をやるなど、まったくいいところがなかった。
外山の低目に脱帽
巨人戦に初勝利の外山はさすがにうれしそう。「打たれて当然と思い切って投げたのが成功したようです」とまず勝因から話す。
「長島さんにはスライダー、王さんにはシュートを主体に攻めたが、低目に決ったのがよかった」そして「七回ころが一番苦しかったが、
あとにリリーフする人もいない。それにリリーフされたら自分が損だと思って投げた」と気力のあるところをのぞかせる。
王も長島も口をそろえて「低めの球を打たされた。とにかくやられた」。この夜の外山にはお手上げといった格好だった。
外山のピッチングフォームは、オーソドックスな左のオーバースローだったな。 ウィキ見たら外山さんって20年ほど前に44歳で亡くなってたんだな。
死因は書いてないけど知ってる人いる? 米谷延夫選手
1975年
・南海の無名の新人、米谷がオープン戦で初めてマスクをかぶった。
3月18日の広島戦「大阪球場」のことである。
捕手といえば最大のキーポイント。サインプレーは驚くほど複雑だ。
この日、バッテリーを組んだ西岡、上田両投手には
「サインが気に入らなければ、首を横に振ってください。お願いします」
と米谷はこう言ってマスクをかぶったが、
西岡、上田は一度も首を振らずに投げてきた。
「とてもスムーズにリードなんてできませんでした。
あれこれ迷いっぱなしだった。投手のリズムが狂わないか心配で・・・」
とくに6回、上田がシェーンに本塁打されたあと連続四球を与えた場面では
「自分のリードが悪いのか・・・」と悩みはつきないようだ。
ベンチで米谷の動きを見守っていた野村監督も
「新人に欲を言えばキリがないんだが、もう少し球の配球を考えないといかんな」
と、やや厳しい採点。紅白試合では打撃でもいい当たりを飛ばし注目されていたが、
やはりオープン戦も中盤を過ぎるとキャンプのようなわけにはいかない。
それでも米谷は「いい経験をさせてもらいました。投手に信頼されるように・・・がんばります」
決意も新ただ。
香川-吉田-中出あたりかな?
柴田・黒田・松井も野村と同じ時期だろうし・・
黒田→伊藤→黒田→岩木→香川→吉田→内田だな。
70年代は黒田がマスクを被る事が多かったが打力不足で西武に放出。
ドカベンのイメージが強いがディフェンスがイマイチで、正捕手の期間は長くなかった。
吉田も打力がイマイチで吉永が台頭するまで内田、山中と外様でしのぐ日々だった。 香川はあの体で三塁コンバートも経験してるんだね。
どんな動きしてたのか見てみたかった。 米谷は野村が去る少し前に外野に転向していたんだっけ? 吉田博之は、横浜高2年生までは内野手だったな。
それだけにキャッチャーとしてのフットワークも抜群で、強肩と併せディフェンス面は万全だった。
若い頃は脚も速かったが、晩年は完璧な昭和のキャッチャー体型だったなw 打者を討ち取ると雄叫びをあげて和製アニマルの異名をとってた
坂田か坂口という投手もいたね。 でも不人気チーム所属の哀しさ、ほとんど注目されなかったね。
登板機会が少なかったのも原因ではあるが。 >>223
穴吹政権でサブマリン金城ではなくて、
「もう一人の金城」と呼ばれた人だな。
一軍には上がれなかったはず? 金城信夫の同期入団で戦力になったのは、3位・矢野と4位・藤本か。
南海は1位のスカが多かったよなw 金城信といえば高校2年の時に金村らの居た報徳に好投して注目されたんだが、そこまでだったんだなあ。
速球に見所があるとドラフト記事では報じられてはいたものの、入団後にはそんな評判もなくなり、ただの小さくまとまった投手になってしまった。
故障もあったんだろう。
ドラ1が一軍登板機会なしというのはチョットさびしいわ。 D1選手が一軍出場なしってのは他球団でも珍しいことじゃない。
獲ってきたスカウトは進退伺モノになるけどね。 安い高校生を過大評価して一位に仕立て上げるのはよくあること
ヤクルトの石堂とか 基本的に、どんなに体格や身体能力に優れ、速い球をを投げられても、生来のノーコンだけは大成しないな。 制球力を付けよう!となると決まってフォーム矯正になるんだが
これが巧くいった験しがない。
あまつさえ肩肘などを故障し、お払い箱。
悲劇だね。 元近鉄編成部長だった市原も難解ではマイナーだったな。
ブレーザーのもとでコーチで戻ってきたけど。
ちなみに息子もホークス(南海ではなくダイエー)ではマイナーだな。 守備だけでもいいよ。
全部二流の選手だってたくさんいたんだから >>235
その自慢の守備で大ポカやらかして、選手としてはジエンド… >>238ショートで守備固めで出場した時、一塁へ大暴投したみたい。
詳しいのは漫画「あぶさん」8巻(だったかな?)で通訳の市原を主役にした話
に載っている。 それにしても市原はんは坂田利夫ソックリやった。
試合終了後にホプキンスと一緒に大阪球場から出て来た時にどこぞのガキが市原はんに向かって
「あっ!アホの坂田や!」って言うた時に周囲が大爆笑になった。 赤松 本塁打だって。
今の金本より期待できる(左投手の時)打者だな。 杉浦太陽の父親の杉浦三六って、広陵高からドラフト外で南海入りしたんだが、高校時代にチームは甲子園に出場してるのに、ベンチ入りすらしてない。
素材で獲ったのか知らんが、それにしては1年でクビって!?w 高卒入団→1年で解雇は、素行不良のケースが殆どだったなw
杉浦は後年、暴力団との関係が報道されたが、当時の事情ははたして…!? 渡会純男
ノムさんと全く同時期にいた捕手
実はプロ野球記録保持者 >>229
金城信夫は誰かのハズレ1位だったよ。
何キロ出していたか知らないけど球が速いだけじゃ
プロではすぐに打ち崩されることくらい
スカウトも分かってたはずなのにねえ。 >>249
金城は南海の単独1位指名。
ドラフト前の評価から、南海の指名は何ら意外でもなく、活躍できなかったことをとやかく言うのは、後付けの結果論に過ぎないだろw 読売テレビが女のわがまま女性専用車を斬る
これです
http://www.youtube.com/watch?v=98pWaXYihXk&list=PLCDC875F7D14589A7
男性を侮辱して見下した人が要望する女性専用車両
男性を避けたいだけの理由で利用する女性専用車両
みなさんも徹底批判しましょう
のべ30万人が視聴した女性への専用車両の問題指摘番組をご覧ください。
http://www.youtube.com/user/TokyoMovielllTVCM 金城は名前は覚えてるが顔やら投球フォームがどうしても思い出せない… 甲子園出場経験もなく、一軍での登板もない投手を、ビジュアル的に記憶してる方が奇跡的w 金城信夫ってこのスレでよく出てきますね。
2ちゃん的にはメジャーなんですね。 マイナー球団のマイナー選手だからね
というか、D1なんだから本当はそれなりに知名度があってもいいんだけど
マイナーなのは全然一軍に出なかったから、というのも余計に哀しいNE 南海もドラ1のスカが多い球団だったなw
まぁ、金城信夫よりも田口竜二あたりの方が、アマチュア時代の知名度も高くて裏切られた感は大なんだけど、田口は1試合だけ一軍で登板したからなww >>255
いや、一軍に出たのに、「え?そんな選手いたっけ?」と言われる方が寂しいよ。
野崎(富士重工)、中出(新日鉄堺)、名取(日産自動車)。
野崎や名取に至っては早々に他球団に放出され南海で選手生命を全うできなかったくらい。
金城みたいに一軍に上がれなかったのなら一般の人に名前覚えてもらえないのは当然で
諦めもつくでしょう。 高い契約金払って迎え入れた金の卵のドラフト1位選手に、そんな気持ちでプレーされたら球団としてはたまったもんじゃないなw
ドラ1で一度も一軍に上がれなかった選手なんて、「諦めがつく」なんて言う資格すらないだろwww だよなw
>>257の価値観で生きてたら、ハナから負け組確定だなw 晩年はマイナー球団に成り下がってた南海だが
鶴岡監督の全盛時代の選手たちはV戦士として
それなりの知名度はあったんだろ
これは福岡のライオンズも同様だが 先日阪神の二軍コーチをクビにされた立石さんも
現役時代は南海でしたね。
所沢球場の西武戦での隠し球で有名になりました。 >>262
ダイエー時代から長年スカウトとして活躍(後年にはスカウト部長に)。
二軍の大半が自分がホークス入団に導いた選手。
その選手達の事を一番掌握しているのが小川。
だから二軍監督に就任って話を聞いたことがある >>263
あの隠し玉って立石だったんだ。
南海の選手ということは覚えてたんだけどw
みのもんたの珍プレー大賞で、中日宇野のヘディングキャッチと並んで
毎回流れる定番中の定番だったね。 池之上って最初は投手として入団したのだが
打者として活躍してる姿しか覚えてないわ。
一イニング11失点とか一イニング3暴投とか
投手としては不名誉な記録の保持者であることは
かなり後になってから知った。 あぶさんに出てくる山内新一は、常に相手エース(山田・鈴木)に投げ負けて
いなかったし、南海は日本ハムをカモにしていたな 四日市工業から入った水谷茂雄
金城が病気でシーズン前半を棒に振った81年に
見事にリリーバーの代役を務めた。
この頃、水谷姓の選手が他にロッテ、中日、広島、ヤクルトに在籍し
それぞれ一線級で活躍してたのが思い出深い。
互いに血縁関係は無かったようだ。 >>270
水谷も次の年に内蔵疾患で戦列を長く離れることになる。
野球選手が肩や肘、腰の故障なら分かるが
内臓疾患でリタイアって珍しく思ったものだ。 野球選手なら肝臓をやられるのが多かったんじゃない? ウィキペディアの1976年新人選択会議のところに
上野克二が神港学園になっている。
上野克二のところには市立神港高校となっているのに。 >>272
水谷姓は内臓やられやすいんかなw
水谷実雄は腎炎だなw
>>274
上野は市神港 >>274
武藤が拒否した年か。
この年は各球団拒否の多い年だったな。 野村やめる少し前の76年以降のドラフトで入団した選手で成功したのって
久保寺、両山内、香川ぐらいしか思いつかない。
中出、村上、名取等はひどい。 名取は一年で放出したのが解せない。
確かに大負けしたが、一年通じて使えることが証明されたのに
なんで? >>281中出とか他の指名選手に比べたらまだ成功した方じゃないのかな?
