数学の本第78巻
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おいみんな!田村零郎のグループ名で解析の本書こうぜ! >>26 多変量解析で使うんだよ。 ベクトルを矢線で教えるか多次元量で教えるかで いろいろと意見があってだな、 応用数学でも力学だと矢線が便利(角運動量とか 入ってくると外積も出てくる)だが、 多変量解析とか因子分析とかだと、次元が増えてくるから 多次元量で教えたほうが便利なんだ(外積とかはほとんど 出てこない)。 同じことを話してるはずなのに話が通じん、という不便を 考えると、包括的な視点っつーか、その間の橋渡しをする 説明があってもいいだろう、っちゅー話だ。 >>28 「田村 高廣です」「田村正和です」「田村 亮です」を 思い出したが、田村 俊磨入れると四人なんだよな …… >>29 「田村四郎」で書くっちゅーのはどうかな。 Richard Dedekind "Stetigkeit und irrationale Zahlen" (1872) www.opera-platonis.de/dedekind/Dedekind_Stetigkeit_2.pdf Richard Dedekind "Was sind und was sollen die Zahlen?" (1888) www.opera-platonis.de/dedekind/Dedekind_Was_sind_2.pdf Project Gutenberg's "Essays on the Theory of Numbers" by Richard Dedekind https://www.gutenberg.org/files/21016/21016-pdf.pdf 杉浦光夫著『解析入門I』ですが、以下の記述があります: 「 以下では指数函数の実数直線上の性質を調べよう。 実数列の極限が(C = R^2 内で)存在すれば、極限は実数であることが定理I.4.5,1)からわかる。 」 これはわざわざ書くべきことでしょうか? 点列 a_n ∈ {x ∈ R^2 | x2 = 0} について、 lim a_n が存在すれば、 lim a_n ∈ {x ∈ R^2 | x2 = 0} である ということですよね。 >>34 >>35 そのあたりは、「自明性」に関する議論っちゅーのがあるんだよなぁ。 加法性に関していうと、「正の数に正の数を足したら、もっと大きい 正の数になる」っていうのは自明なんだけど、 1+2+4+8+16+ …… = -1 みたいなコトを言うヤツもいるわけだよ。 (三原 和人『はじめアルゴリズム(3)』、P.40) 数学業界には、けっこうキチガイがいるんだけど、 数学業界のキチガイは話が通じるんだよ。 だけど、数学者ではないキチガイにとっての 「自明性」っつーのは、なかなか計り知れない ところがあるんッスよ。 だから、「何が自明か」っつーのは、検討の余地が あるんじゃねーか、と思うんだけど、どうだろう。 [1] 点列の極限値が存在しえないならば、それ以後の命題「 lim a_n ∈ {x ∈ R^2 | x2 = 0} 」がどうであれ、 文全体「lim a_n が存在すれば、 lim a_n ∈ {x ∈ R^2 | x2 = 0} である」は真である。これは不適。 [2] 点列の極限値が存在が存在して、それ以後の命題が疑ならば、文全体も疑である。これも不適。 [3] 点列の極限値が存在が存在すれば、文全体が真にななるのは、それ以後の命題も真であるときそのときだけに限る。 つまり、これ以上ない正確な書き方でlim a_n ∈ {x ∈ R^2 | x2 = 0}を満たす「極限値が存在する」と書いてある。 極限値が存在しないと話が始まらないから自明ですよね。 >>37 うん。 赤 摂也先生や島内 剛一先生なんかは、 そういう「自明性」っていうのを意識した 証明を善しとしていらっしゃった。 「正しいんだから認めろよ」っていうのは、 「解ってないひとに説明する」という、 証明本来のありかたというものに反しているように 思うんだよね。それを考えると、「わかりやすい証明」と いうものに価値を認めるのは、研究成果とは別に、ありうると 思うわけよ。 また一方、入門書で「証明せよ」っつーのは、推理小説の ネタバレになっちゃうのがやだなー、みたいな、 「そんなの自分で証明したほうが面白くねぇ?」っていう 感覚が伝わってきて、それも面白いと思うんだよね。 >>37 > 疑である 古典論理の範疇では、ゲーデルの完全性定理が(たぶん)成り立つので、 「真である」ことが証明できなければ「偽である」が成立するはずだ。 ところが、直観論理の範疇だと、「二重否定の除去」ができないので、 「真であることが証明可能でない」からといって、「偽である」とは 限らない(連続体仮説とか、選択公理とかの例がある)。