数学の本 第97巻
>>99
そうはいってないが、枯れ井戸だといってるだけだよ >>98
ブルバキ volume 1のτオペレータは煩雑過ぎて実用性が皆無
実際2以降は1の内容があまり使われてない
まあ、だからこそ一般位相は読めるとなったのだろうが、
今位相を勉強するのにブルバキを読む理由はない、BradleyらのTopology: A Categorical Approachなどモダンな本を読むべき
そういう意味ではユークリッドの原論と同じく当時は間違いなく貢献したが、今は歴史的資料としてのみ価値のある本 >>102
聖書を歴史的資料と呼ぶのは一般的だろうか ピタゴラスがこの幾何学の研究を1つの自由教養の形に
変換し、高所からこの学問の諸原理を考察し、
非質量的なしかたで純粋に知的に諸定理を研究した。
原論はこのように称えられているが
ブルバキはどのように評価されていくだろうか。
「枯れ井戸」が言い得て妙と思う者ばかりなら
滅びても当然だろうが。 ピタゴラスがこの幾何学の研究を1つの自由教養の形に
変換し、高所からこの学問の諸原理を考察し、
非質量的なしかたで純粋に知的に諸定理を研究した。
原論はこのように称えられているが
ブルバキはどのように評価されていくだろうか。
「枯れ井戸」が言い得て妙と思う者ばかりなら
滅びても当然だろうが。 だから歴史的資料だよ
ユークリッドの原論の公理も今では ついつられて「公理」と言ってしまったが
正しくは「公準」 >>110
それは不足の意味次第
自家撞着してはいない >>112
現代数学に公準(postulate)という専門用語は存在しない
多くの専門家は公理と同義として捉えるだろう
数学は変わらないなどと言われることもあるが、昔の本で勉強してると、こういう所で話が噛み合わなくなる ケリーもよく分からん、訳もそうだけど用語も現代的なのがいい エンゲルキングとか書こうと思ったら去年死んだらしい >>114
Encounter with Mathematicsという講演会で
そのつもりで公理という言葉を使ったら
聴衆にダメ出しをされた。
そういう場ではそんな言い訳は通用しない。 群 K0(R) は、射影加群を使い、環のイデアル類群の構成を一般化したことになる。1960年代、1970年代の発展は、現在はキレン・サスリンの定理(英語版)(Quillen–Suslin theorem)となっている射影加群についてのジャン=ピエール・セール(Jean-Pierre Serre)の予想を解こうとした努力に関係していた。
日本語表記は「サスリン」ではなく「ススリン」が正しい。 >>118
聴衆からの質疑が常に正しいとは限らない
歴史的にはユークリッドはそういう区別をしていたが、現代では区別はないという返しが出来るのが理想 正しいかどうかではなく
相手が納得するかどうか
原論に関しては古来積み重ねられた
多くの評価がものをいう。
吹けば飛ぶような一数学者の私見など
相手にされない。 >>119
点集合論のススリンとは赤の他人らしい
ススリンってありふれた名字なんだろうか? Mikhail Suslin 1894-1919.
Andrei Suslin 1950-2018. Mikhail Suslin 1894-1919.
Andrei Suslin 1950-2018. >>121
相手が納得しなさそうなら数学的に誤っていることは言わないのか?
俺には分からないな、相手が数学的に間違ってるんだから間違ってると言ってみる
それで納得しなかったり考え方が違う(数学ではなく数学史を重んじる等)なら、それはそれで仕方ない >>125
その正しさはどこで決められているの?
三平方の定理が正しい呼び方とされている定理を
ピタゴラスの定理と呼ぶ人がなくならない理由がわかるか? ユークリッドは呼び方が定着しているからそう呼んでいるが
本来はエウクレイデス >>126
三平方の定理とピタゴラスの定理のどちらが正しいとか知らないけど、
ピタゴラスの定理と呼ぶ人がなくならない理由は、それが何の数学的対象を指しているか分かるからだよ
「三平方の定理とピタゴラスの定理は違いますよね?」という質疑があれば、当然「いや同じですよ」と返されるが、
「三平方の定理とピタゴラスの定理は厳密には違う、俺はピタゴラスの定理と呼ぶ!」なんて人がいたとしても、それが指す対象の上で議論してる限りは問題がない、だから間違ってるなんて一々指摘しない >>129
どちらを選ぶかの問題
学校で教えるときは
三平方の定理と呼ぶことを
文科省によって強要される
役人の前でピタゴラスの定理と言うと
ダメ出しをされるだろう 125はユークリッドの公準を公理と言い換えることが
数学的に正しいと思っているらしい >>131
三角形の内角の総和が可変量でパラメータ空間としてモジュライ空間を成してるような世界観だろ? ピタゴラスから1000年前にバビロニアの
学校で教材として使われていたらしい 「原論」が書けるような環境が整ったことが素晴らしい インドでも中国でも
ピタゴラス以前から知られていたようだ 行列と群とケーリー
というのもあるな、全部現代数学社 2022年11月16日に日本でレビュー済み
まだ売っていたとは驚いた。しかも40年前と価格が(税抜きで)300円しか変わっていない。これ,好い本だよ。色々勉強になる。まあ数学を道具と思ってるだけの人(数学者含む)には不要かもね。 かつてフェルマー予想やリーマン予想
ポアンカレ予想に関する本があったが
ホッジ予想に関するものがあってもいいな >>150
ホッジ予想そのものを理解するのに代数的サイクル、つまりスキーム、有限型や整などの性質について知らなきゃいけない
フェルマー予想やリーマン予想とは違いすぎる 素人がホッジ予想について述べると
たいていどこかで間違う 齊籐正彦のを持ってる。
多分、洋書を種本にしてるんだろうけど、誰のだろう。 序文に「がんばってほしい」と書いてあるのが変わっている。 MURPHY’S LAW IN ALGEBRAIC GEOMETRY:
BADLY-BEHAVED DEFORMATION SPACES
RAVI VAKIL フーリエ級数の収束定理をやらなければ
集合論をやる意味がないとはいえない 群の発見の物語はカルダノあたりから始まるが
集合の発見物語をデデキント以前から始めるとすると
どうだろう intrinsicとextrinsicの区別を経由するから
非ユークリッド幾何は
集合と写像の発見物語の重要な要素かもしれない 射影幾何あたりが発祥ではないか
空間概念が図形とは切り離して考察の対象となった カントール理論の価値を否定した
クロネッカーが導入した抽象群の概念が
今日の教科書では集合と写像を用いて導入されるのは
歴史の皮肉というべきか Leray's spectral sequence 零の発見
群の発見
∞の発見
位相の発見
層の発見 生協に本を見に行ったら
数学のコーナーがコンピュータの本に侵食されていた 岡の連接性定理まで述べた
複素解析の入門書が生協の書店に入っている
しかし高価なので教科書には指定しにくい ディリクレ問題とノイマン問題を
関数論で復権させよう ノイマン問題のグリーン関数が書いてある関数論の本は? ノイマン問題のグリーン作用素は
境界値の正則性を1/2上げるようだ リーマン積分の範囲で
わかりやすい参考書を
教えてください。 わかりやすいって情報を間引いているってことだよね? わかりやすいということは読みやすいということで
それは読者のレベルにもよる アメリカの本のようにわかりやすく平易に書いたら
微積本が1000ページ超えて忍耐力持たないってだけでしょ 直観的な分かり易さか、論理を端折った分かり易さかもある。
そして、そのバランス。
大田春外の「はじめよう位相空間」は直感的で分かり易い。
ただ、教えている範囲は初歩の初歩。
授業で教える範囲を網羅した内容で分かり易い本をと要望を受けて書いた同氏の「はじめての集合と位相」は直感的さが減って分かり易いとは言え、上の本と同等の分かり易さとは言えなくなった。
詰め込むとどうしても図が減って、文面からイメージするしかなくなる。 いろんな本があっていいと思うんだが
分厚くとも平易に長々と書いた本
入門部分だけあっさり書いた本
簡潔に必要なことを短くまとめた本
網羅的に詰め込んだ本
まあ売れなきゃすぐに本屋から消えるだけ
どんなふうに書いても誰か文句つけるしさw わかりやすさという点では
小平先生の講義は分かりやすいということで
評判だった わかりやすさにもいろいろ種類があるが
白居易と李白と杜甫の違いのようなもの 高校生に読める本で、
積分の公式の導出について詳しく書かれている書籍があれば教えてください >>212
ありがとうございます
マセマ出版社の参考書ということでしょうか