数学の本第78巻
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>668 >もちろんこんな本は出版してもらえない。 電子書籍なら無問題ではないでしょうか? 微分積分の本で言えば、 Michael Spivak さんの本くらいの丁寧さは必要だと思います。 スチュワートさんのスタイルで厳密な数学の本を書いてくれればベストですね。 >>649 εδは田島でわからなかったら埋める行間は無い 行間を埋める という概念の基本原則は、より初等的な表現によって埋める、ということだと思います。 述語論理がわかってない読者に対して「初等的な表現で埋める」のでは足らない 関係ない話をたーくさんやるしかないだろうね 誰かが丁寧に書いてくれたらボクちゃんでもすぐわかるのに と思ってるんだろうなあ マンツーマンならともかく人それぞれ理解の仕方が違うから万人向きの本はできない 電子書籍でポップアップは行間を埋めるくらいはできても根本的にわかってないなら どうしようもない 松坂君は、ボクちゃんがわかる本を書けない著者が悪いんだ!ってずっとごねておけ やたら長文が多いと思ったら行間批判か。どのレベルで数学やってんだろ。 僕はインテリ層のプライドに1%も共感を感じないんですが やっぱり専門数学の業界では多くの人(?)が難しい本を読みこなすことにプライドと結びついていると言うことをつくづく感じますね 「俺はこんなに難しい理論を理解しているんだぞ」という意識を感じる その意識だけなら個人の中にしまって置いてくれたらそれでいいんだが、その意識が、 「数学は行間に悩んで悩み尽くして力を付けていくものだ」かのような精神論を言いたげな感じで表に出てくるのは害悪だと感じます スポーツの世界における精神論(現在は多少収まったが。)を思い起こされます。 そういう、インテリ界の知的競争意識みたいなのが当人にとってのモチベーションになってるんでしょうがね。 数学書の行間を丁寧に埋めて出版したら、何冊も買って読むような人にとっては、 電子書籍では容量オーバーの問題が生じかねないし、紙媒体の数学書でも本の分厚さの問題が生じて、 何れの媒体で数学書を読むにせよ、保管のときの問題が生じかねないだろうよ。 日本だと、本屋とかの数学書を売る側の方も、売る書籍の保管に困るだろうよ。 行間を完全に埋めたら400ページの本が数千ページになるんじゃないか? それで分かり易いか?大体そんな本誰が書くの? そういう理由で行間が埋まっている本なんてないんでしょ。 でも、ある分野の人が皆読むような定番の教科書があるなら、 その本の行間を完全に埋めて、章末の問題の丁寧な解答が書かれている本があると嬉しいよな。 各章ごとに1冊づつになってたりして。 新しく中途半端な本なんか書いてくれなくていいから。 >>636 >>682 は、>>636 へのレス。 そもそも、行間を埋めた数学書を発行して売ることは、 国土が狭く人口密度が高い日本のような国では、余り馴染まない。 主な理由は>>682 に書いてある。各読者が、行間を埋めて読むしかない。 岩波数学辞典が最近の版で分厚くなりすぎたのを連想してしまった。 書き手を分担しないと書く側の体力・根気が続かないし、気の利いた図やイラストを入れるセンスを求めるのも、定理証明に慣れてる専門家に求めるのは無理。 まして電子ブックで気の利いたポップアップを出せるような著者は見当たらない。 もう一つ、教科書執筆が評価されて補助金も出るような体制が作られないと、執筆者や出版社の負担が大きすぎて多くの購買層がいる英語圏と同じ水準を求めるのは難しいよ。 むしろ専門教育の予算は削られているのが現状。色々と変えるべきと思うけど政治と予算が別な問題でもあるよね。 負担が大きいうえにせっかく出版しても細かい誤植の訂正や証明批判への対応やらで、執筆者や出版社が改定・改版の意欲を無くしてしまう問題もあるよ。 版を重ねながら内容が充実するという文化が、日本の数学書では失われているからね。 印税÷執筆時間 を考えたら日本語の数学の本は割に合わんからなあ 教科書書いたら国から教育予算が増えるわけでもない 大学の先生は昔ほど暇じゃないから教科書は後回しになるね 英語で書けば良いだけのこと。 横文字で教科書を書かない、書けないのは無能だから。 もともと数学のできない人向けにわかりやすい本を書くって話だったのに 英語で書けばって… ちなみに初歩入門レベルは母語で学習するのが良く、 ワザワザ英語とかのテキストを使うメリットは無い というのが定説。 適当な入門書が母語で無い場合は仕方ないが。 >>690 例えば、微分積分にしても、まともな和書なんて数えるほどしかないですよね。 「出離の道を求めるに非ずんば、一行たりとも読むな。」 岡先生のこの言葉は、本当に深く重い。 数学は、"出離の道"を求めることそのものということだろう。 論文が書きたいとか、周りから認められたいとか、 アカデミックポストが欲しいとか、早く教授になりたいとか、 権威ある賞を得たいとか、名声が欲しいとか、お金が欲しいとか、 高度な数学ができる人間として一目置かれたいとか、 専門外の数学がこんなにできるなんて、なんと頭がよいと驚かせたいとか、 ついでに数学の好きなかわいい女の子たちにもてたいとか、 そんな私利私欲や煩悩の塊のような、さもしい心しか持てないなら、 数学の論文や書物を一行も読んではならないという意味だろう。 まさに数学することの本質をついた名言だ。 必修科目の単位が欲しいとか、卒業したいとかは、それこそ言わずもがな。 内定もらったから卒業できないとヤバイので先生お願いしますは論外中の論外。 そんな邪な心しかないなら、たとえマセマでも読んではならないのだ。 本当に素晴らしい教えだ。しかし、逆に考えれば、出離の心で読むのであれば、 マセマのようなもので勉強しても良いことになる。 実に深い。さすが岡先生は素晴らしい。 行間が広いのか狭いのかってのは、著者が読者として想定している層によって決まるんだぞ?プライドとか出版事情とかそんなことではない。 読者は自分に合った本を探せ。行間が気になって仕方ないのならその本はお前にとってただのミスマッチだ。変な勘ぐりはやめてもらいたい。 行間があることに気付かないってケースの方が遥かに多い ゼミで突っ込まれて立ち往生した経験があればわかるよね >>693 岡の言葉は学生に自身の論文を渡したときの発言。 どんなテキストにも当てはまる話でもないと思う。 岡が自分の論文に自身を持っていたということでもある。 >>695 もし批判的態度で慎重に読んでないなら、隠された行間に気付かないのも仕方ないわな。 >>693 >出離の心で読むのであれば、マセマのようなもので勉強しても良いことになる。 マセマには、そこから何かを読み取れるとかいったような要素はないだろう。 さすがにマセマで勉強というのはない。 >>696 岡先生は、数学に限っていえば優秀な人だし、 フランス語にも堪能な人ではあったのだが、 それ以外の話になると、必ずしも優れたヒトでは なかった。 「マッカーサーが『日本人の精神年齢は、十二歳だ』 と言った」とかいう話をマジで信じて、新聞紙上で 言っちゃったのは、そのあたりの問題が あったんだろうと思う(『春宵十夜』)。 実際は、マッカーサーは、「ドイツは、ワイマール憲法 以来の民主主義の伝統があるので、民主主義においては 成人だけれども、日本の民主主義はティーンエイジャー (十二歳はトゥエルブだが、十三歳はサーティーンなので ティーンエイジャー)に達していなかった」と擁護した、 という経緯を理解していなかった。 そのあたりを考えると、「数学者・岡潔」と 「人間・岡潔」と、「社会人・岡潔」は、 別枠で考える必要があると思うので、 「数学の本」という括りでいうと、 そのあたりは分別するのが望ましいと 思われ。 『圏論入門(数学のかんどころ)』のレビューひどいなあ 著者は河合塾で教えている? 授業は成り立っているのだろうか >>697 態度の問題にしてはいけない。 自分がちゃんと読めてるかどうか他人に検証してもらう仕組みの問題。 ガロア理論スレで正規部分群の定義を間違えて理解したまま数年間レスしつづけていた人がいて、独学者の悲惨さを感じた。 AwodeyのCategory Theoryを訳した人か 数学に限らず、自分がどこをどこまでちゃんと理解できて・出来ていないかをメタ認知するのは大人として当然なんだが 数学に関しては普通の人なら大学に行かないとできないことがあるな 講義なんて出てなくてもいいんだが まあ自分は天才だ、大学はクソって思ってるのが数学板にはいそうだし 某スレのスレ主も俺が一番って思ってないと我慢できないタイプ >>706 正規部分群の定義をわかってなかった人か とにかくおまえらは数オリから始めろ 話はそれからだ >>707 妙にネットの記事だけ読んでわかった振りしてただけに なんか本当に哀れだった でも本人へこたれてないというか根本的に勉強の仕方がわからないんだろうね 意地張って周りの忠告を馬鹿にして先に進めない素人は他にも多いのだと思う 私も自分の隣接分野で勉強しておいた方がいいと思っていたことを 真面目に勉強してこなかったから未だにそっちの研究がしっくりとわからない >>709 そのスレ見てないけど、素人数学ファンの人? だとしたら、たまにいるよね。 最近知り合ってしまったメンヘラのおばはん がにわか数学ファンで、妄想だけ膨らませて 色々言って来られて超うざいわ。 そっと距離を置けばいい話じゃない? 批判のエネルギー、数学に向けようよ >>711 高名な数学者はその手の愛好家に悩まされるようだ 森重文の退職記念講義は最後に質問コーナーがなくて不思議だったが、どうもおかしな人の質問を避けるためだったみたい なるべくスルーしてるけど、共通の知り合い もいるからFBとかで絡んで来られるとスルー しにくい。 少しずつスルー頻度を上げていくわ。 Amazon.comで9月30日まで1度に100ドル以上テキストを購入で10%引きですね。 ↓を買うかもしれません。 Topology from the Differentiable Viewpoint by John Willard Milnor Link: http://a.co/d/fa9Acbo Differential Geometry of Curves and Surfaces: Revised and Updated Second Edition (Dover Books on Mathematics) by Manfredo P. do Carmo Link: http://a.co/d/bUjq7dk Differential Topology (AMS Chelsea Publishing) by Victor Guillemin et al. Link: http://a.co/d/7W6Csyy >>712-713 あれは配慮だったんだね、そうかなと思ってた 批判と怒りって、自分で思ってる以上に脳と精神のリソースを食うのよ スルーなり距離を置くなり、心の平安を守れるのは自分の行動だけ >>704 メタ認知には死角(錯覚)があるのよ でもそこに落とし穴と人が伸びる急所がある >>701 >>705 の理由もここにある >>701 定期的に人前で説明する機会を持つべきだね。 細かい証明まで、すべてやった方がいい。 ネットだと、わかってないバカ、ググレカスみたいに言われたりするけど それを親切と思って考え直せる人じゃないと少なくとも5chは向かないだろうな こじらせちゃったのは何人か見た Kingとか生きてんのかw あいつも全然バカではなかったがずれてたな Kummerも色々なこと知ってた割りに独学の哀しさかだんだんおかしくなった どっかのスレ主もそうだが、人の批判を受け付けないのが共通している 独学者のほとんどは金が無い、暇が無い、コミニュティと縁が無いで結局折れる。 >>712 >森重文の退職記念講義は最後に質問コーナーがなくて不思議だったが、どうもおかしな人の質問を避けるためだったみたい 在職中にいろいろ恨みかってない? 微分位相幾何学 Victor Guillemin 固定リンク: http://amzn.asia/d/eZlsE5C ↑翻訳はやはりひどいですか? やはり↓を買ったほうがいいですかね? Differential Topology (AMS Chelsea Publishing) by Victor Guillemin et al. Link: http://a.co/d/7W6Csyy >>693 一神教的な欧米人アラブ人は常に神の前に謙虚になることを求められる 東洋人は信じるものを持たない野蛮人なのでナルシシスト、エゴイストだらけ その反面、欺瞞的な建前論を取り繕うことだけは一応上手だけど これはネットを見ててもとても強く実感する 見方によっては先生は、学問に取り組むに欠かせない謙虚さを得るため 仏道修行を取り入れたりしてたんでしょう 夏目漱石を読んだりしてたのもこういう動機からなのかも >>723 まぁ、それ言うたらエルデーシュはどうなのよ、 ってな話もあるわけだが(笑) ハンガリーだからヨーロッパやアメリカとは 別枠、っちゅー話はあるかもしれんけど。 イスラエル出身の数学者もけっこういるので、 むしろ民族性やら宗教性やら思想性やらを 振り切るために、数学をやってんじゃないか という気もしないでもない。 >>701 >自分がちゃんと読めてるかどうか他人に検証してもらう仕組みの問題。 ダメな準備をして他人に検証してもらったら、やはりゼミでは突っ込まれて立ち往生食らう。 例えば、誤植、脱字、証明なしでの「自明」とかの断り書き、具体例の構成、 或いは読む何かの順序が論理的順序が入れ替わって書かれていること、 或いは実は証明出来る事柄が証明なしに単文や節或いは式などで 次々と本文中に(間違って)書いていたりするような形式の説明、 或いは、本文中で前に書かれた形式の説明を飛躍させて書いた本文中の説明のことなどを、 >>695 では「行間があることに気付かないケース」といっていた可能性はある。 >>697 に書いた「批判的態度」とは「批判的な精神を持った態度」を指していて、 その検証してもらう仕組みの問題も、基本的には他人に検証してもらう側(自分)の問題に帰着される。 >>727 そのレスで頭が堅くて悪いことがわかっちゃうよね >>726 そうそう、昔の本だと>>725 のようなことはしばしばある。 他にも、重要な定理が演習になっていて、それが後の説明で 空気のように暗黙に使われていたり。 >>728 「頭が堅い」とか「頭が悪い」というのは、単文で書かれても、 どのように堅いのか、どのように悪いのかが説明されてなく、多義的解釈が出来る。 >>731 はじめにこちらが書いた>>725 に対して、>>726 が突っかかって来て相手した。 概して「頭が悪い」という表現は、意味ははっきりとは定まってなく、何通りかの解釈が出来る。 カール・ポパーの反証主義とか そのあたりを踏まえて議論するのが 建設的じゃねぇのかな? 相手にしなきゃいいのに 言われてムカついちゃったのかな? ttp://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~yasuyuki/sem.htm 昔、そのホームページのどこかにゼミの準備の仕方や心得とかについて事細かに書いていたけど、 今ではそれは何か更新されているようだ。サイトによると、 サラリーマンの勤労時間とセミナーの準備時間とを関連付けて説明していて 1回のゼミの準備に100時間以上かけてもおかしくはないようだ。 このようなことは昔から変わっていなく、今でも書かれてある。 >>734 「頭が悪い」という単文は「頭が(どのように)悪い」のかが 説明されていない点において、客観的な説明にはなっていない。 その点で、頭ごなしに「頭が悪い」ということは好まない。 要するに、自分がちゃんとしてれば大丈夫っていうのは独りよがりに過ぎないってこと。 >>736 独学は「何とかなるさ」という考え方でないと出来ん。 高度な概念を覚えていくうちに、昔の学習事項を見直す機会もそのうちある。 また、先書いたような事柄は、或る意味演習問題でもある。 >>739 当の本人はそういわれることについて繊細らしい。 セミナーの準備についてのサイトが他に見つからなかった。 >>738 独学のようで、どこかで誰かに教えてもらったことが 役に立ったという話もある 別に専門的な数学で無くても >>740 河東のサイトを参考にして自大学の学生に合うように書き直して 配布してる人は知ってる 東大でアカポス目指す学生でなければもう少し気楽にやっても良い 数学書を読みやすくするための要求 要求1 ある定理の証明内で示された数式(や行われた議論)を、他の証明内から引用するのはやめて下さい。 つまり、証明は1つ1つ独立させて下さい 要求2 P(x,y)を述語とする時、∀x∃yP(x,y)を主張する時に「全てのxに対して、P(x,y)を成り立たせるようなyが存在する」という日本語和訳表現を使うのはやめて下さい。 「全てのxに対して、yが存在して、P(x,y)が成立する」等の言い方にして下さい 要求3 本編で証明されるべき事柄を一部演習問題にするのは構いませんが、その逆はやめて下さい。 つまり、本編における議論・証明に於いて演習問題(の結果)を引用するのはやめて下さい。 要求4 集合を定義する時は、X={α|αは○○を満たす}のように内包的記述をして下さい。 「○○を満たす物全体のなす集合をXとする」のように書いてTeXの手間を略さないで下さい。 要求5 証明の“主骨格”が背理法なら、きちんと「○○であると仮定する」と述べて下さい。 (主骨格が背理法にもかかわらず、あたかも何かを証明しようと議論進んでいるように見せかけて、最後の最後に○○が成り立たないなら△△に矛盾するという議論をたまに見かけるが、読みにくい)。 要求6 突然何を言い出してるのか分からないような議論を始めて、ウダウダ述べた挙げ句に「〜。では、以上の内容を定理として纏めておこう」っていうスタイルはやめて下さい。 要求7 場合分けで、Aの場合、Bの場合、Cの場合、…の時は、A,B,C毎に改行するなどしてプログラミングのswitch文で各ケースを並列させるようにして、分かり易くして下さい。 >>737 他人に見てもらうのを怖がっているようにしか見えない 数学の世界は狭いようで広い。 誰も見向きもしない未解決問題が、 わりと足下に転がってたりする。 とはいえ、解決したはいいけど、 どこに発表したらいいのかわからん (T_T) とかいった些末な問題もあったりするので、 始末に悪い。 小林 吹代『ピタゴラス数を生み出す行列のはなし』 とかは、「何か新しい話はあるのか?」みたいな 疑問がある。だったら細矢 治夫『トポロジカル・インデックス ― フィボナッチ数からピタゴラスの三角形までをつなぐ新しい数学』 のほうが、解決に向かおうとする悪戦苦闘っぷりが如実に読み取れて 数学の本としては価値があるように思う。 亀谷俊司著『解析学入門』を読んでいます。 不動点定理を使って、陰関数の定理、逆関数の定理を証明しているようです。 Tietze の連続関数延長定理とかいう定理も書いてありますね。 >>745 ネットで天狗になってるのはそんな連中だろうね わからないとなると適当にはぐらかして逃げる 工学系4年の者です。物理数学(線形微積フーリエラプラス等)の1冊にまとまった演習書で詳解物理応用数学演習以外のオススメの本ありますか?なければ詳解やるつもりです 工学仕様の何かいい本ありませんか?ってことでしょ 数学の人が数学仕様の何かいい本ないですか?って聞くかよw >>745 ( 昨日のID:AcCNS/r4 ) >>742 ( 昨日のID:+Gew6a/W ) よく知らんが、何やら>>716 のいう「メタ認知」という言葉を検索すると、それは1970年代に広まったそうだ。 そのメタ認知の能力が高い長所は多いそうだ。だが、何やらその能力には短所もあって、 客観的に見る能力に長けたメタ認知能力が高い人は、 その客観的に見る能力に長けたことが仇になって、自意識過剰になることがあるとのこと。 それとは関係ないが、>>725 や>>729 のようなことは、少なくとも1960年〜70年代の本の中には当てはまることがある。 >>742 >東大でアカポス目指す って書いているけど、それ以前に、現在の日本は博士号がないとアカポスには就けない仕組みになっている。 >>753 そもそもメタ認知とかには興味がないが、検索した結果、 もし、>>745 =>>753 か>>742 =>>753 なら、 正に>>753 は自意識過剰な状態のレスといえるとのこと。 >>753 >>728 >>726 文章書ける頭のない茶々入れの女々しい嫉妬 >>747 「Tietze の連続関数延長定理」は、最近の本では『ティーチェ拡張定理』 (Tietze extension theorem) と呼ばれることが多いです。 使い道は色々ある基本定理ですが、トポロジーを学習すると出てくる「可分ではない部分空間」、例えばゾルゲンフライ平面 (Sorgenfrey plane) やムーア平面 (Moore plane、Niemytzki平面とも呼ぶ) 、を扱う時に知っていると重宝します。 その本は1950年代に書かれているので、最近の微積分や解析の教科書ではあまり扱われない定理も書いてありますが、先々トポロジーを学習するときに思い出して使いこなしてあげましょう。 >>755 他人の検証を受けた方が良いという妥当なアドバイスを頑なに拒否する奴に嫉妬するわけない 馬鹿か >>757 ITがなかった時代では、通信手段は電話や手紙のやり取り位になって、 「他人の検証を受けた方が良いというアドバイス」もしようがなかっただろう。 そもそも、どれも単文で書かれた3つのレス>>726 、>>728 、>>753 が >>701 と同一人物かどうかについてはまだ疑問が残るが、 何れにしろ単文で書かれたそれら3つのレスには共通して 「文章を書ける頭のない茶々入れ」の傾向が見られることには変わりがない。 >>758 アドバイスを茶々としか受け取れないクズ >>759 そもそも、トポロジーっていうと 「開集合」という概念に対して 具体的なイメージを持たないと 「解った」「納得した」っていう 感触が得られないんだよな。 そうすると、解析学の基礎まで立ち戻って、 「極限とはなんぞや?」みたいな話になるわけだが、 解析学っていうのは「稠密かつ連続で、あらゆる ところで無限回微分可能」みたいなのが(フラクタルとか やってない、工学系の人間には)頭に入っているので、 ものすげぇパラダイム・シフトが必要になってくるわけ。 そのあたり、「たとえば物理的に説明すると、具体的には こんな感じ」みたいなのが欲しいところなんだけどな。 >>759 >>705 (>>701 )が書いた >自分のことは自分ではわからない という主張に則って考えてみる。時間のことは考えない(数年単位での多少の時間のズレは考えない)。 その主張に則って考えると、或る人物 A_0 を検証する者 A_1 についても A_1 のことは A_1 自身では分からないといえることになる。 だから、2人の人物 A_0、A_1 を外部から見ると 2人の人物 A_0、A_1 のことは A_0、A_1 の2人だけでは分からない ということになる。そのため、>>705 の主張に則って考えると、 A_0、A_1 のどちらとも異なる外部の第三者 A_2 が必要になり、 2人の人物 A_0、A_1 のことを A_2 が検証する必要が生じる。 だが、同様に3人の人物 A_0、A_1 A_2 を外部から見ると 3人の人物 A_0、A_1 A_2 のことは A_0、A_1 A_2 の3人だけでは分からない ということになる。そのため、>>705 の主張に則って考えると、同様なことを考えることが続くことになる。 >>759 (>>761 の続き) そこで同様に考えると、地球上の人口の総数は有限だから、 或る正の整数n n≧2 が存在して、nは地球上の人口の総数になると同時に、 n人の人物 A_0、A_1、…、A_{n-1} のことは A_0、A_1、…、A_{n-1} のn人だけでは分からない ということになる。そのため、>>705 の主張に則って考えると、 A_0、A_1、…、A_{n-1} の何れとも異なる外部の第三者 A_n が必要になり、 n+1人の人物 A_0、A_1、…、A_{n-1} のことを A_n が検証する必要が生じる。 その結果、>>705 は地球上の人のことは地球上の人だけでは分からないと主張していることになる。 (補足だが、それと同時に、A_0、A_1、…、A_{n-1}、A_n の総数はn+1人だから、 >>705 の主張の解釈次第(例えば、理解出来ているか検証してもらう側の A_0 の理解度を完璧にしようとするような立場での解釈)では、 地球上の人口の総数について矛盾が生じるともいえることになる。) そのようにして、>>705 の主張には破綻が生じている。 そもそも、地球上の人だけでは地球上の人のことは分からない。 論文ではあるまいし、理解度にはどこかで妥協させて終わらせるしかない。 >>759 >>762 の >n+1人の人物 A_0、A_1、…、A_{n-1} のことを A_n が検証する必要が生じる。 の部分は >n人の人物 A_0、A_1、…、A_{n-1} のことを A_n が検証する必要が生じる。 に変更。 >>763 気分的には、 > 或る正の整数 n n≧2 が存在して、n は地球上の人口の総数に > なると同時に、n人の人物 A_0、A_1、…、A_{n-1} のことは > A_0、A_1、…、A_{n-1} のn人だけでは分からない > ということになる。 というより、 「ある自然数 n が存在して、n は地球上の人口の総数以下に なると同時に、『n人 の人物 A_1、A_2、…、A_{n} のことは A_1、A_2、…、A_{n} のn人だけでは分からない』 ということになる。」 と主張する(神とか、地球外生命体とか、人工知能とかの ような、人智を超えた存在も視野に入れる)ほうが、 説明上は わかりやすいように思う。 >>750 数学科の認識はよく分からないんですが詳解をコンパクトにしたやつあったら教えて下さい およそ専門書というものは、 「理解している人間」が 「まだ理解していない人間」に対して、 理解を促すために書かれているのだが、 「理解している人間は、まだ理解していない 人間に対する配慮が十分ではない」ように 思う。 これは数学ではなく航空工学の話だが、 「ベルヌイの定理」は航空工学における 最大の難所ではあるのだが、 「あれは、要するにエネルギー保存則であって、 『圧力損失+運動エネルギーの差+位置エネルギーの 差+熱損失』が、定常状態の流管における損失に等しい」 と言ってくれりゃあいいものを、と思うんだが、 そこに言及した航空工学の本というのは見た ことがなくて、天下り的に「ベルヌイの定理」が 出てくる。 「数学の本は、そのあたりの配慮に大きく欠けては いないだろうか?」、と思う。 >>765 ぶっちゃけ、「コンパクトにまとまった、わかりやすい本」 というのは、「あったら俺が欲しい」くらいなので、 微積分と線形代数はそれぞれ遠山啓と森毅、 フーリエ変換とラプラス変換は、それぞれ 工学系の専門書(前者は電気工学、後者は制禦工学) を適当に漁って、自分なりに頭の中でイメージを 統合するくらいの方法しか思いつかない。 教科書は理論のユーザーが書いた方が分かりやすくて良い本になる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる