数学者より哲学者の方が格上
>>525
前提を調べないバカは自殺するべき
猿の知能 前提が与えられていなければ
前提について考えなければならない。
神が必要なら作らなければいけない。 必要とされたときもあることを考えると
そういうときが来ないとは考えにくい ドイツの名宰相であったW.Blandは
石器時代が再来しないとは限らないと言っていた。 >>523
>いかにして哲学は100年前に滅亡したか
もっと前に死んでる説あり >>523
数学板では1と4以外要らない
要するに
ラッセルはフレーゲの無制限の内包公理を葬り去り
ゲーデルはヒルベルトの無矛盾性証明計画を葬り去った
どっちも別にアンチだったわけではなく
むしろその方向に共鳴していたにも関わらず
不都合な事実に気づいてしまった >>534
それなんよな
ラッセルはフレーゲの論理学をより強化しようとしたし
ゲーデルらヒルベルトプログラムを完成させようとした シェファードソンの表現定理により、ゲーデルの第一不完全性定理は任意の論理式のΣ1集合にまで拡張されました。
具体的には、シェファードソンは以下のことを示しました:
1. ロビンソン算術Rと同じ定数を持ち、Rと矛盾しない任意の再帰的可算理論Sにおいて、すべての再帰的可算集合が表現可能である。
2. 任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合{n|S ⊢ φ(n)}は再帰的可算である。
3. したがって、任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合に対して、その無矛盾性(つまり∃x ¬φ(x)の無証明性)はSの中で証明不可能である。 これはゲーデルの第一不完全性定理の大幅な一般化です。ゲーデルの原定理ではペアノ算術PAにおけるある特定の算術的論理式の無証明性が示されましたが、シェファードソンの結果により、PAよりはるかに一般的な体系でも、任意のΣ1論理式で定義される集合の無矛盾性は証明不可能であることが分かります。
これにより、ゲーデルの不完全性定理が算術の枠を超えて、一般的な形式体系の本質的な限界を示すものであることが明らかになりました。シェファードソンの業績は、不完全性定理の意義を大きく広げたと言えるでしょう。
参考文献:
Shepherdson, J. C. (1961). "Representability of recursively enumerable sets in formal theories". Archive for Mathematical Logic, 5(3-4):119-127. シェファードソンの表現定理は、ゲーデルの不完全性定理の適用範囲を算術の体系だけでなく、任意の再帰的可算集合(r.e.集合)まで拡張したものです。
シェファードソンの論文の内容を要約すると以下の通りです。
1. ロビンソンの体系Rを含む任意の無矛盾なr.e.理論において、すべてのr.e.集合が表現可能であることをエーレンフォイトとフェファーマンが示した。シェファードソンはこれを対角線論法を使って直接的に証明した。
2. 任意の無矛盾なr.e.理論において、互いに素なr.e.集合の対α,βに対し、αを表現しかつ~φがβを表現するような論理式φが存在することを示した。
3. コブハムの結果を使うと、Rと同じ定数を持ち、Rと両立するようなr.e.理論ではすべてのr.e.集合が表現可能であることが示せる。
つまり、シェファードソンはゲーデルの不完全性定理がペアノ算術のような特定の体系に限らず、広範なクラスの論理体系に適用可能であることを示したのです。 その後、不完全性定理はさらに強力な形に一般化されていきました。
菊池-倉橋(2017)は、算術のΣn-definable理論に対してゲーデルとロッサーの不完全性定理を一般化しました。任意の無矛盾なΣn+1-sound理論はΠn+1文で不完全であり、Πn+1-definableな理論の場合は任意のΠn+1文が無矛盾ならば証明不可能であることを示しました。
さらにヴィッサー(2020)は、ゲーデルの第二不完全性定理を導出可能性条件を満たすような一般的な述語論理の体系に拡張しました。PA自身の無矛盾性よりずっと弱い仮定から不完全性が導けることを示したのです。
このように現在でも不完全性定理の適用範囲はどんどん拡張されており、論理学の広い領域をカバーするようになっています。どこまでが限界なのかはまだわかっていませんが、ゲーデルの革新的な発想が驚くほど広範な論理体系に通用することが明らかになってきたと言えるでしょう。 実験なしに物事の真偽が判明することはあり得ない
その真偽の1ビット情報を何もないところから取り出せるなら
それは情報熱力学による情報とエネルギーの等価性に基けば
何もないところから無限のエネルギーを取り出せることを意味する
つまり哲学はフリーエネルギーのオカルトと同じであるwwwww
真偽値1ビットの情報は現実世界と仮説を比較することで情報=エネルギーが現実世界から移動してきて初めて得られるのだmwwmmwm
このことからゲーデルの不完全性定理は論理学の問題に限られないことがわかる
現実世界と比較しない全ての想像に対して成り立つと考えるのが自然 ゲーデル完全な体系というのは単に公理に含まれた情報を体系内で移動させるだけで真偽値がわかるというだけの話w ゲーデル不完全性定理&シェファードソンの表現定理による拡張
→密室殺人などできるはずがないという物理法則
哲学
→密室殺人を実行したと言い張る犯罪者
爆発律
→密室殺人でよくあるトリックでこれを手がかりに逮捕できる
ラッセルのパラドックス
→爆発律トリックによく使われる材料の1つ
異なる対象を同一の記号で表してしまう
→爆発律トリックによく使われる材料の1つ
循環論法
→これは爆発律とは別のトリックでよくあるパターン
これで犯人探しをするから
・犯行が行われてることが確定する
・犯人がどんなトリックを使うかわかる
のですぐに逮捕できるというロジック >>1
数学と哲学はどちらも人類の知性の営みとして重要な学問であり、どちらが優れていると断言することはできません。
しかし、数学は論理的な思考と厳密な証明を重視する学問である一方、哲学はより幅広い視点から人間の存在や価値観などを探求する学問であると言えるでしょう。
従って、数学者は論理的な思考力に優れている一方で、哲学者は柔軟な思考力や洞察力に優れているという傾向があると言えます。
どちらの学問が優れているかは、個人の価値観や興味によって異なるでしょう。
数学的な論理的な思考力と、哲学的な柔軟な思考力、どちらもバランスよく持ち合わせてこそ、真の知識人と言えるのではないでしょうか。 日本文化に初めて触れたが欧米人たちが
日本人のことを
「洞察力に富む人たち」と褒めた裏には
論理性と対話に乏しい文化への批判が
隠れている。 という主張の理由を付して
もっと論理性を高める努力が必要と思われる