83年活躍したし、在籍年数も含めると。 成功の部類だと俺も思うよ。
でもリード面では打撃好調であった83年でさえ、
「ひらめきでサインを出してる」と投手陣から苦情が出ていたと記事にされるくらい進歩が無く、
さりとて使わないわけにもゆかず、その後の正捕手育成にも影響が出たといわれている。 それで最多勝取った山内和さんもすごいな。
まあ終盤は勝ち星目的の登板とか、色々バックアップがあったみたいだけど。 李ともう一人の台湾コンビ。
日本ではダメだったが、帰国して指導者としてがんばってるんだっけ? 香川は西武立花義家とのトレード話あったよね。
西武の編成もOKでほぼ成立寸前だったが、結局広岡が難色を示してポシャったらしい。
オシャレでトレンドなw西武球団にコテコテの香川てのも見てみたかった気がする。 >>289
田淵「」
香川は南海だからこそ輝いたんだと思う…… 池之上って1983年だけ突出して起用された理由って何だっけ?
外人がハズレとかいろいろあったのかな、覚えてないや
開幕の一塁手も覚えてないし、少なくとも池之上が開幕時のレギュラーの一塁じゃないよね?
ずっと片平や岡本や雅夫が一塁だったから池之上を一塁で使うには非力(小技系)で勿体無いと思ってた 83年の開幕試合の一塁スタメンは 岡本
見に行った試合(西武戦)なので覚えている。
今のホークスの大場と言えば宇宙人大場だが
中日ドラフト1位で近鉄経由で南海にやってきた大場もいたね。 大場隆広な
ドラ1だったのに11年プロにいて1勝も上げる事ができなかった
当時の日本記録保持者
まぁその記録を今年ドラ5の笠原君の親父さんが塗り替えた訳だが(12年)
偶然にもどちらも現役最終所属がホークスという……
ちなみに大場隆広は南海時代は一軍で投げた事はなかった 追記
大場と笠原は「ドラ1で入団した投手」の未勝利記録ね 定岡は巨人の正二の兄ってことがなければマイナーだったな
定岡正二フィーバーのお陰で3回オールスターに出てるが 定岡智は普通にホークスの主力だったでしょ
バカみたいに強い肩と意外な長打力のある選手だった
84年だったか、開幕からホームラン量産してたのに大怪我しちゃったのが悔やまれる 定岡は女性に人気があった、それでファン投票で選出されている
しかしバッティングは荒かったな
同じく巨人に兄弟がいた河埜の方が総合力では上だった 定岡の怪我で台頭してきたのが久保寺だったなぁ
久保寺死去のニュース映像で静商同級の大石大二郎が号泣してたっけ 静岡商業時代は久保寺の方が伸びるような見方されてたけどなあ。
早世は本当に惜しまれる。 久保寺は名門・静商では珍しい1年生レギュラーで、天才と言われてた。
大石大は亜大で力を付けたな。 >>300
そうだったね。
NHKの中継ではベタ褒めだった記憶があるよ。
解説は池西さんだったのかな。 >>303
でもそういういぶし銀的な選手は、生き難い世の中になったよね。
彼がもしプロ選手生命を全うしたとしても、引退後に球界に携われたかどうかは
分からない。今は一に知名度、二にキャラクターだから。 ドカベンで読んだのですが、「ろくさん」こと鈴木正内野手のことを
覚えている方は語ってください。
野村監督時のマネージャーで、のちに名スカウトとして活躍されたそうですね。 あぶさんの初期のころは裏方の話多かったな。
市原通訳、名前忘れたけどビデオ係の人、打撃投手兼スコアラーの西村省三郎 等。
最近では2009年の山口裕二マネージャーの話があったぐらいかな。 誰かとの交換で中日から来たんだっけ。
細身だったので青鉛筆を呼ばれていたらしいが。
誰との交換だったかなあ 青山は水谷茂雄とのトレードでホークスに来た
こっちでは勝ち星は上げられなかったけど >>314
西村省一郎な
現役時代の省三から裏方に転身した後に改名してる 「龍がごとく」で南海ホークス崩れの野球選手が無頼の輩に転落したキャラになってる。
と思ったら仮想チームだったが、あのユニフォームは南海をイメージしてるな。 >>320
改名の件はあぶさんの6巻に載ってるらしい
本スレの過去スレにも書かれてたけど
現役時代は改名を勧められても頑として拒んでたけど
裏方になってからチームの為に改名したんだと
何か省三という名前は努力しても報われないと言われたらしい
それもどうかと思うがなw
野球選手が改名するのって結構そういう占いみたいなのも多いんだろうね 水谷茂雄は自身のプロ生活実績の中じゃ81年だけ突出してるんだよね。
リリーフの貴重1ピースとして45試合で2勝10セーブ。
実働4年で生涯成績が3勝3敗10セーブ/71試合だから、
一軍での活躍はほぼこの1年に集約している。
85年に中日に移ってからは1試合も投げられなかった。
ちなみに、高校時代は三重の海星から四日市工に転向していて
同学年の選手より1年余計に過ごしている。たぶん3年の時は
公式戦に出られなかったんじゃないかな。 >>324あの年の金城は確か開幕直後肝炎で入院して出遅れてた。 >>326
ヨッシャーも
首位打者とった数年後に引退
まだ若かったのに、と思ったが、後で病気のことを知り納得した 最強のセットアッパー矢野実乗、後、山村確か西武からタイロンと一緒にやって来た 外野手の山口裕二も南海時代はA級マイナーだった。
ダイエーになってレギュラーだった時期もあるけど、
こちらでもイメージとしてはマイナー臭は漂ってたな。 神戸大丸といえば小林繁も輩出してるし、隠れた名選手養成機関なのかな 大丸自体が都市対抗14回出場ベスト4に入ったこともある強豪だったし。
足立光宏は大阪大丸出身なんだな。 コーチとしては有名な故高畠コーチも選手としてはマイナーかな?
代打としては結構成功したらしいけど。 高畠コーチは南海に居たのか。。
高橋克実が演じたNHKのドラマは泣けた。
いい人だったんだろうなあ。 山口裕二は足の速い中堅手というイメージがある。
しかし打つほうが最後まで脱皮しきれなかっただろ。
佐々木が定着するまでの一時期レギュラー的な存在だった覚えがあるわ。 多分93年か94年だと思うんだけど、山口はオープン戦でバカみたいに打っていたんだよね。ホームランも量産してたっけ。
開幕前の成績なんてあてにならないとは思いながらもかなり期待をしていたんだけどさ… >>341
代打ではソコソコやってたが、このスレの範疇の選手だな。
当たり前だが、指導者としてあれだけの能力を持ってるとは考えもしなかった。 小谷征勝投手コーチみたいに、現役時代はそんなにすごくなくても指導者で
成功する人はいるだろ。要は野球の技術に関してどれだけ多くの引き出しや
言葉を持っているか、どれだけ野球を理詰めで考えているかじゃないの。 だから、ファンの立場で選手を見てても、当人の指導者としての将来性は分かりゃしないってこと。
二流以下の選手がコーチに抜擢されるようなケースは、上の人がその適性をよく見極めてるんだろうけどな。 南海最後の外国人の一人 ライト
大した成績ではなかったけど、その5年後ダイエーになってなぜかブーマーの代わりに再来日。 江夏との交換トレードの中で阪神に行った長谷川と来た望月は両方ともマイナーだろうな。 望月は阪神ではレギュラーだったが、まぁ、マイナーの域を出ないな。
長谷川に至っては、即戦力期待のドラフト1位だったのに…w 元広島の名参謀と呼ばれた田中も最初は南海だったな。
野村の陰でほとんど出場できなかった捕手はマイナーばっか。
野村の懐刀松井も。 >野村の陰でほとんど出場できなかった捕手
柴田猛 和田徹 高橋博士あたりも当て嵌まるんかな そこは日本記録保持者度会純男が一番手でしょうw
引退後も南海一筋で人生を捧げた影の捕手
出身地近くに来たホークスを今はどういう気持ちで見つめているのか >>345
だよね。守備のスペシャリストや地味ながら技巧派投手としてならした選手が
引退後に専門分野で指導力や育成の才を発揮して名コーチと呼ばれるのは
想像できるんだけど、代打が主の打つだけの選手が名コーチになるってのは
イメージしづらい。守備走塁は十人並みでも「打撃は職人的」と場合でも、
たいがいは現役時代はレギュラークラスの選手だもんな。 チャンフンや衣笠が監督になれなかったのはやはり純粋な日系でないからだろうね。
外国人監督は横文字かワンツェンツー以外は認められない。 監督もそんなに儲からないらしいけど。
気苦労の割には。
意義を見出すとしたら、ステイタスしかない。 そのステータスとやらも近年効果が薄れてきてるんだな >>350
長谷川勉に続き同じ日産自動車から入団した名取和彦もすぐにトレード
日産自動車が南海球団に不信感持ったのは当然だろうな >>362
現役時代にしっかり貯金しておいて
辞めてから事業興すというビジネスモデルもまた通用しなくなってるようだよ >>350>>363
長谷川はあぶさん6巻の「ネット裏のエース」で
新山彰忠コーチと話している場面が登場しているな。
南海では杉浦忠の21で、阪神では江夏豊の28と背番号負けの感も。 >>352
高橋って、最後はロッテに行った人?
それまで単なる選手の互助組織でしかなかった選手会が
労組に脱皮するきっかけとなる騒動の渦中にあった人として
ファンの間で記憶に残る >>363
おまけにハズレ外人に「ダットサン」なんて名前つけるしな。 スポーツ新聞の見出しに
「辞めるのや〜めた!」って茶化されてた。
結局辞めちゃったんだけど。 山下慶徳 1979年にヤクルトから来たけど成績不振で
翌年またヤクルトに戻った。 >>366
元南海監督じゃテレビ局は使おうという気にならない >>372同じ年にきた伊藤勲もあまり目立たなかった。
3年ぐらいいたけど。もう年齢からくる衰えがあったかも。 1977年3月14日 村上悦雄
南海4−3阪神
南海の先発・村上は四回まで1安打に抑えていたが、五回に球威が落ちて連打された。
カーブ、スライダーに沈む球を織り交ぜて、高低にうまく投げ分ける投球は短いイニングなら通用しそうだ。
オープン戦初登板の金城(広島から移籍)は、五回途中から八人の打者を完全に抑えた。
高めの直球にまだ伸びを欠いているが、丁寧に投げていた。 土屋紘・・・・直球、カーブ、シュートいずれもレベル以上。よくまとまった投手だ。3、4イニングならじゅうぶん通用しそう。
吉良修一・・・決めダマのドロップがいい。小玉は「プロの打者でもそう簡単に打てない」といっていた。
図太い性格で、リリーフ役に最適。
小谷正勝・・・小柄ながら非常にバネがある。別当監督は「稲尾と土橋をえらいミックスした投手。15勝は堅い」とほれ込みようだ。
山内新一・・・からだのバランスがよくとれた投手。速球に切れ味がある。五、六月までに一軍に登用されそう。
高井諭・・・・シュートがいい。フォームがきれいなため威圧感はないが、タマそのものには油断できない威力を秘めている。
西岡三四郎・・スピードが身上。カーブもブレーキがあって悪くない。 上田卓三って「あぶさん」で現役復帰してなかったっけ?
あれって漫画の中だけの話ですよね?(^^; >>372
山下慶徳は地元和歌山の海南高校出身で、ヤクルトにドラ1入団した程だから、当然期待は大だったろう。
山下姓では後に近大出身の山下律夫も、大洋ドラ1から西武を経て、これまた地元大阪は大鉄高校出身の山村善則と一緒に南海に来たけどな。 >>358
金正一「…」
あと、阪神の金田正泰もそうじゃなかったっけ? >>382
金田正泰は平安中学時代までは竹村姓だった。 上田卓はプロではあまり活躍できなかったがのちのフロント入りして編成部長まで進んだんだよな
普通の会社だったらどのくらいのランクだったんだろう >>363
西川も法政卒業時に日産から内定もらっていた。
ちなみに南海から西川には事前に指名予定のあいさつは無かったとか。 投手の三山内は話題作りの側面もあったが
三人とも主力として働けた珍しいケースじゃなかったかな >>384
ダイエーで球団社長になってなかったか? 静岡高校の大久保か。
甲子園での池田・畠山投手との投げ合いが思い出深い 山口ってめっちゃ足速い選手いたよな
俺が観に行ったファン感謝デーに当時駆け出しアイドルだった森口博子が来てて、
100m走で1位になった選手にごほうびにキスしてくれるという企画があって
こいつが1位になって森口にキスしてもらってた
今だったらAKBにキスしてもらえるようなものか
寛容な時代だったんだな そうか、森口博子にもそんな時代があったんだな
感謝デーは大阪球場でやってたのか >>395
ごめん、平和台移転後
ここは南海スレだからスレ違いだったか 森口博子はプロ野球のイベントでたまたま南海の担当に充てられ、それでファンになったと聞いたことがある
福岡出身では珍しい南海時代からのファンなんだろな アイドル枠で南海担当つったらC級扱いされてるわけだけど
それでも腐らずに頑張って、さらにファンになったのか。いい話だ でも弱かったら応援の甲斐もないね
80年代はずっとBクラスだったような。 80年代、穴吹監督の時にシーズン前半首位に立って
スポーツ紙じゃなくて一般紙に大きく記事が出たことがあったっけな
そういえば穴吹さんも監督としてはマイナーで終わってしもた 84年調子が良かったときに、週刊文春が2ページの記事組んでくれた覚えが。
穴吹監督のグリコポーズとかね。
あと、グラビアに香川・ドイル・ナイマンで「デブ・チビ・ノッポ」とか、60番トリオのっけてくれたりとか、
誰の需要があるねんと思いつつ嬉しかったが、単純にあの時分に南海ファンの記者がいたってことだな。 >>404
いやまだ黄金時代を知っている人が現役バリバリやったから需要はあったんじゃない
あの時代に優勝してたらブームになったと思う ああ、そういえばあったね、一年だけ調子の良かった年が。 >>406
でも84年は夏までもたず、結局5位だった。
87年は9月になっても首位に迫ったからね。最後は4位だったけど。 名前がカッコイイので覚えてる
西岡三四郎 淡路島の神童 西岡は六回までは完ぺきなピッチング
堀井さんはオリのスコアラーやめてどうしてるんかな? 淡路島といえば桜井も
阪神の鎌田は本土出身だったか、どっちも全然マイナーじゃないが 洲実って甲子園に出たことないけど地味にプロ選手を何人も輩出してるんだな
西岡、桜井の他にも、大洋・ロッテにいた斉藤巧、西武にいた山本隆造なども。 >>409
神童って呼ばれた人はたいていタダの人になっちまう
まあ西岡さんはプロで勝てたから良かったけどね 西岡はエースだったのにマイナーとは・・・
西岡・江本・松原・山内 抑え佐藤道 wikiにも出てこないからよほど知られてないんだな Wikiは頑張らないと書けないからな
現チーフスコアラーの川根さんとか球団スタッフの田尻さんとか
一昨年辺りにテレビに出た赤星さんとかも空欄のまま
自分は西村省一郎を何とか書いたけどまだ抜けが多いので当時の資料を捜しまくってる wikiよりも個人で開設してるブログを見てると結構有用な情報が載ってたりする。
コアなファンが開設してる場合は古い新聞の記事やファンクラブの会報などがソースとして提示されていたりして
信憑性も高い。 甲子園優勝して巨人入りした投手でもwikiに載っていなかったりするし… >>415
大塚賢一投手ね。名前ぐらいは覚えているがさすがに実物は見たことない。
ビッグ3の一角の田嶋引き当てちゃったんで、予算上四位指名でうち切った年の四位。
まーその田嶋の契約金とて推定6500万ぐらいだったと思うが。 でも田嶋も鳴り物入りだった割には寂しい成績だった.... 田嶋はちょっと風変わりだったらしいので
チームメイトともしっくりいってなかったのかな 田嶋投手も地元長浜では神童と呼ばれていた
とにかく球が速い、球数が増えても球威が落ちない、
並外れた馬力の持ち主だったようだ。 大塚投手
今は東京で野球用品店を経営しているらしい
プロで芽が出ず引退後西武で15年近くもバッピをやっていたとは知らなかった 60歳くらいまで打撃投手やってる人もいるんだってね。 >>425
社会人時代に無理して投げてたからな
会社の為に意気に感じてたんだろう プロで勝てなかったのは故障が原因か?
単に実力が通用しなかっただけ? スピードはあった方だと思う。
そういう評価だった。
でもそれだけじゃ勝てないってことね。 田嶋が在籍してた当時の南海だったら、打てない走れない守れない
だからどんなに好投してもシーズン5勝が関の山? そんなことだからいつまでたっても強化できなかったんだよな(ため息 身売り報道が出た時、このチームはオーナーの道楽でやってたと言われてた。 今のように経済効果とかいう言葉がなかったけど
オーナーはそれなりに経済効果がわかっていたんやろ。
阪神は路線がしょぼい会社なので、
定期券以外の切符代を計算していたかもしれないけどね 宣伝費っていうけど
近畿一円ならともかく球団持ったら全国に宣伝してることになるでしょ
そこまで経費として認めないとか国税当局に言われなかったのかな 南海沿線の観光資源は高野山や和歌浦。
遠来の旅行者に乗ってもらうために球団を持つメリットがある。
スポーツメディアが「南海」という名前を出してくれるのだから >>435
立ち上がりが悪くていっつも先制点を取られてたな 田嶋 大阪球場での初完投は覚えてるで
新人からビッグマウスで売ってたけどこの時はさすがに神妙だった
バックに助けてもらったからな キャラクターで売れようとする選手はどうもなあ…
まずは試合で結果出せよ、と。 フランチャイズの偏在が原因であることはとうの昔に分かってたのにな。 南海にもファンクラブはあったのかな
自分は子供の頃ブレーブス友の会ジュニアクラブの会員だった。 西武みたいに所沢のような遠い場所に球場を造って見に来させるよりも
ずっと良心的だと思ったがな。
なんばだったら会社帰りとか買物帰りにとか、寄り道できるじゃん。 日生球場だって一応、大阪市内のオフィス街の外れにはあったんだけどね。 >>463
あるんじゃないの?
俺の親父もロッテファンじゃなかったけど帰り道に一杯ひっかけがてら
川崎球場に寄ってたとか言ってた。88年10月のロッテ近鉄ダブルヘッダーも
行くつもりだったがすでに満員で入れなかったとか。 >>455
マイナー扱いは気の毒だ
知名度は巨人の一軍半選手より低いのは認める 二軍の選手でもテレビに取り上げられてたよね
未来の四番打者とか、次世代のエースとか。 大阪ローカルでもホークスの応援番組はあったのだ。
ゴーゴーホークス というラジオ番組。
この放送で二桁勝てるかもと言われていたのが81年ドラ1の金城信。 >>457
刀根健は「刃根」と誤植されることがあって
マイナー球団の悲哀を感じた。 「はね」じゃねえかw
まあ、「刃」も「と」と読めるけどな 大坪と大久保がともに投手で在籍していてややこしかった 同時期に大津という投手もいたな。
元西武というからちょっと期待できるかと思ったが、
元青葉ということでうまいと勘違いされた谷口みたいなもんだな。 >>474
おおつぼ・おおくぼ
読みが似てるだけでタイプは全然違ったよね。
大久保は静岡高校の時に盛んに「剛腕」と言われてたが
フォームそのものは普通のオーバースローであまり
特徴なかった。 スレ違いだけど同じ大久保姓で仙台育英にも剛腕と称された投手がいた。
広島に入団して、やっぱり活躍できずに引退。 >大坪投手
初登板を西宮で見たんだな
今から思えばスゴい偶然 思えば西宮も大阪も藤井寺もみんな無くなってしまったんだな
昭和は遠くなりにけり、か。 >>478
ファームでは勝ててたのに、一軍になるといいところを見せられなかったんだな。
そもそも登板機会も無かったし。
彼がもしサウスポーだったら慢性左腕不足だった当時のチーム事情にも合致して
そこそこ活躍できてたかもしれん 穴吹さんの時にやっと一軍で使ってもらえるようになったがその前のブレイザーの時は
完全に二軍塩漬けだったみたい。 活躍した、といえるのはきっちり抑えた場合だよな
左腕不足だからって実力もないのに登板してもポコポコ打たれたら仕事してることにならん
ブレイザー・穴吹時代によく使われていた竹口とか平沢などはこの類の選手じゃないの >彼がもしサウスポーだったら…
あまり意味の無い仮定では?
大坪投手がもっと使ってもらっても良かった選手だとは思ってましたけどね。 阪田、堀井
の両俊足選手は野村時代の代走外野守備固めのイメージしかない。 でも長年ブルペン捕手として貢献し1986年にはコーチも務めてる渡会 度会は先乗りスコアラーもやってたみたいだな。いつのまにか
近鉄に移籍してたけど。
ダイエーになってからかな?
今の選手名鑑(スポニチ)みたいフロントや裏方一覧載ってないから
良くわからないけど。 実績残せずに引退して、その後も球団に雇ってもらえただけで
僥倖だな 球団をかつて所有していたことすら知らない社員が増えているのを嘆いている
OBさんの話を聞いた。 別に嘆く必要ないけどね。
不採算部門であったことは事実なのだから。 >>502
ジョーンズのサインですわ。
後に近鉄でホームラン王になりましたな。
フルネームは「CLARENCE JONES」です。 一番島野?二番桜井三番富田四番野村五番ジョーンズ六番門田の時代か 門田って大怪我以前は強肩好守の右翼手で、中距離ヒッターなイメージ。 >>504
ありがとうございます
調べてみると・・・
ジョーンズ選手が在籍した昭和44〜48年ころのサインなんですね
大切に持っていようと思います 調べると1970年は一番広瀬・二番は古葉がメインでした。
三番から六番までは正解、七番高橋博・八番小池
エースは西岡三四郎と村上マッシー >>508
サインの下に背番号と思われる「4」と書いてあったので選手名鑑を見て、
ナイマン? ダットサン? トーラン? トーマス? キーオ? ネトルス? ハドリ? ピアース? ビュフォード? ロリッチ? ライトル?
と悩みながらジョーンズにたどり着きました。
貴重なサイン色紙ですネ。
いつまでも御大事になさって下さい。 さらに間違いが発覚失礼
ショート小池と高橋博士が併用
レフトは樋口でした 二番か六番
柳田とか青野という曲者もいました
エースは佐藤道の18勝だったようです >>485
懐かしすぎるでその名前
親父に連れられて大阪球場へ観戦に行ったとき、「(先発)ピッチャー・竹口」ってアナウンスが流れた途端、
一塁側応援席から「こらアカンわ」というため息にも似た呟きが其処彼処から聞かれたのを思い出すわ 竹口も平沢もあーあ
一瞬活躍した抑えの水谷もこの時代だったかな? >>516
代打で池之上とか山本雅が出て来たときにもそんな空気なかったっけ? 某漫画だと山本雅は出るたびに「グワアーン」とか一発かますんだよな。
いつ現実になってくれるんだろと思っていた、いたいけな少年時代。 >521
「まさかの雅〜!」
巨人時代はまさに左殺しやったわ 山本雅もそうやけど初期の山本和(のちにドラ)も
代打と言われても静かな観客が多かったね
南海の代打と言えば外山・マッシー・林の投手三本柱と
野村初期の青野・大塚あたりは期待できた そうだったな、山本雅は晩年巨人に行ったんだな。
思い出したよ。 >>433ほか
田島の陰に隠れていた同じ滋賀出身の西崎が
15勝して脚光浴びたんだよな。
>>504
帰国後アトランタ・ブレイヴスの打撃コーチになり
就任3年目から黄金時代が始まった。
その後同じく日本帰りのチャーリー・マニュエルが監督だった
インディアンズでも打撃コーチ。
>>526
これも滋賀出身の都(中日の左腕)が先発するときに
決まって先発出場してた記憶。 池之上も立石ももうひとつ決定力がない
センス池之上、ガッツ立石ということか >アトランタ・ブレイヴス
どこのマイナーかと一瞬思った >>516
「ホークスの先発ピッチャーは、タケグチ」
近鉄V2時代の日生や落合レオンがいた頃の川崎でそれを聞いた俺は
それはともかく、「ピッチャー森口」ぐらいでもあーっとなってた記憶があるから、
当時はもう山内新や藤田あるいはのちの両山内でもなければ勝てる気がしなかったんだろうね。 三山内が揃ってローテ投手として活躍してたのは82年だけかな 和と孝のルーキー年である1981年も、和は5勝、孝は7勝で戦力になってたよ。
ただ和の方は後半はローテーションから外れて中継ぎになったりしてたが。 竹口は背番号が52→11→16と変遷。
若い番号の時代にはそれだけ期待されてたってことなのかな 11番は畠山(池田高校)をドラ1で獲ったから立ち退きさせられたんだよな 三塁線の打球を覆いかぶさりながら止めに行って
大きく弾くハモンドの守備は見てられんかった
はた〜らけ〜はた〜らけ〜たま〜にははた〜らけ〜
はた〜らけ〜はた〜らけ〜給料か〜え〜せ〜 竹口と同期入団で竹内という投手がいた。
名前も良く似ていて竹口昭憲と竹内和憲。
名前だけは覚えてるプレースタイルは全く未知。 ネットで調べたら竹内は在籍3年で一軍登板なしやん。
竹口と比べるのは失礼 竹口投手は熊本の出身で朴訥とした語りの、好青年。
西宮球場の阪急戦の前、練習中に声を掛けたら、照れくさそうに手を振ってくれたのが思い出
その時俺の周りにも小学生や中学生がたくさんいたが、「アレ誰や?」とか言う声が出てたので、
「竹口だよ!」とムキになって大声出してしまったw >>538
その畠山もわずか5年で立ち退きの憂き目に。
プロは厳しいな。 背番号なんかどうでもよくねえか
野球選手は試合に使ってもらってナンボだろ >>189 これマジ? 神宮のオープン戦でノーヒットノーランやった試合観たからショックだなぁ 畠山は横浜で活躍しているときはやはり応援したな
南海から出た選手はがんばれよという気持ちが強い
山内新一が晩年阪神に行っても先発してそこそこ勝っていたのも
うれしかったね 西川は高校大学が名門の割に引退後は恵まれないね アマで大活躍 プロでも新人王クラスだったのに 東住吉工は甲子園はおろか予選でも今まで上位に進んだ事も無いのに
その選手はプロに勧誘されたんだな
スカウト、すごい眼力だ 記憶に自信がないけど
岡本圭って開幕スタメンを新井から奪って三番を打ってた年があった覚えがある
左右の違いだけど立ち位置が似ていたライバルだった山本雅を追うように巨人に行ってしまったが
南海ほど年齢的に若いのにいい素材を見切って放出する球団って歴史上でも稀じゃない?
柏原・片平・山本雅・黒田・新井・岡本圭 etc >>559
それもある。
でも、編成部にも「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」という風潮があったのも事実と言われている
キャンプ初日に新人選手を見て、「なんでこんな奴獲ってきたんや・・」と首脳陣が落胆したことも
よくあったらしい。 柏原は野村がらみ 黒田もある意味野村がらみ
山本雅は南海の代打では「あーぁ」とファンからいわれるくらい
あまり勝負強くなく、未完の大砲で巨人に行ってよかったパターン
岡本も中途半端だった。近鉄の鷹野みたいに・・
新井は若手の佐々木誠が伸びてきて、放出された
なぜか岡本と同じくらい中途半端な高柳は残っていたどね >>563-564
そうかあ、サンキュ
その頃だと河埜が外野からセカンドに再コンバートされたのはやはり佐々木の台頭で?
外野やってる頃はプレースタイルも機敏でもちろん俊足で打撃もまあまあで転向成功に見えたんだけど
杉浦監督になってから何か急に老けこんだ印象がある、年齢的にもまだ若いはずなんだけど…
俺の主観かもしれないけど河埜は少し干されてるように見えたんだよね
それから一塁専門みたいになって1〜2年であっさり引退しちゃったイメージ >>562
ドラフト1位でそれがあったというからシャレにならんな アマチュアとプロの差が開きすぎてるのにそんな無理言っちゃイカン
最近ようやくプロアマ間の雪解けが始まってやがてはレベルアップはしていくのだろうが 新井と佐々木の台頭なんかはサラリーマンと一緒で
同じ成績くらいなら
若手の方が年俸(原資)が安いということ
身につまされる話でんな
マルクスは偉いですわ そうか、50近くまで野球を仕事にできたなんて幸せな方かもしれん
竹口投手 >>564
山本雅は王さんが球団にかけあって招いたと言われたね そういうのは阪神が持ち出しそうな判断基準だねw
シブチンだから >>578
だったらもう少しマシな交換要員くれよ。
この板の住人ですら知らないのもいるんじゃないのか? 巨人からもらってよかったのは山内新一くらい
富田には申し訳ないが・・・ 西岡がマイナーだったらメジャー選手は30人もいないな 香川が亡くなったが、香川が正捕手だった時代、控えは西川でいいのか そうか、ドカベン氏亡くなったのか
あの巨体はむかしのなんば花月(NGKじゃない方)でよく見かけた
野球選手がなんで吉本の劇場に入り浸ってんねんと
島田紳助あたりによく突っ込まれてたのを思い出す そらそうと、香川さんは、晩年の陽の当らない南海にあっては、
もっともスレタイに似つかわしくない存在やったよねえ。
南海で真っ先に思いつく名前だった。 香川のあとは吉田だったがこのスレタイには微妙か 男前 味方のファールボールが顎に直撃して骨折した人って吉田博之だったよね?
あれで香川が捕手に戻ったのだったかな 南海でなくダイエーだけど山之内健一
逮捕歴があるはずなのに、wikipediaではそれが記載されていない 必死になって選手の犯罪歴を消して回ってるキチガイがいるからな
あの伊奈ですら書いたら消される
小川博や黒い霧などの永久失格選手クラスになるとどう頑張っても消せないけど マイナーじゃないかもしれないが、ここで1度も名前が出てない山田外野手
湯上谷とよく1、2番の打順だった
結構ヒット打ってて、良い選手だと思った
あとは中山孝一投手かな、速球派の投手 86年の開幕スタメンが、山本山田グッド門田デビ香川で、
おっ、こりゃ結構いけるんじゃないのか?
と、思った16の春。 86年て開幕散々の年じゃなかったっけ?
グッドウィンて字面は良いんだけど、全くあかんかったな いや、ダメだったって実際に判明するまでは、ってことね。
グッドはキャンプでは「やわらかいバッティングでパワーもある」
と前評判高かったがな。
そのかわり、こりゃ粗くてダメだろうと言われたデビはそこそこやってくれたが。 グッドウィンは開幕後しばらくは良かったけど、外野守備で踵かどこか怪我したんだっけ?
ウィキペディア見て驚いたけど、若い頃は相当期待の選手だったらしい 藤江清志
現役はたった2年で引退。通算3勝。
しかしその後球界に残り阪急、阪神でピッチングコーチを務めた。
これほど実績のない人が長年コーチを務めたのも珍しくないか? 逆にあれだけ投げてゼロ勝の青井・・・
普通あれだけ登板したらうっかり逆転勝利で1勝くらいできるもんだろ普通。 勝てなかったと言えば現コンディショニングコーチの山川さんも10年投げて0勝だけど
鷹のユニ着続けて32年経過で来年も恐らく着てるだろう うちの実家もあるマンションに坂口千仙が住んでた
駐車場や近くの歩道で何度かお見かけしたことがある 上坂嘉彦
尼崎工→三菱自動車京都
176センチ 71キロ 右投右打
知ってたら俺並みにオタク 大洋D1の右田の実弟で外野手の右田
珍しい名字だが、熊本地方には多いらしい 兄弟そろっていま一つだったかな
兄貴の方は稲尾政権のロッテに移籍してちょっとだけ活躍できたが。
兄弟対決が無かったのが残念 弟がプロ入りにした頃にはもう兄は故障だらけで満足に投げられないくらいだった ウィキペに杉浦三六の項目が出来てたわw
死んでたのは知らんかったけど >>620
兄の大洋時代の投球の様子がつべに出てるね(1982年の中日リーグ優勝決定試合の敗戦処理登板)
弟の方は一軍で活躍できてないから動画もないのだろうなあ 右田弟は社会人時代は強打者との評価だったが
プロ入りしていつしか守りの人と見られるようになった 中条善伸は一軍でバンバン投げていたからなあ
実力云々より左腕中継ぎが他におらんていうのが理由の大部分だけど もうひとり、同時代に巨人から南海に来た左腕で
橋本ってのがいなかったっけ? ダイエーになってから橋本武広が投板すると、
「あれは巨人から来たやつだっけ?」というのを何回も聞いたなあ。
つくづく80年代の巨人人気とテレビの影響力は強かった。
今にして思い返すと嫌な時代ではあったが、好きな時代であるのも否定できない。 >>633巨人時代は「行き先はボールに聞け」ってギャグ漫画にあげられた
ぐらいノーコンだったイメージがある。
ヤクルトに強かったかな。 >>634
80年代巨人は毎試合地上波中継あったからなあ。
阪神でよくあった「試合終了まで放送。以降の番組繰り下げ」なんて今じゃ日本シリーズぐらいしか考えられん
その日シリですら視聴率はいまいちだわドラマファンあたりからブーイングだわで、隔世の感あるな 定岡や河埜も巨人定岡の兄、巨人河埜の弟と言った方がわかりやすかった。
巨人から移籍して来たと聞くと気の毒だった。
松原や山内の時代はともかく、中条と橋本が移籍して来た時はもう末期だったし。 橋本敬司は査定担当長いね。いまも胴上げの時みられるよ 寺岡孝・柳田利夫
いずれも移籍組でそこそこ活躍だがあまり振り返られないというマイナー
かつての広島の四番で晩年の大和田 右田は阪神3年目の93年に一度だけスタメン2番で出場してヒットを放ち、
オマリーの二塁打で生還した時に「右田、嬉しいホームイン」
とABCで実況されてたのは覚えてる。
その後神宮で伊藤智仁と対戦して凡打に終わり、
6打数1安打で二軍に戻され二度と一軍からお呼びが掛からなかった。 >>638
査定担当か。。。
ストレス多いだろうなあ 橋本さんと今年からかな川根康久さんもスコアラーから査定担当になってる ここまで篠田淳がない、1988年、大垣高校からドラフト1位入団。
ドラ1で1軍ないのは1981の金城信夫と2人だけの気がする。近年は高校ドラフトの荒川俊男。 篠田投手は大垣高校ではなく、大垣商業高校。
大垣高校というのは今の大垣日大高校の旧名。
さらにその昔は大垣北高校が僅かな期間だけ大垣高校を名乗っていた時代がある(昭和23年)
スレ違い失礼。 ああ、そういえば篠田投手は1988年ドラフト対象だから
ダイエーの指名選手になるわけだね 田尻一郎知ってる人いる?
ヒーローインタビューの時に選手の横にいるヒゲ面の人
いつも選手の投げ入れ用のサインボール持ってる。 野崎恒男 身長176a 75` 右投げ右打ち
安定した力の持ち主。スリークォーターからシュート、スライダーを武器にうまい投球をする。
制球力もあり、球質は重い。即戦力として期待される。 杉山重雄 177a 70` 左投げ左打ち
「なぜオレを使わない」三年生まではよく監督に食ってかかっていた
型破りの男。すでに婚約者もいる。フォームはぎこちないが球威は
山本(亜大)以上。未完成の魅力いっぱい。 藤沢哲也 174a 66` 左投げ左打ち
未完の大器としてスカウトから注目された。三年生の夏から投手に転向した
ばかり。ノーワインドアップから高校生離れした速球はプロ向き。制球難だが、
経験を積めば二、三年先が楽しみ。 野崎はそこそこ活躍したよね
堀井ジュニアは渋かったな おまいら絶対知らんと思う選手
松室武 藤目功治 伊藤正信 中礼政博 真部繁敏
古川治夫 中条博 飯山正樹 池尻勉 細谷保雄
一人でも知ってたらそこそこ詳しいと思う >>655
池尻と細谷が一軍出場も打席なしノーヒット、他は一軍出場なし?
ドラフト初年度に南海2位を拒否した阿天坊俊明氏は、千葉県銚子商卒業で有名かまぼこ会社の御曹司だったな。
2位で拒否も一杯いるが、一軍出場なしもいるな。
1975 渡辺光弘外野手(中津工)1976〜1979
1978 藤田達也投手(八代東)1979〜1975
少し前に入団の藤田学はスコアボード記載は最初は藤田だったのかな?途中から藤田達也入団で藤田学か、覚えてないが?
1981赤星鉄治捕手(九州産交)1982〜1985 赤星が居た時代の正捕手って誰だっけ?
やっぱりドカベン香川になるの? 松室武外野手(23)=175a、76`、右投げ右打ち
・松室は昨年も南海が交渉権を獲得したが、このときは球団側に事前調査のミス(まだ三年)があり、
コミッショナーから制裁を受けるという不手ぎわを演じた話題の選手。いわば二年越しの獲得ということになる。
浪速高から近大、その後竜谷大に転校したが、関西六大学野球機構の規約で公式戦出場ができなかった。
それだけに、野球部に所属しながら練習だけで、公式戦からは五年間も遠ざかっているが、
春秋のオープン戦には出場し、パンチには定評がある。 池尻勉
池尻選手は昨年の甲子園大会、島根県予選の2戦で敗れたため、中央には名を知られていないが、
三年から捕手で4番と、チームの中心として活躍。その強肩、好打は県下で有名だった。高校三年間の通算打率は・320。 >>658
香川と吉田博之で正捕手を争ってて、吉田の方が重要視されたと思う。
その吉田もトレード
複数トレードってあまりなかったから、覚えてた。
多分に日本一の複数トレード?
南海5
右田雅彦投手、西川佳明投手、近田豊年投手、藤本修二投手、吉田博之捕手、投手4、野手1
阪神4
池田親興投手、渡真利内野手、大野久外野手、岩切英司捕手、投手1、野手3
南海からダイエーになったが、投手を出しすぎて余るほど投手がいたわけでなかった。 >>645
甲子園で投げ合った古池(坂出商。社会人→中日→近鉄)は99試合11勝
>>661
これは完全にダイエーが得したトレード
救援で復調した池田、盗塁王の大野を獲得
逆に阪神は南海時代2桁勝利経験のある西川・藤本がまさかの0勝
少し前の南海時代末期正捕手だった吉田もほとんど出られず。 当時、ホークスファンの友人からは「阪神の方がいいなあ」と言われたが… 真部繁敏投手…1b82、70`、右投げ右打ち
大阪・西野田工業定時制出、日本アルミ。
知ってたらよほどの通 >>664
その名前は初めて聞きました。
定時制ということは働きながら通学してたのだろうが
練習にはいつ参加してたのだろう >>596
亀レスだが、
浪商時代のドカベンはああ見えて足が結構速かったらしい
叔父が香川と同い年、某高校野球部の捕手で、
公式戦で一試合に2度も盗塁決められたって悔しそうに話してた
単に叔父の肩が弱かっただけかもしれんがのうw ドカベンは明らかにプロでスポイルされたんだよ。
当時の南海(というか西武以外の全球団)には育成という考えが無かった。
当時の西武は管理野球と揶揄されたが、有望な選手が自己管理の足りなさ故に
みすみす劣化していく様を何度見せられた事か。歯痒くてならなかった。 最も活躍した83年が境目だったと思う
あれでコーチ等の監視も緩くなり、ブクブクと肥えて行った パリーグだからDHの道もあったが
当時は門田がいたからな 香川はデブだったかもしれんが、門田さんはデブじゃないよ。 >>670
カープの永田利則一軍総合コーチじゃないの? マイナー山本 山本忠男・山本多聞
メジャー山本 鶴岡御大(結婚前)・山本雅・山本和範 >>682捕手だっけ? あぶさんで山本穣が主役の物語があって結構読みごたえあった 裏方になって、さあこれから、という時に急逝しちゃったんだよね 森口益光 キャリアハイ9勝11敗×2回 通算奪三振率4・65
名前は覚えてるが、子供の頃だからどんな投手か思い出せないー
右オーバースローの本格派で晩年はリリーフやってた気がするが…奪三振率が低いな… 日ハムキラー森口はマイナーではないだろ
藤田学がケガの時ローテ二番手だったこともある
今の巨人でいえば沢村か菅野の存在、阪神なら能見だぞ 主戦投手だからね、マイナーではないわな
大久保とか門田純とか松崎あたりかな スピードはプロで通用するレベルじゃなかったと言われてなかったか? 古いけど、打撃投手兼スコアラーで有名な
西村(故人) 交換とは違うけどブレイザーも一時広島でコーチやってたよな
古葉「ふふふ 来たぞ、ブレイザー」
ドン「イエスサー、ボス」
なんてシーンが「リトル巨人くん」であったような 74年のドラ1 長谷川
翌年トレードで阪神へ。
数年後名取も同じ運命に。 長谷川は覚えていないが名取は西武へのトレード2、3年後にはもう引退。
年を食ってからのプロ入りだったが早目に見切り付けて正解だったでしょう >>693
肩のケガで選手生命断たれててもおかしくなかったのに
その後アメリカへ野球留学、プロ入り7年目で初勝利
現役10年間で一軍登板41試合
あの時代でも異色過ぎたわな ネットがこれだけ発達してるんだから
調べれば解る。 そういう意味で書いたわけではないけどな
つまらん奴だな 一軍はおろか二軍戦にも全く出ずに引退した選手っていたのかな >>691
田口は謎じゃないだろ
甲子園でのスター性だよ
春の選抜でKKらの居たPLを抑えて、最後は悲運のサヨナラ敗戦。
ルックスはちょっとバタ臭かったけど人気出る要素あったぞ そうだったっけ?
この年にアイドル的人気があった3年生といえば
取手二の石田ぐらいじゃなかったか? イガグリ頭ニキビ面のイカツい高校生にアイドル人気などある訳ない。 太田幸司、定岡正二、荒木大輔に連なるアイドルの系譜ではないよな>田口 ソースは板東本ではあるが、極真マニアだったそうだから 南海でアイドル売りはないわ
もし営業サイドからオーダーがあったのなら致命的にまずかった >>714
ってか、身の程知らずだよな
本拠地大阪球場といえばオッサンの巣窟で、営業がファン層として見込む婦女子?が
凡そ近づき難い雰囲気を漂わせていた 婦女子もそうだがチビッ子も夜に一人ではあの界隈を歩き難かった シャインニング「ソフ」[バーン」 中国大人社会 大前ソルトレイクタクシー
シャインニング「ソフ」「バーン」中国大人社会
シャインニング「ソフ」「バーン」中国大人社会[輸送会社 命令]獅獣代 一軍でそこそこいたがあまり覚えられていない選手
柳田利夫・寺岡孝・米谷延夫 微妙にマイナーな山本
忠男・多聞・雅夫・和範
雅もカズも南海出てからメジャーになった 山本昭良→香川と浪商の同級生。ドラフト外で入団も3年で引退。
青山社だかの「さわやかドカベン」的なマイナー単行本で局地的にネタにされる。
山本晴三→あぶさんが気まぐれで二軍を訪れるエピソードで何かボケをかまし、
穴吹さんに「晴三〜!!」とドヤされる役柄をこなした後、阪神に移籍。 晴三はプロ野球の世界で長く生きてきたな
努力したんだろうな 素晴らしい 藤田達也って、あぶさんでは登板してるが、実際には公式戦0試合だよね? >>724
そう言えば漫画には出てたね
ガラガラの大阪球場での
日本ハムとの消化試合だっけ ホームラン性の当たりに
「はいるな〜!!もどれ〜!!」「メイさん キャッチキャッチ!!」
とかな
初々しさを描こうとした結果
子供かドシロウトみたいになってしまうのは昔からの悪癖だな 晴三って阪神でトレーニングコーチになる時に体育大の聴講生みたいので
勉強させられてた。
裏方だと穣もいるね。 NPO誇大広告ハローワーク指導員バイトレベル
NOPハローワーク指導員(40代千本ノック)
NOPハローワーク指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題) 2012年からオリックス・バファローズでチーフ野手兼内野守備走塁コーチに就任。
シーズン終盤、退任の決まった岡田彰布監督が11連敗で休養に入ったため、9月25日から監督代行を務めることになり、シーズン終了後にそのまま正式に監督に就任することが決定した。
2015年6月、5月末で早くもオリックス・バファローズが自力優勝消滅の責任を取る形で休養が発表された。
代行はヘッドコーチの福良淳一が務めることになった。
【人物】
男前。
当時の人気俳優・草刈正雄に似ており「球界(または近鉄・広島・南海)の草刈正雄」と呼ばれた。
津田の半生を描いたTVドラマで森脇役を俳優の石黒賢が演じたが、一部では「本人のほうが男前」と評された。
親友・津田恒実
津田恒実投手とは文字通り無二の親友の関係であり、多くのエピソードがある。
南海へのトレードの際、津田が津田夫人に「女房と友情のどちらをとる? と聞かれたら、申しわけないが森脇との友情を取る」と言って夫人をあきれさせた。
津田が脳腫瘍で引退後、福岡の病院に入院。当時ホークスの移転で福岡に来ていた森脇が津田や周辺の世話を行っていた。
闘病中の津田に、自身の年俸を半分にしてでも現役復帰できるよう球団(ホークス)に掛け合うといって励ました。
津田の逝去時、その最期を看取り、口が聞ける状態ではない夫人や家族に代わって取材に答えた。
その三ヶ月後、当時4歳の津田の息子を福岡ドームの始球式に招待した。
自身の結婚式で、亡くなった津田のために席を用意してグラスにシャンパンを注いだ。 NPO誇大広告ハローワーク指導員じゃちょうバイトレベル
ハドソン川汚染水道水ゲーム情報サイト
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノックの刑)
練馬区公私混同騒動
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題(クラブビジネス使用クラス記者 大橋巨泉が昔を振り返りハドリのことをケンちゃんと呼んでいた ダイエーからのOBだが辻武史
今回の独立リーグ監督就任で初めて聞いたわ 西川のりおがハドリの話よくしてた
な、1964年の大阪球場の対阪神の日本シリーズ全試合見に行ったとか話してた 市原稔、早大では教員目指し野球部ではなかったが年齢ごまかしてテスト入団
公式戦1試合守備だけ付、く引退後通訳、英語が喋れるのでブレイザーがコーチに起用 >>742
経歴がいかにもジモティックでイイネ
活躍してほしかった。。。 >>744
高校の時が華々しい活躍で、それっきりみたいな。 >>743
亀レスだが、息子の圭もホークスだったな
福岡ダイエーになってからだが >>742
世代的に全然知らんかったが引退直後にあぶさん達と飲みに行く話で知った
送別そっちのけで外山がキャバレーで暴走するとかはまあアレだが
まともな頃の作品に一話使ってもらっていい記念になったんじゃないかな
ラストのコマで人知れず棒切れスイングしてふっきろうとするのもいい 大洋や西鉄で活躍した山下律夫のプロ終焉の地は南海だったな
500試合登板をお膳立てしてもらったり背番号も若いのをもらったり
ピークを過ぎていた割に厚遇だったと思う 阪急黄金時代の主力選手だった加藤秀司を最後に引き取ったのも南海だっけ 今日なんばパークス通ってたら南海ホークスの歌が流れてたわ
懐かしくて涙が出た 釜野 照義 昭和22年12月1日生
真部 繁敏 昭和24年8月24日生
片岡 一美 昭和24年5月26日生
住友 秀雄 昭和24年2月5日生
石川 光一 昭和21年5月27日生
金富 光洋 昭和23年9月29日生
山口 和男 昭和24年12月25日生
工藤 守彦 昭和22年5月13日生
中礼 政博 昭和25年5月25日生
上領 義晴 昭和24年4月19日生
金城 進 昭和24年9月15日生
渡辺 保 昭和22年9月14日生
鈴木 幸弘 昭和18年6月21日生
岡元 勝幸 昭和20年4月30日生
原野 一博 昭和24年12月17日生
坂 英男 昭和24年6月10日生
西浦 秋夫 昭和25年9月19日生
木下 竜元 昭和25年11月22日生
長持 健一 昭和22年1月25日生
久保田 一 昭和24年4月29日生
山岡 実 昭和24年6月3日生
入江 巡一 昭和24年4月13日生
鎌田 幸雄 昭和26年1月7日生
鈴木 哲夫 昭和25年9月25日生
室井 勝 昭和22年7月6日生
近藤 義之 昭和28年1月1日生
堀田 芳信 昭和24年8月7日生
安藤 峰雄 昭和24年4月5日生
武内 国夫 昭和24年5月21日生
柏熊 克美 昭和26年1月21日生
中村 益章 昭和25年10月31日生
諸伏 徳政 昭和24年12月13日生
君島 洋造 昭和23年9月13日生
渋谷 洋一 昭和23年6月11日生
石井 清一郎 昭和26年1月11日生 >>755
巨人をクビにされて腐ってた時に当時の杉浦監督が声をかけてくれたらしい
おかげで2000本安打も達成できた
阪急近鉄南海と在阪3球団を渡り歩いたキャリアを持つ選手は少ない。
引退して解説者になった当初に、「図らずも3球団でプレーできたことは、つくづく自分は関西と縁が深いと思った」みたいなことを述懐してた。 何度も出てるが熊本出身のサブマリン松崎
エースは無理でもリリーフでそこそこいけるんじゃないかと期待したけど
やっぱり無理だった
中学の頃は神童だったんだよ >>中学の頃は神童だったんだよ
プロ入りする人って皆そうじゃないの? すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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ANHWY >>760
当時どんな補強方針だったか分からないけれども、このチームには謎の指名が毎年のようにあった
甲子園のスター選手を将来性を買って指名するのはアリだが
松崎はスターというほどでもなかったし。 鎮西高校
って 八郎か探題って感じでなんかカッコいい響きだった それだけ >>758
×杉浦監督が声をかけた
○西本幸雄御大が教え子加藤のために立教の後輩杉浦さんに無理を聞いてもらった
て聞いたことがある >>753
500試合記念ということで、ローテーション通りなら谷宏明のところを一回飛ばして
先発させてもらったものの2回ともたず5失点でKO、と当時の記録にはある。
実はこの試合、親に球場へ連れて行ってもらった最初のプロ野球観戦だったので
記憶に残ってる 大和田獏と武者小路実篤を間違えるぐらいあり得ないなW >>766
82年入団の畠山・大久保・青井・山川の高卒投手カルテット
スターは甲子園優勝した畠山だけだが4人セットで売り出そうとしてた時期はあった >>774
藤本修二を入れて5人組じゃなかった?
大学社会人の有力選手からことごとく事前に断られての苦肉の策だったな。 むしろ一番成功した藤本修二が入っていないのに驚愕
南海ホークス最後のエースだろ >>336
名取←→タイロン
片平・黒田←→山村・山下 >>775
その年の大・社有力投手って野口(武)、田中富(日)、大畑・関根(洋)、石川(ロ)、白武(広)、鹿島(中)、岡本光(巨)くらいだったか
一応、野口が目玉だったが、あんまり大した事ないな
南海も6位で森田(のちロ)とか指名せず、西武・外の中島(都城)とか持ってきて、高校生右腕六人指名にすればウケてたのにな
それとこの年のドラフトでは、南海を二回も蹴った岡本光がロクに活躍出来なかったのが嬉しかった
マイナーな選手を懐かしむか・・・既出だが山本昭良
浪商では三番香川、四番山本、五番牛島のクリーンアップ
ドラフト外でよく獲れたなと思ったが、全く何の事は無かった 高校生右腕六人は高校生投手六人に訂正
青井は左だった 浪商牛島は女性ファンに人気だったが、山本昭良も負けてなかった 西浦敏弘
西の西浦、東の小早川だったんじゃなかったのか!? >>721
雅夫は南海の頃の方が試合出場は全然多かったし、和範はむしろ南海に来て有名になったが、
何をもってメジャーなのか?読売へ行く事か?金満企業(当時)に身売りする事か? 高卒だけ指名は水島新司のストッパーで
ネタとして使わてた
貧乏球団ガメッツが育成の名目で高卒ばっかり指名 資金難で契約金ケチっただけと周囲に叩かれるってまんま82年ドラフトがモデル 翌83年も使えなかった近大西浦以外は5人高校生だったな
4位で大商大川原を入札してはいるが…マイナーな南海選手、その外れ4位山中律俊 >>785
この年は3位でマイク仲田を入札していたな
外れ3位は岸川だったかな 1位 小野×(近鉄・日本ハム)→加藤
2位 山口裕→
3位 仲田幸×(阪神)→岸川
4位 川原×(阪神)→山中
5位 西浦→
6位 佐々木◎(日本ハム) >>786
やや伸び悩んでから
やっと「エースや!」「主砲や!」と思わせるシーズンが数えるほどという共通点 スレチだが大商大川原はドラフト事前指名予想で複数が上位に行くみたいな記事だったのに
蓋を開けてみたら在阪2チームだけしかも下位指名であった・・・ 仲田、川原のどちらかが当たっていたら、佐々木を指名できていない可能性が高い
日本ハムに6位単独で持っていかれただろう
「指名がなければ広島ドラフト外が既定路線だった」と本人は後に語っているな 中出謙二
赤星鉄治
森浩之
野村解雇以降の上位指名即戦力捕手はどれもこれも 森はロクに使われずそれでも早々に指導者に収まり返ったよな
上田さんみたいなもんか?
しかしそれを上位で指名するほどの余裕などあるわけもなく不可解だ 森は地元PLで優勝経験があり、アマ時代の実績はあった。
当時は吉田博が定着しつつ、ダイエーになると先輩の山中に内田が入り
コーチ兼任で来た有田に背番号奪われるなど出場機会を獲れなかった。 オープン戦でちょっとだけ期待させて、シーズンに入ると4月に3打席だけで消えた伊藤泰憲 ゲイル・ホプキンス、ジム・ライトル
カープから移った外国人もパッとしなかったな
特に昭和58年のライトル 大商大はリーグ再編で旧関西六大学から追い出されて、当時下部リーグにいた龍谷大、大阪学院大等と新関西六大学に加盟したが、旧関西六大学の関西学生野球連盟よりレベルが落ちて、川原の評価も下がった。 ライトルの応援歌は広島時代のものがそのまま使われたが
大阪球場のラッパ吹きが下手でなあ
たぶんライトル本人も気になってたのではないだろうかW >>769
とはいえ、山下は西武になってからもライオンズに残ってたこと自体が意外だったけどね。
だいたいライオンズでまともに投げてたのはクラウン時代だけだったから。 ライトル
南海は1シーズンだけでクビになってしまったが
帰国の時に律儀に日本語で「オセワニナリマシタ」と言っていたのが思い出される
この時期近鉄のマネーをはじめ後味の悪いかたちで日本を去る外国人選手が多かったから・・・ ライトル
球史に名を刻む名選手だが どうも見てくれが王天上とかぶってしまってな
もう一年後の最終型ユニだとすげえシブかったろうなあ >>802
日本でたんまり稼がせてもらったし良い思い出もできたし、
思い残す事は無かったんじゃないの 広島も南海もそんなに年俸をはずめるほどリッチな球団ではなかったろ 外国人選手でマイナーといえばやはりピアースとトーランかな。
ピアース→野村南海最後の年の1977年に来たけどパッとせず、翌78年も選手名鑑には載ったがその直後にクビ。
トーラン→ピアースの代わりに入団するもこれまた全くダメで78年のシーズン終了後にクビ。
そしてベースボールマガジン社がよく出してたプロ野球の歴代の外国人選手名鑑でも、
顔写真のスペースが写真が見つからなかった関係でシルエットになっていたことが多かった。 >>800
スレチで申し訳ないけど
そのラッパ担当の人はずっと固定だったのかな
本業が忙しい時は別の人が代わりに吹いてたとか? やっぱ中山孝一、平沢隆好、村上之宏だろう
今は全員消息不明だけど 1976年のタイガース(投手フィドリッチ)対ヤンキースのユウチューブ見たら
ヤンキースの2番がロイ・ホワイトで3番がカルロス・メイだった メイさんね 門田さんの著書に
「あの子牛みたいな体で繊細なさみしがり屋」
といった描写があったな
あとファンブックの「黒い重戦車」という表現が子供心にカッコよく感じた
今なら3メーター手前でアウトだが ニュース23で小林とスタジオゲストの香川と浜尾朱美が3人で同時に出てるの見たな 香川は引退後に失敗したな
野球界に未練残して事業始めたりタレントやったり、果ては選挙にも出たことあったね
野球で食うなら野球一本で指導者としてのコネを作るなり手を打っておくべきだった うどん屋の時は食べに行ったら店に顔出ししてた
引退してからかなり時間がたってたが人気者だけあって人だかりができていた マイナーではないがあまり語られない選手
米谷延夫・柳田利夫・井上登 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 あの頃のビジター用ユニは地色が濃緑ですごく印象に残ってる 石垣一夫 高槻市議 大阪府議 府議会副議長 衆議院議員
2期目の選挙で辻本清美に負ける >>822
人工芝球場だと保護色になって見えにくいと苦情が出て短命に終わった 80年代は南海自体がマイナー過ぎた
プロ野球人気の絶頂期でなかったら
門田と香川がいなかったら
殆ど認知されないまま終わってた 昭和61年頃、ラジオ関西だったかで「真夜中の中」って南海応援番組があった。
番組中リスナー数調査ということで、「今、番組を聴いてる人、お電話ください」と呼びかけたら、自分を含めて3人からしか電話がなかった。
30年以上昔の番組で、今グーグルで検索しても何も出てこないのが悲しい。 MBSラジオで「真夜中のなか」という深夜番組があったのは覚えている
売れる前のダウンタウンがボソボソと喋っていたが
それのこと?南海応援の印象は無かったなあ
でも夕方のテレビ番組で人気が出る直前だから、昭和61年頃という時代は合っている
??? 現役時代はマイナーだったが引退後指導者の道を歩んで知名度の上がった森脇 南海ファンやもんを歌った野本の番組はMBSラジオであった 84年広島からやってきた守備の人・中尾明生
嘗てカープ連覇の頃同じような立場だった・岡と入れ違い。
当時は拓大出身の現役選手は他にいなかった >>829
森脇はあの濃い顔で有名だった選手だろ
似たような小川史よりかなり目立ってた顔だけで 小川も小柄あっさり系のようで
変に鼻が高く真っ白けで間近で見るとけっこう印象的な風貌である 某漫画のおかげで知名度はそこそこあるが
西清孝も南海時代のイメージが全くない 西は広島時代の試合中継でしか視てない
登板数も少なかったが
森脇も津田の親友でなかったら
忘れ去られて監督の機会無かったんじゃ >>842
いきなり野村の後継者という過度の期待をされた気の毒な新人だった 田口竜二がBCリーグ石川の監督就任。
選手のセカンドキャリア支援の仕事で、週ベにコラムを連載(3年ぐらい前)。
現役時代「お前を飼い殺しにできるんだぞ」と脅すコーチがいたと暴露したり、
球界の古い体質に批判的だったな。 >>779
北田嘉秀(北陽高)
畠山らと同期でドラフト外入団
>>845
暗黒期ホークスのドラフト外ともなると、相当の野球好きでも誰?となる選手が多かったな
ダイエーになるとドラフト外でもそう言う選手はあまりいなくなった 甲子園はおろか、地方予選でもろくに勝てないような無名校の選手がなにげに入団してたりする といえば聞こえはいいが、
手近に関西一円くらいしか調査してなかっただろう >>847
俺の実家近くにある普通の公立校からも一人入団しました
野球部といっても同好会レベル、ほとんど名前も知られてないのに
ドラフト指名ではなくテストに受かったのでしょうか いくら本社がやる気なくした末期であっても補強は考えていたでしょう 近田豐年 スイッチピッチャー
南海では1988 登板1完了1 打者四人 1失点 一軍プロでは1試合のみだが動画有りませんか♪
南海→1A→阪神登坂なし 行方不明多いなあ
新人王の村上之とかどうしてんだろ
平沢 竹口とか 近田はキャンプの練習動画ならあるような。異色の選手として取材されてた。
でも実際はファームでも左でしか使われなかった。
平沢、竹口は引退して暫くはバッピやってたよ。 サッチーもノムさんもあっち側に逝ってようやく復権したか
40年だぞ・・・ 森口益光は南海→中日で
中日の青山投手青鉛筆は中日→南海に移籍しただろ
>>685
> 森口益光 キャリアハイ9勝11敗×2回 通算奪三振率4・65
>
> 名前は覚えてるが、子供の頃だからどんな投手か思い出せないー
> 右オーバースローの本格派で晩年はリリーフやってた気がするが…奪三振率が低いな… 1988年前後の中継ぎ投手は矢野実、橋本敬司、中条善伸で廻していた記憶
打撃陣は対左投手攻略で高柳秀樹、代走で山口裕二、守備固めで山田勉もしくは山村善則だったかな?
右田雅彦の応援歌(ネタ?)を覚えている人いるかな 応援歌は知らないが、(wikiには「左で打っても右田!」と書かれている)
熊本出身だけあって好物は馬刺しだった。
でもこれって熊本出身の選手は大体同じ事を言ってるw
兄の一彦も。 右田兄弟は井手らっきょの野球学校を引き継いだ所で指導してるのか >>859
近田は登録上も左投だったように記憶してる 確か近田の右投げは実戦で使える代物でなく先ず左一本で経験積まる
って当時のプロ野球ニュースで報じていた記憶 行方不明な選手
誰かその後知らないか?
村上之宏
中山孝一
平沢隆好
中出謙二
吉田博之 中出ってプロ入り前は社会人の全日本の捕手だったんだよね?
恐ろしいほどのスカウトのメガネ違いだったのか 中出を視察しに行ったヤクルトの片岡スカウトが尾花を見つけたとかいう話。 トレンディw
ナツカシワードだね
思い浮かぶのは西崎、阿波野、渡辺久。
村田は杉浦監督が目をかけて20勝投手に育てると意気込んでたが
後を継いだ田淵は持て余してたな 世代的には村田ではなく加藤伸一
間違いなくルックスでは一番だったが
あまりにも正統派「オトコマエ」、もしくは死語になりかけた「ハンサム」だったので
「トレンディw」のワクからは外れていたような 加藤も例外なく高校時代は丸坊主かな?
あのルックスに丸坊主はカオスだな 清原の高校時代の坊主姿が三島由紀夫そっくりで驚いたな
そういや おまけに同じく筋トレにハマった後 カップクよくなりすぎちゃってw >>874
中出を見に行ったホークスのスカウトは尾花を見出せなかったのか。
でももし南海に入ったら、弱いスワローズで奮闘するエースから
弱いホークスで奮闘するエースに変わっただけなのかも。 もし南海に来てたら、通算100勝200敗とか、達成してそうだ >>879
村田って89年近鉄リーグ優勝試合(藤井寺)の先発だったよね 身売り&移転が本決まりになってしまい
最後にと関東からあわててかけつけた大阪球場の試合で先発してきて
しっかりクオリティスタータやってのけた
こいつ高卒ルーキー6位で俺と同い年のくせになんちゅうやっちゃと 藤本博史も南海の最末期に出始めたね
時が流れてホークスの監督になるとはねえ 南海は前々から身売りが噂されてて、なおかつ発表から最終戦まで1か月近く
あったから、阪急みたいにシーズン終盤にいきなり身売りが発表されるよりかは
マシだった 経済誌には1988年夏過ぎから南海本社の株価がじわじわ上がってたのは
経営上のお荷物だった球団売却を好感する市場の当然の反応と書かれた
それまでにも何度も身売り説があったが株価に変化が無かったので
この時はリークした奴がいたのでないかと言われた 関空特需やろ
1994年開港 バブル景気も含んで期待感持たれてたんとちがうか 売却から開港まで6年も開いてるが?>>891
>>890に継ぎ足すと、南海に対して阪急は情報統制がしっかりできていたから
株価は身売り発表当日まで大きく変らなかった パリーグファンは二リーグ制分裂後の巨人阪神偏重がパリーグ不人気の原因て
言うとるけど稲尾とか杉浦の頃はそこそこ人気あったんだし、やはり八百長騒動が大きな原因だろう。今なら確実に1リーグに取り潰されてただろうし >>891
背も値段もくっそ高いホテルができて
自分がはるか上から球場跡地を見下ろすことになるとは思わなんだわい 柏原東高校からテスト入団した川根投手
引退後ダイエー→ソフバンの査定主任になったことは知っていたが
まさかお亡くなりになっていたとは・・・若すぎる 工藤さんの退任インタビューでも触れられていた
西スポ記事に出てる 「あぶさん」でも打撃投手に転向した時に
大勢の仲間とともにちらっと登場したあの川根さんか 柏原東高校も無くなってしもうた
第二次ベビーブームに対応した新設校だが
硬式野球部があったのか 清水商業能城工業伏見工業とかつてのスポーツ名門校が統廃合に追い込まれてるが
野球のかつての名門校があまり統廃合にならないのはなんでだろう
やはり甲子園は別格過ぎるという事か PLが廃部になってるんだからそういうわけでもないだろう
他の私立で言うと平安なんかは龍谷大の傘下に入って運営会社も龍谷大に吸収された
過疎が著しい四国だと甲子園優勝経験がある海南や池田、観音寺中央あたりは統合を経験してる >>895
スポーツ新聞の片隅にひっそり載せられていた入団テストの結果記事に川根さんの名前があったことを覚えている
当時は各球団が個別にやっていた 南海は中モズで実施
「ソッコーで合格決定」だったらしい
そこまでの逸材が無名の府立高校にいたことが当時は不思議だった 当時はスカウトが機能してなかったからテストで原石を探さないと補強できない
なにしろスポーツ新聞に載ってる注目選手ばかり獲りに行こうする有様で、発掘という発想がない ドラフトでのミーハー指名は不人気パリーグ球団の宿命だから悪くは言えんよ
他のチームがリストアップしてない選手を指名すること自体が恥という風潮もあったと
エモやんが語っていた >>905
ドラフト会議場にて「プッw あんなヤツ指名してる アホちゃうかっw」の声
は本当にあったという マイナーではないけど
山内新一の邇摩高校はマイナーだよな
社会人で頭角とはいえ巨人二位指名はなかなか 長池の撫養高校とかも「有名選手の出身校だけどどう読むんだ?」 1982年にドラフト外で西村と西上と苗字のよく似た投手をドラフト外で獲得
名前も義人と正人でこれまた似ていた
記録を調べたら一軍出場無しで短期間で引退 ドラフト下位やドラフト外で入って短期間で引退した人の成績を見ると
一軍はおろか二軍戦もほとんど出場していないケースがあるが
どうやってシーズンを過ごしていたんだろう
毎日練習だけしてたのかな 釣りかもだけど、撫養(むや)だね、後に鳴門商と統合して鳴門商名義になってから鳴門第一に校名変更して
鳴門工と統合で鳴門渦潮・・・。
邇摩はそこそこ実績あって、森山一人の時には選抜出てるね。
西上とか、それらの選手は練習生みたいな扱いで体力づくりとかバッピさせて見どころがなければ
契約見送りって感じだったと思う。 契約して支配下にはなっているが、試合に出ていない選手でも
年俸は当時で300万円前後 >>917
1977年も似てる投手
4位 竹口昭憲 人吉
6位 竹内和憲 東住吉工 選手層が薄いのにドラフトでちょっとしか指名しない年がちょくちょくあった
各球団概ね6人指名の時代に南海だけ4人、とか。 >>921
東住吉工なんて甲子園はおろか府予選でもそんなに勝ってないチームでしょ
そこから指名するなんて、逆にスカウトの発掘力が凄いと思えたりするけど 球団が貧乏なのでスカウトの出張費が出せず大阪近辺の学校しか調査できなかった 入団テストを何度も繰り返せばたまには掘り出し物にも当たるだろう
ドラフトだけに賭けるのは厳しくないか? 1958年から1961年まで在籍した板敷保と言う
投手がいるが日本野球機構の在籍者名簿では
1961年在籍1年となってる1961年だけ支配下選手登録されたということか
同じ1958年入団の大谷哲弥という選手も1959年までわずか2年で退団したが在籍者名簿では
1959年在籍1年となってる、1年目は練習生だったのか レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。