このあたりは (数学板でわざわざ言うこっちゃないけど)ゲーデルの不完全性定理で 示されてる。 「偽である」じゃなくて「疑である」っちゅーのは、「疑いあり」と いう意味で、けっこう好ましい表現かもしれない、と思った。 稲葉三男先生の『微積分の根底をさぐる』は まえがきに「いわば反逆の書になってしまった」 とか書いてあったり、章題に「一般解の怪奇」とか 「一般解を追放しよう」とかあったりするけど、 理工系の大学初年級くらいのレベルだと、 理解しやすくてよかった。 >>41 その本ですが、著者が偉そうなくせに、間違いがある本ですよね。 >>42 >>43 つ 稲葉三男『常微分方程式』(共立全書 196) 数学屋だったら、どこにどういう問題点があるのか、 正確にツッコむくらいの芸は見せてほしいところだな。 杉浦光夫著『解析入門I』を読んでいます。 Σ_{n = 0}^{∞} {(-1)^n / (2*n)!} * z^(2*n) と書いたとき、これは、 S_m := Σ_{n = 0}^{m} {(-1)^n / (2*n)!} * z^(2*n) lim S_m を表わすのでしょうか? それとも、整級数である Σ_{n = 0}^{∞} a_n * z^n a_n = 0 for n ∈ {1, 3, 5, …} a_n = (-1)^(n/2) / n! for n ∈ {0, 2, 4, …} を表わすのでしょうか? まあ、どちらの意味にとっても同じことですが、 杉浦さんは混同しているようです。 以下の辺りを読むと混同していることが分かります。 「 次の二つの整級数は絶対収束する: Σ_{n = 0}^{∞} {(-1)^n / (2*n)!} * z^(2*n), … 」 >>46 お前のそのレスについては俺も同じ気持ちになったことあるわ 俺は後者として理解してきたけどな そもそも級数の定義は、数列の部分和の極限だし 関数項級数は関数列の部分和の極限だから いきなり級数といわれたらまず元の数列・関数列を正しく捉えるところから考察をスタートするのが自然やろ >>48-49 ありがとうございます。 杉浦光夫さんは、オイラーの公式を導くのに、 「(詳しく言えば定理2.3、命題I.5.3,2)を用いた)」と書いています。 ということは杉浦さんの頭の中は以下のようになっていたことになります: e^(i*z) = cos(z) + i*sin(z) e^(i*z) = 1 + i/1! * z + i^2/2! * z^2 + i^3/3! * z^3 + i^4/4! * z^4 + i^5/5! * z^5 + i^6/6! * z^6 + i^7/7! * z^7 + … = 1 + i/1! * z + -1/2! * z^2 + -i/3! * z^3 + 1/4! * z^4 + i/5! * z^5 + -1/6! * z^6 + -i/7! * z^7 + … = (定理2.3) (1 + 0 * z + -1/2! * z^2 + 0 * z^3 + 1/4! * z^4 + 0 * z^5 + -1/6! * z^6 + 0 * z^7 + …) + (0 + i/1! * z + 0 * z^2 + -i/3! * z^3 + 0 * z^4 + i/5! * z^5 + 0 * z^6 + -i/7! * z^7 + …) = (命題I.5.3,2)) (1 + -1/2! * z^2 + 1/4! * z^4 + -1/6! * z^6 + …) + (i/1! * z + -i/3! * z^3 + i/5! * z^5 + -i/7! * z^7 + …) = (1 + -1/2! * z^2 + 1/4! * z^4 + -1/6! * z^6 + …) + i*(1/1! * z + -1/3! * z^3 + 1/5! * z^5 + -1/7! * z^7 + …) = cos(z) + i*sin(z) つまり、ここでの杉浦さんは、 Σ_{n = 0}^{∞} {(-1)^n / (2*n)!} * z^(2*n) と書いたとき、これを S_m := Σ_{n = 0}^{m} {(-1)^n / (2*n)!} * z^(2*n) lim S_m を表わすものと考えています。 一方、杉浦さんは、 cos(z), sin(z) の定義の辺りでは、 「 次の二つの整級数は絶対収束する: Σ_{n = 0}^{∞} {(-1)^n / (2*n)!} * z^(2*n), … 」 と書いています。ここでは、杉浦さんは、 Σ_{n = 0}^{∞} {(-1)^n / (2*n)!} * z^(2*n) と書いたとき、 整級数である Σ_{n = 0}^{∞} a_n * z^n a_n = 0 for n ∈ {1, 3, 5, …} a_n = (-1)^(n/2) / n! for n ∈ {0, 2, 4, …} を表わすものと考えています。 杉浦光夫さんは、明らかに、混同しています。 杉浦光夫著『解析入門I』を読んでいます。 初等関数のところですが、最初は杉浦さんも丁寧に書いていますが、 段々、記述が雑になっていきますね。 やるからにはちゃんと丁寧に書いてほしかったですよね。 段々手に負えなくなっていって丁寧な記述が破綻してしまった という印象です。 杉浦光夫さんは丁寧な記述に特色がありますが、なんというかちょっと素人くさいですよね。 Rudin なんかは余裕が感じられますが、杉浦さんはすぐに息切れしてしまう印象です。 >>54 一本も論文書いてないアホが批判しても馬鹿丸出しで説得力ゼロやで 杉浦光夫著『解析入門I』を読んでいます。 誤りを発見しました↓ p.189 誤: ある点 c で K における最小値に達する 正: ある点 c で K における最小値 m に達する 「マルチ投稿は止めて下さい」と言われても無視、 そうかと思えば「杉浦光夫さんは・・素人くさいですよね。」と言ってみたり。 質問の形をとったこの手のコミュ障から来る自己顕示は徹底的に放置するべき。 そもそも故人をディスるなんて、人でなしにもほどがある。 微背分もろくに理解できないど素人の才能無しが杉浦先生、小林先生をまじでdisるとはキチガイだろ >>59 あんたの言ってることには全面的に同意するが、 「微積分」の「積」を「脊椎/脊髄」の「脊」の 当用漢字における代用字である「背」に変換するような 間抜けな変換システムを作ったクソなメーカーが どこかということだけは晒しておいてほしい。 ついでに荒らしとこう。 稲葉 三男『常微分方程式』(共立全書 196)は、 工業数学寄りの奴は、とりあえず買っといて 損はないぞ? 彡 ⌒ ミ ( ´・ω・)⌒ ミ Don’t mind 禿… /⌒ ,つ⌒ヽ) >>63 (___ ( __) "''"" "'゙''` '゙ ゙゚' ''' '' ''' ゚` ゙ ゚ ゙''` 俺は小平みたいな自分の勉強ノートをそのまま書き連ねたり、 自分の頭の中にある数学をそのまんま書いていって、「それでは以上の議論を定理として纏めておこう」って言う読者視点を軽視した本は割と嫌い こういう人の酷いのは、後々の議論になっても以前どこかの証明で使ってた議論に数式番号だけ付けてそのまま引用するところ 読む側としてはあっちこっち見回さなきゃいけなくなったりでしんどい それよりも宮島静雄みたいに読者の見やすさ(定義・定理・証明を視覚的にもハッキリ分ける)を配慮してる本の方が好き もっと贅沢言うと、例えばεδ論法でも …<…<Mc^ε/(1+pq) *εとなる。よってfは収束する という議論よりも …<…<Mc…<ε となる。よってfは収束する。 と議論してくれた方が読む側としては少し気持ちいい 議論の途中で「なんでδをそんな形で定義するんだ?」と思わせておいてからの、最後のフィニッシュでεが綺麗な形に「<ε」となって、 「あぁだからあの時あんな形で取ったのか」って読者に気づかせる奴 贅沢言い過ぎ 文句があるなら自分でノートまとめて出版しろ >>65 小平解析入門の問題点は、一変数か多変数かにかかわらず、 普通の微分積分の本では扱っている筈の極値を解析的に殆ど扱っていないところにある。 この点を補うため、小平解析入門の他に、何らかの副読本が必要になる。 そういった意味では、杉浦解析入門か何かの標準的な微分積分の本を読む方がいい。 小平本は、極値を除けば、微積分の本にしては面白いことが他に色々書いてあったりして、読みがいがある。 >>67 微積分の本で一つ選ぶとしたら、小平解析入門を推す先生が今でも多いよ もちろん欠点もあるけど、頭一つ抜けたテキストであることには変わりない めーちゃ頭良い人が地頭良い学生向けに書いたホン >>69 小平解析入門は、元々、岩波講座基礎数学の分冊のうち4冊を占めていた。 現在出版されているその本は、内容的にはそれと同じ。訂正は多分されていないと思う。 あと、数学板に書く人または数学書を読む人は学生や大学の数学関係者のみに限る、などということは仮定しない方がいい。 基本的に、2チャンには誰が書いているか分からないというスタンスで書いた方がいい。 >>71 正確に言うと、現在は「2チャン(「2ちゃんねる」)」 ではなくて、「5ちゃんねる」。 「誰が書いているか分からない」っていうより、 「高校数学とかで引っかかっちゃたったヒト」を 意識して書くのが、たぶん順当なレベルなんじゃ ないかなぁ、と思う。 「『微分積分読本』と、どっちがいいか」みたいな バトルは見てみたいなぁ。 >>70 何故? >>71 別に仮定してませんし、一般的意見として俺が書いた文言をあなたがそう受け取っただけだと思います 仰る通り、小平解析入門は、岩波基礎数学選書「現代解析入門」の前半を合せて完全ですね >>75 >別に仮定してませんし、一般的意見として俺が書いた文言をあなたがそう受け取っただけだと思います いや、>>69 で >微積分の本で一つ選ぶとしたら、小平解析入門を推す先生が今でも多いよ とか >めーちゃ頭良い人が地頭良い学生向けに書いたホン と書いてあるのが何か引っ掛かったんでね。 >>76 そうですか でも他意はないので、ないものはないですよ せっかく荒らしに来てるのに、誰もかまってくれないから 爆撃してやる。 志賀浩二『数と量の出会い ― 数学入門』(大人のための数学 (1)、紀伊国屋書店)。 >>77 普通に読んだら、>>69 は大学内の様子の一端を書いたレスとも読めなくないかい? >>72 本当に5チャン(2チャン)には誰が書いているか分からないって。 それ位、昔の2チャンはレベルが高かったそうだ。 大沢先生が常連だったくらいだからな 2ちゃんねる当時の書き込みを授業資料で配る程度に入れ込んでいた James R. Munkres著『Analysis on Manifolds』ですが、 やっと第2章 differentiation まで進みました。 もう少しで逆関数定理、陰関数定理までたどり着きます。 そういえば、杉浦光夫さんは、『解析入門I』の逆関数定理I(p.139)の証明で、 非常に大きなミスをしていましたね。 痛恨のミスでしたね。 >>80 > 昔の2チャンはレベルが高かった その話をしていると、 「今の5ちゃんねるのレベルが低い」とするなら、 それは「書いている奴のレベルが低い」ということに なってしまうんだが、いまどきは中学・高校で ネットリテラシーについての授業があるという時代で あるにもかかわらず(同時に、数値実験を行うための 環境が劇的に向上しているにもかかわらず)、 「レベルが低い」と断じられる(実際、おれも低いと 思うんだが)現状を、批判していただきたいと思う。 昔の2チャンの過去ログとか見てみると、セミナーとかお茶会的な和気あいあいな雰囲気。 少数精鋭だからか、一つのテーマについて深く掘り下げてる。 有名なのは2チャンでの会話から新しい定理が見つかり数学セミナーにも取り上げられたことがあった。 一方、他人をディスって満足するクズが多いのが現在の5ちゃん数学板。数学的に何かを成し遂げられる雰囲気はもう感じられない。 >>81 大沢健夫先生ですよね? 証拠でもあるんですか? もし嘘だとしたら大変失礼ですよ 杉浦光夫著『解析入門I』を読んでいます。 p.193 定理4.1 K を R または C とする。 K の二つの開集合 A, B に対し、 f が A から B への全単写で、 f, f^(-1) が共に連続とする。もし f が一点 x ∈ A で微分可能で f'(x) ≠ 0 であるならば、 f^(-1) は y = f(x) で微分可能で (4.1) (f^(-1))'(y) = 1/f'(x) が成立つ。 >>90 この定理の仮定ですが、無駄が多すぎませんか? 以下で十分ではないでしょうか? K を R または C とする。 K の二つの開集合 A, B に対し、 f を A から B への全単写 とする。もし f が一点 x ∈ A で微分可能で f'(x) ≠ 0 であり、 f^(-1) が一点 y = f(x) ∈ B で 連続であるならば、 f^(-1) は y = f(x) で微分可能で (4.1) (f^(-1))'(y) = 1/f'(x) が成立つ。 杉浦光夫さんはこういう風に、ときおり粗雑になりますよね。 残念です。 そして、気持ちが悪いですよね。 >>84 >> 昔の2チャンはレベルが高かった >その話をしていると、 >「今の5ちゃんねるのレベルが低い」とするなら、 >それは「書いている奴のレベルが低い」ということに >なってしまうんだが そういうことにはなってしまわない。「昔の2チャンはレベルが高かった」という文は、 一体「昔の2チャンのレベルが具体的にどのよう高かったのか」という点において曖昧に書かれている。 その文は、書いている人のレベルが高かったのか、内容のレベルが高かったのか、 などといった「(2チャンにおいての)レベルの具体性」の内容までは一意的に読み取れない文になっている。 ごくごく普通に読むと、「昔の2チャンはレベルが高かった」は「昔は2チャンのレベルが高かった」とも読めるから、 「2チャン(5チャン)のレベルが高くない時期」は昔ではない、といったような感じにもなる。 >>84 些細なことだが、>>93 の >一体「昔の2チャンのレベルが具体的にどのよう高かったのか」という点 の部分は >一体「昔の2チャンのレベルが具体的にどのように高かったのか」という点 に訂正。 どんな数学書だって誤りはあるだろうし、出版社の人が校閲をするのは無理。 皆、それを修正して、さらに端折ってある証明を補って読んでいる。 それをいちいち自分の読んでる本の誤りを列挙して得意になっている奴って馬鹿っぽいんだけど。 数学書に誤りがあるのが気にいらないなら自分で数学書書けばいいじゃないか。 >それをいちいち自分の読んでる本の誤りを列挙して得意になっている奴って馬鹿っぽいんだけど。 昔は中二病と呼んでたけど、今はもっと年齢が上でも精神年齢が低いらしい 数学板で言っても教育できないし、社会に出てから苦労して中二病を卒業するか、 まわりに >>95 さんみたいに教育してくれる人がいればいいけど、 未熟なままで社会と折り合いをつけられないひきこもり生活をするかだな 何にして数学に集中できなくなる悲惨な悩み多き未来を迎えそうだとは思う 数学書呼んでる人、書いてる人でプログラミング言語で言うところの“オブジェクト指向”・”リファクタリング“を理解してる人どれぐらい居るのかな? 複雑に入り組んだ概念を取り扱う時こそ、個々の事物を1つの単位として取り扱って、個々が他の個を扱う時はなるべく汎用性を持ったように扱うべきなのだが、 そう考えると、よくある数学書で、とある証明内で議論した事柄に数式番号だけを付けて、また別の文脈の所の証明内に於いて引用するのはいかがなものかと思う。 証明内で引用される箇所があるとすれば、それは当該証明内に於いてだけに留めるべきだと思う。 ある証明内に於いて或る事柄を、別の照明に於いて引用するのであれば、当該事柄を引用できるように当該証明から抜き出して、一つの命題として整えておくべきなのではないだろうか? >>95 >いちいち自分の読んでる本の誤りを列挙して得意になっている奴 この種の類の人間はトコトンそのようなことをしているという背景があるから、 そういった類の説教をここでしても余り意味がないと思うぞ。 >>97 遠山啓先生なんかは構造主義的な立場だったから、 “オブジェクト指向”・”リファクタリング“的な発想だった ように思う。「森ダイアグラム」なんかもその延長だろう。 だけど、ヒルベルト流の流儀とは相容れない部分はあるんだよな。 とはいえ、コンピュータの性能向上で、カオスとかフラクタルのような 複雑系ガクローズアップされてきて、境界が曖昧になってきてるのも 確かだと思う。 >>95 >>98 「話せば分かる」なんて大ウソで、昔から刀を向けられて「ま、待て。話せばわかる」と言った人に限って、 バッサリやられている。いつの間にか私たちを囲む様々な「壁」。それを知ることで世界の見方が分かってくる。 「人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である。 理解できない相手を、人は互いにバカだと思う」というのが本書の要点である。 (養老孟司の著書『バカの壁』) >>101 「芸術家は数学者に比べて不幸である。理解されない芸術家は 軽蔑されるが、理解されない数学者は尊敬される」とかいった 話もあるんだが、デカルトは「理性は万人において平等である」 と言った。 まぁ、そのうち世の中がおれたちに追いついてくると信じようじゃないか。 「絶望は愚者の結論である」って云うしな。 >>88 ありがとうございます! ざっと目を通しましたが、今の5ch数学板と全然違いますね なんと言うか…集まってる人間の感じが明らかに違いますよね あさって向いた頓珍漢なレスや揚げ足取り、不毛なディスりレスが極少 どこで道を間違えたんだろう 数学は大衆化したらおしまい はなからDQNには無理なのが数学 >>104 達観したようなことを言ってんじゃねーぞ若造。 >>103 の爪の垢でも煎じて飲んでろや。 "Mathematics, rightly viewed, posseses not only truth but supreme beauty, a beauty cold and austere like that of sculpture" - Bertrand Russell 「正しく見た数学は、真実だけでなく最高の美 - 彫刻のように冷たく厳しい美 - も有している」 (バートランド・ラッセル) チューリングを記念してサックビル・パークに作られたブロンズ製のベンチに付随する銘板より >>107 ラッセルはあてにならない、ラッセルのエッセイは特に ラッセルは数学やるときと文章書くときとでは使う頭が全く違っている気がする ラッセルはプリンキピア・マテマティカを共著したホワイトヘッドの嫁と不倫したから、 >>108 の言う「あてにならない」は一理ある。 でも、小平邦彦の「ボクは算数しか出来なかった」にもラッセルと似たことが書かれていて 「このときの大学はエリートの集うところであり現在のように大衆化されていなかった。・・・ 私の楕円曲面論は実は私が考え出したのではなく,数学という木の中に埋まっていた楕円曲面論を 私が紙と鉛筆の力で掘り出したにすぎない」(115P) と言っている。 「それはなぜベートーベンの交響曲第九が美しいのかと尋ねるようなものだ。 なぜかがわからない人に、他の人がその美しさを説明することはできない。 数が美しいことをわしは知っている。 数が美しくなかったら、美しいものなど、この世にはない」 (ポール・エルデシュ)「放浪の天才数学者エルデシュ」より >>109 それって、やっぱり漱石の『夢十夜』が元ネタなのかな。 小平邦彦が自分を運慶になぞらえたのかは不明だけど、そうだとしたらかなりイヤミだし違うと思う。 夏目漱石「夢十夜」の第六夜の最後の部分を抜粋する。 「はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。 それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。 その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。 自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。 ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。 それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。」 夏目胆石「夢十一夜」 「はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。 それで急に自分も定理が証明してみたくなったからさっそく家へ帰った。 自分は一番大きい『リーマン予想』を選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。 その次の『ポアンカレ予想』では運良く掘り当てる事ができた。 そこで2002年に論文を送ったのだが、証明の検証の際に、シン=トゥン・ヤウたちは自分たちが最終的解決をしたかのような論文を提出した。 ぼくは人間不信に陥り、2006年のフィールズ賞が贈られたときも受賞を辞退した。 いまは毎日きのこを採集して暮らしている。」 本当の研究者相手なら 下らない「哲学、文学」する暇があったら研究しろ! と言う所だ。 けど、憧れだけで、理解力も研究する力もない素人が、 分かったつもり、研究者になったつもりになって 楽しむ娯楽だから放置。 妄想を拗らせてプロの学者になったと勘違い、 変な論文擬きを学会に送りつけるのは止めてくれ。 >>111 もっと昔にミケランジェロ辺りも言っているよ。 すぐに思い出せないけど、似たようなことをいろんな人が言っている。 俺が通ってる美容師も似たようなこと言ってるよ ハサミの力で髪を掘り出すんだと 大昔にマタノちゃんほざいてた人か 遠山啓ネタ振ってた奴もなんかオブジェクト指向とか言い出すし 最近はちゃんとした数学者で、一般向けの 本を書く人がいない気がする。 一世代に何人かは、そういう人にもいて欲しい。 桜×進では完全な素人だしなぁ。 >>120 圏論活用のプログラム意味論の文献紹介してもええんやで James R. Mnukres著『Analysis on Manifolds』を読んでいます。 この本の説明は素晴らしく分かりやすいです。 ですが、演習問題の質が悪いように思います。 例えば、 Show that the function f(x, y) = |x*y| is differentiable at 0, but is not of class C1 in any neighborhood of 0. という問題ですが、 0 の近くで f の偏導関数自体が存在しません。 「きれいなことば、きれいなこころ 大切にしよう AC JAPAN 」 こういう広告が放映されてるのにここにもひどい人がいるな。 いじめ、セクハラ、パワハラ、アカハラ、人種差別。どれも犯罪です。 京都人みたいな綺麗なイヤミ吐くようになったらまあ人間として終了済みだな 本人に真っ向からダメ出しする方が遥かにマシ >>127 森毅のエッセイでも読んどけ。 あの人は関東出身だぞ? ところで、このスレって統計学(実験計画法)とかゲーム理論とかの 関連書籍って、挙げていいのかな? どこまでを「数学」に含めるかっていう話をすると、 「純粋数学」と「応用数学」で対立する部分があると思うんだが。 たとえば、『確率論とその応用』とかは入れていいのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる