数学の歴史(数学史、科学史)を語ろう
カッツとか三浦伸夫の著作とか、
wikipediaの項目をチラ見しながら。 下村寅太郎著作集の第一巻と第二巻を手に入れたので、頑張って読みたい。 ヒルベルト訪問記は、東洋の片隅で日本語のベールに隠れて本人の目に届かない
ことをいいことに、言いたい放題悪口を書いているかのような印象を持ったな。 最近は日本語で書いても結構筒抜けになってしまいそう 提出しておいた論文を放置されていた恨みがあったのかな。
あるいは整数論するぞと行ってみたら、整数論など何にも
していなくて、論理学とか幾何学の基礎論をやっていて
ちっとも得るところがなかったとかで落胆してたんだろうか? 西野本の増補版には
少し期待するところがあったので
残念だ 抽象代数学史概講: 代数方程式から近代代数学へ 単行本 – 2023/2/2
J. グレイ (著), 三宅 克哉 (翻訳)
訳者まえがきが味わい深い 日本数学会はグレイを招いて
日本数学会で総合講演させるべき 群や環の定義から始めるのが抽象代数学かと思っていた 足立恒雄@q_n_adachi 2011年5月21日
数学の中心地を外れるに従って、攻撃的な人が増える現象がある。数学史の世界ともなるとさらに激しくなって、
かなりエゲツナイ他人の攻撃が見られる。すねのけりあいから足の引っ張り合いは数学の中心地にはない現象。
有名な東大科学哲学S教授のハラスメント事件がその代表的な例である。
たしかにS教授は意味もなく威張り散らす癖があって鼻持ちならないが、セクハラとは縁のない人物であることも間違いがない。
S教授をその座から引きずり降ろそうという暗闘が問題の中心であった。
2チャンネルに数千の投稿があったが、これはみな同一グループの多数を装った仕業だった。私は部外者だが、だれが首謀者かはわかる。
S教授(この3月に定年退職)は私が公平に付き合うから頼りにしているようだが、別にかばう気はない。しかしひどい目にあうものだとは思う。いやな世界だね。 日本数学史 単行本 – 2022/2/28
佐々木 力 (著)
最初はメソポタミアや中国の「モノの数え方」から。
最後は「フェルマーの最終定理」まで行きます。(日本の和算も入ってます)
各節の長さは3〜4頁ごと、読みやすいと思います。
とても綺麗な上製本で箱入り栞紐付き。
10年くらいかけて読むには充分なボリュームですね。
高瀬 正仁氏も数学史的な本を書いておられますが、個別の数学者毎に評伝を書かれていると思います。
総括的な数学史は、日本の著者によるのはこの本くらいしか目にした事が無いのですが… ネットを利用して人を貶めるという手口が
広まったために
人々は毀誉褒貶になれてしまった >>135
ネット以前から陰口なんて溢れかえってる。
人類学の勉強をサルからやり直したら?。 機体に穴があき酸欠状態に陥り
あと10分しかなく、必死に家族が待つ地球へ戻ろうとする様を描いています。
想像してみてください。
イヤフォンなど使うと、切羽詰まった感じと迫力が伝わると思います。
//youtu.be/oWs3yvVADVg 図を書いたらわかりかけてきた
論文の著者もこれをもとにイメージしだしたようだ 式の中身がやっと読めるようになったが
これを図で理解できるようにしないと 結局Hartogs triangleに毛の生えたようなものだと分かった できれば、上手くやった英雄話ばかりじゃなくて、
先人の犯していた誤りだとか、証明の誤りが後で判明した話とか、
解決が出来ずに煩悶した苦悩だとか、挫折の話などをこれでもか、
これでもか、と枚挙するような歴史伝が読みたいとは思わないだろうか。
光あるところに影有り。 正田家は天皇家と縁戚関係になったので、それっきりだったんだろうか? 正田建次郎は日清製粉グループ本社の創業者・正田貞一郎の次男として生まれた。
建次郎は天文学者・平山信の次女・多美と結婚し、
長男・彬(法学者・慶應義塾大学名誉教授)、長女・絢子、次女・さだ子の
1男2女をもうけた。多美の死後、建次郎は元九州大学教授・伊藤栄三郎の娘・禎子と結婚し
次男・紘(元ソニーチャイナ(中国)董事長(会長))をもうけた。 数学史 単行本 – 2010/3/5
佐々木 力 (著)
5.0 5つ星のうち5.0 3個の評価
単行本
¥14,691
数学は、人間の知識の中でも普遍的で確実な知識という特権的な地位を占めてきた。
そのような特異な知的営みは、歴史の変転の中でいかに創造され、
変容し、飛躍を遂げるのか。緻密な文献考証と該博な知識に基づき、
超越的存在のように見える数学を「歴史‐内‐存在」として位置づける。
五千年にわたる数学通史の決定版というべき大著。 吉田光由の師匠はカルロ・スピノラであったと推定されるが
数学史としては書かれない 藤原正彦氏が文芸春秋の8月号にそう書いたから
ある程度は語り継がれるだろう バチカンはガリレイに謝罪する前に
スピノラを福者に序した 少年ジャンプに連載すれば
「ヒカルの碁」の再来となるだろう >>161
こういうバカのたぐいがIUTみたいな宣伝の仕込みして恥かしくも思わずのうのうとしてるんやろな。 >>162
>>IUTみたいな宣伝の仕込み
PRIMS論文は残るよ >>160
スピノラを主人公にした物語が書かれたら読んでみたい 善は急げ
とはいうものの、気長に楽しみにお待ちしてます 10月に出る関孝和全集は
数学史の記述に大きな影響を与えるだろう 数学は苦手だったけど
暦とか時間は12進法とか60進法なんだけど、いつ誰がどこで編み出して計算したのか考えると気になってしまって、誰か教えて
wikiで12進法見ると、小難しい数字は並んでるけど歴史が載ってなかった Hartogsの解析接続と
Fatouの非接極限は1906年 >>170角川ソフィア文庫の「数学物語」に六十進法について書いてあった。著者は矢野健太郎。古代バビロニアで一年は360日とされており、一年の長さは円周に例えられていた。で、円周は半径で六等分できる事も知られていて、360を六等分した60を大切な数字と考えたのだろうと書かれていた。 >>172自己追記。古代バビロニアで一年を360日とした理由は別の本で読んだ。星が地平線のどの位置から現れてどこへ沈むかを毎日記録する人たちがいて、360日で元の位置に戻ってきたそうだ。 >>174うん、12進法は約数が多くてみんなで分ける時何かと便利。道具でも食べ物でも一束12個、一箱12個で保管したんだと思う。 >>172
数学物語読んでみる
360という数は約1年の日にちから来てるんですね
東洋でも十干十二支で60年で一巡したりと12と60が重要な数字になってるのも不思議
12は約数が多いので箱詰めしやすいという利点からダースが生まれたのは何となく分かる ニュートンが死んでマクスウェルが
出てくるまでの約百年間、
ブリテン島の数学は停滞し、
大陸側だけが発展したというのは何故ですか? >>177
俗に言われてるには
ライプニッツ記法を忌避したからって言われとるな。 とはいえ、小平の共同研究者は
Littlewoodの弟子 最近のLondon Journalには複素解析の
よい論文が出ている 幕末の16歳の少女が大学数学専攻以上の難問を解く : 庶民も担った “知の探究” を今に伝える算額
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c12802/ 算額の紹介で有名になった深川さんは
講演で宣教師たちが数学を教えたことを強調していたが
最近はそれを否定する説が唱えられだした 答えを図を書いてあるから大学院レベル、初等幾何だろ、盛りすぎ 訂正
答えを図を書いてあるから大学レベル、初等幾何だろ、盛りすぎ 19世紀末頃には
ヨーロッパでも初等幾何がはやっていた
刈屋他人次郎がフランスの雑誌に載った論文は
評判になり
「刈屋点」の名が残った。
そのころに発見された
Morreyの定理は今でも非常に有名。 刈屋以前にも何人かが再発見しているらしいが
刈屋論文で有名になった 和算が残ってるわけではない。初等幾何が残るんだよ。 道祖神、馬頭観音、奈良の大仏も残ってるけど、みんなが有難がるのは奈良の大仏 刈屋点は「幾何学大辞典」(岩田)にも「現代に活かす初等幾何学」(一松)にも残されている。 「差別なくなっては困る人たちと戦ってきた」と抗弁する
杉田に聞かせてやりたい 日本でユーリッドの言論研究してるの三浦さんくらいしか思い浮かばない そもそも、日本で数学史はどこの大学で研究できるの? 数学史の専門家に
石黒信義の業績を詳しく調べてもらいたい