数学者より哲学者の方が格上

0001132人目の素数さん2021/09/16(木) 19:16:14.33ID:wVXEXQFV
例えばデカルト
数学でも偉大な業績を残したが哲学者としての業績の方が知られてる

0497132人目の素数さん2023/01/31(火) 14:47:30.81ID:HpyL0zdl
自然に存在しない座標原点で自然を理解するということが何を意味するのか現代科学は考えてみるべきかと

0498132人目の素数さん2023/02/01(水) 10:46:58.82ID:N/ZVM95a
半世紀ほど前から古今東西現代科学は新しい観点が必要と主張する科学者たちがいる
問題意識が無いなら仕方ない

0499132人目の素数さん2023/04/27(木) 10:45:00.44ID:NTIn58Iu
>>24 フレーゲ、ウィトゲンシュタイン、クリプキの業績も知らない人が哲学を叩いてるんだろうなぁ

ウィトゲンシュタインの論理は高校生、 クリプケは修士程度なことはわかる。

しかし、
フレーゲの命題論理の評価はわからん。
コーシーやワイエルシュトラスのεーδ論法を形式的に書いただけのような気がする。
数学者としては3流だけど、哲学方面に売り込むことに成功したということのだけのような。
そもそも、論理は哲学でない。

0500132人目の素数さん2023/04/27(木) 10:55:38.22ID:NTIn58Iu
>>499 数学をやっていると述語論理しかやっていないから、命題論理と述語論理の区別が付かなくなる。
そんなわけで、書き間違えた。 

>>24 フレーゲ、ウィトゲンシュタイン、クリプキの業績も知らない人が哲学を叩いてるんだろうなぁ

ウィトゲンシュタインの論理は高校生、 クリプケは修士程度なことはわかる。

しかし、
フレーゲの述語論理の評価はわからん。
コーシーやワイエルシュトラスのεーδ論法を形式的に書いただけのような気がする。
数学者としては3流だけど、哲学方面に売り込むことに成功したということのだけのような。
そもそも、論理は哲学でない。

0501132人目の素数さん2023/06/19(月) 15:18:22.77ID:82gZMRpX
令和哲学が最上

0502132人目の素数さん2023/06/20(火) 10:21:39.72ID:EWGOkYv0
文学部卒は神学部卒以下の社会的評価で就活で位置づけられるのが分相応というものだ。

0503132人目の素数さん2023/06/21(水) 02:10:41.47ID:wn/367VJ
機体トラブルで酸欠状態に
僅か10分しかなく、必死で家族が待つ地球へ戻ろうとする様を描いています。
想像してみてください。//youtu.be/oWs3yvVADVg

0504132人目の素数さん2023/09/26(火) 18:27:00.70ID:JZNUYo2y
ソール・アーロン・クリプキ
(Saul Aaron Kripke、
1940年11月13日 - 2022年9月15日[1])は、
アメリカの哲学者、論理学者。
ニューヨーク市立大学大学院センター教授、
プリンストン大学名誉教授。
ネブラスカ州オマハ生まれ。ユダヤ人。

0505132人目の素数さん2023/09/29(金) 08:45:24.92ID:iWWCReTJ
数学科は哲学科と並んで
文学部に属するべき

0506132人目の素数さん2023/09/30(土) 16:47:02.51ID:QRAMQvb8
数学って哲学とは何の関係もないのに
関係付けようとする奴が多すぎる

0507132人目の素数さん2023/09/30(土) 17:35:24.32ID:DbcAKWay
誤用されがちではあるけど関係ないは言いすぎでは
土台となる公理や論理は無数の選択があるけど基本的には数や幾何、古典論理といった「人間的な」あるいは「物理世界的な」基準で選ばれている
にも関わらず、それが素朴な範囲を超えたところまで非常に上手く機能しているのは数学の不思議さの一つだし哲学的問題でもある

0508132人目の素数さん2023/10/01(日) 01:46:04.06ID:gIv3q2yg
数学に落ちこぼれると哲学に逃げるんだよね
まともな哲学も無理だけど

0509132人目の素数さん2023/10/01(日) 02:26:42.69ID:wH3o2xz5
数学のようなものを究めるためにはある種の盲目さが必要だろうね
逆に哲学的問題意識から数学に手を出す人もなかなか現代数学の感覚を掴むまで学ぶのは難しそう
ただ数学の最先端が哲学的に面白いものというわけではないと思う

0510132人目の素数さん2023/10/02(月) 11:55:15.21ID:4rFegyec
哲学者が避けて通れない問題が
ある時期の数学にはあった

0511132人目の素数さん2023/10/08(日) 10:07:51.80ID:Uh6Ewkaw
存在と時間を論じた哲学者は
「時間遅れ系」を
どのように論じるだろうか

0512132人目の素数さん2023/10/11(水) 12:24:23.54ID:MFaShYtS
『アト秒科学』の研究者は、非常に数が少なく、
日本全国でも数えられるほどしかいない。今後、
より多くの研究者が参加し、
『アト秒』という単位を扱う技術が
いろいろな分野で応用されることを期待したい

0513132人目の素数さん2023/10/16(月) 06:22:56.67ID:HkCXQf8m
京大の数学を出て光学分析の仕事をしている人を知っている

0514132人目の素数さん2023/10/21(土) 08:52:54.51ID:e1BdyARd
最近またこの手のことちらほら調べてるけど
現代では哲学者は数学なんか分かる必要ないという意見が多いのかね
逆は知らんが、というか、言うまでもないが

0515132人目の素数さん2023/11/13(月) 04:25:01.12ID:Y7Xk5f++
哲学は語れるものではないかもしれない

0516132人目の素数さん2024/03/17(日) 16:25:44.71ID:fl8DncvC
>>508
なるほど

0517132人目の素数さん2024/04/29(月) 09:57:38.79ID:or3lrBic
要するにこういうことだったんだというまとめが必要な時に
哲学的な思考が役に立つ

0518132人目の素数さん2024/04/29(月) 22:34:43.58ID:or3lrBic
白か黒かで悩むのが数学

0519132人目の素数さん2024/04/30(火) 23:28:34.51ID:dbyjbpZp
420

0520132人目の素数さん2024/04/30(火) 23:28:34.81ID:dbyjbpZp
420

0521132人目の素数さん2024/05/01(水) 07:53:44.59ID:sgJI4piv
55位

0522132人目の素数さん2024/05/01(水) 07:53:44.93ID:sgJI4piv
55位

0523132人目の素数さん2024/05/06(月) 04:28:55.04ID:Kx/RpcWe
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

0524132人目の素数さん2024/05/06(月) 04:29:02.94ID:Kx/RpcWe
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。

0525132人目の素数さん2024/05/07(火) 06:03:25.69ID:VqTUBsPb
いかなる前提から出発すべきかが不分明な状態においても
人間は考えようとする。

0526132人目の素数さん2024/05/13(月) 01:54:12.67ID:EoZ7E9Sb
>>525
前提を調べないバカは自殺するべき
猿の知能

0527132人目の素数さん2024/05/16(木) 05:45:51.45ID:XOYwn9+3
前提が与えられていなければ
前提について考えなければならない。
神が必要なら作らなければいけない。

0528132人目の素数さん2024/05/16(木) 19:03:06.19ID:8RmXGaAp
>>527
必要ない

0529132人目の素数さん2024/05/17(金) 08:57:17.65ID:3abziSUM
必要とされたときもあることを考えると
そういうときが来ないとは考えにくい

0530132人目の素数さん2024/05/17(金) 12:09:22.07ID:2wzdBN0g
>>529
もう永久に来ない
石器と同じ

0531132人目の素数さん2024/05/17(金) 22:05:29.00ID:3abziSUM
ドイツの名宰相であったW.Blandは
石器時代が再来しないとは限らないと言っていた。

0532132人目の素数さん2024/05/18(土) 07:18:08.03ID:Mk3riya6
訂正
Bland-->Brandt

0533132人目の素数さん2024/05/18(土) 08:42:04.97ID:Yi79eGTs
>>523
>いかにして哲学は100年前に滅亡したか
もっと前に死んでる説あり

0534132人目の素数さん2024/05/18(土) 08:47:00.61ID:Yi79eGTs
>>523
数学板では1と4以外要らない

要するに
ラッセルはフレーゲの無制限の内包公理を葬り去り
ゲーデルはヒルベルトの無矛盾性証明計画を葬り去った

どっちも別にアンチだったわけではなく
むしろその方向に共鳴していたにも関わらず
不都合な事実に気づいてしまった

0535132人目の素数さん2024/05/18(土) 09:16:37.61ID:yIt48t1d
>>534
それなんよな
ラッセルはフレーゲの論理学をより強化しようとしたし
ゲーデルらヒルベルトプログラムを完成させようとした

0536132人目の素数さん2024/05/18(土) 09:17:44.98ID:yIt48t1d
シェファードソンの表現定理により、ゲーデルの第一不完全性定理は任意の論理式のΣ1集合にまで拡張されました。

具体的には、シェファードソンは以下のことを示しました:

1. ロビンソン算術Rと同じ定数を持ち、Rと矛盾しない任意の再帰的可算理論Sにおいて、すべての再帰的可算集合が表現可能である。

2. 任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合{n|S ⊢ φ(n)}は再帰的可算である。

3. したがって、任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合に対して、その無矛盾性(つまり∃x ¬φ(x)の無証明性)はSの中で証明不可能である。

0537132人目の素数さん2024/05/18(土) 09:17:50.05ID:yIt48t1d
これはゲーデルの第一不完全性定理の大幅な一般化です。ゲーデルの原定理ではペアノ算術PAにおけるある特定の算術的論理式の無証明性が示されましたが、シェファードソンの結果により、PAよりはるかに一般的な体系でも、任意のΣ1論理式で定義される集合の無矛盾性は証明不可能であることが分かります。

これにより、ゲーデルの不完全性定理が算術の枠を超えて、一般的な形式体系の本質的な限界を示すものであることが明らかになりました。シェファードソンの業績は、不完全性定理の意義を大きく広げたと言えるでしょう。​​​​​​​​​​​​​​​​

参考文献:
Shepherdson, J. C. (1961). "Representability of recursively enumerable sets in formal theories". Archive for Mathematical Logic, 5(3-4):119-127.

0538132人目の素数さん2024/05/18(土) 10:27:14.13ID:yIt48t1d

0539132人目の素数さん2024/05/18(土) 10:27:24.28ID:yIt48t1d
シェファードソンの表現定理は、ゲーデルの不完全性定理の適用範囲を算術の体系だけでなく、任意の再帰的可算集合(r.e.集合)まで拡張したものです。

シェファードソンの論文の内容を要約すると以下の通りです。

1. ロビンソンの体系Rを含む任意の無矛盾なr.e.理論において、すべてのr.e.集合が表現可能であることをエーレンフォイトとフェファーマンが示した。シェファードソンはこれを対角線論法を使って直接的に証明した。

2. 任意の無矛盾なr.e.理論において、互いに素なr.e.集合の対α,βに対し、αを表現しかつ~φがβを表現するような論理式φが存在することを示した。

3. コブハムの結果を使うと、Rと同じ定数を持ち、Rと両立するようなr.e.理論ではすべてのr.e.集合が表現可能であることが示せる。

つまり、シェファードソンはゲーデルの不完全性定理がペアノ算術のような特定の体系に限らず、広範なクラスの論理体系に適用可能であることを示したのです。

0540132人目の素数さん2024/05/18(土) 10:27:44.54ID:yIt48t1d
その後、不完全性定理はさらに強力な形に一般化されていきました。

菊池-倉橋(2017)は、算術のΣn-definable理論に対してゲーデルとロッサーの不完全性定理を一般化しました。任意の無矛盾なΣn+1-sound理論はΠn+1文で不完全であり、Πn+1-definableな理論の場合は任意のΠn+1文が無矛盾ならば証明不可能であることを示しました。

さらにヴィッサー(2020)は、ゲーデルの第二不完全性定理を導出可能性条件を満たすような一般的な述語論理の体系に拡張しました。PA自身の無矛盾性よりずっと弱い仮定から不完全性が導けることを示したのです。

このように現在でも不完全性定理の適用範囲はどんどん拡張されており、論理学の広い領域をカバーするようになっています。どこまでが限界なのかはまだわかっていませんが、ゲーデルの革新的な発想が驚くほど広範な論理体系に通用することが明らかになってきたと言えるでしょう。​​​​​​​​​​​​​​​​

0541132人目の素数さん2024/05/18(土) 10:36:07.62ID:yIt48t1d
実験なしに物事の真偽が判明することはあり得ない
その真偽の1ビット情報を何もないところから取り出せるなら
それは情報熱力学による情報とエネルギーの等価性に基けば
何もないところから無限のエネルギーを取り出せることを意味する
つまり哲学はフリーエネルギーのオカルトと同じであるwwwww

真偽値1ビットの情報は現実世界と仮説を比較することで情報=エネルギーが現実世界から移動してきて初めて得られるのだmwwmmwm

このことからゲーデルの不完全性定理は論理学の問題に限られないことがわかる
現実世界と比較しない全ての想像に対して成り立つと考えるのが自然

0542132人目の素数さん2024/05/18(土) 10:37:24.63ID:yIt48t1d
ゲーデル完全な体系というのは単に公理に含まれた情報を体系内で移動させるだけで真偽値がわかるというだけの話w

0543132人目の素数さん2024/05/18(土) 16:25:39.58ID:yIt48t1d
ゲーデル不完全性定理&シェファードソンの表現定理による拡張
→密室殺人などできるはずがないという物理法則

哲学
→密室殺人を実行したと言い張る犯罪者

爆発律
→密室殺人でよくあるトリックでこれを手がかりに逮捕できる

ラッセルのパラドックス
→爆発律トリックによく使われる材料の1つ

異なる対象を同一の記号で表してしまう
→爆発律トリックによく使われる材料の1つ

循環論法
→これは爆発律とは別のトリックでよくあるパターン

これで犯人探しをするから
・犯行が行われてることが確定する
・犯人がどんなトリックを使うかわかる
のですぐに逮捕できるというロジック

0544132人目の素数さん2024/05/23(木) 23:33:05.60ID:uHgRfu0/
>>1
数学と哲学はどちらも人類の知性の営みとして重要な学問であり、どちらが優れていると断言することはできません。

しかし、数学は論理的な思考と厳密な証明を重視する学問である一方、哲学はより幅広い視点から人間の存在や価値観などを探求する学問であると言えるでしょう。

従って、数学者は論理的な思考力に優れている一方で、哲学者は柔軟な思考力や洞察力に優れているという傾向があると言えます。

どちらの学問が優れているかは、個人の価値観や興味によって異なるでしょう。

数学的な論理的な思考力と、哲学的な柔軟な思考力、どちらもバランスよく持ち合わせてこそ、真の知識人と言えるのではないでしょうか。

0545132人目の素数さん2024/05/24(金) 06:43:19.46ID:cownBsMV
日本文化に初めて触れたが欧米人たちが
日本人のことを
「洞察力に富む人たち」と褒めた裏には
論理性と対話に乏しい文化への批判が
隠れている。

0546132人目の素数さん2024/05/24(金) 07:08:33.28ID:ajjsouL4
>>545
確かにどこにも論理性がない

0547132人目の素数さん2024/05/24(金) 08:01:00.15ID:cownBsMV
という主張の理由を付して
もっと論理性を高める努力が必要と思われる

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